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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その179

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その179_b0083728_2263936.jpg個人的経験:
朝比奈隆の晩年には、
ブルックナーの音楽は、
この極東の島国でも、
異常とも言えるほどの
人気を謳歌した。
私も、朝比奈の指揮で、
多くの実演に足を運んだが、
ごく少数の演奏に戦慄し、
多くの演奏には何も感じなかった。
座席の関係もあるかもしれない。


急遽、御皇室ご鑑賞ということで、席が仕切り直された事など、
音楽の本質とは無関係な事も思い出され、
一方で、感極まったコンサートマスターが、
落涙抑えきれずクライマックスに突入していった演奏もあり、
その時はまさしく背筋に走るものがある大演奏であった。

しかし、期待して足を運んでも、何も起こらなかったことも多く、
演奏会評やCD解説などで、
最高の名演などと評されているのを見て、首を傾げたこともある。

その頃が一つのクライマックスだったかもしれないが、
それより二十年も前から、私はブルックナーの交響曲には親しんでおり、
学生の金欠の最中にあっても、
ベームの「第四」、ジュリーニの「第九」などは、
出るとすぐに聴いたレコードだったし、
ヴァントの「第二」やカラヤンの「第八」なども、
CD初期に入手して感銘を受けた、忘れがたい演奏であった。

特に、「第二」には、私は大変、愛着を持っている。
そこには、自然に対する、
ブルックナーの優しい眼差しが感じられて、
初期作品に対する、私の興味は、急速にかき立てられた。

田代櫂著の「魂の山嶺」にも、
「そこに流れる自然の息吹、
風のさやぎや野のかぎろいは、
ブルックナーを聴く至福の時である」
とあって、全面的に共感した。

この著作には、前回も紹介したように、
ブルックナーとシューベルトを繋ぐ逸話も多く、
若き日のブルックナーが、シュタイヤーの街で、
シューベルトゆかりの人たちと交流を持ったところなど、
何だか、自分も、その場所に立ち会っているかのような、
不思議な感じを受けたものである。

そんな中から、いくつかの初期のピアノ曲が生まれたようだが、
この著作で、ブルックナーの最初期の重要作として、
特筆されているのが、
混声合唱のための「アヴェ・マリア」である。

「ゼヒターのもとでのブルックナーは、
58年に和声学、翌59年に単純対位法と二重対位法、
60年に三重・四重対位法、61年にはカノンとフーガの学習を終え、
すべての理論を習得した。
自由な創作も許され、彼はその年に七曲の小品を作曲している。
混声合唱のための『アヴェ・マリア』は、
成熟期を迎えたブルックナーによる最初の作品である」
と書かれている。

4年も作曲を禁止されてしまう。

シューベルトが、このゼヒターのもとで修業をしたいと、
最初に思い立ったのが、1824年だったとされるから、
その修業が終るのが死の年と重なり、
彼の円熟期の作品はねこそぎ生まれなかったことになる。

シューベルトは、この頃、健康の悪化を自覚していたので、
この条件を出されたら、受講を諦めたかもしれない。

ブルックナーの「アヴェ・マリア」は、
ゼヒターとの修業の最初の成果に当たるが、
「リンツ新大聖堂の建立ミサの際、ブルックナーの指揮で
フロージンにより初演され、『リンツ新聞』紙上で
高い評価を得た」とされる。

フロージンというのは、ブルックナーが主席指揮者を務めていた、
合唱団のことである。

そういえば、ブルックナーは、ピアノ講師をやっていて、
気に入った女弟子のためにピアノ曲を書いていた。

当然のことながら、彼は、こうした、
すぐに演奏できるものを優先して作曲したが、
さらに邪推すると、
この合唱団にもお気に入りがいたのかもしれない。
マリアを讃える聖歌であるわけだから、
それは大いにあり得るだろう。

ブルックナーは、修業を終えると、
猛然と就職活動を開始し、
ゼヒターによる終了証明書と共に、
この合唱曲をも就職希望先に披露したとされる。

このような経緯を見ると、やはり、
シューベルトも求職を有利にするために、
ゼヒターに就きたかったのかもしれない。

ゼヒターの後任のような形で、
ヴィーン音楽院の教授になってから、
教壇でのブルックナーは、
「ゼヒター理論の権化だった」と書かれている。

ある学生は、
「この教授法が、音楽と何の関わりもないように思えた」
と書いたそうなので、
シューベルトのようなタイプは、
修了証を手に出来なかったかもしれない。

ここで、この「アヴェ・マリア」を聴いてみよう。
フリーダ・ベルニウスのCDを手にしたのは、
いくつかのモテットと、初期のミサ曲が一緒に入っていたからである。
モテット4曲は無伴奏で、前半の「ミサ曲第二番」だけが管楽合奏を伴う。

CDの表紙は、修道女のような女性が、
教会の中を黙々と掃除している絵画があしらわれており、
背景の祭壇が輝いて、日常の延長の中に、
こうした崇高な彼岸が続いているのだ、
という感じが伝わってくる。

何で、掃除の風景などが絵画のテーマになるのか、
理解できないが、そう考えることによって、
少し、分かったような気分になる。

ただし、ブルックナーは、こうした、
日常の努力のかなたに神の栄光を見たというより、
もっと一足飛びにその恩寵に浸ろうとした作曲家に見え、
この絵画がブルックナーの作品に相応しいかと言われれば、
ちょっと違うような気がする。

Gotthardt Knehlの作品とあるが、
色遣いも印象派風で、ブルックナーのような古色蒼然ではない。

とはいえ、Brucknerという作曲家名を金の飾り文字にしてあるあたり、
何となく、良いデザインのような気もする。

このCD、モテットの最初に入っている、
昇階誦「この所を作り給うたのは神である」は、
とても厳粛な感じながら、我々を包み込んでくれるような、
メロディーが美しい。

歌詞は切れ端で、
先の題名のあと、
「そははかりしれぬ秘蹟、誤りはない」
と繰り返される。

ブルックナーの生涯は、かなり危なっかしいので、
こうした祈りは切実だったかもしれない。

モテットの二曲目は、「イサイの杖は芽を出し」で、
続けて、「花を咲かせ、マリアは神にして人なる彼を生み給うた。
神は再び平和をもたらし給うた。
神はもっとも低きものと最も高きものを和解させ、
結ばせ給うたからである。アレルヤ。」
と歌われるが、
ブルックナーは高きものには媚びへつらい、
低きものには暴君として振る舞ったようなので、
これまた、悩ましい歌詞。

しかし、この作品は、まるで「第七交響曲」のアダージョのような、
陶酔的な上昇が見られる。

モテット三曲目は、昇階誦「キリストはおのれを低くして」で、
これまた、ブルックナーが共感した詩句が読み取れる。

「キリストはおのれを低くして、
死に至るまで、
しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
それゆえに、神は彼を高く引き上げ、
すべての名にまさる名を彼に送った。」

このような内容を読むと、ブルックナーの祈りというか、
願望、自画像のようなものが透けて見えるようである。

この曲などは、「第八交響曲」のアダージョそっくりである。
私は、このように、これらの作品に耳を澄ませたことはなかった。
この曲は6分で、他の曲が3分台であるだけに長さが目立つ。

最後の「アヴェ・マリア」は、
「めでたしマリアよ、
恵みにみてるもの、神、汝と共にいます。
汝は女の中にて祝されたもの。
また汝の胎の実イエスも祝されたもう。
聖なるマリア、神の御母よ、我ら罪人のため、
いまも、我の死の時も、祈りたまえ。
アーメン」という内容。

ようするに、マリアに甘えている歌であるが、
評伝を読む限り、ブルックナーの母親が、
そんなタイプの女性であったとは思えない。
ブルックナーが少女ばかりを恋愛対象にしたのも、
肯ける記述が、「魂の山嶺」にも出ている。

「父親は貧しいながら安定した環境で成長し、
鷹揚な性格を身につけたと思われる。
一方母親は、富裕な家庭に生まれながら、
早くから窮屈な環境に身を置き、
屈折した性格を育んだのだろう。」
「後年のブルックナーに顕著な、
神経症的不安、やみくもな上昇志向、
創作に対する異様な周到さなどに、
この母親の影が感じられる。」

1861年に、この曲は書かれたが、
この母の死は、その前年のことだったという。

この曲だけが、7部合唱になっていて、
さすがゼヒター門下である以上、ここまで、
精緻な作りにしなければならないか、
という感じ。

19世紀中葉に、こうした作品が出て来たことを、
奇異に感じるばかりである。

他のモテットが、四部合唱で、比較的素直に聴けるのに、
この曲になると、メロディーが美しいという第一印象はない。
ゼヒターの教育は、これをもってしても、
何だか無味乾燥なものだったと、
納得できてしまうような感じ。

是非、この曲の、ここが良いというアドバイスが欲しい。
この曲は、初演時から好評で、自信作でもあったようだが、
清澄な雰囲気は分かるが、絶対、こうあるべきかは分からない。

さて、このCD、これら4曲のモテット以外に、
「ミサ曲第二番」が入っていて、こちらがメインである。

私は、これまで、彼の「ミサ曲」を何度か聴いたが、
どうも楽しんで聴いたことがなく、
今回は再挑戦の機会としたかった。

今回、このCDを聴いていて感じたのは、
第五楽章、「ベネディクトス」の美しさで、
管楽器の伴奏が、初夏の草地、森の奥から聞こえる、
鳥たちの囀りのようにも聞こえ、
まるで、ディーリアスのような世界。
美しい「第二交響曲」の雰囲気に満ちている。

ひょっとして、このCDのデザインの色調、
正しいのかと思い直した。
つまり、よくCDやLPで使われるような、
フリードリヒの絵画のような、
北ドイツ風の幻想の世界ではなく、
もっと、開放的で色彩感に溢れた世界が、
本来のブルックナーなのだ、と、そう感じたりした。

それにしても、あの「交響曲第二番」の第二楽章は、
「ミサ曲第三番」の「ベネディクトス」からの引用がある、
ということからして、
「ベネディクトス」は、交響曲の緩徐楽章に相当する、
というのがブルックナーの思考回路だったと思われなくもない。

音楽事典によると、「ベネディクトス」は、
ミサの通常式分のサンクトゥス(感謝の賛歌)の後半とある。
歌詞は、
「ほむべきかな、主の名によりて来たる者。
天のいと高きところにホザンナ」とある。

こうした恩寵に満ちた内容から、
このような考えは、通常のことだったかもしれず、
ベートーヴェンは、ここで長大なヴァイオリン独奏を、
10分近く響かせ続けた。

さて、ここCDの解説を見てみよう。
「『ブルックナーさん、
かつてあなたはよく私を楽しませてくれましたが、
私もあなたのことはよく考えていたのです。
もう一度、私に、感謝の念を告げさせて下さい。
聖なる場所の小さな場所はあなたのものです。
私は、この場所をあなたの墓地として、
あなたに捧げたいと思います。』
このような言葉で、リンツの主教は、
新しいカテドラルの地下聖堂に彼を案内し、
ブルックナーの『ミサ曲第二番』に対する返礼とした。
これは1866年に作曲され、
ブルックナーはこの時、リンツ大聖堂のオルガニストであり、
チャペルの奉献の仕事として依頼され、
1869年9月29日に初演されている。
この間、彼はヴィーン音楽院の教授となっていたブルックナーは、
この曲の指揮も任された。
この曲は、主教を深く感動させ、聴衆もマスコミも巻き込み、
ブルックナーが体験した、数少ない満場一致の成功となった。
このことを彼が思い出すのを好んだのは、
こうした理由によるものであった。
20年後になっても、『生涯で最も素晴らしい日』として、
彼は書いているのである。
この『ホ短調ミサ』は、
ブルックナーの三曲の大ミサ曲の真ん中に位置する。
これらは、ブルックナーの生涯の
極めて短い4年という間に書かれたが、
彼は、この間、その生涯の仕事の基礎を完成させた。
歴史的に見れば、それらはその作品群の最初期に位置し、
最初の交響曲が同時期に位置するだけだが、
コンセプトの上では、これらのミサ曲は、
すべての彼の交響曲の基本となっている。
ある意味、それらは『声楽交響曲』であって、
特に『ヘ短調ミサ』はそうである。
一方、同様に、交響曲にも当てはまり、
時として、『テキストのないミサ曲』と呼ぶことも可能である。
後者には無理があるかもしれないが、
しかし、ブルックナーの交響曲には疑いなく、
宗教的な側面があって、ミサ曲で、
彼が、深い言葉の洞察から、
テキストのための語法、音楽のための語法、
これら二つの意味における言葉を編み出したように。
このことは、特に『ホ短調ミサ』に特に言え、
ここでは、最終的な1882年改訂版に寄っている。
歴史的に前例のない、
ブルックナー自身、『ハルモニーとダブル・コーラスのための』、
と書いた、異例な編成ゆえにか、
この曲の音楽は各ミサ曲の中で最も詩的であると同時に、
最も交響曲的である。
『ハルモニー』とは、通常、通常、管楽合奏のことで、
独唱者がないこと、弦楽がないことが、
もっとも大きな特徴である。
この理由としては、演奏時の環境によるものとされる。
通常の編成やミサのためには、
実際、この奉納チャペルは小さすぎた。
ブルックナーにはこれ以外の余地はなく、
初演は屋外で行われた。
この事実から、弦楽は屋外では弱すぎるからと、
削除されたと邪推する向きもあるが、
文献を調べると、この編成が、
最初からのコンセプトであったことが分かる。
『ホ短調ミサ』には、ブルックナー、つまり、
『アダージョの作曲家』を聴くことが出来る。
不協和であっても、サウンドは熱狂的で暖かく、
計算され、支配的な、ゆっくりと動くラインとカンタービレは、
すべて言葉のように語られ、それは交響曲でもそうで、
金管と木管が性格付けして独特の和声のスタイルを成す。
これらすべてが、彼のアダージョのモニュメントなのである。
他の見方をすれば、ブルックナーの交響曲のアダージョの、
源流をここに見ることが出来る。
歌っている合唱を弦楽に置換えても、本物の声が聞こえてくる。
他に何がいったい弦楽を代用できよう。
このミサ曲の交響的なアダージョのサウンドは、
それでいて声楽的であり、教会音楽のスタイルを踏襲している。
一部、 ポリフォニックで、木管楽器もテキストとの関係で登場する。
テキストと音楽は常に包括的で、その言葉と構造は直結し、
すべての事が、様々な方法で表現されている。」

このように、声楽部を弦楽と同じような感覚で聴いていると、
ああら不思議、まるで、本当に交響曲を聴いているような感覚になってくる。

特に、この曲の場合、最初から静謐感あふれる清澄な響きが、
純粋な音としても楽しめるようで、
古楽を得意とするベルニウスの指揮が、
いっそう、そのクリアな感じを醸し出していて好ましい。

解説は、Wolfram Steinbeckという人が書いている。

この後、
「キリエの懇願は、
聴いているだけで、テキストが感じられるし、
幾度となく現れる、沢山の異なった意味は、
音楽でしか表現できないものだ」とあって、
この曲の各部の解説が始まるが、
それを読まなくとも、この曲の魅力は十分に私の心をヒットした。

最初の「キリエ」は、ちなみに、
「主よ、あわれみたまえ」が連呼される部分。
まったく劇的なところのない、清らかな無伴奏合唱で始まり、
管楽器の伴奏も、ほとんど、和音を補足する程度。

シューベルトのミサ曲では、
交響曲の序奏のように雄大で、
美しい憧れのメロディーとともに、
情感が高まって行くが、そうしたものとは違う。
まったく違う。

続く「グローリア」は、
「天の高きところには、神の栄光」と歌われ出すが、
まるで、グレゴリオ聖歌のような、
時代錯誤的な朗誦がついている。
そのあと、ファゴットか何かの軽妙な音型の上に、
晴れ晴れとした合唱が、
時折、ブラスに彩られて力を得ながら進行する。
7分ほど。

シューベルトの第六番などでは、
金管の炸裂にティンパニが鳴り響き、
十数分の長丁場となって、
最初のクライマックスを形成するのだが。

ブルックナーのCD解説にはこうある。
「グローリアにおける、『我らをあわれみたまえ』や、
クレドの『我らのために十字架につけられ』は慰めに満ち、
あがないの確信がそこにある。
『アーメン』のフーガが、
巧みにグローリアを締めくくり、
複雑に絡み合った暗いニ短調から、
明るい澄んだハ長調の光の終結に続く。
ユニゾンで歌われるクレドの冒頭の意味深さ。
それはあたかも、
一人の口から次々に全員にハーモニーが伝わるようだ。」

第三楽章に当たる「クレド」には、スケルツォ的な音型が現れ、
これまた、完全にブルックナーのその後の発展を予言している。
音楽の前後のバランスからして、このあたりに頂点を持って来た感じ。
9分と一番長い楽章。
途中で、第七交響曲のアダージョのような響きもあって、興味深い。

ちなみに、このクレド(信仰宣言)は、最も複雑な歌詞を持ち、
その冒頭は、「全能の父、天と地、見えるもの、見えざるもの、
すべての造りぬしを」と歌われ、
その後、キリストの受難などが概説される。
シューベルトが、自作のミサ曲で、このあたりの歌詞を改変して、
無神論者と評されるのは有名である。

シューベルトの「第六番」では、この「クレド」は、二十分近くを要し、
轟くティンパニに、意味深なピッチカートがからみ、
痛切な危機意識をにじみ出している部分。

第四楽章の「サンクトゥス」は、
感謝の賛歌ゆえ、「サンクトゥス(聖なるかな)」を繰り返し、
「万軍の神なる主」という所では、ブラスが厳かに鳴り響く。
「主の栄光は天地に満つ」という晴れ晴れとした3分ほどの小品。

シューベルトのミサ曲も、この部分は4分ほどで短いが、
不思議な爆発を繰り返しながら、
堂々たる万軍を描写する。

「同時代人は理解できなかった、
『われらをあわれみたまえ』のアニュス・デイに先立つ
ベネディクトスは、
『われらに平安をあたえたまえ』での霊的な成就のために、
半音階的に処理されて、ほの暗い。」

ここで、いきなり同時代の人の理解の話が出て来るのが唐突。
別に難解とも思えないが、やはり印象派風の点描ゆえか?

このブルックナーの「ベネディクトス」については、
最初に書いたように、そよぐ緑のような感触が満ち、
木管楽器の軽妙な響きが、牧歌的な情緒を強調していくが、
歌詞は、別にそれを暗示するようなものではなく、
「ほむべきかな、主の名によりて来る者。
天のいと高きところにホザンナ」という短いもの。
それを6分弱にわたって歌う。

シューベルトは、独唱の四重唱で、
朗らかな美しいメロディーを歌わせている。

終楽章のアニュス・デイは、
「神の子羊、われらに平安を与えたまえ」と、
ひたすら、沈潜するような5分ほどの音楽で、
集中して祈っているが、戸惑っているような、
呆然自失といった風情も感じられる。

このように、冒頭から、神秘的な始まり方をしたこの曲は、
虚無的な木管の音型が頻出し、
何だか闇雲な集中の表現が聴かれる、
不思議な消えるようなアンダンテで曲を閉じる。

「各楽章の音楽形式は、テキストを明確にするもので、
全体に意味を与えている。
例えば、グローリアにおける、『主のみ聖なり』は、
再びその楽章の最初を取り上げ、
クレドにおいて、『われは信ず、主なる精霊』の部分も、
『全能の父、天と地の造り主』という冒頭の音楽に返り、
音楽的にもテキスト的にも引用が行われる。
そしてミサの最後には、キリエの音楽が、
『我らに平安を与えたまえ』に重なり、
構造的なアーチが全曲の構造に対して差しのべられる。
こうして、同時に我々は、平和に対する祈りという、
中心テーマの基本コンセプトと、全曲の基本原理とを、
聴くことが出来るのである。
その上さらに、この曲の主題的な仕掛けを、
交響曲群においても応用している。
第三交響曲以降、彼は最初の楽章のメイン・テーマを、
フィナーレの終結クライマックスにおいて炸裂させることとなる。」

シューベルトは、最後のミサ曲の終曲で、
永遠の未解決のような壮大な、
しかも不気味なドラマを演じたが、
ブルックナーもまた、より簡素ながら、
弱々しい人間存在をあぶり出しているようだ。

それゆえか、次のモテット集が始まると、
なぜか、一息付ける感じである。

このモテットについての解説部を読んで見よう。
「神聖な無伴奏合唱のモテットのうち、
ここに収められた『ホ短調ミサ』と同じ宗教的スタイルを持つ。
ミサと同様、典礼のフレームワークでの
純粋な教会音楽として作曲されているが、
その高い芸術性によって、ブルックナーの生前から、
通常のコンサートでも演奏されてきた。
最も古い作品は、おそらくブルックナーの最初の傑作で、
ヘ長調七声からなる『アヴェ・マリア』である。
これは1861年にリンツで作曲され、
当時、ブルックナーが指揮をしていた、
合唱団『フロージン』の創設を祝って初演された。」

「魂の山嶺」では、
リンツ大聖堂の建立ミサのための作品とされたが、
フロージン創設の祝賀曲でもあったのだろうか。

「四声からなる『この所を作り給うたのは神である』は、
1869年作曲。ホ短調ミサと同様、チャペルの奉献用であったが、
そこでの演奏は一ヶ月後になった。
この合唱曲においても、
その清澄さ、最も親密な表現の純粋さは、
『計り知れぬ秘蹟』と歌われる部分にある。」

この曲の場合は、冒頭から、恩寵の予感に満ちている。

「他の二曲の四声のモテットは、
昇階誦で、特別の機会にミサに挟んで演奏したもので、
もっと後の創作時期に書かれた。
ブルックナーの好んだニ短調による
『キリストはおのれを低くして』は、
1884年の作曲。
メロディ、リズムは類似ながら、
同じテキストへの3番目の作曲。
先の曲に比べると、何よりも和声の点で、
ブルックナーの音楽的発展は明瞭である。
『イサイの杖は芽を出し』は、
その1年後の作曲で、ブルックナーは、
聖フローリアンに滞在していた。
この曲でも、さらに成熟した語法が聴かれる。
『花を咲かせ』から、『処女マリアは』への遷移や、
または、『神は再び平和をもたらし給うた』における和声の連なりが、
4ヶ月前に初演された『テ・デウム』のものと
酷似していることは明らかである。」

私には、むしろ、『第八交響曲』のアダージョとの類似が明らかだ。
この難解な解説は、以下のように結ばれている。

「曲を聴きながらテキストを読むことによって、
これらのモテットが、強烈に直接的、徹底的に主観的でありながら、
極度なポリフォニー語法が駆使されていることの妥当性が分かるのである。」

得られた事:「ゼヒターから解放されて作曲された『アヴェ・マリア』には、特別な感慨はないが、五年後の『ミサ曲第二番』は、曲全体を、ブルックナー最長の『アダージョ』として聴くことが出来る。」
「ブルックナーのモテットは、まさしく彼の願望の自叙伝であった。」
by franz310 | 2009-06-21 22:09 | 音楽
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