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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その175

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その175_b0083728_14252433.jpg個人的経験:
ゲーテと親交もあった、
トマーシェクの名前は、
しばしば、シューベルトの
「即興曲」と共に語られており、
何となく記憶に残っていた。
「ソナタ」とか「幻想曲」といった、
古典の時代からの曲名とは違い、
「即興曲」や「楽興の時」という名称は、
確かに斬新なものを感じさせる。
トマーシェクのような作曲家が、
こうした新奇な小品を創案したとされる。


が、私が以上のような知識をどこで得たかを、
その辺にあった資料を引っかき回してみたが、
すぐにはその元を探し出すことは出来なかった。

聞き慣れた日本盤のへブラーのものでは、
出版者のハスリンガーが考案して、
シューベルトも気に入ったということが書かれているのみ。

ケンプやフィッシャーのような大家のものの解説も、
再発盤で手抜きになっているのか、
そのあたりは明確ではなく、
ようやく、VirginのVeritasのランバート・オーキス盤で、
「アマチュアピアニストに相応しい新曲の高まる要求に応じて書かれた。
即興的な性格を持つ『即興曲』は、チェコの作曲家、
Vorisekによってヴィーンにもたらされ、
シューベルトはそれに魅せられて、
さっそく全力でこれに取りかかった。」
などと書かれている。

しかし、トマーシェクではない。

シューベルトの伝記、評伝関係も、手軽に手に入るものには、
トマーシェクの名前は見受けられず、「友人たちの回想」にも、
この名前は登場しない。

が、ようやく、アインシュタインの大著になって初めて、
トマーシェクの名前を発見することが出来た。
先のVorisekも並べて書かれている。

「ヴィリー・カールが『音楽学文庫』第三巻(1921年)において
立証したところであるが、シューベルトはこの形式の創始者ではなく、
形式の点では『独創的』ではなかった。
彼の先駆者は、すでに1821年に或る年鑑の予告の中に
シューベルトと共に名をあげられているトマーシェク(1774年生まれ)と、
トマーシェクの同国人でやはりシューベルトと共に1823年新年の
ドイツ舞曲集に名を連ねているヴォルツィシェク(1791年生まれ)である。」

しかし、面白い事に、下記のような文章を読むと、
トマーシェクは、別に関係がないような気もする。

「トマーシェクには1827年以前に八冊の、『牧歌集』、
『ラプソディー集』、『輪舞集』があり、
『即興曲』の名は、1813年以来ヴィーンにいて、
1825年にそこで死んだヴォルツィシェクの作品7の中に、
早くも1822年に現れている。」

ということで、Virginの解説はさすがである。
また、シューベルトが、こうしたボヘミア由来の音楽に、
想像以上に影響されているということはあるかもしれない。

それにしても、この「即興曲集」、よく知られている曲集でありながら、
日本盤CDの解説にはまるで迫力がない。
ご存じのようにこの曲集、作品90と142の2つがあって、
うまい具合にLP両面に収まるので、おびただしい数のレコードがある。
しかも、1827年に一括して書かれたことも知っているが、
何故、作品番号がこんなに離れているかはどこにも書かれていない。

改めて見てみると、作品142の出版は、
シューベルトの死後10年もたって行われている。
そもそも、売れ行きが良いからという理由で、
「即興曲」という題名を勧めたのではなかったか。
シューベルトも、それに気を良くして、
この作品142の分、さらには、「3つのピアノ小品」と呼ばれる、
D935もまた、「即興曲」として作曲したのではなかったか。

結局、当てが外れて、「作品90」も売れなかっただけかもしれないが。
これだけの名曲でありながら、まるで日の目を見なかった代表格が、
この曲集とも言えるわけである。

そして、「作品142」に関して言えば、
この「即興曲」というタイトルには、
シューマンすら、奇異な感じを受けていたようで、
これはもともと「ソナタ」として作曲されたものではないか、
という有名な評論が残されている。

あと、アインシュタインの本によると、
この作品142は、何と、出版者によって、
「リストに捧げられて公刊」された、
とあって驚いてしまった。

いずれにせよ、このように、
シューベルトに影響を与えながら、
シューベルトがその御利益にあやかれなかった、
トマーシェクの音楽を、今回は聞いてみたいと思う。

まず、トマーシェクの歌曲、
前回のフンガロトンのCDで、「魔王」を聞いた。
さらに、ハイペリオンの、
「シューベルトの友人と同時代者の音楽」の、
2枚目の最初にも、このトマーシェクは登場している。

うまい具合に、このシリーズ、肖像画も出ていて、
太ったおっさんであったことが分かる。

さて、そこでの解説はこうなっている。
「VACLAV JAN KRTITEL TOMASEK (1774-1850)
トマーシェクはシューベルトの生きていた時代、
プラハの指導的作曲家であった。
ボヘミア生まれだが、ドイツに学び、その影響は母国の境界を越えた。
彼は、それぞれ違う時期であるが、
ハイドンやベートーヴェンにも会っており、
1820年代初めには、ゲーテと文通もし、会ってもいる。
こうした繋がりで、パトロンGeorg Grafen von Buqouyの援助もあって、
プライヴェートで9巻のゲーテ歌曲集を出版した。
1815年から1820年に作曲された41の歌曲からなり、
二人はそれぞれの仕事を知らなかったものの、
そのうち21曲はシューベルトと共通の詩によっている。
トマーシェクの生涯における絶頂は、1822年8月に、
ゲーテの前で弾き語りした時であった。
トマーシェクはシューベルトが憧れていて得られなかった言葉を
偉大な人物から得ることが出来た。」

どうも、フンガロトンのCD解説
(ゲーテは「魔王」がうるさすぎると思った)とは一致しないが、
いくつかの曲が賞賛されたのであろう。

なお、このトマーシェク、ゲーテ会見は、
アインシュタインの本にも出て来る。
これは、「魔王」ではなく、「ミニヨンの歌」についてのものである。
「トマーシェクが1822年に、
カルルスバートで自分の作をゲーテに聞かせた時、
ゲーテははじめに、『あなたにはあの詩が理解できましたね』と、
あいまいなお世辞を言ったが、やがて言葉を続けて言った、
『ベートーヴェンとシュポアがあの歌を通作的に作曲した時、
どうしてあの歌を完全に誤解することになったのか、
わけがわからない。
各詩節の同じ箇所に出て来る同じ標識は、
わたしが単に一つのリートを期待していることを
音楽家に示唆するに十分だと信ずるのだが。
ミニヨンは、彼女の本性からいって、
単にリートしか歌えないので、アリアを歌うことは出来ない。』
ところで、ベートーヴェンもシューベルトも、
決して『アリア』を書いたわけではない。」
(浅井真男訳)

前回からの繰り返しになるが、
ゲーテは自分の書いた作品の枠組から離れるものは、
みんな認められないのである。
通作で書かれているか有節形式で書かれているかだけで、
十把一絡げにされてしまうのはたまったものではない。

なお、ハイペリオンのCDには、
シュポアの「ミニヨンの歌」も収められていてありがたい。
「魔王」もある。
「この作曲家はシューベルトの同時代の最も高名な人の一人で、
多方面の音楽才能を早くからヴィーンでも発揮していた。
シューベルトがまだティーンエイジャーだった頃、
シュポアはアン・デア・ヴィーン劇場の
音楽監督(1813-15)であった。
この頃、ベートーヴェンは不作の時代に苦しんでいたのとは、
対照的である。
シュポアの作品は、彼がヴィーンを去ってからより有名になって、
シューベルトの作品は、演目に上がると、
しばしば、シュポアの作品と並べられた。
のちにシュポアがヴィーンを再訪した時、
シューベルトはこの人に面識を得た可能性がある。
1822年頃、シューベルトは、
シュポアやクロイツァーのようなオペラで、
成功したいと考えていた。
シュポアはシューベルトの死後、何年も経ってから、
『ハ長調大交響曲』を指揮している。
このディスクで取り上げたシュポアの二曲の歌曲は、
彼のキャリアの最初と最後から取られている。
『君よ知るやかの国』は、
『6つのドイツ歌曲 作品37』の最初の曲で、
1815年に作曲されている。
ゲーテはそれが『有節歌曲』ではないがゆえに、
あら探しをするように『完全な誤解』と、批判した。
実際、この曲は、実際はそうではないが、
『有節歌曲』の印象を与えるように、
巧妙にモディファイされた『有節歌曲』である。
これはシューベルトによっても知られる、
『巧妙な手口』である。
ミニヨンの語り口のリズムを模して、
常に変化する拍子に特徴があり、
それがこの曲の創意に富んだ部分である。」

シューベルトは、
「ごぞんじでしょう?その国へ!その国へ、
あなたと二人して行きたいのです、ああ恋人よ!」

「ごぞんじでしょう?その国へ!その国へ、
あなたと二人でて行きたいのです、ああ、やさしい方!」

「ごぞんじでしょう?その国へ!その国へ、
さあ行きましょう、ああ、父のような方、あなたとともに!」
と繰り返される部分に苦心したが、シュポアはうまい具合に、
嫌味なく乗り切っている。

シュポアの作風に相応しく、爽やかな空を感じさせ、
同時期のシューベルトより開放的な感じがする。
ゲーテは、この曲の変幻自在なリズムに、
むしろ付いて行けなかったのではないか。
こんな複雑な変転は、ミニヨンの歌というより、
ミニヨンの独り言みたいに思えるかもしれない。

さて、ハイペリオンのCDのトマーシェクの解説に戻ると、
「ライプツィッヒとヴィーンで同時に出版された彼のピアノ曲は、
小さな形式と、巧妙な構成に集中したもので、
長調と短調の対比など、
シューベルトの『即興曲』に影響を与えたものと思われる。
シューベルトの最も強いチェコ音楽との繋がりは、
おそらく、ヤン・ヴァーツラフ・ヴォルツィシェクとの交友であろうが、
この人はトマーシェクと数回会う機会があった。
ヴォルツィシェクは2組の『即興曲』を1822年と24年、
シューベルトがその題名のものを作る少し前に出版している。」

ということで、ここでも、ヴォルツィシェクは登場している。
それなら、トマーシェクよりもヴォルツィシェクが気になってくる。

が、とにかく、トマーシェクは当時の大立て者であった。

ハイペリオンのCDでは、残念ながら、「ミニヨンの歌」はない。

二枚目のトラック1には、
ゲーテの詩による「海の静けさ」作品60の3が収められている。
これは驚くべし、三重唱で歌われている。
ピアノ曲で有名な人だけあって、ピアノ伴奏の不気味さは格別のものがあり、
低音で鳴り響き、まるで「海」というより、「黄泉の川」みたいである。
「三人の船員か乗客が、広い海原に不安を募らせているのが連想できる」
と解説にあるが、確かに、印象は強烈である。

このCDのトラック2は、なんと「野バラ」。
この曲がトマーシェクの最初の歌曲集の最初に置かれたもので、
もっとも愛らしく、ゲーテが書いた18世紀を思わせるとある。
ゲーテと同様、トマーシェクも、
モーツァルトを最も崇拝していたからという。
と書くと格好もつくが、それだけで勝負なら、
シューベルトの作品の、メロディーの魅力の方が上であろう。

前回、トマーシェクの「魔王」も聞いたが、
これも同種のものであったような気がする。
ピアノ伴奏においても、単調と言ってもいいのではないか。

さて、トマーシェクのCDは、
かつてスプラフォン原盤で日本コロンビアから出たことがある。

これそこが、あの有名な、「牧歌集」である。
ピアノはパヴェル・シュチェパーンとある。
「新編《ボヘミアの失われた名曲をたずねて》-2」
というサブタイトルがあり、1973年の録音を、
1988年にCDとして再発売したものである。

このCDは、表紙が実に紛らわしい。
私は、当初、この表紙の人物がトマーシェクだと思っていた。
しかし、ハイペリオンの解説の肖像と違いすぎる。
そもそも、シューベルトの同時代の服装でも画風でもない。
では、この人は何者なのかと、
いろいろ見ているが、どこにも、この肖像画については書かれていない。
その割には、プラハの「Domovina」スタジオで、
Jan Vranaをディレクターとして録音されたことなどは明記されている。
この表紙はいったい、買う人に何を訴えたいのだろうか。

偉そうにして厳めしく横目で睨まれて不愉快である。
トマーシェクの作風を表わしているとも思えない。
聞くと、スカルラッティのソナタのような、
メロディーも心に残りやすく、単純ながら気持ちのよい作品が並んでいる。

長いものでも6分40秒、短いものでは2分ほどのものが、
11曲並べられ、47分ほどしか収録されていない。

小林緑という人が解説を書いていて、
スメタナ以前のチェコの音楽家として有名とあり、
理論家、教育者として高名であったとある。

織物工の13子で、兄弟に育てられ、12歳で修道院の歌手となり、
オルガンと音楽理論を学び、1790年にプラハに出て大学に入ったとある。
1774年生まれ、ベートーヴェンより4歳若い。
16歳の事。

作曲の傍ら、法学、数学、化学、歴史、美学を修め、
後年、百科全書的教養人となったとある。
「ドン・ジョヴァンニ」再演に接して、終生消えない感銘を受けたとある。
ピアノは独学ながら名手となり、
1806年、デュクワ伯爵家で音楽教師兼作曲家の任についたとある。
「こうして物質的安定を確保したのちのおよそ20年の長きにわたり」
その職にあって、チェコの国民音楽再興にひたすら力を尽くしたとあるが、
ゲーテとの交友などを見る限りにおいては、実感できない事項である。
ただし、歌曲にはドイツ語とチェコ語を混用した例などもあるという。

シューベルトも進学していれば、
こういった安定した立場になったかもしれない、
という当時のキャリアの好例である。

ゲーテと親交を結び、ベートーヴェンやシュポアより高く評価された、
などという逸話も出て来る。
1806年からソナタや変奏曲のようなありきたりなものを捨てて、
13集、総計66曲の小品集を出したとある。

これが、チェコ音楽に対する最大の功績だという。
エクログ、ラプソディー、ディテュランボス、アレグロの4種があり、
1807年から1823年の間に出版されたらしい。

そのうちのエクログ(牧歌)こそが、その真骨頂だとあるから、
ここに聞く音楽がそのエッセンスということになる。
これは古代詩の名で、定義は、
「単純な生活を送りながら
他の普通の人間と同じような様々な試練に会う、
一人の牧人を主人公とし、
その生活体験から生じる彼の体験を音楽上に映し出したもの」
だとあるが、
「霊感の源はあくまで作曲家自身」と書かれているので、
まあ、即興曲という感じなのであろうか。

しかし、著者は、その形式そのものは、
シンプルであると指摘している。
「曲の構成は判で押したように、
中間に調を転じた叙情的な部分をはさんで、
冒頭部分がそのまま反復されるダ・カーポ形式を取る」。

後の、「スラブ舞曲集」みたいな感じであろうか。

さらに分析があって、
・ ダ・カーポされる部分も大抵は反復を含む2部または3部形式。
・ 中間部は旋律的。
・ 主部は生き生きとしたリズム、
短小なモチーフのゼクエンツ的処理でエチュード的。
・ バグパイプを思わせる空虚5度の伴奏で牧歌的旋律はひなびた雰囲気。
・ 旋律の作りは主和音の単純な様式化、分散和音だが素朴で田園的。
・ 半音階を受け付けず全音階支配で民俗的。

あと、曲ごとの分析にはこうある。
解説に書かれていることは、「・」で示し、
その後、私の聞いた感じを続けた。

・ 作品35、39は教則本的画一性が残る。
このCDでは35の5、6、39の1、3が収められており、
全体の1/3以上が、この教則本的なものと思うと、
選曲の再考を促したくなる。
35の5はホ短調で、憂いに満ちた感じ。
スカルラッティのような、夕暮れ時の雰囲気がある。
中間部は、気分を変えようとそれを長調にしただけのような感じ。

35の6はト長調で、呑気な曲想で、散歩でもしている感じ。
これまた、装飾トリルがスカルラッティ風。
ちょっと道に迷ったような中間部。
これらは3分ほど。

39の1もト長調であるが、少し長くて4分。
途切れ途切れのメロディーで、カプリッチョという雰囲気。
低音のどろどろにメロディーが二つ重なって、
どうなってるんだ?という感じがする。
中間部も活発で複雑な曲想に妙な味わいがある。

39の3はまた3分弱。イ短調で激しい。
牧人はお怒りだろうか。
中間部では、いきなりスキップし始めて、情緒不安定である。

・ 作品47、51、63は情緒的、集中した表現。技術的に高度化。
ここでは、47から3曲、51の1曲、63の1曲
つまり、大部分はこの辺から取られている。

47の2は、変イ長調。希望いっぱいで走って行く感じ。
長い。5分45秒。

47の3は、ハ長調。へんてこなリズム、メロディーで面白い。
4分ほどである。しかも、中間部は音が細かくなり、
何だか妖精さん登場、みたいな展開で新鮮。

47の6は、変ホ長調で、これまたリズムの交錯が面白い。
3分半で、中間部は先の曲と同様、何だかわき上がって来るような、
陽光に照らされたような効果が素敵。

51の5のホ長調は、一番長いもので、6分43秒。
ショパンのようなメロディーに、時折、影が差した後、
メランコリックな中間部がとっぷりと深い感情を吐露していく。
これくらいの規模になると、主部自体にも陰影が出て来て、
シューベルトの即興曲に近づいて来た感じ。
しかし、ショパンのワルツといった感じもする。

63の1は、ニ長調。
またまたスカルラッティ風に、
乾いた感じと情緒的なものが交錯。
が、だんだん迫力を増してベートーヴェンに近づく。

・ 作品66は円熟した成功作。
ここでは、そんなものから1曲、66の6が収められているだけ。
これはハ短調で、モーツァルトの幻想曲みたい。
悲劇的なもので、低音が轟く中、英雄的なメロディーが浮かび上がる。
「運命の動機」も響いて、ベートーヴェン化するが、
中間部は剽軽な軽妙さに傾く。

・ 作品83は再度ミニチュア化。
跳躍もめざましく、もう完全に「スラブ舞曲」といった感じである。
中間部もきらきらときらめくパッセージが眩しく、
2分という長さもあって、あっと言う間に終ってしまう。

さて、この解説によれば、これらの曲集のまとめとして、
モーツァルトのロココ、ベートーヴェンの激情が共存し、
ロマン派の予兆があると結ばれている。

しかし、トマーシェクは1850年まで生きたとあるが、
1823年にこれらの作品を出してから(50歳以降)は、
具体的には何をしていたのだろう。
引退後の余生を送った邸宅は私的芸術サークルになったとあるが。

このCD、何故か、英独仏版の解説がついていて、
それを見ると、1820年から40年は実質上、
作曲を諦めて、その百科全書的な知識もあって、
国民復活運動の先導者となったとか書かれている。

得られた事:「安定した環境に生きたトマーシェクの『エクログ』には、シンプルな牧人の生活への憧れの感情があり、陽光の輝きが魅力である。不安定だったシューベルトとの違いが音楽にも滲み出ている。」
by franz310 | 2009-05-24 14:29 | シューベルト
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