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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その174

b0083728_23454446.jpg個人的経験:
前回、シューベルトの先人、
ライヒャルトやツェルターの
紹介を省略したが、
今回のCDでは、
彼らだけでなく、
もっと遡った
ドイツ歌曲の流れが概観可能である。
これは、ゲーテの名作、
「魔王」の需要の系譜とも言える、
極めて興味深いものである。


表紙デザインもそのものずばりで、
ゲーテの肖像が、いろいろな切り口で染められている。
Peter Nagyというデザイナーによるもので、
怪しいドット表示からして、かなりぶっとんでいる。

ともすると、現代音楽を連想させるものがあるが、
新しいところでは、ヴァーグナー、ヴェルディまでである。

ハンガリーの名門、フンガロトン・レーベルのものであるが、
旧共産圏とは思えぬデザイン。
弾けてしまったということかもしれない。

Andrea Melathがメゾ・ソプラノで大部分16曲を歌っており、
2曲のみ、バリトンのAnatory Fokanovが担当、
ピアノはEmese Viragである。
ただし、トラックは19もあって、
16+2=18と数が合わないのは、
最後のヴァーグナーがメロドラマで、歌手ではなく、
ナレーターがしゃべっているからである。
しかも、Eva Schubertという人だ。
シューベルトの関係者であるとは書かれていないが。

ヴァイオリニストとして有名なシュポアの「魔王」では、
Katalin Kokasというヴァイオリニストが伴奏の補助を務める。

解説がこれまたありがたい。
ゲーテが、この詩をどのような意図を持って書いたかまで、
説き起こしてくれているからである。
Sandor Kovacsという人が書いている。

「ゲーテ(1749-1832)の『魔王』は、
世界文学の中で最もよく知られた詩の1つで、
沢山の音楽の主題となっている。
この詩は、もともと『漁師の娘』という題の劇のために書かれ、
1782年にヴァイマールのTiefurt城の公園で演じられた。
イルム川の岸に沿って、公園はハンノキに縁取られ、
それにちなんで、ゲーテは誘惑する魔物に、
Erlkonig=the alder king、Erle=alder=ハンノキと、
名付けたものと思われる。」

この指摘も面白かったが、重要なのは、以下の部分。
「劇中、この詩はなんらドラマの上で重要な部分ではなく、
主演の女優が誰かを待つ際に、不安を和らげるために、
民謡のような感じで口ずさむものである。
漁師の娘ドルトヒェンを演じた女優、
Corona Schroterは、
自身のためにシンプルな歌を作った。」

Track2にこの曲は入っている。
漁師の娘が、何気なく口ずさむとしたら、
まず、こんな歌になるだろう。
劇中で歌われるなら、これで十分かもしれない。
伴奏者が仰々しく、
出て来ないといけないような歌であってはならない。

ということで、当初、ゲーテは、民謡みたいに、
誰でも歌えるようなものを想定していたようだ。
日本にも「とおりゃんせ」みたいな怖い童歌もあるが、
言うなれば、あのような感じのものを想定していたのかもしれない。

ちょっと気になるので、
このあたりの経緯を、フリーデンタールが書いた研究書、
「ゲーテ、その生涯と時代」から読み取ってみよう。

このヴァイマール時代の33歳のゲーテを指して、
ヘルダーは、
「つまりゲーテはいまや現職の枢密顧問官、
大審院長、軍事委員長、下は道路工事まで含めた建築総監督であり、
同時に娯楽監督官であり、祝祭や宮廷オペラや、
バレーや仮面舞踏会の衣装や銘や芸術作品等の製作者であり、
美術学校の校長であり・・」
とゲーテの何でも屋ぶりを皮肉っているようだが、
そんな権力の塊のような男がのぼせていたのが、
このコロナ・シュレーターであった。

この本によると、
「ゲーテはすでに学生のときに、
ライプチヒでこの女性に驚嘆していたが、
後にワイマルに呼び寄せて言い寄った」とある。
「彼女は、ゲーテのワイマル初期の時代を通して、
すでに当時の人々にもよく理解できない幻のような人であった。
貧しい軍楽隊の隊員の娘であり、早くから神童として訓練を受け、
幼くして歌わねばならず、激しい訓練に耐えねばならず、
早々と舞台に立たなければならなかった。
・・彼女は美しく、教養もあり、四カ国語をしゃべり、
作曲をし、スケッチをし、このうえなく見事な表現で朗誦をする。」

そして、この本の著者は、こうも書いている。
「こういう事柄のすべてがそうであるように、
相変わらずよくわからない。
ゲーテが彼の生涯でやはり一度は真に美しい人と
恋愛したと想像したくもなる。」

「ワイマルを訪問した人々はすべて彼女のまわりにむらがった。
彼女の冷たい近寄りがたさは有名であり、
彼女がギリシア風の衣装をまとって町の通りを歩く」
「彼女は、限りなく高貴なギリシア風の優雅な体つきをしていて、
まるでのどかな岩場の上のニンフのように見える」
と言う風の人である。

しかし、有り難い事ではないか、こんな人の作った歌が聴けるとは。
曲はのんびりした感じで、まったく死の気配はない。
しかし、何だか夕暮れの情感のようなものが漂っていて、
不思議な女性が作った不思議な音楽という感じは実感できる。

さて、こんな女性、いったいその後、どうなったのか。

先の本によると、どうやら、
ゲーテとコロナの関係には、
やがて隙間風が吹き出したようだ。
上司のカール・アウグスト公自身が彼女に夢中になって、
スキャンダルの様相を呈したようである。

「退職後のこの女優の生活はもの悲しいものであった。
彼女はワイマルに留まった。・・
わずかに残された声でルソーやグルックの歌曲を歌った。
二三冊の歌曲集を作曲した。
その中にはシラーの『女性の尊厳』もある。
絵も描いた。
乏しい年金をおぎなうために人をも教えた。
・・
宮廷の人々は彼女のことを忘れていた。
ゲーテはとっくに忘れてしまっていた。
・・
コロナはイルメナウで一人寂しく死んだ。」

このような女性を想定してゲーテが書いたのが、
「漁師の娘」であり、「魔王」であったのである。
あまり、この女性にまで触れた解説は見たことがないが。

以下、CDの解説に戻る。

「彼女は、詩の中に四人の人物(?)が、
登場するという事実には、
まったく注意を払っていない。
最初と最後の節は、中立の語り手であり、
残りは、父、子、魔王の3人で、
最初の節は問いかけで始まることも、
遠景から次第に近景に移り、
さらに結論に到る点も考慮していない。
(最初、我々は、何かがフルスピードで、
闇の中を動いていくことしかわからず、
その節の終りには、父親が子供を抱きしめている様子を、
心の中で見ることが出来る。
寒い霧の中の情景の最後の言葉は、『暖かい』である。)」

何のことかと、改めて詩を見ると、
確かに、
「子供を腕の中にかかえこみ、
しっかりと暖かく抱いている。」
とある。

「一言で言うと、この女優は、
詩に敏感な作曲家なら重要視する、
コンテンツに含まれる情緒を表現するための効果を、
まったく考慮していない。
ゲーテはしかし、演技にも歌にも満足し、
これこそが彼が想定していたものだと述べた。
彼は、普通の人は複雑な音楽を歌うことは出来ないとして、
8つの節が同じ音楽で歌われることを気にしなかった。
1780年代に一般的に、
言葉だけでそれが内容が分かるべきで、
音楽がそれを補助する必要はないと考えられていた。」

前述のように、伴奏者が必要な歌曲は、
実にやっかいなものであることは確か。
さて、歌ってみよう、といってみんなで歌えるものでもあるまい。

「ドイツ歌曲の主唱者にとって、
単純さが最も重要なことであった。
このアイデアは、
当時最大の歌曲集であった、
ヨハン・アブラハム・シュルツの、
有名な『民族の歌曲』と呼ばれたシリーズに見られる。」

「しかし、世紀の変わり目になると、
こうした嗜好にも変化が訪れる。
作曲家たちは、もはや単純な有節歌曲には、
満足できなくなっていた。
ゲーテの音楽の助言者であり、
ベルリン・ジングアカデミーの指導者であり、
年少期のメンデルスゾーンの師でもある、
カール・フリードリヒ・ツェルター(1758-1832)は、
この形では、『魔王』にはプリミティブすぎると考えた。
1797年の最初の印刷後、
最終版を完成させるまでに、彼は10年も苦労した。
彼のこの音楽では、第二節までは、
最初の節に類似した変奏であるが、
『魔王』の言葉には大きく変化が付けられている。
最初のニ長調から最後はニ短調になっており、
最後のカデンツでは、最後の瞬間でだけ長調となる。」

Track4にある。
この歌曲については前回も聴いたが、
今回のMelathの歌は、かなりのんびり歌っている。
3分57秒かけている。
ハイペリオンのものは、もっと切迫した感じで男声で歌っているが。
ちなみに私は、この曲の後奏のニヒルな感じが好きである。

「ゴットローブ・バッハマン(1763-1840)は、
さらに先に行っている。
今は忘れられたこのザクセンの歌曲、バラード作曲家の『魔王』は、
1798年に作曲されており、
語り手、父親、子供の音楽に比べ、
誘惑する魔王はえらく違っていて、
テンポもリズムもしばしば変化する。
語り手は、ロ短調4/4拍子のアレグロ・モルトで始まり、
三連音の伴奏を持つ。
父親の言葉のテンポは、
常に2/4拍子のアンダンテで、
子供はさらに激しい3/8拍子の、
アンダンテ・ピウ・モッソで性格付けされている。
これらの声楽部は、彼らに相応しい叙唱となっている。
それに対し、魔王のパートは、
8分音符で伴奏されるニ長調のメロディーは、
まだ童謡風に穏やかなものとは言え、
アレグレットやアラ・ブラーヴェの音楽で、
明らかに速い。」

Track1でこれを聴く。
最初からかなりの緊迫感で、前奏の効果もすばらしい。
「馬を走らせているのは誰か」という部分は、
まさしく緊迫した状況を目の前に彷彿させる。

次の、「子供を腕の中にかかえこみ」と歌われるところは、
非常に優しい情感を漲らせているが、
テンポが落ちて、馬に乗っている感じはなくなってしまう。
さらに、高音で降ってくるような魔王の音楽は、
眠りの精の如く、子供が大騒ぎするのが不自然な程である。
シューベルトよりずっと難しい歌のようにも聞こえる。

このように、シューベルト以前の魔王が、
3曲紹介されているが、
メンデルスゾーンも賞賛した、
当時、最大の歌曲作曲家とされ、
1794年出版のライヒャルトの作品は、
奇っ怪なことに、このフンガロトンのCDでは取り上げられていない。

ここらで、少し脱線して、
前回のハイペリオンのシリーズ紹介で、
文字オーバーで紹介できなかった、
ライヒャルトと、ツェルターについて、
書き写しておこう。
これによって、ゲーテと当時の作曲家との関係が、
愛人コロナ・シュレーダー以上との話以上に明確になる。

「JOHANN FRIEDRICH REICHARDT (1752-1814)
ライヒャルトは、ジャーナリスト、才能ある作家であると同時に、
当時最大の歌曲作曲家であった。
彼の『パリからの親書』(1804)は、作曲家によって書かれた、
最高の書物の1つである。
1775年、23歳の時にポツダムのプロシャの宮廷音楽家となり、
これは彼の急進的な政治的信条によって解雇されるまで15年続いた。」

このように、ライヒャルトは、
何となくシューベルト登場以前に、退屈な歌曲を書いていた人、
という先入観は改めなければならない。

「しばらくして、彼は、ティーク、ノヴァーリス、
ブレンターノ、アルニムら、音楽家や詩人が集まった
ギーベッヒシュタインの近くのハレに移り住んだ。
ライヒャルトは、1772年にはゲーテの詩への付曲を始め、
1790年、『ゲーテ作品への音楽』6巻を企画した。
『ヴィラ・ヴェッラのクラウディーネ』の音楽を携えて、
1789年、彼はゲーテを訪れた。
ライヒャルトは、それまでゲーテが飽くことなく、
オペラを書かせようとしていた、
フィリップ・クリストフ・カイザー(1755-1823)の代わりに、
ゲーテお気に入りの音楽家となって、
詩人と新しい音楽家は、オシアンの主題による、
大規模なオペラを計画した。
ゲーテの名声にライヒャルトは自分の立場を譲ることはなかった。
ゲーテはライヒャルトのフランス革命への共感を受け入れられず、
次第に仲違いをするようになった。
ゲーテとシラーのコラボによる「Xenien」(1797)の中で、
ライヒャルトは、いつも落ち着きなく精進できない、
飛ぶことの出来ない不完全な鳥、ダチョウと批評された。」

何だかゲーテもシラーも俗物に見えて来る文章だ。
「数年は交流があり、ゲーテは何度か、
ギーベッヒシュタインを訪れたが、
1804年、ツェルターがゲーテお気に入りの音楽家になると、
1810年、ライヒャルトとの関係は消失した。
彼は150曲のゲーテ歌曲を書いたが、
シラー、ヘルティ、クラウディウス、クロプシュトックが霊感となって、
1500曲もの歌曲が書かれたことを忘れてはならない。」

「CARL FRIEDRICH ZELTER(1758-1832)
ツェルターはベルリン生まれ、ほとんど生涯をその地で過ごし、
ベルリン人らしく、木訥ながらはっきりものを言う人だった。
彼はザクセン生まれでプロシャに来た工を父とし、
1815年までは、音楽の精進と同時に家業の経営もしていた。
彼はオーケストラのヴァイオリニストだったが、
特にヘンデル、バッハなど古い時代の作曲家の、
『マタイ受難曲』を含む宗教曲を専門とする、
ベルリン・ジングアカデミーを、次第に率いるようになった。
音楽教育のパイオニアで、メンデルスゾーン、マイヤベーア、
ニコライを教えている。
彼は美学と実行の人で、一見してぶっきらぼうな作品も、
繊細で非常に思慮深い個性が隠されており、
自ら課した責務に驚くべきエネルギーを費やした。」

「ゲーテはツェルターの集中と専念を賞賛し、
彼らの結びつきの強さは、30年にわたる、
850通の書簡(1799-1828)に表れている。
ヴァイマール、カールスバート、テプリッツ、
ヴィスバーデンなど、総計20週間を共に過ごしている。
1812年、作曲家の息子が自殺を図り、
ゲーテは彼を慰め、以来、
音楽家としては、前代未聞の『Du』で呼び合うようになった。
ゲーテのサークルに若い弟子メンデルスゾーンを紹介し、
この神童は大詩人の喜び、賛嘆の源になった。
二人の気楽なつきあいもあり、ツェルターを通じ、
ゲーテはベルリンとの繋がりを楽しんだ。
作曲家は慣習的な気質であったが、指揮者としての仕事柄、
過去の作曲家に愛着があり、ベートーヴェンを受け入れず、
(後にUターンして英雄視するが)
1829年にはウェーバーを酷評し、
ベルリオーズの『ファウストの情景』に対する
ゲーテの興味を打ち切らせた。
ベッティーナ・フォン・アルニムのような、
ゲーテの好意を取り合う人たちは、
ツェルターを憎み、『有害な番犬』と呼んだ。
ゲーテは、同輩と親密な友情を結ぶのを拒んでいるように見え、
シラーですら、Duと呼び合うことはなかった。
彼は常に主導権を握ろうとした。
モーツァルトに依頼すれば出来たのに、
何故、15年もカイザーのような作曲家と不毛な労働をしたのか。
彼がそれを悔いたのはモーツァルトの死後である。
ツェルターを中傷する人は、安易な友情に甘やかされて、
音楽的なチャレンジをせず、高い代償を払ったという。
しかし、誰が音楽アドヴァイザーなどできただろう。
これだけ音楽についてゲーテが語ったのは、
ツェルターのおかげであった。
ツェルターは、自身が言うように音楽教育が遅かったので、
その思いに技法がついていっていない。
彼の最良の作品は、ゲーテのテキストへの愛情に満ち、
情熱的な気まぐれが加わって親しみやすく、
私たちに雄弁に語りかけるものがある。」

このあたりで、フンガロトンのCDに戻る。

「時代的には、シューベルトの『魔王』が、
次に語られなくてはならない。
バラード作曲家、カール・レーヴェ(1796-1869)は、
シューベルトとほぼ同年の生まれながら、ずっと長生きした。
3年後に作曲された彼の『魔王』は、
シューベルトの傑作の前にしても、
我々の嗜好に沿う興味深い作品である。
ピアノ伴奏で強調されているのは、
ハンノキの葉の葉ずれの音を示すものであろう。
主調は短調であるが、魔王の誘惑は長調となる。
構成に関して言えば、シューベルトのものよりも、
ずっと慣習に則しているが、
節は変化し、時に大きく変動する。
これまた興味深い偶然だが、レーヴェの作品も、
作品1のシリーズに含まれる。」

Track9に、レーヴェは登場。
漆黒の闇の感じがよく出た色調。
しかし、嵐の感じはあまりしない。
が、雄弁な伴奏、心理表出の効果で聴かせる。
魔王の登場も、超絶の存在という感じが出ている。
きらきらした伴奏も、崇高な雰囲気たっぷりで、
確かに、ヴァーグナーが好きそうな感じ。
これに比べると、シューベルトの魔王は、
戦えば勝てる感じの魔王。
なぜ、父親は戦わなかった、という意見が出るかもしれない。
柳の中から出て来るシューベルトの魔王に対し、
レーヴェの魔王は、天界から降って来るのでどうしようもない。

フンガロトンのCD解説、次はトマシェック。

「プラハの作曲家、
ウェンツェル・ヨハン・トマシェック(1774-1850)
は、レーヴェの作品とほぼ同時期、
1818年に書かれた『魔王』では、
ピアノによる、スタッカートの三連音の8分音符に満ちている。
魔王のメロディーは、半音階的に色づけされ、
官能的でイタリア風である。
1822年、ボヘミアのEger(現Cheb)で、
作曲家に会ったゲーテは、序奏があまりにも騒々しいと考えた。
『もっと快活であるべきで、魅力的ではない』と言った。
これに関しては、我々は詩人の王子に同調する必要はあるまい。」

このトマシェックは、確か、シューベルトのピアノ曲に影響を与えた先達。
ハイペリオンのCDにも、彼の歌曲は登場する。

Track5にトマシェックのもの。
しかし、やはり一世代古いせいか、
同時期のレーヴェより古くさくないか。
明るい分散和音で伴奏された音楽は、
その中で浮かび上がる親子のやり取りも、
魔王のお誘いも、昔むかし、こんなことがありました、
という感じしかしない。
序奏が騒々しいというか、伴奏が鬱陶しいという感じ。

次に、フンガロトンのCD解説に登場するのは、
シュナイダーである。
「ベルリンのピアニスト、教師であった、
ユリウス・シュナイダー(1805-1885)の『魔王』では、
長調で誘惑する部分に対し、短調のムードが行き渡っている。
1828年に作曲された、この曲の、
トレモロのピアノ伴奏、メロディーは、
今日の聴衆には、15年も後の
『さまよえるオランダ人』を思い出させる。」

Track3でシュナイダーの「魔王」が聴ける。
シューベルトの死の年の作曲ということだが、
伴奏部の不思議な色彩感、天上から降り立つ魔王など、
非常に効果的かつ魅力的な作品と思える。
とはいえ、コンセプト的には、
バッハマンの作品の進化形という感じがする。
それにしても、シューベルトのようなギャロップが響き渡る歌曲は、
本当に誰も考えつかなかったのだなあ、と思ってしまう。

「信頼できる記録はないのだが、英国の作曲家、
アン・シェパード・マウンゼー(1811-1891)
による『魔王』は、おそらく1850年頃に、
バートロミューの翻訳に基づいて書かれた。
この作品はするどく対比された性格が与えられており、
長いピアノの序奏と最初の節の伴奏は、
左手の嵐のようなパッセージであって、
魔王の媚びるようなメロディーは、
高いピアノのトリプレットで伴奏される。」

Track7にこの女流作曲家の作品があって、
ようやく、疾駆する感じの伴奏が聴ける。
が、リスト風に華美なパッセージが縦横無尽に駆け巡り、
時折、シューベルト風のメロディーが出て来て、
ひょっとして、この人は、
シューベルトの作品を知っていたのではないか、
そして、それをピアノ部の進化形という形で、
それを越えようとしたのではないか、
と思ったりした。
しかし、この曲の誘惑する魔王は、バッハマン、シュナイダーの後継で、
きらきら出て来て、実態が薄い。


「有名なヴァイオリニストで作曲家であった、
ルイ・シュポーア(1784―1859)の
魔王におけるヴァイオリンの演じる効果に関しては驚くしかない。
彼はこれを1856年に作曲、
病気の子供の幻影の魔王の勧誘と、
このヴァイオリンが主に利用されている。」

Track10で聴けるが、いきなり、
ヴァイオリンがピアノとも歌とも無関係に弱音で、
引きずるように入ってきており、何なんだ、という感じ。
この時代のドイツであれば、
絶対にシューベルトの名声は知られていたはず。
そんな中、あえて、これを発表したのは、
やはり、ヴァイオリンの新しい可能性に自信があったからに相違ない。
しかし、まるで切迫感のない父子である。
ヴァイオリンの音色に二人してうっとりしているのではあるまいな。

「Jules Abassartの翻訳による、
フランス-ベルギー系の指揮者で作曲家、
エミール・マシュー(1844-1932)の
『Le Roi des Aulnes』は1873年の作曲。
魔王の誘惑の音楽だけが、他の節とラディカルに異なっている。
ピアノパートはハープのような分散和音を奏でる。
作品はホ短調で始まり、非常に離れたホ長調で終る。」

Track6に聴ける。
もう世紀末の音楽になっていて、とっぷりとシャンソン風だが、
ドイツ語だなあ、という感じ。
これまた、魔王の部分に魔法の感じを表出させた点に自信があったのだろう。
すごい虹の洪水のような中から、
「旅への誘い」みたいに魔王が手を差し伸べて来る。
しかし、これも父子の疾駆している感じはまるでない。
魔王の描写がしたくて仕方なかったという感じ。

Track8のルイ・シュロットマンの「魔王」には、
何の解説もないが、これまた、デュパルクみたいな歌曲である。
バリトンが英雄的に歌っているせいか、
何だか劇中のエピソードという感じが全面に出ている。
これも、馬は疾走していない。

Track11、シューベルトの「魔王」。
前半の真打ち登場という配置だが、
それもやむなしという感じ。

もちろん、ゲーテの劇中で歌われるとしたら、
支離滅裂ではあるのだが。

このように聴いて来ると、状況描写、性格のそれらしい描き分け、
全てが出来ている作品はこれしかない。
絵画的とも言えようか、マルチメディア的に、
目に状況が浮かぶようである。
馬に乗って、我々も運ばれていく。
それゆえに、父と子の会話が、こうもはっきり聞こえるわけだ。

後半、グレートヒェン歌曲が8曲あるが、文字数オーバーで書けないのが残念。

得られた事:「みんなが口ずさめる歌を書きたかったゲーテの意図と、そこに壮絶な表現を盛り込んだシューベルトの意図は、最初からまるで噛合っていない。」
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by franz310 | 2009-05-17 00:01 | シューベルト
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