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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その173

b0083728_11154043.jpg個人的経験:
ハイペリオンによる、
シューベルトと同時代の
作曲家の歌曲集。
CD1枚目には、
彼の先人の作品が収められ、
シューベルトが、
歌曲を書く時に、
強い影響を受けたとされる、
ツームシュテークの
歌曲なども聴ける。


この3枚組CD、1枚ごとに異なる解説書がついているのが有り難い。
各解説書の表紙には、そのCDに収められた作曲家が列挙され、
当時の風俗画があしらわれている。

1枚めCDの解説書の表紙は、男女のカップルである。
男性はハンカチのようなものを持っており、
女性は胸元に花束を抱いている。
「ヴィーン芸術時報の付録のファッションプレート」とある。
ファッションプレートとはなんぞや、
と辞書で調べると、「新型ファッションのイラスト」として、
ちゃんと出ていた。

男性は、高いシルクハットで、女性も大胆なリボンをあしらった、
縁の大きな防止をかぶっている。
お上品なお出かけといった風情であろうか。

何だかマネキンのように見えるのは、
こうした用途の絵画だからだろう。
電気も自動車もなかったかもしれないが、
そんなに昔の話ではないような感じもしてくる。
現代の延長にシューベルトがいたんだなあ、
という感慨を受ける洒落た装丁。

年代までは書かれていないのだが、このシリーズのこだわりからして、
シューベルトの時代だと推察しても良いのだろう。

以下、トラックごとに聞いていこう。
演奏者はGRITTON、MURRAY、PADMORE、FINLEYと、
男女様々、重唱になったり、合唱の登場もあって飽きさせない。
伴奏は、グレアム・ジョンソンである。

Track1
ハイドンからは最晩年の「老人」という四重唱曲が選ばれている。
「我が力は萎え、年老い弱った。ユーモアとワインだけに生かされて。
我が力は萎え、年老い弱った。頬の赤みも消え、死が戸口に立っている。
怖れることなくそれを開こう。天に感謝。心地よい楽の音は我が人生。」
という、諦めに満ちたもので、これを彼は、音楽的遺言とされる、
作品103の弦楽四重奏に転用しようしたという。

それでなくとも、弦楽四重奏の父の作品に相応しく、
この四重唱でも、最高の四重奏と同様の深さ、崇高さに達していると、
解説には書いている。
非常に味わい深い名品であることに間違いはない。

1832年生まれのハイドンは1809年に亡くなったが、
1806年の彼の名刺には、
この曲の冒頭楽譜が載せられているらしい。

以下、Track2~5はライヒャルトの作曲。

Track2
続いて、1752年生まれの、ライヒャルトの
「憧れ」(ゲーテ詩)が始まると、
何だか、非常にどろどろした世界が始まる。
男女が声を合わせて歌うもので、
情念の綾が怪しく、非常な切迫感をもっている。
ライヒャルトの歌曲、十分に鑑賞に耐え、
無味乾燥という従来の評判は一新する必要があるという、
このCD制作の意図を再確認させられる歌曲。

解説を読むと、この詩は、ゲーテが、
ヴィルヘルム・マイスターの中で、
竪琴弾きとミニヨンのデュエットとして書いているという。
歌詞を見ると、あの有名な、
「ただ憧れを知る人だけが」である。
シューベルトも6回も曲を付けているとある。
D310、D359、D481、D656、D877の1と4が、
それであるという。
D310aという異稿もあるらしい。

本来なら全部と聞き比べながら進みたいが、
他の曲に触れられなくなってしまう。

一番有名なD877の4を聴くと、
神秘的な少女、ミニヨンの雰囲気は、
シューベルトの方がうまく捉えているような気がする。

が、原作では、竪琴弾きとの二重唱だということで、
ライヒャルトの方が場面に則している。

しかし、ミニヨンに、
こんな迫力のある歌が歌えるとは思えないし、
悩ましいところだ。

彼は当時最大の歌曲作曲家とされ、
メンデルスゾーンなどは、シューベルトより、
ライヒャルトを高く評価していたという。

Track3
「憩いなき愛」で、ゲーテの詩。
先にこのCDの解説で、シューベルトより曲想が激しいとされたもの。
確かに詩の内容に相応しく、落ち着きのない切迫感のある歌曲である。

シューベルトの歌曲は、作品5に含まれるD138がある。
作品5はサリエーリに捧げられたというから、
旧世代の師匠からも喜ばれたものに相違ない。

詩は、「雪にも、雨にも、嵐にもめげず」という疾走感は、
どちらの歌曲も同様。
ピアノの奔流も同様である。
「ひたすらに突き進む」という詩句に倣っている。

次の「むしろ苦しむ方がまし、これほどの喜びに耐えるならば」
の部分が、シューベルトは、にやりと微笑みをこぼす。
ライヒャルトは、前と同様の苦しみを引きずっていて野暮ったい。
何となく時代遅れの劇を見ているようだ。

最後の「安らぎのない幸せ、お前の名は愛」と結ぶところまで、
ライヒャルトも疾駆しているが、最後の方はアジテートになっていて、
完全に目の前の聴衆を意識している。

この詩は、Track14のツェルター歌曲にも登場する。
やはり、ピアノが達者に駆け回り、疾駆する楽想である。
しかし、ツェルターの場合は、「むしろ苦しむ方が」の部分など、
テンポを落とし、さらに悲愴感を増した表現になっていて、
場面転換が激しい。
完全に、役者が舞台をうろうろしながら歌う曲のようになっている。

ライヒャルト、ツェルター共、より一般の聴衆を意識しており、
シューベルトのような、個人的感情で玄人を唸らせるスパイスより、
これはお涙頂戴の場面なのだ、と白黒はっきりさせたがっている。
ジェラルド・ムーアなどが、彼らの作品を軽視したのも分からなくはない、
という感じである。

が、ゲーテは、劇が引き立てばいいので、
当然、この二人の歌曲の方が有り難かったに相違ない。

ここで、曲順に戻り、ライヒャルトの歌曲。

Track4
ゲーテの「魔王」である。
これも、不気味さが底流し、心落ち着かないもの。
シューベルトの絵画性はないが、
ヤバいお話をひそひそやる雰囲気が出ている。
メンデルスゾーンは、
息を潜めて語られるようなこの曲を評価していたらしい。
前述のように、歌われる背景が異なる感じ。

Track10に、先のツェルターの「魔王」もあるが、
これなどは、楽しい童謡になっている。
最後の最後に、息子は絶叫するが、
童話の世界の出来事にすぎない。
歌われる目的、対する聴衆が違いすぎる。

シューベルトの生まれた年に書き始められ、
1808年までかかって、完成させたとある。
一気にどばーっと楽想があふれ出したシューベルトとは、
素性からしても違いすぎる。

Track5
ライヒャルト作曲、ゲーテのテキストによる、
「イピゲーニアのモノローグ」
ソプラノと合唱のための大作で、約9分もかかる。
題材からして、グルックのように雄弁である。
1778年、ゲーテが当時愛した女優、
コローナ・シュレーターのために書いた、
「タリウスのイピゲーニア」という劇で、
何と相手役のオレステスは、ゲーテ自らが演じたという。

Track6
ライヒャルトの娘のルイーゼの手による、
ノヴァーリスの夜への賛歌である。
父や多くの訪問者によって才能を育てられ、
シューベルトがノヴァーリスを理解しはじめた頃、
彼女の歌曲が出たので、
シューベルトも参考にしたかもしれないという。
ノヴァーリスの難解な詩に、
ロマンティックな親しみやすい音楽をつけている。
しかし、この人は、不幸な結婚で体を壊し、美しい声が損なわれ、
音楽教育に専念したが、48歳で亡くなっている。

Track7は、サリエーリの曲。
前回取り上げた。

Track8、9は、
シューベルトの伝記には必ず登場するが、
ほとんど聴いたことがない、
ツームシュテークが登場する。

「JOHANN RUDOLF ZUMSTEEG(1760-1802)
ツームシュテークはシュトッゥトガルトで生まれ、
そこで全生涯を過ごした。
ちょうど地理学的には、彼の立ち位置は、
ベルリン学派とシューベルトの中間に位置する。
彼は、悪名高い独裁者のカール・オイゲン公の創設した、
ビュルツブルクの軍隊アカデミーに入った。
詩人のシラーは、10歳の時からツームシュテークを知っており、
二人の芸術家は親しい交際を続け、
惨めで苦労の絶えなかった学生時代以来の友情で結ばれた。
彼はチェロの教育を受け、10曲のチェロ協奏曲を残し、
1782年、シラーの『群盗』の最初の付随音楽を書き、
以来、次第に歌曲を書くようになった。
1785年から1794年の間、カールスルーエの音楽教師となり、
それからは宮廷音楽のコンサートマスターの地位に上った。
そこで、シュトッゥトガルトでのモーツァルト復活を指導、
自らもオペラで成功を収めた。
シュトッゥトガルトでゲーテはツームシュテークに会っており、
ツームシュテークの死後、その未亡人のため、
シラーはゲーテにヴァイマールでの、
ツームシュテークのオペラの上演を勧めている。
彼はまだ若かったが、心臓病で亡くなった。
彼の作品の多くは未出版で、ライヒャルトの場合同様、
ツームシュテークは娘エミリー(1796-1857)が、
注目すべき歌曲作曲家になった。」

このようにシラーとの関係が重要な作曲家ゆえ、
ここでも、取り上げられた歌曲は、
シラーの詩による「期待」である。
シューベルトは、この詩に、1816年5月、
D159として知られる付曲をした。

「小門の開く音ではないかしら?
かんぬきのきしむ音ではないかしら?
いや、あれはポプラにそよぐ風のざわめきだ。」
と歌われる、恋人を待ちあぐねる歌である。
まさしく、シューベルト的な朗唱風の部分もあり、
メロディーも移ろいやすく、ピアノ伴奏も美しい。
まさしくシューベルト登場前夜の感じがする。
それにしても、このCDの中で最長の曲。
10分半も歌っている。
こうした規模も、若いシューベルトの心を捉えたのかもしれない。
シューベルトの「期待」D159も、10分半の大曲だった。

「このバラードのツームシュテークの版は、
『小さなバラードとリート集』の第二巻として、
1800年に出版された。
モーツァルトやベートーヴェンを他にすれば、
シューベルトは過去の作曲家としては、
ツームシュテークと強く結びついていると記録される。
シューベルトの学校友達ホルツアプフェルは、
いかにシューベルトがツームシュテークの
『小さなバラードとリート集』
(1791年から1805年に出版された、
170曲からなる7巻)に専念して夢中になっていたかを、
詳しく述べている。
朗唱の利用、三度の関係、同名異音の探求、
テキストと音楽の音楽的統一など、これらすべてが、
シューベルトの心を捉えた。
若い画家が有名な作品を模写するように、
シューベルトは目の前のツームシュテークの作品をモデルに、
多くのバラードを書いた。
それは直に、雄弁さ技術より、ピアノ書法の冒険と、
劇的雰囲気の醸成という点において、
ツームシュテークを追い越した。
シューベルトの歌曲では、『ハガールの嘆き』D5、
『愛の歌』D109、『夜の歌』D314、『期待』D159、
『酒宴歌』D507などがツームシュテークに近い。
1811年から『期待』の第2版を書いた1816年の春までの間、
シューベルトは、ツームシュテークの影響下にあった。」

さらにツームシュテークの歌曲から、「テークラ」が歌われる。
シューベルトはこのシラーの作品を「乙女の嘆き」として、
1811年または12年に最初に作曲(D6)した後、
1815年5月にD191、1816年3月にD389と、
3回トライしている模様。

「かしの木がざわめき、雲が流れ去って行く、
乙女は緑なす岸辺に座っている、
波が大きく、強く打ち寄せては砕け散る、
そして乙女は暗い夜に悩みを打ち明けている、
涙で眼を曇らせながら。」という内容。

「この作品は、1801年
『小さなバラードとリート集』第三巻
として出版された。
30年戦争に基づく、シラーによる、
ヴァレンシュタイン将軍の悲劇三部作
に関し、テークラはヴァレンシュタインの娘である。」

ということで、上の詩は、
結ばれぬ恋を予感して、テークラが歌う歌である。
ややこしいことに、この詩にツームシュテークは、
「テークラ」という題をつけたが、
シューベルトの「テークラ」は別にある。
同じシラーの劇により、同じテークラが歌うものながら、
別のシーンのものにシューベルトは「テークラ」と題したのである。

「シューベルトは、
『テークラ、霊の声』(D73、D595)として、
二つの歌曲を作曲している。
これらの歌曲はテークラが墓の向こうから、
彼女の気持ちと彼女の父親のことを、
幽霊の声のように語るもので、
ヴァレンシュタインの死の霊界の結尾のようなものである。」

下記のような内容が歌われる。
「わたしは死んだあのひとに再会できたのでしょうか、
そうなのです、今はそのひととともにいるのです。
一緒になった以上はもう決して別れることなく、
ここでは別離の涙を流すこともないのです。」

「この『かしの木はざわめき』で始まる方の詩は、
1798年のもので、これもまた、
苦しむテークラによって語られる。
これはもっと前の劇『ピッコロミーニ』の第5幕のもの。
1800年のシラーの詩集では、『乙女の嘆き』となっている。
ツームシュテークの作曲にあるのと同じように、
ここは『ピッコロミーニ』の中の詩の2節のみが取り出されている。
作曲家は、劇から直接持って来たはずで、
だから、詩のタイトルも主人公の名前となっている。
シューベルトは、この詩に明らかに魅了されたが、
難儀したようだ。
3回作曲しているが、どの場合も、
ツームシュテークとはまったく異なる方法を取っている。」

ツームシュテークの「テークラ」は、
伴奏の色調も美しく、広がりを感じさせるが、
この曲ならではの切迫感は感じられない。
二節しか作曲しておらず、歌謡曲にとどまっているようで、
シューベルトの第二作(D191)のドラマ性で親しんだ者には、
少々、スパイスが足りなく感じられる。

Track10
これはすでに述べた。

Track10から14はツェルターの歌曲。
「魔王」、「最初の喪失」、「真夜中に」、
「竪琴弾きの嘆き」、「憩いなき愛」とすべてゲーテの詩による。

彼はベルリン人らしく、
朴訥ながらハートの熱い人とあるが、
「魔王」なども、素朴すぎること以上のことに気を配ると、
確かに、ひたむきな実直さが魅力かもしれない。

Track11
「ああ、誰があの美しい日々を、
あのやさしい時間を取り戻してくれるのだろう」
と歌われる「最初の喪失」(シューベルトの作品5の4と同じ詩)
も、メロディーが木訥ながら、
何かしら涙がぽたぽたと落ちてくるような感じは出ている。

Track12
「真夜中に」は、非常に感動的な曲想。
(シューベルトのD862は同じ題だがシェルツェによる。)

「真夜中に、幼子のごとく我は行く。
心ならずも、墓地を横切り、
父の家、牧師のところに。星の上に星。
すべて輝く、美しく。
真夜中に、真夜中に。」
という風に始まるが、新潮文庫のゲーテ詩集にも出ていた。
「1818年2月イエナで作る。ゲーテ自ら非常に愛唱した詩。
夜の三態を、幼年、青年、老年に配合して趣を示している。」
とある。
確かに、しみじみと夜の気配が広がり、
様々な思いが去来する聖なる歌曲である。
「星の上に星」の語句が、妙な歌い回しであるが、
それ以外は、愛唱したくなるかもしれない。

ちなみに、あとの二節は、
「それからもっと遠く、人生の旅路にて。
恋人のもとに。彼女に惹かれ、是非ともと。
星と北の光が頭上にてせめぎ合い、
行きつ、帰りつ、幸福を吸う。
真夜中に、真夜中に。

そして遂には、満月の光。
我が闇照らす明るく清らかに、
そして我が心は勇み、深く、いそいそと。
過去と未来が溶け合って、
真夜中に、真夜中に。」

Track13
この「竪琴弾きの歌」は、
「涙と共にパンを食べたことのないものは」
で始まる歌で、
シューベルトの強烈な名歌曲(D480c)に比べると、
どうしても感情移入も、伴奏も前時代的な感じがする。
ただし、オーケストラのハープのように仰々しいが、
竪琴を模した前奏は、こんな風に解釈されるのも面白いと思った。

Track14
これもすでに述べた。

Track15
さて、このCDには、まだまだ気になる作曲家が登場する。
それも、シューベルトにかなり近い人物なので、飛ばせない。

アーダルベルト・ギロヴィッツなどは、
知られざる作曲家でありながら、ものすごく重要人物にも思える。

「孤独な少女」という、感傷的な曲が一曲収められているだけだが。
「花々と清らかな歌だけが、
私の一日を幸福にする。
疲れた眼を閉じて夢に帰る。
花々と清らかな歌だけが、
私の心の憧れ。」
と歌われる、ANTON PANNASCHという軍人の詩によるもの。
ナポレオンと交戦した経験もあり、
シューベルト一派とは別の体制派からは、
彼の詩は重宝されたという。

ハープをつま弾くような、ショパンの夜想曲を思わせる、
慎ましいものである。
1824年に出たので、シューベルトも見たであろうとある。
イタリアのアリエッタの影響があり、

「ADALBERT GYROWETZ(1763-1850)
この恐ろしく多産な作曲家はボヘミア生まれ。
彼はシューベルトが羨ましがるような世界を経験した。
彼はいつもちょうど良い時に良い場所に現れている。
ヴィーンではモーツァルトに会え、交響曲を演奏してもらい、
ローマではゲーテに会い、
1790年代、3年ほどロンドンに住んだ時にはハイドンに、
プラハではナポレオンにさえ会ったと言われている。
特に弦楽四重奏など、ギロヴェッツの作品の大部分は器楽曲で、
1818年、少年ショパンがデビューで弾いたのが、
ギロヴェッツのピアノ協奏曲であった。」
確かに、遠山一行著の「ショパン」にも、
「18年には、イーロヴェツの協奏曲によって、
最初の公開の演奏を行っている」とあった。

「1804年、ヴィーンで第2宮廷楽長になった時、
彼の人生は変わり、イタリア語の数多くのオペラ、
ジングシュピールなどを書いた。
1819年8月、シュタイアーでの休暇で、
シューベルトがフォーグルの
51歳の誕生日を祝うカンタータ(D666)を書いた時、
シュタッドラーの歌詞には、フォーグルが得意とした、
オペラの役を入れたが、これは1811年ギロヴェッツ作の、
有名なオペラ『眼科医』の中の、
連帯付き軍医のロマンティックな希望の歌を表わしている。
これはシューベルトが年少時代に好きだったものである。
ギロヴェッツはシューベルトよりずっと長生きし、
ベートーヴェンの棺をシューベルトと担いだ。
それ以前に会う機会がなかったとしても、
この時、彼らは確実に会っている。」

Track16
ワイグル(ヴァイクル)(サリエーリの後任)の歌曲。
これは聴きモノである。
何故なら、これこそが、少年シューベルトが魅了された、
「スイス人の家族」というオペラの中のアリアだからである。

カステリという人の詩で、
「もし、彼女が遠くからでも見てくれたら」というもの。
とてもかわいらしいヴィーン風の小品。
先の一節に続いて、
「出来る限りの速さで走って来る。
小さな頬を火のように染めて。
でも、彼女は全然こちらを見てくれない。
僕の腕が抱きしめようとすると、
するりと身をかわす、
でも、めくらにだって見えるだろ、
これが愛ってもの」と続く。

「JOSEPH WEIGL (1766-1846)
ワイグルは、優れたチェリストであった父が、
宮廷楽団に席を持っていた、
アイゼンシュタットで生まれた。
ワイグルは、アイゼンシュタット最高の守護神、
ヨーゼフ・ハイドンの名付け子であった。
ヴィーンに出て、アルブレヒツバーガーに学び、
サリエーリにも庇護を受けた。
ケルントナートーア劇場のオペラ指導員として、
1786年にはモーツァルトの『フィガロの結婚』、
1788年には『ドン・ジョヴァンニ』の稽古をつけた。
おそらく『コシ・ファン・トゥッテ』もリハーサルしている。
彼の自伝には、
『モーツァルトの演奏を聴いて、
その個性的なしなやかさで難しいスコアを仕上げ、
同時に歌いながら、他の人の間違いを直す様子には、
最高の賛嘆を持って、興奮する以外なかった」
と書いている。
20代後半にケルントナートーア劇場の音楽監督となり、
たくさんの成功したオペラを書いた。
彼はイタリアにもいたが、1808年にはヴィーンに戻り、
この年、オペラ『孤児院』でヒットを飛ばし、
翌年、『スイス人の家族』で一時代を画した。
これらは共にジングシュピールで、
早くから学校のオーケストラで、
多くのワイグルの序曲を知っていた
シューベルトもよく知ったものだった。
1821年、ワイグルはサリエーリと共に、
シューベルトの音楽的能力を示す証明書にサインしているが、
これはシューベルトを助けることはない事務手続きであったが。
1827年、すでに彼のオペラは時代遅れとなり、
厳しい時を過ごしていたが、
シューベルトと共に宮廷副楽長のポジションを争って、
ずっと年配のワイグルが勝ったが、シューベルトはそれに納得している。
ワイグルの兄弟のThaddausはヴィーンの出版者であり、
彼自身の校訂で、多くのシューベルト歌曲を出版している。」

Track17
ドレスデンのシューベルトの小唄、「生涯の連れ」。
1分ほどで終る。
この作曲家は、「魔王」の作者として間違われ、
「誰が私の名を語ったか」と、怒り狂った人として有名。
1768年、ドレスデンでは有名な音楽一家の出で、
コントラバス奏者、1808年からはイタリア歌劇の監督、
1814年からは王立教会作曲家にもなったという。
ドレスデンではウェーバーの同僚でもあったらしい。
1827年に亡くなっている。

Track18
何と、シューベルトの友人で庇護者、
解釈者で、有名な歌い手で、その歌曲を広めた恩人、
フォーグルが作ったシェイクスピア歌曲、
「デズデモナの歌」である。
この人は非常な博学であったらしく、
シェイクスピアからの翻訳も、自ら行ったとある。
自分で出る劇のための歌曲なので、
ちょっとした飾りのようなものだろうが、
情感豊かなもので聴かせる。
彼は歌曲の他に、ミサ曲など宗教曲も残しているとある。

ギロヴィッツ、ワイグル、アントン・シューベルト、フォーグルの歌曲は、
一曲ずつなので、何だか印象がはっきりしないまま終わってしまった。

Track19~25
ベートーヴェンの歌曲。
「輝ける星の下の夕べの賛歌」と、
「遥かなる恋人に寄せる」等、有名なので省略。

最後のTrack26
ウンガーの作曲。
彼については、また、別の機会に触れてみたい。
ライヒャルト、ツェルターの評伝も訳してみたが、
字数オーバーで省略せざえるを得ない。

得られた事:「シューベルトの先人たちの歌曲、歌われる目的や聴衆までを妄想して聴くべし。」
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by franz310 | 2009-05-10 11:49 | シューベルト
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