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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その171

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その171_b0083728_23303262.jpg個人的経験:
モーツァルトとの関係で知られる
サリエーリは、
少年時代のシューベルトに対し、
「あの子は何でも出来ます。
オペラでも、リートでも、
四重奏曲でも、交響曲でも、
作曲したいものは何でも作曲します」
と言って讃辞を惜しまなかった。
シューベルトもサリエーリを信頼し、
習作のオペラを彼に見せに行った。


サリエーリは、根気よく、
この作品「悪魔の悦楽城」に目を通し、
遂には、改定版までが出来上がった。
井形ちづる著の「シューベルトのオペラ」によると、
第一稿はシューベルト16歳の1813年10月30日から
翌年の5月15日に書かれ、
同じ年の10月22日に第二稿が完成したという。
ものすごく息の長い仕事である。
各幕の表紙には「サリエーリ師の弟子」と書かれているらしい。

1813年10月といえば、
シューベルトがコンヴィクトを卒業した年で、
教員養成学校に通うのに合わせて、
同時にプロの音楽家を目指し始めたものと思われる。
サリエーリは、その際、力強いコーチとなったに違いない。

近年、この作品はいくつかの上演の機会を経て、
見直される傾向にあるという。
ただし、レコードが出たという話は聞いたことがない。

とはいえ、何とか、序曲だけは、聞くことが出来る。
例えば、KOCH SCHWANNレーベルからは、
序曲集としてまとめられたものが出ていて、
10曲のオペラの一部を聞くことが出来る。

このCD、表紙デザインが素晴らしい。
りりしいシューベルトが劇場内部のアーチの下に座って、
生前なしえなかった、劇場の征服を、
いかにも成し遂げたという雰囲気になっている。
Dieter Heulerという人のデザインというが、
なかなか乙な計らいではないか。

また、中の解説が力作で、シューベルトのオペラを、
是非聞きたくなるような内容となっている。
各曲が、作曲された順になっているのも嬉しい。

1. 水力技師の悪魔 序曲ニ長調 D4(1811/12)
2. 鏡の騎士 序曲変ロ長調 D11(1811/12)
3. 悪魔の悦楽城 序曲へ長調 D84(第二版)
4. 4年間の哨兵勤務 序曲ニ長調 D190(1815)
5. ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ 序曲ホ長調 D239(1815)
6. サマランカの友人たち 序曲ハ長調 D326(1815)
7. 双子の兄弟 序曲ニ長調 D647(1819)
8. アルフォンソとエストレッラ 序曲ニ長調 D732(1821)
9. 家庭争議 序曲ヘ長調 D787(1823)
10.フィエラブラス 序曲ヘ長調 D767(1823)

という具合である。
このように、有名な「ロザムンデ」、または、「魔法の竪琴」の序曲は、
収録されていないが、彼のオペラの主要作品について、
概観できる形になっている。

この録音は、シューベルト生誕200年を記念か、
1997年録音とあるが、ようやく、
このような企画がなされるようになった。

演奏は、ハイドン・シンフォニエッタ・ヴィーンとある。
指揮者はManfred Hussという人。

解説は、何と指揮者自らが書いていた。
すごい共感に満ちたもので、
シューベルトのオペラは、非常に特殊なものゆえ、
演奏者も聴衆もそれに追いついていないから、
理解が進まないのだ、
といった熱烈な言葉が見られる。

序曲の世界でもまた、
彼は、その交響曲とも、
まったく異なる世界を作り上げているという。

「シューベルトのオペラの世界は広大ながら、
おそらく、その概観が簡単でないがゆえに、
いまだほとんど知られざるものだ。
ちゃんと残っているオペラのうち、序曲があるものは、
以下のものである。
『悪魔の悦楽城』、『サマランカの友人たち』、
『アルフォンソとエストレッラ』、『フィエラブラス』、
それから、一幕ものの、
『4年間の哨兵勤務』、『双子の兄弟』、『家庭争議』、
それに、付随音楽群である、
『ロザムンデ』(D797)と『魔法の竪琴』(D644)があり、
オペラの断片『水力技師の悪魔』、『鏡の騎士』、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』への序曲がある。
もちろん、シューベルトの序曲では、
それ自身の序曲はなかったのにもかかわらず、
『ロザムンデ』序曲が最も知られたものだ。
1823年にアン・デア・ヴィーン劇場で、
『ロザムンデ』の劇が初演された時、
シューベルトの生前には演奏されなかったオペラ、
『アルフォンソとエストレッラ』の序曲が使われた。
シューベルトは、『ロザムンデ』には、
この序曲は重すぎると考え、
『魔法の竪琴』のために書かれていた序曲を転用したので、
これが『ロザムンデの序曲』として知られるようになった。」

なるほど、こうして見て見ると、
シューベルトのオペラは沢山あるというが、
複数の幕を持つ本格的なものは、
たった4作しかなく、そのうちの3作は、
そこそこ大手のレコード会社から、
発売されたということが分かった。
また、短い作品は、いくつかの録音があり、
「悪魔の悦楽城」が録音されないのが待ち遠しく、
改めて、ヒュッテンブレンナーがなくした、
ゲーテの原作による「ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ」が、
返す返すも惜しい、というところであろうか。

「この録音では、オペラ用の序曲に限って集めたものである。
劇場は新奇な演目を常に求めているのに、
シューベルトのオペラで残っているものが、
何故、レパートリーに定着しないかは難しい問題である。
また、交響楽団が、これらの序曲をレパートリーに入れないのかは、
もっと不思議なことである。
それは他の作曲家による有名な序曲に劣るものではない。
おそらく、歴史的楽器を使うと、
技術的にかなり演奏が困難だからであろう。
木管は演奏不可能ぎりぎりであって、
彼の時代ではいっそうそうだったはずで、
例えば、『悪魔の悦楽城』におけるトランペットなどは、
バロック時代の華麗な作品に劣らず高い音を出す瞬間がある。
シューベルトの最も初期の作曲の日付は、
1810年から11年であるが、
このごく早い時期から、特に惹かれていたこれらジャンルに熱中し、
おそらく経済的な問題から、
時に同時に、ピアノ、管弦楽、弦楽四重奏、
宗教曲、とりわけオペラに取り組み、
これらの手書き原稿が一緒くたになっている。」

私は、このような記述を見て、
創作力に駆りたてられたガキんちょの、
創作現場に居合わせたような気がした。
確かに、本人すらもその重要度に気づくことなく、
書き散らされたものは、そうした状態だったであろう。
サリエーリらが、その天才を気づかせてあげなければ、
この天才もその才能を、
どうしていいか分からなかったかもしれない。

「1811年に始まる、彼の最初期の、
比較的大規模作品としては、
オペラの断片である『鏡の騎士』がある。
特に序曲の導入部を聞く限り、
たった14歳の少年が書いた作品とは信じがたい。
それは驚くべき華々しさで、
随所に18世紀の様々なモデルの影響が見えるとはいえ、
そこに染み渡る、その材料を処理する新しい方法や、
個性の独自性は、シューベルトが最初から持っていた天才である。
彼の最初の管弦楽作品は、
ハイドンの死後2年、
ベートーヴェンが全交響曲を書き終わる前に書かれた。
モーツァルトとは違って、
シューベルトは天才と賞賛されたり、騒がれたりはしなかったが、
これらの作品は時代を超えて、シューマンをも予見するものだった。」

こうして、時代的な位置づけを見ると、
シューベルトは、ベートーヴェンと同時期に新しい音楽の
模索を始めた人であることが分かる。

「サリエーリは即座にシューベルトの才能を見て取り、
無償でその作曲のレッスンを引き受けた。
彼は18世紀イタリアオペラのスコアを学ばせ、
シューベルトもまた、サリエーリの、
『オルムスの王アスクール』や、
『ダナイード』の総譜に親しんだと思っていいだろう。
最初に劇場作品に触れた時、
彼は15歳で、これは友人シュパウンに連れられて、
ケルントナートーア劇場に、
ハイドンの弟子ワイグルが書き、
大いに流行っていた、『Waisenhaus』を見た時であった。
後にシューベルトは、他の有名なオペラ、
『フィデリオ』、『魔弾の射手』、
モーツァルト、ロッシーニのいろいろな作品、
グルックの『トゥーリードのイフェゲーニェ』を見ている。
これは、とりわけ大きな印象をシューベルトに与え、
その後、グルックの他のオペラの研究にも没頭した。」

このように、シューベルトは、グルックの直接の後継者のように見える。
サリエーリはグルックの弟子なので、直系である。

「同じ1811年に、彼は『水力技師の悪魔』、
まったく残っていないオペラの序曲を書き、
これは『鏡の騎士』とは全く異なる雰囲気を持ち、
ヴィーン風のコメディ、
またはオッフェンバックのオペレッタの序曲のようだ。
(ヴィーン喜劇の傑出した作家の一人であるネストロイは、
役者や喜劇創作に専念する前には、
シューベルトのパートソングの歌手として著名であった。)
これら二つの作品の大きな性格の違いは、
歌曲の作曲のみならず、シューベルトのテキストに対する、
早い段階からの適応力を如実に示している。」

3分ほどで終わる、
単純なリズムによる軽妙な作品で、
木管のアンサンブルの印象的な響き、
金管の咆吼、めまぐるしい弦楽器群など、
シューベルト作品の中でも異質であるが、
立派に演奏会にかけられそうな内容である。

この作品など、しばらく前までは、
伝記の中に出て来るだけの幻の作品だったのではないか。
交響曲全集の中に併録された記憶もなく、
初期のシューベルトはいろいろ書き殴っていたようだな、
という参考に出て来る程度であったと思う。

しかし、金管がぶっ放す様は、
アインシュタインが屋外用ではないかと書いたように、
非常に豪快である。

続く、『鏡の騎士』は、一転して、
シューベルトの交響曲の響きを持ち、
ここに収められている作品の中で最長の8分半を要する。

これも、金管のど迫力が素晴らしいが、
シューベルトの交響曲を彩るフルートやオーボエの彩りが繊細。
劇が開始する前のわくわく感を見事に表わしていて、
時折、物語に起因するのか、
エキゾチック、神秘的なパッセージが現れる。
華やかで壮大な序曲で、
今後は、交響曲と同様に親しまれるべきものだ。

「後にも、同時並行で書かれた、
こうした対となる作品例が認められ、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』と、
『サマランカの友人たち』は1815年に、
『フィエラブラス』と『家庭争議』は1823年に書かれた。
彼のオペラの序曲はすべて、
交響曲群と比べると、荒れ狂うドラマ表現が含まれる。
反対に彼の交響曲は、劇音楽に比べると、
ずっと厳格な古典的技法で書かれている。」

この一文は、おそらく聴く人の期待を駆り立てるであろう。
シューベルトの全交響曲を聴き尽くしてもなお、
未踏のシューベルトの管弦楽の世界が残されているのである。

「『水力技師の悪魔』は、
小さめのオーケストラのために書かれた、
唯一のシューベルトの序曲で、
この録音では、ハイドンのエステルハーツィの楽団に合わせ、
22人の演奏者で演奏した。
この作品をおそらく彼は、
コンヴィクトか、彼が聖歌隊に入っていた、
ヴィーン大学の古い建物にあった、
ギムナジウムでの劇のために書いたものと思われる。
この学校は優れたオーケストラを持ち、
毎晩、練習や演奏会を行っていた。
シューベルトは優れたヴァイオリニストで、
ピアノ、オルガンもよくし、
オーケストラのリーダーに選ばれ、
ほとんどの楽員より若い13歳の時には、
代理の指揮者も務めた。」
このように書かれると、シューベルトは、
無計画に作曲しまくった夢遊病者などではなく、
非常に信頼されるしっかりした人物のようにも思えてくる。

「シューベルトが序曲に注ぎ込んだ、
豊かで変化に富む音楽的着想は驚嘆すべきものだ。
すべてが完全に異なっており、
快活で、激しい表現は、時として、
彼の全作品の隠し味となっている、
この世を越えるものに対する感覚によって彩られ、
彼のヴィーン人としての側面を示す。
親しげで社交的な性格は、
特に、ナポレオン戦争時代の脱走兵を扱って、
少々微妙なテーマであった『四年間の歩哨勤務』や、
古典的に祝典的なハ長調による『サマランカの友人たち』、
そして、彼にしては珍しい穏やかさの、
『双子の兄弟』や『家庭争議』に見られる。
オペラと同様、これらの序曲における、
創意と変化に富む雰囲気は、
シューベルトのドラマ表現に対する能力を示している。」

このように、各曲を性格分けしてくれるのは、大変有り難い。
沢山あるのに、どれもが全く演奏されない、
などとひとくくりにされるのが、
シューベルトの劇音楽の宿命であったが、
どうやら、この指揮者は新しい見方を、
提示しようとしてくれているようだ。

「『悪魔の悦楽城』は、彼の最初の大オペラで、
最初の二つの交響曲や、
『糸を紡ぐグレートヒェン』を含む、
最も有名な歌曲のいくつかと同じ年に書かれている。
作曲の過程は、1813年の10月から、
1814年の10月であるが、
明らかに初稿には不満があったようで、
サリエーリの協力を得て全幕を書き直している。
改訂版は、序曲、オペラとも、彼の天才の爆発力を示し、
ロマンティシズムの新しい精神漲る、
この青春の『疾風怒濤』に、
我々は、さらされる。
ここにきて、我々は、
彼のオペラに常に現れる、高度に劇的で、
型にはまらない感情の噴出に直面する。
『悪魔の悦楽城』序曲の構成は、
魅惑的な叙情的楽節から、悩み、
シューベルトのみならず、他のヴィーンの音楽、
伝統音楽からシュトラウス兄弟、マーラー、ベルクに到る、
胸の張り裂ける痛切さなど、
いくつかの部分からなる。
これらの深い感覚は、新しい楽器法によって醸し出され、
さらに後、19世紀高ロマン派の時代を予告する。
これらの楽節は興奮した、
意表を突いた楽器の組合わせ、
風変わりな和音によって中断され、
悪魔の館の隅や割れ目から、
様々なグロテスクな居住者を呼び覚ます。
この序曲のコーダは、これらの亡霊たちを伴って、
ベルリオーズの『幻想交響曲』を予告する、
幻想的な終結に向かう。」

この曲、いきなり轟くティンパニ連打からして、
第1印象はかなり奇異であるが、
こう書かれると、再度、そうした耳で確かめたくなる。

サリエーリの指導のもと、野心溢れる少年が書き上げた、
おそらく渾身の力作である。
序曲も8分半の大作。

シューベルトがこの時期に書いた歌曲も交響曲も、
いまや、誰も習作などとは思わない。
十分すぎるほどに、演奏会の花となり得る演目となった。

確かに、この解説が力説しているように、
この序曲では、シューベルトの幻想は大きく翼を広げ、
全く交響曲とは違うアプローチで管弦楽が鳴り響いている。
よく考えると、シューベルトの長大な歌曲では、
おそるべき幻想が生々しい程に絵画的な表現を見せるから、
こうした楽曲が出て来てもおかしくはない。

木管によって導かれるメロディははかなくも美しいが、
新たな世界に踏み出していくような風情も漂っている。

がちゃがちゃした響きが、時に流れを粉砕していくような進行。
大きくうねる楽想は、交響曲では見られなかったもので、
ブラームスで言えば、「第3」などで、聴かれるような感じ。

神秘の帳をひらいて行くような楽想、
ホルンが荘厳な深淵を覗かせる。
木管の歌い交わす響きが、純真な魂を思わせる。

そして、冒頭のティンパニ連打があって、
活発にオーケストラがのたうち回る。

驚くべきは、老サリエーリが、こうした先鋭な音楽に助力した事。
彼は、モーツァルトなどよりシューベルトに驚嘆したのではないか。

ここで、このオペラの内容を、先の井形ちづる著から把握すると、
「これでもか、これでもかと、
オスヴァルトは恐ろしい超自然現象に襲われるが、
決して屈しないという英雄オペラでもある」とある。

とおりがかりの騎士が、村人が恐れる「悪魔の悦楽城」に、
乗り込んでいくというストーリーである。
城の中には様々な危ない仕掛けがあり、
アマゾンが出て来て、オスヴァルトを誘惑したり、
殺そうとしたりするが、
新妻ルイトガルデが勇敢で、城に駆けつけ、
すべてが解決するという、
ベートーヴェンやヴァーグナーも好きそうな内容である。
これは面白そうだ。
が、あまりにスペクタクルな要素がありすぎて、
歌手よりも大道具に金がかかるかもしれない。

「シューベルトも同時代者も、
『悪魔の悦楽城』や、『四年間の歩哨勤務』、
歌芝居『サマランカの友人たち』、
ゲーテのテキストによるジングシュピール、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』の断片以上のものを、
聴くことが出来なかった。
何十年もシューベルトのオペラを舞台にかける試みはなかったが、
演奏会公演も一度限りであった。
最初の大きな進展は、リスト指揮で、
『アルフォンソとエストレッラ』がワイマールで上演された
1854年にあったが、
彼はシューベルトの豪華な序曲を、
アントン・ルービンスタインの『祝典序曲』に置換え、
オペラを無慈悲にも切り刻んで使った。
しかし、それにもかかわらず、
リストは最もシューベルト普及に貢献した。
同様のことはブラームスにも言え、
最初の全集版に関わったが、シューベルトの楽器法を、
『改善』すべく、手稿に赤ペンを入れることを厭わなかった。」

こう書かれると、リストもブラームスも尊大なおっさんである。

以下、シューベルトがいったんはオペラ劇場から
依頼を受けながら、後が続かなくなった経緯が書かれているが、
字数制限にひっかかったので、
やむなく割愛する。
「双子の兄弟」に関しては、かつて、このブログでも紹介した。

「『悪魔の悦楽城』以降、
シューベルトの作曲スタイルは、
めざましい発展をした。
彼の音楽語法は、その情熱にもかかわらず、
騒々しさは鳴りをひそめたのに、
集中度を増し、力強くなり、
内的な劇的強靱さを獲得した。
音楽のスケールは大きくなり、
そのフレージングは大きな弧を描き、
時として『無限旋律』に似る。
これこそが、シューマンが『ハ長調大交響曲』に、
『天国的長さ』と賞賛したものであろう。
シューマンは同時に、シューベルトは、
完全にベートーヴェンから独立していると書いた。
シューマンはおそらくオペラについては知らなかったが、
同じことがこれらにも言える。」
確かに、シューベルトの賛美者である、シューマンは、
いったい、シューベルトのオペラをどう思っていたのだろうか。
彼もそうした音楽を書いているから、興味がなかった訳ではあるまい。
シューベルトの兄弟に会いに行ったりしているので、
何らかの情報は持っていたものと思われる。

しかし、この論法も何となく、心に刺さるものがある。
例えば、ここに収録された、D11とされる、
ものすごく初期の「鏡の騎士」の序曲ですら、
まるで、「ハ長調大交響曲」を予見させる、
素晴らしい発展性を予告する序奏部を持っているからである。

この序曲、先にも書いたが、
交響曲の隣においてもおかしくないもので、
爆発的な推進力は若気の至りかもしれないが、
トランペットの連呼の中、突き進む様子は、
本当に、最後の交響曲に直結する勢いなのである。

さて、この解説、下記の部分が非常に興味深い。
というのは、解説しているのが、
これらの作品を実際に指揮した人が書いたことだからである。

「少なくとも、シューベルトの楽器法は、
最初から、ベートーヴェンより大規模で違ったものだ。
『英雄交響曲』までの古典的オーケストレーションは、
いくぶん、室内楽的で、管弦楽書法も形式的原理に厳格であった。
しかし、シューベルトの場合、最初から近代的な管弦楽法で、
ムードや感情、心理的な性格付けを狙った、
デリケートで透明な語法で伝えるのを拒絶した。
ハイドンは、後期の作品で、こうしたアプローチを越えたが、
シューベルトは最初からそこにいた。
彼のオーケストラは、
1856年、『タンホイザー』の、
ベルリン上演で理想とされた15から20人の第1ヴァイオリン、
5から10人のコントラバスといった、
ヴァーグナーやリストの高ロマン派に直結している。
二組ずつの木管、トランペットに加え、
四つのホルン、三つのトロンボーン、
それに相当する弦楽セクションをシューベルトは必要とする。
各プレーヤーにパワーとエネルギーを必要とする、
彼の音楽は、それまでのものを越えて、
ヴァーグナーやマーラーを予告するものである。」
こんな見方をしたことはなかった。
シューベルトは室内楽の達人でもあったから、
室内楽的書法を目指した、と書かれても納得できるが、
何と、まったく違うと言い切るところがすごい。

「『アルフォンソとエストレッラ』の序曲の冒頭は、
多くの聴衆にブルックナーを想起させ、
そのほかのパッセージもウェーバーよりは、
ヴァーグナーを思い出させる。
シューベルトは早い時期から、
オペラに魅了されていたが、
そのアイデアは常時溢れていて、
最後の願い、突然の死の二三日前に考えていた事も、
バウエルンフェルトの新しい台本に関するものであった。
彼の天才は、その創作力を、オペラに傾注させようとした。
この決断は奇異に映るが、彼の全作品を見ていくと、
何をどのように作曲すべきか、
彼がよく分かっていたと確信するのである。
そして、彼が正しい詩を選び、
完璧な曲付けをいつもしていることを感じるのである。
オペラに関してのみ、そんな彼の判断が誤っていたと言うのか。
おそらく間違っているのは我々の方なのだ。
我々は単に、それを理解する道を、
見つけることができずにいるのである。」

以下、このCDにかけるすごい自信を感じる一節。
「シューベルトのオペラの序曲を聴くことによって、
長らく正しく評価されてこなかった作曲家の、
全く別のサイドを見ることが可能となる。
それは、高度に発揮された各楽器の能力、
オーケストラのパレットの色彩ゆえに、
そうしたものを欠く、ピアノ伴奏の歌曲からでは、
正しく行き着くことの出来なかったサイドである。
さらに、彼のオーケストラ作品の大部を構成する、
交響曲、ミサ曲においてさえ、
彼のオペラやその序曲に似たものは見いだせないのである。」

さて、演奏は、第1ヴァイオリンが9、
コントラバスが3と、この指揮者が書いていたような、
高ロマン派の編成にまではいっておらず、
そのせいかは分からないが、
いくぶん、先鋭すぎるような気がする。

録音のせいか、もう少し、ふっくらしたとしたものが欲しい。
練習風景の写真が載っているが、会場が狭すぎるのではないか。

ただし、しなやかさはあって、
スイトナーやアバドで聴いた、円熟期オペラ全曲盤の序曲よりは、
豊かな息づきを感じさせ、さすがに強烈な共感が血となっている。

得られた事:「サリエーリの新しいものに対する鑑定眼は確実で、シューベルトの初期オペラの持つ先進性を添削しながらも、ベルリオーズを予見する響きを探り当てている。」
by franz310 | 2009-04-25 23:42 | シューベルト
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