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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その163

b0083728_0313582.jpg個人的経験:
ハイドンが晩年に、
集中して作曲した
ピアノ三重奏曲は、
3曲セットで
出版されたものが多いが、
2曲だけが、
各々、単独で出た。
そのうちの一曲、
HobⅩⅤ:30は、
前回のCDに収録済み。


ということで、今回のCDは、もう1曲、HobⅩⅤ:31を含むものだ。
何だかわからないが、一応、ハイドンのピアノ・トリオは、
後期の18曲を、いろいろなCDでかき集めることが出来た。

さすがに、HobⅩⅤ:31だけではCDが埋まらないので、
このCDには、作品75から、HobⅩⅤ:27、29が収録されている。
また、冒頭には、あの「ジプシー・ロンド」の、
HobⅩⅤ:25が収められている。

何故、作品75のHobⅩⅤ:28を仲間はずれにしたのかは分からない。
演奏しているアベック・トリオ(Abegg Trio)は、どうやら常設の3重奏団なので、
ハイドンの名作は、このあたり、と取捨選択したのだろうか。
確かに、代表作のような作品75を中心に、有名なHobⅩⅤ:25を加え、
さらに、不思議なタイトルを持った、HobⅩⅤ:31を加えたと、
考えることも出来よう。

このCD、TACETレーベルというドイツのもので、
目の赤い気持ち悪いハイドンの肖像画が表紙になっているが、
CDのケースを開くと、チェロのBirgit Erichsonが美人で許す、
という感じである。

ピアノは、Zitterbartという、小太り&ロン毛。
ヴァイオリンはBeetzという無精髭。
いずれも変なおっさんたちで、にやけている。
ただし、彼らが、使う楽器は現代のもので、ピアノは、
ベーゼンドルファー・インペリアルとある。

ちなみに、カバー・ペインティングは、
ホルスト・ヤンセンという人が書いたようだ。
スケッチで、紙の質感が独特だが、
この人は、ハイドンをどう思っているのだろうか。
見た感じ、とにかく、怖い。
我々が、シュレーター夫人との密会の場に、
突然、踏み込んでしまった時のハイドン、
といった感じだろうか。

この表紙にも増して、解説が独特である。

例えば、先のHobⅩⅤ:25に関して言えば、
こんな感じなのである。

「ト長調のトリオは、活発なハンガリー風ロンドと、
いつも併せて語られているのは、理解できないことではないが、
コントラストをつけるための中間部を持たないかわりに、
それにもかかわらず、いや、おそらくそれゆえに、
終わることないような緩徐楽章(slow movement)については、
どこかで、もっと適切に語られたであろうか。
ありがたくも、これは、ハイドンの最も美しい
カンティレーナの一つではないだろうか。
(恐らく、このことは、チェロを細心の考慮で演奏した、
この録音を通じて、初めて正しく評価されることであろう。)」

といった具合に、
このCDは、自分たちの解釈が最高であると、
決めつけてくれている。
確かに、この曲は対抗馬が多く、
新しい録音を放つサイドには、
これくらいの乗りを期待したいものだ。

オリジナル楽器ではなく、現代の楽器で弾いているせいか、
響きがたっぷりとして、非常に豊かな印象。
ピアノは輝かしく、
ヴァイオリンも、鈴のように鮮やか、かつ愛らしく響く。
チェロは滑らかなビロードの質感をキープして、
不思議に心地よい音響空間を形成している。
この解説者が言うことも分からなくはない。

柔らかな敷物の上に置かれた、上等の調度品のようである。
なるほど、ハイドンは、こうした構成感を重視していたのか、
という感じ。

ベートーヴェン以降のトリオでは、何となく、
3つの楽器がタッグを組んだ、
トライアングルのような構図が目に浮かぶが、
ハイドンの美学では、おそらく、それはお下劣。
母なる大地のチェロの上に、ピアノの小川が流れ、
その水面には、ヴァイオリンの花が咲いている、
そんな風景である。

緩徐楽章も、夢見るように美しい。
終楽章も非常に冴えた音楽。
かつて取り上げた、
ロンドン・フォルテピアノ・トリオの演奏は、
ここが全く面白くなかったが、
アベッグ・トリオで聴くと爽快である。

それにしても、この解説者は、アベッグ・トリオの、
アドバイザーか何かなのだろうか。

「1795年、ハイドンは、
他の二つと一緒にこの三重奏曲を、
レベッカ・シュレーターという、
1792年の最初のロンドン訪問で知り合った、
美しい未亡人に捧げている。」

ついに、「60歳を越える」と書かれていた婦人は、
「the beautiful widow」にまで格上げされた!

「『私は、本当にあなたにお会いしたく、
耐えきれずにいます。
そして、私はもっともっと出来るだけ、
あなたの近くにいたい。
事実、愛しいH様、人として可能な限り、
あなたに、最も深い、最も優しい愛情を感じております。』
このような手紙に対するハイドンの答えを、
1795年の日付を持つこのトリオのポコ・アダージョに聴くのは、
それほど的外れではないだろう。」
これは、第二楽章のことである。

「彼にはこうした方法で感情を伝えることを、
確かによく行っており、貴族の友人、
ゲンツィンガー夫人に敬意を表して書いた、
ソナタのアンダンテについて、
『はっきりと、その重大さを、あなたにお伝えします。
機会があれば、あなたに言葉でお話ししますが。』
彼は年を取っても人を魅了するほど賢明で、
特に婦人に対してそうであった。
そして、そのことを一番驚いていたのは、
彼自身で、それが、彼にこうした皮肉な言葉を吐かせた。
『私の外見の美しさによるものではありえない。』
それは、事実ではなかっただろうが、
その音楽そのものにも言えることかもしれない。」

このような解説を書いているのは、いったい誰かと、
見ると、Jan Reichowとある。

何故か、この曲は冒頭に収録されているのに、
解説では最後に登場する。

今回、特に聴きたいと思った、HobⅩⅤ:31は、
このHobⅩⅤ:25の次に収録されているが、
以下のような解説で紹介されている。

この曲は、たった二つの楽章しかなく、
第二楽章に、「ヤコブの夢」という、妙な標題がついている。
それが何であるかが、ここには明快に書いてある。

E flat minor Trio
「ハイドンは1795年に作曲されていた、
表出力豊かな変ホ短調のアンダンテ・カンタービレの楽章を、
前年に書かれていたアレグロ(ベン・マルカート)と一緒にして、
後の楽章に書かれていた、
『ヤコブの夢のソナタ』というタイトルを消去した。
このほのめかしは、最初の演奏者であった
アマチュア・ヴァイオリニストが、
楽器の高音を響かせることを好んでいたことを、
ヤコブが夢の中の天国に続く梯子になぞらえたものである。
ハイドンは、恐ろしい高音で、また、
最も困難なところが終わったと思った所で、
ヴィルトゥオーゾですらマスター困難な、
高音の6連符を繰り出して、彼を驚かせた。」

確かに、リズムが、よっこらせ、よっこらせ、
といった感じで、梯子を登って行くような感じがするし、
高音で意味不明の囀りを繰り返すヴァイオリンの効果も面白い。

このように、絵画的に特徴的な第二楽章から、
先に記述されているが、その3倍近い長さを持つ、
第一楽章がより重要である。
非常に意味深な、ニヒルなメロディで始まるもので、
それについては書かれていないが、
そこから派生し、展開されて行く音楽については、
うまいこと書いてある。

「こんな機知に富んだ伝記的詳細も、
この楽章が、巨大な第一楽章と同様、質的に重要な、
『精巧で洗練されたスタイルのドイツ舞曲』(ローゼン)
であることを無視させることは出来ない。
ハ長調のトリオの第一楽章にも似て、
『連続したダンスの軽快さが常にあるものの、
メロディも何もない、断片から、
組み立てられているように見え、
長い経験からしか考えつくことが出来ないもの』(ローゼン)
となっている。」
まったく、何も起こっていないような音楽でありながら、
気がつくと、このCDの中でも最大の規模の楽章に発展されている。
独白のような内省的な音楽で、続く楽章の華やかさとは、
好一対となっている。

以上、見てきたように、このCDの解説は、非常に凝ったもの。
全5ページ以上あり、最初の1ページあまりを使って、
「鑑定、偏見」という題名で、
後期ピアノ・トリオに対する彼の見識を披露している。
が、非常に饒舌かつ衒学的であり、難解。
しかし、何となく主張は分かる。
これまで、何度か出て来たが、
チャールズ・ローゼンという音楽学者
(ピアニストでもあった)の、
「The Classical Style」という著作を正々堂々と参考文献に上げている。

「音楽の鑑定と偏見は演奏会の合間の会話を活気付け、
他の分野の鑑定と偏見より根強いものである。
『アルバート・アインシュタインは誰か』という問に対し、
誰も2流のヴァイオリニストという答えを受け入れはしまい。
また、『フリードリヒ・ニーチェは誰か』という問に、
『平凡な作曲家』という答えも受け入れがたい。
しかし、ハイドンのピアノ三重奏曲に対し、
『かわいそうなチェロ!』と言っても、
すべての人がそれを受け入れるであろう。
ほとんど知られていないがゆえに、
音楽そのものが到達した高さについては何も語られておらず、
実際の、または想像上の弱さだけが、一人歩きしているのである。
ハイドンのトリオのチェロは、
いつも、単にピアノの低音の補強にすぎないと言いながら、
しかも、誰も、それがどんなに魅力的に響くかを聴いた事もない。
当時、それは、単に愛らしく響いたのみならず、
実用にも適っていて、ハンマークラヴィーアだけの低音は、
全く弱すぎたのである。
アーヘンから来た素晴らしい女流ピアニスト、
テレーゼ・ヤンセン、彼女の結婚の際には、ハイドンは証人になった。
それから、彼のために写譜をした若い未亡人レベッカ・シュレーター、
彼女の誠実な愛情に彼は確かに報いた。
彼女らのために書いたロンドン・トリオを、
ハイドン自身は、実際のところは『ソナタ』と呼んでいた。
すでに60歳を越えていた、作曲家の人生に、
想像力の跳躍をもたらしたのは、
ロンドンの街の文化的背景だけがあったわけではなかったのだ。
現代に到るまで、これらのトリオに対する最も的確な評価は、
英語圏から発信されている。
『バランスよく、形式的にも磨かれ、
アイデアと情熱、独創に溢れ、
これまで書かれた最も完璧な三重奏曲。』(William Klenz,1966)
『これまで書かれた最も偉大な音楽を、
弁護しなければならないとは、
何と奇妙なことであろか。』(Charles Rosen,1983)
これは誇張された事に聞こえるが、
チャールズ・ローゼンによって表明された意見は、
彼の重要な著作、『The classical style』に出ていることから、
非常に重要である。
これは、音楽学の偏狭な視野から離れて、
いかに素晴らしい音楽に正確に、かつ、分析的に接するかを、
教えてくれる本なのである。
ローゼンの評価は、ピアニストであれば無理もない、
いっときの思いつきから来たものではない。」

この後に、前に、ブラームス・トリオの解説に出ていたのと、
同様の言葉が出て来る。さては、あの唐突な言葉は、
ここからの引用だったのだろうか。

「『これらのトリオは、実際、モーツァルトの協奏曲と並んで、
ベートーヴェン以前に書かれた、最も華麗なピアノ曲集なのだ。』」

「このようにローゼンは書き、ハイドンの交響曲、四重奏曲といった、
巨大な作品群と同等、
むしろ、ハイドンの作品群の中では、特に類例を見ない、
そして、実際、古典の三巨匠の作品の中においても希有な、
『即興性』という点において、それ以上と評価しているのである。
ハイドンは作曲時にピアノを必要とする作曲家であったが、
これらの三重奏曲は、仕事中のハイドンを見るようである。
この作曲家にはあまり見られない、自由な質感があり、
これらの霊感は、四重奏曲や交響曲と比べると、
時として、ほとんどまとまりがないほどで、
リラックスしていて何の強要もされていない。」

ということで、ほとんど、手放しの評価である。
即興的な感興に溢れた、ピアノの古典の至宝、
そう言っているわけである。

この論調の流れから、作品75の1の長大な解説が始まるが、
曲の詳細な分析を割愛すると、だいたい、こんなことが書いてある。
前回のビルスマたちのCDの解説が手抜きだったので、
非常に参考になるが、5ページの解説のうち、
2.5ページをこの曲に費やすバランス感覚はいかがなものか。
とはいえ、この曲の演奏は、この解説ゆえか、
非常に輝かしいものに聞こえているのは確か。

まるで、水しぶきを上げるような音楽である。

C major Trio
「ローゼンの論旨は、非常に鋭く、
まばゆいハ長調トリオ(HobⅩⅤ:27)を語る時には、
そのまま当てはまる。
火花を散らす第一楽章の高揚した精神が始まる時に、
感じられることである。
行儀の良いメイン主題はともかく、
あり余る着想があまりにも圧倒的。
すべてがばらばらのようにも思え、
特別なプランに従っていないようにも見えるが、
開始部の衝撃、たくさんの経過句、
終結部の装飾楽句、解決など、その他が、
まるで時計仕掛けのような、
16分音符と6連符の推進力によって、
結びつけられているが、時計仕掛けなどではない。」
とにかく、いっぱいのものが詰まった音楽で、
素晴らしい推進力の中に、様々な要素が現れては消えて行く。
7分半という、このCDでは、2番目に長い楽章。

「ハ長調の第二楽章は、変ホ長調の三重奏の第二楽章と同様に、
『無邪気な』という指示以外の何ものも必要でない。
この楽章の中間部では、即興の精神が前面に解放され、
モーツァルトのヘ長調のピアノ・ソナタ(K332)からの着想か、
執拗なリズムによって、すべてがメロディの完結を拒もうとする。」
穏やかだった音楽が、人を苛立たせる音の繰り返しによって、
いきなりかき乱されて行くが、再び、美しいメロディが戻って来る。

「ドラマティックな和声の終楽章が始まると、
外側楽章のハ長調の輝きが、いっとき、放たれる。
手に負えない短調部分の動機によって、
ハイドンが改めて作り直し、
再解釈しようとした優美さの効果。
ついでながら、このリズムは、
緩徐楽章の中間部から来ていて、
終楽章のつむじ風のような名人芸に溶け込んでいる。」
最初は、軽妙なリズムで始まるので、
ドラマティックかどうかはよく分からないが、
確かに次第に速度が増し、圧倒的な終曲となる。
短調楽節の挿入は、それほど大規模ではないが、
シューベルトを先取りして印象的。

アベッグ・トリオの演奏は、音色に切れ味があって、
非常に冴えた感じがする。
こうした推進力のある音楽にはぴったりである。
感性もみずみずしい。

E flat major Trio:
「チャールズ・ローゼンが、
『ハイドンがその生涯の最後において、
単純なABAの形式に与えた個人的な見解』
と表現したようなものが、
変ホ長調トリオ(HobⅩⅤ:29)の初めの楽章には見られる。
ハイドンにはまだ14年の人生が残っていたではないか、
などとあえて反論も出来ようが、
チャールズ・ローゼンによると、
『BはAの主題材料のドラマティックな展開であり、
Aが二度目に現れる時、Aは変奏となり、
長めのコーダでは材料はさらにドラマティックに変容する。
このように、変奏曲の装飾は、
ハイドンのスタイルを踏襲しながら、
劇的な枠組みを得る。』
これと同様な手順(材料のドラマティックな変容)の反対が、
ローゼンが何故か、額面通りにロ長調と受け取った、
緩徐楽章に見られる。
素朴なバグパイプ風の低音、
忘我的なメロディの繰り返し、
『mezza di voce』や、
『無邪気に』といった指示に見られる、
故意なる『やましい』表現への自制は、
あらゆる所に見られるが、
『無邪気』は、少なくとも、
モーツァルトの『ハフナーセレナード』の
アンダンテの『センプリーチェ』の主題と、
全く同じように見えるメロディの、
最初の16小節の後で終わる。
その類似というのも、
童謡の韻律そのものというよりは、
楽しみと同様に苦しみも知った大人を満たす、
童謡の韻律の回想である。
最終楽章について、ローゼンは、
『村の楽隊の下卑た喜劇を再現した、
田舎風のドイツ舞曲であって、これは、
交響曲よりは親密で、弦楽四重奏よりは気取らない
三重奏曲にとっても低級コメディの表現が難しく、
名人芸という意味ではピアノにとっても難しい』と書いた。
低級コメディ?
彼は、それの華やかなパロディと言いたかったのであろう。」

この曲の解説も難解ながら味わい深い。
個々の楽章のすみずみまで、味わい尽くそうと思わなければ、
書けるような解説ではない。
特に、第二楽章の子守歌風の音楽については、
演奏も非常に繊細で、感動的。
終曲の鮮やかさも、この団体ならではの、
躍動感、爽快感が素晴らしい。


得られた事:「チェロの緑の絨毯の上に流れるピアノの小川、ヴァイオリンが影を映す構図。」
by franz310 | 2009-02-28 00:32 | 音楽
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