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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その161

b0083728_12155541.jpg個人的経験:
ハイドンが、ロンドンで、
生涯の総決算をしたころの
ピアノ三重奏曲を
聴き進めているが、
雇い主であるハンガリーの領主、
エステルハーツィ家、
特に奥方に捧げた曲集が多い。
ロンドンとは無関係に思えるが、
そんな中で、今回のものは、
正真正銘の英国用と言える。

この作品73の解説を読めば明らかだが、
献呈した相手に、
さらに個人的な繋がりが興味深い曲集である。

そもそも、このCDは、
表紙を飾るハイドンの肖像画によっても、
妙に印象的なもので、
見ると、これまで発表されていなかった
「ミニチュア・ポートレート」とある。

さらに怪しいことには、ここには、
彼の髪の毛も収められていたとある。
何じゃこりゃ。

それだけのハイドンの人気を物語るものか、
あるいは、もっとプライヴェートなものか。

日本でも人気を誇った、イギリスの、
ハイペリオン・レーベルの一枚。

さらにこの解説を読むと、
ロンドンにおける彼の私生活の一端に触れるようで、
妙に生々しい感じを受ける。
ミニチュア・ポートレートを持っていたのが、
もしかして、さる婦人であったとしたら、
などと考えるのも愉しい。

解説は、NICOLAS ROBERTSONという人が、
1989年に書いている。

「1790年代に行われた
ハイドンの二度にわたる英国滞在によって、
彼は、この国と人々に対する
恒久的な愛情を育んだ。
そして、その愛情は、
十分に報われたと言える。
多くの人々に
賛嘆の目を持って受け入れられた傑作群は、
60代の人とは思えぬエネルギーに満ち、
音楽などはヘンデルで十分、
などと思っていた、
ジョージ三世をも巻き込むもので、
国王は、
『ハイドン博士、
あなたは沢山のものを残された』と語りかけ、
ハイドンは控えめに、
こう答えた程であった。
『いかにも閣下、良いというのも度を越しました。』」

こんな一こまがあったとは知らなかった。
が、それは公式の話で、それほど面白いものではない。

ハイドンも、もう、憔悴した感じである。
60歳の年齢に相応しい分別をもったコメントにも聞こえよう。

問題は次である。
還暦とは思えない、若々しいハイドンの姿が思い浮かばれる。

「あるケースなどには、少なくとも、
単に打ち解けたというものを超えた関係の暖かみがあった。
ハイドンの最初期の伝記作者で画家のアルベルト・クリストフ・ディースは、
ハイドンが長い生涯の最後の時期をどのように過ごしたかを記述したが、
ハイドンは、ノートブックに書き写した書簡の揃いを見せてくれたという。」

ハイドンも生涯も終わり近くになって、
いよいよ、秘められた過去を語り出したわけである。

「『これらは私を愛してくれた、ロンドンの英国未亡人からの手紙です。
彼女は60歳でしたが、いまだ愛らしく、愛嬌があり、
私が独身であったなら、彼女と結婚していたでしょう。』
ハイドンかディースか、どちらかの記憶は正確ではない。
レベッカ・シュレーターは、1782年の夏にシャルロット王妃の、
音楽教師に任じられ、1788年にわずか38歳で亡くなった、
彼女の夫ヨハン・サミュエルより若かったと考えられる。」

ここで、相手の婦人も60歳だったという、
旧来からの通説に疑問が投げかけられている。

前回、紹介したブラームス・トリオのCDには、
やはり作品73からの2曲が含まれている。

ここでの解説では、ハイドン、ディースの証言のまま、
「これらの3曲は、ハイドンの第1回イギリス滞在中の弟子で、
既に60才を越えるシュレーター夫人に献呈された」
と記載されている。
ちなみに、こう書き添えられている。
「彼女はハイドンのロマンスの対象ともなった女性である。」

もう一つ、大宮真琴氏の著作「新版ハイドン」でも、
「この婦人は当時すでに60歳をこえた未亡人で、
夫のヨハン・サミュエル・シュレーターは1782年に、
クリスチャン・バッハの後任として
シャルロット王妃の音楽教師をつとめた人物であった」
と書かれている。

したがって、これまでの多くの人は、
ハイドンは60歳になって、同年代の婦人と、
年相応の仲良しになった、という感じで理解していたはずである。

しかし、今回のCDの解説のとおり、
仮に、夫人が、その亡き夫と同じ年だったとしたら、
ハイドンが第1回ロンドン滞在時は、夫の死から3年後なので、
41歳くらいということになる。

ハイドン自身が60歳だったのだから、
別に相手が同じような年齢でもよいような気もするが、
やはり、我々としては、この曲集を聴く際に、
心に思い描く女性像をこの20年で変える必要はある。

そのような事を考えながら、今回のCDの解説に戻ろう。
「ある研究家によると、夫のシュレーターは、
英国における最初のピアノフォルテ紹介者で、
卓越した技量を持っていたということである。
レベッカも明らかに才能ある奏者ではあったが、名人ではなかった。
そこで、ハイドンの最初の訪英時、1791年の夏から、
レッスンを受け始めたと思われる。しかし、それは直に形式的なものとなった。」

形式的な弟子であって、実際は、恋人同士であったということだ。

「ハイドンは1792年の夏にオーストリアに戻り、
1794年の2月にロンドンに戻ったが、
彼女は2年間、ハイドンに対し、
魅力的にのびのびとした言葉で頻繁に手紙を書いている。
『あなた様に感じる愛情、
親愛の念の半分ほども、
表現できる言葉はありません。』
ハイドンの第2回訪英の際の手紙は残っていない。
それは完成されなかった4冊めのノートに、
書かれるはずのものだったかもしれないし、
住居が近くてその必要がなかったのかもしれない。」

現代の研究の恐ろしいことに、
彼らの住居までが解説には書かれて、
暴かれている。

「レベッカはバッキンガムゲートのジェームス道6、
ハイドンはおそらくレベッカによって探してもらい、
セント・ジェームズ公園を越えたところにある、
セント・ジェームズのバリー道1
(だいたい、現在のキング道の
シェリスティーズ付近)に、
部屋を見つけていた。
レベッカが1796年に出版契約書の連署人となっており、
6年後の『天地創造』の出版の予約にサインしていることから、
ロマンスが冷めたということはなかったようだ。
そして、1795年8月、
ハイドンの2度目で最後となる出立の後、
ピアノ三重奏曲集が、彼女に捧げられ、
ロングマン&ビショップから
8月の終わりに出版されている。」

以下、レベッカからは離れ、
音楽そのものの話となる。
「この最初の版は、
『ヴァイオリンとチェロの伴奏を持つ
ピアノフォルテのための三つのソナタ』と題されたが、
こうした記述は、それに先立つ40年以来のピアノ三重奏曲の、
ハイドンのラディカルな開発経過を思うと、
いささか時代錯誤めいている。
1755年から1760年の彼の記述からすると、
これらのジャンルは、
ハープシコード、ヴァイオリンとバスのためのもので、
2楽章の作品。
何だかよくわからない、
パルティータ、喜遊曲、カプリッチョなどと、
題されたものを指すものであった。
しかし、1780年代に、
ピアノ三重奏曲の作曲が再開された時には、
鍵盤楽器としてはピアノフォルテを想定、
バスはチェロとして、音色に暖かさを増し、
鍵盤楽器の音域が重要なものとなった。」

このあたりは、以前から書かれていたものである。

「彼の手になる弦楽四重奏曲が、
その頃までに、完全に古典形式になっていることに比較すると、
これらのピアノ三重奏曲は、気分によって、
2楽章になったり、3楽章になったりして、
各楽章のスタイルは未だ折衷的で、
その音楽も多かれ少なかれ2次的であるが、
1781年に『ロシア四重奏曲』の出版に際し、
彼が宣言して、これにモーツァルトが影響を受け、
ハイドンに捧げる四重奏曲を書いたような、
『まったく新しく特別な様式』が、
これら1790年代のピアノ三重奏曲にも結実している。
主題の扱いの継続性、主要主題から発展した、
メロディや対位法的な展開が見られる。」

これまでも聴いて来たように、
確かに、これらの作品は、弦楽四重奏や交響曲以上に、
身近な奏者を想定したゆえか、
より実験的とも言える側面が目立つ。
この後、個々の曲の解説でも、それは垣間見えよう。

「四重奏曲ほどには、三重奏曲では、
各楽器の使用法に関しては開発されていない。
しかし、リズムや転調など、突然の変化による展開と、
最も親密な室内楽のスタイルがミックスされ、
三重奏に素晴らしい魅惑を添えられることになった。
HobⅩⅤ:26の第一楽章で、まず嬰へ短調に始まり、
変ホ短調への移行などは、当時の聴衆を驚かせたものと思われる。」

ちょっと、ここで、楽曲に耳を澄ませてみよう。
このHobⅩⅤ:26は、この作品73の3曲では唯一、
前回のブラームス・トリオのCDには収録されなかったもの。

ということで、あまり良く聞いていなかったのだが、
確かに、非常に微妙な陰影の織物で、悲しい不思議な色調のものである。
当時の聴衆がどう思ったかはともかく、妙に訴えるもののある、
押し殺したような感情が秘められているような感じ。
そんな技法よりも、何だか深刻な音楽だなあ、という感じがする。
シュレーター夫人との別れは影響しているのだろうか。

この嬰へ短調の曲に関しては、
解説の最後に再度、取り上げられる。

ここでは、チェロの役割について、
おそらく3曲共通の話になっている。
「ヴァイオリンは、ここではピアノと対等なパートナーとなっている。
ベートーヴェンが最終的に解放するチェロは、
未だ、バスパートにとどまっているように見えるが、
それは想像力の不足というより、鍵盤楽器と弦楽器の協調による、
音響上の必要性として理解する方が適当であろう。
(ベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品1すら、
ハイドンの行った、深くシリアスな冒険の高みと、
果たしてどれほど差異があろうか。)
後にもっと強力なピアノがこれを不要にするが、
このことこそが、こうした高度に洗練された音楽を、
元来想定された楽器に近いもので演奏されるのを、
鑑賞することの重要な意味となる。」

わかりにくいが、ピアノが非力だった時代、ピアノの下支えとして、
バスは必要不可欠だったということだろう。

が、改めて、シューベルトの五重奏曲「ます」の、
成立ストーリーを思い出した。

シューベルトはチェロ奏者でもあった、
パウムガルトナー氏に依頼されて、この五重奏曲を書いたが、
その時、はたして、どのようなピアノが想定されていたのだろうか。

1819年のオーストリアの片田舎のピアノと、
1795年頃の最新鋭のイギリスのピアノと。
もしも、低音に不足のあるピアノであった場合、
ハイドンと同様、低音をチェロで補足する必要があっただろう。

が、そのチェロは、補足以外にも、活躍の場面を求めたとしたら、
そこを支える楽器として、もう一つの低音楽器、
コントラバスが求められたとしても不思議ではない。

例えば、「ます」の解説には、
低音が充実したことによって、ピアノが高音で活躍することが出来た、
といった内容のものも見かけるが、
ピアノが性能不足で、低音を補足せざるを得なかった、
という時代背景はなかったのか。

ここで、もとのハイドンに戻ろう。

「選ばれた楽器の限界を考慮することによって、
この録音での三つのトリオは、驚くほど異なる性格を露わにする。
これらは等しく3楽章からなり、
どの楽章も拡張されたソナタ形式や変奏曲、三部形式を基にしている。」

以下、各楽曲の解説に入る。
「ト長調のトリオは、二つの外側楽章がロンド形式で書かれていて、
ユニークである。しかし、最初の二楽章は終楽章への序奏にも見える。
最初のものはゆっくりとしており、
第2のものは、愛らしい二重変奏曲であり、
やはりゆっくりしたもので、
向こう見ずな終楽章を強調するかのようである。
これは様々な編曲でも有名なジプシーロンドである。」

この曲は、恐らく、今では、
ハイドンの代表的三重奏曲とされているもの。

前回聴いた、ブラームス・トリオの解説には、
何故、この曲のみがとりわけ有名なのかが、
このように詳細に書かれていた。
「・・この曲だけが有名になった。
・・ペータース版の第一番に置かれたことにより、
更に一層演奏回数を増したと言われる。」

まじっすか、という感じである。

楽譜屋が、どんな基準で曲順を決めたかは知らないが、
そんなことで、有名になり方が変わるの?という感じ。

一方で、有名になりそうだから、
ペータースが一番に持って来たはず、
とも考えられないのか。

「とりわけジプシー・ロンドで有名なこの曲は、
2/4拍子の愛らしい主題とその変奏による緩徐楽章で始まる。」

どうもこの著者のこのような文章構成は気になる。
ジプシー・ロンドは第三楽章のことなのに、
第一楽章の変奏曲と1センテンスの中で同居させたりして、
非常にわかりにくい。

例えば、こんな文もある。
「ホ短調で終わった第一楽章は更にゆったりした
ポコ・アダージョ、ホ長調、3/4拍子の第二楽章へ進む。」
どうして、箇条書きにしないのか。
二つの楽章を、何故、一文にするのか。
・第一楽章はホ短調で終わる。
・それに対し、第二楽章はホ長調となって、さらにゆっくりとした、
3/4拍子である。
主語の前の修飾が多すぎて、わかりにくいという見方もあろう。

一文の表わす色調が統一されていないのである。
また、字が小さいので、よけい読みにくく、
読み飛ばすと、ジプシー・ロンドが愛らしいのかと、
勘違いしてしまう。

馬鹿を言うな、と思って読む気をなくしてしまうような感じ。
が、良く読むと、非常に参考になる情報満載なのだが。

箇条書きにすると、こうなる。
・ 第一楽章:愛らしい主題のゆっくりとした変奏曲。
長調、短調の対比が美しい。
ピアノの上を歌うヴァイオリンが印象的。
・ 第二楽章:旋律豊かでさらにゆったりしている。
中間部で魅惑的なヴァイオリンの旋律。
ピアノは、当時の楽器の最低音まで駆使。
以上の2楽章は、プレストの終曲の効果を引き出すべく、
ゆっくりした楽章配置になっている。
・ 第三楽章:「ジプシー様式のロンド」。
リズミカルで素朴かつ、色彩的に洗練。
ハイドンの仕えたエステルハーツィ家がハンガリーの血を引くせいか、
ハイドンは、こうしたジプシー音楽を好んだ。

一方、ハイペリオン盤では、
以下のようなもっともらしい逸話が付いている。
「ハイドンには、オーストリア政府が、
占領地から取り立てた兵士たちの士気を高めるために、
無理矢理利用していた、流しの楽団の香りの思い出があって、
これらを有効に活用した。
1791年、エステルハーツィの領地にあったハイドンの旧居で、
こうした楽団が演奏したことは、深く胸に刻まれていた。
彼は、特に短調の部分で、ぎすぎすした音や、
かき鳴らしの伴奏の効果を取り入れている。」

ということで、この「ジプシーロンド」を持つ、
HobⅩⅤ:25は、特にこの3曲でも有名であることから、
最初に特筆されている。

しかし、ここで演奏している団体、
有名なモニカ・ハジェットのヴァイオリンによる、
ロンドン・ピアノフォルテ・トリオのこの曲は、
どうも楽しめない。
特に、この「ジプシーロンド」が全く面白くない。

前回紹介のブラームス・トリオ(現代楽器利用)と、
この古楽器利用の2組を比較すると、こんな感じ。
第一楽章:
ハジェットのヴァイオリンは、耽美的に美しい。
ブラームス・トリオのホフマンのヴァイオリンは、
それに比べると、音色的に平凡である。
ただし、愛らしく無垢な感じはよく出ている。
シュレーター夫人は、おそらくこんな人だったのだろう。

第二楽章:
ロンドン・トリオの演奏は、古楽器の繊細な音色、
控えめな表現ゆえに、少し、地味な感じがする。
三つの楽器が混色して、その陰影を失いがちで、
ハジェットのヴァイオリンは瞑想的。

ブラームス・トリオの深々とした、
現代のピアノに、音の余裕があって、
音域的には安心して聴ける。
中間部のヴァイオリンも憧れに満ち、
それを導くチェロの音色も美しい。

この楽章に期待するものが、全く異なった演奏である。
前者はあくまで、内省的、後者は、いくぶん夢想的。

終楽章:
ロンドン・フォルテピアノ・トリオの演奏は、
前の楽章の沈思黙考からの弾け方が唐突である。
せかせかして、余裕がない感じ。

ハジェットのヴァイオリンには、はったりが欠ける。
ピアノも木を打つような響きで、きらきら感に欠ける。
あるいはオリジナル楽器の限界であろうか。
この曲が名作であるという実感を伴わずに聞き終えた。

ブラームス・トリオも演奏時間はほぼ同じながら、
間の取り方がうまいという感じであろうか。
まるで遊園地に迷い込んだような楽しさがある。
ホフマンのヴァイオリンは、良い意味で俗っぽく、
ヨハン・シュトラウスの時代までぶっ飛んだ感じ。
が、非常に楽しい。
ピアノの響きもまるで、クライスラーみたいな感じ。
演奏会でこれを聞かせたら、拍手喝采となるだろう。

私の中では、このように、ロンドンのメンバーのものは、
尻すぼみに評価が下がる形となった。
2007年のハイペリオンのカタログにこの盤が出ていないのは、
こうした経緯からだろうか。

次に、この曲集の1曲目の解説となる。
「ニ長調のトリオ(HobⅩⅤ:24)は、同様に個性的である。
最初の楽章の、誇張されてドラマティックな休止は、
単一のテーマから発展させるという、
ハイドンの『新しく特別な様式』の完璧な例と組み合わされており、
附点リズムを持ち、
バロック風の第二楽章とコントラストをなす。
第二楽章は不気味にも墓場に導くようで、
終曲の舞曲に続く。」
と簡単に書かれていて、第一楽章が休止を使いまくって、
第二楽章が、不気味であるということくらいしか分からない。

前回聞いた、ブラームス・トリオの解説では、
もっと明快に魅力が書かれている。
第一楽章:休止とフェルマータでドラマティック。
単一テーマから曲をまとめ上げようとしている。
大胆で力強く、火花を散らす。

ロンドン・トリオの演奏は、冒頭から気迫十分で、
まさしく火花を散らすような効果に迫力がある。
古楽器特有の余裕のない中で、
その機能の限界を行くような感じの迫力は、
ブラームス・トリオ以上かもしれない。

ピアノの音色など、ブラームス・トリオも、
きらきら感が美しい。

ハイドンが誇る新様式も、
出し惜しみ様式というか、
なかなか、主題が全貌を現わさないで、
最後の最後で、雄大なメロディーとなって、鳴り響く様や、
一部だけが、微分されるように展開されていく緊張感が素晴らしい。
まるで、無限の地平を広がっていくような感じ。
いずれにせよ、この3曲の中で、もっとも野心的、冒険的な楽章であろう。

第二楽章:バロック特有の附点リズムが特徴。
アタッカで終楽章に入る。
墓場の不気味さは書かれていない。

いずれにせよ、嘆息に満ちた、切羽詰まった音楽。
劇的緊張感が大げさであるが、二人の離別は、
こんな感じだったかもしれない。
ここでは、音楽を構成する各楽器の使い方にも、
精妙な設計を感じて、ついつい、感心してしまうような部分も多い。

第三楽章:ドイツ舞曲楽章。
素材は同じながら、ABA三部形式で、
Aは長調のドルチェで静か、Bは短調で立体的。

確かに第二楽章の、逃げ道の無いような絶望感から、
この軽やかなドルチェに流れ込むと、
かなり心は安らぐ。

ハイドンが戻って来た、という感じがする。
が、先の一悶着の中間部を経て、何だか、
未解決な感じで終わる。

「最後のトリオの調性(嬰へ短調)は、
1770年代、ハイドンの『疾風怒濤』時代の、
余韻のようだが、ムードや熟達は、全く異なったものとなっている。
行きすぎた個人主義は、エネルギーを無駄にすることなく、
張り詰めたメランコリーに道を渡す。」
この作品の解説の一部は、すでにあったとおり。
以下、その続きのようなものが、このCDの解説を締めくくっている。
残念ながら、この曲は、ブラームス・トリオには収録されていない。
したがって、解説の比較も演奏の比較も出来ない。

「緩徐楽章はおそらく改訂されて、
1795年2月の初演にて、モーニング・クロニクルによって、
『崇高な魔法』と賞賛された交響曲第102番の同じヘ長調の楽章と、
何の目的で作曲されたか分からないが、同等のもので、
これを改訂したものである。」
交響曲第102番の第二楽章は、荘重にティンパニが鳴り響き、
終始、オブリガードのチェロが低音を装飾するといった、
非常に印象深いものである。

これを聴いたシュレーター夫人が、
私、これが好きだわ、と呟けば、おそらく、
ハイドンは、すぐに、このようなものを用意したとは思う。

ただし、交響曲の方は、
この三重奏曲の第二楽章の2倍の6分もかけて演奏され、
演奏によっては、英雄のための葬送行進曲のようにも聞こえる。
あまり室内楽と直結するものではない。

が、あの印象的なチェロのオブリガードは、
ここでは、ピアノの左手に現れて、
可能な限り、交響曲の魅力は圧縮されているようだ。

この後で、交響曲も三重奏曲も、
メヌエットになるので、この部分も交響曲の編曲を、
持って来れば良さそうなものだが、
ハイドンは、何故か、虚無的な終楽章を用意した。

「深く、ぴんと張った終曲は、
おそらくハイドンが最終的に英国を去るに際して、
他のものと合わせて出版社に渡したもので、
作曲家としての人生で、最も多産であった日々から、
こうした作品を捧げ、それを誇りとした英国を去るにあたっての、
ハイドン自身の心情を、最もありありと、
思い出させるものであろう。」

と書かれており、解説を書いたROBERTSONは、
ハイドン帰国の心情を、この、いささか途方に暮れたような、
投げやりにも聞こえる虚無的な楽曲から聞き取れという。

ピアノは、まるで、ツインバロンのようにかき鳴らされ、
情熱の切れ端のようだ。

翻って、シュトレーダー夫人の立場からすると、
確かに、こうした喪失感があったことと思う。
最後は、何だか怒ってる女性のような感じもする。

このように、まったく性格の異なる3曲ながら、
ハイドンの第1回訪英後の離別からの再会、
そして第2回訪英と、最終的な別れといった、
シュレーター夫人との日々が刻まれているとも思え、
その意味でも、真ん中の曲が、一番、憂い無いものであることも、
妙に納得できてしまうのである。
もちろん、ハイドンの最前衛とも思える冒険がちりばめられており、
決して、枯淡にあった人が書いたり、弾いたりできるようなものではない。

得られた事:「ハイドン時代のピアノは、低音の音域または深みが不十分で、その延長のようにチェロの音色の豊かさが不可欠であった。」
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by franz310 | 2009-02-15 12:20 | 音楽
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