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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その160

b0083728_23121375.jpg個人的経験:
ハイドンがロンドンで作曲した、
ピアノ三重奏曲には、
いくつかの曲集があって、
前回は、HobⅩⅤ番号で、
21番から23番を取り上げたが、
これは、ハイドンが仕官していた、
エステルハーツィ家の
当主ニコラウス2世の奥方、
マリア・ヨゼファ妃のために
書かれたものであった。

しかし、先代のアントン公の后も存命で、
ハイドンは、ちゃんとマリア・ヨゼファ妃の作品71に先駆けて、
姑を立てて、ピアノ三重奏曲を作曲、献呈している。

ややこしいことにもうひとりのマリア妃である、
このマリア・テレーゼ・エステルハーツィ侯爵夫人は、
アントン公の2度目の夫人であったらしく、
後に、シュヴァルツェンベルク侯爵と再婚したという。
それ以前であろう、ハイドンが献呈した作品は、
作品ナンバーで70番。HobⅩⅤ番号では、
18番から20番に相当するものだ。

和宮に捧げる前に、しっかり天璋院にも捧げて、
筋を通しているという感じであろうか。
アントン公は、音楽に興味がない人物だったとされるが、
アントン公の父、ニコラウス1世候は、
ピアノ三重奏曲HobⅩⅤ:15~17によって、
愛妻(これまた、マリア妃、マリア・エリザベス妃)の死から、
立ち直ろうとしたとされるので、
ピアノ・トリオの連作9曲は、歴代エステルハーツィ家の、
3人のマリア妃にからんで作曲されたことになる。

HobⅩⅤ:15~17(作品59)は、
フルートを伴うものであったが、
18番以降はヴァイオリンを伴うものに統一され、
近代的なピアノ三重奏曲の範疇に入って来るせいか、
オリジナル楽器を使ったものではない演奏も入手できるようになる。

例えば、この天璋院、ではなく、マリア・テレーゼ妃のための、
作品70に関しては、3曲とも、何故か、モダン楽器の演奏で、
揃えることが可能である。

まず、1980年3月に録音された、HobⅩⅤ:19と20が、
ヴァイマール・ブラームス・トリオの演奏で、
ドイツ・シャルプラッテン・レーベルのCDで入手できる。

表紙デザインは、作曲家所縁の何かでも、演奏家に関するものでもなく、
クレーを思わせる色彩。現代アートのような感覚の塗り絵みたいな感じ。
これに関してのインフォーメーションはない。
したがって、可もなく不可もない。

この解説は、村原京子という人が書いているが、
ハイドンの研究家なのであろう、
ハイドンの作品目録作成の苦労が書いてあるのが面白い。

「作品数が膨大な事、多くの学説による作曲年、
作品番号の不一致等々」で、音楽史研究の基本、かつ重要な、
作品目録の完成が、ハイドンの場合、恐ろしく困難で、
日進月歩で変化している状態だというのである。

「ホーボーケン(Hob)番号に依るのが、
今日の正統と言えようが、通称作品番号、
或いはブライトコプフ版、ペータース版等の
実用楽譜の番号が横行しているジャンルもある。
ピアノ・トリオもそうしたまぎらわしいものの代表であり、
様々な番号を持っている。」
と、私が、かつて苦言を呈したことがまとめられている。

「当ディスクの頭に記されている番号は、
ロビンス・ランドンに依るものであり、
更にHob番号が加えられている。」
とあって、第38番(HobⅩⅤ:24)、
第39番(HobⅩⅤ:25)、第33番(HobⅩⅤ:19)、
第34番(HobⅩⅤ:20)が収められている。
先のマリア・テレーゼ妃のためのものは、後半の2曲である。

何と、これら後期作品は、この解説が書かれた当時、
まだ、ハイドン全集には未収状態であったという。
第3巻までは刊行されていたが、
そこには32番までしか含まれてなかったという。

新しいピアノ・フォルテとの遭遇が、
ハイドンの創作意欲を揺さぶって、
これらの三重奏曲群が生まれたとあり、
「イギリスのピアノは全体の構造がはるかに逞しく、
機構上も優れていたし、そのアクションははるかに重く、
弱音ペダルもつけられ始めた」と具体的である。

これらの作品を、
「モーツァルトのピアノ協奏曲と共に、
ベートーヴェンへの重要なステップを形成している」
と総括しているのが心強い。
バッハの息子たちの線上で聴く時、
「汲めども尽きぬ彼の創意が溢れ伝わってくる」ともある。

さて、前回、オリジナル楽器で、
ハルモニア・ムンディから出ている、
コーエンらのCDも紹介したが、
はたして、ここでは、この作品70は、
どのように書かれているだろうか。

「『ヴァイオリンとチェロの伴奏を伴う
ピアノ・フォルテのための3つのソナタ。
ハイドンによって、旧姓ホーエンフェルト、
エステルハーツィ妃のために作曲され、
捧げられた作品70。
ロングマン&ブレーデリップNo.26で印刷』
1794年11月15日のオリジナル版に、
このように書かれたタイトルページは、
後に、世紀の終わりに、
パリ(プレイエル、Imbault、Naderman、Sieber)、
オッフェンバッハ・アン・マイン(Andre)、
ヴィーン(アルタリア)、ライプツィッヒ(ブライトコプフ)
などで出版されたものにも印刷されている。
これは、まだ、ハイドンがトリオと呼ばなかった
これらのソナタが成功作だったという証拠である。」
これだけ、たくさん印刷されたら、確かに、
番号の混乱などは容易に起こるだろう。
また、出版されたのは1794年だろうが、
何時作曲されたかなどは、ここからは読み取れないだろう。

「最終的に英国を離れる前に、
1971年1月から1795年8月まで、
英国のために、または、英国において作曲された作品を、
ハイドンは数え上げて目録にしたが、
ここにも、『ブローデリップのための三つのソナタ』、
と書いてあるように、
二つの高音声部が、バスにサポートされたハープシコードによる、
装飾された低音に伴奏される、バロック時代のトリオ・ソナタのような、
古風なものとして扱うことにする。
装飾低音の役割を終えるにつれ、
鍵盤楽器は次第に支配的になり、
パートナーの弦楽器を時に、伴奏のような付属に追いやった。
ハイドンは、この鍵盤楽器解放に大きな貢献をしており、
これら英国の三重奏曲は、明白な証拠となっている。」
ということで、ピアノにあまりに魅了されたがゆえに、
ハイドンは、その左手をも駆使して、独自の美学を探究したのであろう。

しかし、ロンドン以前のトリオでは、
ピアノがプアで、左手が単に、
たららたららと装飾しているだけなのだろうか。
改めて、Badinageの演奏したHobⅩⅤ:15などを聞き直して見た。
確かに、右手は左手と明確に役割分担していて、
右手は活発に動き回るが、左手は、ちょん、ちょん、
ぱっぱっぱっぱ、たらたらたらと、
単にやっているだけのように聞こえる。
が、この演奏、悪くない。

とすると、この頃亡くなった、モーツァルトなどは、
こうしたピアノ書法に留まっていて、その革新的な発展を、
最後まで見届けることが出来なかったということだろうか。

「アントン侯の未亡人、
マリア・アンナ??(テレーゼじゃないのか?)・エステルハーツィ夫人
への献呈は、1793年にヴィーンで書き始められたとも思わせるが、
手稿が失われているので、確かなことは分からない。
3曲のスコアには、まったく類似点がないにもかかわらず、
ハイドンはさらに3回も
(HobⅩⅤ21~23、24~26、27~29)、
3曲のトリオをまとめて出版したのは注目に値する。」

これが何を意味するのかや、何ゆえに、
夫人に献呈したかが書かれていないので、
非常に後味の悪い解説である。

以下、各曲の解説が始まる。
ここでも、ロビンス・ランドンの番号で書かれているのが、
混乱を招くので、ここでは、ホーボーケン番号で押し通す。
ちなみに、大宮真琴氏の本では、すべてホーボーケン番号を使っているが、
同僚ロビンス・ランドンの意見には納得していなかったのだろうか。

まず、18番、先のブラームス・トリオのCDでは、
取り上げられなかったものである。

コーエン盤は、解説は番号順ながら、
収録は違っているので、要注意。
確認してよかった。
やはり、この曲は最後に入っていて、
トラック8から聴かないといかん。

「HobⅩⅤ:18。
三つの力強い和音に導かれるイ長調のアレグロ・モデラートは、
非常にしなやかなカンタービレのメイン・テーマと、
付点リズムのモチーフと組み合わされる。
これらの二つの要素はかなり短い展開で、
いわば、再現部からの新しい要素で、拡張されている。」

イ長調と言えば、シューベルトの「ます」の五重奏曲と同じ、
調性であるが、じゃんと始まるところも、「ます」に似ている。
ピアノの喜ばしげな、活発に動き回る活躍も、
それを想像させるものがある。

このような類似を感じるのは、やはり、ピアノが、
通奏低音の役割という負担を逃れて、
両手が渾然一体となっての美学を模索しているからであろう。
ヴァイオリンの澄んだ響き、
チェロも、ばあんと、独特の音色を聴かせて印象的。

10分30秒もかかって、作品70、71を通して最大の楽章であるが、
確かに、4分くらいの所で、気味悪い感じになって、
何だか違った方向に展開されていく。
こうした、さまようような転調も、
シューベルトの世代への遺産であろうか。

「短調のアンダンテは、特にその中間部の、
長調によるヴィーン的な魅惑によって驚かされるが、
再現部の装飾によって、終曲のアレグロに導かれる。」
何だか、気が滅入るようなメロディの第2楽章。
物憂い感じだが、まるで救いがないと思いきや、
確かに、それを慰めてくれるような天上の声が聞こえてくる。
ひょっとして、亡くなったアントン侯を思う、
奥方の気持ちに応えたのだろうか。
とすると、上記解説のように、
93年、ヴィーンで書き始められた、
というのはおかしい。
アントン侯は、第2回ロンドン行きのためのハイドン出立の直後、
94年に亡くなっているからである。

しかし、第1回出発は、先代の死によって挙行され、
ハイドンとロンドンの関係は、完全にエステルハーツィ家の、
悲嘆のネガのような感じの成功であった。

この慰めの後は、再び、物憂いメロディが始まるが、
それは、上述の突然の変化で楽しいアレグロが始まる。
「ここでのハンガリー風ロンドは、10年前の、
ピアノ協奏曲ニ長調HobⅩⅦ:11を締めくくったものに似ており、
また、これは、翌年のHobⅩⅤ:39(おそらく25の間違い)
の終曲にも類似のものが現れる。」
これは、非常に心浮き立つもので、エキゾチックでもあって、
楽器の扱いも多彩である。
全体に、聴き応えのある音楽。

さて、次の曲はトラック4から7を占めるが、
どういうことであろうか。4楽章形式?

「HobⅩⅤ:19は、気まぐれなリズムを持つ、
何だかひねくれた主題による変奏曲で始まる。」
私は、このsinuousという言葉をイメージできず、
音楽を聴きながらでは、「しなやかな」と、「気まぐれな」では、
後者だと思えた。

このような摩訶不思議なピアノ三重奏曲は、
というか、ソナタ形式の楽曲は、聴いたことがない、
といった感じである。
音も小さく、ちまちましていて、これまた物憂さを感じさせ、
いじいじ、うねうねと、続いて行く感じである。
スカルラッティのソナタにありそうな、
非常に繊細な感情表現である。
そういった意味では、弦楽器はなくてもよさそうだ。
こんな楽曲をアントン侯が生きている間に考えていたとしたら、
いくら相性が悪かったからと言っても、悪すぎハイドンであろう。
ロンドンで、侯の死を知り、妃を慰めるべく書いた、
と考えて初めて、共感を覚えるような音楽である。

変奏が進むと、活気が戻って来る。
が、その時にトラックナンバーが変わっており、
第1楽章を二つに分けているので、
トラックが4つあるのであって、4楽章形式ではない。

さて、この曲は、ブラームス・トリオで聴けるので、
先のCDの解説をひもといて見る。
ややこしいナンバリングがすべて書いてあって、
感動する。さすが。
「HobⅩⅤ:19、作品70-2、
ペータース版第Ⅱ巻第12番」とある。

「1794~5年のトリオ・セットの中で唯一の短調の作品。
アンダンテ、2/4拍子の第1楽章はピアノ・ソロで開始される
二重変奏楽曲である。第1グループは短調で、フランス序曲風の
附点リズムは精神的にはバロックを思わせるが、
第2グループはカンタービレな長調で、附点リズムを用いず、
いかにも古典派楽曲の風格をみせ、第2変奏はそのまま6/8拍子の
プレストへ移行する。」
このように書いてくれた方が、ずっと、わかりやすい。

次に第2楽章の解説を、コーエン盤で見てみよう。
「しかし、変ホ長調のアダージョ・ノン・トロッポは、
その素晴らしいメロディで、我々を魅了せずにはいない。」
このHoweverの感じは、第1楽章は、
あまりにも奇異ということだろうか。
確かに、この第2楽章、完全にベートーヴェンを先取りして、
心に直接染みこむようなものである。
ピアノ協奏曲「皇帝」の第2楽章を思い出した。

何と、村原京子氏の解説では、こう書かれている。
「変ホ長調の第2楽章はアダージョ、
ハイドンお気に入りの3/4拍子で、
ピアノの右手は入り組んだ装飾的な旋律を歌い、
弦楽器がピアノ協奏曲のオーケストラを思わせる、
晴朗で美しい楽章。」

第3楽章もまた、妙に暗い情念を感じさせる。

また、コーエン盤の解説から見よう。
「ソナタ形式によるプレストの終曲は、
三つの楽器の目も眩む掛け合いが効果を生む。」

ブラームス・トリオ盤解説は、
「終楽章は第1楽章の終わりの部分と同じ6/8拍子の
威嚇的なプレスト。ピアノ・パートは、
エチュード的とさえ感じられるが、
華やかに響くフィナーレである。」

このあたりになると、ヴァイオリンの音、
チェロの音が立体的に響く中、
ピアノが水しぶきを上げて駆け巡り、
名人芸を際だたせるようになって来ている。
果たして、エステルハーツィのご婦人は、
こんなものまで弾きこなしたのだろうか。

さすがハイドン。第1楽章の、ピアノだけのぼそぼそは、
こんな感じを際だたせるための布石だったのかもしれない。

しかし、日本盤の解説の質の高さに感動した。
コーエン盤のJean-Yves Bras氏のものより情報量が多い。
ただし、事実が書いてあるだけなので、
良い曲かどうか、もっと言うと、
この曲を著者が好きなのかどうかが良く分からない。
私が解説を書くならば、もっと、この曲の特異な点を際だたせたい。

そして、これは注目すべき問題作だと言うだろう。
ハイドン恐るべしを痛感したのが、この曲であった。

さて、ブラームス・トリオの演奏で聴くと、
第1楽章のぼそぼそ言うような、不思議な繊細さが、
やはり現代の楽器による限界を感じさせ、
せかせかテンポも早く、
バロックからの延長としてのハイドンは見えにくい。

しかし、第2楽章は、非常に美しく、
ロマンティックですらある。テンポもたっぷりとって、
詩情豊かで泣きたくなる程である。
ピアノの硬質の輝きも素晴らしい。

しかし、ブラームス・トリオの録音を出した、
徳間ジャパンの解説、文句を言いたいことも多い。

文字が小さく、1ページに、30行以上が2列もあるので、
読みにくいこと限りない。

また、解説者の文章もまったく段落が変わらないのは、
いったいどういうことか?

レコード会社がケチをしたせいかもしれない。
これはあまりにもひどい。
四角四面の文章が4ページに詰め込まれている。
が、自社のカタログは8ページにもわたって列挙されている。
ふざけるな、と声を上げるべきであった。

なぜなら、このCDはずっと前に入手していたのだが、
まるで、読みたくなかった理由が、きっとこれが原因だったと、
思い至ったからである。

ハルモニア・ムンディ盤の解説ブックレットの格調高さは貴重極まりない。

さて、マリア・テレーゼ妃のためのピアノ・トリオ、
もう1曲残っている。
3曲目はどうか。
まず、コーエン盤の解説。
「HobⅩⅤ:20は、ブリリアントな変ホ長調で終わる。
アレグロのテーマは、高度に創意に富み、感情豊かな展開を前に、
数回の変奏を行う。」

これだと何だか分からないが、
村原氏の解説もまた、途中、
音楽史の解説が混入して共感しにくい。
ハイドン不在である。

「輝かしいアレグロの第1楽章は
後期18世紀のピアノの最高音から開始され、
レガートとスタッカートの交錯する書法を見せている。
それに続く第5小節の迅速な上昇パッセージは、
いかにも当時のロンドンの聴衆の求めに応えるものであったろう。」

これらの曲は、前述のように、エステルハーツィの王女様に捧げられたもので、
ロンドンの聴衆と言われると、抵抗を覚える。
ロンドンのピアノ製作者の求めとかなら、まだ分かる。
高貴な奥方が、聴衆の前に姿を現わすという発想が、私には付いて行けない。

「新しいピアノ・フォルテは」と始まる部分も、
非常に示唆には富むのだが、
音楽に浸るのを許してくれない感じ。
「従来のスピネットやチェンバロと違い、
素晴らしいレガート奏法が可能となった。」

これは何を書いているのかな、と考えながら、
読んでいる間に音楽が終わってしまうではないか。
曲の解説ではなく、その前に書いて欲しかった。
どの楽章の解説を読んでいるのだったっけ。

「新しいピアノと優れたピアニストたちとの出会いという
イギリス旅行の成果は、ここにレガートとスタッカート、
小節を挟んでのカンタービレ奏法という結実を見せているのである。」
何だか、ハイドンがピアノ会社の営業マンに思えて来た。
そんな人の音楽はあまり聴きたくない。

第1楽章は、独特のリズム、剽軽な楽想で、
スケルツォ風。軽やかなようで、人を小馬鹿にしたような感じもある。
この解説にあるように、機械的な音楽なのかもしれない。
それが、だんだん凝集していき、
緊張感溢れる展開部に到るので、コーエンは、
エクスプレシッブと表現したのだろうか。
展開部を聴くと、何か、強烈な情念を秘めた、
謎の楽曲という感じがしなくもない。

特に、オリジナル楽器で聴くと、まるで、
ピアノがツィンバロンをかき鳴らすように、
独特な効果を生み出して強烈である。

では、2楽章以下、コーエン盤とブラームス・トリオ盤の解説を見てみよう。
「アンダンテ・カンタービレは、ピアニストの左手独奏で始まり、
次第に音楽を豊かにして、輝かしい終わり方をする三つの変奏曲になる。」

「ト長調、アンダンテ・カンタービレ、2/4拍子の第2楽章は、
ピアノ・ソロで開始される。
初版楽譜に“左手だけで”と記された20小節の厳格な2声対位法パッセージは、
やがて変奏、装飾され、8分音符から16分音符へそして32分音符へと音価、
テンポを増していく典型的な変奏技法に依っている。」

どれもこれも、とんでもなく面白くない解説である。
音楽は、ここから感じられるのとは大違いで、
暖かい血が流れ、胸を打つ、情緒豊かなもの。

ちなみに、終楽章も、美しい。
第1楽章の、諧謔調の奔放さのバランスを取るかのように、
続く2楽章は格調高く、気品をもって優雅である。
ただ、終曲中間部で、ヴァイオリンがほの暗く蠱惑的な歌を歌う。

ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第四番が、
こんな感じの異形のソナタではなかったっけ。

コーエン盤解説は短い。
「フィナーレのアレグロは、ヴァイオリンの独奏のトリオを持つ、
メヌエットである。」

ブラームス・トリオ盤は、メヌエットではないと書いている。
「続く最終楽章は、ドイツ舞曲を思わせる3/4拍子のアレグロ楽章。
ハイドンは晩年のトリオに於て、テンポ・ディ・メヌエットよりも、
逞しいこうした楽章で曲を閉じることを好んだようである。」

この楽章のヴァイオリン独奏は、印象に残るようで、
「ヴァイオリン・ソロによる変ロ短調の中間部の後、
動き廻るパッセージが続き、音型を6回繰り返し、
ffにのしあげて曲を閉じる」とあるが、残念ながら、
これを読んで、この音楽を聴きたくなることはないだろう。

6回の繰り返しは、そこから聖なる数字の神秘とか、
そういったお話が続けば面白いだろうが、
数える必要があるのだろうか。

失礼なことを列挙してしまったが、
CDの解説というものが、いったい何のためにあるのか、
今回は、妙に考えさせられた。
ヴァイオリンは、終曲のトリオで、魅力的な音を振りまいているので、
いちいちそれを説明しなくても、聴けば分かるという考え方もあろうが、
私のような聴衆は、それほど賢くはない。

どれどれ、と興味を持って耳を澄ませなければ、
ほとんどCDも出ていないような楽曲は、
聞き流して終わりであろう。

そこを、「ちょっと待って、一緒に聴きましょう」、
とするのが、よき解説のような気がする。

私は、最初、そんな風に聞き流すように、
ブラームス・トリオを聴いていて、
ふと、トラック8(HobⅩⅤ:19の2楽章)にさしかかり、
何と美しい音楽、これは、古楽器は不利だな、
と思ったりもした。

しかし、丹念に聞き直すと、ニュアンスの点で、
現代の楽器は大味、古楽器の音色の多彩さに舌を巻いた。
特に、同じ楽曲の第1楽章の変奏曲の孤独感など、
現代の楽器では、ニュアンスが出ないこと、甚だしい。
とはいえ、ブラームス・トリオの演奏で聴いても、
ハイドンのトリオの面白さはよく分かる。
特に、先の楽章のクリスタルな感じ、
弦楽のふっくらとした暖かみは、
こちらの方が強烈かもしれない。
ここまで耳を澄ますのに、解説に助けられた点も少なくない。

ベートーヴェンの作品70もピアノ三重奏曲であったと思うが、
師匠の作品70の方が、私にははるかに創意と躍動に富んだ、
すぐれた楽曲に思われた。

あと、このCDには、作品73からの2曲も収められているが、
これまた、興味深い事例なので、次回、改めて触れてみたい。

得られた事:「ハイドンのピアノ三重奏曲は、まずHobⅩⅤ:19の第2楽章を聴け。」
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by franz310 | 2009-02-07 23:12 | 音楽
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