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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その159

b0083728_22162137.jpg個人的経験:
ハイドンの
ピアノ三重奏曲は、
長らく交響曲や、
弦楽四重奏曲、
あるいは、
ピアノ・ソナタ
の影に隠れて、
知られざる分野であったが、
近年、見直しの動きが
見られるようだ。

全集のたぐいもいくつか完成され、
進行中のものもあるようである。
特に驚くべきは、その作品数で、何と30曲以上、
また、生涯にわたって、ほぼ連作されており、
先の交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタに続く、
重要ジャンルであることが、このことからだけでも、
十分読み取れるのである。

シューベルトの先達として、
ハイドンは、決して見逃すことの出来ない存在であるがゆえに、
ついつい、その生涯で、最もドラマを感じる英国時代を見て行くと、
(ちょうど、これはシューベルトが生まれる少し前に当たる)
このピアノ三重奏曲という分野が、
どうしても見逃せないということになってくる。

シューベルトの時代、
例えば、「ます」の五重奏曲が書かれるのは、
それから30年ほど後になるが、
それに先立って、ハイドンはピアノの可能性を、
主に、このピアノ・トリオで開拓しているのである。

英国楽旅によってもたらされたものは大きく、
そこでの流行や、最新技術での楽器との遭遇が、
こうしたイノヴェーションを誘発する要因となった。

先達の活躍の上に、シューベルトの「ます」の如き、
ピアノと弦楽が高度に融合された室内楽が生み出されたのではないか。

うまい具合に、ハイドンにおけるピアノ三重奏曲が、
どのように概観できるかを簡単にまとめてくれている解説を見つけた。
ハルモニア・ムンディから出ている、
「ハイドン ピアノ・トリオ nos.32-37」
という2枚組である。

このCD、ハイドン没後200年の記念シリーズの一環のようで、
2008年の発売だが、おそらく旧録音の再発売盤と思われる。
録音は1990年とか92年とあり、
2枚組の廉価価格で売られていたからである。

ハイドン・ハルモニア・ムンディ・エディションと記され、
中にはシリーズの他のものが列挙されている。
ヤーコブズによる交響曲や「天地創造」に「四季」、
アラン・プラネスによるピアノ・ソナタなどが出ている。

これらの中では、私はこのピアノ三重奏曲に、一番触手が動く。
パトリック・コーエン、エーリヒ・ヘバース、
クリストフィー・コインらが、オリジナル楽器を使って演奏している。

しかし、このCDのデザインは、
表紙にシャルダンの「しゃぼん玉」が使われていて、
ハイドンを連想させるものが皆無であるのが残念だ。
おそらく、これを見て、このCDの内容を空想し、
欲しくなるリスナーは少ないだろう。
申し訳程度の表紙である。

などと思って、分厚い別冊の解説書を見ると、
中には素晴らしい絵画や写真が数多くあしらわれ、
外面より内面に秀でた、素晴らしい商品であることが理解できる。

オックスフォードにあるハイドンの肖像画(レスラー画)は、
これまでも見たことがあるが、
荒波を超えて船に乗るハイドン像の想像図というのは初めて見た。
当時のテムズ河畔を描いた風景画や肖像画、
スクエアピアノやハンマークラヴィーアの写真、
エステルハーザ王宮のホールなどなど。
私は、これらを見て、早く、音楽を聴いてみたくなった。

まず、このCDの上述の分厚い解説の、
「ハイドンとキーボード・トリオ」という部分には、
こんなことが書かれ、その量が膨大、
かつ生涯にわたって書き継がれたことが書かれている。
著者は、Andreas Friesenhagenで、2008年に書いた模様。

「ハイドンの鍵盤楽器、ヴァイオリン、チェロのための三重奏曲は、
年代的に3つのグループに分類できる。
最初のものは1760年くらいの作品群で、
そのうちのいくつかは、
おそらくエステルハーツィの宮廷に就職する前のものもある。」

1760年、1732年生まれのハイドンであるから、
30歳前後のものと言える。
バッハの死後、10年しか経っていない。
ハイドンが宮廷に仕えるのは翌年である。
30歳前後といえば、シューベルトの場合は、
このあたりで最晩年になるわけだが、
ハイドンは、これが初期となるわけだ。

「Hob番号のⅩⅤ番の1、2、34-38、40、41、C1、f1、
そして失われた2曲の33とD1がこれに含まれる。」
ここで、我々は、かなりのけぞる必要がある。
というのは、1番と41番が同じ時期の作曲だからである。
モーツァルトの最後の交響曲41番「ジュピター」が、
初期の作品だ、と言われるような感じがするではないか。

おそらく、このHob番号、まだ、十分、作曲年代が確定する前に作られたか、
早々と作って、後から、ハイドンの作品が続々と出て来た、
といった事情があるのであろう。
それを後に付け足すのはやめて欲しいものだ。

また、いかにも付け足しのC1とかf1っていうのは何だ。
そもそも、Cが大文字で、fが小文字というのも何なんだ。
いずれにせよ、30歳前後でハイドンは6曲ばかり書いた。

「第二のグループは、HobⅩⅤの5-14で、
20年以上後、1784年から1790年の間に書かれている。
ここにはこのグループには、HobⅩⅤ:15-17の、
鍵盤、フルート、チェロのための三重奏曲が含まれている。」
これらについては、前回紹介したとおりである。
このあたりになると、番号順になっているようで助かる。
フルートのものを含めると、13曲もある。

「最後のグループは、数の上でも、作品のすばらしさの点でも、
最も重要なもので、HobⅩⅤ:18-32が含まれ、
ほとんどが1794年から5年に、
ハイドンの2回目のロンドン訪問の間かその直後に書かれている。」
ということで、前回、HobⅩⅤ:15-17を聴いて、
終わりにするわけにはいかなくなってしまった。
かつて、代表作と見なされたHobⅩⅤ16だけを聴いて、
ハイドンを断じてはいけなかったのである。

というか、コーガンやらロストロやらギレリスら、ソ連の大家が、
わざわざ選んで、これを取り上げたことによって、
みんな、これがきっと代表作だと思ったのかもしれない。

この時期、15曲ものピアノ・トリオが書かれた訳だが、
何故に、わずか2ヶ月に1曲といったペースで、
カタログを満たしていったのだろう。

最初に書いたように、英国の空気を吸っての、
可能性の限界の打破でもあっただろう。
演奏会活動のほか、様々な社交もあり、
作品では、他にも、重要な交響曲の連作などがある。
すごい活動力、創作力である。

先の6曲、13曲と、この15曲も合わせると、
34曲もの楽曲が残されたことになる。
1760年から95年、35年の間に、
集中して取組む時期があったということだ。

解説を再度読んでみると、
「様式的に、最初のグループは、あまり共通点はなく、
ヴァイオリンパートの独立によって、
当時、オーストリアに広く知られていたタイプに従って、
バロック時代のトリオ・ソナタの名残がある。
当時、ロンドン、パリでは、すでに、より近代的な、
従属的なヴァイオリンとチェロのパートを伴う、
鍵盤用ソナタが出ていたのだが。
初期のハイドンの三重奏曲では、
鍵盤の高い方と、ヴァイオリンはトリオ・ソナタの二つの高音部に対応し、
チェロは単に、通奏低音として機能しているだけであった。
一般に、第一楽章の提示部の主題の材料や展開部の最初は、
鍵盤楽器の独奏で始められ、
それは鍵盤楽器と同格に扱われたヴァイオリンで反復されている。
ヴァイオリンが素材を提示している間、ハイドンは、しばしば、
その2、3小節を鍵盤楽器に担当させて、通奏低音の役割を負わせている。
このように、鍵盤楽器の低音部は時折、装飾を行う。」

次に、第2期の作曲についての話が始まる。
「約20年ぶり、1784年に、ハイドンは、
キーボード・トリオの作曲を再開したが、
トリオHobⅩⅤ:5は、この間に、
彼のこのジャンルへの取り組み方がいかに変化したかを示している。
鍵盤楽器は、作曲上の重要な楽器となり、
ヴァイオリンとチェロを従えた、楽器の音色の中心となっている。
その結果として、
ハイドンはしばしば、ヴァイオリンに独自の主題を与えて、
これを鍵盤楽器から分離したり、
時折、鍵盤楽器と対話させたりしたが、
弦楽器は構成的というより色彩的なものとなった。
例えば、HobⅩⅤ:5の第一楽章は、
ヴァイオリンは鍵盤楽器と交錯するだけであり、
HobⅩⅤ:9のアダージョでは、チェロを、
主題の展開に利用したりしている。
再現部の開始後、すぐに、ヴァイオリンとチェロは、
その楽章を通して、鍵盤楽器が取り上げることのない、
とっておきのメロディを奏でる。
こうした、チェロの重視が見られるものの、
あくまでハイドンのトリオの中では例外である。
初期のものに比べ、リズムや技術上の挑戦はあっても、
一般に低音の弦はキーボードの低音の補強となっている。
1784年以降の鍵盤と弦のための三重奏曲は、
原典にはソナタと書かれ、当時の版には、
一般に、『ヴァイオリン、チェロの伴奏付き、
ハープシコードまたはピアノフォルテのためのソナタ』といった
タイトルが書かれている。」
以上が、第2期の作品に対する説明である。

「ハイドンの2回目のロンドン滞在中、または、その直後のトリオで、
彼は、1780年代にこのジャンルで乗り出したところより、
さらに形式と内容において、個性的な飛躍をしている。
これらの作品に対する志は、その楽章のレイアウトにも現れ、
1780年代の13のうち7曲が、
喜遊曲風に2楽章しかなかったのに、
後期のトリオのほとんどでは、もっと高尚な3楽章を採用し、
31番と32番のみが、2楽章に制限されているのみである。
最初の版は、一般に3曲ずつまとめられ、
エステルハーツィ一家や個人的に知り合った女性ピアニストなど、
彼に身近だった女性への献呈が多くなっている。」

このように、ハイドンの後期の三重奏曲は、女性用の作品群とも言える。
ここで、Friesenhagenの解説を離れ、Jean-Yves Brasが書いた、
このCDに含まれる楽曲の内容を見ていこう。
ここでは、後期トリオの口火を切る、
HobⅩⅤ:18-20の3曲と、
続くHobⅩⅤ:21-23の3曲が演奏されている。

今回は、先に、後者から見て行きたい。
ややこしいことに、この解説は、
「Piano Trios nos.35,36,37」となっていて、
Hob番号でないので混乱してしまう。
大宮真琴氏の本などでは、Hob番号をそのまま使っているし、
多くのCDの、Hob番号のみなので、対応付けるために、
ここでは、すべてHob番号に直して書いて見よう。

この35番というのは、
作曲順に誰かが付け直したものなのだろうか。
さらに、問題をややこしくしているのは、
このCDの内容は、解説とは違って、
番号順の収録になっていない。
したがって、目次を見て、ちゃんと把握して聴かないと、
解説とは異なる楽曲が流れ出す。
ふざけるな、と言いたくなってしまう。

「ピアノ三重奏曲 HobⅩⅤ:18、19、20。
これらのトリオは、ロンドンで出版された、
各3曲4群からなる、驚くべき連作に属している。
これらは、1794年の2月から、1795年8月にかけての、
ハイドンの2度目のロンドン訪問の際に作曲され、
プレストンによって出版され、
1794年に父親、アントンの後を継いだ、
ニコラウス二世の妻、Marie Hermenegild Esterhazy妃に捧げられた。」

ということで、前述のように、ハイドンの身近な女性、
つまり、上司の奥さんへの献呈である。
ちなみにエステルハーツィ家は、アントンとニコラウスが交代して現れ、
非常にややこしくもシンプルな一族である。
モルツィン伯爵のところにいた、ハイドンを引き抜いたのが、
アントン・エステルハーツィ侯であったが、
この人は、ハイドンを雇った翌年1762年に死んでしまう。

次に家督を継いだのが、
ニコラウス侯であったが、この人はアントン侯の弟である。
ハイドンはこの人に28年仕えた。
そして、ニコラウス侯は、前回書いたように、
1790年に妻の後を追うように、77歳で死去。

その後、これら先代が大事にしていた楽団を解散したのが、
後継者のアントン侯である。この人はニコラウス侯の息子であった。

しかし、このアントン侯も、1794年に亡くなって、
その後を、その息子のニコラウス二世が継いだ。
曾祖父が生きていたら81歳なので、30歳くらいの君主、
奥方といえば妙齢であったことだろう。

この奥方のために4代目のアントン侯もまた、それほど、
音楽に理解があったわけではなかったようである。
ヴィニャルの本では、
「幸いにも侯の夫人のマリアがよい音楽家で、
ハイドンの崇拝者であることから二人の関係を滑らかにした」
と書かれているから、
まさしく身近にいた、信奉者でもある妙齢の麗人に捧げた曲集が、
これらのHobⅩⅤ:21-23と考えることにする。
私は、このマリア妃の肖像画こそ、
こうしたCDの表紙にするべきではなかろうかと、
声を大にして訴えたい。

実は、私は、このCDの解説なら、マリア妃とハイドンの関係が、
何か書いてあるかと思っていたのだが、それについては、
結局見いだすことは出来なかった。

「この時期のハイドンの仕事の集中ぶりは、
99番から104番の交響曲を初演し、
さらに1795年2月から5月の間の9つのコンサートを指揮し、
これが成功したので、さらに二つのコンサートを、
アレンジしなければならない程であった。
彼がロンドンを去る時、インコや、
クレメンティからプレゼントされた、
銀で装飾された椰子の実のみならず、
そのロンドンでの大成功によって、
彼以上に評価されるべき先駆者や著名人は、
ドイツにはいないという認識までを持ち帰っていた。
簡単に手に入った大金や、
数多くのアマチュアの音楽家たちが楽しめるトリオの、
出版社からの熱心な作曲依頼がその明白な証拠であった。
1975年5月に出版されたこのトリオは、
おそらく、冬の間に作曲されたものであり、
これに先立つ三部作と同様のタイプに属するものである。
しかし、2曲目は、その独奏的な響きで注目すべきものである。」

このように、何故にマリア妃に捧げたのかは書かれていない。
アントン侯は、ハイドンがロンドンに出立するや亡くなっているので、
ニコラウス二世が即位しているので、なるべく早く、
ごますりをしようと考えていたのだろうか。
そもそも、マリア妃とハイドンが、
最初に会ったのは何時だったのだろう。

また、前述のように、この第2曲を聴こうと、
トラック4を押してもだめである。
HobⅩⅤ:21-23の2曲目といえば、
HobⅩⅤ:22のはずで、これは最後に収められているので、
トラック7を押さなければならない。

気になるので、この曲(no.36というらしい)の解説を先に読むと、
「トリオHobⅩⅤ:22 変ホ長調は、その書法の複雑さと、
偉大な独創性において、ずっと先進的なものである。
アレグロ・モデラートの最初の小節からして、
すべては非常に単純に開始されるが、
ピアノの左右の手による16分音符の6連符の連続が、
弦楽の奏でる幅広いメロディの上に浸透していく。
さらに驚くべきは、転調や変イで未解決の再現部など展開部である。
ハイドンは、もっと個人的で、集中した表現のために、
伝統的な構成を締め上げているように見える。」

これは、不思議な情感を湛えて、流れ続ける音楽である。
とても移り気で、とりとめのない感情が、
未解決のまま、めんめんと綴られていくような。
後半で、訳の分からない呻き声が、これを中断するが、
再び、バルカロールのような曲調が現れ、
ピアノはひたすらによどみなく流れて行く水のようである。

「ポコ・アダージョの緩徐楽章は、ト長調で、
前のトリオと同様、いっそう個人的なページとなっている。
ロビンス・ランドンは、このように書いた。
『あまりにも個人的で、時折、限度を超え、エキセントリックなほど。
これまでのハイドンのどの作品も予言しなかったような、
自由で輝かしいピアノ・パートによって、
非常にオープンでありながら、非常によく練られた、
まったく新しいピアノ書法に、ハイドンはひと飛びで到達した。』
まず、緩徐楽章に反復はなしといえ、
ソナタ形式が採用されている点が異常である。
両手の交差を含む、音域の変化がある、
ピアノ・パートの83小節の解析をすると、
ドラマティックでリズミックで、
他にもエキセントリックな部分が散見される。」

解説は長いが、曲は5分弱。
ぽつりぽつりと呟くような曲想で、
弦楽部が単調な音型を保持しているので、
そのまま聞き流してしまいそうだが、
確かにピアノは、大きく脱線しながら波打って、
音楽に微妙な陰影を与え続けていく。

「アレグロの終曲で、ホ長調が戻って来て、
これは、より厳格でもっと十分展開されたソナタ形式で、
これまで、ジャンルで知られていなかった広がりを見せる。」

ここに来て、音楽は、明確な構成感を初めて感じさせる。
快活な終曲で、ブリリアントなピアノの高まりが、
爽快感を感じさせる。

では、この前に書かれたHobⅩⅤ:21は、
解説にどう書かれているか。
HobⅩⅤ:22では、前の作品より、いっそうパーソナル、
とあったので、これまた、それなりに内省的な作品なのだろうか。
この曲集の最初の作品に相応しく、トラック1から始まる。
「ハ長調のトリオHobⅩⅤ:21は、
すぐにヴィヴァーチェ・アッサイが続く、
そのゆっくりとした6小節の序奏、
アダージョ・パストラールで特徴づけられる。
A・ピーター・ブラウンは、この田園曲が、
ペダル効果とバグパイプを模した、
羊飼いのジーグに変わって、
相変わらず印象的なソナタ形式を司る、
情緒の土台となっていると言っている。
ほとんど必然的にハイドンにおいては、
第二の主題は、第一主題のドミナントへの移調のようになっている。
展開部でも陽気な雰囲気は継続するが、
ハ短調の急な侵入があって、再現部に入る。」

確かに、田園での羊飼いのダンスのような音楽だが、
ちょっと思うのは、どの曲も、繰り返しが頻出することで、
教育用に、同じフレーズを様々な感情で演奏できるような仕組みかもしれないが、
ちょっとくどいような気もする。

特に、この曲では一度、終わったかと思うと、
また、始まったりするので、盛られたせっかくのアイデアが、
台無しになっているような気がしなくもない。

「ト長調のモルト・アンダンテは、2/2拍子の穏やかなひとときで、
シューベルトを予告するしなやかなマーチのリズム、
悲痛なメロディが脳裏に染みこむ。
この楽章が初期ロマン派の性格を持っていて驚かされるというのは事実である。
変ホ長調、ハ短調、ト短調、ホ短調と束の間の移調を経ての歌曲のようで、
コーダがついている。」
この解説では、シューベルトの名前が出て来て助かった。
シューベルトを主題としつつ、ハイドンあたりで立ち止まっているのは、
ちょっとまずいような気もしていたが、確かに、内面的な情緒を湛えた楽章である。
シューベルトの初期作品の中には、こうした単純なものもあるが、
そのルーツとして、ハイドンが上げられるということもありえよう。

「プレストの終曲は、いくつかの脱線はあるものの、
陽気な音楽で、第一楽章の自然さの中に帰って行く。」
この曲も、第一楽章がへんてこなソナタという感じだったが、
終楽章になると、古典的な推進力が出て来て、
そこに容易に身を委ねることが出来る。
ただし、繰り返しが多いのも確か。
が、その執拗な繰り返しは、シューベルトのものとは違うと思われる。

では、この曲集最後のHobⅩⅤ:23はどうだろうか。
これは、とても不気味な開始部を持つ、へんてこな音楽である。
とても、高貴な麗人に贈るようなものではない。
私は、この曲のデーモニッシュな雰囲気に、非常に興味を覚えた。

解説を早く読みたいではないか。
しつこいが、「トリオ37番は」と始まる部分など、混乱するので、
書き換えて読む。
「ホ短調のHobⅩⅤ:23のトリオは、伝統的な構成に戻る。
しかし、ここでもやはり最初の楽章には驚きがある。
このモルト・アンダンテは実は、
一つの主題はニ短調、もう一つはニ長調である、
二つの主題による二重変奏曲である。
ここで作曲家は再び、薄暗いものと光を放つもの、
厳粛なものと気楽なものといった、
相反するものの対比の効果を試しており、
32分音符による輝かしい結びまで、
楽器同士の受け渡しにも着目している。」
長調の部分の推進力は素晴らしいが、
冒頭からの短調の部分が非常に目立つので、
気味悪い感じがつきまとう。
最後は、急速に夜が明けて、めでたしめでたしとなるから、
眉をひそめていた麗人は、ぱっと微笑むことであろう。

「アダージョ・マ・ノン・トロッポは、
ハイドンが、変化を付けるために様々な装飾を施す、
変ロのカンタービレの主題を導く。」
この楽章も悪くない。
しっとりした美しいテーマには、
ゆったりと身を委ねることが出来る。
物思いに沈む、その微妙な陰影もよい。

「ヴィヴァーチェの終曲は、再び光を放つニ長調。
ここには影を落とす雲はなく、この三重奏曲と、
続く多くの傑作群に先立つ偉大な三部作をみごとに締めくくっている。
なぜなら、ハイドンは最後の言葉を言い終えていない。」
これは、さらにハイドンは様々な事を成し遂げた、
とも読めるし、ベートーヴェン、シューベルト以下、
続く作曲家たちに、大いなる可能性を示した、とも読むことが出来る。

いずれにせよ、この終曲は爽快で素晴らしい。

このように書きながら、このCDでは、
続いて、例のHobⅩⅤ:22が開始するのだからたちが悪い。
やはり、曲順どおりに収録して欲しかった。

このように見て来ると、この3曲だけでも、
様々なアイデアが次々と具現化されており、
そんな試行錯誤の中で、ロマン派を先取りするような書法が、
ひらめいて行った模様である。
最初の曲の牧歌的な伸びやかさは、饒舌な繰り返しが気になったが、
曲を追うに従って、感情の微妙な綾が絶妙になり、
その表現の幅も広がって、不気味な葛藤から、晴れやかな解決に至る、
最後の曲では、傑作と言って良い完成度に達している。
これまで、あまり演奏されることはなかったようだが、
これらは、決して無視できない音楽であろう。

この演奏で使われたピアノは、1790年のアントン・ワルターとあるが、
復元したものではなく、そのまま使ったのだろうか。

ちなみにこのCDには、もう一つの三部作、
HobⅩⅤ:18-20が収録されているが、
これについては次回取り上げて見たい。

一方、このHobⅩⅤ:18-20の方の使用楽器には、
ワルターをもとにクラークが作ったもの、と書かれているが。

ヴァイオリンは1683年のグァルネリ、
チェロは、1758年のものだとある。

得られた事:「シューベルトが生まれる少し前に、ハイドンはピアノの可能性を追求したピアノ・トリオを大量に連作したが、これらは、驚くべき実験を盛り込んだ曲集であった。」
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by franz310 | 2009-01-31 22:23 | 音楽
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