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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その155

b0083728_2343284.jpg個人的経験:
風通しのよい、
見通しのよさや、
直線的な推進力、
構造的な立体感に、
ハイドンの音楽の魅力を
感じることがあるせいか、
少ない楽器編成でも、
その音楽に
不足を感じることは少ない。
さすが弦楽四重奏の父である。


前回取り上げた「ロンドン交響曲」を、
6つの楽器用にアレンジしたものも、
CD化されているが、
音楽が研ぎ澄まされた感じと共に、
親密さが増した感じになるのも、
ハイドンらしいと言えるかもしれない。

いや、ひょっとすると、先鋭すぎない、
温厚な演奏を聴かせるリンデならではの美徳かもしれない。
楽器はすべて、古いものを使っているようで、
音色にも暖かみがある。

問題があるとすれば、リンデが名手すぎて、
その多様な表現力についつい、注意が行ってしまう点であろうか。
特に、第104番「ロンドン」に続いて演奏される、
第100番「軍隊」は、そもそも、華麗な軍楽風色彩を特徴とするせいか、
リンデの多彩さにもいっそうの冴えが聴かれる。

これらの大交響曲を編曲したのは、
ハイドンを広く紹介した興行主、
ザロモンで、この人の肖像画が、
フロントカバーに載せられている。

作者は、ややこしいことにThomas Hardyとあって、
高名な小説家と同じ名前である。
ゲーンズバラのように、英国肖像画の質実を感じさせる筆致。
EMIの古楽器シリーズ、Reflexeで出ていたCDである。

このシリーズが今でもあるのか、リンデ・コンソートが、
その後、どうなったかも実は知らないのだが、
CD初期には、かなり鳴らしたものである。
これも1986年の録音。

このザロモン、肖像画で見る限り、
かろうじて、背景の楽譜が音楽家であることを示唆するが、
非常に実直なビジネスマンといった趣きで、
手を動かして編曲した人というよりも、
献呈を受けた人のように威厳がある。
この人物については、解説でもよく書いてあるので、
そちらを参照されたい。

フルートの名手、ハンス=マルティン・リンデが主催する、
リンデ・コンソートの演奏で、彼が、フラウト・トラヴェルソを演奏、
弦楽四重奏にHerbert Hoever、Christine Brodbeck(ヴァイオリン)、
Dorothea Jappe(ヴィオラ)、Michael Jappe(チェロ)、
さらに、Rudolf Scheideggerがピアノフォルテを演奏している。

何とも変則的な編成である。
弦楽四重奏は、オーケストラを縮小すれば出来るし、
フルートは管楽器を代弁しているのだろうか。
しかし、ピアノフォルテはどうして必要なのか、
よく分からない。

このCDを聴いても、低音の補足をしているだけに聞こえる。
独奏的に活躍するところがないばかりか、その音が聞こえない所も多い。
時折、その古雅な、ハープのような音色が響くのが、魅力ではあるのだが。

実は、解説もリンデ自身が書いている。
「ここで録音された交響曲の最初の版では、
その表紙に、
『ピアノフォルテをアドリブ伴奏とし、
2つのヴァイオリン、ドイツ・フルート、
テナーとチェロの5つの楽器のために、
J・P・ザロモンの編曲による、
ザロモン演奏会のために書かれたハイドンの大交響曲』
とある。
この下に、小さい文字で、
同様の編曲で、ハイドンの12のロンドン交響曲すべてが、
揃っているというインフォーメーションがある。
また、パート譜には、『五重奏曲。または、シンフォニア』とある。」

このように、実質はフルート五重奏曲で、
ピアノフォルテはアドリブであることが分かる。
しかし、この楽器を含めると、
6つの楽器での6重奏曲ということになる。
シューベルトが「五重奏曲『ます』」を書く、
少し前までは、こうしたものが五重奏曲だったのだろうか。

ハイドン自身には、こうした編成の音楽があるのだろうかと、
例の大宮真琴氏の「新版ハイドン」を眺めて見ると、
「管弦合奏曲」の一覧があって、
ホルン三重奏とかフルート三重奏といったものを除いて、
他はすべて、管楽器が複数の音楽であることが確認できた。
私がこれまでレコード屋で出会ったハイドンの音楽にも、
こんな編成のものは記憶になく、弦楽四重奏は大量にあっても、
その他は、むしろ、管楽合奏のようなものが多かったような気がする。

「オリジナルが、『フル・オーケストラ』のための曲を、
こうした小編成用に編曲して出版することは、
新曲を出来るだけ多くの聴衆に知らしめるのに有効な手段として、
当時としては一般的であった。
それらは多くの場合、作曲家の預かり知らぬものであり、
それらが作曲家自身によって作られることも希であった。
しかし、作曲家自身がこれを行った例もある。
ベートーヴェンは『第二交響曲』や、
『七重奏曲』を、ピアノ三重奏曲に編曲して小編成化した。
おそらく、ハイドンは、ロンドン交響曲のこれらの編曲を、
よく知っていたのではないか。
これらの自筆楽譜は、ザロモンの遺品にあって、
彼はまず編曲の方を出版し、後から、フルスコアを出版した(1800以降)。」

これは現代で言えば、コンサートと同時にCDが作られる感覚だろうか。
カラヤンはまず録音を前にして、楽員に練習をさせ、
万全の体制で、本番に臨んで効果を発揮したが、
ザロモンは、そうした、音楽産業のやり手の一人だったわけだ。
ただし、この方式をかれが始めたのかどうかは、
ここからは読み取れない。
一般的な慣習に過ぎなかった可能性もある。

が、1800年以降、というのがポイントで、
我がシューベルトの少年時代とは、こうした音楽シーンだったわけだ。
ロンドンでこうだから、ヴィーンはもう少し遅れていただろう。

「ハイドンは、彼のロンドンでの体験の記録で、
日記4冊を埋めたが、そこには、1795年5月12日、
交響曲第100番、104番が演奏された時の収益についても書いている。
この演奏会はハイマーケット・シアターで開かれ、
当時の慣習に倣って長くて雑多な演目が演奏された。
『軍隊交響曲(第100番)』は、二部に分けて演奏された。
それから、『ロンドンのために書かれた最後の、12番目の、
ニ長調の新しい交響曲は、居合わせた人々も、私をも大変喜ばせた。
私はこの晩、4000フローリンを得た。
こんなことが可能なのは英国においてだけである。』
この機会に、当然ながらフル・オーケストラで演奏されたが、
他の晩には、室内楽の演奏会においては、彼は、
ピアノの席で聴いており、ヴァイオリニストの
ヨハン・ペーター・ザロモン(ボン1745-1815ロンドン)もまた、
ほとんどのこうした演奏会に出演している。」

私は、こんな日記があることは知らなかった。
モーツァルトの手紙ほど面白いものとは考えられないが、
意外に何でも書いてある可能性もある。
是非、読んでみたいものだ。

さて、ここから、ザロモンについての記述で、
作曲家ハイドンを押しのけて、大きくフォーカスされておる。
こうした、一般の本には出ていない事が読めるのも、
この種のCDの魅力である。
「彼は、1781年、最初にロンドンを訪れてから、
この地の音楽シーンで重要な役割を演じた。
彼は最初、ヴァイオリン奏者として名を馳せたが、
次第に、特に定期演奏会の興行主としての活動を増やしていく。
彼は、12曲の『ザロモン交響曲』を作曲するよう、
ハイドンをロンドンに2度にわたって招き、
さらにモーツァルトをも英国に召還しようとしたが、
作曲家が亡くなったために実現はしなかった。
ハイドンは英国において得た名声や莫大な利益の大部分が、
ザロモンのおかげだと感謝していた。
ザロモンはさらに英国でオラトリオを書くよう勧めたが、
ハイドンは英語に通じておらず、ドイツ語のテキストを求めた。
ヴィーン在住のズヴィーデン男爵による、
『天地創造』のドイツ後テキストを、
ハイドンに紹介したのもザロモンだった。」

さらりと書いているが、ズヴィーデン男爵や、
モーツァルトとも繋がりがあるなど、非常に高い目利きと、
広い交友範囲の人だったことが分かる。
このCDの音楽の編曲者がザロモンということからか、
この人の活躍に注力した解説で、繰り返すが、
ハイドンの音楽の内容は、そっちのけになっている。

「第二次ロンドン訪問の後、
ハイドンのオーストリア帰還後、
ザロモンとの協業関係は次第に立ち消えとなっていく。
しかし、彼は、この友人にしてパートナーのことを、
こんな証言にも似たようなものを残している。
『ソロモン王とダヴィデ王は、
楽しい楽しい生活をした。
楽しい楽しい女友達と、
楽しい楽しい奥方たちと。
しかし、沢山の沢山の疑惑と共に、
老齢が忍び寄った時、
ソロモン王は箴言を書き、
そしてダヴィデ王は詩編を書いた。』」

味わい深い一節とも言える。
ソロモン王はザロモンの例えだが、
ロンドンで、ハイドンは、楽しい女友達たちと、
浮かれ騒ぐシーンがあったかもしれない。

接待旅行には、ひょっとしたら、
そんな一こまがあったかもしれない。

実際、ハイドンは当時、すでに高名で、
イタリアからも招きがあったのを断って、
ロンドンに赴いたのであった。
そのように大宮真琴著書には書いてある。

そもそも、ザロモンがハイドンをロンドンに呼ぶ前に、
ザロモンはハイドンの作品の紹介に、既に務めており、
英国において、交響曲などの演奏も行っていたとある。
ハイドンが来るということで、ザロモンは、大喜びであったはずである。

ちなみに、ハイドンの訪英をおさらいすると、
約1年半のものが2回あって、
間に1年、ヴィーンで休養している。
ハイドンは英国の活気に目を見張りながらも、
その喧噪に困惑し、寛いだ環境を求めたのであった。

この休息の1年は、ハイドン61歳の年に当たるが、
長らく交友していたゲンツィンガー夫人が43歳で亡くなっている。

ハイドンは、交響曲第99番のしみじみとしたアダージョと、
ピアノの変奏曲を追悼の意味で作曲しているが、
これらの曲の曲想からするに、非常に愛らしい人であったようだ。

ちなみに、この変奏曲(アンダンテ変奏曲Hob.ⅩⅦ:6)に関して、
大宮真琴氏の解説は、非常に難しいことを書いている。
1793年に作曲されたとのことだが、
これは例の夫人が亡くなった年で、ヴィーンにいた頃だからであろうか、
筆写譜には、ヴィーンの宮廷代理人の娘、
「デ・プロイヤー嬢のための小ディベルティメント」と記されている、
とあり、
99年のアルタリア初版には、ブラウン男爵夫人への献辞があるともあり、
これは、ヴィーンの実業家の夫人であるという。
プロイヤー嬢が結婚して、
ブラウン夫人になったということはないだろう。
プロイヤー嬢の名前はバーバラで、
ブラウン夫人の名前はヨゼフィーネだからである。
さらに、ややこしい事に、自筆楽譜には、
変奏曲ではなく、「ソナタ」と書かれているという。

かなり混乱した背景があるようだが、
ハイドンがこうした事に関してはおおらかだったことが分かる。
メロディも美しく、名品ゆえに、
いろんな女性に献呈したかった気持ちは分からなくもない。

また、門馬直美氏は、
「曲はモーツァルトが、
2曲のピアノ協奏曲(K449と453)を献呈した、
バーバラ・プロイヤーに捧げられた。
プロイヤーは、宮中顧問官の娘で、
モーツァルトからピアノと作曲を学び、
好んでモーツァルトの曲を演奏した人である。
ハイドンがなぜ彼女にこの曲を捧げたのかわからないが、
おそらく、第1回訪英中に親友のモーツァルトが死去したので、
ヴィーンに帰って、さっそくモーツァルトと親しかった
彼女を慰めるつもりで作曲し献呈したのだろう。」
などと、書いてもいる。

氏も、出版時にはブラウン男爵夫人に捧げられている点については、
疑問を呈している。
ハイドンの心の支えのような、
ゲンツィンガー夫人の名前は全く現れない。

さて、先の第99番の交響曲の演奏で、
ハイドンの第二次訪英の演奏会は始まった。
また、この訪英に先立って、ハイドンは、
第100番、101番の交響曲にも取りかかっていたとされるが、
「軍隊交響曲(第100番)」のような大騒ぎの音楽は、
この失意と関係があるのだろうか。

それにしても、ほとんど手ぶらで敵地に乗り込むというのも
度胸がある話ではないか。
ゲンツィンガー夫人の死の年だったせいか、
新たに完成した交響曲は1曲しかなかったのである。

また、このようにこの時期のハイドンの動向を見て、
私が興味深く思うのは、
彼は、ロンドンではうるさくて静かに作曲出来ないと書きながら、
このヴィーンでの休息の時期には、あまり作曲がなされていない点である。

追い詰められないと、人間、何事もなしえないと考えるべきか、
ハイドンは、必要に迫られた時にこそ、
底力を発揮するタイプだったと考えるべきか。

第二次訪英は、ハイドンの老齢を考え、
雇い主、エステルハーツィ公も、
ロンドンで激しい嫉妬の渦に身をさらすべきではないと、
反対していた楽旅であったようだ。

ゲンツィンガー夫人の死後、
心の空洞を埋める必要があった、
ということはなかったのだろうか。
残念ながら、大宮真琴氏の本にはそうは書いていないのだが。

先のダヴィデとソロモンの話で、実は、
先のCDの解説は終わりだが、12曲もあるうちの2曲を、
リンデがどうやって選んだかはよく分からない。
たまたま、この楽譜があったからか、
先の大もうけのコンサートの記述にちなんだのか。
さらには、五重奏曲と言いながら、
今から考えれば、変則的な、
フルート五重奏曲という編成を選んだのは何故か、
といった疑問も浮かぶ。

フルートと言えば、プロイセンのフリードリヒ大王が、
この楽器をたしなんだ事で、ハイドンの一世代前に、
北ドイツで流行したことがあったし、
モーツァルトがマンハイムで出会ったヴェンドリングは、
欧州に名をとどろかせた名手とされ、
その紹介で、オランダ人、ド・ジャン氏のために、
フルート協奏曲を書いたこともあったから、
おそらく一般的な木管楽器として普及していたのであろう。

一方、ピアノフォルテはアドリブだという点が、
やはり時代を感じさせる。

ここで改めて、交響曲版とザロモンの六重奏版を比べてみると、
ロンドン交響曲の、壮大な序奏は、当然、原曲の方が圧倒的。
むしろ、この編成で、よくこんな音が出せるものだと、
ザロモン版もがんばっている。
弦楽器が多いオーケストラ版の方が音色的には豊かだが、
変化の妙としては、単調かもしれない。
ザロモン版では、フルートの活躍が目立つし、
時折、涼しげに鳴るピアノフォルテが、
シェーンベルクの作曲したサロン音楽のように洒落た色合いを添えている。

第2楽章のような静かな曲想になると、
音の厚みくらいしか差異はなくなってくる。
ただし、フルートが吹き交わすような牧歌的な曲想との対比は、
さすがオーケストラの威力と言える。

また、第3楽章や終楽章のようなリズミカルな部分では、
ハイドンはかなり壮大にティンパニを使っており、
激しいアクセントで輪郭が形作られている。
それを補うのが、ピアノフォルテのきらめきだろうか。

気になるのは、どんちゃら軍楽調の、
「軍隊」の第2楽章の処理だが、
何よりも、テンポが非常にゆっくりであることに驚く。
コーダでトランペットが鳴り響くところは、
あえて、唯一の管楽器であるフルートは黙って、
その柔和な雰囲気を消し、
弦楽のユニゾンとピアノフォルテだけで、
するどい音色を推進させて乗り切っている点である。

パウムガルトナーがあえて、旧版の楽譜を使って、
スラーの処理を行わなかったという第1楽章第1主題の処理では、
ここでもスラーではないような気がする。
ザロモンの楽譜はどうなっているのだろうか。
旧版の処理がザロモン以来だとしたら、
ハイドン公認のスタイルと考えられなくもない。

得られた事:「ハイドンの交響曲などは、まず、室内楽編成で出版された。」
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by franz310 | 2009-01-03 23:44 | 音楽
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