人気ブログランキング | 話題のタグを見る
excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2022年 08月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 03月
2021年 01月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2019年 12月
2019年 10月
2019年 08月
2019年 06月
2019年 05月
2018年 05月
2018年 03月
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その481

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その481_b0083728_17052502.jpg
個人的経験:
終戦の日前後には、
様々な戦争関係資料が紹介され、
かなり勉強になる。
同時にウクライナから入って来る
リアルタイムの情報が、
そこに投影され、
戦争というものの実体が、
妙に多面的に実感できたりもする。

昨夜のNHKのビルマ日本軍崩壊の話も味わい深かった。
司令部は民間人まで軍人として防衛を任せながら、
自分たちだけは国外脱出していた。
完全に、自分勝手なロジックを作り上げて、
めちゃくちゃな行動を取っている。
しかも、結果に関して、まったく無責任なのだ。

こうしたことは、逃げる俺たちよりも、
置いて行かれるお前らの方が、
価値が低い、という前提で生きていなければ、
起こりえないと思われるのだが、
おそらく、戦時下においては、
まったくそうした価値観が普通になるのだろう。

お前らには赤紙の価値しかない、
と言っていたのが軍隊の文化だったからだ。
そして、「大東亜共栄圏」という言葉が、
自分勝手な解釈で使われていく。

クルシェネクの「カール五世」という作品も、
先の大戦の前に、
迫りくる脅威を肌で感じた人の音楽だが、
「キリスト教世界の統一」という、
この皇帝が目指した「ビジョン」について、
そもそも何だかわからんといった言葉が、
劇中で語られたりしている。

「偉大なる〇〇の復活」というのが、
最近の紛争でよく聞くフレーズであるが、
復活しようとして失敗する場合、
あるいは、威信にかけて失敗する場合が多かったのが、
20世紀の2つの世界大戦だったような気もする。

逆に言うと、復活しようとして、
当然、回りも巻き込み、
同時に、百倍返しでひどい目に会って来た、
というのがオーストリアやドイツ、イタリアであった。

ソ連は最大の犠牲者を出した腹いせだろうか、
結局、少なくとも指導部は、漁夫の利を得た、
という感じがしなくもない。

何しろ、戦争が終わってみれば、
東西冷戦という形で世界を分け合っていたし、
日本からもたくさん分捕った。

その成功体験にまだ洗脳された状態にある指導者であれば、
力ずくの何が悪い、という思考にもなるかもしれない。

オペラで描かれるカール五世にも、
力ずくであることへの反省はなく、
ただ、それ以外、道はないから仕方がない、
という感じで、これは、
今の大河ドラマの主題のような感じもある。

大河ドラマでも、
権力抗争の頂点にいた頼朝が、
悪夢にうなされるシーンがあったが、
クルシェネクのオペラでも、
カール五世は、
まったく悪気はなさそうに、
やるべきことをやらず、
やらなくて良いことをやっていて、
その話を聞いている若い理想肌の聴聞僧、
フアン・デ・レグラはいら立ち、
彼から突っ込みを入れられている。

しかし、一連の世界史的な出来事、
ルターとの宗教の問題、フランス国王との確執、
ローマ略奪などが描かれた後に待っているのは、
カールを脅えさせる亡霊との一場である。

最後には、囚人たちから、
逆に呪われて苦しみ、
皇帝と囚人(ここでは投獄された異教徒たち)が、
罪と罰を巡って平等に扱われるまでに至る。

Track.9:
ここでは4人の亡霊が次々にカールを苦しめるが、
それぞれ、「呪い」、「快活と平静」、
「誇り」、「嘆き」というものを象徴している。
真ん中の二つは怖そうでないのだが、
聴いていこう。

前の場面では沈黙しがちだった音楽も、
ここからは活躍を始め、
だんだんだんと緊迫するリズムに、
身をよじるような楽句が金管から
絞り出される。

これまでの事実ベースの展開から、
急に抽象的になるのだが、
「快活と平静」は、
フランス文化への憧れ、
あるいは、フランソワ一世との
確執を想起させたりもする。

これらは、何らかの総括のような意味を持っている、
ということかもしれない。

第1の亡霊:
「私は呪い。皇帝の船団が錨を下す海を泡立てる。
崖に船が打ち付けると、そのキールは割れる。
彼の軍隊の貯蔵品を水浸しにし、
塩漬けの食べ物で、空腹の兵士たちは彼に刃向かう。
これは、ローマが感じたことと同じものを
彼が感じるような罪に相当する罰になる。
私はそうした呪い。」

カールの傭兵は空腹ゆえに、
教皇の都に牙をむいたが、
教皇はそれに対し復讐し、
飢えた兵士が、カールを襲うように仕向ける、
そんな呪いを発したという流れのようである。

各亡霊は、言いたいことを一回言うだけ、
みたいな現れ方だが、ここでは、
クラウディア・ローアバッハという
ケルンやルツェルンのオペラで活躍した
美人歌手が担当。

可愛いコケティッシュな声で、
これまでのこのオペラの色調を一変させる。
ちょっと、「呪い」っぽくないが。

カール:
「神よ、私の神よ、異教徒の言葉で、
私を滅ぼさないでください。
私は古くて聖なる帝国を護るという、
高い目的をもっていたのに、
私はその没落の原因とならねばならず、
恐ろしい行為と犯罪の
立案者とならねばならないのでしょうか。
神よ、私を助けたまえ、
私の貧しい魂に、慈悲を賜るよう乞うべく、
私は、教皇のところに向かうことが出来ますよう。」

亡霊が言うことより、
カールの苦悩が重要なテーマなので、
彼の言葉の背景に聴こえる、
苦渋に満ちた弦楽器の暗い響きが際立つ。

第2の亡霊:
「私は快活と平静な心の精。
古代の哲学者たちの明るいメッセージに刺激され、
フランスの安全なところにいます。
陰気な力を克服するため、
自由で屈託がないのが、私の生き方。」

ちらり、ちらりと弦がきらめく中、
さすが、「快活」は、元気に出て来る。
イザベラと同じ、フランツェスカ・ヒルツェルが担当。
スイス出身であるが、ザルツブルク音楽祭では、
ブーレーズと「モーゼとアロン」を演奏したというから、
かなりの実力派なのであろう。

声はいくぶん潤いに欠けるが、
張りがあって、緊張感がある。

カール:
「幾度となく私を誘惑するものよ。
私は王冠も重荷も脱ぎ捨て、快活気ままに生きたい。」

カールもこの幽霊には心を許して、
管弦楽も生き生きとしている。

第3の亡霊:
「私は国の誇りの精。けんか腰のドイツに住んでいる。
古代の哲学者の言葉に鍛えられた。
勝利こそわが宿命。
今や絶望が皇帝を捉え、
ローマは泥の中に踏みつけられた。」

さすがに、この亡霊も軍国主義的で元気いっぱいである。
亡霊にしておくのはもったいない。
ただし、ちょっと個性が弱い。

カール五世:
「私は古代ローマの哲学者から、何か別の事を学んだ。
古い異教の帝国を主の御心に刷新するのが私の夢でした。」

彼は、我が意を得たりと、
元気を取り戻して、
元気に声を上げるが、次のように、
「時代遅れ」の烙印を押されてしまう。

三人の亡霊:
「汝は時代の兆候を見ていない。
汝を踏み越えて、その車輪は前に進んでいる。
それぞれの国民は生に目覚め、
輝かしい命に目覚めた。
それぞれが願うままの。」

この一節は、民族主義に目覚めた、
二十世紀前半の空気感から来た言葉であろうか。
この流れで、「大東亜共栄圏」が美化され、
反対にほころんでいった、とみることもできる。

それぞれの国民に、
ウクライナや台湾の姿を重ねることも
出来てしまう。

フアン:
「そのすべての上に神がおられる。」

オーケストラの黙示録のような
不思議な彩の中、
フアンの声が、妙に音楽的に響く。

カール五世:
「それこそが我が答え。
深夜の私の祈りはそうした呪いや
悪魔の誘惑より強かったのだ。」

この流れは危険だ。
神の名を語って、理不尽なことをしてくるのが、
人の世というものだ。

カールはまったく動じることなく威張っていると、
陰気な声が聞こえてくる。

第4の亡霊:
「しかし、まだ汝が知らぬ、
深い嘆きの精神たる
私だけがそれらを止めることが出来る。
私ゆえに汝は救われたのです。
私ゆえに、聖なる父は、恐ろしい罪悪感から汝を解放したのです。」

音楽は、とてもシリアスで、
深い嘆きの色調でなだらかに広がり、
この亡霊の歌も嘆きの歌に相応しい。

「私は神によって地上のすべての生き物に対する力を
与えられているからです。
この地上世界のものは私のものであり、
全てが、私に属しています。」

ここからはレチタティーボとなる。
「涙と嘆きこそが最も深い存在の本質であるがゆえに。
そなたの妻の死の床で、そなたを思い、そなたに向き合い、
そなたが世界に与えた恐怖と痛みを背負ったのです。」
余韻が深い音楽。

ここからは語り。
カール:
「破壊の爪痕から救い、
教皇と和解する。
ローマの皇帝として戴冠し、
私がマドリッドに帰り着き、
私の妻が死にかけていることを知った時、
悲しみの餌食になった。」

音楽が沈黙して怖い。
以下の亡霊の言葉も、報告みたいな感じ。

最初の三つの亡霊:
「しばらくの間だけ、我らは仕事を止めて置こう。
ここ、私たちが彼を押し込んだサークルの端で、
私たちよりも強い彼に破壊の仕事を任せて待っていよう。
彼は自分の良心を克服する力を持っているから。」

第一部の最後は、
イサベル、イザベッラ、
あるいはイザベルとも書かれる、
カール五世の妃の死のシーンである。

彼女は36歳くらいで亡くなり、
その後、約20年、
カールは死ぬまで再婚しなかった。
二人は、子供も5人残している。

若くして亡くなった印象が強かったのだが、
1539年となれば、
クレメンス7世も亡くなっており、
チュニスの攻略もしており、
フランソワ1世との講和も見ているから、
1526年以来、13年の月日が流れている。
まあまあ連れ添った感じのようだ。
1530年に、カールは皇帝としての戴冠を受けている。

Track.10:
イザベル:(現れ、死の床にある)
死に臨んでおり、夢遊病的な、
あるいは、うわ言のようなアリアとなっている。

オーケストラは、鼓動のような、
弱弱しいリズムの上、
うねうねと弦楽の流れ。
「あなたの栄光の頂点を見ました。
この世界の王、異教徒に対する勝利者。
私は、あなたの目的地まで付き添うことが出来ました。
もう十分です。深い感謝と共に、
私は父なる神の家に帰ります。」

このような登場の仕方からも推測できるように、
イサベルが、何らかの救いになるのでは?
といった期待が裏切られていく。

イザベルは亡くなり、カールは取り残され、
いったい、ゴールとは何だったんだ、
ゴールの先にあるものは何なのだ?
といった
疑問ばかりが投げつけられて、
混沌の中で、最後の場面が進行していく。

管弦楽は繊細で、ヴァイオリンが、
今にも切れてしまいそうな糸のような音。
また、時計が刻むような無機質のリズムが印象的。

カール:
「イザベル。今はまだ、離れないでおくれ。
最高の栄誉の後の、最も深い痛み。
大きな亡霊のような時計の振り子のように
この人生は永遠にあちこちに振れる。
意味不明の順番で、
この世の宴会の食事が出され、下げられる。
私たちはいつも飢えに誘惑され、屈服して死ぬ。」

カールのシリアスなアリアを、
だんだん盛り上がるオーケストラが支える。

が、音楽は、何だかギアが外れたようになり、
空とぼけた虚ろな音となって、
この夫婦の立ち位置の違いが際立っていく。

イザベル:
「あなたの言葉はおかしくて混乱しそう。
あなたはまだ、永遠の扉からは遠く離れている。
近づいているならば、もっとはっきり簡単に見えるはず。」

この部分、実はものすごく、胸を打つ部分である。

英訳のこの部分
「When one is near, all things are clear and simple」
を参照したが、ドイツ語原文では、
「Mir ist sie nah, alles ist klar und einfach
(それ(sie)は私の近くにあって、すべてはくっきり単純に見えます)」
となっている。
「sie」は「die Pforte der Ewigkeit(永遠の門)」の事であろう。

つまり、イザベルを抱きつつ、
すでに彼らは遠く隔てられているのである。

そもそも、何がら年じゅう、やれ異教徒が、
と戦争ばかりしている男である。
何が目的か分からなくなっていても
まったくおかしくはない。

「聖なる神意よ、私をそなたのもとに。
(カールに)私はあなたを愛しました(死ぬ)。」
このあたりの音楽も、
極めてそっけないながらも、
哀切で妙に情感を描き切っている。

が、音楽は急に乱暴になって、
カール:
「愛しい人。死なないでくれ。」
の前後の緊迫感を高め、
続く部分のトランペットのリズムや
ヴァイオリンの独奏の交錯を経て、
カールの錯乱が象徴される。

「私の周りから明かりが消えて行く。
今、大きなものが小さく打ち震える。
私は私の心の暗くなった部分から言葉を発した。
燃え尽きた家の窓のように塞がって、
私の幸福は、今や、暗く虚ろな洞窟となり、
悲しみの蛇が不気味に住んでいる。
もうこれ以上は行けない。ああ、もうこれ以上は。」

妻に先立たれ、
もう、何をしていいか分からないカールの前に、
さらなる追い打ちの幻影が現れる。

異教徒たちの合唱:
「もっと遠くへ、もっと遠くへ。」
カール:
「誰だ、私のモットーを嘲って叫ぶのは。」
異教徒たちの合唱:
「常に更なる痛みを。」
カール:
「誰だ。誰なんだ。」
第4の亡霊:
「そなたが牢にいれた異教徒たちが、
苦しんで叫んでいるのだ。」
カール:
「死ぬほど恐ろしい音だ。」
第4の亡霊:
「こうべを垂れよ。こうべを垂れよ。
底まで苦味の溜まった、すべてのカップを空にする時が来た。」

カール五世は様々な事を行ったが、
ここでは、異教徒の迫害が代表となって登場する。
確かに、彼の立場、神聖ローマ帝国の皇帝であれば、
ローマのキリスト教以外は、みな敵というのが基本であり、
この項目が一番かもしれない。

金管が吹き鳴らされ、
最後の審判のようである。

異教徒たち:
ここでは、ひどい牢獄の描写がなされるが、
極めて難解な言葉が使われている。
英訳は、
„ By pestiferous rats surrounded,
they like our limb that are raw and tortured,
our burning tongue are like lead in our torrid throats
(嫌なネズミどもに囲まれて、
奴らは俺たちの皮が剥がれた拷問された手足が好きで、
俺たちの燃える舌は灼熱の喉の鉛のようです)“
となっている。

「息もできない洞窟に繋がれ、嘆き、
嫌なネズミの群れの隣で、
俺たちのぼろぼろになった手足をなめ、
俺たちの燃える舌は乾いた口の中での鉛のようだ。」
(„Angeschmiedet im luftlosen Löchern,
benachbart dem widerlichen Volk der Ratten,
das unsere geschundenen Glieder leckt,
wie Blei die brennende Zunge im dorrenden Schlund.“)
ということか。
「俺たちの墓の上に太陽が昇ったのは何回か?
見えない俺たちの目が見逃した冷たい月の夜は何回か?
死刑執行人の皇帝を呪い、
この運命に導いた金を呪う。」

四つの亡霊たち:
「そなたが豊かにしようとした世界が
どんなに哀れかを見よ。」

合唱が交錯する中、
オーケストラは、ぶすぶすと
不完全燃焼のような音楽で、
妙な圧力を感じさせている。

カール五世:
「無垢は崩れ去った。
妖術の金によって真実は分解した。」
異教徒たち:
「聞け、聞け、甘い光の上に物音がする。
そのあとでようやく自由になれる
火あぶりの台を作っているのか。」
カール五世:
「いやいや、
それは私の幸福を葬るための絞首台だ。
もう、彼らは最愛の人を墓場に連れて行ってしまったのだから。」

異教徒たち:
「我々の牢獄の前で誰かが叫んでいるが。」
カール五世:
「そなたらのように、不幸な者よ。」
異教徒たち:
「この柵の向こうにいるあなたは、
不幸なものより幸福だ。」
弦楽の緊張感に満ちたテンション。
カール五世:
「しかし、そなたらに罪はないか。」

このあたりで、オーケストラは、
合唱と一体となって、
怒りの宣告をカールにぶつける。

異教徒たち:
「彼は、俺たちを裁くために何をした。」
(イザベルの葬列の上に松明が現れる)。

ちーんちーんと鐘が鳴り、
木管も、ぽんぽんとリズムを刻む。
いささか緊張をはらむ展開の中を、
女声合唱の響きが重なってくる。

尼僧たちの合唱:
ここで尼僧たちに歌われるのは、
レクイエムの歌詞である。
が、オーケストラが打ち鳴らす太鼓で、
レクイエムの安息はまったく感じられない。

「主よ、彼らに永遠の安息を与えてください。
そして絶えることのない光が彼らを照らしますように」
カール五世:
「永遠の安息を与えたまえ。
その光は何時、我が身を照らすのか。」

異教徒たち:
「永遠の安息だって。
永遠の苦痛と天罰こそ、
嘆かわしい罪によった我ら皆の運命。」
カール五世:
「今や、これ以上の痛みはいらない。」
4つの亡霊:
「常に更なる苦しみを。」
尼僧ら:
「神よ、あなたはシオンにおいて賛美されるものです
そしてエルサレムであなたに誓いが捧げられるでしょう」
異教徒たち:
「死刑執行人の皇帝に呪いあれ。
我らをここに連れて来た悪夢を呪う。
地獄に落とす千の呪い。
お前は地獄に行け、地獄に。」
カール五世:
「こんなにも痛みの滝が私を溺れさせる。
主よ、主よ、この痛みは何と代えられるのでしょう。」
尼僧ら:
「どうか私の祈りを聞き入れてください。
すべての人の肉体が、主のもとへと戻ることが出来ますように。」
4つの亡霊:
「こうべを垂れよ。罪に苦しむ頭を深く下げよ。」
異教徒たち:
「主よ、彼らに永遠の安息を与えてください。
そして絶えることのない光が彼らを照らしますように。」
カール五世:
「ああ、これで終わるのか。」
「うわーっ」という、
カールの叫びは、平安を祈る女声合唱と、
罵倒する呪いの男声合唱に掻き消え、
絶叫するオーケストラで
カールは頭を抱えて悶絶しそうになる。

フアン:
「化け物ら、去れ。」
(亡霊や合唱は消える。彼はベルを鳴らす。)
「医者を、すぐに秘蹟を。皇帝が危ない。」

最後はオーケストラが、
締めくくるような音を立てる。

得られた事:
「毎年、終戦の日に特集される戦争資料のテレビ番組は、今年はウクライナや台湾もあって、まったく新しい切り口でアプローチしたものに見えた。『大東亜共栄圏』は、偉大なるロシアの復活や、『一帯一路』を想起させたし、他国との関わりという点で、侵攻地域住民の日記、手記、あるいは肉声が紹介されていたのも新機軸に見えた。クルシェネクが、ナチスに併合される前のオーストリアで書いた『カール五世』にも、『キリスト教世界の統一』という言葉の意味が問われたり、『それぞれの国民は生に目覚め、それぞれが願うままの輝かしい命に目覚めた』といったフレーズがあったりして、改めて考えさせられる。」
「日本軍司令部の人名軽視は、完全に腐敗の文化の産物に見えたが、『カール五世』も、異教徒の烙印で、多くの人間を虐待した。このオペラでは、その囚人たちの呪いがカールを追い詰めて行く。」

# by franz310 | 2022-08-16 17:06 | クルシェネク

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その480

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その480_b0083728_16042021.jpg
個人的経験:
2022年の終戦記念日を迎え、
ソ連の北方からの
雪崩れこみや
原爆投下の問題などが
テレビ、新聞でも取り上げられ、
考えさせられる事も多い。
ウクライナで続く戦闘を、
ソ連対日戦になぞらえるのも
理解できるが、結局、
力づくでやりあって来た結果が、
現状だよね、
と結論づけられてしまわないだろうか。

今回の台湾を包囲した形での
中国の軍事演習などは、
それらにもまして、
品位も尊厳もあったものではない、
という感想を持ったが、
そんなことに価値を置いていないのだろうから、
負け犬の遠吠えみたいになってしまう。

第二次大戦前のオーストリアもまた、
ファシズムの大国、ドイツやイタリアに囲まれ、
恐ろしく困難な状況だったため、
オーストリアのアイデンティティを模索した人たちもおり、。
そんな中にクレメンス・クラウスや、
エルンスト・クルシェネクといった音楽家もいた。

台湾がアイデンティティとして、
過去の中華王朝の残照を持っているかは知らないが、
オーストリアは少し前までは、
大ハプスブルク帝国の首都があり、
皇帝がいる街であったウィーンを抱え、
その歴史をたどって、
オーストリアの来し方に想いを馳せることは、
確かにやりがいのある仕事だったに相違ない。

スチュワートの評伝によると、
こんな風に書かれているから、
必ずしも、クラウスが多くを決めたわけではなかったようだが。

「1929年初頭、
フランクフルト国立歌劇場の仕事を離れ
ウィーン国立歌劇場のトップになった
指揮者のクレメンス・クラウスは、
クルシェネクに手紙を書き、
彼が新しい役職に落ち着いたときに、
もっとよく知り合うこと望んでいると記した。
その後、彼が着任した後、
クラウスは若いオーストリアの作曲家を招待し、
歌劇場のためにオペラを作るアイデアを思いついた。
彼には完全な委嘱作として提供するお金がなかったので、
彼らが思いついたものはすべて、
何の制約もなく受け入れられるはずだったが、
それでも、欧州で最も保守的なオペラハウス
の一つのトップからの新作への関心の表明は
注目に値するものだった。
ジョニーの人気により、
クルシェネクの知名度は群を抜いており、
クラウスのアイデアによる作品が、
公衆から支持される可能性が最も高いと思われたため、
クラウスは、クルシェネクが諦めかけていた
1930 年 9 月末頃になってようやく彼に近づいた。
クルシェネクは、この機会を名誉とし、
主題と彼自身の台本書きを
自由に選ぶことができることを喜んで、
クラウスの提案を受け入れ、
神聖ローマ皇帝カール5世(1500年-1558年)の
生涯からの資料を使用して彼自身のテキストを準備することに決めた。」

クレメンス・クラウスという指揮者は、
私生児で、その隠された父親は、
ハプスブルクの高位の人だったのではないか、
という説もあったそうなので、
若いクルシェネクが提案した
オーストリアにとっての祝典劇としての
「カール五世」という舞台作品に対して
特に、反対する理由はなかったかもしれない。

ハプスブルクは長らく、
カトリックを守護する
神聖ローマ帝国の皇帝の家柄として存在したので、
「キリスト教共同体」という概念を持ち込むことも、
それほど不自然でもなく、
台頭するドイツとの線引きには、
重要な要素のような感じもあっただろう。

カール五世は、しかし、
ライバルであるフランスが、
同様にカトリックの国であり、かつ、
フランソワ一世というやり手の国王が、
イスラム勢力と手を組んでまで、
刃向かってくることに対して、
何故、そうなるのかが理解できない。

このあたり、プーチンが兄弟国家のウクライナが、
自らの陣営から離れようとすることに理解が及ばないこと、
中国人が、何故、台湾の人たちが、
同じ偉大な中華民族の復興に参加しようとせず、
意地を張っているのか理解できないことに完全にシンクロする。

オーストリアの場合、
ウクライナや台湾より、
もの分かりがよかったのか、
喜んで、ナチス・ドイツに併合されてしまった。
理想を夢見ていたクルシェネクは逃げるしかなかった。

プーチンや中国指導部は
このオーストリアの従順な態度を、
もっと研究すれば、もっと簡単に目的を達成できるかもしれない。
しかし、同時に、大戦が終結するや、
オーストリアは独立を回復し、
自分たちはドイツ人などと関係はない、
と言っている事実も同時に研究する必要があろう。

スチュワートの本では、クルシェネクを魅了したのは、
カールの事績より、その性格だったとあり、
こんな風に書かれている。

「領地にオーストリアが含まれていた
神聖ローマ帝国の皇帝。
物思いにふけりがちな、やや地味な性格で、
(ジョニーの主人公である)マックス、
秘密の王国の王であるトアス、
そしてクルシェネク自身に似ていた男であるカールは、
ギムナジウムでの日々からクルシェネクを魅了していた。
そして、カールの人生は
重要な哲学的および政治的意味を持っているように見えたが、
最初にクルシェネクをこの主題に引き付けたのは
カールの性格であった。」

こう考えると、闇雲に自らの使命を信じて、
戦争に突き進むカール五世は、
ヒトラーであり、プーチンの戯画であると同時に、
それに疑問を感じ、あるいは自分は違うと、
対抗しようとしたクルシェネク自身の自画像だということになる。

さて、前回、マルク・スーストロの指揮した、
「カール五世」全曲盤のCD1のTrack.7まで聴いた。
フランス王との確執は一段落した形だが、
次に、カール五世を襲うのは、
ローマ教皇との関係である。

カール五世は神聖ローマ皇帝であるから、
いわば、ローマを護る立場にある。
この二人は立場的には相補的であるはずだが、
どうやらそうではなく、
教皇のお膝元であるローマでは、
図らずも、カールの傭兵たちが狼藉を働いたりする。
そのあたりのエピソードの部分である。

ちなみに時の教皇はクレメンス7世である。
ラファエロ、マキャヴェッリ、コペルニクス、ミケランジェロを
援助したことでも知られ、芸術、学芸面においては、
忘れることが出来ない活動をした人である。

こうした人であるから、何やら洗練に欠けるカールよりも、
むしろ、優雅なフランスのフランソワ1世に近いものを感じたのか、
こちらに近づきすぎた。
そのせいで、ローマに、カールの軍勢がいるのである。

「カール五世」という作品は、
死を前にした、カールが様々な過去の状況を想起していく形で進行する。

カールのそばに仕える若い僧侶、フアンは、
その幻影を一緒に見るような感じで、
その都度、カールに質問をしたり、意見したりする。

最初の部分は、
前のトラックで、カール五世が、
フランス王との関係をうやむやにしたことに対する、
純真な若者、フアンの感想である。

また、後半は、ローマ教皇と、
カールの軍勢を率いた傭兵隊長、
フルンツベルクの関係が語られる。
この人は、「パヴィアの戦い」で、
フランス王フランソワ1世を
捕虜にした英雄だという。

このあたりの歴史を、かいつまむとこうなる。
「カール5世が報酬を支払っていなかったため、
ランツクネヒト(ドイツ傭兵師団)は不満が表面化、反乱を起こした。
病で伏せていたフルンツベルクは、駆けつけて説得しようとしたが失敗。
フルンツベルクは倒れ、傭兵師団はローマに乱入した。」

以下、音楽はどどどん、と太鼓が響いたり、
低音の弦がずるずる、と音を立てる以外、
まったく鳴らず、
約5分半にわたって
語りだけで劇は進行していく。
トラックは8分強なので、2/3が音楽なし。
前半は、フアンが、カールに、
複雑な状況やら言い訳はいろいろできるだろうが、
個人として何らかの責任はないのか、
と、厳しい突っ込みを入れている。
真ん中あたりは、教皇の言い分、
最後は、傭兵たちとフルンツベルク、
そして教皇とのやり取りである。

Track.8:
フアン:
「陛下、もうこれ以上、
私は隠しておくことはできません。
これらのことは、すべては妥当です。
これらの事が何故起こったか、
すべての証拠から証明することが出来ます。」

フアンは、カールに遠慮しながらも、
語り始め、控えめながら反論をする。

「それでも内なる声は、こう語るのです。
真実で重要で、決定的な原因は、
ここにあり、どこにでも、
同時に絶望的に硬く、磨かれ、
騙すように変化しやすい
表面から深いところにあるのだと。
私にわかるのはこれだけで、
あなたは最初、
主なるキリストによって定められた法は、
我々のそれぞれに平等と言われました。」

何とでも言えるが、
あなたには他に何かできたことがあったのではないか、
ということであろう。

「私たちは個人として行動し、
個人としての責任があり、
政治やこの世の力が、
真の義務を変えることはないはずです。」
カール五世:
「神学校での議論であれば正しく良いことだろう。
しかし、そなたも、
74隻のガレオン船の帆を渡る風の音を聴いたであろう。
それと共に、私はアフリカにわたり、
トルコと戦ったのだ。
そしてローマ近くで傭兵たちが、
飢えて叫ぶのを聞いただろう。
これが、私をがんじがらめにした事実なのだ。」

ちなみにクルシェネクは、「カンパーニャ・ロマーナの
ドイツェン・クネヒト」とか書いてあって、
英語訳ではかなり意訳になっている。

「私の言葉を信用しないならば、
私が世界の長であるべきとかんがえている教皇が
何と言っていたかを聴いてみるがいい。」

このオペラでは、こうした言葉に続いて、
すぐに、シーンが切り替わり、
教皇が現れたりする。

教皇クレメンス7世と枢機卿が現れる。
クレメンス:
「恐ろしい陰謀だらけの
このカールという男には用心が必要じゃ。
この男と友好に過ごすか
フランスと一緒に逆らうか、どちらが無害なのだ。」

このように、枢機卿に語りかけるのを、
カールはフアンと一緒に盗み聴きするような感じとなる。

カール:
「彼は自身の小さな領地の境界を超えての考えが出来ぬ。
ルターがルターから生じる、彼を脅かす危険が理解できていない。」

カールは、そんな事をつぶやくが、
フアンにとっては、同じ穴のムジナに見える。

フアン:
「あなたこそ、
それをご理解なされておられますか。
何故、実行しないのです。」

これに対する答えの前に、
教皇と枢機卿の会話が続いている。

枢機卿:
「昔ながらの大言壮語が奴の口から出よる。
一つの剣の下の全キリスト教徒の連合、
主のもとの完全なる帝国だと。
今となっては何を意味するか分からん。」

枢機卿の声は、よく選んだのだろうか、
教皇より偉そうでなく、
虎の威を買って偉そうにしている人の声を
想起させる。

ステフェン・ラウベという、
カールスルーエ出身の役者が演じている。
写真を見ると、谷原章介みたいな、
顔立ちで、すっきりしている。

また、教皇は、完全に偉そうな人、
威厳を持って自信満々な人の感じ。

この役を演じるハンス・シェルツェは
デュッセルドルフで学業を終えたのが、
1952年というから、かなりのベテランである。
ウェストファーレンのドラマ学校の校長も務めた、
という重鎮。
そこらでも見かける、
何故か理由はわからないが、自信満々の人とは違うようだ。

クレメンス:
「奴の母親と同様、気がふれておるのでは。」
枢機卿:
「所詮、力と富を恋ねがう連中と同じで、
問題は単純なのです。
彼はあまり力を持つべきではなく、
我々が力を持つべきなのです。
彼はアフリカで力を消耗したが、
一方で、彼の権威は上がってしまった。」
クレメンス:
「教会は汚れてしまった。」
枢機卿:
「この点で気を付けるべきということが肝心。
世界は巨大なボードゲームのようになって、
神聖であるということも、
その他多くのものの一つになってしまった。」
クレメンス:
「教会は自身の力で、
こうしたみじめな状況から立ちなおることを望む。」
枢機卿:
「左様で。しかし、こうした考えより緊急なのは、
市街に警告を持って攻め寄せる皇帝の傭兵たちを
どうするかを考えなければならぬということ。」

何と、呑気に、教会の権威を高める作戦を立てている場合ではなく、
すぐそこに反乱者が押し寄せている状況だったようだ。

クレメンス:
「フルンツベルクやペスカーラなど、
連中の将軍らを説き伏せるのも無駄であった。」
枢機卿:
「連中のボスの状況が今より悪かったから無駄だったのです。
ここにフルンツベルクが面会に来ております。」
(フルンツベルク現れる)

このような緊迫した状況で、
カールが口を挟むのは、久しぶりに見た、
フルンツベルクの姿が懐かしかったからであろうか。

カール五世:
「いいやつだフルンツベルクは。
彼は、私が彼を見捨てたと信じているかもしれないが。
彼は昔かたぎの信頼できる男。
恐ろしい絶望で、教皇の許に向かったのであろう。」

声も優しい慈愛に満ちている。

フルンツベルク:
「聖なる父よ。
あなたは、他のキリスト教徒を
地獄に送るようなこと以外は何もしていなくても、聖なる者です。」

恐ろしい皮肉であろうか。
教皇は何のためにいるのか、
ということを突き付ける台詞になっている。
フルンツベルクの登場も、
何かしっかり決意をしたもの、
という感じでうまい。

フルンツベルクを演じるのは、
ワルター・ゴンターマンという
ミュンヘンとケルンで学んだ役者。
テレビ、ラジオ、映画で活躍したとあるから、
教皇たちより、顔がよく出る人だろうか。

とにかく、この部分は、
こうしたベテランの役者3人が(フアンも含めると4人が)
緊迫したやり取りをしている。

フルンツベルクは続ける。
「あなたは、あの方が、恐ろしいストレスと緊張にさいなまれる中、
我々が主人や皇帝を裏切るように仕向けた。
これは簡単な交渉です。
あなたが私たちに出す金があるなら、
恥ずべきご提案は忘れ、ここを離れましょう。
もし、それがなければ、立派な街であるローマは、
異なる種類の言葉を、我々から聞くことになりましょう。」

クレメンス:
「私には、すべてのドイツ人が
我々の耳にまで届く悪魔の嘲りのように聞こえる、
ぞっとする異端の芽に苦しんでいるように見える。
そなたは、そなたの主人の会計係と
話をしているわけではない、
ということを忘れておられる。
そうではなく、精神の世界のみを案じておる
全キリスト教のトップなのだ。」

クレメンス7世は意外に落ち着いている。
大物が小物に対応するような声の出し方もそれらしい。
が、大きく出た教皇に対し、傭兵隊長の質問も厳しい。

フルンツベルク:
「われらに反逆を扇動することも、
神聖なお勤めでしょうか。」

教皇は明らかに痛いところを突かれたので、
言葉は逆切れ気味だが、
ここでの演技では、それがどうした、
という感じを出している。

クレメンス:
「鋤から逃げて来た百姓と、
我らは神学を論じる気などない。
こいつら下衆どもを黙らせるのに与える金はないか。
(枢機卿は首を振るが、「ナイン(ありません)」と聴こえる)
では、そなたは、神の前でどう言い訳するつもりかな。」

この対応では、フルンツベルクが、
頭にくるのもわからんではない。

フルンツベルク:
「同志、入れ。手あたり次第、貰っていけ。」
(兵士ら、現れる。)
フアン:
「冒涜です。」
カール五世:
「彼は私を裏切らなかったし、
彼の兵士を飢えさせることもしなかった。
その意図ゆえ、放免してよい。」
フアン:
「正しいわけがない。
全ての人間は自分の目では無罪でも、
永遠の審判ではそうではない。」
カール五世:
「決まる前に選ぶのなら簡単なこと。
しかし、みよ、今、何が起こるか。」

カール五世ならずとも、このような状況下で、
フアンのような意見が空しいことは想像できる。
特に、教皇の言動や描かれ方からして、
悪者に見えるから、
むしろ、その場にいたら、
やれーっと、
言いたくなるかもしれない。

ここでようやく沈黙が破られ、
ティンパニが連打され、
合唱が始まる。
弦楽もうねり、金管は警告音を発し、
12音技法のオペラという実感が湧いてきて嬉しくなる部分。

兵士ら:
「バビロンに向かえ。
悪徳の黄金都市に向かえ。
女を犯し、宮殿を焼け。
金の崇拝者である偽キリスト教徒を
見つけて殺せ。
すべての邪悪な偶像を引き裂け。
主の騎士は汝らなれば。
ドイツ人は山を越えて来た。
不道徳な街ローマにふさわしい名誉を与える。
全てはゴミにしなければならない。
不浄の器からむさぼり食い、姦淫の葡萄酒を飲み干せ。
欲望と悪徳の寝床に転がり、
日常の生活や辛苦の終わりなき足取りを休めよ。
アンチキリストの教皇を捉えよ。」

クレメンス:
「お前たち全員を永遠に呪う。
異教徒より邪悪に、
キリスト教徒がその長に対して怒り狂う。」

兵士ら:
「最後はどうせ地獄に行くなら、
その前に満腹になるのだ。」

フルンツベルク:
「こら、やめんか。神の名を侮辱するか。
われらの皇帝を蔑むことだ。」
傭兵隊長は、兵士に懇願して声を上げる。

兵士ら:
「皇帝も教皇も餓死はしないぜ。今の俺たちの君主は空腹だけだ。
誰も怖くはないぜ。」
(破壊と放火)
大太鼓が打ち鳴らされ、
ジグザグに弦楽が錯綜してローマ略奪の音楽。

フルンツベルク:
絶叫のシーンである。
悲劇の英雄という感じが出る。

「錯誤と狂気が自分たちを食らいつくす。
我々を待つ地獄さながらに真っ暗だ。
これ以上は、陛下に合わせる顔がない。
この恐怖を終わらせられぬゆえ、
聖なる都の廃墟の上に我が命を絶つ。」
(自ら命を絶つ)
拍子木と小太鼓が連打され、
緊迫感がいや増す。

クレメンス:
「ローマを破壊するものに呪いあれ。」
(皆、消える。)
カール五世:
「その教皇の呪いは、
トルコからぶんどったチュニスの要塞、
アフリカにいた私にまで海を越えて及んだ。」

カール五世の遠征は1535年のチュニス遠征と、
1541年のアルジェ遠征が有名だが、
後者の方が天候の影響もあってひどい目に会っている。
しかし、教皇クレメンス7世の死は1934年であるから、
直後のチュニスでひどい目に会ったという事にしないと、
関係が薄くなってしまうと、クルシェネクは考えたのかもしれない。

なお、この部分は、久しぶりにシュプレヒシュティンメで、
カールを演じるアメリカのバリトン、
デヴィッド・ピットマン=イエーニングの声が聴ける。

しかし、話し相手の僧フアンも、
ドイツのベテラン役者であるし、
ドイツ人だらけの中、
この主役だけがアメリカ人というのも、
ちょっと奇妙な配役だと思った。

得られた事:
「クルシェネクのオペラ『カール五世』の第1部の終わり近くで取り上げられた大きな歴史上の事件は、教皇クレメンス7世との確執と、それによって引き起こされたローマ略奪についてであった。カールはフランスと戦うために傭兵隊を作ったが、その生みの親にして隊長、フランツベルクは、フランス国王、フランソワ1世を捕縛した英雄となった。」
「さすがのフランツベルクも、カールが戦費を用立てせず、傭兵たちが飢えて反乱を起こしそうな状況下では無力。何とかローマ教皇のところに交渉に行って憤死する。結果、傭兵軍は暴徒となり、クルシェネクは合唱と緊迫した管弦楽で、この状況を描いた。」
「カールは、この状況下、偉そうな対応をする教皇は敵にしか見えず、この暴徒らを罰することができない。第二次大戦前に当時の情勢を反映して作られたオペラではあるが、ロシアのウクライナ侵攻と照らし合わせて、聴くと、妙に、各シーンで思い当たる点があるのだが、戦場で命がけの兵士のすることは、もはや制御不能、という点でこの部分も生々しい。」
「ただ、若い聴聞僧のフアンだけが、人間の理性の最後の希望のように、『どう考えても正しくない』と怒っているが、それさえも現場に居ないのだから空しい。戦争は始めてしまうと、ルール無用の混乱に陥るしかない、という事を知る。第一次大戦には参加しなかったが、体験はした世代の作曲家ならではのリアリティかもしれない。」
「なお、最近の新聞記事で、B29による日本の諸都市空襲も、爆弾を落として帰らないと燃料が持たないから、などという現実的な理由で不必要な投下があった、とかいう研究があることを知った。きれいな理論とは異なる死に物狂いの状況が現出するようだ。」


# by franz310 | 2022-08-15 16:07 | クルシェネク

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その479

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その479_b0083728_22165341.jpg個人的経験:
クルシェネク作曲の
「カール五世」は、
未だに評価の定まらぬ
大作である。
背負っているものが
大きすぎて、
持て余されている感じもある。


全曲を収めたCDが登場したのが
作曲されてから60年を超えてだったし、
また、短縮されながらも
録音されたものが、
CDとDVDが一種類ずつ、
という状況からもそれは想像できるだろう。

登場人物もカール五世に関係した、
歴史上の有名人物を、
彼の母親、狂女ファナから、
宿敵フランソワ一世に加え、
それに加勢したトルコのスルタン、
さらには、インカ帝国を滅ぼした、
間接的な部下であるピサロまで、
脈絡なく取り揃え、
映画的な手法を取り入れて、コラージュした感じ。

クルシェネクは第二次大戦前に、
この作品を、いわば、ナチス・ドイツへの反旗のように、
あるいは、併合されることになる
オーストリアの立場で書いた。

この声が、戦争の影響もあってかき消されてしまって以来、
自分事として捉えられる戦争がなかったので、
クルシェネクの絶叫は、以来、現実味を失ってしまった。

が、今や、一方的に膨らもうとする
ロシアの姿を見て、
戦争が再び身近になったため、
恐ろしいことに、
「カール五世」が構想された時と、
同様の時代背景になってしまった。

少しずつ、
スーストロがMDGレーベルに録音した
全曲盤を聴き進んで来たが、
ここまでをまとめると、
カール五世が大帝国の帝位を譲って、
肩の荷を下ろしたところに、
神の声が聞こえて来るという部分が
プロローグのようにある。

神の期待に沿った活動をしたか、
という問いかけである。
帝国は神聖ローマ帝国という、
国名だけからすると、
カトリックを守護するような
アイデンティティがある。

次のシーンでは、カールの母が登場。
狂気の母親は、彼のことを覚えていない。
ただし、幼い頃の事を思い出すが、
母親に虫が食ったリンゴを食べろ、
と命じられる展開。

プーチンも崩壊間際のソ連にいて、
それをロシアとして受け継いだ。

リンゴは帝国の象徴であり、
虫とは、その帝国が抱える難題であろう。
もはや、崩壊は時間の問題、という感じなのである。

続くシーンでは、その問題のうちで、
内部に抱えるもの。
つまり、カトリックに刃向かうプロテスタント勢力である。
むしろ、ドイツでは、その勢力の方が力をつけている。
カール五世は、ルターの申し立てに対して無力であった。

プーチンはそうはいっても、
同胞のような国々に囲まれていたはずだった。
しかし、どこの国も、旧ソの世界観を拒絶しようとした。

次は帝国の外である。
隣国フランスには、かつて神聖ローマ帝国の帝位を狙った、
フランソワ一世が王位にある。
膨大な戦費で傭兵を雇って、
彼を捕虜にまでして、
友好を迫るが、まったく相手にその気はなく、
むしろ、フランスの文化の方が、
優れているようにも見える。

プーチンも、ふと、西側を見ると、
いろんな新しい産業が台頭しては、
ロシアが成し遂げられない、
イノヴェーションが起こっている。
彼は西側に天然ガスを送るようなビジネスしかしていない。

プーチンは、化石燃料を是とする世界に留まっている。
情報化社会にあってインターネットを見ないというが、
本当なのだろうか。

カール五世の戦費はどこから来たかというと、
何と、ピサロが南米で荒稼ぎした宝物を流用したもので、
スペインの民衆は、皇帝が、彼らの冒険の成果を取り上げるので、
不満を募らせる。
プーチンの戦費は、西側に天然ガスを売った金でまかなわれている。
お客様に対して敵意を募らせているという状況は、
かなりのパラドックス状態と思われる。

オペラの次のシーンでは、
また、フランソワ一世が登場し、
囚われながら脱走を試みる。
何と、キリスト教世界の守護のカール五世には、
信じられないことに、
異教徒のトルコと結託しようともしている。

ロシア正教で団結していたはずのウクライナが、
ゼレンスキーの手によってその魂を売っている、
とプーチンが考えてもおかしくはない。
そんな事を思わせる情景である。

では、Track.6から聞いてみる。
双方の言い分を聴きとることが出来る。
前半は、カールが、フランソワの悪口を言い、
後半はフランソワが、カールを非難する。
それぞれ、相手のいないところで言い合っている構図。

すでに、聴聞僧フアンは、
カールに対して、かなりの不信感を持っている。

前のシーンで、カールが、
アメリカで好き勝手に略奪したピサロが
献上した宝物を使って、
戦争をしていたことを、
若い聴聞僧のフアンは知っていたからだ。
したがって、彼の困惑から、この部分が始まる。

本当に短い、血が弾くような弦楽の序奏に、
小刻みに駆け上がる弦楽を打楽器が受け止め
フアンの当惑を表し、
「あなたは、私を深く困惑させる
陛下、あなたは異教徒を根こそぎ皆殺しにしようとしたのですか、
それは全て正しいことだったのか」と、
すごい早口である。

私もまた、プーチンには、
「根こそぎ、皆殺しにしようとしているように見えるのですが」
と、ミサイルが飛んだ後を、
案内したい気持ちになっている。

話を戻すと、フアンの役柄は、
歌手ではなく役者が演じるので、
歌でもレチタティーボでもなく、語りとなる。
(よって、このパートは、我々自身が演じる場合、
自分なら、どんな風に叫ぶかを考えることが出来る。)

一方で、カールは、彼との対話のすえ、
語りからアリアになる場合があり、
歌手が演じている。
ここでは、わーっと盛り上がり、
レチタティーボ風に語り、
最後には、ゆるやかな歌唱となる。

高音でのたうち回る弦楽と、
単調な乾いた太鼓のリズムが、
イタリア派遣の軍を描写し、同時に、
痛いところを突かれたカールの心情に
リアリティを添える。

「私の良心以上に、苦しめないでくれ。
イタリアの我が軍隊は無報酬で、
恐ろしい事が起こったのだ。
私が提案した事を彼はすべて拒絶し、
フランソワと講和を結ぶことが出来なかった。」

この辺りから、饒舌になる感じで、
アリア風に、フランソワの傍若無人さ強調する。

ファンを納得させようと、
押しつけがましい弦楽のリズム。

やがて、
うねうねと高まって行く波のような弦や、
それを堰き止めてパルス状に緊張感を高める管楽器が
以下のアリアを伴奏する。

「ひそかに私は、
マドリッドに彼を引き留めたが、
彼は居座って自由の身であるかのように、
こちらの方が奴隷のようだった。
そうだったろう。
彼は、呑気に気兼ねなく、
詩を書いたり、色恋を手紙に書いたりしていた。
我が王国の騎士たちや淑女たちに好かれ、
世界の統治者たる私はと言えば、
自分を失うように、
団結が消えて行くように憂えていた。」

鋭く響く管楽器は、彼の自己否定を描写して、
警告的な音を発し続け、
ドーンとティンパニ。

以下は語りに戻る。
「彼は、騎士にふさわしい言葉を語る一方で、
逃亡するために、悪だくみを練っていたのだ。」

「上着を持て」と声が響いてフランソワが登場。

クラリネットの人を食ったような、
とりとめのないメロディが、
このフランス王の軽薄な、
しかし、軽やかな様子を描写すると、
黒人奴隷に見えるように、
「顔は黒く塗った方がいいな。」
と歌う。

ト書には、何人かの従者に囲まれ、
後ろには一人の黒人がいる、と書かれている。

この後は、かなり長いフランソワのアリア。

「モハーメッド、喜びよ」と歌い出し、
しかもテノールなので、
ずっと主役のカールより華やかな存在に見える。

しかし、この歌詞からも明らかなように、
ゼレンスキー大統領が、
隣国ロシアの誘いを蹴って、
さらにロシアの向こうにある
日本の国会で演説するような、
現代との相似形になっている。

このあたりでは、金管が有無を言わさぬ、
運命的な音色で伴奏を点描する。

しかし、やがてピッチカートに乗って
軽やかなステップでワルツ風の音楽が浮遊し、
管楽器や弦楽器が短い装飾を加える。

「絞首台から逃げられるなら、
今日と言う日が、お前を金持ちにしてくれる。
すぐにでも黒人のように黒く変装して、
木を運ぶ黒人のふりをして
獣道の峠をスペインの歩哨から逃れ、
自由になってフランスに戻るのだ。
私が約束を破っていると?
それは頑固な皇帝のせいではないか?
私は、友情をもって、いろんな事を語り合うために、
皇帝の兄弟のように、ここ、マドリッドに来た。」

このあたりで、少し雰囲気を変え、
理不尽を訴えるような声色に変わり、
伴奏も暗いものになる。

「しかし、彼は現れず、
耐えがたい条件で、私は、
次から次にやっかいな役人に対応した。
彼はフランスの重要なブルゴーニュを要求する。
私は喜んですべてを約束する。
トルコ(英訳はムスリムと書いている)と戦う助け。
私は、彼に対抗するために、
トルコ(同上)の助けを模索しているのに。
彼が欲しい金銭も(約束した)。」

ぽぽぽぽーっと、ホルンが柔らかく響くのは、
祖国への思いだろうか。

「しかし、祝福されたフランスを取り囲む
花輪のような美しい国土を渡しはしない。
それは永久にあり得ない。」

次に、このオペラが、おそらく、最も訴えたかった言葉が来るが、
特に際立った音楽がついているわけでもないのは、
少し不思議だ。伴奏も抑えられており、
地味な扱いだが、耳を澄ませ、ということだろうか。

「私たちの国民の家庭的(居心地の良い)な内面の生活
(für das trauliche innere Leben meines Volkes)の安全は、
空想の世界の統一より価値があり、
それは、取り囲む土地によって守られるからだ。」

このフランソワ一世のアリアには、
訳の分からない統一を求める暴君に立ち向かう、
彼こそが主人公のように思わせる説得力がある。

全てを言いなりにしようとする覇権主義や、
全てが統制される社会統制への強烈な「No」があり、
まさしくこうした隣国に挟まれた、
我々自身の意見のようにも思えて来るからだ。

しかし、クルシェネクがこれを書いた時は、
ドイツとオーストリアの関係がやばい状況で、
このフランソワの言葉は、
当時のオーストリアのあるべき姿を、
彼自身の言葉として書いたものなのだろう。

そう考えると、本当に現在の状況は、
先の大戦の直前の状況にも似ているが、
どの戦争も攻める方と攻められる方があって、
双方の言い分の論理は同じということがあるだろうか。

とにかく、この
「für das trauliche innere Leben meines Volkes(内面の居心地の良さ)」
という一節が、この抗争の中心にある。
ヒトラーもプーチンも、そんなものには興味がないし、
それは、間違った考えに侵されているからだ、
というだろう。

実際、クルシェネクの期待は外れ、
オーストリアは、自らそれを捨て、
強いドイツに含まれる道を選んだ。

「準備はいいか?」
とフランソワが尋ねると、
従者が彼が指示したとおりにする。
「鏡!」と言って、自信を見る。

「うまく行った、うまく行った、
今、カールが来ても、彼自身、黒人のしもべに蹴りを入れ、
追い出すことだろう。
よし、行こう」と出て行こうとする。

そこに、士官アラルコンが現れる。
太鼓が打ち鳴らされ、音楽が途切れる。
「とまれ。全員動くな。黒人が二人?
一人しか知らんな。すぐに、どっちが本物か見抜いてやろう。
(フランソワのメイクをぬぐい、黒人に向かって)
モハメッド、私はあなたの首に一銭も賭けていません。
連れていけ。そして、陛下、あなたは?」

フランソワ:
「マスカレード、この退屈な牢獄の娯楽である。」

アラルコン:
「それは、パリでお願いします。
マドリッドでは国王たるものが、
こんな風に変装したりはしないものです。
警護を二重にせよ。」(出て行く)
こもあたりは語りで演じられている。

低くうめくようなチューバの音。
フランソワの短いアリア。
「裏切られた、裏切られた、
二心ある沈黙の中、
不信と恨みに満ちた、
彼らの主人のように、
復讐をする卑劣な悪党らの領地で。」

スペインの淑女たちの合唱が重なる。
(フランソワが囚われた塔の前で、
仮面を付け、マンドリンでセレナーデを歌う。)
とト書に書かれている部分で、
これまでの男同士のやり取りに、
女声合唱の柔らかな響きが花を添える。

「フランスの誇りよ、
キリスト教世界の勇敢な騎士よ。
私たちはみな、あなたと共にある。
あなたの心に寄り添い、
私たちは誠実にあなたと共にある。
私たちはあなたの英雄的な心を知っているから。」

このシーンなども、まるで、
西側の多くの国が、ウクライナのために祈っているのと
同様の光景に見える。

カールは、こうした情景を見ている。
「夜の闇の中、彼の塔の壁沿いに集う、
淑女たちの姿が見えるか。
我が帝国の敵である彼にセレナーデを歌う。」

淑女たちは、「スペインの淑女たちは、
夜も昼もあなた様の炎の弱まりを夢に見て、
あなた様の恐ろしい孤独に心からの悲しみを感じています。
フランスの誉れよ、ご挨拶申し上げます」と歌う。

フランソワは、
「私にはこの音はぞっとする嘲笑に聴こえる。
止めさせよ。あれを止めよ」
と、言うし、
カール、「嫉妬といら立ちに苦しめられ、
この狂気の女たちの中に、
私は変装して紛れ込んだ」と語るし、
淑女の声は、両雄を苦しめる。

フランソワは、
「ああ、何と私は惨めな事か。
私の命はもう長くない。」
などと、声を響かせるが、
よく通る声(アンドレアス・コンラートが担当)で、
このオペラのモノローグ調の中で、
比較的、開放的な空気感を醸し出すのに
役だっている。

「この獄生活が終わらない限り、
私は病に倒れるだろう」と言って消える。
淑女たちは、まだ、そこに見えている。

Track.7:
ここからは、かなり奇想天外、
あるいは、強引な展開とも思える事件が始まることになる。

何故なら、敵将であるはずの
フランソワを慕う女性の一群の中に、
カールは自分の姉の姿を認めるのである。

前のシーンで、フランソワは、
「兄弟としてここに来た」などと言っているから、
そう仕掛けたのはカールだと思っていたが、
どうやら違ったらしい。

カールは、こう語る。
「しかし、私は淑女たちに、こう語った。
彼は、あなたがたの国王の大敵であるのに、
何故、彼を称賛できるのか、と。」
オーケストラは、
決然とした調子で、ばん、ばばばん、
ひょろーっと、その当惑を暗示。

突然、カールの姉のエレオノールが、
淑女たちの中から現れる。
「私が愛する人は敵ではありません。」
と高らかに歌い上げるので、
短いデュエットとなる。
カールは、「何を聴いたのか。仮面の下から。」

打楽器がその驚きと、訝りをたたきつけ、
オーケストラが盛り上がる中、
エレオノールは強気である「さあ、どうします」
カールが「私はあなた方の王である」と答えると、
彼女はマスクを取って「カルロス」と叫ぶ。
女声合唱は、「ああ」と言って消える。

カールは、ようやくエレオノールを認め、
「姉さんではないか」と叫ぶ。

この後は、エレオノールのアリアとなる。
ここで演じているのは、
トゥリド・カールセン(Turid Karlsen)という、
何となく、カール・ニールセンという
デンマークの作曲家を想起させる名前のソプラノだが、
1961年オスロ出身とあるのでノルウェイ人ということか。

ただ、学んだのはドイツで、
活躍の場、ボン・オペラでは、
「魔弾の射手」のアガーテなども
受け持っているという。

写真で見る限り、
恰幅の良い人であるようだ。

伴奏は、控えめで、
錯綜した感情を静かな弦の動きで支える。
声は、なだらかな抑揚を持って、美しく流れる。
「弟よ、私を許して。
私はあなたに、この愛をあえて伝えることが出来なかった。
私の心は、あの王様を見てから、燃え続けています。
私も家系から来る強迫観念、悲しみと世界の苦悩に圧し潰されていますが、
私は愛することもできるのです。
私の血液は、燃える火のように血管を流れ、
幸福への憧れは、
他のすべての者たちと同様、私を満たすのです。
すべてがうまく行くではありませんか。
あなたは彼と再び平和な世界を作るべきです。
私が彼の側に立つことで、
あなたは友情を築きやすくなるでしょう。」
エレオノーレは、自分の出自に縛られることを嫌っている。

カールの「それが信じられるだろうか。
そうだとすれば無上の喜びなのだが」
という当惑では、管楽器が、
そうだよな、という感じで響く。

エレオノールは、「彼を殺してはいけません」と叫び、
カールが「私は、彼を私に結び付け、
本当の兄弟にすることが出来るだろうか」というと、
エレオノールは消えてしまう。

このように登場人物は、
カールの回想の中の人物が多く、
勝手に出たり消えたりするのが、
鑑賞を困難なものにしている。

さて、幻影が消えたからには、
フアンとの対話が待っている。
フアンが声を出す前に、オーケストラは、
ホルンが下降音形を繰り返し、
弦楽が反発して上昇し、管が鳴り、拍子木で打ち切られる。

フアンの意見はいつもながら、
太鼓がたたたん、どどどんと、その生真面目な正論を補足する。
「陛下、すみません、
私たちが調べている歴史の大きな流れから、
これらのことは全て気を逸らしてしまいませんか。
これらの逸話は、儚い個人の不確実性に左右されませんか。
ここに何の重要さがあるでしょうか。」
カールが、
「私はこうした小さな弱みで自分を正当化したくはないのだ。」
と、逆切れ気味に弁明すると、
オーケストラの動きが、活発になる。
小刻みに揺れて小間切れになった楽句が、
もやもやうねうねと続く中、
彼は、フアンを諭すアリアを歌う。

「だが、君は無数の情報源から、
力あるものもちっぽけなものも一緒になって、
それが人間の人生と経験のすべてになっていることを知るべきだ。
どんな巨大な流れも無数の知られざる小川によって成長しているように、
それでも、その巨大さを理解するためにも、君は全てを知るべきなのだ。」
銅鑼が何度か鳴り響き、弦楽がうねる。

ここからは、回想になるので、
少し、あいまいな記憶をかき分けるような音楽。
弦が、問いかけのような楽句を奏で、
管楽器群がもやもやした音響を形作る。

「私は今、愛や友情や人間的感情、音楽への憧れが、
明るさや甘さにゆえに、自発的に私を魅了した
私の人生の正午前の話をしている。
しかし、この男、フランソワは、
私が与えられなかった全てを持っていた。
彼に打ち勝ちたいと思い、
密かに彼の魅力と優雅さを学び、
彼のようになりたいと思ったが、
それは出来なかった。」

この間、オーケストラは多彩な響きで、
カールの優雅さへの憧れなどを描く。
ヴァイオリンやホルンの独奏が孤独を表すのか。
ピチカートが牢獄に降りる。

「彼は牢獄にあって深刻な病気になり、
死の想念が彼を苦しめ、
彼の遠くにいる恋人に手紙を書いている。」
音楽は、その雰囲気のまま、
病床で手紙を書くフランソワのアリア。
明滅する楽器、管楽器のなだらかなラインが彩る。

「死の床で。恋人よ、私はもう一度、そなたに挨拶を送らん。
真っ暗な黄泉への旅立ちに際し、そなたの涙を求めん。
もう、そなたの目の輝きは見ることもあらじ。
惨めにも死に至る病。
ハーデスにすら、オルフェウスは
彼の愛する妻を連れ戻しに行った。
彼は、妻のために7年も泣いたのだ。
病の床で死ぬ。
愛してくれますか、愛する人、
あなたから離れて以来、
あなたは、私のことを考えただろうか。」
ここで、伝統的なアリアのように、
声を伸ばして、憧れをぶつける。

「私はいつまでもあなたのもの。
死の床にて。」
洒落た手紙を書き終わった感じのある、
ハープの弾奏も、澄ました表情。

音楽は休止を置いて、
再び動き出す感じ。
ここで一瞬、過去の幻影ではなく、
フアンを相手に語るカールである。

「この時点で、私は彼を見舞った。
兄弟であり親友である彼を。
こんな形で会うことになろうとは、
何と悲しいことだろう」
と言う。

ここでフラッシュバック、
フランソワがそれに答えたりする、
「もっと早く来てくれたなら、
遅すぎることはなかったろうに」
と言ったりして、
二人の会話になる。

音楽は、二人の騙し合いみたいな、
あるいは茶番のような状況を表して、
ぽつぽつと途切れがちだが、
そのたびに勢いも盛り返しながら
二重唱になっている。

「いやいや、あなたは回復する。
あなたの部屋で私たちの仕事に戻るのだ。」
「私たちの仕事?」
「主の十字架の下に世界を統一するのだ。」
「あなたは多くを望みすぎだ。
死の境にあるから、それが分かる。
それぞれの見方で、それぞれの持ち分(engeres Bereich(狭い領域))に
気をかければ良いではないですか。」

この「Lass jeden sein engeres Bereich versehen, wie er es richtig meint.」も、
統一と独立の考え方の違いを明示する。

ここで、カールの声は、
まったく反対の考えを気化され
癇に障ったかのように高ぶる。
「ドイツの異教徒を罰するのを、
止めさせたのはあなただ。」
「私がしたように、放っておけば良いのです。
フランスは、その信じるがままに正しい道を進むでしょう。」

どん、とティンパニの一発で、
カールの気持ちがぶつけられる。
以下は独白調の語りである。
「ここで、彼は、
私の誘惑の原因、死ぬほどの羨望を起こす
大もとに触れるのだ。」

どんどんどんと太鼓でアリア。
ぱああ、と金管もさく裂しながら語り。
「それは私に征服されても、平和を約束するだろう。
私の姉エレオノールは、あなたの妻となり、
ブルゴーニュは持参金だ。こうして、あなたのものとなる。」
長い沈黙がある。

ここは、クラリネットか、
暗い闇の中での熟考を想起させる音色。
そして、オーボエ、ホルンが続く、短い間奏曲と沈黙。

フランツは、「わかった。あなたの言う通り」
と、いかにも二心ある、緩慢なレチタティーボで答えるが、
完全に平行線なのは、明かである。

現代に例えると、プーチンが、
ゼレンスキーを捕縛して半殺しにして、
「君がギブアップすれば、クリミアは君たちに戻るではないか」
と言っているようなものである。

カール五世とフランソワ一世の対比は、
これまでは、前者がキリスト教世界の平和を希求する義の人、
後者は日和見主義者で恥知らず、信用できない奴、
みたいなイメージになり勝ちだが、
現代の事象に対比させると、
「義」というものが、恐ろしく胡散臭く見えて来る。

「義」を調べると、儒教における
「人として守るべき正しい道」とあるが、
ここまでどうしようもない概念はない、
とまで考え及んでしまう。

そんなもののために、
この「カール五世」では、
アメリカにおける征服事業が語られたし、
ウクライナでは、国境地域でも大虐殺が行われている。

そんな事を考えながら
ぱぱっとトランペットの破裂音を伴いながら
次のカールの言葉を聴くと、
多くの人は、悶絶してしまうのではなかろうか。

「私が、あなたの苦しみを終わらせることが出来るのに、
役だつことが出来たことに、どう感謝すればいいか。」
彼は、姉を嫁がせることが出来たので、
一面、そんな風にも言える立場ではあったのだが。
「今や、平和と友好が永遠になった。」
ここまでが、フランソワとの会話で、
以下は、フアンへの説明であろう。
「しかし、私が彼の許を立ち去ろうとした時、
彼は不誠実な企みを企てた。」

オーケストラは錯綜して、
この両者の不和の到来を告げる。

フランソワは、ベルを鳴らして何人かの役人を呼び、
以下の事を書き留めさせる。

「顧問官、入れ。
よく聴いて書いて留めるのだ。
私が誓約の下に宣言し署名するものはすべて、
牢獄にあり、病を得て強いられたものであるがゆえに
神の前では無意味で無である。
私は命を守るために、誓う必要があったのであり、
私はこうした制約には縛られることはない。」

拍子木のような音に、ホルンが絡む。
どどん、とティンパニと金管の強奏。

「今に大臣が来るだろう。
彼の野望と権力欲を隠し切らぬ
度し難い蒙昧主義が、
彼の空想的なたくらみの背後にある。」
と叫んで消える。

若くて、ずばり意見を言うフアンは、
この光景を見てどう語るだろうか。

「陛下、あなたは本当に彼を信じたのですか。」
音楽もずばっと、閃光。

「あなたは、こうした背信が、
通常の政治の部分をなし、
一部であることをご存じのはずでは。」
カールは、「私はおそらくわかっていた。」
ばばーん、とオーケストラもショックを受ける。

以下はレティタティーボで。
「私は、自分がそう望んだゆえに、
彼を信じたのだ。
司祭はまだか?」
(ここで、エレオノールが現れる)
カールは、こう続ける。
「将来の嘆きを予想しながら、
求めていた喜びを抱きしめることを躊躇う彼女が、
いかに動揺しているかを見てごらん。
ああ、私の若い頃のいくつかの残像について、
少し考えさせてくれ。」

エレオノールは、
控えめなオーケストレーションの伴奏を背景に、
抒情的なアリアである。
「高名な英雄に会うことと、
彼の妻になることの想念に、
私の心は震える。
彼の派手な宮廷の
優雅さと豪華さを知ることは
私を不安にする。
彼の回りで彼を賛美する
魅力的な女性たちに囲まれていると、
私はみすぼらしく、退屈に見えるでしょう。
ああ、私の愛が、
私を見栄えよくしてくれますように。」

フランソワが再び登場するが、
婚礼の行列の随行員と一緒に見える。

カールは、「豪華な祝祭で偽りの平和は終わり、
彼は別れを告げる」と絶叫。

祝祭の行進の音楽は、明るく快活。
ファンファーレ風に金管が吹き鳴らされ、
軍楽調で太鼓も弾む。

カールは告げる。
「フランソワ王、栄誉の中に我が姉を抱くよう
お願いする。」

フランソワは、
「どうして、このような美女を傷つけることなどできよう。
私は、彼女を愛する」と、優雅に歌って答えて消える。
背景では、行進曲が続いている。

カールは、遠ざかる軍楽を聴きながら、
語りになる。

「彼は、私を、重い心のまま残して行った。
私は、私の心の中の宝と私の勝利を、
同時にはねつけたと私は気づいたのだ。
私は彼をものにすることが出来なかった。
私の状況は不安定だった。
彼が私に競わせたトルコがスペイン沿岸を荒らし、
それがイタリアにも及ぶことを見るだろう。」

フランソワ一世との確執と、
彼に、姉、エレオノーレを嫁がせた当たりの逸話は
ここで一段落する。

得られた事:「私は現在のウクライナ情勢を対比しなければ、クルシェネクのオペラ『カール五世』のカールとフランソワ一世の会話を異なる解釈で聴いたかもしれない。『義』の人カールの押しつけがましさに辟易するが、それはクルシェネクにとっては、台頭するナチス・ドイツの一方的な言い分がそれに相当したであろうし、我々の前には、同じ言葉を繰り返すプーチンの姿が浮かび上がる。」
「あくまで、主人公はカールなのだろうが、敵であるフランスの王様の卑怯にも見える立ち居振る舞いさえも許したくなって来る。フランスが異教徒のスルタンに援軍を求めていることに眉を顰めるならば、ゼレンスキー大統領と岸田首相が手を組むのさえも非難しなければならなくなる。」
「フランソワ一世が、統一されたキリスト教世界よりも重きを置いたのは、『für das trauliche innere Leben meines Volkes(内面の居心地の良さのため)』という、おそらく、現在のウクライナの士気を高めている価値観に基づくもので、これを守るためには異教徒との連合をも厭わない、という考え方は、極めて合理的にも思え、彼こそが主人公なのではないか、などという考えが浮かぶ。」
「カール五世も、フランソワの『フランスは、その信じるがままに正しい道を進むでしょう』という言葉に、クルシェネクはドイツの覇権主義への反論を重ねたと思われるが、我々は、本当に、この言葉の重さを感じる時代になってしまった。果たして我が国(の主権者)は、将来までをよく考えて、正しい選択をしているだろうか。」


# by franz310 | 2022-05-02 22:18 | クルシェネク

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その478

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その478_b0083728_18200127.jpg個人的経験:
ナチス・ドイツに勝利した
5月9日に勝利宣言をするべく、
ロシアのプーチンは
要衝マリウポリを
制圧したと発表したが、
実際には、兵糧攻めである。


つまり、
餓死者が出るのを、
ただ待つ状況である。

先の大戦とは異なり、
全世界が、状況を把握して、
事態の打開を望みながら、
何もできないというのはいかなることか。

大学生が、「ただ心配だという事に意味があるのか」
といった投書をしているのを新聞で見たが、
まったくもってそのとおりだとも思う。

国連のトップくらいが動けば、
何らかの意味を持つだろうが、
いかなる効力があるとも思えない。

かつて、同様の状況下で、
松岡洋右は、国際連盟を、
捨て台詞を吐いて脱退しただけだった。

アメリカなどが武器支援しているのも、
いつ、どこに届くのかも不明、
どこまで効果があるのかが見えず、
先般、西側が集めた武器は、
ミサイルで破壊されたのではなかったか。

日本が防弾チョッキを送っても、
封鎖されたというマリウポリには届かないであろう。

そうした加勢に対しても、
ロシアは報復をほのめかしており、
逆上した指導者の狂気の火に、
ただ、油を注いでいるという見方が出来るのか否か。

ある種、生命線を脅かされる危機感という意味で、
プーチンのウクライナのこだわりと、
戦前、戦時の日本の満州へのこだわりは、
似ているのではないか、
などという点にも妄想が飛ぶ。

ただし、ロシアでは
親分だけがこだわっているように見えるが、
日本の場合は、満州放棄は、
国民が許さないだろう、という空気があり、
軍部がそれに従ったという説がある。

教科書では、
今はなき軍部が暴走したことになっているが。
また、ロシアにおけるプーチン支持も、
ものすごいと聞く。

現代ですら、
こんな危険な国と接しているのであれば、
何らかの緩衝地帯が必要だ、
という考え方すら、
蘇って来そうではないか。

かつて、日独伊三国同盟は、
ソ連を巻き込んだ四国同盟にしたかった
という説もあるが、
肝心のドイツにはその気はなく、
むしろ、彼らの人口を養うには、
東部に拡大するしかない、
というのがヒトラーの考えであった。

日本も資源のない国であるから、
満州確保などが重要、と考えられていたから、
何らかの資源確保が背景に戦争になることはよくある。

特に人口が増加傾向の場合は、
その欲求が強くなるはずで、
実際、19世紀から20世紀にかけて、
ドイツや日本は人口が2倍くらいに増加していた。
それに対して、ロシアは人口減少が目立つ国である。

今回のロシアの動きを見ると、
これらの背景、動機、下心がよく見えないが、
肥沃なウクライナの小麦などは重要なのかもしれない。
もちろん、黒海という出口も重要なはずだ。

例えば、今でこそ、オーストリアは、
海のない国になっているが、
第一次大戦まではちゃんと海軍があって、
アドリア海、地中海から日本にも繋がっていた。

サラエボで銃弾に倒れることとなる
フランツ・フェルディナント大公などは、
1893年に巡洋艦「皇女エリザベート」で、
日本に来航して明治天皇と会っている。

アドリア海を自由に航行するには、
スロベニアとかクロアチアとか、
ギリシアまでのバルカン半島に敵がいては大変なので、
今回の文脈で言えば、オーストリアの海へのこだわりが、
サラエボ事件に繋がった、という見方が出来るかもしれない。

四方を海に囲まれた日本においては、
海に繋がることへの欲望が理解されにくいかもしれない。
が、ロシアが、たびたび不凍港の確保を目指して
南下していることを見ても、
もはや、この北の大国のDNAのようなものに
なっているとみても良いのだろう。

ウクライナが持ちこたえた場合、
今度は、東から南下してくるかもしれない。

海に出ての交易については、
かつて、ポルトガル、スペインが、
ヨーロッパの辺境という意識から、
外に飛び出してからの成功体験で、
カール五世が生まれる前くらいからの伝統である。

つまり、ポルトガルは、
エンリケ航海王子(1394年 - 1460年)の時代
あたりからアフリカ沿岸に沿って海外進出が本格化し、
1488年、バルトロメウ・ディアスが喜望峰を回った。

クルシェネクのオペラ「カール五世」では、
この大航海時代の逸話が、
インカ帝国を征服したピサロと共に語られる。
ピサロは、カール五世の時代の人であるから、
間接的には、カールがインカ帝国を滅亡させた。

というか、1529年には、
成功報酬(総督の地位、キリスト教化の対価の年貢の権利)について、
契約をしているのだから、直接的な戦争犯罪人と言ってもよい。

いわば、プーチンの走りであって、
岸田首相が繰り返す、
「力による現状変更」を許したのが、
カール五世であったということだ。

しかし、こう書いてみて、
現代のロシアの侵攻とを照らし合わせると、
カール五世のインカ帝国侵略は、
何を動機にしていたのか訳が分からない。

やはり、金が目当てで、
キリスト教の守護というのは、
後付けとしか考えられない。

全曲が収められた貴重な2枚組CD、
(写真は録音のもととなった演奏会風景)
スーストロの盤のCD1のTrack.5は、
このピサロ登場のシーンになっている。

先立つTrack.4では、
フランスとの抗争で、
資金が底をついた様を表していた。

若い無垢な聴聞僧フアンは、
カールに対して、
傭兵への支払いが出来ずに、
彼らの傍若無人を許したのは何故か、
と素朴に問うのである。

「アメリカから、どんどん、
富が舞い込んでいたはずではないですか」と。

このような流れを現代のロシア・ウクライナ問題に
当てはめてみると、
「天然ガスをどんどん輸出できる国なのに、
いったい、これ以上、あなたは何を望むのですか」
という感じであろう。

音楽は、カールの心の胸騒ぎか、
あるいは、当時の浮ついた貿易熱か、
ピーヒョロ、ピーヒョロ系の管楽器に、
太鼓が低く打ち鳴らされて、
喧騒を感じさせる中、
始めて女声も含んでの混声合唱となる。

「セヴィーリャの人々」と題されている。
ピサロが財宝を持ち帰ったので、
町中の人々が歓呼して、それがまるで、
自分たちのためのもののように祝っているのである。

フアンの言葉を直訳すると、
「戦争を早急に終わらせるために、アメリカから、
数え切れぬほどの富があなたの手に入ったと思います。
ピサロがあなたにその宝をあなたに献ずるため、
セヴィーリャに凱旋した時の様子を、
私の父が何度語ったことでしょう。」
と言っており、
若いフアンは知らないが、
前の世代にはあった話のようですね、
といった時代感覚を語っている。

これは、高度成長期があったそうですね、
と今の日本の若者たちが言いそうな言葉を想起させる。

ト書には、「セヴィーリャの人々、
ピサロと彼の船の乗組員たち、
捉えられたインディアンが現れる。
金で出来たエキゾチックな産物やその他宝物を運ぶ。」
とある。

人々は珍しい物産や、何よりも、
連れてこられた見たこともない人種に興奮している。

いわば、バブルの時代に、
いろんなブランド品が出回ったようなものだろう。

このCDでは、ピサロは、
フロリアン・モックという、
アウグスブルク出身の若手テノールが担当。

この録音では合唱に重なり勝ちで、
声量はよく分からないが、
そんなに良く通る声でないものの
心高ぶる様子を伝えている。

「陛下、今、たくさんのカラベル船(3本マストの小型帆船)、
フリゲート艦(軍艦)と共に上陸いたしました。」
神妙なフアンの声とは対照的に、
いかにも浮ついた音楽が続く。

合唱:
「金、金が私たちの土地を潤す。途絶えることなく。」
ピサロ:
「離れた土地には多くの宝と富に満ちていて、
それらの輝きが、我らの貧しい大陸の目をくらませる。」
音楽は控えめながら興奮して膨らんでいる。
ピサロもそれに乗って陶酔している。

合唱:
「楽園が見つかった。我々はもはや、
あくせく働き、苦役に励むこともない。」
狂気の沙汰とも思える前のめり感で歌われるが、
こういった台詞がピサロではなく、
民衆の声というのも不気味と言えば不気味だ。

クルシェネクは、こうしたシーンを書きながら、
何を想起していたのだろうか。
彼の場合、第一次大戦で、
故国オーストリアが崩壊するのを見た。
あるいは、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国の
栄華などを思い出していたのだろうか。

太鼓が打ち鳴らされ、
ひょろろーと甲高く管楽器が鳴る。

すると、音楽は、急にワルツ風になり、
ピサロが、「これはお見せするのは、ごく一部です」と
嫌らしい声を出す。

小さなファンファーレに続き、
太鼓と笛に踊らされる感じで、
合唱が、途切れ途切れに歌う、
次の内容もいかがなものか。

「この素晴らしいカラフルな人たちをご覧あれ。
我々、スペイン人は莫大な富の支配者です。
西の方の部族は、私たちが命ずるままに
金を出さないといけないのです。
私たちは重荷から解放され、
世界の頂点に立ちました。
そして、すべての者たちが、私たちに従います。」

早口でまくしたて、有無を言わさぬものがある。
いかにも、傲慢な民衆である。
「この素晴らしいカラフルな人たちをご覧あれ。
ピサロに乾杯。」

音楽は控えめな持続音風になり、
カールがフアンに語りかける冷静な声が聞こえる。
しかし、言っていることは、何となく他人事に聴こえる。

「君の父親が、群衆に混ざっているようだが、
この財宝が、
遠くの人たちの苦役と血の色に染まっていると
考えたことはあったのだろうか。」

「それは、つまりこう思ったからだ」と言い、
そこからはアリアとなる。

カールは、アメリカのバリトン、
ピットマン=ジェニングスが担当。
暗い弦に管楽器が明滅する緩やかで内省的な深い音楽に、
次第に警告音が加わって、
この皇帝のやばい立ち位置を暗示する。

「世界は丸い。今日、その頂点に立っていても、
明日には儚く滑り落ち始めるだろう。
おそらくそこに、この世界の完全性がある。
キリストの御旗を立て、これらの国々に向かう者、
信仰の灯で彼らの闇を照らすべき者らが、
血まみれの手でこの金を手にしたのだ。」

ここまではよく分かる。
が、以下は、結論が違うだろう、という感じ。

「同じキリスト教徒との戦いに使うことで、
これらは浄められるのだろう。
これらの富を王室の金庫に運べ。」

キリスト教徒同士が殺し合うことの理由が出来た、
血を出した異教徒に詫びるためだ、という感じだろうか。
恐るべき、ロジックである。

「ここで、金の品々は運び出される」とある。
カールは、ピサロの侵略も、是としたようだ。

そこに、もっと活力のある合唱とピサロの歌が重なる。
「その金は我々のものではないのですか。
それらはまた外交政策に使われるのですか。」

ピサロは、「好きでみすみす宝を手放す奴がいる、
と考えるとは馬鹿じゃないのか。
私の手から、それを貢物として受け取りたいと思うものは、
それがいかにして得られたかなど、決して聴かないものだ。」
と言って消える。

合唱は、「それは私たちの力と強さの賜物ではなかったのですか。
そしてその力が金を得たのではないのでしょうか。
その金は私たちのものではないのですか?」

ト書に妻たちは姿を消すが、男たちは静かに話を続ける、とある。

フアンとカールは落ち着いて会話を続ける。
「彼らは何に不平を言っているのでしょうか。
私の父はそこには関与していないはずですが。」
「フアンよ、私も、それを信じている。
それでもしかし、私の知ることなしに、
古いスペインには異端の萌芽が現れていた。
彼らは不平を止めず、暗い夜のこと、
王家の金庫に何が起こったか、そこに見えるだろう。」

男声合唱の低い声が、ぼそぼそと無伴奏で語る。
「静かに、静かに。
では、私たちから引き離された金を、
あの外国の金を運び去ろう。
それらは我々のもの、我々のもの。
我々は、それが遠い帝国で使われることなど望んでいない。
遠く離れた帝国など知ったことはない。
スペインこそが俺たちの国。
スペインの勇気が得たものは、自分たちの報酬よ。
止まれ、止まれ、誰だ、守衛か。」
小太鼓が打ち鳴らされ、
管楽器、弦楽器が閃光を放つ。

第二の男声合唱、その中の一人、もう一人が声を出す。
「守衛は賄賂で消えた。」
「聞いてくれ。遠いドイツでは、
民衆が立ち上がった。
坊主たちの言いなりにならないよう
自由になるにはどうするかを書いてある
そのドイツの本を買うのに金を使わせてくれ。」
他の男たちはこういう。
「異端者じゃないのか。罪深くないのか。
死と地獄とを背負うぞ。」

先の一人は、「それは俺たちを支配する奴らの言うことだ。
それが何について書いてあるか調べてみよう。
学びと、自由と公正でしか、目標に近づくことはできない。」

「取り掛かろう」と、
全員で、合唱が始まると、
「素早く、袋や箱を持ち出して、
待っている船に積むんだ。
夜明け前に俺たちの宝を安全に持ち出す手はずだ。
ずんずんとオスティナートで、
暗い行進があり、独奏ヴァイオリンが静かに奏でながら消えて行く。
ト書に「言ったようにして、消える」とある。

フアンとカールが残される。
会話である。
フアンは、「無知な連中が、
無邪気にあなたを騙すのを見るのは恥ずかしい」
などと言っているが、
「しかし、スペインは祖国です。
それが私の心を高ぶらせる。
スペインが何よりなのです。」
カールは、
「さらにその上に神がおられる。
いたるところで若い世代に声を上げる
新しい考え方を見て来た。
それをとがめる気はない。
私とてスペインを愛しているが、
私のゴールはさらに高く、
もっと神聖なものにまで足を延ばさなければならない。
若い者たちには彼らの視点があろう。
それら二つを両方持つのは難しかろう。」

得られた事:
「クルシェネクのオペラにおいて、主人公のカール五世は、同様にキリスト教の国である隣国フランスとの戦争に明け暮れ、金策が尽き、ピサロたちが海外から搾取した富で、それを補おうとする。スペインの民衆は、自分たちの冒険心で勝ち得たものが、何故、そんな事に使われるのか理解が出来ない。余談になるが、プーチンも、毎日、大金を使って同胞に大砲を撃ち込んでいるが、敵とする西側諸国が天然ガスなどの購入でそれを補っているようだ。例えば、天然ガスのインフラを作った人たちは、どんな風に考えているだろうか。」
「カール五世は、『世界は丸い。今日、その頂点に立っていても、明日には儚く滑り落ち始めるだろう。おそらくそこに、この世界の完全性がある』などと権力の虚しさを語りながら、同時に、インカの財宝を搾取する事を許した。異教徒から奪った財宝は、キリスト教徒同士が血を流す(フランスとの戦争に使う)ことで浄められるという、意味不明のロジックまでを繰り広げている。」
「いかなる理由によっても戦争は起こる、それぞれの理屈があるがゆえに、という点を改めて感じさせるクルシェネクのオペラ。戦争に明け暮れたカール五世、その活動の資本のやりくりのために、一つの国が滅び、キリスト教の信者同士で血が流された。その行動原理から現代の出来事が解釈される、というクルシェネクの思惑に乗せられた感じであろう、なかなか聴き飛ばすことが出来ない。」


# by franz310 | 2022-04-24 18:25 | クルシェネク

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その477

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その477_b0083728_19271993.jpg個人的経験:
ロシア黒海艦隊の旗艦
「モスクワ」が
ウクライナ軍に撃沈される
という記事と、
その反撃で再び首都が危ない、
という二つの記事が
同時に入ってくる情勢で、
予断を許さない。


また、首都キーウ近郊では、
様々な惨状が明らかになった。

残虐非道な作戦遂行が、
いかにも組織的になされていることに、
恐怖と憤りを感じるが、
そんな気持ちがあっても、
あるだけでは、何もできない、
という無力感ばかりが実感される。

クルシェネクの心境としても、
自分の意志とは無関係に、
非情にも動いていくヨーロッパ情勢の前に、
何かしなければならない、
という焦燥感があったことは、
容易に理解できる。

そんな中で起こった第二次大戦。

訳も分からず世界中が巻き込まれての、
未曽有の状況からの長い長い残響の中で、
「戦争反対」とさえ言えば、
全てが解決したように思っていた
「平和ボケ」という状況下で生まれ育っていると、
対岸の火事と思っている人がいてもおかしくはない。

ウクライナは、そうは言っても遠い。
が、ウクライナを攻撃しているロシアは、
我々の隣国でもあるという「脅威」なのである。

おそらく、先の大戦前のイギリスなどにも、
ドイツが大陸内で、一部の隣接地帯に干渉を始めた時には、
自分とは無関係と思った人はいたはずだ。

また、第一次大戦で疲弊したフランスなども、
ドイツが東を向いていれば無関係と考えた人も
いたはずである。
そもそも厭戦気分が満ち溢れていたので、
ナチスが侵攻すると、たちまち降伏した。

有無を言わさぬやり方で
国土を奪われたと感じていた当時のドイツでは、
戦争は唯一の不満打開策であったので、
何でもありの空気が漂っていたようだ。

しかし、こうした、
暴力をも辞さないナチスのやり口は、
当然、離接する国々には評判が良いはずもない。
後に、もろ手を挙げてヒトラーを歓迎するオーストリアにも、
ナチスのやり口に嫌悪を感じる人が
多くいたことは容易に推察される。

クルシェネクは、オペラ「カール五世」の中で、
ドイツ人をルターに代表させ、
「彼は、ドイツ人の性質にある
何か暗いものを目覚めさせ、
途方もない抑制のなさを引き起こした」
などと表現した。

こんな風にプロテスタントを否定すると、
音楽の父、J.S.バッハからして
否定してしまうことになりそうだが、
大国ドイツに隣接し、
同じドイツ語を話すオーストリア人にとっては、
宗教の違いを強調することで
自らの存在意義を確認し、
アイデンティティを確立する
しかなかったのかもしれない。

スチュワートによるクルシェネク評伝では、
この意欲的なオペラについては、
あえて一章を費やしており、
「カール五世とクリスチャン・ヒューマニズム」
というタイトルになっている。

ここで、著者は、この台本を選んだ時の
クルシェネクの状況を伝えているが、
この作曲家が、
「カール五世のリブレットをスケッチするにつれ、
ルターに率いられたドイツのプロテスタント国粋主義者に対して
格闘するカールの姿が、その当時の政治情勢に似ていることに気づいた」
と書いている。

さらに、
「彼は単にオペラを書こうとしたのではない。
ヒトラーとドイツのナショナリズムに対する
超国家的なキリスト教ヒューマニズムを守ろうした」
などとも書かれている。

音楽と政治の関係は、
ベートーヴェンが「英雄交響曲」で
フランス革命の産物としてのナポレオンを
賛美しようとした例もあったが、
これは「第九」などと同様、
ヒューマニズムの要素が強いイメージに
今となってはなっている。

それから一世紀を経て、
ショスタコーヴィチなどが交響曲でロシアの革命を賛美する?
といった、より特定思想に偏った事例が現れてくるが、
クルシェネクも同様にそうした流れの中にあった。

ショスタコーヴィチが「十月革命に捧げる」という交響曲を書いたのが、
1927年なので、クルシェネクが新しい流れを模索していたのと
ほぼ同時期ということになる。

「英雄」と「十月革命」は、同様に、「革命」に関係しているが、
政治的かと言われると、前者は少し違うような気がする。
ベートーヴェンは特定の国を背負った形で発信したのではないが、
ショスタコーヴィチやクルシェネクは、
「その時のその国」というもののが大前提
ということを無視できなくなっている。

クルシェネクの「カール五世」は1933年5月24日に完成したが、
奇しくも同年1月30日、ヒトラーは首相になっていた。

同年6月18日に新ウィーン新聞に掲載された
「私の新しい舞台作品」という記事には、
作曲家はさっそく、この作品を紹介していて、
「カール五世の中で、神聖ローマ帝国の時期に、
宗教改革によって、各国にナショナリズムが目覚め、
カトリックの普遍的ヒューマニズムという高貴な思想が生まれ、
それがオーストリアに受け継がれた」と書き、
さらに、
「真のオーストリアのコンセプトを強化することに貢献でき、
新しい道に導けるなら、私にとって最高の満足になる」
などと、この作品がまさしく、
この時代ならではの作品であることを強調している。

これは、当時のキリスト教社会党の考えに似ており、
この政党はやがて、ムッソリーニ的なファシズムに傾斜した。
(また、現代のオーストリアの第1党である、
オーストリア国民党にも繋がっているようだ。)

これを、現代のウクライナ情勢に照らし合わせると、
ウクライナが、自らのアイデンティティを強調して、
ロシアとは違う、と言い張っているような構図になる。
プーチンは、それを力づくで、阻止しようとするだろう。

実際、この作品は、まったく受け入れられることがなかった。
また、このオペラのプロットにおいて、
カール五世は、ルターの前に無力である。

クルシェネクは、オーストリアのアイデンティティを
普遍的な人間主義で描こうとした、というが、
結局、途方もない暴力の流れの前においては無力だった、
ということになるだろうか。

現在でもオーストリアにおける
プロレスタントの割合は5%程度らしいが、
この多様性を重んじる現代にあって、
ルターをヒトラーに重ねるというのは、
いくらなんでもやばすぎる。

アイデンティティで独自性を規定すればするほど、
長い間に解決されていたものが、
未解決の問題として蘇ってくる。

そうしたジレンマ自体を、
抱え込んでしまっているのが、
この「カール五世」という作品なのである。

こんな感じで、ドイツとは、
一線を引きたいような立ち位置に対し、
同じカトリックの国という理由から、
クルシェネクは
フランスには、親近感を持っていたようだ。

「カール五世」の依頼がある前、
彼は、真剣に南フランスでの居住を検討していたらしい。
彼は、休暇旅行でかの地に夢中になっていたともいう。

また、ドイツがファシズムに走ったのに対し、
フランスには、第一次大戦後、
文明が復興しているといった考えもあった。

そういえば、彼のヒット作である
「ジョニーは演奏する」でも、
パリは重要な舞台であった。

したがって、
「カール五世」でも
洗練や文明の象徴のようなフランス国王とのかけひきは、
混沌とした帝国内に抱え込んだ宗教の問題に次いで、
対比のように登場する重要なテーマとなっている。

ルターの幻影が消えた後で、
カール五世の前に現れるのが、
そのフランソワ一世であった。

国内にはいわば異端がいて、
国外の同じカトリックの国とは戦争をしている。
そうした矛盾を描くことで、
作品は多様性を増すと同時に、
解決するわけのない禅問答の連続のような
様相を呈してくる。

このスーストロ指揮のCDでは、
Track4に相当する部分、
カールには何か幻影が見えているので、
「何が見える」とフアンに問いかけている。

ぽっぽーぽっぽーとホルンの信号から、
木管のぴーひょろひょろと、
何とも呑気な音楽が背景に鳴っている。
ト書に「パントマイム、フランス宮廷における
バレー付きのお祭り騒ぎ。
フランソワ一世は最愛の人に別れを告げる」とある。

このCDでは、フアンがこれを、
神妙な声で読み上げている。
さらに彼は、
「ああ、この陽気な国では素晴らしいお祭り騒ぎ。
若い男がじゃれて若い女を愛撫しています」
というと、幻影が消える。

装飾的にヴァイオリン独奏が活躍すると、
木管が絡んで興奮気味に音楽が盛り上がるが、
まるで、口笛を吹いてはやし立てている感じ。
これは、陰気な神聖ローマ帝国と比べて、
フランスが、もっと陽気に、
いささか退廃的に楽しんでいる感じを伝える。

もちろん、そんな映像(幻影)は面白くない。
太鼓が連打され、カールがうめく。

「もうたくさんだ、このイメージは私を幾度となく苦しめた。
この男はフランソワ一世で、イタリアで、私と戦うために、
彼の愛する女に別れを告げているのだ。」

ここからは、またまた、
聴聞司祭フアンが、カールの行動に突っ込みを入れる部分。
「なぜ、彼はこんな面白くない軍事展開をしたのでしょうか。」

この突っ込みは、現代の我々からも素朴に発せられるであろう、
カールのやり方に対する疑念を代表している。

音楽は切り裂くような金管の響きや、
小太鼓連打くらいしかなく、
単に声と声のぶつかり合いがあり、
アリアでもレチタティーボでもない。

「彼は何も知らなかったので、
私の支配権を恐れていたのだ。
彼は、私が利己的な目的でそれを作り上げようとしていると考えた。
彼の軍隊がアルプスを力づくで越えて来たのに、
ルターのためにドイツでの終わりなき戦いに絡まれていられようか。」

フアンは、「陛下、あなたは、問題から目を背けている。
政治上の事実と、真実と精神的な責任に対する問題に対する
答えとしては間違っている。」

この問いかけは、分かりにくいが、
出来事についての責任の所在を聴いたのに対し、
カールは、自分は巻き込まれただけといった答えなので
ファンはいら立ったものと思われる。

カール「意義は、もっと聞いてから言ってくれ。
すでに近づいている戦いを拒絶することはできなかったのだ。」
声を荒げ、小太鼓が鳴り響く。

フアン「でもあなたは、
この戦争でブルゴーニュを得ようとしたではないですか。」

これは、カールとフランソワのそれぞれが、
叔母とか母とかを代理にして交渉させたので、
貴婦人の和約と呼ばれるカンブレーの和約において、
カール側が、ブルゴーニュを奪ったことを指している。

フアンは、あなたは戦争を私的に悪用した、
と突っ込んでいるわけである。

カールは、「それは賞品のようなものだ。
しかし私は一時的なもののためではなく、
嫌々ながら、心にもなく始めた格闘を、
指揮しなければならなかった。
異教徒とではなくキリスト教の軍隊と戦い、
敵対者とではなく、友人、兄弟になりたかったフランソワと戦った。」
この間、間歇的に小太鼓連打で緊迫感。

このあたりでカールの声はアリア風に高まり、
最初は、何となく空々しく響いていた音楽も、
ファンファーレを交えながら
弦楽がもわっと響き
次第にシリアスに盛り上がって、
再び落ち着く。

「しかし、主の加護とお力で、
彼はパドヴァの私の牢獄の囚人となった。」

ここまでは、カールの回想だが、
以下は、幻影の中で見えることへの解説だろうか。

「今、彼は、私が知らなかった悪だくみを考えている。
ほら、彼は牢獄でもよい扱いを受けているだろう。」

各楽器がぎくしゃくと鳴らすリズムの中で、
今や、囚われて獄中にあるフランソワ一世と、
密使、フランジパニの対話が、
レチタティーボで交わされていく。

フランソワの役は、アンドレアス・コンラートという、
ドレスデン出身のイケメン・テノールが担当。
アバドや小澤とも共演し、
オペラのみならずコンサートもこなす。
フランジパニは、アレックス・メンドロックという、
デトモルトの陽気な兄ちゃんという感じのオペラ歌手。

フランソワ一世は、密使フランジパニを呼び、
トルコの支配者、スレイマン帝に手紙を託す。
何と、キリスト教世界の王様が異教徒と手を組んで、
カールに対抗しようとしているのである。

いかにも秘密の会話にふさわしく、
音楽は、時に声を潜め、時に緊張感を出しながら進むが、
カールの暗い声に対し、いかにもフランソワもフランジパニは明るい。
ピチカートやパルス音の上を、
管楽器や弦楽器が、さあっと色付けしていくような音楽が、
これまた、なぜか洒落た感じを出している。

「小さな紙に小さな手紙を書いたから
ブーツに隠して東に向かい
トルコのスレイマンのところに急いでくれ。
彼は、皇帝に対抗する私を助けてくれるだろう。」

フランジパニ、「思し召しのままに。私は喜んで、
この獄中生活を共にしますが、
彼は異教徒ですが、そこをお考え下さい。
イスラム教です。あなたはキリスト教国の陛下ではないですか。」

彼にとっても、これはただならぬ状況で、
その声は、切実に響く。
なんと、フランソワは、それを気にしていない。

「それがどうした。私は何か月もこのピッツィゲットーネの塔に
幽閉されているのに、お前はためらうのか。
私は悪魔にでも自由を願い出て、
報酬を与えると騙すまで。
お前は私を自由にするよう、
スレイマンとカールを戦わせるのだ。
分かったか?」
弦楽が、あらまあ、といった響きでくねくねと動き、
管楽器が警告音をぱぱぱーっと出と、
フランソワの声も興奮して高まる。

フランパジーニ、「躊躇ってすみませんでした。
マーキュリーのようにここを発ちます。」

マーキュリーはギリシア神話の神ゼウスの子、
ヘルメスで、翼を付けたサンダルを身に着けている。

フランソワ、「マーキュリーのように。翼があるサンダルの。」
彼は、以下のように書く。
この部分、説明的ではなく詩的だが、
フランソワのアリアのような感じになって、
歌うように語られている。
この音楽も、何だか浮き立つような響きがあって、
自由を志向するフランソワ、あるいはフランスの考え方を
表しているのだろう。

「新しい神、マーキュリーによって、
翼のサンダルが嘆願を進めます。
危険な道を避けて
私の信頼する真実と勇気の使者が東に飛ぶ。
彼は苦しみの訴状を運ぶ。
素早く、道を急げ。
今や、人生の時計は時を刻むが、
翼のついたサンダルが嘆願を届ければ、
私の救出が見えてくる。」

このような幻影をカールは見せつけられ、
ここで、戦争に勝った方の大将として、
どん、とティンパニ一発で介入、
あるいは、それ以上に神聖ローマ帝国の皇帝として、
フランソワの様子を評する。

「聴きたまえ、悲惨な苦悩も彼にとっては、
軽薄な歌になるのだ。」

フランソワ、「自由は私の望み。
抑圧的な悲しみは消え、
祝福の希望が私を抱擁すれば、
苦悶は私を毒殺しようとする。
マーキュリーよ私のメッセージを頼む。
翼のサンダル、私の嘆願を運んでくれ。」

彼は書き続けている。
オーケストラは、様々な楽器が重なって、
色彩的な壁紙のように立ち上がって来て美しい。

ここからは、カールのフアンとの対話。
いきなり太鼓で雰囲気がじめじめしてきて、
木管も弦楽も神経に障るようなぎすぎす感。

「聞いただろう。
彼は、キリスト教の誓いで、
クリスチャンの世界を広げようとしている
私に逆らい、異教徒に救いを求めた。
彼の罪は、ただ誠実に行動した、
ルターの罪より重くはないか。」

ルターの話が出ると、音楽は、
その行動を暗示するように、
さささと動く。

フアン、「ルターは自由になりました。」
カール、「彼が?」
フアン、「フランシスは自由奔放な男で、
彼は出来る限り、自分勝手をします。」
カール、「彼が正しいとでも。
お前も、彼の優雅さに惚れ込んだのだな。」

これで、フランソワとの経緯は終わり、
次に、ナポリ総督ランノイと兵士たちが現れる。

カールは叫ぶ。
「見よ、また我が行く手に新手の障害物だ。
我が軍のイタリアの総督ランノイがいて、
ドイツの兵士たちも立ちふさがっている。」

ここから、次第に軍隊調の小太鼓連打に導かれ、
兵士たちの合唱となる。

この合唱は、傭兵たちが、支払いがないと嘆くように、
脅すもので、
「隊長、我々に気を遣い、声を聴いてくれ。
教皇や皇帝や王様たちは、
何だか高いところにいて、
奴隷以下の扱いとなると、
奴隷どもと戦い、
彼らの頭を割ることになる。
人の死の上に生があるのは世の習い。
あなたは、約束通りに賃金をきっちり払うべきだ。
死ということだけが、自由にできること。
だが、それは犠牲者のみに許されている。
殺し屋はきっちり全額の払い戻しを求めている。
スポンサーがどうなろうと関係ない。
緑の谷間にある家が、俺たちを救ってくれる。
安全に槍と銃は置いていく。
もし敵がまだ居るというなら、隊長、
きっちり我々に支払うことだ。
さもなくば、武器はあなたに向けることになる、
誰かほかのものに助けてもらうため」
という、嘆願と脅迫が混ざったものだが、
時に、調子を外し、時に、
たんたたたたーんと単純なメロディのような要素が混じり、
いかにも手に負えない連中の卑俗な感じが出ている。

伴奏の管弦楽も結構凝っている。

ナポリ総督ランノイがいきなり語りだすが、
これは、自問自答的な一言。
演じているのは、トム・ゾルというオランダのバリトンだが、


「不満だらけの兵隊たちを前に、報酬の賃金なしに、
イタリアで獄中にある王様をこれ以上、置いておくことはできない。」

そして、兵士たちの不満を聴いたうえで、
ここは危険と、フランソワ一世に提案したようである。

「(フランソワに)陛下、あなたをスペインにお連れします。
ここにいるより、あちらの夏の方があなたにはよろしいでしょう。」

そこにフランソワの声が、いかにも上品に響いてくる。
ぽんぽんというピチカートの伴奏に、
柔らかく木管が調和した響きを奏でる。
フランソワの声は、アリアのように軽やかに舞い上がる。

「望むところだ。すぐに皇帝のところに連れて行け、
そうすれがこの紛争は解決しよう。
そして私は愛するフランスの地に戻ることが出来よう。」

フランソワ一世は、敵の役のはずなのに、
何故か、その優雅さで、やぼったいカール五世と対比されるのである。
(彼らは消える)

つまり、カール五世の軍隊は危険だということで、
カール麾下の総督自身が、
そこにいた敵方の王の身を案じるという始末だった。

得られた事:「クルシェネクのオペラ『カール五世』では、ドイツの象徴としてルターが登場したが、フランスの象徴も重要で、フランス国王、フランソワ一世が、これは、何か暗いものを抱えたドイツに対し、何か明るく優雅なものを象徴し、クルシェネクがナチス・ドイツに併合される前のオーストリアで、同じカトリックの国に期待を寄せた印となっている。クルシェネクは、『カトリックの普遍的ヒューマニズム』という概念で、ファシズムに対抗しようとしたのである。」
「『カール五世』の中で、フランソワ一世は、史実の通りカール五世に囚われの身となっているが、まったくめげることなく、自由への憧れを歌い、音楽としてもアリアの要素が楽しめる。イスラム教徒とも手を組む国際性が国粋主義の逆を行っており、むしろ、勝っているはずの主人公の方が、何やら背負うものが大きすぎてがんじがらめになっている様が分かる。」
「カール五世が雇ったドイツの傭兵たちは、まったくもって不気味な存在として描かれ、ルターの一派と同様に、野卑な合唱が、ナチス台頭の時代において、クルシェネクの心を悩ませていた闇の部分が、繰り返し想起される。こうした状況を打破すべく発信しようとしたオペラが『カール五世』であったが、この歴史の流れは、逆にこの作品の上演を不可能にしていった。」


# by franz310 | 2022-04-17 19:31 | クルシェネク