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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その343

b0083728_1714236.jpg個人的経験:
指揮者のスピノジが、
足掛け十数年もかけて、
完全な上演を成功させた、
ヴィヴァルディのオペラ
「オルランド・フリオーソ」
のDVDを聞いているが、
映像も音楽も聞ける環境に
なかなか閉じこもれず、
結局3回、1幕ごとに聞いた。
今回、書くのは、
第三幕について。

そんな中、ヴィヴァルディをテーマにした、
大島真寿美の小説「ピエタ」を見つけ、
読み終わってしまった(ポプラ社)。



本の場合、特別な環境は必要ないのがありがたい。

これは、よくヴィヴァルディのCDの表紙を飾る、
画家のカナレットも登場する興味深い作品で、
ヴィヴァルディ研究の第一人者、
トールバットの著書を筆頭に、
巻末にずらりと並べられている参考文献に明らかなように、
かなりリアリティのある設定となっている。

あっと言う間に読み終えることが出来る、
求心力のある小説で、
とてもよく書けた物語だと思うが、
小説の中に出てくる音楽の曲名が、
「調和の幻想」(何故か、「l’etro armonico」と横文字表記だが)
だけだと言ってもいいのが、
音楽気違いには、いかにも物足りない。

12曲もある協奏曲集のどの曲かもわからない。
ヴィヴァルディの音楽おたくのイタリア人、
スカルバが書いた、ヴィヴァルディ関係の小説、
「スターバト・マーテル」が、
巻末に愛聴盤を並べていたのと対照的である。
(こちらは、史実からの逸脱を自由にやっている。)

あと、会話の中で、オペラ「ウティカのカトーネ」が出てくるが、
どんな音楽だという話には盛り上がらない(P106)。
ただし、この作曲家がたくさんのオペラを書き、
理想のオペラを書くために、
ヴィーンに行って死んだことにはなっている。

また、「サンタンジェロといえば、
ヴィヴァルディ先生のオペラが
しょっちゅうかかっていた劇場だ」(P309)
という一節もあるから、作者は、
いかにヴィヴァルディにとって、
オペラが重要であったかはよく知っているようである。

今、聴き進んでいる「オルランド・フリオーソ」もまた、
そうしたオペラの一つである。

では、DVDに戻って、ウィレム・ブルルスの解説の続きから。

「ヴィヴァルディの『オルランド・フリオーソ』以前、
または同時期に書かれたオペラが、
『オルランド―アンジェリカ―メドーロ』または、
『アルチーナ―ルッジェーロ―ブラダマンテ』の物語を、
選んでいることは興味深い。
この二つの立場をコンバインしたのは、
ヴィヴァルディのオペラのリブレットを書いた、
グラツィオ・ブラッツィオーリで、
事実、アリオストの叙事詩のオリジナルの
迷宮構造に近い感じになった。
こうすることによって、
オルランドとアルチーナという、
二つの異常なコントラストをなすキャラクターの、
対面を導入した。
前者は、一人の愛する人に完全な献身と、
一途な忠実さを持っており、
後者は、徹底した性的自由、快楽主義、不貞を表す。
それは、
トリスタン対、女性版ドン・ジョヴァンニ
のようにも見える。
面白い組み合わせである。」

何と、どうやら元の叙事詩では、
オルランド-アンジェリカ-メドーロ
-アルチーナ-ルッジェーロ―ブラダマンテという、
二重構造はなかったかのような書き方である。

確かにヘンデルは別オペラであったが、
ハイドンは同様の筋だった。
それについては、さすが、この解説にも書かれていた。

「この二つの物語の流れの組み合わせは、
1782年のハイドンの『騎士オルランド』で現れるが、
それは啓蒙主義の思想で発展し、
合理主義と自制の強力なメッセージが込められている。
これらはまた、ヴィヴァルディのオペラにも、
アリオストの叙事詩にも、すでに見て取れるものかもしれない。
これらは、どれも、わかりやすい悲劇的登場人物を設け、
とりわけ、自制が効かなくなったときには、
自分の行動への責任や、
自分の意思によって得られたもの
とはいえ、いかに人間が、
不運な環境や運命の犠牲になりうるか、
ということを示している。
合理主義や自制だけが、生活を守ることができる。
ハイドンのオペラでのプロットでは、
すべての登場人物が、最後に改心する。
アルチーナは、オルランドに新しい自覚を与え、
彼は、それゆえにアンジェリカを完全に忘れてしまう。」

ハイドンの時代に、仮に、ヴィヴァルディのオペラが、
レパートリーとして残っていたとしても、
その時代の人々は、音楽の古さなどより、
メッセージ性の違いによって、
別のものを求めたということになる。

つまり、メッセージと共に音楽も変わるということで、
アルチーナが、自分の運命を嘆くアリアなどは、
あほらし、となっていたということだろうか。

「この物語のいささか独りよがりなモラルは、
『幸福でありたいなら、愛したものを愛してはならず、
あなたを愛する人を愛しなさい。
そうすれば悪いことにはなりません。』
そう単純ならいいのだが。
また、これが正しいとしても、
悪くなることだってあるだろう。
あなたを愛する人を愛したにせよ、
性向も誠実さも変わるものである。
ヴィヴァルディのオペラに出てくる
他の登場人物をよく見るとわかる。
アンジェリカとルッジェーロは、
互いに鏡像になっている。
一見して、彼らは彼らを愛したもの。
それぞれ、メドーロとブラダマンテを愛している。」

なるほど、ハイドンの時代の合理主義で、
さすがに、この解説は終わっていなかった。

「しかし、彼らは共に実用主義者で、
彼らの恋人か違うかで、
利用したり不当に扱ったりする。
どの程度までに、いやそもそも、
アンジェリカはオルランドに惹かれたのだろうか。
どの程度までに彼女はメドーロを試したのだろうか。
ルッジェーロは本当に愛の秘薬を飲んだのだろうか、
それともただ単に、
他の女とベッドを共にしたかっただけか。
彼は妻のブラダマンテに気づかないのか、
それともそのふりをしているだけか。
ブラッツィオーリのリブレットでは、
アルチーナとアンジェリカは、
きわめてふしだらで、
ルッジェーロは、彼を愛する人に対して、
なんら責任感を感じていないようである。」

このメルヘン的な魔法オペラで、
ここまで考える必要があるかはわからないが、
少なくとも、今回の演出は、
魔法の要素をそぎ落とし、
極めて現実的な切り口でも処理が大きいから、
我々も、それに付き合う必要があるのかもしれない。

「そして、我々には、ブラダマンテ、アストルフォ、
そしてメドーロという正直で誠実な登場人物も見出す。
ブラダマンテに関し、二人の男たちとの基本的違いは、
彼らに勇気がないのに対し、彼女が勇敢で、
冒険心あふれていることである。
しかし、同じような質感を持っている。
彼らは気まぐれではないが、彼らは退屈であり、
物語では、さっぱりときちんとしたキャラとして、
しばしば登場する。
彼らはおそらく、モラルの上ではすぐれているが、
肉体の喜びの果実を味わったことがあるのだろうか。
彼らの果実に関しては、ヴィヴァルディのオペラでは、
そうした喜びにふけるために
素晴らしい機会が与えられているように思う。
ヴィヴァルディもブラッツィオーリも、
それがヴェネチア人の多くが楽しんでいた、
隠れた喜びであることを明らかに知っていた。
だからこそ、ブラッツィオーリは、
オルランドにアルチーナの
ジューシーな物語を入れたのかもしれない。
一途で、いくぶんお馬鹿な英雄だけは、
喜びの島では十分ではなかったのである。」

が、それなら、そもそも、
「オルランド・フリオーソ」などというオペラを
作らなければよかったということになりかねない。
「アルチーナ」というオペラにすれば、
もっと良かったではないか。

「ほかにも、二つの物語を結びつけた
理由があるかもしれず、
少なくとも、予期しなかった効果もあるかもしれない。
オルランドとアルチーナの並列された物語という構成は、
彼らの出発点がまるで正反対なのに、
その後と運命には類似性があることに強いヒントを与える。
オルランドは、絶望的にアンジェリカを愛しており、
このオペラの進行とともに、
まるでアルチーナもルッジェーロとの絶望的な愛に、
陥っていくかのようである。
彼はおそらく彼女がそれほどまでに深く愛した、
最初の男性なのであろう。
二人の主人公は、それぞれの愛と欲望の感情に急き立てられている。
この意味で、彼らは互いの鏡像となっている。
彼らは自身の体内時計によって共に狂気に駆られ、
共に生活の正常さから完全に逸脱する。
それぞれの思惑とは裏腹に、
オルランドとアルチーナは、
手ぶらでステージを去ることになる。」

確かに、こう書かれると、
ハイドンなどとは対極の思想が語られているように見えてきた。
オルランドのように一途であろうとも、
アルチーナのように奔放であろうとも、
舞台を去る時は手ぶらなのである。

「アルチーナの世界、
その危ないゴルドーニ風の宿に入った者は、
お互いを利用する名士たちの世界であり、
友情の世界ではない。
この物語の最終局面で、ある時は狂気、
ある時は年を取ることへの憂鬱な瞑想を感じる。
アルチーナの主たる問題は、
アンジェリカがその魅力の絶頂にあるのに、
彼女が盛りを過ぎたということである。
若くてハンサムなルッジェーロが、
彼女がすがれる最後の藁であったのだろうが、
死の天使ではなかったと言えるだろうか。
オルランドは完全に狂気にあって、
最後に死の舞踏を踊る。」

ということで、この解説を書いた、
ウィレム・ブルルスは、
まさしくこの演出で描かれたようなものを語っている。

「『魂のジュリエッタ』でも、彼女は結局は家を出て、
寂しくも賢くなって、小さな自分の宮殿を出る。
どこに行くのだろう。それは分からない。
ただ分かっているのは、経験を経て、
自身を発見して、彼女は、もはや、
ヴィヴァルディのオペラの最後の言葉を、
信ずることはできなくなったということだ。
『真実の恋人が、ずっと変わらず愛したら、
最後には、愛の褒美があるでしょう。』」

ということで、このブルルスが書いたような内容の
オペラになっているか見てみよう。

第三幕:
Track27.
「ヘカテの神殿への通路で、
寺院を包む鉄の壁」のあるシーンである。
アストルフォは、アルチーナに復讐しようとしている。
なんだか躊躇いがちなルッジェーロを促している。
アストルフォは、「勇気をもって戦うところでは、
怒りの地獄とて無力である」というアリアを歌い上げる。

「ルッジェーロ、ブラダマンテとアストルフォは、
オルランドは死んだに違いないと考え、
彼のための復讐を誓って、アルチーナを探しに行く。」
とシノプシスにある部分。

歌詞の内容にふさわしく、
高らかに歌い上げられる声を、
活発なオーケストラが盛り上げていく。
熱唱で拍手。

Track28.
ブラダマンテも登場。
彼らが相談しているうちに、
アルチーナも来る。
「地獄のヘカテの寺院を守る、
鉄の壁の前で、彼女が現れたところに彼らは行き会う。」
という部分。

Track29.
いきなり、アルチーナは簡潔なアリアを歌う。
「私の弓はあなたを打ち砕く、
私のたいまつは、あなたを消す。
残酷で凶暴な愛の神よ」。

彼女は、彼らに襲いかかろうとするが、
ブラダマンテが指輪をかざして、
その力を封印する。

「天国も地獄も聾唖者だわ」と、
アルチーナは嘆くが、このころには、
彼女の顔は、おどろおどろしくなっている。
「開門して、女王様の道を現わせ」と、
アルチーナが命じると、背景が変わって、
暗黒の世界となる。

Track30.
「彼女の呪文は、メリッサの指輪で封じられるが、
彼女は、鉄の壁を開けて、寺院の門を現わす。」
という部分であろう。

シノプシスに、
「この時になってオルランドが現れ、
なおも取り乱し、興奮を露わにする。」
とあるように、剣を振り回して、
オルランドが叫んだり、嘆いたりする。

この間に、ブラダマンテが、
騎士アルダリコだと名乗って、
アルチーナが騙されて、
「なんと魅力的な戦士なの」
という部分があるはずだが、
見落としただろうか。

こうやって、アルチーナは、
逃げるのをやめて、自身の秘密を、
ばらしてしまうのではなかったっけ。

オルランドは、早口で叫んだり、転げまわったり、
アルチーナと、「ラ・フォリア」のダンスを踊ったりしている。
ブルルスの解説にあった、死の舞踏であろうか。

「オルランドのフォリアだ、踊ろう、踊ろう」と、
うわごとのように言って旋回する。
アルチーナも破れかぶれなのか、
自虐的に付き合っている。

そこにふらふらと現れるアンジェリカ。
いったい、何がどうなっているのか。
アンジェリカに抱きつき、
抱きかかえられるように倒れるオルランド。

Track31.
「スコップがかすめて切って、
真紅の花が萎れて死んだように・・」
という不気味にもシンプルな歌をアンジェリカが歌う。
「愛するものと離れていると、
愛する心は胸の中で萎れる。」

オルランドは飛び起きて、
「ああ、不実な昔の恋人よ、
アムピオンの家柄を誇り、
自身を楽しませる歌を歌う。
私が乞うと、あなたは歌うのだ」と、
今度は、アルチーナに縋り付く。

すると、アルチーナは、
ますます、不気味な化粧になっていて、
「愛する人と共にある生活以上に、
幸福で楽しい人生があろうか」
などという、アルチーナらしからぬ歌を歌う。

アンジェリカが、
「でも愛する心には、
愛する人と離れていることより、
悲しいことがあるかしら」などと言うので、
オルランドは、彼女に襲いかかり、
「捕まえたぞ、残酷夫人」などと言うので、
アンジェリカは悲鳴を上げる。

オルランドとアンジェリカ、
アルチーナとアストルフォ、
ルッジェーロとブラダマンテが、
互いの影のように絡まり合っている。

シノプシスに、
「ブラダマンテやアルチーナ、
ルッジェーロにメドーロが愛について観照する」
と書かれたところだろうか。

アンジェリカのアリア。
「かわいそうな私の心。それは無垢だった。
恐れて、影をなすのは、
あなたの忠誠が嘘だったこと。
恩知らずの人よ。
私は言いたい。
あなたは間違っていたし、うそつきだった。
私の忠実さは、あなたの無礼も、
報いとして黙って受け取るわ」というもので、
なぜ、アンジェリカが?という内容。

おそらく、アンジェリカは反省しているのであろう。

これまた、切々としたもので、
オーケストラが悲哀を増幅し、
暗闇の中で、それぞれが思いをはせている。
オルランドだけは、ふらふらと踊っているが、
いきなり、アンジェリカに抱きつかれる。

Track32.
前の情景は難しい情景であったが、
ここも引き続き、難しい。

「彼女は行ってしまった。
なんと不誠実な。恐るべき怪物だ。
その歪んだいろいろな顔には、
美少年エンデュミオンの顔が見えるようだ。
しかし、実際は、それはバジリスクであり、
サーペントの蛇、ドラゴンなのだ」
などと言いながら、オルランドは、
ブラダマンテにすり寄っている。

そして、「ぶっ壊す」と、壁を叩き、
アルチーナに詰め寄る。

アルチーナは、ブラダマンテを、
アルダリコという美男子だと勘違いしているので、
「もっと、きれいな場所を見せてあげる。
先に行って待っていて」などと言っている。

この間、ブラダマンテは、
アルチーナから、アロンテの弱点を探りだすはずだが、
そのシーンははしょられたのだろうか。

先に行けと言われたので、
ブラダマンテはしぶしぶ出ていく。

が、その前に、
ブラダマンテのアリアが始まる。
「私はあなたとつながっている。
心はあなたに誓っている。
忠実と、誠実よ」というもので、
力強い、英雄的なものであるが、
かなりの技巧を必要として、
ハンマーシュトレームも限界まで行っている。

いろんな人に話しかけるようにして、
ルッジェーロは突き飛ばす。
アルチーナは新しい恋人ができたと、
うれしげにしている。

ルッジェーロがめそめそしているのに、
アルチーナは、
「新しい恋人は、ルッジェーロより魅力的だわ」
などと言って、嬉々としている。

Track33.
このDVD、この第三幕が一番、私には苦しい。
このトラックも、うじうじしてなかなか先に進まない。
マリリン・ホーンのDVDでは、
もうそろそろ、神殿を叩き壊すところであろう。

なぜ、アンジェリカを得たメドーロと、
アルチーナを失ったルッジェーロが、
ごちゃごちゃと口論する必要があるのだろうか。
そもそも、みんな同じような恰好をしているので、
誰が誰だか分からないではないか。

メドーロは、くよくよしているルッジェーロを叱り、
「過去の愛の失敗から逃れるなら、
心変わりの中に貞節がある」などという、
難しいフレーズが出てきたりする。

Track34.
そろそろ、ルッジェーロが、
オルランドを苦しめたのは、こいつらだと、
アンジェリカとメドーロを、
シバキ上げるシーンだと思っていたが、
ようやく、そんな感じになってきた。

ルッジェーロのアリア。
勢いのある弦楽が爽快だが、
舞台上では、剣を突きつけたりして、
限りなく物騒な状況である。
「恐ろしい深い渦の中の波のように、
風と嵐にもてあそばれ、
ぼうぼう、びゅうびゅうと深い海に沈む。」

Track35.
メドーロが、狂ったオルランドを見て、
「愛の中で、心は、平和と穏やかさを見出す。
しかし、愛は常に恐れ、おびえるもの」
と歌いだし、
ほとんど、同様に狂気にかられたようなアンジェリカに、
「でもいつか、それが充足することを望む」
と歌いかける。

この内容にふさわしく、穏やかさに満ちた音楽で、
やや安逸だが、平安への祈りが感じられる。

Track36.
オルランドの再度の狂乱。
「暗い陰鬱な影よ、お前は私を怖がらすつもりか。」
などとうわごとのように言っているが、
舞台上では、メドーロを脅したり、
突き飛ばしたりしている。
アンジェリカには、「私から逃げろ」とも言う。

壮絶なアリア。
「地獄に降りて、
きれいで残酷な女への復讐を探す」
という短いもの。

そのあと、アンジェリカは美しいが、
手におえない、などと幻覚を見て騒ぎ出す。
「アンジェリカは、かつて私に愛を誓った」と言って、
ト書きによると、神像を抱きしめるはずだが、
舞台では、なんと、アルチーナを抱きしめ、
「なんと固いんだ、きっと怖くて凍ってしまったんだ」
「こわがらなくてもいいんだよ」
などと言っている。

そして、「疲れた」と言って、寝てしまう。

Track37.
アルチーナが叫びだす。
「私はどこに逃げればいいの。」
「私は復讐され、罵られた。」
「私の苦しみは永遠」、復讐だと言って剣を取り、
オルランドを殺そうとする。

Track38.
止めに入るルッジェーロ。
「あなたのもっとも恐ろしい迫害者だ」と言い、
彼は、むしろ、アルチーナを殺そうとまでする。
アルチーナはブラダマンテに縋り付くが、
彼女も、「私は敵よ」と寄せ付けない。

みんなは、アンジェリカを、
「この女がオルランドを崖に上らせ、
発狂させた張本人だ」というと、
こともあろうか、アンジェリカまで、
アルチーナを糾弾する始末。

Track39.
アストルフォがかっこよく出てきて、
「私には神がついている」とまで言い切る。

すると、オルランドが起き上がり、
「ここはどこだ」、
「やったことは皆、間違っていた」などと言って、
反省を始める。

それを見たアルチーナが、
今度は狂乱の騒ぎである。
「不公平な神様、運命よ、敵意に満ちた星たちよ、
私の嘆きと恥ずかしさは、あまりにも無情。
すべてが私の破滅を願う、
オルランドは正気に戻ったのに。」

激烈な伴奏を伴う、
壮絶なアリアでラーモアは、
思わず地声のような響きも立てて、
「裏切られた愛の復讐のため、
悪魔を呼び寄せてやる」と、
壮絶な歌唱。

そして、破滅を意味するのか、
背景に横たわってシルエットとなる。
大拍手である。

最後に合唱で、
「ミルテと花と共に、
キューピッドが降りてくる。
誠実と忠実に冠を授けるために」と、
寿がれて全曲が結ばれる。

オルランドは正気に戻って、
喜んでダンスする。

実は、表紙の写真はこのシーンだった。
私は、前回、間違えたことを書いた。
表紙のバックの黒いシルエットは、
入滅したアルチーナである。

ということで、下記のような、
スペクタクルなシーンは、
シノプシスにはあるが、
今回の演出では、見ることができない。

「オルランドはメーリンの像を見つけ、
アンジェリカと間違える。
番をするアロンテと恐るべきその鉾を打ち破り、
彼は像を抱き、キスをする。
アルチーナの島を覆っていた魅惑はたちまち崩れだす。
寺院は崩壊し、王国は砂漠の島となる。
敗れたアルチーナは、恐ろしい復讐を誓って逃げ去る。
その間、オルランドは正気を取り戻し、
アンジェリカに詫び、メドーロとの婚礼を祝う。」

得られた事:「ヴィヴァルディの『オルランド』では、一途なオルランドも奔放なアルチーナも、最後は手ぶらになって舞台を去る。ハイドンの時代のような割り切りはない。」
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by franz310 | 2012-09-01 17:16 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その342

b0083728_2018544.jpg個人的経験:
確かに、2004年の、
スピノジによるヴィヴァルディの
オペラ「オルランド・フリオーソ」は、
必要以上の快速調で3時間の大作を、
バババと聞かせる勢いがあったが、
今回の2011年3月の上演記録は、
やはり、舞台との相互作用もあって、
より自然で大きな音楽のうねりや、
痛切な感情表現の掘り下げ成果が、
そこここに感じられる名録音となった。

実は、これを聴くまで、
ヴィヴァルディの表現力は、
ヘンデルには及ばないのではないか、
などと考えていた。


何となく、個々の音楽が切れ切れであり、
アリアだけを聞かせどころとする、
よくシューベルトなどが言われる、
劇的盛り上げの欠如があるのではないか、
などと考えていたのである。

そもそも、ヘンデルのオペラではよくある
二重唱や合唱も少なく、
おそらく、オーケストラの楽器の多彩さでも、
ヘンデルの方が色彩豊かであって、
そうした特徴だけでも、
ヴィヴァルディのはオペラというより、
何となく「歌物語」みたいな先入観が出てくる。

が、実は、そんなことはないことを、
このDVDを見て痛切に感じた。

また、このDVDは、少し変わった装丁で、
紙の手触りのジャケット、そして、
豪華ブックレットが付いている。

この中にあるウィレム・ブルルという人が書いた、
「VIVALDI DEGLI SPILITI」
(魂のヴィヴァルディ)という一文も興味深い。

読むとすぐに分かるのだが、
このタイトルは、フェリーニの映画のタイトルに
あやかったものである。

ブルル氏は、オランダの脚本家のようだ。
ネットで検索すると、頭の光った中年男性が出てくるが、
1963年生まれとあるから、まだ、40代である。

「有名なイタリア映画に、
フェデリコ・フェリーニの、
『魂のジュリエッタ』(1965)というものがある。
ストーリーそのものは単調なもので、
いくつぐらいであろうか、中年のある女性が、
まだ、彼女が愛している夫が、
不実であることを発見する。
今や、彼女の世界は崩れ始め、
彼女は、彼女の結婚生活をやり直す、
別の方法を思案する。
もっと、夫に関心を持つ、
ベッドルームでもっと挑発的な服装をする、
が、どれも効き目があるとは思えない。」

フェリーニの映画であるから、
こんな描写もたんたんとやってそうであるが、
私は見たことがない。
ただ、気が滅入る、
しかも、どうしようもない状況ではある。

「彼女の隣人は、美しく若いレディ、
スージィで、派手なライフスタイルである。
彼女は、その家の中や周りに、
様々な不思議な客人を迎えている。
ジュリエッタは、スージィの家に入り、
暖かく迎え入れられる。
彼女は、浮ついた雰囲気や、
招かれた客人たちに激しく誘惑されるが、
ジュリエッタは、この好色な愉悦の世界に、
入り込むことは拒む。
なぜか、彼女は、この世界は彼女にとって、
感情の死を意味するように思え、
彼女の夫への復讐の場と思えるようになる。
この物語では、ジュリエッタは、
死者の霊とも交流できるような、
高度に繊細な女性として描かれるが、
これは60年代にメタファーとしてよく使われた、
フロイト的な意識下の世界を示している。」

急に胡散臭い話になったが、
おそらく、こうした事も映画では、
うまく扱われているのであろう。

「この感受性によって、
若いころのトラウマの追体験によって、
彼女は次第に内面からの解放を可能とし、
自身の人生を取り戻す。
これは、イタリアの物語である必要はなく、
フェリーニの奇妙な幻覚を感じる誇張と離反の語法の中で、
何か明らかにイタリア的な
永久的で不変的な不倫や不貞の物語となっている。」

このように書きながらも、ごまかすことなく、
筆者は、あえて、彼が思うイタリア的な要素を
書き出してくれているのが嬉しい。

「このイタリア的なものとは、
物語の明るく憂鬱な雰囲気の中に一部は隠され、
彼女の幽霊や精霊の世界にも関わらず、
ジュリエッタのナイーブで親しみやすい性格にも見られる。
また、実際の悲劇の欠如の中にもそれは隠され、
もっと正確には、
この映画のきわめて悲喜劇的な性格にも見て取れる。
フェリーニの映画と、ヴィヴァルディのオペラ、
『オルランド・フリオーソ』では、
あまりにも奇抜なあてつけであるが、
同様の憂鬱で悲喜劇的なトーンは、
このオペラにも現れているようである。」

ということで、
・憂鬱なのに明るい。(悲喜劇的?)
・主人公は親しみやすいが、実はナイーブである。
が、
この人は、イタリア的なものと考えている。

「この二つの作品の主題には関連がある。
同様に不倫や不誠実、結婚による忠実さが、
超自然的なメタファーに満ちた雰囲気の中で試される。
映画における霊的なものは、オペラにおける、
魔法や呪文にリンクしている。
実際の現実や日々の生活から離れ、
これが二つの作品に輝かしさを与えている。
この霊的なものや魔法は、
耐えがたい俗悪さを、瞬時ではあれ、
和らげ、防ぎ、たぶん解決すらしている。
目に見える世界の認識は、
必ずしも我々の慰めではない。
すくなくともジュリエッタには。」

何と、超自然が扱われていることも、
共通項だということだが、
これを言ってしまうと、
ヘンデルもハイドンもフェリーニだということになる。

が、俗悪さを解決している、
というのは言えるかもしれない。
オルランドに魔法がなければ、
単なるストーカーの物語になってしまう。

「ヴィヴァルディの『オルランド・フリオーソ』は、
アリオストの叙事詩による多くのオペラの一つにしか過ぎない。
1600年から1800年の間に、そして19世紀においても、
何百ものオルランドやアルチーナやジネウラやアリオダンテ、
ルッジェーロが描かれた。
ヴィヴァルディは、二つのオルランド・オペラを書いた。
1714年の『狂気を装ったオルランド』は、
のちの作品に対する初期の先駆者であって、
作曲家仲間と、これ以前にも、
ほかのオルランド・プロジェクトに携わってもいる。」

これに関しては、スピノジの旧盤の解説に、
詳細な解説があった。

以下、博覧強記のアリオストおたくの話が列挙されている。

「アリオストが最初の版を出版した時点から、
そのための音楽が書かれ始めた。
最初の出版の1年後、
1517年にバルトロメオ・トロンボンチーノという作曲家が、
その詩に基づいたマドリガルを書いている。
実際のオルランドの売り込みは、
一世紀のちに始まり、1619年に、
マルコ・ダ・ガクリャーノと、
ジャコッポ・ペーリが、
裏切られたオルランドを中心に据え、
『メドーロとアンジェリカ』を書いて、
オペラのジャンルの共同創始者となった。
それほど後ではないが、
1625年、フランチェスカ・カッチーニは、
『アルチーナの島のルッジェーロ』を書いた、
最初の女性作曲家となった。
これらの初期の試みの後で、
多くの作曲家たちが続いた。
彼らの中には、ポルポラやスカルラッティや、
感謝や理性からだけでは愛は生まれないとした、
『オルランド』を書いたヘンデルのほか、
リュリなどもいて、彼の『ロラン』は、
オルランドとアンジェリカ、
メドーロにフォーカスしたもので、
誠実であることのメッセージを伝えている。」

ということで、ここからが、
このヴィヴァルディ作品の解説となる。

「このオペラは、18世紀の流行の中心、
ヴェネチアのために、ヴェネチアで書かれた。
ここは嘘とペテン、陰謀やご都合主義に満ちた街で、
マスクや変装の街でもあった。
予定はいつでも変更可能で、
意味のない集まりが危険な犯行へと展開する。」

以下の文章展開も、妙に唐突で、
何故か女嫌いの男の話が出てくる。

「この湾の島の特別な文化を最初に書き留めたのは、
ヴィヴァルディより少し若いカルロ・ゴルドーニである。
劇作家、リブレット作者として、
この感覚世界のメカニズムを探求し、
それは罠であり道化芝居とした。
彼はユーモアとウィットを持ち合わせ、
たとえば、彼の最高の劇、
『La Locandiera』 では、
女性に興味のないキャラクターを創造した。
『私に関する限り、誰とでも、
婦人について議論するほど危険なことはない。
私は、彼女らを愛したこともなく、
必要だと思ったこともない。』
このlocandiera、あるいは、
宿屋の女主人は、何人かの求婚者がいるのだが、
このおそらく女嫌いの男に魅了され、
しだいに彼にまいってしまう。
彼女のモットーは、
『私を追い掛け回す者は飽きてしまう。
私はいつもちやほやされるのが好き。
私は誰とでもうまくやるが、恋には落ちない。
私はこうした完全に熱を上げているのをからかうのが好き。
美しい母なる大地が産み出した者である私たちの敵、
こうしたおかしな堅物を征服し、打ち倒し、
魂の底からわくわくさせるのに、
全力全霊を挙げたいものだわ。」
この彼女の言葉とこのオペラにおける
アルチーナに何か違いがあるだろうか。」

違いはない、と言いたいようだが、
厳密には、アルチーナは、
かなり積極的にいろんな男にアプローチしているので、
全部が全部、同じなのではない。

だが、まあ、言いたい事は良くわかる。
かなり爛熟した文化で、世紀末的であったのだろう。

女嫌いの男が問題ではなく、
そういった男がいた時の、
女(ここでは宿屋の女将)の心の動きが、
アルチーナ的、つまり、当時のヴェネチア的だった、
とこの解説者は言いたいのである。

では、アルチーナがルッジェーロを巡って、
ブラダマンテと取り合いをした第一幕の続き、
このオペラの第二幕以下を聴いて行こう。

先の解説はまだまだ続くが、
今回は、これくらいに留めておく。

第二幕:
Track16.
「アルチーナはアストルフォに対し、
邪悪な誘惑ゲームを続けており、
これが、魔女への復讐のため、
彼をブラダマンテに近づけることになる。」

このような場面転換は唐突で、
先ほどまでの、ルッジェーロの取り合いはどうなったんだ、
という感じもするが、
逆に、アルチーナがルッジェーロを獲得することが、
アストルフォがアルチーナを失うことにつながる、
という、当然ではあるが、不条理とも言える連鎖が、
妙に、人間の営みの悩ましさを突きつける展開にもなっている。

場面は、CDのト書きによると、
「人目に付きにくい木陰のある気持ちのよい木立」
とあるが、DVDの方の背景は暗い室内である。

アストルフォがアルチーナを責めるが、
魔女は、「私の愛がほしいの?もらえるかもね。
でも私の心は、
あなたの思いつめた眼差しだけで、
燃えるのではないわ」という嘲笑的なアリアがお返しである。

Track17.
ブラダマンテが入ってきて、
「高貴なる勇者がなんてこと?」と、
アストルフォの不甲斐なさを責める。

このDVDの演出では、オルランドも、
後ろで聞いているようである。

すると、アストルフォは、
ヴィヴァルディらしい、
燃え上がるスピリットを感じさせる、
アリアで答える。
「彼女が、慈悲なき、
堕落した悪魔を心に隠しているとしても、
その悪魔の毒は、あなたを騙すものよりは、
残酷ではない。
彼女の不誠実な王国は、ぺてんに満ちていて、
私は他の場所に逃げていきたい。」

そして、その歌の間に、ルッジェーロが、
乱れた着衣を直しながら入って来る。
オルランドとブラダマンテが、彼を椅子に座らせる。

Track18.
が、ブラダマンテのことを、思い出せない。
ブラダマンテは、魔法の指輪を彼の額にかざし、
彼は、だんだん、記憶を覚ましていく。
そして、ブラダマンテは、指輪を渡し、
これをつけてアルチーナの姿を見て、
なおも愛情を感じるなら、行ってもよい、
などと言っている。

そして、強烈なブラダマンテのアリア。
「静かにして、嘆かないで。
静かにして、懇願しないで。
涙はそよ風に流して、風にでも祈って。
不誠実なうそつきの心は、
後悔の中でも誤解するもの。」

シノプシスに、
「ルッジェーロは、魔法の指輪によって呪文が解け、
彼は、自分の妻を放擲したことを知り、
許しを請うが、彼女は応じず、彼は落胆する。
オルランドが慰めるが、無駄である。」
とあるシーンが続く。

Track19.
傷ついたルッジェーロを、
オルランドが慰めるシーン。
そこに毅然としたアルチーナが登場。
ルッジェーロに詰め寄る。
緊迫した状況をオルランドの有名なアリアが盛り上げる。

「怒りの雲が湧き起り、
運命の嵐が波を荒立てる」という前半に、
「恐ろしい雲が消えると、
明るい空が上に広がる」
という後半で、
様々なことが舞台上では起こっている。
ルッジェーロは消えるし、
アンジェリカの幻影がメドーロと見つめあい、
オルランドは二人を引き裂く。
大きなテーブルにシャンデリアが設えられる。

なんと、このアリアを聴いているときに、
実際、雷が鳴りだして、土砂降りの雨が始まった。
しかも、窓をあわてて閉めたりしているうちに、
土砂降りは終わった。
ただし、遠くで雷鳴。アリアのようなすっきり空ではない。

Track20.
CD解説のト書きでは、険しい崖のある山間の場所のはずだが、
DVDでは、先ほどの豪奢な部屋の中で、
メドーロとアンジェリカが語り合っている。

「野に咲く汚れなき花のように、
再び私の心には希望が生まれ、
そして消える。」

シノプシスに、
「アンジェリカとメドーロは再会し、
もう、オルランドを恐れることはないと、
結婚することを誓う」とあるシーンであろう。

が、変な演出で、オルランドは一部始終を聴いている。

Track21.
アルチーナが来て、オルランドはまだ来ないのか、
とアンジェリカに尋ねると、
隠れていたオルランドが出てきて、
何事もなかったかのように、
アンジェリカを抱きしめ、
アンジェリカの方も、思わせぶりに、
テーブルの上に横たわって、
悩ましげな歌を歌う。

「輝く星のように、あなたの無垢の誠実さは、
私の心に慈悲を約束してくれます。
でも恐ろしい思いが私を捉え、
私はその炎が恐ろしい。
それは私の心を燃え上がらせるが、
いつも、そこまで明るいとは限らない」と、
意味深な内容でよくわからない。

とにかく、この二人は、アリアのさなか、
ずっとくっついて、愛撫したり見つめ合ったりしている。

そして、激しく抱擁したりしているが、
これは、彼を騙すための策略なのであろう。
しかも、どこかに立ち去ろうとさえする。

そして、若さを保つ薬で、私たちの関係は永遠になる、
などと言っている。うまいやり方だ。
なんと、このテーブルの横が断崖であるという設定で、
オルランドは、ここに上ろうとして、
雷のようなものに打たれて倒れてしまう。

シノプシスに、
「事実、アルチーナの助けによって、
恋するオルランドをだまし、
若さの秘薬を取ってくるよう頼み、
魔法の崖を登らせる。
彼は、アストルフォの力強い警告にも関わらず、
簡単に騙されてしまう。
そして、すぐに出口のない洞窟に入れられたことを悟る。」
とあるが、いきなり次のシーンでは、
薄暗いシーンに突入している。

Track22.
オルランドは、テーブルの下で叫んでいるので、
これが、洞窟であるという設定なのであろう。
「オルランドは囚われた」という声が響き、
オルランドは怒り狂い、
「そのようないかれた言葉はオルランドには無効だ」
と目をむいて叫ぶ。
だが、出口はわからない。テーブルの下で、
「私は騙された」と悟り、
アンジェリカを呪いながら、
それを持ち上げようとしている。
が、彼は、テーブルから抜け出て、
背景のカーテンも引き裂いてしまう。

Track23.
シノプシスに、
「その間、ブラダマンテとルッジェーロは落ち合い、仲直りする」
とあるが、「アルチーナのところに行けばいいわ」などと、
最初はまだもめていて、
その様子を、背後でアルチーナが見つめている。

さすが、魔の島の女王である。
すべてをお見通しのように、
威厳を持って、存在感を露わにしている。

ルッジェーロが、では、この矢で殺せというと、
少し、ブラダマンテもしおらしくなり、
ルッジェーロは、親しみやすく、朗らかなアリアを歌う。
管弦楽の伴奏も、愛情たっぷりの表現が愛らしい。
「あなたの胸で死ねるなら、なんと幸せなこと、恋人よ」
「あなたの胸に平和が戻るなら、いくらでも叱ってください」
などという内容。
これは、非常に単純な小唄のような感じ。

当然、二人は仲直りして抱き合っている。
ブラダマンテもお返しのアリア。
「奔流が渦巻いてあふれると、
ざぶりと畑も水浸し。
だが、それを止めることはできない」という、
まさしく奔流のような激烈なもの。

この間、平和な村人のダンスなどが舞台では演じられる。
最初出てきた時は、いかつい感じだったが、
このクリスティーナ・ハンマーシュトレームという歌手は、
なかなか美人である。
最後は、イケメンのジャルスキーと寝転んでごろごろと官能的。

Track24.
楽しげな音楽が鳴り渡る。
威厳を持って鳥瞰していたアルチーナも、
心の動揺を隠しきれず、テーブルの上にうつぶせている。

「アンジェリカとメドーロは、
アルチーナの庇護と羨望の中、
広い空地で豪華な結婚式を挙げる。」
というシーンで、恋人たちは、
村人のダンスを前に見つめ合っている。

アルチーナは、ルッジェーロを探すが、
それより結婚式を、と、
アンジェリカとメドーロが急かし、
テーブルのカップには飲み物が満たされていく。
アルチーナは新郎新婦にそれを手渡し、
皆が浮かれる中、アルチーナは、
一人、嘆きの歌を歌っている。
管弦楽もどろどろとした響きを立てて、
きわめて錯綜した状況である。
アルチーナは、恋人たちを祝福しながら、
自らの運命を嘆いている。
したがって、その祝福も息も絶え絶えの感じ。

そのような状況下で、素晴らしいオーケストラの前奏が流れ、
苦しげなアルチーナのアリアが始まる。
「もし、私も愛した人だけと楽しめるなら、
私の心は平和を見出すことはできない」
などと、自らの定めを歌ったもの。

背景は黄昏のような色調になって、
アルチーナの権勢にも陰りが見えたことがわかる。
ルッジェーロは黙って立ち、
アルチーナを見つめて去っていく。
背景から向かってくるシルエットが一つ。

「しかし、偽りと反抗の運命に繋がれて、
愛の神様は、苦しみで脅かす。」
なんと、やって来たのは、オルランドだった。
狂えるオルランド以前に、アルチーナが心配である。
ヘンデルの「アルチーナ」は、確かに、こんな物語だったが、
ヴィヴァルディのオペラも、そんな内容だったっけ。

アンジェリカとメドーロが抱き合う中、
この魔女は、一人、嘆き節で歌い続ける。
まさしく、これは、ヘンデルが、
「おお、わが心」で扱ったようなシーンではないか。

CDでも、このアリアは8分近くかけて歌われていた。
DVDでも、この絶唱をたんねんに描いていく。
さすが、ラーモアである。

Track25.
オルランドはどこに行ったのだろうか。
陽気な二人の恋人たちは、テーブルの上に落書きを始める。
「ここに、メドーロとアンジェリカ」などと書いて、
彼らのデュエット。
「あなたは私の情熱、愛、太陽、心」といえば、
「喜び、平和、星、そして愛」などと返す、
他愛ないものである。

Track26.
いよいよ、第二幕も最後、
「彼らは、愛の誓いを月桂樹やミルテの木の幹に刻む。
彼らが消えてすぐに、
何とか魔法の洞窟から逃れ出た
オルランドは森にたどり着く。
新婚のカップルと、木々への刻印を見て、
彼は錯乱する。」
というシノプシスにある部分となる。

どろどろ音に導かれてオルランドが現れ、
机の上の二人の残した落書きを読む。
これまた、レチタティーボともアリアとも言えない、
狂乱の歌唱が繰り広げられていく。
「恋人で夫婦だって」と叫び、
ついには、服を脱ぎ捨て、テーブルを引きずり、
頭を打ち付け、踊りまくって狂乱の限りを尽くす。
セリフも錯乱している。
まさしく「オルランド・フリオーソ」である。

が、急に脱力して泣き、
「目よ、翼よ、心よ、アンジェリカとメドーロ」と言って、
うつぶせる。

今回も、第二幕を聞いただけで字数も尽きた。
第三幕以降は、次回に回すことにして、
これまでの時点で得られた事を書く。

得られた事:「ヘンデルのオペラのように、ヴィヴァルディもまた、アルチーナの感情の移ろいに関心を持ち、丹念に陰影のある描写を試みた。」
「解説者Willem Bruls氏は、それがまた、フェリーニの映画にも通じるものだという。」
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by franz310 | 2012-08-25 20:20 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その341

b0083728_19505563.jpg個人的経験:
「オルランド・フリオーソ」という、
幻想譚とでも言うような、
西欧騎士道時代の長編詩は、
少なくとも18世紀くらいまでは、
広くヨーロッパ中に知られており、
ヴィヴァルディからハイドンまで、
著名な作曲家がオペラを書いている。
これまで、これらの作品を
DVDやCDで見聞きしてみたが、
再び、ヴィヴァルディに戻る。

今回のDVDは、今年(2012年)
4月には入手していたものだが、
かなりの力作のようなので、
夏休みまで意を決することができずにいた。


このDVDは装丁もおしゃれなもので、
紙パッケージに、豪華美麗ブックレットが入っている。
実は、これを読むのも手抜きしにくい。

表紙写真はシンプルで、
オルランドであろうと思われる、
巨漢が、大きく手を振り回している。
背景もいたって抽象的だ。

このような上質の手触りにふさわしく、
これが、ものすごく気合いの入った
プロジェクトの成果であることは、
中のブックレットでも分かる。
関係者たちが、
強烈な自負を持って語っているのである。

指揮をしているスピノジは、
すでに、「ヴィヴァルディ・エディション」
というnaiveレーベルのシリーズで、
CDでもこの作品の全曲録音を残しており、
これは、ヴィヴァルディを語る上で
落とすことのできない名盤であった。

ただし、その時(2004年)は、
どうやら演奏会形式でしか演奏していなかったようで、
今回、満を持しての舞台上演である。

フレデリック・デレメアと連名で、
「7年間の反映」という文章を、
高揚した気持ちを隠すことなく書いている。
2011年3月に書かれたものである。

「ヴィヴァルディ・エディションの
『オルランド・フリオーソ』の録音が行われた
2004年から2011年の7年間が経過した。
あのディスク・セットは、
いくつかのコンサートの合間に行われた。
それらは演奏会形式であったが、
彼の素晴らしい劇的パワーがさく裂し、
ヴィヴァルディの傑作オペラが息を吹き返し、
遂には、完全なバージョンでの演奏ができた。」

ここで、彼らは、簡単に
2004年のCDが作れたようなことを書いているが、
読み進めていくと、
それは長い苦闘の歴史の成果であったことがわかる。

「『理性の時代』に生きる我々にとって、
1727年の秋に上演されてから、
演奏されていないオリジナル版に対し、
情景やセット、衣装、遠近法には、
自然なものが求められた。
2004年より以前よりはるか以前にさかのぼり、
おそらく1997年、ヴェネチアで、
オリジナルの壮大さで、これを復活させようと、
初めて夢見た時以来になるのだが、
この機会に、この壮大な冒険を、
改めて見直すという誘惑に抗うことはできなかった。」

1997年であるから、
全曲録音からさらに7年をさかのぼる時期に、
何故に、スピノジがヴェネチアにいたのかはわからない。
が、いかにも詩的な情景が書き連ねられている。

「カナル・グランデに沿って、
まさにヴィヴァルディが、
彼のもっとも有名なオペラを生んだ、
サンタンジェロ劇場の場所から少し散策をして、
我々は、この作品に対して、
共通の情熱、愛情、野心を持っていることを確認し合い、
あらゆる観点からして、素晴らしいスコア、
疑うべくもないもっとも個性的である、
ヴィヴァルディの舞台作品に対する情熱や、
いくつかの欠点はあげられようが、
忘れるわけにはいかない、
1977年にシモーネとマリリン・ホーンによってなされた
レコード・セットへの愛着を語り、
カットや、オーケストレーションの変更、移調もなくし、
最高級の歌手を集め、近年の音楽学の研究成果を取り入れ、
近年の我々の演奏経験からの知見も反映させた完全版復活によって、
真価を評価させようという野望などを共有した。」

ということで、今回のDVDは、
14年もの構想期間を経ての成果だということがわかる。
スピノジは、まだ若い指揮者であるから、
プロの音楽家としての半分くらいを、
この作品に捧げた感じではなかろうか。
もちろん、四六時中やっていたわけではあるまいが。

「しかし、1997年の時点では、
ヴィヴァルディのオペラに対する風向きは悪かった。
チュチリア・バルトリによる『ヴィヴァルディ・アルバム』や、
ヴィヴァルディ・エディションによる波の高まりによる、
250年にわたる微睡にあった、
この眠れる美女の覚醒はまだ起こらなかった。
何人かの野心的パイオニアを除いて、
ヴィヴァルディの劇作品は、
演奏者やプロモーターの、
だれ一人の興味をも引かなかった。」

確かに、250年も眠っていたものには、
それなりの理由があるんじゃないの、
などと考えるのが普通であるが、
彼らはあきらめなかった。

「『赤毛の司祭』の、当時の名声は、
単に永遠の人気作『四季』や、
一握りのマンドリンやフルート協奏曲群、
雑多な宗教曲にのみ残っていた。
このような状況下で、
我々の最初の夢の実現の挑戦と実現は、
断片的に『オルランド』を演奏会形式に乗せることだった。
この作品の劇的な力を保つために、
タブローの連鎖で集中力を高め、
それらをナレーターがテキストを朗読して繋げた。
これらの『フラグメント・オルランド』は、
その進行順は残しながら、
ドラマの異なる各部を掘り下げて、
『運命の需要』、『魔法』、『愛に試される徳』、
『悲しみの婚礼』、『呪文の弱まり』、『分別の勝利』と題された、
6つのタブローで構成した。
このタブローの並列は、聴衆が、登場人物の心理描写と共に、
劇の進行を理解できるように考えられたもので、
観客の注意は、動作や半演劇的なアクションでつなぎとめられた。」

私も、できれば、この複雑なオペラは、
このような形で親しんでから、
全曲に行くのがよいのではないかという気がする。

「ヴィヴァルディのオペラに対する不毛の時代にあって、
このプロダクションは、なおも斬新にすぎ、
同様の試みが続くことはなかった。
しかし、2000年のヴィヴァルディ・エディションの開始から、
アンサンブル・マテウスが、この例外的なプロジェクトに参画し、
我々は、このバージョンを惜しみなく捨て去ることができた。
夢見ていたことは、遂に現実となった。
我々が遂になさねばならぬことは、
『オルランド・フリオーソ』の再構成にかたをつけることだった。
この作品の唯一の知られている音楽の原本はトゥリンにあって、
未完成のものや乱雑な素材の塊であった。
これは複雑かつ魅力的な仕事で、
1727年に印刷されたリブレットと、
自筆譜をシステマティックに突き合せ、
これまで知られていなかった『オルランド』が、
最後には構成上のバランスと、
歴史的、劇的、音楽的な活力を獲得し、
崇高な作品としてよみがえった。」

実に、楽譜の修復から始めた大事業だったということだ。
私は、このトゥリンの図書館が、何故、
かような遺品を収蔵していたかや、
どんな部屋に、こうした宝物が置かれていたかなど、
妙に気になって仕方がない。

「我々は、表現力を必要とし、歌手にとって技術的な難所に満ちた
この手ごわいスコアに対する配役も探す必要があった。
もっとも重要な配役から始まり、
1727年の初演時の歌手ルチア・ランチェッティや、
マリリン・ホーンに続く歌手を探さなければならなかった。
幸運なことに、オペラの世界にはこうした、
魔法のような遭遇があって、
まさに、このコルネイユ風のジレンマに陥っているとき、
無比のドラマティックな気質、強烈であるとともに柔軟な声、
繊細な表現力の可能性によって、
この役柄を運命づけられ、彼女もまたこの役に熱狂した、
エリザベート王妃コンクールの優勝者、
マリー・ニコール・ラミューと出会ったのがこうしたケースで、
忘れがたい体験となった。」

オルランドは、恋に焦がれて正気を失った騎士である。
ヘンデルのオペラでは、心に傷を負った将校とした演出があり、
ハイドンのオペラでは、乞食のような恰好の老人とした演出があった。
はたして、このDVDでは、
どのようなオルランド像が描かれるのだろうか。
何しろ、ヴィヴァルディの作品は、
これらの中でとりわけ筋が込み入っているのである。

「この狂った騎士に成り代わることは、
ディスクに刻まれる前にも演奏会を圧倒した。
2003年のシャンゼリゼ劇場での初演の後、
アンブロナイ、トゥールーズ、ブレーメン、エディンバラ、
トゥリンでも再演され、この『オルランド・フリオーソ』は、
2004年のCDで名声を得ていたが、
遂にステージにかかることとなった。
こうした様々な実験によって、経験を得て、
我々のこの作品の見方は変わったであろうか。
もちろん、これはあって、我々自身の進化と共に、
この力強い人間劇はそれを反映していった。
時間と経験の積み重ねと共に、
ヴィヴァルディの心理的真実が我々をこれまで以上に掴み、
今や、彼の音楽は、驚くべき登場人物や、
彼らの永遠の問題を強い集中によって明らかにして、
まぎれもない人間の魂の写し絵のようにさえ思える。
これまで以上に、アルチーナも、アンジェリカも、
オルランドも、我々の目と心に主張をはじめ、
同時代の人物のように迫ってくる。
その強さも弱さも、苦しみも喜びが、
これまで、このような総合として迫ってきたことはなかった。」

そして、最後に、この一文がぽつりと置かれている。

「この傑作がこれほどまでに我々を深く動かしたことはなかった。」

では、この物語を再度、SYNOPSISで復習しておこう。
「メーリンの灰を盗んだことによって、
魔女が力を得て魔法にかけた場所、
アルチーナの島での出来事。
これらは、今、地獄のヘカテの神殿の壺に隠され、
不死身のアロンテによって油断なく守られている。
アルチーナは、キャセイ王の娘、
美しいアンジェリカを宮殿にかくまっている。
アンジェリカはメドーロを愛しているのだが、
騎士オルランドに目をつけられ、
彼の情熱から逃れようとして追われている。
同時に恋人ともはぐれてしまった。
ドラマが開始時、オルランドは、
導師のマラギギにメーリンの灰を奪い返し、
アルチーナの力を封じるよう言われていて、
魔法の島に降り立ったところである。
オルランドの信頼できる仲間のアストルフォは、
すでにそこにいて、魔女の邪な愛の犠牲になっている。
ルッジェーロと妻のブラダマンテは、
騎士に続き、やはり島に着く。」

第一幕:
さっそく、この渾身の上演を見て行こう。

Track1.はクレジット。

Track2.は序曲で、スピノジが指揮棒なしで、
柔軟な指揮姿で、若い演奏家たちに、
インスピレーションを与えていく。

ヴィヴァルディの音楽も、
ただ、元気なだけみたいな表現ではなく、
流れる雲のように、豊かに陰影を変えながら、
精妙な響きで紡がれていく感じ。

Track3.音楽が静かに神秘的になると、
謎の覆面人物が現れ、暗く怪しげな部屋に入る。
豪勢な調度品があるが、中にいる人物はみな覆面をしている。

明るく窓から日が差し込むと、
美しい女性が二人、アルチーナとアンジェリカである。
アンジェリカはメドーロへの愛を語っている。

あらすじに、
「アンジェリカはアルチーナに、
メドーロを見失ったことの嘆いて見せる」
とある部分である。
人気歌手のラーモアの演ずるアルチーナも、
アンジェリカ役のヴェロニカ・カンヘミも、
優雅で美しく、
このトラックの後半では、
カンヘミが、しなやかな声で美しいアリアを聞かせる。
「魔女は、彼との関係の修復や、
オルランドの情熱から彼女を守ることを約束する。」

その間、二人の男たちが争いながら入って来る。
彼らのCD解説の方のト書きには、
「覆面をしたオルランドがアストルフォと争いながら入って来る」
とある部分である。
アンジェリカの身が危ぶまれるが、
ここでは、彼女はマスクで顔を隠している。

Track4.
アルチーナは、アンジェリカのことを隠そうともせず、
「彼女の美しさが、我が王国に新しい太陽を加えた」
などと言っている。

ここでは、後半、アルチーナの超絶のアリアがある。
「愛の指令がその目に見えるが、
その敵意あるまなざしは、
恐ろしさに満ち、
私の心に恐れを導く」

Track5.太った方の男は、
実は、女性が演じていて、これがオルランド。
騎士のいでたちで、ひげも蓄え、
恰幅がよいので、完全に男に見える。

もう一方は、アルチーナに冷たくされているアストルフォである。

ここでは、ヴィヴァルディの良さが十全に生かされた、
精妙に美しいアリアが聞ける。
弦楽の音の絡まりの、なんと美しいことであろうか。
アストルフォは、
「君は、僕に貞節を教え、
希望を持つように言う。
しかし、その誇り高い冷たい目は、
僕の悲しみに、一瞥も与えない。」

「アルチーナとアストルフォと会った後、
オルランドは、ルッジェーロを探しに来た、
ブラダマンテと遭遇する。」とあらすじにあるように、
ブラダマンテが登場。
男のように騎士のいでたちである。

Track6.
オルランドは再会を喜ぶ。
彼女は、魔女には名前を明かさず、
ルッジェーロを探すことを告げる。

シノプシスに、
「この誇り高い女性戦士は、
アルチーナの呪文で、
ルッジェーロが島に引き寄せられたと聞き、
魔術師のメリッサからもらった、
魔法の指輪で、魔女に対抗すると宣言する」
とある部分。

「私の夫の愛を取り戻すまで、
暗い心からの怒りは隠しておくわ」
という、勇ましいアリアを歌う。
クリスティーナ・ハンマーシュトレームが担当。
技巧を凝らしたものだが、
上品に切り抜けていく。

Track7.
ここでは、オルランドは、一人になって、
導師の教えを思い出して、悶々とするが、
これは、シノプシスにある、
「一人になったオルランドは、
自らの使命を思い出し、
その決意を荘厳に表明する」とあるが、
かなり、苦しんでいるようで、
あたりにある椅子などを投げ散らかしている。

そして、輝かしいアリアで、感情を爆発させる。
「深く暗い世界に向かって、
無慈悲な運命が私の心を転げ落とす」
という狂乱沙汰のもの。

熱唱に聴衆から、すごい拍手が沸き起こるが、
背後には、冷たい視線で睨みつける
アルチーナのシルエットがあるのが、
不気味である。
そんな使命は遂行させないという意思の表れだろうか。

Track8.
不気味な低音弦のざわめきに、
アンジェリカが不安げに声を上げる。
「なんという嵐の海、
私の愛する心をいたぶるみたいに。」

苦しんでいる男(のかっこうをした女)の姿がある。
アルチーナは、背後にシルエットとなって立ち尽くしている。

Track9.
これは、シノプシスに、このようにある場面。
「その頃、難破して傷ついたメドーロが、
浜辺にあって、アルチーナによって息を吹き返す。」

アンジェリカが駆け寄り、再会を喜ぶと、
アルチーナは、オルランドを指さす。

Track10.
オルランドが現れ、最悪の状況となるが、
アルチーナは、ルッジェーロを、
アンジェリカの兄弟だということにして、
なんと、アンジェリカの方も、
好きでもないオルランドといちゃつく。

シノプシスに、
「オルランドは、アンジェリカとメドーロが、
一緒にいるのを見るが、彼の嫉妬は、
アルチーナのずるがしこい魔女の言葉で掻き消える。」

そして、アリア。
「私の目に、心に、(メドーロに)耐えて、
あなたこそは我が愛、恋人よ」
と、切迫感に満ちたもの。

「アンジェリカは、偽りの愛の言葉で、
オルランドをたばかり、これが今度は、
メドーロの嫉妬を掻き立てる。」

しかし、オルランドの方も、
神妙なことを言っている。
「ああ、残酷な嫉妬。
われらの感情の暴君。
愛する女の眼差しだけで、
私は罪を起こしそうだ。
アルチーナ、僕の心から恐れを取り除いてくれ、
メドーロ、許せ友よ、愛は盲目なのだ。」

そしてアリア。
「羽の生えた弓の使い手は、
あまりにも残酷。
誠実な恋人の心にも
冷たい嫉妬の毒を広げる。」
という、急速なもの。

Track11.
アルチーナがメドーロを慰めている。
「苦しみながら、耐えているのが、
真実の愛よ」などと意味不明。

すると、いよいよルッジェーロが現れる。
人気のカウンター・テナー、ジャルスキーなので、
さすがかっこいい。

「舞台で一人、アルチーナは、
空のかなたからヒッポグリフに乗ったルッジェーロが、
下降して来るのを見る。
新参者に心奪われたアルチーナは、
飲み物に愛の秘薬を入れて誘惑する。」

このようにシノプシスにはあるが、
ただ、背景の横から出てきただけで、
ヒッポグリフを見ることはできない。

ここで、なぜか、歌い始めるのはメドーロである。
ロミーナ・バッソという人が担当。
「私は鎖を断ち切ったが、
彼女の眼差しの偽りに、
再び、縛られることになった。
私は、安定がないことを学ぶのだ。」

彼は、アンジェリカのまわりをぐるぐるしているが、
ルッジェーロとアルチーナは抱擁に陶酔。

が、その様子を睨みつけているのは、
なんとブラダマンテ。

Track12.
アルチーナは、
「もし、一人だけを愛するなら、
私は、ただの女だわ」などと、
メドーロに言っているようである。

それから、ルッジェーロのところに戻ると、
お調子者になったルッジェーロは、
「僕はようやく地に足をつけたが、
ここは楽園ではないか」などと、
とぼけたことを言っている。

アルチーナは、「ここでは私が女王だから、
あなたは貴族よ」などと言って手を取る。

Track13.
「そのすぐあとに、ブラダマンテが到着するが、
魔法にかかったルッジェーロは、
彼女のことがわからない。」
とシノプシスにあるが、
実際には、ブラダマンテの目の前で、
怪しい水を飲んだり、
愛を語り合ったりしており、
邪魔すればいいじゃないかとも思う展開。

さすが、ブラダマンテは、
チャンスを待っているのかもしれないが、
「裏切り者」などと叫んでかなり動揺している。

そして、素晴らしい木管の序奏に導かれ、
ルッジェーロの絶美のアリアが始まる。
「恋人よ、あなただけから、
平和と満足が得られるのです。
あなたの愛らしい眼差しは、
私の愛の帰るところです」と、
めろめろの恋人の歌となる。

主人公のオルランドはどうなったんだよ、
と言いたくなる展開だ。

が、どうしたことか、
アルチーナは、崩れ落ちて、
苦しげにあえいでいる。
ルッジェーロがそれを抱き起す。

このあたりの息苦しさを、
木管楽器の息継ぎがそのまま再現して、
壮絶な描写となる。

トリスタンとイゾルデ並みの陶酔が押し寄せて来る。
「オルランド・フリオーソ」ってこんな物語だっけ、
という展開である。

ものすごい拍手が沸き起こるが当然である。

Track14.
ルッジェーロは、ブラダマンテを認識せず、
ブラダマンテは、「人間ではないわ、この怪物」と、
罵っているが、
アルチーナは、「もう、彼には魔法がかかっている」、
「彼女の後を追いたいなら追いなさい」と強気で、
遂に、「ルッジェーロは私のもの」と言って、
動じることはない。

Track15.
アルチーナは、しかし、勝ち誇るのではなく、
むしろ苦しげに、
「バラやスミレは日の光を愛する、
その光線は、身を焼くのに。
太陽は、それらを枯らせることができるのです。」
というアリアを歌う。

管弦楽が、こみ上げる複雑な思いを、
焦燥感をもってかきたてて行く。

もはや、これは絶唱と言って良い。
まさしく、ヘンデルの「わが心」に匹敵する、
情念がみなぎり、
恋人をどうしても手放したくない、
女の執念の音楽である。

こんな音楽だったっけと、
2004年の旧盤(CD)を聞いて見ると、
もっとテンポが速く、切迫感はあるが、
情念をえぐるような表現ではない。

明らかに、このDVDでは、
感情移入の深さが増している。

以上で第一幕が終わる。
このように聞くと、まだ残り2時間もあるのに、
かなり、満腹に近い充実感を感じて、
今回はこれ以上、聞き進めることができない。

第二幕以下は次回、聞くことにしたい。

得られた事:「スピノジの新作DVD『オルランド・フリオーソ』は、14年にわたる研究の成果で、すごい感情移入で、ぐいぐいと見るものを引き寄せてくれる。」
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by franz310 | 2012-08-17 19:55 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その340

b0083728_23173339.jpg個人的体験:
ハイドンの「騎士オルランド」
というオペラを聴いている。
このDVD、表紙写真は、
孤独な老人を撮影したもので、
寂しそうな印象を与えるが、
実際は、裏表紙に垣間見えるように、
ほとんど、どたばた喜劇である。
この裏表紙の写真では、
海賊みたいなロドモンテが、
松葉杖を機関銃みたいに構え、
東洋人のイム・スンハエが、
エウリッラ役で目を見開き、
何が起こるかを見定めている。
メドーロとアンジェリカのカップル、
後ろにいる巨漢はパスクワーレ。
オルランドの従者である。


このパスクワーレは、
ヴィクター・トレスという人が演じているが、
ロッシーニで見られるような戯画的な役回りも、
歌もうまい。

この裏表紙写真で、
彼等がおどろき呆れているとすれば、
見ている方向にいるべきは、
主人公、オルランドでなければならない。

つまり、骸骨の落書きが書かれた場所には、
この集まりに荷担していない重要人物、
この物語の主人公が隠れているに相違ない。

この落書きの下手さ加減からして、
へんてこ演出であることは分かるであろう。

前回、半分読んだが、このDVDの解説は、
Guido Johannes Joergという人が書いている。
ここに見るように、深く、この作品を掘り下げたものではない。

「ハイドンは彼の『新しいイタリア・オペラ』に着手したが、
しかし、それは、彼にとってそれほど新しいものではなく、
同じ材料で同じリブレットでさえあるものを、
かつて自作の音楽をもとに上演することを構想していた。
彼の台本作者、興行主のヌンツィアート・ポルタは、
グリエルミの劇音楽もそれなりに知っていて、
以前、個人的にリブレットを改訂していたりしていた。
今回は、すっかり最初から作り直し、
『英雄喜劇、騎士オルランド』が期日通りに出来上がった。
が、予告されていた来訪はなかった。
ロシアの大公夫妻は、旅程を変更し、
エステルハーツィ訪問はなくなった。
それゆえ、この作品の初演は、
ニコラウス王子の名の日、
1782年12月6日となった。」

ということで、この作品のよく知られた、
成立の由来が述べられる。

「この作品が成功した理由は、
良く知られた主題に帰するべきであろうか。
それもあるかもしれないが、
むしろ、このような重要な来訪を考慮して、
特別に心血を注いだことが、
傑作とするのに貢献したのかもしれない。
とりわけ、音楽の高い質には感服せずにはいられず、
騎士オルランドはハイドンの生前に最も演奏された、
オペラとなった。
1813年にはペテルスブルクでさえ上演された。
しかし、1796年に母親のカテリーナ二世から王位を受けた、
ロシアの皇帝パーヴェル一世は、
もともとは、彼のために企画された、
このオペラの演奏を生きて見ることは出来なかった。
彼は1801年、暗殺者に殺されていたのである。」

当時のロシアの政情が垣間見える、
興味深い記載である。

「ハイドンのオペラが忘却の淵に沈んでから、
彼の劇音楽領域への技能も単純に信用を失い、
1970年代後半のアンタル・ドラティによる、
舞台作品の全録音という転換点以来、
この数十年、ようやくその反対の流れが出てきた。
以来、ハイドンの劇音楽は、以来、各ケースの反証となり、
ハイドンのオペラは実は、
全体を通じて極めてドラマチックで劇作法に優れ、
最高のレベルに達しており、
その高い音楽性と泡立つウィットを持つことが証明された。
英国の監督ナイジェル・ロヴェリイが、
2009年5月にベルリン州立歌劇場で、
ハイドン没後200年を記念したプロダクションは、
イランの振り付け師、アミア・ホッセンポーアの色彩的で、
フレッシュでユーモラスな振り付けは、
歌手たちの音楽性と共に賞賛された。
良く知られた歌手たちと共に、
古楽の専門家レネ・ヤーコブズの指揮の下、
フライブルク・バロック・オーケストラが、
生き生きと美しいサウンドを引き出している。
聴衆は音楽にも舞台にも引き込まれ、
各シーンで自発的な拍手を送っている。
このプロダクションはヨーゼフ・ハイドンの舞台作品に、
新しい境地を築くものである。」

このように、このDVDに記録された、
オペラ上演は、高く評価された、
ということなので、期待を高めて、
思い切って後半のDVD2を見ていこう。
第2、第3幕を含み、かなりのボリュームである。

Track1.幕が開く。
開始していきなり、
悲鳴や爆音が響き、戦争の状況の模様。
オルランドが武装して舞台を駆け抜ける。
「私が憧れる、残酷な女の事が思い出される」
「彼女の流し目が私を殺すのだ」
などと、オルランドは、
こんな状況下でも嘆いている。
だから、ロドモンテが現れて、
剣を抜け、と戦いを挑んでも、
エウリッラが、
「アンジェリカが来るわ」などと言うだけで、
決闘を投げ出して、どっかに行ってしまう。

ロドモンテは、何故、邪魔をするか、と、
エウリッラに詰め寄ると、
彼女は、「どうして殿方は、みな女性を巡って決闘するの」
とか、無邪気な質問をする。

Track2.
この展開から、
何故、このアリアになるか分からないが、
「フランク人どもを皆殺しにした」などと、
威勢の良い歌を歌い出す。
剣を振り回し、自分の手首を切り落としてしまうが、
エウリッラが拾ってつけてくれるという演出付き。

Track3.
格好良くフラメンコ・ギターみたいな効果がかき鳴らされ、
メドーロが旅支度で登場。
「隠れ場所が探せるだろうか」という場面。

エウリッラがつきまとう演出。
何だか、怪しい戦士がこちらに向かっている、
などと言って恐れている。

Track4.
いきなり、メドーロは、上着の内ポケットを探り、
手紙を取り出し、エウリッラに渡し、
私の恋人に、「彼は死んだ」と言って欲しいと歌う。

内容は悲壮感極まるものながら、
リリカルな、穏やかな情感に見たされたもの。
いかにも、モーツァルトのオペラで聴けるようなもの。
この演出は、ロドモンテの手首が、
簡単にちょん切れてしまうように、
極めてコミカルなものゆえか、
彼が、感情を込めている場面の後方では、
すでにアンジェリカが登場しており、
気がついたエウリッラは、
彼女に、メドーロが渡したばかりの手紙を、
手渡している。

背景で、そんな風になっているのに、
つまり、彼女はすぐそこにいるのに、
メドーロは、胸をかきむしるような声を出している。

しかし、彼女が彼に見えるわけではないらしく、
アンジェリカは森の中に消えて行く。

最後に、彼女は、森の魑魅魍魎に、
(ヒゲもじゃでよく見えないが、アルチーナか?)
手紙を奪われてしまうが、
こうした難しい演出はやめて欲しい。

Track5.パスクワーレが、
ヴァイオリンを取り出し、
どんどこどんどこと、
威勢の良い歌を歌おうとするが、
エウリッラが、メガホンを使って、
影から彼をびっくりさせる。

彼がおびえるので、
エウリッラが出て行って、
おちょくるシーン。
ロッシーニみたいな少し斜に構えた愛の情景。
そんな中で、さりげなくプロポーズがされている。

Track7.
エウリッラが、
「あなたの愛らしいお顔」と、
まんざらでもないような歌を歌い出す。
これまた、いかにもウィーン風というか、
古典派時代の軽快な音楽。

二人は、どたばたしながらも、

部屋の中に仲良く入って行く。

ぬいぐるみの馬を振り回したり、
いろんな動作が多くて、
この演出はかなり難解であるが、
パスクワーレの歌う歌詞、
「馬と主人は、愛に駆られたら押さえられない」
にちなんだものであろうか。

Track8.
ヒゲもじゃの化け物が、出て来て、
意味不明なポーズで手紙をかざしているが、
アンジェリカのアリアである。

これはCDで聴いて夢想したイメージではない。
「穏やかな微風」、「静かな波」と、
海のほとりの涼しげな風景を想起したのだが、
彼女は、森の中で、暑苦しい服装をしている。

背景で、化け物がパントマイムを演じているが、
メドーロがどこに行ったのか、
と、悩んでいるシーン。
落ちていた手紙を見つけ、
「メドーロ、どこにいるの」などとやっている。

Track9.
女王の恰好で、アルチーナ登場。
アンジェリカを助けてあげましょう、
というが、
Track10.
アンジェリカの方は、城の前で、
かなり混乱していて、
「彼なしでは生きて行けない」と、
身投げしようとするはずであるが、
ここでは、以下を転げ回っている。


すると、メドーロがやって来る。

Track11.
当然ながら、二人の愛が高まっている時、
まるで、古代人のような出で立ちで、
オルランドが剣と盾を持って飛び出して来る。

狂人なのであるから当然のことながら、
恋人たちの説得を聞き入れる耳も持たず、
我らが英雄オルランドは、剣を振り回す。

ハイドンのオペラでは、オルランドは、
すでに第1幕で発狂しているので、
狂いっぱなしで後半も進行する。

すると、アルチーナが現れ、
恋人たちの逃げる時間を作るように、
彼の力を一瞬削ぐが、
再度、オルランドは怒りを露わにする。

後は、活発なオーケストラの伴奏に乗って、
幻覚を訴える。

Track12.は、
彼の、幻影との戦いが表されるアリア。
狂乱のアリアとしては、メロディは晴朗なものだが、
暗闇の中、様々な妄念にもだえている。

Track13.
またまた、お気楽カップルの方。
高校生の制服のようなネクタイをつけたエウリッラが、
部屋の中で、将軍姿のパスクワーレから、
自慢話を聞かされている。

Track14.
愉快なパスクワーレのアリア。
いきなり、素晴らしい息の長さを披露して、
イタリア式オペラを模倣して見せる。

いかに自分の音楽の才能がすごいかを、
エウリッラに自慢する。
カストラートのようだ、
と言いながら、高い声を披露するのも、
ハイドンが、そうした音楽に、
いかに通暁していた事を示して興味深い。

時折、エウリッラが、ちゃちゃを入れて、
彼をからかったりするが、
声が透明で美しく、
眼鏡も取って、色っぽい表情や仕草で、
聴衆を魅了する。

合いの手を入れる時の、
高音の装飾も素晴らしい。

そのせいか、最後のトラックで、
この歌手が、カーテンコールで出て来ると、
すごい拍手がわき起こることを、
ここで紹介しておこう。

パスクワーレの方は、
オーケストラの中に入って行って、
指揮者に話しかけたりするので、
聴衆からは笑いがわき起こっている。

いっしゅん、変質者のようにオルランドが現れる。
彼は、部下であるパスクワーレのヴァイオリンを踏みつけて去る。

このような演出に、深い理由があるのか、
単なる受け狙いであるのかが良く分からないのが、
今回の演出の悩ましいところだ。

Track15.
アルチーナが現れ、もったいぶって、
皆に入会証のようなものを渡し、
洞窟に行くように勧める。

アルチーナは、オルランドをやっつけるという。
その舞台が、宿屋の一室みたいで、
なおかつ、アルチーナの衣装が、
いかにも女王という感じなのがへんてこな効果を出している。

Track16.
洞窟だからであろうか、
青い光の中、謎の煙が立ち込めている。
音楽は極めてのどかなもので、
時折、勇ましくなる。

オルランドと、恐れるパスクワーレが、
右往左往していると、
どーんと銅鑼が鳴り、
アルチーナが登場する。

オルランドは怒り狂ってアルチーナを罵るが、
床が開いて、オルランドは穴に落ちてしまう。

Track17.
もう、オルランドはいなくなったのだから、
別に、来る必要はなさそうなものだが、
メドーロとアンジェリカが、
朗らかな歌を歌いながらやって来る。

盛り上がって弦が刻む場面など、
いかにもヴィーン古典派の美学に満ちている。
そこに、何故かエウリッラもやって来て、
ロドモンテまでが合流。

アルチーナは、オルランドは石になったと言い、
みんなは、石を持って回す。

が、彼等は、その事実に驚きつつも、
そこまでは望んでいないというので、
アルチーナは彼を元に戻すが、
オルランドはなおも意気盛んに罵倒を続ける。

アルチーナは壁に下手などくろの絵を描く。
すると、今度は、太鼓が連打され、
オルランドは壁に吸い込まれてしまう。
このあたりが、表紙裏の写真のシーンである。

これは洞窟が崩れたシーンである。

Track18.
シーンが地上に代わり、
オルランドが消えての安堵の合唱となる。

これでもかこれでもかと、
オルランドをいたぶって、
いじめ礼賛のようなオペラになっている。

第3幕も続く。
Track19.
不思議な青い光に満たされた、
冥界の世界で、登場人物が、
立ち尽くす中、忘却の川を渡すカロンテが、
彼等をひとりずつ去らせて、
最後にオルランドが一人残る。

こうした演出は、かなり頭を使って疲れる。
先に書いたように、ただ、ふざけているのか、
よく伏線などを考えているのか、
そのあたりが不明瞭なのである。

Track20.
アルチーナは、カロンテに、
オルランドの頭から、アンジェリカを消すよう命じる。

Track21.
オルランドは、何故、みんないなくなった、
とか言うので、Track19の演出は、
この台詞に由来するのかもしれない。
彼は、カロンテの姿を見ていぶかしむ。

Track22.
この部分こそは、このDVDの表紙となったシーンで、
オルランドは、「ここは静寂の王国だ」と、
煩悩が去ったかのような、
清らかなアリアが歌われる。

カロンテの意味ありげなポーズが、
背景に影絵となって浮かび上がっている。
このあたりも解釈が難しい。

ただし、この巨大な影の力で、
オルランドは自ら、
棺桶の中に入って行くようにも見える。

オルランドのアリアは、
声の質のせいか、どれもが渋く、
まるで華やかさがないが、
内向的、思索的で、いかにもドイツの音楽だという感じ。

トム・ランドルという人が歌っているが、
テノールであろうか、
華やかな部分よりも瞑想的な部分で勝負で、
白痴美はまるでない。

Track23.
実際には、ここで、カロンテが、
オルランドに忘却の水を注ぐ。
表紙写真にも出ていた舞台手前の棺は、
オルランド復活のための大道具となっている。

巨大なハサミは、煩悩を裁つイメージであろうか。

Track24.
アーノンクールのCDではカットされたシーンであろう。
ヒゲも長髪もとれたオルランドが、
ローマの執政官のような出で立ちで、
パスクワーレをせかし、
戦場に連れて行く。

エウリッラは、それを止めようとするが、
連れられて行ってしまうシーン。
さらに、アンジェリカを襲う敵たちが、
メドーロを突き刺してしまう。

何と、オルランドは兵隊、
というか警官、あるいは大佐といった恰好をして登場。

Track25.
勇ましい音楽に太鼓が連打され、
オルランド大佐とロドモンテは戦闘に向かう。

Track26.
指揮者のヤーコブズが写され、
アンジェリカの伴奏付きレチタティーボの
美しい序奏を丁寧に盛り上げて行く。
アンジェリカはメドーロが死ぬと大騒ぎで、
序奏とは打って変わって、
激しい音楽を背景に、激情を吐露する。

このような音楽を聴くと、
完全にウェーバーやシューベルトに直結しており、
パパ・ハイドンという感じではない。
かなり表現主義的にも傾く。

Track27.
青いバックのまま、
黒いコート姿で現代的な出で立ちの、
金髪のアンジェリカがアップで写されて、
髪をかき上げている。

まるで、英雄劇風でもなく、ハイドン風でもなく、
まるでワイドショーか雑誌のピンナップみたいだが、
いかにも狂乱のシーンにふさわしい、
感情を吐露した絶唱、
「もうこの心は耐えられません」のアリアを歌う。

彼女は、体当たりの演技で、
自分の肖像画も破り捨て、
真の愛に目覚めた感じの演出であろうか。
このマリス・ピーターゼンは、
こうしたアップの映像やにも耐えられ、
演技を伴っても均質な声を聴かせるので、
人選としては良い。

ただし、少し個性が弱いかもしれない。
情念の陰影が欲しいところだ。

Track28.
えらく爽やかな好漢となったオルランドと、
ロドモンテが勝利に終わった戦闘の報告をする。
アンジェリカに対する未練はさっぱりの顔が、
かえって憎い感じである。

Track29.
ヤーコブズ指揮のオーケストラが、
勇壮な音楽を聴かせ、
ハイドンのどの交響曲よりも、
華やかな序奏を響かせ、
女王の恰好でなくなったアルチーナが、
学校の先生みたいに、
アンジェリカの修復された肖像画を見せながら、
輝かしいアリアを歌い上げる。

いろんな魑魅魍魎が現れては消えるが、
何を意味しているかは不明。

Track30.
アルチーナは、すべてが変わりました、
などと自画自賛するし、
「何という奇蹟」などと、
アンジェリカは反応するし、
せっかく狂人だったオルランドは、
戦士の心に憧れはない、などと偽善的。
まるで去勢されたみたいになっている。

「みなは、この平和を楽しめ、俺は行く」
みたいな感じで、いかにも作り物めいている。
前、読んだ解説で、狂ったオルランドの方が普通で、
あとはみんな変、という感じが強調されている。

Track31.
アンジェリカは、「ASIA PACIFIC」
と書かれたたすきをかけ、
ミス・太平洋みたいな感じの出で立ちになり、
メドーロは、跪いて、彼女を称える。
完全に絵空事の幸福感になっている。

二人とも、完全に漫画風でにたにたしている。
しかし、さっきから気になっていたが、
背景の田園風景もへたな絵で、
まさしく絵空事という感じだろうか。

Track32.
全員のコーロ。
オルランド「大佐」みたいなのが中心で、
「私は混乱している。男が狂人に見えるなら、
それはあなたたちの残酷さゆえ」という、
この劇の本質をおちゃらけた感じで歌い上げ、
続いて、あらずもがなの教訓、
「幸せでいたいなら、あなたを愛する人を愛しなさい」
という合唱。
そこに、エウリッラ、ロドモンテ、アルチーナと、
それぞれの立場が歌われるが、
「魔法の力のおかげでみな、満足に生きるでしょう」
という歌詞は意味不明だ。
その後、メドーロとアンジェリカも唱和するが、
「不変の愛を保ったなら、それは正しかった」とか、
「キジバトが忠誠を教えます」などなど、
あってもなくても良い歌詞になっている。

最後の拍手は、
劇中で散々いたぶられたオルランドへの拍手が少ない。

最後の最後まで、狂ったオルランドこそ、
本物であったのだという事が、
多くの聴衆には分からなかった感じ。

何だか腹立たしいオペラになっている。
エステルハーツィのお城で、
こき使われていたハイドンの目からすれば、
こうした偽善的な価値観では、
自分のような芸術家は、オルランドみたいなもの、
などと感じていたのではなかろうか。

最後は、何と、背景の田園風景もちぎれ落ちる。
これは、完全に、この演出者も、
最後を大団円とは見ていないという意志表示であろう。
演出家は、ナイジェル・ローリー、アミール・ホセインプール。

得られた事:「ハイドンの『騎士オルランド』は、真実が偽善に負けるという内容。理性が戻ったオルランドは、まるでロボットのようである。」
「ヤーコブズ指揮の上演記録もまた、その側面を強調。ただし、時として、受け狙いの小手先技が見られる。」
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by franz310 | 2012-08-04 23:18 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その339

b0083728_110278.jpg個人的経験:
ハイドンの作品鑑賞と言えば、
ベートーヴェンの場合と同様、
交響曲や弦楽四重奏曲、
そしてピアノ・ソナタなどが
取り上げられることが多い。
その他、オラトリオやミサ曲も
聴かれる機会が多いようだが、
例外はあるものの、
どのジャンルをとっても、
渡英(1790年)前後以降の
作品の人気が高い。
従って、それより遙かに前に
作曲されたオペラなどには、
興味の範囲を広げるのは難しい。


が、今回、聴いたDVDなどの表紙写真などを見ると、
オペラも聴いてみようかな、と思うような、
ヤバさがにじみ出ていて良い。

長髪の白髪の物乞いのような老人が、
画面の端に写っていて、
画面中央には、謎の人物の影が浮かび上がっている。
シンプルな舞台で、手前の棺のようなものしか、
何の手がかりもない。

このように、このDVDの表紙から紹介していくと、
やはり、へんてこなだけで、これゆえに、
ハイドンのオペラに興味が出るような代物ではない。
前言撤回である。

オペラと言えば、社交界の名士が集まり、
舞台上の美男、美女に我を忘れるもの。
このハイドンのDVDには、
そうした意味でのわくわく感はまるでない。

シェークスピアのリア王みたいに、
人間性をえぐり出す作品だとすれば、
華やかな世界を夢見て劇場に足を運ぶ人が、
うんざりするかもしれない。

やはり、ロンドン時代以前に書かれた作品は、
ハンガリーの片田舎で書かれたもので、
そうした華やかさに乏しく、
ちょっと格下扱いされてもやむを得ないのであろうか。

交響曲が良い例で、
ロンドンのための12曲は、
特別扱いされているし、
弦楽四重奏曲なども、
1790年の作品64などが頂点であろう。

実際、これらの作品より前の作品では、
色彩とか立体感、規模などで、
明らかに一線が画されたような感じがある。

あるいは、モーツァルトとの交流が、
ハイドンの創作に対する態度に、
変化をもたらしたのかもしれない。

モーツァルトが、ハイドンの四重奏を規範とした、
「ハイドン・セット」を完成し、
ハイドンに聴かせたのが、1785年ではなかったか。

このハイドンのオペラは、それに先立つ作品で、
ハイドンが自分より24歳も若い
モーツァルトから影響を受ける前夜、
1782年の作品である。

したがって、ハイドンの後年の作品を彩る、
豊かな情緒性を期待してはいけないような気がする。
事実、この表紙写真は、
幻想的な色調に期待させられる面もあるが、
あまりにも華がない。

ハイドンが弦楽四重奏曲作品33で、
かなり実験的な技法を確立したのが1781年で、
それに近い時期の作品となれば、
かなり、強引で緊密な音楽を、
連想してもおかしくはないだろう。

と、かなり前振りが長くなってしまった。

ところが、これがかなり、予想と違うのである。
音楽には広がりや変化があり、
感情の起伏も大きい。
しかも、抱腹絶倒のばかげた作品で、
「リア王」を連想されるところなど皆無である。

ハイドンが、モーツァルトから、
学んだことがあったとすれば、
あるいは、こうした劇音楽の情緒性を、
器楽曲に入れ込む工夫だったのではないか、
などと考えてしまった次第である。

今回、聴くDVDは、このオペラ、
「騎士オルランド」のぴちぴち感を、
より前面に押し出したもので、
ハイドン没後200年の2009年に、
ベルリン国立歌劇場で上演されたライブであり、
ルネ・ヤーコプスが、先鋭かつスタイリッシュな、
フライブルク・バロックオーケストラを指揮している。

演出は、ローリーとホセインプールのコンビで、
人気のある人たちだという。
そういう偏見に満ちた目で、
このへんてこな老人が彷徨っている表紙写真を見直すと、
この、いあにもの出で立ちからも、
そのへんてこさが伝わってくるようである。
この老人が恋に焦がれる、
勇猛な騎士、オルランドそのひとの姿であろうとは、
誰が考えるであろうか。

中の映像を見ていっても、
絶世の美女とされる、アンジェリカ役に、
マリス・ペーターゼンという
1968年生まれのドイツ出身の
美人ソプラノを持って来ているところが嬉しい。

このDVD、Euroartsという、
レーベルが出している2枚組DVDである。
買ってから気づいたが、
この映像は一部、YouTubeでも流れていた。
お持ちでない方は、適宜それを見て、
DVD購入に踏み切っていただければ良い。

いくら万能のネットでも、
「英雄喜劇の傑作」と題された、
Guido Johannes Joergの解説までは、
出ていないようだ。

まず、これを読んで、聴きたい感を高揚させよう。

「『英雄喜劇』という一般用語は、
オペラ文献では、極めて稀なものである。
騎士道が、遠い過去になって、嘲笑のまとになった頃、
特に17世紀、ヴェネチア・オペラにおいて
『お祭り騒ぎ(カーナヴァライズド)のようなもの』になった。
その文学的典型は、これまで最も影響力のあった、
イタリアのみならず広く読まれた英雄喜劇の一つ、
『オルランド・フリオーソ』からの物語である。」

ということで、冒頭から、この作品が、
お祭り騒ぎの要素を持っていることを予告している。
たぶん、このような見方が、今回の演出の背景にあるのだろう。

「自身、貴族で騎士でもあった、
イタリア・ルネサンス期の詩人、
ルドヴィコ・アリオストの叙事詩で、
マッテオ・マリア・ボイアルドの、
未完成の『恋するオルランド』の続編として書かれた。
これらの詩作の背景は、サラセンに対する、
シャルルマーニュの軍事行動で、
シャルルマーニュ伝説の記録としては、
古いフランスの『ロランの歌』や、
古くからの騎士の物語があった。」

「ロランの歌」は岩波文庫にも出ていたが、
これは、どちらかというと、
友情の物語であったように記憶する。

「主人公はシャルルマーニュ伝説からの、
ドイツの英雄ローラントで、
彼はシャルルマーニュの甥とされた。
イタリア貴族のエステ家の家系は、
もう一つの重要なテーマで、
アリオストはエステ家の外交官、顧問であったので、
伝説の中の重要人物に所縁あるものとして、
家系図を彼等のために描き上げ、
トロイのヘクトール神話にまで遡った。
両方の詩は、ローラントを広く、遠くまで有名にした。」

ここの記述、少し分かりにくい。
アリオストがエステ家に仕えていたことも知らなかったが、
彼は、エステ家の家系をヘクトールまで遡ったことは分かった。
が、シャルルマーニュの甥のローラントとは、
どのような関係になるのであろうか。

エステ家は、リストが「エステ家の噴水」など、
ピアノ曲を作っているが、
ローマ近郊に素晴らしい庭園が今でも観光地になっている。
中世以来のイタリアの名門である。

しかし、ネットでこのあたりを調べると、
「狂えるオルランド」がウィキペディアに出ていて、
オルランドはイスラムとの戦いを無視して、
アンジェリカを探していたので発狂したとか、
女戦士、ブラダマンテが、
敵軍のルッジェーロに恋をして、
エステ家の起源になった、
とか、いろいろ書かれていた。

何と、実は、ルッジェーロの方が重要人物で、
この人は、むしろイスラム方の戦士だったとは。
メドーロといい、ルッジェーロといい、
かっこいい若い英雄たちは、
みんなイスラムの兵士であった。

エステ家にとっては、
オルランドのような狂人よりも、
むしろルッジェーロやブラダマンテの方が重要だったようだ。

そう言えば、ヘンデルやハイドンの「オルランド」では、
この二人はすっかり消えてしまって、
オルランド、メドーロ、アンジェリカの三角関係の物語に、
すっきりさせられている。

エステ家と関係のない、ロンドンの王族や、
エステルハーツィの宮殿では、
よりアクティブで怪しいオルランドだけで良く、
アルチーナの魔法でへべれけになっている、
単なる優男のルッジェーロなどはお呼びでなかったわけだ。

そう考えると、ブラダマンテとルッジェーロは、
ヴィヴァルディのオペラでも、
どうも話を複雑にするためにしか出て来ない感じ。
さすが、お膝元のイタリアでは、
この二人を外すわけには行かなかったのかもしれない。

このように、
ハイドンの英雄喜劇の話を読んでいたつもりが、
エステ家の家系図や、ホメロスの叙事詩にまで遡り、
トロイのヘクトールにまで連なる話として紹介された。

このヘクトールが、どのようにエステ家と繋がるかが問題だが、
ルッジェーロが、実は、ヘクトールの子孫という伝説があるようだ。

ということで、オルランドやローラントは、
エステ家にとっては、
単なる、余所の家の馬鹿兄ちゃんという設定でも、
まったく差し支えなかったのであろう。

ただし、シューベルトのオペラでも、
このローラントは出て来るように、
ロランの方は、どんどん有名になって、
ヨーロッパの代表的な英雄になる。

「ヨーゼフ・ハイドンも、この主題に関しては、
よく通じた人であった。
彼がアリオストを読んでいなかったとしても、
エステルターツィの居城で、
17世紀の最後の四半世紀に大流行した、
数知れないアリオストの伝説、
神話中の人物に関する音楽劇に親しんでいたに相違ない。
彼は全ヨーロッパで100曲もの劇場作品が上演されていた、
当時の大オペラ作曲家、イタリア人の、
ピエトロ・アレッサンドロ・グリエルミによる、
『ドラマジョコーソ、狂気のオルランド』を、
上演しようとしていたと考えられている。
グリエルミの『オルランド』は、
1771年、ロンドンのキングス・シアターで初演され、
ある時は『騎士オルランド』、
ある時は、『オルランド・フリオーソ』として、
何度も再演されていた。
それはどんなものかと言うと、
美しい王女のアンジェリカが、
サラセンの戦士メドーロと恋に落ち、
気違い沙汰の嫉妬によって、
騎士オルランドが二人を殺そうと追いかけるもの。
妖精アルチーナの魔法があって初めて、
オルランドは、回復して、恋人たちは救われる。」

ハイドンは、このように、「狂気のオルランド」について、
とても良く知っていたと思われる。
が、それは「英雄喜劇」ではなく、
「ドラマ・ジョコーソ」(音楽のためのおどけ劇)であったようだ。
このように読むと、グリエルミが、
オルランドをどう扱っていたかが気になって来るが、
先に進むしかあるまい。

「貴賓の訪問がアナウンスされ、
エステルハーツィにおける、
この作品の新上演は明らかに行われなかった。
そして、宮廷詩人と宮廷楽長による新作初演で、
それは飾られることになった。
結局の所、エステルハーツィの王子は、
壮大に、『エステルハーツィの妖精王国』を、
こうした機会に開陳したかった。
驚く無かれ、ハイドンの雇い主は、
贅沢な宮廷ゆえに、『奢侈愛好家』とあだ名をつけられていた。
当時のヨーロッパの名士だったハイドンもまた、
この来賓、1780年代の初頭、
ヨーロッパ中を旅していた
ロシアの大公パーヴェル・ペトロヴィッチと、
彼の妻、マリア・フェードロヴナには、
すでにヴィーンで会ったことがあって、
さらによく知られていた。
彼は、ヴュッテンブルクの皇女として生まれた大公妃に、
『彼の作品の一つをレクチャーし』、
それゆえに『ロシア四重奏曲』と呼ばれる
作品33の弦楽四重奏曲の印刷したものを彼女に捧げた。
1782年の8月、大公夫妻はヴィーン再訪を望み、
さらにエステルハーツィにも足を運ぼうとした。」

今は2012年の7月の終わりであるから、
230年前のエピソードということになる。

このようにして、ハイドンは、
新しいオペラを書く事にしたのである。

解説はまだ半分あるが、これは、
次回、読み進めることにする。

では、このDVDの1枚目(第1幕)を聴いて行くことにしよう。

Track1.オープニングであるが、
シュターツオパー・ウンター・フォン・リンデンの外観から拍手。

Track2.
序曲は、弦楽器奏者がひしめいて、
かなり大編成に見えるオーケストラを、
ヤーコブズが柔軟に指揮し、
アーノンクールで聴いた時より、
情感に満ちた演奏に聞こえた。

時折写る管楽器やチェンバロの古風な感じも良い。

Track3.
ミニスカートに変な帽子をかぶって、
眼鏡をかけて鉄砲を振り回す、
めちゃくちゃなエウリッラに、
山賊風のリコーネの前に、
海賊風のロドモンテが現れる。

まったく羊飼いの親子と中世の戦士の
遭遇には思えない。
最初こそ、山間の村みたいな背景が見えているが、
途中から、真っ暗な森の中になる。

Track4.
かなり乱暴者のロドモンテが、
フランスの騎士を見たかという問いかけに、
エウリッラはアンジェリカとメドーロの事を教える。

Track5.
彼等がいかにいちゃついていたかを、
アリアで報告するエウリッラ。

Track6、7.
ロドモンテは、オルランドを探しに行くという。
自分が実はバルバリアの王で、
いかに強いかを語るロドモンテは、
剣を振り回して武勇団を歌う。
その間、リコーネの腕を切りつけてみたり、
懐から取り出したデジカメをエウリッラに渡し、
ポーズを取っているのを撮影させたりしている。

Track8.
塔の中にいる設定であるが、
どこであろうか、宿屋のような広い室内で、
アンジェリカが、
「この恋する魂はどうなってしまうの」
などと、歌っている。
この曲の豊かな情感など、
完全にモーツァルトやシューベルトに直結しそうである。
何だか、宿屋の女将みたいなのが一緒にいる。

Track9.
アンジェリカが、メドーロの事を思い、
魔術を使ってでも、苦痛を和らげたいと、
レチタティーボ。

Track10.
すると、いきなり、電灯が明滅し、
二人の女たちは、金縛りに会ったみたいに、
痙攣を始める。
オーケストラは、激しく雄渾な音楽を奏でる。
このTrack8、10などは、
この路線でハイドンが交響曲を書いていたら、
ロマン派はもっと早く来たのではないか、
などと思わせる程の色彩感と情緒性を持っている。

女将みたいな女性はいきなり表情がヤバい感じになって、
「魔女に何を求めるか」とか言って、
オルランドを恐れるアンジェリカを慰める。
何と、これがアルチーナだったのである。

Track11.
アルチーナはいきなり服を着替えて、
地味なものから白いドレスになって、
自分の力を誇示し始める。
この部分の音楽も、打楽器が炸裂し、
サーベルのようなものがガチャガチャ言って、
ものすごい迫力のものである。
怪しい魔物たちが現れるが、
みんなやっつけてしまう。

Track12.
メドーロ登場。
なかなかのイケメンで、アンジェリカと、
美男美女で、かなり説得力のある配役だ。
オルランドがどんなだかは分からないが、
このカップルには勝てない。
メドーロは、オルランドの従者に会った事を、
アンジェリカに告げる。

Track13.
メドーロがくよくよ悩むアリア。
ここにいれば、狂ったオルランドがやって来て、
アンジェリカに迷惑がかかると考えているのである。
このアリアも控えめなものながら、
情感としては深い広がりがあり、
弾奏されるハープの音色も美しい。

また、音楽が激しく高まるところも、
かなり、聴き応えがある。

ハイドンは、宮廷の音楽監督として、
数多くのイタリア・オペラを上演してきたから、
オペラに慣れていたそうだが、
実に、うまい曲作りである。

メドーロは鞄を持って行ってしまう。

Track14.
オルランドの従者、パスクワーレ登場。
色恋のことを妄想したアリア。
猟師だろうか、分厚いコートに、
でかい荷物を背負い、そこにはシカ一頭の姿もある。
口笛も使って、非常に効果的な演出。

Track15.
いきなりロドモンテが剣を抜いて襲いかかって来る。
非常に危ないキャラである。
そこに、エウリッラが、
オルランドがいた、などと報告したので、
パスクワーレは救われる。
すかさず、彼はエウリッラに言い寄る。

Track16.
早口によるパスクワーレのアリア。
面白い遍歴の日々が語られ、
日本にも行ったことになっている。
エウリッラはダンスなどに付き合いながら、
結構、喜んで聴いている。

背後の森の中では、
かなりヤバい恰好の乞食風の男が、
何か苦しんでいる。

Track17.
チェンバロの素敵な音色の序奏に続き、
森の中に、メドーロとアンジェリカが迷い込んで、
あいかわらず、付いて行く、それは望まない、
などとやっている。

「あなたは、もう私を愛していないのね」、
とアンジェリカが言い放つと、
Track18.の祈りのような後悔のような、
敬虔な情感に満ちた序奏が始まって、
「行かないで、愛する人」と、
アンジェリカは一転して、すがるような声を出す。
途中、「正義の神様、なんとひどい日なのでしょう」と、
技巧的な楽句を縦横自在に操る。
オーケストラの活躍もめざましく、
すごい拍手がわき起こっている。

Track19.
メドーロはアンジェリカを置いてくるが、
反対に、「嫌われたら生きていけない」などと言っている。

Track20.
何と、背後で苦しんでいた乞食風の白髪男が、
オルランドだったのである。

頭を抱えて森の中で苦しんでいる。
メロドラマ風に活発な管弦楽を背景に、
レチタティーボで呻き、
木々に刻まれたアンジェリカとメドーロの名前を見て、
遂には木を放り投げ、抱きしめて、
Track21.のアリアとなる。

木々が、クリスマス・ツリーの、
大きい版みたいなので出来る。
「幸せなメドーロとある、これは何事か」と大騒ぎし、
「アンジェリカ」の名前を連呼する。

このアリアはメロディ的な要素に乏しく、
とにかく、勢いで推進するもの。
途中、乱入して来る闘牛士みたいなのは、
リコーネだろうか。
オルランドはそれに突進を繰り返し、
遂には、再び、森の中に消えてしまう。

Track22.で再び、
パスクワーレとロドモンテが邂逅するシーン。
ロドモンテは、「どこにオルランドを隠した」と叫び、
行ってしまう。
すると、今度は、オルランドが現れ、
一緒に戦え、とパスクワーレに迫る。
すると、エウリッラが来て、
ややこしい状況に突入。

Track23.
「あの残酷な女はメドーロを愛しているのか」
「話さないと殺すぞ」と、オルランドは、
エウリッラに詰め寄る。
パスクワーレも一緒になって、
どたばたの三重唱になるが、
オーケストラは、この状況をあおり立てて迫力がある。

Track24.
舞台は変わって、あの宿屋で、アンジェリカが歌っている。
何故か、アルチーナは暇そうに、床に座り込んでいる。
管弦楽が奏でるのは、非常に劇的な喚起力のある音楽で、
「何てひどい苦しみの日」などと言う歌詞を盛り上げる。

そこに、パスクワーレやエウリッラが突入、
怒り狂った男が迫っております、
と注意するが、何とロドモンテまで入って来て大騒ぎ。

Track25.
何故かメドーロが戻ってきて、
恋人たちは向かい合って見つめ合い、
愛を確認し合う二重唱を歌い上げる。

「誰が僕を保護してくれるの」、
「誰が不幸な者を救ってくれるの」と、
あなたしかいない感が濃厚、お熱い限りである。
二重唱の密度が高まるにつれ、
音楽はどんどん崇高な雰囲気となって行く。
これは、全曲屈指の聴き所であろう。

シューベルトも、こうしたメロディを、
愛好したような気がする。
木管のオブリガード付きで、極めて優しい雰囲気が立ち込める。

このように平明でありながら、
心にしみいるメロディの創出は、
古典派から初期ロマン派において、
究極とも思える命題であったが、
ハイドンは、ここでは、素晴らしい高みに達している。

この演出では、ついついつられて、
パスクワーレまでが口ずさんでいる。

すると、魔女アルチーナが立ち上がって張り切って、
「愛と運命のご加護があれば、
ユピテルの雷にも打たれはしません」などと、
唐突に威勢の良い歌を歌い出す。

このような不自然な感じが、
このキャラクターの信用できない部分を表している。

さらにロドモンテが乱入して、
「守ってしんぜよう」と騒ぎ出す。
早口の大騒ぎが始まり、
躍動感のある音楽が、
終曲の盛り上がりを用意する。

パスクワーレなどは、
「主人がオルランドが大きな剣を手にしてやって来る。
ああ、恐ろしい」などと言っているのが面白い。

何と、オルランドが外から宿の壁を壊し始め、
銅鑼の大音響と共に、顔を突っ込んで騒ぎ出し、
斧を持って突入してくる。

原作では、オルランドは鉄の檻に閉じ込められるが、
ここでは、アルチーナの服でぐるぐる巻きにされている。

アルチーナは大騒ぎを扇動し、
魑魅魍魎が現れて一緒になって大騒ぎして幕となる。
音楽には再び雄渾なメロディが流れ始め、
爽やかに第1幕を閉じている。

第2幕以降は、2枚目のDVDに入っているようなので、
今回は、このくらいにいて次回、
第2幕以降を聴いて行こう。

得られた事:「『オルランド』や『アルチーナ』のような、ヘンデルのような名作の後で、ハイドンの作品は、第1幕のフィナーレのような大きな構成を生かした曲作りで、ヘンデルにない世界を獲得している。」
「『オルランド・フリオーソ』の隠れた重要人物は、エステ家の祖となるルッジェーロとブラダマンテであった。」
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by franz310 | 2012-07-29 11:01 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その331

b0083728_15442585.jpg個人的経験:
ミンコフスキの指揮する、
ヘンデルの「アルチーナ」、
前回は前半しか聴けなかった。
前に見たハッカー指揮のものは、
DVD1枚であったが、
このDVDは、
バレエのシーンなども
収めているからであろう、
2枚組となっている。
単に長いだけではなく、
2枚目には、
Behind the Scenesという、
ボーナス・トラックがある。
その2枚目を聴く。


ここに掲載したのは裏表紙で、
モルガーナが、漂着者のブラダマンテたちを、
受け入れるシーンと、
ルッジェーロとアルチーナの幸福な日々が、
写真として載せられている。
ARTHAUSレーベルのもの。
サブタイトルにJapanはないが、
ちゃんと日本語字幕がついていた。

このDVDの舞台演出は、
ハッカー指揮の衝撃的なものではなく、
古風な衣装をまとって、
一見、ヘンデルの構想に近いものに見える。

が、鑑賞を始めてすぐに分かることだが、
ルッジェーロ救出の二人が、
気球で登場するなど、
ヘンデルが生きた時代とも異なり、
奇妙な感じがいっぱいであった。

そもそも、ヘンデルの構想では、
このオペラの舞台は、中世の魔法の島なのであるから、
こんなロココ風の衣装ではないはずなのである。

が、アルチーナ役のハルテロスなどは、
この衣装をつけて歌った事が、
とても良かったなどと、
例のボーナストラックでは語っていた。

このボーナス・トラックで、
ステージ・ディレクターの、
アドリアン・ノーブルが語っていることによると、
この舞台は、実在した貴族が催した、
余興における「アルチーナ」を、
現代に蘇らせたという設定になっているらしい。

しかし、この貴族が、実際に「アルチーナ」を、
上演したわけではないのがややこしい。
単純に、ノーブル氏の妄想の産物である。

何しろ、ヘンデルの「アルチーナ」は、
一応、ヒットはしたものの、
長らく忘却の淵に沈んだ作品なのである。

このあたりのことは、解説の、
アンドレアス・ラングが、
「デヴォンシャーの屋敷における劇」
という題で書いている。

いきなり、冒頭から、
カラヤンの名前が出て来たりして面食らうが、
これは、この公演が、
ヴィーン国立歌劇場で行われたものだからである。

「ヘルベルト・フォン・カラヤンは、
彼がヴィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた、
1956年から1964年までの間、
レパートリーが、
1760年以降に作曲された作品に限られ、
(確かに、その多くは、この建物にマッチしていたのだが)
数多くの傑作が意味もなく無視されていることに気づいた。
それゆえ、彼は、2つのバロック・オペラを、
演目に追加することに決めた。
クラウディオ・モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』と、
ジョージ・フリードリヒ・ヘンデルの
『ジューリオ・チェーザレ』である。
それから何十年かして、ドミニク・メイヤーが、
同じポストについた時、
彼も同様に、同様に無視されていた、
バロック・オペラの重要さに気づき、
いくつかの作品をヴィーン国立歌劇場の演目に追加した。
まさにその最初のシーズンに、
1735年にロンドンのコヴェントガーデンで初演された、
ヘンデルの『アルチーナ』を上演した。
2010年11月14日の最初の夜の成功は、
その決断が正しかった事を証明した。」

何十年かして、とあったが、
まさに、カラヤンの時代から半世紀が経過している。

「『アルチーナ』の素材は、アリオストの長大な叙事詩、
『オルランド・フリオーソ』の第6、第7歌から取られ、
知られざるリブレット作者によって、
もともとリッカルド・ブロスキのオペラ、
『アルチーナの島』のためのものであった。
この作品の初演時、ヘンデルは、
このイタリア語のリブレットを手にして、
オペラのプロデューサーとして、
たいへんな競争で格闘していた。
しかし、『アルチーナ』は、
作曲家が方針を変え、
一般的な喝采を得やすい『ブラブーラ』アリアなどを採用し、
音楽を単純にすることなく、
直接的な表現を用いたのにもかかわらず、
聴衆に対して、たいへんな成功を収めた。
オペラ中の個々の人物は、
生き生きとして情熱的で、
本当の感情を持った、
本物のキャラクターになっている。
ヘンデルは慎重に、
単純な使い古しを避け、
アルチーナを単なる魔女としなかったばかりか、
聴衆の同情を受けるに足る、
愛に絶望する人間として描いた。」

この解説では、こんな風に、
この作品の革新的な点をさらりと書いている。

「オルランド」において到達した前衛的な書法から、
「アルチーナ」では、一見、後退しているように見えるが、
実は、深化を遂げた作品である、
ということは、これまで読んで来た解説にも書かれていた。

が、このあたりの詳しい説明を、
ざくっと割り切って、この解説は、
むしろ、今回の新演出について書きたいようである。

「今回の新演出は、
イギリスの監督、アドリアン・ノーブルの、
ヴィーン国立歌劇場へのデビューを決定的なものにした。
ノーブルは何年も王立シェークスピア・カンパニーの監督を務め、
ニューヨーク・メトロポリタンや、
グラインドボーンやエクサンプロヴァンスなど、
世界中の有名オペラハウスで、
監督として成功していた。
彼は、『アルチーナ』を、
ロンドン・ピカデリーにあった
デヴォンシャーの屋敷の
巨大舞踏会場での出来事とした。
有名なデヴォンシャー公爵夫人、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
友人と共に、劇の上演を行っていた。
18世紀の英国貴族においては、
こうしたアマチュア上演はざらにあったので、
このような劇中劇のセッティングを取ることによって、
アドリアン・ノーブルは、歴史的に正確なものとした。
『大きな屋敷で』、とノーブルは、
リハーサルを始めるに当たり、こう言った。
『華美な娯楽が上演され、
そこでは、政治家や貴族自身が演じていた。
そこで、私は、18世紀のプリズムを通して、
アルチーナの物語を語ることを思いついた。
中心に、実在した、
間違いなく魅力的な、
デヴォンシャー公爵夫人を据えた。
彼女は当時の政治の中心にもいて、
恐ろしく金持ちであり、
複雑な感情の絡まりの中にいた。
だから、デヴォンシャー公爵夫人は、
友人たちと一緒になって、
金をばらまいて踊り手や音楽家を雇い、
アルチーナを演じた。』」

このように、私たちは、
この監督の妄想に付き合わされてしまうわけだ。

20世紀と言っても、戦争の世紀であった前半と、
バブル経済に突き進んだ後半では、
えらく違いがあるように、
18世紀と言っても、
ヘンデルの生きた前半と、
モーツァルトの同時代人で、
シューベルトの時代まで生きた、
デヴォンシャー公爵夫人の時代では、
かなり違うような気がするが。

戦前の白黒映画を、
カラーテレビで鑑賞するような感じだろうか。

とにかく、このデヴォンシャー公爵夫人は、
かなりスキャンダラスな人物ではあったようである。

「アドリアン・ノーブル演出の『アルチーナ』は、
バロック・オペラにおいて一般的な視覚効果を持ち、
トータルな劇場体験が出来るが、
さまざまな効果は、決して、それだけで終わるものではない。
それらはすべて、プロットから出て来たものであったり、
デヴォンシャー公爵夫人の娯楽に関するものである。」

ここに書かれているように、
「Synopsis」にも、
このデヴォンシャー公爵夫人が、
この舞台で、いかに重要な役割を演じているかが、
より、詳しく説明されている。
劇の中での関係を反映し、
下記のような構図になっているらしい。
「ロンドンのピカデリーにある、
デヴォンシャーの邸宅の大広間、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュ、
デヴォンシャー公爵夫人は、
彼女の友人たちと劇を上演しようとしている。
彼女は、魔女アルチーナのタイトル・ロールを受け持ち、
配役を決めている。
彼女の妹のヘンリエッタ・フランスは、
アルチーナの妹のモルガーナを、
彼女の友人のエリザベス・フォスターは、
ルッジェーロを演じている。」

ここに出て来たエリザベス・フォスターは、
彼女の友人であると共に、実際には、
デヴォンシャー公の愛人でもあったようなので、
これは、かなりきな臭い演出である。

ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
比較的早く亡くなったので、
この人が、デヴォンシャー公の後妻となったようである。

「彼女の義妹のラヴィニア・ビンガムは、
ブラダマンテを演じ、
彼女の息子の
ウィリアム・ジョージ・スペンサー・キャヴェンディッシュは、
ハーティントン侯爵は、オベルトを、
彼女の愛人のチャールズ・アール・グレイは、
オロンテを演じている。」

このアール・グレイ伯爵は、実際に、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュの愛人で、
二人の間には、子供もあったようである。

オロンテというのは、アルチーナが、
ルッジェーロに夢中になっているのを、
嫉妬する役柄なので、
かなり、真実味のある演技をしたはずである。

「英国の政治家のチャールズ・ジェイムズ・フォックスは、
メリッソを演じていて、
ジョージアナの夫の、デヴォンシャー公、
ウィリアム・キャヴェンディッシュは、
アストルフォを演じている。」

アストルフォは、ほとんど出番がなく、
単に、アルチーナに飽きられて、
獣にされてしまっている、元恋人の設定。
かなり、意地悪な配役である。

チャールズ・ジェイムズ・フォックスの考えに、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
共感していたと伝えられる。

ちなみに、水素を発見した人の名は、
キャヴェンディッシュだったそうだが、
それとこの上演で、
気球が出て来るのは、
何か関係がるのだろうか。

「2010年11月14日の、
この公演の初演では、ヴィーンの聴衆には、
さらなる新機軸が示された。
ここで、初めて演奏する音楽家も多数いた。
この新上演を指揮したのはマルク・ミンコフスキ。
1962年にフランスで生まれた、
『レジョンドゥヌール勲章』を受け、
ミンコフスキは、
様々な音楽分野の指揮者、音楽家として、
世界中から引っ張りだこであり、
特にヘンデルの解釈にすぐれ、
バロック音楽のスペシャリストとして名声を得ている。
オーストリアの新聞『Kurier』に、
ヘンデルへの特別の愛について尋ねられ、
彼は、こう答えている。
『私が彼の音楽を愛するのは、
その明晰さと純粋さにおいてです。
そして、それでいて、
驚くべき感情の幅を表現するという事実があります。
アルチーナはすべてが愛に関することです。
様々な形の愛です。
全員が誰かを愛しており、
それは、だいたい間違った人間です。
ヘンデルは、それを表現するべく、
超絶のアリアを書きましたが、
それらは独自の音楽的興奮を持っています。』
ヴィーン国立歌劇場での『アルチーナ』公演では、
ミンコフスキは、彼が20代の時に設立したアンサンブル、
ルーブル音楽隊を率い、
ヘンデルに初々しい生命を吹き込んだ。」

確かに、ミンコフスキは、ヘンデルのアリアとか、
カンタータなどの録音も多く受け持っていた。

「ミンコフスキと彼の楽団のみならず、
二人の声楽家がやはりそのヴィーン・デビューを果たしている。
ストックホルムで学んだメゾ・ソプラノ、
クリスティーナ・ハンマーシュトレームがブラダマンテを演じており、
アルゼンチンのソプラノ、
ヴェロニカ・カンヘミがモルガーナを演じた。
それに引き替え、
二人の主役、アルチーナとルッジェーロは、
ヴィーンの聴衆に長年おなじみの
暖かく迎えられている
オペラ・スターによって演じられた。
アニヤ・ハルテロスは、魔女アルチーナを演じ、
ヴァッセリーナ・カサロヴァが魔女の恋人である、
ルッジェーロを演じた。
テノールのベンジャミン・ブルンスと、
バス・バリトンのアダム・プラチャッカは、
ヴィーン国立歌劇場のアンサンブルの若いメンバーであり、
それぞれ、オロンテとメリッソを演じ、
独唱者のラインナップを固めた。」

ここは、各歌手についての概略であって、
一般には、別項として扱われるプロフィールである。

最後に、この公演の新聞レビューが紹介されている。

「このヴィーン国立歌劇場における、
最初の『アルチーナ』公演についての、
素晴らしいレビューの中から1つは、
お仕舞いに紹介する価値がある。
ドイツの新聞、『Die Welt』で、
ウルリヒ・ヴェインツェーリは、
このように書いている。
『ヴィーン国立歌劇場の監督、
メイヤーは大きなリスクを取ったが、
それは報いられた。
ヘンデルの『アルチーナ』の初演は、
聴衆に熱狂的に迎えられた。
それは勝利であった。
アドリアン・ノーブルは、
ロンドンの貴族の邸宅でこのオペラを、
アマチュアが演じたという趣向の、
彼のトリックによって、彼はその名前の期待に応えた。
これは豪華な衣装、優雅な大道具などにぴったりだった。
ドイツのソプラノ、アニヤ・ハルテロスの明晰な、
凝集した声と芸術的なフレージングには脱帽だ。
カサロヴァの魅惑的で曰わく言い難いルッジェーロは、
彼女のモーツァルト歌いとしての真価を発揮した。
しかし、アルチーナの妹を演じた、
ヴェロニカ・カンヘミのモルガーナと、
ブラダマンテ演じる、クリスティーナ・ハンマーシュトレームが、
良く知られたスターに、ぴったり張り合っているのは、
驚くべきことであった。
創設者のミンコフスキによって、
素晴らしく指揮されたルーブル音楽隊は、
編成こそ刈り込まれているが、
豊かなサウンドによってスコアに生命を吹き込み、
ステージ上の歌手たちに絡む時、
そのアリアもレチタティーボも、
まるで、声と楽器のデュエットのように聞こえたものである。」

DVDのボーナス・トラック、
「ビハインド・ザ・シーンズ」では、
歌手たちがコスチュームを着けずに、
練習していたりして楽しい。
彼女らの意見も聞ける。

今回の公演は、歴史的出来事のように感じる、
などと語っている
ハンマーシュトレームは美人で、
もっと出て来て欲しい。

カンヘミも、「アルチーナ」は素晴らしい作品で、
この公演に参加できて嬉しかったと、
素直に喜んでいる。

確かに聴衆の熱狂はすさまじいものがある。

また、冒頭から、監督のノーブル氏
(40代か50代だろうか)が登場、
「音楽とストーリーに合ったミザンセーヌの創出」
の重要性を説いているが、
Mise-en-scène はフランス語で、
演出に似た言葉であるが、
聴衆と音楽と繋ぐための活動のようなものらしい。

このミザンセーヌの1つの手段として、
彼は、デヴォンシャー公爵夫人の館を選んだ。
それによって、コロラトゥーラや娯楽の要素、
女性が男性を演じることなどを正当化したのである。

カサロヴァは、ミンコフスキを世界最高の指揮者の一人として、
彼の力によって、
ヘンデルの作品は単調になるのを防ぐことが出来た、
とまで言っている。
カサロヴァはこうした自然な服装でいる方が魅力的だ。

ルッジェーロの音域の広さは、とんでもなく、
モーツァルトやロッシーニの経験が、
たいへん役に立ったと言っている。

ハルテロスは、
アルチーナは計算ずくで共感を呼ばないが、
思い通りにならずに、狼狽する部分などは、
共感が出来るようなことを言っていて、
エロティックな要素を、
コルセットとつけた衣装や、
姿勢、動作によって強調されたので、
良かった、というようなことを言っている。

感覚的に、こうした衣装が音楽に合うと断言している。

こうした歌手たちに対して、
ノーブルも激賞していて、演劇的才能があること、
アリアがモノローグのような濃厚感を得るに至ったことを、
満足げに語っている。

前回は、「ああ、我が心」という、
クライマックスまで聴いている。

CD2のTrack4.シンフォニア。


Track5.このトラックは13分半の長いもの。
第3幕第1場である。
モルガーナとオロンテの痴話げんかのシーン。
モルガーナは、漂着したブラダマンテを、
若いハンサムな男性だと勘違いして、
恋人のオロンテに怒られている。

ノーブルの演出では、
ややこしいことに、
デヴォンシャー公爵夫人の恋人、アール・グレイ郷が、
公爵夫人の妹と、
やりあっているということになる。

まず、チェロの助奏も美しい、
モルガーナのしっとりした、
「許して」のアリア。
カンヘミの声は、弱音の部分も、
すっきりと通って泣かせる感じである。
チェロは、舞台上で演奏しており、
長大で親密な後奏を聴かせる。

このアリアの効果か、
オロンテの心はかなり揺れている。
アリア、「一瞬の幸せが過去の涙を忘れさせる」
というのが、オロンテによって歌われるが、
これは、ヘンデルらしい、
明晰でありながら、情感に満ちたものだ。
軽いアクセントが上品な推進力がある。

Track6.第3幕第2場。
ルッジェーロとアルチーナが鉢合わせするシーン。
ルッジェーロは、遂に、婚約者がいることを言ってしまう。

「義務と愛情と勇気」とか、
「名誉に目覚めた」とか言う会話が飛び交う。
アルチーナのアリア。
腰を振りながら、威勢良く、
「裏切り者」とルッジェーロを罵りつつ、
中間部では、戻って来てもいいのよ、
などとしなを作ったりもしてもいる。

Track7.第3幕第3場。
武装兵が島を包囲した、
という報告がメリッソから入って、
ルッジェーロは「洞窟の子連れのメス虎」の、
たとえのアリアを歌う。
包囲されたとしても戦うまでである。

カサロヴァは、魔法が解けたからであろうか、
ここでは、本来の自在さを取り戻している。
子供を救うか、血を求めるか、と二者択一を迫るもの。

これは、装飾音や音の跳躍を散りばめたもので、
カサロヴァが、ルッジェーロは、
たいへんな役だと言っていたのを思い出した。
大拍手である。

Track8.第3幕第4場。
ブラダマンテが、
「誠実に生きているものは」のアリアで、
この魔法の島を何とかしないといかん、
という歌を歌うが、歌いながら、
服を脱いで、女性の姿になっていく。

Track9.第3幕第5場。
オロンテが、アルチーナに、
ルッジェーロが兵士や獣たちを成敗して、
形勢不利だと報告に来る。
何とも、しょぼかったルッジェーロは、
さすが、英雄的な騎士だったのである。

「愛の当然の仕打ちです」とオロンテが言うのを、
アルチーナは呆然と聴いているが、
これは、デヴォンシャー公爵夫人が、
愛人のアール・グレイ郷から聞かされる言葉という設定。

彼女は、バロック時代の仕草で一人、ダンスをして、
「私にできることは気ままに泣くだけ」、
「天は耳を貸さない」という、
悲痛な歌を歌い上げる。

演出のノーブルが、ろうそくの光の効果を出したかった、
と書いたように、極めて絵画的な舞台になっている。
「石にでもなれれば苦悩は終わる」
などと言っている。
そして、召使いから酒瓶を受け取って、
何やら、そこに溶かし、飲もうとしている。

Track10.第3幕第6場。
明るい合唱がわき起こり、
草原から野獣が歩いて来る。
オベルトが、お父様が戻って来ると出て来る。
アルチーナが槍を持って来て、
野獣を殺せというが、
オベルトは、「これはお父様だ」と、
野獣を抱きしめ、
その前にお前を殺す、
とすごい勢いである。

勇敢なアリアに、
アルチーナもたじたじになっている。
彼等は、一緒に引き上げてしまうが、
すごい拍手がわき起こる。

この野獣に変えられたアストルフォは、
解説によると、これは、
ジョージアナが憎んでいた、
夫のデヴォンシャー公爵が演じたことになっていた。

子供のオベルトは、解説によると、
彼女の息子のウィリアム・ジョージだと言うことになっている。
こう読むと、「殺せ」、「いやだ」の台詞が、
何とも恐ろしい場面であったことが得心されよう。

Track11.第3幕第7場。
ブラダマンテを見て、アルチーナは、
ルッジェーロは死ぬ運命だという。
ルッジェーロはブラダマンテをかばって、
アルチーナを追い詰める三重唱となる。

デヴォンシャー公爵夫人の館だとすると、
夫人の前で、その友人と義理の妹が、
手を携えて歌っている構図になる。

Track12.第3幕第8場。22秒しかない。
何だろうか、オロンテがルッジェーロの前に跪いて、
いるが、ルッジェーロは、彼を許す。

Track13.第3幕第9場。13秒しかない。
ルッジェーロは魔法の壺を壊して、
みんなを釈放すると言うが、
アルチーナが飛び出して来る。

Track14.第3幕第10場。わずか4秒。
やれという意見とやめてという意見で沸き立つ。

Track15.第3幕第11場。
ルッジェーロはそれを叩き付けて壊す。
真っ暗になった舞台に、青空が広がり、
解放された人々が草原から帰ってくる。
アルチーナは、壊れた壺の破片を集め、
呆然とする中、
解放されたイケメンたちが、
半裸のダンスを踊り始める。

典雅なバレエが演じられる中、
アルチーナも立ち上がり、
円舞に加わっている。

そこで一緒に踊っているのが、
デヴォンシャー公爵が演じた設定の、
獣に変えられていたアストロフォである。
演出のノーブルは、ここでは、
デヴォンシャー夫人とその夫の和解を再現させて見せた、
ということであろうか。

「悪は善に変わる」という合唱がわき起こって、
壮大な大喝采がわき起こっている。
聴衆のハルテロスやミンコフスキに対する拍手は、
ものすごいものがある。

さて、今回、この演出の意図(ミザンセーヌ)も分かったので、
それを考えながら、最初の方を見直すと、
確かに、貴族の館の広間に、ろうそくが灯されていく、
という感じで幕が上がっており、
貴族の衣装を着た人たちが、その部屋に集い、
相談し、劇の服装に着替えて行くようなシーンが、
序曲の間に演じられていた。

得られた事:「ヴィーン国立歌劇場で公演された『アルチーナ』は、18世紀末にイギリスのデヴォンシャー公爵夫人が、自ら演じたという設定でのミザンセーヌ。」
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by franz310 | 2012-06-03 15:48 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その330

b0083728_18265313.jpg個人的経験:
これまで、ヘンデルのオペラ
「アルチーナ」を聴いて来たが、
フレミングやグレアム、
デッセイなどが共演したCDは、
映像がなかったし、
ハッカー指揮のDVDは、
映像はあっても演出が、
現代的でありすぎた。
もう少し穏やかななものは、
と思っていたら、
昨年、ミンコフスキのDVDが出た。
しかも、カサロヴァがルッジェーロを
受け持っていたりするし、
表紙写真からも期待が高まる。


恐らく、アルチーナの魔法の島であろう。
背景には美しい緑が広がり、
いかにも威厳ありそうなハルテロス演じる、
タイトルロールが、恋人ルッジェーロの肩に、
優雅に優しく、手をかけている。

このような状況であれば、
勇敢な騎士である割に意志の弱い、
ルッジェーロが、長逗留してもおかしくない。

実は、このDVD、解説を、
ドナ・レオンという、1942年生まれの、
アメリカの女流作家が書いている。

「ブルネッティ警視シリーズ」というのが代表作だそうで、
私は、同姓同名の別人かと考えたが、
ネット検索してみると、
メリーランド大学のユニバーシティ・カレッジや、
イタリアのヴィチェンツァで英文学を教えていたが、
バロック音楽などの研究執筆に専念しているとあった。
同じ人なのであろう。

そのせいか、読み慣れた、ヘンデルは1736年、
みたいな解説ではなく、いきなり、
プッチーニやシュトラウスと、
しかも、性的であるかどうかで比較されているのである。

「『アルチーナ』?、うん知ってるよ、
性的なやつじゃない?
しかし、考えて見ると、『蝶々夫人』にせよ、
『薔薇の騎士』にせよ、『ディドとエネアス』にせよ、
ほとんどのオペラがそうである。
これらのオペラでは、ありがちな虚構の中で、
性的な関わり合いがあって、
ひっついたり離れたりして、
年配の女性が若者に狂ったり、
男性のために身を引いたりしている。」

てな感じで、まるで、このヘンデルのオペラが、
20世紀の人気作と、変わらないような書きぶり。
が、下のように、このオペラ、ちょっと違うぞ、
という感じに導いて行く。

「『アルチーナ』はしかし、
たぶん、驚く人もいるだろうが、
いくつか、変わった点を持っていて、
これら3つの要素の変奏になっているのである。
まず第1に、彼女はそれほどのめり込んでいないのに、
確かに、深く別れに苦しみ、
魔法の島を統べる魔女の女王であるアルチーナは、
人間の恋人に飽き飽きすると、
彼等を岩や木や野獣に変えてしまい、
新しい恋人を探しに行く。
彼女が恋人たちに入れ込むのは、
明らかに単なる欲望のため、と感じられる。
愛は取引きの一部ではない。
オペラが始まると、しかし、アルチーナは、
深刻な感情に襲われている。
アルチーナは英雄ルッジェーロを心から愛していて、
しかも、彼の彼女への愛は、
もはや、確かではなさそうなのである。
恐ろしい対比だが、
魔女の方が人間的な感情の犠牲となっていて、
男の方は、愛してはいるようなのだが、
それは単に魔法の呪文によるものなのである。」

このような着眼点は、書き手が、
もう若くはない女流作家であるがゆえに、
これまた、私には痛い。

「マルシャリン同様、アルチーナは、
恋人よりも年配である。でも、どれだけ。
10歳?200歳?(彼女は魔女なのである。)
同様に、『そのとおり、私は彼女』と、
アルチーナは強くそれを意識していて、
マルシャリンとは違って、結果を受け入れることなく、
何も考えずに、日々を過ごして行こうとは考えていない。
真実の人間らしい愛が突然、海岸からやって来て、
アルチーナ最初のアリアの輝かしい幸福感は、
長くは続かず、アルチーナの感情の免疫システムは弱まり、
疑いと嫉妬の感染が始まる。」

このような分析的語り口も、
いかにも大学の先生風でアカデミックである、
と考えるべきか。

「多くのオペラ台本の弱々しいヒロインと違って、
彼女の魔法の力が、ある男性との失恋で、
封じられてしまったとはいえ、
アルチーナは愛に死するには強すぎた。
このようにありきたりな台本が明らかであるが、
オペラは登場人物たちに対する新しい見方を与える。
ヘンデルの『アルチーナ』はそうした好例である。
彼女の性的変遷は、若い男への偏愛は、
チョーサーのバースの女房に似ているが、
チョーサーにおいては、喜劇的人間的に扱われ、
女房を、アルチーナより、
もっと魅力的、好ましく見せている。
その女房は、まず欲望や結婚への願望に駆り立てられ、
その目的は幸福である。しかし、アルチーナでは、
愛の最大の犠牲者であるにもかかわらず、
悲劇的な喪失に向かっている。」

このチョーサーとは、「カンタベリー物語」のことであって、
そこには、5回も結婚した「バースの女房の物語」というのがある。

「性的に狂った年配の女が破滅する、
他の物語としては、お茶で誘うパイドラーの例がある。」

パイドラーは、ギリシア神話、テーセウスの妻である。
彼女は、テーセウスがアンティオペーに生ませた、
言うなれば義理の息子を愛して破滅する。

「男たちを波や枝に変えてしまう習慣があるという、
アルチーナの性的な罪は、
第2幕の最後のレチタティーボ・アコンパニャート、
『ああ、残酷なルッジェーロ』で最高潮に達するが、
ここで、彼女はすべてものが崩れ去って行くのを感じる。
彼女は悪魔の精を呼び、
彼女が、彼の愛情の衰えを感じて、
ルッジェーロの愛が続くことへの助けを求める。
彼女はそれ呼び寄せよう、呼び寄せようとし、
彼の愛が続くことを乞い求めるが、無駄である。」

これは、いろいろな魔物や道具類が並ぶ、
魔法の秘儀を行う地下室で、
アルチーナが、
「ルッジェーロはもはや私を愛していない」と叫び、
アーケロンの暗い岸辺より、
夜の娘たち、復讐の使いなどを召喚しようとするシーン。
続く、アリアも悲痛な美しさに満ちている。

「続くアリア、『青ざめた影よ、聴いているだろう』は、
彼女の黒い力は、彼女がそれを求めずには、
いられないことを知っていながら、
彼女の嘆願に耳を貸すことがないことを認めている。
力が失われてしまったことを受け入れながら、
彼女は、魔女の魔法の杖、『Verga』を取り出し、
今や、それを嫌い、すでに力ないことを理由に、
打ち壊すという。
今や、『Verga』は、第2の意味として、
男性器を表すことによって、
もはや女性が、
恋人をその気にさせることが出来ず、
その力がすでに尽きてしまった、
というシーンとなる。
オックス男爵や、
性の境を行き来するケルビーノである。
これはクリスマスパントマイムの悪戯のような、
女装版に見えないだろうか。
しかし、アルチーナは、
愛を失って凶暴化した、
単なる復讐の怪物ではない。
彼女は繊細な女性であり、
第1幕ではすでに、
ルッジェーロに対する彼女の力は、
色褪せ始めていることに気づき、
彼女は、
『もう、あなたの目にはかわいくも愛しくもない』。
弱まり続ける魅力の自覚が、
アルチーナは愛の残骸を喜んで受け入れる。
『もうあなたは、
私の愛を求めないでしょう』。」

このあたりの迫真性は、いったいヘンデルの、
どのような体験が背後にあってのものだろうか、
などと気になって仕方がない。

「第2幕においても、傷つけられた心を、
嘆く最中にあって、
アルチーナは突然、分別を取り戻し、
自分が結局、女王であることを悟る。
女王たるものが愛のために嘆くであろうか。
それはあり得ない。
恋人は戻るか、死ぬかしかない。
しかし、悲しげな『ダ・カーポ』によって、
印象的にそれが嘘であると鳴り響き、
真実は彼女から切り裂かれていく。
『裏切り者、こんなに愛しているのに』。」


「次の幕で、全てを失って、
彼女の信頼できる配下のオロンテも、
彼女がよくなることを願わなくなる。
諦観の中、アルチーナは、
『涙だけが私に残った』と受け入れる。
神もまた、彼女を支持することなく、
彼女の祈りに天も聴く耳を持たない。
『涙だけが残った』のである。
しかし、彼女の魔女の本性は残っており、
最後の三重唱で、彼女は、もう一つの試みをする。
すべての言葉は明白な嘘で、ルッジェーロを負かそうと、
愛情と敬意を込めて、
彼の恋人のブラダマンテにまずお世辞を言う。
ブラダマンテが、それを返した時、
彼女の魔女の本性が彼女を越えて、
苦痛と悩みが彼等に与えられるよう、
ルッジェーロとブラダマンテの繋がりを呪う。」

魔女のアルチーナが天に祈るというのも面白いが、
魔女の本性と、人間的な本性が、ぶ
つかり合っていると解釈されていることが面白い。

「ルッジェーロは彼女を拒み、
魔女の力の源である壺を壊す。
ここでの象徴性の可能性は説明するまでもないだろう。
世界は粉々に砕け、恋人たちへの呪文も解けて、
舞台上には、人間の形が見えて来る。
アルチーナと妹のモルガーナは、
彼女らの全面敗北を避けようとしない。
『私たちは負けた』と叫んで消え、
ルッジェーロとブラダマンテという、
人間の恋人たちのやり直しと喜びが舞台に残る。」

ドナ・レオン女史が書いた部分の解説は、
このように終わり、魔女の力の源についての解説も、
女性文学者ならではの説得力である。

さて、ここで、このDVDを見て、聴いて見よう。

といって、DVDを入れて気づいたのだが、
何と、ありがたい事に、このDVDにも日本語字幕があった。
しかも、ルーブル音楽隊の演奏ながら、
ヴィーンでの記録だとあって驚いた。

Track2.の序曲からミンコフスキ指揮の、
清潔でさっそうとした音楽が聴かれる。
Track3.は、その第2楽章であるが、
この小粋なリズム感は、何だろう。
どこかで聴いたような非現実性。
ここからは、第1幕、情景1となっている。

舞台上には、鬘をつけて正装し、
当時の風俗を反映した人々がたくさん参集している。

第3楽章になると、気球から降り立つ人もいる。
どうやら、彼等がブラダマンテとメリッソのようだ。

人がいっぱいいるのに、
この浜辺に辿り着いた、などと言っているのが不思議。

なお、気球の発明はヘンデルの死後、
モーツァルトの時代なので、
この演出の時代設定は、摩訶不思議である。

モルガーナは、アルチーナは「妹」だと言っている。
さっそく、男装したブラダマンテに見入り、
「笑っても、話しても、黙っていても、
あなたの気品ある顔立ちは」とアリアを歌いながら、
気球の重りを外して飛ばしてしまう。

この人が、バロックオペラで有名なカンヘミだという。

Track4.情景2で、いきなり雷鳴が轟き、
暗くなったかと思うと、表紙写真の草原が視界に開け、
お伴らのコーラスと共に、
草原を歩いてアルチーナとルッジェーロが現れる。
いかにも、幸福感溢れる夢の島にいることが分かる。
柔和な音楽である。

二人が手を取り合って腰掛けると、
楽しげなバレエが、
東洋風な衣装を着た男たちによって踊られる。
ここでは、アルチーナのバレエ音楽は、
恋人たちの牧歌的な日々の象徴として使われている。
ガヴォット、サラバンド、メヌエット、ガヴォットと、
ちょっとした管弦楽組曲で、
その間、恋人たちは寝転んだり、踊ったり、
シャンパンを飲んだりしている。

俄に日が陰ると、ブラダマンテたちがやって来る。
そして、客人を案内するように、
ルッジェーロに言付ける愛のアリアを歌う。
自分たちが愛し合った場所を案内せよとは、
ものすごく大胆な歌なのである。
ハルテロスという歌手が、
威厳と気品を保ちながらも、
極めて刺激的な愛撫を受けながら歌っている。
人気のカサロヴァが、すっかり腑抜け男になって、
陶酔的にいちゃついているのが不自然でおかしい。

Track5.情景3。
ここで、アルチーナは立ち去って行くが、
小姓のような感じで、
パジャマ姿であろうか、
子供のオベルトが出て来て、
父親のアストルフォを知らないか、
と尋ね、悲しげなアリアを歌う。

チェロとテオルボの伴奏が美しい。
この歌手は本当に子供で、
聖フロリアン少年合唱団のアロイス君だという。
とても純粋な声で切々たる思いが伝わる。

Track6.情景4.
メリッソが名声をどうするか、
ブラダマンテが恋人をどうするか、
と詰め寄ってもルッジェーロは、
すべてを拒絶する。
「キューピッドに誓って美しい人に尽くす」
というアリアで、せっかく探しに来た彼等を侮辱する。
ここで、カサロヴァらしい陰影豊かな声が聴ける。

Track7.情景5.は、
モルガーナを愛する家臣オロンテが、
いきなりブラダマンテに剣を抜くところ。
短く刈り上げた髪型が、
いかにも直情型の乱暴者の感じ。

Track8.情景6.は、
モルガーナが仲裁に入って、
ブラダマンテが「それは嫉妬というもの」という、
決然とした歌を歌って、モルガーナとの仲を仲裁する。
クリスティーナ・ハンマーシュトロームという歌手。

Track9.情景7。
しかし、モルガーナは、身分をわきまえて、
とむしろ、オロンテを嫌う発言をして去る。

Track10.情景8。
オロンテは同じ捨てられる者の運命として、
ルッジェーロに近づき、アルチーナの愛が覚めたら、
どうなるかを諭す。
オロンテは、「女を信じるだって?」というアリアで冷やかす。
この歌手は、ベンジャミン・ブルンスで、
さっそうと歌いきっている。

ルッジェーロは、かなり動揺している。

Track11.情景9。
ルッジェーロは、嫉妬を感じ、
アルチーナに突っかかっていく。
すると、アルチーナは、
「あなたの嫉妬は悲しいけれど、
まだ愛しているわ」と、口づけする。

Track12.情景10。
それでも疑うルッジェーロに対し、
いよいよ、ドナ・レオンが特筆した、
「私を愛さなくても、憎まないで」とか、
「もう、あなたの目にはかわいくも愛しくもない。
もうあなたは、私の愛を求めないでしょう」
と、寂しげな声を聴かせるアルチーナのアリアが始まる。

Track13.情景11。
ブラダマンテに向かって、
ルッジェーロは突っかかる。
Track14.情景12。
ブラダマンテは正体を明かそうとするが、
メリッソが引き留め、
ルッジェーロの方は、
ブラダマンテを冷やかすような歌を歌う。
何となく、エマニュエル・バッハみたいな音楽。

Track15.情景13。
ここで正体をばらしたらお仕舞いだと、
メリッソがブラダマンテをいさめていると、
まさしく、その危機を伝えに、
モルガーナが、駆け込んで来る。
Track16.情景14。
ここでは、ブラダマンテは、
自分が好きなのはモルガーナだと言って
その場を繕う。

モルガーナが喜びを歌い上げる軽妙なアリア。
オーケストラも活発に動いて、
「私の幸せは本物」と歌うカンヘミを盛り上げる。
ただし、今ひとつ、完成度に欠けるような気もする。
その間、どこから出て来たか、
紳士たちが背景を舞い踊っている。

Track17.第2幕、情景1。
「その眼差しが欲しい」と、ルッジェーロがいきなり歌い出す。
くよくよしている彼に、いかめしい音楽と共に、
メリッソが、師の教えを説きに来る。

真実の指輪をかざし、
ルッジェーロの指にはめてしまう。
恐ろしい事に、背景には、苦しむ男たちの姿が、
亡霊のように舞い踊っている。
ルッジェーロには、何か記憶が戻ったようである。

メリッソはさらに、ルッジェーロに、
師アトランテの言葉を告げると、
ルッジェーロには、ブラダマンテの愛が蘇る。

しかし、メリッソは、
あくまでアルチーナを愛しているふりをして、
狩りに行くと言って逃げろと忠告する。

さらに、曰く付きの怪しさのメリッソのアリア。
黒々とした色彩の伴奏に、いかめしい低音を響かせ、
「彼女の呻きや傷つけられた愛を考えて恐れよ」
とルッジェーロを追い詰める。
メリッソは、アダム・プラチェトカという人が歌っている。
「彼女のもとに戻って、慰め、
悲しませてはいけない」と、ごくまっとうな、
ごもっともな事を歌い上げている。

背景は満天の星空になっている。

Track18.情景2。
ブラダマンテとルッジェーロのレチタティーボで、
ルッジェーロはブラダマンテを、
彼女の兄弟だと考えて抱きしめる。
そして、ブラダマンテは、
自分は、ブラダマンテ本人だと打ち明ける。

すると、ルッジェーロはかえってうろたえ、
これはアルチーナの新しい魔法だと言って逃げる。

ブラダマンテはショックを受けて、
「残酷にも私を避けるの」と歌うが、
悲痛な中間部に、活発で超絶的な主部を持つ。

Track19.情景3。
どうしたら、真実と偽りが分かる、
と悩んでくよくよしたルッジェーロが、
技巧と叙情性を両立させた、美しいアリアを歌う。
カサロヴァは青い照明で、闇の中、
非現実的に浮かび上がっており、
ミンコフスキが、思い入れたっぷりの、
情感に富んだオーケストラを響かせ、
実に、見応えのあるワン・シーンになっている。

夜の草原を、アルチーナが歩みゆき、
二人の関係が、すでに後戻りできないような、
切なさをかき立ててくれる。

Track20.情景4。
アルチーナは、秘儀を執り行い、
ブラダマンテを亡き者にしようと天を仰ぐと、
怪しい煙が立ち上り、いかにもヤバい感じが盛り上がる。
そこに現れたのがモルガーナで、それを止めさせる。

この間、ルッジェーロは、もう、ブラダマンテを、
憎む必要はない、と口添えする。

Track21.情景5。
「彼は恋い焦がれて悩んでいる」という、
扇情的なヴァイオリン独奏の助奏を伴う、
アリアを歌う。
アルチーナには、
「彼は恋い焦がれているが、
それはあなたにではない」と、
ブラダマンテがルッジェーロの恋敵ではない、
ということを口添えする。
このあたりのカンヘミの歌唱は、自在さを増して、
非常に美しく感じられた。
これによって、ルッジェーロとアルチーナは、
再び抱き合うに至る。

Track22.情景6。
「以前と様子が違う」と訝しげなアルチーナに、
ルッジェーロは、「兵士の血が騒ぐ」と、
猟に行く許しを求める。

ここで、再び、アルチーナを抱きながら、
ルッジェーロが歌うアリアは、
リコーダ2本の助奏が印象的ながら、
ぐりぐりと推進力のある低音の効果も鮮やかで、
同時に残酷なものでもある。

「忠実を誓う」という情熱の後、
「でもあなたにではない」と添えている。
アルチーナは、何か難しい顔をしている。

Track23.情景7。
オベルトが、「父が見つからない」と、
今更のように飛び込んで来る。
アルチーナは適当な、
その場しのぎの言い訳をしたので、
オベルトは、元気になったアリアを歌う。
ボーイ・ソプラノの力強く澄んだ響きは印象的である。

まるっこくて女性的な顔立ちなので、
ソプラノにも見える。

Track24.情景8。
オロンテが飛び込んできて、
ルッジェーロ逃亡を告げると、
アルチーナは怒り狂って、
怒髪天を突くが、失神してしまう。
このぶっ倒れた状態で、
「おお、私の心よ、私は騙された」の、
大アリアが始まる。
「愛の神々」と呼びかけ、
「愛していたのに裏切られ見捨てられた」、
「神様どうして」と、魔女とは思えない、
苦悩に満ちた内容を繰り広げる。

アルチーナは、今度は座り込み、
やがて立ち上がって、苦悩を絞り出す。

ヘンデルの音楽は、繊細かつ情熱的で、
このアリアが、最近、よく歌われることが納得される。

「逃げるか死ぬか」という、
中間部の動きの激しい展開は、
それまでの苦悩が嘘みたいで迫力がある。
思わず、拍手してしまった人もいるくらいだが、
再び戻って来る主部のラメントは、
さらなる絶望感を感じさせる。

このあたりは、ドナ・レオンも、
「真実は彼女から切り裂かれていく」と書いて、
特筆した部分だ。
オーケストラもいっそう神経質な響きを散りばめ、
みごとに切迫感を盛り上げている。
チェロの独奏を強調して、すさまじい奈落を垣間見せる。

DVDの1枚目が、ここで終わって、
ブラヴォーがわき起こるのも意味があるのである。

情景9、10は省略したとある。

DVD2は、しかし、オーケストラの序曲で始まっていて、
どうやら、実際の上演
(2010年ヴィーン国立歌劇場)時も、
先の「私の命」を持って幕を降ろしたようである。

ブラダマンテが、オベルトを慰めるシーン。

Track2.第2幕情景12は、
ルッジェーロが現れて逃げる話をしている時に、
モルガーナがやって来て、
嘘つき呼ばわりする。

ルッジェーロのアリア。
「緑の草原」との別れを告げるもので、
ようやく、英雄らしい男らしい声を響かせる。
カサロヴァの真摯な声が楽しめる。
完全に、ブラダマンテとの仲を修復する部分。

Track3.第2幕第13場。
いよいよ、クライマックスとも呼べる、
アルチーナの魔法が効力を失うシーン。

ドナ・レオンは、解説で、
「アルチーナの性的な罪は、
第2幕の最後のレチタティーボ・アコンパニャート、
『ああ、残酷なルッジェーロ』で最高潮に達するが、
ここで、彼女はすべてものが崩れ去って行くのを感じる」と書いた。

その後のアリアで、彼女は壺を取り出し、
闇の力に様々な問いかけを行う。
次に、彼女は魔法のバトンを取り出し、
振りかざして歌い続ける。
これらは、解説者がよく書き込んだ象徴の道具である。

前回聴いた、クリスティのCDでも、
最後に、アルチーナは、魔法の杖を降ろしてしまう、
とト書きがある。

この演出(ステージ・ディレクター、
アドリアン・ノーブルとある。)
では、アルチーナはバトンを力なく、
放り投げている。

「見せかけの愛だった、でも私は愛している」、
「残酷なルッジェーロ」と怒り狂うアルチーナが、
いよいよ、秘儀を行って悪魔たちを招集する。
しかし、闇に問いかけても、それらは出て来ない。

この後、バレエ音楽が始まるので驚いた。
したがって、このトラックは16分にも及ぶ、
長いものとなっている。

ここでは、かなりバレエも象徴的に扱われ、
倒れたアルチーナを慰めるような、
全身タイツの怪しげな白装束が優雅に舞い踊る。
しかも、男性であるようだ。

乱暴なもの、活発なもの、神秘的なものなど、
ひっくるめて「Balletto」と表記されている。

その後、女性ダンサーが現れて、
アルチーナのバトンを持って踊り、
男性ダンサーを従えるが、
最後にそれをアルチーナに返却する。
しかし、アルチーナは、男性ダンサーに、
それを神妙に返すのである。

字数も尽きたので、今回は、ここまでの鑑賞とする。
第3幕は、次回楽しみたい。

得られた事:「錚々たる歌手陣を揃えた力作だが、『アルチーナ』のバレエ音楽による象徴性までを、十全に具現化した上演で、歌手だけを見ていてはいけない。」
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by franz310 | 2012-05-27 18:27 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その327

b0083728_19522080.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディのオペラ
「オルランド・フリオーソ」を
基準とするならば、
ヘンデルが書いた、
魔女が出て来ないオペラ、
「オルランド」などは、
変わり種に思えてしまう。

さらに、ヘンデルの場合、
オルランド物語の
重要な脇役であるべき、
魔女アルチーナは、
オルランドの物語とは別に、
単独でオペラ「アルチーナ」
として作曲されている。


前回、ヘンデルのオペラ「オルランド」(1733)は、
ダカーポ・アリアといった伝統的な手法から離れて、
実験的な試みを盛り込みすぎて、
失敗したというような話を読んだばかり。

が、ヘンデルのオペラ「アルチーナ」(1735)の方は、
ダカーポ・アリアてんこ盛りみたいな解説を読んで、
のけ反りそうになってしまった。

「オルランド」より後の作品なのに、
退化しているようなイメージを持ってしまうではないか。

Robert Carsenといった人の書いた、
このオペラの解説を読むと、
こんな風に書かれていて、
いっそう混乱するのである。

「ディレクター的見地からすれば、
その生き生きとした心理的発展性ゆえに、
ヘンデルのオペラは、常にやりがいのあるものだ。
アリアの連続、アンサンブルの欠如といった、
構成から登場人物がどうなって行くかに焦点を当て、
効果を出すことが出来る。
A部に続き、短いB部が来て、再度A部が来る、
ダカーポ・アリアが、登場人物の心理を探索するのに、
高度に効果的で劇的な音楽形式かもしれないのは、
驚くべきことである。」

こんな風に、一本調子と思われたダカーポ・アリアが、
実は、全然、無味乾燥なものではない、
むしろ、「高度にドラマティック」などと書かれている。
そんな論調で始まっている。

「ヘンデルの『アルチーナ』には、25曲以上の、
ダカーポ・アリアがあるが、
ほとんどがダカーポ・アリアのオペラを聴くと、
登場人物を描くのにそれだけ時間をかけるという、
簡単な理由から、しばしば、理解がはかどる。
事実、『アルチーナ』の多くのアリアは、
5分以上を要し、それらの中でも、
『ああ、わが心』では、12分以上の時間を要する。
プッチーニの『ラ・ボエーム』2幕の最後ですら、
たかだか16分であることを思い出しても良いだろう。」

「オルランド」の解説者が、
ヘンデルは、そういった慣習的なものに反抗して偉かった、
みたいな語調だったのとは大違いである。

「いかなるヘンデル作品においても、
指揮者も歌手も音楽の中や、
その回りを飾る装飾の見せかけに騙されず、
感情のランドスケープを探索しなければならない。
行動を進めるレチタティーボに、
その行動に対する感情の反応を展開するアリアが続く
という連続パターンは、コンスタントに、
持ちつ持たれつで進化していく。
『アルチーナ』においては、
ほとんどのヘンデルのオペラ同様、
愛が基本要素であって、
それが登場人物と絡み合っている。
(オロンテは、アルチーナが好きな
リッカルド(ブラダマンテ)を愛する
モルガーナを慕っている。)
アクションがほとんどなく、
最初は戸惑うのだが、
登場人物の感情の要求を理解するに連れ、
どんどん、豊かに、満ち足りたものとなる。」

こんな感じで、ダカーポ・アリアの連続としての、
ヘンデルのオペラ「アルチーナ」を見ていこう。

ARTHAUSのDVDで、
表紙の色遣いがおどろおどろしく、
いかにも怪しい雰囲気たっぷりの写真が採用されているが、
この写真で顔を背けていては、中はとても
見ちゃおれんという代物。

ヨッシ・ヴィーラーと、セルジョ・モラビートという人が、
ステージ・ディレクターとして名を連ねている。
指揮はアラン・ハッカーで、
シュトゥットガルト州立管弦楽団の演奏。
1999年の公演記録である。

このDVD、解説部に署名がないが、
表紙裏に、先に、ステージ・ディレクターとして紹介した、
Sergio Morabitoという人が、あらすじを書いたとある。
舞台を受け持った人が書いているのだから、
ぴったりこの上演に沿った記述なのであろう。

かなり、野心的な演出ゆえ、原作と一致しているか気になるが、
これに沿ってDVDも見て、聴いていくことにする。

そもそも、3幕のオペラのはずが、解説では、
Part1、Part2の二部構成として書かれている。

Part1.
序曲と第1幕:
Track1~3.
序曲からして、この豊饒な音楽は魅力的だ。
三部からなるもので、小さな交響曲。
録音もすっきりとして素晴らしい。

アラン・ハッカーという指揮者は、
もじゃもじゃ頭に眼鏡のシューベルト風。
指揮姿も、ちょこちょことして、
神経を通わせている感じが、
これまたシューベルトを想起させる。

序曲の途中から、黒ずくめの、
スーツ姿の怪しげな二人組が、
不気味に荒れ果てた部屋の中に入って来る。

電灯や蛍光灯などが大写しにされるように、
現代のボロい家の中に入って来た感じ。

Track4、5.
「見知らぬ二人は道に迷い、
二人のうち若い方に興味を持ったモルガーナが、
彼女の姉、アルチーナの宮廷近くに上陸したのだと説明する。」

道に迷ったのではなく、難破した模様。
日本語字幕付きなので助かる。

これは戦士さん、とか呼びかけているが、
先に書いたように、ビジネスマン風である。
一方は明らかに女性であるが、
二人して黒縁眼鏡もかけている。

モルガーナも、薄っぺらなワンピースを着て、
場末のパブにでも、いそうな出で立ちである。
いや、買い物中に主婦だろうか。

いきなり、じゃれ合いが始まって、
笑顔も話し方も惹き付けるわ、
と、モルガーナが歌い出す。

Track6.
「何人かが集まって来て、
二人の来訪者が、この『地上の楽園』を訪れた事を歓迎し、
二人は、メリッソとリッカルドだと自己紹介する。
アルチーナは丁重にもてなし、
恋人のルッジェーロに、
お互いの愛の深さを告げるように求める。」

何人かが増えて、
「ここは快楽の国」という合唱が歌われる中、
アルチーナとルッジェーロが抱き合いながら現れる。

Track7.
このあたり、完全にラブシーンで、
舞台が気になって、音楽が良く分からない。
この恋人たちは、ねっとりと接吻しながら、
歌を歌っているのである。
ものすごい演出である。

アルチーナ役のキャサリン・ネーグルスタッドは、
1965年、アメリカ西海岸生まれのソプラノで、
DVDの表紙写真では、狂乱の風体だが、
ここでは、すらりとした美人である。

ルッジェーロは、
アリス・コーテという女性歌手が演じているが、
おもちゃにされるイケメン風を演じきって素晴らしい。

Track8.
「どんなに私が愛したか教えてあげなさい」
という、陶酔的なアリアを、
脱げたハイヒールを持ってアルチーナが歌う。

ルッジェーロは浮気者の本領発揮で、
誰にでもすりよりながら、その歌を聴いている。

やがて、見ちゃおれん、と言いたくなる、
寝転びながらの愛欲愛撫歌唱に移行するが、
この無理な体勢でも、ネーゲルスタッドは、
澄んだ声で、愛の喜びに満ちたアリアを歌い続けている。

Track9.
アルチーナが行ってしまうと、
レチタティーボが始まる。
「まだ年端もいかぬオベルトが
メリッソとリッカルドに、
彼の父親の行方を知らないか
という希望を持って近づくが、
甲斐はない。」

Track10.
オベルトのアリアである。
さっきどやどやと入って来た人たちの一人。

これまた、少年役だが、
クラウディア・マーンケという女性が演じている。
この人の歌唱も、破綻なくしっかりしたもので、
ヘンデルのオペラの豊饒感にマッチしている。

背景では、様々な愛欲模様が繰り広げられている。

Track11.
「二人がルッジェーロとだけになるや、
彼等は元戦友だと気づく。
リッカルドはすぐに、双子の妹のブラダマンテの
名誉を守ろうとするが、ルッジェーロは、
今や、アルチーナの虜である。
彼はかつて、リッカルドの妹と婚約していたのだが。
ルッジェーロにとって、過去との決別は、変更できないものだった。」

ルッジェーロは、ブラダマンテが変装しているのに、
リッカルドに似ているな、などと言っている。

Track12.
「モルガーナといちゃついたことによって、
リッカルドは、彼女のフィアンセである
オロンテの嫉妬をかき立てる。」

ということで、さっきのどやどやの一人は、
このオロンテだったわけである。

「彼は、競争者と決闘しようとするが、
モルガーナは、彼等の間に入り、
オロンテとは別れたいという自身の意志をはっきりさせる。」

「あなたを守ります」とモルガーナが立ちふさがるが、
何とも、暴力的な恋人で、
オロンテは、いきなり彼女を殴る。

Track13.
またまたゴージャスな音楽が始まり、
ブラダマンテが、「それは嫉妬というもの」という、
アリアを歌い始める。
いかにも、ダカーポ・アリアで、
前半、冷静だったブラダマンテは、
後半はいきなり服を脱ぎ出す狂乱ぶり。
それを、メリッソが止めている。

その間、この暴力で解決したがる、
先の二人は乱闘している。

Track14.
どうやら、彼等は身分が違うようで、
モルガーナは、「身分をわきまえよ」とか、
「貞淑をわきまえるかは、欲望が決める」とか、
すごいフレーズで、オロンテを棄てようとしている。

Track15.
オロンテは、同じように嫉妬している
ルッジェーロを掴まえ、
いろいろと入れ知恵をしている。

「リッカルドの脅しを受け、これを最後にと対決しようと、
オロンテはルッジェーロに向かって、
アルチーナはすでにリッカルドと関係を持っていると告げ、
さらに、アルチーナの過去にも触れる。
彼は、棄てられた恋人のコレクションは、
彼女によって、野生の動物に変えられてしまうと言い、
同時にルッジェーロこそ、次の犠牲者であると暗示する。」

Track16.
音楽が活気付き、オロンテのアリア。
ロルフ・ロメイという歌手は、部屋中のものに、
八つ当たりしながら、情けない嫉妬のアリアを歌う。

ここでも、この恋の犠牲者は服を脱ぎだして、
長髪をかきむしり、パンツ姿で寝そべって赤面もの。

Track17.
何と、ブラダマンテ(リッカルド)は、男装のまま、
アルチーナと宮殿を散歩しながら、仲良くしている。
「リッカルドのあいまいな言動は、
オロンテのほのめかしを裏付けるように見える。
アルチーナはしかし、ルッジェーロの嫉妬の爆発に、
当惑させられる。」
アルチーナの服装は、ちら見せ系である。

Track18.
アルチーナのアリア。ガンバの簡素な伴奏。
「私は変わらないのに、あなたの目に変わって見えるなら、
愛さなくなっても、私を憎まないでおくれ」とへんてこなもの。

ががーっと音楽が盛り上がり、
このへんてこな恋人たちの感情を高ぶらせる。
ものすごい効果だ。

ブラダマンテは、自分の婚約者と、
アルチーナがよりを戻そうとしている様子を、
一部始終見ている。

Track19.
ルッジェーロは、ブラダマンテをライヴァル扱いし、
怒ったブラダマンテは、下記のような行動を取る。

「この時点で、リッカルドは、ルッジェーロに、
実は、彼は、双子の妹のブラダマンテであって、
離ればなれになったルッジェーロを探し、
連れ戻すために男に変装していると言って、
自分の正体を明かそうと考える。
メリッソは、そんなに早まった
正体明かしをしないよう忠告する。」

Track20.
ルッジェーロのアリア。鮮やかな序奏。
ブラダマンテが男装しているのに、分からずに、
アルチーナが、裏切ったと騒ぎ立てる。
がらくたの中から銃を取りだし、
ブラダマンテに突きつける始末。
しかも、ネクタイとベルトを外して、
ぐるぐる巻きにしてしまう。

「ルッジェーロは、もはやアルチーナは、
信用できないと知って絶望し、
彼がライヴァルだと考えたリッカルドに向かって、
攻撃を加える。」

Track21.
メリッソが、ブラダマンテの軽々しい言動を叱る。
すると、モルガーナが、恋人よ、と助けてくれる様子。
まことにややこしい。

ここで、彼等の関係をまとめると、下記のような感じ。
     (ラブラブ)
アルチーナ ←→ ルッジェーロ
↑(姉妹)      ↑(婚約者)
↓          ↓
モルガーナ → ブラダマンテ扮するリッカルド
   (何となくラブラブ)

Track22.
モルガーナがブラダマンテ扮するリッカルドを思って、
初々しい思いを告げるアリアで、まことに華やかな音楽。

以上で第1幕は終わりである。

第2幕:
Track23.
アルチーナが、振り向いてくれないので、
悶々と悩むルッジェーロのアリア。

「彼は、アルチーナの元に飛び込み、
リッカルドを野獣に変えて欲しいと頼む。
モルガーナしか、今や、ブラダマンテを救うことは出来ない。
ブラダマンテは仕方なく、表向き、
男の愛情表現で、男性の人格を演ずる。」
というシーンはどこにあったのか。

Track24.
メリッソとルッジェーロの言い争いの部分。
「ブラダマンテの仲間のメリッソは、
自分の目的を遂行するのに忙しい。
彼抜きでは、差し迫った戦争で、民を守れないゆえに、
ルッジェーロに対し、戦士に戻って欲しいと望んでいる。
それゆえ、彼は、弟子として叱責できるように、
ルッジェーロの師匠であるアトランテを装う。」

Track25.
ルッジェーロのアリアの中で、
下記のような出来事が起こる。
「ルッジェーロは愛を棄てることが出来ず、
メリッソは、彼の指に、
内部の強さを断ち切る特別な力のある指輪をはめる。」

Track26.
ここで、ルッジェーロは、ブラダマンテのところに戻る、
とか言い出している。
「それによって、メリッソは、
ブラダマンテが気にしている、
ルッジェーロの不安定な良心に、
揺さぶりをかけることが出来るようになる。
彼は、こうしたモラル上のプレッシャーが、
再度、彼を戦士に戻すであろうと期待している。」

Track27.
このような状況下で、メリッソがバスで歌うアリア。
ミカエル・エベッケという歌手が、
マフィアのボスのような出で立ちで歌い。
ルッジェーロはがらくたの中から武器を探し出す。
ヘンデルの音楽は厳かに居丈高なもの。

Track28.
ブラダマンテが来て、正体を明かすと、
ルッジェーロは、アルチーナの罠だと感じ、
ピストルを撃つ。

「メリッソは、ブラダマンテが、
アルチーナの王国に来ていることも、
どんな危険にさらされているかも言わなかったので、
ブラダマンテがルッジェーロの目の前に現れても、
もはや、どう考えるべきかも分からない。
彼は、彼女を、彼の愛を試すために
変装したアルチーナだと信じる。」

Track29.
ブラダマンテのアリア。
混乱の極致の中で、彼の心は何とかならんものか、
みたいな内容である。
ルッジェーロがピストルを向ける中、
「いくらでも奪って行くがいい」と、
ブラダマンテはシャツをはだけて見せる。
これも、そうした中間部を持って、
冒頭のいらだたしい感じの音楽が戻って来る。

ヘレーネ・シュナイダーマンという歌手だが、
渾身の熱演である。アメリカ出身の歌手らしいが、
ずっとドイツで活躍している人だという。

Track30、31.
ルッジェーロは混乱し、
すぐに、悩ましい心を歌い上げるアリアが続く。
「ルッジェーロは一人、自分が、
自身のアイデンティティも目的も失っていることに気づく。」
情感豊かなヘンデルらしい音楽。

ブラダマンテの幻影が、背景を流れて行く様子が切ない。
これは名場面かもしれない。

以上が、あらすじではPart1となっている。

Part2.
Track32.
アルチーナの恰好は、ますます、
色情狂的になっている。
裸足で、食べ物の皿を、倒れているブラダマンテに押しやる。

「ルッジェーロとの関係を修復するため、
アルチーナは最後に、
リッカルドを野獣に変えることに同意する。
しかし、今になって、ルッジェーロは、
こうした事を進んですることが、
十分、彼女の不貞の恐れを払いのけたと説明する。」
モルガーナが、リッカルドへの思いを白状し、
姉に、この人を助けて欲しいと言う。
アルチーナはリッカルド(実はブラダマンテ)に、
これ以上、何もしないと決める。」

Track33.
美しいヴァイオリンの助奏付きの、
モルガーナのアリア。
技巧性や情感の豊かさから、
これは、ほとんどヴィヴァルディ風ですらある。
アルチーナはブラダマンテにちょっかいを出している。

Track34.
ルッジェーロが浮かない顔をしているので、
アルチーナは、悲しげに話しかける。
「メリッソの指示に続いて、ルッジェーロは、
アルチーナに狩りに行く許可を求める。」

Track35.
今度はリコーダ助奏付きのアリア。
ルッジェーロが、「崇拝する女性には貞節を誓う」と言いつつ、
「(しかし、それはあなたにではない)」と付け加える、
恐ろしい内容を歌うが、それにふさわしく、
不気味に黒々とした音楽である。
恐るべしヘンデル。愛の不条理を、ここまでえぐり出して。

素晴らしいリュートの弾奏を経て、
寝そべっているアルチーナにルッジェーロは跪いて抱き起こす。
ブラダマンテは、床に転がっていたホルンを持って、
一緒に狩りに行くということか。

「彼の情熱的な愛の宣言は、彼女の不安を十分に鎮めるが、
実際は、彼の本当の目的はブラダマンテであった。」

Track36、37.
オベルトが反抗的な少年として登場。
「アルチーナは、オベルトから父親について尋ねられて戸惑う。
彼女は、彼がすぐに父親に再会できると約束して、
その場しのぎをする。」
そして、アリア。アルチーナは、
彼をなだめようといろいろやっている。

Track38.
「オロンテがやって来て、
ルッジェーロが出て行く準備をしていると言うと、
アルチーナはたちまち、
恋人の行動の背後にある嘘を見抜き、
裏切りに直面して崩れ落ちるに至る。」

オベルト少年を投げ倒し、狂乱して行く。
音楽は恐ろしい事が始まる前触れのように、
緊張感を高めて行く。

Track39.
ネックレスを引きちぎり、
はだけた姿も痛々しいタイトル・ロールが、
体を張ったクライマックスである。

「お前は見捨てて行くのか」と、
感情を押し殺したようなアリアが、
情念の高ぶりを否応なく感じさせる。
これは10分にも及ぶ、長丁場で見せ場である。
これが、最初に書いた、大アリアの代名詞、
「ああ、わが心」である。
「私は女王ではないか」という激昂の中間部を経て、
ダカーポ・アリアの回帰部として、
前半の感情、壮絶な嘆きがより深まって行く。

Track40、41.
もちろん、ブラダマンテも行ってしまったので、
オロンテは、それもモルガーナに伝える。

「一方で、リッカルドを信頼する
モルガーナは揺るがない」と解説にあるが、
何と、ブラダマンテは正体を明かすようなアリアを歌う。

Track42.
「彼がルッジェーロと愛し合う場面を見て、
遂に、彼女も理解する。」
このようにあるように、下着姿で二人はいちゃつく。
「勇気ある乙女よ」などと、
ルッジェーロは調子が良い。

「裏切り者」と、モルガーナが絶叫するが、
おかまいなしに、音楽は優雅に流れて行く。

Track43.
ルッジェーロの哀歌調のアリア。
「緑の牧場よ」と、ヘンデルの「オルランド」同様、
別れのアリアは、美しい自然描写がなされる。
「ルッジェーロとブラダマンテは、
騙された犠牲者たちに別れを告げる。」

ブラダマンテもピンクの衣装で、
すっかり女性の姿となって、二人して消えて行く。
モルガーナの打ちしおれた様子が耐え難い。

Track44.
「残酷なルッジェーロ」と絶叫するアルチーナ。
激しいリズムに乗っての中間部。
ほとんどシュプレヒシュティンメだ。

Track45.
序奏からして、すごく繊細な感じ。
傷つきやすくなったアルチーナの
精神状態を見事に表現している。
「欺かれたアルチーナ、残されたものは何だ」と言って、
動き出す音楽の焦燥感。腰も砕けて立てない様子。
妹のモルガーナに抱きついて歌うアリア。
「アルチーナは、絶望のあまり、
愛の力や魔法を作り出すことに失敗する。」
とあるように、「杖に魔法が宿らぬ」と言っている。

ものすごく切実な物語になって来た。
主人公なのに、魔女なのに、
絶望のあまり、魔法が使えないなんて、
いったい、どういう事なのであろうか。
それだけ、彼女の愛の深さを感じてしまう仕掛けになっている。
素晴らしい絶唱が聴ける。

まだまだ、音楽は続くが、
字数の限界が来てしまった。
続きは次回にする。

得られた事:「ダカーポ・アリアを否定した、実験的オペラ『オルランド』の2年後、ヘンデルは、さらにダカーポ・アリアを深化させ、この形式を駆使しつくしたオペラ『アルチーナ』を書いた。これらは、同じ題材から着想されたものである。」
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by franz310 | 2012-05-05 19:54 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その325

b0083728_1948351.jpg個人的経験:
前回、ヘンデルの
「オルランド」の第1、第2幕を
クリスティの指揮、
チューリッヒ・オペラの映像で鑑賞。
物語が、ヴィヴァルディのような、
魔女や魔界が絡むものでなく、
人間本来の力を礼賛したような、
ごく道徳的、倫理教本的な内容に
なっていることを知った。

しかし、このART HAUSのDVD、
演出は斬新で、
20世紀初頭風のコスチューム、
オルランドは殺戮線を好む、
ブラック将校として描かれていた。


したがって、
前回は、まだ見ていなかった第3幕では、
主人公オルランドが、
これまで戦場で行って来た事に、
悩まされるようなシーンがある。
映画「ライアンの娘」に出て来る、
精神を病んだ将校を思い出した。

ということで、今回は、
この続きを見てしまいたいが、
このオペラの特徴が、
まさしく、この未聴の第3幕に、
如実に語られていることを、
解説に書いてあることを発見した。

なお、ここに示したのは、その裏表紙で、
あしらわれているのは、
メドーロを思いながら洗濯物を干しているドリンダと、
ヒロイン、アンジェリカとメドーロの写真で、
ミヤノヴィッチの演じるタイトルロールの写真は、
表にしかないようである。

これらの写真を見るだけで、
ヘンデルが思いもしなかったような、
演出がなされていることは、
容易に想像できよう。

さて、今回は、まず、
このDVDの解説をざっと読んで見よう。
ステファン・ロッシという、
チューリヒ・オペラの、
ドラマチック・アドバイザーが書いたもの。

題して、
「オルランド、実験的アレンジ」とある。
「『愛はしばしば、道理を失う原因となる、
ということをオルランドは、
我々みんなに教えてくれている』
という一節が第3幕にあるが、
これは穏当なモラルで、
おそらく聴く人は、
オルランドにヘンデルが付けた音楽の、
劇的な手際よさや音楽的多様性には、
努力を必要としないだろうが、
オペラの問題の複雑さは、それよりも難しいものだ。」

という感じである。
「オペラの問題の複雑さ」が、ここに描かれた、
「愛」というものの難しさという事なのか、
これだけでは、ちょっと分かりにくいが、
これに続く解説部は、
このオペラ成立時の悪戦苦闘の様が読み取れる。

「1733年、1月27日、ロンドンにおける、
ヘンデルの『オルランド』の初演は、
キングズシアターのチラシより数日遅れてなされた。
これは、予想よりオペラ化時に問題があった、
ということだけではない。
ヘンデルのスコアの表紙には、
ヘンデルのオペラ、11月20日完成とある。
これは、メインの声楽パートの事であり、
オーケストレーションはまだで、
修正も残っていた。
舞台にかけるには、さらに膨大な時間をかけ、
当時の標準からしても、極めて華やかなものに、
いかに多くのものを要するかを聴衆は感じていた。
それに加え、ヘンデルは、その初演に、
タイトルロールを担当した、
著名なカストラート、セネジーノ率いる、
選りすぐりの歌手たちを集めた。」

ということで、
このヘンデルのオペラ「オルランド」は、
ヘンデルが準備万端にして、
万全の布陣で臨んだ意欲作だったわけである。

が、以下に不穏な記述が始まる。

「これは、この歌手にとって、
ライバルのオペラ座に引き抜かれる、
ヘンデルとの最後の仕事となった。
このような約束された将来にも関わらず、
オルランドは、普通の成功の
ちょっとマシ程度のものになった。
次の作品もなしに、作品は、
急速にかき消され、1920年代の、
ヘンデル・ルネサンスまで、
オペラ・ハウスの演目に上ることはなかった。」

ということで、1733年のこの作品、
代表作「水上の音楽」の十数年後、
有名な「メサイア」の10年前に当たり、
ヘンデル48歳という壮年期の作となるが、
この作曲家の生涯でよく語られる、
「1718年イギリスに定住するようになってからも、
やはりオペラで成功しました。
しかし、そのうちに
ヘンデルのオペラ運動の邪魔をする人たちもあらわれ、
それによる経営の困難から心身をすりへらし、
脳溢血になり、一時静養の止むなきに至りました。」
(現代教養文庫、野呂信次郎著「名曲物語」)
といったエピソードのまっただ中の作品のようである。

さて、DVDの解説に戻ろう。

「しかし、この何世紀にもわたる無視は、
このオペラのどこにも異議のない出来映えに、
ふさわしいものではない。
ヘンデル専門家のウィントン・ディーンは、
『すべてのヘンデルのオペラで、最も豊かな音楽かもしれない』
と言っている。」

ここまで書かれるまでに、この作品は、
今回の演出はへんてこながら、
専門家も瞠目している作品であるということだ。

以下、リブレットの原作になった、
アリオストが、ひっぱって来た、
もともとの伝説にまで遡った解説を読んで、
私は、かなり驚いてしまった。

「アルチーナや、アリオダンテ同様、
イタリア・ルネサンス期の詩人、
ルドヴィコ・アリオスト(1474-1533)の
華やかな騎士道の叙事詩、
『オルランド・フリオーソ』からの三部作最初のものである。
これは歴史と神話がごっちゃになって発展した、
長い前史を持つものであった。
物語は778年のもので、
シャルルマーニュの撤退中の後衛軍隊が、
ピレネー山中で壊滅的打撃を受けた時で、
この時、フルオドランドゥス(Hruodlandus)が命を失ったとされる。」

フルオドランドゥスは、最初に「Hru」がついているから、
どうも別人に見えるが、これを外すと、
ほとんど、オルランドである。
「H」だけを取ると、「ルオランド」みたいになって、
「ローラン」とか、「ローラント」になると言うわけである。

「事実、『ロランの歌』のロラン伝説の誕生や、
異教徒と戦ったキリスト教徒の戦士、
ロランの冒険物語の伝承は、
1100年頃からの事である。
それから、15世紀になって、
ロランがイタリア詩人によって扱われるようになると、
オルランドと変更され、以降、そう呼ばれるようになった。
アリオストは彼のオルランド伝説を、
対抗作品、ボイアルドの『恋するオルランド』の続編として書いた。
そちらの方は、次第にアリオストの、
ずっと詩的に豊かな作品の名声にかき消された。」

何と、ここでも「ロランの歌」であった。
これは、シューベルトのオペラの下敷きになったものである。

シャルルマーニュの騎士ロランは、
イタリアでオルランドとなって、
ヴィヴァルディやヘンデルの作品となり、
独墺圏では、ローラントとなって、
シューベルトのオペラ『フィエラブラス』の、
重要な登場人物となっていた、
ということだ。

「ヘンデルの時代、これは良く知られていて、
それゆえに、リブレットの序文への記載を、
彼は簡単なアリオストの引用で済ませ、
さらなる説明を省くことが出来た。
オルランドの伝説は、オペラの素材として長く好まれ、
ヘンデルばかりか、リュリやヴィヴァルディ、
そしてスカルラッティによって取り上げられた。
アリオストのテキストを直接、ベースにするよりも、
ヘンデルと、今では名前不詳のリブレット作者は、
むしろ、カルロ・シジスモンド・カペースのリブレットを使い、
これはもともと、スカルラッティのために書かれたものだった。
レチタティーボは大胆に刈り込まれ、
カペースの詩句の半分程度がかろうじて残った感じ。
賛否両論の活発な議論にも関わらず、
ヘンデルは音楽そのものの表現伝達力を信じた。
一方で、重要な追加については、
書いて置く価値がある。
最も目立つ登場人物は、ゾロアストロで、
これはカペースにもアリオストにも出て来ない人物で、
ここでは、このオペラの重要な、
倫理メッセージを吐く役を担っている。
これは、時代精神を反映し、
感情の自己鍛錬に対し、強い賛意を投じる役柄である。
愛に打ちひしがれた男は、
理性や自己修養、社会的な目的を再発見できるよう、
自制するという男らしさに従うべきである。
しかし、ゾロアストロの役は、
オペラの要ともなり、
事の始まりを司ってもいる。」

やはり、このゾロアストロという登場人物は、
とって付けたように異質すぎる。

「一見して、オルランドのプロットは、
5人の登場人物からなる単純なものである。
エキゾチックな王女、アンジェリカと、
その恋人、メドーロは、幸福なカップルなのに、
望みない恋するライヴァルに追われている。
いまだ、そうした経験はしていないにもかかわらず、
ドリンダもまたメドーロを愛し、
オペラは自然な結果を辿る。
彼女の成熟は結局、立派に自己克服を見せる。」

このドリンダこそが、主人公と思われるくらいに、
印象的に、いたいけな役である。

「この物語の主人公、
騎士オルランドが巻き込まれる情事には、
そんな単刀直入さはない。
彼の誠実さは、最初から危険にさらされ、
矛盾した愛への望みと、
より永続的な戦場での栄誉によって、
彼は引き裂かれ、彼の内面のバランスが失われ、
次第に理性を失い、
彼の戦場での能力を買って、名声を護ろうとする
ゾロアストロによって、最終的に癒されるまで、
狂気に屈してしまう。」

そんな物語だったっけ?
彼は、別に名声に引き裂かれたわけでなく、
メドーロが木に、アンジェリカ&メドーロ、
ラブラブ、などと書き付けたから、
狂気に陥ったものと思っていた。

少なくとも、ヴィヴァルディでは、
そんな展開であったはずである。

「事実、ゾロアストロだけが、
少なくともオペラの表面的な構成上は、
そのような感情を克服することができ、
状況管理をうまく行うように見え、
最終的にオペラ・セリアでは必須の、
よくあるハッピーエンドを守っている。」

この登場人物自体が、
そもそも取ってつけたみたいな存在であるが、
ハッピーエンドもありきたりな感じはするが。

これが、先にあった、時代精神という奴であろうか。

下記には、ヘンデルの書いた音楽のすばらしさが、
列挙された部分が続く。

「巧緻に編まれた登場人物や価値観の織物の下、
自発的で活気あるスコアによって、
オルランドは、ヘンデルの作品の中でも、
実際、一般のオペラ文献の中でも、
特別な位置を占める。
カペースの版とは対比的に、
アリア、アリオーソ、器楽が優位にあり、
ヘンデルのものはいくつかのアンサンブルもある。
オルランドにおいて、音楽は、こうした独立性や多様性を持ち、
音楽学者は、理由を持って、
『第6の登場人物』と呼んでいる。
スコアは、アクションを描写し、サポートするだけでなく、
コメントを差し挟み、出来事を和らげ、
テキストと音楽の中に内的な緊張を作り出している。
そして最終的に、独白とは、別のロジックを開発している。
オーケストレーションも多彩で、
例えば、共鳴弦付きのヴィオール、
『ヴィオレット・マリーン』を使い、
当時の聴衆を興奮させた。」

こんな変わった名前の楽器があるとは知らなかった。
画像検索しても出て来ない。

オーケストラの雄弁さのみならず、
感情表現の幅についても、
下記のように書かれており、
まるで、シューベルトの歌曲の解説を
読んでいるような錯覚に襲われる。

「そして舞台上の演技を常に反映した。
沈着から内面の狂乱、
美しい静けさから、絶望的なヒステリーまで、
音楽は感情の全域を描いている。
例えば、オルランド狂乱のシーンでは、
レチタティーボとアリアの慣習的な区別も完全に放棄されている。」

そして、このいっぷう変わったリブレットによって、
ヘンデルの妄想が爆発したという結論になっている。

「このように、思考過程の一般的な発生を阻止するリブレットによって、
オルランドの『狂気』にインスパイアされ、
ヘンデルは、当時のオペラ・セリアの慣習から、
最大限の逸脱を試みた。
それは、特別な音楽的先入観や予測を持っていた聴衆にも、
聞き取れたに違いない逸脱であった。」

では、前回、聴けなかった、第3幕を見ていこう。

第3幕:
DVDの2枚目である。
また、管弦楽の序曲演奏から始まる。
クリスティのスタイリッシュな指揮が見られる。
オーケストラピットから浮かび上がる、
白髪がまぶしい。

舞台は病室である。
右半分はドリンダが机仕事をしていて、
左半分にはベットがいくつか並べられ、
そこでオルランドが寝ている。

つかつかとメドーロが入って来て、
枕をオルランドの顔に押しつけ、
窒息させようとする。

序曲がここで終わり、
気づいたドリンダが、メドーロが、
何故、ここにいるかと問い詰める。

アンジェリカに言われて戻ったというメドーロに、
それでもいいから家に来てというドリンダ。
愛してくれなくても、かけがえがない人よ、
と健気なことを言う。

すると、二人は互いの服を脱がし合って、
ドリンダは彼にしがみつく。
かなり、きわどい演出である。
お子様同伴では、見に行かない方が良い。

が、メドーロは、心が自分のものでないことを、
短いアリアで、ドリンダに説明して去って行く。

解説に、
「メドーロは、ドリンダに彼の振るまいについて、
彼の心は、アンジェリカのものであるがゆえに、
ドリンダを愛することは出来ない、と弁明する。」
とある部分であろう。

病室のベッドの中で、オルランドは、
いきなり、ドリンダに声をかける。
「狂乱の中、オルランドは、
驚き、仰天するドリンダに愛を告白する。」

何と、ここではすっかり英雄が、
メドーロのような色男になって、
ドリンダを愛撫し始める。
ここでアリア。

すごい展開だ。

ドリンダもまんざらではなく、
羊飼いの女に英雄の血を混ぜるの、
などと戯れている。
快活な歌唱で合いの手を入れ、
まったりとしたオルランドのアリアに変化を与える。

アリアの中に合いの手を入れるのは、
ベッリーニなどの発明みたいに書く人もあるが、
ここでは、それと同様の効果が得られている。

何だか、オルランドは狂っているのである。
狂うのが彼のアイデンティティなので、
狂って貰わないと困るのだが、
ベッドに起き上がって騒いでいるだけなので、
単なる幻覚にも思える。

「オルランドは今や、錯乱し、
過去の戦いにおいて出て来た人物、
そして殺した人物が心に現れ、幻覚に苦しむ。」
とあるように、
彼は遂にベッドの上に立ち上がり、
受けて立つとか、私は死んだ、とか、
感情の振幅の激しい躁鬱状態の、
奇妙なアリアを歌い続ける。

そのうちに医師か看護士の一団が現れると、
オルランドは逃げてしまう。
代わりに入って来るのはアンジェリカ。

「アンジェリカはオルランドに哀れみを感じ、
再び、彼が良くなることのみを望む。」
と、解説にあるのは、彼がヤバいことを、
ドリンダが説明したからである。

愛と嫉妬で錯乱した、
と説明すると、愛は意志ではなく、
運命だと説明するアンジェリカ。

ドリンダは、思わず、アンジェリカを引っぱたいている。
何と、鼻血がだらだらとアンジェリカの手から滴る。
その状態で、アンジェリカのアリア。
こんなオペラ見た事ない。
が、感情が高ぶって歌い出されるのがアリアだとすれば、
これは、きわめてオペラの基本に忠実な演出だと、
言うことになる。

恐怖に打ち勝ち、魂を自由にして、
そう願うのは当然です、と真摯な感情が歌われるが、
ドリンダは、机での執務に戻り、無視している。

「オルランドの狂気の沙汰を聴くうちに、
ドリンダは、愛のエッセンスが分かるようになる。
それは混沌であり、幸福より苦しみを運ぶものである。」

ドリンダは机の所を離れ、
そうした事を語った後、
総括するような生き生きとしたアリア。
愛は心地よいが、短い快楽の後で、長い苦悩が始まる、
と、深い内容の歌を歌われる。


ドリンダの歌は長く、コロラトゥーラも軽快な、
ヴィヴァルディ風の爽やかな曲想ながら、
嫉妬や怒りが歌われている。

ベッドの1つに横たわってしまった、
アンジェリカを追い出したり、
布団を投げたり、
枕で戦ったりして大忙しだ。

すると、ザラストロが、
オルランドの教訓は、
「愛は理性を忘れさせることもある」ということだ、
などと、一人、超越者のように部下を引き連れ現れる。

「ザラストロは、オルランドの狂気を、
きっぱりと治す実験を執り行おうと考える。」

看護婦や看護士は、アンジェリカやドリンダを、
立ち上がらせる。
ドリンダは退場となる。

そして、怪しいベッドの準備がなされ、
ザラストロがアリアを歌う中、
アンジェリカはそこに縛り付けられる。
ナイフまで取り出して物騒である。
しかし、アリアはものすごく技巧的なもの。

そして、そのナイフはベッドの上にのこし、
アンジェリカを放置して去ってしまう。

「オルランドが入って来て、
アンジェリカを殺そうと決意している。」
とあるように、オルランドはそのナイフを手にする。

アンジェリカとオルランドの二重唱である。
「彼女はメドーロを失ったと信じ、
アンジェリカは生きる望みを失い、
あまり抵抗しない。」
狂気のオルランドは、おののいてはいるが、
しかし、無抵抗なアンジェリカを抱きかかえ、
遂には、彼女の腹部にナイフを突き立てるが、
そのナイフはザラストロの用意した、
刺すと引っ込むナイフである。

オルランドは怪物を退治したと満悦であるが、
だんだん、表情が変わり、
私は忘却の飲み物を味わう、とか言いながら、
力を失って行く。

「彼がアンジェリカへの復讐を遂げたと考えた後、
疲れ果てたオルランドを麻痺が襲い、
彼は深い眠りに陥る。」

気を失ったアンジェリカの顔を撫でながら、
室内楽的な、繊細な伴奏をバックに、
鬼気迫る形相で、息の長い祈りのようなアリアが歌われる。
そして、そのまま、同じベッドに倒れ込んでしまう。

「ザラストロと彼の助手たちが到着し、
彼を正気に返らせようとする。」
まずは、気付け薬で、アンジェリカを運び去り、
その後の部屋はオルランドを手術するための部屋となる。
ザラストロのアリアは、
天にオルランドが正気になることを祈るものだが、
マスクや手袋をして、施術する模様。
手術室は幕で隠されている。

その間、音楽は、天の恩寵のような音楽が奏でられている。
パストラル調で、ひなびた響きが美しい。

「オルランドは目を覚まし、
正気に返っていることを自覚し、
これまで犯しそうになった恐ろしい事柄に対し、
償いをするべく自殺しようとする。」

しかし、どんな手術をしたのか不明で、
単に、軍服を着せられている。
勲章もいっぱい付いて、さすが英雄である。
が、しみじみとレチタティーボを歌っている。

愛する人への復讐にオルランドは死ぬ、
というアリアが歌われる。
すると、アンジェリカが、死んではいけません、
という声を上げる。
これは美しい瞬間である。

「アンジェリカは、彼を止め、ザラストロと、
今や、メドーロへの思いを断ち切ったドリンダは、
オルランドに、アンジェリカとメドーロを祝福するよう頼む。」

オルランドは魔女と魔物に打ち勝った。
今度は自分と愛に打ち勝った、と声を上げる。

「最終的に、彼の狂気は治り、
オルランドは自らを律したことを言祝ぐ。
最後、彼はアンジェリカなしに生きることが出来るようになり、
名声と愛を讃える賛歌が全員によって歌われる。」

美しい朝から美しい日が訪れる、
と歌い出される、合唱の音楽。
「英雄オルランド」と書かれた台の上にオルランド。
左右にメドーロとアンジェリカと、
ザラストロとドリンダが配置されて、
シンメトリカルな調和の中で全曲が閉じられる。

カーテンコールでは、意外にザラストロへの拍手が多い。
クリスティも上がって来て、大歓声に包まれている。


得られた事:「シューベルトの『フィエラブラス』の名将ローラントと、オルランドは、同じ、Hruodlandusを起源としていた。」
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by franz310 | 2012-04-22 19:53 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その324

b0083728_16514389.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの他にも、
オルランドの物語に、
音楽をつけて、
オペラにした人は多い。
特に、ほぼ同時代に書かれた、
大家ヘンデルの作品は、
それなりに有名なものらしい。
今回のDVDも、
大家クリスティが
指揮をしている。

が、表紙写真を見る限り、
ヤバい感じぷんぷんで、
見たいような、見たくないような、
二律背反の感情に襲われる。

黒板の前で白衣を着た男?が、
荷物の上に乗っている。
虚空を睨む表情が危険な感じでしょ。

が、序曲からして、クリスティの格調高い、
鋭敏かつ潤いにも欠けない音楽が始まる。

暗い舞台を向こうに、上品な白髪頭が、
マッチ棒のように浮かび上がる演奏風景も、
流麗で、心ときめくものを感じさせる。

演奏はチューリッヒ・オペラの、
「La Scintilla」オーケストラとある。
へんてこな演出をしたのは、
ドイツの有名な映画監督とは別人の、
イェンス=ダニエル・ヘルツォークという人だ。

さて、何よりも雄弁なのはヘンデルの音楽かもしれない。
荘重な部分の深み、軽快な部分の浮き立つ感じも、
この作曲家の器楽曲を
愛好してきた人々を満足させるものだ。

とはいえ、現代の表現で、昔、
サーストン・ダートなどの演奏の、
分厚い弦楽の海に浸った人は、
時代を感じるであろう。

しかし、ほとんど同じ時代の産物でありながら、
ヘンデルからは「水上の音楽」の響きが感じられ、
ヴィヴァルディからは、「四季」の余韻が感じられ、
同じバロック・オペラと言えども、
聴かれた環境や作曲家の個性は明瞭である。

このDVDは、ARTHAUSのもので、
2007年にチューリッヒのオペラ・ハウスで
上演されたもののライブ記録のようである。
二枚組で、一枚目には第2幕までの108分、
二枚目には第3幕の47分が収められている。

ただし、解説を見ると、
TVレコーディングチーム、
とか書かれているので、
この舞台は、テレビで放送することを、
かなり想定したものだったのだろう。

DVDパッケージには、
イタリア語、英語、ドイツ語、フランス語、
スペイン語のサブタイトルしか、
ないような書かれ方がされている。
が、何故か、メニューを開けてみると、
ちゃんと「日本語」があって、
選択すれば日本語字幕が出る。

それにしても、この「オルランド」、
主人公こそ、ヴィヴァルディの
「オルランド・フリオーソ」同様、
騎士オルランドであるが、
他の登場人物がかなり圧縮されている。

アンジェリカとメドーロのカップルは、
かろうじて登場するが、後の二人が、
ゾロアストロとドリンダって何?
という感じである。
5人しか登場しないという。
これは、解説にも書いてあるが、
理解するのが容易になって助かる。

しかし、魔女アルチーナはどうした。
オルランドの失恋狂気で、この不死の怪物を、
なぎ倒すのが、オルランドの醍醐味かと思っていた。

これだけ見ると、このオペラは、
単に、オルランドが、すでに恋人同士である、
アンジェリカとメドーロのお邪魔虫である、
というだけの話になっているように見える。

ただし、さすがオルランド、
理不尽とも言える狂気の物語であることは、
このDVDの表紙に見られるとおりである。

ということで、気になるプロットを、
先に読んでしまおう。
以下、括弧でくくったところは、
書かれている内容。

第1幕:
いきなり、白衣のおっさんが、
黒板に図や字を書きながら、
人の心の不可解さを歌う。

「ゾロアストロは、偉大な兵士、
オルランドが恋わずらいになり、
かつての輝かしい英雄的な行いを取り戻すことに、
上の空になっていることを心配している。」

いきなり、何だこりゃ、という感じ。
そもそも、オルランドは、
シャルルマーニュの騎士だったのでは?
何故、拝火教の親分が出て来るのだ。

このようにあるので、
先のおっさんが、問題のゾロアストロであることが分かる。
バスのコンスタンティン・ヴォルフである。

何と、明かりが点くと、看護婦たちが多数いて、
将校姿の男(男装した女性)を迎え入れる。

「オルランドが入って来ると、
名声への愛と、アンジェリカへの愛に、
引き裂かれた男であるとわかる。」

軍服を着た将校が、オルランドであろう。
アルトのマリヤーナ・ミヤノヴィッチである。
迷う心を歌い上げている。

表紙写真を信じてはいけない。
もっと、カッコ良いイケメン将校になっている。

その間、医者はX線写真などを見ながら、
看護婦とやりとりしている。
おそらく、オルランドは病気なのである。

「ゾロアストロは、アンジェリカを
忘れるように説得するが、
オルランドは納得せず、
業績の栄光と私的な愛の調和の道を模索する。」

白衣のおっさんは、診察をしながら、
大きな功績に心をかき立てろ、と忠告している。
恋い焦がれて死ぬとオルランド。

このレチタティーボのやりとりの中、
リコーダーなどの優しい音色が響き、
愛は消えるが名声は永遠だと、
ゾロアストロの力強いアドバイスのアリアが舞い上がる。

介護人みたいなのが、オルランドを椅子に押しつけ、
かなり乱暴な扱いをする医者である。
謎の注射まで打たれてしまう。

オルランドは呆然となって、
みんなは出て行った後も、
なおも、めそめそとしているが、
所々で、勇気を出せ、と自らを戒めている。
水上の音楽のようなホルンが勇壮で、
ヘラクレスの例えの歌が始まる。
彼は勇敢で、愛もしたと歌い上げる。
ミヤノヴィッチは、背も高く、
すらりと均衡が取れて、
青年将校の役柄にぴったりである。
音楽は、同じモチーフを繰り返して、
平明かつ豊かである。

「ドリンダは沈んでいて、
彼女の心はメドーロとの出会いによって、
かき乱されている。
彼女はこれは真の愛かと自問する。」

ヤギやシカが休んでいて、鳥の声、そよ風と、
黒人の看護婦さんが、明るい声を上げるが、
後半、急に影が差し、全てが曇ってしまったと嘆く。

そもそも羊飼いか何かの役柄だが、
ここでは、洗濯物を干しているようである。

クリスティーナ・クラーク(ソプラノ)である。
彼女は気づいていないが、背後では、
彼女にちょっかいを出そうと、
パナマ帽の男がうろついている。

すると、オルランドが実際にちょっかいを出し、
妙な挨拶をして去ると、ドリンダは、
あれが名高いオルランド?などと言う。
それから、アリア。
切迫感があって、やや暗い色調のもの。
洗濯物を片付けながら悶々としている。

「アンジェリカの登場。
オルランドと前に約束していたのに、
彼女は怪我を介抱して治したメドーロを、
今は愛している。」

暗がりのベッドで、このような状況説明を行い、
ややこしい恋の煩いを、
ソプラノのマルティナ・ヤンコーヴァが、
黒電話をかけながら、なまめかしく歌っている。
伴奏のヴァイオリン独奏が美しい。
すると、メドーロ登場。例のパナマ帽である。
カタリーナ・ピーツは、メゾ・ソプラノで、
このカップルは、実際は女性同士が演じている。

いきなり、無邪気にいちゃつき合って、
舞台上で絡まり合って歌っている。

「メドーロはアンジェリカの愛を取り戻したのに、
彼は、ドリンダを愛していると言うことを、
止められずにいる。」

とあるように、アンジェリカが出て行くと、
ドリンダが来て、なかなか会えないと、
メドーロに愚痴を言う。
信頼したいけど、心が嘘という、
などと叫ぶ。

「ドリンダはメドーロを信じたいが、
彼女は直感的に彼の嘘をかんじる。」

メドーロは色男なので、ワインを注ぎながら、
それは嘘だ、と言い返せ、などとうまいことを言いながら、
看護婦の帽子もエプロンも取ってしまう。
そして、取り出した口紅を、ドリンダの唇に塗りつけ、
ダンスを踊りながら、荘重な歌を歌い、
彼女をベッドに押し倒してしまう。

ここでも、なまめかしいヴァイオリン独奏が美しい。

何故か、メドーロはそのまま行ってしまい、
ドリンダは、嘘でも心が躍ると言って、
嘘と分かっても信じたいという、
明るいアリアを歌い出す。

これで5人の登場人物が、みな、登場したが、
この状況、非常にややこしい。
が、図示すると単純である。

ゾロアストロ
  ↓(忠告)
オルランド →アンジェリカ←→メドーロ ←ドリンダ
     

場面が変わって、ゾロアストロが、
アンジェリカに忠告するシーンとなる。

「ゾロアストロはアンジェリカに、
オルランドの復讐を警告する。
彼女は彼に対して不実であった。」

彼女は、英雄には感謝する、と言っている。
そこに、アンジェリカの消息は、
などと言いながらオルランド登場。
いきなり酒をあおり出す。

「アンジェリカがオルランドと出会うと、
彼女は、用心深く自分を、
オルランドが愛と栄光の渦巻きの中、
救ったと思われる王女と比較する。」

どうやら、英雄はイザベラという王女を助けたらしく、
アンジェリカは、飛び込んで来るや、
そのことを取り上げて、
ドリンダには、恋人に見えたそうよ、
などと非難。何だか、企んでいる様子。
あなたが助けた王女をすぐに追いやって、
などと無理な注文をつける作戦に出たようだ。

信頼を得たいなら、忠誠心を見せて、
という憎たらしいアリア。
典雅で、しみじみとした情緒、
テオルボやガンバの響きの簡素さも美しいもの。

抱きついたり、指を絡めたりで歌っているが、
こんな作戦で、オルランドから逃げられるのだろうか。
無理を言えば、嫌われると考えたのかもしれない。

この間、メドーロが入って来ようとするが、
ゾロアストロに止められている。
アンジェリカは最後にキスをして去る。

オルランドは言うとおりにしよう、という。
そして、何とでも戦う、というアリアを歌う。
勇ましいもので、装飾音が強烈に散りばめてある。

「オルランドは、アンジェリカに、
戦争に行くと言って、
自分の愛を証明しようとする。」

とあるから、アンジェリカは、
オルランドをたきつけて、
どっかにやろうとしたようだ。

このアリア、強烈な拍手が起こる。
オルランドが去ると、
先ほどのやりとりを見ていたメドーロを、
アンジェリカに言い訳しなければならない。

そこで、ベッドが現れ、彼等はそこに飛び乗る。
大胆な演出である。

「その間、メドーロとアンジェリカは、
アンジェリカの母国に逃避して、
邪魔されないで、
愛に生きることの実現を希望する。」

が、その瞬間、ドリンダが入って来て目撃。

「ドリンダはカップルに知らずに出くわすが、
彼等は、いつか、彼女も真の愛を見つけるだろうと言う。」

つまり、彼等は開き直り、泣き崩れるドリンダに対し、
美しい羊飼い元気を出して、などと、
美しく調和する女声二重唱で慰める。
だめよ、などと、ドリンダも唱和するので三重唱となる。

「絶望するドリンダに別れを告げる時、
アンジェリカは、彼女に宝石をプレゼントする。」
と解説にある。

その間、メドーロは、慰めるふりをして、
ドリンダを愛撫し続け、最後はカップルだけが、
ベッドにしけ込むというトンデモ演出。

このメドーロ役のカタリーナ・ピーツ、
女性でありながら、ちょびひげをはやし、
見事に色男をいやらしく演じている。

ネットで調べると、いけいけ感のある、
なかなかいけてる女性である。

このあたり、一幕を終わらせるのにふさわしい、
たいへん、充実した味わい深い音楽を味わうことが出来る。

第2幕:
「ドリンダは、メランコリックなムードの中、
ナイチンゲールの歌を聴いている。」

先ほども、ドリンダは嘆いていたので、
前のシーンが続いているような感じであるが、
ここでは、暗い闇の中で、一人内省的に歌われる。
ナイチンゲールの声を、ちょんちょんちょんと、
ヴァイオリンの高音が暗示する、澄んだ感じの音楽。
彼女もまた、このナイチンゲールの声を聴いて、
悲しみを共有している。

クリスティーナ・クラークという、黒人の歌手。
声も美しく安定していて、主役並みの大活躍である。
ネットで見ると、ウェブサイト準備中と出た。

そんな彼女に、テーブルに座っていたオルランドが問いかける。
何故、イザベッラのことを言いふらすのか、
などと聴いている。
「オルランドは、彼女に、
アンジェリカに不実である、と言われた、
と訴える。」と解説にあるシーン。

ドリンダは、そんな事は言っていない、と言い、
私も、愛するメドーロがブレスレットをくれて、
去って行った、などと言う。

「ドリンダは、理解できないものが、
あるに違いないと言う。」


「しかし、オルランドは、
ドリンダがアンジェリカから貰った宝石を見つけると、
それは、かつて、自分が、
アンジェリカに上げたものであるようだと気づく。
その瞬間、彼は、自分が愛した女に裏切られたと気づく。」

オルランドが、テーブルに座って、
頭を抱えると、ドリンダは、またまた、
美しく憂いに満ちたアリアを歌う。
全く持って、ドリンダが主役である。

「ドリンダが、失恋の歌を歌い、彼女には、
回りにあるものが、すべてメドーロの顔に見える。」
とあるが、木のそよぎなどが、
メドロはここだ、と言ってるように聞こえる、
という、切ない切ない歌である。

このとき、オルランドは、真剣な表情で虚空を睨み、
時折、酒をあおっていて、かなり危険。
「オルランドは深い絶望に沈み、復讐を誓う。」

きりりとして精悍な、ミヤノヴィッチは、
この神経質な役柄にぴったりだ。

切迫感のある音楽がわき起こり、
一人になったオルランドは斧を取り出して、
道中を狙う、と物騒な歌を歌い上げる。
制止にに来た警官も追い払い、
剣のひと突きが私を癒すなど、と言い、
顔に墨を塗りたくったりする。大拍手。

ゾロアストロは、そんな様子を見ていて、
アンジェリカとメドーロを追いだそうとする。
「ゾロアストロは、アンジェリカとメドーロに、
すぐに出立するよう説得し、
道理と感情の自己修練の美徳を讃える。」
後半はアリアで、黒板の前、怪しげな講義をしながら、
数式がどんどん、「ORLANDO」とか
「AMOR」とかになっていく。

「恋人たちは、彼等の差し迫った出立を悲しみ、
メドーロは、二人の名前の入った刻印を刻み、
それを見た人が、彼等の愛を思い出せるようにした。」
と解説にあるが、見慣れた森と別れるのは辛い、
などとアンジェリカは歌っている。

舞台は病院の中みたいな設定だが、
ドリンダは羊飼いだし、
実際は、もっと牧歌的な情景なのであろう。
馬を用意して、などとアンジェリカは言うし、
草原よさようなら、井戸よさようならとメドーロも歌う。

上記、解説にある刻印は、月桂樹にするようだ。

メドーロが歌いながら、そう言っている。
彼は黒板の「ORLANDO」を消し、
「AMOR」のA(アンジェリカ)と、
M(メドーロ)だけにする。
この間、メドーロは、ずっと、しみじみとした、
住み慣れた土地への別れを歌っている。

「アンジェリカは、オルランドに対する忘恩を気にするが、
愛のより高い力のせいにする。」
恩知らずとは言わせない、というアリアを歌う。
病院関係者は、服を着せたり、鞄を持ってきたりして、
アンジェリカを去らせようとする。
ヤンコーヴァという歌手がアンジェリカ役であるが、
チェコの歌手だとある。いくぶん、線が細い感じか。

「オルランドはメドーロの刻印を見つけると、
苦悩から精神病の兆候を見せる。」
オルランドは、誰もいない黒板の前に来て、
これを刻んだ手はどこだ、とお怒りである。
「その間、悲しげに別れを告げているアンジェリカを、
彼は追うことを誓う。」
緑の森やせせらぎ、秘密の洞窟、さようなら、
と旅装束のアンジェリカが歌う。
この出で立ちは、20世紀初頭風という感じだろうか。
タイタニックな感じで、自然のかけらもない舞台であるが。

切々たる感情を歌う、
ヤンコーヴァの声を支えてリコーダの音が、
儚い響きを浮かび上がらせる。

18世紀の英国で演奏されたというこのオペラ、
そうした自然回帰への憧憬があったのだろうか。
はらはらと花吹雪が舞う中、
病院のみんなが別れを告げに来る。

歌が終わると、何と、白衣の中の一人は、
顔に墨を入れたオルランドになっている。
恐ろしい演出である。斧を持っている。
これは怖い。

「オルランドはアンジェリカを見つけ、
狂乱の最中、アンジェリカを掴まえる、
神秘の領域にいると信じている。」

斧を振り回して、邪悪な悪魔め、
惨めな私、私は幽霊だ、影だ、と
黄泉への船だとアンジェリカのトランクに乗る。
これが、表紙写真に使われたシーンだ。

これで、表紙シーンのオルランドが、
何故、白衣を着て、顔がへんてこかが分かった。
ここでは、顔に墨が塗ってあるので、
狂気が強調されているのである。

「狂気の中、彼は、その涙が彼の心を癒す、
プロセルピナの姿を見る。」
ゾロアストロを見て、メドーロだ、
プロセルピナだと大騒ぎして、脱力し、
これまた、悲嘆にかきむしられたようなアリアとなる。
その間、アンジェリカは逃げてしまう。

すると、私の心はダイヤのように硬く、
怒りは柔らがない、という、
技巧的なアリア後半となる。

「しかし、再度、凶暴な狂気に陥ると、
ゾロアストロと副官たちの仲裁によってしか、
最悪の事態は避けられなくなる。」

ゾロアストロと部下に向かって斧を振り回すが、
力尽きて幕となる。

以上が、このDVDの1枚目である。

ここまで見てきたように、
ヴィヴァルディの「オルランド・フリオーソ」より、
ずっと整理さえた筋書きとなっている。

すべてを超越した仲裁者、ゾロアストロなどが居る点からも、
合理主義的な気配濃厚。
21世紀の先の見えない時代には、ヴィヴァルディの方が面白い。

DVDの2枚目は、次回、聴くとして、
今回の内容だけでも、ヴィヴァルディのものとは、
かなり内容の異なる「オルランド」であることが分かった。

基本の性格は、愛ゆえに狂気に陥る英雄ということで変わりない。
また、メドーロを愛しているアンジェリカを愛し、
アンジェリカは、その思いから逃げるために、
様々な手段を講じるという点が共通である。

ヴィヴァルディのアンジェリカは、
オルランドに、不老の薬を取りに行かせ、
ヘンデルのアンジェリカも、
難題を上げて、戦地に送り出している感じであろうか。

違うところの方が多い。
ここでは、オルランドの仲間の騎士は誰もおらず、
前述のように魔法の島の魔女もない。
この作品は、「魔法オペラ」と呼ぶには、
あまりに合理的な感じがするが、いかがであろうか。

音楽も、そうした行き方に従って、
おおむね堅実で美しく、
ヴィヴァルディのようなカプリシャスな感じは少ない。

台本では、ゾロアストロという、謎の男が現れ、
力があるのかないのか、ほとんど主役級の活躍を見せる。

得られた事:「ヘンデルの『オルランド』は、ヴィヴァルディのものとは異なり、魔女の出て来ない現実路線。」
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by franz310 | 2012-04-15 16:52 | 古典 | Comments(0)