excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
お気に入りブログ
最新のコメント
新さん大橋先生の活躍した..
by ナカガワ at 11:05
実はブログが出来てからお..
by skuna@docomo.ne.jp at 23:55
はじめまして。 レクイ..
by KawazuKiyoshi at 13:28
切り口の面白い記事でした..
by フンメルノート at 11:49
気づきませんでした。どこ..
by franz310 at 11:27
まったく気づきませんでした。
by franz310 at 15:43
すみません、紛らわしい文..
by franz310 at 08:07
ワルターはベルリン生まれ..
by walter fan at 17:36
kawazukiyosh..
by franz310 at 19:48
すごい博識な記事に驚いて..
by kawazukiyoshi at 15:44
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


タグ:LP ( 11 ) タグの人気記事

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その204

b0083728_2218758.jpg個人的経験:
リタ・シュトライヒの歌う、
アリャビエフ作曲の
「夜鶯」を聴きながら、
彼女がシベリア出身であったこと、
アリャビエフが、同様に、
シベリアの人であった事に、
ついつい、思いを馳せてしまった。
このロシアの作曲家は、
1787年生まれというから、
シューベルトの同時代人である。


橋口久子という人の訳によると、
この歌曲はこのような内容のものらしい。

「うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ、
おまえはどこへ飛んでいく?
夜通しどこで鳴くのかい?
うぐいすよ、わたしのうぐいす
美声の鳥よ

飛んでいけ、私のうぐいす、
どんなに遠くまでも、
青海原の上、
異国の岸辺までも。
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ

おまえが訪れるどんな国でも、
どんな村や町でも、
どこにも見つかりはしまい
私ほど不幸せな者は!
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ」

改めて見て見ると、かなり大人の歌である。
また、エキゾチックな小唄と思っていたが、
意識すると、かなり、ロッシーニ風でもある。

そういった意味で、シューベルトの時代を、
忍ばせる何かがあることは確か。
それを民謡調が、ほぼ、覆い隠しているが。

同様に自然界になぞらえた、
シューベルトの「ます」同様、
自然の中における自由さが、
詩の基調となっているが、
結局は男女の関係がほのめかされている点も、
こじつければ共通点とも言える。

このアリャビエフ、一説によると、
この時代にあって日本人に会った、
数少ない西洋人の一人である可能性がある。

井上靖の小説、「おろしあ国酔夢譚」に、彼の名前は出ている。
この小説家は、平成の初めに亡くなったので、
もう没後長い歳月を経ているが、
近年では、「風林火山」が、
大河ドラマに取り上げられたりもしているので、
なおも、読み継がれている人気作家と言っていいのだろう。

しかし、多くの歴史小説で知られ、
終戦後の風俗などを留めた恋愛小説などが、
絶版になっているのは残念なことだ。

時折、古書店で見つけて購入して読んでみると、
昭和の良き時代を彩った、活力と品位がある、
魅力的な人間像が眩しく、
懐かしい感情がこみ上げて来る。

良い時代が失われてしまった事が、
改めて思い出されると共に、
なおも生き続けるものに対しても、
ふと、思い至るものがあったりする。

さて、この「おろしあ国酔夢譚」であるが、
映画化もされたので、かなり人口に膾炙した作品のはずである。

1782年、つまり、シューベルトもアリャビエフも生まれる前、
伊勢を出航した帆船神昌丸が駿河沖で難破、八ヶ月の漂流のうちに、
アリューシャン列島に漂着、船長の光太夫一行は、
極東経営を検討中のロシア人によって捉えられてしまう。

光太夫は、この捕虜生活のうちに、
ロシア語の習得に励み、最後には、
シベリアを横断して、ロシアの首都にまで足を伸ばし、
エカチェリーナ二世に帰国嘆願を申し出た。

アリューシャン列島からカムチャッカ半島へ、
半島をこれまた横断、さらにオホーツク海を渡る、
というだけでも、恐ろしい道のりである。

オホーツクからは大陸を横断、
バイカル湖沿岸のイルクーツク、オビ川流域のトボリスクを経て、
モスクワ経由でペテルブルクに到る。

こうした漂流民は、断続的にあったようで、
何と、1760年代にはモスクワ街道という、
大陸横断道路が出来ると共に、
イルクーツクの街は商業で賑わい、
そうした漂流民たちに、
日本語学校まで作らせていたという。

光太夫たちは、この街に1790年に到着。
恐ろしい道すがら、仲間は次々に死んでいる。

そのような状態で、ようやく、到着した、
人が住める街がイルクーツクであった。
彼らは、そこで、今では閉校になっている
日本語学校の再開を命じられる。

国を出て8年が経っている。
実際、一行のうちには、現地での生活に快適を覚え、
その求めに応じるものも出ていた。

しかし、光太夫は、まだ帰国の方策を考え続けている。
ここで、博物学者のラックスマンと出会ったのが、
彼らに光明を与えた。
ラックスマンは日本に興味を持っており、
光太夫と一緒に日本探検がしたかったからである。

「帰国願いが都には届かないで、
途中で握りつぶされている」というのが、
ラックスマンの推測であり、
「この上はお前自ら上京して、
直接皇帝陛下に嘆願する方法しかあるまい。
陛下にお目にかかるのは容易なことではないが、
わしが万事取り計らってやる。」
これが彼の提案であった。

1791年、彼らはペテルブルクに向かって出立した。
そして、モスクワとの中間地点、
西シベリアの行政、軍事、宗教的中心とされる、
トボリスクに到着した。

ここでの描写は、まるで、今回取り上げる、
このCDの表紙のような感じである。
「この町では、朝夕牧夫が家畜の群れを追い立てて通る光景が見られた。
牧夫や家畜たちの吐く息の白いのが光太夫には珍しい見物であった。」
この「ロシアの農民」という絵画は、
Venetsianovという画家のものであるらしい。
可愛らしい少女が、両手にそれぞれ馬を引いている。
帽子はかぶっているのに、足は裸足なのが奇妙であるが、
帽子と着衣の新鮮な紅色が美しい。
これと同じ色でCDのタイトルが入っている。

さて、ここからが本題だが、この小説の第五章には、
このような出来事が印されている。

「知事はア・ウェ・アリャビエフという人物であった。
学問や芸術が好きで、この町に初めて劇場を建て、
印刷所を作ったことを何よりの自慢としていた。
毎夜知事の邸宅には、この町の数少ない知識人が招かれて、
一つのサロンを作っていた。
光太夫はラックスマンに連れられて、
この知事の家の夜の集まりに顔を出した。」

何と、18世紀ロシアのサロンに出入りする日本人!

「そこで二人の人物に注意を惹かれた。
一人は優れた作曲家として知られている知事の息子であり、
一人はこの国の有名な思想家で、
シベリアへの追放途上にあるラジシチェフという中年の貴族であった。
どちらもこれまで見たことのない型の人物であった。
作曲家の方は口を開くと人の悪口だけが飛び出した。」

このように、トボリスク知事の息子として、
わがアリャビエフが登場した、
と、小説を読んだ時には思っていたのだが、
この年が、1791年だとしたら、
実は、作曲家はまだ4歳の小僧である。

井上靖は、むしろ、ラジシチェフを書きたくて、
ついでにアリャビエフを登場させたのだろう。
「ラジシチェフは1749年にモスクワの貴族の家に生まれ、
七歳までサラトフ県にある父の領地で過ごし、
後にモスクワで学び、十五歳の時にペテルスブルクに移って、
一時その地の幼年学校に席を置いた」などと、
特に必要ない説明をしたあと、
この人が農奴制の反対者で、四つ裂きの刑を宣告され、
その後、減刑されて、シベリアのイリムスクに流される途上にあった、
という事を続けている。

この人は種痘の実践者でもあり、
ロシア革命思想の先駆者でありながら、
最後は1802年に自殺したという略伝が、
ざっくり記されている。

一方、作曲家のアリャビエフはこれ以降、登場しない。
研究熱心な井上靖のことであるから、
アリャビエフについては研究し、
おそらく、有名なガリ・クルチのレコードも聴いたことであろう。

b0083728_22183499.jpgこのガリ・クルチについては、
あらえびすが、「名曲決定盤」の中で、
このように紹介している。
「二十世紀の初頭、
コロラチュラ・ソプラノの人気は、
テトラツィーニが一人占めであったが、
ガリ-クルチがローマから
アメリカに乗り出すようになってから、
完全にその人気を奪われてしまった。」
と書いているから、
今から100年前の大家であった。


「この人の声は純粋で清澄な上、
不思議な輝きと潤いがあり、
情味と魅力においては、
旧時代のあらゆるソプラノを
圧倒したばかりでなく、
年齢のハンディキャップさえなければ、
ダル・モンテといえども歯がたたなかったはずである。」
などと激賞された人であった。

「楽器のように均勢のとれた非常に表情的な声は、
ガリ-クルチの強みで、その上、声量も相当あり、
若い頃はなかなか美しくもあったらしい。」

ただし、アリャビエフに対する言及はない。
一方、このようなガリ-クルチに、
前回のシュトライヒは比べられたことを思い出そう。

あらえびすによると、
「やはり『ソルヴェイクの唄』と『聴け雲雀の歌声を』を
採らなければなるまい。これは電気の初期のレコードだが、
あらゆるレコードのうちで一番売れるそうだ。
十年間に恐らく何万枚と売っていることだろう」とあり、
ガリ-クルチの人気については想像できるが、
これと同様の現象がシュトライヒにおいても起こったのだろう。

前回の解説にはそうあった。

私は、このガリ-クルチのLP(SPの復刻)を聞きなおし、
ポンセの「エストレリータ」などからも、
強烈なイメージを受けた。
かなり、古い人のイメージだが、
ポンセとなると、ちょっとナウである。

今回、この人の歌で、「夜鶯」を聞き直してみると、
いくぶん速いテンポで、
小技を要所に効かせるだけで、特に思い入れもなく、
さらっと歌っているような感じであった。

このような大家の歌ったレコードであるから、
井上靖の周辺にも、アリャビエフを聴かせた人もいただろう。

とはいえ、井上靖の小説を読む限り、
この美術評論家でもあった人は、
あまり音楽について、
興味を持っていなかったような気がしている。

絵の展覧会や画家は頻繁に登場人物となるが、
音楽会が出て来たり、音楽家が登場したりすることはなく、
音楽好きの青年が、「レコード音楽」を部屋で聴く程度である。

それが、ガリ-クルチだったりすれば面白かろうが、
音楽で失意の女性を慰める小説の展開からすると、
もっと新しい音楽のイメージであった。

さて、光太夫は、この後、エカチェリンブルク、
カザン、ニジノゴロドで半日休息したが、
後は昼夜兼行でモスクワに向かったとされている。

前回聴いた、シュトライヒが生まれた、
バルナウルの近くの都市、ノヴォシビルスクは、
バイカル湖近くで、ラックスマンと会ったイルクーツクと、
アリャビエフの父が知事をしていたトボリスクの間に位置するが、
井上靖は、この間の町々についてはすっ飛ばしている。

「大森林にはいると、
永遠にそこから出られないのではないかと思うほど
何日も何日も大森林の中の旅が続き、
樹木の一木もない大雪原へ出ると、
またそこの旅が何日も続いた。」

そんな描写だけであるが、日本の南北縦断くらいの距離がある。
それにしても、リタ・シュトライヒの一家も、
ものすごい所からベルリンに来たものである。

さて、井上靖が、「おろしや国酔夢譚」の中で、
これ以上は書かなかった、アリャビエフについて、
今回のCDでは知ることが出来る。

アリャビエフの「ピアノ三重奏曲 イ短調」を、
高名なボロディン・トリオが演奏してくれている(世界初録音)。
シャンドスから出ている。
その解説を見ればよい。

一聴して、第3楽章(終楽章)が、
ものすごく異国情緒を感じさせ、
彼の代表作、「夜鶯」的と言えるだろう。
アレグレットとだけあるが、
跳躍するようなフレーズが出て、
いかにも民謡の変形調である。
しかし、この楽章が一番長く

第1楽章は、7分10秒、
「乙女の祈り」に似た物憂い序奏があって、
意味深な感じがするが、
だんだん、三つの楽器が大きな表情を見せるにつれ、
いきなり、ピアノが駆け巡るパッセージが現れる。
これはもうほとんどフンメルではないか、
といった展開となる。

ピアノの高音から低音までを駆け巡り、
ハイドンやモーツァルトとは、明らかに違う精神がある。
弦楽器が大きなため息のような楽節を出したりすると、
ピアノは伴奏に徹し、何だか不思議な緩急自在な幻想曲となる。

初録音ということからか、
さすがのボロディン・トリオも、
何だか、どう向き合ってよいか分からない、
といった風情がなくもない。

第2楽章は、4分49秒で短い。
歌謡的な楽章で、アダージョである。
ピアノのさざ波に乗って、
ヴァイオリンが叙情的な歌を奏でる。
チェロも歌を歌って、古典派の伴奏風ではない。
しかし、フンメル風のような気はする。
何だか蜃気楼のような、夢想的なもので、
推進力がないので、ただ耳を澄ますような表現しかできない。

第3楽章は、その点、明快なアクセントがあって、
民族舞踊風なので、もっとじゃかじゃかやっても良いかもしれない。

さて、Marie-Claude Beauchampの書いた解説には、
この曲の解説は充実しておらず、
もっぱら、アリャビエフを取り巻く状況について述べている。
「19世紀初頭、
ロシア知識人層は、三つの重要な出来事に揺り動かされた。
まず、フランス革命であり、その民主的な関心は、
1825年のデカブリストの乱にまで達した。
第2にナポレオン戦争で、国民意識を高め、
最後に、西欧からのロマン主義運動の到来があった。
この熱狂がアリャビエフの生涯にわたって木霊している。
1787年、トボリスクに生まれ、ナポレオン戦争の前線に従軍、
ペテルスプルクに住み、デカブリストと交際した。
1828年、証拠なき殺人罪で、シベリア流刑となる。」

このように、アリャビエフは、
ロシアのロマン主義の走りのような生涯であったようだが、
シューベルトが生まれる10年前に生まれ、
シューベルトが亡くなった年に、追放刑に処されていて、
その生涯は、さながら小説のようなものだったであろう。

アリャビエフは、シベリアを下りながら、
幼い日に見た、極東の異人のことを思った、
などというオチはいかがだろうか。

先に、井上靖の小説で、ラジシチェフという思想家が出て来たが、
まさしく、それと同様の人生を、この作曲家は送っている。
しかし、アリャビエフの音楽家としての活躍は、
実際は、ここからだったということだろうか。

「彼は彼の地に1832年まで住んだが、
療養のためにコーカサスへの転地は認められ、
南方にいる間に、アリャビエフは民族音楽に目覚め、
民謡を採取し、これらは彼の作品を彩ることとなる。
アリャビエフは様々なジャンルの作品に手を染め、
管弦楽曲、合唱曲、舞台音楽、室内楽に加え、
彼は200曲の歌曲を書いた。
デカブリストのAnton Delvigの書いた詩による、
歌曲『ナイチンゲール』は、何とかレパートリーに残っている。
1950年にモスクワで出版された、
アリャビエフの『トリオ イ短調』は、
初期ロマン派期におけるロシア最高の室内楽の一つとさせる。」

これだけの解説では、作曲の時期もわからず、
その後の作曲家の生涯も伝えず、
非常に物足りないが、
「夜鶯」以外のアリャビエフが聴けるのは大変貴重である。

また、冒頭に掲げた詩が、
デカブリストの作というのは本当だろうか。
ものの本には、ロシア民謡ともある。

初期ロマン派といっても、
シューベルトのような内省的なものではなく、
ロマン主義と聴いて思い描く、精神の奥底を追求する風でもない。
やはり、ピアノの名技的な点が前に出た、
フンメル風としか言いようが思いつかない。

「おろしあ国酔夢譚」の光太夫は、
アリャビエフに会ったかもしれないが、
この曲を聴くには、まだ40年を待つ必要があっただろう。

なお、光太夫は78歳まで生きていたというから、
ちょうど、彼が亡くなる頃に、
この作品は産声を上げたのかもしれない。

光太夫は、10年の年月を異国に彷徨い、
何とか女帝の許しを得て帰国するが、
鎖国下の日本の処置は厳しかった。

ラジシチェフやアリャビエフも犯罪者として追放されたが、
光太夫もまた、そのような扱いを受けたまま、
余生を監視下に置かれたのである。

さて、このCDの前半には、名作、
チャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」が収められていて、
むしろ、アリャビエフは付録である。

解説も、こちらは3倍くらいある。
「『あなたは私に、かつて、ピアノ三重奏曲を書くように、
と言ったことを覚えていますか。そして、私が、
この編成が好きではない、と言ったことを。』
1881年12月、ローマから、
ナダージェダ・フォン・メックに宛てた手紙の一節である。
同じ手紙で、チャイコフスキーは、この裕福なパトロネスに、
ある意味、彼女を喜ばせるために、
またある意味、これらの編成の困難さを克服するために、
この編成を試みようとしている旨を書いている。
しかし、これはすべてが真実ではない。
10ヶ月も前に、ニースにいたチャイコフスキーは、
出版者のユルゲンソンから、
高名なピアニストでモスクワ音楽院の創設者であった、
ニコライ・ルビンシュタインが、パリで亡くなったという、
悲しい知らせを受け取っていた。
1854年に母親を亡くす以前から、
チャイコフスキーは死の理不尽さを知っており、
今度、それは、彼から、
気むずかしいが、忠実であった友を奪ったのである。
この痛々しい喪失に対して、ルービンシュタインの芸術への、
讃辞を込めて、このピアノ三重奏曲は書かれたのである。
『ある偉大な芸術家の思い出に』、献呈されたこのトリオは、
1882年の最初の二ヶ月に熱狂的な状態で作曲された。
それは二つの楽章からなり、
最初の楽章は、『Pezzo elegiaco』と題され、
巨大な不規則なソナタ形式で書かれていて、
次の楽章は、さらに二つの部分に分かれている。
パートAは、主題と11の変奏からなり、
パートBは、12番目の変奏曲と、
終曲、コーダを兼ねている。
チャイコフスキーをニコライ・カシューキンは回想して、
第2楽章のテーマは、1873年に、
彼がルービンシュタインと一緒に、
モスクワ近郊で過ごした際、
土地の農民が歌い踊った時の記憶によるものだという。」

ということで、この曲も、
このCDの表紙絵画に近いものがあるかもしれない。

「このトリオは、モスクワ音楽院の私的な会合で、
ルービンシュタインの一回忌、
1882年3月23日に初演された。
この時、チャイコフスキーは海外にいたが、
第2回めの演奏には立ち会って、大規模な改訂を行った。
公式な初演は、1882年10月30日、
モスクワで行われ、聴衆には好評だったが、
批評は冷たかった。
作曲家に乞われるがままに、
タニェーエフのピアノ、Jan Hrimaryのヴァイオリン、
ウィリアム・フィッツハーゲンのチェロで、
この曲は何度も演奏された。
チャイコフスキーの悲劇的な三重奏曲は、
彼の生前から人気を博し、
1893年11月には、モスクワとペテルブルクで、
作曲家の記念コンサートが催された際にも取り上げられ、
作曲家は賞賛を受けている。
チャイコフスキーの最高の成果ではないものの、
彼の作品の重要な部分を占め、
最もポピュラーなチャイコフスキーの室内楽となっている。
1942年に、Leoniede Massineが、
プーシキンの詩による『アレコ』という、
彼の交響的バレエにこの曲をオーケストレーションして使ったが、
彼によると、チャイコフスキーのこの曲は、
この詩におけるジプシーの雰囲気に完全にマッチしているという。」

というような事が書かれている。
ただし、この曲は今回のメインテーマではないので、
深追いはしない。

得られた事:「『ナイチンゲール』の作曲家アリャビエフによって、我々日本人はユーラシア大陸を横断し、シューベルトの時代を夢想できる。」
[PR]
by franz310 | 2009-12-12 22:29 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その141

b0083728_21505132.jpg個人的経験:
ケッケルト四重奏団の、
モノラル録音の方の
「ます」は、
25cm版のLPでも、
発売されていて、
そちらには、
水彩画風というか、
陶器への焼き付け風というか、
素朴な魚の絵画が、
あしらわれている。

これは、ジャケットの大きさが、
一辺5cm小さくなって、
面積では、3割ほど
迫力がなくなったのを、
補ってあまりある。

やはり、これだけ視覚的効果でくすぐられると、
いろいろな空想の翼が広がる。

上半分の緑の部分の色合いも素朴で深く、
魚の上部が赤いのも面白い。
下側は、群青でさっと勢いがある。
ただし、シューベルトの音楽の若々しさは、
ちょっと捉えられていないかもしれない。

が、人間のどろどろとした世界から、
少し、超越した作品であることは伝わって来る。
誰が書いたかはよく分からない。

裏面のPrinted in Germanyの記載の後ろに10/60とあるから、
ひょっとしたら60年の発売であろうか。
ステレオ再録音の5年前に当たる。

ここでもすでに取り上げたが、
このレコードのレーベル、
ドイツ・グラモフォンは1959年に、
デムスのピアノに、アントン・カンパーら、
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団らを起用して、
ステレオで、この「ます」を録音している。

最新のステレオ録音がありながら、
1960年に、改めて、
このケッケルトのモノラル盤を、
再発売した理由は、何だったのだろうか。

廉価盤に落としての再発売か。

確かに25cmになって、かなり紙面もコンパクトになり、
解説は、ついに、裏面だけに4カ国語、
ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語がひしめく有様である。

当然、曲について、下記のような簡単な記載があるばかりで、
演奏家の紹介などはなくなっている。

「ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとコントラバスのための、
『ます』のニックネームを持つ、イ長調の五重奏曲は、
作品166のヘ長調の八重奏曲に次いで、
もっとも明るく、分かりやすい室内楽作品である。」

前回、同じ曲、同じ演奏での「ます」の解説の方が良かった。
何故、唐突に、ここで八重奏曲の名を出すのか理解できない。
そもそも、八重奏曲は、交響曲への準備と、
作曲家が語っているように、同列に語ってよいものやら。

八重奏曲のレコードも売ってやろうという下心か、
「ます」が好きでないかのどちらかではないか。

「この作品は、作曲家が友人の歌手フォーグルと、
上部オーストリアを抜けていった夏の旅行の年、
1819年に作曲された。
彼が嫌だった教師の道を捨て、予測不能な音楽キャリアに進む、
ほんの2年前のことであった。」

なるほど、これは面白い書き方だ。
シュタイアーの街では、ひょっとすると、
「作曲家のシューベルトさんだ」と紹介されず、
「教師のシューベルトさんだ。作曲の腕も一流なんだ」
などと紹介された可能性もあるというわけか。

「『やっかいな教師の仕事から逃れ』、
と、友人のバウエルンフェルトはその『回想』に書いている。
『若い芸術家は、再び自由に呼吸することが出来た。
彼は、終わることなき天職に、情熱的に身を捧げ、
友人たちの重要なサークルの中で、新しい霊感を得た』。
このような『シューベルティアン』の一人、
アルベルト・シュタッドラーは、フォーグルの生まれた街、
シュタイアーに在住し、ここが彼らの旅の目的地だった。」
フォーグルが故郷に連れて行ったというよりも、
シュタッドラーに会いに行った、と読めるが、
一般には、フォーグルの故郷に、たまたまシュタッドラーがいた、
とする解説が多い。

「これは、シューベルトの人生の中で、最も幸福なひとときとなり、
シュタイアーのアマチュア音楽家、
ジルベスター・パウムガルトナーに依頼されて書かれた、
このイ長調の五重奏曲は、この幸福感を完全に反映したものである。」
この説明、「完全に反映」というところが力強くて良い。

「二つの興味深い特徴が、1817年作曲のシューベルトの歌曲、
『ます』の変奏曲を持つ、この室内楽を特徴付けている。
通常とは違って5つの楽章からなり、これは、
しかし、パウムガルトナーの望みを尊重しただけのことで、
シューベルトは最後から二番目にこの楽章を挟み込んだ。
もう一つのポイントは、特筆すべき楽器の選択である。
シューベルトはこの音楽をピアノと弦楽のために、
新しい楽器法のコントラストを求めており、
これは、5年後、八重奏曲にて、新しい管楽器と弦楽器の組み合わせを、
模索した時に、繰り返された。」

どうも、この解説者(誰か不明)は、「八重奏曲」が好きみたいである。
コントラバスが使われていることは、何も書かれていない。
だいたい、「八重奏曲」は、ベートーヴェンの「七重奏曲」に似たのを、
と頼まれて書いたものであって、シューベルトが、
楽器編成を工夫したとすれば、ヴァイオリンを一丁追加した点、
と思われていただけに、そうかなあ、という思いが強い。

続いて、こんな一言で、さらに「八重奏曲」を聴かせようとしているが、
いったい、どうしたことであろうか。
「この『ます』の五重奏曲から八重奏曲へと続く発展の道を、
アインシュタインは、『室内楽のためのセレナーデ』と呼んだ。」

うーん、出だしはまあまあだったが、
結局、よく分からない解説であった。
これで、さあ、「ます」を聴こう、とは思わず、
これは「八重奏曲」の前座なのかな?と思うユーザーもいそうである。

余計な心配であるが、グラモフォンレーベルでは、
1965年になって、ベルリン・フィルハーモニー八重奏団による、
「八重奏曲」が録音されるが、
この時期、ユーザーが、この曲を聴きたいと言った時に、
このレーベルは、これを聴いて下さいと、何か答えられたのだろうか。

ということで、この録音、
30cmLPの時の解説が、読み応えあったのに、
25cm化されたことに伴って、かなり解説がいい加減にされてしまった。
ジャケットには色気が出て来たのに、残念なことである。

前回、曲の詳細解説部は、省略しようと思ったが、
何だか、貴重な解説だったように思えて来た。
改めて、30cmLP盤の解説の続きを読み直しながら、
このレコードを堪能してみよう。

幸いなことに、このLPは、中古で買ったが、
盤面がとてもきれいで助かった。
この前の初期盤は、ノイズの海だったが、
これは針飛びなしで聴けた。

が、さすがに、盤が小さいせいか、
二番煎じで、録音が劣化したか、
音の生々しさのようなものはいくぶん、後退し、
この前のインパクトは押えられた感じがしないでもない。
気のせいかもしれないが、初期盤マニアがいることを考えると、
実際、そうなのかもしれない。

そもそも、この前のものと、
重さがまったく違う。
ターンテーブルに乗せる時の、
心の持ちようから、まったく異なる体験となる。
軽い。

が、小さい分、取り扱いは容易。
この中に同じ演奏が入っているとは思えない。

ということであるが、
とにかく今回は、
これを聞きながら、
30cmLPについていた、
楽曲分析の部分を、以下に紹介しよう。

「『ます』の五重奏曲の第1楽章は、
ソナタ形式のアレグロ・ヴィヴァーチェ。
ピアノによる性急なアルペッジョに続いて、
弦楽に第1主題が出る。
この着想は拡張され、短く展開され、第2主題を出す代わりに、
作曲家は第1主題をさらに魅力的な形で繰り返す。」

この部分、いきなりわかりにくいが、
魅力的な第1主題が、活き活きとしたヴァイオリンを中心に繰り返され、
印象的なチェロの大きな歌いぶりにも聞き惚れながら、
同じ主題から派生したとも意識しないままに、
我々は、この新緑の世界に迷い込むわけである。

「短い経過のあと、明るく活き活きとした短いメロディで、
第2主題がまずピアノで出る。」
たんたんたん、という部分である。
「ピアノで出る」と明記されているので、
見失うことはない。
こうした解説はありがたい。

(しかし、ものの本には、この主題は第2主題Bとし、
先のチェロを第2主題Aとするものもあって、混乱は混乱を呼ぶ。
いろんな解釈があるということだろうか。)

「その陽気さははかないものだが、
各楽器に模倣され、素晴らしいひとときを形成する。
これは、短く明るい、コデッタの開始の少し前に起こる。」
はかない陽気さというよりも、
私には、幻想的、陶酔的な心情を思い起こさせる。
特に、ケッケルトらの旧盤の演奏は、こういったところが印象的だ。
何か、音に身を委ね、次第に沈潜しながら、
底にある深いものに触れようとしているかのようだ。

ステレオ盤の方は、すこし、テンポが速くなって、
この深いものに触れる前に、水面に上がって来ているのかもしれない。

「展開部は、非常にオーソドックスで、
オープニングの主題のより熟した利用によって明らかである。」
オーソドックスか分からないが、この緊張した空気の気配は効果的。
劇的であることは確か。
この幸福の象徴ともされる音楽が、
こうした内省や葛藤を伴って出て来たことを痛感させられる部分。
そんな中、各楽器のめまぐるしい使い分けが、
実に冴えに冴えている。

「ここで独創的なのは、再現部の導入が、
サブドミナントのニ長調になっていることである。
この元気溌剌とした楽章は、明るく終わる。」
ニ長調になっていて、サブドミナントとは意識していなかったが、
確かに、こうした色調の変化が、この楽章を味わい深いものにしている。
同じ調で、最初から繰り返されるような音楽なら、
かなり薄っぺらいものになっていたであろう。
最初とは違って、少し大人びたシューベルトが、
ここには立っている。
本当に、シュタイアーで、彼は、どんな体験をしたのだろうか。

改めて、そんなことに思いを馳せた解説であった。

「第2楽章は、叙情的な開始部をもつアンダンテ。
この楽章の穏やかな美しさで、
アインシュタインが、マジャールやスラブの香りを嗅ぎ取っているのに対し、
ある批評家などは、そこにベートーヴェンの魂が宿るのを感じている。」
私は、このどちらも感じたことはなかったが、
いったいどういった点に、これを聴くのであろうか。

「この楽章は三つのセクションからなっており、それが繰り返される。
第一主題は、ピアノによって語られ、
すぐにヴァイオリンに代わられる。
この材料はさらに引き継がれ、発展させられる。」
まずは、高原の朝の大気のような爽やかさであるが、
この楽章、解説を読みながら聞くと、実に手が込んでいる。
最初の爽やかさは、次第に消え、
ふと気がつくと、自分は一人っきりではないか、
それに気づかされるような音詩となっている。

「弦に現れる単純なコードは、
ピアノのアルペッジョが強調しつつ、
嬰ヘ短調の第二のセクションに導く。
これは短い静かなパッセージで、
ヴァイオリンが小粋な音型を奏でる中、
ピアノのさざ波に乗って、ヴィオラとチェロが呟く。」
ここは、実に、幻想的な部分である。
ヴィオラとチェロが、たがいに耳を澄ませ合うような、
二重奏では、ヴァイオリンが単純な音型を繰り返し、
はるか草原の彼方を見つめるような趣きもある。
スラブの香りとは、こうした点に聴き取れるのであろう。
こうした部分、ケッケルト四重奏団の、
面目躍如といった感じがする。

「この後すぐ、ずっと情熱的で装飾的な主題が、
ピアノによって導かれ、すべての楽器によって、
順次、取り上げられる。」
情熱的とあるが、がちゃがちゃと興奮するものではなく、
ふつふつとこみ上げるものである。
ピアノの孤独な和音が、胸を打つ。
こうした点は、やはり、エッシュバッヒャーの方が、
エッシェンバッハより、深いものに触れているような気がする。

こうした、秘めた熱情というのは、確かに、ベートーヴェンを想起させる。

「このセクションの終わりで、突然の転調を伴って、
再現部が開始される。
ここでは、第一主題は変イで、第二主題はイ短調で、
第三主題のみがもとの調で復帰する。」
第二主題の二重奏も、何か、うつろな感じになっているが、
こうした儚さのようなものが、この曲に素晴らしい陰影を与えていたのだ。

第三主題は、もとに戻るので、ようやく、
元の場所に戻って来た感じがする。
もともとが、何やら危機を秘めているので、
胸が締め付けられるような感じが残っている。

「最もシューベルトらしく、小さく、嵐のような第三楽章は、
リズムの強調と、叙情性のコントラストによって、
力強さと輝かしさを兼ね備えたスケルツォとトリオである。」

この一文、最初、抵抗があった。
スケルツォがシューベルトらしい、という感じがなかったからである。
「未完成交響曲」も、スケルツォで中断したではないか。

「明るく陽気なスケルツォ部は、三部構成で、
最初の主題は、ピアノとヴァイオリンが交互に奏し、
第二セクションでもそれが繰り返させる。」
この第二セクションこそ、スラブ風の異国情調が感じられないか。

「トリオ部には二つの非常に美しい主題を含み、
最初のはヴァイオリンとヴィオラでアナウンスされ、
第二のものはピアノに割り当てられる。」
この解説もわかりやすい。
「ロザムンデ」の音楽の一こまを思い出させるような、
遠いお伽の国に遊ぶような感じがする。
そう言われてみれば、こうした音楽は、
シューベルトにしか書けないような気がして来た。

「習慣通り、全スケルツォ部は、トリオの後で、
繰り返される。」
とあるが、短いのに、強烈な印象を刻み、
かつ、分解してみても忘れがたい情緒を秘めている。

「第四楽章は、
シューベルトのもう一つの特質である、
天真爛漫な歌曲、『ます』のメロディによる、
6つの変奏曲からなる。
歌曲の精神と一致して、これらの変奏曲は単純でありながら、
大幅に華やかさが増している。
まず、これは素朴に弦楽で奏される。」
ここまでは、ピアノは出てこないが、
以下、ピアノの色彩が新鮮に導入される。
このレコードでは、エッシュバッヒャーが、
満を持して美しい音色を奏でる。
「第一変奏では、ピアノがわずかな装飾でメロディを奏で、
他の楽器は、練り上げられた伴奏を行う。」

「第二変奏では、ヴィオラとチェロがメロディを受け持ち、
時折、そこにピアノが絡む。」
とあるが、この演奏では、むしろ、
ケッケルトのヴァイオリンが舞い上がり、
その装飾音系のつややかさが目につく。

「第三変奏では、時折、チェロにアシストされるダブルベースが、
メロディを発し、ピアノが金銭細工のような音響を響かせる。」
このダブルベース、絶対に30cmLPの方が、
迫力のある音を響かせている。
ケッケルトが熱演しているかも、心許なくなって来る。

以下、楽器が書いてないのは不親切だが、
いきなり、激しい音楽が現れ、それが繰り返されるので、
第四変奏は分かりやすい。
「第四変奏では、トニック短調が色彩に変化をもたらし、
変ロ長調の第五変奏では、架橋するパッセージのようで、
休みなく、おそらくは最も明るい最後の変奏に続く。」
第五変奏は、チェロがロマンティックな歌を歌うところである。
架橋するパッセージという表現はよく分からないが、
おそらく、変奏曲の一章というより、発展があるためであろうか。

「ここにきて音楽はその美しさの全貌を現わし、
ピアノがオリジナルの歌曲の伴奏を奏でる中、
ヴァイオリンとヴィオラが、交互に歌う。
この陽気な波打つような音型は、用心深い鱒が、
水の中に滑り込み、漁師の釣針から逃れた描写にぴったりである。」
この楽章など、30cmLPで聴いた時の方が、
きれいな音に思えた。ピアノの響き方なども違う。
ちょっと平板になっていないか。

「この五重奏曲のフィナーレは、特にハンガリー風の香りを持ち、
重要な二つの主題を持つ、伝統的なソナタ形式をとっている。
第一主題は、いくつかの小さな音型と共に、この楽章を支配するものである。」
この解説、さっきまでは良かったのに、
どれが第一主題でどれが第二主題か書いていない。
力尽きたのであろうか。
たんたらたんたんと軽快なのが第一主題、
シンコペーションの上でチェロが歌うのが第二主題であろう。
いくつかの小さな音型というのは、
第一主題の前奏のように付随するものが、
確かに沢山あるので、これを指しているのであろうか。
しかし、展開部なく提示部が繰り返されており、
伝統的、慣習的なソナタ形式とは思えない。

「この楽章の重要な目的は、快活で、唐突なエンディングを、
この全体を通じて、喜びに満ちた作品にもたらすことである。
シューベルトの『ます』の五重奏曲は、
深いシューベルトではないが、愛さずにはいられないシューベルトである。
このような作品は、室内楽が無味乾燥で、人を寄せ付けず、
近づき難いものだと主張する人が、
間違っているということを、まさしく証明するものである。
『ますの五重奏曲』以上に、人を引きつけ、
楽しみやすい作品を思い出すのは難しい。」

この「愛さずにいられないシューベルト」というのは、
アインシュタインのぱくりではないか。

得られた事:「25cmLPでの再発売品は、ノイズはないが、音が薄くなっている場合があるようだ。」
[PR]
by franz310 | 2008-09-20 21:56 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その140

b0083728_23215190.jpg個人的経験:
前回、1965年録音の、
ケッケルト四重奏団による、
「ます」を聴いて見たが、
中古LP屋を見ていると、
モノラル時代に、
同じ四重奏団によって録音された、
シューベルトの「ます」
が見つかることがある。

ピアノは、エッシュバッヒャーである。

ステレオ録音がエッシェンバッハのピアノだったので、
まるで、冗談のような組み合わせだが、
このAeschbacherは、
モノラル期のドイツ・グラモフォンを支えた逸材で、
決して、偽者ではなく、本物。
多くのレコード録音を、この老舗レーベルに残している。

また、フルトヴェングラーが、唯一録音に残した、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第一番の、
独奏を務めたので有名である。
この大指揮者との共演は、
1947年にルツェルンでの記録だが、
エッシュバッヒャーは、1912年生まれなので、
35歳の時の記録である。
若くして期待されていたのであろう。

ドイツ・グラモフォンのデータ・ブックには、
このエッシュバッヒャーは、
「ステレオ初期まで活躍し、
ドイツ・ロマン派の作品を中心に膨大な録音を残している」
と書かれているが、
レコードカタログを見ると、
シューベルトの最後のピアノ・ソナタをはじめ、
「即興曲」、「楽興の時」、「さすらい人幻想曲」や、
シューマンの代表作、グリーグやブラームスのピアノ協奏曲など、
多数の録音が残されている。

デムスやアンダ、ヴァシャーリなど、
1920年代、30年代生まれの演奏家の登場によって、
かき消えた感じである。

エッシュバッヒャーの芸術、
といった復刻もあるのかないのか、
少なくともあまり意識したこともないピアニストだった。

なお、このデータ・ブックは、
同じ頃のケッケルト四重奏団の活躍も記しており、
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を代表に、
シューベルトの「死と乙女」や、ドヴォルザークの「アメリカ」、
ハイドンなどを続々と発売していたことが分かる。

さて、この「ます」であるが、
モノラル期であることは確かながら、
何時録音されたものかは、
少なくとも、このLPに明記はない。

Printed in Germanyの後に小さく8/56とあるが、
56年だろうか。
聴いた感じ、音は古くさくはないが、ジャケット自体は、
妙に古くさいので、50年代前半のものと思っていた。
いずれにせよ、65年の20代のエッシェンバッハの録音とは異なり、
ほとんど同世代の音楽集団の、油の乗った時期の演奏と思われる。

このようなことを書くのも、
実は、この演奏に針を落として驚いたのである。

私は、前回、そこそこケッケルト四重奏団の味方になったが、
この演奏を聴くと、何だか、ステレオ盤の演奏が、
魂の抜けた演奏のように思えて来たのである。

まさしく音に魂が宿っているかのような印象。

ぷつぷつノイズがあって、時折、針が飛ぶが、
そんなことを越えて、伝わって来る何かがある。
ノイズの向こうにはっきりと、視点を定めた、
彼らの姿が見える。

エッシュバッヒャーのピアノも、
弦楽群も、同じ何かをひたむきに見つめ、
火照りのようなものすら放ちながら、
まっしぐらに突き進んで行くような感じ。
コントラバスも、前回のステレオ盤のような不満はない。
出るべきところで、美しい低音をびしっと決めて来る。
あるいは、このコントラバスのテンポの刻みが適切なのだろうか。

ちなみに、メンバーは、
アドリアン・エッシュバッヒャー(ピアノ)
ルドルフ・ケッケルト(ヴァイオリン)
オスカー・リードル(ヴィオラ)
ヨーゼフ・メルツ(チェロ)
フランツ・オルトナー(コントラバス)
とある。

真ん中の3人は、ステレオ盤と同じ。
確かに、エッシュバッヒャーのピアノは、
エッシェンバッハより、しっかりとした音を変幻自在に響かせ、
コントラバスのオルトナーも、
ステレオ盤のヘルトナーゲルより、はるかに自発性を感じさせる。

が、ヴィオラもチェロも十分に魅力的で、
一番、分かりやすいのは、
ケッケルト自身が、霊感に満ちた音色を響かせており、
録音が古いのに、こちらの方が、
すべての楽器が輝かしいのはどういうことだ?
という疑問すらわき起こって来る。
終楽章のピアノの真珠のような輝き。
最後の和音の決然とした強奏と余韻。

有名な「ます」の主題による変奏曲でも、
最初は、ひそやかに、息を殺すように、
美しいメロディを口ずさみはじめるが、
少し、ポルタメントがかかっているようだ。
妙に、古くさいが、
戦争が終わる前は、
こんな風に弾いていたなあ、
と往時を懐かしむ風情はないだろうか。

どの楽器も本当に演奏を楽しんでいるようで、
いや、音楽を愛するように、
コントラバスに到るまで、リズムの冴えが違う。
夢見るようなチェロの歌も心を掴む。
ピアノも、他の楽器も、
この歌を中心に、それを慈しむような響きを立てる。

b0083728_23223677.jpgこのLP、
さらに、
見開きの
解説。
たっぷりと
一面を
使って、
英仏独の
各国対応。

何やらしっかり書いてあるので、読んでみた。
About the Artists…
「アドリアン・エッシュバッヒャーは、
1912年、スイスに生まれた。
彼の父親は、合唱指揮者で、彼の音楽教育を行い、
3歳からピアノのレッスンを付けた。
後に、彼はチューリヒ音楽院でEmil Frey教授に学び、
ベルリンではシュナーベルに学んだ。
1934年にデビューし、以来、ヨーロッパ全域で演奏会を行い、
若い世代のうち、最も才能豊かなピアニストの一人として、
熱狂的な讃辞を受けた。

四重奏を弾く、ケッケルト氏、リードル氏、メルツ氏は、
有名なケッケルト四重奏団のメンバーである。
彼らは、ヨーロッパの同じ地域、ボヘミアの出身で、
彼らがみな、ボヘミア・フィルにいた時に結成した。
ここ数年、ケッケルト四重奏団は、ヨーロッパ中から、
最高の賞賛を受けている。
このレコーディングでは、これら各氏は、
特に、室内楽の演奏で著名な、
ダブルベース奏者のフランツ・オルトナーと共演している。」

このように読むと、まだエッシュバッヒャーもケッケルトも、
若々しい人たちという印象を受ける。
やはり1950年代前半の演奏に思える。

また、シューベルトの音楽に対しても、
とても情報量が多い。
先の演奏者紹介が全体の1割程度で、
あと9割は曲目解説で、
その6割方がシューベルトや、この曲に関する事で、
4割を使って、各楽章の解説が書かれている。

Klaus Wagnerという人が書いている。
「時として夏の休暇は、作曲家に陽気で、もっとも楽しい音楽を書かせる。
フランツ・シューベルトのイ長調のピアノと弦楽のための五重奏曲、
『ます』というニックネームを持つ作品にもこのことは当てはまり、
オーストリア・アルプスの中での休暇の間に書かれた。
『未完成交響曲』を別にすれば、『ます』の五重奏曲は、
シューベルトの器楽曲の中で、最もポピュラーなものであろう。
それは、彼の作品の中で最も伸びやかで、愛らしい発露の一つである。」

という風に、非常に魅惑的な書き出しである。

「1819年のはじめに、シューベルトは、
当時のもっとも偉大なドラマティック・バリトンの一人で、
彼の歌曲の理想的な解釈者であった、
友人のミヒャエル・フォーグルに夏の日々を、
上部オーストリアを辿る旅で過ごそうという提案を受けた。
彼らの旅はクレメンスミュンスターやリンツを通るものであったが、
目的地はフォーグルの故郷であるシュタイアーであり、
この歌手は、シューベルトに当地の旧友たちに紹介し、
一緒に音楽を楽しもうと考えていた。
フォーグルは、それに加えて、シューベルトに、この地の、
美しい自然を見せたかった。
シューベルトの活動は、そのほとんどが、
彼の愛するヴィーンに限られており、
1818年に、エステルハーツィ伯爵の、
ハンガリーの領地ツェリスに、
二人の令嬢の家庭教師として、長く滞在したのが唯一の例外であった。
シュタイアーの山岳風景は、シューベルトを圧倒し、
彼は兄に書いた手紙の最後に、
『シュタイアーの周りは信じられないほど素晴らしい』
と書いている。」

このような記述も、読者をオーストリア・アルプスの、
雄大な自然に誘って好ましい。
さりげなく、フォーグルの友情が、この自然を見せたかった、
という一節も心打つではないか。

「シュタイアーにおける、彼を取り巻く快適な環境と、
気心のあった音楽仲間たちとの交わりによって、
彼の最も愛らしい、穏やかな音楽が、
生み出されることとなった。
『ます』の五重奏曲のような音楽の要請は、
この街の音楽パトロンであり、炭坑の助役で、
アマチュアの管楽器奏者でありチェリストであった、
シルヴェスター・パウムガルトナーによってなされた。
シューベルトの友人、シュタッドラーへの手紙の中で、
この音楽の秘密の要塞について、『この家の二階中央には、
音楽広場が設けられ、そこには寓意画や音楽家の肖像が飾られて、
沢山の楽器や楽譜が置かれていた』、と表現されている。
ここでは、パウムガルトナーと、
彼と同様、アマチュアの音楽愛好家であった友人らによって、
演奏会が定期的に行われ、
『ます』の五重奏曲もこうした集まりのために書かれた。
実際、一般的には、まずスコアが書かれてから、
パート譜の写しが出来るのに対し、
ここでは、すぐの演奏に備えて、先にパート譜が出来ている。
同様にシュタッドラーへの手紙では、パウムガルトナーが、
『チェロのパートでは控えめな助言をした』という記述も見られる。
アマチュアの道楽のために書かれたとは言え、
霊感にも構成にもアマチュア的なものはなく、
事実、これはシューベルトの最初の成熟した作品となった。」

という風に、この曲が書かれた親密な雰囲気、
音楽を愛する仲間との緊密な関係が、
この傑作を生み出した経緯を物語って過不足ない。

「パウムガルトナーは気づいていなかったが、
シューベルトが、この作品をもって、音楽史に道を開いたことに、
彼は貢献したのである。
この音楽パトロンはシューベルトが2年前に書いた、
明るい小さな歌曲『ます』に魅了されており、
おそらくハイドンの『皇帝賛歌』の変奏曲を、
念頭においていたと思われ、
この『ます』のメロディの変奏曲を含ませるよう、
シューベルトに主張した。
彼は、通常の室内楽の構成を乱したくなかったので、
作曲家はスケルツォとフィナーレの間のエキストラ楽章として、
この変奏曲を組み込むことを決めた。
それによって、5楽章からなる、
破格の長さの作品ができあがった。」
これは、よく引き合いに出される物語だが、
はたして、どこまでが本当なのだろうか。

しかし、エキストラ楽章とは何だろうか。
「余計な」と訳すと、この楽章は、本来、
なしで演奏したほうが良いように思える。
「追加の」と訳すと、後から出来たのを、
無理矢理組み込ませたように思える。
「特別の」とすると、もっとも、しっくり来るように思えるが。

「『ます』の五重奏曲は楽器編成もユニークである。
ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、それに、
室内楽では滅多に使われないダブルベースからなり、
非常に独創的な楽器編成が採用されている。
このような楽器編成は、音楽史において、たった一度であり、
まれなことである。
直近のモデルとしては、まったく同じ編成の、
フンメルの『大五重奏曲作品87』があった。
パウムガルトナーが(そしてシューベルトも)、
この作品を聴いて、同様の編成のものをヴィーンの作曲家に、
書かせたいと思ったと考えられている。」

以上、見てきたように、この作品に対する畏敬の念にあふれ、
読んでいて為になり、気持ちよく、かつ、最も重要なことだが、
この作品に耳を澄ませようという気持ちにならせるものである。

ここまでが、曲の成り立ちや構成の話であり、
あと、シューベルトの位置づけが記されている。

「『ます』の五重奏曲は、シューベルトによって書かれた、
2ダースばかりの室内楽の一曲で、
10ばかりのピアノと弦楽のための作品の一つである。
このことは、それ自体は、
31年という短い人生において、室内楽の他、
800曲以上の歌曲に、少なくとも8曲の交響曲、
24曲のピアノ・ソナタ、オペレッタ、ミサ曲に、
ピアノやヴォーカル・グループのための無数の作品を書いた、
この作曲家の生涯においては特筆すべきものではないかもしれない。
しかし、それゆえに、この作曲家は、
傑出したプロの作曲家の一人として認められたのである。
彼の才能と創作力は、18世紀のモーツァルトや、
我々の時代ではベンジャミン・ブリテンに比すべきもので、
あまり努力の跡を感じさせないものであった。
モーツァルトやブリテンが同時代人から賞賛されたのに対し、
シューベルトの場合はそうではなかった。
それは、彼が自身の大規模な管弦楽作品が演奏されるのを、
聴くことが出来なかったことからも明らかで、
メンデルスゾーンやシューマンによってそれらは発見され、
その手稿が救い出され、彼らによってその作品は広められた。
このように力強く、新鮮で、永遠の青春を感じさせるメロディは、
一度聴いた聴衆を捉えて、決して離すことはないだろう。」

と、このように、シューベルトに対しても、大絶賛である。

以下、各楽章の説明が続いている。

この時代のLPは、ずっしりと重く、
そのせいか、音質にも締まりがあるような感じがするが、
いかにも紙質が悪く、解説などはちぎれてしまいそうだが、
なかなか泣かせる名文が潜んでいるものである。

が、60年も前のものでありながら、
シューベルトの「ます」については、あまり研究が進展していないような感じ。
現在、見受けられる一般的な解説と何ら変わることがない。

ただ、通常600曲とカウントさせる歌曲が800曲とされたのは、
どういうことだろうか。
あるいは、三大歌曲集をばらして、数十曲追加、
さらにヴォーカル・アンサンブルの作品などもカウントしたのだろうか。
あるいは、オペラの各ナンバーも分解してカウントしているとか?

このような解説に呼応したわけではあるまいが、
この時代のケッケルトは熱い。

得られた事:「ケッケルト四重奏団は、モノラル期の方が凝集力の強い演奏を聴かせたが、現在、それはほとんど聴かれていない。」
[PR]
by franz310 | 2008-09-13 23:26 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その139

b0083728_21483931.jpg個人的経験:
前々回、ケッケルト四重奏団が、
戦後のヨーロッパの
室内楽愛好家たちを魅了した、
人気の団体であったことを、
オルフェオのCDの解説から
紹介した。
そこにあった、シューベルトの、
「弦楽四重奏断章」などでは、
素晴らしく興の乗った、
弓裁きを聴くことが出来た。


しかし、私が持っていた、エッシェンバッハとの共演による、
シューベルトの三重奏曲「ノットゥルノ」では、
いくぶん、控えめな表現に終始していて、
あの感興に富んだ風情は感じられなかった。

この四重奏団は、やはり、エッシェンバッハのピアノに、
コントラバスのヘルトナーゲルを加えて、
シューベルトの「ます」を録音しているが、
果たして、それは、どんな演奏なのだろうか。

またまた、エッシェンバッハを立てて、
伴奏に終始しているのか、
あるいは、この1940年生まれのピアニストに対し、
1913年生まれのベテランが、父親のように、
教え導いているのだろうか。

もともと、オーケストラの団員に関しては、
伴奏式に陥るケースが多々見られ、
あまり期待しない方がいいかもしれない。


b0083728_2149729.jpg前にも書いたが、
ケッケルト四重奏団は、
バイエルン放送交響楽団の、
主席奏者たちによる
弦楽四重奏団であった。
ケッケルトは、バイエルンの
コンサートマスターだったので、
このオーケストラのレコードからは、
ケッケルトの独奏を
聞くことが出来る。


うまい具合に少し前、このオーケストラの、
主席指揮者であった、クーベリックが振った録音30点あまりが、
「20世紀の巨匠シリーズ」で再発売された。
ここには、1963年録音の、
モーツァルト作曲「ハフナー・セレナード」が収められている。

広く知られているように、
このセレナードは、
第二楽章から第四楽章が、
ヴァイオリン協奏曲風なので、
コンサートマスター、ケッケルトのヴァイオリンの芸風の一端を、
聴くことが出来る。

まず、このセレナード全体に言えることだが、
とても、格調の高い演奏である。

ただし、このCD、
指揮者クーベリックを主役にしたシリーズであるゆえに、
解説に、ケッケルトの事は何も書いていない。
「ラファエル・クーベリックについて」という、
一文が最初に寄せられている。
このクーベリックと、ケッケルト四重奏団のメンバーは、
プラハ音楽院の同窓ということだが、
クーベリックは、1934年、
「弱冠19歳で名門チェコ・フィルハーモニーを指揮してデビュー」
と天才ぶりが特筆されている。
しかも、そのとき振ったのが自作の「幻想曲」で、
なおかつ、父親がヴァイオリン独奏を務めたというのである。
その父親とは、ドヴォルザークとも親交のあった、
名ヴァイオリニストの、ヤン・クーベリックである。
才能のみならず、血筋の良さも強調したデビューだったわけである。

23歳でチェコ・フィルの正指揮者となり、
チェコ楽団のホープとして快進撃、
しかし、共産党政権との折り合いの関係から英国亡命。
以後、シカゴ、バイエルンなどの指揮者を務め、
1990年には遂に故国に帰って熱狂的歓迎を受ける、
という紆余曲折が簡略化されて説明されている。

特に、同窓生がいた関係からか、
18年もその地位にあったこともあり、
バイエルン放送交響楽団との活動が、
我々の脳裏には深く刻まれている。

しかし、名ヴァイオリニスト、
ヤン・クーベリックと、日々、比べられる立場にあった、
ケッケルトも大変だったことであろう。
と勝手に憶測する。

また、このCD、曲目に関しても、ザルツブルクの名門、
ハフナー家の披露宴用の音楽として書かれたこと、
20歳の青年音楽家モーツァルトの面目躍如とした、
壮麗な大作であることなどが解説されている。

ランドンの言葉、
「モーツァルトが書いた初めての偉大なオーケストラ作品」
という讃辞が引用されており、
聴く者の期待を高まらせる内容となっている。
ジャケット表紙も、オリジナルLPを持って来ており、
大変、懐かしい感じがする。

ただし、このモーツァルトの肖像画は、
14歳の時、イタリアで描かれたもので、
年齢に著しいギャップがある。
とはいえ、おそらく、
このような真剣な眼差し、あるいは正装に相応しい、
格調高い作品であることは確かであろう。

期待のとおり、演奏もそれに相応しい。
もう近年、モーツァルトの時代の歴史的考察によって、
聴くことの出来なくなった大オーケストラによる、
モーツァルトのたっぷりした響きに、
ちょっとタイムスリップしたような感じを受けるが、
とても演奏が美しいので、そんな事は気にならなくなってしまう。

また、第四楽章のロンドでは、ケッケルトのヴァイオリンは、
いかにもボヘミア風の即興的な節回しを聴かせて、
モーツァルトの様式を逸脱する寸前まで音楽を追い込んでいる。

もう感興が乗りまくって、高い空に駆け上がって行くような趣きで、
古典の枠を突き破った自由奔放さに圧倒される。
これを聴く限り、クーベリックに指揮されようとも、
俺は好きなようにやらせてもらいます、
といった感じで、非常に頼もしく感じた。

昔、LPの廉価盤で出ていた頃のレコード評では、
「キリッと引き締まったなかに、
さわやかな表情をたたえた演奏で、
特にケッケルトのヴァイオリン・ソロが
聴きものである」とあった。


では、これと同じ頃、出ていた、
シューベルトの「ます」ではいかがであろうか。

このように、いろいろなことを考えながら、
LPに針を落とす。
ケッケルトのヴァイオリンは、最初から、
とても存在感豊かであり、テンポなども、
ケッケルトが握っているように思われる。
息を潜めたような部分から、ぱっと解放されるところまで、
その演奏への傾注ぶりが目の前に浮かぶような、
ケッケルト四重奏団の練達の技を聴くことが出来る。

むしろ、ここでは、ある意味主役の、
エッシェンバッハの方が存在感希薄。
何だか、蒸留水のような感じ。
「ます」の演奏としてはそれなりに好ましく、
空気感などの表現では、とても新鮮であるものの、
残念ながら意志のようなものが聞こえない。

録音当時、25歳だった青年にしては、
少し、控えめにすぎる演奏ではなかろうか。
逆に、25歳ゆえに緊張、恐縮しているのだろうか。
恐らく、きまじめなこの人のこと。
大家に囲まれて、かなりプレッシャーがあったと思われる。

従って、エッシェンバッハを聴いているという感じはあまりなく、
ケッケルト四重奏団の「ます」には、
どうやら、ピアノも参加しているようだ、というような感じ。

ケッケルト四重奏団は、ヴィオラ、チェロもがんばっており、
さすがに、同郷、同年代のおっさん軍団、息が合っている。

しかし、コントラバスは、私としては、もっと出しゃばって欲しい。
このゲオルグ・ヘルトナーゲル。
しょっちゅう、「ます」のレコーディングに顔を出すが、
いつも、伴奏のような気合いの入らない演奏で、
どうなっているんだ、と私をうならせる。

ここでもそう。
ざっと見ても、ドロルツ四重奏団、ボーザール・トリオなどから、
リヒテル、ボロディン四重奏団、レオンスカヤ、アルバン・ベルク盤まで、
しきりに現れる奏者である。

やはり、ケッケルトが5人の中では、ひときわ自在に、
音楽への愛を歌い上げているようだ。
ヴァイオリンとチェロが歌い交わすところも、
どうしてもヴァイオリンの特徴ある音色、
それに率先して動くリーダーシップに、
私は、ついつい耳を傾けてしまう。
チェロはちゃんと鳴っているのだが、そうなってしまうのである。

が、ここでのケッケルト、
あのモーツァルトのセレナードで聴いたような、
即興的な節回しはなく、節度を持ったものだ。

エッシェンバッハも、第三楽章あたりになると、
緊張がほぐれて来たのか、意欲的なピアニズムを聴かせる。
第四楽章の歌い出しもケッケルトのヴァイオリンの妙音で聴かせ、
低音弦楽器の豊かな伴奏に乗って、エッシェンバッハのピアノにも、
溌剌とした気分の高まり、陰影の豊かさが現れて来ているようだ。
清らかなタッチも美しく、初々しい風情。

しかし、老巧な弦楽器群の前には、
やはり、このピアノは、経験や自信の不足を感じてしまう。
年齢差を、私は意識しすぎているかもしれないが、
何十回もこの曲を実演でも演奏してきた連中と、
デビューしたてで、何だか分からないままに、
録音に付き合わされた感じの青年とでは、
余裕が違ってもおかしくはない。

違わないと感じる方がおかしい。
いくらピアノの大家でも、室内楽で、
同じような大家ぶりを発揮するなら、
室内楽ではなくなってしまうだろう。

鳥のさえずりのように、ケッケルトが、
装飾的な高音を響かせながら、
細かく音色を変えていく様を見て、
私は、そんな事をふと考えてしまった。

エッシェンバッハに関しては、
後年、指揮者として成功を収め、
そのきまじめで体当たりの熱演を聞いて来ただけに、
この40何年も前の演奏で、この人を語るべきでないということは、
じゅうじゅう承知の上での推察である。

さすがに、終楽章になると、
この音楽家らしい集中力も発揮されて、
かなり満足度の高い演奏になっていると思う。

グラモフォンが、その後、ギレリスとアマデウス四重奏団で、
この曲を再録音して本命としながら、
この録音を、廉価盤レーベルでは、繰り返し再発売している理由が、
分からなくもない。
私としては、このエッシェンバッハ、ケッケルト盤の方が、
演奏者の息遣いが感じられ、好きかもしれない。

好意的に取れば、初老の大家たちが自信満々で演奏した、
ギレリス盤より、シューベルトが「ます」を作曲した時と、
同年代のエッシェンバッハの無垢が、
この曲に相応しいという見方も出来よう。

ちなみに、昭和55年の、
レコード芸術別冊の「名曲名盤コレクション」では、
「若きエッシェンバッハの線の細いピアノと、
ケッケルトSQの頑健ともいえる弦は、やや異質なものを感じさせる」
とあるので、この評者は、私と似たような事を感じながら、
悪い方向で捉えている。

この人の「ます」観は、しかし、私とは全く異なり、
私が嫌いなブレンデル盤を、
「数多いレコードの中でも一段と抜きんでた名演」としている。
音楽の中に求めるものが違うと、
このような差異を生じるということか。
「この美しさはまさしく筆舌に尽くし難い」とまで書いている。
私はあっけに取られた記憶がある。

さて、このエッシェンバッハのLP、私が持っているのは、
グラモフォン・スペシャルとして1300円で出た廉価盤、
つまり再発売品だが、ひいき目に見るせいか、
ジャケットもそのような青春の香気を湛えている。

水草に一斉に白い花が咲き乱れ、
淡い緑に彩られた河は、
それを写しただけのような写真ながら、
この曲の初々しさを偲ばせて好感が持てる。

PHOTO:HIROSHI SUGAI
とあるので、日本の風景かもしれないが、
不自然さはない。

解説は、親しかったフォーグルと、
シューベルトが、22歳の夏に訪れた、
美しい自然に囲まれた街、シュタイル(シュタイアー)にて、
当地の音楽愛好家パウムガルトナーに依頼されて作曲した作品であること、
幅広い表現力を求めて、コントラバスが利用されていること、
などが書かれているが、重大な欠陥がある。

それは、
「ソナタ形式の展開部の処理が未熟であること、
再現部がやや機械的である事などの欠点が指摘されている」
などと、作曲家を見下し目線で捉えた、
感興を削ぐ一文がある事、
それに、何故、この曲が「ます」と呼ばれているか、
説明していないことである。

各楽章についても、数行ずつの解説があって親切だが、
これで音楽が把握できるかは、少し検討の余地を感じた。

例えば、第一楽章で、
「二つの主題はいずれも歌謡調の美しい旋律で、
豊かな色彩を加えながら発展していく」
などという表現は微妙ではないか。
豊かな発展という表現は夢を呼ぶが、
どっちがどの主題か、これでは分からない。

一方、第二楽章は、「最初ピアノで奏される品の良い主旋律を
ヴァイオリンが受け継ぎ、優美な感情を漂わせる。
次にチェロとヴィオラにより奏し出される旋律は、
憂いのあるロマンティックなもの」とあり、
これは、聴衆も、どれどれと注意を向けることが出来る。

第三楽章は、「主部は活気にあふれた楽想をもち、
トリオ部も同様に快活でウィーン風な楽しさが感じられる」と具体的。

第四楽章は、各変奏の特徴を楽器の名を上げながら説明、
ただし、楽器のみなので、内容は想像できない。

第五楽章は、「ハンガリー風な色彩をもつ楽章」、
「生き生きとした終曲」などと、具体性を取り戻している。

演奏家に対しても、しっかり記述がなされていて、
エッシェンバッハの経歴は、幼児に両親を亡くした、
という話から書き起こしている。
1961年から演奏活動を始め、
1965年のクララ・ハスキル・コンクール優勝で、
名声を決定付けたとあり、
この録音は、その前後のものと分かる。
あるいは、コンクール優勝記念のような意味合いだったかもしれない。
そこのところを何も書いていないのが、
廉価盤の限界であろうか。
カラヤンとのベートーヴェンが66年、
ドロルツとのブラームスが68年の録音とあるから、
かなり早い時期の録音である。

ケッケルト四重奏団については、
1939年にプラハ音楽院出身の、
プラハ・ドイツ・フィルの団員によって結成され、
47年からバイエルン放送交響楽団に全員が移り、
現在まで活動を続けている、とある。

「ドイツの室内楽の伝統を最もよく受け継いだ団体との定評をえて、
国際的に活躍している」と書いており、
読む者の期待を高まらせるようになっている。

ということで、このレコード、
エッシェンバッハのピアノをどう捉え、
ケッケルトの人となりに関心を持つかで、
評価の分かれるものとなっている。

書き忘れていたが、先に紹介した、
「ノットゥルノ」が、「ます」のあとに収録されている。
「死と乙女」や、「四重奏断章」のような、
危機を孕んだ作品より、よほど、心が和んで終わる。
これもこのLPの良いところの一つだろう。

得られた事:「作品をどう捉えるかによって、演奏を肯定するか否定するかが分かれる実例発見。」
[PR]
by franz310 | 2008-09-06 21:53 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その134

b0083728_21404192.jpg個人的経験:
恐れ多くも、音楽王国ドイツの首都が誇る、
フィルハーモニア・カルテット・ベルリン
の演奏について不満を書いてしまった。
私の印象では、ベルリンの名前の割に、
甘味なヴァイオリンに対し、
主体性の乏しいヴィオラとチェロが、
くっついた団体ということだった。
しかし、かつて、この団体のヴィオラには、
我が国を代表しているかのように、
土屋邦雄という人が入っていた。

この人は、フィリップスのLPでは、
美しい王宮の一室で、宮廷風のいでたちで、
白人の方々と並んでいた印象が強烈だった。

1968年4月録音の、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
のレコードでは、
アルフレッド・マレチェック(ヴァイオリン)
ルドルフ・ハルトマン(ヴァイオリン)
土屋邦雄(ヴィオラ)
ハインリヒ・マヨフスキ(チェロ)
ライナー・ツェペリッツ(コントラバス)
というメンバーで弾いている。

何と、ツェペリッツ!
あのアマデウス四重奏団と、
「ます」を録音していたのは、
この人だったのか、と頭の中でようやく一致。
ジャケットで見ると、ちょびひげのおじさん。
このモーツァルト録音ではあまり存在感がない。

解説には、
「ベルリン・フィルのアンサンブルの有機性、
安定した低音による重み」
といったことが特徴と書かれているが、
私の偏見に満ちた耳では、
このツェペリッツを別にしても、
この時代から、
目立つヴァイオリン+従属する中低音の団体、
という感じがする。

確かに、聞きようによっては、
すばらしい一体感であるが、
それは、統率された一体感で、
各人が自由に呼吸するような趣きではない。

ちなみにこの盤、ディベルティメント第十五番が一緒に入っていて、
選曲はなかなかだが、この曲には、弦楽五重奏+ホルン2つという編成ながら、
ジャケットではホルンは一つしかなく、
しかも奏者は寝ており、
登場しないクラリネットとファゴットが出ているのが、
大きな違和感を感じさせる。

b0083728_21412269.jpgこの編成は、おそらく、
ベルリン八重奏団の最大編成での撮影で、
本来なら、シューベルトの、
八重奏曲を演奏する時のものであろう。
が、この団体が1971年4月に録音した、
シューベルトのこの曲のLPには、
マレチェク、土屋、
ツェペリッツは同じであるが、
すでに二人の弦楽奏者の
名前が代わっている。
つまり、第二ヴァイオリンはメツガーであり、
チェロは、シュタイナーとなっている。

クラリネットはシュテール、バスーンはレムケ、ホルンはザイフェルト。
先のモーツァルトのLPのジャケットの奏者は、
いったい誰が誰なのか。ちょっと気になる。

なお、こちらのLPジャケットは、非常に愛らしい風俗画であり、
これがシューベルトのこの曲を表わしているかは疑問とはいえ、
宝物にしたいような趣きがある。

ベルリンのJohannesstiftでの録音とあるが、
(先のモーツァルトには場所記載なし)
これは、あのモーツァルトのLPの部屋なのか?

この問題は、非常に悩ましい。
というのは、シューベルトの音楽を、
あのようなギャラントな部屋、
端正な出で立ちでの演奏を想定して聴くのと、
このジャケットのようなもっと自然な雰囲気を想定するのでは、
かなり味わいが異なって来るような気がするのである。

すくなくとも、「ます」の五重奏曲は、
市井の音楽家によって、それも、美しい田舎町の庶民に、
委託された作品であるがゆえに、後者に近いだろうが、
八重奏曲は、貴族の依頼で書かれているので、
あるいは、あのモーツァルトのLPのような雰囲気での演奏も、
あり得たかもしれないではないか。

ただ、このシューベルトのLPは、
先のモーツァルトより録音が3年ほど新しいせいか、
演奏も音質も格段に鮮度が高いように感じられる。
コントラバスの表情も豊かであり、弦の掛け合いも精妙である。
シュテールのクラリネット以下管楽も息づいている。
奏者刷新の影響であろうか。

かつて、ヴィーンの団体について書いた時、
確かウラッハらの管楽器奏者らから、弦楽四重奏団に、
働きかけがあったような事を読んだような気がするが、
いったい、このベルリン八重奏団の場合は、
誰が発起人なのであろうか。

解説には、このヴィーンの団体と、
このベルリン八重奏団とは、
双璧であるような事が書かれているだけである。
本当にそうだろうか。録音のためにかり出された団体ではないのか。
ちょっと、そんなことも脳裏をよぎった。

シューベルトの曲については、この曲の成立の由来では、
いつも、述べられる、ベートーヴェンの七重奏曲のことを軸に、
シューベルトとベートーヴェンの関係について書いてある。
そして、ベートーヴェンを範にしつつ、
シューベルトならではの魅力に満ちた曲であることを力説している。

b0083728_21421729.jpgこの団体は、何と、
このシューベルトの翌年、
同じ4月に、同じ場所で、
今度はブラームス晩年の名作、
「クラリネット五重奏曲」と、
ドヴォルザークの「バガデル」を、
カップリングした盤を残している。
同じフィリップスレーベルながら、
このLPは、またまた、デザインを一新し、
抽象的で色彩もお洒落、
これまた新しい味わいを出している。


これも誰の作品かは書かれていない。

メンバーは、シュテールのクラリネット、
弦楽四重奏部は、マレチェック、メツガー、土屋、シュタイナーと、
代わっていないようである。

ここでは、コントラバスがない分、
低音の広がりは少し不利ながら、
立体感のある、豊かな音楽を聴かせている。
しかし、欲を言えば、もう少し低音には、
エッジのようなものが欲しい。
何だか、最初から最後までメロウな感じで、
良い人で終わってしまっている。
クラリネットと第一ヴァイオリンが、
かなりテンションを上げているのに、
その間、傍観者になってはいないだろうか。

この盤の解説、この曲の場合、当然かもしれないが、
時代の流れ、受け継がれる伝統のようなものを感じてしまった。
単に、魅力的なクラリネット奏者に会って、
ブラームスはこの曲を書いた、という事に加え、
ミュールフェルトというこの稀代の奏者が、
シューベルトと同時代のウェーバーの生誕100年祭で、
ウェーバーの曲を演奏して名声を確立したことや、
マイニンゲンに、ブラームスが滞在した時に、
この奏者に魅了され、この地で試演されたとある。

レーガーが、後にこのマイニンゲンの音楽監督となり、
やはり、クラリネット五重奏曲を晩年に書いたという巡り合わせ。
いろいろ考えさせられた。

あと、このLPには、珍しい、ドヴォルザークの作品が入っている。
「スラブ舞曲第一集」の時代の作品ということで、
民族色豊かなメロディも懐かしさに満ち、とても愛らしい佳曲である。
これはしかし、土屋の出番はなく、
ヴァイオリン二つにチェロだけの弦楽に、
リード・オルガン(ハルモニウム)の鄙びた響きが交錯する。
この曲を注文した人の家に、この楽器があったから、
という編成の由来が面白い。

あるいは、前にも書いたが、
シューベルトの「ます」の珍しい編成も、
それらの楽器の演奏家がいたから、
という単純な理由もあったかもしれない。

3、4分の曲5曲からなるが、
懐かしいメロディが、
あるいは、オルガンの独特の音色が、繰り返し登場し、
聞き惚れているうちに、あっという間に終わってしまう。
演奏家も楽しんで演奏している。

このLP、これらの曲の組み合わせの妙だけでも、
十分、特筆すべきものであろう。

あと、この八重奏団は、
このドヴォルザークの、
名作「ピアノ五重奏曲」を、
同じ年の秋に録音している。
ピアノとの組み合わせになって、
新進のスティーヴァン・ビショップを起用。
この録音は、CDになってからも、
日本盤が発売された。
ただし、デザインは意味不明のシャガール。
LPの時は、若々しいビショップとの、
スタジオ風景がかっこよかった。


また、カップリングも変更されている。
なお、弦楽四重奏にメンバーの変更はない。
このCDで、組み合わせが、名門イタリア四重奏団の、
「アメリカ」になったせいで、よけいに、
弦楽部の弱さが露呈されることになってしまった。
弦楽四重奏団とピアノのための音楽みたいな感じで、
冒頭のチェロからして、この曲の神秘感や奥行き感に、
不足するような気がする。
私は、かつて、この曲を実演で聞いて、
その中・低音部の響きに浸って、
ようやく、魅力を堪能したような気になった。

さて、以上が、フィリップスでの土屋邦雄の日々の片鱗。
以下、日本コロンビアのCDで、この人はお目見えする。
この間、何があったのかは不明。

b0083728_2143466.jpgデンオンから出ていた、
ハイドンの「セレナード」のCDには、
「1977年にベルリン・フィルの
メンバーによって結成された、
ベルリン・フィル五重奏団が
発展的に解消して、
新たに第一ヴァイオリンに
同団の新鋭ジェンコフスキーが
入って結成されたものである」とある。
曲目に変化を付けるため、このCDは、
3団体が登場するという珍しいもの。

この解説に、「デビューは、1980年」とあるから、
70年代後半は、いろいろあったようだ。
八重奏団と五重奏団も、あるいは、
ほとんどのメンバーは別かもしれない。
メンバーは不詳だが、写真には土屋の顔がある。
この人の顔があると、応援しないといかん、
という気持ちになる。

このハイドンは、ご存じのとおり、
第一ヴァイオリン主導型なので、彼らの伴奏型低音部でも、
あまり問題は感じず、音色や録音の魅力から言って、
非常に楽しめるものとなっている。
きちっとした音楽作りがハイドンらしいとも言える。

続いて、紛らわしいが、ベルリン四重奏団(こちらは、東独由来の名団体)
のハイドンの「ひばり」や、
チェコのパノハ四重奏団による、モーツァルト「狩り」が入っている。
ベルリンのズスケのヴァイオリンの音色も忘れがたく、
パノハも各奏者の一体感が素晴らしい。

最大の問題は、録音データが載っていないこと。

表紙は、チャーミングな絵画があしらわれ、
Edward Killing WORTHの「Lady playing a mandoline」とある。

b0083728_21434969.jpgこのデンオン・レーベルでは、
この団体はチェロに、
やはり、ベルリン・フィルのフィンケを迎え、
1984年、シューベルトの晩年の名作、
「弦楽五重奏曲」を録音している。
何と、メンバーは、
ジェンコフスキーに代わって、
スタブラーヴァになったとあり、
土屋以外のメンバーも、
「八重奏団」時代からは
大違いになっている。


私は、土屋がいるから、同じ団体と勝手に信じていたが、
あるいは、1977年の段階で、
八重奏団とは別組織として五重奏団が出来たのかもしれない。

b0083728_2145114.jpg第二ヴァイオリンはショーレフィールド、
チェロは、ディーセルホルストとある。
メツガーやシュタイナーではない。
それにしても、この五重奏曲の演奏も、
チェロが二堤になりながらも、
低音の響きが弱いような気がする。


ベルリン風の美学では、低音を響かせすぎるのは、
下品だとか、何か理由があるのだろうか。
シューベルトが特異な編成をとってまで、
味わいつくそうとしたチェロの声が、
何だか遠い木霊のようである。

そんな演奏に相応しく、
表紙はターナーの絵画で、
霧のヴェールに覆われて、細部がよく見えない。

解説には、
「都会的センスと現代感覚を身につけた
ベルリン・フィルの新進気鋭と中堅とヴェテランからなる
この五重奏曲は見事な演奏を聴かせてくれる」
とあるが、確かに全体の調和は見事かもしれないが、
あまりにも呑気なシューベルトとも聞こえる。
めくるめく陶酔を伴って現れる音楽に勢いがない。

この解説、短くてあまり読み応えはないが、
シューベルトは新しい編成で、
新しい世界を開こうとしている、とある。
確かに、この説もありそうだが、
これまで、ここでも見てきたように、
「ます」にしてもフンメルという先例があり、
チェロ二本の五重奏曲も、オンスロウのような例があった。


さて、それから、わずか4年後、1988年の、
カメラータのCDでは、メンバー表を見ると、
スタブラーヴァは健在であるが、
土屋の名前がなくなっている。
ヴィオラは、レーザという名前になっていて、
第二ヴァイオリンも、
シュターデルマンに代わっている。
この3枚組CDでは、
ライスターが主役であった。
レーガーのクラリネット作品集の1枚。

プロデューサーの井阪紘氏が、
「レーガーという作曲家を私たち日本人はいかに知らなかったか、
恥じ入る思いでもあった」と解説に書いているが、
実に、このCDこそ、私にレーガーを近づけてくれた名品。

ここでは、こんな書き方がされている。
「以前、ジェンコフスキー、ショーレフィールド、
土屋邦雄、ディーセルホルストによって、
組織していたグループとは別の物で、
そのグループが解散したあと1986年に、
ベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した
シュタブラーヴァを中心によって組織された
ベルリン・フィルの中で唯一の弦楽四重奏団である。」

が、それでは、1984年に、スタブラーヴァ、土屋で録音した、
シューベルトの「五重奏曲」が何だか分からなくなる。
まあ、スタブラーヴァとしては、そうしておきたかったであろう。

いずれにせよ、欧州の伝統色濃い、
フィリップス・レーベルから、
さっそうと登場した土屋邦雄は、
20年の長きにわたって、日本のレコード愛好家に、
ベルリンを代表する顔として、印象を残したと言うわけである。

さて、このレーガーのCD。
土屋は抜けてしまったが、
何と言ってもライスターの恰幅のよい演奏に、
ついつい引き込まれてしまう。
この人の素晴らしい感情移入が、
フィルハーモニア・カルテット・ベルリンにも伝染しているのか、
あるいは、ライスターが取ったテンポが、
何か超越したものを指向し、有無を言わさず、
カルテットを同化していくのか。
第三楽章など、この世のものとも思えない美しさで、
私に突き刺さって来る。

正確には不明ながら、この組み合わせは、
親子ほどの年齢差があるだろう。
デビューしたてのカルテットと、
オーケストラを隠退した管楽器奏者である。
ライスターの影響力か、世代間の葛藤か。

ということで、今回、一通り聞いた中で、
これはやはり出色のものであった。
ただし、ライスターを聞いたというべきかもしれない。

さて、それからはメンバーは安定したのだろう。
この前の1999年のレーガーの録音でも、
各奏者は、同じメンバーだった。


b0083728_21454922.jpgこの時、感じた、この団体の不満が、
聞き間違いではなかろうかと、
このように、ついつい、
いろいろ聞き比べたが、
ライブ録音で、ブラームスの
「クラリネット五重奏」も発見した。

前回取り上げたレーガーと同様、
フックスのクラリネットが参加している。
最初に同じ作曲家の「第二弦楽四重奏曲」
が収録されている。


1997年11月29日、
「ブラームス・マラソン」というシリーズの、
カンマ-ムジークザールのライブ録音というが、
会場のノイズはほとんど気にならず、
非常にクリアな録音である。
IPPNW-CONCERTSのシリーズ。

録音のせいか、あるいは、
ディーセルホルストの演奏が変わったのか、
チェロの音がかなり明瞭に聴き取れる。
ライブということで、熱気や勢いもあろうと期待したが、
やはり、クラリネットと、
ヴァイオリンの表情ばかりが目立つような気がする。
どうも、この団体の伝統として、
チェロはしっかりした後見人みたいな感じで、
燃えない主義なのだろうか。
特にラプソディックな第二楽章。
要所、要所でソロを聴かせるべきヴィオラにしても、
どうも、はっと息を飲む美しさに欠ける。
非常に、等質な音楽作りで、
「有機的」であることは理解できるが、
私はないものねだりをしているのだろうか。

多少危なっかしい、線の細いヴァイオリンを聞いていると、
ひょっとしたら、ヴァイオリンにしても、
前のジェンコフスキーの方が意欲的だったのではないか、
などとも思えて来た。

b0083728_21462078.jpgこのCDの解説は、全部ドイツ語。
ただし、フィルハーモニアの
顔ぶれはやたらかっこよい。

とはいえ、
表紙の絵画については、
何も書いていない。
ここから、
ブラームスを
読み取るのは不可能。



こんなデザインからも、
1968年録音のモーツァルトのLPを飾っていた、
あの時代から、急速に世界が均質化され、
当時覆っていた神秘のヴェールが薄くなってきた事を痛感する。

得られた事:「今さらながら、『室内楽の妙味』は時折出る、独奏部分の個性。」
[PR]
by franz310 | 2008-08-02 21:50 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その104

b0083728_2014677.jpg個人的経験:
前回は、はからずも、
シューベルトと、
詩人マイヤーホーファーとの、
いわく言いがたい
怪しい交情について触れたが、
そもそもは、ゴシップ収集ではなく、
シュレーゲル歌曲集を書いた頃の
シューベルトの生活を
探ってみたかっただけだった。

このシューベルト生涯編の原文は、
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集にあるものだが、
前回、すべてを訳出することが出来なかったので、
この後で、再び、取り上げることにしたい。

さて、前々回、シュレーゲルの詩の歌曲は、
最近まで、あまり歌われていなかったと書いたが、
有名な歌手では、エリー・アーメリングなどは、
いくぶん、積極的にこれらの歌曲を歌っていたようだ。
というのも、1982年の録音によるフィリップスのLPには、
シュレーゲル歌曲が2曲あり、
1984年に録音された同じくフィリップスのCDでは、
シュレーゲルの詩による歌曲が、
15曲中、4曲も含まれているからである。

あまり、意識していなかったのだが、
見直して見ると、アーメリングは、この時代の歌曲に、
かなりの思い入れを持っていたようである。
この二枚のLPやCDに含まれる、1819年から20年の歌曲は、
前述のシュレーゲル以外にも、ジルベルトの「夕べの情景」D650や、
ノヴァーリスの「夜の賛歌」D687、
グリルパルツァーの「ベルタの夜の歌」D653の3曲が82年盤に、
シラーの「ギリシアの神々」D677が84年盤に収められている。
これらの歌曲は、以下に訳出した、
ジョンソンの解説にも出てくるものである。

シュレーゲルの歌曲では、
1982年盤に、「夕映え歌曲集」の、
「星」と「少年」が、選ばれている。
このLPやCDは、録音がよいことで話題になったので、
多くの人が聞いたはずのものである。

実は、私も、このレコードには感服した。
アーメリングは、かなり若い頃から活躍していたので、
この頃は、もう盛期を過ぎたようなイメージがあったが、
1938年生まれなので、まだ45歳くらいで、
まさに円熟期にあったようだ。

アーメリングの精妙な歌声が、
雰囲気豊かに部屋を満たし、
完全に満足してしまった時の驚きは生々しい。
これまでは、単に清澄な歌声と思っていたのだが、
非常にこくのある、中音域に豊かさを増した響きになっていて、
詩の内容などは考えなくても、感覚的にも癒される感じであった。
伴奏が、長らくフィリップスを支えた、
名手、ボールドウィンというのも、
何となく嬉しかった。

とはいえ、感覚的な楽しみを離れて、
良く内容を見てみると、このレコードは、
最初の「音楽に寄せて」や、「私の挨拶を」や、
LPでは裏面冒頭の「春への憧れ」や「子守歌」以外は、
ほとんど知られていない歌曲で占められていて、
何らかのテーマが隠されているのだろうか、
と考えさせられる内容となっている。

1. 音楽に寄せて D547(ショーバー詩)
2. 妹の挨拶 D762(ブルッフマン詩)
3. 私の挨拶を D741(リュッケルト詩)
4. 花の言葉 D519(プラートナー?詩)
5. 月に寄せて D296(ゲーテ詩)
6. 夕べの情景 D650(ジルベルト詩)
7. 春への憧れ D957の3(リュッケルト詩)
8. 最初の喪失 D226(ゲーテ詩)
9. 夜の賛歌 D.687(ノヴァーリス詩)
10.星 D684(シュレーゲル詩)
11.少年 D692(シュレーゲル詩)
12.子守歌 D498(クラウディウス?詩)
13.ベルタの夜の歌 D.653(グリルパルツァー詩)

このLPないしはCDは、ジャケットの美しさでも、
際立っている。アーメリングのお澄ましの表情、
コートの襟をそっと立てた様子が、
彼女自身の秋、素晴らしい黄金の秋を背負って、
渋い光を放っている。
コートのボタンもきらりと光って、言うことがない。

残念なのは、あのフィリップスのレーベルマークがなく、
少々安手の「degital recording」というマークが入っている点で、
その他は、文字の配色やレイアウトも、
有無を言わさぬ完成度を誇っている。
これはみんなが欲しくなるデザインであろう。

残念ながら、私の手持ちのLPにはプロデューサー名がない。
こんなに美しい写真を撮った人も、カバーデザインの人も名前がない。
先の、1984年盤を見ても、これらの名前はない。
最近、マイナーながら良質のCDを見て来た後なので、
ちゃんと録音データや製作者のデータが揃っているのが、
高品位の条件と考えていたのだが、
せっかくひいきにしていたのに、
老舗フィリップスのこうした失点を見つけるのは悲しい。

ちなみに録音場所だけは書かれている。
82年盤がロンドンで、84年盤がオランダだった。

天上の鐘の音が降り注ぐ「夕べの情景」や、
ノヴァーリスの「夜の賛歌」、シュレーゲルの「星」のような、
一種、宗教的な陶酔を伴う歌曲は、ここでのアーメリングの、
清らかさと深みを持った歌声にはぴったりである。
それを名録音が支えている。

解説は、アーメリングを、
「最も深く歌曲の世界に錘を下ろした人」と、
独特の表現で、この歌手を称え、レコードで、
「秘かに歌の肌合いを味わっていく時」に本領を発揮する、
といったことを書いている。
曲目解説も丁寧だが、ドイチュ番号519~762という、
時期のものが13曲中、9曲も占める理由については、
何も書いてくれていない。

ということで、この録音によっても、
ある程度、1820年前後のシューベルトを味わうことが出来る。

さて、このように、ノヴァーリスや、シュレーゲルなど、
ドイツ・ロマン派の本丸に切り込んでいた頃の、
シューベルトの日々を、前回からの続きで読んでみよう。
ハイペリオンのシューベルト歌曲全集で、
ピアノと解説執筆を受け持っているグレアム・ジョンソンが、
書いたものである。
前回は、1818年、ゼレチュから帰ったシューベルトが、
友人のマイヤーホーファーと、
怪しい共同生活をしていたことを読んだ。
彼ら二人の共同作業の最初の成果は、
「孤独」と題された、長大な実験作であった。
今回はその続きである。
「シューベルトは、マイヤーホーファーと暮らすために、
ハンガリーから戻って来たが、
たちまち、この詩人の学識と教養の熱狂の世界の中に、
押し込まれてしまったに違いない、
彼は、1819年前半には、
たった一曲の詩への作曲しか出来なかった。
彼はおそらく、それ以上、何も出来ないほど、
マイヤーホーファーがした努力と同様の注力を、
『孤独』に対して行ったと感じていた。
テキストの選択に関して、この時期のシューベルトの作曲は、
際立った変化を見せている。
彼はもはや、バラードや物語詩には興味を失ったように見え、
最初のゲーテのフェーズを過ぎ、この偉大な詩人には、
(たった2曲であるが、)この年の終わりまで戻ってこなかった。
彼は手広く、近くの存命の作家や、ヴィーンに住む有名な同時代人、
シュレーゲルや、ジルベルト、ヴェルナー、
シュタッドラーやシュレヒタといった友人たちの作品に傾倒した。」
シュタッドラーは、五重奏曲「ます」を写筆した人で、
シューベルトの学友だった人だ、
シュレヒタも同様に若い頃からの友人で、後に、
大蔵省の局長にまでなった人である。

「これらのテキストの多くは、
コンヴェンショナルなローマ・カトリックの感覚にはない、
精神的な要素とでも呼ばれるもの、多くは、神学の代用であり、
特に、フリードリヒ・フォン・シュレーゲルの初期の著作に見られる
汎神論のようなものが含まれていた。
脱線したようなシラーの二曲を別にしても、
18世紀的な人物として、シュレーゲルの若き日の友人で、
ノヴァーリスと呼ばれていた
フリードリヒ・フォン・ハルデンベルグという詩人がいる。
おそらく、抽象的な意味で、シューベルトが取り組んだ中では、
ノヴァーリスの著述以上にやっかいなものはなかっただろう。
大胆なアレゴリーの利用は、現在でも理解は容易ではなく、
この意味で、ノヴァーリスは誰よりも近代的な詩人であった。
彼の修辞的なアレゴリーと単純な信心深さの融合こそが、
この詩人を驚くほど今日的にしているものである。」

「青い花」で知られる知られるノヴァーリスは、
ロマン主義を代表する詩人だが、
私の経験から言うと、読んではくじけるといった難物であるが、
こんな人の作品に取り組んでいたシューベルトは、
まだ22歳の若僧である。
これらの歌曲を聴くたびに、シューベルトの文学的な才能にも、
驚嘆せずにはいられなかった。

「この時期、シューベルトが哲学的、
形而上学的な詩に熱中していたことは、
エリザベス・マッケイが述べているように、間違いなく、
マイヤーホーファーや、シューベルトが1814年から属していた読書会、
『教養サークル』の影響であろう。
ここでは、すべての哲学の流派、最新の文学、
これから見ていくように、非常に危ないことに、
政治が議論されていた。
比較的制限された知的背景しか持っていなかったシューベルトが、
彼の思想を形成する大量の文学作品と出会ったのが、
このサークルであった。
これらの詩を彼が音楽化したのは自然なことであった。」

おそらく、このようなオタクの会合のバックグラウンドなしには、
これら難解な詩作を、
自信を持って作曲することなど出来なかったであろう。
ちなみに、アーメリング盤の「夜の賛歌」は、以下のように訳されている。
三善清達という人が訳している。

「向こう側の世界へと私は歩みます、すべての苦しみは、
いつかは快楽の刺となることでしょう。
もうわずかの時が経てば、私は自由になり、
恍惚として愛の膝に横たわります。」
なんじゃこりゃ、の内容で、「夜の賛歌」というより、
「薬物賛歌」みたいな感じもする。

「おお、愛する方よ、私を力強く吸ってください、
私が眠りに入り愛することができるように。」
夢の中に吸い寄せられることを願っているのだろうか。

「私は死の若返りの潮を感じ、
私の血は霊液と霊気に変わります。
私は昼間は信仰と勇気に満ちて生き、
夜な夜な神聖な炎の中で死ぬのです。」
何とも、面倒くさい夜である。
寝るたびに、これから神聖な炎に入るぞ、
と考えていたのだろうか、
ノヴァーリスという人は。

シューベルトの音楽は、霊妙なエーテルの気配を漲らせ、
時折、忘我の表情を見せる。

内容的にも、
その他のノヴァーリス歌曲のキリスト全面賛美よりは、
まだ、心理的障壁の少ない内容と言えるだろう。

音楽も他の曲よりは、ずっと神秘的な色調を持っている。
法悦の高まりもまずまずである。
解説には、「死へのいざない」とあるが、
夜な夜な死んでいたら、たまったものではない。
眠りを擬似の死体験として尊重していたのだろうか。

ちなみに、その他のノヴァーリス歌曲で、
前回取り上げたリポブシェックが歌っているのは、
以下の4曲である。

「賛歌第一」は、
「最後の晩餐の神々しい意味は地上の人間にとって謎である」
と歌われる7分もかかる大曲。

それに対し、以下の3曲は、
類似の題名ながら、2分程度の小品である。
「もしあの方を持ってさえいれば、その場所が私の祖国です」
とキリストを讃える「賛歌第二」、
「私は喜んであなたに永遠にこの心を捧げます」
と信仰告白する「賛歌第三」、
「すべての人に言おう、あの人は生きており、
復活されたのだ」と復活に狂喜する「賛歌第四」は、
いずれも内容がシンプルすぎて、ノヴァーリスが、
実際に言いたかったことが気になる。

さて、解説に戻ろう。
「1819年前半の歌曲作曲の結果は以下のようなものである。
D633 蝶々(シュレーゲル詩)
D634 山 (シュレーゲル詩)
D637 希望 (シラー詩)
D638 小川のほとりの若者(シラー詩)
D645 夕べ(断片)(ティーク詩)
D646 茂み (シュレーゲル詩)
D649 さすらい人 (シュレーゲル詩)
D650 夕べの情景 (ジルベルト詩)
D652 乙女 (シュレーゲル詩)
D653 ベルタの夜の歌 (グリルパルツァー詩)
D654 友に (マイヤーホーファー詩)
D658 マリア (ノヴァーリス詩)
D659 賛歌Ⅰ (ノヴァーリス詩)
D660 賛歌Ⅱ (ノヴァーリス詩)
D661 賛歌Ⅲ (ノヴァーリス詩)
D662 賛歌Ⅳ (ノヴァーリス詩)
D663 詩篇13 (モーゼス・メンデルスゾーン訳)」

先にも書いたように、アーメリングのLPにも、
ここで上げられている「ベルタの夜の歌」が取り上げられている。
グリルパルツァーの劇「祖先の女」から取られた詩だということだが、
「罪の幻影たる祖先の女の予言によって悲劇を迎えるドラマ」
とLPの解説にあり、単なる子守歌ではない模様。
「悲しみに目覚めた目をお前が知っているならば、
かわいい眠りよ、その目を閉じてやっておくれ!」
とわが子を寝かせつける母親の言葉が不気味。
ちなみに、この曲は、リポブシェック盤には収められていない。

以下、シューベルトのシュタイアーの旅に関する舞台裏が書かれている。

「フォーゲルの仲介によって、シューベルトはケルントナートーア劇場から、
まだ上演はほぼ1年の後であるにもかかわらず、
『双子の兄弟』に対する前払いを受け取ることが出来た。
この報酬は、この有名な歌手との夏の休暇を計画することを可能とした。
彼はその出身地で8週間の余暇を取ることに決めていた。
このヴィーンからの逃避は、シューベルトにとって歓迎すべきことであった。
マイヤーホーファーはいつも気分屋で緊張を強いられ、
さらにもう一つの苛立ちの原因がウィップリンガー通りにはあった。
たまたまではあるが、作曲家アンゼルムを兄に持つ、
ヨーゼフ・ヒュッテンブレンナーが同じ建物に部屋を持っていた。
最初はシューベルトが手近に、使い走りをしたり、
筆写したり、金銭管理などなどを行う、
世話係を持つというのは、良いアイデアに思われた。
しかし、すぐにこの措置は、作曲家をうんざりさせるようになり、
ヒュッテンブレンナーは、しつこい厄介者になってしまった。
この情報は、シューベルトの最初の伝記作者、
クライスレ・フォン・ヘルボーンを通じて我々は知るところとなる。
シューベルトはどんどんヒュッテンブレンナーに対して短気になって、
乱暴で失礼な言葉遣いをするようになったようである。
結果として、作曲家の仲間からは、『暴君』と呼ばれるようになってしまった。
ここにあまり報告されることのない、この作曲家の一面があり、
聖人のような平静さばかりを、シューベルトに見たくない人たちは、
永遠に快活なシュバンメルルちゃんのイメージを打ち消す、
この毒消しを歓迎するだろう。」
私は、これまで、「双子の兄弟」については、何となく、依頼された仕事として、
あまり重視していなかったが、こうして読むと、非常に重要な作品に思えてきた。
また、この作品なくしては、シューベルトは休暇も取れなかったのだろう。
フォーグルはただで出身地に招待したのではなく、交通費などは、
シューベルトが自分で出したのだろう、と考えると、何時の世も世知辛い。

また、ヒュッテンブレンナー兄弟の位置づけが、
ここで、改めて確認できたのは儲けものであった。

以下、シューベルトの最も幸福なひと時の描写となる。
こうした環境で、「ます」の五重奏曲が書かれたものと、
我々は聞かされてきた。
「1819年、七月中旬、シューベルトはフォーグルとシュタイアーに旅立った。
一度、そこに到着すると、彼は、シュレーマンの家に宿を取った。
この人はフォーグルの昔からの知り合いで、シューベルトの学校時代の友人の、
アルベルト・シュタッドラーの親戚で、このシュタッドラーの家族もたまたま、
同じ建物に住んでいた。
他の幸福な交際によって、この心地よい環境はさらに満たされたものとなった。
二人の音楽家は、ヨーゼフ・フォン・コラーと、
その娘、ヨゼフィーネの家で食事を取ったが、
彼女が美人で歌手としてもピアニストとしても優れていたので、
シューベルトには大きな印象を与えたものと思われる。
彼はシュタイアーを去るときに、彼女に、
ピアノ・ソナタ イ長調(D644)の手稿を手渡していた。
(3人の歌手が『魔王』を歌ったのも、コラー家でのことである。)
美しい郊外への午後の散歩や、それに続き、
シューベルトが、名士であり郷土の誇りのフォーグルに適切な伴奏をした、
私的な音楽の夕べによって、楽しさはいや増した。
この訪問で、シューベルトは、裕福な独身者で、フォーグルの友人であり、
素晴らしい音楽愛好家、アマチュアのチェリストで地域の音楽パトロンでもあった、
ジルヴェスター・パウムガルトナーとも出会った。
パウムガルトナーの委託によって、『ます』の五重奏曲が、
1819年に作曲されたというのは、大いにありうることである。
ブライアン・ニューボールトは、五重奏曲のパート譜筆写が、
シュタッドラーの手になることから、この傑作は、この年、
ヴィーンに帰ってから書かれたとされる従来の考え方ではなく、
まさにこの休暇中に書かれたものだと指摘している。
さらに8月には、リンツまで出かけて短期滞在をし、
1816年来会っていなかった、
旧友のヨーゼフ・ケンナーや、アントン・フォン・シュパウンと、
会うことが出来たことがシューベルトを喜ばせた。
彼はシュパウンとの交流を再開させ、アントン・オッテンヴァルトとも、
友達になった。彼は、じきに結婚して、シュパウンの家族となるのだった。
オッテンヴァルトは、同時代、最もシューベルトに共感した人で、
1825年、シューベルトの次回のリンツ訪問では、
作曲家の個性を直感的に捉えている。
シューベルトは、1817年の『揺り籠の子供』(D579)以来、
個人的な付き合いが始まる前から、その詩に作曲を行っていたので、
オッテンヴァルトにその歌曲を演奏するという幸福な機会を持った。」
これは、想像するだに、
心ときめくひと時であったことだろう。

「8月10日、フォーグルは、彼の51歳の誕生日を祝い、
現代人の目から見れば、ごますりと思えるような、歌手を称える詩を、
シュタッドラーが書いたが、
これは、当時としてはトラディッショナルなものである。
シュタッドラーは、苦労して、グルック、メユール、ギロヴィッツ、ケルビーニ、
そしてワイグルといった、これまで歌手が手中にした演目を引用して合体させた。
シューベルトはソプラノ、テノール、バスの三重唱とピアノ用に、作曲を行った。
作曲家自身がバスのラインを歌い、シュタッドラーはピアニストだった。
才能あるジョセフィーネ・フォン・ケラーがソプラノ、
地域のテノール、ベルンハルト・ベネディクトが賛助出演した。」
この三重唱曲も楽しいもので、この頃のシューベルトの日々を、
想起させるものとなっている。

「翌三月、慣例に基づいて、
ヨーゼフ・フォン・コラーの命名日のために、音楽を作曲している。
ここでもまた、シュタッドラーが詩人とピアニストを兼ね、
歌手は当然、ヨゼフィーネだったが、シューベルト自身は、
1820年3月、シュタイアーにはいなかったので、
初演には参加できなかった。」

以下、またまた問題のマイヤーホーファーとの関係が描かれる。
完全に週刊誌ネタだが、読まずにはいられない。
「リンツからシューベルトがマイヤーホーファーに出した手紙は、
最も異常な資料の一つである。
兄のフェルディナントに書いて、
両親や残りの家族にも読まれることを想定した手紙のように、
いろいろなことをしてもらった綺麗な女性たちについては、
まったく触れていないことに注意すべきである。
それに、『・・を、どんなに楽しみにしていることか。』
というのは筆を滑らせたのであろうが、
何か他の人の目に触れることを恐れて書けなかったのだろうか。
続くこのフレーズで、シューベルトはマイヤーホーファーに、
フィリップ・カールという、クレムスミュンスターの学生が、
両親のいるイドリアに向かう途中、ヴィーンを通るときに、
作曲家が不在の間、そのベッドを使わせて欲しいというリクエストをしている。
(要するに、僕は君が彼によくしてくれることを望む。)
マイヤーホーファーの孤独好きや、住空間の劣悪さを思うと、
これは完全な見ず知らずの人に対しては異常な要望のように思える。
Maynard Solomonは、彼の刺激的なエッセイ、
『シューベルトとベンヴェヌート・チェリーニの孔雀』の中で、
ホモセクシャルなサブカルチャーの文脈で、これを読み解いた。
我々は、このカールについては、マイヤーホーファーと実際、
知り合ったということ以外、何も知らない。
彼は、1824年のマイヤーホーファーの
詩集の予約者の名簿に名前が見える。
ソロモンは、シューベルトはマイヤーホーファーのために、
別の慰めとなるセクシャルに共有可能な若い男に会う機会を、
設けたのではないかと確信している。
もし、そうならば、シューベルトの振る舞いは、確かに、
マイヤーホーファーの
『優しさと粗野、みだらで誠実』という記述どおりである。
これはまた、シューベルトが、
マイヤーホーファーの愛に耽溺していたのではなく、
彼らの間に起こったことを示すものである。
シューベルトの方は、軽く考えていたようで、
事実、彼は、すでにマイヤーホーファーが激しさを治めるような、
違う関係となることを求めていたかも知れない。
詩人がシューベルトよりも、深くのめりこんでいたのは、
悲しいことに、年配の者が若い者を思うときの必然でもあった。
マイヤーホーファーとシューベルトの友情と共生のミステリーは、
9月中旬に作曲家がヴィーンに戻って、さらに深まる。」

以下、幻のオペラ「アドラスト」に関する貴重な情報が書かれている。
これは、私が今まで読んだ
シューベルトの評伝では見たことがないものである。

が、今回も長くなりすぎたので、このあたりでやめておこう。
次回は、1820年のシューベルトについて書かれた部分となる。
「シューベルトはマイヤーホーファーに台本を書かせると、
いつも、この詩人の歌詞への作曲もおこなった。
1821年から22年の歌劇『アルフォンゾとエストレッラ』
の場合も同様で、これを書いている時には、
その台本を書いたショーバーの詩による歌曲をいくつも書いている。」
得られた事:「『ます』の五重奏曲が、1819年、シュタイアーで書かれたとされる根拠となるのが、当地の友人、シュタッドラーの写譜の存在である。」
[PR]
by franz310 | 2008-01-05 20:05 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その51

b0083728_22205818.jpg個人的経験:
前掲の書、
「栄光のウィーン・フィル」
によると、名指揮者の、
エーリヒ・クライバーが、
戦後ヴィーンにやってきて、
最初にヴィーン・フィルの
楽長に発した質問は、
「いったいいくつの弦楽四重奏団が、
オーケストラ内に存在するか」
ということだったという。


五十年代の四重奏団として、
コンツェルトハウスと、
バリリ四重奏団の二つが有名であるが、
このうち、バリリ四重奏団は、
コンサートマスターの
シュナイダーハンが率いていたのを、
バリリが受け継いだものとされ、
そのシュナイダーハン四重奏団創設の
逸話もまた、
先の書物には詳述されている。

つまり、ヴィーン・フィルには、吹奏楽団(管楽合奏団)があって、
彼らが、1938年から9年のシーズンの最後に、
シューベルトの八重奏曲をプログラムに乗せ、
それを演奏するために、弦楽の四重奏団の参加を、
シュナイダーハンに依頼したというのである。

「シュナイダーハンは、
各弦楽パートから首席奏者を選んだ。」
この一文からも、
この四重奏団がエリート集団であることが分かるし、
第二ヴァイオリンに選ばれた、この本の著者でもある、
シュトラッサーの誇りとか気負いのようなものを、
私などは感じてしまう。

この吹奏楽団とは、いったい誰なのであろうか。
1948年から49年にかけて、シュナイダーハン四重奏団
(シュナイダーハン、シュトラッサー、モラヴェッツ、クロチャック)が、
コントラバスのリュームに加え、
クラリネットのヴラッハ、ホルンのフライベルク、
ファゴットのエールベルガーらと、
コロンビアに残した録音がCD化されているので、
この人たちがその吹奏楽団だったのかもしれない。

彼らは、各々、28年、32年、36年に、
ヴィーン・フィルの首席奏者におさまった人たちなので、
おそらく、間違いはあるまい。

オーストリアの批評家、ハンス・ヴァイゲルの書いた、
「ウィーン・フィルハーモニー賛」という本にも、
この楽団のすべての名手の名前を連ねることは断念するが、
次の人たちだけは、という表現で、この人たちの名前が紹介されている。

「そういうわけで私の賛歌は過ぎ去った時代の達人に捧げられることになる。
ウィーンはいつもそのオーケストラを愛したばかりか、それと並んで、
とくに偉大なホルン奏者カール・シュティーグラー、
その甥のゴットフリート・フォン・フライベルク、…
ヴィオラのエルンスト・モラヴェッツと才子アントーン・ルーツィッカ、
チェロのフリードリヒ・ブクスハウムとリヒャルト・クロチャックと
オットー・シュティーグリッツ…
クラリネットのヴィクトル・ポラチェクとレーオポルド・ウラッハを愛した。」

このように、このレコードは、弦も管も、
まさに決定盤に値する顔ぶれによってなされていたことが分かる。

ところが、この管楽器の首席奏者たちは、
そのわずか2年後に、ウェストミンスターに、
同じ曲を録音していて、
現在では、こちらの方がはるかに有名なレコードとなっている。
しかも、協演した弦楽四重奏団は、
シュナイダーハン四重奏団の後継たるバリリ四重奏団ではなく、
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団であった。

ウェストミンスターの売りは、
LPに相応しいテープ録音である。
細切れに録音されて、
SP盤用のシュナイダーハンらのレコードは、
演奏の質の如何にかかわらず、早晩、忘れられる運命にあった。
個々の楽器に対する録音の生々しさからも、テクノロジーの差異は明瞭だ。

ただし、ウェストミンスターが、ベートーヴェンの七重奏曲を、
3年後に録音したとき、このエリート木管グループには、
より相応しい相手が選ばれた。
シュナイダーハンの後継者、バリリらのアンサンブルである。
弦楽器群も再び、すべて首席奏者で固められたわけである。

とはいえ、コンツェルトハウス四重奏団のチェリスト、
クヴァルダは、一目置かれる存在だったようだ。
シュトラッサーの著作でも、「大ドイツ帝国」に編入された
ヴィーン・フィルが、実質的に若返ったという証拠として、
シュナイダーハン、ボスコフスキー、バリリの、
3人のコンサートマスターを得たこと、
若い3人のソロ・チェロ奏者を得たことを特筆している。

「エマニュエル・ブラベッツ、フランツ・クヴァルダは、
リヒャルト・クロチャックと共に、そのランクにおいて、
知識において、私たちの最良の時代同様のソロ奏者たちだった」
と書いているからである。

コンツェルトハウス四重奏団が、57年に、チェロのクヴァルダを失ったあと、
ウェストミンスターは、当然のように、「ます」のステレオ再録音に、
バリリ四重奏団を選んだ。

グラモフォンがカンパーらを使った時、コンツェルトハウス四重奏団としてではなく、
シューベルト四重奏団という偽名のようなものを使ったのも、
すでに、「格下」という扱いが働いていたのではないだろうか。

そもそも、コンツェルトハウス四重奏団を率いたアントン・カンパーは、
ヴィーン・フィル内で、どのような立場にあったのだろうか。
シューリヒトが指揮台に立っている写真などを見ると、
ヴァイオリンの前から三番目くらいに坐っているのが、
カンパーではなかろうか。コンサートマスターからは遠い席である。

このカンパーらの「ます」(すでに紹介済みのデムスとのステレオ録音)と、
栄光あるコンサートマスターであり、ソリストとしても大成した、
シュナイダーハンの独奏によるヴァイオリンのソナチネの一曲を、
組み合わせて出したドイツ盤LPがある。

私は、シュナイダーハンの弾く、シューベルトのソナチネ3曲のレコードを、
中学生の頃より愛聴しているので、
このようにそこから一曲だけ切り貼りしたようなレコードにも、
複雑な気持ちを禁じえない。

また、かつて、SP期からLP期の変わり目で、
八重奏曲をめぐって因縁あったヴァイオリニストたちが、
同じ盤面に演奏を刻んだ形になったが、こう書いてくると、
この盤に対しての複雑な心境はさらに深まる。

編集の都合で、演奏者の意志とは無関係に出来上がった製品であろうが、
偶然のことながら、想像以上に意味深な製品ということだ。

ここでは、カンパーの名前は、一切、あがっていないのも象徴的。
クヴァルダが参加していたら、こうはならなかっただろう。

そんなことを考えながら聴くと、チェロのバインルの存在感が、
いまひとつなのも、勝手にうなずけてしまう。
そもそも、録音技師が、それを拾う気がなさそうだし、
録音に対して、ふざけるなと、言えるだけの経験がなかったかもしれない。

こうした時は、カンパーが、若い奏者に代わって、
ふざけるな、というべきだったかもしれない。
が、それも出来なかったかもしれない。

それを推し量って、デムスが、注文を出せばよかったのだろうが、
ピアノとヴァイオリンはクリアであるし、ステレオ初期の実験段階でもあり、
そこまで意識が働かなかったかもしれない。
たびたび来日しているデムスであるから、
早く、どなたか、このあたりの秘話を聞き出して欲しいものだ。

第五楽章が終わると、
シュナイダーハンの演奏(ピアノはクリーン)が始まるが、
非常に説得力のある、陰影に満ちたシューベルト。
聴きなれているせいもあろうが、前半の曲目より、私のシューベルト像に近い。

ジャケットのデザインは、ある絵画から一部を切り出したもので、
廉価盤ならではの、可もなく不可もないものと言えよう。

得られる事:「大組織における格付けは、様々な側面で影響を及ぼす。」
[PR]
by franz310 | 2007-01-01 22:13 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その49

b0083728_19974.jpg個人的経験:
今回は、
コンツェルトハウス四重奏団の変遷を
CDの表紙に使われた写真から、
概観してみたい。

懐かしいテイチクレコードから出た
モーツァルトとシューベルトの
五重奏曲を収めたものは、
全盛時代と言われる
1950年代前半のもの。

オーストリア放送局の
録音ということで、
この国の
ローカルレーベル、
プライザーからライセンスを
得ているとある。

気のせいか、有名な
1950年録音の
ウェストミンスター盤より、
勢いを感じさせ、
同様にモノラルながら、
録音の鮮度も高い。

このCDの表紙では、
第一ヴァイオリンのカンパーも、
まだ、壮年といった感じである。

そもそも、この四重奏団は、
コンツェルトハウスでの
定期演奏会によって、
この名前を
名乗るようになったというが、
その前は、
カンパー=クヴァルダ四重奏団と
呼ばれていたようである。

つまり、カンパーと、
チェロのクヴァルダは
同格ということで、
この写真でも、
チェロの貫禄はさすがである。

解説は、宇野功芳氏が担当しており、
「即興性と甘味な陶酔は
コンツェルトハウスの独壇場」
と絶賛している。

さて、この貫禄のチェロのクヴァルダが、
57年にバインルに、
さらに第二ヴァイオリンのティッツェが
ウェラーに交代するが、
この交代後のメンバーが、
日本に来たということだ。

ティッツェは、そんなに年配とは
思えないのだが、実際には、
早く亡くなったということである。

b0083728_1105961.jpgという目で、1960年の
来日時に録音されたという、
このDENON盤の
CDの写真を見てみると、
確かに、両端は、年は取ったが、
見覚えのある顔である。
当然のことながら、中央の二人は若い。

カンパーは眼鏡をかけ、
いかにも旧世界から
迷い込んだような風情である。
ヴィオラのヴァイスは、
こちらを睨みつけている。

このCDでは、
ウェストミンスターにも録音がない、
ブラームスの四重奏曲第二番が
収録されていることがうれしい。

旧盤はないわけだが、
この後、
第二ヴァイオリンのウェラーは、
第一ヴァイオリンとなって、
ウェラー四重奏団として、
4年後の64年に、
この曲を録音している。

その際、チェロは同じバインルだったが、
この東京での録音を、
思い出したりしたであろうか。

ウェラー四重奏団の演奏と比べると、
このブラームスの録音は、
なんだかふやけた演奏である。

前回紹介したのは、
NHKの放送録音であったが、
こちらはスタジオ録音で、
復刻CDには、
1960年11月21日、東京
という録音日時が記されている。

これは、「死と乙女」と一緒に
収められたものであるが、
こちらの曲は、ヴェラーの録音はない。
むしろ、50年代のカンパーの録音が有名である。

そして、前回も触れたが、
こちらは芳醇な演奏である。
やはり、第一ヴァイオリンが得意とする演奏の方が、
聴き応えがあるということか。

先のNHKの録音のいきさつは
よく分からないが、
このスタジオ録音に関しては、
アシスタント・ディレクターの
回想が解説に出ている。
「10数年遅れで
発足したバリリ四重奏団と、
ウィーン系四重奏団の
双璧をなした
この団体の最晩年を、
記録に留める幸運に
恵まれたのである。」

そして、この四重奏団の魅力を要約して、
「あくまでアントン・カンパーの魅力」と断言している。

しかし、この解説に、
「これら一連の録音が、
創立者カンパーが第一ヴァイオリンを弾いた
唯一のステレオ録音であるのは確かである。」
「主柱だったアントン・カンパーは、
1962年の来日公演と録音を終えて
帰国直後に亡くなった。」
とあるのはどうだろうか。

まず、シューベルト四重奏団という
偽名を使ってではあるが、
彼らは、シューベルトの「ます」を、
グラモフォンに録音しているからである。

さて、先の解説にもあるように、
彼らは62年にも来日したが、その際にも、
NHKが乗り出して、
モーツァルトの「プロシャ王 第一番」と、
ブラームスのクラリネット五重奏曲を録音している。

これらの録音も、
CDに復刻されている。

b0083728_1113774.jpgまず、
表紙の写真から見てみよう。
カンパーは健在で、
オールバックの頭髪に、
シックな角度の演奏姿勢が、
ひときわ、
年代モノであることを
感じさせる。

この演奏姿勢から、
あの優美で芳醇な音が奏でられたのである。

真ん中の二人も、
DENON盤と同じ人である。
しかし、一番右のヴィオラは、
はげ頭になってしまって、
さらに年を取ったということではなく、
ヘンチュケという新しいメンバーに
なっているだけの話。

このように、創立者カンパーは、
一人ぼっちになってしまった。
しかし、演奏は、まったく問題ない。
ただし、モーツァルトもブラームスも、
第一楽章では、テープの回転ムラのようなものが気になる。

このCDにも、貴重な解説があって、大変参考になる。
ここで、ウィーン弦楽四重奏団の第一ヴァイオリンの
ヒンクの回想があって、
「1964年にウィーン・フィルに入団し、
コンツェルトハウス弦楽四重奏団の芸術家たちの
仲間に入れたことは私の誇りでした。」
とある。彼は、ヴァイスとティッツェは亡くなり、
クヴァルダは健康上の理由で退団したが、
カンパーは更に数年間、四重奏団を続けたとある。

つまり、62年の来日の直後に亡くなった人がいたとすれば、
カンパーではなく、鋭くカメラを見ていた、
ヴィオラのヴァイスなのであろう。

さらに、70年代にウィーン弦楽四重奏団の録音を、
現地で行ったレコード・プロデューサーが、
レストランで、カンパーに会ったという逸話も載せられている。

ここには、第二ヴァイオリンのティッツェは、
「早くして不幸な死を迎えた」ともあるから、
この不幸な死がなければ、
コンツェルトハウスの、また、カンパーの運命は、
違ったものになっていたかもしれない。

62年の来日時も、彼らはひっぱりだこであったようだ。
このNHKへの録音が、
NHK TV第3スタジオ(映像もあるのか?)で、
5月28日にあったらしく、
同じブラームスと、モーツァルトのクラリネット五重奏曲の
スタジオ録音が行われたのが、
6月16日(東京文化会館小ホール)であった。
クラリネットはフックスである。

b0083728_112834.jpgこの演奏も美しい。
条件がよいステレオ録音であって、
右からはクラリネットが、
左からはカンパーのヴァイオリンが応酬する。
別の団体の演奏と思われるほど、
たっぷりと歌われている。

ところで、この人に関しては、
LPにもCDにも、
何も書いていないのはどういうことであろうか。



得られる事:「一つのレコードの解説だけを妄信するのは危険である。」
[PR]
by franz310 | 2006-12-17 01:15 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その47

b0083728_23215450.jpg個人的経験:
今回のレコードは、
30cmのLPであるが、
前回と内容は同じ。

ただし、
ドイツ・グラモフォンの
廉価盤レーベル、
ヘリオドールに移行して、
おそらく70年代に
再発売されていたものである。

私は、このジャケットは、
昔、何度か見たことがあり、
今回、中古店で再会して、
たいへん懐かしい感じがした。

前回のジャケットは、絵画があしらわれていたが、
今回は、清冽な渓流の写真となっている。
もちろん、前回のものも高踏的であるが、
個人的には、こちらの方が、音楽の感じを
表わして、好ましいように思える。

もちろん、これくらいの歴史的録音となると、
演奏家の演奏風景であってもよいが、
見慣れているので、これで差し支えない。
初心者に勧めるには、ちょうどよいレコードの体裁である。

解説は、特に書き換える必要を感じなかったのか、
まったく同じ内容で、過不足なく曲に案内してくれている。

しかも、今回のLPは、10インチ盤から30cmに拡大されたせいか、
より、音に伸びやかな余裕があるような気がする。
しかも、録音が1959年と明記してあるのが好ましい。

しかし、今回、のけぞったのは、契約の関係で謎の団体であるべき、
「シューベルト弦楽四重奏団」の下に、
以下のような個人名が、しっかり?付されている点である。

アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
エーリッヒ・ヴァイス(第2ヴァイオリン)
ルートヴィヒ・バインル(ヴィオラ)
ヨーゼフ・ヘルマン(チェロ)

第2ヴァイオリン以下が、
ずれて表記されていることは、言うまでもなかろう。
シューベルトのこの曲に第2ヴァイオリンは必要なく、
代わりに、コントラバスが使われるからである。

このメンバーは、
アントン・カンパー(第1ヴァイオリン)
エーリッヒ・ヴァイス(ヴォオラ)
フランツ・クヴァルダ(チェロ)
ヨーゼフ・ヘルマン(コントラバス)
という1950年録音のウェストミンスター盤の「ます」と、
ほぼ同じ陣容である。

したがって、一般に「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団」と、
呼ばれている団体の演奏と言って差し支えないだろう。
この団体の年譜を見ても、1957年に、
クヴァルダがバインルに替わっているとあるので、
楽器は間違っていても、信頼できるデータと見た。

したがって、正真正銘、コンツェルトハウスの「ます」だと言える。
50年のピアノがスコダであったが、今回は、デムスであるが、
この二人は、時に連弾を楽しんだりしている盟友同士、
ウィーンの音楽家で固められた、本場物の、
しかも、一流の奏者たちによる演奏なのである。

実際、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団は、
60年に来日して熱狂的な歓迎を受けたようだが、この時のメンバーの、
ヴィオラもチェロも、上記ヴァイス、バインルだったのだから。

録音が行われている59年という年は、
非常に、意味深い年であると感じられる。

このスコダが、同じウェストミンスター・レーベルに、
「ます」をステレオで再録音した1958年には、
カンパーたちには、何故かお呼びがかからなかった。
代わりに、登場したのは、バリリ四重奏団である。

この時のことを回想してのスコダの談話が、
ウェストミンスター盤のCD(ユニバーサルから出てるもの)に載せられていて、
「これらの新技術(改良された磁気テープ、プレス技術、そしてステレオ)
を駆使してウェストミンスターのヒット・ナンバーだった「ます」を
再録音することになったのです。
しかし、コンツェルトハウス弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者だった
アントン・カンパー氏はすでに高齢でもあり、
…バリリ弦楽四重奏団と組むことになりました」
とある。

高齢だから、といって外されていたカンパーは、
さらにメジャーな、グラモフォンから声がかかって、
さぞかしはりきったことであろう。

アメリカ人3人が集まって、戦後の復興下の状況にあったウィーンに、
最新のテープレコーダーを持ち込んで、49年から録音を始めた、
新興レーベル、ウェストミンスターにとって、
「ます」は、発足時の起爆剤となった演目である。

単に、ステレオになったから、というばかりでなく、58年の「ます」は、
このレーベルの存続をかけたプロジェクトであったと思われる。
実際、このレーベルは、ステレオ時代に入って経営が悪化。
やがて、創設者たちは、この会社を売り払うこととなる。

このレーベルは、1950年代に走り去った彗星の如きものであった。
LPに始まり、ステレオで終わったと概説することも出来よう。

このレーベルで活躍していた、3つの偉大な弦楽四重奏団のうち、
アマデウス四重奏団は、名門グラモフォンに正式移籍し、
残る二つのウィーン・フィル母体の団体のうち、
若いバリリ四重奏団は、バリリの腕の故障から、第1ヴァイオリンを、
ボスコフスキーに代えて、ウィーン・フィルハーモニー弦楽四重奏団となり、
やはり、名門のデッカに移籍して活動を続けた。

このバリリ引退が例の59年のことである。
バリリ四重奏団は、57年に来日して好評を博し、
再来日が予定され、チケットまで発行されていたにもかかわらず、
それが不能になって嘆いたファンも多かったようだ。

また、同じ59年、「すでに高齢」であったカンパー以外の、
コンツェルトハウスのメンバーは、
ウィーン・フィルのコンサートマスター、ヴェラーを迎えて、
ヴェラー弦楽四重奏団を、組織することとなる。
ヴェラーは20歳だったという。
この団体もまた、デッカから名誉に満ちた録音を残していくこととなる。

そもそも、コンツェルトハウス四重奏団が残した、
ウェストミンスターの名盤のうち、手元にあるものを概観すると、
シューベルトの弦楽四重奏曲全集が50年頃、
ベートーヴェンの「ラズモフスキー」が51年、
ハイドンが54年頃、ブラームスも51~54年頃と、
日本発売が50年代後半であるとはいえ、
こう見ていくと、すでに前半に活動を停止していた団体のようにも見える。

カンパー自身は、67年まで活動を続けていたようだ。
しかし、その10年前に、すでに高齢とされていて、
かつての仲間は、ヴェラー四重奏団と名乗ってみたりして、
さぞかし、寂しかったのではなかろうか。

60年、62年の来日で、いくつかのレコードを残したが、
第2ヴァイオリンの席には、ヴェラーが入っている。
しかも、この時点で、ヴェラー四重奏団は、すでに創設されていたのだ。

そんな事を考えながら、
この、59年録音の「シューベルト四重奏団」の演奏を聴くと、
偽名を使ってではあるが、白羽の矢を立てられた、カンパーの気持ちが、
水を得た魚の如き、「ます」となって、私の心に飛び込んでくる。

風雲児、ヴェラー抜きでの、
束の間の平和の記録だったのかもしれない。

正確な時間関係は分からないが、
デムス(ピアノ)と、ヴェラー弦楽四重奏団による「ます」
となっていた可能性だってあったわけだ。

得られる事:「ウィーンの四重奏団の伝統は、首のすげ替えの連続でもある。」
[PR]
by franz310 | 2006-12-02 23:25 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その46

b0083728_1774117.jpg個人的経験:
前回の、
テスタメント盤の解説に、
アマデウス四重奏団のレコードの
ライヴァルとなった録音の一つに、
「グラモフォンから出された、
デムスのピアノと、
シューベルト弦楽四重奏団の
演奏のものがある」
といった記述があった。

しかし、同時にそこには、シューベルト四重奏団とは、
実体は、コンツェルトハウス四重奏団であるとあって、仰天した。
(おそらく契約の関係で。)
彼らは67年まで活動したから、
58年のアマデウス盤のライヴァルとして、
これが録音されたということは、十分、有り得る話である。

また、先のアマデウス盤の解説によると、
51年から、アマデウス四重奏団は、
アメリカのマイナーレーベルの、ウェストミンスターに10の録音を残し、
HMV、デッカにもレコーディングし、
最終的にグラモフォンに移籍したとある。

どうやら、当時の契約関係は、非常に入り乱れていたようで、
ウェストミンスターの看板アーティストであったコンツェルトハウス四重奏団が、
何かの拍子に、グラモフォンで録音していたとしてもおかしくはないと、
思うようになった。
そういえば、デムスも、もともと、ウェストミンスターの看板ピアニストであった。

私は、この録音、この意味不明な楽団ゆえに、これまで、まじめに聞いていなかった。
こんな名称の楽団は、このレコード以外にないのだから。
私の問題だけではなく、この録音、
デムスのピアノ、ウィーン・コンツェルトハウス弦楽四重奏団の、
「ます」であったとしたら、おそらく、もっと売れたのではないだろうか。

1960年に出た、「世界名演奏家辞典」にも、
「この楽団は、ウィーン最高の室内楽団である・・
特にシューベルトに傑出している」と書かれているのだから。
むろん、デムスも、ここに出ていて、
「現代オーストリアの三大ピアニスト」の一人と紹介されている。

そうした名称問題もさることながら、
実は、このレコードで、もっと気になるのは、ステレオのバランスかもしれない。

ピアノがやたら左から聞こえてきて、
その右、つまりステレオ・スピーカーの真ん中あたりからヴァイオリンが聞こえ、
右の方に窮屈に、ヴィオラ、チェロが聞こえる点ではなかろうか。
コントラバスは、その奥の方にいるのだろうか。
この曲の場合、ピアノが高音で幸福な響きを立てることが多く、
やたら、右に傾いた音場感となる。
部屋が傾いたような、奇妙なステレオ効果が広がる。
演奏者名とは別に、変なレコードという感じがないわけではない。

実は、この曲のシューベルトの書法を、
ピアノ連弾の高音をピアノが、低音側を弦楽部が受け持ったような形、
と評した人(アインシュタイン)がいる。

まさしく、それを反映させたような録音といえるのかもしれない。
ひょっとして、ステレオ初期の実験段階の一例だろうか。
とはいえ、アマデウス盤のような薄っぺらな感じはなく、
当然、立体的であるばかりか、雰囲気も豊かでみずみずしく、
各楽器の存在感も鮮明である。

演奏も伸び伸びとして闊達、
ピアノも弦楽も情感溢れ、活力に満ちた速いテンポで、
シューベルトの夢を広げていく。
疾風怒濤のシューベルトのようで、心に迫るものがある。

私が最近、近所の中古屋で、
たまたま入手したLPは、
私が音楽を聞き始めた時代には、
すっかり市場から消えていた、珍しい10インチ盤で、
この曲が両面にいっぱいいっぱいに収められている。

ジャケットは、この時代(おそらく40~50年くらい前)に相応しく、
近代的な表現で斬新である。それがかえって、時代を感じさせる。
(これはモンドリアン??どこかで見たが思い出せない。)
こんなデザインからも、ようやく、戦後も終わったという感じが漂ってくる。

その解説は、「古今の室内楽曲の中でも、
おそらく最も人気ある曲のひとつであろう。
全篇に若々しく明るい美しさが率直に現れて、
誰にでも理解できる」と書き始められており、
旅先の美しい自然、気のおけない交流といった
若いシューベルトの幸福な日々の産物である旨、
正しく押さえられている。

この解説のとおり、この演奏もまた、若々しく率直で、
非常に好感を持った。必要以上に深刻にはならないが、
迷いや侘しさも十分に表現されている。
終楽章の未来への憧れの表現も秀逸である。

さて、この解説、
まさしく、先のアインシュタインの解説を引用しているのである。
「ピアノは連弾の場合の第一奏者(プリモ)であり、
メロディーをオクターヴで奏するその様式がかなり多く用いられている。
そのため第2奏者(セコンド)である弦楽器群は、
低音を広く取る必要が生じ、コントラバスが用いられているのである。」

コントラバスの名手ドラゴネッティ(1763-1846)が、
この作品でピアノの高音部とコントラバスの奏する快い低音との関係を
絶賛した、とのことが解説に書かれているが、
私は、それを知らなかった。そして、知って嬉しくなった。

ドラゴネッティのような一世代前の音楽家で、
シューベルトを認めた人は、ベートーヴェン以外には、
少なかったのではないだろうか。

だいたい、同世代の作曲家の中でも、シューベルトの真価は、
どうやら分かりにくかったようで、シューマンのように、
十何歳か若い世代が、ようやくシューベルトを認めたのではなかったか。

しかし、同じ楽器を分割した書法なら、この録音のように、
完全に分離して響くのはいかがなものか。
いったい、デムスは他の奏者と、どのようにコンタクトを取ったのだろう、
などと心配になるほどである。

しかし、このレコードをよく見ると、演奏者の紹介覧に、
「シューベルト弦楽四重奏団は、
名流ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のメンバーからなる」
とあって、当時から公然の秘密であったことが分かる。

確かに、改めて、名盤として知られる、
スコダ&コンツェルトハウス四重奏団の「ます」をかけてみると、
生き生きとしたテンポもよく似ている。
しかも、スコダ盤で、弾きとばし気味に感じた第2楽章も、
このシューベルト四重奏団盤では、
よくかみ締めて、味わい深い表現となっている。

おそらく、デムスの表現意欲が、スコダを上回っていて、
このような稀有の燃焼が生まれたのであろう。

また、どこかのマイナーレーベルが、きちんとデータまで載せて、
このあたりの秘話付きで、CD化すれば、音もよいし、
最新録音に負けない価値の商品になるだろう。
ステレオ効果についても、それなりの理由の解説があれば、
希少価値を感じるのではなかろうか。

得られる事:「ステレオ初期には、様々な音響上の実験がなされていた。」
[PR]
by franz310 | 2006-11-26 17:11 | 音楽 | Comments(0)