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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その257

b0083728_17113323.jpg個人的経験:
ベッリーニの「ノルマ」は、
古代ガリア地方の神話的物語である。
異教に身を捧げる巫女が、
このオペラの主人公で、
先進国ローマの代官はなんだか情けない。
ベッリーニやシューベルトの生きた時代、
ゲーテが、「オシアン」などを評価したように、
キリスト教以前の、土俗的信仰に、
当時の人たちは、
憧れのようなものを持っていたようだ。

今日は2010年も押し迫った、
12月26日であるが、
今回、この「ノルマ」の解説を読んで驚いた。
何と、この12月26日こそが、このオペラの
誕生の日だったと書かれているではないか。


先に書いたような幻想的な物語ゆえ、
しかも、ベルカントオペラの最高峰、
などと言われるがゆえに、
ついつい映像でも見たくなってしまった。

今回、そんなこんなで入手したのは、
シチリア島、ベッリーニ大劇場での、
2005年の公演の記録。
ワルター・パリアーロという人の新演出だという。

ディミトラ・テオドッシュウという人が
ノルマを歌っているようだが、
この表紙の写真の、雄叫びを上げている
赤毛の丸っこい女性が、そうであろう。
ノルマと対照的に跪いているのが、
ポリオーネを演じるカルロ・ヴェントレか。

アダルジーザは、ニディア・パラチオスという人。
この人はパッケージの裏に小さく出ているように、
可憐な美人である。
ジュリアーノ・カレッラ指揮、
カターニャ・ベッリーニ歌劇場管弦楽団と合唱団の演奏である。

ここまで書かれると、本場物と言えるのだろう。
イタリアのダイナミック・レーベルのものだ。
何故か、ありがたい事に、日本語字幕がついている。

今日が初演日だという事は書かれていた、
ありがたい解説を読んでみよう。

「『私の最も親愛なるフローリモ、私は、
悲しみの中でこれを書いています。
それも言い表し難いほどの。
私はノルマ初演のスカラ座から戻ったばかりです。
信じられますか、完全な失敗を。
完全な失敗、まったくの失敗です。
なるほど、聴衆は辛辣だとしても、
彼等は私に罪があると考えたようです。
彼等は、軽々しくも、私の『ノルマ』に対し、
ドゥルイド族の巫女と、同じ運命を宣告しました。
私は、『海賊』や『異国の女』、『夢遊病の女』に、
熱狂し、歓喜し、興奮した愛しいミラノ人と、
同じ人々には思えませんでした。
ノルマの事を考えると、
私は、それらと同等の姉妹に思えるのですが。』
1831年の12月26日、
ヴィンチェンゾ・ベッリーニは、
彼の最新のオペラ、『ノルマ』の初演の後、
友人のフランチェスコ・フローリモに宛てて、
このように書いた。」

ノルマの初演は歴史に残る大失敗として知られるが、
このように、作曲家自身が、打ちのめされる事を語った、
生々しい記録が残っているとは知らなかった。

「フェリーチェ・ロマーニのリブレットに音楽を付けた、
この作品は、女性二人のパートに、
ジディッタ・パスタ(ノルマ)、
ジューリア・グリージ(アダルジーザ)という、
非常に有名な歌手を当て、
ポリオーネは素晴らしいドメニコ・ドンツェッリが担当した。」

妙に唐突な言及だが、演奏は悪くなかったということであろうか。
あるいは、万全の体勢で望んだ上演だったということか。

「しかし、物事がすべて、ベッリーニにとって、
悪い方に進んだわけではない。
初日のみが冷ややかに迎えられたのであって、
続く公演では、聴衆の反応は、
次第に温かになっていった。
12月28日には、ベッリーニは、
彼の叔父に宛てて、
『影響力がある人や、
とても裕福なある人物に誘発された
何人かの手強い意見にもかかわらず、
昨日の2回目の演奏は、初演の夜より遙かに、
私のノルマは聴衆に、畏敬の念を残しました。
昨日のミラノの大新聞は、
反対派が逆の派閥の喝采を打ち消し、
有力者が音頭を取って新聞社に圧力を加えたので、
この作品を『完全な失敗』と書き立てましたが。』
この有力者とは、おそらく、ミラノの劇場監督、
モドローンのカルロ・ヴィスコンティ侯で、
ジュディッタ・パスタを中傷する人であった。
また、とても裕福な人とは、実際、
間違いなくサモイロフ侯爵夫人である。
彼女は、そのシーズンの2番目に予定されていた、
オペラの作者である
ジョヴァンニ・パッチーニの愛人で、
明らかにベッリーニのあからさまな敵対者であった。」

ベートーヴェンの例では、
音楽が革新的すぎて失敗するのだが、
陰謀が渦巻いて失敗する、
というパターンは、モーツァルトやロッシーニ以来の、
オペラ界の伝統である。
ちょっと、芸術的な価値とは別にあるようで寂しい。

「しかし、陰謀や不正と関係のないジャーナリストは、
作品に内在する音楽的クオリティをみいだし、
それは、以来、レパートリー入りし、
世界中のオペラ愛好家の、最もお気に入りの作品となった。
三度目の公演の後、ベッリーニは、
バス歌手のジュゼッペ・ルッジェリに、
『私のオペラは、全体として勝利した』
と書き送ることが出来た。」

あんなにしょげていたのが、
わずか3日か4日のうちに、
即、勝利宣言している点がちょっと軽い。

音楽史に轟くには、マーラーのように、
自分の生きている間は無理無理といったニュアンスがないと、
大きな説得力に欠けるではないか。

「『ノルマ』は、ベッリーニが1825年、
最初のオペラ『アデルソンとサルヴィーニ』をナポリで上演し、
作曲家の早すぎる死(Puteaux、9月23日)
に先立つこと8ヶ月、1835年1月24日、
『清教徒』でパリ・デビューするまでに描いた、
芸術の放物線の頂点である。」

なるほど、ノルマは、1831年の作品であるから、
(1825+1835)÷2=1830≒1831。
10年の活動の中間地点にあったということだ。
5年くらいで大成するような世界とも言えるし、
わずか5年で上り詰めた、
ベッリーニの天才を思うことも出来る。
さらに考えると、
1797年生まれのシューベルトの場合は、
一度、1820年くらいにオペラに集中したので、
1801年生まれのベッリーニがデビューしたのと、
ほぼ同年代で、劇場音楽の世界に足を踏み入れたことが分かる。

が、ベッリーニは、毎シーズン、
劇場での修練を積んでいたが、
シューベルトの場合、病気もあって、
そうした継続が出来なかった。

とはいえ、シューベルトも、
1821-2年には「アルフォンゾとエストレッラ」、
1823年には「フィエラブラス」と、
続投の意志はあったのである。
あるいは、石の上にも5年のがんばりがあれば、
偉大なオペラ作曲家の登場、となっていたかもしれないが。

妄想はこれくらいにして解説に戻ろう。

実は、ベッリーニはさらに恵まれていたことが、
以下に、ちょうど書かれている。

「ベッリーニは、ドニゼッティを含む、
多くの同僚とは異なり、
失望に耐えたり、
ランクを上昇する困難を、
我慢する必要がなかった。
1826年の『ビアンカとジェルナンド』は、
ナポリで当たりを取り、
1年後、26歳の時には、
『海賊』でミラノにて勝利を収めた。」

つまり、デビューの翌年からして、
ベッリーニは別格だったようなのだ。

「二つの重要なイタリアの劇場を征服し、
ベッリーニは同僚たちに比べ、
しゃかりきになって働く必要はなくなり、
名誉と報酬に従って契約を取れば良く、
一年に1曲か2曲の作曲で済んだ。」

これは、またまた、うらやましい状況であろう。
シューベルトがまだ生きている時分に、
4歳若いベッリーニは、
早くも、そうした境遇にあったのである。

が、シューベルトの場合、
やむにやまれぬ創造力の爆発で作曲しており、
ベッリーニをうらやましいと、
思ったかどうかは分からない。

いや、聖人化してはならないだろう。
ベッリーニのような境遇になれば、
そうした爆発は起こらなくなったかもしれないのだ。

「1829年には、多くの観点から、
さらに革新的な作品、『異国の女』で、
スカラ座を再度征服した。
数ヶ月後には、パルマでの『ザイーラ』が演じられたが、
これは完全な失敗作で、大規模に再利用されて、
1830年の『カプレーティとモンテッキ』となった。」

連戦連勝のベッリーニにも失敗はあったようで安心した。

「1831年はベッリーニにとって、勝利の年であった。
三月、ミラノにて、数ヶ月後、ノルマを歌った同じ歌手、
ジュディッタ・パスタと共に『夢遊病の女』を舞台にかけた。
ベッリーニはスカラ座の団長、
クリヴェリとさらに1831-2年のシーズンの1曲を含む、
2曲の新作オペラの契約を結んだ。
『海賊』に続き、再度、
リブレットはフェリーチェ・ロマーニである。
新作のオペラは、12月26日の初演である。
しかし、『夢遊病の女』勝利の後、
作曲家とリブレット作者は、仕事のペースもだらけ気味、
作曲家は暑い時期の仕事を嫌い、
ロマーニは、将来の怠惰で、作曲家と衝突し、
そのことでよく諍いを起こした。
夏までに、とにかく、オペラの主題は決まったようだ。
ベッリーニは、アレッサンドロ・ランペーリ宛の
1831年7月23日の日付を持つ手紙で、
『新しい私のオペラの主題は決まっています。
『ノルマ』または『幼児殺し』というスーメの悲劇で、
パリで上演されて、異例な成功を収めているものです。』
スーメのドラマ的舞台作品は、その年の4月6日、
オデオン座でお披露目されたところで、
その勝利は、まだ生々しいものだった。」

なるほど、ベッリーニは暑い時期は仕事が嫌いだったようなので、
夏までに主題を決め、内容を吟味し、秋頃から2、3ヶ月で、
書き上げるパターンだったのだろうか。

シューベルトが大作、「アルフォンソとエストレッラ」を書いたのは、
それより10年前、1821年のやはり秋、9月頃からとされ、
翌年の2月までかかっているので、
基本的には、同じように、
劇場の冬のシーズンを想定して動いたのかもしれない。
が、円熟のベッリーニ(当時30歳)のようには、
24歳のシューベルトはうまく書くことが出来なかった。

「12月の始めから、リハーサルが始まり、
すぐにそれがかなり困難な作品だということが分かった。
ベッリーニが手紙で、『百科全書的人物』と評した、
ジュディッタ・パスタも、
このオペラの核となる、
『清き女神』をマスターするのに苦心惨憺し、
それにはロマーニ、ベッリーニとも、
何度も何度も試行を繰り返した。
遂に、歌手はこれを手中に収め、
この作品の成功に決定的な貢献を果たした。
ベッリーニは手紙で、
彼女とテノールのドンツェッリについて、
初演までに練習のしすぎで声の限界になっていた、
と書いており、
それが、いくらか、初演における、
ミラノの聴衆の冷淡な反応に影響したのかもしれない。
しかし、このシーズンの終わりには、
『ノルマ』はイタリア・オペラの傑作として、
位置づけられていたのである。」

恐ろしい事である。
練習は必要だが、それのしすぎで、
公演が失敗になるということもある。
シューベルトは、ここまで、歌手を追い込むような仕事まで、
経験することなく、オペラの作品群は棚上げされてしまった。

むしろ、そんな努力をしないで済んだ、
作曲に集中することが出来たとでもいうべきか。

では、このDVD鑑賞に入ろうではないか。

指揮者カレッラが登場して、序曲を振る様子が、
克明に捉えられているが、
一見して真面目な学究風のおじさんであるが、
その指揮姿は、入魂といってふさわしいもので、
まるで、ベートーヴェンの交響曲を演奏するかのように、
1音1音に意味を持たせていく、
鮮やかな木管のパートも明敏だ。
暗いピットの中であるが、
楽員の意欲的な演奏姿も見栄えがする。
コーダの追い上げも迫力があって、
オペラを見ないで帰ってもよいくらいである。

幕があがると、幻想的な夜の森のブルーが美しい。
当然、神託のための巨木がそびえている。
ドルイドの長老、オロヴェーゾは、
私が想像していたより長身で精悍な感じ。

リッカルド・ガネラットという人が歌っているが、
その面構えにふさわしくかっこいい。

その後で、森の中をこそこそ徘徊するローマ側は、
真っ赤な装束で、民衆たちの灰色の衣装とは対照的。

ドルイド族を蛮族として支配する立場でありながら、
いかにも退廃的な先進国のイメージが出ている。
代官ポリオーネは、
優柔不断な優男を想像していたが、
ここでのヴェントレは、横綱の体格のひげ面である。

その後、月が昇り、
勇ましい行進曲に合唱が響き渡ると、
ローマ側はびびりまくっている。
このあたりの効果、非常に緊迫感が出ている。
そんな中、野蛮人の神殿など、
ぶっ壊してやると歌い上げるポリオーネの方が、
何だか野蛮な雰囲気である。

やがて群衆が集まって来て、
巫女ノルマが現れるのを待つが、
青い夜の空をバックに神秘の瞬間が演出される。
大きな満月である。
真っ青の服に赤毛のテオドッシュー演じるノルマが、
反戦を唱える。頭に月桂冠のようなものが巻き付いている。
声が美しいが、やはり、神聖なる趣きには乏しい。
これは仕方ないか。

巨木の前で、鎌を振りかざし、
宿り木を取るような仕草の中、
美しいフルートの序奏に導かれ、
「清らかな女神よ」が歌い出される。
まさか跪いて歌うとは思わなかった。

ローマを罰せよという民衆と離れ、
次第にノルマは孤独になる。

そして、誰もいなくなった聖なる森に現れるのが、
ノルマの悩める恋敵、アダルジーザである。

冒頭書いたが、パラチオスという美しい歌手で、
青い服に身を包み、豊かなブロンドを際だたせ、
ノルマに比べ、初々しい感じがでている。

横綱ポリオーネが現れ、月光に照らされながら、
二人の愛の葛藤が描かれる。
無理矢理、ポリオーネは、
ローマへの逃避を約束させてしまう。

ポリオーネの情けない感じからして、
単身赴任中中のおっさんが、
現地妻を連れ帰る構図だが、
このおっさんの現地妻第1号はノルマなのでややこしい。

という所で、第1幕の第1場は終わり。
続いて、第2場に入るが、
ここでも指揮者の力の入った指揮ぶりが見られる。

第2場でノルマは、
小学生くらいの二人の子供を連れて、
服装の緑のワンピースになって、
完全にPTAのメンバーといった感じ。

しかし、実際、状況を考えれば、
子供たちがこんなに大きくなるわけはない。
ポリオーネは代官なので、そんなに長期滞在ではない。
まだ、赤子であるのが正しいはずだ。

そこに、こともあろうかアダルジーザが現れる。

そして、「優美な姿にうっとりして」、
愛に落ちてしまった事を打ち明け始める。
もちろん、まだ、この時点では、
ノルマは悲劇に気づかす、
親身になって、私もそうだった、などと相談に乗っている。
アダルジーザの告白に、
「そうやって誘惑されたの」、「同じだわ」とか、
相づちを打つノルマが哀れである。

二人並んで、親密な雰囲気が盛り上がり、
ああ、抱き合いましょうなどと、
甘美な二重唱となるが、
いったい、何時、事実が明らかになるだろうか、
とはらはらしてしまう。

そして、「ところであなたの恋人は誰」などと、
聴かれていると、ふらふらと、大将が呑気に現れる。
「この人よ」と嬉しそうに語るアダルジーザも哀れ。
ややこしさの粋を集めたような三重唱になる。
「この女と別れるのも運命なのだ」と言い張るポリオーネは、
気が狂っているとしか思えない。
ノルマの復讐の予告も恐ろしく、幕となる。

CDは二枚目になる。
カレッラが現れて、第2幕の前奏曲の、
静かでありながら、不安と緊張に満ちた音楽を、
ダイナミックかつ、俊敏な指揮姿で魅せる。
いきなり、テオドラッシュウは子殺しのナイフを、
振りかざしている。
恐ろしい形相である。

これが、元の作品名、「子殺し」である所以であろう。
実際は、子供は殺されないのだが。
ノルマのレチタティーボの中で、
「命を奪うこの手を見ることが出来ない」
というのが生々しい。

が、最終的に、子供たちは別と考えて、
自分だけ死んで、アダルジーザに子供を託することを決める。
アダルジーザは、今度は子供たちを遊ばせながら、
この様子を見て、希望を持てと励ます。
女同士の優しい思いやりを示すしっとりとした部分で、
ポリオーネだけが気が狂った存在に思えて来る。

抱き合ったり、手を繋いだり、
まったくもって友愛に満ちた作品に見える。
以上で、第2幕第1場は終わる。

続く第2幕第2場は、またまた群衆が集まっていて、
回りには要塞のような石の壁が見えている。
神殿の中だといくことは分かりにくい。
武器を手にして、ゲリラの装備、一触即発の雰囲気である。
部族長が、今度は彼等のはやる心を抑えている。

それにしても、イタリア人が作った、
イタリア上演用のオペラが、
こんなにローマへの怨嗟に満ちているのは何なのだろうか。
ひょっとすると、当時の政治状況の反映もあるのかもしれない。

ノルマはアダルジーザが、期待に満ちた表情で、
ポリオーネを説得して戻ってくるのを待っているが、
計画が失敗した事を乳母から知る。
怒り狂ったノルマは、ローマへの復讐を誓い、
ついに、神殿の銅鑼を鳴らしてしまう。

「勇者たちよ戦いの雄叫びを上げよ」というが、
こんな私情だけで、軍隊を動かしてしまうというのは、
あまりにも恐ろしい神官である。

民衆の騒ぎの中、また、いつものように、
ひょこりとポリオーネが現れる。
神殿を侵した罪で捕まってしまったようなのだ。
アダルジーザを探してうろちょろしていたのだろうか。

この引っ立てられる様子が滑稽である。
やたら長いロープで両手をそれぞれ引っ張られる形。

ノルマは、自分が手を下すと民衆を遠ざけるが、
ポリオーネのロープは、舞台の両脇に引かれた形。
ここから、美しい二重唱へと発展していく。
剣を振りかざして、歌うノルマと、
情けないポリオーネの構図は、表紙写真のままである。

しかし、ノルマの怒りに屈しない頑固さが、
何故か、やたら説得力を持っているのが不思議である。
死んでもアダルジーザは諦めないという一途さゆえか。

遂にノルマは全員を集めて、自分が罪人であると告げ、
自らが火刑台に上ることを美しく歌い上げる。
その毅然とした様子に、さすがのポリオーネも心打たれ、
衆人の見守る中、愛の二重唱を繰り広げる。
が、二人で死のう死のうと言っているのが、極めてヤバい。

ヴェールを被った女たちを中心に、
回りから同情の声が上がるが、
ノルマは、自分は大きな罪を犯したと告げる。
子供がいることを告白し、
オロヴェーゾに、彼等を守って欲しいと歌う。

このあたりになると、いかにも肝っ玉母さんという感じの、
テオドッシュウの雰囲気が効果を発揮して、
妙に、生々しい感じになって来る。
そのせいか、オーケストラも合唱も感極まり、
絶叫して応える。
ヴァーグナーが感涙にむせびそうな、圧倒的な効果である。

最後は燃えさかる火刑台を表す炎の色が背景に輝き、
これまでの青の基調が打ち破られ、
そこに向かって、ノルマとポリオーネが、
駆け上って倒れる。

実は、原作となったスーメの悲劇では、
子供を殺して終わる劇だったという。

ベッリーニたちは、これを、
カップルの心中の物語にしてしまっている。
スーメ自身も、この物語は、
ギリシア悲劇の「メデア」から持って来た。

ギリシアの物語を、ケルトの物語とした理由など、
気になる部分は多数あるが、
「子殺し」という題名では、
きっと、こんなに長く愛される作品には
ならなかったのではなかろうか。

DVDで見て、CDで想像していた事と、
大きく異なる点は、そんなに多くはなかった。
むしろ、管弦楽法の妙味などは、
CDで聴く方が堪能できる。
あと、ノルマのイメージは、
やはり、カラスの痩身のイメージが、
私の中にこびりついているようだ。

是非、前回取り上げた、カラス盤の写真と、
今回の表紙写真を見比べて欲しい。
前のものの方がはるかにイマジネーションを誘う。
今回のデザインは、もうそのままじゃない、という感じ。

得られた事:「劇場を征服すれば、オペラ作曲家は、年に1、2作の作曲で生きて行ける。」
「シューベルトに、そうした生き方がふさわしいかったかは不明。」
「そのままあるがまま、という商品パッケージというのもいかがなものか?」
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by franz310 | 2010-12-26 17:16 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その251

b0083728_22582149.jpg個人的経験:
前回、グリンカが、
ドニゼッティの歌劇の主題によって、
セレナードと題する室内楽を
書いている事を取り上げたが、
ドニゼッティの出世作となった、
このオペラについて、
今回、改めて向かい会うことにした。
シューベルトの特集ブログであるが、
イタリアの「ベル・カント」にまで、
話が発展するとは思っていなかった。


しかし、ドニゼッティは、シューベルトと、
まったく同じ年の生まれであるから、
何らかの共通した時代の空気がありかもしれない。
などと期待したりもする。

そもそも、シューベルトの師匠は、
イタリア人のサリエーリであるし、
そのせいか、最初の傑作とされ、
音楽史の重要な一こまとなっている、
ドイツ歌曲、糸を紡ぐグレートヒェンですら、
ベル・カントの影響があると言う。

さらに、シューベルトはロッシーニに心酔して、
イタリア風の作品を集中的に書いた時期もあった。

ドニゼッティは、ロッシーニやベッリーニと並んで、
当時のイタリア歌劇をリードした人であるから、
無視するわけにはいかないのだが、
今回、カラスがタイトル・ロールを歌ったCD解説を読んで、
ますます、そんな気持ちを新たにした。

ドニゼッティは、しかし、「愛の妙薬」や、
「ランメルモールのルチア」ばかりが演奏されていて、
その他の作品はあまり話題になることがない。

これらは、シューベルトの死後の作品であって、
シューベルトが聴くことはなかったが、
ドニゼッティの最初の成功作と言われる、
今回の「アンナ・ボレーナ」もまた、
シューベルトの死後の2年しての作品であった。

この作品、当時は決定的な成功を収めたようだが、
第二次大戦後まで、軽視されていて、
カラスらの演奏によって、
真価が認められたということが、
このEMIのCD解説に書かれている。

J.B.Steaneという人が1993年に書いた文章である。
「今世紀」と書いているのは、20世紀のことである。
題して、「カラスと『アンナ・ボレーナ』」とある。
私は、むしろ、「ドニゼッティと『アンナ・ボレーナ』」の方が、
欲を言えば、「グリンカと『アンナ・ボレーナ』」や、
今回の流れからして嬉しいのだが、
様々な事が、これはこれで想起される。

「『成功、勝利、興奮。
聴衆は気が狂ったかのようだ。
皆が、これほどまでに完璧な勝利はなかった、
と言っている。』
1830年12月26日の
『アンナ・ボレーナ』初演の後、
ドニゼッティが家族に書き送った言葉である。
ヒロインの役は、ジュディッタ・パスタによって歌われ、
この驚異のソプラノは、翌年の同じ日には、
最初のノルマになり、
1831年の初めには、『夢遊病の女』の初演で、
アミーナを歌い、
1833年には『テンダのベアトリーチェ』の役を
創造した。
マリア・カラスは、まさしく『時代の申し子』で、
いかなる意味でもパスタの後継者であったが、
創造者としては、新しい役割を演じたわけではなかった。
基本的に、彼女の役割は偉大な『再創造者』であった。」

おそらく、ジュディッタ・パスタは、
これらドニゼッティやベッリーニが、
歌劇を作曲する際にインスピレーションを、
与えたということを言っているのだろう。
カラスに触発されて書かれたオペラはないのかもしれない。

事実、パスタはベッリーニの恋人だったとされ、
彼女のために「ノルマ」が生まれたという話は良く聞く。
このパスタ、シューベルトと同年、
1797年生まれだったようだが、
シューベルト存命中に話題になることはなかったのだろうか。

さて、解説は、こうした大成功したオペラのその後の運命を記す。
「我々はこれら、
ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティの
いわゆるベル・カント・オペラを思う時、
偉大なプリマドンナ、
メルバ、テトラツィーニ、ガリ・クルチらがいた
今世紀の初めには人気を失っていたことを思い出す。
あるオペラは復活していたが、
選ばれたソプラノの能力を示すための手段としての、
まがい物以上のものを、評論家は、そこに見ていなかった。
トティ・デル・モンテやリリー・ポンスのような歌手は、
これらのオペラを演目にしていた。
(主に、『ルチア』と『連隊の娘』)
そして、第二次大戦の終わり頃までに、
それらも壊滅してしまったように見えた。」

私は、これまで、「ベルカント」に、
余り親しみを覚えていなかったが、
何と、20世紀初頭からの先入観を引きずっていたわけだ。

確かに、シューベルトの伝記などを読んでも、
ベルカントに影響された、などという話は、
あまり出てこない。
シューベルトの天才が、
ドイツ芸術歌曲を生み出したのであって、
ベルカントの影響などあってはならなかったのだ。
しかし、グレアム・ジョンスンなどが、
ようやく、そのあたりを正す解説を書くようになっている。

あと、こうした軽視は、私は日本特有かと思っていたが、
これを読むと、本国イタリアでも、
同様の状態だったことが分かった。

その後、ドイツの器楽音楽が、
主流と見なされるようになったので、
イタリアの歌劇の声任せ、
ずんちゃっちゃの伴奏オーケストラは、
何となく、安っぽい手抜き作業に思えたのであった。

が、こうした偏見も、見直される時代となる。

「しかし、この時代こそが、それらを聴きたいと思い、
その価値を自分たちの価値で検証したいと思う、
新しい世代が登場した。
彼等はラッキーだった。
まず、嗜好は変わって来ていたし、
すでにこれらのオペラが、
オールド・ファッションと思われる時代から、
ただ、古くて貴重と考えられる時代になったからである。
さらに、そこにこれらの作品復活に注力する、
影響力ある音楽家がいた。
指揮者のトゥリオ・セラフィンがとりわけ重要だった。
声楽ルネサンスの注目点は、
理想の『新しいパスタ』となる、
歌手を探すことが先決だった。
1940年代中盤にも、これにぴったりのある歌手がいたが、
もっぱら彼女の役は、イゾルデとトゥーランドットだった。
1947年、彼女は、セラフィンと会い、
このイゾルデを、驚いたことにベッリーニに向かわせたのである。
1949年、彼女は『清教徒』で登場し、ローマを驚愕させ、
パルシファルでも、驚かせた。
その後すぐ、音楽界は、彼女を話題にし始めた。」

原曲のオペラ自体がこんな状況なので、
それを編曲したグリンカの室内楽が、
これまで有名だった訳はない、
という感じがしてきた。

「『アンナ・ボレーナ』は、1957年に、
彼女のレパートリーになった。
彼女の『清教徒』は、『ノルマ』に続いたが、
これは最高の難易度のもので、
これにカラスは最も注力することになる。
1952年、フィレンツェで、
『清教徒』とロッシーニの『アルミーダ』を、
比類なき華麗な技術を劇的な力と結びつけた。
『ルチア』はさらなる新発見となり、
『夢遊病の女』が続いた。
1956年、スカラ座にて『セリビアの理髪師』で、
意外にも喜歌劇にも参入し、
これに対して翌年には、『アンナ・ボレーナ』が出し物となったが、
この注目すべき、『ベルカント』復活の8作目となった。
これはもっとスタンダードな演目、
ヴェルディやプッチーニらのレパートリーの
と連携して進められた。
常勝カラスの素晴らしい名声の
サポートがあったとしても、
『アンナ・ボレーナ』を上演することは、
スカラ座側には、あまりに大胆な冒険に見えた。
これは、まったく忘れ去られた作品だったのだ。」

このように、多大な努力の甲斐があって初めて、
このオペラは上演されることになった。

グリンカが、「アンナ・ボレーナの主題による」
室内楽を書いていたとしても、
誰も聴きたいと思わなかったかもしれない。
ハープとピアノが夢想的な楽想を振りまく、
美しい作品なのに。

「パスタと彼女の後継者ギューリア・グリシ以降、
ほんのわずかなソプラノが上演するだけで、
このタイトル・ロールで特筆すべき成功はなかった。
ドニゼッティの故郷、ベルガモでリヴァイバルされたのは、
その前年で、そこでも知られておらず、
1957年の時点では埃まみれだった。
ニューヨークのメトロポリタンで、
カラスがリヴァイバルを試みた際、
ルドルフ・ビングは、
『退屈な古いオペラ』と却下した。
スカラ座もまた、同様の状況に直面した。
まず、念入りにヴィスコンティを、
プロデューサーに招いた。
そして、ヴィスコンティ、カラス、
指揮者のガヴァツェーニの主力3人は、
十分なリハーサル時間を確保することにし、
それぞれの持ち分を全体の中で明確にした。
ガヴァツェーニは、後に、それが、
『舞台と音楽、そして、
プロデューザーと指揮者の理想のコラボだと感じた
私の劇場における全キャリアの頂点』
と語っている。
音楽をアントニオ・トニーニと音楽を再検討した後、
カラスは20日にわたって稽古をした。
一方、ヴィスコンティは、
すべての音楽練習に同席して、
『舞台の性格は、すべて音楽から自然に決まった』
と自信を深めた。
カラスは歌手たちの中で、最も入念で、
歴史書を読んで、
アンナに関する勉強を始めた時の事を記載している。
しかし、彼女は賢明にも、
このオペラのヒロインは、
歴史上の人物と関係ないことを発見し、
音楽がすべてを十分説明していると考えるに到った。
この興業は大当たりし、
このシーズン、7つの公演が行われ、
翌年、5つが追加され、
この録音はその初演の時の記録である。」

私も、「ヘンリー八世」の勉強をしようかと思ったが、
カラスの確信によって、その時間を割かずに済んだ。
しかし、このような大きなプロジェクトによって、
ようやく復活した傑作の初演の記録、
ということで、皆が総力を挙げて取り組む姿勢に感動した。
こうした非常に貴重なCDだと、
今頃、ようやく知った次第である。

下記は、その絶賛の総まとめである。

「1957年6月の『オペラ・マガジン』のレポートでは、
デズモンド・シャウェ=タイラーが、
『この舞台は、スカラ座の最高を伝えた。
その統一、壮大さは、この長い夜を深く満足させるものだった』
と書いている。
序曲がなかったり、彼は、スコアのカットがあると考えたが、
これはむしろ機転が利いており、
おそらくCDのリスナーも同意するだろうが、
ガブリエラ・カートゥランによる、小さな愛すべき歌、
スメトンの第2節が省略されたのは残念である。
さらに彼は、オペラの初演時に、
ソプラノの役としてキャスティングされた以上に、
シミオナートは『立派なパフォーマンス』を見せたと考えた。
カラス自身については称賛に満ちていて、
最後のシーンでは、
『彼女の歌手として、悲劇女優としての力の頂点』
を見せたと書いている。
この録音は、その夜の歓喜と興奮を伝えて止まない。
カラスに関しては、実際、
我々は聴くだけでなく見ているような幻覚を感じる。
彼女の声は個性的で、性格的、
舞台上で合唱する時も離れて歌う時も、
その歌声を聞き取ることが出来る。
彼女の芸術は別格であって、
明らかに影響を受けた歌手によっても、
捕らえられなかった洗練があったが、
おそらく、それは、その一点に尽きる。
第2幕始めに、
ジョバンナとのデュエットの終わりにかけて、
アンナが独唱する『行きなさい、不幸な女』では、
全ての単語、全ての音符に表現を与えながら、
それでいて、フレーズの統一を失っていない。
これら全ての歌の基本となるレガートスタイルを壊さず、
陰影を与えている。
カラスの声と、演技の力、
それに彼女の歌唱上の様々な欠点もまた、
語り尽くされている。
すぐれた悲劇女優が、
しばしば素晴らしい歌手とマッチした、
最も完璧に近いものを、この演奏には見ることが出来る。」

気になるのは、いくつかのカットがある点とのことだが、
むしろ、私には、放送録音なのか、
意味不明のノイズが頻出する点が悩ましい。

が、こんな歴史的瞬間に立ち会えるのなら、
仕方ないかもしれない。

さて、では、この2枚組に耳を澄ませてみよう。
第1幕:
第一場、ウィンザー城の王妃の部屋の前:
Track1:
何らかの不穏な気配をみなぎらせた序奏に続き、
快活なリズムに乗って、合唱が始まる。
いかにも、オペラの始まり始まりという感じである。
夕方で、廷臣たちは、ヘンリー王が、
不幸な妃のもとを訪れなくなった事を心配している。

Track2:
お気に入りの侍女、ジョヴァンナが入って来て、
王の愛を得てしまった事や、
それを悔やんでいる点を大きな声で告白するが、
おそらく、これは、ここだけの話、である。

Track3:
アンナがやって来て、
お気に入りの音楽家、スメトンを呼ぶ。
歌の伴奏をさせるためである。

Track4:
ここは、スメトンの伴奏の、
美しいハープの音色が聴きものである。
彼は実は、こっそり王妃を愛している。
彼は、王妃の顔色が悪いのは、
昔の恋人を想っているのではないかと推測。
アンナは痛いところを突かれ、中断する。

ややこしい事に、スメトンは女性が担当するようだ。

Track5:
アンナは、オフレコで、その地位の儚さを歌う。

Track6:
もはや、彼女は王のことを期待しておらず、
ジョヴァンナを側に呼ぶ。

Track7:
これはグリンカも借用した、美しいカヴァティーナ。
アンナは王位などに目を眩まされてはならんと、
意味深な警告をしてジョヴァンナの心をかき乱す。
アンナは出ていき、廷臣は残る。
しばらく舞台には誰もいなくなる。
ジョヴァンナがこっそり現れる。

Track8:
緊迫感溢れるレチタティーボである。
彼女は、アンナがこの罪を知っているのではないかと悩む。

Track9:
一番の悪人、王様が隠し扉から登場である。
ヘンリー八世は、ここではエンリコとなっている。
これを最後にしましょうと、
ジョヴァンナがうろたえているのを見て、
王様は不機嫌になる。
恐ろしいことに、直にライヴァルはいなくなるよ、
と言うのである。

Track10:
ジョヴァンナは、今の関係が耐えられない、
と最近のTVドラマでもありそうな大騒ぎを、
高らかに歌い上げる。

Track11:
ここでも、王様の言い分は、
いかにも、男のいじいじを表して秀逸。
ジョヴァンナは、単に王位が好きなのであって、
自分が好きなのではないとすねる。
が、最後は、美しいデュエットで、
何となく良い雰囲気である。

Track12:
ここでは、ジョヴァンナは行く、
王様は行くなと押し問答。
彼は、まさしくこれがアンナの
トラブルの原因であったと暗示する。
アンナは自分に心をくれていないという。

Track13:
ジョヴァンナの良心の呵責が、
高らかに歌い上げられ、
王様がなんと言っても、
ジョヴァンナは憔悴するばかりで、
エンリコはドアから出ていってしまう。
その前に二重唱で盛り上がるので、
聴衆は盛り上がって大拍手である。
これで、第1場は終わる。
管弦楽も、テンションを高めて、
じゃーんと鳴り響いて終わる。

Track14、第2場:
ウィンザー城の公園。
この場面から、どんどん、ヤバい方向に、
物語は推移するが、王様の陰謀が働いているのである。

これまた、ピッチカートに木管が簡素ながら、
朝の公園の雰囲気を醸し出し、
いかにもオペラ的な彩色である。
じゃじゃーんじゃじゃーん、ぶーんぶーんと、
緊張感を高める効果もある。

王妃の兄のロチェフォート郷は、
かつての王妃の恋人でもあった友人のパーシイと、
公園でばったりと会う。
このパーシイは追放の身だったのに、
王の許しが出て、のこのこと喜んで来たのである。

Track15:
パーシイは、よほど理想肌なのであろう。
朗々と、追放の日々や失われた愛を嘆くアリアを歌う。
また、運命が悪事を正すように願う。

Track16:
かっこいい行進曲で、狩りの行進が近づいて来る。
かなり勇壮な場面である。

Track17:
パーシイは呑気に、早くアンナに会いたいな、
と歌い上げる。
拍手がわき起こる。
ライモンディが歌っている。

Track18:
狩りの一行が集まる。
エンリコ王は、何故にアンナが、
こんなに早く起き出しているかをいぶかる。
そして、最近、どうも不吉な思いが起こると言い、
さらにパーシイの姿に気づく。
パーシイは、王に敬意を表して近づく。

Track19:
王の手にキスしようとしたパーシイを振り払い、
今回の許しは王妃の取りなしによるものだと言う。
そして、パーシイは、これまた呑気に、
身震いしている王妃の前に跪くのである。

Track20:
やばい瞬間の五重唱である。
ピッチカートに木管が添えられただけの、
簡素なオーケストラ伴奏ながら、
声の密度、その織りなす綾は、
緊張感とドラマを孕んで美しい。

アンナとパーシイは、涙を流して感慨に耽る中、
王様は廷臣のハーベイに、奴らの様子を良く観察せよ、
と、まことにヤバい。
ハーベイはその通りに実行すると確約。
ロチェフォート郷は、さかんに警告している。

Track21:
王様はパーシイに、宮廷に顔を出すように言い、
狩りに出かけてしまう。

Track22:
王様の慈悲で始まる1日が祝福される。
ドニゼッティは、さすがドラマを盛り上げるのが上手く、
合唱も盛り上がって、第2場も、大拍手で終わる。
王様は、別の獲物がかかって喜んでいるのである。

Track23:第3場、王妃の部屋、控えの間。
ますますややこしいことに、
楽士のスメトンが、アンナの肖像画付きのロケットを持って、
うへうへしている。
彼はもの音を聞いて、影に隠れる。

Track24:
ここは管弦楽も風雲急を告げて勇ましく、
ロチェフォート郷が、アンナに、
パーシイに会ってやって欲しいと言っている。
アンナは、見張っていてくれるならと、
しぶしぶ承諾する。

Track25:
パーシイが現れ、アーンナ、リチャード、
とお互いを呼び合う。
パーシイはリチャードらしい。ややこしい。

アンナは後悔しており、
自分が求めた王冠は、今や、茨の冠になったと言う。
パーシイにとっては、アンナは自分が愛した頃の、
若い少女のままなので、何も言う前に、
アンナの苦悩は、パーシイの怒りを鎮めてしまう。
アンナは、王様が自分を疎んでいることを認める。

このあたりは、オーケストラは、じゃーん、とか、
じゃっじゃじゃじゃん、とかほとんど合いの手を入れているだけ。

Track26:
ここは、パーシイが高らかに歌う部分。
「昔愛したように、今も愛しているよ」
と現実離れした歌を歌う。

アンナの歌は、もっと切迫しているが、
結局は、憧れに満ちた色調を帯びる。

アンナは、パーシイに、
自分を愛しているなら、今の状況を考えて、
それを言ってくれるな、と言う。

当然の話である。
アンナはパーシイに、
危機が二人に及ぶことを思い出させ、
英国を去るように説得するが、
彼は、アンナのそばにいることのみを望む。

まことに、分別なしの馬鹿恋人たちである。
アンナが、自分の不幸を語ったりするからだ、
という気もしないでもない。

アンナは当然ながら、かたくなである。

Track27:
ここは、またまた、じゃじゃん、じゃじゃん、
じゃじゃじゃじゃじゃん、と風雲急を告げる管弦楽に、
錯乱した男女が大騒ぎを演ずる場面。

パーシイは、去る前に、もう一度、
会ってくれるかと願うが、アンナは駄目よと言う。

ここからが気違い沙汰だが、
パーシイはいきなり剣を抜いて、
自殺を図る。

さらに話をややこしくするかのように、
スメトンが、アンナを守ろうと飛び出して来る。
王妃は気を取り乱して失神。
その時、ロチェフォート郷は、
王様が近づいて来ることを告げる。

Track28:
エンリコが入って来て、
宮殿で剣を抜いている者を見て、怒り狂う。
当然、警備員を呼ぶ。
王様は、アンナと、
沈黙して立ちすくむパーシイ、
スメトン、ロチェフォートを見回し、
最悪の状況解釈をする。

ここでまた、とんでもないことが起こる。

スメトンは、突発的に、彼等の無実を弁護する。
証拠に死を命じて欲しいと願い、
ジャケットを引き裂くと、アンナの肖像画が落ちて、
王様の足下に転がる。
エンリコはそれをさっと拾い、
最悪の疑いを確信に変える。
アンナはようやく意識を取り戻す。

Track29:
彼女は王様の怒りに驚き、六重唱を始める。
しみじみとした、祈るような歌である。
何となく、ベルカント・オペラというのは、
金切り声を張り上げるだけのような印象があるが、
そのような事はなく、
人間感情のややこしい絡み合いのみが、
聞き取れる名場面である。

彼女は王様に責めないように乞うが、
王様は、目の前から消えろと言い、
別に死んでもいいぞと言う。
ロチェフォートとスメトンは、
彼女を破滅させた自分たちを恥じ、
その間、入って来たジョヴァンナは、
心乱され、罪の意識に苦しむ。

この人は、最も何も悪くない悪女役である。
しみじみと終わるせいか、
感動的な歌唱ながら、拍手はない。

Track30:
爆発するような場面で、王様がわめき散らす。
オーケストラは爆発音を繰り返し、
王妃は、今回は金切り声を張り上げる。

エンリコは、彼等を別々の牢に入れるよう命ずる。
彼女の弁解を彼はそっけなくはねのけ、
裁判官に言いたいことを言うように告げる。

Track31:
このややこしい関係の中で、
運命が決せられた事が歌われる
第1幕のフィナーレである。
最初の幕で、もうすべての運命は決まってしまう点が恐ろしい。
王様は、これで良いのだと決定。

最初は、何だか大団円のような楽しげな、
賑やかな合唱に面食らうが、
活発なオーケストラ伴奏と共に、
運命に翻弄された人たちの、
恐ろしい絶叫が続く。
録音の効果で、聴衆の拍手は、不自然に消える。

第2幕に関しては書くスペースがなくなった。

得られた事:「シューベルトと同時代のイタリア歌劇は、戦前まで軽視されていた。」
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by franz310 | 2010-11-13 22:58 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その236

b0083728_1049389.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
「24の前奏曲」は、
私は、ニコラーエヴァのものを
持っていたが、
あまり聞き込むことなく、
おそらく10年が過ぎている。
このCD、デザインも印象的で、
忘れ難いものだが、
どうも音楽の印象が、
ぴんと来てない感じである。


問題のデザインは、1881年生まれの、
Leon Spilliaertという画家の作品らしく、
「眩暈、魔法の階段」と題されている。
バベルの塔のような階段の頂点に、
黒ずくめの女性が立ち尽くしているが、
女性の顔は、いったいどうなっているのか?
影になっていて分かりにくいが、
骸骨のようにも人形のようにも見える。
まん丸で猫の顔というと一番近い。

マフラーのたなびきからして、
強風の吹きすさぶ、やばい状況と見て取れる。
白黒画面が、ますます緊迫感を増す。

いったい、ここに収められているのは、
どんな内容なんだ、と思うと同時に、
あまり、こんな音楽は聴きたくないなあ、
という感じがしないでもない。

今回のCD、1951年に書かれた代表作、
作品87の「前奏曲とフーガ」を含んでいないとはいえ、
1922年作曲の「3つの幻想舞曲集」、
10年後の1932年から33年に書かれた「24の前奏曲」、
さらに1943年という危険な時代の、
「ピアノ・ソナタ第2番」が収められているが、
ちょうど10年おきの作品で、
ショスタコーヴィチは、結局、
10年に1曲ずつピアノ曲を書かなかったのではないか、
という印象すら受けてしまう。

また、演奏しているニコラーエヴァといえば、
ずっとバッハの大家と知られていただけあって、
一言で言えば、地味な印象。

曲や演奏者の地味さが、
この辛気くさい表紙デザインと相まって、
何となく、聴く前から、要を得ない感じである。

地味というのは、取り付く島がない、
という感じにつながる。
が、恐れ多くも、作曲家直伝の演奏家である。

解説を書いているのは、
ロバート・マシュー・ウォーカーという人であるが、
日本人には困りものの文体の人である。

さきに書いたように、
彼はまず、ショスタコーヴィチのピアノ曲全般について、
概説してくれている。

「これまで、一般の音楽愛好家にとっての、
ドミトリー・ショスタコーヴィチが
20世紀の巨匠の一人であるという評価は、
もっぱら、15曲の交響曲と15曲の弦楽四重奏曲、
それにいくつかの協奏曲、その他の作品によるものだった。
しかし、ショスタコーヴィチの専門家は、
これらの40曲ばかりの他に、
さらなる100曲以上がある事を知り、
ひとたび、これらを検証すれば、
この個性的な作曲家は異なる概観を見せるのである。
ショスタコーヴィチの音楽は大きなパラドックスを孕むが、
これは比較的少数だが重要な、
ピアノ独奏用作品にも見られるものだ。」

有名な諸作品と同じように聴け、
ということだろうか。

「ショスタコーヴィチ自身、優れたピアニストであって、
1927年にはワルシャワの最初のショパン・コンクールで、
チャイコフスキーとプロコフィエフの第1協奏曲を弾いて、
受賞した程であるが、
明らかに優れた能力にも関わらず、
比較的少数の作品しか、ピアノ用作品を作曲していない。
最初のパラドックスはこれで、
高度な技巧を有するピアニストであるにもかかわらず、
彼は比較的少数の作品しか残していない。
そして、彼のピアノ曲は、
この楽器の深い知識によって書かれたにも関わらず、
非常に知られたものがある一方で、
この数十年、ほとんど知られていないものがある。」

何だかまどろっこしい書き方であるが、
結局、優れたピアニストだったのに、
あまりピアノの作品は知られていない、
ということを繰り返しているにすぎない。

「ショスタコーヴィチのピアノ曲は、もっぱら、
1950年から51年に書かれた、
作品87の『24の前奏曲とフーガ』で知られ、
これはほとんど、ピアノ独奏のための、
ショスタコーヴィチの最後の言葉であり、
1918年の中頃、12歳の誕生日を迎える頃から、
書き始められたことが確かめられる、
ピアノ作品の総括である。
ペトログラード音楽院のピアノ教授、
アレクサンドラ・ロザノヴァの所蔵に、
最後の作品が未完成の3つのピアノ小品が見つかっており、
1917年に、まだグネッシン音楽学校の生徒だった頃、
彼女のために、これを弾いたとされる。
1919年、彼は音楽院に入り、
ピアノをレオニード・ニコラーエフに学び、
(彼の思い出のために第2ソナタを作曲した)
1年後の1920年、マキシミリアン・シュタインベルクに、
最初の作曲のレッスンを受け、
知られている最初の作品で、
生前、5曲のみが出版され、
1966年まで知られなかった、
ピアノ用の『8つの前奏曲』作品2を完成させた。
ショスタコーヴィチは24曲の前奏曲を完成させるべく、
さらなる8曲を書いたが、
他の16曲は二人の級友、
パーヴェル・フェルトとゲオルギ・クレメンツ
に平等に分けた。
作品2のセット同様、これらの知られざる作品は、
他の5曲とグループ化されて出版される
1966年まで知られていなかった。」

よく分からないが、
ショスタコーヴィチは、若い頃から、
前奏曲が大好きだったようである。

このCDの最初に収められた3つの幻想舞曲もまた、
前奏曲とは題されていないながら、
ドビュッシーのような風情。
軽やかなもので、スクリャービン風にも聞こえる。
3曲で4分程度の短いものである。
最後の作品のみ、リズムが明解で、
舞曲の感じが出ているが尻切れトンボみたいに終わる。

この曲の解説にはこうある。
「前年に書かれた、8曲の前奏曲のうち、
失われた3曲が、まさしくこの曲で、
書き直されたかもしれない、と考えたくもなるが、
これらは舞曲で、抽象的な前奏曲ではないので、
こうした見解はふさわしくなかろう。
さらに、これらはさらに大きな音色の自由さがあり、
16歳の作品とはいえ、
もっと経験を積んだ作曲家の作品であることは明らかだ。
奇妙なことに、ショスタコーヴィチは、
これらの出版にもまた乗り気ではなく、
1937年まで出版されなかった。
(ある資料では1926年出版と書かれているが。)
これらの舞曲は、アメリカでは、1945年まで出版されず、
さらなる混乱があって、
本来は管弦楽のためのスケルツォ嬰へ短調の作品番号の
作品1として出版された。
しかし、級友のヨーゼフ・シュバルツに献呈された、
この3つの幻想舞曲は、1925年3月、
モスクワで、ショスタコーヴィチのリサイタルで初演された。
(ここでは、二台ピアノのための組曲作品6や、
ピアノ三重奏曲第1番作品8やチェロとピアノの3つの小品作品9も、
初演されている。)」

この4分の小品に、えらく長い解説である。
この人はショスタコーヴィチの
若い頃の研究が好きなのだろうか。

確かに、ショスタコーヴィチの音楽的ルーツが、
いったいどこにあるのかは、
非常に興味深い。

「最初の『行進曲』は、ハ長調の支配が強いもので、
導音のロは、フラットのスーパートニックに
引き寄せられる傾向にあり、痛快なカデンツァに至る。
中心のワルツは、ト長調で、
後にショスタコーヴィチがしばしば取り上げる、
ヴィーン風でないワルツの走りである。
最後のポルカは、
20世紀の音楽の特徴的な声の1つとなる、
後に作曲家が好んだ舞曲の最初のものである。」

どの曲も、後年の萌芽があるから、貴重ということだろう。

次に、24の前奏曲作品34の解説が始まるが、
この曲がCDで鳴り始めると、
やはり風格が大きくなっていることを感じさせる。
ニコラーエヴァも、意外に、濃い味付けをしていたのである。

「ショスタコーヴィチのピアノ独奏用、
24の前奏曲は、1932年から33年の冬の、
比較的短い期間に作曲された。
各曲は、出版された時の順番に従って、
12月30日から、3月2日まで、
最初は、1日1曲のペースで書かれ、
これは、作品87の『24の前奏曲とフーガ』も同様で、
いずれも12の長調と12の短調の調性から成っている。
作品34の前奏曲がしばしば独立して演奏され、
何曲かのセレクションで演奏されるとしても、
その作曲の様式や上昇5度のサイクルなどの要素は、
セットで演奏される方が良いことを示唆している。
作曲家は全曲ではなく、一部だけを録音しているが。
24の前奏曲は、すべて1930の10月から、
32年の秋に書かれた、大量の付随音楽や映画用音楽、
それに、『マクベス夫人』という大規模なオペラの後で書かれた。
このいくぶん長い期間、大量の管弦楽曲を書いたばかりか、
必然的に、彼自身の楽器のための作曲も行った。
劇場や映画の『公式』な性格に比べ、
前奏曲は引きこもって内輪のものである。
(作品87が1949年から51年にかけての、
公式作品や映画音楽の合間に書かれたように。)」

このように、この解説者は、
ショスタコーヴィチのピアノ曲は、
弦楽四重奏曲などよりも、さらに内輪向け、
と定義づけている。

10年に一回、独り言言うみたいな?

「前奏曲の特徴は短く箴言的で、
(しかし、ピアノのための箴言作品13とは似ていない)
次の作品、前奏曲のたった4日後に書かれた、
第1ピアノ協奏曲とリンクしている。
いくつかの作品は1ページほどの、
24の短い各曲は、ムードと性格がはっきりしていて、
各曲のエッセンスは明らかに純化されて、
印象的な個性はたちまち明らかになる。
これらの作品の多くが異なる演奏形態、
大オーケストラ、シンフォニック・バンド、
クラリネットとオーケストラ、
ヴァイオリンとピアノなどに編曲されている。
管弦楽バージョンでは、
第14番変ホ短調をストコフスキーが編曲したものを、
思い起こすだろう。
これは、1933年の終わり、
作品34がアメリカで出版されたわずか数週間後に、
ストコフスキーによる、
ショスタコーヴィチの『第1交響曲』初録音に、
フィルアップされて発売されたものである。
このような作品が最初から編曲で録音されるのは奇妙だが。
それにしても、ショスタコーヴィチは、
大規模な交響曲の巨大なキャンバスと同様、
曲の長さや、演奏される楽器に限らず、
求められれば、短い期間で、その天才を抽出して見せることが出来た。」

そもそも、さらに内輪の音楽だ、と言われながら、
結局、シンフォニックバンドに編曲されちゃうって何?
何がいったいインティメートなわけ?

今回、私としては、ヴァイオリン編曲版で、
なかなか洒落ているな、と感じた原点があるので、
「楽興の時」的に忘我的、
「束の間の幻影」的に感覚的な音楽として、
再鑑賞してみたい。

では、前回の解説を引用しながら、
オリジナルの各曲を聴いていこう。
ここでのVn版というのは、
作曲家の盟友ツィガーノフ編曲のもので、
前回のCDに収録されていたものの事。

「第1番は、『シェヘラザード』の主題にヒントを得たもの。」
これは、やはり、ヴァイオリンが冴え渡って初めて、
シェヘラザードを想起できるものであろう。

トゥロフスキーの演奏のヴァイオリン版は、
もっとたっぷりしたテンポを取っている。
これも今回、聞き直すと、かなり抑えた表情である。
シェヘラザードの域とは隔たりがある。

「第2番:舞曲作品5を想起させる。」
軽やかに舞うスクリャービン風なので、
ピアノの美感の方が、神秘的な感じが良い。

トゥロフスキーのヴァイオリンは豪華な弓裁きで、
これはこれで面白い。

「第3番は、『無言歌』、バスのトレモロで最高潮に達する。」
プロコフィエフの「束の間の幻影」風で、
特にヴァイオリン版でなくとも良い。

が、トゥロフスキーが、無言歌をしみじみと歌うのも美しい。
純粋に感覚に訴えるという意味では、
ヴァイオリン版の魅惑は抗しがたい。

第4番:Vn版なし。
この控えめなメロディを、ヴァイオリンで、
羽ばたかせてみたいような気がしないでもない。

「第5番、モト・ペルペトゥオ。」
何故、こんなのをヴァイオリンにしないといけないか、
と思われる程、打楽器的にリズミカルである。

トゥロフスキーは、めちゃくちゃ苦労して、
細かい音符を追いかけ回している。

「第6番は、マーラーのスケルツォ風。」
不思議なことに、前回聴いた方が、マーラー的に聞こえた。

トゥロフスキーのヴァイオリンで聴くと、
ひなびた感じの音色が、いかにも、
屋外での行進を想起させて面白いのである。

第7番:Vn版なし。
これは、静かに控えめな独白調。

「第8番は、シューベルトの『楽興の時』。」
これまた、前回の方がシューベルト風であった。

トゥロフスキー盤では、ピアノのリズムが、
いかにもそう聞こえたのだが。

第9番:Vn版なし。
プレストで、軽妙でプロコフィエフ風である。
これもヴァイオリンは困難と見た。

「第10番は、フィールド風の『夜想曲』。」
ほとんど聞こえない音楽なので、
ヴァイオリンで、すかっとやっても良い。

トゥロフスキーは最初にこれを演奏していたが、
綿々と歌われるのがとても良いものの、
決して、すかっとやってるわけではなかった。

「第11番、バッハのジーグから『アモローソ』となる。」
めまぐるしい動きがピアノ発想で、
よくヴァイオリン版を作ったなあ、
という感じである。

音色が多彩になり、ヴァイオリン版も、これがまた面白い。

「第12番の前奏曲は、アルペッジョの練習曲。」
これも同上。ピアノの練習曲風。

意外にヴァイオリン版も良い。
アルペッジョはピアノに任せて、
憧れに満ちた部分をすっかり取ってしまっている。

「第13番はドラム連打の伴奏を伴う行進曲。」
旋律の断片みたいなのが、見え隠れするので、
ヴァイオリンではっきりさせてくれよ、
と言いたくなる。

その期待に応えてくれているのが、
トゥロフスキー盤であると言ってもよい。

第14番、Vn版なし。
やたら重苦しく低音を強調したアダージョで、
鬱々と苦悩している感じ。
ストコフスキーが編曲したくなりそうな、
壮麗な可能性を感じさせる。
2分30秒と比較的大きく、
最後は詠嘆調になるので、ヴァイオリン版でも聴きたい。

「第15番はバレエの情景そのものである。」
非常にシンプルなので、何で演奏をしてもOKという感じ。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
意外にも、リズムの強調をヴァイオリンの方が、
手を変え品を変えやっていて面白い。

「第16番、幽霊のように音色が変化する行進曲。」
これも、同様。
ニコラーエヴァのピアノでも、十分美しい。

が、ヴァイオリン版では、さらに多彩になって、
解放的な感じで気楽に楽しめる。

「第17番は夢想的。」
この作品は、もっと耽美的に解放させてみたい、
ヴァイオリニストの気持ちはよく分かる。
ニコラーエヴァも、丁寧に、この情緒を味わっている。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
実はこちらの方が、控えめな弱音で、
丁寧に丁寧に弾いている。

「第18番『二声のインヴェンション』。」
これは、ピアノ的発想のもので、
曲調からしても、むしろニコラーエヴァにぴったりであろう。

こうした明確なものは、ヴァイオリンで聴くと、
音色の変化が加わって、期待以上の効果が得られるようだ。

「第19番は、舟歌の形式で書かれ、甘くて、苦い。」
とても美しい。
これもまた、ニコラーエヴァは、
しっとりした情感を大切に弾いている。
が、その抑制された雰囲気が彼女の持ち味であると共に、
限界となっている可能性もある。

美しいアンダンティーノで、純粋にヴァイオリン曲として楽しめる。
ここでも抑制された雰囲気はあるが、
時に扇情的にヴァイオリンがヴィブラートを聴かせると、
ぞくぞくするということになる。

「第20番、軍隊調二拍子のアレグレット・フリオーソ。」
明解な楽想なので、ピアノ版で十分。

ヴァイオリン版では、そこにヒステリックとも言える、
激情が加わり、トゥロフスキーは、この曲をエンディングに使った。

「第21番、5/4拍子のぴりりとしたロシア舞曲。」
これも、粒だった音色がピアノ的で、
あえて、ヴァイオリン編曲が必要とは思えないが、
ニコラーエヴァの演奏は、すかっとした解放感はない。
作曲家をよく知れば知るほど、こんな演奏になりそうだ。

ヴァイオリン版では、
ピッチカートの効果も鮮やかで、期待通りに楽しめる。

「第22番、表情豊かなゆっくりした楽章。」
これになると、停止寸前の音楽がモノクローム。
はっきりしゃっきりさせてくれよ、
と感じる人がいてもおかしくはない。

これもまた、一本の旋律が筋を通してくれている感じで、
ヴァイオリン版は味わい深い。

「第23番、Vn版なし。」
水の戯れのような、美しい光のきらめきが印象的な曲。
が、だんだん低音が響き、現実離れして来る。
これも、極めて心象的で、ピアノに語らせておくか、
という感じかもしれない。

「第24番は、突飛なガヴォット、最後は予期しない静謐さ。」
比較的元気が良い作品で、楽想も明解である。
全曲を締めくくるには、情けない感じの終曲だが、
幻影が現れ、そして消える感じであろう。

トゥロフスキーの演奏は、大きな表情が、
幾分、わざとらしいが、これくらいやっても良い曲想。
音色の変化も様々な可能性を試み、楽しい。

これを聴いてしまうと、
やはり、ニコラーエヴァの演奏は辛気くさい。
作曲家直伝ということで、おそらく、
ショスタコーヴィチのコアなファンならこれでよかろう。
ただし、私のような中途半端なファンでは、
このような小品であれば、
もっと、ばーんと押しつけがましい位でもよい。

かと言って、ニコラーエヴァに、
そんな演奏を期待したくもないが。
今回のように、他の演奏で聴いたものを、
さて、そもそも、と聞き直す時のスタンダードとして、
絶対に必要な演奏記録なのである。

今回、ピアノソナタ第2番にも、
初めて真面目に耳を澄ませたが、
とても、個性的な作品だということが分かった。

以下、ピアノソナタ第2番ロ短調作品61(1943)の解説である。
「一般の規則同様、ショスタコーヴィチは、多くの作品で、
第1楽章に感情の巨大な増幅や深さを置き、
最初の楽章よりは深くはないが、
よりリラックスした楽観的なムードを、
終楽章に持って来ることが多かった。
とりわけ異常ではないが、
奇妙なことに、1943年作曲で、
その年の11月11日、作曲家の手によって初演された、
第2ピアノソナタでは、終楽章が最長で、
第1楽章は、矛盾して『アレグレット』と書かれながら速い、
最も軽い楽章になっている。
これは実際よりそう見えるが、
しかし、第1楽章の素早いパルスは、
エネルギッシュな騒がしいパレードなどではなく、
より凝集してよく練られた内容である。」

ソナタの開始部としては、
極めて異例なのは、
その規模だけでなく、音色の軽さにもあり、
不明確なもやもやから始まって、
何だか、音楽が始まったみたいだな、
という感じで曲は始まる。

ぶつぶつと途切れる楽節が、
連なっているだけみたいなのも奇妙である。
が、そこから、何だか、意志的なメロディが、
格好良く見え隠れするのが気になってしょうがない。

決して短い楽章ではなく、
8分39秒もかかっている。

「この楽章を、(全楽章で比較しても良いが)
ショスタコーヴィチの同時期のもっと公式な作品、
特に、この曲の2、3週間後に完成された、
『第8交響曲』と比べると、
広く同様の動きを見せ、
同じような深い印象を感じることが出来る。」

むう、そう来たかという感じである。
「第8交響曲」のような、人気作と比較され、
似てるはずだ、と言われると、
そうかもしれないし、違うかもしれない、
と答えざるを得ない。

こうした名品と比較されると、何だか、
もっと耳を澄ます必要を感じて来た。

「第2楽章は、嘆きのラルゴで、
第1楽章の動き回る音楽を完全にかき消し、
さらに巧緻なものとなっている。
先に述べたように、あるいは、第2ピアノ三重奏と同様、
ロ短調ソナタは追想の音楽である。
これは、1941年のナチス侵攻によって、
疎開していたタシュケントの地で、
1942年10月、64歳で他界した、
ロシアピアノ界の大御所で、作曲家でもあった
レオニード・ニコラーエフの思い出に捧げられている。
彼はショスタコーヴィチのペトログラード音楽院時代の、
初期の教師の一人であった。
彼はそこで1906年から教授をしていた。
このソナタのラルゴの楽章で、
この高貴な音楽家に対する悲歌で、
深く痛々しい音楽となっている。」

「第8交響曲」も、不思議な虚無感に満ちた傑作だが、
ここでも、大きな喪失感を感じさせる音楽になっている。
ただし、音符の数が異常に、すかすかな感じがする。
あるいは、音はあっても良く聞こえない感じ。

何だか、押し殺した感情は、妙に濃い。
7分11秒の楽章。

「比較的明らかなこのソナタの調性の役割に沿って曲はすすみ、
当然、ロ短調に根ざしており、
第1楽章と終楽章のホーム・キーとなっている。
ラルゴは、主音から同じ音程間隔を置いた
短三度、変イ長調/短調になっている。
これはソナタの第1楽章第1主題の調である。
調性は、拡大された終曲で上昇し、
ソナタの3楽章それぞれの、
各第1主題は、短三度で始まり、
第2主題は減四度、終曲は増五度で、
この驚くべき終曲は、独立した作品にもなり得よう。
まるでアイデアのスクラップを集めたような、
幅広い、回りくどい、奇妙にも印象深い主題による、
拡張された変奏曲で、
そのムードは様々に変容し、凝集したもので、
常に変化する。」

面白い表現であるが、
つぎはぎだらけのようなぎこちなさを感じさせるのは事実。
この楽章は、これまでの楽章のような曖昧さはなく、
明確なタッチが求められ、変奏曲の展開もリズミカルである。
15分を越えるので、
第1楽章と第2楽章を足した程の長さ。
総計31分を越える大曲である。

「最後のページにおいて、ようやく、
このソナタを統一する素晴らしい手法が現れる。
動き回る第1楽章の16分音符と、
ラルゴの荘重さが終楽章の主題を介して結合される。
これは驚くべき作曲技法の到達点で、
交響曲や弦楽四重奏同様、ショスタコーヴィチが、
ピアノソナタを書き続けなかった事を嘆くしかない。」

さすがに故人の追悼を公言した作品。
曲想は、どんどん暗くなっていく。
不気味な低音が冥界に降りていくような感じの後、
さっと明るくなって、清澄な気分が差し込んで来るのは、
非常に美しい。
コーダで、3つの楽章が絡み合い、
最終的に深い祈りの中に消え入る効果も精妙である。

得られた事:「作曲家直伝の世界に閉じこもっていると、未知の可能性に行き当たらない。」
「ショスタコーヴィチの第2ピアノソナタ、無視できぬ。」
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by franz310 | 2010-07-25 10:49 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その222

b0083728_18415885.jpg個人的経験:
週末にかけて、
九州の方に出張していたが、
長崎空港で流れているのが、
「蝶々夫人」のメロディで、
なるほど、と思った。
しかし、その後走った高速道路の、
あるパーキング・エリアで、
流れていたのが、
シューベルトだった理由は、
さっぱり理由が分からなかった。


長崎空港のものは、
オルゴール調で、いかにも空港デザインの一部だったが、
パーキング・エリアの方は、ちゃんとしたピアノ演奏で、
地元の有線放送か何かを、
垂れ流ししているだけだったのかも知れない。

この部分だけ抜き出して、
次には別の曲になってしまった。

最初、何の曲か戸惑ったりもしたが、
あの美しい4楽章のテーマに続く、
ピアノ・ソナタ第20番のスケルツォであることが、
分かって、ますます、奇異な感じを覚えた。

ただし、それが何故か、
とかを語るのがここでの目的ではない。
さらに言えば、ピアノ・ソナタ第20番D959が、
ここで取り上げられるわけではない。

日常に垂れ流される音楽に、
シューベルトはどうもそぐわないような気はする。
語られる音楽なので、
よその人の独り言を、
聴いているような感じになる。

とはいえ、ピアノソナタ20番。
その第4楽章のテーマの元は、
シューベルト20歳の若書き、
1817年のイ短調D537は、
前回、デーラーの演奏で取り上げたところである。

そして、この1817年のソナタ群というのも、
妙に気になっていたところである。

というのは、この年、7曲もの、
断片を含む、ピアノソナタを、
シューベルトが書いていて、
これが、かなり特別なグループであることを、
妙に意識してしまったからである。

今回、取り上げるCDは、その名もずばり、
1817年の3つのソナタというもので、
私は、これをずっと前に買って以来、
この年にはこの3曲が書かれたものと考えていた。

しかし、実際は、
1817年のピアノソナタとするには、
曲が足りず、このテーマで行くなら、
2枚組のセットにするべきであった。

このあたりのソナタは、有名なところでは、
ミケランジェリやリヒテルが時折、
紹介してくれていたが、
ここでのピアニスト、WEICHERT、
ヴァイヒェルトと仮に呼ぶとして、
この人のものくらいしか、
こんな形でCDのテーマとして強調したものは、
知らなかった。

クロード・ロランの絵画「ニンフのいる風景」を、
あしらったデザインは、時代錯誤も甚だしいが、
いかにもヨーロッパの風情を感じさせるもので、
私は好感を覚えている。

ただし、これらの曲と、この絵画には、
何ら関係があるとは思えない。

1984年の録音で、ACCORDレーベルのもの。
アコードかと思っていたが、
フランスのレーベルで、アコールと呼ぶようだ。
このレーベルは、珍しい作曲家の作品を多く収録していて、
時々、お世話になっている。

ピアニストのGregor Weichertは、
大きな眼鏡をかけ、ヨン様のように髪を垂らした、
(当時の)若手のようで、
解像度の低い白黒写真は出ているが、
何者かは解説に書かれていない。
若いのに、パイプを咥えているのが不思議な印象である。

おそらく、全集の1枚。
私は、他にも持っている。
有名な後期作品を聴いた感じでは、
ものすごくピュアな感じの演奏をする人だ。
クリアで透明、よどみなく流れる。
残念ながら、使用楽器は明記されていないが、
他のCDには、スタインウェイとある。

前回まで、歴史的楽器にこだわっていたが、
今回は、新しい楽器のものである。
このピアニストの、美しい粒立ちの演奏は、
こうした現代のピアノの美質を、
突き詰めたところにあるようにも思える。

このCD、解説は、
このタイトルにふさわしく、
1817年のシューベルトについて、
下記のように書き出されている。

「シューベルト20歳の1817年は、
彼にとって非常に重要な年であった」と書き出されていて、
かなりいい感じである。

Marc Vignalという人が書いている。

「彼は、最終的にではなかったが、
教職の義務から何とか抜け出し、
9月まで、父とではなく、
ヴィーンの中心部で友人と暮らした。
創造的な見地では、非常に多産の年であり、
他の曲種に加え、沢山の歌曲と、
いくつかは未完成だが、7曲のピアノソナタを作曲した。
シューベルトが、こんなに沢山のピアノソナタを
手がけた年は、後にも先にもなかった。
彼は3曲手がけたが、
かろうじて1曲を完成させる感じだった。
先駆者たるハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンが優れた仕事をした分野に対する、
1817年のシューベルトの体系的探求は、
ソナタの数のみならず、
通常聴かれることのない調性、
嬰へ短調、変イ長調、変ニ長調、
ロ長調(D567、D575)の選択からも分かる。
それらに、1818年には、
D625の未完成のヘ短調ソナタが続いた。」

シューベルトも20歳の節目の年、
何か、体系的なチャレンジをしようとしたのであろう。
非常に共感できる前向き発想である。
早くプロになりたくて、がんばった感じであろうか。

しかも、調性の選択でもオリジナリティを追求している、
というのは非常に面白い。
後年、シューベルトは、「ます」の五重奏曲のようなイ長調や、
大交響曲や、幻想曲、弦楽五重奏曲のようなハ長調、
さらには、最後のピアノソナタやトリオのような変ロ長調、
といった調性を愛好するが、
こうした経験の末に行き着いた世界だと思うと、
味わいもひとしおになる。

なお、この時期、ベートーヴェンは、
スランプのさなかにあるが、
ピアノソナタでは、「ハンマークラヴィーア・ソナタ」という、
俗称を持つ、第29番の構想が進んでいた頃であろう。
前年に「28番」が書かれ、翌年にこの29番が現れる。
そして、1822年にかけて、後期3大ソナタが現れて来る。
そんな時期である。

ベートーヴェンとシューベルトが、
二人して、ソナタと取っ組み合いを演じていたのは、
何か、理由でもあるのだろうか。

「1817年のソナタは、
どれも生前に出版される事はなかった。
最初のD537は、3月に書かれたが、
1852年頃に出版された。
これは、彼の3曲のイ短調ソナタの最初のもので、
3つの楽章しかない。
後の2曲のような悲劇的な感覚はなく、
むしろ、もっぱらエネルギーを表出している。
最初の楽章は、凶暴にストレスがかかった主題群による、
6/8拍子のアレグロ・マ・ノン・トロッポである。
1小節の沈黙の後、ヘ長調の主題群が導かれる。」

ヴァイヒャルトのピアノは、
時として、弱さを見せるが、しなやかで、
後期作品の時以上に、愛情を持って音楽を歌わせている。
この若書きの意欲作を、慈しむような風情で、
表情豊かに、しかも、神秘的に楽器を鳴り響かせている。

ブラームスあたりが20歳頃に書いたのも、
こんな曲だったなあ、などと感じ入った次第。

「第2楽章は、ゆっくりした行進曲に、
シューベルト独自の詩情を持った、
素晴らしいアレグレット・クワジ・アンダンティーノである。」

素っ気なく弾いているが、時折、テンポを落としたりして、
シューベルトに対する愛情が、どうしても出てきてしまう、
といった風情がたまらない。

「ロンド形式によるアレグロ・ヴィヴァーチェの終曲では、
短調と長調の主題が交錯し、イ長調で結ばれる。」

不機嫌な動機に、安らぎのメロディが、
対比されるばかりで解決のない終曲であるが、
終結部も、投げやりで不思議である。

「このソナタは、シューベルトのこの難しい形式における、
正真正銘の傑作である。」

前回はそうは思わなかったが、
今回は、素晴らしい作品だと得心した。
ヴァイヒャルトの共感豊かな演奏、
しかも、透明感溢れる詩情が、この曲を、
ぐっと、こちら側に引き寄せてくれた感じである。

今回、アインシュタインの著作を見たが、
彼は、この曲は、メヌエット(D334)を持っていたが、
完成度を高めるために、シューベルトが取り外した、
と書いていて興味深かった。

それが本当なら、シューベルトが、
構成感なく書き飛ばしていた、
という俗説が、この早い時期から、
修正されなければなるまい。

「1817年の6月は、
もっぱらピアノ曲が集中して書かれ、
特に、変ニ長調(D567)の3楽章のソナタに、
シューベルトは専念した。
この年、その後で、恐らく11月以前に、
彼はこの3つの楽章を移調して改訂、
メヌエットとトリオを加え、
4楽章のソナタ変ホ長調D568に作り替えた。
これは、1829年、作品122として出版されている。」

私も混乱して来た。


ということは、D567と568は、
同じ曲なのか、別の曲なのか。

私は、今回、第20番のソナタから書き出したが、
そもそも、この1817年のソナタは、
何番と呼べば良いのだろうか。
ミケランジェリのCDでは、イ短調D537は、
「第4番」となっていたが。

例えば、朝日新聞社から出ている、
朝日選書、喜多尾道冬著「シューベルト」を見ると、
前期のソナタとして、
こんな風にまとめられている。

これに○で、今回、このCDで、
ヴァイヒェルトが演奏しているものを示した。

1815年
ホ長調(D154)未完
第1番(D157)未完
第2番(D279)
1816年
第3番(D459)未完?
1817年
第4番(D537)○
第5番(D557)未完
第6番(D566)未完
第7番(D568)未完?○
スケルツォとアレグロ(D570)未完○
第8番(D571)未完○
第9番(D575)
1818年
第10番(D612)未完
第11番(D625)未完
1819年
嬰ハ短調(D655)未完
第13番(D664)

ここで、(?)マークは、喜多尾氏の本に「未完」、
と書かれていながら、完成作と見なす人がいるものを、
あえて書き出した結果である。

総力を挙げて、混乱させようとしている文献類である。
喜多尾氏は、何故、調性を書かなかったのか。
また、第12番というのはなかったのか。
ないなら、「ない」、と書いて欲しいものだ。

また、ヴァイヒェルトは、
1817年の3つのソナタといいながら、
完成されているD575は収録していない。

逆に、未完成の、
第7番D568や、第8番D571+570を、
あたかも、完成作品のように演奏している。

さらに解説にあるD567は、
喜多尾氏の本では触れられておらず、
カウントもされていない。

このように、この1817年のソナタというのは、
様々な混乱の中で、一つ一つを整理して聴かないと、
立ちどころに居場所が分からなくなってしまう類の曲集。
疾風怒濤の青年期のシューベルトも、
おそらく、様々な混乱の中であがいていたものと思われる。

いずれにせよ、このCD解説では、
さらに第7番D568の原曲となったD567を、
下記のように、まだ、比較検討しようとしているが、
何となく、我々にとって、確認しようのない内容である。

混乱するので、D番号を付記した。

「これら二つのバージョンの比較をする場所ではないが、
変ニ長調のバージョン(D567)の、
嬰ハ短調の素晴らしいアンダンテ・モルトは、
エンハーモニックの関係であるが、
変ホ長調のバージョン(D568)では、
三度の関係にあるト短調となっていることは興味深い。」

私には、まったく興味深くない。

しかし、アインシュタインの、
「シューベルト音楽的肖像」では、
この曲の移調問題を論じており、
何故、変ニ長調から変ホ長調に、
移調したのか説明し難い、
として、さらに、
アンダンテをひとたび嬰ハ短調で演奏したことがある人は、
それをト長調で演奏するのは、「好むまい」と、
最終的な作品を否定しているように見える。

このCD解説では、以下のように、
意味不明なフレーズが続くのも困った点だ。

「変ホ長調(D568)は、
シューベルトの最も魅力的なソナタで
イ短調のソナタに対し、
価値あるペンダントとなっている。」

何だか、訳が分からないので、
ドイツ語の解説を当たると、
「イ長調」となっている。
ますます、訳が分からなくて、
フランス語の原文は「イ短調」となっている。
先のD537に、うまく対比された作品で、
合わせて聴くと良い、ということだろうか。

ということで、第7番変ホ長調の解説は終わるが、
各楽章についての詳細はないし、
この曲のどこが未完成かは書かれていない。

本当に未完成なのだろうか。

前田昭夫氏の「シューベルト」では、
この曲は1817年の最も重要なソナタに上げられており、
「古典的なフォルムの回帰する流麗な舞曲様式の『変ホ長調』」
と書かれている。

アインシュタインは、
「1817年夏の4曲の完成したソナタ」として、
イ短調(D537)、ホ長調(D459)、
ロ長調(D575)に、変ホ長調(D568)を論じている。

従って、前の表に、「未完」と書かれながら、
「?」マークがついているものは、
アインシュタインは完成作と考えていた。

ということで、この第7番D568であるが、
どこが、「流麗な舞曲形式」なのだろう、
と考えつつ聴くことになる。

この曲はCDでは最後に収められていて、
このCDでは、前に収められた、
イ短調の不機嫌さや、
嬰ヘ短調の悲愴美とは違って、
非常に古典的で端正なたたずまいを感じさせる。

第2主題であろうか、ワルツ風に楽しく、
流麗な舞曲形式とは、このあたりに聴くべきなのだろうか。
ヴァイヒェルトも、このあたり、
スイングして楽しげである。

さざ波のように続くピアノの左手は、
後年の変ロ長調の先取りのように聞こえる事がある。
確かに、イ短調とは全く異なる世界である。

あるいは、シューベルトは、3曲セットの作品を考えていて、
イ短調に対比できる楽曲を模索していたのかもしれない。

第2楽章は、独白調のアンダンテ・モルト。
とてもロマンティックな曲調が続いて、
何か、緊張感をはらんだ情景を表しているようだ。
打ち震えるような切分音が、特にそれを感じさせるが、
時として、スカルラッティを聴いているような、
静謐で古典的な美学を感じる瞬間もある。

このCDの表紙のロランの絵画を思い出すとしたら、
この楽章、トラック9しかあるまい。

第3楽章は、「楽興の時」を思わせる、
夕暮れ時の情景を思わせるメヌエット。
愛らしく、繊細で、ショパンを思わせる陰影が深い。

第4楽章は、前の楽章から間髪入れず始まり、
幾分、その雰囲気を引きずって、
何となく、ぐずぐずしているが、
次第にエネルギーを増して、
シューベルトらしい寄り道も楽しみながら、
様々な風景を回想しながら、
確かに円舞曲のように旋回して、
今回の3曲の中では、
最も温厚なロマンに満ちたソナタをまとめ上げている。

ヴァイヒェルトの演奏も、このあたりの、
メリーゴーランドのような趣きを活かし、
軽やかなリズムと明滅するきらめきを強調して爽やかだ。
もう少し速いテンポでもよかったような気もするが。

この人は、おそらくナイーブな演奏家なのだろう。
曲想の変わり目も折り目正しく、
丁寧につなげるせいか、時として、流れが停滞する。
こうした、喜遊に満ちた終楽章を鮮やかに書き飛ばすことを、
潔しとしなかったのかもしれない。

それにしても、感興に飛んだ終楽章で、
もっと弾かれないのが不思議な気がする。

アインシュタインは終楽章の展開部のはじめを、
ヴァイオリンとチェロの会話となぞらえ、
ウェーバーを先取りした楽曲と書いたが、
確かに、サロン風の優美さが現れるところなど微笑ましい。
それにしても一筋縄ではいかない音楽である。

が、ここでも、ヴァイヒェルトの演奏は、
共感という意味では、かなりのものを示し、
めまぐるしく変転する楽想すべてに、
手を差し伸べて、慈しんでいるようである。

今回、私は、この曲も好きになった。

「1817年7月、
シューベルトは、嬰ヘ短調のアレグロ(D571)を作曲、
1897年に出版されたが、未完の作品である。
これは長らく孤立した作品と考えられていたが、
1905年、D571のニ長調のスケルツォと、
嬰ヘ短調のアレグロ(D570)とひっつけられて、
3楽章のソナタとされた。
これらの原曲の研究では、
シューベルトは、実際、こうした計画を、
持っていたように見える。
イ長調のアンダンテD604は、
同じ作品の一部かもしれない。
この仮説ではあるが、説得力ある、
4楽章版ソナタ嬰ヘ短調としてここに録音した。
最初の楽章と終楽章は、
バドゥラ=スコダによって完成されたが、
グレゴール・ヴァイヒャルトが、
少し手を入れている。」

つまり、ここでは、
「第4」、「第7」、「第8」の3曲が演奏されているが、
1817年の7曲のソナタのうち、
2曲は合体されて1曲になったので、
この年の半数のソナタは収録されていることになる。

この「第8」については、アインシュタインは、
ソナタとしては触れていない。
断片としては、後述のように好意的である。

チャールズ・オズボーンなどは、
「1817年の一連のソナタの中で1番面白いのは、
おそらく「第8番嬰ヘ短調」だろう。」
と断定している。

反対に、彼は、「第4番イ短調」(D537)は、
「素敵な緩徐楽章をもつ内省的で地味な作品」と、
あまり高い評価をしていない模様である。

「第7番変ホ長調」(D568)は、
「情熱的な第1楽章で名高く」、「長大で」、
「説得力のある構成を見せている」と書いているので、
それよりは良いという感じだろうか。

私は、何となく、その反対の評価をしたくなる。

さて、このオズボーンが高く評価した曲は、
このCDでは2曲目に収録され、
確かに、メランコリックな第1楽章からして、
大変な魅力を放っている。

どこへとも分からずさすらって行く感じの主題に、
これまた慰めのような主題が語りかける。
しかし、単にそれだけのような音楽で、
5分しかなく、あまり歯ごたえがない。

第2楽章は、D604のアンダンテで、
これも、また、不思議に内省的な色彩に満ち、
ほっておくには惜しい楽想である。
アインシュタインは、この曲が、
後年のニ長調ソナタのための作品である説を紹介しながら、
「極度の繊細さと敏感さを併せ持つ楽曲」
と書いて、
「短すぎる終結によって台無しになっている」と書いているが、
ここでの演奏では、終結部も不自然ではない。

解説にもあるように、第3楽章、第4楽章は、
D571の、「スケルツォとアレグロ」で、
スケルツォは、鮮やかで軽やか。
終曲になったアレグロは、アインシュタインも、
「完成したら極めて立派な作になったと思われるもの」
と書いていて、スケルツォと共に、
「心を奪うような美しさと愛らしさに満ちている」と、
絶賛している。

私の中では、この曲のそれぞれの美しさは分かるが、
本当に本来の作品なのだろうか、
という疑念が離れない。

それは、恐らくヴァイヒェルトの演奏自身が、
そんな感じで、自信なさげに聞こえるからのような気がする。
終楽章の終わり方も、非常に控えめで、微妙。

得られた事:「1817年のソナタは、研究者の評価もまちまちだが、『習作』と切り捨てた評価はない。好みが分かれるのは、シューベルトが、あえて様々な曲想のものを求め、多様性を模索したからにも見える。」
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by franz310 | 2010-04-18 18:42 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その206

b0083728_2212203.jpg個人的経験:
アリャビエフが、
「夜鶯」の主題によって、
弦楽四重奏曲第3番を
書いていた頃、
シューベルトの周りでは、
微妙な状況が生じていた。
宮廷楽長であった、
シューベルトの師の
サリエーリが退任し、
後継者にアイブラーが昇格した。


アイブラーは副楽長だったので、その席が空位となった。
シューベルトは、その副楽長のポストを狙って、
皇帝に請願書をしたためたのである。

この時、アイブラーが、
どのような形で関与したかは分からないが、
シューベルトは採用されなかった。

サリエーリに次ぐ、ナンバー2だった、
このアイブラーとはいったい、
どのような音楽家だったのだろうか。

この季節に相応しい音楽として、
「クリスマス・オラトリオ」という作品を書いているので、
今回はこれを聴いてみた。

このCDでは、Eva Pinterという人が、
アイブラーの生涯と、この作品について書いている。
「ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち」
と題されているが、これはこの曲の題名である。

「生前高い評価を受けながら、
後に忘却の淵に沈んだ作曲家は、
音楽史において数多く見受けられる。
この死後の評価は、ある作曲家については、
相応しくないとは言えないが、
ヨーゼフ・アイブラー(1765-1846)については、
当てはまらない。
ようやく近年になって、彼の作品は正しい評価を受け始めた。」

こういった事は、これまで何度も読んで来たので、
なかなか、信用するわけにはいかない。
コジェルフ、オンスロウからレーガーに至るまで、
同様の評価をされながら、
演奏会の順番待ちをしている作曲家は無数にいる。

「ヴィーン古典派にあって、
創造力があり興味深い人物を示すものとして、
それらは、確かに再発見の価値がある。
アイブラーは最初の音楽指導を、
自分の家庭で受けた。
ヨーゼフ・ハイドン、ミヒャエル・ハイドンが、
以前学んでいた、ヴィーン市の大学で、
彼も学び、これが彼の終生を決定づけた。
ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーの弟子として、
作曲の勉学にいそしんだ。
彼は当初、法律家を目指したが、
彼の両親の家は火災に遭って、
財政的に苦しくなり、
この道は諦めずにはいられなくなった。」

このような苦境から、立ち上がった作曲家というのも、
あまり聴いたことがなく、印象に残る。

「彼が音楽家としての道を選んだ時、
善意の支援者が現れた。
そうしたパトロンは、
1793年に熱のこもった推薦状を書いた、
アルブレヒツベルガーだけでなく、
友情をこめて支援したハイドン、
それに、
『信頼できる作曲家で、
室内楽においても教会音楽においても、
才能を持ち、歌唱芸術について豊かな経験を持ち、
オルガン奏者、ピアニストとしても完璧である』
と書いたモーツァルトなどであった。
アルブレヒツベルガー、ハイドン、
モーツァルトの持つ特筆すべきものが、
アイブラーのスタイルの上にも認められる。」

ハイドン、モーツァルトに認められた作曲家としては、
プレイエルなども重要であるが、
アイブラーは、後塵を拝している感じであろうか。

「対位法の全般的な理解、
交響的、室内楽の作曲において見られる、
高尚さ、魅力的なモティーフと、色彩。
アイブラーは、これらの影響を特別な方法で統合した。
彼は、ヴィーンのCarmelitesで1792-94に、
また、1794年からは30年もSchottenstiftでなど、
何十年にもわたって合唱指揮者を務め、
数多くの宗教音楽を作曲した。
30曲以上のミサ曲、何曲かのオラトリオ、
1曲のレクイエム、短い宗教曲などを書いた。
彼の宮廷作曲家時代も、彼のスタイルに明らかに影響を及ぼした。
1801年、皇帝の一家の音楽教師になり、
1804年には副楽長になり、20年後には、
サリエーリの後任として楽長になった。」

アイブラーが1804年に副楽長になったのは、
39歳の時ということになる。

着実に公的な立場をステップアップして来た人から見れば、
シューベルトの応募は、かなり乱暴に思えたのではなかろうか。

「彼は革命的なことを行わず、
ヴィーンの宮廷音楽の伝統の、
音楽美学の要求に非常に良く適応した。
そして、シューベルトの変イ長調のように、
その方向を変えることを拒絶した。
教会と宮廷音楽の嗜好が、
確立していたフレームワークの範囲で、
彼自身の表現のパレットを開発したのである。」

という具合に、むしろ、
シューベルトなど認めなかったかのようなニュアンスを、
この解説では滲ませている。

以下、この楽曲の解説となる。
「アイブラーは、彼の最初のオラトリオ、
『ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち』を、
ヴィーンの退職音楽家協会のために書き、
1784年、12月22日にスコアを完成させた。
後に、彼はこれをカンタータにも改作した。
テキスト作者は未詳である。
クリスマスのテーマに沿いながら、
時に聖書の一部を流用しつつ、
民衆の言葉の効果によって、
神秘の瞬間の劇的な雰囲気ではなく、
叙情的で瞑想的なものを作り出している。」

とにかく、特にドラマがあるわけでなく、
御子の生誕に立ち会った人の眼で、
その奇跡が賛嘆されているだけ、
といった内容である。

「アイブラーは多くの音楽モデルを利用している。
第1部を締めくくるコーラスや、
バスのアリア、『彼はベツレヘムに生まれた』
(Track16)における優しいシチリアーノは、
二つの例を上げるならば、
バロック期のヘンデルの『メサイア』、
バッハの『クリスマス・オラトリオ』といった、
先例にならっている。
モーツァルトの音楽の影響も、
いくつかの動機の処理や、
(管弦楽の序奏の短調の開始部は、
K.457のハ短調ピアノ・ソナタを思わせる)
時に名技的で、時として流麗な、
声楽パートの扱いに、明らかに認められる。」

いうなれば、先生によく倣った、
優等生の音楽ということだろうか。

「アイブラーのオーケストラの統率は、
素晴らしい木管の効果や、
精巧な弦楽の声部の扱いにおいて、
モーツァルトやハイドンの交響作品の影響を感じさせる。
これらのルーツに関わらず、
アイブラーの音楽は独創的で、時として、
驚くような作曲の着想を見せる。
一つの例としては、冒頭から見られ、
ハイドンの『天地創造』に先立つ、
日の出の効果があり、
他の例としては、様々なアリアのデザインにも見られる。」

ということで、単に優等生ではなく、
様々な創意工夫もできる人だったということである。
これでは無敵ではないか。

以下、その独創性についての具体例が列挙される。

「テノールのアリア(Track2)、
『羊飼いよ見よ、救世主を』で、
ダ・カーポ・アリアの三部形式と、
ソナタ形式のような転調のプランが見られる。
最初の部分はドミナントに転調するが、
最後の部分では主調に止まる。」

神聖なオラトリオにしては、快活な印象の曲である。
あとで、改めて述べる。

「また、ソプラノのアリア『それは神自身』(Track8)の、
二つのアレグロ・モデラートの二つの部分では、
それぞれ、アダージョのレチタティーボが用意され、
ソプラノの声楽部は、カデンツァの、
高度に名技的なコロラトゥーラのアリアにおいて、
木管だけで伴奏されている。
アイブラーはテキストの説明について、
繰り返し繊細な効果を施している。」

このアリアのアレグロ・モデラートの部分、
というのは、非常にシューベルトを想起させるが、
その独特の音色によるものであろうか。

「アルトのアリア、『幼子は手を伸ばし』(Track4)では、
声楽パートとオブリガートのフルート独奏が、
和音の分解によって、静かな心臓の鼓動を表現する。」

フルートの技巧的な音色の効果のせいか、
非常にすがすがしい感じがするアリアである。

「ソプラノのアリア『今や彼らの眼は幼子に』(Track11)の、
尋常ならざる開始部は、
ドミナントの七度で始まるモティーフで、
それらが終わってようやく主音が現れる。
これは、探しているような、
驚きを持ってちらちら見るような効果をもたらす。」

なるほど、確かにそんな感じがしないでもない。
ピッチカートの変則的なリズムには、
そうした戸惑いのようなニュアンスがある。

「四重唱『彼らの眼から』(Track5)においては、
ため息と涙の愛情に満ちた、
感動的な雰囲気が、
『ため息の動機』のみならず、
弦楽に絡むクラリネット独奏と三つのトロンボーンという、
通常とは異なる楽器によって描かれている。」

この独特の深い音色については、
モーツァルトのレクイエムの一節を聴くような感じが近い。

「この四重唱の対となる第2部の、
『ユダの種による愛しい御子』(Track14)は、
二つのクラリネット、二つのバスーンと弦楽による、
独自の色彩で彩られている。」

こちらの四重唱は、初め、ソプラノから歌い出され、
次に、バスーン伴奏にアルトが乗って、
続いて、木管アンサンブル伴奏にテノールやバスが登場、
最後の最後に四重唱に膨らむ。
歌と歌を繋ぐ管弦楽も精妙だ、
という風に、第1部の四重唱とは趣がまるで違う。

さすがにルーチンワークはやってないし、
持てる技巧のデモンストレーションという感じが、
これまた、無きにしもあらず。

「このオラトリオを形成する、
二つの部分は、構造上類似点を持ち、
各部の真ん中に癒しの四重唱が置かれ、
各部とも、終曲のコーラスに先立って、
高い技巧を要求するアリアがあり、
第1部ではソプラノのアリア、
『それは神自身』(Track8)が、
第2部では、バスのアリア、
『彼はベツレヘムに生まれ』(Track16)が、
置かれている。」

このソプラノのアリアは、
非常に美しいメロディを持つ。
一方、バスのアリアは、劇的な序奏を持っており、
雄弁な管弦楽に相応しく英雄的である。
装飾音型も多用しながら、
クライマックスを形成している。

しかし、よく見ると、Track16のアリアと、
Track18の終曲の間には、
ジャンプ台のようにレチタティーボがある。

また、以下のように、終曲の合唱は、
バーンと強烈に炸裂するようなものでもない。

「第1部を締めくくる、天使のコーラス
『彼はあなたのために生まれ』(Track9)は、
時に優しい三度和音を含むシチリアーノで、
対位法的な構成を持つ。
第2部を締めくくるコーラス、
『いと高きにいます神に栄光あれ』(Track18)では、
聖書の詩句により、
強いダイナミックのコントラストだけでなく、
最後の精巧なフーガによって、
聴く者を魅惑する。」

「聖書の詩句を利用した」とあるように、
全体的に、宗教的な賛美に満ちあふれ、
クリスマスにちなむドラマが描かれると思うと、
肩すかしを食らわされる。
その点では、コジェルフのモーゼと同様である。

ただし、各曲とも、非常に工夫を凝らした設計で、
こんな曲が、ハイドン後期のオラトリオに
先立って作曲されていたとは驚きである。

以下に、テキストの内容を紹介しつつ、
聴き進めて行きたい。

第一部。
Track1:序曲とレチタティーボ、
ソプラノ:
「おお、太陽よ来たれ、遅れないで!
そなたの道を急がれよ、
そなたの光で幼子を照らすため。
上れ、太陽。上るのです。
この子、万民の喜び、
この放射で照らせ、太陽よ、
その力を見せて下さい。
明るく、夜を明るく。」
テノール:
「遅い、先駆けの光が、
夜を昼に変える。
天使の合唱によって、光が来る。
ああ夜よ、そなたは昼に譲るのだ。」

序曲は荘厳な序奏を持ち、
主部のアレグロはティンパニのパンチを繰り出しながら、
クリスマスの出来事への期待を高めていく。
木管のアンサンブルの色彩も美しく、
ホルンも高らかに、聴衆の気持ちを、
否応なく盛り上げて行く手腕は、
ハイドン、モーツァルトを超えて、
ベートーヴェンをも思わせる。

まさしくシューベルトの初期交響曲につながるものだ。

レチタティーボが始まっても、
雄弁な管弦楽は響き続け、
ついに日の出のシーンでは、ティンパニの連打に、
金管が鳴り渡る。
その後のテノールの登場は、
まるで、「第九交響曲」の歌い出しみたいである。

Track2:アリア、
テノール:
「見よ、羊飼いたち、救い主を。
神の御子。
まぐさ桶の祭壇の回りに並べられた、
捧げ物と贈り物を持って来た、
何よりもあなた方を愛される。
ああ、もっと近くに。
予言者の一団が千年も前に見たものが、
この御子なのです。
永遠の契約の創生者。
いまや御子を讃える時。」

この部分は、唯の威勢のよいアリアという感じで、
宗教的な雰囲気はない。
クリスマスという感じでは、全くない。
解説では、ソナタ形式のプランと書かれていたが、
言われてみれば、という感じのみ。

Track3:レチタティーボ、
アルト:
「彼らは目に涙を湛えて近づいた。
いや、まだその幸福を信じられなかった。
もたつく足取りで。
あなたの足下に行かせて下さい。
新しく生まれた天の子。
燃える口づけを。
霜と風からあなたを守る、
あなたのお襁褓、ベッド。
今、それらは、
御子の貧しさを和らげる贈り物に伸びて。
贈り物と一緒にその心も捧げました。」

何だか、生命の脈動を感じさせるような、
低音のリズムの中、オルガンの音が静かに響き、
聖なる気配が感じられる。
解説では、Track4の方を、
心臓の鼓動になぞらえていたが、
私には、こちらの方に、それが感じられる。
音楽もようやく、明かりが灯って来たような感じである。

Track4:アリア、
アルト:
「御子は手を広げ、
喜びを持って、贈り物に向かって微笑んだ。
何と温かく、その心臓は鼓動したか。
二つの瞳はルビーのように輝いた。
幸福の天使がいて、真ん中には神がおわし、
崇拝を持って羊飼いたちは見守った。
何という祝典の光景、何という無上の幸福。」

喜びに高鳴る心を感じさせる朗らかなアリア。
フルートの活発なソロを含み、
いかにもシューベルトも使いそうな、
推進力のあるメロディが歌われる。
最後はコロラトゥーラ的な装飾が現れる。

Track5:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「彼らの目からも、喜びが輝き、
深い愛情が燃えさかる。
心からはため息が出て、
頬を涙の洪水が流れ出る。」

めちゃくちゃ大げさな表現であるが、
静かで荘厳な曲調の間奏曲となっている。

四重唱というから華麗なものかと思ったが、
クラリネットのなだらかなメロディライン、
トロンボーンの和声が、瞑想的な感じが強い。

Track6:合唱、
「遅れるな、それをお持ちしよう、
すぐに神様の前に。
神聖な心の主。
涙を集め、神様を悲しませないように、
それを捧げよう。」

これまた短い簡潔なもの。


Track7:レチタティーボ、
ソプラノ:
「主は彼らを思い、彼らに報いてきた。
永遠なる主、今日は、
そのお姿を見せて下さった。」

ゆらゆらと蜃気楼のように立ち上る弦楽に、
幻想的な木管が重なって、
霊妙な感じがするひととき。

Track8:アリア、
ソプラノ:
「それはあの方、受肉した神様のお姿。
暗い静寂から、今、お生まれになった。
マリアのお子で、神のお子。
受肉した神さま自身のお姿。
神様に愛された羊飼いたち、
天国のようなゆりかご。
神の王座の前に立っています。」

このアリアなどは、いかにも、
シューベルトが劇音楽で書きそうな晴朗なメロディで、
それでいて、シューベルトが遠慮して書かなかったような、
華麗さに満ちている。
前述のように、木管を重視したハーモニーが、
シューベルト的な色彩を感じさせるのかもしれない。

Track9:天使の合唱、
「神様があなたがたのためにお生まれになった。
契約の創設者。
ああ、楽しい集い、
ああ、祝福された時、
喉の奥底からの声、
ハープの音色、
天の歌手達の、
何という愛らしい合唱。」

シチリアーノで、対位法的、
ということだが、天使の楽しい合唱なので、
清澄ではあっても、威圧的ではない。

ここで、前半は終わるようだが、
爆発でカタルシス、というものではない。

どうやら、羊飼いたちが、
集まって来た様子を描いて前半終了、
ということであろうか。

第二部。
Track10:レチタティーボ、
ソプラノ:
「選ばれし、いと高きマリア様、
エマニュエルの母として選ばれ、
純潔な魂に満ち、
天使のように純粋で、
驚きの目が彼女に向けられる。」

第二部に入ったので、また、視点を変えた展開が始まる。
しかし、特に序奏もなく、
内容の基調は賛美しているだけなので、
あまり、二つの部分に分かれている必然は感じない。

しかし、最終的に羊飼いたちは離れて行くので、
後半は、集まって来た者たちが、
その奇跡を持って離れて行くことを描いたもの、
と解釈することが出来るだろう。

Track11:アリア、
ソプラノ:
「今、彼らの目は御子を見て楽しみ、
神聖に放射する力が、
エッサイの根から現れた、
全てのもので最も美しい花。
今、その聖母を見あげて、
その胎内を賛美する。
そこから、最も美しい花、
聖なる御子が生まれた。」

何だか、単調で月並みな賛美だが、
5分にもわたって、ソプラノが、
ピッチカートのリズミカルな伴奏に乗って、
弾むような歌を歌い続ける。

ちなみにエッサイというのは、
ダヴィデの父のことである。

じゃんじゃんじゃん、という感じで、
聞きようによっては、ロッシーニみたいである。
解説者は、このあたりを、驚きの描写としている。

確かに、曲の起伏を考えると、
このあたりで、リズミカルな調子を入れたくもなろう。

Track12:レチタティーボ、
アルト:
「羊飼いたちは、楽しく静かに待ち、
聖母と御子を見て、
信心深く、驚きに目を見張り、
何一つ言うことも出来ない。
しかし、最後には、
天使が静かに舞い降りたところに、
その歌を歌わずにいられない。」

アルトは、この地味で声をひそめたレチタティーボで、
羊飼いが金縛りになっているのを表現するだけで、
アリアがないのはかわいそうだ。

Track13:アリア、
テノール:
「エホバの使いよ、しばし止まれ、
我らの願いを聞き、
そして贈り物を乗せて急げ、
信心深い仲間たちから、
エホバの祭壇に向けて。」
ソプラノ:
「兄弟よ聞け、
今や、この諸手を挙げて、
燃えさかるような望みを、
幼子に伝えよ。」

管弦楽の序奏からして、音色は独特。
テノールのアリアのメロディは誠実さに満ち、
ソプラノのアリアは、短いが、内容に相応しく色彩的。
それを繋ぐ管弦楽部も、内省的である。
いずれもシューベルトの歌曲も、
誕生間近という感じであろうか。

Track14:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「ユダヤの種から生まれた幼子、
直に成人し、
我らと共にある神は、あなたの名。
険しき道ゆく英雄よ。
おお、幸福の涙が、
幾千もの挨拶となる。
神の慈悲の滴り。
我らの幸福な口づけを。
それは喜びの涙、
痛みの苦しみではない。
民よ、その罪を離れ、罪を増やすなかれ。
ヘルモンの谷の小川で、
みずみずしい緑の中に漂うあぶくのように、
暑い太陽から離れておれ。
おお御子よ、あなたの命が息づいている。」

かなり変則的な四重唱で、
独唱部分が大部分で、最後のみ全員で締めくくる。
オーケストラの扱いについては、すでに述べたように、
非常に素晴らしい。

Track15:レチタティーボ、
バス:
「進め、幸福で信心深い仲間達よ、
その群れと共に。
天の御子は、
優しい笑みと恵み深い敬意を持って、
あなた方の贈り物を受け、
あなた方の歌声を静かに受け取った。
あなた方の目が世界の光を見たことに幸いあれ。
最高の奇跡が、今、イスラエルに起こったと宣言しよう。
まず父に伝えよ、そして、それは全世界に知られよう。」

この部分、歌詞だけを見ると、
この曲の核心の部分に思えるが、
それほど個性的ではない。

伴奏はオルガンであろうか。

Track16:アリア、
バス:
「皆の待ち望んだ、ダヴィデの子孫、
御子はベツレヘムにお生まれになり、
平和の王子、選ばれた王、
いつかその王座に座られる。
エルサレムよ、心を高く持て、
見上げ、その光に気づくべし。
ベツレヘムから照らす光に、
もはや、間違いはない。」

バーンと強烈なオーケストラで始まり、
その伴奏は素晴らしく雄弁だが、
歌手にも十分配慮して、
それを伴奏がかき消すことなく、
独特の音色で、装飾していく手腕はさすがと言える。

この大曲の後半のクライマックスを導くに相応しい、
雄大な曲想だが、詩の内容を見ると、
Track15の詩と比べて見劣りするのが残念だ。

Track17:レチタティーボ、
テノール:
「天使もうらやむような、
素晴らしい幸福にあった民は、
賛美の歌を歌いながら、
まぐさ桶から離れた。
大天使とも思えないか弱い人間の形で、
御子エマニュエルは、そこに寝ていた。
彼らは長い間、御子を見下ろし、
彼らは長い間、神の偉大を驚きを持って見ていたが、
もう一度、竪琴を合わせて、
高く歌を歌い上げた。」

この曲は、先の曲から一転して、
非常に瞑想的、思索的であるが、
伴奏の木管がまた、効果的である。

奇跡からの別れの音楽で、
名残惜しい感じがよく出ている。

Track18:合唱、
「いと高きにある神の栄光、
良き人には平安を、
彼の名を唱えよ、遠く、広く、永遠に。
不敬は落胆し、
有徳な者には、功徳の花輪が現れる。
いつの日か、御子は雲の中で輝き、
その力を使われるだろう。」

最終的に、さすが宮廷作曲家の仕事、
有徳な者、不敬なものを対比させたりして、
妙に説教臭い。

歌詞を見ていると、きれい事、
説教者の一方的な命令口調に、
だんだん、心気くさくなって来たが、
合唱は晴朗で、音楽には力がある。

クリスマスだからと言って、
こんな与太話に至る過程を、
くどくどと、70分もかけて聞かされるのでは、
気が滅入ってしまうところを、
かなり楽しんで聴くことが出来た。

そもそも、神の子であるという証拠など、
何も、どこにもないではないか、
とつっこみを入れたくなるのも事実。

しかし、音楽は、序曲を始め、
充実したものであることは分かった。
しかし、こんなある意味空疎な内容に、
これだけ注力できる手腕も、また、ものすごいものを感じる。

シューベルトなら、「真実味がないものは書けない」と、
途中で投げ出すと見た。

得られた事:「『不敬は落胆し、有徳な者には、功徳の花輪が現れる』という歌詞が現れるが、才覚も如才もある苦労人、アイブラーが、シューベルトを部下に採用することは永遠になさそうだ。」
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by franz310 | 2009-12-26 22:18 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その170

b0083728_12582396.jpg個人的経験:
今回、私が聞いたCDは、
シューベルトの師匠で、
モーツァルトのライヴァルであった、
サリエーリの書いたピアノ協奏曲。
FUNT CETRAという、
ライブ録音を出しまくって、
ちょっと著作権、大丈夫?
という感じのレーベルのもの。
大丈夫?という感じは当たって、
今回のCDもイタリア語のみ。


ということで、曲の詳細は読めないでいる。
ただし、ライブではなさそうだし、
大家、チッコリーニがピアノを担当、
何と、バックもシモーネ指揮、
イ・ソリスティ・ベネティと、
有名どころを押さえている。
マイナーレーベルの仕事とは思えない。
録音もよい。

近年の傾向では、フォルテピアノなど
オリジナル楽器で弾かれる領域なので、
少々、時代を感じさせる。
1986年という年が書かれているが、
録音年か発売年か不明。

2曲あって、共に作曲されたのは、1773年。
この時代からも明らかなように、
モーツァルト以前、C・P・E バッハ以降、
という感じがする。
あくまでも、この演奏で聞いた感じだが。

最初にかなり大曲の変ロ長調が収録されている。

第一楽章のアレグロ・モデラートは、
12分もかかる大曲で、
弾むような楽しげな主題、
晴れやかな展開に、
途中には緊張感を孕んだ一瞬もあって、
聴き応えのある音楽。

第二楽章は静的なアダージョでこれについては後述する。
7分ほどかかる。

終楽章は、何とメヌエットで、
ハイドンのピアノ三重奏曲みたいな構成。
これら2曲は、女性の弟子のために書かれたというが、
非常に愛くるしい音楽で、7分半かかる。
途中、変奏曲みたいに小細工をするあたり、
微笑ましく思える。
コーダでは、緊迫感を増して締めくくるあたり、
ベートーヴェンが好きそうな乗りかもしれない。

次にこのCDにはハ長調の、19分程度の協奏曲が入っている。

第一楽章のアレグロは8分程度。
ピアノの指使いが、軽妙で、演奏していて楽しそうである。
ころころと玉を転がすようであったり、
不規則にリズムに変化を付けたり、
せかせかと先を急いでみたり、
チッコリーニで聞くせいか、非常に美しい。

そんな中、すっと弦楽で出るメロディや、
少しずつ陰影を変えていく色彩感は、
妙にシューベルト的ではっとさせられる。
そうだ、「ラザロ」で出て来るメロディに似ている。

第二楽章は物思いにふけるラルゲットで、
ピッチカートが迫る時を告げるかのようだ。
約6分。

第三楽章は何と、アンダンティーノとあって、
後の協奏曲形式からすると意表を突かれるが、
ラルゲットの後のせいか、急緩急の協奏曲に聞こえる。

かなりシンプルな楽想の中、
妙にためらいがちなピアノのパッセージが出て来て、
はっとさせられ、サリエーリが想定していたという、
女弟子の面影が偲ばれる。
途中、劇的に盛り上がる場所もあって、
飽きさせない工夫は随所にある。

決して凡庸な作曲家のものでも、
アイデアに乏しい人が単に流行に便乗したようなものでもなさそうだ。
5分程度で終わるので、先の曲よりはかなりコンパクトなイメージ。

ちなみに、モーツァルトもこれらの曲と同じ1773年に、
最初のピアノ協奏曲を作曲している。
また、デーモニッシュな小ト短調交響曲を書いている。
サリエーリが23歳、モーツァルト17歳である。

もう一人の大家、ハイドンは、すでに不惑の年を迎えていたが、
実際は、この時、まだ模索の時代にあって、
ロシア四重奏曲のような革新的な仕事は、
1780年代まで待たなければならない。

ところで、このCD、私は、イタリアのレーベルであるし、
イタリア人作曲家の作品ゆえ、
さらにイタリア人の名匠たちが演奏することもあって、
当然、この表紙の絵画もイタリア、
演奏団体からの連想からか、
ヴェネチアあたりの風景かと思っていた。

しかし、解説書の裏には、
La “Hofburg” a Viennaとある。
縁取りが青く、イタリアの空を連想させるのが、
誤解を生じさせる原因かもしれない。

この一文の結論としては、
実は、これと同じ事が、
サリエーリという人物にも当てはまるのだなあ、
ということに尽きるかもしれない。

実は、サリエーリに関しては、
2004年に日本でも評伝がでていて、
これが我が国における基本文献ということになろう。
この音楽家の生涯の他、作品や文献の一覧、
弟子の名簿からレコードまでが解説されている充実の一冊。

水谷彰良という日本ロッシーニ協会事務局長が書いた本で、
音楽之友社から出たものである。
私が持っているのは第二刷なので、順調に売れているのだろう。

この本には、このピアノ協奏曲について、
このように書いてある。
「ハ長調協奏曲のそれ(第二楽章)は
モーツァルトのピアノ協奏曲第二三番の第二楽章と雰囲気が似ている。
もちろん他人の空似であろうが、それはサリエーリの音楽的な
先見性といえるかもしれない。
オペラ・アリアも同様で、サリエーリの音楽はしばしば
『モーツァルトらしさ』が感じ取れる。
けれども作曲時期の前後関係からいえば、
それは『サリエーリらしさ』と呼ぶべきものであろう。」

確かに、ここに収められた二曲の協奏曲。
第二楽章が非常に詩的な空気を漲らせて素晴らしい。
ただし、第三楽章は、強引さがない分、
モーツァルトのような高揚感がないような気がする。

もう1曲の変ロ長調の第二楽章もまた、
アルカディアの風景の中のパントマイムのような、
不思議な詩情に満ちている。
強いてモーツァルトの例を上げるなら、
第13番K415の第二楽章が似ているだろうか。

この著書は、サリエーリを、私のように、
歴史現象的な興味本位で捉えるのではなく、
ちゃんとその音楽に愛情を持って接しているのが好ましく、
従来の文献に関しても、
客観的、批判的な目を持って接しているので信頼できる。

この本に書いてある事に付け加えることがあるとすれば、
読者の感想であろうが、それも、ネット上に溢れている。
従って、私は、自身の体験との対照を語り、
さらにサリエーリの音楽にも耳を澄ませ、
本とCDとのクロスオーバーの中に身を委ねつつ、
妄想を膨らませたことを報告する以外のことはない。

ただ、本そのものに一言あるとすれば、
作品がすっかり忘れられた作曲家の評伝が、
こうした形で世に現れること自体が異例としか言いようがない。
著者の情熱に脱帽するしかない。

そもそも、ハイドンのような大家であっても、
大宮真琴氏が、
「日本で研究されたハイドン伝は、おそらくこの小著が最初」
と誇らしげに宣言したのがほんの40年前のことであった。

サリエーリより作品が知られている、
同時代のイタリアの作曲家(チマローザやクレメンティ)
に関しても、
同時代に限らず、桁外れに作品が知られている、
パガニーニやレスピーギなどにも、
こうした日本語の評伝があっただろうか。

ということで、ベートーヴェンや、
シューベルト、リストの音楽や生涯に興味がある人は、
是非、この著作を手に取るべきであろう。
彼らの評伝を出している某出版社などより、
はるかに安い価格で入手できるのも喜ばしい。

さて、私がサリエーリについて持つ印象は、
モーツァルトのライヴァルというものではなくて、
シューベルトが、祝典カンタータ、
「サリエーリ氏の50年祝賀に寄せて」(D407)を書いている、
というあたりに遡る。

つまり、シューベルトの先生であって、
かつて、モーツァルトのライヴァルだったこともあり、
モーツァルト毒殺疑惑をかけられたこともある、
といったイメージ。

つまり、サリエーリは、そんな風評から、
超越した人物だと思っていた。

映画「アマデウス」も、作り話として楽しんだだけだった。

が、今回の水谷氏の著作を読んで、
このサリエーリのモーツァルト殺害疑惑問題が、
実は、深いところに端を発し、
さらにサリエーリの人生、そしてその音楽の評価にまで、
深刻な影響を及ぼしていたことを知った。

ただし、
この本の基本的考え方は、
「モーツァルト殺害疑惑→サリエーリの音楽は忘却された。」
であって、
サリエーリの音楽そのものの価値が高くなければ、
「サリエーリはモーツァルトのような音楽が書けなかった
→サリエーリの音楽は忘却された。」
というロジックも、それでもなお、あり得ることなのである。

この著書でも、サリエーリ自身、モーツァルトの音楽を、
幾度となく賛嘆しているようなので、
ひょっとしたら、サリエーリ自身が脱帽していた可能性もある。

今回のCDでは、作品が若書きであって、
どこまで、上記の内容が確認できるかは自信がないが、
とても詩情に満ちた作品だとは言えると思う。
こうした繊細な一面を、シューベルトが学んだ可能性も否定できない。

b0083728_12584723.jpg私が音楽を聴き始めた頃、
ちょうど、ドイツ・グラモフォンが、
フィッシャー=ディースカウを中心に、
シューベルト歌曲の
系統的紹介を始めていたが、
その「三重唱曲集」に、
その曲は収録されている。
この曲の歌詞は、何と、
シューベルト自身の作であって、
素朴で、べたなものであるが、
ちょっと気が利いている表現もある。


1816年の曲なので、シューベルトは19歳である。
わずか2分程度の曲で、男性三重唱が、
厳かな斉唱のあと、その後、一人が歌い、
それから三人が美しいハーモニーを聞かせる。
この部分、ピアノは繊細なさざなみを立てる。
ピアノと一緒に、斉唱が高まって終わる。

何と、このレコードでは、ディースカウの他、
シュライヤーが参加しているのがすごい。
あと一人のテノールはラウベンタールとある。
ピアノは大家ムーアである。
私にとって、まさしく、
この時代の夢のオーラを帯びたレコードである。

この曲では出番がないが、女性では、アーメリングが登場する。

解説には、
「アントーニオ・サリエーリはイタリアの作曲家であるが、
1766年に先生のガスマンに連れられてヴィーンに来て以来
この都に定住し、宮廷指揮者や宮廷劇場監督を務めると共に、
教育者としては、シューベルトの他
ベートーヴェンやリストを教えたこともある人である。
作曲家としては30曲以上ものオペラを書いたことで知られるが、
そのほとんどがイタリア語オペラで、
彼はドイツ語を声楽に適した言葉とは考えず、
シューベルトにもゲーテやシラーよりも
メスタージオに作曲するよう勧め、
もっぱらイタリアのアリア様式を教え込もうとしたようである。」

といった具合に、
シューベルトにしなくてもよいような、
無意味な教育を押しつけた感がある。

そんなこともあるからであろう、私もそう思っていた。
が、実際は、どうやら、この先生に就くことは、
シューベルトにとっては、非常に誇らしいことだったようだ。

よくこの曲の歌詞をよく見れば、偽りなくそう書いてある。
石井不二雄氏の訳によって見ていこう。

「実に親切な方、実にすばらしい方!
実に頭のいい方、実に偉大な方!」
という、4つの切り口からの賞賛がなされているのである。
まず、「親切な方」という意味では、
水谷氏の本から思い至る点を上げれば、
以下のことが書かれている。

まず、シューベルトは寄宿学校の生徒で、
外出禁止の身の上だったのに、
サリエーリのはからいで、
週に二回も無償の個人授業をしてもらっている。
サリエーリの家に、特権で通うシューベルトを、
友人たちが羨望と憧れの目で見ていたことは間違いなかろう。

さらに、この授業は1812年から数年にわたって続いたのである。
高校生くらいの若者が、
まじめに週に二回も塾通いする姿を想像してみた。

シューベルトが、「親切な方」、「すばらしい方」と書くのは、
当然のことだった。
そう考えないと続くわけがない。
シューベルトの方は、給料の入る
教員の仕事すらこんなには続かなかったのである。

さらに、シューベルトの就職に関しても、
サリエーリは繰り返し推薦状を書いているようだ。
アイスクリームまで食べさせてやったという逸話を、
「サリエーリ」で知ったが、私は、胸が熱くなるのを感じた。

ただし、電車の中で、食い散らかす、
現代の高校生を連想すると心が寒くなるが。

さらに、シューベルトは、最初のオペラを、
サリエーリに見せて助言を受けている。
シューベルトもまた、サリエーリのような、
オペラ作家になりたかったのである。

これは、1814年のことなので、シューベルトは17歳。
サリエーリは64歳のことである。

この本、「サリエーリ」から知った事だが、
サリエーリもまた、こうして
師ガスマンについて3年した頃、見よう見まねで、
オペラを書いて、これが好評を博したらしい。
19歳の時である。おそるべきハイティーンのエネルギーである。
サリエーリは、自ら大作を持って訪れたシューベルトに、
40年も昔を思い出したかもしれない。

それから、シューベルトのいう「頭のいい方」とは、
何か思い至る節があるだろうか。

モーツァルト毒殺という汚名を晴らすための方策や、
ドイツ語が上手に話せなかったという点を思い出すと、
むしろ、愚直な感じしかしない。

強いて思い出すと、
最初のフランス・オペラ「ダナオスの娘たち」を書く際、
グルックの新作を期待するパリの聴衆をなだめるために、
グルックに意見を求めながら慎重に作曲を進め、
無事にこの作品を成功に導いた点。

モーツァルトの作品を認め、ハイドンの作品を尊重し、
彼らの作品を普及させるに務めた点。

さらに、高校生のシューベルトではなく、
言うことを聞かないおっさんベートーヴェンを指導した点、
あほには出来ない相談であろう。
1800年から1802年、
約3年、ベートーヴェンは、30歳を越えて勉強したわけだが、
これまた無償だったという。

その際、ベートーヴェンの誤りをすぐに指摘したとあるから、
かなりの実務能力を有していたのであろう。
おそらく、若いシューベルトは、次々と指摘されるポイントに、
舌を巻いたはずである。

また、サリエーリは、総譜を見ながら、
同時にピアノに置換えて弾く才能に長けていたそうなので、
そういった意味でも、頭が良さそうである。

この逸話があって、ようやく、声楽中心のサリエーリが、
何故、ピアノ協奏曲などを作曲したのかの一端を垣間見た。

では、「実に偉大な方」だったかであるが、
ほとんど終身で宮廷楽長を務めた点はともかく、
フランスからは、「レジョン・ドヌール勲章」を受賞しており、
数々の人気オペラの作曲、指揮者としての活躍からしても、
ハイドン亡き後、
彼以上に活躍していた音楽家はいなかったかもしれない。

さて、シューベルトのサリエーリ賛は、下記のように続く。
「私が涙を流すことのある限り、
そして芸術で元気を取り戻す限り、
この二つのものを私に与えてくれた
先生にこの二つのものを捧げます。」

この一文は理解困難である。
サリエーリに教わるまで、
シューベルトが泣くことを知らなかったとは思えない。

実は、この詩は、続きがあって、先のレコードでは、
演奏を省略してあった模様。
解説にはこうある。

「1816年6月16日に
サリエーリがヴィーン在住50年目を記念して、
皇帝から市民名誉賞碑を贈られた晩、
彼の自宅に弟子たちが集まって
お祝いに自作を一曲ずつ演奏した時に、
シューベルトも加わってこの曲を捧げたのである。」

なるほど、あまり長い曲だと他の人に支障をきたすから、
こんな感じなのであろうか。

しかし、いったい、誰が他に集まったのだろう。
シューベルトの日記にも、
「弟子入りした順序に従って、
次から次へと演奏されていった」とあるが。

ちなみに、この著書には、
「作曲家・演奏家の弟子」という一項があって、
ベートーヴェンやシューベルトの他、
代理宮廷楽長ウムラウフ、
ミュンヘン楽長ヴィンター、
楽長の後任となるアイブラー、ヴァイグル、アスマイヤー、
モーツァルトの弟子ジェスマイヤー、
ベートーヴェンの弟子チェルニー、
ロンドンのキングズ劇場監督リヴェラーティ、
ベルリン劇場監督ブルム、
シューベルト、ブルックナーの師ゼヒター、
モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー、
有名なケルビー、モシュレス、リスト、
シューベルトの友人、ヒュッテンブレンナー、ライトハルティンガー、
ドレスデンの楽長ライシガー、
ダルムシュタット楽長シュレッサーらの名前、
30人以上が列挙されている。

声楽の弟子も、シューベルトに関係する、
フォーグルやミルダーなど30人以上が出て来る。

こんな錚々たるメンバーが集まったなら、
シューベルトごときの演奏は聴かずに、
無駄話をしていた人々もいたかもしれない。

これは、通常、我々が想像する
シューベルティアーデとは違う種類の、
ものすごく格式張ったものだった可能性が高い。

このような機会に書かれた作品であるから、
単刀直入な硬い言葉が並ぶのも仕方がない。

「原詩もシューベルトの自作で、
彼ははじめ、
無伴奏の男性四重唱曲、
ピアノ伴奏付きのテノール独唱曲、
それに無伴奏の三声カノンの
3部からなる曲(D407)を作曲したが、
なぜかその第1部を
ここで歌われている男声三重唱曲に作曲し直した。
従って第2部、第3部は続けて原型通り歌われるべきであろうが、
このレコードでは省略されている。」

ということで、ここでの「なぜか」は、
勝手に想像するに、サリエーリの記念には沢山の人が、
演奏者として参加したがるが、
実用的には三声のカノンには4人必要ないからであろう。

そして、この残りの部分の詩は、
この本「サリエーリ」によると、
「善意と知恵があなたから噴水のように迸る
あなたは優しい神の似姿!
地に降り立った天使のような、
あなたのご恩は忘れません。
私たちすべての偉大な父よ、
どうかいつまでもお元気で!」

完全に神格化された詩の後半は、ひょっとしたら、
あまりに大時代的なので、フィッシャー=ディースカウらは、
演奏を見合わせたのであろうか。
ディースカウの本には、
「サリエリにとってザルツブルク出身の腹立たしい敵対者として
邪魔でしかたがなかったあのモーツァルト」
などという記述があったりするから、
彼はサリエーリがこんなにも賛美される部分は、
歌いたくなかったという可能性もある。

とはいえ、この曲、シューベルト自身が詩を書いている点は貴重。
また、イタリア語歌曲を習ったサリエーリを讃えるのに、
ドイツ語が使われている点は不思議という印象も残る。

さて、改めてフィッシャー=ディースカウの本を
読み返してみると、
(「シューベルトの歌曲をたどって」原田茂生訳)
サリエーリの話は、かなり微妙な書かれ方がなされている。

「この二人(サリエーリとモーツァルト)の対立は
実際深いところに根ざしていて、彼らの間には
劇音楽の美学に関する根本的な意見の相違があったのである」
という風に、今回読んだ「サリエーリ」における、
両者の同盟意識とはかなり異なる見解であることが分かる。

おそらく、この「サリエーリ」という書物の最も鮮烈な主張は、
この点にあったとも考えられる。

なんと、モーツァルトの最後の年となる1791年、
サリエーリは、モーツァルトの作品を中心とする
演奏会(ブルク劇場での音楽家協会の慈善演奏会)を開催したばかりか、
レーオポルド二世のボヘミア王戴冠式のプラハでの式典では、
サリエーリは自作ではなく、
むしろモーツァルトの音楽を演奏しているというのである。
この時、モーツァルトは、戴冠祝賀オペラ「ティートの慈悲」を用意し、
酷評されたので、もっぱら被害者のような感じで語られているが、
そもそも、サリエーリもモーツァルトも、
得意とするイタリアオペラを
書かせてもらえなかった被害者だというのが
著者の主張である。

つまり、レーオポルド二世は、先帝ヨーゼフ二世の時代を否定すべく、
いきなりイタリア歌劇場の改革を挙行して(ということだろう)、
サリエーリも、モーツァルトの台本作者であったダ・ポンテも、
お払い箱にしたというのである。

この本では終始狭量のモーツァルトも、
最後には、オペラ「魔笛」での成功に気を良くして、
その上演にサリエーリを招待した話までが出て来る。
サリエーリもまた、このオペラを賛嘆したというのである。

このことに触れたモーツァルトの手紙こそが、
彼の手紙で現存するものの最後だというのだから驚く他ない。

フィッシャー=ディースカウの本にあるような、
二人の対立などは、モーツァルト最後の年には、
なかったということになる。

それから20年以上も経って、シューベルトの授業が開始された。
フィッシャー=ディースカウの本では、
シューベルトはサリエーリがグルックの作品を紹介するまで、
その授業を退屈に思っていたとか、
シューベルトの友人シュパウンのこのような手紙を紹介しつつ、
シューベルトが結局、
サリエーリに反感を感じていたような気配を漂わせている。
「サリエリは、彼の生徒が抗しがたくひきつけられていた
ドイツ・リートという作曲ジャンルをまったく認めようとしなかった。」

その後、この本は、
シューベルトは、劇場でオペラに触れて、
改めてグルックやケルビーニやモーツァルト、
さらにハイドンの作品に感化されるが、
この時、指揮を執っていたのは、
サリエーリ自身であった可能性が高いようだ。

フィッシャー=ディースカウの本には、
「ハイドンの音楽はシューベルトにまったく新しい視野をひらいた」
とあるが、サリエーリの年譜には、こうある。
「1812年[62歳]楽友協会設立に協力。
シューベルトの個人教育開始。
四旬節の音楽家協会慈善演奏会で
ハイドン〈十字架上のキリストの最後の7つの言葉〉、
待降節の慈善演奏会で〈天地創造〉を指揮。」

つまるところ、サリエーリは、
イタリア人ということを誇張され、
純粋なるドイツ音楽の系譜、
ハイドン、モーツァルト、シューベルトという流れの中で、
どうしても排除すべき対照とならざるを得なかったとも言える。

しかし、今回の評伝を読んで分かるのだが、
彼は、16歳でヴィーンに移住している。
ほとんど、その音楽はヴィーン仕込みであったと言えよう。
しかし、イタリアからロッシーニ旋風が巻き起こった時、
その才能に賛嘆し、いつも平等な反応をするサリエーリは、
ロッシーニを抱擁したという。

これによって、彼は、烙印を押されてしまったのである。

得られた事:「サリエーリのピアノ協奏曲は、繊細でヴィーン風。」
「フィッシャー=ディースカウなども、単にイタリア派として、サリエーリを断じ、軽んじていた可能性がある。」
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by franz310 | 2009-04-19 13:00 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その168

b0083728_2302328.jpg個人的経験:
クレメンティの交響曲、
バーメルトの指揮が
柔軟性に欠けると思ったので、
他の演奏を探していたら、
これまた、前から持っていた
「イタリアの作曲家の交響曲」
と題された、
ダイナミック・レーベルのCDにも、
作品18の一曲、
ニ長調が紛れて収録されていた。


このCDは、「朝」と題された、
フォンタネージの夢幻的な絵画で彩られているが、
この日本洋画黎明期の恩人と、
ここに収められた音楽には、
イタリア産という以外の共通点はなさそうである。

フォンタネージは、1818年の生まれ、
1876年に来日しているので、
ここに収められた、
チマローザ、パイジェルロとは、
生きた時代が全く重なっておらず、
没年が1868年で、
一番重なっているロッシーニも、
後年はオペラに集中したので、
フォンタネージの生まれる前の作品であると思われる。

が、このようなCDは、手にしていると、
何となく絵にも見入ってしまうせいか、
満足度は高い。

ちなみに、このCD、他に、ベッリーニ、ドニゼッティといった、
シューベルトと同時代の巨匠の他、
シューベルトの師匠であったサリエーリの作品も収められている。

ということで、シューベルトを考察するにあたり、
無関係なものとは言えない内容なのである。
ずっと前に入手しておきながら、
ろくに聞きもしないで、
ただし、捨てもせずとっておいたのには、
この表紙のデザインとサリエーリの名前の効果が大きい。

サリエーリの作品、
特に器楽の作品は、
なかなか聞けないのではないか。
(昔、LPに、オーボエとフルートの協奏曲か何かがあったが。)

サリエーリ、クレメンティは共に、
シューベルトより前の世代の、
モーツァルトと因縁浅からぬ音楽家であるが、
そういった意味からも興味深い企画である。

そもそも、シューベルトが「ます」の五重奏曲を書いた、
少し前にイタリア音楽にかぶれて、
「イタリア風」の序曲や交響曲を書いていることからも、
当時のイタリアの器楽作品を聴いておくのは重要な事と思われた。

しかし、このイタリアのレーベル、
せっかく、自国の作曲家たちの珍しい作品を取り上げるのに、
何故、Winston Dan Vogelといった、イスラエル生まれで、
アメリカで学んだ指揮者を連れてきて、
しかも、意味不明なことに、
ショパン室内管弦楽団といった楽団を振らせているのか。
理解に苦しむ。この団体に関する記載はないが、
普通考えると東欧の楽団であろう。

響きは美しいが、
目の覚めるようなヴィルトゥオーゾ集団でもなさそうだ。
結構、のんびりやっていて、
バーメルトが、16分ほどですっとばした小交響曲が、
20分ほどの、そこそこの規模になっている。
弦の伸びやかさを強調するようなアプローチなので、
こうしたイタリアの歌心に関しては、
バーメルトの100倍くらい楽しめる。

ただし、クレメンティの作品18は、
何故か、ここでは、作品44となっていて、
多くの作品は、音楽事典にも出て来ないものなので、
どこまで、このCD、信憑性があるかは不明である。

ほぼ、クレメンティと活動期間が重なる、
サリエーリの3楽章の交響曲「ヴェネチアーナ」が、
最初に収録されていて、弦楽の美感をたっぷり聴かせ、
モーツァルトの天才に圧倒されて、彼を毒殺する必要も、
ここからは感じさせない。

ただし、後述するが、何故、
この曲が、このような命名がなされているかも、
曲の成立の由来も解説されておらず、
実は、偽作だとか言われても、
そうかもしれないと納得するしかない。

(ネット検索すると、
他にもCDが出ているようなので、
少し安心している。)

第一楽章は、アレグロ・アッサイで、
武骨な第一主題では、弦楽がめまぐるしく動き、
ホルンが鳴り響くが、
それに対比させる第二主題は、
爽やかな朝の空気を漲らせ、心が洗われる。

第二楽章は、アンダンティーノ・グラツィオーソで4分ほど。
美しい思い出を回想しながら、空を仰ぐような感じで、
伸びやかなメロディが現れて、思いを遠く送り届けるような感じ。
とても美しい。
映画で描かれたモーツァルトよりも、
確かに思慮深い音楽家の個性を感じさせる。

確かに、こうした音楽家を、
シューベルトのような生真面目な生徒が、
心から慕ったとしてもおかしくはない。
シューベルトの才能を見抜き、
学校を出てからも、3年もこの人のもとに、
シューベルトは通ったのである。
こうした恩人を、シューベルト愛好家は、
無視するわけにはいかない。

シューベルト自身が、「サリエーリの弟子」と、
自認し、誇りに思っていたことは有名である。
サリエーリは、この他、ベートーヴェンをはじめ、
チェルニー、フンメル、リストといった、
シューベルト所縁の音楽家をも教えているのである。

第三楽章のプレストは、新しい世界からの呼び声のように、
管楽器が高らかに鳴り響き、
何と、前の楽章から休み無し、連続で入って来る。
聴いていて、気持ちよい終曲である。

何故、「VENEZIANA」と題されているのかは分からない。
彼は16歳くらいまでヴェネチアにいたとされるし、
その後も時折訪れていたようだが。

ただ、この作曲家の真作であることを祈るばかりである。

サリエーリより一歳年長で、
19世紀になるや亡くなった、
ナポリ派の巨匠、チマローザの交響曲が二曲、
その後に続いている。

7分ほどかかる「1楽章の交響曲ニ長調」は、
序奏に続いて、「フィガロの結婚」の序曲のような活発な楽想に、
憂いを秘めた副主題が絡むという、極めて変化に富んだもので、
途中、オペラの1場面のような、悩ましいメロディが現れ、
木管のアンサンブルが奏で、伴奏するホルンの響きも特筆したい。
交響曲なのか、単なる序曲なのか分からないが、
聞き映えのする作品で心浮き立つ。

続くのは、同じ作曲家の、
「フルート、オーボエ、ホルンと弦のための交響曲」。
3楽章ある。これもニ長調。
アレグロ・コンブリオの第一楽章は、先のものと同様に活発で、
第二楽章はアンダンティーノだが、あまり特徴があるものではない。
そろりそろりと歩く、幕間の寸劇のような感じ。
第三楽章のプレストでは再び、活力を取り戻すが、
それほど面白いものではない。
全曲通しても10分もない。

この曲も、これまた波乱に満ちた、チマローザの生涯で、
どの時期に生まれたのかは分からず、
そういった意味で、信憑性は私には判断できない。

続いて、チマローザのライヴァルで、
売れっ子オペラ作者として知られるパイジェルロの、
3楽章からなる交響曲で、これまたニ長調。
この人が交響曲を書いたという記述も、
私は読んだことはない。

ここに収められた作曲家の中では最年長で、
1741年の生まれ、1816年まで生きていたので、
ハイドンより9歳若く、7年後に亡くなっているといった形。
つまり、我々の先入観からすれば、
交響曲を書くべき時代を生きた人であったのは確か。

パリで活躍したが、「パリ交響曲」なる作品集があるように、
そこにはハイドンの作品も流通していたはず。

しかし、ハイドンのような大きなものではなく、
全曲で10分もかからない。

第一楽章はアレグロ・スピリトーソとあるだけあって、
微笑みを湛えた楽想が、推進力を持って進んでいく。
この曲は第二楽章のアンダンテが一番長く、
たっぷりした夜の気配と、悲愴感に満ちていて、耳をそばだたせる。
さすが、ナポレオンが愛好した、オペラの第一人者という感じがする。
終楽章は、喜ばしげなアレグロで、舞曲調である。

次に、いよいよ、クレメンティが来るが、
さすが、ロンドンで活躍した人だけあって、
この人の作品だけが4楽章で、近代的な風格を持っている。

しかも、この演奏、広々とした序奏は、
まるで、大空に雲が流れていくかのように、
私を陶然とさせた。
第二主題も、憧れに満ちて、胸がいっぱいになる。
これを聴くと、シューベルトの初期交響曲も、すぐ近く、
という感じがする。
第二楽章は孤独感すら漂わせ、
ハイドン風に率直なメヌエットと、おしゃべりな終楽章が続く。

この演奏、クレメンティあたりになると、
少し慎重に構えているようだが、
この丁寧な演奏を聴くと、バーメルトの指揮が、
やたら、活力や力感を強調するあまり、
即物的で情感が犠牲になっていると言うことが確信できた。

かけがえのない第二主題なども、すっとばして行ってしまう。
あるいは、よく聞き知っている曲なら、
こうしたアプローチでも受け入れられようが、
クレメンティ初心者にはきつい。

ここで、続くのは、シューベルトを魅了し、ベートーヴェンを苦しめた、
イタリアからの侵略者、ロッシーニの作品である。

アンダンテ・ノン・タントとアレグロからなる、
たった6分弱の作品ながら、壮大な序奏、
力強いファンファーレ、魅惑的な木管のメロディ、
轟くティンパニなど、非常にめざましい効果である。

さらに、ベッリーニの、
1楽章の「シンフォニア・ブラーヴェ」が続くが、
7分ほどながら、聞き所が多い。

これも、オーボエ協奏曲と見まがうばかりに、
木管が華麗に吹き鳴らされ、
表情豊かで哀愁を秘めた、それでいて軽妙なメロディなど、
さすが、シューベルトより若い世代、
というような感じもする。

または、シューベルトの「ロザムンデ」の音楽などは、
こうした世界に近いのかもしれない。

先日、東京交響楽団が行った「シューベルト・ツィクルス」は、
この「ロザムンデ」の劇音楽全曲で幕を閉じたが、
私は、改めて、シューベルトの劇音楽の持つ、
多彩な表情や表現力に心をときめかせて帰って来た。

ここで、話を脱線させると、
読売新聞の演奏会評では、
「いかんせん作品そのものが弱い」、「幻滅を味わう」、
「この作品が常演演目に定着しなかったのも、それなりの理由がある」
などなど、作品そのものを口を極めてののしっているので、
非常に驚いてしまった。

シューベルトの愛好家なら、
この作品が弱いなどと思わずに、
合唱の重厚な効果、色彩的な管弦楽の夢幻、
魅惑的なメロディの連続に浸って、
満足して聴いていたはずで、
こうした批評は何の役にも立たず、
大きなお世話としか言いようがない。

さて、このベッリーニ、ハイドンやモーツァルトを研究したようで、
若い頃に、こうしたシンフォニアをいくつか残しているようだ。
ただし、こうなると、オペラの序曲や間奏曲と何が違うか分からない。

同様のことは、最後に収められた、シューベルトと同年に生まれた、
ドニゼッティのラルゴの序奏を持つ、
8分ほどの単一楽章の「シンフォニア・コンチェルタータ」も、
実に肩の力が抜けた、生き生きとしたもので、
華麗かつ芳香に満ち、何故、こうした作品がもっと、
演奏会で取り上げられないか、などと怒りすら覚えるではないか。

が、先のような意欲的なプログラムを組もうとも、
ああした言われ方でけなされるとすれば、
こうした知られざる作品は、知られざる方向に突き進むしかない。
実際、これらの作品は、日本盤CDで紹介されたことはあるのだろうか。

しかし、それにしても、クレメンティのような人が、
必死で、ハイドンなどから学ぼうとしていた時代、
若い世代は、ずっと自由奔放に管弦楽の色彩を、
楽しみながら駆使して、新しい美意識に酔いしれている。

ベルリオーズのように、物語を語るような、
表情豊かなメロディ、
各楽器の音色を点描させた、きらびやかな色彩感
感興が高められる、たたみかけるような、
しかも軽やかで変幻自在なリズム。

ドニゼッティの作品表を見ると、
1817年のシンフォニアと、
1816年の協奏交響曲があるが、
いったいどちらであろうか。
木管楽器と管弦楽が活発に活躍するが、
協奏曲という程でもない。

もっと言うと、形式感はまるで感じられない。
交響曲でも協奏交響曲でもなく、
序曲といった感じである。
後半になっても、同じイタリア人の交響曲でも、
例えば、クレメンティのように、
爽快なエンディングが来るわけでも、
それを目指しているものでもなく、
ヨハン・シュトラウスのワルツのように、
また、次の曲が始まるかな、といった感じでもある。

いずれにせよ、若書きで、
まさしくシューベルトがロッシーニの影響を受け、
イタリア風の序曲を書いていた時代である。

そして、1818年は、日本にも来た画家、
フォンタネージの生年とあれば、
何だか、新しい時間の感覚が実感された。

しかし、時間感覚といえば、ハイドンの時代から、
シューベルトの時代にかけて、
イタリアの作曲家が、交響曲というものを、
完全にすっとばした、という感じを受ける。
サリエーリの作品は交響曲の萌芽を感じるが、
ベッリーニやドニゼッティの世代で生まれたものは、
まったく違った子孫になっている。

このCDの演奏は、非常に愛情に溢れたもので、
丁寧に各曲の美しさを
紹介していくかのようなスタンスを
取っているのがありがたい。
オーケストラにも微笑みがあるのが何よりだ。

さて、このように興味深い作品を多数収めたCDながら、
解説を読んでも、そうだろうなあ、という程度のことしか、
書かれていないのは残念だ。

もっと作曲した時期とか、どのような機会に演奏されたのかとか、
各曲の聞き所にも触れて欲しいものだ。

Edward Neillという人が書いている。
「とりわけ、
ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ
のような作曲家をあげて、
交響曲はイタリアで生まれたとする重要な評者が多数いるが、
これはいくぶん誇張されたものである。
事実、このミラノの作曲家には、様々な交響曲形式のヒントがあるが、
形式的に統合され確立したのはヴィーンにおいてであった。
アレグロに二つの主題を含み、各々の展開を有する、
いわゆる『ソナタ形式』と交響曲は不可分だからである。
ソナタ形式は、むしろ霊感に駆られた作曲による、
自由な原理に反するが故に、
故意に軽視されたかもしれない。
かつて、我々は18世紀のイタリアは、
アリアの連続によるメロドラマに支配され、
ヴィーン風の交響曲には注意は払われなかったと考えていた。
一方で、様々なイタリアのオペラの作曲家たちが、
四重奏、協奏曲、交響曲のような器楽のみの作品を多く書き、
それもしばしば優れたものを生み出したのも事実なのである。
ベッリーニやドニゼッティは、そんな代表とも言える。
しかも、稀に海外で活躍したケースもある。
その一人がクレメンティで、彼の音楽語法の根幹はピアノであった。
また、サリエーリがいる。彼の場合、イタリアの文化より、
ヴィーンに負うところが多く、ガッシュマンに学び、
グルックに理想的なオペラの姿を見ていた。
このことから、また、ヴィーンの宮廷がそうしたものを望まなかったゆえ、
サリエーリは少ししか器楽曲を残していない。」

何と、シューベルトの師、サリエーリは、
しばしば、シューベルトのドイツ語の歌曲を、
好まなかったような記述がされているが、
それは彼がイタリア人だったから、
という理由ではないようではないか。

「彼の交響曲も二つしかなく、
『ヴェネチアン』ニ長調と、
もう一曲もまた、ニ長調のものである。」
何故、ここで、ヴェネチアンと呼ばれるか、
一言でも書いてくれないのだろうか。

「外国での滞在機会を経て、もっぱら国内で活動した、
他の作曲家の場合、交響曲は、もっぱら、
メロドラマに先立って演じられるようになり、
今日では、序曲と呼ばれるようなものとなった。
チマローザ、パイジェルロ、ペルゴレージ、
そしてロッシーニの場合、器楽の交響的作品を書くには、
こうした理由があったのである。
ロッシーニの『ボローニャ交響曲』は、
彼が故郷ペーザロの音楽院の入試のためのものと見なし、
習作と考えることも出来る。」


「アリアの作曲に賭けた、これらの著名な音楽家たちの
彼らの活動中心から離れた作品は、
杓子定規に評価されるべきではない。
まだ4楽章のものはなく、
交響曲の楽章数が一つ、
二つ、はたまた三つであろうが、
重要なことではない。
メロディが窮屈に縮められないことや、
すでに古い組曲に見られた、
複数楽章の対比が現れて来ていることが重要である。
前者は形式を変形させ、
ヴィーン楽派の音楽家のような形式からは離れて、
作者の創意や想像力が完璧に機能している。
ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンの交響曲が普及した、
19世紀になってから、
ようやく、何人かのイタリアの作曲家たちが、
ソナタ形式を適用しようとしたが、
たいした成果を生むことはなかった。」

おそらく、この「たいしたことのない成果」
(The result were of little importance)の中に、
クレメンティの後期の大交響曲群も含まれているのであろう。

が、こうした観点で眺めると、
クレメンティの位置づけが、いっそう異質にも見え、
このCDでも、彼の初期の作品とはいえ、
クレメンティの作品18は、
ひときわ、立派な、本格的な仕事にも思えてくるのである。
演奏にも広がりがあるせいか、
前回、モーツァルトの初期風と思ったものが、
もっと新しい成果にも見えて来た。

得られた事:「シューベルトの交響作品に見られる色彩感は、同世代のイタリアの作曲家たちの、同じ時期の作品とも通じるものがあった。」
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by franz310 | 2009-04-04 23:14 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その154

b0083728_943077.jpg個人的経験:
ハイドンと言えば、「交響曲の父」として、
音楽史的には重要な存在だが、
演奏会で、それほど多く、
その交響曲が取り上げられる
ことはなかった。

また、それを目的に
演奏会に行く、というのも、
あまり一般的ではなかったかもしれない。



近年、私の経験でも、ハイドンの交響曲の演奏会と言えば、
広上淳一や、ロジェストヴェンスキーの指揮などで、
印象に残るものがあったが、
それとて、メインは別の曲目にあった。

しかし、ハイドンならではの魅力は確実にあって、
先般より紹介している大宮真琴氏の試みなどは、
非常に味わいのあるものだった。

私が最初にハイドンの交響曲の実演に触れたのは、
どこかの室内管弦楽団が、第44番か何かをやった時で、
ほとんど、クラシック音楽の初心者であった私には、
何が良いのか分からず、眠いのを我慢するので精一杯であった。

また、中学の終わり頃、第104番「ロンドン」を聴いたが、
この時もまた、特別な印象は残っていない。
もっと別の曲目だったら良かったのに、
と思ったくらいである。

ただ、それからしばらくして、
高校受験の勉強に取組んでいた頃、聴いていたFM放送で、
朝、弦楽四重奏の「ひばり」が流れ出した時には、
大変な新鮮さを感じた。
通俗的で申し訳のないカミングアウトであるが、
これこそ弦楽四重奏曲の喜びである、
と、教えられた感じであった。

実はこの放送を私はカセットテープに録っていて、
それで満足したのであろう、
その後、その曲のレコードを買いに行ったという記憶はない。

しかし、「ロンドン交響曲」については、
その頃、ザンデルリンクのLPの廉価盤が出たので、
買い求めて、持っていた。

有名な「告別交響曲」とのカップリングが良かった。

例えば、ラジオ技術社が出していた、
「クラシック廉価盤全カタログ’79」などを見ると、
当時廉価盤で、1000円少しで買えた「告別」は、
このザンデルリンク、ミュンヒンガーのモノラル盤、
そして、謎のレーハンなる指揮者が片面を占める、
メニューヒン指揮の3種しかなかった。

まことに寂しい限りである。

というか、ハイドンがロンドンで書いた、「ザロモン・セット」以外の、
彼の交響曲は、あと、ライナーの「V字」、
サヴァリッシュの「オックスフォード」があったくらい。
こうした状況が、ずっと続いていたのである。
ハイドンの交響曲は100曲以上もあり、
有名なザロモン・セットだけでも12曲もあるのである。
希少価値という点からもハイドンは不利なのである。
それに、どれが一番良いか分からんという問題が加わる。


レコードが少ないながらも有名なのは、
「告別」であって、この場合、上記のレコードの中では、
ザンデルリンクを選ぶのが順当のような気がする。
しかもドレスデンのオーケストラである。
とはいえ、ここに出ている寸評はひどい。
「ザンデルリンクはソ連出身の指揮者だが、
ドイツ人の血を引き、ドイツで教育を受けており、
ドイツ音楽が最も得意なレパートリー」とあるだけで、
この演奏が良いのかどうかさっぱり分からない。

ザンデルリンクは確か、ドイツ出身で、
ナチスのせいでソ連に逃げていたはずで、内容もおかしい。
断っておくが、ザンデルリンクは良い指揮者で、
最近でも、73年にドレスデン・シュターツカペレを率いた、
来日公演ライブCDが出て、私は、大変、感服させられている。

が、あのLPは、あまり好きになれなかった。
今なら、モノラルで何が悪いか、とミュンヒンガーを買うかもしれない。
当時はモノラル録音などは、よほどの通しか聴かないものだと思っていた。

ザンデルリンク盤はステレオだったかもしれないが、
音が硬く、しかも、片面に詰め込みすぎの感じで、
窮屈な印象のもので、全く満足できなかった。
こう書いていて思うのが、
やはりハイドンは、解放感を持って演奏して欲しい、
そして、そのあたりを感じさせる録音であって欲しい、
ということであろう。

先の「ひばり」の体験から言えるのかもしれないが、
休日の朝はこうあって欲しいと思われる音楽である。
音と音の編み目のような所の風通しが良い方が、
ハイドンらしい。そうした部分にこそ、ハイドンならではの、
爽やかさを感じる。
そして、直線的な単純さに、活力を感じる。

前回、アメリカの音楽学者、ロビンス・ランドンが、
ハイドンの交響曲についての研究成果を出した頃から、
ハイドンの演奏は変わって来た、という話があったが、
そのロビンス・ランドンが推薦したレコードが、
先年、グラモフォンからCDに復刻された。

何と、現代音楽の演奏で知られ、
あまり、一般には知られていない、
ハンス・ロスバウトが指揮したものである。

この指揮者は、洋泉社の「萌えるクラシック」という本などで、
ほめられているので、ここで改めて登場させるまでもないが、
その本では、「古典的明晰さをたたえた造形美がすばらしい」とある。
基本的にそれ以上に言うこともない。

ここには、92番「オックスフォード」と、
104番「ロンドン」が収められている。
1957年のステレオ前夜のモノラル録音である。
こうした曰く付きのレコードは、
確か、LP時代には再発売されなかった。
理由は簡単、モノラルだったからであろう。

現代音楽を得意とする人の演奏だけに、
非常にきりりとしたハイドン。
ハイドンの音楽の編み目がすっきり見えて、さすがと思えた。
ザンデルリンクも、CD化してみれば、印象が違うかもしれないが、
このロスバウト盤、ザンデルリンクで聴いた時より、
音質に無理がなく、自然に聴けるような気がする。
もう少し、低音に豊かさがあればいいのにと思うが、
オリジナル・イメージ・ビット・プロセッシングなので、
かなり丁寧に復刻されているとは思う。

そういえば、この、オリジナルズのシリーズでザンデルリンクが指揮をした、
ラフマニノフ(モノラル)などが出たが、あまり音が良くなくて、
売り払った記憶がある。
こんな事なら、ザンデルリンクの、
レコーディング・プロデューサーの名前を控えておくべきだった。

なお、このロスバウト盤には、プロデューサーとして、
カラヤン発掘で有名な、Elsa Schiller女史の名前があり、
レコーディング・プロデューサーの名前に、Wolfgang Lohseとある。

さて、このCDの表紙を見てみよう。
Art Directionの覧には、Hartmut Pfeifferとあるが、
イギリス王宮を模したシンプルな線描画である。
中央下部の噴水のみが、真上から見た円形なのがポイントだろうか。

着色は濃い緑と茶色、あと、イエローレーベルの黄色のみ。
空まで緑で塗りつぶした点もユニークだが、
最初、青い空にしてみたら、何だか薄っぺらくなったので、
緑にしてしまった、という感じがしないでもない。

まさか、青い空にイエローレーベルの色が滲むので、
苦肉の策で緑にしたわけではなかろうな。
私は、オリジナル・ジャケットには弱いのだが、
このデザインは、あまりにも陰気で、買うのを躊躇したという、
例外的な商品である。
この空、暗雲が漂っているような不気味さがある。
噴水の水も、深い緑で気持ち悪い。

良いように捉えれば、いかにも50年代を感じさせる、
現代美術を引用した風情がモダン。
もちろん、題材は、ハイドンが英国で作曲した作品にちなむのであろうが、
ここから、交響曲の父の作風をしのぶのは困難である。

さて、解説には、いきなり当時の批評が出ている。
「この最も良く知られ、愛されているハイドンの2曲の交響曲の、
素晴らしい演奏は、故ハンス・ロスバウトをしのぶのに相応しい。
グラモフォン(1963)」

ロスバウトは62年に亡くなっている。
追悼盤として出たことがあったのだろうか。

このCDには親切なことに、このロスバウトが、
何と、シュナイダーハンと録音したモーツァルトも併録されている。
この前、52年録音の「協奏曲第5番」をここでも取り上げたが、
今回のものは、それから4年後、56年の「第4番」である。
前回はライトナーの指揮であったのに、
何故に、ロスバウトに変えたのであろうか。

「シュナイダーハンの音色は、
音響として豪華すぎることなく、
それでいて終始美しい。
ロスバウトの伴奏も事実立派で、
第一級のオーケストラバランスは、
高く評価される。
グラモフォン(1957)」

さて、解説は、Bernhrd Uskeという人が書いている。
「1950年代に、有名なアメリカの音楽学者で、
ハイドンの交響曲のクリティカル・スコアを編纂した、
H.C.ロビンス・ランドンが書いた批評エッセイの中で、
入手可能なハイドンの後期交響曲の中では、
ドイツ・グラモフォンにある、
ハンス・ロスバウトのものが選ばれている。
数多くのすばらしい競合盤の存在の中で、
1956年と1957年に録音された、
ロスバウトの104番(ロンドン)と、
92番(オックスフォード)の演奏が、
最も傑出していると評されている。
ロビンス・ランドンはこれから数年のうちに、
さらに1ダースの『オックスフォード』交響曲や、
さらに1ダースの『ロンドン』が現れようとも、
このドイツ・グラモフォンのレコーディングは、
完璧なハイドン解釈として、歴史に刻まれようと予言して、
エッセイを結んでいる。」

これはすごい事である。
「Perfect」の単語の前の「the」はゴチックになっている。
前回のCD解説には、シェルヘンがいち早く、
ロビンス・ランドンの説を入れた録音をして、
そのレコード解説を、ロビンス・ランドン自身が行った、
という内容があったが、この予言を覆さないように、
この2曲は録音しなかったのだろうか。

いや待てよ、前回のCD解説には、ロビンス・ランドンが、
1955年に発表した、「ハイドンの交響曲」という研究以来、
楽譜解釈が変わって来たとあり、シェルヘン盤は、
1950年のものながら、「新版」を利用しているとあった。
しかも、解説はロビンス・ランドンだったはず。

この音楽学者は、自身が解説を書いた、シェルヘン盤以上に、
ロスバウト盤を評価していたのだろうか。
そして、ロスバウトは、ロビンス・ランドンをどう思っていたのか。
そのあたりはもっと知りたいところだが分からない。

シェルヘンのCDは、かつて、大量に復刻されたが、
ロスバウトは、鳴かず飛ばずだが、実は、そのシェルヘンのCDでは、
こんな言葉が紹介されている。
「1950年代、シェーンベルク以後の音楽を的確に表現できる指揮者は、
シェルヘンとロスバウトだけだった。」
これは、ブーレ-ズの言葉であるが、こうした現代的な切り口こそ、
ハイドンの明晰な音楽には相応しいということだろうか。
「シェーンベルク以後の音楽」を、
「ハイドンの音楽」と置き換えてもよいらしい。

さて、このロスバウト盤、解説はまだまだ続く。
しかし、ここまで、指揮者の魅力を語り尽くしたのも珍しい、
と言えるほどに、この解説者はロスバウトを愛している。
こうした解説は、どんどん読みたくなってしまう。

「これらの録音を40年後に聴く時(このCDの出されたのは98年)、
ロビンス=ランドンの予知は正しかったと言える。
スコアにおけるすべてのディテールの動きは正確に計算され、
全ての音楽エレメントが等しい重要さを持つ、
作品全体をクリアに把握できるようにバランスされていることは、
今日においても魅力的であり、これは現代音楽に、
生涯をかけて取組んだロスバウトの手腕に負うものである。
ハンス・ロスバウト(1895-1962)は、
厳格な前衛音楽の複雑なスコアへの通暁は、
特別なものとは考えておらず、
もっと伝統的な音楽における演奏や録音においても、
それを同様に豊かにするものと考えていた。」

意外にも、ロスバウトは、ハイドンを大切にしており、
このレコードが偶然の産物ではなく、
起こるべくして起こった名盤であることが以下の部分から読み取れる。

「今回の録音の他、4つのグラモフォンへの録音があり、
ラジオ放送用への30もの録音がある、
ハイドンは、特に、こうした取り組みによって、
映える作曲家の一人であった。
形式の組立と表現の吟味を等しく捉えたハイドンの音楽の、
特に先進的な点をロスバウトは評価している。
これらの録音の中で、
調性を拡大した利用や巧妙な転調、
形式や無限のニュアンス、
そしてムードの変更の計算などを通じ、
我々は、かつてエステルハーツィの楽長が、
この百年、どうしてヨーロッパで、
交響曲の父と呼ばれて来たかを知るのである。
重要な木管の活用、洗練された弦楽の演奏、
精緻で優雅なアーティキュレーション、
巧妙なドラマ性のコントロール。
こうしたものは、ロスバウトの、
巨視的な全体把握と繊細なディテールによって、
もたらされたものである。
これらは最小のリズムのニュアンスから、
活気あるクライマックスの瞬間まで、
行き渡っている。」

もう、これで十分、ハイドンへの傾倒ぶりは分かるというものだが、
さらに詳細を切り込んで行く点に好感を持った。
私は、この解説はかなり高得点を付けたくなる。
ロスバウトのみならず、
ハイドンの魅力をも説き起こして行く点が素晴らしい。

「ロスバウトの指揮によって、ハイドンの芸術の、
まさしくエッセンスが抽出されている。
例えば、田舎風の民謡風のアンダンテの主題が、
表現力豊かな重みを全楽章に行き渡らせていること、
無邪気なメヌエットを装いながら、各パッセージが、
遠い、忘れかけた記憶を、憧れを持って呼び起こす様など。」

この一文、非常に味わい深い。
アンダンテの楽章は、「ロンドン」交響曲の方である。
(「オックスフォード」はアダージョ。)
ここでは、確かに、田舎道を歩くような、屈託なく、
日常的な、ある意味、呑気なメロディが印象的。
このシンプルな主題が発展し、
やがて、壮大な楽想へと発展していく所が聞き所であろう。
これはさらに、勇ましい歩みを見せて、
遠くに行ってしまいそうになるが、
ふと我に返って、孤独な内省的な音楽になるなど、
表現の幅がものすごく広い。

また、「メヌエット」というのは、どちらの交響曲にもあるが、
「遠い憧れを想起させる」というのは、「ロンドン」の方の、
神秘的で鄙びたトリオの事だろうか。
繰り返される木管の警告音が、そうした感じを与えなくもない。
メヌエットに戻る直前など、その陰影の移ろいは、
完全に、シューベルトを予告している。

このあたりを聴くと、少年時代のシューベルトは、
先達の音楽を模倣しながら、それをどうしようとしたのだろうか、
などと考えてしまう。
シューベルトは、それに近づきたいと考えながら作曲していたのか、
それとも、これを越えようとして作曲していたのだろうか。
ひょっとすると、そこに、何か萌芽のようなものを見つけ、
それを大きく発展させることに夢中になったのだろうか。
何となく、そんな気がする。

私は、これに続く、終楽章は、昔から好きであった。
ハイドンらしい、シンプルで力強い、推進力のある主題が、
大きなうねりを見せながら突き進む中、
これまたロマンティックな表情が現れる瞬間に、
ぽっと、心が揺さぶられる。

この交響曲、こう聴いて行くと、
「ロンドン」交響曲などと、抽象的な名前ではなく、
「人生交響曲」とでも呼ぶのが適当のようにも思える。
ハイドン63歳。その交響曲群の集大成であり、かつ、そこに、
人生における様々な感情や気持ちの綾が織り込まれている。
回想の音楽まであるとすれば、もはや、ハイドンは、
ここにすべてを注ぎ込んだと考えるべきであろう。

この交響曲、序奏からして壮大であると共に、
悲愴な情感が漲り、あたかもハイドンが自らの交響曲群を葬る際の、
弔辞のようにも聞こえなくもない。
しかも、それに続くアレグロは、素晴らしい希望を運び、
ハイドンならではの屈託のなさに、晴れやかな澄んだ空の色までが見える。

12曲のザロモン・セットの1曲としてではなく、
唯一の1曲として聴くべき作品なのであろう。
先の廉価盤カタログでも、「告別」の3種とは違って、
カラヤン、マルケヴィッチ、ビーチャムと、名匠の演奏が並び、
ヴェルディケの指揮のものもある。

改めて、人気作は、と見ると、
94番「驚愕」が6種、100番「軍隊」が5種、
101番「時計」が11種と、何だかかっこわるい、
「時計」交響曲が、ハイドン1の人気作であったことが分かる。
こうした点は、ハイドンその人の人気にも影響が出たに相違ない。

「オックスフォード」の廉価盤などは、
サヴァリッシュのが一種あっただけのようである。

この曲は、ザロモン・セットではないが、
終楽章にプレストの指示があって、素晴らしい推進力である。
しかし、幾分、気まぐれで、さすがに「ロンドン」の風格はない。
本来、ハイドン56歳の時、
フランスのドーニ伯爵から依頼があって書かれたもので、
後年(3年後)、ハイドンがこの大学から博士号を授与された際に演奏されて、
以来、このように命名された。
ザロモンの演奏会でも演奏された自信作、または人気作であった模様。

確かに、活力に溢れた見事な作品で、
美しいアダージョに現れる侘びしさや、
メヌエットに見る典雅さを経て、
終楽章のプレストまで一気に聴かせ、
なおかつ、格調も高く、まじめな本格的な作品と思える。

まさに、ロスバウトとベルリン・フィルの一糸乱れぬ、
見通しのよい演奏で映える作品である。

しかし、下記、文章を解説で読むまで、
演奏がベルリン・フィルということは忘れていた。
特に、ベルリン・フィルらしい印象はないものの、
鋭敏に指示に即応して、さすが世界最高のオーケストラ、
というような感じがする。
「ドナウエッチンゲン音楽祭で、
数多くの現代曲初演を手がけた猛者(ロスバウトのことである)が、
完璧なオーケストラ制御を聴かせ、
1956年から57年のベルリン・フィルが、
フォーカスの合った立体的な演奏を聴かせている事にも、
今日の我々は魅了されずにはいられない。」

以上でハイドンの解説は終わって、最後にモーツァルトの解説となる。

「1956年3月14日と15日、
『ロンドン』交響曲の2、3日前に録音された、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番
ニ長調K218にも、同様の完成度が認められる。
エクス・ヴァン・プロバンスにおける
伝説的なオペラ上演から明らかなように、
ロスバウトは優れたモーツァルティアンであり、
この幾分、モーツァルトのセレナーデの気楽な雰囲気を残す、
この協奏曲においても、スタイリッシュな燃焼と、
ドラマティックな落ち着きを持って取組んでいる。」

「ロスバウトはハイドンが良い」と書いたそのすぐ後で、
実は、モーツァルトも良いのだ、という二枚舌風の展開は、
今回、無理なカップリングの影響とて仕方ないとしよう。
ちょっと、拍子抜けするが。

が、やはり、こんな風に書かれると、
すぐに、このコンビによるモーツァルトも、
これまた、聴きたくなってしまうのも確か。
「明確で強靱な展開によるシュナイダーハンの、
見せ物に堕さない音楽を、
ロココ風の優美さから完全に離れた表現力で、
内容豊かにロスバウトは支えている。」

まことに折り目正しいモーツァルトである。
ぴりりと張った空気の中、モーツァルトの表情は引き締まって頼もしい。
これは、前回、シュナイダーハンの弾いた、
ライトナーとの「5番」でも書いたことだが。

モノラル録音だが、とてもみずみずしい録音で、
この二人の直裁的な美学が香る音楽となっている。

ここまで徹底されると、彼らがモーツァルトを、
通俗から救いだそうと全霊を上げて、取組んでいる様に、
敬服せざるを得ない。
私は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲では、
楽天的で魅惑的なメロディゆえに、この「第4」に一番愛着があるため、
ここまで端正に集中されると、
本来の、セレナーデ風の愉悦感から遠のくような気もする。

が、一方で、独奏と管弦楽の掛け合いなど、正確無比な繰り返しにも見え、
まるで、工場で、部品が次々に出来上がって行く様を思わせる。

そうした見方をすると、ひたすらストイックと言うわけでもなく、
まさしく、1950年代の夢を乗せた、ゴージャスな音楽と見えなくもない。

だとすると、おそらく、アメリカ人、ロビンス・ランドンが、
ひたすら楽譜とにらめっこしていた原動力が、やはりまた、
そこにあったのではないかとも思えて来るではないか。

今後、1ダースの演奏が出ようとも、これが最高、
といった考え方には、正直、私はついて行けないような気もしている。
そんな事が簡単に決められるのであれば、
世界中には一握りのレコードしか残らなくなってしまう。
こうした、レコード探訪は、まったく時間の無駄としか言いようがなくなる。

得られた事:「1950年代の美しい夢を見、かつそれを実践出来た人として、ロビンス・ランドンとロスバウトは同じ土壌にあったと見た。」
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by franz310 | 2008-12-28 09:47 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その153

b0083728_973434.jpg個人的経験:
もう、20年近くなるだろうか、
横浜の県民ホールで、
ハイドンを取り上げた
演奏会シリーズがあった。
往復葉書の抽選性の
無料コンサートだった為、
人気があって、
当選しないことがあったので、
私は、何枚も葉書を出したものだ。
郵政省は儲かったことと思う。

どういった経緯で集められた楽団かは忘れてしまったが、
研究者として知られていた大宮真琴さんが、
自ら、指揮棒を持って、見事な演奏を聴かせてくれ、
なおかつ、示唆と滋味に富む解説が、
これまた、味わい深かったものである。

前回、ベルンハルト・パウムガルトナーの指揮した、
ザルツブルク音楽祭におけるマチネーについて取り上げたが、
最近、オイロディスク・ヴィンテージ・コレクションで復刻された、
パウムガルトナーのCDの解説を、
あの大宮真琴さんが書いているのを見て驚喜した。

1972年のLPからの転載とある。
この時代のLPに、こんなに豊富な情報量の解説があったのか、
と改めて驚いてしまった。
よく分からないが、私の印象では、当時のLPでは、
もっぱら、作品の啓蒙活動が主眼とされた解説が多く、
演奏家に対して、これだけたくさんの記述があるのは、
珍しかったのではないだろうか。

そこまで、大宮氏は、パウムガルトナーに惚れ込んでいる。
どうやら、氏は、ザルツブルクで、音楽堂の講堂や、
聖ペーター教会で、この指揮者の演奏会に接したようで、
非常に大きな感銘を受けたことを書いている。
「パウムガルトナーの大柄な身体全体が、
モーツァルトへの愛情の中でひたひたと揺れ動いているような演奏ぶり」
などと書いている。

それは、そのまま、あの横浜のハイドン演奏会シリーズでの、
大宮真琴氏の演奏姿そのままと言っていい。
氏は大柄ではなかったが、非常な情熱を持ってアンサンブルを鼓舞し、
舞台上では、本当に大きな存在に見えたものである。

そして、パウムガルトナーの、
有名な協奏曲と、無名の交響曲に、声楽作品を組み合わせた、
モーツァルテウムでのマチネーが、
ひょっとすると、
大宮真琴氏の理想の演奏会だったのかもしれない、
などと思いを馳せるのである。

私の中でも、あの演奏会は、非常に心温まるものとして、
心に残っている。
演奏の完成度も高く、確か古楽器の演奏ではなかったと思うが、
要所要所でオリジナル楽器の紹介をしていたような記憶がある。
ハイドンの時代を紹介しながら、
ハイドンを現代に蘇らせるように、
作品に息を吹き込むことに主眼を置いた演奏だったと記憶する。
繰り返しになるが、非常に素晴らしい演奏で、
無料だったというのだから、まるで夢のような話であった。

押しかけた人々も、その時には、
その演奏会の真の価値には気づいておらず、
ただただ、大宮氏の解説に微笑み、笑い、思いを馳せ、
知らず知らずのうちに時を過ごしていたのである。

そういえば、あれもマチネーであった。
大宮氏の心の中では、パウムガルトナーとの会話があったに相違ない。

今回、このCDを入手して、ようやく、
私もあの演奏会シリーズを思い出し、
改めて素晴らしい企画を立ててくれた、
県民ホールか県か、とにかく、大宮先生を含め、
関係者に感謝したい気持ちである。

あるいは、バブル崩壊前の束の間の夢だったのだろうか。

さて、このCDに聴くモーツァルトの「ジュピター」と「ハフナー」も、
まさしく、ザルツブルクのマチネーシリーズを担当した楽団、
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカが受け持っている。
1958年7月、ザルツブルクでの録音とある。

この前の、マチネーの記録が1957年8月の記録であったから、
それから1年も経っていないが、非常にみずみずしい録音。
しかも、ステレオとある。

まさしく、音楽に息を吹き込んでいくような演奏で、
音楽が膨れあがって、勢いがある。
さすが、「ジュピター」といいたいぐらいに、
さまざまなものを放射して突き進む感じである。
「英雄」的なジュピターで、提示部の繰り返しを実行し、
第一楽章だけで、11分半もかけている。

当時のレコードは、ワルター、ベーム、カラヤン、フリッチャイ、
イッセルシュテット、クーベリック、どれも7分半から8分半で演奏している。

この放射する感じは、指揮者とオーケストラが、
一体となって興奮しているために自然にそうなった事もあろうが、
各楽器が、強めのアクセントで、
気合いを入れるように奏されているからと思われる。

また、第二楽章は、瞑想的とも言えるような表情で色濃く色づけられており、
まさしく、「英雄」の「葬送行進曲」が見え隠れする。
木管楽器の音色も、ほとんど現実の世界のものとは思えない。

かなり早めに押し切っている第三楽章でも、
時折見せる、幻のワルツのような儚さも美しい。

第四楽章も、深い低音に、牧歌的な木管の響きが印象的で、
色彩的には豊かであるものの、噛みしめるようなテンポで奏され、
これまた、筋肉がぱんぱんに張った感じ。

ものすごく力の漲ったモーツァルトで、
前述のように、現代に限りなく引き寄せて、
隣人として付き合うべきモーツァルトとなっている。

「ハフナー交響曲」も、楽器が鳴り切っている感じで、
非常に恰幅がよい。
第一楽章も、私はこれまで、もっと一直線の音楽と思っていたが、
いろいろな声部が自発的に鳴り響き、
まさしく祝典的な華麗さを放っている。
これがまた、いいではないか。
この曲の場合、速いテンポでありながら、
立体的な広がりも感じられ、
一本調子になっていないのが良かった。

ただし、全体的に、興奮しているので、
優美さとか、典雅さのようなものは犠牲になっている。
こういったハイな気分に共感できない時には疲れる演奏かもしれない。

私は、同じ1958年7月の録音なら、長く愛聴してきた、
ハンス・シュミット=イッセルシュテットの演奏に、
その自然体の充実、天上的な趣きゆえに軍配を上げたいが、
パウムガルトナーのものは、おそらく、別次元で語られるべきものであろう。

この演奏は、パウムガルトナーの生き様を反映したものでもあろう。

それにしても、何故、1972年にもなって、
58年の録音が出て来たのだろうか。
「この機会に、彼の残した偉業を反芻してみるのは、まことに意義深いことだ。」
と解説にあり、
71年の7月27日に、パウムガルトナーが亡くなったことが。
解説にあるので、追悼盤も兼ねていたのだろうか。
だとすれば、詳細な解説も理解できるというものである。

このCDの解説には、前回のオルフェオ盤にも増して、
パウムガルトナーに関する情報が載せられているので、
合わせてこの人についての勉強が出来る。

例えば、父親がピアニスト、母親は歌手で、
ピアノやホルンなども学んだとある。
また、
「モーツァルト伝」というのが有名な著作である他、
前のCDにも紹介があった、
シューベルト研究(1943)、バッハ研究(1950)という著作の、
出版年も明確になった。

彼は、戦争中は、亡命先のフィレンツェで、
モーツァルトの初期の研究をしていたはずだが、
シューベルトの本も出していたということだ。

しかし、同名の人が、シューベルトに、
「ます」の五重奏を依頼したことについて、
この著書の中では何か触れられているのだろうか。

彼は音楽院の教授であったが、一方でオーケストラを組織し、
ロンドンに演奏旅行までしているようなので、
完全に型破りの人物である。
さすがに大宮真琴氏も、海外遠征はしていなかったと思う。

「教育者、学者、そして指揮者を一身に兼ねた活動をしめした」とあり、
それがゆえに、「つねに傾聴に値する」と解説にはある。

また、このCD、曲目解説も充実しており、
CDのブックレットで3ページ半に及ぶ。
分析的でありながら、曲の良さを全面に出したもので、
まずは満足すべきものである。

表紙デザインも、時代を感じさせるが、格調高いもので、
ザルツブルクの古い展望図に、ジュピターを思わせる、
古代ローマ風の彫像が配置されている。
それがすべて白黒基調なので、精緻な版画のようにも見える。

b0083728_98944.jpgさて、このDENON盤の
CDには、前述のように、
録音データや、
Licensed by Ariola-Eurodisc
という表示もあるが、
私が持っている、
もう一つのパウムガルトナーの
モーツァルトの
名作交響曲のCDには、
何のインフォーメーションも
ないので、非常にヤバい感じ。

昔、学研が、Kapelleというレーベルで、
音楽ソフトを作っていた時、出ていたもので、
私のよく知らない指揮者、アルベルト・リッツオの「プラハ」と共に、
パウムガルトナーの「40番」が入っている。

ジャケット写真として、渡辺真という名があり、
カメラータ・アカデミカ、指揮:ベルンハルト・パウムガルトナー
とあるだけで、まったく、来歴不明の音源である。
リッツオの方は、ミュンヘン交響楽団とある。

宇野功芳氏がしっかりした解説を書いているので、
おそらく、パウムガルトナーの演奏に間違いはなかろう。
最後のページに「CDの特徴」とか、
「CDを取り扱う上での注意」という注意書きがあるので、
15年くらい前の商品ではないか。

ちなみに表紙写真はモーツァルトの銅像で、無難な線である。
しかし、空は灰色、背景の木は枯れ果てており、
非常に気が滅入る空模様とみた。
さらに、この構図、女性像ならセクハラになりそうな、
極めてローアングルである。
コンパニオンが集まるいろんな展示会でも、
「ローアングルでの撮影はご遠慮下さい」とあるので、
昨今のトレンドとしては違和感がないだろうか。

しかし、おかげさまで、モーツァルトの使う譜面台の裏に、
不気味な顔がついていることが分かった。

最初に入っているリッツオの「プラハ」も、
何となく、音の感じとしては、先に聴いた、
DENON盤に似ていて、華やかだが、
あまりしっとり感はない。
推進力があって聴かせるが、もうすこし、落ち着いた風情も欲しい。
とはいえ、木管など、コクのある味わいを出していて好感が持てる。
録音に立体感がないのが難点なだけで、演奏会で聴けば、
満足できる演奏のような気もする。

解説には、ミュンヘンを中心に活躍するドイツの中堅で、詳細不明とある。
中心とか中堅とか、ほとんど情報がないに等しい。

とにかく異常に速いお手軽版で何と22分で、この大曲を演奏し終わっている。
昔、セラフィムで出ていたスイトナーのLPは、
「ハフナー」、「リンツ」、「プラハ」の3曲が入って強烈だったが、
それでも「プラハ」は26分くらいかけていた。

そんなことから、これはこれで特殊な演奏のような気がするが、
パウムガルトナーの「40番」はさらに特異な解釈に思えた。

まず、冒頭の有名な主題も、よれよれのメロディの歌い方。
たらら、たらら、と小さく切って演奏しているのか、
今にもぶったおれそうな、ヴィヴァルディの「四季」の「冬」で、
「氷の上をこわごわ進む」みたいな感じ。

いかにも、この表紙写真の冬空に相応しく、
息も絶え絶えの主題提示である。
それは、もう、足が先に進まないようなくらいに、
絶望に包み込まれているという風情なのだ。

それが、2回目に繰り返される時、
ぱっと日が差すように明るくなるのが、
強烈な対比になっていて私は驚いた。
こんな歌わせ方があったのである。
まさしく、この時代に歌われるに相応しい歌のように思える。
坂本九が、「上を向いて歩こうよ」と歌っているのと同時代の音が聞こえる。

その勢いで急に元気になって、テンポが速まるので、
まったくト短調の交響曲ではないみたいになる。
先に聴いた「ジュピター」もそうだったが、
力こぶが入っている。

第二楽章も、「ジュピター」のときのように、
抑えようとしても吹き出すような沈潜の仕方が悲痛である。
これまた、葬送行進曲になっていると言ってもよいだろう。
ここでも各楽器が、この強烈な圧力から解放されて、
多彩な彩りを加え、味わいを加えている。

第三楽章もメヌエットではなく、アクセントが強く、
もっと推進力のある音楽。
トリオで立ち上る木管やホルンの残響が美しい。

第四楽章も、第一楽章と同様、出だしは訥々としながら、
強引なドライブがかかる。
対位法的な処理のとき、パウムガルトナーは、
各声部に思い切った強調を許して、
まるで管弦楽のための協奏曲みたいに料理してしまうのも嬉しい。

私は、このユニークな「40番」は、何となく好きである。
何となく、「走り去る悲しみ」といった、
ワンメッセージの音楽として捉えていたが、
何だか、もっといろいろな側面を感じさせる、
いわば、「40番」的でない「40番」として、
心に残るものである。

このCD、解説もとても面白い。
モーツァルトの曲目解説は、作曲家の生涯を切り取り、
さらには聞き所までを明示した親切なもの。

さらにパウムガルトナーについては、
リッツオとは大違いで、いろいろ書いてある。
ここでは、父親はピアニストのみならず、
音楽評論家であったと書かれている。
また、フィレンツェでは、戦争から逃げていただけではなく、
「ヴィーン大学のイタリア・バロック音楽研究所所長」をやっていたとある。
給料も出ていたのだろうか。
あるいは名誉職か?単なる自称か?

しかも、最後から2つ目の一節が新しい情報として有り難かった。
「わが国には1958年に訪れ、ABC交響楽団等を指揮した。」
これは、近衛秀麿のオーケストラだと思うが、
あの「ジュピター」を録音した年に、
あるいは、前年、ハスキルと共演していたような別世界の人が、
日本に足を運んでくれていたとは、妙に、パウムガルトナーが、
身近に感じられるではないか。
87年生まれなので、70歳を越えての活躍に頭が下がる。

よく調べると、この人はベームやイッセルシュテットなどより、
ずっと年配で、フルトヴェングラーやパレーの翌年の生まれ。
さぞかし、得られたものも大きかったのではないだろうか。

得られた事:「ベルンハルト・パウムガルトナーは、自由闊達に音楽に生命を吹き込む指揮者であった。」
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by franz310 | 2008-12-14 09:08 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その152

b0083728_1330555.jpg個人的経験:
多少世代が違うとは言え、
ベルリンとヴィーンで活躍した、
二人のコンサートマスターの
経歴を読んでいると、
妙に懐かしい名前が登場して、
改めて、そうした人たちについて、
聞き直してみたくなってしまった。
国も世代も違うが、
その名前は、
かなり紛らわしい二人である。


まず、ベルリンのコンサートマスターだった、
シュヴァルベの関係者として登場したのが、
ベルンハルト・パウムガルトナーである。

「1960年代初頭、シュヴァルベは、
ザルツブルク・モーツァルテウムの、国際サマーアカデミーの、
客員教授となり、彼はザルツブルク音楽祭に何度も登場し、
ベルンハルト・パウムガルトナー指揮のカメラータ・アカデミカと、
モーツァルトの協奏曲のいくつかを共演したりした。」
と、シュヴァルベの略伝にあった。

このパウムガルトナー、グリュミオーやハスキルの伴奏をしていた指揮者、
という印象ばかりが残っており、どんな経歴の人だったのかは、
あまり考えたことがなかった。

そもそも、シューベルトに五重奏曲「ます」を依頼したのが、
パウムガルトナー氏であったが、この人とは関係があるのかないのか。

有り難い事に、例のオルフェオのライブ・シリーズのCDで、
この人のことはよく知ることが出来る。

一見して心そそられるのは、パウムガルトナーの情熱的な指揮姿に、
名ピアニストのクララ・ハスキルと、ゲザ・アンダが並べられた、
表紙写真である。
演目に、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」が含まれているのだ。
この典雅極まりない名曲を、この往年の大家たちが、
どのように繰り広げるのかが、まず、興味の中心となろう。

また、よく見ると、ソプラノのエリカ・ケートの名前も見える。
つまり、この協奏曲の他に、コンサート・アリアが2曲歌われている。

1957年のライブというが、何と豪華な演目であろうか。
とはいえ、最後の曲は、何と、初期、K112のヘ長調交響曲。
私も、まったくどんな曲か、途方に暮れるエンディングである。

b0083728_13304444.jpg先のグリュミオー、
ハスキルのLPが
そうであったように、
パウムガルトナーは、
ここでもやはり、
モーツァルトの大家であって、
さらに言えば、
ここでの解説を見る限り、
現代モーツァルト解釈の
原点になったような人、
とも言えるようだ。


ちょっと、ここで、前回紹介した、シュナイダーハンの、
1952年のモーツァルトと、このパウムガルトナーとグリュミオーの、
1954年の同じ曲を聞き比べてみよう。
何と、オーケストラは一緒で、ヴィーン交響楽団である。

グリュミオーの演奏は、恐ろしく冴え渡る美音を武器に、
歌うところは思いっきり歌を伸ばして協調し、
小気味のよく早くパッセージをきらめかせ、
官能に直接、迫るものである。
そこに、パウムガルトナーが便乗し、
いかにも意味ありげな音色やテンポの変化を与えていく。
伴奏でありながら、息づくような愉悦感を振りまいている。

一方、シュナイダーハンは、
果たして、そのような官能性や愉悦感に興味を持っていたかは疑問である。
名技性を誇示すべきカデンツァでも、妙に、神妙な面持ちなのだ。
これはこれで、非常に爽やかできまじめな好青年のモーツァルトである。
美音をあえて伸ばして強調せず、きりっと引き締めながら進む。
この時、彼はヴィーン・フィルのコンサートマスターを辞めて、
独奏者になる決意をして3年の後、しかし、まだ37歳の若さであった。

まだ40歳だった、ライトナーの指揮ぶりにも、同様の傾向が伺える。
愉悦感よりも、希望を胸にして前進する様子に重点が置かれている。

グリュミオーは、カデンツァともなると、完全に忘我の境地になっている。
しかし、パウムガルトナーはそれをウェルカムとし、
そう来るならば、こう返すといった、丁々発止のオーケストラドライブ。
グリュミオーは1921年生まれなので、33歳の記録である。
パウムガルトナーは、67歳。

さて、こんなパウムガルトナーが、
シェフを務める演奏会の記録はいったいどんなものだったのだろうか。

このように喜び勇んで書き始めたものの、
ミシェル・シュヴァルベが関与する前の記録かもしれない。

中川右介著「カラヤン帝国興亡史」には、
フルトヴェングラーが、自分が生きている間は、
カラヤンにザルツブルク音楽祭を振らせないようにしたという話や、
54年にフルトヴェングラーが死んで、55年から早速、
カラヤンと音楽祭の間に、交渉が始まった話などが出ていた。

その結果、何とカラヤンは、
57年からは音楽祭の全権を掌握したという話が出ているから、
あるいは、このコンサートがあった時、ベルリン・フィルは、
この地にいたのかもしれない。

先の著書では、カラヤンがベルリン・フィルと、
この音楽祭のメインになってしまったので、
モーツァルトの祭典の意味が薄れてしまった、
という記述もあった。

まさしくそうした転換期の記録なのだが、
パウムガルトナーのマチネーの音からは、
そうした影響があったようには聞こえない。

何と、パウムガルトナーは、カラヤンの恩師にあたる、
というので、ここだけは聖域であったのかもしれない。

解説を読み進めよう。Gottfried Krausという人が書いている。
「What Bernhard Paumgartoner Achieved for Mozart」
という題名のものである。

「1920年の夏、ザルツブルク・カテドラルの前で、
『イエーダーマン』が最初に鳴り響いた時、
ベルンハルト・パウムガルトナーは、まだ33歳になっていなかった。」
ということで、1887年頃の生まれだということが分かる。

「1960年からは、パウムガルトナーはザルツブルク音楽祭の監督となり、
1971年7月27日、音楽祭が50周年を迎えた翌年に、
84歳でなくなっている。
彼は、指揮者の中で、第1にランクされるような人ではなかったが、
いや、それ故にか、この音楽祭で育っただけでなく、
この音楽祭の発展に寄与した。
しかし、パウムガルトナーは、非常に複雑な芸術肌の人物で、
その影響と輝きを簡単に分類できるようなものではない。
彼は根っからの音楽家であったが、実際はそれ以上の存在だった。
彼の受けた広範な教育もあって、
その関心は、音楽に留まらず、美術、文学、歴史にまで及んだ。
モーツァルト、シューベルト、バッハに関する本、
そしてザルツブルクの町に関する著述、
音楽祭を中心とした非常に興味深いメモワールなど、
今でも十分、読むに足る内容となっている。
1917年、この作曲家にして、ピアニスト、指揮者は、
ヴィーンの芸術を愛好する家庭に生まれ、
モーツァルテウムの校長に招かれた。
彼はブルーノ・ワルターの門下であり、法学博士の学位も得ていた。」

私は、少々、頭の中が混乱するような感じがする。
というのは、ベルリンのシュヴァルベの経歴で出て来た人が、
この、ヴィーン生まれのワルターの弟子だったという点である。

「ザルツブルクは彼の第2の故郷となったのみならず、運命ともなった。
パウムガルトナーは、この町を、おそらく『よそ者』の愛し方で愛した。
彼は、知る人ぞ知るザルツブルクの歴史を知っており、
その町の美しさを賛嘆して飽くことを知らなかった。
この流れの中で、彼はモーツァルトと特別な関係を形成していく。
モーツァルトの音楽才能が育まれた文化的背景を熟知していた。
レオポルド・モーツァルトや、
ザルツブルクの宮廷音楽の環境についての研究に没頭しただけでなく、
所謂、フィレンツェ追放の時期(1938-1945)には、
17世紀、18世紀のイタリア音楽を、極めて詳細に研究していた。」

恐ろしいおっさんである。
言うまでもなく、ナチスの時代であるが、50歳を過ぎてなお、
この苦境を研究で乗り切ったというのだから、もはや、鬼である。
このように、パウムガルトナーは、国際的な視野でモーツァルト理解を深め、
ハスキルやグリュミオーのような独墺系以外の演奏者との交流を深めたのか。

「このように、パウムガルトナーは、
それまでよく研究されていなかったモーツァルト初期作品の、
様式や音楽的なルーツ研究のパイオニアの一人となった。
そして、彼は、それ以前の音楽家たちとモーツァルトを隔てるものを、
どのように引き出すかを心得ていた。
ベルンハルト・パウムガルトナーは、ごく初期から音楽祭に関与しており、
Einar Nilsonによる『イエーダーマン』の音楽を編曲し、指揮し、
2年目からは、1番の目玉、マックス・ラインハルトの
『イエーダーマン』の他に、モーツァルトをも出し物にした。
1921年の夏からは、4回のオーケストラ演奏会、
3回の室内楽演奏会、そして1回のセレナード演奏会が、
モーツァルテウムのイベントとして公表された。
これらは特にモーツァルトに捧げられ、ヴィーン国立歌劇場や、
モーツァルテウムのオーケストラのメンバーを、
パウムガルトナーが組織したアンサンブルによって演奏された。
パウムガルトナーは2つのオーケストラ演奏会、
室内楽演奏会を一つ、セレナードと、
カテドラルにおける『レクィエム』の演奏を受け持った。
パウムガルトナーは、マチネーにおいて、
その広範な知識をモーツァルトの作品演奏に利用、
当時のどの音楽家よりもモーツァルト需要に寄与したのである。
しばらくの間、音楽祭は、パウムガルトナーの、
思うようにならなかった時期がある。
1922年にリヒャルト・シュトラウスが、ザルツブルクで、
国立歌劇場でオペラを指揮、そしてヴィーン・フィルと演奏会を開き、
こうなると、単なる『地方行事』ではなくなってしまった。
このようにして、この後数年は、ザルツブルク音楽祭は、
演劇とオペラの他は、当時の大物たち、
つまり、シュトラウス、フランツ・シャルク、
ワルター、クレメンス・クラウスらによるヴィーン・フィルの演奏会、
または、ヴィーンから来たアンサンブルや独奏者による、
室内楽演奏会ばかりになり、モーツァルトもまた、
めったに演奏されなくなってしまった。
1927年に、パウムガルトナーは、
それまで演奏されなかった、『グラン・パルティータK361』を含む、
モーツァルトの大作を独自にプログラムした、
ヴィーン・フィルによる、
7つのセレナード・チクルスを演目に加えるのに成功した。
その後の年も、ワルターやトスカニーニの年でクライマックスを築く、
音楽祭の中にあって、これらのセレナードは、
引き続き、パウムガルトナーの手によって演奏された。」

ザルツブルクだから、当然、モーツァルトが演奏されて来たと思うと、
どうやら、大間違いだったようだ。
言うなれば、パウムガルトナーのような人の努力によって、
モーツァルトの町としての真価を得たとも言えるようである。

「オーストリアの政局の変化がこれに終止符を打ち、
パウムガルトナーはザルツブルクからフィレンツェに逃れた。
1945年、わずか数週間前に戦火が収まったばかりの時期に、
この精力的な指揮者は、ザルツブルクに戻り、戦後最初の夏に、
即席メンバーで、オーケストラコンサートを一つ、
そして、3つのセレナードの夕べを開催した。
1946年、ザルツブルクならではの、
モーツァルトのセレナーデ演奏会の新演出実現模索を始めた音楽祭と同様、
モーツァルテウムもまた、パウムガルトナーを先頭にして再建された。
1949年、二つのマチネーが加わり、
ここでまた、パウムガルトナーは、
モーツァルトの知られざる初期作品と、有名な協奏曲に、
素晴らしい声のための声楽作品を、
組み合わせたプログラムの新基軸を打出した。
パウムガルトナーは、上手に名手たちと契約するコツを心得ており、
1949年には、偉大なベルギーのヴァイオリニストグリュミオーや、
1950年には、ハスキルが『ジュノーム協奏曲』を演奏し、
1952年には、センセーショナルな音楽祭デビューに続き、
アンダが、『変ホ長調』の協奏曲を演奏している。
ハスキルとアンダは、以来、ほとんど毎夏登場し、
遂にパウムガルトナーは1957年、
素晴らしい『二台のピアノのための協奏曲』で、
ここに記録された、名手二人による共演を実現させた。
音楽祭で、彼女はこの年、リサイタルを開いたのみで、
病気と死のため、二度と来ることはなかった。
彼女は、1960年、65歳で世を去ったので、
これが最後の共演となってしまった。
一方、ゲザ・アンダもまた、マチネー、オーケストラコンサート、
リサイタルを通じ、音楽祭の常連スターであったが、
1975年の悲劇的な病気によって、早すぎる死を迎えた。」

ということで、一期一会の素晴らしい音楽会だったようで、
この日の聴衆が大変、うらやましい。

「ベルンハルト・パウムガルトナーは、1952年に、
彼のマチネーやその他の目的のために、
モーツァルテウムの教授や生徒を集め、
カメラータ・アカデミカを創設した。
楽器や編成の点で歴史的、オーセンティックとは別観点で、
マチネーや室内楽演奏会のプログラム用に、
理想的に最適化されたアンサンブルであった。
そうしたものが、世間一般の流行になるずっと昔のことである。
世界中の音楽愛好家たちは、この音楽祭やその放送を通じて、
ザルツブルク時代の、数多くの喜遊曲、カッサシオン、セレナードや、
同様に初期の交響曲、素晴らしい協奏曲、アリアの宝庫など、
モーツァルトの音楽の豊かさを知った。
モーツァルトが若い頃から、素晴らしく独創的な劇作家であることも、
他の人が初期オペラの上演を考える前に、すでに多くの人が知っていた。」

以上で、パウムガルトナーと音楽祭の一般論の話は終わり、
これらの録音がどのように残されたかが書かれている。
「ザルツブルク放送の音楽祭アーカイブに、
多くのこれらコンサートの記録は保存されており、
パウムガルトナーが、後に有名になる
歌手や奏者とコラボレーションしたドキュメントとなっている。
現在の耳からすれば、これらのすべてが、
技術的に満足できるものというわけではないが、
パウムガルトナーが第1に求めたのは、技術的な完成度ではなく、
表現力や正しいスタイル、音楽内部のプロポーションであった。
彼はまた、その知識や理解、情熱を伝えるための機会でもあった。
マチネーの前の公開練習での独特の会話は、
音楽家や生徒、ザルツブルクに来た、
音楽愛好家にとって、最高の瞬間でもあった。」

「このドキュメントは、1957年8月のもので、
モーツァルトのマチネーの完全な記録のうち、
最古のものの一つである。
その独奏者が高名ゆえに、協奏曲が最も目を引くが、
1927年、ダルムシュタッドに生まれ、
ミュンヘンオペラの花形だったエリカ・ケートが、
ここで共演しているのはまさしく掘り出し物である。
この人は音楽祭でも『魔笛』だけでなく、1956年、セル指揮、
57年、カイルベルト指揮の『後宮からの逃走』の、
コンスタンツェ役でも人気が高かった。
パウムガルトナーのモーツァルテウムでの長年の盟友であり、
カメラータ・アカデミカの共同創設者であった、
クリスタ・リヒター=スタイナーが、
1775年のオペラ『羊飼いの王様』からのアリアの、
ヴァイオリン独奏を受け持っている。」
このように、ケートの登場のみならず、
何と、控えめなヴァイオリニスト、
リヒター=スタイナーという人についても特筆しているのが嬉しい。

「プログラムの最初に、パウムガルトナーは、
彼のお気に入りの一つ、オペラ全曲もよく指揮していた、
『劇場支配人』からの序曲を演奏している。」
さすがにお気に入りということだけあって、
非常にエプスレッシーヴォな、活力溢れる力演である。
ただの音楽院の教授ではない。
こんな魂を込めた演奏をする人が、カラヤンの師という事実も、
どうもピンと来ない。何となく不思議な感じがする。

「ここでの最後は、交響曲ヘ長調K112で、
1771年イタリア楽旅の際のもので、
15歳のモーツァルトはここで、
フォーマルなイタリア・バロック様式を離れ、
古典的な交響曲の間にあって、独自の独立した様式を達成した。
ザルツブルク音楽祭での初演の旨、
プログラム冊子には書かれており、
パウムガルトナーが行ったユニークなマチネーの好例となっている。」

このように、このCD、というか、このコンサート、
非常に多面的な楽しみ方が可能である。
独唱、独奏の人気アーティストを目当てにしても良いし、
力の入ったパウムガルトナーの解釈を聴くもよく、
最後に知られざる名曲の発見の楽しみや、
若き日のモーツァルトに思いを馳せるなどなど。

私は、「2台のピアノのための協奏曲」が好きで、
この二人の、惜しまれつつ亡くなった大家たちの共演が、
最も聴きたい演目であったが、ひょっとすると、
これ以上に他の演目を楽しんだような気がする。

やはり即席の共演ということからか、
ミスも目立つし、何となく、完全には興が乗っていないような気もする。
あるいは、ハスキルの調子が悪かったのだろうか。
また、このCDの中では、ピアノのタッチに輝きがなく、
唯一、録音に不満を感じる演奏が、この協奏曲ではなかろうか。

それに引き替え、エリカ・ケートの声は、非常に美しい。
か細い、リヒター=スタイナーのヴァイオリンも楚々として美しい。
さらに言うと、この「羊飼いの王様」からのアリアのメロディは、
何と、あの「ハフナー・セレナード」の第2楽章のアンダンテの、
魅惑的なメロディと同じなのである。

あのセレナードでは、ヴァイオリン独奏だけでも、
十分、蠱惑的であったが、この30歳のケートの声がまた愛らしく、
もはや、天上の音楽としか言いようがない。

この独唱、2曲目には、「レチタティーヴォとアリア、
『おお、運命の星々よ、
憐れなるデルチューアがおまえたちになにをしたのか/
岸は近いと望んでいた』」という長々しいタイトルのものが歌われている。
デルチューアという恋人がいるのに、
政略結婚を強いられたティマンテの状況を歌ったもの。
歌っているティマンテは男のはずだが、ソプラノのアリア、
という点がややこしい。
歌詞はついていないので、何だかよく分からないが、
ケートの声は、かなり高い声までクリアして、
非常に華やかな熱演となっている。

また、最後の交響曲、たった13分程度の音楽だが、
ちゃんと4楽章形式になっていて、
解説に軽く述べられているように独自の魅力を持っている。
推進力のあるアレグロに始まり、
シンプルなアンダンテも、時折、影を宿して美しく、
爽快なメヌエットに、楽しいフォークダンスのような終曲が続く。
きりりとした感触が爽やかで、
パウムガルトナーも愛おしむように演奏している。
そのせいか、盛大な拍手と歓声が待っている。

このCDは、恐らく、名作である「協奏曲」を目当てに買う人が多いと思うが、
買って来てCDプレーヤーにセットした後、
この日の会場にいる自分を想像できるかどうかで評価が分かれると見た。
あるいは、全曲を聴き通す余裕があるか否かでも評価は分かれよう。

以上、パウムガルトナーについてであった。
素晴らしい音楽家であったことは分かったが、
シューベルトと先祖が関係あったかは不明。
むしろ、自分自身が、マーラーばかりか、
ブルックナーにも会ったという経歴がびっくり。

今回、字数がいっぱいになってしまったが、
まぎらわしい名前の、ルドルフ・バウムガルトナー氏についても、
書いてみたかった。この人は、ヘッツェルの師匠である。

得られた事:「シューベルトに五重奏曲を依頼したパウムガルトナー氏以上に、ベルンハルト・パウムガルトナーは音楽の鬼。どうやら、シューベルトに関する著作もある模様。二人の姻戚関係は不明。」
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by franz310 | 2008-12-07 13:34 | 音楽