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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その442

b0083728_22165366.jpg個人的経験:
フランソワ1世の時代
(在位:1515年-1547年)
の時代に活躍した、
フランスの作曲家では、
日本では比較的有名な
クレマン・ジャヌカン
(1480年頃-1558年)
の他に、あまり知られていないが、
いろいろな本を眺めると、
クローダン・ド・セルミジ
(1490年頃―1562年)
という人が重要らしい。


私は、この人の名前を聴いた記憶がなかったが、
ジャヌカンがそれほど要職にはなかったのに、
フランソワ1世の宮廷礼拝堂の楽長であり、
同時代の作曲家よりは、
優雅で洗練され、ポリフォニーからの脱却が見られ、
イタリアの作曲家にも影響を与えた、
などと書かれると聞いてみたくもなるというものだ。

いろいろ探してみたが、
セルミジの作品が入ったCDは、
結局、ジャヌカン・アンサンブルが、
1981年と、四半世紀も昔に録音したものしか、
入手できなかった。

しかし、セルミジのものは、
以下のように10曲も入っている。

このCDにつけられた、
日本語解説によると、
「フランソワ1世の時代はシャンソンの黄金時代」
とか、
「セルミジは、王室礼拝堂の音楽家としては最高の地位」
にあったとか、
「詩人クレマン・マロの新しい詩の活動に刺激を受け」
とあって、このマロの詩による
新様式で書かれたものが、
4曲収められているとか、
かなりそそられる感じである。

新様式のものは、
最上声部に親しみやすい
ホモフォニックな音楽を付けているという。

岩波現代文庫の
「曲説フランス文学」(渡辺一夫著)
によると、フランソワ1世の周りには、
数多くの才女がいたようで、
「三人のマルグリット」というのが、
当時の文芸の記録を残していたりして有名らしい。

王の娘のマルグリット、
王の孫娘のマルグリットにも増して重要なのが、
ナヴァール公妃、姉のマルグリットらしく、
マロを庇護したなどと書かれている。
マロは中世伝来の詩形に、
新しい趣向をくわえた人としての紹介しかないが、
フランソワ1世の生きた環境を彷彿させる。

Track.2:
「あなたは私を悩ませる」
これは、マロの詩によるものらしいが、
とても、神妙な感じの歌で、
「あなたは手紙もくれないが、
気持ちを変えるくらいなら死んだ方がましだ」
という内容。
リュートが分散和音を補って、
しみじみした情感をかき立てる。
ここでは、つれない女性について嘆いているが、
ナヴァール公妃の肖像画を参考にしてもよかろう。

「エプタメロン」などを執筆した文人で、
「平和女王」とも呼ばれるこの人は、
コレージュ・ド・フランス(高等教育機関)の
設立の支援もしたようで、
さすが、理知的な美女に見える。

Track.3:
「私にはもう愛情はない」
これは、まるで斉唱されているかのような、
平明で静かな音楽だが、
詩は、愛だの恋だのに疲れたという
内容のようだ。

Track.4:
「私にはもう愛情はない」(ル・ロワ編)
上述の曲のリュート版である。

Track.5:
「ラ・ラ・ピエール先生」
これは、ジャヌカン風に活発な、
戯れ歌みたいな感じ。
詩を読むと、酔っ払いの歌である。

Track.7:
「助けて下さい,愛するいとしいひとよ」
これもマロの詩によるもの。
「あなたが来てくれないと死ぬ」、
という情けない詩で、
よわよわしい歌。
「これほどの辛さはあなたにはないでしょう」
と恨み節で、リュートの伴奏が、
うらぶれた感じを出している。
Track.2といい、マロの詩は、
冷たい女性が基本テーマなのだろうか。

Track.12:
「どうしてあなたは」
これもマロの詩による。
「もうあなたには恋人がいらないようですね」
とか、これまた、冷たい女性に対する、
情けないめそめその歌。
確かに、ホモフォニー的に、
しっとりとしたメロディが流れ、
あきらめきれない恋心を、
さらにかき立てるような趣向になっている。
こんな音楽をサロンで披露したら、
確かに寵児となるだろう。

Track.15:
「ああ、悲しいこと」(ミラノ編)
リュート独奏曲。
メロディを支えるポリフォニックな音の交錯が美しい。
セルミジはイタリアの作曲家にも影響を与えた、
とあったが、ミラノはイタリアの作曲家ではないか。

Track.17:
「私はあなたに楽しみをあげましょう」
これもマロの詩による。
これは、旅立ちの歌であろうか。
「私が死ぬときには、あなたの事を思い出します」、
という切々とした嘆き節に、
「あなた以外は愛しません」という、
心に迫る「応答歌」が後半に続く。

まるで、ダウランドの歌曲のような情感、
セルミジの歌では、私は、これが一番、感じ入った。

Track.18:
「きれいな森の金盞花の陰に」
再び、めそめそ調の歌で、
失恋の嘆きに恨み節があけすけである。
ただ、音楽は、高らかに声を上げて、
ほとんど斉唱のように訴えている。

Track.19:
「あなたはわたしがそれで死ぬっていったけど」
は、「嘘つきね」と続く女性の非難の歌で、
かなりジャヌカン風で、猥雑な感じがする。

以上、セルミジは、比較的上品ながら、
すこし弱弱しいジャヌカンという感じがした。

さて、ここに収められた残りの曲はジャヌカンのもの。
このCDには、セルミジだけが入っているわけではなく、
やはり、この団体の名前となり、
得意としたクレマン・ジャヌカンの作品が、
数多く収められているのである。

そもそも、日本で出た時に、
「16世紀パリのシャンソン集」などと、
タイトルを高尚な感じに改めているが、
原題は、最初に収められた曲から、
「パリの物売り声」というもので、
「ジャヌカンとセルミジのシャンソン」が副題なのだ。

このCD、94年にキングレコードが出した時に、
日本語解説を付けたもので、
歌詞が和訳されていてありがたいが、
私は、実は、ここで大きな困惑を味わう事となった。

その困惑は、まったくもって冗談ではなく、
完全にブログ更新が出来なくなるほどであった。

前回、ジャヌカンのシャンソンを、
このジャヌカン・アンサンブルは、
メンバーを変えて、80年代と90年代に、
2回録音しているような事を書いて、
2枚のCDを紹介したが、
どちらにも、ここではメインとなっている
「パリの物売り声」は入っていなかった。

とり急ぎ、まず、これは聴いてしまおう。

Track.1:
「パリの物売り声」
描写シャンソン、標題シャンソンとか、
解説で説明されているが、
基本的に「鳥の歌」などと同様の、
物売り版と言ってよい。

どんなものが食べられていたかがわかる、
とあるが、まさしく、その通りで、
ワイン、ミルクといった飲み物から、
ソラマメやホウレンソウのような野菜や、
桃やオレンジなど果物の他、
お菓子のたぐいも売られていて、
あまり、今の暮らしと変わらない感じがする。

フランソワ1世は、カール5世との戦争では、
よく、焦土作戦をとったが、
今と変わらぬこうした生活が、
そこにはあったのだなあ、などと考えさせられる。

Track.6:
「ある夫が新妻と」
Track.8:
「美しい乳房」
Track.9:
「さあ、ここにおいでよ」
は、我々が想像するジャヌカンに近い、
きわどい歌詞のものだが、
こうしたものが、セルミジに挟まれて歌われると、
いかにも、ジャヌカンがパワフルであるかがわかる。

が、Track.8は、マロの詩によるらしい。
理想は「小さな象牙の玉」だということだ。

Track.10:
「戦争」
が、問題で、これは、90年代に
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)
アントワーヌ・シコ(バス)、
のメンバーで録音しているのに対し、
今回のCDには、80年代の、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
が入ったメンバーで歌われている。

つまり、80年代にジャヌカン・アンサンブルは、
日本でヒットした「鳥の歌」とほぼ同時に、
ジャヌカンのもう一つの有名曲、「戦争」も録音していた、
という、ただ、それだけのこと。

また、ジャヌカン・アンサンブルが取り上げていない、
と書いた、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」も、
こちらのCDには入っていた。
重大な見落としがある状態であった。

しかし、それだけの事、
とも言い切れない事態が発生した。
前回のCDでは、斉藤基史という人が解説していたが、
今回のCDは、音楽史家の今谷和徳氏が解説している。

「戦争」というシャンソンは、
若き王、フランソワ1世の率いる
フランス軍の戦いを描いたものだが、
前に聴いたCDの歌詞対訳には、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
あまりにも物騒な訳が付いていたのに、
今回のものは、そんな言葉が入っておらず、
「敵は壊滅した」とかしか書かれていない。

そして、ひょっとして、
歌われる歌詞まで違うのかと、
いくら、耳を澄ませても、
どちらも同じ歌詞に聞こえ、
「ブルゴーニュ」という言葉は出てこないようなのだ。

斉藤基史という人は、ブルゴーニュ嫌いなのか、
いったい、いかなる根拠で、こんな歌詞が、
日本語対訳になっているのだろうか、
そもそも、ブルゴーニュだって、
フランスではないのか、
と頭を悩ませているうちに、
中世をにぎわした英仏百年戦争やら、
ブルゴーニュ問題やらの本を読み進めると、
わからないことが芋蔓式に出てきた、
という塩梅である。

そもそもブルゴーニュはフランスか、
という問題からして難しい。
佐藤賢一氏の言葉では、
「複雑怪奇な主従関係で結び合わされた
無数の領主の集合体」(「英仏百年戦争」(集英社新書))
なるものが、
中世のフランス王国だったということだ。

このフランソワ1世より400年も昔のこと、
12世紀、フランスの北西に勢力を持っていた
アンジュー伯は、イギリスに植民地を持つ、
ノルマンディー家のマチルドと結婚したことで、
英仏にまたがる領地を得た。

さらにその息子アンリは、
南西フランスに領地を持っていた、
アリエノールと結婚したことで、
巨大帝国を築き、イギリス王ヘンリー2世となった。

つまり、このフランス伝来の英国勢力、
プランタジネット家が、
大陸側への覇権を唱え続けたのが、
百年戦争と言えるようなのだが、
フランソワ1世が出るヴァロワ家とは、
ややこしい因縁の関係にあった。

つまり、ヘンリー2世から5代あとの、
エドワード2世は、ヴァロワ朝の前の、
カペー朝フランスの最後の皇帝の
姉を妻としたりしており、
その息子エドワード3世が宣戦布告、
この家系の分家である
ランカスター家が没落するまで、
何代にもわたって英国王は、
フランスとの戦争を繰り広げたのである。

カペー王朝の男系が途絶えたという事で、
フランスは、王朝が代わる時の転換期であり、
ヴァロワ朝の初代フィリップ6世から、
5代続いて、この挑戦を受けなければならなかった。
王朝の基礎を築くための試練でもあろうか。
緒戦はイギリス優勢であったが、
最終的には、ジャンヌ・ダルクのような例もあって、
フランスは大陸からイギリス勢力(といっても、元はフランス出)
を追い払ったのである。

これによって、フランソワ1世の代には、
南のイタリア方面に野心を燃やすことが出来るようになった。

英仏百年戦争に戻ると、
初めのころ、天下分け目の大戦のような感じで、
クレシーの戦い、ポワティエの戦いとあって、
これらはすべて、
フランス王軍側の徹底的な大敗で終わっている。

ポワティエの戦いでは、
全軍が総崩れする中、
ヴァロワ家二代目のジャン2世が孤軍、
末の息子のフィリップが励まし続けたので、
フィリップは褒美として、
母親が相続していたブルゴーニュ公領を、
彼に譲った。
この瞬間が歴史の転換点である。
(ちなみに、ブルゴーニュには、
侯領と公領があるようだが、
ややこしいので省略する。)

このフィリップ豪胆公は、
さらにフランドルの領主の娘と結婚した事で、
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、
ブルターニュ地方といった、
ドイツとフランスの間に、
第三の王国を築く足がかりを得た。
このブルゴーニュ公国ともいえる勢力は、
四代目のシャルル突進公の代に、
フランスに対抗してその野心最大となった。

この頃、絵画、音楽にフランドル派が出た事から、
このブルターニュ公国に興味を持つ人は多く、
ホイジンガの「中世の秋」のような、
魅力的な読み物が、約100年前に出ている。

日本でも、これを訳した堀越孝一教授などが、
このあたりの歴史を幅広く紹介している。

b0083728_22163342.jpg特に講談社現代新書にある
「ブルゴーニュ家」は、
読みにくさから言って
ぴか一の書物で、
私は、何度も
投げ出そうと思ってやめ、
何とかラインマーカーで
線を引きまくって読み終えた。

この本だけでは、
いくら読んでも、
おそらく、
ブルゴーニュ侯家(公国)の
概略すらわからないだろう。



どうして、ここまで、わけのわからない書物が出来たのか、
と、「中世の秋」を読んでみると、
その理由がよく分かる。
堀越教授は根っからの中世おたくで、
中世人になりきっているものと思われる。
堀越訳で読むと、
「制限ということを知らず、統一を生み出すことがない」
のが中世的なのであった。

教授の書いた「ブルゴーニュ家」は、
4代のブルゴーニュ侯を、時系列に描くことはせず、
下記のように、いろいろな切り口で、
この国だか領国だかで起こった事を、
書き連ねているのである。

1.ガンの祭壇画(主に三代目の話)
2.三すくみのフランス(初代の話)
3.アラスで綱引き(主に三代目の話)
4.おひとよしはネーデルラントの君主(三代目の話)
5.王家と侯家の通貨戦争(主に三代目の話)
6.ブルゴーニュもの、フランスもの(二代~四代目の話)
7.もうひとつのブルゴーニュもの、フランスもの(同上)
8.金羊毛騎士団(主に三代目の話)
9.むこうみずの相続(主に四代目の話)
10.垂髪の女たちのブルゴーニュ侯家(主に四代目の話)
11.ねらいはロタールの王国か(四代目の話)
12.シャルルの帰ってきたとき払い(四代目の話)

ただ、年表や地図が充実しており、
これを見ているだけで楽しい。
(その方が混乱せずにすむ。)

例えば、第3章の最後に、
「ブルゴーニュ侯フィリップ二世は、
さて、いったいだれに対して、
またなにに対して『おひとよし』であったのか。」
と書かれているが、
その答えが、
続く、第4章に書かれているわけではなかったりする。

そもそも、「おひとよし」と、
「善良侯」を訳しているのは、
あなたでしょ、とも言いたくならないか。

また、文中、「アラス」という言葉が頻出して、
拾い読みしていると、何のことかわからずイライラするが、
これは、先の「おひとよし」の三代目が、
1435年に、アラスという街でフランス側と同意して、
イギリスを仲間はずれにしたという点で、
英仏百年戦争を長引かせた三角関係のこじれに、
一応、めどが付いた事を指す。

いずれにせよ、この本、どこの部分を読んでも、
なぜ、こんな事を読まされるのだろうか、
という疑念が付きまとう内容ばかりであるが、
当時の画家、ヤン・ファン・アイクが、
祭壇画に、どうしてこまかく、
いろんな対象物を書き込みすぎたか、
といった問題と同じ事と考えればよさそうだ。

この「ブルゴーニュ家」という本、
面白かったのは、「おわりに」の部分で、
シャルル突進公の最後を、
ドイツの作家、リルケが書いている事を引用する部分で、
私は、この闇雲に、
幻の欧州縦断国家を創設しようとした男の情熱、
そしてその夢の終わりに思いを馳せた。

シャルルは、ハプスブルク家に近づき、
神聖ローマ帝国の皇帝の座すら狙っていた、
などともいわれる。

シャルル公死後、一人娘のマリーもまた、
フランスから逃れるかのように、
神聖ローマ帝国皇帝の息、マクシミリアンと結婚する。
この夫婦の孫が、名君カール5世で、
カールの名は、曾祖父シャルルを受け継いだものらしい。
そして、この「むこうみず」の夢の通り、
カール5世は、日の沈むことなき帝国の主となるのである。

改めて思えば、ホイジンガの「中世の秋」も、
最初は、「ブルゴーニュの世紀」
という内容で書き始められながら、
最終的に中世末期の文化一般を論じる本になったという。
この本とて、百年戦争の概要を掴んでないと、
何だかわからない読み物の集合体
のように感じられるかもしれない。

さて、この中世の秋にも、
このCDで取り上げられた、
ジャヌカンが出て来るのである。
ジャヌカン(1485?-1558)は、
前述のように、フランソワ1世の時代の人なので、
ブルゴーニュの世紀(1356-1477)が、
終わった頃に現れる人なのだが。

ホイジンガの本では、
第14章「美の感覚」に、
このように紹介されている(堀越孝一訳)。
「十六世紀のはじめ、ジョスカン・デ・プレの弟子
ジャヌカンの『作品集』は、
さまざまな狩りの光景、
一五一五年、ミラノ近郊マリニャーノで、
スイス傭兵隊とフランス、
ヴェネチア連合軍とのあいだに戦われた
マリニャーノの戦いの喧騒、
パリのもの売りの声、
「女たちのおしゃべり」、
鳥のさえずりを、音楽に仕立て上げている。
かくのごとく、美概念の分析は、ふじゅうぶんであり、
感動の表現は、表面を流れてしまっている」。

ということで、100年前のホイジンガには、
ジャヌカンの音楽などは、
何か皮相なものとしか聞こえなかったようである。
それにしても、彼は、誰の演奏で聴いたのであろうか。

そもそも、ジョスカンとかジャヌカンとか、
日本では、ここ30年ほどの間に知られるようになった作曲家が、
ほいほい出て来るところに、
驚いてしまった。

これは、シャルル突進公が音楽愛好家であったからで、
やはり、歴史家たるもの、
その頃の音楽を研究せざるを得なかった、
ということであろう。

ここでも書かれているとおり、
「マリニャーノの戦い」で、
ブルゴーニュをやっつけろ、
と言う歌詞が出て来るのは、
どうも自然ではないが、
フランソワ1世の最大の敵が、
カール5世であり、彼が、もともと、
ブルゴーニュ侯国ゆかりの血筋、
ということであるのなら、
ありえない話ではないのかもしれない。

長々と書いたが、
同じキングレコードから出たCDで、
このように異なる対訳が付いていたおかげで、
私の中世への興味がいや増してしまった、
という事である。

なお、このCDの解説には、
セルミジは、「これまでのブルゴーニュ風のシャンソンに代わる
新しい様式のシャンソンを、宮廷の人々のために生み出した」
とあり、あくまで、フランスにあって、
ブルゴーニュは克服すべき何かであったことがわかる。

脱線したが、続きを聴いてしまおう。

Track.11:
「ヴェルノンの粉ひき娘は」
「ティルティルティルどんどんどん」という、
面白い掛け声の挟まれる戯れ歌。
楽しい。

Track.13:
「愛と死と人生は」
これは、セルミジ風に、抑制された歌だが、
「人生は死を望み、死は生きる事を望む」
という、歌詞が興味をそそる。

Track.14:
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
この曲は、ジャヌカンの代表作と呼んでも良いくらい、
おもしろく、楽しい音楽だが、
ジャヌカン・アンサンブルは、
あえて羽目を外すような表現で、
素晴らしい活力を与えたが、
すこし、メロディがわかりにくくなった。

Track.16:
「すてきな押し込み遊び」
楽しくてたまらない、といった感じの、
いかにものジャヌカン。
早口言葉にリズムが弾け、
破裂音の感触もぞくぞくさせるものがある。

得られた事:「ホイジンガの『中世の秋』は、100年ほど前に書かれたが、ここでも、ジャヌカンは取り上げられていた。」
「フランソワ1世の周りには、理知的な才女が多くいて、こうした環境が、マロの詩やセルミジの抑制された恋を歌う音楽の土壌となった。」
「フランス宮廷は、ブルゴーニュ風のものからの脱却を狙った。ブルゴーニュは、少し前まで、フランスとドイツの間で、独特の文化を誇っていた。」
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by franz310 | 2017-01-08 22:20 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440

b0083728_20491859.jpg個人的経験:
黄金時代のスペイン音楽の
サヴァールらのCDに、
エレディア作曲の
「戦いのティエント」
というのがあって、
ミサの時に演奏された、
神と悪の戦いを表した音楽、
と記されていた。
TVもネットもない時代、
教会に集まって来た、
素朴な信者さんたちも、
それが、どんな戦いだったか、
などは共通の興味の
対象だったのだろうか。


それは、教会で、
「異常にドラマティックな
衝撃を与えたことであろう。」
と解説にあったが、これは、
「ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。」
とあった。

今回は、このジャヌカンのCDを聴いて、
このあたりの音楽状況を探ってみたい。
声楽アンサンブル「ア・セイ・ヴォーチ」が、
アンサンブル・ラビリンセスらと
アストレー・レーベルで録音した、
「音楽の果樹園」とでも訳すのだろうか、
アルバムが手元にある。
表紙も「愛の園」というイタリアの絵画。

ジャヌカンは、
今から5世紀も前の人であるが、
まさしく鉄砲伝来の時代の人、
とも、いえることになる。

ここに収められた、
シャンソン「戦争」で、
ぱーんぱーんとやっているのは、
それこそ、鉄砲の音であろうか。
だとすると、私たちは、
種子島の歴史と一緒に、
このジャヌカンの音楽も学ぶべきであった。

鉄砲を持ってきたのはポルトガル人だが、
ジャヌカンは、フランス人で、
大航海時代とは関係がなさそうに見える。

しかし、約100年後のスペイン、
アラゴン派の代表格ともされる
エレディア(1561-1627)
が、参考にしたというのだから、
何らかのルートがピレネーを超えて
つながっていたのであろう。

というか、鉄砲と一緒に、
伝わって行ったのかもしれない。

この鉄砲という代物は、
ちょろっと調べるだけで、
ややこしい問題をはらんでいるようで、
ポルトガル人が持ってきた以前から、
日本にも、いろいろあったのではないか、
という説が散見される。

そもそも、蒙古襲来時に火器に遭遇し、
苦しめられた日本人が、
それ以降、ポルトガル人が持ってくるまで、
こうした武器の知識がなかったとは思えない。
例えば、フィクションとは言え、
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
火器が重要なアイテムとして登場しているが、
あれは、室町時代の設定であった。

また、ヨーロッパで火器が使われだしたのは、
百年戦争(1337-1453)の時代と言われ、
アステカ(1521滅亡)や
インカ帝国を征服(1572)する際は、
こうした兵器が使用されたとされる。
まさしく、ジャヌカンの生涯(1485-1558)は、
こうしたイベントの狭間にあるではないか。

しかし、多くの歴史の本は、
何万の兵が布陣したとか、
誰が加勢したとかは書いてあるが、
どんな武器で戦ったかなどについては、
よく書いていないので、
ひょっとすると、
今回のCDの方が、
情報量が多いかもしれない。

それにしても、こうした書物をめくっても、
どう考えても血なまぐさい時代である。
いかにも、と思いを馳せてしまうような、
猥雑で粗野で、活力ある音楽が演奏されていても、
まったくおかしくはない。

フィリップ・カングレムという人
(トゥールーズ大学の先生)が書いた、
このCDの解説には、
いったいどんな事が書いてあるのだろうか。

「『やかましい騒音を出そうとしても、
女性の醜聞を歌で表そうとしても、
小鳥たちの声を模倣しようとも、
彼が歌うものすべてにおいて、
素晴らしきジャヌカンは不滅、
彼は神がかっている。』
1559年に、詩人、アントイネ・デ・ベイフ
によって書かれた、この一節は、
後に全欧に流布した
この高名なフランスの作曲家、
クレマン・ジャヌカンの
典型的なイメージを、
よく描き出している。」

という書き出しからして、
いかにも、典雅な時代の人、という感じがするが、
すでに述べたように、
フランソワ一世は、戦争大好き王なので、
そんな時代だからこそ、
こうした神がかり的な不滅の芸術の道が、
求められたということかもしれない。

「その生地(シャテルロー)と、
1485年頃という生年以外には、
ジャヌカンの生涯の早い時期については、
一切わからず、
最初期の音楽教育を郷里で受けたと
推察されるのみである。
彼の最初の確かな情報は、
1505年からで、
当時、ボルドーの陪審員の議長で、
1515年からリュソンの司教を務めた、
ランスロ・デュ・フォーに、
ボルドーで務めていた事である。
1523年、司教が亡くなると、
ジャヌカンはボルドー司教、
ジャン・デ・フォアに仕えた。
この間、作曲家は1525年の
聖エミリオンのカノン、
1526年の聖ミシェルのCureを
作曲している。
1529年にデ・フォア司教が亡くなると、
ジャヌカンは僧碌を恐らく失って、
ボルドーを後にしている。
そのころまでに作曲家として、
彼はいくらか名声を得ていた。
前年、パリの楽譜出版者、
ピエール・アテニャンは、
彼のシャンソンを集めて、
一巻の曲集を出版している。
これが、アテニャンから、
定期的に作品が出版されるという、
特別な地位をジャヌカンが得た
時期の始まりであった。
1530年代の初めに、
1531年、オーシュのカテドラルに、
短い期間務めた後、
彼はアンジェに移り、
アンジェの聖堂の合唱学校に、
1534年から1537年まで務めた。
彼は、この街に1549年までいたが、
同年、パリに移った。
ここは、彼が、その前にも、
短期間滞在した事があったようである。」

さらりと書かれているが、
フランソワ一世の治世が終わり、
ジャヌカン自身も60歳を超えている。
が、彼には、まだ10年近くの余命があったようだ。

「彼は、しかし、宮廷には、
宮廷礼拝堂のchantre ordinaire du roiとなった、
1554年まで認められなかった。
最終的にのの死の二、三週間前に、
単に肩書だけであるが、
宮廷作曲家に任じられた。
彼は、1558年1月に、
遺言を認め、そのあと亡くなった。」

60歳を超えて再就職したのみならず、
名誉も手にして、遺言まで残せるとは、
遅咲き作曲家として、
着目すべき存在である。
ヴィヴァルディやモーツァルトなど、
前半飛ばして、後半腰砕けという、
作曲家はかなり多いような気がするが。

「これらのいくつかの伝記の断片からも、
ジャヌカンが、パリから遠く離れた
フランスの地方の教会音楽家だった、
と結論つけることもできるだろう。
しかし、その国際的知名度は、
その宗教音楽ではなく、
世俗曲『シャンソン』への貢献によるものである。
たった2曲のミサ曲と
1曲のモテットが残されているのに対し、
250曲のシャンソンが残されている。
実際、1533年に、
彼の作曲のモテット集が出版されたが、
彼が残した少ない教会音楽で、
この16世紀の教会音楽家としての
役割を追うことはできない。
一般的に、
ジャヌカンとその同時代人の、
クローダン・ド・セルミジが、
1520年代から1530年代に
パリでアテニャンが出版した、
いわゆるパリのシャンソンの
2大模範とされている。
クローダンとジャヌカンの他の作曲家として、
パリの出版者に選ばれたのは、
サンドリン、Certon、Jacotin、Vermontなどがおり、
彼らに名声を与えたのは、
当時、ルーヴァンのPierre Phaleseや、
リヨンのジャック・マドレーヌなどによって
出版されたものではなかった。」

ということで、宗教曲を書いていても、
まるで儲からず、
世俗文化が花開いていた、
ということだろうか。

「パリのシャンソンのテキストは、
概して短く、時として、
クレマン・マロット
(この録音では、
Tetin refaict plus blanc, Mii/66、
Une nonnain fort belle, Miii/113、
Martin menoit son porceau, M ii/61、
Plus ne suys ce que j'ay, Miii/82)や、
Mellin de Saint-Gelais
(Ung jour que madame, Miii/101
(ある日奥方が眠りにつくと))
のように、
宮廷で活躍した詩人によるものだった。
これらのエピグラムの主題の幅は極めて広く、
愛に対する考え(Toutes les nuictz, M iv/130)から、
おかしな情景やみだらな状況さえ扱っている。
クローダンやジャヌカンは、
まさにこの点で比較され、
後者は単純に、無遠慮なものを選んだのに対し、
前者は、おそらくメランコリックなテキストを好んだ。
しかし、私たちが、
「Plus ne suys(同じではない)」、
「Toutes les nuictz(毎晩)」
といったシャンソンを聴くと、
こうした見方は単純化しすぎていると感じる。
クローダンの作品にみられるような、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」のような、
きわどいテキストが含まれるものがある、
という事実にも関わらず、
「Martin menoit son porceau
(マルタンは豚を市場へ連れていった)」のように、
MartinとAlixの冒険を描こうとする時、
ジャヌカンが持っていた才能は明白である。
しかし、このテキストの始まりの詩節は、
私たちに、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
(1532-1589)などを思い出させ、
ジャヌカンは、少なくとも2つの理由で、
多くのシャンソンで非凡な第一人者である。
まず、その曲の長さが
パリのシャンソン作者よりずっと長く、
とりわけ、それらがオノマトポエティック(擬音)
の効果が幅広く用いられている。
『狩り』、『パリの叫び』、そして、
『Le caquet des Femmes』などが、
このカテゴリーに含まれるが、
そのうち、最もよく知られた2曲が、
ここに収められた『戦争』と『鳥の歌』である。
これらの作品は1528年に、
最初に『クレマン・ジャヌカン師によるシャンソン』
として出版されたが、後に何度も版を重ねた。」

期待が高まって来たところで、
ここらで、これらが、いったい、
何を言っているかを確認してみたい。

3大ポイントは、
ポイント1.メランコリックなもの
ポイント2.猥雑なもの
ポイント3.長大で擬音(オノマトペー)を含む
ということであろうが、
このフランス歌曲、シャンソンの元祖とも言える人物が、
特徴としていたもののうち、
300年後のシューベルトが受け継いでいたものが、
あるかもしれない、と思えるのは、
最初のものだけしかないように見える。

猥雑なシューベルト歌曲、
オノマトペーで彩られたシューベルト歌曲、
というのは、すぐには思いつかない。
国家の締め付けみたいなものによるのか、
シューベルティアーデというものの持つ空気なのか、
おそらくは、シューベルトの馬鹿真面目な性格か、
こうした一切合切の時代の要請か。

シューベルト歌曲では見つけにくい、
きわどい内容の歌曲の代表のように書かれた、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」は、
このCDでは冒頭、
Track1.に収められている。

歌詞は、このタイトルから、
予想される「恋の手習い」もので、
かなりいかがわしいものと考えれば良い。

寂しそうにしている彼女に、
2、3度、それを教えてやると・・・、
という内容で、
男声合唱が、鄙びたメロディに乗って、
緩急自在の機知を効かせ、
面白おかしく聴かせる。

Track2.「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」も、
同じような感じだが、内容はさらにやばい。

女声(カトリーヌ・パドー)が入るので、
さらに色彩的となっていて、
破裂音的な効果、早口言葉などが、
縦横無尽に飛び交い、
ロッシーニのオペラなどの効果は、
こんな源泉を持っていたのか、
などと妄想できる。

ただし、こちらのメイドは、
もっとしたたかで、
賢いはずの羊飼いも、
このあばずれを満足させられず、
完全にこけにされて終わる。
上記2曲は、さすがに作詞者名はない。

先に、詩人の名前が出てきたが、
宮廷詩人、クレマン・マロットによる、
Track3.「Plus ne suys ce que j'ay
(もはや、私は同じでいることができない)」
は、一転して感傷的な曲想。

この種のものは、
かろうじて、シューベルト歌曲でも、
受け継がれたものを聴く事が出来そうなものだが、
これがまた、強烈なポリフォニーの綾で、
ほとんど教会音楽にしか聞こえない。

さすがに歌詞は時代がかっていて、
「もう私は前の私ではない。
素晴らしい春と夏は、
窓の外に消えていった。
愛よ、私の支配者よ、
私は、あなたを、どんな神様によりも仕えた。
もう一度、生まれ変わることが出来たなら。
もっと、あなたによりよく仕えようものを。」
という感じ。

愛の擬人化という点で、
かなり古臭い感じがする。

Track4.に、高名な、
「(Le) Chant des oyseaux(鳥の歌)」が来る。
これまでの作品が一分ちょっとの小品だったのに、
この詩は長く、演奏時間5分半。

「鳥の歌」といえば、カザルスが弾いた、
カタロニア民謡が有名で、
ジャヌカンの「鳥の歌」のLPが出た時、
おそらく多くの人が混同したはずだ。

しかし、こちらの歌は、
戯れ歌のたぐいで、
鳥の囀りになぞらえた、
猥雑な愛の冷やかし。

まさしく解説にあるとおり、
オノマトペーで彩られた大曲になっている。

「ティ、ティ、ティ、チャ、チャ、チャ」と
いう歌詞などと共に、
「コキュ、コキュ、コキュ」と、
いかにもという感じで、
この歌の主要テーマが歌われる。

本当に、この時代の人は、
こういうゴシップが好きだったのだなあ、
と思わせるが、
おおらかだったのか、
宮廷とか社交界では、
こんな事しか楽しみがなかったのか。

後世の人は、こんな内容のものに、
必死で、高度な音楽技法を駆使しよう、
などと思わなかったのではないか。

シューベルティアーデで、
これを発表しようとしたら、
明らかに顰蹙を買うであろう。
貴族とか平民とかの境目がなくなる時代では、
下卑ていたら負け、みたいな価値観になるであろう。

こうした内容で、
画期的な音楽作品が出来ていた時代と対比すると、
やはり、シューベルト自身がくそ真面目なのは、
その時代の要請でもあったと考えさせられる。

Track5.「パヴァーヌ、ガイヤルド」は、
笛と太鼓の合奏で、器楽曲。
どすんどすんという太鼓が朴訥で、
笛の響きも素朴この上ない。
ここにパヴァーヌが来る理由は、
後で、解説で詳しく説明される。

Track6.「Ce tendron si doulce
(この娘はとてもかわいい)」も女声が入る。

これは、しっとりとした恋の歌で、
古い時代のロマンスは、こんなものだろう、
と考えさせる典型的なもの。

Track7.「マルタンは豚を市場へ連れていった」
は、すでに解説で話題になっていたが、
アリックスという女と一緒に行ったというもの。
途中の草原で、彼女が罪深いことを持ちかける。
しかし、豚をどうするか。

という内容であるが、
小刻みにまくしたてる歌詞と、
力こぶの入った熱唱が、
事の顛末をくそ真面目に報告する。

Track8.「Suivez tousjours l'amoureuse entreprise
(愛の喜びに続くもの)」は、
器楽の簡単な伴奏も相まって、
物思いにふけるような美しい音楽。

Track9.「Puisque mon cueur」
器楽曲バージョンで、
笛の合奏が、
素晴らしい桃源郷を描き出す。

Track10.「ある日奥方が眠りにつくと」は、
この後、旦那がメイドとジーグ?を踊る、
という、どう考えても、という内容。

メイドは、どっちが上手?と聴くあたり、
いかにもフランス風の展開だが、
面白いぺちゃくちゃ効果が挿入される。

クレマン・マロットの詩によるとあって、
こんなものが宮廷詩人の書いたものか、
と驚きあきれるのも良いだろう。

Track11.「Toutes les nuictz
(毎晩、毎晩)」は、曲想も、
いかにも、静かな夜の音楽である。

歌詞は、何だか切ないもので、
「毎晩、あなたはそばにいるが、
昼間は私一人。
夢の中でだけでしか幸せでない。」
という、平安時代の女流歌人が書きそうな内容。

Track12.「Fy, fy, metez les hors
(そんな甘言には)」は、
偽りの愛に注意を促す警句のようなもの。

Track13.「Tetin refaict plus blanc
(まるまるとした良い乳房)」
は、それをずっと賛美して、
神々しさや陶酔にまで到達しているようだ。
歌っている連中からして、
男たちが輪になって愛でている様子が目に浮かぶ。

これがまた、3分半と長い。
このアルバムでは、
五本の指に入る大曲である。

また、Track14.にまた、
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
が収録されているが、
なんと、2つのリュート版。

ものすごく、
格調の高いポリフォニー曲に変貌しており、
ジャヌカンが卑猥な表面の裏に隠していた、
高い音楽性がさらけ出されている。

Track15.「Si d'ung petit de vostre bien」
は、ネット検索すると、
恐るべき日本語訳が出ているが、
このCD解説書では、
非常にわかりにくく、
「If you are not willing」などと英訳されている。

これは、Track14.とは打って変わって、
その精妙なポリフォニーに惑わされていると、
究極の春歌であることに、
気づかないでいるところであった。

それにしても、最初は、鉄砲と血なまぐさい時代、
という先入観があったが、
かなり割り切った屈託のない時代に思える。

Track16.「(L') Amour, la mort et la vie
(愛と死と生)」というものだが、
笛の伴奏を伴う、聖歌風の曲想。
これらが、私を苦しめる、という、
いかにも古楽という感じの音楽。

諸行無常の感じもあり、
このCDに、戦国の世の歌があるとすれば、
この曲かもしれない。

Track17.「鳥の歌」の変奏曲、
6分にわたるフルート重奏曲。
これも歌詞がなくとも、十分楽しめ、美しい。
スペインで、流行歌が器楽曲になっていったのも、
十分、肯けるが、逆に、歌詞を取り払った事で、
より、堂々と演奏可能になった、
と言い換える事が出来るだろう。

このCD解説では、このような解説がある。

「この曲は有節歌曲のようにも工夫され、
それぞれの詩句では、
異なる鳥を登場させ、
あらゆる効果を用いて、
考えうるあらゆる様々なさえずり、
チチチ、チュンチュン、震え声を模倣する。
第3節のナイチンゲールで、
作曲家の想像力は完全に燃焼している。
しかし、声楽版以上に、
1545年ニコラス・ゴンベールによって作られた、
(ここではリコーダー利用の)三声の編曲では、
まるで、ナイチンゲールに命が吹き込まれたようである。」
とある。

確かに、第一節から細かいパッセージが重なり、
人間技ではないテクスチャーで感興を高めてくれる。

以下、「この版を聴くと、1555年に、
ピエール・ベロンがナイチンゲールに捧げた言葉を、
思い出さずにはいられない。」と書かれ、
「ナイチンゲールは、
『眠ることなく、夜を通して歌い続け・・・』」
とその言葉を長々と引用しているが、
その声の賛美なので、ここでは省略する。

Track18.「Une nonnain fort belle
(美しく健康な尼僧)」も、いかにも、
というタイトルだが、期待を裏切ることはない。

世を捨てた事を後悔する彼女は、
魂の配偶者たるキリスト以外のものを求めている、
と告白する。

シューベルトの「若い尼僧」とは大違い。
音楽も、もちろん、
シューベルトの濃密なドラマはなく、
「こういうことでした」という、
簡潔な報告調で、ストレートである。

以下、器楽曲が二曲続いて、
最後のクライマックスの「戦争」につなげる。

Track19.「J'ay double dueil
(僕には二重の苦しみが)」
は、気品あるリュート二重奏曲。
タイトルのとおり、物憂げである。

Track20.「Tourdion, 'C'est grand plaisir'」は、
活発なフルートの四重奏曲。

Track21.「(La) Guerre, 'La bataille de Marignan'
(戦争、マリニャンの戦い)」は、「鳥の歌」と並ぶ大曲。

この曲は、このCD解説では、
特別に詳しく紹介されている。

「特に『戦争』は、その世紀の終わりまで、
さらに世代を超えて国際的に名声を博した。
『バタリエ』としても知られ、
おそらく、1515年のマリニャーノの戦いで
フランス軍の戦勝記念のものである。」

マリニャーノはミラノの近郊で、
フランス王、フランソワ一世が、
イタリア戦争をした時のもの。
この人は、ハプスブルクと神聖ローマ帝国の冠をかけて、
戦った人でもある。

やはり、歌詞を見てみると、
「フランソワ王に続け」みたいな部分に、
「弓を引け、火縄銃を轟かせ」とあり、
明らかに、鉄砲の描写音楽であることが分かった。

「いずれにせよ、このシャンソンは、
様々な形で模倣され、アレンジされ、
とりわけ、適当なガイヤールと組み合わされて、
『バタリエのパヴァーヌ』と題されて、
振付が施された。」
とあるくらいに、
大ヒットしたようである。

このCD、48分くらいしか収録されていないので、
お馬鹿な歌詞を見て行くと、
あっという間に聞き終わってしまう。

さて、解説を読んでしまおう。

「当時、シャンソンとダンスが、
相互に関係したのは、
偶発的なものばかりではなかった。
それらは、相携えて発展したのである。
15世紀の終わりの三声部のテクスチャーは、
低音部が重要であったが、
やがて四声にシフトしていき、
高音はメロディを担って主要なものになった。
こうした特徴はパリのシャンソンのみならず、
同時期に出版された舞曲にも見られ、
ジャヌカンや同時代の作曲家の、
もっとも有名なメロディから、
インスピレーションを得たものであった。
器楽奏者にはいくつかの役割があったと考えられ、
ダンスでは歌手を伴奏し、その声部を強調したり、
単に、シャンソンの器楽曲版として、
演奏されたりした。
1533年には、出版者らによって、
このことは推し進められた。
ピエール・アタインナンは、
『四声部の歌曲はフルートやリコーダーにふさわしい』
として、2冊の曲集を出版した。」

この部分、この解説を読んでよかった、
と痛感した部分である。

シューベルトの場合も、
歌曲と器楽曲とのクロスオーバーが、
さまざまな見地から論じられるが、
良いメロディがあると、
楽器でも演奏したくなる、
というのは、世の習い、ということか。

が、その一翼を、ダンスが担っていた、
というのは面白い。
また、その陰にいるのが、出版者というのも、
妙に生々しい経済活動として捉えることが出来る。

我々、現代人は、このダンスという習慣を、
まったく失ってしまっているが、
これは、かなり、人間の本質とか文化とかの、
深いレベルで、何か大きな喪失をしている、
などと考えても良いかもしれない。

「こうしたケースでは器楽奏者は、
種々の複雑な装飾をくわえることがあり、
例えば、理論家のフィルバート・ヤンベ・デ・ファー
などは、1556年の『Epitome musical』の中で、
『『戦争』や『鳥の歌』、『le caquet des femmes』など、
他の多くの難しい曲を、8歳の子供でも簡単に表現できる。
発音しなければならない言葉ゆえに、
省略したい多くの部分を省くことが出来ないが、
リュート、スピネット。コルネット、フルート、
ヴィオールなどあなたが選ぶ楽器どれでも、
は多くのパッセージワークを表現できる。』
事実、いくつかのケースでは、
例えば、極端な例として『鳥の歌』のように、
テキストが多すぎることによって、
歌手は省略が許されない。」

得られた事:「鉄砲伝来の時代へは、ジャヌカンで思いを馳せる。まさしく、機械(楽器)の時代に突入する直前の人力(声)のクライマックスのような声楽曲。」
「ジャヌカンの時代以降、シャンソンは、教会音楽のようなポリフォニーの形から、器楽や舞踏とのコラボを経て、主旋律主導型に変容していった。これは、ジャヌカンらのメロディの美しさによるものであった。」
「シャンソンの始祖、ジャヌカンには、三つのカテゴリーの作品が目立ち、メランコリックなもの、猥雑なもの、長大で擬音(オノマトペー)を含むものがあるが、シューベルトの時代になると、重視されなくなったものばかりであった。」
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by franz310 | 2016-08-27 20:51 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その438

b0083728_17153256.jpg個人的経験:
「セルバンテス時代の音楽」
を前回は聴いてみたが、
サヴァールたちは、
ローペ・デ・ベーガ
(1562-1635)
に関するCDも作っている。
私は、岩波文庫で出ている、
このもう一人の
スペイン古典の大文芸家の、
「オルメードの騎士」
という悲恋物語を読んで、
感銘を受けた事がある。


これは、岩波文庫のもので、
「プラテーロとわたし」の翻訳で知られる
長南実氏の訳。
このスペイン文学者の最後の仕事だということだ。

400年も前に書かれた作品ながら、
生き生きとした言葉が弾み、
前半の粋な恋物語から、
どんどん終幕の悲劇に向かっていくのに、
様々な人間模様が絡んで生々しく、
ついつい、引き込まれずにはいられない。

このような作品を書いた、
ローペ・デ・ベーガに関わる音楽となれば、
セルバンテスの時と同じように、
様々な発見をもたらしてくれるはずである。

サヴァールが創設した、
ARIAVOXのCDで、
演奏はエスぺリオンXX、
表紙は、スペイン黄金時代の絵画の巨匠、
素晴らしい明暗の対比で知られる画家、
スルバラン(1598-1664)
の「Las Tentaciones de San Jeronimo」
(聖ジェロニモの誘惑)
の誘惑する音楽奏者の部分が使われている。

竪琴を弾く若い女性の、
目力が印象的で、絵画全体より、
ずっと心に残る意匠に仕上がっている。

ちなみに、このALIAVOXレーベルは、
この絵画が好きなようで、
別CDでも、この絵画の別の部分を使っている。

誘惑される聖人はアントニウスが有名だが、
聖ジェロニモは別の人のようだ。
修道僧の起源のようなアントニウスは、
悪魔や魑魅魍魎に誘惑されたが、
ジェロニモは、セレナーデで誘惑されている。
このCDではわからないが、スルバランは、
聖ジェロニモを痩せこけた老人として描いたので、
まるで、「若さ」の前に屈服する「老い」、
といった絵画にも見える。

そう思わせるほどに、このCD表紙部の乙女は、
りんごのような頬、サクランボのような唇で、
輝かしい自信に満ちている。

このCD、Track1から13までが「Ⅰ」、
Track14から23までが「Ⅱ」となっていて、
前者が1978年の録音、後者が1987年の録音で、
約10年が経過している。
前者には、平尾雅子の名前が見える。

いずれも声楽曲はモンセラート・フィゲーラスが歌っている。
二つの録音を合わせたせいか、
収録時間77分というお買い得盤である。

Track13.はゲレーロの器楽曲で、名残惜しく終わるが、
Track14.は、マテオ・ロメーロ(1575-1647)
の歌曲で、晴れやかなファンファーレで始まる。
が、それも最初だけで、妙に物悲しい音楽となる。

ロマンスで、「サンザシからブドウは」というもので、
「夏の終わりのこと、サンザシからブドウの蔓は滑り落ちた。
かつては、優雅に絡み合っていたものを」と歌いだされる。

Track1.は、このCDのタイトルにふさわしく、
ローペ・デ・ベーガ(1562~1635)
の詩によるロマンスがおかれているが、
作曲家は不明とのこと。

「どんな風に櫂は水を掻くの」とでも訳すのか。
「朝の新鮮なそよ風の中、
水の中をくぐる時、お母さん、
どんな風にオールは水しぶきを上げるの」
という感じ。

かなり、コケティッシュな音楽で、
後半は、聖アエギディウス や聖ヨハネの名が出されるが、
これも、戯れ歌の特徴かもしれない。

こうした音楽が、ローペの劇には、
必要不可欠、といった事が解説では読めるはずだ。

Track2.
バルデラバーノの「Soneto Ⅷ」というビウエラの曲。
サヴァールの初期を支えた名手、
ホプキンソン・スミスの歯切れのよい音色が、
さわやかな風を伝えるような優美な楽曲を奏でる。

Track3.ディエゴ・オルティスの
「Passamezzo modern Ⅲ」というヴィオール曲。
これも、非常に晴朗な楽想で、
ヴィオールというと、どうも悲しげなイメージがあるが、
ここでは、開放的で伸びやかな音楽が味わえる。

Track4.作者不詳のエンサラーダ、
軽妙な音楽で、曲名も「僕の鋭い剣で切る」という。
切るのは「そのおしゃべりな舌」だということで、
いかにも、劇の途中で、さらっと歌われる感じ。

どうやら、メイドが、困った噂話をまき散らした様子。

Track5.カベソンのティエント。
カベソンというと、オルガンの大家のように感じるが、
ここでは、ヴィオール合奏で演奏している。
しかし、細かな音型からして、
オルガン曲がオリジナルなのであろう。

Track6.バスケスのビリャンシーコ、
かつて、ピラール・ローレンガーも歌っていた、
「ポプラの林から」である。
フィゲーラスの声を、ヴィオールやフルートが彩り、
単なるギター伴奏より膨らみを持った音楽になっている。
母親に恋人と会って来た事を報告する歌である。
私には、なぜ、そんな事をいちいち報告するのかわからないが。
どのような劇の、どのような場面で歌われたのだろうか。

Track7.再びバルデラバーノのビウエラ曲。
「Soneto ⅩⅢ」で、いくぶん、内省的なもの。
ビウエラらしい音楽かもしれない。

Track8.モラータのマドリガル。
「彼が語ったその心のそこのところ」という、
ややこしい題名のもので、
物悲しい、悩ましい曲想からして、
失恋の歌であろうか。

「息を殺して私は聞いた。
怒りというか不安というか、
何度も何度も言った。
あなたが好きなの。」

ローペ・デ・ベーガの戯曲の、
生々しい情感には感動したが、
この曲なども、400年の時を超えて、
息苦しくさえ思えるリアリティである。

この曲に続いて、
カベソンのディフェレンシアスが演奏されるが、
前の曲の情感を受けて、神妙である。
この曲などは、解説にもあるので、
そちらを見て行こう。

解説は、RUI VIEIRA NERYという人のもの。
Evora大学の人であるそうだが、
エヴォラはスペイン国境に近い、
ポルトガルの学芸都市だということで、
天正の少年使節も立ち寄ったという
由緒正しい街の大学のようだ。

そのせいで、というわけでもないが、
解説は各言語5ページ、
英独仏伊にカタロニア語合わせると、
かなりの分量である。
CDのケースに入るようなものではなく、
別冊となっている。

「スペインのホワン・デル・エンシーナや
ポルトガルのジル・ヴィセンテのような
16世紀初期の劇に始まる
イベリア半島の豊かな演劇の伝統の
最も特徴的な性格は、
コンテクストに織り込まれた音楽によって
重要な役割が演じられていることである。
17世紀の幕開けまでに、
半島各地の主要都市では劇場での演奏が許されており、
周りに観客用の簡単な座席が設えられた
パティオ(中庭)で、もっぱら演じられた。
神聖劇も世俗のコメディも
通常、4声のtonoと、
Cuatro de empezarと呼ばれるコンティヌオで奏され、
時に、loa(鳴り物)に続いた。
宮殿風ファンファーレ、
軍楽のトランペットと太鼓連打、
雷鳴と豪雨などの、
音楽的な特殊効果は、
合唱、舞踏などとともに、
劇の中に挿入され、
最後には『祝祭の終わり』という、
音楽が演奏された。
さらに、劇の進行に合わせて、
Bailesとかentremesesと呼ばれる間奏曲が、
音楽的にも劇的にも発展した。
当時スペイン最大の劇作家と言われた、
他ならぬ
フェリックス・ローペ・デ・ベーガ(1562-1635)
の台本による『La selva sin amor』が、
マドリッドの王宮の劇場であった、
Coliseo del Buen Retiroで演奏され、
全編が音楽で彩られた劇、オペラは、1627年には、
イベリア半島にもたらされていた。
ローマのバルベリーニ家のサークルに、
ステーファノ・ランディが関わっていた時に、
ローマ教皇大使、ジューリオ・ロスピグリオーシが
オペラの台本を書いていたが、
その影響を受けて、
宮廷の進歩的で国際的な芸術性を
公的にアピールするために、
若い王、フェリペ4世が関わった、
芸術的なイベントであったと考えられる。
現在は失われたが、
その音楽とセットは、
二人のイタリア人、
作曲家のフィリッポ・ピッチニーニと、
ステージデザイナーの
コジモ・ロッティによるもので、
ローペ・デ・ベーガは、
その後の劇の出版の前書きで
この初のオペラの試みに対し、
上演を興奮して称えたが、
すぐには、それに直接つながるものはなく、
30年も待たねばならなかった。」

ということで、フェリペ4世は、
ちょっとお馬鹿な王様として知られるが、
文化、芸術に関しては前向きな人だったとわかる。

ベラスケスは、マルガリータ王女と共に、
この王様を描いたが、スルバランやムリーリョなども、
この時代の人らしい。

「スペイン宮廷は、
2つの新しいオペラの制作を、
(今度はペデロ・カルデロンのテキストによる
La purpora de la rosaとCelos aun del ayre matan)
1660年まで待たねばならなかった。
これらのうち後者の試みは決定的な成功をおさめ、
このときは、フィレンツェやローマの知的なサークルの
いささかエキゾチックで無関係に見える作り物ではなく、
特にイベリア半島の演劇の伝統に深く根ざした音楽で、
スペインでの新ジャンル確立を確かなものにした。
このように、
17世紀のはじめの三分の二を通じ、
スペイン、ポルトガルの演劇は、
イタリア風のオペラのモデル採用ではなく、
語り言葉と、
それに合わせて様々な変化を見せる音楽を融合した
それ自身にふさわしい
長く称賛される伝統を模索した。」

晩年のベラスケスが描いた
マルガリータ王女の肖像画は、
スペインの至宝とされるが、
ベラスケスの没年は、
1660年である。

この頃、スペインのオペラが
産声を上げたと考えれば良いのだろうか。
ローペ・デ・ベーガの生誕100年も近い頃である。

「これらの劇では、
テキストと音楽のコンビネーションは、
通常とは異なるように起こっており、
それぞれの特色ある作品において、
音楽家が受け持つ部分の数にしろ質にしろ、
いくつかの場合、
そこに登場する役者の音楽的才能によって
多かれ少なかれ広がりを持つ。
例えばローペ・デ・ベーガの
半数以上のコメディや演劇は、
特別な歌と関連を持っており、
あるテキストはローペ自身のものであり、
あるものは、彼の時代の流行歌集に拠っている。
また、多くの場合、これらの歌われたものは、
手稿であれ、印刷譜であれ、
当時のイベリア半島の、
特定の音楽に典拠が求められる。」

このように読み進むと、
ふと、あることが思い出される。
岩波文庫にあるローペ・デ・ベーガの
有名な戯曲「オルメードの騎士」もまた、
そういえば、俗謡の歌詞をもとに作られた、
と解説にもあった。

つまり、この時代の演劇と音楽は、
二つで一つというほどの融合芸術だったようだ。

CD解説に戻ると、以下のようにある。
「非常に柔軟性のある音楽構成要素によって、
実際の舞台は特徴づけられたと思われ、
印刷された、公式版の劇作品にある歌の選択、
特別なプロダクションに
どのような歌が採用されるかによって、
広がりのある結果となるため、
我々、近代の音楽的『原典版』の概念とは、
それは、かなり違ったものであった。
ローペの劇に流れ込む
17世紀の世俗歌曲の文献は、
一世紀以上前に起源をもつ、
『Cancionero de Palacio』にある
ポリフォニーの曲集と、
1536年以来の
ミラン、ナルバエス、その他の、
ビウエラ曲集から、
器楽の伴奏を伴う
独唱のビリャンシーコ、ロマンス
の2つの伝統を持つ。
リフレインが頻発するビリャンシーコと、
有節歌曲のロマンセは、古い分類で、
その間、違いが不明瞭となったが、
しかし、ロマンセという言葉は、
今では、リフレインがあってもなくても使われ、
最も変化に富む形式となって、
新しいコンテクストでは、
ほとんどメロディの同義語になっている。
こうしたジャンルの他の名称としては、
tonada、solo、tonillo、chanzoneta、
letra、baile、jacaraがあり、
これらはすべて一声から四声のための
世俗歌曲を呼ぶものにほかならず、
器楽伴奏を伴うものと伴わないものもある。」

以前にも、jacaraとは何だろうか、
と悩んだ事があったが、
ここでは、単に歌曲一般名称の一つみたいに書かれている。
(Track20.に「Jacaras」がある。)

とにかく、こうしたメロディが、
ポリフォニーと対比されて紹介されていることに、
注目しておきたい。
シューベルトの歌曲の源流に、
スペインの音楽があるなど、
ちょっと考えにくいのだが、
そうした流れを想定すべきか否か。
とにかく、解説に戻ると、
これらの歌曲集は、かなり流布した事がわかる。

「この世紀の前半を通じて、
これらのレパートリーは、
数冊の歌曲集としてまとめられ、
現在、さまざまな国で保存されている。
とりわけマドリッド国立図書館に2つ、
スペインのプライヴェート・コレクションに2つ、
リスボンのAjuda Palaceのライブラリーのもの、
トリノの国立図書館、ローマのCasanatense図書館、
ミュンヘンのバイエルン州立図書館のものなど。
後者は、スペイン王立礼拝堂の筆写者、
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラの編纂による。
これらの手稿に、さらに、印刷されたものが加わる。
スペインの教皇庁大使パストラーナ公の
お抱え音楽家、フアン・アラーネスによる、
1624年ローマ出版の
『Libro Segundo de tonos y villancicos』がある。
それでも、サブロナーラのコレクションこそ、
ローペ・デ・ベーガの劇に直接関係する、
最も多くの歌が収められたものなのである。」

王室対大使であれば、
王室の方が本格的になるのは当然かもしれない。

サブロナーラの名前は、
本人の素性はともかく、
「サブロナーラの歌曲集」などが、
検索でヒットする。

一方、大使お抱えの音楽家とされたアラーネスは、
「チャコーナ」の作曲家だと思っていたが、
ひょっとすると、単なる編纂者なのだろうか。

「このコレクションの中で、
特に重要な位置を占めるのが、
アラゴンの作曲家、
フアン・ブラス・デ・カストロ(1631年没)
のもので、
彼は、ローペの友人であり、
ローペは『二重に神がかりの音楽家』と彼を呼び、
彼ら二人はアルバ公の宮廷で、
ほぼ同時期に奉職していた。」

このカストロの名前は、
CD収録曲目録後半、
Track16.と22.に見える。

Track16.ロマンス「二つの緑のポプラを編んで」。
神がかりとあるせいか、
まるで、後光が差したかのような、
精妙な和声の中でフィゲーラスの声が冴える。

「頭上にアーチをかけ、
そこの鳥たちを起こさないように。
タホ川が静かに波を打つ。
愛の抱擁のように、
木と木はつながっていたが、
妬んだ川は、その枝と枝を引き離した。」

かなり、昔語り的な、状況も鮮やかな内容。
まさしく、その通りの曲想で驚く。
それにしても、スペインの歌曲には、
やたらとポプラが出てくるようだ。

Track22.ロマンス「魂の幽閉場所から」。
これは、このCDの最後から二番目の曲で、
かなり、名残惜しい情感のもの。
「千のたくらみの罠にかけられ、
聡明さは眠り、理性の声が上がる」

しかし、途中からコルネットや太鼓も登場して、
かなり迫力のある中間部の盛り上がりを見せる。
「目覚めよ、戦いの呼び出しに結集」

最後は、再び、ふにゃふにゃとなり、
Balardoの意志は潰えた様子。

ローペには、「狂えるベラルド」
という劇があるそうだが、
それと関係があるのだろうか。

「ローペ・デ・ベーガは同時に、
その礼拝用の詩集、Rimas Sacrasで、
宗教的な主題を幅広く手掛け、
印象的なSi tus penas no pruevo, Jesus mio
(神と語る愛の独白)などが含まれる。
重要なことは、この詩は、
16世紀の最後の三分の一世紀の、
ポリフォニーの宗教曲の作曲家で、
最も、劇的で熱烈な
フランシスコ・ゲレーロ(1599没)に取り上げられ、
ヴェネチアで1589年に出版された、
彼の曲集『Canciones y Villasescas espirituales』
における、最も感動的な曲の歌詞となっている。」

最も感動的とあるように、
このCDでは、最後に収められている。
9分近い大曲で、
Track23.「優しいイエスよ、あなたの裁きには無力です」。

私はゲレーロを、もっぱらポリフォニー合唱曲を書いた人、
と考えていたが、ここでは、切々と朗唱するような音楽が聴ける。
伴奏も、ぶーんとヴィオールがうなっているだけ。

とても、訴える力の強い音楽で、
「わが愛、あなたなしの人生など、無いようなもの。」
といった内容が訴えられる。
途中で、お祈りのように、語る部分もあって、
まさしく、神様の前では何でもあり、
という感じがしないでもない。

ゲレーロの作品は、ここではほかにも2曲あって、
Track13.「Glosas soble Hermosa Catalina」
(「麗しきカタリーナ」によるグロッサ)という器楽曲。
これは、すでに紹介したように、
名残惜しい感じの曲だが、
ここで、ふと思い出した。

何だか、マルガリータ王女が嫁いだ、
レオポルド1世なども書きそうな音楽である。

Track10.「En tanto que de rosa」
(薔薇と百合はまだ染めず)があるが、
これは、フィゲーラスの歌でガンバ四重奏伴奏。
平尾雅子の名前が見えるのがうれしい。
が、主役はあくまでフィゲーラス。
息遣いも、臨場感たっぷりである。

高揚した初々しい音楽で、
「薔薇と百合の花の色は君の顔を染めないけれど、
君の激しくまっすぐなまなざしは輝き、
もう、心をつかむ。」
極めて、ダイレクトに心の高ぶりを描く。

神妙な宗教曲の作曲家と思っていたゲレーロであるが、
こんな熱っぽい世俗曲を書いていたのかと、
妙に感動した。

さて、このように、いよいよ解説は、
収録曲の説明の部分に入っていく。

「今回の録音に含まれるほかの多くの声楽作品から、
明らかに異なるスタイルながら、
ローペの当時の音楽との関わりの幅広さを、
もっとも普遍的に表したものである。
もちろん、私たちは、
対位法の曲集に収められた
この磨き上げられたバージョンが、
ローペ・デ・ベーガの時代に、
実際に劇場で演奏されたと言えるわけではない。
最も考えられるのは、
メインのメロディは即興の器楽伴奏で、
俳優によって歌われたことで、
このアンサンブルは時として、
16世紀中葉からのイベリア半島の音楽理論として
語られ、例示された、Contrapunto concertado
の原理によって、
よく確立された様式で演奏された事である。
これは、時に、単に一本のギターや、
ハープシコードやハープなど、
その他の和声楽器のみで伴奏される。」

「contrapunto concertado」は、
対位法的な伴奏なのだろうか。

「対位法的に作曲されたものでも、
特別な解決策が求められ、
演奏における基本である装飾や変奏のみならず、
ディエゴ・オルティス(1553)、
ジュアン・ベルミュード(1555)、
トマス・デ・サンタ・マリア(1565)などの
理論家によって紹介された原則などを考慮して
器楽の利用法に関しては、
現在、様々な復元の可能性が残されている。
ローペの演劇の中で用いられた音楽の多くの出典は、
しかし、入手可能な楽譜などから特定可能なものではなく、
『ここで、皆はギターに合わせ歌う』や、
『ここで彼らは歌い踊る』、
単なる『ここで音楽が聞こえる』
といった一般的な指示しかない。
彼の舞台の音楽環境を再構成する際、
様々な選択肢があるということで、
それは特に器楽曲に言える。
声楽曲の曲集の器楽バージョンを除いても、
イベリア半島には、
様々な楽器用の独奏曲のレパートリーがある。
オルティスのヴィオール用の『リチェルカーダ』(1553)や、
1530年代半ばから始まった、
ビウエラや鍵盤楽器の出版楽譜の膨大な一群が、
この用途用に適したものとなっている。
今回のアルバムでは、
これらの器楽のレパートリーから、
様々な領域を代表する作品を集めた。
彼の革新的な『Trattado de glosas』
(『ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の装飾論ならびに変奏論 』)
の中で、
オルティスは、当時流行した
オスティナート・バスラインに従って、
様々な技巧的変奏をものした。
それらの中から、『Passamezzo moderno』、
『Romanesca』をここでは録音した。」

これらは、Track11とTrack3に、
かなり離れて配置されている。

オルティスのパッサメッツォとロマネスカは、
共に、わかりやすいメロディのヴィオール曲。
後者は、情熱的な歌の後、
ちょっとした息抜きのように置かれている。

「豊富なスペイン16世紀の
ビウエラのレパートリーからは、
器楽の対位法の洗練された伝統を代表して、
エンリケ・デ・ファルデラバーノの
1547年に印刷された曲集から、
2つのソネットを選んだ。
これはヨーロッパの撥弦楽器の
作品発展の先駆をなすもの。」

これは、Track2.とTrack7.で、
すでに聴いたものである。

途中、カベソンなどの解説があるが、
紙数が尽きたので、省略した。

解説は以下のように結ばれる。

「ローペ・デ・ベーガの傑作戯曲は、
純粋な文学作品、劇作品としてだけでは理解できず、
オリジナルでは、語られる独白と、
ステージで演じられる音楽との間で、
常時行われる相互作用を意識しなければならない。
しかし、ローペの劇場で演じられた
オリジナルのパフォーマンスでの即座の連携を超えて、
16世紀、17世紀のイベリア半島全体の、
統合できない文化的、精神世界のビジョンの
基本的要素を規定し、
当時、その場所の音楽の深い解釈についても、
同様の事が言える。
このレパートリーにおける称賛された
古典的な録音の編纂によって、
モンセラート・フィゲーラスと
ジョルジュ・サヴァールは、
魅惑的なスペインのSiglo de Oroの遺産によって、
劇場の音楽的側面と音楽の劇場的側面を同時に照らしだした。」

ローペ・デ・ベーガの作品には、
「日本諸王国における信仰の勝利」などという、
キリシタン受難関係のものもあるという。
もっと、日本で知られる必要がある。

得られた事:
「ローペ・デ・ベーガは、スペイン黄金時代の大戯曲作者であるが、ちょうど鎖国前の日本の知識もあり、無視できない存在である。」
「ポリフォニーと対比されるメロディは、リフレインが頻発するビリャンシーコや、有節歌曲のロマンセなど、この時代にやたら発展したが、それは、演劇の時に俳優によって歌われて普及した。」
「ゲレーロは、マリアの作曲家などとされ、宗教曲の作曲家かと思っていたが、とても初々しいソネットなどで、歌曲作曲家としても無視できない。」
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by franz310 | 2016-06-26 17:18 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その437

b0083728_2310076.jpg個人的経験:
サヴァールが、
独エレクトローラに録音した、
「セルバンテスの時代の音楽」を
聴き進んだが解説が面白く、
しかも参考になった。
スペインは、
「たまに大天才を生む国」
などと言われるが、
逆に言うと、大天才以外は、
日本ではなかなか調べる事が困難だ。
そこで、仕方なく、図書館で、
このあたりの本を探してみた。


前回、かなり書き飛ばしたが、
ドイツ製CDの解説にあった、
「この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた」とか、
「ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」
という一節などは、
ちょっと気になっていた部分。

牛島信明著「スペイン古典文学史」(名古屋大学出版会)
によると以下のようになる。

テレサ・デ・ヘススは、日本では、
「イエズス会の聖テレジア」と呼ばれる、
とあるが、この人は、
「スペイン神秘主義文学の代表」であるとともに、
カトリック強化のために、
各地行脚で32の教会を建てた
「女傑」とされている。

また、デ・ラ・クルスは、
テレサ・デ・ヘススの弟子で、
日本では「十字架の聖ヨハネ」と呼ばれる、
「神秘主義者のなかの最高の詩人」だとある。

この人も、修道会改革運動に奔走して、
牢獄内で、非常に官能的な表現で、
詩人の魂と神の合一の神秘を著わした。

「文学史」によると、
実践活動と没我的瞑想こそが、
スペイン神秘主義の特異性であり、
スペイン精神の象徴だ、とのこと。

ゲーテの「ファウスト」の終幕合唱で現れる、
法悦の博士のようなものであろうか。

こんな実践と没我のやばい連中が、
当時の日本に来たら、
キリシタン禁制になること請け合いである。

先にあげた「文学史」の第9章が、まるまる、
「神秘主義文学」に充てられている。

また、私がゴゴラと書いたのは、ゴンゴラであった。
上記「文学史」では、第13章がまるまる充てられている。
セルバンテスが「最高の賛辞」を贈った詩人で、
「スペイン・バロック期最大の詩人」と紹介されている。

しかし、その詩風は難解で、ロルカらが1920年代に
復権を企むまでは、「誇飾主義」、「ゴンゴリスモ」などとされ、
紹介される詩でも、14行のものが、3ページの解説なしには、
意味不明なほど、隠喩で埋め尽くされている。

語順を変更、借景、隠喩などの駆使が、
その詩の特徴とあるが、
17世紀の常識がなければ、
手に負えるものとは思えない。
スペイン語でしか歌詞がないCDなど、
スペイン人でもわからないであろうから、
日本人が正しく鑑賞するのは、
恐ろしく困難であることが理解できよう。

ということで、
下記に私が、スペイン語の部分を、
何とか機械検索した部分は、
まるであてにならない、
と考えてよさそうだ。

ゴンゴリズムは、
「宇宙としての自然は、無限の迷宮である」、
という思想に裏付けられた、
知覚の過程そのものを目的とする高踏的な芸術、
ということらしく、
どうやら、こんなところで、
腰掛程度で語れるものではなさそうだ。

あと、私が、「クウェベド」だと思っていたのは、
ゴンゴラに続いて、上記「文学史」では、
第14章で、「ケベード」として現れる。

ド近眼でがに股でありながら、
剣の達人で最高の恋愛詩人とされ、
めちゃくちゃ破天荒なイメージの存在である。

ゴンゴラが現実から逃避したのに対し、
ケベードは、17世紀初頭の
スペインの衰退を憂えた憂国の士であるとされる。

国粋主義者にして、迷信深く、敵を作り、
「破廉恥博士、悪徳教授」と酷評されながら、
政治的策動に明け暮れ、翻弄されて死んだ。

ロペ・デ・ベーガは、
岩波文庫でも読めるので、
比較的知られており、
この人の作品にちなんだCDもある。

改めて「文学史」を読むと、
人妻であった女優との恋、
貴族の娘との蓄電、
別の女優との内縁関係、
金銭目当ての結婚、
三十歳近く年下の商人の妻とのスキャンダルなど、
「すさまじい生き方」ばかりが脳裏に残る。

しかし、そのすさまじさが、
創作の方面でも現れていることが重要だ。

千八百ものコメディアを書き、
現在でも五百篇が残るという超人的作家で、
「ロペのようだ」というのは、
「素晴らしい」と
同義語になるほどの時代の寵児だったという。

しかし、今回の主人公は、
セルバンテスである。

同じ、牛島信明著で、
岩波文庫の「セルバンテス短編集」を、
改めて手にしてみると、
サヴァールがわざわざ特筆したくなる理由がよく解った。
ここには、音楽愛好家なら、
是非とも聴いてみたくなるような、
音楽の話が、確かに沢山出てくるのである。

それにしても、岩波書店も、
これを文庫化してくれたものだ。
もちろん、作品は面白いし、
当時のスペインを研究するにも重要な資料だと思うが、
どんな読者をイメージしたのだろうか。

収められた4編の最初に収められた、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」は、
音楽の持つ、有無を言わさぬ力が主題であるし、
最後に収められた「麗しき皿洗い娘」では、
この「皿洗い娘」の働く旅籠の前で、
彼女の気を引く、小夜曲やロマンセが歌われる。

まさしく音楽愛好家必読の書であるが、
そんな読者層が、私とサヴァール以外に
いるのかどうかわからない。

この「皿洗い娘」は、結局、主人公ではないのだが、
とても可憐なイメージが初々しく、
この物語の詩的な雰囲気を
象徴的に表す存在であるとも言える。

旅籠の客たちが、踊りの会を開き、
主人公の一人がみごとなギターと歌を聴かせる。
「今はやりの陽気なサラバンダでも、
いささか卑猥なチャコーナでも、
ポルトガル渡来のフォーリアでも何でも、
好き勝手な踊りの曲を弾くがいいさ。」(牛島信明編訳)

目の前に光景が浮かび上がるようなシーンで、
とても、17世紀初頭のものとは思えない。

そして、驚くべき事に、
ここで、歌い始められるのが、
まさしく、私が気になっていた、
「チャコーナ」のようなのである。

「それじゃお入りみんなして
小粋な妖精も若い衆も
チャコーナ踊りは海より広い踊りだから」
などと、べたで紹介するかのように歌われている。

実は、サヴァールのCD
「セルバンテス時代の歌と踊り」の最後、
Track23.もまた、
アラネス作曲の「チャコーナ」。

これは、曲目解説には、
「このダンスを起源として、
様々な異なるセオリーが提供されているが、
オリジナルはアメリカ由来のものと、
明らかに早くから言われており、
セルバンテスは、『混血様式のインディアンの踊り』
と呼んでいて、
(作家の)ケベードも、
『混血様式のチャコーナ』と呼んでいる。
セルバンテスの『麗しの皿洗い娘』では、
もっとも興味深い記述を見ることが出来る。」
とある。

そして、何と、先の小説に出て来た、
「それじゃお入りみんなして」の歌詞が、
CDにも掲載されていた。

小説では、
「チャコーナ踊りでこの世は楽し、
アメリカ生まれで混血の
魅惑的な美女たるこの踊り」
と書かれているが、
このCDでも、
カスタネットのリズム刻みも鮮やかに、
若い頃のモンセラート・フィゲーラスの声が
扇情的にまくしたてられている。

いかにも、
「だいそれた冒瀆行為を
犯したとの噂はかくれもない」
という風情である。

なお、フィゲーラスは先年亡くなったが、
1942年生まれなので、
77年の録音であれば、35歳の声である。

CDの曲目解説にはさらに、
「ダンスも歌もあって、
道徳家をからかったこの曲は人気を博した。
この曲はなんとかその人気を維持し、
17世紀を通じて成功を収め続けた。
この時期、シャコンヌとして全欧に広がったが、
その過程で明らかにオリジナルの活力を失って、
フォリアやサラバンド同様、
ずっと荘重で儀式的なものとなって行った。
アラネスのチャコーナは、
コンティヌオを伴う四声のもので、
1624年に出版されている。」

私は、スペイン出身のマルガリータ王女が、
遠いヴィーンで聴きたくなったのは、
このような曲ではなかったか、
などと考えたりもしたが、
王女の生まれた年より早い出版であれば、
輿入れしてから欲しがったりしないかも、
などと考え直したりもしている。

が、スペイン由来の躍動感あふれる舞曲が、
ピレネーを超えると活力を失う事も知った。
王女が早世したのも理由があるということだ。

ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、
この王女を偲んだものとされるが、
この曲なども、完全に儀式的で荘重なものになっていて、
王女が喜んだとは思えないではないか。


さて、もとに戻って、
このCD解説でサヴァールが書いた部分を読んでしまおう。
まず、以下のように「ドン・キホーテ」に関する部分。

「多くの彼の作品の主人公は音楽家であり、
何らかの形で音楽に結びついている。
サンチョ・パンサが侯爵夫人に取り入る時の
有名なせりふを引用してみよう。
『マダム、音楽あるところに、
悪魔は入りこめません。』
ドン・キホーテは、
『サンチョ、わしは、お前に、
昔の遍歴の騎士たるものはなべて、
偉大な詩人であり、偉大な音楽家だったと
教えてやりたいのじゃ』と言い、
アルティシドーラは、
『ドン・キホーテが何か悪い事を思いつかないよう、
何とか音楽でも演奏するように、
リュートを置いておかないといけないわ』と言う。
ドン・キホーテは音楽家であって、
おそらく、即興演奏の能力も持っていた、
と考えることが出来る。
セルバンテスの多様なスタイル同様、
その語彙の音楽的な点も、
重要ポイントとして強調すべきであろう。
例えば、ドン・キホーテは、
『彼の意見で言えば、最も壮麗でメロディアスな名前』
であるロシナンテという名で、
愛馬を呼んでいるし、
彼の思い姫は、『音楽的で奇跡的な名前』、
ドゥルネシア・デル・トボーソと呼ばれている。」

この準主役たちの名前は、
日本でも有名かもしれないが、
音楽的な名前だと考えながら読んではいなかった。

「セルバンテスは、彼の全作品を通じて、
その深い音楽への造詣と、
とりわけ、彼の共感豊かな音楽理解の証拠を示しているが、
それは、人間の声が彼に恍惚と
影響を及ぼしていることからも明らかである。
私たちはしばしば、
それが、『魅惑的な歌』のように響くことを感じる。
時折、『あなたを驚嘆で満たし、
最後まで聴き通すしかなくなるような
かくも素晴らしく愛らしいハーモニーで歌う声』を感じる。
最も優れた例は、彼が晩年に創造したキャラクター、
歌手であるフェリシアーナ・デ・ラ・ボツで、
それは、彼女が世界最高の声を持っていたからで、
彼女の声と歌に身を委ねた
全聴衆を驚嘆させたからであった。」

さて、サヴァールの筆致も冴えてくる。
CD解説の以下の楽器の羅列は、
通常のオーケストラ音楽の多様性を超えており、
半分くらいが、すぐにどんなものか分からず、
五分の一は、楽器名も初耳であった。

「さらに言うと、最も興味深いのは、
楽器やその組み合わせに対する
セルバンテスの記述である。
そこには、弦楽器、鍵盤楽器が記載され、
レベック、ギター、ビウエラ、リュート、
ハープシコード、プサルテリー、オルガン、
管楽器では、フルート、ピファノ、ショーム、
ホイッスル、パンパイプ、ガイタ・ザモラーナ、
トランペット、ハンティング・ホルン、
トロンボーン、ビューグル、
トロンペタ・バスターダ、ホルン、
打楽器では、タンブリン、ドラム、
パンデロ、ジングル、太鼓、カスタネット、
カウ・ベル、ラチェットなどなど。」

また、以下の記述は、
「ドン・キホーテ」で知られる
世界文学の巨匠が生きた時代が、
波乱万丈の激動の時代であったのみならず、
音楽の面でも、極めて多様な土壌を持っていた事を
教えてくれる。

「セルバンテスの記載した音楽作品も、
その時代の音楽趣向のために、
多くの情報を与えてくれる。
彼が言及した数多くのロマンセ、
『del Conde de Montalban』
(これはTrack6にある)
有名なロンセスバリェスの戦いを描いた
『Don Beltran』(これはTrack7に収録)
ムーア人のロマンス、
『Abindarraez y Jerifa』 (Track2)
などは、この録音にも含めた。
後者のタイプの歌は、
非常に流行したが、
ムーア人の反乱を防ぐために禁じられた。」

ムーア人の郷愁をかき立てるものや、
やばいリズムでまくしたてる音楽には、
悪魔が住むのであろうか、
禁じられる事のあったのだろう。

しかし、現代の生活では、歌で嘆く習慣、
踊りを踊る習慣など、ほとんどなくなったが、
当時は、重要な人間としての生物活動だったのだなあ、
などと考えてしまった。

「セルバンテスが取り上げた
ビリャンシーコや歌曲、
『Madre, la mi madre』(Track15)
『Tres anades, madare』(Track12)
などはここでも歌われている」とあるから、
このあたりから聴くのを再開しよう。

前回、Track10まで聞いてきたから、
Track11から15の、
「愛のビリャンシーコ」と題されてまとめられた部分。

Track11.
バスケスの「Quien amores tiene」
「メロディックな断章をソプラノで変奏する
オスティナート歌曲様式の4部からなる作品。」
縦横に動く伴奏が面白く、
健康的で開放的な歌唱である。

Track12.
セルバンテスが取り上げたという
アンチエータ作曲の「Dos anades, madre」。
解説に「Tres anades, madare」(お母さん、3羽の鴨)
とあったのは、歌詞の冒頭である。
「彼の『Tesoro de la lengua』(言語の宝)で、
セルバンテスは、スペイン人がこの歌を歌うのは、
彼の肩に重荷を背負う事なく、
楽しく人生をやり過ごしたい時だ、
と説明している。
よく知られた以下の古謡に関する。」

「Tres anades, madre
pasan por aqui
mal penan a mi」とある。
なんの事やらさっぱりわからない。

が、次に親切な解説が来る。
「セルバンテスは、同様の意図で、
この歌を、『麗しき皿洗い娘』で使っており、
カリアーソがサーラからバリャドリーに、
いかに旅したかを表すのに、
道すがら、この歌を歌っている。」

これを頼りに、岩波文庫を取り上げると、
「気軽に鼻歌を歌いながら旅を続けて」とあって、
完全にこの歌の手がかりは消えてしまった。

スペイン文学の第一人者の訳ですら、
そうなっているのだから、
匙を投げてもよかろう。

これは、鈴の音を伴う、リズミカルな伴奏が面白く、
ギターとガンバの音色も渋い。
歌は、取り澄ました感じのものだが、
気楽に人生を過ごす心情であろうか。

アンチエータといえば、
ベルガンサが、ラビーリャの伴奏で、
「母さま、私は恋を抱いて」を歌っているが、
音楽は同じような気がする。

Track13.
「Al rebuelo de una garca」
これは上記題名のビリャンシーコの器楽バージョンで、
Venegas de Henestrozaの1557年の曲集にあるようだ。

いかにも、いにしえの歌、という風情の、
ガンバの合奏がしみじみとした感情をかき立てる。
とても美しいもの。

Track14.
オルテガの「Pues que me tienes, Miguel」。
(あなたには私がいます、ミゲル、)

「伝統的なメロディによる
カスティーリャの愛の歌の好例で、
対位法的、ホモフォニー的に作曲され、
ルネサンス期の宮廷の好みを示す。」

ちょこまかと早口で動いたり、
しっとり聞かせたり、変化の多い曲想。
小粋な若妻の歌であろうか。

Track15.「Madre, la mi madre」。
(お母さん、私のお母さん)
「これはセルバンテスの喜劇、
「エントレテニーダ」でトレンテが言及するもの。
この有名な歌は、
Pedro Rimonteが1614年に作曲したもので、
伝統的なメロディの2部のリフレインを持つ。」

これは、抑揚のあるメロディと、
ぽつりぽつりと朗唱風の部分が交錯するもの。
いかにも、口上を述べるようで、
スペイン的なからっとした、
「mas si yo no me guardo」のリフレインが繰り返される。

Track16以下は、
「歌と鐘のダンス」とあるが、
手拍子やカスタネットを含む様々な打楽器を伴う、
激しいリズムの曲が8曲並ぶ。
これらは、フォリア、バイレ、ヤカラス、
チャコーナなどと題されており、
以下の解説が役に立つ。

「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。
『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。
多くの『villano』(カントリー・ダンス)の
様々な変形もまた、
セルバンテスの作品から考えるに、
宮廷で洗練された。
『フォリア』(言うなれば狂騒舞曲)は、
『ザラバンダ』、『セグイディーリャ』、
『チャコーナ』などと同様、
当時、非常に荒々しい踊りであったが、
(セグイディーリャはすぐに忘れられたが、)
17世紀を通じて、
ほとんど全欧で流行した時には、
よりゆっくりと穏やかなものとなっていた。」

ということで、
私が前に、ヌリア・リアルが歌ったCDで聴いて、
スペイン風だと喜んだのは、
すべて、こうした舞曲の類だと分かった。

おそらく、その中には、
宮中では聴く事が禁じられ、
民衆のみが楽しんでいたものもあろう。
そうしたものを姫が、
何かの機会に耳にした事もあろう。

むしろ、そうした粗野なものにこそ、
大きな誘惑が隠れているであろうし、
異郷の地で、思い出さずには、
いられないものになった可能性もあろう。

夜な夜な、窓の下で、
甘いセレナードを奏でられた「皿洗い娘」に、
マルガリータ王女の姿が重なる。

Track16.
オルティスの「フォリア8番」。
「ディエゴ・オルティスが1553年の曲集には、
オスティナート・バス上の変奏の例がいくつかあるが、
このリチェルカーダは、有名なフォリアによるもの。
チャコーナやサラバンデを除くと、
セルバンテスの時代、
フォリアは最もよく知られ、
ポピュラーなダンス形式であった。」

オルティスのこの曲集は、サヴァールは、
別に、コープマンらと再録音を残している。

フォリアとは思えぬ、
風格のある印象深いガンバ曲で、
ガンバ奏者であるサヴァールにとって、
特別な作曲家であるのかもしれない。

Track17.
マテオ・フレッチャの「La Gerigonza」。
彼のエンサラーダに含まれる有名な曲で、
赤ちゃんのガラガラ遊具を模して、
手拍子や指鳴らしを含む楽しいもの。
有名すぎて、スペイン各地から楽譜が見つかるらしい。

リアルのCD(グロッサ)にも入っていた。
ヌリア・リアルのものは、
オカリナだかリコーダだか鄙びた笛や、
まさしくガラガラのようなものが入っていて、
軽快に鮮やかに二重唱で歌われているが、
サヴァール盤は、よりモノトーンで、
フィゲーラスの独唱を手拍子と、
ギター、ガンバなどが支えている。

歌詞を見ると、「悪魔のもとへ」
「ペテン師」などの単語。
ちなみに「がらがら」は魔除けである。

Track18.
マーティン・イ・コルの「El Villano(農民ダンス)」。
17世紀風の即興を交えて演奏される、
1708年の曲集より。
セルバンテス時代にあった確証はないようだが、
考察の上、ここに収録された。

ここで笛やヴァイオリンが登場。
太鼓も聞こえて楽しい踊りである。

Track19.「セギディーリャ、De tu vista celoso」
(嫉妬深いあなたの眼)
この曲種はセルバンテス時代に先端であったが、
すぐにすたれたものらしい。
作者不詳のもので、1600年頃の曲集より。
ドン・キホーテで、セギディーリャは言及されているらしい。

ここでも、フィゲーラスが、
一心不乱に歌っているが、
激しいアタックを伴う伴奏が煽り立て、
題名にふさわしく劇的な情景なのであろう、
気の毒なほど、声をふり絞っている。

Track20.
アントニオ・デ・サンタ・クルーズの「ヤカラス」。
物憂いまとわりつくようなメロディを、
一人、ギターが弾奏し、
カスタネットも鮮やかな、
いかにもスペインのお国もので、
ステレオ効果が面白い。

解説も興味深く、
「こそ泥や悪党がはびこる『裏社会』から、
おそらく出てきたものと思われ、
当時、いわゆるピカレスク小説が表現したような、
特にアンダルシアなど、
スペインにおけるある種の流れ者の社会集団のもの」
などと差別用語を列挙してある。

Track21.マテオ・ロメオ「フォリア」。
歌がついていて、
「A la dulce risa del alva」
(暁の甘いほほえみ)
という歌いだし。
「フォリアは文字通り荒々しい舞曲だったが、
チャコーナやサラバンデ同様、
17世紀を通じて落ち着いたものになって、
1700年頃にはゆっくりとしたダンスになっていた。」

このトラック収録曲でも、
「その様子がうかがえる」とあるが、
何か特別な打楽器が打ち鳴らす
特徴的なリズムが目立つものの、
フォリアとは思えない小粋な歌曲。

Track22.マーティン・イ・コルの
「Danza del hacha(斧のダンス)」。
「この宮廷舞曲は15世紀から知られていたが、
17世紀、18世紀になっても踊られていたもの。
このディスクのためには、
17世紀風であるという考察から、
1708年のマーティン・イ・コルのものを使用。
16世紀に流行したロマネスカの一種。」

これも、いかにもルネサンスの舞曲集、
などに登場しそうな素朴だが、
それなりに、古雅で格調も高いもの。
非常に控えめなもので、
最後の「チャコーナ」を盛り上げるようになっている。

Track23.
アラーネスの「チャコーナ」で、
このCDは閉じられている。

サヴァール自身が書いた解説は、
次のように閉じられる。

「セルバンテスの時代の世俗音楽の
魅惑的な多様性を概観するべく、
この偉大な作家の作品における重要作品から、
その音楽的クオリティや歴史的重要さ
という理由のみならず、
その洗練されたパワーや
代表的な性格を理由に選曲した。
300年以上前に作られた音楽では、
容易ではない事でもあり、
これらの曲の演奏については、
当時の典型的なものから、
歴史的、技術的、形式的要素について、
異なる取り扱いを行った。
これらのロマンセ、歌と踊りが、
古の人々の魂の表現であった
という事実を考えると、
これを歴史的出来事としてではなく、
無比の音楽の反映や結晶化として、
現代の我々が体験し、理解できるような、
永続的な表現になっているか、
これらは基本的な問題となる。」

このような、様々な思考と趣向を凝らして
出て来たレコードであるから、
これまでのような寄せ集め商品からは得られない
充足感を感じずにはいられない。

なお、このCDは、のちに、ヴァージン・レーベルで、
ものすごく廉価な寄せ集めCDとなって出回っているが、
それには、このような解説はない。
私は、解説が読みたくて買いなおした。

得られた事:
「岩波文庫にある『セルバンテス短編集』を片手に、サヴァールのCDは楽しむべし。」
「特に、『麗しき皿洗い娘』を読むと、この理想化された娘がまとう雰囲気も手伝って、詩情豊かに、当時の音楽や風俗に思いを馳せることができる。」
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by franz310 | 2016-05-03 23:11 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その436

b0083728_16483338.jpg個人的経験:
はからずも、
スペイン古楽の大御所たち、
サヴァールとモレーノ
のアンソロジーのCDを
続けて聴いてしまったが、
残念ながら、
いずれも寄せ集め的で、
スペイン音楽に対する解説は、
十分とは言えなかった。
これらの元になった、
CDも聴いてみたいものだ。


前回聴いた、グロッサ・レーベルの、
ホセ・ミゲル・モレーノの演奏、
ヌリア・リアルの歌ったCDでは、
「Jacaras」や、
チャコーナ「素敵な人生」が
いかにもスペインのエネルギーという感じだった。

私が不案内だっただけのようで、
この業界では、これらの曲は有名な模様。

「Jacaras」は、
サヴァールのアンソロジーのCDでも、
収録されていて、
「素敵な人生」も、サヴァールは、
「セルバンテス時代の歌と踊り」という、
大昔の録音(1977、EMIエレクトローラ)で、
締めくくりの楽曲として使っていた。

今回取り上げたCD、
「チャコーナ」や「ヤカラス」とは、
いったい何なのだ、
ということが取り上げられているのもうれしい。

さて、前述のように「ドン・キホーテ」という
世界文学の傑作で知られるセルバンテスだが、
「レパントの海戦」に従軍しているから、
フェリペ二世の時代の人で
1547年生まれなので、
マルガリータ王女より100年前の人である。

フェリペ二世といえば、
「黄金時代」を築いた苛烈な君主というイメージで、
このセルバンテスをタイトルに飾るCDに、
この「素敵な人生」が入っているのは、
少々、違和感を感じないでもない。

が、確かに、「ドン・キホーテ」も、
フェリペ二世とのつながりなどが、
あるようにも見えないのだが。

このCD解説、
そのあたりの事から書き起こしているのも、
歴史観を検証する上でも、
音楽史を概観する上でもありがたい。
マルガリータ王女が生まれ育った国を、
少し前の時代から俯瞰しても良いだろう。

表紙はヒエロニムス・ボス風。
割れた卵が意味深で、真珠がこぼれ落ちている。
これがスペインやセルバンテスと、
どう関係するのかは不明。

前回聴いたリアルが歌う、
ホセ・ミゲル・モレーノのCDは、
アンソロジーもので、
元の企画が、
「《ドン=キホーテ》のための音楽」
(ロマンス・歌曲・器楽による小品集)
というものだったから、
セルバンテスのCDと重なりある収録となっても
おかしくはないのであろう。

このCDは、「歌と踊り」という事で、
いわば、「歌」を担当するサヴァールの
演奏家としての立ち位置とは別の観点で、
このCDには、さらなる解説がある。
それは、Ursula Vencesという人が書いたもので、
いわば、「踊り」の方を担当した解説のようだ。

「スペインでおそらく最も有名な詩人、
不滅の『ドン・キホーテ』の作者、
ミゲル・デ・セルバンテスの時代は、
文化的にも政治的にもスペインの黄金時代であった。
厳格で禁欲的なハプスブルクの王様、
フェリペ2世の治世で、
欧州では宗教戦争、
特にトルコなどでは異教との戦いに明け暮れた。
スペインに、再度、地中海支配を保証した、
有名なレパントの海戦(1571)によって、
詩人で兵士であったセルバンテスは左手を失う。」

このように、このCDは、
言い換えると、
セルバンテスの名を借りた、
「スペイン黄金時代の歌と踊り」
という内容になることが分かる。

「宗教上の論争では、
スペインは異端裁判で対応し、
信仰や文学に厳しく目を光らせていた。
この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた。」

さすが、絶頂期ということで、
セルバンテスのような普遍的なものも現れた一方で、
日本では知られていないような、
独特のものも多数花開いたことが分かる。

「この時代は、同時にスペインが領土を大きく拡張し、
巨大な富が海外植民地から流入、
しかし、一部の豪華だが無駄な装飾の多い、
壮麗なカテドラルや宮廷以外は、
下層階級のみならず、
(ピカレスク小説にあるように)
手仕事を見下すがゆえに、
生活を擦切らしていた
ジェントリー階級にも
非常な貧困がはびこっていた。」

このCD解説のこの部分もなかなか味わい深い。
いわば、文化的な労働観などが、
なんと、セルバンテスや、
その時代の音楽と関連付けて語られるなど、
あまりにも思いがけない展開ではないか。

「これが、セルバンテス時代の
公式のスペインである。
マドリッドに対して、
不毛の高地に設けられた、
フェリペ2世が創建して住んだ、
宮廷兼修道院、
エスコリアルの建設に、
こうした事は反映されている。
しかし、こうした、いささか厳しい
スペイン描写に対し、
もう一つの快活で
人懐っこいスペインを、
その様式や習慣、
その踊りや歌と共に忘れるのは
不完全なことである。
セルバンテスは、かつて、
『踊り手になるべくして生まれない
スペイン女はいない』と言った。
そして、ドン・キホーテの第2巻でも、
宮廷の女性たちのダンス狂いについて、
明確なイメージを与えてくれている。
彼女らは、騎士がホールの真ん中で、
座り込むまで、その回りを回り、
疲れ切って忘れがたいため息を残す。
『Fugite,partes adversae』」

これは、「聖アントニオの要約」とされるもので、
邪悪な誘惑から逃れる
「敵どもよ、去れ」という意味の
お呪いらしい。

どうやら、この舞踏は、
恐ろしい誘惑の悪魔が宿るようだ。

確かに、「フォリア」などは、
「狂気の」「ばかげた」
という意味から来た舞曲だと言われている。

サンチョ・パンサが言った言葉とは異なり、
実際、悪魔が宿るような音楽もあったはずであり、
岩波文庫にある、セルバンテスの「短編」でも、
音楽は、むしろ、悪用されていたりする。

「貴族の間での最も人気あるダンスは、
アルマーナとガラルダで、
ダンスというより、
気品あるステップで、
器楽の音色に合わせ、
紳士は手袋やハンカチで淑女を誘う。
人気のあったダンスでは、
カスタネットで伴奏される
生き生きとしたbaileが流行り、
比喩的な厳かなダンスにどんどん置き換わっていった。
最も典型的なダンスは、
一人で踊るカポニアや、
狂ったようなテンポと
生き生きとした身振りが特徴的な
ラストレアドがあった。」

後述のサヴァールの解説も、
楽器名で頭がくらくらするのだが、
ウルズラ・ベンチェスの解説でも、
踊りの名前の列挙が頭の思考を停止せしめる。

このような解説が、はたして、
このCDの鑑賞に意味があるのか、
だんだん分からなくなってきたが、
ヤカラスやチャコーナも、
セルバンテスの小説を読む以上に、
詳しく出てくるのだろうか。

さて、CD解説を読み解くと、
「セルバンテスの小説、
『やきもちやきのエストレマドゥーラ人』
にあるように、
サラバンドの『悪魔的な響き』は、
何か新しいとあるように、
最新の流行についての記述に、
多くのインクが使われている。」
と続くが、
確かに、「聖なる主題を扱ったサラバンダ」
という記述がある。

サラバンドは、野卑にすぎるということで、
16世紀末にスペインでは禁止になったとも聞く。
セルバンテス一流の皮肉かもしれない。

「他のレポートによると、
これは、1588年に、
悪名高いセビーリャの女性が発明したらしい。
ザラバンダは一般には、愛と風刺の滑稽な歌を伴奏に、
婚礼や同様の儀式で踊られるものであった。
カスタネット、ギター、タンバリン、
タンブラン、バグパイプが、
最も重要な伴奏楽器であった。」

このような解説からも、
おそらく、この演奏もまた、
こうした資料を根拠に編成されて、
演奏されているものであると類推できる。

「danza de cascabeles(鈴の踊り)
は、くるぶしに小さな鈴が付けられた。
他のダンス、例えば遍歴の学生によって、
フォリアが踊られ、
『セギュディーリャ』や『セラニラス』は、
同名の歌詞によるものである。
これらの踊りの他に、
無数の形式のダンスが記録されているが、
これらは、おそらく流行による
自発的な変形例だったと思われる。」

この解説者は、踊りの専門家なのであろうか。
まだまだ、ダンスの話は続く。

「すべての教会でのお祭りでもまた、
ダンスをする機会があった。
人々は教会内でも踊り、
祭壇の前でも踊った。
このように、祝祭は、
その祝典性、幸福な性格を帯びて行った。
例えば、セルバンテスの
同名の短編に出てくる
『小さなジプシー娘』のように、
神聖なビリャンシーコ、
聖なる舞踏の歌を、
聖アンの絵の前で、
カスタネットや鈴をつけて
踊らなければならなかった。
さらに、数え切れないほどの、
守護聖人を讃える
列聖式、列福式や、
聖遺物の遷移や修道院や教会の叙階式、
特に毎年の聖体祝日のお祭りは、
しばしば熱狂的な踊りで中断され、
祝砲やファンファーレがあって、
器楽と聖歌が繰り返された。」

かなり、宗教行事としては俗っぽいが、
そうでもしないと、
こうした異教も混ざり合う地域では、
信徒を集める事が出来なかったのかもしれない。

「これらのソロのダンスの他、
同業組合の群舞や職業群舞もあった。
絹織物職人は『danza de los palillos』を踊り、
それは、色のリボンが付いた、
小さな棒を持つものだった。
『danza del cordon』では、
各16人の踊り手が、
17番目の踊り手が持つ、
中央を花で飾ったロッドに繋いだ
色のリボンで円形をなして踊るものだった。
戦いの真似を含む剣舞、
『danza de las espedas』もあった。」

どんちゃん騒ぎの描写ばかりが続くようだが、
これがまた、色鮮やかな情景が、
目の前に展開されるような感じもする。

それにしても、人間本来の表現手段の一つとして、
これほどまでに踊りが重要であったのか、
という事実までを考えさせられる。
限りなく完全に、
現代では失われてしまった文化かもしれない。

「装飾的な衣装による踊りも人気があった。
ムーア人支配からの解放などの、
国のイベントでは、そうした振り付けもあった。
最後に大事な事を述べると、
群舞の中には、単に楽しいものだけではなく、
教訓的な寓意ダンスもあった。
ハプスブルク王朝時代の
舞踊での中世スペイン芸術は、
まだ、この地域が発展途上でもあり、
アラブの習慣や伝統に影響を受けていたに違いない。
それにしても、イギリスのモリス・ダンスは、
いかにスペインのムーア人の踊りが、
はるか北に伝わり、
発展したかを示している。」

なるほど、スペインの特殊性が、
こうしたムーア人からの政治的独立と、
文化的癒着の狭間で育まれた、
というのも、妙に納得できるではないか。

このようにして、
教会でさえ演じられる、
スペイン舞曲の多様性、特殊性が語られたが、
それだけで終わるものではない。

「スペインのコメディアは」とはじまる部分が続くのである。
「黄金時代、人気のあった劇場は、
ダンスが挟まっていた。」

当然、神聖な場所でも踊られるのであるから、
こうした楽しい場所でも、
ダンスは盛んであったと想像できる。

「ある種の専門家の意見によると、
スペインの演劇のアトラクションの中心で、
民族舞踊が実際に使われた。
これらの舞曲の騒がしさ熱狂性は事実、
劇場をめちゃくちゃにするほどで、
こうした事が禁止される理由にもなった。
最後に、コメディアからのダンスは、
バレに発展し、
独立した劇的な舞踊演目となった。
これは、一種の幕間劇で、
一部または、全部に歌があった。
ダンスは、歌や音響と離れることはなく、
民族音楽はほとんどが歌と踊りが一緒のものである。
ギターは最もポピュラーな国民楽器、
民族楽器で、沢山の短い詩歌に作曲された。
ギターの他に、ハープ、マンドリン、
タンバリン、バグパイプが
もっとも人気のある楽器であった。
作曲家は、教会の歌手であったり、
合唱長であったり、
宮廷の室内楽演奏家であったりしたが、
とりわけ、ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」

こうした研究は、
いかにも見てきたように語られているが、
それが、どういう根拠かを教えてくれるのが、
以下の記載で、なるほどと思わせる。

「現在、ミュンヘンの州立図書館にある、
ドイツの王子がスペインから故郷に持ち帰った
1624年10月から1625年3月に
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラ
によって、
ウォルフガング・ウィルヘルム・フォン・ノイブルク
のために編纂された高価な楽譜によると、
良く知られたコミック・ソングやラブ・ソングは、
宮廷や中流階級の家庭のみならず、
路上でも歌われ、演奏された。」

当時の地域を超えた交流の中で、
各地域の特性というものが紹介され、
伝わっていったのだろうが、
こうしたドキュメント類は、
現代に向けた重要レポートにもなっている、
ということであろう。

「一般的なダンス・ソング形式は、
16世紀初期から用いられていることが記録され、
その人気の高まりが分かる。
セルバンテスの短編、
『麗しき皿洗いの娘』は完璧な例であって、
ここでは古典的なソネットが、
ハープ、ビウエラの伴奏で歌われ、
典型的な歌による表現である、
バラードのスペイン系であるロマンセを、
プロの音楽家が歌い、
自発的にダンスが起こっている。
当時の宮廷音楽と同様、
ダンスと歌と器楽が一緒になって、
相互作用として理解することが出来るのである。」

さて、このCDの解説の半分は、
演奏、指揮しているサヴァール自身が、
自ら認めている部分であって、
これがまた、恐ろしい博学ぶりを披歴したもの。
音楽と文学をクロスオーバーして、
非常にスリリングである。

「16世紀、17世紀のスペイン音楽では、
ミゲル・デ・セルバンテスは、
スペイン人の音楽嗜好、生活を考察するのに、
無尽蔵な源泉となっている。
ドン・キホーテのみならず、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」、
「ジプシー娘」、「麗しき皿洗い娘」など、
彼の作品の多くにおいて、
音楽が基本的な要素となっていて、
とりわけ、喜劇や幕間劇において、
各要素が異なるシーンと関連付けられている。
セルバンテスは、音楽で多くの部分を際立たせている。」

「ドン・キホーテ」しか知られていない
セルバンテスであるが、
これらのいくつかは岩波文庫で読める。

さて、このCDの内容であるが、
Track1.に収録された、
「La perra mora」
からして、
実は、どう解釈してよいかわからない、
悩ましい表題のものだ。

CDの曲目別解説部によると、
「このダンスは、彼の小説『麗しき皿洗い娘』で、
チャコーナ、サラバンダ、ペサメ・デーロと一緒に
セルバンテスによって述べられているものである」
とあるから、
岩波文庫を見てみると、
若者が歌う歌に、こんな風に出てきていた。

「やんごとなきあの婦人も
心浮き立つサラバンダ踊り、
さらに、流行りのペサメ踊りや
ペーラ・モーラ踊りに誘われて」

ということで、
サラバンダ、サラバンド並みにやばい踊りだったと、
推測することができる。

翻訳した牛島信明氏も、
「La perra mora」
をそのまま、カタカナにしただけであった。

さらに、曲目解説では、
マドリッドの北東の街にある、
「メディナセリ図書館に手稿として所蔵の
ペドロ・ゲレーロによるバージョンで、
5/2拍子、複雑な四声のリズミカルな構造のもの。
テキストは不完全で以下の部分のみが残っている。」
とされている。

「Di perra mora
di, matadora
por que me matas
y, siendo tuyo
tan mal me tratas?」

そもそも、このCDでも歌はないようで、
異教的な太鼓のリズムに、
弦楽やら撥弦楽器が絡まり合って、
エキゾチックな雰囲気を漂わせていく。

サヴァールの解説にも、
「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。」
とセルバンテスが、
様々な踊りを取り上げたことを力説し、
最後にこの「ペーラ・モーラ」を持ってきて、
「『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。」
と結んでいる。

Track2.
ピサドール作曲「アビンダラーエスのロマンセ」
もまた、この岩波文庫の短編で、
色男の兄ちゃんが、
「なにしろおいらは、
モーロ人アビンダラーエスと
美姫ハリーファの恋を歌ったやつや、
アレクサンドリアの名将
トムンベーヨの偉業を称えたものなら
ひとつ残らず知ってる」
と言っているもののひとつであろう。

しばらく前に亡くなった、
フィゲーラスの声が聴けるが、
かなり、朴訥なもので素朴な民謡風。
どんぶらこどんぶらこ、
どっこいしょどこいしょと、
とても、美しい姫が出てくる歌とは思えない。

曲目別解説では、
「アビンダラーエスとハリーファのロマンスは、
広く知られていて、1ダース以上の版が残っている。
あるものは史実に基づき、あるものは小説由来である。
ここでは、1552年のディエゴ・ピサドールのもの」
とある。

Track3.
ムダーラのファンタジアとガリャルド。
素朴でスペイン的なビウエラの独奏。

Track4.
バスケスの「モーロの王のロマンセ」。
もの悲しい、フィゲーラスの歌。
急襲を受け、グラナダの領地を失った王様の悲歌。

Track5.
フォルクローレ風に笛が吹かれる、
「Cancionero de Palacio」
に基づく器楽曲。

以上は、セルバンテスとの関係は不明。

Track6.
ムダーラのロマンセ、「クラーロス伯爵」。
ビウエラ独奏曲。
ドン・キホーテで、
この歌の最初のフレーズが出てくるらしいが、
「クラーロス伯爵」の歌が収められているわけではない。
ムダーラが有名すぎて、元が何なのか分からない。

ヒスパ・ヴォックスから出ていた、
スペイン古楽集成の「ビウエラの音楽家たち」
のCDにも、ムダーラ作曲のものと、
ナルバエスのものが、
「クラーロス伯爵、ディフェレンシアス」として、
収録されていた。

ここの解説でも、「よく知られていたロマンセ」の主題、
とあるだけで、それ以上の情報はない。

Track7.バスケス作曲の
「ドン・ベルトランのロマンセ」は、
このドン・キホーテに関係するものらしい。

これは、778年のロンスヴァルの戦いに関するもので、
16世紀には、非常に知られていたものだ、
という理由で、ここに収められた模様。
「死が私を捉える」という、フィゲーラスの悲しげな歌。

しかし、ドン・キホーテが、昔の騎士の時代に憧れ、
時代錯誤に陥っていたという状況設定は、
こうしたシャルルマーニュ時代の物語が、
親しまれていた、ということであろうか。

Track8.
Track9.
これらはヴィオラ・ダ・ガンバの合奏曲で、
深々とした響きが、悲しげな雰囲気である。
ルイ・ヴェネガスが書いた変奏曲。
ロマンセによる。
これも、ドン・キホーテが、
高尚な気分に浸りたくなるような音楽かもしれぬ。

Track10.
ゲレーロのマドリガル、「Dexo la venda」
田園詩で、恋愛を歌ったものらしいが、
とても簡素ですがすがしいもの。
詩と器楽の発展が、微妙な調和を育んだ、
初期の例として、サヴァールは取り上げた模様。
清潔感のある器楽伴奏もフィゲーラスの声も小粋である。

この曲もセルバンテスとの関係は不明であるが、
こうした曲も入れないと、
セルバンテスの時代は、どんちゃん騒ぎか、
悲痛な音楽ばかりだと錯覚してしまうところだった。

歌詞は、Balthasar de Alcazarによるとあるが、
これも何者か、私にはわからない。
ゲレーロはむしろ宗教曲で有名な作曲家だが、
シューベルトの死の年のちょうど300年前に生まれている。

このCD、まだまだ、続きがあるが、
今回は、このくらいで終わりにする。

得られた事:
「スペインのダンスは、ムーア人支配からの解放の祝典などで発展し、宗教的な場でありながら、どんちゃん騒ぎを伴うという奇抜な独自性を誇った。」
「シューベルトの300年前の作曲家ゲレーロは、早くも歌と器楽部展開の調和を模索した歌曲(マドリガル)を書いている。」
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by franz310 | 2016-04-16 16:50 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その435

b0083728_1954211.jpg個人的経験:
長らく異教の文化が
根付いていたせいか、
山脈に隔てられ、
乾いた山岳地帯からなる
地域的な特殊性ゆえか、
あるいは、植民地からの
異文化の流入もあってか、
スペインの音楽は、
いつの時代にも
個性的であったようだ。
何世紀にもわたる音楽が、
一つのレコードに刻まれても、
それほど違和感がないようだ。


昔、愛聴したLPには、
イエペスが録音した、
「スペインのギター音楽」の2枚があり、
そこにはルネサンスのムダーラから、
現代のピポーまで、
数百年にわたる音楽が収められていても、
なんら違和感を感じることはなかった。

テレサ・ベルガンサの録音した、
「ベルガンサ・スペインを歌う」も、
同様の趣向だった。

ひょっとすると、
古い時代のギターの一種、
ビウエラの鄙びた音色が、
この国の乾いた空気や、
光と影の交錯する風土に、
あまりにもマッチしていたからだろうか。

音楽が豪華になり、複雑なポリフォニーや、
通奏低音の時代を変遷しながらも、
この素朴な弦の弾む音の連なりに、
人々の心は、常に回帰していたのかもしれない。

そこに、さらに、そこに人の声が重なれば、
もう、十分にスペインの揺りかごが描かれる、
ということなのかもしれない。

人気のスペインの歌姫、
ヌリア・リアルが、
「The Spanish Album」という2枚組CDを
グロッサ・レーベルから出しているが、
これもまた、そうした特色に根差したもので、
ルネサンスからバロックを貫く特集となっている。

スペイン系ハプスブルク家の最後の花、
ともいうべき、
マルガリータ王女が、
嫁いでからも聴きたがった、
スペインの音楽とは、
いったい、どんな音楽だったのか。

今回のCDは、絵画ではないが、
マルガリータ王女同様に若々しい
女性の肖像の表紙。
これを聴けば、何かヒントがあるだろうか。

ホセ・ミゲル・モレーノが前半はギターで伴奏し、
CD1は、「ルネサンス時代の音楽」、
同じ人が指揮もしての、
「ルネサンス&初期バロックの音楽」が、
CD2の前半を占め、
さらに、エミリオ・モレーノが
ヴァイオリンと指揮をして、
「後期バロック時代の音楽」として、
コルセッリという人の作品のみを取り上げ、
CD後半を埋めている。

帯に、「ポートレート・シリーズ第1弾」
と書かれていたので、
しばらく前の事だが、購入する際にも、
何か寄せ集めのCDだとは思っていた。

しかし、表紙が素敵なので購入だけはしておいた。

そもそも1999年から2004年の間に録音され、
それから何年も経った2011年に出たものなので、
このことからも、
どう考えてもいかがわしいと思っていたのだが。

今回、こうした機会に、再び取り出して、
よくよく調べてみた。

以下、それで分かった事実と不満を並べる。
やはり、リアル無名時代に一度出したものを、
彼女の容姿を前面にして出し直したのののようだ。

中のブックレットを見ても、
どの部分が、いつどこで録音されたのかも分からず、
まったく、製作の意図が読み取れないのが不安だが、
この手の商売は、常にこうした措置が取られがち。

もっと言うと、歌詞は付いているが、
スペイン語だけなのが痺れる。
というか、曲目からしてよく解らない。
2枚にして、廉価にしたから、
省いても、何が悪いか、という乗りなのだろう。

「ポートレート・シリーズ第1弾」
などと、声高に宣伝するほどの内容なのか、
さっぱりわからない。

という感じで、やはり、
腰を据えた仕事でないような感じが気になるが、
気を取り直して、ここからも、
何か学ぶものを探してみたい。

あれこれやって見つけた、
グロッサのホームページは、
二番煎じであるにもかかわらず、
商品紹介がそこそこ凝っているので、
このあたりから解読してみよう。

「ここ十年ほどで、スペインから、
新世代の声楽家たちの存在が花開き、
その多くが古楽の分野を得意としています。
この一連の流れの先頭に立つのが、
ソプラノのヌリア・リアルで、
感情的な魅惑の中に、
甘さと親密さを併せ持ち、
純粋、かつ、説得力に恵まれています。
近年、リアルは、
ペルゴレージや、
多くのイタリアの1600年代の音楽に加え、
バッハ、ヘンデル、モーツァルト、
ハイドンなど、続く時代の音楽に挑んでいます。
この新しいグロッサのアルバムでは、
時間を遡り、
バーゼルの音楽アカデミーで研鑽した直後の、
このカタロニアのソプラノの
若々しい声を捉えた録音を集めました。」

リアルは1975年生まれであるから、
確かに、1999年は24歳の年、
全体として20代の声を集めたとなれば、
若くして亡くなった皇女であり、王妃である人を、
偲ぶには悪くないかもしれない。

スペインのマルガリータ王女は、
嫁ぎ先のヴィーンで、
わずか22歳で亡くなっているのだ。

また、その後、大レーベルに移って、
ヒットを飛ばす前の、
無垢の時代の歌手の肖像というのも興味深い。

解説は、以下のように続く。

「この録音の中で、ホセ・ミゲル・モレーノの、
アンサンブル・オルフェニカ・リラと共に、
リアルは、単に輝かしい声の美しさをアピールするだけでなく、
様々な撥弦楽器の巨匠、モレーノが与える
ルネサンス期からバロック期までの
スペイン音楽のニュアンスに深い理解を感じさせています。
ムダーラ(Mudarra)、ピザドール(Pisador)、
フェンリャーナ(Fuenllana)やダサ(Daça).
のような音楽が持つエモーショナルな情感を、
リアルは、直観的に捉え、
技能と喜びを持って、表しています。」

ムダーラといえば、
イエペスやベルガンサの録音でも
取り上げられている作曲家。
が、他の人々はぴんとこない。

「また、不当な評価を受けている、
ピアツェンツァ生まれの作曲家、
フランシスコ・コルセッリの
一連のスペイン語の音楽に、
リアルはもう一人のグロッサの強力な布陣、
エミリオ・モレーノと、
彼のエル・コンチェルト・エスパニョーレと共に、
心から共感しています。」

このコルセッリは、1705年生まれ。
イタリア人ながら、
マドリッドの宮廷礼拝堂の音楽監督を務めた人らしい。
スペインのハプスブルク家は滅びた後の話になる。

ちなみに、
このギターとヴァイオリンの両モレーノは兄弟で、
このレーベルの創設メンバーであり、
いささか自画自賛調なのが気になる。
録音や演奏は申す分ないので、
まあ、いいのだが。

「ヌリア・リアルの
官能的な解釈によって、
古い時代のスペイン音楽の豊穣さが、
強烈に想起させされ、
快く再現されています。」

以上が、広告の能書きだが、
いちおう、そそらせる内容である。

CDの中に入っているブックレットは、
Javier Palacioという人が書いた、
やはりヌリア・リアル賛みたいな感じ。

「『人類、有史以来、
自然に獲得された歌唱様式は、
一度も採用されなくなった事はなかった。
平地では農夫が、
森を抜け、山に羊の群れを御する羊飼いたちが、
その退屈を紛らわすために自然に歌を口ずさんだ。
その恐ろしい苦役を、胸の中から晴らすように。
男と女が創造され、我々の時代に至るまで、
人間はこのように歌いつづけて来たのである。
このような歌唱は、彼らが死に耐えるまで、
世界が終わるまで、なくなることはないだろう。』
修辞的、誇張された華美なものを取り去った
歌い方の要請に関するこれらの言葉は、
(『Dialogo della musica antica e della moderna』
という16世紀の専門書を書いた、
ヴィンツェンツォ・ガイレイによる)
今日にまで、その残響が届くように感じられる。
よく知られているように、
事実、ここ何年か、幸いなことに、
洗練され研究された音楽の世界は、
より自然なデクラメーション、
クリアで自発的なアクセントと共に、
ルネサンス期やバロック期からの
流行歌や詠唱の
古い時代の歌唱様式を再発見している。
それは新鮮で溢れるような活気に満ちている。」

ということで、
ベルガンサやローレンガーのような、
オペラ歌手で親しんできた、
これら古い時代のスペイン歌曲は、
今や、オリジナル楽器的なアプローチで、
聴き直す必要があるらしい。

「古典期、ロマン派時代の声楽の様式は、
その時代に作られた壮大な音楽用に相応しいように、
古い時代の音楽のためには限界があり、
それは、優美さ、単純さ、エレガンスに欠け、
投影図のようなものにすぎなくなっている。
演奏家、器楽奏者、歌い手は、
水晶のように澄んだソノリティー、
重々しさや、わざとらしさから
表現を解放することを追及し、
過ぎ去った世紀の演奏様式を
研究し、学び、再発見しようとしている。
しかし、ある種の演奏家にとっては、
こうしたプロセスは苦痛を要するものではなく、
最初から、恵まれた声と特別な直観で、
最も繊細な感情の鍵盤を奏でることが出来る。
ヌリア・リアルは、こんな歌手だ。
このカタロニアのソプラノの武器は、
素晴らしいパレットの音色の広がりを、
光沢を持って歌える声であり、
わざとらしさのないデクラメーションから、
さらに印象深い芸術的成果を生みだせ、
甘く、暖かく、それでいて親密である。」

なかなか、スペインの音楽の話にならないが、
おそらく、「ポートレート・シリーズ」なので、
この歌い手の特徴を描き尽すまで終わらないのであろう。

ここまで賞賛されると、
もっと耳を澄ませて聴かないといけない、
という気持ちになってくるのも事実。

同時に、シューベルトの歌曲などは、
どのように歌われるべきか、
などと考えさせられたりもしている。
フィッシャー=ディースカウのような歌手は、
その明晰なドイツ語によって、
歌に革命を起こしたというが、
そうした不自然な芸術性の追求の流れとは、
一線を画しているということだろうか、
などと考えながら読んでいる。

「伝統的なアプローチにとって代わる、
コンサート・プログラムの新しい形や
聴衆の嗜好の変化が進む現代の声楽界で、
聴くものの心に、優しいながら、
様々な刺激と印象を放つ声が、
リアルを、スペイン最強の世界的スターにした。」
とか言う話題は、そろそろ疲れて来たので、
ばっと読み飛ばすとして、
次には、彼女がマンレサで生まれ、
11歳でカタロニアで学び始め、
古楽の専門の学校ではなく、
様々な時代の音楽を学ぶ音楽アカデミーで研鑽を積み、
20歳で室内合唱団とのコラボを始めた、とある。
それから少しして、
ホセ・ミゲル・モレーノと、
フェンラーナ、ムダーラなどの歌曲で、
記念すべき最初の録音を行った、とある。

ここから後は、誰それと共演したとか、
私にはあまり興味のない記述が続く。

事実、CD屋に行くと、リアルの名前は、
ソニーから出ているCDなどで、
すでに十分おなじみになっていて、
こうした情報は、書かれなくても想像できる、
という感じであろうか。

「ヌリア・リアルは、コンサートのステージで、
聴衆と繋がっていることを非常に重視するので、
比較的、レコーディング・スタジオは苦手とする。
それにもかかわらず、
彼女のディスコグラフィに関連した、
重要なルートにそって、
継続的に結果を出して来た。
素晴らしい色彩の新鮮な声の質感や、
集中した活力を披露し、
劇的な対比の形式や様式に満ちた、
16世紀のスペインから、
18世紀に至るまでの旅であった。
これは、前古典派への入場門ともなる
バロック期とルネサンス期を
繋ぐものでもあった。」

1枚目は、かつて、
「スペインのギター音楽第3集『清く澄んだ川』」
として出ていたものらしい。
タイトルはムダーラの曲による。

このディスクについては、
以下のような解説が続く。

「『清く澄んだ川』に、
このソプラノは特別な愛情で接している。
当時の印象的なビウエラ音楽に仕えて、
リアルは、ホセ・ミゲル・モレーノの弦に
優美に伴奏されながら声を添えている。」

オリジナルの企画は、
「スペイン・ギター音楽」という
シリーズだったようなので、
声は、添え物的立場だったかもしれない。

ちなみにこれの第1集、第2集は、
1994年と6年に録音された、
ナルバエス、ミラン、ムダーラから、
ソル、メルツ、タレガ、リョベートに至る、
ギター音楽史なので、リアルは関与していない。

1枚目はかつて出ていたものを、
そのまま出しているので好感度は高い。

「ここでは様々な曲集から音楽を集め、
洗練されたものも、通俗的なものも一緒にした。
衝撃的なリズムのカデンツが、
穏やかで、より内省的なシーケンスに
コントラストを与え、
全てが素晴らしい音響の美しさの中にある。」
と書かれているのも、
オリジナル企画時の方針なのだろう。

1.作者不詳:私に何をお望みですか,
2.ダサ:ファン・パストール、なぜお前はそうした,
3.バスケス:バラのしげみの泉にて,
4.ダサ:異国の地に,
5.フレチャ:可愛い妹テレサよ
6.モラレス:ムーア人はアンテケラから馬に乗って去っていく,
7.ダサ: ブルネットの少女の叫び
8.作者不詳:クラロス伯によるディフェレンシアス
9.ムダーラ:恋人達の嫉妬,
10.ピサドール:夜の闇が訪れ,
11.ムダーラ:イサベルはベルトを無くした,
12.モラレス:ベネディクトゥス
13.ピサドール:エンデチャス,
14.フェンリャーナ:エンデチャス,
15.バルデラーバノ:愛する人よ、どこから来たの
16.ムダーラ:ロマネスカ,
17.ムダーラ:彼らが私を呼べば,
18.ムダーラ:澄みきった清らかな川,
19.ムダーラ:幸せな男
20.バケラス:私のために嘆いてください
21.ピサドール:バプテスマのヨハネの祭日の朝に,
22.フェンリャーナ:ファンタジア,
23.フェンリャーナ:ムーア人の王は散策していた
24.ピサドール:騎士に告げよ

「リアルは、これらのビリャンシーコで、
変奏形式、インタヴォラトゥーラ
(ビウエラにて演奏可能とした初期作品の編曲)に、
各曲の音楽的特徴、情緒的な性格を、また、
コレクションのタイトルにある、
『みずみずしさと明晰さ』の質感を見失う事なく、
親密にしっとりと、また、ある時は、
より敏捷にリズミカルに、
自然に移行する才能を発揮している。」

ここまで書かれると、これに付け加える事はない。
というか、こうやって聴くのか、
という感じさえする。

器楽と声の絡み合いというのは、
タイミングや強弱だけが重要なのではなく、
そこでの躊躇いや気負いなどを
感じさせては駄目なのだなあ、
と考えさせられた。

本当に、「澄み切った清らかな川」のように、
各曲は、香しい大気の中の水音のように流れて行く。
だから、すべてが自然すぎて、
いかに各曲にコントラストがあろうと、
聖歌に浸っているかのような時間経過だ。

24曲をすべて、これはどう、あれはどう、
という感じではなく、
すべてが一続きの小川の水音のようである。

ビウエラの鄙びた乾いた音がまた、
この無垢な印象を際立たせている。
非常に美しいアルバムであるが、
すべて同じ曲に聞こえるような感じもあるので、
タイトルになったTrack.18のみを、
よく聞いてみよう。

寂しげな歌である。
幸い、ベルガンサが歌っている日本盤に、
この曲も入っているので内容は分かる。
が、歌詞が古すぎて、
すべて了解というものではない。

山の中での孤独を歌ったもので、
詩人は、川や鳥や樹木に向かって、
自分の声を聴いてくれと頼む。
と言う内容だが、
それだけ、誰もいない状況なのだ。

ムダーラは、ネット検索すると、
1510年頃生まれ、1580年に亡くなった、
ギター曲を最初に出版した人として知られるという。

残念ながら、
ベルガンサは第1節しか歌っていなかった。

細かいヴィヴラートがかかり、
明らかにリアルとは異なる。
イエペスの伴奏はギターによるもので、
モレーノのビウエラの不思議な音より、
現実味がある音色となっている。

ベルガンサ、イエペスの仕事は1974年のもの。
今、聴き直しても、
録音も、素晴らしく空気感が良い。

改めてよく見ると、
アルフォンソ10世から、
フェンリャーナ、ルイス・ミランなどを組み合わせ、
ほとんど、リアル、モレーノのCDの
コンセプトと同じではないか。

リアルの第3曲、バスケスも、
「バラの木の泉に」というタイトルで、
最後から2番目にベルガンサも楽しげに歌っている。

「泉で乙女と若者が洗っている」という、
微笑ましく、眩しい光景に相応しい。
24歳のリアルの当事者的な
ひたむきな歌唱に対し、
39歳のベルガンサは、余裕の解釈である。

ベルガンサ盤は、濱田滋郎氏のきめ細かい解説で、
ビウエラの音楽家が残した楽曲集を、
ポリフォニー歌曲と並んで、
「ルネサンスのスペイン歌曲が花咲く第二の花園」
だとしている。

氏はビウエラを、「はえぬきの宮廷楽器」、
オルガンと並ぶ「スペイン器楽の粋」と呼んで、
ビウエラ曲集には、独奏曲に交じって、
歌曲が入っていることを教えてくれている。

いずれにせよ、このビウエラ伴奏の歌曲、
という時点で、スペインの音楽には特殊性が十分。
素朴で開放的。
マルガリータ王女が、
音楽はスペインでなくては嫌じゃ、
と言ったとしてもおかしくない、
のかもしれない。

さて、このリアルのCDの2枚目は、
計3枚のアルバムの抜粋である。

その一枚目は、1500年頃に生まれ、
1579年に亡くなった、
フェリペ2世の宮廷の盲目の音楽家、
ミゲル・デ・フェンリャーナの曲集
『オルフェニカ・リラ』(1554)を
特集したCD。
これは、楽団の名称にもなった。

フェンリャーナが編曲した、
様々な作曲家の作品が入っている。
1999年の録音で、18曲入っていたのから、
以下の7曲が選ばれている。

イエペスとベルガンサの名盤でも、
フェンリャーナは取り上げられているが、
重複はなく、比較できず残念である。

このフェンリャーナの曲集は、
濱田氏が書いたビウエラの7つの曲集の一つ、
ということになるのだが、
このリアル盤では、笛や太鼓までが現れる。

解説には、
「16世紀のビウエラ音楽の
異なるコンセプトを提示したかったとある。
基本的にデリケートな精神を、
より幅広く、リッチな編成で演奏しても、
それを打ち消したりすることなく、
むしろ、もっと深く感覚に訴え、
それを増幅する」とある。

1.「La Bonba」は、
メキシコの「ラ・バンバ」と同じなのだろうか。
いかにもの大騒ぎの舞曲。
したがって、
デリケートな精神を、
などと言われてもぴんと来ない。

2.ただ、CD1にも入っていた、
「モーロ人の王は散策していた」で、
ガンバの深々とした音色が添えられて、
非常に深い情感を醸し出している。

これは、モーロ人の王が戦に負けて、
街を出て行く時の悲しい情感を
歌ったものということで、
まさしくスペインならではの情景と情緒である。

3.器楽曲で、オルティスの「おお、幸せな私の目」と、
4.バスケスの歌曲「それは、私を動かしません」は、
簡素な編成で奏され、いにしえに思いを馳せることが出来る。

5.フレッチャの「 La Girigonça」は、二重唱で、
お祭りのどんちゃん騒ぎを思わせる。

6、7.ともに原曲はバスケスで、
共に、控えめな編曲、
「何を使って洗いましょう」は、
貧しい娘の歌で悲しく、
「ポプラの森まで行って来ました、お母さん」
は、あいびきの報告。ロマンティックで優しい。

これらは、ローレンガーにも、
嫋々、朗々と歌った録音がある。
前者を歌ったベルガンサは折り目正しい。

リアル盤は、前奏から雰囲気たっぷりで長く、
リアルも、ぎりぎりまで声を伸ばして、
「この顔をどうやって洗おうか」という、
若い女性の歎きの深さを描き出している。

CD2は、3枚のCDからの寄せ集めと書いたが、
その2枚目は、2005年に出た、
『《ドン・キホーテ》のための音楽
~ロマンス、歌曲、器楽による小品集』
という26曲のアルバムから4曲。

8.ルイス・ミラン: パヴァーヌ VI、
1500年頃に生まれた人なので、
これはバロックではない。

9.作者不詳:Jacaras、
カスタネットと合唱で、
エキゾチックでこれは大変、面白い。

10.作者不詳: 「何とかわいい坊や」は子守唄か。
愛情たっぷりの歌いくち。

11.フアン・アラネス( ~1649)の
チャコーナ「素敵な人生」
1624年頃の作曲とされ、ぎりぎり、
マルガリータ王女の時代に近い、
バロック期のものと言える。

この曲は、ネット検索すると、
古井由紀子(リコーダー、コルネット)
中川洋子(歌、リコーダー)
といった方々によるグループ『葦』
という団体の演奏した
演奏会のチラシがヒットし、
こんな歌詞が分かった。
以下はその引用。

「チャコーナの夜 薔薇の咲く季節
たくさんの秘め事 そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう
アルマダンが結婚するんだ
すばらしい月になる
アナオの娘たちが踊ってる」
という部分までは、
夏の夜の陽気な時候が偲ばれる。

が、
「ミランの孫たちと
ドン・ベルトランの舅と オルフェオの義姉さんは
めくばせをかわし
それでアマゾネスのお話はおしまいとなった」
とは、何のことだか分からない。

おそらく、こんな夜なら、
何だっていいのだろう。
以下のような歌詞が、すべてを帳消しにする。
「そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう。」

いかにも、小粋な小唄という感じだが、
この曲は、いかにも、
スペインにしかなさそうな雰囲気で楽しい。

Track9.の「Jacaras」と共に、
マルガリータ王女万歳、
という気持ちにもなって来る。

CD2の中の最後の三分の一は、
『コルセッリ: スペイン宮廷の音楽』
と題された2002年のアルバムより、
コルセッリという、18世紀の作曲家の作品集。
このアルバムの大半が収められている。

12.歌劇《スキュロス島のアキレス》より 行進曲
13、14.《美しい声でさえずる姿の見えないうぐいす》より
レチタティーボとアリア
15、16.《アスタ・アクイ、ディオス・アマンテ》より
レチタティーボとアリア
17.歌劇《スキュロス島のアキレス(シロのアキレス)》より 序曲

マルガリータ王女が生きた時代とは、
一世紀が経過している。
コルセッリはイタリア人であるようで、
そのせいか、特段、スペイン風でもなく、
ヴィヴァルディの次の世代、という感じ。
以上の劇音楽も感情表現も明快で、
リアルの声も朗らかで楽しめる。

ただし、
18.聖土曜日の第2朗読
「なにゆえ、黄金は光を失い
純金はさげすまれているのか」
と歌われるエレミアの哀歌や、
19.聖木曜日の哀歌
「幼子は母に言う
パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。
傷つき、衰えて、都の広場で 」
という悲痛な哀歌では、
この作曲家のシリアスな側面が見える。

得られた事:「カタロニアのソプラノ、ヌリア・リアルの20代前半からの録音を集めたCDであるが、自然なデクラメーションで、甘く、親密な歌唱で古謡が楽しめる。」
「『どうやって洗いましょう』などは、豊かな伴奏も一体となって、人生の一コマの情景をたっぷりと描き出している。」
「『Jacaras』や、チャコーナ、『素敵な人生』のリズミカルな人生の謳歌などは、若いスペインの姫君が、故国を懐かむイメージと重なる。」
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by franz310 | 2016-03-20 19:55 | 歌曲

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その434

b0083728_19513229.jpg個人的経験:
ベラスケスが連作で、
その成長ぶりを描いた事、
傑作「女官たち」の中央に、
彼女の姿を描いた事から、
スペインのマルガリータ王女は、
絵画史の中では、
非常に有名な愛らしい存在だが、
音楽史など歴史の上では、
作曲もしたハプスブルクの皇帝、
レオポルド1世と結婚し、
豪華な婚礼をあげた王妃であり、
また、すぐ死んでしまったという
悲劇の王妃でもある。


ベラスケスが、
このスペインの王女を描いたのは、
そもそも、遠く離れてヴィーンにいる
このレオポルド1世に、
王女の成長ぶりを見せるためだった、
ということらしい。

だから、ヴィーンに、
子供時代の「薔薇色のドレスの王女」、
「白いドレスの王女」、「青いドレスの王女」
というあどけない表情が
残されているというのだが、
本当にこんなに小さい頃から、
この国との結婚話が決まっていたのだろうか。

ベラスケスは、8歳の王女を描いて亡くなったので、
成長してからのマルガリータ王女の肖像を、
この巨匠が残していないのが残念でならない。

レオポルド1世との関係は悪くなかったようで、
マルガリータが、生国スペインの音楽を聴きたいというので、
王様は、楽譜を取り寄せようと努力したという。

いったい、マルガリータ王女は、
どんな音楽が聴きたかったのか。

彼女は、1651年7月12日生まれで、
1673年3月12日に、
わずか21歳で亡くなっている。
しかし、この時代に、
スペインにどんな作曲家がいたかというと、
カベソン、ゲレーロ、ビクトリアなどは、
前の世紀の人々だし、スカルラッティやソレールは、
次の世紀の人である。

かろうじて、
ガスパール・サンス(1640-1710)の名が、
「ある貴紳のための幻想曲」でロドリーゴが、
オマージュを捧げた作曲家として知られているくらいか。

サンス自身の作曲も、ギター曲の印象が強く、
王侯貴族が、ゴージャスに聴いた音楽という感じではない。
純粋な器楽曲に耳を澄ます若い姫君というのも、
ちょっと、違う感じがする。

もしも、レオポルド1世が、
あんなに音楽気違いでなければ、
「いいかげんにせい、
わがヴィーンにはイタリアから、
ボヘミアまで作曲家を取りそろえ、
音楽なら何でもあるではないか」
とプライドを傷つけられ、
「スペインに何があるんじゃ」、
と怒りそうな気さえする。

さしずめ、マルガリータ王女は、
スペイン音楽愛好家にとっては、
スペイン音楽後援会名誉総裁などとして。
位置づけても良いのかもしれない。

そのせいか、というのも強引かもしれないが、
フランスの古楽のレーベルで、
好録音でも有名なASTREE(アストレ)が、
「ESPANA」(スペイン音楽のアンソロジー)
というサンプルCDを出した時にも、
この王女の肖像が表紙を飾った。

このレーベルは、フランスの名プロデューサーで、
2006年に亡くなった、
ミシェル・ベルンシュタインの創設したレーベルらしい。
スペインの古楽の星、ジョルジュ・サヴァールを
EMIから引き抜いての事業であった。

M.ベルンシュタインは、
VALOIS(ヴァロワ)という、
古楽以外のレーベルも設立していて、
スペイン音楽のアンソロジーを作るには、
こちらの音源も必要だったので、
このCDの表紙には、二つのレーベル名が並んでいる。

なお、これらは、AUVIDISという会社に
買収されており、このCDには、
この社名も入っている。
恐ろしく複雑な経緯のものであることが、
表紙の左下に並ぶロゴによっても読み取れる。

なお、AUVIDISもまた、
1998年に、
naiveに買収されてしまったので、
これらのレーベルで録音された音源は、
naiveからも出ているのがややこしい。
なお、この際、サヴァールも離脱している。

このCDは、前述したように、
サンプルCDなので、
ブックレットを見ても、解説はなく、
寄せ集めした際の各曲の、
元のCDのカタログになっているだけであるが、
20枚以上のCD表紙のカラー画像が出ているので、
めくっているだけで幸せな気分になれる。
各CDがそれぞれ、絵画を中心にした、
素敵な装丁が施されているからだ。

大部分がアストレのもので、
ヴァロアのものは、
アルベニス、ファリャ、ジェラール作曲のもののみ。

また、このCDは、録音が素晴らしい。
雰囲気たっぷりの中、
様々な楽器特有の音色が冴えている。
スペインというタイトルのもと、
適当に持ってきたはずの内容だが、
どの曲も美しく響くので、
全体の統一感など気にならず聴き進んでしまう。

楽器編成も様々で、
チェンバロ、オルガン、ビウエラ独奏、
合奏、オーケストラ、独唱、合唱と、
まったくてんでんばらばらで、
本来であれば、
それぞれのオリジナルCDを聴くべきであろう。

しかし、上述のように、
めちゃくちゃな変遷を経たレーベルなので、
これら全部を集めるのは大変なのではなかろうか。
それを別にしても、どんどん聴けてしまう。

Track1.は、「シビラ(巫女)の歌」からで、
10世紀から11世紀のものとされる、
「ラテンのシビラ」の抜粋が6分聴ける。

サヴァール夫人、故モンセラット・フィゲラスの
十八番だったらしく、
ここでも、聖堂内の豊かな残響の中、
らっぱであろうか、エキゾチックな角笛のような独奏のあと、
たっぷりとした合唱の中から、
サヴァールのヴィオールと、
彼女の澄んだ声が浮かび上がる様は、
完全に異空間に我々を連れ去る。

このあたりは、かなり異教的なものを感じるが、
スペイン独特の要素があるのかないのか、
不勉強にして分からない。
オリジナルCD表紙は天使のタイル画のように見える。
少々、イスラム風かもしれない。

フィゲラスは42年生まれなので、
45歳くらいの時の声である。

Track2.
スペインの16世紀の作曲家、
バルトロミュー・セルセレス
(Bartomeu Càrceres)の
「ビリャンシーコとエンサラーダ」で、
打ち鳴らされる太鼓を背景に、
管楽器のアンサンブルが、晴朗な合奏を繰り広げている。
これもサヴァール指揮。

オリジナルのCD表紙は、古雅な聖母像である。

Track3.
流麗なハープの弾奏が美しいので、
これは、と思うと、ラマンディエのものであった。
歌が入って来て、いっそうぞくぞくする。

有名なアルフォンソ賢王
(アルフォンソ10世)の「マリアの頌歌」である。
13世紀の名君とされるが、
音楽ファンにとっては、
400曲以上の聖母頌歌を編纂したことで重要。
ここでも384番のカンティーガ(頌歌)が歌われている。

オリジナルCDの表紙は、
アルフォンソ10世のもとに
馳せ参じる人々が描かれた絵である。

このような曲になると、
ケルト文化的というか、
ヨーロッパの源流のようなものを感じてしまい、
スペイン的かどうかわからない。
ラマンディエが早口言葉的に歌うのが、
独特のリズム感を感じさせる。

アルフォンソ10世編纂のカンティガは、
かなり多くの演奏が録音されているから、
別の機会にでも、改めて紐解いてみたいものだ。

Track4.
作者不詳「Propinan de Melyor」
勇壮な太鼓に金属的な鳴り物が入り、
らっぱが吹き鳴らされ、
いかにも異教的な音楽である。

コロンブスの時代のもので、
オリジナルCDの表紙は、
船が新大陸に到着したところを描いたものであろうか。

Track5.
いきなり撥弦楽器のリズミカルな弾奏に、
サヴァールのヴィオールが、
情緒的にからんでくる。

太鼓がどんどんと響き、
エキゾチックな雰囲気が満ちて来て、
男声合唱が、単調ながら陶酔的な歌を聴かせる。

「el cancionero de palacio(宮廷の歌本)」
(サヴァール指揮、エスペリオンXX)
というアルバムから、
「3人のムーア人の娘」という、
15世紀の古謡らしい。

これは、スペインの名歌手
ピラール・ローレンガーが、
ドイツのギターの巨匠、
ジークフリート・ベーレントの伴奏で
歌った名盤がグラモフォンにある。

このアストレのCDのリッチな伴奏と、
男声の合唱の迫力とは大違いだが、
確かにメロディは同じである。

ローレンガー盤の濱田滋郎氏の解説によると、
「王宮の歌曲集」に収められているもので、
「アラブ風のビリャンシーコ」だという。

ムーア娘に誘惑された男の歌であるが、
「私のこころを虜にする」という部分以外は、
彼女らがオリーブを摘みに出かけた、
という意味不明というか、意味深というか、
へんてこな展開を見せるもので、
未練というか虚しさというか、悩ましいもの。

オリジナルCDの表紙は、
細密画であろうか、
男女が王冠を戴いているので、
カトリック両王、
フェルナンド2世とイサベル1世
に違いあるまい。

この時代の歌曲集ということだが、
15世紀も大詰めで、レコンキスタが成り、
ムーア人にとっては受難の時代であろう。

Track6.
ここで、
ビウエラ独奏(ホプキンソン・スミス)が来て、
編成がいきなりすっきりするが、
スペイン風という貫禄か、
極めて反響が独特な音色の魅力かで、
それほど違和感はない。
1536年の「マエストロ」と題された曲集より、
典雅な微笑みを感じるパヴァーヌ4番。

スミスはアメリカ人ながらサヴァールの盟友で、
この後の曲にもしばしば登場する。

オリジナルのCD表紙は、
天使がリュートを弾いている絵画。

Track7.
太鼓が打ち鳴らされ、
ビウエラもやかましく、
らっぱも鳴る中、
合唱とフィゲラスが歌いかわす。

こういった感じの曲は前にも出て来たので、
スペイン風に聞こえるが、
サヴァール風とも言えないのだろうか。

15世紀から16世紀スペインの
詩人であり劇作家であり作曲家であった、
ファン・デル・エンシーナ作曲の
ロマンスとビリャンシーコより、
「¿Si Habrá En Este Baldrés?」。

これは、かなり猥雑な歌のようで、
「皮袋の中を開けたなら」とか題され、
「街の3人娘、上流気取り女から、むしり取り
3人分の上着のために足りない帯を探しに行った」
という内容だという。

この曲も有名な曲らしく、
ネット上に演奏風景の動画もたくさん出ている。
どの画像でも合唱になりもの多数で、
当時のエネルギッシュな民衆パワーみたいなのを感じる。

こうした音楽は、
どんなCDに収録されているか、
探すのが難しいから、
このようなダイジェスト版で聴けるのは、
ラッキーと考えて良いかもしれない。

しかし、歌詞等がブックレットにないのは、
ものすごく困るのでやめて欲しい。

この作曲家は、恐怖のアルバ公の付人だったらしい。
田園劇を創作し、当然、自ら作詞作曲した。
イタリアの音楽(マドリガル)を
スペインにもたらした人とも言われる。

オリジナルのCDの表紙は、
ヒエロニムス・ボスの「干し草車」。
何故に、フランドルの画家か?
と思うが、何と、フェリペ2世が持っていたらしい。
アルバ公は、フェリペ2世の代官であるから、
かなり繋がっている。
干し草の上には、ビウエラを弾いている人が描かれている。
干し草は、この世の富の象徴らしい。

「太陽の沈まぬ帝国」を作り上げた人の時代、
確かに、富の奪い合いの光景は、
日常茶飯事だったのだろう、
などと納得してしまった。

Track8.
サヴァール節全開のヴィオールの闊達な演奏。
16世紀のナポリの楽長、
ディエゴ・オルティスのリチェルカーダ。
1分17秒で疾走する。

イギリスのヴィオール・コンソートは、
よく話題になるが、
スペインにおいても、
ヴィオール重視の時代はあったということか。

オリジナルCDの表紙は、
デューラーの弟子、
1484年生まれの画家、
ハンス・バルドゥングの肖像画だという。

Track9.
ふたたびルイス・ミランの曲だが、
今回は歌曲。
ホプキンソン・スミスのビウエラ伴奏で、
フィゲラスが清楚な声を聴かせる。

ネット検索すると、
平井満美子という歌手の
コンサートのHPが見つかった。

「愛は誰が持っている?
最後にはあなた達のもの
それは彼女のものではない。
愛は誰が持っている? 
はるかカスティーリャの人は愛を娘に捧げる。」
と、そこでは訳詩されている。

オリジナルCD表紙は、
悲嘆にくれた女性の顔の絵である。

Track10.
華やかなオルガンが響き渡るが、
キンベルリー・マーシャルが弾く、
カベソンのFabordonとある。
約3分の作品だが、いくつかの部分からなる。

オリジナルCD表紙は掲載されていないが、
「イベリア半島のオルガンの歴史」という、
壮大なタイトルだったようである。

Track11.
カベソンのオルガンの後は、
モラーレスのミサ曲。
「Pie Jesu Domine」
(慈悲深き主よ)
カベソンといい、モラーレスといい、
黄金期ルネサンス・スペインを出ていない。

半分ほど聴いたが、
なかなか、マルガリータ王女の時代の音楽にはならない。
しかし、非常に心洗われる音楽で、
やはり、スペインの音楽を語るには抜かせない。
ビクトリアが出てこないのが不思議だ。

モラーレスもオリジナルCDは掲載されていない。

Track12.
アロンソ・ムダーラのビウエラ曲。
1546年の曲集からのようだが、
歌謡的なメロディに装飾がついて、

カベソンらと同時代の人だが、
この曲などは、かなり近代的な感じがする。
ホプキンソン・スミスも乗っていて、
とても爽快である。

オリジナルCDは、ギターを弾く人の絵。

Track13.
いかにも南国の風を感じさせる合唱曲。
ここでも、太鼓がずんどこ鳴って、
木のばちがばちばち鳴っている。
やはりサヴァール指揮のエスペリオンXX。

エンサラーダと呼ばれる、世俗的なフュージョン。
フレッチャ作曲のLa Bombaとある。
フレッチャは、また古い時代の人だが、
非常に楽しく、リズム感がスペイン風である。

オリジナルCDは、何故かマリアと御子と、
東方の博士が出ている。
かなり騒がしいクリスマスではないか。

Track14.
これはさらにどんぱち言う音楽。
これはしかし器楽曲。

だんだんクレッシェンドして、
ラヴェルのボレロではあるまいな。
「La perra mora」
ゲレーロの曲とされていたりする。
「ムーアの雌犬」というものだろうか。
2005年にサヴァールが来日した時の記録に、
ペドロ・ゲレロ、
「ムーアのメス犬(器楽演奏)」(身分あるはしため)
とある。

オリジナルCDは、
カルロス5世の宮廷音楽ということで、
またまた16世紀前半になってしまった。
かくも、黄金時代の吸引力は強いものなのであろうか。

スペインの17世紀は、没落の世紀であったが、
音楽もなくなってしまったのだろうか。

しかし、CD収録曲も、
もうのこすところ1/3で、
遂に、17世紀の作曲家が来た。
ただし、2分半の短いバロック・ギター曲。
Track15.
フランチェスコ・ゲラウ(1649-1722)
の「カナリオス(カナリア舞曲)」。

生まれた年は、ほとんど、
マルガリータ王女と同じ。

先ほどから出ている
ホプキンソン・スミスの演奏で、
ビウエラよりは、
力がある楽器と言えるのだろうか。
非常に優美かつ技巧的、流麗な感じ。

とはいえ、この孤独な音の向こうに、
ハプスブルクの姫君の姿を垣間見るのは、
束の間の幻影でしかない。

オリジナルCDの表紙は、
ギターを弾く青年を描いたもの。

Track16.
セレロールスのミサ曲より、「グローリア」。
ミサ曲には、「戦争」という名前が付いているが、
とても、清澄な音楽で、
セレロールスが、ビクトリアなどより若い、
1618年生まれの人であることを再認識した。

カタロニアの団体を指揮しているが、
やはりサヴァールの指揮による。

オリジナルCDは、
横たわるキリストの横で嘆くマリアの絵で、
「スターバト・マーテル」という感じ。

Track17.
アントニオ・ソレールのチェンバロの音楽。
ソナタのアレグロをアスペレンが弾く。

ものすごく表現主義的などろどろとした音楽で、
1729年の生まれの作曲家で、
あっさり18世紀に入ってしまった。

オリジナルCDは、12巻からなるすごいもので、
表紙はエル・エスコリアル宮であろうか。
もう、マルガリータ王女の実家の、
スペイン・ハプスブルク家は途絶えた後、
ブルボン朝になってからの宮廷楽人。

Track18.
またまた、モンセラート・フィゲラスが登場。
岩波文庫にも、「オルメードの騎士」という戯曲が入っている、
ロペ・デ・ベガという16世紀から17世紀の戯曲作者の、
台本による舞台作品からの歌であろうか。

元のCDのタイトルは、
バロック期スペインのインテルメッツォとある。
タワーレコードHPには、
「黄金世紀の口直し―ロペ・デ・ベガとその時代 1550-1650」
と題されていた。

作者不詳の「jacara no hay que decirle el primor」
という題名だが、非常に小粋で、
打楽器もカスタネット的な動きを見せる。

機械訳では、
「陽気なダンスは、彼に美しさを語るために必要ない」
となった。

この曲になると、完全にスペイン的要素が感じられるが、
何時頃の音楽なのだろうか。
これもネット検索してみると、
大量に演奏風景の動画がアップされているから、
この辺りの音楽を愛好する人には、
よく知られた歌曲だと考えられる。

この「jacara(ハカラ?)」は、英語のWikiには、
演劇やダンスに伴う、器楽伴奏のアラブ起源の歌曲とあり、
まさしく、そんな勢いを感じる。
どうも日本では、知られているかどうかわからない。

先入観としては、
スペインからヴィーンに出て来た
マルガリータ王女が、
こうした音楽を聴きたくなった、
というストーリーなら、
何となく肯けるような気がする。

オリジナルCDは、合奏している男女の姿を描いた絵画。

Track19.
アントニオ・メストレスのオルガン曲で、
「トッカータ」とある。
奏者はフランシス・シャペレットで、
スペインのオルガンの歴史の第9巻とある。

これも、バッハの次の世代という感じの、
解放感を感じる。

Track20.
これまで聞いて来た曲の中では、
もっとも不気味な葬送行進曲風の、
オーケストラ付合唱曲。
黒々と太鼓が響き、
らっぱが吹き鳴らされる。
フィゲラスがカタロニアの古謡を集めた、
「De La Catalunya Mil-lenària」というアルバムから。

しかし、「Els Segadors(収穫人たち)」というのは、
カタロニアの国家だそうである。
ウィキにも、
「スペインの圧制に対して起きた
1640年の収穫人戦争時に生まれた。」などとある。

ほとんど、民衆蜂起の歌だとしたら、
同時代に歌われていた歌だとしても、
マルガリータ王女が聴きたい歌ではなかろう。

Track21.
フェルナンド・ソルの歌曲で、
これは、オリジナルのCDの表紙が
ゴヤの「日傘」なのが明るくて素敵だ。

しかし、これはもう19世紀の人である。
ちなみにギターは、ホセ・ミゲル・モレーノが担当。
後にグロッサ・レーベルを立ち上げる人だ。

ここまで、わりと、すんなり、
統一感も何となく感じながら聞いて来た。
ただし、続いて、ハイドンが混ざっているのは、
さすがに違和感がある。
ハイドンは、スペインからの依頼で、
「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」
を作曲したからで、ここでも、Track22.で、
その終曲、「地震」が、サヴァールの指揮で収められている。

この後(Track23.)の
マルティン・イ・ソレールの
コミック・オペラ「椿事」からの、
「Viva viva la Regina」は、
コケティッシュで楽しい声楽が聴け、
非常に楽しい事を特筆しておく必要がある。
これまた、声楽アンサンブルも、
伴奏も恐ろしくジューシーな録音である。
これもサヴァール指揮のもの。

この後、明らかにマルガリータ王女とは異なる雰囲気の、
Track24.
アルベニス「イベリア」より「港」の管弦楽版、
(ガルドゥフ指揮のヴァレンシアの楽団)
Track25.ファリャの「三角帽子」終曲、
(コロマー指揮スペイン国立ユース管弦楽団)
Track26.ジェラールの「舞曲」
(ペレーツ指揮シンフォニカ・デ・テネリウフェ)
が続いて終わるが、
どれもさすが本場なのか、
血が通った噴出するような表現が聴けて素晴らしい。

得られた事:「マルガリータ王女が聴きたいスペイン音楽が、このCDの中にあるとすれば、インテルメッツォ、『陽気なダンス』のようなものだったのではないか、というのが私の妄想。」
「仏アストレ・レーベルのスペイン音楽ダイジェスト版は、、録音の良さで、どんどん聴き進んでしまう。サヴァールがほぼ全曲を担当しているせいか、意外な統一感で約1000年の歴史を垣間見ることができる。」
「アストレ時代のサヴァールは、naiveレーベルに吸収されており、市場ではかなり混乱をきたしているので、要注意である。」
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by franz310 | 2016-03-13 19:53 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その381

b0083728_1641329.jpg個人的経験:
エルガーのオーケストラ歌曲、
「海の絵」を聴いて、
同様の題名を持つ
ショーソンの傑作を、
同じベイカーの歌唱で
聴きたくなった。
1965年録音のエルガーは、
若い頃(32歳)のスタジオ録音で、
少々、硬い感じがあったが、
この75年のライブはどうか。
エルガーこそ収録されていないが、
うまい具合に、このCD、
こんな風に解説が始まっている。


「BBCのアーカイブからの録音シリーズは、
メジャー・アーティストの例外的な演奏を多く発掘してきたが、
とりわけ重要なのは、ジャネット・ベイカーのもので、
彼女がスタジオ録音よりも、
ライブでとりわけ発信力のある歌手だったということを、
確信させるものである。」

これは、ここにあるとおり、
イギリス放送協会BBCが、
恐らく、放送に使った昔の音源を発掘して、
20ビット・リマスタリングでCD化した、
BBCレジェンド・シリーズの1枚で、
伴奏が、英国人でもなく、かといって、
ショーソンと同じフランス人でもない、
ロシアの巨匠、スヴェトラーノフが、
「愛と海の詩」を振ったことでも話題になったもの。

オーケストラは、ロンドン交響楽団で、
バルビローリが「海の絵」を振った時と、
同じオーケストラである。

なお、このCD、ジャネット・ベイカーの
スナップ・ショット的な写真も、
好感が持てるものである。

紫を基調にして、微妙な色合いが上品だが、
この色調は、「夏の夜」的ではあっても、
「愛と海の詩」的ではないような気がする。

シューベルトの時代のサロンとは異なり、
19世紀後半の後期ロマン派の作曲家たちは、
コンサートを前提として、
伴奏をオーケストラにして歌曲を書いたが、
私は、この「愛と海の歌」あたりが、
一番の傑作ではないかと思っている。

このCD、かなりお買い得感があり、
ベルリオーズの歌曲集、「夏の夜」とか、
シェーンベルクの「グレの歌」から、
「森鳩の歌」なども収録されている。
収録時間が75分もある。

驚いた事に、この「夏の夜」の録音は、
伴奏がジュリーニ指揮のロンドン・フィルなのに、
ショーソンと同じ1975年、
いちおう一か月ずれて4月と5月にだが、
同じロイヤル・フェスティバル・ホールで行われており、
当然、どちらもベイカーが歌っている。

これら大曲を一か月の間をあけただけで、
ロンドンの聴衆にお披露目するとは、
彼女はすごい人気者だったということか。

その時、ロンドンにいて、
どちらかを選べと言われたら、
どっちを聴くだろう、
そんなわくわく感を、
この事実だけから感じてしまうではないか。

2001年にAlan Blythという人が書いた
解説を見てみると、最初にベルリオーズが語られている。

「このディスクでは、主に、
彼女のフランスのレパートリーを収めている。
これらは、彼女のリサイタルや録音での、
ドイツ歌曲、英国歌曲が重要視されるのに対し、
時に忘れられているもので、
彼女は、すぐれたフランス歌曲、
フランス・オペラの解釈者なのである。
事実、それらのうち、うまい具合に、
スコティッシュ・オペラや、
コヴェントガーデンでの「トロイ人」における、
忘れがたい彼女のディドを、
聴くことが出来た幸せな人が証言するように、
彼女のベルリオーズの歌唱は別格であった。
ここに書いたように、
それは、音楽を手中にする完全な献身や、
歎きから喜びの間に、
瞬間的にムードを変えられる天性の技術を示している。
これらの才能を証明するものに、
ベルリオーズが同時代人、
ゴーティエの6つの愛の詩を作曲した、
歌曲集『夏の夜』をおいて他にない。」

このように、ベイカーのベルリオーズとの
親近性から、解説が始まっている。

ショーソンを聴く前に、
このベルリオーズを聴くことに、
私は、まったく違和感を感じない。

むしろ、エルガーの「海の絵」に近いのは、
こちらであり、各曲は独立していて、
しかも、「入り江」や「島」が出てきて、
海を感じさせる曲集であることでも類似性がある。

しかも、歌われているのは、
「海」ではなく「愛」である。

ゴーティエは、1811年生まれだから、
シューベルトなどより若いばかりか、
ベルリオーズよりも若い。

エルガーが、時代遅れの詩を選んだと揶揄されるのに対し、
または、シューベルトが、音楽の可能性を広げるために、
意識して前衛的な詩を選ぶようになったのに対し、
ベルリオーズは作品7にして、
自分より若い詩人を選んでいる。

とはいえ、1803年生まれのベルリオーズは、
これらの歌曲を、
1834年くらいから作曲を始めたというから、
シューベルトが同時代人ハイネの詩に
作曲を始めたくらいの年と変わらないとも言える。

テオフィル・ゴーティエと言えば、
岩波文庫に「死霊の恋」とか「ポンペイ夜話」などがあり、
幻想的な小説を書く人としても知られている。

さて、このベイカーのBBCのライブ録音には、
このように書かれた部分がある。

「デイム・ジャネット・ベイカーは、
この歌曲集を、8年前に、
やはり深いロマンティックな心情の持ち主であった、
バルビローリの指揮で録音している。
ジュリーニの指揮は、いくぶん気だるく、
彼のゆっくりとしたテンポは、
歌手の難しいブレス・コントロールの限界に近い。
しかし、ベイカーは、指揮者と一体化し、
歌曲集に底流する感情を探ろうとする読みを聴かせる。
バルビローリ指揮の同様に魅力的なアプローチに対し、
この演奏は価値ある補足であり、コントラストをなしている。」

ということで、私が持っている
EMIのICONシリーズが出番となる。

この5枚組二千円程度の超廉価盤、
イコン(アイコン?)シリーズの、
「Janet Baker」の解説を読むと、
John Steaneという人が、
「愛されたメゾ」というタイトルで書いていて、
やはり、このCDボックスにおいても、
この曲が聴きものの一つであることが確認できる。

そもそも、このICONシリーズは、
EMIがブリリアント・レーベルの向こうを張って、
特定のテーマで、出ているCDをいっさい合切、
同じボックスに入れたもの、と感じていたが、
必ずしもそうではないようである。

ベイカーのボックスには、
一枚目にブラームスやワーグナー(指揮はボールト)、
二枚目にベルリオーズやショーソン(バルビローリとプレヴィン)、
三枚目にマーラー(バルビローリ)、
四枚目にバッハやヘンデル(指揮者いろいろ)
五枚目にシューベルトやシューマン(ピアノはムーアやバレンボイム)
が入っていて、
多彩な演目が、特定のテーマで選ばれている感じ。

このボックスの解説には、
「ある人は、ソプラノのような高い声を好む人もいて、
これは少なくとも3人の歌手が歌う、
単独の声部のための作品ではないという人もいるが、
ベルリオーズの『夏の夜』の録音は、
古典的なステータスを持つものとして賞賛されている。
ベイカーとバルビローリの盤では、
最初の曲の鋭いリズムと、
最後の曲『未知の島』の微笑ましい魅惑が、
特に我々をひきつける。
人は、これこそ、実際の現実に誘う、
真のパートナーだと感じる。
間に挟まった歌曲は、
事実、内的な感情のもので、
『君なくて』の不在感の暗い声色、
抑制された情熱を感じさせる『墓地にて』では、
声とオーケストラと指揮者が一体となって、
これを表現している。」
と書かれている。

日本では、バルビローリは、
マーラーやディーリアスの専門家として親しまれたから、
ベルリオーズに期待した人はいなかったのではないか。

私は、これまで、ベイカーの歌ったもので、
バルビローリが指揮したものは、
「海の絵」かマーラーくらいしか
意識したことがなかった。

そもそも、「夏の夜」が、
まともに鑑賞され始めたのは最近のことではないか。
しかし、確か、ハロルド・ショーンバークだかが、
ベルリオーズのメロディはしょぼい、
と言われる意見に反対して、
この歌曲集を聴け、とか書いていたはずで、
これらの曲は、知る人ぞ知る名品なのである。

だが、LP時代には、
デイヴィスのものやアンセルメといった、
その道のスペシャリストと言われた指揮者が、
細々と録音していたイメージである。

ラプラントが男声で歌ったものもあったが、
あれなどはまさに、フランス歌曲集の流れで、
取り上げられた印象が強烈であった。

ベイカーは、コンサートでも、
レコードでも、実は、こうして、
ベルリオーズに傾倒していたようだ。

そもそも、「トロイ人」のディドで鳴らした、
というのが、かなり例外的ではなかろうか。

では、BBCレジェンズの解説を見ながら、
各曲を聴いてみよう。
残念ながら、歌詞はついていないのだが。

「これらの最初と最後は、明るく外交的であるが、
他の四つは凝集していて激しい。
デイム・ジャネットは、『ヴィラネル』の単純な陽気さを、
それに相応しい新鮮で開放的な色調で捉えている。」
Track4.
「新しい季節が来たら、ふたりで森へ行こう」
みたいな内容の詩で、
中間部では、
「この苔の長椅子で君の声を聴かせておくれ」
とあって、
最後は、
「帰ろうよ、苺を持って森から」とあるので、
恋人たちは、一応、全行程を踏破した模様。

これは、67年8月23日、まさに夏に、
バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管と
録音したものの方が、春のときめきは良く現れている。
「ベイカーとバルビローリの盤では、
最初の曲の鋭いリズム」が良い、
と書いてあったが、
バルビローリは、ファゴットなど木管の音形を際立たせ、
いかにもマーラーの自然描写みたいに聴かせる。

ジュリーニは、重心が重い指揮ぶりで、
ベイカーは、小粋な感じを出すのに、
時折、スナップを効かせるように苦労している。
これは、2分半ほどの小品だが、
一応、一枚で完成した絵になっている。

が、私は、この曲の情景描写は、
シューベルトの粋には達していないように思う。
言葉に鋭敏に反応しているようにも思えない。

それにしても、いきなり春の歌で、
まったく、「夏の夜」というタイトルに相応しいとは思えない。

「より音色の暗めな『ばらの精』は、
ベルリオーズの主観性を要約した、
歌の中の音楽と言葉の情熱的な壮大さを放射している。」
Track5.
これは、かなり緩やかな音楽であるが、
詩情漲る序奏から、強烈な音楽で、
バルビローリは、なんだか唸り声を上げながら、
情念を注ぎ込んでいる。
ベイカーも、その表現力豊かなオーケストラの色彩の中、
神々しいまでの歌唱を聴かせる。

ジュリーニは停止寸前の音楽である。
8分程度を要し、かなりの大曲。
解説の人が「情熱の壮大さ」と書いたゆえんであろう。

「私は、あなたが舞踏会でつけていた
ばらの精」だと言って、乙女の夢に現れる。
モノローグの音楽。

このばらの精の性別は分からないが、
「私に死をもたらしたあなた」とか恨み言を言いながら、
「この香りこそ私の魂」、
「天国から私はやってくる」と言って、
(このあたりのオーケストラの色彩感は目くるめくものがある)
夢枕で踊るので、女性なのだろうか。

この精は、「あなたの純白の胸で死ぬ」とか言っている。
そして、「あらゆる王を嫉妬させた一輪のばら」という
宣言のような一節で終わる。
バルビローリは一瞬、一瞬に魂を埋め込んでいくような、
血管が膨れ上がったような集中力を見せる。
先に触れたオーケストラの色彩も、
魔法のように素晴らしい。

ジュリーニ指揮の方は、
より脱力感のあるののであるが、
のびやかな詩情がある。
「星がきらめく宴会で、あなたは私を連れ歩いた」
という部分の憧れの念。
ただし、放送録音のせいか、
オーケストラの楽器の分離は、それほどでもない。

この曲のみ、「バラ」という季語もあるし、
眠りもテーマで、「夏の夜」というタイトルに相応しい。

『入り江のほとり』は、
茫然とした歎きの感情を表し、
正確にそれがベイカーによって伝えられている。」
Track6.
これは、いかにも海鳴りを感じさせる、
「海の絵」になっている。

が、詩を見ると、まったく入り江の事は出てこず、
先に死んでしまった美しい恋人への思いが嘆かれて
爆発するように繰り返される、
「ああ、愛もなく海へ船出していくとは」
という言葉が入り江を暗示するだけである。

この歌曲は、歌曲というよりも、
発想としてはオペラ的で、
伴奏がぼわーっと盛り上がって、
「ああ、なんとあの人は美しかったか」
などと、類型的な激情が重視、強調されている。

「白い体が棺桶に横たわっている」の所で、
楽想が変わるが、これは、特に言葉に反応したわけではなく、
むしろ、音楽に変化をつけたためと思われる。

ただし、
「私の上には巨大な闇が死衣のように広がる」
の所では、歌手には低い声が要求されており、
バルビローリの指揮では、
さらにわかるが、
「置き去りにされた鳩は泣き」のような部分には、
ものすごく雄弁なオーケストラが付けられている。

『君なくて』にかけて、
ジュリーニの非常に遅いテンポを楽しむように、
ベイカーはすべての陰影と表現の幅をつぎ込み、
憧れという最大限の感情を歌い上げる。」
Track7.
これは、夢から覚めたような前奏があり、
バルビローリの指揮では、
唸り声が入りっぱなしである。

極めて緊張感の必要とされる、
「かえっておいで」の部分の切望感を、
切実に感じさせる。
この歌曲は、もう、喘ぐように、
歌われては静まり、歌われては静まりの繰り返し。
後奏などでも聞かれる木管のメロディは、
痛切な美しさを感じさせる。

三節でわかるのだが、
恋人は何らかの事情で、遠くにいるみたいである。
ベルリオーズは、イタリア留学で、
恋人と離れていた経験があるから、
こうした感情には親しかったはずである。

バルビローリ盤では5分半程度の歌曲が、
ジュリーニ盤では6分20秒もかけられていて、
ジュリーニの唸り声からしても、
これは、心の痛みを、傷口をいたわるように、
それでも歌い上げようとしている。
この曲あたりになると、
ベイカーの優等生的な側面に加え、
深々とした表出力を、
強靭に感じさせる声の魅力が分かるような気がする。

ほとんど失速寸前の中、
表現力の幅を広げ尽そうとしている。

これらの曲は、「夏の夜」というが、
夏でも夜でもなさそうである。

「この二人のアーティストは、
墓地を訪れた時に起こる宿命感を歌った詩につけた、
暗い色の『墓地で』の音楽で要求される、
予感のような感情をすべて生み出している。」
Track8.
この曲は、もっとも、陰惨なイメージのタイトルであるが、
最も鮮やかな一瞬を持つ歌曲である。
ほとんどモノローグ調であるが、
「白い墓のところで歌っている鳩の歌を知っていますか。
病的なほど甘く、抗しがたく、
愛の天使が天国で嘆息しているような」
といった、妄想の前半。

中間部では、大地の下では、魂が目覚めて、
涙を流しているとある。

ここまでは良いが、
後半は、かなりやばい感じである。
「その調べの翼にのって
思い出がゆっくり戻って来る」
というところまでは良い。

実際、ジュリーニ盤では、
弾けるように、木管が美しく歌いだし、
思い出が回想される効果が素晴らしい。

が、
「天使の形の影が白いヴェールを覆って、
光線の中を通り過ぎる」とは何か。
バルビローリ盤では、この部分の、
亡霊のような影が現れる様を、
妙にリアルに可視化している。

ジュリーニ盤では、こうした小細工はない。

また、最後は、幻影は、
「あなたは戻ってくるだろう」と話かける。
それを聴いて、もう、私は、
鳩の歌を聴きに行ったりはしない、
と言うのである。

おそらく、死の国からの使者に、
魂を持って行かれそうになるのを、
すんでの所で自制した、という内容なのであろう。

私は、この光景には、秋の虚ろな心情が重なり、
夏のイメージは受けなかった。

「特にベイカーの解釈によると、
『未知の島』は、主人公が、永遠の愛のある、
未知の場所へのに思いを巡らすかのように、
暗さを晴らしていく。」
Track9.
確かに、この中間の4曲は、暗かった。

「美しい乙女よ、言ってください。
どこに行こうとしているのですか。
そよ風が吹き始めます」という、
歌詞が前後にあって、中間部に妄想満載である。

が、「夏の夜」というには、一曲目同様、
「春風の到来」みたいなのを感じさせる音楽だ。

「ここはバルト海か、ジャワか」
などと、主人公はかなり混乱しているが、
レチタティーボ調で、
オペラの軽妙な一幕を思わせる。

喜ばしげな浮き立つような音楽が、
全編を支配して、
「美しい人」が、
「いつも愛し合える真実の岸辺に連れて行って」
などと言いだすに至る。

その混乱の喜びを正当化する音楽の推進力は、
どちらの盤も同じだが、
ベイカーの声は、さすがにライブの方に、
勢いと自信が感じられる。
ジュリーニの指揮も、海原の高鳴りを強調して、
より劇的かもしれない。

このように聴いて行くと、ベイカーは、
34歳と42歳の時の録音なので、
さすがに成熟と一発勝負的な勢いで、
BBCの記録が貴重なのはよく分かった。

ただし、バルビローリ指揮の伴奏は、
ものすごく緻密な計算を感じさせ、
指揮者の思いが溢れかえっているという意味で、
スタジオ録音とは言え、
一期一会的な緊張感を感じさせるのも事実。

どちらかと言われれば、録音の優位さもあって、
私は、バルビローリ指揮のスタジオ録音を取るであろう。

バルビローリといい、ジュリーニといい、
マーラーの演奏で鳴らした指揮者が、
ベルリオーズを取り上げ、それぞれの見方から、
料理する様が味わえたことも収穫であった。

マーラーとベルリオーズを繋げるのは、
インバルなども強調していたことである。

ジュリーニはブルックナーなども得意とするだけあって、
悠然とした純音楽的な表現で聞かせ、
バルビローリはディーリアスなどが得意であるだけ、
細部の配慮や強調に特色があり、
非常に細密な曲作りをしている。
それゆえに、マーラーなどでは、
時に線の細い、たくましさに欠ける演奏があった。

それにしても、ベルリオーズは、
1860年に、シューベルトの「魔王」を、
オーケストラ伴奏版に編曲している
ことからも類推できるとおり、
言葉の描写においては、
怪奇方面の妄想に敏感で、
シューベルトならもっと反応したであろう、
「星」とか「天国」という言葉には、
まるで無頓着であることもわかった。

今回は、このCDのショーソンまでは、
手が回らなかった。

得られた事:「ベイカーの聴き比べをしようとして、指揮者の個性が比較できたという貴重な体験。」
「ベルリオーズの『夏の夜』は、むしろ春の芽吹きを感じさせる2曲の間に、季節感のない情念と幻想の4曲が挟まれた歌曲集。」
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by franz310 | 2013-06-09 16:42 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その380

b0083728_23341927.jpg個人的経験:
フェリアーや、ベイカーといった、
英国の名歌手でさえ難色を示す
エルガーの歌曲集「海の絵」は、
録音が多い作品ではないが、
英国音楽ファンには忘れがたい、
ヴァ―ノン・ハンドリーの指揮で、
アイルランドのコントラルト、
ベルナデット・グリーヴィイが
歌ったCDがEMIにある。
ロンドン・フィルの演奏。


これは、廉価で鳴らした、
「clessics for pleasure」シリーズのもの。
が、表紙の美しい絵画(ジョン・モグフォード作の、
『ティンタジェルの日没』)も含めて魅力的だ。
同じくエルガーの「交響曲第2番」が収録され、
カップリングとしても優れている。

交響曲の方は、1980年のアナログ録音である。
この交響曲のこの演奏を聴くのは、
このCDが初めてではない。

実は、私は、学生旅行でイギリスに行った時、
この同じ録音を、カセット・テープで売られていたのを、
おそらく、ロイヤル・フェスティバル・ホールの売店で
売られているのを発見し、安かったので買って帰って、
数少ない自分へのお土産としていた。

このテープを私は愛聴し、
当時、それほど知られていなかった、
この大作が、素晴らしく魅力的な
大交響曲であることを、
この演奏から叩き込まれてしまった。

よって、私は、CDが出始めた頃、
バルビローリやボールトの録音が、
復刻されたのを見つけては狂喜したものである。

ということで、ハンドリーは、
私の恩人のような指揮者であり、
実は、ボールトやバルビローリといった、
エルガー教の教祖的な指揮者の演奏を聴いても、
どうしてもこのフレッシュで滋味あふれる演奏に、
まず、指を屈したくなるのである。

解説は、ANDREW ACHENBACHという人が書いていて、
何だか、「ヴェニスに死す」の主人公みたいな感じだが、
簡潔に参考になることを書いている。

「海の絵」は後回しにして、この「第2交響曲」が、
いかに素晴らしいかを、この解説で読んでみよう。

「『彼らに何が起こったんだ、ビリー。
まるで、ぬいぐるみのブタみたいに座ってるが。』
終演後、エルガーの苛立った観察は、
(彼の親友で、1911年5月初演の、
クイーンズ・ホール管弦楽団のリーダー、
W.H.リードによると)
確かに初演時の聴衆の判断は間違っていた。
『第1交響曲』が熱狂的に迎えられたのと同様の熱狂からは、
『第2交響曲』は程遠く、期待外れに終わったが、
これは、この曲が、前者より、感情的に複雑で、
和声的にも進化させたものであったからに相違ない。
事実、『ヴァイオリン協奏曲』と同様、
『第2交響曲』は、エルガーの最も個人的に深い発言であり、
スコアに書かれた、非常に公的な献辞、
『亡き国王陛下エドワード7世への思い出に』を、
信じてはならず、これは、自伝的な霊感を隠ぺいしている。
例えば、長らく亡くなった国王へのラメントと思われていた、
悲歌風のラルゲット、緩徐楽章は、事実、
1903年の11月という早い時期に、
親友のアルフレッド・ローデワルトが亡くなった時に、
エルガーが打ちのめされた時のものに遡ることができる。」


「エルガーの管弦楽法の想像力は、
この交響曲以上に豊かに働いたことがあっただろうか。
第1楽章の中間部での不吉なエピソード、
情熱的なチェロの憧れにみちたメロディによる、
神秘的な美しさを思い出すかもしれない。
(『私は夏の夜、庭でさまよい歩いた時の、
奇妙な体験の影響で、異常なパッセージを書きこんでしまった。』
(明記されていないが、エルガーの言葉であろう。))
または、同じメロディが、ロンドの第3楽章の中間で、
うなされるように蘇ってくる。
(『熱を出した時に、恐ろしくずきずきと頭の中が痛むような、
がんがん叩く感じを、想像してほしい』と、
エルガーはリハーサルの時に言ったものである。)
さらに、すべての英国の音楽の中に、
複雑なハープの刺繍を伴う、
慰めに満ちた弦楽の音色での、
この交響曲の魔法のようなエピローグのような、
華やかなページがあるだろうか。」

このように、この解説を書いた人は、
本当に、この曲が好きなのであろう、
交響曲の魅力を具体的に描き出してくれて、
大変、ありがたい。

「この大建造物のエモーショナルな要求と、
構成的な要求のバランスをとることは、
いかなる指揮者をも怯ませる仕事である。
この1980年、ロンドン・フィルとの、
力強い記録で、ヴァ―ノン・ハンドリーは、
彼の信頼していた師匠、サー・エイドリアン・ボールトをも、
喜ばせるような正統的な解釈を聴かせる。
他のどの指揮者よりも、
この傑作の評価を定めたのは、ボールトであって、
1920年3月のロンドン交響楽団との、
クイーンズ・ホールでの公演は、
ボールト自身の運命と共に、
この作品の運命のターニング・ポイントとなった。
『第二次大戦の終わり頃、
私はコンサートを聴きに行きました』と、
ハンドリーは回想する。
『自己流の音楽家だった私は、
指揮者がしていることを見て愕然としました。
なぜなら、私が机上の空論で考えていた作品に対し、
こんなにいろんな事が出来るとは思っていなかったからです。
私が最初にボールトを見た時、
私は、むしろ、すべてのアクションが、
音に作用していくところを見たのです。
近年、芸術の華やかな視点に集中した指揮が横行し、
本当の音楽に損失を与えています。
エキサイティングな指揮者とは、
目を閉じて、彼を見ずとも、
興奮させてくれる指揮者であるべきです。
最も色彩的で、官能的なレパートリーでも、
いわゆる、飾り立てた部分は、
主要設計に従うもので、
指揮者の最も重大な仕事は、
これらの最も特別な瞬間も、それ自体ではなく、
もっと重要なものを彩るために取っておくことです。」

このように、ここで演奏している、
ハンドリー自身の真摯な言葉がさしはさまれることで、
この録音を聴きたい気持ちが高まることは言うまでもない。
しかも、下記のように、その言葉を反映して、
紡ぎだされる音楽をこう要約している。

「事実、魅力的な厳格さと、長大な形式論理のセンスが、
ハンドリーの最良の仕事を特徴づけており、
このきりっとした演奏で、
(フィナーレの、素敵な、そして真実味ある、
ソステヌートの弦楽の音色を見れば明らかだ)
正確なペースを刻むエルガーの2番も、その例外ではない。
最後に一言。
最後の楽章の最後のクライマックスで、
(fig.165の後の8小節)
低音のオルガン・ペダルを付加するハンドリーの決定は、
ボールトの回想に従ったものである。
(王室オルガン・カレッジでの1947年の公演より)
『エルガーは、32か64フットのオルガン・ペダルを、
可能なら加えただろう。』」

Track6.
堰を切って流れ出すような、
勇壮な楽想だが、妙に苦み走って、
輝かしさの中に、苦しさがある。

この解説にある、魅力的な厳格さ(compelling rigour)
というものを実感させる、
きりりとした推進力が魅力的な指揮ぶりである。

ホルンの強奏も豪快で、この極めて複雑な構成の大作を、
迷いなくさばく様子、その自信が心地よい。

第2主題は、何となく、亡霊のようなもので、
茫然自失して、内省を通りこして、
人を戸惑わせるものがある。

回想しているような趣きにもなり、
焦燥感に駆られているような趣きにもなる。

たびたび、興奮から一転、高度低下する。
ぶつぶつと途切れながら進行し、
迷路に入ってしまったような音楽だが、
勢いのある楽想が湧き上がって、
各楽器のきらめくような効果のおかげもあって、
何とか進んでいく。

6分5秒くらいから、
夕闇が迫って、不思議な霊がちらつきはじめる。
ハープの微睡と独奏ヴァイオリンの不思議な音色が重なり、
いかにも夢遊病の体験ができる。

8分59秒くらいでは、
この不気味なメロディが本格的に出て、
夏の夜、子鬼たちに取り囲まれるエルガーの姿がある。

解説者が、「第1楽章の中間部で現れる、
情熱的なチェロの憧れにみちたメロディによる、
不吉なエピソードの神秘的な美しさ」と書き、
エルガー自身、「私は夏の夜、庭でさまよい歩いた時の奇妙な体験」
と語った部分で、かなり長い。

金管の強奏、ぱちぱちと弾けるような木管の効果で、
鞭がしなるようにクライマックスが導かれて行くが、
それも、すぐにむにゃむにゃと、言葉足らずに消えたりする。
第1楽章最後は、超人的なエネルギーで終結させているが。

このような音楽で、聴衆が戸惑わないと思う、
エルガーもエルガーである。
ハンドリーの、見通しのよい棒さばきがあって、
何とか導かれて来た感じ。

Track7.
極めて痛切なメロディや、葬送の太鼓が交錯する、
悲しく暗い、しかし、非常に感動的に美しい第2楽章も、
基本的には、テンポも厳格に進行する。

これも管弦楽の音色の魅力が満載で、
エルガーらしい工夫、彫琢のほどこされた、
楽器のコンビネーションやテンポ設計によって、
目くるめく陶酔を伴いながら、
我々を浸らせてくれる。

途中、これまた、喪失感満載の葬送行進曲の楽想が出るが、
ここでひらひら舞う弦楽と木管の装飾に、
まるでゴルゴダの道行くような、
引き摺るような歩みの表現は、
極彩色で彩られた宗教画のように印象的だ。

それでも、音楽は希求しては、諦観するような、
身もだえをくり返して進行して、
痛々しいほどの説得力が生まれていく。
そして、10分50秒くらいで、
決然としたメロディがあふれ出し、
感極まって砕け散る。

再び現れる、抒情的なメロディにも、
ハープや唐草模様の音形の弦楽群が絡み付いて、
マーラーの「第九」のアダージョの進化型みたいな様相さえ呈する。

12分40秒くらいで、音楽は一線を越えてしまう。
このあたり、ブルックナー的なイメージと重なる。
が、ちょっと違う虚無的な終わり方。

ハンドリーの指揮では、この感傷的とも言える楽章を、
みずみずしく、風通し良くまとめている。

Track8.
第3楽章は、急速なパッセージが縦横無尽に交錯する、
軽妙な開始ながら、エネルギッシュな音楽で、
だんだん、戦闘シーンのように、
妙に生々しくスペクタクルなものになっていく。

楽器による主題変容の妙も聞きどころであろう。

だが、妙に他人事で、
心ここにあらず、みたいな、
虚しさ付きまとっている。

風に吹かれてきりきり舞いするような、
楽想も出て、まるで、フランチェスカ・ダ・リミニである。

木管による優美な、しかし、経過句的なメロディが、
遥か遠くを思いやる時に、ようやく真実味が出る。
が、この間も、時々、音楽が空中分解しそうな瞬間は、
多々あって、何とか、それを紡いでいくのが大変である。

このような時に、ハンドリーの指揮は、
小気味よい推進力で、見通し良く進行するので、
安心して身をゆだねることが出来る。

それから、またまた盛り上がって、
タンバリンまで打ち鳴らされて、
戦闘シーンも華やかになる。

第1楽章でさまよっていた子鬼が、
ちらちらと現れ出し、
4分45秒くらいから姿ははっきりするばかりか、
5分を過ぎると、モンスターのように襲いかかってくる。

エルガーが、「熱を出した時に、ずきずきと頭の中が痛むような」
と表現したような、がんがん感である。

6分3秒くらいから、
再び、このロンドを特徴づける、
風に揉まれるような楽句が出る。

最後の盛り上げも、エッジを立てた、
鮮やかなオーケストラ・ドライブが爽快である。

Track9.
終楽章は、これまでのもやもや感を払しょくしてくれそうな、
晴朗な主題が、粛々と現れる。
これが対位法的に立体的に膨らむと、
勇壮な第2主題が出て、
まず、一里塚を形成しながら、管弦楽がさく裂していく。

ハンドリーは、かなりブレーキをかけながら、
このあたりをまとめて行くが、
その後どうなるのだという、
緊張感が高まって、壮大な平原にたどり着く感じ。

ここからは、めまぐるしく楽想が錯綜するところだが、
ハンドリーは、それらを丁寧にあるべき場所に配置する感じ。

トランペットの甲高いファンファーレがあるかと思うと、
なよなよと弦楽が失速して行くなど、
まったく方向の定まらぬ作品で、
奮い立つようにティンパニがリズムを刻んで、
ようやく空中分解を免れている。

改めて、朗らかな主題が出ると、
興奮と高揚、内省などが交錯して進むが、
爆発しても、けっして先を急がない。
その都度、ブレーキをかけながら、
出てくるやんちゃ坊主を次々に、
整列させて行くように、
ハンドリーは振る舞っている。

この過程の中で、充足したクライマックスが築かれており、
そこに、静かに、荘厳なオルガンの音が添えられる。
11分15秒くらいから、11分35秒くらいにかけてである。

高音の清純さにハープがきらめき、
まるで、マーラーの「大地の歌」の最後のように、
人跡未踏の彼方を志向する部分が高まって音楽が終わる。

なるほど、この部分を解説者は、
「複雑なハープの刺繍を伴う、
慰めに満ちた弦楽の音色での、
この交響曲の魔法のようなエピローグ」
と表現したようだ。

また、この録音では、解説にあるように、
この諦観のエピローグの前に、
しめやかにオルガンのペダル音が添えられているが、
私は、このオルガンがあることによって、
この作品の魅力が倍加したことを認めずにはいられない。

どうしてもハンドリーの録音を聴いて、
充実感を感じてしまうのは、
このわずか8小節、20秒だかの、
充足感あってのことのように思えてならない。

奥付には、聖オーガスティンのキルバーンという、
ロンドン北部の教会のオルガンが使われた、
と書かれている。
ウィキペディアには、「北ロンドンの大聖堂」とある。

なお、オーケストラ演奏そのものの録音は、
ワットフォード・タウン・ホールとある。

何と、このオルガン(演奏はデイヴィット・ベル)は、
もう一つの収録曲、
「海の絵」の第3曲「安息日の海の朝」と、
第5曲「スイマー」にも使われているらしい。

では、ハンドリー指揮のCDの解説で、
「海の絵」についても見てみよう。

「エルガーはいまだ、一般聴衆にも批評家にも、
名作『エニグマ変奏曲』によって賞賛に酔っている頃、
1899年7月、『海の絵』に最後の筆を入れていた。
これはコントラルトとオーケストラのための
歌曲集で、3か月後には26歳のクララ・バットが、
(作曲者の回想のように、人魚のような衣装で)
たいへんな成功を収めた
Norwich音楽祭での初演で独唱者を務めた。」

この人魚の服のぴちぴち歌手が、
成功した主要因なのではないか、
などと勘ぐってしまう。

「全部で5つの歌からなり、
おそらく、もっとも霊感を感じて書いたのは、
ロデン・ノエルの詩による、
重苦しく印象的な海景を描いた、
最初の『海の子守唄』と、
第4曲、この上なく感動的な、
リチャード・ガーネットの詩による、
『珊瑚礁のあるところ』
(ハープと木管の楽しげな色彩の断片で終わる)
であろう。」

この解説を書いた人は、
かなり、この作品を評価しているようで、
少しうれしい。

Track1.「海の子守唄」。
びっくりするのは、
心を込めきったオーケストラの繊細な音色である。
グレーヴィイの声は、暗いが格調高く、
内省的な感じすらして好ましい。

オーケストラが風のように舞う中、
決然と進んで行くので、
エルガーの書いたわずらわしい装飾が、
あまり気にならない。

途中で「妖精の光」のあたりで、
軽やかに舞い上がる声楽部を、
エルガーの音符の多いオーケストラが、
邪魔している所も、
そこそこカバーした演奏である。

バルビローリの演奏を聴くと、
録音のせいか、いくぶん、音が籠っている感じ。
若いベイカーも、少し硬くなっている。

ヒコックスの演奏では、
フェリシティ・パーマーもオーケストラも、
すべてが地味な感じである。
楽器の分離も良くない。

今回のCDの解説の後では、
この歌曲が、妙に美しく聞こえるが、
実際、演奏も優れている。

Track4.「珊瑚礁のある所」。
やはり、ハンドリー盤は、
オーケストラと声のバランスが良い。
グレービイの声の美しさが、まず堪能でき、
背景のオーケストラの粋な色彩が、
従の関係で、この声を引き立てている。
この曲の軽やかで、エキゾチックな感じに合っている。

名手ベイカーも若かったのであろう、
歌いだしからして、遠慮のようなものがある。
が、このバルビローリ盤の録音は、
1965年という、半世紀も前のものなのに、
かなり優れものである。
ベイカーもだんだん乗ってきて、
その澄んだ声を味わえる。

ヒコックス、パーマー盤は、
ディジタル録音初期というハンディか、
いかにもEMIから連想される、
模糊とした録音となっていて、
楽器の個性が味わえない。
パーマーの声は風格があるが、
みずみずしさに不足するのは、
おそらく録音のせいであろう。
独奏ヴァイオリンなど、全然、フレッシュに聞こえない。

また、解説にもあった、最後の木管とハープが彩る色彩も、
バルビローリ盤などの方が、粒が立って聞こえる。

「『海の安息日の朝』と、『スイマー』
(それぞれ、エリザベス・バレット・ブラウンと、
アダム・リンゼイ・ゴードンの詩による)
は、大オーケストラで素晴らしく
(印象的なオルガンも聴かれる)鳴らしているが、
魅力的で単純な第2曲
(作曲家の妻、アリスの筆による『港にて』)で、
エルガーはオーケストラを切り詰めている。
さらに言うと、これらのスリリングで豪華な付曲は、
最初の曲の材料を活用して、
うまい具合に全曲を有機的に結合している。」

まず、あまり問題のない、第2曲から聞いて見よう。

Track2.「港にて」。
この軽妙な小唄のような小品を聴くには、
ぜひ、この3種の録音では、
ハンドリー、グリーヴィイ盤で聴きたいものだ。
歌いだしから、かつて、ダブラツが歌った、
「オーヴェルニュの歌」を想起した。

私はここに来て、なるほど、
エルガーの「海の絵」とは、
そういう文脈上で語るべき歌曲かと納得した。

オペラでもなく、歌曲でもなく、
進化した民謡としての側面からして、
歌い崩しても良いと思うくらい、
歌手に大きな自発性がないと、
歯が立たないのではなかろうか。

歌のお姉さん的な魅力が欲しいのである。
ベイカーの歌などは、まるで、しゃれっ気がなく、
パーマーの歌は、見せ場がなく、途方に暮れている感じ。

グリーヴィイの歌では、しっかりと歌手が、
すべてを受け持っているので、
伴奏に小うるさい弦楽が重なってきても、
それが華を添える感じで微笑ましいが、
パーマーでは、伴奏に存在感がなく、
ベイカーでは、安っぽく聞こえた。

さて、大オーケストラを駆使した問題の2曲。
まず、「安息日」から。

Track3.「安息日の海の朝」
もう、ここまで来ると、あばたもえくぼ状態かもしれない。
ハンドリー盤のすべてが好ましく思える。
舞い上がるグレーヴィイの声のハンサムさ。

伴奏の立体感の広がり、出たり入ったりする楽器、
そのすべてが嬉しくなってしまう。
2分10秒あたりの、「この日を讃えよ」では、
オルガンがばっちり充足の伴奏をする。

4分45秒あたり、
フレッシュなヴァイオリン独奏を伴う、
素晴らしい高揚感を、うまく、オルガンが支えている。
5分半過ぎでも、オルガンの存在感は絶大だ。
グレーヴィイの歌唱は、メリハリがあって、
主体的にこの曲を背負って立っている。

ベイカーの声は、
解釈の多くを指揮者に任せたのであろうか、
小技を出しているが平板に聞こえる。

この喜びと期待に満ちた、
夢想家の女流詩人の妄想の爆発と、
完全にはシンクロしていないようだ。

ヒコックス盤には、どーんとオルガンも加わり、
管弦楽も縦横無尽に動き、歌手の興奮も感じられ、
今まで聞いた中では、突出して良い演奏を繰り広げている。

Track5.「スイマー」
ハンドリーの指揮は、かなり引き締まったもので、
楽器もすっきりと清潔に響き、
そんな中、グリーヴィイが、
「愛よ、愛よ、私たちがここにさまよった時、
手に手を取って、輝かしい天候の中、
高みから、シダやヒース生い茂るくぼみに。
神は確かに私たちを少しだけ愛していた。」
というフレーズを歌う時のぞくぞく感。

5分50秒あたりから、オルガンを交え、
声が裏返るかと思うほどに、音楽をさく裂させて圧巻だ。

フェリシティ・パーマーは、ここでも、
かなり圧巻の演奏を聴かせている。
このような複雑な音響の塊をさばくのは、
ヒコックスも得意とするところで、
ヒコックス盤は、CDの最後のこの曲に至って、
妙に、共感豊かな演奏を聴かせる。

「勇敢な白い馬たちよ」のところで聴かせる、
はったり感満点のオーケストラのドライブも、
私には、とても素晴らしく思えた。

が、いずれにせよ、最初に書いたことだが、
このややこしい状況(稲妻が走り、大波が寄せるのを、
遠くから見て、自分の愛を回想する)の主人公は、
本当に泳いでいるのだろうか。

このパーマーが歌う、
ヒコックス盤の解説(バーネット・ジェイムズ)も、
実は、「海の絵」に関する情報はかなりのもので、
「エルガーの声楽曲の中で、
もっとも永続的に人気を得ているもののひとつ」と書いて、
各曲にそれぞれ、そこそこ言及している。

(が、「最初から時代遅れの詩に作曲していて、
もはや、我々には訴えることのない詩だが、
エルガーにはぴったり当てはまったようだ」
などという批判めいた一言もある。)

「第1曲、『海の子守唄』は、
上がったり下がったりする弦楽で表される、
ひたひた波がやさしく寄せる海の夜想曲。
第2曲、『港にて』は、作曲家の妻で、
慎ましい詩的才能があったアリスの詩により、
エルガーは他に1、2曲、彼女の詩に作曲している。
この曲には特別な歴史があり、
最初は1896年『愛だけ』という題で出された。
『海の絵』では、『カプリ』という副題を持って登場、
海の嵐を見ている二人が、お互いに、何があっても、
『愛だけはそのまま』と安心させる。・・
第3曲『海の安息日の朝』は、
フル・エルガーらしい(full Elgarian)
音楽的発案の豊かさとエネルギーを持つ
2曲の1曲である。
ここでのエルガーは自然に力と雄弁さを発揮した、
交響曲やオラトリオの作曲家である。
最後の節で、最初の曲の引用がある。
全曲は、直接の引用はないものの、
すべての船乗りが知っている聖歌、
『海での危機にある人たちに』の雰囲気が底流している。
第4曲は、全曲で最も有名な『珊瑚礁のある所』で、
覚えやすいメロディとリズム構成、
ハープが目立つ相違豊かな楽器法で知られる。
第5曲で、曲集の最後の曲『スイマー』は、
オーストリアの詩人、アダム・リンゼイ・ゴードンの詩による。
全曲の中で、もっとも力に溢れたもので、
嵐の力に逆らって泳ぐ男が描かれ、
世界の敵意に立ち向かうエルガー自身のように、
たくましく、自信にあふれ、
彼は、それを自身のもがきや野望に見立て、
思想と、被害を受けながら恐れ知らずの精神の、
寄港地のような愛の追憶でそれを強化している。」

では、最後に、ハンドリー盤の解説を見てみよう。

「ヴァ―ノン・ハンドリーが、
1981年にコントラルトの
ベルナデッテ・グレーヴィイと、
素晴らしい共感をもってコラボしたこの演奏は、
最初にリリースされた時から、
国際的な熱狂を持って迎えられ、
(グラモフォン誌は、
『この素晴らしい録音は、我々の世代を代表する、
エルガーの解釈者だと確信させた』と述べた)
今でも、いかなる競合盤にも比肩しうる。」

ということで、私は、まったくこの意見に同意する。

得られた事:「エルガーは、歌曲であろうと交響曲であろうと、ここぞという時には、オルガンの低音のパワーを欲した。」
「主体的かつ個性的な歌唱力と、すっきりした録音なくしては、エルガーのごちゃごちゃしたスコアの中で、スイマーのような歌手は溺死する。」
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by franz310 | 2013-06-01 23:22 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その379

b0083728_1145589.jpg個人的経験:
エルガーが書いた、
合唱付き交響詩のような、
「ミュージック・メイカーズ」という
不思議な作品(作品69)を聴いたが、
これは、第2交響曲作品63や、
ヴァイオリン協奏曲作品61という、
円熟期の絶対音楽と三部作をなす、
これまた、へんてこな位置づけであり、
共感して良いような悪いような、
悩ましい内容の作品でもあった。
音楽家であることの誇りと疎外感が、
ごちゃ混ぜになった歌詞である。


ヒコックスのCDの解説者はシュトラウスの
「アルプス交響曲」になぞらえていたしが、
多くの人は、自作引用の自画自賛に見えるのか、
「英雄の生涯」と比較したりもする。

が、聴いた感じのとりとめのなさでは、
アンチ「ツァラトゥストラ」みたいに聞こえる。

エルガーはシュトラウスの技法に憧れていたというが、
出来上がったものは、
ニーチェ、シュトラウス連合なら、
鼻で笑って一蹴するような、
めそめそ音楽になってしまっている。

EMIから出ていたヒコックス指揮のCDでは、
この40分ほどの作品に、
逆に、作品番号の若い、作品37の、
「海の絵」という20分ほどの歌曲集が、
併録されていた。

一つ前の作品36が、出世作の
「エニグマ変奏曲」であるから、
その位置づけは、私の中では、
「若書き」という感じである。

「ミュージック・メイカーズ」は、
どうもつかみどころのない作品で、
終わり方も消えるような感じであったが、
この「海の絵」の方も、
大オーケストラを駆使して、
あちこちで盛り上がるのだが、
どうも、散漫な印象を感じる。

ヒコックスのCDでは、
「ミュージック・メイカーズ」が、
消えるように終わると、
「海の絵」の、センチメンタルで
静かな序奏が始まるので、
前の曲がいつ終わって、
後の曲がいつ始まったか、
分からない感じであった。

この曲は、古くから、バルビローリのレコードで、
広く知られていたが、他に、どんな歌手が歌っているか、
考えても、まるで思い出すことが出来ない。

そもそも、自作の録音を多く残したエルガー自身、
この曲を録音していないのではないか。

さらに書くと、バルビローリが指揮した録音でも、
この曲は、ひどい紹介のされ方になっている。

私はずっと昔から、バルビローリが指揮し、
悲劇の女流チェリスト、
ジャックリーヌ・デュプレが独奏を務めた
エルガーのチェロ協奏曲のLPは持っていたが、
それはディーリアスのチェロ協奏曲が入っていて、
「海の絵」が併録されたものではなかった。

改めて購入したのは、
先ごろ、やたら安売りしていた、
EMIマスターズの、
Great Classical Recordingsシリーズのものである。

安いが、ちゃんと解説もあって、
オリジナル・テープからリマスタリングしたという、
何となくお買い得感のあるものだが、
表紙写真がデュプレの大写しというのは、
いかがなものだろうか。

演奏者名もデュプレだけが大きく赤字で、
エルガーに迫っており、
「海の絵」を歌うジャネット・ベイカーも、
バルビローリのロンドン交響楽団も、
みな、デュプレの文字の半分以下の黒字なのである。

1965年録音の「チェロ協奏曲」や、
ベイカー独唱による「海の絵」だけでなく、
表紙には書かれていない、
演奏会用序曲「コケイン」が、
(オーケストラはフィルハーモニア)
最初に収められているので、
むしろ、バルビローリが主役のようなCDである。

こんなCDを聴きながら「海の絵」を語ろうというのも、
多少、気が引ける感じがする。
が、マスターテープからのリマスタリングのせいか、
1962年録音の「コケイン」序曲も、
けっこう、豪壮な鳴りっぷりで、
EMIの録音で感じがちだった、
もこもこ感が解消されてうれしい。

また、解説はかなり読み応えがあり、
「エルガーの生涯」(2004)とか、
「桂冠指揮者バルビローリ」(1971、改訂増補版2003)
といった、かなりディープな書物の著者、
マイケル・ケネディという人が書いている。

ただし、「海の絵」に関しては、
いかに、この筋の専門家の筆であろうとも、
聴き始めるに当たって、気分が高ぶらない内容。

「作品へのその愛情と比べると、
バルビローリは演奏会で、
これをあまり取り上げなかった。
彼は、この作品を好きではなかった、
キャスリーン・フェリアと、
不幸な経験を持っていた。」

なんなんだ。いったい、何があったのだ。
が、それに関しては、それ以上は書かれていない。
文脈からして、想像できるのは、
コンサートで失敗したのであろうということ。
が、まったくの妄想かもしれない。

ウィキペディアによると、
何と、この曲で、名歌手フェリアは、
この指揮者のバルビローリと出会ったとある。
1944年12月の事である。

フェリアは、1912年生まれであるから32歳、
バルビローリは、1899年生まれなので45歳である。
この二人が親密な関係であったのは良く知られた所であるが、
フェリアは1953年にわずか41歳で亡くなっているから、
そうした事いっさいを含めて、
この解説者は、「不幸な体験」と書いたのだろうか。

「しかし、バルビローリは、1964年に、
『ゲロンティアスの夢』の録音で共演して、
ジャネット・ベイカーに、
この曲が合っていることを知っており、
特に、『珊瑚礁のある所』の
彼女の魅力的な歌唱は彼にそれを確信させた。」

ベイカーは1933年生まれなので、
64年と言えば、フェリアが現れた年に近い。
さすが碩学、フェリアの話から、
いきなりベイカーに話が移っている。

が、せっかく出て来た、
このCDでの独唱者であるが、
下記にあるように、
ベイカーもまた、この曲が好きではないという。

「彼女は最近のインタビューで、
この曲をお気に入りだったことはない、
と認めているのだが。
『<珊瑚礁>と<海の安息日の朝>は、
美しいと思います。
でも、JBの天才は、それを確信させました。
あなたもそう信じるでしょう。
私は録音の間、そう信じました。
みんなそう思い、私も歌って嬉しかった。』
私は、サー・ジョンがまさしく、
その録音セッションの合間に、
電話をかけてきて、
いかに興奮しているかを伝えてきたことを覚えている。」

いったい、この解説者は、何歳なのだろう、
と調べてみると、1926年生まれで、
ヴォーン=ウィリアムズの晩年の友人でもあったらしい。

1965年の時点では32歳である。
66歳のバルビローリが、
自分の半分の年にも満たない小僧に、
わざわざ電話をかけて来たのだろうか。

「『彼は、砂浜に打ち寄せる波を、
(海の安息日)あなたの前に描きだし、
あなたは潮の満ち干を感じることが出来るだろう。
そう思わないかい、ディア・ボーイ?』
そういって、実際、彼は実際、そうしていて、
オーケストレーションは、
前年の『エニグマ変奏曲』同様、
生き生きとして、それでいて、
透明感のある質感を保っている。」

ここでの「彼」は、エルガーということであろうか。
碩学が書くと、いろんな人がいっぺんに出てきて、
絶え間なき頭の切り替えが重要となる。

「クララ・バットが、
その年のNorwich Festivalで歌うために、
1899年に書かれた『海の絵』は、
オーケストラ歌曲集の初期の一例である。
エルガーは、ロデン・ノエル、エリザベス・バレット、
リチャード・ガーネット、
アダム・リンゼイ・ゴードンによる、
様々な愛に関する5つの詩を選び、
第2曲『港にて(カプリ島)』は、
作曲家の妻、アリスによるものである。」

こんな風に、一部、公私混同があったりするから、
この曲は、なんだか散漫な印象があるのだろうか。
それにしても、1899年といえば、
バルビローリが生まれた年で、
こんな事からも、
彼のこの曲への愛着があったのかもしれない。

「この曲をエルガーは1897年に、
ピアノ伴奏歌曲として書き、
後に歌曲集に入れ込むために、
改訂してオーケストレーションした。
この曲と、1880年代のカドリール舞曲から発展した、
『珊瑚礁のあるところ』は、軽い編成であるが、
『安息日の朝の海』の宗教的、官能的な情熱や、
『泳ぐ人』のワーグナー的な嵐には大編成を使った。」

このように、「海の絵」の解説は、
最初に書かれているが、収録は最後である。

なお、このCDには、この手の廉価盤の常として、
歌詞はついていない。
幸い、ヒコックスのCDには、歌詞があったので、
これを参考にすることが出来た。

Track6.「海の子守唄」(ロデン・ノエル詩)
1834年に生まれ、
エルガーが、この曲を書く頃まで生きていた詩人。

この曲のセンチメンタルな導入が、
どうも、なよなよしていて、私は苦手である。
エルガーは、もっと剛毅であって欲しい。

「海鳥たちは眠り、世界は悲しむことを忘れ」
と歌いだされるもので、
時折、扇情的な盛り上げや、
ハープや木管楽器による装飾的な音形なども、
何となく安っぽい広告のようだ。

歌詞も、どうもぴんと来ない。
「私は心優しき母。
心落ち着けてわが子よ、
荒々しい声は忘れて。」
と、メルヘンチックである。

エルフィン・ランドでの光景のようだが、
これは、「妖精の島」とでも訳すのだろうか。
どしんどしんと打ち付ける波の描写は、
だとしたら、大げさにすぎないだろうか。

どうも、クラシック音楽というより、
童話の挿入歌みたいな感じがする。
「ヴァイオリンのような海の音。
悲しみ、おののき、罪は忘れなさい。
おやすみ、おやすみ。」

しかし、味わうべきは、
ジャネット・ベイカーの、
いくぶん陰りのある、しかし、
冴え冴えとした格調の高い歌いぶりで、
非常に、情感を込めながら、
安っぽくなっていないのがすごい。

ヒコックス盤では、フェリシティ・パーマーが、
いくぶん、成熟した強靭な声を聴かせ、
オーケストラもよく反応している。

Track2.「港にて(カプリ)」(C.アリス・エルガー詩)
これも、In Havenという題名に、(Capri)と、
わざわざ断っているのが、意味深で嫌味な感じ。

なぜなら、下記のような情熱的な歌詞は、
別に、カプリ島である必要はないと思われるからである。
軽妙な小曲で、曲想は、まさしく童謡みたいだ。

「わたしの唇にキスして、やさしく言って。
『喜びは、波で洗われ、今日、消えるかもしれない。
でも、愛だけは残るだろう』。」

ヴァイオリン群がヴィヴラートで伴奏する部分など、
ムード音楽的発想である。

Track8.「海の安息日の朝」
(エリザベス・バレット・ブラウニング詩)
この人は、19世紀初頭に生まれた女流。
肖像画で見る限り、かなりロマン派的な、
やばそうな感じの風貌。

これは、ベイカーも美しいと書いた曲だが、
解説者も官能的、宗教的と書いた。
そんな感じの序奏から期待が高まる。

かなり、前の2曲とは異なり、
この魔性の瞳の詩人のせいか、
レチタティーボ調で、エルガーらしい、
剛毅と感傷の交錯が成功している。

ベイカーが、このほとんどメロディを歌わない、
禁欲的な歌を「美しい」と書いたのには、
何故か、嬉しくなってしまった。

「厳粛に船首を向けて船は進んだ、
深い闇を見つけるために、
厳かに、船は行く。
私は力なくうなだれ、
別れの涙と眠気によって、
瞼が重みで下がって来る。」

安息日の朝とあるが、
とても朝とは思えない。
また、女流とは思えない、
妙なイケイケ感が漂っている。

「新しい光景、新しい不思議な光景、
回りの海は、荒れ狂い、
空は、私の上で、
月も太陽もなく穏やか。
ただ、その日の輝かしさを讃えよう。」

ここで、交響曲のような、
壮大な楽想が現れるのは、少々、安っぽいが、
いかにもエルガーらしい、
いや、ワーグナーみたいだが、
居丈高な様子が、何となく許せてしまう。

「私を愛せ、友よ、この安息の日に。
回りの海は歌う、君たちの歌う讃美歌に合わせ。
私が跪いた所で、祈ってほしい。
君たちの声は、届かないのだから。」

こうなって来ると、もう、歌詞の内容は理解困難。
いったい、この人は、どうなっているのだ。
ナルシスムと、意味不明な高揚感で、
確かに、官能と宗教の交錯だ。

「わたしのこの安息日には、会衆の賛歌はないが、
神の精霊が慰めを与えてくれる。」

この人はイタリアに駆け落ちをしたというが、
その時の歌であろうか。

以下の部分は、まるで、マイスタージンガーのような、
英雄的な歌となって高まって行く。
波が打っては返し、すごい高揚感である。

「私を助け、高いところを見せてくれます。
聖者がハープと歌で。
終わりなき安息日の朝。」

Track9.「珊瑚礁のある所」(リチャード・ガーネット詩)
エルガーがこの曲を書いた時、
まだ存命であった1935年生まれの詩人。

軽い編成で、ベイカーも好きな曲だとある。
ヘンテコなリズムで、
エキゾチックな南国への憧憬。

ベルリオーズの「夏の夜」みたいな感じである。

「深い所に優しく静かな音楽がある。
風がしぶきを優しく誘うと、
僕に行こうと誘う、
珊瑚礁のある場所を見に。」
という感じの軽めのソネット風。

Track10.「泳ぐ人」(A.リンゼイ・ゴードン詩)
1833年生まれ、1870年に早世した、
オーストラリアに渡った詩人。

この曲は、編成の大きさで知られる。

この詩は、長いし、ごちゃごちゃしている。
結局は、目を凝らして眺める海の嵐になぞらえた愛の歌。

エルガーの音楽は、風雲告げる序奏から、
雄大な楽想の断片が見えて、
レチタティーボ風の歌唱が始まる。

何となく、シューベルトのバラード風の緊迫もある。

「短く鋭い激しい閃光で見える
南の方に、見える限りに見えるのは、
渦巻く大波、
海は盛り上がり、波頭が砕け散る。」
などと、恐ろしい描写のたびに、
音楽は素晴らしい高揚を見せ、
これまた、ワーグナーのような 絶唱となる。

こんな所で、いつ泳ぐのかと思うのだが、
長い長い詩を読み飛ばして行くと、
「血塗られた刃のような一筋の光が、
水平線を泳ぐ。緑の湾を赤く染めて。
虚ろな太陽の死の一撃で、嵐の絡まりを打ち破る。」
などと後半になって出てくるから、
「泳ぐ人」とは、こうした嵐が終わる光景を、
見ている人か、嵐の中の太陽の光を指すのだろうか。

愛の歌だと思えるのは、
何だかよく分からないなりにも、
最後がこんな風になっているから。

「集まり、跳ねた、勇敢な白馬たちよ。
嵐の精は吹きすさぶ手綱を緩めた。
今や、もろい小舟もがっしりとした船だ。
そのへこんだ背中に、その高く弧を描くたてがみに。
誰も乗ったこともないような乗り方で、
眠たげな、隠された渦巻く大波の中、
禁じられた衝突を越え、予告された湾に向かう。
光が弱まることなく、愛も衰えない所へ。」

が、これは、いったいなんだろうか。
困難な愛に向かって突進していく男の美学なのか。
あるいは、嵐が収まったところで、
改めて、愛情を再確認しているのだろうか。

何となく、しょぼい感じで始まった歌曲集だが、
演奏会で、この大言壮語の美辞麗句と大音響で、
これだけ盛り上げれば、聴衆も喜ぶかもしれない。

が、この曲にエルガーの好みと、私の拒絶反応の、
エッセンスのようなものが同居していることが分かる。

過剰なレトリックで、言葉が濫用され、
その一つ一つに過剰に感情を膨らませ、
何だか、結果として、聴くものが興味のない世界にまで、
むりやり誘おうとしている。
これでは、ついて行けない。

ひょっとして、これは、何の象徴、みたいな解説があれば、
もう少し楽しめるのだろうか。

さて、「海の絵」の解説の後、
エルガーの「チェロ協奏曲」の解説になるが、
この文章を書きながら、これを流していても、
リマスタリングの効果が素晴らしいことが分かる。
生々しいチェロの音色は、
その弦の震えまで見えるようである。

それに加えて、当然語るべきは、
デュプレの演奏、その気迫のすさまじさだが、
解説に面白いエピソードがある。

先の解説の引用は、「海の絵」に関するところから、
抜き出して始めたが、
冒頭は、こんな感じで、この録音の意義から、
書き出されている。

「1965年の8月に、
サー・ジョン・バルビローリが、
エルガーの『チェロ協奏曲』と、
『海の絵』を録音した時、
彼は、アーティストとして多大な賞賛をし、
個人としても大きな愛情を持っていた、
チェリストのジャックリーヌ・デュプレと、
メゾ・ソプラノのジャネット・ベイカーという、
二人の若手を起用した。
1956年に彼は、
ジャックリーヌ・デュプレが、
11歳の時に、スッジア賞を受賞した時の、
コンクールの審査員であった。
彼は、興味をもって、
彼女のキャリア発展を見ており、
1965年、ハレ管弦楽団に彼女を、
エルガーの演奏に招いた。
彼女は作品に自由奔放に接し、
バルビローリは、彼女の解釈を、少し落ち着かせ、
常に気持ちを途切れさせることのないように説得した。
しかし、彼は彼女のテンペラメントを賞賛し、
『若い時にやり過ぎなくて、
後で何を切り詰めるんだい』と語った。
生粋のエルガー信者の中には、
彼らの解釈はもっと平静を保つべきだ、
という人がいるかもしれないが、
エルガー自身はそうは言わなかったかもしれない。
1932年、少年だったユーディ・メニューインが、
『ヴァイオリン協奏曲』を演奏して、
その厳格さを奪ったとして、
やり玉に上げられた時、
作曲家は、こう言い返した。
『厳格さなどどうでもよい。
私自身、厳格な人間ではない。』
経済的理由から、EMIは、
これらの録音に際して、
バルビローリの愛したハレ管弦楽団ではなく、
ロンドン交響楽団(LSO)を起用した。
若い頃、バルビローリは、LSOのチェロセクションで、
エルガーのチェロ協奏曲の初演でリハーサルを経験し、
1927年には、エルガーの『第2交響曲』を、
24時間以内に勉強して演奏するという機会に、
このオーケストラを初めて指揮した。」

これは、ビーチャムの代役として登場したのである。
さすがバルビローリ研究家である。
すごい薀蓄だが、あまりこのCD鑑賞とは関係ない。
むしろ、コケイン序曲が、
何故、フィルハーモニア管との録音か、
などを知りたくなるのだが。

「1965年8月19日、
彼らは協奏曲の第1楽章とスケルツォを、
ほとんど一回のテイクで録音し、
オーケストラから自然に、
ジャックリーヌ・デュプレに拍手が沸き起こった。」

スケルツォとは、
第2楽章の「レント―アレグロ・モルト」のことで、
前半2楽章がぶっとおしで演奏された結果が、
ここに収録されている、ということである。
自然に拍手が起こるというのも、
分からなくない演奏の勢いである。

第2楽章は、主題をぽろぽろ、
ピッチカートでチェロがかき鳴らして始まる。

豪壮な悲哀のメロディを挟んで、
めまぐるしい軽妙な部分が続く。
ここでも、大きく、デュプレは、
出て来たメロディを、これ以上ないほどに、
共感を込めて歌いながら、
集中力を切らさず、細かいパッセージを散りばめていく。

オーケストラが薄いのに対し、
チェロは、すごい技巧を畳み掛けなければならない。

確かに、緊張感からしても、
これを弾ききった時には、
拍手が起こってもおかしくはない。

が、この録音の説明の最後には、
意外な事が書かれている。

「このレコーディングのリリースは、
予想どおりの成功だった。
彼女が、最初にこのディスクを聴いた時、
『私がやりたかったことと全然違う』と、
大泣きしたにもかかわらず。」

しかし、
This is not at all what I meant!
と演奏者自身が言ったという録音が、
我々の心を打つとしたら、
彼女が満足した演奏は、
我々の心をもっと打つのか、
打たないのか。
悩ましい言葉である。

この曲は、この演奏と共に語られて来たような、
幾度も語り尽された世紀の名演奏であるから、
私が、それに付け加えるべきはない。

LPでも買ったし、CD化されてからも買った。
そして、このリマスタリング盤も購入した。

解説には、まだ、この曲についての説明がある。
「1918年から19年に書かれたチェロ協奏曲は、
彼が毎年、訪れていた、
最後の3曲の室内楽曲を書いた、
サセックスのコテージで書かれた。
彼は病気がちで第1次大戦の殺戮に絶望し、
協奏曲は悲劇的で秋の気配が濃厚なものになった。
ある世界への郷愁が消え去ってしまった。
作品はなおも精力的で、
最後の楽章のある部分は、
1914年以前の作品の持つ
ある種の居丈高や興奮があるが。
彼は、この作品を、
『真の意味の大作で、
良い作品で生命ある作品だと思う』
と書いた。
聴衆の脳裏に残る
アダージョでの寂しい晴朗さや、
フィナーレの最後に爆発的な怒りがあるが、
この録音では、それが痛切に描かれている。」

デュプレは、おそらく、こうした要素を、
直観的に嗅ぎ当て、
共感を増幅させ、感情を没入させて、
チェロをうならせていったのだろう。

19歳の青白い炎が、
エルガーが晩年まで持っていた、
鬱屈した情念に見事に引火した感じであろうか。

第3楽章のアダージョ。
諦念に満ち、苦み走った美しいメロディを、
ひとり任されたチェロ独奏は、
恐ろしいほどの感情移入で、
オーケストラを圧倒している。

というか、バルビローリといえども、
これを邪魔するようなノイズを入れるわけにはいかない、
などと思ったはずである。

終楽章冒頭は、みごとに、
チェロの没入に見合った迫力で、
びしっと決めているが、
楽団員は、目の前で神がかり状態になって、
興奮と沈潜を大きく行き来する、
巫女的な演奏者を見ないように、
ただ、バルビローリにすがり付いている感じ。

このCDで聴くと、何やら唸り声が聞こえるようだが、
バルビローリの叱咤激励であろうか。
確かに、このような独奏を前に、
自分たちは何をして良いのか、
茫然自失となってもおかしくはない。

「海の絵」が盛り上がるにつれ、
私の頭が真っ白になるのと同様の作用が、
この場合、スタジオ内で起こって行ったに相違ない。

得られた事:「エルガーの歌曲集『海の絵』は、ワーグナーの壮大さと、メルヘン・ワールドの混合体で、修辞的表現満載。」
「安っぽさと熱気が同居しながら、最後は盛り上げ、無理やり一つの曲集になっている。」
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by franz310 | 2013-05-26 11:47 | 現・近代