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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その445

b0083728_2036278.png個人的経験:
今回、取り上げる、
「ワン・ヴォイス」と銘打たれた、
キャサリン・ボットが歌った、
「中世トルバドゥール、
トルヴェールの愛の歌」
(1995年に録音されたもの)
などは、
解説の書きっぷりが、
特に私には気になるがゆえに、
「嘘じゃないか」と感じてしまう一枚である。
(原題:Sweet is the song)


解説を書いた、ジョン・スティーヴンスという人は、
Song, Narrative, Dance and Drama, 1050-1350
という副題を持つ、
「Words and Music in the Middle Ages」
という著作もあるので、
相当の研究家と思われる。

ただ、このCD解説において、
トルバドゥールの音楽が、
「言葉と音楽の関わりという点で
他に例を見ないものである」
という事を強調するあまり、
「ハイネの最も優れた詩を見つけるのに、
シューベルトの歌曲を調べたりしないだろう」
などという、書かなくてもよかったであろう
余計な一言を付け加えたがゆえに、
妙に、私の気分は害された。

それはそうかもしれないが、
ハイネとシューベルトの関係もまた、
「言葉と音楽の関わりという点で
他に例を見ないものである」というのと、
同様の賛美と崇拝が
繰り返し書かれてきたし、
私なども、当然そうだ、
と考えてしまうからである。

それに加えて、この人は、
器楽伴奏無用論をここで熱弁していて、
「高尚な様式」で書かれた歌曲の旋律は、
途中で旋法が変化を起こすので、
「和音を付ける」ことは、
それらを変形してしまうことになる、
と、器楽伴奏が付くことを否定しているのである。

さらに、スティーヴンスは、
グレゴリオ聖歌をオルガンで伴奏するのも、
同様のこととして否定しているが、
これは、よく言われる事のようである。
とはいえ、私は、オルガン伴奏のグレゴリオ聖歌には、
何となく、ノスタルジックな感傷を覚える。

それにしても、このキャサリン・ボットのCDは、
少なくとも私には評価が難しい。

グレゴリオ聖歌のような禁欲的な場ではいざ知らず、
基本的に宮廷という華やかな場で歌われた歌曲が、
本当に、一人の歌手だけで歌われたのだろうか。
しかも、スティーヴンスも、
舞曲の時には、器楽が登場したことは認めている。

b0083728_20451914.pngやはり、ワン・ヴォイスは、
無理があるのではないか、
などとも考えて、
当時の歴史を振り返るべく、
「十二世紀のルネサンス」
と歴史家が呼ぶ時代を活写した、
石井美樹子著「王妃エレアノール」
(十二世紀ルネッサンスの華)
(朝日選書)を読んでみた。

トルバドゥールの祖とされ、
十字軍にも参加した、
南西フランスのアキテーヌ公、
希代の傑物、ギョーム9世は、
このエレアノール(アリエノール)の
祖父である。

この本を読むと、フランス王妃でありながら、
英国王のもとに走った、
エレアノールという女性の生きざまが、
その時代と共に身近に感じられる。

改めて驚くべきは、
その行動力と活動の範囲で、
最初の夫、ルイ7世とは、
はるばるイェルサレムまで行動を共にし、
次の夫、ヘンリー2世とは、
英国から地中海を縦断する大帝国建設を夢見、
息子リチャード獅子心王が、
さらなる十字軍に参加する際には、
シチリアまで送り出しに行き、
スペインの孫娘を嫁がせるために、
ピレネー山脈を越えた時には、
80歳に近い高齢であった。

このように、一人の女性が、
いわば、地中海を庭のように動き回った時代、
当然、アラブの音楽などが、
巷に溢れていた事は疑う余地がなく、
その多彩な楽器の音色なしに、
華やかな宮廷ライフが営めたとも思えない。

何と、王妃は、来賓であるヘンリーの部屋に、
こっそり忍んでいくという描写もある。
このような状況下で歌われる恋歌であれば、
やはり、伴奏者を伴う事は出来まい、
などと、ワン・ヴォイスである理屈が見つかったりもする。

表紙に用いられた絵画は、中世の彩色写本風で、
男性が何かを、高貴な身なりの女性に手渡して、
そこそこ、このトルヴァドール的な世界を暗示している。

Track1.の
ボルネイユ作「栄光の王」からして、
前回聴いたデュオ・トロバイリッツのCDと、
曲目がかぶっていて、
日本語訳を眺めながら比較できる。

このタイトルから連想されるような、
栄光の歌ではなく、この曲は、
「恋する男の親友が『見張り番』の立場から歌う」
朝が来て、危険が迫ることを告げながら、
神様に友人を救ってほしいと、
祈っているような音楽で、
このボットの独唱で聴くと、
特に、非常に物悲しい詠嘆に聞こえる。

一方、デュオ・トロバイリッツのものは、
この曲をトリスタンとイゾルデの物語になぞらえ、
最後の詩節にヴィーン版なるものを採用、
「このような貴重な時に比べれば、
僕なら夜明けも昼も要らないだろう」
という部分も歌われていて、
ここは、トリスタンの独白だという。

つまり、見張りの親友の心配をよそに、
イゾルデの傍にいるトリスタンが、
「それがどうした」と言っているといった、
正反対の切り口の歌と解釈されている。

このデュオ・トロバイリッツ盤、
ハーディーガーディーの、
瞑想的な響きの伴奏もあって、
もっと、楽観的、耽美的な情景。

「母親から生まれたすべての女性の中で、
もっとも高貴な女性を胸に抱き、
気違いのような嫉妬も、
夜明けも知ったことではない」という、
何とものろけまくった、
ずっとけだるく陶酔的な音楽。

今回読んだ「王妃エレアノール」では、
フランス王との性格の不一致に悩む
王妃自らが、前述のごとく、
若い貴族の泊まっている部屋に、
足を運ぶ設定になっているが、
これまた、欲望の肯定というか、それがどうした、
という感じは、この本からも読み取れたイメージだ。

このように、貴婦人のもとで、
こっそり、愛を語りかけるのが、
トルバドゥールの歌だとすると、
鳴り物がない方がそれらしい、
と考えさせれた一曲である。

伴奏があるかないかは、二の次で、
このように、ボットの歌唱と、
デュオ・トロバイリッツの演奏とでは、
かなり、情感的にも違いがありそうだ。

ボットの声は、
あまり澄んだものでも、
色香があるものでもなく、
少しハスキーな要素があって、
この雑味が、逆に、中世的な奔放さ、
エレアノールの気丈な様子を、
なんとなく想起させて良い、
とも言えるかもしれない。

b0083728_20365682.jpgなお、この曲は、
トルバドゥールの
代表曲のような感じで、
入手しやすいNAXOSレーベルの
アンサンブル・ユニコーンと
アンサンブル・オニ・ウィタルスによる
「トゥルバドールの音楽」というCDにも
収録されている。

これは、1995年の録音である
ボットのCDの翌年の録音であり、
ジョン・スティーヴンスの説が、
必ずしも一般化していなかった事の証拠でもある。

実は、このNAXOSの盤などは、
アラブ風の味付けの最たるもので、
ボットの「ワン・ヴォイス」の対極として、
両方、聴いてみた方が良い。

何と、このCDでは、器楽曲として演奏され、
しかも、チャルメラでぴょろろーと、
鼻にかかったようにメロディを演奏するのみならず、
太鼓がどんどこ打ち鳴らされ、
大奥から影の支配者登場といった風情である。

おそらく、このCDを聴けば、
いや、いくら何でも、これは違う。
ワン・ヴォイスの質素も悪くないな、
と考えるに至るはずだ。

しかし、このNAXOS盤は、
聴くべき要素は満載で、
芝居の情景のようにばか騒ぎの中から、
歌が沸き上がるような演出の曲がある一方で、
敬虔な祈りの独唱もあって、
シンプルなハープの弾奏の中から、
ボットの声より挑発的に刺激的な声、
あるいは蠱惑的な声が浮かび上がる。

中世というより、
ずっと現代的な手法を感じるが。

NAXOS盤の解説の初めの方を読んで、
このトルヴァドールの音楽について復習すると、
以下のようになる。

「トルヴァドールの詩や歌は、
初期のヨーロッパ世俗音楽のレパートリーとなっている。
南フランスのオック語文化の伝統による詩人や音楽家を、
これは少し後に北フランスで花開いたものと区別し、
一般に前者をトルヴァドール、後者をトルヴェールと呼んでいる。
12世紀、13世紀のトルヴァドール自身は、
概して、19世紀に想像されたような、
放浪のミンストレルではなく、
国王であったり、王子であったり、
貴族であったり、しばしば高貴な身分で、
その地所を離れることもなかった。
これらの詩人に混ざって、
社会的身分の低いものもおり、
商人や交易業の息子たちもいた。」

これでは、まったく、
その音楽の特徴や
演奏が狙うものまでは分からないが、
確かに、この時代の音楽は、
教会音楽などが残っていることはあっても、
世俗曲が残っていることは少ないので、
レパートリー(演奏可能で現存するもの)
という書き方はなるほどと思った。

音楽史を研究するものでなくとも、
興味がそそられる分野とも言える。
いったい、当時の人たちは、
どんな音楽に、
日ごろ、心を動かされていたのか。

「しかし、彼らはすべて、宮廷の慣習や、
理想化された愛、その喜びや悲しみといった、
宮廷風の概念に影響されていた。
その他の主題も網羅されており、
政治的なもの、風刺的なもの、
悔やんだもの、みだらなものがある。
トルヴァドールの言語はオック語という、
地域の言語とそれに近い方言で、
これは、トルヴェールによって、
大きく変えられてしまった。
トルヴァドールの活動は、
カタロニアやイタリアにおよんだ。
多数のトルヴァドールの詩が残されており、
単声のメロディとリズムやパターンが、
詩句とセットになっている。」

ということで、ここまでは、あまり、
アラブの影響のような事は書かれていない。

しかし、Michael PoschとMarco Ambrosini
という人は、最後に、「解釈」という項を設け、
前に読んだ、セクエンツィアのバグビー同様、
以下のような釈明をしている。

前者はここで演奏している
アンサンブル・ユニコーンのディレクターであり、
後者は、共演している
アンサンブル・オニ・ウィタルスの創設者である。

「トルヴァドールの音楽や言葉は、
それらで表現されたものと共に、
何世紀もの歴史の中で重要さを失うしかなかった。
現代においては、
南フランスやカタロニアの音楽的、詩的文化にのみ、
その影響が、特に民謡などに見て取れるだけである。
このレパートリーの真の理解に、
理想的な解釈者となる人物を探す中で、
我々はマリア・ラフィッテを選んだ。
彼女は、カタロニア歌曲の最も重要な歌手の一人で、
古楽アンサンブルとの共演の長い経験、
地中海のロマンス語の分野への深い研究経験が、
その詩的表現法、解釈の深さに結びついている。」

これには驚いた。
何と、彼らは、自分で研究したというより、
一人の女性歌手を選んで、その解釈を頂いた、
という立ち位置だというのであろうか。

秘境から連れて来られた、
古老のような存在かと思ったが、
ネットで調べると、1902年に生まれ、
1986年に亡くなった、ハイカラさんが出てきて、
「スペインの貴族、作家、
美術批評家、女性の権利活動家、
および女性の社会学研究におけるセミナーの創立者」
とあった。

さらに不思議なのは、このCDで歌っているのは、
Maria D.Laffiteという名前の女性で、
先のマリア・ラフィッテの間に、Dが入った点のみが異なる。
同一人物ではありえない。
録音の辞典でさっきの大物の方は亡くなっているのだから。

この人も調べると、2008年に亡くなっていた。
非常に魅力的な声で魅了してくれていたのに、
残念なことである。

1949年生まれであるから、
60歳を前に若くして逝ったという感じだが、
年齢関係からして、本家の娘ではあるまい。

いったい、どっちのマリア・ラフィッテの解釈だと言うのか。
前者は世界大戦前の人で、いかにもと思わせる。
長命だったし、それっぽいが、都会人っぽすぎる。
そもそも音楽の筋の人ではない。

後者はオック語の伝統を受け継ぐにしては最近の人だ。
だが、完全に音楽関係者である。

解説から離れて、CDの音楽に耳を澄ます。
歌っている本人の勢いからして、
どうやら、後者の解釈と考えるべきであろう。

とにかく、こういった民族音楽的系統の解釈であることは、
CD内に明記されていたということになる。
続きを読んでみよう。あと、半分ある。

「この音楽は現在も生き続けている伝統
という信念のもと、
地中海音楽の継続している伝統と、
古楽のフィールドの要素からの、
解釈に行き着いている。
アンサンブル・ユニコーンと、
これら二つの流派のトレンドを代表した
オニ・ウィタルス・アンサンブルのコラボが、
非常に効果的なことが実証された。
良く検証された歴史的研究と、
即興の広範な自由さと、
様々な楽器と厳格なテキスト由来のアレンジで、
この録音には、詩的な豊かさと、
生き生きとした豊かな色彩が与えられた。」

このように、「アラブ的」ではなく、
地中海的という視点で演奏されており、
その視座から言えば、
「王妃エレアノール」が、
持っていたであろう世界観であろう。

これらの解釈は、ある意味、
ラフィッテの妄想の世界かもしれないが、
その彼女も亡くなってしまった今、
改めて、このCDは、
ここに書かれているとおり、
詩的かつ色彩的な音楽が充満した、
非常に価値あるものと思われる。

そもそもクラッシック界と民族音楽の
クロスオーバー的演奏が、
こうした形で出たとしても、
別におかしくないし、おかしいと思う方が、
何だかおかしい、と考えてしまった。
少なくとも、二つの楽団と、そのリーダー、
さらには、多彩な歌や語りを聴かせて、
年季の入ったその筋の歌手が、
それぞれの意見を持ち寄って、
至った結論がこれだとすると、
納得せざるをえないような気がしてきた。

ボットのCDの解説を書いた、
ジョン・スティーヴンスは、
こうした想像力の広がりを否定できるだろうか。

ちなみに、これらの楽団についての解説も見ておこう。
オニ・ウィタルスは、
中世、ルネサンス期の音楽と
アラブとトルコの伝統音楽を演奏するために、
オーストリア、ドイツ、イタリア、イラン、ハンガリー
イギリス、スペイン、アメリカからメンバーが集まり、
1983年に作られた団体で、
中世・ルネサンスの西洋の楽器や、
現代に伝わるアラブや東欧の楽器を駆使するという。
東洋と西洋、古楽と現代を結び付けようとしている。

創設者のアンブロジーニはイタリアに生まれ、
弦楽器や作曲を格式高い音楽院で学びながら、
ジャズの作曲家であり、演奏家であるとも書かれている。

また、アンサンブル・ユニコーンは、
新しい解釈で、中世、ルネサンスの音楽を演奏する団体で、
オーストリア、イタリア、ドイツからメンバーが集まった。
その演奏の技量で、歴史的に裏付けられた即興を得意とし、
楽団員自らが、研究を重ねているとある。
オーストリア政府からの援助もあるというから、
かなり期待された楽団のようだ。

主催者ポッシュは、1969年生まれのオーストリア人で、
やはり、厳格な音楽教育を受けた人で、専攻した楽器はリコーダー。
クレマンシック・コンソートや
コンツェルトゥス・ムジクスとも共演したらしい。

ヴィーンで古楽を教え、そこでのディレクターだとある。
とんでもない権威ではないか。

「栄光の王」の作者たるボルネイユの名では、
このNAXOS盤にはもう一曲あるが、
これとて、この演奏ならではで、
「歯の痛みを抑えられない」という題名のとおり、
とにかく大騒ぎしてやかましい。

Track2.
キャサリン・ボットのCDに戻る。
NAXOS盤に比べ、このワン・ヴォイスが、
すべて、そんな風に辛気臭いかというと、
そんな事はなく、2曲め、
ド・モーの「夫は嫉妬深くて」は、
田舎者の夫より、
「礼儀正しい陽気な恋人」が欲しい、
という、いかにも、という小唄。

まさしく、辛気臭いフランス王の元を去った、
エレアノールのような状況の若妻が喜びそうなもの。
これは、宮廷風民衆歌だとされている。

ただ、この作曲家(詩人)は、
13世紀の人とされていて、
エレアノール(1122-1204)とは、
少し時代がずれている。

Track3.は、
一人、遠くに思いを馳せる独白調、
なだらかな美しい曲なので、
無伴奏でも良いかもしれない。

リュデル作の「五月」という歌曲で、
この季節、遥かな恋が思い出される、
というロマンティックなもの。
「ああ、巡礼であったなら」といって、
感極まって舞い上がるメロディは、
まことに自然で内発的で美しい。
格調高く、解説に、
「宮廷風本格歌曲」とある理由が肯ける。

この曲は、NAXOS盤にも入っていて、
最後に置かれて、17分半もの大舞台を繰り広げる。
ボットのCDでは6分強の演奏時間である。
ラフィットの個性的な声が、
残響豊かな空間に広がり、
様々な楽器が恭しく登場する。

ヴィーンのW*A*Rスタジオでの録音とあるが、
いったい、どんな空間なのか。

歌はますます熱気をはらみ、
何だか、祈禱の場にでも
居合わせているかのような迫真のドラマに、
思わず、歌詞を読み直してしまった。

「神の愛により、遥かな恋を乞う時、
どれほど楽しいことだろう」などと、
確かに神に祈るような歌詞も見えるが。

ハチャトゥリャンのピアノ協奏曲に登場する、
フレクサトーンのような、
不思議な音色の楽器が導く間奏曲は、
かなり長大で、笛や打楽器によって高まり、
リズムの刻みも激しく、
再び、熱気をはらんだ祭典が続いていく。

さらには、語りも入り、
南フランスの古い歌というより、
古代地中海の秘儀といった雰囲気だが、
録音も良いし、何でもよいから浸ってしまえばよい。

ボットのCD、Track4.は、
ブリュレ作、「やるせない」も、
同様に、格調高い「本格歌曲」だが、
メロディに跳躍があって、
器楽伴奏があった方が歌いやすいと思われる。

「新鮮なメリスマ風旋律」とされているが、
「フランスで最も美しい麗人よ」と、
こんな節で歌い上げられたら、
高貴なご婦人も、ほほを染めるかもしれない。

この曲は、「本格」とされるだけあって、
6分とか8分とか、かなり長い曲で、
自分が夢中であること、不安であること、
友人が裏切ったこと、イエズス様に祈ること、
あまり核心的でもないことも含め、
いろんな事がつべこべ歌われている。

解説に、この人はトルヴェールだったとある。


Track5.のル・バタール作、
「真の愛は」は、小唄風で楽しいが、
「常套句が連続する」と書かれているように、
「フランスで最も麗しい人」に、
美辞麗句を連発したものだ。

Track6.に、有名な、
「雲雀が喜びのあまり」という、
ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの曲が来る。
この作者は高名であるがゆえに、
様々な演奏で聴けるが、
このボットの歌唱は、非常に物悲しい。
繰り返し、繰り返し、物悲しさが、
強調されて、気が滅入るほどである。

雲雀が陽に向かって夢中で羽ばたいて、
我を忘れて落ちるのが羨ましい、
という内容で、本格歌曲だけあって、
愛さずにいられない苦しさ、
無力さ、女性への恨み、
絶交だ、さすらいだ、と、
あらゆる恨みつらみが披瀝され、
6分半もかけて歌われる。

解説は、この曲に多くの分量を割いているが、
この繰り返しの厳格な様式を説明し、
かつ、同じ言葉を繰り返さない、
語り口で巧妙に変化するリズムなどと共に、
宮廷風の落ち着きのある拍子を特筆しながらも、
「変化が乏しい」ということは認めているようだ。

これらの歌曲は、「有節歌曲」であるが、
繰り返されることに意味があり、
旋律が言葉の響きを写しているわけではない、
などと、シューベルト歌曲では、
それではいかん、と書かれていたような事が、
むしろ特筆されているのが興味深い。

「それらは、ロマン主義的な意味における
ラヴ・ソングではなく、愛についての歌」
という、マーシャルという人の言葉が引用されている。

自問自答を聴き手と共有する儀式のような芸術、
という事であろうか。
妙に哲学的な解釈であるが、だとすれば、
器楽の伴奏など不要、禅問答のような世界なのだろうか。

NAXOS盤でも「儀式」という言葉を使ったが、
この時代、何らかの交流が行われるための力が、
音楽には求められていた可能性は高そうだ。
NAXOS盤のTrack6.
「鳥たちは歌っていた」(リュル)では、
壮絶な太鼓の連打が繰り返さるが、
この反復の中には、明らかに忘我の瞬間がある。
ただ、こうした音楽は、
どのような空間で鳴り響いたのだろうか。

ボット盤、Track7.作者不詳の「可愛いヨランツ」。
これは、シンプルな「お針歌」であるが、
ちょっと、戯れ歌にしては、
ワン・ヴォイスでは華やぎに欠ける。

裁縫をしながら女性が口ずさむ妄想の愛。
しかし、この歌では、恋する彼が本当に来て、
寝床にまで行ってしまう。

Track8.ディア伯夫人作、
女性の歌として珍しいらしい。
「宮廷風恋愛歌曲」の人気作、
「嫌なことも歌わなければ」という、
へんてこなタイトル。

嫌なら歌わなければ良いではないか、
という気持ちもあるが、歌詞を見ると、
「言いたくないけど、言わせてもらう」、
みたいな内容。
あなたの冷たさに傷ついていることを、
どうして、あなたは分かってくれないの、
と、手紙に認めている。
独白調のメロディもそれらしく真実味があり、
この曲などは、伴奏はなくても良い。

Track9.ナヴァール王作。
次々に、高貴な作者が現れるところが、
トルバドゥールたる所以だろうか。
この前に聞いた、トロバイリッツのCDは、
作者不詳が多すぎた。

この王様による、
「神はペリカンのようだ」という、
突飛なタイトルながら、
教会の偽善を描いた宗教的なものらしい。

確かに、きつい厳しい言葉が乱舞するが、
これなどは、ワン・ヴォイスでは、
いささか迫力不足ではないだろうか。
誰が聴く事を想定した歌なのだろう。

Track10.フルニヴァル作は、
「愛された時、愛しませんでした」という、
魅惑的なタイトル。
失った愛の後悔を切々と歌う。
これは、「ああ、わたしはなぜ生まれたのでしょう。
自尊心から恋人を失ったのです。」
といった結尾の句を彩る絶唱系が胸を打つ。
非常に繊細な言葉の抑揚が、
古からの身近な情感を駆り立てて美しい。

Track11.ボルネイユ作。
「もし助言を求めたら」は、
愛を巡っての助言を求める、
ギラウトとアラマンダの対話形式なので、
もっと鳴り物があってもよさそう。

Track12.ファイディト作、
「何とつらいことだろう」は、
獅子心王、リチャードの死に寄せる哀歌。
この曲は、非常に有名だが、9分半にわたって、
シャルルマーニュやアーサー王に比し、
異教徒を恐れさせた王の生涯を歌った演奏、
そして、何の伴奏もない例は、他に知らない。

「もはや聖地を奪回できる王はいない」と歌われ、
「勇敢なご兄弟、ヘンリーやジョフロワ」にまで触れ、
これは、まさに、
「王妃エレノアール」が最も愛した息子であり、
そして、まさしく、この兄弟争いから、
どんどん、帝国が崩壊していくさまを描き出し、
十字軍の最終的な失敗まで描き、
先にあげた物語を読んでから聴かなければ、
よく分からないような内容が、
ばっちりと描かれ歌われている。

得られた事:「伴奏なしが正しい再現とするボット盤、民族楽器も交えての激しい色彩感のNAXOS盤、共に、祈りと忘我があり、完全には否定しがたいトルヴァドールの音楽。これら両極端を聴いて、この中間のどこかにある、中世南仏に生きた人の感情の高ぶりを空想する。」
「トルバドゥールやトルヴェールの歌は、自問自答であるがゆえに有節歌曲であり、その反復の中から精緻な愛を聴き手と共有する禅問答であった。」
「ディア伯夫人作『嫌なことも』や、フルニヴァル作『愛された時』などは、愛への省察の細やかな語り口が、その言葉の抑揚と共に心を打つ。リュデルの『五月』では、二つのCDの差異の聞き比べに好適。」
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by franz310 | 2017-10-09 20:48 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その444

b0083728_20403555.jpg個人的経験:
「デュオ・トロバイリッツ」
という二人の女性音楽家による
「愛の言葉~
トルバドゥールと
トルヴェールの歌」
というCDを聴くまで、
南仏のトルバドゥールと
北フランスの
トルヴェールとの違い、
そもそも言葉まで違うなど、
あまり意識していなかった。


今回は、ざっと、
このトルヴェールの勉強をする。

当時の歴史を紐解くと、
フランスは分断状態にあって、
そこから、英仏百年戦争という、
時代に突入することも含め、
これらの違いは音楽史ではなく、
西欧史のスケールで理解される。

確かに、古株、セクエンツィアなどは、
これらをはっきり分けてアルバムを作っており、
「北フランスの宮廷の愛の歌、
C.1175-1300」と題して、
トルヴェールだけでCD2枚分収録している。

一角獣の絵は、
15世紀末フランドルのタピスリーが有名だが、
このセクエンツィアのCDの表紙は、
ずっと古拙で、
「ユニコーン」と題された、
大英図書館にあるとされる
「ロチェスター動物寓意譚」から。

1230年頃(から14世紀までの間?)
のものとされるので、
みごとに、このCDの音楽に合っている。

ユニコーンは処女を好むので、
この図では、それを囮にして、
狩人が、剣を突き刺しているが、
すでに、この伝説上の動物は、
息絶えているようにみえる。

この魔獣の角には、
様々な効能があったというから、
共犯の女の方も、
殺された獣に対する同情はなさそうだ。
そもそも、キリスト教の規則はあっても、
野卑なイメージが先行しがちな中世、
動物に対して、
どれぐらいの同情があったかは知らないが。

このセクエンツィアという団体は、
結成が、スイス、バーゼルで、1977年と古く、
多くの録音をドイツ・ハルモニアムンディから出していたが、
何故か、アメリカ人が作った団体で、
ベンジャミン・バグビーという、
1950年生まれのイリノイ州出身の男性
(ハープ、声楽、作曲、音楽学担当)と、
バーバラ・ソーントンという、
同年生まれのニュージャージー出身の女性との
カップルが中心であった。

だいたいの写真では、
さらに、マルグリエット・ティンダマンという、
オランダ出身の女性と3人で、
「セクエンツィア」とされて写っている。
このCDもそうだが、多くの場合、
さらに数人のメンバーが参加しているようで、
かなり変則的な活動が可能な団体のようだ。

「現代最高の中世の声」とされた、
ソーントンは、何と、48歳の若さで、
手術不能の脳腫瘍で苦しんだ末に亡くなっており、
もっぱら弦楽器系を担当した
ティンダマンも2014年に亡くなったので、
この初期の代表メンバーは、
もう、神話上のレジェンドになってしまった。

しかも、このCDなどは、1982年の録音、
彼らが30歳そこそこで録音したものなので、
CD解説などに残された画像は、
若々しく、永遠の青春を刻んだような形になっている。
どの音楽の解釈も、風通しがよく上品で、
中世ヨーロッパに憧れる、
新大陸の若者の生の心情が宿っているかのようだ。

こうした活きの良い若者たちだった彼らにも、
古いフランス語の問題が立ちはだかっており、
発音も再現不可能だったようで、
解説には、「厳格に科学的」ではない、
と断りを入れている。

逐一、文字に落とされているはずの
「詩」からしてそうなので、
「音楽」の方も、彼ら独自の解釈、
彼ら独自の再現となっているのだろう。

バグビーは、自らが信じた世界に浸りきって、
前面に立って、自らの声を響かせているが、
学者でありパフォーマーであり、
はったり興行師でもある、
といった感じだろうか。
多くのトルバドゥール、
トルヴェール系のCDが、
10曲程度で小ぢんまりとまとめてある中、
何と、2枚43トラックもあるのがすごい。

バグビー自身が書いた解説を読んでみよう。
これは、日本で発売された時には、
割愛された感じになっているが、
演奏者自身の言葉が読み取れて貴重だ。

「トルヴェール(『発見』とか『発明』に当たる、
trouverに由来)は、
12世紀から13世紀に活躍した
詩人/音楽家の総称で、
その詩は、南フランスのトルバドゥールの
オック語(オシアン)ではなく、
オイル語(今日、古フランス語として知られる)
で書かれている。
これらのシャンソニエのほとんどは、
そのうちの少なくとも1700に、
メロディが付けられた
何千もの詩が集められた、
詩集にある手稿をもとにしている。
これに加えて、
ポリフォニーの世俗音楽、
2部、3部、
場合によっては4部のものさえある、
モテットが含まれているが、
その多くはオイル語で書かれている。
この録音プロジェクトは、
『13世紀フランスの伝統と前衛』と
題された、
12世紀後半のトルバドゥールの伝統による、
初期のトルヴェールから、
1300年頃のパリの音楽シーンまで、
限られた時代の音楽スタイルを探求した、
コンサートのプログラムに、
端を発したものだ。
この録音は、このテーマを拡大し、
モノフォニック、
ポリフォニックな世俗音楽の両方にも、
重要な視点から選曲したものだ。
一見、同種のように見えるレパートリーに、
様々な音楽スタイルがあったことを、
デモンストレーションすることが、
目的の一つであった。」

このような目的ゆえに、
様々な音楽を集成する必要があり、
それが、2枚組、全43トラックという、
大きなプロジェクトに繋がったようだ。

「幾世紀もの時を隔て、
原典の情報不足もあり、
旋法のリズムとか、朗唱風のリズムなど、
名称のみで論争の種になっている揃いの音楽が、
もっと幅の広いものであって、
明らかに規定されたものであると推測する試みとなった。
あるいは、オック語という詩的な言語が、
多くの方言同様、地域性の強いもので、
もっと言うと、ある文化に根差していて、
音楽の演奏も地域密着で、
多種多様であったと思われる。」

恐ろしく冒険的なプロジェクトである。
一人の作曲家の作風の変遷や、
それが、どの音楽家によって、
どんな風に演奏されるか、
などという次元の話ではない。

どれもこれも誰も見たことも聴いたこともない、
千年近く前の音楽を、
その地域ごとに解釈するというが、
その地域の言語も文化も、
すっかり歴史の闇に霧散している可能性が高い。

「第1部は一人の作曲家に焦点は当てず、
初期トルヴェールの音楽活動の
多彩さをカバーしようとした。
もっとも初期のフランス語、
ラテン語のモテット、
クラウズラと器楽曲と共に、
下級の貴族が作った詩による
シャンソン・デ・トワルが含まれている。
ここには、女性視点での
編み物歌や糸紡ぎ歌があって、
女性が語る形のモテットを補足する。」

この第1部というのは、この2枚組CDの、
最初のCDのTrack12までが相当する。

なお、このさらっと書かれたクラウズラという曲が、
このCDには大量に収められているので、
これを確認しておく必要がある。

日本盤は金澤正剛氏の詳細な解説が貴重だが、
これによると、
9世紀に始まるポリフォニーは、
パリで発展し、聖歌の旋律に
対旋律を付けて発達。
それをオルガヌムと呼び、
その一部を修道士たちが楽しんで演奏して独立、
クラウズラという新しい音楽が出来、
何と、それに歌詞を付けて歌うと、
モテットになるのだそうだ。

モテットを単に、宗教的な歌曲と考えていたら
いかんかったという事である。

Track1.冒頭に置かれたベチューヌ作、
「あまりに愛したために」の、
豊饒、華麗な序奏からして、
ものすごく眩惑的な響きで、
聴く者の時間感覚、空間感覚をおかしくしてしまう。

いったい、これは、どんな場所で演奏されたのか、
と思うくらいに、
ハーディ・ガーディの音響の渦が押し寄せ、
あちこちでハープがきらきらと輝き、
まるで、洞窟か何かの中での、
超俗的な体験を経たような感じになる。
バグビーが歌う歌は、
しかも、妙に教訓的で、
愛の体験、特に苦しみを、
もっともらしく述べているだけのこと。

Track2.の器楽曲間奏を経て、
Track3.では、ソーントンが、
巫女のような声を響かせる。
「窓辺に座る美しいドエット」は、
トロバイリッツのCDにも入っていたもの。
ただし、セクエンツィアのCDでは、
曲想が盛り上がってくると、
女声3人が声を合わせて重なり、
ずっと、痛ましさが劇的となる。」

ドエットが窓辺で本を読んでいた時、
恋人の遺品が届けられるという内容のもの。

トロバイリッツのCD解説では、
こう書かれていた。
「Track10の
作者不詳『美しいドエット』と、
(トロバイリッツのCDの)Track5の
作者不詳『泉のそばの庭園で』は、
Chanson de toileの好例で、
物語の主人公が女性である。
このタイプのものは、
女性が糸紡ぎをしていたり、
窓の外を見ている時の恋人への夢想である。
『美しいドエット』は本を読んでいるので、
いくらか教養ある婦人である。
この非常に感動的な歌は、
魅力的なメロディを持ち、
痛々しい言葉によるもの。」

トロバイリッツのCDでは、
嫋々と弾かれるハーディーガーディーが、
まるで、中央アジアの弦楽器のような嘆き節を響かせ、
切々と歌われ、セクエンツィアよりアラブ風でもある。
セクエンツィアの盤では、器楽伴奏はない。

「本を読んでいるように見えるが、
心はそこにない。
トーナメントのために異国に行った恋人を思っている。
しかし、帰って来たのは、従者と、恋人の鞍袋」
という、悲劇を扱っているのだが、
「鞍が帰って来た」という、妙に生々しい記載も、
セクエンツィアの日本語解説の歌詞にはなさそう。

Track4.にモテット、
「私を眺めるなら」が来るが、
これは、「世俗的なシャンソンの旋律を
定旋律に用いた3声のモテトゥス」
と解説されているように、
おいおい、聖歌が定旋律ではないのか、
突っ込みを入れたくもなるが、
とにかく、しなやかにハーモニーをなす、
簡潔な戯れ歌という感じ。
「自分を眺めている男は眼中にない」
という、いかにも女子の会話を聴く感じ。

Track5.「定旋律『あたかもそのように』
にもとづくクラウズラとモテトゥス」という、
9曲の小品からなる楽曲で、
クラウズラは器楽曲、モテトゥスでは歌が入る。
しかし、これらのモテトゥスは、
定旋律が同じであるだけで、
いろんな歌詞が歌われる。
そればかりか、楽器や声楽の技法も様々で、
ものすごく面白い。

Track6.の少し長めのエスタンピー
(これまた、ものすごく豊穣なもの)を経て、
Track7.の「美しいヨラン」は、
またまた、糸紡ぎ歌である。
女声合唱的な扱いで歌われている。
これは、キャサリン・ボットのCDで、
ワン・ヴォイスで歌われているものだ。

Track8.「定旋律『栄えのみ子』にもとづく
クラウズラとモテトゥス」も、7曲の小品だが、
モテトゥスが、「海辺の三姉妹」とか、
「美しいアリス」とか、「花よりも美しく」とか、
いかにも歌詞からして雅なもので、
器楽のクラウズラを挟みながら、
とても楽しく聴ける。

Track9.ガス・ブリュレ作、
シャンソン「故郷への想い」で、
異郷にいる自分の立場の危うさを歌い、
十字軍遠征時のものとされる。
簡素ながらしみじみとした音色のフィデルを伴奏に、
遥かな故郷に向かって訴えるような、
ソーントンの美しい声が堪能できる。
遠く離れた妻に、誹謗中傷を信じるな、
と歌いかけるものなので、
本来は男性の歌なのだろうが。

Track10.の異郷風の器楽曲を経て、
Track11.ブロンデル・ド・ネル作のシャンソン、
「誰も歌ったことはない」。
これは、ハープの思わせぶりな序奏や、
とぎれとぎれな伴奏からも、
70年代の日本の歌謡曲を連想してしまう。
これは、ほとんど、この団体の創作なのではないか。
歌の方は、詠嘆するような、
とりわけ特徴もないものだが、
この伴奏によって得をしている。
ただし、この作曲者は、リチャード獅子心王を、
救出した伝説を持つらしい。

Track12.作者不詳の短いモテトゥスが、
早口で輪舞するように歌われる。
内容は、パリで、美しいイザベロにぞっこんになった、
という他愛ないものだが、
めまぐるしいポリフォニーの渦で、
新しい様式の到来を感じる。

「第2部は、ほとんど、
ある作曲家の抒情詩を中心にしている。
アダン・ド・ラ・アルについては、
近年の演奏家から、
3部のロンドーやモテット、
『ロビンとマリオンの劇』で知られているが、
モノフォニックな作品の方は、
見過ごされており、彼の膨大な作品は、
当時のあらゆる詩形を含んでいる。」

この第2部は、
CD1のTrack13~19と、
CD2のTrack1~12に相当する。
上述の解説のとおり、
アダンの作品から、ロンドーというものが、
たくさん出て来るが、
これらは多くはいずれも、
1分以内で終わってしまう小品である。
それに短い小粋な器楽曲が挟まって、
どんどん進行していく。

ロンドは一般にABAC・・と主要な部分を繰り返すが、
ここでは、ABaAababといった形式で、
CD13.「やさしい恋人が」などは、
まるでアジテーションしているだけのような感じ。

作曲家のアダン・ド・ラ・アルは、
1237年頃に生まれた人とあるから、
トルバドールの祖の孫娘とされた、
1122年生まれのアリエノール・ダキテーヌからも、
100年以上あとの人ということだ。
フランスの全土を回復した、
アリエノールの宿敵フィリップ征服王も、
亡くなった後の世代ということになる。

パリの人らしく、世俗歌曲に、
ノートルダム楽派のポリフォニーの技法を
取り入れた人だとある。

ナポリまで行って活躍したとか、
最初のオペレッタとされる
「ロバンとマリオンの劇」の作者として、
広く知られているらしいが、
私はよく知らなかった。

CD2のTrack.1
「生きている限り」からして、
デヴィッド・マンロウの
「ゴシック期の音楽」を思い出すような、
無重力感あふれる
精妙な響きが楽しめる。
「きみ以外の人を愛しはしない」と続き、
基本的に上述のような繰り返しの8行で終わる。

Track3.のモテトゥス、
「愛を賛美するものもいる」なども、
ロンドーのように簡潔ではない歌詞ながら、
同様に、短い楽句があぶくのように現れては消え、
他の声部が繰り返して、
不思議な上昇感に揺蕩ってしまう。

「第3部は、13世紀後期の、
都市中心から現れた、
『新音楽』を含んでいる。」

この第3部は、
CD2のTrack13~24に相当する。
意識しながら聴くと、これは確かに、
そこに、フレッシュな空気の流れがある。

ここでは、バラードというのが登場している。
有節形式で詩節の内部に
aabの繰り返しが現れたものだという。
必ずしも、シューベルトの「魔王」のような、
物語詩ではないようだ。
ネットで調べると、明確にトルヴェールが始祖とあり、
ゲーテが、このような詩を真似して、
物語性のあるものにしたように読める。

「不運な若いパリの聖職者、
ジョアンノ・ド・レスキュレル
(1304年、放蕩罪で絞首)
新しいメロディと和声のスタイルを、
目覚ましく発展させ、
比較的明快なリズム表記を編み出した。
彼の作品の一つ、
『やさしく甘いあなたに』
(CD2のTrack21.)は、
独特な3パートからなる版の他、
モノフォニック版が残されていて、
これらから私たちは、
彼の他のモノフォニック記譜の作品の
解釈を行うために
レスキュレルの独自の和声の語法を
理解することが可能となる。」

日本語解説にも、「美しい旋律の流れ」が特筆されているが、
ロンドーである、この曲も、無機質な泡立ち感よりも、
かなり、普通の人間が歌う感じに近づいている。

「理論家で作曲家であった、
ペートルス・デ・クルーチェは、
アミアンに住んでいたとされるが、
ゆっくりと動く構成的なパートの上に置かれた
雄弁な上声部に、
『新様式』の要素が見て取れる。
ペートルスは、
この雄弁なスタイルを書き表すのに、
必要な記譜法を発明したとされる。
レスキュレルもペートルスも、
トロヴァトーレの伝統の相続人であると共に、
14世紀のアルス・ノヴァの先駆者と
みることが出来る。」

ベートルスのモテトゥス、
Track23.「習慣で歌を作るものもいるが」
などは、ドビュッシーあたりが、
新曲として発表してもおかしくないほど、
かなり小粋なフランス歌曲に聞こえる。
歌詞の内容は、「素敵な女性を見つけた」という、
騎士道の世界の真っただ中にある。

「最後に器楽曲について一言。
私たちはすでに多くの器楽曲の演奏で、
もっとも一般的な形式の構成、
楽器のそのものを知っているが、
当時の楽譜で器楽曲が残っているものは少ない。
器楽曲は、プロのミンストレル
(ジョングルール)の領域のもので、
地方、地域の伝統の枠組に、
独自のスタイルやレパートリーを加え、
恐らく多種多様で、
ほとんど記譜されることはなかった。
我々はこの録音では、
13世紀北フランスのスタイルを参考に、
再構成を試みた。
メロディやトルヴェールの身振りなどが、
基本部分として残っていて、
そこに器楽的な慣用表現を加え、
始まりと終わりにリフレインを持つ、
エスタンピーのような形式にした。
これに加え、私たちは、
声楽曲を器楽で奏したり、
各楽器特有の演奏効果を取り入れたりして、
さらには、当時のプロの楽師が誰もが行ったような、
ポリフォニック、ヘテロフォニックな即興を交え、
様々な地中海的な器楽要素を入れた。」

この「当時の楽譜で残っているものは少ない」
というあたり、トロバイリッツのCDでも、
同様の事が書かれていた。

最後に、このセクエンツィアのCDの前に聞いた、
「デュオ・トロバイリッツ(DT)」のCDから、
トルヴェールについて書かれたところを書き出しておく。
以下、「DT」と書いたトラックは、
「デュオ・トロバイリッツ」のCDのものである。
なお、文章は、このデュオの二人が書いたもの。

「トルヴェールのパストレーレは、
トルバドゥールのパストレラと同様の主題で、
百姓の娘が騎士に遊びで誘惑されるというもので、
軽い調子のもの。
一般に騎士は娘にあしらわれるが、
今回取り上げたものでは、
彼はうまくやっている。
DT/Track7の作者不詳『森に入ると』。」

軽い歌というが、明るくて、
本当にすがすがしい歌声が、
心にしみわたる。
森の中で、羊飼いの乙女が、
一人歌っているのを見つけ、
若者は、そっと近づいて、
声を上げてはいけないよ、
と腰に腕を回してキスをする。

「そうして、恋人になりました」といった、
非常に屈託のないもの。

「DT/Track10の
作者不詳『美しいドエット』と、
DT/Track5の
作者不詳『泉のそばの庭園で』は、
Chanson de toileの好例で、
物語の主人公が女性である。
このタイプのものは、
女性が糸紡ぎをしていたり、
窓の外を見ている時の恋人への夢想である。
『美しいドエット』は本を読んでいるので、
いくらか教養ある婦人である。
この非常に感動的な歌は、
魅力的なメロディを持ち、
痛々しい言葉によるもの。」

確かに、嫋々と弾かれるハーディーガーディーが、
まるで、中央アジアの弦楽器のような嘆き節を響かせ、
切々と歌われ、いかにもアラブ風である。

「本を読んでいるように見えるが、
心はそこにない。
トーナメントのために異国に行った恋人を思っている。
しかし、帰って来たのは、従者と、恋人の鞍袋」
という、悲劇を扱っている。

「それとは反対に、『泉のそばの庭園で』は、
泉のところで、立ち止まっている女性の描写で始まるが、
ハッピーエンドで終わる。
冷酷な夫の描写もあって、
この曲は、『mal maree』のジャンルともいえる。」

男友達を思い、
夫に殴られるという
とんでもない内容のこの曲は、
どちらかというと、
モノローグのような曲調で、
あまりメロディアスではない。
そして、遂には語りまでが始まる。

「もっとも『mal maree』の典型は、
DT/Track1の『どうして夫は私を打つの』で、
ちょっとふざけた明るい歌で、
中世ならではのユーモアを知ることができる。」

特に、ユーモラスな音楽ではないが、
歌詞がとんでもないものだ。
「恋人を抱いただけなのに」
と妻は言っている。

「コラン・ミュゼ(c1200-1250あたり)
はシャンパーニュやロレーヌで活動した。
彼は、ジョングルール
(他の人が作った曲を演奏する下位の楽師)
として仕事をはじめ、
しだいにトルヴェール(詩人・作曲家)
の地位に上った。
このことが、
彼の分け前や施しに対して、
リアルで風刺に満ちた不満を漏らすなど、
何故、彼の歌曲の多くが、
低層の音楽家の視点によっているか
を説明している。
DT/Track9の『ミュゼのミューズ』は、
フィッドル弾きの経験に関し、
仕えている貴族の女性に恋するというもの。
辛辣でありながら、
同時に楽しく、
作曲家の名前、ミュゼになぞらえ、
ミューズ、ミューザー、ミュゼットなど、
抜け目ない駄洒落に満ちて楽しく、
それでいて、個人的なメランコリーもある。」

このトロバイリッツのCDもまた、
器楽曲の解説が、最後につけたしになっているが、
こちらも勉強になる。

「中世フランスの
純粋器楽作品の唯一の出どころは、
13世紀の『王の写本』で、
そこから、このCDの舞曲は取られている。
器楽の演奏はもっぱら即興であったことが、
この時代の器楽曲が少ない理由であろう。
『王の写本』の舞曲は、
エスタンピ形式で、
多くのセクションからなり、
始まりの部分が繰り返され、
エンディングで閉じられる。
こうした形式ゆえに、
無限に繰り返しが可能で、
私たちは、この中世の伝統に従って、
追加部分を補って、
楽譜の劣化ゆえ不完全な
DT/Track11の
『王のエスタンピ第1』や、
もともと、非常に短い
DT/Track2の
『Dansse Real』を拡張した。
DT/Track4の『La Tierche Estampie Roial』と、
DT/Track6の『王のエスタンピ第4』は、
その写本に従った。
1300年頃の
ヨハネス・デ・グロチェオは、
エスタンピ形式を難しいとして、
若い人は集中して、
固定観念から解放されるとして、
ハーディーガーディーで演奏すべきだ、
とした。我々も、その忠告に従った。」

得られた事:「トルバドゥールとトルヴェールは、12世紀と13世紀の時代的な差異の他、歌われていた言語が、オック語、オイル語という違いがあり、トルバドゥールが比較的急速にすたれたのに対し、トルヴェールは、200年の時代を変容しつつ存続し、様々な楽曲の実験場と化した。」
「モテットとかロンドーとか、古典の時代に活用された形式、あるいは、ゲーテやシューベルトの時代のバラードまで、トルヴェールの時代に発祥したものが多い。アダンのロンドーなどは、短い楽節が泡沫のように現れては消え、ポリフォニーの無重力感がたまらない。」
「セクエンツィアは、二人の若い男女が、遥か遠い中世に思いを馳せて結成した団体であったが、女性の方が早く亡くなった事もあり、こうした80年代のものは、永遠の青春の夢想に浮遊したようなアルバムとなっている。」
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by franz310 | 2017-08-06 20:42 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その443

b0083728_19591967.jpg個人的経験:
前回、ジャヌカンの合唱曲を聴き、
その歌詞に出て来る
フランソワ1世とか、
彼と奇妙な外交関係を繰り広げた、
ハプスブルクの傑物、
カール五世とかの関係から、
はるばる遠い西欧史に
思いを馳せてしまった。

そもそも、その戦いの根は深く、
彼らより400年も前に、
その火種があったともいえる。


フランス、ドイツとの関係の祖というか、
それが、実は、イギリス建国のどさくさも、
そこに関与していたなどとは、
まったく予想だにしていなかった。

12世紀、仏北西のアンジュー伯が、
イギリスに植民地を持つ、
ノルマンディー家と婚姻関係となり、
彼らの子息アンリがさらに、
南西フランスに領地を持っていた、
アリエノールと結婚したことで、
イギリス王ヘンリー2世となった。

さらりと書いたが、
イギリスから南仏まで縦断する大帝国である。
当然、フランスは面白くないし、
英国サイドも、自分もまた、
大陸出身の国王だというプライドもあるから、
こいつらはいつまでも戦争をした。
そんな中で出て来たのが、
新興勢力のブルゴーニュ家であって、
これがハプスブルクにもつながる、
といった三つ巴状態となった。

この四百年というのが、
これまた、芸術的には実り豊かで、
どこから手を付けてよいかわからない。
しかし、すべての発端とも見える、
ヘンリー二世の奥方のエピソードなどから、
当時に思いを馳せるのが、
当面、適当なような気もしている。

というのも、
このアリエノールという女性の行動は、
どう見てもありえなーい、
というとんでもないもので、
そんな事をやってのけたのも、
その出身地のみやび故、
などとされているのである。

佐藤賢一著「カペー朝」(講談社現代新書)には、
「アリエノールは南フランスの女である。
陽気な話好きだったというのも、
吟遊詩人が闊歩する華やかな芸術が栄えた、
文化的には先進地帯の生まれだったからである。」
と書かれている。

この女性は、そもそも、
フランス王家に嫁いでいた王妃である。
国王ルイ七世が辛気臭いという事で不仲となり、
さっそうと現れた地方貴族の小僧と引っ付いてしまった。

このような経緯から、
大陸での力比べが始まって、
英仏百年戦争になったというのだから、
吟遊詩人の文化というのも、
罪作りな文化ではないか。

音楽之友社から出ている
「地中海音楽絵巻」(牟田口義郎著)にも、
「トルバドゥール」の項に続いて、
「女公と女王・アリエノール」という、
お話が続いている。

ここでは、彼女は、
「最初のトルバドゥール」ギョーム九世の孫、
英仏三百年の紛争の火種となった女とされ、
「文芸擁護者としての彼女の存在によって、
トルバドゥール芸術は絶頂期を迎える」
などと描写されている。

このトルバドゥールというのは、
「吟遊詩人」などと訳されるが、
こうした言葉から連想される旅芸人ではなく、
作詩・作曲する教養人だったということだ。
彼らはジョングルールという歌い手を抱え、
自作の歌を歌わせたという。

十字軍の時代でもあって、
領土に領主が不在になりがちな中、
夫人が領土権を行使して女性の地位が向上、
かくて、宮廷の宴席で、女性賛美の歌が歌われた、
などともある。

こうして、リュートなどを伴奏に歌われる歌曲が生まれ、
「節なき詩は水なき水車」などという言葉が
出てきたというのである。

ちなみに、十字軍の話が出てきたが、
アリエノールが、最初の夫、
ルイ七世と決裂したのも、
1147年、第2回十字軍における、
作戦の考え方の不一致からだった。

アリエノールは1122年生まれ、
当時25歳だったわけだが、
ふと、一世代あと、1157年生まれの
「尼将軍」、北条政子の政治力を思わせる。
もっとも、政子に、みやびな気配はあまりないが。

なお、アリエノールは、英国国王妃であるが、
南仏ポワチエで別居生活を送り、
領地アキテーヌの宮廷文化を楽しんでいたため、
そこにベルナールのような天才詩人が集い、
彼女を崇拝した歌を作ったという。

つまり、アリエノールは「尼将軍」ではなかった。
また、息子がみなドラ息子だったために、
せっかくの大陸の領地は風前の灯となる。
が、彼女は、もっと女性らしいやり方で、
自分の血筋を後世に伝えた。

何と、娘たちが各地の実力者に嫁いだために、
神聖ローマ皇帝、カスティーリャ王、
フランス王などが誕生しているのである。
ちなみに、英国王としての後継者のリチャードは、
「獅子心王」、「中世騎士道の鑑」とされたが、
やはり十字軍で散々な目に会っている。

そんな事までを知識の下地として、
今回のCDを聴いてみたい。
「愛の言葉~トルバドゥールとトルヴェールの歌」
というもので、
フェイ・ニュートンが歌い、
ヘイゼル・ブルックスがヴィエールを担当する、
「デュオ・トロバイリッツ」
という女性コンビの演奏である。
イギリスのハイペリオンレーベルによるもので、
録音は2005年。
彼女らもイギリス人だと思われる。

トルバドゥールの女性形がトロバイリッツなので、
そのままの名称となっている。
さすが、教養人ということか、
解説もこの二人が書いている。

ヴィエールというのは、
このCDの解説の写真で見る限り、
原始的なヴァイオリンのような形をしているが、
ハーディーガーディーという名でも知られるもの。

シューベルトの歌曲集の最後で、
「辻音楽師」が手にしている楽器である。
シューベルトの曲では、
ライアーマンとされていて、
歌曲の最後は、
「僕の歌に合わせて、
あなたのライアーを回してくれるか」である。

つまり、この楽器、
弦をこする回転盤があって、
抱えるように持って、
取っ手をくるくると手で回して、
弦を鳴らすような作りである。

したがって、このCDも、
全編、この素朴な弦の擦れ音で満たされている。
このCDは、Track2、Track4、
Track6、Track11の4曲が、
歌なしなので、このかすれたような、
鄙びた残響音をとことん味わえる。

なお、トルヴェールは、トルバドゥールが、
北フランスに移ったバージョンである。
さらにこの伝統は、ドイツのミンネゼンガーにも、
受け継がれるというのだから面白い。

この楽器は廃れてしまっており、
大部分のシューベルト愛好家も、
ハーディーガーディーの音色など知らないで、
「冬の旅」を聴いているはずだ。

しかし、19世紀になってもなお、
こうして楽器も演奏家も描かれているのだから、
恐ろしく普及した楽器だったと言える。

さて、このCDには、
「トルバドゥールの中で最も型破りの詩人」
とされた、
ベルナール(ベルナルト)の曲も入っている。
この人は、
「心の底から生まれてこない歌は価値がない」
と、言っていたらしい。

まさしく、シューベルトの原型のような人である。

もう、このCDの表紙画像からして、
これまでの知識を全面的に受け止める感じではないか。

「女中たちと翼の生えたハートたち」
というタイトルからも、
群がる男たちを、
手のひらの上で転がす女たちの表象であることがわかる。
(ただし、時代考証的には、この絵画は、
もう少し後の時代のもの。)

では、解説には、何が書かれているか。

「報われない愛の痛み、
春の喜び、領主の妻に仕える騎士道、
この録音に収められた歌と共に、
私たちは、
トルバドゥールとトルヴェールの
詩と音楽で描かれた
愛を様々な切り口で探究した。
この時期の膨大な作品は、
一般に、『宮廷の愛の歌』と呼ばれるが、
実際には、多くの独特のジャンルが混在している。
13世紀の文献には、
恐らく、Jofre de Foixaの作とされる
『作詞の理論』と題されたものがあり、
トルバドゥールの様々な詩の、
最初期の記述が見て取れる。
著者は、canso、alba、dansa、planhと
名付けて簡単に区別し、
さらに詩のメロディについても言及し、
スタイルと、テーマ、役割、演奏上の流行
を関連付けて論じた。」

これらの詳細については、
ここでは書かれていないが、
語感からして、
歌とか踊りのようなものであろうか、
と推察できよう。

ちなみに、ネットで検索すると、
アルバ 、 夜明けが来て別れなければならない恋人たちの歌。
カンソ 、恋愛の歌。
ダンサ、踊りの歌。
Planh、嘆きの歌、とあった。

実は、この解説の後半は、
これらの種別について、
詳しく説明されている。

「宮廷の愛のコンセプトは、
12世紀に南フランスで開発された。
理想化された愛や性的な情熱を祝し、
洗練や貴族的なふるまいに発展した。
女性は、恋人に対して優位な立場にある
崇拝の対象として現れる。
淑女が主人となり、
主君が卑しい奉仕者となるように、
伝統的な役割が反転した。
トルバドゥールの詩では、
『我が主君』とはしばしば、
恋人の淑女を表し、
その望みは恋人への命令となった。
『トルバドゥール』とは、
言葉の上では『発見者』とか『発明家』である。
初期のトルバドゥールは、
12世紀への変わり目から、
アキテーヌ、ポワトゥーやオーヴェルニュなどの
宮廷を本拠地としていた。
旅芸人や吟遊詩人ではなく、
彼らはしばしば貴族の出で、
教養ある熟練した詩人、音楽家、歌手であった。」

このあたりはすでに読んだとおりである。
シューベルトの歌曲を広めた、
ミヒャエル・フォーグルなどは、
非常な教養人であったとされることが思い出される、
残念ながら貴族ではなかった。
なお、文庫クセジュの「中世フランス文学入門」によると、
トルバドゥールは、
形式面で多様性を追求した事が書かれており、
こうした背景から、「発明家」とされたのかもしれない。

「彼らは、南フランスのオック語、
またはプロヴァンス語で作詩した。
最初のトルバドゥールは、
ギョーム・ド・ポワトゥー(1071-1126)で、
アキテーヌの第9代の公爵で、
フランス王妃で、のちに英国王妃となる、
アリエノールの祖父であった。」

ということで、アリエノールは、
たまたまトルバドゥールがいた街に住んでいたのではなく、
はたまた、トルバドゥールを単に抱えていただけでなく、
その伝統の中心的存在であった、
ということであろう。

「もっとも一般的な音楽ジャンルはカンソで、
例の専門書によれば、
『愛の喜びを語るべきもの』であった。
それはしばしば、満たされぬ、
あるいは離れ離れの状況を扱い、
このCDでのカンソは、
Track3の『ナイチンゲールを聴いた』と、
8の『新鮮な野や木立』の2曲である。
これらは共に典型的に、
自然の喜びと詩人の嘆きが対比され、
夢と、嘆願と思い人への苦い思いに揺れている。
当時もっとも有名な作曲家であった、
ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(c1130-c1190)
は、非常に多産であった。」

ということで、かなり早い段階で、
ベルナール(ベルナルト)の話になった。

よく見ると、トラック3と8の曲名の前に、
「canso」とちゃんと書かれている。

Track8がベルナルト作、
まず、弦楽器で、序奏があるが、
この段階では、何だか、物憂げで、
いろんな感情が交錯する。
さすが、「型破り」なだけあって、
巧緻な筆の冴えが感じられる。

「新鮮な野や木立、
枝には花が咲き誇り、
ナイチンゲールが声を上げ、
高く冴え冴えと歌い始める。
『あの人ゆえに楽しくて、
花々ゆえに楽しくて、
私自身ゆえに、それ以上に彼女ゆえに。
私はどこからも幸福に囲まれている。
これこそはすべてを征服する喜び。」

ソプラノが、入ってくると、
澄んだ声で、ナイチンゲール同様、
さえざえと天に向かうような声で訴える。
なるほど、このあたり、自然と一体となった祈りのようだ。

「私はあの人をこんなにも愛している。
そして、彼女をいとおしく思っている。
あの人を恐れ、あの人に仕えているが、
かといって、あの人が私のことを
どう思っているかを聴きたくはない。
そして、彼女の事を聴きたいわけでも、
何かを送りたいわけでもない。
でも、あの人は私が苦しみ、
嘆いているのを知っている。
そして、それをあの人は喜び、
それで私によくしてくれ、褒めてくれる。
あの人が喜ぶだけで、私は満足するから、
あの人は、何も咎める言葉を必要としない。」

こんな感じで、ナイチンゲールの歌は消え、
恋人の悩みと妄想がさく裂する。
ただし、特に楽想が激烈になるというわけではなく、
ただ、切々と訴えている。

「自らの望みを明らかにすることなく、
どうして私は耐えられるのだろうか。
あの女性を見かけ、見つめるとき、
あの人の美しい瞳は、愛らしく、
彼女のもとに駆け出しそうになってしまう。
恐れさえなければ、私はそうするだろう。
その見目麗しい、均整のとれた体つきゆえ。
その恐れは、愛の望みを躊躇わせ、
歩みを遅らせる。」

これを見ると、外見だけでも、
ものすごい高嶺の花であることが分かる。
ソプラノも澄んだ響きで、
高嶺の花への妄想もいや増すばかり。

「ああ、私は悲しみゆえにどう死のう。
あまりにも深く愛したので、
何もわからないままに、
私は簡単に盗み去られた。
神によって、愛よ。
それは防ぎようがない。
友もなく、他の主人もなく。
何故、あなたは、
私が完全に消耗してしまう前に、
一度でも、彼女に効力を発揮しないのか。」

ついに死ぬことまで言い出している。
ものすごく辛い状況に、
読んでいる私も心臓がばくばくする。

「彼女が一人でいるところを見たい。
眠っている時、いや、眠ったふりだけでもいい。
そうすれば、口づけを盗んでやるものを。
私は、それを要求するだけの存在ではないのだが。
神によって。ああ、あなた。
私たちは愛に関して、好都合なことは何もない。
時だけが流れ、良い機会は消えるばかり。
秘密の暗号を会話に混ぜたが、
ああ、大胆さが足りないとして、
機敏さだけが頼りなのに。」

これに続く、以下の最後の詩節は唐突だが、
後で解説があるように、
以上で詩は終わっていて、
以下は、これを伝令に渡すときの言葉らしい。

「伝令よ、行け。
私が直接行けないとしても、
私の事を忘れるなかれ。」

そうじて、作者の名声を疑うことが出来ぬ、
充実した曲と演奏で、途中の器楽の間奏も、
しみじみと聴かせる。

「伝えられるところによると、
ベルナルトは生まれは貧しかったが、
トルバドゥールとしての名声と人気は、
広く知られ、彼は最も高貴なサークルに入った。
それは、アキテーヌのアリエノールの宮廷も含まれた。」

ベルナルトの作品はこの一曲のみ収録、
以下、ガウセルム・ファイデットの話に移る。

「ベルナルトの作品はガウセルム・ファイデットなど、
次世代の詩人、作曲家に強い影響力を有した。
この人は、少なくとも13曲を、
ヴェンタドルンの子爵夫人、マリアに捧げている。」

ここで、曲名が出て来るが、
これは、Track3の
「愛の喜びのナイチンゲール」である。

「この曲では、彼女の名前を、
最後の短い詩節tornadaに入れ込んでいる。
ベルナルトのtornadaでは、
詩人は、あの方に渡されるべき、
書き上げた作品を伝令に手渡している。
ガウセウムのメロディは美しいが、
彼自身の歌はまずい事で知られていた。
それにも関わらず、明らかに彼は、
おいしい食事(それゆえに彼は太っていた)、
女性(彼は各方面で浮名を流し、売春婦と結婚した)、
さいころ遊びなど(彼は中流の出自ながら、
ギャンブルで全財産を失い、金のために音楽家となった)、
人生における良い点を楽しんでいた。」

太って歌が下手なギャンブル狂の歌は、
出だしこそ、非常につつましやかなものであるが、
絶唱ともいえる盛り上がりがある。
10分にもなる、このCDで一番の大曲で、
こんなあつ苦しい想いを切々と聴かされた、
領主夫人がどんな顔をしていたのかが気になる。

以上がcansoに関する話で、
以下、albaの話になる。

「alba(夜明けの歌)は、
トルバドゥールの一つのジャンルで、
夜明けによって、
恋人たちの逢瀬に邪魔が入るというもの。
ジョフレの論文によると、
もし、あなたがあの人に与えた喜びに、
夜明けが勝ったならば、
夜明けを祝福し、
もしも、夜明けに負けたのなら、
女性と夜明けを呪うalbaを作るが良い、
というもの。」

ちょっと鬱病気味のcansoより、
こんなalbaの方が、ずっと自然な感じがして良い。

「Track12の
ギラウト・デ・ボルネイユ作『光輝ある王』は、
おそらく、このタイプのもので、
もっともよく知られたもの。
最後の詩節は、ある人たちは、
間違っているというが、
詩をまったく新しい見地から見直すものとして、
私たちは、あえて、その部分も歌っている。」

この曲の歌詞は、
夕暮れ時から友がいなくなった、
探してください、という、
いささか遠まわしの歌。
最後から二番目の詩節では、
見張りを頼まれたのだが、
友達が戻ってこない、
という内容。

それに比べると、
確かに最後の詩節では、
「そんなにお楽しみなら、
僕なら夜明けも昼も要らないだろう」
と歌われているので、
しらばっくれていた友達が、
急に嫉妬を始めたような展開となっている。
しかし、解説では、もっと違う背景が、
以下のように説明されていて、私は驚いた。

「これはヴィーン版の手稿にのみあるもので、
これは、トリスタンとイゾルデのナレーションの
フランス語訳を含み、
ここにある複数の歌には、
この物語のキーポイントが散りばめられている。
この文脈から、隠れて逢瀬を楽しむ恋人たちは、
明らかにトリスタンとイゾルデで、
この歌は、もう立ち去る時間だと、
トリスタンに警告するために、
見張りをしている共謀者の歌である。
この最後の詩節は、トリスタンの反応で、
おそらく、物語に合わせるために、
追加されたものと思われる。」

確かに、中世フランスの文学を語る時、
このようなケルト伝説と切り離して語ることはできない。
しかし、こうして、CDで音楽として聴くと、
あるいは、歴史を紐解くと、
妙に、これらの文学書に書いてあった内容が、
生き生きとして実感されてくるではないか。

ハーディーガーディーが、
いかにも夜明けのような情感を表し、
見張りの警告の歌に相応しく、
朝日を睨みつけながら、
切迫した気分の歌が歌われる。

「宮廷の愛の規範は、
すぐにヨーロッパ各地の宮廷社会に広まった。
フランス内では、北フランスのトルヴェール派が、
初期のトルバドゥールの伝統から発展してきた。
アキテーヌのアリエノールが、
これに寄与していると考えられる。
彼女がフランスのルイ7世に嫁ぎ、
北上してパリの王室に入った時、
生きの良い南方の廷臣たちを引き連れ、
そこに音楽家たちも含まれており、
こうした形でこの様式が広まった。
独自の文字『オイル語』(中世フランス語)を使い、
既存のトルバドゥールの分野に適応させ、
独自の様式を開発した。
リフレイン付きの歌がより好まれ、
トルバドゥールの作品以上のものが、
トルヴェールの時代に残された。」

なんとなく、これまで聞いたトルバドゥールの歌は、
息苦しい感情の吐露が多かったような気がするが、
以下のトルヴェールものは、すこし、気楽に聞ける。

が、これ以上、書き進むと所定のページ数をオーバーしてしまう。
次回に回すことにしよう。

得られた事:「トルバドゥールとは、『発明家』という意味で、教養ある貴族が洗練された詩と音楽をものした。これは北フランス、ドイツへと伝搬して、宮廷の愛の歌が広がった。」
「仏王妃で後の英王妃という傑物、アリエノール・ダキテーヌ。その祖父こそが、トルバドゥールの始祖である。」
「当時、利用されていた楽器、ハーディーガーディーの音色がこのCDでは、とことん楽しめるが、この楽器は、シューベルトが『冬の旅』の最後で登場させたものである。」
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by franz310 | 2017-05-04 20:00 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その442

b0083728_22165366.jpg個人的経験:
フランソワ1世の時代
(在位:1515年-1547年)
の時代に活躍した、
フランスの作曲家では、
日本では比較的有名な
クレマン・ジャヌカン
(1480年頃-1558年)
の他に、あまり知られていないが、
いろいろな本を眺めると、
クローダン・ド・セルミジ
(1490年頃―1562年)
という人が重要らしい。


私は、この人の名前を聴いた記憶がなかったが、
ジャヌカンがそれほど要職にはなかったのに、
フランソワ1世の宮廷礼拝堂の楽長であり、
同時代の作曲家よりは、
優雅で洗練され、ポリフォニーからの脱却が見られ、
イタリアの作曲家にも影響を与えた、
などと書かれると聞いてみたくもなるというものだ。

いろいろ探してみたが、
セルミジの作品が入ったCDは、
結局、ジャヌカン・アンサンブルが、
1981年と、四半世紀も昔に録音したものしか、
入手できなかった。

しかし、セルミジのものは、
以下のように10曲も入っている。

このCDにつけられた、
日本語解説によると、
「フランソワ1世の時代はシャンソンの黄金時代」
とか、
「セルミジは、王室礼拝堂の音楽家としては最高の地位」
にあったとか、
「詩人クレマン・マロの新しい詩の活動に刺激を受け」
とあって、このマロの詩による
新様式で書かれたものが、
4曲収められているとか、
かなりそそられる感じである。

新様式のものは、
最上声部に親しみやすい
ホモフォニックな音楽を付けているという。

岩波現代文庫の
「曲説フランス文学」(渡辺一夫著)
によると、フランソワ1世の周りには、
数多くの才女がいたようで、
「三人のマルグリット」というのが、
当時の文芸の記録を残していたりして有名らしい。

王の娘のマルグリット、
王の孫娘のマルグリットにも増して重要なのが、
ナヴァール公妃、姉のマルグリットらしく、
マロを庇護したなどと書かれている。
マロは中世伝来の詩形に、
新しい趣向をくわえた人としての紹介しかないが、
フランソワ1世の生きた環境を彷彿させる。

Track.2:
「あなたは私を悩ませる」
これは、マロの詩によるものらしいが、
とても、神妙な感じの歌で、
「あなたは手紙もくれないが、
気持ちを変えるくらいなら死んだ方がましだ」
という内容。
リュートが分散和音を補って、
しみじみした情感をかき立てる。
ここでは、つれない女性について嘆いているが、
ナヴァール公妃の肖像画を参考にしてもよかろう。

「エプタメロン」などを執筆した文人で、
「平和女王」とも呼ばれるこの人は、
コレージュ・ド・フランス(高等教育機関)の
設立の支援もしたようで、
さすが、理知的な美女に見える。

Track.3:
「私にはもう愛情はない」
これは、まるで斉唱されているかのような、
平明で静かな音楽だが、
詩は、愛だの恋だのに疲れたという
内容のようだ。

Track.4:
「私にはもう愛情はない」(ル・ロワ編)
上述の曲のリュート版である。

Track.5:
「ラ・ラ・ピエール先生」
これは、ジャヌカン風に活発な、
戯れ歌みたいな感じ。
詩を読むと、酔っ払いの歌である。

Track.7:
「助けて下さい,愛するいとしいひとよ」
これもマロの詩によるもの。
「あなたが来てくれないと死ぬ」、
という情けない詩で、
よわよわしい歌。
「これほどの辛さはあなたにはないでしょう」
と恨み節で、リュートの伴奏が、
うらぶれた感じを出している。
Track.2といい、マロの詩は、
冷たい女性が基本テーマなのだろうか。

Track.12:
「どうしてあなたは」
これもマロの詩による。
「もうあなたには恋人がいらないようですね」
とか、これまた、冷たい女性に対する、
情けないめそめその歌。
確かに、ホモフォニー的に、
しっとりとしたメロディが流れ、
あきらめきれない恋心を、
さらにかき立てるような趣向になっている。
こんな音楽をサロンで披露したら、
確かに寵児となるだろう。

Track.15:
「ああ、悲しいこと」(ミラノ編)
リュート独奏曲。
メロディを支えるポリフォニックな音の交錯が美しい。
セルミジはイタリアの作曲家にも影響を与えた、
とあったが、ミラノはイタリアの作曲家ではないか。

Track.17:
「私はあなたに楽しみをあげましょう」
これもマロの詩による。
これは、旅立ちの歌であろうか。
「私が死ぬときには、あなたの事を思い出します」、
という切々とした嘆き節に、
「あなた以外は愛しません」という、
心に迫る「応答歌」が後半に続く。

まるで、ダウランドの歌曲のような情感、
セルミジの歌では、私は、これが一番、感じ入った。

Track.18:
「きれいな森の金盞花の陰に」
再び、めそめそ調の歌で、
失恋の嘆きに恨み節があけすけである。
ただ、音楽は、高らかに声を上げて、
ほとんど斉唱のように訴えている。

Track.19:
「あなたはわたしがそれで死ぬっていったけど」
は、「嘘つきね」と続く女性の非難の歌で、
かなりジャヌカン風で、猥雑な感じがする。

以上、セルミジは、比較的上品ながら、
すこし弱弱しいジャヌカンという感じがした。

さて、ここに収められた残りの曲はジャヌカンのもの。
このCDには、セルミジだけが入っているわけではなく、
やはり、この団体の名前となり、
得意としたクレマン・ジャヌカンの作品が、
数多く収められているのである。

そもそも、日本で出た時に、
「16世紀パリのシャンソン集」などと、
タイトルを高尚な感じに改めているが、
原題は、最初に収められた曲から、
「パリの物売り声」というもので、
「ジャヌカンとセルミジのシャンソン」が副題なのだ。

このCD、94年にキングレコードが出した時に、
日本語解説を付けたもので、
歌詞が和訳されていてありがたいが、
私は、実は、ここで大きな困惑を味わう事となった。

その困惑は、まったくもって冗談ではなく、
完全にブログ更新が出来なくなるほどであった。

前回、ジャヌカンのシャンソンを、
このジャヌカン・アンサンブルは、
メンバーを変えて、80年代と90年代に、
2回録音しているような事を書いて、
2枚のCDを紹介したが、
どちらにも、ここではメインとなっている
「パリの物売り声」は入っていなかった。

とり急ぎ、まず、これは聴いてしまおう。

Track.1:
「パリの物売り声」
描写シャンソン、標題シャンソンとか、
解説で説明されているが、
基本的に「鳥の歌」などと同様の、
物売り版と言ってよい。

どんなものが食べられていたかがわかる、
とあるが、まさしく、その通りで、
ワイン、ミルクといった飲み物から、
ソラマメやホウレンソウのような野菜や、
桃やオレンジなど果物の他、
お菓子のたぐいも売られていて、
あまり、今の暮らしと変わらない感じがする。

フランソワ1世は、カール5世との戦争では、
よく、焦土作戦をとったが、
今と変わらぬこうした生活が、
そこにはあったのだなあ、などと考えさせられる。

Track.6:
「ある夫が新妻と」
Track.8:
「美しい乳房」
Track.9:
「さあ、ここにおいでよ」
は、我々が想像するジャヌカンに近い、
きわどい歌詞のものだが、
こうしたものが、セルミジに挟まれて歌われると、
いかにも、ジャヌカンがパワフルであるかがわかる。

が、Track.8は、マロの詩によるらしい。
理想は「小さな象牙の玉」だということだ。

Track.10:
「戦争」
が、問題で、これは、90年代に
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)
アントワーヌ・シコ(バス)、
のメンバーで録音しているのに対し、
今回のCDには、80年代の、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
が入ったメンバーで歌われている。

つまり、80年代にジャヌカン・アンサンブルは、
日本でヒットした「鳥の歌」とほぼ同時に、
ジャヌカンのもう一つの有名曲、「戦争」も録音していた、
という、ただ、それだけのこと。

また、ジャヌカン・アンサンブルが取り上げていない、
と書いた、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」も、
こちらのCDには入っていた。
重大な見落としがある状態であった。

しかし、それだけの事、
とも言い切れない事態が発生した。
前回のCDでは、斉藤基史という人が解説していたが、
今回のCDは、音楽史家の今谷和徳氏が解説している。

「戦争」というシャンソンは、
若き王、フランソワ1世の率いる
フランス軍の戦いを描いたものだが、
前に聴いたCDの歌詞対訳には、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
あまりにも物騒な訳が付いていたのに、
今回のものは、そんな言葉が入っておらず、
「敵は壊滅した」とかしか書かれていない。

そして、ひょっとして、
歌われる歌詞まで違うのかと、
いくら、耳を澄ませても、
どちらも同じ歌詞に聞こえ、
「ブルゴーニュ」という言葉は出てこないようなのだ。

斉藤基史という人は、ブルゴーニュ嫌いなのか、
いったい、いかなる根拠で、こんな歌詞が、
日本語対訳になっているのだろうか、
そもそも、ブルゴーニュだって、
フランスではないのか、
と頭を悩ませているうちに、
中世をにぎわした英仏百年戦争やら、
ブルゴーニュ問題やらの本を読み進めると、
わからないことが芋蔓式に出てきた、
という塩梅である。

そもそもブルゴーニュはフランスか、
という問題からして難しい。
佐藤賢一氏の言葉では、
「複雑怪奇な主従関係で結び合わされた
無数の領主の集合体」(「英仏百年戦争」(集英社新書))
なるものが、
中世のフランス王国だったということだ。

このフランソワ1世より400年も昔のこと、
12世紀、フランスの北西に勢力を持っていた
アンジュー伯は、イギリスに植民地を持つ、
ノルマンディー家のマチルドと結婚したことで、
英仏にまたがる領地を得た。

さらにその息子アンリは、
南西フランスに領地を持っていた、
アリエノールと結婚したことで、
巨大帝国を築き、イギリス王ヘンリー2世となった。

つまり、このフランス伝来の英国勢力、
プランタジネット家が、
大陸側への覇権を唱え続けたのが、
百年戦争と言えるようなのだが、
フランソワ1世が出るヴァロワ家とは、
ややこしい因縁の関係にあった。

つまり、ヘンリー2世から5代あとの、
エドワード2世は、ヴァロワ朝の前の、
カペー朝フランスの最後の皇帝の
姉を妻としたりしており、
その息子エドワード3世が宣戦布告、
この家系の分家である
ランカスター家が没落するまで、
何代にもわたって英国王は、
フランスとの戦争を繰り広げたのである。

カペー王朝の男系が途絶えたという事で、
フランスは、王朝が代わる時の転換期であり、
ヴァロワ朝の初代フィリップ6世から、
5代続いて、この挑戦を受けなければならなかった。
王朝の基礎を築くための試練でもあろうか。
緒戦はイギリス優勢であったが、
最終的には、ジャンヌ・ダルクのような例もあって、
フランスは大陸からイギリス勢力(といっても、元はフランス出)
を追い払ったのである。

これによって、フランソワ1世の代には、
南のイタリア方面に野心を燃やすことが出来るようになった。

英仏百年戦争に戻ると、
初めのころ、天下分け目の大戦のような感じで、
クレシーの戦い、ポワティエの戦いとあって、
これらはすべて、
フランス王軍側の徹底的な大敗で終わっている。

ポワティエの戦いでは、
全軍が総崩れする中、
ヴァロワ家二代目のジャン2世が孤軍、
末の息子のフィリップが励まし続けたので、
フィリップは褒美として、
母親が相続していたブルゴーニュ公領を、
彼に譲った。
この瞬間が歴史の転換点である。
(ちなみに、ブルゴーニュには、
侯領と公領があるようだが、
ややこしいので省略する。)

このフィリップ豪胆公は、
さらにフランドルの領主の娘と結婚した事で、
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、
ブルターニュ地方といった、
ドイツとフランスの間に、
第三の王国を築く足がかりを得た。
このブルゴーニュ公国ともいえる勢力は、
四代目のシャルル突進公の代に、
フランスに対抗してその野心最大となった。

この頃、絵画、音楽にフランドル派が出た事から、
このブルターニュ公国に興味を持つ人は多く、
ホイジンガの「中世の秋」のような、
魅力的な読み物が、約100年前に出ている。

日本でも、これを訳した堀越孝一教授などが、
このあたりの歴史を幅広く紹介している。

b0083728_22163342.jpg特に講談社現代新書にある
「ブルゴーニュ家」は、
読みにくさから言って
ぴか一の書物で、
私は、何度も
投げ出そうと思ってやめ、
何とかラインマーカーで
線を引きまくって読み終えた。

この本だけでは、
いくら読んでも、
おそらく、
ブルゴーニュ侯家(公国)の
概略すらわからないだろう。



どうして、ここまで、わけのわからない書物が出来たのか、
と、「中世の秋」を読んでみると、
その理由がよく分かる。
堀越教授は根っからの中世おたくで、
中世人になりきっているものと思われる。
堀越訳で読むと、
「制限ということを知らず、統一を生み出すことがない」
のが中世的なのであった。

教授の書いた「ブルゴーニュ家」は、
4代のブルゴーニュ侯を、時系列に描くことはせず、
下記のように、いろいろな切り口で、
この国だか領国だかで起こった事を、
書き連ねているのである。

1.ガンの祭壇画(主に三代目の話)
2.三すくみのフランス(初代の話)
3.アラスで綱引き(主に三代目の話)
4.おひとよしはネーデルラントの君主(三代目の話)
5.王家と侯家の通貨戦争(主に三代目の話)
6.ブルゴーニュもの、フランスもの(二代~四代目の話)
7.もうひとつのブルゴーニュもの、フランスもの(同上)
8.金羊毛騎士団(主に三代目の話)
9.むこうみずの相続(主に四代目の話)
10.垂髪の女たちのブルゴーニュ侯家(主に四代目の話)
11.ねらいはロタールの王国か(四代目の話)
12.シャルルの帰ってきたとき払い(四代目の話)

ただ、年表や地図が充実しており、
これを見ているだけで楽しい。
(その方が混乱せずにすむ。)

例えば、第3章の最後に、
「ブルゴーニュ侯フィリップ二世は、
さて、いったいだれに対して、
またなにに対して『おひとよし』であったのか。」
と書かれているが、
その答えが、
続く、第4章に書かれているわけではなかったりする。

そもそも、「おひとよし」と、
「善良侯」を訳しているのは、
あなたでしょ、とも言いたくならないか。

また、文中、「アラス」という言葉が頻出して、
拾い読みしていると、何のことかわからずイライラするが、
これは、先の「おひとよし」の三代目が、
1435年に、アラスという街でフランス側と同意して、
イギリスを仲間はずれにしたという点で、
英仏百年戦争を長引かせた三角関係のこじれに、
一応、めどが付いた事を指す。

いずれにせよ、この本、どこの部分を読んでも、
なぜ、こんな事を読まされるのだろうか、
という疑念が付きまとう内容ばかりであるが、
当時の画家、ヤン・ファン・アイクが、
祭壇画に、どうしてこまかく、
いろんな対象物を書き込みすぎたか、
といった問題と同じ事と考えればよさそうだ。

この「ブルゴーニュ家」という本、
面白かったのは、「おわりに」の部分で、
シャルル突進公の最後を、
ドイツの作家、リルケが書いている事を引用する部分で、
私は、この闇雲に、
幻の欧州縦断国家を創設しようとした男の情熱、
そしてその夢の終わりに思いを馳せた。

シャルルは、ハプスブルク家に近づき、
神聖ローマ帝国の皇帝の座すら狙っていた、
などともいわれる。

シャルル公死後、一人娘のマリーもまた、
フランスから逃れるかのように、
神聖ローマ帝国皇帝の息、マクシミリアンと結婚する。
この夫婦の孫が、名君カール5世で、
カールの名は、曾祖父シャルルを受け継いだものらしい。
そして、この「むこうみず」の夢の通り、
カール5世は、日の沈むことなき帝国の主となるのである。

改めて思えば、ホイジンガの「中世の秋」も、
最初は、「ブルゴーニュの世紀」
という内容で書き始められながら、
最終的に中世末期の文化一般を論じる本になったという。
この本とて、百年戦争の概要を掴んでないと、
何だかわからない読み物の集合体
のように感じられるかもしれない。

さて、この中世の秋にも、
このCDで取り上げられた、
ジャヌカンが出て来るのである。
ジャヌカン(1485?-1558)は、
前述のように、フランソワ1世の時代の人なので、
ブルゴーニュの世紀(1356-1477)が、
終わった頃に現れる人なのだが。

ホイジンガの本では、
第14章「美の感覚」に、
このように紹介されている(堀越孝一訳)。
「十六世紀のはじめ、ジョスカン・デ・プレの弟子
ジャヌカンの『作品集』は、
さまざまな狩りの光景、
一五一五年、ミラノ近郊マリニャーノで、
スイス傭兵隊とフランス、
ヴェネチア連合軍とのあいだに戦われた
マリニャーノの戦いの喧騒、
パリのもの売りの声、
「女たちのおしゃべり」、
鳥のさえずりを、音楽に仕立て上げている。
かくのごとく、美概念の分析は、ふじゅうぶんであり、
感動の表現は、表面を流れてしまっている」。

ということで、100年前のホイジンガには、
ジャヌカンの音楽などは、
何か皮相なものとしか聞こえなかったようである。
それにしても、彼は、誰の演奏で聴いたのであろうか。

そもそも、ジョスカンとかジャヌカンとか、
日本では、ここ30年ほどの間に知られるようになった作曲家が、
ほいほい出て来るところに、
驚いてしまった。

これは、シャルル突進公が音楽愛好家であったからで、
やはり、歴史家たるもの、
その頃の音楽を研究せざるを得なかった、
ということであろう。

ここでも書かれているとおり、
「マリニャーノの戦い」で、
ブルゴーニュをやっつけろ、
と言う歌詞が出て来るのは、
どうも自然ではないが、
フランソワ1世の最大の敵が、
カール5世であり、彼が、もともと、
ブルゴーニュ侯国ゆかりの血筋、
ということであるのなら、
ありえない話ではないのかもしれない。

長々と書いたが、
同じキングレコードから出たCDで、
このように異なる対訳が付いていたおかげで、
私の中世への興味がいや増してしまった、
という事である。

なお、このCDの解説には、
セルミジは、「これまでのブルゴーニュ風のシャンソンに代わる
新しい様式のシャンソンを、宮廷の人々のために生み出した」
とあり、あくまで、フランスにあって、
ブルゴーニュは克服すべき何かであったことがわかる。

脱線したが、続きを聴いてしまおう。

Track.11:
「ヴェルノンの粉ひき娘は」
「ティルティルティルどんどんどん」という、
面白い掛け声の挟まれる戯れ歌。
楽しい。

Track.13:
「愛と死と人生は」
これは、セルミジ風に、抑制された歌だが、
「人生は死を望み、死は生きる事を望む」
という、歌詞が興味をそそる。

Track.14:
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
この曲は、ジャヌカンの代表作と呼んでも良いくらい、
おもしろく、楽しい音楽だが、
ジャヌカン・アンサンブルは、
あえて羽目を外すような表現で、
素晴らしい活力を与えたが、
すこし、メロディがわかりにくくなった。

Track.16:
「すてきな押し込み遊び」
楽しくてたまらない、といった感じの、
いかにものジャヌカン。
早口言葉にリズムが弾け、
破裂音の感触もぞくぞくさせるものがある。

得られた事:「ホイジンガの『中世の秋』は、100年ほど前に書かれたが、ここでも、ジャヌカンは取り上げられていた。」
「フランソワ1世の周りには、理知的な才女が多くいて、こうした環境が、マロの詩やセルミジの抑制された恋を歌う音楽の土壌となった。」
「フランス宮廷は、ブルゴーニュ風のものからの脱却を狙った。ブルゴーニュは、少し前まで、フランスとドイツの間で、独特の文化を誇っていた。」
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by franz310 | 2017-01-08 22:20 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440

b0083728_20491859.jpg個人的経験:
黄金時代のスペイン音楽の
サヴァールらのCDに、
エレディア作曲の
「戦いのティエント」
というのがあって、
ミサの時に演奏された、
神と悪の戦いを表した音楽、
と記されていた。
TVもネットもない時代、
教会に集まって来た、
素朴な信者さんたちも、
それが、どんな戦いだったか、
などは共通の興味の
対象だったのだろうか。


それは、教会で、
「異常にドラマティックな
衝撃を与えたことであろう。」
と解説にあったが、これは、
「ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。」
とあった。

今回は、このジャヌカンのCDを聴いて、
このあたりの音楽状況を探ってみたい。
声楽アンサンブル「ア・セイ・ヴォーチ」が、
アンサンブル・ラビリンセスらと
アストレー・レーベルで録音した、
「音楽の果樹園」とでも訳すのだろうか、
アルバムが手元にある。
表紙も「愛の園」というイタリアの絵画。

ジャヌカンは、
今から5世紀も前の人であるが、
まさしく鉄砲伝来の時代の人、
とも、いえることになる。

ここに収められた、
シャンソン「戦争」で、
ぱーんぱーんとやっているのは、
それこそ、鉄砲の音であろうか。
だとすると、私たちは、
種子島の歴史と一緒に、
このジャヌカンの音楽も学ぶべきであった。

鉄砲を持ってきたのはポルトガル人だが、
ジャヌカンは、フランス人で、
大航海時代とは関係がなさそうに見える。

しかし、約100年後のスペイン、
アラゴン派の代表格ともされる
エレディア(1561-1627)
が、参考にしたというのだから、
何らかのルートがピレネーを超えて
つながっていたのであろう。

というか、鉄砲と一緒に、
伝わって行ったのかもしれない。

この鉄砲という代物は、
ちょろっと調べるだけで、
ややこしい問題をはらんでいるようで、
ポルトガル人が持ってきた以前から、
日本にも、いろいろあったのではないか、
という説が散見される。

そもそも、蒙古襲来時に火器に遭遇し、
苦しめられた日本人が、
それ以降、ポルトガル人が持ってくるまで、
こうした武器の知識がなかったとは思えない。
例えば、フィクションとは言え、
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
火器が重要なアイテムとして登場しているが、
あれは、室町時代の設定であった。

また、ヨーロッパで火器が使われだしたのは、
百年戦争(1337-1453)の時代と言われ、
アステカ(1521滅亡)や
インカ帝国を征服(1572)する際は、
こうした兵器が使用されたとされる。
まさしく、ジャヌカンの生涯(1485-1558)は、
こうしたイベントの狭間にあるではないか。

しかし、多くの歴史の本は、
何万の兵が布陣したとか、
誰が加勢したとかは書いてあるが、
どんな武器で戦ったかなどについては、
よく書いていないので、
ひょっとすると、
今回のCDの方が、
情報量が多いかもしれない。

それにしても、こうした書物をめくっても、
どう考えても血なまぐさい時代である。
いかにも、と思いを馳せてしまうような、
猥雑で粗野で、活力ある音楽が演奏されていても、
まったくおかしくはない。

フィリップ・カングレムという人
(トゥールーズ大学の先生)が書いた、
このCDの解説には、
いったいどんな事が書いてあるのだろうか。

「『やかましい騒音を出そうとしても、
女性の醜聞を歌で表そうとしても、
小鳥たちの声を模倣しようとも、
彼が歌うものすべてにおいて、
素晴らしきジャヌカンは不滅、
彼は神がかっている。』
1559年に、詩人、アントイネ・デ・ベイフ
によって書かれた、この一節は、
後に全欧に流布した
この高名なフランスの作曲家、
クレマン・ジャヌカンの
典型的なイメージを、
よく描き出している。」

という書き出しからして、
いかにも、典雅な時代の人、という感じがするが、
すでに述べたように、
フランソワ一世は、戦争大好き王なので、
そんな時代だからこそ、
こうした神がかり的な不滅の芸術の道が、
求められたということかもしれない。

「その生地(シャテルロー)と、
1485年頃という生年以外には、
ジャヌカンの生涯の早い時期については、
一切わからず、
最初期の音楽教育を郷里で受けたと
推察されるのみである。
彼の最初の確かな情報は、
1505年からで、
当時、ボルドーの陪審員の議長で、
1515年からリュソンの司教を務めた、
ランスロ・デュ・フォーに、
ボルドーで務めていた事である。
1523年、司教が亡くなると、
ジャヌカンはボルドー司教、
ジャン・デ・フォアに仕えた。
この間、作曲家は1525年の
聖エミリオンのカノン、
1526年の聖ミシェルのCureを
作曲している。
1529年にデ・フォア司教が亡くなると、
ジャヌカンは僧碌を恐らく失って、
ボルドーを後にしている。
そのころまでに作曲家として、
彼はいくらか名声を得ていた。
前年、パリの楽譜出版者、
ピエール・アテニャンは、
彼のシャンソンを集めて、
一巻の曲集を出版している。
これが、アテニャンから、
定期的に作品が出版されるという、
特別な地位をジャヌカンが得た
時期の始まりであった。
1530年代の初めに、
1531年、オーシュのカテドラルに、
短い期間務めた後、
彼はアンジェに移り、
アンジェの聖堂の合唱学校に、
1534年から1537年まで務めた。
彼は、この街に1549年までいたが、
同年、パリに移った。
ここは、彼が、その前にも、
短期間滞在した事があったようである。」

さらりと書かれているが、
フランソワ一世の治世が終わり、
ジャヌカン自身も60歳を超えている。
が、彼には、まだ10年近くの余命があったようだ。

「彼は、しかし、宮廷には、
宮廷礼拝堂のchantre ordinaire du roiとなった、
1554年まで認められなかった。
最終的にのの死の二、三週間前に、
単に肩書だけであるが、
宮廷作曲家に任じられた。
彼は、1558年1月に、
遺言を認め、そのあと亡くなった。」

60歳を超えて再就職したのみならず、
名誉も手にして、遺言まで残せるとは、
遅咲き作曲家として、
着目すべき存在である。
ヴィヴァルディやモーツァルトなど、
前半飛ばして、後半腰砕けという、
作曲家はかなり多いような気がするが。

「これらのいくつかの伝記の断片からも、
ジャヌカンが、パリから遠く離れた
フランスの地方の教会音楽家だった、
と結論つけることもできるだろう。
しかし、その国際的知名度は、
その宗教音楽ではなく、
世俗曲『シャンソン』への貢献によるものである。
たった2曲のミサ曲と
1曲のモテットが残されているのに対し、
250曲のシャンソンが残されている。
実際、1533年に、
彼の作曲のモテット集が出版されたが、
彼が残した少ない教会音楽で、
この16世紀の教会音楽家としての
役割を追うことはできない。
一般的に、
ジャヌカンとその同時代人の、
クローダン・ド・セルミジが、
1520年代から1530年代に
パリでアテニャンが出版した、
いわゆるパリのシャンソンの
2大模範とされている。
クローダンとジャヌカンの他の作曲家として、
パリの出版者に選ばれたのは、
サンドリン、Certon、Jacotin、Vermontなどがおり、
彼らに名声を与えたのは、
当時、ルーヴァンのPierre Phaleseや、
リヨンのジャック・マドレーヌなどによって
出版されたものではなかった。」

ということで、宗教曲を書いていても、
まるで儲からず、
世俗文化が花開いていた、
ということだろうか。

「パリのシャンソンのテキストは、
概して短く、時として、
クレマン・マロット
(この録音では、
Tetin refaict plus blanc, Mii/66、
Une nonnain fort belle, Miii/113、
Martin menoit son porceau, M ii/61、
Plus ne suys ce que j'ay, Miii/82)や、
Mellin de Saint-Gelais
(Ung jour que madame, Miii/101
(ある日奥方が眠りにつくと))
のように、
宮廷で活躍した詩人によるものだった。
これらのエピグラムの主題の幅は極めて広く、
愛に対する考え(Toutes les nuictz, M iv/130)から、
おかしな情景やみだらな状況さえ扱っている。
クローダンやジャヌカンは、
まさにこの点で比較され、
後者は単純に、無遠慮なものを選んだのに対し、
前者は、おそらくメランコリックなテキストを好んだ。
しかし、私たちが、
「Plus ne suys(同じではない)」、
「Toutes les nuictz(毎晩)」
といったシャンソンを聴くと、
こうした見方は単純化しすぎていると感じる。
クローダンの作品にみられるような、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」のような、
きわどいテキストが含まれるものがある、
という事実にも関わらず、
「Martin menoit son porceau
(マルタンは豚を市場へ連れていった)」のように、
MartinとAlixの冒険を描こうとする時、
ジャヌカンが持っていた才能は明白である。
しかし、このテキストの始まりの詩節は、
私たちに、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
(1532-1589)などを思い出させ、
ジャヌカンは、少なくとも2つの理由で、
多くのシャンソンで非凡な第一人者である。
まず、その曲の長さが
パリのシャンソン作者よりずっと長く、
とりわけ、それらがオノマトポエティック(擬音)
の効果が幅広く用いられている。
『狩り』、『パリの叫び』、そして、
『Le caquet des Femmes』などが、
このカテゴリーに含まれるが、
そのうち、最もよく知られた2曲が、
ここに収められた『戦争』と『鳥の歌』である。
これらの作品は1528年に、
最初に『クレマン・ジャヌカン師によるシャンソン』
として出版されたが、後に何度も版を重ねた。」

期待が高まって来たところで、
ここらで、これらが、いったい、
何を言っているかを確認してみたい。

3大ポイントは、
ポイント1.メランコリックなもの
ポイント2.猥雑なもの
ポイント3.長大で擬音(オノマトペー)を含む
ということであろうが、
このフランス歌曲、シャンソンの元祖とも言える人物が、
特徴としていたもののうち、
300年後のシューベルトが受け継いでいたものが、
あるかもしれない、と思えるのは、
最初のものだけしかないように見える。

猥雑なシューベルト歌曲、
オノマトペーで彩られたシューベルト歌曲、
というのは、すぐには思いつかない。
国家の締め付けみたいなものによるのか、
シューベルティアーデというものの持つ空気なのか、
おそらくは、シューベルトの馬鹿真面目な性格か、
こうした一切合切の時代の要請か。

シューベルト歌曲では見つけにくい、
きわどい内容の歌曲の代表のように書かれた、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」は、
このCDでは冒頭、
Track1.に収められている。

歌詞は、このタイトルから、
予想される「恋の手習い」もので、
かなりいかがわしいものと考えれば良い。

寂しそうにしている彼女に、
2、3度、それを教えてやると・・・、
という内容で、
男声合唱が、鄙びたメロディに乗って、
緩急自在の機知を効かせ、
面白おかしく聴かせる。

Track2.「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」も、
同じような感じだが、内容はさらにやばい。

女声(カトリーヌ・パドー)が入るので、
さらに色彩的となっていて、
破裂音的な効果、早口言葉などが、
縦横無尽に飛び交い、
ロッシーニのオペラなどの効果は、
こんな源泉を持っていたのか、
などと妄想できる。

ただし、こちらのメイドは、
もっとしたたかで、
賢いはずの羊飼いも、
このあばずれを満足させられず、
完全にこけにされて終わる。
上記2曲は、さすがに作詞者名はない。

先に、詩人の名前が出てきたが、
宮廷詩人、クレマン・マロットによる、
Track3.「Plus ne suys ce que j'ay
(もはや、私は同じでいることができない)」
は、一転して感傷的な曲想。

この種のものは、
かろうじて、シューベルト歌曲でも、
受け継がれたものを聴く事が出来そうなものだが、
これがまた、強烈なポリフォニーの綾で、
ほとんど教会音楽にしか聞こえない。

さすがに歌詞は時代がかっていて、
「もう私は前の私ではない。
素晴らしい春と夏は、
窓の外に消えていった。
愛よ、私の支配者よ、
私は、あなたを、どんな神様によりも仕えた。
もう一度、生まれ変わることが出来たなら。
もっと、あなたによりよく仕えようものを。」
という感じ。

愛の擬人化という点で、
かなり古臭い感じがする。

Track4.に、高名な、
「(Le) Chant des oyseaux(鳥の歌)」が来る。
これまでの作品が一分ちょっとの小品だったのに、
この詩は長く、演奏時間5分半。

「鳥の歌」といえば、カザルスが弾いた、
カタロニア民謡が有名で、
ジャヌカンの「鳥の歌」のLPが出た時、
おそらく多くの人が混同したはずだ。

しかし、こちらの歌は、
戯れ歌のたぐいで、
鳥の囀りになぞらえた、
猥雑な愛の冷やかし。

まさしく解説にあるとおり、
オノマトペーで彩られた大曲になっている。

「ティ、ティ、ティ、チャ、チャ、チャ」と
いう歌詞などと共に、
「コキュ、コキュ、コキュ」と、
いかにもという感じで、
この歌の主要テーマが歌われる。

本当に、この時代の人は、
こういうゴシップが好きだったのだなあ、
と思わせるが、
おおらかだったのか、
宮廷とか社交界では、
こんな事しか楽しみがなかったのか。

後世の人は、こんな内容のものに、
必死で、高度な音楽技法を駆使しよう、
などと思わなかったのではないか。

シューベルティアーデで、
これを発表しようとしたら、
明らかに顰蹙を買うであろう。
貴族とか平民とかの境目がなくなる時代では、
下卑ていたら負け、みたいな価値観になるであろう。

こうした内容で、
画期的な音楽作品が出来ていた時代と対比すると、
やはり、シューベルト自身がくそ真面目なのは、
その時代の要請でもあったと考えさせられる。

Track5.「パヴァーヌ、ガイヤルド」は、
笛と太鼓の合奏で、器楽曲。
どすんどすんという太鼓が朴訥で、
笛の響きも素朴この上ない。
ここにパヴァーヌが来る理由は、
後で、解説で詳しく説明される。

Track6.「Ce tendron si doulce
(この娘はとてもかわいい)」も女声が入る。

これは、しっとりとした恋の歌で、
古い時代のロマンスは、こんなものだろう、
と考えさせる典型的なもの。

Track7.「マルタンは豚を市場へ連れていった」
は、すでに解説で話題になっていたが、
アリックスという女と一緒に行ったというもの。
途中の草原で、彼女が罪深いことを持ちかける。
しかし、豚をどうするか。

という内容であるが、
小刻みにまくしたてる歌詞と、
力こぶの入った熱唱が、
事の顛末をくそ真面目に報告する。

Track8.「Suivez tousjours l'amoureuse entreprise
(愛の喜びに続くもの)」は、
器楽の簡単な伴奏も相まって、
物思いにふけるような美しい音楽。

Track9.「Puisque mon cueur」
器楽曲バージョンで、
笛の合奏が、
素晴らしい桃源郷を描き出す。

Track10.「ある日奥方が眠りにつくと」は、
この後、旦那がメイドとジーグ?を踊る、
という、どう考えても、という内容。

メイドは、どっちが上手?と聴くあたり、
いかにもフランス風の展開だが、
面白いぺちゃくちゃ効果が挿入される。

クレマン・マロットの詩によるとあって、
こんなものが宮廷詩人の書いたものか、
と驚きあきれるのも良いだろう。

Track11.「Toutes les nuictz
(毎晩、毎晩)」は、曲想も、
いかにも、静かな夜の音楽である。

歌詞は、何だか切ないもので、
「毎晩、あなたはそばにいるが、
昼間は私一人。
夢の中でだけでしか幸せでない。」
という、平安時代の女流歌人が書きそうな内容。

Track12.「Fy, fy, metez les hors
(そんな甘言には)」は、
偽りの愛に注意を促す警句のようなもの。

Track13.「Tetin refaict plus blanc
(まるまるとした良い乳房)」
は、それをずっと賛美して、
神々しさや陶酔にまで到達しているようだ。
歌っている連中からして、
男たちが輪になって愛でている様子が目に浮かぶ。

これがまた、3分半と長い。
このアルバムでは、
五本の指に入る大曲である。

また、Track14.にまた、
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
が収録されているが、
なんと、2つのリュート版。

ものすごく、
格調の高いポリフォニー曲に変貌しており、
ジャヌカンが卑猥な表面の裏に隠していた、
高い音楽性がさらけ出されている。

Track15.「Si d'ung petit de vostre bien」
は、ネット検索すると、
恐るべき日本語訳が出ているが、
このCD解説書では、
非常にわかりにくく、
「If you are not willing」などと英訳されている。

これは、Track14.とは打って変わって、
その精妙なポリフォニーに惑わされていると、
究極の春歌であることに、
気づかないでいるところであった。

それにしても、最初は、鉄砲と血なまぐさい時代、
という先入観があったが、
かなり割り切った屈託のない時代に思える。

Track16.「(L') Amour, la mort et la vie
(愛と死と生)」というものだが、
笛の伴奏を伴う、聖歌風の曲想。
これらが、私を苦しめる、という、
いかにも古楽という感じの音楽。

諸行無常の感じもあり、
このCDに、戦国の世の歌があるとすれば、
この曲かもしれない。

Track17.「鳥の歌」の変奏曲、
6分にわたるフルート重奏曲。
これも歌詞がなくとも、十分楽しめ、美しい。
スペインで、流行歌が器楽曲になっていったのも、
十分、肯けるが、逆に、歌詞を取り払った事で、
より、堂々と演奏可能になった、
と言い換える事が出来るだろう。

このCD解説では、このような解説がある。

「この曲は有節歌曲のようにも工夫され、
それぞれの詩句では、
異なる鳥を登場させ、
あらゆる効果を用いて、
考えうるあらゆる様々なさえずり、
チチチ、チュンチュン、震え声を模倣する。
第3節のナイチンゲールで、
作曲家の想像力は完全に燃焼している。
しかし、声楽版以上に、
1545年ニコラス・ゴンベールによって作られた、
(ここではリコーダー利用の)三声の編曲では、
まるで、ナイチンゲールに命が吹き込まれたようである。」
とある。

確かに、第一節から細かいパッセージが重なり、
人間技ではないテクスチャーで感興を高めてくれる。

以下、「この版を聴くと、1555年に、
ピエール・ベロンがナイチンゲールに捧げた言葉を、
思い出さずにはいられない。」と書かれ、
「ナイチンゲールは、
『眠ることなく、夜を通して歌い続け・・・』」
とその言葉を長々と引用しているが、
その声の賛美なので、ここでは省略する。

Track18.「Une nonnain fort belle
(美しく健康な尼僧)」も、いかにも、
というタイトルだが、期待を裏切ることはない。

世を捨てた事を後悔する彼女は、
魂の配偶者たるキリスト以外のものを求めている、
と告白する。

シューベルトの「若い尼僧」とは大違い。
音楽も、もちろん、
シューベルトの濃密なドラマはなく、
「こういうことでした」という、
簡潔な報告調で、ストレートである。

以下、器楽曲が二曲続いて、
最後のクライマックスの「戦争」につなげる。

Track19.「J'ay double dueil
(僕には二重の苦しみが)」
は、気品あるリュート二重奏曲。
タイトルのとおり、物憂げである。

Track20.「Tourdion, 'C'est grand plaisir'」は、
活発なフルートの四重奏曲。

Track21.「(La) Guerre, 'La bataille de Marignan'
(戦争、マリニャンの戦い)」は、「鳥の歌」と並ぶ大曲。

この曲は、このCD解説では、
特別に詳しく紹介されている。

「特に『戦争』は、その世紀の終わりまで、
さらに世代を超えて国際的に名声を博した。
『バタリエ』としても知られ、
おそらく、1515年のマリニャーノの戦いで
フランス軍の戦勝記念のものである。」

マリニャーノはミラノの近郊で、
フランス王、フランソワ一世が、
イタリア戦争をした時のもの。
この人は、ハプスブルクと神聖ローマ帝国の冠をかけて、
戦った人でもある。

やはり、歌詞を見てみると、
「フランソワ王に続け」みたいな部分に、
「弓を引け、火縄銃を轟かせ」とあり、
明らかに、鉄砲の描写音楽であることが分かった。

「いずれにせよ、このシャンソンは、
様々な形で模倣され、アレンジされ、
とりわけ、適当なガイヤールと組み合わされて、
『バタリエのパヴァーヌ』と題されて、
振付が施された。」
とあるくらいに、
大ヒットしたようである。

このCD、48分くらいしか収録されていないので、
お馬鹿な歌詞を見て行くと、
あっという間に聞き終わってしまう。

さて、解説を読んでしまおう。

「当時、シャンソンとダンスが、
相互に関係したのは、
偶発的なものばかりではなかった。
それらは、相携えて発展したのである。
15世紀の終わりの三声部のテクスチャーは、
低音部が重要であったが、
やがて四声にシフトしていき、
高音はメロディを担って主要なものになった。
こうした特徴はパリのシャンソンのみならず、
同時期に出版された舞曲にも見られ、
ジャヌカンや同時代の作曲家の、
もっとも有名なメロディから、
インスピレーションを得たものであった。
器楽奏者にはいくつかの役割があったと考えられ、
ダンスでは歌手を伴奏し、その声部を強調したり、
単に、シャンソンの器楽曲版として、
演奏されたりした。
1533年には、出版者らによって、
このことは推し進められた。
ピエール・アタインナンは、
『四声部の歌曲はフルートやリコーダーにふさわしい』
として、2冊の曲集を出版した。」

この部分、この解説を読んでよかった、
と痛感した部分である。

シューベルトの場合も、
歌曲と器楽曲とのクロスオーバーが、
さまざまな見地から論じられるが、
良いメロディがあると、
楽器でも演奏したくなる、
というのは、世の習い、ということか。

が、その一翼を、ダンスが担っていた、
というのは面白い。
また、その陰にいるのが、出版者というのも、
妙に生々しい経済活動として捉えることが出来る。

我々、現代人は、このダンスという習慣を、
まったく失ってしまっているが、
これは、かなり、人間の本質とか文化とかの、
深いレベルで、何か大きな喪失をしている、
などと考えても良いかもしれない。

「こうしたケースでは器楽奏者は、
種々の複雑な装飾をくわえることがあり、
例えば、理論家のフィルバート・ヤンベ・デ・ファー
などは、1556年の『Epitome musical』の中で、
『『戦争』や『鳥の歌』、『le caquet des femmes』など、
他の多くの難しい曲を、8歳の子供でも簡単に表現できる。
発音しなければならない言葉ゆえに、
省略したい多くの部分を省くことが出来ないが、
リュート、スピネット。コルネット、フルート、
ヴィオールなどあなたが選ぶ楽器どれでも、
は多くのパッセージワークを表現できる。』
事実、いくつかのケースでは、
例えば、極端な例として『鳥の歌』のように、
テキストが多すぎることによって、
歌手は省略が許されない。」

得られた事:「鉄砲伝来の時代へは、ジャヌカンで思いを馳せる。まさしく、機械(楽器)の時代に突入する直前の人力(声)のクライマックスのような声楽曲。」
「ジャヌカンの時代以降、シャンソンは、教会音楽のようなポリフォニーの形から、器楽や舞踏とのコラボを経て、主旋律主導型に変容していった。これは、ジャヌカンらのメロディの美しさによるものであった。」
「シャンソンの始祖、ジャヌカンには、三つのカテゴリーの作品が目立ち、メランコリックなもの、猥雑なもの、長大で擬音(オノマトペー)を含むものがあるが、シューベルトの時代になると、重視されなくなったものばかりであった。」
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by franz310 | 2016-08-27 20:51 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その438

b0083728_17153256.jpg個人的経験:
「セルバンテス時代の音楽」
を前回は聴いてみたが、
サヴァールたちは、
ローペ・デ・ベーガ
(1562-1635)
に関するCDも作っている。
私は、岩波文庫で出ている、
このもう一人の
スペイン古典の大文芸家の、
「オルメードの騎士」
という悲恋物語を読んで、
感銘を受けた事がある。


これは、岩波文庫のもので、
「プラテーロとわたし」の翻訳で知られる
長南実氏の訳。
このスペイン文学者の最後の仕事だということだ。

400年も前に書かれた作品ながら、
生き生きとした言葉が弾み、
前半の粋な恋物語から、
どんどん終幕の悲劇に向かっていくのに、
様々な人間模様が絡んで生々しく、
ついつい、引き込まれずにはいられない。

このような作品を書いた、
ローペ・デ・ベーガに関わる音楽となれば、
セルバンテスの時と同じように、
様々な発見をもたらしてくれるはずである。

サヴァールが創設した、
ARIAVOXのCDで、
演奏はエスぺリオンXX、
表紙は、スペイン黄金時代の絵画の巨匠、
素晴らしい明暗の対比で知られる画家、
スルバラン(1598-1664)
の「Las Tentaciones de San Jeronimo」
(聖ジェロニモの誘惑)
の誘惑する音楽奏者の部分が使われている。

竪琴を弾く若い女性の、
目力が印象的で、絵画全体より、
ずっと心に残る意匠に仕上がっている。

ちなみに、このALIAVOXレーベルは、
この絵画が好きなようで、
別CDでも、この絵画の別の部分を使っている。

誘惑される聖人はアントニウスが有名だが、
聖ジェロニモは別の人のようだ。
修道僧の起源のようなアントニウスは、
悪魔や魑魅魍魎に誘惑されたが、
ジェロニモは、セレナーデで誘惑されている。
このCDではわからないが、スルバランは、
聖ジェロニモを痩せこけた老人として描いたので、
まるで、「若さ」の前に屈服する「老い」、
といった絵画にも見える。

そう思わせるほどに、このCD表紙部の乙女は、
りんごのような頬、サクランボのような唇で、
輝かしい自信に満ちている。

このCD、Track1から13までが「Ⅰ」、
Track14から23までが「Ⅱ」となっていて、
前者が1978年の録音、後者が1987年の録音で、
約10年が経過している。
前者には、平尾雅子の名前が見える。

いずれも声楽曲はモンセラート・フィゲーラスが歌っている。
二つの録音を合わせたせいか、
収録時間77分というお買い得盤である。

Track13.はゲレーロの器楽曲で、名残惜しく終わるが、
Track14.は、マテオ・ロメーロ(1575-1647)
の歌曲で、晴れやかなファンファーレで始まる。
が、それも最初だけで、妙に物悲しい音楽となる。

ロマンスで、「サンザシからブドウは」というもので、
「夏の終わりのこと、サンザシからブドウの蔓は滑り落ちた。
かつては、優雅に絡み合っていたものを」と歌いだされる。

Track1.は、このCDのタイトルにふさわしく、
ローペ・デ・ベーガ(1562~1635)
の詩によるロマンスがおかれているが、
作曲家は不明とのこと。

「どんな風に櫂は水を掻くの」とでも訳すのか。
「朝の新鮮なそよ風の中、
水の中をくぐる時、お母さん、
どんな風にオールは水しぶきを上げるの」
という感じ。

かなり、コケティッシュな音楽で、
後半は、聖アエギディウス や聖ヨハネの名が出されるが、
これも、戯れ歌の特徴かもしれない。

こうした音楽が、ローペの劇には、
必要不可欠、といった事が解説では読めるはずだ。

Track2.
バルデラバーノの「Soneto Ⅷ」というビウエラの曲。
サヴァールの初期を支えた名手、
ホプキンソン・スミスの歯切れのよい音色が、
さわやかな風を伝えるような優美な楽曲を奏でる。

Track3.ディエゴ・オルティスの
「Passamezzo modern Ⅲ」というヴィオール曲。
これも、非常に晴朗な楽想で、
ヴィオールというと、どうも悲しげなイメージがあるが、
ここでは、開放的で伸びやかな音楽が味わえる。

Track4.作者不詳のエンサラーダ、
軽妙な音楽で、曲名も「僕の鋭い剣で切る」という。
切るのは「そのおしゃべりな舌」だということで、
いかにも、劇の途中で、さらっと歌われる感じ。

どうやら、メイドが、困った噂話をまき散らした様子。

Track5.カベソンのティエント。
カベソンというと、オルガンの大家のように感じるが、
ここでは、ヴィオール合奏で演奏している。
しかし、細かな音型からして、
オルガン曲がオリジナルなのであろう。

Track6.バスケスのビリャンシーコ、
かつて、ピラール・ローレンガーも歌っていた、
「ポプラの林から」である。
フィゲーラスの声を、ヴィオールやフルートが彩り、
単なるギター伴奏より膨らみを持った音楽になっている。
母親に恋人と会って来た事を報告する歌である。
私には、なぜ、そんな事をいちいち報告するのかわからないが。
どのような劇の、どのような場面で歌われたのだろうか。

Track7.再びバルデラバーノのビウエラ曲。
「Soneto ⅩⅢ」で、いくぶん、内省的なもの。
ビウエラらしい音楽かもしれない。

Track8.モラータのマドリガル。
「彼が語ったその心のそこのところ」という、
ややこしい題名のもので、
物悲しい、悩ましい曲想からして、
失恋の歌であろうか。

「息を殺して私は聞いた。
怒りというか不安というか、
何度も何度も言った。
あなたが好きなの。」

ローペ・デ・ベーガの戯曲の、
生々しい情感には感動したが、
この曲なども、400年の時を超えて、
息苦しくさえ思えるリアリティである。

この曲に続いて、
カベソンのディフェレンシアスが演奏されるが、
前の曲の情感を受けて、神妙である。
この曲などは、解説にもあるので、
そちらを見て行こう。

解説は、RUI VIEIRA NERYという人のもの。
Evora大学の人であるそうだが、
エヴォラはスペイン国境に近い、
ポルトガルの学芸都市だということで、
天正の少年使節も立ち寄ったという
由緒正しい街の大学のようだ。

そのせいで、というわけでもないが、
解説は各言語5ページ、
英独仏伊にカタロニア語合わせると、
かなりの分量である。
CDのケースに入るようなものではなく、
別冊となっている。

「スペインのホワン・デル・エンシーナや
ポルトガルのジル・ヴィセンテのような
16世紀初期の劇に始まる
イベリア半島の豊かな演劇の伝統の
最も特徴的な性格は、
コンテクストに織り込まれた音楽によって
重要な役割が演じられていることである。
17世紀の幕開けまでに、
半島各地の主要都市では劇場での演奏が許されており、
周りに観客用の簡単な座席が設えられた
パティオ(中庭)で、もっぱら演じられた。
神聖劇も世俗のコメディも
通常、4声のtonoと、
Cuatro de empezarと呼ばれるコンティヌオで奏され、
時に、loa(鳴り物)に続いた。
宮殿風ファンファーレ、
軍楽のトランペットと太鼓連打、
雷鳴と豪雨などの、
音楽的な特殊効果は、
合唱、舞踏などとともに、
劇の中に挿入され、
最後には『祝祭の終わり』という、
音楽が演奏された。
さらに、劇の進行に合わせて、
Bailesとかentremesesと呼ばれる間奏曲が、
音楽的にも劇的にも発展した。
当時スペイン最大の劇作家と言われた、
他ならぬ
フェリックス・ローペ・デ・ベーガ(1562-1635)
の台本による『La selva sin amor』が、
マドリッドの王宮の劇場であった、
Coliseo del Buen Retiroで演奏され、
全編が音楽で彩られた劇、オペラは、1627年には、
イベリア半島にもたらされていた。
ローマのバルベリーニ家のサークルに、
ステーファノ・ランディが関わっていた時に、
ローマ教皇大使、ジューリオ・ロスピグリオーシが
オペラの台本を書いていたが、
その影響を受けて、
宮廷の進歩的で国際的な芸術性を
公的にアピールするために、
若い王、フェリペ4世が関わった、
芸術的なイベントであったと考えられる。
現在は失われたが、
その音楽とセットは、
二人のイタリア人、
作曲家のフィリッポ・ピッチニーニと、
ステージデザイナーの
コジモ・ロッティによるもので、
ローペ・デ・ベーガは、
その後の劇の出版の前書きで
この初のオペラの試みに対し、
上演を興奮して称えたが、
すぐには、それに直接つながるものはなく、
30年も待たねばならなかった。」

ということで、フェリペ4世は、
ちょっとお馬鹿な王様として知られるが、
文化、芸術に関しては前向きな人だったとわかる。

ベラスケスは、マルガリータ王女と共に、
この王様を描いたが、スルバランやムリーリョなども、
この時代の人らしい。

「スペイン宮廷は、
2つの新しいオペラの制作を、
(今度はペデロ・カルデロンのテキストによる
La purpora de la rosaとCelos aun del ayre matan)
1660年まで待たねばならなかった。
これらのうち後者の試みは決定的な成功をおさめ、
このときは、フィレンツェやローマの知的なサークルの
いささかエキゾチックで無関係に見える作り物ではなく、
特にイベリア半島の演劇の伝統に深く根ざした音楽で、
スペインでの新ジャンル確立を確かなものにした。
このように、
17世紀のはじめの三分の二を通じ、
スペイン、ポルトガルの演劇は、
イタリア風のオペラのモデル採用ではなく、
語り言葉と、
それに合わせて様々な変化を見せる音楽を融合した
それ自身にふさわしい
長く称賛される伝統を模索した。」

晩年のベラスケスが描いた
マルガリータ王女の肖像画は、
スペインの至宝とされるが、
ベラスケスの没年は、
1660年である。

この頃、スペインのオペラが
産声を上げたと考えれば良いのだろうか。
ローペ・デ・ベーガの生誕100年も近い頃である。

「これらの劇では、
テキストと音楽のコンビネーションは、
通常とは異なるように起こっており、
それぞれの特色ある作品において、
音楽家が受け持つ部分の数にしろ質にしろ、
いくつかの場合、
そこに登場する役者の音楽的才能によって
多かれ少なかれ広がりを持つ。
例えばローペ・デ・ベーガの
半数以上のコメディや演劇は、
特別な歌と関連を持っており、
あるテキストはローペ自身のものであり、
あるものは、彼の時代の流行歌集に拠っている。
また、多くの場合、これらの歌われたものは、
手稿であれ、印刷譜であれ、
当時のイベリア半島の、
特定の音楽に典拠が求められる。」

このように読み進むと、
ふと、あることが思い出される。
岩波文庫にあるローペ・デ・ベーガの
有名な戯曲「オルメードの騎士」もまた、
そういえば、俗謡の歌詞をもとに作られた、
と解説にもあった。

つまり、この時代の演劇と音楽は、
二つで一つというほどの融合芸術だったようだ。

CD解説に戻ると、以下のようにある。
「非常に柔軟性のある音楽構成要素によって、
実際の舞台は特徴づけられたと思われ、
印刷された、公式版の劇作品にある歌の選択、
特別なプロダクションに
どのような歌が採用されるかによって、
広がりのある結果となるため、
我々、近代の音楽的『原典版』の概念とは、
それは、かなり違ったものであった。
ローペの劇に流れ込む
17世紀の世俗歌曲の文献は、
一世紀以上前に起源をもつ、
『Cancionero de Palacio』にある
ポリフォニーの曲集と、
1536年以来の
ミラン、ナルバエス、その他の、
ビウエラ曲集から、
器楽の伴奏を伴う
独唱のビリャンシーコ、ロマンス
の2つの伝統を持つ。
リフレインが頻発するビリャンシーコと、
有節歌曲のロマンセは、古い分類で、
その間、違いが不明瞭となったが、
しかし、ロマンセという言葉は、
今では、リフレインがあってもなくても使われ、
最も変化に富む形式となって、
新しいコンテクストでは、
ほとんどメロディの同義語になっている。
こうしたジャンルの他の名称としては、
tonada、solo、tonillo、chanzoneta、
letra、baile、jacaraがあり、
これらはすべて一声から四声のための
世俗歌曲を呼ぶものにほかならず、
器楽伴奏を伴うものと伴わないものもある。」

以前にも、jacaraとは何だろうか、
と悩んだ事があったが、
ここでは、単に歌曲一般名称の一つみたいに書かれている。
(Track20.に「Jacaras」がある。)

とにかく、こうしたメロディが、
ポリフォニーと対比されて紹介されていることに、
注目しておきたい。
シューベルトの歌曲の源流に、
スペインの音楽があるなど、
ちょっと考えにくいのだが、
そうした流れを想定すべきか否か。
とにかく、解説に戻ると、
これらの歌曲集は、かなり流布した事がわかる。

「この世紀の前半を通じて、
これらのレパートリーは、
数冊の歌曲集としてまとめられ、
現在、さまざまな国で保存されている。
とりわけマドリッド国立図書館に2つ、
スペインのプライヴェート・コレクションに2つ、
リスボンのAjuda Palaceのライブラリーのもの、
トリノの国立図書館、ローマのCasanatense図書館、
ミュンヘンのバイエルン州立図書館のものなど。
後者は、スペイン王立礼拝堂の筆写者、
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラの編纂による。
これらの手稿に、さらに、印刷されたものが加わる。
スペインの教皇庁大使パストラーナ公の
お抱え音楽家、フアン・アラーネスによる、
1624年ローマ出版の
『Libro Segundo de tonos y villancicos』がある。
それでも、サブロナーラのコレクションこそ、
ローペ・デ・ベーガの劇に直接関係する、
最も多くの歌が収められたものなのである。」

王室対大使であれば、
王室の方が本格的になるのは当然かもしれない。

サブロナーラの名前は、
本人の素性はともかく、
「サブロナーラの歌曲集」などが、
検索でヒットする。

一方、大使お抱えの音楽家とされたアラーネスは、
「チャコーナ」の作曲家だと思っていたが、
ひょっとすると、単なる編纂者なのだろうか。

「このコレクションの中で、
特に重要な位置を占めるのが、
アラゴンの作曲家、
フアン・ブラス・デ・カストロ(1631年没)
のもので、
彼は、ローペの友人であり、
ローペは『二重に神がかりの音楽家』と彼を呼び、
彼ら二人はアルバ公の宮廷で、
ほぼ同時期に奉職していた。」

このカストロの名前は、
CD収録曲目録後半、
Track16.と22.に見える。

Track16.ロマンス「二つの緑のポプラを編んで」。
神がかりとあるせいか、
まるで、後光が差したかのような、
精妙な和声の中でフィゲーラスの声が冴える。

「頭上にアーチをかけ、
そこの鳥たちを起こさないように。
タホ川が静かに波を打つ。
愛の抱擁のように、
木と木はつながっていたが、
妬んだ川は、その枝と枝を引き離した。」

かなり、昔語り的な、状況も鮮やかな内容。
まさしく、その通りの曲想で驚く。
それにしても、スペインの歌曲には、
やたらとポプラが出てくるようだ。

Track22.ロマンス「魂の幽閉場所から」。
これは、このCDの最後から二番目の曲で、
かなり、名残惜しい情感のもの。
「千のたくらみの罠にかけられ、
聡明さは眠り、理性の声が上がる」

しかし、途中からコルネットや太鼓も登場して、
かなり迫力のある中間部の盛り上がりを見せる。
「目覚めよ、戦いの呼び出しに結集」

最後は、再び、ふにゃふにゃとなり、
Balardoの意志は潰えた様子。

ローペには、「狂えるベラルド」
という劇があるそうだが、
それと関係があるのだろうか。

「ローペ・デ・ベーガは同時に、
その礼拝用の詩集、Rimas Sacrasで、
宗教的な主題を幅広く手掛け、
印象的なSi tus penas no pruevo, Jesus mio
(神と語る愛の独白)などが含まれる。
重要なことは、この詩は、
16世紀の最後の三分の一世紀の、
ポリフォニーの宗教曲の作曲家で、
最も、劇的で熱烈な
フランシスコ・ゲレーロ(1599没)に取り上げられ、
ヴェネチアで1589年に出版された、
彼の曲集『Canciones y Villasescas espirituales』
における、最も感動的な曲の歌詞となっている。」

最も感動的とあるように、
このCDでは、最後に収められている。
9分近い大曲で、
Track23.「優しいイエスよ、あなたの裁きには無力です」。

私はゲレーロを、もっぱらポリフォニー合唱曲を書いた人、
と考えていたが、ここでは、切々と朗唱するような音楽が聴ける。
伴奏も、ぶーんとヴィオールがうなっているだけ。

とても、訴える力の強い音楽で、
「わが愛、あなたなしの人生など、無いようなもの。」
といった内容が訴えられる。
途中で、お祈りのように、語る部分もあって、
まさしく、神様の前では何でもあり、
という感じがしないでもない。

ゲレーロの作品は、ここではほかにも2曲あって、
Track13.「Glosas soble Hermosa Catalina」
(「麗しきカタリーナ」によるグロッサ)という器楽曲。
これは、すでに紹介したように、
名残惜しい感じの曲だが、
ここで、ふと思い出した。

何だか、マルガリータ王女が嫁いだ、
レオポルド1世なども書きそうな音楽である。

Track10.「En tanto que de rosa」
(薔薇と百合はまだ染めず)があるが、
これは、フィゲーラスの歌でガンバ四重奏伴奏。
平尾雅子の名前が見えるのがうれしい。
が、主役はあくまでフィゲーラス。
息遣いも、臨場感たっぷりである。

高揚した初々しい音楽で、
「薔薇と百合の花の色は君の顔を染めないけれど、
君の激しくまっすぐなまなざしは輝き、
もう、心をつかむ。」
極めて、ダイレクトに心の高ぶりを描く。

神妙な宗教曲の作曲家と思っていたゲレーロであるが、
こんな熱っぽい世俗曲を書いていたのかと、
妙に感動した。

さて、このように、いよいよ解説は、
収録曲の説明の部分に入っていく。

「今回の録音に含まれるほかの多くの声楽作品から、
明らかに異なるスタイルながら、
ローペの当時の音楽との関わりの幅広さを、
もっとも普遍的に表したものである。
もちろん、私たちは、
対位法の曲集に収められた
この磨き上げられたバージョンが、
ローペ・デ・ベーガの時代に、
実際に劇場で演奏されたと言えるわけではない。
最も考えられるのは、
メインのメロディは即興の器楽伴奏で、
俳優によって歌われたことで、
このアンサンブルは時として、
16世紀中葉からのイベリア半島の音楽理論として
語られ、例示された、Contrapunto concertado
の原理によって、
よく確立された様式で演奏された事である。
これは、時に、単に一本のギターや、
ハープシコードやハープなど、
その他の和声楽器のみで伴奏される。」

「contrapunto concertado」は、
対位法的な伴奏なのだろうか。

「対位法的に作曲されたものでも、
特別な解決策が求められ、
演奏における基本である装飾や変奏のみならず、
ディエゴ・オルティス(1553)、
ジュアン・ベルミュード(1555)、
トマス・デ・サンタ・マリア(1565)などの
理論家によって紹介された原則などを考慮して
器楽の利用法に関しては、
現在、様々な復元の可能性が残されている。
ローペの演劇の中で用いられた音楽の多くの出典は、
しかし、入手可能な楽譜などから特定可能なものではなく、
『ここで、皆はギターに合わせ歌う』や、
『ここで彼らは歌い踊る』、
単なる『ここで音楽が聞こえる』
といった一般的な指示しかない。
彼の舞台の音楽環境を再構成する際、
様々な選択肢があるということで、
それは特に器楽曲に言える。
声楽曲の曲集の器楽バージョンを除いても、
イベリア半島には、
様々な楽器用の独奏曲のレパートリーがある。
オルティスのヴィオール用の『リチェルカーダ』(1553)や、
1530年代半ばから始まった、
ビウエラや鍵盤楽器の出版楽譜の膨大な一群が、
この用途用に適したものとなっている。
今回のアルバムでは、
これらの器楽のレパートリーから、
様々な領域を代表する作品を集めた。
彼の革新的な『Trattado de glosas』
(『ヴィオラ・ダ・ガンバ演奏の装飾論ならびに変奏論 』)
の中で、
オルティスは、当時流行した
オスティナート・バスラインに従って、
様々な技巧的変奏をものした。
それらの中から、『Passamezzo moderno』、
『Romanesca』をここでは録音した。」

これらは、Track11とTrack3に、
かなり離れて配置されている。

オルティスのパッサメッツォとロマネスカは、
共に、わかりやすいメロディのヴィオール曲。
後者は、情熱的な歌の後、
ちょっとした息抜きのように置かれている。

「豊富なスペイン16世紀の
ビウエラのレパートリーからは、
器楽の対位法の洗練された伝統を代表して、
エンリケ・デ・ファルデラバーノの
1547年に印刷された曲集から、
2つのソネットを選んだ。
これはヨーロッパの撥弦楽器の
作品発展の先駆をなすもの。」

これは、Track2.とTrack7.で、
すでに聴いたものである。

途中、カベソンなどの解説があるが、
紙数が尽きたので、省略した。

解説は以下のように結ばれる。

「ローペ・デ・ベーガの傑作戯曲は、
純粋な文学作品、劇作品としてだけでは理解できず、
オリジナルでは、語られる独白と、
ステージで演じられる音楽との間で、
常時行われる相互作用を意識しなければならない。
しかし、ローペの劇場で演じられた
オリジナルのパフォーマンスでの即座の連携を超えて、
16世紀、17世紀のイベリア半島全体の、
統合できない文化的、精神世界のビジョンの
基本的要素を規定し、
当時、その場所の音楽の深い解釈についても、
同様の事が言える。
このレパートリーにおける称賛された
古典的な録音の編纂によって、
モンセラート・フィゲーラスと
ジョルジュ・サヴァールは、
魅惑的なスペインのSiglo de Oroの遺産によって、
劇場の音楽的側面と音楽の劇場的側面を同時に照らしだした。」

ローペ・デ・ベーガの作品には、
「日本諸王国における信仰の勝利」などという、
キリシタン受難関係のものもあるという。
もっと、日本で知られる必要がある。

得られた事:
「ローペ・デ・ベーガは、スペイン黄金時代の大戯曲作者であるが、ちょうど鎖国前の日本の知識もあり、無視できない存在である。」
「ポリフォニーと対比されるメロディは、リフレインが頻発するビリャンシーコや、有節歌曲のロマンセなど、この時代にやたら発展したが、それは、演劇の時に俳優によって歌われて普及した。」
「ゲレーロは、マリアの作曲家などとされ、宗教曲の作曲家かと思っていたが、とても初々しいソネットなどで、歌曲作曲家としても無視できない。」
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by franz310 | 2016-06-26 17:18 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その437

b0083728_2310076.jpg個人的経験:
サヴァールが、
独エレクトローラに録音した、
「セルバンテスの時代の音楽」を
聴き進んだが解説が面白く、
しかも参考になった。
スペインは、
「たまに大天才を生む国」
などと言われるが、
逆に言うと、大天才以外は、
日本ではなかなか調べる事が困難だ。
そこで、仕方なく、図書館で、
このあたりの本を探してみた。


前回、かなり書き飛ばしたが、
ドイツ製CDの解説にあった、
「この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた」とか、
「ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」
という一節などは、
ちょっと気になっていた部分。

牛島信明著「スペイン古典文学史」(名古屋大学出版会)
によると以下のようになる。

テレサ・デ・ヘススは、日本では、
「イエズス会の聖テレジア」と呼ばれる、
とあるが、この人は、
「スペイン神秘主義文学の代表」であるとともに、
カトリック強化のために、
各地行脚で32の教会を建てた
「女傑」とされている。

また、デ・ラ・クルスは、
テレサ・デ・ヘススの弟子で、
日本では「十字架の聖ヨハネ」と呼ばれる、
「神秘主義者のなかの最高の詩人」だとある。

この人も、修道会改革運動に奔走して、
牢獄内で、非常に官能的な表現で、
詩人の魂と神の合一の神秘を著わした。

「文学史」によると、
実践活動と没我的瞑想こそが、
スペイン神秘主義の特異性であり、
スペイン精神の象徴だ、とのこと。

ゲーテの「ファウスト」の終幕合唱で現れる、
法悦の博士のようなものであろうか。

こんな実践と没我のやばい連中が、
当時の日本に来たら、
キリシタン禁制になること請け合いである。

先にあげた「文学史」の第9章が、まるまる、
「神秘主義文学」に充てられている。

また、私がゴゴラと書いたのは、ゴンゴラであった。
上記「文学史」では、第13章がまるまる充てられている。
セルバンテスが「最高の賛辞」を贈った詩人で、
「スペイン・バロック期最大の詩人」と紹介されている。

しかし、その詩風は難解で、ロルカらが1920年代に
復権を企むまでは、「誇飾主義」、「ゴンゴリスモ」などとされ、
紹介される詩でも、14行のものが、3ページの解説なしには、
意味不明なほど、隠喩で埋め尽くされている。

語順を変更、借景、隠喩などの駆使が、
その詩の特徴とあるが、
17世紀の常識がなければ、
手に負えるものとは思えない。
スペイン語でしか歌詞がないCDなど、
スペイン人でもわからないであろうから、
日本人が正しく鑑賞するのは、
恐ろしく困難であることが理解できよう。

ということで、
下記に私が、スペイン語の部分を、
何とか機械検索した部分は、
まるであてにならない、
と考えてよさそうだ。

ゴンゴリズムは、
「宇宙としての自然は、無限の迷宮である」、
という思想に裏付けられた、
知覚の過程そのものを目的とする高踏的な芸術、
ということらしく、
どうやら、こんなところで、
腰掛程度で語れるものではなさそうだ。

あと、私が、「クウェベド」だと思っていたのは、
ゴンゴラに続いて、上記「文学史」では、
第14章で、「ケベード」として現れる。

ド近眼でがに股でありながら、
剣の達人で最高の恋愛詩人とされ、
めちゃくちゃ破天荒なイメージの存在である。

ゴンゴラが現実から逃避したのに対し、
ケベードは、17世紀初頭の
スペインの衰退を憂えた憂国の士であるとされる。

国粋主義者にして、迷信深く、敵を作り、
「破廉恥博士、悪徳教授」と酷評されながら、
政治的策動に明け暮れ、翻弄されて死んだ。

ロペ・デ・ベーガは、
岩波文庫でも読めるので、
比較的知られており、
この人の作品にちなんだCDもある。

改めて「文学史」を読むと、
人妻であった女優との恋、
貴族の娘との蓄電、
別の女優との内縁関係、
金銭目当ての結婚、
三十歳近く年下の商人の妻とのスキャンダルなど、
「すさまじい生き方」ばかりが脳裏に残る。

しかし、そのすさまじさが、
創作の方面でも現れていることが重要だ。

千八百ものコメディアを書き、
現在でも五百篇が残るという超人的作家で、
「ロペのようだ」というのは、
「素晴らしい」と
同義語になるほどの時代の寵児だったという。

しかし、今回の主人公は、
セルバンテスである。

同じ、牛島信明著で、
岩波文庫の「セルバンテス短編集」を、
改めて手にしてみると、
サヴァールがわざわざ特筆したくなる理由がよく解った。
ここには、音楽愛好家なら、
是非とも聴いてみたくなるような、
音楽の話が、確かに沢山出てくるのである。

それにしても、岩波書店も、
これを文庫化してくれたものだ。
もちろん、作品は面白いし、
当時のスペインを研究するにも重要な資料だと思うが、
どんな読者をイメージしたのだろうか。

収められた4編の最初に収められた、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」は、
音楽の持つ、有無を言わさぬ力が主題であるし、
最後に収められた「麗しき皿洗い娘」では、
この「皿洗い娘」の働く旅籠の前で、
彼女の気を引く、小夜曲やロマンセが歌われる。

まさしく音楽愛好家必読の書であるが、
そんな読者層が、私とサヴァール以外に
いるのかどうかわからない。

この「皿洗い娘」は、結局、主人公ではないのだが、
とても可憐なイメージが初々しく、
この物語の詩的な雰囲気を
象徴的に表す存在であるとも言える。

旅籠の客たちが、踊りの会を開き、
主人公の一人がみごとなギターと歌を聴かせる。
「今はやりの陽気なサラバンダでも、
いささか卑猥なチャコーナでも、
ポルトガル渡来のフォーリアでも何でも、
好き勝手な踊りの曲を弾くがいいさ。」(牛島信明編訳)

目の前に光景が浮かび上がるようなシーンで、
とても、17世紀初頭のものとは思えない。

そして、驚くべき事に、
ここで、歌い始められるのが、
まさしく、私が気になっていた、
「チャコーナ」のようなのである。

「それじゃお入りみんなして
小粋な妖精も若い衆も
チャコーナ踊りは海より広い踊りだから」
などと、べたで紹介するかのように歌われている。

実は、サヴァールのCD
「セルバンテス時代の歌と踊り」の最後、
Track23.もまた、
アラネス作曲の「チャコーナ」。

これは、曲目解説には、
「このダンスを起源として、
様々な異なるセオリーが提供されているが、
オリジナルはアメリカ由来のものと、
明らかに早くから言われており、
セルバンテスは、『混血様式のインディアンの踊り』
と呼んでいて、
(作家の)ケベードも、
『混血様式のチャコーナ』と呼んでいる。
セルバンテスの『麗しの皿洗い娘』では、
もっとも興味深い記述を見ることが出来る。」
とある。

そして、何と、先の小説に出て来た、
「それじゃお入りみんなして」の歌詞が、
CDにも掲載されていた。

小説では、
「チャコーナ踊りでこの世は楽し、
アメリカ生まれで混血の
魅惑的な美女たるこの踊り」
と書かれているが、
このCDでも、
カスタネットのリズム刻みも鮮やかに、
若い頃のモンセラート・フィゲーラスの声が
扇情的にまくしたてられている。

いかにも、
「だいそれた冒瀆行為を
犯したとの噂はかくれもない」
という風情である。

なお、フィゲーラスは先年亡くなったが、
1942年生まれなので、
77年の録音であれば、35歳の声である。

CDの曲目解説にはさらに、
「ダンスも歌もあって、
道徳家をからかったこの曲は人気を博した。
この曲はなんとかその人気を維持し、
17世紀を通じて成功を収め続けた。
この時期、シャコンヌとして全欧に広がったが、
その過程で明らかにオリジナルの活力を失って、
フォリアやサラバンド同様、
ずっと荘重で儀式的なものとなって行った。
アラネスのチャコーナは、
コンティヌオを伴う四声のもので、
1624年に出版されている。」

私は、スペイン出身のマルガリータ王女が、
遠いヴィーンで聴きたくなったのは、
このような曲ではなかったか、
などと考えたりもしたが、
王女の生まれた年より早い出版であれば、
輿入れしてから欲しがったりしないかも、
などと考え直したりもしている。

が、スペイン由来の躍動感あふれる舞曲が、
ピレネーを超えると活力を失う事も知った。
王女が早世したのも理由があるということだ。

ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、
この王女を偲んだものとされるが、
この曲なども、完全に儀式的で荘重なものになっていて、
王女が喜んだとは思えないではないか。


さて、もとに戻って、
このCD解説でサヴァールが書いた部分を読んでしまおう。
まず、以下のように「ドン・キホーテ」に関する部分。

「多くの彼の作品の主人公は音楽家であり、
何らかの形で音楽に結びついている。
サンチョ・パンサが侯爵夫人に取り入る時の
有名なせりふを引用してみよう。
『マダム、音楽あるところに、
悪魔は入りこめません。』
ドン・キホーテは、
『サンチョ、わしは、お前に、
昔の遍歴の騎士たるものはなべて、
偉大な詩人であり、偉大な音楽家だったと
教えてやりたいのじゃ』と言い、
アルティシドーラは、
『ドン・キホーテが何か悪い事を思いつかないよう、
何とか音楽でも演奏するように、
リュートを置いておかないといけないわ』と言う。
ドン・キホーテは音楽家であって、
おそらく、即興演奏の能力も持っていた、
と考えることが出来る。
セルバンテスの多様なスタイル同様、
その語彙の音楽的な点も、
重要ポイントとして強調すべきであろう。
例えば、ドン・キホーテは、
『彼の意見で言えば、最も壮麗でメロディアスな名前』
であるロシナンテという名で、
愛馬を呼んでいるし、
彼の思い姫は、『音楽的で奇跡的な名前』、
ドゥルネシア・デル・トボーソと呼ばれている。」

この準主役たちの名前は、
日本でも有名かもしれないが、
音楽的な名前だと考えながら読んではいなかった。

「セルバンテスは、彼の全作品を通じて、
その深い音楽への造詣と、
とりわけ、彼の共感豊かな音楽理解の証拠を示しているが、
それは、人間の声が彼に恍惚と
影響を及ぼしていることからも明らかである。
私たちはしばしば、
それが、『魅惑的な歌』のように響くことを感じる。
時折、『あなたを驚嘆で満たし、
最後まで聴き通すしかなくなるような
かくも素晴らしく愛らしいハーモニーで歌う声』を感じる。
最も優れた例は、彼が晩年に創造したキャラクター、
歌手であるフェリシアーナ・デ・ラ・ボツで、
それは、彼女が世界最高の声を持っていたからで、
彼女の声と歌に身を委ねた
全聴衆を驚嘆させたからであった。」

さて、サヴァールの筆致も冴えてくる。
CD解説の以下の楽器の羅列は、
通常のオーケストラ音楽の多様性を超えており、
半分くらいが、すぐにどんなものか分からず、
五分の一は、楽器名も初耳であった。

「さらに言うと、最も興味深いのは、
楽器やその組み合わせに対する
セルバンテスの記述である。
そこには、弦楽器、鍵盤楽器が記載され、
レベック、ギター、ビウエラ、リュート、
ハープシコード、プサルテリー、オルガン、
管楽器では、フルート、ピファノ、ショーム、
ホイッスル、パンパイプ、ガイタ・ザモラーナ、
トランペット、ハンティング・ホルン、
トロンボーン、ビューグル、
トロンペタ・バスターダ、ホルン、
打楽器では、タンブリン、ドラム、
パンデロ、ジングル、太鼓、カスタネット、
カウ・ベル、ラチェットなどなど。」

また、以下の記述は、
「ドン・キホーテ」で知られる
世界文学の巨匠が生きた時代が、
波乱万丈の激動の時代であったのみならず、
音楽の面でも、極めて多様な土壌を持っていた事を
教えてくれる。

「セルバンテスの記載した音楽作品も、
その時代の音楽趣向のために、
多くの情報を与えてくれる。
彼が言及した数多くのロマンセ、
『del Conde de Montalban』
(これはTrack6にある)
有名なロンセスバリェスの戦いを描いた
『Don Beltran』(これはTrack7に収録)
ムーア人のロマンス、
『Abindarraez y Jerifa』 (Track2)
などは、この録音にも含めた。
後者のタイプの歌は、
非常に流行したが、
ムーア人の反乱を防ぐために禁じられた。」

ムーア人の郷愁をかき立てるものや、
やばいリズムでまくしたてる音楽には、
悪魔が住むのであろうか、
禁じられる事のあったのだろう。

しかし、現代の生活では、歌で嘆く習慣、
踊りを踊る習慣など、ほとんどなくなったが、
当時は、重要な人間としての生物活動だったのだなあ、
などと考えてしまった。

「セルバンテスが取り上げた
ビリャンシーコや歌曲、
『Madre, la mi madre』(Track15)
『Tres anades, madare』(Track12)
などはここでも歌われている」とあるから、
このあたりから聴くのを再開しよう。

前回、Track10まで聞いてきたから、
Track11から15の、
「愛のビリャンシーコ」と題されてまとめられた部分。

Track11.
バスケスの「Quien amores tiene」
「メロディックな断章をソプラノで変奏する
オスティナート歌曲様式の4部からなる作品。」
縦横に動く伴奏が面白く、
健康的で開放的な歌唱である。

Track12.
セルバンテスが取り上げたという
アンチエータ作曲の「Dos anades, madre」。
解説に「Tres anades, madare」(お母さん、3羽の鴨)
とあったのは、歌詞の冒頭である。
「彼の『Tesoro de la lengua』(言語の宝)で、
セルバンテスは、スペイン人がこの歌を歌うのは、
彼の肩に重荷を背負う事なく、
楽しく人生をやり過ごしたい時だ、
と説明している。
よく知られた以下の古謡に関する。」

「Tres anades, madre
pasan por aqui
mal penan a mi」とある。
なんの事やらさっぱりわからない。

が、次に親切な解説が来る。
「セルバンテスは、同様の意図で、
この歌を、『麗しき皿洗い娘』で使っており、
カリアーソがサーラからバリャドリーに、
いかに旅したかを表すのに、
道すがら、この歌を歌っている。」

これを頼りに、岩波文庫を取り上げると、
「気軽に鼻歌を歌いながら旅を続けて」とあって、
完全にこの歌の手がかりは消えてしまった。

スペイン文学の第一人者の訳ですら、
そうなっているのだから、
匙を投げてもよかろう。

これは、鈴の音を伴う、リズミカルな伴奏が面白く、
ギターとガンバの音色も渋い。
歌は、取り澄ました感じのものだが、
気楽に人生を過ごす心情であろうか。

アンチエータといえば、
ベルガンサが、ラビーリャの伴奏で、
「母さま、私は恋を抱いて」を歌っているが、
音楽は同じような気がする。

Track13.
「Al rebuelo de una garca」
これは上記題名のビリャンシーコの器楽バージョンで、
Venegas de Henestrozaの1557年の曲集にあるようだ。

いかにも、いにしえの歌、という風情の、
ガンバの合奏がしみじみとした感情をかき立てる。
とても美しいもの。

Track14.
オルテガの「Pues que me tienes, Miguel」。
(あなたには私がいます、ミゲル、)

「伝統的なメロディによる
カスティーリャの愛の歌の好例で、
対位法的、ホモフォニー的に作曲され、
ルネサンス期の宮廷の好みを示す。」

ちょこまかと早口で動いたり、
しっとり聞かせたり、変化の多い曲想。
小粋な若妻の歌であろうか。

Track15.「Madre, la mi madre」。
(お母さん、私のお母さん)
「これはセルバンテスの喜劇、
「エントレテニーダ」でトレンテが言及するもの。
この有名な歌は、
Pedro Rimonteが1614年に作曲したもので、
伝統的なメロディの2部のリフレインを持つ。」

これは、抑揚のあるメロディと、
ぽつりぽつりと朗唱風の部分が交錯するもの。
いかにも、口上を述べるようで、
スペイン的なからっとした、
「mas si yo no me guardo」のリフレインが繰り返される。

Track16以下は、
「歌と鐘のダンス」とあるが、
手拍子やカスタネットを含む様々な打楽器を伴う、
激しいリズムの曲が8曲並ぶ。
これらは、フォリア、バイレ、ヤカラス、
チャコーナなどと題されており、
以下の解説が役に立つ。

「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。
『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。
多くの『villano』(カントリー・ダンス)の
様々な変形もまた、
セルバンテスの作品から考えるに、
宮廷で洗練された。
『フォリア』(言うなれば狂騒舞曲)は、
『ザラバンダ』、『セグイディーリャ』、
『チャコーナ』などと同様、
当時、非常に荒々しい踊りであったが、
(セグイディーリャはすぐに忘れられたが、)
17世紀を通じて、
ほとんど全欧で流行した時には、
よりゆっくりと穏やかなものとなっていた。」

ということで、
私が前に、ヌリア・リアルが歌ったCDで聴いて、
スペイン風だと喜んだのは、
すべて、こうした舞曲の類だと分かった。

おそらく、その中には、
宮中では聴く事が禁じられ、
民衆のみが楽しんでいたものもあろう。
そうしたものを姫が、
何かの機会に耳にした事もあろう。

むしろ、そうした粗野なものにこそ、
大きな誘惑が隠れているであろうし、
異郷の地で、思い出さずには、
いられないものになった可能性もあろう。

夜な夜な、窓の下で、
甘いセレナードを奏でられた「皿洗い娘」に、
マルガリータ王女の姿が重なる。

Track16.
オルティスの「フォリア8番」。
「ディエゴ・オルティスが1553年の曲集には、
オスティナート・バス上の変奏の例がいくつかあるが、
このリチェルカーダは、有名なフォリアによるもの。
チャコーナやサラバンデを除くと、
セルバンテスの時代、
フォリアは最もよく知られ、
ポピュラーなダンス形式であった。」

オルティスのこの曲集は、サヴァールは、
別に、コープマンらと再録音を残している。

フォリアとは思えぬ、
風格のある印象深いガンバ曲で、
ガンバ奏者であるサヴァールにとって、
特別な作曲家であるのかもしれない。

Track17.
マテオ・フレッチャの「La Gerigonza」。
彼のエンサラーダに含まれる有名な曲で、
赤ちゃんのガラガラ遊具を模して、
手拍子や指鳴らしを含む楽しいもの。
有名すぎて、スペイン各地から楽譜が見つかるらしい。

リアルのCD(グロッサ)にも入っていた。
ヌリア・リアルのものは、
オカリナだかリコーダだか鄙びた笛や、
まさしくガラガラのようなものが入っていて、
軽快に鮮やかに二重唱で歌われているが、
サヴァール盤は、よりモノトーンで、
フィゲーラスの独唱を手拍子と、
ギター、ガンバなどが支えている。

歌詞を見ると、「悪魔のもとへ」
「ペテン師」などの単語。
ちなみに「がらがら」は魔除けである。

Track18.
マーティン・イ・コルの「El Villano(農民ダンス)」。
17世紀風の即興を交えて演奏される、
1708年の曲集より。
セルバンテス時代にあった確証はないようだが、
考察の上、ここに収録された。

ここで笛やヴァイオリンが登場。
太鼓も聞こえて楽しい踊りである。

Track19.「セギディーリャ、De tu vista celoso」
(嫉妬深いあなたの眼)
この曲種はセルバンテス時代に先端であったが、
すぐにすたれたものらしい。
作者不詳のもので、1600年頃の曲集より。
ドン・キホーテで、セギディーリャは言及されているらしい。

ここでも、フィゲーラスが、
一心不乱に歌っているが、
激しいアタックを伴う伴奏が煽り立て、
題名にふさわしく劇的な情景なのであろう、
気の毒なほど、声をふり絞っている。

Track20.
アントニオ・デ・サンタ・クルーズの「ヤカラス」。
物憂いまとわりつくようなメロディを、
一人、ギターが弾奏し、
カスタネットも鮮やかな、
いかにもスペインのお国もので、
ステレオ効果が面白い。

解説も興味深く、
「こそ泥や悪党がはびこる『裏社会』から、
おそらく出てきたものと思われ、
当時、いわゆるピカレスク小説が表現したような、
特にアンダルシアなど、
スペインにおけるある種の流れ者の社会集団のもの」
などと差別用語を列挙してある。

Track21.マテオ・ロメオ「フォリア」。
歌がついていて、
「A la dulce risa del alva」
(暁の甘いほほえみ)
という歌いだし。
「フォリアは文字通り荒々しい舞曲だったが、
チャコーナやサラバンデ同様、
17世紀を通じて落ち着いたものになって、
1700年頃にはゆっくりとしたダンスになっていた。」

このトラック収録曲でも、
「その様子がうかがえる」とあるが、
何か特別な打楽器が打ち鳴らす
特徴的なリズムが目立つものの、
フォリアとは思えない小粋な歌曲。

Track22.マーティン・イ・コルの
「Danza del hacha(斧のダンス)」。
「この宮廷舞曲は15世紀から知られていたが、
17世紀、18世紀になっても踊られていたもの。
このディスクのためには、
17世紀風であるという考察から、
1708年のマーティン・イ・コルのものを使用。
16世紀に流行したロマネスカの一種。」

これも、いかにもルネサンスの舞曲集、
などに登場しそうな素朴だが、
それなりに、古雅で格調も高いもの。
非常に控えめなもので、
最後の「チャコーナ」を盛り上げるようになっている。

Track23.
アラーネスの「チャコーナ」で、
このCDは閉じられている。

サヴァール自身が書いた解説は、
次のように閉じられる。

「セルバンテスの時代の世俗音楽の
魅惑的な多様性を概観するべく、
この偉大な作家の作品における重要作品から、
その音楽的クオリティや歴史的重要さ
という理由のみならず、
その洗練されたパワーや
代表的な性格を理由に選曲した。
300年以上前に作られた音楽では、
容易ではない事でもあり、
これらの曲の演奏については、
当時の典型的なものから、
歴史的、技術的、形式的要素について、
異なる取り扱いを行った。
これらのロマンセ、歌と踊りが、
古の人々の魂の表現であった
という事実を考えると、
これを歴史的出来事としてではなく、
無比の音楽の反映や結晶化として、
現代の我々が体験し、理解できるような、
永続的な表現になっているか、
これらは基本的な問題となる。」

このような、様々な思考と趣向を凝らして
出て来たレコードであるから、
これまでのような寄せ集め商品からは得られない
充足感を感じずにはいられない。

なお、このCDは、のちに、ヴァージン・レーベルで、
ものすごく廉価な寄せ集めCDとなって出回っているが、
それには、このような解説はない。
私は、解説が読みたくて買いなおした。

得られた事:
「岩波文庫にある『セルバンテス短編集』を片手に、サヴァールのCDは楽しむべし。」
「特に、『麗しき皿洗い娘』を読むと、この理想化された娘がまとう雰囲気も手伝って、詩情豊かに、当時の音楽や風俗に思いを馳せることができる。」
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by franz310 | 2016-05-03 23:11 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その436

b0083728_16483338.jpg個人的経験:
はからずも、
スペイン古楽の大御所たち、
サヴァールとモレーノ
のアンソロジーのCDを
続けて聴いてしまったが、
残念ながら、
いずれも寄せ集め的で、
スペイン音楽に対する解説は、
十分とは言えなかった。
これらの元になった、
CDも聴いてみたいものだ。


前回聴いた、グロッサ・レーベルの、
ホセ・ミゲル・モレーノの演奏、
ヌリア・リアルの歌ったCDでは、
「Jacaras」や、
チャコーナ「素敵な人生」が
いかにもスペインのエネルギーという感じだった。

私が不案内だっただけのようで、
この業界では、これらの曲は有名な模様。

「Jacaras」は、
サヴァールのアンソロジーのCDでも、
収録されていて、
「素敵な人生」も、サヴァールは、
「セルバンテス時代の歌と踊り」という、
大昔の録音(1977、EMIエレクトローラ)で、
締めくくりの楽曲として使っていた。

今回取り上げたCD、
「チャコーナ」や「ヤカラス」とは、
いったい何なのだ、
ということが取り上げられているのもうれしい。

さて、前述のように「ドン・キホーテ」という
世界文学の傑作で知られるセルバンテスだが、
「レパントの海戦」に従軍しているから、
フェリペ二世の時代の人で
1547年生まれなので、
マルガリータ王女より100年前の人である。

フェリペ二世といえば、
「黄金時代」を築いた苛烈な君主というイメージで、
このセルバンテスをタイトルに飾るCDに、
この「素敵な人生」が入っているのは、
少々、違和感を感じないでもない。

が、確かに、「ドン・キホーテ」も、
フェリペ二世とのつながりなどが、
あるようにも見えないのだが。

このCD解説、
そのあたりの事から書き起こしているのも、
歴史観を検証する上でも、
音楽史を概観する上でもありがたい。
マルガリータ王女が生まれ育った国を、
少し前の時代から俯瞰しても良いだろう。

表紙はヒエロニムス・ボス風。
割れた卵が意味深で、真珠がこぼれ落ちている。
これがスペインやセルバンテスと、
どう関係するのかは不明。

前回聴いたリアルが歌う、
ホセ・ミゲル・モレーノのCDは、
アンソロジーもので、
元の企画が、
「《ドン=キホーテ》のための音楽」
(ロマンス・歌曲・器楽による小品集)
というものだったから、
セルバンテスのCDと重なりある収録となっても
おかしくはないのであろう。

このCDは、「歌と踊り」という事で、
いわば、「歌」を担当するサヴァールの
演奏家としての立ち位置とは別の観点で、
このCDには、さらなる解説がある。
それは、Ursula Vencesという人が書いたもので、
いわば、「踊り」の方を担当した解説のようだ。

「スペインでおそらく最も有名な詩人、
不滅の『ドン・キホーテ』の作者、
ミゲル・デ・セルバンテスの時代は、
文化的にも政治的にもスペインの黄金時代であった。
厳格で禁欲的なハプスブルクの王様、
フェリペ2世の治世で、
欧州では宗教戦争、
特にトルコなどでは異教との戦いに明け暮れた。
スペインに、再度、地中海支配を保証した、
有名なレパントの海戦(1571)によって、
詩人で兵士であったセルバンテスは左手を失う。」

このように、このCDは、
言い換えると、
セルバンテスの名を借りた、
「スペイン黄金時代の歌と踊り」
という内容になることが分かる。

「宗教上の論争では、
スペインは異端裁判で対応し、
信仰や文学に厳しく目を光らせていた。
この時期、サンタ・テレサ・デ・ヘススや、
サン・フアン・デ・ラ・クルスなど、
深い宗教的信仰の欠如した
有名なスペイン神秘文学が現れた。」

さすが、絶頂期ということで、
セルバンテスのような普遍的なものも現れた一方で、
日本では知られていないような、
独特のものも多数花開いたことが分かる。

「この時代は、同時にスペインが領土を大きく拡張し、
巨大な富が海外植民地から流入、
しかし、一部の豪華だが無駄な装飾の多い、
壮麗なカテドラルや宮廷以外は、
下層階級のみならず、
(ピカレスク小説にあるように)
手仕事を見下すがゆえに、
生活を擦切らしていた
ジェントリー階級にも
非常な貧困がはびこっていた。」

このCD解説のこの部分もなかなか味わい深い。
いわば、文化的な労働観などが、
なんと、セルバンテスや、
その時代の音楽と関連付けて語られるなど、
あまりにも思いがけない展開ではないか。

「これが、セルバンテス時代の
公式のスペインである。
マドリッドに対して、
不毛の高地に設けられた、
フェリペ2世が創建して住んだ、
宮廷兼修道院、
エスコリアルの建設に、
こうした事は反映されている。
しかし、こうした、いささか厳しい
スペイン描写に対し、
もう一つの快活で
人懐っこいスペインを、
その様式や習慣、
その踊りや歌と共に忘れるのは
不完全なことである。
セルバンテスは、かつて、
『踊り手になるべくして生まれない
スペイン女はいない』と言った。
そして、ドン・キホーテの第2巻でも、
宮廷の女性たちのダンス狂いについて、
明確なイメージを与えてくれている。
彼女らは、騎士がホールの真ん中で、
座り込むまで、その回りを回り、
疲れ切って忘れがたいため息を残す。
『Fugite,partes adversae』」

これは、「聖アントニオの要約」とされるもので、
邪悪な誘惑から逃れる
「敵どもよ、去れ」という意味の
お呪いらしい。

どうやら、この舞踏は、
恐ろしい誘惑の悪魔が宿るようだ。

確かに、「フォリア」などは、
「狂気の」「ばかげた」
という意味から来た舞曲だと言われている。

サンチョ・パンサが言った言葉とは異なり、
実際、悪魔が宿るような音楽もあったはずであり、
岩波文庫にある、セルバンテスの「短編」でも、
音楽は、むしろ、悪用されていたりする。

「貴族の間での最も人気あるダンスは、
アルマーナとガラルダで、
ダンスというより、
気品あるステップで、
器楽の音色に合わせ、
紳士は手袋やハンカチで淑女を誘う。
人気のあったダンスでは、
カスタネットで伴奏される
生き生きとしたbaileが流行り、
比喩的な厳かなダンスにどんどん置き換わっていった。
最も典型的なダンスは、
一人で踊るカポニアや、
狂ったようなテンポと
生き生きとした身振りが特徴的な
ラストレアドがあった。」

後述のサヴァールの解説も、
楽器名で頭がくらくらするのだが、
ウルズラ・ベンチェスの解説でも、
踊りの名前の列挙が頭の思考を停止せしめる。

このような解説が、はたして、
このCDの鑑賞に意味があるのか、
だんだん分からなくなってきたが、
ヤカラスやチャコーナも、
セルバンテスの小説を読む以上に、
詳しく出てくるのだろうか。

さて、CD解説を読み解くと、
「セルバンテスの小説、
『やきもちやきのエストレマドゥーラ人』
にあるように、
サラバンドの『悪魔的な響き』は、
何か新しいとあるように、
最新の流行についての記述に、
多くのインクが使われている。」
と続くが、
確かに、「聖なる主題を扱ったサラバンダ」
という記述がある。

サラバンドは、野卑にすぎるということで、
16世紀末にスペインでは禁止になったとも聞く。
セルバンテス一流の皮肉かもしれない。

「他のレポートによると、
これは、1588年に、
悪名高いセビーリャの女性が発明したらしい。
ザラバンダは一般には、愛と風刺の滑稽な歌を伴奏に、
婚礼や同様の儀式で踊られるものであった。
カスタネット、ギター、タンバリン、
タンブラン、バグパイプが、
最も重要な伴奏楽器であった。」

このような解説からも、
おそらく、この演奏もまた、
こうした資料を根拠に編成されて、
演奏されているものであると類推できる。

「danza de cascabeles(鈴の踊り)
は、くるぶしに小さな鈴が付けられた。
他のダンス、例えば遍歴の学生によって、
フォリアが踊られ、
『セギュディーリャ』や『セラニラス』は、
同名の歌詞によるものである。
これらの踊りの他に、
無数の形式のダンスが記録されているが、
これらは、おそらく流行による
自発的な変形例だったと思われる。」

この解説者は、踊りの専門家なのであろうか。
まだまだ、ダンスの話は続く。

「すべての教会でのお祭りでもまた、
ダンスをする機会があった。
人々は教会内でも踊り、
祭壇の前でも踊った。
このように、祝祭は、
その祝典性、幸福な性格を帯びて行った。
例えば、セルバンテスの
同名の短編に出てくる
『小さなジプシー娘』のように、
神聖なビリャンシーコ、
聖なる舞踏の歌を、
聖アンの絵の前で、
カスタネットや鈴をつけて
踊らなければならなかった。
さらに、数え切れないほどの、
守護聖人を讃える
列聖式、列福式や、
聖遺物の遷移や修道院や教会の叙階式、
特に毎年の聖体祝日のお祭りは、
しばしば熱狂的な踊りで中断され、
祝砲やファンファーレがあって、
器楽と聖歌が繰り返された。」

かなり、宗教行事としては俗っぽいが、
そうでもしないと、
こうした異教も混ざり合う地域では、
信徒を集める事が出来なかったのかもしれない。

「これらのソロのダンスの他、
同業組合の群舞や職業群舞もあった。
絹織物職人は『danza de los palillos』を踊り、
それは、色のリボンが付いた、
小さな棒を持つものだった。
『danza del cordon』では、
各16人の踊り手が、
17番目の踊り手が持つ、
中央を花で飾ったロッドに繋いだ
色のリボンで円形をなして踊るものだった。
戦いの真似を含む剣舞、
『danza de las espedas』もあった。」

どんちゃん騒ぎの描写ばかりが続くようだが、
これがまた、色鮮やかな情景が、
目の前に展開されるような感じもする。

それにしても、人間本来の表現手段の一つとして、
これほどまでに踊りが重要であったのか、
という事実までを考えさせられる。
限りなく完全に、
現代では失われてしまった文化かもしれない。

「装飾的な衣装による踊りも人気があった。
ムーア人支配からの解放などの、
国のイベントでは、そうした振り付けもあった。
最後に大事な事を述べると、
群舞の中には、単に楽しいものだけではなく、
教訓的な寓意ダンスもあった。
ハプスブルク王朝時代の
舞踊での中世スペイン芸術は、
まだ、この地域が発展途上でもあり、
アラブの習慣や伝統に影響を受けていたに違いない。
それにしても、イギリスのモリス・ダンスは、
いかにスペインのムーア人の踊りが、
はるか北に伝わり、
発展したかを示している。」

なるほど、スペインの特殊性が、
こうしたムーア人からの政治的独立と、
文化的癒着の狭間で育まれた、
というのも、妙に納得できるではないか。

このようにして、
教会でさえ演じられる、
スペイン舞曲の多様性、特殊性が語られたが、
それだけで終わるものではない。

「スペインのコメディアは」とはじまる部分が続くのである。
「黄金時代、人気のあった劇場は、
ダンスが挟まっていた。」

当然、神聖な場所でも踊られるのであるから、
こうした楽しい場所でも、
ダンスは盛んであったと想像できる。

「ある種の専門家の意見によると、
スペインの演劇のアトラクションの中心で、
民族舞踊が実際に使われた。
これらの舞曲の騒がしさ熱狂性は事実、
劇場をめちゃくちゃにするほどで、
こうした事が禁止される理由にもなった。
最後に、コメディアからのダンスは、
バレに発展し、
独立した劇的な舞踊演目となった。
これは、一種の幕間劇で、
一部または、全部に歌があった。
ダンスは、歌や音響と離れることはなく、
民族音楽はほとんどが歌と踊りが一緒のものである。
ギターは最もポピュラーな国民楽器、
民族楽器で、沢山の短い詩歌に作曲された。
ギターの他に、ハープ、マンドリン、
タンバリン、バグパイプが
もっとも人気のある楽器であった。
作曲家は、教会の歌手であったり、
合唱長であったり、
宮廷の室内楽演奏家であったりしたが、
とりわけ、ゴゴラ、ローペ・デ・ベーガ、
クエヴェド、フィグエロアなど
有名な詩人や無名の詩人の詩に、
ロマンセ、セギュディーリャ、ノヴェナス、
セスティーネ、カンショネス、デシマスなどの
音楽をつけた。」

こうした研究は、
いかにも見てきたように語られているが、
それが、どういう根拠かを教えてくれるのが、
以下の記載で、なるほどと思わせる。

「現在、ミュンヘンの州立図書館にある、
ドイツの王子がスペインから故郷に持ち帰った
1624年10月から1625年3月に
クラウディオ・デ・ラ・サブノナーラ
によって、
ウォルフガング・ウィルヘルム・フォン・ノイブルク
のために編纂された高価な楽譜によると、
良く知られたコミック・ソングやラブ・ソングは、
宮廷や中流階級の家庭のみならず、
路上でも歌われ、演奏された。」

当時の地域を超えた交流の中で、
各地域の特性というものが紹介され、
伝わっていったのだろうが、
こうしたドキュメント類は、
現代に向けた重要レポートにもなっている、
ということであろう。

「一般的なダンス・ソング形式は、
16世紀初期から用いられていることが記録され、
その人気の高まりが分かる。
セルバンテスの短編、
『麗しき皿洗いの娘』は完璧な例であって、
ここでは古典的なソネットが、
ハープ、ビウエラの伴奏で歌われ、
典型的な歌による表現である、
バラードのスペイン系であるロマンセを、
プロの音楽家が歌い、
自発的にダンスが起こっている。
当時の宮廷音楽と同様、
ダンスと歌と器楽が一緒になって、
相互作用として理解することが出来るのである。」

さて、このCDの解説の半分は、
演奏、指揮しているサヴァール自身が、
自ら認めている部分であって、
これがまた、恐ろしい博学ぶりを披歴したもの。
音楽と文学をクロスオーバーして、
非常にスリリングである。

「16世紀、17世紀のスペイン音楽では、
ミゲル・デ・セルバンテスは、
スペイン人の音楽嗜好、生活を考察するのに、
無尽蔵な源泉となっている。
ドン・キホーテのみならず、
「やきもち焼きのエストレマドゥーラ人」、
「ジプシー娘」、「麗しき皿洗い娘」など、
彼の作品の多くにおいて、
音楽が基本的な要素となっていて、
とりわけ、喜劇や幕間劇において、
各要素が異なるシーンと関連付けられている。
セルバンテスは、音楽で多くの部分を際立たせている。」

「ドン・キホーテ」しか知られていない
セルバンテスであるが、
これらのいくつかは岩波文庫で読める。

さて、このCDの内容であるが、
Track1.に収録された、
「La perra mora」
からして、
実は、どう解釈してよいかわからない、
悩ましい表題のものだ。

CDの曲目別解説部によると、
「このダンスは、彼の小説『麗しき皿洗い娘』で、
チャコーナ、サラバンダ、ペサメ・デーロと一緒に
セルバンテスによって述べられているものである」
とあるから、
岩波文庫を見てみると、
若者が歌う歌に、こんな風に出てきていた。

「やんごとなきあの婦人も
心浮き立つサラバンダ踊り、
さらに、流行りのペサメ踊りや
ペーラ・モーラ踊りに誘われて」

ということで、
サラバンダ、サラバンド並みにやばい踊りだったと、
推測することができる。

翻訳した牛島信明氏も、
「La perra mora」
をそのまま、カタカナにしただけであった。

さらに、曲目解説では、
マドリッドの北東の街にある、
「メディナセリ図書館に手稿として所蔵の
ペドロ・ゲレーロによるバージョンで、
5/2拍子、複雑な四声のリズミカルな構造のもの。
テキストは不完全で以下の部分のみが残っている。」
とされている。

「Di perra mora
di, matadora
por que me matas
y, siendo tuyo
tan mal me tratas?」

そもそも、このCDでも歌はないようで、
異教的な太鼓のリズムに、
弦楽やら撥弦楽器が絡まり合って、
エキゾチックな雰囲気を漂わせていく。

サヴァールの解説にも、
「セルバンテスは当時流行した、
フォークダンスや宮廷舞踏も
よく記載しており、
それらの中でも、
『folia』、『canarie』、『chacona』、
『gallarda』、『jacara』、『moresca』、
『seguidella』、『villano』、『zarabanda』、
そして、『perra mora』など。」
とセルバンテスが、
様々な踊りを取り上げたことを力説し、
最後にこの「ペーラ・モーラ」を持ってきて、
「『Perra mora』は舞曲名で、
最初に踊られた時のテキストの
最初の言葉から取られ、
後の変形判で使われた。」
と結んでいる。

Track2.
ピサドール作曲「アビンダラーエスのロマンセ」
もまた、この岩波文庫の短編で、
色男の兄ちゃんが、
「なにしろおいらは、
モーロ人アビンダラーエスと
美姫ハリーファの恋を歌ったやつや、
アレクサンドリアの名将
トムンベーヨの偉業を称えたものなら
ひとつ残らず知ってる」
と言っているもののひとつであろう。

しばらく前に亡くなった、
フィゲーラスの声が聴けるが、
かなり、朴訥なもので素朴な民謡風。
どんぶらこどんぶらこ、
どっこいしょどこいしょと、
とても、美しい姫が出てくる歌とは思えない。

曲目別解説では、
「アビンダラーエスとハリーファのロマンスは、
広く知られていて、1ダース以上の版が残っている。
あるものは史実に基づき、あるものは小説由来である。
ここでは、1552年のディエゴ・ピサドールのもの」
とある。

Track3.
ムダーラのファンタジアとガリャルド。
素朴でスペイン的なビウエラの独奏。

Track4.
バスケスの「モーロの王のロマンセ」。
もの悲しい、フィゲーラスの歌。
急襲を受け、グラナダの領地を失った王様の悲歌。

Track5.
フォルクローレ風に笛が吹かれる、
「Cancionero de Palacio」
に基づく器楽曲。

以上は、セルバンテスとの関係は不明。

Track6.
ムダーラのロマンセ、「クラーロス伯爵」。
ビウエラ独奏曲。
ドン・キホーテで、
この歌の最初のフレーズが出てくるらしいが、
「クラーロス伯爵」の歌が収められているわけではない。
ムダーラが有名すぎて、元が何なのか分からない。

ヒスパ・ヴォックスから出ていた、
スペイン古楽集成の「ビウエラの音楽家たち」
のCDにも、ムダーラ作曲のものと、
ナルバエスのものが、
「クラーロス伯爵、ディフェレンシアス」として、
収録されていた。

ここの解説でも、「よく知られていたロマンセ」の主題、
とあるだけで、それ以上の情報はない。

Track7.バスケス作曲の
「ドン・ベルトランのロマンセ」は、
このドン・キホーテに関係するものらしい。

これは、778年のロンスヴァルの戦いに関するもので、
16世紀には、非常に知られていたものだ、
という理由で、ここに収められた模様。
「死が私を捉える」という、フィゲーラスの悲しげな歌。

しかし、ドン・キホーテが、昔の騎士の時代に憧れ、
時代錯誤に陥っていたという状況設定は、
こうしたシャルルマーニュ時代の物語が、
親しまれていた、ということであろうか。

Track8.
Track9.
これらはヴィオラ・ダ・ガンバの合奏曲で、
深々とした響きが、悲しげな雰囲気である。
ルイ・ヴェネガスが書いた変奏曲。
ロマンセによる。
これも、ドン・キホーテが、
高尚な気分に浸りたくなるような音楽かもしれぬ。

Track10.
ゲレーロのマドリガル、「Dexo la venda」
田園詩で、恋愛を歌ったものらしいが、
とても簡素ですがすがしいもの。
詩と器楽の発展が、微妙な調和を育んだ、
初期の例として、サヴァールは取り上げた模様。
清潔感のある器楽伴奏もフィゲーラスの声も小粋である。

この曲もセルバンテスとの関係は不明であるが、
こうした曲も入れないと、
セルバンテスの時代は、どんちゃん騒ぎか、
悲痛な音楽ばかりだと錯覚してしまうところだった。

歌詞は、Balthasar de Alcazarによるとあるが、
これも何者か、私にはわからない。
ゲレーロはむしろ宗教曲で有名な作曲家だが、
シューベルトの死の年のちょうど300年前に生まれている。

このCD、まだまだ、続きがあるが、
今回は、このくらいで終わりにする。

得られた事:
「スペインのダンスは、ムーア人支配からの解放の祝典などで発展し、宗教的な場でありながら、どんちゃん騒ぎを伴うという奇抜な独自性を誇った。」
「シューベルトの300年前の作曲家ゲレーロは、早くも歌と器楽部展開の調和を模索した歌曲(マドリガル)を書いている。」
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by franz310 | 2016-04-16 16:50 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その435

b0083728_1954211.jpg個人的経験:
長らく異教の文化が
根付いていたせいか、
山脈に隔てられ、
乾いた山岳地帯からなる
地域的な特殊性ゆえか、
あるいは、植民地からの
異文化の流入もあってか、
スペインの音楽は、
いつの時代にも
個性的であったようだ。
何世紀にもわたる音楽が、
一つのレコードに刻まれても、
それほど違和感がないようだ。


昔、愛聴したLPには、
イエペスが録音した、
「スペインのギター音楽」の2枚があり、
そこにはルネサンスのムダーラから、
現代のピポーまで、
数百年にわたる音楽が収められていても、
なんら違和感を感じることはなかった。

テレサ・ベルガンサの録音した、
「ベルガンサ・スペインを歌う」も、
同様の趣向だった。

ひょっとすると、
古い時代のギターの一種、
ビウエラの鄙びた音色が、
この国の乾いた空気や、
光と影の交錯する風土に、
あまりにもマッチしていたからだろうか。

音楽が豪華になり、複雑なポリフォニーや、
通奏低音の時代を変遷しながらも、
この素朴な弦の弾む音の連なりに、
人々の心は、常に回帰していたのかもしれない。

そこに、さらに、そこに人の声が重なれば、
もう、十分にスペインの揺りかごが描かれる、
ということなのかもしれない。

人気のスペインの歌姫、
ヌリア・リアルが、
「The Spanish Album」という2枚組CDを
グロッサ・レーベルから出しているが、
これもまた、そうした特色に根差したもので、
ルネサンスからバロックを貫く特集となっている。

スペイン系ハプスブルク家の最後の花、
ともいうべき、
マルガリータ王女が、
嫁いでからも聴きたがった、
スペインの音楽とは、
いったい、どんな音楽だったのか。

今回のCDは、絵画ではないが、
マルガリータ王女同様に若々しい
女性の肖像の表紙。
これを聴けば、何かヒントがあるだろうか。

ホセ・ミゲル・モレーノが前半はギターで伴奏し、
CD1は、「ルネサンス時代の音楽」、
同じ人が指揮もしての、
「ルネサンス&初期バロックの音楽」が、
CD2の前半を占め、
さらに、エミリオ・モレーノが
ヴァイオリンと指揮をして、
「後期バロック時代の音楽」として、
コルセッリという人の作品のみを取り上げ、
CD後半を埋めている。

帯に、「ポートレート・シリーズ第1弾」
と書かれていたので、
しばらく前の事だが、購入する際にも、
何か寄せ集めのCDだとは思っていた。

しかし、表紙が素敵なので購入だけはしておいた。

そもそも1999年から2004年の間に録音され、
それから何年も経った2011年に出たものなので、
このことからも、
どう考えてもいかがわしいと思っていたのだが。

今回、こうした機会に、再び取り出して、
よくよく調べてみた。

以下、それで分かった事実と不満を並べる。
やはり、リアル無名時代に一度出したものを、
彼女の容姿を前面にして出し直したのののようだ。

中のブックレットを見ても、
どの部分が、いつどこで録音されたのかも分からず、
まったく、製作の意図が読み取れないのが不安だが、
この手の商売は、常にこうした措置が取られがち。

もっと言うと、歌詞は付いているが、
スペイン語だけなのが痺れる。
というか、曲目からしてよく解らない。
2枚にして、廉価にしたから、
省いても、何が悪いか、という乗りなのだろう。

「ポートレート・シリーズ第1弾」
などと、声高に宣伝するほどの内容なのか、
さっぱりわからない。

という感じで、やはり、
腰を据えた仕事でないような感じが気になるが、
気を取り直して、ここからも、
何か学ぶものを探してみたい。

あれこれやって見つけた、
グロッサのホームページは、
二番煎じであるにもかかわらず、
商品紹介がそこそこ凝っているので、
このあたりから解読してみよう。

「ここ十年ほどで、スペインから、
新世代の声楽家たちの存在が花開き、
その多くが古楽の分野を得意としています。
この一連の流れの先頭に立つのが、
ソプラノのヌリア・リアルで、
感情的な魅惑の中に、
甘さと親密さを併せ持ち、
純粋、かつ、説得力に恵まれています。
近年、リアルは、
ペルゴレージや、
多くのイタリアの1600年代の音楽に加え、
バッハ、ヘンデル、モーツァルト、
ハイドンなど、続く時代の音楽に挑んでいます。
この新しいグロッサのアルバムでは、
時間を遡り、
バーゼルの音楽アカデミーで研鑽した直後の、
このカタロニアのソプラノの
若々しい声を捉えた録音を集めました。」

リアルは1975年生まれであるから、
確かに、1999年は24歳の年、
全体として20代の声を集めたとなれば、
若くして亡くなった皇女であり、王妃である人を、
偲ぶには悪くないかもしれない。

スペインのマルガリータ王女は、
嫁ぎ先のヴィーンで、
わずか22歳で亡くなっているのだ。

また、その後、大レーベルに移って、
ヒットを飛ばす前の、
無垢の時代の歌手の肖像というのも興味深い。

解説は、以下のように続く。

「この録音の中で、ホセ・ミゲル・モレーノの、
アンサンブル・オルフェニカ・リラと共に、
リアルは、単に輝かしい声の美しさをアピールするだけでなく、
様々な撥弦楽器の巨匠、モレーノが与える
ルネサンス期からバロック期までの
スペイン音楽のニュアンスに深い理解を感じさせています。
ムダーラ(Mudarra)、ピザドール(Pisador)、
フェンリャーナ(Fuenllana)やダサ(Daça).
のような音楽が持つエモーショナルな情感を、
リアルは、直観的に捉え、
技能と喜びを持って、表しています。」

ムダーラといえば、
イエペスやベルガンサの録音でも
取り上げられている作曲家。
が、他の人々はぴんとこない。

「また、不当な評価を受けている、
ピアツェンツァ生まれの作曲家、
フランシスコ・コルセッリの
一連のスペイン語の音楽に、
リアルはもう一人のグロッサの強力な布陣、
エミリオ・モレーノと、
彼のエル・コンチェルト・エスパニョーレと共に、
心から共感しています。」

このコルセッリは、1705年生まれ。
イタリア人ながら、
マドリッドの宮廷礼拝堂の音楽監督を務めた人らしい。
スペインのハプスブルク家は滅びた後の話になる。

ちなみに、
このギターとヴァイオリンの両モレーノは兄弟で、
このレーベルの創設メンバーであり、
いささか自画自賛調なのが気になる。
録音や演奏は申す分ないので、
まあ、いいのだが。

「ヌリア・リアルの
官能的な解釈によって、
古い時代のスペイン音楽の豊穣さが、
強烈に想起させされ、
快く再現されています。」

以上が、広告の能書きだが、
いちおう、そそらせる内容である。

CDの中に入っているブックレットは、
Javier Palacioという人が書いた、
やはりヌリア・リアル賛みたいな感じ。

「『人類、有史以来、
自然に獲得された歌唱様式は、
一度も採用されなくなった事はなかった。
平地では農夫が、
森を抜け、山に羊の群れを御する羊飼いたちが、
その退屈を紛らわすために自然に歌を口ずさんだ。
その恐ろしい苦役を、胸の中から晴らすように。
男と女が創造され、我々の時代に至るまで、
人間はこのように歌いつづけて来たのである。
このような歌唱は、彼らが死に耐えるまで、
世界が終わるまで、なくなることはないだろう。』
修辞的、誇張された華美なものを取り去った
歌い方の要請に関するこれらの言葉は、
(『Dialogo della musica antica e della moderna』
という16世紀の専門書を書いた、
ヴィンツェンツォ・ガイレイによる)
今日にまで、その残響が届くように感じられる。
よく知られているように、
事実、ここ何年か、幸いなことに、
洗練され研究された音楽の世界は、
より自然なデクラメーション、
クリアで自発的なアクセントと共に、
ルネサンス期やバロック期からの
流行歌や詠唱の
古い時代の歌唱様式を再発見している。
それは新鮮で溢れるような活気に満ちている。」

ということで、
ベルガンサやローレンガーのような、
オペラ歌手で親しんできた、
これら古い時代のスペイン歌曲は、
今や、オリジナル楽器的なアプローチで、
聴き直す必要があるらしい。

「古典期、ロマン派時代の声楽の様式は、
その時代に作られた壮大な音楽用に相応しいように、
古い時代の音楽のためには限界があり、
それは、優美さ、単純さ、エレガンスに欠け、
投影図のようなものにすぎなくなっている。
演奏家、器楽奏者、歌い手は、
水晶のように澄んだソノリティー、
重々しさや、わざとらしさから
表現を解放することを追及し、
過ぎ去った世紀の演奏様式を
研究し、学び、再発見しようとしている。
しかし、ある種の演奏家にとっては、
こうしたプロセスは苦痛を要するものではなく、
最初から、恵まれた声と特別な直観で、
最も繊細な感情の鍵盤を奏でることが出来る。
ヌリア・リアルは、こんな歌手だ。
このカタロニアのソプラノの武器は、
素晴らしいパレットの音色の広がりを、
光沢を持って歌える声であり、
わざとらしさのないデクラメーションから、
さらに印象深い芸術的成果を生みだせ、
甘く、暖かく、それでいて親密である。」

なかなか、スペインの音楽の話にならないが、
おそらく、「ポートレート・シリーズ」なので、
この歌い手の特徴を描き尽すまで終わらないのであろう。

ここまで賞賛されると、
もっと耳を澄ませて聴かないといけない、
という気持ちになってくるのも事実。

同時に、シューベルトの歌曲などは、
どのように歌われるべきか、
などと考えさせられたりもしている。
フィッシャー=ディースカウのような歌手は、
その明晰なドイツ語によって、
歌に革命を起こしたというが、
そうした不自然な芸術性の追求の流れとは、
一線を画しているということだろうか、
などと考えながら読んでいる。

「伝統的なアプローチにとって代わる、
コンサート・プログラムの新しい形や
聴衆の嗜好の変化が進む現代の声楽界で、
聴くものの心に、優しいながら、
様々な刺激と印象を放つ声が、
リアルを、スペイン最強の世界的スターにした。」
とか言う話題は、そろそろ疲れて来たので、
ばっと読み飛ばすとして、
次には、彼女がマンレサで生まれ、
11歳でカタロニアで学び始め、
古楽の専門の学校ではなく、
様々な時代の音楽を学ぶ音楽アカデミーで研鑽を積み、
20歳で室内合唱団とのコラボを始めた、とある。
それから少しして、
ホセ・ミゲル・モレーノと、
フェンラーナ、ムダーラなどの歌曲で、
記念すべき最初の録音を行った、とある。

ここから後は、誰それと共演したとか、
私にはあまり興味のない記述が続く。

事実、CD屋に行くと、リアルの名前は、
ソニーから出ているCDなどで、
すでに十分おなじみになっていて、
こうした情報は、書かれなくても想像できる、
という感じであろうか。

「ヌリア・リアルは、コンサートのステージで、
聴衆と繋がっていることを非常に重視するので、
比較的、レコーディング・スタジオは苦手とする。
それにもかかわらず、
彼女のディスコグラフィに関連した、
重要なルートにそって、
継続的に結果を出して来た。
素晴らしい色彩の新鮮な声の質感や、
集中した活力を披露し、
劇的な対比の形式や様式に満ちた、
16世紀のスペインから、
18世紀に至るまでの旅であった。
これは、前古典派への入場門ともなる
バロック期とルネサンス期を
繋ぐものでもあった。」

1枚目は、かつて、
「スペインのギター音楽第3集『清く澄んだ川』」
として出ていたものらしい。
タイトルはムダーラの曲による。

このディスクについては、
以下のような解説が続く。

「『清く澄んだ川』に、
このソプラノは特別な愛情で接している。
当時の印象的なビウエラ音楽に仕えて、
リアルは、ホセ・ミゲル・モレーノの弦に
優美に伴奏されながら声を添えている。」

オリジナルの企画は、
「スペイン・ギター音楽」という
シリーズだったようなので、
声は、添え物的立場だったかもしれない。

ちなみにこれの第1集、第2集は、
1994年と6年に録音された、
ナルバエス、ミラン、ムダーラから、
ソル、メルツ、タレガ、リョベートに至る、
ギター音楽史なので、リアルは関与していない。

1枚目はかつて出ていたものを、
そのまま出しているので好感度は高い。

「ここでは様々な曲集から音楽を集め、
洗練されたものも、通俗的なものも一緒にした。
衝撃的なリズムのカデンツが、
穏やかで、より内省的なシーケンスに
コントラストを与え、
全てが素晴らしい音響の美しさの中にある。」
と書かれているのも、
オリジナル企画時の方針なのだろう。

1.作者不詳:私に何をお望みですか,
2.ダサ:ファン・パストール、なぜお前はそうした,
3.バスケス:バラのしげみの泉にて,
4.ダサ:異国の地に,
5.フレチャ:可愛い妹テレサよ
6.モラレス:ムーア人はアンテケラから馬に乗って去っていく,
7.ダサ: ブルネットの少女の叫び
8.作者不詳:クラロス伯によるディフェレンシアス
9.ムダーラ:恋人達の嫉妬,
10.ピサドール:夜の闇が訪れ,
11.ムダーラ:イサベルはベルトを無くした,
12.モラレス:ベネディクトゥス
13.ピサドール:エンデチャス,
14.フェンリャーナ:エンデチャス,
15.バルデラーバノ:愛する人よ、どこから来たの
16.ムダーラ:ロマネスカ,
17.ムダーラ:彼らが私を呼べば,
18.ムダーラ:澄みきった清らかな川,
19.ムダーラ:幸せな男
20.バケラス:私のために嘆いてください
21.ピサドール:バプテスマのヨハネの祭日の朝に,
22.フェンリャーナ:ファンタジア,
23.フェンリャーナ:ムーア人の王は散策していた
24.ピサドール:騎士に告げよ

「リアルは、これらのビリャンシーコで、
変奏形式、インタヴォラトゥーラ
(ビウエラにて演奏可能とした初期作品の編曲)に、
各曲の音楽的特徴、情緒的な性格を、また、
コレクションのタイトルにある、
『みずみずしさと明晰さ』の質感を見失う事なく、
親密にしっとりと、また、ある時は、
より敏捷にリズミカルに、
自然に移行する才能を発揮している。」

ここまで書かれると、これに付け加える事はない。
というか、こうやって聴くのか、
という感じさえする。

器楽と声の絡み合いというのは、
タイミングや強弱だけが重要なのではなく、
そこでの躊躇いや気負いなどを
感じさせては駄目なのだなあ、
と考えさせられた。

本当に、「澄み切った清らかな川」のように、
各曲は、香しい大気の中の水音のように流れて行く。
だから、すべてが自然すぎて、
いかに各曲にコントラストがあろうと、
聖歌に浸っているかのような時間経過だ。

24曲をすべて、これはどう、あれはどう、
という感じではなく、
すべてが一続きの小川の水音のようである。

ビウエラの鄙びた乾いた音がまた、
この無垢な印象を際立たせている。
非常に美しいアルバムであるが、
すべて同じ曲に聞こえるような感じもあるので、
タイトルになったTrack.18のみを、
よく聞いてみよう。

寂しげな歌である。
幸い、ベルガンサが歌っている日本盤に、
この曲も入っているので内容は分かる。
が、歌詞が古すぎて、
すべて了解というものではない。

山の中での孤独を歌ったもので、
詩人は、川や鳥や樹木に向かって、
自分の声を聴いてくれと頼む。
と言う内容だが、
それだけ、誰もいない状況なのだ。

ムダーラは、ネット検索すると、
1510年頃生まれ、1580年に亡くなった、
ギター曲を最初に出版した人として知られるという。

残念ながら、
ベルガンサは第1節しか歌っていなかった。

細かいヴィヴラートがかかり、
明らかにリアルとは異なる。
イエペスの伴奏はギターによるもので、
モレーノのビウエラの不思議な音より、
現実味がある音色となっている。

ベルガンサ、イエペスの仕事は1974年のもの。
今、聴き直しても、
録音も、素晴らしく空気感が良い。

改めてよく見ると、
アルフォンソ10世から、
フェンリャーナ、ルイス・ミランなどを組み合わせ、
ほとんど、リアル、モレーノのCDの
コンセプトと同じではないか。

リアルの第3曲、バスケスも、
「バラの木の泉に」というタイトルで、
最後から2番目にベルガンサも楽しげに歌っている。

「泉で乙女と若者が洗っている」という、
微笑ましく、眩しい光景に相応しい。
24歳のリアルの当事者的な
ひたむきな歌唱に対し、
39歳のベルガンサは、余裕の解釈である。

ベルガンサ盤は、濱田滋郎氏のきめ細かい解説で、
ビウエラの音楽家が残した楽曲集を、
ポリフォニー歌曲と並んで、
「ルネサンスのスペイン歌曲が花咲く第二の花園」
だとしている。

氏はビウエラを、「はえぬきの宮廷楽器」、
オルガンと並ぶ「スペイン器楽の粋」と呼んで、
ビウエラ曲集には、独奏曲に交じって、
歌曲が入っていることを教えてくれている。

いずれにせよ、このビウエラ伴奏の歌曲、
という時点で、スペインの音楽には特殊性が十分。
素朴で開放的。
マルガリータ王女が、
音楽はスペインでなくては嫌じゃ、
と言ったとしてもおかしくない、
のかもしれない。

さて、このリアルのCDの2枚目は、
計3枚のアルバムの抜粋である。

その一枚目は、1500年頃に生まれ、
1579年に亡くなった、
フェリペ2世の宮廷の盲目の音楽家、
ミゲル・デ・フェンリャーナの曲集
『オルフェニカ・リラ』(1554)を
特集したCD。
これは、楽団の名称にもなった。

フェンリャーナが編曲した、
様々な作曲家の作品が入っている。
1999年の録音で、18曲入っていたのから、
以下の7曲が選ばれている。

イエペスとベルガンサの名盤でも、
フェンリャーナは取り上げられているが、
重複はなく、比較できず残念である。

このフェンリャーナの曲集は、
濱田氏が書いたビウエラの7つの曲集の一つ、
ということになるのだが、
このリアル盤では、笛や太鼓までが現れる。

解説には、
「16世紀のビウエラ音楽の
異なるコンセプトを提示したかったとある。
基本的にデリケートな精神を、
より幅広く、リッチな編成で演奏しても、
それを打ち消したりすることなく、
むしろ、もっと深く感覚に訴え、
それを増幅する」とある。

1.「La Bonba」は、
メキシコの「ラ・バンバ」と同じなのだろうか。
いかにもの大騒ぎの舞曲。
したがって、
デリケートな精神を、
などと言われてもぴんと来ない。

2.ただ、CD1にも入っていた、
「モーロ人の王は散策していた」で、
ガンバの深々とした音色が添えられて、
非常に深い情感を醸し出している。

これは、モーロ人の王が戦に負けて、
街を出て行く時の悲しい情感を
歌ったものということで、
まさしくスペインならではの情景と情緒である。

3.器楽曲で、オルティスの「おお、幸せな私の目」と、
4.バスケスの歌曲「それは、私を動かしません」は、
簡素な編成で奏され、いにしえに思いを馳せることが出来る。

5.フレッチャの「 La Girigonça」は、二重唱で、
お祭りのどんちゃん騒ぎを思わせる。

6、7.ともに原曲はバスケスで、
共に、控えめな編曲、
「何を使って洗いましょう」は、
貧しい娘の歌で悲しく、
「ポプラの森まで行って来ました、お母さん」
は、あいびきの報告。ロマンティックで優しい。

これらは、ローレンガーにも、
嫋々、朗々と歌った録音がある。
前者を歌ったベルガンサは折り目正しい。

リアル盤は、前奏から雰囲気たっぷりで長く、
リアルも、ぎりぎりまで声を伸ばして、
「この顔をどうやって洗おうか」という、
若い女性の歎きの深さを描き出している。

CD2は、3枚のCDからの寄せ集めと書いたが、
その2枚目は、2005年に出た、
『《ドン・キホーテ》のための音楽
~ロマンス、歌曲、器楽による小品集』
という26曲のアルバムから4曲。

8.ルイス・ミラン: パヴァーヌ VI、
1500年頃に生まれた人なので、
これはバロックではない。

9.作者不詳:Jacaras、
カスタネットと合唱で、
エキゾチックでこれは大変、面白い。

10.作者不詳: 「何とかわいい坊や」は子守唄か。
愛情たっぷりの歌いくち。

11.フアン・アラネス( ~1649)の
チャコーナ「素敵な人生」
1624年頃の作曲とされ、ぎりぎり、
マルガリータ王女の時代に近い、
バロック期のものと言える。

この曲は、ネット検索すると、
古井由紀子(リコーダー、コルネット)
中川洋子(歌、リコーダー)
といった方々によるグループ『葦』
という団体の演奏した
演奏会のチラシがヒットし、
こんな歌詞が分かった。
以下はその引用。

「チャコーナの夜 薔薇の咲く季節
たくさんの秘め事 そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう
アルマダンが結婚するんだ
すばらしい月になる
アナオの娘たちが踊ってる」
という部分までは、
夏の夜の陽気な時候が偲ばれる。

が、
「ミランの孫たちと
ドン・ベルトランの舅と オルフェオの義姉さんは
めくばせをかわし
それでアマゾネスのお話はおしまいとなった」
とは、何のことだか分からない。

おそらく、こんな夜なら、
何だっていいのだろう。
以下のような歌詞が、すべてを帳消しにする。
「そして噂はまわる
素敵な人生
チャコーナを踊りに行こう。」

いかにも、小粋な小唄という感じだが、
この曲は、いかにも、
スペインにしかなさそうな雰囲気で楽しい。

Track9.の「Jacaras」と共に、
マルガリータ王女万歳、
という気持ちにもなって来る。

CD2の中の最後の三分の一は、
『コルセッリ: スペイン宮廷の音楽』
と題された2002年のアルバムより、
コルセッリという、18世紀の作曲家の作品集。
このアルバムの大半が収められている。

12.歌劇《スキュロス島のアキレス》より 行進曲
13、14.《美しい声でさえずる姿の見えないうぐいす》より
レチタティーボとアリア
15、16.《アスタ・アクイ、ディオス・アマンテ》より
レチタティーボとアリア
17.歌劇《スキュロス島のアキレス(シロのアキレス)》より 序曲

マルガリータ王女が生きた時代とは、
一世紀が経過している。
コルセッリはイタリア人であるようで、
そのせいか、特段、スペイン風でもなく、
ヴィヴァルディの次の世代、という感じ。
以上の劇音楽も感情表現も明快で、
リアルの声も朗らかで楽しめる。

ただし、
18.聖土曜日の第2朗読
「なにゆえ、黄金は光を失い
純金はさげすまれているのか」
と歌われるエレミアの哀歌や、
19.聖木曜日の哀歌
「幼子は母に言う
パンはどこ、ぶどう酒はどこ、と。
傷つき、衰えて、都の広場で 」
という悲痛な哀歌では、
この作曲家のシリアスな側面が見える。

得られた事:「カタロニアのソプラノ、ヌリア・リアルの20代前半からの録音を集めたCDであるが、自然なデクラメーションで、甘く、親密な歌唱で古謡が楽しめる。」
「『どうやって洗いましょう』などは、豊かな伴奏も一体となって、人生の一コマの情景をたっぷりと描き出している。」
「『Jacaras』や、チャコーナ、『素敵な人生』のリズミカルな人生の謳歌などは、若いスペインの姫君が、故国を懐かむイメージと重なる。」
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by franz310 | 2016-03-20 19:55 | 歌曲

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その434

b0083728_19513229.jpg個人的経験:
ベラスケスが連作で、
その成長ぶりを描いた事、
傑作「女官たち」の中央に、
彼女の姿を描いた事から、
スペインのマルガリータ王女は、
絵画史の中では、
非常に有名な愛らしい存在だが、
音楽史など歴史の上では、
作曲もしたハプスブルクの皇帝、
レオポルド1世と結婚し、
豪華な婚礼をあげた王妃であり、
また、すぐ死んでしまったという
悲劇の王妃でもある。


ベラスケスが、
このスペインの王女を描いたのは、
そもそも、遠く離れてヴィーンにいる
このレオポルド1世に、
王女の成長ぶりを見せるためだった、
ということらしい。

だから、ヴィーンに、
子供時代の「薔薇色のドレスの王女」、
「白いドレスの王女」、「青いドレスの王女」
というあどけない表情が
残されているというのだが、
本当にこんなに小さい頃から、
この国との結婚話が決まっていたのだろうか。

ベラスケスは、8歳の王女を描いて亡くなったので、
成長してからのマルガリータ王女の肖像を、
この巨匠が残していないのが残念でならない。

レオポルド1世との関係は悪くなかったようで、
マルガリータが、生国スペインの音楽を聴きたいというので、
王様は、楽譜を取り寄せようと努力したという。

いったい、マルガリータ王女は、
どんな音楽が聴きたかったのか。

彼女は、1651年7月12日生まれで、
1673年3月12日に、
わずか21歳で亡くなっている。
しかし、この時代に、
スペインにどんな作曲家がいたかというと、
カベソン、ゲレーロ、ビクトリアなどは、
前の世紀の人々だし、スカルラッティやソレールは、
次の世紀の人である。

かろうじて、
ガスパール・サンス(1640-1710)の名が、
「ある貴紳のための幻想曲」でロドリーゴが、
オマージュを捧げた作曲家として知られているくらいか。

サンス自身の作曲も、ギター曲の印象が強く、
王侯貴族が、ゴージャスに聴いた音楽という感じではない。
純粋な器楽曲に耳を澄ます若い姫君というのも、
ちょっと、違う感じがする。

もしも、レオポルド1世が、
あんなに音楽気違いでなければ、
「いいかげんにせい、
わがヴィーンにはイタリアから、
ボヘミアまで作曲家を取りそろえ、
音楽なら何でもあるではないか」
とプライドを傷つけられ、
「スペインに何があるんじゃ」、
と怒りそうな気さえする。

さしずめ、マルガリータ王女は、
スペイン音楽愛好家にとっては、
スペイン音楽後援会名誉総裁などとして。
位置づけても良いのかもしれない。

そのせいか、というのも強引かもしれないが、
フランスの古楽のレーベルで、
好録音でも有名なASTREE(アストレ)が、
「ESPANA」(スペイン音楽のアンソロジー)
というサンプルCDを出した時にも、
この王女の肖像が表紙を飾った。

このレーベルは、フランスの名プロデューサーで、
2006年に亡くなった、
ミシェル・ベルンシュタインの創設したレーベルらしい。
スペインの古楽の星、ジョルジュ・サヴァールを
EMIから引き抜いての事業であった。

M.ベルンシュタインは、
VALOIS(ヴァロワ)という、
古楽以外のレーベルも設立していて、
スペイン音楽のアンソロジーを作るには、
こちらの音源も必要だったので、
このCDの表紙には、二つのレーベル名が並んでいる。

なお、これらは、AUVIDISという会社に
買収されており、このCDには、
この社名も入っている。
恐ろしく複雑な経緯のものであることが、
表紙の左下に並ぶロゴによっても読み取れる。

なお、AUVIDISもまた、
1998年に、
naiveに買収されてしまったので、
これらのレーベルで録音された音源は、
naiveからも出ているのがややこしい。
なお、この際、サヴァールも離脱している。

このCDは、前述したように、
サンプルCDなので、
ブックレットを見ても、解説はなく、
寄せ集めした際の各曲の、
元のCDのカタログになっているだけであるが、
20枚以上のCD表紙のカラー画像が出ているので、
めくっているだけで幸せな気分になれる。
各CDがそれぞれ、絵画を中心にした、
素敵な装丁が施されているからだ。

大部分がアストレのもので、
ヴァロアのものは、
アルベニス、ファリャ、ジェラール作曲のもののみ。

また、このCDは、録音が素晴らしい。
雰囲気たっぷりの中、
様々な楽器特有の音色が冴えている。
スペインというタイトルのもと、
適当に持ってきたはずの内容だが、
どの曲も美しく響くので、
全体の統一感など気にならず聴き進んでしまう。

楽器編成も様々で、
チェンバロ、オルガン、ビウエラ独奏、
合奏、オーケストラ、独唱、合唱と、
まったくてんでんばらばらで、
本来であれば、
それぞれのオリジナルCDを聴くべきであろう。

しかし、上述のように、
めちゃくちゃな変遷を経たレーベルなので、
これら全部を集めるのは大変なのではなかろうか。
それを別にしても、どんどん聴けてしまう。

Track1.は、「シビラ(巫女)の歌」からで、
10世紀から11世紀のものとされる、
「ラテンのシビラ」の抜粋が6分聴ける。

サヴァール夫人、故モンセラット・フィゲラスの
十八番だったらしく、
ここでも、聖堂内の豊かな残響の中、
らっぱであろうか、エキゾチックな角笛のような独奏のあと、
たっぷりとした合唱の中から、
サヴァールのヴィオールと、
彼女の澄んだ声が浮かび上がる様は、
完全に異空間に我々を連れ去る。

このあたりは、かなり異教的なものを感じるが、
スペイン独特の要素があるのかないのか、
不勉強にして分からない。
オリジナルCD表紙は天使のタイル画のように見える。
少々、イスラム風かもしれない。

フィゲラスは42年生まれなので、
45歳くらいの時の声である。

Track2.
スペインの16世紀の作曲家、
バルトロミュー・セルセレス
(Bartomeu Càrceres)の
「ビリャンシーコとエンサラーダ」で、
打ち鳴らされる太鼓を背景に、
管楽器のアンサンブルが、晴朗な合奏を繰り広げている。
これもサヴァール指揮。

オリジナルのCD表紙は、古雅な聖母像である。

Track3.
流麗なハープの弾奏が美しいので、
これは、と思うと、ラマンディエのものであった。
歌が入って来て、いっそうぞくぞくする。

有名なアルフォンソ賢王
(アルフォンソ10世)の「マリアの頌歌」である。
13世紀の名君とされるが、
音楽ファンにとっては、
400曲以上の聖母頌歌を編纂したことで重要。
ここでも384番のカンティーガ(頌歌)が歌われている。

オリジナルCDの表紙は、
アルフォンソ10世のもとに
馳せ参じる人々が描かれた絵である。

このような曲になると、
ケルト文化的というか、
ヨーロッパの源流のようなものを感じてしまい、
スペイン的かどうかわからない。
ラマンディエが早口言葉的に歌うのが、
独特のリズム感を感じさせる。

アルフォンソ10世編纂のカンティガは、
かなり多くの演奏が録音されているから、
別の機会にでも、改めて紐解いてみたいものだ。

Track4.
作者不詳「Propinan de Melyor」
勇壮な太鼓に金属的な鳴り物が入り、
らっぱが吹き鳴らされ、
いかにも異教的な音楽である。

コロンブスの時代のもので、
オリジナルCDの表紙は、
船が新大陸に到着したところを描いたものであろうか。

Track5.
いきなり撥弦楽器のリズミカルな弾奏に、
サヴァールのヴィオールが、
情緒的にからんでくる。

太鼓がどんどんと響き、
エキゾチックな雰囲気が満ちて来て、
男声合唱が、単調ながら陶酔的な歌を聴かせる。

「el cancionero de palacio(宮廷の歌本)」
(サヴァール指揮、エスペリオンXX)
というアルバムから、
「3人のムーア人の娘」という、
15世紀の古謡らしい。

これは、スペインの名歌手
ピラール・ローレンガーが、
ドイツのギターの巨匠、
ジークフリート・ベーレントの伴奏で
歌った名盤がグラモフォンにある。

このアストレのCDのリッチな伴奏と、
男声の合唱の迫力とは大違いだが、
確かにメロディは同じである。

ローレンガー盤の濱田滋郎氏の解説によると、
「王宮の歌曲集」に収められているもので、
「アラブ風のビリャンシーコ」だという。

ムーア娘に誘惑された男の歌であるが、
「私のこころを虜にする」という部分以外は、
彼女らがオリーブを摘みに出かけた、
という意味不明というか、意味深というか、
へんてこな展開を見せるもので、
未練というか虚しさというか、悩ましいもの。

オリジナルCDの表紙は、
細密画であろうか、
男女が王冠を戴いているので、
カトリック両王、
フェルナンド2世とイサベル1世
に違いあるまい。

この時代の歌曲集ということだが、
15世紀も大詰めで、レコンキスタが成り、
ムーア人にとっては受難の時代であろう。

Track6.
ここで、
ビウエラ独奏(ホプキンソン・スミス)が来て、
編成がいきなりすっきりするが、
スペイン風という貫禄か、
極めて反響が独特な音色の魅力かで、
それほど違和感はない。
1536年の「マエストロ」と題された曲集より、
典雅な微笑みを感じるパヴァーヌ4番。

スミスはアメリカ人ながらサヴァールの盟友で、
この後の曲にもしばしば登場する。

オリジナルのCD表紙は、
天使がリュートを弾いている絵画。

Track7.
太鼓が打ち鳴らされ、
ビウエラもやかましく、
らっぱも鳴る中、
合唱とフィゲラスが歌いかわす。

こういった感じの曲は前にも出て来たので、
スペイン風に聞こえるが、
サヴァール風とも言えないのだろうか。

15世紀から16世紀スペインの
詩人であり劇作家であり作曲家であった、
ファン・デル・エンシーナ作曲の
ロマンスとビリャンシーコより、
「¿Si Habrá En Este Baldrés?」。

これは、かなり猥雑な歌のようで、
「皮袋の中を開けたなら」とか題され、
「街の3人娘、上流気取り女から、むしり取り
3人分の上着のために足りない帯を探しに行った」
という内容だという。

この曲も有名な曲らしく、
ネット上に演奏風景の動画もたくさん出ている。
どの画像でも合唱になりもの多数で、
当時のエネルギッシュな民衆パワーみたいなのを感じる。

こうした音楽は、
どんなCDに収録されているか、
探すのが難しいから、
このようなダイジェスト版で聴けるのは、
ラッキーと考えて良いかもしれない。

しかし、歌詞等がブックレットにないのは、
ものすごく困るのでやめて欲しい。

この作曲家は、恐怖のアルバ公の付人だったらしい。
田園劇を創作し、当然、自ら作詞作曲した。
イタリアの音楽(マドリガル)を
スペインにもたらした人とも言われる。

オリジナルのCDの表紙は、
ヒエロニムス・ボスの「干し草車」。
何故に、フランドルの画家か?
と思うが、何と、フェリペ2世が持っていたらしい。
アルバ公は、フェリペ2世の代官であるから、
かなり繋がっている。
干し草の上には、ビウエラを弾いている人が描かれている。
干し草は、この世の富の象徴らしい。

「太陽の沈まぬ帝国」を作り上げた人の時代、
確かに、富の奪い合いの光景は、
日常茶飯事だったのだろう、
などと納得してしまった。

Track8.
サヴァール節全開のヴィオールの闊達な演奏。
16世紀のナポリの楽長、
ディエゴ・オルティスのリチェルカーダ。
1分17秒で疾走する。

イギリスのヴィオール・コンソートは、
よく話題になるが、
スペインにおいても、
ヴィオール重視の時代はあったということか。

オリジナルCDの表紙は、
デューラーの弟子、
1484年生まれの画家、
ハンス・バルドゥングの肖像画だという。

Track9.
ふたたびルイス・ミランの曲だが、
今回は歌曲。
ホプキンソン・スミスのビウエラ伴奏で、
フィゲラスが清楚な声を聴かせる。

ネット検索すると、
平井満美子という歌手の
コンサートのHPが見つかった。

「愛は誰が持っている?
最後にはあなた達のもの
それは彼女のものではない。
愛は誰が持っている? 
はるかカスティーリャの人は愛を娘に捧げる。」
と、そこでは訳詩されている。

オリジナルCD表紙は、
悲嘆にくれた女性の顔の絵である。

Track10.
華やかなオルガンが響き渡るが、
キンベルリー・マーシャルが弾く、
カベソンのFabordonとある。
約3分の作品だが、いくつかの部分からなる。

オリジナルCD表紙は掲載されていないが、
「イベリア半島のオルガンの歴史」という、
壮大なタイトルだったようである。

Track11.
カベソンのオルガンの後は、
モラーレスのミサ曲。
「Pie Jesu Domine」
(慈悲深き主よ)
カベソンといい、モラーレスといい、
黄金期ルネサンス・スペインを出ていない。

半分ほど聴いたが、
なかなか、マルガリータ王女の時代の音楽にはならない。
しかし、非常に心洗われる音楽で、
やはり、スペインの音楽を語るには抜かせない。
ビクトリアが出てこないのが不思議だ。

モラーレスもオリジナルCDは掲載されていない。

Track12.
アロンソ・ムダーラのビウエラ曲。
1546年の曲集からのようだが、
歌謡的なメロディに装飾がついて、

カベソンらと同時代の人だが、
この曲などは、かなり近代的な感じがする。
ホプキンソン・スミスも乗っていて、
とても爽快である。

オリジナルCDは、ギターを弾く人の絵。

Track13.
いかにも南国の風を感じさせる合唱曲。
ここでも、太鼓がずんどこ鳴って、
木のばちがばちばち鳴っている。
やはりサヴァール指揮のエスペリオンXX。

エンサラーダと呼ばれる、世俗的なフュージョン。
フレッチャ作曲のLa Bombaとある。
フレッチャは、また古い時代の人だが、
非常に楽しく、リズム感がスペイン風である。

オリジナルCDは、何故かマリアと御子と、
東方の博士が出ている。
かなり騒がしいクリスマスではないか。

Track14.
これはさらにどんぱち言う音楽。
これはしかし器楽曲。

だんだんクレッシェンドして、
ラヴェルのボレロではあるまいな。
「La perra mora」
ゲレーロの曲とされていたりする。
「ムーアの雌犬」というものだろうか。
2005年にサヴァールが来日した時の記録に、
ペドロ・ゲレロ、
「ムーアのメス犬(器楽演奏)」(身分あるはしため)
とある。

オリジナルCDは、
カルロス5世の宮廷音楽ということで、
またまた16世紀前半になってしまった。
かくも、黄金時代の吸引力は強いものなのであろうか。

スペインの17世紀は、没落の世紀であったが、
音楽もなくなってしまったのだろうか。

しかし、CD収録曲も、
もうのこすところ1/3で、
遂に、17世紀の作曲家が来た。
ただし、2分半の短いバロック・ギター曲。
Track15.
フランチェスコ・ゲラウ(1649-1722)
の「カナリオス(カナリア舞曲)」。

生まれた年は、ほとんど、
マルガリータ王女と同じ。

先ほどから出ている
ホプキンソン・スミスの演奏で、
ビウエラよりは、
力がある楽器と言えるのだろうか。
非常に優美かつ技巧的、流麗な感じ。

とはいえ、この孤独な音の向こうに、
ハプスブルクの姫君の姿を垣間見るのは、
束の間の幻影でしかない。

オリジナルCDの表紙は、
ギターを弾く青年を描いたもの。

Track16.
セレロールスのミサ曲より、「グローリア」。
ミサ曲には、「戦争」という名前が付いているが、
とても、清澄な音楽で、
セレロールスが、ビクトリアなどより若い、
1618年生まれの人であることを再認識した。

カタロニアの団体を指揮しているが、
やはりサヴァールの指揮による。

オリジナルCDは、
横たわるキリストの横で嘆くマリアの絵で、
「スターバト・マーテル」という感じ。

Track17.
アントニオ・ソレールのチェンバロの音楽。
ソナタのアレグロをアスペレンが弾く。

ものすごく表現主義的などろどろとした音楽で、
1729年の生まれの作曲家で、
あっさり18世紀に入ってしまった。

オリジナルCDは、12巻からなるすごいもので、
表紙はエル・エスコリアル宮であろうか。
もう、マルガリータ王女の実家の、
スペイン・ハプスブルク家は途絶えた後、
ブルボン朝になってからの宮廷楽人。

Track18.
またまた、モンセラート・フィゲラスが登場。
岩波文庫にも、「オルメードの騎士」という戯曲が入っている、
ロペ・デ・ベガという16世紀から17世紀の戯曲作者の、
台本による舞台作品からの歌であろうか。

元のCDのタイトルは、
バロック期スペインのインテルメッツォとある。
タワーレコードHPには、
「黄金世紀の口直し―ロペ・デ・ベガとその時代 1550-1650」
と題されていた。

作者不詳の「jacara no hay que decirle el primor」
という題名だが、非常に小粋で、
打楽器もカスタネット的な動きを見せる。

機械訳では、
「陽気なダンスは、彼に美しさを語るために必要ない」
となった。

この曲になると、完全にスペイン的要素が感じられるが、
何時頃の音楽なのだろうか。
これもネット検索してみると、
大量に演奏風景の動画がアップされているから、
この辺りの音楽を愛好する人には、
よく知られた歌曲だと考えられる。

この「jacara(ハカラ?)」は、英語のWikiには、
演劇やダンスに伴う、器楽伴奏のアラブ起源の歌曲とあり、
まさしく、そんな勢いを感じる。
どうも日本では、知られているかどうかわからない。

先入観としては、
スペインからヴィーンに出て来た
マルガリータ王女が、
こうした音楽を聴きたくなった、
というストーリーなら、
何となく肯けるような気がする。

オリジナルCDは、合奏している男女の姿を描いた絵画。

Track19.
アントニオ・メストレスのオルガン曲で、
「トッカータ」とある。
奏者はフランシス・シャペレットで、
スペインのオルガンの歴史の第9巻とある。

これも、バッハの次の世代という感じの、
解放感を感じる。

Track20.
これまで聞いて来た曲の中では、
もっとも不気味な葬送行進曲風の、
オーケストラ付合唱曲。
黒々と太鼓が響き、
らっぱが吹き鳴らされる。
フィゲラスがカタロニアの古謡を集めた、
「De La Catalunya Mil-lenària」というアルバムから。

しかし、「Els Segadors(収穫人たち)」というのは、
カタロニアの国家だそうである。
ウィキにも、
「スペインの圧制に対して起きた
1640年の収穫人戦争時に生まれた。」などとある。

ほとんど、民衆蜂起の歌だとしたら、
同時代に歌われていた歌だとしても、
マルガリータ王女が聴きたい歌ではなかろう。

Track21.
フェルナンド・ソルの歌曲で、
これは、オリジナルのCDの表紙が
ゴヤの「日傘」なのが明るくて素敵だ。

しかし、これはもう19世紀の人である。
ちなみにギターは、ホセ・ミゲル・モレーノが担当。
後にグロッサ・レーベルを立ち上げる人だ。

ここまで、わりと、すんなり、
統一感も何となく感じながら聞いて来た。
ただし、続いて、ハイドンが混ざっているのは、
さすがに違和感がある。
ハイドンは、スペインからの依頼で、
「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」
を作曲したからで、ここでも、Track22.で、
その終曲、「地震」が、サヴァールの指揮で収められている。

この後(Track23.)の
マルティン・イ・ソレールの
コミック・オペラ「椿事」からの、
「Viva viva la Regina」は、
コケティッシュで楽しい声楽が聴け、
非常に楽しい事を特筆しておく必要がある。
これまた、声楽アンサンブルも、
伴奏も恐ろしくジューシーな録音である。
これもサヴァール指揮のもの。

この後、明らかにマルガリータ王女とは異なる雰囲気の、
Track24.
アルベニス「イベリア」より「港」の管弦楽版、
(ガルドゥフ指揮のヴァレンシアの楽団)
Track25.ファリャの「三角帽子」終曲、
(コロマー指揮スペイン国立ユース管弦楽団)
Track26.ジェラールの「舞曲」
(ペレーツ指揮シンフォニカ・デ・テネリウフェ)
が続いて終わるが、
どれもさすが本場なのか、
血が通った噴出するような表現が聴けて素晴らしい。

得られた事:「マルガリータ王女が聴きたいスペイン音楽が、このCDの中にあるとすれば、インテルメッツォ、『陽気なダンス』のようなものだったのではないか、というのが私の妄想。」
「仏アストレ・レーベルのスペイン音楽ダイジェスト版は、、録音の良さで、どんどん聴き進んでしまう。サヴァールがほぼ全曲を担当しているせいか、意外な統一感で約1000年の歴史を垣間見ることができる。」
「アストレ時代のサヴァールは、naiveレーベルに吸収されており、市場ではかなり混乱をきたしているので、要注意である。」
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by franz310 | 2016-03-13 19:53 | 古典