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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その321

b0083728_22432826.jpg個人的経験:
スタンダールは、
その著書「ロッシーニ伝」
の第一章「生い立ち」に続き、
第二章として、「タンクレーディ」
を持って来ている。
この章は、冒頭から、この作品が、
ヨーロッパ中で知られている事を記し、
読者の方々は、すでに、
みんなこれを知っているだろう、
などとも書いている。


これくらいに、この作品は成功を収め、
スタンダールの文章でも、
これが、絶妙なバランスの上に
成り立っていることが強調されている。

彼は、「泥棒かささぎ」を引き合いに出し、
そちらは、オーケストラがうるさすぎで、
もっと歌を聴きたくなるとしながら、
「ロッシーニが『タンクレーディ』の
完璧な楽譜を書いたときには、
この欠点を免れていた。
豊富と過剰のちょうど中庸を行ったのだ」
と書いた。

「美を隠さずに装い、損なわず、
ごてごてした余分な飾りを付けなかった。
騒々しすぎる音楽や、
逆に単純すぎる音楽に退屈したときは、
いつでも『タンクレーディ』の
うっとりさせる作風に戻るべきだ。」
(みすず書房、山辺雅彦訳)
という傾倒ぶりである。

さらに、この本では、
当時の聴衆の意見も、
スタンダールが共感したものは、
ありがたいことに、
引き合いに出されている。

「ロッシーニの音楽は、
大胆なのが最も特徴的で、
性格もそのとおりです。
ところが、『泥棒かささぎ』や
『セビリャの理髪師』を聴けば、
その大胆さに度肝を抜かされ
夢中にさせられるのに反し、
『タンクレーディ』には
そういう個所は少しも見あたりません。
ひたすら簡素で純粋な音楽が流れるばかりで、
飾りっ気はこれっぽっちもない。
無邪気そのものの天才といったところでして、
こういう言い方が許されるなら、
あれはまだ生娘の天才です。
『タンクレーディ』には
ぞっこん惚れこんでいるので、
何曲かのアリアに見られる
どことなく古めかしい感じまで
好きなのです。」(ゲラルディの意見)

「完璧な楽譜」、「純粋な音楽」。
ここに書かれていることは、
ロッシーニが数々のヒットを飛ばしていた時代の
代表的な意見なのであろう。

また、この本には、
「これ以上よく歌われたアリア、
これ以上、様々な土地で歌われたアリアも
他にあるまい」として、
「リゾット・アリア」として知られる、
「多くの苦しみの後で」成立のエピソードが、
書かれている。

ロッシーニは、まず、ヴェネチアの公演用に、
主役タンクレーディが登場するときのために
大アリアを書いたが、
美貌と才能の絶頂にいた歌手から、
「気にくわない」と言われたとのこと。
ロッシーニは、主人公登場で、
やじられでもしたら台無しになると、
物思いに沈みながら安宿に帰ったところ、
一つのアイデアが閃いた、というのである。

この本では「リゾット・アリア」とは書かず、
「米のアリア」と書いている。

ロンバルディア地方では、
夕食は必ず米の料理で始まるが、
あまり煮すぎないように4分前に、
料理人が「米を料理いたしましょうか」と
聴くのだそうだ。

「ロッシーニが絶望して戻って来ると、
ボーイはいつもの質問をした。
米が火にかけられる。
できあがる前に、ロッシーニはもうアリア、
『多くの苦しみの後で(Di tanti Palpiti)』
を書き上げていた。・・・
この見事なカンティレーナについては、
どう言えばよいものか。・・・
それにヨーロッパでまだ知らない人がいるだろうか。」

このように、全ヨーロッパで
知られたアリアであるから、
様々な作曲家が、
「ディ・タンティ・パルピティ」の
メロディにあやかった作品を残している。

例えば、ヴァイオリンの鬼神パガニーニも、
変奏曲を使っている。

今回聴いた、西シベリア出身のヴァイオリニスト、
ヴェンゲーロフのCDでは、
何と、「イ・パルピティ(I Palpiti)作品13」
と書かれている。
多くの場合、この曲は、
「『こんなに胸さわぎが』による変奏曲」と呼ばれているが、
単に「パルピティ」!

どうやら、この単語は、「苦しみ」になったり、
「胸さわぎ」になったりしているようだ。
「鼓動」という訳も出て来る。

これまで見て来たように、このアリアは、
タンクレーディが追放された祖国に潜入し、
恋人アメナイーデに会う期待を、
「大いなる不安と苦しみの後に、
恋人よ、君から報われると期待しているのだ」
と、歌い上げるものであるから、
「胸さわぎ」という感じではない。
祖国追放の「苦しみ」だと思われる。

が、曲想からしても、「苦しみ」という感じはない。
「胸さわぎ」かどうかも疑わしいが、
翻訳としての情緒性からすれば、
「胸さわぎ」がそれっぽい。

さて、このCDについて書いておくと、
近年、腕の故障で引退宣言も伝えられる、
1974年生まれの名手が、93年、
つまり未成年のときに、
ベルリンで録音したものである。

テルデック・レーベルへの録音で、
ピアノのゴランを共演者にしての、
ヴィルトゥオーゾ作品集である。

多くが数分程度で終わる小品で、
12曲が収められているが、
この「苦しみ」作品13だけが、
10分を越える規模。

しかし、スタンダールが、
騒々しくもなく、単純すぎもしない、
「完璧な楽譜」から生まれた音楽にしては、
何と、複雑な大曲であろうか。

このヴェンゲーロフというヴァイオリニストは、
渡辺和彦という辛口批評で有名な音楽評論家を、
2000年の来日公演で、
「口をきけなかった」ほどに、
圧倒しつくしたことで知られる名手である。

この人の記事によると、
その十年前の15歳だかの年での来日公演で、
このパガニーニを演奏したとあり、
さらに、このCDについても、
音楽之友社の「ヴァイオリン/チェロの名曲名演奏」で、
「後の世まで残るだろう」と激賞している。

Track1.と3.がヴィエニャフスキで、
「華麗なるポロネーズ第一番」と「伝説曲」が聴ける。
私は、ヴィエニャフスキの濃厚ロマンティックが好きで、
特に「伝説曲」の中間部の濃厚メロディには、
常に胸を熱くしてしまうが、
この演奏、ぎゅうぎゅうと涙を絞り出される感じ。
19歳という年齢で、
このようなコブシが効かせられるのだなあ、
などと妙に関心してしまった。

「ポロネーズ」の方も、切れ味が鋭く、
それでいて柔らかい美感にも優れ、
恐ろしい若者であったことが分かる。
先の渡辺氏が、思わず拍手したと、
などと書いていることも肯ける。
曲の隅々にまで、
オリンピック競技で問われるような完成度が光っている。

Track4.、8.と10.は、
クライスラーで、「美しきロスマリン」、
「中国の太鼓」と「ウィーン奇想曲」。
このあたりになると、
別にヴェンゲーロフで聴く必要は感じないが、
それでも、様々な音色で彩られた
クライスラーという感じで聴かせる。

Track5.のブロッホ「ニグン」になると、
この奏者の集中力と情念のようなものが圧倒的である。
それから、スタミナというべきであろうか。
扇情的な表現が、これでもかこれでもかと、
聴く者の神経に迫って来る。

中間部の祈りのような表現もたいへん激しい。

Track6.と7.は、チャイコフスキー。
「懐かしい土地の思い出」から、
「スケルツォ」と「メロディ」。
凝集力の高い作品の後、
これらのいくぶん伸びやかな作品を挟んでくれて、
とても選曲配置も良いCDだ。

Track9.は、メシアンの「主題と変奏」。
作曲家の24歳の作品で、
若くて活きが良く、神秘的でありながら、
晦渋でないのが嬉しい。
ヴェンゲーロフのような演奏では、
とにかく音が輝かしく、あれよあれよと、
7分半を一気に聞かされてしまう。

Track11.はサラサーテの「バスク奇想曲」。
いきなり情熱的なピアノが意気高揚と発動し、
ヴァイオリンが同様の激しさで入って来る。
この曲に関しても、先の渡辺和彦氏が、
このCDの演奏を賞賛している。
様々なヴァイオリンの技巧による変奏曲といった感じである。
特に左手のピッツィカートのきらきら感に目が眩む。
ヴェンゲーロフは、このような曲では、
その完成度と集中力でオーラを発する。

Track12.バッツィーニの「妖精の踊り」。
ものすごい快速で、かつ鋼鉄の正確さといった趣き。

ということで、このCDの解説は、
Cristian Kuhntという人が書いている。
「過去においても、好都合な環境の影響なくしては、
ヴァイオリニストは、ヴィルトゥオーゾとしての、
輝かしいキャリアを望むことは出来なかった。
音楽に興味のある両親がいて、
まだ初期の段階にある幼い才能に、
この芸術の喜びを伝えることが好ましい。
8歳くらいで、小さなコンクールで、
1位を取って、
サラサーテやヴィエニャフスキ、
クライスラーのように、
例えば、パリのコンセルヴァトワールの
マスタークラスに入る資格を得るべきである。」

めったにヴァイオリンの名手になることは出来ない、
という論調で始まり、そこから、
いったん、名手になるとどうなるかが、
こんな風に語られる。

「または、二、三時間の指導の後、
パガニーニがそうだったように、
独学で楽器を学び、
地方のオーケストラと共演するとか。
もっとマイナーな開催地は言うに及ばず、
パリ、ロンドン、ミラノ、ベルリンや、
ヴィーン、ブダペスト、モスクワのような、
コンサートの場に、トランクいっぱいに詰めて、
出かけて行くことになる。
さらに、ぎっちょで、
不気味な外見であれば、
その芸風も合わせて、
悪魔的で特殊な存在とされ、
成功は請け合いだろう。
彼等は、すべてが重なって、
『魔術師』、『魔法使い』、
『悪魔』、『天使』となる。
演奏会はスペクタクルとなり、
厳格な芸術の楽しみと娯楽の境が曖昧になる。
聴衆は熱狂にさらわれる。
1829年にベルリンで開かれた
パガニーニの演奏会の後、
『Vossische Zeitung』紙の批評家は、
こんな事を書いて、そのイメージを伝えている。
『公衆が加わり出し、
(こう表現するしかないのだが)
弓によるため息や息遣いが、
1000の喉からの、
かすかな呟きによって伴奏された・・。
淑女たちは喝采を見せようと、
桟敷席の手すりから乗り出し、
男たちは、椅子の上に登った・・。』」

何だかよく分からない解説だが、
下記のように、こうしたヴァイオリニストたちが、
作曲活動をも行って来たことが語られる。

「その演奏会曲目を豊かにするために、
多くのヴィルトゥオーゾが独自の作品を作曲したが、
当然、その多くは、その楽器のためのものだった。
ある場合は、しかし、
バッツィーニのオペラのように、
あるいはクライスラーのオペレッタのように、
特別にジャンルを超える場合もあった。
しかし、大部分の作曲活動は、
作曲家の能力に合わせて繕われ、
ヴァイオリンが独奏楽器として、
特別な難易度を克服するような方向を目指していた。
他の作曲家の作品が、
多くアレンジされたことも特筆できる。
イタリア・オペラからの主題を利用するのを
パガニーニは好んだが、そうした中に、
ロッシーニの『タンクレーディ』の、
『何と多くの悲しみ』の主題による
変奏曲からなる『苦しみ』作品13がある。」

私は、この作品の成立の物語などを期待していたが、
やはり、この手のCD解説から、
それを求めるのは無茶だったということか。

しかし、この手の企画は、もっぱら、
演奏家の技巧に酔いしれる事を目指しているだろうから、
永遠に、パガニーニや、サラサーテなどの生涯が、
身近になることはならないような気がする。

このCDの解説は、この後、
サラサーテやクライスラー、
さらにヴィエニャフスキらが、
民族音楽をもとにローカル・カラーを打ち出した事、
チャイコフスキーのものも同様に、
旅で生まれた小品であることを記述。

最後に、ブロッホとメシアンが、
20世紀の作曲家であることに触れている。
このあたりになると、
ヴィルトゥオーゾヴァイオリニストの作品、
という話からずれて来るのは、
やむを得ないのだろうか。

さて、肝心の、パガニーニ作曲、
「こんな胸騒ぎが」による変奏曲であるが、
Track2.に入っているが、
いきなり始まる序奏のピアノの絢爛たる雰囲気や、
続いて高音で歌われるなだらかなメロディが、
ロッシーニの作品とかなり違うことに驚く。

この明るく澄みきったメロディは、
ピアノの簡素な伴奏で歌い継がれるが、
これは至福の時間である。

急に、暗雲が垂れ込めるようになって、
風雲急を告げると、
あの懐かしいロッシーニの音楽が現れる。

これは、まず、快速なテンポで畳みかけられ、
次に、リズムが強調され、装飾音も増し、
強奏されてカプリースみたいに、
重音やスタッカートなどが駆使されて、
名技性を増して興奮していく。

なだらかな部分では、
異常な高音域が駆使されるが、
こうした難所難所を、
ごく普通に聴かせて行き、
かつ、凝集力を感じさせるところが、
ヴェンゲーロフのすごいところであろう。

ヴァイオリン協奏曲のような音の跳躍など、
アクロバティックな表現を絡めつつ、
名残惜しいような音楽になって行く。

最後には、煌びやかなピッツィカートを絡めた、
力強い部分が出て、音楽は勢いを増して、
テンションを高めた後、
だんだんだんだんとアタックを繰り返して終わる。

これは、ロッシーニの音楽が、
一瞬だけ出て来るパガニーニの大奇想曲、
といった感じの音楽である。

リトアニア生まれのイスラエルのピアニスト、
ゴランの美しくシャープなピアノも聴きものである。

さて、前回、書ききれなかった、
ゼッダ指揮のオペラ「タンクレーディ」(ナクソス盤)
の第2幕も、ここで、ざっと続きを紹介しておこう。

CD1のTrack17.
ここからが、タンクレーディの第2幕:
レチタティーボで、
「アルジーリオの居城のバルコニー・シーンから、
第2幕の最初のシーンは始まる。
そこには書き物机と、豪華な装飾の椅子がある。
オルバッツァーノは、アメナイーデが彼を軽視し、
裏切ったことに腹を立てている。
イザウラは、父親に動かされている、
アメナイーデの運命に同情し、
騎士たちにも二つの感情が交錯している。
イザウラは、アルジーリオに、
アメナイーデが実の娘であることを思い出させるが、
彼は、アメナイーデを勘当する。」

ここでは、オルバッツァーノ役のオルセンと、
イザウラ役のディ・ミッコの会話が中心となり、
裏切りを見たか?といった緊迫した状況。

Track18.レチタティーボ。
不安なオーケストラの効果が卓抜である。
「アルジーリオは、出来事に苦悩する。」

Track19.アリア。じゃじゃーんと、
音楽が気分を盛り上げ、この複雑な状況を、
打開しようとするアルジーリオが声を上げる。

「ある者は慈悲の嘆願をし、
あるものは彼の愛国心に訴える中、
アルジーリオは、しぶしぶ、
オルバッツァーノの要求を呑み、
アメナイーデの死刑を宣告する。」

アルジーリオ役のオルセンの声は、
いささか威厳に欠けるが、悩める様子をよく表し、
最後には、少し細く危なっかしいが、
十分に輝かしい声を聴かせている。

この部分では、合唱とのブレンド感も美しい。
ファンファーレが鳴り響き、オーケストラも、
裏切り者の娘を、自ら罰しなければならない、
悩ましい父親の状況をサポートして、
魅力的な音楽を奏でる。

以下、CD2となる。
CD2.
Track1.レチタティーボ。
「アルジーリオと他の人たちが立ち去った後、
イザウラとオルバッツァーノが残る。
彼女は、彼の残忍さを責める。」
ディ・ミッコの声は、メゾなので、威厳がある。

Track2.アリア。
「オルバッツァーノが去ると、
イザウラはアメナイーデのために、
神の助けを求める。」
クラリネット助奏付きのアリアで、
美しいものだが、もう少し、歌手には、
切れ味があってもよいような気もする。

Track3.
「シーンは変わり、門に警備がいる牢獄である。
アメナイーデは繋がれており、
なおも、彼女の不実を疑わない
タンクレーディのために死ぬ運命を嘆く。」
スミ・ジョーの歌は、線は細いが、
良く伸び、危なげもなく、
この状況下での嘆きをびしっと決めている。

Track4.カヴァティーナ。
「愛のために死ぬのは、残酷な運命ではない。
いつか、タンクレーディは真実を知るだろう。」
アメナイーデの聴かせどころの、
美しいアリアである。
装飾音も余裕でこなしながら、
スミ・ジョーの声に浸れる部分。

スタンダールも、この部分を、
「第2幕はのっけから心地よいフレーズがある」と書いた。

Track5.レチタティーボ。
騎士たちに護られたオルバッツァーノは、
正義を求め、この時点で、誰が、
アメナイーデを護ろうとするか、
というと、タンクレーディが割って入り、
彼女の罪は認めるが、アメナイーデを救うと言う。
彼は、長手袋をオルバッツァーノの前に投げ、
彼はその挑戦を受ける。
アメナイーデは、無実を主張するが、
タンクレーディは信じない。
彼は、単に、懲らしめに来たのである。」

Track6.レチタティーボ。
「アルジーリオは、この未知の騎士を抱き、
正体を知ろうとする。」

Track7.二重唱。
「アルジーリオは、
娘を擁護しようとする者の正体を知ろうとする。」
このあたりは、非常に心に残るシーンで、
メロディも美しく、声の強力さを味わえる場面でもある。
スタンダールは、「深い憂愁で始まる」と書いた。

「トランペットが鳴り、タンクレーディは戦いにのぞみ、
アルジーリオは祝福を与える。」
意気高揚とした中、ポドゥレスの野太い声を味わえる。
スタンダールも、
「いかにも中世にふさわしい感動的な熱狂」と書いた。
「きわめて巧妙な」トランペットに関しても、
「巨匠の芸」と絶賛している。

しかも、タンクレーディが剣を抜く瞬間のメロディを、
「高貴・真実味・斬新さは非の打ち所がない」とある。

Track8.レチタティーボ。
「イザウラから状況が変わった事を知ったアメナイーデは、
守護者に対する神の加護を祈り、
タンクレーディが戻って、無実を知ることを求める。」

Track9.アリア。
この合唱付きアリアもその感情の起伏と、
素晴らしく散りばめられた装飾ゆえに聞き所である。
「アメナイーデは助けを乞い、
タンクレーディ勝利のニュースが来て、
アメナイーデと支持者は喜ぶ。」

Track10.合唱曲。
「広場に街の人々が集まり、兵士や騎士が行進してくる。
人々に付き添われ、タンクレーディは戦闘馬車に乗り、
トロフィーのように、オルバッツァーノの武具を見せる。
人々は歓喜する。」

Track11.「タンクレーディは勝利に酔いつつも、
シラクーザを離れ、どこか異郷で死ぬと決意する。」

Track12.レチタティーボ。
「アメナイーデは彼に近づくが、彼はなおもその誠実さを疑い、
不実だと信じている。」
以上は、特に声の見せ場がない緊迫したシーンだが、
以下に、強烈な見せ場が来る。

Track13.デュエット。
「タンクレーディは彼女の言葉を聞こうとせず、
それなら殺してと、彼女は説得を試みる。」
別れの二重唱である。切実な感情が美しく歌われる。
コーダでは、激しい感情が炸裂し、
これまた素晴らしいシーンだ。
「彼等が去るとき、タンクレーディはロッジェーロに来るなという。」

Track14.レチタティーボ。
「ロッジェーロはボスから離れられず、
しかも、イザウラから、アメナイーデの無実は、
証明できると聞かされ、タンクレーディに希望があると知る。」

Track15.脇役に終始していたロッジェーロのアリア。
レンディという人が上品に歌っている。
「ロッジェーロは、アメナイーデが無実なら、
タンクレーディが安らかに暮らし、
愛の松明が再び輝くと考えて喜ぶ。」

Track16.「渓谷とアレズラの泉の滝が見える、
山嶺のシーン。遠方にエトナ山が見え、太陽は西に傾き、
海を照らしている。洞窟があって、その前で、
タンクレーディは、ある人が忘れられない悲しい運命を嘆く。」
ここも、ポドゥレスの暗めながら強い声が、効果を発揮している。

Track17.合唱。
「シラクーザの騎士たちが、
ソラミールに対抗する闘志だとしてタンクレーディを探す。」
この前聴いた、ロベルト・アバドの版では、
ハッピーエンド版は、この合唱が敵軍の合唱だとされていた。

Track18.レチタティーボ。
「アルジーリオとアメナイーデ、騎士や兵士らが、
その正体をアメナイーデが暴いた、その英雄を探し出す。
タンクレーディはしかし、アメナイーデの無実が信じられず、
シラクーザのために戦って死ぬことを求める。」

Track19.ロンド。
「タンクレーディは戦いの中で死ぬという。
そして戦いに駆り立てられる。」
ここでも、ポドゥレスの宿命を感じさせる音色に惹かれる。
主役の最後の聴かせどころの7分近い大曲である。

Track20.レチタティーボ。
「イザウラとアメナイーデは戦いの行方を待つ。
勝利の声が上がり、アルジーリオは、
ソラミールを倒した、タンクレーディを連れ帰る。
ソラミールは、アメナイーデの無実を保証していた。」

この2分の間に、都合良く、すべて解決してしまう。
アメナイーデが悩んでいるのは30秒程度だ。
こりゃ不自然だと考え、ロッシーニが、
フェラーラ版を書きたくなったのも分からないでもない。

Track21.第2幕フィナーレ。
「恋人たちは、再び結ばれ、アルジーリオとアメナイーデは、
喜びを表現し、タンクレーディと分かちあう。
そして、イザウラとも。彼等は大団円を言祝ぐ。」

そうはいっても、このフィナーレは簡潔に、
喜ばしさを表現していて楽しいものだ。

得られた事:「同時代者であったスタンダールらは、ロッシーニの『タンクレーディ』を、『完璧な、純粋な音楽』として捉え、パガニーニもそれにあやかった音楽を書いている。」
「ゼッダ指揮の『タンクレーディ』はハッピーエンド版ながら、タンクレーディを探す合唱は、サラセン人ではなくシラクーザの人々になっている。」
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by franz310 | 2012-03-24 22:45 | ロッシーニ | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その252

b0083728_22182959.jpg個人的経験:
前回、ドニゼッティの、
出世作、「アンナ・ボレーナ」
の前半を聴いたが、
このオペラ、前半ですべての、
出来事が終わってしまっている。
妃アンナの侍女に心移りした王様は、
1幕でいきなり、じゃまな妃を罠にはめる。
悲嘆していた妃は、かつて愛した男と、
再会を果たした所を取り押さえられ、
完全に万事休すで幕が閉じるのである。


実際、これで後は裁判を待って、
死刑確定という流れだが、
前半で、もう一網打尽にまで行っているので、
もう物語としては終わったも同じである。

これ以上、何があるというのだろうか。
しかし、面白い事に、音楽は、
これからが高潮に向かうというのである。

ドニゼッティ自身も、そう考えていたのか、
このオペラの後半から想をとった、
器楽曲を残している。

それが、このCDに収められている、
「アンナ・ボレーナによる悲愴的楽興」???
という作品である。
「Amusement Pathetique」と書かれているが、
いかに訳すのだろうか。

「ヴァイオリンと管弦楽、ヴァイオリンと弦楽合奏、
あるいは、ヴァイオリンとピアノのための、
この作品は、ドニゼッティが、
演奏会用に書いた唯一のヴァイオリン曲である」
と解説されている。

「これら三つの版は、
調性や小さな変更はあれど、すべてオリジナルで、
ベルガモのドニゼッティ記念館に保存されている。
この作品の一風変わった性格は、
1830年の『アンナ・ボレーナ』最終幕の
要約版であることで、
器楽曲として、際だった華麗さや、
人を引きつける魅惑が再検討されている。
この作品は未出版のまま置かれ、
ルイジ・インザジの
ドニゼッティ・カタログで言及される、
最近まで知られずにいた。
最近、これは三つの現存する版で、
ボッカチーニ&スパーダから出版された。」

残念ながら、これ以上の情報がなく、
何故に、いつ頃、この作品が書かれたのか書かれていない。

クレメンティなどの研究でも知られる、
1935年生まれの音楽家スパーダが、
このCDではピアノを受け持っていて、
録音監修も手がけている。

先の楽譜を出しているのがスパーダだとすると、
何だか、もっと知ってるんじゃないの?
詳しく書いてくれよ、と言いたくなる。

下記、解説は、スパーダ自身のものである。
「ドニゼッティの室内楽:
偉大な19世紀イタリア器楽の伝統の、
比較的、歴史的に不明瞭な点、
これは同時代のイタリアオペラの、
めざましい勝利と世界的な成功によるものだが、
これが、研究者や演奏家を、
近年、イタリア作曲家の器楽に、
関心を向けることを妨げている。
もとより、作品の数量に関する限り、
ドイツのものと比べることは不可能であるが、
いくつかの場合、質的には比肩可能で、
霊感の上でも、技法の上でも、
イタリア作品は検討に値しない、
という印象があるが、
イタリアは、オペラの領域ほど
広範囲なものではなかったにせよ、
器楽の分野において、
明らかに一聴に値し、批評にも値する、
価値の作品を生み出す力を
持っていたことを示している。
19世紀イタリアの器楽作品の
状況の全容を掴むためには、とりわけ、
国外にいた、クレメンティ、ケルビーニという
二大巨頭に集約される展開を、
つぶさに見ていく必要があり、
彼等が作曲した最高の器楽作品のいくつかは、
19世紀になってから作られたもので、
基本的にドイツ文化圏、
さらに詳しくはヴィーンにおける
器楽曲の架け橋であり、
重要な輪が花咲いたものとなっている。
これら二人の偉大な作曲家を別にすれば、
後知恵ながら、
二つの歴史的な流れの存在が重要である。
これらの作曲家の基本スタイルは、
器楽作品にあり、
(とりわけパガニーニ、さらにヴィオッティ、
ローラ、ポリーニ、バジーニ、ボッテジーニ、
その流れでスガンバッティ、マルトゥッチ)、
もう一つは偉大な歌劇作曲家であり、
彼等によって、器楽曲は秘密裏に、
またある場合は、『生かじり』の状態で、
作られたものである。
後者のうち、何人かの作曲家は、
純粋の楽しみとして、
これらを隠し、ごまかしている。
二人を上げれば、ロッシーニとヴェルディがある。
他の作曲家、例えば、ベッリーニは、
器楽曲の練習は、若い頃の試作品とされ、
メルカダンデにとって、
器楽の分野は、数こそ少ないものの、
劇場作品に沿って、コンスタントに、
常に取り組むべきジャンルであった。」

ここから、ようやく、ドニゼッティの器楽曲の話となる。
全体の3分の2はすでに終わっている。

「ドニゼッティの場合は、実際、
純粋な楽しみ、何の制約もないものであったと言ってよく、
多くの一連の器楽作品は、作曲家としての初期のもので、
ロッシーニ(使い古されたオペラの伝統から離れて、
現在では、むしろ正当に重視されている、
喜遊や娯楽に満ちた器楽曲を残した)のような、
隠蔽や偽りの責任回避ではなく、
基本的に、真の楽しみとして扱われており、
個人的な嗜好のものである。
ドニゼッティの器楽作品における『遊び』は、
いかなる場合も、多産の産物と言え、
その17曲の弦楽四重奏曲や、
40曲を越える一連のピアノ独奏やデュオを、
思い描くだけで十分である。
取るに足らないものではないとは言え、
明らかに、ドニゼッティの真の資質が、
そこから判定できるものではなく、
興味深いものから、非常に楽しいものまであり、
中には、作曲家の劇場作品の、
最高の瞬間に迫る表現の深さを見せている。」

さて、歌劇「アンナ・ボレーナ」の後半も、
ここでおさらいしておこう。

以下、分かるように、ドニゼッティは、
このオペラの部分部分をポプリにしたのではなく、
最終場面のクライマックスをそのまま、
ヴァイオリン曲にしているのである。

前回のマリア・カラスの録音のCDの2枚目は、
こんな感じである。

第2幕:
第一場、ロンドン塔、
アンナが警備されて囚われている部屋の控えの間。

Track1.
侍女たちが、もう、一番信頼していたジョヴァンナすら、
尋ねて来ないと語る。
アンナが寂しげに入って来ると、みんなは忠誠を誓う。

このあたり、筋を知らないと、
単なる夕べの祈りの合唱にも聞こえる、
開放的で平穏な楽想が続く。

さすがに、最初から陰惨だと気が滅入るし、
第2幕全編の暗い雰囲気の対比に効果的と見た。
カラスのCDは、何だかごそごそ音が終始しているが、
実際に舞台上が動いているのか、マイクの具合が悪いのか。

Track2.
ハーベイが女たちに評議会に立てと命じるが、
抗議が起こる。アンナは、行けと言う。

この部分も、緊迫したシーンながら、
淡々と進む。

Track3.
一人になって、彼女は跪いて祈るが、
座り込んで泣き出す。

ホルンの響きが、祈りの感じをよく出しているが、
血なまぐさいロンドン塔のシーンとは思えない。
カラスは、私の印象では、
やたらと声を張り上げる人というイメージであったが、
ここでは、叙情的な表現で聴かせる。

Track4.
ジョヴァンナが入って来て、
困ったように、アンナの前に跪くと、
アンナは優しく抱き起こす。

このあたりから、この物語の核心になるせいか、
音楽はじわじわと緊張感を高めている。
しかし、オーケストラは、じゃかじゃかじゃか、
じゃっじゃっじゃっ、ぼんぼんぼん、
とやっているだけで、
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトらが、
器楽と声楽を対等に競わせるような気持ちは、
毛頭ないようだ。

Track5.
しばらくの逡巡の後、
ジョヴァンナは、王が、
もし罪を認め、王妃の地位を放棄すれば、
命は助けると言っていると語る。
アンナが、そんな事を良く言うと驚くと、
王の名のみならず、
アンナの後釜になる罪深い女のためにも、
譲歩を乞う。

ますます、声楽の共演は盛り上がって行くが、
こうして筋書きを追ってみると当然である。
この部分こそが、アンナの疑心が、
最高潮に達して行く部分だからである。

Track6.
自分にライヴァルがいると知り、
アンナは激怒し、天の祟りがそれを罰するべし、
と言う。罪の意識に苦しむジョヴァンナは、
言うことを聴くよう願うが、
アンナは新婚のベッドに幽霊が出ると言う。
ジョヴァンナがひれ伏すと、アンナは、
そのライヴァルがジョヴァンナだと知る。

もう、カラスの強靱な歌声にひれ伏すしかないが、
シミオナートが、まったく、遜色なく張り合って、
みごとな声の織物を織り上げて行く。
その際、オーケストラは、完全に沈黙して、
それに聞き入っているだけにも聞こえる。

Track7.
アンナは出て行けと言うが、
ジョヴァンナは自責の念を分かって欲しいと乞う。
泣きながらジョヴァンナは、
王につけ込まれた未熟を語る。
涙をいかに流そうとも、
いかに苦しもうとも、
彼女は王への愛を打ち消すことが出来ない。
アンナはいま、ジョヴァンナを起こし、
彼女を許されない愛に走らせたエンリコ王こそに、
罪があると言う。

シミオナートの声を満喫できる部分で、
さすが、ドニゼッティ、それぞれの歌手が、
その持ち味を発揮できる場面を用意している。

Track8.
今や、アンナは、ジョヴァンナを去らせ、
彼女のために祈ると約束する。
ジョヴァンナは、アンナの寛大の方が、
恐れる地位に登ることよりも耐え難いと答える。

ここからは、これまでのように、
単に舞台上から声を聴かされている感じではなく、
美しいメロディのデュエットが堪能できる。
そして、この流れで、この場面が終わるので、
観客は大喜びである。

ということで、後半の最初の1/3は、
ジョヴァンナと語るうちに、
アンナが真相を知ってしまう部分で、
最後の最後に大二重奏曲で盛り上がる。

第2場:
部屋の外で、評議会が開催されている。
Track9.
廷臣たちが集まり、
閉じられ、警護されたドアの後ろで、
何が起きているかをいぶかっている。
スメトンが尋問され、
若者が衝動的に、
不利な証言をしないことを祈っている。

これまた、呑気な雰囲気の情景で、
どうも、ドニゼッティは、
主人公の運命を見てるだけの人の、
他人事モードを、こうした牧歌で表現する傾向がある。

Track10.
ハーベイは、部屋から入って来て、
あけすけにほくそ笑み、
スメトンはアンナを助けようとして、
王妃との罪深い関係を認めたと言う。
廷臣たちは失望する。

合唱と独唱の対比であるが、
冷酷なオーケストラのリズムが気味悪い。

しかし、中間部で、
美しいメロディがあふれ出す所はさすがだ。

Track11.
ハーベイは、王が来るので、
廷臣はこの場から去るように言い、
やって来た王だけに、スメトンが罠にかかったと告げる。

急展開の慌ただしいリズム。

Track12.
それから、アンナとパーシィが、
別々の留置場所から護衛されて来る。
王が彼等から離れようとすると、
アンナは、評議会で有罪とされるより、
高位のものの特権として、
むしろ王の手にかかって死にたいと主張する。
不機嫌に王は、パーシィに服従した者に、
その特権はないと言う。

このあたりも、単に、レチタティーボで、
音楽が繋がれている印象。

Track13.
激高したパーシィが抗議するが、
エンリコは、アンナは音楽家と不実な関係で、
その目撃者もいるという。
激情にかられてアンナは、
エンリコこそ不実だと言い、
彼に死を宣告されても不名誉ではないと言う。
彼女の言葉はパーシィを動かし、
王はますます二人を葬らねばならないと考える。
パーシィが、正義が自分たちを救うと言うが、
エンリコの宮殿には正義はない、とアンナは言う。
エンリコは、直に新しい王妃が生まれると言うと、
パーシィは、自分が昔、アンナと結婚していた、
と言って報復する。
その近くによって、王はさらに真実を迫るが、
アンナはあまりの怒りに言葉が出ない。

ここでも、人間関係が、ああじゃこうじゃと、
ややこしいが、オーケストラは、
時折、じゃじゃじゃじゃ、じゃーと、
合いの手を入れているだけである。

Track14.
パーシィがアンナは子供の頃からの許嫁であったと回想し、
そして彼女の助命を乞うばかりと、
三重唱を歌い始める。
アンナは彼を諦めた自分を責め、
エンリコは一人、彼等を罰することを考えている。
彼は、彼等に審議会に出頭して、
昔の結びつきを白状せよと言う。

ここに来て、ようやく現れる、美しい三重唱で、
これまでのぐじゃぐじゃが、ようやく息抜きとなる。
こうなると、緊張を高めた後、
取っておきのメロディを聴かせるのが、
オペラの作法ということになる。

ここでの歌は、いかにも、男の方は、
純粋だが世間知らずな感じが出ている。
これに唱和するカラスの陰影に満ちた声が美しく、
王様は、呪いの言葉をぶつぶつ言っているだけである。

Track15.
再び、アンナの後釜になる新しい王妃について語ると、
パーシィとアンナは、英国人は、
新しい王妃の継承の背後にある事実を、
決して許すことはない、とその信念を宣言する。
アンナとパーシィは連行される。

王様の本領はここからが発揮され、
力強く、ずるがしこそうな声を朗々と響かせる。
それに対する、アンナたちの唱和も緊迫感みなぎり、
感情もあおられて、非常に美しい。
観客も思わず反応しているが、さもなりなんである。

Track16.
アンナの娘エリザベスも、
彼女の破滅の道連れにすることさえ考えながら、
エンリコは、ひとり、
ちょうど知った苦いニュースを熟考する。
ジョヴァンナが痛恨に苛まれて現れる。

王様の思いを伝える、深刻な序奏がついている。
が、後は、基本にレチタティーボ。

Track17.
彼女は自分がアンナの運命に、
荷担したことに耐えられないので、
王に、別れの挨拶をする。

基本的に深刻なレチタティーボである。
シミオナートの声にはドスが効いている。

エンリコは、彼女に自分が王だということより、
恋人であることを思い出させ、
すぐに結婚するのだと言う。
ジョヴァンナは、ただ、遠くに行って、
罪を償いたいと言うと、
ジョヴァンナが冷たくする態度は、ただ、
アンナを憎ませる気持ちを高めるだけであると言う。

すごいオレ様ロジックである。
じゃじゃーんと、オーケストラが一撃を食らわせる。

Track18.
絶望したジョヴァンナは、彼女は、
まだ、彼を愛していると言い、
その愛において、エンリコに、
アンナを殺さないよう願う。

ここでのアリアも、控えめながらメロディが美しく、
決意をこめて歌うシミオナートが素晴らしい。

Track19.
部屋のドアが開くと、
エンリコは、単に彼女の愚行を退け、
ハーベイは、アンナのエンリコとの結婚は、
無効であったと宣言、そのため、
共謀者と共に死刑と決定される。

トランペットが鳴り響き、勇壮である。

廷臣たちはエンリコを見て、
王たるものの慈悲で評決を覆して欲しいと乞う。

Track20.
泣きながらジョヴァンナは、エンリコに、
天もまた、慈悲を求めていると言うが、
エンリコの決心は変わらない。

ということで、この場面は、
アンナとパーシイ、エンリコとジョヴァンナの、
それぞれの思惑が美しいアリアによって、
歌い上げられ、見事に、
この第2幕、第2場を締めくくっている。

このように第2場は、結局、刑が確定するまでの筋。

第3場
ロンドン塔の警護された独房。
Track21.
アンナの侍女たちの、これまた合唱で始まるが、
何だか、シューベルトも書きそうな音楽で、
オーケストラも色彩的で、映えている。
私が、今回聴いて、最も動かされたのは、
この部分かもしれない。

そのせいか、観客からも、アリアでもないのに、
拍手が起こっている。

この部分では、さらに、
ベルリオーズもかくやと思わせる、
劇的緊張感に溢れた、素晴らしい序奏が聴ける。
ドニゼッティが序奏が得意なのは、
室内楽でも見られたとおりである。

ただし、録音が変で、
しょるしゅるとヒスノイズが乗っている。

侍女たちは、アンナの不憫な、
取り乱した様子を語るのである。

Track22.
この部分など、カラスが歌う、
アンナの思慮深く、ある意味、
純真な女性像が描かれて秀逸である。

オーケストラの分厚い弦が、
印象的に思索するような序奏を奏でるが、
まさしく、このメロディこそが、
ドニゼッティがヴァイオリンとピアノのための、
室内楽に書き改めた部分である。

「あなたは泣いているの、何のための涙なの。
今日は、私の婚礼の日、王様が待っているの。」

アンナは髪は乱れ、衣服もかまいなく、
独房から出てきて、何故、侍女たちが、
泣いているかといぶかる。
彼女は、混乱して、この日が、
エンリコとの婚礼の日だと信じているが、
その前にパーシイの幻影が見えて、
彼女をとがめる。
彼女は許しを乞い、どこかに行って欲しいと言う。

合唱は、まるでマーラーのような、
神秘的な響きまで予告している。

Track23.
ついに、聴きもののアリアである。
彼女は、子供の頃、過ごした家を思い、
初恋の頃を、もう一度、体験したいと思う。
この部分、どうやら、狂気のシーンなのである。

さすがに、聴衆の熱狂はすさまじい。

この部分も、ドニゼッティは、先の室内楽に、
移し替えている。

Track24.
太鼓が鳴り響き、驚いたアンナは、
ハーベイがパーシイやロチェフォートやスメトンを、
彼女の独房に連れて来るのを見る。
スメトンは彼女のもとに駆け寄って跪き、
彼女を破滅させたのは、自分一人であるという。
アンナの精神は再び錯乱し、何故、リュートを弾かないの、
などととんちんかんなことを言う。

さすがに、婚礼の行列は晴朗である。
ここの部分も、あの室内楽版には、
書き写されていて、泣き節に変化を与えている。

鳴り響くとされるのは、ぱらぱらと聞こえる小太鼓であろう。
アンナはすでに狂人であるから、
この平穏な背景の中、うわごとのような声を響かせる。
合唱が、彼女の状態を説明する。

この狂乱した部分もまた、室内楽版になって、
曲に切迫感を与えて、変化をつけている。

Track25.
錯乱の中で、彼女は天に救いを求め、
舞台裏で、大砲が轟音を立て、ベルが鳴り響く。
アンナはこの音は何と聴くと、
エンリコとジョヴァンナの婚礼の進行だと告げられる。
それを聴くと、アンナは、後、必要なのは、
自分の血が流されることだけだ、と叫ぶ。

この部分は、アンナの美しい祈りの歌(室内楽にも現れる)と、
大混乱の対比からなっていて、後半は、叫びまくりである。
が、大砲はいつ鳴ったのだろう。
最後には、女性合唱が、「天よ、彼女を助けたまえ」と歌う。

Track26.
そして、彼女は罪深いカップルを、
天が正義を下すよりも、むしろ、慈悲を願う。
彼女が慈悲を願うのを繰り返すと、
彼女は失神し、法官がやってきて、
牢に繋がれていた人たちを首切り台に連れて行く。

この最後の部分では、マリア・カラスが全権を委ねられ、
美しくも高揚した歌を歌い上げる。

当然、室内楽版を終結させるのも、
この勇壮なメロディで、
そのまま器楽曲に移し替えられるような構成で、
このオペラの各部が書かれていることが良く分かる。

さて、オペラの筋であるが、
このカラスのCDでは、
歌い終わる前から、聴衆は拍手を始めるので、
失神したかや、首切り台があるのかないのかなどは、
さっぱり分からない。

このCDの録音は、放送用の録音なのか、
1957年にしてはへんてこで、
時折、人の声のようなものが混信している。
基本的には、鑑賞の妨げにはならないが、
このあたりは、解説に書いて欲しいものである。

以上、聴いて来たように、
ドニゼッティのアンナ・ボレーナの各シーンは、
比較的牧歌風の群衆シーンの合唱で始まり、
最後は、強烈な情念を放射する独唱歌手の、
強引な感情揺さぶりによってドラマを形成している。

今回取り上げた室内楽の各曲の場合も、明らかに、
序盤とその後を対比させる構成が取られており、
華麗な後半に比べ、序奏部には、
シューベルト的とも言える、情緒の陰影が見られる。

得られた事:「ドニゼッティのオペラの序盤、または室内楽の序奏部は、明らかにシューベルトと同時代を感じさせる。」
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by franz310 | 2010-11-20 22:24 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その250

b0083728_22421538.jpg個人的経験:
前回聴いた、
プルトニョフらによる、
グリンカの室内楽、
今回は、残りの、
いささか奇妙な2曲について、
耳を澄ませてみよう。
先のCDにも収録されていたが、
このポリムニア・アンサンブルの
CDにも入っているので、
聞き比べも出来る。


「ロシアの室内楽の贈り物」と題された、
ポリムニア・アンサンブルのCDは、
このイタリアのアンサンブルが、
1999年1月13日、ロシア新年を祝う形で、
ロシア大使の邸宅にて演奏した、
ロシアの作曲家による室内楽のアンソロジーの
ライブ録音である。

つまり、イタリアに渡って、
美しい室内楽を残したグリンカへの、
イタリア側からの心温まる返礼を思わせる録音だ。

ここに収められた曲目は、
グリンカのベッリーニ奇想曲15分、
チャイコフスキーのハープ五重奏曲3分半
グリンカのドニゼッティ・セレナード21分半
グラズノフの「東洋の夢想」8分
バラキレフの八重奏曲11分、
ボロディンの「スペインのセレナード」2分半
というもので、グリンカだけを取り上げたものではない。

ただし、多くは小品で、
グリンカの2作品だけが際だって長い。

沢山の演奏家が並んだ写真を見ながら考えた。

これらの曲目を演奏するには、
ピアノ1、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、
チェロ1、コントラバス1、ハープ1、
フルート1、オーボエ1、
ファゴット1、ホルン1、クラリネット1と、
全員で12人必要。
管楽器では持ち替える人もいるのだろう。

ロシア大使が退屈しないように、
様々な編成が取られている。

そうした環境のせいか、何だか豪勢な室内であり、
いささか緊張した面持ちのメンバーは、
かしこまっているようにも見える。

中央には、紅一点で楽器なしの人がいるが、
その横の男性も手持ちぶさたの感じで、
横を向いてしまっている。

彼等は、手に持ちきれない、
ピアノ、ハープ、コントラバス等を担当したのであろう。
などと無責任な事を書くのも、
メンバー表もなく、解説もなく、
ブックレットには、ロシア大使による、
「素晴らしいイタリアのアンサンブルが、
ロシアの音楽を演奏した」みたいな挨拶が、
ちょこっと書かれているだけなのだ。
イタリア語なので、よく分からないが、
ECA(Enrico Castiglione Arts)というレーベルは、
聴いたことがないが、いったい、何を考えて、
このCDを発売したのだろう。

この写真に出ているメンバーは、10人しかいない。
弦楽四重奏分、管楽器もフルート、オーボエ、
クラリネット、ホルンは見える。
ファゴットは不明。

ポリムニア・アンサンブルのホームページを見ると、

「1992年のナポリでデビュー。
定期的に音楽イベント、国際的音楽祭に参加。
1985年以来、
モスクワ音楽院やサンクトペテルブクなど、
定期的にロシアを訪問。
Musikstrasseレーベルのためのロッシーニ、
ドニゼッティ、およびメルカダンテの室内楽。
ブソッティや、クレマンティなどの作曲家が、
その演奏に触発されて作曲している。
2003年以来、子供用音楽祭を運営。
重要なスポンサーのIBMがある。」

ロシアとの繋がりやアメリカの名門企業との繋がりが、
我々を混乱させる。いったい、何者たち?

メンバー表には、
ヴァイオリン:Marco Fiorentini 、Antonio De Secondi
Manfred Croci
ヴィオラ:Gabriele Croci
チェロ:Michelangelo Galeati
コントラバス:Antonio Sciancalepore
オーボエ:Luca Vignali
フルート:Carlo Tamponi
クラリネット:Ugo Gennarini
バスーン:Francesco Bossone
ホルン:Luciano Giuliani
ピアノ:Angela Chiofalo
とある。

ここでもファゴットはいない。
これがないと、グリンカのドニゼッティ・セレナードは、
演奏できないはずなんだが。

表紙中央の女性は、
ピアノのチオファロさんではないかと思われる。
しかし、この表にはハープがなく、
女性の横のそっぽを向いた男性は、
コントラバスのシャンカレポーレ氏であろうか。

さて、この編成なら、シューベルトの「ます」の五重奏曲を
演奏することも可能そうだが、
彼等のホームページのレパートリーには出ていない。

下記のように、ベートーヴェン、モーツァルト、
シュポアの管とのピアノ五重奏や、
モーツァルト、ブラームス、ウェーバーの
クラリネット五重奏のような名品、
シューマンのピアノ五重奏をやっているのに、
シューベルト、ブラームス、フランク、ドヴォルザーク、
ショスタコーヴィチらのピアノ五重奏はやっていない模様。

しかし、さすがイタリア、ドニゼッティやケルビーニ、
レスピーギやカゼッラは、しっかりと押さえている。

彼等のレパートリーの「五重奏曲」の表:
Baerman :Adagio clarinet, 2 violins, viola and cello
Beethoven :Quintet in E flat maj. op. 16
Brahms Quintet in B minor op. 115
Casella Serenade violin, cello, clarinet, bassoon and trumpet
Ciajkovskij Quintet harp and string quartet
Cherubini Quintet 2 violins, viola and 2 cellos
Donizetti Quintet 2 violins, viola, cello and guitar
Dussek Quintet violin, viola, cello, double bass and piano
Glazunov Reverie orientale clarinet and string quartet
Jolivet Chant du Linos flute, violin, viola, cello and harp
Mozart Quintet in A maj.K 581
Mozart Quintet in E flat maj. 452
Respighi Quintet strings quartet and piano
Roussel Serenade flute, violin, viola, cello and harp
Roussel Elpenor flute and string quartet
Schumann Quintet op. 44
Spohr Great Quintet op. 52
Spohr Fantasy and Variations on a Theme by Danzi op. 81
Prokofiev Quintet in G min.
Weber Quintet clarinet and string quartet
Weber Introduction, Theme and Variations

こんな表を眺めているだけで、
様々な想像が去来するので、丸写しにしてしまった。

例えば、チャイコフスキーのハープ五重奏曲は、
このCDでも聴けるが、
いったい、何時、どんな機会に書かれたものなのだろう。
伝記には、ハープと弦楽四重奏の習作が1863年頃にあるが、
これであろうか。
音楽院に入学した将来の大作曲家が、
様々な編成の作品を書いて実験していた時の一つ。

ゆったりした弦楽による序奏から、
後年のチャイコフスキーを彷彿させる、
懐かしい響きが聞き取れ、
ハープの登場は、妖精が現れるかのように美しい。
それにしても、いったい、誰がハープを弾いたのだろう。
が、やはり習作だけあって、特に何も起こらぬ前に消えてしまう。

また、五重奏からは離れるが、
最後に収められたボロディンの弦楽四重奏、
「スペイン風セレナード」が、
これより短い2分半の作品。

だが、これは、習作ではない。
有名な第2番の5年後に書かれている。
機会音楽で、ある音楽会のために書かれたらしく、
単純ながら、何だか、不思議な情緒を湛えた作品。
スペイン風かどうか分からないが、
妙にほの暗い情感が悩ましい。

あと、7分47秒で後半の始めを飾る、
グラズノフの「東洋的夢想」は、
クラリネットのエキゾチックな音色を活かした、
聴き応えのある小品。
弱音で弦楽四重奏がまさに夢のような儚さを奏でる中、
光が射すようにクラリネットが、
魅惑的な音色を聴かせる。
が、終始、弱音なので、これまた、
何だか分からないまま、終わってしまう。

習作と言えば、バラキレフのピアノ八重奏曲は、
1855年の作品とされるので、10分48秒。
1837年生まれの作曲家にしては若書きと言えるだろう。
これは、しかし、なかなか興味深い作品で、
シュポア風のピアノの名技が目を眩ませるし、
中間で出てくる主題は、懐かしさいっぱいで、
いかにもロシア的なオリエンタリズムを感じさせるものである。

バラキレフというと、チャイコフスキーに、
交響曲を書け書け、とせかしていた人、
という感じばかりがあるが、
自身、すぐれた音楽を書いていたのである。

バラキレフでは室内楽というのは珍しく、
この曲もピアノ協奏曲風である。
そうした珍しいレパートリーが、このCDでは聴ける。
このアルバムでは最大編成で、ロシア大使の家に、
音があふれ出したことであろう。

一応、このポリムニア・アンサンブル、
こうした弦、管の混成を得意としていて、
管楽を駆使したシューベルトの「八重奏曲」は、
彼等のレパートリーに入っている。
シューベルトが嫌いというわけではなさそうだ。

彼等のCDは、アゴラレーベルから主に出ていて、
このECAのものは一つしかない。

以上、書いて来たように、このCDでは、
グリンカは全体の6、7割を占める重要度ながら、
解説が皆無なので、前回の解説を流用して、
グリンカ作品を聴いてみよう。

ここには、グリンカのイタリアでの、
様々なアバンチュールに関する逸話が書かれていて、
非常に興味をそそられる。

「イタリアにいた間、
彼は1832年にはミラノ滞在した。
二年前に、この地に来た時は、
フランチェスコ・バジーリに学んだ対位法は、
彼には無味乾燥に思われ、場所を移したのだった。
彼のミラノへの帰還は、
『女を捜せ(事件の影に女あり)』によるものか、
あるいは、この際、女を捜したのか、
二人の愉快なレディーたちが、彼をそこに引き寄せた。
彼女たちは非常に音楽的で、
それゆえに彼の音楽能力を刺激した。」

しかも、この女性(たち)の影が、
これらの音楽に投影されているとすれば、
これらの作品を聴く時にも覚悟がいる。
はたして、どんな影が見えて来るのだろうか。

「彼の音楽、特に、室内楽シリーズは、
この年を通じて、絶え間ない流れとなった。
特に、興味深いのは、通常とは異なる編成、
ピアノ、ハープ、バスーン、ホルン、ヴィオラ、
チェロとダブルベースのために書かれた、
ドニゼッティのオペラ、
『アンナ・ボレーナ』の主題によるセレナーデと、
ピアノと弦楽五重奏曲のために書かれた、
ベッリーニのオペラ『夢遊病の女』の主題による、
華麗なる喜遊曲、そして、
ピアノと弦楽五重奏のための、
大六重奏曲変ホ長調である。」

怪しげに書かれていたので、
何だか、ヤバい筋の女性かと思ってしまったが、
下記を見ると、かなり良いお宅の子女という感じだ。
グリンカ自身、良家の子息であるから、
当然の成り行きなのかもしれないが。

「1832年の春に書かれた、
『アンナ・ボレーナ』セレナーデの作曲について言えば、
どうして、弁護士のブランカ一家、
特に、その娘で、
それぞれピアノとハープの優れた演奏家であった、
シリラとエミーリアと知己を得たか
についてグリンカは説明している。
また、このことが、
この曲の通常と異なる楽器編成となった理由である。
『仕上げのリハーサルで、
この曲は非常にうまく行った。
各楽器は、スカラ座の最高の奏者が受け持った。
有名なローラによって、
ヴィオラソロが演奏されたのを初めて聴いた時、
私は感激して涙した。』」

見えて来たのは、怪しい妖女の影ではなく、
ロシアの貴公子にふさわしいイタリアの令嬢たちの影であった。
しかし、ピアノとハープが掛け合う音楽とは、
何と、上品なイメージであろうか。
グリンカは、いったい、どちらの娘が気に入っていたのだろう。

では、この優美な作品、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」の主題による、
セレナードを聴いてみよう。

この曲は、ポリムニア・アンサンブル盤では3曲目に、
ロシア国立交響楽団の独奏者たちの盤では、
2曲目に収録されている。

こう書いて、妙な感慨に耽ってしまった。
つまり、作曲した側の国の演奏も、
作曲された側の国の演奏も聴けるということ。
両国の音楽家たちが、
これらの音楽を大事にしている感じが、
妙に微笑ましいではないか。

私は、ハープの分散和音に続いて響く、
ピアノの音色が金属的に響いて、
芯があるような、ロシア勢の演奏に、
何となく惹かれているが、
音のブレンドや、ムードを重視した、
イタリア勢を悪く言うつもりもない。

グリンカも半分プロで、
半分アマチュアのようなメンバーの演奏を、
想定して書いたに相違ない。

「このセレナーデは、序奏と6つのセクションが、
切れ目なく演奏される。
ほとんどの主題はオペラのタイトルロールの音楽から取られ、
序奏の後、第1幕の『カヴァティーナ』の楽想を、
ピアノとハープが奏で出す。
(カヴァティーナからの他のモチーフは、
モデラートセクションの二つの変奏で使われる。)
ラルゲットは、第2幕の三重唱から主題が取られ、
プレストはエンリコの『Salira d'Inghilterra sul trono』からのもの。
アンダンテ・カンタービレでは、
第2幕のアンナのカヴァティーナが聞こえ、
終曲はオペラの様々な主題を含んでいる。」

この曲のもととなった、
「アンナ・ボレーナ」とは、
イギリスのヘンリー八世の妃で、
不倫の罪を着せられ、
ロンドン塔で斬首された王妃、
アン・ブーリン(エリザベス一世の母)の事で、
上記史実をモデルにしたものである。

上記エンリコは、ヘンリー八世、
つまりアン王妃の夫で、彼女を死に追いやる人である。

第1幕のカヴァティーナとは、
アンナが、自分の地位の儚さを歌うもの、
こういう歌であるから、
おのずから、しっとりしたものである。
が、管楽器の七色に変化する音色や、
曲想のしっとりした微妙な移ろいは、
グリンカならではのものだ。
第2幕の三重唱とは、
王妃アンナ、王エンリコと、
彼女を愛するパーシイによるもので、
このメンバーから分かるとおり、
かなりヤバいシーンである。
アンナは、すでに罪人として扱われている。

エンリコの『Salira d'Inghilterra sul trono』は、
別の者が王妃になると王が歌う部分の歌詞であるが、
アンナを打ちのめすかなり威勢の良い曲想のもの。

第2幕のアンナのカヴァティーナとは、
このオペラでは特に有名なもので、
すでに罪を着せられたアンナが、
「懐かしい故郷のお城」と幼い日を回想するもの。

このように、ほとんどそのまま、
ドニゼッティの主題が利用されているが、
この夢幻の色調を誇る楽器編成で演奏された方が、
私には、ずっと美しく感じられた。

令嬢たちが奏で合ったピアノとハープを支え、
その他の楽器たちが、花道を用意していくような音楽。
ぴちぴちと跳ね回るピアノとハープは、
シューベルトの「ます」の幸福感を放ち、
至福の時を繰り広げていく。
このような音楽を作ってもらって、
それが、作曲家自身を感涙させる程、
効果的に演奏されたとすれば、
人生最高の時になったかもしれない。

しかし、筋書きやモデルとなった史実を見ても、
陰惨を極め、まともなものではない。
これから、令嬢たちの夢を紡ぎ出すとは、
いったいなんたるこっちゃ。

そんな夢も希望もなく、
怪しい陰謀を張り巡らせた悪が勝ち、
誰も彼もが情念をぶつけ合うものから、
こうした、幸福感に溢れた室内楽を書く、
ということはいったいどういった事なのだろうか。
換骨奪胎も良いところだ。

かなり、音楽というものに割り切りが出来ないと、
とても出来ない仕事であろう。

とはいえ、こうした仕事が求められた事も事実で、
ベートーヴェンですら、多くの変奏曲を残している。

シューベルトは、ロッシーニの音楽に心酔しながらも、
それをそのまま、売れる形態にするような事はなかったが、
何故だったのだろうか。

それとは違う切り口で、
グリンカの楽器活用の才能こそが、
それ程、秀でていたと言ってもいいのかもしれないが。

もし、シューベルトが、同様の仕事をしていれば、
下記のように、次々と仕事が舞い込み、
もっと楽な生活が出来たかもしれない、
などと空想する解説が続く。

「オペラをポピュラーにするため、
(今日ならCDに録音されるのだろうが)
当時、こうした楽曲は非常に重宝された。
有名なミラノの楽譜出版者、リコルディは、
このセレナーデを出版することをすぐに決定、
これが同様のジャンルの作品を書くことを、
グリンカに、自然に駆り立てたのかもしれない。
『華麗な喜遊曲』は、同様に1832年の春に書かれ、
もっと通常編成にて楽譜にされた。
ピアノとダブルベースを含む弦楽五重奏である。」

とはいいながら、グリンカ自身、これ以後、
こうした作品を書いていないので、
あるいは、まっとうな、
志高い作曲家の仕事とは考えなかったとも考えられる。

また、グリンカの色男ぶりは、
次の作品が、別の演奏家、
というか女性を想定している点からも見て取れよう。

「グリンカは書いている。
『この作品は、若い学生、ポリーニ嬢に捧げられた。
彼女は、ミラノの芸術家仲間の前で、
この曲を素晴らしく演奏した。』
この曲のピアノパートは非常に困難なもので、
我々は、書かれたとおり、ポリーニ嬢は、
名手だったと信じることが出来る。
この場合もまた、ほとんどの材料は、
タイトルロールと、オペラの最も劇的な場面から来ているが、
前の作品よりラプソディックではない。
序奏を除くと、この作品は4つの部分からなっている。
最も印象的なのは終曲で、
名技的な6/8拍子、
変イ長調のヴィヴァーチェで、
まさにタイトルのとおり華麗なもので、
グリンカの技法の、
長足の進歩を開陳している。」

この作品は、ロシア勢の盤では、
作曲された順なので、
ドニゼッティの主題によるものに続き、
3曲目に入っているが、
イタリア勢はCDの最初に入れている。

もの思いにふけるような序奏から、
当時の上流階級の夢を伝えて止まない。

こちらの曲は、シューベルトの「ます」に、
編成もそっくりで、ヴァイオリンが一つ多いだけである。
コントラバスを含むということで、
独墺圏の大作曲家によって書かれれば、
かなり大騒ぎされるはずのもの。

が、ピアノの名技性が前面にでて、
ピアノ協奏曲的であって、
ピアノ以外が弦だけということもあって、
前の作品ほど、色彩的ではない。

解説が特筆したように、
終曲だけが優れているわけではない。

管楽器の七色の音色がなくなったとはいえ、
途中、内省的とも聞こえる、夢想的、
あるいは焦燥感溢れる部分も登場する。

スケルツォ的に敏捷な部分もあって、
連続して演奏される
かなり変化に富む作品である。

が、原曲が、別の作曲家の作品である点を忘れるところだった。
そう考えると、グリンカ自身も、感涙にむせびながらも、
この美しさが、自分の実力かどうか、自問自答する一瞬が、
あったかもしれない。

その点、他の作品を引用するにせよ、
自作を引用したシューベルトは正解であった。
それにしても、他の作品を引用して、
室内楽を作るということは、
シューベルトの場合では特筆されているが、
こうしたケースではごく普通であったわけだ。

さて、解説の人が書いているように、
最後の部分は、ピアノが縦横に駆け巡って、
めざましい効果を上げるが、
ロシア勢の演奏の方が華麗である。

ポリムニア・アンサンブルのものは、
ライブらしく盛大な拍手こそあるが、
やはり、大使宅での社交の機会という雰囲気があって、
それほどの大演奏とも思えない。
が、こんな感じで、初演のポリーニ嬢も演奏したのではないだろうか。

得られた事:「グリンカの室内楽には、当時の上流階級の才女の影がちらつき、彼女らの夢見た幸福が見え隠れするようである。」
「が、こうした作品を書いて感涙するほどに、原曲が別にあるというジレンマを、グリンカは感じたのではなかろうか。」
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by franz310 | 2010-11-06 22:42 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その249

b0083728_22432717.jpg個人的経験:
前回、ロシア音楽の父、
グリンカのトリオを聴いて、
この作曲家が浮き名を馳せた
彼のイタリア時代について、
気になってしまった。
今回のCD解説には、
そのあたりの経緯が、
少し詳しく取り上げられている。
これは、珍しく、
その時代の作品を集めたもの。


ロシアの名ピアニスト、プリトニョフが、
ロシア国立オーケストラのメンバーを集めて、
挑んだ意欲的なアルバムである。
プルトニョフが登場するのは、
最後の「大六重奏曲」だけのようだが。

各種ソ連系の復刻で存在感あるRegisレーベルのもの。
背面には、初出時のものと思われるGramophone誌の
推薦文が載せられている。

「初期のマイナーなものながら、
独特のサロンの魅惑を持つ作品を、
求められる共感と愛情を持って演奏している。
成熟したグリンカの特色があり、
心地よいメロディのみならず、
装飾的な対位法にも長けている。
同じ作曲家のカマリンスカヤの、
弾むような輝かしいテクスチャは言うまでもないが、
多くの恋人たちの一人であった、
若いピアニストのために、
イタリアで書かれた大六重奏曲も、
七重奏曲も魅惑的である。
ムード的にはノクターンのような、
セレナードもあり、
そこには伸び伸びとした音楽の喜びが見られる。
録音は新鮮ではっきりとクリア。」

このように書かれているように、
93年のデジタル録音で、美しい。
プルトニョフが演奏したものは、モスクワ音楽院の大ホール、
その他はモスクワ放送のスタジオ5での録音とある。

グリンカの特殊な編成の室内楽が4曲、
78分47秒も入ったお得盤である。

そのうちの2曲は、
彼が影響を受けたイタリアの大家、
ドニゼッティとベッリーニのオペラの主題を扱ったもの。

他の二曲、七重奏曲、大六重奏曲も、
シューベルトの世界からは遠いことを感じさせ、
極めて特異な感じで、
まず、前者は2つのヴァイオリン、
チェロ、コントラバスというヴィオラを欠く弦楽に、
オーボエ、バスーン、ホルンが加わる。

ただし、これは4楽章構成で、
形式的には古典の影響があろうかと思われる。

大六重奏曲は、ピアノの弦楽四重奏、
さらにコントラバスで、シューベルトの「ます」に、
ヴァイオリンが一つ追加されたもので、
何となく、親近感を感じる。

ところが、この曲、3つしか楽章がなく、
それならどこが「大六重奏」かと言うと、
何と、全曲で25分もかかるのである。

ベッリーニの主題の喜遊曲はこれと同じ編成で、
13分ほどの単一楽章の曲。
ドニゼッティの主題のセレナードは、やはり、
単一楽章のものだが、20分の大物で、
これは強烈、ハープがピアノと共演し、
ヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに、
バスーン、ホルンが重なるという奇天烈編成である。

が、意外にこの編成、魅惑的な音色を聴かせる。
シューベルトの「ます」は、
フンメルの室内楽を参考にしたようだが、
フンメルのように全ヨーロッパを駆け回った音楽家の作品は、
こうした作品などにも、影響を及ぼしていると思われる。
フンメルにも、こうした雑多な編成の
セレナードがあることを思い出した。

それにしても、このデザインはないだろう、
というのが私の印象である。
そもそもRegisレーベルの最大の不満は、
この手の手抜きデザインにある。
リヒテルのシューベルトなどもあるが、
デザインがしょぼくて嫌になる。

大家レーピンの「コサックの貴族」
という絵画だそうだが、
グリンカのこれらの音楽が生まれた環境も、
実際、その音楽自身も、
ずっとこのデザインとは違ったものなのだ。

「ミハイル・イヴァノヴィッチ・グリンカが、
ロシア音楽の父という説明は、
世界中で知られている。
少なくとも、ピョートル大帝が、
西欧の文化を導入した時代から、
彼の前にも多くのロシアの作曲家がいたので、
この言葉は厳密には正確ではない。
しかし、これらの作曲家たちは、
外国の音楽を真似るばかりであった。
グリンカこそが、真の才能をもったロシアの作曲家で、
その系列の最初の人であった。
彼はロシア様式の作品を書こうと常に考えていたが、
この意志とは裏腹に、技法の点では、
西欧風のものであった。
グリンカはプーシキンの友人であったが、
魅力的な人物で、誰とでも友人になり、
多くの異性ともそうであった。」

ということで、前回のCD解説同様、
グリンカを語って、このように、
女性にもてもて、もしくはでれでれだった点が、
強調されている点が興味を引いた。

グリンカの肖像画は有名なものを見ると、
フクロウのようなおっさんにしか見えないが、
若い頃は違ったのかもしれない。

「同時代人は、次のように彼を描写した。
『彼は小男というには大きかったが、
普通の人よりは小柄であった。
しかし、重要な場面では、
彼の身体は均衡がとれ、がっしりと見えました。
南国人のように日焼けし、
近眼のせいかしかめっ面をしていたが、
話を始めると活き活きとして、
その個性的な快活な動作、
朗々とした声、力強いスピーチのマナーもあって輝いて見えた。』
ある人は、その異常な性癖も、
グリンカの特質として付け加えるかもしれない。
これが彼の人生をドラマとコメディーの奔流のようにした。
彼の音楽はその個性同様、魅惑的なものである。」

このように書かれると、
グリンカの桁外れな人生を、
音楽から垣間見たくなってしまう。

グリンカは、しかし、このように、
もともと、裕福なご家庭のご子息だったのである。

「グリンカは、スモレンスク近くの、
ノヴォスプレスコエの中上流階級の裕福な家庭に生まれ、
ピアノやヴァイオリン、フルートの音楽学習を含む、
一級の教育を受けた。
当時、ロシアには音楽学校がなかったので、
13歳になると、彼はペテルスブルクに移り、
アイルランド出身のピアノの名手、
フィールドから個人指導を受けた。
ロシアの首都で、グリンカは、
ロシアを代表する知的エリートに遭った。
例えば、彼のロシア語、ロシア文学の家庭教師は、
ショスタコーヴィチの第14交響曲の、
テキスト作者として知られる、
ウィルヘルム・キュッヘルベッカーであった。
グリンカが最終的に音楽に専心するまで、
運輸省務めをした。
その後、彼の主治医は、健康のために、
温かい南方での療養を薦めた。
そして、イタリア、オーストリア、ドイツにおける、
彼の日々(1830-34)は、その優れた、
語学の才によって、気楽なものとなった。」

ということで、20代後半の貴重な時期、
彼は、ベートーヴェン、シューベルト死後間もない、
独墺圏もたどりながら、
楽しい日々を謳歌したようなのである。

しかし、こんな所でショスタコーヴィチ関連の
人物が出てくるとは思わなかった。

「この時期、彼は修業時代を終え、
ベルリオーズ、メンデルスゾーン、
ベッリーニ、ドニゼッティらの知己を得て、
決定的な音楽上の刺激を受けることとなった。
彼が故国に戻った時、
ベッリーニやドニゼッティのようなスタイルの、
オペラ作曲家になろうと決めていた。
彼は事実、オペラ作曲家となったが、
彼の劇場作品は、数の上では、
イタリアの巨匠らに比較することは出来ない。
グリンカの最初のオペラは、
『皇帝に捧げし命』(もともとは『イヴァン・スサーニン』)
で、1836年に大成功をもって初演された。
これは、ロシア民謡を結びつけた、
近代的な西欧のスタイルで書かれた最初のオペラであった。
まず、新しい特徴として、中心となる人物が、
単純な小作農なのである。
1917年の革命後、
権威ある人たちが、
オリジナルの名称に代えたのは理解できるが、
我々は、明らかに無神論の国家の代表が、
グリンカが、オリジナル手稿に、
『Ivan SUAanin』と書き込んでいたのを見てどう思ったか、
不思議に思わずにはいられない。
ISUSとはロシア語でイエスを指す。」

ということで、解説は、いきなり、
グリンカの帰国後の話になっているが、
この話も面白かった。

とにかく、シューベルト死後、
まだ10年も経っていない時期、
彼は生涯の絶頂の大成功を収めたということであろう。
さらに、グリンカは、この後、
数奇な運命に翻弄されるようである。

「この成功が拍車をかけ、
グリンカは、今度はプーシキンの作品を、
ステージにかけようとした。
この『リュスランとルドミュラ』のリブレット作者は、
決闘で死んでおり、オペラの完成も大分遅れることになる。
また、この作品は一般には評価されなかった。
グリンカは落胆し、これ以後、
大規模な作品を書くことはなかった。
これまで休みなく動き回っていた彼も、
このオペラの1842年の初演以後、
すっかり気力を失ってしまった。
彼は西欧を旅し、さらに異常な生活に導かれた。
二年、スペインで暮らし、ワルシャワに三年暮らした。
ワルシャワの彼の部屋には、自由に鳥が飛び交い、
2匹の野ウサギとアンジェリクという名の少女がいた。」

シューベルトは短命であったが、
このような無目的な日々に陥る暇がなかったのは、
よかったような気がする。
シューベルトも渾身のオペラ二曲を書いたが、
これらは上演されなかったという不運もあったが、
失敗した時には、こんな痛手を被っていたかもしれない。

「グリンカが1857年にベルリンで亡くなった時、
彼は、以前の師匠であるジークフリード・デーンの許で、
再起を図ろうとしていた所だった。
彼は宗教曲を再発見し、フーガの勉強を始めていた。」

死の年になって、ゼヒターのところで、
対位法を勉強しようとしたシューベルトと似ている。
が、それとは別に、シューベルトは、
最後のミサ曲を完成させることが出来たので、
グリンカよりラッキーだった。
このように見ると、シューベルトは、
貧乏であったがゆえに、四の五の言わずに、
音楽に邁進できたのだ、と言えるような気がする。

「作曲家としてのグリンカは、基本的に独学で、
オーケストラの熟達した書法を考えると、
驚くべきことである。」

この記述を読むと、ベルリオーズのような例を思い出すし、
シューベルトはその点、サリエーリにばっちり基礎訓練を受けた、
プロの作曲家であった、と感じたりもする。

プルタルコスの「対比列伝」ではないが、
同時代の作曲家を考えると、妙に、
シューベルトの特長が浮き上がって来るではないか。

「彼は、飽くことなきスコアの勉強と、
実践活動を通じて、作曲の技術を消化していった。
彼は器楽のみならず声楽も学んだし、
短い時期ではあったが指揮者もしていた。
彼の最初の慣習的な理論の勉強は、
1833年から34年の冬にデーンのもとでなされた。
グリンカの音楽は、特にイタリアなど、
外国の音楽の影響を明らかに受けているが、
これは技術的側面に限られている。
彼の精神は完全にロシア人であった。
グリンカが外国の作曲家に及ぼした影響は、
見落とされがちである。
『ルスランとルドミュラ』の悪の魔術師、
チェルノモールの名前にちなんだ全音階、
チェルノモールスケールなどで、
彼は音楽語法の開拓に重要な役割を果たしている。
この音階の影響を受けた作曲家には、
ドビュッシーがいて、ラヴェル同様、
深くロシア音楽を研究し、一般に考えられているより、
はるかに影響を受けている。」

このように、この解説、かなり熱のこもったもので、
グリンカの魅力を多方面から訴えて迫力がある。
ここまで書かれると、
グリンカの音楽を無視することは不可能だ。

著者の名前を見ると、Per Skansとある。
1994年のものとあるから、
録音時期と隣接しており、
プルトニョフが依頼して書かせた、
オリジナルかもしれない。

「ピアノ曲を別にすると、
グリンカの室内楽は1ダースにもなり、
ほとんどが1830年頃に書かれている。
とりわけ多いわけではないとも言える。
フィンランドの作曲家、
ベルンハルト・ハインリク・クルーゼルの
有名な『クラリネット四重奏曲』によって、
シリアスな音楽に開眼したとされ、
これまた室内楽であった。
当時、ノヴォスプレスコエでは、
隣の領地シュマコヴォのアマチュアオーケストラで、
グリンカは演奏しており、
巨匠たちの作品に熱中していた。
この楽団のメンバーのために、
おそらく1823年頃、変ホ長調の七重奏曲は書かれた。
彼の多くの初期作品同様、特別な機会に、
特定の人たちが演奏することを想定した機会音楽である。
これは通常とは異なる編成からも見て取れ、
オーボエ、バスーン、ホルン、二つのヴァイオリン、
チェロとダブルベースのために書かれている。
4楽章という点からも、
シュマコヴォのオーケストラで、
グリンカがヴィーン古典派に出会ったに違いないと思われる。
後に、彼は、この作品を『若気の到り』と見なしている。
『それから私は作曲を始めた。まず、七重奏曲、
そして、オーケストラのための『アダージョとロンド』。
もし、これらがV.P.エンゲルハルトが保管している、
手稿の中に発見されたりしたら、
私が音楽に対して無知だった証拠が分かるだけだ。』
公正な評価をすれば、『若気の到り』などではなく、
非常に印象深いものだと分かるのだが。」

グリンカの生涯を概観した後、
作曲家自身の言葉を交えながら、
各曲の解説に入って行くあたり、
なかなかうまい解説である。

ここからが、グリンカ19歳の頃に書いた、
「七重奏曲」の解説となる。
1823年と言えば、シューベルトは、
後期に向けて飛躍を準備していた年であるが、
すでに26歳。
若い頃の7年の差異は大きい。

が、紛れもなく、シューベルト存命中の一曲。
異郷のグリンカが、始めて発した産声である。
それは、決して、その地を越えて響くことはなかったが、
シューベルトの生きていた時代の声であったことは確か。

私が、この曲を最初に聴いた時に感じた、
何だか変な曲という感じは、
こうした若書きということと共に、
若さ故のこわいもの知らずの一面があったと思われる。

「厳かな序奏、アンダンテ・マエストーソは、
我々をハイドンやモーツァルトの世界に連れて行く。
続くアレグロ・モデラートもまた、
予測できない半音階の要素があるとはいえ、
まず、ヴィーン古典派に比較できるものである。
提示部の終わりにかけ、
三連符のひらめきのパッセージがあり、
前代未聞の七連符が来る。」

序奏部は、比較的、オーソドックスで、
極めて高い緊張感と共に、
何か、新鮮な空気がみなぎって来るのが感じられる。
チェロが、浮かび上がって来るのも面白い。

主部は、二つのヴァイオリンが神経質に刻むリズムの、
素晴らしい推進力の上に、様々な楽器の音色が明滅する。
このヴァイオリンのぎこぎこ音が稚拙なようで、
妙に独特の色合いを出している点にも注意がいく。
第2主題も、オーボエとバスーンの掛け合いが牧歌的で良い。

8分以上もかかる大規模構成の第1楽章で、
ハイドン、モーツァルトと解説にはあるが、
ベートーヴェン的とも言える迫力、
フンメル的とも言える色彩感があって不思議。

三連符とは、たたたーたたたーと連呼される、
「運命主題」のような音型であろうか。
こうしたリズムの点からも、まったく退屈させない音楽である。

「第2楽章はアダージョ・ノン・タントと記され、
単純な民謡風のメロディからなり、
いくつかの変奏が続くが、おそらく、
作曲家の霊感に技法が付いて行っていない。」

ここでは、各楽器が独特の音色を聴かせ、
確かに、グリンカの実験的な書法は、
あちこちで聞こえなくても良さそうな音が重なり、
いくぶん未整理で、あの手この手を繰り出しすぎ、
みたいな感じがするが、それはそれで微笑ましい。
5分ほどの音楽。

「続くメヌエットは、それに対照的に、
技術的には一つの宝石のようで、
個性的でメロディは優美、
トリオ部では驚くべき半音階的書法が見られる。」

このように、第3楽章がメヌエットである点、
ヴィーン古典派風で、明らかに、彼のオーケストラは、
先端の音楽をやっていたようだ。

楽しいピッチカートの書法など、
心浮き立つ素晴らしい楽章である。
トリオ部との対比も美しい。
あっという間の3分半である。

「終曲のロンドでも、和声が素晴らしい効果を上げており、
長調と短調を奇妙にスイングし、
最後に変ホ長調が凱歌を上げる。
この作品のように、グリンカは、
始めてロシアのメロディを、
西洋の形式に溶け込ませた。」

これまた、極めて完成度の高い終曲で、
対位法的な装飾も見られ、グリンカの驚くべき才能が見てとれる。
各楽器がそれぞれの存在感をたっぷりと発揮し、
まさしく、シューベルトの「ます」にも比すべき、
音楽の喜びが充溢している。
エンディングなどは、「ます」に酷似している。
ただし、演奏時間は3分と短い。

すでに、「グラモフォン」誌に書かれてしまった事ではあるが、
この演奏、こうした試作品のような若書きにも、
共感豊かに取り組んでくれているのが嬉しい。
楽興の時が繰り広げられている。

続いて、セレナードやディベルティメントが入っているが、
今回は、他の作曲家に触発されたものではない、
「大六重奏曲」について先に聴いてしまおう。

ここでは、プルトニョフが、極めて意志的な音楽を聴かせ、
ホールも大きいせいか、音楽が一回りも二回りも大きく聞こえる。
ピアノが名技的である分、他の楽器が伴奏風になりそうだが、
要所要所で、輝かしいソロが入る。
1832年の作品なので、グリンカは28歳。
ショパンの協奏曲が書かれた時代。
それよりも、音楽は立体的で、
ピアノが休みなく歌い続ける点からも、フンメルの楽曲を思い出す。

「大六重奏曲は、1832年の夏から秋に書かれた。
コモ湖に近い美しい風景の中でグリンカはこれを書いた。」

いかにも、シューベルトに近い時代を思い出すエピソードではないか。
「ます」の五重奏曲も、美しい自然から生まれた。
が、グリンカの霊感の源は、それだけではなかったようである。
第2楽章の濃厚な官能性からも、それは明らかなような気がする。

「この作品も、若い女性のピアニストのために書いたが、
彼女は結婚していたため、恐れを感じ、その代わりに、
被献呈者として友人を推薦した。
幅の広いピアノのための独奏は、
小オーケストラのように、弦楽四重奏に支持されて、
時としてピアノ協奏曲のような響きを立てる。」

このように、この曲の発想が、
室内楽と協奏曲の間のような点があるので、
「大六重奏曲」という名称には、
感じ入ってしまった。
協奏曲のような3楽章形式も、
実は何の不思議もなかったわけだ。
この規模の楽曲である。
特殊な編成でなければ、
もっと取り上げられた作品ではなかろうか。

「第1楽章の、ソナタ、アレグロは、
ただちに力強い『生の喜び』と、
豊かな旋律の発想を聴かせ、
明らかにグリンカが、
イタリアの風景に囲まれていたことを感じさせる。」

しかし、いきなりピアノが爆発するような、
序奏を奏でるあたり、強烈な主張を持った作品である。
続いて現れる夢見るような楽想も美しく、
作曲家の霊感が噴出している。
チェロとヴァイオリンが歌うメロディなどは、
何となくヴィーン風の印象すら受けてしまう。

絶好調のフンメルもかくやと思わせる。

この解説者は、「七重奏曲」の解説の熱気はどこかに行ったようで、
この曲では解説がいい加減である。
「夢見るような、第2楽章は、
『舟歌』の形式で、明らかにイタリア風である」
などという書き飛ばしは、
この美しい楽章を、もっとしっかり描けよ、
と言いたくなるではないか。

途中から舟歌というより、
嘆きの歌のような弦楽の掛け合いがあり、
恋する者の悩ましい心情が生々しい。
胸の鼓動、語らい、ためらい、
さまざまなものが感じられる。

そのようなひとときも、
舟歌のリズムと共に、
遠く遠くへと誘われて行くようである。
これは、献呈された人妻が困ったとしても仕方がない。

しかし、グリンカは、何故、この後、
室内楽を書いたりしなかったのだろう。
代表作がオペラ2曲だけというのでは、
このあたりの作品が、いくら美しくても、
習作として片付けられてしまう。

「猛烈なエネルギーに満ちた終曲は、
形式的にアーチを描き、
曲頭のモティーフを回想して終わる」
という、終曲の解説も、エネルギー以外に、
まるで具体的でない。

終曲の狂ったようなリズム感は、
イタリアのサルタレッロであろうか、
あるいはスラブ舞曲であろうか、微妙。
第2楽章の愛のひとときを笑い飛ばすような趣き。
まるで、サン=サーンスやラヴェルのピアノ協奏曲のようだ。

ただし、グリンカは、
習作の「七重奏曲」では、極めてロシア的であったが、
この曲では、素性が明確でない。
快活で発想豊かなグリンカ印は認められるが、
ロシア的とは言い難い。
しかし、素晴らしく活力と霊感に満ちた魅力的な作品であった。

イタリア時代の浮き名に関しては、次回に回す。

得られた事:「グリンカの室内楽曲は、各楽器の主張も心地よく、音楽の喜びに溢れている。」
「グリンカはロシア音楽の父となって、あるいはその威厳ある肖像画からも損した部分もありそう。」
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by franz310 | 2010-10-30 22:43 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その248

b0083728_1440399.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオの
CDと言えば、
やはり本場物の先入観で、
ロシアのアレンスキーの
トリオの方を良く聴いた。
この作品は、
非常に甘美なもので、
表紙絵画の、
爛熟の花々は、
それらしくこの曲を表現している。


この絵画はしかし、スコットランドの
ナショナル・ギャラリーにある、
ガスパール・フェアブリュッヘンの
「果物と花」というもので、
17世紀オランダ絵画と思われ、
曲の文化的背景とは全く関係なさそうである。

このCDは、1986年6月に、
英国エセックスのLayer Marney教会でなされたという。

この時代、この作品の録音は、あまり多くなく、
その意味でも興味をそそるものであった。

併録されているのが、
グリンカの「悲愴トリオ」というのが、
また気になるではないか。

が、こちらは、あまり悲愴ではなく、
まったくもって、どこが悲愴か悩ましいものが、
それに関しては、解説にも書かれているので、
請うご期待。

「これら二つの作品は、
60年以上も時を隔てているとはいえ、
共にロシアの作曲家によるもので、
共にメロディの才能があり、
甘美な和声を愛し、
その熱狂を後継者に引き継がせた者たちであった。
偶然ながら、ロシアから遠く離れて客死しており、
アレンスキーはフィンランドで、
グリンカはベルリンで亡くなっている。」

という風に、このCD、
作曲家の組み合わせが、非常に苦しいもので、
ロシアの作曲家であるだけで、
1804年生まれのグリンカは、
アレンスキーが1961年に生まれる4年前の、
1857年に亡くなっており、
2世代以上の隔たりがある。

グリンカがシューベルトの同時代人であるのに対し、
アレンスキーは、マーラーの同時代人なのである。
しかし、グリンカは53歳、
アレンスキーは45歳で亡くなっており、
どちらも若くして亡くなった人である点は、
共通しており、
ここに収められた二曲も、
グリンカが28歳で作曲したものと、
アレンスキーが33歳で作曲したものであるから、
そういう意味では初々しい作品たちと言えよう。

まず、アレンスキーについてのお話が、
このCD解説では出てくるが、
この人は、チャイコフスキーとラフマニノフを、
繋ぐような役割であって、
そこから連想されるとおり、
非常に甘美な音楽を書いた人である。

「アレンスキーは、ペテルスブルク音楽院にて、
リムスキー=コルサコフに学んだこともあったとはいえ、
彼の音楽嗜好は、チャイコフスキーに似ており、
リムスキー=コルサコフを含む『五人組』の国民楽派と、
折衷的なアプローチをしたチャイコフスキーとバランスをとった、
モスクワ音楽院に近く、
ペテルスブルクで金メダルを取った後、
彼は、理論と作曲の教師としてここに赴任した。
彼自身の最も重要な弟子にはラフマニノフがいる。」

チャイコフスキーは、かなりブルジョワ的な仕事をしたし、
ラフマニノフは、ソ連政権を嫌って戻らなかった亡命貴族であったが、
それに連なって、アレンスキーは、ソ連時代、
あまり評価されなかったのではないだろうか。
これは憶測であるが。

このような憶測をしたのは、
下記のような、
演奏会で主要演目になりうるような大作を、
かなり多く書いているのに対し、
日本ではレコードに恵まれなかったからである。

1987年のクラシックレコード総目録でも、
アレンスキーの名前では、
エルマンが弾いた「セレナード」一曲しか出てこない。

「アレンスキーは3つのオペラ、2つの交響曲、
ピアノ協奏曲、シェークスピアの『テンペスト』への付随音楽、
多くの合唱曲、2つのピアノ三重奏曲を含む室内楽などがある。
ピアノ三重奏曲第1番は、
『五人組』結成者であるバラキレフが、
聖ペテルスブルク王室聖堂の音楽監督の
後継者にアレンスキーを任じた、
1894年に出版された。」

この他、ヴァイオリン協奏曲や、
弦楽四重奏曲、ピアノのための組曲などがあるようだ。
どれも私は聴いたことがない。
チャイコフスキーとラフマニノフに似ているなら、
そちらの有名な方を聴けば良いという心理が働くのであろうか。
いや、そもそも、録音自体、まだまだ少ないのである。

しかし、この三重奏曲は美しい。
「この三重奏曲は、5年前に亡くなっていた、
カール・ダヴィドフに霊感を受けている。
ダヴィドフは、ロシアのチェロ流派創始者、
チェロの名手で、この三重奏曲は、
彼が1876年から86年まで監督をつとめた、
1863年以来の聖ペテルスブルク音楽院での、
彼の業績の死後の証言となっている。
第1楽章は3つの主題からなり、
第1のものは劇的で、
第2のものは叙情的、第3のものは激しい。」

第1楽章の解説はこれだけであるが、
曲の冒頭から、劇的というか、
憂愁を秘めたメロディを、
たっぷりとヴァイオリンが奏で出す。
そこにチェロが絡んで来て、
ピアノの音色も深く美しい。

この主題を歌う時、ドゥビンスキーの胸は、
共感でいっぱいになっていたはずで、
彼には珍しく、望郷の歌のようなものが感じられる。

1986年と言えば、彼等が亡命してから10年、
このような形であれ、節目の年、
祖国を思う機会があったことは、
おそらく貴重な体験であったはずである。

しかし、名チェリスト、
ダヴィドフを偲ぶという楽想ではあろうが、
最初からチェロで歌わせてやれば良かったのに。
ダヴィドフは、
20世紀の名女流、デュプレが弾いていた楽器の名前ではないか。

叙情的とされる第2主題は、
遠くを力強く見やるような、
これまた美しいもの。
激しい第3主題は、
民族舞曲的なリズム感を持ち、
少し、心を高ぶらせるが、
すぐに、暗い情念に落ちていく。

とにかく、全編が、
ラフマニノフばりの泣き節であるから、
この曲を聴いて、
まったく感情が揺さぶられないでいる事は難しい。

「これに、『アレンスキーのワルツ』と呼ばれるものの、
一例のような陽気なスケルツォが来るが、
第1楽章のもの思いにふけったコーダから自然に続く。
このスケルツォは形式というより、
ムードの上のもので、本質は中心部のトリオのワルツにあり、
主部の明るいスケルツォと激しい対象をなし、
メンデルスゾーン風の繊細な色合いを持ち、
ピッチカートのパッセージのスパイスがきいている。」

この第2楽章は、ここに書かれているように、
メンデルスゾーン風に、妖精が飛び跳ねる楽しいもので、
中間部のワルツは、ピアノがじゃんじゃか打ち鳴らされて、
ゴージャスでさえある。

ちなみに、ダヴィドフは、メンデルスゾーンの
ピアノ三重奏曲を演奏によって世に出たとされるが、
こうした背景までは、作曲家も知っていたのだろうか。
ダヴィドフは、1838年生まれなので、
アレンスキーより23歳も年長である。

ただし、アレンスキーがペテルスブルクで学んだ、
1879年から82年といえば、
ダヴィドフが音楽院の院長を務めていた時期であり、
そうしたエピソードを聴く機会もあったのだろうか。

また、ダヴィドフは、それ以前、
ライプツィッヒにいて、
ゲヴァントハウスの独奏者になったり、
音楽院で教えたりしていたから、
メンデルスゾーンとは、
切っても切れない関係にあったのかもしれない。

「エレジーもまた中間部を持ち、
主部の弱音器付きのチェロと、
ヴァイオリンの会話と軽い対比がなされている。
この中間部ではピアノが暗い色調の点描風の伴奏を行い、
リラックスしたムードを醸し出して秀逸である。」

この第3楽章も濃厚にロマンティックで、
泣かせるメロディーが嫋々と歌われる。
この解説にあるように、
ヴァイオリンとチェロがもぞもぞやっている中を、
ピアノがちょんちょんとやって見たり、
泉のような分散和音をピアノが奏でる中を、
ヴァイオリンが瞑想的な歌を聴かせるなど、
中間部も独特で面白い。
これは、後で回想されるので忘れてはならない。

「終楽章は、劇的なロンドで、
二つの主題を持ち、一つは強く活発で、
第2のものは、二つの弦楽によってより優しい。
アンダンテのエピソードでは、
エレジーの中間部が回想され、
さらに第1楽章の最初の主題が現れ、
作品の統一感を出している。」

これは激しい音楽である。
ダヴィドフが51歳という若さで亡くなった事に対する、
理不尽さの現れであろうか。
それを慰めるような、二つの弦楽器の精妙な掛け合いが美しい。
そして、前楽章の泉のような楽想が現れる。
この水の流れに乗って、ダヴィドフの魂は運ばれていくのであろうか。

そして、再び、最初の嘆きの主題が出るあたり、
まさしく、この曲も、ロシアの伝統である、
「悲しみの三重奏曲」であると感じさせられる。

ユリウス・ベッキー著の
「世界の名チェリストたち」の、
ダヴィドフの項を読んで驚いた。
「チャイコフスキーは彼を『チェロの皇帝』と呼び、・・
ダヴィドフの特別の崇拝者の一人だった
アントン・アレンスキーは、
彼の想い出を素晴らしいピアノ三重奏曲に作曲した」
と明記されていたからである。
きっと、この曲は、例のメンデルスゾーンとの関係以上に、
秘められた意味があるのだろう。

ダヴィドフ自身、多くの作曲も残しているようなので、
それもまた興味があるが、今回は深追いしない。

さて、シューベルトと同時代人で、
ロシアの生んだ大作曲家としては、
グリンカを忘れるわけにはいかない。
しかし、グリンカはアレンスキー以上に、
私たちにとっては把握しにくい存在ではなかろうか。

ここでもかつて、
彼が書いたピアノ曲が含まれるCDを聴いたが、
まったくロシア的ではなかった。
これと同様の事は、このCDの作品でも言えるようで、
いきなり、それについての解説が始まる。

「グリンカのトリオは、
『五人組』の活動を通じて、
ロシア国民楽派の灯りを導いたバラキレフの、
初期の発展に重要な励ましを与えた、
『ロシア音楽の父』の作品と認める事は、容易ではない。」

ピアノ曲の場合も極めてサロン的で、
別にロシア的ではなかった。
ややこしい事に、夜想曲の創始者、
フィールドがロシアで活躍したために、
フィールドとグリンカのイメージがごっちゃになり、
フィールドから直接連想される繊細なショパンと、
のちに荒くれたちを排出するロシア音楽が相容れない雰囲気なので、
グリンカを無視したくなるのである。

しかも、それらは、散発的な現象であり、
まともに大曲になっているものがこれまた少ない。
オペラは有名だが、器楽曲となると、
アレンスキーと違って、交響曲も協奏曲もなく、
室内楽でも、初期のものがぱらぱらあるだけ。
いったい、この人は何なのだ、と言いたくなる。

ここに収められた、ピアノ三重奏は、
そうはいっても、日本では古くから、
オイストラッフの演奏で知られたもので、
このオイストラフのビクター盤には、
チェリストであり、ロシア音楽研究の第一人者であった、
井上頼豊氏が簡潔な解説を書いておられる。

「グリンカの室内楽作品は9曲あるが、
すべて初期の作品で、そのうち5曲までが、
イタリア留学中の作品である。
グリンカは1830年春、
イタリアへ出発し、3年をすごし、
その間に歌曲・変奏曲・室内楽曲を書きながら、
南国の陽気な旋律がロシア人とは合わないと感じはじめていた。
この「悲愴」は1832年9月から10月にかけて、
28歳のグリンカがスイス国境に近い
バレーゼで書き上げたもので、
原曲は、ピアノとクラリネットとファゴットのために書かれたが、
現在では管楽器のパートをヴァイオリンとチェロで受け持つほうが、
一般的になっている。
グリンカはこの曲の扉に、
『悲愴三重奏曲の断章。コモ湖畔にて』と書いているが、
まさにこの曲は4楽章だが多分に断片的で、
後年の病いの原因となった
<はげしい絶望感>に満ちている」
と書いているが、どこがはげしい絶望かは意味不明。

このシャンドスのCDにも、この「悲愴」のタイトルは、
かなり疑問視されている。
「ピアノ、クラリネット、バスーンのために書かれた、
オリジナル出版時、付けられたタイトルも変である。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための、
Hrimaldyによる編曲によって、
この作品はレパートリーに残ることになった。
この作品は、28歳のグリンカが、
健康上の理由でイタリアに滞在していた、
1832年に作曲され、
ミラノ音楽院の音楽監督と共に、
作曲に取り組んだことから、
ドニゼッティやベッリーニの影響下にあり、
医者によって、毎日、彼が胸部に塗る必要を命じた、
薬の臭いがする。
哀れな作曲家は、自伝に、
『私は、愛が運んでくる痛みによってのみ、
愛というものを知った』と書いたような環境下は、
基本的に朗らかで叙情的なこの作品が、
『悲愴』という見当外れなタイトルを、
持つ口実にするには十分であろう。」

難しい事を書いてくれている。
胸部に塗られる膏薬の臭いがする音楽とは、
いったい、どの部分を指すのであろう。

イタリアの作曲家からの影響は、井上氏も、
「ドニゼッティの影響も見えるが」と書いて認めているが、
「グリンカ特有のロシア的パトスが顕著である」と、
反対の結論で終わっている。

いったい、この曲は、「悲愴」なのかどうなのか。
「ロシア的パトス」はあるのかないのか。
そもそも、「グリンカ特有」というのが良く分からない。

さて、今回、CDの解説を見るとこうあるではないか。
「ロシア的パトス」はいいから、このイタリア的な官能を、
見つける方が楽しそうである。

「この作品は4楽章からなるが、
4つの関連する部分からなる、
1楽章の作品の性格を持つ。
それは、全編を通じ、グリンカが、
『小さなイタリアのベッドルーム、
窓を通じて、美しい月光が輝き、
そこには、美しいイタリアの少女が横たわっている。
彼女の黒い髪は、すべてではないが乱れ、
肩に、胸にと落ちかかっている。
彼女は素晴らしい。いやそれ以上だ。
彼女の全てが、その情熱と妖艶を確信させた』
と書いているような、
イタリアの温もりを想起させる。
彼の友人が、グリンカについて、
『彼は音楽を愛し、ペチコートを愛した』
と書いたとしても驚くには値しない。」

この曲は、一応、CD背面にあるように、
第1楽章、アレグロ・モデラート(5:55)
第2楽章、スケルツォ、ヴィヴァーシッシモ(3:53)
第3楽章、ラルゴ(5:48)
第4楽章、アレグロ・コン・スピリート(2:04)

やたら、終楽章が短く、
それに先立つラルゴが、
終楽章の3倍近くの長さになる点、
第2楽章にスケルツォが置かれ、外見的には、
ベートーヴェンの「第9」みたいだということが分かる。
が、そんな大がかりなものではない。

が、井上頼豊氏が言うように、
「断片」であるのだとしたら、
本来の構想は、もっと別にあったのかもしれない。
そもそも完成作として聴くべきかどうかも悩ましい。

私は、これらの解説を読んで、完全に混乱気味である。
イタリアの官能を聴くべきか、
ロシア的パトスを聴くべきか、
さっぱり分からなくなっている。

あるいは、イタリア的官能の中の、
ロシア的パトスを聴くべきなのだろうか。

「最初の3楽章は、中断なく演奏され、
フィナーレでは、すでに出てきた材料を利用した、
短いエピローグが付く。
アレグロ・モデラートにおいて、
主要主題は、最初から、
エネルギッシュで興奮しており、
叙情的な第2主題と対比されながら、
展開されるに連れ、情熱を増す。」

これはCD解説であるが、井上氏は、
こう書いて、いきなり「悲愴」的であると断言傾向。
「第1楽章は劇的な主題を中心に各楽器が激情的に高揚する。」

確かに叩き付けるようなヒステリックな主題で始まり、
第2主題は、その緊張を和らげるような、
なだらかなもの。

何だか、アリャビエフの
「ナイチンゲール」みたいな趣きもあって、
そこがロシア的パトスかな、
とも思うが、終始歌い続けるピアノなど、
フンメル風でもあり、
ロシア的というよりはるかにそちらに近い。

というか、発想そのものが、
ベートーヴェン的でなく、
フンメル的と言える。

フンメルのピアノ入り室内楽は一世を風靡したが、
元は、弦楽ではなく管楽を使っていた。
そういった意味でも、
もともと管楽器のために書かれたという、
このグリンカ作品との、関係は濃厚に見える。

「スケルツォ風のヴィヴァーチッシモは、
チェロによって導かれる、
美しいメロディのトリオを持つ。」

この楽章は、シューベルト風とも言える、
中間部のメロディが美しい。
これに関しては、井上氏は述べず、
こう書いている。
「第2楽章は第1楽章の要素を受けて、
旋律的で、比較的短い。」

この楽章の屈託のなさは、
まさにロシア的パトスからは遠く、
南国の香りの方が強い。

「イタリア風のカンティレーナは、
愛らしい『ラルゴ』(第3楽章)に明白で、
愛する追憶の、もの思いに沈んだ優雅さで終わる時、
主要主題がひらひらと舞う。」

この部分は、確かに美しく、
特に、シャンドス盤では、トゥロフスキーのチェロの、
朗々たる音色を堪能することが出来る。
必ずしもイタリア的かどうかは分からないが、
感情の充満した音楽で、オペラの一場面、
チェロとヴァイオリンが歌い交わす、
まさしく名場面にふさわしい内容である。

井上氏も、
「第3楽章はヴァイオリンと
チェロの比較的長い独白が美し」いと書いている。
完全に愛のデュエットであるが、
ここからは、膏薬の臭いやロシア的パトスは感じられない。
むしろ、かぐわしい夜の気配が濃厚である。

CD解説には、
「これら全ての着想は、
この作品を劇的勝利に導く拡張されたコーダまで、
フィナーレで強調される」とあるが、
風雲急を告げて、悩ましい愛のひとときが、
完全に破局に到った感じが「悲愴的」かもしれない。

井上氏の解説は、より直裁的で、
「第4楽章は短く、終曲というより全曲の結尾に近く、
第1楽章の楽想を変奏的に再現したものである」
と書いている。

こうやって、あれやこれやを考えつつ聴くと、
ロシアかイタリアか知らんが、
中間の2楽章は、
快活で幸福感に満ち、愛の気配が充満しているが、
最後に、過去のものとして崩れ去る音楽として、
「悲愴」というより、「悲劇的」である。
第1楽章は、それを回想する時の痛々しい音楽である。

これは、標題音楽として聴くと、
かなり納得できる音楽かもしれない。

同年代に奇しくも、ベルリオーズがいるが、
彼が、音楽で失恋を描いたように、
この三重奏曲も、第1楽章を「夢と情熱」と呼び、
終楽章を、「断頭台」と呼んでも良さそうだ。

ただし、ベルリオーズと違うのは、
グリンカは、心から、イタリア留学を楽しんだようで、
中間2楽章が幸福感に満ちている点であろう。

シャンドスのボロディン・トリオの演奏は、
しかし、幾分、この不思議な音楽に戸惑いを覚えているようだ。
何となく統一感が不足し、散漫な印象を受けた。
各部は、感情の起伏のまま、
細部まで表現され、十分に歌われてもいるが、
この解説の影響で、何が何だかわからなくなったのか、
ひたむきさが不足する。

b0083728_1441742.jpg一方、昔、ビクターから出ていた
オイストラフ・トリオ盤は、
ハイドンのホ長調のトリオと一緒に、
A面に、このトリオが詰め込まれ、
B面はスメタナの
ピアノ三重奏曲が入っているという、
贅沢収録LPであった。
こちらの表現は、
ボロディン・トリオとは異なり、
一気に駆け抜ける感じ。
これなら「悲愴」っぽい感じになる。


もともと何年の録音かは分からない。
しかし、この3人の巨匠を集めながら、
ジャケット写真はオイストラフだけ。


モノーラルではあるが、今回、聞き直してみて、
音に不満はなく、非常に美しい演奏だと思った。

曲の性格ゆえに、オイストラフやクヌシェヴィツキーより、
オボーリンのピアノの落ち着いた美しさに耳を奪われた。
しかも、シャンドス盤よりひたむきな感じで、
全曲を15分半で弾ききっている。

特に第1楽章の推進力は、
焦燥感を感じさせて迷いなく、
これなら「ロシア的パトス」と呼ばれても
おかしくはない、という印象。

ただし、第2楽章は素っ気なく、
第3楽章のラルゴも香気よりも内省的で、
クヌシェヴィツキーのチェロ独奏も妙に厳しく、
オボーリンのピアノは沈潜して、暗い情念をたぎらせる。
ただし、一気に弾ききっているので、
何だか騙されたような感じがしないでもない。

CD解説にあるような、
なまめかしい留学の日々を聴くなら、
冒頭の絶叫からして、
ボロディン・トリオの方がそれらしく聞こえる。

この聞き比べ、同じ曲でありながら、
かなり違う印象を与える内容となっていて興味深かった。
「悲愴」的に聞きたいならオイストラフ盤だし、
青春の追想を味わうにはボロディン盤だ。

得られた事:「グリンカの『悲愴三重奏曲』は、フンメル的という意味で、『ます』の五重奏曲の兄弟かもしれない。」
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by franz310 | 2010-10-24 14:37 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その247

b0083728_9341100.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団の、
名誉あるリーダーでありながら、
仲間を見捨てて亡命した、
ヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、
新天地でピアニストの妻と、
ピアノ・トリオを結成したが、
彼等はすぐに、シャンドスに
シューベルトを録音して、
好評を博した。


b0083728_9143098.jpg例えば、
早く録音された「第2」は、
1981年6月11日、12日に
ロンドンで録音されたとされ、
彼等が得意としていた
ショスタコーヴィチよりも、
2年も先の仕事なのである。
これは、湖面のきらめきを
写した表紙写真の、
抽象的な美しさでも、
印象に残るもの。


こちらのCDブックレットの終わりの方には、
「コンパクトディスクにおける、
シャンドスのスペシャル・サウンド」
と書かれたカタログがあるが、
ブライアン・トムソンによるバックスの交響曲第4番、
「11月の森」などの交響詩集など、
私が、夢中になった初期のCDや、
アレクサンダー・ギブソンの、
シベリウスやチャイコフスキーなど、
そういえば、そんなのもあったなあ、
というCDが1ダースほど列挙されている。
(LP&Cassette)と並記があるのが泣ける。

これらの録音は、とにかく録音が良いので知られ、
演奏はどのような評価であったかは忘れてしまったが、
まだ、LPとCDが一緒に出るような時代に、
私は、このトリオの「第2番作品100」を購入した。
ひょっとすると、他にCDがなかっただけかもしれない。

当時、シャンドスは新興レーベルとして、
脚光を浴びており、その録音の良さと、
日本的とは言えぬ、ヨーロッパの雰囲気を伝える選曲などで、
強い印象を放っていた。
が、購入したシューベルト、
あまり、これといった印象はなかった。

今回、このボロディン・トリオを聞くにあたり、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーとしての、
ドゥビンスキーから味わって来たが、
トリオを始めてすぐの時代の彼の演奏はどんな感じだったのだろうか。

ここでは、表紙写真に、
ずらりとトリオのメンバーが揃った、
第1番のCDを取り上げてみよう。
このCDは、「第2」の翌年、
1982年6月2日と3日に、
やはりロンドンで録音されており、
この時代、彼等は初夏になると、
ロンドンでシューベルトを
演奏したい気分になったと見える。

もちろん、シャンドスの思惑があっただろうが。

私の持っているCDには、
日本フォノグラムが輸入・販売した時の
日本語解説が挿入されている。

しかし、これは、英文解説にある、
Jean Wentworth氏の解説を訳したものではなく、
日本を代表した大家、
志鳥栄八郎氏が新たに書いたものとなっている。

英文の方は、ボロディン・トリオなんか知らん、
という感じだが、志鳥氏は、
最初からボロディン・トリオの、
各メンバー、ドゥビンスキー、エドリーナ、
そしてトゥロフスキーを順次紹介し、
「腕達者な連中の集まりだけに、
その息の合ったアンサンブルは、
驚くべきものだ」と、
いつもの激賞をしている。
「腕達者な連中だけに」という表現は、
妙に心に残るフレーズではないか。

女性のエドリーナまで、乱暴にひっくるめて、
「連中」と言ってしまうあたり、
さすが大家の筆遣いである。

さて、その後、
「明るく透明なヴァイオリン、
中低音をしっかりと支えるチェロ、
まろやかで、しかも、生鮮な表情をもったピアノ、
これらが一体となって、
活きいきとした音楽を作り上げている」
と、やや具体的になるが、
ピアノ以外はその楽器の特徴を言ったにすぎない。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と締めくくっているが、
これまで聴いて来たボロディン四重奏団のイメージは、
冷徹な精密機械みたいな部分もあり、
本当だろうか、と首を傾げたくなった。

こうなったら、どっちが本当だ?
と疑問も湧いて、鑑賞意欲も湧いて来る。
さすが、志鳥先生、ついつい乗せられてしまう、
名解説である。

また、この曲については、
この作曲家の「超人的な創作力」、
62曲にものぼる室内楽が、歌曲に次いで重要だということ、
ハイドン、モーツァルトのピアノ三重奏から離れ、
ベートーヴェンが、
「この分野で、最初に決定的な勝利を収め」
それにシューベルトが続いたと、
音楽史的な位置づけも押さえてある。

かなり力の入った解説になっている。

この曲自体についても、
シューマンの賛辞も織り込みながら、
各楽章を「千変万化するハーモニー」、「夢見心地」、
「ウィーン生まれのシューベルトらしい屈託のなさ」、
「曲の組み立て方や転調のしかたなどいかにもシューベルト的」
とかなり詳しく書いている。

まさしく、レコード解説の模範である。
ただ、この手のものは、ここ半世紀くらい、
繰り返されているものが多く、
どのCDを買っても同じのを読まされる、
という情けない事態にもなりがちなのが問題であろう。

では、シャンドスのCDの、
元の英文解説はどうなっているのだろうか。

「この変ロ長調のトリオは、
スタイルからだけでなく、まさしくその存在そのものが、
精神世界から吹き寄せて来たものにも見える。」

と、いきなり文学的で、高尚な気配がする解説である。
平易な表現で、庶民にやさしい志鳥先生とは正反対である。

「事実上、シューベルトの生前には、
その存在が知られていなかったのに、
1831年に作品99としてディアベリのリストに現れ、
さらに超然とした作品100が有名になって8年後、
1836年に出版された。」

この手のややこしい言い回しも、
この解説のありがたさを増幅させる。

ちなみに、第2番作品100は、
1828年に、すでに有名だったかと思い描くと、
そういえば、出版には手間取ったとはいえ、
シューベルト死の年の自作演奏会で、
取り上げられていたのだった。

「現在では、もちろん、それは、
祝福された『ます』の五重奏曲を除く、
すべての室内楽を人気の上でしのぎ、
そこには、シューマンが大ハ長調交響曲について書いた、
素晴らしい一節、『永遠の若さの種子』がある。」

このように、何にでも当てはまる表現の羅列だとしたら、
志鳥先生の解説と何ら、変わるものではない。
文学的なだけ、読みにくい弊害が気になって来る。

「作品99の開始部は、
落ち着きのある自制と、
あふれ出る無限の喜びの特別な融合である。
ピアノをベースとした、大きな付点リズムが、
主題のほとばしりを完璧に引き立てており、
弦楽のはるか高音で、鍵盤にメロディが聞こえると、
三連符や、16分音符の流れがはしゃぎ、
まさに創造の喜びに興奮を覚えずにはいられない。」

確かに第1主題の前半では、
ピアノの歩みが悠然としており、
後半では、高音でぺちゃくちゃと騒ぎ立てる。

このような分析と主観が交錯する文章は、
私は、決して嫌いではないが、
非常に疲れる文章であることは確か。

志鳥先生は、このあたりを、
「序奏なしに、明るく生気にあふれた第1主題が、
ヴァイオリンとチェロのユニゾンで現れ、
ピアノがそれに伴奏をつけてはじまる。」
と書いているが、
こちらの方がはるかに分かりやすい一方で、
この人は、この曲に、どう向き合っているのだろう、
という意味では、かなり意味不明である。

音楽を言葉に置き換えるのが、
いかに難しいかを考えさせられる。

ボロディン・トリオの演奏は、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーの演奏と同様、
熱い共感はあるのだろうが、
極めて鋭い音によるかっちりした演奏である。

このCDの表紙写真を改めて見て欲しい。
ドゥビンスキーの、まっすぐこちらを見据えた、
素晴らしい視線。
この視線のように、びしっと決める美学が、
この演奏にも感じられる。

それを考えた後、このエドリーナ女史の、
自信に溢れた微笑みを見ると、
何と、これまた、この演奏の含蓄を伝えていることだろう。

トゥロフスキーの表情は、
この夫婦の前では力に不足するが、
この温厚なまなざしのとおり、
まったく過不足なく演奏を引き立てている。

「第2主題の穏やかな愛らしさに優しくチェロが歌う、
典型的にシューベルトらしい持続音まで、
三連符と付点リズムは、
興奮した経過句でさらに目立って活躍する。
その静かなメロディの跳躍は、
いくつかの変容を経て魔法のように引き延ばされ、
半音階的な変容を前に、
再びチェロが提示部の終わりを告げる。」

この提示部の終わりを告げる時のチェロは、
かなり幻想的な色調になっている。

このように英文解説が書くところを、
志鳥先生は、
「チェロが、美しい生鮮な表情の第2主題をうたい出し、
すぐにヴァイオリンがこれに加わる。
この主題は、さらにピアノによって受けつがれ、発展する。」
と書いている。
著者が、この曲にのめり込む度合いは、
やはり、原文の方に分がある。

さすが、この一曲だけでCDを埋めてしまうだけあって、
提示部が繰り返されて、
しかし、きりりとした演奏であるがゆえに、
くどさが感じられないのはさすがだ。
言い方を変えれば、やせた音のデッサンが鋭く、
ぐいぐい突き刺さって来るという感じ。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と書いた志鳥先生には悪いが、
この演奏は、かなり厳しいもので、
心が和むという類のものではないだろう。

「いくらか力ずくの『グランドマナー』の開始ながら、
展開部は、ピアノがフォルテを繰り返す上を、
シューベルトが書いたものの中で最高の感情表現である、
愛らしい弧を描き下降する第2主題の変形に向かう。」

最高の感情表現かは分からないが、
ものすごい迫力で力がせめぎ合う部分。
演奏も息をつかせない。

グランドマナーと書かれているが、
この演奏、かなり音楽を大きく描いていて、
非常に雄大な印象を受ける。
このスケール感は、緩急自在な、
リズムや節回しによっているものと思われる。
基本は、前へ前へと進むリズム感ながら、
ここぞという所では、
音をたっぷりと伸ばし、作品を堪能させてくれる。

「ついには、再現部を予告する、
優美な4小節のフレーズに解放される。
巧妙な転調、痛快なリタルダンドは、
単なる繰り返しではなく、
主音の変ロのメイン主題をピアノが取り上げ、
大きなクライマックスの後、
すべてのものが静止し、ためらい、
魔法のような16分音符のさざ波の中で、
終結の7小節に飛び込む、
最後の変容の瞬間が来る。」

ここは、読んでいて、何のことか分からないと思ったが、
第1主題のメロディが停止寸前まで引き延ばされることを、
書いたものに相違ない。

再現部では、ヴァイオリンもチェロも、
さりげない、しゃれた表情を少しずつつけて愛らしいが、
あくまでも作品への向かい方はストイックで、
身が引き締まる演奏である。

「私の気に入っているお話は、
ジュリアード音楽院の校長、
Irwin Freundlichの晩年に関するもので、
彼は、学生が世界で最も美しい曲を演奏する、
と笑いながら言ったことだ。」

唐突に、解説者の回想が入って、第2楽章の話になるが、
このような話を書きたくなるほど、
この楽章は美しいということだろう。

志鳥先生も、
「この楽章は、全曲中最も半音階的な動きに満ちており、
そこはかとない夕暮れの情緒のようなものが感じられる。
シューマンが述べているように、
『人間的な美しい感情が豊かに波打っ』た、
シューベルトならではのすばらしい音楽である」
と激賞している。
その点は同じだ。

オリジナルの解説に戻る。
「彼が言ったのは、
『即興曲』作品142変ロの事だったが、
その誇張は、作品100のトリオの緩徐楽章主題、
または、この編成で唯一、単独で残された成熟作品で、
ほとんど静止してメロディとも言えないような、
神々しい『ノットゥルノ』の主題まで、
その他多くのシューベルトの主題に当てはめることができる。
事実、この変ホの『アンダンテ・ウン・ポコ・モッソ』は、
そのまどろみ揺れる8分音符、
その単純すぎる2音の音型から流れ出す主題に、
曰く言い難い寂しい感情を引き起こすほどの
この洞察力ある表現、
美への鋭い感覚がある。」

このように、この著者も、
美しすぎて寂しい点を特筆しているが、
志鳥先生の言う、「夕暮の情緒」であろう。

「この楽章は、事実上、変形されたメヌエットの形式で、
激しいハ短調のトリオ部以外は、
シューマンの謎に満ちた、
舞曲は人を悲しく物憂げにするという意見を想起させ、
我々は、主に、作曲家が、
その空想に深く沈潜している感覚を持つ。」

この解説も、シューマンの引用がある点が面白い。
美しすぎる時、頼みの綱はシューマンということか。
この作曲家は、こうした美には、
いち早く反応して、すべて言ってくれているのだろう。

しかし、志鳥先生が複合三部形式と書いた、
この楽章はメヌエットだったのか。

「激しいハ短調のトリオ部」
と書かれた中間部分は、
まさしく、この団体の演奏の、
ぴりりとした演奏が映える所で、
エドリーナのピアノの打鍵が、
曰わく言い難い強さで、胸を打つ。

「特筆すべきは、型どおりのダ・カーポながら、
ヴァイオリンが、本来正しくない調性である変イに沈み込む、
うっとりするような瞬間であろう。」

まさしく、この見解には首肯せずにいられない。
不思議な浮遊感が我々を包み込む瞬間である。
さすがの志鳥先生も、ここまでは書いていない。
が、まさしく、この部分は特筆すべきかもしれない。

ボロディン・トリオの演奏では、
それが単なる夢見心地ではなく、
何か、恩寵に満ちた空間に、
引き上げられるような感覚を感じさせて素晴らしい。
陶酔的でありながら、
何か、強い意志を感じさせるがゆえであろう。

「めったに冗談を言わないシューベルトが、
ジョークを言う時は、最高のジョークになる、
などと言われて来たが、
スタッカートの4分音符と8分音符による
その息もつかさぬ長大なフレーズ、
関係調と無関係な調との目が眩むような進行、
技巧に満ちた対位法の模倣などに満ちた、
このスケルツォなどはその好例である。」

第3楽章の解説も、
こんな風に、あっけに取られる話から始まる。
ウィットに富むと言うべきか。

「作品100のより深い表現レベルではないが、
これは実に魅惑的な音楽である。」
後半は、こんな風に、作品100と比べるだけで、
あっけない。

従って、前半の修飾語の数々を味わい直す必要がある。
トリオについては、何も書いていない。

志鳥先生は、この楽章について、「民族的色彩」とか、
「シューベルトらしい屈託のなさ」とか書いている。
トリオについては、「ワルツ風の性格」と書いている。

「終曲は、『ロンド』と称され、
主要主題が、
主音で何度も繰り返されるわけではなく、
主音では一度、繰り返されるのみである。
全体としてその童心のような陽気さゆえに、
このメロディは、これから起こるさらに肥沃な素材より、
重要ではないように見える。」

志鳥先生は、
「この楽章を通じて繰り返し現れるロンド主題は、
民謡風の素朴な感じの強いもの」と書いているが、
やはり、
「あいだを縫ってちりばめられる美しい副主題」
が、曲を盛り上げると書いてある。

確かに、主要主題は、
形式的に反復されて出てくるだけのような音楽だ。

「そのリズムの結合は、その神秘的な単純さを気づかせないものだ。」
とあって、以下のように、
単純なものから、様々な効果が生み出されている点が特筆されている。

b0083728_975437.jpg「aのパターンが
全楽章に広がっており、
第15、16小節のbパターンが
メロディのように、
単純な下降から、
大きくスキップする。」


何だか、著者、直筆みたいな譜例が出てきて、
変な感じだが、伝えたいことは分からなくもない。
音楽が伸縮して、基本は変わらないのに、
玄妙に変容していくのは確か。

「これは、間違いなく、数小節後の、
とげとげしい総奏の中断の源で、
これは、付点リズムのパターンcから導かれた、
ト短調のジプシー風主題となる。
この中断動作は、
ピアノの下降するトレモロの上を上昇する
ヴァイオリンのパッセージや、
わざとらしい見せかけの終結部や、
もう一つの変ニのピアニッシモのエピソード
の基礎となる。
これにおなじみの変ホの見せかけの繰り返しが続き、
変形されたオリジナルの材料の反復がある。
最後に、突撃するプレストが、
ひらひらと元気のよいピアノの和音と、
弦楽の繰り返しによる、
つむじ風の終結に向かって、作品を駆り立てる。」

ショスタコーヴィチの変幻自在な音楽を料理してきた、
「腕達者な連中」ゆえ、ボロディン・トリオは、
こうした錯綜した楽想を正確にさばいていく。

この楽章では、気のせいか、
ドゥビンスキーのヴァイオリンが、
いつもより、艶やかに輝いている。

ショスタコーヴィチなどの世界から戻ってみると、
かつて、混乱していて冗長とされた、
シューベルトの音楽のこの錯綜感こそが、
現代にダイレクトに、
つながっているような感じさえするのが面白い。

私たちは、いったい、シューベルトに、
何を聴いて来たのだろう、
と、ふと、感慨に耽ってしまった。
彼等は、それを口当たり良く加工することなく、
そのまま、我々に提示する。
その生々しさ、痛々しさが、シューベルトの不気味さ、
この演奏家たちの複雑な運命を、
妙にさらけ出すような気がして来た。

最後にこのCDの解説は、
ちょっと、ほろりとさせられる
シューベルトの友人のエピソードに、
さりげなく触れているのが憎い。

「シューベルトの死後、40年近く経ってから、
それでも忠実な友人として、
モーリッツ・フォン・シュヴィントは、
『ヨーゼフ・フォン・シュパウン家における、
シューベルトのある夕べ』のスケッチを始め、
シュパウンの姪ヘンリエッテに宛てて、
『私たちの古い友(シュパウン)は、
まさしく、こう言った時、正しかったのです。
”私たちは、全ドイツで最も幸福だった。
いや、全世界でだ”。
それはシューベルトの歌曲のみならず、
そこにいた、素晴らしい、謙虚で、心温まる人たちが、
一緒にいたからだ。”
何と、追憶は悲しいことか。
それにもかかわらず、
作品99の陽光に満ちた活力を聞くと、
これらの素晴らしいシューベルティアーデが、
その読書、ジェスチャーゲーム、音楽とダンスに満ち、
不幸や惨めさや早すぎた死によっては、
中断されなかったと、信じることが出来てしまいそうだ。」

それにしても、この録音、
CDというのに、両曲とも1曲ずつしか入っていない。
最近は2曲を1枚に収めたものもある中、
これは非常にぜいたくな作りである。

小品を収録するというサービスもなく、
1枚1曲の剛球勝負である。

しかし、そのからみで、
このCDを見直して、重大な欠陥を発見した。
トラックと時間の関係がどこにも書かれていないのである。

日本語解説では、さすがに、これではまずいと考えたのか、
ちゃんと、15:34、12:25、6:39、9:03
と書かれている。
「第1番」は43分ということで、やはり、大演奏である。
短い方のこの曲でこの長さであるから、
2曲を1枚など無理な相談にはなっている。

得られた事:「ボロディン・トリオの方が、ボロディン四重奏団のオリジナルの美学に忠実な、真摯で直球勝負の音楽作りをやっている。」
「シューベルトの音楽に聴く錯綜感は、ボロディン・トリオで聴くと、それこそがシューベルトの本質のようにさえ聞こえる。」
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by franz310 | 2010-10-17 08:49 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その246

b0083728_14392424.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団は、
第1ヴァイオリンに逃げられる
悲劇の四重奏団である。
最初は、亡命だったが、
二度目は、政治的背景が
あったのかどうか。
いずれにせよ、
二度目のヴァイオリニスト、
コペルマンは、他の団体に入ったり、
自分の四重奏団を作ったりした。


コペルマンが入った頃のボロディン四重奏団は、
おそらく、古参メンバーは50代だったはずで、
コペルマンが若手のホープだったにせよ、
みんな重役みたいな感じに見えただろう。

そもそも、切れ味の良い、精密機械のような、
ソ連の体操競技のように鋭い演奏を得意としていた
ボロディン四重奏団が、
甘美な音色で聞かせるコペルマンを入れた事からして、
不思議といえば不思議であった。

おそらく、ショスタコーヴィチへの共感では、
同じ目標を定めることが出来たかもしれないが、
古典などになると、意見の相違が出たのだろう。
チェロのベルリンスキーは、
コペルマンのせいで、
あまりベートーヴェンを演奏できなかった、
後になって言っていたりする。

コペルマンが自らの理想を自覚するに到り、
意見の食い違いも出てきただろうが、
かつての重役連中が、ずっと居座っているのだから、
どこまで、何を言えたかは分からない。

録音で聞く限り、
コペルマンは、やりたいように、
やらして頂きますよ、
という方針を採ったようである。
何故なら、ボロディン四重奏団の、
コペルマン時代の最後の方は、
明らかに、彼の音が突出しているからである。

また、古参たちは、
自分たちがやりたかったコミュニケーションを、
どうして、こいつは十分取らないのだろう、
と不満を持ちながら、
仕方なくおつきあいをしていたようだ。

お互いに不満を抱えながら、
持ち味が発揮できず、
惰性で動いている組織は不幸である。
そうした状況が二十年も続いたのだから、
両者も何かやり方を変えないと思いついたに相違ない。

例えば、コペルマンの後、
新メンバーを迎えてのベートーヴェンのCD解説では、
かなり、ああだこうだとやり合って、
互いに納得するまで練習した、
というような事が書かれていた。

一方、コペルマンにも、
言いたい事はあった。
もっと、他のメンバーも自己主張しろ、
などと考えていた可能性がある。

これは、組織論的でもあり、美学的でもある問題である。
片や、俺についてこいの欧米企業型であり、
片や、合議してみないことには、
正しい結論には到達しない、
と考える日本企業型にも見える。

今回、コペルマンが自分で創設して、
自らが重役となった団体、
コペルマン四重奏団の演奏を聞くと、
コペルマンと同様、自己主張するメンバーが、
開放的な音楽作りをしているのが分かり、
第三期のボロディン四重奏団が到達した、
いわば賢者の内省とは、
明らかに異なる方向になっているのが面白かった。

見ると、チェロは、ボロディン四重奏団とも共演し、
シューベルトの五重奏曲を録音したミルマンである。
彼が共演した時、古豪ボロディン四重奏団もあおられて、
いつもよりスケールを増した演奏をしていた事を思い出した。

第2ヴァイオリンはBoris Kuschnir、
ヴィオラはIgor Sulygaとある。

「古典的なロシア楽派の規範とスタイルを身につけた、
経験豊かな室内楽奏者たちによって創設され、
コペルマン四重奏団は、技術的卓越と、
叙情性、優美さと音楽的統合を豊かに継承し、具現している。
コペルマン、クッチナー、スリガ、ミルマンは、
1970年代、オイストラッフ、ボリス・ベレンキー、
ユーリ・ヤンケレヴィッチ、ドルジーニン、ショスタコーヴィチ、
ロストロポーヴィチにグートマンといった人々が、
音楽家であり教師として学生と常にあった、
その黄金時代のモスクワ音楽院を卒業した。

2002年の創設以前に、
それぞれ、24年ものキャリアを追求してきたとはいえ、
これらの強力な音楽的影響が、
コペルマン四重奏団のメンバーには残っている。」

70年代に卒業と書いて曖昧だったのが、
24年とは、妙に具体的な数字である。
2002-24=1978年が、
彼等の卒業年なのだろうか。

とすると、1956年生まれくらいになる。
ボロディン四重奏団の創設メンバーが、
おそらく1920年代の生まれのはずで、
30年以上も年の離れた、
親子のような世代ギャップがあったことが分かった。

「第1ヴァイオリンのミハイル・コペルマンは、
20年にわたり、ボロディン四重奏団で、
卓越したリーダーを務め、
ロイヤル・フィルハーモニック賞、
コンセルトヘボウ銀メダルを受賞した。
第2ヴァイオリンのボリス・クッチナーは、
ジュリアン・ラクリンやニコライ・ズナイダーらを育てた、
名教師である。
ヴィオラのイーゴル・スリガは、
スピヴァコフとモスクワ・ヴィルトゥオーゾや四重奏団で、
20年演奏してきた。
モスクワ弦楽四重奏団の創設メンバーとして、
クッチナーとスリガは、ショスタコーヴィチと、
その後期四重奏曲の演奏に携わった。
チェロのミハイル・ミルマンは、
モスクワ・ヴィルトゥオーゾの主席チェリストで、
コンサートやレコーディングで、
たびたびボロディン四重奏団と共演した。」

教師や誰かの共演者といった感じで、
ど迫力のソリストたち、という感じはないが、
それだけに室内楽としては手堅いと考えて良いかもしれない。

以下、かなり広告めいた文章が連なっているが、
これを見る限り、日本との関係はなさそうだ。

「共通のルーツと、音楽家同士の相互理解によって、
コペルマン四重奏団は、独自の視点と成熟があり、
コンセルトヘボウやウィグモア・ホール、
ムジークフェラインとの予定が詰まっている。
彼等のエディンバラ音楽祭のコンサートでは、
想像を絶する反響があり、特筆すべき音楽家魂、
素晴らしい人間性が、その精緻な演奏に見られると書かれた。
コペルマン四重奏団は、英国、スペイン、ポルトガル、
オーストリア、イタリア、オランダ、ベルギー、
デンマーク、スイス、スロヴァキア、キプロス、
米国、カナダで演奏会を開いた。
彼等はウィグモア・ホールや、コンセルトヘボウなどの常連である。
エディンバラ国際音楽祭、ヴァラドリッド音楽祭、
チューリヒ音楽祭、米国のラヴィニア音楽祭で演奏した。」

アジア圏からはもとより、旧ソ連圏はどうなんだ、
と聞きたくなった。

この下には、各奏者の使っている名器が列挙されている。
コペルマン:1747年フィレンツェのガブリエリ、
クッチナー:1703年のストラディバリ、
「La Rouse Boughton」
スリガ:1780年ミラノのマンテガッツァ、
ミルマン:1722年ローマの、David Tecchler。

このように、かなりロシアの伝統を意識した剛の者たち、
といった感じがするが、今回の、このCDでは、
嬉しいことに、シューベルトの「死と乙女」が入っている。
ボロディン四重奏団が、コペルマンと最後に録音した曲である。
もう1曲は、チャイコフスキーの「弦楽四重奏曲第3番」。
これまた、ボロディン四重奏団が得意とした作品である。

このCD、2006年1月28日、
ロンドンのウィグモア・ホールでのライブだそうで、
このホールは、ライブ録音をよくCD化するようで、
ウィグモア・ホールというレーベル名となっている。

このウィグモア・ホールのレーベルデザインは、
いったい何であろうか。
北欧神話の巨人みたいなのが、
両手を天上にかざして、
上からはしめ縄みたいなのが絡んでいる。
私は、当初、このデザインを見て、
どこかの海賊版レーベルではないかと思った程、
ちゃちい感じを受けたが、他の人は違うのだろうか。

また、プリンテッド・イン・イングランドとあるが、
紙質が幾分チープな感じがする。

このウィグモアのCDは、
このCDのブックレットを見る限り、
他にも多くの魅力的なものが並んでいる。
室内楽に限っても、
アルディッティ四重奏団のデュティユーや、
ナッシュ・アンサンブルのモシュレスといった、
気になるものがある。

シューベルト愛好家には、歌曲集があり、
シュライヤーとシフによるものや、
マーガレット・プライスとパーソンズによるものがある。
彼等はすでに多くの録音を残しているが、
ライブの記録として聴けるのは魅力的である。

これらのカタログが、きれいなカラー写真の、
表紙を並べて紹介されていると、
ついつい、夢想の翼が羽ばたきそうになる。

話を今回のプログラムに戻すと、
この2曲でプログラムを組むとは、
さすがコペルマンという感じもする。
チャイコフスキーの無名の四重奏曲を、
どーんと持って来るのは、
本場ロシアの連中でないと難しいのではないか。
この2曲以外に他の曲の演奏はなかったのだろうか。
変ホ短調とニ短調という暗そうな2曲のみ?

レーベルのデザインはともかく、
表紙デザインはかっこいいもので、
最初、フリードリヒの絵画かと思ったが、
どうやら、雄大な日の出だか夕暮れだかの風景は写真で、
空想を誘う女性のシルエットはイラストのようだ。

何故、このようなデザインにしたのかは分からないが、
今回の2曲に共通するテーマがあるとすれば、
「死」ということなので、
彼女が見つめているのは彼岸なのかもしれない。

しかし、この図柄が、CD背面では色抜きの形で採用され、
CDの盤面そのものにも、
また、それをケースから外した後の背面にも現れると、
ちょっと、くどいぞ、と言いたくなる。
盤面はいいから、ブックレットの紙質をもっと大切にしろ、
と言いたくなった。

チャイコフスキーの作品は、
「アンダンテ・カンタービレ」を含む、
「第1番」が高名で、多くの録音を通じて、
私も聴き親しんだものであるが、
「第3番」となると、すぐに、イメージが湧かない。
ここで、改めて、解説を読んで見よう。
ステファン・ペティットという人が書いている。

「1876年という年は、
音楽にとって重要な年であった。
総合芸術理論のもっとも野心的な実現として、
バイロイトで、ヴァーグナーの『指輪』連作の、
最初の舞台があった。
ブラームスは、遂に、
ベートーヴェンの足かせをふるい落とす自信を得て、
十五年の苦しみの末、第1交響曲を完成させた。
この年のはじめ、
(『指輪』を見るためにバイロイト旅行を考えていた)
チャイコフスキーは、二つの大きな構想を持っていた。
一つは、前年8月からのバレエ音楽『白鳥の湖』で、
これを4月に完成させることとなる。
もう一つは、彼の3番目の最後の弦楽四重奏曲であった。
これは、ヴァイオリニストの
フェルディナント・ラウプのために書かれたが、
この人は、モスクワ音楽院の同僚で、
チャイコフスキーの第1、第2弦楽四重奏を
初演に導いてくれた人だったが、
前年、オーストリアで亡くなったのであった。」

ということで、この曲は、死者追悼の曲だったのである。
チャイコフスキーは、ピアノ三重奏曲で、
死者追悼音楽を書く先駆けとなったが、
弦楽四重奏曲でも同様のことをしていたのである。
いわば、「悲しみの四重奏曲」ということだ。

しかし、『指輪』やブラームスの『第1』と並べられると、
知名度の点ではかなり劣るので、
多少、この解説の出だしには違和感を感じずにはいられない。
また、『指輪』を見に行こうとした事と、
この弦楽四重奏曲は無関係であろう。

新潮文庫のカラー版作曲家の生涯「チャイコフスキー」でも、
この曲については触れられておらず、
音楽之友社の作曲家・人と作品シリーズ「チャイコフスキー」でも、
生涯編では、音楽院の授業で疲れ果ててていた時期に、
短期間で書かれた曲の一例として、
二ヶ月で書かれた第3交響曲と並んで、
一ヶ月でスケッチされた曲として記されているだけである。
あまり、特筆すべき作品にも読めない。

ただし、ハイメラン著の「クヮルテットの楽しみ」では、
「チャイコフスキーの最も価値あるクァルテット」とし、
第2楽章を「珠玉」とし、フィナーレを「新鮮」と書いている。

「弦楽四重奏曲第3番」というと、
どうも地味だが熟達していて、
何だか味がある、となるのが、
シューマン、ブラームス以来の伝統のようである。

b0083728_144041100.jpgこの曲は、ボロディン四重奏団の全集で、
すでにおなじみのものであるとは言え、
それ以外に、
独立したレコードが出ていたことは、
果たしてLP時代よりあるのだろうか。
ボロディン四重奏団は、
私が持っている1979年の盤以外にも、
オリジナルメンバーとも演奏しているはずで、
さらに、デジタル録音のものもあったはずだ。
しかし、それらを買い求めようと、
これまで考えたことはない。


しかし、この日本盤のブックレットの紙質と、
英国盤のブックレットの紙質を、
両方手にすると、いかにも、
ウィグモア・ホール盤が、
紙に手を抜いているかが実感できよう。

それだけ、ボロディン四重奏団の演奏で
特に問題もなく、曲そのものが、
そこまで魅力的なものとも思っていなかった。

さて、コペルマン四重奏曲の演奏で聞くと、
音色がまず明るく、呼吸も深く、
広がりのある表現であることが違う。

コペルマンが完全に羽を伸ばして、
それに合わせて、各奏者も美音を振りまいている。
これは、実は、こうした行き方もあるのか、
とふと考えてしまった。

チャイコフスキー自身、この曲に、
戸惑っていたという逸話が解説に出ている。

「この四重奏曲はひと月ほどで完成され、
3月14日、チャイコフスキーの擁護者で批評家、
モスクワ音楽院の楽長である、
ニコライ・ルービンシュタインの家での私的な夕べで初演された。
初演はうまく行ったが、
自信喪失しやすいチャイコフスキーは、
何日かして、弟のモデストに、こう書いている。
『もう書き尽くしてように思えます。
同じ事ばかりを始めて、
新しいものが生み出せないのです。
私は『白鳥の歌』を歌ってしまったのでしょうか。
もうどこにも行けないのでしょうか。』
公開演奏が三度あり、これが、たちまち、
チャイコフスキーの見方を変えたように見える。
4月5日、再度、弟に書き送っているが、
第2楽章の『アンダンテ・フュネブレ・ドロローソ』が、
(アンダンテは、第3楽章である)
聴衆の涙を誘ったと誇らしげに書いている。」

確かに、チャイコフスキーの書いたような悩みは、
誰もが持っているはずである。
明日、今まで以上の仕事が出来るかは、
誰一人、分からないからである。
が、聞き所は、アンダンテであるということが分かる。

そして、難物は第1楽章である。

「後世の人は、3曲のうち、最高の作品と評価した。
巨大な第1楽章は、特に第1ヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが注意を引く、
凝集されたゆっくりしたセクションで挟まれ、
中央のソナタ部も構成や和声の点でまったく破格である。
例えば、再現部では、離れた調性のイ長調で、
新しいアイデアが挿入され、
コーダで、再度、音楽をシャープに戻している。」

ここにあるように、この曲を難しくしているのが、
まず、この第1楽章の構成の複雑さであることに違いなく、
何と17分という超巨大楽章になっている点においても、
聴衆は、迷路に迷い込みがちである。

コペルマン四重奏団の演奏でも、
この錯綜した楽章の中間部では難渋しているようで、
ボロディン四重奏団のような推進力がなくなっている。
メロディアスに歌う所では、
徹底的に、名器を駆使した彼等の美質が活かせるようだが、
線が絡み合うところでは、とたんに慎重になる模様。

また、第2楽章は、4分に満たない。
先の本で書かれたように、「珠玉」ということか。
とにかく、この楽章がないと、
巨大で悩ましい第1楽章と第3楽章が持たない。

「情感は、暗く、緊張感があり、
チャイコフスキーが不協和音で苦痛の表明を強調し、
どこかしらロシア正教会の雰囲気があり、
中間部で愛らしい変ト長調のメロディーが現れたりして、
やりたい放題にした緩徐楽章を前に、スケルツォでは、
典型的に素早い動きと予期せぬ中断のコントラストで、
緊張からの解放感を与えている。」

このように修飾いっぱいで表現された楽章が、
チャイコフスキーが弟に自慢した、
アンダンテ・フェネブレ(送葬のアンダンテ)である。
この解説は、スケルツォは、緩徐楽章の前座みたいに書かれているが、
メンデルスゾーン的な幻想的な楽章である。

コペルマン四重奏団は、
この楽章でも、時として停滞感を伴ってしまう。
古豪のボロディン四重奏団が、
合議制で、ベートーヴェンの「セリオーソ」の、
私の嫌いな部分を解決してくれたのに対し、
コペルマンは飛ばしまくって、
時として停滞感を醸し出しているのは、
やはり経験の差と言うべきであろうか。

しかし、チャイコフスキーの泣かせどころの、
第3楽章では、彼等のやりたいことが成功して、
交響曲のようにスケールの大きいドラマが素晴らしい。

この楽章で、愛らしいテーマが立ち上がって来る所など、
「白鳥の湖」的であるし、悲劇的な性格からも、
このバレエを思い出させるもの満載である。
「白鳥の歌を歌ってしまったのだろうか」と書いた作曲家だが、
確かに、「白鳥の四重奏曲」になっているではないか。
そんなことを感じさせる演奏。

「最後に、エネルギーに満ちたロンドが来る。
始めと終わりに、ロシアの民族舞踊の余韻があって、
そのコーダの前には、
第1楽章のヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが現れ、
この曲がメモリアルのための作品であることを、
最後に我々に思い出させる。」

この舞曲風終楽章も、決して、ドヴォルザークの、
スラブ舞曲のように弾けたものではなく、
やや力ずくで終曲を盛り上げようとする気配濃厚。
5分半で終わるので、助かったという感じ。

が、コペルマン四重奏団のやり方が、
ここでも生きて来ているようだ。
めまぐるしく変化する音色の渦に、
力ずくで高揚させられる。
各奏者の興奮が泡だってたぎっていて、
ついつい、それに乗せられてしまう感じで成功している。
コペルマンは、これがやりたかったのだろうなあ、
と感じさせる演奏だ。

終わった時の拍手も大きいが、
ブラヴォーが出るほどではない。

後半2楽章を聞くべき演奏であった。

次のシューベルトも、このやり方で、
うまく行っているのではなかろうか。

陰々滅々とした演奏では、この曲は、
気が滅入ってしまうが、
この演奏では、その楽天性ゆえに、
推進力あるドラマに移し替えられていて、
極めて爽快な演奏となっている。

下記のように、この曲を、
シューベルトの病気と関連づけた解説が、
不思議に感じられる程である。

「その半世紀前、1824年の3月、
シューベルトは彼の最後から2番目の弦楽四重奏曲、
『死と乙女』D810を書いた。
わずか27歳ながら、彼はひどい状況で、
梅毒の第2期の症状に苦しんでいた。
しかし、彼は精力的に書き、
これまでにないほどの霊感を持って、
弦楽四重奏曲イ短調D804や、
フルートとピアノのための、
『萎める花』の主題による変奏曲D802、
マイヤーホーファーによる優れた歌曲数曲を、
この年の最初の3ヶ月で書きあげた。
痛切さと情念が『死と乙女』
(1833年まで公開演奏されなかった)
を特徴付け、まさにこれは、
シューベルトの苦境に関連している。
事実、彼はこのことをさらけ出し、
三月の終わりに、自身のノートに、
『私が生み出したものは、
音楽の理解と悲しみによるものだ』と書いている。
彼はまだ若く、
その心の奥底に熱いものがたぎり、
しかし、時間は短いという恐ろしい自覚と併存していた。
甘美さに、悲劇や悔悟、そして何よりも憧れの影が差す。」

このように、この解説では、
徹底的に、その悲劇的な性格を強調している。

この演奏で嬉しいのは、
各奏者が自発的にぶつかり合っている点で、
そうしたダイナミック感が、
この悲劇に、まだ、未来を感じさせる。
一人ではない、という感じであろうか。
私は、こうした、すべての楽器が生き生きと主調して、
破綻限界まで行くような演奏は、
何となく好ましく思う。

「『死と乙女』のすべての楽章は、短調で書かれている。
その名称のもととなる緩徐楽章は、
死の提示する安らぎと、それを恐れる若い乙女の、
コントラストをなす、マティアス・クラウディウスの詩に、
1817年に付曲した、歌曲『死と乙女』をもとにした変奏曲である。
シューベルトは、歌曲が持っていた感情の領域を探索し、
変奏が進むごとにそれが増幅され、
最後から2番目の変奏曲(ニ長調)では、
静かな諦念の小休止を与えている。」

この解説は、短いが示唆に富むものだ。
変奏につれて、その感情を追い詰めるというのは、
あり得ない話ではない。

が、演奏は伸びやかなもので、
コペルマンのヴァイオリンの甘美な事はこの上ない。
しかし、どうした事か、ここに来て、
他のメンバーの炸裂ぶりが聴けないような気がする。
これでは、ボロディン四重奏団にいるのと、
変わらないではないか。

しかし、最終変奏で、第1ヴァイオリンに、
他の奏者が襲いかかるような表現を聴いて得心した。
ここでは、おそらく、
「死」の3楽器を前に、
「乙女」をコペルマンが演じた、
というドラマを演じたのだろう。役者である。

「四重奏曲の他の部分では、異なった暗さがあって、
これがさらに恐ろしいものになっている。
最初の楽章には、誇張されたドラマや厳しさがあり、
その三連音は、健康が損なわれ、
死の接近を感じたシューベルトが感じたに違いない
凝集されたそっとする力がある。
スケルツォのシンコペーションと
(優しいトリオで緊張が和らぐが)、
躁状態的な悪魔のダンスの終曲は、
共に、感受性豊かで詩的な若い青年が、
そこに自らの姿を見いだす悪夢の世界を反映している。」

あるいは、このホールが良かった、
ということかもしれないが、
残りの楽章も、各楽器のぶつかり合いが良い。
あまり深刻にならず、純粋に響きを楽しんでいるような演奏。
後半2楽章は、ボロディン四重奏団が演奏したものよりも、
演奏時間もいくぶん長めで、テンポに余裕がるせいか、
解説にあるような悪魔の狂乱が感じられない。

「魔王」からの引用テーマも、
コペルマンは、甘い声でささやいて、
死の陶酔も悪くないな、という感じがしないでもない。
さらに、コーダの直前の、恐ろしい崩落のような表現は、
まるで、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」の
「難破」のシーンを思わせて面白かった。

いかにも、戦争を知らずに、僕らは生まれた、
と歌い出しそうな人たちの演奏である。
楽天的で、爽やかで、色彩的。
この演奏では、聴衆は「うわーっ」と喜んでいる。
私も嬉しかった。

得られた事:「コペルマンは、ボロディン四重奏団の凝集した表現より、色彩的でダイナミックなハッピーな表現をしたい音楽家だった。」
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by franz310 | 2010-10-10 14:37 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その245

b0083728_0481223.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団が、
シューベルトに対して、
はたして、どのような
感情を抱いていたかは
よく分からないでいるが、
彼等が、第三期に入ると、
急にベートーヴェンを
集中的に取り上げたりして、
その背景などを饒舌に
語り出している。


一言で言えば、前のリーダー、
コペルマンが、ベートーヴェンを好んでいなかった、
ということになるようだ。

しかし、およそ弦楽四重奏をやる人で、
ベートーヴェンが苦手、などと言うことがあり得るのか。
チェロのベルリンスキーは、長老となって、
いよいよ老司祭のような雰囲気を醸し出しているが、
なかなかくせ者かもしれない。

見よ、このCD表紙の写真。
ひときわ年を取って、小さくなった彼だけが、
知らんぷりをしているではないか。
他メンバーの肩幅の半分くらいになってしまって、
チェロの音量は大丈夫ですか、と声をかけたくなるが、
この表情では、取り付く島もない。

左隣がアブラメンコフ、両脇が、
新メンバーのアハロニアンとナイディンである。
左端にいるのが、普通、第1ヴァイオリンだと思うが、
楽器を持った写真を見ると、
どうやら、反対で、右端がアハロニアンである。

ナイディンは背も高くイケメンである。
ベルリンスキーの孫の世代であろうか。

しかし、改めて、このデザインを見つめると、
倉庫か何かのシャッターの前で撮影されたシチュエーションが、
ベートーヴェン的でも、ボロディン的でもない。
いったい、何を思ってこうしたのだろうか。
トーマス・ミュラーという写真家が撮ったとある。

こんな事を書いたデータを見て、
ふと、胸が熱くなった。
何と、2003年8月、
モスクワ音楽院のグランドホールでの録音だという。

モスクワ音楽院四重奏団というのが、
この団体の元の名称だったような。
こんなこだわりを見せるとすれば、
初代からいるベルリンスキーとしか思えない。

ということで、このベルリンスキー、
やたら、このCDでは存在感があって、
解説でも、ここぞとばかりに、ちょろちょろと、
非難めいた言動が垣間見える。

初代リーダーのドゥビンスキー離脱についても、
何かあったから、と考えるべきで、
両者に何らかの確執があったと思われる。

第2代のミハイル・コペルマンは、
旧世代のメンバーに混じって、
やはり、もっと自由な音楽をやりたかったようだ。
彼は、ドゥビンスキーのように亡命したわけでなく、
別の四重奏団に入ったり、
自分で四重奏団を結成したわけだから、
純粋にここでは自分の音楽が出来ん、
と考えたのだろう。

コペルマンとヴィオラのシェバリーンが去ると、
アハロニアンとナイディンという発音しにくいメンバーを、
第1ヴァイオリンとヴィオラに迎え、
レコード会社も、テルデックからシャンドスに変更して、
彼等はベートーヴェンの作品に取り組み始めた。

従って、解説の題名は、いきなり、
「ベートーヴェンとボロディン四重奏団」と題され、
各メンバーが、いろんな事を言っている。
まとめたのは、David Niceという人。

ここでも、ベルリンスキーの名前から入るところが、
この長老の発言力を物語っている。

「チェリストのヴァレンティン・ベルリンスキーが、
『進化ではなく革命』と呼んだ、
偉大な足跡において、
ベートーヴェンは27歳の時、
弦楽四重奏という困難なジャンルに向き合い、
その驚くべきサイクルの最終章を、
その28年後、死の直前に完結させた。
ボロディン四重奏団の記録破りのキャリアは、
その2倍の長さに及び、
1945年の創設以来、不動のメンバーであり、
温厚な家父長のようなベルリンスキーは、
ベートーヴェンの四重奏の最初から最後までを、
通して演奏するという、
彼の大きな望みが実現したのは、
ようやく最近になってからだと言う。」

ベルリンスキーの名前が連呼されるせいか、
ベートーヴェンより、俺は偉い、
と言っているようにも聞こえる。

また、このチェロ奏者が、
良く喋って、この解説者に深い印象を与えたのであろう、
ということも類推できる。

こう見ると、初代ボロディン四重奏団の、
ショスタコーヴィチなどを、
改めて、このシャンドスが発売した背景にも、
あるいは、このチェロ奏者の存在があったのではないか、
などと思えてしまう。

「オリジナル・メンバー」と銘打ったCDは、
いかにも、「本家」とか「元祖」とか書かれているようで、
それ以外はまがい物に思える。

コペルマンら、第二代のメンバーや、
シャンドス以外のレーベルには面白くなかろう。

「最初期においては、
この巨大で厳粛なプロジェクトには十分な時間がなく、
1955年にソ連当局から、
ボロディンの名称を授与されるまでは、
メンバーが変化して、四重奏が安定しなかった。
そして、ソ連、その他の同時代の音楽への責任があった。」

ここまで、ボロディン四重奏団の歴史に、
使命やら言い訳やらを書き連ねられると、
(ふと、北朝鮮のニュースを思い出しつつ、)
シャンドスは、彼等にとって、
良いレーベルだったんだろうなあ、
などと考えてしまった。

これまで、BMGや、ヴァージンや、テルデックから出た、
彼等のCDを聞いてきたが、ここまで、
演奏者主体の解説を書いてくれるところはなかった。

「当然、ベートーヴェンは、
たびたび四重奏団のプログラムを飾った。
1946年には稲妻のようなヘ短調作品95を、
見境なしに取り上げ、
1950年代の特別な十八番は、
ハ短調作品18の4の、第1楽章であった。
しかし、それらは飛び飛びであって、
ベルリンスキーは、最後の作品135は、
結局、ドゥビンスキーの時代には、
やってないのではないかと回想する。
ドゥビンスキーが熱心でなかったわけではない。
ベルリンスキーは、彼が、
ベートーヴェン初期の作品18の全曲を、
一夜で演奏したがっていたを覚えている。
『しかし、ロストロポーヴィチが、
次々にバッハのチェロ組曲を弾くようなもので、
きっと心臓が止まってしまうでしょう。』」

確かに、昔、LP時代(ドゥビンスキー時代)にも、
この四重奏団の代表的レコードに、
「セリオーソ」があったので、
上記発言には、ついつい肯いてしまう。
私も、このLPは持っているはずだが、
今、見つけられないでいる。

実は、今回のCD、他にも、
第14番嬰ハ短調と、大フーガも収録されているが、
私には、「セリオーソ」が一番、印象的だった。

「1976年にドゥビンスキーが離れ、
1995年までミハイル・コペルマンに交代したが、
ベルリンスキーは、
『彼は全部のベートーヴェンを、
弾くつもりはなかったのです。
隠してもしょうがない』と言う。
しかし、ルーベン・アハノニアンと、
ヴィオラのイーゴル・ナイディンが現れ、
第2ヴァイオリンのアブラメンコフ、
チェロのベルリンスキーに合流し、
チェロ奏者の夢は、ようやく形をなし始めた。」

と、冒頭、書いた話がこのように出てくる。
しかし、ベルリンスキーも、
かなり溜まっていたのかもしれない。
コペルマン時代は何も言わずに我慢の日々だったかもしれん。

「ベルリンスキーは、
『作品18によって始めるのが、
学ぶ上では正しいと思う。
若い四重奏団が、ごく初期に、
後期作品を演奏するための人生経験がない段階で、
ベートーヴェンを演奏する時、
後期四重奏曲には、心理学的に準備すべきだ』
と考えている。
アハロニアンが言うように、
作業はゆっくり、集中して行われた。
『各四重奏曲は、それ自身の世界を持っています。
2、3回のリハーサルでは正しい結論には至りません。
同業者の中には、
”お祭り品質”という言葉があり、
これは、ぱっと集まって楽しむために、
手っ取り早く弾けるようになることです。
しかし、これはベートーヴェンには向いていません。』
アハロニアンが最初にぶつかった難問は、
技術的なことでした。
ロシアのメロディアレーベルに、
傑出した独奏者として、
最も困難なパガニーニのヴァイオリン曲を録音し、
ヴァイオリン・ソナタや三重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など、
ベートーヴェンの多くの曲を演奏している。」

モスクワ音楽院での録音であるし、
メロディア所縁の奏者を入れ込むあたり、
旧ソ連系の繋がりが強い連中なのであろう。

「『しかし、四重奏団に参加して、
ベートーヴェンの第1ヴァイオリンのパート、
特に、中期のラズモフスキー四重奏曲や、
後期四重奏曲では、トリオや協奏曲に、
要求されるもの以上のものがあると知りました。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲では、
オーケストラと指揮者を圧倒し、
そこから聴衆を説得する、
異なった心理的挑戦があります。
しかし、12番や14番、15番の四重奏曲では、
高きに登るために、
練習に練習を重ねることが必要だと分かったのです。』
アブラメンコフとナイディンは、
ベートーヴェンの後期様式の作品集は、
他のレパートリーにない困難さがあると考え、
この意見に賛成している。
アブラメンコフは、
『初期の四重奏曲での対話は、
作曲家の天才によるが、
最後の四重奏曲群は、
何か宇宙的、超俗的で、
そんなものに人間が到達など出来ないと思う程です。
第1ヴァイオリンがリードし、
他は伴奏で済んだハイドンから、
彼は何と遠くまで、
四重奏曲を発展させたことでしょうか。
彼は、四重奏曲が室内交響曲のように聞こえる、
絶対的シンフォニズムに到達しました。
4つのパートは、完全に均等であり、
これこそが我々が直面し果たすべき課題です』
と特筆する。」

第2ヴァイオリンも、こんなに語らせてもらい、
いかにも、ソ連系にふさわしい共産主義の美学が感じられる。
しかし、こんな風に語り合って、
練習を重ねて現れて来る音楽、というのが聞きたくなるような、
舞台裏を見せられても、と目のやり場に困るような、
微妙な解説である。

種明かしをあまりさせると、
ありがたみも減るものだが、
そこは、歴史ある団体だからこそ許される事だ。

新人の四重奏団が、
こんな事を書いていたら、
10年後にも続いていたら聞いてやろう、と思ってしまう。

「初期の四重奏曲は、また違った困難さが待ち受けている。
ベルリンスキーは、
その古典的スタイルは、
感情に逃げ込むことを許さないとする。
スコアを見ると、それは透明に見える。
しかし、どこにも隠れ場所はない。
アブラメンコフは、
『作品18で始めた時、
各四重奏曲の意味や真相を模索していきました。
各奏者が、
それぞれのパートが何を言うべきかを知ることは重要です。
しかし、それ以降のベートーヴェンは、
もっと私的なことを書いており、
各パートの意味はさらに難解になります』
と言っている。
彼は、ショスタコーヴィチとの違いも指摘している。
ボロディン四重奏団が、2000年に、
ベートーヴェンとショスタコーヴィチで
バランスを取ったコンサートを始めた時、
その15曲の四重奏曲は、スタイルやムードを変えたという。
『ショスタコーヴィチは哲学的文脈を示し、
ベートーヴェンは自身の哲学を持っている。
しかし、それは常に変化するのです』。
各奏者は、ベートーヴェンが、
弦楽に息もつかさず、
素早く気分や意味を変えるという事実を、
その困難さの一つに挙げている。
ボロディン四重奏団のスタイルのエッセンスは、
常にその自然さ、有機的流動性にある。
たぶん、その理由によって、
アハロニアンはボロディン四重奏団の特別な点を、
このように表現する。
『初期、中期、後期に拘わらず、
すべての緩徐楽章では、
神の音楽の中を遊泳するように、
我々は自由に呼吸ができます。
しかし、ラズモフスキー四重奏曲の第1楽章では、
何度もテイクを重ねなければなりませんでした。
ヘ長調の緩徐楽章は、どちらも通しで演奏でき、
たった二回で済んだのにです。
これはとりもなおさず、
良い技巧、良い技術だけの音楽家たちとは違って、
何を言うべきかを理解した集団だということなのです』。
残りについても、
それは単に、『何度も練習し、論議や議論を重ね、
テンポや性格付けに至る』ということを行った。」

悪戦苦闘した末の録音だということだが、
これは良いことなのか、悪いことなのか。
もっと良く練った表現をレコードに残してもらいたいものだが、
すべては、ベルリンスキーには時間がない、
ということで片付いてしまいそうだ。

「アブラメンコフが、こう付け加える。
『この痛々しいまでに、
個人的な音楽が言いたいことについては、
おそらく、我々は違ったイメージを持っています。
一つの四重奏として、聴衆を説得すべく、
これを揃えていくことが恐ろしく面倒ですが、
それでも恐らく、内面では、
少しずつ異なった感覚でしょう。』
障害や謎は、当然ながら、
激しい愛を閉め出すものではない。
ナイディンは嬰ヘ短調四重奏曲への、
個人的な愛着について述べる。
『大好きなんです。
しょっちゅう難しいところがあって、
全楽章を切れ目なく一続きで演奏するのは、
とても難しいのに、
何故かは分からないけど。』
(ベルリンスキーは、ショスタコーヴィチに関する、
愉快な逸話を差し挟まずにはいられない。
作曲家は、ベートーヴェンと同様、
同様に四重奏曲を作りたかった。
ベートーヴェン四重奏団の、
年配の第1ヴァイオリンのツィガーノフが、
楽章間で音合わせをするのをやめさせるために、
いくつかの四重奏曲を通しで演奏するように書いただけ、
と冗談を言っていた。)」

ツィガーノフは、録音を聞く限りでは、
素晴らしいヴァイオリニストだが、
こうした神経質な点があったということか。
それとも、当時の演奏スタイルがそうしたものだったのか。
あるいは、「年配の」とあるから、
年のせいで、そうなってしまったのか。

「アブラメンコフは、作品127の四重奏曲が好きだが、
作品18にも愛着がある。
『おそらく、少し時代遅れの性格で、
後期の四重奏曲で直面するような宇宙的な問題がないのが、
私の性格に似ているからでしょう』。
アハノニアンは、ラズモフスキーの第1番、ヘ長調には、
まだ怖じ気を感じているが、
ベルリンスキーは、顔をしかめて、
好きな曲を聞かれたら、いつも、
『たまたま、私の譜面台におかれたもの』
であるべきだと応答する。
今、ベルリンスキーは、
ショスタコーヴィチを捨て、
ベートーヴェン一人に光を当てながら、
80代になり、人生のゴールにさしかかっている。
我々はボロディン四重奏団のベートーヴェン・チクルスの、
最優先の特徴が、『晴朗さ』にはならないと考える。
一つ明らかなことがある。
ベートーヴェンは難物だ。
アハロニアンが指摘するように。
『ベートーヴェンと並べて、
ショスタコーヴィチや他の作曲家を演奏すると、
衣装替えをするように、
集中の角度が変わるでしょう。
ベートーヴェンを聴くのは、楽しく喜ばしいですが、
一晩でベートーヴェンの四重奏を2、3曲弾いた後は、
完全にへたりまくり、消耗します。』
アブラメンコフのイメージを借りると、
それは、際限なく石を運び上げる
シジフォスの苦役のようであるが、
それは四人に責任感や名誉をもたらすものである。」

ということで、みんなでベートーヴェンの好きな点、
特別な点を語り合ったりして、
ベルリンスキーのやりたかった事は、
これだったのね、と納得のようなものが得られた。

結局、彼は、全集を完成させて亡くなることになるので、
こりゃ、恐ろしい執念だ、と唸ってしまう。
80歳を越えた老人が、人をかき集め、
コネを頼りに、何とか夢を果たす、壮大なストーリー。
それだけで泣ける。

私は、是非、このメンバーでも、
ベートーヴェンだけでなく、
シューベルトも録音してもらいたかった。
しかし、彼等は繰り返し、
ベートーヴェンの宇宙的な事を書いていて、
その他は十把一絡げにしているので、
少々、腹立たしくもある。

b0083728_049247.jpgさて、ボロディン四重奏団、
「セリオーソ」の演奏は、
LP時代から有名であったが、
CD時代になってからも、
コペルマン時代に録音があり、
1987年、イギリスでのもの。
これは、たいそう美しいデザインで、
倉庫のシャッターとは大違い。
さすが、ヴァージンという感じ。
録音も、自然で伸びやかで、
20年以上前のものとは思えない。


この演奏、コペルマンがリードしていた時代にふさわしく、
彼の妙技が聴きものである。
従って、四人がまったく均等、という感じはない。

一方、アハロニアンのものは、
さすがに四人で練り上げた、
という表現がふさわしい感じがした。
長々と読んで来た解説が、
もっともしっくりと納得できるのが、
この「セリオーソ」だった。

私は、そもそも、この四重奏曲の攻撃的な性格が好きではない。
従って、コペルマンの快調なものでは、
何も悪い事をしてないのに、責め立てられるような感じがする。
これは、どの四重奏団を聞いてもそうなのだが。

しかし、この演奏では、冒頭からして、
落ち着いたテンポを取っていて、
思慮深い感じがする。

チンピラ風ベートーヴェンが、
少し話が分かる大人になった感じ。
ということで、「セリオーソ」を聞くなら、
今後、これがいいな、という感じ。
アハロニアンのヴァイオリンが、
弱いわけではなかろうが、
うまく、他の奏者とブレンドしている感じがする。

オリジナル・メンバーのものは、
もっと冷徹だったと思うが、
探せていないのが残念だ。

セリオーソの解説はこんな感じで、大変、難しい。

「二つの魅力的な四重奏曲が、
中期と後期のベートーヴェンの間に、
気をもませるようにおかれている。
チェリストのベルリンスキーは、
作品74は、先立つ、
野心的なラズモフスキー四重奏曲の整理であり、
それから1年余りして、1810年に書かれた
四重奏曲ヘ短調作品95は、
後期四重奏曲に接している。
それらのものと同様に、
作品95は、繰り返しなしという制約を課されている。
この場合、当時、同じヘ短調で、
ベートーヴェンが直面していた、
『エグモント序曲』の、公的、英雄な悲劇を、
この上なく凝縮したものとなっている。
彼の他の依頼された四重奏曲とは異なって、
作品95は、『公で演奏してはならず』という、
先例のない禁止が記されていたが、
彼の生前でもそれはあって、
1825年に、まだ十分書けていなかった、
作品127の代わりに演奏されていたし、
その頃までには印刷されて出回っていた。
独特なのは、作曲家自身が、『厳粛な四重奏』と、
サブタイトルを記したことで手稿に見られる。
この四重奏の各楽章は、
当時先端のアイデアで火照っている。
ベルリンスキーは、
突然のオープニングバーのヘ短調ユニゾンと、
作品18の1を開始させるフレーズの
魅惑的な関係を歌ってくれた。
事実、この着想はずっと現れ、
しかし、同様に大胆な空間を持つ、
ラズモフスキー四重奏曲のものよりも、
もっと劇的な沈黙の後、
これがコントラストをなす
跳躍音型に対抗して現れ、
このわずか3分の楽章の、
短く嵐のような展開部、
そして、短かいが叙情的な、
変ト長調への予期せぬ変容に
エネルギーを与えている。」

なるほど、第1楽章冒頭が、
チンピラ風なのは理由ありだった。
つまり、ベートーヴェン初期の木霊だったということ。

コペルマン時代のものは、
すごい自信で推進力があり、
録音が良いので、冒頭のチェロの掛け合いなど、
妙に生々しい。
新メンバーでの録音は、
若い第1ヴァイオリンにためらいがあり、
チームワークで支える印象。
四重奏としての味が出ている。

このチンピラ風木霊は、特に、低音で響くので、
ヴァイオリンを責めさいなむ感じが出ていて面白い。

「ほろ苦い質感と、和声の不安定さが、
ニ長調の音階のチェロによってアナウンスされる
アレグロ・マ・ノン・トロッポを貫く。
さらに注目すべきは、
楽章中央部に現れる、
果てしない半音階的フーガ風パッセージで、
単純な音階を促し、
開始部の歌を優しく浄化するものである。」

この楽章は、もともと内省的だが、
ここでは、ヴァイオリンがいじいじしていて、
曲想に合っている。
フーガの部分も、いじいじが重要。

私は、「ます」の五重奏曲も、
単に爽やかに弾くのが良いとは思っていない。

コペルマンは、気持ちよく弾きすぎ。
が、ここに惚れる人もいるだろう。

「(『ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソ』という
奇妙な注釈のついた)スケルツォで、
ぶっきらぼうに、ヘ短調が再度、主張し、
第1ヴァイオリンが休みなく動く中、
低音弦に、奇妙な和声進行があるトリオの
離れた調性に解放する。」

この楽章も、パワーで押し切っていないのが嬉しい。
トリオも、集団で味が出るものと心得た。

「苦痛に満ちた、ゆっくりした序奏のあと、
主調が現れ、終曲を支配する。
ここでベートーヴェンは最後まで衝撃はとっておく。
古典の先例では、ヘ短調による解決を用意するが、
コーダの不自然なまでの優美さや、
陽気さは、エグモント序曲の勝利の突撃とは、
何光年も離れている。」

セリオーソは、20分台でぶっ飛ばす演奏が多い中、
落ち着いて聴けると思ったら、
このCDでは22分をかけていた。
それ以外にも、アタックが弱いなど、
恐らく、老人に配慮した部分も多いのだろうが、
私はこれで良い。

「公開演奏禁止」だとしたら、それほどの名人芸は不要である。

私は、このCDの3曲では、第14番や、大フーガの方が好きだが、
今回、「セリオーソ」比較で、満腹である。
チェロ主体の合奏も良い。特に「ます」の五重奏などは、
低音弦が重要な役割を果たすので、こうした演奏で聞きたかった。

得られた事:「ベルリンスキー、徳川家康説。信長ドゥビンスキーと、秀吉コペルマン去った後、遂に天下を取る。」
「チェロがリーダー格の四重奏団も良い。」
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by franz310 | 2010-10-03 00:44 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その244

b0083728_20564490.jpg個人的経験:
旧ソ連の至宝、
ボロディン四重奏団による
シューベルトを聴いているが、
1991年録音の「ロザムンデ」と、
1995年録音の「死と乙女」では、
何だかうける印象が違う。
この名門には、
さらに1994年7月、
ベルリンのテルデック・スタジオで
録音した「弦楽五重奏曲」がある。


もう十数年も昔の録音に対してどうこう書くのも、
時代遅れの感がないわけではないが、
これまで真剣に聴いていなかったのだから仕方ない。

これは、テルデックレーベルのもの。
四重奏団を補足するチェロには、
ミッシャ・ミルマンを迎えている。

若いコペルマンとミルマンに挟まれて、
このCDの表紙デザインは、
さっそうとした印象である。

しかし、ミルマンが誰かはよく分からない。
ミッシャ・エルマンは、往年のヴァイオリン奏者であり、
ミッシャ・マイスキーは、現代の人気チェリストだが、
ミッシャ・ミルマンはボロディン四重奏団と、
時折、共演していた人、という認識しかない。

この猛者ぞろいの奏者たちに、
対抗するのだから、もっと紹介して欲しいものだ。
解説の人は、このあたりも配慮して欲しいものだ。

この四重奏団は、1993年に、
テルデックに移籍したようで、
その旨が、このCDの解説にも書いてある。

「1993年、ボロディン四重奏団は、
テルデック・クラシック・インターナショナルと、
専属契約を結んだ。
この契約による最初の録音には、
チャイコフスキー、ブラームス、
ハイドンがあって、すでに、
高い評価を受けている。」

ヴァージン・レーベルの「ロザムンデ」が、
1991の録音だったので、
1992年は、何をしていたか分からないが、
あの不思議な所在なさは、
こうした転換点における動揺の刻印だったのだろうか。

解説には、
「1990年11月から1992年10月にかけては、
オールドバラのアーティスト・イン・レジデンスを務め、
オールドバラ基金の演奏会プログラムのまとめ役として、
指導的役割を演じた」とあるが、
ソ連崩壊の前後の混乱を、
彼等はイギリスにいて避けた形だ。

この録音が行われた、1994年と、
それに先立つ活動についても、
解説にはこう書かれている。

「1994年、フランクフルト、ヴィーン、
ロンドンで、ショスタコーヴィチのチクルスを演奏し、
2年前には、
チャイコフスキーとブラームスのチクルスを、
コペンハーゲンで行い、
エディンバラ、香港、東京と、
シュレシュビッヒ-ホルスタイン音楽祭という、
4つの開催地のみを指定してツアーを行った。」

しかし、テルデックも、
すでに、若手のホープ、ブロドスキー四重奏団で、
ショスタコーヴィチの四重奏曲の全集を作った後で、
こんな大物が参加して来たという形で、
困ったのではないか。

おそらく、ブロドスキー四重奏団もびびっただろう。

見ると、このシューベルトのプロデューサーは、
Bernhard Mnichとあり(死と乙女もこの人だ)、
ブロドスキー四重奏団のショスタコーヴィチと同じ。
サウンド・エンジニアもEberhard Sengpielで同じ。
共に、テルデック・スタジオの録音ではないか。

何だかんだと比較されたらたまらない感じ。

そう言えば、テルデックから颯爽と現れた、
この若くて魅力的な団体は、いつのまにか、
ワーナーレーベルから、
クロスオーバーみたいな録音を出すようになったが、
ひょっとして、これは、ボロディン四重奏団のせい?
ロシアものを得意とする四重奏団が、
同じレーベルにいる必要などないって事か?

さて、この憎たらしい姑のような、
ボロディン四重奏団による、
シューベルトの弦楽五重奏曲はどうか。

解説は、ヨアヒム・ドラハイムとある。

「シューベルトのハ長調の五重奏曲は、
西洋の音楽が生んだ、
最も偉大で筆舌に尽くしがたく輝かしい作品の一つである。」

この始まり方はすごい。
よく、ここまで書いてくれた、
という感じである。

ドラハイム、すごいぞ、と思ったが、
これは、引用であった。
最初の「”」がないので、誤解してしまった。

以下のように続いて、
シューベルト研究家の言葉と知って、
ちょっと残念。
研究家なら、そう信じて研究しているから、
きっと贔屓もありそうである。

「ハ長調五重奏曲 作品163、D956
について、シューベルト学者で、
編集者のアーノルト・フェイルは、
1991年に、このように書いている。
この作品は、
1828年、作曲家の最後の数ヶ月に書かれたが、
この作品の驚くべき重要さは、
20世紀の後半になるまで認識されなかった。
ようやく最近になってから、
全面的に真価が認められ、実際、
音楽家や音楽愛好家からは、
ほとんど崇拝の対象とされ、
初期の惨めな評価とは、
グロテスクなまでのコントラストをなしている。」

確かに、この五重奏曲、
有名なプロ・アルテ四重奏団がSP時代に録音したが、
その際、「初めて弾いた曲」と言ったとか言わなかったとか。
確かに、戦前はまったく名作と思われていなかったのだろう。

「自筆譜はすでに失われており、
スタイル上の特徴と、
1828年10月2日、
シューベルトが出版者のプロープストに、
『最近書いたものには、
フンメルに捧げようと思っている、
三曲のピアノソナタや、
当地では評判になっている、
ハンブルクのハイネの詩による歌曲があり、
最後に、二つのヴァイオリンとヴィオラ、
二つのチェロのために書いた五重奏曲を完成させました。
ピアノソナタは、いろいろな場所で弾いて好評を得ましたが、
五重奏曲はもうすこしかかります』
と書いているので、
いちおう、1828年9月の作曲
(作曲家の死の二ヶ月前)とされているが、
実際に何時書かれたかは分からない。
プロープストは実際、
ピアノ三重奏曲変ホ長調作品100、D929の出版と支払いで、
シューベルトをひどく扱って、
彼がここに提供された傑作のうち、
いずれをも受け入れなかったという事実は、
19世紀の出版社の、
信じがたい近視眼的で臆病な進取の気性不足の
一例となっている。」

19世紀でなくとも、
こんな作品群を一気に引き受けるのは冒険であろう。
ピアノ三重奏曲を出版してくれただけで、
感謝しなくてはならない。
シューマンは、おそらくそのおかげで、
シューベルトの三重奏を知ったはずだ。

「この五重奏曲は、
1850年11月17日、
ヴィーンのムジークフェラインで、
ヘルメスベルガー四重奏団が、チェロの
ヨーゼフ・ストランスキーと組んで演奏するまで、
シューベルトの死後、22年も、
公開初演を待たねばならなかった。
3年後、1953年の初頭に、
有名なディアベリの後継者、
シュピーナが、『大五重奏曲』と題して出版した。
自筆譜が皆無で、
我々は、不幸にも、この信頼がおけるとは思えない、
第1版に依拠するしかない。」

私は、この名曲が、「ます」の五重奏曲同様、
自筆譜がない状態であるなどとは知らなかった。
しかし、初演後、出版に3年もかかるということは、
かなり不評だったということだろうか。

しかし、さすがヘルメスベルガー、よくやってくれた、
という感じと、何をやったんだ、ヘルメスベルガーは、
という二つの感情が交錯する。

1850年といえば、まだ、ブラームス登場前である。
ヘルメスベルガーが、ブラームスの室内楽を激賞するのは、
これからさらに10年も後のお話である。
ヘルメスベルガーは、1828年生まれなので、
1850年と言えば、まだ22歳。
過度の期待はかわいそうかもしれない。

「シューベルトの音楽言語の大胆さを思うと、
この五重奏曲が定着するのに時間がかかったのは、
確かに不思議ではない。
ヴァイオリン演奏に通じ、
ごく初期から弦楽三重奏のみならず、
弦楽四重奏のシリーズで長足の進歩を遂げていた、
シューベルトが、彼の生涯の到達点の室内楽に、
弦楽五重奏曲を配したのはいかなる理由であろうか。」

これについては、オンスロウのような前例があった事は、
このブログでも紹介したとおりである。

「モーツァルトや、
後のメンデルスゾーン、ブラームス、
ドヴォルザーク、ブルックナーのように第2ヴィオラではなく、
第2チェロを、通常の弦楽四重奏に加えた形で、
この奇抜な編成によって得られるたっぷりとした音色は、
しばしばオーケストラ的であるが、
分厚すぎたり、響きが悪いということもない。
シューベルトはダブル・ストッピング、
声部の交錯や重奏、
妙味あるピッチカートやトレモランドによって、
五つの楽器の音域を開拓し、
五人の奏者が一体のような、
微妙な変化、色彩的な音色の絵画を作り上げた。
作品はシューベルト晩年の特徴を示し、
ハイネの歌曲や、四手ピアノの幻想曲など、
最後の年を飾る様々な作品を想起させる。
これらの特徴に加え、
典型的には、長調から短調への急激な変化を含む、
不安定な和声、ドラマと表現の極端なコントラスト、
(幻想的アダージョの内省的な糸の繋がりなど、)
音色とリズムの自由さなどがある。
例えば、アダージョと、
名技的なスケルツォの終わりなど、
主題的、動機的関連も特徴的で、
素朴な魅惑で我々を地上に連れ戻す。
例外的にゆっくりと断固としたトリオのように、
リズムも驚くべきもので、
遂には、まさしく同じ調性で書かれた、
『大ハ長調交響曲』で、シューマンが称賛した、
『終わることなきジャン・パウルの、四巻の小説のような』、
『神々しい長さ』に至る。」

ボロディン四重奏団とミルマンの演奏は、
冒頭から強い緊張感がみなぎっていて、
とても力強い演奏に思える。

若いミルマンが加わった事で、
年配軍団も刺激を受けたのではなかろうか。
コペルマンの一人舞台になることなく、
各奏者が、自発的に活性化している。

まさしく、不敵な面構えの、
このCDの表紙写真を見る時の印象に等しい。
こんな連中が肉弾戦を演じたら、
こりゃあ熱いぞ、という感じが、
そのまま音になっている。

第1楽章は、18分半。
速いテンポで、かちっと決めてきた感じである。

特筆すべきは、音色がぴんと張って艶やかで、
均一な糸が交錯するように紡がれることで、
どの声部もアンダーラインが引かれているように響く。
ヴァイオリン同士とか、
チェロ同士とかの、
一見、混色してしまいそうな二重奏でも、
美しいより糸となって聞こえるのが嬉しい。

こうした大曲で、モニュメントを打ち立てるとしたら、
なるほど、こんな団体でないと難しいだろう、
などと勝手に思ってしまう。

第2楽章のアダージョは、幻想性が求められる部分で、
「ロザムンデ」のように、
散漫な方向に傾かないか心配であったが、
何だか、低音の伴奏からして、
並々ならぬ気迫が漂っていて別次元。

そもそも低音軍団の存在感がまるで違う。
ここでも、夢想に浸る暇無しの15分が熱い。

中間部の慰めに満ちた部分でも、
コペルマンが自制をしながら、
禁欲的な表現を聴かせるので、
びしっと筋が通った感じがする。

ピッチカートも魂がこもって痛々しい。

第3楽章のスケルツォは、
緊張に耐えられなくなったコペルマンが、
フライングギリギリでぶっとんで行くが、
こうした文学的感傷のないところが、
この四重奏団の持ち味のような気がする。

先に「断固たる」と書かれたトリオの前には、
一瞬の沈黙があって、
このトリオ部の超スロー表現が生きている。

何だか、居場所をいきなり見失ったようになる。
「白鳥の歌」の世界に降りたって、
それでも、しっかりと立ち尽くす英雄のようだ。

が、もちろん、その大地はいまにも崩れそう。
このあたりで、どわっと涙がこぼれ落ちても良さそうだ。
が、鋼鉄武装のボロディン四重奏団は、そんな表現には傾かない。

終楽章も、闇雲突進系のコペルマン色で始まるが、
他のメンバーもすぐに追いついて、
集団戦でそれを飲み込んでしまう。

が、こうしたハンガリー風というか、
スラブ風というか、ラプソディーになると、
コペルマンの血が騒いでしかたがないような感じ。
集団の雲の中から、時折、顔を上げて、
美音を振りまこうとする。

四重奏団としても、この勢いの良さは活かしておきたい所であろう。
しかし、制御不可能になると困るぞ。
ここでも、コーダにかけての爆発は、
ちょっとコペルマンに引っ張られてしまった感じだ。
この大曲の終楽章を、
9分を切ってやっている演奏はなかなかないのではないか。

そうした経緯もあってか、
この録音の翌々年、コペルマンは脱退する。
なんて事は考えなくてもいいか。

とにかく、このCD、
終楽章が暴発的なのを除けば、
ハードボイルドのシューベルトとして、
非常に印象的なものだ。
録音も良いし、ジャケットも格好良い。

印象派のような「ロザムンデ」の後でこれを聴くと、
ミルマンを加えたことで、
アンサンブルが活性化したとしか思えない。

が、この団体が、
とりわけシューベルトを大事にしていたかは謎。
あるがままに克明に演奏しただけ、
と彼等は答えるのではなかろうか。

このような立ち位置であるからこそ、
リヒテルのような大物と共演すると、
されるがまま状態になるのであろう。

b0083728_217833.jpgここで改めて、
「ます」の五重奏曲を聴いて見よう。
初期のCDで失望したが、
artでリマスターされた盤なら、
何か変わっているかもしれない。
この録音でもコペルマンは、
冒頭から懸命に美音を振りまいて、
体当たりの熱演をしているのが分かる。
シェバーリンのヴィオラも、
ベルリンスキーのチェロも、
それぞれに主張はしている。


artの効果か、音に膨らみが出来て、
録音としては聞きやすい感じがする。

しかし、いつも、この曲を台無しにする
ヘルトナーゲルのコントラバスが、
ここでも、まるで聞こえないように、
どうも録音も演奏の主体性も、
ピアノに重心が行ってしまって駄目だ。

この曲、ピアノが飛翔できるように、
コントラバスを導入したはずだが、
全く、作曲家の工夫が活かされていない。

飛翔しようにも、
リヒテルが水面に結界を張って、
そこから出られないような印象である。
だから水面下で、ゆらゆら揺れるしか出来ない。

結界を張るリヒテルのピアノが、
何かを強烈にしかけているわけでもない。
一種、夢遊病のようなピアノにも聞こえる。
それなのに、完全に術中にはまったかのように、
他の四人は、水中で漂っているだけに聞こえる。

有名な変奏曲での弦楽器の競演でも、
水面に揺れる影でしかない。

これらの弦楽だけの聴かせどころでさえ、
冴えない印象になっているのは何故?
水中で酸素不足になっていたりして。

新鮮な大気の感覚が素晴らしいこの曲が、
水面に映る大気に置き換えられている。
リヒテルなら、そんな音楽をやってみたかったかもしれない。

むしろ、このような個性的な演奏を、
名演と理解した評論家たちが間違っているのではなかろうか。
リヒテルは、そんな評価は求めておらず、
あえて、好きにやってみただけだと思えて来た。

リヒテルに付き合ったのが、
ボロディン四重奏団というのが間違いだった。
この大物たちなら、何か互角に繰り広げているはずと、
多くの人は騙されてしまったのだ。

しかし、ボロディン四重奏団ならでは、
などという要素はここにはなくて、
時折、コペルマンが張り切っているだけである。
彼等は、リヒテルのやり方に合わせたのかもしれない。

しかし、コペルマンの暴走を許してみたり、
リヒテルにまったりと付き合ってみたりしつつ、
「弦楽五重奏曲」のような大作になると、
とたんに鋼の建築を打ち立てたりして、
おじさんたちは、一筋縄ではいかない。

そもそも、このart盤、
解説もリヒテルのことしか書いてない。
何なんだ。
こうしたEMIの姿勢を、
ボロディン四重奏団のメンバーは、
感じていたのかもしれない。

あえて、自己主張して失敗するよりも、
ここは主役のリヒテルを立てた方が、
すんなり終わりそうだ、などと空気を読んでいたりして。

暴走する独裁者を許しつつ、
生き延びて来た世代の、
老獪なしたたかさを感じるのが正しいのかもしれない。

得られた事:「ボロディン四重奏団、空気を読む達人たち。が、コペルマンは違ったかも。」
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by franz310 | 2010-09-25 20:57 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その243

b0083728_232958100.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団による
シューベルトの四重奏録音は、
1995年、ベルリンの
テルデックスタジオ録音の
「死と乙女」の他、
その四年前に、
1991年7月、
ロンドンの聖シラス教会で行われた、
「ロザムンデ」その他の録音がある。
こちらはヴァージンレーベルのもので、
楽団のメンバーは同じである。


コペルマン、アブラメンコフ、シェバーリン、
ベルリンスキーの名前が並んでいる。

他に有名な四重奏断章や、
第10番と呼ばれる変ホ長調のものが収録されている。

1991年7月と言えば、
1990年のショスタコーヴィチに続く形である。
ボロディン四重奏団と言えば、ショスタコーヴィチと、
レッテルが貼られているようなものだから、
ボロディン四重奏団の思惑はともかく、
ヴァージンとしても、まず、
こちらを押さえて置きたかっただろう。

そもそも、何故、ボロディン四重奏団で、
シューベルトを聴かないといけないのか、
そうした疑問は、多くの愛好家が持つはずだ。

私の場合、リヒテルが共演して、
「ます」を録音したから聴いているのであって、
それがなければ、今回のもののようなCDを、
見つけて喜んだりはしないであろう。

ショスタコーヴィチの四重奏と言えば、
古典としての地位を確立して、
かならず引き合いに出される彼等ではあるが、
古典期の作品では、いきなり語る人が少なくなる。
私としては、彼等は、シューベルトが好きだったかどうか、
あるいは、シューベルトに肉薄して何かを捉えているかが知りたい。

前回聴いた、軍都ベルリンで録音が行われた、
テルデックへの「死と乙女」は、かなり雄渾な印象で、
私としては聴き応えがあったが、
商業都市ロンドンでの「ロザムンデ」その他は、
ジャケットのイメージのせいか、
何だか、違う感じが与えられた。

同じ楽団の演奏とは思えない程、印象が違う。
ひょっとしたら、曲想の違いや、
それに対する親近感の差異であろうか。

あるいは、レーベルの
録音ポリシーのようなものがあるのだろうか。
録音会場の残響みたいなものの影響もあるのか。
「死と乙女」が、くっきりと直裁的な、
飛び出して来る音作りだったのに対し、
こちらは、ソフトフォーカスがかかったような、
妙に空気感を感じさせる録音である。
教会という場所の特徴だろうか。

しかし、これが、良い効果ばかりを生んでいるわけではない。
よく言えば、柔和でリラックスできるが、
悪く言えば捕らえ所がない。

有名な主題による第2楽章などは、
録音のせいか、少し、間延びしたような印象を受ける。

しかし、そうした部分以外では、
演奏は透徹した推進力を持ち、
確かにボロディン四重奏団と思える出来映えだ。

それにしても、このCDの表紙デザインは、
どうなっているのだろうか。
この何だか分かりにくいデザインが、
いかにも、捕らえ所のないイメージを増強している。

Design:The Third Man
とあるが、「第3の男」?

どこかの庭園の彫像のようなものが、
白黒写真に緑を配して不思議な印象。
ノスタルジックな感じであろうか。

解説にも書かれているが、この四重奏曲は、
第3楽章に歌曲「ギリシャの神々」の引用があり、
それは大きな喪失感を歌ったものである。
このデザインも同様に喪失感のようなものがある。

彼等も1991年の12月には、
ソビエト連邦の崩壊を経験するが、
その喪失感の前触れのようなものが、
この演奏にあったりすると考えて良いか。

とにかく、「死と乙女」と違って、
散漫な印象のある演奏である。
私は、こちらの四重奏曲のほうが好きなので、
途方に暮れている。

いや、途方に暮れているのは、
ボロディン四重奏団の方かもしれない。
国家が解体し、時代に区切りがつくとは、
いったいどういうことなのか。

それを考えながら、彼等が演奏し、
それが音になったとは言わないが、
私の妄想のレベルでは、
そんな現象を感じてしまう。

音色も録音も魅力的なだけに、
妙に、つかみ所のない空回りが印象づけられる。

しかし、ボロディン四重奏団が不調、
ということではないようだ。
何故なら、「ロザムンデ」以外の曲では、
私は、かなりの満足度を覚えているからである。

例えば、「第10番変ホ長調D87」のアダージョ。
これはこのCDの白眉ではないだろうか。
深く沈潜した音楽で、素晴らしい深みを引き出している。

解説のGeorge Hallという人は、残念ながら、
ボロディン四重奏団についても演奏についても書いてないが、
初期の作品から説き起こし、
「ロザムンデ」の四重奏曲の特殊な点を詳述している。

「一回、または二回のギャップはあるものの、
シューベルトは、弦楽四重奏曲を、
その作曲家としての活動期すべての時期で残している。
1810年から14年の最初期のものは家庭用に書かれ、
彼自身の家庭内の合奏で試演されたものと思われる。
兄のイグナーツとフェルディナントはヴァイオリンを弾き、
父はチェロを受け持ち、フランツはヴィオラを弾いた。
このCDで一番初期のものは、
シューベルト作品の年代順カタログである、
ドイッチュのカタログ番号で87番、
変ホ長調のものである。
これは1813年11月、
まだ作曲者が17歳にもなっていない時期のもので、
この曲種においては徒弟時代以前のものと思えるが、
一般に、これまで彼が書いたものの中では、
最高の作品と考えられている。
実際、この作品は、現代の学者が考えているよりも、
もっと後期のものと思われていた。
チェロのパートが比較的容易なのは、
その息子たちほどには楽器に熟達していなかった、
シューベルトの父親が参加していた証拠である。」

この作品は、ヴィーンフィルハーモニー四重奏団や、
スメタナ四重奏団が取り上げて、
シューベルトの初期作品では最も有名なものだが、
私は、これらも聴いて来たが、
今回ほど感心したことはなかった。
やはり若書きということか、
第2楽章のスケルツォなど2分程度の音楽で、
後期の大作と比較すべきものではない。

何となくのどかな音楽という印象が強く、
今ひとつという感じがあったが、
ボロディン四重奏団で聴くと違う。

「この四重奏曲は二つの特別な点が認められる。
4つのすべての楽章が変ホで書かれていて、
シューベルトの死後に出版者がいじったかもしれないが、
スケルツォが第2楽章におかれている。
深い作品ではなく、愛嬌が売りで、
楽しく叙情的な第1楽章に、
性格的でエネルギーに満ちたスケルツォが続く。
この楽章のトリオは、ミステリーの気配がある。」

第1楽章からして、
いつもの、鋼鉄の意志の印象とは違って、
愛情たっぷりに歌い出されている。
ひょっとすると、コペルマンは、
こういうのが好きなのかもしれない。
典雅な音色が魅惑的である。

ヴァイオリンの「ソナチネ」の世界に、
ダイレクトに導いてくれる。

第2楽章も、何だか微笑みが漏れてくるような表現。
が、トリオでは、いかにもこの団体らしい、
非情なドラマがさりげなく顔を現す。

「最もシューベルト的なのは、
元気よく無邪気で騒がしく、
ほとんどモルト・ペルペチュオ的で、
典型的に呑気な第2主題を持つ終楽章であるが、
最も個人的なものが、アダージョに紛れ込んでいる。」

第3楽章は、夕暮れのような気配を漂わせ、
なだらかに歌われて、遙かな山々の稜線を見るようだ。

この楽章も、ボロディン四重奏団は、
とても嬉しそうである。
気になるのは、曲の性格からして、
コペルマンの主導が大きいから、
うまくいっているのではないか、
などと思われることで、
彼の表情がやたらたっぷりとしている。

ひょっとすると、
他のメンバーは、あまり楽しんでないのではないか、
などという疑念がふと浮かんだ。

ロザムンデのように、
全員の力が十二分に発揮されないと、
最大限の効果が出ない曲とは違って、
第1ヴァイオリンさえうまければ、
何とかなってしまいそうな音楽である。

続いて、「第12番」とされる、
「四重奏断章」が演奏されている。
ここでも光るのは、コペルマンのボウイングで、
他のメンバーは伴奏に回ってしまっている感がある。

「1814年に書かれた歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』が、
認知される最初の『グレートワーク』とされるものの、
シューベルトの芸術の成熟は一般に1820年頃で、
この年、器楽の最初の傑作群が生まれた。
1820年12月に書かれた『四重奏断章』D703は、
シューベルトが計画して放棄した四重奏曲の断章である。
関係する変イ長調のアンダンテが41小節書かれたが、
あとは空白である。
(こうしたケースは彼の場合よく見られ、
1822年の終わりに2楽章を完成し、
第3楽章を開始した『未完成交響曲』が類似例である。)
この四重奏曲を、
シューベルトが完成させなかった理由は、
想像するしかないが、
弦楽四重奏の質感と形態を、
印象的な感情の起伏を結合させた一つの楽章に包含し、
これまでの彼の器楽曲の中で、
もっとも注目すべき出来映えになった、
完成された楽章の出来映えからは説明できない。
緊張感に富むハ短調の開始部の主題は、
不安を越えて、優しい孤独感に満たされる
なだらかな第2主題とコントラストをなす。
驚くような、時として暴力的であるエネルギーが、
この音楽には含まれており、
シューベルトの素晴らしい手腕が、
多様な感情表現を表明する
個々のセクションを結びつけている。
この四重奏断章の最も早い実演は、
知られているもので1867年であって、
翌年出版された。」

この曲の演奏は、「死と乙女」を思い出させ、
速いテンポで、一気に彫琢していくようなめざましさが、
非情に古典的な立派さを感じさせる。

聴き応えがあるが、アンサンブルのバランスには、
少々、問題を感じる。

しかし、この曲は、もっと、
迫り来る何かにおびえるような、
ぞぞぞ、という感じが欲しいところだが、
すいすい行ってしまっているところが気になる。

どうした、ベルリンスキー。
もっと迫力あるビートを聴かせて欲しい。
あるいは、年齢から来る限界であろうか。
ベルリンスキーもシェバーリンも、
1920年くらいの生まれであろうから、
70歳くらいであったはずだ。
ヴィオラ、チェロの低音軍団が、
気力を失っていては、こんな演奏になるかもしれない。

精度は高く、最後など、びしっと決めているのになあ。

最後に「ロザムンデ」の四重奏曲が来る。

「実際、イ短調四重奏曲D804は、
この形式で書かれたシューベルト作品のうち、
生前に出版された唯一のもので、
確実に公開演奏された唯一のものである。
(シューベルトは歌曲やピアノ小品の作曲家として、
ヴィーンで名声を博し、
オーストリア、ドイツ全体に及んでいたが、
彼の生前は、他の楽曲は
同時代人にはほとんど知られておらず、
広い国際的名声は事実上皆無であった。)
1824年2月から3月にこの四重奏曲は作曲され、
ベートーヴェンの四重奏曲の多くを紹介した、
シュパンツィッヒ(1776-1830)
率いるアンサンブルによって、
ヴィーンのムジークフェラインで、
3月14日に初演された。
この曲を出版時、シューベルトは、
シュパンツィッヒに捧げている。
友人、クーペルウィーザーに、
3月31日に宛てた手紙の中で、
彼は、自身を、
『世界中で、最も惨めで不幸』と表現しているが、
こうした心の声は、この四重奏曲にも反映されており、
例えば、『四重奏断章』以上に、
不確かさが語られ、
不安定さはさらに広がり、
幸福なビジョンによって回復することもない。
シューベルトはずっと幅広いスケールになり、
対位法的な複雑さを駆使して、
さらにムードも急変させている。」

この曲などは、低音部隊の不気味な伴奏が命であるから、
老人セットも頑張って欲しいものだ。

「震えるような伴奏に乗って、
第1楽章は開始主題を語り出すが、
深い隔離された感覚を表している。
提示部は、通常の対比的材料を使って一般的であるが、
中央の展開部は第1主題に取り憑かれて、
震えるような音型が、
絶え間なく、やむにやまれぬ
不安のシンボルのような、
再現部に至るまで、
36小節にわたって一貫して鳴る。
この音楽には相当なストレスがあり、
最初の主題が戻ってくると、
もう、逃れられないということが暗示される。」

ここでは、心配したような事は起こっておらず、
さすがにベルリンスキーのビートは、
存在感をもって鳴っているし、
各奏者一丸となって立体的な。

しかし、この解説の解釈は、あまりに恐ろしすぎる。
このようなどうしようもない切迫感は、
「死と乙女」だけにして欲しいものだ。
私は、この曲には、もっとロマンチックな、
憧れのようなものが支配していると思っていた。

幸い演奏は、そんな風にまでは切羽詰まった表現はしておらず、
「死と乙女」の時と同様、極めて強靱な歩みを見せている。
したがって、解説ほどに切り詰めたものではないが、
私が思っている程、ロマンティックなものでもない。

「緩徐楽章は、シューベルトにとって、
個人的に何か重要なものに思える主題に基づく。
これはまず、シェジーの戯曲『ロザムンデ』の
幕間音楽の間奏曲で現れた。
(1823年12月、アン・デア・ヴィーン劇場で、
二回公演があった。)
また、ピアノの即興曲(1827年)の主題で現れる。
はじめの二つの例では、はじめは陽気に進行していた主題は、
途中で停止し、
そこに幾ばくかの慰めがあるとはいえ、
再開される時はむしろ自信なさげである。
ロザムンデの間奏曲は、
ロンドに向かって行くが、
四重奏では、さらに複雑な構成に進み、
シューベルトはそこで、
様々な対比素材を展開させると共に、
基本主題を変容させる。」

この楽章になると、幾分、メロディアスになるだけ、
コペルマンの一人舞台が目立つ。
気にしすぎだろうか。
他の奏者は、その後塵を拝するような塩梅に聞こえる。

「第3楽章はメヌエットであるが、
伝統的にこのジャンルで期待される、
軽いタッチやウィットは皆無で、
異常に親密で内面的なものである。
開始フレーズは、再度、自作の引用であり、
今回は、シラー作詞の、
既になくなってしまったギリシャの世界についての
ノスタルジックなオードの一部に付曲した、
『ギリシャの神々』(1819)の冒頭である。
『美しい世界よ、あなたはどこに行った』という部分で、
『ゆっくりと、熱烈な憧れをもって』と記されている。
この詩は、全体のトーンをなし、
このためらいがちな傾向は、
喪失感と自己疑念の雰囲気が、
こみ上げるのを和らげるように、
儚く揺れる。」

解説の締めくくりの部分、なかなか難しい。
ふらふらしていないと、ついつい、
やばい感情に支配されてしまう、
ということだろうか。

この楽章などは、
第1ヴァイオリンに唱和する楽節が頻出するので、
第2楽章と同様の問題が起こる。
ベルリンスキーはいくらか意地を感じさせるが、
他の奏者は、まるで影のようである。
あるいは、そうした表現を狙ったのだろうか。

「終曲は、予想されるとおり、
4楽章中、最も外向的な楽章で、
休止、奇妙なフレーズの長さ、不安定さが支配し、
気楽ではなく厳しい。
最初の三つの楽章によって、
蓄積されたいくぶん負の要素を
一掃するエネルギーと勢いがある。」

終楽章になると、だんだん、
この演奏の特性に慣れて来るのか、
何だか、各奏者を繋ぐ、
それぞれの意識の糸が見えて来て、
決して、無気力な演奏ではないことが分かって来る。

コペルマンを立てようとする姿勢と、
立てられて仕方なく主導して歌うコペルマンの関係。
これは息苦しい。

まるで、どこかの大企業のセクショナリズムみたいだ。
極めて統制のとれた、安定した仕事ぶりであるが、
クリエイティビティや自発性は、
後退せざるを得ない。

これから数年後、コペルマンが外れ、
新しいヴァイオリニストを招いて、
新生ボロディンになる必然が感じられる演奏である。

あるいは、死と乙女の場合、
このメンバーによる最後の録音ということで、
ふっきれた名演が生まれたのかもしれない。

このように組織の問題ばかりが気になると、
シューベルトが何だったか、
よく分からなくなってしまった。

大企業病が、顧客不在になり、
最後は、コンプライアンス問題などに行き着くのに似ている。

やりたくないのにショスタコーヴィチばかりをやらされ、
遂におかしくなってしまった人たち、
などと考えたら、
ふと背筋が寒くなった。

もちろん、そこまで行ってしまっているわけではなく、
一般的にありがちな事を、あえて適用してみただけだが。

妄想をふくらませると、
レッテルを貼られて自発性を失った名門の、
困った姿を捉えた1枚と読めなくもない。

また、祖国ソ連の最後期と重なった点、
このあと、レーベルを移籍する点、
繰り返しになるが、コペルマンが離脱するなど、
いろんなインフォーメーションが私の思考を撹乱する。

得られる事は無数にあった。
これらは妄想にすぎないだろう。
が、あえて書くなら、こうまとめられるかもしれない。

第1ヴァイオリン主導の初期作品ほど、
今回は精彩があったように思えたからだ。

得られた事:「ボロディン四重奏団、慣れるほどに表面化した世代間のギャップ。」
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by franz310 | 2010-09-18 23:30 | シューベルト | Comments(0)