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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その441

b0083728_17173567.jpg個人的経験:
クレマン・ジャヌカンは、
「16世紀のフランス・シャンソン
の分野における最大の作曲家」
などと書かれる事が多く、
事実、彼の名前を戴いた、
フランスのヴォーカル・グループ、
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン
は、ジャヌカンのみならず、
フランドル派から、
モンテヴェルディに至る、
様々な作曲家の作品を
多方面にわたって紹介したので、
ジャヌカンがこれらの総領のような
イメージを与えてもいる。


ちなみにこのグループは、
日本では、ジャヌカン・アンサンブルと呼ばれ、
ジャヌカンの代名詞のような、
「鳥の歌」をおさめたLPを
1980年代初頭に出した(ハルモニア・ムンディ)。

この録音は、音自体が優秀であり、
ジャヌカンの名前を広めたものでもあって、
古典的名盤と言ってもよく、
一世を風靡したと言ってもよい。

1996年に出た、
「古楽CD100ガイド」(国書刊行会)にも
当然のように取り上げられて、
「目の醒めるアンサンブル」と書かれているし、
1997年の音楽之友社、
「不滅の名盤800」には、
「Early Music」の60枚ほどに、
この一枚は選ばれ、
「面白さは卓抜だ」と、
いずれもいかにも、といった、
我々の頭に刷り込まれてきた文言が、
鮮烈に並んでいる。

この録音、内容は、
以下の20曲で、
もう一つの代表作「戦い」が入っていなかった。
1. 「鳥の歌」*
2. 「夜ごと夜ごとに」*
3. 「のぞみはゆるぎなく」*
4. 「その昔、娘っ子が」*
5. 「悲しいかな、それははっきりしたもの」
6. 「ある日コランは」
7. 「ああ、甘い眼差しよ」*
8. 「ひばりの歌」*
9. 「もしもロワール河が」
10. 「ああ、わが神よ」*
11. 「私の苦しみは深くない」*
12. 「ああ、あの苦しみよ」*
13. 「草よ、花よ」
14. 「盲目になった神は」
15. 「この美しい5月」*
16. 「満たされつつも」
17. 「とある日、さるひとが私に言うに」
18. 「ある朝目覚めた私」*
19. 「私の愛しいひとは神の贈り物を授かっている」
20. 「うぐいすの歌」*

メンバーは、
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)。

彼らは、そのあと、
「狩りの歌/ジャヌカン・シャンソン集」
を1990年代に出していて、
下記のように、ここには「戦争」(戦い)も含まれる。

1. 「女のおしゃべり」*
2. 「行け夜鳴きうぐいす」*
3. 「たったひとつの太陽から」
4. 「美しく緑なすさんざしよ」*
5. 「神々のガイヤルド」
6. 「ぼくには二重の苦しみが」*
7. 「緑の森に私は行くわ」
8. 「すぐまた来なさい」
9. 「こちらの側には名誉が」
10. 「空を飛ぶこの小さな神様」*
11. 「ブルゴーニュのブランル」
12. 「戦い」*
13. 「絶えた望み」
14. 「かわいいニンフ」*
15. 「どうしてその目を」*
16. 「当然のこと」*
17. 「ファンタジー」
18. 「花咲けるさんざしの上で」*
19. 「この五月」*
20. 「ああ、君は楽しいの」
21. 「大胆で軽やかな風よ」*
22. 「ブランル・ゲ」
23. 「もうぼくは以前のぼくでは」*
24. 「修道士チボー」*
25. 「狩りの歌」*
カウンターテナーのドミニク・ヴィスと、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)だけが一致。

ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)が入れ替わり、
ソプラノのアニエス・メロンが入っている。

そして、21世紀になってから、
これらの旧録音から、
いいとこどりしたのか、
27曲からなる、
「鳥の歌・狩りの歌~ジャヌカン:シャンソン集」
というCDを、
ハルモニア・ムンディ・フランス・ベスト25
という形で、出しなおしている。

これは、オリジナル盤の、
強烈な写実風ジャケット絵画とは、
かなり異なる方向の絵画を表紙に選んでおり、
まったく、別のCDとなっているのが、
少々罪深いような気がする。

「Chasse au sanglier」と題された、
しかし鮮やかに美しいミニアチュアで、
15世紀中葉のものだとあるから、
ジャヌカンを飾るには古雅にすぎるだろう。
オリジナル盤のブリューゲルの方が、
生々しい曲想には近いかもしれない。

「いいとこどりしたのか」と書いたが、
私にはよくわからない。
とにかく、上記*印が、選ばれた曲である。
前者からは8曲が落ち、
後者からは10曲も落ちているから、
ジャヌカンの愛好家なら、
納得できない部分もあるはずだ。

例えば、「音楽の友」の付録で、
1980年代に出た「作品小事典」では、
ジャヌカンのシャンソンを50曲も解説していて、
上述のうち、*がつかなかったもののうち、
「ロワール河」や、「緑の森」なども、
取り上げられているから、
また、前に聴いたセイ・ヴォーチェ盤、
後述のラヴィエ盤にも収録がないだけに、
残念な気がする。

ただし、
前回聴いた、セイ・ヴォーチのCDは、
21曲のみ、わずか48分のものだったから、
71分も収録したこの盤は、
そこそこ良心的なものかもしれない。

一方、「作品小事典」に出ていて、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」や、
「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」は、
セイ・ヴォーチ盤には入っていて、
収録時間が短めだといって、
これはこれで見識ある選曲なのだろう。

それにしても、さすがに、
個性派と鳴らすヴィスの声の力は強靭である。
男声アンサンブルに対して放たれる、
後光のように冴えた声を聴かせてくれ、
ドゥボーヴのリュートも存在感が頼もしい。

セイ・ヴォーチは、
器楽伴奏も交えての立体感もあって、
どっちのCDがお勧めとも言い難い。

が、「鳥の歌」という代表作は、
機知は感じられても、
私には、それほど名曲とも思えない。
「季節はこんなにいいのだから」
と、鳥たちが囀るにしては、
最初の警句、
「目をさましなさい、眠り込んでいる心よ」
のアクセントが強烈すぎて、
まったく、「よい季節」のさわやかさが感じられない。

今回のCDに入っている
表題となっていた「狩りの歌」なども、
歌詞もたわいもなく、声の技巧に驚き、
当時の狩りの様を思い描く楽しみはあるが、
そんなに重要な作品とも思えない。
7分の大曲でもある。
「女たちのおしゃべり」も7分もかかり、
当然ながら、やかましい。

このCDでは、斉藤基史という人が解説で、
「夜ごと夜ごとに」、「もう以前の僕では」、
「この美しい五月」などを、
しっとりとか、愛らしいとか書いて特筆しているが、
確かに、前二者は、
セイ・ヴォーチェ盤にも収録されていて、
私も楽しんだ。
「夜ごと夜ごとに」は、セイ・ヴォーチェ盤は、
器楽伴奏も入ってロマンティック、
ジャヌカン・アンサンブルは、
切り詰めた中にも陰影が豊かである。

その他、「ひばりの歌」という、
誹謗中傷差別用語満載で有名なシャンソンは、
さぞかし、日本語対訳が大変であっただろう、
と予想されるが、
このジャヌカン・アンサンブル盤で聴ける。

また、「美しく緑なすさんざしよ」や、
「かわいいニンフ」、「どうしてその目を」といった、
フランスのルネサンス期の詩人の大家、
ロンサールを歌詞にした、
ハイソな作品が収められているのも良い。

ここでは、アニエス・メロンのソプラノが、
愛らしく響くのもうれしい。

こう見てくると、
このジャヌカン・アンサンブル盤は、
そこそこの満足度であるが、
「盲目になった神は」が含まれないのは、
失敗ではなかろうか。
この曲は、晩年の美しいミサ曲の元になった事で、
重要な作品だからである。
(一説によると、器楽版だったので削除か?)

また、収録されていないもので、
最も残念なのは、やはり、
「マルタンは豚を市場に連れていった」
となるかもしれない。

セイ・ヴォーチェ盤は、
解説でもこの曲のいかがわしさを取り上げ、
演奏でもオリジナル版と器楽編曲版の
両方をおさめる念の入れようであった。

こうした器楽と声楽の変化が楽しめるのも、
セイ・ヴォーチェ盤のメリットである。
器楽は、アンサンブル・ラビリンセスが担当していた。

b0083728_17192023.jpg器楽版と声楽版を冒頭から、
徹底的に活用したCDとしては、
ASTREEレーベルから出ていた、
フランス・ポリフォニー・アンサンブルの
ラヴィエ指揮のものがある。

このCD、表紙の絵画がこれまた美しい。


ブールジュのラレマント・ホテルにある、
「Concert vocal」という、
16世紀の作品らしいが、
この演奏の特徴をよく表している。

女声が高音を担い、
早口言葉の技巧を要する曲が選ばれていない。
「鳥の歌」も「戦争」もなし。

指揮をしているラヴィエは、
解説でも、悩みまくり。
「現在において、
ジャヌカンの音楽を解釈、演奏する際、
器楽とその役割の問題に突き当たる。
どのような選択をも正当化する
ドキュメントがないのである。
従って、この問題は、
非常にデリケートなものだ。」

彼は、内的な必然性によるしかない、
として、私のコンセプトは、
音楽の文脈の豊富な研究による、
と言っている。

が、一聴して、そんな事以上に、
重要な問題が看過されている、
と感じてしまうのが、
この演奏ではなかろうか。

実にこれは、
とんでもないCDとも言え、
こともあろうか、
残響豊かなパリの教会で録音されている。
ジャヌカンの卑俗な世界が、
完全に換骨奪胎状態で、
美しく鳴り響くさまは、
完全に確信犯的な暴挙とも思えるが、
1976年の録音とあれば、
あるいは、こうしたジャヌカン像が、
当時はあったのかもしれない。


よく考えると、
このシャルル・ラヴィエという人、
フィリップスのLPで、
ラ・リューの「レクイエム」を、
これまた、ものすごく美しく演奏していた人ではないか。
当時、「たとえようもなく美しい」
とされた64年録音の名盤であったが、
おそらく今日的ではないだろう。

この録音はCD化もされたから、
おそらくたくさんの人が、
美しいステンドグラス風の表紙にも、
いろいろな想像を働かせながら、
ジャヌカンより一世代古い、
フランスの作曲家に思いを馳せたことだろう。

が、この録音の日本語解説(71年)を見ても、
ラヴィエの演奏は、
現代のハープやフルートを、
古いヴィオールなどに、
混ぜて使っていることが指摘されている。
当時から特殊なアプローチであると
認識されながら、
ある意味、絶対的な美しさを誇っていたのである。
ラヴィエは、この録音をもって有名であったが、
他に、どんなものを出しているか、
知っている人はほとんどいなかったと思う。

調べてみると、1924年生まれで、
1984年には、自殺しているのか。
ということで、古楽を率いて来た、
有名な世代より、少し上の人ということになる。

が、器楽部には、
ホプキンソン・スミス(リュート)や、
クリストフ・コワン(バス)といった、
次世代の名手が名を連ねているのだが。

ここには、「ある日ロバンが」という、
ジャヌカン・アンサンブルの盤にも、
セイ・ヴォーチェ盤にも含まれていなかった、
超やばそうな曲も収録されている。

作品小事典にも、「かなりあけすけ」とか、
「その内容を細やかに音によって描写」とか、
興味深い事が書かれているが、
ヴェロニカ・ディッチェイ(ソプラノ)、
アメリア・サルヴェッティ(メゾ)らが、
上品なさざ波の音楽としてまとめ上げている。

とにかく、極上のムードなのだ。
豊饒な響きに包まれて、
このCDは、しばし、
時を忘れてしまいそうだが、
ラヴィエは作曲家でもあるらしい。
デュリュフレの弟子なのではないか、
などといぶかってしまった。
ちなみに1902年生まれの
デュリュフレが亡くなったのは、
ラヴィエより後の1986年であった。

実は、ラヴィエの行き方と、
類似の指摘をした本として、
白水社の文庫クセジュから出ている、
「フランス歌曲とドイツ歌曲」がある。

エブラン・ルテール女史が、
1950年に出したものを、
1962年に日本語訳されたものが、
ものすごく読みにくいながら、版を重ねて、
まだ入手することが出来る。

ここで、ジャヌカンら、
フランス多声シャンソンは、
「わたしたちを芸術歌曲の
起源からそらせてしまう」
などと書かれている。

つまり、それらは優雅ではあるが、
ドイツの音楽のように、
みんなで歌え、親しみやすく、
誠意にあふれ、まじまなもの、
とは違うカテゴリーに分類しているようなのだ。

みんなで歌えない優雅な世界の極致が、
ラヴィエのようなアプローチではないだろうか。
卑俗な歌詞を無視して、あたかも、
教会の空間を厳かに満たす音楽。

b0083728_17224976.jpgこんな事を考えたのも、
そもそも聖職者であった
ジャヌカンが残した、
数少ない教会音楽であるという、
ミサ曲「戦争」が、
これまた、
ジャヌカン・アンサンブルで聴けるが、
よく吟味もせずに聴くと、
あまり面白いとも思えないからである。

そもそも表紙がいただけない。
戦士たちが密集しているが、
先の2盤のような爽やかさがない。

1994年の録音なので、
すでにシャンソンの2枚は出した後。

私は、ここでも、あのシャンソンのように、
激烈な早口言葉で、
悪魔を追い払う神の描写でもあるのか、
などと、勝手な妄想をしていた。
厳かな宗教の場に密着したミサ曲にも、
「主は栄光のうちに再び来たり、
生ける人と死せる人を裁き給う」
とか、
「万軍の神たる主、
主の栄光は天地に満つ」
といった、威勢の良いフレーズが
そこここに出てくるではないか。

セイ・ヴォーチェ、
ジャヌカン・アンサンブル、
両盤に収められている、
当時、大流行した、
ジャヌカンのシャンソンの名曲とされる、
「マリニャーノの戦い(戦争)」は、
妙にやかましい音楽であったが、
それを元にしたミサ曲は、
どうも何も起こらない音楽だ。

ところが、このミサ曲には、
そこまでの激烈なものはなく、
歌っている人や聴いている人が、
あ、これ知ってる、と思う程度である。

解説には、以下のような事が書かれている。
JEAN-YVES HAMELINEという人が書いている。

「カンタータとかシャンソンとも思しき、
壮麗に導き入れられるようなオープニングによる
ミサ『戦争』は、1532年にリヨンで、
ジャック・モデルネによって、
立派な装丁で、『高名な作者による』
6曲のミサ曲集として出版された。
それは、ジャヌカンのアヴィニョン時代に当たる。
シャンソン、『戦争』を知っていた歌手は、
ミサ全曲を通して現れる、
その進行や伝令調の音の感じを掴むのに、
困難はなかった。」

なるほど、「伝令調」とはうまく、
この曲の特徴を表している。
シャンソン、「戦い(戦争)」は、
「お聞きください、ガリアの皆様、
フランスの偉大な王の勝利を」
と伝令調で始まっている。

この後が、戦争の描写になるのだが、
「聞いてください、よく耳を傾けて、
四方からの雄たけびの声」という感じで、
いきなり聴衆を、
戦場に連れ去る工夫がなされているのだった。

ミサの最初の「キリエ」では、
「主よあわれみたまえ」が繰り返されるだけなのに、
空間をつんざくような
「キーリエ」が、
トランペットのように響き渡る。

シャンソンの方は、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
とても、博愛の教会とは相いれないような、
残虐、物騒なフレーズに向かって、
火縄銃だ、槍だ、大砲だ、と、
突進の早口言葉の応酬となるのだが、
こちらを、この曲の特徴と考えていてはいけなかった。

「しかし、もっともスリリングなポイントは、
おそらく、神の恩寵と作曲家の『機転』によって、
恐怖と身震いで聴かれた戦争の歌が、
単純、率直に『アニュス・デイ』の三度の繰り返しで、
平和の歌へと変わった『変換』であろう。」

アニュス・デイは、ミサ曲の終曲で、
「神の子羊、世の罪を除き給う主よ、
われらをあわれみたまえ」と歌われる部分だが、
二回目に現れる際には、
最初の伝令調は、すっかり鳴りをひそめ、
何やら喪失感、諸行無常すら感じさせている。

この解説は読んでみてよかった。
まるで、敵方への鎮魂にも聞こえてきたりして、
妙にジャヌカンの心情に触れたようで、
大いに納得してしまった。
ジャヌカンも50歳に近い。
二十年も前に書いたシャンソンも、
ヨーロッパ中に普及していった中、
その意味が変わってきていたかもしれない。

そして、三度めには、それをも超えて、
妙に大団円風の浄化作用が後光を放ち、
「戦争」ミサは、「戦争反対」ミサみたいになっている。

そもそも、フランソワ1世が、
大勝したとされる
1515年のマリニャーノの戦い以降、
イタリア進出の野望はくじけ気味になっており、
せっかく侵出したミラノも、
1521年には奪還されてしまった。

ちなみに、マリニャーノの戦いの翌年、
天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
フランソワ1世のお抱えになっているが、
19年には亡くなっている。

1494年に、
先々代シャルル8世が始めた戦争は、
結局、半世紀以上も泥沼化して終わらず、
フランソワ1世も1547年には亡くなり、
次の代まで持ち越すことになって、
アンリ2世の代になってようやく、
1559年にイタリア放棄で終わっている。
なんのための戦いだったのか。
この王様は、しかも、そのすぐ後に不慮の事故で死去している。

ジャヌカンは、1485年頃生まれ、
1558年に亡くなっているので、
最後の最後は知らなかった事になるが、
ほとんどイタリア戦争時代の
一部始終を見て生きたことになる。
ルネサンスの花開いたイタリアは、
これによって荒廃してしまった。

僧職にもあったジャヌカンであるから、
勝った、負けた、といった普通の気持ちでは、
この経緯を見ていなかったはずだ。

教会で歌われる宗教曲モテットに、
ジャヌカンは、「われらの敵が集まりて」という、
これまた、きわどいタイトルのものを残しているが、
これは、このCDにも収められていて、
1538年の出版だとある
ジャヌカンは50歳を超えている。

これまた、「彼らの力を打ち砕き」とか、
「彼らを滅ぼしたまえ」というテキストを含むが、
曲想は清澄そのもので、
いかにも、「彼らが戦うのは神なる御身」という、
敵味方を超えた最後に繋がっていく。

単に、21歳の新しい君主が、
イタリアに攻め込んでたちまち快勝したという、
マリニャーノの戦いだけなら良かっただろうが、
そのあとは、ローマ略奪があったり、
何故か、イスラム教徒と手を組んだりと、
大義がまるでない泥沼が続く。
同じキリスト教徒が、
教皇などの思惑を超えて戦う意味を、
ジャヌカンは考えたはずである。

このCDの後半には、
ミサ曲がもう一曲、
それもジャヌカン最晩年のものが収められている。
「盲目になった神は」という、
自作シャンソンのメロディを使ったものとされ、
解説でも、「巨匠の平明さ、アルカイックな質感」
と称賛されており、シャンソンの繊細さが、
そのまま活かされた、
清らかな宗教曲になっている。
シャンソンがどんな歌詞だったのか知りたい。

ちなみに、ジャヌカンより10歳ほど若い、
フランソワ1世は、
この曲が出た1554年には亡くなっている。
ジャヌカンは70歳くらいである。

生涯をかけて戦ったのは、
ハプスブルクの名君、カール5世
(スペイン国王としてはカルロス1世)であったが、
カールの立場から言えば、
神聖ローマ帝国皇帝として、
西欧統一を果たそうとした野望の邪魔者が、
このフランソワ1世だったということになる。

得られた事:「卑俗さばかりで知られるジャヌカンであるが、イタリア戦争という戦国時代を生きた聖職者でもある作曲家だけに、宗教曲は清澄。」
「戦争を主題にしたはずのミサ曲は、最後の最後には反戦テイストに昇華されている。」
「こうした多面的な作曲家ゆえに、際どい内容のシャンソンを、教会で歌うという試みもなされ、それがまた、音としてはものすごいヒーリング効果を発揮している。」
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by franz310 | 2016-09-18 17:25 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その439

b0083728_13475113.jpg個人的経験:
いくつかの泉から、
水の流れが集まり、
一つの川となって
海に注ぐように、
作曲家の仕事も、
様々な源流が想定される。
モーツァルトなどは、
まさに全欧の音楽を、
体現したような
立ち位置の人として
紹介されることも多い。
が、帝国が誇る
正規の音楽機関で、
早くから英才教育を受けた、
フランツ・シューベルト
の場合はどうか。


あまり考えたこともなかったが、彼こそ、
ハプスブルクの威信を担う人材候補として、
想像に余るほどの
過去の音楽の洗礼を受けていた人に相違ない。

ハプスブルク家は、
スペインも王国として統治した事があり、
このあたりの影響も
想定してよさそうなものだが、
シューベルトの音楽から、
スペインの影響を
直接的に聞き取ることは難しい。

しかし、何か手がかりでもないか、
などと考え、
かつて、スペインから輿入れした、
マルガリータ王女のお話あたりから、
この方面を聴き進めてきている。

そんな中、うまい具合に、
体系的にスペイン音楽紹介する
サヴァールのライフワークに
ついつい乗せられて
しまった感じもする。

この前、彼のレーベル、
ALIAVOXから出ている、
「ローペ・デ・ベーガの時代」
というCDを聴き進み、
オルガン音楽にもスペインの
特殊性があると教えられた。


文字数の関係で省略したが、
前回のCD解説の最後は、
こんな感じで、
スペイン・オルガン音楽まとめ、
という形になっていた。

以下、サヴァールのCDの解説の続き。
今回、取り上げるナクソス盤は、
後で紹介したい。

「最後にこの録音では、
この時期の鍵盤楽器の作曲家で
3人の主要なスペインの作曲家を取り上げた。
フェリペ二世の宮廷礼拝所の
偉大なオルガンの名手、
アントニオ・カベソン(1566年没)、
ザラゴザ・カテドラルとして傑出した、
セバスティアン・アギレラ・デ・エレディア(1627年没)、
それに、17世紀全般を通じてイベリア半島で流布し、
最も影響力あるオルガンの曲、
『Facultad Organica(1626年)』
で知られるアンダルシア人、
フランチェスコ・コレア・デ・アラウホ(1654年没)である。」

彼らの音楽は、まずカベソンから聴いた。
フェリペ二世が大事に取り立てた、
盲目の作曲家カベソンは、
かつて、ヒスパボックスの
「アントニオ・カベソン作品集」などで、
日本でも広く紹介されていた。

このCD、解説が非常に充実していて、
「スペインのバッハ」と紹介しつつ、
19世紀にはすでに、再発見が始まっていたとあった。
フランツ・リストの書簡にも登場するとある。

聴きものは、しみじみとしたメロディによる、
「騎士の歌によるディフェレンシアス」であった。

騎士の歌は、勇ましい騎士を表すものではなく、
騎士に想いを寄せる貴婦人の恋文のような内容。

解説を読んで驚いたが、
この「騎士」が、ながらく、
ローペ・デ・ベーガの戯曲、
「オルメードの騎士」の騎士だと、
考えられていた事があったようだ。

オルガンが、様々な音色で、
この歌謡を変奏していくが、
恋文が変容して、
壮麗な賛歌のように立ち上がる。

サヴァールのCDでは、この有名な曲は含まれず、
サヴァール盤:
Track5.にティエント第3番。
Track9.に、ほかのディフェレンシアスが収められている。

これも、「ご婦人の望みによるディフェレンシアス」
とあるから妙に内省的な音楽であっても、
驚いてはならない。
元の主題は、騎士の歌と同様のものであったのだろう。

解説にも、こんな事が書いてあるだけ。
「カベソンの作曲した作品は、
ティエント(イタリアのリチェルカーレに似た、
典型的なイベリア半島の対位法的な器楽曲ジャンル)と、
当時流行していた
(ここでは、『ご婦人の望み』であるが)
フランドルの対位法的なシャンソンによる
16世紀中ごろの鍵盤楽器の変奏曲の流れを汲んでいる。」

シューベルトも、歌曲を主題に変奏曲を書いたが、
この時代の伝統を受け継いでいる、
などと書く事は出来るのかできないのか。

エレディアからは、サヴァールのCDでは、
Track15.に「戦いのティエント」がある。

あちこちから軍勢が集まり、
どんどこ太鼓が鳴って、こりゃすごい。
だんだん盛り上がって、剣がびしびしと、
ちゃんちゃんばらばら。

「コレアやアギレラの作品の中にあって、
イベリア半島のオルガン曲の典型として、
いわゆる『バタラ(戦い)』、
これはおそらくミサの聖体奉挙の時に演奏された、
神と悪の神秘的な苦闘を音楽的に表した
一種の戦いの音楽を強調しておきたい。
その声楽曲版である、
『戦いのミサ』と同様、
戦場での音響効果を模した、
ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。
イベリア半島のオルガンの、
増加して様々な音色を持つリードストップが、
この音楽的描写の音色の選択を助け、
地方の聖堂に集まった人たちに、
異常にドラマティックな衝撃を与えたことであろう。」

オルガン曲ではなく、合奏で演奏されているが、
オルガンでも聞いてみたいものだ。

サヴァール盤、
Track21.「エンサラーダ」。
これもエレディアのもの。
エンサラーダは、何でもありのてんこ盛りサラダだが、
ここでも、太鼓鳴りまくり、ラッパ鳴りまくり。

本当に、教会で演奏されたのか。
むしろふさわしいのは、
かなり開放的な野外劇用であろうか。
劇の始まりの高揚感のようなものがある。

アラウホからは、サヴァールのCDでは、
Track19.に「モラーレスの戦い」がある。
これまた、戦いの音楽。
オルガンと戦いがこうも関係深いとは思わなかった。

「上述のジャヌカンのシャンソンをモデルにした
クリストバル・デ・モラーレスのミサを
直接の基にしたコレア・デ・アラウホのものは、
このジャンルの最初の発展形であり、
彼の同時代人、
アギレラ・デ・エレディアの作品のみならず、
ペドロ・デ・アロウホ、ディエゴ・ダ・コンセカオ、
ホセ・シメネッツ、ホアン・カバニレスなど、
のちのスペイン、ポルトガルの巨匠たちによる、
異常な流行の元となった。」

これまた、「戦い」ということで、
やはり、どんどこ登場の音楽で、
カベソンと並ぶ、オルガン曲の巨匠とは思えない。
ラッパも晴れやかに、輝かしい響きが交錯する。
こうした劇的情景が、大聖堂の中で響き渡ったとすれば、
私のオルガン音楽観も、大幅な修正を要する。

オルガンが戦いの楽器であることは、
ヒスパボックスのカベソンのCDの、
表紙写真を見れば実感できる。
鉛の塊のようなリード群が、
いかにも大砲や鉄砲を思わせる。

そもそもカベソンが鉄砲伝来の時代の人であるが。

今回は、NAXOSで偶然発見した、
「イベリア半島の初期オルガン音楽」というCDで、
このあたりの勉強をさらに進めてみよう。
うまい具合に、ナクソスというレーベルは、
もうちょっと、という場合に、
ポイントを突いたCDを出している。

ただし、これは、諸経費を押さえて、
良質な演奏を安く提供しようという、
このレーベルらしい割り切りによって、
演奏しているのは、アメリカのオルガン奏者、
大学教授ロバート・パーキンスで、
スペイン本場の人ではなく、
驚くべき割り切りと言うべきか、
楽器も彼の職場、つまり、アメリカの、
ということは、当然、歴史的にも新しい、
デューク大学の「Frentropオルガン」、
なるものを使っている。

このFrentropオルガンとは何かと調べると、
オランダの権威ある、
といっても、新しい事は事実の、
有名工房で作られたオルガンの名前のようだ。

このフレントロップ・オルガンは、
CDの表紙写真を見る限り、
イベリア半島風ではない。

そもそも、デューク大学という教育機関は、
ノースカロライナ州にある、
南部の名門らしいが、
ネット検索して写真を見る限り、
荘厳なゴシック風の塔が威圧的な、
ある意味、第一印象は、かなり時代錯誤的。

このヨーロッパとも見まがう教会の中には、
北ヨーロッパ様式によるフレントロップ・オルガン、
後期ロマン派様式によるエオリアン・オルガンと、
イタリア後期ルネサンス様式オルガンと、
なんと、3つものオルガンがあるらしい。

ネット上には、パーキンス教授が、
これらのオルガンで、
様々な勉強会的コンサートをしている旨が
読み取れたりもする。

ここは、イタリア後期ルネサンス式を、
なぜ、使わなかったか、
という気もするが、
おそらく、教授の判断は正しいはずだ。

とにかく、このいかにも、
アメリカ南部で、
いかにも肩肘を張って欧州文化を守っているぞ、
という感じの大学の時代倒錯チャペル、
そのフレントロップ・オルガンで、
当大学の名物教授が、
カベソンからエレディア、アラウホといった、
スペインのオルガン音楽の大家たちの曲を披露している。

こういう人であるから、
解説も自分で書くに決まっている。

アメリカ南部平原の
ノースカロライナの大地に、
空中楼閣のごとくそびえ立つ、
ゴシック様式の大聖堂に彷徨い入る感じで、
解説を読んでみよう。

「スペインとポルトガルのオルガンの
最も目立つ外観上の特徴は、
疑うことなく、メイン・ケースのファサードから、
腕木で水平に伸ばされたリードパイプ群である。
しかし、この特別な工夫は、
17世紀の最後の1/3の時期に現れ、
1550年から1700年の
イベリア半島のオルガン音楽の黄金時代の
最後に当たる時期であった。」

ということで、
垂直に突き出したパイプ群が、
このCD表紙のオルガンにないことは、
解説の冒頭から断られている。

「初期イベリア半島の音楽用の
オルガンについて、
膨大な文献が書かれているが、
確かに、それは独特ではあったが、
多くは、たった一つか二つのキーボードと、
初歩的なペダルがあるかないかで、
それほど派手なものではなかった。」
アントニオ・マルティン・イ・コールが編纂した
手稿から編曲した、
作者不詳の『イントラーダ』が、
特に、華やかな水平トランペット
(クラリーネ)を要求したのは、
18世紀を過ぎてからのことである。」

ということで、最初の曲目の解説と思われるが、
次に、カンシオンの話が出てくるのはなぜだろう。

「カンシオン(イタリア風マドリガーレのことか?)は、
水平リードの導入からすぐの時期の
スペインのオルガン機能を開発し、
同様の響きを持っている。」

Track1.イントラーダ
実に豪壮なファンファーレが鳴り渡るもので、
壮麗な儀式か、ありがたい事が始まる予感ばっちり。
そのあとは、比較的、明朗なメロディの掛け合いが始まる。
このあたりの木霊の効果は、
メロディが展開されても付きまとい、
これがカンシオンなのだろうか。

とにかく、このあたりが主部で、
冒頭のファンファーレは、
オルガンの発展に合わせての、
後世の継ぎ足しのもの、ということだろうか。

次に、大家、カベソンの曲が4曲並ぶが、
ティエントとディフェレンシアスが2曲ずつである。
そのためか、ティエントの解説がある。

「イベリア半島の鍵盤楽器音楽は、
16世紀中葉には十分発達していた
ティエント(ポルトガル語ではテント)の歴史の
延長と言える。
多くの初期のティエントは、
当時のポリフォニーのモテットの鍵盤楽器用編曲であって、
オルガンで演奏しやすいように、
複数の主題にそれらしく対位法的な構成を織り込んだものだった。」

ヒスパボックスから出ていたスペイン古楽集成の
「アントニオ・デ・カベソン作品集」では、
ティエントの3番、5番、7番~10番が収められていて、
カベソンの作品の中核が、
ディフェレンシアスとティエントだと書かれていた。
このCDでは、ティエント1番と、
「誰が語れよう?に基づくティエント」
が収められている。

アントニオ・デ・カベソン
Track2.ティエント1、
Track5.「Qui la dira」によるティエント、
についての解説。

「アントニオ・デ・カベソンのティエント1は、
これらのものより、ずっと特徴的で洗練されているが、
シャンソンに基づく『誰が語れよう?に基づくティエント』は、
もっと単純な声楽の様式を残している。」

ティエント1は、瞑想的な音楽で、
この偉大な作曲家が、自己の内面を、
紡ぎだしているような感じ。

「誰が語れよう」も、基本的には、
ばーんとすごい音だって出せるオルガンを使いながら、
ぶつぶつぼそぼそと、逡巡しているようなもの。

Track3.イタリア風パヴァーヌによるディフェレンシャス
Track4.ミラノ風ガリャールダによるディファレンシャス

「疑うべくもなく、18世紀以前のイベリアのオルガン音楽のうち、
最も霊感に満ちた天才は、盲目のカベソンが、
変奏曲の形式で第一人者に他ならなかった。
流行曲に基づく鍵盤楽器のための変奏曲(ディフェレンシアス)
については、欧州各国に比べ16世紀スペインでは、
作曲も演奏も、すでに驚くべき高度な域に達していた。
カベソンのイタリア風パヴァーナと、
ミラノ風ガリアルダに基づくディフェレンシアスは、
それぞれ、当時、よく知られた舞曲に基づく、
変奏曲セットである。」

これらの変奏曲は、
先ほどのティエントよりも主題が朗らかで、
様々な声部が、寄り添って、
人気のあった音楽に声を合わせる風情であろうか。

これは息抜きの音楽だから当然、
というべきなのか、
よりシリアスでありがたい、
二つのティエントより曲の長さも短い。

アントニオ・カレイラ
Track6.第1音上のファンタジア
「カベソンと同時代のポルトガル人、カレイラは、
ここで、『第1音上のファンタジア』と記した曲に、
なんのタイトルも与えていないが、
複雑ではないのに模倣様式で効果的な作品で、
おそらく、簡単に『テント』だとわかる。」

さすが、「イベリア半島の」
と銘打っただけのことはある。
ポルトガルの音楽も取り上げている。
大航海時代、我が国まで来た、
というか、最近までマカオをおさめていて、
妙に身近に感じられる、
ポルトガルの当時の響きに浸れるのは嬉しい。
まるで、教会のステンドグラスから差し込む光のように、
神秘的なスペクトルを放つ音楽。
たった2分であるが、
まさしく浸されるような時間。

ベルナルド・クラビホ・デル・カスティーリョ
Track7.第2旋法によるティエント

「『第2旋法によるティエント』は、
ベルナルド・クラビホ・デル・カスティーリョの、
たった一つ、残された作品である。
その清澄な様式は、ティエントの類似ジャンルで、
17世紀スペインで一般的になった、
ティエント・デ・ファルサスの先駆であろうと考えられる。」

これまた、押し殺したような響きが印象的な、
内省的な音楽。
敬虔な祈りの中で、
よほど心を澄ませて聴かなければ、
音楽に近づく事が出来ないような佇まいである。

まるで、少年合唱のような無垢な響き。
1545年生まれ、没年1626年というから、
シューベルトの200年以上も前ながら、
苦難の後半生だった天正の少年使節が、
次々と世を去る時期まで生きたのだな、
といった事を、ふと考えた。

パーキンス教授に乗せられて、
ついつい、余計な妄想までしてしまった。

が、こうしたポリフォニーの合唱曲が、
スペインのオルガン音楽の
発展に寄与した事は
明らかなことのようで、
合唱音楽と来たら、
少年合唱団で歌っていた、
シューベルトとも、
何らかの関係が
あってもおかしくはない、
などという妄想すらできるのである。

フランシスコ・デ・ペラサ
Track8.メディオ・レジストロ・アルト

「16世紀の最後の1/3世紀の間、
注目すべき工夫が起こり、
イベリア半島のオルガンを永久的に変えてしまった。
オルガン製作者たちは、バスとトレブルの中間に、
一つかそれ以上のストップを作り始め、
同じキーボードで二つの異なる音栓利用を可能とした。
ペラサのMedioレジスターアルトは、
トップラインの独奏と低い声部の伴奏音型の二つに、
レジストレーションを分けるもので、
これは、恐らく、
この技術を使った最初期のティエントであろう。」

こうした、楽器の技術的な発展と、
演奏技法の発展を語らせるには、
おそらく、この教授は適任なのであろう。
妙に、解説にも膨らみが出てきたような気がするし、
この音楽も、素晴らしい和声の色彩感が、
すごい力強さと深みを感じさせるものだ。
生年は1564年で、
1598年に亡くなっているので、
34年の生涯だったのだろうか。

セバスティアン・アギレラ・デ・エレディア
Track9.第4旋法による偽ティエント

「セバスティアン・アギレラは、
サラゴーサを中心とした、
アラゴン派の重要な人物で、
彼の18曲からの作品は、
17世紀スペインに花開いた
数多くのジャンルの典型となっている。
彼の第2ティエントである、
第4旋法によるデ・ファルサスは、
ファルサスという題名を使った最初の例に含まれる。
ゆっくりとした半音階の係留音
(和音の変化する部分で前の和音の音が
非和声音として引き継がれるときの音)が、
この瞑想的な声楽様式を特色づけている。」

神秘的なトリルで始まる音楽で、
ゆっくりと進行する中、
係留音の効果か、
深いため息や悔悟を感じさせる音楽。
この人も、天正年間に生きた人のようだ。
半音階の駆使で知られるという。

マヌエル・ロドリゲス・コエリョ
Track10.第4旋法によるティエント
「17世紀全般を通じて、
鍵盤楽器の曲集は、たった二つだけが、
イベリア半島で出版された。
それらの一つが、ポルトガルの巨匠、
マヌエル・ロドリゲス・コエリョによる
1620年の『音楽の花束』で、
各モードの3つのティエントを含めた。
その最初の第4旋法によるティエントが、
もっとも、魅力的で、4つの主題は、
微妙に関連している。」

「音楽の花束」というのは、
フレスコバルディ(1583-1643)
の作品が有名だが、
これは1635年のもののようだ。
フレスコバルディの曲も、
ミサに使うオルガン曲の集成であった。

コエリョもアギレラなどと、
同時期に活躍した人のようで、
この曲は、非常に晴朗で明快な、
歯切れの良さで際立っている。

フランシスコ・コレア・デ・アラウホ
Track11.バスの音域による第1旋法のティエント

「フランシスコ・コレア・デ・アラウホの、
『オルガンの学科』は、
すぐ後の1626年に出版された。
コレアは、この巻で、
分割された音域のために、
多くのティエントを含めた。
『Tiento de medio registro de baxón』
はバスのソロのもの。
この特別な小品の最も魅力的な点は、
終わり近くにあらわれる7/8拍子である。」

始まってしばらくしてから、
バスの太い音色に、
しっかりとした独白が聞かれるが、
むしろ、天上の光が飛び交うような、
明るい伴奏部に耳を澄ませてしまう。

パブロ・ブルーナ
Track12.聖母のための連祷によるティエント

「パブロ・ブルーナは、
尊敬すべきカベソン同様、
目が不自由で、アラゴン派に属した。
『聖母のための連祷によるティエント』は、
タイトルにはないものの、
異なる音域で演奏されることを想定した
自由な変奏曲である。」

ブルーナは、1611年に生まれ、
1679年に亡くなっているから、
マルガリータ王女が生きた時代の人である。

つまり、先にあげた黄金時代の作曲家たちとは、
2世代くらいあとの人かもしれない。

マルガリータ王女は、1673年に、
22歳になる前に亡くなっているから、
異郷の地で散った、
この王女の事に想いを馳せ、
この作曲家も、何か、考える事があっただろうか、
などと考えてしまった。
1674年に、彼はダロカの教会の楽長となったが、
スペインは、もう、どうしようもない時代に、
突入していたはずである。

この曲だけを聴いて、
「聖母」を連想することはできないが、
演奏に7分を要し、このCDの中では、
最も長い、変化に富んだ曲である。
変奏の都度、現れるメロディも明快で、
ポリフォニー的ではない領域に入っている。

フアン・カバニリェス
Track13.パサカーユ Ⅰ
Track14.シャカラ

「イベリア半島のオルガン音楽の『黄金時代』の、
最後の偉大な作曲家は、フアン・カバニリェスである。
彼の多産な作品は、
カベソン以降の時代以降衰えた作曲技法、
変奏曲など、
この文献のほとんどすべてのジャンルを含む。
『パサカーユⅠ』は、5曲あるうちの5番目のもので、
和声的な4拍子のテーマによる簡単な18の変奏曲集である。
名技的な『Xacara』は、
粗野なストリート・ダンスの
繰り返しパターンをもとに展開した、
より複雑で解放的な曲である。」

多作家という事であろう、
カバニリェスの作品は、
サヴァールも取り上げてアルバムを作っている。

1644年に生まれているから、
この人などが、
最もマルガリータ王女(1651~1673)
に近い世代、ということになろう。

亡くなった時には、
18世紀になっている。

『パサカーユ』は、
パッサカリアという事であろう。

これまた、内省的な作品で、
ほとんどモノローグで、
途中で、音色を変えて近代的な展開を見せ、
19世紀のフランクのオルガン曲、
と言われても、わからなかったかもしれない。
サヴァールも、この曲を、合奏曲として、
別のCDで取り上げている。

「Xacara」は、CDの日本語曲目一覧には、
「ハカラ」とある。
解説にあるような「粗野な」という感じは、
あまりしないが、だんだん、テンポが高まり、
まさしく、前に聴いた、「Jacaras」みたいな、
熱狂的なものがベースにあることがわかる。
しかし、神妙なイメージのオルガンで演奏されているから、
解説を読まない限り、
そのルーツに想いを馳せることはなかっただろう。

作者不詳
Track15.ガイタによる変奏曲
「作者不詳の『ガイタによる変奏曲』は、
このCDのオープニングの『イントラーダ』同様、
アントニオ・マルティン・イ・コールの曲集に由来する。
『ガイタ』という言葉は、
スペインのガリチア地方で
特にポピュラーだった楽器、
バグパイプを意味する。
この魅力的な小品は、
この時期のイベリアのオルガン曲が、
必ずしも、厳格であったり、
厳粛ですらあるというわけではない、
ということを思い出せるように
取り上げておいた。」

この曲は楽しい。まさしく、これこそ、
ストリートミュージックを模したオルガンという感じ。
様々な音色が次々に繰り出され、
最後は鳥の声が騒ぎ立てるような効果まで現れ、
楽しい以上に、楽器の王様たるオルガンの、
驚くべき威力に舌を巻いてしまう。

以上、全15トラックを聴いた。
何せ、廉価盤のナクソスであるから、
簡素をもって美徳としているはず。
簡単に読めて、しかも、勉強になることが望まれた。

実際、その通りの、
読み応えがあるもので、楽器の置き場所こそ、
米国中西部の蜃気楼の中だったかもしれないが、
さらりとイベリア半島めぐりを楽しませてもらった。

得られた事:
「何と、戦いの描写も神と悪とのせめぎあいを描く時に重要で、教会から現れた様式であった。」
「総じて、劇場や教会は、何でもありの音楽創作の影の立役者であり、オルガンもまた、必ずしも『祈り』の楽器というわけではなく、何でもありの描写を繰り広げた。」
「イベリア半島のオルガンは、ポリフォニー合唱曲の影響を受けて語法を増し、時代を経て継ぎ足しのように強烈な水平パイプ群を備えるに至った。」
「黄金時代のスペインでは、俗謡による変奏曲が多く作曲されたが、歌曲を主題に変奏曲を書いたシューベルトとの関係はいかに。」
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by franz310 | 2016-07-31 13:51 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その433

b0083728_22371544.jpg個人的経験:
カミロ・シェーファー著、
早崎えりな・西谷頼子訳の
「ハプスブルクの音楽家たち」
(音楽之友社)は、
このタイトルから
安直な予想をすると、
かなり期待はずれな、
奇妙な偏重がある書物である。
確かに第1章、
「ハプスブルク家とその文化遺産」は、
このヨーロッパの名門と
音楽の関係を概観してはいる。


しかし、最終章の第9章まで、
ベートーヴェンは登場しないし、
それに先立つ、第7章、第8章は、
グルック、モーツァルトに
フォーカスが当てられているとはいえ、
年代順にハプスブルク家の、
音楽家たちとの関わりが書かれているかというと、
すこし、一般の読者が期待するであろう
時間推移とは異なるような気がしている。

というのは、第2章で、15世紀後半の
マキシミリアン帝の宮廷の話が出て来るが、
この章の最後では、もう、17世紀中葉の話が出て、
主役は、フェルディナント3世になっているからである。

確かに、マキシミリアン帝こそは、
世界帝国を築くスペイン系と
オーストリア系ハプスブルクの始祖とも
言える人物だが、
この本で、スペイン系の話はほとんどない。

オーストリア系も、
フェルディナント1世、マキシミリアン2世、
ルドルフ2世、マティアス、
フェルディナント2世などと続き、
先に述べたフェルディナント3世までは、
2世紀が経過しなければならない。

この間、何よりも、全ドイツを荒廃させたという、
30年戦争に到る、宗教戦争が勃発しているから、
そのあたりが書かれているかと言われると、
これが、まったく触れられていない。

おそらくは、「レーオポルド1世の音楽」
というタイトルこそが、
(レーオポルドの約300年後に生まれた)
この1943年生まれのオーストリアの著者が、
書きたかった内容だったのであろう。

見出しを見れば、一目瞭然であるが、
第1章で、ハプスブルク家が
スペインの影響を受けた儀礼ゆえに、
礼節正しい皇帝であった例として、
レーオポルド1世は取り上げられ、
第2章では、作曲の才能がある一族の例として、
モーツァルトやバッハの家系と共に、
皇帝一族が紹介されているが、
その絶頂がレーオポルド1世だと書かれている。

第3章では、レーオポルド1世の壮麗な
婚礼の儀式について書かれ、
第4章では、いよいよ、
レーオポルド1世作曲の宗教曲などが取り上げられ、
その宮廷楽団や、3度の結婚の相手についても詳述される。
他の皇帝の場合は、ここまで書かれてはいない。

第5章では、もうレーオポルド1世の話は終わった、
と思いきや、
レーオポルド1世が招聘したドラーギの話や、
レーオポルド1世の恩寵で宮廷作曲家になった、
フックスの話が出て来る。
何と、ヘンデルと同時代の
ボノンチーニさえも、
レーオポルド1世に音楽を捧げた、
という感じで登場する。

第6章になってからも、
ヨーゼフ1世、カール6世に関して、
その父、レーオポルド1世の話題が挿入される。

したがって、読者としては、
時代順に読んでいるつもりではあっても、
常に、レーオポルド1世の話に戻って、
絶えず、同じ事を聴かされているような、
奇妙な錯覚に囚われるのである。

では、このレーオポルド1世は、
音楽を離れて、どれくらい、
君主として仕事をしたのか、
いったい、彼は、どんな時代を生きたのか、
という疑問が出て来るのだが、
残念ながら、そのあたりの事情は、
この著作から読み解く事は困難である。

新人物往来社ビジュアル選書、
「ハプスブルク帝国」という本を読めば、
研究家の関田淳子という人が、
(日本オーストリア食文化協会顧問ともある)
第2部「世界帝国への飛翔」で、
これらの皇帝が、30年戦争や、
対トルコ、対フランスとの確執に悩まされた経緯を、
肖像画入り、挿絵豊富に、
簡潔に説明してくれており、
大変、分かりやすい。

「レオポルド1世」に関しては、
太陽王ルイ14世のライヴァルとして、
オスマン帝国による「第2次ウィーン包囲」などを例に、
「次々に勃発する戦争で心休まる日々を送ることなかった」
と書かれながら、
「そんな皇帝の最大の慰めとなったのが、
父帝と同様に音楽だった」という記述があるのが嬉しい。

見出しに、
「思いがけず帝位についたレオポルドに
平和と音楽を楽しむ時間はない。
治世の大半をルイ14世、
オスマン帝国との死闘に謀殺されてしまった」
とあるが、こちらの顔を補正して、
考慮に入れ込まなければ、
シェーファーの本の知識だけでは不十分であろう。

また、父、フェルディナント3世が亡くなって、
兄、フェルディナント4世が即位するところが逝去、
聖職者だったのに、
好むと好まざるとに関わらず、政治のひのき舞台に、
引きずり出された皇帝でもあることも書かれている。

あと追記するなら、
全欧をペストが猛威を振るったのも、
この皇帝の時代の事であった。

さて、この皇帝を中心にした音楽を集めた録音で、
日本でも最もよく知られたものは、
おそらく、エラートの企画した一大偉業である、
「空想の音楽会」シリーズ全30巻の第25巻、
「ウィーンの王宮における皇帝の音楽会」であろう。

1997年にCD化されたシリーズであるが、
原盤はLPで、1960年代に録音がなされている。

まだ、古い時代の音楽のレコードが
あまりなかった時期には、
このボリューム感あるアンソロジーは、
おそらく重宝されたであろう、
かなりエポックメーキングなものであったはずだが、
どんどん、歴史研究や発掘がなされた今となってみれば、
雑多な曲目を集めただけみたいな様相なので、
私も、つまみ食い的にしか知らない。

一般愛好家のリスニングルームというより、
図書館に置けば相応しいものという感じであるが、
レオポルド2世自身の作曲した音楽が聴けるのは、
今でも、珍しい。

しかも、ウィーン古典派の演奏で、
日本でも人気のあった、
テオドール・グシュルバウアーが指揮している。

そして、解説もなんと、グシュルバウアー自身が担当。
録音当時はこの人も25歳くらいである。

「このジャケット表に見える建物は、
ウィーンの皇宮(ホフブルク)である」と書きだされ、
CDがトータル・コーディネイトされているのを感じさせる。

「(ウィーンで)重要な役割を果たしていた音楽は、
バロック期に至り格段に人気高い芸術になった。
歴代の皇帝たち自らも、大いに音楽にあずかった。
じつにつづけて四代の君主たち
フェルディナント3世からカルル4世まで
が、彼らの宮廷に当時の最もすぐれた音楽家たちを
呼び集めたばかりか、
彼ら自身が特筆に値する作曲家として知られた。」

このように、このCDの意義が語られているが、
シュメルツァーやムファートの器楽曲に加え、
レオポルド1世の書いたアリアや、
ヨーゼフ1世の書いた「レジナ・チェリ(天の元后)」で、
美しい声で歌われる声楽曲が現れる。

これらの声楽をひとり受け持っている、
ロートラウト・ハウスマンの声が、
まさしく綺麗である。
この人、まだ24歳くらいだったようで、
その若さゆえか、まさしく無垢とも言える、
澄んだ声が非常に魅力的である。

最後に、レオポルド1世の宮廷を語る時、
必ず語られるチェスティの「黄金の林檎」から、
4曲の器楽曲が演奏されているのもありがたい。
このオペラは、レオポルド1世とマルガリータ妃の、
結婚式におけるどんちゃん騒ぎの好例なのだ。

が、グシュルバウアーの手腕によるのだろうか、
どの曲も高雅で神聖な雰囲気すら感じさせ、
音楽史の本の中でのみ有名なこの曲が、
現代でも十分楽しめるものであることを確認できる。
ヘンデルのような幅の広い抒情性は、
1960年代風の解釈なのかもしれないが。

演奏は、ウィーン・バロック合奏団で、
この団体については良く知らない。
ウィーンとかバロックとか、
一般に音楽を連想する単語が並んだだけの、
録音用臨時編成オーケストラではなかろうか。

ただ、若き日(24歳)のトーマス・カクシュカ
(アルバン・ベルク四重奏団の名手)が
ヴァイオリンを弾いているのも嬉しいし、
何よりも、録音が非常に美しいことを特筆したい。

実は、私は、このシリーズの
「マリー・アントワネット王妃のための音楽会」
の録音にはがっかりした記憶がある。
出来不出来がある可能性があり、
それ以上の探求はしていない。

一曲目は、シュメルツァーの
「弦楽オーケストラのためのセレナータ」で、
現代演奏されるような先鋭さはないが、
グシュルバウアーらしい、
すっきりした、繊細な表現で一気に聴かせる。

シュメルツァーは、
オーストリアの音楽家として初めて
ハプスブルク家の楽長となった人物と紹介され、
ヴァイオリンの名手、
「生国の歌謡から影響を受けた新しい様式」
で、優勢なイタリア人作曲家たちに対抗したとある。

この曲、CPOで出ていた
「フェルディナント3世の死によせる哀歌」にも、
しみじみとした情感が良く似ているが、
分厚い弦楽合奏で嫋々と演奏されて、
妙にロマンティックである。

チャイコフスキーやグリーグ、
あるいはレスピーギなどが書いた、
古典の模倣曲といって、
オーケストラのコンサートでやっても、
まったく違和感がないかもしれない。

今日、これら皇帝たちが書いた、
宗教曲のCDなどを聴いた後だと、
こんな豊穣な音が宮廷に流れた、
などとはとても想像が出来ない。

が、私はグシュルバウアーのこの演奏を、
存分に楽しんでいる。
現代のオーケストラが定期公演でやっても、
十分楽しめるはずである。

グシュルバウアーが「特筆に値する」と書いた、
「鐘」と題された部分は、
単調な音形をくり返すだけの部分で、
きわめて不気味である。

次に、レオポルド1世が書いた、
アリアが2曲あるが、
残念ながら、このCDには歌詞対訳はない。
「アデライデ」という歌劇から、
「返して、私に心を返して」と、
「意のままに生きよ、美しき信仰よ」だが、
民謡のように楽しく甘く、しかも、
コロラトゥーラの部分もあって聴きごたえがある。

皇帝の書いた悲しい宗教曲しか知らなかったら、
非常に残念だ、ということを実感できる、
美しいアリアである。
オーケストラの伴奏が、これまた、
込み上げるように、切実なメロディを、
大きく繰り返す。

2曲目は気まぐれで、爽快、
ヴァイオリンの助奏も手伝って、
ヴィヴァルディの音楽のように、
陰影もあって明るい。
ハンスマンのソプラノの澄み切った感じも、
青空に吸い込まれるようである。

「アデライデ」というオペラなら、
ヴィヴァルディにもあったはずだが、
同じ台本かは分からない。

次にムファートの「甘き夢」という、
協奏曲が来るが、
これまた、1960年代の
バロック解釈に違和感が湧き上がりつつも、
曲想の物憂げな感じも手伝って、
非常にロマンチックな名品とここでは言っておこう。

最後のアレグロや舞曲の部分などは、
完全にボイド・ニールなどが演奏した、
ヘンデルを想起させる。

また、続く、レオポルド1世の息子で、
若くして亡くなった
ヨーゼフ1世の「天の元后」は、
CPOのハーゼルベックの
CDにも入っていたものだが、
こちらの方が、
オーケストラが格段に増強されていて、
なおかつ、ハンスマンの声が澄み渡って、
空に向かって駆けあがり、
ずっとゴージャスな響き。
それゆえに、別の曲を聴いたような感じすらする。

ハーゼルベック盤のリンダ・ペリロも、
聴き直すと同様に澄んだ声ではあるが、
少し線が細く中性的かもしれない。

今回のグシュルバウアー盤の方が、
時代考証を無視すれば、
華やかさが格別でずっと名曲のように感じる。
各曲がハレルヤで締めくくられる組曲状だが、
このハレルヤ部のコロラトゥーラも、
若々しさが新鮮であるし、
ヴァイオリンが絡むところも華美ですらあり、
血なまぐさい「スペイン継承戦争」の時代を
忘れさせる。

逆に言うと、ハーゼルベック盤の、
密室の秘儀のような雰囲気の方が、
歴史を扱った書物から受ける、
その時代のイメージに近いのかもしれない。

ただし、ヨーゼフ1世と言えば、
もう、ヴィヴァルディと同時代なのである。

すでに書いたが、最後に収められたのは、
そんな盛期バロックからは遡る、
シュメルツァーの同時代人、
1623年生まれのチェスティの作品。

重厚な弦楽合奏で神妙に、
また、ある時には情緒的に、
4つの器楽曲が組曲風に演奏されている。

レオポルド帝は、このオペラ「黄金の林檎」のために、
通常の5倍の費用をかけたとされ、解説には、
「チェスティはその2年後に早世し、
皇妃マルガリータ・テレサも4年後に
うら若い身で没した」とある。

レオポルド1世は、
ルイ14世と覇権を争った皇帝でもあったので、
太陽王に張り合うようなイベントで
威信を高める必要があっただろう。

しかし、姻戚関係で言えば、
レオポルドが結婚するはずの
スペイン国王フェリペ4世の長女が、
他でもないこのフランス王に取られてしまった、
という経緯があった。

そのため、レオポルド1世は、その異母妹、
マルガリータ・テレサと結婚したのだという。

このマルガリータ・テレサについては、
シェーファーの本が大活躍する。
「生涯にわたって明らかに
彼女の血筋からきている
スペイン音楽を好んだ」とあり、
皇帝が公使にスペイン音楽の楽譜を依頼し、
「妻が望んでいるから」と催促した様子も書かれている。

かつては、「日没なき大帝国」と呼ばれた、
このスペイン系ハプスブルクは日没間近であった。

最後の王様、カルロス2世の父親が、
フェリペ4世であるが、
この人も芸術愛好家で、
ベラスケスの「宮廷の女官たち」は、
この人の娘、後に、レーオポルド1世の妻となる、
5歳のマルガリータ王女が中央に描かれた名画である。

このような実家を持つマルガリータと、
レーオポルドの結婚式こそが、
シェーファーの著書で、
「1666年ウィーンで、
皇帝レーオポルド1世と
スペイン王女マルガリータ・テレーサとの
婚礼が計画されたのである。
祝典は1年もの間続き、
初期バロックオペラ精神の頂点となり、
まさしく世界劇場となった」
と評されたイベントだったのである。

レーオポルド1世は26歳、
マルガリータ妃は15歳。
フェリペ4世はすでに前年に亡くなっていた。
「画家のなかの画家」
ベラスケスも死んでいる。

ちなみにマルガリータの母親は、
フェルディナント3世の娘、
レーオポルド1世の姉ということなので、
新郎新婦は叔父姪の関係だったということか。
かなり、血が煮詰まっている感じがするが、
マルガリータ妃は22歳で亡くなって、
レーオポルド1世は「怒りの日」を作曲したとされる。

シェーファーの本では、
「彼自身の従姉妹であり姪でもあった最初の婦人で、
夫を尊敬して『叔父さん』と呼んでいた
『グレートル(マルガリータの愛称)』のための
壮大なレクイエム」と評されたものだ。

従姉妹でもあったというのは、
マルガリータの母親が、ややこしい事に、
フェリペ4世の妹がフェルディナント3世と嫁いで
生まれた娘だったからである。
関係を図示するとこうなる。

フェリペ4世
|   ↓ 妹
|  マリア・アナ― 結婚 ―フェルディナント3世
|          |
結婚  ――  マリアナ   レーオポルド1世
     |                |
  マルガリータ ――――――― 結婚
       

マルガリータ王女は、あどけない童女の姿で、
ベラスケスの絵画で永遠化されたが、
このような時代背景において、
ある一定の役割を演じた政治の道具であった。

今後、スペインの至宝のような
あの絵画を見るつどに、
オーストリアのレオポルド1世を
同時に思い起こす事になろう。

結婚生活はわずか7年ほどしか続かなかったが、
すぐに再婚したクラウディアもまた、
3年の結婚生活しかできなかった。
こうして、家庭の悲運を嘆いたのか、
1676年の彼女の死に際しては、
「3つも葬送読誦」が書かれ、
「この曲では悲しみが溢れ出し、
ふだんは悠然とかまえている皇帝も、
深い悲しみに身をまかせ、
その哀悼歌に我を忘れるのであった」と、
シェーファーの著作にもある。

ハンガリーの反乱やペストの流行が、
この後に起こっているから、
束の間の平和なひと時に起こった悲劇だったのだろうか。

前回取り上げた、CPOから出ているCD
「レオポルド1世宗教曲集」のCD
(マーティン・ハーゼルベック指揮)の解説には、
以下のような事が書いてある。

「ある外交官はレオポルドはとりわけ、
悲しいメロディで曲付をするのにすぐれていた、
と証言している。
この事は、彼の姪で最初の妻であった

マルガリータ・テレサが、
結婚して5年で、
1673年に亡くなった時に書いた、
美しいレクイエムについても、
2人めの妻、
インスブルックのハプスブルク家の、
クラウディア・フェリチタスが、
1676年、結婚3年半で亡くなった時の
夜の礼拝用に書かれた、
『3つの葬送読誦』にも言える。
この作品は、1705年、
彼自身の葬儀でも演奏され、
5月5日の彼の命日には毎年演奏された。」

この作品自身の解説は、
以下のような「晩課のためのテキストは、
ヨブ記から取られ、
レクイエムの入祭唱と同様の、
『Requiem aeternam dona eis Domine』
(主よ、永遠の安息を彼らにお与えください)
『Et lux perpetua luceat eis』
(そして永久の光が彼らを照らしますように)
で閉じられる。
声楽部は、2つのソプラノを含む5部、
器楽伴奏は、葬送哀歌に相応しく、
当時慣習であった弱音器付で登場する。
ソプラノ、アルト、テノールの音域のヴィオール、
ヴィオロン1、2つの弱音器付コルネット、
アルト・トロンボーン1、テノール・トロンボーン1、
声楽パート補助のバスーン1、
そして当然、通奏低音用オルガンである。
ここでも皇帝は主音にハ短調を選んでおり、
ヨハン・ヨーゼフ・フックスの読誦にもあるように
これは18世紀にも好まれたものであった。
3つの読誦はそれぞれ、
ヴィオールとコルネットによる
短いソナタで始まり、
模倣した形の2つか3つの合唱部で、
各読誦は結ばれる。
声楽部と器楽部のグループは、
この時代のコンチェルタント形式の理想として、
独唱同士、アンサンブル、合唱と、
常に変化する。
独唱部はほとんど常に
オブリガードの器楽を伴った
レチタティーボかアリオーソである。
半音階的なアクセントや下降は、
テキストが
『Quia peccavi nimis』(私はあまりに罪深いゆえに)、
で罪を語る時に使われている。」

この曲の正式のタイトルは、
「身まかりし愛しの
クラウディア・フェリチタス葬儀のために
芸術の守護者、
深い歎きのレオポルドが作曲した、
最初の晩課の3つの読誦」とものものしい。

第1レッスンは、
「主よ、私を見逃してください、
私の日々には何もないのです。
あなたが高く評価する男が何だというのです。
なぜ、彼に心を砕くのでしょうか。
あなたは、夜明けに訪れて、
突然、彼を試す。」

という感じの始まりなので、
「ヨブ記」第7章あたりの詩句であろう。

音楽は、もの悲しい、虚無的な器楽合奏で始まり、
皇后を失った皇帝の心の隙間風を伝える。

ヨブ記と言えば、
ゲーテが参考にして「ファウスト」を書いた、
と言われるように、
悪魔がいかにヨブが神を敬っているか、
試してみる、という、
めちゃくちゃな内容のものである。

ヨブは、悪魔によって家族、家財をことごく失い、
皮膚病にまでなるが、神への問いかけによって、
意地の悪い友人たちの問答に対処していく。

音楽は神への問いかけで、
小さな高揚を繰り返しながら進行するが、

聖書の持つ状況描写そのままの音楽で、
独唱者が高揚して合唱になったり、
からみあったりして進行、
神様に向かって、何故、あなたは、
私を気にかけ、私を重荷と考えるのか、
「なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、
わたしの不義を除かれないのか」
と、仕打ちばかりが厳しい神に向かって、
自問自答している。
途中、「ヨブ記」の詩句から離れ、
「救い主を信じ、最後の日には、
大地から起き上がるだろう」と信仰告白となる。

第2レッスンは、いくぶん、
緊張が取り除かれた感じの音楽。

しかし、歌詞は、決して明るくなく、
理不尽に責めさいなまれた境遇を経て、
神様に対して、言いたい事を言っているので、
少し、さばさばしたのであろうか。

ヨブ記第10章の詩句が扱われる。
「私は人生に疲れ、私の言葉が私を苦しめる。
魂の苦々しさを語り、神に告げる。」

アルトが冴え冴えとした声で、
至極まっとうな申し立てをする。
「私を咎めないでください、
何故、こんな風に私をさばくのか。」

バスは、「なぜ、あなたは悪の計画に手を貸すのか」
と真摯に告げ、
二重唱が切実な声で訴えるのは、
「あなたの眼は単なる肉なのか、
そうでなければ、
その男を正しく見るだろうに」という部分。

この曲の後半は、シューベルトも題材にした、
ラザロの逸話が引用されるのが興味深い。
「あなたは、私が何もできないのを知っておられる、
あなたの手から逃れられるものなどいないのだから。」
ここは、二重唱、合唱、フーガと、
すごい強調である。

ソプラノは口上を述べるように歌う。
「土くれの墓からラザロを蘇らせた方、
主よ、彼らを、安息の地に休ませたまえ。」

「ヨブ記」そのものが、
全体を自問自答と
理不尽な神との問答で出来ているような内容ゆえ、
激しい葛藤と発露がうまく音楽で表されている。

第3レッスンは、
ヨブ記第10章の続きの部分である。

この部分の冒頭は平安な日々の追想ゆえに、
曲も、最初は、ゆらゆらと蜃気楼に包まれて、
柔和な雰囲気を醸し出しているのだろうか。

「あなたの手が、主よ、私を造ったのです。
そして、平和な世界に住んでいたのに。
なのに、何故、あなたは突然、
眼をそらしてしまったのですか。」

ここでも合唱のフーガ風の強調。

そこに、テノールやアルトが、
「あなたが土くれから
私を造ったのを思い出してほしい」
「乳を注ぎ、チーズのように固めた」
などと、何となく素朴な内容を歌い継ぐ。

しかし、後半は、いきなり罪と向き合う形となり、
音楽は対位法的に錯綜し、
どんどん沈み込むような表現を見せる。
「あなたが世界を裁きに来るとき、
あなたの怒りから逃れる場所などあるだろうか。
私はあまりにも罪深いのだから。」

このあたり、
「ヨブ記」そのままではないような感じがするが、
それほどまでに、
レオポルド帝は罪の意識を背負って、
妻の棺に寄り添ったのだろうか。

この2番目の妻は20歳で輿入れして、
22かそこらで世を去ったようであるが。

最後の「レクイエム」の部分で、
かろうじて、その下降状態から踏みとどまって、
浮遊するような感じで、
まことに神秘的な終曲となっている。

得られた事:得られた事:「レオポルド1世が作曲した華やかなアリアをハンスマンのソプラノで聴くと、政略結婚とはいえ、はるばる輿入れしてきたうら若き王妃の姿が偲ばれる。」
「ベラスケスの名画で知られるマルガリータ王女は、夫となったレオポルド1世に、故郷スペインの音楽を所望した薄倖の王妃に成長した。」
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by franz310 | 2016-02-06 22:29 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その432

b0083728_2153378.jpg個人的経験:
嫌なデザインのCDである。
カレル・デュジャルダンという、
オランダの画家が描いた
キリスト磔刑図であるが、
薄気味が悪いばかりで、
これを見て、
このCDを聴きたくなる人は、
まず、いないと思われる。
が、これらの音楽が始まると、
知られざる迷宮に
紛れ込んでしまったような、
とても、不思議な
奇妙な感覚に包まれる。


CPOレーベルは、
マルティン・ハーゼルベックの指揮、
ウィーン・アカデミーの演奏で、
ハプスブルク王朝の、
君主自らが作曲した作品集
を出しているが、
ここに取り上げるのは、
レオポルド1世の作品集である。

独唱者として、
ユルク・ヴァシンスキ(S)
ダーヴィト・コルディア(S,A)
ヘニング・フォス(T)
アーヒム・クラインライン(T)
マルコス・フィンク(B)
が参加しているが、
美しい歌声でどこか遠くに誘う、
ソプラノもアルトも
男性歌手であるところなども、
迷宮の怪しい魅力に拍車をかけているのだろう。

音楽の都ヴィーンを生んだ、
ハプスブルク朝の、
世界帝国の地位からの崩壊、転落過程で、
異色の芸術家君主が輩出された。

マリア・テレジアの治世に到る、
約100年の話。

彼ら、バロック君主たちは、
多くの有名作曲家を援助したばかりか、
当時の作曲技法の粋とも言える筆の力で、
様々な宗教曲の楽譜を残していることが、
今回のCDシリーズなどからも分かる。

30年戦争の惨禍の中から、
フェルディナント3世は
清澄なメロディを生み出していた。

戦禍が収まったせいか、
その子、レオポルド1世は、
熱狂的な音楽ファンであったこともあり、
大スペクタクルのオペラを演じさせた。

彼自身、聴くだけにとどまらず、
より大規模な作品を書く事もあったようだ。

彼の作曲の才能は当時から高名であったようで、
シェーファー著(音楽の友社)、
「ハプスブルクの音楽家たち」
でも、全9章のうち4章までが、
この皇帝に関しての記述に当てられている。

この知られざるバロック君主たちの100年こそが、
実は、シェーファーの本のテーマと言っても過言ではない。

17世紀中葉から18世紀中葉まで、
日本史でも、庶民の活力を底辺にした、
元禄文化に代表される時期が含まれ、
まさしく、レオポルド1世の治世は、
この時代と時を同じくしている。

なお、このレオポルド帝は、
イエズス会との関係が深かったようで、
日本の歴史と強引に比較すれば、
彼の生まれる二年前に、
「島原の乱」が起こっている。

レオポルド帝のお抱えの作曲家、
ベルターリやチェスティの作品などは、
尾形光琳や俵谷宗達の
豪華な絵画世界を連想しても良いのだろうか。

そして、イタリアの作曲家として、
現代では特に高名な人となっている、
アレッサンドロ・スカルラッティが、
このレオポルド1世の同時代人で、
ヴィーンを訪れた事もあって、
皇帝に影響を与えたと言われている。

暗黒の30年戦争の印象と、
この南国のホープの登場は、
恐ろしく対称的な印象を私に与えている。

A.スカルラッティの生まれた年は、
1660年と覚えやすいので、
この際、覚えておくとしよう。
レオポルド1世の生没年は、
1640-1705とあるから、
スカルラッティは20歳年少、
さらに進んだイタリアの音楽が流入した。

今回は、この稀有な君主の、
帝王とは思えない程の、
繊細さを見せる
この大規模な宗教曲を聴きながら、
往時を偲んでみたい。
先のシェーファーは、
レオポルド帝の心的状態を、
「静かな憂鬱」と呼んでいる。

CDの方の解説は、
Herbert Seifertという人が書いたもの。

「皇帝レオポルド1世は、
フェルディナント3世の次男で、
1640年に生まれている。
彼は、もともと、
聖職者としての道を歩むものと
考えられており、
それに相応しい教育を受けていた。
彼が相続権のある王子とされ、
1655年にハンガリー王、
1656年にボヘミア王の戴冠を受けたのは、
兄のフェルディナント(4世)が
亡くなってからだった。
彼は1658年に、
前年に亡くなった彼の父親の後を継いで、
フランクフルトで神聖ローマ帝国皇帝に推挙され、
彼は、1705年に亡くなるまで、
その地位にあった。
彼は優柔不断な傾向で、
音楽や祭典、宗教や狩猟に比べ、
政治に興味がなく、
問題視される人物である。」

ということで、成りたいとも思わなかった、
皇帝になってしまった道楽者という感じではないか。

以下を読むと、父親からして、
すごい皇帝、という感じもしないのだが。

「彼は、父親から長年教え込まれ、
音楽への愛や才能を受け継いでいた。
フェルディナントは、
イタリア語のテキストを駆使する、
詩人として活躍し、
作曲家として、一曲のオペラ、
少なくとも一曲のセポルクロや、
(聖墓のための聖金曜日オラトリオ)
(注:ネット検索すると演技付のもののようである)、
多くの作品を書いているばかりか、
30年戦争で削減していた
宮廷合奏団を揃えることに、
多大な関心を寄せていた。」

戦争が終わった後、
様々な復興策があったのは良かったのだろうが、
年がら年中、個人的関心で動いている
王様のような印象が残る。

「レオポルドはこの慣習を推し進め、
音楽一般に熱中した。
子供時代は、宮廷オルガニストの、
マークス・エブナーにハープシコードの指導を受け、
おそらく宮廷音楽監督の
アントニオ・ベルターリから作曲を学んでいる。
ベルターリは、14歳から17歳までの
若い頃のレオポルドの作品をまとめており、
時折、器楽部を書きこんでいる。」

ベルターリは、多くのCDで、
その名前を見かける有名な作曲家。

「レオポルド1世の69曲もの
独立した作品が残されているが、
多くのそれらは短い宗教音楽であるが、
9曲のオラトリオとセポルクリ、
2曲のミサ曲、一曲の長いイタリアオペラと、
一曲の短いイタリアオペラ、
他の3幕のオペラのうちの1幕、
2つのスペイン語のインテルメッツォ、
6曲の付随音楽が含まれている。
今回のCDには、彼の彼の別のオペラから、
何とか一曲残っているアリアが含まれている。
それに加えて、皇帝は、彼の治世中に演じられた、
200曲ものオペラの多くに、
アリアやシーンの音楽を挿入している。
近年、3人の作曲家皇帝(レオポルトの長男、
ヨーゼフ1世も作曲をしている)の、
2人めの音楽に注目が集まり重視されている。
インテルメッツォ、オラトリオ、レクイエムやミサ曲、
そしてモテットが演奏され、録音されてきている。
モテット、大きなミゼレーレ、
埋葬ミサ用の聖務日課などを収めた
このCDでは、彼の宗教曲の素晴らしい入門となる。」

ということで、政治的には優柔不断ながら、
道楽には果敢に挑戦した皇帝の遺品を見て行こう。

「そのタイトルが示すように、年代不詳のモテット、
『Vertatur in luctum(聖母マリアの7つの悲哀のモテット)』
は、聖母の7つの悲哀の祝日用のものである。
この祝日は、受難の週の金曜日にお務めがあり、
棕櫚の日曜日の二日前に当たる。
この日のミサ用の、
セクエンツァ(続唱)と奉献唱として
『スターバト・マーテル』とモテットが用意され、
トランペットを除く通常の器楽編成等で
奏でられる音楽が付いている。」

何と、ペルゴレージやヴィヴァルディ、
シューベルトやドヴォルザークも作曲した、
スターバト・マーテルが、
こんなところで語られるとは思わなかった。

「テキストは聖書によるものではなく、
オリジナルのラテン語の詩である。」
とあるが、
「スターバト・マーテル」の歌詞ではない。

スターバト・マーテル(悲しみの聖母)は、
「十字架の傍らに立って嘆く聖母の姿を見て、
私も一緒に嘆かせて下さい」
みたいな内容のものだが、
確かに、この皇帝の作品も、
同様の状況を歌っている。

「イエスが世界の罪を、
自らの血で洗い流したとはいえ、
処女の胸を狂おしい痛みが走り」とか、
「イエスが乾きに苦しんだゆえに、
マリアの眼から涙がほとばしり出た」とか、
妙に仰々しい言葉が使われているとはいえ。

このような内容に、いかにも、
ふさわしい音楽になっているようで、
下記のような解説が続く。

「彼のレクイエム同様、
レオポルドは、5人の独唱者と合唱部を用いて、
テキストの悲しみに溢れた音色のために、
4つのヴィオール、1つのヴィオローネに、
コルネット1つ、ヴィオラ1つ、3本のトロンボーンを、
合唱部の補強のためだけに使っている。」

これは、音色の調合だけでも楽しめそうだが、
下記の部分に表されるソナタ部の開始からして、
非常にしっとりした響きで酔わせてくれる。
ぽろぽろ鳴る通奏低音も気持ち良い。

「弦楽セクションは導入部のソナタを奏でる。
ソナタの最初の部分のホモフォニーと、
第2の部分のポリフォニーがコントラストを成す。」

やがて、声楽が入って来るが、
独唱に絡み付くような合唱の扱いが、
ちょっと、これまで聴いた事ないような陰影。

この事は、この曲の解説の最後に書いてあった。

「3人の独唱者は、次々とレチタティーボを詠唱し、
フーガのようなラメントのアンサンブルと合唱となる。
慣習に則り、
『Lachrymantem et dollentem piisfletibus comitemur』
(マリアは泣きむせび、われらもそれに倣い)
というテキストは、
半音の下降半音階の動機で現れる。」

独唱のアリアが始まると、
器楽は陰影をつけるような役割に回るが、
豊かな情感で聴くものを包み込む。
A.スカルラッティの時代の人、
というのも肯ける内容である。
豊穣で情感も濃やかである。

「2つの詩節で、
リトルネッロを挟んで3回出てくる
最初のソプラノのアリアは、
当時のオペラ的な音楽である。
バスも同様に独唱での開始を任され、
弦楽がレチタティーボや
短いアリアを伴奏している。
この構成は、最後の曲を導く、
アルトのレチタティーボでも同様である。
この曲では、一人または複数の独唱者が
合唱の中で語るような役割をする。」

それに加え、バスーンやトロンボーンの、
柔らかい響きが、
マリアの嘆きを暖かく包むような
感じなのである。

2曲目は、「ミゼレーレ」だが、
寺本まり子著の「詩篇の音楽」(音楽之友社)
によると、この「詩篇51(50)」に関しては、
アッレーグリ、オケヘム、
ジョスカン、パレストリーナ、
ミヨー、モーツァルト、ラッスス、
リュリなど名だたる大家が曲を付けているとある。

アレグリの「ミゼレーレ」は、
少年モーツァルトの凄まじい天才ぶりが、
語られる時に、
かならず引き合いに出される有名作品であるが、
これは確か、10分ほどの作品ではなかったか。

ところが、この皇帝レオポルド1世の曲は、
このCDの真ん中に鎮座する長い曲で、
このCDの半分の時間、
33分半もかけて演奏されている。

なお、アレグリは1582年の生まれとあるから、
さらに2世代ほどさかのぼる人である。

J・アブリ著の「詩篇とその解説」では、
「ミゼレーレ」は、「罪びとの痛悔」として、
「個人の訴え、罪びとが聖とされることを願うところである」
とあり、
「神の精霊の働きによって新しい心をもった新しい人間存在に」
することこそが、キリストの回復のわざであるとし、
以下のように各部が構成されているとしている。

「(神への)呼びかけと祈願」、
ここでは、「わが罪よりわれを清めたまえ」と歌われる。

「ミゼレーレ」とはじまる部分は、
「mercy」に相当し、「慈悲を」という事のようだ。
このレオポルド帝の曲でも、
ここは、しめやかな合唱で、
こみ上げるように歌い出される。

「自分の罪の告白」、
ここでは、「わが罪は常にわが前にあり」、
としながらも、
「されどみまえにて正しき心を持つ者は、
おんみによせらるる者なり」と言い、
「おんみはわが心のうちに、
おん自らの知恵を知らせたもう。」と結ぶ。

「自分がもっと内的熱意をもつようになるため、
神の精霊を満たされたいとの願い」
とされる部分は、
「神よ、われに清き心を作りたまえ
わがうちに耐え忍ぶ霊を、新たになしたまえ」、
「われにふたたび、救いの喜びを与えたまえ」
と切実である。

さらに、「感謝の約束」と分類された部分では、
「おんみの正義によりてわが口に、
喜びの歌を歌うを許したまえ」と、
神の誉れを伝えることを望む。

私は、この詩節では、
「神よ、わがいけにえは砕けたる精神なり」
という部分が気になっている。
1972年に出た岩波新書の、
浅野順一著「詩篇」でも、この部分は、
親鸞の「悪人正機」になぞらえられたりしていて、
「ありのままの自己を神に捧げればよい」
と書いてもいるが、
もっと単純に、心が砕けた時こそが、
救済を求めるものではなかろうか。

なお、この著書は、「ダビデの歌」としての、
詩篇解釈も差し挟んでいるのが面白く、
ダビデの母が罪のうちに彼を孕んだ事、
ダビデが部下のウリアの妻、
バテセバを犯した件にまで、
言及している。

さて、最後は、「エルサレムのための祈」とあり、
「かくて人々はおんみの祭壇に、雄牛を献げまつらん」
とこの詩篇は結んでいる。

シェーファーの本ではこの曲は、
「もっとも成熟度が高く、完璧な作品」
と表現されている。

CDの解説に戻ると、
「詩篇50のミゼレーレは、
豊かなコントラスト、かつ、
基本的に悔い改めたテキストに基づいている。」
とあって、上述の脱線記述が参考となろう。

「器楽のない単純な曲付けの場合は、
聖週間と葬儀の際用という宗教的意味合いがある。
祝祭的な器楽伴奏の場合は、
レントの祝日用である。
19世紀の間、この曲は、
彼の息子、カール6世の作曲とされていたが、
そのスケッチから、
皇帝の作品のコレクションの最初の校訂者、
グイド・アドラーによって、
レオポルドの部分的筆跡が確認され、
17世紀の最後の四半世紀に作曲されたものだと特定された。」

ちなみにアドラーはウェーベルンの師匠でもあり、
19世紀とはいえ、1855年生まれで、
戦前まで生きていたから、
さすがに、レオポルド公の作品の研究もまた、
ヴィヴァルディ同様、つい最近まで進んでいなかった、
と考えても良いのだろう。

また、ヴィヴァルディのパトロンであった、
カール6世が、こんな形で出てくるとは思わなかった。

先に紹介した「詩篇の音楽」では、
この17世紀後半の時代を、
「中期バロックの時代に入ると、・・・
実質的にカンタータを確立していく」として、
ブクステフーデやパッヘルベルなどの活躍を総括しているが、
このレオポルド帝の音楽もまた、
歌い手が変わるごとに曲調も変わるので、
多楽章のカンタータに近い。

しかし、このCDでも、
トラックが分かれていないように、
粛々と行われている儀式に臨んでいる感じで、
そうした近代的なイメージから離れて、
いかにも、宮殿の中の秘曲という趣きである。

「アドラーは、この曲を、
『皇帝の作品で、最も音楽的に成熟し、
最も完成度の高い作品』と呼んだ。
ここでは4人の独唱者と合唱のパートが指定され、
2つのソプラノ声部は、
『ヴィオレット』(おそらくヴァイオリン)とされ、
ソプラノ、アルト、テノール、バス声部の
4つのヴィオール、
3つのトロンボーン、バスーンとオルガンからなる、
器楽部の暗い色調は、テキストやレントに見合っている。
レオポルドは、主音にハ短調を選び、
歎きの感情を表すのにふさわしい響きとなっている。」

様々な作品を書いた作曲家の、
どれが代表作かを選ぶのは困難なことだが、
当面、この作品を聴けば、
レオポルド1世の芸術の真髄に触れることが出来そうだ。

「合唱は、長大なホモフォニックの、
独立した器楽部のない開始部となっており、
4人の独唱者は、それぞれがテキストの一節から、
2つのヴィオレットを伴いながら、
次々に言葉を発する。」

独唱者たちは、フーガ的な動きを見せ、
「慈悲によりて、わが罪を消したまえ」と歌った後、
次々と詩句を歌い継ぐ。
ぽろぽろと、古雅な伴奏がつく。
ソプラノが、冴え冴えと、
「おんみに向かい罪を犯したり」と懺悔する。

「次のセンテンスは、再び合唱から始まり、
同様の様式で繰り返されるが、
この時には、テキストの繰り返しや、
器楽の扱いは長くなっていて、
様々な独奏を伴っている。
ソプラノ声部はヴィオレット一つ、
バスーンによるバス、
2つのトロンボーンによるテノール、
4つのヴィオールによるアルトからなる。」

ここでも、ソプラノの、
「ヒソポもてわれに注ぎたまえ、
さらばわれは清まらん」の部分は、
ヴァイオリンの掛け合いも美しい。
シュメルツァーのような名手がいた、
宮廷ならではの天使の響きである。

バスでは、はずむように、
「歓呼を聴くを許したまえ」が歌われる。
ファゴットの伴奏が虚無的な響き。

「わがとがを、すべて消し去りたまえ」の、
テノールを伴奏するトロンボーンは厳粛、
「われに清き心を作りたまえ」のアルトは厳粛だが、
ヴィオールの動きに、新たな胎動を感じる。

フーガ的な合唱は、「われを捨てたもうな」で、
切迫感で取りすがる。

「次のパッセージは、
喜びの再来を嘆願するテノールで始まるが、
それはそれに相応しい、
舞曲調の6/8拍子である。」

「寛大の霊によりて、われを強めたまえ」と、
切実である。

「アルトとバスのデュエットと、
2つのトロンボーンとバスーンで伴奏される、
アルトの独唱、
短い合唱が続き、
さらに二重唱があるが、
今回は、ソプラノとアルトであって、
神の賛美のテキストに相応しい、
喜ばしい音楽を伴う。」

このあたりは、「感謝の約束」で、
「罪びともみもとに帰り来たらん」
という二重唱があり、音楽も中盤に入っている。
アルトによる「リベラ・メ」
(「血を流す罪より救いたまえの部分」)を含め、
いくぶん、満たされたような響きが続く。
高音の二重唱は美しく、
「わが唇を開きたまえ」と歌い上げるが、
それは、「おんみの誉れを述べ伝え」るためである。
この部分は装飾も入ってながく、
曲の2/3まで行ってしまう。

「4人の独唱者すべてが、一体となって、
合唱は、次のセンテンスを歌う。
ソプラノ、アルト、バスの三重唱は、
たちまちその前のパッセージを強調して、
3つのトロンボーンを伴うテノール独唱がある。」

ここは、いよいよ、
この詩篇ならではのクライマックスという感じで、
「おんみはいけにえを好みたまわず」から、
あの、「わがいけにえは砕けたる魂」という部分が、
歌い上げられる。
三重唱で舞い上がって、
そして、平穏の中に落ち着いていくが、
さすがレオポルド帝、「砕けたる魂」を知っているようだ。

というか、彼こそが、
「砕けたる魂」の典型だったはずである。
フランスやトルコの猛攻を受け、
ペストに帝国を蹂躙され、
内乱に苦しめられながら、
戦地にて死去したとされる。

テノールは、「エルサレムの祈り」に相応しく、
ものものしいトロンボーンを背負っている。

「また、合唱が始まり、
テキストの最後のセクションを歌い始める。
この部分も、ヴィオールとトロンボーンを伴う
四重唱によって強調される。
これも次に合唱部に続く。」

器楽も交え、しめやかさや荘厳さを増す部分。

「ヴェスプレの詩篇を締めくくる
頌栄部、『Gloria Patri et Filio..』の
豊かなコロラトゥーラによるバスで唱えられ、
その他の3人の独唱者らに受け継がれ、
テキスト『Et in saecula saeculorum. Amen.』は、
合唱のフーガで締めくくられる。
フーガの主題は、
例えば、2人の特別な例で言うと、
バッハやヘンデルにあるように、
18世紀前期に良くみられる様式である。」

最後の2分で、この華やかな終結部が始まる。
フーガは、確かに、バッハの時代まで通用するような、
「はじめあったことは、これからもある」という、
いかめしく、悠久な感じを出した頌栄。
しかし、王宮での秘儀という感じは濃厚である。

ということで、レオポルド帝の没年からして、
時代を先取りした作風ということだろうか。

「ある外交官の報告によると、
レオポルドは、とりわけ、
悲しいメロディの付曲にすぐれていたとされる。
この事実は、彼が姪や、
1673年、結婚後、たった5年で亡くなった
最初の妻インファンタ・マルガリータ・テレサ
のために作曲した、美しいレクイエムにも当てはまる。」

この最初の婚礼の一大どんちゃん騒ぎで演奏されたのが、
チェスティの祝典オペラ「黄金の林檎」である。

「1676年、結婚後、
わずか3年半で亡くなった、
彼の2人めの妻、
インスブルックのハプスブルクの
グラウディア・フェリチタスの死に際しては、
礼拝用に、第1番 ノクトゥルニのための、
三つのルソンを書いた。」

ということで、この最後の曲は、
皇帝40歳頃の作品と類推することが出来る。

1680年といえば、バッハ、ヘンデルが生まれる前夜。
「ルソン」といえば、
クープランやシャルパンティエが思い出されるが、
シャルパンティエが、レオポルド帝と同時代人、
クープランは一世代後の人であった。

「Tres Lectiones 1. Nocturni」とあるが、
英訳されると、
「第1のNocturnより3つのReadings」となっていて、
最初の晩祷の夜半課に読まれた、
聖書の3つの部分を歌にしたものであることが分かる。

なお、シャルパンティエのルソンは、
旧約聖書の「エレミアの哀歌」を読む感じのもの。

事実、CDにもトラックが3つあって、
全曲で22分の大作である。

「この曲は、1705年、彼自身の葬儀の折にも演奏され、
それから毎年、彼の命日5月5日には演奏されており、
1720年、彼の3番目の妻、
エレオノーレ・マグダレーナの死後も演奏されている。」

ということで、この曲は、少なくとも、
当時、40年は命脈を保っていたということになり、
相応の名品と考えて良いのだろう。
シェーファーの著書では、カール6世も、
この曲に畏怖の念を抱いていたとある。

これらの王妃についてであるが、
シェーファーの本では、
先妻二人は音楽的教養のある人とされていて、
最後のエレオノーレ妃は、音楽嫌いだったと書かれている。
ちなみに、カール6世らは、彼女の生んだ子である。

ほとんどのテキストはヨブ記から取られているそうで、
最後はレクイエムの一節で終わるとある。
解説は続くが、もう、規定のページに達したので省略する。

シェーファー著「ハプスブルクの音楽家たち」でも、
「彼の作品のどれをとっても、
二度目の妻クラウディア・フェリチタスのための
三つの葬送読誦ほどに深い弔意を表現している曲はない。」
と特筆されている事は特記しておく必要があるだろう。

1曲目から、「私の日々は無なのです」と歌われ、
2曲目も、「私は人生に疲れ果てた」と言い、
3曲目では、「何故、あなたは目を背けるのです」と問う。

得られた事:「レオポルド1世は、フランスやトルコの猛攻を受け、ペストに蹂躙させながらも、何とか帝国を護った皇帝であったが、静かな憂鬱に悩まされ、常に音楽の中に迷宮の離宮を作って逃げ込んでいた。」
「当時の情勢であるカンタータの成立などとは離れ、楽器の選択もあって、イエズス会の神秘の奥義という趣き。」
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by franz310 | 2016-01-16 21:56 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その431

b0083728_15471764.jpg個人的経験:
「四季」で知られる、
バロック期の
イタリアの作曲家、
ヴィヴァルディですら、
心の支えとしていたのは、
後の古典派の
作曲家たち同様、
ヴィーンの宮廷だったようだ。
彼は、ハプスブルク王朝の
時の皇帝カール6世に対し、
多くの曲を献呈しており、
そのあたりの研究も
進んできている。
皇帝もこの異端児を
特別視していた、
という逸話も興味深い。


ハプスブルクの都ヴィーンが、
「音楽の都」と言われるのは、
古典派音楽の隆盛があるからで、
ヴィヴァルディの死から数十年後の話である。

が、それ以前から、この王朝の皇帝たちが、
音楽を特別に愛していた事は、
日本ではあまり紹介されることもなかった。

そもそも、ハプスブルクの歴史を語る専門家が、
まったくこのあたりの事情には興味がないものと思える。

たとえば、この道の第一人者とも言える
江村洋氏(1941-2005)の著作は、
ハプスブルクの婚姻政策や
個々の君主のエピソードなどで、
多くの読者の興味を惹いたはずだが、
ヴィヴァルディ登場あたりの話は、
ほとんど空白になっている。

おなじ、1941年生まれの倉田稔氏の書いた
「ハプスブルク歴史物語」(日本放送出版協会)
では、第3章に「古典音楽の天才たち」という、
かなりニアピンの章があるにもかかわらず、
第2章は、いきなり「啓蒙君主」となって、
マリア・テレジアの記述が始まる。

カール6世はその父であるのだが、
第1章「帝国への道」の最後の方に、
息子がいなかったために、
女子を後継者にせざるを得なかった皇帝として
登場しているだけである。

兄ヨーゼフ一世は「天然痘で早く死んだ」とあるだけで、
その前の皇帝はカール5世にまで飛んでしまう。

結局、19世紀後半以降の、
爛熟した世紀末が重要なポイントを占めるもので、
1994年出版とあるから、
バブル期の余韻のようなものであろう。

同じく1941年生まれの文筆家、
中丸明氏の「ハプスブルク一千年」(新潮文庫)は、
1998年のもので、
かなり砕けたものながら、
反対に古い時代の記述は多く、
地図、年表に加え、
家系図まで載っているのが嬉しい。

後半1/3くらいの第11章が、
「マリア・テレジアとその時代」であるが、
では、第10章がカール6世の話かというと、
何と、「三十年戦争の惨禍」となって、
100年近くが省略されている。

このエッセイストも2008年には亡くなっているらしい。

1948年生まれの大学教授、
菊池良生氏による
「ハプスブルク家の光芒」(作品社)は、
1997年出版のものであるが、
全12章のうち、
マリア・テレジアは5章めに出てくるので、
やはり、19世紀以降に照準があるもの。

ただし、その前に、
「メリヴィリア」という章が、
30ページ近く費やされていのが注目される。
これは、「驚異と美のひとときの饗宴」のことらしいが、
まさしく死と生の饗宴のようなデザインで、
ペストの終結とトルコの脅威を跳ね返した際、
1687年に建造された、
ヴィーンのペスト記念柱についてから、
書き起こされている。

これを作ったのが、レオポルド1世であった。

「レオポルド帝の治世、
ウィーンではおびただしい死骸の舞踏に拮抗し、
バロックが花開いた」と書かれているように、
以上の著作に見えなかった、
バロック期ヴィーンの栄華が特筆され、
ヴィヴァルディの時代に続いていた事が実感できる。

ヨーロッパ最大の華燭の典と言われた、
この皇帝の結婚式の話が取り上げられ、
ここでは、チェスティの華麗なオペラが紹介されており、
続くヨーゼフ1世、カール6世は、
「バロック三帝」として一まとめに重要視されている。

ということで、今回、取り上げるのは、
このレオポルド1世自らが手がけた作品を含むCDである。

私は、最初、このCDの表紙に描かれた、
不気味な肖像画を目にして、
正直、購入を躊躇ったのだが、
「MUSICA IMPERIALIS」と書かれ、
「Kaiser」と称される作曲家名が、
三つも並んでいるとなると、
無視してはならんだろう、と自分に言い聞かせた。

そもそも、この皇帝を知るためには、
まず、この肖像から親しまねばならない。

先の本にも、
「帝の帝たる所以はなんといってもその相貌にある」
と書かれており、
「ウィーン、マドリッド、両ハプスブルク家の血を
いっぱいに受けて帝の顔は見事に花開いた」とあり、
「面長、輝きのない大きな目、
弓型の鼻、そして下唇と突き出た下顎」
と具体的に描写されたのち、
「ハプスブルク歴代の大君主の再生」
とまで賛美されているのである。

表紙絵画は、まさしくその通りの肖像になっている。

では、このような「魁偉」な要望の皇帝は、
いったい、どんな音楽を書いたのだろうか。

なお、このCD表紙にあるように、
ここにはレオポルド1世のみならず、
その子で比較的早く亡くなった、ヨーゼフ1世や、
父、フェルディナンド3世の作品も含まれているが、
ヴィヴァルディの庇護者であったカール6世は、
彼らの直系である。

有名なマリア=テレジアを含め、この人たちの関係は、
「ハプスブルク一千年」という本の巻末家系図を見れば、
こんな感じになる。

()内は、ハプスブルク王朝の最重要職、
神聖ローマ帝国皇帝としての在位期間である。

フェルディナント3世(父)(このCDのTrack1~3)
(1608-1657)
(神1637-1657)
         |
レオポルド1世(本人)(このCDのTrack6、7)
(1640-1705)
(神1658-1705)
         |
ヨーゼフ1世(長男) -  カール6世(次男)
(1678-1711)  (1685-1740)
(神1705-1711) (神1685-1740)
    ↓            |
  このCDのTrack5    |
              マリア=テレジア(孫)


それにしても、すごいCDである。
これらの曲を演奏する事は、
ウィーン・アカデミーの使命のような気もするが、、
共感豊かに指揮をした、
マルティン・ハーゼルベックもすごいし、
これを出すCPOというレーベルもすごい。

では、リューベックの音楽学者、
Arndt Schnoorの
CD解説の中で、
先の系図の父祖となる、
皇帝フェルディナント3世の項を読んで見よう。

この人は、先の本で「バロック3帝」と
呼ばれたグループに入っていないようだが、
下記の一節を読むと、十分、バロック的である。

「1608年グラーツに生まれ、
1637年に、
ドイツ国民の神聖ローマ帝国の皇帝となった
フェルディナント3世は、
音楽の重要なパトロンであり、
自身、立派な作曲家であった。
音楽の師、ジョヴァンニ・ヴァレンティーニを通じ、
彼は、何よりも、当時のイタリア音楽に精通していた。
クラウディオ・モンテヴェルディを含む、
多くの当時の重要な音楽家が、
彼の宮廷のために作曲し、
皇帝が格上げして拡大した
その宮廷合奏団で演奏した。
1657年にフェルディナント3世が亡くなると、
傑出した音楽家として讃えられた。」

この調子で解説は、
彼の芸術上の足跡を辿るようだが、
この皇帝の生涯を通常の評伝で見ると、
いきなり30年戦争の惨禍の真っ只中に、
投じられたような感じの人生である。

「ハプスブルク一千年」にも、
この人の父親であるフェルディナント2世が、
シラーの劇で有名なヴァレンシュタイン将軍を使って、
ボヘミアやスウェーデンの大軍勢に対抗した話が出てくるが、
その後も、この戦禍は続き、
結局、神聖ローマ帝国の死亡診断書とさえ言われる、
ヴェストファーレン条約で、
ハプスブルク帝国の弱体化を決定づけた皇帝が、
このフェルディナント3世だったのである。

つまり、バロック帝と呼ぶには、
あまりにも血なまぐさい戦場にいたような皇帝、
と書いても良いだろうか。

グラーツ生まれという点も、
シューベルト愛好家には重要であろう。
シューベルトもこの街を訪れているし、
彼の友人のヒュッテンブレンナー兄弟は、
グラーツの人であった。

ヴィヴァルディが最後にオペラを演じたのも、
ここグラーツではなかったか。

では、CD解説に戻ろう。
「フェルディナント3世の幅広い作品集には、
1曲のオペラ、1曲のオラトリオ、1曲のミサ曲、
10曲の讃美歌、いくつかの小品が含まれる。
彼の作曲した作品は、
その師、ヴァレンティーニに様式は似ているが、
個性も認められるものである。
それは覚えやすいメロディや、
形式的な自由さで際立っている。
多くの短い部分が通常パターンをなし、
フェルディナント3世は、
それらが、様々な楽器法で、
効果的に扱う術を心得ていた。
特に、ここでも一部紹介する賛歌では、
様々な声楽や器楽のグルーピングが見られる。
いくつかの作品では、
皇帝は、テキストに対し、
印象的な装飾を行う事に成功している。
作曲家にとって、
特に重要な言葉には、
長いメリスマが与えられ、
他の言葉から際立たせてある。
高度に印象的なメロディに対し、
対位法的なところは副次的であり、
通奏低音の独奏部や和声的なトゥッティは、
ドミナントを阻んでいる。
ここで録音されたリューネブルクの
評議会図書館のKN28アンソロジーから取られた。
この曲集は、作曲家、
ヨーハン・ヤーコブ・レーヴェ・フォン・アイゼナハの
曲集に紛れて、この図書館に収められたが、
ここにはフェルディナント3世の10曲の大きな賛歌と、
一曲の『Populus meus』を含んでいる。
賛歌『Jesu redemptor omnium』のみが、
ヴィーンの手稿譜として残っている。
各曲の正確な日付は記載されており、
すべて1649年から50年にかけて作曲された。」

30年戦争は、1648年に終結したとされるから、
皇帝は、ようやく一服して作曲の筆を取ったのだろうか。

「レーヴェ・フォン・アイゼナハは、
1629年にヴィーンで生まれており、
おそらくこの曲集を、
ヴィーンで修行中に得たものだと考えられる。
そして、1703年、
リューネブルクのニコライ教会で、
オルガニストを務めて亡くなるまで、
所持していたものであろう。
彼は、ハインリヒ・シュッツの弟子であり、
彼が務めたポストには、
ヴォルフェンビュッテルの宮廷音楽監督の地位もあった。
リューネブルクでは、若き日の、
ヨハン・セバスチャン・バッハにも会ったかもしれない。」

このヴォルフェンビュッテルは、
シュッツが1655年に、
楽長就任した事もあると言われる街で、
リューネブルクをバッハが訪れたのは、
バッハが15歳の頃というから、
1700年くらいの事である。

とにかく、この皇帝の作品は、
次の世代の作曲家の規範となるような、
すぐれたものであった、
ということだろう。

それにしても、今回のCD、
皇帝3世代にわたっての特集だけあって、
時代も場所も、出てくる人物まで、
目まぐるしく変わって難しい。

しかし、このCD解説に書かれている事だけを見ると、
帝国の統治者の話のはずであるのに、
三十年戦争の残照も、その他の政治状況も、
まったく感じられないのがいくぶんもどかしい。

以下、曲目解説になって行く。
このCDでは、フェルディナント3世の作曲した、
6分くらいで歌われる、
賛歌が3曲収録されている。

解説にあったように、
どの曲も作曲された日が、
びしっと書かれているのが凄い。
国家の政務のような厳格さで
書かれたものであろうか。

これらラテン語の典礼用音楽は、
内容把握が困難であるが、
解説も、そのあたりの事を、
多少配慮してくれているようだ。

Track1.「賛歌は、典礼の一部をなしており、
特別な日曜日によってテキストが変わる。
クリスマスの賛歌、
『Jusu redemptor omnium』
(すべての贖い主なるイエズスよ)
は、1649年12月3日の作曲で、
華麗な編成で書かれている。
3つのトランペット、3つのリコーダー、
トゥッティにて追加で演奏される弦楽と管楽で、
4つの声楽パートがサポートされる。
最初、それぞれの声楽パートが、
賛歌の一節ごとに歌うが、
3つのフルートによる短いソナタが、
各詩節を導くが、これらは作品に、
牧歌的なタッチを与えている。」

皇帝が書いた典礼の音楽、
という印象からは、
かなり外れた作品群で、
どの曲も情感豊かで、
しかも味わい深いと言わざるを得ない。

ここに書かれた、
フルート合奏による間奏曲からして、
まことに素朴で美しく、
平和の良さを伝えるものかもしれない。

「短いホモフォニックなトゥッティの後、
テノールとバスがフルートだけで伴奏されて歌い、
3つのトランペットによる、
続くソナタ部は、トゥッティ、
『Jesu tibi sit gloria』
(イエズスよ御身に栄光を)
へと移行する。
トランペットに伴奏された、
テノールとバスの二重唱は、
終結部の『アーメン』を導く
さらなるトゥッティへと続く。」

このように、解説を読んだだけでは、
何だか分かりにくいが、
器楽合奏の豊かな色彩、
声楽陣の織りなす綾、
トゥッティでじんわり盛り上げるところなど、
要所要所に聴きどころが満載となっている。

Track2.「賛歌『Deus tuorum』は、
1649年12月7日、
『Comune unis martiris』
(殉教者の祝祭??)
のために作曲されたが、
ソプラノ、バス、コルネッティーノ、
バスーンと通奏低音といった
控えめな編成で書かれている。
短い器楽のソナタの後、
バスがコルネッティーノ伴奏で登場する。」

この「兵士たちの神よ」は、
ヴィヴァルディもRV612として作曲しており、
「殉教者を賛美して歌うものを護りたまえ」
というような内容のもの。

ヴィヴァルディの作品は晴れ晴れとしているが、
皇帝の作品は、器楽序奏部から、
切れ切れの楽句であり、
かなりシリアスな雰囲気。

バスが歌い始めるところからして、
妙に内省的な音楽である。
殉教者を偲ぶなら、この表現は自然である。

続く詩節は、ヴィヴァルディは飛ばしているが、
「偽りの甘味を苦き胆汁として、
この世の喜びを数えながら天国に到る」
という、難解な部分。
それに、ヴィヴァルディも付曲した、
「彼らは自ら血を流して、
苦難を乗り切って、
永遠の祝福を得る」といった部分が続くが、
「ソプラノとバスーンは第2節で組み合わされ、
第3節は2つの声楽部による」と解説にある。

この第2節で、ソプラノが響くと、
さっと光が射したような感じになるものの、
最後は、ぽつりぽつりという表現。

第3節は、独唱者が、
助け合って苦難の道を行くようである。

「他の詩節はすべての楽器、声楽が登場する。
ここでフェルディナント3世は、
器楽構成をそのまま繰り返している。
個々の詩節は比較的短い。
テンポのシフトや、
ある言葉に付けられたコロラトゥーラなどは、
テキストの内容を強調するものである。
生き生きとしたアーメンは、
締めくくりのキリスト生誕を思わせ、
さらにアーメンが聴かれる。」

殉教者を想いながら、
自らを律するような内容ゆえ、
全体的にしみじみとしたものだが、
コロラトゥーラで、「あーああーああーああーあめん」
という感じで、締めくくる「アーメン」部分など、
適度な甘さもあって、非常に聴きやすい。

とはいえ、どっぷりと、
キリスト教の儀式の音楽であるから、
詩句の内容などは難解この上ない。

Track3.
「賛歌『Humanae salutis』
(人の救済の種をまく主よ)は、
1650年5月21日の作曲で、
昇天の祝日の儀式のためのもの。
フェルディナント3世は、
再び、ソプラノ、アルト、テノールとバスといった、
4つの独唱部と、
2つのヴァイオリン、2つのコルネット、
4本のトロンボーン、通奏低音という、
華やかな器楽部を書き留めている。」

このように書かれて、
壮麗な序奏があるのかと思ったが、
いきなり、女声が歌い出す。

「イエス、心の喜びよ、
救済の世界の造り主よ、
真実の聖なる光よ」
といった、神妙だが、
杓子定規な詩句の部分。

しかし、このような声で、
鄙びた伴奏で飾り気なく歌われると、
いつしか心は17世紀中庸に飛んでいく。

「聖歌を開始するソプラノ部は、
ほとんどレチタティーボのようで、
皇帝の作曲の声楽部の設計が、
完全にイタリア様式であったことを示す
好例となっている。」

歌手の声に続いて、
先に書かれた、多彩な器楽部が続くが、
これとて、弾けるようなものではなく、
何か、思慮深く、何かに思いを馳せるような曲想。

「私たちの罪を支えるべく、
あなたは慈悲で打ち勝った。
死から我らを救うため、
無実のあなたが死を受け入れた。」
キリスト教の精髄のような内容ではある。

「すべての器楽部のリトルネッロは、
各ソロセクションに続き、
テノール独奏にいくつかの楽器が絡むのは、
4つめのセクションまでない。
声楽のセクションは主題的に器楽に応答され、
ようやく最後の『アーメン』部で一緒になる。」

ここに書かれたように、
リンダ・ペリロ(ソプラノ)、
デイヴィッド・コーディア(アルト)、
ウルフ・ベストライン(バス)、
アキム・クレイライン(テノール)、
といった歌手たちが、
順次、美声というか、
宗教曲に相応しい声を響かせる。

バスは、「地獄の混沌を打ち破り」と力強く、
テノールは、「我らの落ち度を救うための、
あなたの優しさ」と、懇願する感じ。

最後は、合唱と器楽である。
「我らの心の到着点として、
あなたは、星の小径へと誘う」と、
静かに歌われる。

さすがに、格調高い、宮廷の礼拝堂に相応しい曲調である。

Track4.には、比較的有名な作曲家、
シュメルツァーの作品、
「フェルディナント3世の死への哀歌」が
収められている。

これまた6分ほどの作品だが、
器楽のみで奏される曲である。

このCDの解説でも、
「イグナツ・フランツ・ビーバー以前の、
オーストリアの作曲家で、最も重要な人」
と書かれている。

1649年に宮廷楽団員となり、
後にコンサートマスターとなったとある。
この楽団の音楽家たちのために、
様々な楽器のために大量のソナタを書いたが、
1671年には宮廷の副音楽監督となって、
それ以前はバレエ音楽の作曲家として知られた。
1680年、おそらくペストの犠牲で亡くなった。

有名な「フェンシング学校」と同様、
フェルディナント3世の死に寄せるラメントは、
標題音楽であって、
表現力豊かなアダージョに短いアレグロが続き、
この部分は、作曲家自身によって、
「弔いの鐘」と題されており、
弦楽のピッチカートが聴かれる、
とあるが、いくぶん慌ただしく、
ラフマニノフなどを、
想起するようなものではない。

短いフガートとアレグロ部を挟んで、
再度、この音楽が書かれた、
機会に相応しいアダージョに戻る。

しかし、このアレグロは、
哀歌にしては明るすぎないだろうか。
バレエ音楽の大家に相応しい筆致であるが。

続いて、演奏されるのは、
レオポルド1世を抜かして、
33歳という若さで亡くなった、
(そして在位も6年しかなかった)
皇帝ヨーゼフ1世の作曲した、
カンタータ「Regina coeli」
(天の后)である。(Track5.)

この皇帝になると、
1678年生まれなので、
ヴィヴァルディよりむしろ後の世代くらいになり、
祖父フェルディナント3世の鄙びた趣きはなく、
曲の雰囲気も、ずっとギャラントになっている。

曲は大規模で、15分かかるが、
歌はソプラノだけで、歌詞も単純至極、
「天の后、喜んでください、アレルヤ」という始まりに、
「あなたが身ごもるのを許された御子は、アレルヤ」の部分、
「仰せられたとおり復活された、アレルヤ」の部分が続くだけ。
おしまいは、「わたしたちのために祈って下さい、アレルヤ」
という4つの部分が切れ切れに、
もったいぶって何度も歌われるだけ。

父レオポルド1世、弟カール6世と共に、
「バロック三帝」として一まとめに重要視される、
ヨーゼフ1世であるが、
在位期間は短すぎ、このシリーズで収められた曲も、
一曲だけと、あまり、重要な皇帝ではなさそうだ。
解説にも、彼が、政治的に何をしたかなどは、
いっさい書かれていない。

では、解説には、何が書かれているだろうか。
「レオポルド1世の三番目の后、
エレオノーレ・マグダレーナ・テレジア・フォン・
プファルツ・ノイベルクの長男で、
1678年、ヴィーンで生まれた。
1705年にドイツ国民の神聖ローマ帝国皇帝になったが、
1711年、早すぎる死によって、
在位はわずか6年であった。
彼の素晴らしい音楽才能は、
同時代の有能な証言者によって明らかである。
107人にまで拡張された宮廷楽団のために、
彼はその能力を使い、
すぐれた作曲家をはじめ、
重要な音楽家を抱えた。
ヨーゼフ1世は、数種類の楽器が演奏でき、
特にハープシコードとフルートに優れ、
作曲家としても優れた才能を発揮した。」

この辺りから、この皇帝が、
音楽的な貢献はしていた事が読み取れる。

「残念ながら、比較的少ない作品、
ほとんどはオペラに挿入されたアリアばかりが、
現存するばかりである。
独唱カンタータ、『天の后』は、
レオポルド1世のスタイルを越え、
アレッサンドロ・スカルラッティ
の強い影響を示している。
この作品が、ソプラノ独唱と、
弦楽だけの伴奏になっていることがすでに、
ヨーゼフ1世の父親の、
より精緻に付曲された作品と、
強烈なコントラストをなしている。
作品の各部はずっと拡大されており、
演奏家には、妙技的な才能を
誇示することが求められる。
最初の楽章、
『ヴィヴァーチェ・マ・ノン・プレスト』
の部分では、器楽によって動機が導かれ、
ソプラノに引き継がれ、
ほとんどリトルネッロ様式の、
最初の拍子に戻るまで、
くり返される。
続く『あなたが身ごもるのを許された方』の、
ゆっくりとした部分では、
チェロ・オブリガードの伴奏が付く。
続く二つの部分、
3/4拍子アレグロ『アレルヤ』と、
プレスティッシシモは、その覚えやすい主題構成と、
独唱部の名技的なコロラトゥーラで、
聴くものを魅了する。」

あああああああ、あーれるやーとか、
長々と同じ事を歌っているので、
曲はどんどん長大化する傾向にある。

「続くアダージョ、ゆっくりしたテンポの
『私たちのために神に祈って下さい』の部分では、
独唱者に独奏ヴァイオリンが、
通奏低音を伴ってデュオを繰り広げる。
時々しか、他の楽器は登場しない。」

このような部分も、
カナダ生まれのリンダ・ペリロが一声歌うと、
それに寄り添う間奏曲のように、
器楽部分が甘美なフレーズを繰り返すので、
曲はどんどん豊穣になっていく。

「終曲の『アレルヤ』では、テンポや名技性で、
他の楽章とは際立った特徴をなす。」
この部分になると、リズムを際立たせ、
「ああれえるうや」などと、好き放題に歌詞を料理して、
ほとんど宗教的な敬虔さからは遠ざかっている。

三世代で、戦争の苦しみも過去のものとなり、
すっかり、退廃した世代の音楽のようにも聞こえる。

続くTrack6.と、Track7.には、
短いが、複数の楽章からなるトランペットが華やかな
器楽曲「ソナタ・ピエナ」と、
バスで歌い出される壮麗な合唱曲、
詩篇「ラウダーテ・プエリ(主を賛美せよ)」
が収録されているが、
これを作曲した大物、
レオポルド1世に関しては、
今回は触れるスペースがなくなった。

得られた事:「日本では、モーツァルトの時代、マリア・テレジア時代以降のハプスブルク王朝しか語られない傾向にあるが、その父帝はヴィヴァルディを寵愛したりした文化人で、『バロック三帝』などと呼ばれていたようだ。」
「バロック三帝に先立つ、フェルディナント3世は、『百年戦争』の申し子のような皇帝であったが、戦後は、後世の作曲家の規範となるような、清純簡潔な宗教音楽を書き残している。バロック三帝において、バロックの豊穣も極まった実感が味わえる。」
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by franz310 | 2015-09-23 15:52 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その401

b0083728_20243296.jpg個人的経験:
プロデューサーから
現場のエンジニアまで、
大きな悩みを抱えずに
いられなかった
1930年代の
トスカニーニの演奏記録。
半世紀を超えてようやく、
その全貌が見えてきている
感じなのかもしれない。
が、あるところにはあるもので、
このBBCのCDも、
大曲を惜しげもなく収めている。


表紙はトスカニーニの鬼気迫る表情の写真で、
あまり、手にしたくなるものではないが、
このシリーズ共通のシンプルな色のコンポジションで、
かなり、印象が緩和されている。

たとえば、1989年に出た、
諸石幸生著「トスカニーニ」(音楽之友社)では、
1935年のBBC交響楽団のライブ録音として、
5曲しかディスコグラフィに載せていないが、
前回聴いたWHRAの4枚組では、
倍以上の曲目が収められていた。

今回のCDでは、この1935年のライブでも、
大きな反響があったとされる、
ベートーヴェンの「第7交響曲」が再び聴けるが、
クレジットによると、2夜あった公演の最初の方、
6月12日のものだと書かれている。

信じがたい事だが、2日後の「第7」は、
先のWHRAレーベルの最新復刻で聴けるのだから、
21世紀に生きる我々はぜいたくなものである。
とはいえ、WHRAが採用した6月14日の「第7」は、
諸石本のディスコグラフィにも出ている。
こちらのものは、さすがBBCレジェンズ、
未発掘のものを掘り出して来た。

ただし、6月3日のケルビーニの序曲と、
6月14日のモーツァルトの交響曲は、
ディスコグラフィにはないが、
WHRAには入っていたもの。
とはいえ、あちらは2012年の発売で、
こちらは1999年のものだから、
このBBCのCDが初発売で、
さすがBBCレジェンズということになる。

しかし、この2枚組のBBC盤の本命は、
1939年5月28日の「ミサ・ソレムニス」で、
後半のCDまるまると、前半のCDの最後を占めているので、
演奏時間の55%を占め、まったく躊躇することなく、
WHRAの4枚組と一緒にコレクションすれば良いのである。

BBCレジェンズは、BBCなのだから、
もともと、BBC交響楽団の演奏は、
全部、持っているのではないかと類推できるが、
あえて、これら4曲しか出さなかったのは不思議である。
ブラームスの4番とか、EMIに持って行かれたものは、
しかたなく省いたのかもしれない。

解説は、そんなに長いものではないが、
かなり興味深く読める。
「天上からの光」と題されている。
Harvey Sachsという人が書いている。
イギリスのレーベルなのでイギリス人かと思ったが、
フィラデルフィアのカーティス音楽院で学び、
ヨーロッパにも長く住んだという、
トスカニーニの本を多く出しているアメリカ人であった。

フィラデルフィアに縁のある人だけに、
「トスカニーニ、フィラデルフィアとニューヨーク」
などという本を書いている。

「アルトゥーロ・トスカニーニは、
20世紀で最も名高い指揮者であったが、
彼のキャリアは、60歳を過ぎるまで、
主に、イタリア、米国、
わずかアルゼンチンでしか知られていなかった。」

ここで、あえて、one of とか、
みみっちい事を付けずに言い切っている点がうれしい。
それだけ、トスカニーニに心酔している人なのだろう。
上記の本は1978年に出されていて。
32歳の時の仕事、ハーベイ・ザックスにとって、
トスカニーニは音楽の象徴なのかもしれない。

「たとえば、ほとんどの英国の音楽愛好家は、
彼がニューヨーク・フィルのツアーで演奏した、
1930年代まで、生で彼を聴くことができなかった。
そして、トスカニーニは、
68歳になった1935年まで、
イギリスの楽団と共演することはなく、
この時、クイーンズ・ホールで、
創立5年のBBC交響楽団を指揮した。
ここに聴かれる素晴らしい演奏は、
彼の最初と最後のコンサート・シリーズの間で
録音されたものである。
『私は、皆が、トスカニーニ来訪こそが、
BBC交響楽団のキャリアの頂点であり、
ゴールだったと思っていたと思う。』
この楽団の創設指揮者のエイドリアン・ボールトは、
そう回想した。
『このオーケストラを彼に紹介しながら、
世界最高、という言葉を使って、
みんなが願っていた我々の到達点について、
私は何か挨拶をした。
その時、マエストロは優しく、
私の肩を叩き、
“ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
それは全然違う。
ただの誠実な音楽家だよ“と言った。
したがって、みんな笑うので、
私はそのまま放っておき、
椅子に座って、
いったい、何がいつ起こるだろうと、
最初の爆発を待った。
しかし、それは結局なかった。
実際、ブラームスのホ短調交響曲の
真ん中の2つの楽章は中断なく演奏された。
“祈れ、祈れ、祈れ”、彼は言った、
“ただ、3つのことだ。”
それから、彼は3か所ほどパッセージを見つけ、
それを正し、さらに続けた。
トスカニーニは、一度、良しとすると、
さらに鋤を入れることは良いと思っていませんでした。
言うまでもなく、オーケストラは、
この最初のリハーサルからマエストロを賞賛しました。』」

ここまでは、最初のリハーサルの模様を伝えるもので、
ブラームスについては、ごく順調に練習が終わったことが分かった。

このCDに収められている曲目についてが気になるが、
この後も、おそらく、うまく言ったのであろう。
下記のような文章で、
トスカニーニと英国の関係が締めくくられている。

「この感覚は共通のものだったようで、
続く4年、トスカニーニはBBC交響楽団を4度訪れ、
トータルで22公演を振り、
(コレルリからショスタコーヴィチに至る)
7回の録音セッションを持った。
戦争がなければ、トスカニーニとBBCのコラボが、
さらに続いたであろうことは間違いない。
戦争中、マエストロはロンドンに来ることはなく、
1952年、85歳の時、
新しいロイヤル・フェスティバル・ホールで、
フィルハーモニア交響楽団と2回のコンサートを行い、
英国に別れを告げた。」

トスカニーニのBBCとの演奏は、
上記セッション録音は、非常に有名であるが、
演奏会の記録としても、
WHRAが出してくれた1935年のものの他、
ベートーヴェンの「第9」や、
ヴェルディの「レクイエム」など、大作が、
ぽつぽつと復刻されている模様。

そういうものと比べても、
今回のCDの1939年の「ミサ・ソレムニス」などは、
音質は古いが聴きやすいのでありがたい。

リマスターは、20bitとあり、
Arthur M.Fierroなど、
3人のエンジニアによるらしい。

解説は、ザックスという人の力量発揮で、
そもそもトスカニーニは、
という感じの部分もある。

「トスカニーニのキャリアは、
1886年、この演奏の半世紀も前に始まっているが、
ここに聞く曲目のうち、
たった1曲のみが、
この期間の半分以上の演奏経験に入っていた。」

私は、こんな書き方の解説は初めて見た。
つまり、これらの曲が、何時、彼のレパートリーに入ったか、
ということをザックスは気にしているのである。
さらりと書いているが、かなりの研究を経ないと、
こんな記載はできないだろう。

では、その1曲、つまり、この中で、
もっとも古くから手掛けていたものはどれか。
それは、モーツァルトらしい。

「彼は、モーツァルトの『ハフナー交響曲』を、
1908年という早い時期から、
スカラ座のオーケストラで指揮しており、
トリノ、ニューヨーク、ヴィーン、フィラデルフィア、
そしてNBC交響楽団とも演奏している。
彼はスタジオ録音も2回しており、
抒情的で柔軟、今の基準からすると、
極めてロマンティックなバージョンによる、
1929年ニューヨーク・フィルとのものと、
1946年の、いささか硬いNBC交響楽団とのもの。
この1935年のBBCでの演奏は、
ニューヨークとのコンセプトに近い。」

1908年から1935年までは、
27年経過しているので、
確かに、半世紀の半分は経過しているわけだ。

この演奏はWHRAのCDで聴いた時にも感じたが、
まったく、解説者に同感である。
柔軟で、歌に満ち、どうも、後期6曲として紹介される、
モーツァルトの交響曲の中では、
一本気な、お硬い長男みたいな感じを受けがちな、
この交響曲の中に、優しい心情を見せてくれた。

じゃーんという序奏に続く楽句が、
ためらいがちに演奏され、
ばーんと出る主部の華やかさを強調しているが、
これが、決して強引ではなく、
丸みを帯びた微笑みを伴っている。

経過句における楽器のやり取りも、
後年のピアノ協奏曲のような、
典雅な風情を漂わせている。
こうした間の取り方や、
音の伸びやかさなど、
メンバーの自発性を生かした感じで、
ニューヨーク・フィルとの演奏以上かもしれない。

WHRA盤に劣るのは、
トスカニーニの歌声あたりに、
フィルタ特性がかかっているのか、
それがかすかにしか聞こえず、
指揮者と一緒に共感するための情報が、
薄まっている点であろう。

「トスカニーニは、ケルビーニのオペラ・バレエ、
『アナクレオン』への序曲を、
1925年にスカラ座のオーケストラで、
最初に振っている。
輝かしいが名作とも言えないこの曲を、
彼は8つのオーケストラと演奏している。
指揮者の死後、RCAは、1953年の
NBCでのこの序曲の放送録音を発売している。」

ちなみに、アナクレオンは、酒と愛の詩人。
軍人でもあったらしい。
ゲーテが、「アナクレオンの墓」という詩を書いているので、
18世紀から19世紀の疾風怒濤の時代に、
流行った人物なのであろう。
1803年の作品で、
「逃げた愛の神」という副題があるように、
軽妙な要素もあったのだろうか。

トスカニーニ好みの潔い序奏に、
鮮やかなメロディが続く作品で、
複雑に声部が交錯して発展して爆発するのが快感である。
このBBCレジェンズの音質は、
非常に聴きやすい。

WHRA盤は、ノイズを取らずに、
色彩が生々しい反面、
ざらざら感にデッドなイメージが付きまとうが、
このBBC盤は、なめらかに仕上げている。
迫力や立体感はいくぶん劣るが悪くはない。

楽想に、きらきらと輝くパッセージあり、
軽妙な弦楽の弓使いあり、
豪壮な金管の咆哮ありと、
リヒャルト・シュトラウスの古典版みたいな感じ。

かつての大指揮者たちがこぞって取り上げたのも、
良くわかる管弦楽のパレットの豊かな作品である。
トスカニーニの密度の高い音の采配が、
説得力を持って迫る。

「ベートーヴェンの『第7』交響曲は、
彼が49歳になるまで、
そのレパートリーに入らなかったものである。
『第2』と『第8』以外は、10年、20年前に、
ベートーヴェンの全曲を取り上げていた。
彼は、『第7』をスカラ座時代に頻繁に取り上げ、
1920年から21年に、イタリアや北米で、
マラソンツアーし、その後も全欧やアメリカで演奏した。
1951年のNBCとのスタジオ録音は、
良く知られているが、
1936年のニューヨーク・フィルとのバージョンが、
これまでなされた交響楽録音の中でも
最高のものとされるのがふさわしい。
『ハフナー』交響曲の場合同様、
コンセプトにおいてBBCとのものは、
ニューヨーク・フィルとのものに近く、
この演奏の時、トスカニーニと会って、
2週間しか経っていなかった楽団が、
マエストロとの10年の共演の中で到達した、
ニューヨーク・フィルの突出した名技性や、
意志の統一に迫っている。
演奏は息を飲むもので、
音質も当時のものとしては素晴らしい。」

この「第7」は、重心が低い音質で、
WHRA盤のような、
楽器の分離を生かしたものに比べると、
ずーんと来る序奏からの密度の高さに圧倒される。

主部に入ってからも、
ティンパニの連打を伴って、
すごい迫力で脈打って盛り上がる。
トスカニーニの魅力は、
これまで、なかなか言葉にすることが出来なかったが、
ここに聞くような、
内部から膨らんでくる生命感のようなものが、
その一つかもしれないと思った。

第2楽章の悲壮感も、
このしっとり気味の音質はマッチしている。

トスカニーニは終始歌っているが、
彼の声のあたりの周波数帯をいじっているのか、
このCDではWHRA盤よりはっきり聞こえない。

リズムが息づくように刻まれ、
まったく生命体のように音楽が脈動する。
聴けば聴くほど、ベートーヴェンの「第7」とは、
こんな音楽だっただろうかと、
新鮮な気持ちになる。

もっと力ずくの、単調な割にあくの強い音楽、
というのが私の先入観であったが、
強引な指揮をするはずのトスカニーニが、
そうではなく、むしろ、すっきりとした、
律動感と生命感にあふれた演奏を聴かせてくれ、
まったくこの曲のイメージが変わってしまった。

第3楽章では、トスカニーニの声は、
あちこちで響きまくりである。
ここでの、執拗なリズムも、
何故か嫌味にならず、
むしろ、軽快で洒脱な感じがする。

第4楽章なども、豪壮な表現だと思うが、
その跳躍の柔軟さに、無重力感すら感じてしまう。
いったい、この演奏のエネルギーは、
どうなっているんだ、などと考えているうちに、
あれよあれよと曲は進んでいて、
目を回しているうちに、
ぶわーっと巻き込まれて音楽は終わっている。

この演奏など、聴衆の拍手も録っておいて欲しかった。

「トスカニーニが最初に『ミサ・ソレムニス』を
演奏したのは、1934年のことで、
ニューヨーク・フィルの演奏であった。
彼はこの曲を1935年、1942年に、
同じ楽団と演奏し、1936年にはヴィーン・フィルと、
1939年にはBBC交響楽団と、
1940年、1953年には、
NBC交響楽団と演奏している。
7つもの非正規な商品が出た、
1940年のNBC盤と同様に、
このBBCとのものは、
輝かしい解釈で演奏されている。
しかし、この録音に使われた、
マイクのすぐれた配置によって、
トランペットとティンパニの
突出したバランスが気になる
アメリカ録音より優れている。」

録音時の楽器のブレンドは、
演奏のイメージが変わってしまうので、
たいへん、重要だと思う。

一聴すると、このレジェンズ盤は、
平板で奥まった感じがしたが、
確かに、M&Aなどから出ている、
NBCとのライブのやかましさに比べると、
ずっと聴きやすく、上品で、
この時代のトスカニーニのイメージに合っている。

「両方の盤に登場するソプラノ、
ジンカ・ミラノフは、この録音では、
クレドの終わり前の23小節で、
明らかなミスをしているのが分かるが、
それ以外は、他の歌手同様素晴らしい。」

このように、最初のキリエとグローリアについては、
すっとばして、クレドの話になっているが、

「キリエ」の独唱とオーケストラ、
合唱のブレンドも大変美しく、
しっかりと刻まれて膨らむ音楽の歩みも素晴らしい。

私は、この演奏なら、
この大曲を聴きとおすことが出来そうだ、
などと感じてしまった。

「グローリア」の爆発的な歓喜のファンファーレも、
推進力があって、宗教曲という抹香臭さがない。
トスカニーニの決然とした音楽作りが、
この曲に、どうも親しみを覚えられない私も、
巻き込んでくれてありがたい。
もう、この部分などを聴いていると、
1939年という古い録音だなどとは、
意識していないで聴ける。

独唱者が出たり入ったりするところや、
合唱が包み込む時の雰囲気の豊かさは、
奇跡的な感じさえする。

「クレド」では、トスカニーニは、
もう、渾身の指揮ぶりだったと思われる。
ミサ曲の中心をなす、この複雑な音楽を、
すごい緊張感で解きほぐしていく感じ。
ティンパニの一打一打が入魂に思える。

「1953年のVBC-RCAの正規録音は、
音質の点では、他のトスカニーニが指揮した、
このミサ曲より良いが、演奏はと言えば、
しばしばそれ以前の演奏のような深みに欠ける。
事実、マエストロは86歳になって、
70代で持っていたような、
驚くべき技術を失っていたのである。
BBCでの演奏の多くで、
トスカニーニのテンポは、
1953年のものよりも
明らかに遅いが、
1940年のものよりはいくぶん速い。
1939年の盤における、
アニュス・デイは、しかし幅広く、
3種の中では、おそらく最も美しい。
この作品の最後にベートーヴェンが書き込んだ、
『内部と外部の平安への祈り』は、
戦争が始まる3ヶ月前に、
トスカニーニが英国に捧げた、
最後の捧げものであった。
『ミサ・ソレムニス』の
トスカニーニの解釈は、
印象深く、かつ衝撃を、
ロンドンの音楽愛好家にもたらした。
たとえば、『タイム』の批評家は、
1939年5月27日の記事で、
ミサの中でベートーヴェンは、
声楽と交響的に扱っていることを認めながら、
『多くの指揮者はこうしたやり過ぎを、
これまでやわらげようとして来たし、
聴衆もそれに満足していたが、
トスカニーニは、そこに狂喜している。
“et vitam venturi”
(クレドの最後の「来世の生命を待ち望む」)の
主題における管楽器のスタッカートは強調され、
声楽も同様にそれに倣い、
わずかに主題の荘厳さを加える。
“アレグロ・コン・モート”の部分では、
歌手たちは、それに相応しく忘我に至る。
このベートーヴェンが作品を書くときに、
異常なまでにこだわった書法によって、
彼の思い描いたものまでに、
至ったかについては疑問がある。
明らかにベートーヴェンのスコアには誤算がある。』
しかし、トスカニーニは、スコアの特異性を、
単に眺めて悦に入っているわけでも、
音楽テキストの字義に、
自身を縛り付けているのでもなく、
ベートーヴェンの、音楽コンセプトや、
感情の驚くべき扱いという挑戦に対し、
ただ、受けて立っている。」

このCDは、このように、
「クレド」の最後について、
ソプラノが間違っているとか、
声楽が器楽のように扱われているとか、
やたら集中した部分で具体的な話題が多いが、
確かに、このコーダ部の高速さは、
ほとんど、何を歌っているか分からないくらいで、
声楽部が交響曲のパート化している。
難しい独唱者たちの交錯はこの後で来る。

1940年のNBC盤などは、
このあたりは、ラッパが合唱を飛び越えて、
最後の審判みたいになっている。
それに比べると、BBCの録音は素晴らしい。
ワルターの「大地の歌」で独唱を受け持った、
スウェーデンのコントラルト、
トルボルイが共演しているのも、
聴いていて嬉しくなる要素である。

ちなみに、テノールは、
Koloman von Patakyという、
ハンガリーの人、
バスは、Nicola Mosconaという、
ギリシャの人で、
国籍が多彩である。
ちなみに、Milanovはクロアチアの人らしく、
南欧、北欧、東欧の歌手が集まっている。
合唱はBBC合唱協会。

「サンクトゥス」の導入部の、
独唱も、そんな連想からか、
マーラーの世界を想起してしまった。
何か、原初的なものが現れるような、
神秘的で秘めやかな雰囲気がまた、
ドライに割り切ったトスカニーニのイメージが、
間違っていた事を証明している。

そんな事を考えながら聴きながら解説を見ると、
下記のように、トスカニーニ自身が、
このあたりの雰囲気を、
いかに神聖視していたかが書かれていて、
まるで、マエストロと心が通じたような、
厳粛な感動を覚えた。
私も、この楽章だけは、
常に、非常な感動を持ってしか、
聴くことが出来ない。

「典礼用の作曲を越えて、
ニ長調のミサ曲は、
複雑で抽象的な音楽の象徴を通して、
人間的な精神の追及がなされている。
テクスチャーは透明な時でも、
その内容は濃密で、いかなる試みも完成、
または、ほとんど完成されていて、
作品の演奏は不可能なほどである。
トスカニーニは、これを知っていたが、
挑戦を続け、他の指揮者たちが、
到達しえなかったような水準に至った。
ボールトは、トスカニーニが、
『ベネディクトスの独奏ヴァイオリンの
危険性について恐ろしい不安』について、
語ったことを報告している。
『事実、彼は金管とティンパニの
スフォルツァンドで、打ち切ろうかと、
私に相談しました。』
しかし、ベネディクトゥスの序奏の論議では、
トスカニーニは、ボールトにこう言った。
『あまりの素晴らしさに、
そこを指揮している時に眼を瞑る。
目を瞑ると、ついにはオルガンが響いてくる。
それは天上の光なんだ。』
この合唱と管弦楽の最高の傑作のひとつの、
圧倒的で啓示的な演奏に触れると、
今日の聴衆もまた、
同様の隠喩を完全に感じることが出来るだろう。」

トスカニーニは、まるで、
彼自身の鼓動のように低音を響かせ、
跪いて、天上の光にひれ伏さんばかりの、
痛切な表現を聴かせている。

この時のヴァイオリニストは、
Paul Beardという人だったらしい。
線が細く、いくぶん特徴に乏しいが、
格調が高く、トスカニーニやボールトの信頼が厚かった。
バーミンガムのコンサートマスターを皮切りに、
ビーチャムのロンドン・フィルを経て、
BBCに移ったという。

最後の「アニュス・デイ」は、
かなり、オーケストラも疲れているのではないか。
これだけの集中の後なので、
もう、勢いだけで持っている感じもする。
私も、「ベネディクトス」の美しさに触れた後は、
かなり満足しているので、
ちょっと唐突な終わり方でも言うことはない。
暖かい拍手が沸き起こっている。

得られた事:「初対面から2週間で、トスカニーニとBBC響は、10年来の主兵、ニューヨーク・フィル並みの名演を聴かせた。」
「トスカニーニは『ベネディクトゥス』で『天上の光』を感じ、我々もまた、同じ光を感じることが出来る。」
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by franz310 | 2014-02-08 20:24

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その377

b0083728_23544216.jpg個人的経験:
デュリュフレの「レクイエム」、
A.デイヴィスが指揮をしたLPを、
30年くらい前に買って、
それなりに聴いてはいたが、
所詮、フォーレの亜流という認識で、
うかつにも最近まで生きて来た。
が、グレゴリオ聖歌などを聴いて、
再度、この曲に耳を澄ませてみて、
その認識が完全に間違っていることに
ようやく気付いたのであった。


そのきっかけになったのが、
今回、紹介するリチャード・ヒコックス指揮、
ロンドン交響楽団の演奏であった。

このCDはしかし、演奏はともかく、
商品としては、かなり適当に作られた、
廉価盤の典型的なもので、
表紙はキリストの十字架のお守りが写っているだけ、
解説もないというお粗末さ。
ユニバーサル・ミュージックの輸入盤。

収録時間の長さと、
カップリングだけは重要と考えたのか、
フォーレの「レクイエム」の
ジョージ・ゲスト指揮の
セント・ジョーンズ・カレッジの演奏が入っている。

ややこしい事に混乱しそうだが、
セント・ジョーンズ・カレッジの演奏は、
この前、クリストファー・ロビンソン指揮の、
デュリュフレ(98年録音)を聴いたところであるが、
これは、ロビンソンの前任者が、
70年代に録音したフォーレである。

この二大レクイエムが一枚で聴けるという以外、
これといった特徴のないCDであるため、
あまり期待しないで聴いたのだが、
何故か、吸い込まれるような錯覚に陥った。

あるいは、24ビット化してからCD化したという、
AMSIというマスタリングの効果であろうか、
非常に柔らかい感じで、立体感のある音作りになっている。

ただし、デュリュフレの方は、
1983年に出されたDDD表記なので、
再度のデジタル信号処理に、
どれくらい、効果があるのかは分からない。

この録音だけで、すっと、演奏に、
吸い込まれたわけではないだろう。

私は、しばらく前から、
このヒコックスという指揮者が、
実は、名指揮者だったのではないか、
などと思うことがある。

いくつかの作品で、今回同様、
こんないい曲だったっけ、
などと感じる場面に出くわしたのである。

たとえば、ヴォーン=ウィリアムズの、
「ロンドン交響曲」(1913年バージョン)など、
冒頭から非常に心躍る内容で、長らく、
何が良いのかさっぱり分からなかった、
この交響曲を、非常にすっきりと、
しかも魅惑的に響かせてくれた。

かなり、楽天的な感じが印象のある指揮者であるが、
それが演奏にも反映して、適度な推進力が心地よい。

この指揮者は、日本にも来て新日フィルなどを振ったから、
もっと知られても良い存在のような気がするが、
まったくもって、人気がなかったような気がする。

しかも、もう5年も前になるが、2008年、
1948年生まれのこの指揮者は、
実は、60歳という若さで亡くなっているのである。

長く、ロンドン交響合唱団の指揮者をしていた関係で、
(このCDでも、この楽団を使っているが)
ずっと合唱指揮者みたいに見られていて、
CD時代になってからシャンドス・レーベルなどで、
意欲的な活動を始めてからも、
どうも私には、イギリス音楽のスペシャリスト、
というより、合唱音楽のスペシャリストという印象が、
ずっと尾を引いていた。

そして、合唱が入る作品が、これまた、
説得力あるので、ますます、
そのような印象が強まっていった。

ものすごくひどい例が、
ボーイ・ソプラノで一世を風靡した、
アレッド・ジョーンズを起用した
フォーレの「レクイエム」の日本発売CDで、
ジョーンズは3分くらい
(と、二曲目のバーンスタインでもそれくらい)
しか出てこないのに、
前面に押し出したセールスがなされ、
ヒコックスの名前はほとんど無視して売られていた。

東洋の島国では、
このような悲惨な状況に甘んじながら、
地元の英国では、手堅く音楽活動の幅を広げ、
主要な英国近代の作曲家の交響曲の録音を、
かなり一手に任されるような重鎮になっていたようだ。

ヴォーン=ウィリアムズの門外不出の、
1913年版の「ロンドン交響曲」も、
ヒコックスだけが、作曲家夫人から信頼されて、
演奏許可が下りたのだと言う。

さて、このデュリュフレの「レクイエム」に戻ろう。
メゾ・ソプラノには、フェリシティ・パーマー、
バリトンにはシャーリーカークを起用して、
ブリテンのオペラなどで活躍した、
英国の巨匠級が集められていることも、
当地におけるヒコックスの人徳なのかもしれない。

主兵のロンドン交響合唱団に、
ウェストミンスター聖堂の少年合唱団を混ぜ、
ややこしいと言うべきかロンドン交響楽団が、
オーケストラ部を受け持っているが、
オルガン奏者の名前はない。

Track8.
入祭文とキリエ
オーケストラの助奏から魅惑的で、
男声合唱は妙に渋めであるが、
女声合唱は天上的に美しい。
これが、人間の祈り(グレゴリオ聖歌)に、
天使たちが答えるような印象を与えるのかもしれない。
オーケストラは、うららかな春の日差しを、
柔らかく降り注ぐ。
少年合唱はよくブレンドされている感じか。

キリエ:
ここでも、男声合唱から、
憐みたまえの祈りが、
こみ上げていくような効果がある。
今回、聞き直してみて思ったのは、
ちょっとオルガンが弱すぎる点だろうか。

何だか遠いところで、
ぼそぼそと言っているだけである。
金管群も、かなり控えめに合唱を補助している。
その代わり、合唱は、絶叫に近いくらいに興奮している。

オーケストラの後奏は、
香しく立ち上る感じが好ましい。

Track9.
「主、イエズス・キリスト」
このあたりは、ヒコックスならではの、
健康的な推進力がさく裂する部分で、
楽器群も声楽も爆発するような音響をぶつけるが、
ふっくらとした響きを大切にしている感じ。

シャーリーカークの独唱は、
オペラを想起してしまうが、
伴奏の緊迫感も含めて、
作品の立体感に一役かっている。

その後のうらぶれた響きも、
身に迫るものがある。

Track10.
「サンクトゥス」
この部分の光が降り注ぐようなオーケストラの表現、
リズム感も、このCDの魅力ではないだろうか。
「ホザンナ」の歓呼の声への期待感の盛り上げや、
そのクライマックスも自然な高鳴りを感じさせる。

Track11.
「慈しみもて主イエスよ」
パーマーの独唱。
これまた、オペラの悲劇的な1シーンにも聞こえるが、
真摯に「平安を与え給え」という、
巫女の声にも聞こえるかもしれない。

Track12.
「アニュス・デイ」
デュリュフレがそう仕込んだのか、
ヒコックスの指揮が、それを強調したのか、
緊迫の楽章に続いて、
清らかな光が、水面に反射するような、
美しく穏やかな音楽が始まると、
心から癒されるような気がする。

ヒコックスのうまさは、
この脈動するリズムに、
生命の息吹が感じられるような、
推進力と陰影を与えている点であろう。

Track13.
「主よ、とこしえの御光をもて彼らを照らしたまえ」
と歌われる部分で、合唱の豊かな響きと、
上品な香りのする、控えめなオーケストラが、
聴き手を包み込む。

Track14.
「主よとこしえの死よりわれらを救いたまえ」
で、フォーレの「レクイエム」では、バリトンが、
悲壮感のある独唱を聴かせた部分であるが、
デュリュフレでは、緊迫感のある合唱に、
一瞬、バリトン独唱が、劇的な楽句をさしはさむ感じ。

その後の「かの日こそ怒りの日」という、
合唱がまた壮絶で、
最後には、祈りへと収束していくのだが、
ここでの起伏に富んだ音楽づくりも印象的である。

Track15.
「天使はなんじを楽園に」
先ほどの緊張感の後の虚脱というか、
そのまま涅槃の境地に達したような、
天上に吸い込まれる音楽。

ここでは、少年合唱以外は、
すべてが霧の中に霞むような表現が、
夢幻的とも言える。
ほとんど、何が起こったかわからないまま、
安楽死するように消えてしまう。

合唱勝負みたいな感じで、その濃淡だけが勝負という、
水彩画とか墨絵の滲みみたいな感じで、
ヒコックスの得意領域に引きずり込まれてしまう。

ということで、この演奏は、
光が射し、朦朧とした水面の反射のような息遣いに、
不思議に生き生きとした息遣いが感じられるのが魅力と言える。

それ以外の部分での立体的な構成感も、
全体として、この魅力を倍加させる力がある。

それにしても、この録音は、誰が、いかなる目的で、
企画したのかを考えさせられる。

出来れば、まだ新鋭だったヒコックスが、
定期演奏会か何かで、この曲を取り上げ、
その評判がよくて、
名門デッカが録音に踏み切った、
みたいな乗りが嬉しいのだが。

まったく違って、デジタル時代になって、
一発、デッカ・レーベルでも、
最新録音で「デュリュフレ」やるか、
みたいな乗りだと嫌だなあと思う。

1998年の時点でも、
クラシック名盤大全「交響曲篇」(音楽の友社)には、
ヒコックスの名前は目次に三回しか登場しない。

しかも、ハイドン、
モーツァルトのような古典派ではもちろんなく、
ベートーヴェンやブラームスなど
独墺系の本流でも、
ブルックナー、マーラーのような、
やたらCDが多いものでも、
その他、ロシア、フランスでもなく、
エルガー、ヴォーン=ウィリアムズ、
ウォルトンのような、
イギリスの人気作においても、
ヒコックスはお呼びではない。

かろうじてラッブラの交響曲第6番(96年録音)、
ティペットの交響曲全集(92-94年)といった、
一般愛好家は知らないような曲目で、
登場するだけなのだ。

2000年になって、このMOOKの
「オペラ・声楽曲篇」では、
さすがに、認知度が上がったのか、
あるいは、得意の声楽曲のせいか、
ヒコックスの活躍はすごい。
目次には17項目に名を連ねている。
以下、()内は録音年代である。

1.バーンスタイン、チチェスター詩篇(86)
2.ブリテン、ノアの洪水(89)
3.ブリテン、ピーター・グライムズ(95)
4.ブリテン、ルクレティアの凌辱(93)
5.ブリテン、戦争レクイエム(91)
6.バーゴン、合唱作品(87)
7.ディーリアス、フェニモアとゲルダ(97)
8.ディーリアス、海流、他(93)
9.エルガー、ゲロンティアスの夢(88)
10.エルガー、生命の光(93)
11.フィンジ、クリスマス(87)
12.ホルスト、サーヴィトリ(83)
13.ホルスト、合唱幻想曲(94)
14.ハウェルズ、楽園賛歌(98)
15.ヴォーン=ウィリアムズ、海に乗り出す人々(95)
16.ヴォーン=ウィリアムズ、天路歴程(97)
17.ウォルトン、トロイダスとクレッシーダ(95)

ああ、やはり英国圏を越えられなかったヒコックス。
バーンスタイン以外は、みんな英国の作曲家、
さらに言えば、クラシック好きなら、
誰でも名前ぐらいは知ってそうなのは、
ブリテンの作品くらいではなかろうか。

もっと言うと、録音年代から分析するに、
80年代も後半になってからでないと、
この人の花は開かなかったような感じ。

したがって、83年以前の録音の、
このデュリュフレが、待望の録音ではなく、
カタログの埋め合わせ的な状況で生まれた、
と考える方が自然であろう。

ちなみに、先のMOOKに出ているデュリュフレは、
グラーデン指揮の聖ヤコブ室内合唱団(92)
と、1959年頃に録音されたという、
作曲家自身の自作自演盤である。

さらに見ると、フォーレの「レクイエム」は、
クリュイタンス盤(2種)、コルボ盤、
フルネ盤(2種)、フレモー盤、ヘレヴェッヘ盤が、
名盤として並んでいる。

この中に、デッカが当時、本気で出すなら、
デュトワくらいを起用したかったはずだが、
彼もようやく人気が出てきて、
まだ、サン=サーンスなどを録音していたから、
デュリュフレどころではなかったに相違ない。

さて、先のヒコックス指揮の、バーンスタイン作曲
「チチェスター詩篇」のCDこそが、
先に触れた、ボーイ・ソプラノ、
アレッド・ジョーンズの歌った、
フォーレの「レクイエム」と同じものなのである。
1986年の録音で、ここではオーケストラは、
ロイヤル・フィルになっている。

合唱は当然、ロンドン交響合唱団
(ロンドン・シンフォニー合唱団)である。
日本では、クラウン・レコードから出ていた。

バーンスタインの作品は、ヘブライ語の聖書への付曲で、
チチェスター大聖堂の依頼で1965年に書かれたものらしい。

チチェスター大聖堂は、
作曲家のホルストなどが埋葬されている
英国の教会であるが、
ローマのブリテン侵攻の足がかりの地だとされる。

何故、このようなところから、
ユダヤ人のバーンスタインが依頼を受けたのかは
実は解説にも書いていなくて不案内なのだが、
第二楽章にボーイ・ソプラノが活躍する部分があるので、
アレッド・ジョーンズを起用するということで、
ヒコックスに押し付けられた
カップリング曲というような感じがする。

ついでに、この曲も聞いてしまうと、
第1曲からして、
いかにもバーンスタインらしい、
豊穣なオーケストラのじゃんじゃかと、
リズミックな声楽が絡み合った音楽である。

Track8.第1楽章:
旧約聖書の「詩篇」からの寄せ集めで、
「賛歌」のイメージで晴れやかな歌詞が集められている。

詩篇108から、「ウーラ、ハーネヴェール」と、
「竪琴よ、琴よ、さめよ、」と歌いだしの宣言がなされる。
管弦楽は居丈高に、じゃんじゃんリズムを刻み、
大げさな、開始が告げられる。

詩篇100の「感謝の供え物のための歌」という、
まくし立てるような合唱が続き、
シンバルなどを伴って、
「全地よ、主に向かって喜ばしき声をあげよ」
という、お祭り騒ぎが盛り上がって行く。
男声合唱も女声合唱も、いかにも楽しげな、
群衆シーンみたいな弾け方である。

こんな音楽が教会で演奏されたのであろうか。

ティンパニのさく裂し、
合唱が盛り上がるが、
途中、繊細な部分を挟み、
「主は恵み深く、その慈しみは限りなく」
と、ボーイ・ソプラノと、
スティーブン・ロバーツのバリトンの二重唱がある。

Track9.第2楽章:
ここで、大人気だったボーイ・ソプラノ、
アレッド・ジョーンズの歌が入るが、
ハープのちゃらん、という音から入り、
伴奏も、簡素なハープ主体なので、
極めて清純な音楽に聞こえる。

というか、
「ウェストサイドストーリー」の、
「マリア」などに通じそうな、
清冽なナンバーとでも言いたくなる。

詩篇23の「主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない」という、
満ちたりた天上の歌となっている。

この詩篇23は、
我々人間は、単なる羊であって、
神様の働きによって、
緑なす牧場に憩い、死の谷も恐れずに通れる、
と歌われるもの。

キリスト教徒も、勝手に読み換えたのか、
「よき牧者の姿は、牧者たるイエスの愛を示すもの」
などと書いて、この詩を大事にしてきた。

面白いことには、シューベルトにも楽曲がある。
しかも、この場合(D706)は、
作曲家のメンデルスゾーンの祖父で、
高名な哲学者であった、
モーゼス・メンデルスゾーンが、
ドイツ語に訳したものに、
シューベルトは作曲している。

これは、1820年に作曲された、
ピアノ合唱による女声合唱曲(D706)である。
シューベルトの書いた女声合唱曲の中では、
屈指の人気作で、ピアノの清純な響きもあって、
非常に詩的な音楽になっている。

なるほど、このシューベルト作品も、
このように比べて聴けばよくわかるが、
バーンスタイン同様、神様に守られた、
至福の状況を音楽にしている感じだ。

また、面白い事に、シューベルトは、
晩年に、ユダヤ教の教会から、
詩篇の作曲を頼まれている。
こちらは無伴奏の合唱曲で、
バリトン独唱が入る。

古くから、ユダヤ教からも、
キリスト教サイドにも、
歩み寄りを見せていたようだ。

さて、バーンスタインの音楽に戻ると、
この詩篇23の部分だけなら、確かに、
教会で歌われそうな感じだが、
途中、激しい打楽器と合唱の音が打ち付けられ、
詩篇2の、「なにゆえ、もろもろの国びとは騒ぎたち、
もろもろの民はむなしい事をたくらむのか」
という部分が乱入して、
いかにも「ウェストサイドストーリー」の喧騒が現れる。
不気味に緊迫感を高める中間部が挟まっている。

詩篇23の「わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう」
という平穏な音楽に戻る。

Track10.第3楽章:
かなり、緊張感の高い序奏で、
バルトークとかショスタコーヴィチさながらの、
粛清の予感すらする厳しい音楽。
そういえば、バーンスタインはユダヤ人だった。

このような恐怖は他人事ではなかったのであろう。

が、その試練を越えたかのように、
ハープが波打つ中、美しい楽節がはじまる。

詩篇131の「主よ、わが心はおごらず、
わが目は高ぶらず」という、敬虔な歌で、
「わが魂は乳離れしたみどりごのように、
安らかです」という満ち足りた合唱があり、
女声合唱が優しく重なってくると、
本当に清らかな感じになる。

これは、「神への帰順」の歌とされ、
キリスト教の人も、このユダヤの言葉に、
イエスの言葉を重ねているようである。

まさしく子守唄のような感じ。
あるいは、マーラーの「大地の歌」の
「告別」のように、
人間世界からの旅立ちの波音にも聞こえる。

マーラーの交響曲同様、
この引き伸ばされた楽章は、
前の2つの楽章を、
足したぐらいの長さになっている。

私は、この曲を初めて聞いたので、
ヒコックスの指揮がどうかはよく分からないが、
このあたりは、デュリュフレのレクイエムに感じた、
天空からの恩寵の光を感じずにはいられない。

最後に、アレッド・ジョーンズと、
スティーブン・ロバーツの二重唱があって、
「見よ、兄弟が和合して共におるのは、
いかに麗しく楽しいことであろう」という、
詩篇133から採られた、
感動的な世界平和の祈りに昇華していく。

詩篇133は、「むつましさ」を歌ったものとされ、
まさしく、キリスト教徒も、これには飛びついており、
「互いに愛し合うことによってキリストの弟子と認められる」
という新約の言葉と重ねている。

そうした意味で、英国国教会で歌われても、
喜ばれるということであろう。

ただ、ファンには怒られるような気がするが、
アレッド・ジョーンズの歌声は、
わたしには、それほど清純な感じには聞こえず、
ふつうのソプラノという感じがした。

バーンスタイン作曲の
「チチェスター詩篇」は、
最終的な「和解」を歌うという意味で、
キリスト教の教会が、
ユダヤの作曲家に委嘱したことに、
答えるのにふさわしい音楽となっている。

さて、このCDと一緒に入ったフォーレのレクイエム、
さらには、デュリュフレのレクイエムと一緒に入った、
G・ゲスト指揮のフォーレにも触れたいところであるが、
紙片が尽きてしまった。

そういえば、今回のテーマは、
日本ではヒットしなかった名指揮者ヒコックスについてだった。
一聴した限りの印象では、
しかし、このフォーレのレクイエム対決、
ゲストの盤の方が雰囲気豊かな演奏という感じがした。

おそらく、録音の効果も大きいだろうが、
オーケストラの名前からくる印象そのままなのだ。
ヒコックス盤は、ロイヤル・フィルで、いかにも堅そう。
ゲスト盤は、アカデミー室内管弦楽団で、いかにも、
マリナー時代のブレンド感最高みたいな空気感がある。

ヒコックス同様、ゲストのCDでも、
ボーイ・ソプラノを起用していて、
ジョナサン・ボンドという人が受け持っている。
これが、しかし、弱々しい声で、
それがまた、無垢な印象を倍加させているのである。

先に、アレッド・ジョーンズは、
「普通のソプラノみたい」、
などと書いたが、その裏返しとして、
この、やはりボーイ・ソプラノは、
ソプラノとは違って子供っぽいな、
という感じが、ボンド君の録音では、
妙にいじらしく感じてポイントが高いのである。

実は、これを書いていて思い出したのだが、
私が最初に買ったヒコックスのCDは、
エルガーの「ミュージック・メイカー」であった。

私は、単にエルガーの音楽を聴きたくてこれを購入したのだが、
結局、このへんてこな題名ゆえに、どう付き合って良いか分からず、
長らく、仕舞い込んだままにしていた。

そして、これを改めて見て、かなり驚いた。
コントラルト独唱が、
今回聴いたデュリュフレの「レクイエム」同様、
フェリシティ・パーマーであって、
さらに、86年5月の録音とわかった。

つまり、この年の4月30日から5月2日の、
ゴールデンウィーク(今は、2013年のGWだが)
に録音されたフォーレとバーンスタインの後、
すぐに、このエルガーの声楽作品を録音した、
ということ。

つまり、この後、ヒコックスは、
英国音楽の守護神のような立場に祭り上げられて行く。

デュリュフレやフォーレの「レクイエム」は、
普通の指揮者としての、
ヒコックス自身の「レクイエム」にもなっているではないか。

得られた事:「バーンスタインは、キリスト教の教会から頼まれて詩篇の作曲を行ったが、シューベルトにも同様の経緯で生まれた『詩篇』がある。詩篇には、2つの宗教を結びつける働きがあると見た。」
「日本では無名に終わった名指揮者ヒコックスがメジャーになる寸前に録音された、デュリュフレとフォーレの『レクイエム』は、この後、彼がイギリス音楽に専念させられる前の貴重な録音。」
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by franz310 | 2013-05-05 23:56 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その376

b0083728_221345.jpg個人的経験:
ここのところ、
近現代フランスの作曲家、
モーリス・デュリュフレの音楽の、
中毒状態に陥っていると言っても、
決して言い過ぎではない。
そのきっかけとなった一枚が、
このCDである。
オルガンを伴奏にしたもので、
チェロが女声に絡む部分もある。
何となく、クープランみたいだ。


それに、何と言っても、表紙デザインが美しくないだろうか。
1998年3月21日から23日に、
そして7月に最後の一曲だけ、
ケンブリッジの教会で録音されたものであるが、
ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム教会の
ステンドグラス「ダル・ド・ヴェール」のレプリカらしい。

フランス、シャルトルの
ガブリエル・ロワール(1904-96)
の作の一部らしいが、
カイザー・ヴィルヘルム教会といえば、
広島の原爆ドーム同様、
空爆の象徴のような建物が知られるが、
このステンドグラスは、ロワールの代表作ということで、
1960年のものらしい。
ベルリン復興の象徴のようなものだろうか。

ロワールの生年は、デュリュフレの1902年に近い。
また、1960年と言えば、ここに収められた、
4つのモテットが作曲された年でもある。

この4つのモテットがまさしく、作品10の
「グレゴリオ聖歌の主題による4つのモテット」
と呼ばれるもので、
グレゴリオ聖歌に聞き親しんだ者を、
引き寄せずには
いられないようなタイトルとなっている。

前回も書いたが、デュリュフレの「レクイエム」に関しては、
私は昔から知っていたが、
このCDで聞き直すまでは、そんなに好きな曲ではなかった。
平板で、起伏のない軟弱派といった感じ。

が、このCDで、Track1の冒頭で、
恩寵に満ちたエーテルの中に浮遊するような、
あるいは、しずかにさざ波を寄せる、
地中海の青さのような、
オルガンの響きに耳を澄ませていると、
羊水に浮かぶ胎児のような気持になって、
不思議な平安を感じずにはいられなくなってしまった。

この曲には、私が聴き親しんできた、
管弦楽伴奏のものの他、
オルガン伴奏版もあったのである。

クリストファー・ロビンソンが指揮する、
ケンブリッジ・セント・ジョンズカレッジ聖歌隊 の演奏で、
そのオルガンは、イアン・ファンリントンが弾いている。
イギリスのピアニスト、オルガニストで1977年生まれ。

合唱は、キングズ・カレッジと並んで有名な、
伝統的な英国聖歌隊で、
ソプラノはセント・ジョンズ・カレッジ小学校の生徒、
アルト(カウンターテノール)、テノール、バスは男子学生とある。

ロビンソンは有名な合唱指揮者ジョージ・ゲストの後任で、
1964年からバーミンガム市合唱団の指揮者をしていた、
とあるから、かなりの年配の人であろう。
ナクソスに大量のCD録音がある。
2011年に75歳の誕生日を祝うコンサートをした、
という記事があるので、1936年の生まれか。

ちなみに、この人の後は、
1957年生まれのデヴィッド・ヒルが務めており、
St John’s Collegeのホームページを見ると、
17世紀まで、歴代合唱指揮者が出ていてびっくりした。
ゲストの前には、オルガン奏者として、
英国を代表する作曲家としても有名な、
ハーバート・ハウウェルズの名前があった。

録音もここのチャペルで、とあり、
ゴシック風の素晴らしい写真を眺めると、
これまた、空想のイギリス旅行が出来る。

しかし、結局、カレッジの合唱団なので、
時折、破たんをきたしそうな部分があるのは仕方ない。

解説は、Nicholas Kayeという人が書いている。
「デュリュフレは、20世紀フランス音楽に、
特別な地位を占めている。
少ない作品しか残さなかった完璧主義者で、
深くグレゴリオ聖歌と典礼に傾倒し、
第二ヴァチカン会議での見直しによる、
その事実上の終焉に苦しんだ。
それらは、彼の彼のほとんど全作品の生ける血潮であり、
音楽的、精神的な霊感の源泉であった。」

先ほど、デュリュフレの「4つのモテット」作品10は、
1960年の作曲だと書いたが、
ヴァチカン公会議は、1962年から65年に開催されており、
以来、各国の国語が重視されるようになったとあるから、
デュリュフレの作品は、嵐の前の静けさのようなものになった。

そして、彼は、音楽が書けなくなってしまったのかもしれない。
次の作品番号を持つ、
ミサ曲「クム・ユビロ」作品11が書かれるのは、
ヴァチカン公会議の後、1966年である。

「デュリュフレはヴェイエルネのすぐれた弟子であったが、
彼のやはり師であった、シャルル・トゥルヌミールは、
グレゴリオ聖歌の可能性や、
旋法による感情やムードの広いレンジを彼に示唆した。
デュリュフレにとって、
グレゴリオ聖歌の構成は、明らかに、
観照、静謐の永遠の雰囲気であって、
または絶え間ない情熱の力であった。
デュカスはかれの今ひとりの教師であったが、
音楽のテクスチャーへの洞察、自覚を受け継ぎ、
合唱曲を伴奏するオルガン、
またはオーケストラ版の伴奏などで明らかなように、
デュリュフレの器楽の色調も受け継いでいる。」

デュカスは確かに、イメージとしてはすっきりしていて、
もっと異教的な題材をもとにした音楽を書いたりして、
教会の音楽とは関係なさそうだが、
神秘的なオルガン曲を書いた、
トゥルヌミールなどとミックスすると、
デュリュフレのような音楽になりそうである。

デュリュフレの音楽を平板と書いたのは、
ちょっと間違っていたかもしれない。
平明というより、不思議に明晰なのである。

「レクイエム(1947)は、
フォーレ以来のレクイエムの傑作として傑出しており、
これらはしばしば比較される。
これらの作品の唯一の類似点は典礼的な事を想定し、
19世紀のオペラ風の語法を取っていないことである。
デュリュフレのレクイエムでは、
グレゴリオ聖歌の流れやリズムが、
常に音楽の表面下に底流している。
それは霊感であり、
けっして独自のスタイルや、
創造的なアイデアの代用ではない。
ここまでレクイエム・ミサのテキストを熟考し、
個人的に考えた作曲家はいない。」

完全にオタクだということであろう。
この解説も、デュリュフレが何者か、
というよりも、
いかにグレゴリオ聖歌に没入した作曲家がいたか、
みたいな内容となっている。

以下、改めて各曲を聴いてみよう。
「」内は、解説からの言葉である。

Track1.
入祭唱であるが、
この、あまりにも美しい部分の解説はない。

助奏からして、
「彼らに永遠の安息を、与えてください」
という雰囲気もいっぱいで、
「そして絶え間なく光が、彼らに届きますように」
という歌詞を見て涙が出そうになる。
助奏からの、この絶え間ざる脈動は、
この絶え間ない光の象徴であったのか。

痛切な男声合唱に、
天空から天使のような少年合唱が重なり、
穏やかなオルガンの伴奏がすべてを包み込む。
「あなたのもとへ、全てものが至るでしょう」。

Track2.
続けざまに入る「キリエ」。
「主よあわれみたまえ」という言葉を、
無垢な子供たちの声で発せられ、
ゆっくりとゆっくりと、
それは空に向かって登って行くようである。
その最後の一押しを、男声合唱が補助するので、
本当に、みんなで助け合って、
祈っているような感じがしてくる。

Track3.
不安に満ちたオルガンの苦しげな助奏に続き、
レスピーギの「ローマの松」に出て来たような、
聖歌のリズムが刻まれ、遂に、合唱が登場。

「おお、主よ、イエス・キリストよ、栄光の王よ、
解き放ってください、死せる者の魂を、
下界の苦難、そして深い淵から。」
と歌われる部分。

「『キリエ』の対位法は、勢いと自信をもって、
『おお、主よ、イエス・キリストよ』の突然のリズム変化をもたらし、
自由を求め、それだけいっそう痛々しい。
『リベラ・メ』(リベラ・アニマスの誤りか?)
のようなクライマックスでは、
この曲のテキストにありがちなお決まりの、
思いつき風の劇場風効果などまったくない。」

そうは言っても、めくるめくようなオルガンと、
合唱の渦巻きである。
音楽は起伏に富み、8分40秒と長く、
リズムも変幻する。
ウィリアム・クレメンツのバリトン独唱も真摯である。

Track4.サンクトゥス。
これまた恩寵を感じさせるオルガンの揺蕩いが美しい。
「聖なるかな」と、少年合唱が繰り返し、
「ホザンナ」の喜びで、男声合唱が男らしく、
オルガンはトランペットの音色をさく裂させる。
このあたり、少年合唱は厳しそうだ。

Track5.
「フォーレ以来、『慈悲深いイエスよ』を、
かくも効果的に書けた作曲家はおらず、
デュリュフレはメロディの簡潔さを受け継ぎ、
この作品の最も深い楽曲の一つとした。
卓越した書法の和声と感動的なチェロの助奏が、
この祈りを疑いなく精巧なものにして、
人間の境遇の苦しみの自覚としている。」

ここで登場するのは、オルガンだけでなく、
ジョン・トッドのチェロに伴奏された、
メゾ・ソプラノのキャスリーン・ターピンが、
深く思慮深い美声を聴かせる。

ネットで見ると、ウェールズ出身とあって、
濃い色の髪の美人である。

Track7.アニュス・デイ。
「神の小羊、世の過ちを取り去る方、
彼らに安息を与えて下さい」と歌われる部分。
ここに来て、再び波立つようなオルガン伴奏が現れるが、
明るい色調で、水面にはきらきらと輝きが見えるようだ。
カウンター・テナーの合唱も、澄んだ感じ。

繰り返し歌われる間に、
オルガンに登場するメロディも絶美だ。

Track7.
「『永遠の光が』は純粋で切りつめた表現で、
永遠の命という主題と、これ以降のこの曲への希望に相応しい。」

確かに、一息ついた感じの音楽で、
「永遠の光が、主よ彼らに輝きますように。
あなたの聖人たちとともに」と、
少年合唱を中心に懸命に歌われる。

Track8.リベラ・メ。
重苦しいオルガンで始まり、沈鬱な歌。
「永遠の死から解き放ってください」とは、
かなり無茶な要求である。

いったい、主体は誰なのか。
死者を送った我々のことか?
あるいは、天国以外のところに行くのは嫌だ、
という表現だろうか。

かっこいいバリトン独唱あり、
かなり声部が交錯して、緊張感が高い。
グレゴリオ聖歌よりポリフォニーである。

「『解き放ってください』では、フォーレの余韻かもしれず、
その背景の考えはそれほど違っていない。
フォーレは最後の審判の結果を反映させず天国に行ったが、
デュリュフレは、短いながら、
『怒りの日』に触れており、血気盛んな表現を取った。」

オルガンも怒りの表現で鳴り響く。
デュリュフレ自身の葛藤が見えるようで、
全曲の中で、もっとも、恩寵から遠い。

Track9.
「『楽園にて』とそこでの純粋なグレゴリオ聖歌が、
子供たちの声で歌われることによって、
この作品は閉じられ、合唱は微妙な和声で応答する。
デュリュフレは最終的にこの作品を、
死を越えて生きるためのものにした。」

先ほどの曲が、かなり錯綜していたので、
作曲家も息苦しさから解放されたがったみたいな感じ。
かなり、シンプルに、天上の浮遊感に揺蕩う音楽。

オルガン伴奏もきらきらするばかりで、
「天使たちが楽園へと導きますように」と、
時間が静止したような音楽が消えて行く。

以上で、名作「レクイエム」のオルガン伴奏版は終わり。
後、デュリュフレの主要な合唱曲も収録されているのがありがたい。

「四つのモテット(1960)は、
グレゴリオ聖歌による霊感の強調と、
ポリフォニーの精巧なブレンドである。
ここでもみられるのは、デュリュフレの感性と、
言葉の背後の霊的な主題への個人的な反応である。
モテットは、神の存在で始まり、神の存在で終わる。」

Track10.
「『慈愛のあるところに神あり』では、
人間の寛大の中にある神の心が、
音楽の暖かさに反映されている。」

無伴奏の合唱曲で、
「レクイエム」や「クム・ユビロ」が、
合唱部に対して、精緻な器楽部を挟んで行ったのとは、
やり方が異なる。
きわめてシンプルなもので、3分かからない。

Track11.
「これら二つ(第一曲と第四曲)の間で、
『あなたはすべての美しさ』という、
聖母に捧げられた、女性的な明るさが対照される。」

この曲は、浮き立つようなリズムで、
いくぶんエキゾチックである。

Track12.
「『ペテロよあなたは』では、
男性的なものが、断固としたカデンツに至る。」

最初は、少年の声で始まるが、
合唱となり、対位法的に進行して、
「教会を作るぞーっ」と、ばーんと終わる。
1分に満たない小品。

Track13.
「『タントゥム・エルゴ』では、秘跡の中にある、
神の存在に相応しい神秘的な雰囲気がある。」

これは、三位一体の秘跡を讃えたもので、
シューベルトが書いた同名の音楽と同じ歌詞である。

極めてグレゴリオ聖歌風に始まるが、
ポリフォニー的な表現も目立つ。
神秘的な雰囲気がこみ上げるもので、
かなりの凝縮感もある。

きわめて清澄なもので、
デュリュフレの作品は、
シューベルト初期の二曲の祝典的な、
D460、D461などとは全く違う世界。

シューベルト中期の二曲の、
崇高で壮大なD739、D750も、
デュリュフレと比べると、
きわめて外向きの音楽に聞こえる。

しかし、このシューベルトの二曲は、
かなり聴きごたえのある音楽で、
もっと知られて良いような気がする。

シューベルト後期のD962は、
これらの作品に比べて、かなり内面に向かう音楽で、
これらの5曲の「タントゥム・エルゴ」を聴き比べるだけで、
シューベルトの音楽の変遷を聞き取ることが出来る。

さて、デュリュフレの作品10に戻ると、
これらの「モテット」は、グレゴリオ聖歌風というが、
導入部が独唱で始まる以外は、
かなりハーモニーが凝っており、
プレインチャントという感じではない。

さて、「レクイエム」と並ぶ、
デュリュフレの合唱作品の大作、
「ミサ曲」が始まる。

この曲が出るまで、新作を待ちわびた人も多いだろう。
レクイエムから、20年近くが経っている。

Track14.
「『ミサ・クム・ユビロ』(1966)の
キリエのオープニングでは、
ちょっと繊細に伴奏されたグレゴリオ聖歌、
といったものを聴き始めるといった印象があるかもしれない。
事実、各楽章のスピリチュアルな主題は、
個人的なムードを持ち、
また、デュリュフレが書いたどれよりも変化に富む。
バリトンの声を使って、幅広い音域のアリアは、
高度な表現力を持ち、
和声的に冒険的なオルガンパートに対応する。」

前回、この曲はオーケストラ版で聴いたが、
このオルガン伴奏バージョンも美しい。
冒頭から、群青の大海に揺蕩うような感じ。
まさしく、このCDの表紙デザインそのままでもある。

が、フィリップスのグレゴリオ聖歌のCDのように、
オルガン伴奏付のグレゴリオ聖歌にも聞こえる。
ただし、その器楽部分は、素晴らしく彫琢されている。

Track15.
「『グローリア』の喜ばしい感情の爆発は、
本当の信頼の疑いない声明である。」

オルガンがじゃーんじゃーんと鳴り響き、
しかも、きらきらとした不思議な装飾音も聞こえる。
ショーソンの「愛と海の歌」のような、
激しくも美しい情念の音楽をも想起してしまう。

Track16.
「『サンクトゥス』の開始部では、
ほろ苦いクオリティがあり、
これはこのミサ曲を通じて現れるもので、
我々に、疑いや絶望との戦いのない誠実さは、
本物でもなく、長続きもしない、と思い出させる。」

この部分、この解説の白眉であろう。
確かに、「聖なるかな、聖なるかな」と歌われるにしては、
妙に懐疑的な曲想で、オルガンの伴奏もひねくれている。

この解説者の言っていることは、
後付け理論に思えるが、
こんなヘンテコなサンクトゥスは聞いたことがない。
「ホザンナ」にしても、
のたうち回るように進行する。

デュリュフレは、本当に、
何を考えてこんな音楽を作ったのだろうか。
懐疑の中の真実?

Track17.
「ためらいがちで、神秘的な『ベネディクトゥス』は、
暗闇から明滅する光に向かっての旅のようである。」

これまた、オルガン伴奏版のせいであろうか、
妙に晦渋で沈鬱な音楽に聞こえる。
クレメンツのバリトン独唱である。

Track18.
「『アニュス・デイ』は、
グレゴリオ聖歌の主題のムードで始まり、
遂には安息を保証する。」

何だか、黙示録的な超越ムードが漂う。
確かに、これは現代の音楽、
原爆が落ちてから書かれたような、
廃墟の中からの祈りにも聞こえる。

最後になって、少しずつ見えてくる、
ほのかな微睡のような夜明け。
何だか、背筋が寒くなる。
オルガンの後奏も、
天体の運行のような神秘を感じた。

私は、前回、オーケストラ版で、
この曲を聴いて、ものすごく美しいミサ曲だと思ったが、
この演奏で聴くと、何ともやりきれない、
ショスタコーヴィチ風の音楽に聞こえて仕方がなかった。

ここで、思い出したのは、ヴァチカン公会議の事。
デュリュフレは、完全に、
拠り所を失ってしまったかのようである。

それにしても、作品9の「レクイエム」から、
作品11のミサ曲「クム・ユビロ」に至る約20年は、
シューベルトが1000曲もの音楽を書いた時間より長い。

さて、このCD最後の曲は、
しかし、この不気味な緊張感を、
解きほぐしてくれるような小品で助かった。

Track19.
「1977年の『天にまします我らが父よ』(作品14)
の作曲には、痛々しい背景がある。
モーリス・デュリュフレはこれに先立って、
自動車事故で苦しめられ、これによって、
オルガニスト、作曲家としてのキャリアが閉じられた。
ラテン語ミサの放棄は、
『主の祈り』に相応しいフランス語への付曲に向かわせ、
同様にすぐれたオルガン奏者であった、
作曲家の妻は、この曲を書き始めていたことを思い出させ、
これを完成させることを促した。
それにふさわしく、この曲は彼女に捧げられている。」

これは、このような状況下で、
書かれたことを感じさせない、
清純な音楽であるが、わずか1分半の音楽。

ポリフォニー的なところはなく、
民謡のように親しみやすい、
陰影豊かなメロディに、
無伴奏合唱の無垢な味わいが凝縮されている。

「天にましますわれらの父よ」という、
イエスが弟子たちに教えたと聖書にもある、
かなり基本的な祈祷文であり、
わたしの知人が、
最近、お祈りでも口語体になって、
カトリックの魂が奪われた、
と言っていたそのものであった。

文語体では、
「天にまします我らの父よ
願わくは み名の尊まれんことを」
み国の来たらんことを」
が、口語訳で、
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。 」
となっているらしい。

確かに、
「わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。」
の方が、
「我らを試みにひきたまわざれ
我らを惡より救い給え」
よりわかりやすいが、

「我らが人に許す如く我らの罪を許し給え 」は、
「わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。」
だと、
なんだか小学校の教科書の
朗読みたいになるのかもしれない。

デュリュフレの歌は、
どちらかと言えばシンプルで、
格調より親しみやすさを優先し、
口語訳風である。

日本のカトリック教会と日本聖公会は、
2000年に共通口語訳を制定したと言うが、
デュリュフレが、
第二次ヴァチカン公会議で体験した事と、
同様のことが日本でも起こったのだろうか。

得られた事:「デュリュフレの『ミサ・クム・ユビロ』には、第二次ヴァチカン公会議で転換したグレゴリオ聖歌のあり方に対する危機感が反映されているようである。」
「そのオルガン版終曲の不気味な虚無感はなんだろう。」
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by franz310 | 2013-04-27 22:01 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その375

b0083728_23405880.jpg個人的経験:
クープランの「テネブレ」の
古典的名盤とも言うべき、
ロランス・ブレーのCDを聴いて、
私は、二十世紀の真ん中あたりで、
フランスの人たちが夢見ていた、
天上的に美しい静謐なる楽土を、
何となく、妄想してしまった。
演奏されているのは、
18世紀初頭の音楽なのだが、
極めて同時代的な音楽とも思えた。


というのも、もっぱら日本では、
高名なクラブサン奏者としてのみ知られた
この女性音楽学者が、デュリュフレに学んだ、
という記事を読んだことによる、
単純な思い込みによるものなのかもしれないが。

このCDは、ナクソスから出ている、
1994年、パリにおける録音で、
「ヨーロッパ録音」と強調されている。
サン=アントワーヌ・デ・カンズヴァン教会でのもの。

「デュリュフレ、宗教合唱曲&オルガン作品」第2集で、
「鳥と影」と題された、Francis Montanierという画家の、
洒落た絵画が表紙に使われていて気に入った。

デュリュフレという作曲家に関して言えば、
このジャンルの名作とされる「レクイエム」が有名だが、
ここには含まれていない。

昔、アンドリュー・デイヴィスが指揮したものが、
CBSソニーから出て話題になったことがあった。
ジャケットも上品なものであった。

私は、それを購入、何度も聴いていたので、
何となく、デュリュフレという作曲家が、
二十世紀の同時代人でありながら、
はるかかなた昔の音楽に、
どっぷりと浸かった美学を持った人という印象を持った。

フォーレの名作の二番煎じとも言われながら、
さらに平明な作品とも思え、
美しいのだが、とりとめのない音楽という感じが強かった。

まだ、ペルトだとか、グレツキだとか、
そうした作曲家を知る前、
ほとんど刺激も盛り上がりもない音楽に、
懐古趣味の人という印象が強く植え付けられてしまった。

そのレコードは確かに何度も聞いたのだが、
彼の音楽は、私にとって、
それほど重要なものとならないまま、
おそらく30年以上の月日が流れている。

が、最近、グレゴリオ聖歌の聴き比べなどを通じて、
我々が求めるべき安息について考えると、
彼の存在が、再び、地平線のかなたから、
現れて来たような感じを受けている。

「文庫クセジュ」にある、
ヴァロワ著「グレゴリオ聖歌」を訳した水嶋良雄氏は、
その本のあとがきで、
「第二次世界大戦の傷痕が癒えようとしていた一九五八年に、
グレゴリオ聖歌の研究で留学した訳者にとって、
その頃のフランスはグレゴリオ聖歌研究の最盛期であった。」
と書いている。

高度成長で知られる1950年代から60年代とは、
そういう過去に目を向けた時代でもあったわけだ。

この著書のあとがきでは、さらに、
「戦後五年目の一九五〇年にローマで始まった
宗教音楽世界大会が、五七年にパリで開催されており、
その時に演奏されたデュリュフレのレクィエムが
グレゴリオ聖歌のパラフレーズとささやかれたほど、
グレゴリオ聖歌は人の心を奪っていたのである。」
と、当時のグレゴリオ聖歌研究ブームの一つの象徴として、
デュリュフレを引き合いに出している。

だとすれば、ロランス・ブレーが、
1954年に録音したクープランの宗教曲や、
あるいは、1959年にフィリップスが録音した、
グレゴリオ聖歌集(これはルクセンブルクのもの)も、
これまた、1947年に作曲された、
デュリュフレの「レクイエム」の延長線上の美学にある、
などと考えてしまっても許されるのではないか。

この「グレゴリオ聖歌」という本(白水社)によると、
1789年の大革命による修道会の必要性の議論が、
聖歌の復興のきっかけとなった、
というような事が書いてあったようで、
シューベルトの時代は、その復興が始まった頃、
と読むことが出来る。

1950年代に再度、復興の活動があって、
1990年代にEMIが出した
「グレゴリオ聖歌」(シロス修道院)が、
大ヒットするまで、40年かかっている。
シューベルトは、グレゴリオ聖歌復興運動は、
知っていただろうか。
あるいは、合唱隊の一員として、
普通にこれらに接していたのだろうか。

さて、一方で、デュリュフレ自身は、
おそらく、水嶋氏の解説にあるとおりの位置づけで、
かなり、このグレゴリオ聖歌復興運動に、
非常に多くを負っていると思われる。

彼が生まれた1902年前後に、
アカデミーが創設されたり、
典礼聖歌集が出版されたりしたことが、
先の本に書かれているからである。

代表作「レクイエム」に続き、
そのタイトルもそのものずばりの、
「グレゴリオ聖歌による4つのモテット」 作品10を、
1960年に作曲しているし、
ほとんど、同じような小規模のミサ曲、
「クム・ユビロ」作品11を1966年に書いている。

これらは、奇しくも、というか、
オルガンの名手であった作曲家であるから、
当然なのだろうが、管弦楽伴奏の他、
すべてオルガン伴奏のバージョンもあり、
先の、ブレーのテネブレや、
ベネディクト派修道院のグレゴリオ聖歌が、
これまた、すべてオルガン伴奏になっているのと合わせ、
妙に味わい深いものがある。

戦火に塗れた大規模なオルガンが、
再びその音色を響かせるということは、
おそらく祖国復興の象徴でもあったに相違ない。
これは勝手な推測にすぎないのだが、
そんな事まで考えてしまった次第である。

この一連の作曲は、デュリュフレと、
その夫人との関係を色濃く感じさせるもので、
レクイエム作曲の年に、彼らは出会い、
1953年に結婚して、
ミサ曲、「クム・ユビロ」は、夫人に捧げられている。

夫人はデュリュフレ同様、オルガニストであり、
私は、デュリュフレのCDを買ったつもりが、
奥さんの演奏だった、という事があったので、
この二人については、妙に印象に残っている。

この20歳くらい年少の女性は、
結婚時32歳だった計算になるが、
写真で見る限り、厳格なオルガン奏者、
という感じがして、
あまり親しみやすい感じの人には見えない。

1999年まで存命だったようだが、
おそらく、何となく内気そうなデュリュフレには、
こうした、しっかり者が必要だったのだろう。

さて、このミサ曲が収められたナクソスのCDは、
うまい具合にオルガン曲も併録されており、
この作曲家の宗教音楽作曲家である一面と、
オルガン奏者かつオルガン曲作曲家である一面を、
同時に楽しむことが出来る。

しかし、不思議な事に、ミサ曲は、オルガン伴奏版ではなく、
オリジナルのオーケストラ版で演奏されている。
が、結局は、この企画は成功したようで、
私は、かなりの満足度をもって、
これを聴くことが出来た。

また、オルガン曲の方も、1930年の
「前奏曲、アダージョと
『来たれ創り主なる聖霊』によるコラール変奏曲」作品4
というのが入っているが、
これまた、男声合唱が入った作品で、
グレゴリオ聖歌が入っている。
これは、ルイ・ヴィエルヌに捧げられている。

また。最後は、オルガンのための「組曲」作品5(1933)が
収められており、これは、何とポール・デュカスに捧げられている。

このCDの解説は、Alain Cochardという人が書いており、
要領よく、デュリュフレの事がまとめられている。

「1902年3月11日にルーヴィエールに生まれた
モーリス・デュリュフレの音楽教育は、ルーアンで始まった。
1912年から1918年は聖堂の聖歌隊を務め、
アレクサンドル・ギルマン(1837-1911)の弟子で、
大聖堂のオルガニストであったJules Haellingに
同時にピアノ、オルガン、音楽理論を学んだ。
先生の勧めで若い音楽家はその音楽教育の仕上げをしに
1919年にパリに出た。
そこで彼は最初、オルガンをシャルル・トゥルヌミールに学び、
聖クロティルデ教会でアシスタントを務め、
続いて、ルイ・ヴィエルネに学び、
二人の代表的なフランス・オルガン音楽の
代表的巨匠から多くを受け継いだ。」

ということで、デュリュフレの生涯は、
最初から順風満帆で、エリート中のエリートだったように見える。
そのせいか、その音楽も、何となく上品さが漂っている。

が、実は、シューベルトなども、
音楽教育としてはエリートのそれであって、
当代きっての名教師、サリエーリに、
無料の個人レッスンまで受けているのであるから、
このあたりまでは、100年の時を隔て、
パリとヴィーンの違いはあれど、
同様の経歴と言っても差しつかない。

ただし、デュリュフレはオルガン演奏家としての、
より現実路線を歩んだのに対し、
シューベルトは、友人たちがほめそやす、
よりリスクの高い作曲の道を選んだということであろうか。

「パリについて1年して、彼は音楽院に入り、
そこでウジューヌ・ジグーにオルガンを学び、
ジャン・ガロンに和声学の指導を受け、
対位法とフーガをGeoreges Caussadeに、
作曲をポール・デュカスに学んだ。
1921年にpremier accessitを、
22年には一等を取っていて、
オルガニストとしての卓越した能力を示した。
1929年に『オルガンの友』会のコンクールで、
モーリス・デュリュフレは、解釈と即興で受賞、
翌年には、同じコンクールで作品4で作曲賞を取っている。
その時から、彼は、
サンテティエンヌ=デュ=モン教会のオルガニストになり、
1953年からは、その地位を、
妻のマリー=マドレーネ・デュリュフレ=シュバリエと分担した。
1943年にはパリ音楽院の和声の教授を、
R.Pechから引き継ぎ、1969年まで、その地位にあった。
モーリス・デュリュフレは、オルガンの名手として、
急速に名声を高めたので、プーランクがオルガン協奏曲を書いた時、
彼に相談したのは偶然ではなく、
1939年にはSalle Gaveauで初演している。
彼の実力は広く国境を越えて知られ、
全欧、ソ連、北アメリカに繰り返し演奏旅行をした。
1964年にはアメリカで暖かく迎えられ、
アメリカには繰り返し訪れたが、
1975年の自動車事故で、そのキャリアは絶たれた。
1986年6月11日に亡くなった。」

この自動車事故で、妻も負傷したようだが、
彼の方は、もう70を過ぎた老人だったため、
「キャリアが絶たれた」というような印象はなく、
隠居の老人に起きた事故という感じがしなくもない。

よく言われる事だが、フランスの作曲家は、
教会や音楽院に務めるサラリーマンであることが多く、
クープランの人生とデュリュフレの人生も、
まるで250年の隔たりを感じさせない。
ひたすらオルガンを弾いて生活をして、
時々、作曲している印象である。

シューベルトなどは、作曲マシーンのようになって、
めちゃくちゃに自分の中からあふれ出るものを、
紙に書き写すのに必死だったのに、
彼らは長寿の中、悠然と、
数曲の名作を残せば良いと考えている。

「モーリス・デュリュフレは、その師である、
ポール・デュカスと作曲の面で比較される。
デュカスのように恐ろしく完璧主義で、
深い美学に裏付けられた、
少しの作品しか残していない。
レクイエム作品9と同様、
ミサ曲『クム・ユビロ』作品11は、
デュリュフレの宗教曲のもう一つの重要作である。
この素晴らしい音楽は、しかし、あまり知られていない。
そこにはいくつかの重要な特徴があり、特に独創的である。
バリトン独唱、バリトン合唱、
オーケストラとオルガン用のもので、
伴奏をオルガンだけにしたバージョンもある。
『レクイエム』や『4つのモテット』作品10同様、
デュリュフレのグレゴリオ聖歌への興味が、
このミサ曲にも表明されていて、
聖処女賛美の聖歌が元になっている。
音楽学者のNorbert Dufonrcqは、
作曲家の手法をうまく表現している。
『デュリュフレは、グレゴリオ聖歌のテキストを、
2つの方法で増幅している。
オーケストラは背景の旋法を豊かにするにとどめ、
バリトンの合唱に委ね、
オーケストラはプレインチャントを強調し、
聖歌の材料を声楽が展開する。
これらすべてが、旋法を雰囲気の中、
和声の語法を無比のものとして表現している。』」

まったく、「aptly discribed」ではないが、
恐らく、オーケストラの働きが、
グレゴリオ聖歌の特性を生かしつつ強調すべく、
洗練された手法を取っている、
と考えてみた。

「5つの楽章の簡潔さがこの作品のキーワードである。」
として各曲の解説が始まるが、
その前に、この意味不明の「Cum Jubilo」であるが、
「聖母マリアの祝日のミサ曲」だということである。

Track1.「キリエ」
いきなり、豊かな大海原にたゆたうような、
オーケストラの序奏からして、
魂が遊離してしまいそうに美しい。

ミシェル・ピクマルという指揮者が、
シテ島管弦楽団という楽団を振ったものだが、
期待を大きく上回る美しさである。

合唱はグレゴリオ聖歌そのままで、
オルガンやハープが、虹色の架け橋で、
聖歌の間を埋めて行くような感じ。

「キリエは、書法の簡潔さと、
メロディのしなやかさで始まる」。

Track2.「グローリア」
いきなり活発な音楽で、合唱も情熱的で、
デュリュフレらしからぬ羽目の外し方であるが、
激しいリズムを強調してからは静まり、
いつものしなやかさに戻る。

「グローリアは、デュリュフレらしからぬ情熱で輝かしく始まる」
と解説にあるが、私が、さっき書いた事と同じではないか。

「しかし、そこには静かな部分もあって、
バリトン独唱が、『主、ただ一人神の子』という部分である。」

最後も壮大に盛り上がるが、この5分の楽章が、
最も変化に富んでいて長い。

独唱のディデイエール・アンリも聴かせる。

Track3.「サンクトゥス」は、
神秘的に沈潜した音楽で、
オルガンの伴奏に導かれて、
合唱は、深い湖の中に沈み込むようである。

「サンクトゥスは、オスティナート・バスに乗って流れ、
最後の『高き所にホザンナ』のクライマックスを築く。」

Track4.「ベネディクトゥス」は、
非常に控えめな伴奏によるバリトン独唱曲。
間奏曲のように入る、
星のきらめきにも聞こえる澄んだオルガンが、
その天上的な世界に誘う。

Track5.「アニュス・デイ」。
これも、ちょろちょろと控えめなオルガンの序奏の後、
合唱は、夜の海のような静けさの中に浮遊しているようだ。

「ミサ曲は『アニュス・デイ』で終わるが、
デリケートな陰影が信頼と平和のムードを導く。」

祈りのようなオルガンの後奏も味わい深い。

次に、オルガン曲が2曲続くが、
もう合唱曲が終わったと思ったら、
大間違いであった。

オルガン演奏は、エーリク・ルブラン。
ネットで見ると、かっこいいお兄さんである。

Track6.
「1930年に完成された、
『プレリュード、アダージョとコラール変奏曲』作品4は、
すでに述べたように。
『オルガンの友』によって運営されたコンクールで、
第1席を取ったものである。
この大規模の三部の作品は、
組曲作品5を書いた頃の教師、
ルイ・ヴィエルネへの愛情のこもった感謝である。
『アレグロ・マ・ノン・トロッポ』2拍子
と書かれたレリュードは、
ピアニッシモで始まり、最初の3拍子の開始部分が、
全曲の性格を決めている。」

まことに不思議な音楽で、
とにかく良く聞こえない音楽で、
何やら駆け巡る動機やら、
コラール風の楽句などが、
ぼそぼそ言っては消えて行く。

「その楽章は、『ピウ・レント』と書かれた、
それぞれの音符が長いパッセージで終わる。」

Track7.アダージョ。
これまた、ぼそぼそ言っているだけの音楽で、
まるで、とりとめがない。
「短い『レント、クワジ・レチタティーボ』が、
3/4拍子『ドルチッシモ・エ・ソステヌート』と書かれた、
アダージョに導く。
この部分は、『アスプレッシーヴォ、コン・カロレ』とか、
『コン・モルト・エスプレッショーネ』とか、
指示が頻繁に変わる。」

途中、明るい日が差し込むような部分、
不協和音で何やら苦しむような部分など、
確かにアダージョと言いながら、
やたら雄弁である。

「この部分の最後の何小節かは、
最後の2小節の『ラレンタンド・モルト・リテヌート』
という指示の部分まで、
動きやダイナミクスが変化する。」

Track8.
「作品4の最初の楽章では、
『来れ創り主なる聖霊』の主題は、
一部しか現れないが、
コラール変奏曲がアダージョから続く。
グレゴリオ聖歌の主題は、4/4拍子の
『アンダンテ・レリジョーソ』で、
強烈に表明されるが、
4つの変奏曲の材料を用意する。」

これは、最初の1分くらいの
堂々たる導入部の事であろう。
このCDでは、何と、この後、
「来たれ創造主なる聖霊よ」の
グレゴリオ聖歌が、合唱によって歌われる。
(ミシェル・ピクマル・ヴォーカル・アンサンブル。)

その後、そのメロディがオルガンに受け継がれ、
下記のような解説にある、ぽこぽこ感のある、
宙に漂うような音楽となる。

「『ポコ・メノ・レント』と記された、
最初の変奏は、その三連音符で特徴づけられる。」

ここで、また、グレゴリオ聖歌が挿入される。
そして、次の変奏。
これまた、神秘的にぽわぽわしている。

「第2変装は、アレグレットの4/4拍子、
三連音符と8分音符が挟み込まれている。」

ここで、またまた、グレゴリオ聖歌挿入。
非常に澄んだ声で、オルガンの渋い響きとの対称が美しい。
次の変奏もまた、妙に充足感に満ちたもので、
あまり盛り上がらない音楽である。

「第3変奏は、アンダンテ・エスプレッシーヴォで、
五度のカノン。」

またまた、グレゴリオ聖歌。
最後の変奏になって、ようやく、音楽の増殖が始まる。
これまでは、聖歌の方を邪魔しないように、
雰囲気のみを補助して響いているような音楽だった。

「作品は、輝かしい第4変奏のトッカータが始まって終わる。
トリプル・フォルテとラルガメンテと記された、
最後の14小節のクライマックスへアレグロは続く。」

この変奏は、華麗なパッセージを含み、
複雑で、主題を聞き取るのは難解なので、
このCDのように、グレゴリオ聖歌を挟んで、
原点を補助してもらうのは、実に助かる。

なお、このグレゴリオ聖歌は、
前に取り上げた聖モーリス及び聖モール修道院
ベネディクト派修道士聖歌隊(フィリップス)
のCDの最後に入っていたものである。

最後に「組曲」作品5が収録されている。
「20世紀のもう一つの
フランス・オルガン音楽の偉大な一例として、
『組曲』作品5が1933年に完成され、
ポール・デュカスに捧げられた。
3楽章からなる作品で、レントと書かれた、
プレリュードで始まる。」

デュカスは、どんな反応をしたのか、
聴いてみたいものである。
デュカスの場合、批判精神にあふれた
すぐれた作曲家でもあったから、
献呈する方も、かなりの度胸が必要だっただろう。

Track9.プレリュード
序奏部は、何か苦しげな喘鳴のようなものがあるが、
1933年という戦争の前の足音を、
我々は、ここに聞き取るべきであろうか。

が、そこから、澄んだ主題が舞い降りてきて、
不安と緊張感が交錯する中、
かなり自信満々な歩みを進めるオルガン。
が、様々な光が投げかけられ、
それが渦巻いて、ぐるぐるするような感じから、
静けさに戻って行く。
それが、解決なのか宙ぶらりんなのか、
よく分からない所が、
妙に意味深なプレリュードである。
何だか、ショスタコーヴィチみたいに痛い。

「長い音符で始まるが、
16分音符や32分音符で動きを増して成長し、
最初の楽章は、拍子の記号が頻繁に変わる。」

Track10.
「6/8拍子のアレグロ・モデラートの
流れるようなシチリアーノが続く。」
と、解説はそっけないが、
これは、懐かしい感じの歌が回想されるもので、
後半には沈鬱と憧れが交錯するような中間部を挟んで、
美しい聞きごたえがある音楽である。
デュカスは喜んだに違いない。

Track11.
「最後のトッカータは、難易度が高く、
デュリュフレの演奏者としての力量を想起させる。
終楽章、8/12拍子のアレグロ・マ・ノントロッポは、
16分音符の動きを続けながら、輝かしい終結に至る。」

英雄的でもあり、断末魔の音楽とも見え、
極めてドラマティックな葛藤のある音楽で、
フランクのオルガン曲などを思い出す。

最後は、もうやけっぱちの連続みたいな絶叫があり、
凱歌なのか、悶絶なのか分からない。
音楽としては、無理やりの終結感はあるのだが。

混沌のようなものの中にある、
不思議な流動感に、原初的な力のようなものを感じたりもする。
これもまた、信仰の形なのだろうか。

得られた事:「デュリュフレは『レクイエム』で有名だが、ミサ曲『クム・ユビロ』では、さらなる境地を聴くことが出来る。」
「デュリュフレは、フランス大革命以来のグレゴリオ聖歌復興活動の到達点のような作曲家であった。」
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by franz310 | 2013-04-20 23:41 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その374

b0083728_23205584.jpg個人的経験:
もう、復活祭も過ぎてしまい、
花もすっかり散ってしまったが、
低気圧の影響とかで、
まだ、3月並みの冷え込みである。
朝夕の冷え込みは
マフラーがほしいほどである。
そんな具合なので、
復活祭前の聖週間に歌われる、
テネブレの鑑賞をしていても、
別に許されるような気がする。


今日なども、夜になると、床が冷たくて、
足がどんどん冷えてくる感じである。
イースターの気分ではまったくない。

さて、ここのところ、
こうした冷たい空気に相応しい、
復活祭前の音楽として、
クープランの美しい
「ルソン・ド・テネブレ」
に耳を澄ませて来た。

日本の古楽唱法の期待の星、
新久美(指揮、大橋敏成)のものや、
クリスティが監修したものを聴いたが、
清潔に歌いきるか、
エレミアの嘆きの感情を込めるかで、
かなり曲のイメージも変わるものだと認識した。

これらは、20世紀末、
日本からの解釈提案に対し、
欧米の第一人者クリスティが、
返歌を返したような一対となっていて、
非常に興味深い比較が出来た。

今回聴くテネブレは、
それらより40年ほど前の、
古典的録音と言えるかもしれない。

前回聴いたクリスティ盤同様、
フランスの誇るエラート・レーベルのもの、
ローランス・ブーレイ指揮とあるが、
ロランス・ブレーと書く人もあるようだ。

ステレオ芸術別冊、
「クラシック廉価盤全カタログ’82」
にも、この演奏は取り上げられていて、
少なくとも、LP時代から、
この美しい音楽は、
日本で聴かれていた事がわかる。

しかし、
「曲も珍しく、聴く機会の少ないものだけに
ファンには喜ばれるであろう」
などと書かれている事からして、
つい、30年前までは、
知られざる名曲みたいな感じだったと、
考えても良いのかもしれない。

表紙には、二人の尼僧が向かい合っている、
奇妙な絵が採用されているが、
これは、よくCDの表紙には現れるもので、
海外では有名な作品のようである。

このCDでは、左の年配の尼僧の左横に、
年号「1662」とか、
「CATHARINA」とか、
何やら怪しげに書き込まれた
謎の文章の単語が何とか読み取れ、
これで検索すると、今回、ようやく、
絵の出典を突き止めることが出来た。

ルーヴル美術館にある、
バロック期フランスの画家、
フィリップ・ド・シャンパーニュ
(1602-1674)の、
『1662年の奉納画』というものだそうだ。

年配の婦人は、ポール・ロワイヤル修道院の、
カトリーヌ=アニェス・アルノー院長らしい。

ここで、右側の女性、
つまり、シャンパーニュの娘の病気が、
奇跡的に治ったということで、
この絵が描かれたのである。

正式名称は、
「女子修道院長アトリーヌ・アニュス・アルノーと
画家の娘の修道女カトリーヌ・ド・サント・スザンヌ」
というものだそうで、
確かに、娘の表情は穏やかであるが、うつろで、
足も硬直しているのか、台座の上に乗せられており、
病気の重さが、読み取れるようである。

クープランは、1668年の生まれであるから、
この1662年の奇跡の後に生まれている。

時代的には、すこしずれているが、
クープランのテネブレが歌われたような、
当時のフランスの修道院の雰囲気を示して、
貴重な作品なのであろう。

なお、このCDで指揮を受け持っている、
ブーレイ(ブレー)と言えば、
鍵盤楽器奏者として、
仏エラート・レーベルでよく見る名前であった。

一番、日本で売れたCDは、
エラートから出ていた、
「鍵盤楽器の歴史的名器」というレコードであろう。

上記雑誌別冊の解説にも、
「クープランの器楽作品の演奏、
研究にかけては世界的権威である
ブーレイが、楽譜のリアリゼーションをし、
指揮したもので、
この曲の模範的なものと言える」
と書かれている。

なお、ブーレイは1988年に、
この曲集を再録音しているようだが、
私は聞いたことがない。

この旧盤は、モノラル録音のようだが、
鑑賞に差し障るような事はなく、
1950年代という時代にも、
何やら今はなき魅力を感じるので、
私は、特に新盤を聴きたいとは思わない。

改めて検索すると、
このブーレイという人は1925年生まれ。
パリ音楽院で学んだ女性音楽学者で、
クラブサン奏者。
2007年に亡くなっているようだ。

これまで聞いたCDは、
すべて、オリジナル通り、
ソプラノによる歌唱であったが、
クリスティ盤の解説に、この曲は、
クープラン自身、どの音域で歌っても良い、
まえがきにと書いているとあった。

この古典的名盤においては、
何と、ジャニーヌ・コラールというアルトが
第1ルソンと、第2ルソンを歌っている。

二重唱の第3ルソンでは、
ナディーヌ・ソートゥローというソプラノが入る。
この二人の歌手が何者かはよく分からない。
クリスティ盤のダヌマンなどが、
ヴィヴラートで激しい感情の揺れを描いていたほどには、
声を震わせず、すっきりと歌っている。

さらに、大橋盤では、ポジティブ・オルガンと、
ガンバの伴奏だったのに対し、
クリスティ盤はチェンバロとガンバだったが、
ここでは、大オルガンが、
伴奏(ノエリー・ピエロン)を務めている。

このオルガン、あたかも盛期ロマン派、
サン=サーンスのオルガン交響曲のように、
時に華やかに、時に壮大に鳴り響き、
ものすごい迫力である。

第3テネブレに至っては、
ヴァーグナー並みの陶酔の二重唱として高まって行く。
それでなくても、この第3テネブレでは、
音域も異なる女声が濃密な対話を交わし、
かすかに、ヴァイオリンが、
オブリガードのように鳴り響いているようだ。

これは、まだ30歳を前にした、
ローランス・ブーレイが幻視の中で見た神秘体験を、
法悦の中で具現化した大フレスコ画、
と言っても良いかもしれない。

このように見て来ると、
この録音は、気鋭の女性音楽学者の、
若さのすべてをぶつけて世に問うた、
稀有な記録として、
聴くべきもののような気がしてきた。
妙に愛着が沸いて来るではないか。

解説は、村原京子という人が書いているが、
検索すると、鹿児島の方にある大学の教授で、
ヘンデルの研究家のようである。

これが、よく書かれていて、
小さい字でびっしり3ページ、
クープランの略歴(0.7ページ)から
この「3つのルソン・ド・テネブレ」の解説が、
約2ページ続き、
最後に付録として収録されている、
モテット2曲の解説がある。

日本盤なので、当然のことながら、
歌詞対訳も万全で、
聖書の詩句が分かりやすく書かれている。

このテネブレが、
ロンシャン尼僧院のために書かれたことは、
クリスティ盤にも書かれていたが、
このブーレイ盤の解説には、
「当時有名な歌手が引退してこの尼僧院に入ったために
オペラ座の常連達は尼僧院に押しかけた」
などと書かれているではないか。

という事で、前回、尼僧院風の表現なら新久美、
オペラ風の表現ならダヌマンがそれらしい、
などと考えたが、
これまた振りだしに戻って、
ややこしいことになってしまった。

オペラ歌手の入った修道院は、
はたして、オペラ風か、宗教音楽風か。
どちらであるべきなのだろうか。

この解説では、
「エレミアの哀歌を作曲する場合、
何らかの形でグレゴリオ聖歌を
土台にして作られるのが常套であったが、
クープランはグレゴリオ聖歌の旋律を
そのまま使っているわけではない」
としながら、
「骨組みとしてはそれらを想定しながら、
巧妙な装飾的パラフレーズ、
コロラトゥーラ装飾が加えられ、
それは筆舌に表し難い程の
苦痛の情に溢れている」と書いてあるから、
きっと、大げさな表現が正解なのだろう。

何と、
「これを聴いた当時の人々は、
ことごとく涙を流した」とも書かれているのである。

このような証言を実感するためには、
先に書いた第3テネブレのような、
ヴァーグナー的絶唱となってもおかしくはない。

この演奏をここで改めて聞き直してみよう。

Track1.
第1テネブレは、
まことに瞑想的に深々と響く、
大オルガンの響きが非常に印象的である。
演奏会場などが明記されていないのが残念である。

オルガンがまた、人の声のように、
独唱者以上に表情たっぷりに、
天上の歌、地上の嘆きを聴かせ、
さらに独唱者にぴったり寄り添う様は、
実に、この演奏の第1の聴きものと言えよう。

そういえば、このブーレイは、
「レクイエム」の作曲や、
オルガン演奏で有名な、
デュリュフレの弟子だとあった。

アルトが歌っているので、
ソプラノが歌っているより落ち着いた感じを受けていたが、
何となく、英雄的な表現とも思えて来た。
それをオルガンの響きが、
後光のように、あるいは、
エーテルのように包み込んでいる。

エルサレムの街の荒廃を歌い、
「汝、主に立ち戻れ」と歌いあげる、
預言者エレミアの肉声としては、
このような表現は大いにあり得るものである。

Track2.
第2テネブレもまた、
「エルサレムは罪に罪を重ね、
汚らわしいものとなった、
彼女を尊んだ者たちもみな、
その肌を見て卑しんだ」という、
糾弾調の歌詞を含むので、
この毅然とした歌いぶりには、
共感を感じたりする。

とりわけ美声というわけではないのだろうが、
芯のある、格調高い声は、
若いブーレイの理想主義的な側面を
伝えるものに聞こえる。

解説にあるような、
「威厳と瞑想が見事に調和した、
まさにフランス・バロック宗教音楽の完成を示す作品」
という表現は、この演奏をもって、
妙に納得させられるものであろう。

聴くものがことごとく涙を流したとすれば、
荒廃したエルサレムに対してではなく、
きっと、これから主の元に帰るであろう、
復活したエルサレムを期待して涙したのではないか、
などと考えたほどである。

「エルサレムよ、エルサレムよ、」と歌われる、
最後の部分では、
オルガンが小刻みなパッセージを散りばめ、
独唱も一緒になって高まって行く。

Track3.
第3テネブレこそ、この録音の随一の聴きもので、
二つの女声が、堂々たるオルガンと、
ヴァイオリンのオブリガードの中から、
唱和しながら現れるところからして、
この世のものとは思えない神秘性を発散している。

女声の合唱も、
いったい、どのような絡まり方をしているのか、
影になり表になり、不思議な色調を放ち続ける。

「その民はみな、食べ物を求めうめき」の部分では、
これまた、オルガンが、状況描写をおどろおどろしいまでに、
掻き立てて響きわたる。

これは、声楽に通奏低音を施した、

「アテンディテ」で始まる、
「主が激しい怒りの日に私を悩まし、
私にくだされた苦しみのような痛みが
他にあるだろうか」という部分の高まりは、
すでに書いた事だが、
オルガンともども、ものすごい迫力である。

これは、同じフランス音楽でも、
しゃれたドビュッシーや、
豪壮なリュリでもなく、
ショーソンの「愛と海の歌」のような、
ロマンティックな絶唱にも聞こえる。

そして、音楽は瞑想の谷間に落ちて行き、
「私はもう立ち上がれない」という
最後の詩句に行きつく。

そして、廃墟から立ち上がるかのように、
「エルサレムよ、エルサレムよ、
汝、主に立ち戻れ」という、
これまた、光輝あふれる終結部が誘われる。

第二次大戦からの復興の音楽にも聞こえて仕方がない。

Track4.
ここからは、モテット「聴け、すべてに耳を傾けよ」
が始まるが、これは、前の曲以上に、
華やかに、しかし、心優しく、
ヴァイオリンが寄り添って活躍する。

ソプラノ独唱曲であるが、
これまた、毅然とした音楽で、
「罪ある人が受けるべきことを主は忍び、
罪ある人が犯したものに主は耐えられた」という、
キリストへの感謝の歌である。

9分ほどの音楽で、
有名な「テネブレ」と並べて聴いても、
規模においても、内容においても、
何ら遜色のない音楽で、
様々な表情で音楽は変遷する。

ただ、テネブレでは、
ヘブライ語のアルファベット部がないので、
優美な装飾部を欠き、緊張を強いるので、
ちょっと堅苦しい感じはする。

Track5.
「勝ち誇れ、キリストは復活し」という、
復活祭用のモテット。

さすがに復活祭で、喜ばしげなデュエットで、
「アレルヤ」が何度も繰り返される、
7分程度の音楽。

資料によると、この曲は、
ブーレイの「ルソン」の、
ディジタルの再録音でも、
演奏され、併録されたようである。

歌手たちの節度と緊張感を持った表現も、
襟を正させるものがある。

ここでも、オルガンが過剰なまでに、
背景で、ゴージャスなタペストリーを織り上げ続けている。

オルガンのPierrontという人は、
ネット検索すると、大量に楽譜が出てくる。
その道では高名な人なのだろう。

なお、この文章を書き終わって、
発見した事を追記しておく。

このCDは、もう13年も前、
2000年に音楽の友社から出ていた、
ONTOMO MOOKの「クラシック名盤大全」、
「オペラ・声楽曲篇」で、
藤野竣介氏が取り上げていたのである。

「この半世紀近く前の名録音こそ、
おそらく、ことによったら日本に限らず世界中で、
作品の美しさを最も多くの人々に
伝えてきたのではないだろうか。」
とあり、
「古楽の分野での歴史的名盤」と断言されていた。

そうだったのか。

得られた事:「ローランス・ブーレイ(ブレー)のモノラル盤の『テネブレ』、廃墟から立ち上がる絶唱に感涙。29歳の新進女性学者の青春の結晶か。」
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by franz310 | 2013-04-13 23:21 | 古典