excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


タグ:写真 ( 46 ) タグの人気記事

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その257

b0083728_17113323.jpg個人的経験:
ベッリーニの「ノルマ」は、
古代ガリア地方の神話的物語である。
異教に身を捧げる巫女が、
このオペラの主人公で、
先進国ローマの代官はなんだか情けない。
ベッリーニやシューベルトの生きた時代、
ゲーテが、「オシアン」などを評価したように、
キリスト教以前の、土俗的信仰に、
当時の人たちは、
憧れのようなものを持っていたようだ。

今日は2010年も押し迫った、
12月26日であるが、
今回、この「ノルマ」の解説を読んで驚いた。
何と、この12月26日こそが、このオペラの
誕生の日だったと書かれているではないか。


先に書いたような幻想的な物語ゆえ、
しかも、ベルカントオペラの最高峰、
などと言われるがゆえに、
ついつい映像でも見たくなってしまった。

今回、そんなこんなで入手したのは、
シチリア島、ベッリーニ大劇場での、
2005年の公演の記録。
ワルター・パリアーロという人の新演出だという。

ディミトラ・テオドッシュウという人が
ノルマを歌っているようだが、
この表紙の写真の、雄叫びを上げている
赤毛の丸っこい女性が、そうであろう。
ノルマと対照的に跪いているのが、
ポリオーネを演じるカルロ・ヴェントレか。

アダルジーザは、ニディア・パラチオスという人。
この人はパッケージの裏に小さく出ているように、
可憐な美人である。
ジュリアーノ・カレッラ指揮、
カターニャ・ベッリーニ歌劇場管弦楽団と合唱団の演奏である。

ここまで書かれると、本場物と言えるのだろう。
イタリアのダイナミック・レーベルのものだ。
何故か、ありがたい事に、日本語字幕がついている。

今日が初演日だという事は書かれていた、
ありがたい解説を読んでみよう。

「『私の最も親愛なるフローリモ、私は、
悲しみの中でこれを書いています。
それも言い表し難いほどの。
私はノルマ初演のスカラ座から戻ったばかりです。
信じられますか、完全な失敗を。
完全な失敗、まったくの失敗です。
なるほど、聴衆は辛辣だとしても、
彼等は私に罪があると考えたようです。
彼等は、軽々しくも、私の『ノルマ』に対し、
ドゥルイド族の巫女と、同じ運命を宣告しました。
私は、『海賊』や『異国の女』、『夢遊病の女』に、
熱狂し、歓喜し、興奮した愛しいミラノ人と、
同じ人々には思えませんでした。
ノルマの事を考えると、
私は、それらと同等の姉妹に思えるのですが。』
1831年の12月26日、
ヴィンチェンゾ・ベッリーニは、
彼の最新のオペラ、『ノルマ』の初演の後、
友人のフランチェスコ・フローリモに宛てて、
このように書いた。」

ノルマの初演は歴史に残る大失敗として知られるが、
このように、作曲家自身が、打ちのめされる事を語った、
生々しい記録が残っているとは知らなかった。

「フェリーチェ・ロマーニのリブレットに音楽を付けた、
この作品は、女性二人のパートに、
ジディッタ・パスタ(ノルマ)、
ジューリア・グリージ(アダルジーザ)という、
非常に有名な歌手を当て、
ポリオーネは素晴らしいドメニコ・ドンツェッリが担当した。」

妙に唐突な言及だが、演奏は悪くなかったということであろうか。
あるいは、万全の体勢で望んだ上演だったということか。

「しかし、物事がすべて、ベッリーニにとって、
悪い方に進んだわけではない。
初日のみが冷ややかに迎えられたのであって、
続く公演では、聴衆の反応は、
次第に温かになっていった。
12月28日には、ベッリーニは、
彼の叔父に宛てて、
『影響力がある人や、
とても裕福なある人物に誘発された
何人かの手強い意見にもかかわらず、
昨日の2回目の演奏は、初演の夜より遙かに、
私のノルマは聴衆に、畏敬の念を残しました。
昨日のミラノの大新聞は、
反対派が逆の派閥の喝采を打ち消し、
有力者が音頭を取って新聞社に圧力を加えたので、
この作品を『完全な失敗』と書き立てましたが。』
この有力者とは、おそらく、ミラノの劇場監督、
モドローンのカルロ・ヴィスコンティ侯で、
ジュディッタ・パスタを中傷する人であった。
また、とても裕福な人とは、実際、
間違いなくサモイロフ侯爵夫人である。
彼女は、そのシーズンの2番目に予定されていた、
オペラの作者である
ジョヴァンニ・パッチーニの愛人で、
明らかにベッリーニのあからさまな敵対者であった。」

ベートーヴェンの例では、
音楽が革新的すぎて失敗するのだが、
陰謀が渦巻いて失敗する、
というパターンは、モーツァルトやロッシーニ以来の、
オペラ界の伝統である。
ちょっと、芸術的な価値とは別にあるようで寂しい。

「しかし、陰謀や不正と関係のないジャーナリストは、
作品に内在する音楽的クオリティをみいだし、
それは、以来、レパートリー入りし、
世界中のオペラ愛好家の、最もお気に入りの作品となった。
三度目の公演の後、ベッリーニは、
バス歌手のジュゼッペ・ルッジェリに、
『私のオペラは、全体として勝利した』
と書き送ることが出来た。」

あんなにしょげていたのが、
わずか3日か4日のうちに、
即、勝利宣言している点がちょっと軽い。

音楽史に轟くには、マーラーのように、
自分の生きている間は無理無理といったニュアンスがないと、
大きな説得力に欠けるではないか。

「『ノルマ』は、ベッリーニが1825年、
最初のオペラ『アデルソンとサルヴィーニ』をナポリで上演し、
作曲家の早すぎる死(Puteaux、9月23日)
に先立つこと8ヶ月、1835年1月24日、
『清教徒』でパリ・デビューするまでに描いた、
芸術の放物線の頂点である。」

なるほど、ノルマは、1831年の作品であるから、
(1825+1835)÷2=1830≒1831。
10年の活動の中間地点にあったということだ。
5年くらいで大成するような世界とも言えるし、
わずか5年で上り詰めた、
ベッリーニの天才を思うことも出来る。
さらに考えると、
1797年生まれのシューベルトの場合は、
一度、1820年くらいにオペラに集中したので、
1801年生まれのベッリーニがデビューしたのと、
ほぼ同年代で、劇場音楽の世界に足を踏み入れたことが分かる。

が、ベッリーニは、毎シーズン、
劇場での修練を積んでいたが、
シューベルトの場合、病気もあって、
そうした継続が出来なかった。

とはいえ、シューベルトも、
1821-2年には「アルフォンゾとエストレッラ」、
1823年には「フィエラブラス」と、
続投の意志はあったのである。
あるいは、石の上にも5年のがんばりがあれば、
偉大なオペラ作曲家の登場、となっていたかもしれないが。

妄想はこれくらいにして解説に戻ろう。

実は、ベッリーニはさらに恵まれていたことが、
以下に、ちょうど書かれている。

「ベッリーニは、ドニゼッティを含む、
多くの同僚とは異なり、
失望に耐えたり、
ランクを上昇する困難を、
我慢する必要がなかった。
1826年の『ビアンカとジェルナンド』は、
ナポリで当たりを取り、
1年後、26歳の時には、
『海賊』でミラノにて勝利を収めた。」

つまり、デビューの翌年からして、
ベッリーニは別格だったようなのだ。

「二つの重要なイタリアの劇場を征服し、
ベッリーニは同僚たちに比べ、
しゃかりきになって働く必要はなくなり、
名誉と報酬に従って契約を取れば良く、
一年に1曲か2曲の作曲で済んだ。」

これは、またまた、うらやましい状況であろう。
シューベルトがまだ生きている時分に、
4歳若いベッリーニは、
早くも、そうした境遇にあったのである。

が、シューベルトの場合、
やむにやまれぬ創造力の爆発で作曲しており、
ベッリーニをうらやましいと、
思ったかどうかは分からない。

いや、聖人化してはならないだろう。
ベッリーニのような境遇になれば、
そうした爆発は起こらなくなったかもしれないのだ。

「1829年には、多くの観点から、
さらに革新的な作品、『異国の女』で、
スカラ座を再度征服した。
数ヶ月後には、パルマでの『ザイーラ』が演じられたが、
これは完全な失敗作で、大規模に再利用されて、
1830年の『カプレーティとモンテッキ』となった。」

連戦連勝のベッリーニにも失敗はあったようで安心した。

「1831年はベッリーニにとって、勝利の年であった。
三月、ミラノにて、数ヶ月後、ノルマを歌った同じ歌手、
ジュディッタ・パスタと共に『夢遊病の女』を舞台にかけた。
ベッリーニはスカラ座の団長、
クリヴェリとさらに1831-2年のシーズンの1曲を含む、
2曲の新作オペラの契約を結んだ。
『海賊』に続き、再度、
リブレットはフェリーチェ・ロマーニである。
新作のオペラは、12月26日の初演である。
しかし、『夢遊病の女』勝利の後、
作曲家とリブレット作者は、仕事のペースもだらけ気味、
作曲家は暑い時期の仕事を嫌い、
ロマーニは、将来の怠惰で、作曲家と衝突し、
そのことでよく諍いを起こした。
夏までに、とにかく、オペラの主題は決まったようだ。
ベッリーニは、アレッサンドロ・ランペーリ宛の
1831年7月23日の日付を持つ手紙で、
『新しい私のオペラの主題は決まっています。
『ノルマ』または『幼児殺し』というスーメの悲劇で、
パリで上演されて、異例な成功を収めているものです。』
スーメのドラマ的舞台作品は、その年の4月6日、
オデオン座でお披露目されたところで、
その勝利は、まだ生々しいものだった。」

なるほど、ベッリーニは暑い時期は仕事が嫌いだったようなので、
夏までに主題を決め、内容を吟味し、秋頃から2、3ヶ月で、
書き上げるパターンだったのだろうか。

シューベルトが大作、「アルフォンソとエストレッラ」を書いたのは、
それより10年前、1821年のやはり秋、9月頃からとされ、
翌年の2月までかかっているので、
基本的には、同じように、
劇場の冬のシーズンを想定して動いたのかもしれない。
が、円熟のベッリーニ(当時30歳)のようには、
24歳のシューベルトはうまく書くことが出来なかった。

「12月の始めから、リハーサルが始まり、
すぐにそれがかなり困難な作品だということが分かった。
ベッリーニが手紙で、『百科全書的人物』と評した、
ジュディッタ・パスタも、
このオペラの核となる、
『清き女神』をマスターするのに苦心惨憺し、
それにはロマーニ、ベッリーニとも、
何度も何度も試行を繰り返した。
遂に、歌手はこれを手中に収め、
この作品の成功に決定的な貢献を果たした。
ベッリーニは手紙で、
彼女とテノールのドンツェッリについて、
初演までに練習のしすぎで声の限界になっていた、
と書いており、
それが、いくらか、初演における、
ミラノの聴衆の冷淡な反応に影響したのかもしれない。
しかし、このシーズンの終わりには、
『ノルマ』はイタリア・オペラの傑作として、
位置づけられていたのである。」

恐ろしい事である。
練習は必要だが、それのしすぎで、
公演が失敗になるということもある。
シューベルトは、ここまで、歌手を追い込むような仕事まで、
経験することなく、オペラの作品群は棚上げされてしまった。

むしろ、そんな努力をしないで済んだ、
作曲に集中することが出来たとでもいうべきか。

では、このDVD鑑賞に入ろうではないか。

指揮者カレッラが登場して、序曲を振る様子が、
克明に捉えられているが、
一見して真面目な学究風のおじさんであるが、
その指揮姿は、入魂といってふさわしいもので、
まるで、ベートーヴェンの交響曲を演奏するかのように、
1音1音に意味を持たせていく、
鮮やかな木管のパートも明敏だ。
暗いピットの中であるが、
楽員の意欲的な演奏姿も見栄えがする。
コーダの追い上げも迫力があって、
オペラを見ないで帰ってもよいくらいである。

幕があがると、幻想的な夜の森のブルーが美しい。
当然、神託のための巨木がそびえている。
ドルイドの長老、オロヴェーゾは、
私が想像していたより長身で精悍な感じ。

リッカルド・ガネラットという人が歌っているが、
その面構えにふさわしくかっこいい。

その後で、森の中をこそこそ徘徊するローマ側は、
真っ赤な装束で、民衆たちの灰色の衣装とは対照的。

ドルイド族を蛮族として支配する立場でありながら、
いかにも退廃的な先進国のイメージが出ている。
代官ポリオーネは、
優柔不断な優男を想像していたが、
ここでのヴェントレは、横綱の体格のひげ面である。

その後、月が昇り、
勇ましい行進曲に合唱が響き渡ると、
ローマ側はびびりまくっている。
このあたりの効果、非常に緊迫感が出ている。
そんな中、野蛮人の神殿など、
ぶっ壊してやると歌い上げるポリオーネの方が、
何だか野蛮な雰囲気である。

やがて群衆が集まって来て、
巫女ノルマが現れるのを待つが、
青い夜の空をバックに神秘の瞬間が演出される。
大きな満月である。
真っ青の服に赤毛のテオドッシュー演じるノルマが、
反戦を唱える。頭に月桂冠のようなものが巻き付いている。
声が美しいが、やはり、神聖なる趣きには乏しい。
これは仕方ないか。

巨木の前で、鎌を振りかざし、
宿り木を取るような仕草の中、
美しいフルートの序奏に導かれ、
「清らかな女神よ」が歌い出される。
まさか跪いて歌うとは思わなかった。

ローマを罰せよという民衆と離れ、
次第にノルマは孤独になる。

そして、誰もいなくなった聖なる森に現れるのが、
ノルマの悩める恋敵、アダルジーザである。

冒頭書いたが、パラチオスという美しい歌手で、
青い服に身を包み、豊かなブロンドを際だたせ、
ノルマに比べ、初々しい感じがでている。

横綱ポリオーネが現れ、月光に照らされながら、
二人の愛の葛藤が描かれる。
無理矢理、ポリオーネは、
ローマへの逃避を約束させてしまう。

ポリオーネの情けない感じからして、
単身赴任中中のおっさんが、
現地妻を連れ帰る構図だが、
このおっさんの現地妻第1号はノルマなのでややこしい。

という所で、第1幕の第1場は終わり。
続いて、第2場に入るが、
ここでも指揮者の力の入った指揮ぶりが見られる。

第2場でノルマは、
小学生くらいの二人の子供を連れて、
服装の緑のワンピースになって、
完全にPTAのメンバーといった感じ。

しかし、実際、状況を考えれば、
子供たちがこんなに大きくなるわけはない。
ポリオーネは代官なので、そんなに長期滞在ではない。
まだ、赤子であるのが正しいはずだ。

そこに、こともあろうかアダルジーザが現れる。

そして、「優美な姿にうっとりして」、
愛に落ちてしまった事を打ち明け始める。
もちろん、まだ、この時点では、
ノルマは悲劇に気づかす、
親身になって、私もそうだった、などと相談に乗っている。
アダルジーザの告白に、
「そうやって誘惑されたの」、「同じだわ」とか、
相づちを打つノルマが哀れである。

二人並んで、親密な雰囲気が盛り上がり、
ああ、抱き合いましょうなどと、
甘美な二重唱となるが、
いったい、何時、事実が明らかになるだろうか、
とはらはらしてしまう。

そして、「ところであなたの恋人は誰」などと、
聴かれていると、ふらふらと、大将が呑気に現れる。
「この人よ」と嬉しそうに語るアダルジーザも哀れ。
ややこしさの粋を集めたような三重唱になる。
「この女と別れるのも運命なのだ」と言い張るポリオーネは、
気が狂っているとしか思えない。
ノルマの復讐の予告も恐ろしく、幕となる。

CDは二枚目になる。
カレッラが現れて、第2幕の前奏曲の、
静かでありながら、不安と緊張に満ちた音楽を、
ダイナミックかつ、俊敏な指揮姿で魅せる。
いきなり、テオドラッシュウは子殺しのナイフを、
振りかざしている。
恐ろしい形相である。

これが、元の作品名、「子殺し」である所以であろう。
実際は、子供は殺されないのだが。
ノルマのレチタティーボの中で、
「命を奪うこの手を見ることが出来ない」
というのが生々しい。

が、最終的に、子供たちは別と考えて、
自分だけ死んで、アダルジーザに子供を託することを決める。
アダルジーザは、今度は子供たちを遊ばせながら、
この様子を見て、希望を持てと励ます。
女同士の優しい思いやりを示すしっとりとした部分で、
ポリオーネだけが気が狂った存在に思えて来る。

抱き合ったり、手を繋いだり、
まったくもって友愛に満ちた作品に見える。
以上で、第2幕第1場は終わる。

続く第2幕第2場は、またまた群衆が集まっていて、
回りには要塞のような石の壁が見えている。
神殿の中だといくことは分かりにくい。
武器を手にして、ゲリラの装備、一触即発の雰囲気である。
部族長が、今度は彼等のはやる心を抑えている。

それにしても、イタリア人が作った、
イタリア上演用のオペラが、
こんなにローマへの怨嗟に満ちているのは何なのだろうか。
ひょっとすると、当時の政治状況の反映もあるのかもしれない。

ノルマはアダルジーザが、期待に満ちた表情で、
ポリオーネを説得して戻ってくるのを待っているが、
計画が失敗した事を乳母から知る。
怒り狂ったノルマは、ローマへの復讐を誓い、
ついに、神殿の銅鑼を鳴らしてしまう。

「勇者たちよ戦いの雄叫びを上げよ」というが、
こんな私情だけで、軍隊を動かしてしまうというのは、
あまりにも恐ろしい神官である。

民衆の騒ぎの中、また、いつものように、
ひょこりとポリオーネが現れる。
神殿を侵した罪で捕まってしまったようなのだ。
アダルジーザを探してうろちょろしていたのだろうか。

この引っ立てられる様子が滑稽である。
やたら長いロープで両手をそれぞれ引っ張られる形。

ノルマは、自分が手を下すと民衆を遠ざけるが、
ポリオーネのロープは、舞台の両脇に引かれた形。
ここから、美しい二重唱へと発展していく。
剣を振りかざして、歌うノルマと、
情けないポリオーネの構図は、表紙写真のままである。

しかし、ノルマの怒りに屈しない頑固さが、
何故か、やたら説得力を持っているのが不思議である。
死んでもアダルジーザは諦めないという一途さゆえか。

遂にノルマは全員を集めて、自分が罪人であると告げ、
自らが火刑台に上ることを美しく歌い上げる。
その毅然とした様子に、さすがのポリオーネも心打たれ、
衆人の見守る中、愛の二重唱を繰り広げる。
が、二人で死のう死のうと言っているのが、極めてヤバい。

ヴェールを被った女たちを中心に、
回りから同情の声が上がるが、
ノルマは、自分は大きな罪を犯したと告げる。
子供がいることを告白し、
オロヴェーゾに、彼等を守って欲しいと歌う。

このあたりになると、いかにも肝っ玉母さんという感じの、
テオドッシュウの雰囲気が効果を発揮して、
妙に、生々しい感じになって来る。
そのせいか、オーケストラも合唱も感極まり、
絶叫して応える。
ヴァーグナーが感涙にむせびそうな、圧倒的な効果である。

最後は燃えさかる火刑台を表す炎の色が背景に輝き、
これまでの青の基調が打ち破られ、
そこに向かって、ノルマとポリオーネが、
駆け上って倒れる。

実は、原作となったスーメの悲劇では、
子供を殺して終わる劇だったという。

ベッリーニたちは、これを、
カップルの心中の物語にしてしまっている。
スーメ自身も、この物語は、
ギリシア悲劇の「メデア」から持って来た。

ギリシアの物語を、ケルトの物語とした理由など、
気になる部分は多数あるが、
「子殺し」という題名では、
きっと、こんなに長く愛される作品には
ならなかったのではなかろうか。

DVDで見て、CDで想像していた事と、
大きく異なる点は、そんなに多くはなかった。
むしろ、管弦楽法の妙味などは、
CDで聴く方が堪能できる。
あと、ノルマのイメージは、
やはり、カラスの痩身のイメージが、
私の中にこびりついているようだ。

是非、前回取り上げた、カラス盤の写真と、
今回の表紙写真を見比べて欲しい。
前のものの方がはるかにイマジネーションを誘う。
今回のデザインは、もうそのままじゃない、という感じ。

得られた事:「劇場を征服すれば、オペラ作曲家は、年に1、2作の作曲で生きて行ける。」
「シューベルトに、そうした生き方がふさわしいかったかは不明。」
「そのままあるがまま、という商品パッケージというのもいかがなものか?」
[PR]
by franz310 | 2010-12-26 17:16 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その255

b0083728_154927.jpg個人的経験:
強烈な個性によって演奏された
LPやCDというものは、
時に、作品のイメージを歪曲し、
カラスが録音した一連のものなどは、
みんな白黒写真の世界に
閉じ込められてしまっている。
例えば、「夢遊病の女」なども、
実際は、こんなイメージかもね、
というのが、このNUOVA ERAの
CDデザインなどから、見て取れる。


このCDは、「FIRST AUTOGRAPH VERSION」とある。
それとこれとは、話が別かもしれないが、
そんな表記からも、こっちが正しい、という感じがしなくもない。

とにかく、今回のCDは、「夢遊病の女」という、
ベッリーニの作品の中でも、
明るく、田園的な晴朗さが満ちた作品に、
まさしくふさわしい表紙デザインとなっていて、
好感が持てるものである。

しかし、このデザインの出所は明らかではない。

私もずっと気づかずにいたのだが、
何故、窓の上に白衣の女が立っているのか?
これはひょっとして、このオペラとは関係ないものでは?
「夢遊病の女」のストーリーを、
今回、詳しく知ってしまった今、
このデザインは限りなく不自然に思えて来た。

Art Directionとして、Maria Cristina Salaとあるが、
デザインした人の名前だろうか。
まさか、この絵の作者?

イタリアのCDにふさわしく、
このあたりの配慮不足が悲しい。
初稿による演奏として、
どこに耳を澄ませて良いのかも、
実は、よく分からない。

ジュリアーノ・カレッラという指揮者が、
アミーナにCIOFIというソプラノ、
エルヴィーノにモリーノというテノールを迎えて、
1994年に録音したもの。

イタリア国際オーケストラ?
合唱はブラスティラバ?
よく分からないが、
XXdella Valle d'Itria音楽祭協賛とある。

この音楽祭、立派なホームページもあるが、
イタリア語でさっぱりわからない。

しかし、このCD解説の方は、英訳もあるので勉強になった。

まったく、シューベルトにも、
「ます」にも無関係な方向に
脱線しているように見えるが、
このCD解説を読んでいると、
シューベルトにも関係する一節が出てくるのである。

また、シューベルトの同時代人として成功した人の作風が、
いったいどんなものであったかも分析されている。
(シューベルトと比較しているわけではないが。)

FRIEDRICH LIPPMANNという人が、
「『夢遊病の女』に関するノート」と題して、
かなり長文の論文を載せているが、
ということで、これは、非常に読み応えがあるものだ。

「『夢遊病の女』の初演時リブレットには、
単に『メロドラマ』と書かれていて、
このオペラは一般には、
シリアス・オペラに属すると考えられている。
しかし、いくつかの見地からは、
これは、セミ・シリアス・オペラに近いものだ。
スイスの村の健康的な空気の中、
貴族のロドルフォ侯を除いては、
シンプルな人々が住んでいる。」

よし、分かった。となった次に、
シューベルトの研究で知られるアインシュタインが、
シューベルトが好きだったオペラを例に出していた事が、
さりげなく書かれている。

「アルフレッド・アインシュタインは、
同様にフランス文学を元にした、
ワイグル作曲、1809年の『スイスの家族』と、
この作品の主題上の類似について述べている。」

この部分は、私にとっては嬉しかった。
シューベルトがあと3年生きて、
イタリアに行っていれば、
このベッリーニにも感心したのではないか、
などという妄想が出来るからである。

が、すぐに、この話は終わってしまうのが、
残念至極である。

「しかし、このベッリーニとロマーニによるオペラは、
パイジェルロによる、
Nina,ossia La Pazza per Amoreなど、
19世紀初頭のセミ・シリアス・オペラの
重要なモデルを代表する他の作品にもっと近く、
部分的には、シリアス・オペラにも近い。
そこには共通の特徴があるばかりか、
(指輪や花が、両オペラでは、同様に、
愛の象徴として重要な役割を担う)
特に、二人の主要な女性が、
超自然的な変わり種になっている点に見られる。」

19世紀初頭と書きながら、パイジェルロ作品は、
1789年のものだとあるのがややこしい。

「1800年頃、あるいは、
この世紀の最初の何十年か、
夢遊病は頻繁に舞台上で見られた。
我々は、多くの作品を上げることが出来る。
1797年、ストックホルムでの、
ピッチーニによる1幕のコミックオペラ、
1800年、ヴェニスにおける、
ピアーによる1幕の喜劇、
1824年、ミラノにおける、
カラーファによるセミ・シリアス・オペラ、
さらにこのリブレットは、部分的改変を受け、
リッチ。ペルジャーニによっても作曲されている。
1822年、ベルリンにおける、
ブルム作曲のジングシュピール『夜のさすらい』など。
ロマン主義は、人間の心の不合理、
狂気、憂鬱、夢遊病などを幅広く取り上げた。」

このように書かれると、オペラというのは、
知らない作曲家もばかすか書ける代物なのだなあ、
と改めて感じ入ってしまった。
シューベルトは全身全霊をかけて、
この分野に取り組んだが、それも当然、
と思えると同時に、歴史に残るものは、
ほんのわずかしかないことに思いを馳せる。

「パイジェルロの『ニーナ』も、
ベッリーニの『夢遊病の女』も、
ハッピーエンドである。
田舎が舞台であることは、
少なくともイタリアにおいては、
ヴェリズモ出現までは、
自動的に、悲劇的色彩の出来事が防止された。
ジョヴァンニ・ヴェルガの小説、
『カヴァレリア・ルスティカーナ』まで、
イタリアにおいては、田園地方でも、
中産階級でも悲劇はなかったのである。
単純な民衆の世界でも、『夢遊病の女』や、
ロッシーニの『どろぼうカササギ』、
さらに、後のドニゼッティ作曲、
『シャモニーのリンダ』のような、
ややこしいことになる問題は現れたが、
これらが悲劇に到ることはなかった。
雰囲気が血なまぐさい情景を許さなかった。
物語を支配するコンセプトは、
アミーナやエルヴィーノが死ぬ可能性のない、
単純なものになった。
かすかなイロニーが、幽霊の物語や、
小作農のコーラス『Qui la selva』に見られる。
コミカルな天真爛漫さによって、
彼らは、アミーナを思って介入する時の
伯爵がせき立てられる時に反映されている。
『彼の心に触れる言葉は何だろう。
あなたのすばらしさ!大胆すぎる。
ああ、伯爵様、かわいそうなアミーナは、
今まで、村の名誉でして・・』
リブレットにおいて、
伯爵が旅館でリサに対してとる、
典雅なふるまいは、
18世紀の喜劇や、
セミ・シリアス・オペラを想起させる。
これは、我々が先に指摘した、
後年のジャンルとの類似性を確実にする。
18世紀イタリアの余韻の議論は、
フランチェスコ・デグラーダが、
下記のような詩、
『私は、彷徨うそよ風に憧れる、
あなたの髪、あなたのヴェールを弄ぶ。
太陽が、あなたの上からにらみつけようとも、
川の流れがあなたの姿を映そうとも』
が、18世紀の牧歌に我々を運び去るのを
最近、特筆している事実にも通じている。
デグラーダは、これらの詩句に、私たちは、
『当時の批評家にもたちまち見破られ、
記録された、時代遅れの理想郷の再訪、
メタスタージオの甘美さへの傾倒、
に連なるスタイルで表現された、
高遠で叙情的な情状酌量』
を見い出すと書いて、正鵠を射ている。」

何だか難しいが、とにかく、このベルカント期のオペラには、
18世紀の伝統が残っており、それは、
同様に、田園の理想郷を求めたものだと言うことか。
そこでは、何でもあり、ということなのだろう。

「『夢遊病の女』のスコアには、
高い質の音楽的着想が溢れかえっている。
この作品は、『ノルマ』や、『清教徒』と並んで、
ベッリーニ最高の作品の一つと、
まさしく評価されている。
ここには、彼の初期の作品、
『ザイーラ』や、『カプレーティとモンテッキ』
にはまだ見られた、何か、成功していない部分、
月並みと表現できる部分は皆無である。
スコアは、ドイツ・ロマン派が、
『Stimmung(ムード)』と呼んだもので火照っている。
ベッリーニのスタイルは、
ここでは、彼のデリケートで悲劇的で、
その言葉の最良の意味での通俗的なタッチで
展開されている。
このオペラでは、我々は、
『ノルマ』における、
『恐れることはない、裏切り者!』や、
『異国の女』における、
『Or sei pago』のように、
情熱のたぎりのようなものを探しても無駄である。
『夢遊病の女』のみを考えると、
ベッリーニを『優しく悲歌的』と評価することが出来よう。
しかし、これは、彼の全オペラを概観すれば、
間違った定義である。
優しく、デリケートな、通俗的なフィーリングが、
『夢遊病の女』を支配しているという事実は、
他のベッリーニ・オペラのどこにも見られない、
スタイルとムードに統一を与えている。
通俗性という見地でも、
『異国の女』の対応部分にリンクする序奏部など、
ベッリーニは新しい重要さを見いだしており、
ベッリーニはおそらく、ロッシーニの、
『ウィリアム・テル』(1929)の合唱を、
想起していたのだろう。
ドニゼッティも、特に、『愛の妙薬』(1832)で、
同様の経路を通った。
『カプレーティ』で、すでにベッリーニは、
『異国の女』の多くに見られた、
音節的、修辞的なスタイルから一歩進めていたが、
『夢遊病の女』では、明らかに長足の進歩を遂げた。
批評家たちはすぐにこれを捉えた。
Ecoのジャーナリストは、1831年3月9日に、
『巨匠は、少なくともこのオペラでは、
レチタティーボと歌の間にある、
いわゆる劇的と言われる音楽システムを放棄している』
と書いている。
この批評家は、たぶん、
ロッシーニの『装飾された歌』の反対を代表する、
『異国の女』における、
音節的なメロディのことを言っているのであろう。
『異国の女』のいくつかのメロディは、
実際は、一つのメリスマもない。
1831年、表現力に成熟を迎えたベッリーニは、
今一度、それらを総動員させた。
ベッリーニはもはや、
ロッシーニの代わりのさらなる限界の
地位を求める必要は感じなかった。
『夢遊病の女』の特徴は、しかし、
ロッシーニ風の『装飾された歌』への、
回帰のようなものであるはずがなかった。
ベッリーニは中道を歩くことが出来た。
アミーナのカヴァティーナのカバレッタや、
アミーナとエリヴィーノの第2デュエット
(アンダンテ・アッサイ・ソステヌート)でも、
パスタやルビーニなど、技巧と表現力を兼ね備えた、
二声のための、いくつもの拡張されたメリスマを書くことを、
ベッリーニがいかに楽しんでいたかを、感じることが出来る。
彼は、すでに『異国の女』の様式から遠く離れ、
そのスタイルは高度で、よりデリケートなものとなった。
ヴェルディは、ベッリーニを、特に、
素晴らしく幅広いメロディを書く作曲家として、
称賛していた。
1898年5月2日、彼はCamille Bellaigueに、
こう書いている。
『彼の最も知られていないオペラでも、
それまで誰も書いたことのないような、
長い長い長いメロディがあります。』
これらの『長いメロディ』の中にあって、
最も我々を捉えるのは、アミーナの、
『Ah! non credea mirarti(ああ、花よお前がこんなに早く)』
(彼女の最後のアリア、最初のセクション)である。
最初の休止は歌の11小節まで現れない。
(この変則的な11小節というのは、
第4節の繰り返しによって生じ、
1-3節の4小節の構造を放棄したことによる。)」

このように、ベッリーニのメロディの特徴に、
長いメロディだということが上げられていることは、
覚えておくことにしよう。

「ベッリーニは、ここでバー10/11まで、
ドミナントの主音の上に強調されたカデンツァを抑え、
和声の処理を伴いながら、
大きな流れを生み出している。
ベッリーニはメロディのリズム変化に鋭く注意を払い、
同じリズムで繰り返される小節はない。
11小節でメロディが終わる時、
我々は、そのメロディの幅広さを称賛せずに居られない。
しかし、オーボエがハ長調のメロディを奏すると、
エルヴィーノが歌う後半、そのコントラストは、
驚くべき効果をもたらす。
アミーナはそれから、ここでも、それから後でも、
イ短調に戻り、エルヴィーノはハ長調でこの主題に応える。
メロディのスパンはさらに長く引き延ばされる。
19小節から36小節まで、1小節から19小節ほど、
エキサイティングではないかもしれないが、
このハ長調が持続するメロディのスパンも
また素晴らしいものである。」

ということで、メロディが長く続く以外にも、
こまめに変化するリズムや調性の対比にも、
興味を持たなければならない。

「アミーナのアリアへのエルヴィーノの音楽的挿入は、
おそらく、この作曲家一人による発案であろう。
ロマーニは、エルヴィーノの言葉を、
アミーナの2連の後に置いており、
事実、ベッリーニは、これらの言葉を、
次のセクションの最初に置き、
レチタティーボのようにした。
アミーナのアリアの間中、
エルヴィーノを黙らせておくと、
彼が求めていた、真にふさわしい表現と、
相容れないことになった。
そして、ベッリーニは、彼に、
美しいフレーズ、『もう、僕は耐えられない』を、
アリアの中に入れて、彼女をメロディの頂点に高めた。
『ああ、花よお前がこんなに早く』は、
恋人たちの間の、書かれざる音楽的対話だとすれば、
エルヴィーノの第2幕のアリアで、
1830年頃、ベッリーニが獲得した
自由さの典型的処理である相対する音楽形式で、
真の対話に出会う。
最初の部分で、前奏曲のように、
ホルンが短調のメロディが演奏されると、
アミーナは、先に始めていたレチタティーボで、
テレサと会話を続けるが、
傍らにエルヴィーノが立つのを見る。」

上手い具合に、ちょうど、ここは、
CD2のトラック6で分けられている。
ピッチカートで始まり、弦が揺れ、
ホルンの悲しげなメロディが印象的なのですぐ分かるが。

「『見て、お母さん、彼は打ちひしがれて悲しそう。
たぶん、彼は、まだ私を愛している。』
エルヴィーノが彼のアリアの第1節を歌うと、
アミーナは落胆した恋人にこう言う。
『ここよ、私は、エルヴィーノ。』
エルヴィーノ『よくもぬけぬけと。』
アミーナ『ああ、落ち着いて。』
エルヴィーノ『どっか行け、偽物め。』
アミーナ『信じて私を、私は悪くないの。』
エルヴィーノ『俺の慰めを全部取っていったんだ。』
アミーナ『無実よ、誓うわ。』
エルヴィーノ『行け、恩知らずめ。』
そして、今、ロマーニのリブレットでは、
こんなには長くない、この興奮した対話の後、
エルヴィーノは、彼のアリアの第2節
『俺の痛みを考えて見ろ』を続ける。
このように、アリアの形式で、対話の場所を用意した。」

ここで、エルヴィーノは、
二つアリアを歌っているのではなく、
アリアを歌い始め、それをかき立てるような対話があって、
さらにアリアが高まって行くことを書いているのであろう。
なるほど。

「さらに、アリアの典型的なメロディパターンは、
最高の意味でのカンタービレで、
レチタティーボにも浸透している。
これはベッリーニだけが到達したものではなく、
ロッシーニがすでにいくつかの例を作っており、
『ナポリ楽派』の後期作品でも、
この技術は知られていた。
ベッリーニはしかし、アリオーソの部分の、
数や叙情性を増し、レチタティーボに織り込んだ。
一聴しただけでは、あるシーンなどは、
レチタティーボがカンタービレに満ちているために、
レチタティーボがどこで終わって、
アリアやデュエットがどこで始まったか分からない。」

こう書かれると、同時代人のシューベルトが書いたオペラなどは、
ここはレチタティーボ、ここはアリア、
と杓子定規に分かれていた印象しかなく、
ベッリーニに脱帽である。

「『夢遊病の女』では、
最初の幕で、エルヴィーノが現れる所で明らかであるが、
アミーナの恋人が、音楽的には、レチタティーボ、
『許してくれ、恋人よ、この遅刻を』と、
さらに4小節を同様のスタイルで歌う。」

このCDでは、この部分はCD1のトラック3なので、
すぐに確認できるが、解説にもそう書いてくれればいいのに。

「しかし、彼の歌はアリオーソに代わり、
それはアリアと見まがうほどのカンタービレに満ちている。
彼の歌は、幅広いカデンツァで閉じられる。
エルヴィーノのアリオーソで伴奏していたオーケストラは、
さらに彼のアリアでもしばしば使われる、
分散和音である。」

確かに、ゆらゆらゆらゆらと、悩ましい伴奏が付いている。

「概して、しかし、ベッリーニは、このオペラでは、
彼の他の作品、例えば、カプレッティやノルマ、清教徒より、
アリオーソを慎重に混ぜ込んでいる。」

ということで、この解説は、いろいろと示唆に富む。
ベッリーニのオペラでは、レチタティーボもアリオーソも、
カンタービレに満ちていて、精妙に仕上げられている模様。

「小さな、ほんの小さな、官能的な間合いが、
ベッリーニのスタイルの基本をなしていて、
彼のすべてのオペラで、こうしたタイプのメロディが聞き取れる。
例えば、1828年のオペラ、『ビアンカとフェルナンド』の、
第2幕のフィナーレのメロディ、『Deh! non ferir』や、
ノルマの祈り『清き女神』を思い出せば良い。」

思い出せ、と言われても、
「ノルマ」なら、まだしも、
「ビアンカとフェルナンド」までは分からない。
ノルマの『清き女神』は、前回のカラスのCD、
「カラス イン ポートレート」にも入っていた。
息も絶え絶えの感じが出ていて、切々たるものである。

カラスは、これを得意にしていたようで、
58年のパリのコンサートで歌う映像も残っている。

「『夢遊病の女』の中では、
特に、『ほら、この指輪』における、
小さな、非常に小さなインタヴァルによる進行は、
魅力的な甘美さを生み出している。」

これは、エルヴィーノがアミーナに指輪を渡す時の、
アリアで、このCDでは、Track4で聴ける。

訥々と、胸に迫る感じを出したもの。

ということで、ベッリーニの必殺技が、
この小休止作戦だということが分かった。

「『夢遊病の女』には、
メロディの思い切ったジェスチャーも見られ、
第2幕のエルヴィーノのカヴァレッタに一例が見られる。
最初から、六度の跳躍があり、
基音の三度上まで飛び、
これは多くのオペラに見られる、
メロディの特徴となっている。
しかし、激しいロマン的衝動を表現するには、
これでは足りず、この三度から主題は、
さらに基音の六度上まで跳躍する。」

なるほど、めちゃくちゃな音の跳躍が、
オペラ的メロディの特徴だったか。

この二幕のカヴァレッタとは、
二枚目のトラック7あたりのことであろうか。

また、以下の部分はこのCDでは二枚目の、
トラック2で聴ける。

「第1幕のフィナーレの
『D'un pensiero e d'un accento(私の想い、私の心)』の
アンサンブルのメロディもまた、
小さな優しいインターバルをおいて進む。
12/8拍子というリズムも、ソフトな効果を出している。
音響が緊張を高めるクライマックスは、
アミーナによって最初に歌われるメロディが、
他の人たちが歌う瞬間に続く。
このクライマックスの効果は、
ベッリーニの最も特徴的なものの一つだが、
私たちはそれほどの注意を払わずにいてしまう。
『ノルマ』(『清き女神』、しかし、さらには、
第2幕のフィナーレ)において、
『テンダのベアトリーチェ』において、
また、『清教徒』において、
ベッリーニはさらにこの音響効果を強調し、
実際、ヴァーグナー(トリスタンとイゾルデ!)
に大きな影響を与えた。」

このように、この解説は、うまい具合に、
ベッリーニが後世に与えた影響についても、
触れて行く。

しかし、ドイツ・ロマン派の極限のような、
「トリスタン」までが登場するとは思わなかった。

「幽霊の物語『暗い空に』(CD1のTrack6)において、
我々は言葉『I cani stessi』の量の増強された強調に気づく。
メロディの進展と共に、クレッシェンドを効かせるもまた、
ヴァーグナーに見られる手法である。」

この合唱は、幽霊が出ると歌うところだが、
軽いリズムで揺れるようで、
まったく内容と音楽が一致していないように聞こえるが。

この「I cani stessi」は、幽霊が来ると歌う合唱に、
ロドルフォその他が絡んだ後、
再び合唱になった時に現れる。
犬たちも皆、伏せてしまって吠えない、
などと歌われるところ。
何だか内容はしょぼいが、
音楽が増強されて行くところは、
確かに素晴らしい効果を発揮している。

「ベッリーニを語る時、
しばしばヴァーグナーの名前が登場するのは、偶然ではない。
ヴァーグナーはシチリアの作曲家から多くを学び、
これを公言していた。
それは若い頃のみならず、
リガで『ノルマ』を指揮した時も、
当時書かれたものの中で、それを称賛している。
後年も、彼はベッリーニへの信奉を温かく語っている。
ベッリーニのオペラを引用して、
ヴァーグナーは、1877年から78年、
ザイドルに書き送っている。
『その単純さ、真実の情熱、感情、
正しい解釈をするだけで、素晴らしい効果を発揮する。
私に関して言えば、これらのものから、
多くを学び、私のメロディ作りに貢献している。
これはブラームスの一派には、
これらの教えはなかった。
そして、年配のフロリモに対して、
1880年、ナポリで、彼はこう認めている。
『ベッリーニは、私の最も好きな作曲家の一人です。
彼の音楽は心そのもので、親密に言葉を結びつけます。』
『心そのもの』は、『夢遊病の女』にぴったりフィットする。」

得られた事:「ベッリーニの必殺業、長大なメロディ、カンタービレに満ちたレチタティーボ、小休止の連発、跳躍による感情の増幅。」
[PR]
by franz310 | 2010-12-11 15:53 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その254

b0083728_1724100.jpg個人的経験:
前回は、マリア・カラスが、
何と、若き日のバーンスタインと、
共演した記録として、
ベッリーニの「夢遊病の女」が、
CD化されていることを書いたが、
これは、録音は悪いが、
CDとしては、至れりつくせり、
という感じで好印象を持った。
残念ながら、第一幕を聴いた所で、
力尽きてしまった。


カラスのCDは、大量に流通して、
入手性が良いのはありがたいが、
音質が良好でないのが困った点だ。
また、デザインも、本来なら、
カラー写真であるべきが、
時代ゆえに白黒で古びて見える、
というのが残念至極である。

が、今回、ここに掲載したものは、
白黒ならではの格調の高さゆえに、
目を惹くものになっている。

しかし、どんな機会に撮影したものであろうか。
最初、私は、これはカラスのイメージで作った、
合成写真かとも思ったが、
東芝EMIのホームページに、
カラス写真集のような形で掲載されているので、
おそらく、本当に、こんなポーズで撮ったのであろう。

しかし、このCD、そうした来歴が、
何も書かれていないというのは、
いったいどうした事であろうか。

このCD、カラスが映画になって話題になった時に、
急場しのぎで、各種音源からかき集めた感じのもので、
あまり、そうした厳密性を、
云々するものではないのかもしれない。

とにかく、回りを赤く縁取りして、
「CALLAS IN PORTRAIT」
とこれまた華やかな赤で書き込んだあたり、
とても、洒落た感じである。
が、こんなデザインをした人の名前もない。

一方、このCDは、なかなか面白い趣向の解説がついている。
オペラ研究家が、「序文」で、カラスの生涯を説明、
各曲の解説に続くが、そこでも、
カラスとその曲との関係が書かれているのである。

私は、カラスはギリシア人だと思っていたが、
移民の子で、ニューヨーク生まれだとある。
1923年の12月2日。
ちょうど、私は、この文章を、
カラスの誕生日を挟んで書いている感じである。

13歳で、母親は血縁を頼ってギリシアに戻り、
カラスもそれに従ったが、戦後、父を頼って、
単身渡米したとあるから、
これは、22歳くらいの時であろうか。
カラスは多感な10年ほど、ヨーロッパ人だったようだ。

その後、アメリカのオーディションで認められ、
イタリアの音楽祭に出演して、
恩師セラフィンと出会う、とある。
「劇的な痩身にも成功」とあるのがすごい。

このCDの表紙写真のような、
格好良い写真が撮れたのは、
努力のたまものであった、
と言って良いのだろう。

が、彼女は40過ぎで、オペラの舞台から遠ざかった、
と書かれている。
彼女の最盛期は、1960年くらいには去っていたようで、
そのため、良好なステレオ録音で、
名盤とされるレコードが残らなかったのが、
何とも運命的である。

つまり、彼女のCDが、どれも何だか音が悪い感じなのは、
彼女の活躍した時代が、やたら短かったという事でもある。

このように、最初に簡潔に生涯を概観して、
各曲の解説を読みつつ、このCDを聴くべし、
という趣向になっている。

従って、このCDを聞き終えると、
カラスの即席おたくになれるわけだ。

例えば、最初にビゼーの「カルメン」より、
「ハバネラ」が入っているが、
それは、カラスが子供の頃住んでいた、
地区の催しで、10歳の時に、これを歌ったからだとある。

上手い具合に、プレートルとの64年のステレオ録音があり、
これが最初に来るので、買った人は、
とりあえず、録音が悪くて、
いきなり、返品したくなるという最悪の事態から逃れられる。

録音が古い方が、彼女の声に衰えがなくて良い、
とよく言われるが、やはり、合唱もオーケストラも含め、
これだけ鮮度があるとありがたい。

二曲目は、プッチーニの「蝶々夫人」から、
「ある晴れた日に」が選ばれているが、
これは、母親が、彼女をオーディションに連れて行った時、
歌わせた曲だから、という感じである。
これが11歳の時。

録音は、55年のカラヤン指揮のもの。
が、カラヤンの精妙な指揮によるオーケストラ共々、
カラスの弱音の美しさが冴えて、申し分ない。

次にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の
「あなたもご存じです、お母さん」が出て来るのは、
ギリシアの国立音楽院の
学生公演で歌った曲だからということだ。

これは53年の録音ということで、
今回収められたものの中では、
かなり古い方である。
激情で声を張り上げる所が多く、かなり厳しいが、
何とか乗り切った感じか。
が、ここで、なんじゃこりゃ、と考える聞き手も多そうだ。
セラフィン指揮のもの。

さらに、ベッリーニが来る。
「ノルマ」より「清らかな女神よ」である。
メトロポリタンのオーディションで披露したものだという。

さすがに、60年の録音なので、
非常に聞きやすい。セラフィン指揮。
ベッリーニらしい、美しいメロディが堪能できる。

次のポンキエルリの「ジョコンダ」から「自殺!」は、
この題名どおり、強烈なインパクトで始まるが、
59年の録音(ヴォットー指揮)で良かった。
いちおう、ステレオ録音で、奥行きがある。

この曲は、仕事がなかったカラスに、
うまく舞い込んだ新しい契約の時に歌ったものだという。

次に、「トリスタンとイゾルデ」の最終場面「愛の死」が来るが、
カラスとは少し、イメージの異なる曲である。
57年のライブとあり、音質に不満はないし、
このうねるような甘美な音楽に、
彼女の声が良くマッチしていて、私はかなり満足した。
これもヴォットー指揮だという。
アテネ祝祭管弦楽団というのがすごい。

これから、私たちは、カラスが、
伝説的存在のソプラノである、
「ソプラノ・ドラマーティコ・ダジリタ」であることを、
味わうべきだというが、
確かに、ちゃらちゃらしたソプラノでは、
こんなに劇的な声は出そうにない。

次は、「トゥーランドット」から「この宮殿の中で」。
セラフィン指揮の57年録音。
これは南米公演で成功した役柄だったとのこと。
録音は、ちょっと苦しい。
同じ年のライブより苦しいのは何故だ。

間奏曲が甘味で聴かせるが、古い映画を見てるような感じ。
フェルナンディがテノールで入って来るところなど、
いかにもそんな感じである。

ここからが後半だが、ロッシーニの
「イタリアのトルコ人」から、
「たった一人のお方だけを愛するなんて」。

ここから、カラスの「幸福感」を聞き取れとある。
実際、彼女は夫ある身ながら、オナシスと恋に落ちている。
ガヴァッツェーニ指揮、54年の古い録音だが、
これは、曲が軽いせいか、あまり録音が気にならない。

確かに楽しい曲で、一服できる感じ。
このCD、かなり選曲が良い。

この後で、ベッリーニ「夢遊病の女」の1曲があり、
さらに、ヴェルディの「花から花へ」。
58年の録音でありながら、序奏からして、
録音の劣化が気になる。
ライブとあるからか。
ギオーネ指揮、サン・カルロス歌劇場って何だ。

入って来るアルフレート・クラウスのテノールは美しいし、
後半のカラスの超絶技巧もものすごい。

解説には、若いクラウスにあおられて、
不朽の名唱となった、とあるが、確かにそう聞こえる。
解説に、珍しく、ポルトガルに行った時の記録とあった。

これが、カラスらしい感じ。
つまり、絶唱を聴かせる時には、
何故か録音が良くない。

続くのは、また、ヴェルディで、「リゴレット」より、
「慕わしきみ名」で、55年、セラフィンの指揮。
叙情的なものだからか、これは録音の古さが気にならない。
このような可憐な歌も歌えるところが良い。

カラスは父親が好きだったのに、
死に目に会えなかった逸話が解説で紹介されている。

最後から3番目のものは、トマの「ミニヨン」より、
「私はティターニア」で、61年のステレオ録音。
ここでのカラスは、録音ではなく、声自体が厳しい。
解説には、丁寧に歌っているとあるが、
私には、かなり慎重になっていると聞こえる。
これは、カラスの愛唱していたものだとある。
指揮はプレートル。

次にさらに新しい64年のヴェルディが来る。
レッシーニョ指揮でパリのオーケストラ。
「シチリア島」から、「ああ、心に語れ」。

カラスは、晩年にこの曲の演出もやったとある。
録音が新しいのはいいなあ、という感じ。
カラスの声に、陰影のようなものまで感じられ、
まったく、声の衰えは気にならない。
こうした声なら、シューベルトの歌曲でも歌って欲しかった。

円熟してからの歌だからなのか、
単に録音技術が、うまく、それを捕らえたのか、
どちらかは分からない。

このCD最後は、やはり、「トスカ」。
「歌に生き、愛に生き」と来るだろう。
名匠、デ・サバータの指揮による名盤。
1953年の録音と古いが、
ハープの音もみずみずしく、カラスの声も美しい。

カラスは最後にオペラで歌ったのが、
この役柄だったという。

それにしても、彼女の録音は、
古い方が、声が良くて録音が悪い、
という感じでもなく、
新しいものでも録音が悪かったり、
ちぐはぐな印象が強い。

また、最初に書いたように、
CDなりLPなりも、デザインが、
どれもこれも、カラス本人を前面に押し出したものが多く、
それで印象が決まってしまう傾向にあるのも偏見を生じやすい。

確かに、古代風の衣装から和服まで、
様々な装束の彼女が写真やイラストに収まっているが、
個性的な容姿がそんなものを吹き飛ばし、
一見すると、作品さえ、何が何だか分からないようなものが、
大量に出来てしまった感じである。
白黒写真の時代なので、これまた、そうした傾向が強くなる。

また、この人の存在感が強すぎて、
他の人はみな脇役、みたいな感じになるのも困る。

そもそも、ベルカント・オペラを得意とした時点で、
そうした宿命を背負っていたとも言えるが。

さて、今回のCDでも、9曲目に、
ベッリーニの「夢遊病の女」から、
「お仲間の方々・・気もはればれと」が収録されている。

これは、このオペラの前半で、主人公のアミーナが、
婚約の喜びを歌うもので、大変美しいものだ。
この抜粋盤CDでは最も長い7分48秒かけて歌われる。
セラフィンの指揮によるもので、
ここでの録音は、57年。

カラスが、55年に、バーンスタインの指揮で、
「夢遊病の女」をライブ録音していることは前回書いた。
録音自体は、はるかに、このセラフィンの方が聞きやすい。
最後の絶叫のところも、金切り声に聞こえない。
が、何だか分からない推進力と熱気では、
やはりバーンスタインであろう。

まだ、そのカラス・バーンスタイン盤の
後半を聴いていなかったので、
今回は、それを聴いて締めくくろう。

この後半を聴くと、むしろ、後半の方が、
このオペラ「夢遊病の女」の特色があることが分かる。

第2幕:
第1場:
城の近くの森
CD2のTrack3.
「村人の一群が、伯爵が、アミーナが、
無実であるかどうかを知っていると考えて、
城に向かっている。」

じゃーんというオーケストラが、
威勢良く、シーンが変わった事を告げる。
木管が、まるで、ベートーヴェンや、
シューベルトが書きそうな、
何となくヴィーンの情緒を感じさせる、
親密なメロディを奏でる。

続く合唱も、まさしくそんな感じである。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽想に似ている。

Track4.
ここでも、オーケストラが効果的で、
木管の愛らしい響きが印象的である。
何となく、ブラームスの
ヴァイオリン協奏曲みたいなメロディが親しみやすい。

「彼らがいなくなると、
伯爵に嘆願するための道を行く、
アミーナとテレサの現れる。
テレサは娘のテレサを慰める。
彼女にはエルヴィーノが近づいて来るのが見え、
まだ、アミーナを愛していると確信できた。」

アミーナとテレサの会話が
主体となる部分になると、
オーケストラは、じゃんじゃん、
ぼんぼん系になる。

Track5.
この後には、当然、美しいアリアがあるべきであるが、
慎重な序奏がおかれている。
管楽器の色彩感も美しい。

私は、最初、嘆きのアリアでも始まるかと思ったが、
何と、エルヴィーノが高らかな声を上げる。
じゃんじゃかじゃかと、リズムも勇ましい。

「しかし、それは、間違った希望であったことが分かる。
彼女は無実を訴えるのに、厳しくその不実をなじる。」

Track6.
「伯爵のところから、村人たちが、
彼女は無実だという一報を持ち帰ったのに、
エルヴィーノの怒りは鎮められない。
彼は、彼女の指から指輪を外してしまう。」

からかうような音楽に、
説得するような合唱と、
エルヴィーノの声のミックスが面白い。

Track7.
ここでも、なかなか聴かせるメロディが現れる。
ヴェルディの乾杯の歌みたいだ。
この恰幅の良い歌と、
軽妙なオーケストラのリズムが激しく錯綜して、
第1場が締めくくられる。
拍手はあるが、特にブラヴォーは出なかったようだ。

「彼は、その深い嘆きの中からも、
なおも彼女を嫌うことが出来ない。
彼が去ると、テレサと村人は、
伯爵にアミーナの名誉を戻してもらいに行く。」

ということで、後半の第2幕最初の情景は、
村から離れた森の中での痴話げんかという内容である。

あってもなくても良さそうな

ここで、指輪を取られてしまったアミーナが、
最後の最後で、泣けるシーンを用意しているので、
その前振りとして、重要な事件である。

第2場:
水車屋近くの村の広場:

ここから、またまた、村に舞台を移し、
アミーナに失望したエルヴィーノは、
リーザといちゃついている。

Track8.
「リーザは、エルヴィーノの愛を
取り戻すチャンスとして結婚を決めてしまう。
アレッシオはがっかりする。」

別に何のことはない、
レチタティーボの掛け合い。

Track9.
当然のように、興奮しておきゃんな声が跳躍する
これ見よがしな装飾を交えながら、
「あなたのお望み、うれしいわ」と歌っている。

合唱のサポートも得て、ものすごい興奮である。
聴衆も拍手で応えている。

「リーザは村人に、結婚に賛成してくれた事を感謝する」
と、解説にある部分で、2分に満たない。

Track10.
「エルヴィーノとリーザが教会に向かう所を、
ロドルフォによって呼び止められる。
伯爵は、アミーナは無実であると誓う。」

軽妙に足取りも軽い序奏である。
リーザの声は高ぶって、エルヴィーノと絡んでいる。
「信じていいの、エルヴィーノ、
あなたが最後に選んだ私は、
あなたにふさわしいかしら。」
「もちろんだよ、リーザ。」
という感じである。

やがて、ロドルフォのバスが冴え渡って聞こえ、
実に頼もしい感じである。
「待て、エルヴィーノ」。

エルヴィーノは、「教会に行くのだ」と、
叫んでいる。

Track11.
ここでの管弦楽は、さらに楽しげな音楽になって、
まるで、オペレッタのようになっている。

エルヴィーノとロドルフォの、
見事な二重唱に合唱がからんで、
次第に音楽の密度が高まって来る。

「しかし、エルヴィーノは、
彼が自身の目で見たことを否定できない。
伯爵は、ある種の人々は、
眠っているのに、
目覚めているように見えるのだ、
と説明する。」

まるで、腕利きデカが、真相解明するシーンのようだ。

しかし、だいたいの場合、テレビ番組でも、
その後、悪あがきがあるものだ。

合唱までも、「誰が、そんな事を信用するものですか」
と言っているのが面白い。

「エルヴィーノは、まだ信用せず、
なおも教会に向かおうとする。
テレサが出て来て、水車屋で、
アミーナが寝ているから、
みんなに静かにして欲しいと言う。」

さっきまで、騒いでいた合唱が、
今度は、「はい、静かにします」などと言ってるのも、
優柔不断な民衆を表して微笑ましい。

「テレサは、エルヴィーノが、
夜、紳士の部屋に行ったことなどないと言って、
自分の行動を正当化しようとする
リーザと結婚しようとしていることを聴いて怒る。
この証言は、ベッドでスカーフを見つけ、
それがリーザのものであって、
自分の娘のではないと知っているテレサにとって、
十分だった。
彼女の狼狽から、彼女に罪があることが分かり、
エルヴィーノは、さっとその手を放す。」

合唱も、しだいに声を落として
音楽は、緊張感を高める。

Track12.
非常に、効果的に準備された静寂の中から、
格好良く、エルヴィーノの声が舞い上がる。

「彼は、誰を信じていいのか分からなくなる。
見破られたリーザは、彼女のライバルがどのように、
テレサが全く同情を示さない
彼女の苦境を待ち望むかを思い描く。」

木管が補助するメロディも美しく、
テレサの声が重なって来る部分も効果的だ。

様々な声が交錯し、
各人のもんもんとした感じがよく出た音楽である。

Track13.
「しかし、エルヴィーノは、なおも混乱し、
アミーナが無実であることを重ねて主張する、
ロドルフォの言うことを信じることに対し抵抗を示す。」

このあたりはレチタティーヴォで、
エルヴィーノとロドルフォが言い合いをしている。

すると、オーケストラは、
神秘的な音をみなぎらせて、
このオペラの核心的な部分を用意する。

「エルヴィーノは証拠が欲しいと言う。
これは、アミーナが水車屋の窓から、
出てくるのが見えて、すぐに理解される。
眠ったままで、彼女は、
水車屋の水車を越えて、
その下に水が流れ落ちている、
がたつく橋の上を歩くのだった。
ロドルフォは、もし、彼女が目覚めたら、
落ちてしまうかもしれないと、
みんなに静かにするよう警告する。
彼女が、橋を渡ると、皆は安心する。」

合唱も独唱も次第に静かになって、
アミーナがふらふらと歩く様子が、
優しいメロディで、管弦楽だけで奏される。
非常に印象的なシーンであろう。

Track14.
ここで、アミーナのかわいらしい声が聞こえる。
カラスの声とは思わない、可憐な感じで、
「ああ、もう一度、彼と会いたい、
ただの一度でもいいから」と、
歌っている内容も、とても、
誇り高きディーヴァという感じではないのが良い。

「アミーナの言葉は、エルヴィーノのことを
案ずるものであった。」

簡素な伴奏ながら、木管が、
精妙な響きで彩っている。
合唱が、「ああ、愛の言葉だ」と言うと、
寂しげな、胸に染みるメロディが始まって、
以下のような泣かせる演技をしながら歌を歌う。

「彼女は、彼について跪いて祈り、
彼からもらった指輪を探すかのように、
自分の手を眺めた。
それが見つけられなくて、
彼女は、花束を取り上げる。」

Track15.
引き続き、美しいメロディのアリアである。
このあたり、ベッリーニの筆は冴え渡っていて、
聴衆は、一心に聞き入るしかない。

「彼女は、ほんの一日前に、
恋人がくれた花々が、すでに萎れ、
枯れていることが信じられない。」

歌に続く木管の後奏も憂いを秘めて、非常に美しい。
エルヴィーノが、アミーナに唱和していくあたりも、
切なさで、胸が締め付けられる。
まさしく、全曲の白眉となる名場面であろう。
ヴィオラだろうか、弦楽の独奏が補助するのも、
妙に泣かせる隠し味である。

「私がいくら涙を流そうとも、
あなたの愛を戻すことは出来ないのだわ」
という言葉に、聴衆は温かい拍手を送っている。

Track16.
「エルヴィーノはもはや耐えきれなくなって、
彼女の指に指輪を返し、
テレサが、彼女を抱いている前に跪く。
村人たちが歓声を上げると、
アミーナは目覚める。」

合唱の騒ぎ方が尋常でない。
「長生きしな、アミーナ」。
また、目覚めたアミーナの、
「どこにいるの私は」と叫ぶところも、
声が一転して面白い。

Track17.
「エルヴィーノは、彼女を教会に連れて行き、
アミーナは幸福を表現し、村人はさらに祝福する」
と解説は結んでいるが、
ここでの主役はアミーナの絶叫である。

「この喜びは、誰も分からないでしょう」と、
乾杯の歌のような、
勇ましくも分かりやすいメロディに乗って、
様々な装飾を繰り広げる。

合唱も、馬鹿騒ぎを繰り広げていて、
その中から、カラスの強烈な声が、
飛び出して来る。

これはこれで圧倒的なのだろうが、
ちょっと、やりすぎじゃないの、
という感じがしないでもない。

さっきまでの可愛い夢遊病状態の方が良い。
こっちが正体だとしたら、
エルヴィーノは二の足を踏んだのではないか。

バーンスタインの指揮も興奮しまくりである。
聴衆もまた絶叫の渦にいる。

得られた事:「マリア・カラスは活動期間の短さと、録音技術進歩の関係で不運な歌手だと思っていたが、CDのデザインや録音水準のちぐはぐさなども不運に輪をかけている。」
「伝説的存在のソプラノ、『ソプラノ・ドラマーティコ・ダジリタ』??」
「夢遊病の女の第二幕、ちょっとヴィーン風?」
[PR]
by franz310 | 2010-12-05 01:01 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その253

b0083728_22422969.jpg個人的経験:
ロシア音楽の父、グリンカは、
若き日、イタリア遊学時に、
イタリアオペラの新時代の、
誕生に立ち会うことになった。
彼は、すぐに、初演されたばかりの、
これら作品を室内楽に編曲したが、
その中の一曲は、
ドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」
今ひとつは、
ベッリーニの「夢遊病の女」であった。


「アンナ」は1830年の作品、
「夢遊病」は1831年の作品であり、
グリンカは例の室内楽を、1832年に書いている。
生々しい報告書という感じであろうか。

今回は、この「夢遊病の女」を聴いて見たい。
前回も、マリア・カラスの演奏で聴いたが、
そのCD解説によると、「アンナ・ボレーナ」は、
まさしく、カラスが復活した演目のような書きぶりであった。

今回のCDにも、John Steaneという人が、
「カラスと夢遊病の女」と題した文章を寄せているが、
特に、「夢遊病の女」については、
カラスが復活させたというわけではなさそうだ。

むしろ、この解説は、ヴィスコンティ、バーンスタインとの、
在りし日の恐るべきコラボレーションについての話に尽きる感じ。

私も、最初、このCDを見つけた時は、我が目を疑った。
ベルカント・オペラとバーンスタイン?
しかも、1955年の録音。
バーンスタインが、
ニューヨーク・フィルの音楽監督になるのも、
「ウェストサイド・ストーリー」で
大ヒットを飛ばすのも、
この後の話なので、まさか、こんな録音があるとは、
夢にも見なかった。

しかも、このCD、裏面に、
「オリジナル録音の不完全さによって、
このライブ公演の音質は、
予想されるレベルにない」などと書いてあるではないか。

何だか、非正規のヤバい演奏ではないか、
というのが第一印象であった。
ここから、本当にバーンスタインの、
カラスの音楽が聞き取れるのであろうか。

しかし、art技術でリマスタリングされており、
さらに、表紙写真のカラスが魅惑的であることゆえ、
CD屋で逡巡した末に、私は、ようやく購入を決意したのである。

バーンスタインは、晩年にヨーロッパに行ってから、
大成した人という印象もあり、
こんなドサ回り的な録音に、
何か意味があるのだろうか、
という印象はぬぐえないまま。

が、実際のところは、この録音より前に、
カラスと共演してオペラを振っているらしい。
このことは、この解説にも書かれている。
もっと言えば、この解説によれば、
この演奏のかなりの部分は、
バーンスタインの魅力、
それも若き日の、というより、
我々が良く知っているもの、
によるものだ、
という感じで書かれているのが驚きであった。

それは、躍動し、振幅が激しく、
ホットで知的なものらしい。

では、解説を読んで見よう。

「スカラ座の『夢遊病の女』は、何かしら、
聴くと同様、見るものであった。
事実、それは、不思議なことに、
近年のコンセプト・プロダクションに、
あらゆる点で似ていた。
事実、セッティングは、一応、スイスの村であったが、
いかにも様式化された絵本の嘘くささがそこにあった。
最も、ショッキングなのは、
田舎娘のアミーナを演じるカラスが、
バレリーナのような、腰のくびれた白衣に身を包み、
宝石で輝き、髪に花輪を巻いていた。
時に、ステージ上の絵は、完全に静止しており、
単にオペラを聴きに来た人が、
自分が目覚めているのか眠っているのか、
分からないような感覚になる、
ダブル・ビジョン効果を狙っていた。
物語そのものは、おそらくばかげていて、
スコアはしばしばシンプルで、陳腐に見える。
これらが一緒に動き出すと、表面的なものが、
明らかに皮相な印象を与える。
面倒な比較をせずとも、
『冬物語』を想起すればよい。
日常の現実味は白日夢に道を譲り、
嫉妬も無邪気に道を譲る。
あるいは、これが、作品に何か、
特別なアイデンティティを与えたとも言える。
このオペラの最後で、カラスは、
『人の心はこれを受け入れられません』と歌うが、
客席照明が点ると、夢遊病の人たちは目覚め、
悩ましい気持ちは晴れ、絵本は消滅し、
普通の生活に戻り、精神は高揚する。」

さぞかし、斬新な舞台だったものと思われる。
書き割り風の背景を持った舞台の写真は、
このCDにも付いていて、
こうした多くの写真が出ている点が、
このCDを魅力的なものとしている。

若き日のバーンスタインの
不敵な面構えの写真もまた、
印象的であることを付け加えておきたい。

このCD、二枚しかないくせに、やたら分厚いが、
それは、そうした資料が収められているから、
と考えると得心がいく。

「この公演は、疑いなく、
全メンバーによる大きな協業の努力であるが、
特に3人の天才によるものであった。
ルッキーノ・ヴィスコンティは、
1954年に、カラスと共同で、スカラ座にて、
スポンティーニ作『ヴェスタの巫女』の、
有名な蘇演を行ったプロデューサーで、
彼の直感とヴィジョンは、当時の、
オペラ界において、カラスを生命力の一部とした。
1953年、カラスは、
若いバーンスタインの指揮で、『メデア』を歌っていた。
バーンスタインはオペラ指揮者とは考えられておらず、
ヴィスコンティは映画監督、
カラスは重いドラマティックパートを歌っていたので、
通常、考えつかないことであったのだが、
これは『夢遊病の女』のために組織されたチームであった。」

こんな心憎いチーム構成を考えついたのは、
誰だったのだろうか。
が、これだけ個性の強い連中を集めて、
さあ、やって下さい、と言っても、
うまく行くものでもあるまい。
その危惧についても書いてくれていて助かる。

「彼等が常にうまく行ったわけではない。
バーンスタインは女性として、
カラスが特別好きではなかったし、
カラスは二人の男性を嫌っていた。
しかし、彼等は熱中するタイプで、
疲れることない仕事人であった。
さらにヴィスコンティの細部への厳格なこだわりは、
特に、カラスに熱心な反応を起こさせた。
長く、休みなく、集中したリハーサルが続いたが、
彼女は幸福であった。
どれぐらいかけて、三人が、何らかの
練り上げたコンセプトに到ったかは分からないが、
視覚効果はないとは言え、
我々は、この録音で、
特別で啓示的な『夢遊病の女』に出会う。
聴くとまず分かるのは、バーンスタインの貢献である。」

と言う具合に、
このカラスの容姿を前面に押し出したデザインの、
なかなか洒落たCDは、
実は、最初に、
バーンスタインを聴くべきものだと断定されている。

「例えば、前奏曲や開始部の合唱など、
彼は、離れた中立の立場で、
慎重にエネルギーを与えたのではなく、
時としておもしろ半分に、絵画的、ディズニー風に、
平板なスコアに手を入れた。
彼はスカラ座の合唱を暴走させるが、
彼等はそれに応じられないような音を出している。
(これは初日の記録)」

バーンスタインを称賛するべく、
ベッリーニの音楽がダメダメで、
バーンスタインが面白くした、
といった書き方は、私はどうかと思う。

それはともかく、
このように、異彩を放つ三人が、
不思議なコラボレーションをした、
というだけで、妙に心が高鳴って、
最初の珍盤の印象は霧散して、
良いものを手に入れた、という感情がわき起こって来た。
録音も、別に聞きにくくはなく、
後年の「アンナ・ボレーナ」の方が、
はるかにヤバい音質であった。

「しかし、これは、名目上の現実である、
オペラの外見上の事にすぎない。
内部の世界に足を踏み込むと、
アミーナの『何と穏やかな日』では、
バーンスタインの指揮が、
さっきの高速のイカサマ的なおもしろさの反対を行く。
彼は自らとオーケストラを、
歌手に委ね、そして、音楽に身を委ねた作曲家に委ねる。
テンポはリラックスし、ドラマの公式や、
音楽すらも後退し、内的な真実のオペラ、
『夢遊病の女』がここから始まる。」

もう、これ以上ない賛辞である。
バーンスタインは、1918年生まれであるから、
この時、37歳。
彼の後年の活躍を表すキーワードがすべて羅列された感じ。

さて、対するカラスも、下記のように扱われ、
まさしく横綱同士の取り組みを思わせる。

「この不明瞭な現実の中を、
カラスは、声一つで、見る見る統一していく。
リーザを歌う、ユージナ・ラッティの明解な声とは、
違うことがすぐ分かる声で、
彼女は、若さと無邪気さに、
温かさと不幸の予感を加えて音にしていく。
第1幕の独唱、アリアもカバレッタも、
共に、幸福感は夢のような感覚を伴う。
デュエットでは、彼女の叙情的な発話の繊細さが抑制され、
コロラトゥーラは、言葉にできない解放感のように、
表現力豊かになっていく。
寝ながらのうわ言は、また、
異次元の要素のように美しく歌われ、
この状態で、『あなたを見たとは知らなかった』が歌われる。
完全に
声の温かさや反響を補って、
眠りの世界から歌っているにもかかわらず、
彼女はなおも心優しい。
バーンスタインは、
彼女と、全編を通じて光彩を放つ、
チェーザレ・ヴァレッティのエルヴィーノが、
力ない憧れの悲しみのフレーズを
崇高に歌うのを助けている。」

ということで、エルヴィーノを歌う、
ヴァレッティも聴きものだということだ。

「そして、目覚め、和解する時、
カラスが、すべてを解き放った声を発するのを、
私たちは初めて聴く。
この点で、彼女の『蝶々夫人』の
最後の独唱と同様の力であるが、
もちろん、ここでは歓喜の歌であり、
バーンスタインによって、
カラス用に作られた装飾によって、
真実のオペラと、
それをもたらしたディーヴァを経験し、
聴衆が喝采して立ち上がるほどの、
音符の滝や泉に向かって進む。」

とにかく、どえらい経験を記録したのが、
このCDである、という自信が、
溢れかえった解説なのはありがたい。

音質が悪いのも、バーンスタインが、
初日から羽目を外しているのも関係ない。
そんな事を気にするやつは聴かんで良い、
という類の録音だということである。

「録音は悪いが、出来る限り修復して発売した。
マリア・カラスのキャリアにとって、
重要なドキュメントだから」と書かれているのも、
なるほどと思わなければならない。

さて、「夢遊病の女」が、どのような物語かを知らないと、
上記、解説もさっぱり分からない。

この後、倍の分量で、「ベッリーニと『夢遊病の女』」
という解説が続くが、簡潔にはしょる。

「ノルマ」のような危険な情熱をはらまず、
「清教徒」のような魂の衝動やヒロイズムもなく、
ベッリーニの美しく、ダンディな肖像画に、
実にぴったりな作品が、
このオペラである、と書かれている。

「優美で、詩的、計り知れぬ優しさが、
そこここに見られ、これらが田園的なファンタジーに誘う」
とあるように、
不気味な題名とは裏腹に、このオペラは、
田園情緒に溢れた作品なのである。

「妖精の出てこない妖精物語、秩序と明るさの、
スイスの田園詩」とも評されている。

ヒロインが夜中に徘徊することから、
様々な誤解を引き起こす、
迷惑な「夢遊病の女」の話である。

シノプシス:
第一幕:
第1場:
村:
Track1.「村人は、孤児だったが、水車屋の女将、
テレサに育てられたアミーナが、
成功した若い農夫、エルヴィーノとの婚約を祝福している。
このお祝いの中、ただ一人楽しくないのは、
かつてエルヴィーノと婚約していたこともある、
村の宿屋のオーナー、リーザである。
彼女は、他の村人、アレッシオに近づかれ、
さらにいらだっている。」

このあたり、合唱を交えての進行、
リーザの可憐な声も美しく、
いかにも、楽しいオペラの始まり始まりという感じ。

Track2.「村人は、アミーナを讃え、
このような婚約者を持ったエルヴィーノの将来を語る。
アレッシオは、リーザに、
自分たちもハッピーになろうと言う。」

Track3.「アミーナが入って来て、
育ての母や村人に感謝する。」

Track4.「彼女は、回りの自然の美しさに、
この幸せが反映されていると歌う。」

ここからが、最初のカラスの聴かせどころであろう。

Track5.
非常に美しいメロディが現れる。
「私の心臓の上に手をおいて」として、
この作品の代表的なアリアとして知られる部分。
装飾も入れながら、合唱も入って、
とても、効果的な部分である。
最後は絶叫のような声になるが、
実際、観客の興奮はいきなり高潮に達する。

解説には、「彼女はテレサを抱きしめ、
育ての母の手を、心臓の上に置く」
とあるが、
母親に心臓の鼓動を感じさせようとしているのである。

しかし、別にまだ何も起こっていないのに、
ここまで熱くなる音楽って何?という感じもする。
これは誠実、不誠実、義務、責任、
渾然一体となって悩ましい。

Track6.
いよいよ、いろんな登場人物が出てくるが、
この部分も、甘美なメロディが見え隠れする。
こうしたもったいぶった感じも重要である。

「アミーナは、お祝いの準備を
手伝ってくれたアレッシオに感謝し、
リーザと早く結婚すればいいのにと言う。
これを聴いてリーザはぞっとする。
公証人とエルヴィーノが現れる。」

Track7.
「エルヴィーノは遅刻を詫びる。
彼は母親の墓を訪れ、
祝福してもらいたかったのである。
婚約の契約はサインされ、立ち会いも終わった。」

Track8.
「エルヴィーノは指輪をアミーナの指にはめる。」
ここは、エルヴィーノ役のヴァレッティが、
美声を聴かせる部分であるが、
最後の方に、所々、アミーナとの掛け合いがあって、
非常にしみじみした感情をかき立てて行く。
「恋人よ、これまで、
今日以上に、神が私たちの心を、
結びつけたことはありません。
私の心はあなたの中に留まり、
あなたのは、私から離れることはない。」

非常に敬虔な感じのものである。

Track9.
「二人は二人の愛と幸福を歌う」
とあるが、この部分、まだまだ、
恋人の恍惚状態は続くが、
軽妙な楽想になって、
エルヴィーノの高らかな声が印象に残る。

このあたりまでが、まず、一回めの、
音楽盛り上げ部分であろう。

Track10.
「彼は、明日、結婚式を行うとアナウンスする。
祝典は、ムチの音と馬たちの音で、中断される。」
何だか、状況が変わる予感に満ちて、
オーケストラが落ち着きない。

Track11.
「それは、村人が知らない、
しかし、実は、領主ロドルフォ郷である、
ハンサムな若者の到着の前触れである。」
とあるように、舞台はざわざわして、
格好良いバスが響き渡る。

それに続いて、おきゃんなリーザの声が、
からみつくように聞こえて来る。

「彼は、幼い頃、行方不明となり、
死んだものと思われていた。
彼が、城からどれだけ遠くに来たかを知り、
直に暗くなって危ないから、
一晩だけ、村に泊まって行けばとアドバイスする。」

さすが旅館のオーナーである。
イケメン出現に抜け目ない。

「この人は誰だろうと思う村人は、
彼が、この回りの様子の
記憶があるようなのを見て驚く。」

「ああ、水車屋、川の流れ、ああ森よ
農家が近くにあって」と、
感慨深げなロドルフォの歌唱に、
リズムを刻む合唱が入って効果を上げている。
Track11の途中だが、拍手が入る。

「彼は何のお祭りかと聴き、
アミーナについて聴くと、
その美しさを称賛し、
リーザやエルヴィーノをやきもきさせる。」

さらに軽妙なロドルフォの歌が、
情熱的に高まると、
途端に他の人たちの騒ぎが始まる。
オーケストラも美しく状況を彩っている。
再び小クライマックスである。

Track12.
エルヴィーノが、この村を知ってるのか、
とロドルフォに尋ねる。

「エルヴィーノの質問に、
彼は、この近くの城に住んだことがあると言う。
テレサは4年前に領主が死んだこと、
息子のような相続人もいないことを告げる。」

ロドルフォの正体について、
ちょっと緊迫した雰囲気が高まる。

遠くでホルンが鳴る。

Track13.
その緊張感をなだめるような、
ピッチカートの音楽になり、
合唱が主体となる。
心優しい村人の忠告にふさわしい。

「夜になると、目をぎらつかせ、
白衣で髪をなびかせた幽霊が出る様子を、
よそから来た男に告げる。
しかし、ロドルフォはそんなものは信じない。」

このあたり、完全にロドルフォのためのシーンである。
主役のカップルは影が薄い。

Track14.
「彼は、そんなものがいないと分かる時が来る、
と予言する。
リーザについて行く前に、ロドルフォは再度、
アミーナを賛美する。」

Track15.
そんなことをするから、なさけない二人の、
痴話喧嘩のレチタティーボとなる。
「よそ者の言葉にアミーナが嬉しそうだと、
エルヴィーノはとがめるが、
アミーナはそれは単なる嫉妬だと言う。」

Track16.
そんなやりとりから、許して頂戴のアリアとなる。
エルヴィーノの声に、アミーナの声が続き、
「もう疑いはない、恐れもない、ああ、私の愛」
と、おのろけを、大声で唱和する。

カラスは強烈に声を張り上げ、
テノールも負けじと興奮した後は、
次第に夕闇が深くなるのであろうか。
次第に収まる興奮に、そんな雰囲気がみなぎっている。
「眠りながらも、あなたを見ている。」
と大騒ぎして、それぞれの家路に着く。

拍手がわき起こるが、あほなシーンと言えよう。

第二場:
旅館の一室。
「背景にフランス風の窓。一方にドア、
もう一方に別室。
小さなテーブルとソファ。
最初はロドルフォ一人だが、リーザが入って来る。」

Track17.
じゃーんと鳴って、楽しげなメロディ。
いかにも、寛いだ雰囲気である。

「ロドルフォは村での滞在に満足している。
若い村娘は魅力的だし、旅館のオーナーもグーだぜ。
リーザは、自分も村人も、彼の正体が分かったという。」

ロドルフォが独り言を言っていると、
にちゃにちゃ気味のリーザの声が聞こえて来る。

「彼のいらだちは、リーザが、これまでにない、
ご機嫌取りをして和らぐ。」

「きれいだね。」
「お戯れを。」
などとやっている。

「彼等は突然の騒音に妨げられ、
リーザは逃げる時に、スカーフを落とす。
ロドルフォはそれを拾って、
うっかりベッドの上に投げる。
白衣の人物が現れ、窓を開ける。」

えらい不気味なシーンである。

しかし、歌詞のところには、
ロドルフォが窓を開け、
アミーナが夢遊病状態で入って来る、
とある。

Track18:
「最初、ロドルフォはそれを幽霊と間違えるが、
すぐに、村のきれいな姉ちゃんと知る。」

「エルヴィーノ、エルヴィーノ、
何故、答えてくれないの?」
とアミーナは完全にヤバい状態である。
カラスは上手い具合に、夢うつつの声を出している。

「彼女はゆっくりと部屋に入って来て、
エルヴィーノの名前を呼ぶ。
ロドルフォはすぐに、彼女が夢遊病状態で、
何をしているか分からないことを悟る。
彼女は、エルヴィーノの嫉妬と和解を語る。
まず、エルヴィーノはラッキー、と思うが、
さっと別の部屋から出て来て、
部屋を出て行くリーザに見られてしまう。」

Track19.
「ロドルフォはアミーナに近づくが、
来るべき婚礼を楽しみにするアミーナに、
良心がくすぐられる。」

と書かれているように、
ここでは、カラスによる
しみじみとした歌が叙情的である。

「アミーナが狼狽しないように、
また、誘惑に対する彼の自制に自信がなくなり、
彼は、その場を去ろうとする。
村人が近づいて来るのを察して、
彼は窓から逃げ、出てからそれを閉める
アミーナはなおも眠っていて、ベッドに倒れる。」

Track20.
「村人は、伯爵の暗い部屋で、
彼らは、必然の結論に達し、
慎重に引き下がると決める。」

小声でささやくような合唱が、
ちょんちょんちょんという控えめなオーケストラと
闇の中での出来事を表す。

Track21.
「彼等は、事を信用しない
エルヴィーノを伴ったリーザに止められる。
しかし、彼は証拠を否定することが出来ない。
アミーナはベッドに横たわっていた。
この騒ぎは寝ていた女を起こし、
彼女は、エルヴィーノの非難と、
自分が旅館にいることに対して混乱する。」

ものすごい混乱が少し収まったところで、
ぷつっと音が止んでしまう。
アミーナは、「何があったの、ああ、何てこと」
と言いかけた状態。

以上が、CD1に含まれる部分である。

あと少しで第一幕は終わるが、それは、
CD2に回されている。
曲が始まって、すでに75分も経過しているので、
この措置もやむを得ない。

CD2:
Track1.
「私の心、私の言葉、私に何も罪はない」、
前の部分の静寂から、情けない声で歌い出される、
アミーナの声に、怒りと嘆きを表す、
エルヴィーノの声が重なる。
この部分の音楽も、実にメロディが美しい。
管弦楽もヒステリックなまでに歌い上げられており、
バーンスタインの何とも言えぬ表情までが、
そこに見えるようである。
一幕も終わりに向かい、聴衆の気持ちも、
否応なく高ぶらされる。

「エルヴィーノと村人は、
アミーナの母親を除いて、
眼前の光景を額面通りに受けとめる。
彼女は、ベッドからスカーフを取り上げて、
慰めるように、アミーナの首の回りにかける。
リーザのものであって、娘のものであるとは気づかすに。」

Track2.
「アミーナはとがめられ、婚礼は取り消しとなる。
かわいそうな娘は、何も出来ずに、母親の腕の中で泣くばかり。」

すごい盛り上がりになるが、絶叫のような声ばかりで、
うんざりである。
これだから、ベルカント・オペラは嫌だな、
という感じがするが、まあ、それを除けば、
非常に良くできた作品である。

合唱、独唱、二重唱がうまく配置されて、
盛り上がるように計算されている。

第二幕は、次回に回すとしよう。
一幕だけでも、心に残るメロディが、いくつもあって、
名作とされるゆえんを納得した次第である。

得られた事:「オペラ作曲家は、『夢遊病の女』第1幕、第1場のように、何も起こっていない状況でも、無理矢理、クライマックスを築く才能が必要である。」
[PR]
by franz310 | 2010-11-27 22:43 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その251

b0083728_22582149.jpg個人的経験:
前回、グリンカが、
ドニゼッティの歌劇の主題によって、
セレナードと題する室内楽を
書いている事を取り上げたが、
ドニゼッティの出世作となった、
このオペラについて、
今回、改めて向かい会うことにした。
シューベルトの特集ブログであるが、
イタリアの「ベル・カント」にまで、
話が発展するとは思っていなかった。


しかし、ドニゼッティは、シューベルトと、
まったく同じ年の生まれであるから、
何らかの共通した時代の空気がありかもしれない。
などと期待したりもする。

そもそも、シューベルトの師匠は、
イタリア人のサリエーリであるし、
そのせいか、最初の傑作とされ、
音楽史の重要な一こまとなっている、
ドイツ歌曲、糸を紡ぐグレートヒェンですら、
ベル・カントの影響があると言う。

さらに、シューベルトはロッシーニに心酔して、
イタリア風の作品を集中的に書いた時期もあった。

ドニゼッティは、ロッシーニやベッリーニと並んで、
当時のイタリア歌劇をリードした人であるから、
無視するわけにはいかないのだが、
今回、カラスがタイトル・ロールを歌ったCD解説を読んで、
ますます、そんな気持ちを新たにした。

ドニゼッティは、しかし、「愛の妙薬」や、
「ランメルモールのルチア」ばかりが演奏されていて、
その他の作品はあまり話題になることがない。

これらは、シューベルトの死後の作品であって、
シューベルトが聴くことはなかったが、
ドニゼッティの最初の成功作と言われる、
今回の「アンナ・ボレーナ」もまた、
シューベルトの死後の2年しての作品であった。

この作品、当時は決定的な成功を収めたようだが、
第二次大戦後まで、軽視されていて、
カラスらの演奏によって、
真価が認められたということが、
このEMIのCD解説に書かれている。

J.B.Steaneという人が1993年に書いた文章である。
「今世紀」と書いているのは、20世紀のことである。
題して、「カラスと『アンナ・ボレーナ』」とある。
私は、むしろ、「ドニゼッティと『アンナ・ボレーナ』」の方が、
欲を言えば、「グリンカと『アンナ・ボレーナ』」や、
今回の流れからして嬉しいのだが、
様々な事が、これはこれで想起される。

「『成功、勝利、興奮。
聴衆は気が狂ったかのようだ。
皆が、これほどまでに完璧な勝利はなかった、
と言っている。』
1830年12月26日の
『アンナ・ボレーナ』初演の後、
ドニゼッティが家族に書き送った言葉である。
ヒロインの役は、ジュディッタ・パスタによって歌われ、
この驚異のソプラノは、翌年の同じ日には、
最初のノルマになり、
1831年の初めには、『夢遊病の女』の初演で、
アミーナを歌い、
1833年には『テンダのベアトリーチェ』の役を
創造した。
マリア・カラスは、まさしく『時代の申し子』で、
いかなる意味でもパスタの後継者であったが、
創造者としては、新しい役割を演じたわけではなかった。
基本的に、彼女の役割は偉大な『再創造者』であった。」

おそらく、ジュディッタ・パスタは、
これらドニゼッティやベッリーニが、
歌劇を作曲する際にインスピレーションを、
与えたということを言っているのだろう。
カラスに触発されて書かれたオペラはないのかもしれない。

事実、パスタはベッリーニの恋人だったとされ、
彼女のために「ノルマ」が生まれたという話は良く聞く。
このパスタ、シューベルトと同年、
1797年生まれだったようだが、
シューベルト存命中に話題になることはなかったのだろうか。

さて、解説は、こうした大成功したオペラのその後の運命を記す。
「我々はこれら、
ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティの
いわゆるベル・カント・オペラを思う時、
偉大なプリマドンナ、
メルバ、テトラツィーニ、ガリ・クルチらがいた
今世紀の初めには人気を失っていたことを思い出す。
あるオペラは復活していたが、
選ばれたソプラノの能力を示すための手段としての、
まがい物以上のものを、評論家は、そこに見ていなかった。
トティ・デル・モンテやリリー・ポンスのような歌手は、
これらのオペラを演目にしていた。
(主に、『ルチア』と『連隊の娘』)
そして、第二次大戦の終わり頃までに、
それらも壊滅してしまったように見えた。」

私は、これまで、「ベルカント」に、
余り親しみを覚えていなかったが、
何と、20世紀初頭からの先入観を引きずっていたわけだ。

確かに、シューベルトの伝記などを読んでも、
ベルカントに影響された、などという話は、
あまり出てこない。
シューベルトの天才が、
ドイツ芸術歌曲を生み出したのであって、
ベルカントの影響などあってはならなかったのだ。
しかし、グレアム・ジョンスンなどが、
ようやく、そのあたりを正す解説を書くようになっている。

あと、こうした軽視は、私は日本特有かと思っていたが、
これを読むと、本国イタリアでも、
同様の状態だったことが分かった。

その後、ドイツの器楽音楽が、
主流と見なされるようになったので、
イタリアの歌劇の声任せ、
ずんちゃっちゃの伴奏オーケストラは、
何となく、安っぽい手抜き作業に思えたのであった。

が、こうした偏見も、見直される時代となる。

「しかし、この時代こそが、それらを聴きたいと思い、
その価値を自分たちの価値で検証したいと思う、
新しい世代が登場した。
彼等はラッキーだった。
まず、嗜好は変わって来ていたし、
すでにこれらのオペラが、
オールド・ファッションと思われる時代から、
ただ、古くて貴重と考えられる時代になったからである。
さらに、そこにこれらの作品復活に注力する、
影響力ある音楽家がいた。
指揮者のトゥリオ・セラフィンがとりわけ重要だった。
声楽ルネサンスの注目点は、
理想の『新しいパスタ』となる、
歌手を探すことが先決だった。
1940年代中盤にも、これにぴったりのある歌手がいたが、
もっぱら彼女の役は、イゾルデとトゥーランドットだった。
1947年、彼女は、セラフィンと会い、
このイゾルデを、驚いたことにベッリーニに向かわせたのである。
1949年、彼女は『清教徒』で登場し、ローマを驚愕させ、
パルシファルでも、驚かせた。
その後すぐ、音楽界は、彼女を話題にし始めた。」

原曲のオペラ自体がこんな状況なので、
それを編曲したグリンカの室内楽が、
これまで有名だった訳はない、
という感じがしてきた。

「『アンナ・ボレーナ』は、1957年に、
彼女のレパートリーになった。
彼女の『清教徒』は、『ノルマ』に続いたが、
これは最高の難易度のもので、
これにカラスは最も注力することになる。
1952年、フィレンツェで、
『清教徒』とロッシーニの『アルミーダ』を、
比類なき華麗な技術を劇的な力と結びつけた。
『ルチア』はさらなる新発見となり、
『夢遊病の女』が続いた。
1956年、スカラ座にて『セリビアの理髪師』で、
意外にも喜歌劇にも参入し、
これに対して翌年には、『アンナ・ボレーナ』が出し物となったが、
この注目すべき、『ベルカント』復活の8作目となった。
これはもっとスタンダードな演目、
ヴェルディやプッチーニらのレパートリーの
と連携して進められた。
常勝カラスの素晴らしい名声の
サポートがあったとしても、
『アンナ・ボレーナ』を上演することは、
スカラ座側には、あまりに大胆な冒険に見えた。
これは、まったく忘れ去られた作品だったのだ。」

このように、多大な努力の甲斐があって初めて、
このオペラは上演されることになった。

グリンカが、「アンナ・ボレーナの主題による」
室内楽を書いていたとしても、
誰も聴きたいと思わなかったかもしれない。
ハープとピアノが夢想的な楽想を振りまく、
美しい作品なのに。

「パスタと彼女の後継者ギューリア・グリシ以降、
ほんのわずかなソプラノが上演するだけで、
このタイトル・ロールで特筆すべき成功はなかった。
ドニゼッティの故郷、ベルガモでリヴァイバルされたのは、
その前年で、そこでも知られておらず、
1957年の時点では埃まみれだった。
ニューヨークのメトロポリタンで、
カラスがリヴァイバルを試みた際、
ルドルフ・ビングは、
『退屈な古いオペラ』と却下した。
スカラ座もまた、同様の状況に直面した。
まず、念入りにヴィスコンティを、
プロデューサーに招いた。
そして、ヴィスコンティ、カラス、
指揮者のガヴァツェーニの主力3人は、
十分なリハーサル時間を確保することにし、
それぞれの持ち分を全体の中で明確にした。
ガヴァツェーニは、後に、それが、
『舞台と音楽、そして、
プロデューザーと指揮者の理想のコラボだと感じた
私の劇場における全キャリアの頂点』
と語っている。
音楽をアントニオ・トニーニと音楽を再検討した後、
カラスは20日にわたって稽古をした。
一方、ヴィスコンティは、
すべての音楽練習に同席して、
『舞台の性格は、すべて音楽から自然に決まった』
と自信を深めた。
カラスは歌手たちの中で、最も入念で、
歴史書を読んで、
アンナに関する勉強を始めた時の事を記載している。
しかし、彼女は賢明にも、
このオペラのヒロインは、
歴史上の人物と関係ないことを発見し、
音楽がすべてを十分説明していると考えるに到った。
この興業は大当たりし、
このシーズン、7つの公演が行われ、
翌年、5つが追加され、
この録音はその初演の時の記録である。」

私も、「ヘンリー八世」の勉強をしようかと思ったが、
カラスの確信によって、その時間を割かずに済んだ。
しかし、このような大きなプロジェクトによって、
ようやく復活した傑作の初演の記録、
ということで、皆が総力を挙げて取り組む姿勢に感動した。
こうした非常に貴重なCDだと、
今頃、ようやく知った次第である。

下記は、その絶賛の総まとめである。

「1957年6月の『オペラ・マガジン』のレポートでは、
デズモンド・シャウェ=タイラーが、
『この舞台は、スカラ座の最高を伝えた。
その統一、壮大さは、この長い夜を深く満足させるものだった』
と書いている。
序曲がなかったり、彼は、スコアのカットがあると考えたが、
これはむしろ機転が利いており、
おそらくCDのリスナーも同意するだろうが、
ガブリエラ・カートゥランによる、小さな愛すべき歌、
スメトンの第2節が省略されたのは残念である。
さらに彼は、オペラの初演時に、
ソプラノの役としてキャスティングされた以上に、
シミオナートは『立派なパフォーマンス』を見せたと考えた。
カラス自身については称賛に満ちていて、
最後のシーンでは、
『彼女の歌手として、悲劇女優としての力の頂点』
を見せたと書いている。
この録音は、その夜の歓喜と興奮を伝えて止まない。
カラスに関しては、実際、
我々は聴くだけでなく見ているような幻覚を感じる。
彼女の声は個性的で、性格的、
舞台上で合唱する時も離れて歌う時も、
その歌声を聞き取ることが出来る。
彼女の芸術は別格であって、
明らかに影響を受けた歌手によっても、
捕らえられなかった洗練があったが、
おそらく、それは、その一点に尽きる。
第2幕始めに、
ジョバンナとのデュエットの終わりにかけて、
アンナが独唱する『行きなさい、不幸な女』では、
全ての単語、全ての音符に表現を与えながら、
それでいて、フレーズの統一を失っていない。
これら全ての歌の基本となるレガートスタイルを壊さず、
陰影を与えている。
カラスの声と、演技の力、
それに彼女の歌唱上の様々な欠点もまた、
語り尽くされている。
すぐれた悲劇女優が、
しばしば素晴らしい歌手とマッチした、
最も完璧に近いものを、この演奏には見ることが出来る。」

気になるのは、いくつかのカットがある点とのことだが、
むしろ、私には、放送録音なのか、
意味不明のノイズが頻出する点が悩ましい。

が、こんな歴史的瞬間に立ち会えるのなら、
仕方ないかもしれない。

さて、では、この2枚組に耳を澄ませてみよう。
第1幕:
第一場、ウィンザー城の王妃の部屋の前:
Track1:
何らかの不穏な気配をみなぎらせた序奏に続き、
快活なリズムに乗って、合唱が始まる。
いかにも、オペラの始まり始まりという感じである。
夕方で、廷臣たちは、ヘンリー王が、
不幸な妃のもとを訪れなくなった事を心配している。

Track2:
お気に入りの侍女、ジョヴァンナが入って来て、
王の愛を得てしまった事や、
それを悔やんでいる点を大きな声で告白するが、
おそらく、これは、ここだけの話、である。

Track3:
アンナがやって来て、
お気に入りの音楽家、スメトンを呼ぶ。
歌の伴奏をさせるためである。

Track4:
ここは、スメトンの伴奏の、
美しいハープの音色が聴きものである。
彼は実は、こっそり王妃を愛している。
彼は、王妃の顔色が悪いのは、
昔の恋人を想っているのではないかと推測。
アンナは痛いところを突かれ、中断する。

ややこしい事に、スメトンは女性が担当するようだ。

Track5:
アンナは、オフレコで、その地位の儚さを歌う。

Track6:
もはや、彼女は王のことを期待しておらず、
ジョヴァンナを側に呼ぶ。

Track7:
これはグリンカも借用した、美しいカヴァティーナ。
アンナは王位などに目を眩まされてはならんと、
意味深な警告をしてジョヴァンナの心をかき乱す。
アンナは出ていき、廷臣は残る。
しばらく舞台には誰もいなくなる。
ジョヴァンナがこっそり現れる。

Track8:
緊迫感溢れるレチタティーボである。
彼女は、アンナがこの罪を知っているのではないかと悩む。

Track9:
一番の悪人、王様が隠し扉から登場である。
ヘンリー八世は、ここではエンリコとなっている。
これを最後にしましょうと、
ジョヴァンナがうろたえているのを見て、
王様は不機嫌になる。
恐ろしいことに、直にライヴァルはいなくなるよ、
と言うのである。

Track10:
ジョヴァンナは、今の関係が耐えられない、
と最近のTVドラマでもありそうな大騒ぎを、
高らかに歌い上げる。

Track11:
ここでも、王様の言い分は、
いかにも、男のいじいじを表して秀逸。
ジョヴァンナは、単に王位が好きなのであって、
自分が好きなのではないとすねる。
が、最後は、美しいデュエットで、
何となく良い雰囲気である。

Track12:
ここでは、ジョヴァンナは行く、
王様は行くなと押し問答。
彼は、まさしくこれがアンナの
トラブルの原因であったと暗示する。
アンナは自分に心をくれていないという。

Track13:
ジョヴァンナの良心の呵責が、
高らかに歌い上げられ、
王様がなんと言っても、
ジョヴァンナは憔悴するばかりで、
エンリコはドアから出ていってしまう。
その前に二重唱で盛り上がるので、
聴衆は盛り上がって大拍手である。
これで、第1場は終わる。
管弦楽も、テンションを高めて、
じゃーんと鳴り響いて終わる。

Track14、第2場:
ウィンザー城の公園。
この場面から、どんどん、ヤバい方向に、
物語は推移するが、王様の陰謀が働いているのである。

これまた、ピッチカートに木管が簡素ながら、
朝の公園の雰囲気を醸し出し、
いかにもオペラ的な彩色である。
じゃじゃーんじゃじゃーん、ぶーんぶーんと、
緊張感を高める効果もある。

王妃の兄のロチェフォート郷は、
かつての王妃の恋人でもあった友人のパーシイと、
公園でばったりと会う。
このパーシイは追放の身だったのに、
王の許しが出て、のこのこと喜んで来たのである。

Track15:
パーシイは、よほど理想肌なのであろう。
朗々と、追放の日々や失われた愛を嘆くアリアを歌う。
また、運命が悪事を正すように願う。

Track16:
かっこいい行進曲で、狩りの行進が近づいて来る。
かなり勇壮な場面である。

Track17:
パーシイは呑気に、早くアンナに会いたいな、
と歌い上げる。
拍手がわき起こる。
ライモンディが歌っている。

Track18:
狩りの一行が集まる。
エンリコ王は、何故にアンナが、
こんなに早く起き出しているかをいぶかる。
そして、最近、どうも不吉な思いが起こると言い、
さらにパーシイの姿に気づく。
パーシイは、王に敬意を表して近づく。

Track19:
王の手にキスしようとしたパーシイを振り払い、
今回の許しは王妃の取りなしによるものだと言う。
そして、パーシイは、これまた呑気に、
身震いしている王妃の前に跪くのである。

Track20:
やばい瞬間の五重唱である。
ピッチカートに木管が添えられただけの、
簡素なオーケストラ伴奏ながら、
声の密度、その織りなす綾は、
緊張感とドラマを孕んで美しい。

アンナとパーシイは、涙を流して感慨に耽る中、
王様は廷臣のハーベイに、奴らの様子を良く観察せよ、
と、まことにヤバい。
ハーベイはその通りに実行すると確約。
ロチェフォート郷は、さかんに警告している。

Track21:
王様はパーシイに、宮廷に顔を出すように言い、
狩りに出かけてしまう。

Track22:
王様の慈悲で始まる1日が祝福される。
ドニゼッティは、さすがドラマを盛り上げるのが上手く、
合唱も盛り上がって、第2場も、大拍手で終わる。
王様は、別の獲物がかかって喜んでいるのである。

Track23:第3場、王妃の部屋、控えの間。
ますますややこしいことに、
楽士のスメトンが、アンナの肖像画付きのロケットを持って、
うへうへしている。
彼はもの音を聞いて、影に隠れる。

Track24:
ここは管弦楽も風雲急を告げて勇ましく、
ロチェフォート郷が、アンナに、
パーシイに会ってやって欲しいと言っている。
アンナは、見張っていてくれるならと、
しぶしぶ承諾する。

Track25:
パーシイが現れ、アーンナ、リチャード、
とお互いを呼び合う。
パーシイはリチャードらしい。ややこしい。

アンナは後悔しており、
自分が求めた王冠は、今や、茨の冠になったと言う。
パーシイにとっては、アンナは自分が愛した頃の、
若い少女のままなので、何も言う前に、
アンナの苦悩は、パーシイの怒りを鎮めてしまう。
アンナは、王様が自分を疎んでいることを認める。

このあたりは、オーケストラは、じゃーん、とか、
じゃっじゃじゃじゃん、とかほとんど合いの手を入れているだけ。

Track26:
ここは、パーシイが高らかに歌う部分。
「昔愛したように、今も愛しているよ」
と現実離れした歌を歌う。

アンナの歌は、もっと切迫しているが、
結局は、憧れに満ちた色調を帯びる。

アンナは、パーシイに、
自分を愛しているなら、今の状況を考えて、
それを言ってくれるな、と言う。

当然の話である。
アンナはパーシイに、
危機が二人に及ぶことを思い出させ、
英国を去るように説得するが、
彼は、アンナのそばにいることのみを望む。

まことに、分別なしの馬鹿恋人たちである。
アンナが、自分の不幸を語ったりするからだ、
という気もしないでもない。

アンナは当然ながら、かたくなである。

Track27:
ここは、またまた、じゃじゃん、じゃじゃん、
じゃじゃじゃじゃじゃん、と風雲急を告げる管弦楽に、
錯乱した男女が大騒ぎを演ずる場面。

パーシイは、去る前に、もう一度、
会ってくれるかと願うが、アンナは駄目よと言う。

ここからが気違い沙汰だが、
パーシイはいきなり剣を抜いて、
自殺を図る。

さらに話をややこしくするかのように、
スメトンが、アンナを守ろうと飛び出して来る。
王妃は気を取り乱して失神。
その時、ロチェフォート郷は、
王様が近づいて来ることを告げる。

Track28:
エンリコが入って来て、
宮殿で剣を抜いている者を見て、怒り狂う。
当然、警備員を呼ぶ。
王様は、アンナと、
沈黙して立ちすくむパーシイ、
スメトン、ロチェフォートを見回し、
最悪の状況解釈をする。

ここでまた、とんでもないことが起こる。

スメトンは、突発的に、彼等の無実を弁護する。
証拠に死を命じて欲しいと願い、
ジャケットを引き裂くと、アンナの肖像画が落ちて、
王様の足下に転がる。
エンリコはそれをさっと拾い、
最悪の疑いを確信に変える。
アンナはようやく意識を取り戻す。

Track29:
彼女は王様の怒りに驚き、六重唱を始める。
しみじみとした、祈るような歌である。
何となく、ベルカント・オペラというのは、
金切り声を張り上げるだけのような印象があるが、
そのような事はなく、
人間感情のややこしい絡み合いのみが、
聞き取れる名場面である。

彼女は王様に責めないように乞うが、
王様は、目の前から消えろと言い、
別に死んでもいいぞと言う。
ロチェフォートとスメトンは、
彼女を破滅させた自分たちを恥じ、
その間、入って来たジョヴァンナは、
心乱され、罪の意識に苦しむ。

この人は、最も何も悪くない悪女役である。
しみじみと終わるせいか、
感動的な歌唱ながら、拍手はない。

Track30:
爆発するような場面で、王様がわめき散らす。
オーケストラは爆発音を繰り返し、
王妃は、今回は金切り声を張り上げる。

エンリコは、彼等を別々の牢に入れるよう命ずる。
彼女の弁解を彼はそっけなくはねのけ、
裁判官に言いたいことを言うように告げる。

Track31:
このややこしい関係の中で、
運命が決せられた事が歌われる
第1幕のフィナーレである。
最初の幕で、もうすべての運命は決まってしまう点が恐ろしい。
王様は、これで良いのだと決定。

最初は、何だか大団円のような楽しげな、
賑やかな合唱に面食らうが、
活発なオーケストラ伴奏と共に、
運命に翻弄された人たちの、
恐ろしい絶叫が続く。
録音の効果で、聴衆の拍手は、不自然に消える。

第2幕に関しては書くスペースがなくなった。

得られた事:「シューベルトと同時代のイタリア歌劇は、戦前まで軽視されていた。」
[PR]
by franz310 | 2010-11-13 22:58 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その249

b0083728_22432717.jpg個人的経験:
前回、ロシア音楽の父、
グリンカのトリオを聴いて、
この作曲家が浮き名を馳せた
彼のイタリア時代について、
気になってしまった。
今回のCD解説には、
そのあたりの経緯が、
少し詳しく取り上げられている。
これは、珍しく、
その時代の作品を集めたもの。


ロシアの名ピアニスト、プリトニョフが、
ロシア国立オーケストラのメンバーを集めて、
挑んだ意欲的なアルバムである。
プルトニョフが登場するのは、
最後の「大六重奏曲」だけのようだが。

各種ソ連系の復刻で存在感あるRegisレーベルのもの。
背面には、初出時のものと思われるGramophone誌の
推薦文が載せられている。

「初期のマイナーなものながら、
独特のサロンの魅惑を持つ作品を、
求められる共感と愛情を持って演奏している。
成熟したグリンカの特色があり、
心地よいメロディのみならず、
装飾的な対位法にも長けている。
同じ作曲家のカマリンスカヤの、
弾むような輝かしいテクスチャは言うまでもないが、
多くの恋人たちの一人であった、
若いピアニストのために、
イタリアで書かれた大六重奏曲も、
七重奏曲も魅惑的である。
ムード的にはノクターンのような、
セレナードもあり、
そこには伸び伸びとした音楽の喜びが見られる。
録音は新鮮ではっきりとクリア。」

このように書かれているように、
93年のデジタル録音で、美しい。
プルトニョフが演奏したものは、モスクワ音楽院の大ホール、
その他はモスクワ放送のスタジオ5での録音とある。

グリンカの特殊な編成の室内楽が4曲、
78分47秒も入ったお得盤である。

そのうちの2曲は、
彼が影響を受けたイタリアの大家、
ドニゼッティとベッリーニのオペラの主題を扱ったもの。

他の二曲、七重奏曲、大六重奏曲も、
シューベルトの世界からは遠いことを感じさせ、
極めて特異な感じで、
まず、前者は2つのヴァイオリン、
チェロ、コントラバスというヴィオラを欠く弦楽に、
オーボエ、バスーン、ホルンが加わる。

ただし、これは4楽章構成で、
形式的には古典の影響があろうかと思われる。

大六重奏曲は、ピアノの弦楽四重奏、
さらにコントラバスで、シューベルトの「ます」に、
ヴァイオリンが一つ追加されたもので、
何となく、親近感を感じる。

ところが、この曲、3つしか楽章がなく、
それならどこが「大六重奏」かと言うと、
何と、全曲で25分もかかるのである。

ベッリーニの主題の喜遊曲はこれと同じ編成で、
13分ほどの単一楽章の曲。
ドニゼッティの主題のセレナードは、やはり、
単一楽章のものだが、20分の大物で、
これは強烈、ハープがピアノと共演し、
ヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに、
バスーン、ホルンが重なるという奇天烈編成である。

が、意外にこの編成、魅惑的な音色を聴かせる。
シューベルトの「ます」は、
フンメルの室内楽を参考にしたようだが、
フンメルのように全ヨーロッパを駆け回った音楽家の作品は、
こうした作品などにも、影響を及ぼしていると思われる。
フンメルにも、こうした雑多な編成の
セレナードがあることを思い出した。

それにしても、このデザインはないだろう、
というのが私の印象である。
そもそもRegisレーベルの最大の不満は、
この手の手抜きデザインにある。
リヒテルのシューベルトなどもあるが、
デザインがしょぼくて嫌になる。

大家レーピンの「コサックの貴族」
という絵画だそうだが、
グリンカのこれらの音楽が生まれた環境も、
実際、その音楽自身も、
ずっとこのデザインとは違ったものなのだ。

「ミハイル・イヴァノヴィッチ・グリンカが、
ロシア音楽の父という説明は、
世界中で知られている。
少なくとも、ピョートル大帝が、
西欧の文化を導入した時代から、
彼の前にも多くのロシアの作曲家がいたので、
この言葉は厳密には正確ではない。
しかし、これらの作曲家たちは、
外国の音楽を真似るばかりであった。
グリンカこそが、真の才能をもったロシアの作曲家で、
その系列の最初の人であった。
彼はロシア様式の作品を書こうと常に考えていたが、
この意志とは裏腹に、技法の点では、
西欧風のものであった。
グリンカはプーシキンの友人であったが、
魅力的な人物で、誰とでも友人になり、
多くの異性ともそうであった。」

ということで、前回のCD解説同様、
グリンカを語って、このように、
女性にもてもて、もしくはでれでれだった点が、
強調されている点が興味を引いた。

グリンカの肖像画は有名なものを見ると、
フクロウのようなおっさんにしか見えないが、
若い頃は違ったのかもしれない。

「同時代人は、次のように彼を描写した。
『彼は小男というには大きかったが、
普通の人よりは小柄であった。
しかし、重要な場面では、
彼の身体は均衡がとれ、がっしりと見えました。
南国人のように日焼けし、
近眼のせいかしかめっ面をしていたが、
話を始めると活き活きとして、
その個性的な快活な動作、
朗々とした声、力強いスピーチのマナーもあって輝いて見えた。』
ある人は、その異常な性癖も、
グリンカの特質として付け加えるかもしれない。
これが彼の人生をドラマとコメディーの奔流のようにした。
彼の音楽はその個性同様、魅惑的なものである。」

このように書かれると、
グリンカの桁外れな人生を、
音楽から垣間見たくなってしまう。

グリンカは、しかし、このように、
もともと、裕福なご家庭のご子息だったのである。

「グリンカは、スモレンスク近くの、
ノヴォスプレスコエの中上流階級の裕福な家庭に生まれ、
ピアノやヴァイオリン、フルートの音楽学習を含む、
一級の教育を受けた。
当時、ロシアには音楽学校がなかったので、
13歳になると、彼はペテルスブルクに移り、
アイルランド出身のピアノの名手、
フィールドから個人指導を受けた。
ロシアの首都で、グリンカは、
ロシアを代表する知的エリートに遭った。
例えば、彼のロシア語、ロシア文学の家庭教師は、
ショスタコーヴィチの第14交響曲の、
テキスト作者として知られる、
ウィルヘルム・キュッヘルベッカーであった。
グリンカが最終的に音楽に専心するまで、
運輸省務めをした。
その後、彼の主治医は、健康のために、
温かい南方での療養を薦めた。
そして、イタリア、オーストリア、ドイツにおける、
彼の日々(1830-34)は、その優れた、
語学の才によって、気楽なものとなった。」

ということで、20代後半の貴重な時期、
彼は、ベートーヴェン、シューベルト死後間もない、
独墺圏もたどりながら、
楽しい日々を謳歌したようなのである。

しかし、こんな所でショスタコーヴィチ関連の
人物が出てくるとは思わなかった。

「この時期、彼は修業時代を終え、
ベルリオーズ、メンデルスゾーン、
ベッリーニ、ドニゼッティらの知己を得て、
決定的な音楽上の刺激を受けることとなった。
彼が故国に戻った時、
ベッリーニやドニゼッティのようなスタイルの、
オペラ作曲家になろうと決めていた。
彼は事実、オペラ作曲家となったが、
彼の劇場作品は、数の上では、
イタリアの巨匠らに比較することは出来ない。
グリンカの最初のオペラは、
『皇帝に捧げし命』(もともとは『イヴァン・スサーニン』)
で、1836年に大成功をもって初演された。
これは、ロシア民謡を結びつけた、
近代的な西欧のスタイルで書かれた最初のオペラであった。
まず、新しい特徴として、中心となる人物が、
単純な小作農なのである。
1917年の革命後、
権威ある人たちが、
オリジナルの名称に代えたのは理解できるが、
我々は、明らかに無神論の国家の代表が、
グリンカが、オリジナル手稿に、
『Ivan SUAanin』と書き込んでいたのを見てどう思ったか、
不思議に思わずにはいられない。
ISUSとはロシア語でイエスを指す。」

ということで、解説は、いきなり、
グリンカの帰国後の話になっているが、
この話も面白かった。

とにかく、シューベルト死後、
まだ10年も経っていない時期、
彼は生涯の絶頂の大成功を収めたということであろう。
さらに、グリンカは、この後、
数奇な運命に翻弄されるようである。

「この成功が拍車をかけ、
グリンカは、今度はプーシキンの作品を、
ステージにかけようとした。
この『リュスランとルドミュラ』のリブレット作者は、
決闘で死んでおり、オペラの完成も大分遅れることになる。
また、この作品は一般には評価されなかった。
グリンカは落胆し、これ以後、
大規模な作品を書くことはなかった。
これまで休みなく動き回っていた彼も、
このオペラの1842年の初演以後、
すっかり気力を失ってしまった。
彼は西欧を旅し、さらに異常な生活に導かれた。
二年、スペインで暮らし、ワルシャワに三年暮らした。
ワルシャワの彼の部屋には、自由に鳥が飛び交い、
2匹の野ウサギとアンジェリクという名の少女がいた。」

シューベルトは短命であったが、
このような無目的な日々に陥る暇がなかったのは、
よかったような気がする。
シューベルトも渾身のオペラ二曲を書いたが、
これらは上演されなかったという不運もあったが、
失敗した時には、こんな痛手を被っていたかもしれない。

「グリンカが1857年にベルリンで亡くなった時、
彼は、以前の師匠であるジークフリード・デーンの許で、
再起を図ろうとしていた所だった。
彼は宗教曲を再発見し、フーガの勉強を始めていた。」

死の年になって、ゼヒターのところで、
対位法を勉強しようとしたシューベルトと似ている。
が、それとは別に、シューベルトは、
最後のミサ曲を完成させることが出来たので、
グリンカよりラッキーだった。
このように見ると、シューベルトは、
貧乏であったがゆえに、四の五の言わずに、
音楽に邁進できたのだ、と言えるような気がする。

「作曲家としてのグリンカは、基本的に独学で、
オーケストラの熟達した書法を考えると、
驚くべきことである。」

この記述を読むと、ベルリオーズのような例を思い出すし、
シューベルトはその点、サリエーリにばっちり基礎訓練を受けた、
プロの作曲家であった、と感じたりもする。

プルタルコスの「対比列伝」ではないが、
同時代の作曲家を考えると、妙に、
シューベルトの特長が浮き上がって来るではないか。

「彼は、飽くことなきスコアの勉強と、
実践活動を通じて、作曲の技術を消化していった。
彼は器楽のみならず声楽も学んだし、
短い時期ではあったが指揮者もしていた。
彼の最初の慣習的な理論の勉強は、
1833年から34年の冬にデーンのもとでなされた。
グリンカの音楽は、特にイタリアなど、
外国の音楽の影響を明らかに受けているが、
これは技術的側面に限られている。
彼の精神は完全にロシア人であった。
グリンカが外国の作曲家に及ぼした影響は、
見落とされがちである。
『ルスランとルドミュラ』の悪の魔術師、
チェルノモールの名前にちなんだ全音階、
チェルノモールスケールなどで、
彼は音楽語法の開拓に重要な役割を果たしている。
この音階の影響を受けた作曲家には、
ドビュッシーがいて、ラヴェル同様、
深くロシア音楽を研究し、一般に考えられているより、
はるかに影響を受けている。」

このように、この解説、かなり熱のこもったもので、
グリンカの魅力を多方面から訴えて迫力がある。
ここまで書かれると、
グリンカの音楽を無視することは不可能だ。

著者の名前を見ると、Per Skansとある。
1994年のものとあるから、
録音時期と隣接しており、
プルトニョフが依頼して書かせた、
オリジナルかもしれない。

「ピアノ曲を別にすると、
グリンカの室内楽は1ダースにもなり、
ほとんどが1830年頃に書かれている。
とりわけ多いわけではないとも言える。
フィンランドの作曲家、
ベルンハルト・ハインリク・クルーゼルの
有名な『クラリネット四重奏曲』によって、
シリアスな音楽に開眼したとされ、
これまた室内楽であった。
当時、ノヴォスプレスコエでは、
隣の領地シュマコヴォのアマチュアオーケストラで、
グリンカは演奏しており、
巨匠たちの作品に熱中していた。
この楽団のメンバーのために、
おそらく1823年頃、変ホ長調の七重奏曲は書かれた。
彼の多くの初期作品同様、特別な機会に、
特定の人たちが演奏することを想定した機会音楽である。
これは通常とは異なる編成からも見て取れ、
オーボエ、バスーン、ホルン、二つのヴァイオリン、
チェロとダブルベースのために書かれている。
4楽章という点からも、
シュマコヴォのオーケストラで、
グリンカがヴィーン古典派に出会ったに違いないと思われる。
後に、彼は、この作品を『若気の到り』と見なしている。
『それから私は作曲を始めた。まず、七重奏曲、
そして、オーケストラのための『アダージョとロンド』。
もし、これらがV.P.エンゲルハルトが保管している、
手稿の中に発見されたりしたら、
私が音楽に対して無知だった証拠が分かるだけだ。』
公正な評価をすれば、『若気の到り』などではなく、
非常に印象深いものだと分かるのだが。」

グリンカの生涯を概観した後、
作曲家自身の言葉を交えながら、
各曲の解説に入って行くあたり、
なかなかうまい解説である。

ここからが、グリンカ19歳の頃に書いた、
「七重奏曲」の解説となる。
1823年と言えば、シューベルトは、
後期に向けて飛躍を準備していた年であるが、
すでに26歳。
若い頃の7年の差異は大きい。

が、紛れもなく、シューベルト存命中の一曲。
異郷のグリンカが、始めて発した産声である。
それは、決して、その地を越えて響くことはなかったが、
シューベルトの生きていた時代の声であったことは確か。

私が、この曲を最初に聴いた時に感じた、
何だか変な曲という感じは、
こうした若書きということと共に、
若さ故のこわいもの知らずの一面があったと思われる。

「厳かな序奏、アンダンテ・マエストーソは、
我々をハイドンやモーツァルトの世界に連れて行く。
続くアレグロ・モデラートもまた、
予測できない半音階の要素があるとはいえ、
まず、ヴィーン古典派に比較できるものである。
提示部の終わりにかけ、
三連符のひらめきのパッセージがあり、
前代未聞の七連符が来る。」

序奏部は、比較的、オーソドックスで、
極めて高い緊張感と共に、
何か、新鮮な空気がみなぎって来るのが感じられる。
チェロが、浮かび上がって来るのも面白い。

主部は、二つのヴァイオリンが神経質に刻むリズムの、
素晴らしい推進力の上に、様々な楽器の音色が明滅する。
このヴァイオリンのぎこぎこ音が稚拙なようで、
妙に独特の色合いを出している点にも注意がいく。
第2主題も、オーボエとバスーンの掛け合いが牧歌的で良い。

8分以上もかかる大規模構成の第1楽章で、
ハイドン、モーツァルトと解説にはあるが、
ベートーヴェン的とも言える迫力、
フンメル的とも言える色彩感があって不思議。

三連符とは、たたたーたたたーと連呼される、
「運命主題」のような音型であろうか。
こうしたリズムの点からも、まったく退屈させない音楽である。

「第2楽章はアダージョ・ノン・タントと記され、
単純な民謡風のメロディからなり、
いくつかの変奏が続くが、おそらく、
作曲家の霊感に技法が付いて行っていない。」

ここでは、各楽器が独特の音色を聴かせ、
確かに、グリンカの実験的な書法は、
あちこちで聞こえなくても良さそうな音が重なり、
いくぶん未整理で、あの手この手を繰り出しすぎ、
みたいな感じがするが、それはそれで微笑ましい。
5分ほどの音楽。

「続くメヌエットは、それに対照的に、
技術的には一つの宝石のようで、
個性的でメロディは優美、
トリオ部では驚くべき半音階的書法が見られる。」

このように、第3楽章がメヌエットである点、
ヴィーン古典派風で、明らかに、彼のオーケストラは、
先端の音楽をやっていたようだ。

楽しいピッチカートの書法など、
心浮き立つ素晴らしい楽章である。
トリオ部との対比も美しい。
あっという間の3分半である。

「終曲のロンドでも、和声が素晴らしい効果を上げており、
長調と短調を奇妙にスイングし、
最後に変ホ長調が凱歌を上げる。
この作品のように、グリンカは、
始めてロシアのメロディを、
西洋の形式に溶け込ませた。」

これまた、極めて完成度の高い終曲で、
対位法的な装飾も見られ、グリンカの驚くべき才能が見てとれる。
各楽器がそれぞれの存在感をたっぷりと発揮し、
まさしく、シューベルトの「ます」にも比すべき、
音楽の喜びが充溢している。
エンディングなどは、「ます」に酷似している。
ただし、演奏時間は3分と短い。

すでに、「グラモフォン」誌に書かれてしまった事ではあるが、
この演奏、こうした試作品のような若書きにも、
共感豊かに取り組んでくれているのが嬉しい。
楽興の時が繰り広げられている。

続いて、セレナードやディベルティメントが入っているが、
今回は、他の作曲家に触発されたものではない、
「大六重奏曲」について先に聴いてしまおう。

ここでは、プルトニョフが、極めて意志的な音楽を聴かせ、
ホールも大きいせいか、音楽が一回りも二回りも大きく聞こえる。
ピアノが名技的である分、他の楽器が伴奏風になりそうだが、
要所要所で、輝かしいソロが入る。
1832年の作品なので、グリンカは28歳。
ショパンの協奏曲が書かれた時代。
それよりも、音楽は立体的で、
ピアノが休みなく歌い続ける点からも、フンメルの楽曲を思い出す。

「大六重奏曲は、1832年の夏から秋に書かれた。
コモ湖に近い美しい風景の中でグリンカはこれを書いた。」

いかにも、シューベルトに近い時代を思い出すエピソードではないか。
「ます」の五重奏曲も、美しい自然から生まれた。
が、グリンカの霊感の源は、それだけではなかったようである。
第2楽章の濃厚な官能性からも、それは明らかなような気がする。

「この作品も、若い女性のピアニストのために書いたが、
彼女は結婚していたため、恐れを感じ、その代わりに、
被献呈者として友人を推薦した。
幅の広いピアノのための独奏は、
小オーケストラのように、弦楽四重奏に支持されて、
時としてピアノ協奏曲のような響きを立てる。」

このように、この曲の発想が、
室内楽と協奏曲の間のような点があるので、
「大六重奏曲」という名称には、
感じ入ってしまった。
協奏曲のような3楽章形式も、
実は何の不思議もなかったわけだ。
この規模の楽曲である。
特殊な編成でなければ、
もっと取り上げられた作品ではなかろうか。

「第1楽章の、ソナタ、アレグロは、
ただちに力強い『生の喜び』と、
豊かな旋律の発想を聴かせ、
明らかにグリンカが、
イタリアの風景に囲まれていたことを感じさせる。」

しかし、いきなりピアノが爆発するような、
序奏を奏でるあたり、強烈な主張を持った作品である。
続いて現れる夢見るような楽想も美しく、
作曲家の霊感が噴出している。
チェロとヴァイオリンが歌うメロディなどは、
何となくヴィーン風の印象すら受けてしまう。

絶好調のフンメルもかくやと思わせる。

この解説者は、「七重奏曲」の解説の熱気はどこかに行ったようで、
この曲では解説がいい加減である。
「夢見るような、第2楽章は、
『舟歌』の形式で、明らかにイタリア風である」
などという書き飛ばしは、
この美しい楽章を、もっとしっかり描けよ、
と言いたくなるではないか。

途中から舟歌というより、
嘆きの歌のような弦楽の掛け合いがあり、
恋する者の悩ましい心情が生々しい。
胸の鼓動、語らい、ためらい、
さまざまなものが感じられる。

そのようなひとときも、
舟歌のリズムと共に、
遠く遠くへと誘われて行くようである。
これは、献呈された人妻が困ったとしても仕方がない。

しかし、グリンカは、何故、この後、
室内楽を書いたりしなかったのだろう。
代表作がオペラ2曲だけというのでは、
このあたりの作品が、いくら美しくても、
習作として片付けられてしまう。

「猛烈なエネルギーに満ちた終曲は、
形式的にアーチを描き、
曲頭のモティーフを回想して終わる」
という、終曲の解説も、エネルギー以外に、
まるで具体的でない。

終曲の狂ったようなリズム感は、
イタリアのサルタレッロであろうか、
あるいはスラブ舞曲であろうか、微妙。
第2楽章の愛のひとときを笑い飛ばすような趣き。
まるで、サン=サーンスやラヴェルのピアノ協奏曲のようだ。

ただし、グリンカは、
習作の「七重奏曲」では、極めてロシア的であったが、
この曲では、素性が明確でない。
快活で発想豊かなグリンカ印は認められるが、
ロシア的とは言い難い。
しかし、素晴らしく活力と霊感に満ちた魅力的な作品であった。

イタリア時代の浮き名に関しては、次回に回す。

得られた事:「グリンカの室内楽曲は、各楽器の主張も心地よく、音楽の喜びに溢れている。」
「グリンカはロシア音楽の父となって、あるいはその威厳ある肖像画からも損した部分もありそう。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-30 22:43 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その245

b0083728_0481223.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団が、
シューベルトに対して、
はたして、どのような
感情を抱いていたかは
よく分からないでいるが、
彼等が、第三期に入ると、
急にベートーヴェンを
集中的に取り上げたりして、
その背景などを饒舌に
語り出している。


一言で言えば、前のリーダー、
コペルマンが、ベートーヴェンを好んでいなかった、
ということになるようだ。

しかし、およそ弦楽四重奏をやる人で、
ベートーヴェンが苦手、などと言うことがあり得るのか。
チェロのベルリンスキーは、長老となって、
いよいよ老司祭のような雰囲気を醸し出しているが、
なかなかくせ者かもしれない。

見よ、このCD表紙の写真。
ひときわ年を取って、小さくなった彼だけが、
知らんぷりをしているではないか。
他メンバーの肩幅の半分くらいになってしまって、
チェロの音量は大丈夫ですか、と声をかけたくなるが、
この表情では、取り付く島もない。

左隣がアブラメンコフ、両脇が、
新メンバーのアハロニアンとナイディンである。
左端にいるのが、普通、第1ヴァイオリンだと思うが、
楽器を持った写真を見ると、
どうやら、反対で、右端がアハロニアンである。

ナイディンは背も高くイケメンである。
ベルリンスキーの孫の世代であろうか。

しかし、改めて、このデザインを見つめると、
倉庫か何かのシャッターの前で撮影されたシチュエーションが、
ベートーヴェン的でも、ボロディン的でもない。
いったい、何を思ってこうしたのだろうか。
トーマス・ミュラーという写真家が撮ったとある。

こんな事を書いたデータを見て、
ふと、胸が熱くなった。
何と、2003年8月、
モスクワ音楽院のグランドホールでの録音だという。

モスクワ音楽院四重奏団というのが、
この団体の元の名称だったような。
こんなこだわりを見せるとすれば、
初代からいるベルリンスキーとしか思えない。

ということで、このベルリンスキー、
やたら、このCDでは存在感があって、
解説でも、ここぞとばかりに、ちょろちょろと、
非難めいた言動が垣間見える。

初代リーダーのドゥビンスキー離脱についても、
何かあったから、と考えるべきで、
両者に何らかの確執があったと思われる。

第2代のミハイル・コペルマンは、
旧世代のメンバーに混じって、
やはり、もっと自由な音楽をやりたかったようだ。
彼は、ドゥビンスキーのように亡命したわけでなく、
別の四重奏団に入ったり、
自分で四重奏団を結成したわけだから、
純粋にここでは自分の音楽が出来ん、
と考えたのだろう。

コペルマンとヴィオラのシェバリーンが去ると、
アハロニアンとナイディンという発音しにくいメンバーを、
第1ヴァイオリンとヴィオラに迎え、
レコード会社も、テルデックからシャンドスに変更して、
彼等はベートーヴェンの作品に取り組み始めた。

従って、解説の題名は、いきなり、
「ベートーヴェンとボロディン四重奏団」と題され、
各メンバーが、いろんな事を言っている。
まとめたのは、David Niceという人。

ここでも、ベルリンスキーの名前から入るところが、
この長老の発言力を物語っている。

「チェリストのヴァレンティン・ベルリンスキーが、
『進化ではなく革命』と呼んだ、
偉大な足跡において、
ベートーヴェンは27歳の時、
弦楽四重奏という困難なジャンルに向き合い、
その驚くべきサイクルの最終章を、
その28年後、死の直前に完結させた。
ボロディン四重奏団の記録破りのキャリアは、
その2倍の長さに及び、
1945年の創設以来、不動のメンバーであり、
温厚な家父長のようなベルリンスキーは、
ベートーヴェンの四重奏の最初から最後までを、
通して演奏するという、
彼の大きな望みが実現したのは、
ようやく最近になってからだと言う。」

ベルリンスキーの名前が連呼されるせいか、
ベートーヴェンより、俺は偉い、
と言っているようにも聞こえる。

また、このチェロ奏者が、
良く喋って、この解説者に深い印象を与えたのであろう、
ということも類推できる。

こう見ると、初代ボロディン四重奏団の、
ショスタコーヴィチなどを、
改めて、このシャンドスが発売した背景にも、
あるいは、このチェロ奏者の存在があったのではないか、
などと思えてしまう。

「オリジナル・メンバー」と銘打ったCDは、
いかにも、「本家」とか「元祖」とか書かれているようで、
それ以外はまがい物に思える。

コペルマンら、第二代のメンバーや、
シャンドス以外のレーベルには面白くなかろう。

「最初期においては、
この巨大で厳粛なプロジェクトには十分な時間がなく、
1955年にソ連当局から、
ボロディンの名称を授与されるまでは、
メンバーが変化して、四重奏が安定しなかった。
そして、ソ連、その他の同時代の音楽への責任があった。」

ここまで、ボロディン四重奏団の歴史に、
使命やら言い訳やらを書き連ねられると、
(ふと、北朝鮮のニュースを思い出しつつ、)
シャンドスは、彼等にとって、
良いレーベルだったんだろうなあ、
などと考えてしまった。

これまで、BMGや、ヴァージンや、テルデックから出た、
彼等のCDを聞いてきたが、ここまで、
演奏者主体の解説を書いてくれるところはなかった。

「当然、ベートーヴェンは、
たびたび四重奏団のプログラムを飾った。
1946年には稲妻のようなヘ短調作品95を、
見境なしに取り上げ、
1950年代の特別な十八番は、
ハ短調作品18の4の、第1楽章であった。
しかし、それらは飛び飛びであって、
ベルリンスキーは、最後の作品135は、
結局、ドゥビンスキーの時代には、
やってないのではないかと回想する。
ドゥビンスキーが熱心でなかったわけではない。
ベルリンスキーは、彼が、
ベートーヴェン初期の作品18の全曲を、
一夜で演奏したがっていたを覚えている。
『しかし、ロストロポーヴィチが、
次々にバッハのチェロ組曲を弾くようなもので、
きっと心臓が止まってしまうでしょう。』」

確かに、昔、LP時代(ドゥビンスキー時代)にも、
この四重奏団の代表的レコードに、
「セリオーソ」があったので、
上記発言には、ついつい肯いてしまう。
私も、このLPは持っているはずだが、
今、見つけられないでいる。

実は、今回のCD、他にも、
第14番嬰ハ短調と、大フーガも収録されているが、
私には、「セリオーソ」が一番、印象的だった。

「1976年にドゥビンスキーが離れ、
1995年までミハイル・コペルマンに交代したが、
ベルリンスキーは、
『彼は全部のベートーヴェンを、
弾くつもりはなかったのです。
隠してもしょうがない』と言う。
しかし、ルーベン・アハノニアンと、
ヴィオラのイーゴル・ナイディンが現れ、
第2ヴァイオリンのアブラメンコフ、
チェロのベルリンスキーに合流し、
チェロ奏者の夢は、ようやく形をなし始めた。」

と、冒頭、書いた話がこのように出てくる。
しかし、ベルリンスキーも、
かなり溜まっていたのかもしれない。
コペルマン時代は何も言わずに我慢の日々だったかもしれん。

「ベルリンスキーは、
『作品18によって始めるのが、
学ぶ上では正しいと思う。
若い四重奏団が、ごく初期に、
後期作品を演奏するための人生経験がない段階で、
ベートーヴェンを演奏する時、
後期四重奏曲には、心理学的に準備すべきだ』
と考えている。
アハロニアンが言うように、
作業はゆっくり、集中して行われた。
『各四重奏曲は、それ自身の世界を持っています。
2、3回のリハーサルでは正しい結論には至りません。
同業者の中には、
”お祭り品質”という言葉があり、
これは、ぱっと集まって楽しむために、
手っ取り早く弾けるようになることです。
しかし、これはベートーヴェンには向いていません。』
アハロニアンが最初にぶつかった難問は、
技術的なことでした。
ロシアのメロディアレーベルに、
傑出した独奏者として、
最も困難なパガニーニのヴァイオリン曲を録音し、
ヴァイオリン・ソナタや三重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など、
ベートーヴェンの多くの曲を演奏している。」

モスクワ音楽院での録音であるし、
メロディア所縁の奏者を入れ込むあたり、
旧ソ連系の繋がりが強い連中なのであろう。

「『しかし、四重奏団に参加して、
ベートーヴェンの第1ヴァイオリンのパート、
特に、中期のラズモフスキー四重奏曲や、
後期四重奏曲では、トリオや協奏曲に、
要求されるもの以上のものがあると知りました。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲では、
オーケストラと指揮者を圧倒し、
そこから聴衆を説得する、
異なった心理的挑戦があります。
しかし、12番や14番、15番の四重奏曲では、
高きに登るために、
練習に練習を重ねることが必要だと分かったのです。』
アブラメンコフとナイディンは、
ベートーヴェンの後期様式の作品集は、
他のレパートリーにない困難さがあると考え、
この意見に賛成している。
アブラメンコフは、
『初期の四重奏曲での対話は、
作曲家の天才によるが、
最後の四重奏曲群は、
何か宇宙的、超俗的で、
そんなものに人間が到達など出来ないと思う程です。
第1ヴァイオリンがリードし、
他は伴奏で済んだハイドンから、
彼は何と遠くまで、
四重奏曲を発展させたことでしょうか。
彼は、四重奏曲が室内交響曲のように聞こえる、
絶対的シンフォニズムに到達しました。
4つのパートは、完全に均等であり、
これこそが我々が直面し果たすべき課題です』
と特筆する。」

第2ヴァイオリンも、こんなに語らせてもらい、
いかにも、ソ連系にふさわしい共産主義の美学が感じられる。
しかし、こんな風に語り合って、
練習を重ねて現れて来る音楽、というのが聞きたくなるような、
舞台裏を見せられても、と目のやり場に困るような、
微妙な解説である。

種明かしをあまりさせると、
ありがたみも減るものだが、
そこは、歴史ある団体だからこそ許される事だ。

新人の四重奏団が、
こんな事を書いていたら、
10年後にも続いていたら聞いてやろう、と思ってしまう。

「初期の四重奏曲は、また違った困難さが待ち受けている。
ベルリンスキーは、
その古典的スタイルは、
感情に逃げ込むことを許さないとする。
スコアを見ると、それは透明に見える。
しかし、どこにも隠れ場所はない。
アブラメンコフは、
『作品18で始めた時、
各四重奏曲の意味や真相を模索していきました。
各奏者が、
それぞれのパートが何を言うべきかを知ることは重要です。
しかし、それ以降のベートーヴェンは、
もっと私的なことを書いており、
各パートの意味はさらに難解になります』
と言っている。
彼は、ショスタコーヴィチとの違いも指摘している。
ボロディン四重奏団が、2000年に、
ベートーヴェンとショスタコーヴィチで
バランスを取ったコンサートを始めた時、
その15曲の四重奏曲は、スタイルやムードを変えたという。
『ショスタコーヴィチは哲学的文脈を示し、
ベートーヴェンは自身の哲学を持っている。
しかし、それは常に変化するのです』。
各奏者は、ベートーヴェンが、
弦楽に息もつかさず、
素早く気分や意味を変えるという事実を、
その困難さの一つに挙げている。
ボロディン四重奏団のスタイルのエッセンスは、
常にその自然さ、有機的流動性にある。
たぶん、その理由によって、
アハロニアンはボロディン四重奏団の特別な点を、
このように表現する。
『初期、中期、後期に拘わらず、
すべての緩徐楽章では、
神の音楽の中を遊泳するように、
我々は自由に呼吸ができます。
しかし、ラズモフスキー四重奏曲の第1楽章では、
何度もテイクを重ねなければなりませんでした。
ヘ長調の緩徐楽章は、どちらも通しで演奏でき、
たった二回で済んだのにです。
これはとりもなおさず、
良い技巧、良い技術だけの音楽家たちとは違って、
何を言うべきかを理解した集団だということなのです』。
残りについても、
それは単に、『何度も練習し、論議や議論を重ね、
テンポや性格付けに至る』ということを行った。」

悪戦苦闘した末の録音だということだが、
これは良いことなのか、悪いことなのか。
もっと良く練った表現をレコードに残してもらいたいものだが、
すべては、ベルリンスキーには時間がない、
ということで片付いてしまいそうだ。

「アブラメンコフが、こう付け加える。
『この痛々しいまでに、
個人的な音楽が言いたいことについては、
おそらく、我々は違ったイメージを持っています。
一つの四重奏として、聴衆を説得すべく、
これを揃えていくことが恐ろしく面倒ですが、
それでも恐らく、内面では、
少しずつ異なった感覚でしょう。』
障害や謎は、当然ながら、
激しい愛を閉め出すものではない。
ナイディンは嬰ヘ短調四重奏曲への、
個人的な愛着について述べる。
『大好きなんです。
しょっちゅう難しいところがあって、
全楽章を切れ目なく一続きで演奏するのは、
とても難しいのに、
何故かは分からないけど。』
(ベルリンスキーは、ショスタコーヴィチに関する、
愉快な逸話を差し挟まずにはいられない。
作曲家は、ベートーヴェンと同様、
同様に四重奏曲を作りたかった。
ベートーヴェン四重奏団の、
年配の第1ヴァイオリンのツィガーノフが、
楽章間で音合わせをするのをやめさせるために、
いくつかの四重奏曲を通しで演奏するように書いただけ、
と冗談を言っていた。)」

ツィガーノフは、録音を聞く限りでは、
素晴らしいヴァイオリニストだが、
こうした神経質な点があったということか。
それとも、当時の演奏スタイルがそうしたものだったのか。
あるいは、「年配の」とあるから、
年のせいで、そうなってしまったのか。

「アブラメンコフは、作品127の四重奏曲が好きだが、
作品18にも愛着がある。
『おそらく、少し時代遅れの性格で、
後期の四重奏曲で直面するような宇宙的な問題がないのが、
私の性格に似ているからでしょう』。
アハノニアンは、ラズモフスキーの第1番、ヘ長調には、
まだ怖じ気を感じているが、
ベルリンスキーは、顔をしかめて、
好きな曲を聞かれたら、いつも、
『たまたま、私の譜面台におかれたもの』
であるべきだと応答する。
今、ベルリンスキーは、
ショスタコーヴィチを捨て、
ベートーヴェン一人に光を当てながら、
80代になり、人生のゴールにさしかかっている。
我々はボロディン四重奏団のベートーヴェン・チクルスの、
最優先の特徴が、『晴朗さ』にはならないと考える。
一つ明らかなことがある。
ベートーヴェンは難物だ。
アハロニアンが指摘するように。
『ベートーヴェンと並べて、
ショスタコーヴィチや他の作曲家を演奏すると、
衣装替えをするように、
集中の角度が変わるでしょう。
ベートーヴェンを聴くのは、楽しく喜ばしいですが、
一晩でベートーヴェンの四重奏を2、3曲弾いた後は、
完全にへたりまくり、消耗します。』
アブラメンコフのイメージを借りると、
それは、際限なく石を運び上げる
シジフォスの苦役のようであるが、
それは四人に責任感や名誉をもたらすものである。」

ということで、みんなでベートーヴェンの好きな点、
特別な点を語り合ったりして、
ベルリンスキーのやりたかった事は、
これだったのね、と納得のようなものが得られた。

結局、彼は、全集を完成させて亡くなることになるので、
こりゃ、恐ろしい執念だ、と唸ってしまう。
80歳を越えた老人が、人をかき集め、
コネを頼りに、何とか夢を果たす、壮大なストーリー。
それだけで泣ける。

私は、是非、このメンバーでも、
ベートーヴェンだけでなく、
シューベルトも録音してもらいたかった。
しかし、彼等は繰り返し、
ベートーヴェンの宇宙的な事を書いていて、
その他は十把一絡げにしているので、
少々、腹立たしくもある。

b0083728_049247.jpgさて、ボロディン四重奏団、
「セリオーソ」の演奏は、
LP時代から有名であったが、
CD時代になってからも、
コペルマン時代に録音があり、
1987年、イギリスでのもの。
これは、たいそう美しいデザインで、
倉庫のシャッターとは大違い。
さすが、ヴァージンという感じ。
録音も、自然で伸びやかで、
20年以上前のものとは思えない。


この演奏、コペルマンがリードしていた時代にふさわしく、
彼の妙技が聴きものである。
従って、四人がまったく均等、という感じはない。

一方、アハロニアンのものは、
さすがに四人で練り上げた、
という表現がふさわしい感じがした。
長々と読んで来た解説が、
もっともしっくりと納得できるのが、
この「セリオーソ」だった。

私は、そもそも、この四重奏曲の攻撃的な性格が好きではない。
従って、コペルマンの快調なものでは、
何も悪い事をしてないのに、責め立てられるような感じがする。
これは、どの四重奏団を聞いてもそうなのだが。

しかし、この演奏では、冒頭からして、
落ち着いたテンポを取っていて、
思慮深い感じがする。

チンピラ風ベートーヴェンが、
少し話が分かる大人になった感じ。
ということで、「セリオーソ」を聞くなら、
今後、これがいいな、という感じ。
アハロニアンのヴァイオリンが、
弱いわけではなかろうが、
うまく、他の奏者とブレンドしている感じがする。

オリジナル・メンバーのものは、
もっと冷徹だったと思うが、
探せていないのが残念だ。

セリオーソの解説はこんな感じで、大変、難しい。

「二つの魅力的な四重奏曲が、
中期と後期のベートーヴェンの間に、
気をもませるようにおかれている。
チェリストのベルリンスキーは、
作品74は、先立つ、
野心的なラズモフスキー四重奏曲の整理であり、
それから1年余りして、1810年に書かれた
四重奏曲ヘ短調作品95は、
後期四重奏曲に接している。
それらのものと同様に、
作品95は、繰り返しなしという制約を課されている。
この場合、当時、同じヘ短調で、
ベートーヴェンが直面していた、
『エグモント序曲』の、公的、英雄な悲劇を、
この上なく凝縮したものとなっている。
彼の他の依頼された四重奏曲とは異なって、
作品95は、『公で演奏してはならず』という、
先例のない禁止が記されていたが、
彼の生前でもそれはあって、
1825年に、まだ十分書けていなかった、
作品127の代わりに演奏されていたし、
その頃までには印刷されて出回っていた。
独特なのは、作曲家自身が、『厳粛な四重奏』と、
サブタイトルを記したことで手稿に見られる。
この四重奏の各楽章は、
当時先端のアイデアで火照っている。
ベルリンスキーは、
突然のオープニングバーのヘ短調ユニゾンと、
作品18の1を開始させるフレーズの
魅惑的な関係を歌ってくれた。
事実、この着想はずっと現れ、
しかし、同様に大胆な空間を持つ、
ラズモフスキー四重奏曲のものよりも、
もっと劇的な沈黙の後、
これがコントラストをなす
跳躍音型に対抗して現れ、
このわずか3分の楽章の、
短く嵐のような展開部、
そして、短かいが叙情的な、
変ト長調への予期せぬ変容に
エネルギーを与えている。」

なるほど、第1楽章冒頭が、
チンピラ風なのは理由ありだった。
つまり、ベートーヴェン初期の木霊だったということ。

コペルマン時代のものは、
すごい自信で推進力があり、
録音が良いので、冒頭のチェロの掛け合いなど、
妙に生々しい。
新メンバーでの録音は、
若い第1ヴァイオリンにためらいがあり、
チームワークで支える印象。
四重奏としての味が出ている。

このチンピラ風木霊は、特に、低音で響くので、
ヴァイオリンを責めさいなむ感じが出ていて面白い。

「ほろ苦い質感と、和声の不安定さが、
ニ長調の音階のチェロによってアナウンスされる
アレグロ・マ・ノン・トロッポを貫く。
さらに注目すべきは、
楽章中央部に現れる、
果てしない半音階的フーガ風パッセージで、
単純な音階を促し、
開始部の歌を優しく浄化するものである。」

この楽章は、もともと内省的だが、
ここでは、ヴァイオリンがいじいじしていて、
曲想に合っている。
フーガの部分も、いじいじが重要。

私は、「ます」の五重奏曲も、
単に爽やかに弾くのが良いとは思っていない。

コペルマンは、気持ちよく弾きすぎ。
が、ここに惚れる人もいるだろう。

「(『ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソ』という
奇妙な注釈のついた)スケルツォで、
ぶっきらぼうに、ヘ短調が再度、主張し、
第1ヴァイオリンが休みなく動く中、
低音弦に、奇妙な和声進行があるトリオの
離れた調性に解放する。」

この楽章も、パワーで押し切っていないのが嬉しい。
トリオも、集団で味が出るものと心得た。

「苦痛に満ちた、ゆっくりした序奏のあと、
主調が現れ、終曲を支配する。
ここでベートーヴェンは最後まで衝撃はとっておく。
古典の先例では、ヘ短調による解決を用意するが、
コーダの不自然なまでの優美さや、
陽気さは、エグモント序曲の勝利の突撃とは、
何光年も離れている。」

セリオーソは、20分台でぶっ飛ばす演奏が多い中、
落ち着いて聴けると思ったら、
このCDでは22分をかけていた。
それ以外にも、アタックが弱いなど、
恐らく、老人に配慮した部分も多いのだろうが、
私はこれで良い。

「公開演奏禁止」だとしたら、それほどの名人芸は不要である。

私は、このCDの3曲では、第14番や、大フーガの方が好きだが、
今回、「セリオーソ」比較で、満腹である。
チェロ主体の合奏も良い。特に「ます」の五重奏などは、
低音弦が重要な役割を果たすので、こうした演奏で聞きたかった。

得られた事:「ベルリンスキー、徳川家康説。信長ドゥビンスキーと、秀吉コペルマン去った後、遂に天下を取る。」
「チェロがリーダー格の四重奏団も良い。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-03 00:44 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その242

b0083728_9452335.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団が、
リヒテルと録音した、
シューベルトの「ます」は、
長年にわたって名盤とされてきたが、
私は、あまり楽しめないでいる。
今回、リヒテルのシューベルト、
それから、ボロディン四重奏団の、
西側デビュー以来の歩みを追体験し、
改めて、彼等のシューベルトを
聞き直してみたい。


これまで聴いて来たところ、
ボロディン四重奏団の力感がありながら、
透明さを大切にしたアプローチは好ましいものに思ったので、
シューベルトでも、それは活かされて良い結果を生むはずだ。

さて、ここに取り上げるものは、
彼等が共演した最後の記録のようなCDで、
シューマンのピアノ五重奏曲である。
ライブ録音で1994年のもの。
6月16日、18日とあるが、
二日の公演のつぎはぎなのだろうか。

その前に収められた、
シューベルトの「死と乙女」が、
1995年8月のスタジオ録音である。

「何十年も同じメンバーで続いていた、
ボロディン四重奏団も、
最近、メンバーが変更になった。
このリリースは、コペルマン、アブラメンコフ、
シェバーリン、ベルリンスキーによる
最後のものである」と、解説にも書かれている。

この四重奏団、
第1ヴァイオリンとヴィオラが、
1996年に代わっている。

表紙デザインは、曲想を表したものではないが、
落ち葉に埋め尽くされたベンチ二つが、
彼等の長い来し方を表現しているようで味わい深い。

独テルデックレーベルのものだが、
カバー・フォトは、Mehlig/Mauritiusとあるが、
モーリシャス?
ロシアの音楽家が、
独墺の作曲家を演奏したものだが、
すごい落ちである。

しかし、ボロディン四重奏団は、
ショスタコーヴィチはメロディアやバージンから出たし、
シューベルトの「ます」はEMIから、
これはテルデック、
さらにこの後のメンバーのものは、
確か、シャンドスから出て、
様々なレーベルを変遷したアーティストたちだ。

特にシューベルトの弦楽四重奏の場合、
あちこちに分散していてややこしい。

この楽団は、西側に出た当初の、
透明で古典的な凝集感に、
第1ヴァイオリンがコペルマンに代わってから、
艶やかな広がりを加えた印象だが、
この「死と乙女」は、
その長所のとてもよく出た演奏だと思う。

死の影をもよせつけぬような、
美しい音色が放射されている。

このCDの解説は、
Bettina Fellingerという人が書いているが、
この解説は、以下に見るとおり、
死の想念を強調したものであるだけに、
ちょっと、内容の不一致が生じている。

また、このCDに収められた、
全く関係ないはずの2曲が、
何となく関連あるような書きぶりなのである。

冒頭に、歌曲、「死と乙女」の歌詞(クラウディウス作)
が上げられている。

「乙女:
通り過ぎて、通り過ぎて。
死の惨たらしい有様よ、
私は、でも、若いの。行ってちょうだい。
私に触らないで。
死:
あなたの手を出して、愛らしく優しい子、
友達だよ、責めたりはしない。
楽にして、乱暴はしないから。
私の腕の中で静かに眠るだけだよ。」

改めて書き出すと、
ものすごく気味の悪い内容である。

この解説によると、この四重奏曲は、
単に、この主題を借用したものではなく、
強烈にこの死に起因するものだと言う。

「フランツ・シューベルトの名前は、
ロベルト・シューマンのエッセイ『音楽と音楽家』の中で、
当時の作品を批評する際に、
数限りなく取り上げられている。
これは、彼が、その時代の作曲家の成功や失敗を、
ベートーヴェンやシューベルトを基準にしていたからである。
また、特別な作品に対する文章は、
歌曲王、シューベルトの芸術を祝う、
称賛の賛歌となっている。
シューマンはごく初期からシューベルトを崇拝し始め、
その感情はすぐに熱狂以上のものになった。
血気盛んな青年として、
彼は1928年のシューベルトの死に深く動かされ、
その報を聴いた際、
彼が一晩中むせび泣いていた事を、
隣人は回想している。
しかし、シューマンは、
必ずしもシューベルトの作品に、
無批判な態度を取っていたわけではない。
交響曲と歌曲については、
『新世界の創造者』として認めていたものの、
その室内楽の評価に関しては、
より慎重な態度を取っていた。
弦楽四重奏曲第14番ニ短調は、
彼が徹底的に是認した一握りの作品の一つである。
事実、シューマンはこの作品を、
ベートーヴェンの最初の子供の
特に成功したものと考えていた。」

シューマンが評価したシューベルト作品としては、
まず、大ハ長調交響曲があり、
室内楽で言えば、ピアノ三重奏曲などが広く知られるが、
「死と乙女」を激賞していた記憶があまりない。

しかし、この解説者は、その文学性ゆえに、
この作品をさらに高く評価していたように書いている。

「シューマンは恐らく、
『死と乙女』と題されたニ短調四重奏曲を、
音楽的でない意味合いを、
一般に室内楽に用いられる形式構成に、
入れ込むことができるかという、
完璧な例証と考えていた。
それが持つ詩的な想念が、
そのロマン的心情に訴えたものと思われる。
ハンス・ホランダーが述べたように、
この四重奏曲は、
『死と解放に関する永遠の主題の音楽的パラフレーズ』
なのである。
シューマンはシューベルトを、
その死の憧れゆえに、
詩人ノヴァーリスと対比しても良かっただろう。」

私は、この四重奏曲は、
第2楽章にたまたま、この主題を選んだものと考えていたが、
そのような考えは、厳しく叱責され、否定されるのが、
今回の解説の趣旨である。

また、このブログの主題たる、
「ます」の四重奏曲も、それになぞらえられている。

「シューベルトの音楽作品のいくつかは、
文学的着想から霊感を得ている。
ピアノ五重奏曲D667も、
彼の特に有名な歌曲『ます』(D550)の引用ゆえに、
不朽の成功を確実にした。
その5年後に書かれたニ短調四重奏曲でも、
再度、彼は歌曲からの一節を引用した。
1824年にこれを作曲する少し前、
彼は深刻な病気にかかっており(1823)、
この四重奏曲は、徹底的に個人的な作品となっている。
マティアス・クラウディウスの詩、
『詩と乙女』という、文学的なモデルを得て、
シューベルトは彼が実人生で経験した、
希望と死への恐れの対話を、
美学的な言葉に翻案することを試みた。」

ということで、この曲を作曲した時の、
シューベルトの心理は、
1.病気にかかった
2.こりゃまるで「死と乙女」の心境だな、と考える
3.四重奏曲を書こうとすると、「死と乙女」で溢れてしまう
という感じか。
さらに恣意的に考えると、
3’.四重奏曲を、この死の乙女の対話で埋め尽くそうと設計を開始
ということになる。

それを参考にすると、「ます」の場合、
1.シュタイアーの街で楽しかった
2.こりゃまるで「ます」の心境だな、と考える
3.五重奏曲を「ます」の気分で埋め尽くそうと設計開始
ということになるが、
実際は、歌曲「ます」が好きだった人に、
作曲を依頼されたのだった。

が、これが契機になって、
「ます」の歌曲が前半で歌う、
束縛のない自由さが、当時の解放感に調和し、
全曲にこの歌曲の気分がみなぎるように設計したとも考えられる。

「ホランダーは、
『歌曲に基づく変奏曲は、
深刻な性格だった作品に、
気ままに追加されたわけではない』と指摘する。
反対に、
『それは核に等しく、
全作品の詩的で象徴的な開始点なのである』。
シューベルトは、7年前に作曲した、
クラウディウスのテキストによる
歌曲の一節を利用した。
こうした、音楽的なほのめかしは、
アンダンテ・コン・モートの変奏曲楽章で明確で、
『楽にして、乱暴はしないから。
私の腕の中で静かに眠るだけだよ』の部分を引用している。
この動機の一部は、二つの続く楽章でも現れる
(この理由によって、フィッシャー=ディースカウ他は、
この曲を『死の舞踏』と呼んだ)。
終曲で、この曲は、
シューベルトの『魔王』(S328)の、
『お父さん、魔王が見えないの』を引用して、
スリリングなクライマックスに向かう。
今や、それが、1817年に書かれた歌曲の、
懐柔的な結末を注意深く避けようとした、
見識であるということに直面せずにはおれない。」

難しい言い回しだが、「死と乙女」の歌曲は、
激しい終結部を持たないがゆえに、
「魔王」のパワーを利用した、
ということだろうか。

「シューベルトのニ短調四重奏曲は、
内心の告白のようなもので、
作曲家が、自らの死すべき運命を見定めた結果と見える。
この曲のユニークな質感は、
救済と無慈悲な絶望のムードのイメージを
描いたことからもたらされている。
シューベルトは、
自身の最後が近づいていることを予期していた。」

ボロディン四重奏団の演奏は精緻で、
かつ、推進力に富んでいて美しい。

第1楽章の冒頭からして、
悲鳴のような音ではなく、
堂々としていて野心作が始まった、
という実感がある。
提示部の繰り返しもあって、
マスターワークであることが確認される。

第2楽章の変奏曲も、格調高く落ち着いている。
変奏によっては、素っ気ないほどの表情で進むが、
べたつきがなく気持ちがよい。
こんな点は、西側デビュー時からの、
彼等の美学と言えるかもしれない。

解説にあるような文学的な解釈は、
ここではまるで反映されていないようだ。
しかし、音楽の密度が次第に凝集していく様は、
さすがと言わざるをえない。

第3楽章のスケルツォも、
剛毅な主部に、繊細なトリオの対比が美しい。

終楽章も、楽譜のままを、
明晰に力強く演奏した、という感じで、
芝居がかっていないのが気持ちよい。
この曲の場合、ただでさえ、
息詰まるような緊迫感が負担になりがちだが、
この演奏では、むしろ勝利感すら漂う明るさがあり、
私にはありがたかった。
コペルマンのヴァイオリンの楽天的なカンタービレが、
そんな感じを強調している。

ただし、その分、他のメンバーが脇に追いやられ、
いくらか迫力不足のクライマックスかもしれない。
この解説にあるような、
どうしようもなさ、みたいなものまで追い込んでいない。

解説で触れられていた、「魔王」の、
「お父さん、魔王が見えないの」のメロディも、
むしろ耽美的に響いている。

「19世紀の室内楽において、
悲音楽的着想は一般的なものであり、
シューマンのこの分野の作品も、
絶対音楽と考えられることはなかった。
ピアノ五重奏曲作品44は、
チャイコフスキーのお気に入りの作品で、
典型的なロシア人の熱情で、
『情熱と魔法』の充満と考え、
緩徐楽章については、『愛する者の悲劇的な死』
を描いていると述べた。
事実、シューマンは1842年、
第3楽章に『シェーナ』と書いたスケッチを残し、
この種の詩的な着想の事実を仄めかしている。」

ということで、ここでも「死」が出てくる。
偶然のように組み合わされた二曲であるが、
ここでは、あたかも、「死」というテーマで選ばれた、
ロマン派の室内楽、といった感じでまとめられている。

しかし、ボロディン四重奏団の第2期メンバーの最後期と、
リヒテル晩年に録音された二曲は、
本当に最初から組み合わされる目的があったのだろうか。

ブックレットを見ると、
エクゼキューティブ・プロデューサーが、
シューマンがデッケンブロック、
シューベルトがケッチとなっており、
別企画が、かれらの死やメンバー交代によって、
無理矢理、合体したような感じである。

あるいは、シューマンはブラームス、
あるいは、ピアノ四重奏曲あたりと、
「死と乙女」は他の四重奏曲と、
組み合わされる予定があったのかもしれない。
メンバーが交代してしまい、
出来なくなってしまったこともあっただろう。

ちなみに、「ロザムンデ」の四重奏曲は、
1991年にすでにヴァージン・レーベルに録音してあるので、
組み合わせとして、これしかなかった可能性もないわけではない。

などつべこべと考えるのも面白い。

しかし、さすがボロディン四重奏団用の解説である。
彼等が得意とする、チャイコフスキーが唐突に登場するのが良い。
そこまで解説者は配慮したのだろうか。

とにかく、この解説では、
シューマンの五重奏にも、
死のイメージがあると言うが、
私は、これまで、そんな事を考えて聴いたことがなかった。

緩徐楽章は、第2楽章だと思うが、
第3楽章のスケッチの話も出てくる。
混乱するが、下記に大改訂の話もあり、
楽章が入れ替わったのかもしれない。

言われてみれば、第2楽章は、
悲しい音楽である。
しかし、この部分を聴きながら思ったのだが、
リヒテルのピアノは、妙に句読点を明確にしたがっているようだ。
重いし、神経質に音が打ち込まれる。
リヒテルは、この曲の中に、
何かそうしたものを見てしまったのかもしれない。

が、それはボロディン四重奏団の行き方ではない。
しかも、ピアノがややクローズアップされた録音が、
それらを調停させていない。

コペルマンはリヒテルのような大家の前に、
持ち前の楽天性を発揮しきっていないのではないか。

このような行き方は、
シューマンの沈鬱には対応していても、
シューベルトの「ます」などは、
喜びが舞い上がらないのであろう。

ちなみに私は、シューマンでも、
これは重すぎるのではないか、
と思った。

ボロディン四重奏団も興奮すると破綻する事があるが、
彼等は一歩引いているようで、
リヒテルは、それにお構いなく、
思うがままに振る舞って、
ボロディン四重奏団の透明感を濁らせているようにも思える。

先入観かもしれないが、
リヒテルのような音楽家は、
自分の考えを共有しようと努力することなど、
考えなかったのではないだろうか。

「この五重奏曲は、
シューマンの室内楽作曲期に書かれた。
1840年、ピアノ曲の作曲を離れ、
『歌曲の豊かな収穫』を開始した。
それから、続く年、
彼は注意を交響曲に向けた。
さらに翌年、
1838年から、
すでに弦楽四重奏のスケッチをしていたが、
遂に室内楽の世界の探究を始めた。
1842年7月、ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンの室内楽を
3年の長きにわたって詳細検討した後、
シューマンは3曲の弦楽四重奏曲を連続して書いた。
続いて、ピアノ五重奏曲作品44と、
ピアノ四重奏曲作品47が書かれた。
後に、彼は五重奏曲に多くの修正を加えた。
これらの校訂のうち、最も特記すべきは、
変化に富む楽章が主題的に関連づけられたことである。」

これまた、初めて知った。
出版された後のことだろうか。
あるいは、初演の後のことだろうか。
主題的に関連づけるのが、後から出来るものなのだろうか。

「シューマンから、
最終稿をプレゼントされたメンデルスゾーンは喜んだ。
そして、初演に参加したクララ・シューマンは、
『素晴らしく美しく、活力と瑞々しさに満ちている』
と述べた。
後世は、メンデルスゾーンが正しいと証明した。
今日に至るまで、
この五重奏曲は、
ロマン派の室内楽のレパートリーで、
最も人気のあるものの一つである。」

ライブ録音ということだが、バランスはともかく、音質は悪くない。
リヒテルのピアノと、四重奏団の音色の重なりが、
非常に美しく捉えられている場面もある。

第1楽章などは、シューマン当時のピアノで聴きたい感じ。
どばーんと現れるリヒテルのピアノが装甲車のようだ。

ただ、第2楽章における弱音のピアノの向こうで、
ヴァイオリンとチェロが対話する部分など、
無限の幻想の広がりを感じる。
これは、リヒテルが作り出した舞台の上で、
四重奏団の各奏者が演技を強いられているかのような、
不思議な無重力感を感じる部分である。

解説にあるような、愛する者の死のイメージが、
喪失感として伝わって来る。

第3楽章は、スケルツォなので、
自由な飛翔を求めたい。
この楽章もトリオなどは、
ピアノが弱音で伴奏に回るので、
同様の効果が表出される。

が、主部のピアノのリズムに、
リヒテルは自らの感情移入、
もしくは夢遊病状態の陶酔に入り、
我が道を行っているように聞こえる。
おそらく無意識にそうなっている。

終楽章も、ぽつんぽつん、ぼんぼんといった、
ピアノの伴奏や弱音ですら、リヒテルの強烈な主張があり、
それが、最後は主導して引っ張っていくのだから、
いかに猛者ぞろいの四重奏団とはいえ、
ひとたまりもなく、この熱い渦に飲み込まれていくこととなる。

空中分せず、共に熱いだけ良い。

録音バランスがこれを強調しているかもしれないが、
シューマンに一家言持つリヒテルの前では、
妙にレパートリーが偏った四重奏団としては、
こうなるしかないかもしれない。

得られた事:「幻視者リヒテルが、古典的な四重奏団と共演すると、前者の幻想が、後者の美感をかき消してしまう。」
[PR]
by franz310 | 2010-09-12 09:45 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その234

b0083728_23542844.jpg個人的経験:
ボロディン弦楽四重奏団は、
1944年にメンバーが集まり、
46年にプロとしてデビューした、
ソ連のアンサンブルであるが、
76年にリーダー離脱という、
一騒動を経験した。
第1ヴァイオリンの、
ドゥビンスキーが、
西側に亡命してしまったのである。
彼は、さらに新しい団体を作った。


妻のピアニスト、エドリーナと、
チェロのトゥロフスキーとで、
三重奏団を作り、
ボロディン・トリオと名付けた。

作曲家のボロディンは、
偉大な四重奏曲を書いたが、
著名な三重奏曲は残してないので、
極めて、象徴的なネーミングである。

同志たる妻をないがしろにしないためには、
弦楽四重奏団ではダメだし、
残してきた元同僚たちにも悪いと思ったのだろうか。

チェロのトゥロフスキーは、バルシャイの指揮の下、
モスクワ室内管弦楽団の独奏者をしていた人だが、
ドゥビンスキーとどういう関係かは分からない。
解説を読むと、海外公演中に亡命したように見える。

バルシャイは弦楽四重奏団時代からの盟友であるが、
関係があったのかなかったのか。

ちなみに、トゥロフスキーも妻を伴っての亡命と見え、
そのエレオノーラとは、このCDと同じ、
シャンドスから、共演したCDも商品化されている。
あるいは、亡命後に知り合ったのかもしれないが。

さて、76年と言えば、
彼らが得意とした作曲家、
ショスタコーヴィチが亡くなった翌年である。
従って、ドゥビンスキーの行動は、
その死を看取っての亡命にも見える。

このCDは、亡命後7年、
1983年の録音であるが、
敬愛したショスタコーヴィチの五重奏曲、
それから三重奏曲が収められている。

前回、第8弦楽四重奏曲の中には、
ピアノ三重奏曲の引用がある、
と解説に書かれていたが、
どこがそうなのか、ちょっと調べてみたくなった。

また、シューベルトの「ます」と同様、
ピアノと弦楽合奏の室内楽で、
直接の後継者ではないと思うが、
5楽章からなるなど、
類似点もあるピアノ五重奏曲を、
聞き返してみたくもなった。

さらに、ボロディン弦楽四重奏団が、
彼を失って、何がどうなったかも、
ちょっと気になるではないか。

さて、このCDの表紙は、非常にカラフルで、
手にとって楽しく、とても見栄えがする。
太いタッチで、青を基調に、ロシアの雰囲気が、
エキゾチックに立ち込めている。

見ると、エレオノーラ・トゥロフスキーの絵画とある。
チェロのトゥロフスキーの奥さんである。

このような、郷愁に満ちた絵を描く人であるから、
おそらく、彼女も亡命してきたのであろう、
などと、勝手な妄想をした。

この人はヴァイオリンやヴィオラも弾くので、
おそらく、才能ある人なのであろう。

ただし、何故か、ヴァイオリン奏者が、
二人必要とする曲もあるというのに、
残念ながら、この人は加わっていない。
代わりにミミ・ツワイクという人が加わっている。
ドゥビンスキーとエドリーナのつとめる、
インディアナ大学の同僚とある。

また、五重奏曲にヴィオラで共演しているのは、
プリムローズの弟子で、
ファイン・アーツ四重奏団のヴィオラ奏者、
ジェリイ・ホーナーという人で、
ヴィオラも弾けるエレオノーラは、
ここでも落選したようだ。

さて、先に、ドゥビンスキーと、
ショスタコーヴィチとの関係に思いを馳せたが、
このCDの解説は、語り尽くせぬものがある風情。
7ページ以上にわたって、英文が書き連ねられている。

ヨーロッパ盤であるにも関わらず、
他の国の言語はすべて無視されている。

「ショスタコーヴィチは1975年8月9日に亡くなった。
彼は、決して自身の音楽について語らず、
何の説明もしなかったが、
音楽家がそれに理解を示した時は、
興奮して喜んだ。
そしてようやく死後、その回想である、
『証言』を読むことが出来た。
『私の音楽が全てを語っている。』」
という、一文が、解説の真ん中のページを飾っている。

解説に現れる、多くの言葉は、
ロスティスラフ・ドゥビンスキーの、
『音楽だけではなく』という本から、
抜粋して取られているらしい。

この「証言」は、現在では偽書という評価のようだが、
この1983年の時点では、
ものすごい反響があったものだ。

しかし、ドゥビンスキーの著作は、
まさしく、ショスタコーヴィチの本の中の言葉から、
触発されて出てきたもののようだ。

それにしても、ショスタコーヴィチの訃報から、
ソ連崩壊などを、私は同時代人として体験したが、
あの国の内側で起こっていた事など、
つゆ知らずにいたが、
おそらく、こうした実情を語る著作もまた、
そうした歴史を動かしていたのかもしれない。

では、この多弁なヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、どのような経歴かというと、
「モスクワ音楽院でアブラハム・ヤンポルスキーに学び、
1944年、それを終えると、
新設されたモスクワ音楽院四重奏団、
後年のボロディン四重奏団のリーダーとなった。
1968年、この団体は、
25年にわたる偉大な功労芸術家として勲章をもらい、
76年にドゥビンスキーが妻のリューバ・エドリーナと、
ソ連を去るまで、ボロディン四重奏団は、
全世界で3000ものコンサートを開いた」
とある。

音楽一筋の人生ながら、様々な事を感じながら、
この激動の時代を乗り切って来たようだ。
1922年くらいの生まれだと思われる。

したがって、戦争が始まる1940年頃には、
成人する手前の年頃だったと思われる。
スターリンの恐怖も、若い感性で、
身をもって実感した世代なのだろう。

ということで、このCD解説は、
「ドゥビンスキーは思い出す・・」
という題名の文章となっている。

以下、ドゥビンスキーの本からの抜き書きであろう。
ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲が、
作曲された、時代背景が描かれていて、
非常に興味深い。

「ソ連の歴史を通して、1940年という、
ドイツ侵攻の前年に当たる年は、
比較的『静かな』年で、
嵐の前の静けさだった。
革命最初期の『赤色テロ』の時代は過ぎ、
1929年から30年に、
集散のために集められた数百万の農民が、
シベリアに追放された。
1935年から6年の政治的な試行は終わり、
全国各地を巻き込んだ集団逮捕も、
1937年から8年には終わりを告げた。
1939年、ヒトラーのドイツは、
『独ソ不可侵条約』を結び、
『ファシズム』という言葉は、
抹消され、ボリショイ劇場は、
ヒトラー賛美のヴァーグナーを上演した。
小休止があり、生活の緊張はほどけた。
キャビアなど様々なものが、
通常の価格で店に並び、
人々の顔には笑顔が多く見られるようになった。
ショスタコーヴィチは、
ピアノと弦楽合奏のために、
作品57の五重奏を書いた。
彼のことを、
私たちはプーシキンの悲劇、
『ボリス・ゴドゥノフ』の編年史家である、
ピーメンと呼んでいた。
もちろん、ソ連の法律では、
『意味のないことへの熱中』や、
『真実の伝承』などに、
命をかけることとなる人を意味する。」

ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、
やたら、ぎらぎらして、
エネルギーに満ちた作品だと思っていたが、
久しぶりに街に並んだキャビアを思いだそう。

「当時の状況の音楽的反映としての、
ショスタコーヴィチの作品は、
文明化された力を縮約し、
社会の悲哀への洞察する。
彼の人生において、
ソ連の権力がその音楽を二度も禁じたことは、
驚くことではないのである。」

ショスタコーヴィチは、
自身の交響曲を「墓標」と呼んだとされるが、
この力強い五重奏であっても、
何か、悲劇的な色調は強烈である。

「しかし、それを許して以降、
それはさらにやっかいなことになった。
何故なら、ソ連というものに対する真実が、
ショスタコーヴィチの音楽を通じて、
全世界の人々の心に直接的に浸透し始めたからである。
五重奏曲の初演は、1940年11月23日、
モスクワ音楽アカデミーの小ホールにおいて行われた。
作曲家自身とベートーヴェン四重奏団の演奏だった。
主要チームのサッカーの試合にかき消されることなく、
列車の中でも、この五重奏は熱く議論され、
街中で人々は、挑戦的な終楽章のテーマを口ずさんだ。」

問題の1940年も暮れに近い。
翌年からの独ソ戦を予告しなくとも、
世界情勢を見れば、明るい気分にはなれなかっただろう。

非常に鬱屈した、
ショスタコーヴィチ的な雰囲気の中、
強烈に意志的なものを感じさせるのが、
この曲の魅力で、
それが、当時の聴衆の共感を呼んだのかもしれない。

しかし、私は、この曲を学生時代から知っていながら、
あまり良い曲と感じたことはなかった。
持っていたレコードは、
このドゥビンスキー時代のボロディン四重奏団、
ピアノは、ここでも弾いているエドリーナであったが。

しかし、今回、このCDを聴いてみて、
こんなに内省的な音楽だったかな、
と首を傾げた。

ドゥビンスキーは、ソ連の制御から解放され、
ショスタコーヴィチも「証言」を書いたし、
ここは1つ、違う行き方で行くか、
と進路変更したのだろうか。

「戦争がすぐに始まり、それが国家の運命や、
人々の意識を完全に変え始めた。
より良い生活に対する偽りの希望や、
革命に対する犠牲は無駄ではなかった、
という希望などがあったとしても、
この希望は、再び現れることはない運命であった。
この五重奏曲は、
暗い闇の中に沈んでいく未来を前にしての、
最後の一条の光で、当時の人々の意識を反映している。」

第1楽章は、壮麗なレントの前奏曲であるが、
ここには、高ぶった作曲家の意志が充満している。

第2楽章は、アダージョのフーガで、最も長い楽章。
この部分の静かな美しさは、特に印象深い。
まさしく、深い闇を前にしての、
壮麗な日没を見るようだ。

第3楽章は、スケルツォであるが、
昔のLPなどは、かなりどぎつい表現だったような気がする。
今回はそうでもなく、キャビアが普通の値段で、
店に並んでいる商店街を連想する。

第4楽章は、レントの間奏曲。
あっさりと薄いテクスチャーで、
悲しげで、無力感の漂うメロディーが奏でられるが、
昔の演奏は、こんなに静かだったかなと思う。

私のイメージでは、この曲は、
どんちゃらした変な作品だったのだが、
非常に心を込めた作品として聞こえる。
このあたりのドゥビンスキーの音色を聴けば分かるが、
この人のヴァイオリンは、乾いた音色で、
一点一画をゆるがせにしないもののようだ。
だから、ラヴェルのような作品で、
精彩を放ったのだな、と納得してしまう。

ここでも、銀色のレースのような、
はたまた、真実を刻み込むような表現に、
この音色が向いていると思ったりする。

第5楽章、急に、ピアノが優美な表情を一閃させ、
美しい楽想が流れ出す。
ここもまた繊細だ。
エドリーナのピアノは、前の演奏では、
意味も無くけばけばしかった記憶があるが、
今回の演奏は落ち着いていて嫌味がない。

ショスタコーヴィチの音楽に珍しく、
ここには、生き生きとした輝きがあるが、
その意味では、ここだけは、
シューベルトの五重奏の精神を、
いくばくか受け継いでいるような気がした。

今回、これを聴くと、妙に神妙な気持ちにさせられた。

そもそも、この演奏を初めて聴いた時、
何だか、よく聞こえないCDだなあ、
と思った記憶があるが、
ショスタコーヴィチの「証言」以降、
かなり初期の演奏であり、
作曲家に近いところにいた人の演奏だけに、
自問自答しながら、
細心の注意が払われたものと思われる。

以下は、ここに収録されたもう1曲、
ピアノ三重奏曲第2番作品64の作曲された時期に関する、
ドゥビンスキーの言葉のようだが、
彼はユダヤ系だったのだろうか、
過酷な彼らの運命が記されている。

五重奏曲とは異なり、
この曲そのものの解説にはなっていないが、
終楽章で出てくる「ユダヤの歌」が、
この曲の重要な要素であることから、
味わうにふさわしい文章と言える。

ちなみに、この「ユダヤの歌」は、
自伝的な「第8四重奏曲」でも引用されるものだ。

「・・・第二次世界大戦は終局に向かったが、
ソ連内では、その人民に対する新しい戦いが、
新局面で始まろうとしていた。
『共産主義』のキャンペーンは進化して、
別の側面の新語、『根無し草のコスモポリタン』が登場した。
この言葉の意味は十分理解することは出来ず、
人々は単純な言葉『ユダヤ』を当てはめた。
若いユダヤ人に次々と門戸は閉ざされ、
次第に行政の仕事から閉め出され、
結局、どの職業もそうなった。
音楽院のユダヤ人教師も解雇され、
ロシア人がその席を占めた。
音楽院大ホールの、
メンデルスゾーンの肖像は天井から消えた。」

ナチスだけでなく、
ソ連もまた、ここまでやっていたのである。

「新聞は一般の意見を準備し、
特別に選ばれたユダヤ人の名前が、
毎日の記事となる。
これが人々を駆り立て、
考えや行動に方向をさだめ、
街頭でユダヤ人を侮辱しても罰せられなくなった。
公式には、反ユダヤ主義は、法に反していて、
ソヴィエト憲法には、それを許さない条項もあったが、
それに言及するという考えは、
まったく誰の心にも生じないのであった。
ユダヤ人は常時警告を受けながら暮らし、
隠れ、ひそひそ声で小話が互いにささやかれた。
こうしたジョークは束の間の間、緊張を和らげた。
ユダヤ人らは、恐怖を隠しつつも、
絶え間なき運命の呵責に従うしかなかったのだ。」

以上は、どうやら、ドゥビンスキーの言葉らしい。
解説を書いているのは、
前回のCDにも登場した、
ロバート・レイトンなので、
以下は、彼自身の言葉なのであろう。

この三重奏曲、最近、演奏される事が増えているが、
私は、そんなに興味を持ったことがなく、
解説を読むのも始めてだと思う。

「ショスタコーヴィチは、トリオ作品64を、
1944年に作曲した。
初演はモスクワである。
演奏は、作曲家自身と、
ベートーヴェン四重奏団のメンバー、
ツィガーノフとシリンスキーであった。」

何と、ベートーヴェン四重奏団は、
弦楽四重奏のみならず、
こんな曲も初演していたのであった。
しかし、1944年、
日本人にとっても、
考えるだけで気が滅入る年だ。

「曲は荒廃した印象を残した。
人々はあからさまに声を上げ、
トリオ最後のユダヤ的な部分では、
反響が大きく繰り返されずにはいられなかった。
当惑して神経質になったショスタコーヴィチは、
何度もステージに呼ばれ、
決まり悪そうにお辞儀をした・・
初演の後、トリオは演奏が禁じられた。
誰もそれに驚かなかった。」

なるほど、こんな音楽を、
ショスタコーヴィチは、自身の遺書とされる、
「第8四重奏曲」で引用していたのである。
これだけでも、妙に、危険な行為ではないか。
まさしく、「遺書」というのも冗談ではなかったわけだ。

「この三重奏は、音楽のみならず、
何か別のものを表現しており、
何か真実をそのまま翻訳したような感じがする。
これを逐次言葉にすることは、
意味のない仕事である。
一人一人の聞き手が、これを自身の考えで、
聞き取るべきであろう。」

いきなり、このように、
解説をやめてしまうのかと思ったが、
何とか、話を続けてくれて良かった。

「しかし、このトリオの演奏の後、
聴衆は気を滅入らせて押し黙り、
拍手を急ぐ必要を感じない。
虐待された作曲家の苦い言葉を聞き、
理解することが出来ないだろうか。
公式には、このトリオにプログラムはない。
しかし、ショスタコーヴィチの近くで30年仕事をし、
その全四重奏曲を演奏し、
繰り返しその五重奏曲を共演した人は、
何を彼が感じ、音楽の中で、
言いたかったことが理解されないわけはないと思う。」

そこまであからさまな音楽、
この苦難の時代の音楽だと思うと、
聴きたいような聴きたくないような。

しかし、ボロディン・トリオは、
まさしく、この曲を演奏するべく、
亡命したような団体ではないだろうか。

彼らは、モーツァルトからベートーヴェン、
シューベルトなど、古典の三重奏曲を、
端から端まで録音していたが、
別に、ソ連産の演奏で、これらを聴きたいとも思わなかった。

以下、解説を書く人が、考えを撤回して、
言葉にしてくれて助かった。

「もし、まだ、このトリオを
言葉で表現したいと思うなら、
不安な不運の予感のように、
この曲の冒頭は響く。
慈悲なしにどう克服するか、
スケルツォの第2部では、
死の舞踏の、冷酷で破壊的な爆発があるのを感じる。」

このトリオ、この曲の第1楽章に明らかだが、
かなりヴァイオリン主導型と見た。
徹底的にヴァイオリンが前面に出て、
表情の隅々まで彫琢していくような感じである。

第1楽章は、確かに、最弱音の開始が不気味。
アンダンテからモデラートになるが、
そんなに陰惨な感じはなく、
メロディもショスタコーヴィチにしては、
明解である。

第2楽章がスケルツォであるが、
明るく楽しいダンスのように聞こえる。
死の舞踏の冷酷さよりも、
次の楽章、ラルゴの悲しさとの
落差を狙ったみたいにも思える。


「第3部パッサカリアでは、身の毛もよだつ、
ピアノの和音を聞く。
『イヴァン・デニソヴィッチの一日』の
収容所の囚人が、
線路を叩くハンマーの音ではないのか。
強制収容所の中で聴くような、
悪魔の音響が音楽会場をよぎり、
ヴァイオリンとチェロは嘆き、
非業の死を遂げた者を悼む。」

私は、この解説を書いている方々には
笑われるかもしれないが、
強制収容所のハンマーの音を、
ここから聞き取ることは困難であった。

きっちりしたヴァイオリンが主導する
ボロディン・トリオの演奏は、
そもそも、そうした感情的なものではなく、
かなり古典的な清潔感を好む。

「トリオの終楽章はクライマックスで、
ショスタコーヴィチ自身のクライマックスであった。
そこにあるユダヤ的な動機は、
力強い抗議の怒りにまで達する。」

この主題が何故、ユダヤなのか、
よく分からなかったが、
確かに、プロコフィエフの「ヘブライの主題」に似ている。

「真実を語りたい芸術家の
市民としての勇気は、
このことゆえに、ソ連時代を通じても、
ロシア音楽史において類例のない、
文化活動上の死刑宣告を受けた4年を過ごすこととなる。
終楽章は連続的にテンションを上げ、
室内楽では珍しいフォルテテッシモに至る。」

非常に悪趣味な音楽表現で、
演奏会で聴いたら、かなり強烈であろうが、
あまり休日に部屋で聴きたいとは思えない。

戯画的にまで強調された表現であるが、
駆け巡るピアノなどは、とても美しい。

何だか、あれだけ雄弁な文章を書いた人が、
あまり扇情的な表現を取っていないのは、
少々驚きである。

「表現手段を使い果たした事は、
予期なくしてヴァイオリンもチェロも、
ミュートしてしまうことから分かる。
死の苦しみの中で、
鋼鉄の手で喉を絞められる
この国全体の運命に対するクエッションマークのように、
トリオは、存在が抹消されるが如く、
最初のユダヤの動機が消えて終わる。」

曲の終わりも、「第8交響曲」や、
「チェロ協奏曲」のような不思議さはなく、
おわっちゃった、という感じしかしなかった。


解説はまだまだ続くが、
この辺で終わりにしたい。

私は、ショスタコーヴィチの死と、
ドゥビンスキーの亡命の関係が、
ここに書いてあるかと思ったが、
それは見つからなかった。

が、ヤバい祖国の実情を、音楽で世界に発信してくれた、
偉大な作曲家がいなくなった今、
もはや、ここには救いがない、
といった感情が、ドゥビンスキーにはあったかもしれない。

しかし、このCD発売当時、まだソ連は実在していたはずで、
このCDの存在そのものが、かなり危険な感じがする。

この解説が、必要以上に長大で、
アジテート気味なのも、
ひょっとすると、そうした、
政治的な背景もあってのことかもしれない。

得られた事:「『証言』以前、以後で語られる、ショスタコーヴィチ演奏であるが、率先して室内楽で転向を果たしたのが、ボロディン・トリオであった。」
「ボロディン四重奏団結成時のリーダー、ドゥビンスキーは、雄弁な著述家であり、神経の行き届いた表現で聴かせるが、乾いた音に特徴がある。」
[PR]
by franz310 | 2010-07-10 23:54 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その194

b0083728_2035104.jpg個人的経験:
さて、ピアノ三重奏曲の巨匠、
コジェルフについて書いた所で、
ピアノ三重奏団に、
ついつい脱線してしまった。
ここで、コジェルフに戻って、
その大作についても見て見たい。
そもそも、シューベルトは、
コジェルフはまだましだ、
などという発言をしていているから、
どうも気になる存在なので。


しかも、前回の話によれば、
シューベルトの初期作品には、
コジェルフの様式の模倣があるらしい。
これは避けて通れなくなってきた。

前にも書いたように、コジェルフは、
モーツァルトの後任の宮廷作曲家である。
しかし、モーツァルトより年配で、
サリエーリなどと同様、この天才小僧が、
気になって仕方がなかった立場である。

モーツァルトが早世したので、
先のポストも回って来た。

これまで、交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ三重奏曲などを聴いたが、
今回は、さらなる大作、オラトリオも聴いて見た。

1785年頃、コジェルフとモーツァルトの戦いは、
しのぎを削っている感じで、必死で、飽きっぽい大衆を前に、
それぞれが戦おうとしているイメージがある。

モーツァルトお得意のピアノ協奏曲の連作も、
この頃、打ち止めの兆候が始まり、
24番や25番では、すでに一連の実験もやり尽くした感が漂う。

分かりやすいが、くどいということで、
コジェルフの作品にも、
そろそろ飽きの兆候が来ていたようなので、
どっちが勝ったかはよく分からない。

コジェルフのシンプルさの方が、
モーツァルトのごてごて趣味よりも、
どうやら、大衆は支持していたようにも思える。

このあたりは、いろいろ聴いたり読んだりして来て、
勝手に妄想した印象である。

そんな絶頂期、あるいは、
そこから転げ落ちる一歩手前のコジェルフが、
1787年に放ったのが、今回、取り上げる、
オラトリオ『エジプトのモーゼ』である。

このCD、二枚組で高いので、買う時に大いに迷った。
そもそも、モーゼが何者であるかなどは、
キリスト教圏の人でも、よく分からず、
何だか知らないが、海の前で手を広げると、
海が半分に分かれる魔法使い、
という印象しかないのではなかろうか。

最も、日本では売りにくいCDと見た。

聖書の要約を見ると、
エジプトでユダヤ人が迫害された時、
王女の手で隠されて育てられていたユダヤのモーゼが、
同胞をエジプトから脱出させる物語が出ている。

ただし、簡単にはいかず、すっかり奴隷根性に陥っていた同胞や、
王様を納得させるのに四苦八苦する様が印象的である。

何しろ、王様が反対する度に天変地異が起こるのだから、
それを描写すれば、すさまじい音楽になりことは必至である。

ようやくエジプトから脱出した後で、
王の軍隊が追ってきた時、紅海が割れて、
その中をユダヤの民が進み、軍隊は波に飲み込まれてしまう。

それでめでたしめでたしとはならず、
長らく異教徒に支配されていた、
イスラエルの民たちの信心はしょぼく、
唯一の神エホバの元での結束を欠いていた。

そこで、モーゼはエホバの言葉を聞くべく、
シナイ山に登り、そこで二枚の石版を得る。
エホバの律法、十誡である。

このCD、疲れ果てた爺さんが、腕を広げ、
何やら見せているが、これがモーゼと、
彼が得た石版であろうか。

1600年から1625年の間に描かれた作者不詳の、
「Gesetzestafeln(掟の板)を持つモーゼ」とある。

コジェルフの作品は滅多に聴けないので、
思い切って購入したが、
先に述べた知識から来る期待は、
実は、ほとんど裏目に出る。

この絵からの印象ともまるで違う。
モーゼは若者だし、石版も出てこない。

解説は、Angela Pachovskyとあり、スラブ系のイメージ。
コジェルフはボヘミア出身なので、
こうした研究家が出るのかもしれない。

「出エジプト記に基づくエジプトのモーゼ、
または、イスラエルの民の解放」
という題のようである。

まず、いつものように、コジェルフの生い立ちである。
これまでも何度も取り上げたが、
なかなか暗記するまでにはなっていないので、
復習することにする。

「今日では、コジェルフは、
ハイドンやモーツァルトから派生する文献で、
二流の人物として知られているにすぎない。
19世紀に書かれた音楽史においては、
ハイドンやモーツァルトに対する陰謀を企む悪役で、
これが生前、異常に人気を博し、成功した作曲家を、
喜んで忘れることに貢献している。
レオポルド(本来はヨーハン)・アントン・コジェルフは、
1747年6月26日、ボヘミアのヴィルバレーで、
音楽一族の家に生まれた。
彼の兄弟のアントン・トーマスは、
1784年にヴィーンにて音楽出版を営み、
年上の従兄弟、同名だった、
ヨーハン・アントン(1738-1814)は、
プラハの聖ヴェイト聖堂の合唱指揮者で、
この分野の作曲で知られていた。
この作曲家の従兄弟との混乱を避けるため、
コジェルフはファーストネームを、
1770年代のはじめにレオポルドに変えた。
法学を志しながら、従兄弟とF・X・ドゥセックに音楽を学んだ、
プラハでの修業期間のあと、31歳のコジェルフはヴィーンに向かう。
まず、ピアノの名人として短期間に名声を確立、
同時に教師としても引く手あまたとなり、
貴族階級とも繋がりを持つようになった。
彼の素晴らしい名声は、たちまち、ヴィーンを越え、
1781年に、ザルツブルクから、
モーツァルトの後任の宮廷オルガニストの職の誘いを受けた。
彼はその地位がキャリアアップに不要と考え、
その申し出を断っていることからも、
コジェルフが甘受していた当時の雰囲気が偲ばれる。
彼は当時の嗜好を取り入れた作曲で成功し、
作品は普及し、ヴィーン内外で、
数多くの作品が出版された。
1792年6月12日、皇帝フランツ二世は、
高給をもって、宮廷作曲家と室内楽指導者に迎えた。
1818年5月7日、コジェルフがヴィーンで亡くなった時、
彼は、当時あったほとんど全てのジャンルにわたる、
膨大な作品を残していた。」

このようなコジェルフの生涯概観は、
これまでも読んでいたものと何の付け足しもない。
いったい、この高給というのがいくらなのか、
そこが知りたいのだが。

ここからが、この作品の解説となる。

「1787年、すでに名声の絶頂にあったコジェルフは、
ヴィーンの音楽家協会から、1曲のオラトリオの委嘱を受ける。
この協会は、1772年、
フローリアン・レオポルド・ガスマンによって、
寄付を音楽家の未亡人や、
孤児救済にあてるために創設されたもので、
音楽家からの寄付や、
受難節とクリスマスの期間に、
定期的に開催される音楽会によって、
資金を得ていた。」

冬と春の二回あったことを覚えておこう。
そして、この作品は、クリスマス用である。

「特にこの機会のために委嘱されたオラトリオの公演は、
18世紀のヴィーンにおける最初の公開演奏会の、
メインのアトラクションであった。
コジェルフは、今日、台本作者が知られていない、
イタリア語のリブレットを使ったが、
これは当時のヴィーンでは普通のことであった。
イタリア語オラトリオは、ヴィーンの宮廷では、
17世紀中葉からの長い伝統であった。
宮廷詩人、アポストロ・ゼーノや、
ピエトロ・メスタージオがいたように、
18世紀の終りに到るまで、
ヴィーンのオラトリオは必ずイタリア語で書かれていた。
これらの台本は、ヴィーン音楽家協会の作曲家によって扱われ、
ガスマンによって、『La betulia liberata』が、
ディッタースドルフによって、『Esther』や『Giob』が、
ハイドンによって、『トビアの帰還』が書かれた。
コジェルフの『エジプトのモーゼ』は、すでに、
こうしたイタリア語オラトリオの最後期の作品である。
ハイドンの『天地創造』(1798)、
『四季』(1801)の成功によって、
次第にこのジャンルはドイツ語のものが主流となっていく。」

ということで、シューベルトの時代、
イタリア語のこの作品はすでに時代遅れになっていたのであろう。
しかし、音楽の問題ではなく、言語の問題で、
忘れられた音楽作品もあるのだろう。

「1787年12月22日(23日再演)、
皇室国民劇場(昔のブルグ劇場)にて、
『モーゼ』は、ヴィーンで初演された。
1790年12月22日、23日には、
少し改訂されたものが上演された。
さらに、1792年、ベルリンで、
1798年、ライプツィッヒで演奏されている。」

作曲されてから12年経っても再演されているのは、
立派な事と言えるだろう。

「旧約聖書の『出エジプト記』をベースにしながら、
タイトルから想像されるのとは違って、
エジプトからイスラエル人が行進していく、
全過程を描いたものではなく、
出発の前のひとときを捉えたものである。」

ということで、かなり内容に偽りあり、
と言わざるを得ない。

出エジプト記では、様々な天変地異が起こったり、
有名な紅海の水を分けるシーンなどが強烈であるが、
大スペクタクルを期待して、
親子連れで、クリスマスの劇場に出かけると、
とんでもない肩すかしを食らわされる。
連れて行かれた子供は、退屈してぐずったものと思われる。

私も、これを読むまでは、すごいアクションと、
人智を越えた奇跡の連続を期待したものである。

そもそも、登場人物を見れば、それが予想できたのだが。

「モーゼとその弟アーロン(年若いのでソプラノ)と、
彼らに反対する、ファラオと、
モーゼを育てた、その娘マリームに焦点が当てられている。」

この時点でも、私はかなりのけぞってしまった。
アーロンは、てっきり、兄だと思っていた。

以下のように音楽付きストーリーが展開される。
今回は前半を見てみよう。

「ゆっくりとした序奏を持ち、
次の合唱とテーマが共通する序曲の後、
奴隷のくびきに繋がれて嘆く、
イスラエル人の合唱で始まる。
これらの人々を、自由に導く準備が出来たことを、
モーゼが告げると、彼の養母のメリームが現れ、
あらゆる手段で、彼がその決意を変えること、
その企みから遠ざけようとする。
そして同時に、彼がいなくなった後の、
自分を心配する。
モーゼは神の存在を疑う彼女に注意するが、
彼女は神の天罰を人間の計略と見なす。
ファラオの性格は、尊大で執念深い暴君として、
台詞としても、音楽的にも類型的に表わされている。
すでに、彼はイスラエル人を解放すると言っているが、
モーゼはまだ足りないという。」

このあたり、かなり理解不明な思考パターンである。
解放すると言っているのに、いったい、さらに何が必要なのか。

「彼は、エジプトが被った天災を、
単に何者かによる魔法と考えているファラオに対し、
神の意志であることを認めることを要求する。
この要求に、暴君は激怒し、
何だか知らない神が、
勝手に彼の人民を救いに来れば良いと言う。」

王も妥協を知らないが、
私には、モーゼの方が理不尽であるように思える。

「モーゼから助言を求められた、王女のメリームは、
ここで何の結論も出せない。
彼女は、ファラオへの忠誠と息子への愛に、
引き裂かれる。
イスラエル人は、この苦しみの終結を、
神に嘆願する。
オペラのフィナーレの様式による、
効果的で劇的な構成を持つ、
コーラスを交えた大四重唱、
『恐れと希望の間で』(CD1のトラック14)が、
第1部は終了する。
嵐が起こり、土手を越えて洪水が起こる。
このような効果で、音楽家協会のオラトリオは人気を博し、
1784年、ハイドンが『トビアの帰還』の、
有名な『嵐の合唱』に範を求めたものだった。」

登場人物は、こんな感じ。
メリーム:王女でファラオの娘。
Simone Kermesというソプラノ。妖艶な美女の写真有り。

モーゼ:メリームに庇護され養育された。アーロンの兄弟。
Markus Schaferというテノールが歌う。真面目そうなダンディ。

アーロン:司祭。Linda Perilloというソプラノ。
写真は、やさしいお姉さんの感じ。

ファラオ:エジプトの王。
Tom Solというバス担当。恐いハゲのおっさん。

あと、イスラエルの民衆を表わすコーラスがある。

CD1:
Track1:シンフォニア。
1787年の作品という事だから、
モーツァルトの三大交響曲前夜の作品。

さすがに、ものものしく、神秘的で、
聴き応えある序奏である。
ティンパニや金管の炸裂に、
木管の不安げな和音が重なる。
主部でも、金管が壮大に吹き鳴らされ、
神話の世界に我々を効果的に連れて行く。
この炸裂感、
ロッシーニの影響を受けたシューベルトと呼んでも良さそう。

Track2:イスラエル人の合唱。
「楽しい時は、主よ、我らに訪れるのですか。
偉大なる神は、我らをこの苦役の中に葬るのか。
主よ、あなたの敵による理不尽な虐待は強まるばかり、
あなたの力も徳も、この不幸には無力なのですか。」

曲そのままの管弦楽の序奏に続き、
混声合唱が悲痛な嘆きを歌う。
活発な伴奏音型も耳に残る。

Track3:モーゼのレチタティーボ。
「何と言う声、おお主よ、何と言う嘆き、
落胆の悲痛が心から溢れている。
違う、不幸な人たちよ、違う。
ここは死すべきところにあらず。
苦役の鎖のくびきは、神のために砕かれん。
今こそ、自由に向けて旅立つのだ。
暴君もその頑固な心を和らげている。
彼もいまや、我らの救出に手を差し伸べている。」

Track4:モーゼのアリア。
「暴君の憤怒も神の掟に従って、
もはや、暗い漆黒の空はない。
心配や恐れを捨てて、不幸で悲しい者たちよ、
今や、自由に帰るのに、
何も怖れることはないゆえに。」

勇ましいメロディーで歌われる、
英雄的な歌で、トロンボーンも鳴り渡り、
気分を大きく高めてくれる。

Track5:メリームとモーゼのレチタティーボ。
「メリーム:息子よ。
モーゼ:母よ。
メリーム:行くの。
モーゼ:神が求めるがゆえに。
メリーム:これが私が受け取る報いなのですか。
モーゼ:メリーム、神よ、出来ることなら。
メリーム:あなたがまだ私に相応しい同情をしてくれるなら、
もし、この嘆きを忘れていないなら、
私の苦しみは去り、涙も乾くでしょう。
だから決心を変えて、お願いです。決心を。
愛しい息子の情愛を、愛する母は請うているのです。」

Track6:メリームのアリア。
「この苦痛に、ああ、息子よ、心動かして下さい。
私の最後の涙に心を。
もし、あなたが行くのなら。
あなたなしにここにいることなど。
私の愛、私の情愛。
もし、最愛のあなたが行くのなら、
私なしに、あなたもそうなるの。」

これも、切迫感に満ちた、
しかも、美声を聴かせるみごとなアリアである。
モーツァルトの「ト短調交響曲」もこうした嘆きの歌の、
延長にあるように思える。

ちなみに、筋としては、
全編が、この延長と考えて差し支えない。
行くの、行かないの、で押し通されている感じ。

Track7:
モーゼ、メリーム、アーロンのレチタティーボ。
レチタティーボといえど、効果的な伴奏。
ピアノフォルテのぽろぽろ音も美しい。

「モーゼ:おちついて下さい、母よ。
あなたのもとからの出発は何も無謀なことではない。
同様の感情はありますが、天が望んでいるのです。
その意思にあなたもわたしも逆らうことは出来ない。
この兆候が分かりませんか。
それは私には十分すぎるほど語りかけるのですが。
メリーム:私は狂って、目も見えないというのですか。
無茶な掟をあなたに突きつけるのは、
何らかの人為であって、神はそんな無謀なものではない。
アーロン:王女よ、何をしようとするのです。
その不注意な唇を抑えて下さい。
信ずるものを働かせ、目を覚まさせるのは偉大なる神なのです。
そんな態度はいけません。
彼を敬い怖れるのです。
彼は不信心に怖れを与える力もお持ちです。」

Track8:アーロンのアリア。
このアリアはゆっくりした主部に、
激烈な警告の音楽が挟まれる。
「彼は、彼を信じる全て、
彼を求める全てにとって、
信心の泉、純愛の源。
しかし、彼の意思を感じることは出来ない
不信心な者には、その怒りしか感じられぬ。」

Track9:合唱。
Track10でこれは、緊張感溢れるフーガとなって、
ファラオの登場を印象付ける。
「神の意思を感じられぬ尊大な暴君が、
きっと、その怒りと憤怒を感じることだろう。」

Track10:ファラオとモーゼのレチタティーボ。
緊迫した場面が続く。
「ファラオ:何故、お前の仲間たちと行かないのか。
モーゼ:迫害された可愛そうな民に自由を与えると、
約束を下さるまでは行く事は出来ません。
ファラオ:何を約束したかな。
それでは不十分か。
この苦役からの解放だけでは不十分かな。
モーゼ:十分とは言えません。
ご存じでしょう、
あなたから神はもっと求めておいでです。
これ以上、その尊大さで神を害さず、
神の怒りを怖れて下さい。
ファラオ:貴様のような下賤が、脅すのか。
この不遜な恥ずべき男に我が怒りの重さを思い知らせようか。
私に逆らう、天の力を見てみるか。
私は全てを動員するぞ。怒り、敵意、憤怒。」

Track12:ファラオのアリア。
「私の王権と我が力は敬いもせず、あがめもしない。
悪党め、私の怒りに何が出来るか教えようか。
訳の分からぬ神に言え、この手、このくびきから、
助けに来るようにと。」
このアリアは、怒り狂った王様の歌としては、
皮肉にみちた嘲笑風のもの。
リズムが弾んで、この陰鬱な押し問答の作品に、
ここらで変化を付けたくなるのも納得。

Track13:モーゼとメリームとファラオのレチタティーボ。
このあたりのやりとりが、
次第に前半の緊迫感を盛り上げるスタート地点であろうか。
しかし、メリームの言葉こそが、私の言いたいことでもある。
モーゼが一人、問題をややこしくしているように見えまいか。

「モーゼ:やめて下さい。何を言うのです。
あなたの硬い心、盲目の誇りが、あえて天に逆らう。
ああ、王女よ、あなたに私が何か意味あるものであったとすれば、
私に、あなた自身に、王様に、この地に、この国の民に、
愛情を感じるのであれば、王様のお怒りをお鎮め下さい。
メリーム:息子よ、すべての問題があなたから出ている時に、
私に何が出来るでしょう。
ファラオ:すべての希望は無駄だ。私が言い、私がするように、
反対の事はありえないのだ。
モーゼ:ならば好きになさるがよい。
行け、兄弟よ。
苦しむ民を集め、こう言うのだ。
跪き、謙遜し、神にこの苦しみの終りを請うようにと。
そして、天の力が王に対し、
悲しみに混乱したエジプトが王に対して何と言うかを、
確かめようではないか。」

Track14:合唱付き四重唱。
この9分の大フィナーレは非常に聞き映えのするもので、
緊張感を保ちながら、
シューベルトの作品にでも出て来るような、明るい歌も響かせ、
いかにも、ヴィーン風の印象を受ける。
金管が盛り上げ、弦楽の精妙な伴奏、合唱の効果的な利用によって、
充実した音楽が繰り広げられる。
「メリーム:怖れと希望の狭間で、
私の絶望はどうなるの。
私と息子と王の両方に愛情を見せるのが私の役目。
アーロン:悪人の怒りと気まぐれ、
偏屈や頑強から、
さらなる虐殺や恐ろしい出来事が、
起こるに違いない。
ただ、あなたのために。
モーゼ:この日の記憶は、
我々の心に残り、王の王に何が出来るかを、
驚きを持って見ることになるだろう。」

不気味な金管が暗雲を告げるものの、
アンサンブルは晴朗に響き、
心浮き立つリズミカルな足取りで終盤へと続いていく。
典雅にピアノフォルテの音が響き、木管が弧を描く。
シューベルトは、このあたりが苦手だったかもしれない。
シリアスなシーンは、シリアスに書くのがシューベルトだ。

「ファラオ:これら悪人たちの騒ぎと無謀が、
我が心に憤怒を焚き付け、
恐怖のみが彼らへの恵みとなろう。
アーロンとモーゼ(神に):この凶暴な心を鎮めたまえ。
あなたの敵を追い散らして。
合唱:不運に哀れみを。神よ、哀れみを。
メリームとファラオは、幸福の日々を願わぬ狂人です。
4人:希望は消えた。
殺戮と死の恐怖。
すべてが恐ろしい。
合唱:この不運に哀れみを、偉大なる神様。」

Track15:嵐の合唱。
「太陽を闇が覆い、
天は燃え、怒りの稲妻が光る。
地震が起こり、津波が来る。
洪水が川の堤を越えた。」

どろどろとわき起こる弦楽に続いて、
金管の咆吼と爆発。
この合唱の歌詞の説明調にはぶっとぶが、
すごい迫力であることに間違いはない。

ここは、年末のクライマックスイベントの役割を果たしている。
聴きに来た人たちは、息を飲んで聞き入ったことであろう。

果たしてこの妄信的な四人の頑固者は、
この後、どうなるのでろうか。
分からず屋の押し問答の末に神の怒りが下った。
(私にはそう見える。)

会社や組織でありがちな、生産性のまるでない、
低レベルの不毛なディスカッションに、
うんざりする内容であるが、
ヴィーン在住のボヘミア人のコジェルフは、
「エジプトのモーゼ」ならぬ、
「ヴィーンのコジェルフ」という側面を、
ここに照らし出しているのだろうか。

時あたかも、ヨーゼフ二世の治世。
急速な改革が、
民族問題を含む様々な方面に飛び火したようだが、
ここまで私は語る力がない。

こんな具合に、前半だけで力尽きて、後半は次回にする。

得られた事:「コジェルフは、器楽曲でかろうじて知られるが、こうした大活劇を描く力量も有り。」
「ヴィーンでは、イタリア語オラトリオが流行っていたが、シューベルトの時代には廃れていた。」
[PR]
by franz310 | 2009-10-03 20:45 | 音楽