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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その442

b0083728_22165366.jpg個人的経験:
フランソワ1世の時代
(在位:1515年-1547年)
の時代に活躍した、
フランスの作曲家では、
日本では比較的有名な
クレマン・ジャヌカン
(1480年頃-1558年)
の他に、あまり知られていないが、
いろいろな本を眺めると、
クローダン・ド・セルミジ
(1490年頃―1562年)
という人が重要らしい。


私は、この人の名前を聴いた記憶がなかったが、
ジャヌカンがそれほど要職にはなかったのに、
フランソワ1世の宮廷礼拝堂の楽長であり、
同時代の作曲家よりは、
優雅で洗練され、ポリフォニーからの脱却が見られ、
イタリアの作曲家にも影響を与えた、
などと書かれると聞いてみたくもなるというものだ。

いろいろ探してみたが、
セルミジの作品が入ったCDは、
結局、ジャヌカン・アンサンブルが、
1981年と、四半世紀も昔に録音したものしか、
入手できなかった。

しかし、セルミジのものは、
以下のように10曲も入っている。

このCDにつけられた、
日本語解説によると、
「フランソワ1世の時代はシャンソンの黄金時代」
とか、
「セルミジは、王室礼拝堂の音楽家としては最高の地位」
にあったとか、
「詩人クレマン・マロの新しい詩の活動に刺激を受け」
とあって、このマロの詩による
新様式で書かれたものが、
4曲収められているとか、
かなりそそられる感じである。

新様式のものは、
最上声部に親しみやすい
ホモフォニックな音楽を付けているという。

岩波現代文庫の
「曲説フランス文学」(渡辺一夫著)
によると、フランソワ1世の周りには、
数多くの才女がいたようで、
「三人のマルグリット」というのが、
当時の文芸の記録を残していたりして有名らしい。

王の娘のマルグリット、
王の孫娘のマルグリットにも増して重要なのが、
ナヴァール公妃、姉のマルグリットらしく、
マロを庇護したなどと書かれている。
マロは中世伝来の詩形に、
新しい趣向をくわえた人としての紹介しかないが、
フランソワ1世の生きた環境を彷彿させる。

Track.2:
「あなたは私を悩ませる」
これは、マロの詩によるものらしいが、
とても、神妙な感じの歌で、
「あなたは手紙もくれないが、
気持ちを変えるくらいなら死んだ方がましだ」
という内容。
リュートが分散和音を補って、
しみじみした情感をかき立てる。
ここでは、つれない女性について嘆いているが、
ナヴァール公妃の肖像画を参考にしてもよかろう。

「エプタメロン」などを執筆した文人で、
「平和女王」とも呼ばれるこの人は、
コレージュ・ド・フランス(高等教育機関)の
設立の支援もしたようで、
さすが、理知的な美女に見える。

Track.3:
「私にはもう愛情はない」
これは、まるで斉唱されているかのような、
平明で静かな音楽だが、
詩は、愛だの恋だのに疲れたという
内容のようだ。

Track.4:
「私にはもう愛情はない」(ル・ロワ編)
上述の曲のリュート版である。

Track.5:
「ラ・ラ・ピエール先生」
これは、ジャヌカン風に活発な、
戯れ歌みたいな感じ。
詩を読むと、酔っ払いの歌である。

Track.7:
「助けて下さい,愛するいとしいひとよ」
これもマロの詩によるもの。
「あなたが来てくれないと死ぬ」、
という情けない詩で、
よわよわしい歌。
「これほどの辛さはあなたにはないでしょう」
と恨み節で、リュートの伴奏が、
うらぶれた感じを出している。
Track.2といい、マロの詩は、
冷たい女性が基本テーマなのだろうか。

Track.12:
「どうしてあなたは」
これもマロの詩による。
「もうあなたには恋人がいらないようですね」
とか、これまた、冷たい女性に対する、
情けないめそめその歌。
確かに、ホモフォニー的に、
しっとりとしたメロディが流れ、
あきらめきれない恋心を、
さらにかき立てるような趣向になっている。
こんな音楽をサロンで披露したら、
確かに寵児となるだろう。

Track.15:
「ああ、悲しいこと」(ミラノ編)
リュート独奏曲。
メロディを支えるポリフォニックな音の交錯が美しい。
セルミジはイタリアの作曲家にも影響を与えた、
とあったが、ミラノはイタリアの作曲家ではないか。

Track.17:
「私はあなたに楽しみをあげましょう」
これもマロの詩による。
これは、旅立ちの歌であろうか。
「私が死ぬときには、あなたの事を思い出します」、
という切々とした嘆き節に、
「あなた以外は愛しません」という、
心に迫る「応答歌」が後半に続く。

まるで、ダウランドの歌曲のような情感、
セルミジの歌では、私は、これが一番、感じ入った。

Track.18:
「きれいな森の金盞花の陰に」
再び、めそめそ調の歌で、
失恋の嘆きに恨み節があけすけである。
ただ、音楽は、高らかに声を上げて、
ほとんど斉唱のように訴えている。

Track.19:
「あなたはわたしがそれで死ぬっていったけど」
は、「嘘つきね」と続く女性の非難の歌で、
かなりジャヌカン風で、猥雑な感じがする。

以上、セルミジは、比較的上品ながら、
すこし弱弱しいジャヌカンという感じがした。

さて、ここに収められた残りの曲はジャヌカンのもの。
このCDには、セルミジだけが入っているわけではなく、
やはり、この団体の名前となり、
得意としたクレマン・ジャヌカンの作品が、
数多く収められているのである。

そもそも、日本で出た時に、
「16世紀パリのシャンソン集」などと、
タイトルを高尚な感じに改めているが、
原題は、最初に収められた曲から、
「パリの物売り声」というもので、
「ジャヌカンとセルミジのシャンソン」が副題なのだ。

このCD、94年にキングレコードが出した時に、
日本語解説を付けたもので、
歌詞が和訳されていてありがたいが、
私は、実は、ここで大きな困惑を味わう事となった。

その困惑は、まったくもって冗談ではなく、
完全にブログ更新が出来なくなるほどであった。

前回、ジャヌカンのシャンソンを、
このジャヌカン・アンサンブルは、
メンバーを変えて、80年代と90年代に、
2回録音しているような事を書いて、
2枚のCDを紹介したが、
どちらにも、ここではメインとなっている
「パリの物売り声」は入っていなかった。

とり急ぎ、まず、これは聴いてしまおう。

Track.1:
「パリの物売り声」
描写シャンソン、標題シャンソンとか、
解説で説明されているが、
基本的に「鳥の歌」などと同様の、
物売り版と言ってよい。

どんなものが食べられていたかがわかる、
とあるが、まさしく、その通りで、
ワイン、ミルクといった飲み物から、
ソラマメやホウレンソウのような野菜や、
桃やオレンジなど果物の他、
お菓子のたぐいも売られていて、
あまり、今の暮らしと変わらない感じがする。

フランソワ1世は、カール5世との戦争では、
よく、焦土作戦をとったが、
今と変わらぬこうした生活が、
そこにはあったのだなあ、などと考えさせられる。

Track.6:
「ある夫が新妻と」
Track.8:
「美しい乳房」
Track.9:
「さあ、ここにおいでよ」
は、我々が想像するジャヌカンに近い、
きわどい歌詞のものだが、
こうしたものが、セルミジに挟まれて歌われると、
いかにも、ジャヌカンがパワフルであるかがわかる。

が、Track.8は、マロの詩によるらしい。
理想は「小さな象牙の玉」だということだ。

Track.10:
「戦争」
が、問題で、これは、90年代に
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)
アントワーヌ・シコ(バス)、
のメンバーで録音しているのに対し、
今回のCDには、80年代の、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
が入ったメンバーで歌われている。

つまり、80年代にジャヌカン・アンサンブルは、
日本でヒットした「鳥の歌」とほぼ同時に、
ジャヌカンのもう一つの有名曲、「戦争」も録音していた、
という、ただ、それだけのこと。

また、ジャヌカン・アンサンブルが取り上げていない、
と書いた、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」も、
こちらのCDには入っていた。
重大な見落としがある状態であった。

しかし、それだけの事、
とも言い切れない事態が発生した。
前回のCDでは、斉藤基史という人が解説していたが、
今回のCDは、音楽史家の今谷和徳氏が解説している。

「戦争」というシャンソンは、
若き王、フランソワ1世の率いる
フランス軍の戦いを描いたものだが、
前に聴いたCDの歌詞対訳には、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
あまりにも物騒な訳が付いていたのに、
今回のものは、そんな言葉が入っておらず、
「敵は壊滅した」とかしか書かれていない。

そして、ひょっとして、
歌われる歌詞まで違うのかと、
いくら、耳を澄ませても、
どちらも同じ歌詞に聞こえ、
「ブルゴーニュ」という言葉は出てこないようなのだ。

斉藤基史という人は、ブルゴーニュ嫌いなのか、
いったい、いかなる根拠で、こんな歌詞が、
日本語対訳になっているのだろうか、
そもそも、ブルゴーニュだって、
フランスではないのか、
と頭を悩ませているうちに、
中世をにぎわした英仏百年戦争やら、
ブルゴーニュ問題やらの本を読み進めると、
わからないことが芋蔓式に出てきた、
という塩梅である。

そもそもブルゴーニュはフランスか、
という問題からして難しい。
佐藤賢一氏の言葉では、
「複雑怪奇な主従関係で結び合わされた
無数の領主の集合体」(「英仏百年戦争」(集英社新書))
なるものが、
中世のフランス王国だったということだ。

このフランソワ1世より400年も昔のこと、
12世紀、フランスの北西に勢力を持っていた
アンジュー伯は、イギリスに植民地を持つ、
ノルマンディー家のマチルドと結婚したことで、
英仏にまたがる領地を得た。

さらにその息子アンリは、
南西フランスに領地を持っていた、
アリエノールと結婚したことで、
巨大帝国を築き、イギリス王ヘンリー2世となった。

つまり、このフランス伝来の英国勢力、
プランタジネット家が、
大陸側への覇権を唱え続けたのが、
百年戦争と言えるようなのだが、
フランソワ1世が出るヴァロワ家とは、
ややこしい因縁の関係にあった。

つまり、ヘンリー2世から5代あとの、
エドワード2世は、ヴァロワ朝の前の、
カペー朝フランスの最後の皇帝の
姉を妻としたりしており、
その息子エドワード3世が宣戦布告、
この家系の分家である
ランカスター家が没落するまで、
何代にもわたって英国王は、
フランスとの戦争を繰り広げたのである。

カペー王朝の男系が途絶えたという事で、
フランスは、王朝が代わる時の転換期であり、
ヴァロワ朝の初代フィリップ6世から、
5代続いて、この挑戦を受けなければならなかった。
王朝の基礎を築くための試練でもあろうか。
緒戦はイギリス優勢であったが、
最終的には、ジャンヌ・ダルクのような例もあって、
フランスは大陸からイギリス勢力(といっても、元はフランス出)
を追い払ったのである。

これによって、フランソワ1世の代には、
南のイタリア方面に野心を燃やすことが出来るようになった。

英仏百年戦争に戻ると、
初めのころ、天下分け目の大戦のような感じで、
クレシーの戦い、ポワティエの戦いとあって、
これらはすべて、
フランス王軍側の徹底的な大敗で終わっている。

ポワティエの戦いでは、
全軍が総崩れする中、
ヴァロワ家二代目のジャン2世が孤軍、
末の息子のフィリップが励まし続けたので、
フィリップは褒美として、
母親が相続していたブルゴーニュ公領を、
彼に譲った。
この瞬間が歴史の転換点である。
(ちなみに、ブルゴーニュには、
侯領と公領があるようだが、
ややこしいので省略する。)

このフィリップ豪胆公は、
さらにフランドルの領主の娘と結婚した事で、
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクと、
ブルターニュ地方といった、
ドイツとフランスの間に、
第三の王国を築く足がかりを得た。
このブルゴーニュ公国ともいえる勢力は、
四代目のシャルル突進公の代に、
フランスに対抗してその野心最大となった。

この頃、絵画、音楽にフランドル派が出た事から、
このブルターニュ公国に興味を持つ人は多く、
ホイジンガの「中世の秋」のような、
魅力的な読み物が、約100年前に出ている。

日本でも、これを訳した堀越孝一教授などが、
このあたりの歴史を幅広く紹介している。

b0083728_22163342.jpg特に講談社現代新書にある
「ブルゴーニュ家」は、
読みにくさから言って
ぴか一の書物で、
私は、何度も
投げ出そうと思ってやめ、
何とかラインマーカーで
線を引きまくって読み終えた。

この本だけでは、
いくら読んでも、
おそらく、
ブルゴーニュ侯家(公国)の
概略すらわからないだろう。



どうして、ここまで、わけのわからない書物が出来たのか、
と、「中世の秋」を読んでみると、
その理由がよく分かる。
堀越教授は根っからの中世おたくで、
中世人になりきっているものと思われる。
堀越訳で読むと、
「制限ということを知らず、統一を生み出すことがない」
のが中世的なのであった。

教授の書いた「ブルゴーニュ家」は、
4代のブルゴーニュ侯を、時系列に描くことはせず、
下記のように、いろいろな切り口で、
この国だか領国だかで起こった事を、
書き連ねているのである。

1.ガンの祭壇画(主に三代目の話)
2.三すくみのフランス(初代の話)
3.アラスで綱引き(主に三代目の話)
4.おひとよしはネーデルラントの君主(三代目の話)
5.王家と侯家の通貨戦争(主に三代目の話)
6.ブルゴーニュもの、フランスもの(二代~四代目の話)
7.もうひとつのブルゴーニュもの、フランスもの(同上)
8.金羊毛騎士団(主に三代目の話)
9.むこうみずの相続(主に四代目の話)
10.垂髪の女たちのブルゴーニュ侯家(主に四代目の話)
11.ねらいはロタールの王国か(四代目の話)
12.シャルルの帰ってきたとき払い(四代目の話)

ただ、年表や地図が充実しており、
これを見ているだけで楽しい。
(その方が混乱せずにすむ。)

例えば、第3章の最後に、
「ブルゴーニュ侯フィリップ二世は、
さて、いったいだれに対して、
またなにに対して『おひとよし』であったのか。」
と書かれているが、
その答えが、
続く、第4章に書かれているわけではなかったりする。

そもそも、「おひとよし」と、
「善良侯」を訳しているのは、
あなたでしょ、とも言いたくならないか。

また、文中、「アラス」という言葉が頻出して、
拾い読みしていると、何のことかわからずイライラするが、
これは、先の「おひとよし」の三代目が、
1435年に、アラスという街でフランス側と同意して、
イギリスを仲間はずれにしたという点で、
英仏百年戦争を長引かせた三角関係のこじれに、
一応、めどが付いた事を指す。

いずれにせよ、この本、どこの部分を読んでも、
なぜ、こんな事を読まされるのだろうか、
という疑念が付きまとう内容ばかりであるが、
当時の画家、ヤン・ファン・アイクが、
祭壇画に、どうしてこまかく、
いろんな対象物を書き込みすぎたか、
といった問題と同じ事と考えればよさそうだ。

この「ブルゴーニュ家」という本、
面白かったのは、「おわりに」の部分で、
シャルル突進公の最後を、
ドイツの作家、リルケが書いている事を引用する部分で、
私は、この闇雲に、
幻の欧州縦断国家を創設しようとした男の情熱、
そしてその夢の終わりに思いを馳せた。

シャルルは、ハプスブルク家に近づき、
神聖ローマ帝国の皇帝の座すら狙っていた、
などともいわれる。

シャルル公死後、一人娘のマリーもまた、
フランスから逃れるかのように、
神聖ローマ帝国皇帝の息、マクシミリアンと結婚する。
この夫婦の孫が、名君カール5世で、
カールの名は、曾祖父シャルルを受け継いだものらしい。
そして、この「むこうみず」の夢の通り、
カール5世は、日の沈むことなき帝国の主となるのである。

改めて思えば、ホイジンガの「中世の秋」も、
最初は、「ブルゴーニュの世紀」
という内容で書き始められながら、
最終的に中世末期の文化一般を論じる本になったという。
この本とて、百年戦争の概要を掴んでないと、
何だかわからない読み物の集合体
のように感じられるかもしれない。

さて、この中世の秋にも、
このCDで取り上げられた、
ジャヌカンが出て来るのである。
ジャヌカン(1485?-1558)は、
前述のように、フランソワ1世の時代の人なので、
ブルゴーニュの世紀(1356-1477)が、
終わった頃に現れる人なのだが。

ホイジンガの本では、
第14章「美の感覚」に、
このように紹介されている(堀越孝一訳)。
「十六世紀のはじめ、ジョスカン・デ・プレの弟子
ジャヌカンの『作品集』は、
さまざまな狩りの光景、
一五一五年、ミラノ近郊マリニャーノで、
スイス傭兵隊とフランス、
ヴェネチア連合軍とのあいだに戦われた
マリニャーノの戦いの喧騒、
パリのもの売りの声、
「女たちのおしゃべり」、
鳥のさえずりを、音楽に仕立て上げている。
かくのごとく、美概念の分析は、ふじゅうぶんであり、
感動の表現は、表面を流れてしまっている」。

ということで、100年前のホイジンガには、
ジャヌカンの音楽などは、
何か皮相なものとしか聞こえなかったようである。
それにしても、彼は、誰の演奏で聴いたのであろうか。

そもそも、ジョスカンとかジャヌカンとか、
日本では、ここ30年ほどの間に知られるようになった作曲家が、
ほいほい出て来るところに、
驚いてしまった。

これは、シャルル突進公が音楽愛好家であったからで、
やはり、歴史家たるもの、
その頃の音楽を研究せざるを得なかった、
ということであろう。

ここでも書かれているとおり、
「マリニャーノの戦い」で、
ブルゴーニュをやっつけろ、
と言う歌詞が出て来るのは、
どうも自然ではないが、
フランソワ1世の最大の敵が、
カール5世であり、彼が、もともと、
ブルゴーニュ侯国ゆかりの血筋、
ということであるのなら、
ありえない話ではないのかもしれない。

長々と書いたが、
同じキングレコードから出たCDで、
このように異なる対訳が付いていたおかげで、
私の中世への興味がいや増してしまった、
という事である。

なお、このCDの解説には、
セルミジは、「これまでのブルゴーニュ風のシャンソンに代わる
新しい様式のシャンソンを、宮廷の人々のために生み出した」
とあり、あくまで、フランスにあって、
ブルゴーニュは克服すべき何かであったことがわかる。

脱線したが、続きを聴いてしまおう。

Track.11:
「ヴェルノンの粉ひき娘は」
「ティルティルティルどんどんどん」という、
面白い掛け声の挟まれる戯れ歌。
楽しい。

Track.13:
「愛と死と人生は」
これは、セルミジ風に、抑制された歌だが、
「人生は死を望み、死は生きる事を望む」
という、歌詞が興味をそそる。

Track.14:
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
この曲は、ジャヌカンの代表作と呼んでも良いくらい、
おもしろく、楽しい音楽だが、
ジャヌカン・アンサンブルは、
あえて羽目を外すような表現で、
素晴らしい活力を与えたが、
すこし、メロディがわかりにくくなった。

Track.16:
「すてきな押し込み遊び」
楽しくてたまらない、といった感じの、
いかにものジャヌカン。
早口言葉にリズムが弾け、
破裂音の感触もぞくぞくさせるものがある。

得られた事:「ホイジンガの『中世の秋』は、100年ほど前に書かれたが、ここでも、ジャヌカンは取り上げられていた。」
「フランソワ1世の周りには、理知的な才女が多くいて、こうした環境が、マロの詩やセルミジの抑制された恋を歌う音楽の土壌となった。」
「フランス宮廷は、ブルゴーニュ風のものからの脱却を狙った。ブルゴーニュは、少し前まで、フランスとドイツの間で、独特の文化を誇っていた。」
[PR]
by franz310 | 2017-01-08 22:20 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その441

b0083728_17173567.jpg個人的経験:
クレマン・ジャヌカンは、
「16世紀のフランス・シャンソン
の分野における最大の作曲家」
などと書かれる事が多く、
事実、彼の名前を戴いた、
フランスのヴォーカル・グループ、
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン
は、ジャヌカンのみならず、
フランドル派から、
モンテヴェルディに至る、
様々な作曲家の作品を
多方面にわたって紹介したので、
ジャヌカンがこれらの総領のような
イメージを与えてもいる。


ちなみにこのグループは、
日本では、ジャヌカン・アンサンブルと呼ばれ、
ジャヌカンの代名詞のような、
「鳥の歌」をおさめたLPを
1980年代初頭に出した(ハルモニア・ムンディ)。

この録音は、音自体が優秀であり、
ジャヌカンの名前を広めたものでもあって、
古典的名盤と言ってもよく、
一世を風靡したと言ってもよい。

1996年に出た、
「古楽CD100ガイド」(国書刊行会)にも
当然のように取り上げられて、
「目の醒めるアンサンブル」と書かれているし、
1997年の音楽之友社、
「不滅の名盤800」には、
「Early Music」の60枚ほどに、
この一枚は選ばれ、
「面白さは卓抜だ」と、
いずれもいかにも、といった、
我々の頭に刷り込まれてきた文言が、
鮮烈に並んでいる。

この録音、内容は、
以下の20曲で、
もう一つの代表作「戦い」が入っていなかった。
1. 「鳥の歌」*
2. 「夜ごと夜ごとに」*
3. 「のぞみはゆるぎなく」*
4. 「その昔、娘っ子が」*
5. 「悲しいかな、それははっきりしたもの」
6. 「ある日コランは」
7. 「ああ、甘い眼差しよ」*
8. 「ひばりの歌」*
9. 「もしもロワール河が」
10. 「ああ、わが神よ」*
11. 「私の苦しみは深くない」*
12. 「ああ、あの苦しみよ」*
13. 「草よ、花よ」
14. 「盲目になった神は」
15. 「この美しい5月」*
16. 「満たされつつも」
17. 「とある日、さるひとが私に言うに」
18. 「ある朝目覚めた私」*
19. 「私の愛しいひとは神の贈り物を授かっている」
20. 「うぐいすの歌」*

メンバーは、
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)。

彼らは、そのあと、
「狩りの歌/ジャヌカン・シャンソン集」
を1990年代に出していて、
下記のように、ここには「戦争」(戦い)も含まれる。

1. 「女のおしゃべり」*
2. 「行け夜鳴きうぐいす」*
3. 「たったひとつの太陽から」
4. 「美しく緑なすさんざしよ」*
5. 「神々のガイヤルド」
6. 「ぼくには二重の苦しみが」*
7. 「緑の森に私は行くわ」
8. 「すぐまた来なさい」
9. 「こちらの側には名誉が」
10. 「空を飛ぶこの小さな神様」*
11. 「ブルゴーニュのブランル」
12. 「戦い」*
13. 「絶えた望み」
14. 「かわいいニンフ」*
15. 「どうしてその目を」*
16. 「当然のこと」*
17. 「ファンタジー」
18. 「花咲けるさんざしの上で」*
19. 「この五月」*
20. 「ああ、君は楽しいの」
21. 「大胆で軽やかな風よ」*
22. 「ブランル・ゲ」
23. 「もうぼくは以前のぼくでは」*
24. 「修道士チボー」*
25. 「狩りの歌」*
カウンターテナーのドミニク・ヴィスと、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)だけが一致。

ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)が入れ替わり、
ソプラノのアニエス・メロンが入っている。

そして、21世紀になってから、
これらの旧録音から、
いいとこどりしたのか、
27曲からなる、
「鳥の歌・狩りの歌~ジャヌカン:シャンソン集」
というCDを、
ハルモニア・ムンディ・フランス・ベスト25
という形で、出しなおしている。

これは、オリジナル盤の、
強烈な写実風ジャケット絵画とは、
かなり異なる方向の絵画を表紙に選んでおり、
まったく、別のCDとなっているのが、
少々罪深いような気がする。

「Chasse au sanglier」と題された、
しかし鮮やかに美しいミニアチュアで、
15世紀中葉のものだとあるから、
ジャヌカンを飾るには古雅にすぎるだろう。
オリジナル盤のブリューゲルの方が、
生々しい曲想には近いかもしれない。

「いいとこどりしたのか」と書いたが、
私にはよくわからない。
とにかく、上記*印が、選ばれた曲である。
前者からは8曲が落ち、
後者からは10曲も落ちているから、
ジャヌカンの愛好家なら、
納得できない部分もあるはずだ。

例えば、「音楽の友」の付録で、
1980年代に出た「作品小事典」では、
ジャヌカンのシャンソンを50曲も解説していて、
上述のうち、*がつかなかったもののうち、
「ロワール河」や、「緑の森」なども、
取り上げられているから、
また、前に聴いたセイ・ヴォーチェ盤、
後述のラヴィエ盤にも収録がないだけに、
残念な気がする。

ただし、
前回聴いた、セイ・ヴォーチのCDは、
21曲のみ、わずか48分のものだったから、
71分も収録したこの盤は、
そこそこ良心的なものかもしれない。

一方、「作品小事典」に出ていて、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」や、
「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」は、
セイ・ヴォーチ盤には入っていて、
収録時間が短めだといって、
これはこれで見識ある選曲なのだろう。

それにしても、さすがに、
個性派と鳴らすヴィスの声の力は強靭である。
男声アンサンブルに対して放たれる、
後光のように冴えた声を聴かせてくれ、
ドゥボーヴのリュートも存在感が頼もしい。

セイ・ヴォーチは、
器楽伴奏も交えての立体感もあって、
どっちのCDがお勧めとも言い難い。

が、「鳥の歌」という代表作は、
機知は感じられても、
私には、それほど名曲とも思えない。
「季節はこんなにいいのだから」
と、鳥たちが囀るにしては、
最初の警句、
「目をさましなさい、眠り込んでいる心よ」
のアクセントが強烈すぎて、
まったく、「よい季節」のさわやかさが感じられない。

今回のCDに入っている
表題となっていた「狩りの歌」なども、
歌詞もたわいもなく、声の技巧に驚き、
当時の狩りの様を思い描く楽しみはあるが、
そんなに重要な作品とも思えない。
7分の大曲でもある。
「女たちのおしゃべり」も7分もかかり、
当然ながら、やかましい。

このCDでは、斉藤基史という人が解説で、
「夜ごと夜ごとに」、「もう以前の僕では」、
「この美しい五月」などを、
しっとりとか、愛らしいとか書いて特筆しているが、
確かに、前二者は、
セイ・ヴォーチェ盤にも収録されていて、
私も楽しんだ。
「夜ごと夜ごとに」は、セイ・ヴォーチェ盤は、
器楽伴奏も入ってロマンティック、
ジャヌカン・アンサンブルは、
切り詰めた中にも陰影が豊かである。

その他、「ひばりの歌」という、
誹謗中傷差別用語満載で有名なシャンソンは、
さぞかし、日本語対訳が大変であっただろう、
と予想されるが、
このジャヌカン・アンサンブル盤で聴ける。

また、「美しく緑なすさんざしよ」や、
「かわいいニンフ」、「どうしてその目を」といった、
フランスのルネサンス期の詩人の大家、
ロンサールを歌詞にした、
ハイソな作品が収められているのも良い。

ここでは、アニエス・メロンのソプラノが、
愛らしく響くのもうれしい。

こう見てくると、
このジャヌカン・アンサンブル盤は、
そこそこの満足度であるが、
「盲目になった神は」が含まれないのは、
失敗ではなかろうか。
この曲は、晩年の美しいミサ曲の元になった事で、
重要な作品だからである。
(一説によると、器楽版だったので削除か?)

また、収録されていないもので、
最も残念なのは、やはり、
「マルタンは豚を市場に連れていった」
となるかもしれない。

セイ・ヴォーチェ盤は、
解説でもこの曲のいかがわしさを取り上げ、
演奏でもオリジナル版と器楽編曲版の
両方をおさめる念の入れようであった。

こうした器楽と声楽の変化が楽しめるのも、
セイ・ヴォーチェ盤のメリットである。
器楽は、アンサンブル・ラビリンセスが担当していた。

b0083728_17192023.jpg器楽版と声楽版を冒頭から、
徹底的に活用したCDとしては、
ASTREEレーベルから出ていた、
フランス・ポリフォニー・アンサンブルの
ラヴィエ指揮のものがある。

このCD、表紙の絵画がこれまた美しい。


ブールジュのラレマント・ホテルにある、
「Concert vocal」という、
16世紀の作品らしいが、
この演奏の特徴をよく表している。

女声が高音を担い、
早口言葉の技巧を要する曲が選ばれていない。
「鳥の歌」も「戦争」もなし。

指揮をしているラヴィエは、
解説でも、悩みまくり。
「現在において、
ジャヌカンの音楽を解釈、演奏する際、
器楽とその役割の問題に突き当たる。
どのような選択をも正当化する
ドキュメントがないのである。
従って、この問題は、
非常にデリケートなものだ。」

彼は、内的な必然性によるしかない、
として、私のコンセプトは、
音楽の文脈の豊富な研究による、
と言っている。

が、一聴して、そんな事以上に、
重要な問題が看過されている、
と感じてしまうのが、
この演奏ではなかろうか。

実にこれは、
とんでもないCDとも言え、
こともあろうか、
残響豊かなパリの教会で録音されている。
ジャヌカンの卑俗な世界が、
完全に換骨奪胎状態で、
美しく鳴り響くさまは、
完全に確信犯的な暴挙とも思えるが、
1976年の録音とあれば、
あるいは、こうしたジャヌカン像が、
当時はあったのかもしれない。


よく考えると、
このシャルル・ラヴィエという人、
フィリップスのLPで、
ラ・リューの「レクイエム」を、
これまた、ものすごく美しく演奏していた人ではないか。
当時、「たとえようもなく美しい」
とされた64年録音の名盤であったが、
おそらく今日的ではないだろう。

この録音はCD化もされたから、
おそらくたくさんの人が、
美しいステンドグラス風の表紙にも、
いろいろな想像を働かせながら、
ジャヌカンより一世代古い、
フランスの作曲家に思いを馳せたことだろう。

が、この録音の日本語解説(71年)を見ても、
ラヴィエの演奏は、
現代のハープやフルートを、
古いヴィオールなどに、
混ぜて使っていることが指摘されている。
当時から特殊なアプローチであると
認識されながら、
ある意味、絶対的な美しさを誇っていたのである。
ラヴィエは、この録音をもって有名であったが、
他に、どんなものを出しているか、
知っている人はほとんどいなかったと思う。

調べてみると、1924年生まれで、
1984年には、自殺しているのか。
ということで、古楽を率いて来た、
有名な世代より、少し上の人ということになる。

が、器楽部には、
ホプキンソン・スミス(リュート)や、
クリストフ・コワン(バス)といった、
次世代の名手が名を連ねているのだが。

ここには、「ある日ロバンが」という、
ジャヌカン・アンサンブルの盤にも、
セイ・ヴォーチェ盤にも含まれていなかった、
超やばそうな曲も収録されている。

作品小事典にも、「かなりあけすけ」とか、
「その内容を細やかに音によって描写」とか、
興味深い事が書かれているが、
ヴェロニカ・ディッチェイ(ソプラノ)、
アメリア・サルヴェッティ(メゾ)らが、
上品なさざ波の音楽としてまとめ上げている。

とにかく、極上のムードなのだ。
豊饒な響きに包まれて、
このCDは、しばし、
時を忘れてしまいそうだが、
ラヴィエは作曲家でもあるらしい。
デュリュフレの弟子なのではないか、
などといぶかってしまった。
ちなみに1902年生まれの
デュリュフレが亡くなったのは、
ラヴィエより後の1986年であった。

実は、ラヴィエの行き方と、
類似の指摘をした本として、
白水社の文庫クセジュから出ている、
「フランス歌曲とドイツ歌曲」がある。

エブラン・ルテール女史が、
1950年に出したものを、
1962年に日本語訳されたものが、
ものすごく読みにくいながら、版を重ねて、
まだ入手することが出来る。

ここで、ジャヌカンら、
フランス多声シャンソンは、
「わたしたちを芸術歌曲の
起源からそらせてしまう」
などと書かれている。

つまり、それらは優雅ではあるが、
ドイツの音楽のように、
みんなで歌え、親しみやすく、
誠意にあふれ、まじまなもの、
とは違うカテゴリーに分類しているようなのだ。

みんなで歌えない優雅な世界の極致が、
ラヴィエのようなアプローチではないだろうか。
卑俗な歌詞を無視して、あたかも、
教会の空間を厳かに満たす音楽。

b0083728_17224976.jpgこんな事を考えたのも、
そもそも聖職者であった
ジャヌカンが残した、
数少ない教会音楽であるという、
ミサ曲「戦争」が、
これまた、
ジャヌカン・アンサンブルで聴けるが、
よく吟味もせずに聴くと、
あまり面白いとも思えないからである。

そもそも表紙がいただけない。
戦士たちが密集しているが、
先の2盤のような爽やかさがない。

1994年の録音なので、
すでにシャンソンの2枚は出した後。

私は、ここでも、あのシャンソンのように、
激烈な早口言葉で、
悪魔を追い払う神の描写でもあるのか、
などと、勝手な妄想をしていた。
厳かな宗教の場に密着したミサ曲にも、
「主は栄光のうちに再び来たり、
生ける人と死せる人を裁き給う」
とか、
「万軍の神たる主、
主の栄光は天地に満つ」
といった、威勢の良いフレーズが
そこここに出てくるではないか。

セイ・ヴォーチェ、
ジャヌカン・アンサンブル、
両盤に収められている、
当時、大流行した、
ジャヌカンのシャンソンの名曲とされる、
「マリニャーノの戦い(戦争)」は、
妙にやかましい音楽であったが、
それを元にしたミサ曲は、
どうも何も起こらない音楽だ。

ところが、このミサ曲には、
そこまでの激烈なものはなく、
歌っている人や聴いている人が、
あ、これ知ってる、と思う程度である。

解説には、以下のような事が書かれている。
JEAN-YVES HAMELINEという人が書いている。

「カンタータとかシャンソンとも思しき、
壮麗に導き入れられるようなオープニングによる
ミサ『戦争』は、1532年にリヨンで、
ジャック・モデルネによって、
立派な装丁で、『高名な作者による』
6曲のミサ曲集として出版された。
それは、ジャヌカンのアヴィニョン時代に当たる。
シャンソン、『戦争』を知っていた歌手は、
ミサ全曲を通して現れる、
その進行や伝令調の音の感じを掴むのに、
困難はなかった。」

なるほど、「伝令調」とはうまく、
この曲の特徴を表している。
シャンソン、「戦い(戦争)」は、
「お聞きください、ガリアの皆様、
フランスの偉大な王の勝利を」
と伝令調で始まっている。

この後が、戦争の描写になるのだが、
「聞いてください、よく耳を傾けて、
四方からの雄たけびの声」という感じで、
いきなり聴衆を、
戦場に連れ去る工夫がなされているのだった。

ミサの最初の「キリエ」では、
「主よあわれみたまえ」が繰り返されるだけなのに、
空間をつんざくような
「キーリエ」が、
トランペットのように響き渡る。

シャンソンの方は、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
とても、博愛の教会とは相いれないような、
残虐、物騒なフレーズに向かって、
火縄銃だ、槍だ、大砲だ、と、
突進の早口言葉の応酬となるのだが、
こちらを、この曲の特徴と考えていてはいけなかった。

「しかし、もっともスリリングなポイントは、
おそらく、神の恩寵と作曲家の『機転』によって、
恐怖と身震いで聴かれた戦争の歌が、
単純、率直に『アニュス・デイ』の三度の繰り返しで、
平和の歌へと変わった『変換』であろう。」

アニュス・デイは、ミサ曲の終曲で、
「神の子羊、世の罪を除き給う主よ、
われらをあわれみたまえ」と歌われる部分だが、
二回目に現れる際には、
最初の伝令調は、すっかり鳴りをひそめ、
何やら喪失感、諸行無常すら感じさせている。

この解説は読んでみてよかった。
まるで、敵方への鎮魂にも聞こえてきたりして、
妙にジャヌカンの心情に触れたようで、
大いに納得してしまった。
ジャヌカンも50歳に近い。
二十年も前に書いたシャンソンも、
ヨーロッパ中に普及していった中、
その意味が変わってきていたかもしれない。

そして、三度めには、それをも超えて、
妙に大団円風の浄化作用が後光を放ち、
「戦争」ミサは、「戦争反対」ミサみたいになっている。

そもそも、フランソワ1世が、
大勝したとされる
1515年のマリニャーノの戦い以降、
イタリア進出の野望はくじけ気味になっており、
せっかく侵出したミラノも、
1521年には奪還されてしまった。

ちなみに、マリニャーノの戦いの翌年、
天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
フランソワ1世のお抱えになっているが、
19年には亡くなっている。

1494年に、
先々代シャルル8世が始めた戦争は、
結局、半世紀以上も泥沼化して終わらず、
フランソワ1世も1547年には亡くなり、
次の代まで持ち越すことになって、
アンリ2世の代になってようやく、
1559年にイタリア放棄で終わっている。
なんのための戦いだったのか。
この王様は、しかも、そのすぐ後に不慮の事故で死去している。

ジャヌカンは、1485年頃生まれ、
1558年に亡くなっているので、
最後の最後は知らなかった事になるが、
ほとんどイタリア戦争時代の
一部始終を見て生きたことになる。
ルネサンスの花開いたイタリアは、
これによって荒廃してしまった。

僧職にもあったジャヌカンであるから、
勝った、負けた、といった普通の気持ちでは、
この経緯を見ていなかったはずだ。

教会で歌われる宗教曲モテットに、
ジャヌカンは、「われらの敵が集まりて」という、
これまた、きわどいタイトルのものを残しているが、
これは、このCDにも収められていて、
1538年の出版だとある
ジャヌカンは50歳を超えている。

これまた、「彼らの力を打ち砕き」とか、
「彼らを滅ぼしたまえ」というテキストを含むが、
曲想は清澄そのもので、
いかにも、「彼らが戦うのは神なる御身」という、
敵味方を超えた最後に繋がっていく。

単に、21歳の新しい君主が、
イタリアに攻め込んでたちまち快勝したという、
マリニャーノの戦いだけなら良かっただろうが、
そのあとは、ローマ略奪があったり、
何故か、イスラム教徒と手を組んだりと、
大義がまるでない泥沼が続く。
同じキリスト教徒が、
教皇などの思惑を超えて戦う意味を、
ジャヌカンは考えたはずである。

このCDの後半には、
ミサ曲がもう一曲、
それもジャヌカン最晩年のものが収められている。
「盲目になった神は」という、
自作シャンソンのメロディを使ったものとされ、
解説でも、「巨匠の平明さ、アルカイックな質感」
と称賛されており、シャンソンの繊細さが、
そのまま活かされた、
清らかな宗教曲になっている。
シャンソンがどんな歌詞だったのか知りたい。

ちなみに、ジャヌカンより10歳ほど若い、
フランソワ1世は、
この曲が出た1554年には亡くなっている。
ジャヌカンは70歳くらいである。

生涯をかけて戦ったのは、
ハプスブルクの名君、カール5世
(スペイン国王としてはカルロス1世)であったが、
カールの立場から言えば、
神聖ローマ帝国皇帝として、
西欧統一を果たそうとした野望の邪魔者が、
このフランソワ1世だったということになる。

得られた事:「卑俗さばかりで知られるジャヌカンであるが、イタリア戦争という戦国時代を生きた聖職者でもある作曲家だけに、宗教曲は清澄。」
「戦争を主題にしたはずのミサ曲は、最後の最後には反戦テイストに昇華されている。」
「こうした多面的な作曲家ゆえに、際どい内容のシャンソンを、教会で歌うという試みもなされ、それがまた、音としてはものすごいヒーリング効果を発揮している。」
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by franz310 | 2016-09-18 17:25 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その440

b0083728_20491859.jpg個人的経験:
黄金時代のスペイン音楽の
サヴァールらのCDに、
エレディア作曲の
「戦いのティエント」
というのがあって、
ミサの時に演奏された、
神と悪の戦いを表した音楽、
と記されていた。
TVもネットもない時代、
教会に集まって来た、
素朴な信者さんたちも、
それが、どんな戦いだったか、
などは共通の興味の
対象だったのだろうか。


それは、教会で、
「異常にドラマティックな
衝撃を与えたことであろう。」
と解説にあったが、これは、
「ジャヌカンの有名なシャンソン、
『戦争』の劇的効果の動機を使っている。」
とあった。

今回は、このジャヌカンのCDを聴いて、
このあたりの音楽状況を探ってみたい。
声楽アンサンブル「ア・セイ・ヴォーチ」が、
アンサンブル・ラビリンセスらと
アストレー・レーベルで録音した、
「音楽の果樹園」とでも訳すのだろうか、
アルバムが手元にある。
表紙も「愛の園」というイタリアの絵画。

ジャヌカンは、
今から5世紀も前の人であるが、
まさしく鉄砲伝来の時代の人、
とも、いえることになる。

ここに収められた、
シャンソン「戦争」で、
ぱーんぱーんとやっているのは、
それこそ、鉄砲の音であろうか。
だとすると、私たちは、
種子島の歴史と一緒に、
このジャヌカンの音楽も学ぶべきであった。

鉄砲を持ってきたのはポルトガル人だが、
ジャヌカンは、フランス人で、
大航海時代とは関係がなさそうに見える。

しかし、約100年後のスペイン、
アラゴン派の代表格ともされる
エレディア(1561-1627)
が、参考にしたというのだから、
何らかのルートがピレネーを超えて
つながっていたのであろう。

というか、鉄砲と一緒に、
伝わって行ったのかもしれない。

この鉄砲という代物は、
ちょろっと調べるだけで、
ややこしい問題をはらんでいるようで、
ポルトガル人が持ってきた以前から、
日本にも、いろいろあったのではないか、
という説が散見される。

そもそも、蒙古襲来時に火器に遭遇し、
苦しめられた日本人が、
それ以降、ポルトガル人が持ってくるまで、
こうした武器の知識がなかったとは思えない。
例えば、フィクションとは言え、
宮崎駿監督の「もののけ姫」でも、
火器が重要なアイテムとして登場しているが、
あれは、室町時代の設定であった。

また、ヨーロッパで火器が使われだしたのは、
百年戦争(1337-1453)の時代と言われ、
アステカ(1521滅亡)や
インカ帝国を征服(1572)する際は、
こうした兵器が使用されたとされる。
まさしく、ジャヌカンの生涯(1485-1558)は、
こうしたイベントの狭間にあるではないか。

しかし、多くの歴史の本は、
何万の兵が布陣したとか、
誰が加勢したとかは書いてあるが、
どんな武器で戦ったかなどについては、
よく書いていないので、
ひょっとすると、
今回のCDの方が、
情報量が多いかもしれない。

それにしても、こうした書物をめくっても、
どう考えても血なまぐさい時代である。
いかにも、と思いを馳せてしまうような、
猥雑で粗野で、活力ある音楽が演奏されていても、
まったくおかしくはない。

フィリップ・カングレムという人
(トゥールーズ大学の先生)が書いた、
このCDの解説には、
いったいどんな事が書いてあるのだろうか。

「『やかましい騒音を出そうとしても、
女性の醜聞を歌で表そうとしても、
小鳥たちの声を模倣しようとも、
彼が歌うものすべてにおいて、
素晴らしきジャヌカンは不滅、
彼は神がかっている。』
1559年に、詩人、アントイネ・デ・ベイフ
によって書かれた、この一節は、
後に全欧に流布した
この高名なフランスの作曲家、
クレマン・ジャヌカンの
典型的なイメージを、
よく描き出している。」

という書き出しからして、
いかにも、典雅な時代の人、という感じがするが、
すでに述べたように、
フランソワ一世は、戦争大好き王なので、
そんな時代だからこそ、
こうした神がかり的な不滅の芸術の道が、
求められたということかもしれない。

「その生地(シャテルロー)と、
1485年頃という生年以外には、
ジャヌカンの生涯の早い時期については、
一切わからず、
最初期の音楽教育を郷里で受けたと
推察されるのみである。
彼の最初の確かな情報は、
1505年からで、
当時、ボルドーの陪審員の議長で、
1515年からリュソンの司教を務めた、
ランスロ・デュ・フォーに、
ボルドーで務めていた事である。
1523年、司教が亡くなると、
ジャヌカンはボルドー司教、
ジャン・デ・フォアに仕えた。
この間、作曲家は1525年の
聖エミリオンのカノン、
1526年の聖ミシェルのCureを
作曲している。
1529年にデ・フォア司教が亡くなると、
ジャヌカンは僧碌を恐らく失って、
ボルドーを後にしている。
そのころまでに作曲家として、
彼はいくらか名声を得ていた。
前年、パリの楽譜出版者、
ピエール・アテニャンは、
彼のシャンソンを集めて、
一巻の曲集を出版している。
これが、アテニャンから、
定期的に作品が出版されるという、
特別な地位をジャヌカンが得た
時期の始まりであった。
1530年代の初めに、
1531年、オーシュのカテドラルに、
短い期間務めた後、
彼はアンジェに移り、
アンジェの聖堂の合唱学校に、
1534年から1537年まで務めた。
彼は、この街に1549年までいたが、
同年、パリに移った。
ここは、彼が、その前にも、
短期間滞在した事があったようである。」

さらりと書かれているが、
フランソワ一世の治世が終わり、
ジャヌカン自身も60歳を超えている。
が、彼には、まだ10年近くの余命があったようだ。

「彼は、しかし、宮廷には、
宮廷礼拝堂のchantre ordinaire du roiとなった、
1554年まで認められなかった。
最終的にのの死の二、三週間前に、
単に肩書だけであるが、
宮廷作曲家に任じられた。
彼は、1558年1月に、
遺言を認め、そのあと亡くなった。」

60歳を超えて再就職したのみならず、
名誉も手にして、遺言まで残せるとは、
遅咲き作曲家として、
着目すべき存在である。
ヴィヴァルディやモーツァルトなど、
前半飛ばして、後半腰砕けという、
作曲家はかなり多いような気がするが。

「これらのいくつかの伝記の断片からも、
ジャヌカンが、パリから遠く離れた
フランスの地方の教会音楽家だった、
と結論つけることもできるだろう。
しかし、その国際的知名度は、
その宗教音楽ではなく、
世俗曲『シャンソン』への貢献によるものである。
たった2曲のミサ曲と
1曲のモテットが残されているのに対し、
250曲のシャンソンが残されている。
実際、1533年に、
彼の作曲のモテット集が出版されたが、
彼が残した少ない教会音楽で、
この16世紀の教会音楽家としての
役割を追うことはできない。
一般的に、
ジャヌカンとその同時代人の、
クローダン・ド・セルミジが、
1520年代から1530年代に
パリでアテニャンが出版した、
いわゆるパリのシャンソンの
2大模範とされている。
クローダンとジャヌカンの他の作曲家として、
パリの出版者に選ばれたのは、
サンドリン、Certon、Jacotin、Vermontなどがおり、
彼らに名声を与えたのは、
当時、ルーヴァンのPierre Phaleseや、
リヨンのジャック・マドレーヌなどによって
出版されたものではなかった。」

ということで、宗教曲を書いていても、
まるで儲からず、
世俗文化が花開いていた、
ということだろうか。

「パリのシャンソンのテキストは、
概して短く、時として、
クレマン・マロット
(この録音では、
Tetin refaict plus blanc, Mii/66、
Une nonnain fort belle, Miii/113、
Martin menoit son porceau, M ii/61、
Plus ne suys ce que j'ay, Miii/82)や、
Mellin de Saint-Gelais
(Ung jour que madame, Miii/101
(ある日奥方が眠りにつくと))
のように、
宮廷で活躍した詩人によるものだった。
これらのエピグラムの主題の幅は極めて広く、
愛に対する考え(Toutes les nuictz, M iv/130)から、
おかしな情景やみだらな状況さえ扱っている。
クローダンやジャヌカンは、
まさにこの点で比較され、
後者は単純に、無遠慮なものを選んだのに対し、
前者は、おそらくメランコリックなテキストを好んだ。
しかし、私たちが、
「Plus ne suys(同じではない)」、
「Toutes les nuictz(毎晩)」
といったシャンソンを聴くと、
こうした見方は単純化しすぎていると感じる。
クローダンの作品にみられるような、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」のような、
きわどいテキストが含まれるものがある、
という事実にも関わらず、
「Martin menoit son porceau
(マルタンは豚を市場へ連れていった)」のように、
MartinとAlixの冒険を描こうとする時、
ジャヌカンが持っていた才能は明白である。
しかし、このテキストの始まりの詩節は、
私たちに、ジャン=アントワーヌ・ド・バイフ
(1532-1589)などを思い出させ、
ジャヌカンは、少なくとも2つの理由で、
多くのシャンソンで非凡な第一人者である。
まず、その曲の長さが
パリのシャンソン作者よりずっと長く、
とりわけ、それらがオノマトポエティック(擬音)
の効果が幅広く用いられている。
『狩り』、『パリの叫び』、そして、
『Le caquet des Femmes』などが、
このカテゴリーに含まれるが、
そのうち、最もよく知られた2曲が、
ここに収められた『戦争』と『鳥の歌』である。
これらの作品は1528年に、
最初に『クレマン・ジャヌカン師によるシャンソン』
として出版されたが、後に何度も版を重ねた。」

期待が高まって来たところで、
ここらで、これらが、いったい、
何を言っているかを確認してみたい。

3大ポイントは、
ポイント1.メランコリックなもの
ポイント2.猥雑なもの
ポイント3.長大で擬音(オノマトペー)を含む
ということであろうが、
このフランス歌曲、シャンソンの元祖とも言える人物が、
特徴としていたもののうち、
300年後のシューベルトが受け継いでいたものが、
あるかもしれない、と思えるのは、
最初のものだけしかないように見える。

猥雑なシューベルト歌曲、
オノマトペーで彩られたシューベルト歌曲、
というのは、すぐには思いつかない。
国家の締め付けみたいなものによるのか、
シューベルティアーデというものの持つ空気なのか、
おそらくは、シューベルトの馬鹿真面目な性格か、
こうした一切合切の時代の要請か。

シューベルト歌曲では見つけにくい、
きわどい内容の歌曲の代表のように書かれた、
「Il estoit une fillette(そこに小間使いがいて)」は、
このCDでは冒頭、
Track1.に収められている。

歌詞は、このタイトルから、
予想される「恋の手習い」もので、
かなりいかがわしいものと考えれば良い。

寂しそうにしている彼女に、
2、3度、それを教えてやると・・・、
という内容で、
男声合唱が、鄙びたメロディに乗って、
緩急自在の機知を効かせ、
面白おかしく聴かせる。

Track2.「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」も、
同じような感じだが、内容はさらにやばい。

女声(カトリーヌ・パドー)が入るので、
さらに色彩的となっていて、
破裂音的な効果、早口言葉などが、
縦横無尽に飛び交い、
ロッシーニのオペラなどの効果は、
こんな源泉を持っていたのか、
などと妄想できる。

ただし、こちらのメイドは、
もっとしたたかで、
賢いはずの羊飼いも、
このあばずれを満足させられず、
完全にこけにされて終わる。
上記2曲は、さすがに作詞者名はない。

先に、詩人の名前が出てきたが、
宮廷詩人、クレマン・マロットによる、
Track3.「Plus ne suys ce que j'ay
(もはや、私は同じでいることができない)」
は、一転して感傷的な曲想。

この種のものは、
かろうじて、シューベルト歌曲でも、
受け継がれたものを聴く事が出来そうなものだが、
これがまた、強烈なポリフォニーの綾で、
ほとんど教会音楽にしか聞こえない。

さすがに歌詞は時代がかっていて、
「もう私は前の私ではない。
素晴らしい春と夏は、
窓の外に消えていった。
愛よ、私の支配者よ、
私は、あなたを、どんな神様によりも仕えた。
もう一度、生まれ変わることが出来たなら。
もっと、あなたによりよく仕えようものを。」
という感じ。

愛の擬人化という点で、
かなり古臭い感じがする。

Track4.に、高名な、
「(Le) Chant des oyseaux(鳥の歌)」が来る。
これまでの作品が一分ちょっとの小品だったのに、
この詩は長く、演奏時間5分半。

「鳥の歌」といえば、カザルスが弾いた、
カタロニア民謡が有名で、
ジャヌカンの「鳥の歌」のLPが出た時、
おそらく多くの人が混同したはずだ。

しかし、こちらの歌は、
戯れ歌のたぐいで、
鳥の囀りになぞらえた、
猥雑な愛の冷やかし。

まさしく解説にあるとおり、
オノマトペーで彩られた大曲になっている。

「ティ、ティ、ティ、チャ、チャ、チャ」と
いう歌詞などと共に、
「コキュ、コキュ、コキュ」と、
いかにもという感じで、
この歌の主要テーマが歌われる。

本当に、この時代の人は、
こういうゴシップが好きだったのだなあ、
と思わせるが、
おおらかだったのか、
宮廷とか社交界では、
こんな事しか楽しみがなかったのか。

後世の人は、こんな内容のものに、
必死で、高度な音楽技法を駆使しよう、
などと思わなかったのではないか。

シューベルティアーデで、
これを発表しようとしたら、
明らかに顰蹙を買うであろう。
貴族とか平民とかの境目がなくなる時代では、
下卑ていたら負け、みたいな価値観になるであろう。

こうした内容で、
画期的な音楽作品が出来ていた時代と対比すると、
やはり、シューベルト自身がくそ真面目なのは、
その時代の要請でもあったと考えさせられる。

Track5.「パヴァーヌ、ガイヤルド」は、
笛と太鼓の合奏で、器楽曲。
どすんどすんという太鼓が朴訥で、
笛の響きも素朴この上ない。
ここにパヴァーヌが来る理由は、
後で、解説で詳しく説明される。

Track6.「Ce tendron si doulce
(この娘はとてもかわいい)」も女声が入る。

これは、しっとりとした恋の歌で、
古い時代のロマンスは、こんなものだろう、
と考えさせる典型的なもの。

Track7.「マルタンは豚を市場へ連れていった」
は、すでに解説で話題になっていたが、
アリックスという女と一緒に行ったというもの。
途中の草原で、彼女が罪深いことを持ちかける。
しかし、豚をどうするか。

という内容であるが、
小刻みにまくしたてる歌詞と、
力こぶの入った熱唱が、
事の顛末をくそ真面目に報告する。

Track8.「Suivez tousjours l'amoureuse entreprise
(愛の喜びに続くもの)」は、
器楽の簡単な伴奏も相まって、
物思いにふけるような美しい音楽。

Track9.「Puisque mon cueur」
器楽曲バージョンで、
笛の合奏が、
素晴らしい桃源郷を描き出す。

Track10.「ある日奥方が眠りにつくと」は、
この後、旦那がメイドとジーグ?を踊る、
という、どう考えても、という内容。

メイドは、どっちが上手?と聴くあたり、
いかにもフランス風の展開だが、
面白いぺちゃくちゃ効果が挿入される。

クレマン・マロットの詩によるとあって、
こんなものが宮廷詩人の書いたものか、
と驚きあきれるのも良いだろう。

Track11.「Toutes les nuictz
(毎晩、毎晩)」は、曲想も、
いかにも、静かな夜の音楽である。

歌詞は、何だか切ないもので、
「毎晩、あなたはそばにいるが、
昼間は私一人。
夢の中でだけでしか幸せでない。」
という、平安時代の女流歌人が書きそうな内容。

Track12.「Fy, fy, metez les hors
(そんな甘言には)」は、
偽りの愛に注意を促す警句のようなもの。

Track13.「Tetin refaict plus blanc
(まるまるとした良い乳房)」
は、それをずっと賛美して、
神々しさや陶酔にまで到達しているようだ。
歌っている連中からして、
男たちが輪になって愛でている様子が目に浮かぶ。

これがまた、3分半と長い。
このアルバムでは、
五本の指に入る大曲である。

また、Track14.にまた、
「マルタンは豚を市場へ連れていった」
が収録されているが、
なんと、2つのリュート版。

ものすごく、
格調の高いポリフォニー曲に変貌しており、
ジャヌカンが卑猥な表面の裏に隠していた、
高い音楽性がさらけ出されている。

Track15.「Si d'ung petit de vostre bien」
は、ネット検索すると、
恐るべき日本語訳が出ているが、
このCD解説書では、
非常にわかりにくく、
「If you are not willing」などと英訳されている。

これは、Track14.とは打って変わって、
その精妙なポリフォニーに惑わされていると、
究極の春歌であることに、
気づかないでいるところであった。

それにしても、最初は、鉄砲と血なまぐさい時代、
という先入観があったが、
かなり割り切った屈託のない時代に思える。

Track16.「(L') Amour, la mort et la vie
(愛と死と生)」というものだが、
笛の伴奏を伴う、聖歌風の曲想。
これらが、私を苦しめる、という、
いかにも古楽という感じの音楽。

諸行無常の感じもあり、
このCDに、戦国の世の歌があるとすれば、
この曲かもしれない。

Track17.「鳥の歌」の変奏曲、
6分にわたるフルート重奏曲。
これも歌詞がなくとも、十分楽しめ、美しい。
スペインで、流行歌が器楽曲になっていったのも、
十分、肯けるが、逆に、歌詞を取り払った事で、
より、堂々と演奏可能になった、
と言い換える事が出来るだろう。

このCD解説では、このような解説がある。

「この曲は有節歌曲のようにも工夫され、
それぞれの詩句では、
異なる鳥を登場させ、
あらゆる効果を用いて、
考えうるあらゆる様々なさえずり、
チチチ、チュンチュン、震え声を模倣する。
第3節のナイチンゲールで、
作曲家の想像力は完全に燃焼している。
しかし、声楽版以上に、
1545年ニコラス・ゴンベールによって作られた、
(ここではリコーダー利用の)三声の編曲では、
まるで、ナイチンゲールに命が吹き込まれたようである。」
とある。

確かに、第一節から細かいパッセージが重なり、
人間技ではないテクスチャーで感興を高めてくれる。

以下、「この版を聴くと、1555年に、
ピエール・ベロンがナイチンゲールに捧げた言葉を、
思い出さずにはいられない。」と書かれ、
「ナイチンゲールは、
『眠ることなく、夜を通して歌い続け・・・』」
とその言葉を長々と引用しているが、
その声の賛美なので、ここでは省略する。

Track18.「Une nonnain fort belle
(美しく健康な尼僧)」も、いかにも、
というタイトルだが、期待を裏切ることはない。

世を捨てた事を後悔する彼女は、
魂の配偶者たるキリスト以外のものを求めている、
と告白する。

シューベルトの「若い尼僧」とは大違い。
音楽も、もちろん、
シューベルトの濃密なドラマはなく、
「こういうことでした」という、
簡潔な報告調で、ストレートである。

以下、器楽曲が二曲続いて、
最後のクライマックスの「戦争」につなげる。

Track19.「J'ay double dueil
(僕には二重の苦しみが)」
は、気品あるリュート二重奏曲。
タイトルのとおり、物憂げである。

Track20.「Tourdion, 'C'est grand plaisir'」は、
活発なフルートの四重奏曲。

Track21.「(La) Guerre, 'La bataille de Marignan'
(戦争、マリニャンの戦い)」は、「鳥の歌」と並ぶ大曲。

この曲は、このCD解説では、
特別に詳しく紹介されている。

「特に『戦争』は、その世紀の終わりまで、
さらに世代を超えて国際的に名声を博した。
『バタリエ』としても知られ、
おそらく、1515年のマリニャーノの戦いで
フランス軍の戦勝記念のものである。」

マリニャーノはミラノの近郊で、
フランス王、フランソワ一世が、
イタリア戦争をした時のもの。
この人は、ハプスブルクと神聖ローマ帝国の冠をかけて、
戦った人でもある。

やはり、歌詞を見てみると、
「フランソワ王に続け」みたいな部分に、
「弓を引け、火縄銃を轟かせ」とあり、
明らかに、鉄砲の描写音楽であることが分かった。

「いずれにせよ、このシャンソンは、
様々な形で模倣され、アレンジされ、
とりわけ、適当なガイヤールと組み合わされて、
『バタリエのパヴァーヌ』と題されて、
振付が施された。」
とあるくらいに、
大ヒットしたようである。

このCD、48分くらいしか収録されていないので、
お馬鹿な歌詞を見て行くと、
あっという間に聞き終わってしまう。

さて、解説を読んでしまおう。

「当時、シャンソンとダンスが、
相互に関係したのは、
偶発的なものばかりではなかった。
それらは、相携えて発展したのである。
15世紀の終わりの三声部のテクスチャーは、
低音部が重要であったが、
やがて四声にシフトしていき、
高音はメロディを担って主要なものになった。
こうした特徴はパリのシャンソンのみならず、
同時期に出版された舞曲にも見られ、
ジャヌカンや同時代の作曲家の、
もっとも有名なメロディから、
インスピレーションを得たものであった。
器楽奏者にはいくつかの役割があったと考えられ、
ダンスでは歌手を伴奏し、その声部を強調したり、
単に、シャンソンの器楽曲版として、
演奏されたりした。
1533年には、出版者らによって、
このことは推し進められた。
ピエール・アタインナンは、
『四声部の歌曲はフルートやリコーダーにふさわしい』
として、2冊の曲集を出版した。」

この部分、この解説を読んでよかった、
と痛感した部分である。

シューベルトの場合も、
歌曲と器楽曲とのクロスオーバーが、
さまざまな見地から論じられるが、
良いメロディがあると、
楽器でも演奏したくなる、
というのは、世の習い、ということか。

が、その一翼を、ダンスが担っていた、
というのは面白い。
また、その陰にいるのが、出版者というのも、
妙に生々しい経済活動として捉えることが出来る。

我々、現代人は、このダンスという習慣を、
まったく失ってしまっているが、
これは、かなり、人間の本質とか文化とかの、
深いレベルで、何か大きな喪失をしている、
などと考えても良いかもしれない。

「こうしたケースでは器楽奏者は、
種々の複雑な装飾をくわえることがあり、
例えば、理論家のフィルバート・ヤンベ・デ・ファー
などは、1556年の『Epitome musical』の中で、
『『戦争』や『鳥の歌』、『le caquet des femmes』など、
他の多くの難しい曲を、8歳の子供でも簡単に表現できる。
発音しなければならない言葉ゆえに、
省略したい多くの部分を省くことが出来ないが、
リュート、スピネット。コルネット、フルート、
ヴィオールなどあなたが選ぶ楽器どれでも、
は多くのパッセージワークを表現できる。』
事実、いくつかのケースでは、
例えば、極端な例として『鳥の歌』のように、
テキストが多すぎることによって、
歌手は省略が許されない。」

得られた事:「鉄砲伝来の時代へは、ジャヌカンで思いを馳せる。まさしく、機械(楽器)の時代に突入する直前の人力(声)のクライマックスのような声楽曲。」
「ジャヌカンの時代以降、シャンソンは、教会音楽のようなポリフォニーの形から、器楽や舞踏とのコラボを経て、主旋律主導型に変容していった。これは、ジャヌカンらのメロディの美しさによるものであった。」
「シャンソンの始祖、ジャヌカンには、三つのカテゴリーの作品が目立ち、メランコリックなもの、猥雑なもの、長大で擬音(オノマトペー)を含むものがあるが、シューベルトの時代になると、重視されなくなったものばかりであった。」
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by franz310 | 2016-08-27 20:51 | 古典 | Comments(0)