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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その417

b0083728_221652100.jpg個人的経験:
NBC交響楽団と
ベートーヴェンの
交響曲全曲演奏会という
大業を果たした後、
トスカニーニは、
休暇を取って
グランド・キャニオン
に向かったという。
1939年の12月、
この大自然の威容を前に、
トスカニーニは心打たれ、
感動を手紙に認めている。


「愛しいアーダ、私は美に酔いしれている。
グランド・キャニオン以上に、
これ以上に幻想的で超越的な脅威を、
見つけることは不可能かもしれない。
昨日の夕暮れ時、今日の日の出、
この自然の奇跡による感情に、
私の目から涙がこぼれた。
このあたりの人々、
カリフォルニアの人たちも、
良い人たちだ。
私が崇める君がここにいて、
手を取り合って、静かに、
神、自然、時の流れが、
何百万年もかけて作り上げた
この荘厳な、壮大で、
畏敬すべき奇跡を、
共に愛でることが出来たなら・・。」

アーダは、イタリアにいたはずなので、
まだ、直接の戦争には至ってはいないものの、
それどころではない状況だったはず。

米国に亡命状態のトスカニーニ自身も、
戦火のヨーロッパに戻る日が来るとは、
72歳という年齢から言って、
信じていなかった可能性もある。

トスカニーニは、そうした事にも思いを馳せて、
涙を流した可能性がある。

このトスカニーニが指揮した、
「グランド・キャニオン」組曲、
BMGジャパンが1997年に発売したCDは、
オリジナル・LPデザインを銘打っていただけあって、
楽しくノスタルジックな表紙が素晴らしい。

トスカニーニが吠えるばかりの、
彼の録音の中で、これは、出色の逸品ではないか。

しかも、非常に良い演奏で、
トスカニーニの逞しい緊張感と、
感動的な歌心がマッチして、
多くの人が、通俗名曲に数えている、
このカラフルなメロディの集合体を、
一幅の交響絵巻として繰り広げている。

私は、正直、この録音には、
まったく何も期待していなかったのだが、
これはどえらい収穫で、
台風がたくさん来たせいか、
この夏、いちばん聴いた音楽かもしれない。
戦後すぐの録音ながら、
独奏楽器の音色も美しい。

1945年9月10日という、
旧連合国側が、対日勝戦記念日(VJデー)
と呼んでいる9月2日の終戦記念の後、
すぐの録音である。

第1楽章「日の出」から、
新しい朝が来た気分が横溢し、
まるで、平和への感謝の歌のように、
どんどん高揚していく音楽に、
多くの聴衆が涙を流したのではないか、
などと妄想が湧き起る。

民間人であれば、何事もなく
戦争を終えた人もいたかもしれないが、
何十万人もの兵隊が、
アメリカでも命を落としている。

第2楽章の「赤い砂漠」も、
清冽な歌には、いささかの甘味もなく、
ただ、澄んだ情感がたちこめるが、
虚無の世界に沈んでいく。
他の指揮者では、こうはならないのではないか。

第3楽章の「山道を行く」は、
楽しくロバが行くが、
中間部で、風の流れのように鳴り響く音楽は、
はるかかなたを見つめる眼差しを感じずにはいられない。

第4楽章「日没」は、
第1楽章「日の出」と対をなす楽章であるが、
神秘的な弦楽の音色が、
単なる効果音楽としてではなく、
超俗的な雰囲気にまで高まっている。
そして、後ろ髪をひかれるようなメロディで、
痛切な響きを増し、やがて消えて行く。

このあたりがプッチーニ的な哀切を感じさせるのは、
さすが、トスカニーニならでは、と感じ入る次第。
戦争が激化する前に、グランド・キャニオンで、
アーダを思った日の事を、彼は、思いだしただろうか。

第5楽章「豪雨」は、入魂の楽章であり、
変化に富んで、一番長い楽章である。
起承転結としては、
「日没」で終わってもおかしくないのだが、
この盛り上げる終曲があって良かった。

もちろん、基本は劇伴音楽的なのだが、
危機を乗り切った後の解放感には、
カタルシスのような効果がある。

しかし、このように有名な音楽であるが、
グローフェが、どのように、この曲を作曲したかを、
書いた本を私たちは読んだ事があるだろうか。

リッチなホテルから眺めた風景なのか、
実際に山道を歩きながら見た風景なのか。
今回の試みは、ネット上に、
もう少し情報が落ちていないか、
探し出すことである。

なお、この曲のみならず、
2曲目に入っているガーシュウィンの
「パリのアメリカ人」も、
同じ意味で素晴らしい。

張り詰めた真剣勝負の雰囲気が、
聴くものの心を、どんどん吸い込んでいくような、
忘れがたいガーシュウィンである。

ただし、解説は、
どこにでも書いてあるような事しか書いていない。

b0083728_221743100.jpgちなみに、曲順は異なるが、
RCAビクターが出していたCD、
トスカニーニ・コレクション
にも、同じ音源が使われている。
この指揮者が、
大峡谷を訪れた時の写真があるし、
Made in USAの
商品ということで、
私は、きっとこの解説は、
マシだろうと考えていたが、
読んで見ると、
これまた、
たいした事は書かれていない。

「大戦中に、アメリカの音楽を沢山取り上げたが、
最も、実り豊かなものは、1945年録音の、
ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』であろう」
とか書いてあって、
トスカニーニによるガーシュウィンの演奏が、
意外に良い、ということは強調されている。

しかし、グローフェについては、
以下のような事しか書かれていない。

「1924年、ガーシュウィンは、
ポール・ホワイトマンの楽団によって初演された、
ラプソディ・イン・ブルーによって、
コンサート作品の作曲家として、
最初の大成功を収めた。
それまで、ガーシュウィンは
ミュージカルのすぐれた作曲家ではあったが、
こうした劇場のものと同様、
オーケストレーションは、
他の人に任せていた。
ラプソディに関しては、
ホワイトマンの楽団のチーフ・アレンジャー、
グローフェに委ねられた。
グローフェには当然、
自身作曲のコンサート作品があり、
最も有名なものは、
『グランド・キャニオン組曲』である。
トスカニーニは、これを1943年と
1945年に演奏している。」

たった、これだけである。
せっかく、グランド・キャニオンと、
マエストロの写真が出ているのに、
彼が、その風景の前で、どうしたかなどは、
まったく触れられていないのである。
(なお、冒頭に紹介した手紙とは違って、
この写真は11年後の1950年に撮影されたものだ。)

音としても、BMGジャパン盤の方が、
少し良いような気がする。

さて、この指揮者が、
遠く離れた恋人に手紙を書いた、
20年以上も前になるが、
マエストロの身分とは大違いの、
若くて、たいした定職もない、
流しのピアニストが、これまた、
グランド・キャニオンの日の出を見ようと、
アリゾナ砂漠をジープで横断していたという。

「私がそれ(グランド・キャニオン)
を最初に見たのは、夕暮れの中でした。
そこで前の夜から、
キャンプしようとしていたのです。
私は、その静寂の中で
魔法にかけられたようでした。
明るくなるにつれ、
鳥たちの囀りが聞こえ、
自然が命を取り戻すかのようでした。
そして突然、ビンゴ!となりました。
日の出です。
私は言葉を失いました。
何故なら、言葉は無力ですから。」

これが、作曲家グローフェ自身の回想である。
アメリカを代表的する管弦楽曲、
組曲「グランド・キャニオン(大峡谷)」を書いた大家が、
「ビンゴ!」などと言うとは知らなかった。

このグランド・キャニオンのキャンプは、
1916年の事だそうなので、
グローフェが24歳の頃の話となる。
こじつければ、22歳のシューベルトが、
訪れたシュタイアーの街で、
「天国のように美しい」自然に触れたのと、
ちょっと似ていて、
ちょうど100年後くらいに相当する。

ちなみに、シューベルトは、すぐに作曲したが、
グローフェは、1929年まで、
「グランド・キャニオン組曲」は作曲しなかった。

そして、さらに10年して、1939年、
トスカニーニがこの峡谷を訪れたわけだが、
1945年に戦争が終わるまで、
トスカニーニは、この曲を録音しなかった。

グランド・キャニオンの悠久の歴史に相応しく、
彼らの体験が音となってほとばしるまでには、
それなりの年月を必要としたようである。

さて、ほとんど、
この曲一曲しか知られていない、
作曲家グローフェは、
1892年に、ドイツ系の家庭、
ヴァイオリン弾きの父と、
ピアノやチェロを弾くの母のもと、
ニューヨークに生まれた、
などと書かれている伝記は多い。

その後、これは、よく知られた話であるが、
彼は、前例のないようなキャリアを積み上げていく。

14歳で学業を放棄、
牛乳配達や製本や劇場の案内係から、
歓楽街のヤバい店のピアノ弾きなど、
へんてこな仕事で糊口をしのいでいる。

しかし、もともとは、
大変、教育熱心な家庭の出だったようで、
グローフェが8歳の時に、夫が亡くなった後、
母親は彼を、何とライプツィッヒに連れて行き、
作曲を含む、様々な音楽の勉強をさせたというのである。

私が、「グランド・キャニオン」を初めて聴いたのは、
もう、40年近く前のことだと思うが、
オーマンディの廉価盤LPが出た時であった。

ただし、この曲については、
野呂信次郎著の「名曲物語」(現代教養文庫)で、
それよりずっと前から知っていて、
実際のグランド・キャニオンの眺めの紹介から、
音楽の内容の紹介までを読みつつ、
果たして、どんな曲であろうかと、
妄想を膨らませたものであった。

手軽に入手できるオーマンディのシリーズが出ると、
一番に手にしたのがこの曲であった。
恐らく、かつて渋谷にあった、
東急文化会館の中のレコード屋で購入したはずである。

「グローフェは『私の音楽は、私を育ててくれた
アメリカの生活や風物をキャンバスに音で描き出しています』
と言っていますが、組曲『大峡谷』は
見事にグランド・キャニオンの美しさを描いた音画です」
と、「名曲物語」では紹介されている。

改めて読み直してみると、
母親はライプチヒ音楽院でチェロを学んだ、
とあり、
再婚した義父が音楽を嫌ったので、
家を飛び出した、ともある。

結構、この本は、いろんな情報が
詰まっていたことに驚いた。

が、改めてウィキペディアを見ると、
父親は喜歌劇のテノール歌手とあり、
ヴァイオリニストではなかった。
一方、母親の方は、遥かにすごく、
母の父はメトロポリタンの
オーケストラのチェロ奏者、
兄弟は、ロサンジェルス・フィルの
コンサートマスターであった。

こんな一家の母親が、本当に、
音楽の嫌いな男と結婚したのかが気になるが、
この母親の名前、Elsa Johanna Bierlichで、
ネット検索しても、
彼女はロサンジェルス交響楽団の最初の女性団員になったとか、
指揮者ウォーレンシュタインの音楽の先生だったとか、
そんな話題ばかりが出てくる。

しかし、JAMES FARRINGTONという人が書いた、
フロリダ州立大学の論文がたまたま見つかった。
ほとんど、グローフェの前半生がよく書かれている。

さらに、グローフェの生い立ちのあたりを見て仰天した。
彼の母親だった女性は、かなりの人物のようなのである。

「グローフェの祖父、ルドルフ・フォン・グローフェ博士は、
音楽家ではなく、ハイデルベルク大学の化学の教授だった。
化学の分野の功績でカイザーから勲章をもらっている。
父親のエミールは、ドイツのグラウンシュバイクで生まれ、
アメリカへ移住して、ボストン市民になり、
少しは知られた喜歌劇場の歌手および俳優になった。
彼およびグローフェの母親も。
アマチュア画家でもあり、よく文章を書いた。
しかし、彼は、グローフェによると、
大変な大酒のみで、よい夫ではなく、
彼女は彼のもとを去った。
その時、グローフェはまだ生まれて数か月であったが、
その後、父親と会うことはなく、
やがて、彼が、1899年に、
ハンブルクで死んだことを知った。」

という具合に、グローフェの人生は、
生まれて数か月して、いきなり波瀾万丈だったようだ。
そもそも、実の父親もかなり問題がある。

「グローフェの母親、エルザ・ジョアンナは、
熟達したチェロ奏者で、ヴァイオリン、ヴィオラ、
さらにピアノを演奏した。
彼女の父親ともどもドイツ語、フランス語、
イタリア語、スペイン語、英語の五言語を流暢に話し、
ニューヨーク在住中は、野外ガーデンの女性オーケストラで、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを演奏し、
1892年にカリフォルニアに、家族と移住、
ロサンジェルス女性交響楽団のチェロの首席奏者となり、
その後、ロサンジェルス交響楽団の名誉会員となった。
彼女はチェロ教室を始め、
生徒には高名なアルフレッド・ウォーレンスタインがいた。」

さらに、グローフェの生い立ち
についての記載も重要だ。

「グローフェは、1892年3月27日、
ニューヨークの第1ストリート、
第1アヴェニューと第2アヴェニューの間で生まれた。
彼の母親は、カリフォルニアに出て、
ショーンメーカー氏と結婚したが、
実家のビーアリッヒ一族も一緒に、
1892年にロサンジェルスに移った。
1900年、彼女は、その人と別れ、ドイツに移り、
自分と息子の名前をフォン・グローフェとした。」

祖父がそれなりに高名な人物だったので、
酔っ払いの方の名前を選んだのだろうか。
注釈にも、何故、旧姓に戻さなかったのか謎、
と書かれているが、「フォン」が付いた方が、
特に、ドイツでは、絶対にかっこよかろう。

「彼が五歳になると、母親は、ヴァイオリン、ピアノ、
および基礎的な楽譜用記号を教え始めた。
グローフェは音楽が好きで、レッスンを楽しみ、
リサイタルを開いたりもした。
しかし、その年齢の子供らしく、
他の事で簡単に練習は邪魔された。
彼が練習をするように、
母親が部屋に閉じ込めても、
彼は窓から逃げて、
近所の子供と遊びに行ってしまったりした。
彼は、音楽を始めてすぐ、
聖ヴィンセント・カレッジに入った。
1900年3月、エルザは、ライプツィッヒに行き、
チェロの大家、ユリウス・クリンゲルに学んだ。
彼女はグローフェを連れて行き、
夏には、ビュッテンブルク近郊の
特に温泉で知られる小さなリゾート・タウン、
ウィルドバットの親戚に預けた。」

地図を見ると、ドイツ南西部で、
フランスと接する、バイエルンの西であった。

「彼はそこのプライベート・スクールに入り、
ヴァイオリンを学び、鍵盤、和声を、
オットー・レオンハルトに学んだ。
後に、グローフェは、この鍵盤、和声の勉強を、
『指先で正しい和声を探れる』
と高く評価している。
1902年の秋、彼らはアメリカに戻り、
母親は、知られざる理由で、
ニューヨークに行ってしまったが、
グローフェはすぐにロサンジェルスに戻った。
結局、彼女もカリフォルニアに戻り、
1904年に3回目の結婚をしたが、
おそらく職業的な理由から、
名前を変えることはなかった。
彼女の新しい夫、ジェームズ・B.メナスコは、
前の結婚で、
2人の息子と2人の娘の4人の子供連れであった。
グローフェは新しい家族とうまくやれず、
1906年の4月、祖父母の家に移った。
彼は、この時、第7グレードを終える直前に、
学校に行くのもやめてしまった。」

ということで、
先に述べた、いろんな伝記の切れ端は、
かなり修正が必要であることが分かった。

私は、ライプツィッヒから逃げたと思ったが、
単に、よくある話で、家庭の事情で、
不登校になったということだろう。
有能な音楽家であった、
祖父の指導も受けられる立場であったわけだ。

が、興味深い事実も、
この論文には出ていた。

「グローフェは、祖父の家で、
ピアノの練習だけはさせて貰えなかった。
祖父は、非常に繊細な耳を持っており、
ピアノの狂った調律に耐えられず、
特に高音が、彼には激しいストレスになった。
そこで、グローフェは、
近くの、ジュリーおばさんの家に行って、
ピアノを練習した。
その家の皆はアマチュアの音楽家で、
しばしば即興で合奏をしたし、
ユリウスおじさんは、
素晴らしい楽譜の蔵書を持っていた。」

つまり、祖父母のみならず、
一族を上げて、助けられた感じであろう。
これは、恐ろしく恵まれた環境だった、
と言わざるを得ない。
1908年頃、つまり、16歳頃から、
作曲を始め、ジュリーおばさんの家で、
自作の室内楽を演奏していた。

が、母親は、グローフェが、
絶対、父親同様、アル中になると信じていて、
彼が、エンジニアになるように望んでいたという。

しかし、祖父の指導もあって、
彼は、オーケストラのヴィオラ奏者としても活動、
母親の教室で教えるようなこともしたようだ。
その間、ピアノの勉強もして、劇場で弾いたりもしている。

グランド・キャニオンでキャンプした頃、
1916年の彼の一日が紹介されていて、
いかに、彼が活動的な音楽家であったかが、
紹介されている。

「朝:交響曲のリハーサル
 ランチタイム:ブルーバード・インで演奏
 午後:映画館で演奏
 夕食時:ゴッドフライ・カフェで演奏
 9時から:クラブで演奏。」

だが、ここには、残念ながら、
グランド・キャニオンでのキャンプの話はない。

1915年に彼は、ダンサーと結婚し、
1917年には、インフルエンザの流行で、
ロスでの仕事がなくなり、
仕事を探しに、アリゾナに行ったりしている。
彼は、演奏家としてだけでなく、
編曲でも稼ぐようになり、
ポール・ホワイトマンとの仕事を始め、
1920年にはガーシュウィンと初めて会っている。

ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を
委嘱、初演したことで有名な、
ポール・ホワイトマン・バンドであるが、
この論文では、彼らのが、成功し、
ものすごい社会現象になったことを詳述している。

例えば、「シンフォニック・ジャズ」といった、
「批評家が、どう呼んで良いか分からないような、
個性的な音楽」(グローフェ)の確立などに、
グローフェがいかに重要な役割を演じたかが分かるが、
(たとえば、ラプソディー・イン・ブルーには、
グローフェのアイデアがたくさん入っていることなど)
97ページの大著を読み込んでいては、
なかなか、トスカニーニの話にならないので、
非常に面白いのだが、どんどん読み飛ばす。

グローフェ自身、トスカニーニが、
「グランド・キャニオン」を振った時が、
人生のハイライトの一つだと語っているが、
トスカニーニは、何故、これを取り上げたかを聴かれ、
「音楽には、良いのと悪いのと、二つがあって、
これは良い音楽なのです」と答えた、
というエピソードが記されている。

この論文では、グローフェが大峡谷を、
初めて訪れたのは、1916年ではなく、
1917年だとしている。

そして、グローフェが、
上述のアリゾナに行く際か、
そこから帰る際に立ち寄ったのではないか、
と書かれている。
一緒にいたのは、
郡の保安官(シェリフ)だった友人だとある。

「あるインタビューでは、グローフェは、
この曲の作曲を、1922年に、
アリゾナのキングマンで、
休暇を取っていた時に思いついたという。
グローフェは後に、
グランド・キャニオンをもとにした作品は、
ホワイトマンが英国に行っている間の、
1926年の休暇に、最初に思いついた、
とも言っている。
それにも関わらず、作品のスケッチは、
1929年まで、紙に残されることはなかった。
グローフェは当初、
峡谷の日の出から日没を描いた、
4楽章の作品にしようと構想した。
ある楽章は、「ホピ族のインディアン」と題され、
他の楽章は、赤い砂漠や、石の森といった、
峡谷を囲む、他の自然の驚異を描くはずだった。
『山道を行く』は、グローフェ自身は、
歩いた事はなく、
コロンビア・レコード、
ホワイトマン担当録音マネージャーの、
エディー・キングから、
グローフェが提案されたものである。
『日の出』は、1929年の秋、
グローフェがハリウッドにいた時、
次に書かれた楽章は『日没』で、
翌年の夏に書かれた。
この楽章のアイデアは、
グローフェが、ニュージャージーの、
ハッケンザック・ゴルフ・クラブの、
第9ホールにいた時に見た日没から着想され、
彼は、その場で書き下ろした。」

「『赤い砂漠』が、何時書かれたかは、
正確には分からないが、
ホワイトマンが作品完成を促した後、
『山道を行く』と共に、
1931年の夏に書かれた事は明らかである。
終楽章の『豪雨』は、
11月22日の演奏会の2週間前まで、
着手されていなかった。
ホワイトマンのアドバイスで、
グローフェは、ウィスコンシンのティペア湖に、
チャーリー・ストリックファーデンと、
作品を完成に専念するために2、3日滞在した。
彼はすでにプログラムを構想しており、
シュトラウスの『アルプス交響曲』や、
ベートーヴェンの『第6』、
ロッシーニの『ウィリアム・テル』など、
オーケストラによる
様々な嵐の情景を研究していたが、
まだ、何も書いていなかったのである。
彼らが、湖に着いた日、
嵐が起こり、最終的にグローフェに、
この特別な情景への霊感を与え、
コンサートの6日前に、
スコアを仕上げることが出来た。」

この後、グローフェはホワイトマンの楽団を辞め、
「グランド・キャニオン」のシカゴでの演奏計画に、
横やりが入るなど、確執を深める様子が語られるが、
気が滅入る内容である。

このあたりで、この論文は終わっているが、
グローフェは、これから40年も生きているはずだ。
そして、この時、グローフェは40歳だった。

これまで読んできた感想としては、
仕事人間グローフェという感じである。

「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれた、
華のあるホワイトマンと別れ、
夭折の天才ジョージ・ガーシュウィンが亡くなり、
グローフェの人生は、
何となく、無味乾燥なものになったように見える。

あとは、自作の指揮や教育の仕事ばかりである。

なお、戦前のアメリカの音楽界で、
重要な役割を演じた、この二人の隙間風には、
ポール・ホワイトマンの当時の奥さん、
マーガレット・リビングストン
(無声映画時代の女優)
が絡んでいたようだ。
彼女は、楽団の運営に口出しし、
グローフェのやり方にも干渉を始めたのである。

なお、このCDには、バーバーの「アダージョ」の、
しみじみとした演奏があって、
スーザの行進曲など騒がしい音楽が続く。

得られた事:「音楽には、良いものと悪いものの二つがあって、『グランド・キャニオン』は良い音楽だ、とトスカニーニは考えた。」
「この曲の演奏には、この指揮者の強みとなった表現力の魔法が圧縮されており、第二次大戦終結直後の激しい感情の振幅までが記録されているようだ。」
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by franz310 | 2014-09-27 22:20 | 現・近代 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その416

b0083728_16381735.jpg個人的経験:
トスカニーニの
シューベルトと言えば、
「未完成」というより、
「大ハ長調」にまず、
指を屈するべきであろう。
トスカニーニは、
この曲を非常に大切にし、
彼が、最初に振った交響曲が、
この曲であると伝えられるし、
雄渾な曲想からしても、
トスカニーニ的な作品で、
多くの録音も伝わってもいる。


ドナルド・キーンの著書などでも、
この曲を聴くなら、トスカニーニだ、
といった一節があって、
私はかなり驚いたものであったが、
トスカニーニの演奏の一途に、
しかも魂を込めて歌いぬく演奏は、
シューベルトが「未完成」の諦念を突き抜けて、
到達した境地と似たものがあってもおかしくはない。

早い時期のものとしては、
1941年11月16日に、
珍しく、フィラデルフィア管弦楽団を振ったものがある。

戦争勃発時期に、NBC交響楽団と、
ベートーヴェンの全曲チクルスをやったのが、
1939年であるから、2年が経過している。
トスカニーニは、1967年生まれなので、
このフィラデルフィアとの演奏は、74歳の時である。

2006年に出た、Sony/BGM盤は、
表紙のトスカニーニの雄姿も素晴らしく、
写真を取り巻く洒落た図柄も、
この時代を象徴して優美である。

つまり、真珠湾奇襲は、
3週間ほど後の事なのだ。

トスカニーニ自身の事としては、
記念すべきチクルスの翌年、
1940年あたりから、
何と、NBC交響楽団との関係が、
うまく行っていなかったようで、
1941年の冬のシーズンは、
シカゴ響、ニューヨーク・フィル、
フィラデルフィア管弦楽団などを振って、
トスカニーニは、NBCとの演奏は行っていない。

この間、ストコフスキーなどが、
NBCに関しては、振って繋いだが、
トスカニーニのNBC響以外との演奏が、
まとめて残されていることは、
有難い限りと言って良い。
ただし、この録音には、
様々な伝説があったようで、
トスカニーニが演奏を認めなかったとか、
息子が発売を認めなかったとか、
録音が悪すぎた、とか、
諸石幸生著「トスカニーニ」には、
整理しきれない記述が並んでいる。

私は、これを知っていたので、
これまで聞く気にならずにいたのだが、
CD化されているものは、
丁寧な復刻がなされているのか、
時々、ノイズが混ざるが、
まったく鑑賞するのに問題はない。

Mortimer H.Frankの解説に、
「1930年の終わりにかけて、
トスカニーニとストコフスキーは、
指揮台を交換しており、
ストコフスキーはニューヨーク・フィルに行き、
トスカニーニはフィラデルフィアに向かい、
ここで、彼は忘れがたい印象を残した。
11年後、彼が少しNBCを離れた時、
トスカニーニはフィラデルフィアに戻り、
再度、演奏会シリーズを持った。
この登場を知って、団員は再度、
自分たちのパートを見直し、
さらい直し、彼の要求に完全に答えるようにした。」
とあるが、
楽団員も恐ろしい期待と不安で、
そして、万全の準備を持って、
巨匠を迎え入れたわけである。

「首席バスーン奏者の
Sol Schoenbachは、
マエストロがディナーミクを
大切にすることを知っていたので、
楽器に綿やハンカチや靴下を詰めて、
チャイコフスキーの『悲愴』の
第1楽章でppppppに応えられるようにした。」
と書かれているが、
この「悲愴」は、トスカニーニが、
NBCと残した数多くの「悲愴」の中で、
最も、説得力があるもののように聞こえる。
(ただし、諸石氏の著書では、トスカニーニは、
この独奏が気に入らなかった、とある。)

しかし、弦のしっとり響く様は、
他のトスカニーニ録音では、
なかなか聞けないもので、
チャイコフスキーになると、
これが、どうしても必要に思えてくる。

NBC交響楽団は、
腕利きだったかもしれないが、
歴史が浅い放送用のオーケストラで、
特にヴァイオリンは優秀な若手を揃え、
超絶技巧ではあってもシルキーではなく、
先鋭ではあっても、豊かな感じはしない。

そもそもホールにも問題があって、
どうしても、硬い演奏に聞こえがちであった。

それに引き替え、フィラデルフィアは、
ストコフスキーの薫陶を得た、
歴史ある名門であり、
その音色は、ラフマニノフが絶賛するもので、
1940年に作曲された、
「交響的舞曲」などは、
この楽団の豊かな音色を想定して書かれたと言われる。

このようなリッチなオーケストラと、
過激派のトスカニーニのがちんこ勝負は、
おそろしく魅惑的なものであったに相違ない。

トスカニーニは、
イギリスのオーケストラとの録音も有名だが、
ゴージャスさにかけては、
フィラデルフィアに敵うものではないだろう。

Sony/BGMの三枚組CDには、
1941年11月16日の「グレート」、
18日のドビュッシーの「イベリア」、
翌日のレスピーギ「ローマの祭」に加え、
年が明けて1月11日の、
シュトラウスの「死と変容」、
翌日にかけてのメンデルスゾーンの「真夏」、
2月8日、9日には、
チャイコフスキー「悲愴」、
ドビュッシーの「海」、
ベルリオーズの「女王マブ」が演奏され、
録音されている。

これらの間にアメリカの参戦が決まった時期。
かと言って、「悲愴」が、
とりわけ悲愴なわけでもないのだが。

それにしても、
「欲しがりません、勝つまでは」
のシリアスな状況下にあって、
アメリカ音楽界はゴージャス、
これらも、オーケストラの魅力を全開にした、
魅惑的なプログラムではなかろうか。

当然、指揮者の王様が、
王様のようなオーケストラを振ったのだから、
それに見合った演奏でもあって、
解説には、以下のような記載がある。

「同様に興味深いのは、トスカニーニが、
フィラデルフィア管弦楽団に見せた敬意で、
例えば、弓を揃える時も、バランスを取る時も、
彼は、決して、その伝説のソノリティを、
変えようとはしなかった」ともあって、
トスカニーニくらいの大家となると、
こうして築かれた伝統を、
ぶち壊すような愚についても、
よく理解していたということが印象的である。

チャイコフスキーの「悲愴」における、
弦楽の軽やかな飛翔、
木管の旋回など、
ため息が出てしまうほどである。

「これらの尊敬が、この録音群にも聞き取れる。
フィラデルフィアの音はNBCのものより、
シャープではないかもしれないが、
暖かく、重みがあり、より多彩である。
同時に、NBCやニューヨークで聴かれた、
マエストロの仕事の刻印である、
ラインのつながりや、アタックの正確さ、
慎重に計算されたクライマックスは、
ここでもしっかりと聞き取れるのである。」

まさに、良いとこどりの、
奇跡の名演集という感じがする。

「悲愴」の終楽章などは、
この豊かな弦楽の深みや、
ぴんと張り詰めたトスカニーニの歌心と、
熱い魂が、見事に音として鳴り響いた部分であろう。

「このように、トスカニーニの
フィラデルフィアの録音は、
特別なアイデンティティと、
独自性の質感を矯めることなく、
オーケストラに、
その要求を満たさせる、
彼の能力を立証するものとなっている」と、
フランクは、彼のパートを結んでいる。

メンデルスゾーンなども、
トスカニーニが繰り返し録音したもので、
ニューヨーク・フィルの演奏が有名であるが、
その時の録音と比べると明らかに優れた、
豊かな音質で残っていることに感謝せずにいられない。

ここでは、曲目も多く、
序曲から間奏曲、夜想曲、合唱付きの歌、
結婚行進曲、メロドラマとフィナーレと、
二重唱(Edwina Eustisと
Florence Kirk)、
合唱(ペンシルバニア大学、女声グリークラブ)
まで登場する豪華版である。

この曲の序曲からして、
トスカニーニは乗っているのがよく分かる。
リズムは浮き浮きと前進し、
手に汗握る緊張感も漲っていて、
聴き飽きたはずのこの曲が、
心から楽しめる。

William H.Youngrenの解説にも、
「1896年という、
オーケストラの指揮者としての最初期から、
トスカニーニが明晰さと繊細さ、
透明なテクスチュアを持つ、
メンデルスゾーンの音楽を愛して来たかを、
理解するのは困難ではない。」
と書かれており、
スカラ座時代から録音を残していて、
ニューヨーク・フィル、
BBC響との録音も紹介されつつ、
1930年の欧州ツアーでは、
ほとんど半数のプログラムで、
この曲が演奏されたと解説されている。

解説者は、フィラデルフィアの、
羽根のような弦楽や、
水銀のような木管が、
この曲には理想的だった、と書き、
「この演奏の
興奮と優美さのミックスによって、
自信に満ちた確かさは、
ほとんど筆舌に尽くし難く、
痛切に感動的である」と結論付けている。

女声合唱と独唱、
楽器のブレンドは、
まったく戦争の時代を、
忘れさせるほどに夢幻的である。

何となく、厳格に語られがちな、
トスカニーニの仕事の中に、
女子大学生の合唱が紛れ込んでいるのも、
初々しくて、貴重である。

ベルリオーズの「女王マブ」は、
メンデルスゾーン同様、
シェークスピア由来の霊感に満ち、
幻想的で、オーケストラの繊細な響きを
聴かせる作品だが、
胸いっぱいになるような、
魅惑的な響きと輝きに満ちていて、
言葉を失うほどである。
いかなる最新録音を持ってしても、
この精妙な色彩の魔力を
越えることは難しいのではないか、
とすら考えてしまった。

解説者も、
NBCのものもエキサイティングだが、
フィラデルフィアのものは、
「ベルリオーズの多彩で独特な管弦楽の色彩に、
ユニークな感受性を持って」
臨んでいる点を評価している。

まことに夢幻の響きと言うしかない。

普通、アメリカのオーケストラで、
進んでシューベルトを聴きたいとは、
思わないのだが、
ベートーヴェンで、
本質をえぐるような演奏をした
トスカニーニが指揮するものであるから、
悪いはずはない。

そんな期待が込み上げる。

単に、フィラデルフィア・サウンドの
シューベルトであれば、
まったく触手が動かないのが実情であろう。

それに引き替え、
ドビュッシーくらいになると、
最初から期待は大きい。

トスカニーニが指揮する「海」は、
NBCのものも、張り詰めた空気感が素晴らしかったが、
(吉田秀和氏も絶賛していた)
このフィラデルフィア録音は、
もっと、広がりのある大気の香りに満ちている。

諸石幸生氏の本には、
この録音を聴き直した、
トスカニーニが最初は喜んでいたのに、
第2楽章になって
怒り出した話が出ていて印象的だが、
当時の録音で、この水準は驚異的に思える。

あるいは、復刻作業が成功したのかもしれないが、
そもそも、そんなにひどい録音だったのなら、
トスカニーニは最初から聴かなかったはずだ。

ずっとお蔵入りになって、
トスカニーニの死後になって、
日の目を見たフィラデルフィア録音であるが、
この曲の第1楽章の最後の、
雄渾さや輝きを、適確に捉えている、
このような再生音に実際に浸っていると、
何やら、NBC関係者の陰謀めいたものすら、
感じずにはいられなくなる。

第2楽章も、冒頭の木管の掛け合いなど、
柔軟かつ眩しく、何ら不足を感じない。
さすがフィラデルフィア、
などと満足する方が支配的である。
終楽章のハープの弾奏も上品に聞こえる。

解説には、「『海』と『イベリア』は、
マエストロの好きなドビュッシーの2大名曲であった」
とあるが、ドビュッシーは、
前者に関しては、
トスカニーニの示唆したスコアの
微修正を認可したそうである。

このCDの解説でも、
BBC、フィラデルフィア、BBCと、
約7-8年ごとに現れた、
トスカニーニの「海」はどれも素晴らしいと書いている。

このフィラデルフィアのものは、
ふわふわとして上品だとある。

「イベリア」は、
冒頭の突き抜けるような音響からして、
実に鮮烈な録音である。
逞しいリズムに、
鮮烈な音色が絡み合うが、
途中に目立つノイズがあるせいか、
ずば抜けた出来とは言えないような気もする。

このCD集の中では、
いくぶん、中だるみ的な印象。

彼がニューヨークで世界初演した、
レスピーギの「祭」も、
録音の古さが目立った感じ。

あと、豊穣なオーケストラの響きにかまけて、
さすがのトスカニーニも、
前半は、溢れるような色彩を、
十分に制御しきっていないような印象を受ける。

この曲あたりが、
一番、期待していた曲目であったが、
意外な感じがしなくもない。

解説には、この演奏は、
「この曲に相応しく名技的で色彩的、
レスピーギの豊潤なオーケストレーション、
豊かなムードを伝えている」とあり、
「同時にトスカニーニのセンスで、
作品に気品とバランスを与えている」とあるが。

後半になると、ようやく音楽は落ち着いてきて、
終楽章には、ジューシーな音が、
したたり落ちて来る。

シュトラウスの「死と変容」も、
トスカニーニが1905年に、
初めて演奏して以来、
BBC響、ウィーン・フィルとも演奏した、
長いキャリアを通じて演奏してきた曲目らしい。

この解説者によると、
1952年のNBCの録音が、
このフィラデルフィア盤よりも、
幅広く劇的であるとあるが、
それでも、序奏部で、
各楽器が浮かび上がる様は、
さすがフィラデルフィアと言いたくなる。

解説者も、
「作品の最初の短い、
高く弧を描く連続の
独奏木管楽器の演奏の美しさ」を特筆している。

私は、この仰々しく、
最初と最後が良く聞こえない、
センチメンタルな音楽が苦手であるが、
トスカニーニの推進力のある演奏では、
かなり楽しんで聴くことが出来る。

さて、いよいよ、
「大ハ長調」を聴きたい。

解説も、この曲に対する記述が、
他の曲と比べると、
際立って長く、別格扱いなのが、
シューベルト愛好家の心をくすぐる。

総括として、このように書かれている演奏である。

「フィラデルフィアの演奏は、
そのほとんど完璧な合奏の凝集力と、
素晴らしく美しい木管ソロによって、
トスカニーニ最大の到達点の一つであって、
シューベルトの傑作に対する、
洞察と修正といった、生涯を賭けた、
彼の問いかけと再発見の一つのステップの、
貴重な記録となっている。」

冒頭のホルンから、
美しい音色で魅了し、
弦楽のピッチカートや、
木管の絡まりも、とても豊かな印象。
テンポは、落ち着いているが、
どんどん先に行く集中力を感じる。

各楽器の独奏に色彩を感じるのは、
NBCでは、あまりないことだ。
これは、序奏の後半で、
美しいメロディが歌われるところで顕著で、
主部に入ってからの格調の高さにも、
指揮者の音楽への慈しみを感じずにはいられない。

第2主題にしても、
楽器の重なりが堪能でき、
単なる主題提示にはなっていない。
足取りには自信が感じられ、
盛り上がり方にもひたむきさがある。
うちよせる波のように感興が高まって行く。

1939年のNBCのシーズンは、
シューベルトの「未完成」で始まったが、
マエストロは、この1941年のシリーズでも、
この逞しいシューベルトで、
始めているのが頼もしいではないか。

彼の、この曲に対するアプローチの歴史が書かれた、
このCDの解説もいろいろと勉強になった。

しかも、単に威勢が良いだけではなく、
低音弦に、痺れるような痛みを伴いながら、
静かに耐え忍ぶような表情も忘れてはいない。

「この作品が、彼にとって、
ずっと特別な意味を持っていて、
そして、それからもそうであったがゆえに、
トスカニーニが、
シューベルトの『大ハ長調』交響曲を、
フィラデルフィアとの最初のシリーズに選んだ事は、
驚くに値しない。
1896年3月、トリノ、
彼は、最初に振ったオーケストラの演奏会でも、
1か月後のスカラ座の演奏会でも、
彼は、この曲を演奏しているのである。
40年前のトリノでの演奏会を回顧してか、
彼は、シューベルトのハ長調を、
1936年4月のニューヨーク・フィルでの、
最後の定期演奏会でも取り上げている。
それ以前にもニューヨーク・フィルとは、
1929年、1932年と1935年に演奏している。
NBCとは、1938年の元旦に、
第2回演奏会で取り上げていて、
3つの放送用の演奏があって、
1940年の南米ツアーでも演奏している。」

トスカニーニと言えば、
ベートーヴェンが良いが、
このように、シューベルトもまた、
彼の主要レパートリーだったことが分かる。

第2楽章は、この曲特有の広がりよりも、
峻厳さを捉えた演奏で、
非常にきびきびと一途な足取りを見せる。
中間部の夢見るような主題登場時にも、
透徹した、孤高の表情を見せる。

解説には、
「まさに最初のうちから、
トスカニーニのアプローチは、
権威主義的でなく、
その緊張感とエネルギーゆえに、
また、伝統的なウィーン風のリラックスや
ゲミュートリヒカイトがなく、
伝統的ではないと批判されていた。
1935年、ウィーン・フィルで演奏した時、
シューベルトのおひざ元であったにも関わらず、
彼の解釈は完璧に説得力があるとして、
奏者たちは、その演奏を楽しんだ。
事実、トスカニーニ特有の、
交響曲に対する直線的なアプローチは、
第2楽章の早めのテンポと共に、
今日の聴衆が自然に受け入れている、
他の多くの指揮者たちが、
最終的に採用したものであり、
彼の様々な演奏の中でも、
魅力的な独自性を
持っていることが分かる」
と書かれている。

シューマンが指摘した天上のホルンの独奏も、
少しだけテンポを落とすだけの感じである。
金管が吹き鳴らされるクライマックスは、
悲鳴を上げるような感じではなく、
意外にも続く諦念の方を強調した演奏である。
この抒情性が、
オーケストラの個性による美感によって
支えられていることは言うまでもない。

「特に、トスカニーニは、
この交響曲をフィラデルフィアと録音しただけでなく、
NBCとも2回録音している。
これは、彼が3度もスタジオ録音した、
唯一の大曲である。
明らかに、自らの演奏の中に、
何か重要なものを見出していたのである。」

第3楽章は、毅然と進むが、
毎度のことながら明滅する楽器に耳を奪われる。
しかも、聞き逃しがちな、
弦楽を補助する木管とか、
背景できらきらする音型などが、
とても意味深い。

そして、トリオの幅広い流れ。
フィラデルフィア・サウンド待ってました、
という感じがしなくもない。
コントラバスやティンパニの刻みも雄大だ。

まったく余韻を残さない感じで、
この楽章は終わるが、
終楽章への緊張感を大切にしたものだろうか。

初演しようとしたウィーン・フィルが、
恐れおののいた、小刻みなヴァイオリン音型も、
美感を失わずスリリングで、
ひたひたと押し寄せる興奮を押さえながら、
音楽が進んで行く様子は壮観である。

しかも、凝集されたエネルギーが、
生みだされ噴出しては拡散していく。
金管がさく裂するときの余裕も、
このオーケストラならではのものだ。

コーダでの執拗なリズムのうち返し、
テンポを速めての終結部も、
恐ろしい気迫に満ちながら、
まったく下品にはなっていないのが素晴らしい。

「トスカニーニは年を取るごとに、
その演奏は、どんどん速く、
どんどん硬く、人間味のないものになった、
とよく言われるが、1936年の、
ニューヨーク・フィルの演奏は、
1953年のNBCのものより、
どの楽章も演奏時間が短い。
さらに言うと、
フィラデルフィアの演奏の第1楽章は、
1936年、1953年のどちらより短く、
終楽章は、どちらよりも長い。
第2楽章は1936年のものが速く、
きびきびした勇敢な感じが欠け、
1941年のものではそれが獲得され、
1953年のものもそれがある。
1936年のものは、1941年のものより、
多くの楽章が軽いタッチとなっているが、
1941年のもので制御されているほどには、
1936年のトゥッティの衝動は押さえられていない。
しかし、第1楽章に関して言えば、
1941年のものは、1936年のものや、
後年のものより、衝動的で力強く自信に満ちている。」

何だか、このあたりは、
1936年のニューヨーク・フィルの演奏を
聴かないと分からない感じだが、
私は聴いたことがない。

いちおう、総括が書かれているので、
それを信じるしかない。

「概して、フィラデルフィアの演奏は、
トスカニーニが進化させてきた、
シューベルトの大ハ長調交響曲に対するコンセプトの、
美学的最終段階の中間点を示していることが、
録音からも分かる。
1941年以降、楽章と楽章のテンポや、
ドラマ性の変化や、フレーズの抑揚は、
スムースとなり、
音と律動の持続性はしっかりと保持され、
その中で、テンポやテクスチャーの変化は、
気が付かないほどに微妙なものとなる。」

ベートーヴェンの場合も、
1939年のチクルスが、
同様の位置づけであったと思うが、
70を超えて、さらなる飛躍を伺っていた、
この巨匠の気力、体力充実期を、
こうした録音で追体験できるのは、
非常に有難いことではないか。

得られた事:「トスカニーニは、シューベルトの大ハ長調交響曲を演奏し指揮者としてデビューした時から、これを愛し、重要な節目には、この曲を取り上げた。」
「日米開戦を控えた頃、1941年秋のこの曲の演奏は、トスカニーニ残した録音の中で、第1楽章が最も短く、終楽章が最も長いという特徴的なもので、円熟期の自信に満ちた歩みに、フィラデルフィア管の美しい音色と合奏の力が華を添えている。」
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by franz310 | 2014-09-13 16:38 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その415

b0083728_1414341.jpg個人的経験:
20世紀前半を代表する
イタリアの名指揮者、
トスカニーニは、
ベートーヴェンを得意としたが、
シューベルトもまた、
大変、愛していたと思われる。
伝説とも言える、
ベートーヴェン・チクルス
が行われた、
1939年というシーズンも、
実は、シューベルトの
「未完成」で始まったのである。


私は、さらに重ねて言いたい。
トスカニーニは、
ベートーヴェンの交響曲全集をメインに据えた、
戦争の年、渾身の1939年シーズンを、
まずは、シューベルトをもって始めたのである。

この10月14日のコンサートは、
Guildレーベルから
2002年に出されたCDで、
すべて聴くことが出来る。

解説にもいきなり、
「このディスクは、1939年10月14日の、
コンサートを収録したもので、
これは、トスカニーニが、
NBC交響楽団の指揮者として、
3度目のシーズンを始めた時のものである。」
とあるとおりである。

「プログラムは、シューベルトの『未完成交響曲』、
リヒャルト・シュトラウスの交響詩『ドン・ファン』、
フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの、
めったに演奏されない『協奏交響曲』変ロ長調、
オットリーノ・レスピーギがオーケストラ用に編曲した、
J.S.バッハの『パッサカリアとフーガ』ハ短調からなる。」

「音楽の父」とも呼ばれるバッハに、
「交響曲の父」、ハイドンを加え、
シュトラウスはともかくとして、
シーズン開始に相応しい原点模索がある。

「未完成交響曲」は、
その中でも先鋒を承って、
まことに頼もしいばかりの責任を、
負うことになっている。

このCDの背面を見ると、
「不滅の演奏記録音楽協会」だかの
エクスクルーシブ録音だとある。

これも、何やらありがたいが、
プロデューサーはJ.Wearn、
復刻はリチャード・カニエルと、
ナクソスと同じ布陣である。

ナクソス盤と同様、放送時の
ブロードキャスト・コメンタリーも収録、
1939年のラジオ放送を、
21世紀の我々が聴くという、
タイムスリップ効果も残されている。

ただ、レーベルが変わったことで、
解説もゴージャスになって、
研究価値はさらに上がった。

ナクソスは、曲目解説がベースで、
演奏に関しては、情報がほとんどなく、
たまたま同じ演奏会を記録したものを
CD化していた
Music&Artsなどの
解説を読むしかなかった。

ここでは、コンサートの意義のようなものばかりか、
詳細な演奏に関する記載が素晴らしく、
下記のような音源に関する解説もあって、
14ページのブックレットは、
盛りだくさん、読み応え満点である。

「音源と技術的な詳細:
トスカニーニの演奏会のこれらの録音は、
マエストロお気に入りの
RCAビクターの技術者で編集者であった、
Richard Blaine Gardner
に由来するものである。
ガードナーは、
特に、マエストロ引退後、
パウリーネ荘で、
トスカニーニと協業した、
リバーデール・プロジェクトにおいて、
トスカニーニ自身や、
その息子のワルターから、
1940年から50年代に、
テープやディスクを直接受け取っている。
ガードナーは、1949年から1983年の間に、
トスカニーニの演奏会やリハーサルの、
テープのコピーやテスト・プレス盤、
アセテート盤などを譲り受けており、
それについての詳細は、
カニエル氏の著書『トスカニーニの放送遺産』に、
見ることが出来る。
1980年にカニエル氏は、
不滅の演奏記録音楽協会を設立、
ガードナーから受け継いだ、
トスカニーニの第1世代のテープや、
数多くのディスクを復刻する技術に注力した。
しかし、それらはざらざらやパチパチは取らず、
電気的な残響も付加していない。
これによって、オリジナルのアコースティックや、
演奏の環境を守り、
楽器の音色の色つやを落とさないようにした。
これはCD化でノイズ除去する一般の方法とは異なる。
オリジナル録音に近づけたこのシリーズを、
Guildは、『放送録音の中の最良のもの』と、
自信を持って宣言したい。」

また、このCDの解説は、
William H.Youngren
という人が書いているが、
有難い事に、この人のことも
きちんと紹介しているのが嬉しい。

「ウィリアム・H.ヤングレンは、イリノイ州、
エヴァンストンで生まれ、
Amherst大学に学んだ。
彼はさらにハーバードで英国文学を学び、
1961年には博士号を取得している。
彼は、M.I.Tやスミス・カレッジで教壇に立ち、
1971年からはボストン・カレッジで教えている。
彼は、結婚して3人の子供をもうけ、
マサチューセッツのウェスト・ニュートンに住んでいる。」

このような紹介だけなら、
不要と言いたいところだが、
どんな研究をしているかも、
一応、下記のように紹介されている。

「彼は、『意味論、言語学と批評』
(1972年 Random House)
の著者であり、
18世紀の美学や批評に関する
いくつかの論文を書いている。
近年、彼は主に、
『パルチザン・レビュー』、『ハドソン・レビュー』、
『イエール・レビュー』、『アトランティック』、
『ファンファーレ』、その他の雑誌に、
音楽やレコードについて書いている。
1983年、ブランディスで、
音楽史の博士課程に入り、
1999年に博士号を取得している。
現在、C.P.E.バッハの
歌曲についての論文を、
本にして出版する準備を進めている。」

読むだけ無駄な紹介で、
トスカニーニとの関係は不明なままだが、
マエストロの遺産を引き継ぐ、
オタク軍団に任されるのであるから、
おそらく、こんな紹介で、
終わるような人ではないのだろう。

CDの最初のトラックは、
ブロードキャスト、コメンタリーであり、
「トスカニーニがNBC交響楽団に帰ってきました。
新しいシーズンのプログラムが始まります。
3回目のシーズンで、放送用に創設されたオーケストラは、
アメリカ屈指の一つになりました。
重要な第1夜のため、
ホールは著名な音楽家や批評家、
選ばれた人たちでいっぱいですが、
これらのコンサートは、
あなたがたのために企画され、
あなたのために演奏されるのものです。」
みたいな解説が始まる。

シューベルトの「未完成」の解説は、
以下のように書かれており、
とても参考になった。

「1828年11月19日、
シューベルトが31歳で亡くなった時、
彼の交響曲は一曲も出版されておらず、
公開演奏すらされていなかった。
しかし、それらは19世紀後半に、
ウィーンで次々と発見され、
シューベルトは正しく、
第一級の大作曲家に位置付けられることとなった。
事実、1822年に作曲された『未完成交響曲』が
1867年にようやく発見されると、
今日、最も知られた彼の作品となった。
トスカニーニは、しばしば、この曲を取り上げ、
彼の演奏は、しばしば染まりがちな、
ロマンティックな憂愁とは違う、
その率直な力感と劇的なエネルギーで、
際立ったものになった。」

1939年の放送用ライブ録音と言えば、
ベートーヴェンにおいても、
マエストロ自身が、
SP化転売を許可した「英雄」や、
演奏時間最短の「第9」のように、
きりりと引き締まった
彫琢の冴えを見せるものが多く、
上述のような形容は、
おそらく、この年の演奏において、
最も際立ったものになったと思われる。

「第1楽章を開始する、
短いチェロとコントラバスの宣言は、
我々が聴きなれたものよりもあっさりと演奏され、
痛切なオーボエとクラリネットの
小さな第1主題を伴奏する、
ヴァイオリンの、
鼓動のような16分音符を導く。
王手をかけるような恐ろしい緊張感を、
漲らせたパワーが潜んでいることを感じる。」

このように、序奏部から、
端的に言うべきは言って、
先に進んでいくのは、
1939年のベートーヴェン・チクルスで、
おなじみのやり方である。
が、腹に響く低音に、
焦燥感を秘めたヴァイオリンの刻みは、
瞬く間に、我々を、ドラマの中に連れ去る。

「音楽が力を凝集するかのように、
次第に主張を始め、
チェロによる、有名な、
ト長調の第2主題に向かう。
トスカニーニはチェロを非常に優しく、
しかし、しっかりと、率直に弾き始めさせ、
(スコアにはないが、)テーマの中間部に向かって、
断固たるクレッシェンドをかける。」

このあたりの移行も緊張感に満ち、
チェロがたっぷりと歌うところも美しい。

「嵐のような中間部を経て、
まず弦楽が、そして木管、弦楽という風に、
各声部が次々と光輝に満ちて花咲く、
ト長調の主題によって、
提示部は締めくくられる(mm.94-104)。
この美しいパッセージは、
約束が満たされたように響き、
事実、ほとんど勝利の歌のようでさえある。
しかし、勝利は束の間のものだ。」

この部分、トスカニーニは、
陶酔したような唸り声を上げている。
提示部は、ベートーヴェンの場合同様、
くり返されて行くが、
確かに、メロディが思い入れたっぷりに、
こぶしを聴かせて歌われている点、
激しい和音のぶつかり合いにも、
どこか、明るさがある。

「不吉な下降する弦のピチカートが、
展開部(または提示部の繰り返し)を導き、
すぐに移行する。
展開部は同様に嵐のようでパトスに満ちているが、
トスカニーニは再びそれを率直に扱い、
パトスをことさら強調することはない。
しかし、音楽を前へ前へと、
推進させることに集中させている。
展開部は無数の弦の突き上げによって終わるが、
短調でありながら、これも再び勝利のように響く。」

沈潜していく音楽であるが、
絶叫ではなく、重大な局面の遭遇を、
冷静に受け止めているようにも聞こえる。
したがって、展開部は、これはこれで、
試練を乗り切った、という感じで解決している。

「再現部は再び葛藤と混乱によって影が差すが、
この楽章の暴力的で力ずくの終結部にも関わらず、
再び第2主題(ロ長調)の小さな楽句が、
勝利の歌のように、あるいは、
第2楽章の清澄さを期待させるように、
対位法的に花咲く。」

解説者の聴き方に染まってみると、
再現部も、混乱は混乱として受け止めつつ、
それがどうした、という、
妙に強靭なシューベルト像となっている。

第2主題の憩いがあれば、
乗り切れるではないか、
といった余裕すら感じられる。
コーダでも、波瀾万丈なれど、
来るなら来いという感じである。

第1楽章には、かなりの事が書かれているが、
以下、フルトヴェングラーの演奏との比較になって、
第2楽章の話は出てこない。

しかし、続く楽章も、
第1楽章と同様、
メロディは、たっぷりとした、
ふくらみを持って歌われ、
憂いはあるものの、
深呼吸が出来る安全な退避圏となっていて、
厳しい強奏の連なりからの、
完全なる救済ポイントとなっている。

そして、音楽はやがて、
自信にあふれた、歩みさえ見せ、
ややこしい音楽の錯綜を、
振り払うような境地に至る。

コーダもまた、
祝福の中で歩みだすような希望に満ちている。

以下、トスカニーニの、
こうした、いわば健康的なシューベルトに対し、
いかにも疲れ果てた人間が見る悪夢として、
この交響曲を描くのがフルトヴェングラーである、
という感じで、以下の解説が続く。

「トスカニーニと同時代の、
若い偉大なドイツの指揮者、
フルトヴェングラーによって録音された、
いずれの演奏を比べた人であれば、
『未完成』の第1楽章を、
このように扱うのは、独特であると思うかもしれない。
もっと言うと、フルトヴェングラーには、
1951年12月にベルリン・フィルと、
『未完成』のオープニングをリハーサルしている、
4分ほどの興味深いフィルムがある。」

このフィルムは、テルデックから出ていたLDの、
「アート・オブ・コンダクティング」でも、
見ることができるが、
確かに以下のような部分が記録されている。

「オーボエとクラリネットの小メロディを導く、
2、3小節で、フルトヴェングラーは奏者を止め、
そして、とりわけ、
『すべてはヴェールのように』と言う。
そう言いながら、彼は、
印象的なジェスチャーをする。
両手を前にかざし、指を伸ばし、
手のひらを下に向ける。
そして、彼は両手を水平に広げて行く。
まるで、ベッドの上のカバーを伸ばすように。
そこから起こる事について、
彼が求めているのが、
16分音符のヴァイオリンが、
メロディを伴奏するというよりも、
神秘的に、とらえどころなく、
すぐには分からないように、
それをぼかして隠すことであることが分かる。」

私は、ベルリン・フィルが、
この微妙なニュアンスの要求を、
よくもこなしたものだと思う。

それと同時に、このフィルムに先立つ、
1950年の1月に録音された、
ヴィーン・フィルとのこの曲の録音でも、
同様の効果を聞き取ることが出来る。

「彼はさらに、メロディそのものを、
完全にメランコリックであることを求めている。
三度目に、ヴァイオリンはようやく求めに応じられ、
めくるめく効果が現れ、
聴くものは、どれがメロディで、
どれが伴奏であるか分からなくなる。」

メロディは虚無的であって、
悪夢の中に放り込まれた弱い人間、
みたいな感じの音楽になっている。

「しかし、これはトスカニーニとは、
まったく異なるやり方である。
彼は、痛切なメロディを
聴衆に聴かせたいのであって、
伴奏の16分音符を溶け合わせたり、
ぼかせたりすることなく、
まるで、まったく異なる
二つの独特の力であるかのように、
高鳴らせる。
続いて起こる音楽のドラマを演じる
二つのキャラクターが、
それぞれの役割を演じるかのように。
しかし、音楽は同様にミステリアスで、
フルトヴェングラーのように、
誰が主人公であるかがミステリーではなく、
そのぶつかり合いがどうなるかに神秘性がある。」

トスカニーニの演奏には、
確かに、運命との戦いのような側面があって、
とにかく、それを耐える事によって、
浄められた世界に入って行くような希望がある。

雲行きの怪しいヨーロッパから離れ、
遠くアメリカにいる指揮者として、
開戦を前にした心境としては、
こうでもなければ耐えられないような、
環境でもあっただろう。

その点、フルトヴェングラーの演奏は、
ナチスの国に留まった、
被害者の心境ではないか、
などと思うほど、
無抵抗に嵐の中に漂っている。

「トスカニーニとフルトヴェングラーの、
『未完成』演奏の残りすべてで、
このような具合である。
たっぷりとしたチェロのメロディが、
がっしりと演奏されるにも関わらず、
フルトヴェングラーは、断定的にならず、
そして、提示部や再現部の終わりで、
メロディの声部が入れ替わる時に、
(束の間であっても)
それは勝利の凱歌ではなく、
むしろ、救いを求める、
最後の絶望的な嘆願のように響く。」

と、解説にあるように、
出来るのは嘆願だけ、という感じがしなくもない。
第1楽章と、第2楽章にも、
トスカニーニほどの対比は感じられず、
いずれの楽章も、次々に見えて来る、
幻影の連なりの連続し過ぎない。

冒頭のヴァイオリンと木管の
絡まりへのこだわりからして明らかだが、
この表現が続く部分に、どう関係あるかなどは、
あまり重要ではなく、
解説の人とは違って、
少なくとも、ヴィーン・フィルのスタジオ盤での、
チェロによる第2主題は、
幻覚にすぎないような頼りなさを感じた。

「この点で、トスカニーニが、
フルトヴェングラーより
良いというわけでも、
フルトヴェングラーが
トスカニーニより良いというわけでもない。
共に、非常にすぐれた指揮者だった。
この点では、この場合、こんな感じであるが、
時に、トスカニーニとフルトヴェングラーの比較は、
反対の結果になることがある。
トスカニーニはフルトヴェングラーより、
細かい効果には気を使わず、
音楽の進行での統一や、
次第に盛り上がる劇的なインパクトに気遣う。
トスカニーニのアプローチの中心となる切り口が、
このシューベルトの『未完成』には、
特によく表れており、
特にこの放送用の演奏では、
より知られている、焦点の定まらない、
1950年の録音より、
もっとはっきりと表れている。」

フルトヴェングラーの演奏では、
すべてのメロディが引き伸ばされ気味で、
脳裏からこびりついて離れない思念が、
いつまでも吹っ切れない状況を表しているかのようだ。

その他、このCDでは、
R・シュトラウスの『ドン・ファン』が続き、
これは、きりっと引き締まった名演。
しなやかに弾みながら、
快速でドライブされて行く純音楽的表現で、
この曲の尻切れトンボ感を、
苦手とする私でも、十分楽しめた。

続く、ハイドンの、
ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、バスーンのための、
『協奏交響曲』は、
トスカニーニが録音した後年(1948)
のものよりも、リラックスしていて良いと書かれ、
スリリングであるが刺々しいパオロ・レンツィではなく、
ロバート・ブロームがオーボエを受け持っているから、
と書かれている。

ちなみに、1948年のものを復刻した、
BMGジャパンのCDには、
ヴァイオリンは、ミッシャ・ミシャコフ、
チェロは、フランク・ミラー、
ファゴットは、レナード・シャロウとあるが、
このCDには、各奏者の名前は明記されていない。

確かに、戦後のトスカニーニは、
四角四面でぎすぎすしている印象があるが、
今回、このCDも取り出して聴いてみたが、
確かに、オーボエはきんきんしている感じはしたものの、
それほど大きな演奏上の違いは分からなかった。

この1939年の演奏の方が、
オーボエは伸びやかで癒し系であり、
録音も、独奏楽器の雰囲気がたっぷり感じられた。

最後に演奏された、
バッハの『パッサカリアとフーガ』は、
オルガン曲をオーケストラ曲に編曲したものとして珍しく、
解説でも、『ディナーの時に恐竜を見たようだ』と、
トスカニーニの時代の風習を大げさに書きたてているが、
レスピーギが編曲したもので珍しく、
トスカニーニが演奏したバッハであることも、
非常に興味深い。

解説によると、トスカニーニは、
フリッツ・ライナーが振る、
『トッカータとフーガ』ニ短調を聴いて、
翌年、友人のレスピーギに編曲を依頼したとある。

「素晴らしい繊細さと力で演奏されて素晴らしい」
と書かれているとおり、
荘厳なラメントのように曲は始まり、
木管がきめ細やかな綾を見せながら、
峻厳に音楽を立体的に組み立てて行く。

まるで、天に向かって蔓を伸ばして行く植物が、
大樹に成長していくかのようなめくるめく管弦楽法は、
さすがレスピーギという感じがした。

この曲は、ストコフスキーの編曲や演奏でも名高いが、
手元には1929年にこの指揮者が、
名門、フィラデルフィアを振った録音があった。

策士ストコフスキーということで
連想されるように、
極めて感傷的な音楽で、
意味有り気に慟哭するような低音に、
悲劇的な、あるいは物思いに耽るような、
木管のソロが絡み合って行く。

まるで、エネルギーを貯め込むかのように、
むしろ沈潜していく印象。

トスカニーニの方は、
切れの良い楽句の集積体のような印象。
ストコフスキーのような沈潜ではなく、
楽器が鳴りまくり、律動しながら芽生えて行く。
最後には、法悦のカタルシスのような、
手に汗握る大咆哮となる。

拍手喝采の聴衆の中には、
興奮して叫びまくっている人もいるようだ。

得られた事:「トスカニーニは、シューベルトの『未完成』の中で、清澄な世界への足取りを音にしているが、フルトヴェングラーのものからは、霧の中での堂々巡りのような感じを受ける。」
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by franz310 | 2014-08-30 14:08 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その414

b0083728_1615321.jpg個人的経験:
シューベルトの歌曲の中で、
作曲者の生前から、
大変、有名だったものに、
「ます」があるが、
この歌曲は、一度、
シューベルト自身の手で、
葬られそうになった経緯がある。
というのは、
ピアノ伴奏部の音形を、
友人の一人が、
ベートーヴェンの「パクリ」だと、
からかったからである。


「ヴィーン一般音楽新聞」の編集をしたり、
「新ベルリン音楽新聞」に、寄稿したりしていた、
フェルディナント・ルーイプという人が、
シューベルトの死後30年も近い1857年頃、
当時存命だった、シューベルトを知る人たちに、
質問事項を連ねた書簡を送って、
思い出話を集めているが、
この貴重極まりない資料の中に、
上述した「ます」のエピソードがある。

その機会に、
チロル出身のエーブナーという人が、
シューベルトの寮学校で、
隣の部屋に住んでいたから、
作曲家と知り合ったという関係で、
ルーイプに返信しているのである。

彼は、1817年まで、
シューベルトの歌曲を聴いたり、
書き写したりすることを楽しみにしていた、
という回想を書き送っている。
つまり、シューベルトの学校友達なのである。

「シューベルトが小リート『ます』を
作曲した時のことですが、
それを彼はその日のうちに
試唱のために寮学校に持って来たのです。
実に生き生きした楽しさで
何度も繰り返し歌われた時、
突然ホルツアプフェルが叫びました。
『おい、シューベルト、
ここをお前は『コリオラン』から取ったな。』
・・
すぐにシューベルトもこのことに気がつき、
このリートをまた破り捨てようとしたのですが、
私たちはそれを押しとどめ、
こうしてあのすばらしいリートを
破滅から救ったのです。」
(「友人たちの回想」(石井富士夫訳))

彼は、誇らしげに、
この歌曲の今があるのは、
自分の功績だ、という感じに書いているが、
この歌曲は、作曲家の生前から広く愛唱され、
やがて、このことから、
五重奏曲「ます」が生まれるわけで、
私は、心から、エーブナーに感謝するものである。

この本の注釈には、
「シューベルトの初期リートの
エーブナーならびにシュタードラーの写譜は、
彼の作品全集の重要な典拠であった」ともある。

エーブナーが自覚していた以上に、
シューベルトの研究家は、
彼に感謝しているようである。

シュタードラーは、シュタイアーの地で、
五重奏曲「ます」が、
生まれる下地を作っているわけだから、
この二人なければ、
初期の歌曲のみならず、
五重奏曲「ます」もなかった、
ということになる。

なお、ここでホルツアプフェルが指摘した、
「コリオラン」序曲に似ている音型とは、
ベートーヴェンの序曲の第52小節に見いだされる、
ということである。

この本の注釈にも、
「両作品とも中声部に用いられているが、
特に変わっているわけではない
三和音の分解である」とあるように、
普通、まったく気づかずに、
聞き流してしまうような音型である。

こんな嫁いびりの姑のような役割を演じた、
ホルツアプフェルという人は、
クラスが1つ上だったということで、
シューベルトとはかなり親しく、
同様に、上述の機会に、
ルーイプに返事を出している。

実際に音楽をやっていた人だったため、
この報告は、エーブナーのものより、
さらに有意義なもので、
寮学校でのオーケストラの創設の経緯、
そこで演奏された曲目の情報もありがたい。

ちなみに、有名なテレーゼ・グロープとの、
シューベルトの初恋についての報告なども、
彼の手記によって読み取れるのである。

寮学校のオーケストラの
チェロ奏者が退学して、
第二ヴァイオリンを弾いていた、
ホルツアプフェルは、
いきなり、チェロを演奏させられることとなったようだ。
このオーケストラは、彼ひとりが、
チェロを受け持つような編成であった。

そして、
「年がら年中ヨーゼフ・ハイドンと
モーツァルトのすべての交響曲、
ベートーヴェンの最初の二曲の交響曲、
更に当時手に入った序曲すべてが、
『コリオラン』と『レオノーレ』を含めて、
定期的に演奏され」と、
そのオーケストラの
レパートリー報告までなされているのである。

つまり、ホルツアプフェルは、
シューベルトを怒鳴りつけるようにからかい、
「コリオラン」のチェロの声部の音型を挙げて、
ばーんと主張するのに、
まさしく相応しい先輩だったわけだ。
クラスは1つ上、とあるが、
実際には、エーブナーと同世代、
1892年の生まれなので、
シューベルトより五つも年長である。

また、おそらく、
この、にわか仕込みのチェロ奏者は、
必死で練習をしたのであろう、
彼は、後年、チェロは「自分の身体の一部」とまで呼ぶ、
名手になっている。

もちろん、これは余技である。
シューベルトの友人たちの多くと同様、
彼は官吏としての道を歩み、
ウィーンの参事官になったからである。

とはいえ、この手記が書かれた時、
彼は、67歳で定年して、
引退していたわけであるが。

「思い出を十分に楽しみたい」
という、
美しい青春のひと時への感謝と、
感慨を込めて、彼の手記は終わっている。

さて、このホルツアプフェルも、
必死に練習したであろう、
「コリオラン」序曲であるが、
ベートーヴェンの序曲の中では、
とりわけ、悲壮感に溢れたものである。

その、いささかヒステリックな楽想によるせいか、
私は、「第九」と一緒に収められた
カラヤンのものを四十年前に聴いて以来、
長い付き合いになるが、
これまで、好きな曲として数えた事がなかった。
最初に聴いた時は、意味ありげに静かに終わる、
気持ち悪い曲として印象に残った。

しかし、この曲は、かなりの人気曲だったようで、
カラヤン以前の、フルトヴェングラーやトスカニーニでも、
それぞれ、沢山の記録を聴き比べることが出来る。

ちなみに、トスカニーニの存在で、
故国に戻ることとなる、
バルビローリが、1937年に、
ニューヨーク・フィルで演奏した、
貴重な演奏も、ダットンからCD化されている。

トスカニーニの指揮する「コリオラン序曲」は、
有名な、戦争開始時、1939年の
「ベートーヴェン・チクルス」でも、
「第5」、「第6」と同じ機会に演奏されていて、
ナクソスのCDなどにも収録されている。

このナクソス・レーベルでは、
この戦前というか戦中のもののみならず、
トスカニーニの戦後の「コリオラン」も聴くことができる。

この戦後すぐの「コリオラン」は、
1989年に出た、諸石幸生著、
「トスカニーニ、その生涯と芸術」の
巻末ディスクグラフィーには
出ていないもので、
1998年のナクソス盤で出た。

1946年のクリスマス・イブに、
かつて、三菱地所が買収して悪名を馳せた、
ニューヨークのロックフェラーセンターで
録音されたものとされている。
ここにどんなホールがあるかは知らないが。

このCDに収録されたものだけだとすると、
少々、バランスの悪いプログラムで、
最初に「コリオラン序曲」、
2曲目にベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」、
最後にヴァーグナーの「ラインの旅」(11分半)が来る。

しかし、これらを収めたCDは、
71分という、かなりの収録時間を誇っている。
実は、ここではさらに、
「コリオラン」のリハーサル、
18分半が最後に収められているのである。

前回、1939年の「第九」のリハーサルで、
チェロ奏者が手を抜いたとかで、
トスカニーニが、怒り狂って出て行ってしまった、
というエピソードを紹介したが、
ここでも、トスカニーニの怒りは激烈である。
これは、単に本で読んだ、という知識でなく、
まるで、その場に居合わせたかのような、
生々しい体験として体感できる。

というか、実際に、このリハーサルで、
この曲を堪能させていただいた、
と言えるほどの充実した内容の音源であり、
まったくもって付録的に聴いて良いものとは思えない。

あたかも、これもまた音楽、
と言わざる得ないような凝集力に満ち、
本番の演奏より聴き終わった後の、
圧倒的感銘は、比類なきものとなっている。

なお、このCDの解説は、
Bill Newmanという人が書いているが、
各曲の紹介のみならず、
このリハーサルの解説までしてくれているのがありがたい。

が、よく見ると、「コリオラン序曲」自身の解説は、
完全にすっ飛ばされている。

仕方なく、先に触れた、
1939年のチクルスで演奏された時の
録音をもとに、ナクソスが出したCDの解説を、
ここではひっくり返してみる。

同じ解説者が書いているので、
同じレーベル、同じ指揮者の、
同じ曲のCDに、これを再録することは、
ためらったのかもしれない。

いきなり出てくるウィリアム・スミスは、
調べると、同姓同名の人がずらりと出てくるが、
イギリスの土木技師でも船乗りでも、
イギリスの天文学者でもバージニア州知事でも、
ボクサーでも競泳選手でもないだろう。

「ウィリアム・スミスは、
『コリオラヌス』の物語は、
『初期ロマン派期の最も美しいもののひとつ』
という意見を述べている。
この英雄は、紀元前439年に
イタリア南部のヴォルスキ族の街、
コリオリを征服した時の勇名によって、
そう名付けられたが、
彼の思いあがりは多くの敵を作り、
追放の有罪判決を受ける。
ヴォルスキ族は、
もう一度、ローマ人と戦うのなら、
加勢すると約束し、
その王は、彼を軍隊の将軍に任命する。
コリオラヌスは多くの戦闘で勝利し、
ローマ近郊のクルリアン防壁にまで侵攻した。
そこに、ローマ人は、彼を懐柔しようと、
要人を送り込むが、彼は動じることはなかった。
今度は、ローマの婦人たちが、
彼の母親、ヴェチュリア、
彼の妻、ヴォルムニアに、
彼の子供二人を連れて、彼を訪問した。
彼女らの啜り泣きは、彼の意志を曲げさせ、
彼は小屋を出て、軍隊を解放させた。
その後、彼は死んだが、
ヴォルスキ族に暗殺されたと信じられている。」

このあたりは、どの解説書にも出ているが、
残念ながら、それが、この序曲とどう関わるのかを、
詳述したものはなく、
ここでも、下記の記載が続くのみなのは残念だ。

「ベートーヴェンはこの序曲を、
ハインリヒ・ヨーゼフ・フォン・コリンの劇のために、
1807年に書いている。」

勝手に妄想すると、
序奏部は、コリオラヌスの憤怒を思わせ、
第1主題は、コリオラヌスの進軍を想起させ、
第2主題は、このローマ夫人たちの懐柔かとも聞こえる。

不遇のままコリオラヌスが死んでしまう悲劇であるから、
憤怒の中、力尽き、死ぬように終わるのであろう。
きわめて、不機嫌な音楽になってもおかしくはない。

マーラーが自らの「第9」を、
チャイコフスキーが「悲愴」に倣って、
死ぬように終わらせたと言われるが、
1807年に、すでにこんな序曲が書かれていたのだ、
と思いめぐらす事もできなくはない。

この序曲のリハーサルの解説も読んで見ると、
いかに、ビル・ニューマン氏が、
この「リハーサル録音」に、
感銘を受けたかを書いていて面白い。

「トスカニーニがオーケストラを前にして行ったもので、
私が生まれて初めて聴いたものが、
このリハーサルで、
1947年に、
ニューヨークのイースト24番ストリートの、
RCAビクター・スタジオで、
リチャード・ガードナーが、
私のために再生してくれた物であった。」

ちなみに、スタジオには、
「彼のスタジオ」と書かれているので、
いかにも、こそこそと、
ここだけの秘密だよ、
みたいな乗りで聴かせてもらった感じがして、
極めて興味深い。

1947年といえば、
実際の収録の翌年であるから、
トスカニーニにバレたら、
ひどい目に会わされそうな気配もある。

「その時、彼が、私のために再生してくれた、
まさしくそのラッカー盤から、
50年後に、このテープへの転写が行われた。」

「私のために」という修飾も、
いかにも秘儀が行われたような気配である。

そして、彼の、この録音から聞き取ったものの、
思いのたけが、以下のように語られる。

「私は、そこから、
トスカニーニに関するすべてを聞き取った。
音楽に生命を与えるために必要な、
オーケストラから活力や、
完全な専心を引き出すための彼の努力の中の、
情熱、献身、巨大なエネルギーや知識、
それは、まるで戦争であった。」

このような解説は、何の偽りもない、
直接的な感情をそのまま伝え、
私の心を熱くする。

この人にしか書けない貴重な解説である、
とも言えるだろう。

「彼が、『Sec!Sec!(Dry!Dry!)』
と叫んでいるのが聞こえるだろうが、
彼は、この序曲で求められるのに、
十分な正確さで、
オーケストラが和音に入るように求めている。」

私は、この言葉から、
そんな要求を読み取るべきだとは分からなかった。

「彼は、音を、ピストルの一撃、
または、鞭の一打ちのようにしたかったが、
全体に、このような乾いた響きを求めたのではなく、
情熱と専心を求めている。
『自分たちのすべてを出し切るんだ』と、
コントラバスに叫んでいる。
『私は持っているすべてを与えているんだ。』
これこそ、トスカニーニのダイナミックで、
輝かしい音楽作りの才能の、
すべての要素を集約した秘訣の核心である。」

私は、下記の一文を読んで、
いったい、このビル・ニューマンは、
いかなる特権で、ビクター・スタジオに、
入り込んだものであろうか、と混乱した。

「15歳の少年だった私は、
これらのディスクで聴いたような情熱、
このような蛮行、積極的な苦行への参加、
自己犠牲にこれまで遭遇したことがなかった。
私は、それが美しいと知っただけで、
泣いたのではなかった。
そればかりでなく、それは真実であり、
私は、この渇望を、
自分自身に対しても、他の人に対しても、
どう言っていいか分からなかったが、
自分自身の人生においても、
これらの要素があることを願った。」

ということで、ビル少年のように、
トスカニーニのリハーサルは、
単に、こんな練習をしていたんだなあ、
という、記録を越えて、
聴くものに迫る、
イニシエーションの場となっている。

「この50年、音楽家や、
ある種の選ばれた人だけが、
このノイズの多いディスクのダビングを聴くために、
ラウド・スピーカーの前に集まった。
音響的には、まったくお粗末なものだが、
感情と信念に関しては、高忠実性があり、
私のように、音楽と関係のない点でも、
多くの人々がインスパイアされ、
影響を受けてきた。」

ということで、
リーダーとは何か、とか、
私が聴いたように、
ビジネス書を読んでいるような
感覚を感じる人もいるだろう。

「NBC交響楽団にいた何人かの音楽家たちは、
最大の音楽体験として思い出すのは、
トスカニーニとのリハーサルだと言っているらしい。
そこで、彼らは、単なる音楽の仲介者ではなく、
彼ら自身のために演奏をした。
リハーサルで学び、感じた事を、
思い出していたコンサートではなく、
この録音にあるように、
リハーサルでこそ、最高の演奏が繰り広げられていた。
あなたの御経験を思い起こしてみても、
ここに聴く『コリオラン序曲』のような、
トスカニーニの演奏会や放送があっただろうか。」

何と言うことであろうか。
我々は、コンサートでは、
最高の演奏をしたリハーサルの、
おこぼれのようなものを聴いていただけ、
と言うことになる。

「この録音は、トスカニーニ用に作られた、
78回転のテスト盤や、
NBCのラッカー盤からのテープに由来し、
これは、マエストロから、
彼のお気に入りのRCAビクターの
サウンド・エンジニア、エディターだった、
リチャード・ガードナーに送られたものである。
ガードナーについての詳しい事は、
『トスカニーニの放送遺産』
(リチャード・カニエル著1995年)
という本で知ることができる。
ガードナーはこれらの録音を、
1949年から1983年の間に、
カニエルに贈っている。」

ちなみに、このカニエルは、
これらナクソスのトスカニーニ・シリーズでは、
アーカイヴィスト、復刻プロデューサーとして、
名前を連ねているから、
うまい具合に関係者の宣伝になっている。

では、このCDでリハーサル部を聴いて行こう。

いきなりトスカニーニが手で拍子をとりながら、
第1主題の後半に活力を与えようとしている。
しかも、ここは、低音部なので、
耳に訴えるメロディではなく、
完全な隠し味のような部分である。

まさしく、最初から、音楽の真髄を聴くような感じ。
このように土台に活力がないと、
第1主題も生きないということであろう。

低音弦がそれを反復、
第1主題を再度繰り返し、
最初は不安感ばかりである主題に、
力強い意志のようなものが加わる。

すぐに、トスカニーニは中断して、
曲の冒頭から開始するが、
トスカニーニの入魂の叫び声が、
ソロ楽器のように響き渡り、
渾然一体となった、火の玉のような演奏となる。
冒頭から、Sec、Secが叫ばれている。

3分経過のあたりでは、
第2主題に入る前の部分からの演奏が再開。
ここでも、第2主題の後半で、
トスカニーニの唸り声で、
音楽は高潮していく。

まさしく本番以上に張り詰めた雰囲気で、
音楽で血管が膨れ上がっているようである。

5分を経過すると、
コリオランの快進撃のような部分が、
練習の対象となる。
かなり弦は同じ音型をくり返すだけのような部分で、
まったくもって、だらけそうな部分だが、
7分あたりでトスカニーニの要求が入る。

これで、快進撃は、敵の抵抗を受けながら、
それを押し返すようなドラマとなり、
悲鳴のように高鳴る音形には、
乾いたリズム感が要求されて、
メリハリが与えられていく。

8分41秒あたりでは、すこし、
ディスクが変わったような不連続感があるが、
一応、続いているようだ。

だん、と打ち付ける部分は、
トスカニーニは、神経質なまでに精度を要求している。

12分30秒くらいで、
最後のピッチカートまで弾き終わっているが、
13分前後から、細かい指示が出て、
再度、第2主題再現からやり直しとなる。

14分半あたりから、
トスカニーニの怒りがさく裂しているが、
楽譜をばんばん叩きながらで、
かなり暴力的である。
14分46秒で、
「Give all yourself!」が、
14分53秒で、
「I give everythig I have!」
が出ているのであろうか。

これは、解説にもあったように、
全力を出せと言うコントラバスへの要求である。

しかし、その後は、すぐに気分を変えて、
音楽を開始させ、かなりさっぱりした対応である。
「第九」の練習では、帰ってしまったとあったので、
もっと、ねちねち言うのかと思ったが、
かなり、好感度は高い。

15分からは、第2主題部再現以降の、
トスカニーニの肉声ソロ入りの
スペシャル・コリオランとなる。

このように、シューベルトが「ます」で、
参考にしたのかしていないのか分からないが、
第2主題の低音部も、何度も聴けて、
この音型を繰り返し聴き直すことが出来る。

この部分、聴いて明らかだが、
コントラバスは生き生きと動きだし、
冒頭和音の繰り返しとなる音形も、
びしっと決まっているようである。

ティンパニの一打ごとに、
トスカニーニは、
「そーりゃあ、どん」という感じで興奮している。
ティンパニは、彼の入魂ポイントのようである。

こうして、16分半には、2度目の終結となるが、
まだ、微調整が必要と考えたのか、
終結部の呟きのような部分をくり返させている。

この意味有り気な終結にも、
ドラマを与えようとしているようだ。

17分40秒からは、
再び、第2主題部分の練習が始まる。

このように、トスカニーニは、
音の活力や、要所要所の引き締め、
各奏者にも、いろいろ考えて動け、
と言ってるように感じられる。

楽譜に書いてあるだけを弾くレベルなど、
一緒に超越せよと、
楽団員にも要求しているようだ。

「第9」で、チェロ奏者が怒られた、
というのもうなづけるものがある。
しかし、団員も、常に常に、
このような緊張感を維持するのは大変であろう。

泣く子も黙る激烈さの
トスカニーニのリハーサルは
非常に有名であるが、
NBCの面々も、
ちょっとは改善されていったのだろうか。

1939年にチクルスでやって、
経験済みの楽曲だと思うが、
7年経って、同じことを言われているのか。
すっかり忘れてしまったのか、
楽団員が入れ替わったのか、
毎回、トスカニーニが言うことが違うのか、
つくづく、コミュニケーションの困難さを痛感する。

では、CD冒頭に収められた、
この曲の本番であるが、
このリハーサルの経験は生かされているだろうか。

冒頭、和音の切れは悪くない。
第1主題の後半、ここは、ちょっと印象が後退した。
第2主題の後半の高揚感、これは悪くないが、
トスカニーニの唸り声を入れたい感じがする。
快進撃の部分、もっとSec、Secと言っても良い。
やや、せかされている感じもするが、
低音弦の活躍もあって、緊張感は悪くない。
最後のコントラバスのぎこぎこは、
録音環境が変わったせいであろうか、
本番では忘れられた感じで、いささか迫力がない。

このCDには、他に、英国の至宝、
マイラ・ヘスの独奏など、聴きどころが多いが、
今回は、字数が尽きた。
が、こうやって、
トスカニーニのこだわりポイントを聴いた後では、
序曲と同じ調性を持つ、劇的な、
この協奏曲のバックを務めるオーケストラが、
どんなことを要求されたか、何となく分かるような気がする。
マイラ・ヘスのピアノも、何となく、トスカニーニ的に、
明晰で集中力に富み、多彩な表現で劇的なものに聞こえる。
拍手もすごい。

また、ヴァーグナーの「ラインの旅」も、
メロディが、ぴちっとはち切れんばかりで、
素晴らしい吸引力で、聴くものをラインに誘う。

得られた事:「トスカニーニのリハーサルは、全身全霊で音楽に向き合うためのイニシエーションの場で、各楽想に活力を与えつつ、団員個々の存在価値を再認識させるものであった。」
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by franz310 | 2014-08-10 16:17 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その413

b0083728_21483048.jpg個人的経験:
スイスのレリーフ・レーベルが、
トスカニーニの「英雄」を
CD化した時の解説には、
RCAの技術者が試みた、
テープ録音が残っていたので、
それを使って復刻した、とあった。
しかし、日本クラウンが
同じ、レリーフ音源によって、
国内発売した「第9」には、
「アセテート・ディスクに起因する
ノイズ、音揺れの発生する
箇所があります」という記載がある。


きわめて混乱した状況だが、
それ以上の探求をここではしていない。
このCDは1990年代初頭に出たものである。

日本クラウンは、1963年に創業したようだが、
クラシックのレーベルとしては印象がまるでなく、
演歌や歌謡曲、J-POPで有名である。
が、調べると、英国のASVなどのCDを
出していたこともあるようだ。

このCDは、表紙のトスカニーニが、
芸術的なまでに完成度の高い白黒写真で、
決定的瞬間を捉えながら、左手のぶれも生々しく、
その峻厳な芸風を表していて良い。
解説には、歌詞対訳までついていて、
とても親切なものだ。

気になる音源についてであるが、
解説にも、
「スイス、レリーフ社が行った、
オリジナル・アセテート・ディスクからのマスタリングは、
かつてない鮮明なサウンド・クオリティを誇るものとなっており」
と書かれていて、テープ録音などではなさそうだ。

矛盾をあえて好意的に解釈すれば、
1939年のベートーヴェン・チクルスは、
初日の「英雄」は当時最新のテープ録音に挑戦したが、
うまく行かなかったので、
RCAは実験はやめてしまったのかもしれない。

そして、RCAビクターは、
シェラック盤に刻む方にしたのかもしれないし、
そもそも録音はNBCに任せてしまったとも考えられる。

さらに言うと、
チクルス最終日の「第9」は、
演奏会場が、8Hホールから変わって、
カーネギーホールでの演奏だったこともあり、
技術が確立していた方にしたのかもしれない。

今回、レリーフ・レーベル音源のものは、
NAXOSよりもエネルギー感が足りない分、
ぎらぎら感が押さえれれていて、
ある意味、聴きやすいような気もする。

本家本元を標榜する、
Music&Artsのものは、
すこしやかましい程で、
隙間がなく分離が悪いような気がする。
しかも、この「全集」は、
あくまで「交響曲全集」であって、
同じ日に演奏された、
「合唱幻想曲」が収められていない。

GRAMMOFONO2000のものは、
レリーフ社のものや、NAXOSのもの同様、
「合唱幻想曲」まで入れて77分に迫る長時間だが、
実際に演奏された順とは反対で、
後が「幻想曲」になっている。

全体的にもっさりした印象だが、
ホルンの深々とした感じや、ティンパニの迫力など、
情報量が詰まっているような気がする。

ちなみに多く出回ったはずのNAXOSのものは、
放送時のアナウンサーの声もあるので、
80分と、最も収録時間が長く、
その意味ではお買い得感を感じる。

以上、説明した、
この事実からも分かるように、
合唱幻想曲まで一緒に入ってしまうので、
この演奏の特徴は、演奏時間の短さであろう。

噂のレベルかもしれないが、
CDの収録時間は、カラヤンの「第9」が入る、
という時間に合わせたとも言われており、
それなりの大作である「合唱幻想曲」と、
「第9」が一枚に入るなどと、
私は想像できず、ナクソスのものなど、
最初は二枚組かと思っていた。

トスカニーニならではの、
そうした凝縮感がエネルギーとなって、
放射しているような演奏である。

さて、この日本クラウンのものは、
かなり解説も力作で、
この伝説のライブが、
日本で発売された事を心から喜んでいる。

これは、とても共感できる。
90年代初頭では、まだNAXOSのものは出ておらず、
Music&Artsなど、
多くの日本人が、イタリアのメロドラムなどと同列の、
アメリカの粗悪レーベルだと思っていたはずだ。

また、この解説には、トスカニーニが、
この曲をいかに大切に扱っていたかを、
その演奏史、共演者、リハーサルの回想まで交えて、
よく書きこんである。
こうした解説に出会えた愛好家は幸いである。

トスカニーニは「第9」で、
エリザベート・シューマンや、
ルイーズ・ホーマーなどと共演した事もあるらしい。
これらの歌手は、どちらかと言うと、
第九で声を張り上げるイメージではないが、
解説には、マエストロは、
「女声には清楚で輝くような気品」を求めた、
と書かれている。

それから、トスカニーニは、「第9」を、
ミラノ、ニューヨーク、トリノ、
ウィーン、ブタペスト、パリ、ロンドン、
ブエノスアイレスで演奏したそうである。
解説には、
「他のベートーヴェンの交響曲と
同じウェイトをおいて取り上げた」
と書かれている。

この「同じウェイト」というのは、
何とも、すわり心地が悪い表現なのであるが、
実は、この演奏の本質を、
捉えているかもしれないと思った。

CD1枚に「合唱幻想曲」と一緒に収められる、
かなりコンパクトにまとめられた「第9」は、
突然変異で現れた、
ドイツ音楽の至高の逸品というよりも、
ベートーヴェンが今まで書いて来た交響曲の、
正しい継承者で、また終着点、という、
ごく当然の解釈となっているわけだ。

それは、神がかり的に有難いといった、
ものものしさではなく、
ひたむきな求道心と情熱が強調されたものとなった。

また、日本クラウンのCDの解説に戻って、
もう一つ、是非とも強調しておきたいのが、
この「第9」のリハーサル時における、
ヴァイオリン奏者(サミュエル・アンテク)
の回想について触れている点である。

演奏側にとっては、
身の毛もよだつ話であろうが、
聴き手にとっては、ただただ興味深い逸話である。

そこには、第1楽章のある部分のフレーズを、
「無神経に弾いた」ということで、
チェロのセクションを罵倒して、
トスカニーニは怒り狂って出て行った、書かれている。

「無神経に弾く」というのは、
心をこめて弾かなかったということであろうか。
適当に流していたのだろうか。
リハーサルなので、
本盤まで、心をこめるのは取っておこう、
と考えたりしたのがいけなかったのだろうか。

いずれにせよ、
トスカニーニは、こうした事に激怒する人だった、
ということであろう。

が、このような逸話は、
リハーサルからして入念に仕上げられた、
この演奏を聴く者に幸福感を与える。
そのような入魂の演奏を、
これから聴くことが出来るわけだ。

「第9を汚そうとでもいうのか!」
とトスカニーニは怒ったらしい。
ますますもって、
信頼感が増すばかりである。

この日本クラウン盤は、
この解説があるので、
かなり価値が出ていると思う。
早く聞いてみたい、という気持ちを、
高ぶらせるものだからである。

Music&Arts盤の解説は、
このチクルスを味わうのに、
非常に参考になるものだが、
この逸話は初めて見るものであった。

が、Music&Arts盤は、
本場のものならではの確実性がある。

たとえば、クラウン盤には、
「ここに収められた演奏は、
1939年のベートーヴェン・チクルス最終日、
12月2日の演奏会のライブである。
従来この日の演奏会は、
8Hスタジオかどうか疑問視されていたが、
原盤データはカーネギー・ホールということになっており、
ここでもそれに従っている。」
とあるが、Music&Artsには、
何の迷いもなく、こうある。

クリストファー・ディメントが書いたものだ。

「1939年12月2日の第6回で最後のコンサートでは、
楽団はカーネギーホールに移り、
『第9』の前に、トスカニーニの唯一の演奏である、
『合唱幻想曲』が置かれていた。」

また、トスカニーニが、
いかに多くの「第9」演奏を行ったかは、
先に書かれていた事と同じように紹介されている。

「それとは違って、
『第9』は、ザックスの見積もりでは、
いつも彼の活動の中心としており、
ミラノ、ニューヨークに加え、
トリノ、ウィーン、ブタペスト、パリ、
ロンドン、ブエノスアイレスと51回も演奏した。」

さらに、トスカニーニは、
名指揮者としても知られた、
マーラーの演奏をも凌駕していたというのである。

「プレス・レビューによると、
彼が全曲を演奏したスカラ座以来、11年経った、
1913年4月のメトロポリタンでの演奏で、
彼は交響曲指揮者として成熟した姿を見せた。
多くの人が1909年と10年のマーラーを凌ぎ、
ニューヨークの聴衆が聴いた最良の演奏と考えた。
さらに、当時のニューヨークの批評家、
リチャード・アルドリヒによると、
『トスカニーニは偉大な交響曲指揮者として、
完全に成熟させた姿を見せた』とあり、
その長いレビューの中に、
ほんの些細な意義しか書かれていなかった。
『アダージョはもう少しゆっくりである方が、
良いという人もいるかもしれない』。
後のニューヨークの批評家も、
全体的にこの演奏を越えるものはない、
と繰り返している。」

演奏回数のみならず、
トスカニーニが残した
「第9」の録音についても書かれている。
このあたりが、ディメントの解説の魅力である。

「1927年から1952年の進化に先立つ、
スカラ座での演奏の他に、
ニューヨーク・フィルとは13回、
NBCとは5回プラス、レコーディング
といった演奏があった。」

さらに、トスカニーニの「第9」観も、
下記のように象徴的に表されている。

「トスカニーニの書簡には、
この作品が彼に与えていた深い効力が読み取れる。
第1楽章のコーダが、いかに、彼に、
ダンテの地獄門の描写を思わせたか、
アダージョのあるパッセージでは、
高い所から楽園の光が下りてくるか、など。」

このイメージは、我々にも伝わりやすいものだ。
が、この演奏には、「地獄門」を思わせる、
ほら、ここから地獄に入りますよ、
といった描写的なものは何もない。

あえて言えば、第1楽章のコーダで、
そんな感じがあるかもしれない。

それまでは、
ただただ、奔流のように、音があふれ出し、
異常な焦燥感というか使命感で、
あらゆるパッセージが生まれては消えて行く。

「彼は、そのキャリアの終盤でも、
第1楽章の解釈に自信がないことを漏らしているが、
ある人は、それはある一部に関してだろうと考えている。
一方で、彼は、この作品が、
どのように演奏されてはならないかを確信しており、
1937年にヘンリー・ウッドが指揮したものが、
ロンドンからラジオで届られたのを聴いて、
第1楽章と第3楽章はのろのろして飽きるし、
第2楽章は、まさに正しい、
ベートーヴェンのメトロノーム記号より早すぎるとし、
終楽章は支離滅裂だと怒りだした。」

このように、ここでも、「第9」の演奏で、
トスカニーニが怒った逸話がある。
決して満足することのないこの指揮者の、
人間性が、これらの逸話には色濃く表れている。

以下、この著者が得意とする、
トスカニーニの演奏変遷論が登場する。

「1937年に、トスカニーニは、
ここでの演奏を直前にして、
ベートーヴェンのメトロノーム記号を、
正に正しい、と考え、
考え方を変えたはずだが、
スケルツォの一部などを含め、
いくつかの部分で彼は記号より速くしている。
これは全体として、残された録音の中で、
最も猪突猛進で、
最もタイトで、圧縮された演奏である。
特に最初の2楽章がそうで、
このチクルスを通してのアプローチとして言える、
彼の心にあったプレッシャーの好例となっている。
それは、解釈上の変遷のカーブの頂点であり、
1936年3月のニューヨーク・フィル、
1937年11月のBBC、
1938年2月のNBCと、
比較的幅広く、リラックスしたスタイルからの、
各楽章の圧縮の進展が見て取れ、
この録音の怒りに満ちた凝集となる。
この後、1941年7月のコロンのもの、
1952年のNBCの演奏、RCA録音は、
テンポはどんどん1936年のものに近づいている。
テンポの問題は全体像の一部で、
切り立ったインパクト、
恐ろしい力の火山のような爆発で、
ブエノスアイレスの演奏は個性的である。」

私も、このブエノスアイレス盤は、
驚愕すべき記録だと思っているので、
これに対して、いったい、
この盤がどのような扱いを受けているのか、
気になって仕方がない。

「しかし、それに先立つNBCの演奏のものは、
よりよく訓練されたオーケストラと言う点で有利であり、
この演奏は、
マエストロの18か月ものトレーニングを経た優位性があり、
1952年の演奏や録音と比べても、
指揮者が無比の力を誇っていたことが分かる。
聴く人の中には、最初のアレグロ・ノン・トロッポが、
アレグロにしか聞こえないかもしれないが、
疑うことなく、オーケストラは、
指揮者の高度な要求に応えており、
正確さは無比、驚くほど明晰で、
オーケストラを通じて放射される
トスカニーニのイマジネーションは絶対的である。」

各楽器が一体感を持って突き進み、
著者が、オーケストラの技量の差異を語りたくなったのは、
分からなくもない。

「彼が作曲家の心を満たしたかどうかは、
ずっと議論されるかもしれないが、
批評家たちは疑うことなく彼を支持した。
翌日、ダウンズは、こう書いた。
『彼は、この偉大な音の詩に、
これまでになく、激しくノミを入れた。
結果として、
さらなる発展が芸術家にもたらされ、
その洞察力と誠実さは、
彼をベートーヴェンの思想の中心に運び去った。
確かに終楽章は、
この指揮者のどの演奏をもしのぎ、
その法悦は宇宙的でもあった。』
さらに3週間後、『Musical America』は、
『とてつもないもの―
トスカニーニ氏が、
我々にもたらしたものは、
おそらくその力と輝きとで、
最も圧倒的なものであった』と書いた。」

私は、この演奏を聴いていて、
いったい、今、どこを聴いているのだろう、
と、聴きなれた演奏では、
まったくありえないような、
体験をしたりする。

第2楽章などは、
無機的とも言えるような非情さで、
疾風のように吹き過ぎてゆく。

続く第3楽章も、
ひたすら純粋なものが追及された結果でもあろうか、
弦楽のピッチカートの脈動は、
人間存在のない太古からの律動にも聞こえ、
あたかも、原初の生命が、
有機物として生み出されて行く瞬間を眺めるがごときである。

「楽園からの光」を、
彼が、ここに感じたとしても、
様々な欲望が渦巻き、戦争を突き進んでいた当時の、
人間世界に差し込むものではない。

1939年12月2日と言えば、
ソ連が、フィンランドに侵攻した事が、
生々しい時期でもあった。

そんな人間行為の下卑た出来事など、
まるで意に介さぬように、超然と、
天体が運行しているような趣きの第9である。

欧州情勢に対し、
誰よりも心を痛めていたはずの彼ではあるが、
一方で、なるべく、ニュースは見ようとしなかった、
という逸話もあったと思う。

トスカニーニ自らが、
現実世界から目を背けすぎ、
異常な世界に突入してしまったのかもしれない。

トスカニーニがアメリカにわたって、
2年が経過していた。
欧州の実感は、かなり薄れていたかもしれない。

「第9は、それまで録音されたものの中で、
最も明快、劇的で集中力のある、
このベートーヴェン・チクルスを、
みごとに締めくくっている。
多くの人たちが、これこそ、
作曲家の広範なヴィジョンとして捉え、
他に並ぶものなきものと証言するだろう。」

まさしく異常な状況下で行われた、
ベートーヴェン・チクルスであった。

締めくくりに呼ばれたのは、
女声としては、我々にも親しい歌手たちである。
ソプラノには、チェコ出身で美貌で知られたノヴォトナ、
メゾ・ソプラノには、ワルターとの「大地の歌」で知られる
トルボルクが起用されている。

男声はテノールに、
トスカニーニのお気に入りのジャン・ピアーズ、
バスには、ギリシア生まれとされる、
ニコル・モスコーナという名前が出ている。
合唱団は、ウェストミンスター合唱団である。

「これで、トスカニーニは、
NBCとの3期目の第一部が締めくくられた。
ひと月後、彼はチャリティー・コンサートを開いたが、
イタリアは、彼に門戸を閉じた。」

という感じで、
この解説は締めくくられているが、
実際に門戸を閉じていたのは、
トスカニーニの方であった。

「彼は、休息でグランド・キャニオンを訪れ、
さらに西に向かって、相応の休暇を取った。」

という、意味深長な一言が添えられているのは、
そういう状況を表しているように思われる。

「合唱幻想曲」のピアノは、
トスカニーニお気に入りの女流、
ドルフマンで、この曲もまた、
「第9」の延長上の透徹した表現である。

得られた事:「戦争開始と共に、トスカニーニは世間から隔絶して人間世界から目を閉じて、無機質から有機物が生成されて行くような独特の『第9』を作り上げるに至った。」
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by franz310 | 2014-07-19 21:50 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その412

b0083728_2137479.jpg個人的経験:
トスカニーニが演奏する
NBC交響楽団は、
放送局用のオーケストラである。
当然、放送用の演奏を
くり返していた。
ところが、あくまで、
放送を聴かなかった
我々にとっては、
特に、戦後にこの巨匠が、
大量のLP録音に使い、
そして、すぐに解散した、
管弦楽団でしかなかった。


このLPの録音をしたのが、RCAビクターであるが、
RCAとはRadio Corporation of Americaという、
これまた、ラジオが名前の最初に付く、
巨大なエレクトロニクス企業であり、
この傘下に、放送会社の
NBC(National Broadcasting Company)と、
RCAレコード(RCAビクター)があった。

前者は、アメリカの三大ネットワークの一つであり、
後者は、1960年代まで、コロムビアと並ぶ、
アメリカの二大レコード会社である。
共に名門企業であった。

(こうした当時の世界企業も、
1986年にRCAがGEに買収されるや、
哀れな事に、翌年には、
RCAにおける家電部門はトムソンに、
RCAレコードは、ドイツのBMGに売却されて、
その華麗な歴史に終止符を打っている。)

ということで、NBCで放送された、
トスカニーニの演奏は、時として、
兄弟企業であるRCAレコードからレコードが出ることがあり、
1939年の放送の交響曲の中では、
第3「英雄」が、
唯一、トスカニーニの眼鏡にかなったとして、
レコードとしても発売されていた。

が、ここでややこしいのが、
RCAレコードになったものと、
NBCで放送されたものは、
はたして、親会社が同じだからといって、
同じ音質と言えるか、という点である。

スイスのレリーフ・レーベルから出ていた、
トスカニーニのベートーヴェン録音、
「ライブ・シリーズ」の解説を読むと、
そのあたりの事が少し垣間見える。

このレリーフ・レーベルのCDは、
巨匠の行った、1939年のチクルスから、
一夜ごとにまとめるのではなく、
たとえば、「第1夜」のメインであった「英雄」を、
チクルス後半の「第5夜」の
始まりと締めくくりを担当した、
「レオノーレ序曲」の第1と第2と組み合わせる、
といったように、
かなり変則的な編集をしていた。

このような具合に、このCDには、
RCAから出ていた「英雄」が収められていることから、
うまい具合に、RCA盤との聴き比べが可能となるのだが、
聴いた印象は、曲の冒頭から、かなり違う感じである。

いずれも、元は同じなのかもしれないが、
80年近い歳月の中で、様々な事があったのであろう、
とにかく違う。
あるいは、録音の最初から違うのかもしれない。

このCDの解説は、こんな感じである。

「1939年の秋、50年以上にわたる
ベートーヴェンの交響作品への芸術的な取り組みを経て、
アルトゥーロ・トスカニーニは、
彼のNBCラジオの聴衆に、
全ベートーヴェン・チクルスを披露した。
これは、彼の生涯で4度目の取り組みであった。
全6回の演奏のうち、最初の演奏会は、
ラジオ・シティの8-Hスタジオで、
10月28日に行われた。
『フィデリオ』序曲と第1交響曲に、
1926年以来、トスカニーニが50回以上演奏してきた、
『英雄交響曲』の演奏が続いた。
『マイスタージンガー』序曲や、
ドビュッシーの『海』に続き、
マエストロがもっともよく取り上げた曲目であった。
1938年3月の
トスカニーニのセッション録音開始以来、
(その間、ベートーヴェンの
『第5』と『第8』が作られている。)
これらは8-Hスタジオで行われてきたが、
聴衆がいる中、『英雄』を、
初めて、RCAビクターは、
『ライブ』でテープ録音することを決めた。」

この記述に、私は、一瞬、何がなんだか分からなくなった。
確か、少し前までのトスカニーニのライブ録音と言えば、
ディスクをとっかえひっかえのアセテート盤録音だったはずである。

ドイツで磁気録音が開発されたのが、
トスカニーニの演奏会の前年の1938年で、
戦時中のドイツの録音は、
切れ目がないということで、
連合国が驚き、戦後になって、
テープ録音が広まった、というのが、
これまでの大筋理解であったが、
トスカニーニのい1939年録音は、
テープ録音が試みられたのだろうか。

あるいは、磁気テープではなく、
異なる種類のものなのだろうか。

「技術的には、不幸なことに、
結果として、
『ビクターによるトスカニーニ録音の最低のもの』
(R.C.Marsh『トスカニーニとオーケストラ演奏の芸術』
となってしまった。
聴衆の存在が、残響の最後を弱め、
また、マーシュがまさしく『虐殺』と呼んだ、
深刻な音響上の不純さが、
シェラック録音には残された。」

テープ録音の話の直後に出てくる、
このシェラック録音というのが難解である。
これは、とっかえひかえのシェラック盤の事だと思う。
テープ録音とシェラック録音が、
同時に行われていたと言うことなのだろうか。

「明らかに、『ライブ録音』のプレッシャーによって、
ビクターの技術者たちは、
音楽のフレーズのいくつかや、何小節をも台無しにした。
これは、ディスクのある面の真ん中で、
音楽が欠落するような事になった。
それにもかかわらず、RCAビクターの委員会は、
指揮者不在の中、この録音(M-765)を、
修正して発表することを決定した。」

この部分、「指揮者不在で」と勝手に書き換えたが、
英語では、「作曲家不在で」と書いてある。
それでは意味が分からなくならないだろうか。

ちなみに、M-765は、SPの番号である。

「ワルター・トスカニーニが、
コンサートのラジオ放送のテープを持っていたが、
これはシェラック盤より音質が良いもので、
シェラック盤の技術的失敗が、
明らかに改善された後でも、
この『英雄』は、RCAがLPとして、
米国でも欧州でも発売することのなかった、
権威的バージョンの一つとなっている。」

ここでも、私には、かなりの混乱があって、
「コンサートのラジオ放送のテープ」が、
エアチェックしたものなのか、
先に出て来たテープ録音のことなのか、
あるいは、それをダビングしたものなのか良くわからない。

しかし、先に、テープ録音した、
とあるので、それそのもの、あるいは、その複製、
と考えるのが自然であろう。

このスイス・レリーフ盤は、
このテープに基づいての復刻なのだろうか。
肝心の事をびしっと書かずして、
下記のような、どうでもよい事が続く。

以下は、おなじみのトスカニーニの、
演奏解釈の変遷の話である。

「トスカニーニは、この作品を、
1949年にカーネギーホールで録音しており、
RCAは、1953年12月6日に行われた
演奏会の録音も発売している。」

ちなみに、日本で多く聴かれているのは、
このうちの後者で、
1949年盤が忘れられているのは残念である。

「この指揮者の、この作品の解釈上の見方は、
年々、進化しており、
B.H.ハギンズは、『トスカニーニとの会話』で、
1944年のマエストロとの会話について触れている。
トスカニーニは、11月5日の『英雄』の放送を準備していたが、
1939年の録音を聴いて恥じらったという。
『40年前、私が『英雄』を最初に演奏する際、
ドイツの指揮者の演奏を聴きました。
リヒターも聴いたし。
そして、私は同じように演奏しないと
いけないと考えたのです。』
それから、77歳の指揮者はピアノの前に座り、
ゆっくりとしたテンポで第1楽章の、
『アレグロ・コン・ブリオ』を演奏した。
『しかし、その後、私は、
この作品を信じるように演奏するにつれ、
今や、遂に正しいテンポに自信を持ちました。
簡単なことです。
ドイツ人はすべてを遅くし過ぎて演奏します。』
しかし、1930年代初期までは、
トスカニーニは『英雄』で、
フルトヴェングラーよりもさらに、
幅広いテンポを取っていた。
1930年のNYPとのベルリン公演の後、
ドイツの指揮者たちは、『葬送行進曲』の、
有機的でないリズム構成や、
引き伸ばされた大げさで感傷的な解釈を批判している。
残っている最も初期の音の記録である、
1934年12月のストックホルムのものは、
『葬送行進曲』が1939年のものよりも、
1分半も長くかかっていて、
スコアにあるメトロノーム指示より明らかに遅い。
しかし、その後の15年に記録されたり、
発売されたりした、
トスカニーニとNBC交響楽団との
『英雄』の演奏時間は、全曲でも、
70秒くらいの違いしかない。
広く考えられているのとは反対に、
彼の後年の演奏は基本的に、
前のものより速くはない。
一例を上げれば、
『葬送行進曲』の基本テンポは、
1949年のものや1953年のものの方が、
1939年のものより堂々としている。
しかし、フィナーレではそうではない。」

ということで、テンポの話は、
これまでも読んできたとおりのもので、
特に新しい知識にはならない。

以下、少し、目新しい事が書かれている。

「スタイル上、基本的な違いは、
テンポではなく、陰影法(shading)にある。」

音楽における「陰影法」とは何だろうか。

「年を重ねたトスカニーニは、
書かれていないテンポの変化を許さず、
しばしば、ほとんど知覚できないような様式で、
各々の基本テンポからの
わずかな絶え間ない速度変化を行い、
ダイナミクスやフレージングを洗練させており、
彼の初期のNBCとの解釈は、
時として劇場的なしぐさで
際立って伸縮自在、効果的である。
これこそが、ハギンズが1939年版を、
『トスカニーニの最大傑作のひとつ』と、
呼んだ所以である。」

さきほど、ハギンズに向かって、
「お恥ずかしい」と言ったとあったから、
トスカニーニ自身は、
この録音を認めていなかったのかと思ったが、
「お恥ずかしいが、それこそが、
現在の私の解釈です」という事なのであろうか。

さきほど、この録音をこき下ろした、
マーシュの意見は異なるようである。

「対称的にマーシュは、
ここにはまだまだイタリア的な要素があって、
『フーガは、ロッシーニの序曲の
長い加速するクライマックスようであり、
和音は崩れ、膨らんで暴力的に、
フレーズは予期せず伸縮する』。
あらゆる面で、マエストロの変遷するスタイルと、
『正しい』解釈に対する絶え間ない探求の、
貴重なドキュメントである。」

これは前にも読んだことであるが、
このロッシーニ風の歌心がまた、
トスカニーニの魅力であるに違いない。

特に、一緒に収めらた『レオノーレ』からの
序曲では、実にロッシーニ的な痛快さが聞き取れる。

このCDの解説の最後は、
この序曲に当てられていて、
ようやく、第5夜の話になる。

「この演奏会シリーズの
最後から二番目のコンサート
(1939年11月25日)のハイライトは、
『第8交響曲』だったが、これは、
『レオノーレ』序曲、第1番と第2番に挟まれて演奏された。
RCAビクターは、スタジオ8-Hで、
序曲第2番のライブをテープ録音したが、
『正規盤』であるにもかかわらず、
米国で発売することはなかった。
シェラック盤はHMVで出たことがある。」

最後に、今回のCDが、
テープからのものであることが書かれているが、
いきなり「放送用のアセテート・テープ」とあって、
混乱は極みに達する。

が、アセテートとは、合成繊維の一種で、
アセテート盤に使われるのみならず、
磁気テープの基材のような感じでもあるようなので、
そこを混乱しないように読めばよさそうだ。

「我々は、よく保存された
ラジオ放送のアセテート・テープを、
この録音に利用した。
レコーディング・スタジオの音響的な問題にかかわらず、
我々は、慎重なデジタル・リマスタリングによって、
オーケストラのサウンドを出来るだけ忠実に再現しようとした。」

なお、この解説は、
Peter Aistleitner
という人が書いている。

このように、レリーフ社は、テープ録音の良さを強調しているが、
同じ時の録音でも、例えば、NAXOSの録音の方が、
ずっと聴きやすい。
ただ、ナクソスが、テープから持ってきたのか、
シェラック盤から持って来たのかわからないが、
こちらは、RCAビクターのサウンド・エンジニアであった、
リチャード・ガードナーが関わっているので、
シェラックを修復して出した「英雄」と同じプロセスなのか、
あるいは、放送時のコメントも入っているから、
それこそテープ録音なのか。

良くわからないが、
やたら出ている、このトスカニーニ録音、
とにかく、生まれながらにして、
異なる方式で録音されていたものがあった、
という事は理解できた。

私は、レオノーレ序曲の第1を、
トスカニーニが指揮した、
BBC交響楽団との録音を聴いてから、
すっかり好きになってしまったが、
この曲の解説は、
ナクソス盤から持って来よう。

「ベートーヴェンは、たった一曲のオペラ、
『フィデリオ、夫婦の愛の勝利』を書いたが、
1805年11月にウィーンで初演された時には、
フランス軍によって首都が落ちた後で、
わずかな成功しか収めなかった。
1806年3月に第2版がウィーンで上演されたが、
最終版は1814年5月の上演であった。
オペラはオリジナルは、『レオノーレ』として知られ、
政治囚フロレスタンが、
忠実な妻、レオノーレによって救出されるもので、
彼女は、少年フィデリオに変装し、
看守のロッコに仕える。
彼女は、牢を担当する役人、
宿敵ドン・ピザーロが、
夫を殺そうとするのを防ぎ、
その邪悪が明らかになるや、
うまく、これを懲らしめる。
ベートーヴェンは、このオペラのために、
4つの異なる序曲を書いた。
このうち、『レオノーレ』第1番
として知られているものは、
1807年にプラハでの上演を想定して書かれた。
これは1828年にウィーンでのコンサートで、
初めて演奏された。
『レオノーレ』第2番として知られている序曲は、
1805年のウィーンでのオペラ初演のために書かれた。
これに続いて、1806年にウィーンでの上演のために書かれ、
最後の『フィデリオ』序曲は1814年の舞台用であった。
当初、『レオノーレ』第1は、初演用に書かれたが、
軽すぎるとして、取り下げられたと考えられていた。
しかし、手稿から、
この良く知られた話は間違いであると分かる。
ハ長調で書かれた『レオノーレ』第1は、
オペラや続く部分に関係しない、
ヴァイオリンの主題で始まる。
これが、作品の主部『アレグロ・コン・ブリオ』を導き、
一般的な調性の構成ではないものの、
ソナタ形式の二つの主題を予期させる。
作品の中心は、しかし、
展開がアダージョ・ノン・トロッポに入れ替わり、
彼がその運命を嘆く、
フロレスタンの地下牢のシーンを予告する。
すでに出て来たテーマが再現部で現れ、
強勢された主音の和音で終結する前に、
音楽を鎮める。」

まさしく、このオペラとは無関係に見える、
不思議な序奏部の色彩が、私には魅力的である。

この部分、ナクソスの録音は、
ほとんど何も気にせず聴けるが、
このレリーフ・レーベルのものは、
パチパチ音が目立ち、
ダイナミック・レンジ的にもひしゃげ気味に思える。

また、演奏そのものも、
BBC交響楽団とのスタジオ録音が、
伸びやかであり、高雅な楽器の音色が美しい。
指揮者もオーケストラもないような一体感がある。
わずかにかかっているポルタメントも、
妙にぞくぞくする。
ホールの遠近感も美しい。

演奏時間は、こちらの方が短いが、
NBCのものより、余裕があるように聞こえる。

それはさておき、この緊張感を盛り上げていく、
序奏部は、他の序曲にはない、
幻想的な趣きがある。

主部のメロディも勇ましいが、
影が差して、様々な感情が込み上げては消える感じも良い。
しかし、この前に前に推進する音楽づくりには、
確かに歌があり、ロッシーニがあるように思える。
コーダに向かっての爆発などは、
ロッシーニ以外の何ものでもない。

しかし、ロッシーニが現れるのは、
この序曲が書かれてから、
数年以上後の事になる。

ベートーヴェンに、
すでにロッシーニ的なものがあったようだ。

「『レオノーレ』第2は、
三つの下降音形からなるユニゾンで始まり、
GからFシャープに繰り返し下降して、
フロレスタンのAフラットの牢獄のアリアを
このオープニングの『アダージョ』は、
チェロのテーマの『アレグロ』を導き、
フル・オーケストラがこれを引き継ぎ、
アリアからの第2グループを導くが、
これは展開部を締めくくる
トランペットのファンファーレの後で再現し、
急速なコーダが続く。」

私は、この曲にあまり親しんだ記憶がない。
最初に書かれたということだろうか、
ちょっとくどい感じがしなくもない。

が、トランペットが出てくる前後の、
ヤバい感じはよく予告されている。
レリーフのものは、音が荒れていて、
あまり浸ることはできない。

GRAMMOFONO2000の全集では、
この曲は省略されている。
Music&Artsの全集では、
なかなか深い響きを聞かせている。
しかし、主部はやたらやかましい。

なお、このMusic&Artsの解説では、
トスカニーニのこれらの曲の他の演奏と比較があり、
「著者の見方では、1939年の6月1日に、
HMVによって録音された、
BBC交響楽団との『第1』が、
その自発性と抒情性で賞賛に値し、
数か月の間にマエストロの演奏が
変わったかを知ることができる。
1946年のルツェルンにおける
スカラ座管弦楽団との『第2』が、
その幅広さと力で、この演奏を上回る。」
としている。

1946年と言えば、
トスカニーニは、もう80歳になる。
これは戦後のものであるし、
音質の向上を期待したいところでもある。
(ダイナミックレンジを圧縮した感じで、
格段に良いわけではない。)
演奏時間は1分ほど長くなって、
序奏部のものものしさ、
各声部の粒立ちなどは、
大伽藍を前にしたような印象を受ける。
ティンパニの迫力が効いている。
ブラームスの「第1交響曲」の序奏の予兆すらある。

戦争が終わった解放感をも想起させる、
主要主題の輝かしさなども特筆すべきであろう。
コーダの直前ではつんのめったような感じもあるが、
これがこれですごい興奮を伝えてくる。

ついでに、チクルス「第2夜」で演奏された、
「レオノーレ」第3のナクソスの解説も読んでおく。
「ゆっくりした序奏で序曲は始まるが、
Gから低いFシャープの柔らかい下降があり、
牢獄でのフロレスタンの音楽を導く。
第1ヴァイオリンとチェロに、
続くアレグロの主要主題が委ねられ、
フロレスタンのアリアが、第2主題群を形成する。
『レオノーレ』第2同様、ドラマティックな、
舞台裏のトランペットが響き、
ここで2回目の繰り返しが救援の合図となって、
序曲は拡張された急速なコーダに続く。」

これについては、
Music&Artsの解説では、
Musical Americaのダウンズの、
「荒々しく劇的」という言葉を紹介、
「バランス、明晰さ、音の磨き上げ、構成の結合の驚異、
活力と魅力的なリズム」を賞賛しており、
1951年2月の演奏まで、
トスカニーニ自身、このレベルの演奏はできなかった、
と書いている。

改めてNAXOSのCDで、
この1939年の演奏を聴いてみると、
「レオノーレ」第2より聴きなれているせいか、
清潔で、見通しの良い演奏にも、
いっそうの説得力が感じられる。

ナクソスの場合、
テープをオリジナル・ソースとしているのではなく、
NBCのTranscription discs(1935-1943)を、
プリズムサウンドというシステムで、
CD化したように書かれている。

これは、本放送の終了後も、
再放送や他の地域での放送ができるようにした
放送用原盤なので、放送局内のオリジナルか、
そのコピーくらいであろう。
ディスクというだけあって、
へなへなになりそうなテープよりは、
保存が効きそうな気がする。

しかし、さすがのRCAグループにとっても、
聴衆入りライブの録音は、
こうしたどえらい機会でもないと、
ふんぎりがつかなかったのだろうなあ、
と妙に感じ入ってしまった。

コーダの推進力もたくましく、
安定感があって危なげなく爆発に至る。
ただし、最後の一音は弱くないか?

喜んで聴衆も興奮しているし、いいか。

なお、この曲の場合、RCAレーベルからも、
「英雄」と組み合わされて、CD化されている。

これは当然、シェラック盤のものであろう。

気になるのは音質であるが、
最初聴いた時には、
このレーベルに対する先入観からか、
堅いイメージがあったが、
むしろ、4分をすぎて主題が爆発するあたりの、
天井に張り付いたような、
ダイナミックレンジの苦しさが難点かもしれない。

GRAMMOFONO盤などでは、
このあたりの高まりもうまい具合に補正されているようだ。

「フィデリオ」関係4序曲の最終作、
「フィデリオ」序曲は、このチクルスの初日の冒頭に演奏されている。

4曲の中で、私が、最初に聞いたのは、
この序曲なので、最も、長い付き合いであるが、
序奏が昔から、軽薄ではないか、と思っていた。

これも、ナクソスの解説で読んでおこう。
「ベートーヴェンの唯一のオペラを聴く聴衆には、
現在、この序曲が最初に演奏されている。
一般的には、『レオノーレ』第3が、
フロレスタンの拘束からの解放の前から、
最後のシーンの間に現れる。
愛情、葛藤、恐れとレオノーレと、
その夫、フロレスタンの喜び、
これらが、最終的な全ドラマの要約であるが、
フロレスタンは、無実の罪で牢獄におり、
我々は、音楽の始まりと共に、
フォルテッシモの和音が9つの音で下降して、
彼の牢獄の深さに下ろされ、
恐ろしい光景を心に浮かべる。
そこに弦と木管に助けられ、
荘厳で、惨めなパッセージが続き、
愛するものと切り離された、
彼の悲しみや歎きがさっと描かれ、
次第に、力と自責が込み上げてくる。」

何と、へんてこな序奏だと思っていたが、
こんなものがいっぱい詰まっていたのか。

「そこから希望を新たにし、
序曲の主要主題が飛び上がって、
より良きものへの希望に確信が生まれる。」

ここからは、単に、興奮が続く音楽だと思っていた。

「全オーケストラはしっかりとクレッシェンドで鳴り、
熱狂したパッセージワークが熱狂の頂点まで続く。
突然、調性が変わって、
遠くでトランペットが響き、
レオノーレの感謝の歌も交えて、
解放の内務大臣が到着する。」

このけたたましい楽想の奔流の中で、
いろいろなことが暗示されていたようである。

「前に出た主題が興奮した終結部で繰り返され、
歓声と結果としての幸福が続く。」

私は、「フィデリオ」序曲を今回ほど真面目に聴いた事はなかった。
トスカニーニの興奮も尋常ではない。
ちなみに、Music&ArtsのCDでは、
この序曲は切り捨てられており、
GRAMMOFONOとNAXOSとLYSで聴ける。

得られた事:「トスカニーニの1939年のベートーヴェン・チクルスは、テープ録音とシェラック盤の二つの方式が試されていた模様。レリーフ・レーベルは、オーセンティックなテープを採用した、とあるが、明らかに経年劣化が痛ましい。NAXOSは、トランスクリプション・ディスクを使用とあり、こちらの方が聴きやすい。」
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by franz310 | 2014-06-28 21:36 | 古典 | Comments(1)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その411

b0083728_1946599.jpg個人的経験:
トスカニーニが挙行した、
1939年秋の意欲的な
ベートーヴェン・チクルス。
第4夜「第7」は、七重奏と
組み合わされるなど、
少し変わった
プログラムの夜もあり、
「第5」、「第6」といった
誰もが聴きたくなるような
第3夜とのギャップが甚だしい。
中でも、もっとも奇妙なものが、
第5夜のものであろう。


交響曲全曲演奏会である以上、
最後は、ばーんと大交響曲で閉めるイメージだが、
何と、この日のメインは、最も軽量級の「第8」のみ。
最後は、「レオノーレ序曲」第2番で閉めているし、
その前に置かれているのは、
「プロメテウスの創造物」からの抜粋と、
弦楽四重奏からの断章である。

つまり、交響曲は、決してメインではなく、
最初の「レオノーレ序曲」第1番と共に、
前半に演奏されたものと思われる。

極めて興味深い内容であるとはいえ、
トスカニーニは「第8」が得意という感じもないし、
同じ「レオノーレ」なら、
何故、最も有名な「第3」をやらないか、
(これは、「第2」、「第4」交響曲と共に、
すでに第2夜で演奏されていた。)
などと考えると、
まるで落穂拾いみたいな印象である。

1939年11月25日、
NBCの8Hスタジオで行われた、
この不思議な一夜の演奏全部も、
ナクソスは、CD一枚に収めてくれていて、
非常にありがたい。

何となく、肩の凝らない印象の、
この演奏会に相応しく、
ベージュ基調の地味な表紙デザインであり、
トスカニーニの写真も、背景の黒ばかりが目立って、
一連のヒストリカル・シリーズの中でも、
最も印象の薄いものとなっている。

ただし、トスカニーニにとっては、
ここでの曲目には、こだわりがあったはずで、
「弦楽四重奏曲」も、「レオノーレ第1」も、
非常に愛着のある曲目のようでもある。

この四重奏曲の断章は、
前の年の1938年の元旦から演奏していて、
その時の録音も、Music&ArtsのCDで、
聴くことが出来るからである。

また、「レオノーレ序曲」第1番は、
わざわざイギリスのBBC交響楽団とも、
録音を残した、思い出の序曲である。

先に述べたMusic&ArtsのCD
(1938年の「第九」と「四重奏の断章」が収められている)
には、
Christopher Dymentの、
「Toscanini and Late Beethoven」
という、非常に参考になる解説がついている。

「多くの音楽家と同様、トスカニーニは、
この作曲家の最も偉大な作品だと考えていた。
しかし、それは、トスカニーニが、
60代前半に、ブッシュ四重奏団を聴いて、
その価値を見出した時からであった。」

このような記述に、私は驚嘆したことがある。
ドイツ音楽の権化のようなブッシュ四重奏団と、
トスカニーニの間に、関係があるなどと、
これを読むまでは、想像すらしたことがなかった。

「彼は、この四重奏団に1920年代初期に
スカラ座で遭遇、(彼は、この時、交響楽団と
米国楽旅の途上で、1921年の1月に、
かの地に初めて登場した。)
そこで、彼らの演奏を聴いて以来、
出来る限りそれを鑑賞し、
常に、いささか威圧するかのように、
最前列に席を取った。」

ブッシュ四重奏団の演奏会で、
最前列で聞き入るトスカニーニ、
これは想像するだに恐ろしい構図である。

なお、1921年の楽旅は、
スカラ座の管弦楽団とのもので、
米国楽旅の途上で、
イタリア楽旅も行ったようである。

「トスカニーニとブッシュ一家、
特にアドルフと間で長く続いた友情は、
この頃から始まり、
四重奏団はしばしば、彼のミラノの家でも弾いた。
賞賛と影響は疑うべきもなく相互的で、
アドルフは、兄弟のフリッツ同様、
彼を高潔な、より高い情熱的な指揮者と見做していた。
1931年にトスカニーニと共演した後、
『彼は基本的なテンポについて、
私以上に厳格でありながら、
細部においては最高の自由さを持っていた』
と語った。
このような親密さの中で、
トスカニーニは四重奏のリハーサルに立ち会える、
わずかな人に選ばれた。
1930年の10月には、
チューリヒで二日にわたって特権を満喫し、
四重奏団の英国デビューに先立つ、
後期四重奏曲の何曲かの準備を見ることができた。
このすぐれた鑑賞者は、
作品130のカヴァティーナに涙し、
弦楽四重奏曲が正しく演奏されるのを初めて聴いた、
と賛嘆したばかりでなく、
この二日間を、生涯で最も美しい日々だったと語った。
この『クエスト・アダージョ』の思い出は、
(トスカニーニは繰り返し、うっとりとして、
このことを、語っている)
1944年のNBC交響楽団との、
カヴァティーナの演奏にも影響を与えている。」

こう書かれてはいるが、
このカヴァティーナの演奏が、
この解説を載せたCDで聴けるわけではない。

また、今回、1939年のチクルスで演奏されたのは、
ここで述べられている作品130ではなく、
ベートーヴェン最後の四重奏、
作品135からの2つの楽章である。

とにかく、前回聴いた
ベートーヴェンの七重奏曲もそうであったが、
トスカニーニは、意外に室内楽とは、
深いかかわりがあったようである。

Music&Artsにある解説の先を読むと、
いよいよ、今回聴く、作品135の話が出てくる。

「それにもかかわらず、
ブッシュ四重奏団ですら、
トスカニーニを満足させなかったものがあり、
それが、『恐ろしく難しく』、しかし、『神々しい』
作品135からの『レント・アッサイ』であった。
(1939年11月28日の手紙でそう述べている。)」

この1939年11月28日というのは、
今回聴くCDの演奏の3日後にあたる。

「ブッシュ四重奏団の演奏の、
どこがトスカニーニに不満だったかは、
推論することが出来る。
1933年の彼らの録音を聴く限り、
それは10分半を越えており、
(私の持っているDUTTONのCDでは、
11分31秒となっているが。)
非常にたっぷりしたものになっていて、
その異常な長さは、
マエストロにとっては、
不要なほど前進の阻止に見えたようだ。
四重奏団のヴィヴラートや、
(彼らは制約していたにもかかわらず)
わずかなポルタメントが、
完全には、深さと、厳格さとの融合という
トスカニーニの望みと一致しなかった。
このように、彼は、経験上、
ブッシュ四重奏団、
フロンザリー四重奏団を含む、
いかなる四重奏団の演奏からも、
それが良く演奏されたのを
聴いた事がなかったのである。」

ということで、ようやく、
ここまで書かれたことが、
このトスカニーニ版四重奏曲の説明に繋がる。

「彼が、この曲の弦楽オーケストラ版を
1934年1月のニューヨーク・フィルの演奏会に、
初めてプログラムしようと決心したのは、
明らかにこのことによる。
1939年のBBC交響楽団との演奏で、
一回だけは省略したが、
彼は、演奏会を締めくくれるように、
レントに続くヴィヴァーチェも付けて完成させた。
トスカニーニのアプローチは、
ブッシュ四重奏団の演奏のような、
四重奏的なものではない。
彼は、これを愉悦的なものとせず、
『第九』の厳しいスケルツォ以上のもの
としていたことからも明らかで、
後にブタペスト四重奏団は反対に、
トスカニーニから影響を受けて、
同様の見方をした。」

ということで、
ベートーヴェン演奏の本流とも言うべき、
(というか、言われて来た)
ブッシュ、ブタペスト四重奏団が、
まさか、トスカニーニと関係しているなどと、
ほとんどの日本人は考えたこともなかっただろう。

そもそも、日本では、ブッシュ、ブタペストは、
EMI、CBS系で、RCAのトスカニーニからは、
まったく連想できない位置に配置されていた。

「トスカニーニにとって、
『レント』が重要かつ魅惑的であったことは、
1937年のクリスマスに行われたデビュー公演に続く、
第2のNBC交響楽団との演奏会で
取り上げたことからも分かる。
この演奏は、第1ヴァイオリンの名手の一人、
ヨーゼフ・ギンゴールドが覚えており、
『素晴らしい体験だった。
いかなる四重奏団も彼に匹敵するものはなかった。
ラルゴの細部に全身全霊を込め、
スケルツォの燃焼。
そして、第1ヴァイオリンに委ねた、
複雑な弦の交錯。
私は、彼にベートーヴェンの四重奏曲の
全曲を取り上げて欲しかった。』
二か月後の3月8日に、これを再録音して、
彼は拒絶、のちになって発売を認め、
やはりそれを後悔したように、
この機会のレントの演奏には、
トスカニーニは満足していなかった。
1939年11月25日まで、
彼はこの曲をプログラムに入れなかったが、
彼は、初めて、そこそこできたと思った。」

このように、このナクソス盤の演奏が紹介されている。
CD番号まで、81101813と書かれているが、
まさしく今回のCDである。

「トスカニーニが、何故、
初期のレント演奏に満足しなかったのか、
今日、これを類推することは困難である。
1938年3月の録音は、
1分ほど長く、テンポが最も遅く、
暗く内向的である。
1938年1月の録音と、
1939年の録音は、
2秒ほどしか違わない結果となった。
可能性があるのは、
後の演奏は、連続性とフレーズの息遣い、
そして強弱の凝縮で他のものを凌いでいる。
しかし、これらのものは些細な違いである。
一方で、ここでのヴィヴァーチェは、
ギンゴールドが書いていた、
新鮮な準備の効果が出ている。
もう一度書くと、1938年から1939年の、
三つの演奏はすべて、テンポは似ているが、
この演奏がもっともリラックスしている。
もっとも素早く、スフォルツァンドや
フォルテピアノの記号に反応しており、
『第9』のスケルツォに近づいている。」

ということで、今回の演奏は、
二回の駄目だしの後の三度目の正直をかけた演奏のようだ。

が、それほど大きな違いはないともある。

放送録音を使った、
このシリーズのナクソスのCD、
トラック8はラジオ放送時の、
第8交響曲終了時のアナウンサーのコメントで、
拍手も一緒に収められている。
そのくせ、CD9の
この曲のはじめの拍手もコメントもないのは、
ちょっと不自然で、最初聴いた時には、
この演奏は、別の機会のものかと勘違いしたほどである。

さて、今回、これを聴いてブッシュ四重奏団の、
この曲を聴き直してみたが、
トスカニーニと似たところはまるでなく、
深く沈潜して、確かに遅すぎるような気もした。

しかし、これは、古くから、
ロマン派の伝統を伝える滋味豊かなものとされて、
大木正興氏などは、「優麗玄妙」という、
日常では聞けない言葉を使って表現していた歴史的名演。

まるで、黄泉の国に下降していくような音楽で、
非常に超俗的なビジョンを音にしている。
各楽器は、それに忠実な友として寄り添い、
気高く、劇的ですらある。
昔のドイツの巨匠が振るベートーヴェンは、
ワーグナーのようだ、と書いていた人がいたが、
これはまさしくワーグナー的な音楽と言える。

アドルフ・ブッシュのヴァイオリンと、
ヘルマン・ブッシュのチェロが、
あたかも、オルフェウスと
エウリディーチェの嘆きのように、
情感のこもった会話をしていて、
これはかなり危ない世界に接近している。

冥界における別れの音楽とも言える。
没落の歌とも聞こえる。

こんなにもややこしい背景を背負った音楽は、
明晰で張り詰めたスタイルの
トスカニーニを聴いた直後であっては、
単に晦渋と感じても無理はないだろう。

トスカニーニの「レント」は、
7分半から8分半くらいで演奏されており、
まず、弦楽群の立体感によって、
ブッシュ四重奏団で聴くより、
見通しのよさを感じる。

分厚い弦の響きが、
弦楽四重奏の抽象的な世界から、
一歩、人間的なものに近づいて感じられ、
諦念と希望が交錯する音楽になっている。

1938年1月の録音は、
Music&ArtsのCD復刻がうまく行っていて、
非常に深々とした印象を与えるが、
初めての演奏ということで、
とても慎重に演奏している、という感じがする。

また、別のナクソスのCD(8110895)で、
ハイドンやモーツァルトの交響曲と一緒に、
1938年3月8日(ハイドンの「V字」と同じ日)
の第2回録音も聴くことが出来る。

これは、演奏時間が最長とされたものだが、
ためらいがちなもので、息を潜めるように、
深く沈潜する感じは、ブッシュの演奏にも近い。
とても心をこめて演奏している様子が聞き取れて、
この内省的な情感は、私は好きである。

さすがスタジオ録音、
慎重に慎重に、という感じだろうか。
なるほど、密室での作業、
グールドの自問自答の世界かもしれない。
後半の清らかな歌も、
昔を回想しているかのように響く。

自己愛的にセンチメンタルで、
トスカニーニが後悔した理由もよく分かる。

再びライブである1939年のチクルス版は、
もっと、ストレートに歎きの歌になっている。
そして、慰めのような清らかな歌が、
素直に救いの音楽として感じられる。
ただし、録音は少し平板に聞こえる。

差がないと書かれていたが、
演奏状況や楽員の関わり合いなど、
かなり環境に差異があって、
それがそのまま音になっていると思う。

あと、ブタペスト四重奏団(旧全集)の
この楽章の演奏を聴いたが、
さすがに、弦楽四重奏曲だけあって、
鋭い鉛筆でのデッサンのように響きが固く堅固、
トスカニーニほど豊潤に明快なものではない。
演奏時間は、トスカニーニの最長と最短の間を取った感じ。

さて、トスカニーニの編曲であるが、
本来の第2、第3楽章を反転させ、
まずは優麗玄妙な方の第3楽章を聴かせ、
第2楽章のスケルツォで活気を付けて終わる、
という構成になっていて、
原典に帰るを良しとした、
トスカニーニらしからぬ仕事である。

が、不自然さはあまり感じない。
よくできていると思う。

このスケルツォも、
今回、ブッシュ四重奏団で聴くと、
録音のせいもあるのだろうが、
どうも切れが悪く、ごにょごにょしている。

ブタペスト四重奏団のものは、
さすがにトスカニーニ風と言えるかもしれない。

トスカニーニの演奏で聴くと、
明るいヴァイオリンのきらきら感と、
低音弦の機動性で、
そのあたりの歯切れを良くして、
コンサート・ピースのエンディングとして、
爽快な感じをうまく出している。

この四重奏曲の演奏の後には、
ベートーヴェンには珍しいバレエ音楽、
「プロメテウスの創造物」から、
「アダージョとアレグレット」で、
ハープとフルートの響きが可愛らしいアダージョは、
第2幕のパルナッソスの情景の第2曲にあたり、
石をも動かしたとされる、
竪琴の名手アムピーオーンと、
抒情詩の女神エウテルペーの合奏に、
楽人アリオン(バスーン)や、
オルフェウス(クラリネット)が唱和するという部分。

前半は、様々な楽器の妙技が聴ける、
穏やかな音楽で、
後半の強烈なチェロの独奏は、
アポロの参入を表すという。
ここに来て、トスカニーニの、
強靭な意志を感じさせる。

ちなみに、ナクソスのCD解説は、
「プロメテウスの創造物」の序曲の解説になっているが、
CDには、序曲は収められておらず、
この曲では、このバレエ音楽の一曲が、
ぽつんと収められているだけである。

アナウンサーの解説も、
単に、アダージョとアレグレットと言っているだけ。
ラジオの番組としては、かなり、不親切である。

ただ、とても美しく楽しい音楽で、
ベートーヴェンの違う側面が聴けるという意味で、
この夜のコンサートは、
他のプログラムとは違った幸福感に、
彩られていたはずである。

そもそも、「第8交響曲」は、
ベートーヴェンの中では、
異質とも言える幸福感が味わえる交響曲である。

これを爆発するような表現で、
トスカニーニは聴かせ、
RCAからも古いスタジオ録音が出ていた。

日本のBMGファンハウスから出ていた
「赤盤復刻」シリーズでも、
この曲はCD化されていて、
モーティマー・H・フランクの解説(許光俊訳)で、
「響きが粗く、テンポが速いという点で、
トスカニーニの第8解釈の典型とは言えない」とあるように、
実は、このよく出回った演奏は、
聴いていて疲れるものであった。

第1楽章の再現部の冒頭で、
第1主題をティンパニで補強しているとあるが、
これがまた、ややくどく、やかましい感じを増幅していた。

つまり、同じ1939年のスタジオ録音の「第8」は、
典型的な、「嫌なトスカニーニ」だったわけだ。
つまり、音が硬直していて、広がりがなく、
押しつけがましく、何がいいのか分からない歴史的録音。

「第8」については、
Music&Artsの全集盤CD集の解説で、
やはり、DYMENT氏が演奏比較を行ってくれている。

「『第8』は、1897年という早い時期から、
彼のレパートリーに含まれていたが、
アメリカ時代には、それほど多く演奏されていない。
4回の機会にニューヨーク・フィルとは11回、
NBCとは6回の演奏が、RCAの録音後につづいた。
1936年3月のニューヨーク・フィルとのエアチェックは、
それほど統率は効かせておらず、
曲に相応しい気楽さで、
古典的に構成されているが、弛緩があり、
例えば、トリオのルバートは危なっかしく、
しかし、曲の様々な局面に合わせた、
力強い主張は完璧である。
今回の演奏(1939年のチクルスのもの)は、
それと対照的に、トスカニーニの決めたムードによる
効果が強烈に反映されていて、
速く、容赦ないテンポ、
突然のアクセントが、
温和さが不気味なユーモアに変化させ、
歯を食いしばった笑いといった
この後録音される演奏群の青写真となっている。
唯一、1952年11月のRCA録音のみが、
ニューヨーク時代の
好ましいユーモアを取り戻しているが、
NBC響は初期の、
きっちりとしたアンサンブルを発揮できずにいる。
この録音のクリアさによって、
トスカニーニが追加した、
第1楽章の再現部のティンパニが聞き取れる。
明らかに、ここにはこの指揮者のジレンマがあり、
ベートーヴェンでは珍しい
フォルテッテシモがあるにも関わらず、
低音での主要主題は、
上声部の強弱を押さえないと聞き取れない。
ここでトスカニーニは、
ティンパニでメロディ・ラインを強調する
ワインガルトナーの勧めにしたがっている。
これは、その唯一の例ではなく、
エグモント序曲の勝利のエンディング、
334小節から336小節にも見られ、
これもまた、後年の演奏からは見られなくなる。」

今回、後年のものも聴き比べてみたが、
ユニークなのは、やはり1939年のライブであろう。

恐ろしいエネルギーが冒頭から放射され、
さすがにライブならではの熱気がある。
スタジオ録音における、
行き場のない苛立ちのようなものは感じられず、
第1楽章の細かいリズムの刻みが、
聴衆の心の動きと共に高まり、
この貴重な一夜の時間が、
濃密に流れていく事が感じられる。

それは、親密な情感を第1とする、
「第8交響曲」にはなくてはならぬものだと思う。

それにしても、再現部主題を補強するティンパニが、
何と、胸の高鳴りを煽り立ててくれることであろうか。
ライブの興奮の最中、ティンパニなしでも、
この瞬間、聴衆の心には、
こうしたスイングが生まれていたに相違ない。
私は、この瞬間を聴くだけでも、この録音には価値があると思った。

解説にあったように、
歯を食いしばった笑み、といった要素が、
この大戦前夜の録音にはあるかもしれないが、
それはそれで必然とも思え、
その他の楽章で、かき鳴らされる、
突然の音楽の変化もまた、
推進力となって、
この平易な交響曲の演奏でありがちな、
無風地帯を感じることがない。

独奏で浮かび上がる楽器の響きも楽しめる。

得られた事:「トスカニーニは、ブッシュ四重奏団を最前列で聴くほど愛好し、ドイツの本流を受け継ぐ彼らと、ブタペスト四重奏団の架け橋でもあった。」
「スタジオ録音のすぐあとで行われた『第8』演奏会のライブ録音は、居合わせた聴衆の胸の高鳴りのように、第1楽章再現部のティンパニがスイングする。」
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by franz310 | 2014-06-15 19:47 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その410

b0083728_23102522.jpg個人的経験:
トスカニーニ指揮の
「第7」と言えば、
戦前から、NYフィルのものが
決定盤とされるほど有名で、
戦後に録音したものも、
JVCがXRCDで復刻した程、
名盤とされていた。
これらは、カーネギーホールでの
収録ということもあって有利。
逆に、いわば、戦時中に、
8Hスタジオで録音されたものは、
あまり知られていなかったはずだ。


トスカニーニが亡くなってから、
むしろ、最近になってから、
こうした貴重な音源が、
数多く出て来た背後には、
アルトゥーロ・トスカニーニ協会なる団体があって、
そこが、収集していた音源が出所になっているらしい。
今回のCDには、少し、そのあたりことが書かれていた。

1939年の年末と言う、
この緊迫した状況下で録音された、
一連のトスカニーニ録音は、
これまでも聴いて来たとおり、
一種、独特な世界を作り上げていて、
多くの聴衆を魅了してやまないが、
私は、いったい、どこからこれらが出て来たのか、
ちょっと悩ましく思っていた。

本当に多くのレコード会社が、
同じ音源から製品を出しては、
不慣れな我々に混乱をきたしている。

これまでも、有名なNAXOSや、
Music&Artsの他、
かなりいかがわしいが音は聴きやすい
GRAMMOFONO2000、
いかがわしいだけに見える
LYSなどのCDを聴いて来たが、
今回のものは、かなり、日本では、
日本クラウンが90年代に広く頒布したので有名な、
スイス、レリーフ・レーベルのものである。
(ただし、これは日本盤ではない。)

このCDのデザインは白黒写真を基調として、
日本で出されたトスカニーニのスケッチ仕様より、
私にとっては好ましいものだ。

このレリーフ社の「全集」は、
「第1」と「第4」、「第2」と「第5」といった
実際の演奏会の曲目とは異なっていて、
GRAMMOFONO盤なみにめちゃくちゃだが、
幸い、この「第7」は、
「七重奏曲」や「エグモント」序曲と組み合わされ、
演奏順も、11月18日演奏会の完全収録となっている。

なお、ナクソスのものも、
同じようにこの3曲が一枚のCDに収められているが、
ナクソスにある、ハミルトンによる放送用解説は、
このレリーフ盤では省かれている。

ナクソス盤の弱点は、
演奏の質感を大切にしたのか、
若干、ノイズが目立つことだが、
このレリーフのものは、
そのあたりは、条件が良いよいように思われる。

音楽之友社から出ていた、
「輸入盤CD読本」には、
GRAMMOFONOやLYSといった、
謎のイタリア系復刻レーベルは出ていないが、
この、RELIEFは出ていて、
「スイスの歴史的録音のリリースを専門にしているレーベル」
ろある。

日本語のあいまいさで、
「スイスの歴史的録音」か、
「スイスのレーベル」か分からないが、
トスカニーニのニューヨークでの演奏を出しているので、
後者と考えるべきであろう。

このレーベルの実体はよく分からないが、
CDの作り自体は、イタリア系のものより、
しっかり、かっちりしている感じはする。

ブックレットの最後のカタログには、
トスカニーニの他、フルニエとヘスのリサイタルや、
ホルショフスキのベートーヴェンなどがあり、
YUVAL TRIOなる団体のディジタル録音もあるので、
単に、著作権切れビジネスをやっているわけではなさそうだ。

このユーバル・トリオは、
グラモフォンからもレコード、CDが出ていた、
それなりに高名な団体である。

また、LISA DELLA CASA
Ricital Tokyo 1970というのがある。
何なんだこれは。

このトスカニーニのCDに関して言えば、
Disco Tradingのライセンスを受けている、
とあるが、これがまた、何のことだか良く分からない。
プロデューサー名は、Rico Leitnerとある。
この名前をネット検索すると、
スイスのマジシャンだとある。

ということで、意味不明であることにかけては、
少なくとも現状は、このレーベルも、
他のイタリア系レーベルと何ら変わることはない。

解説は、Peter Aistleitner
という人が書いていて、
これもネット検索してみたが、
何者か、該当する人物はヒットしなかった。

解説者がはっきりしている点では、
LYSの方がマシではないか。
GRAMMOFONO2000の解説者も、
特定不可能であったが、
内容はディープで面白かった。

これはどうか。

「19歳のアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の
リオ・デ・ジャネイロにおける指揮者としての
目を見張るような成功は、
指揮棒を下して、再びチェロ奏者に戻ることを許さなかった。
1886年12月、トリノのオーケストラのチェリストは、
非常に評判の高かったジョバンニ・ボルツォーニの指揮で、
初めて、ベートーヴェンの交響曲(第2)を演奏した。
トスカニーニがベートーヴェン(第1)を
指揮するまでには10年を要した。
1896年5月3日、ミラノ・スカラ座での
デビュー・コンサートの一環であった。
同時代の批評家は、これを、
『un grande successo di cassetta:
ma un successo artistico ancora superiore』
だと書き、
聴衆も、終楽章のアンコールを、
『con insistenza eccessiva』に求めたが、
トスカニーニの後のキャリアでもそうだったように、
これは拒絶された。」

このように、この解説は、
ところどころ、イタリア語になっていて、
スイスのレリーフ社が、どの程度のものか、
推察できる内容になっている。

「ベートーヴェン没後100年記念に、
1926年10月、一週間かけて、
スカラ座のオーケストラと200人の合唱団で、
全9曲の演奏を行った。
これは、マエストロの最初の全曲演奏であったのみならず、
ミラノでも初めての試みであった。
父親のリハーサルを録音するために、
ワルター・トスカニーニは、
スカラ座に機材を送り込んだが、
残念ながら、結果は失敗に終わった。
トスカニーニは、あと4回の全曲チクルスを行っている。
そのうち二回は1934年と42年の、
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団とのもので、
放送や私家録音はあるものの、
発売されたものはない。
1933年から1936年の記事では、
よく計算されたルバートと、
よく伸縮するスタイルが賞賛されており、
ハーヴェイ・ザックスは、
これがこの時期のマエストロの特徴だと、
RELIEF821の解説に書いている。」

RELIEF821は、
ブックレット最後のカタログに出ていないので、
何のことやらわからない。

「1939年、72歳の年に、
トスカニーニは全曲チクルスを二回も行っている。
5月には、ロンドンのクイーンズ・ホールで、
BBC交響楽団と、
10月28日から12月2日には、
6週間にわたり、スタジオ8Hで、
NBC交響楽団と演奏している。」

このあたりの事は、
Music&Arts盤に、
ばっちり書かれているので、
あまり貴重なものではない。

「B.H.ハギンズの証言、
『トスカニーニとの会話』(1979年第2版)
によれば、
このNBCの放送は、
『最初の何年かの、
トスカニーニが、
沢山の若い弦楽の名手の応答性や、
卓越した能力に触発され、
また、彼らもまた、彼のすさまじいパワー、
カリスマ性、献身性に発奮された、
異常なエネルギーと熱気を孕んだ演奏』
の証拠である。
この演奏会シリーズの第4演奏会
(1939年11月18日)
は、『エグモント』序曲で始まったが、
これは、HMVからシェラック盤で出ていたものだ。
1953年のRCA盤の発売後も、
これに先立ったライブ演奏が、
『トスカニーニの最高のもの』(ハギンズ)
とされていた。」

この曲のこの録音は、RCAからも、
「第5」、「第8」のスタジオ録音との
組み合わせで出されていた。

「プログラムは、
トスカニーニ自身の編曲による、
ベートーヴェン『七重奏曲 作品20』
のアメリカ初演が続く。
これは、トスカニーニが若い頃から、
特別に愛着を持っていた曲である。
ある逸話によると、
パルマ音楽院にいた時、
この曲のスコアを買って、
級友たちと演奏するために、
何日も肉料理を我慢したと言われている。」

この曲が、RCAからも出ているのは、
このような背景があるからで、
この逸話は、ぜひ、載せて欲しかったが、
これはかなえられた。
ナクソスのCDの解説は、
曲の解説だけで、こうした内容はない。

七重奏曲は、シューベルトの「八重奏曲」との関係が
語られる曲であるだけに、
トスカニーニのこうした趣向は、
是非とも知りたくなる。

「1970年代中盤には、
ごく限られた時期のみ、
全曲演奏の一部だけが、
アルトゥーロ・トスカニーニ協会が、
オリンピック・レコードと共同で、
LPで発売していた。
CR1861、CR1871から、
レリーフ社は、
この有名な演奏会シリーズを、
デジタルリマスターしてCD化して
発売し続けている。」

このCR1861は、前述の「第1」と「第4」で、
CR1871は、「第2」と「第5」である。

これを見ると、
レリーフ・レーベルは、
トスカニーニ協会の正統な後継者だ
と言っているように見える。

ただし、このトスカニーニ協会というのは、
非常にややこしく、
諸石幸生著の「トスカニーニ、その生涯と芸術」
によれば、
1969年に活動を開始した、
テキサスの団体があり、
70枚ものLPを出し、
一部はオリンピック・レーベルからも出されたが、
これは、1973年に活動を休止したという。

何と、トスカニーニ家とのトラブルのため、
とあるので、
これは、正統性を疑われた形となっているわけだ。

また、ロンドンにもトスカニーニ協会があるという。

レリーフ・レーベルのものが、
初代とも言えるテキサスの団体が
持っていた記録を使っているとすれば、
あるいは、もっとも最も状態のよいものと
考えることもできるかもしれないが、
必ずしも、そうではないようにも思える。

さて、この1939年のチクルスでは、
Music&ArtsのCDの解説が、
大変、読み応えがあるが、
ここには、この「第7」を含む演奏会について、
このような文章が載せられている。


「(第6、第5の)一週間後の11月18日の、
第4回演奏会は、
トスカニーニによるオーケストラ版の
『七重奏曲』の初演に加え、
『エグモント』序曲、『第7交響曲』が含まれていた。」

ちなみに、「七重奏曲」は、交響曲全集には関係ないので、
Music&Artsの5枚組にも、
GRAMMOFONO2000の5枚組にも含まれていない。

このレリーフ盤、それから入手しやすいナクソス盤は、
これを含んでいて貴重である。

「『レオノーレ第3』と共に、
『エグモント』はトスカニーニの最も好んだ序曲で、
テープ録音が可能になった後、
スタジオで録音した唯一のものである。
しかし、後年のものは素晴らしい事は確かだが、
この録音の思い悩むような力に比べると、
音もきんきんして、幅広さに欠ける。
約4年前、アーネスト・ニューマンは、
1936年1月1日の演奏会の前に、
現地のオーケストラに対し、
この序曲のリハーサルをするトスカニーニを、
モンテカルロで聴いている。
彼は、自分が求めていたことができるまで、
オーケストラをどうして良いか分からず、
153小節のフレーズを10回も繰り返した。
『書かれたものの向こうにある、
曲線や密度の最もかすかなニュアンスによって、
トスカニーニが表したかったことなどは、
原則、演奏においてはどうでもよく、
ベートーヴェンが意図したものが何であるか、
まさしくそれが何であるかを彼は我々に感じさせた。』
こうした体験が、この後のもの同様、
この演奏にも反映されているはずである。」

トスカニーニのような指揮の達人でも、
どうやって、それを表現してよいか分からず、
オーケストラと共に試行錯誤しているかのようで、
非常に考えさせられる一節である。

「『田園』同様、『第7』は、1897年という早い時期から、
トリノでレパートリーに入っていたが、
『英雄』や『田園』に比べると、
少ない回数しか演奏していなかった。
しかし、1930年のニューヨーク・フィルとの欧州公演、
1940年のNBC響との南米ツアーでは、
お気に入りの演目となって、
1936年のRCAへの録音の結果か、
他の何よりも、トスカニーニの交響曲指揮者としての
全世界的な名声の確立に寄与したものとなった。
今回の演奏は、よく統制され統合されたという意味で、
トスカニーニは、早くもNBC響によって、
ニューヨーク・フィルの驚異的アンサンブルを再現し、
それに近づけたものだ。
全チクルスを通じ、ここでの演奏は、
最も磨き上げられ、統合されている。」

この「第7」は、
ニューヨーク・フィルのものではどうしても聞き取れなかった、
低音弦の存在感が圧倒的な分が効くのか、
ものすごく中身が詰まった、雄渾な演奏に聞こえる。

名盤とされるニューヨーク盤の音質が、
どうしても弱々しい以上、
三年しか録音年が違わない、
こちらの演奏で、トスカニーニの「第7」を、
代表したくなってしまう。

このように、Music&Artsの解説は、
ニューヨーク・フィルほどに、
まだ、新星NBCは、到達していない、
ということが前提になった文章だが、
今回は、先に、B.H.ハギンズの
NBCは、ニューヨーク・フィルとは、
別の可能性を持ったオーケストラであった、
という解釈も目新しかった。

「解釈の点でも、1936年のものよりも、
広がりはないものの、
(戦後の彼の録音よりも)すばらしく制御されていて、
その結合部で、
ニューヨーク・フィル時代の特徴である柔軟性は残し、
第1楽章の再現部では、強調された表現が見られ、
第1主題の木管による優しい語りが続く。」

自然に燃え上がった演奏で、
冷徹なものが多い1939年のチクルスでは、
異質な感じかもしれない。

第2楽章なども、
素晴らしい緊張感が持続して、
強烈な牽引力を感じる。
ここでは、透徹したトスカニーニの本領も聞き取れる。

「全体として、効果は適度に圧倒的で、
ダウンズが、今度ばかりは言葉を失って、
満足してこう述べたとおりである。
『大騒ぎの終曲にも、
何かを読み取ろうとするわけでもなく』
『これ以上になく心からの、
効果狙いの効果がまったくない』。
今日、これを聴いてもわかるが、
このようなスリリングな再創造に対して、
批評家も反応を抑制できなかったことが
明らかに見てとれる。」

第3楽章も、興奮しながらも抑制されていて、
この執拗な楽章がまったく嫌味に感じられない。
トリオの簡素さも好感が持てる。

終楽章も、ダウンズが圧倒されたのも当然だと思える。
まったくこれ見よがしなことがなく、
普通の事が行われているだけなのに、
呼吸するように前進し、
音楽は内部から膨れ上がる感じである。
非常に充実した音楽だと感心する以外ない。

得られた事:「トスカニーニの解釈は、NBC交響楽団の名技性を獲得したことによって深化した。」
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by franz310 | 2014-06-07 23:11 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その409

b0083728_1939451.jpg個人的経験:
戦争の年、1939年の
ベートーヴェン。
トスカニーニのチクルスの記録を
最初から聴き進めて、
ようやく「第5」を越えた。
この「第5」は「第6」と
同じ演奏会で演奏され、
実は、後半が「第5」、
第6「田園」は前半だった。
これは、曲の盛り上がりから、
多くの演奏会で、
よく取られる措置である。


日本の音楽好きには、カール・ベームが、
ウィーン・フィルを連れて来た時の事などが、
すぐに印象深く思い出されよう。

トスカニーニの39年の録音は、
著作権が切れているせいか、
いろんな会社がCD化したが、
ここで聴くのは、
Music&Artsなどが、
ヨーロッパの泥棒レーベルと呼ぶ、
LYSから出ているものである。

1996年に出た商品であるが、
当時の一つの試みとして、
プラスチック・ケースの回りを覆う、
厚紙ケースが付いている。
コンパクトさを損なう、
大げさな迷惑仕様である。

が、こうした歴史的録音を、
大切な宝物のように扱う姿勢には、
文句を言いたくはない。
が、宝物にするなら、
もっと気合いを入れて欲しいものだ。

デザインとしては、トスカニーニの白黒写真を中央に、
回りはオレンジ色で田園風景の絵画があしらわれている。
が、この絵画の正体が何であるかは分からない。

何となく、トスカニーニも年寄り臭くて、
田園風景も妙に感傷的で、
あまりスタイリッシュなものではない。

私は、LYSの出したトスカニーニは、
これしか持っていないが、
「トスカニーニの遺産」と書かれ、
「ベートーヴェン・チクルス Vol.3」
とあるので、このレーベルも、
包括的にトスカニーニの録音を発売したのかもしれない。

合わせて収められているのが、
「エグモント序曲」、「コリオラン序曲」、「フィデリオ序曲」と、
といった序曲集なので、
まるでLP時代の乗りである。

昔、私が持っていたクレンペラーの「田園」は、
確か、「フィデリオ序曲」が合わせて収録されていた。

マスタリングは、Studio DANTEの、
Christophe Henaultという人が担当。

解説は、Jean Charles Hoffeleとある。
ネット検索すると、ファリャの本などが出てくる。
ファリャとトスカニーニと何か関係があるのだろうか。

ブックレット3ページにわたって解説があるが、
内容は、トスカニーニの簡単な評伝である。

かいつまんで、この録音の頃を抜き出すと、
「戦時中、アメリカでの活動を拡大した。
1938年には、
デヴィッド・サーノフ、サミュエル・チョジノフが、
彼のために特に創設した交響楽団の指揮を依頼した。
有名なNBC交響楽団である。
約10年の間に、
彼は、ほとんどの彼の交響曲のレパートリーや、
オペラのレパートリーの多くを取り上げた。
1946年、彼はミラノに帰り、
再建されたスカラ座を指揮し、
1954年4月4日、
NBC交響楽団と、
ワーグナーに捧げたコンサートで、
お別れ演奏会を行った。
灼熱のトスカニーニの芸術は、
ヴィーン古典派や、
ベートーヴェンの交響曲に大改革をもたらした。」

私は、ここまで読んで、
具体性のない、ありきたりな表現に、
飽き飽きして訳出するのをやめようかと思った。

しかし、続く一節などは、まさしく、
この1939年のベートーヴェンに、
相応しい表現かもしれない。

「彼の切れの良い、断固たる指揮は、
音色に集中することなく、
むしろ彼の解釈の白黒の様相によって、
その芸術にある力の印象を強調する」

同じトスカニーニの指揮でも、
BBC交響楽団では、
名手ぞろいの管楽器奏者たちが、
伝統と個性で楽曲を彩ったが、
NBC交響楽団の演奏では、
確かに、まったく色彩が感じられない。

以下の部分はこの解説の締めくくりであるが、
トスカニーニによって多くの才能が、
霞んでしまった、というような、
苦言とも見える内容になっている。

「トスカニーニの全世界に及ぶ名声は、
完全に評価されているとはいえ、
ベルナルディーノ・モリターリ、ジーノ・マリヌッツィ、
ウィリー・フェレーノ、ヴィクトール・デ・サバータ、
アントニオ・グアルニエリといった、
セルジョ・フェイローニからフランコ・フェラーラに至る、
多くのイタリアの指揮者の才能をかき消してしまった。
トスカニーニは公式に、
若い指揮者のグイド・カンテッリを、
その後継者として指名し、
指導したこともあったが、
この人も37歳で亡くなり、
20世紀後半の最高の指揮者となりえた人は、
我々から失われてしまった。」

さて、トスカニーニの「田園」では、
この1939年の録音は、
どんな位置づけになるのであろうか。

GRAMMOFONO2000では、
「第5」の解説の後に、
こんな解説が続くが、
ここでも即物的で色のない世界が語られているようだ。

「よりトスカニーニが愛した交響曲、
『第6』は、
決して終末論的な高揚もなく、
あくまで現実の世界のもので、
湿った地球の香りが漂い、
夜の香気がある、
さっと描かれ、さっぱりした田園風景の再発見で、
時として、ほとんどコミカルで無邪気である。」

また、Music&Artsの解説には、
もっと、精密な分析があり、
「『田園交響曲』を取り上げた、
トスカニーニのプログラムは、
1897年から1954年の間、
『英雄』以外のどの交響曲よりも多い。
しかし、『第5』とは違って、
この曲の録音は、
この演奏から、たった2年しか遡れず、
1937年6月と10月のBBC交響楽団とのもので、
1938年2月にはNBCでの演奏がある。
これら三つは、細部しか異ならず、
好みによっては、この演奏は、
HMVの録音では省かれた、
第1楽章のリピートがあるゆえに重要である。
トスカニーニとしては、このチクルスでは、
最大限のリピートを実施すると決めていたようで、
彼が常に履行していたとはいえない、
第1楽章では、『英雄』と『第7』以外で、
(これらを彼が反復した例は知られていない)
これが行われている。
因習にとらわれず、
ここで見られる彼の純粋に音楽的、
直観的なアプローチは、
バーナード・ショーが、『16曲の交響曲(1951)』
で紹介した、
トスカニーニが1937年のコンサートのために、
BBC交響楽団と『田園』をリハーサルした時に関する、
首席ヴィオラ奏者による、
あまり知られていないが印象的な証言、
をよく表している。
『あの時、トスカニーニは決められなかった。
“どうしよう、私は、
これまでいつもダ・カーポしていたが、
どうも、間違っていたようだ。
この楽章のバランスを考えると、
こうする方が良さそうだ。
よし、戻ろう。“
リピート以外では、
これらの3つの演奏は、
いずれも、その抑揚に愛情が溢れ、
特にアンダンテがそうだ。
BBC盤がその自発性や、
無比の木管群で輝くとすれば、
この録音に聴く統合力、コントロール、
そして明晰さもまた、同様に満足すべきもので、
これら3つは、これらの観点で、
いずれも1952年の、
RCAレコーディングより優れている。」

ということで、
私が聴いたことのない、
1938年のものがベスト、
などという結果にならずに済んでよかった。

ただし、RCAのレコーディングを、
一聴すると、実は、この最晩年の演奏も、
伸びやかさがあって悪くないことが分かる。

モーティマー・H・フランクという人は、
「年を取るにつれて、演奏のテンポが速くなり、
リズムもいっそう堅くなっていったという定説」
が間違っているという証拠がここにある、
と強調している。

「こと、この交響曲に関して言えば、
よりテンポが速いのは初期の演奏で、
リズムやフレージングが素晴らしく柔軟なのは
後期のものなのだ」。

なお、「田園」からは話が逸れるが、
1938年という年の録音では、
R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」
(何と、チェロはフォイアマン)と同日に演奏された、
10月22日の「第5」はGuildレーベルのCDで聴ける。

これは、東京エムプラスから出た時に、
山崎浩太郎氏が、コメントを書いていて、
「初期のNBCの『運命』では、
『これがベスト』」という評価を書いており、
「田園」も出ていたら聴きたいものだ。

この1938年の「運命」は、
マエストロが後で聞き直してみたい、
という要求に応えるために
保存されていたものらしいが、
翌年の演奏よりも、録音が良いように思えるのはなぜか。

この1938年の「運命」に関して言えば、
第1楽章提示部の繰り返しを行っているし、
1939年のものよりもテンポが速く、
全ての楽章の演奏時間が短く、
ちょっとあっさりと小ぶりか。

第4楽章が来る前の、きらきら感も、
1939年の演奏の方が見事である。

この調子の「田園」であれば、
ちょっと即物的にすぎ、
楽しめないかもしれない。

いずれにせよ、1939年の「田園」が、
様々なレーベルから簡単に入手できることはありがたい。

ただし、何度も書いたが、
実況放送のコメントまで入って、
当時にタイムスリップできるのは、
NAXOS盤のみである。

「ベートーヴェンの
全交響曲のプログラムは、
第6交響曲ヘ長調
『田園交響曲』へと続きます。
これは、最初のアレグロに、
『小川のほとりの情景』
と名付けられた緩徐楽章、
『村人たちの楽しい集い』のタイトルのスケルツォ、
『嵐と雷雨』を表す楽章と、
フィナーレの『嵐の後の祈りの感情』からなります。」
と、ジーン・ハミルトンが、
テキパキと手際よくしゃべっている。

トスカニーニが演奏する前に終わらないといけないので、
かなりのドキドキであったと思われる。

ナクソスのCDは「運命」と、
「コリオラン序曲」が入って、
1枚で済みお得であるが、
1999年に出たもので、
24ビットのプリズム・サウンドの技術を使い、
音質的にも満足の行くものである。

したがって、私がLYSのCDを持っている意味は、
ほとんどない。

「田園」は、出だしから自信なさそうで、
第1楽章で活躍する木管楽器などは、
弦に埋もれがちで、よく聞こえない。

第2楽章の水墨画的な陰影も、
悪いわけでもないが、何となくふらついて、
心もとない感じが無きにしもあらずである。

第3楽章も録音が少し遠い感じか。
第4楽章は、じゃーんと来るところであるが、
金管楽器が割れたりせず、
ティンパニのごろごろが、
ずしんと来るかがポイントであろう。

特に過不足はないが、
ナクソスでは、始まって
咳払いなどがリアルに聞こえて、
うれしくなってしまう。
悪名高いホール8Hとは、
こんな感じなんだろう、
と思わせるきちっとした音。

ただし、ナクソスのものは、
放送した音源を使っているせいがあるのか、
かなり、パチパチノイズが他のものより目立つ。
特に気になるのが、第2楽章の第2主題前からのもの。
逆に言うと、よけいな処理が入っていないようで、
それなりに貴重で、弦楽の表情は分離度がよく繊細さがある。

しかも、当時の聴衆が、楽章と楽章の間に、
拍手をしているのまでが収録されていて、
記録として非常に興味深い。

Music&Arts盤はその点、
ノイズがあまり気にならない。
咳はなまなましく、
切れがあって迫力がある。
このCDは全集だが、「第5」との組み合わせ。

LYSも時々パチパチ音があるが、
それ以前に、音が歪み気味。
戦前の録音を、まともに聴かせるには、
やはり、いろいろやらないとだめだ、
と考えさせられる部分もある。

ヴァイオリンは優美で悪くないが、
ナクソスほど、低音弦の迫力はない。
終楽章の最後の高揚感も輝かしい。
私は、トスカニーニが感興に乗っている声を、
そこそこ再現している点に関しては、
ついつい高く評価したくなる。

が、曲が終わっての拍手が収録されていないのは、
少しずる賢い感じがする。
「田園」に序曲を組み合わせた
CD化における曲の組み合わせからしても、
ライブ録音である点をごまかしているのではないか、
などという意地悪な見方もできる。

一番、色彩的に聞こえるのは、
GRAMMOFONO2000ではなかろうか。
弦のざわざわ感も良く、
ティンパニに重量感があるせいか、
リズムの粘りさえ感じられる。
あるいは、いくぶん、残響を付加しているのかもしれない。
第2楽章のぱちぱちノイズもナクソスよりは抑えられている。

ヴァイオリンの明るい響きは、
このCD特有のもので、
音に密度があるので、
押しつけがましい点もあるかもしれない。

トスカニーニの唸り声が、
同様に、存在感を持って聞こえている。

終楽章の感謝の歌では、
トスカニーニの声があることによって、
私もまた、そこに参加できる感じ。
音質で文句がない分、
ホルンがつっかえたり、
オーケストラの破たんが気になる場合もある。

ちなみに、このGRAMMOFONO2000のCDは、
意表をついて、「第7」との組み合わせ。
「第6」と「第7」を抱き合わせたCDなんか、
これまであっただろうか。

それにしても、
GRAMMOFONO2000の
CD解説に書かれていた、
「終末論的な高揚もなく、
あくまで現実の世界のもの」
という表現は、どう捉えたら良いのだろう。

戦争が始まった年の記録で、
夢物語を語らなかったというのであれば、
確かに、そういった感じがないわけではない。

「湿った地球の香りが漂い、夜の香気がある、
さっと描かれ、さっぱりした田園風景の再発見」
という表現も悩ましい。
これなどは、ファリャの専門家が書いた、
LYSの解説に載せて欲しい名文句である。

ちなみに、GRAMMOFONO2000の音質は、
確かに、そんな感じの音質で、
最後の「感謝と喜び」も、
しめやかに夜の気配が偲びこんで来る感じがする。

そう聞いてから、ナクソスなどで聴いても、
やはり、昼日中の輝かしい光景というより、
コンサート会場での儀式のような感じすらある。

したがって、
このような聴き方になってしまうと、
「時として、ほとんどコミカルで無邪気である。」
などと書かれた部分も分からなくもない。

これまで私は、嵐の後、青空が見えて、
村人たちが、それを見上げている感じの音楽
だと思っていたのが、
ここでは、海の向こうでは戦争、
ここでだけは、慎ましく平和を享受しましょう、
みたいな表現に矮小化されているのだろうか。

LYSのCD解説で、ファリャが専門の、
Jean Charles Hoffeleが、
「白黒の田園」と評したように、
この田園は「夜の田園」なのだろうか。
ファリャの夜は、しかし、神秘の夜である。

ついつい比較したくなる、
BBC交響楽団との演奏(スタジオ録音)は、
その意味で、もう少し開放的な広がりがある。
オーケストラが、飛び出してきて、
乗りに乗っている感じがする。

テンポが上がって行く第3楽章から、
各奏者のでしゃばり方は微笑ましく、
様々な光が明滅していて、
この流れは、第4楽章に突入していくが、
弦楽の軽快さ、金管のさく裂、
まことに神業のような輝きである。
惜しむらくは、ティンパニが良く聞こえない点だが、
終楽章の清らかな調べで、
そのあたりの不満は消し飛んでしまう。

ポルタメントをかけた弦楽群の押しの強さや、
晴れやかなホルンが印象的で、
楽器の遠近感が広がりを感じさせ、
刻むリズムも息づいている感じ。

1937年という古い録音ながら、
決して白黒写真にはなっておらず、
これは明らかに日の光の下の音楽だ。
トスカニーニもためらう事なく、
気合いの入った声を響かせ、
オーケストラをどんどん高揚させていく。

一方、NBCの39年の演奏は、
各フレーズが、かちっ、かちっと決められていて、
輪郭が濃く描かれている感じが強い。
特に、ナクソス盤で聴くと、
妙に、低音弦のごうごうした感じがよく再現されており、
これがまた、すごい影を宿すことになっている。

得られた事:「トスカニーニの1939年の『田園』は、克明に描かれた輪郭が濃く、ニューヨークの狭い空間に描かれた束の間のユートピア、『夜の田園』と書く人もいる。」
「LYSのCDは、少し歪が気になるが、音質としては平均的。トスカニーニの唸り声は、そこそこ再現されていて引き込まれる。」
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by franz310 | 2014-05-25 19:41 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その408

b0083728_235562.jpg個人的経験:
1939年という、
物騒な時代に、
トスカニーニが、
あえて全曲演奏した
ベートーヴェンの交響曲。
その異常な時代の
異常なテンションの演奏に、
多くの人が惹かれるようで、
Music&Artsや
NAXOSなど、
複数のレコード会社が、
これをCD化している。


NAXOSのものは、トスカニーニが開いた、
演奏会ごとの編集となっていて、
非常に資料的にも価値が高いと思われる。

「第5」は、初演時と同様、
「田園」と同じ日に演奏されたが、
こんな演奏会は、
特別なファンならずとも、
垂涎のものと言わざるを得ない。

いや、少し前の私であれば、
あるいは、トスカニーニのベートーヴェンなどは、
干からびたシシャモのようなイメージばかりがあって、
いくら当時のニューヨークにいたとしても、
聴きに行きたいと思わなかった
可能性がないとは言えない。

が、行かなくても、多くの人は楽しめた。
この歴史的演奏会は、
ラジオの電波にのって放送されたからである。

この日の演奏会の演目に、
このラジオのコメンタリーまでを収めた
NAXOSのCDは、
表紙のトスカニーニも朗らかで、
この指揮者の暑苦しい雰囲気を払しょくして好感が持てる。

実際、このCDのTrack1は、
アナウンサー、ジーン・ハミルトンの
ブロードキャスト・コメンタリーとなっており、
「再び、トスカニーニがベートーヴェン演奏会のために、
指揮台に戻ってきました」みたいなアナウンスがあって、
そこに、聴衆の拍手が重なって、
Track2のコリオラン序曲に繋がって行く。

ただし、このNAXOSのCD解説は、
この特別な機会のトスカニーニの演奏のことではなく、
楽曲解説に重点が置かれている。

「ベートーヴェンは1808年の夏、
『田園交響曲』を完成した。
この頃、ヴィーンを囲む森は今日よりずっと緑濃く、
それゆえ、ベートーヴェンは、
簡単に一人静かな散歩を楽しめた。」
といった感じである。

トスカニーニについては、
「1867年にパルマに生まれたトスカニーニは、
1876年にその地の音楽院に入り、
チェロとピアノと作曲を学んだ」とはじまる、
一般的な略歴があるだけ。

つまり、マエストロ72歳の時に行われた、
1939年のこのチクルスについての解説はなく、
「1937年にNBCにオーケストラを創設したから、
指揮をして欲しいという要請を受けて、
ニューヨークに戻ってきた」みたいな一節で終わっている。
(しかし、この1937年という年を覚えておこう。)

音源は同じながら、各レコード会社で、
音質は大きく異なり、装丁や解説などに、
各社のポリシーや色合いが出るようだ。

トスカニーニの演奏比較なら、
Music&Artsの解説がよい。

そこには、前の「第2」、「第4」の演奏会に続いて、
「11月11日に行われた
このチクルスの次のプログラムは、
最もトスカニーニが愛したと思われる『田園』と、
『第9』と共に最も彼が問題視していた『第5』が、
この順番で演奏された。」
と書きだされており、
「第5」は、1931年と33年の
ニューヨーク・フィルとのものがあって、
これらと比較でき、
その解釈の変容が分かることで重要だとある。

これらはRCAが商業的に発売は失敗したものだが、
より幅広いテンポとこの時代ならではの伸縮自在が見られ、
第1楽章のコーダでの加速が、
トスカニーニが気に入らなかったため、
発売を許さなかったのではないか、
などと、クリストファー・ディメントは書いている。

RCAへの録音を含め、
1938-39年の初期のNBCとの演奏を見ると、
彼は、この楽章をもっとタイトにして、
もっと推進力を与えて統一したかったようだ。
後の1945年5月の欧州終戦記念日(VEデー)の演奏も、
ピッチは興奮気味であるが、
1952年の彼の最後の記録では、
再びリラックスを見せているという。

ここに書かれているうち、
1939年のRCAへの商業録音は国内盤でも、
VEデーの演奏記録もMusic&Artsで、
聴くことが出来るが、
このうち、1939年の録音について、
特に、下記のような解説が続いている。

「トスカニーニは、このコンサートの、
わずか数か月前に『第5』の録音を丹念に行っていた。
彼が満足するために、
それは2月27日、3月1日、29日の3セッションを要した。
明らかにこの特別な経験によって、
この演奏会での演奏で、彼は、
このスコアでの満足すべき主張が出来、
NBC時代における、
トスカニーニの最も満足できるものが出来たことが聞き取れる。
それは適度に激しく、たっぷりしているが、
劇的で、抒情的な要素を与えており、
アンダンテの終わりに向けて小さな混乱や、
フィナーレでホルンが外すことはあるものの、
のちに、ここまで達することが出来なかった程に、
オーケストラは指揮者の激しい要求に呼応している。」

また、この演奏会シリーズの歴史的意義のようなものなら、
GRAMMOFONO2000の解説に見ることが出来る。

ただし、GRAMMOFONOの解説は、
Alessandro Navaという、
イタリア人が書いた文章を、
Timothy Alan Shawという人が、
英訳したもので、
どっちが悪いのか分からないが、
おそらく両方悪いのだろうが、
非常に高踏的で難解である。

とにかく、どの文章もカンマが多く、
単語もやたら難しく、様々な比喩と、
あまり馴染みのない固有名詞が頻出する。
もう少し、普通に書けないのか、
と文句を言いたくなるが、
上記人名の人は沢山いるようで、
何者なのかよく分からない。

この胡散臭さが、ますますもって、
読むべきか、読まざるべきか、
悩ましい状況に追い込んでくれる。

そもそも題名からして、
「The Scream and the frenzy」。
「叫びと狂気」とでも訳すのだろうか、
非常に物騒なものである。

果たして、このトスカニーニのベートーヴェンは、
金切声を上げて、狂乱したものなのであろうか。

「1939年の秋、ヨーロッパは、
まだ、出入港禁止にはなっておらず、
まだ、東欧の街や平原での無差別の殺人の愚かさに、
憤る感情を持つことが出来た。
ツヴァイク、マン、クローチェ、
ブルム、エリオットの欧州は、
は二重の運命に苦しんでいた。」

ということで、第二次大戦勃発時の、
きな臭い話から、このCD解説は始まっている。
あまり読んだことのない内容である。

トーマス・マン、シュテファン・ツヴァイクは、
日本でも有名な小説家で、
ヨーロッパから亡命している。

トーマス・マンは、
裏切り者扱いされたので、
つらい立場に引き裂かれたのは分かる。

しかし、改めて調べると、
ツヴァイクの方がめちゃくちゃで、
ブラジルまで行って、
戦争に悲観して自殺までしている。

ベネデット・クローチェは反ムッソリーニのイタリアの思想家、
ブルムはフランスの政治家で、国内にとどまった。
T.S.エリオットはアメリカ生まれで英国に帰化した詩人。

では、彼らの二重の運命とは何か。

「一方で、
西洋の精神の衰退の最終衰退のごとき、
恐ろしい戦争の恐怖を知りながら、
自身に蓋をして、
もう一方では、まだ生き残っている
古い啓蒙的、リベラルな精神を守るための
生きるための浄化作用として、
個人の逃亡を捉えた。
しかし、すぐに、旧世界の運命は、
力ずくで決められることになる。」

内容がまことに難しいが、
見て見ぬふりをしたり、
亡命をしたということであろう。

「多くの独伊の亡命者の中でも、
トスカニーニは、世界的な名士として特権を持ち、
その断固とした伝説的なイメージは、
米国のマスメディアでも有名であった。
NBCの重役の一人、
デヴィッド・サルノフのはからいによって、
ここ2年は、彼は新設されたばかりの
NBC交響楽団を指揮していた。
彼は歴史上初めて世界中に聴衆を持った指揮者であり、
生ける伝説であった。
彼は、アインシュタインやルーズヴェルト、
ツヴァイクからも手紙を受け取っていた。
ヒトラーやフルトヴェングラーからは憎まれたが、
フルトヴェングラーは、ドイツとイギリスの一部だけでしか、
トスカニーニ並みの名声は得てはいなかった。」

先に特記しておいたように、
1937年に彼はすでに、
NBCに来ていたわけで、
この1939年といえば、
それから2年が経っていたわけである。

ということで、すでに2年の実績があり、
ニューヨーク・フィル時代もあったので、
祖国から離れたと言っても、
トスカニーニの個人的、物質的な境遇は、
まったくもって、多くの人がうらやむようなものであった。

「しかし、この国際的名声とは別に、
マエストロは深い苦悩の時期に入りつつあった。
ヨーロッパでの戦争の勃発は、
まったく心の準備の出来ていないものであったし、
自分が恐らく、二度とイタリアや
ヨーロッパを見ることのできない、
米国で一生を終える単なる流刑者にすぎず、
これがドイツの兵力に、
屈した都市だけの問題ではないこと、
結局、屈するのは、ヨーロッパ文明そのものの、
最高かつ一級のものであろうことを、
今や、彼は気づいていた。」

ということで、このチクルスが決行されたのは、
トスカニーニがまさしく、ヨーロッパと決別した年、
のっぴきならない状況下の記録
としてこれらの演奏を捉えることが出来るようなのだ。

「ドイツがポーランドに侵攻した50日後に、
トスカニーニがニューヨークで、
ベートーヴェンに捧げた、
大きな交響楽チクルスを行ったのは、
おそらく偶然のことではない。
短波ラジオに乗せて、
彼の反抗の叫びが、ここに託された。」

以下、トスカニーニがベートーヴェンを選んだ理由、
選ばずにはいられなかった状況が語られるが、
文章は難解を極めていて困った。

「他ならぬベートーヴェンこそ、
ワーグナー以上に、
ナチスのイデオロギーに閉じ込められた芸術家で、
さらに悪い事に、
恐ろしく、暗く、脅迫的な記念碑に変えられて、
彼の音楽は、ドイツの民衆の前途たる
血の海を指し示すための準備がなされていた。
私たちは、単に公平な目をもって眺め、
ただ、遅れて来た後期ロマン派の堕落が、
ベートーヴェンの解釈を
推し進めていたことを知るべきである。」

後期ロマン派の解釈で、
ベートーヴェンが演奏されてきた事は、
後期ロマン派の権化のごとき、
マーラーのような指揮者が指揮してきたので、
それはまず良いとして、
そのままナチスに繋がるという所に、
ロジックの飛躍がある。

また、後期ロマン派は血の海を志向するのだろうか。

とにかく、原点に戻ることで、
トスカニーニは、下記のような、
健全なベートーヴェン像を打ち立てたかった事は
わからないこともない。

「軽快でくっきりと眩く、
実験精神と誌的な光で湯あみした、
啓蒙思想下の初期ロマン派の作曲家が、
ドイツ楽界の指揮者たちによって
重々しく荘厳な顔を一方に持ち、
大げさで常に威圧的な顔を一方に持つ、
二つの顔を持つ怪物に変容させられてしまった。
つまり、
いつものように一本調子の司祭が、
ワーグナー風の神のために、
あるいは、あたかも、
作品が似つかわしくない
婦女子は飲み込んでしまうような
ダッハウ強制収容所の煙突のために、
芸術の領域での儀式を取り仕切っている。
『全世界の愛の賛歌』たる『第九』を書いた
まさにこのベートーヴェンは、
主治医モレルによって処方された薬で、
おかしくなったヒトラーの如く、
すさまじい壮大さで傷つけられ、毒され、
ヴァルハラの巨人のように巨大化され、
1942年という時期には、
フルトヴェングラーが総統の誕生日に、
何ら罪の意識もなく指揮した作曲家となった。」

ここで、出てくるテオドール・モレル博士は、
かなりイカサマ師風の医者だったようで、
ヒトラーの主治医で、彼をヘンテコな薬漬けにした。

「半世紀にわたる旅行やキャリアを経て、
トスカニーニがこうしたタイプの人物に、
たくさん会ったであろうことは想像に難くない。
言葉では言い表せない行為で、
6000万人を死に至らしめることを、
今や準備しながら、
交響曲を身請けしようとする人たちを。
少し努力して、
偉大な音楽家が、
修辞学で侮辱されつくし、
ニーベルンゲンの人物のように、
カリカチュア化された、
感傷的なベートーヴェンが、
どのように彼に見えたかを想像してみよう。
こうして、もう一度、恐ろしく精力的に、
マエストロは
ドイツ文化が全欧で消滅させようとしていた、
理性の光をかきたてようと決心した。」

実は、このような文章は、
それほど大げさなものではないように思える。
たとえば、今回、「第5」などを聴いていると、
特にそう思えてしょうがない。

トスカニーニ72歳。
老骨と言って良い。
その人が、原点を求め、語るべきは語り、
無駄はざっくり切り捨てて、
改めて提示したベートーヴェンの真実。

ざっくり切り捨てたのは、
終楽章などのコーダなどに明らかで、
芝居がかったところが皆無で、
拍子抜けするくらいである。

この後、この解説者は、
フランス革命の精神をまさに受け継いだ、
20世紀に刻印を残す
ベートーヴェン全曲演奏として、
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の1962年のもの、
そして、
1965年にイタリア-スイス放送の、
ルガーノのオーケストラを振った、
ヘルマン・シェルヘンのチクルスがあると書いている。
そして、それらはすべて、
この1939年のトスカニーニのものを
モデルにしているとある。

そして、今回の演奏をこう書いている。

「タイトなリズムの韻律、
きっちりとして透明な
オーケストラの織り上げ方、
容赦ないアゴーギグ、
これらが30年代のライブ、
40年代後半から50年代初頭の
スタジオ録音を支配する要素となっている。
もっとも、後者は本質的に騒々しくなっているが。
1939年10月28日から、
12月2日に行われたライブの録音、
そして、全世界に放送された、
交響曲と序曲からなる大きなチクルスには、
こうしたベートーヴェン経験の核心がある。
この巨匠の重要な研究家たちが、
その長いキャリアの頂点であるとした時期。
2年前、最後のザルツブルク公演で、
オペラの世界と決別して、
トスカニーニは、今や、ベートーヴェンのスコアに、
ヴォルテールのような見方で向き合った。
ウィルヘルミーネ文化による地層の上に乗って、
石膏のようになった、
恐るべき硬化した堆積物が完全に消し去られた、
きれいな黒板の前に立っていたようなものだ。」

この一文はかなり難解だが、
ウィルヘルミーネとは、
ブランデンブルク=バイロイト辺境伯
フリードリヒ3世の妃で、
フリードリヒ大王の姉であった、
ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセンの事だと思われる。

ヴォルテールを庇護し、
文化にも通じていたので、
この人が作った層とは、
ロマン主義以前の古典的な啓蒙主義の事だと思われる。

それで、ようやく下記の文章が分かるのである。

「ワーグナーの救済やドイツ哲学は、
このラテン的な啓蒙主義の中にはある場所がなく、
まず何より、ベートーヴェンの楽譜や音符を見れば、
それらは明らかなのである。
それは絶対的に明晰で精緻である。
彼は、一種、ソクラテス的なあり方で、
勇敢な放棄をもって、
反抗と忍従の混合した精神を想起させようとしていた。」

この最後の部分は難解であり、
ベートーヴェンとソクラテスの関係も知らないが、
とにかく、こうした所からは、
自信満々のワーグナーのオレ様思想は出てこないととは分かる。

では、この解説で、トスカニーニが振った、
「運命」として知られる「第5」は、
どのように記載されているだろうか。

「『第5』では、トスカニーニは、
きっぱりと汎ドイツ的な大言壮語に対して、
きっぱりと答えを出している。
恐ろしい韻律による最初の部分は、
あたかも、ベートーヴェン流の
『そうでなくてはならぬ』が、
要塞のような堅固な信念には
屈することになる
甲高い凶暴な力に抗っているように見える。」

このように、このベートーヴェン・チクルスの、
「第5」は、トスカニーニの明らかな変化を語る上で、
聞き逃すことが出来ないもののようである。

つまり、1930年代前半のややロマンティックなものと、
最晩年のリラックスした表現の間にあって、
緊張感が高く、研ぎ澄まされた表現の極致となっている。

指揮者とオーケストラは、
レコード録音のためのリハーサルをした後でもあって、
技術的にもこなれており、
そこにライブならではの高揚感が加わって
いかにも戦争への挑戦といった具合に、
時代の証言が鳴り響く感じなのだ。

先に「研ぎ澄まされた」と書いたが、
「ドライ」という感じではない。
この39年ライブでは、
トスカニーニは、唸り声も激しく、
感興のままにふるまっている感じもする。
が、第2楽章などは、まったくもって、
休息の音楽などではない。

第3楽章も、1点1画もゆるがせない、
雄渾な表情に決然としたものが感じられる。

そのせいか、この文章を書きながら、
遠くから、きらきらと、
希望の光がやってくるような瞬間を経て、
終楽章の高揚が来た時には、
GRAMMOFONO2000の解説にあったような、
ヨーロッパ文明破壊への抗議以上に、
最後には、こうしてそれは復興するであろう、
といった祈りと確信表明の音楽にも聞こえて胸が震えた。

私は、33年のニューヨーク・フィルの、
何となく高雅な表現も好きであるが、
そこでは省略されていた、
第1楽章提示部の繰り返しが、
しっかりと行われていることからも、
妥協のない、確固たるものを
残そうという意気込みが伝わってくる。

また、日本では、同じ39年のスタジオ録音が有名であるが、
これは、まったく感興の起こらない、硬い音楽で、
聴いていて疲れる感じの音質もその印象に輪をかけている。
3回ものセッションを持ったということなので、
こねくり回してすぎたのか、
音楽の息吹が打ち消されてしまった。

得られた事:「トスカニーニは、ヒトラーを生み出したドイツ・ロマン派的英雄主義によって、捻じ曲げられたベートーヴェン像を見直すことで、ナチズムに挑戦した。」
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by franz310 | 2014-05-10 23:06 | 古典 | Comments(0)