excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
お気に入りブログ
最新のコメント
新さん大橋先生の活躍した..
by ナカガワ at 11:05
実はブログが出来てからお..
by skuna@docomo.ne.jp at 23:55
はじめまして。 レクイ..
by KawazuKiyoshi at 13:28
切り口の面白い記事でした..
by フンメルノート at 11:49
気づきませんでした。どこ..
by franz310 at 11:27
まったく気づきませんでした。
by franz310 at 15:43
すみません、紛らわしい文..
by franz310 at 08:07
ワルターはベルリン生まれ..
by walter fan at 17:36
kawazukiyosh..
by franz310 at 19:48
すごい博識な記事に驚いて..
by kawazukiyoshi at 15:44
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
人気ジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その413

b0083728_21483048.jpg個人的経験:
スイスのレリーフ・レーベルが、
トスカニーニの「英雄」を
CD化した時の解説には、
RCAの技術者が試みた、
テープ録音が残っていたので、
それを使って復刻した、とあった。
しかし、日本クラウンが
同じ、レリーフ音源によって、
国内発売した「第9」には、
「アセテート・ディスクに起因する
ノイズ、音揺れの発生する
箇所があります」という記載がある。


きわめて混乱した状況だが、
それ以上の探求をここではしていない。
このCDは1990年代初頭に出たものである。

日本クラウンは、1963年に創業したようだが、
クラシックのレーベルとしては印象がまるでなく、
演歌や歌謡曲、J-POPで有名である。
が、調べると、英国のASVなどのCDを
出していたこともあるようだ。

このCDは、表紙のトスカニーニが、
芸術的なまでに完成度の高い白黒写真で、
決定的瞬間を捉えながら、左手のぶれも生々しく、
その峻厳な芸風を表していて良い。
解説には、歌詞対訳までついていて、
とても親切なものだ。

気になる音源についてであるが、
解説にも、
「スイス、レリーフ社が行った、
オリジナル・アセテート・ディスクからのマスタリングは、
かつてない鮮明なサウンド・クオリティを誇るものとなっており」
と書かれていて、テープ録音などではなさそうだ。

矛盾をあえて好意的に解釈すれば、
1939年のベートーヴェン・チクルスは、
初日の「英雄」は当時最新のテープ録音に挑戦したが、
うまく行かなかったので、
RCAは実験はやめてしまったのかもしれない。

そして、RCAビクターは、
シェラック盤に刻む方にしたのかもしれないし、
そもそも録音はNBCに任せてしまったとも考えられる。

さらに言うと、
チクルス最終日の「第9」は、
演奏会場が、8Hホールから変わって、
カーネギーホールでの演奏だったこともあり、
技術が確立していた方にしたのかもしれない。

今回、レリーフ・レーベル音源のものは、
NAXOSよりもエネルギー感が足りない分、
ぎらぎら感が押さえれれていて、
ある意味、聴きやすいような気もする。

本家本元を標榜する、
Music&Artsのものは、
すこしやかましい程で、
隙間がなく分離が悪いような気がする。
しかも、この「全集」は、
あくまで「交響曲全集」であって、
同じ日に演奏された、
「合唱幻想曲」が収められていない。

GRAMMOFONO2000のものは、
レリーフ社のものや、NAXOSのもの同様、
「合唱幻想曲」まで入れて77分に迫る長時間だが、
実際に演奏された順とは反対で、
後が「幻想曲」になっている。

全体的にもっさりした印象だが、
ホルンの深々とした感じや、ティンパニの迫力など、
情報量が詰まっているような気がする。

ちなみに多く出回ったはずのNAXOSのものは、
放送時のアナウンサーの声もあるので、
80分と、最も収録時間が長く、
その意味ではお買い得感を感じる。

以上、説明した、
この事実からも分かるように、
合唱幻想曲まで一緒に入ってしまうので、
この演奏の特徴は、演奏時間の短さであろう。

噂のレベルかもしれないが、
CDの収録時間は、カラヤンの「第9」が入る、
という時間に合わせたとも言われており、
それなりの大作である「合唱幻想曲」と、
「第9」が一枚に入るなどと、
私は想像できず、ナクソスのものなど、
最初は二枚組かと思っていた。

トスカニーニならではの、
そうした凝縮感がエネルギーとなって、
放射しているような演奏である。

さて、この日本クラウンのものは、
かなり解説も力作で、
この伝説のライブが、
日本で発売された事を心から喜んでいる。

これは、とても共感できる。
90年代初頭では、まだNAXOSのものは出ておらず、
Music&Artsなど、
多くの日本人が、イタリアのメロドラムなどと同列の、
アメリカの粗悪レーベルだと思っていたはずだ。

また、この解説には、トスカニーニが、
この曲をいかに大切に扱っていたかを、
その演奏史、共演者、リハーサルの回想まで交えて、
よく書きこんである。
こうした解説に出会えた愛好家は幸いである。

トスカニーニは「第9」で、
エリザベート・シューマンや、
ルイーズ・ホーマーなどと共演した事もあるらしい。
これらの歌手は、どちらかと言うと、
第九で声を張り上げるイメージではないが、
解説には、マエストロは、
「女声には清楚で輝くような気品」を求めた、
と書かれている。

それから、トスカニーニは、「第9」を、
ミラノ、ニューヨーク、トリノ、
ウィーン、ブタペスト、パリ、ロンドン、
ブエノスアイレスで演奏したそうである。
解説には、
「他のベートーヴェンの交響曲と
同じウェイトをおいて取り上げた」
と書かれている。

この「同じウェイト」というのは、
何とも、すわり心地が悪い表現なのであるが、
実は、この演奏の本質を、
捉えているかもしれないと思った。

CD1枚に「合唱幻想曲」と一緒に収められる、
かなりコンパクトにまとめられた「第9」は、
突然変異で現れた、
ドイツ音楽の至高の逸品というよりも、
ベートーヴェンが今まで書いて来た交響曲の、
正しい継承者で、また終着点、という、
ごく当然の解釈となっているわけだ。

それは、神がかり的に有難いといった、
ものものしさではなく、
ひたむきな求道心と情熱が強調されたものとなった。

また、日本クラウンのCDの解説に戻って、
もう一つ、是非とも強調しておきたいのが、
この「第9」のリハーサル時における、
ヴァイオリン奏者(サミュエル・アンテク)
の回想について触れている点である。

演奏側にとっては、
身の毛もよだつ話であろうが、
聴き手にとっては、ただただ興味深い逸話である。

そこには、第1楽章のある部分のフレーズを、
「無神経に弾いた」ということで、
チェロのセクションを罵倒して、
トスカニーニは怒り狂って出て行った、書かれている。

「無神経に弾く」というのは、
心をこめて弾かなかったということであろうか。
適当に流していたのだろうか。
リハーサルなので、
本盤まで、心をこめるのは取っておこう、
と考えたりしたのがいけなかったのだろうか。

いずれにせよ、
トスカニーニは、こうした事に激怒する人だった、
ということであろう。

が、このような逸話は、
リハーサルからして入念に仕上げられた、
この演奏を聴く者に幸福感を与える。
そのような入魂の演奏を、
これから聴くことが出来るわけだ。

「第9を汚そうとでもいうのか!」
とトスカニーニは怒ったらしい。
ますますもって、
信頼感が増すばかりである。

この日本クラウン盤は、
この解説があるので、
かなり価値が出ていると思う。
早く聞いてみたい、という気持ちを、
高ぶらせるものだからである。

Music&Arts盤の解説は、
このチクルスを味わうのに、
非常に参考になるものだが、
この逸話は初めて見るものであった。

が、Music&Arts盤は、
本場のものならではの確実性がある。

たとえば、クラウン盤には、
「ここに収められた演奏は、
1939年のベートーヴェン・チクルス最終日、
12月2日の演奏会のライブである。
従来この日の演奏会は、
8Hスタジオかどうか疑問視されていたが、
原盤データはカーネギー・ホールということになっており、
ここでもそれに従っている。」
とあるが、Music&Artsには、
何の迷いもなく、こうある。

クリストファー・ディメントが書いたものだ。

「1939年12月2日の第6回で最後のコンサートでは、
楽団はカーネギーホールに移り、
『第9』の前に、トスカニーニの唯一の演奏である、
『合唱幻想曲』が置かれていた。」

また、トスカニーニが、
いかに多くの「第9」演奏を行ったかは、
先に書かれていた事と同じように紹介されている。

「それとは違って、
『第9』は、ザックスの見積もりでは、
いつも彼の活動の中心としており、
ミラノ、ニューヨークに加え、
トリノ、ウィーン、ブタペスト、パリ、
ロンドン、ブエノスアイレスと51回も演奏した。」

さらに、トスカニーニは、
名指揮者としても知られた、
マーラーの演奏をも凌駕していたというのである。

「プレス・レビューによると、
彼が全曲を演奏したスカラ座以来、11年経った、
1913年4月のメトロポリタンでの演奏で、
彼は交響曲指揮者として成熟した姿を見せた。
多くの人が1909年と10年のマーラーを凌ぎ、
ニューヨークの聴衆が聴いた最良の演奏と考えた。
さらに、当時のニューヨークの批評家、
リチャード・アルドリヒによると、
『トスカニーニは偉大な交響曲指揮者として、
完全に成熟させた姿を見せた』とあり、
その長いレビューの中に、
ほんの些細な意義しか書かれていなかった。
『アダージョはもう少しゆっくりである方が、
良いという人もいるかもしれない』。
後のニューヨークの批評家も、
全体的にこの演奏を越えるものはない、
と繰り返している。」

演奏回数のみならず、
トスカニーニが残した
「第9」の録音についても書かれている。
このあたりが、ディメントの解説の魅力である。

「1927年から1952年の進化に先立つ、
スカラ座での演奏の他に、
ニューヨーク・フィルとは13回、
NBCとは5回プラス、レコーディング
といった演奏があった。」

さらに、トスカニーニの「第9」観も、
下記のように象徴的に表されている。

「トスカニーニの書簡には、
この作品が彼に与えていた深い効力が読み取れる。
第1楽章のコーダが、いかに、彼に、
ダンテの地獄門の描写を思わせたか、
アダージョのあるパッセージでは、
高い所から楽園の光が下りてくるか、など。」

このイメージは、我々にも伝わりやすいものだ。
が、この演奏には、「地獄門」を思わせる、
ほら、ここから地獄に入りますよ、
といった描写的なものは何もない。

あえて言えば、第1楽章のコーダで、
そんな感じがあるかもしれない。

それまでは、
ただただ、奔流のように、音があふれ出し、
異常な焦燥感というか使命感で、
あらゆるパッセージが生まれては消えて行く。

「彼は、そのキャリアの終盤でも、
第1楽章の解釈に自信がないことを漏らしているが、
ある人は、それはある一部に関してだろうと考えている。
一方で、彼は、この作品が、
どのように演奏されてはならないかを確信しており、
1937年にヘンリー・ウッドが指揮したものが、
ロンドンからラジオで届られたのを聴いて、
第1楽章と第3楽章はのろのろして飽きるし、
第2楽章は、まさに正しい、
ベートーヴェンのメトロノーム記号より早すぎるとし、
終楽章は支離滅裂だと怒りだした。」

このように、ここでも、「第9」の演奏で、
トスカニーニが怒った逸話がある。
決して満足することのないこの指揮者の、
人間性が、これらの逸話には色濃く表れている。

以下、この著者が得意とする、
トスカニーニの演奏変遷論が登場する。

「1937年に、トスカニーニは、
ここでの演奏を直前にして、
ベートーヴェンのメトロノーム記号を、
正に正しい、と考え、
考え方を変えたはずだが、
スケルツォの一部などを含め、
いくつかの部分で彼は記号より速くしている。
これは全体として、残された録音の中で、
最も猪突猛進で、
最もタイトで、圧縮された演奏である。
特に最初の2楽章がそうで、
このチクルスを通してのアプローチとして言える、
彼の心にあったプレッシャーの好例となっている。
それは、解釈上の変遷のカーブの頂点であり、
1936年3月のニューヨーク・フィル、
1937年11月のBBC、
1938年2月のNBCと、
比較的幅広く、リラックスしたスタイルからの、
各楽章の圧縮の進展が見て取れ、
この録音の怒りに満ちた凝集となる。
この後、1941年7月のコロンのもの、
1952年のNBCの演奏、RCA録音は、
テンポはどんどん1936年のものに近づいている。
テンポの問題は全体像の一部で、
切り立ったインパクト、
恐ろしい力の火山のような爆発で、
ブエノスアイレスの演奏は個性的である。」

私も、このブエノスアイレス盤は、
驚愕すべき記録だと思っているので、
これに対して、いったい、
この盤がどのような扱いを受けているのか、
気になって仕方がない。

「しかし、それに先立つNBCの演奏のものは、
よりよく訓練されたオーケストラと言う点で有利であり、
この演奏は、
マエストロの18か月ものトレーニングを経た優位性があり、
1952年の演奏や録音と比べても、
指揮者が無比の力を誇っていたことが分かる。
聴く人の中には、最初のアレグロ・ノン・トロッポが、
アレグロにしか聞こえないかもしれないが、
疑うことなく、オーケストラは、
指揮者の高度な要求に応えており、
正確さは無比、驚くほど明晰で、
オーケストラを通じて放射される
トスカニーニのイマジネーションは絶対的である。」

各楽器が一体感を持って突き進み、
著者が、オーケストラの技量の差異を語りたくなったのは、
分からなくもない。

「彼が作曲家の心を満たしたかどうかは、
ずっと議論されるかもしれないが、
批評家たちは疑うことなく彼を支持した。
翌日、ダウンズは、こう書いた。
『彼は、この偉大な音の詩に、
これまでになく、激しくノミを入れた。
結果として、
さらなる発展が芸術家にもたらされ、
その洞察力と誠実さは、
彼をベートーヴェンの思想の中心に運び去った。
確かに終楽章は、
この指揮者のどの演奏をもしのぎ、
その法悦は宇宙的でもあった。』
さらに3週間後、『Musical America』は、
『とてつもないもの―
トスカニーニ氏が、
我々にもたらしたものは、
おそらくその力と輝きとで、
最も圧倒的なものであった』と書いた。」

私は、この演奏を聴いていて、
いったい、今、どこを聴いているのだろう、
と、聴きなれた演奏では、
まったくありえないような、
体験をしたりする。

第2楽章などは、
無機的とも言えるような非情さで、
疾風のように吹き過ぎてゆく。

続く第3楽章も、
ひたすら純粋なものが追及された結果でもあろうか、
弦楽のピッチカートの脈動は、
人間存在のない太古からの律動にも聞こえ、
あたかも、原初の生命が、
有機物として生み出されて行く瞬間を眺めるがごときである。

「楽園からの光」を、
彼が、ここに感じたとしても、
様々な欲望が渦巻き、戦争を突き進んでいた当時の、
人間世界に差し込むものではない。

1939年12月2日と言えば、
ソ連が、フィンランドに侵攻した事が、
生々しい時期でもあった。

そんな人間行為の下卑た出来事など、
まるで意に介さぬように、超然と、
天体が運行しているような趣きの第9である。

欧州情勢に対し、
誰よりも心を痛めていたはずの彼ではあるが、
一方で、なるべく、ニュースは見ようとしなかった、
という逸話もあったと思う。

トスカニーニ自らが、
現実世界から目を背けすぎ、
異常な世界に突入してしまったのかもしれない。

トスカニーニがアメリカにわたって、
2年が経過していた。
欧州の実感は、かなり薄れていたかもしれない。

「第9は、それまで録音されたものの中で、
最も明快、劇的で集中力のある、
このベートーヴェン・チクルスを、
みごとに締めくくっている。
多くの人たちが、これこそ、
作曲家の広範なヴィジョンとして捉え、
他に並ぶものなきものと証言するだろう。」

まさしく異常な状況下で行われた、
ベートーヴェン・チクルスであった。

締めくくりに呼ばれたのは、
女声としては、我々にも親しい歌手たちである。
ソプラノには、チェコ出身で美貌で知られたノヴォトナ、
メゾ・ソプラノには、ワルターとの「大地の歌」で知られる
トルボルクが起用されている。

男声はテノールに、
トスカニーニのお気に入りのジャン・ピアーズ、
バスには、ギリシア生まれとされる、
ニコル・モスコーナという名前が出ている。
合唱団は、ウェストミンスター合唱団である。

「これで、トスカニーニは、
NBCとの3期目の第一部が締めくくられた。
ひと月後、彼はチャリティー・コンサートを開いたが、
イタリアは、彼に門戸を閉じた。」

という感じで、
この解説は締めくくられているが、
実際に門戸を閉じていたのは、
トスカニーニの方であった。

「彼は、休息でグランド・キャニオンを訪れ、
さらに西に向かって、相応の休暇を取った。」

という、意味深長な一言が添えられているのは、
そういう状況を表しているように思われる。

「合唱幻想曲」のピアノは、
トスカニーニお気に入りの女流、
ドルフマンで、この曲もまた、
「第9」の延長上の透徹した表現である。

得られた事:「戦争開始と共に、トスカニーニは世間から隔絶して人間世界から目を閉じて、無機質から有機物が生成されて行くような独特の『第9』を作り上げるに至った。」
[PR]
# by franz310 | 2014-07-19 21:50 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その412

b0083728_2137479.jpg個人的経験:
トスカニーニが演奏する
NBC交響楽団は、
放送局用のオーケストラである。
当然、放送用の演奏を
くり返していた。
ところが、あくまで、
放送を聴かなかった
我々にとっては、
特に、戦後にこの巨匠が、
大量のLP録音に使い、
そして、すぐに解散した、
管弦楽団でしかなかった。


このLPの録音をしたのが、RCAビクターであるが、
RCAとはRadio Corporation of Americaという、
これまた、ラジオが名前の最初に付く、
巨大なエレクトロニクス企業であり、
この傘下に、放送会社の
NBC(National Broadcasting Company)と、
RCAレコード(RCAビクター)があった。

前者は、アメリカの三大ネットワークの一つであり、
後者は、1960年代まで、コロムビアと並ぶ、
アメリカの二大レコード会社である。
共に名門企業であった。

(こうした当時の世界企業も、
1986年にRCAがGEに買収されるや、
哀れな事に、翌年には、
RCAにおける家電部門はトムソンに、
RCAレコードは、ドイツのBMGに売却されて、
その華麗な歴史に終止符を打っている。)

ということで、NBCで放送された、
トスカニーニの演奏は、時として、
兄弟企業であるRCAレコードからレコードが出ることがあり、
1939年の放送の交響曲の中では、
第3「英雄」が、
唯一、トスカニーニの眼鏡にかなったとして、
レコードとしても発売されていた。

が、ここでややこしいのが、
RCAレコードになったものと、
NBCで放送されたものは、
はたして、親会社が同じだからといって、
同じ音質と言えるか、という点である。

スイスのレリーフ・レーベルから出ていた、
トスカニーニのベートーヴェン録音、
「ライブ・シリーズ」の解説を読むと、
そのあたりの事が少し垣間見える。

このレリーフ・レーベルのCDは、
巨匠の行った、1939年のチクルスから、
一夜ごとにまとめるのではなく、
たとえば、「第1夜」のメインであった「英雄」を、
チクルス後半の「第5夜」の
始まりと締めくくりを担当した、
「レオノーレ序曲」の第1と第2と組み合わせる、
といったように、
かなり変則的な編集をしていた。

このような具合に、このCDには、
RCAから出ていた「英雄」が収められていることから、
うまい具合に、RCA盤との聴き比べが可能となるのだが、
聴いた印象は、曲の冒頭から、かなり違う感じである。

いずれも、元は同じなのかもしれないが、
80年近い歳月の中で、様々な事があったのであろう、
とにかく違う。
あるいは、録音の最初から違うのかもしれない。

このCDの解説は、こんな感じである。

「1939年の秋、50年以上にわたる
ベートーヴェンの交響作品への芸術的な取り組みを経て、
アルトゥーロ・トスカニーニは、
彼のNBCラジオの聴衆に、
全ベートーヴェン・チクルスを披露した。
これは、彼の生涯で4度目の取り組みであった。
全6回の演奏のうち、最初の演奏会は、
ラジオ・シティの8-Hスタジオで、
10月28日に行われた。
『フィデリオ』序曲と第1交響曲に、
1926年以来、トスカニーニが50回以上演奏してきた、
『英雄交響曲』の演奏が続いた。
『マイスタージンガー』序曲や、
ドビュッシーの『海』に続き、
マエストロがもっともよく取り上げた曲目であった。
1938年3月の
トスカニーニのセッション録音開始以来、
(その間、ベートーヴェンの
『第5』と『第8』が作られている。)
これらは8-Hスタジオで行われてきたが、
聴衆がいる中、『英雄』を、
初めて、RCAビクターは、
『ライブ』でテープ録音することを決めた。」

この記述に、私は、一瞬、何がなんだか分からなくなった。
確か、少し前までのトスカニーニのライブ録音と言えば、
ディスクをとっかえひっかえのアセテート盤録音だったはずである。

ドイツで磁気録音が開発されたのが、
トスカニーニの演奏会の前年の1938年で、
戦時中のドイツの録音は、
切れ目がないということで、
連合国が驚き、戦後になって、
テープ録音が広まった、というのが、
これまでの大筋理解であったが、
トスカニーニのい1939年録音は、
テープ録音が試みられたのだろうか。

あるいは、磁気テープではなく、
異なる種類のものなのだろうか。

「技術的には、不幸なことに、
結果として、
『ビクターによるトスカニーニ録音の最低のもの』
(R.C.Marsh『トスカニーニとオーケストラ演奏の芸術』
となってしまった。
聴衆の存在が、残響の最後を弱め、
また、マーシュがまさしく『虐殺』と呼んだ、
深刻な音響上の不純さが、
シェラック録音には残された。」

テープ録音の話の直後に出てくる、
このシェラック録音というのが難解である。
これは、とっかえひかえのシェラック盤の事だと思う。
テープ録音とシェラック録音が、
同時に行われていたと言うことなのだろうか。

「明らかに、『ライブ録音』のプレッシャーによって、
ビクターの技術者たちは、
音楽のフレーズのいくつかや、何小節をも台無しにした。
これは、ディスクのある面の真ん中で、
音楽が欠落するような事になった。
それにもかかわらず、RCAビクターの委員会は、
指揮者不在の中、この録音(M-765)を、
修正して発表することを決定した。」

この部分、「指揮者不在で」と勝手に書き換えたが、
英語では、「作曲家不在で」と書いてある。
それでは意味が分からなくならないだろうか。

ちなみに、M-765は、SPの番号である。

「ワルター・トスカニーニが、
コンサートのラジオ放送のテープを持っていたが、
これはシェラック盤より音質が良いもので、
シェラック盤の技術的失敗が、
明らかに改善された後でも、
この『英雄』は、RCAがLPとして、
米国でも欧州でも発売することのなかった、
権威的バージョンの一つとなっている。」

ここでも、私には、かなりの混乱があって、
「コンサートのラジオ放送のテープ」が、
エアチェックしたものなのか、
先に出て来たテープ録音のことなのか、
あるいは、それをダビングしたものなのか良くわからない。

しかし、先に、テープ録音した、
とあるので、それそのもの、あるいは、その複製、
と考えるのが自然であろう。

このスイス・レリーフ盤は、
このテープに基づいての復刻なのだろうか。
肝心の事をびしっと書かずして、
下記のような、どうでもよい事が続く。

以下は、おなじみのトスカニーニの、
演奏解釈の変遷の話である。

「トスカニーニは、この作品を、
1949年にカーネギーホールで録音しており、
RCAは、1953年12月6日に行われた
演奏会の録音も発売している。」

ちなみに、日本で多く聴かれているのは、
このうちの後者で、
1949年盤が忘れられているのは残念である。

「この指揮者の、この作品の解釈上の見方は、
年々、進化しており、
B.H.ハギンズは、『トスカニーニとの会話』で、
1944年のマエストロとの会話について触れている。
トスカニーニは、11月5日の『英雄』の放送を準備していたが、
1939年の録音を聴いて恥じらったという。
『40年前、私が『英雄』を最初に演奏する際、
ドイツの指揮者の演奏を聴きました。
リヒターも聴いたし。
そして、私は同じように演奏しないと
いけないと考えたのです。』
それから、77歳の指揮者はピアノの前に座り、
ゆっくりとしたテンポで第1楽章の、
『アレグロ・コン・ブリオ』を演奏した。
『しかし、その後、私は、
この作品を信じるように演奏するにつれ、
今や、遂に正しいテンポに自信を持ちました。
簡単なことです。
ドイツ人はすべてを遅くし過ぎて演奏します。』
しかし、1930年代初期までは、
トスカニーニは『英雄』で、
フルトヴェングラーよりもさらに、
幅広いテンポを取っていた。
1930年のNYPとのベルリン公演の後、
ドイツの指揮者たちは、『葬送行進曲』の、
有機的でないリズム構成や、
引き伸ばされた大げさで感傷的な解釈を批判している。
残っている最も初期の音の記録である、
1934年12月のストックホルムのものは、
『葬送行進曲』が1939年のものよりも、
1分半も長くかかっていて、
スコアにあるメトロノーム指示より明らかに遅い。
しかし、その後の15年に記録されたり、
発売されたりした、
トスカニーニとNBC交響楽団との
『英雄』の演奏時間は、全曲でも、
70秒くらいの違いしかない。
広く考えられているのとは反対に、
彼の後年の演奏は基本的に、
前のものより速くはない。
一例を上げれば、
『葬送行進曲』の基本テンポは、
1949年のものや1953年のものの方が、
1939年のものより堂々としている。
しかし、フィナーレではそうではない。」

ということで、テンポの話は、
これまでも読んできたとおりのもので、
特に新しい知識にはならない。

以下、少し、目新しい事が書かれている。

「スタイル上、基本的な違いは、
テンポではなく、陰影法(shading)にある。」

音楽における「陰影法」とは何だろうか。

「年を重ねたトスカニーニは、
書かれていないテンポの変化を許さず、
しばしば、ほとんど知覚できないような様式で、
各々の基本テンポからの
わずかな絶え間ない速度変化を行い、
ダイナミクスやフレージングを洗練させており、
彼の初期のNBCとの解釈は、
時として劇場的なしぐさで
際立って伸縮自在、効果的である。
これこそが、ハギンズが1939年版を、
『トスカニーニの最大傑作のひとつ』と、
呼んだ所以である。」

さきほど、ハギンズに向かって、
「お恥ずかしい」と言ったとあったから、
トスカニーニ自身は、
この録音を認めていなかったのかと思ったが、
「お恥ずかしいが、それこそが、
現在の私の解釈です」という事なのであろうか。

さきほど、この録音をこき下ろした、
マーシュの意見は異なるようである。

「対称的にマーシュは、
ここにはまだまだイタリア的な要素があって、
『フーガは、ロッシーニの序曲の
長い加速するクライマックスようであり、
和音は崩れ、膨らんで暴力的に、
フレーズは予期せず伸縮する』。
あらゆる面で、マエストロの変遷するスタイルと、
『正しい』解釈に対する絶え間ない探求の、
貴重なドキュメントである。」

これは前にも読んだことであるが、
このロッシーニ風の歌心がまた、
トスカニーニの魅力であるに違いない。

特に、一緒に収めらた『レオノーレ』からの
序曲では、実にロッシーニ的な痛快さが聞き取れる。

このCDの解説の最後は、
この序曲に当てられていて、
ようやく、第5夜の話になる。

「この演奏会シリーズの
最後から二番目のコンサート
(1939年11月25日)のハイライトは、
『第8交響曲』だったが、これは、
『レオノーレ』序曲、第1番と第2番に挟まれて演奏された。
RCAビクターは、スタジオ8-Hで、
序曲第2番のライブをテープ録音したが、
『正規盤』であるにもかかわらず、
米国で発売することはなかった。
シェラック盤はHMVで出たことがある。」

最後に、今回のCDが、
テープからのものであることが書かれているが、
いきなり「放送用のアセテート・テープ」とあって、
混乱は極みに達する。

が、アセテートとは、合成繊維の一種で、
アセテート盤に使われるのみならず、
磁気テープの基材のような感じでもあるようなので、
そこを混乱しないように読めばよさそうだ。

「我々は、よく保存された
ラジオ放送のアセテート・テープを、
この録音に利用した。
レコーディング・スタジオの音響的な問題にかかわらず、
我々は、慎重なデジタル・リマスタリングによって、
オーケストラのサウンドを出来るだけ忠実に再現しようとした。」

なお、この解説は、
Peter Aistleitner
という人が書いている。

このように、レリーフ社は、テープ録音の良さを強調しているが、
同じ時の録音でも、例えば、NAXOSの録音の方が、
ずっと聴きやすい。
ただ、ナクソスが、テープから持ってきたのか、
シェラック盤から持って来たのかわからないが、
こちらは、RCAビクターのサウンド・エンジニアであった、
リチャード・ガードナーが関わっているので、
シェラックを修復して出した「英雄」と同じプロセスなのか、
あるいは、放送時のコメントも入っているから、
それこそテープ録音なのか。

良くわからないが、
やたら出ている、このトスカニーニ録音、
とにかく、生まれながらにして、
異なる方式で録音されていたものがあった、
という事は理解できた。

私は、レオノーレ序曲の第1を、
トスカニーニが指揮した、
BBC交響楽団との録音を聴いてから、
すっかり好きになってしまったが、
この曲の解説は、
ナクソス盤から持って来よう。

「ベートーヴェンは、たった一曲のオペラ、
『フィデリオ、夫婦の愛の勝利』を書いたが、
1805年11月にウィーンで初演された時には、
フランス軍によって首都が落ちた後で、
わずかな成功しか収めなかった。
1806年3月に第2版がウィーンで上演されたが、
最終版は1814年5月の上演であった。
オペラはオリジナルは、『レオノーレ』として知られ、
政治囚フロレスタンが、
忠実な妻、レオノーレによって救出されるもので、
彼女は、少年フィデリオに変装し、
看守のロッコに仕える。
彼女は、牢を担当する役人、
宿敵ドン・ピザーロが、
夫を殺そうとするのを防ぎ、
その邪悪が明らかになるや、
うまく、これを懲らしめる。
ベートーヴェンは、このオペラのために、
4つの異なる序曲を書いた。
このうち、『レオノーレ』第1番
として知られているものは、
1807年にプラハでの上演を想定して書かれた。
これは1828年にウィーンでのコンサートで、
初めて演奏された。
『レオノーレ』第2番として知られている序曲は、
1805年のウィーンでのオペラ初演のために書かれた。
これに続いて、1806年にウィーンでの上演のために書かれ、
最後の『フィデリオ』序曲は1814年の舞台用であった。
当初、『レオノーレ』第1は、初演用に書かれたが、
軽すぎるとして、取り下げられたと考えられていた。
しかし、手稿から、
この良く知られた話は間違いであると分かる。
ハ長調で書かれた『レオノーレ』第1は、
オペラや続く部分に関係しない、
ヴァイオリンの主題で始まる。
これが、作品の主部『アレグロ・コン・ブリオ』を導き、
一般的な調性の構成ではないものの、
ソナタ形式の二つの主題を予期させる。
作品の中心は、しかし、
展開がアダージョ・ノン・トロッポに入れ替わり、
彼がその運命を嘆く、
フロレスタンの地下牢のシーンを予告する。
すでに出て来たテーマが再現部で現れ、
強勢された主音の和音で終結する前に、
音楽を鎮める。」

まさしく、このオペラとは無関係に見える、
不思議な序奏部の色彩が、私には魅力的である。

この部分、ナクソスの録音は、
ほとんど何も気にせず聴けるが、
このレリーフ・レーベルのものは、
パチパチ音が目立ち、
ダイナミック・レンジ的にもひしゃげ気味に思える。

また、演奏そのものも、
BBC交響楽団とのスタジオ録音が、
伸びやかであり、高雅な楽器の音色が美しい。
指揮者もオーケストラもないような一体感がある。
わずかにかかっているポルタメントも、
妙にぞくぞくする。
ホールの遠近感も美しい。

演奏時間は、こちらの方が短いが、
NBCのものより、余裕があるように聞こえる。

それはさておき、この緊張感を盛り上げていく、
序奏部は、他の序曲にはない、
幻想的な趣きがある。

主部のメロディも勇ましいが、
影が差して、様々な感情が込み上げては消える感じも良い。
しかし、この前に前に推進する音楽づくりには、
確かに歌があり、ロッシーニがあるように思える。
コーダに向かっての爆発などは、
ロッシーニ以外の何ものでもない。

しかし、ロッシーニが現れるのは、
この序曲が書かれてから、
数年以上後の事になる。

ベートーヴェンに、
すでにロッシーニ的なものがあったようだ。

「『レオノーレ』第2は、
三つの下降音形からなるユニゾンで始まり、
GからFシャープに繰り返し下降して、
フロレスタンのAフラットの牢獄のアリアを
このオープニングの『アダージョ』は、
チェロのテーマの『アレグロ』を導き、
フル・オーケストラがこれを引き継ぎ、
アリアからの第2グループを導くが、
これは展開部を締めくくる
トランペットのファンファーレの後で再現し、
急速なコーダが続く。」

私は、この曲にあまり親しんだ記憶がない。
最初に書かれたということだろうか、
ちょっとくどい感じがしなくもない。

が、トランペットが出てくる前後の、
ヤバい感じはよく予告されている。
レリーフのものは、音が荒れていて、
あまり浸ることはできない。

GRAMMOFONO2000の全集では、
この曲は省略されている。
Music&Artsの全集では、
なかなか深い響きを聞かせている。
しかし、主部はやたらやかましい。

なお、このMusic&Artsの解説では、
トスカニーニのこれらの曲の他の演奏と比較があり、
「著者の見方では、1939年の6月1日に、
HMVによって録音された、
BBC交響楽団との『第1』が、
その自発性と抒情性で賞賛に値し、
数か月の間にマエストロの演奏が
変わったかを知ることができる。
1946年のルツェルンにおける
スカラ座管弦楽団との『第2』が、
その幅広さと力で、この演奏を上回る。」
としている。

1946年と言えば、
トスカニーニは、もう80歳になる。
これは戦後のものであるし、
音質の向上を期待したいところでもある。
(ダイナミックレンジを圧縮した感じで、
格段に良いわけではない。)
演奏時間は1分ほど長くなって、
序奏部のものものしさ、
各声部の粒立ちなどは、
大伽藍を前にしたような印象を受ける。
ティンパニの迫力が効いている。
ブラームスの「第1交響曲」の序奏の予兆すらある。

戦争が終わった解放感をも想起させる、
主要主題の輝かしさなども特筆すべきであろう。
コーダの直前ではつんのめったような感じもあるが、
これがこれですごい興奮を伝えてくる。

ついでに、チクルス「第2夜」で演奏された、
「レオノーレ」第3のナクソスの解説も読んでおく。
「ゆっくりした序奏で序曲は始まるが、
Gから低いFシャープの柔らかい下降があり、
牢獄でのフロレスタンの音楽を導く。
第1ヴァイオリンとチェロに、
続くアレグロの主要主題が委ねられ、
フロレスタンのアリアが、第2主題群を形成する。
『レオノーレ』第2同様、ドラマティックな、
舞台裏のトランペットが響き、
ここで2回目の繰り返しが救援の合図となって、
序曲は拡張された急速なコーダに続く。」

これについては、
Music&Artsの解説では、
Musical Americaのダウンズの、
「荒々しく劇的」という言葉を紹介、
「バランス、明晰さ、音の磨き上げ、構成の結合の驚異、
活力と魅力的なリズム」を賞賛しており、
1951年2月の演奏まで、
トスカニーニ自身、このレベルの演奏はできなかった、
と書いている。

改めてNAXOSのCDで、
この1939年の演奏を聴いてみると、
「レオノーレ」第2より聴きなれているせいか、
清潔で、見通しの良い演奏にも、
いっそうの説得力が感じられる。

ナクソスの場合、
テープをオリジナル・ソースとしているのではなく、
NBCのTranscription discs(1935-1943)を、
プリズムサウンドというシステムで、
CD化したように書かれている。

これは、本放送の終了後も、
再放送や他の地域での放送ができるようにした
放送用原盤なので、放送局内のオリジナルか、
そのコピーくらいであろう。
ディスクというだけあって、
へなへなになりそうなテープよりは、
保存が効きそうな気がする。

しかし、さすがのRCAグループにとっても、
聴衆入りライブの録音は、
こうしたどえらい機会でもないと、
ふんぎりがつかなかったのだろうなあ、
と妙に感じ入ってしまった。

コーダの推進力もたくましく、
安定感があって危なげなく爆発に至る。
ただし、最後の一音は弱くないか?

喜んで聴衆も興奮しているし、いいか。

なお、この曲の場合、RCAレーベルからも、
「英雄」と組み合わされて、CD化されている。

これは当然、シェラック盤のものであろう。

気になるのは音質であるが、
最初聴いた時には、
このレーベルに対する先入観からか、
堅いイメージがあったが、
むしろ、4分をすぎて主題が爆発するあたりの、
天井に張り付いたような、
ダイナミックレンジの苦しさが難点かもしれない。

GRAMMOFONO盤などでは、
このあたりの高まりもうまい具合に補正されているようだ。

「フィデリオ」関係4序曲の最終作、
「フィデリオ」序曲は、このチクルスの初日の冒頭に演奏されている。

4曲の中で、私が、最初に聞いたのは、
この序曲なので、最も、長い付き合いであるが、
序奏が昔から、軽薄ではないか、と思っていた。

これも、ナクソスの解説で読んでおこう。
「ベートーヴェンの唯一のオペラを聴く聴衆には、
現在、この序曲が最初に演奏されている。
一般的には、『レオノーレ』第3が、
フロレスタンの拘束からの解放の前から、
最後のシーンの間に現れる。
愛情、葛藤、恐れとレオノーレと、
その夫、フロレスタンの喜び、
これらが、最終的な全ドラマの要約であるが、
フロレスタンは、無実の罪で牢獄におり、
我々は、音楽の始まりと共に、
フォルテッシモの和音が9つの音で下降して、
彼の牢獄の深さに下ろされ、
恐ろしい光景を心に浮かべる。
そこに弦と木管に助けられ、
荘厳で、惨めなパッセージが続き、
愛するものと切り離された、
彼の悲しみや歎きがさっと描かれ、
次第に、力と自責が込み上げてくる。」

何と、へんてこな序奏だと思っていたが、
こんなものがいっぱい詰まっていたのか。

「そこから希望を新たにし、
序曲の主要主題が飛び上がって、
より良きものへの希望に確信が生まれる。」

ここからは、単に、興奮が続く音楽だと思っていた。

「全オーケストラはしっかりとクレッシェンドで鳴り、
熱狂したパッセージワークが熱狂の頂点まで続く。
突然、調性が変わって、
遠くでトランペットが響き、
レオノーレの感謝の歌も交えて、
解放の内務大臣が到着する。」

このけたたましい楽想の奔流の中で、
いろいろなことが暗示されていたようである。

「前に出た主題が興奮した終結部で繰り返され、
歓声と結果としての幸福が続く。」

私は、「フィデリオ」序曲を今回ほど真面目に聴いた事はなかった。
トスカニーニの興奮も尋常ではない。
ちなみに、Music&ArtsのCDでは、
この序曲は切り捨てられており、
GRAMMOFONOとNAXOSとLYSで聴ける。

得られた事:「トスカニーニの1939年のベートーヴェン・チクルスは、テープ録音とシェラック盤の二つの方式が試されていた模様。レリーフ・レーベルは、オーセンティックなテープを採用した、とあるが、明らかに経年劣化が痛ましい。NAXOSは、トランスクリプション・ディスクを使用とあり、こちらの方が聴きやすい。」
[PR]
# by franz310 | 2014-06-28 21:36 | 古典 | Comments(1)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その411

b0083728_1946599.jpg個人的経験:
トスカニーニが挙行した、
1939年秋の意欲的な
ベートーヴェン・チクルス。
第4夜「第7」は、七重奏と
組み合わされるなど、
少し変わった
プログラムの夜もあり、
「第5」、「第6」といった
誰もが聴きたくなるような
第3夜とのギャップが甚だしい。
中でも、もっとも奇妙なものが、
第5夜のものであろう。


交響曲全曲演奏会である以上、
最後は、ばーんと大交響曲で閉めるイメージだが、
何と、この日のメインは、最も軽量級の「第8」のみ。
最後は、「レオノーレ序曲」第2番で閉めているし、
その前に置かれているのは、
「プロメテウスの創造物」からの抜粋と、
弦楽四重奏からの断章である。

つまり、交響曲は、決してメインではなく、
最初の「レオノーレ序曲」第1番と共に、
前半に演奏されたものと思われる。

極めて興味深い内容であるとはいえ、
トスカニーニは「第8」が得意という感じもないし、
同じ「レオノーレ」なら、
何故、最も有名な「第3」をやらないか、
(これは、「第2」、「第4」交響曲と共に、
すでに第2夜で演奏されていた。)
などと考えると、
まるで落穂拾いみたいな印象である。

1939年11月25日、
NBCの8Hスタジオで行われた、
この不思議な一夜の演奏全部も、
ナクソスは、CD一枚に収めてくれていて、
非常にありがたい。

何となく、肩の凝らない印象の、
この演奏会に相応しく、
ベージュ基調の地味な表紙デザインであり、
トスカニーニの写真も、背景の黒ばかりが目立って、
一連のヒストリカル・シリーズの中でも、
最も印象の薄いものとなっている。

ただし、トスカニーニにとっては、
ここでの曲目には、こだわりがあったはずで、
「弦楽四重奏曲」も、「レオノーレ第1」も、
非常に愛着のある曲目のようでもある。

この四重奏曲の断章は、
前の年の1938年の元旦から演奏していて、
その時の録音も、Music&ArtsのCDで、
聴くことが出来るからである。

また、「レオノーレ序曲」第1番は、
わざわざイギリスのBBC交響楽団とも、
録音を残した、思い出の序曲である。

先に述べたMusic&ArtsのCD
(1938年の「第九」と「四重奏の断章」が収められている)
には、
Christopher Dymentの、
「Toscanini and Late Beethoven」
という、非常に参考になる解説がついている。

「多くの音楽家と同様、トスカニーニは、
この作曲家の最も偉大な作品だと考えていた。
しかし、それは、トスカニーニが、
60代前半に、ブッシュ四重奏団を聴いて、
その価値を見出した時からであった。」

このような記述に、私は驚嘆したことがある。
ドイツ音楽の権化のようなブッシュ四重奏団と、
トスカニーニの間に、関係があるなどと、
これを読むまでは、想像すらしたことがなかった。

「彼は、この四重奏団に1920年代初期に
スカラ座で遭遇、(彼は、この時、交響楽団と
米国楽旅の途上で、1921年の1月に、
かの地に初めて登場した。)
そこで、彼らの演奏を聴いて以来、
出来る限りそれを鑑賞し、
常に、いささか威圧するかのように、
最前列に席を取った。」

ブッシュ四重奏団の演奏会で、
最前列で聞き入るトスカニーニ、
これは想像するだに恐ろしい構図である。

なお、1921年の楽旅は、
スカラ座の管弦楽団とのもので、
米国楽旅の途上で、
イタリア楽旅も行ったようである。

「トスカニーニとブッシュ一家、
特にアドルフと間で長く続いた友情は、
この頃から始まり、
四重奏団はしばしば、彼のミラノの家でも弾いた。
賞賛と影響は疑うべきもなく相互的で、
アドルフは、兄弟のフリッツ同様、
彼を高潔な、より高い情熱的な指揮者と見做していた。
1931年にトスカニーニと共演した後、
『彼は基本的なテンポについて、
私以上に厳格でありながら、
細部においては最高の自由さを持っていた』
と語った。
このような親密さの中で、
トスカニーニは四重奏のリハーサルに立ち会える、
わずかな人に選ばれた。
1930年の10月には、
チューリヒで二日にわたって特権を満喫し、
四重奏団の英国デビューに先立つ、
後期四重奏曲の何曲かの準備を見ることができた。
このすぐれた鑑賞者は、
作品130のカヴァティーナに涙し、
弦楽四重奏曲が正しく演奏されるのを初めて聴いた、
と賛嘆したばかりでなく、
この二日間を、生涯で最も美しい日々だったと語った。
この『クエスト・アダージョ』の思い出は、
(トスカニーニは繰り返し、うっとりとして、
このことを、語っている)
1944年のNBC交響楽団との、
カヴァティーナの演奏にも影響を与えている。」

こう書かれてはいるが、
このカヴァティーナの演奏が、
この解説を載せたCDで聴けるわけではない。

また、今回、1939年のチクルスで演奏されたのは、
ここで述べられている作品130ではなく、
ベートーヴェン最後の四重奏、
作品135からの2つの楽章である。

とにかく、前回聴いた
ベートーヴェンの七重奏曲もそうであったが、
トスカニーニは、意外に室内楽とは、
深いかかわりがあったようである。

Music&Artsにある解説の先を読むと、
いよいよ、今回聴く、作品135の話が出てくる。

「それにもかかわらず、
ブッシュ四重奏団ですら、
トスカニーニを満足させなかったものがあり、
それが、『恐ろしく難しく』、しかし、『神々しい』
作品135からの『レント・アッサイ』であった。
(1939年11月28日の手紙でそう述べている。)」

この1939年11月28日というのは、
今回聴くCDの演奏の3日後にあたる。

「ブッシュ四重奏団の演奏の、
どこがトスカニーニに不満だったかは、
推論することが出来る。
1933年の彼らの録音を聴く限り、
それは10分半を越えており、
(私の持っているDUTTONのCDでは、
11分31秒となっているが。)
非常にたっぷりしたものになっていて、
その異常な長さは、
マエストロにとっては、
不要なほど前進の阻止に見えたようだ。
四重奏団のヴィヴラートや、
(彼らは制約していたにもかかわらず)
わずかなポルタメントが、
完全には、深さと、厳格さとの融合という
トスカニーニの望みと一致しなかった。
このように、彼は、経験上、
ブッシュ四重奏団、
フロンザリー四重奏団を含む、
いかなる四重奏団の演奏からも、
それが良く演奏されたのを
聴いた事がなかったのである。」

ということで、ようやく、
ここまで書かれたことが、
このトスカニーニ版四重奏曲の説明に繋がる。

「彼が、この曲の弦楽オーケストラ版を
1934年1月のニューヨーク・フィルの演奏会に、
初めてプログラムしようと決心したのは、
明らかにこのことによる。
1939年のBBC交響楽団との演奏で、
一回だけは省略したが、
彼は、演奏会を締めくくれるように、
レントに続くヴィヴァーチェも付けて完成させた。
トスカニーニのアプローチは、
ブッシュ四重奏団の演奏のような、
四重奏的なものではない。
彼は、これを愉悦的なものとせず、
『第九』の厳しいスケルツォ以上のもの
としていたことからも明らかで、
後にブタペスト四重奏団は反対に、
トスカニーニから影響を受けて、
同様の見方をした。」

ということで、
ベートーヴェン演奏の本流とも言うべき、
(というか、言われて来た)
ブッシュ、ブタペスト四重奏団が、
まさか、トスカニーニと関係しているなどと、
ほとんどの日本人は考えたこともなかっただろう。

そもそも、日本では、ブッシュ、ブタペストは、
EMI、CBS系で、RCAのトスカニーニからは、
まったく連想できない位置に配置されていた。

「トスカニーニにとって、
『レント』が重要かつ魅惑的であったことは、
1937年のクリスマスに行われたデビュー公演に続く、
第2のNBC交響楽団との演奏会で
取り上げたことからも分かる。
この演奏は、第1ヴァイオリンの名手の一人、
ヨーゼフ・ギンゴールドが覚えており、
『素晴らしい体験だった。
いかなる四重奏団も彼に匹敵するものはなかった。
ラルゴの細部に全身全霊を込め、
スケルツォの燃焼。
そして、第1ヴァイオリンに委ねた、
複雑な弦の交錯。
私は、彼にベートーヴェンの四重奏曲の
全曲を取り上げて欲しかった。』
二か月後の3月8日に、これを再録音して、
彼は拒絶、のちになって発売を認め、
やはりそれを後悔したように、
この機会のレントの演奏には、
トスカニーニは満足していなかった。
1939年11月25日まで、
彼はこの曲をプログラムに入れなかったが、
彼は、初めて、そこそこできたと思った。」

このように、このナクソス盤の演奏が紹介されている。
CD番号まで、81101813と書かれているが、
まさしく今回のCDである。

「トスカニーニが、何故、
初期のレント演奏に満足しなかったのか、
今日、これを類推することは困難である。
1938年3月の録音は、
1分ほど長く、テンポが最も遅く、
暗く内向的である。
1938年1月の録音と、
1939年の録音は、
2秒ほどしか違わない結果となった。
可能性があるのは、
後の演奏は、連続性とフレーズの息遣い、
そして強弱の凝縮で他のものを凌いでいる。
しかし、これらのものは些細な違いである。
一方で、ここでのヴィヴァーチェは、
ギンゴールドが書いていた、
新鮮な準備の効果が出ている。
もう一度書くと、1938年から1939年の、
三つの演奏はすべて、テンポは似ているが、
この演奏がもっともリラックスしている。
もっとも素早く、スフォルツァンドや
フォルテピアノの記号に反応しており、
『第9』のスケルツォに近づいている。」

ということで、今回の演奏は、
二回の駄目だしの後の三度目の正直をかけた演奏のようだ。

が、それほど大きな違いはないともある。

放送録音を使った、
このシリーズのナクソスのCD、
トラック8はラジオ放送時の、
第8交響曲終了時のアナウンサーのコメントで、
拍手も一緒に収められている。
そのくせ、CD9の
この曲のはじめの拍手もコメントもないのは、
ちょっと不自然で、最初聴いた時には、
この演奏は、別の機会のものかと勘違いしたほどである。

さて、今回、これを聴いてブッシュ四重奏団の、
この曲を聴き直してみたが、
トスカニーニと似たところはまるでなく、
深く沈潜して、確かに遅すぎるような気もした。

しかし、これは、古くから、
ロマン派の伝統を伝える滋味豊かなものとされて、
大木正興氏などは、「優麗玄妙」という、
日常では聞けない言葉を使って表現していた歴史的名演。

まるで、黄泉の国に下降していくような音楽で、
非常に超俗的なビジョンを音にしている。
各楽器は、それに忠実な友として寄り添い、
気高く、劇的ですらある。
昔のドイツの巨匠が振るベートーヴェンは、
ワーグナーのようだ、と書いていた人がいたが、
これはまさしくワーグナー的な音楽と言える。

アドルフ・ブッシュのヴァイオリンと、
ヘルマン・ブッシュのチェロが、
あたかも、オルフェウスと
エウリディーチェの嘆きのように、
情感のこもった会話をしていて、
これはかなり危ない世界に接近している。

冥界における別れの音楽とも言える。
没落の歌とも聞こえる。

こんなにもややこしい背景を背負った音楽は、
明晰で張り詰めたスタイルの
トスカニーニを聴いた直後であっては、
単に晦渋と感じても無理はないだろう。

トスカニーニの「レント」は、
7分半から8分半くらいで演奏されており、
まず、弦楽群の立体感によって、
ブッシュ四重奏団で聴くより、
見通しのよさを感じる。

分厚い弦の響きが、
弦楽四重奏の抽象的な世界から、
一歩、人間的なものに近づいて感じられ、
諦念と希望が交錯する音楽になっている。

1938年1月の録音は、
Music&ArtsのCD復刻がうまく行っていて、
非常に深々とした印象を与えるが、
初めての演奏ということで、
とても慎重に演奏している、という感じがする。

また、別のナクソスのCD(8110895)で、
ハイドンやモーツァルトの交響曲と一緒に、
1938年3月8日(ハイドンの「V字」と同じ日)
の第2回録音も聴くことが出来る。

これは、演奏時間が最長とされたものだが、
ためらいがちなもので、息を潜めるように、
深く沈潜する感じは、ブッシュの演奏にも近い。
とても心をこめて演奏している様子が聞き取れて、
この内省的な情感は、私は好きである。

さすがスタジオ録音、
慎重に慎重に、という感じだろうか。
なるほど、密室での作業、
グールドの自問自答の世界かもしれない。
後半の清らかな歌も、
昔を回想しているかのように響く。

自己愛的にセンチメンタルで、
トスカニーニが後悔した理由もよく分かる。

再びライブである1939年のチクルス版は、
もっと、ストレートに歎きの歌になっている。
そして、慰めのような清らかな歌が、
素直に救いの音楽として感じられる。
ただし、録音は少し平板に聞こえる。

差がないと書かれていたが、
演奏状況や楽員の関わり合いなど、
かなり環境に差異があって、
それがそのまま音になっていると思う。

あと、ブタペスト四重奏団(旧全集)の
この楽章の演奏を聴いたが、
さすがに、弦楽四重奏曲だけあって、
鋭い鉛筆でのデッサンのように響きが固く堅固、
トスカニーニほど豊潤に明快なものではない。
演奏時間は、トスカニーニの最長と最短の間を取った感じ。

さて、トスカニーニの編曲であるが、
本来の第2、第3楽章を反転させ、
まずは優麗玄妙な方の第3楽章を聴かせ、
第2楽章のスケルツォで活気を付けて終わる、
という構成になっていて、
原典に帰るを良しとした、
トスカニーニらしからぬ仕事である。

が、不自然さはあまり感じない。
よくできていると思う。

このスケルツォも、
今回、ブッシュ四重奏団で聴くと、
録音のせいもあるのだろうが、
どうも切れが悪く、ごにょごにょしている。

ブタペスト四重奏団のものは、
さすがにトスカニーニ風と言えるかもしれない。

トスカニーニの演奏で聴くと、
明るいヴァイオリンのきらきら感と、
低音弦の機動性で、
そのあたりの歯切れを良くして、
コンサート・ピースのエンディングとして、
爽快な感じをうまく出している。

この四重奏曲の演奏の後には、
ベートーヴェンには珍しいバレエ音楽、
「プロメテウスの創造物」から、
「アダージョとアレグレット」で、
ハープとフルートの響きが可愛らしいアダージョは、
第2幕のパルナッソスの情景の第2曲にあたり、
石をも動かしたとされる、
竪琴の名手アムピーオーンと、
抒情詩の女神エウテルペーの合奏に、
楽人アリオン(バスーン)や、
オルフェウス(クラリネット)が唱和するという部分。

前半は、様々な楽器の妙技が聴ける、
穏やかな音楽で、
後半の強烈なチェロの独奏は、
アポロの参入を表すという。
ここに来て、トスカニーニの、
強靭な意志を感じさせる。

ちなみに、ナクソスのCD解説は、
「プロメテウスの創造物」の序曲の解説になっているが、
CDには、序曲は収められておらず、
この曲では、このバレエ音楽の一曲が、
ぽつんと収められているだけである。

アナウンサーの解説も、
単に、アダージョとアレグレットと言っているだけ。
ラジオの番組としては、かなり、不親切である。

ただ、とても美しく楽しい音楽で、
ベートーヴェンの違う側面が聴けるという意味で、
この夜のコンサートは、
他のプログラムとは違った幸福感に、
彩られていたはずである。

そもそも、「第8交響曲」は、
ベートーヴェンの中では、
異質とも言える幸福感が味わえる交響曲である。

これを爆発するような表現で、
トスカニーニは聴かせ、
RCAからも古いスタジオ録音が出ていた。

日本のBMGファンハウスから出ていた
「赤盤復刻」シリーズでも、
この曲はCD化されていて、
モーティマー・H・フランクの解説(許光俊訳)で、
「響きが粗く、テンポが速いという点で、
トスカニーニの第8解釈の典型とは言えない」とあるように、
実は、このよく出回った演奏は、
聴いていて疲れるものであった。

第1楽章の再現部の冒頭で、
第1主題をティンパニで補強しているとあるが、
これがまた、ややくどく、やかましい感じを増幅していた。

つまり、同じ1939年のスタジオ録音の「第8」は、
典型的な、「嫌なトスカニーニ」だったわけだ。
つまり、音が硬直していて、広がりがなく、
押しつけがましく、何がいいのか分からない歴史的録音。

「第8」については、
Music&Artsの全集盤CD集の解説で、
やはり、DYMENT氏が演奏比較を行ってくれている。

「『第8』は、1897年という早い時期から、
彼のレパートリーに含まれていたが、
アメリカ時代には、それほど多く演奏されていない。
4回の機会にニューヨーク・フィルとは11回、
NBCとは6回の演奏が、RCAの録音後につづいた。
1936年3月のニューヨーク・フィルとのエアチェックは、
それほど統率は効かせておらず、
曲に相応しい気楽さで、
古典的に構成されているが、弛緩があり、
例えば、トリオのルバートは危なっかしく、
しかし、曲の様々な局面に合わせた、
力強い主張は完璧である。
今回の演奏(1939年のチクルスのもの)は、
それと対照的に、トスカニーニの決めたムードによる
効果が強烈に反映されていて、
速く、容赦ないテンポ、
突然のアクセントが、
温和さが不気味なユーモアに変化させ、
歯を食いしばった笑いといった
この後録音される演奏群の青写真となっている。
唯一、1952年11月のRCA録音のみが、
ニューヨーク時代の
好ましいユーモアを取り戻しているが、
NBC響は初期の、
きっちりとしたアンサンブルを発揮できずにいる。
この録音のクリアさによって、
トスカニーニが追加した、
第1楽章の再現部のティンパニが聞き取れる。
明らかに、ここにはこの指揮者のジレンマがあり、
ベートーヴェンでは珍しい
フォルテッテシモがあるにも関わらず、
低音での主要主題は、
上声部の強弱を押さえないと聞き取れない。
ここでトスカニーニは、
ティンパニでメロディ・ラインを強調する
ワインガルトナーの勧めにしたがっている。
これは、その唯一の例ではなく、
エグモント序曲の勝利のエンディング、
334小節から336小節にも見られ、
これもまた、後年の演奏からは見られなくなる。」

今回、後年のものも聴き比べてみたが、
ユニークなのは、やはり1939年のライブであろう。

恐ろしいエネルギーが冒頭から放射され、
さすがにライブならではの熱気がある。
スタジオ録音における、
行き場のない苛立ちのようなものは感じられず、
第1楽章の細かいリズムの刻みが、
聴衆の心の動きと共に高まり、
この貴重な一夜の時間が、
濃密に流れていく事が感じられる。

それは、親密な情感を第1とする、
「第8交響曲」にはなくてはならぬものだと思う。

それにしても、再現部主題を補強するティンパニが、
何と、胸の高鳴りを煽り立ててくれることであろうか。
ライブの興奮の最中、ティンパニなしでも、
この瞬間、聴衆の心には、
こうしたスイングが生まれていたに相違ない。
私は、この瞬間を聴くだけでも、この録音には価値があると思った。

解説にあったように、
歯を食いしばった笑み、といった要素が、
この大戦前夜の録音にはあるかもしれないが、
それはそれで必然とも思え、
その他の楽章で、かき鳴らされる、
突然の音楽の変化もまた、
推進力となって、
この平易な交響曲の演奏でありがちな、
無風地帯を感じることがない。

独奏で浮かび上がる楽器の響きも楽しめる。

得られた事:「トスカニーニは、ブッシュ四重奏団を最前列で聴くほど愛好し、ドイツの本流を受け継ぐ彼らと、ブタペスト四重奏団の架け橋でもあった。」
「スタジオ録音のすぐあとで行われた『第8』演奏会のライブ録音は、居合わせた聴衆の胸の高鳴りのように、第1楽章再現部のティンパニがスイングする。」
[PR]
# by franz310 | 2014-06-15 19:47 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その410

b0083728_23102522.jpg個人的経験:
トスカニーニ指揮の
「第7」と言えば、
戦前から、NYフィルのものが
決定盤とされるほど有名で、
戦後に録音したものも、
JVCがXRCDで復刻した程、
名盤とされていた。
これらは、カーネギーホールでの
収録ということもあって有利。
逆に、いわば、戦時中に、
8Hスタジオで録音されたものは、
あまり知られていなかったはずだ。


トスカニーニが亡くなってから、
むしろ、最近になってから、
こうした貴重な音源が、
数多く出て来た背後には、
アルトゥーロ・トスカニーニ協会なる団体があって、
そこが、収集していた音源が出所になっているらしい。
今回のCDには、少し、そのあたりことが書かれていた。

1939年の年末と言う、
この緊迫した状況下で録音された、
一連のトスカニーニ録音は、
これまでも聴いて来たとおり、
一種、独特な世界を作り上げていて、
多くの聴衆を魅了してやまないが、
私は、いったい、どこからこれらが出て来たのか、
ちょっと悩ましく思っていた。

本当に多くのレコード会社が、
同じ音源から製品を出しては、
不慣れな我々に混乱をきたしている。

これまでも、有名なNAXOSや、
Music&Artsの他、
かなりいかがわしいが音は聴きやすい
GRAMMOFONO2000、
いかがわしいだけに見える
LYSなどのCDを聴いて来たが、
今回のものは、かなり、日本では、
日本クラウンが90年代に広く頒布したので有名な、
スイス、レリーフ・レーベルのものである。
(ただし、これは日本盤ではない。)

このCDのデザインは白黒写真を基調として、
日本で出されたトスカニーニのスケッチ仕様より、
私にとっては好ましいものだ。

このレリーフ社の「全集」は、
「第1」と「第4」、「第2」と「第5」といった
実際の演奏会の曲目とは異なっていて、
GRAMMOFONO盤なみにめちゃくちゃだが、
幸い、この「第7」は、
「七重奏曲」や「エグモント」序曲と組み合わされ、
演奏順も、11月18日演奏会の完全収録となっている。

なお、ナクソスのものも、
同じようにこの3曲が一枚のCDに収められているが、
ナクソスにある、ハミルトンによる放送用解説は、
このレリーフ盤では省かれている。

ナクソス盤の弱点は、
演奏の質感を大切にしたのか、
若干、ノイズが目立つことだが、
このレリーフのものは、
そのあたりは、条件が良いよいように思われる。

音楽之友社から出ていた、
「輸入盤CD読本」には、
GRAMMOFONOやLYSといった、
謎のイタリア系復刻レーベルは出ていないが、
この、RELIEFは出ていて、
「スイスの歴史的録音のリリースを専門にしているレーベル」
ろある。

日本語のあいまいさで、
「スイスの歴史的録音」か、
「スイスのレーベル」か分からないが、
トスカニーニのニューヨークでの演奏を出しているので、
後者と考えるべきであろう。

このレーベルの実体はよく分からないが、
CDの作り自体は、イタリア系のものより、
しっかり、かっちりしている感じはする。

ブックレットの最後のカタログには、
トスカニーニの他、フルニエとヘスのリサイタルや、
ホルショフスキのベートーヴェンなどがあり、
YUVAL TRIOなる団体のディジタル録音もあるので、
単に、著作権切れビジネスをやっているわけではなさそうだ。

このユーバル・トリオは、
グラモフォンからもレコード、CDが出ていた、
それなりに高名な団体である。

また、LISA DELLA CASA
Ricital Tokyo 1970というのがある。
何なんだこれは。

このトスカニーニのCDに関して言えば、
Disco Tradingのライセンスを受けている、
とあるが、これがまた、何のことだか良く分からない。
プロデューサー名は、Rico Leitnerとある。
この名前をネット検索すると、
スイスのマジシャンだとある。

ということで、意味不明であることにかけては、
少なくとも現状は、このレーベルも、
他のイタリア系レーベルと何ら変わることはない。

解説は、Peter Aistleitner
という人が書いていて、
これもネット検索してみたが、
何者か、該当する人物はヒットしなかった。

解説者がはっきりしている点では、
LYSの方がマシではないか。
GRAMMOFONO2000の解説者も、
特定不可能であったが、
内容はディープで面白かった。

これはどうか。

「19歳のアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の
リオ・デ・ジャネイロにおける指揮者としての
目を見張るような成功は、
指揮棒を下して、再びチェロ奏者に戻ることを許さなかった。
1886年12月、トリノのオーケストラのチェリストは、
非常に評判の高かったジョバンニ・ボルツォーニの指揮で、
初めて、ベートーヴェンの交響曲(第2)を演奏した。
トスカニーニがベートーヴェン(第1)を
指揮するまでには10年を要した。
1896年5月3日、ミラノ・スカラ座での
デビュー・コンサートの一環であった。
同時代の批評家は、これを、
『un grande successo di cassetta:
ma un successo artistico ancora superiore』
だと書き、
聴衆も、終楽章のアンコールを、
『con insistenza eccessiva』に求めたが、
トスカニーニの後のキャリアでもそうだったように、
これは拒絶された。」

このように、この解説は、
ところどころ、イタリア語になっていて、
スイスのレリーフ社が、どの程度のものか、
推察できる内容になっている。

「ベートーヴェン没後100年記念に、
1926年10月、一週間かけて、
スカラ座のオーケストラと200人の合唱団で、
全9曲の演奏を行った。
これは、マエストロの最初の全曲演奏であったのみならず、
ミラノでも初めての試みであった。
父親のリハーサルを録音するために、
ワルター・トスカニーニは、
スカラ座に機材を送り込んだが、
残念ながら、結果は失敗に終わった。
トスカニーニは、あと4回の全曲チクルスを行っている。
そのうち二回は1934年と42年の、
ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団とのもので、
放送や私家録音はあるものの、
発売されたものはない。
1933年から1936年の記事では、
よく計算されたルバートと、
よく伸縮するスタイルが賞賛されており、
ハーヴェイ・ザックスは、
これがこの時期のマエストロの特徴だと、
RELIEF821の解説に書いている。」

RELIEF821は、
ブックレット最後のカタログに出ていないので、
何のことやらわからない。

「1939年、72歳の年に、
トスカニーニは全曲チクルスを二回も行っている。
5月には、ロンドンのクイーンズ・ホールで、
BBC交響楽団と、
10月28日から12月2日には、
6週間にわたり、スタジオ8Hで、
NBC交響楽団と演奏している。」

このあたりの事は、
Music&Arts盤に、
ばっちり書かれているので、
あまり貴重なものではない。

「B.H.ハギンズの証言、
『トスカニーニとの会話』(1979年第2版)
によれば、
このNBCの放送は、
『最初の何年かの、
トスカニーニが、
沢山の若い弦楽の名手の応答性や、
卓越した能力に触発され、
また、彼らもまた、彼のすさまじいパワー、
カリスマ性、献身性に発奮された、
異常なエネルギーと熱気を孕んだ演奏』
の証拠である。
この演奏会シリーズの第4演奏会
(1939年11月18日)
は、『エグモント』序曲で始まったが、
これは、HMVからシェラック盤で出ていたものだ。
1953年のRCA盤の発売後も、
これに先立ったライブ演奏が、
『トスカニーニの最高のもの』(ハギンズ)
とされていた。」

この曲のこの録音は、RCAからも、
「第5」、「第8」のスタジオ録音との
組み合わせで出されていた。

「プログラムは、
トスカニーニ自身の編曲による、
ベートーヴェン『七重奏曲 作品20』
のアメリカ初演が続く。
これは、トスカニーニが若い頃から、
特別に愛着を持っていた曲である。
ある逸話によると、
パルマ音楽院にいた時、
この曲のスコアを買って、
級友たちと演奏するために、
何日も肉料理を我慢したと言われている。」

この曲が、RCAからも出ているのは、
このような背景があるからで、
この逸話は、ぜひ、載せて欲しかったが、
これはかなえられた。
ナクソスのCDの解説は、
曲の解説だけで、こうした内容はない。

七重奏曲は、シューベルトの「八重奏曲」との関係が
語られる曲であるだけに、
トスカニーニのこうした趣向は、
是非とも知りたくなる。

「1970年代中盤には、
ごく限られた時期のみ、
全曲演奏の一部だけが、
アルトゥーロ・トスカニーニ協会が、
オリンピック・レコードと共同で、
LPで発売していた。
CR1861、CR1871から、
レリーフ社は、
この有名な演奏会シリーズを、
デジタルリマスターしてCD化して
発売し続けている。」

このCR1861は、前述の「第1」と「第4」で、
CR1871は、「第2」と「第5」である。

これを見ると、
レリーフ・レーベルは、
トスカニーニ協会の正統な後継者だ
と言っているように見える。

ただし、このトスカニーニ協会というのは、
非常にややこしく、
諸石幸生著の「トスカニーニ、その生涯と芸術」
によれば、
1969年に活動を開始した、
テキサスの団体があり、
70枚ものLPを出し、
一部はオリンピック・レーベルからも出されたが、
これは、1973年に活動を休止したという。

何と、トスカニーニ家とのトラブルのため、
とあるので、
これは、正統性を疑われた形となっているわけだ。

また、ロンドンにもトスカニーニ協会があるという。

レリーフ・レーベルのものが、
初代とも言えるテキサスの団体が
持っていた記録を使っているとすれば、
あるいは、もっとも最も状態のよいものと
考えることもできるかもしれないが、
必ずしも、そうではないようにも思える。

さて、この1939年のチクルスでは、
Music&ArtsのCDの解説が、
大変、読み応えがあるが、
ここには、この「第7」を含む演奏会について、
このような文章が載せられている。


「(第6、第5の)一週間後の11月18日の、
第4回演奏会は、
トスカニーニによるオーケストラ版の
『七重奏曲』の初演に加え、
『エグモント』序曲、『第7交響曲』が含まれていた。」

ちなみに、「七重奏曲」は、交響曲全集には関係ないので、
Music&Artsの5枚組にも、
GRAMMOFONO2000の5枚組にも含まれていない。

このレリーフ盤、それから入手しやすいナクソス盤は、
これを含んでいて貴重である。

「『レオノーレ第3』と共に、
『エグモント』はトスカニーニの最も好んだ序曲で、
テープ録音が可能になった後、
スタジオで録音した唯一のものである。
しかし、後年のものは素晴らしい事は確かだが、
この録音の思い悩むような力に比べると、
音もきんきんして、幅広さに欠ける。
約4年前、アーネスト・ニューマンは、
1936年1月1日の演奏会の前に、
現地のオーケストラに対し、
この序曲のリハーサルをするトスカニーニを、
モンテカルロで聴いている。
彼は、自分が求めていたことができるまで、
オーケストラをどうして良いか分からず、
153小節のフレーズを10回も繰り返した。
『書かれたものの向こうにある、
曲線や密度の最もかすかなニュアンスによって、
トスカニーニが表したかったことなどは、
原則、演奏においてはどうでもよく、
ベートーヴェンが意図したものが何であるか、
まさしくそれが何であるかを彼は我々に感じさせた。』
こうした体験が、この後のもの同様、
この演奏にも反映されているはずである。」

トスカニーニのような指揮の達人でも、
どうやって、それを表現してよいか分からず、
オーケストラと共に試行錯誤しているかのようで、
非常に考えさせられる一節である。

「『田園』同様、『第7』は、1897年という早い時期から、
トリノでレパートリーに入っていたが、
『英雄』や『田園』に比べると、
少ない回数しか演奏していなかった。
しかし、1930年のニューヨーク・フィルとの欧州公演、
1940年のNBC響との南米ツアーでは、
お気に入りの演目となって、
1936年のRCAへの録音の結果か、
他の何よりも、トスカニーニの交響曲指揮者としての
全世界的な名声の確立に寄与したものとなった。
今回の演奏は、よく統制され統合されたという意味で、
トスカニーニは、早くもNBC響によって、
ニューヨーク・フィルの驚異的アンサンブルを再現し、
それに近づけたものだ。
全チクルスを通じ、ここでの演奏は、
最も磨き上げられ、統合されている。」

この「第7」は、
ニューヨーク・フィルのものではどうしても聞き取れなかった、
低音弦の存在感が圧倒的な分が効くのか、
ものすごく中身が詰まった、雄渾な演奏に聞こえる。

名盤とされるニューヨーク盤の音質が、
どうしても弱々しい以上、
三年しか録音年が違わない、
こちらの演奏で、トスカニーニの「第7」を、
代表したくなってしまう。

このように、Music&Artsの解説は、
ニューヨーク・フィルほどに、
まだ、新星NBCは、到達していない、
ということが前提になった文章だが、
今回は、先に、B.H.ハギンズの
NBCは、ニューヨーク・フィルとは、
別の可能性を持ったオーケストラであった、
という解釈も目新しかった。

「解釈の点でも、1936年のものよりも、
広がりはないものの、
(戦後の彼の録音よりも)すばらしく制御されていて、
その結合部で、
ニューヨーク・フィル時代の特徴である柔軟性は残し、
第1楽章の再現部では、強調された表現が見られ、
第1主題の木管による優しい語りが続く。」

自然に燃え上がった演奏で、
冷徹なものが多い1939年のチクルスでは、
異質な感じかもしれない。

第2楽章なども、
素晴らしい緊張感が持続して、
強烈な牽引力を感じる。
ここでは、透徹したトスカニーニの本領も聞き取れる。

「全体として、効果は適度に圧倒的で、
ダウンズが、今度ばかりは言葉を失って、
満足してこう述べたとおりである。
『大騒ぎの終曲にも、
何かを読み取ろうとするわけでもなく』
『これ以上になく心からの、
効果狙いの効果がまったくない』。
今日、これを聴いてもわかるが、
このようなスリリングな再創造に対して、
批評家も反応を抑制できなかったことが
明らかに見てとれる。」

第3楽章も、興奮しながらも抑制されていて、
この執拗な楽章がまったく嫌味に感じられない。
トリオの簡素さも好感が持てる。

終楽章も、ダウンズが圧倒されたのも当然だと思える。
まったくこれ見よがしなことがなく、
普通の事が行われているだけなのに、
呼吸するように前進し、
音楽は内部から膨れ上がる感じである。
非常に充実した音楽だと感心する以外ない。

得られた事:「トスカニーニの解釈は、NBC交響楽団の名技性を獲得したことによって深化した。」
[PR]
# by franz310 | 2014-06-07 23:11 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その409

b0083728_1939451.jpg個人的経験:
戦争の年、1939年の
ベートーヴェン。
トスカニーニのチクルスの記録を
最初から聴き進めて、
ようやく「第5」を越えた。
この「第5」は「第6」と
同じ演奏会で演奏され、
実は、後半が「第5」、
第6「田園」は前半だった。
これは、曲の盛り上がりから、
多くの演奏会で、
よく取られる措置である。


日本の音楽好きには、カール・ベームが、
ウィーン・フィルを連れて来た時の事などが、
すぐに印象深く思い出されよう。

トスカニーニの39年の録音は、
著作権が切れているせいか、
いろんな会社がCD化したが、
ここで聴くのは、
Music&Artsなどが、
ヨーロッパの泥棒レーベルと呼ぶ、
LYSから出ているものである。

1996年に出た商品であるが、
当時の一つの試みとして、
プラスチック・ケースの回りを覆う、
厚紙ケースが付いている。
コンパクトさを損なう、
大げさな迷惑仕様である。

が、こうした歴史的録音を、
大切な宝物のように扱う姿勢には、
文句を言いたくはない。
が、宝物にするなら、
もっと気合いを入れて欲しいものだ。

デザインとしては、トスカニーニの白黒写真を中央に、
回りはオレンジ色で田園風景の絵画があしらわれている。
が、この絵画の正体が何であるかは分からない。

何となく、トスカニーニも年寄り臭くて、
田園風景も妙に感傷的で、
あまりスタイリッシュなものではない。

私は、LYSの出したトスカニーニは、
これしか持っていないが、
「トスカニーニの遺産」と書かれ、
「ベートーヴェン・チクルス Vol.3」
とあるので、このレーベルも、
包括的にトスカニーニの録音を発売したのかもしれない。

合わせて収められているのが、
「エグモント序曲」、「コリオラン序曲」、「フィデリオ序曲」と、
といった序曲集なので、
まるでLP時代の乗りである。

昔、私が持っていたクレンペラーの「田園」は、
確か、「フィデリオ序曲」が合わせて収録されていた。

マスタリングは、Studio DANTEの、
Christophe Henaultという人が担当。

解説は、Jean Charles Hoffeleとある。
ネット検索すると、ファリャの本などが出てくる。
ファリャとトスカニーニと何か関係があるのだろうか。

ブックレット3ページにわたって解説があるが、
内容は、トスカニーニの簡単な評伝である。

かいつまんで、この録音の頃を抜き出すと、
「戦時中、アメリカでの活動を拡大した。
1938年には、
デヴィッド・サーノフ、サミュエル・チョジノフが、
彼のために特に創設した交響楽団の指揮を依頼した。
有名なNBC交響楽団である。
約10年の間に、
彼は、ほとんどの彼の交響曲のレパートリーや、
オペラのレパートリーの多くを取り上げた。
1946年、彼はミラノに帰り、
再建されたスカラ座を指揮し、
1954年4月4日、
NBC交響楽団と、
ワーグナーに捧げたコンサートで、
お別れ演奏会を行った。
灼熱のトスカニーニの芸術は、
ヴィーン古典派や、
ベートーヴェンの交響曲に大改革をもたらした。」

私は、ここまで読んで、
具体性のない、ありきたりな表現に、
飽き飽きして訳出するのをやめようかと思った。

しかし、続く一節などは、まさしく、
この1939年のベートーヴェンに、
相応しい表現かもしれない。

「彼の切れの良い、断固たる指揮は、
音色に集中することなく、
むしろ彼の解釈の白黒の様相によって、
その芸術にある力の印象を強調する」

同じトスカニーニの指揮でも、
BBC交響楽団では、
名手ぞろいの管楽器奏者たちが、
伝統と個性で楽曲を彩ったが、
NBC交響楽団の演奏では、
確かに、まったく色彩が感じられない。

以下の部分はこの解説の締めくくりであるが、
トスカニーニによって多くの才能が、
霞んでしまった、というような、
苦言とも見える内容になっている。

「トスカニーニの全世界に及ぶ名声は、
完全に評価されているとはいえ、
ベルナルディーノ・モリターリ、ジーノ・マリヌッツィ、
ウィリー・フェレーノ、ヴィクトール・デ・サバータ、
アントニオ・グアルニエリといった、
セルジョ・フェイローニからフランコ・フェラーラに至る、
多くのイタリアの指揮者の才能をかき消してしまった。
トスカニーニは公式に、
若い指揮者のグイド・カンテッリを、
その後継者として指名し、
指導したこともあったが、
この人も37歳で亡くなり、
20世紀後半の最高の指揮者となりえた人は、
我々から失われてしまった。」

さて、トスカニーニの「田園」では、
この1939年の録音は、
どんな位置づけになるのであろうか。

GRAMMOFONO2000では、
「第5」の解説の後に、
こんな解説が続くが、
ここでも即物的で色のない世界が語られているようだ。

「よりトスカニーニが愛した交響曲、
『第6』は、
決して終末論的な高揚もなく、
あくまで現実の世界のもので、
湿った地球の香りが漂い、
夜の香気がある、
さっと描かれ、さっぱりした田園風景の再発見で、
時として、ほとんどコミカルで無邪気である。」

また、Music&Artsの解説には、
もっと、精密な分析があり、
「『田園交響曲』を取り上げた、
トスカニーニのプログラムは、
1897年から1954年の間、
『英雄』以外のどの交響曲よりも多い。
しかし、『第5』とは違って、
この曲の録音は、
この演奏から、たった2年しか遡れず、
1937年6月と10月のBBC交響楽団とのもので、
1938年2月にはNBCでの演奏がある。
これら三つは、細部しか異ならず、
好みによっては、この演奏は、
HMVの録音では省かれた、
第1楽章のリピートがあるゆえに重要である。
トスカニーニとしては、このチクルスでは、
最大限のリピートを実施すると決めていたようで、
彼が常に履行していたとはいえない、
第1楽章では、『英雄』と『第7』以外で、
(これらを彼が反復した例は知られていない)
これが行われている。
因習にとらわれず、
ここで見られる彼の純粋に音楽的、
直観的なアプローチは、
バーナード・ショーが、『16曲の交響曲(1951)』
で紹介した、
トスカニーニが1937年のコンサートのために、
BBC交響楽団と『田園』をリハーサルした時に関する、
首席ヴィオラ奏者による、
あまり知られていないが印象的な証言、
をよく表している。
『あの時、トスカニーニは決められなかった。
“どうしよう、私は、
これまでいつもダ・カーポしていたが、
どうも、間違っていたようだ。
この楽章のバランスを考えると、
こうする方が良さそうだ。
よし、戻ろう。“
リピート以外では、
これらの3つの演奏は、
いずれも、その抑揚に愛情が溢れ、
特にアンダンテがそうだ。
BBC盤がその自発性や、
無比の木管群で輝くとすれば、
この録音に聴く統合力、コントロール、
そして明晰さもまた、同様に満足すべきもので、
これら3つは、これらの観点で、
いずれも1952年の、
RCAレコーディングより優れている。」

ということで、
私が聴いたことのない、
1938年のものがベスト、
などという結果にならずに済んでよかった。

ただし、RCAのレコーディングを、
一聴すると、実は、この最晩年の演奏も、
伸びやかさがあって悪くないことが分かる。

モーティマー・H・フランクという人は、
「年を取るにつれて、演奏のテンポが速くなり、
リズムもいっそう堅くなっていったという定説」
が間違っているという証拠がここにある、
と強調している。

「こと、この交響曲に関して言えば、
よりテンポが速いのは初期の演奏で、
リズムやフレージングが素晴らしく柔軟なのは
後期のものなのだ」。

なお、「田園」からは話が逸れるが、
1938年という年の録音では、
R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」
(何と、チェロはフォイアマン)と同日に演奏された、
10月22日の「第5」はGuildレーベルのCDで聴ける。

これは、東京エムプラスから出た時に、
山崎浩太郎氏が、コメントを書いていて、
「初期のNBCの『運命』では、
『これがベスト』」という評価を書いており、
「田園」も出ていたら聴きたいものだ。

この1938年の「運命」は、
マエストロが後で聞き直してみたい、
という要求に応えるために
保存されていたものらしいが、
翌年の演奏よりも、録音が良いように思えるのはなぜか。

この1938年の「運命」に関して言えば、
第1楽章提示部の繰り返しを行っているし、
1939年のものよりもテンポが速く、
全ての楽章の演奏時間が短く、
ちょっとあっさりと小ぶりか。

第4楽章が来る前の、きらきら感も、
1939年の演奏の方が見事である。

この調子の「田園」であれば、
ちょっと即物的にすぎ、
楽しめないかもしれない。

いずれにせよ、1939年の「田園」が、
様々なレーベルから簡単に入手できることはありがたい。

ただし、何度も書いたが、
実況放送のコメントまで入って、
当時にタイムスリップできるのは、
NAXOS盤のみである。

「ベートーヴェンの
全交響曲のプログラムは、
第6交響曲ヘ長調
『田園交響曲』へと続きます。
これは、最初のアレグロに、
『小川のほとりの情景』
と名付けられた緩徐楽章、
『村人たちの楽しい集い』のタイトルのスケルツォ、
『嵐と雷雨』を表す楽章と、
フィナーレの『嵐の後の祈りの感情』からなります。」
と、ジーン・ハミルトンが、
テキパキと手際よくしゃべっている。

トスカニーニが演奏する前に終わらないといけないので、
かなりのドキドキであったと思われる。

ナクソスのCDは「運命」と、
「コリオラン序曲」が入って、
1枚で済みお得であるが、
1999年に出たもので、
24ビットのプリズム・サウンドの技術を使い、
音質的にも満足の行くものである。

したがって、私がLYSのCDを持っている意味は、
ほとんどない。

「田園」は、出だしから自信なさそうで、
第1楽章で活躍する木管楽器などは、
弦に埋もれがちで、よく聞こえない。

第2楽章の水墨画的な陰影も、
悪いわけでもないが、何となくふらついて、
心もとない感じが無きにしもあらずである。

第3楽章も録音が少し遠い感じか。
第4楽章は、じゃーんと来るところであるが、
金管楽器が割れたりせず、
ティンパニのごろごろが、
ずしんと来るかがポイントであろう。

特に過不足はないが、
ナクソスでは、始まって
咳払いなどがリアルに聞こえて、
うれしくなってしまう。
悪名高いホール8Hとは、
こんな感じなんだろう、
と思わせるきちっとした音。

ただし、ナクソスのものは、
放送した音源を使っているせいがあるのか、
かなり、パチパチノイズが他のものより目立つ。
特に気になるのが、第2楽章の第2主題前からのもの。
逆に言うと、よけいな処理が入っていないようで、
それなりに貴重で、弦楽の表情は分離度がよく繊細さがある。

しかも、当時の聴衆が、楽章と楽章の間に、
拍手をしているのまでが収録されていて、
記録として非常に興味深い。

Music&Arts盤はその点、
ノイズがあまり気にならない。
咳はなまなましく、
切れがあって迫力がある。
このCDは全集だが、「第5」との組み合わせ。

LYSも時々パチパチ音があるが、
それ以前に、音が歪み気味。
戦前の録音を、まともに聴かせるには、
やはり、いろいろやらないとだめだ、
と考えさせられる部分もある。

ヴァイオリンは優美で悪くないが、
ナクソスほど、低音弦の迫力はない。
終楽章の最後の高揚感も輝かしい。
私は、トスカニーニが感興に乗っている声を、
そこそこ再現している点に関しては、
ついつい高く評価したくなる。

が、曲が終わっての拍手が収録されていないのは、
少しずる賢い感じがする。
「田園」に序曲を組み合わせた
CD化における曲の組み合わせからしても、
ライブ録音である点をごまかしているのではないか、
などという意地悪な見方もできる。

一番、色彩的に聞こえるのは、
GRAMMOFONO2000ではなかろうか。
弦のざわざわ感も良く、
ティンパニに重量感があるせいか、
リズムの粘りさえ感じられる。
あるいは、いくぶん、残響を付加しているのかもしれない。
第2楽章のぱちぱちノイズもナクソスよりは抑えられている。

ヴァイオリンの明るい響きは、
このCD特有のもので、
音に密度があるので、
押しつけがましい点もあるかもしれない。

トスカニーニの唸り声が、
同様に、存在感を持って聞こえている。

終楽章の感謝の歌では、
トスカニーニの声があることによって、
私もまた、そこに参加できる感じ。
音質で文句がない分、
ホルンがつっかえたり、
オーケストラの破たんが気になる場合もある。

ちなみに、このGRAMMOFONO2000のCDは、
意表をついて、「第7」との組み合わせ。
「第6」と「第7」を抱き合わせたCDなんか、
これまであっただろうか。

それにしても、
GRAMMOFONO2000の
CD解説に書かれていた、
「終末論的な高揚もなく、
あくまで現実の世界のもの」
という表現は、どう捉えたら良いのだろう。

戦争が始まった年の記録で、
夢物語を語らなかったというのであれば、
確かに、そういった感じがないわけではない。

「湿った地球の香りが漂い、夜の香気がある、
さっと描かれ、さっぱりした田園風景の再発見」
という表現も悩ましい。
これなどは、ファリャの専門家が書いた、
LYSの解説に載せて欲しい名文句である。

ちなみに、GRAMMOFONO2000の音質は、
確かに、そんな感じの音質で、
最後の「感謝と喜び」も、
しめやかに夜の気配が偲びこんで来る感じがする。

そう聞いてから、ナクソスなどで聴いても、
やはり、昼日中の輝かしい光景というより、
コンサート会場での儀式のような感じすらある。

したがって、
このような聴き方になってしまうと、
「時として、ほとんどコミカルで無邪気である。」
などと書かれた部分も分からなくもない。

これまで私は、嵐の後、青空が見えて、
村人たちが、それを見上げている感じの音楽
だと思っていたのが、
ここでは、海の向こうでは戦争、
ここでだけは、慎ましく平和を享受しましょう、
みたいな表現に矮小化されているのだろうか。

LYSのCD解説で、ファリャが専門の、
Jean Charles Hoffeleが、
「白黒の田園」と評したように、
この田園は「夜の田園」なのだろうか。
ファリャの夜は、しかし、神秘の夜である。

ついつい比較したくなる、
BBC交響楽団との演奏(スタジオ録音)は、
その意味で、もう少し開放的な広がりがある。
オーケストラが、飛び出してきて、
乗りに乗っている感じがする。

テンポが上がって行く第3楽章から、
各奏者のでしゃばり方は微笑ましく、
様々な光が明滅していて、
この流れは、第4楽章に突入していくが、
弦楽の軽快さ、金管のさく裂、
まことに神業のような輝きである。
惜しむらくは、ティンパニが良く聞こえない点だが、
終楽章の清らかな調べで、
そのあたりの不満は消し飛んでしまう。

ポルタメントをかけた弦楽群の押しの強さや、
晴れやかなホルンが印象的で、
楽器の遠近感が広がりを感じさせ、
刻むリズムも息づいている感じ。

1937年という古い録音ながら、
決して白黒写真にはなっておらず、
これは明らかに日の光の下の音楽だ。
トスカニーニもためらう事なく、
気合いの入った声を響かせ、
オーケストラをどんどん高揚させていく。

一方、NBCの39年の演奏は、
各フレーズが、かちっ、かちっと決められていて、
輪郭が濃く描かれている感じが強い。
特に、ナクソス盤で聴くと、
妙に、低音弦のごうごうした感じがよく再現されており、
これがまた、すごい影を宿すことになっている。

得られた事:「トスカニーニの1939年の『田園』は、克明に描かれた輪郭が濃く、ニューヨークの狭い空間に描かれた束の間のユートピア、『夜の田園』と書く人もいる。」
「LYSのCDは、少し歪が気になるが、音質としては平均的。トスカニーニの唸り声は、そこそこ再現されていて引き込まれる。」
[PR]
# by franz310 | 2014-05-25 19:41 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その408

b0083728_235562.jpg個人的経験:
1939年という、
物騒な時代に、
トスカニーニが、
あえて全曲演奏した
ベートーヴェンの交響曲。
その異常な時代の
異常なテンションの演奏に、
多くの人が惹かれるようで、
Music&Artsや
NAXOSなど、
複数のレコード会社が、
これをCD化している。


NAXOSのものは、トスカニーニが開いた、
演奏会ごとの編集となっていて、
非常に資料的にも価値が高いと思われる。

「第5」は、初演時と同様、
「田園」と同じ日に演奏されたが、
こんな演奏会は、
特別なファンならずとも、
垂涎のものと言わざるを得ない。

いや、少し前の私であれば、
あるいは、トスカニーニのベートーヴェンなどは、
干からびたシシャモのようなイメージばかりがあって、
いくら当時のニューヨークにいたとしても、
聴きに行きたいと思わなかった
可能性がないとは言えない。

が、行かなくても、多くの人は楽しめた。
この歴史的演奏会は、
ラジオの電波にのって放送されたからである。

この日の演奏会の演目に、
このラジオのコメンタリーまでを収めた
NAXOSのCDは、
表紙のトスカニーニも朗らかで、
この指揮者の暑苦しい雰囲気を払しょくして好感が持てる。

実際、このCDのTrack1は、
アナウンサー、ジーン・ハミルトンの
ブロードキャスト・コメンタリーとなっており、
「再び、トスカニーニがベートーヴェン演奏会のために、
指揮台に戻ってきました」みたいなアナウンスがあって、
そこに、聴衆の拍手が重なって、
Track2のコリオラン序曲に繋がって行く。

ただし、このNAXOSのCD解説は、
この特別な機会のトスカニーニの演奏のことではなく、
楽曲解説に重点が置かれている。

「ベートーヴェンは1808年の夏、
『田園交響曲』を完成した。
この頃、ヴィーンを囲む森は今日よりずっと緑濃く、
それゆえ、ベートーヴェンは、
簡単に一人静かな散歩を楽しめた。」
といった感じである。

トスカニーニについては、
「1867年にパルマに生まれたトスカニーニは、
1876年にその地の音楽院に入り、
チェロとピアノと作曲を学んだ」とはじまる、
一般的な略歴があるだけ。

つまり、マエストロ72歳の時に行われた、
1939年のこのチクルスについての解説はなく、
「1937年にNBCにオーケストラを創設したから、
指揮をして欲しいという要請を受けて、
ニューヨークに戻ってきた」みたいな一節で終わっている。
(しかし、この1937年という年を覚えておこう。)

音源は同じながら、各レコード会社で、
音質は大きく異なり、装丁や解説などに、
各社のポリシーや色合いが出るようだ。

トスカニーニの演奏比較なら、
Music&Artsの解説がよい。

そこには、前の「第2」、「第4」の演奏会に続いて、
「11月11日に行われた
このチクルスの次のプログラムは、
最もトスカニーニが愛したと思われる『田園』と、
『第9』と共に最も彼が問題視していた『第5』が、
この順番で演奏された。」
と書きだされており、
「第5」は、1931年と33年の
ニューヨーク・フィルとのものがあって、
これらと比較でき、
その解釈の変容が分かることで重要だとある。

これらはRCAが商業的に発売は失敗したものだが、
より幅広いテンポとこの時代ならではの伸縮自在が見られ、
第1楽章のコーダでの加速が、
トスカニーニが気に入らなかったため、
発売を許さなかったのではないか、
などと、クリストファー・ディメントは書いている。

RCAへの録音を含め、
1938-39年の初期のNBCとの演奏を見ると、
彼は、この楽章をもっとタイトにして、
もっと推進力を与えて統一したかったようだ。
後の1945年5月の欧州終戦記念日(VEデー)の演奏も、
ピッチは興奮気味であるが、
1952年の彼の最後の記録では、
再びリラックスを見せているという。

ここに書かれているうち、
1939年のRCAへの商業録音は国内盤でも、
VEデーの演奏記録もMusic&Artsで、
聴くことが出来るが、
このうち、1939年の録音について、
特に、下記のような解説が続いている。

「トスカニーニは、このコンサートの、
わずか数か月前に『第5』の録音を丹念に行っていた。
彼が満足するために、
それは2月27日、3月1日、29日の3セッションを要した。
明らかにこの特別な経験によって、
この演奏会での演奏で、彼は、
このスコアでの満足すべき主張が出来、
NBC時代における、
トスカニーニの最も満足できるものが出来たことが聞き取れる。
それは適度に激しく、たっぷりしているが、
劇的で、抒情的な要素を与えており、
アンダンテの終わりに向けて小さな混乱や、
フィナーレでホルンが外すことはあるものの、
のちに、ここまで達することが出来なかった程に、
オーケストラは指揮者の激しい要求に呼応している。」

また、この演奏会シリーズの歴史的意義のようなものなら、
GRAMMOFONO2000の解説に見ることが出来る。

ただし、GRAMMOFONOの解説は、
Alessandro Navaという、
イタリア人が書いた文章を、
Timothy Alan Shawという人が、
英訳したもので、
どっちが悪いのか分からないが、
おそらく両方悪いのだろうが、
非常に高踏的で難解である。

とにかく、どの文章もカンマが多く、
単語もやたら難しく、様々な比喩と、
あまり馴染みのない固有名詞が頻出する。
もう少し、普通に書けないのか、
と文句を言いたくなるが、
上記人名の人は沢山いるようで、
何者なのかよく分からない。

この胡散臭さが、ますますもって、
読むべきか、読まざるべきか、
悩ましい状況に追い込んでくれる。

そもそも題名からして、
「The Scream and the frenzy」。
「叫びと狂気」とでも訳すのだろうか、
非常に物騒なものである。

果たして、このトスカニーニのベートーヴェンは、
金切声を上げて、狂乱したものなのであろうか。

「1939年の秋、ヨーロッパは、
まだ、出入港禁止にはなっておらず、
まだ、東欧の街や平原での無差別の殺人の愚かさに、
憤る感情を持つことが出来た。
ツヴァイク、マン、クローチェ、
ブルム、エリオットの欧州は、
は二重の運命に苦しんでいた。」

ということで、第二次大戦勃発時の、
きな臭い話から、このCD解説は始まっている。
あまり読んだことのない内容である。

トーマス・マン、シュテファン・ツヴァイクは、
日本でも有名な小説家で、
ヨーロッパから亡命している。

トーマス・マンは、
裏切り者扱いされたので、
つらい立場に引き裂かれたのは分かる。

しかし、改めて調べると、
ツヴァイクの方がめちゃくちゃで、
ブラジルまで行って、
戦争に悲観して自殺までしている。

ベネデット・クローチェは反ムッソリーニのイタリアの思想家、
ブルムはフランスの政治家で、国内にとどまった。
T.S.エリオットはアメリカ生まれで英国に帰化した詩人。

では、彼らの二重の運命とは何か。

「一方で、
西洋の精神の衰退の最終衰退のごとき、
恐ろしい戦争の恐怖を知りながら、
自身に蓋をして、
もう一方では、まだ生き残っている
古い啓蒙的、リベラルな精神を守るための
生きるための浄化作用として、
個人の逃亡を捉えた。
しかし、すぐに、旧世界の運命は、
力ずくで決められることになる。」

内容がまことに難しいが、
見て見ぬふりをしたり、
亡命をしたということであろう。

「多くの独伊の亡命者の中でも、
トスカニーニは、世界的な名士として特権を持ち、
その断固とした伝説的なイメージは、
米国のマスメディアでも有名であった。
NBCの重役の一人、
デヴィッド・サルノフのはからいによって、
ここ2年は、彼は新設されたばかりの
NBC交響楽団を指揮していた。
彼は歴史上初めて世界中に聴衆を持った指揮者であり、
生ける伝説であった。
彼は、アインシュタインやルーズヴェルト、
ツヴァイクからも手紙を受け取っていた。
ヒトラーやフルトヴェングラーからは憎まれたが、
フルトヴェングラーは、ドイツとイギリスの一部だけでしか、
トスカニーニ並みの名声は得てはいなかった。」

先に特記しておいたように、
1937年に彼はすでに、
NBCに来ていたわけで、
この1939年といえば、
それから2年が経っていたわけである。

ということで、すでに2年の実績があり、
ニューヨーク・フィル時代もあったので、
祖国から離れたと言っても、
トスカニーニの個人的、物質的な境遇は、
まったくもって、多くの人がうらやむようなものであった。

「しかし、この国際的名声とは別に、
マエストロは深い苦悩の時期に入りつつあった。
ヨーロッパでの戦争の勃発は、
まったく心の準備の出来ていないものであったし、
自分が恐らく、二度とイタリアや
ヨーロッパを見ることのできない、
米国で一生を終える単なる流刑者にすぎず、
これがドイツの兵力に、
屈した都市だけの問題ではないこと、
結局、屈するのは、ヨーロッパ文明そのものの、
最高かつ一級のものであろうことを、
今や、彼は気づいていた。」

ということで、このチクルスが決行されたのは、
トスカニーニがまさしく、ヨーロッパと決別した年、
のっぴきならない状況下の記録
としてこれらの演奏を捉えることが出来るようなのだ。

「ドイツがポーランドに侵攻した50日後に、
トスカニーニがニューヨークで、
ベートーヴェンに捧げた、
大きな交響楽チクルスを行ったのは、
おそらく偶然のことではない。
短波ラジオに乗せて、
彼の反抗の叫びが、ここに託された。」

以下、トスカニーニがベートーヴェンを選んだ理由、
選ばずにはいられなかった状況が語られるが、
文章は難解を極めていて困った。

「他ならぬベートーヴェンこそ、
ワーグナー以上に、
ナチスのイデオロギーに閉じ込められた芸術家で、
さらに悪い事に、
恐ろしく、暗く、脅迫的な記念碑に変えられて、
彼の音楽は、ドイツの民衆の前途たる
血の海を指し示すための準備がなされていた。
私たちは、単に公平な目をもって眺め、
ただ、遅れて来た後期ロマン派の堕落が、
ベートーヴェンの解釈を
推し進めていたことを知るべきである。」

後期ロマン派の解釈で、
ベートーヴェンが演奏されてきた事は、
後期ロマン派の権化のごとき、
マーラーのような指揮者が指揮してきたので、
それはまず良いとして、
そのままナチスに繋がるという所に、
ロジックの飛躍がある。

また、後期ロマン派は血の海を志向するのだろうか。

とにかく、原点に戻ることで、
トスカニーニは、下記のような、
健全なベートーヴェン像を打ち立てたかった事は
わからないこともない。

「軽快でくっきりと眩く、
実験精神と誌的な光で湯あみした、
啓蒙思想下の初期ロマン派の作曲家が、
ドイツ楽界の指揮者たちによって
重々しく荘厳な顔を一方に持ち、
大げさで常に威圧的な顔を一方に持つ、
二つの顔を持つ怪物に変容させられてしまった。
つまり、
いつものように一本調子の司祭が、
ワーグナー風の神のために、
あるいは、あたかも、
作品が似つかわしくない
婦女子は飲み込んでしまうような
ダッハウ強制収容所の煙突のために、
芸術の領域での儀式を取り仕切っている。
『全世界の愛の賛歌』たる『第九』を書いた
まさにこのベートーヴェンは、
主治医モレルによって処方された薬で、
おかしくなったヒトラーの如く、
すさまじい壮大さで傷つけられ、毒され、
ヴァルハラの巨人のように巨大化され、
1942年という時期には、
フルトヴェングラーが総統の誕生日に、
何ら罪の意識もなく指揮した作曲家となった。」

ここで、出てくるテオドール・モレル博士は、
かなりイカサマ師風の医者だったようで、
ヒトラーの主治医で、彼をヘンテコな薬漬けにした。

「半世紀にわたる旅行やキャリアを経て、
トスカニーニがこうしたタイプの人物に、
たくさん会ったであろうことは想像に難くない。
言葉では言い表せない行為で、
6000万人を死に至らしめることを、
今や準備しながら、
交響曲を身請けしようとする人たちを。
少し努力して、
偉大な音楽家が、
修辞学で侮辱されつくし、
ニーベルンゲンの人物のように、
カリカチュア化された、
感傷的なベートーヴェンが、
どのように彼に見えたかを想像してみよう。
こうして、もう一度、恐ろしく精力的に、
マエストロは
ドイツ文化が全欧で消滅させようとしていた、
理性の光をかきたてようと決心した。」

実は、このような文章は、
それほど大げさなものではないように思える。
たとえば、今回、「第5」などを聴いていると、
特にそう思えてしょうがない。

トスカニーニ72歳。
老骨と言って良い。
その人が、原点を求め、語るべきは語り、
無駄はざっくり切り捨てて、
改めて提示したベートーヴェンの真実。

ざっくり切り捨てたのは、
終楽章などのコーダなどに明らかで、
芝居がかったところが皆無で、
拍子抜けするくらいである。

この後、この解説者は、
フランス革命の精神をまさに受け継いだ、
20世紀に刻印を残す
ベートーヴェン全曲演奏として、
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮の1962年のもの、
そして、
1965年にイタリア-スイス放送の、
ルガーノのオーケストラを振った、
ヘルマン・シェルヘンのチクルスがあると書いている。
そして、それらはすべて、
この1939年のトスカニーニのものを
モデルにしているとある。

そして、今回の演奏をこう書いている。

「タイトなリズムの韻律、
きっちりとして透明な
オーケストラの織り上げ方、
容赦ないアゴーギグ、
これらが30年代のライブ、
40年代後半から50年代初頭の
スタジオ録音を支配する要素となっている。
もっとも、後者は本質的に騒々しくなっているが。
1939年10月28日から、
12月2日に行われたライブの録音、
そして、全世界に放送された、
交響曲と序曲からなる大きなチクルスには、
こうしたベートーヴェン経験の核心がある。
この巨匠の重要な研究家たちが、
その長いキャリアの頂点であるとした時期。
2年前、最後のザルツブルク公演で、
オペラの世界と決別して、
トスカニーニは、今や、ベートーヴェンのスコアに、
ヴォルテールのような見方で向き合った。
ウィルヘルミーネ文化による地層の上に乗って、
石膏のようになった、
恐るべき硬化した堆積物が完全に消し去られた、
きれいな黒板の前に立っていたようなものだ。」

この一文はかなり難解だが、
ウィルヘルミーネとは、
ブランデンブルク=バイロイト辺境伯
フリードリヒ3世の妃で、
フリードリヒ大王の姉であった、
ヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセンの事だと思われる。

ヴォルテールを庇護し、
文化にも通じていたので、
この人が作った層とは、
ロマン主義以前の古典的な啓蒙主義の事だと思われる。

それで、ようやく下記の文章が分かるのである。

「ワーグナーの救済やドイツ哲学は、
このラテン的な啓蒙主義の中にはある場所がなく、
まず何より、ベートーヴェンの楽譜や音符を見れば、
それらは明らかなのである。
それは絶対的に明晰で精緻である。
彼は、一種、ソクラテス的なあり方で、
勇敢な放棄をもって、
反抗と忍従の混合した精神を想起させようとしていた。」

この最後の部分は難解であり、
ベートーヴェンとソクラテスの関係も知らないが、
とにかく、こうした所からは、
自信満々のワーグナーのオレ様思想は出てこないととは分かる。

では、この解説で、トスカニーニが振った、
「運命」として知られる「第5」は、
どのように記載されているだろうか。

「『第5』では、トスカニーニは、
きっぱりと汎ドイツ的な大言壮語に対して、
きっぱりと答えを出している。
恐ろしい韻律による最初の部分は、
あたかも、ベートーヴェン流の
『そうでなくてはならぬ』が、
要塞のような堅固な信念には
屈することになる
甲高い凶暴な力に抗っているように見える。」

このように、このベートーヴェン・チクルスの、
「第5」は、トスカニーニの明らかな変化を語る上で、
聞き逃すことが出来ないもののようである。

つまり、1930年代前半のややロマンティックなものと、
最晩年のリラックスした表現の間にあって、
緊張感が高く、研ぎ澄まされた表現の極致となっている。

指揮者とオーケストラは、
レコード録音のためのリハーサルをした後でもあって、
技術的にもこなれており、
そこにライブならではの高揚感が加わって
いかにも戦争への挑戦といった具合に、
時代の証言が鳴り響く感じなのだ。

先に「研ぎ澄まされた」と書いたが、
「ドライ」という感じではない。
この39年ライブでは、
トスカニーニは、唸り声も激しく、
感興のままにふるまっている感じもする。
が、第2楽章などは、まったくもって、
休息の音楽などではない。

第3楽章も、1点1画もゆるがせない、
雄渾な表情に決然としたものが感じられる。

そのせいか、この文章を書きながら、
遠くから、きらきらと、
希望の光がやってくるような瞬間を経て、
終楽章の高揚が来た時には、
GRAMMOFONO2000の解説にあったような、
ヨーロッパ文明破壊への抗議以上に、
最後には、こうしてそれは復興するであろう、
といった祈りと確信表明の音楽にも聞こえて胸が震えた。

私は、33年のニューヨーク・フィルの、
何となく高雅な表現も好きであるが、
そこでは省略されていた、
第1楽章提示部の繰り返しが、
しっかりと行われていることからも、
妥協のない、確固たるものを
残そうという意気込みが伝わってくる。

また、日本では、同じ39年のスタジオ録音が有名であるが、
これは、まったく感興の起こらない、硬い音楽で、
聴いていて疲れる感じの音質もその印象に輪をかけている。
3回ものセッションを持ったということなので、
こねくり回してすぎたのか、
音楽の息吹が打ち消されてしまった。

得られた事:「トスカニーニは、ヒトラーを生み出したドイツ・ロマン派的英雄主義によって、捻じ曲げられたベートーヴェン像を見直すことで、ナチズムに挑戦した。」
[PR]
# by franz310 | 2014-05-10 23:06 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その407

b0083728_2225412.jpg個人的経験:
トスカニーニの戦前の、
ベートーヴェン録音は、
どれも聞き逃せず、
ニューヨーク・フィルとの、
「第5」と「第7」、
BBCとの「田園」など、
ファン垂涎の名盤が並ぶが、
私にとっては、
「第4」が貴重である。
人気があるとは言えないが、
何故か、同時代の演奏が、
聴き比べられるからである。


NBC交響楽団では、伝説的と言われる
ベートーヴェン・チクルスのものがあり、
第2夜に「第2」と一緒に演奏された、
1939年11月4日の放送用の録音がある。

また、同じ1939年には、
これより半年前の、6月1日に、
英国のBBC交響楽団との最後の記録として、
演奏されたのが、
やはり、この交響曲であった。

さらに、3年さかのぼれば、
1936年2月2日の
ニューヨーク・フィルとの録音があり、
まことに贅沢なことに、
トスカニーニ所縁の3つのオーケストラの違いを
聴き比べることが出来る。

それだけではない、1936年と言えば、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを辞任した年で、
その後任となった、バルビローリの演奏が、
やはり1936年12月13日の演奏がCD化されていて、
これは、以前、紹介したことがある。

トスカニーニのライヴァルということでは、
フルトヴェングラーも、
少し遅れるが、戦時中、1943年に、
この曲の代表的名盤とされるものを録音している。

さらに下れば、バルビローリのライヴァル、
トーマス・ビーチャムもこの曲を、
1945年に録音しており、
ここまで時代を下れば、
トスカニーニの1951年のライブを聴いて、
さらに比べても良いかもしれない。

「英雄」や「第9」も、
トスカニーニはやたら演奏が残っていて、
聴き比べできるが、
肝心のニューヨーク・フィルのものがない。
(あるのかもしれないが、私は知らない。)

ということで、この「第4」を軸に、
いろんなことを考え、非常に楽しい体験ができる。
「第4」は、なかなか表題を付けにくい作品だが、
極めて個性的で、一筋縄ではいかない交響曲だ。

そのせいかは分からないが、
アンセルメのような、
ベートーヴェンとは関係なさそうな指揮者が、
1958年にライブ録音を残していたり、
東独の大御所コンビチュニーが、
西側のザルツブルクに出てきて演奏した、
という興味深い録音がぽつんとあったりする。

カラヤンが最後に日本で演奏したのも、
この曲だったのではなかろうか。

全くの偶然であるが、こんな聴き比べは、
実は、ドナルド・キーン氏も行っていて、
中公文庫の「音楽の出会いと喜び」に、
「アメリカ人演奏家のために」という一章がある。

ここでは、ちまたで言われているように、
本当にアメリカのオーケストラはだめだめなのか、
と検証するべく、
ラインスドルフ、ショルティ、
マゼール、セル、バーンスタイン、
オーマンディ、カラヤン、ベームという、
いかにも1979年に実施したに相応しい録音で、
この「第4交響曲」を聴き比べしているのである。

彼が、この曲を聴き比べに使った理由は、
この曲には、「人間みと暖かみ」が必要とされるから
(本当にアメリカの楽団には暖かみがないかを調べるために)
であった。

また、キーン氏は、
「この曲は、多くの解釈の余地を残す偉大な作品」
と書いてもいるが、多くの指揮者が、
様々なアプローチを行う理由もここにあるのだろう。

しかし、この時代に比べると、
レコード産業はかなり衰退したらしいが、
確かに、上に並んだ指揮者による、
「第4交響曲」がすべて出ていた時代は、
違う意味で「すごい」とも言える。

実際のところ、
私は、どれも聴きたいと思わないからである。
あえて言うなら、セルだろうか。

ちなみに、私が最初にこの「第4」を聴いたのは、
ちょうどこの時代であって、モントゥーが指揮したものが、
廉価盤LPで出たのを機にしてのことだった。
この時、モントゥーは、「第2」も出たが、
どちらも美しい音楽で、
調べると、ウィーン・フィルとの録音だったらしい。

「人間味と暖かみ」が必要であるとすれば、
この組み合わせの録音で、
この曲を知った私は幸福であったと言えよう。

ちなみに、私は、レギュラー価格で出ていた、
カラヤン、ベーム、マゼールなどは、
とても買える境遇ではない学生であった。
その「恨み」のような感情が、
ひょっとすると、
これらの指揮者を聴きたくなることを
妨げているのかもしれない。

ということで、トスカニーニの「第4」であるが、
1939年の録音は、連続演奏会の放送用のもので、
多くのレーベルで入手可能。
NAXOSのものはコンサートごとにまとめており、
しかも、放送用のアナウンサーの声も入っている。

Music&Artsのものは、
基本はコンサートごとだが、
アナウンサーの声はなく、
「第7」と「第8」は、
コンサートとしては別の日であったが、
同じCDに詰め込まれている。

また、私が音質的に好きなのは、
GRAMMOFONO 2000のものだが、
これは、交響曲の番号順にまとめてある。
今回は、このCDで聴いたが、
1998年に出たもので、
「NEW 24-BIT RESTORATION」
と大きく書いてある。

全体が黒を基調にまとめられ、
トスカニーニの横顔があしらわれたデザインだ。

ただし、Music&Artsの解説が、
聴き比べをする際には便利なので、
再び、これを読んでいくことにしよう。

「第4交響曲は、NBCのプログラムで、
1951年のライブ録音を含め、
たった3回しか演奏されておらず、
比較的演奏されなかった、
もう一つの交響曲である。」

ということで、トスカニーニの演奏は、
たまたまこの時期に重なっていただけで、
彼自身、この曲を好んでいたかは、
分からない記載である。

「この曲においても、1936年2月の
ニューヨーク・フィルとの、
早い時期のバージョンでは、
特に第1楽章で、リラックスしたテンポ、
古典的な抑制が見られ、
同様に、1939年5月の
BBCのバージョンでは、
この場合、木管が遠くて、
録音の解像感がないことによって、
いくぶん、損なわれているとはいえ、
親しげな自発性が見られる。」

このように、各楽団とのアプローチの違いが、
いきなり強調されている。

「そして、1939年5月のBBCの演奏会のものや、
古いワインガルトナー、LSOのような敏捷さが、
少し硬いスケルツォには欠けているとはいえ、
ここでも、真の劇的な迫力、
演奏の正確さと、堂々とした点で勝っている。」

ということで、聴くときのポイントは、
1.第1楽章の序奏のテンポ
2.スケルツォの俊敏さ
3.演奏が堂々としているか
ということにあるようである。
「堂々としているか」は難しいが、
テンポの遅い速い、
俊敏であるかないか、
は、そこそこ簡単に聞き分けられそうである。

「そうは言っても、トスカニーニは、
38小節に及ぶ序奏部を、
ミクロコスモスの世界を創造しており、
興味深いことに、BBCでの録音同様、
正確に3分半をかけており、
ニューヨーク・フィルとの超拡張アプローチから、
30秒も短くしている。
しかし、ここでも録音にいささか難があり、
8HスタジオのX線のような音響効果は、
伴奏バスと低音木管の繊細なバランスが残ることを許さず、
すべての魔法の痕跡が消え失せている。
事実、この録音の音には、
こうしたことを考慮する必要がある。」

ということで、録音が良いかどうかも重要そうである。
特に、BBCのものは、スタジオ録音で、
最も、条件が良いはずだが、
木管の音が「遠い」と文句をつけられている。

「この夜の魔法は、翌日のダウンズの記事、
『第4交響曲の演奏は、
ベートーヴェンが牧歌的な気分で書いたことを、
しばしば想起させるオーケストラの、
まるで神秘的な沈黙と憂鬱のような部分に、
音の透明性を与えて素晴らしかった。』
からも推し量ることが出来よう。」

この後は、同日演奏された他の曲目の
演奏会評であるから、第4に関しては、
影のある部分の透明性が重要だったようである。

では、序奏の印象勝負:

1936年2月ニューヨーク・フィル盤:
最初の木管楽器の音色がずっと続いて、
しかも、かなり、ゆっくりとした音楽。
まるで、荒涼たる荒野を彷徨っているような風情。

ちなみに、主部になると、猛烈なドライブで、
オーケストラが煽られていくが、
第2主題では、テンポが落ち着く。

経年変化であろうが、
目立つがりがりノイズがあるが、
鑑賞の妨げになるものではない。

1939年6月BBC交響楽団盤:
緊張感が増し、何かが起こりそうな、
不気味さが冒頭から充満している。
しかし、霧が晴れていくように、
少しずつ、隙間が開けてくる感じ。

主部に入る前のじゃーんは、
英国風なのか、マイルドな感じで、
主部に入ってからも、
何やら微笑みのような余裕を感じる。
格調高く曲は進むが、
確かに木管による主題の登場は、
いささか分離が悪い。
しかし、逞しく、余裕があり、古典的である。

1939年11月NBC交響楽団盤:
かなり即物的で、
それほど、神秘感も不気味さもない。
ただ、リズムをがつがつと踏みしめて、
平常心で先に進む感じである。

演奏会場が、悪名高い8Hスタジオのせいか、
いささかダイナミックレンジに余裕がない。

主部に入る前の爆発はさく裂系であるが、
ここに入ってからも、
テンションは高いが、
基本的にきちっとした感じが強い。
戦争が始まって規律重視になったのだろうか。
音がぎゅうぎゅう締め付けられているようだ。

この時期(以降)のトスカニーニに
共通して感じるのは、
木管のふっくらした感じなどは、
どうでも良い解釈ではないかということ。

1936年12月バルビローリ、ニューヨーク・フィル盤:
序奏のテンポは遅く、
ねばねばするくらいに音が延ばされている。
が、各楽器の音色が出ては消えて、
無重力感というか、不思議な空間に迷い込んだ感じ。

主部に入る前のじゃーんも、
長く延ばされて、
主部に入ってからも、
バルビローリらしい優雅さを感じる。

木管主題も、色彩的だが、
トスカニーニのような推進力よりも、
流麗な音の連なりを重視した音楽である。

1943年6月フルトヴェングラー、ベルリンPO盤:
(ソ連変換からのライブ)
ものものしい中、静かな緊張感が目指されたか、
客席の咳などノイズが目立つ。
じゃーんになるまでの、
テンポのゆらぎがフルトヴェングラー的である。
テンポはトスカニーニのニューヨークPO盤より速く、
思ったより遅くはない。

この交響曲に、
かくも強烈なティンパニのさく裂がある事は、
この録音まで気づかなかった。
木管主題は、そこそこ印象的であるが、
この前後のテンポの揺らぎの方が気になる。

なお、これを聴いて注意して聴きなおすと、
トスカニーニ、ニューヨーク・フィル盤も、
かなり、ティンパニを強打していた。

1945年8月、10月ビーチャム、ロンドンPO盤:
かなり速く、妙にギクシャクしたテンポの序奏、
かなり肩の力は抜けている。
神秘感はよく漂っているが、
主部も軽快で、走り抜けて行く感じ。

1951年2月、トスカニーニ、NBC交響楽団盤:
1939年盤同様、神秘性などはなく、
また、39年盤のような緊迫感もない。
ただ、主部が来るのを待っているだけみたい。
この曲で序奏が、これほどまでに軽くみられると、
第4のありがたさは半減した感じもする。

主部では、新しい録音だけに、
木管の響きなどが明晰ではあるが、
かなり気忙しい音楽で、むやみな激情型。

よく言われることだが、
高齢のトスカニーニは、
微妙なニュアンスを
伝えることが出来なかったのではないか、
という意見に納得せずにいられない。

第2楽章比較編:
トスカニーニ、ニューヨークPO盤:
かなり音質が悪いが、
そんな中から聞こえてくるクラリネットの音色など、
あえざえとして美しく、夢いっぱいの音楽である。
8分56秒かけていてトスカニーニの中では長いが、
他の指揮者は、トスカニーニよりけた違いに長い。

トスカニーニ、BBC交響楽団盤:
確かに、クラリネットがよく聞こえない難点はあるが、
きわめて格調が高いなか、微笑みを感じる。

トスカニーニ、NBC交響楽団盤(1939):
毅然とした感じで、強い意志を感じさせる曲の進行。
音がデッドで、クラリネットの音色の魅力は乏しい。
しかし、うっとりと歌っている感じは伝わる。

バルビローリ、ニューヨークPO盤:
10分12秒かけていて、恰幅が良い。
最初から、弦のたっぷりとした魅力的な歌で聴かせる。
クラリネットも印象的で、
テンポの動かし方も丁寧な演奏である。

フルトヴェングラー、BPOライブ(1943):
11分59秒という、意識が遠のいていくような、
恐ろしいテンポ設定で、ほとんど音楽が止まっている。
そこに、ティンパニが撃ち込まれながら、
活力を増して行って、クラリネットで忘我の歌が出る。

ビーチャム、ロンドンPO盤:
9分35秒。
陶酔的なものではなく、ロマンティックでもない。
よく流れる音楽で、クラリネットも格調高い。

トスカニーニ、NBC響(1951年)盤:
これはカーネギーホールでのライブなので、
もっと、豊かなニュアンスが欲しいところだが、
録音のせいもあるのか、平板な印象の音楽に聞こえる。

第3楽章のスケルツォ比較編:

トスカニーニ、ニューヨークPO盤:
音が悪くてかなり不利だが、
ストレートで気迫にあふれた音楽で、
木管楽器はここでも美しい。

トスカニーニ、BBC盤:
さすがスタジオ録音で、解像度が増し、
ロンドンのクイーンズ・ホールの録音であるためか、
このがちゃがちゃした音楽の残響や、
楽器の遠近法のようなものが堪能できる。

トスカニーニ、NBC(1939年)盤:
ここでは、1点1画をおろそかにしない、
きちっきちっとした音楽が、
抽象的な美学にまで達しているような感じ。
楽器の出たりひっこんだりも、
かちかちっと決まっている。
「少し硬いスケルツォ」とされたが、
確かにそんな感じ。
「俊敏さに欠ける」というのは、
オーケストラの機能が悪いと言うか、
この演奏の量感を生かした解釈によるものだろう。

バルビローリ、NPO盤:
これは、トスカニーニ、NBC(1939)とは、
明らかに異なる美学を感じる演奏である。

量感をぶつけるのではなく、
あくまでも音の美質を追及していて、
どの瞬間にも破綻がなく、
各楽器の音色が際立っている。
音楽の自然な流れが、この指揮者には、
非常に重要だったことが分かる。

フルトヴェングラー、BPO(ライブ):
噛んで含むような、妙に落ち着いたスケルツォで、
ぎくしゃくとした音の面白さを楽しむ風情、
各楽器のブレンド感も立体的で良い。
この巨匠にしては、ここで、ひと息つきたかった感じか。

ビーチャム、LPO:
これだけいろいろ聴くと、
それほど特色があるものではない。
ただし、トリオに入る前には、
効果を狙った入魂の一瞬がある。

トスカニーニ、NBC響(1951年)盤:
力ずくでごりごりしているが、
木管楽器が出たり引っ込んだりするときの、
立体感や、色彩感は印象に残る。

終楽章比較編:

トスカニーニ、NPO盤:
非常に雄渾かつ開放的で胸躍る演奏である。
劣悪な録音ながら、
カーネギーホールでの演奏であるせいか、
楽器の魅力が聞き取れる。

この演奏はあまり普及していないものだが、
全体的にトスカニーニ、ニューヨーク・フィルの、
魅力を現代に伝える貴重な録音と言わざるを得ない。

有名なRCAとの「第7」は、
この演奏の2か月後のものだが、
大交響曲のはずなのに、立体感に乏しく、
どうも単調な感じがしていたが、
この「第4」は、色彩的で推進力もあり、
何かしら柔軟、繊細ですらある。

トスカニーニ、BBC盤:
古いながら録音条件が良かったため、
音質は格段に良いと思える。
確かにファゴットなどの軽妙な音色を、
もっと捉えて欲しかった気はするが。

音楽の活力、よく言われる自発性に加え、
推進力や迫力、楽器の音色の魅力も
言うことがない。

トスカニーニ、NBC盤:
一心不乱で突き進み、
ざっくりと切り刻んでいく迫力はすごい。
ダイナミックレンジに限界がある録音がまた、
この感じを強調しているようだ。
トスカニーニの入魂の度合いも、
全二者とは違うようで、パンチがある。

バルビローリ、NYP盤:
これまた音質に限界があるが、
さすが、バルビローリの美質は、
この初期の録音から健在という感じで、
とにかく、音の有機的なつながりも、
情熱的な表現も、この指揮者らしさを放っている。

ぼわーんという盛り上げも、
自然に湧き上がってくる感じが素晴らしい。

フルトヴェングラー、BPOライブ盤:
出だしこそ抑え気味であるが、
ベルリン・フィルの機動力解放という感じ。
ティンパニが連打され、
どうしても戦時中の音楽を意識してしまう。
この演奏は、繊細さと剛毅さのバランスが、
緊張感に耐えられず雪崩を打つような演奏。

この楽章だけで、
これだけのドラマを描いて行くのは、
どえらい演奏の証しなのであろう。

ビーチャム、LPO盤:
オーケストラからぴちぴちした表現を引き出し、
楽器の美観も良く、大騒ぎせず節度がある。
大人の音楽という感じ。

トスカニーニ、NBC盤(1951):
何だかヒステリックで、
1867年生まれなので、
84歳という高齢になっていたトスカニーニは、
すでに難聴気味にでもなっていたのではないか、
などと考えてしまった。

「第2交響曲に対しては、
彼はいくらか保留をしており、
『最初の二つの楽章は、
そうであって欲しいという理想的なもので、
トスカニーニ氏がラルゲットでとったテンポは心地よく、
流れるようで愉悦感に溢れ、
歌を弛ませたり、感傷的に堕したりすることがなかった。
しかし、スケルツォには、我々は、
無愛想で身なりの悪いベートーヴェンより、
もっと、デリケートで18世紀的な清潔さを期待する。
もう少し礼儀正しいベートーヴェンを、
スケルツォやフィナーレでは期待する。』
これに引き替え、『レオノーレ序曲第3番』では、
彼は、『荒々しく劇的』であるとしている。
『Musical America』誌では、
『バランス、明晰さ、音の磨かれ方、
構造的な結合、生命力、リズムの説得力の驚異』と、
列挙し、トスカニーニの演奏は『圧倒的』としたが、
実際、トスカニーニは、これ以降、
いくつかの試みを行ったものの、
1951年2月まで、同様の高みまで至ることはできなかった。」

ちょうど、今回、1951年2月録音の、
RCAへ録音した「第4」までを聴いてみたが、
この時期のトスカニーニは、
気忙しく、音楽の美しさに酔わせてくれない。

トスカニーニが振った
ベートーヴェン「第4交響曲」の
各楽章のタイミングを見てみると、
1936年のニューヨーク・フィル盤と、
1951年のNBC交響楽団盤の演奏は、
ほぼ同じ長さになっているが、
その印象はかなり違う。

1936年のものは当然音質は劣悪なのだが、
ずっとニュアンスが豊富で、
音楽に詩的なものが多く含まれている。

しかし、戦争が始まるころから、
トスカニーニは、そうした情緒的な要素を、
極力排除して、力学的、構造的な方向に向かっていったようだ。

なお、1939年のベートーヴェン・チクルスは、
多くの復刻で入手可能だが、今回は、
GRAMMOFONO 2000のもので聴いた。

得られた事:「トスカニーニにとって、1939年は大きな変化の年で、前半のBBCの録音と、後半のNBCとの録音で、かなりの差異がある。」
「1936年の前半と後半とで、トスカニーニとバルビローリが、同じニューヨーク・フィルを振ってベートーヴェンの『第4』の録音を残したが、トスカニーニのものはむしろ主情的、バルビローリのものは造形的である。この後の動きを見ると、むしろ、それぞれが反対の路線に近づいたような感じすらする。」
[PR]
# by franz310 | 2014-04-26 22:05 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その406

b0083728_17211873.jpg個人的経験:
1939年にトスカニーニが、
すさまじい集中力で振った、
ベートーヴェン・チクルス。
その伝説的連続演奏会の
第2夜(11月4日)は、
比較的演奏機会の少ない、
「第2」と「第4」を
集めたものであった。
これでは足りないと思ったのか、
最後に一連の序曲の中では有名な、
「レオノーレ序曲第3番」
が演奏されている。


このNAXOSのCDは、
この夜の演奏をすべて収めたものだが、
タイミング表示を見ると、
短めなはずの「第2」も「第4」も、
かなりたっぷりとした演奏で、
いずれも両者とも33分ほどの時間をかけていて、
CDも2枚組となっている。

LP時代のトスカニーニは、
これらを30分程度で演奏して、
LPの片面ずつに入れていたが、
ちょっと様子が異なるようである。

トスカニーニというと、
どうも豊穣なイメージではなく、
無機質で窮屈な感じが付きまとうが、
以上のような特徴から、
この2枚組CDは、
その先入観を打破するかもしれない。

表紙写真の、トスカニーニの表情からして、
いったい何なのだ、と言いたくなる。
が、この指揮者の一面を表し、
他に類例がないので、貴重なものではないか。

ただし、この表紙写真については、
残念なことに、何も書かれていない。

さらに、このCD(シリーズ)には、
トスカニーニの演奏の解説もない。

また、実際にCDを聴き始めると、
アナウンサー、ジーン・ハミルトンの、
放送当時のラジオ放送用のコメントから始まって、
この人の存在感が、妙に大きいことが分かる。

「グッド・イブニング、
レディーズ・アンド・ジェントルマン」
から始まって、
「土曜の夜、大きなスタジオは、
ナショナル・ブロードキャスティングの、
シンフォニー・ホールとなって、
大勢の聴衆で埋め尽くされて、
開演を待っています」
という感じで、
聴くものを、録音や放送があった、
当時のアメリカに誘ってくれるかのようである。

「先週から始まった、
歴史的なベートーヴェン・シリーズも第2回」とか、
「次々の交響曲の全曲と重要作品が演奏される」
とか、スリリングなイベントに立ち会っている、
という感じがこみあげてくる。

「アルトゥール・トスカニーニが袖に現れ、
ステージ上のマエストロのオーケストラの前に立ち、
ベートーヴェンの『第2交響曲ニ長調』を聴かせてくれます。」
というアナウンスに合わせて、
どんどん拍手も大きくなって行き、
我々の期待も大きく膨らむのである。

トスカニーニの演奏がどうだった、
という記事はないが、
このCD、曲目解説は、
廉価盤レーベルにしては、
かなりしっかりしたものと言って良い。

たとえば、「第2」などは、以下のように、
この曲が、いかに革新的な傑作であるかを、
十分に伝える内容になっている。

「ベートーヴェンの難聴は、
彼に語りきれない苦しみと苦悩を与えたに相違ない。
しかし、彼は、それにもかかわらず、
1802年の夏、
ウィーン近郊のハイリゲンシュタットで、
二番目の交響曲の作曲に取り掛かった。
彼の主治医、シュミット博士は、
神経を休めるために、彼をそこに送り、
そして、彼は、村の外の丘の家に住み、
シュミットと、弟子のリースだけを、
客人として迎えながら過ごした。
ここで、秋になって、
彼は弟たちに、後に、
『ハイリゲンシュタットの遺書』
として知られる手紙を書き、
内に込めた思いを書き、
音楽だけが、
自殺を思いとどまらせると宣言した。」

第2交響曲が、
この遺書と関連付けて語られるのは、
毎度の事だが、同時期のことであっても、
それがどう関係するのかは、
良く書かれてはいない。

ちなみに、指揮者の金聖響は、
講談社現代新書の「ベートーヴェンの交響曲」で、
「ハイリゲンシュタットの遺書」には2つあって、
一方は悩み、もう一方は、
「決意や未来への希望」が読み取れるとして、
これら2つの間の5日に、
悩みぬいて「再スタートを決意した」
と書いている。

また、この著書では、
この曲を聴くときは、楽譜を見ながら聴くべし、
などというアドバイスが書かれていて、
「何度でもながめて一生繰り返し楽しめる」
というコメントが補足されているのが面白い。

さて、NAXOSの解説に戻ると、
このような奮起のための交響曲というより、
当初、おそらく発表当時、この交響曲が、
極めて異質な作品として、
受け取られた事が書かれている。

「第1交響曲を歓迎した聴衆も、
ある批評家などが、
作曲家は、故意に、
新奇性と驚きを与えようとしている
と書いたように、
この新作は奇妙なものとして受け取った。
他の人たちも、あまりにも長く、
衝動的であるとしたが、
ある人々は、それにもかかわらず、
新手法を歓迎した。
終楽章で、ある批評家は、
不快でたまらなくなって、
作品を、『ぞっとする怪物』となぞらえた。
『傷ついた、尻尾を痙攣させた蛇が、
荒々しく悶え、恐ろしい息を吐いて、
最後は死の苦しみに息絶える。』」

ハイリゲンシュタットの苦しみで書かれたとしたら、
このような表現であってもおかしくはないが、
このような意見があったことは参考になる。

この書き方からは、ベートーヴェン自身が、
苦しみ悶えるのが聞き取れる音楽、ということになる。

ただし、ニ長調という輝かしい調性からしても、
そこまでこじつけるのは難しい。
初めてこんな巨大な音楽を聴かされた、
当時の人々ならともかく、
現代の我々からは、これほどまでに、
極端な意見は出てこないだろう。

が、このような評論を紹介されることによって、
ベートーヴェンが陥っていた、
そもそもの境遇を想起できるのは良い事である。

一方、
「もっと偉大な革新者であった、
ベルリオーズは、全体として、
音楽に、より明確なメッセージを読み取っている。」
という書き出しで、
以下のような文章が続く。

ベルリオーズ自身の言葉であろう。
このベルリオーズには、
「ベートーヴェンの交響曲」という
著書があるから、
そこからの引用かもしれない。

「1.序奏:アダージョ・モルト、ニ長調3/4;
アレグロ・コン・ブリオ、ニ長調4/4。
この交響曲は全曲を通じ気品があり、
エネルギーに満ち、誇り高い。
序奏は傑作である。
最も美しい効果が、
整然と次々と流れ出し、
しかも、予期することが出来ない。
歌は心を打ち、荘厳で、
すぐに敬意を感じずにはいられず、
聴くものの感情を高ぶらせる。
リズムは、常に大胆で、
楽器法は豊かで、朗々としており、多彩である。」

この10行ばかりは、わずか3分たらずの
序奏部33小節だけの解説であり、
ベルリオーズともなれば、
ここから、これだけのものを聞き取るのである。

このベルリオーズを手掛かりに、
金聖響の著書にしたがって、
楽譜を眺めながら聴くと、
確かに、いろんなことが見えてくる。

「じゃじゃーん」の後、オーボエが歌う、
流れ出すメロディ、繊細で慎重であるが、
確かに、「流れ出し」、「心を打つ」。
奇妙なリズムが刻み、「大胆」。
ホルンの応答の中、
不安や期待も「高ぶらされ」、「荘厳」。
フルートとファゴットが、
ヴァイオリンの楽句を模倣し、
以上書きだしただけでも「楽器法は豊か」。

序奏の中間部では、
スフォルツァンドのホルンが
アクセントを付けながら、
低音がぐるぐる旋回すると、
他の楽器が、
ああでもない、こうでもないと、
思い悩むような音形が繰り返される。

確かに、様々なものが実験されている序奏部である。

それにしても、このような文体は、いかにも、
ベルリオーズその人を表しているようで、
まるで、彼自身の交響曲の解説を読んでいるようである。

この作曲家が、どんなに、
ベートーヴェンに私淑していたかを、
体感できるような内容でもある。
ベルリオーズも高名な指揮者であったからか、
金聖響氏の意見とも、非常によく合致している。

「幻想交響曲」の、
あの神秘的な序奏も、
ベートーヴェンのこの曲を念頭に、
かくあるべし、と、
考えながら書いたのではないか、
などと考えずにはいられない。

「心を打つ歌」、「予期できぬ展開」、
といったものは、どれを取っても、
ベルリオーズが目指したものではなかろうか。

この序奏部の解説だけでも、
ベルリオーズの交響曲を聴いているような
気分に浸れる。
金聖響氏の著書に書いてあることも、
妙に肯けるのである。

トスカニーニの指揮は、
この悩ましい序奏部から、
恐ろしい気合いの入れ方で、
唸り声がひんぱんに出てきて、
魂を入れ込もうとしているかのようだ。

が、ここまで、峻厳な音楽を聴いていると、
改めて、この曲の初演時に、
初めてこの曲を聴かされた聴衆の気持ちも、
分からないではないような気がしてくる。

通常、もう少しほんわかとした印象を持つ、
この交響曲の、研ぎ澄まされた側面が、
びしびしとさく裂していき、
圧倒的なエネルギーがぶつけられてくるのである。

トスカニーニの後年のRCAへの録音は、
序奏部から飛ばし過ぎていて、
ベルリオーズの書いたような、
次々と繰り出される魔法が、
十分に味わえるようにはなっていない。

「アレグロ・コン・ブリオの魅惑的な疾走が、
この賞賛すべきアダージョに続く。
ヴィオラとチェロのユニゾンで導かれる
主題の最初の小節に見られる
けばけばしい装飾のグルペットは、
やがて独立して、クレッシェンドや、
木管や弦楽によって発展する。」

これもそう。
劇的交響曲「ロミオとジュリエット」が、
騒がしく駆け回るリズムで始まるのを想起した。

トスカニーニの演奏は、
直進するエネルギー感のようなものを、
重視して、火の玉が飛んでいくようなイメージ。
各楽器の反応も明敏極まりなく、
目まぐるしく、楽器が入り乱れる音楽進行が、
鮮やかに捌かれて行く感じである。
思いきりが良く、ティンパニの連打が強烈で、
すごい波にのまれていくようで心が高鳴る。

「2.ラルゲット、イ長調、3/8。
ラルゲットは、第1楽章の様式で捉えてはならない。
古典の模倣による主題ではなく、
むしろ、率直な歌である。
それは、最初はまず弦楽で奏され、
明るく滑らかな音形によって、
素晴らしく優美な刺繍を施される。
その性格は主要な着想が持つ、
独特の性格を形作る優しい憂愁から、
遠く離れることはない。
これは無垢の喜びの美しい描写であり、
ときおり、物思いのアクセントが、
わずかな影を宿す。」

ベルリオーズにも、
やはり、このような瞬間があった。
「愛の情景」を思い出すだけで十分だ。

トスカニーニの音楽は、
透明度が高く、色彩的ではないが、
硬質のペンで一息に描かれたような、
しっかりとした流れが魅力である。
陰影も最低限の斜線のような感じで、
べたつきがないのが、私には快感である。

ベルリオーズの意見に戻ると、以下に続く、
スケルツォの描写はいかがであろうか。
恐ろしく誇大妄想的で、
完全にベートーヴェンのイメージを突き抜けている。

いや、ベートーヴェン自信、
巨大な存在なので、
こういった要素も包含しているのだろうが。

ベルリオーズの書きぶりは、
同時代のシューマンが書いた、
シューベルトの交響曲の賛辞すら木霊しているようだ。

「3.スケルツォ:アレグロ、ニ長調、3/4。
スケルツォは、幻想的な気まぐれの中、
単純に陽気なもので、
第2主題は、全体的に晴朗な幸福感を持ち、
この交響曲に笑顔を見せる。
最初のアレグロの戦闘的な爆発は、
完全に暴力からは遠く、
そこには気高い心の青春の情熱だけがあり、
汚れなく、最も美しい人生の幻影が保たれている。」

私は、この打ち付けるような主題が、
戦闘的であって、情熱的であるが、
暴力的でないことは認めよう。

「作曲家はいまだ、愛や、不滅の栄光や、憧れを信じている。
この陽気さには、放棄されるものはない。
何と言う機知、何という皮肉。」

しかし、ここまで読み取るのは難しい。

「第2主題」とは、トリオの部分であろうか。
これもあっさりしたものではあっても、
「晴朗な幸福感」までを感じるのは困難だ。

特にトスカニーニの場合、
すごい起伏で、このスケルツォを責め上げ、
そのドライブへの没入が激しく、
時折、その頂点で唸り声を上げている。

「様々な楽器を聴いていると、
どれも完全な形をなさぬ、
主題の断片の上で論争し、
これらの断片が、千ものニュアンスで彩られ、
互いを呼び交わし、
オベロンの優雅な妖精たちの、
神秘的な遊戯を見ているような気持ちになる。」

楽譜を眺めれば、
様々な楽器に、音符が散りばめられて、
ベルリオーズが書いたような内容が、
そのまま図形になっているようにも見える。

さすがに、ここまで書き連ねて、
ベルリオーズも反省したのだろうか。
最後の楽章の解説は、
ショパンのソナタのように短い。
楽譜では、400小節以上もあって、
実は、それだけ変化に富んでいる。

「4.終曲:アレグロ・モルト、ニ長調、2/2。
終曲は、自然そのものである。
2/2拍子の第2のスケルツォのようで、
ふざけているように見えるが、もっと繊細で、
もっと愉快なものだ。」

トスカニーニには、ぜひとも、
この楽章のような、ぎくしゃくした音楽を、
結局、こういうことだろう、と、
男気を示して解釈して欲しいところだが、
この演奏では、それが裏切られることはない。

ということで、この解説は、
トスカニーニでもベートーヴェンでもなく、
ベルリオーズの存在感がやたら大きな解説である。

このCDの主役であるトスカニーニは、
「幻想」は振らなかったが、
ベルリオーズに心酔していたので、
それも許されるのかもしれないが。

肝心の1939年の、
ベートーヴェン・チクルス。
読み物としては、
Music&Artsの全集ものの解説が、
興味深いことを教えてくれる。

クリストファー・ディメントという、
トスカニーニの研究家が書いている。

「11月4日に行われた、
第2回めの演奏会は、
第2交響曲と第4交響曲を含み、
『レオノーレ第3番』序曲で閉じられるものであった。
他のどのベートーヴェンの交響曲より演奏頻度が少ないが、
この第2交響曲は、トスカニーニの残したものの中で、
もっとも初期のもので、しかも最良のものである。」

ということで、トスカニーニの、
ベートーヴェンの「第2」なら、
この演奏と、お墨付きがいきなり貰えるのが嬉しい。
フルトヴェングラーの場合も、
「全集」を作る時に、
この「第2交響曲」の録音が、
なかなか見つからなくて、
しばらく欠番だったはずである。
この曲は、「エロイカ」の成熟を前に、
しかも、「第1」の硬さも取れて、
良い感じの青春交響曲になっているはずだが、
何故、この両巨匠は、この曲を敬遠したのだろう。

下記のように演奏機会そのものが少なかったようである。

「ニューヨーク・フィルとは4度の機会に、
11回の演奏を行ったが、
NBC交響楽団とは、RCAへの録音を含め、
たった4回しか演奏していない。
この演奏では、彼は、いくぶん、
ドラマティックな説得力を孕ませ、
いかなる競合盤を凌いでいる。」

この解説を書いているディメント氏は、
ワインガルトナーの研究家でもあるので、
参考に書きだされているのが、
ワインガルトナー盤であるのが微笑ましい。

「ラルゲットに牧歌的な抒情性を持ち、
スケルツォにははち切れんばかりの機知がある、
1938年、ワインガルトナーが、
LSOを振った演奏とこの演奏のスピードが、
あまりにも似ていると考える人がいるかもしれないが。
彼はトスカニーニ同様、第1楽章を推進させる、
沢山のスフォルツァンドの機能を意識している。
しかし、ワインガルトナーは、
NBC交響楽団のようなオーケストラも、
トスカニーニのような劇的な天性も持っていなかった。
そして、この序奏の異常なまでの広がりや、
アレグロのダイナミズムは、
1949/51年のRCA録音を軽く凌駕する。
さらに、この楽章323小節で、
木管がいかにも自発的に刻々とテンポを変え、
340小節以降、コーダの最終ページで、
少しリタルダンドして、
後の録音で平板になったものより、
より複雑なテクスチャーとリズムを
取り入れていることも注目に値する。」

この解説では、後年の録音との差を、
「序奏の長さ」、「ダイナミズム」、「自発性」と要約し、
後年のものを「平板」と書いたようだが、
このあたりは、この交響曲の真髄とも言えるもので、
ここは押さえて欲しいところだ。

このCDのTrack7は、
オーケストラのチューニングに重なって、
アナウンサーの紹介で、
サミュエル・シャッツナー氏が語る、
「第2交響曲」の解説となる。

最初は、第2交響曲が何を表しているか、
などの話題から入り、
ある人は、これは「喜び」の表現だと言っている、
などと続けている。
「第1楽章はいささか荘厳で、いささか内省的だが、
すぐに、素早く明るい気持ちの音楽に飲み込まれる。」
「第2楽章のラルゲットは、
愛らしい歌だが、悲しくはなく、
ある人は抒情的で楽観的であるという。」
「第3楽章のスケルツォは、そこにあるべき、
機知に富んだユーモラスなもので、
第4楽章は、雲一つない
きらめくような喜びである。」

そして、
「明らかに、第2交響曲は、
成功した32歳の作曲家の
バイタリティや、高邁な精神、
自信、健康を表しているが、
ベートーヴェン自身は、
精神的にも肉体的にも、
最悪の状況にいた」
として、
後半はハイリゲンシュタットの遺書の紹介となっている。

「ハイリゲンシュタットの農家の、
小さな2部屋に引きこもっていたが、
弟子のリースがやって来て散歩に出た」
といった、伝記の一節のような記述が読み上げられ、
「羊飼いの笛が聞こえなかった」
という有名なエピソードが語られる。

ハイリゲンシュタットの遺書の内容は、
「難聴を隠すことによって、
社交から遠ざかり、
誤解されることが私を二重に苦しめる。
半年ばかり田舎に住んでいるが、
隣にいる人が聞こえる羊飼いの笛が聞こえないとは、
何と言う屈辱だろう。
そして自殺も考えたが、『芸術』がそうさせなかった。
求められた全てを創造するまでは、
死ぬわけにはいかない。」
というものだが、
「『徳』こそが、人間を幸福にする」という、
有名な言葉がこれに続く。

言うなれば、「徳のある芸術」が、
この第2交響曲などを支えた考え方なのかもしれない。
したがって、めそめそしたり、
悲劇ぶったりする交響曲は書かれず、
力強く、人間の生きるエネルギーを、
神に感謝するような音楽が生まれ出たというわけである。

なるほど、「ハイリゲンシュタットの遺書」と、
「第2交響曲」は、こんな関係で捉えられるわけだ。

なお、このCD(1枚目)最後(Track8)には、
最後の演目である「レオノーレ序曲」の解説が、
アナウンサーの声で入っているが、
おそらく、休憩時間の残り時間を利用したものなのだろう。

得られた事:「ハイリゲンシュタットでの絶望を克服するとき、ベートーヴェンは恨みつらみではなく、『徳と芸術への感謝』で復活したので、生まれ出た交響曲(第2)も、様々な楽器がその存在感を溢れ出させる輝きの交響曲となった。」
「ベートーヴェンの『第2』のトスカニーニの39年盤は、その輝かしさの中に、エネルギー感とパンチ力があり、ハイリゲンシュタットでベートーヴェンを追い込んだ運命の苛烈さや、ベートーヴェンの反発力の強さがびしびしと感じられる。」
[PR]
# by franz310 | 2014-04-13 17:22 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その405

b0083728_21271527.jpg個人的経験:
トスカニーニと
NBC交響楽団が演奏した、
ベートーヴェンの交響曲と言えば、
1949年から52年に
録音されたものが、
日本でも一般に広く流通したので、
代表的名演として知られている。
が、この録音年月日から見て
すぐ分かるように、
一括して録音されたものではない。
中には、1曲を2回に分けて
録音されたものさえある。


1949年のものもあるが、
一般に、「1950年代初頭のもの」とされる、
この「全集」の各曲を並べてみると、まず、
第1番は、1951年12月に録音されている。

第2番は1949年11月と、51年10月に、
何と、2年もの月日をかけて完成されている。

第3番は、その気分転換であろうか、
1949年11月、12月に分けて録音され、、
第4番は、1951年2月と、
1年以上経ってから録音されている。

また、中核となる2曲も、1年以上後であるが、
第5番は1952年3月、第6番は1952年1月
に相次いで録音されていて、全集完成が急がれた感じ。

第7番は、得意とした曲ながら、
ニューヨーク・フィル以来ということか、
1951年11月で、それより早い時期に属し、
第8番は、最後に回された感じで、1952年11月、
第9番は念入りにやられたのか、
1952年3月と、4月に分けて録音されている。

実は、この後、1953年という時期にも、
トスカニーニは「英雄」を再録音している。
ややこしいことに、
最近出されている「全集」では、
「英雄」は、こちらの方を利用しているようである。

この1953年12月と言えば、
トスカニーニが引退する半年前に当たり、
ぎりぎりのタイミングで録音された、
最晩年の演奏として位置づけられる、
ということになる。

トスカニーニの引退公演は、
本人が混乱して演奏が乱れたことで知られ、
「英雄」の最後の録音も、
これ以上遅い時期であれば、
かなり危なかったと考えることが出来る。

一方、1939年の「英雄」は、
NBC交響楽団とのベートーヴェン・チクルスの一環で、
全曲が短い期間に一括して演奏されたもので、
他の8曲のレコード化は、指揮者が許さなかったのに、
これだけは許したといういわくつきのものである。

これはRCA(BMG)からも
単発的に日本盤が出ていたので、
多くの人が聴いて、
1953年のものと比べられ、
ライブ特有の迫力が、
何度も語られてきたものである。

このような「英雄」を含む、
1939年のベートーヴェン・チクルスは、
今は、様々なレーベルから発売されているが、
ナクソス(NAXOS)・レーベルが、
1998年頃に復刻したものは、
実は、私には、かなり貴重なものに思える。

多くのレーベルが、
ライブ収録の音楽部分のみを取り出して、
しかも、当時の演奏順までを無視して、
CDに詰め込んでいる中、
ナクソスのものは、
NBCが放送した時の、
放送ナレーションまで含めて、
演奏された日時ごとにCD化しているのがよい。

これによって、チクルス初日、
「第1」と「第3(英雄)」が演奏され、
放送された時の、
時代の空気感のようなものまでが、
CDの中に収められているように、
感じることが出来る。

序曲や小品まで、すべてが収められ、
CDの枚数にして、8枚にも及ぶ大作になったが、
拍手までカットされて5枚程度に圧縮された、
他のレーベルのものでは、
絶対に味わえない臨場感が味わえる。

そもそもNAXOSは廉価レーベルなので、
全部集めても高くない。

表紙の写真もそこそこ渋く、
トスカニーニ入魂の一瞬を感じることが出来る。
色使いも控えめで、シンプルな体裁も、
トスカニーニのベートーヴェンに相応しい。

「第1」と「第3」のCDは2枚組で、
「フィデリオ」序曲も冒頭に収められ、
コンサートの休憩時間に流された、
サミュエル・チョジノフ(Chotzinoff)の、
9分近いコメント(ベートーヴェンの解説)も生々しい。
この人は音楽評論家であり、
トスカニーニをNBCに招聘した人でもある。

ここでの解説では、シャッチノフと紹介され、
NBCの音楽コンサルタントで、
文筆家、音楽家、ニューヨーク・ポストの評論家、
などと肩書が述べられている。

「ベートーヴェン以前は、音楽家は奴隷であったが、
貴族から音楽家を解放した」みたいなことを、
シャッチノフは解説していて、
それをすべて音で聴くことが出来る。

フランス革命やシラーの影響を受け、
ベートーヴェンは育った、
などと、ベートーヴェンの、
プチ伝記が語られている。

ブラウニング家の援助や、
ヴィーンでのデビュー、
テプリッツでのゲーテとの散歩まで、
かなり大づかみで、
ベートーヴェンの音楽史上の
位置づけが紹介されているのだが。

さて、「英雄」交響曲であるが、
トスカニーニは、特に、この曲を好み、
多くの機会に演奏して、
今では、様々な機会に演奏されたものが、
様々なレーベルから復刻されている。

特に、第二次大戦終結記念のコンサートなどでも、
この曲は演奏されており、
敗戦国である日本の人間が聴くのも、
悩ましいCDも出ている。

この終戦記念コンサートのCDも、
Music&Artsから出ているが、
解説を読んでも、残念ながら、
トスカニーニと太平洋戦争の関係、
などが出ているわけではなく、
1939年のチクルスと同じ解説者が、
ひたすら、トスカニーニの演奏変遷を
記載しているだけである。

(ただし、トスカニーニが、
大戦で果たした役割には触れられている。)

ここでは、下記に記載する、
「交響曲全集」の解説で書かれている以前の、
トスカニーニと「エロイカ」みたいな
記事が読めるので、それで少し補足してみよう。

まず、トスカニーニが、
ドイツの名匠たちから、
いかに影響を受けたかが語られる。

「(トスカニーニの)『エロイカ』については、
1933年12月のストックホルム・フィルの演奏会からの、
放送の『葬送行進曲』の抜粋に、先立つ記録はない。
しかし、書かれた記録やトスカニーニ自身のコメントは、
彼のレパートリーのすべての主要作品同様、
年月と共に本質的に変化している。
この演奏が示すように、
決して一貫したものではない。
1900年にハンス・リヒターが、
ベルリン・フィルを率いて
北イタリアをツアーしたことがあるが、
その時、トスカニーニ自身、
スカラ座のオーケストラを率いて、
同じ場所をツアーしていた。
彼らの道程はしばしば交差し、
同じ街で続けて彼らのコンサートがあることもあった。
そして、ある場合には、同じ曲を演奏した。
リヒターは、「英雄」をプログラムに載せたが、
1905年、彼は、ワインガルトナーその他と、
トリノのコンサート・ソサエティに再び現れたが、
この時、トスカニーニも参加した。」

これは、非常に面白い状況である。
滞在した同じ街にリヒターが来たら、
トスカニーニはいそいそと聴きに出かけたようだ。

「40年近く経って、トスカニーニは、
『40年前、私がエロイカを演奏した時、
私は初めてドイツの指揮者たちが演奏するのを初めて聴いた。
私はリヒターも聴いた。
そして、私は彼らと同じように、
ドイツの音楽は演奏しなければならないと思った。
だから、第1楽章のゆっくりとしたテンポの真似をした。』
『しかし、私は後に何度もこの交響曲を演奏するにつれ、
今や、ついに正しいテンポを取る自信を得た。』
初期のトスカニーニが、どれほどリヒターに真似て、
影響を残していたかは推測の域を出ない。」

この部分が、ほとんど、今回のポイントと言っても良い。
トスカニーニはドイツ風のスタイルから始め、
自分流に磨き上げて行ったのである。
ドイツ風とは、かなり雄大に演奏するやり方のようだ。

「しかし、作品は彼を常に魅了していた。
彼は手紙に書いている。
『一貫して高尚でたくましいスタイルで、
着想の誌的で新奇なことや、
その展開の美しさは、
最も崇高な作品の中にあっても、
独自の価値を誇る』。
彼は、しばしばこれを演奏したが、
そこには、1905年のローマ、
サンタ・チェチェリア管との演奏、
大戦後、音楽生命を失っていた、
ミラノ復興の1918年の演奏会があった。
1926年のニューヨーク・フィルへの
デビュー演奏会でも、
1930年5月-6月のこのオーケストラとの、
欧州ツアーでも、これを7つの年で演奏した。
1926-35年のニューヨーク・フィル時代、
少なくとも26回の演奏を行い、
1938年から53年には23回、
ヨーロッパでも、特に、BBC交響楽団などと、
この曲を演奏している。」

ここもポイントで、トスカニーニは、
「英雄」に対して、畏怖ににた思いを持っていたようだ。

以下、演奏の変遷が細かく語られる。

「ニューヨーク・フィルでの演奏を掻い摘むと、
トスカニーニのこの曲の初期のアプローチに
行きつくものもあると思われる。
ツアー中のベルリンでの演奏の放送は、
(これは失われたらしい)
第1楽章の14分35秒というタイミングを見ると、
後のNBC交響楽団との演奏と比べ、
ほとんど1分近く長く、
『葬送行進曲』は20分もあって、
後のものより数分も長い。
スケルツォとフィナーレも、
第1楽章同様の均衡に変わった。
ほんの2分ばかり欠落したストックホルムの
『葬送行進曲』も17分を越えるもので、
1937年のいくつかのロンドン公演で
ミュージカル・タイムズが測定した、
この楽章のタイミングも、まだ19分半、
トスカニーニはかけている。
この楽章へのアプローチが始まったのは、
翌年、NBCでの演奏が始まってからであった。」

ということで、例えば、「葬送行進曲」の長さがポイントのようだ。

手元にあるCDでも、
1938年 16分28秒
1939年 16分06秒
1945年 15分21秒
1953年 15分21秒
と、確かに、後年になるほど短くなり、
比較的、安定している。
1949年のものは、15分34秒だという。
ちなみに、すべてNBC交響楽団。

下記の一文は、このような状況を記載したものだろうか。

「1939年の時点まで、
トスカニーニの『エロイカ』は、まだ流動的であった。
この年、広く商業放送されたものは、
先のコメントをしていた
1944年までにトスカニーニが発見した、
幅広いオープニングの和音であるが、
彼は、その時、もはや自信を持っていた。
それは、しばしば予期しないところで、
テンポのはっきりした変動を示している。
矢のように敏捷で、揺るぎなく、
自由なアプローチをめざし、
以前の表現方法の特異性が解決されるのは、
1944年の演奏においてであった。
これは、少しの最も微妙な変化を経て、
相次ぐ2つの商業録音を含む
トスカニーニの最後期を支配する、
アプローチとなる。」

これが、冒頭に書いた、1949年と53年の、
RCAから出ていたものである。
こう読むと、冒頭の和音からして、
特徴が聞き取れるようである。

ばばば、と聴き比べると、
確かに、最後のものは、極めて乾いた表現で、
早い時期のものは、
最初のじゃんの後、次のじゃんまで、
少し気迫をこめ直す感じがある。

「この演奏が行われた歴史的機会とは離れ、
(これは、太平洋戦争終結記念のこと)
この演奏は特別な魅力を持っている。」
と、1945年の録音についての解説が始まるが、
この部分まで読んでしまおう。

ここでも、1939年の演奏は、
基準として比較検討されているからである。

「リヒター風に、ここでは、
最初の和音は幅広く取られているが、
この開始部は1939年のものに、
非常に似ている。
演奏は、事実、
アンサンブルのさらなる磨き上げはないが、
この前の演奏同様、特別な集中が見られる。
特に、葬送行進曲のフーガ風のエピソードも、
彼が、後年は避けた、
特異な圧倒的な弦楽の和音で結ばれ、
おそらく、この特別な機会が、
トスカニーニの強調アプローチに、
さらなる変化をもたらしたのかもしれないが、
推測の域を出ない。
しかし、明らかなのは、この作品で、
交響曲の他の傑作のレパートリー同様、
彼のアプローチは、当たり前のこととして
見過ごすことはできない。
これは絶え間なき思索と再検討のテーマであった。」

ということで、この終戦記念の「英雄」は、
1939年のものとアプローチ的に似ている、
ということだろうか。

圧倒的な和音が、「葬送行進曲」をしめくくるかも、
聴きどころだとわかった。
1953年の「エロイカ」を聴いてみると、
確かにあっさりしている。
1938年のものと1939年のものは、
夢から覚めたような表現で、
「終戦記念」のものは、
最も、深い思い入れが感じられる。

しかし、この1945年の「英雄」などと比べても、
1939年の「英雄」は、研ぎ澄まされたような、
緊迫した音楽で我々を魅了してやまない。

スケルツォの激烈な表現も、
すさまじいもので、5分ちょっとで駆け抜けており、
有名なホルンの難局、トリオも、
鮮やかに走り抜けている。
1938年のものは克明で格調高い感じで、
トリオも、落ち着いている。

終曲も、緊迫感満点で、
強弱が激しく、テンポは軽快である。
しばしばみられる、急激なドライブに、
トスカニーニの、強烈な意気込みが感じられる。

1953年のものには、こうした情念がない。
非常に晴朗なもので、古典的な晴れやかさに満ちているが、
私としては、時代の局面で、この熱血指揮者が、
どのように演奏したかの方に興味が湧く。

先の、「葬送行進曲」なども、
沈鬱な、押し殺したような啜り泣きの表現で、
本当にそうかは分からないが、
戦争前の緊張感を感じずにはいられない。
トスカニーニも、思わず、呻くような声を出している。
(終戦記念のものも唸っているが、
表現もいささか戦争終結後の解放感を伴っている。)

1939年も10月28日と言えば、
すでに、ヨーロッパでは戦争が始まっていた。
ものすごく、神経質な演奏とも言え、
この稀有な音楽家の神経もまた、
張り詰めていたことが、
第1楽章第1主題の歌い出しからも感じられる。

1938年の録音では、まだ、
リラックスした鼻歌が聞き取れていたが。

Music&ArtsのCDセットの方の解説でも、
先の「終戦記念」コンサートでも書いていた、
クリストファー・ディメント氏であるから、
同様のアプローチで、
トスカニーニの「英雄」について語っている。

「その演奏の頻度からして、
『英雄』は、その解釈上の問題から、
他の交響曲よりずっと、
トスカニーニを魅了していた。
ニューヨーク・フィルとは28回、
NBC交響楽団とは21回、
ヨーロッパでもたびたび演奏し、
その歴史は1898年のトリノに遡る。」

先の解説では、トスカニーニが、
ドイツ的な解釈から始まったことが書かれていたが、
ここでは、反対に、トスカニーニが、
イタリア風として批判されたことが書かれていて、
両方読んでバランスが取れる感じである。

「これらの問題に対して、
この有名な演奏の第1楽章において、
彼が与えた解決方法は、
論議から逃れることはできず、
1956年に書かれた、
ロバート・チャールズ・マーシュの
先駆的な
『トスカニーニと管弦楽演奏の芸術』においても、
非難を免れてはいない。
彼は、
『ベートーヴェンにはない、
余りにも多くのイタリア的要素、
ロッシーニの序曲のように、
長く加速されたクライマックスに泡立つフーガ、
フレーズが予期せず伸縮して、
乱暴になぐり合うような和音』がある、
と彼は考えた。
こうした劇場的な要素が、
『エロイカ』を安っぽく下品にしているという。
事実、こうした要素はあって、
123小節から131小節の
巨大な和音群のテンポ圧縮は驚くべきものであるが、
著者の目から見て、
明らかに劇場的に見えるものは、
近接したレコーディングによるものである。
トスカニーニの常として、
巨大な作品のバランスを崩すことや、
基本テンポからの極端な逸脱は、
慎まれており、
単に品のない表現になることはない。
1937年6月にクイーンズ・ホールでの
『エロイカ』をレビューしたロンドン・タイムズは、
オーケストラの響きは、
『突発的なフォルテッシモの和音でさえ、
十分に飽和しながら騒々しさはなかった』としている。
トスカニーニのこうした、
主なオーケストラのパレットは、
スタジオ8Hでは分かりにくく、
特にこれらの初期のNBCの録音ではそうである。」

ということで、イタリア的と批判された、
トスカニーニのベートーヴェンではあるが、
それを越えて、素晴らしいということであろう。

和音群の緊張などを聴くと、
この演奏のすごさも分かるが、
BBCとまだ関係を持っていた頃、
1938年にトスカニーニが残した録音も貴重だと分かる。

ここでは、まだ、ヨーロッパ風と言うべきか、
伸びやかさが感じされて、
よくぞ、この録音も残っていたと嬉しくなった。

「この演奏のスタイルの特徴は、しかし、
両端楽章のいくつかの部分で、
甚だ激しい表現が見られ、
スコアの勉強のし直しの成果がでていると共に、
恐らく潜在意識のレベルではあるが、
彼の音楽づくりの個人的な様式の再検討が行われている。
マーシュは、また、これらの特徴が、
もっと開放的であった、
初期には見られなかったことを、
まさに主張している。
残念ながら、これより古い演奏は、
たった10ヶ月前のものしか、
完全な『エロイカ』は残っておらず、
(1938年12月3日のもの)
テンポはほとんど同じながら、
巨大な和音群をまとめる表現は見られず、
他の特異性も、これほど明確ではない。
さらに言えば、1930年5月28日、
ベルリン公演でのこの指揮者のタイミング記録では、
第1楽章が1分もゆっくりで、
19分余りの葬送行進曲に12分の終曲と、
この演奏とは明らかに異なる性格で、
とりわけ、ニューヨーク・フィルの
ベートーヴェン演奏では、
大きなテンポの流動性に対し、
初期の形式的節度が見られるようになる。
1944年、再度、スコアを見直す前に、
彼は、今回の演奏を聴いているが、
ハギンズには、初期において、
リヒターから影響があったことをコメントしながらも、
今や、再び、正しいテンポを発見したように思う、
と、トスカニーニは語った。」

これは、終戦記念のコンサートに先立つ時期であるが、
このような再検討があったがゆえに、
終戦記念コンサートも、感傷的なものではないので、
敗戦した日本人も、冷静に聴けるのかもしれない。

「明らかに、それは、今回の録音にある、
ドラマティックな要素を取り除こうとしたことで、
後年の彼のスタイルの引き締まった制約を示すものである。
それと対照的に、このチクルス時の、
この演奏に対する彼のリアクションは、
彼らしいコンサート後の歓喜を示している。
翌日、彼は、アダに対して書き送っている。
『コンサートは圧倒的だった。
オーケストラはどえらい演奏をした。』
実際、2シーズンのトレーニング効果は明らかで、
オリン・ダウンズは、ニューヨーク・タイムズで、
『このオーケストラの木管セクションは、
その正確さのみならず、繊細さでも、
驚くほどのレベルに高められている』と思った、
とコメントしている。
第1交響曲では、この演奏は、
『それは歌うようであり、
彫琢された貴族的な提示部の
ホモフォニックな部分もポリフォニックな部分も、
あたかも最高の室内楽を聴くかのようだった。』
そして、『エロイカ』では、
『指揮者は創造主を気取った、
いかさまのドラマ性やひけらかしを控え、
適切に巨大な感覚であり感情となった。
もし、一つだけ、他の楽章より能弁な楽章があったとすれば、
それは葬送行進曲で、そのテンポは決してもたれることなく、
テンポ、強調、フレージングも、
2か所か3か所小さく揺れただけで、
それがアクセントや流動性となって、
意図された効果の連なりという以上に、
感動的なものとなった。』
トスカニーニがこの楽章において、
ここで行った以上に、
高みをめざし、深みを見通したことは、
これ以降なかった事は疑う余地がない。」

ということで、私は、まず、
「葬送行進曲」の押し殺したような、
緊迫感に何かを見出したが、
この解説者も同様のことを書いていてよかった。

第1楽章の急緩でドラマを盛り上げるアプローチなど、
完全にNBC交響楽団を手足のように伸縮させており、
隅々まで神経を張り巡らせたような、
オーケストラの高度な統率なしには語れないものであろう。

血管が浮き出たような緊迫感が保持できたのは、
あるいは、ベートーヴェン・チクルス第1夜という、
華々しい舞台の空気あってこそかもしれない。
第1楽章のクライマックスの雄渾さも比類がない。

ナクソスの音質は、いくぶん色彩に欠けるが、
このドキュメンタリー風の演奏に、
妙にマッチしているように思える。
拍手もしっかり収められ、
聴衆の興奮も、一緒に聞いているように味わえる。

Music&Arts盤も拍手は入っていて、
音も、明るめで好感度は高いが、
アナウンサーの声はない。
そもそも、39年の「エロイカ」の特徴とされる、
冒頭和音の間の観客の咳すら聞こえないのは、
いかがしたものであろうか。

GRAMMOFONO2000は、
Music&Artsに、
盗人と罵倒されているレーベルだが、
ここから出ている、この39年の「エロイカ」は、
もっともくっきりと観客のノイズも聞き取れ、
音にうるおいと立体感と力を感じる。
ただし、拍手はカットされていて残念だ。

ただ、演奏後、拍手に重ねて、Naxos盤で聴ける、
「オーケストラは立って、拍手を受けています」とか、
「次の土曜の夜には、第2と第4をやります」などと、
ブロードキャストのコメントがまた嬉しいではないか。

得られた事:
「トスカニーニは、ドイツ的な、恰幅の良いベートーヴェンを模倣したが、イタリア的と批判され、晩年になるにつれ、純化された晴朗な表現に傾いて行く。」
「1939年という恐ろしい時を迎え、熱血の第1級の音楽家が、どのようにベートーヴェンに取り組んだか、という興味に、39年の『エロイカ』は、まったく期待を裏切らずに応えてくれる。」
「1939年の『エロイカ』は、各部までに神経が張り巡らされ、敏捷な筋肉のようなオーケストラが一体となって成し遂げられた演奏で、ナクソスのアナウンスも臨場感がある。」
[PR]
# by franz310 | 2014-03-29 21:28 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その404

b0083728_1428293.jpg個人的経験:
トスカニーニは、1936年に
ニューヨーク・フィルを去った。
が、すぐ、翌37年の暮れには、
同じニューヨークに本拠を置く、
NBC交響楽団の指揮者に
就任することになった。
対するニューヨーク・フィルも、
この新興勢力との戦いを強いられ、
新任のバルビローリが、
わけのわからない誹謗中傷や、
悪意を持った比較対象となり、
不眠に悩まされ、
ノイローゼ寸前まで追いつめられる。


そうした混乱を引き起こしながら、
トスカニーニは、何事もなかったかのように、
活動を再開する。
それも、今から考えてみれば、
それまでの活動よりも数倍規模で、
影響力を持った活動になっていった。

それは、積極的な放送による
数十万人規模の聴衆の獲得であり、
録音によって、愛好家は海を越え、
国境を越え、日本でも増加した。

彼は、ニューヨーク・フィル時代は、
録音嫌いで知られたが、NBCは放送局である。
1939年には、さっそく、
記念碑的な放送シリーズが行われ、
記録が残され、それが現代のファンをも魅了している。

この頃、ちょうど、戦争がはじまり、
英国のBBC交響楽団との関係は途切れ、
故国イタリアのみならず、
ヨーロッパとのつながりは切れてしまった。

ドイツはポーランドを奇襲、
英仏は宣戦布告。
これらは9月初めの事。

そんな状況下で、この年の暮れに行われた、
ベートーヴェンの交響曲の連続演奏会は、
ライブ特有の臨場感があることと、
全曲がほとんど同じコンディションで記録された、
ということで、
トスカニーニの芸術の中でも、
異彩を放つ位置づけを誇っている。

米ミュージック&アーツや、
スイスのレリーフ、ナクソス、
さらには、MEMORIESとか、
GRAMMOFONO2000、
LYSといった中小レーベルまで、
様々な所から、同じ録音が、
競い合うかのようにCD化されて発売されている。

交響曲の中では、第3「英雄」のみが、
トスカニーニの公認録音として、
RCAなどからレコード、CDが出ていた。
が、他のものは、放送用の録音から採られたものである。

1939年というとものすごく古い録音で、
果たして、現代のわれわれの耳で、
鑑賞するのにふさわしいか、
というのが危惧されるが、
様々なレーベルの切磋琢磨による努力のせいか、
これがまた、それほど悪くないのである。

ここでは、LYSやGRAMMOFONOを、
自らのホームページ上で
海賊盤野郎と名指しで攻撃、罵倒している、
「Music&Arts」のCDを見てみよう。

これは、おひざ元のレーベルゆえ、
それなりのライセンスを持っての活動なのだろう、
以上紹介したものの中で、
最も高価なものに分類されるが、
さすがに、ボックス仕様で解説もしっかりしている。

しかし、この表紙はいただけない。
トスカニーニは、近眼で見えない目で、
必死の形相で楽譜を確認しているのに、
楽員たちはへらへらと、
他人事のような顔をしている。

そもそも、この写真、構図が変じゃないの。
トスカニーニと楽譜の間に人が挟まって見えるし、
楽譜の先っちょが構図からはみ出していて、
後ろの団員の方がメインのような表現になっている。

ちなみに、Aaron Z.Snyderという人。
2007年のリストレーションとあるから、
この復刻作業が、何年に行われたかで、
CDの価値が変わる日も来るのであろう。

解説を書いているのは、
CHRISTOPHER DYMENTという人で、
ワインガルトナーなどの研究もし、
「英国におけるトスカニーニ」といった本も
出している人のようである。
これも大変、読み応えがある。

この5枚組CDの解説は、
「The NBC SO Beethoven Cycle,
October-Dicember 1939」
というタイトルのもので、
15ページにも及ぶが、
以下のような見出しで分けられている。
1.トスカニーニのベートーヴェン・チクルス。
2.彼の進化するアプローチ。
3.何が、その変化を起こしたか。
4.この1939年のNBC SOのチクルス。

このうち、最後の部分が、ほぼ全体の2/3を占めており、
1、2、3の部分は短い。

まず、1.については、
帝王トスカニーニと言えども、
生涯にベートーヴェンの交響曲の連続演奏会は、
数えるほどしか行っていない、
という内容である。

トスカニーニは、1896年5月3日に、
「第1」を振ったが、これが、彼の行った、
ベートーヴェンの最初の全曲演奏で、
スカラ座での最初に指揮した、
4つのコンサートのうちの一つの演目だった。

そして、最後にベートーヴェンの交響曲を演奏したのが、
1954年3月7日の「田園交響曲」だったという。
4月4日の彼の引退の4か月前のことで、
ベートーヴェンの交響曲は、
彼の交響曲指揮者の全域の58年間に及んでいるという。

当然、彼は、ベートーヴェンを最も重視していて、
その間、数百回に及ぶ、数えきれない回数だけ、
ベートーヴェンの交響曲を指揮したが、
全曲をチクルスで演奏したのは、
数回しかない、とのことである。

まず、ベートーヴェンの没後100年記念で、
1926年の10月、
スカラ座で演奏したのが最初だという。
スカラ座は当時10月しか
交響曲演奏会をしていなかったので、
これは、1927年3月に
演奏すべきものを前倒ししたのだという。

この時は、10月7日が最初の演奏会で、
これは10月13日に、
トスカニーニの生地パルマでも再演されたという。
チクルスとはいえ、
かなり変則的だったようなのだ。

彼は、この時、「第1」、「第2」と「第5」を、
一回の演奏会に詰め込んだので、
4回のコンサートで全曲を演奏したのだという。

この後のチクルスでは、同じ作曲家の、
小品と一緒に演奏されるようになったが。

この時、HMVの子会社、
La Voce del Padrneが、
トスカニーニの演奏会、
またはリハーサルの録音を試みたが、
トスカニーニの怒りを買って、
「第2」、「第4」、「田園」の一部が
残っているだけだということだ。

この全曲チクルスは、
翌週トリノでも繰り返されたが、
最後にミラノの「ポピュラー・コンサート」で、
「第1」と「第9」が演奏されたという。

ということで、これらを1回の全曲演奏と呼ぶべきか、
2回と呼ぶべきか難しいが、
この後、トスカニーニは4回しか、
全曲演奏をしていないのである。

「2回目」:
1934年の1月から3月まで、
ニューヨーク・フィルと。
ここで、「ミサ・ソレムニス」が加わった。

「3回目」:
1939年5月に
BBC交響楽団と。

「4回目」:
このCDの演奏。

「5回目」:
1942年4月から5月に、
ニューヨーク・フィルと。

これらは比較的後年のものながら録音がない。
「第9」を除外したりして、
部分的チクルスになったことは何回かあった。
1927年の2月と、
1933年の3月から4月に
ニューヨーク・フィルと。

また、1944年の10月から11月に、
NBC交響楽団と。

というわけで、放送され、録音も残っているのは、
このCDのチクルスだけだというのである。

「これは、ベートーヴェンに対する
トスカニーニの当時のアプローチを、
広範に俯瞰する独自のもので、
彼は73歳で、68年のキャリアの、
53年目の記録であった。」
と解説者は結論付けている。

では、2.についてだが、
解説者は、トスカニーニのベートーヴェンの解釈が、
常に変化していて、この演奏については、
「比較的遅い時期ではあるが、
絶頂期ではなく、開花期にある」
と書いている。

それは、トスカニーニが当初は、
ハンス・リヒターなど、
ドイツの指揮者の影響を受けていた、
と自身語っていること、
さらに、1920年から21年の、
スカラ座管弦楽団との演奏の記録を聴いてみると、
それが確認されるとしており、
やはり、テンポが変化しやすく、
「第5」の終楽章の強調された、
雄弁な表現などにも、
その名残があることから分かるらしい。

「1921年の電気吹き込み以前の演奏では、
『第1』の終楽章では、ほとんどテンポの変化はないが、
『第5』の終楽章は、のちに均されてしまう、
第1、第2主題の小さな変化が、まだ聞き取れる」
と書かれている。

1930年のニューヨーク・フィルの、
ロンドン公演の「エロイカ」では、
そのリズムとテンポの安定について、
「タイムズ」が強調して書いているという。
同時期に、R・シュトラウスも、
トスカニーニのベートーヴェンは、
ロマン派の影響がなく最高であると書いているらしい。

が、この解説者は、それでもなお、
当時のスタイルは進化の過程だと考えているようである。

「明らかにトスカニーニの進化したアプローチは、
ジェスチャーの上では、はっきりと、
ロマンティックなものに背を向けていたが、
ベルリンにおけるフィルハーモニック・ツアーの
『エロイカ』の演奏時間の記録を見てみると、
このNBCのチクルスでは見られなくなった、
テンポの幅広さが見受けられるのである。
以降は、録音が残っているので、
トスカニーニの様式進化の証拠がより明確になる。」

21年の録音に関しては上述のとおり。

「しかし、ニューヨーク・フィル時代(1926-36)は、
さらに実り豊かであった。
1931年と33年の二つの『第5』全曲、
ほとんど完全に残っている1933年のものと、
有名なRCAの1936年の録音の2つの『第7』、
また、最後のシーズンに放送された、
『第1』、『第4』、『第8』、『第9』の、
ほとんど完全な演奏がある。
ヨーロッパでも、いくつかの価値ある演奏が残され、
不完全ながら、1933年12月ストックホルムの
『エロイカ』からの『葬送行進曲』、
1935年の6月12日、14日の、
BBC交響楽団との『第7』などがある。
録音で信頼できる判断が出来るように、
トスカニーニのベートーヴェンの、
構成の確かさや、劇的な力は、
これらに見られ、
後のフィルハーモニック時代の
ベートーヴェン演奏に比べると壮麗で、
より厳格になったNBC時代のマエストロが、
1939年までにほとんど取り除いてしまった
テンポの幅広さ、
細部のしなやかさを併せ持つ
しっかりしたテンポがある。」

ということで、ニューヨーク・フィルや、
BBC交響楽団における演奏で、
喜んでいてはならない、ということか。
トスカニーニは、さらなる進化を遂げて、
NBCに向き合った。

次に、上記3.の「なぜ変わったか」の章が来るが、
私には、この章が最も面白かった。

「なぜ、1936年から39年の間に、
トスカニーニのアプローチが、
かくも早く変わってしまったか。
ある人は、1935年から37年のシーズンに、
ザルツブルクで振って以来、
オペラのステージから遠ざかったからだ、
としている。
それゆえ、彼は交響的なレパートリーに専念、
彼は、その解釈から、どんどん、
劇的な華やかさを除去するようになる。
もし、1931年から35年の
オペラを振らなかった時代との関連を考えると、
いっそう、説得力があり、
さらに下記に詳述するように、
この時代、幅広さを制限するようになり、
フィルハーモニックでの演奏の
その多くで見られたようなものよりも、
今回のチクルスでは、
まっすぐに劇的な要素が、
ずっと豊富にみられる。
事実、この変化の主な理由は、
ベートーヴェンやそれに関することは、
何でも読んでしまうという事や、
様々な想念によって補われた、
常に、彼が演奏準備時に課していた、
絶え間なき、スコアの研究と読み直しであった。
彼のキャリアは、常に、
遂に、その作品、この作品の正しいテンポで、
演奏する勇気を持つことが出来た、という、
その会話での発表によって強調されている。
そのキャリアのスタート時に、
偉大なドイツの指揮者たちがある種の手本となったが、
トスカニーニは常に、単に他者の真似だけするには、
あまりに自信があり、個性的であった。
1910年代にはすでに、
ボストンで聴いたムックの『第1交響曲』のテンポを、
『ひどい』と感じていた。
彼は、ムックを『指揮者のベックメッサー』と総括したが、
これはそれほど公正ではない。
しかし、現代の演奏研究や
実践に照らし合わせて、
ベートーヴェンが書き、意図したことを、
一見、曲解した演奏の伝統に、
だんだん反発していたという証拠である。
この先見性については、
彼はまだまだ十分に評価されていない。
もし、若い頃に、
ワーグナーのアドバイスを鵜呑みにしていたら、
(彼は、ほとんど全部のワーグナーの著作を読んでいた)
彼はキャリアの最後まで、当時を引きずって、
テンポの流動性だけを単に受け継ぎ、
最も洗練された、単なる後継者になっていただろう。
さらにまた、その頃までに、
すべてのドイツの偉大な指揮者たちが、
多くの作品を間違ったテンポで演奏していると、
考えるようになっていた。
しかし、さらに他の要因が、それは示唆されているが、
1930年代後期の仕事、
特に、このベートーヴェン・チクルスに、
独特の性格を与えている。
ハーヴェイ・ザックスが指摘しているように、
『トスカニーニは、幸せになる才能を、
異常なほど、少ししか持っていなかった。
トスカニーニの特質は不満足にある。
彼は、自身の芸術の到達点に満足せず、
自身の人となり、運命、他の人たち、
それらを寄せ集めた、
世界すべての行く末に不満を持っていた。
彼は仕事中にも不満で、
仕事をしていないと、もっと不満だった。』
このチクルスが行われた時、
単に永続的な不満だけでなく、
正義の怒りが掻き立てられていた。
1930年代の終わり、
来たるべきヨーロッパの秩序の崩壊の不可避を、
同時代の多くの者よりも、
はっきりと見定め、深く心痛ませていた。
彼は、特にアドルフなど、ブッシュ・ファミリーが、
音楽と外の世界の間に、
メンタルなバリアーを、
立てることができることを羨んでいた。
彼は、こうした護身術を持ち合わせていなかった。
彼の内面の混乱は、1939年の後半に高まった。
6月のはじめから、7月の中旬まで、
彼はルツェルン音楽祭にいて、
事実上、非友好的な領域に囲まれ、
故国への郷愁が高まっていた。
そこは、前年に公演が宣伝されていたが、
いかなる訪問も彼の命を危なくするものだった。
彼はいかなる音楽も聴く気になれず、
それを演奏する気はさらになかった。
再び生きてイタリアを
見られるだろうかと恐れながら、
9月遅く、戦火のヨーロッパから、
最後のチャンスの亡命船に乗った。」

という風に、この解説では、
ようやく戦争の影響が語られた。

それにしても、不満大王トスカニーニというのも、
少し言い過ぎではないだろうか。
彼が、しばしば、演奏の最中に、
鼻歌を歌っていることからも、
調子の良い時には満足していたと思われるのだが。

「ヨーロッパの歴史の暗い時代を通して、
音楽を別にして、トスカニーニの一つの慰めは、
チェリストのエンリコ・マイナルディと、
結婚生活が破たんしていた夫人の、
アダとの情熱的な関係であった。
繰り返し、彼は、彼女に、
彼らの愛情から得られた仕事の霊感について語り、
また、いかに彼女が、
特別な演奏ゆえに彼を誇りに思うだろうかや、
その間、彼がいかに彼女の事を考えていたかを語った。
この情事、または、
少なくとも、彼がそう思っていた事が、
続く限り、老齢の始まりと闘うための、
特別で、継続したヴァイタリティの源だった
ということは疑いようがない。
しかし、開戦後、しばらく、
彼が、ニューヨークから、
彼女に手紙を書いているうちに、
彼はこの霊感の源が信用できないことに、
気付き始めたに違いない。
そして、1941年には、最終的に破局している。
この手紙で明らかになる、
トスカニーニの自覚は、きわめて広範なもので、
1939年10月28日、
このベートーヴェンのチクルスの
オープニングの日に書かれたアダに対する、
彼の手紙は自分の立場を要約しており、
この演奏の特色に関する
他の要素についても言及している。
この演奏はBBC交響楽団と行った、
同様のチクルスから
半年も経っていなかったのである。
『ああ、いったい同じ音楽をこんな短い期間に、
繰り返し繰り返すことや、
それら全部に新しい生命を吹き込むことの
難しいことか。
でも、まだ私は、その奇跡をやりおおせる。
すくなくとも私はそう考えている。
私は新聞を読まないようにして、
悲しい人間どもの上に垂れ込める悲劇について、
なるべく知らないようにしている。
しかし、私は、この何年か、
それを準備してきた悪人を無視することはできない。
この山賊、怪物、犯罪者に対する、
私の憎しみには限りがないのだ。』
酷い世界に対する心配、
個人としての不満、新しい創造の問題、
これらすべてが、おそらく、
この交響曲チクルスを含む
6回の演奏会の音楽づくりに
影響を、いくらか与えているものと思われる。」

ここからが、長い上記4の、
「1939年のNBC交響楽団とのチクルス」
というタイトルの部分に入るが、
ここで、すべてを聴き進むのは大変なので、
まずは、最初の演奏会の部分を読んで見よう。

「最初の演奏会は、『第1』と『英雄』交響曲を含み、
それを再検討する中、トスカニーニは、
これらの最初の楽章でかつてない明晰さを目論んだ。
『第1』のアレグロの基本テンポは、
1936年2月のニューヨーク・フィルとのもの、
1937年10月、1938年6月のBBC交響楽団とのもの、
といった他の残っている記録のどれよりも速いばかりか、
提示部後半の第2主題の素材など、
特に、明らかにテンポを変えている。
たとえば、77小節から100小節のリリカルな楽句と、
トゥッティのパッセージのテンポとダイナミクスの
突然の対比効果など他のどの録音された演奏より鋭い。
フィルハーモニックとの演奏が、
古典とリラックスという面で最も性格付けされているとすれば、
BBCとのものは、自発的で愛情深く、
1951年のRCAへの録音は、厳しく古典的で、
ここでの演奏はそのインパクトによって、
どれよりもドラマティックである。
トスカニーニが得意とする、
大きな構成感への配慮が、この演奏を、
全体を劇場風の表現にすることなく、
異常なまでの明晰さや、
もっとも細かい細部までの表現などに優れ、
アレグロの第1主題の付点2分音符などは、
そうしたものに満ちていて、
他の演奏にはめったに見られないものである。」

1936年2月のニューヨークのもの、
1938年6月のBBCとのもの、
というのは、あまり知られていないものである。

ここに「ドラマティック」と、
繰り返し書かれているように、
この「第1」は、極めて神経質なアクセントで、
せかせかと進んでいくのが特徴である。

開始部から、その特徴は明確で、
BBCでの演奏が、
比較的なだらかな進行に身を委ねている感じだが、
NBCでのトスカニーニは、
一音一音に気迫がこもっている。

各国が無策のまま、成り行き任せで、
ヨーロッパ戦線が、拡大していくのに、
まるで業を煮やしたかのような感じ。

せめて、ここでは、単に傍観するのではなく、
自分の意志で、すべての音の進行を
コントロールしようと試みているようだ。

余分なものは、できるだけそぎ落として、
本質が何かを抉り出そうとした演奏に見える。
RCAの戦後の51年の演奏などでは、
序奏部から、いくぶん、
ふっくらとした表現も取り入れて、
オーケストラも手慣れた感じで、
力の出し入れも心得ている様子だが、
この1939年の演奏は、
まさしく真剣勝負といった趣きがある。

トスカニーニの演奏の何が、
我々をひきつけるのか、
ということを考える上で、
基準とすべき点が、
この1939年チクルスでは、
生々しくむき出しになっている。

強烈な意志の力ですべての音を統御し、
弾けさせ、抉りだし、打ち込み、
そして、清潔な歌をあふれ出させる。
そうやって、作品の持つ生命力を、
ストレートに発散させて、
その強い輝きの放射が、
聴くものの心を高鳴らせる。

第2楽章では、大きくテンポを動かして、
トスカニーニもご機嫌なハミングを聴かせている。

第3楽章では、極めて恰幅の大きな表現で、
低音にティンパニが轟き、
音楽が深呼吸するようにふくらみ、
緊迫感のあるテンポが、
不安を抱きつつも飛躍しようとする
ベートーヴェンの心意気を伝える。

終楽章でも、気合いを入れる指揮者の声が聞こえ、
1点1画もなおざりにせず、
作品が生れ落ちる時の生命感を漲らせている。
これは壮絶とも言える音楽で、
トスカニーニの魅力全開で、
血流で膨れ上がった血管で、
すみずみまで、エネルギーが満ちて行く様に、
私の心も熱くならずにはいられない。

共感に満ちた拍手まで、このCDには収められている。

得られた事:「トスカニーニのような帝王でも、生涯にベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を実行することは出来たのはわずか数回で、この1939年のものは、トスカニーニ独自の美学に貫かれた円熟期を目指す時期のもので、トスカニーニには、これ以外の全曲演奏会の記録は残されていない。」
「トスカニーニは満足することのない人間で、ベートーヴェン関連の書物を乱読し、楽譜を読み直し、常に自分の表現を見直しては、新しい生命を作品に与え続けていた。」
[PR]
# by franz310 | 2014-03-16 14:30 | 古典 | Comments(0)