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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その425

b0083728_2241213.png個人的経験:
最晩年のヴィヴァルディが、
不退転の決意で再起をかけて
ウィーンに進出した時に、
持参したオペラが、
「メッセニアの神託」だという。
しかし、ヴィヴァルディは、
このオペラが、
ウィーンで演奏される事を
見ることなく失意の中、死去。
作曲家が亡くなったのに、
不思議なことに、ウィーンには、
この作品の演奏記録があるという。


そのような不思議な作品ゆえか、
ヴィヴァルディの使徒、ビオンディは、
この曲をCD化しているだけでなく、
2015年、日本に来て演奏もするという。

このCDは、2012年に録音されたもので、
歌手も少し日本公演とは異なる。
最も大きな変更は、
悪役ポリフォンテの腹心、
アナサンドロを、
CDでは、カウンター・テナーの
クサーヴァー・サバータが受け持ち、
公演では、メゾのマルティナ・ベッリが受け持っていた点。

しかも、ビオンディは、
今回の公演に先立って、
カウンター・テナーは、
裏声なので不自然とまで言っていた。

あと、王妃がCDでは
スウェーデンのメゾ、アン・ハレンベルクで、
公演では、ノルウェーの
マリアンヌ・キーランドとなっている。

これは、初演時は、
アンナ・ジローが受け持ったと言われる、
技巧ではなく表現力で勝負する役柄である。

また、婚約者がCDでは、
ロミーナ・バッソだったのが、
公演では、マリーナ・デ・リソになっている。

実は、私は、このCDが出た時、
美しい表紙写真の不思議なイメージもあって、
すぐにネットで注文していた。

表紙の下に、かなりの大きさで、
「ウィーン・コンツェルトハウス」と
特記されているが、
この劇場がヴィヴァルディを、
当時、受け入れていれば、
ヴィヴァルディはもっと長生きしていたはずなので、
複雑な気持ちになった。

さらに、ビオンディのヴィヴァルディでは、
代表作とされた「バヤゼット」でも重要な役割を演じていた、
超絶技巧のヴィヴィカ・ジュノーが、
重要な役柄で登場するのが、とてもそそるではないか。

このCDの表紙写真では、
女性がアクロバティックなポーズで、
そこに蜘蛛の巣のようなヴェールが巻き付いている。
これを手にして、ヴィヴァルディ最後のオペラとは、
いったい、どんな物語なのだろう、
と想像力をかきたてたものだった。

が、内容を知ってしまった今、
ネタをばらすと、
この表紙のイメージとは全く違って、
主人公は、亡命していた王子であって、
その母も婚約者もまったく無策で、
運命に翻弄されるだけの人たちで、
まったくこの表紙のイメージからは遠い。

神託を告げる巫女であろうかとも思ったが、
神託を告げるのは、大臣である。

ビオンティは、このCDで、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアと共著の形で、
この作品をこう紹介している。

「1734年のカーニバルのシーズン中、
ピアチェンツァ出身で、ナポリ楽派の、
最も輝かしい代表選手だった、
作曲家のジャミニャーノ・ジャコメッりは、
アポストロ・ゼーノがリブレットを書いた、
彼のオペラ『メローペ』を、
ヴェネチアのジョヴァンニ・グリソストーモ劇場で
お披露目した。
その4年後、このドラマの、
彼自身のバージョンを、
『メッセニアの神託』のタイトルで、
同じ都市のサンタンジェロ劇場で上演した。
このオペラの成功が、
ゼーノが、ヴィーンの宮廷の
前の桂冠詩人だった事によることに疑いなく、
1740年にヴィーンに向かった時、
ヴィヴァルディは、このオペラの総譜を携え、
ヴィーンのケルントナートーア劇場で、
再上演しようとしていた。
1738年の版も、
最終的に1742年に
ヴィーンで上演された後のバージョンも、
オリジナルのスコアは残っていないが、
印刷された二つのリブレットを比較すると、
これら二つの版の間には、
ヴィーンのための作品として、
ヴィヴァルディが構想を膨らませた、
いくつかのアイデアが読み取れる。
ヴィーン版は、ヴェネチア版から、
思い切った変更はしていないが、
オリジナルの4つのアリアを外す代わりに、
3つのバレエや7つの新しいアリアを加えて、
洗い直している。
登場人物の一人の名前を変え、
王女アルギアがエルミーラとなっているのは、
それほど重要ではない。
ヴィーン版はパスティッチョで、
ヴィヴァルディ自身の作を含め、
他の作曲家のアリアを借用している。」

ということで、このヴィヴァルディの、
劇場での活躍の総決算と思われる作品が、
今日的感覚では、
いくぶん、価値が低いとされる、
ごった煮作品だったということが分かる。

「ヴェネチア版は、
ジャコメッリの『メローペ』からの
アリアがあったと思われるが、
ヴィーン版にも採用されたことだろう。
ヴィーン版のリブレットを用いた、
我々の再構成版には、
オリジナルのスコアの中にあった精神で、
ヴィヴァルディや
(前に書かれたオペラでも作曲家自身が借用したもの)
ジャコメッリの『メローペ』のアリアを混ぜ合わせた。
ほとんどのレチタティーボは、
ジャコメッリの作品を採用している。」

日本公演でも、ビオンディは、
このようなごった煮でも、
ヴィヴァルディ自身が調合したので、
彼は、自分の作品だと思っていたはずだ、
と何度も強調し、
むしろ、当時の人気アリアが勢揃いした、
こうした作品を楽しむことの重要性を説いていた。

ヴィヴァルディは作曲家であると同時に、
凄腕興行師でもあったのだから、
確かにそうかもしれない。

このCDには、どの曲がどこからの借用かが、
解説の前に明記されているのがありがたい。

この後、デラメアによる、
ヴィヴァルディ最後のオペラの解説が続く。

これから解説が始まるところで、いきなり、
「ヴィヴァルディのあとがき」と題され、
書きだされている。

「1741年の7月28日の夜明け、
鞍作りの未亡人、マリア・アガーテ・ワーラーが営む、
ケルントナートーアやキャリンシアン・ゲート近くの
『鞍作りの家』と呼ばれていた建物が、
誰にも知られることなく、
音楽史の重要な出来事の舞台となっていた。
遠く故郷ヴェニスから離れ、
高名なる『赤毛の司祭』、
アントニオ・ヴィヴァルディが、
息を引き取ったのである。
その同じ日、ヴィーンの役所の死亡届に、
内臓熱によって、
『尊敬すべきアントニオ・ヴィヴァルディ、
神聖なる司祭』が亡くなったと短信が載っている。
モーツァルトの50年前、
全欧を制覇した『四季』の作曲家は、
貧困の中に亡くなり、ハプスブルクの首都では忘却された。
音楽史の中でも特筆すべき時代が終わったのである。
ヴィヴァルディは前年、イタリアを出て、
自身の国では明らかに自分の星が陰り始めていた時、
新しい芸術の地平が、
アルプスの向こうで開かれることを、
確信を持って望んでいた。
しかし、幸運はすでに彼の側にはなく、
躓きと失望が彼をなおも追いかけていた。
ヴィーンでの彼の滞在は、
災難を証明し、彼とハプスブルク帝国の関係の、
長く複雑な物語の悲しい結末となった。」

さらに、このCDの解説には、
「オーストリア人としてのヴィヴァルディ」
という、極めて興味深い一章が設けられている。

「キャリアの最初から、
ヴィヴァルディは、
作曲家、興行師としての自由を束縛されない形で、
委嘱や収入の流れを確保するために、
コネや将来のパトロンの緊密なネットワークを築くことに、
重点を置いていた。
貴族や王族、高位の聖職者、大使や政治家、
ヨーロッパの高貴な家柄の代表者など、
こうした人たちが次々と、
ヴィヴァルディのアドレス帳に追加されていったので、
1737年までには、
彼は、『9人の高貴な王子たち』と文通していることを
自慢するに至った。
オーストリア帝国や、そのもっとも影響力のある代表者は、
ヴィヴァルディの個人的な
ヨーロッパ貴族のWho’s Whoに、
特別な地位を占めた。
ハプスブルクのヴィーンは、
特異な音楽の小宇宙であって、
長年、イタリア音楽を暖かく迎え、
芸術移民の波を受け入れていた。
数世代にわたる、音楽を愛する帝王が、
ツィアーニからカルダーラに、
そしてボノンチーニ兄弟、
コンティ、バディア、ポルサイル、
そして、数え切れぬ歌手や器楽奏者に到る
この流れを奨励し、
帝室宮廷の音楽活動は、
イタリア人が大々的に取り仕切ることになった。
ヴィーンとオーストリアすべてが、
多くのイタリア人芸術家たちに、
約束された土地に見え、
その他の者にも真の金鉱に見えた
としても驚くにはあたらず、
ヴィヴァルディは、
この恩賞を確かなものにするために、
そのもっとも著名な代表の好意を得るべく、
慎重に計画を練った。
最初に記録された、
オーストリアの契約は、
1714年から帝国のマントヴァ大使を務めた、
ヘッセン=ダルムシュタットのフィリップ公で、
1718年、ヴィヴァルディは、
彼の宮廷音楽監督となり、
ヴィヴァルディのマントヴァ時代は、
1736年のその死の時まで、
芸術の愛好家で寛大なパトロンで擁護者であった、
このオーストリアの貴族の確固たる保護を得て、
彼のキャリアの重要な1ページとなった。
ヴィヴァルディをヴェニスの帝国大使で、
ヴィヴァルディがカール6世に初めて、
献呈した作品である、カール6世の名の日のための
セレナータ『Le gare della giustizia e della pace』をおそらく委嘱した、
ヨハン・バプティスト・フォン・コロレドに紹介したのは、
フィリップ公であった。
コロレドは、今度は、ヴィヴァルディを、
ミラノのオーストリア大使であった、
ヒエロニムス・フォン・コロレドに紹介し、
その事務所を通じて、
ヴィヴァルディはその妃の、
エリザベート・クリスティーネに献呈した唯一の作、
パストラル・オペラ、『シルヴィア』を
1721年の夏、
彼女の30歳の誕生日に書く委嘱を受ける。」

という風に、ヴィヴァルディが、
オーストリアの皇室とのつながりを深めていった
過程がよくわかった。

次に、「皇帝のための協奏曲集」という章になるが、
もちろん、これは、すでに、チャンドラーのCDなどで、
特筆された、「ラ・チェトラ」などの事である。

「こうして、ヴィヴァルディは彼の欧州での名声を
確固たるものにしていくように、
ハプスブルクとの強い結びつきを築き上げていくが、
1727年、その作品9の『ラ・チェトラ』を
皇帝に献呈するのに、十分な近さとなった。
その考えられたタイトル、『竪琴』は、
ハプスブルク家の象徴を表したもので、
オーストリア皇帝の杓は、
『竪琴と剣』の上で安泰と言われ、
フェルディナント三世を表すのに、
弟のレオポルド・ウィルヘルム太公が使った、
詩的な表現である。
この成熟した協奏曲の、
素晴らしい曲集によって、
ヴィヴァルディは、
『最も温和で、寛大、慈悲深いパトロンであり、
洗練された芸術の推進者』と、
賞賛して献辞に書いたカール6世に、
最初の直接的なコンタクトを持った。
『ラ・チェトラ』が、どのように、
皇室で受け止められたかの記録はないが、
カール6世との直接の繋がりが、
可能となることを意図したものである、
この畏敬の行為は受け入れられた。
1728年9月、港の建設の視察のため、
皇帝がトリエステを訪問した際、
彼は、公式な祝賀や祭典より、
ヴィヴァルディとの何度も実りある会話を楽しんだ。
『皇帝はヴィヴァルディと音楽に関して、
長い時間、語り合った』と、
イタリアの学者で哲学者であった、
アントニオ・コンティは、
その後、短いメモを残し、
『二週間の間、皇帝は、
大臣と二年の間にしゃべる以上に、
ヴィヴァルディと
個人的に語り合ったと言われている』
と追記している。
12曲の新しいセットの、
ヴァイオリン協奏曲集
(またしても、『ラ・チェトラ』と題され、
一曲だけが、前の曲集と同じだった)を、
カール6世に献呈したのは、
この機会であったことは疑う余地がない。
トリエステからヴェネチアに帰ったヴィヴァルディは、
いっそうオーストリア人になっていた。
ヴィヴァルディのアドレス帳には、
さらに重要な関係が追加され、
その中には、リヒテンブルクの王子で、
皇室顧問官のヨーゼフ・ヨハン・アダム、
ロレーヌ公で、将来のカール6世の義理の息子で、
後継者となるフランソワ三世が含まれていた。
そして、おそらく、彼の最後のスケジュールには、
遂に、皇帝の宮廷への招待が加わった。」

この後、デラメアの解説は、
さらに興味深い部分に入って行くが、
これ以上、ここで語ると、オペラの内容が、
何時まで経っても分からない。

ということで、物語の内容として、どのような作品か、
CD解説にある「SYNOPSIS」を見ながら、
音楽を聴き進めてみよう。

Track1.~3.
はシンフォニアで、「グリゼルダ」のものに
金管を加えて演奏したものだという。
ただし、ビオンティは、ヴィヴァルディが、
最後まで、「バヤゼット」の序曲を持っていたので、
本当は、これが「メッセニアの神託」で
使われる予定だったのではないか、
とも推測している。

「メッセニアの王、クレスフォンテは、
二人の息子と共に、
クレスフォンテの妃メローペの守衛、
アレッサンドロに謀殺された。
末の息子、エピタイデは、殺戮から逃れ、
母親によってエトリアに送られ、
ティデオ王の宮廷で育てられ、
王の娘、エルミーラと恋に落ちる。
メッセニアの王位を狙ったポリフォンテの命で、
この殺人が行われ、
その地位を正統化すべく、
クレスフォンテの未亡人を妻にしようとする。
メローペは、10年の後であれば、
と許諾する。」

これだけ読めば、この物語が、
メッセニアの王権簒奪と、
それに対する報復の物語であることが予測される。

メッシーナ(メッセニア)は、
シチリア島にある古代都市であるが、
ネット検索すると、ギリシア神話をもとに、
メロペ(メローペ)について、こう解説されている。

「アルカディアの王キプセロスの娘で、
メッセニアの王クレスフォンテス
(ヘラクレスの後裔(こうえい))の妻。
義兄弟のポリフォンテスに夫と子供2人を殺されたうえ、
むりやりその妻にされたが、
末子アイピトスをひそかに落ち延びさせる。
やがて成人した彼が仇討(あだうち)に戻ってきたとき、
メロペは敵と勘違いをして危うく殺しかけるが、
母子であることを認め合い、協力して仇討を果たす。」

まさしく、この物語が下敷きになっている。
下記のような物語が展開するが、
単純な復讐物語と異なるのは、
せっかく息子が帰って来たのに、
それを敵だと考える母、という部分か。

また、息子アイピドスは、
エピタイデという名前になっていて、
イノシシ狩りをする部分も取ってつけたような感じ。

ベルンハルト・ドロビッヒが書いたものを、
パウラ・ケネディが英訳した概要を読む。

第1幕:
「オペラが始まった時、
メローペが許諾して10年が経とうとしている。
そして、エピタイデは、今や若者に成長し、
クレオンの名に変えて、
強奪者から国を取り戻すべく、
メッセニアに帰っていた。
彼の素性を知っており、
復讐の計画を練るのは、
エトリア公使のリチスコのみである。」

このような状況なので、
いきなり、主人公とも言える、
亡命の王子、エピタイデが、
故郷メッセニアにやって来たシーンで、
レチタティーボを歌い始める。

Track4.「ここがメッセニアか、
私の父コレスフォンテは、
ここの支配者であった」とかやっていると、
ト書きに、
「古代の街メッセニアの広場、
背景の寺院の扉が開くと、
ヘラクレス像と祭壇が見える」などとあるように、
Track5.で、いきなり合唱になり、
何やら、お祈りが始まる。

「エピタイデは、ヘラクレスの祭を見たが、
そこでは、メッセニアの人々が、
国土を荒廃させた、
凶暴なイノシシからの救いを祈っていた。」
とあるとおり。
このあたりは、ジャコメッリの音楽らしい。

Track6.は、エピタイデは、
そこにいた立派な身なりの男
(トラシメーデ、若いロシアのソプラノ、
ユリア・レージネヴァが担当)に、
何故、みんなが嘆願しているか、と尋ねるところ。

Track7.は、シンフォニアとなり、
悪役の登場である。
ジャコメッリ作とされる、
音楽そのものは楽しいが。

Track8.
「王ポリフォンテは寺院から出て来て、
メッセニアの首相トラスメーデに、
神託の反応を読ませる。」

ここで、トラシメーデは、神託を読む。
「メッセニアは、まず勇気ある行動と、
次に怒りの結果によって、
2つの怪物から解放されるであろう、
そして戦利者は、王家の血筋の奴隷と結ばれるとある。
メッセニアの誰も、イノシシを退治する用意はなく、
エピタイデは、志願して、その大役を引き受け、
メッセニアの人々を救おうとする。」

このような不気味な神託なのに、
悪役ポリフォンテは、何ら怪しむこともなく、
イノシシ退治を主役のエピタイデに命じ、
「若いヘラクレスみたいだ」とか言って、
完全に他人事モードである。

Track9.ここで、漸く、
お待ちかねのアリアがさく裂。
ジュノーが歌う、エピタイデの、
「私の勇気は自然の恵みではなく、
恐れのない心があれば、
腕に力は漲るものだ」という内容の、
高揚した、晴れやかなものである。

これも、ジャコメッりの人気作、
「メローペ」からのもの。


Track10.
ここで、ポリフォンテに、
トラスメーデが、リチスコが来た事を告げる。
リチスコは、バッハの演奏でも有名な、
ドイツのメゾ・ソプラノ、
フランツィスカ・ゴットヴァルトが演じている。

この人は、すらりと端正で、
声もまた格調が高い。

Track11.は、
ポリフォンテとリチスコの交渉シーン。
「リチスコは、ポリフォンテの前に現れ、
エトリア王がエピタイデを引き渡すように、
ポリフォンテがかどわかして人質にした、
エルミーラの解放を要求する。
リチスコは、ポリフォンテに、
エピタイデ引き渡しは、
彼が死んでいる以上、無理だと言う。」

Track12.
強烈な刻み音で、いかにも残虐な支配者を思わせる、
エルミーラは返さないという、ポリフォンテのアリア。
ノルウェーのバイキングを思わせる、
マグヌス・スタヴランが、白熱した歌唱。

それもそのはず、これはヴィヴァルディの作。
「アテナイーデ」から持って来たという。

「怒りを持って聴き、復讐を持って対応する。」
という悪人ぶり、
「無実のいけにえにも、
王は悪人どもの殺戮を約束する。」
といった歌詞が、
川崎の少年の事件の直後にあって、
妙に、生々しく感じられる。

Track13.
リチスコは一人になって、
それにしても、エピタイデはどこにいるのだ、
と案じる。

Track14.このあと、リチスコのアリア。
「あの暴君が力をなくし、王位を追われるまで、
息をするのも苦しい」と、
正義の味方に相応しい、高らかな宣言の歌を歌う。

この曲は、要所要所に華麗な装飾が入って、
極めて難易度が高いものだと思われる。
豪快なホルンも伴奏に加わり、
澄んだ声が跳躍するところは、
オペラを聴く醍醐味にも思われる。

さすが、当時の人気作、ジャコメッリのもの。
当時の人が拍手喝采した様子が忍ばれる。

Track15.
ポリフォンテに夫を殺されて10年、
結婚を迫られるメローペの嘆きである。
「遂に、この日が来た」という感じ。

Track16.
大臣のトラシメーデが来て、
「私はあなたが他の人の妻になるのを見たくはない」
などと言っている。

「メローペは、トラスメーデに、
逃亡しているアナサンドロを探すように命じ、
彼から、誰が夫と息子を殺すように命じたのかを
知ろうとする。」

Track17.
そこにポリフォンテが、
略奪してきた隣国の王女、
エルミーラを伴って現れる。

ポリフォンテは、イノシシ狩りを成功させた者に、
この娘を与えようとしていて、
それをここで告げるのだが、
エルミーラは、自分には、すでに決まった人がいる、
と言う。

解説に、
「ポリフォンテは、エルミーラに、
もし、彼がイノシシを殺したら、
神は、エルミーラを、
異国の者に与えると言った、と伝えるが、
彼女は、エピタイデへの忠誠を誓う」とある部分だ。

「私は、私が選んだ人を愛するの」と言って、
感情が高ぶって、型にしたがってアリアとなる。

Track18.エルミーラのアリア。
これはすばらしいオーケストレーションが施された、
序奏からして、極めてジューシーなもので、
ヴィヴァルディ自身の「グリゼルダ」からのもの。

その繊細な陰影や、立体的な楽器法もあって、
このオペラの1幕の白眉ともなっている。

「私の涙とため息で、
私が弱っていると思うかもしれないけど、
死ぬことなど全然、怖くないのです。」

このCDで歌っているのは、
バロック・オペラでは高名な歌手、
ロミーナ・バッソであるが、
ちょっと年を感じさせる。

日本公演では、世代交代した感じで、
リソの歌唱になっていた。

Track19.
全王の妃、メローペと、
簒奪者ポリフォンテの息詰まる応酬のシーン。

「メローペは、殺人に関与していそうな
ポリフォンテへの蔑視を隠そうとせず、
来たるべき婚儀を呪う。」

Track20.は、当然、
メローペの激しい怒りに震えた、
これまた、このオペラの白眉とも思える、
「野蛮な裏切り者よ」である。
ただし、これは、ジャコメッり作とされる。

しかも、ヴィヴァルディは、
この曲は「バヤゼット」でも使っている。

この役柄は、ヴィヴァルディの最も信頼を寄せた歌手、
技巧より味で聴かせた、アンナ・ジローが歌ったとされるが、
これは、突き刺さる感情表現が求められる。

オーケストラのヴィルトゥオージもすごいが、
このCDのアン・ハレンベルクも非常に説得力がある。

この激烈なリズムの中、
何度も、感情の爆発が繰り返され、
聴くものを否応なく同調させてしまう。
ジャコメッリの力量は、
ヴィヴァルディも買っていたようだ。

Track21.
「ポリフォンテは、応酬して、
隠れていたアナサンドロを呼び出し、
メローペを殺人犯と告発するよう命じる。」

Track22.
アナサンドロが去ると、
ポリフォンテは、ドアを開けて、
守衛に、異国の者を連れて来るように命じる。

クレオンの名を騙っている、
主人公のエピタイデが、
「私は、この国を危機から救いたい」と現れる。

「ポリフォンテは、
クレオンをイノシシ退治に送りだし、
若き英雄は、すべての希望を、
来たるべき報酬にかけて出発する。」

Track23.
エピタイデのアリアで、
愛するエルミーラはどこにいる、
と言った後、
ジュノーが、軽い小唄風の、
「愛のための涙は甘いが、それが何時ものことだと辛い」
という、控えめなものを歌って、第1幕が終わる。
これは、「ウティカのカトーネ」から持って来ていて、
ヴィヴァルディ自身の作らしい。

今回は、この辺で、続きは次回に回す事にする。

得られた事:「ヴィヴァルディは、遠い異国で客死した、と言われるが、本人は、自分の国の首都で息絶えた、と考えていたかもしれない。」
「ヴィヴァルディ最後のオペラとされる『メッセニアの神託』は、他人の作を多く含むパスティッチョ(ごった煮)作品であるが、当時のヒット曲を集めた最高のエンターテイメントであった。」
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# by franz310 | 2015-03-07 22:42 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その424

b0083728_13155322.jpg個人的経験:
AVIEレーベルによるCD、
「北イタリアの
ヴァイオリン協奏曲の興隆」
全三巻は2006年の企画だが、
2008年録音の今回の第三巻、
「黄金時代(ゴールデン・エイジ)」
で終わりである。年1のペース。
ここでは、
ヴィヴァルディに影響を受けた、
ロカテッリ、サンマルティーニ、
タルティーニが取り上げられ、
解説も大部となって来る。


表紙デザインも第一巻の、
暗い貴族の館の楽団というより、
もっと公の場での音楽会のような感じで、
華やかで寛いだ空気が感じられる。

ようするに、年代が下って来た様子が
実感される仕掛けになっている。

チャンドラー率いるセレニッシマの演奏、
チャンドラーはヴィヴァルディおたくなので、
当然、ここでもヴィヴァルディがあって、
アルバムの最初と最後を飾っている。

これまた、楽曲ジャンル分類の
リオム番号で、
RV569、RV562aという、
一癖も二癖もありうそうな協奏曲である。

最初から種明かしをすると、
ハイドンと並んで、交響曲の開祖とされる、
サンマルティーニが登場している辺りからも
予想できるように、
チャンドラーは、ヴィヴァルディから、
交響曲への流れを導こうとしている。

かなり、意欲的な仮説検証アルバムが、この第三巻。
ロカテッリやタルティーニを、
ヴィヴァルディと並べたアルバムなら、
カルミニョーラなども出していたが、
ヴァイオリンとは無関係に見える
サンマルティーニを潜り込ませた点が新奇である。

また、ここに収められたリオム番号は、
かなり大がかりな協奏曲のもので、
前者はヴァイオリン、2つのオーボエ、
バスーン、2つのホルンが独奏楽器のもの、
後者はさらにティンパニまで入っていて、
確かに交響曲並み以上の編成となっている。

というか、ヴァイオリン独奏がなければ、
ほとんど、シューベルトの交響曲と変わらない。

ただ、どんな交響曲が鳴り響くかと思うが、
一聴して思うのは、やはり基本は協奏曲で、
冒頭からホルンは高らかに鳴り響き、
祝祭的な雰囲気に溢れ、
まったく、シューベルト的ではない、
というのが第一印象である。

では、解説を読んで見よう。

「1730年代までに器楽の協奏曲は、
アンサンブル・ソナタの過渡期から派生した時から、
40年以上を経て、完全に完成形となった。
初期の発展は、トレッリ、アルビノーニ、
ヴァレンティーニのような作曲家によって、
多く推進されたが、
おそらく、最大の功績は、
ヴィヴァルディにあった。」

このように、いきなり、ヴィヴァルディ様宣言が出る。

「彼の協奏曲の手稿や印刷譜の広い普及によって、
ヨーロッパ中の作曲家によって、
ヴィヴァルディのスタイルが手本とされ、
タルティーニやロカテッリといった、
2人のヴァイオリンの技巧家もそこに含まれていた。」

と、追従者の名前も出てくる。

「ジョゼッペ・タルティーニは、イストリアの街、ピラーノで、
4人の男兄弟、3人の姉妹の4番目の子供として生まれた。
父親はフィレンツェの商人、
ジョヴァインニ・アントニオ・タルティーニで、
この地方のカテリーナ・ザングランドと結婚し、
ジョゼッペを教会に入れようとしたがうまく行かず、
彼は法律勉強のためパドゥアに行き、
その地の有名な大学に入った。
しかし、友人のカルリによると、
彼は、一日に8時間練習したヴァイオリンや、
フェンシングに明け暮れて勉学は怠った。」

こういう、ヘンテコな脱線は面白い。

「アッシジ(1713-1715、1719)や、
アンコーナ(1717)に住んだ後、
タルティーニは1721年、
有名な名手となってパドゥアに戻り、
すぐに、聖アントニー大聖堂の
オーケストラのリーダーに任じられた。
ここは、9年前、ヴィヴァルディが、
聖人の祝日のために協奏曲を書き、
演奏した場所であった。」

9年といえば、かなり昔の話であり、
これが、どんな影響を及ぼすかは、
少し怪しい感じもするが。

また、この間に、ヴァイオリンの猛特訓とか、
いろいろドラマがあったようだが、
その話はヴィヴァルディと関係がないからか省略されている。

「主にこの大聖堂で演奏するために、
タルティーニは約130曲のヴァイオリン協奏曲を書いており、
それらの彼の手稿の大コレクションがここに保管されている。
その中で残っているものでも
最初期(1730年くらい)のものは、
変ロ長調の4楽章の協奏曲(D117)で、
この曲の豪勢な開始部と対位法的アレグロは、
祝祭的な祭日に演奏されるに相応しい。」

という感じで、いきなりタルティーニの協奏曲の
具体的な話が始まるが、
CDでは、この曲は終わりから2曲目、
かなり大詰めの形で入っている。

Track14.はグラーヴェの序奏で、
クリスマス協奏曲のような静謐さすら感じられる。

Track15.アレグロは、
タルティーニの楽器、ヴァイオリンが大活躍して、
やたら跳躍する名人芸的な音楽。
このような音楽を聴くと、
どこまでが技巧で、どこまでが音楽なのか、
よく分からなくなる。

恐らく優等生的には、
どちらも合わさって音楽ということなのだろうが、
では、この技巧がないと音楽が成り立たないか、
と言われると、
ここまでぴょんぴょんする必要はないと思う。
最後に強烈なカデンツァが来る。

祝祭的な協奏曲とあるが、
かなり世俗的なお祭りのようだ。

Track16.は、ラルゴで、
ヴァイオリンも落ち着いて、
夢想的なメロディに酔っている。
かなり息が長いもので、
そういった意味では、
ヴィヴァルディよりも新世代と言えるかもしれない。

Track17.は、
終楽章のアレグロで、ギャラントな舞曲調。
ヴァイオリンが技巧を交えながら歌うのも、
緩徐楽章同様、息が長いメロディで、
うまく、オーケストラに繋いでいく。
ヴィヴァルディの独奏部分が、
オーケストラとは無関係に発展していくのと、
少し違うかもしれない。

カデンツァも、元の主題から離れず、
近代的な様相を呈している。

「手稿には協奏曲が書き始められる前に、
3ページのスケッチがある。
タルティーニは、最初のアレグロの主題を、
さらに発展させられるものに書き換えているが、
皮肉な事に、
ドレスデンの図書館に収められている、
ピゼンデルが筆写した楽譜(D116)に見るように、
後から加筆した時には、
これは元のアイデアに戻っている。
彼が書いた音楽の多くで、
タルティーニは2タイプのカデンツァを書いているが、
ここでは、ここでも見ることが出来る。
モーツァルトのアインガングのような、
彼が好んだ短い、演奏者によって即興で演奏されるものは、
フィナーレの終わりで現れるが、
もっと名技的なカプリッチョは、
最初のアレグロの終わりにある。
タルティーニは後者をあまり好まなかったが、
聴衆がそれを聴きたいなら、
それを弾くべきだと認めており、
彼は、主題や動機を協奏曲の本体から、
カプリッチョに取り入れた最初の作曲家であったが、
それは、彼の初期作品にも遡って、
それを認めることが出来る。」

タルティーニは、肖像画が偉そうなこともあって、
あまり関心が持てる作曲家ではないが、
主題の一貫性やメロディの息の長さなど、
音楽づくりはかなり近代的であることを確認した。

ただし、少し悩ましいのは、
別に設けられた曲目解説を見ると、
この作品の自筆譜が、かなり完成形には遠い点で、
チャンドラーは、
楽譜がパドゥアのバジリカ図書館にあるもので、
かなり、資料的な価値は高いとしながら、
ヴァイオリンのパートがスラーの記号が省略されており、
これらをセパレートボウで弾けるわけもなく、
ピゼンデルの楽譜などを参考にした、
と書いている。

最後のページなども、
タルティーニが熱中して筆が追い付かず、
自分で弾くからいいや、
みたいに、カデンツァの前のリトルネッロが、
どこで終わるかも示していないと書いており、
ここでもピゼンデルを参考にしたとある。
カデンツァも即興を求めているから、
タルティーニの論文から装飾法を検討して、
自作したらしい。
よって、音楽を聴いて解説を聴いて、
なるほどと思うのは、
チャンドラーの自作自演の世界に入っているからと、
いぶかしむことも可能である。

さて、ここまでがタルティーニの話であって、
続いてロカテッリの話になる。
ロカテッリは、「ヴァイオリンの技法」といった、
いかにもヴァイオリン奏者兼作曲家
みたいなイメージだけが強く、
私の中には人物像は皆無であった。

「トレッリの協奏曲(ペルフィディアと記載)や、
ヴィヴァルディの協奏曲(カデンツァと記載)から、
カデンツァは使われているが、
『ヴァイオリンの技法』(作品3)の12曲の協奏曲で、
それを一般的慣習にしたのは、
ピエトロ・ロカテッリであった。
これらは1733年、アムステルダムで出版され、
ローマ、マントヴァ、ヴェニス、ベルリンで、
傑出した活躍をした後、
1729年、彼はその地に移り住んでいた。
このベルガモ出身の作曲家は、
アムステルダムを終生の地と定めたものの、
1740年代中盤以降、
その作曲家としての活動は、
急速に下火になっている。
『ヴァイオリンの技法』に続き、
1735年に、第1番から6番の『劇場風序曲』と、
第7番から12番の『協奏曲』からなる、
合冊をアムステルダムの
同じ出版社マイケル・チャールズ・レケーンから再び出版、
ロカテッリはやがて、そこに協力して、
校正係の主任を務めた。
これらの協奏曲はローマ風の、
コンチェルト・グロッソと、
3楽章からなるヴェネチア風の
ソロ協奏曲の混成である。」

ということで、
やはりヴァイオリン気違いであって、
さっさと作曲をやめてしまっていたりして、
19世紀以降の芸術観に染まった考えでは、
ちょっと芸術家としてどうなのかなあ、
などと考えてしまう。

ここでは、
有名な「ヴァイオリンの技法」ではなく、
作品4から、その11番の「コンチェルト・ダ・キエサ」と、
12番の4つのヴァイオリンのための協奏曲が選ばれて、
Track4.から11.までに収められている。

「このセットは時代遅れの、
ヴェネチア風の分割されたヴィオラ・パートを要し、
コンチェルト・ダ・キエサでは、
2つを独奏者として利用、
ここでロカテッリは、面白げに、
『ソロとあればソロで弾け』と書いている。
それらは、まさしくローマ風に、
2つの独奏ヴァイオリンと、
独奏チェロと合奏されて、
初期の北イタリアのアンサンブル・ソナタを想起させるが、
この場合は、通常、各パートにつき一人が受け持った。」

この作品4の11については、
Track4.からTrack8.までの
5トラックを要しているが、
1721年に出版され、1729年に改訂された、
クリスマス協奏曲のパッセージなどが再利用されている
といった曲別解説もあるように、
静謐な雰囲気の序奏楽章からして、
いかにも教会コンチェルト(教会ソナタ)である。

第2楽章で、複数のヴァイオリンが、
細かい生地の音楽を織り上げる中、
情感を高めていく部分が美しい。
コンティヌオのオルガンも清らかである。

第3楽章は、1分にも満たないラルゴで、
単に、場面転換のための、
切迫した和音が連なるだけの部分だが、
第4楽章は、清澄な緩徐楽章が流れ出す。
第5楽章は、ヴィヴァーチェ-アレグロとあるが、
中庸なもので、第2楽章同様、
二つの合奏群が、寄せては返すようなもの。
全体的に上品だが地味な作品であった。

作品4の12となると、
明確に「4つのヴァイオリンのための協奏曲」であるから、
すっきりと見通しも良い。
Track9.はお決まりのアレグロで、
ヴィヴァルディ風に華やかに駆け回る独奏と、
それを支える合奏部がある。
下記のような解説がある。

「四つのヴァイオリンのための協奏曲は、やはり、
ローマ風と、北イタリア、ヴェネチア風の要素の混合体で、
こうした協奏曲は、ヴィヴァルディ、トレッリ、
そしてヴァレンティーニによって普及されたが、
この人はおそらく、ロカテッリを教えた人の一人である。
ただ、初期の作品は、
ずっと規模の大きなアンサンブル・ソナタだったが、
ロカテッリの協奏曲は、ソロが4人もいるが、
ヴィヴァルディ風の独奏協奏曲をモデルとし、
伴奏の弦楽と2つのコンティヌオ群からなる。」

Track10.第2楽章は、
切々たる感情を秘めたメロディも美しく、
約4分にわたって、ビートが効いて、
どきどきしながら時を刻むような音楽が繰り広げられる。

Track11.第3楽章は、
ちょこまか動くヴァイオリン群が粋な節回しを効かせ、
喜ばしげな囀りも聴かせ、
解放的な伴奏部の楽想も爽やかである。

同じ作品4でも、11番の曲とは、
かなり性格が異なるものである。
それにしても、ロカテッリが、
このCDで取り上げられた理由がよく分からない。

「4つのヴァイオリンのための協奏曲の人気は、
しだいに下火になったが、
類例は、ナポリ楽派のレオナルド・レオや、
ミラノのオーボエ奏者、
ジョヴァンニ・バティスタ・サンマルティーニ
によって書き継がれ、
彼のイ長調協奏曲、J-C74は、
2つの独奏オーボエ、2つのヴァイオリン、
ホルン(複数)、トランペット(複数)、
弦楽とコンティヌオのために書かれ、
スタイルの上では驚くほど古典派風で、
1750年代の前半の作曲とされている。
サンマルティーニは、
交響曲作曲家の最初の一群の主導者であり、
たくさんの交響曲を書き、
大量の宗教曲を書いた。
彼は、30年以上をかけて、
新ヴィヴァルディ様式から始まって、
成熟した古典派の作曲家に育ち、
同時代の人々の多くから賞賛された。
彼はさらにグルックを教え、
若き日のモーツァルトが、
1770年に、最初のオペラ・セリア、
『ポントの王、ミトリダーテ』K87を
舞台にかけるのを援助した。」

グルック、モーツァルトとくれば、
ほとんど、ドイツ古典派の直系の師とも思える。
サンマルティーニに関しては、
ヴィヴァルディに続く、
タルティーニやロカテッリと異なり、
ヴァイオリンの系譜にはないことが、
下記のように紹介されている。

「フランスからの移民であった彼の父親(アレッシオ)も、
ジョゼッペとアントニオという二人の兄弟も、
オーボエ奏者で、
彼の母親ジェロラマ・フェデリッチは、
おそらく、ミラノのオーボエ奏者の一族、
フェデリッチ家の関係者であろう。
よって、ジョヴァンニ・バティスタ・サンマルティーニが、
ソロのオーボエを使った、
現存する唯一のオーケストラの協奏曲であることは、
奇妙な事である。
ほとんどが、タルティーニ風のベル・カント様式の、
ヴァイオリンやフルート用のものである。」

しかし、4つのヴァイオリンの作品の話から、
無理やり、オーボエの話に持ってこられた感じ。

ここでは、Track12.から13.に、
ラルゴとジェストの2楽章の
2つのヴァイオリン、2つのオーボエ、
2つのホルン、2つのトランペットのための協奏曲が
収められている。

冒頭の序奏は、これらの楽器が喜ばしげに、
華やかで壮大な音楽を予告するが、
これだけ聴いても、ヴィヴァルディの時代から、
ずっとハイドンの時代に近づいた感じが実感される。

主部が始まると、ヴァイオリン協奏曲の性格が強く、
そこにオーボエなどが絡んでいく感じ。

これらの楽器が掛け合う所の、
夢幻的な美しさは、このCDの白眉かもしれない。

チャンドラーの眼の付け所はさすがで、
協奏曲的なところも交響曲的なところも、
ここでは、両方が聞き取れる。

この協奏曲の曲別解説によると、
この作品は人気があったのか、
3つ以上の原稿が残されていて、
それぞれに違いがあって困った、
といった事が書かれている。

あるものは筆写ミスと分かるが、
それ以外は、音楽的に納得できる方を選んだようである。

第1楽章の独奏ヴァイオリンに対して、
チェロのピッチカートがあるものとないものがあるが、
ここでは、より美しい、ピッチカート有を選択している。

コンティヌオも、オルガンは相応しくないと抜いて、
当時、下火であったかもしれないが、
テオルボは入れたという。

これにも根拠をつけていて、
1726年に
サンマルティーニを訪問したクヴァンツが、
1752年に自身のオーケストラに
テオルボを入れた事跡によるらしい。

また、同様の理由によって、
チャンドラーは、この演奏では、
バスーンも勝手に入れたようだ。
バスーンはオーボエ対と一緒に使われる事が多かった、
というのが、その根拠のようである。

第2楽章は、第1楽章より短く、
舞曲調のリズムの中に、同じような楽想が繰り返され、
様々な楽器をブレンドした重量感もあって、
ほとんど、音楽の質感としては、
初期のハイドン、モーツァルトの世界と変わらない。

ここまで書いたら、
ヴィヴァルディの後継者の事は、もう十分、
もっと書きたい事を書かせてくれよ、
と言わんばかりに、下記のごとく、
いよいよ、チャンドラーの真骨頂たる、
ヴィヴァルディの解説が続く。

「ロカテッリ、サンマルティーニ、
そしてタルティーニは、それぞれ、
強烈な音楽的個性を持っていたが、
特に、後二者の作曲による音楽が、
ヴィヴァルディその人の作曲のものと、
間違って考えられたりしており、
それらが、バロック期の協奏曲の巨匠、
アントニオ・ヴィヴァルディに負っている、
ということは、言い過ぎとは言えない。
彼らは皆、この先輩作曲家に
会った事があるかもしれない。
ミラノのテアトロ・レジオ・ドゥカーレに、
オーボエ奏者として雇われていた時、
ヴィヴァルディは、1721年、
そこで、ミラノ用オペラ、
『シルヴィア』(RV734)を舞台にかけている。」

こんな会っただけの理由で、
影響を受けたと言い切るのは、
どうかとも思うが、
チャンドラーはどんどん行ってしまう。

「ヴィヴァルディが1723年から4年に、
ローマで任務を得ていた時、
ロカテッリも、オットボーニ卿に雇われており、
タルティーニが、しばしば、
パドゥアからヴェネチアを訪れた時期、
バジリカのオーケストラのチェリストであり、
ヴィヴァルディが務めていた事で知られる施設、
ピエタで、短期間、チェロの先生をしていた、
アントニオ・ヴァンディーニと交友した。」

といった具合。
さらに、チャンドラーは、ヴィヴァルディの、
オーケストラ発展への寄与についても書き尽くす。

「ヴィヴァルディは、協奏曲の歴史における、
偉大な作曲家であるばかりでなく、
彼は、オーケストラの発展の中でも、
イタリアで指導的な位置にあって、
20曲を越える、独奏や二重奏以外の
管楽器と弦楽のための協奏曲の遺産を残した。
それらのうち、
5曲と1曲の異稿は、
ヴァイオリンと2つのオーボエ、
2つのホルン、バスーンと弦と通奏低音のもので、
この編成は、古典的なオーケストラの、
バックボーンとなって、
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲に見いだされるものだ。
1710年代後半に書かれた
ヘ長調協奏曲RV569のように、
このような試みは、
ヴィヴァルディを時代の最先端に押しやっていた。」

このRV569は、このCDの冒頭を飾るものであるが、
曲別解説はない。

しかし、このような文脈で聞き直すと、
Track1.の華やかな序奏に漲る清新な雰囲気からして、
よくも、こんな作品が、ヴィヴァルディの活動の初期から、
生まれ出たものだと感心してしまう。

チャンドラーの共感も、これまでの作品の比ではなく、
天駆けるヴァイオリンと共に、音楽全体に、
内部から膨らむような高揚感があってすばらしい。

高らかに、青空にこだまするホルン、
立ち上がって来るような、
木管群の存在感たっぷりの囀りも
音楽を立体的にしている。

Track2.グラーヴェは、
ヴィヴァルディらしい夕暮れの音楽で、
完全にモーツァルトに直結しそうな、
極めて近代的な情感である。

ただし、ここでは、
完全にヴァイオリン協奏曲になっている。

Track3.のアレグロでは、
再びホルンの活躍が始まり、木管群も呼応。
ヴァイオリンが織り上げた生地の上に、
管楽器群が彩を添え、
チェロ独奏も独特の色調で陰影を与えるような主部。

以下の解説が続くが、
これは、ここには収められていないものの話だろう。

「類似編成の第2の協奏曲は、
ザクセン=ポーランド王子、
フレデリック=アウグスト2世の命によって、
1716年遅くか1717年初めに
サンタンジェロ劇場で演奏された、
ヴィヴァルディのオペラの序曲で、
ヴィヴァルディの生徒であった、
ピゼンデルによって演奏された。」

おそらく、この第1の曲も同様に、
こうした晴れやかな舞台と関係するものだ、
とチャンドラーは言いたいのだろう。

さらに、各楽器についての話も出てくる。

「ヴィヴァルディは、
ホルンに関して、18世紀で最も重要な、
イタリアの貢献者で、かつ作曲家で、
9曲の協奏曲の中で、
また、多くのオペラで、
CornoとかCorno da caccia
という名称でこれを使っている。
これは、ローマの凱旋を先導する
類似形状の金管楽器である
ラテン語のcornuに由来する。
RV569の協奏曲の2つのアレグロの冒頭で、
ヴィヴァルディは、そのイメージを想起させている。」

ということで、先ほど、
「高らかに、青空にこだまするホルン」
と書いたのは、正しかったようだ。

「ヴィヴァルディは、ほとんど、
Fのホルンのために書いており、
RV562/562aの両バージョンのみが、
Dのホルン用のものである。
RV562のオリジナル・バージョンは、
『聖ロレンスの祝祭のための協奏曲』と題されているが、
後の版では、これはなくなっている。
しかし、彼は、これは異なる緩徐楽章を持ち、
ヴィヴァルディの協奏曲では唯一となる、
ティンパニが追加されている。」

このCDでは、このティンパニ入りの豪壮な版が聴ける。

「後者の版は、1738年、
アムステルダムのショウブルク劇場の、
100周年の時に演奏された。
有名な俗説とは異なり、
ヴィヴァルディ自身はそこにおらず、
午後4時から始まって、
全部で5時間もかかった、
その進行については何も知らなかったはずである。
この協奏曲は、ジャン・デ・マレの寓話劇
『Het Eeuwgetyde van den Amstedamschen Schouwburg』
の幕開け(第1楽章)と、
雲が出てきて低くなる所(第2楽章)と、
雲が明け、アポロが登場して、
さらに雲が下りてくる所(第3楽章)の
伴奏音楽として使われた。」

Track18.この曲をCDの最後に持って来た、
チャンドラー一派の意欲はすさまじく、
待ってました、とばかりに意欲的な、
渾身の演奏が繰り広げられていく。
ティンパニの強烈さに鼓舞されて、
ホルンも木管群も弾けるように呼応している。

ここでも、主部ではヴァイオリン独奏が重要。

Track19.は、雲が低くなる感じというより、
神秘的な夜を思わせる。
ヴァイオリンが、慰めに満ちたメロディで微笑む。
通奏低音の豊かさも心地よい。

Track20.アポロの登場を思わせるかは分からないが、
変化に富んだ音楽で、
中間部では、ヴァイオリン独奏が妙義を聴かせ、
オーボエが歌うが、
両端部は、すさまじいホルンとティンパニの凱歌である。

なお、このCD、ピッチについても解説があり、
18世紀には各地でピッチがばらばらで、
ピッチの微修正が困難な木管楽が問題になるらしい。
これらはアルプス以北で作られたものが多く、
しかも、現在のものより低いピッチなのだという。
よって、このCDでも、特にヴィヴァルディのこの曲では、
木管楽器は新作したらしい。
ヴィヴァルディに取り組む時、
エイドリアン・チャンドラーに一切、妥協はない。

得られた事:「ヴィヴァルディの協奏曲には、古典派の交響曲と同様の編成を取るものがあり、それは、早くも1710年代から現れる。ヴィヴァルディは、古典派に向かう管弦楽様式の推進者であった。」
「タルティーニ、サンマルティーニは、ヴィヴァルディの様式から古典派様式への架け橋となった世代で、カデンツァの扱いや、楽器のブレンドなどに、より新しい美学への胎動がある。」
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# by franz310 | 2015-02-15 13:23 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その423

b0083728_2183148.png個人的経験:
英国有数のヴィヴァルディおたく、
チャンドラーのCDを、
ネット検索していて、
ずっと前から気になっていたのが、
今回、紹介するAVIEレーベルのもの。
「ヴィルトゥオーゾ・インプレサリオ」
というタイトルは、
「いかさま興行師」みたいに感じる。
「ヴィルトゥオーゾ」は、
「技巧家」みたいな意味だろうが、
どんな「技巧」か分かったもんじゃない、
という感じがして、ヤバい感じ。


検索していると、
チャンドラー率いるセレニッシマのCDの中でも、
表紙デザインからしていかにも怪しい。

作曲家の顔があしらわれているだけではないか、
などと感じられるかもしれないが、
緑の帯と服の赤の対比が安っぽく、
その影響か、ヴィヴァルディの眼も口も、
何やら、悪巧みを考えていそうな謎の表情である。

確かに、技巧家でも興行師でも、
これくらいでないと務まるまい。
いかにもお人よしの技巧家とか、
いかにも分かりやすい興行師とか、
我々が求めているとも思えない。

さらに、このCD、ヴィヴァルディでありがちな、
先のタイトルからしても、
単に協奏曲の名曲集ではあるはずはなく、
「協奏曲、アリアとシンフォニア」と書かれている。
いったい、どんな曲が、どう集められているのだ。

あるいは、私は、この多産な作曲家に対し、
どこからどう手を付けて良いか分からず、
このような企画に飢えているのであろう。
膨大な作品を、どのように整理して考えるべきなのか。

これを考えると、ベートーヴェンやシューベルトが、
初期、中期、後期が把握しやすい、
年代順の作品番号やドイチュ番号で整理されているのが、
いかにありがたい事かを再認識してしまう。

ヴィヴァルディの場合、
作品番号がある曲は限られており、
リオム番号などは、曲種ごとの分類にすぎず、
どんなジャンルがどれぐらいあるか、
という情報くらいしか得る事が出来ない。

では、さっさと、このCDの解説を読んで行こう。

「1711年のヴィヴァルディの
作品3『調和の幻想』の出版は、
莫大な成功を収めた。
彼は、今や、さらに名誉ある依頼に相応しい存在となり、
1713年には、最初のオペラ
『離宮のオットーネ』、RV729や、
オラトリオ『教皇ピウス5世の予言した海戦の勝利』、
RV782が、ヴィンツェンツァから依頼を受け、
まったくもってキャリアが変転した。
ピエタでの職位も、一時的に『合唱長』となった。
このポストは4年で終わったが、
彼は50曲に及ぶオペラの作曲を、
その生涯にわたって続けることになる。
多くの作曲家が、ヴェネチアの劇場で失敗したが、
ヴィヴァルディは、こうしたオペラの世界が、
残酷な女主人であることを知っており、
ヴェネトのはずれの地でデビューすると決めたのは、
賢明なことであった。
それでも、彼はさらに用心深く、
RV370のヴァイオリン協奏曲変ロ長調の
第1楽章として改作される、
協奏曲的なシンフォニアを、
『オットーネ』のオープニングに選択した。」

オペラ「オットーネ」の話から、
いきなり、協奏曲の話になるのは、
いささか唐突であるが、
このCDでは非常に重要な事で、
最初に収められたのがこの曲なのである。

したがって、それを知らずに以下を読むと、
何がどうなったかと戸惑ってしまう。

なお、このRV370は、
私にとっては忘れがたい曲である。

トスカニーニがNBC響を振ったライブに、
この曲が入っているとされ、
NAXOSのCDにはそう記載されていたのだが、
実は、トスカニーニが振ったのは、
RV367であった。

私は、現代の演奏と聴き比べようとして、
ネットで検索して即時購入したのだが、
期待して待っていたものを聴いて、
ようやく、全然違う、と気づいたのである。

面白い事に、この時、今度は、
同じ変ロ長調でもRV367をネット検索して、
チャンドラーのCDに行き当たったのである。
それまで、この人については、
まったく知らなかった。
そして、このCDについてはかつて書いた。

「彼の初期の技巧家的なスタイルで書かれ、
1712年の『パドヴァにおいて
聖アントニウスの聖なる舌に捧げられる儀式のために』
RV212に使われた、
急速なパッセージワークやマルチ・リトルネッロの
レイアウトの余韻がある。
閃光のような音階、
超絶なボウイング・パターンは、
1716年にヴェニスに滞在し、
ヴィヴァルディに学んだ、
若いザクセンのヴィルトゥオーゾ、
ヨハン・ゲオルグ・ピゼンデルの、
並外れた技巧を想起させる。
(おそらく、この頃、この協奏曲は書かれた。)
そして、この人の手で筆写譜が、
ドレスデンのザクセン州立図書館に保存されており、
他の自筆譜はトリノの国立図書館に収められている。
初期の大規模なヴァイオリン協奏曲の多くに、
ヴィヴァルディは終楽章にカデンツァを入れた。
時々、彼は、聖アントニウス協奏曲のように、
それをすべて記載したが、
しばしば、単に、『よきにはからえ』と書いただけで、
オペラのアリアでそうしたように、
そして、それをベネデット・マルチェッロに非難されたように、
即興で弾くことをほのめかしている。
『オットーネ』の『Guarda in quest’occhi』は、
ヴァイオリンのカデンツァが要求されたもので、
現存するものである。」

こう書かれると、このアリアも、
このCDに収められているのか、
と期待したくなるのだが、
残念ながら、これは含まれていないようだ。

しかし、「離宮のオットーネ」は、
たくさんのCDで出ているので、
それを参考にしても良い。
第3幕のカイオのアリアである。

確かに、グリエルモのCDでも、
ヴァイオリンが大活躍している。
そして、最後に短いが強烈なカデンツァがある。

私は、かつて、この人の演奏による、
このオペラのCDを聴いて、
その序曲からして協奏曲的であることを
驚いた経験があるので、
チャンドラーが書いていることは、
いちいち納得できる。

ヴィヴァルディは、あえて、処女作では、
安全な自分の土俵で戦ったということだ。

Track1.協奏曲RV370第1楽章。
序奏からして、
グリエルモの「オットーネ」で聴き親しんだ
快活な主題が出てくる。
が、さすが協奏曲だけあって、
ヴァイオリン独奏が前景に飛び出て来ており、
それゆえに、超絶な感じはするが、
「オットーネ」に比べておおらかさが減退し、
音楽の広がり感は小さくなったような気もする。

Track2.第2楽章は、
グラーヴェとあり、荘重な歎きの音楽。
序奏は荘厳で、
ヴァイオリンの強い線が、
簡単な伴奏のオーケストラの前で、
ぎゅうぎゅうと悲しい音をふりしぼる。

Track3.再び、アレグロ。
じゃんじゃんと威勢の良いオーケストラに、
颯爽と入って来るヴァイオリン。
同様の音型を繰り返し、
「閃光のような」と形容されたのが良くわかる。

雷を表すようなぎざぎざの進行が、
興奮を盛り上げて行ったに相違ない。

チャンドラーがヴィヴァルディ風だと信じて
新たに作曲したカデンツァは、
終わり近くで聴かれるが、
ヴィヴァルディがどんな演奏をしたかを彷彿とさせる、
気品があって嫌味なく、しかし華麗なもので、
非常に楽しめた。
このカデンツァは、以下のように紹介されている。

「今日、カデンツァは、
協奏曲本体から動機を再導入するが、
しかし、ヴィヴァルディのカデンツァは、
ロカテッリの作品3の
『ヴァイオリンの技法』(1733)同様、
急速な音階や、楽器を上下するアルペッジョ、
頻繁なダブル・ストップ、トリプル・ストップを
駆使することを好む。
それゆえ、これらのカデンツァは、
協奏曲から独立して、
ヴィヴァルディは遠慮なく拍子記号を変えている。
この協奏曲はヴィヴァルディ自身のものが
欠けている曲の一つで、
私は、彼のスタイルで即興的なカデンツァを作曲した。」

以上が1曲目の説明で、
以下、2曲目の説明が始まる。
読んで分かるように、
2曲目は変化をつけてアリアである。

しかも、一気に3曲、
「ソプラノ、弦と通奏低音のための、
『愛と憎しみの誠実の勝利』RV706からのアリア」
と銘打たれている。

「1716年という日付は、
この協奏曲が、二つのヴェネチアでのオペラ、
サンタンジェロ劇場のための、
『ポントスのアルシルダ王妃』(RV700)や、
サン・モイーゼ劇場のための、
『愛と憎しみの誠実の勝利』(RV706)と、
同時期のものだということである。」

ということで、
1716年のヴィヴァルディを、
協奏曲とオペラの両面から描こうとしている。

「『アルシルダ』のスコアは残っているが、
『誠実』の方の音楽は何曲かのアリア以外は、
失われている。
2001年、バークレー城で、
主に1716年から17年の、
ヴェネチアのオペラ・シーズンの
50のナンバーの手稿が発見された。
ソプラノのための2曲のうち、
たった1曲だけが、
演奏会でもかけられるようなものだが、
それらのうち8曲は、
『誠実』のものとされている。
ベルリンの州立図書館でも、
さらに3曲のアリアが見つかっている。
『Se vince il caro sposo』は、
しかし、スカスカのスコアである。
『Hei sete di sangue』は、
G.C.Schurmannのパスティッチョ、
『アルチェステ』の中に含まれ、
『Amoroso caro sposo』は、
どのオペラのものか分からないような感じで、
別に見つかっている。」

これはすごい事である。
散逸したオペラが、
こんな遠く離れた所で発見されているとは。

このCDでは、
Track4.に「Sento il cor brillemi in petto」とあるが、
これは、上記のどれなのであろうか。

ソプラノのMhairi Lawsonが歌っているが、
「私の胸に、心が燃えるのを感じるわ、
だから、苦しみとよ喜びの間に捕えられ、
私に痛みをもたらすの」という内容らしく、
楽しい陽気なリズムと、悩ましい歌唱が交錯して、
確かにいきなり、ヴィヴァルディの劇場音楽の世界に、
引きずり込まれてしまう。

Track5.には、
他人のパスティッチョから探し出された、
「Hei sete di sangue」が置かれ、
これは、「血に飢えたあなたでも、
私の心は傷つけることは出来ない、
恥知らずの恩知らず」という歌なので、
ざっくざっくとした荒々しいリズムの
切迫した音楽が、罵りの感情を盛り上げる。

パスティッチョでは、
裏切りに対する怒りのシーンで使いやすそうだ。

Track6.に、保護された迷子のように見つかった、
「Amoroso caro sposo」が来る。

これまた、ヴィヴァルディらしい、
真実味と華麗さを兼ね備えた美しい音楽で、
「愛する夫は、過酷な嵐の海の中」という語句で、
悲嘆にくれた歌かと思いきや、
「それが、あなたを安心させるだろうが」と続き、
敵を毒づく音楽と思われる。

したがって、英雄的でもあり、
様々な感情が渦巻くように、
管弦楽の効果が目覚ましい。

「これらのアリアは
ヴィヴァルディ初期の
オペラ様式の典型的なもので、
彼の楽器をもてあそぶような、
リトルネッロや独奏部の挿句がたくさん現れ、
初期の協奏曲様式にも似ている。」
と、解説では総括されている。

「1720年代は、ナポリ派の、
新世代の作曲家たちが勃興し、
近代的なベル・カント歌唱法で、
世界中をとりこにした。
アルビノーニのような古い音楽家たちは、
流行について行くことが出来なかったが、
ヴィヴァルディは、
ヴェローナの『アカデミア劇場』用の
『忠実なニンファ』(RV714)のように、
ギャラントスタイルを自作に導入して適応した。
シピオーネ・マフェイのテキストにより、
『ニンファ』は、8人の独唱者がおり、
印象的なトランペット群、打楽器、ホルン、
リコーダーが、通常の弦楽合奏に加えられた。
ヴィヴァルディの通常のものとは違って、
オペラは二重唱、四重唱、五重唱を含み、
第3幕ではバレエ音楽も含んでいる。
しかし、ここにも2曲取り上げたアリアが、
創造力をかきたてる、素晴らしい例となっている。
ロンバルディア風のリズムによる、
『Dolce fiamma』は、ヴィヴァルディの中でも、
最も優美なアリアの一つで、
『Alma oppressa』では、
コロラトゥーラの離れ業と、
巧みなオーケストラ書法が見られ、
作曲家が芸術の力の絶頂にあった時の
自信にあふれた作品になっている。
ダ・カーポ・アリアは、今や規則正しく、
三つの独唱部分とリトルネッロを有し、
後期の協奏曲と同様である。
もっとも、後者は最後のリトルネッロを要するが。」

初期のオペラから絶頂期のオペラの話に移ったが、
CDでは、これらのアリアは、
最後の一曲の前を飾るものである。

Track16.の「Dolce fiamma」は、
確かに、浮遊するような、
羽根のタッチのオーケストラをバックに、
ソプラノがシンプルながら、
時にコロラトゥーラを響かせるナポリ派風で、
6分半も歌われる。
「私の胸の中の甘い炎よ、
運命の力によって、名前も素性も変えてはいるが、
心までは変えられない」という、
これまた、かなり鬱屈した感情を歌うものであるが。

Track17.の「Alma oppressa」は、
待ってました、と言いたくなる、
ヴィヴァルディの代表的なアリアで、
激烈な管弦楽の書法の網目を縫うように、
声が縦横無尽に飛翔するのは、
鳥肌が立つような感じ。

「残酷な運命に魂も虐げられ、
愛で悲しみを慰めるのも無駄で、
その愛がまた悲しみなのだ」
という悲惨な八方塞がりの状況。

このCDのソプラノは、
超絶技巧ということはないが、
美しい声で、スリリングな難所を切り抜けて、
素晴らしい聴きものである。

以下、解説には、
後期協奏曲の特徴が語られている。

「『モト・ペルペトゥオ(無窮動)』
のパッセージワークは、
メロディの声楽書法のために抑えられ、
RV243の協奏曲 『センツァ・カンティン』の
このことは緩徐楽章で前面に出され、
その典型的なサンプルである。
この協奏曲は、ヴァイオリニストに、
『E線なしで(センツァ・カンティン)』
という異例の指示があり、
最低音の弦は、最終楽章の、
長いbariolage(静的な音と変化音の急速な変化)楽句の
持続音のために調弦して使われる。」

この曲は、Track13~15.で、
アリアの前に置かれている。
最初にこのCDを聴き流した時から、
この緩徐楽章は強い印象を残すものであり、
オペラのアリアが始まるのではないか、
などと身構えた程であった。

Track13.アレグロは、
どっぷりオペラの世界に浸かった
ヴィヴァルディの面目躍如の音楽で、
いきなり序奏から、がっつり聴き手を掴む感じ。

極めて強い意志、あるいは運命の力を感じるような楽想で、
真ん中で現れる長大な無窮動のカデンツァが、
がむしゃらである。

Track14.アンダンテ・モルト。
夢見るような物憂げな歌謡楽章で、
解説に、歌のラインを大切にして、
器楽的な効果を押さえている旨あったが、
これと「E線なし」は、何か関係あるのだろうか。

あるいは、終楽章でE線を使うようにして、
制約を設けたら、無窮動がしにくくなったとか。

Track15.
ここでは、前の楽章で我慢していた、
パッセージワークが頻出するが、
全体の印象は、
ベートーヴェンのスケルツォのように無骨なもので、
重いリズムがばーんばーんと打ち付けられ、
ヴィヴァルディ的な快活さとは一線を画し、
巨大なエモーションに突き動かされている感じがする。

以下には、最後に収められた協奏曲の解説が続く。

「拡張されたbariolageのパッセージワークは、
ヴィヴァルディの後期作品で優れており、
協奏曲変ホ長調RV254は、
いくつかの特に美しい好例を含んで、
全編のベル・カント風を引き立てている。
この協奏曲はおそらく、
彼のオペラの導入に使われたに相違ない。
第1楽章に、『senza cembali』
(ハープシコードなしで)という記載を含むように。
劇場外でハープシコードが一台以上あるという事は、
あり得なくもないが、不自然である。」

Track18.疾風のような楽句が吹きすさぶ、
これまた大仰とも言える楽想。
大作のオペラを予告するのか、
ヴァイオリンの主題も稀有壮大さと、
英雄的な推進力を併せ持っている。

オーケストラも寄せては返す波のように激しい。
チェンバロなしの指定は、
ここでチャラリンと鳴ると、
急にお上品になるからであろうか。
それを避けてまで、緊迫感を盛り上げるもの。
ここでのカデンツァも強烈である。

Track19.またまた、情感豊かな緩徐楽章。
ここでは、思索的な状況で、
盛んにチェンバロが鳴っている。
ヴァイオリンも、
何やら難しい事を考えているようなメロディ。

Track20.ようやく肩の力が抜けたアレグロ。
このCDの後半は、緊張感がありすぎであろう。
ようやく、楽しげなヴィヴァルディである。
オーケストラの疾風はおさまり、
爽やかな風が流れる。
だが、ヴァイオリンが奏でるメロディは、
いささか珍妙であって、
わざと操り人形のような、
ぎくしゃく感を出しているのか。

CD最後の曲は終わっても、解説は続く。

「彼の弦楽と通奏低音のための作品を見てみると、
たくさんの独立したシンフォニアが見つかるが、
『誠実』の場合に見たように、
多くのヴィヴァルディのオペラは、
長い間、行方不明のものが多い。
RV134のような協奏曲は、
シンフォニアに後に改作され、
タイトルは異なる色のインクで、
変えられていたりする。
その素晴らしいフーガの開始を見ると、
オペラハウスで演奏されるには
ふさわしくなさそうである。
むしろ、オラトリオの開始部か、
あるいは自由独立の室内交響曲(リピエーノ作品)
なのかもしれない。」

このように、Track10~12.
として収められたRV134の解説となるが、
同じように大型の声楽曲なのに、
チャンドラーはオペラとオラトリオを、
厳しく峻別しているようだ。

音楽を聞いて見ると、
劇的な緊張感に溢れたフーガは、
かなり集中力を持って聴かせる力があり、
極めてシリアスである。
ただ、第2楽章は、内省的であるものの、
とても情緒があって悩ましく、
オペラの一部であってもおかしくはない。

終楽章は、活力があり、
メロディの晴朗さも、
古典派の作品といっても良さそうな新鮮さがある。

弦楽合奏のための協奏曲は、
ヴィヴァルディの中では地味な部類の曲種であるが、
このような曲を、こうした共感豊かな演奏で聴くと、
改めて、ヴィヴァルディを聴く喜びが再認識される。

「ヴィヴァルディのアンサンブル協奏曲は、
おそらく1720年代中盤から後半にかけて作られた、
ヴァイオリンと2つのチェロのための
協奏曲RV561に見られるように、
未だ、リズムの興奮と色彩の対比に依存している。」

と書かれて、Track7-9の作品に移るが、
これは、逆に言えば、
協奏曲は外面的な効果で乗り切れたが、
シンフォニアでは、
そうはいかなかった、というニュアンスであろうか。

「ヴィヴァルディは、
5曲以上の協奏曲と、
『ディキシッド・ドミヌス』RV595の
最初の付曲において、
2台のチェロ独奏を使っている。
この場合、木管楽器群を持つ協奏曲同様、
独奏部の一番おいしいところは、
ヴァイオリンが持っていっている。
緩徐楽章は全編、ヴァイオリン用で、
ニ長調、RV564の協奏曲の対応する楽章同様、
チェロは、単にアルペッジョで付き合っているだけである。」

何だか、良い事を書いていないようだが、
Track7.に始まるハ長調協奏曲は、
生き生きとしたヴァイオリンに対抗して、
ど迫力でチェロ軍団が襲いかかるような
第1楽章からして極めて面白い。

しかし、チェロはがちゃがちゃ言っているだけで、
特に美しいメロディを奏でるでもなく、
音色の対比をして、陰影をつけているだけ、
と言われれば、そんな感じもする。

Track8.問題のラルゴである。
これは、どんぶらこどんぶらこと、
短調な音形をくり返すチェロを伴奏にした、
ヴァイオリンの舟歌みたいなものであった。

Track9.アレグロは、
ものすごいスピードで駆け巡るが、
チェロが動くので、重量級の迫力。
ヴァイオリンの囀りを、重火器が駆逐しながら進む。

「それらのすごい変則性によって、
ヴィヴァルディ初期の実験的な作品は、
バロック・スタイルの真の典型となっている。」

変則なのに、突き詰めれば「典型」だと。

「続く20年間、彼の遍歴は、
ここに取り上げた、
後期のヴァイオリン協奏曲、その他多くのように、
ソナタ形式のプロトタイプさえ利用して、
古典形式のすれすれまで導いた。
欧州の大部分では、
もう20年も前に亡くなっていた、
アルカンジェロ・コレッリの、
コンチェルト・グロッソの形式が
くり返されていたが、
そこから離れて、
新しい流行に夢中になったサークルのために。
しかし、ヴィヴェルディの協奏曲のスタイルは、
多くの若い作曲家の意識に浸透し、
その名技性や、
タルティーニのような衒学的な経験と共に
18世紀後半や19世紀の、
偉大な協奏曲の作曲家を導くことになる。」

以上で、チャンドラーが作った、
「北イタリアのヴァイオリン協奏曲の興隆」
シリーズの「第2巻」の解説が終わるが、
最後に、「第1巻」で取り上げられながら、
ここで訳出できなかった、
「調和の幻想」の解説部分を持って来て、
ヴィヴァルディ初期の協奏曲についても、
振り返っておこう。

「『調和の幻想』は、トスカーナの大公、
フェルディナンド王子(3世)に捧げられており、
「和声の誕生」とでも訳せばよいもので、
当時のピタゴラス派の音楽による天球の調和を表している。
何よりも重要な数字「7」が、
この楽曲の4つのヴァイオリン、
(彼の協奏曲には珍しい)2つのヴィオラ、
そしてバスという編成や、
作品の循環的な特徴に現れている。
最初の協奏曲は4つの独奏ヴァイオリンが使われ、
2番目のは2つのヴァイオリン用、
3つめのは1つのヴァイオリン用で、
全曲でこのパターンが繰り返される。
アルビノーニのものの残照か、
チェロ独奏を含むものが、第1番、第2番、
(短いが)第7番、第10番と第11番である。
このいかにもヴェネチア的な協奏曲集は、
彼の協奏曲集の中でもユニークで、
形式の点でアルビノーニの作品2や、
スコアの点でレグレンツィの作品8や10に負っている。」

何と、トラック・ナンバー(前のCD)で、
Track34-36.が作品3の3。
独奏用のヴァイオリン協奏曲で、
澄んで、快活なチャンドラーのヴァイオリンが楽しめる。
楽器は、アマティのコピーだとある。

Track37-39.には、作品3の10。
これはバッハが編曲したので有名なもので、
上記3パターンの4順目の最初の曲で、
4つのヴァイオリンが登場、時々、チェロが聞こえる。

楽器が多い分、
ものすごく豊穣なもので、
演奏の推進力も素晴らしい。
サラ・モファットや、
ジェーン・ゴードンといった美人奏者も、
この中で、音楽の綾を紡いでいると思うと、
想像するだに、リッチな演奏風景である。

得られた事:「協奏曲とオペラが合い携えて、ヴィヴァルディの音楽を発展させていった様子を魅力的に紹介した、極めて充実した内容のCDであった。」
「ヴィヴァルディの必殺技は協奏曲だったので、オペラ界に乗り出す時も、これを有効活用し、アリアにも楽器をもてあそぶようなリトルネッロや独奏部の挿句がたくさん現れる。」
「1720年代は、ナポリ派の作曲家たちが勃興し、ベル・カント歌唱法で、
世界中をとりこにしたが、ヴィヴァルディは、ギャラントスタイルを自作に導入して適応した。そして、それが、彼の後期協奏曲に広がりを与えて行く。」
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# by franz310 | 2015-02-08 21:09 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その422

b0083728_156036.png個人的経験:
イギリスの古楽団体、
セレニッシマを率いる
チャンドラーのヴィヴァルディは、
収録された各曲への思い入れや、
膨大なこの作曲家の作品の中から、
いかにして選曲してCD化したかを、
きちんと説明してくれていて、
彼のヴィヴァルディ傾倒に、
ついつい引きずられて
聞き入ってしまうことになる。
AVIEというレーベルは、
良く知らないが装丁も美しい。


気鋭の奏者が共感に富んだ演奏を聴かせ、
録音も良いので、ついつい聴き進めたくなる。

そんな彼らが、2000年代後半に、
「北イタリアのヴァイオリン協奏曲の興隆」
と題したCDを三つ出している。

これは、さぞかし、勉強になりそうだと、
まず一巻から聴き始めた。
「ヴィルトゥオーゾの夜明け」というタイトルから
気になってしょうがないが、
アルビノーニとか、ヴィヴァルディの作品もあり、
無名の先達ばかり集めたCDにあり勝ちの、
興味本位に陥ることはなさそうだ。

いかにも素性の悪そうなおっさんばかりの
表紙の絵画からして、興味半減になるが、
さすが、このオタク向けレーベル、
これに関しても、いろいろ能書きがあった。

アントニオ・ドメニコ・ガビアーニ(1652-1726)作
「1685年、メディチ家の
フェルディナント王子宮廷の音楽家たち」
(カンバスに油彩)とある。
「この録音のトラック1-24の
アンサンブルと同様の器楽アンサンブルが
見て取れる」とあるが、
7人のうち5人が弦楽四重奏+アルファの弦楽で、
マンドリンとチェンバロが見える。

あまり、協奏曲を演奏しそうなメンバーとは思えないが、
この中の何人かが、超絶技巧を聴かせるのだろうか。

「この音楽家たちを抱えていた、
メディチ家のフェルディナント公は、
ヴィヴァルディがのちの1711年に、
『調和の幻想』作品3を献呈する人である」
とあるから、狭いスペースに、
おっさんたちが緊張してポーズを取った、
非常にむさ苦しい構図ではあっても、
これは、ヴィヴァルディを演奏する際、
何らかの参考にするべき、
極めて重要な絵画であると考えられる。

どのような編成で演奏されたかが、
よくわかったところで、
ブックレット内の「セレニッシマ」という、
このCDの団体のメンバーの寛いだ写真を見ると、
チャンドラーが、本当に、
この絵画を参考にしたのか、
疑わしくなる。

13人のメンバーが写っているし、
3人は若い女性で、華やかな感じ。

さらに演奏者名を追っていくと、
ヴァイオリン6、アルト・ヴィオラ1、
テノール・ヴィオラ2、チェロ、ダブルベース各1で、
弦楽だけで10人もいる。
テオルボにバロック・ギター、
ハープシコード、オルガンと、
通奏低音が豪勢である。

が、このCD、トラックが39もあって、
アルビノーニだのヴィヴァルディだの、
有名な人が出てくるのは、
まさしくトラック25からなのである。

「セレニッシマは、ヴィヴァルディの
『セーヌの祭典』(RV693)を演奏するために、
1994年に創設され、
10年後に正式に、ヴィヴァルディと、
その同時代の音楽を演奏する、
指導的な団体として発足した」とあるから、
劇場音楽に対応できる編成を持っているようだ。

表紙の編成で演奏されるトラック24までは、
フランチェスコ・ナヴァラのシンフォニア、
作曲家Xの「ラウダーテ・ペウリ」、
ジョヴァンニ・レグレンツィの「3つのバレットとコレンテ」、
再び、ナヴァラの「シンフォニア」が並ぶ。

後半は4曲あって、最後の2曲がヴィヴァルディで、
その前に、トマゾ・アルビノーニの協奏曲、作品2の8と、
ジュゼッペ・ヴァレンティーニの協奏曲、作品7より、
が収められている。

つまり、「ヴァイオリン協奏曲の興隆」とはいえ、
前半のものは「協奏曲」という
タイトルではなさそうである。

一筋縄ではいかなそうなので、
さっそく、解説の本文を見ていこう。

「1600年代の初期には、
器楽曲の出版が劇的に増加し、
それが今度は、その消費者によって、
さらなる技法の熟達がもたらされた。
最も好まれた楽器は、
ヴァイオリンとコルネットであったが、
ヴァイオリンは機敏なゆえに生き残り、
コルネットを駆逐した。
広い音域、大きな跳躍、
ダブルストップやエンドレスな楽句演奏で、
ヴァイオリン族は、
器楽でも声楽でも作曲家に不可欠となった。
北イタリアから、
こうした名手が出て来た事は偶然ではなく、
この地は良く知られた、
この楽器発祥の地であり、
クレモナとブレスチアという、
二大産地を抱えていた。」

ということで、期待にたがわぬ書き出しぶりである。

「トリオ・ソナタと、
4声か5声からなるオペラ用のシンフォニアが
1650年代に現れ、
アンサンブル・ソナタの創造の引き金となった。
このジャンルは、ベルガモ出身で、
1672年にヴェネチアに移り住んだ、
ジョヴァンニ・レグレンツィなどの作曲家の、
基本形式となった。
彼の作品8(1663)や作品10(1673)は、
ジョヴァンニ・ガブリエリの
『サクラ・シンフォニア』(1597)の伝統に則った、
様々な編成で書かれたアンサンブル・ソナタであるが、
彼の甥のジョヴァンニ・ヴァレスキーニによって、
死後に出版された作品16は、
その30年に起こったアンサンブル・ソナタの
基本的編成を反映している。
全てのセットが、北イタリアの、
2つのヴァイオリン、アルト・ヴィオラ、
テノール・ヴィオラとチェロの5部に、
ハープシコードの通奏低音という編成となっている。」

という事で、最初は、ヴェネチアの器楽の基準は、
ガブリエリのような管楽だったのが、
古典的なものに近い弦5部となっていったが、
その流れに乗った人として、
レグレンツィが取り上げられたようだ。
この人の作品は3曲目に出てくる。

「作品16は、9対の小品からなり、
おのおの、バレット(舞曲の動きの包括的呼称)と、
コレンテ(舞曲形式)の組み合わせで、
バレットでは、レグレンツィは、
多くの場合、アルマンドとし、
コレンテは、3/4、6/4、
3/8、6/8、12/8拍子といった、
様々な拍子の舞曲の複合体とした。
ここで、おそらく売上を増やすためであろう、
コレンテはポピュラーなヴェネチアのダンスであった。
ダンスはジーガ(第2コレンテ)、
サラバンダ(第5コレンテ)、
フォルラーノのスタイルのフランス風ロンド(第7コレンテ)、
それからシャコンヌ(第9コレンテ)を含んでいる。」

レグレンツィのバレッティは、
最初に解説があるくせに、
登場するのは、Track15.になってからである。

ジーグやアルマントとあると、
バッハの時代の組曲のようだが、
1分前後の曲の集合体で、
シューベルトの「レントラー集」みたいな規模。

各曲は、異なる舞曲であって、
それぞれが、気分転換とか、
口直しみたいな音楽になっている。
シンプルな音楽だが、
演奏には、共感と活気があって、
打楽器の扱いや、節回しには、
様々な工夫を凝らしている。

次に、もう一人の知られざる作曲家、
ナヴァラの解説に入る。

「1695年、フランチェスコ・ナヴァラは、
マントヴァ宮廷の楽長に任命された。
彼の生涯についてはあまり知られておらず、
(英国の?)ダラムの大聖堂図書館に収蔵された、
2つのシンフォニアなど、
ほんのわずかな曲が残されているにすぎない。
イ短調の作品の手稿は1697年のもので、
マントヴァ宮廷礼拝堂の楽長のナヴァラ作とあり、
他の手稿には『カティ夫人に献呈』とある。
おそらくマントヴァの知られざる人物であろう。
両作品とも、レグレンツィの作品16と
同様の編成のために書かれているが、
ヴァイオリンのパートが、
その頃、ヴィオラ・パートを得て新鮮になり、
合奏協奏曲のプロトタイプになった、
ローマのトリオ・ソナタに似て印象的な、
もっと新しい形式で書かれている。」

Track1.~Track4.
にハ長調のものが収められているが、
鮮やかに音楽を先導する、
ヴァイオリンの推進力が美しい。

第1楽章の冒頭はソステヌートと題され、
低音弦がぶんぶん言う中を、
ヴァイオリンが混沌をかき分けるような感じで、
アダージョになったり、ヴィヴァーチェになったり、
なかなか劇的なものになっている。

それを序奏のように、
アレグロが続くが、独奏と合奏の変化や、
独奏同士の掛け合いもあったりして、
楽しい進行である。

続くアダージョは、
多彩なコンティヌオの活躍の中、
ヴァイオリンは思慮深く歌い、
あたかも、ヴィオール・コンソートのように、
深々とした感触。

最後のアレグロでは、
舞曲調の大団円になっていて、
確かに、協奏曲の原型という感じがする。

ただし、全曲でわずか5分半しかない。

Track21.~24.には、
このナヴァラのイ短調のシンフォニアがあるが、
これも「ソステヌート」の導入曲があって、
この部分は、調性からしても、神妙な感じ。

アレグロ・アッサイは、
第1ヴァイオリン主動型ながら、
勢いもある中、各声部の交錯が目立ち、
曲に立体感を与えている。

アダージョで奏される43秒ほどの部分は、
扇情的なこぶしを聴かせ、
続く情熱的なダンスのアレグロへの、
効果的な移行となる。

このアレグロは、ふしも艶めかしく、
フラメンコを想起させる。

ナヴァラの曲に対しては、
以下のような解説もある。

「これは、1714年に、
コレルリの死後発表された、
合奏協奏曲作品6に似ているというより、
1680年代の
コレッリのローマの演奏会について、
ムファットが記載した、
増強されたトリオ・ソナタに近いと思われる。
アンティフォンの合唱によって培われた
音を強くしたり優しくしたりする効果の
イタリアの伝統は、
カスティーリャ風のエコー・ソナタと共に、
このジャンルの普及の肥沃な土壌となった。」

このように形式とか、編成の話があったが、
今度は、語源の話が続く。

「『コンチェルト』という言葉は、
イタリアで長い間使われて来たが、
(モンテヴェルディやガブリエリは、
彼らの作品の修正にこの言葉を充てた)
現代の意味で使われるようになったのは、
1690年代になってからであった。
トレッリの作品5(1692)にそれが使われ、
1696年のタリエッティの作品2が続き、
1698年のトレッリの作品6と、
グレゴリの作品2の協奏曲集が共に、
4部の弦楽を有する。
1700年に、
アルビノーニが作品2を出すまで、
その創生期には、
シンフォニア/ソナタ・タイプは、
出版時はしばしばコンチェルトとペアとなっており、
二つを分離することはあまりなかった。
ナヴァラのシンフォニアは、
トレッリの初期のコンチェルトや、
トリオ・ソナタの曲集である、
タリエッティの作品2と形式的には同じである。」

このように、シンフォニアやトリオ・ソナタや、
コンチェルトがごちゃ混ぜであった時代が展望されたが、
以下、まさしく、今と同様の意味での
協奏曲の発展が語られる。

「もっとも重要な発展は独奏パッセージの導入と、
さらなる弦楽奏者の追加が薦められる、
トレッリ、ヴァレンティーニらの作品によってもたらされ、
オーケストラのテクスチャーが形成された。」

確かに、これまで聴いた作品は、
各奏者ががちゃがちゃやっている感じで、
すっきりと、独特の技巧を見せる独奏者と、
バックで、それを支える合奏部、
という感じはなく、いわば、室内楽であった。

「グレゴリはその第4協奏曲のフィナーレでは、
独奏者である第1ヴァイオリンから
独立したトゥッティを含み、
おおきく前進したとはいえ、
独奏パッセージは、初期には珍しかった。
通して独奏パッセージを用いた最初の作曲家
(そして、協奏曲形式を採用した最初のヴェネチアの作曲家)
は、1700年に、5声のソナタ集と6声の協奏曲集を、
その作品2として出したトマゾ・アルビノーニであった。
(これも、出版パート譜の表紙には、シンフォニアとある。)
その事実上の独奏部の動きは、しかし、
ヴィヴァルディの初期の協奏曲と比べると地味なものである。
一番の見どころは第4協奏曲(作品2の8)にあって、
これには独奏チェロも登場し、
これはいくつかの初期のアルビノーニの協奏曲の特徴で、
1711年のセレナータ『アウローラ』の、
2つのゼッフィーロのアリアにも出てくる。
実際は、これはハープシコード・パートの
華々しい装飾にすぎず、
ヴェネチアではよく見られた習慣で、
アンサンブル・ソナタの古いスタイルの名残であり、
ハープシコード奏者は、
ラインを単純化して、時として、
(レグレンツィの作品16のように)
さらにオクターブ下を弾いた。
さらに、短く、しばしば和音だけの緩徐楽章は、
(第4協奏曲でのみ、実際に6声ある)
17世紀中盤のはじめにマリーニが、
そのシンフォニアで多用したものに似ている。」

これだけ書いただけあって、
興味が高まった、アルビノーニの、
作品2の8は、このCDにも収められている。

Track25.はアレグロで、
ちょこまかとヴァイオリンが囀りながら、
明るく楽しげな音楽が始まる。
じゃかじゃかと活発に鳴るチェロも豊かな感じ。
確かに、ヴァイオリンは技巧的であるが、
合奏部に対比的な価値があるようには感じられず、
ヴィヴァルディとナヴァラの間にいる感じがする。

Track26.はアダージョ、
じゃーん、じゃーん、ぽろぽろぽろ、
という典型的な経過句の連続みたいな音楽で、
1分しかない。

Track27.はアレグロ、
再び、ヴァイオリンが舞い上がるが、
それによって、他の楽器も興奮するので、
独奏楽器と合奏が分離している感じは、
今一つである。
この曲も、全体で5分半弱しかない。

ただ、このように、
3楽章でぴしっと決まっている点は、
多くの人が彼の功績と考えた。

「アルビノーニが、
急緩急の断固とした3楽章形式を採った重要さは、
彼が古い4楽章形式を協奏曲で捨てた、
最初の提唱者であるという以上の評価はできるものではない。
1690年以前からヴェニスで人気があった、
3楽章のトリオ・ソナタを知っている人には簡単なことだった。
彼は、ナポリのチャペル・ロイヤルに移って、
アレッサンドロ・スカルラッティに影響を与えたような、
ピエトアンドレア・ツィアーニの、
オペラ用の3楽章のシンフォニアも、おそらく、知っていた。」

読んで見ると、チャンドラーは、
まったくアルビノーニを評価していないようである。

「形式は進化したが、アルビノーニの作品は、
バロック期の協奏曲に必要な名技性が欠けている」
と追い打ちをかけて手厳しい。

「この要素を最初に導入した作曲家は、
フィレンツェの人で、
多くのキャリアをローマで積んだ、
ジュゼッペ・ヴァレンティーニである。
彼の協奏曲作品7(1710)は、
ボローニャで出版されたもので、
2つのヴァイオリンのもの、
2つのヴァイオリンとチェロのもの、
ヴァイオリンとチェロ、
ヴァイオリンのもの、
そして、11番目の協奏曲では、
4つのヴァイオリンのものという、
華やかなスコアで、
レグレンツィの作品8を先取りしている。
後者は、彼の風変りな和声の偏愛を示し、
特に量感のあるフーガの第2楽章に見られる、
すべての声部が均等に主張するものである。
これまでの協奏曲の平板な外観に対し、
この曲集の登場はまさしく興奮を与えた。」

後者とあるが、これは、レグレンツィではなく、
ヴァレンティーニの事を説明しているようで、
このCDには、Track28.~Track33.
の6トラックかけて、
ヴァレンティーニの作品7の11が収められ、
第2楽章のTrack29.は、
これだけで5分半もあって、
ナヴァラやアルビノーニの1曲分の長さがあり、
マッシブである。
しかも、ちょこまかと動き、
まさしく生彩を放つフーガになっている。

このような楽章を持ち、
なおかつ楽章数が6つもあるので、
17分半の演奏時間を要する。
この点から見ても、桁違いの作品のように見える。

確かに、BGMのように、
このCDを聴いていても、
この作品になると、目が覚めたように生彩を放つのが分かる。
Track28.は厳かな序奏風。
Track29.は変化に富んだ、超絶のフーガ。
Track30.グラーヴェとアレグロで、
レチタティーボ風の嘆きが、
ヴァイオリンの急速パッセージを伴う、
パガニーニ風の技巧誇示部に移行する。
複数の楽器による掛け合いもスリリングである。

Track31.はプレストで、
一番短い2分たらずの部分。
そのくせ、押しの強い主張が一筋縄ではいかず、
頑固な感じが、作曲家の姿を連想させる。

Track32.アダージョが来るが、
これは確かに奇妙な自己懐疑のような音楽で、
作曲家は変なにいちゃんだかおっさんだったに違いない。

Track33.
終楽章でアレグロ・アッサイ。
ここでも、執拗なリズムが脅迫観念のように響き、
悪夢のようにヴァイオリンが交錯する。

1681年生まれとあるが、ヴィヴァルディより若い。
ヴァレンティーニは、どうやら無視できない作曲家のようだ。
1710年に出版した曲であれば、29歳の作品。

「これらの協奏曲の多楽章のレイアウトを見ても、
北イタリアでは嫌われた、
一つのヴァイオリン・ラインなど、
ヴァレンティーニの
ローマ風コンチェルト・グロッソとの親近性を感じる。
しかも、第6協奏曲には、
ヴェネチア的な要素もあって、
アルビノーニの3楽章形式を取り、
さらに作品2の8の主題の盗用もある。」

以上のように、ヴィヴァルディ出現前の、
協奏曲の歴史を概観した形だが、
実は、このCD、かなり意外な選曲を行っており、
協奏曲やその原型の器楽曲のみならず、
声楽曲が含まれて、
マイリ・ローソンというソプラノが歌って、
彩りを豊かにしている。

それにしても、作曲者が、
「コンポーザーX」というのは、
いかなる理由によるものか。

「アントニオ・ヴィヴァルディは、
おそらく、この華麗な作品集を熟知しており、
翌年、彼の最初の協奏曲集『調和の幻想』(1711)
を出版する。
1690年代の彼の音楽の修行は、
司祭になる勉強と一緒になされたが、
同時に音楽界が大きな変化を起こしており、
その頃、19曲の宗教曲を勉強に使った。
これらはトリノの国立図書館に収蔵されている。
これらの作品集は5つのグループに分けられ、
最大の13曲を占めるものは、
すべて作者不明の自筆譜で、
同じ筆跡で書かれている。
これは、1650年頃生まれた、
ヴェネチアの作曲家、
『コンポーザーX』のものと認定されている。
多くのものは、4声か5声の声楽部を有し、
時折、コルネットやトランペットが付加される
5声のヴェネチア式の弦楽合奏部を有する。
5曲の詩篇への付曲は、しかし、
ソプラノとい弦楽のためのもので、
ヴィヴァルディのトレードマークの一つとなる、
華やかな協奏曲スタイルに導く厳かな序奏も、
同じテキストに後年、ヴィヴァルディが付曲するものの
青写真のような感じである。
音楽は全体として懐古的なもので、
ある個所では、
モンテヴェルディの残照が感じられる。」

この中の「ラウダーテ・プエリ・ドミヌム」
(詩篇第113番「主のしもべたちよ、ほめたたえよ」)は、
CDの2曲目に早くも取り上げられ、
Track5.では、前述のような、
啓示的にも聞こえる、
器楽による控えめな序奏がある。
シンフォニアと題されている。

Track6.はソプラノが入って来て、
アレグロで「ラウダーテ・プエリ」が歌い出される。
声は、協奏曲のソロのように浮かび上がって美しい。
通奏低音の動きや、ヴァイオリンの助奏も美しい。

Track7.では、
「シット・ノーメン・ドミニ」が、
やはりアレグロで歌われるが、
「主の御名はほむべきかな、
今より、とこしえに至るまで」という内容ゆえか、
いかにも神妙な感じ。

Track8.は、
「日の出ずるところより、日の入るとこまで、
主の御名はほめたたえられる」という内容で、
リズムがアジテーション風に強い。

Track9.は、
アダージョからアレグロに変化するのが
「主はもろもろの国民の上に高くいらせられ、
その栄光は天よりも高い。」
という内容なので、恐れ多くかしこまった感じだが、
声の装飾が多く、古風な感じがする。
やがて、器楽合奏がリズム感に乗って高まる。

Track10.は、
「われらの神、主にくらぶべき者は誰か、
主は高きところに座し、
遠く天と地とを見おろされる。 」
というアレグロで、
ヘンデルのオラトリオのような、
すっきりとした音楽になっている。

Track11.は、ようやく、
この詩篇の特徴的な歌詞になるが、
「主は貧しい者を塵からあげて
乏しい者を糞土からあげて」という内容ゆえに、
前半は貧しくて震えるようなプレストと、
塵にまみれたようなアダージョの悲痛に続き、
後半の上がっていくように、
さーっと光が射しこむような
喜ばしいアレグロとの対比が劇的である。

Track12.は、
「もろもろの民の君たちとともに座らせられる」。
ここではアレグロで速いテンポで、
神様のありがたさが宣言されるが、
声の揺らし方がオペラティックでもある。

Track13.の「グローリア」は、
意外にも、切実な感じさえするモノローグで、
「父と子と聖霊に御栄えあれ」と歌われる。
Track14.は決まり文句の
「はじめにあったごとく、
今も、いつも、 世々に限りなく」であるが、
ここも、妙に改まった音楽で、
歓喜の爆発などではなく、
優等生的な説教調な曲調。
器楽が入って来て明るさが増してほっとする。
やがて、「アーメン」の部分に入っていくが、
ここでも、粛々と歌われるような感じ。

この曲の各部で、声楽と器楽合奏、
あるいは独奏との交錯が見られたが、
ヴィヴァルディが、こうした楽曲を教科書にしていた、
というのも面白い。

このように声楽曲が入った事で、
協奏曲形式確立前の、
いくぶん性格に乏しい器楽曲の曲集に、
変化を与えて、このCDの価値を高めている。

このCDの解説の最後は、
いかに、ヴィヴァルディが優れた作品を書き、
協奏曲の形式を完成させて行ったかが熱く語られている。
このCDでも、最後に現れるヴィヴァルディの協奏曲は、
異才、ヴァレンティーニの後でも、
扉が開かれたかのような新鮮さで響いた。

まだまだ解説は続くが、紙面も尽きたので、
以上の点をまとめると、このCDの内容は以下のようになる。

Track1.~Track4.
フランチェスコ・ナヴァラのシンフォニア、
ヴァイオリン声部がヴィオラの参加で刷新され、
合奏協奏曲のプロトタイプになった例。

Track5.~Track14.
作曲家Xの「ラウダーテ・ペウリ」、
ヴィヴァルディが若い頃勉強に使った教科書のような曲。
協奏曲のような序奏や主部がある。

Track15.~Track20.
レグレンツィの「3つのバレットとコレンテ」、
ヴェネチアの器楽の基準が、
管楽から弦5部となっていった例。
基本的に舞曲の集合体。

Track21.~24.
ナヴァラの「シンフォニア」イ短調、
同上、知られざる夫人に献呈されたもの。

Track25.~27.
トマゾ・アルビノーニの協奏曲、作品2の8、
3楽章形式の協奏曲の確立。
独奏パッセージが見られ、チェロも活発に動く。
ただし、まだ名技性がない。

Track28.~33.
ヴァレンティーニの協奏曲、作品7の11、
独奏声部に名技性が入り、
協奏曲に魂が入った例。

Track34.~36.
ヴィヴァルディの作品3の3、
Track37.~39.
ヴィヴァルディの作品3の10、
これらは、今回、十分鑑賞できなかったが、
有名な作品ゆえ、またの機会もあるだろう。

得られた事:「ヴェネチアには管楽合奏の伝統があったが、ヴァイオリンの普及に伴う技法の開発によって、器楽の主流は弦楽合奏となり、ヴァイオリンならではの超絶技巧とオーケストラの質感の対比が追及され、ヴィヴァルディの登場となった。」
「3楽章形式はアルビノーニが徹底し、異才ヴァレンティーニがヴィルトゥオージイを持ち込んだ。」
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# by franz310 | 2015-01-18 15:08 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その421

b0083728_20545654.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの、
大量の協奏曲群を前に、
この作曲家は、
同じ曲を数百回書き直した、
などと言って誤魔化すのは、
時代遅れであって、
カルミニョーラのような
第一人者は、
それぞれの楽曲の個性を、
よく味わえるような
世界初録音のCDを多数発売し、
聴衆を啓蒙しつつある。


が、もっと若い世代の、
アドリアン・チャンドラーなどは、
自ら研究者としての側面を前面に出し、
解説までを自らの手で記載しながら、
テーマ性の高い選曲でCDを作り続けている。

1974年生まれとあるから、
年齢不詳の怪人サルデッリや、
カルミニョーラ(1951年生まれ)、
アレッサンドリーニ(1960年生まれ)、
ビオンティ(1961年生まれ)、
スピノジ(1964年生まれ)、
マンゼ(1965年生まれ)などより若い。

ヴィヴァルディの生年は、1678年であるから、
約300年を経て、
ようやく、ここまで研究が進んだ、という感じがする。

ヴィヴァルディは、死後、急速に忘れられたが、
生前は、破竹の勢いで頭角を現したラッキーボーイでもあり、
晩年まで、皇帝お気に入りの作曲家として寵愛を受けており、
皇帝の死がなければ、貧民墓地に葬られ、
その場所が分からなくなるような事はなかっただろう。

ということで、神聖ローマ皇帝カール6世と、
この作曲家の関係に着目したCDとして、
チャンドラーは、セレニッシマを率いて、
「アントニオ・ヴィヴァルディ
神々と皇帝たちと天使たち」と題したアルバムを作っている。

このタイトル、月とすっぽん並みに、
無関係なものを集めただけに見えるし、
すべて複数形なので無神教のように見えるので
非常に分かりにくいのが、
チャンドラーの頭の中では、
何らかのつながりがあるようである。

一応、これらの表すものが、
解説を読んでいくと読み取れる(ようだ)。

「私は9人の高貴な方々と文通する栄誉に浴し、
私の手紙は全ヨーロッパを旅しています。」
(アントニオ・ヴィヴァルディ 1737年11月)

チャンドラー自身が書いた解説は、
いきなり、このようなヴィヴァルディの、
誇らしげな言葉から始まっている。

「これはヴィヴァルディがその中で活動していた、
高貴なサークルを指しているのだろうが、
その中でも最高位にあったのが、
神聖ローマ皇帝、
カール6世(1685-1740)であった。」

こんな風に始まるので、皇帝たちとは、
いったい他に誰がいるのか、
と思ってしまう。

ヴィヴァルディは、この皇帝には寵愛されたが、
次の、マリア・テレジア帝とは無関係であった。

「この人は、すぐれたアマチュアの作曲家で、
伴奏者であり、
ハプスブルク家直系の最後の皇帝であった。
この皇帝の庇護を得るための彼の努力の中で、
ヴィヴァルディは、
2つの華やかな弦楽の協奏曲を献じている。
1727年の作品9と、
1728年の9月10日から12日の間、
皇帝のトリエステ訪問時に、
個人的に手渡した手稿譜である。
これらは共に、『チェトラ(竪琴)』と題され、
ヴァイオリンになぞらえた
竪琴を操るアポロと比べることによって、
皇帝を喜ばせようとしたものである。」

ということで、アポロが出て来たが、
キリスト教的な神ではなく、
このCDのタイトル「神々と皇帝たちと天使たち」
にある「神々」は、
ギリシャ神話的な神々であることが分かる。

「1728年の曲集の5つのパート・ブックは、
独奏ヴァイオリンの譜が欠けているが、
7曲が何らかの形で現存しており、
第10協奏曲(RV271)
(『恋人』と題されたもの)は、
トリノの国立図書館に、
ヴィヴァルディの自筆譜が収められている。
一方、2つの二重協奏曲は、
第1のヴァイオリン独奏パートは、
ここに示した変ロ長調(RV526)のように、
第2のヴァイオリン独奏パートから、
簡単に修復ができる。
1728年にヴィヴァルディが、
2曲の二重協奏曲を含む献呈をしたのは、
1727年の出版の1曲の二重協奏曲が、
好評だったことに直接影響されているのだろうか。」

ところで、このCDには、
こうしたテーマに関する解説と共に、
各曲に関する解説もあって、
かなり贅沢に楽しめる。

ただし、解説の順番と曲順は、
一致したものではない。

この「ラ・チェトラ」協奏曲第6番(RV526)
についても、このような記載があるが、
これはCDのTrack13-15に収録されている。
解説では冒頭であるが、
全9曲中のど真ん中、5曲目に登場する。

Track13.追いかけっこのような、
でこぼこをくり返す、変なリズムの音楽で、
リコンストラクション、アドリアン・チャンドラーとあるが、
2つのヴァイオリンの独奏部は、
絡まり合いながら模倣する感じで、
新たに復活させたものとは思えないような自然な音楽になっている。

「前述のように、
この協奏曲の第1の独奏ヴァイオリン・パートは、
第2の独奏パートから再構築されたものである。
残念ながら、今日の音楽家たちは、
音楽をもとに戻す事に関して控えめである。
我々が再構成する際に遭遇したのは、
オープニングのソロだけであった。
我々は、ここで、ヴィヴァルディが、
第2ヴァイオリン・パートを、
コピーした時のミスを利用した。
バス・ペダルの持続音の2ビート後に、
ここでの音型が変わっている。」

何と言うことのない解説ではあるが、
一曲一曲を大切に吟味して演奏している感じが、
伝わってくるだけでも良いではないか。

Track14.ラルゴ。
一方のヴァイオリンが、懐かしい情景に思いを馳せる中、
そっともう一方のヴァイオリンが、
優しく寄り添う風情なのが良い。

Track15.アレグロ。
はち切れるような楽想で、
ハイドンやベートーヴェンが好きそうな、
ギクシャクとしたごつごつの展開ながら、
この楽章も中間部で、懐古的な楽想が出て、
ヴァイオリンが夕空を駆ける。
第2ヴァイオリンの寄り添いも泣ける。
オルガンを使った低音が、
不思議な色彩を放つ。

この曲のどこが、
皇帝を思わせるのかは分からないが、
カール6世は、こうした軽妙さや、
そこはかとない情感を愛する君主だったのだろう。

もう一曲、「ラ・チェトラ」からの協奏曲、
カラヤンなども演奏した超有名曲「恋人」RV.271は、
このCDの最後に収められている。

また、曲別解説にも、
「このアフェットゥオーソ・スタイルは、
ヴィヴァルディにとっては
非常に珍しいものである」とある。

「3つの楽章すべてに、
アッポジャトゥーラ(前打音)が多用されており、
タルティーニやロカテッリが、
そのソナタで採用したスタイルを偲ばせる。」

Track22.アレグロは、
流れるように優美な楽想で、
春のそよ風を思わせるが、
カール6世は、こうした気取った、
あるいは洒落た表現も好きだったのだろうか。

Track23.ラルゴ/カンタービレで、
打って変わって寂しげな曲想で、
終始、独白調で、慰めるような伴奏に対し、
ヴァイオリンが感情を押し殺したように、
相談するともなく、感情を披歴し、
いかにも劇の一場である。

Track24.アレグロは、
あっかんべえの音楽で、
さっきの悲嘆は嘘でした、みたいな楽想。
激しい推進力の中、
ヴァイオリンが縦横に活躍する。

中間部では、ふと、
寂しげな本音が出ているのか。

3分40秒頃から55秒頃にかけて、
かなり目立つカデンツァがあるが、
演奏しているチャンドラーの作ともある。

「最終楽章に現れる短いカデンツァは、
タルティーニやロカテッリの長いカプリッチョより、
タルティーニやテッサリーニの短いカデンツァのスタイル。」

ちなみに、ロカテッリは、
協奏曲にカプリッチョ楽章という、
技巧誇示楽章を設けたことで知られている。

この作曲家は、1695年生まれと、
ヴィヴァルディの次の世代に属する。
カール6世(1685-1740)は、
おそらく、自分より若い、
この世代の作曲家は知らなかったはずで、
ヴィヴァルディは、かなり新しい音楽を、
それに先駆けて、皇帝に献上していたということか。

私は、すべてがこの調子で、
このように、カール6世一人に献じられた協奏曲が、
単に集められたCDかと思っていた。
これでは、CDのタイトルの
「皇帝たち」に合わないのだが。

が、下記にも王族として、
別の人物が出てくるので、
これが、きっと「皇帝たち」の一人に
カウントされているのだろう。

「我々はヴィヴァルディが1729年の終わりから、
1730年の初めまで、
サンマルコ教会のヴァイオリニストであった
父、ジョヴァンニ・ヴァティスタ・ヴィヴァルディが、
ヴィヴァルディと共に、
今日のオーストリアとボヘミアまでを含む、
『ゲルマニア』の地に付き添うのを許されたのに合わせ、
ヴェニスを留守にしていた事を知っている。
この地の多くは、ボヘミア王を兼ねていた、
カール6世に統治されており、
ヴィヴァルディの以前の好評に
助けられたものではないか、
と考える人もいる。
この滞在は、ヴィヴァルディが、
ボヘミアの貴族、ウェンツェル・フォン・モルツィン伯と、
再会する機会となったに相違ない。」

ボヘミアのモルツィン伯と言えば、
ハイドンが若い頃に仕えたことでも有名な音楽好きである。
下記のように皇帝に連なる人であったようだ。

「この人は、ホーヘネルベの世襲貴族で、
皇帝カール6世の相談役でもあった。
ヴィヴァルディは、この伯爵とは、
何年かの付き合いがあって、
不在ながら宮廷楽長として振る舞い、
1725年には作品8の協奏曲集を、
彼に献じていたりしている。
他の作品も、
伯爵の『名人芸楽団』のために書かれており、
RV496のバスーン協奏曲ロ短調などは、
彼の名前が冠されているし、
おそらく、ボヘミアの紙がつかわれた、
自筆譜が残された、
他の二つのバスーン協奏曲も同様であろう。
これらの一つはイ短調(RV500)であり、
RV482のニ長調の断章も、
同様の作曲上の工夫があるゆえに、
同時期に作曲されたものと思われる。」

さすが古楽の研究成果である。
この種の手法は、シューベルトの作品分析でも、
かなり進んでいるはずで、
ボヘミアの紙が、いかなる特徴のものか、
調べてみたい気もする。
和紙もこのたび、世界遺産になった事であるし。

ただし、このRV482が、
何故、断片に終わったかが書かれていないのは、
いささか残念である。

この断片の方のバスーン協奏曲は、
もう一曲のバスーン協奏曲が、
CD前半にあるのに対し、
CDの後半のTrack20.に入っている。

伴奏の激しい情念からして、
いかにもオペラの世界の音楽を思わせる。

決して、楽想が続かなくて放棄された曲とも思えず、
その強い感情掻き立て効果によって、
断片に終わらせるには惜しいような気もする。

断片ではない方の、RV500の協奏曲は、
Track7-9に収められている。
この曲には、曲別解説はないが、
以下に述べるように、
聴きごたえのある音楽である。

Track7.アレグロ。
風雲急を告げる、イ短調の協奏曲で、
劇的であり、苦悩の表情もあって、
楽想としては、かなり英雄的。

バスーンの独奏も、
楽器の音色に相応しく内省的で、
モルツィン伯爵の名人芸集団に敬意を表した感じもする。

Track8.ラルゴ。
微睡むようなリズムであるが、
メロディはまさしく夢見心地で非常に美しい。
バスーンのふくらみのある、
柔らかな質感を生かしたという意味では、
古今のこの楽器の協奏曲を代表しても良いくらいだ。

Track9.アレグロ。
弦の透徹した音で始まる、
いくぶんシニカルな音楽。

この楽章では、あの大きな木管楽器に、
細かい音形をひっきりなしに吹かせ、
また、ある時は、しみじみと歌わせ、
多様な楽器の魅力が味わえる。

バスーンはピーター・ウェランという、
アイルランド出身の知的なイケメンが担当。

「ボヘミアの紙がつかわれている
もう一つの作品は、RV163の
華麗な協奏曲『Conca(Conch)協奏曲』で、
約60曲ある、独奏なし、
弦楽とコンティヌオのための作品の一つである。
タイトルは、楽器のホルンかトランペットのような、
巻貝(conch shell)の使用をほのめかし、
これはネプチューンとアンフィトライテの息子の
トリトンが使うもので、
ネプチューンの従者たちは、
これまた一括してトリトンたちと呼ばれる。
ヴィヴァルディの時代のボヘミアでは、
(第1楽章に聞き取れるように)
法螺貝は、差し迫る嵐を表し、
船乗りには、霧笛やセイレーンを連想させた。」

神々というタイトルに無理やりこじつけたのではないか、
と思われる程、この解説では、
ネプチューンやらトリトンまでが出て来た。

さて、この曲は、
曲別解説にも取り上げられているが、
そこにはこう書かれている。

「聴くものは、この協奏曲が、
トニックとドミナントの
2つの和音に強く依存していることに気付く。
これはヴィヴァルディが法螺貝を模倣したもので、
これは主音とその上、
属和音ともう一つの主音4音しか吹けない。
ユニゾンのオクターブの多様は、
ヴィヴァルディが、
2マイル先まで届く、
耳をつんざく
法螺貝の騒音を呼び起こそうとしたものである。
さらに特筆すべきは、
ヴィヴァルディが演奏指示に書いた、
battuteで、
これは、最初の2つの楽章に出て来るが、
『打たれた』という意味である。
もう一つは『stricciate』で、
これは、strisciateの変形で、
こそこそする、とか、這うという意味である。
この形容詞は、嵐が近寄るときに用いられ、
無数のトレモロのボイングの際に現れる。
これは、1627年のフェリーナの
『カプリッチョ・ストラヴァガンテ』以降、
最も早い時期の例である。」

この曲は本CDの冒頭を飾っている。
いろんな事が書いてあるが、
第1楽章は2分に満たず、
全曲のTrack1~3でも
4分程度で終わってしまう。

多くの場合、弦楽のための協奏曲の一曲として、
さらりと流されてしまいそうな小品であるのに、
よくも、ここまで書いたという感じもする。

Track1.アレグロ―アレグロ・モルト。
短いながらもいろんな事が起こる音楽で、
ホルン(法螺貝)信号のギクシャクした楽想から、
ギャロップのようなリズミカルな部分に移る。
聞き取ろうと思えば、嵐の接近や、
それに身をすくめる様子なども音になっている。

Track2.アンダンテで、
嵐の後の団欒のように、気持ちが良い。

Track3.アレグロ。
再び、法螺貝信号が頻出する、
リズミカルな楽想に戻る感じ。

では、メインの解説の続きを読んで、
いったい、何時、タイトルにある
天使たちが出てくるのかを見てみよう。

「ヴィヴァルディが、
何故、作品9の協奏曲をカール6世に
選んで贈ろうとしたかは分からないが、
スペイン継承戦争で、
1707年にオーストリアの手中に落ちた、
マントヴァの宮廷に彼が仕えたことから、
その入り口が開いたのかもしれない。
ヴィヴァルディは、この宮廷のために、
ヘッセン=ダルムシュタットのフィリップ王子の
オーケストラの持つ華々しい楽器群をフル活用して、
いくつかのすぐれたオペラを書いてもいる。」

むむむ、ここでも高位の人が出てきている。
カール6世、モルツィン伯、そしてフィリップ王子。

「1730年代初めまで協奏曲の中で、
それを活用することはなかったが、
これらのオペラの中で、ヴィヴァルディは、
フラウティーノ(ソプラノ・リコーダー)のために、
初めて曲を書いた。
これらの3曲は、
独奏者にヘラクレス的な技巧を求めており、
特にRV445の協奏曲はそうである。」

おお、ここでは、技巧を表すだけのために、
神話のヘラクレスが出て来た。
神々も皇帝たちも勢揃いした感がある。
では、天使たち、はいつになったら出てくるのだ。

残念ながら、このすごいリコーダー曲には、
特別な曲別解説はない。
この曲は、4曲目に登場。

CDの構成を見てみると、
前半から中盤にかけて、
「ラ・チェトラ」の二重協奏曲が2曲あって、
その間に、先のバスーン協奏曲と、
このリコーダー協奏曲が挟まっている。
どちらもイ短調で、シリアスな感じ。
さすが、王侯というものは、
こうした曲想がお似合いである。

Track10.アレグロ。
規模も大きく、リコーダーという、
甲高い音色の楽器のために作品には似合わぬ大協奏曲。
有名な作品10などが、こうした楽器で演奏されるが、
この曲のような悲劇性はあっただろうか。

冒頭からして、不安感が込み上げる、
悲劇の一大アリアの様相。
天駆ける感じのリコーダーに、
あえて神話で例えれば、
イカロスのような志を感じてしまう。

オーケストラも妙に雄弁で、
一場の舞台を華やかに盛り上げている。
恐ろしい難関のカデンツァ風の技巧を、
かいくぐらなければ終わることが出来ない。

Track11.ラルゴ。
この楽章は、安らぎのひと時かと油断していると、
これはいったい何なんだの悲壮感である。
オーケストラは、不安な音形で忍び寄り、
リコーダーは、超然と思いのたけを、
独白している。

Track12.アレグロ・モルト。
最後まで、この調子で押し通すのか、
と言いたくなるくらい、
独奏楽器は、確かにヘラクレス的に縦横無尽、
劇的で、孤独かつ英雄的な音楽。
ピエタのための音楽でなくて良かった。

が、演奏しているのは、
短髪のやり手お姉さんみたいな、
パメラ・トービイという人である。

「こうした曲を書いた作曲家は他にいないことから、
ヴィヴァルディは、限られた演奏会での、
一人の奏者のために書いたものと考えられる。」

こういうさらりとした一文も、
私には大きな啓示となる。

ヴィヴァルディはむやみやたらに、
協奏曲を書き殴った感じがあるが、
実は、ちゃんと演奏家など、
その演奏環境をよく吟味しており、
こうした名手なしには、
多くの曲は、残されなかった、
ということになる。

「恐らく、ヴィヴァルディが大量の作品を書いた、
ヴェネチアの孤児院ピエタで、
有名であった奏者の一人のためのものである可能性が高い。
ヴィヴァルディの時代、
ピエタではリコーダーが演奏されており、
非常に初期の協奏曲RV585には、
4本ものリコーダーが登場し、
1716年の
オラトリオ『勝利のユディッタ』(RV644)
にも、1740年の、
様々な楽器のための協奏曲RV556にも、
それは登場する。」

リコーダーは、マントヴァの象徴であり、
ピエタの象徴でもあったそうだが、
ヴィヴァルディ以外に、
この楽器を有効活用した人は少なかった、
ということのも読み取れる。

バロック時代にはいっぱい協奏曲が書かれたから、
探せば、リコーダーの曲もざくざく出てくるだろう、
などと考えていてはいけなかったようだ。

最近亡くなった、リコーダーの神様、
フランス・ブリュッヘンは、若い頃、
テレフンケン・レーベルのいくつかのアルバムで、
我々に素晴らしいリコーダーの魅力を教えてくれたが、
確かに、ヴィヴァルディやテレマンの協奏曲が、
メインの曲目を占めていたような気がする。

解説を続けて読んでみよう。

「さらに我々は、このオーケストラが、
当時最高の演奏家を抱えていたことを知っている。
ヴィヴァルディ自身の弟子、
アンナ・マリア(ある人の言うには欧州最高の奏者)は、
そうした好例であり、
その力量は、当時の作者不詳の詩にも、
下記のように書かれた。
『彼女のヴァイオリンはこんな風。
彼女を聴くとパラダイスに飛ぶ。
まじで本当にそこに行ったら、
天使たちがそんな風に弾いてる。』
他の同時代者は、こう報告している。
『彼女らは天使たちのように歌い、
リコーダー、オルガン、オーボエ、
チェロ、バスーンを弾く。つまり、
こんな楽器より大きな楽器はない。』」

先の文章には、ヘラクレス的な技巧とあったが、
今度は、「天使」のような演奏表現が出て来た。
つまり、タイトルの「天使たち」とは、
ピエタの女性奏者たちを意味していたのである。

何と言うことだ、
「皇帝たち」と「天使たち」の間に、
何の関係もないのだから、
このCDは、言うなれば
「寄せ集め」のCDである事を暴露しているようなものだ。

ただ、来歴が推定できる曲を集めた、
という感じで、逆に言えば、
ヴィヴァルディの守備範囲の広さ、
ひいては、彼の協奏曲の背景にあるもの、
その活動の特徴を概括したCDとでも呼べるかもしれない。

さらには、下記のような記述によって、
ヴィヴァルディが協奏曲を、
書き飛ばしていたわけではないことも読み取れる。

「トリノにある国立図書館の
ヴィヴァルディ・アーカイブには、
他のフラウティーノ協奏曲ト長調(RV312)
の一部が残っている。
この曲は彼が『フラウティーノのための協奏曲』
と題したのを消して、
『2つヴァイオリンのための協奏曲』としたが、
バツして消す前に、
再度、『フラウティーノ協奏曲』と書いていたりして、
彼は何らかの困難にぶち当たったようだ。
最終的にヴァイオリン協奏曲が好ましいとして
オリジナルのコンセプトを放棄する前に、
彼は第1楽章の最後まで、
ほとんど書き進んでいた。」

ここで、いったい何が、
ヴィヴァルディの障害になったのだろうか。

この「協奏曲断片RV.312」は、
「演奏上のノート(音楽家の視点から)」という
曲別解説にも取り上げられている。
やはり、未完成の断片をわざわざ取り上げる以上、
何らかの補足が必要と考えたのであろう。

「録音にこの曲を含めたのは、
紆余曲折した作曲過程を持つ作品を、
我々に探索する機会を持たせてくれる
実験となるからである。
この協奏曲の独奏者を変えた、
ある一つの理由としては、
最期の独奏パートのf’’’シャープが、
リコーダーでは演奏できないからであろう。」

ものものしい書き出しだったわりには、
かなり安易な結論だな。
演奏家を良く見て書いた、
と私が賛嘆したのは嘘だったみたいではないか。
楽器が吹けないからと、
楽器ごと変えてしまうとはどういうことだ。

下記のように妥協策もかなり安易であった。
なお、この曲は、CDの最後から二曲め、
Track21に入っている。

冒頭から、フォルテでリコーダーは、
弦楽と一緒に飛び出してくる、
元気のよい楽想で、
細かいパッセージで、鳥が歌い騒ぎ、
すがすがしい青空を仰ぎ見るような感じ。

よって、ヴァイオリンでも演奏可能であろう。
吹けないところは、下記のような回避を行ったとある。

「そのため、このパッセージは、
伴奏の高音の弦楽より、
1オクターブ下げている。
最後のいくつかの小節は、
ヴァイオリン協奏曲のもので補った。」

そろそろ規定量を越えたので、この辺で終わる。

得られた事:「貴族のオーケストラの抱える名手から、ピエタで育てた弟子まで、ヴィヴァルディは楽器の名手に囲まれており、その力量に応じた作品を書いたが、そこにいる名人によって作品の種類が固まる傾向にある。」
「ハイドンが仕えたとされるモルツィン伯はヴィルトゥオーゾ・オーケストラを持っていて、ボヘミアの紙が楽譜に使われていることから、バスーン協奏曲がここで多く書かれたことが分かる。」
「リコーダーはピエタやマントヴァで使われており、そこにいた程の名手はあまりいなかった。」
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# by franz310 | 2015-01-01 20:57 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その420

b0083728_21351357.png個人的経験:
ヴィヴァルディの協奏曲、
たくさんあるけど、
どれも同じ、という考え方に、
多くの演奏家が異議を唱えている。
その一つ、この前聴いた、
セレニッシマのCDは、
昇竜期と円熟期の
ヴィヴァルディを比較して
秀逸なものだった。
ここでの協奏曲とオペラのアリアを
並べて聴かせる企画も
有難かった。


これは、AVIEというレーベルのものだったが、
それよりも早く、ジュリアーノ・カルミニョーラは、
アルヒーフやソニーといった、
メジャー・レーベルに、
「後期ヴァイオリン協奏曲」などを録音して、
同様の主張を行っていた。

ただし、いかんせん、
CDに収められたどれもが、
ヴァイオリン協奏曲であったので、
大筋は、やはり、
同じような曲のような錯覚に陥って、
私は、それほど聴きこんでいなかった。

しかし、セレニッシマのCDを聴き、
例えば、ハ長調、RV191の協奏曲が、
いかに、普通のヴィヴァルディと異なるかが、
力説されていると、ちょっとそそられてきた。

同様のコンセプトで、
珍しい協奏曲ばかりを集め、
同じ曲をも収めた、カルミニョーラ盤を、
改めて、聞き直してみたくなるではないか。

このCDは、カルミニョーラのポートレートが、
強烈に全面に出されたデザインで、
ヴァイオリンを手にした円熟期の演奏家が、
神殿の柱ような大理石の建築に寄り添って、
いかにも古い時代の音楽を祀る司祭のようなイメージ。

このヴァイオリニストは渋いイケメンなので、
見た目は悪くはないが、
決して、肝心のヴィヴァルディの音楽を、
直接的に連想させるものではない。

さて、前に聴いたAVIEレーベルのCDで、
ヴァイオリンを弾いていた、
アドリアン・チャンドラーは、
そのCD解説で、RV191について、
いきなり、このように書いていた。

(なお、チャンドラーのCDは、
古い絵画をあしらったデザインで、
かなりな硬派と言える
カルミニョーラ盤の表紙よりは、
ずっと人に薦めやすい。)

「この協奏曲には、
典型的なヴィヴァルディのものから、
多くの違った点が見られる。
それは、彼のオリジナルの自筆譜から見られ、
消された独奏部のいくつかは、
まったくの伴奏だけになっているが、
ヴィヴァルディの場合、
先にメロディを書き、
後から伴奏を付けるのが通例である。
これは、
特に、ヴィヴァルディの特徴であるが、
独奏ラインの華々しさに注力しがちな、
ヴァイオリニスト=コンポーザーには
ありがちな事である。
変ロ長調協奏曲同様、
この協奏曲には、
1710年代後半から1720年代初期に流行した、
声楽的ベルカントスタイルへの
ヴィヴァルディの傾倒が見られる。
そこには、なおも、(bariolageのような、)
輝かしい急速なパッセージが見られるが、
これは、『ムガール帝王』などで明らかに開陳された、
1710年代の単純な、
moto perpetuo(モート・ペルペトゥオ)
常動曲スタイルに依存することなく、
これらはしばしば困難な弓使いのパターンと一体となっている。
ヴィヴァルディは、
このカンタービレ・スタイルを最初に開発した人で、
これは、後に、フランスのヴィルトゥオーゾたち、
(彼の弟子であったジョヴァンニ・バティスタ・ゾメスを経て)
同胞のジョゼッペ・タルティーニによって普及することになる。
タルティーニがヴィヴァルディの声楽曲を、
自身のスタイルがそこまで発展していないのに、
批判していたことは皮肉なことである。
ヴィヴァルディがいなければ、
モーツァルトや、その先の協奏曲は、
異なる形になったであろう。」

この曲は、変ロ長調にも増して、
抽象的な音楽に聞こえる。
Track16.第1楽章は、
急速に渦巻くパッセージで始まるが、
何の、感情をも触発することなく、
単に鳴り響いているだけの感じ。
まったく味気ない序奏である。

そこに、少し不安なメロディが重なるが、
実は、それが隠されたテーマであるわけでもなく、
そこから特に、その不安さが発展することもない。

独奏ヴァイオリンが入って来て、
忙しなく奏でるメロディも、
いくぶん、物憂げではあるが、
特に不安なものではない。

様々な音形をもてあそんで、
まるでフィギュア・スケートのように、
時々、跳躍を交えながら、
細かい装飾演技を
刻んでいるだけの感じがしなくもない。

フィギュア・スケートに例えると、
細かいパッセージの繰り返しは、
スピンの形が刻々と変化しているような感じで、
ふと偶然、思いついた連想ながら、
妙にこれらの曲とマッチするではないか。

むしろ、通奏低音でぽろぽろと鳴り響く、
テオルボの音に魅惑を感じる。
思索的で語るようなヴァイオリンとも言える。

Track17.第2楽章は、これまた、
かなりざっくりした音楽で、
ひと息で、ひと刷毛で、
夕暮れの色をキャンバスににじませただけの、
かなり達人の技となっている。
このような感想は、後期協奏曲などと呼ばれるから、
反射的に思い浮かぶものなのかもしれない。

ヴァイオリンは、ここでも、
流れる雲を追っているだけのような、
伸びやかなもの。

Track18.第3楽章は、
跳ねるリズムが特徴的で、
やたら、繰り返すだけのもの。
そこに、メヌエット風の優雅なメロディが絡む。

ヴァイオリン独奏は、
勝手気ままに、即興演奏を繰り広げるだけで、
オーケストラは、そこに、さりげない陰影を施すのみ。

最後は、オーケストラが刻むリズムに、
独奏が一緒になって騒いでみたり、
いきなり、それに飽きたような歌を歌ってみたり、
気まぐれな、統一感のない騒ぎで終了する。

チャンドラーが、この曲を、
私が聴いて来たように、
気まぐれで抽象的な性格ゆえに、
後期の代表作として取り上げたのかどうかはわからない。

しかし、現代を代表するヴィヴァルディ弾きの、
カルミニョーラも、大手のソニーに、
他の5曲と一緒にこの曲を、
2000年に入れているのであるから、
(これには、「初録音集」と書かれている)
やはり、この曲は、
それなりの位置づけのものなのだろう。

また、チャンドラーが、2013年に、
この曲を録音した時に、
この録音を知らなかったとは思えない。

カルミニョーラの演奏は、
第2楽章など、ずっとロマンティックで、
アンドレア・マルコンの指揮する、
ヴェニス・バロック・オーケストラも、
リュートのぽろぽろ言う伴奏が、
情感を盛り上げている。

このイタリア勢の演奏は、
両端楽章も、それなりに歌っていて、
理屈っぽい?英国の団体、
セレニッシマほど割り切っておらず、
情感を盛り込んでいる。

それでも、音楽は、
意味不明な情念を感じさせ、
やはり、この曲を書いた時、
ヴィヴァルディが、
奇妙な境地にいた事は感じさせる。

セレニッスマの演奏は、
カルミニョーラが持っていた、
ヴィヴァルディ的な要素を、
かなり思弁的に切り捨てた演奏と言えるかもしれない。

それは、ここで敢えて言うなら、
シューベルトの後期の歌曲への、
伝統的なアプローチにも似て、
表現主義的であるとも言える。

このソニーのCDの解説は、
ベンジャミン・フォークマンという人が書いていて、
「中間楽章は、ほとんど即興的」
という言葉を使っていることからも、
私の感じる奇異なイメージを、
この人も感じていることが察せられる。

カルミニョーラが、
何時頃から有名になったのか知らないが、
近年、アバドやムローヴァなどとも共演して、
最初から巨匠みたいな感じである。

この人は、若い頃は、フェニーチェ歌劇場管弦楽団の
コンサートマスターだったらしいが、
80年代からバロック音楽に集中したようだ。

90年代には、Divoxというレーベルから、
「ソナトリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ」という団体と、
基本として「四季」から始まって、
「人間的情熱」と題した、
「お気に入り」、「不安」、「疑い」、
「恋人」、「喜び」のような、
タイトル付作品を集めたCDなどを出し、
ヴィヴァルディの専門家としての基本を築いている。

これらは廉価盤でも出されたので、
多くの人が聴いているはずだが、
21世紀になってから、
アルヒーフ、ソニーに、
アンドレア・マルコン指揮の
ヴェニス・バロック・オーケストラと、
ほとんど知られていない作品群を
集中的に紹介している印象が強烈である。

このコンビのものは、
2001年に、ソニーから、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」として、
RV177、375、222、273、
295、191が発売されている。
この最後の曲が、今回、チャンドラー盤と比較したもの。

2003年には、同じくソニーから、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」の第2集として、
RV235、251、386、296、
258、そして、389が集められて、
2002年の録音として発売された。

ちなみにヴィヴァルディの協奏曲は、
年代特定が難しいらしく、
簡単に「後期」と扱われていても、
何故、後期に分類したか、
などの情報が解説にある。

例えば、「第1集」(とは書かれていないが)の
最初に収められた曲RV177は、
1734年という円熟期に書かれた、
オペラ「オリンピアーデ」序曲の、
強烈な楽想で始まることから、
「後期」と分類されているようである。

ちなみに、ヴィヴァルディの場合、
「四季」を含む「作品8」ですら、1925年の作品で、
作曲家は47歳とかなりの年齢である。
作品13以降は素性や来歴が怪しく、
作品10~12は、1729年頃の作品とされるから、
1730年代以降のものは、
「後期」として良いのかもしれない。

1741年に、63歳で亡くなった、
ヴィヴァルディの最後の約10年の作品を、
「後期」作品として考えたくなるのは理解できる。

Track1.とにかく膨大な作品の識別を単純化すべく、
オリンピアーデと仮名を付けてもよい、
この「RV177」は、
解説のフォークマン氏によると、
「ヴァイオリンはむしろ
夢見るような詩的世界に遊んでいる」
と表現されているが、
確かに、「オリンピアーデ」の、
どろどろした愛憎劇の世界とは無関係に、
この協奏曲の独奏部は、
ひとり澄んだ境地に向かって、
瞑想しているような音楽になっている。

したがって、ほとんど個性的な印象を残さない。
演奏家は聴衆とは別の場所で、
好きな事をやっている感じ。

つまり、音楽としての推進力や、
ロジックのようなものは、
オーケストラに任せっきりで、
これを隠れ蓑に、
自分の世界に籠っている。

タイスの「瞑想曲」などは、
聴衆に瞑想を促すが、
ヴィヴァルディのここでの瞑想は、
聴衆とは無関係である。

オーケストラは、
立派な風景画となっている。
独奏楽器によって、そこに、
仙人が描きこまれているのだが、
その人が何を考えているのか、
どこに向かっているのか、
そこはさっぱりわからん、
といった風情である。

Track2.第2楽章などは、幽玄境を行く仙人の世界で、
ヴァイオリンは美しい響きを纏綿と奏でるが、
まったく口笛で吹けるようなものではなく、
とりとめがなく、どこから始まって、
どこで終わるのか分からない、
といった響きであって、
これまた聴いた後は、何だか、
狐につままれたような感じしか残らない。

Track3.第3楽章は、解説に、
「ソロの飛翔を促すが、
その風変わりなクライマックスは、
ほとんど涙を誘うかのような印象を与える」
とあるのは至言で、
第1楽章同様、激しいリズムが刻まれる、
オーケストラの推進力を受けて、
独奏ヴァイオリンは、時に、調子よく、
時に、機嫌さえよろしく音楽を奏でるが、
どこか主体性がなく、
最後の部分では、力を失って悲しげである。

実に、抽象的で、感情の世界から切り離された、
俗世界から遊離した協奏曲なのである。

次に収められた、RV222は、
解説者は、緩徐楽章が「ヴィヴァルディの大ヒット」
と絶賛しているが、
Track4.の第1楽章は、
オーケストラの序奏からして、
単純音型がひたすら繰り返されるといった、
屑箱から拾ったような、どこか投げやりな主題で、
颯爽と独奏ヴァイオリンが奏でているのも、
適当な楽句を気まぐれに装飾しているだけの音楽に見える。
極限まで切り詰めた即席主題によるショーピースのようだ。
どこにもメロディがないような音楽である。

Track5.の、美しい緩徐楽章も、
上述のことは、そのまま言えなくもない。

偶然見つけた感傷的な素材を、
気の向くままに、
くり返しているだけのようなもの。

Track6.終楽章は、
快活な主題が魅惑的だが、
オペラの世界を垣間見せる、
ほの暗い情感が忍びこんで来る。
しかし、これはオーケストラ部の話。

ヴァイオリンは、これまた、
オーケストラを肴に、
ひとりくだを巻いている音楽。

メロディという意味では、
これまで聴いた楽章で、
最も覚えやすい楽章。

「この協奏曲の成立時期については
1737年あるいはそれ以降」と書いてあるが、
「証拠が存在している」とあるだけで、
詳細がないのが気になってしょうがない。

次のRV273は、ホ短調で、
このCDの中で唯一、短調の音楽。

解説によると、
作曲家の死の前年に、
パトロンに売却した作品だという。

Track7.それゆえに、
第1楽章から、暗く、激しい。
焦燥感溢れるオーケストラ部は、
かなり強烈に情念をかきたてる。

ぱちんと入る、通奏低音の合いの手も痺れる。

低音のリズムには、
トスカニーニがアメリカ初演した、
変ロ長調RV367の余韻のような楽想も聞こえる。

独奏ヴァイオリンは、
短調の楽節を扱うせいか、
ここでは、情緒性が豊かで、
これまで聴いたものの中では、
もっとも、心の機微に触れることが出来る。

「四季」の余韻も感じられ、
情感も立体的なので、
演奏会で取り上げられれば、
「大人用四季」として、
かなり好評を得ることが出来そうだ。

Track8.第2楽章は、簡素な伴奏の中で、
ぽろぽろと鳴るリュートだかチェンバロだかが悲しい。
ヴァイオリンのメロディも切々として泣かせる。
解説には、「悲劇的なオペラを思わせる」とある。

Track9.終楽章の楽想は、
典雅なメヌエットを思わせ、非常に美しい。
ヴァイオリンも小刻みな装飾を輝かせながら、
曲全体を覆う、悲しみの感情を背負って、
かなり説得力が高い。

次に、解説者が、
これまた緩徐楽章と終楽章を特筆している、
RV295が来る。
Track10.第1楽章は、
だだだと雪崩を打つような軽快な主題で、
オーケストラが走り始めるが、
ここでも、一瞬の物憂さが滲み、
そこにヴァイオリンが入って来る。
このヴァイオリンは、かなり楽しげであり、
音階のようなものも多用して、
心浮き立つ雰囲気を醸し出しているが、
どれもこれも、生まれ出ては消えて行くもので、
一つとして心に残るメロディはなく、
全体の印象としても、とらえどころがない。
最後に、リュートの経過句が出て、
Track11.の第2楽章に滑り込む。
これは、繊細なリュートの伴奏に乗った、
ヴァイオリンの物憂げな心情吐露であって、
恋煩いのようにも、素寒貧の不安とでも、
どうとでも取れる悲歌である。

「メランコリックなカヴァティーナ」と書かれているが、
わずか、2分で終わってしまう。

Track12.解説者は、
「1台のヴァイオリンではほとんど不可能な」
変化に富んだアルペッジョの連続に驚いているが、
確かに、弾力に満ちて進むオーケストラに対し、
ヴァイオリンは、好き勝手な音型を、
ほとんど偏執狂的に装飾しては投げ出して行く。

次は、RV375で、
この前聴いた、トスカニーニが演奏していた、
続き番号のRV376と同様、
後期の変ロ長調である。

ヴィヴァルディの作品整理用の、
RV、リオム番号は、曲種と調性によるもので、
同じ調性なので類似番号になっている。

が、類似だからと言って、
同時期の作品とは限らないだろう。
しかし、このように、これらは同様に、
後期のものと分類されているようである。

解説には、ここでの6曲の中で、
「最も気前の良い作品」とされている。
これは、多くの間断なく、
「名人芸的なパッセージ」が、
用いられているからだという。

Track13.第1楽章の冒頭からして、
深々とした音色の、神秘的な序奏が素晴らしい。
オルガンの和音であろうか。

急速なパッセージに続いて出る独奏は、
解説にある通り、次々と挑発的な楽句を繰り出し、
まさしく装飾品の陳列棚のようだが、
この曲も同様に、重厚かつ超俗的とも言える序奏部とは、
まったく関係ない代物で、
ちょんちょんと跳ねるような伴奏に乗って、
単に、そのテンポを生かしただけの、
技巧集一覧みたいになっている。

通奏低音が、そうした機能を持つのかどうか知らないが、
合奏の部分と独奏部で共通なのは、
この低音の刻むリズムだけだと言って良い。

Track14.第2楽章は「ラルゴ」とされ、
「明らかにオペラ的な愛の音楽」とある。
これは、いかにもヘンデルの情感豊かなアリアを思わせる、
本当に典型的な愛の歌となっていて、
このCDでは、最も具体的な音楽になっている。
管弦楽の高まりと共に思い起こされる、
切ない回想の音楽に合わせての、
リュートの弾奏も効果的である。

フィギュア・スケートの技巧と優雅さを、
これらのヴァイオリン協奏曲は想起させるが、
この部分のヴァイオリンの独奏は、
イナ・バウアーあたりを連想すれば良い。

Track15.いつもと同様、
リズミカルな終楽章も、
独奏ヴァイオリンのメロディも悩ましく、
お決まりの装飾音型の陳列や、
めくるめく管弦楽の色彩の変遷と共に、
とても変化の楽しい音楽になっている。

さて、こうした、渋い作品群のみならず、
ソニーは「四季」なども、
この演奏家のものを録音させていた。

そのことと関係あるかないか知らないが、
この後は、アルヒーフ・レーベルに移り、
表題もなく、「後期」だかも何だかも、
一見してテーマが分からないヴィヴァルディを、
連発し始めている。

2005年に出たものは、
恐らく、後期作品の一環で、
RV583とRV278が収められているが、
ロカテッリやタルティーニの協奏曲が組み合わせれ、
コンセプトが少しずれたことが分かる。

しかし、2006年には、
RV331、190、325、217、303、
といった純粋ヴィヴァルディ路線に戻り、
やはり、これが良いと方向が定まったのだろうか。

同じアルヒーフから、2008年には、
ムローヴァと共演して、RV509、511、514、
516、523、524といった、
2つのヴァイオリンのための協奏曲集が出ている。
すべてヴィヴァルディ作品である。

ごく最近、2013年にも、
伴奏を変えてではあるが、
ダントーネ&アカデミア・ビザンティーナと、
RV281、187、232、254、243と、
知られざるヴィヴァルディの協奏曲の
シリーズを継続させている。

得られた事:「ヴィヴァルディの後期ヴァイオリン協奏曲は抽象性が高く、スピンとジャンプと滑走を組み合わせた、フィギュア・スケートのような芸術的スポーツを思わせる。」
「あるいは、即興で一筆で描ききる、水墨画のような勢いがあり、シューベルトの晩年の歌曲に見られる切りつめられた音楽の境地を想起した。」
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# by franz310 | 2014-11-23 21:36 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その419

b0083728_22432662.png個人的経験:
トスカニーニが演奏した、
バロック音楽は少ないとはいえ、
さすがにバッハやヘンデルは
しっかり押さえている事に
驚きは少ないものの、
ヴィヴァルディの
無名のヴァイオリン協奏曲を
録音していることについては、
いささか気になってしまう。
録音も、「四季」などが、
レコードで普及する以前のもので、
「作品3」のような有名曲でもない。


ただ、アメリカ初演の記録とされる、
「変ロ長調」のヴァイオリン協奏曲を収録した、
NAXOSのCDの記載には、
ヴィヴァルディ作品の整理ナンバーで、
RV370とあるが、これは、間違っている。

1947年にトスカニーニが振り、
コンサートマスターのミシャコフが独奏を受け持った、
ヴィヴァルディの珍しいヴァイオリン協奏曲は、
今でも録音が少ないが、
2013年録音という、
新しいCDで聴くことが出来るのは、
とてもありがたいことである。

しかも、このCD、
「A tale of Two Seasons」
というタイトルが興味をそそる。
今年、2014年に結成20周年となる、
英国の団体「LA SERENISSIMA」
(ADRIAN CHANDLERの指揮/ヴァイオリン)
が演奏している。

ヴィヴァルディとその同時代の作曲家に
フォーカスした活動を行う団体だけあって、
かなり憎い企画と言える。

「SEAZONS」というのは、
おそらく、有名な「四季」に仮託したものであろうが、
これは、音楽の興行シーズンであって、
しかも、連続したシーズンではない。

ここでは、ヴィヴァルディの生涯の断面を
切り取る形で、ここでは、
1717年と1733年が選ばれている。
ヴィヴァルディの年齢換算では、39歳と55歳に相当。

ヴィヴァルディの作品で最初にブレークして、
バッハも知っていた「調和の幻想」作品3が、
1711年のものであるから、
1717年と言えば、それに続く飛翔期であろうし、
最も有名な作品、「四季」は、
1724年頃のものであり、
ヴィヴァルディは1741年に亡くなっているので、
1733年といえば、かなり円熟も極まった時期となる。

このような企画ものCDに、
トスカニーニがアメリカ初演した、
RV367の協奏曲が、
たまたま取り上げられている。

この曲は1733年の作品の代表、
つまり後期のヴァイオリン協奏曲に相当するが、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」などというタイトルで、
カルミニョーラが、ソニーに集中的に録音したCDには、
この曲は含まれていなかった。

では、どのような理由で選ばれたものか、
演奏しているチャンドラー自ら書いた、
CDの解説を読み進めてみよう。

まずは、器楽曲で有名なヴィヴァルディが、
オペラの作曲家として、
激務に追われるようになった点から
書き起こされている。
つまり、オペラ作家としての活動が、
いかに器楽の世界に影響を与えたかという点が、
ここには概説されているのである。

「1713年に彼の最初のオペラ、
『離宮のオットーネ』の初演の後、
ヴィヴァルディのキャリアは激動した。
彼の残りの生涯において、
彼は、音楽、人生、オペラ界の政争に
翻弄されることになる。
彼は、毎シーズン、オペラを上演していた、
5つの劇場を有する、生地ヴェネチア以外に、
フェラーラ、フィレンツェ、マントヴァ、
ミラノ、レッジョ、ローマ、ヴィンツェンツァ、
ヴェローナのためにオペラを書いた。
ヴェネチアの最大のオペラハウスは、
サン・ジョヴァンニ・グリソストーモと、
サン・サッシーノであったが、
ヴィヴァルディのオペラは、
より小さい、サン・サミュエーレ、
サン・モイーズや、
特に、サンタンジェロで上演された。」

このサン・モイーズ(モイゼ)は、
後に初期のロッシーニが、
ヒットを飛ばした場所であるが、
ロッシーニの時代に閉鎖されたものの、
モンテヴェルディの作品も演奏されたという、
重要な劇場であったようだ。

「ヴィヴァルディのオペラ、『ダリオの戴冠』は、
1717年にサンタンジェロ劇場で
演奏された3番目のもので、
1月23日に初演された。
この作品は、当初、
『ペネロープ』に続く上演のはずだったが、
この作品は、
作曲家のフォルチュナート・ケレーリが、
報酬を巡って折り合わず、投げ出し、
楽譜を持って逃げ、興行は中止され、
歌手や音楽家たちへの支払いも停止するという
深刻な事態に陥った。
不満を持った二人の歌手の
要請だと報告されている
二人の刺客に、
ケレーリが刺されるという騒ぎも続いた。
作曲家は数か所の傷を負ったものの、
一命は取り留めた。
1716年の秋に、非常に成功していた、
ヴィヴァルディの『アルジルダ』が、
急きょ、改作された。
無名の作者による風刺詩にそのことは記録され、
ヴィヴァルディの立ち回りは、
下記のように書かれた。
『赤毛の司祭はみっつめのオペラに取り掛かったが、
夕食分のお金は稼いだのだろうか。
彼は名手で弓の達人だから、
二三時間もあれば、みんなを教えられる。
彼らはすぐに、前に演奏した最初のオペラに取り掛かった。
誰も、二番煎じになるかもしれないと思わないのだろうか。』」

この詩は、ヴィヴァルディが、名人芸の演奏や、
旧作でお茶を濁したことを風刺しているのだろうか。

「『アルジルダ』とヴィヴァルディの新作『ダリオの戴冠』の、
成功が一緒になって、明らかにその場は凌げた。
さらに、そこには、ヴィヴァルディや、
時には、その弟子、ザクセンの名人、ピゼンデルによる、
習慣的な導入協奏曲(エントランス・コンチェルト)
(偉大な『ムガール大帝』のような)
の演奏という客引きもあった。
この作品は、オペラ『ムガール大帝』の幕間に、
演奏されたものと考えられている。
オペラの台本はヴィヴァルディの同僚の、
ドメニコ・ラッリ(『離宮のオットーネ』や、
その他の、ヴィヴァルディの作品のリブレット作者)
によって書かれ、音楽は、もう一人のヴェネチア人、
ジョヴァンニ・ポルタが書いたものである。」

この「ムガール大帝」(RV208)という
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲は、
その題名が、ものものしいので、
いかなる音楽かと思っていたのだが、
このCDで、曲も聴けるし、
こうして、その来歴も読めてよかった。

「このオペラは、サン・カッシアーノ劇場の、
贅沢な内装の中で演じられ、
この華美な雰囲気は、
東洋風に聞こえるレチタティーボや、
2つの大きなカデンツァなど、
名技性の誇示に相応しいものだった。
問題のムガールとは、
東インドのムガール人、Tisifaroの事で、
このオペラの中で、彼は、様々な愛の諍いを解決し、
3人の死刑を命じる(全員、助かるが)。
その極端な技術上の要求によって、
ヴィヴァルディ自身が自ら、
ソロ・パートを演奏したものと思われる。」

明確な記載はないが、
ここまでが、1717年のヴィヴァルディの話で、
ここからは、「後期」の話が出てくるので、
1733年のヴィヴァルディの話に飛ぶものと思われる。

CDの裏表紙にも、
「1717年と1733年のオペラ・シーズンの
協奏曲とアリアは、この間のヴィヴァルディの
様式変化を強烈に示している。
アルジルダの平易な魅力から、
2曲の後期協奏曲の大胆な創意まで。」
という能書きがあるのだから。

「トリノの国立図書館が所有する、
ヴィヴァルディの個人的な手稿コレクションの中には、
恐らく、劇場用に書かれたと思われる、
多くの後期の協奏曲がある。
驚異的に声楽的なベル・カント・スタイルの
ヴァイオリン書法に加え、
これらの作品はすべて、
弱音のパッセージで、
『ハープシコードなし』の指示がある。
他ならぬ、こうした豪華さを楽しむための劇場では、
おそらく、たった一つしかない
ハープシコードというのは通常ではなく、
そこには多数のものがあったという推測が成り立つ。」

ということで、「劇場用コンチェルト」の例として、
トスカニーニ(とミシャコフ)が取り上げた、
RV367のヴァイオリン協奏曲の話となる。

「こうした作品の一つが、
変ロ長調の協奏曲(RV367)で、
自筆スコアと、不揃いのパート譜が残っている。
両方の原典(これらには作曲家による大量の修正がある)からは、
ハ長調の協奏曲(RV191)の第1ヴァイオリンのパートや、
『モンテズマ』や『セミラーミデ』のアリアが、
再利用されていることがわかる。」

ありがたい事に、このCDには、
この「モンテズマ」のアリアと、
RV191も収録されている。

「ヴィヴァルディの協奏曲の年代特定は、
恐ろしく困難なのだが、
このアリアによって、変ロ長調の協奏曲の
作曲の最終期限が分かる。
『モンテズマ』の初演が、
1733年の11月14日であるのに対し、
『セミラーミデ』は、
マントヴァのアルキデュカーレ劇場で、
1731年の12月26日以降に
初演されている。
従って、1733年が、
変ロ長調協奏曲とハ長調協奏曲の、
作曲の日付である可能性がある。
残念なことに、協奏曲に含まれる
(L‘aquila generosa「偉大な鷲」?)
『モンテズマ』のアリアは、
スペイン軍の将軍フェルナンドという
キャラクターによって歌われるが、
部分的に残っているスコアにはなく、
ここでは、それに変えて、
フェルナンドの兄弟である、
ラミーロの役を歌った、
メゾ・ソプラノのアンギョーラ・サヌッチ
のために書かれたアリア2曲を収めた。」

ということで、ちょっと、混乱する。
変ロ長調協奏曲に再利用されたとされるアリアは、
残っていないとあるのに、
どうして、再利用していると分かるのか?

そのあたりの事は、最悪、
完全に理解できなくとも鑑賞はできる。

もし、私が、トスカニーニが演奏した、
ヴィヴァルディの協奏曲に、
複雑な楽想の変遷と、
技巧が技巧を呼び起こすような、
驚異的な展開を見たとすれば、
その理由も、こうした、
様々な引用の影響があるのかもしれない。

全体解説は、以下のように結ばれている。
当然、昇竜期のヴィヴァルディと、
後期のヴィヴァルディが比較されていなければならない。

「1717年から1733年の間の、
ヴィヴァルディのスタイルの変化は注目に値する。
声楽曲、器楽曲とも、
華やかなナポリ派の作曲家の影響を受けている。
ソロのエピソードが概して長く、
オーケストラのリトルネッロの重要さが減っている。
ヴィヴァルディの後期のオペラを研究すると、
歌手の限界を追及し、
ヴァイオリン協奏曲では、
弓の技巧を開陳して、
左手の名技性を引き出している。
(その素晴らしさは、
すでに1710年代に知られていた。)
様々な難しい異なる音の変化パターンや、
複雑なスラーのパッセージを伴う、
アップボウのスタッカートに使われていた。
ソティエ(跳弓)という弓使いが見える。
ヴィヴァルディが、
同じ協奏曲を400回書いたのではない
という証拠を必要とするのであれば、
これを聴けば良い。」

以下は、各曲の解説になる。
このCDには、4曲の器楽曲と、
4曲のアリアが含まれているが、
前半の2曲の器楽曲(シンフォニアと協奏曲)と、
3曲のアリア(器楽曲に挟まれている)が、
1717年のヴィヴァルディのプロフィールであり、
後半の2曲の協奏曲と、
2曲のアリア(これも協奏曲に挟まれている)が、
1733年のヴィヴァルディを代表するものとして、
紹介されている。

まず、前半には、冒頭に、
オペラ「ダリオの戴冠」RV719のシンフォニアがあり、
続いて、同曲のアリアが2曲。
さらにオペラ「アルジルダ」RV700のアリアが1曲。
それから、「ムガール大帝」というRV218の、
ヴァイオリン協奏曲が演奏される。

「ダリオの戴冠」の序曲とも言うべき、
シンフォニアの解説は、以下のようになっている。

「この作品はヴィヴァルディの手稿と、
その弟子、ピゼンデルの手によるコピーでの、
オペラ全曲の手稿と一緒に残されている。
第2楽章に付されたアンダンテのテンポは、
ピゼンデルの手稿にのみ見られるもので、
おそらく、ピゼンデルが、
実際のオペラ上演に接したうえで、
書き加えたものと考えられる。
フィナーレのプレストは、
とても速く演奏するという事より、
活力とエネルギーを持って演奏すべき指示だと、
私は考えている。
このような指示はヴィヴァルディの初期作品にみられ、
『オットーネ』の『Gelosia』などがそうだが、
『ニンファ』における『アレグロ』と記譜された、
『Alma oppressa』と同様に、
これは、コロラトゥーラ・アリア部と
同様の速さで演奏されただろう。」

演奏者のとった解釈の根拠にすぎない、
この解説は、我々にとって、
特に意味があるものとは思えない。

Track1から3が、
この曲に当てられているが、
冒頭の尖ったギザギザ音型からして、
沸き立つようなリズムと推進力で、
そこに、クールなメロディが織り込まれ、
とてもわくわくして、オペラを待ちたくなる。

解説にあった第2楽章だが、
第1楽章でも繊細な音色を響かせていた、
テオルボの音の上を、
痛切なメロディが流れて美しい。

第3楽章は、確かにプレストではなく、
適度な速さで、娯楽に対する心の高まりを
誘うような趣き。

私は、ヴィヴァルディの最初のオペラ、
「離宮のオットーネ」の美しさからして、
魅了されつくしたのだが、
ここでも、初期の作にカウントされている、
Track6.「ダリオの戴冠」の
「枝の中から穏やかで平和な囁きが聞こえる」
と歌われるアリアの繊細さに、
まずは、うっとりとした。

その他のアリアも含め、ここでは、
このような解説でひとくくりにされている。

「これらのアリアは、
ヴィヴァルディの初期のオペラに見られる
典型的なもので、1720年代や30年代のものより、
一般的に短い。
時を経るにつれ、ヴィヴァルディは、
アリアの中のテキストを変更するようになり、
時として、ヴェネチアの方言を入れ込むようになった。」

Track4は、「ダリオ」の音楽で、
王の娘、アルジェーネが、
「鎖も足かせも、血も死も、
怒りで鍛えられた心には、
何の恐れも感じさせはしない」と、
勇ましく歌うもの。

Track5は、「アルジルダ」のアリアで、
タイトルロールである。
これも、妙に痛々しい音形が繰り返される、
悲痛なもので、
「歎きに溢れたこの胸に、
傷ついた心が泣きながらため息をつくのを感じる」
と歌われている。

写真で見ると、きりりと美形の、
サリー・ブルーチェ=パイネという、
英国のメゾが歌っている。

しかし、初期作品として紹介されている器楽曲は、
いずれも、野心的なもので、
「ムガール大帝」と呼ばれるものは、
「大帝」に相応しく、かなり規模が大きい。

「この作品は、3つの原典があり、
一つ(手稿)はトリノにあり、
一つはシュウェーリン、
もう一つはアッシジにある。
このタイトルを有するのは、
P.J.フィックの手になる、
シュウェーリン保存のもののみである。
アッシジのものもカデンツァを有するが、
この出典はこの録音で使われた
それとはかなり異なるカデンツァを含み、
二番目のカデンツァは、
『ポントッティ(Pontotti)氏のために』
という書き込みがある。
自筆譜にはカデンツァがないが、
ヴィヴァルディの書き込みで、
『Qui si ferma a pincimento』
という止める指示があり、
それが実際には想定されていたことがわかる。」

シュウェーリンを調べると、
かなりドイツも北の地方であり、
ヴィヴァルディがよく、
そんな所まで普及していたものと、
改めて感心してしまう。

ポントッティは、
北イタリアのチヴィダーレ出身の音楽家らしい。

「出典によって、かなりの違いがある。
トリノ版は、ヴィヴァルディ自身による改訂が多数なされ、
しかし、書き換えられる前の材料は、
シュウェーリン版に似ているので、
このドイツのものがオリジナルのものだと考えた。
このような理由から、このCDでは、
この版を主にして演奏したが、
適宜、ヴィヴァルディの手稿を参照した。」

このような解説以外にも、
「ムガール大帝」は、
作品7の11(RV208a)を改作したもの、
という紹介のされ方もある。

ただし、作品4の「ストラヴァガンツァ」と、
「四季」を含む作品8の間に挟まれて、
この作品7自体が、作品5、6と同様、あまり有名ではない。

Track7.第1楽章は、
「ムガール大帝」という、
強そうなタイトルに相応しく、
かなり横柄なリズムと、
激烈なカデンツァが特徴的で、
ばん、ばん、と強引で異国風の伴奏の上を、
ヴァイオリンが美しさよりも、
名技性をひけらかしながら飛翔する、
といった、変な音楽である。
中間部でオーケストラが様々な音を、
虹色に交錯させると、
ヴァイオリンも華やかな虹をかけて輝く。

しかし、その後には、またまた、
強烈なパッセージを散りばめたカデンツァが現れ、
合奏が音型を模倣しながら盛り上がる。

Track8.第2楽章も、
ドローンのような効果で、
伴奏がどろどろと音を響かせる中、
独奏ヴァイオリンのぎらぎら感を丸出しにして、
また、時に嘆き節を響かせ、
ジプシー風に気まぐれな
一筋縄ではいかない音楽。

Track9.第3楽章になって、
軽快なリズムが戻るかと思いきや、
これまた小技を効かせながら、
独奏ヴァイオリンが休みなくけしかけて、
音楽を盛り上げて行く。

ヴィヴァルディのイメージは、
イタリアのカンタービレたっぷりに、
豊潤な音楽がジューシーに溢れ出すようなものだが、
そんなものは、この曲には、
ほとんど感じることが出来ない。

後期のヴァイオリン協奏曲の、
曰く言い難い魅力を探ろうとして
聴き始めたこのCDであるが、
初期に数えられるこの協奏曲も、
十分ヘンテコである。

長大なカデンツァが、取って付けたように、
他の演奏者を黙らせて、延々と続いて行く様は、
やり手のオペラ興行主でもあった、
ヴィヴァルディその人の姿を彷彿とさせ、
呆れてしまうような傍若無人さである。
さすが、ムガール大帝であると納得した次第。

この曲は16分もかかっており、
このCDに収められた音楽の中では最長である。
その中で占める独奏の比重は強烈。

さて、後期作品に移ると、
協奏曲変ロ長調RV367は、
以下のような解説がある。

「この曲は、1730年代にヴィヴァルディが書いた、
数曲の劇場用協奏曲の一曲である。
これは、トリノに保管されている、
二つの自筆の典拠がある。
一方は総譜であり、
もう一方は、第1ヴァイオリンとバスのパートがない、
パート譜のセットである。
前に書いたように、ヴィヴァルディは、
第1ヴァイオリンのパートは、
協奏曲に変えて適合させるべく
他の作品のものを再利用した。
もう一曲の変ロ長調の劇場協奏曲(RV365)
にも、同様の手稿のパッチワークが見られる。
一般に、こうした変更は、
意図的な剪定であって、
概してヴィヴァルディの手稿は、
作曲に実質的な素材の追加を行うものではない。
この協奏曲の通常とは異なる性格は、
『Solo a piacimento』
(勝手に弾く?)の指示が、
緩徐楽章の独奏に見られることである。
これはヴィヴァルディが、独奏のラインを
念入りに装飾することを求める時の指示である。
レオポルド・モーツァルト、クヴァンツ、
タルティーニのような18世紀の理論家は、
この実践を論じ、
我々は、ヴィヴァルディ自身が残した、
1、2の例を知っている。
特に素晴らしい例は、
後期のヴァイオリンと二重オーケストラのための
ハ長調協奏曲(RV581)の緩徐楽章である。
自筆譜に装飾付版は見られないが、
ヴェネチアのベネデット・マルチェッロ音楽院に
保管されている、ヴィヴァルディの弟子の
アンナ・マリーアのための楽譜に見ることが出来る。
ヴィヴァルディの2、3の指遣いを参考に、
私は自身の装飾で、当時の雰囲気を与えてみた。」

この曲は、Track10~12に収められている。

概して、1946年のトスカニーニの演奏と、
2013年のセレニッシマの演奏で、
曲から受ける印象は同じである。

トスカニーニ盤の独奏のミシャコフの方が、
ロシア派のヴァイオリニストらしい、
たっぷりとした音を響かせているが、
セレニッシマ盤のチャンドラーも、
やはり、鬼気迫る音楽を奏でており、
トスカニーニたちが、
70年近く前に演奏していた
ヴィヴァルディが、
アメリカ初演なのに、
ほとんど古さを感じないのに感じ入った。

第2楽章は、侘しい情感を湛えた、
虚無的な緩徐楽章であるが、
チャンドラーの方が、恣意的な表現を効かせ、
むしろはったりを感じたりもできる。

第3楽章のラプソディックな、
狂乱のタランテラみたいな楽想も、
ヴァイオリンが忘我の境地のようになって、
初めて活きてくるような所があるが、
そのあたりも、両盤とも期待に応えてくれている。

ただし、通奏低音は、当然、
最新の研究を盾に、様々な工夫を入れ込んだ、
セレニッシマの方が華やかである。

続く、オペラのアリアには、
「モンテズマRV723からのアリア。
残念ながら、このオペラの
60パーセントしか残っていない。
ベルリンのジングアカデミーに、
自筆ではない原稿が保存されている。
この部分的欠落は、
明らかにヴィヴァルディの生前からのもので、
第1幕3部に、作曲家とリブレット作者の名前が、
共に、同時代者の手で記されている。
マニュスクリプトのいくつかのレイアウトは、
ヴィヴァルディの内輪のサークルから、
このコピーが出て来たものと思われ、
近年の校正者は、しばしば、
このコピイストが、ヴィヴァルディの正確な、
弦楽部のスラー表示を適当に扱っていることに、
直面しなければならない。」
という解説があるが、
何だか、鑑賞には関係ないものである。

ヴィヴァルディの内輪のサークルとか、
ベルリンにコピーがあるとかが気になるが。

Track13.ラミーロのアリア。
解説には、これが、
どんな状況で歌われるものか、
などを書くべきではなかろうか。

モンテズマは、スペイン人のメキシコ征服の物語で、
ラミーロは、メキシコ王の娘と恋に落ちた、
征服者側の兄弟の名前である。

「あなたが私の顔が赤らむのを見ても、
それは、尊敬の印ではない。
私のため息は恐れから来るものではない。」

切々たる訴えが、
豪華な色彩の通奏低音の上で、
伸びやかな声で歌われる。

Track14.同様に2幕からの、
ラミーロのアリア。

「嵐の中で、小舟が翻弄される」という、
いかにもこの時代らしい、
困難を打破する高らかなアリア。
ナポリ派風の、声の装飾がけばけばしく、
器楽の活発な伴奏も、
このテンポの速いめくるめく音楽を、
効果的に盛り上げて行く。

Track15~17は、
ヴァイオリン協奏曲ハ長調RV191。

この曲も大作で、14分18秒という演奏時間。
「四季」の各曲の1.5倍はある規模である。

今回は、この曲まで調べる時間がなかった。

得られた事:「ヴィヴァルディの後半生は、ナポリ派のオペラとの戦いだったが、その様式が、協奏曲の作風にも現れている。」
「『劇場用協奏曲』。ヴィヴァルディは、オペラ興行の盛り上げ役として、自らの超絶技巧を劇場でも披露した。」
「トスカニーニが70年前にアメリカ初演したヴァイオリン協奏曲は、最新の演奏と比較しても遜色のない、現代にも通用する出来栄えであった。」
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# by franz310 | 2014-10-27 22:44 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その418

b0083728_16472993.jpg個人的経験:
トスカニーニは、
1867年3月25日、
北イタリアの
パルマに生まれたが、
その約200年前の3月、
(紛らわしい1678年)
やはり北イタリアの
ヴェネチアに生まれた
作曲家にヴィヴァルディがいる。
ただし、トスカニーニの時代、
ヴィヴァルディは、
まだ、人気の作曲家ではなかった。


同じイタリアの人とはいえ、
ベートーヴェンやワーグナーを得意とした、
20世紀前半を代表する指揮者トスカニーニが
20世紀も後半になってヒットした
ヴィヴァルディと関係があるようにも思えないが、
意外に関係があることが分かり驚いている。

フルトヴェングラーやワルターの演奏で、
ヴィヴァルディがぴんと来ないのと同じである。

まず、1937年に、
トスカニーニのために創設された
(と言われている)
NBC交響楽団を指揮した、
記念すべきお披露目演奏会で、
最初に鳴り響いた曲目が、
ヴィヴァルディであった事は、
あまり語られることはない。

交響楽とラジオ放送とを
クロスオーバーさせる試みの第一歩となる
この華々しい演奏会に選ばれたのは、
かつて、大バッハがオルガン曲に
編曲した事でも有名な、
「調和の霊感」作品3の11であった。

バッハを得意としたストコフスキーも、
この曲は同時期に録音しているから、
トスカニーニだけが慧眼を持っていた、
と書くと書き過ぎになるだろう。

が、ヴィヴァルディの代表作「四季」の、
世界初録音が1947年と言われており、
トスカニーニの録音は、
それに先立つこと10年も前なので、
やはり特筆すべき選曲であったはずだ。

「四季」なくして、この作曲家が語られた、
というのは、私には想像すらできない。
(なお、先の「作品3」に関しては、
トスカニーニは1954年にも、
録音を行っている。)

くだんの世界初「四季」の録音は、
12月に行われたそうだが、
同年1947年11月には、
トスカニーニもまた、
別のヴィヴァルディの曲を演奏している。

苛烈なまでのトスカニーニの情熱を
一途なまでに受け止めた、
NBC交響楽団は、
かなり若い楽員を集めた集団で、
特に弦は、有望な若手によって、
あのスリリングなテンポを可能にした、
と言われたりするが、
コンサートマスターは、
かなりのベテランであった。

この前聴いたシューベルトのCDの解説は、
「トスカニーニ、NBCイヤーズ」の著者、
モティマー・H.フランク(Frank)
によるものだったが、
NBC交響楽団の創設について、
こう書いていた。

「トスカニーニが、この提案
(放送用オーケストラの指揮)を受け入れるや、
ものすごいスピードでオーケストラが組織された。
他のアンサンブルで首席についていた、
21人が楽員として採用され、
何人かはNBCでも同様のポストに就いた。
その中には、コンサートマスターの
ミッシャ・ミシャコフ、
ヴィオラのカールトン・クーリー、
オーボエのロバート・ブルーム
がそうだった。
他のメンバーは、才能ある若手から選ばれた。」
と書かれていた。

このミッシャ・ミシャコフが独奏し、
華々しい活躍を見せているのが、
1947年に録音された、
ヴィヴァルディの協奏曲変ロ長調である。

ナクソス特有の、何じゃそりゃ風の、
スナップ写真があしらわれたCDで、
練習中のトスカニーニらしい。
ここに、青と茶色系の文字が並んで、
いかにもセピアに色あせた印象のデザイン。

一言で書くと、目立たない、
印象に残らない商品であるが、
他に類例がない内容を誇っている。

聞いて見ると、バロック時代の音楽を
優雅に演奏しています、という感じではまるでない。
まさしく、鬼神パガニーニの音楽に取り組むが如き、
恐ろしい気迫で演奏されているのである。

このCDは、トスカニーニのコンサートでは、
すこし、変わった趣向のものではなかろうか。
そもそも、トスカニーニは、
バッハの録音が少ないことで有名であるが、
最初に「管弦楽組曲第3番」が演奏されている。

例えば、諸石幸生著「トスカニーニ」でも、
「大変幅広いレパートリーを誇っていた
トスカニーニではあるが、
不思議なことにバッハは、
どうも苦手というか敬遠していた様子がある」
などと書かれている。

ここには、トスカニーニは、
フーガが嫌いだったから、
などとも書かれている。

とはいえ、
ここで演奏されている「管弦楽組曲」は、
バッハでも別扱いだったようで、
トスカニーニは、曲の始まりから、
精神を音楽に織り込んでいくかのように、
朗々と、歌声を響かせている。

この壮麗な序曲を、
せわしないほどのテンポで疾走させながら、
オーケストラは、各楽器のブレンドが、
むちゃくちゃになるのを押さえつつ、
スリリングかつひたむきな演奏を繰り広げている。

思わず、会場から拍手が湧き起こりそうになるほどの、
渾身の序曲の終結部で、
確かに、かなりの満足となる。

その後のアリアの澄んだ美しさが、
それゆえに余計に胸を打つではないか。
ここでは、巨匠の歌は聞こえないが、
かなり心をこめていることは明らかだ。

ガヴォットの爆発するようなリズムでは、
再び、トスカニーニは、
強烈な気合いを入れまくっていて、
ラジオ体操のように、音楽に合わせて、
屈伸でもしているのではないか、
とでも思えてしまうほどだ。

こんなに全編にわたって、
精神注入していたら、
身が持たないのではないか、
などと思えて、心配になってくる。

ブレーは、少し、疲れたのか、
声が聞こえにくいが、
確かに、とたんにオーケストラは、
行き先表示板を見失ったような
気配を見せるのが興味深い。

終曲のジーグもまた、興奮しまくった演奏で、
アリアに続く3曲は、どれも、
強烈に推進されるリズムの塊のような扱い。
恐ろしく凝縮された演奏で、
20世紀のバロック演奏は荘重に過ぎた、
などと総括されるのに疑問が浮かぶほどである。

トスカニーニは、こんなに興奮して演奏したバッハを、
本当に敬遠していたのだろうか、
などと考えてしまった。

なお、バッハでは、ブランデンブルク協奏曲第2番を、
1938年の10月29日に演奏したものが、
Guildレーベルなどでも聴くことが出来る。

ただし、この時のコンサートのメインは、
チャイコフスキーの「悲愴」であって、
諸石氏の本の巻末のディスコグラフィを見ても、
1947年のコンサートのように、
すべてバロック期の作品で敷き詰めた演奏会が
他にあったとは読み取れない。

ヴィヴァルディが1741年に亡くなり、
バッハも1750年に亡くなっていて、
ヘンデルの没年が1759年であることから、
平均を取れば、1750年になるので、
200年記念が近づくに当たって、
急きょ、その気になったのだろうか。

この動機がよく分からない演奏会、
二曲めが、ヴィヴァルディの
先に書いた変ロ長調の協奏曲。

そして、ヘンデルの合奏協奏曲作品6の12があって、
最後に、最後にバッハ(レスピーギ編曲)の
パッサカリアとフーガが来る。

ヘンデルも、今でこそ有名曲となったが、
トスカニーニが、この手の音楽を演奏した、
ということには、私は少し意外な感じを受けた。

ヘンデルは、合奏協奏曲で、
ミシャコフの第1ヴァイオリンの他、
エドウィン・バックマンの第2ヴァイオリン、
そして、主席チェロの
フランク・ミラーの独奏が聴ける。

ミシャコフのヴァイオリンは、
NBC交響楽団という事で思い出される、
乾いた無機質なものではなく、
適度なふくらみと味わいを持ったもので、
好感を持った。

この時代のヴァイオリニストは、
現代の有名どころとは違う、
隠し味みたいなもので勝負していたようだが、
そうしたものが、脇役的ではあれ、
こうした形で聴くことが出来るのは、
かなり貴重なことではなかろうか。

解説にも、ミシャコフだけは、
特別扱いで、一項を設けられている。

「1896年、ウクライナで生まれた、
ミッシャ・ミシャコフは、サンクト・ペテルブルクで学び、
1921年に米国に移住した。
彼は、1937年に、
トスカニーニのNBC交響楽団のリーダーとなる前に、
ワルター・ダムロッシュの下の、
ニューヨーク交響楽団、
また、レオポルド・ストコフスキーの、
フィラデルフィア交響楽団、
フレデリック・ストック指揮の
シカゴ交響楽団でコンサートマスターを務めている。」

まったくもって、この時代を代表する名手ではないか。

「彼は、1952年まで、
デトロイト交響楽団の同様の地位に移るまで、
このオーケストラに在籍した。
彼は同時に、独奏者、室内楽の奏者でもあり、
ジュリアード音楽院やアメリカ各地で教鞭をとった。」

トスカニーニが任期を終える前に、
NBCを去っているのは意外だったが、
フィラデルフィアとデトロイトでは、
かなり、違うイメージがあるが、
あちこちにその足跡は残っていたようだ。

こうした、普通の定期演奏会のような機会に、
ぽつんと出て来た独奏者としての、
コンサートマスターの仕事というのも、
こうした機会でしか、聴くことが出来ないだろう。

トスカニーニとの共演だからと言って、
ハイフェッツやホロヴィッツが出て来ると、
曲目よりも、奇矯な独奏者の方に関心が行ってしまう。

さて、このミシャコフらが独奏を務める、
ヘンデルの合奏協奏曲は、
このCDの中では、
最も、普遍性の高い演奏に
なっているのではないだろうか。

アレグロのきりりとしたテンポに、
ラルゲットの、高雅な憂愁の陰影。
感極まったマエストロの歌が、これまた、胸に迫る。
まるで、ヘンデルのオペラ、「アルチーナ」で、
運命を受け入れるヒロインのようでもある。
終楽章のアレグロの、愚直なまでに四角四面な表現も、
最後は、トスカニーニの唸り声と共に高まっていく。

最後に演奏される、レスピーギ編曲の、
バッハの「パッサカリアとフーガ」は、
トスカニーニがしばしば演奏するもので、
1939年の演奏会のものは前に聴いた。

しかし、今回の演奏は、
妙に、パッサカリアでの
独奏楽器のひなびた響きが、哀切を極めており、
そこから錯綜して立ち上がって来る主題に、
トスカニーニが遮二無二になって一体化している様子が、
ありありと記録されており、私は、圧倒された。

フーガの絶頂は、激しい痛みまで伴う、
壮絶な表現になっており、
聴いていた聴衆の熱狂は、
録音でも十分分かるほど、すさまじいものである。
いくつかのトスカニーニのライブを聴いて来たが、
ここまで、爆発的な拍手は初めて聴いた。

1947年、長い戦争が終わってすぐの時期、
あたかも、ヴォーン=ウィリアムズの、
第6交響曲のような、破壊的なメッセージが、
ここに秘められているような気もしないでもない。
バッハの限界を超えた、情念に満ちた終結である。

恐らく、これは、トスカニーニが演奏した
バロック音楽の中で、
最も物議を呼ぶものとなるに相違ない。

チャイコフスキーなどでも、
決してこうなることのなかった世界が、
ふとバッハで起きてしまった感じでなのである。

とはいえ、何故に、
バロック音楽が集められた演奏会が開かれたかは、
このCD解説から読み取ることはできない。
作曲家は、いずれも、17世紀の後半に生を受け、
18世紀前半に輝かしい業績を残した3人ではある。

同時代の大家にテレマンや
スカルラッティがいるとはいえ、
やはり、今日でもこの三人を抜かして、
この時代が語れるとは思えない。

このCD解説は、
Keith Anderson
という人が書いている。
同姓同名のカントリーミュージックの音楽家が
検索するとヒットするが、
ナクソスのアノテーター(注釈者)の
重鎮であるとのこと。

確かに、そこらのNAXOSのCDを取り上げて、
無作為に見てみると、
やはり、このアンダーソン氏が解説を書いていた。

幅広く、曲目解説を扱っているようで、
ここでも、記載されているのは、
もっぱら作品についての解説であって、
トスカニーニとの関係は読んでも虚しい。

例えば、一番、知名度の低い、
ヴィヴァルディの変ロ長調協奏曲の解説は、
私にとっては、最も興味をそそるものだが、
どのようになっているだろうか。

「イタリアのヴァイオリニストで作曲家の、
アントニオ・ヴィヴァルディは、
バッハにごく近い同時代者であり、
バッハは、新しく開発された、
イタリアのソロ協奏曲の形式の規範として、
彼の作品を編曲している。
ヴィヴァルディは、その生涯の多くを、
故郷のヴェネチアで過ごし、
断続的ではあるが、何年も、
音楽的な名声の高かった、
孤児や私生児や、
経済的に恵まれない少女を集めて世話していた、
ピエタ慈善院で教えた。」

と、通り一遍の作曲家に関する情報をだし、
近年、注目されている、
オペラの作曲家としての側面も忘れずに、
こう書いている。

「同時に、彼は、オペラハウスにおいても、
作曲家、指揮者、超絶技巧の演奏家としても、
アクティブな働きを見せた。」

実は、この2、3行には、
かなり重要なキーワードが含まれている。

「叙階された司祭でありながら、
健康上の理由からミサを行わなかったが、
音楽活動が多岐にわたることを、
ほとんど阻むものではなかった。
彼の作品は、様々な楽器のための
約500曲が現存するという、
膨大な数の協奏曲を含む。
その約半数が、彼自身の楽器、
ヴァイオリンと、弦楽とコンティヌオ
のためのものである。」

と、このように、ほとんど、
どこかで聴いたような話なのが残念であるが、
最後に、この協奏曲についての説明が出る。

「ヴァイオリン協奏曲変ロ長調RV370は、
通常の3楽章形式で書かれた、
同じ調の27曲のうちの一つである。」

ここで、少し、不安がよぎる。
まさか、これで終わるわけではなかろうな。

が、実際、それに近い感じである。
続く、各楽章についての説明も、
それが、特に鑑賞に役立つような内容ではない。

「オープニングのアレグロは、
これが、続くソロのエピソードを囲む、
合奏のリトルネッロの宣言で始まる。
緩徐楽章は、独奏ヴァイオリンのアリアで、
終曲は、第1楽章と同様の形式で、
活気にあふれたものとなっている。」

ということで、あってもなくても良いような、
ヴィヴァルディの楽曲では、数百回、
このまま使えるような代物である。

しかし、本当に、この曲は、
それだけで済まされる内容だろうか。
ミシャコフ(とトスカニーニ)
の演奏を聴いて、そう思った。

第1楽章は、まるで、
ハイドンの最後の交響曲のように、
威厳に満ちた序奏で始まる。
これは、リトルネッロの開始なのだろうか。
ベートーヴェンのように、
思弁的な問答や、
断定的な否定の楽句さえ響かせながら、
序奏部は一区切りつけられる。

「ヴィヴァルディの協奏曲」
という言葉で想像されるような、
快活で、フレッシュな感じのものではない。

あるいは、これは、トスカニーニという、
ベートーヴェン演奏家の思考パターンが、
無理やりに投影された、
歪められたヴィヴァルディなのだろうか。

この後で、主部に入るが、
むしろ、これは、パガニーニのような、
独奏曲的な協奏曲になっていて驚く。

さすがの名手、ミシャコフも、
この内省的で、謎に満ちた音楽の展開には、
全身全霊を傾けて、火花を散らしながら、
集中しなければ対処しきれないようだ。

めくるめく興奮を持って、
次々と強烈に打ち付けられるパッセージや、
まるで、自然さなどを無視した、
技巧の上に技巧が重なって来るような、
高度な抽象性。

引き裂かれた歌のようにも聞こえ、
歌自体が傷だらけになったというか、
行き場のない迷路に、
悲壮感すら湛えている。

独奏がない部分では、
トスカニーニが、これまた、
うっ、うっ、と唸りながら、
ここぞと、合いの手を突っ込んでくる。

第2楽章は、確かに、何か、
切々たる訴えを、そのまま、
声から移し替えたような、
歎きのモノローグと言っても良い。
伴奏部の悲壮感も美しい。

終楽章は、お開きのフィナーレで、
この部分が第1楽章であれば、
ああ、確かにヴィヴァルディだ、
とみんなが得心するような開始部。

しかし、ヴァイオリン独奏が支配的なところは、
第1楽章と同様で、
これまた、様々な秘技が次々と、
それ自体が自己増殖するように
開陳されていくような趣きがある。

私は、この音楽が、本当にヴィヴァルディなのだろうか、
ひょっとしたら、後世の人が、彼の名前を語って作った、
技巧派ヴァイオリニストのための曲芸協奏曲なのではないか、
などと考えてしまった程である。

書き忘れていたが、このCDには
演奏会が放送された時の、
アナウンスも入っていて貴重なのだが、
ここで、
「新しく発見された、
アントニオ・ヴィヴァルディの
ヴァイオリン協奏曲のアメリカ初演で、
ヴィヴァルディの自筆譜から、
アンジェロ・フリッケンの校正によるものです」
などと、妙に生々しい報告がなされているので、
私は、さらに興味を引き付けられた次第。

これは、アルメニア系のイタリアの音楽学者
Angelo EPHRIKIAN
(1913-1982)
が関与したことを示唆しており、
この人は、ヴィヴァルディの再発見に貢献した人で、
そのオペラの蘇演も手掛けた先駆的な研究者だった
ということが、検索してみるとわかった。

ここまで書かれているのであれば、
偽作などではないのかもしれない。

ということで、私は、
NAXOSのCD表記にある、
RV370という協奏曲の、他のCDを探してみた。

まず、アマゾンで検索すると、
この曲を録音した商品が、あまりにも少ないのに驚いた。
が、それでも聴いてみたいので、
在庫のあるものを選び、手続きを済ませて、
翌日には送金、その翌日くらいには、
うまく手に入れることが出来た。

が、結論からすると、
まったく異なる音楽であった。

実は、このヴィヴァルディが、
アンジェロ・エフリキアンによる
監修のものであることは、
先の諸石氏の本でも注記されていて、
パンシェルル番号405番ではないか、
と書かれている。

RVはリオム番号であって、
パンシェルル番号はPで表される。

この作曲家のややこしい整理状況の変換表は、
音楽の友社の名曲解説ライブラリーなどで、
確認が可能である。

これを見ると、NAXOSが記載している、
RV370は、P349である。
が、諸石氏の書いているP405は、
リオム番号では、RV367である。

そして、今度は慎重を期して、
このRV367をネット検索すると、
YouTubeなどで曲を聴くことが出来、
まさしく、トスカニーニが取り上げたのが、
NAXOSのCD表記にあるRV370ではなく。
RV367だったことが分かった。

とはいえ、ミシャコフの演奏は、
このようなネットで流れている演奏とは、
かなり違ったものである。

新発見の音楽を初演する立場のせいか、
すごい集中力を感じさせて、
音楽の怪しさが倍増され、
とんでもないものまでを見つけ出されてしまった、
という感じが込み上げてくる。

あるいは、ロシアを源とする彼の伝統には、
こうした音楽を演奏する下地がなく、
19世紀風のヴィルトゥオーゾの流儀でやってしまった、
ということだけなのかもしれない。

ただ、トスカニーニという人は、
納得しないで演奏をする人ではない。
そのせいか、図らずも、ダイレクトに、
この曲の本質を暴き出してしまった、
という感じがしなくもない。

この曲は、昭和58年に出た、
「音楽の友」の付録の
「作品小辞典、バロック[上]」にも掲載されている。

まさしく小辞典で、主に、
作品番号付の楽曲のみ記載されているが、
ニックネーム付のものなど、
十数曲のヴァイオリン協奏曲については、
二百数十曲から選ばれて、
短いコメントが出ている。

このRV367については、
「規模も大きく円熟した作風。
抒情性やリズムの魅力にも富んでいる。
高音域のソロは、
高音の弦楽器のみに支えられて軽快に活躍する」
と簡単な記載がある。

そして、1730年頃の作品ではないか、
などと書かれている。

得られた事:「トスカニーニがアメリカ初演したヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲変ロ長調は、NAXOSのCD表記のリオム番号が間違っている。」
「ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲RV367は、円熟期の作品とされ、独奏楽器の技巧が技巧を産み、抽象的な音楽語法が謎めいた境地にまで到達している。」
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# by franz310 | 2014-10-12 16:49 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その417

b0083728_221652100.jpg個人的経験:
NBC交響楽団と
ベートーヴェンの
交響曲全曲演奏会という
大業を果たした後、
トスカニーニは、
休暇を取って
グランド・キャニオン
に向かったという。
1939年の12月、
この大自然の威容を前に、
トスカニーニは心打たれ、
感動を手紙に認めている。


「愛しいアーダ、私は美に酔いしれている。
グランド・キャニオン以上に、
これ以上に幻想的で超越的な脅威を、
見つけることは不可能かもしれない。
昨日の夕暮れ時、今日の日の出、
この自然の奇跡による感情に、
私の目から涙がこぼれた。
このあたりの人々、
カリフォルニアの人たちも、
良い人たちだ。
私が崇める君がここにいて、
手を取り合って、静かに、
神、自然、時の流れが、
何百万年もかけて作り上げた
この荘厳な、壮大で、
畏敬すべき奇跡を、
共に愛でることが出来たなら・・。」

アーダは、イタリアにいたはずなので、
まだ、直接の戦争には至ってはいないものの、
それどころではない状況だったはず。

米国に亡命状態のトスカニーニ自身も、
戦火のヨーロッパに戻る日が来るとは、
72歳という年齢から言って、
信じていなかった可能性もある。

トスカニーニは、そうした事にも思いを馳せて、
涙を流した可能性がある。

このトスカニーニが指揮した、
「グランド・キャニオン」組曲、
BMGジャパンが1997年に発売したCDは、
オリジナル・LPデザインを銘打っていただけあって、
楽しくノスタルジックな表紙が素晴らしい。

トスカニーニが吠えるばかりの、
彼の録音の中で、これは、出色の逸品ではないか。

しかも、非常に良い演奏で、
トスカニーニの逞しい緊張感と、
感動的な歌心がマッチして、
多くの人が、通俗名曲に数えている、
このカラフルなメロディの集合体を、
一幅の交響絵巻として繰り広げている。

私は、正直、この録音には、
まったく何も期待していなかったのだが、
これはどえらい収穫で、
台風がたくさん来たせいか、
この夏、いちばん聴いた音楽かもしれない。
戦後すぐの録音ながら、
独奏楽器の音色も美しい。

1945年9月10日という、
旧連合国側が、対日勝戦記念日(VJデー)
と呼んでいる9月2日の終戦記念の後、
すぐの録音である。

第1楽章「日の出」から、
新しい朝が来た気分が横溢し、
まるで、平和への感謝の歌のように、
どんどん高揚していく音楽に、
多くの聴衆が涙を流したのではないか、
などと妄想が湧き起る。

民間人であれば、何事もなく
戦争を終えた人もいたかもしれないが、
何十万人もの兵隊が、
アメリカでも命を落としている。

第2楽章の「赤い砂漠」も、
清冽な歌には、いささかの甘味もなく、
ただ、澄んだ情感がたちこめるが、
虚無の世界に沈んでいく。
他の指揮者では、こうはならないのではないか。

第3楽章の「山道を行く」は、
楽しくロバが行くが、
中間部で、風の流れのように鳴り響く音楽は、
はるかかなたを見つめる眼差しを感じずにはいられない。

第4楽章「日没」は、
第1楽章「日の出」と対をなす楽章であるが、
神秘的な弦楽の音色が、
単なる効果音楽としてではなく、
超俗的な雰囲気にまで高まっている。
そして、後ろ髪をひかれるようなメロディで、
痛切な響きを増し、やがて消えて行く。

このあたりがプッチーニ的な哀切を感じさせるのは、
さすが、トスカニーニならでは、と感じ入る次第。
戦争が激化する前に、グランド・キャニオンで、
アーダを思った日の事を、彼は、思いだしただろうか。

第5楽章「豪雨」は、入魂の楽章であり、
変化に富んで、一番長い楽章である。
起承転結としては、
「日没」で終わってもおかしくないのだが、
この盛り上げる終曲があって良かった。

もちろん、基本は劇伴音楽的なのだが、
危機を乗り切った後の解放感には、
カタルシスのような効果がある。

しかし、このように有名な音楽であるが、
グローフェが、どのように、この曲を作曲したかを、
書いた本を私たちは読んだ事があるだろうか。

リッチなホテルから眺めた風景なのか、
実際に山道を歩きながら見た風景なのか。
今回の試みは、ネット上に、
もう少し情報が落ちていないか、
探し出すことである。

なお、この曲のみならず、
2曲目に入っているガーシュウィンの
「パリのアメリカ人」も、
同じ意味で素晴らしい。

張り詰めた真剣勝負の雰囲気が、
聴くものの心を、どんどん吸い込んでいくような、
忘れがたいガーシュウィンである。

ただし、解説は、
どこにでも書いてあるような事しか書いていない。

b0083728_221743100.jpgちなみに、曲順は異なるが、
RCAビクターが出していたCD、
トスカニーニ・コレクション
にも、同じ音源が使われている。
この指揮者が、
大峡谷を訪れた時の写真があるし、
Made in USAの
商品ということで、
私は、きっとこの解説は、
マシだろうと考えていたが、
読んで見ると、
これまた、
たいした事は書かれていない。

「大戦中に、アメリカの音楽を沢山取り上げたが、
最も、実り豊かなものは、1945年録音の、
ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』であろう」
とか書いてあって、
トスカニーニによるガーシュウィンの演奏が、
意外に良い、ということは強調されている。

しかし、グローフェについては、
以下のような事しか書かれていない。

「1924年、ガーシュウィンは、
ポール・ホワイトマンの楽団によって初演された、
ラプソディ・イン・ブルーによって、
コンサート作品の作曲家として、
最初の大成功を収めた。
それまで、ガーシュウィンは
ミュージカルのすぐれた作曲家ではあったが、
こうした劇場のものと同様、
オーケストレーションは、
他の人に任せていた。
ラプソディに関しては、
ホワイトマンの楽団のチーフ・アレンジャー、
グローフェに委ねられた。
グローフェには当然、
自身作曲のコンサート作品があり、
最も有名なものは、
『グランド・キャニオン組曲』である。
トスカニーニは、これを1943年と
1945年に演奏している。」

たった、これだけである。
せっかく、グランド・キャニオンと、
マエストロの写真が出ているのに、
彼が、その風景の前で、どうしたかなどは、
まったく触れられていないのである。
(なお、冒頭に紹介した手紙とは違って、
この写真は11年後の1950年に撮影されたものだ。)

音としても、BMGジャパン盤の方が、
少し良いような気がする。

さて、この指揮者が、
遠く離れた恋人に手紙を書いた、
20年以上も前になるが、
マエストロの身分とは大違いの、
若くて、たいした定職もない、
流しのピアニストが、これまた、
グランド・キャニオンの日の出を見ようと、
アリゾナ砂漠をジープで横断していたという。

「私がそれ(グランド・キャニオン)
を最初に見たのは、夕暮れの中でした。
そこで前の夜から、
キャンプしようとしていたのです。
私は、その静寂の中で
魔法にかけられたようでした。
明るくなるにつれ、
鳥たちの囀りが聞こえ、
自然が命を取り戻すかのようでした。
そして突然、ビンゴ!となりました。
日の出です。
私は言葉を失いました。
何故なら、言葉は無力ですから。」

これが、作曲家グローフェ自身の回想である。
アメリカを代表的する管弦楽曲、
組曲「グランド・キャニオン(大峡谷)」を書いた大家が、
「ビンゴ!」などと言うとは知らなかった。

このグランド・キャニオンのキャンプは、
1916年の事だそうなので、
グローフェが24歳の頃の話となる。
こじつければ、22歳のシューベルトが、
訪れたシュタイアーの街で、
「天国のように美しい」自然に触れたのと、
ちょっと似ていて、
ちょうど100年後くらいに相当する。

ちなみに、シューベルトは、すぐに作曲したが、
グローフェは、1929年まで、
「グランド・キャニオン組曲」は作曲しなかった。

そして、さらに10年して、1939年、
トスカニーニがこの峡谷を訪れたわけだが、
1945年に戦争が終わるまで、
トスカニーニは、この曲を録音しなかった。

グランド・キャニオンの悠久の歴史に相応しく、
彼らの体験が音となってほとばしるまでには、
それなりの年月を必要としたようである。

さて、ほとんど、
この曲一曲しか知られていない、
作曲家グローフェは、
1892年に、ドイツ系の家庭、
ヴァイオリン弾きの父と、
ピアノやチェロを弾くの母のもと、
ニューヨークに生まれた、
などと書かれている伝記は多い。

その後、これは、よく知られた話であるが、
彼は、前例のないようなキャリアを積み上げていく。

14歳で学業を放棄、
牛乳配達や製本や劇場の案内係から、
歓楽街のヤバい店のピアノ弾きなど、
へんてこな仕事で糊口をしのいでいる。

しかし、もともとは、
大変、教育熱心な家庭の出だったようで、
グローフェが8歳の時に、夫が亡くなった後、
母親は彼を、何とライプツィッヒに連れて行き、
作曲を含む、様々な音楽の勉強をさせたというのである。

私が、「グランド・キャニオン」を初めて聴いたのは、
もう、40年近く前のことだと思うが、
オーマンディの廉価盤LPが出た時であった。

ただし、この曲については、
野呂信次郎著の「名曲物語」(現代教養文庫)で、
それよりずっと前から知っていて、
実際のグランド・キャニオンの眺めの紹介から、
音楽の内容の紹介までを読みつつ、
果たして、どんな曲であろうかと、
妄想を膨らませたものであった。

手軽に入手できるオーマンディのシリーズが出ると、
一番に手にしたのがこの曲であった。
恐らく、かつて渋谷にあった、
東急文化会館の中のレコード屋で購入したはずである。

「グローフェは『私の音楽は、私を育ててくれた
アメリカの生活や風物をキャンバスに音で描き出しています』
と言っていますが、組曲『大峡谷』は
見事にグランド・キャニオンの美しさを描いた音画です」
と、「名曲物語」では紹介されている。

改めて読み直してみると、
母親はライプチヒ音楽院でチェロを学んだ、
とあり、
再婚した義父が音楽を嫌ったので、
家を飛び出した、ともある。

結構、この本は、いろんな情報が
詰まっていたことに驚いた。

が、改めてウィキペディアを見ると、
父親は喜歌劇のテノール歌手とあり、
ヴァイオリニストではなかった。
一方、母親の方は、遥かにすごく、
母の父はメトロポリタンの
オーケストラのチェロ奏者、
兄弟は、ロサンジェルス・フィルの
コンサートマスターであった。

こんな一家の母親が、本当に、
音楽の嫌いな男と結婚したのかが気になるが、
この母親の名前、Elsa Johanna Bierlichで、
ネット検索しても、
彼女はロサンジェルス交響楽団の最初の女性団員になったとか、
指揮者ウォーレンシュタインの音楽の先生だったとか、
そんな話題ばかりが出てくる。

しかし、JAMES FARRINGTONという人が書いた、
フロリダ州立大学の論文がたまたま見つかった。
ほとんど、グローフェの前半生がよく書かれている。

さらに、グローフェの生い立ちのあたりを見て仰天した。
彼の母親だった女性は、かなりの人物のようなのである。

「グローフェの祖父、ルドルフ・フォン・グローフェ博士は、
音楽家ではなく、ハイデルベルク大学の化学の教授だった。
化学の分野の功績でカイザーから勲章をもらっている。
父親のエミールは、ドイツのグラウンシュバイクで生まれ、
アメリカへ移住して、ボストン市民になり、
少しは知られた喜歌劇場の歌手および俳優になった。
彼およびグローフェの母親も。
アマチュア画家でもあり、よく文章を書いた。
しかし、彼は、グローフェによると、
大変な大酒のみで、よい夫ではなく、
彼女は彼のもとを去った。
その時、グローフェはまだ生まれて数か月であったが、
その後、父親と会うことはなく、
やがて、彼が、1899年に、
ハンブルクで死んだことを知った。」

という具合に、グローフェの人生は、
生まれて数か月して、いきなり波瀾万丈だったようだ。
そもそも、実の父親もかなり問題がある。

「グローフェの母親、エルザ・ジョアンナは、
熟達したチェロ奏者で、ヴァイオリン、ヴィオラ、
さらにピアノを演奏した。
彼女の父親ともどもドイツ語、フランス語、
イタリア語、スペイン語、英語の五言語を流暢に話し、
ニューヨーク在住中は、野外ガーデンの女性オーケストラで、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを演奏し、
1892年にカリフォルニアに、家族と移住、
ロサンジェルス女性交響楽団のチェロの首席奏者となり、
その後、ロサンジェルス交響楽団の名誉会員となった。
彼女はチェロ教室を始め、
生徒には高名なアルフレッド・ウォーレンスタインがいた。」

さらに、グローフェの生い立ち
についての記載も重要だ。

「グローフェは、1892年3月27日、
ニューヨークの第1ストリート、
第1アヴェニューと第2アヴェニューの間で生まれた。
彼の母親は、カリフォルニアに出て、
ショーンメーカー氏と結婚したが、
実家のビーアリッヒ一族も一緒に、
1892年にロサンジェルスに移った。
1900年、彼女は、その人と別れ、ドイツに移り、
自分と息子の名前をフォン・グローフェとした。」

祖父がそれなりに高名な人物だったので、
酔っ払いの方の名前を選んだのだろうか。
注釈にも、何故、旧姓に戻さなかったのか謎、
と書かれているが、「フォン」が付いた方が、
特に、ドイツでは、絶対にかっこよかろう。

「彼が五歳になると、母親は、ヴァイオリン、ピアノ、
および基礎的な楽譜用記号を教え始めた。
グローフェは音楽が好きで、レッスンを楽しみ、
リサイタルを開いたりもした。
しかし、その年齢の子供らしく、
他の事で簡単に練習は邪魔された。
彼が練習をするように、
母親が部屋に閉じ込めても、
彼は窓から逃げて、
近所の子供と遊びに行ってしまったりした。
彼は、音楽を始めてすぐ、
聖ヴィンセント・カレッジに入った。
1900年3月、エルザは、ライプツィッヒに行き、
チェロの大家、ユリウス・クリンゲルに学んだ。
彼女はグローフェを連れて行き、
夏には、ビュッテンブルク近郊の
特に温泉で知られる小さなリゾート・タウン、
ウィルドバットの親戚に預けた。」

地図を見ると、ドイツ南西部で、
フランスと接する、バイエルンの西であった。

「彼はそこのプライベート・スクールに入り、
ヴァイオリンを学び、鍵盤、和声を、
オットー・レオンハルトに学んだ。
後に、グローフェは、この鍵盤、和声の勉強を、
『指先で正しい和声を探れる』
と高く評価している。
1902年の秋、彼らはアメリカに戻り、
母親は、知られざる理由で、
ニューヨークに行ってしまったが、
グローフェはすぐにロサンジェルスに戻った。
結局、彼女もカリフォルニアに戻り、
1904年に3回目の結婚をしたが、
おそらく職業的な理由から、
名前を変えることはなかった。
彼女の新しい夫、ジェームズ・B.メナスコは、
前の結婚で、
2人の息子と2人の娘の4人の子供連れであった。
グローフェは新しい家族とうまくやれず、
1906年の4月、祖父母の家に移った。
彼は、この時、第7グレードを終える直前に、
学校に行くのもやめてしまった。」

ということで、
先に述べた、いろんな伝記の切れ端は、
かなり修正が必要であることが分かった。

私は、ライプツィッヒから逃げたと思ったが、
単に、よくある話で、家庭の事情で、
不登校になったということだろう。
有能な音楽家であった、
祖父の指導も受けられる立場であったわけだ。

が、興味深い事実も、
この論文には出ていた。

「グローフェは、祖父の家で、
ピアノの練習だけはさせて貰えなかった。
祖父は、非常に繊細な耳を持っており、
ピアノの狂った調律に耐えられず、
特に高音が、彼には激しいストレスになった。
そこで、グローフェは、
近くの、ジュリーおばさんの家に行って、
ピアノを練習した。
その家の皆はアマチュアの音楽家で、
しばしば即興で合奏をしたし、
ユリウスおじさんは、
素晴らしい楽譜の蔵書を持っていた。」

つまり、祖父母のみならず、
一族を上げて、助けられた感じであろう。
これは、恐ろしく恵まれた環境だった、
と言わざるを得ない。
1908年頃、つまり、16歳頃から、
作曲を始め、ジュリーおばさんの家で、
自作の室内楽を演奏していた。

が、母親は、グローフェが、
絶対、父親同様、アル中になると信じていて、
彼が、エンジニアになるように望んでいたという。

しかし、祖父の指導もあって、
彼は、オーケストラのヴィオラ奏者としても活動、
母親の教室で教えるようなこともしたようだ。
その間、ピアノの勉強もして、劇場で弾いたりもしている。

グランド・キャニオンでキャンプした頃、
1916年の彼の一日が紹介されていて、
いかに、彼が活動的な音楽家であったかが、
紹介されている。

「朝:交響曲のリハーサル
 ランチタイム:ブルーバード・インで演奏
 午後:映画館で演奏
 夕食時:ゴッドフライ・カフェで演奏
 9時から:クラブで演奏。」

だが、ここには、残念ながら、
グランド・キャニオンでのキャンプの話はない。

1915年に彼は、ダンサーと結婚し、
1917年には、インフルエンザの流行で、
ロスでの仕事がなくなり、
仕事を探しに、アリゾナに行ったりしている。
彼は、演奏家としてだけでなく、
編曲でも稼ぐようになり、
ポール・ホワイトマンとの仕事を始め、
1920年にはガーシュウィンと初めて会っている。

ガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」を
委嘱、初演したことで有名な、
ポール・ホワイトマン・バンドであるが、
この論文では、彼らのが、成功し、
ものすごい社会現象になったことを詳述している。

例えば、「シンフォニック・ジャズ」といった、
「批評家が、どう呼んで良いか分からないような、
個性的な音楽」(グローフェ)の確立などに、
グローフェがいかに重要な役割を演じたかが分かるが、
(たとえば、ラプソディー・イン・ブルーには、
グローフェのアイデアがたくさん入っていることなど)
97ページの大著を読み込んでいては、
なかなか、トスカニーニの話にならないので、
非常に面白いのだが、どんどん読み飛ばす。

グローフェ自身、トスカニーニが、
「グランド・キャニオン」を振った時が、
人生のハイライトの一つだと語っているが、
トスカニーニは、何故、これを取り上げたかを聴かれ、
「音楽には、良いのと悪いのと、二つがあって、
これは良い音楽なのです」と答えた、
というエピソードが記されている。

この論文では、グローフェが大峡谷を、
初めて訪れたのは、1916年ではなく、
1917年だとしている。

そして、グローフェが、
上述のアリゾナに行く際か、
そこから帰る際に立ち寄ったのではないか、
と書かれている。
一緒にいたのは、
郡の保安官(シェリフ)だった友人だとある。

「あるインタビューでは、グローフェは、
この曲の作曲を、1922年に、
アリゾナのキングマンで、
休暇を取っていた時に思いついたという。
グローフェは後に、
グランド・キャニオンをもとにした作品は、
ホワイトマンが英国に行っている間の、
1926年の休暇に、最初に思いついた、
とも言っている。
それにも関わらず、作品のスケッチは、
1929年まで、紙に残されることはなかった。
グローフェは当初、
峡谷の日の出から日没を描いた、
4楽章の作品にしようと構想した。
ある楽章は、「ホピ族のインディアン」と題され、
他の楽章は、赤い砂漠や、石の森といった、
峡谷を囲む、他の自然の驚異を描くはずだった。
『山道を行く』は、グローフェ自身は、
歩いた事はなく、
コロンビア・レコード、
ホワイトマン担当録音マネージャーの、
エディー・キングから、
グローフェが提案されたものである。
『日の出』は、1929年の秋、
グローフェがハリウッドにいた時、
次に書かれた楽章は『日没』で、
翌年の夏に書かれた。
この楽章のアイデアは、
グローフェが、ニュージャージーの、
ハッケンザック・ゴルフ・クラブの、
第9ホールにいた時に見た日没から着想され、
彼は、その場で書き下ろした。」

「『赤い砂漠』が、何時書かれたかは、
正確には分からないが、
ホワイトマンが作品完成を促した後、
『山道を行く』と共に、
1931年の夏に書かれた事は明らかである。
終楽章の『豪雨』は、
11月22日の演奏会の2週間前まで、
着手されていなかった。
ホワイトマンのアドバイスで、
グローフェは、ウィスコンシンのティペア湖に、
チャーリー・ストリックファーデンと、
作品を完成に専念するために2、3日滞在した。
彼はすでにプログラムを構想しており、
シュトラウスの『アルプス交響曲』や、
ベートーヴェンの『第6』、
ロッシーニの『ウィリアム・テル』など、
オーケストラによる
様々な嵐の情景を研究していたが、
まだ、何も書いていなかったのである。
彼らが、湖に着いた日、
嵐が起こり、最終的にグローフェに、
この特別な情景への霊感を与え、
コンサートの6日前に、
スコアを仕上げることが出来た。」

この後、グローフェはホワイトマンの楽団を辞め、
「グランド・キャニオン」のシカゴでの演奏計画に、
横やりが入るなど、確執を深める様子が語られるが、
気が滅入る内容である。

このあたりで、この論文は終わっているが、
グローフェは、これから40年も生きているはずだ。
そして、この時、グローフェは40歳だった。

これまで読んできた感想としては、
仕事人間グローフェという感じである。

「キング・オブ・ジャズ」と呼ばれた、
華のあるホワイトマンと別れ、
夭折の天才ジョージ・ガーシュウィンが亡くなり、
グローフェの人生は、
何となく、無味乾燥なものになったように見える。

あとは、自作の指揮や教育の仕事ばかりである。

なお、戦前のアメリカの音楽界で、
重要な役割を演じた、この二人の隙間風には、
ポール・ホワイトマンの当時の奥さん、
マーガレット・リビングストン
(無声映画時代の女優)
が絡んでいたようだ。
彼女は、楽団の運営に口出しし、
グローフェのやり方にも干渉を始めたのである。

なお、このCDには、バーバーの「アダージョ」の、
しみじみとした演奏があって、
スーザの行進曲など騒がしい音楽が続く。

得られた事:「音楽には、良いものと悪いものの二つがあって、『グランド・キャニオン』は良い音楽だ、とトスカニーニは考えた。」
「この曲の演奏には、この指揮者の強みとなった表現力の魔法が圧縮されており、第二次大戦終結直後の激しい感情の振幅までが記録されているようだ。」
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# by franz310 | 2014-09-27 22:20 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その416

b0083728_23304236.jpg個人的経験:
トスカニーニが指揮する
シューベルト録音は、
LP時代から、
最後の二曲の交響曲が、
広く日本でも知られていたが、
私が驚き、息を飲んだのは、
TESTAMENTから、
「グランド・デュオ」の
ヨアヒム編曲版が出た時であった。
これは、ありがたい事に、
「第2交響曲」との組み合わせで、
こちらも、知られていなかった。


今回、改めて録音年月日を見て、
これまた、感慨を新たにしてした。
「第2交響曲」が、
1940年3月23日。
これは、1939年秋に、
「未完成」で始めたシーズンで、
有名なベートーヴェン・チクルスを
振った流れに位置している。

3月も23日と言えば、
ほとんどシーズンも終わりであろう。
ある意味、二曲のシューベルトで、
ベートーヴェン・チクルスを含む、
偉業たる、このシーズン全体を、
サンドウィッチした形になる。

また、「大二重奏曲」は翌年のもので、
1941年2月15日の録音。
この後、巨匠はNBC交響楽団と、
仲たがいして、この年の秋に、
フィラデルフィア管を振って、
「グレート」の名演を残すことになる。

つまり、さらに年単位で考えると、
戦前に、トスカニーニが、
ベートーヴェンなど、
(交響曲の演奏会シリーズに、
ハイフェッツとの協奏曲録音も続いた)
ドイツ古典に集中した時期に、
「未完成」と「大ハ長調」を演奏し、
その間に、この二曲が挟まれている構図とも言える。

1939年のベートーヴェン・チクルスに関しては、
様々なレコード会社からCDが発売されているが、
その有名なシリーズと同列に語られるべき流れに、
これらのシューベルト録音を位置付けてもよさそうだ。

最近でこそ、「第2」は、
演奏会の最後に、締めくくりの曲として
取り上げられたりもするが、
当時は、まだ、少年期に書かれた、
知られざる習作みたいな
位置づけではなかっただろうか。
(CD解説にも、それが触れられている。)

このあたりのシューベルト受容史も気になるので、
このCDを無視して先に行くことはできない。
この時期のベートーヴェン演奏の勢いからして、
演奏も、きりりと引き締まったものであると予想され、
こうして、凝集されたシューベルトへの思いが、
フィラデルフィア管弦楽団での、
自信に満ちた壮麗な演奏に繋がったものであろう。

このように、演奏の時期からして、
非常に期待の出来る録音ではなるが、
このCD自体の表紙デザインは、
あまり薦められるものではない。

単なる白黒のスナップ写真のようで、
これでは、この不機嫌な顔立ちの人物が、
何者かすら分からないではないか。

何も知らない人が贈られて、
嬉しくなるような代物ではない。
クラシック音楽が好きな人のうちで、
トスカニーニが好きな人で、
シューベルトが好きな人だけ、
仕方なく買うような仕様であろうか。
ほとんど、自殺行為の商品である。

しかし、好意的に解釈すれば、
この鋭い眼差し、意志の強そうな口もとから、
トスカニーニの研究者としての側面を
見事に捉えたもの、と言っても良いかもしれない。

トスカニーニが、
いかに、楽譜を研究し、
ベートーヴェンに関する、
あらゆる書物を読み漁り、
原点に戻った解釈を聴かせたかが、
これまで日本では、
あまり語られてこなかったが、
そんな記述を、このトスカニーニ像から、
思い出してみるのも良いかもしれない。
(解説にも、そのような記述もあり驚いた。)

この「グランド・デュオ(大二重奏曲)」は、
初めて公になるものとあるが、
1989年に出た、諸石幸生著の
「トスカニーニ」の巻末ディスコグラフィには、
ヨアヒム編「ガシュタイン交響曲」と記載されている。

同日には、モーツァルトの協奏交響曲(VnとVa)が
演奏されたようで、やはりウィーンの古典、
この本には、1940年3月23日の
「第2」の方が記載されておらず、
1938年11月12日に、
この曲が演奏されたような記述になっている。

ただし、この3月23日の「第2」は、
ナクソスからも、
「パルシファル」のハイライトと一緒に、
同日の演奏として発売されたから、
日付としては正しいものと思われる。

解説は、「トスカニーニ、NBCイヤーズ」の著者、
モティマー・H.フランク(Frank)で、
Wave・Hill・トスカニーニ・コレクションの、
キュレーター(学芸員)だとある。

最近、キュレーターという言葉は、
ややこしい事を分かりやすく、
情報整理する事として、
この情報過多の時代に重要と、
流行りであるが、
このCD解説は2006年のもの。

「1954年に、トスカニーニが
空前の68年のキャリアを終えた時、
彼の名前は、指揮という言葉と結びついていた。
そのキャリアは、その長さだけでなく、
スカラ座の監督としての
3回にわたる任務(1898-1903、
1906-08、1921-29)や、
メトロポリタン歌劇場との8年の関係、
彼の名前をオーケストラの監督に結びつけた
1926年に始まる10年にわたる
ニューヨーク・フィルとの関係など、
それが影響した範囲もまた、
どえらいものであった。
フィルハーモニックとの10年は、
彼のキャリアを劇場から、
コンサート・ホールへと、
おおきく変遷させた。
1936年、69歳の年のリタイア時、
アメリカは彼を見る最後だと考え、
トスカニーニも自身、
どのような職業がどうなるか、
確かなものを持ってはいなかった。
70歳の誕生日に、
『私は病気ではないが、
70歳を超え、何をしている。
どこかに出て行き、指揮をするべきだろうか。』
と書いたように、
彼にとっては、人生とは仕事であり、
仕事のない人生は、死への委託を意味した。」

このように、シューベルトとは、
無関係な事が列挙されているので、
最初の部分は、私にとっては、
良いキュレーターの仕事ではない。

「幸運なことに、RCAの社長の、
デヴィッド・サーノフや、
RCAの子会社のNBCが、
別の道に導いた。
彼の野心と予見は、
後世のために、交響楽の歴史の
ユニークな遺産を残すことになる。
トスカニーニのフィルハーモニック離任時、
サーノフは、トスカニーニが率いる
このオーケストラの全米ツアーを思いつき、
NBCがそれを放送すればよいと考えた。
トスカニーニが、その提案を蹴った時、
サーノフは、ラジオ放送と、
トスカニーニのために、
新たなオーケストラを組織するという、
さらに練った、驚くべき提案を行った。
1931年に、BBCのための、
放送用オーケストラは作られていたが、
アメリカには、こんな冒険をする経営者は、
ひとりもいなかったのである。
トスカニーニが、この提案を受け入れるや、
ものすごいスピードでオーケストラが組織された。
他のアンサンブルで首席についていた、
21人が職員として採用され、
何人かはNBCでも同様のポストに就いた。
その中には、コンサートマスターの
ミッシャ・ミシャコフ、
ヴィオラのカールトン・クーリー、
オーボエのロバート・ブルーム
がそうだった。
他のメンバーは、才能ある若手から選ばれた。
特に弦楽は、オーケストラ以外に、
重要な並行したキャリアを身に付けた。
特にチェロのアレン・シュルマンは、
作曲家としても有名で、
その兄弟でヴァイオリン奏者であった、
シルヴァンは、契約メンバーで、
Stuyvesant四重奏団の一員だった。」

このあたりの話は読んだ事がなかったので、
それなりに参考になるが、
21人以外は、正規採用ではなかったのだろうか。
そもそも、NBC交響楽団については、
雇用関係が微妙で、良くわからない。

「モントゥーとロジンスキー
(彼がトスカニーニのためにオーケストラに練習をつけた)
による、予備放送の後、
1937年のクリスマスの夜、
トスカニーニは、彼のNBC交響楽団を、
デビューさせた。
ヴィヴァルディの合奏協奏曲作品3の11、
モーツァルトの交響曲第40番、
ブラームスの交響曲第1番というプログラムは、
各曲が、音楽史の別の時代から選ばれ、
いずれも短調、いずれも劇的で、
マエストロの厳粛さへの冒険を予告していた。
そして、典型的なコメント、
『ラジオがベストを尽くしてラジオが賞賛された』
という風に、
誰も予想できなかった程、聴衆は熱狂した。」

ということで、
NBC交響楽団創設時のエピソードに終始しているが、
この後は、サーノフとトスカニーニの偉業が語られ、
最後には、シューベルトの話が出てくる、
という構成のようだ。

「この頃は、トスカニーニが、
この冒険によって、
スカラ座での16年を超える、
17年もの仕事への関わりを
この後のキャリアに加えることになろうとは、
誰も予想してはいなかった。
しかし、このプロジェクトで、
最も注目すべき点はその遺産であった。
NBC交響楽団のすべての放送は、
技術的に優れた録音で保存された。
当時の他のどの指揮者の仕事も、
これほど豊富に記録されたものはない。
事実上、サーノフのヴィジョンが、
そこを通ることによって、
人々が歴史の中を歩き、
どのようにトスカニーニが、
レコーディング・スタジオでの真空状態より、
背後の聴衆と共にある、
解釈者として振る舞ったかを
学ぶことが出来るドアを作ったのである。
さらに、彼が、自身の中心となる
レパートリーについて、
常に再検討していたかを
知ることが出来る。
同様に重要なのは、
トスカニーニがスタジオ録音しなかった、
曲目についての演奏である。
それは、このCDにおける2作品についても言え、
今回のリリースで、初の商業発売となる。」

これまで、トスカニーニが偉い、
という話は多く読んできたが、
企画したサーノフが偉いというのは、
確かに強調しても良いことだろう。

「4手用ピアノ・ソナタである、
シューベルトの『大二重奏曲』を、
ヨーゼフ・ヨアヒムが、
1856年にオーケストレーションしたのは、
疑いなく、ロベルト・シューマンと、
誰よりも、この作品が、
失われた『ガシュタイン交響曲』
のスケッチであると考えた
ジョージ・グローブに後押しされた、
信念によるものに相違ない。
この説は近年の学者が否定しているものだが。
1936年、サー・ドナルド・トヴェイが、
『音楽分析のエッセイ』の中で、
『ヨアヒムの編曲のおかげで、
シューベルトの最大級の交響形式の実例を
聴く機会が出来た』と書いて、
間接的にこの考えを後押しした。
トスカニーニはトヴェイの著作を信奉しており、
それが、トスカニーニにオーケストレーションを
促したものと思われる。
しかし、NBCのアナウンサーの、
ジーン・ハミルトンが放送で言っているように、
総譜もパート譜もフィラデルフィアの、
公共図書館から調達しなければならなかった。」

この「オーケストレーションを促した」
という言葉は、
オーケストラでの演奏を促した、
と読むべきなのであろうか。

トヴェイ(Sir Donald Francis Tovey)は、
トーヴィーと読まれるらしく、
単なる評論家ではなく、
CDも発売されている、
作曲家であった人らしい。

1875年生まれというから、
トスカニーニより若い同時代人であるが、
何と、この演奏がなされた1940年、
7月10日に、エディンバラで亡くなっている。

スコットランド独立反対多数の
ニュースが流れた後なので、
かの地に、しばし、思いを馳せた。

音楽の研究が、こうした演奏に繋がっているとは、
何も、近年の古楽に限った話ではなかった。
トスカニーニは、単なる、
ガテン系の頑固一徹親父ではなく、
同時代の研究を無心に読み解く
文人風の面影も持っていたわけだ。

反対に、トーヴィーは、
トスカニーニが演奏した、
シューベルトの音楽を、
ラジオなどで聴くことが出来たのだろうか。

「興味深いことには、トスカニーニは、
明らかに、フィナーレをヨアヒムが、
アレグロ・ノン・トロッポにしたことに反対で、
この演奏からも分かるように、
シューベルトの
アレグロ・ヴィヴァーチェの指示に戻している。
多くの見地から、
このオーケストレーションには、
この作曲家の最後の交響曲のエコーが響き、
特に野心的な金管の扱いがそうである。
トスカニーニが指揮すると、
テクスチャーは透明度を保ち、
過度の重々しさから解放されているが。」

この演奏が、同曲の演奏より、
簡潔に引き締まって聞こえるのには、
こうした理由もあったのである。

「おそらく、この放送は、
ヨアヒムの仕事の
最初のアメリカでの演奏だった。
全ての状況を照らし合わせて、
これはトスカニーニのただ一度の演奏であった。」

これはまた、貴重な記録が入手できたものである。
放送された機会も一度きりだったのだろうか。
ますます、トーヴィーが聴いていたことを、
願わずにはいられない。

「ある方面からは、
トスカニーニのNBC時代は、
概して、彼のニューヨークでの
10年に劣ると言われる。
NBC放送の研究をすると、
しかし、この意見には賛同しがたい。
事実、彼のNBC時代は、
フィルハーモニック時代には手がけなかった、
広大なレパートリーを含んでいる。
こうした作品の中に、
シューベルトの『第2交響曲』があって、
これは、明らかにトスカニーニが、
NBCに来てから取り組んだものだ。
今回のこの記録は、3回ラジオ放送されたものの、
2回目のものである。」

第2交響曲は、「大二重奏曲」よりは、
聴くチャンスが多かったようだが、
そういえば、ニューヨーク・フィルを振っていた、
バルビローリがこの曲を好んでいたことを思い出した。

トスカニーニが、1940年3月23日に振った前後の、
ニューヨーク・フィルの演奏曲目をHPで調べると、
1939年3月と11月に、
また、1940年1月21日にも、
バルビローリがこの曲を振っていた事が分かる。

バルビローリ・サイドから見ると、
ニューヨーク・フィルへの敵愾心を、
露わにしたレパートリーとも見えなくもない。
が、「大二重奏曲」は、ニューヨーク・フィルは、
演奏したことがなさそうだ。

さて、3回も放送した、「第2」であるが、
この時の演奏が採用された理由が続く。

「それは、これらの中で、
最も音質が良いからで、
これは、主に、
ドライな8Hスタジオで、
反響を捉えようと、
NBCの技術者らが
補助マイクを持ち込んだ
時期のものだからである。
78回転時代は、この交響曲は、
国際的知名度のない指揮者による、
レコードが一種あっただけだった
と言うことも特記しておく価値がある。」

バルビローリの例があるので、
これは、それほど特記する必要はなくなった。

「この3つの放送は、
無視されていた作品に対しての、
彼の興味を示すもののみならず、
快活で優美なカンタービレのラインや、
引き締まったバランスのとれたソノリティ―は、
18世紀のスタイルにルーツを持つ音楽への、
彼のセンスを表している。」

今回聴く2曲の録音は、いずれも、
悪評の高い、8Hスタジオのものだが、
それほど悪くない。

CDは、まず、この解説とは異なって、
「第2交響曲」から始まるが、
序奏部からして、夢を孕んだ緊張感が聴きもので、
各声部が躍動して、木管楽器などの装飾音も楽しい。

この時期のトスカニーニに共通する、
体中が火照ったような表現ゆえに、
細かい音形が重なって行く展開部では、
ヴァイオリン群が崩壊寸前である。

デジタル・リマスタリングは、
Paul Bailyという人が担当したらしい。
ライセンスは、Eroica Productionによる、
とあるが、変な名前である。

この音源は、よほど保存が良かったのか、
先のマイク利用の効果ゆえか、
同シーズンのベートーヴェン・チクルスより、
音質的には聴きやすいような気がする。

第2楽章も、各楽器の歌わせ方が愛らしく、
高齢の巨匠も、青春時代の夢を慈しむような感じ。
弦の広がり感や、管楽器の奥行き感が美しく、
名残惜しげな余韻も痛切である。

トスカニーニのような巨匠が放送していながら、
この演奏が、ほとんど知られていないのは、
不思議としか言えない。

第3楽章は、リズムを激しく叩きつけながら、
造形がしっかりした格調の高い表現で、
トリオ部のオーボエなど木管の無垢な表現にも、
心打たれるものがある。

第4楽章も、第3楽章同様、
激しいリズムだが、弾力があって快適である。
オーケストラが体を張って推進力を生みだし、
爆発的に共感を発散させている。

拍手も収録されているが、
ブラボーがないのが不思議なほどだ。

後半に、「大二重奏曲」が収録されているが、
第2交響曲に、この大曲を収めて、
収録時間が60分51秒で済んでいるのは、
こちらの曲が、かなり、広がりよりも、
逞しく引き締まった力感に
重きを置いた演奏になっているからだろう。

シューベルト特有の、
あふれ出るメロディが、
次々と生まれては消えて行く。
休止があまりない感じだろうか。
音楽が常に律動して、
脇目も振らずに目的地に向かって行く。

この曲あたりになると見て取れる、
シューベルト後期の崇高さや寂寥感も、
この逞しい流れの中では、
さっと描きこまれた陰影に過ぎない。

コーダ部では青白く焔を上げて興奮し、
音楽が大きく膨らんで、
いかにも英雄的で自信にあふれた、
成長したシューベルト像である。

第2楽章は、歌謡的な楽章だと思っていたが、
落ち着きがないほど、何か先を急いでいる。

この時期のトスカニーニのベートーヴェンは、
余分なものを取り去って、
本質のみを語ろうとした、
ノミで削った後も生々しい潔癖さが魅力だったが、
この曲の演奏でも、その傾向が認められた格好だ。

この美しい楽章には、
録音にも、もう少しうるおいが欲しい。
が、この指揮者ならではの音楽が、
しっかりと聞き取れるレベルではある。

第3楽章は、いかにもスケルツォらしく、
無骨でごつごつしているが、
ほとんどベートーヴェンの第9に迫る程に、
豪快かつ、眼もくらむような巨大さが新鮮である。

シューマンを先取りするかのような、
トリオ部の幻想性も素晴らしい。
予測の出来ない痛みを伴って、
弦楽群が唸っている。

第4楽章は、トスカニーニが、
ヨアヒムの指定を変えたと書かれた所であるが、
様々な楽器が生命力を持って鳴り響き、
細かい音形が増殖していくような迫力は、
このテンポで生きて来るような気がする。

いろいろと、難癖が付けられることの多い、
ヨアヒムのオーケストレーションであるが、
この演奏を聴く限り、
寄せては返す波のごとく、
素晴らしい活力に満ち、
幻想的でもあって、まったく文句はない。

コーダの燃焼も熱く激しく、
演奏も共感に溢れていて、
トスカニーニが、何故、一回しか、
この曲を演奏しなかったか、
理解できないほどである。

これらのシューベルト演奏を聴きながら、
再び、このCDの表紙を見ると、
何となく、忘れられていた交響曲を、
復活させようと意気込んでいる、
「指揮者の中の王」の志のほどが、
表情からも読み取れるような気がした。

得られた事:「1939年の、トスカニーニは、ベートーヴェン・チクルスの流れに乗って、シューベルトの再評価を行った。」
「トスカニーニは、英国の作曲家で音楽学者であった、トーヴィーの研究を読んで、シューベルトの『大二重奏曲』を演奏会で取り上げた。」
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# by franz310 | 2014-09-20 23:32 | シューベルト