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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その434

b0083728_19513229.jpg個人的経験:
ベラスケスが連作で、
その成長ぶりを描いた事、
傑作「女官たち」の中央に、
彼女の姿を描いた事から、
スペインのマルガリータ王女は、
絵画史の中では、
非常に有名な愛らしい存在だが、
音楽史など歴史の上では、
作曲もしたハプスブルクの皇帝、
レオポルド1世と結婚し、
豪華な婚礼をあげた王妃であり、
また、すぐ死んでしまったという
悲劇の王妃でもある。


ベラスケスが、
このスペインの王女を描いたのは、
そもそも、遠く離れてヴィーンにいる
このレオポルド1世に、
王女の成長ぶりを見せるためだった、
ということらしい。

だから、ヴィーンに、
子供時代の「薔薇色のドレスの王女」、
「白いドレスの王女」、「青いドレスの王女」
というあどけない表情が
残されているというのだが、
本当にこんなに小さい頃から、
この国との結婚話が決まっていたのだろうか。

ベラスケスは、8歳の王女を描いて亡くなったので、
成長してからのマルガリータ王女の肖像を、
この巨匠が残していないのが残念でならない。

レオポルド1世との関係は悪くなかったようで、
マルガリータが、生国スペインの音楽を聴きたいというので、
王様は、楽譜を取り寄せようと努力したという。

いったい、マルガリータ王女は、
どんな音楽が聴きたかったのか。

彼女は、1651年7月12日生まれで、
1673年3月12日に、
わずか21歳で亡くなっている。
しかし、この時代に、
スペインにどんな作曲家がいたかというと、
カベソン、ゲレーロ、ビクトリアなどは、
前の世紀の人々だし、スカルラッティやソレールは、
次の世紀の人である。

かろうじて、
ガスパール・サンス(1640-1710)の名が、
「ある貴紳のための幻想曲」でロドリーゴが、
オマージュを捧げた作曲家として知られているくらいか。

サンス自身の作曲も、ギター曲の印象が強く、
王侯貴族が、ゴージャスに聴いた音楽という感じではない。
純粋な器楽曲に耳を澄ます若い姫君というのも、
ちょっと、違う感じがする。

もしも、レオポルド1世が、
あんなに音楽気違いでなければ、
「いいかげんにせい、
わがヴィーンにはイタリアから、
ボヘミアまで作曲家を取りそろえ、
音楽なら何でもあるではないか」
とプライドを傷つけられ、
「スペインに何があるんじゃ」、
と怒りそうな気さえする。

さしずめ、マルガリータ王女は、
スペイン音楽愛好家にとっては、
スペイン音楽後援会名誉総裁などとして。
位置づけても良いのかもしれない。

そのせいか、というのも強引かもしれないが、
フランスの古楽のレーベルで、
好録音でも有名なASTREE(アストレ)が、
「ESPANA」(スペイン音楽のアンソロジー)
というサンプルCDを出した時にも、
この王女の肖像が表紙を飾った。

このレーベルは、フランスの名プロデューサーで、
2006年に亡くなった、
ミシェル・ベルンシュタインの創設したレーベルらしい。
スペインの古楽の星、ジョルジュ・サヴァールを
EMIから引き抜いての事業であった。

M.ベルンシュタインは、
VALOIS(ヴァロワ)という、
古楽以外のレーベルも設立していて、
スペイン音楽のアンソロジーを作るには、
こちらの音源も必要だったので、
このCDの表紙には、二つのレーベル名が並んでいる。

なお、これらは、AUVIDISという会社に
買収されており、このCDには、
この社名も入っている。
恐ろしく複雑な経緯のものであることが、
表紙の左下に並ぶロゴによっても読み取れる。

なお、AUVIDISもまた、
1998年に、
naiveに買収されてしまったので、
これらのレーベルで録音された音源は、
naiveからも出ているのがややこしい。
なお、この際、サヴァールも離脱している。

このCDは、前述したように、
サンプルCDなので、
ブックレットを見ても、解説はなく、
寄せ集めした際の各曲の、
元のCDのカタログになっているだけであるが、
20枚以上のCD表紙のカラー画像が出ているので、
めくっているだけで幸せな気分になれる。
各CDがそれぞれ、絵画を中心にした、
素敵な装丁が施されているからだ。

大部分がアストレのもので、
ヴァロアのものは、
アルベニス、ファリャ、ジェラール作曲のもののみ。

また、このCDは、録音が素晴らしい。
雰囲気たっぷりの中、
様々な楽器特有の音色が冴えている。
スペインというタイトルのもと、
適当に持ってきたはずの内容だが、
どの曲も美しく響くので、
全体の統一感など気にならず聴き進んでしまう。

楽器編成も様々で、
チェンバロ、オルガン、ビウエラ独奏、
合奏、オーケストラ、独唱、合唱と、
まったくてんでんばらばらで、
本来であれば、
それぞれのオリジナルCDを聴くべきであろう。

しかし、上述のように、
めちゃくちゃな変遷を経たレーベルなので、
これら全部を集めるのは大変なのではなかろうか。
それを別にしても、どんどん聴けてしまう。

Track1.は、「シビラ(巫女)の歌」からで、
10世紀から11世紀のものとされる、
「ラテンのシビラ」の抜粋が6分聴ける。

サヴァール夫人、故モンセラット・フィゲラスの
十八番だったらしく、
ここでも、聖堂内の豊かな残響の中、
らっぱであろうか、エキゾチックな角笛のような独奏のあと、
たっぷりとした合唱の中から、
サヴァールのヴィオールと、
彼女の澄んだ声が浮かび上がる様は、
完全に異空間に我々を連れ去る。

このあたりは、かなり異教的なものを感じるが、
スペイン独特の要素があるのかないのか、
不勉強にして分からない。
オリジナルCD表紙は天使のタイル画のように見える。
少々、イスラム風かもしれない。

フィゲラスは42年生まれなので、
45歳くらいの時の声である。

Track2.
スペインの16世紀の作曲家、
バルトロミュー・セルセレス
(Bartomeu Càrceres)の
「ビリャンシーコとエンサラーダ」で、
打ち鳴らされる太鼓を背景に、
管楽器のアンサンブルが、晴朗な合奏を繰り広げている。
これもサヴァール指揮。

オリジナルのCD表紙は、古雅な聖母像である。

Track3.
流麗なハープの弾奏が美しいので、
これは、と思うと、ラマンディエのものであった。
歌が入って来て、いっそうぞくぞくする。

有名なアルフォンソ賢王
(アルフォンソ10世)の「マリアの頌歌」である。
13世紀の名君とされるが、
音楽ファンにとっては、
400曲以上の聖母頌歌を編纂したことで重要。
ここでも384番のカンティーガ(頌歌)が歌われている。

オリジナルCDの表紙は、
アルフォンソ10世のもとに
馳せ参じる人々が描かれた絵である。

このような曲になると、
ケルト文化的というか、
ヨーロッパの源流のようなものを感じてしまい、
スペイン的かどうかわからない。
ラマンディエが早口言葉的に歌うのが、
独特のリズム感を感じさせる。

アルフォンソ10世編纂のカンティガは、
かなり多くの演奏が録音されているから、
別の機会にでも、改めて紐解いてみたいものだ。

Track4.
作者不詳「Propinan de Melyor」
勇壮な太鼓に金属的な鳴り物が入り、
らっぱが吹き鳴らされ、
いかにも異教的な音楽である。

コロンブスの時代のもので、
オリジナルCDの表紙は、
船が新大陸に到着したところを描いたものであろうか。

Track5.
いきなり撥弦楽器のリズミカルな弾奏に、
サヴァールのヴィオールが、
情緒的にからんでくる。

太鼓がどんどんと響き、
エキゾチックな雰囲気が満ちて来て、
男声合唱が、単調ながら陶酔的な歌を聴かせる。

「el cancionero de palacio(宮廷の歌本)」
(サヴァール指揮、エスペリオンXX)
というアルバムから、
「3人のムーア人の娘」という、
15世紀の古謡らしい。

これは、スペインの名歌手
ピラール・ローレンガーが、
ドイツのギターの巨匠、
ジークフリート・ベーレントの伴奏で
歌った名盤がグラモフォンにある。

このアストレのCDのリッチな伴奏と、
男声の合唱の迫力とは大違いだが、
確かにメロディは同じである。

ローレンガー盤の濱田滋郎氏の解説によると、
「王宮の歌曲集」に収められているもので、
「アラブ風のビリャンシーコ」だという。

ムーア娘に誘惑された男の歌であるが、
「私のこころを虜にする」という部分以外は、
彼女らがオリーブを摘みに出かけた、
という意味不明というか、意味深というか、
へんてこな展開を見せるもので、
未練というか虚しさというか、悩ましいもの。

オリジナルCDの表紙は、
細密画であろうか、
男女が王冠を戴いているので、
カトリック両王、
フェルナンド2世とイサベル1世
に違いあるまい。

この時代の歌曲集ということだが、
15世紀も大詰めで、レコンキスタが成り、
ムーア人にとっては受難の時代であろう。

Track6.
ここで、
ビウエラ独奏(ホプキンソン・スミス)が来て、
編成がいきなりすっきりするが、
スペイン風という貫禄か、
極めて反響が独特な音色の魅力かで、
それほど違和感はない。
1536年の「マエストロ」と題された曲集より、
典雅な微笑みを感じるパヴァーヌ4番。

スミスはアメリカ人ながらサヴァールの盟友で、
この後の曲にもしばしば登場する。

オリジナルのCD表紙は、
天使がリュートを弾いている絵画。

Track7.
太鼓が打ち鳴らされ、
ビウエラもやかましく、
らっぱも鳴る中、
合唱とフィゲラスが歌いかわす。

こういった感じの曲は前にも出て来たので、
スペイン風に聞こえるが、
サヴァール風とも言えないのだろうか。

15世紀から16世紀スペインの
詩人であり劇作家であり作曲家であった、
ファン・デル・エンシーナ作曲の
ロマンスとビリャンシーコより、
「¿Si Habrá En Este Baldrés?」。

これは、かなり猥雑な歌のようで、
「皮袋の中を開けたなら」とか題され、
「街の3人娘、上流気取り女から、むしり取り
3人分の上着のために足りない帯を探しに行った」
という内容だという。

この曲も有名な曲らしく、
ネット上に演奏風景の動画もたくさん出ている。
どの画像でも合唱になりもの多数で、
当時のエネルギッシュな民衆パワーみたいなのを感じる。

こうした音楽は、
どんなCDに収録されているか、
探すのが難しいから、
このようなダイジェスト版で聴けるのは、
ラッキーと考えて良いかもしれない。

しかし、歌詞等がブックレットにないのは、
ものすごく困るのでやめて欲しい。

この作曲家は、恐怖のアルバ公の付人だったらしい。
田園劇を創作し、当然、自ら作詞作曲した。
イタリアの音楽(マドリガル)を
スペインにもたらした人とも言われる。

オリジナルのCDの表紙は、
ヒエロニムス・ボスの「干し草車」。
何故に、フランドルの画家か?
と思うが、何と、フェリペ2世が持っていたらしい。
アルバ公は、フェリペ2世の代官であるから、
かなり繋がっている。
干し草の上には、ビウエラを弾いている人が描かれている。
干し草は、この世の富の象徴らしい。

「太陽の沈まぬ帝国」を作り上げた人の時代、
確かに、富の奪い合いの光景は、
日常茶飯事だったのだろう、
などと納得してしまった。

Track8.
サヴァール節全開のヴィオールの闊達な演奏。
16世紀のナポリの楽長、
ディエゴ・オルティスのリチェルカーダ。
1分17秒で疾走する。

イギリスのヴィオール・コンソートは、
よく話題になるが、
スペインにおいても、
ヴィオール重視の時代はあったということか。

オリジナルCDの表紙は、
デューラーの弟子、
1484年生まれの画家、
ハンス・バルドゥングの肖像画だという。

Track9.
ふたたびルイス・ミランの曲だが、
今回は歌曲。
ホプキンソン・スミスのビウエラ伴奏で、
フィゲラスが清楚な声を聴かせる。

ネット検索すると、
平井満美子という歌手の
コンサートのHPが見つかった。

「愛は誰が持っている?
最後にはあなた達のもの
それは彼女のものではない。
愛は誰が持っている? 
はるかカスティーリャの人は愛を娘に捧げる。」
と、そこでは訳詩されている。

オリジナルCD表紙は、
悲嘆にくれた女性の顔の絵である。

Track10.
華やかなオルガンが響き渡るが、
キンベルリー・マーシャルが弾く、
カベソンのFabordonとある。
約3分の作品だが、いくつかの部分からなる。

オリジナルCD表紙は掲載されていないが、
「イベリア半島のオルガンの歴史」という、
壮大なタイトルだったようである。

Track11.
カベソンのオルガンの後は、
モラーレスのミサ曲。
「Pie Jesu Domine」
(慈悲深き主よ)
カベソンといい、モラーレスといい、
黄金期ルネサンス・スペインを出ていない。

半分ほど聴いたが、
なかなか、マルガリータ王女の時代の音楽にはならない。
しかし、非常に心洗われる音楽で、
やはり、スペインの音楽を語るには抜かせない。
ビクトリアが出てこないのが不思議だ。

モラーレスもオリジナルCDは掲載されていない。

Track12.
アロンソ・ムダーラのビウエラ曲。
1546年の曲集からのようだが、
歌謡的なメロディに装飾がついて、

カベソンらと同時代の人だが、
この曲などは、かなり近代的な感じがする。
ホプキンソン・スミスも乗っていて、
とても爽快である。

オリジナルCDは、ギターを弾く人の絵。

Track13.
いかにも南国の風を感じさせる合唱曲。
ここでも、太鼓がずんどこ鳴って、
木のばちがばちばち鳴っている。
やはりサヴァール指揮のエスペリオンXX。

エンサラーダと呼ばれる、世俗的なフュージョン。
フレッチャ作曲のLa Bombaとある。
フレッチャは、また古い時代の人だが、
非常に楽しく、リズム感がスペイン風である。

オリジナルCDは、何故かマリアと御子と、
東方の博士が出ている。
かなり騒がしいクリスマスではないか。

Track14.
これはさらにどんぱち言う音楽。
これはしかし器楽曲。

だんだんクレッシェンドして、
ラヴェルのボレロではあるまいな。
「La perra mora」
ゲレーロの曲とされていたりする。
「ムーアの雌犬」というものだろうか。
2005年にサヴァールが来日した時の記録に、
ペドロ・ゲレロ、
「ムーアのメス犬(器楽演奏)」(身分あるはしため)
とある。

オリジナルCDは、
カルロス5世の宮廷音楽ということで、
またまた16世紀前半になってしまった。
かくも、黄金時代の吸引力は強いものなのであろうか。

スペインの17世紀は、没落の世紀であったが、
音楽もなくなってしまったのだろうか。

しかし、CD収録曲も、
もうのこすところ1/3で、
遂に、17世紀の作曲家が来た。
ただし、2分半の短いバロック・ギター曲。
Track15.
フランチェスコ・ゲラウ(1649-1722)
の「カナリオス(カナリア舞曲)」。

生まれた年は、ほとんど、
マルガリータ王女と同じ。

先ほどから出ている
ホプキンソン・スミスの演奏で、
ビウエラよりは、
力がある楽器と言えるのだろうか。
非常に優美かつ技巧的、流麗な感じ。

とはいえ、この孤独な音の向こうに、
ハプスブルクの姫君の姿を垣間見るのは、
束の間の幻影でしかない。

オリジナルCDの表紙は、
ギターを弾く青年を描いたもの。

Track16.
セレロールスのミサ曲より、「グローリア」。
ミサ曲には、「戦争」という名前が付いているが、
とても、清澄な音楽で、
セレロールスが、ビクトリアなどより若い、
1618年生まれの人であることを再認識した。

カタロニアの団体を指揮しているが、
やはりサヴァールの指揮による。

オリジナルCDは、
横たわるキリストの横で嘆くマリアの絵で、
「スターバト・マーテル」という感じ。

Track17.
アントニオ・ソレールのチェンバロの音楽。
ソナタのアレグロをアスペレンが弾く。

ものすごく表現主義的などろどろとした音楽で、
1729年の生まれの作曲家で、
あっさり18世紀に入ってしまった。

オリジナルCDは、12巻からなるすごいもので、
表紙はエル・エスコリアル宮であろうか。
もう、マルガリータ王女の実家の、
スペイン・ハプスブルク家は途絶えた後、
ブルボン朝になってからの宮廷楽人。

Track18.
またまた、モンセラート・フィゲラスが登場。
岩波文庫にも、「オルメードの騎士」という戯曲が入っている、
ロペ・デ・ベガという16世紀から17世紀の戯曲作者の、
台本による舞台作品からの歌であろうか。

元のCDのタイトルは、
バロック期スペインのインテルメッツォとある。
タワーレコードHPには、
「黄金世紀の口直し―ロペ・デ・ベガとその時代 1550-1650」
と題されていた。

作者不詳の「jacara no hay que decirle el primor」
という題名だが、非常に小粋で、
打楽器もカスタネット的な動きを見せる。

機械訳では、
「陽気なダンスは、彼に美しさを語るために必要ない」
となった。

この曲になると、完全にスペイン的要素が感じられるが、
何時頃の音楽なのだろうか。
これもネット検索してみると、
大量に演奏風景の動画がアップされているから、
この辺りの音楽を愛好する人には、
よく知られた歌曲だと考えられる。

この「jacara(ハカラ?)」は、英語のWikiには、
演劇やダンスに伴う、器楽伴奏のアラブ起源の歌曲とあり、
まさしく、そんな勢いを感じる。
どうも日本では、知られているかどうかわからない。

先入観としては、
スペインからヴィーンに出て来た
マルガリータ王女が、
こうした音楽を聴きたくなった、
というストーリーなら、
何となく肯けるような気がする。

オリジナルCDは、合奏している男女の姿を描いた絵画。

Track19.
アントニオ・メストレスのオルガン曲で、
「トッカータ」とある。
奏者はフランシス・シャペレットで、
スペインのオルガンの歴史の第9巻とある。

これも、バッハの次の世代という感じの、
解放感を感じる。

Track20.
これまで聞いて来た曲の中では、
もっとも不気味な葬送行進曲風の、
オーケストラ付合唱曲。
黒々と太鼓が響き、
らっぱが吹き鳴らされる。
フィゲラスがカタロニアの古謡を集めた、
「De La Catalunya Mil-lenària」というアルバムから。

しかし、「Els Segadors(収穫人たち)」というのは、
カタロニアの国家だそうである。
ウィキにも、
「スペインの圧制に対して起きた
1640年の収穫人戦争時に生まれた。」などとある。

ほとんど、民衆蜂起の歌だとしたら、
同時代に歌われていた歌だとしても、
マルガリータ王女が聴きたい歌ではなかろう。

Track21.
フェルナンド・ソルの歌曲で、
これは、オリジナルのCDの表紙が
ゴヤの「日傘」なのが明るくて素敵だ。

しかし、これはもう19世紀の人である。
ちなみにギターは、ホセ・ミゲル・モレーノが担当。
後にグロッサ・レーベルを立ち上げる人だ。

ここまで、わりと、すんなり、
統一感も何となく感じながら聞いて来た。
ただし、続いて、ハイドンが混ざっているのは、
さすがに違和感がある。
ハイドンは、スペインからの依頼で、
「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」
を作曲したからで、ここでも、Track22.で、
その終曲、「地震」が、サヴァールの指揮で収められている。

この後(Track23.)の
マルティン・イ・ソレールの
コミック・オペラ「椿事」からの、
「Viva viva la Regina」は、
コケティッシュで楽しい声楽が聴け、
非常に楽しい事を特筆しておく必要がある。
これまた、声楽アンサンブルも、
伴奏も恐ろしくジューシーな録音である。
これもサヴァール指揮のもの。

この後、明らかにマルガリータ王女とは異なる雰囲気の、
Track24.
アルベニス「イベリア」より「港」の管弦楽版、
(ガルドゥフ指揮のヴァレンシアの楽団)
Track25.ファリャの「三角帽子」終曲、
(コロマー指揮スペイン国立ユース管弦楽団)
Track26.ジェラールの「舞曲」
(ペレーツ指揮シンフォニカ・デ・テネリウフェ)
が続いて終わるが、
どれもさすが本場なのか、
血が通った噴出するような表現が聴けて素晴らしい。

得られた事:「マルガリータ王女が聴きたいスペイン音楽が、このCDの中にあるとすれば、インテルメッツォ、『陽気なダンス』のようなものだったのではないか、というのが私の妄想。」
「仏アストレ・レーベルのスペイン音楽ダイジェスト版は、、録音の良さで、どんどん聴き進んでしまう。サヴァールがほぼ全曲を担当しているせいか、意外な統一感で約1000年の歴史を垣間見ることができる。」
「アストレ時代のサヴァールは、naiveレーベルに吸収されており、市場ではかなり混乱をきたしているので、要注意である。」
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# by franz310 | 2016-03-13 19:53 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その433

b0083728_22371544.jpg個人的経験:
カミロ・シェーファー著、
早崎えりな・西谷頼子訳の
「ハプスブルクの音楽家たち」
(音楽之友社)は、
このタイトルから
安直な予想をすると、
かなり期待はずれな、
奇妙な偏重がある書物である。
確かに第1章、
「ハプスブルク家とその文化遺産」は、
このヨーロッパの名門と
音楽の関係を概観してはいる。


しかし、最終章の第9章まで、
ベートーヴェンは登場しないし、
それに先立つ、第7章、第8章は、
グルック、モーツァルトに
フォーカスが当てられているとはいえ、
年代順にハプスブルク家の、
音楽家たちとの関わりが書かれているかというと、
すこし、一般の読者が期待するであろう
時間推移とは異なるような気がしている。

というのは、第2章で、15世紀後半の
マキシミリアン帝の宮廷の話が出て来るが、
この章の最後では、もう、17世紀中葉の話が出て、
主役は、フェルディナント3世になっているからである。

確かに、マキシミリアン帝こそは、
世界帝国を築くスペイン系と
オーストリア系ハプスブルクの始祖とも
言える人物だが、
この本で、スペイン系の話はほとんどない。

オーストリア系も、
フェルディナント1世、マキシミリアン2世、
ルドルフ2世、マティアス、
フェルディナント2世などと続き、
先に述べたフェルディナント3世までは、
2世紀が経過しなければならない。

この間、何よりも、全ドイツを荒廃させたという、
30年戦争に到る、宗教戦争が勃発しているから、
そのあたりが書かれているかと言われると、
これが、まったく触れられていない。

おそらくは、「レーオポルド1世の音楽」
というタイトルこそが、
(レーオポルドの約300年後に生まれた)
この1943年生まれのオーストリアの著者が、
書きたかった内容だったのであろう。

見出しを見れば、一目瞭然であるが、
第1章で、ハプスブルク家が
スペインの影響を受けた儀礼ゆえに、
礼節正しい皇帝であった例として、
レーオポルド1世は取り上げられ、
第2章では、作曲の才能がある一族の例として、
モーツァルトやバッハの家系と共に、
皇帝一族が紹介されているが、
その絶頂がレーオポルド1世だと書かれている。

第3章では、レーオポルド1世の壮麗な
婚礼の儀式について書かれ、
第4章では、いよいよ、
レーオポルド1世作曲の宗教曲などが取り上げられ、
その宮廷楽団や、3度の結婚の相手についても詳述される。
他の皇帝の場合は、ここまで書かれてはいない。

第5章では、もうレーオポルド1世の話は終わった、
と思いきや、
レーオポルド1世が招聘したドラーギの話や、
レーオポルド1世の恩寵で宮廷作曲家になった、
フックスの話が出て来る。
何と、ヘンデルと同時代の
ボノンチーニさえも、
レーオポルド1世に音楽を捧げた、
という感じで登場する。

第6章になってからも、
ヨーゼフ1世、カール6世に関して、
その父、レーオポルド1世の話題が挿入される。

したがって、読者としては、
時代順に読んでいるつもりではあっても、
常に、レーオポルド1世の話に戻って、
絶えず、同じ事を聴かされているような、
奇妙な錯覚に囚われるのである。

では、このレーオポルド1世は、
音楽を離れて、どれくらい、
君主として仕事をしたのか、
いったい、彼は、どんな時代を生きたのか、
という疑問が出て来るのだが、
残念ながら、そのあたりの事情は、
この著作から読み解く事は困難である。

新人物往来社ビジュアル選書、
「ハプスブルク帝国」という本を読めば、
研究家の関田淳子という人が、
(日本オーストリア食文化協会顧問ともある)
第2部「世界帝国への飛翔」で、
これらの皇帝が、30年戦争や、
対トルコ、対フランスとの確執に悩まされた経緯を、
肖像画入り、挿絵豊富に、
簡潔に説明してくれており、
大変、分かりやすい。

「レオポルド1世」に関しては、
太陽王ルイ14世のライヴァルとして、
オスマン帝国による「第2次ウィーン包囲」などを例に、
「次々に勃発する戦争で心休まる日々を送ることなかった」
と書かれながら、
「そんな皇帝の最大の慰めとなったのが、
父帝と同様に音楽だった」という記述があるのが嬉しい。

見出しに、
「思いがけず帝位についたレオポルドに
平和と音楽を楽しむ時間はない。
治世の大半をルイ14世、
オスマン帝国との死闘に謀殺されてしまった」
とあるが、こちらの顔を補正して、
考慮に入れ込まなければ、
シェーファーの本の知識だけでは不十分であろう。

また、父、フェルディナント3世が亡くなって、
兄、フェルディナント4世が即位するところが逝去、
聖職者だったのに、
好むと好まざるとに関わらず、政治のひのき舞台に、
引きずり出された皇帝でもあることも書かれている。

あと追記するなら、
全欧をペストが猛威を振るったのも、
この皇帝の時代の事であった。

さて、この皇帝を中心にした音楽を集めた録音で、
日本でも最もよく知られたものは、
おそらく、エラートの企画した一大偉業である、
「空想の音楽会」シリーズ全30巻の第25巻、
「ウィーンの王宮における皇帝の音楽会」であろう。

1997年にCD化されたシリーズであるが、
原盤はLPで、1960年代に録音がなされている。

まだ、古い時代の音楽のレコードが
あまりなかった時期には、
このボリューム感あるアンソロジーは、
おそらく重宝されたであろう、
かなりエポックメーキングなものであったはずだが、
どんどん、歴史研究や発掘がなされた今となってみれば、
雑多な曲目を集めただけみたいな様相なので、
私も、つまみ食い的にしか知らない。

一般愛好家のリスニングルームというより、
図書館に置けば相応しいものという感じであるが、
レオポルド2世自身の作曲した音楽が聴けるのは、
今でも、珍しい。

しかも、ウィーン古典派の演奏で、
日本でも人気のあった、
テオドール・グシュルバウアーが指揮している。

そして、解説もなんと、グシュルバウアー自身が担当。
録音当時はこの人も25歳くらいである。

「このジャケット表に見える建物は、
ウィーンの皇宮(ホフブルク)である」と書きだされ、
CDがトータル・コーディネイトされているのを感じさせる。

「(ウィーンで)重要な役割を果たしていた音楽は、
バロック期に至り格段に人気高い芸術になった。
歴代の皇帝たち自らも、大いに音楽にあずかった。
じつにつづけて四代の君主たち
フェルディナント3世からカルル4世まで
が、彼らの宮廷に当時の最もすぐれた音楽家たちを
呼び集めたばかりか、
彼ら自身が特筆に値する作曲家として知られた。」

このように、このCDの意義が語られているが、
シュメルツァーやムファートの器楽曲に加え、
レオポルド1世の書いたアリアや、
ヨーゼフ1世の書いた「レジナ・チェリ(天の元后)」で、
美しい声で歌われる声楽曲が現れる。

これらの声楽をひとり受け持っている、
ロートラウト・ハウスマンの声が、
まさしく綺麗である。
この人、まだ24歳くらいだったようで、
その若さゆえか、まさしく無垢とも言える、
澄んだ声が非常に魅力的である。

最後に、レオポルド1世の宮廷を語る時、
必ず語られるチェスティの「黄金の林檎」から、
4曲の器楽曲が演奏されているのもありがたい。
このオペラは、レオポルド1世とマルガリータ妃の、
結婚式におけるどんちゃん騒ぎの好例なのだ。

が、グシュルバウアーの手腕によるのだろうか、
どの曲も高雅で神聖な雰囲気すら感じさせ、
音楽史の本の中でのみ有名なこの曲が、
現代でも十分楽しめるものであることを確認できる。
ヘンデルのような幅の広い抒情性は、
1960年代風の解釈なのかもしれないが。

演奏は、ウィーン・バロック合奏団で、
この団体については良く知らない。
ウィーンとかバロックとか、
一般に音楽を連想する単語が並んだだけの、
録音用臨時編成オーケストラではなかろうか。

ただ、若き日(24歳)のトーマス・カクシュカ
(アルバン・ベルク四重奏団の名手)が
ヴァイオリンを弾いているのも嬉しいし、
何よりも、録音が非常に美しいことを特筆したい。

実は、私は、このシリーズの
「マリー・アントワネット王妃のための音楽会」
の録音にはがっかりした記憶がある。
出来不出来がある可能性があり、
それ以上の探求はしていない。

一曲目は、シュメルツァーの
「弦楽オーケストラのためのセレナータ」で、
現代演奏されるような先鋭さはないが、
グシュルバウアーらしい、
すっきりした、繊細な表現で一気に聴かせる。

シュメルツァーは、
オーストリアの音楽家として初めて
ハプスブルク家の楽長となった人物と紹介され、
ヴァイオリンの名手、
「生国の歌謡から影響を受けた新しい様式」
で、優勢なイタリア人作曲家たちに対抗したとある。

この曲、CPOで出ていた
「フェルディナント3世の死によせる哀歌」にも、
しみじみとした情感が良く似ているが、
分厚い弦楽合奏で嫋々と演奏されて、
妙にロマンティックである。

チャイコフスキーやグリーグ、
あるいはレスピーギなどが書いた、
古典の模倣曲といって、
オーケストラのコンサートでやっても、
まったく違和感がないかもしれない。

今日、これら皇帝たちが書いた、
宗教曲のCDなどを聴いた後だと、
こんな豊穣な音が宮廷に流れた、
などとはとても想像が出来ない。

が、私はグシュルバウアーのこの演奏を、
存分に楽しんでいる。
現代のオーケストラが定期公演でやっても、
十分楽しめるはずである。

グシュルバウアーが「特筆に値する」と書いた、
「鐘」と題された部分は、
単調な音形をくり返すだけの部分で、
きわめて不気味である。

次に、レオポルド1世が書いた、
アリアが2曲あるが、
残念ながら、このCDには歌詞対訳はない。
「アデライデ」という歌劇から、
「返して、私に心を返して」と、
「意のままに生きよ、美しき信仰よ」だが、
民謡のように楽しく甘く、しかも、
コロラトゥーラの部分もあって聴きごたえがある。

皇帝の書いた悲しい宗教曲しか知らなかったら、
非常に残念だ、ということを実感できる、
美しいアリアである。
オーケストラの伴奏が、これまた、
込み上げるように、切実なメロディを、
大きく繰り返す。

2曲目は気まぐれで、爽快、
ヴァイオリンの助奏も手伝って、
ヴィヴァルディの音楽のように、
陰影もあって明るい。
ハンスマンのソプラノの澄み切った感じも、
青空に吸い込まれるようである。

「アデライデ」というオペラなら、
ヴィヴァルディにもあったはずだが、
同じ台本かは分からない。

次にムファートの「甘き夢」という、
協奏曲が来るが、
これまた、1960年代の
バロック解釈に違和感が湧き上がりつつも、
曲想の物憂げな感じも手伝って、
非常にロマンチックな名品とここでは言っておこう。

最後のアレグロや舞曲の部分などは、
完全にボイド・ニールなどが演奏した、
ヘンデルを想起させる。

また、続く、レオポルド1世の息子で、
若くして亡くなった
ヨーゼフ1世の「天の元后」は、
CPOのハーゼルベックの
CDにも入っていたものだが、
こちらの方が、
オーケストラが格段に増強されていて、
なおかつ、ハンスマンの声が澄み渡って、
空に向かって駆けあがり、
ずっとゴージャスな響き。
それゆえに、別の曲を聴いたような感じすらする。

ハーゼルベック盤のリンダ・ペリロも、
聴き直すと同様に澄んだ声ではあるが、
少し線が細く中性的かもしれない。

今回のグシュルバウアー盤の方が、
時代考証を無視すれば、
華やかさが格別でずっと名曲のように感じる。
各曲がハレルヤで締めくくられる組曲状だが、
このハレルヤ部のコロラトゥーラも、
若々しさが新鮮であるし、
ヴァイオリンが絡むところも華美ですらあり、
血なまぐさい「スペイン継承戦争」の時代を
忘れさせる。

逆に言うと、ハーゼルベック盤の、
密室の秘儀のような雰囲気の方が、
歴史を扱った書物から受ける、
その時代のイメージに近いのかもしれない。

ただし、ヨーゼフ1世と言えば、
もう、ヴィヴァルディと同時代なのである。

すでに書いたが、最後に収められたのは、
そんな盛期バロックからは遡る、
シュメルツァーの同時代人、
1623年生まれのチェスティの作品。

重厚な弦楽合奏で神妙に、
また、ある時には情緒的に、
4つの器楽曲が組曲風に演奏されている。

レオポルド帝は、このオペラ「黄金の林檎」のために、
通常の5倍の費用をかけたとされ、解説には、
「チェスティはその2年後に早世し、
皇妃マルガリータ・テレサも4年後に
うら若い身で没した」とある。

レオポルド1世は、
ルイ14世と覇権を争った皇帝でもあったので、
太陽王に張り合うようなイベントで
威信を高める必要があっただろう。

しかし、姻戚関係で言えば、
レオポルドが結婚するはずの
スペイン国王フェリペ4世の長女が、
他でもないこのフランス王に取られてしまった、
という経緯があった。

そのため、レオポルド1世は、その異母妹、
マルガリータ・テレサと結婚したのだという。

このマルガリータ・テレサについては、
シェーファーの本が大活躍する。
「生涯にわたって明らかに
彼女の血筋からきている
スペイン音楽を好んだ」とあり、
皇帝が公使にスペイン音楽の楽譜を依頼し、
「妻が望んでいるから」と催促した様子も書かれている。

かつては、「日没なき大帝国」と呼ばれた、
このスペイン系ハプスブルクは日没間近であった。

最後の王様、カルロス2世の父親が、
フェリペ4世であるが、
この人も芸術愛好家で、
ベラスケスの「宮廷の女官たち」は、
この人の娘、後に、レーオポルド1世の妻となる、
5歳のマルガリータ王女が中央に描かれた名画である。

このような実家を持つマルガリータと、
レーオポルドの結婚式こそが、
シェーファーの著書で、
「1666年ウィーンで、
皇帝レーオポルド1世と
スペイン王女マルガリータ・テレーサとの
婚礼が計画されたのである。
祝典は1年もの間続き、
初期バロックオペラ精神の頂点となり、
まさしく世界劇場となった」
と評されたイベントだったのである。

レーオポルド1世は26歳、
マルガリータ妃は15歳。
フェリペ4世はすでに前年に亡くなっていた。
「画家のなかの画家」
ベラスケスも死んでいる。

ちなみにマルガリータの母親は、
フェルディナント3世の娘、
レーオポルド1世の姉ということなので、
新郎新婦は叔父姪の関係だったということか。
かなり、血が煮詰まっている感じがするが、
マルガリータ妃は22歳で亡くなって、
レーオポルド1世は「怒りの日」を作曲したとされる。

シェーファーの本では、
「彼自身の従姉妹であり姪でもあった最初の婦人で、
夫を尊敬して『叔父さん』と呼んでいた
『グレートル(マルガリータの愛称)』のための
壮大なレクイエム」と評されたものだ。

従姉妹でもあったというのは、
マルガリータの母親が、ややこしい事に、
フェリペ4世の妹がフェルディナント3世と嫁いで
生まれた娘だったからである。
関係を図示するとこうなる。

フェリペ4世
|   ↓ 妹
|  マリア・アナ― 結婚 ―フェルディナント3世
|          |
結婚  ――  マリアナ   レーオポルド1世
     |                |
  マルガリータ ――――――― 結婚
       

マルガリータ王女は、あどけない童女の姿で、
ベラスケスの絵画で永遠化されたが、
このような時代背景において、
ある一定の役割を演じた政治の道具であった。

今後、スペインの至宝のような
あの絵画を見るつどに、
オーストリアのレオポルド1世を
同時に思い起こす事になろう。

結婚生活はわずか7年ほどしか続かなかったが、
すぐに再婚したクラウディアもまた、
3年の結婚生活しかできなかった。
こうして、家庭の悲運を嘆いたのか、
1676年の彼女の死に際しては、
「3つも葬送読誦」が書かれ、
「この曲では悲しみが溢れ出し、
ふだんは悠然とかまえている皇帝も、
深い悲しみに身をまかせ、
その哀悼歌に我を忘れるのであった」と、
シェーファーの著作にもある。

ハンガリーの反乱やペストの流行が、
この後に起こっているから、
束の間の平和なひと時に起こった悲劇だったのだろうか。

前回取り上げた、CPOから出ているCD
「レオポルド1世宗教曲集」のCD
(マーティン・ハーゼルベック指揮)の解説には、
以下のような事が書いてある。

「ある外交官はレオポルドはとりわけ、
悲しいメロディで曲付をするのにすぐれていた、
と証言している。
この事は、彼の姪で最初の妻であった

マルガリータ・テレサが、
結婚して5年で、
1673年に亡くなった時に書いた、
美しいレクイエムについても、
2人めの妻、
インスブルックのハプスブルク家の、
クラウディア・フェリチタスが、
1676年、結婚3年半で亡くなった時の
夜の礼拝用に書かれた、
『3つの葬送読誦』にも言える。
この作品は、1705年、
彼自身の葬儀でも演奏され、
5月5日の彼の命日には毎年演奏された。」

この作品自身の解説は、
以下のような「晩課のためのテキストは、
ヨブ記から取られ、
レクイエムの入祭唱と同様の、
『Requiem aeternam dona eis Domine』
(主よ、永遠の安息を彼らにお与えください)
『Et lux perpetua luceat eis』
(そして永久の光が彼らを照らしますように)
で閉じられる。
声楽部は、2つのソプラノを含む5部、
器楽伴奏は、葬送哀歌に相応しく、
当時慣習であった弱音器付で登場する。
ソプラノ、アルト、テノールの音域のヴィオール、
ヴィオロン1、2つの弱音器付コルネット、
アルト・トロンボーン1、テノール・トロンボーン1、
声楽パート補助のバスーン1、
そして当然、通奏低音用オルガンである。
ここでも皇帝は主音にハ短調を選んでおり、
ヨハン・ヨーゼフ・フックスの読誦にもあるように
これは18世紀にも好まれたものであった。
3つの読誦はそれぞれ、
ヴィオールとコルネットによる
短いソナタで始まり、
模倣した形の2つか3つの合唱部で、
各読誦は結ばれる。
声楽部と器楽部のグループは、
この時代のコンチェルタント形式の理想として、
独唱同士、アンサンブル、合唱と、
常に変化する。
独唱部はほとんど常に
オブリガードの器楽を伴った
レチタティーボかアリオーソである。
半音階的なアクセントや下降は、
テキストが
『Quia peccavi nimis』(私はあまりに罪深いゆえに)、
で罪を語る時に使われている。」

この曲の正式のタイトルは、
「身まかりし愛しの
クラウディア・フェリチタス葬儀のために
芸術の守護者、
深い歎きのレオポルドが作曲した、
最初の晩課の3つの読誦」とものものしい。

第1レッスンは、
「主よ、私を見逃してください、
私の日々には何もないのです。
あなたが高く評価する男が何だというのです。
なぜ、彼に心を砕くのでしょうか。
あなたは、夜明けに訪れて、
突然、彼を試す。」

という感じの始まりなので、
「ヨブ記」第7章あたりの詩句であろう。

音楽は、もの悲しい、虚無的な器楽合奏で始まり、
皇后を失った皇帝の心の隙間風を伝える。

ヨブ記と言えば、
ゲーテが参考にして「ファウスト」を書いた、
と言われるように、
悪魔がいかにヨブが神を敬っているか、
試してみる、という、
めちゃくちゃな内容のものである。

ヨブは、悪魔によって家族、家財をことごく失い、
皮膚病にまでなるが、神への問いかけによって、
意地の悪い友人たちの問答に対処していく。

音楽は神への問いかけで、
小さな高揚を繰り返しながら進行するが、

聖書の持つ状況描写そのままの音楽で、
独唱者が高揚して合唱になったり、
からみあったりして進行、
神様に向かって、何故、あなたは、
私を気にかけ、私を重荷と考えるのか、
「なにゆえ、わたしのとがをゆるさず、
わたしの不義を除かれないのか」
と、仕打ちばかりが厳しい神に向かって、
自問自答している。
途中、「ヨブ記」の詩句から離れ、
「救い主を信じ、最後の日には、
大地から起き上がるだろう」と信仰告白となる。

第2レッスンは、いくぶん、
緊張が取り除かれた感じの音楽。

しかし、歌詞は、決して明るくなく、
理不尽に責めさいなまれた境遇を経て、
神様に対して、言いたい事を言っているので、
少し、さばさばしたのであろうか。

ヨブ記第10章の詩句が扱われる。
「私は人生に疲れ、私の言葉が私を苦しめる。
魂の苦々しさを語り、神に告げる。」

アルトが冴え冴えとした声で、
至極まっとうな申し立てをする。
「私を咎めないでください、
何故、こんな風に私をさばくのか。」

バスは、「なぜ、あなたは悪の計画に手を貸すのか」
と真摯に告げ、
二重唱が切実な声で訴えるのは、
「あなたの眼は単なる肉なのか、
そうでなければ、
その男を正しく見るだろうに」という部分。

この曲の後半は、シューベルトも題材にした、
ラザロの逸話が引用されるのが興味深い。
「あなたは、私が何もできないのを知っておられる、
あなたの手から逃れられるものなどいないのだから。」
ここは、二重唱、合唱、フーガと、
すごい強調である。

ソプラノは口上を述べるように歌う。
「土くれの墓からラザロを蘇らせた方、
主よ、彼らを、安息の地に休ませたまえ。」

「ヨブ記」そのものが、
全体を自問自答と
理不尽な神との問答で出来ているような内容ゆえ、
激しい葛藤と発露がうまく音楽で表されている。

第3レッスンは、
ヨブ記第10章の続きの部分である。

この部分の冒頭は平安な日々の追想ゆえに、
曲も、最初は、ゆらゆらと蜃気楼に包まれて、
柔和な雰囲気を醸し出しているのだろうか。

「あなたの手が、主よ、私を造ったのです。
そして、平和な世界に住んでいたのに。
なのに、何故、あなたは突然、
眼をそらしてしまったのですか。」

ここでも合唱のフーガ風の強調。

そこに、テノールやアルトが、
「あなたが土くれから
私を造ったのを思い出してほしい」
「乳を注ぎ、チーズのように固めた」
などと、何となく素朴な内容を歌い継ぐ。

しかし、後半は、いきなり罪と向き合う形となり、
音楽は対位法的に錯綜し、
どんどん沈み込むような表現を見せる。
「あなたが世界を裁きに来るとき、
あなたの怒りから逃れる場所などあるだろうか。
私はあまりにも罪深いのだから。」

このあたり、
「ヨブ記」そのままではないような感じがするが、
それほどまでに、
レオポルド帝は罪の意識を背負って、
妻の棺に寄り添ったのだろうか。

この2番目の妻は20歳で輿入れして、
22かそこらで世を去ったようであるが。

最後の「レクイエム」の部分で、
かろうじて、その下降状態から踏みとどまって、
浮遊するような感じで、
まことに神秘的な終曲となっている。

得られた事:得られた事:「レオポルド1世が作曲した華やかなアリアをハンスマンのソプラノで聴くと、政略結婚とはいえ、はるばる輿入れしてきたうら若き王妃の姿が偲ばれる。」
「ベラスケスの名画で知られるマルガリータ王女は、夫となったレオポルド1世に、故郷スペインの音楽を所望した薄倖の王妃に成長した。」
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# by franz310 | 2016-02-06 22:29 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その432

b0083728_2153378.jpg個人的経験:
嫌なデザインのCDである。
カレル・デュジャルダンという、
オランダの画家が描いた
キリスト磔刑図であるが、
薄気味が悪いばかりで、
これを見て、
このCDを聴きたくなる人は、
まず、いないと思われる。
が、これらの音楽が始まると、
知られざる迷宮に
紛れ込んでしまったような、
とても、不思議な
奇妙な感覚に包まれる。


CPOレーベルは、
マルティン・ハーゼルベックの指揮、
ウィーン・アカデミーの演奏で、
ハプスブルク王朝の、
君主自らが作曲した作品集
を出しているが、
ここに取り上げるのは、
レオポルド1世の作品集である。

独唱者として、
ユルク・ヴァシンスキ(S)
ダーヴィト・コルディア(S,A)
ヘニング・フォス(T)
アーヒム・クラインライン(T)
マルコス・フィンク(B)
が参加しているが、
美しい歌声でどこか遠くに誘う、
ソプラノもアルトも
男性歌手であるところなども、
迷宮の怪しい魅力に拍車をかけているのだろう。

音楽の都ヴィーンを生んだ、
ハプスブルク朝の、
世界帝国の地位からの崩壊、転落過程で、
異色の芸術家君主が輩出された。

マリア・テレジアの治世に到る、
約100年の話。

彼ら、バロック君主たちは、
多くの有名作曲家を援助したばかりか、
当時の作曲技法の粋とも言える筆の力で、
様々な宗教曲の楽譜を残していることが、
今回のCDシリーズなどからも分かる。

30年戦争の惨禍の中から、
フェルディナント3世は
清澄なメロディを生み出していた。

戦禍が収まったせいか、
その子、レオポルド1世は、
熱狂的な音楽ファンであったこともあり、
大スペクタクルのオペラを演じさせた。

彼自身、聴くだけにとどまらず、
より大規模な作品を書く事もあったようだ。

彼の作曲の才能は当時から高名であったようで、
シェーファー著(音楽の友社)、
「ハプスブルクの音楽家たち」
でも、全9章のうち4章までが、
この皇帝に関しての記述に当てられている。

この知られざるバロック君主たちの100年こそが、
実は、シェーファーの本のテーマと言っても過言ではない。

17世紀中葉から18世紀中葉まで、
日本史でも、庶民の活力を底辺にした、
元禄文化に代表される時期が含まれ、
まさしく、レオポルド1世の治世は、
この時代と時を同じくしている。

なお、このレオポルド帝は、
イエズス会との関係が深かったようで、
日本の歴史と強引に比較すれば、
彼の生まれる二年前に、
「島原の乱」が起こっている。

レオポルド帝のお抱えの作曲家、
ベルターリやチェスティの作品などは、
尾形光琳や俵谷宗達の
豪華な絵画世界を連想しても良いのだろうか。

そして、イタリアの作曲家として、
現代では特に高名な人となっている、
アレッサンドロ・スカルラッティが、
このレオポルド1世の同時代人で、
ヴィーンを訪れた事もあって、
皇帝に影響を与えたと言われている。

暗黒の30年戦争の印象と、
この南国のホープの登場は、
恐ろしく対称的な印象を私に与えている。

A.スカルラッティの生まれた年は、
1660年と覚えやすいので、
この際、覚えておくとしよう。
レオポルド1世の生没年は、
1640-1705とあるから、
スカルラッティは20歳年少、
さらに進んだイタリアの音楽が流入した。

今回は、この稀有な君主の、
帝王とは思えない程の、
繊細さを見せる
この大規模な宗教曲を聴きながら、
往時を偲んでみたい。
先のシェーファーは、
レオポルド帝の心的状態を、
「静かな憂鬱」と呼んでいる。

CDの方の解説は、
Herbert Seifertという人が書いたもの。

「皇帝レオポルド1世は、
フェルディナント3世の次男で、
1640年に生まれている。
彼は、もともと、
聖職者としての道を歩むものと
考えられており、
それに相応しい教育を受けていた。
彼が相続権のある王子とされ、
1655年にハンガリー王、
1656年にボヘミア王の戴冠を受けたのは、
兄のフェルディナント(4世)が
亡くなってからだった。
彼は1658年に、
前年に亡くなった彼の父親の後を継いで、
フランクフルトで神聖ローマ帝国皇帝に推挙され、
彼は、1705年に亡くなるまで、
その地位にあった。
彼は優柔不断な傾向で、
音楽や祭典、宗教や狩猟に比べ、
政治に興味がなく、
問題視される人物である。」

ということで、成りたいとも思わなかった、
皇帝になってしまった道楽者という感じではないか。

以下を読むと、父親からして、
すごい皇帝、という感じもしないのだが。

「彼は、父親から長年教え込まれ、
音楽への愛や才能を受け継いでいた。
フェルディナントは、
イタリア語のテキストを駆使する、
詩人として活躍し、
作曲家として、一曲のオペラ、
少なくとも一曲のセポルクロや、
(聖墓のための聖金曜日オラトリオ)
(注:ネット検索すると演技付のもののようである)、
多くの作品を書いているばかりか、
30年戦争で削減していた
宮廷合奏団を揃えることに、
多大な関心を寄せていた。」

戦争が終わった後、
様々な復興策があったのは良かったのだろうが、
年がら年中、個人的関心で動いている
王様のような印象が残る。

「レオポルドはこの慣習を推し進め、
音楽一般に熱中した。
子供時代は、宮廷オルガニストの、
マークス・エブナーにハープシコードの指導を受け、
おそらく宮廷音楽監督の
アントニオ・ベルターリから作曲を学んでいる。
ベルターリは、14歳から17歳までの
若い頃のレオポルドの作品をまとめており、
時折、器楽部を書きこんでいる。」

ベルターリは、多くのCDで、
その名前を見かける有名な作曲家。

「レオポルド1世の69曲もの
独立した作品が残されているが、
多くのそれらは短い宗教音楽であるが、
9曲のオラトリオとセポルクリ、
2曲のミサ曲、一曲の長いイタリアオペラと、
一曲の短いイタリアオペラ、
他の3幕のオペラのうちの1幕、
2つのスペイン語のインテルメッツォ、
6曲の付随音楽が含まれている。
今回のCDには、彼の彼の別のオペラから、
何とか一曲残っているアリアが含まれている。
それに加えて、皇帝は、彼の治世中に演じられた、
200曲ものオペラの多くに、
アリアやシーンの音楽を挿入している。
近年、3人の作曲家皇帝(レオポルトの長男、
ヨーゼフ1世も作曲をしている)の、
2人めの音楽に注目が集まり重視されている。
インテルメッツォ、オラトリオ、レクイエムやミサ曲、
そしてモテットが演奏され、録音されてきている。
モテット、大きなミゼレーレ、
埋葬ミサ用の聖務日課などを収めた
このCDでは、彼の宗教曲の素晴らしい入門となる。」

ということで、政治的には優柔不断ながら、
道楽には果敢に挑戦した皇帝の遺品を見て行こう。

「そのタイトルが示すように、年代不詳のモテット、
『Vertatur in luctum(聖母マリアの7つの悲哀のモテット)』
は、聖母の7つの悲哀の祝日用のものである。
この祝日は、受難の週の金曜日にお務めがあり、
棕櫚の日曜日の二日前に当たる。
この日のミサ用の、
セクエンツァ(続唱)と奉献唱として
『スターバト・マーテル』とモテットが用意され、
トランペットを除く通常の器楽編成等で
奏でられる音楽が付いている。」

何と、ペルゴレージやヴィヴァルディ、
シューベルトやドヴォルザークも作曲した、
スターバト・マーテルが、
こんなところで語られるとは思わなかった。

「テキストは聖書によるものではなく、
オリジナルのラテン語の詩である。」
とあるが、
「スターバト・マーテル」の歌詞ではない。

スターバト・マーテル(悲しみの聖母)は、
「十字架の傍らに立って嘆く聖母の姿を見て、
私も一緒に嘆かせて下さい」
みたいな内容のものだが、
確かに、この皇帝の作品も、
同様の状況を歌っている。

「イエスが世界の罪を、
自らの血で洗い流したとはいえ、
処女の胸を狂おしい痛みが走り」とか、
「イエスが乾きに苦しんだゆえに、
マリアの眼から涙がほとばしり出た」とか、
妙に仰々しい言葉が使われているとはいえ。

このような内容に、いかにも、
ふさわしい音楽になっているようで、
下記のような解説が続く。

「彼のレクイエム同様、
レオポルドは、5人の独唱者と合唱部を用いて、
テキストの悲しみに溢れた音色のために、
4つのヴィオール、1つのヴィオローネに、
コルネット1つ、ヴィオラ1つ、3本のトロンボーンを、
合唱部の補強のためだけに使っている。」

これは、音色の調合だけでも楽しめそうだが、
下記の部分に表されるソナタ部の開始からして、
非常にしっとりした響きで酔わせてくれる。
ぽろぽろ鳴る通奏低音も気持ち良い。

「弦楽セクションは導入部のソナタを奏でる。
ソナタの最初の部分のホモフォニーと、
第2の部分のポリフォニーがコントラストを成す。」

やがて、声楽が入って来るが、
独唱に絡み付くような合唱の扱いが、
ちょっと、これまで聴いた事ないような陰影。

この事は、この曲の解説の最後に書いてあった。

「3人の独唱者は、次々とレチタティーボを詠唱し、
フーガのようなラメントのアンサンブルと合唱となる。
慣習に則り、
『Lachrymantem et dollentem piisfletibus comitemur』
(マリアは泣きむせび、われらもそれに倣い)
というテキストは、
半音の下降半音階の動機で現れる。」

独唱のアリアが始まると、
器楽は陰影をつけるような役割に回るが、
豊かな情感で聴くものを包み込む。
A.スカルラッティの時代の人、
というのも肯ける内容である。
豊穣で情感も濃やかである。

「2つの詩節で、
リトルネッロを挟んで3回出てくる
最初のソプラノのアリアは、
当時のオペラ的な音楽である。
バスも同様に独唱での開始を任され、
弦楽がレチタティーボや
短いアリアを伴奏している。
この構成は、最後の曲を導く、
アルトのレチタティーボでも同様である。
この曲では、一人または複数の独唱者が
合唱の中で語るような役割をする。」

それに加え、バスーンやトロンボーンの、
柔らかい響きが、
マリアの嘆きを暖かく包むような
感じなのである。

2曲目は、「ミゼレーレ」だが、
寺本まり子著の「詩篇の音楽」(音楽之友社)
によると、この「詩篇51(50)」に関しては、
アッレーグリ、オケヘム、
ジョスカン、パレストリーナ、
ミヨー、モーツァルト、ラッスス、
リュリなど名だたる大家が曲を付けているとある。

アレグリの「ミゼレーレ」は、
少年モーツァルトの凄まじい天才ぶりが、
語られる時に、
かならず引き合いに出される有名作品であるが、
これは確か、10分ほどの作品ではなかったか。

ところが、この皇帝レオポルド1世の曲は、
このCDの真ん中に鎮座する長い曲で、
このCDの半分の時間、
33分半もかけて演奏されている。

なお、アレグリは1582年の生まれとあるから、
さらに2世代ほどさかのぼる人である。

J・アブリ著の「詩篇とその解説」では、
「ミゼレーレ」は、「罪びとの痛悔」として、
「個人の訴え、罪びとが聖とされることを願うところである」
とあり、
「神の精霊の働きによって新しい心をもった新しい人間存在に」
することこそが、キリストの回復のわざであるとし、
以下のように各部が構成されているとしている。

「(神への)呼びかけと祈願」、
ここでは、「わが罪よりわれを清めたまえ」と歌われる。

「ミゼレーレ」とはじまる部分は、
「mercy」に相当し、「慈悲を」という事のようだ。
このレオポルド帝の曲でも、
ここは、しめやかな合唱で、
こみ上げるように歌い出される。

「自分の罪の告白」、
ここでは、「わが罪は常にわが前にあり」、
としながらも、
「されどみまえにて正しき心を持つ者は、
おんみによせらるる者なり」と言い、
「おんみはわが心のうちに、
おん自らの知恵を知らせたもう。」と結ぶ。

「自分がもっと内的熱意をもつようになるため、
神の精霊を満たされたいとの願い」
とされる部分は、
「神よ、われに清き心を作りたまえ
わがうちに耐え忍ぶ霊を、新たになしたまえ」、
「われにふたたび、救いの喜びを与えたまえ」
と切実である。

さらに、「感謝の約束」と分類された部分では、
「おんみの正義によりてわが口に、
喜びの歌を歌うを許したまえ」と、
神の誉れを伝えることを望む。

私は、この詩節では、
「神よ、わがいけにえは砕けたる精神なり」
という部分が気になっている。
1972年に出た岩波新書の、
浅野順一著「詩篇」でも、この部分は、
親鸞の「悪人正機」になぞらえられたりしていて、
「ありのままの自己を神に捧げればよい」
と書いてもいるが、
もっと単純に、心が砕けた時こそが、
救済を求めるものではなかろうか。

なお、この著書は、「ダビデの歌」としての、
詩篇解釈も差し挟んでいるのが面白く、
ダビデの母が罪のうちに彼を孕んだ事、
ダビデが部下のウリアの妻、
バテセバを犯した件にまで、
言及している。

さて、最後は、「エルサレムのための祈」とあり、
「かくて人々はおんみの祭壇に、雄牛を献げまつらん」
とこの詩篇は結んでいる。

シェーファーの本ではこの曲は、
「もっとも成熟度が高く、完璧な作品」
と表現されている。

CDの解説に戻ると、
「詩篇50のミゼレーレは、
豊かなコントラスト、かつ、
基本的に悔い改めたテキストに基づいている。」
とあって、上述の脱線記述が参考となろう。

「器楽のない単純な曲付けの場合は、
聖週間と葬儀の際用という宗教的意味合いがある。
祝祭的な器楽伴奏の場合は、
レントの祝日用である。
19世紀の間、この曲は、
彼の息子、カール6世の作曲とされていたが、
そのスケッチから、
皇帝の作品のコレクションの最初の校訂者、
グイド・アドラーによって、
レオポルドの部分的筆跡が確認され、
17世紀の最後の四半世紀に作曲されたものだと特定された。」

ちなみにアドラーはウェーベルンの師匠でもあり、
19世紀とはいえ、1855年生まれで、
戦前まで生きていたから、
さすがに、レオポルド公の作品の研究もまた、
ヴィヴァルディ同様、つい最近まで進んでいなかった、
と考えても良いのだろう。

また、ヴィヴァルディのパトロンであった、
カール6世が、こんな形で出てくるとは思わなかった。

先に紹介した「詩篇の音楽」では、
この17世紀後半の時代を、
「中期バロックの時代に入ると、・・・
実質的にカンタータを確立していく」として、
ブクステフーデやパッヘルベルなどの活躍を総括しているが、
このレオポルド帝の音楽もまた、
歌い手が変わるごとに曲調も変わるので、
多楽章のカンタータに近い。

しかし、このCDでも、
トラックが分かれていないように、
粛々と行われている儀式に臨んでいる感じで、
そうした近代的なイメージから離れて、
いかにも、宮殿の中の秘曲という趣きである。

「アドラーは、この曲を、
『皇帝の作品で、最も音楽的に成熟し、
最も完成度の高い作品』と呼んだ。
ここでは4人の独唱者と合唱のパートが指定され、
2つのソプラノ声部は、
『ヴィオレット』(おそらくヴァイオリン)とされ、
ソプラノ、アルト、テノール、バス声部の
4つのヴィオール、
3つのトロンボーン、バスーンとオルガンからなる、
器楽部の暗い色調は、テキストやレントに見合っている。
レオポルドは、主音にハ短調を選び、
歎きの感情を表すのにふさわしい響きとなっている。」

様々な作品を書いた作曲家の、
どれが代表作かを選ぶのは困難なことだが、
当面、この作品を聴けば、
レオポルド1世の芸術の真髄に触れることが出来そうだ。

「合唱は、長大なホモフォニックの、
独立した器楽部のない開始部となっており、
4人の独唱者は、それぞれがテキストの一節から、
2つのヴィオレットを伴いながら、
次々に言葉を発する。」

独唱者たちは、フーガ的な動きを見せ、
「慈悲によりて、わが罪を消したまえ」と歌った後、
次々と詩句を歌い継ぐ。
ぽろぽろと、古雅な伴奏がつく。
ソプラノが、冴え冴えと、
「おんみに向かい罪を犯したり」と懺悔する。

「次のセンテンスは、再び合唱から始まり、
同様の様式で繰り返されるが、
この時には、テキストの繰り返しや、
器楽の扱いは長くなっていて、
様々な独奏を伴っている。
ソプラノ声部はヴィオレット一つ、
バスーンによるバス、
2つのトロンボーンによるテノール、
4つのヴィオールによるアルトからなる。」

ここでも、ソプラノの、
「ヒソポもてわれに注ぎたまえ、
さらばわれは清まらん」の部分は、
ヴァイオリンの掛け合いも美しい。
シュメルツァーのような名手がいた、
宮廷ならではの天使の響きである。

バスでは、はずむように、
「歓呼を聴くを許したまえ」が歌われる。
ファゴットの伴奏が虚無的な響き。

「わがとがを、すべて消し去りたまえ」の、
テノールを伴奏するトロンボーンは厳粛、
「われに清き心を作りたまえ」のアルトは厳粛だが、
ヴィオールの動きに、新たな胎動を感じる。

フーガ的な合唱は、「われを捨てたもうな」で、
切迫感で取りすがる。

「次のパッセージは、
喜びの再来を嘆願するテノールで始まるが、
それはそれに相応しい、
舞曲調の6/8拍子である。」

「寛大の霊によりて、われを強めたまえ」と、
切実である。

「アルトとバスのデュエットと、
2つのトロンボーンとバスーンで伴奏される、
アルトの独唱、
短い合唱が続き、
さらに二重唱があるが、
今回は、ソプラノとアルトであって、
神の賛美のテキストに相応しい、
喜ばしい音楽を伴う。」

このあたりは、「感謝の約束」で、
「罪びともみもとに帰り来たらん」
という二重唱があり、音楽も中盤に入っている。
アルトによる「リベラ・メ」
(「血を流す罪より救いたまえの部分」)を含め、
いくぶん、満たされたような響きが続く。
高音の二重唱は美しく、
「わが唇を開きたまえ」と歌い上げるが、
それは、「おんみの誉れを述べ伝え」るためである。
この部分は装飾も入ってながく、
曲の2/3まで行ってしまう。

「4人の独唱者すべてが、一体となって、
合唱は、次のセンテンスを歌う。
ソプラノ、アルト、バスの三重唱は、
たちまちその前のパッセージを強調して、
3つのトロンボーンを伴うテノール独唱がある。」

ここは、いよいよ、
この詩篇ならではのクライマックスという感じで、
「おんみはいけにえを好みたまわず」から、
あの、「わがいけにえは砕けたる魂」という部分が、
歌い上げられる。
三重唱で舞い上がって、
そして、平穏の中に落ち着いていくが、
さすがレオポルド帝、「砕けたる魂」を知っているようだ。

というか、彼こそが、
「砕けたる魂」の典型だったはずである。
フランスやトルコの猛攻を受け、
ペストに帝国を蹂躙され、
内乱に苦しめられながら、
戦地にて死去したとされる。

テノールは、「エルサレムの祈り」に相応しく、
ものものしいトロンボーンを背負っている。

「また、合唱が始まり、
テキストの最後のセクションを歌い始める。
この部分も、ヴィオールとトロンボーンを伴う
四重唱によって強調される。
これも次に合唱部に続く。」

器楽も交え、しめやかさや荘厳さを増す部分。

「ヴェスプレの詩篇を締めくくる
頌栄部、『Gloria Patri et Filio..』の
豊かなコロラトゥーラによるバスで唱えられ、
その他の3人の独唱者らに受け継がれ、
テキスト『Et in saecula saeculorum. Amen.』は、
合唱のフーガで締めくくられる。
フーガの主題は、
例えば、2人の特別な例で言うと、
バッハやヘンデルにあるように、
18世紀前期に良くみられる様式である。」

最後の2分で、この華やかな終結部が始まる。
フーガは、確かに、バッハの時代まで通用するような、
「はじめあったことは、これからもある」という、
いかめしく、悠久な感じを出した頌栄。
しかし、王宮での秘儀という感じは濃厚である。

ということで、レオポルド帝の没年からして、
時代を先取りした作風ということだろうか。

「ある外交官の報告によると、
レオポルドは、とりわけ、
悲しいメロディの付曲にすぐれていたとされる。
この事実は、彼が姪や、
1673年、結婚後、たった5年で亡くなった
最初の妻インファンタ・マルガリータ・テレサ
のために作曲した、美しいレクイエムにも当てはまる。」

この最初の婚礼の一大どんちゃん騒ぎで演奏されたのが、
チェスティの祝典オペラ「黄金の林檎」である。

「1676年、結婚後、
わずか3年半で亡くなった、
彼の2人めの妻、
インスブルックのハプスブルクの
グラウディア・フェリチタスの死に際しては、
礼拝用に、第1番 ノクトゥルニのための、
三つのルソンを書いた。」

ということで、この最後の曲は、
皇帝40歳頃の作品と類推することが出来る。

1680年といえば、バッハ、ヘンデルが生まれる前夜。
「ルソン」といえば、
クープランやシャルパンティエが思い出されるが、
シャルパンティエが、レオポルド帝と同時代人、
クープランは一世代後の人であった。

「Tres Lectiones 1. Nocturni」とあるが、
英訳されると、
「第1のNocturnより3つのReadings」となっていて、
最初の晩祷の夜半課に読まれた、
聖書の3つの部分を歌にしたものであることが分かる。

なお、シャルパンティエのルソンは、
旧約聖書の「エレミアの哀歌」を読む感じのもの。

事実、CDにもトラックが3つあって、
全曲で22分の大作である。

「この曲は、1705年、彼自身の葬儀の折にも演奏され、
それから毎年、彼の命日5月5日には演奏されており、
1720年、彼の3番目の妻、
エレオノーレ・マグダレーナの死後も演奏されている。」

ということで、この曲は、少なくとも、
当時、40年は命脈を保っていたということになり、
相応の名品と考えて良いのだろう。
シェーファーの著書では、カール6世も、
この曲に畏怖の念を抱いていたとある。

これらの王妃についてであるが、
シェーファーの本では、
先妻二人は音楽的教養のある人とされていて、
最後のエレオノーレ妃は、音楽嫌いだったと書かれている。
ちなみに、カール6世らは、彼女の生んだ子である。

ほとんどのテキストはヨブ記から取られているそうで、
最後はレクイエムの一節で終わるとある。
解説は続くが、もう、規定のページに達したので省略する。

シェーファー著「ハプスブルクの音楽家たち」でも、
「彼の作品のどれをとっても、
二度目の妻クラウディア・フェリチタスのための
三つの葬送読誦ほどに深い弔意を表現している曲はない。」
と特筆されている事は特記しておく必要があるだろう。

1曲目から、「私の日々は無なのです」と歌われ、
2曲目も、「私は人生に疲れ果てた」と言い、
3曲目では、「何故、あなたは目を背けるのです」と問う。

得られた事:「レオポルド1世は、フランスやトルコの猛攻を受け、ペストに蹂躙させながらも、何とか帝国を護った皇帝であったが、静かな憂鬱に悩まされ、常に音楽の中に迷宮の離宮を作って逃げ込んでいた。」
「当時の情勢であるカンタータの成立などとは離れ、楽器の選択もあって、イエズス会の神秘の奥義という趣き。」
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# by franz310 | 2016-01-16 21:56 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その431

b0083728_15471764.jpg個人的経験:
「四季」で知られる、
バロック期の
イタリアの作曲家、
ヴィヴァルディですら、
心の支えとしていたのは、
後の古典派の
作曲家たち同様、
ヴィーンの宮廷だったようだ。
彼は、ハプスブルク王朝の
時の皇帝カール6世に対し、
多くの曲を献呈しており、
そのあたりの研究も
進んできている。
皇帝もこの異端児を
特別視していた、
という逸話も興味深い。


ハプスブルクの都ヴィーンが、
「音楽の都」と言われるのは、
古典派音楽の隆盛があるからで、
ヴィヴァルディの死から数十年後の話である。

が、それ以前から、この王朝の皇帝たちが、
音楽を特別に愛していた事は、
日本ではあまり紹介されることもなかった。

そもそも、ハプスブルクの歴史を語る専門家が、
まったくこのあたりの事情には興味がないものと思える。

たとえば、この道の第一人者とも言える
江村洋氏(1941-2005)の著作は、
ハプスブルクの婚姻政策や
個々の君主のエピソードなどで、
多くの読者の興味を惹いたはずだが、
ヴィヴァルディ登場あたりの話は、
ほとんど空白になっている。

おなじ、1941年生まれの倉田稔氏の書いた
「ハプスブルク歴史物語」(日本放送出版協会)
では、第3章に「古典音楽の天才たち」という、
かなりニアピンの章があるにもかかわらず、
第2章は、いきなり「啓蒙君主」となって、
マリア・テレジアの記述が始まる。

カール6世はその父であるのだが、
第1章「帝国への道」の最後の方に、
息子がいなかったために、
女子を後継者にせざるを得なかった皇帝として
登場しているだけである。

兄ヨーゼフ一世は「天然痘で早く死んだ」とあるだけで、
その前の皇帝はカール5世にまで飛んでしまう。

結局、19世紀後半以降の、
爛熟した世紀末が重要なポイントを占めるもので、
1994年出版とあるから、
バブル期の余韻のようなものであろう。

同じく1941年生まれの文筆家、
中丸明氏の「ハプスブルク一千年」(新潮文庫)は、
1998年のもので、
かなり砕けたものながら、
反対に古い時代の記述は多く、
地図、年表に加え、
家系図まで載っているのが嬉しい。

後半1/3くらいの第11章が、
「マリア・テレジアとその時代」であるが、
では、第10章がカール6世の話かというと、
何と、「三十年戦争の惨禍」となって、
100年近くが省略されている。

このエッセイストも2008年には亡くなっているらしい。

1948年生まれの大学教授、
菊池良生氏による
「ハプスブルク家の光芒」(作品社)は、
1997年出版のものであるが、
全12章のうち、
マリア・テレジアは5章めに出てくるので、
やはり、19世紀以降に照準があるもの。

ただし、その前に、
「メリヴィリア」という章が、
30ページ近く費やされていのが注目される。
これは、「驚異と美のひとときの饗宴」のことらしいが、
まさしく死と生の饗宴のようなデザインで、
ペストの終結とトルコの脅威を跳ね返した際、
1687年に建造された、
ヴィーンのペスト記念柱についてから、
書き起こされている。

これを作ったのが、レオポルド1世であった。

「レオポルド帝の治世、
ウィーンではおびただしい死骸の舞踏に拮抗し、
バロックが花開いた」と書かれているように、
以上の著作に見えなかった、
バロック期ヴィーンの栄華が特筆され、
ヴィヴァルディの時代に続いていた事が実感できる。

ヨーロッパ最大の華燭の典と言われた、
この皇帝の結婚式の話が取り上げられ、
ここでは、チェスティの華麗なオペラが紹介されており、
続くヨーゼフ1世、カール6世は、
「バロック三帝」として一まとめに重要視されている。

ということで、今回、取り上げるのは、
このレオポルド1世自らが手がけた作品を含むCDである。

私は、最初、このCDの表紙に描かれた、
不気味な肖像画を目にして、
正直、購入を躊躇ったのだが、
「MUSICA IMPERIALIS」と書かれ、
「Kaiser」と称される作曲家名が、
三つも並んでいるとなると、
無視してはならんだろう、と自分に言い聞かせた。

そもそも、この皇帝を知るためには、
まず、この肖像から親しまねばならない。

先の本にも、
「帝の帝たる所以はなんといってもその相貌にある」
と書かれており、
「ウィーン、マドリッド、両ハプスブルク家の血を
いっぱいに受けて帝の顔は見事に花開いた」とあり、
「面長、輝きのない大きな目、
弓型の鼻、そして下唇と突き出た下顎」
と具体的に描写されたのち、
「ハプスブルク歴代の大君主の再生」
とまで賛美されているのである。

表紙絵画は、まさしくその通りの肖像になっている。

では、このような「魁偉」な要望の皇帝は、
いったい、どんな音楽を書いたのだろうか。

なお、このCD表紙にあるように、
ここにはレオポルド1世のみならず、
その子で比較的早く亡くなった、ヨーゼフ1世や、
父、フェルディナンド3世の作品も含まれているが、
ヴィヴァルディの庇護者であったカール6世は、
彼らの直系である。

有名なマリア=テレジアを含め、この人たちの関係は、
「ハプスブルク一千年」という本の巻末家系図を見れば、
こんな感じになる。

()内は、ハプスブルク王朝の最重要職、
神聖ローマ帝国皇帝としての在位期間である。

フェルディナント3世(父)(このCDのTrack1~3)
(1608-1657)
(神1637-1657)
         |
レオポルド1世(本人)(このCDのTrack6、7)
(1640-1705)
(神1658-1705)
         |
ヨーゼフ1世(長男) -  カール6世(次男)
(1678-1711)  (1685-1740)
(神1705-1711) (神1685-1740)
    ↓            |
  このCDのTrack5    |
              マリア=テレジア(孫)


それにしても、すごいCDである。
これらの曲を演奏する事は、
ウィーン・アカデミーの使命のような気もするが、、
共感豊かに指揮をした、
マルティン・ハーゼルベックもすごいし、
これを出すCPOというレーベルもすごい。

では、リューベックの音楽学者、
Arndt Schnoorの
CD解説の中で、
先の系図の父祖となる、
皇帝フェルディナント3世の項を読んで見よう。

この人は、先の本で「バロック3帝」と
呼ばれたグループに入っていないようだが、
下記の一節を読むと、十分、バロック的である。

「1608年グラーツに生まれ、
1637年に、
ドイツ国民の神聖ローマ帝国の皇帝となった
フェルディナント3世は、
音楽の重要なパトロンであり、
自身、立派な作曲家であった。
音楽の師、ジョヴァンニ・ヴァレンティーニを通じ、
彼は、何よりも、当時のイタリア音楽に精通していた。
クラウディオ・モンテヴェルディを含む、
多くの当時の重要な音楽家が、
彼の宮廷のために作曲し、
皇帝が格上げして拡大した
その宮廷合奏団で演奏した。
1657年にフェルディナント3世が亡くなると、
傑出した音楽家として讃えられた。」

この調子で解説は、
彼の芸術上の足跡を辿るようだが、
この皇帝の生涯を通常の評伝で見ると、
いきなり30年戦争の惨禍の真っ只中に、
投じられたような感じの人生である。

「ハプスブルク一千年」にも、
この人の父親であるフェルディナント2世が、
シラーの劇で有名なヴァレンシュタイン将軍を使って、
ボヘミアやスウェーデンの大軍勢に対抗した話が出てくるが、
その後も、この戦禍は続き、
結局、神聖ローマ帝国の死亡診断書とさえ言われる、
ヴェストファーレン条約で、
ハプスブルク帝国の弱体化を決定づけた皇帝が、
このフェルディナント3世だったのである。

つまり、バロック帝と呼ぶには、
あまりにも血なまぐさい戦場にいたような皇帝、
と書いても良いだろうか。

グラーツ生まれという点も、
シューベルト愛好家には重要であろう。
シューベルトもこの街を訪れているし、
彼の友人のヒュッテンブレンナー兄弟は、
グラーツの人であった。

ヴィヴァルディが最後にオペラを演じたのも、
ここグラーツではなかったか。

では、CD解説に戻ろう。
「フェルディナント3世の幅広い作品集には、
1曲のオペラ、1曲のオラトリオ、1曲のミサ曲、
10曲の讃美歌、いくつかの小品が含まれる。
彼の作曲した作品は、
その師、ヴァレンティーニに様式は似ているが、
個性も認められるものである。
それは覚えやすいメロディや、
形式的な自由さで際立っている。
多くの短い部分が通常パターンをなし、
フェルディナント3世は、
それらが、様々な楽器法で、
効果的に扱う術を心得ていた。
特に、ここでも一部紹介する賛歌では、
様々な声楽や器楽のグルーピングが見られる。
いくつかの作品では、
皇帝は、テキストに対し、
印象的な装飾を行う事に成功している。
作曲家にとって、
特に重要な言葉には、
長いメリスマが与えられ、
他の言葉から際立たせてある。
高度に印象的なメロディに対し、
対位法的なところは副次的であり、
通奏低音の独奏部や和声的なトゥッティは、
ドミナントを阻んでいる。
ここで録音されたリューネブルクの
評議会図書館のKN28アンソロジーから取られた。
この曲集は、作曲家、
ヨーハン・ヤーコブ・レーヴェ・フォン・アイゼナハの
曲集に紛れて、この図書館に収められたが、
ここにはフェルディナント3世の10曲の大きな賛歌と、
一曲の『Populus meus』を含んでいる。
賛歌『Jesu redemptor omnium』のみが、
ヴィーンの手稿譜として残っている。
各曲の正確な日付は記載されており、
すべて1649年から50年にかけて作曲された。」

30年戦争は、1648年に終結したとされるから、
皇帝は、ようやく一服して作曲の筆を取ったのだろうか。

「レーヴェ・フォン・アイゼナハは、
1629年にヴィーンで生まれており、
おそらくこの曲集を、
ヴィーンで修行中に得たものだと考えられる。
そして、1703年、
リューネブルクのニコライ教会で、
オルガニストを務めて亡くなるまで、
所持していたものであろう。
彼は、ハインリヒ・シュッツの弟子であり、
彼が務めたポストには、
ヴォルフェンビュッテルの宮廷音楽監督の地位もあった。
リューネブルクでは、若き日の、
ヨハン・セバスチャン・バッハにも会ったかもしれない。」

このヴォルフェンビュッテルは、
シュッツが1655年に、
楽長就任した事もあると言われる街で、
リューネブルクをバッハが訪れたのは、
バッハが15歳の頃というから、
1700年くらいの事である。

とにかく、この皇帝の作品は、
次の世代の作曲家の規範となるような、
すぐれたものであった、
ということだろう。

それにしても、今回のCD、
皇帝3世代にわたっての特集だけあって、
時代も場所も、出てくる人物まで、
目まぐるしく変わって難しい。

しかし、このCD解説に書かれている事だけを見ると、
帝国の統治者の話のはずであるのに、
三十年戦争の残照も、その他の政治状況も、
まったく感じられないのがいくぶんもどかしい。

以下、曲目解説になって行く。
このCDでは、フェルディナント3世の作曲した、
6分くらいで歌われる、
賛歌が3曲収録されている。

解説にあったように、
どの曲も作曲された日が、
びしっと書かれているのが凄い。
国家の政務のような厳格さで
書かれたものであろうか。

これらラテン語の典礼用音楽は、
内容把握が困難であるが、
解説も、そのあたりの事を、
多少配慮してくれているようだ。

Track1.「賛歌は、典礼の一部をなしており、
特別な日曜日によってテキストが変わる。
クリスマスの賛歌、
『Jusu redemptor omnium』
(すべての贖い主なるイエズスよ)
は、1649年12月3日の作曲で、
華麗な編成で書かれている。
3つのトランペット、3つのリコーダー、
トゥッティにて追加で演奏される弦楽と管楽で、
4つの声楽パートがサポートされる。
最初、それぞれの声楽パートが、
賛歌の一節ごとに歌うが、
3つのフルートによる短いソナタが、
各詩節を導くが、これらは作品に、
牧歌的なタッチを与えている。」

皇帝が書いた典礼の音楽、
という印象からは、
かなり外れた作品群で、
どの曲も情感豊かで、
しかも味わい深いと言わざるを得ない。

ここに書かれた、
フルート合奏による間奏曲からして、
まことに素朴で美しく、
平和の良さを伝えるものかもしれない。

「短いホモフォニックなトゥッティの後、
テノールとバスがフルートだけで伴奏されて歌い、
3つのトランペットによる、
続くソナタ部は、トゥッティ、
『Jesu tibi sit gloria』
(イエズスよ御身に栄光を)
へと移行する。
トランペットに伴奏された、
テノールとバスの二重唱は、
終結部の『アーメン』を導く
さらなるトゥッティへと続く。」

このように、解説を読んだだけでは、
何だか分かりにくいが、
器楽合奏の豊かな色彩、
声楽陣の織りなす綾、
トゥッティでじんわり盛り上げるところなど、
要所要所に聴きどころが満載となっている。

Track2.「賛歌『Deus tuorum』は、
1649年12月7日、
『Comune unis martiris』
(殉教者の祝祭??)
のために作曲されたが、
ソプラノ、バス、コルネッティーノ、
バスーンと通奏低音といった
控えめな編成で書かれている。
短い器楽のソナタの後、
バスがコルネッティーノ伴奏で登場する。」

この「兵士たちの神よ」は、
ヴィヴァルディもRV612として作曲しており、
「殉教者を賛美して歌うものを護りたまえ」
というような内容のもの。

ヴィヴァルディの作品は晴れ晴れとしているが、
皇帝の作品は、器楽序奏部から、
切れ切れの楽句であり、
かなりシリアスな雰囲気。

バスが歌い始めるところからして、
妙に内省的な音楽である。
殉教者を偲ぶなら、この表現は自然である。

続く詩節は、ヴィヴァルディは飛ばしているが、
「偽りの甘味を苦き胆汁として、
この世の喜びを数えながら天国に到る」
という、難解な部分。
それに、ヴィヴァルディも付曲した、
「彼らは自ら血を流して、
苦難を乗り切って、
永遠の祝福を得る」といった部分が続くが、
「ソプラノとバスーンは第2節で組み合わされ、
第3節は2つの声楽部による」と解説にある。

この第2節で、ソプラノが響くと、
さっと光が射したような感じになるものの、
最後は、ぽつりぽつりという表現。

第3節は、独唱者が、
助け合って苦難の道を行くようである。

「他の詩節はすべての楽器、声楽が登場する。
ここでフェルディナント3世は、
器楽構成をそのまま繰り返している。
個々の詩節は比較的短い。
テンポのシフトや、
ある言葉に付けられたコロラトゥーラなどは、
テキストの内容を強調するものである。
生き生きとしたアーメンは、
締めくくりのキリスト生誕を思わせ、
さらにアーメンが聴かれる。」

殉教者を想いながら、
自らを律するような内容ゆえ、
全体的にしみじみとしたものだが、
コロラトゥーラで、「あーああーああーああーあめん」
という感じで、締めくくる「アーメン」部分など、
適度な甘さもあって、非常に聴きやすい。

とはいえ、どっぷりと、
キリスト教の儀式の音楽であるから、
詩句の内容などは難解この上ない。

Track3.
「賛歌『Humanae salutis』
(人の救済の種をまく主よ)は、
1650年5月21日の作曲で、
昇天の祝日の儀式のためのもの。
フェルディナント3世は、
再び、ソプラノ、アルト、テノールとバスといった、
4つの独唱部と、
2つのヴァイオリン、2つのコルネット、
4本のトロンボーン、通奏低音という、
華やかな器楽部を書き留めている。」

このように書かれて、
壮麗な序奏があるのかと思ったが、
いきなり、女声が歌い出す。

「イエス、心の喜びよ、
救済の世界の造り主よ、
真実の聖なる光よ」
といった、神妙だが、
杓子定規な詩句の部分。

しかし、このような声で、
鄙びた伴奏で飾り気なく歌われると、
いつしか心は17世紀中庸に飛んでいく。

「聖歌を開始するソプラノ部は、
ほとんどレチタティーボのようで、
皇帝の作曲の声楽部の設計が、
完全にイタリア様式であったことを示す
好例となっている。」

歌手の声に続いて、
先に書かれた、多彩な器楽部が続くが、
これとて、弾けるようなものではなく、
何か、思慮深く、何かに思いを馳せるような曲想。

「私たちの罪を支えるべく、
あなたは慈悲で打ち勝った。
死から我らを救うため、
無実のあなたが死を受け入れた。」
キリスト教の精髄のような内容ではある。

「すべての器楽部のリトルネッロは、
各ソロセクションに続き、
テノール独奏にいくつかの楽器が絡むのは、
4つめのセクションまでない。
声楽のセクションは主題的に器楽に応答され、
ようやく最後の『アーメン』部で一緒になる。」

ここに書かれたように、
リンダ・ペリロ(ソプラノ)、
デイヴィッド・コーディア(アルト)、
ウルフ・ベストライン(バス)、
アキム・クレイライン(テノール)、
といった歌手たちが、
順次、美声というか、
宗教曲に相応しい声を響かせる。

バスは、「地獄の混沌を打ち破り」と力強く、
テノールは、「我らの落ち度を救うための、
あなたの優しさ」と、懇願する感じ。

最後は、合唱と器楽である。
「我らの心の到着点として、
あなたは、星の小径へと誘う」と、
静かに歌われる。

さすがに、格調高い、宮廷の礼拝堂に相応しい曲調である。

Track4.には、比較的有名な作曲家、
シュメルツァーの作品、
「フェルディナント3世の死への哀歌」が
収められている。

これまた6分ほどの作品だが、
器楽のみで奏される曲である。

このCDの解説でも、
「イグナツ・フランツ・ビーバー以前の、
オーストリアの作曲家で、最も重要な人」
と書かれている。

1649年に宮廷楽団員となり、
後にコンサートマスターとなったとある。
この楽団の音楽家たちのために、
様々な楽器のために大量のソナタを書いたが、
1671年には宮廷の副音楽監督となって、
それ以前はバレエ音楽の作曲家として知られた。
1680年、おそらくペストの犠牲で亡くなった。

有名な「フェンシング学校」と同様、
フェルディナント3世の死に寄せるラメントは、
標題音楽であって、
表現力豊かなアダージョに短いアレグロが続き、
この部分は、作曲家自身によって、
「弔いの鐘」と題されており、
弦楽のピッチカートが聴かれる、
とあるが、いくぶん慌ただしく、
ラフマニノフなどを、
想起するようなものではない。

短いフガートとアレグロ部を挟んで、
再度、この音楽が書かれた、
機会に相応しいアダージョに戻る。

しかし、このアレグロは、
哀歌にしては明るすぎないだろうか。
バレエ音楽の大家に相応しい筆致であるが。

続いて、演奏されるのは、
レオポルド1世を抜かして、
33歳という若さで亡くなった、
(そして在位も6年しかなかった)
皇帝ヨーゼフ1世の作曲した、
カンタータ「Regina coeli」
(天の后)である。(Track5.)

この皇帝になると、
1678年生まれなので、
ヴィヴァルディよりむしろ後の世代くらいになり、
祖父フェルディナント3世の鄙びた趣きはなく、
曲の雰囲気も、ずっとギャラントになっている。

曲は大規模で、15分かかるが、
歌はソプラノだけで、歌詞も単純至極、
「天の后、喜んでください、アレルヤ」という始まりに、
「あなたが身ごもるのを許された御子は、アレルヤ」の部分、
「仰せられたとおり復活された、アレルヤ」の部分が続くだけ。
おしまいは、「わたしたちのために祈って下さい、アレルヤ」
という4つの部分が切れ切れに、
もったいぶって何度も歌われるだけ。

父レオポルド1世、弟カール6世と共に、
「バロック三帝」として一まとめに重要視される、
ヨーゼフ1世であるが、
在位期間は短すぎ、このシリーズで収められた曲も、
一曲だけと、あまり、重要な皇帝ではなさそうだ。
解説にも、彼が、政治的に何をしたかなどは、
いっさい書かれていない。

では、解説には、何が書かれているだろうか。
「レオポルド1世の三番目の后、
エレオノーレ・マグダレーナ・テレジア・フォン・
プファルツ・ノイベルクの長男で、
1678年、ヴィーンで生まれた。
1705年にドイツ国民の神聖ローマ帝国皇帝になったが、
1711年、早すぎる死によって、
在位はわずか6年であった。
彼の素晴らしい音楽才能は、
同時代の有能な証言者によって明らかである。
107人にまで拡張された宮廷楽団のために、
彼はその能力を使い、
すぐれた作曲家をはじめ、
重要な音楽家を抱えた。
ヨーゼフ1世は、数種類の楽器が演奏でき、
特にハープシコードとフルートに優れ、
作曲家としても優れた才能を発揮した。」

この辺りから、この皇帝が、
音楽的な貢献はしていた事が読み取れる。

「残念ながら、比較的少ない作品、
ほとんどはオペラに挿入されたアリアばかりが、
現存するばかりである。
独唱カンタータ、『天の后』は、
レオポルド1世のスタイルを越え、
アレッサンドロ・スカルラッティ
の強い影響を示している。
この作品が、ソプラノ独唱と、
弦楽だけの伴奏になっていることがすでに、
ヨーゼフ1世の父親の、
より精緻に付曲された作品と、
強烈なコントラストをなしている。
作品の各部はずっと拡大されており、
演奏家には、妙技的な才能を
誇示することが求められる。
最初の楽章、
『ヴィヴァーチェ・マ・ノン・プレスト』
の部分では、器楽によって動機が導かれ、
ソプラノに引き継がれ、
ほとんどリトルネッロ様式の、
最初の拍子に戻るまで、
くり返される。
続く『あなたが身ごもるのを許された方』の、
ゆっくりとした部分では、
チェロ・オブリガードの伴奏が付く。
続く二つの部分、
3/4拍子アレグロ『アレルヤ』と、
プレスティッシシモは、その覚えやすい主題構成と、
独唱部の名技的なコロラトゥーラで、
聴くものを魅了する。」

あああああああ、あーれるやーとか、
長々と同じ事を歌っているので、
曲はどんどん長大化する傾向にある。

「続くアダージョ、ゆっくりしたテンポの
『私たちのために神に祈って下さい』の部分では、
独唱者に独奏ヴァイオリンが、
通奏低音を伴ってデュオを繰り広げる。
時々しか、他の楽器は登場しない。」

このような部分も、
カナダ生まれのリンダ・ペリロが一声歌うと、
それに寄り添う間奏曲のように、
器楽部分が甘美なフレーズを繰り返すので、
曲はどんどん豊穣になっていく。

「終曲の『アレルヤ』では、テンポや名技性で、
他の楽章とは際立った特徴をなす。」
この部分になると、リズムを際立たせ、
「ああれえるうや」などと、好き放題に歌詞を料理して、
ほとんど宗教的な敬虔さからは遠ざかっている。

三世代で、戦争の苦しみも過去のものとなり、
すっかり、退廃した世代の音楽のようにも聞こえる。

続くTrack6.と、Track7.には、
短いが、複数の楽章からなるトランペットが華やかな
器楽曲「ソナタ・ピエナ」と、
バスで歌い出される壮麗な合唱曲、
詩篇「ラウダーテ・プエリ(主を賛美せよ)」
が収録されているが、
これを作曲した大物、
レオポルド1世に関しては、
今回は触れるスペースがなくなった。

得られた事:「日本では、モーツァルトの時代、マリア・テレジア時代以降のハプスブルク王朝しか語られない傾向にあるが、その父帝はヴィヴァルディを寵愛したりした文化人で、『バロック三帝』などと呼ばれていたようだ。」
「バロック三帝に先立つ、フェルディナント3世は、『百年戦争』の申し子のような皇帝であったが、戦後は、後世の作曲家の規範となるような、清純簡潔な宗教音楽を書き残している。バロック三帝において、バロックの豊穣も極まった実感が味わえる。」
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# by franz310 | 2015-09-23 15:52 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その430

b0083728_9273825.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディが、
時の皇帝に献呈したという、
ヴァイオリン協奏曲集は、
名品「四季」を含む
作品8に続くもので、
同様に、音楽出版のメッカ、
アムステルダムで出された。
このアムステルダムで
2011年から12年にかけ
録音されたのが、
このポッジャーとHBSによる
2枚組のCDである。

写真は、音響効果抜群だが、
赤線地帯にあるとあった、
Walloon教会での
録音風景であろうか。


前回は、1枚目を聴いたので、
今回は作品9の7以降が収められた、
2枚目を聴いていきたい。

同時に、この曲集がカール6世に捧げられた、
経緯なども、再度、解説を紐解いてみたい。

このCD解説は、独奏を務めたポッジャーと、
オランダ・バロック・ソサエティ(HBS)
を代表する形で、ジュディス・ステーンブリンクが
そこそこのものを書いている。

ただし、彼女たちは、主に、
各曲への賛辞を中心にしているので、
クレメンス・ロミンという人が書いた、
「アントニオ・ヴィヴァルディ
12のヴァイオリン協奏曲集 作品9
『ラ・チェトラ』(1727)」という
全曲を包括した解説の文章も、
読んでおく必要があるだろう。

この人をネットで調べると、
「Hidden Harmonies:
the Secret Life of Antonio Vivaldi」
「隠されたハーモニー、
アントニオ・ヴィヴァルディの秘密の生涯」
という、気になる題名の本を書いていることが分かった。

オランダ海軍に務めた後、
出版業に転職し、イギリス在住という
ヘンテコな経歴の人らしい。

「18世紀初頭、バッハ、テレマン、
そしてヘンデルが、まだ若かった頃、
ヴェネチアは音楽の聖地にほかならず、
そのもっとも素晴らしい見世物と言えば、
司祭であり作曲家であった
アントニオ・ヴィヴァルディの
激しく技巧的なヴァイオリン演奏であった。
彼の演奏は1713年以降、
市の観光ガイドで推薦されてもいた。
このヴァイオリンの偉業に対する熱狂は、
この巨匠からのレッスンを受けるべく、
全欧の音楽家たちをヴェネチアへと向かわせた。」

先のロミン氏の著書も、
ヴィヴァルディの生涯を包括的に扱ったものらしいから、
このあたりの記述はお手の物であろう。

彼は様々なヴィヴァルディの文献を漁ったというが、
このような記載も、前に読んだ事があるものだ。

「例えば、1715年の2月、
フランクフルトの法律家で興行師でもあった、
ウッフェンバッハは、
サンタンジェロ劇場のオペラを見て、
『終曲に向かってヴィヴァルディは、
最も見どころとなる独奏を受け持った。
最後に即興を見せたが、
これが私を最も驚かせたものだった。
こうした事は、これまでも、
これからもあり得ないようにも思えた。
彼の指はブリッジと髪の毛の幅ほどに近づき、
弓に与えられた隙間がないほどで、
彼は4つの弦の全てを使って、
信じられないような速さでフーガを弾いた。」

マンゼのCDでも以上の事は書かれていたが、
下記のところを読むと、
ウッフェンバッハ氏は、「注文した」とあるから、
ヴィヴァルディのプロモーターでもあったのかと思わせる。

「ウッフェンバッハは、この後、
『食事の後、有名な作曲家で、
ヴァイオリニストのヴィヴァルディ氏は、
何度も私が促していたので、
私のところに立ち寄った。
私は、欲しかった数曲の協奏曲について、
彼と語らい、それを注文した。
私は、彼のためにワインを何本か用意していた。
彼は、とても真似できないような、
非常に複雑なヴァイオリン奏法で、
即興演奏を披露した。
このような近づきで、
私はさらに彼の巧妙さを賞賛することとなった。
彼は、恐ろしく難しい変化の多い曲を演奏したが、
それは心地よく流れるようなものではなかった。』」

最後の一節は、どう解釈してよいか分からない。
これは、とてもシリアスな音楽である、
ということを断っているのであろうか。

ロミン氏が以下に書くように、
ヴィヴァルディは、当時、
最先端の前衛だったはずだから、
こうした注釈も必要だったのかもしれない。

「赤毛の作曲家かつ司祭で、
ヴァイオリンの名匠、
アントニオ・ヴィヴァルディは、
ヴェネチアで暮らし仕事をしたが、
欧州の半分を旅し、
自作を演奏したり出版したりした。
生前、彼は非常に有名であったが、
はるか二十世紀になるまで、
忘れられ、無視されて来た。
彼の音楽は1920年代に再発見され、
以来、彼がいなければ、
音楽史は異なった歴史を
歩んだであろうこと、
そして、18世紀前半の作曲家では、
最も影響力のあった
作曲家だったことが明らかになった。
ヴィヴァルディはテレマン、ヘンデル、バッハ、
その他多くの作曲家たちの輝かしい模範であった。
彼ら自身の様式の開発に連れて、
ヴィヴァルディの協奏曲を
作曲技法の成熟の糧として、
解きほぐして模倣した。
何十年もの間、ヴィヴァルディの技巧的な演奏と、
革命的な協奏曲集は、全欧州のヴァイオリニストや
器楽曲の作曲家の規範であった。」

ものすごい入れ込みようだが、
一般には、バッハとヴィヴァルディの関係が知られ、
テレマンやヘンデルというのは言い過ぎではないのか。

例えば、ヘンデルなどは、
ヴィヴァルディ的な協奏曲を作曲していない。

「バッハのように、外に出なかった者でさえ、
ヴィヴァルディの流行を追っていた。
ヴェネチアの音楽は、
まず、アムステルダムで出版されたが、
ワイマール、ドレスデン、ベルリン、
ロンドンといった音楽の中心地に拡散していった。
欧州のどこででも、
ヴィヴァルディの情熱的ま様式は、
センセーションを巻き起こした。」

これは、楽譜の拡散からして
そうかもしれないが、
ひっぱりだこだったのかまでは
わからないのではないか。

「彼は、その特別な表現力を持つ、
技巧的な音楽を創意する巨匠であり、
聴衆を、高度に凝集された
器楽による感情の爆発で魅了し、興奮させた。
ムードの最も卓越した描写で、
彼らを席巻した。」

海軍出身のせいか、
非常に威勢が良い書きっぷりで爽快である。

「そして赤毛の司祭は、ヴェネチアの人たちを、
これ以上なく興奮させ、『その音楽は、
彼らの優しい繊細な魂に大きな影響を与えた。』
同時代の人は、多くの婦人が、彼の音楽で、
『涙にむせび、啜り泣き、歓喜に浸る』
のを見たと報告した。」

この曲集とピエタとの関係は定かではないが、
やはり、ヴィヴァルディの包括的な解説としては、
この孤児の使節との関係を、
外すわけにはいかないのだろう。

「彼はおおよそ500曲もの協奏曲を、
ヴェネチアのピエタ養育院のために書いたが、
ここで、彼はヴァイオリンを教え、
指揮し、作曲した。
ここはヴェネチアの数百人もの
孤児となった娘たちが身を寄せていた
4つの女子修道院の一つであった。
少女たちはおそらく修道僧のような
ヴェールをまとっていたはずだが、
ヴィヴァルディの時代、
このピエタのコミュニティの背後にあった、
新しい考え方が、音楽院の道を開いた。」

難しい表現だが、ピエタは、
自立した成人にするために、
特に音楽教育に注力したので、
確かに、音楽院という側面を持っていた。

「少女たちは一人寂しく暮らし、
尼のように隠棲する義務があったが、
音楽に秀で、
天使たちのように歌う事が求められた。
シャルル・ド・ブロスの報告によると、
『少女たちはヴァイオリン、フルート、
オルガン、オーボエ、チェロやバスーンを演奏し、
いかに大きな楽器であっても、
彼女らを驚かせることはない』とある。
ピエタのオーケストラは、
テクニックといい、音響といい、
技術面からも表現面からも、
明らかにヨーロッパで最も素晴らしいものだった。」

このあたりも、資料を駆使して本を書いた人としては、
どうしても引用しておきたい報告であろう。

「少女たちの独奏は、
オーケストラでの技術と同等であった。
『何と、完璧で正確な演奏だろう。
ここでしか、
最初の弓のアタックは聴くことは出来ない。
パリのオペラばかりを賞賛することはない。』
と目撃者は証言している。」

以上は、今回の「ラ・チェトラ」と、
どういう関係があるかはわからないが、
ヴィヴァルディが、こうしたオーケストラを指導した、
卓越した指揮者であり、教育者であったということ、
あるいは、このような最高の手兵を持つことで、
最高級の音楽が書けた、
ということなどが言外にあるのかもしれない。

以下、ようやく、この曲集の話となる。
ただ、これは、すでにマンゼやチャンドラーが、
紹介していた内容である。

「1728年の9月、
ヴィヴァルディはハプスブルクの皇帝、
新しい港建設の視察に来たカール6世に
トリエステ近郊で会っている。
カール6世はヴィヴァルディの賞賛者で、
ナイトの称号とメダリオン付き金の鎖を与え、
ヴィーンへと招待した。
そのお返しとして、
ヴィヴァルディは皇帝に、
『ラ・チェトラ』と名付けられた
協奏曲集の手稿を渡している。」

マンゼは、ここで、ヴィヴァルディが、
もっと欲しかったものを分析していたが、
「お返しとして」というのは、
やはり不自然であろう。
メダリオンをもらったからと言って、
即座に書いた訳ではあるまい。

「これはおそらく、
この作曲家が、ここに収められた
12曲のヴァイオリン協奏曲集
作品9『ラ・チェトラ』(リラ)に、
同じタイトルを付けたことと関係していて、
これは前年にアムステルダムの『ラ・セーヌ』から、
皇帝への献辞付で出版されていた。」

ここで、どうして二つの曲集が現れたかについて、
今回の記載は、いささか物足りないが、
手稿版は、今回の議論の対象外なので、
やむを得ないかもしれない。

「ヴィヴァルディ研究家の
マイケル・タルボットによると、
リラは、ハプスブルク家の、
音楽への愛を象徴したものである。
これより前、1763年に、
ジョヴァンニ・レグレンツィは、
時の皇帝レオポルド1世に、同様に、
『ラ・チェトラ』と題した曲集を捧げている。
タルボットはさらに、
第6番と第12番の協奏曲のヴァイオリンの
スコルダトゥーラ(調弦の補正)
は、ハプスブルクの皇帝への賛辞だと考えている。
スコルダトゥーラの習慣は、
ビーバーやシュメルツァーの
ヴァイオリン曲で見られるように、
オーストリアやボヘミアでよく見られる習慣である。」

タルボットが、
リラはハプスブルクの象徴と
書いたのは知っていたが、
スコルダトゥーラにも
そうした意味があるとは知らなかった。

ある意味、ローカル言語だったのだろうか。

「1728年、トリエステで行われた、
カール皇帝とヴィヴァルディの
注目すべき会合に関して、
アッベ・コンティは、
『皇帝は音楽について、
ヴィヴァルディと長い間、語り合った。
2週間の間に、皇帝は、
2年の間に大臣たちと話したより長く話をした、
と言われている。」

この話は、このブログで紹介するも
三回目になるかもしれない。

では、今回は、2枚目のCDの各曲を味わって行こう。

CD2、Track1.
第7協奏曲は、変ロ長調の作品で、
この調の持つ開放的で平明な感じは、
明快なアレグロから感じられる。
序奏からわくわく、浮き浮きとした感じで、
全編を彩る繊細な弦楽器のテクスチャーが、
聴くものの耳を虜にしてしまう。

Track2.
夢想的なラルゴで、
弱音が支配的。
前の楽章から続いて、
独奏ヴァイオリンには名技性は乏しい。

Track3.
爽快で朗らかで、
大きく広がる楽想が、
前の楽章を受けるかのように、
憧れの感情を大きく羽ばたかせ、
ヴィヴァルディの作品の中でも、
極めて魅力的な一曲と思ったが、
唐突に終わってしまう。

この曲に関しては、
演奏者たちからのコメントはない。

CD2のTrack4.以降
第8協奏曲:
「第1楽章のテクスチャーにおいて、
そのリトルネッロは半音階的で複雑、
各声部は互いに綱引きをしているように見える。
J.S.バッハは好きだったのではないかと妄想。」
レイチェル・ポッジャー(RP)

いかにも、演奏者が言うとおりの、
切迫感に満ちたもので、ニ短調。
バッハ風の楽想が繰り広げられる。
そのようなリトルネッロをかいくぐるかのように、
名技的な独奏ヴァイオリンが冴えを見せる。

Track5.ラルゴで、
ここでも、低音に引きずるような音型の繰り返しがあり、
ヴァイオリン独奏は、嘆きの歌のようでもある。

Track6.アレグロ。
この楽章などを聴くと、
バッハの受難曲風の楽想が、
レチタティーボのようなもので、
爆発的な情念を漲らせる、
アリアのための前置きのように感じられる。

そんな風に、ばーんと感情の限りに歌われるアリア。
オペラの一シーンを思い描いた。
バスの連中も乗りに乗っている。

2枚目、Track7.以降
第9協奏曲:
「この曲集でたった一曲の二重協奏曲。」(RP)

これも変ロ長調であるが、
ヴィヴァルディの二重協奏曲の中でも、
出色の愛らしさで魅了する。
むしゃぶりつきたくなるにフレッシュな、
魅力的な楽想に、独奏楽器が二つ、
それぞれにアプローチする。

Track8.
ラルゴ・エ・スピッカートとある。

オルガンの豊かな低音の上を、
ロマンティックなメロディを、
ヴァイオリン二つが心を合わせるように歌い、
さしはさまれる、時の刻みのような部分が、
心臓の鼓動のようにも聞こえて、
胸がうずくようだ。

Track9.アレグロ。
ここでも、二つの独奏楽器の扱いは、
親愛の情に溢れている。

このCDの表紙写真は、
レイチェル・ポッジャーと、
オランダ・バロック・ソサエティのヴァイオリン、
ジュディス・ステーンブリンクの、
陶酔した表情が印象的だが、
まさしく、この楽章などのワンシーンであろうか。

2枚め、Track10.以降
第10協奏曲:
この曲は、序奏から、
単調な動機の繰り返しが強調された、
杓子定規な感じの音の力感が特徴的だが、
ヴァイオリン独奏も強烈で、
演奏家としてはやりがいがあるのだろう。

なお、昔は、この曲の分散和音が、
「ラ・チェトラ(竪琴)」に相応しいとあるが、
分散和音は、先にも書いたように、
激烈なので、とても簡素な竪琴で
弾けるようなものではない。

二人の奏者が、下記のように、
演奏上のポイントをかなり熱く語っている。

「第1楽章は、ほぼ絶え間ないアルペッジョで実験。
その高度に技巧的な書法は、
冷静さとテキパキとした手を要求する。
私は、あまりにも面白くて、
返って心が落ち着くほどだ。」(RP)

「本当にチャーミング。
ラルゴ・カンタービレでは、
コンティヌオ奏者のバスラインから、
高い弦楽器群が支配権を奪う。
ヴァイオリンやヴィオラが
一緒になってかき鳴らす音符に、
バスラインは柔らかく優しく丁寧に寄り添う。」(JS)

Track11.
ジュディスが言っていることは、
聴けば分かるという感じか。
バスはなくて、弦楽器群が、
シンプルなぽろぽろ音を鳴らしているだけで、
そこに独奏ヴァイオリンが控えめな
メロディを差し挟んでいく感じ。
ラルゴ・カンタービレとある。

Track12.
この楽章も、メロディの美しさより、
力と動きで、多面的な構造体を作って行く感じで、
正直言って、演奏家たちのモチベーションと、
聴衆の求めるものは、必ずしも一致していない、
という感じを露呈したト長調。

が、ヴィヴァルディの類型的なものではなく、
その意味では、実験的であって、
もっと良く聴きこむべきなのかもしれない。

CD2枚目のTrack13.
第11協奏曲であるが、これは、
さきのものと比べると、
ずっと手慣れた領域にあるものと思え、
ヴィヴァルディの音楽に期待する、
豊かな情感とメロディに満ちている。

リトルネッロ部の、小粋でニヒルな感じもよい。
ハ短調のもので、適度に深刻な感じ。
強いアタックを伴い歌われる独奏部は、
ほとんど人の声のようでもある。
浮かび上がるチェロの音色も劇的だ。

Track14.
切々たるオーケストラのため息を背景に、
ヴァイオリンが歌謡的な、
心を奪うような歌うが、
わずか二分ほどで終わってしまう。

Track15.
合奏が飛び跳ねるようなリズムを強調し、
独奏ヴァイオリンは、熱狂的な節回しで高まって行く。
エキゾチックで陶酔的な舞曲。

この曲も、演奏者たちは言葉を寄せていないが、
私は、この曲にも特別の愛着を感じる。

2枚目、Track16.以降
第12協奏曲:
ポッジャーのお気に入り。
スコルダトゥーラの調弦をした2曲目。

ロ短調協奏曲で、出だしのメロディから、
覚えやすく、これまで、ニ短調、ハ短調と聞いて、
この曲後半の短調協奏曲は、
いずれも魅力的な情感に溢れていることを実感。
合奏部の方が、十分に感情をかきたてる効果を持っているが、
独奏ヴァイオリンの不思議な音色も、
下記のようにポッジャーが書いた通り、
どこか心ここに在らずといった、
虚ろな響きが独特の効果を上げている。

「ヴァイオリンの音はヴィオールのような響きで共鳴。
内向的で物思いに耽るものだが、
進行するにつれ、劇的な興奮にも至る。
この音色は、開始部から聴かれ、
これによって強く、パワフルだが、
同時に不安定さを感じさせる。」(RP)

第1楽章は5分程度で、この曲集では、
突出して最大規模である。

Track17.ラルゴ。
虚ろな響きと書いたが、
この楽章では、全体的に喪失感の漂うもの。

Track18.アレグロ。
この楽章は、強い意志で、
運命を変えてやるぞ、みたいな、
強い意志が漲っていて、
いかにも、皇帝に捧げるに相応しい楽想だと思える。

やはり、独奏部を声に変えて、
オペラの中ででも歌われると、
聴衆の興奮は高まって行くような音楽。

しかし、ヴァイオリン独奏の、
この楽器ならではの技巧の開陳を聴き進むと、
これは、声では無理だという結論に至る。

得られた事:「『ラ・チェトラ(竪琴)』の名称の由来であるとされた、第10協奏曲の分散和音は、とても竪琴と呼べるような情緒的なものではなく、かなり実験的かつ激烈なものであった。この曲は、今回の演奏者も興奮して語っているが、私にはよくわからない。」
「後半の6曲では、劇的な第8番(ニ短調)、第11番(ハ短調)、第12番(ロ短調)が、オペラの一場のような、感情の高ぶりが聴かれて忘れがたいものであった。」
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# by franz310 | 2015-05-17 09:35

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その429

b0083728_232138.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディが、
自らの手で、
皇帝に捧げた協奏曲集、
「ラ・チェトラ」を聴いた。
が、それは作品9として
広く流布している
「ラ・チェトラ」とは、
まったく異なるものだった。
ヴィヴァルディは、
出版用の「ラ・チェトラ」と、
献呈用の「ラ・チェトラ」の
2種を用意していたのだ。


前回は、マンゼが再構築した、
手稿譜版(そして作曲家自ら、皇帝に渡した)
を聴いたが、今回は、作品9をちゃんと聴きたい。

幸い、私は、レイチェル・ポッジャーが録音した
チャネル・クラシックスのものを持っている。

このSACDの表紙は、陶酔した表情で弾く、
この演奏家の演奏風景を収めたものだが、
右隣で、どうように陶酔しているのは、
この曲集で唯一の、
2台のヴァイオリンの協奏曲で共演した、
もう一人の独奏者、ステーンブリンクなのだろう。

黒いバックに黒い衣装で、
どうも目立たない写真のはずだが、
ポッジャーの金髪と、
演奏者の名前と、曲名のアイコンが華やかで、
妙におしゃれな装丁に仕上がっている。
ロッテルダムのデザイン事務所の作。

私は、昔、ピノックがバッハを演奏した時、
新任のコンサート・ミストレスになったばかりの、
この女流ヴァイオリニストを聴いたので、
この人の録音を見るたびに、あの頃の事を思い出す。

このように、表紙にばーんと出る事の多い人でもある。

あれから20年くらい経って、
ポッジャーは自分でアンサンブルを組織したりして、
すっかり大家になってしまったが、
熱く語っている解説を読んでも、
そのことが実感される。

「2003年にヴィヴァルディの
ヴァイオリン協奏曲集
『ストラヴァガンツァ』作品4を録音して以来、
私はモーツァルトとバッハに、
ディスクでは集中して取り組んできた。
しかし、今や、私は、
このヴェネチアの巨匠の許に
戻って来るべき時だと感じている。」

立派な世界的名声を背景にしなければ、
こういう言葉はなかなか書けないが、
彼女にあやかって言えば、
ヴィヴァルディの音楽には、
確かに、何か、原点として、
常に戻って来たくなる気持ちが働くのは確かである。

これは、まさしく、
こうした一線の名手にとっても、
ヴィヴァルディが、
単なる「四季」の作曲家ではなく、
古典だということであろう。

「今回、私は『ラ・チェトラ』と題された、
12曲のヴァイオリン協奏曲からなる
作品9を選んだ。
この曲集には、ちょうど、
『ストラヴァガンツァ』のように、
沢山の宝石が詰まっているが、
多くの、しばしばエキゾチックな、
実験効果を含んで、
独奏者にさらに高い要求を突き付けるものだ。
そのうち二曲は、
スコルダトゥーラという、
選ばれた故意の非正規の調弦をするもので、
特別な共鳴を楽器に与え、
普通の調弦ではできないような指遣いを可能とした。」

この曲集は、音楽好きの皇帝を喜ばせるべく、
かなり前衛的なものである。

「この曲集が私を捉えるのは、
オーケストラのリトルネッロ、
ソロのパッセージからなる、
ヴィヴァルディ一流の確固とした形式の中、
様々な曲の性格や表現があるからだ。
これは親しみやすく、魅力的で、
聴くものを高度に満足させるもので、
娯楽のために書かれ、
楽しめるものなのだ。
一例に最初の協奏曲を取り上げると、
それは、ハ長調という調性が、
テクスチャーを通して、
明かりが漏れてくるような感じを与える。
これは、空虚で喪失感さえ感じさせる
ハ短調の緩徐楽章と、
強いコントラストをなす。
雰囲気は終楽章の楽しい舞曲に移るが、
最初の生き生きとした、
希望ある音楽となる。」

第2協奏曲のコメントはないが、
この文章の最後に、ちょっと紹介がある。
まず、第3協奏曲の解説が来る。

「ト短調の第3協奏曲は、
開始部のリトルネッロでは、
ため息の音型が現れ、
衝撃的な、書き下されたメイン・ビートの
アッポジャトゥーラの素晴らしい効果によって、
私たちを異なる世界へと我々を連れ去る。
リトルネッロでくり返される音型で表現され、
それらはメランコリックな物語を、
忘れられない情感で語る。
この一見、無垢に見える装飾の中の、
表現の深さを発見することは、
一種の啓示である。
最初は単調に見えるパッセージが、
リハーサルの間に、
命を吹き返し、
解き放たれる。
私は、いつも、こうした暗示された表現を、
引き出して強調するのが好きで、
たった一つのフレーズにも、
もっと多くのものを、
真実として見出す。」

第4協奏曲は、かなりすっきりとした紹介。

「ヴィヴァルディのドラマは、
何度も何度も繰り返される
コントラストと驚きによってできている。
私たちは、これを第4協奏曲では、
大きな音の和音と、
優しい16分音符の対比に聴く。」

第3、4、5の協奏曲は、
続けて解説されている。

「第5協奏曲には、
熱狂する幻想の感覚があるが、
それは、ゆっくりとした和音の
断固たる序奏に続く、
短くリズミカルな8分音符の連続と、
ヴィヴァーチェのトリプレットの
ソロ・ラインによって高められる。」

第6、第7協奏曲の紹介はなぜかない。

「第8協奏曲はまったく異なり、
第1楽章のテクスチャーにおいて、
そのリトルネッロは半音階的で複雑、
各声部は互いに綱引きをしているように見える。
私は、J.S.バッハは、
この曲が好きだったのではないか
などと考えてしまう。」

第9協奏曲はダブル・コンチェルトだが、
この文章の最後に少し触れられる程度。

「第10番の第1楽章において、
ヴィヴァルディはソロの
ほぼ絶え間ないアルペッジョで実験をしており、
アルペッジョが好きな、
あるいは、それが大嫌いな
彼の生徒のために書いたのかもしれない。
その高度に技巧的な書法は、
冷静さとテキパキとした手を要求する。
私は、あまりにも面白くて、
返って心が落ち着くほどだ。」

第11協奏曲ハ短調の紹介はない。
しかし、下記のように、ポッジャーのお気に入りが、
しっかり語られるのは良い。

「現時点で、私のお気に入りは、
おそらく最後の協奏曲、第12番ロ短調である。
これは、この曲集で、
スコルダトゥーラの調弦をした2曲目で、
今回は、最低弦をGからBに長三度上げて、
最高弦をEからDに一音下げている。
ヴァイオリンの音は、
この方法でヴィオールのような響きになり、
ロ短調で美しく共鳴する。
この作品の書法は内向的で物思いに耽るものだが、
進行するにつれ、劇的な興奮にも至る。
この音色は、開始部から聴かれ、
変わらず効果的で、
これによって強く、パワフルだが、
同時に不安定さを感じさせる。
もちろん、最高の意味でだが。
オランダ・バロック・ソサエティ(HBS)は、
これに楽しんで取り組み、
このプロジェクトの間に、
彼らが作りだした
落ち着いた、しかし、
エネルギッシュな雰囲気が、
私は好きだった。
私たちのコラボは自然で問題なく進んだ。
この曲集でたった一曲の二重協奏曲での
ジュディスとの共演は、実り多かった。
第2番の緩徐楽章でオッタヴィーノを加えるのは、
ティネケのアイデアで、
この協奏曲に魔法の触感を加えた。
私は、特にHBSのコンティヌオ・セクションとの、
積極的なアイデアのやり取りを楽しんだ。
ティネケ、トメック、ダニエーレの
語られざるチームワークと心の交流を見ることは、
良い経験となり、本当に刺激となった。」

ここで紹介されている、
オランダ・バロック・ソサエティ(HBS)は、
この国の志ある奏者たちが、
自発的に集まって作った団体のようで、
このCDのように、
プロジェクトごとに、
有名な演奏家を招いて共演することでも知られる。
だから、物申すコンティヌオ・セクションなどが
存在するのであろう。

さすが、こうした団体ゆえ、
ポッジャー一人に解説を任せることはない。

「オランダ・バロック・ソサエティから、
アントニオ・ヴィヴァルディへの手紙」なる、
趣向を凝らした一文が寄せられている。

書いたのは、先のポッジャーの文章にも出てくる、
「ジュディス」、つまり、
この団体の女性ヴァイオリニスト、
ジュディス・ステーンブリンクである。

「著名なるアントニオ・ヴィヴァルディ閣下、
これらの12の協奏曲集を謹んで奉ります。
あなたのスタイルや味わいにしたがって、
出来る限り説得力を持って、
私たちはあなたの曲集にベストを尽くしました。
この録音を進めるうち、
各曲はまったく新しい音楽を開陳し、
私たちの楽器は次々に新しい驚きに導いてくれました。
何とあなたは魅力的な作曲家なのでしょうか。
たった2.5小節のフレーズだけを見ても、
そこには半分になった主題があり、
それが何の予告もなく思いがけない調へと飛ぶのです。
このCDに収められた協奏曲は、
ヴィヴァルディ閣下、
本当にあなたらしいもので、
珍奇なものではなく自然で、
輝かしく驚きに満ちています。」

このあたり、演奏者たちの興奮が伝わってくるようである。
ポッジャーも同様の事を書いていたので、
よほど、スリリングな体験だったのであろう。

この人は、何故か、「第4」から書き始めている。
この曲も、ポッジャーがまた特筆していたから、
きっと録音中に、何か気づきがあったのだろう。

「例えば、第4協奏曲には驚かされます。
騒がしいフォルテの和音と、
ピアノの16分音符が対比されており、
オランダ・バロック・ソサエティは、
尋常ならざるスケールとディナーミクを強調しました。
アントニオ・ヴィヴァルディさん、本当にありがとう。」

彼女の記憶に、特に残った協奏曲が、
取り上げられているのだろうが、
「ラルゴ・カンタービレ」の表記を持つものは、
下記、第10だけのようだ。

「協奏曲第10番のラルゴ・カンタービレでは、
この曲集で、他にも見られますが、
コンティヌオ奏者のバスラインから、
高い弦楽器群が支配権を奪っていますね。
私たちは、第10協奏曲は、
本当にチャーミングに作られていると思います。
ヴァイオリンやヴィオラが
一緒になってかき鳴らす音符に、
バスラインは柔らかく優しく丁寧に寄り添います。」

ここで、最初の協奏曲の解説となるが、
何故、最初にこれを書かなかったかは不明。

「第1協奏曲の第1楽章を作った方法は、
フランス語で言うところの
『mignon(キュート)』だと思います。
五度圏の最初の調性、ハ長調は、
しばしば、明るく、平明、
センプリーチェだと言われています。
そして、それこそ、あなたが、
この協奏曲の音色に与えたものです。
さらに言うと、高貴なるヴィヴァルディ閣下、
あなたは、口ずさんだり踊ってみたくなったりすることが、
困難なような、
とっつきやすいシークェンスを書きました。
ああ、しかし、私たちは、
あなたのピエタの生徒たちではない。
その特権は私たちのものではない。」

この「特権」とは、ヴィヴァルディが、
想定したのは、彼の生徒たちであった、
ということを強調しているのであろうが、
この曲集がカール6世を想定したものであることを、
この「手紙」では忘れているか、
無視しているようである。

「しかし、レイチェル・ポッジャーの
素晴らしいヴァイオリン演奏の音色は、
ピエタの比類なき首席ヴァイオリニスト、
あなたの一番弟子、アンナ=マリアを
想起させるものでした。」

このあたりも皇帝閣下のことを無視しすぎであろう。

「閣下、あなたは、
出版社のエスティンネ・ロジャーと近づいた、
アムステルダムの事を知っているでしょう。
今、その300年後、ワローン教会で
あなたの協奏曲集は演奏されました。
ここは、赤線地区内にあるものの、
非常に素晴らしい音響で知られているからです。
しかし、あなたの音楽がその天上に届くや、
私たちは、ラ・ベラ・ヴェネチアにいるように感じます。」

この教会は、
Waalse Kerkというのが、
オランダ語表記のようで、
ネット検索すると、外観は控えめながら、
清潔で広々としたアーチ空間が美しい内部の写真が出てくる。

また、ベラ・ヴェネチアは、
「歴史ある16世紀の建物内にある
ホテル・ベッラ・ヴェネチア・ヴェニスは、
伝統的なヴェネチアン・スタイルは保ちつつ、
完全改装されています」という四つ星ホテルがヒットする。

「私たちは、多くの献身と努力と楽しみの許、
このCDを作り上げました。
そして、ヴィヴァルディ閣下、
あなたが、この技法と色彩を楽しみ、
私たちが、あなた様の素晴らしい協奏曲集を演奏した時の、
喜びまでを聴きとって下さることを祈ります。」

このように、各曲の楽しみ方は、
レイチェル・ポッジャー(RP)や、
ジュディス・ステーンブリンク(JS)が、
かいつまんで紹介してくれている。

それを下記に、再度、書きだして、
CDの鑑賞に入ろう。

Track1.~3.
第1協奏曲:
「テクスチャーを通して、
明かりが漏れてくるような感じを与える。
空虚で喪失感さえ感じさせる
ハ短調の緩徐楽章と、
強いコントラストをなす。
雰囲気は終楽章の楽しい舞曲に移る。」(RP)

「『mignon(キュート)』なもの。
ハ長調で、明るく、平明、
口ずさんだり踊ってみたくなったりするもの」(JS)

オルガンの鄙びた響きに、
打楽器的な扱いのチェンバロや、
リュートが重なって、
いきなり、はちゃめちゃな色彩感、
民族音楽みたいな序奏で圧倒される。
増強されたコンティヌオが、
グラマラスに膨らみ、
そんな中から艶やかなヴァイオリンが立ち上って来る。

テクスチャーから漏れ出す光とはこのことであろうか。

確かに協奏曲という感じより、
ヴァイオリン独奏付、
これが出たりひっこんだりする舞曲みたいな感じがする。

第2楽章のラルゴでも、
物憂げなヴァイオリン独奏を、
かなりおせっかいな通奏低音たちが、
豊かな響きで取り囲む。

第3楽章は、いくぶん影がある音楽で、
オーケストラがはやし立てる中、
独奏ヴァイオリンは、
一心不乱に没入するような旋回を続ける。

ポッジャーが言うような、
「楽しい舞曲」で始まるが、
どんどん、喪失感が蘇るような感じもする。
実際に演奏している人が言っている事の方が、
きっと正しいのだろうが。

この後の曲でも思うのだが、
これだけ通奏低音群が多彩に強大になると、
さすがの独奏ヴァイオリンも、
いささか分が悪く、何となく、
多勢に無勢という感じがしなくもない。

ステーンブリンクは、
「キュートな協奏曲」というがそうだろうか。

Track4.~6.
第2協奏曲:
「緩徐楽章でオッタヴィーノを加えるのは、
ティネケのアイデアで、魔法の触感を加えた。」(RP)
とあるだけのもの。

ごろごろした音楽の、
気難しい序奏から、
朗らかなヴァイオリンが歌い出すイ長調協奏曲。

第2楽章、オッタヴィーノは、
高い音の出るチェンバロのようだが、
オルガンのふわふわした触感に、
きらきらとした点描を散りばめている。

終楽章は、朗らかで楽しい、
誰からも好かれそうな直球の音楽であるが、
時折、屈折した影がよぎる。
こうした点を、ポッジャーもステーンブリンクも
特筆しているのであろう。
刻一刻と気分を変えながら、
まったくもって不自然さなく移ろう。

Track7.~9.
第3協奏曲:
「開始部のリトルネッロでは、ため息の音型が現れる。
衝撃的なメイン・ビートの
アッポジャトゥーラの素晴らしい効果によって、
私たちを異なる世界へと我々を連れ去る。
リトルネッロでくり返される音型で表現され、
それらはメランコリックな物語を、
忘れられない情感で語る。
無垢に見える装飾の中の、表現の深さ。」(RP)

この曲は、オペラの中の悩ましい場面を想起させる、
かなり劇的なもの。
ポッジャーが「異なる世界」と書いたのは、
妙にうまい表現だと思った。
単純な音形を繰りかえすほどに、
切迫した感情が掻き立てられるのも確か。

ト短調といえば、モーツァルトが有名だが、
この協奏曲の情念のたぎりもすごい。

第2楽章の悩ましさも、
そのまま心の形になりそうだ。

第3楽章は、いささか外向的であるが、
悩ましいソロと、
風雲急を告げるオーケストラの嵐は、
いかにもヴィヴァルディ的である。

Track10.~12.
第4協奏曲:
「大きな音の和音と、
優しい16分音符の対比に、
繰り返されるコントラストに聴く、
ヴィヴァルディのドラマ。」(RP)

「騒がしいフォルテの和音と、
ピアノの16分音符が対比され、
尋常ならざるスケールと、
ディナーミクを強調して演奏。」(JS)

この曲は、二人の意見がほとんど同じで、
彼らが、意気投合して事に当たった事が想像される。

じゃんじゃんじゃんと、
ちょこまかちょこまかの対比がくどい。
よくも、これだけで音楽になっているな、
などと考えてしまう。
この隙間で、独奏ヴァイオリンが、
何やら、ちまちまと言いたい事があるような、
もどかしい音楽を奏でている。

オーケストラのじゃんじゃんじゃんで、
この逡巡を叩ききって欲しい。
そう思うと、本当にそんな風に終わった。

この強烈な序奏のやり方にすることで、
晩年のオペラの序曲のイメージが重なって来る。

第2楽章もまた、もどかしさの音楽。
澄んだ音色の独奏ヴァイオリンが、
この込み入った状況を、
素晴らしい透明感で聴かせる。

終楽章は、ばんばんと撥弦楽器がかき鳴らされて、
非常に勢いのある音楽で、
歯切れの良いリズムと、痛快なヴァイオリンで、
前半2楽章のいじいじ感が払しょくされる。
音楽が大きく深呼吸している感じが気持ち良い。

Track13.~15.
第5協奏曲:
「熱狂する幻想の感覚。
ゆっくりとした和音の断固たる序奏に続く、
短くリズミカルな8分音符の連続と、
ヴィヴァーチェのトリプレットの
ソロ・ラインによって高められる。」(RP)

凶暴なイ短調協奏曲。
あるいは、フラメンコの熱狂。
戦場の砲火をかいくぐるような音楽であり、
一瞬の油断もならない。
オーケストラの主力部隊に、
どんぱちと合いの手を入れる通奏低音軍団。
独奏ヴァイオリンは生きて敵地から帰れるのだろうか。

続けざまに呪術的な第2楽章に入るところも、
まるで、フラメンコのように粋である。

終楽章は、非常にゴージャスなメロドラマ。
独奏チェロのニヒルな響きも効果的。
そこに、ばちんばちんと低音楽器のリズムが入る。
それにしても、変幻自在な曲集である。

Track16.~18.
第6協奏曲:
この協奏曲には、ポッジャーも
ステーンブリンクも言葉を残していないが、
スコルダトゥーラの調弦をした不思議な音色の曲。

序奏からして期待感が高まる、
楽しい感じの名曲で、フーガ的な処理や、
大胆な陰影など、非常に魅力的である。

独奏ヴァイオリンが、スコルダトゥーラの効果か、
いくぶん、エキゾチックな憂いで響き、
共鳴の効果か、何だか、分身を伴うような錯覚があり、
神秘的ですらある。

第2楽章は、礼儀正しいご挨拶のような楽想で始まるが、
独奏ヴァイオリンは、そんな建て前は横目で見ながら、
こそこそと影で不満を述べている。

終楽章は、楽しくリズミカルな跳躍舞曲。
ヴァイオリンは、調弦のゆえか、どうも、
心に何かを秘めているような感じがするが、
一応は、この舞曲の中で主体的な働きを見せている。
そんな個人の思惑は別にして、
大きな流れが、押し寄せては去る。

あるいは、これは、皇帝の力の前に屈する、
作曲家自身の肖像画であろうか。

今回は、このように二枚組CDの1枚目を聴いた所で、
一区切りとする。

得られた事:「ヴィヴァルディの作品9『チェトラ』は、独奏ヴァイオリンの特殊調弦など、『エキゾチックな実験効果を多く含むもの』である。私は、前半では5番、6番が好きだ。」
「独奏部はいじけた感じ、あるいは一物を秘めた感じのものも多く、豪快なオーケストラと、強大な伏兵のような通奏低音群によって、こてんぱんにやられている。王と音楽家の関係か。」
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# by franz310 | 2015-04-25 23:21 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その428

b0083728_13354965.png個人的経験:
ヴィヴァルディの「四季」は、
彼の8番目の出版された曲集、
作品8に含まれる4曲であるが、
それに続く作品9は、
曲集全体で「ラ・チェトラ」
と題され、前作から2年して、
アムステルダムで出版された。
「ラ・チェトラ」は竪琴とされ、
作品9の10などに、
分散和音が散りばめられているので、
この曲集を代表するものとされた。
が、ここで述べるのは、同名異曲である。


イ・ムジチやグリュミオーの
LPの帯などで、昔から、
「お気に入り」とか、「恋人」といった、
ヘンテコなタイトルの曲が
ヴィヴァルディの協奏曲には
あることは知っていたものの、
何しろ、膨大な作品を残した人の仕事であるから、
おおかた、彼とは無関係の誰かが、
勝手につけたニックネームであろうと、
それらが、どのような経緯で作られたものかなど、
考えようと思った事もなかった。

実は、この「お気に入り」も「恋人」も、
作品9の「ラ・チェトラ」には含まれていないが、
今回、聞いて見ることにした、
「ラ・チェトラ」という曲集を扱ったCDには含まれている。

このように、実にややこしいのが、
この「ラ・チェトラ」なのである。

チャンドラーのCDなどで、この曲集が、
実は、「竪琴」そのものよりも、
統治のために、それを操る
皇帝を表していることが分かった。

やり手興行主でもあった、
ヴィヴァルディ一流のおべんちゃら作戦で、
これらの曲集は、当時の神聖ローマ帝国皇帝、
カール6世に捧げられているらしい。

今回のCDは、マンゼが演奏したものだが、
まさしく、タイトルには
「皇帝のための協奏曲集」とある。
晩年のヴィヴァルディが、
カール6世を頼ってヴィーンに向かった話は、
「メッセニアの神託」のCDで読んだが、
皇帝に実際に渡したと思われ、
実際、ヴィーンに保管されていた曲集が、
このCDには収められているわけだ。

ただし、この表紙の絵画は、
ガブリエーレ・ベッラという、
ヴィヴァルディより2世代ほど若い画家が描いた、
「サンマルコ広場のざんげ火曜日のお祭り」
とあって、皇帝と何か関係があるわけではない。

「ざんげ火曜日」とは、「灰の水曜日」の前日とあるが、
様々な反省を行う「四旬節(レント)」を前に、
民衆が浮かれているのであろうか。

よく見ると、聖職者みたいなのが建物の回廊に並び、
彼らを観客として、見世物を披露しているように見える。

では、演奏しているアンドリュー・マンゼ自身が書いた、
解説を読んで行こう。
ちょうど、シューベルトが亡くなった年から、
100年前の話から書き始められている。
ヴィヴァルディの野心と、世の習いが、
読み取れて泣ける内容である。
ヴィヴァルディは1678年生まれだから、
ちょうど、50歳の年のこと。
カール6世は、1685年の生まれで43歳。

「1728年9月、ハプスブルクの統治者、
オーストリアの大公でドイツ、ハンガリー、ボヘミア、
そしてスペインの王、神聖ローマ帝国の皇帝であった、
カール6世は、トリエステの港を視察すべく、
カルニオラ公国を訪れた。」

読み始めてすぐで情けないが、
私は、これがどのあたりか、
良くわからなかった。
ネット検索すると、オーストリアとイタリアの
境目の東あたりに、挟まれた地域があり、
スロベニアと呼ばれている国がヒットした。

「ヴィヴァルディは、ヴェネチアの北東
80マイルを旅して、皇帝に謁見した。
彼らが会った事があったか、
少なくとも文通していた事を示唆する、
作品9の『ラ・チェトラ』と題された
12曲の協奏曲を、
ヴィヴァルディは前年、皇帝に献呈していたが、
この二人が、これより前に、
会った事があったかどうかは分からない。
ヴェネチアの神父、アントニオ・コンティが、
フランスの女性、Mme de Caylusに
書き送り、今でも残っている2通の手紙によると、
この面会は、得る事の少なかった旅における、
皇帝にとってのハイライトだったようである。
9月23日、コンティは、
『皇帝は、トリエステで不機嫌であった。
彼は、ヴィヴァルディと音楽について、
長時間語り合い、彼は、2週間の間に、
大臣と2年間の間に話す以上に、
ヴィヴァルディと話をしたと言われる。
彼の音楽に対する入れ込みはとても強いのです。』
そして、もう一つの手紙では、
『皇帝は、ヴィヴァルディに多額の金銭、
チェーンに金のメダルを贈った』と書いている。」

ここまでは、うまく行った話、
50歳を迎えた円熟のヴィヴァルディが、
遂に、皇帝にまで認められた瞬間にも見える。
多くの人は、これは、これで、ヴィヴァルディの芸術が、
遂に、認められた美談として満足するところである。

が、さすが、マンゼ、良いところを読み取っている。

「現金や宝飾品はヴィヴァルディが、
歓迎するものではなく、
おそらく、彼が望んでいたもの、
つまり、宮廷楽長の一人になること、
ではなかった。」

社長賞は貰ったが、出世は叶わなかった、
という感じであろうか。
もし、ヴィヴァルディが、それを期待して、
いそいそと、200キロだかの旅をしていたとしたら、
栄光の瞬間ではなく、大いなる失意の瞬間であったに相違ない。

大臣との会話より、多くの時間を割いたという、
皇帝に対しても、ヴィヴァルディの心は空しく、
心ここにあらずで、会話していたのかもしれない。

この失望は、約100年後に、
シューベルトが味わう事になるものである。
1826年4月、シューベルトは、
宮廷教会副指揮者の公募に応募し、
翌年1月の最終決定で、望みが砕かれた。

50歳のヴィヴァルディは200kmの旅をしたが、
30歳のシューベルトは9か月待って、
現実を突きつけられる事になった。

「全ての芸術の中で、皇帝は特に音楽を愛好した。
彼の祖父、フェルディナント3世と同様、
また、父のレオポルド1世と同様に、
カール6世は、特に教会音楽の有能な作曲家であって、
寛大なパトロンであった。
彼は、作曲の師匠であり、宮廷楽長であった、
ヨハン・ヨーゼフ・フックスの著した、
西欧音楽理論として、最も影響力を持った、
『パルナッソス(芸術の山)への階梯(階段)』
の1725年の出版資金も出しているし、
フックスや副楽長のカルダーラによる
オペラの監督をするほどの技能を有していた。
カールは、イタリアの芸術家、
特にヴェネチアの人材を雇う、
ハプスブルクの伝統を維持した。
宮廷楽長フックスの前任者であった、
カルダーラや、マルク・アントニオ・ツィアーニは、
ヴェネチアの出身であったし、
皇帝の新しい教会の祭壇の飾り絵は、
セヴァスティアーノ・リッチ、
ジョヴァンニ・アントニオ・ペレグリーニなど、
ヴェネチア出身者が担当し、
宮廷詩人のアポストロ・ゼーノや、
ピエトロ・メタスタージオも同様だった。
ヴィヴァルディも疑いなく、
彼もまた、ヴィーンの同郷者に合流できるものと、
大きな期待を寄せていた。
それも、フランチェスコ・バルトロメオ・コンティと
同じように、演奏家であり作曲家として。」

以下は、いかにも世俗的な事情を表している感じで、
音楽史ではあまり語られない事項で非常に興味深い。

「コンティは、上記の手紙を書いた人とは、
関係がないのだが、宮廷作曲家であると同時に、
第1テオルボ奏者としても、長年、宮廷に仕えていた。
2つの役職を持つ事は、
2倍の俸給が得られることを意味し、
これによって、コンティはフックスより高給取りであった。
おそらく、ヴィヴァルディの作曲のスタイルは、
皇帝や、フックスの保守的な嗜好に比べて、
新しすぎた。
2、3年後、新しい宮廷楽長が選ばれた時は、
古典スタイルの巨匠とされた、
マッテオ・パロッタが選ばれている。
これはパレストリーナ風の古い様式で、
フックスは、その『Gradus』の中で、
『音楽に最高の輝かしさを与え、
彼に対する記憶は、最高度の敬意と切り離すことが出来ない』
と書いている。」

シューベルトもまた、傑作「ミサ曲第5番」を、
宮廷楽長のアイブラーに見せたが、
「皇帝を喜ばせるスタイルではない」と、
演奏を断られている。

自分の信念と出世との関係は、かくも、
織り合いを付けることが難しい。
全力を尽くせば尽くすほど、
目的のものから離れて行くこともあるという実例である。

「1728年の彼らの会合の間、
ヴィヴァルディは印刷された、
前年の作、作品9ではなく、
同様に『ラ・チェトラ』として題された、
12曲の協奏曲のパート譜の束を差し出している。
これは、今では残念ながら、
ヴィーンのオーストリア国立図書館に、
独奏第1ヴァイオリン・パートが
紛失した形で残されている。
これは、250年にわたって、
作品9と同じ曲だと考えられ放置されていた。
1970年代、音楽学者マイケル・タルボットが、
この手稿譜を研究して、
RV580のロ短調協奏曲の1曲を除いて、
2つの『ラ・チェトラ』は、
完全に別の曲集であることが分かった。
この録音では、この別稿から再構成された、
6曲の協奏曲を、初めて一緒にして届けるものである。」

マンゼが、わざわざ「6曲を初めて一緒に」と書いたのは、
いったいどんな意味が含まれているのだろう。
どうせなら、12曲を一緒に録音した、
と威張って欲しいものである。

後の6曲は、実はまだ、
肝心の独奏パートが復元できないのだろうか。

その観点からすると、
2つの「ラ・チェトラ」に含まれる
RV391は、ここでは録音されていない。
CDの収録時間の関係もあるだろうが、
残る5曲がどんなものであるかを
教えて欲しいものである。

なお、タルボット(トールバット)は、
この大発見を、自身の著、
BBCミュージック・ガイドの
「ヴィヴァルディ」では、
「すでに出版された曲集と同じ『ラ・チェトラ』の
標題をもつ筆写譜集は、パート譜に1728年の日付をもち、
やはり12曲のコンチェルトから成っている
(しかし出版曲集と共通の作品は1曲(RV391)
しか入っていない)。」(為本章子訳)
と書いているだけである。

「なぜ、2通りの『ラ・チェトラ』があるのか、
これはおそらくミステリーのままであろう。
ヴィヴァルディは、カール6世に渡す、
作品9の出版譜を持っていなかったのだろうか。
そうだとしたら、作曲家と、
アムステルダムの出版者、
マイケル・チャールズ・ル・セーヌの間に、
何かトラブルがあったのかもしれない。
ル・セーヌは、作品9のタイトル・ページに、
自身の費用でこの版を出版した、
と、明確に書いている。
ヴィヴァルディは、アムステルダムに送るべき、
公費を着服したのだろうか。」

これは、先の、金の亡者みたいな
書かれ方からすると、
いかにもありそうな話だが、
ヴィヴァルディが勝手に、
皇帝に献呈するべく、
アムステルダムで出版するものに、
公費が必要なのかどうかは分からない。

あるいは、ヴィヴァルディの、
そうした一面を感じて、
ル・セーヌは当てこすりで書いたのだろうか。

「あるいは、ヴィヴァルディは、
作品9を買うような一般の人を必ずしも楽しませなくとも、
カール6世のような通人を喜ばせるために、
特別な協奏曲セットを編纂したのだろうか。
ヴィヴァルディは出版しない協奏曲を書くときには、
しばしば、より大胆で実験的であった。
当時の印刷された音楽は、
商業的な冒険ではなく、
芸術的な自己表現や
探索のはけ口の要素の少ないものであった。
慣れない語法の出てくる、
あるいは、恐ろしい技術的要求のある音楽は、
単純に売れないだけであった。
この一般論を証明するために、
このディスクの中で、
もっとも果敢で創意豊かな協奏曲の2曲、
RV202と277は、
1729年、作品11の一部として出版される。
このセットは、いまだ、もっとも、
ヴィヴァルディの中で人気がないものだ。
ヴェネチアのある器楽の権威は、
このヴィヴァルディの書いたもので、
最も精巧で情熱的なものを却下し、
『一貫性がない』と書いている。」

このような議論の流れからすると、
むしろアムステルダムの出版社の方が、
「ラ・チェトラ」出版をびびった、
と考える方が自然ではなかろうか。

ヴィヴァルディは、たくさんの協奏曲を渡して、
こっから、売れそうなのを編纂してくれ、
などと頼んだ可能性はないのか。

また、ここでは、ずっと、
ヴィヴァルディは、作品9を皇帝に捧げ、
「ラ・チェトラ」として出版したくせに、
翌年、同じタイトルで別の曲集を渡しているのが、
ミステリアスだ、という点が強調されているが、
むしろ、皇帝に捧げたものから、抜き出して、
皇帝の名前抜きで別に出版する方が、
道義的にやばい感じがするのは、
私だけだろうか。

こういうことをしたから、
宮廷音楽家の地位が得られなかった、
なんて妄想はあり得ないのだろうか。

このあたりから、一曲ごとの解説が織り込まれて行く。
トラックナンバーを付記しながら読んで行こう。

まず1曲目:
「Track13:
RV277は、誰の命名かは分からないが、
『お気に入り』と題されている。
おそらく、カール6世自身によってか。」

このホ短調の曲の冒頭の主題は、シューベルトの、
弦楽四重奏曲第9番ト短調の冒頭にそっくりである。

とても、威厳をもったものであるが、
続くヴァイオリン独奏もまた、
この気難しい、解決困難そうな主題を受けて、
思索的、思弁的な展開を見せる。
さすが、帝王がお気に入りになるだけの事はある。

急速なパッセージが風雲急を告げ、
時折、内省的な独白が出たりして、
一筋縄には語れない。
作品11の2として出版されたもので、
実に、一貫性がない。
なお、「ラ・チェトラ」での番号は11番である。

Track14.アンダンテ。
これも、お気に入りになるとは思えない、
意味有り気な独白に満ちた、
妙に硬派の音楽で、
口当たりの良い音楽に囲まれていた皇帝には、
何となく、新鮮に思えたのであろう。
だからといって、こんなのを、
毎日聴かされたのでは、
精神が病んでしまいそうでもあり、
この時点で、ヴィヴァルディが、
宮廷楽長になる夢は消えてしまいそうだ。

Track15.アレグロ。
これも、稀有壮大な主題が、
頑固なリズムで高飛車な姿勢を見せ、
ある意味、軍楽調。

皇帝が、この曲は、わしの進軍に似ておる、
と言って気に入ったとしてもおかしくはない。
だんだん音楽はふくらみを増し、
行く手に向かうものなし、みたいな体裁になっていく。

2曲目:
「Track4.同様の事は、
RV271(『ラ・チェトラ』の10番)にも言え、
このタイトルと特徴は、異なる演奏スタイルを示唆する。」

このように書かれているように、
この曲は、「お気に入り」のような居丈高の様子はなく、
無理に、シューベルトの弦楽四重奏曲でいえば、
「ロザムンデ」の冒頭のような優しい風情。

恋する人の繊細な心情だろうか。
あるいは恋人たちが手を繋いで行く
草が風に揺れる美しい野辺の情景であろうか。
波打つような、憧れの感情が、
独奏もオーケストラも一体になって、
ひたすら歌われる。

「我々はここでハープシコードを省き、
恋人の楽器、バロック・ギターを、
コンティヌオに入れる事を選択した。」

この効果は、注意していないとよく分からない。

「さらに全オーケストラにミュート効果を持たせ、
ヴィヴァルディがある種の繊細な協奏曲
(RV270『安らぎ』のような)で時に要求したのに倣った。
これは、(第2ヴァイオリンの)ウィリアム・ソープの、
主張でなされた。」

こちらの効果は良くわかる。

Track5.第1楽章からして、
緩徐楽章みたいだったが、
第2楽章は、もっと物憂げで、
野辺の情景は霧に満たされ、
あの晴れやかな情景は夢だったか、
と思わせる。
手痛い破局のような。

Track6.再び、恋人たちの心は、
一つになったようで、さっきの心配はなんだったの、
みたいに、幸福感に胸が膨らむ音楽。

中間部では、少し、物憂げになるが、
すぐに、音楽は、すがすがしい空気を深呼吸する。

時折、合いの手のように、
バロック・ギターのパンチが入る。

3曲目:
「Track16.RV286の原稿には、
『聖ロレンツォの日のために』という
タイトルが書かれている。」

聖なる日なのだろう、
とても、晴朗な感じのヘ長調の音楽で、
序奏から、まさしく新鮮な朝の空気を思わせる。
ヴァイオリンの独奏も喜ばしげに羽ばたいて、
広々とした空を雲が行くような感じ。

Track17.
第2楽章は、オーケストラの激しいリズムといい、
独奏ヴァイオリンの孤高のメロディといい、
火あぶりされながら、平然と口をきいていたとされる、
かつての殉教者に思いを馳せたのか。

マンゼ自身のカデンツァも付加されて、
両端楽章と変化をつけて、
緊張感を出して、変化がつけられている。

「Track18.第3楽章を通じて奏でられる
第2ヴァイオリンによるエンドレスのチャイム音が
ヴィヴァルディが働いていたピエタから、
そう遠くない、
ヴェネチアの聖ロレンツォ修道院の鐘を
おそらく想起させるものである。」

明るく弾けるような音楽で、
第2ヴァイオリンは、別に、パガニーニの、
鐘のような音を使うのではなく、
ごーんごーんという感じの音型をくり返している。

ただし、ヴァイオリン独奏は、
いくぶん、内省的でふっきれない感じ。
聖ロレンツォは、教会の財産を民に与えて殉教したようなので、
オーケストラの民衆の喜ばしい感じと、
独奏ヴァイオリンとが、
ちぐはぐなのは仕方がないのだろうか。

4曲目:
「ハ長調の協奏曲は二曲残されているが、
これ以上になく異なったものである。
Track10.RV183は、
明るく、両端楽章は簡潔で、
しばしばカデンツで中断されるラルゴは
和声的に移ろいやすく、
これらの中で、もっともヴィヴァルディ的なものである。」

これは、「ラ・チェトラ」では7番の協奏曲で、
軽やかに刻まれるリズムに沸き立つ序奏に乗って、
愛情豊かな朗らかな主題が出て、
ヴァイオリンが自由な楽句で走り回るのは、
確かにヴィヴァルディ的である。

Track11.第2楽章は、
物憂げなチェロに対して、
独奏ヴァイオリンが慰めるような歌を歌う。

Track12.
終楽章もいかにも快活な楽想で、
自由奔放なヴァイオリンが即興的であるが、
これはマンゼが追記したものかもしれない。

こういう曲も書きながら、
シリアスな音楽も書けるヴィヴァルディの
多面性を持ってすれば、
音楽好きな皇帝と、
何時間も話が出来るということは納得できる。

5曲目:
「Track1.RV189は、
メロディやヴィヴァルディにしては個性的な和声、
予期せぬ変化の奔流である。
開始部の勝ち誇った音階は、
すぐに短調のミステリアスな第2の着想に道を譲り、
全曲、長調と短調とが拮抗している。」

このような意味不明の音楽が、
冒頭に収められていることからして、
このCDは、第一印象は聴きやすいものではない。

私は、ずっと前からこのCDを所持してはいたが、
この情緒が安定しない風情に悩み、
最後まで聴きとおした事がなかった。
ちなみに、この曲は、演奏時間17分近くを要し、
RV183の9分半の倍くらいの規模である。

Track2.
第2楽章は、虚ろな音楽で、
放心状態で辛気臭い。

マンゼの解説には、
「ハ短調の第2楽章は、チェロ協奏曲RV401の、
第1楽章と似ている」との事である。

「ラルゴとして、もちろん、もっと痛切であるが」
と追記している。
「独奏者は、ヴァイオリンと
ヴィオラの最小限の伴奏の上を漂う」
としているように、
第1楽章同様、放心状態の音楽。

Track3.第3楽章は、
ようやく、生気を取り戻した、活力ある音楽だが、
むしろ躁状態と言っても良い。

オーケストラの楽想も弾けるように魅惑的ながら、
陰影のある展開も古典的で美しく、
それを押しのけて駆け回る独奏ヴァイオリンは、
特徴的なリズムを引き継ぎながら、
さらに自由自在に音楽を高揚させて行く。
このCDの一番の聴きどころかもしれない。

マンゼも、
「アレグロ・モルトはヴィヴァルディの
最も奔放な楽章である」と書いている。

「メロディが現れては消え、
多くの協奏曲で、
そのオープニングの材料がくり返されるが、
ヴィヴァルディは
『恋人』の第3楽章の独奏者の最初のフレーズを、
最初は長調で、それから短調と2回、
面白がって引用している。(3:39で)」

なるほど、不自然なまでの陰影で強調されているし、
どこかで聴いたメロディが出て来た、
という感じはするが、
これは極めて「通」向きの遊びで、
とてもふつうの聴衆には付いていけるものではない。

しかし、マンゼはいたくお気に入りのようで、
ここでは、強烈なカデンツァを自作して、
4分50秒あたりから、
細かい高速のパッセージを高音で繰り広げ、
あるいは、大きなボウイングで圧倒し、
ヴィヴァルディの在りし日の姿を再現しようとしている。
これについては後で解説が入る。

このような様々な実験の結果、
この極めて魅力的な楽章は、
6分24秒の大作となって、
このCDのトラックで最長の時間を記録している。

「この録音では、
十分に作曲家によって書きこまれたRV277を除いて、
すべての緩徐楽章で、3つの即興的なカデンツァと
即興的な装飾を含んでいる。
今日、歴史的な研究結果を採用するヴァイオリニストでも、
演奏において活気を与える要素を重視する人は少ないが、
ヴィヴァルディの時代、
即興の芸術は高度に開発されていて、
協奏曲演奏では重要な部分になっていた。
ヴィヴァルディの即興に関しては、
いくつかは記録され今日に伝えられるが、
その技巧性とリズムの自由な扱いが魅力的なものだった。
1715年、日記で有名な、
ヨハン・フリードリヒ・アルマンド・フォン・ウッフェンバッハが、
有名な記録を残していていることからも、
それは裏付けられる。
『・・・終わりに向かって、
ヴィヴァルディは独奏部を素晴らしく弾き、
加えられたカデンツァは私を実に驚嘆せしめた。
それは、誰もが弾いた事がなく、
これからも弾けないようなものであった。
その指は駒に触れそうで、
藁も入らないほどの隙間で、
弓を、全ての4つの弦に対して、
あり得ないスピードで行き来させた。』」

6曲目:
Track7.ハ短調RV202については、
何も書かれていないが、これまた強烈な自我を主張するもので、
私としては、この重大な局面を伝えるような序奏から、
最も、ただならぬ気配を感じた。

これは、作品11(の5)として
出版されたもののひとつなので、
詳しくは、その曲集で調べれば良いという事だろうか。
ヴァイオリン独奏は、この荘厳な状況下で、
ちょこちょこと我が身だけを案じる、
人間の悲しい性のようなものを感じさせる。

この1728年といえば、ヴィヴァルディは、
ヴィヴァルディはオペラの作曲家としても大家であり、
そこでの不条理な運命の世界が、ここには感じられる。

Track8.
緩徐楽章も同様で、内省的で孤独、
運命を嘆くばかりの音楽である。

Track9.
最後まで、大げさな音楽というべきか、
主題も悲壮感に溢れ素晴らしいものだが、
独奏部もはちゃめちゃな動きを見せ、
実に大胆かつ野心的な作品と肯くことが出来る。

得られた事:「ヴィヴァルディは、皇帝に献呈した『ラ・チェトラ』という協奏曲集(作品9)を出版したが、翌年、彼が皇帝に直接手渡したのは、同名の別の曲集であった。」
「アムステルダムの出版社は、ひょっとしたら、ヴィヴァルディが送りつけて来た曲集から、売れそうなものを選んで出版したのではないだろうか。」
「皇帝に手渡した『ラ・チェトラ』は、独奏部が欠落したパート譜らしいが、12曲の曲集なのに、マンゼは6曲しか録音しなかった。残りは修復できないのだろうか。」
「『お気に入り』という曲名などは、皇帝の命名ではないか、というのがマンゼの見解。」
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# by franz310 | 2015-04-12 13:42 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その427

b0083728_20513817.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの音楽の、
南欧的な華々しさ、
自由闊達さ、
豊穣さを思う時、
彼が、何故に、
遠くアルプスを越えて、
ヴィーンにまで出かけ、
野垂れ死にしなければ
ならなかったのか、
考えずにはいられなくなる。
その答えを、何らかの形で
見出さずには落ち着かない。
しかし、残された資料は極度に少ない。
日本に紹介されていない
だけかもしれないが。


比較的、勉強になったのは、音楽之友社の
「ハプスブルクの音楽家たち」(カミロ・シェーファー著)で、
ここで、読んだ事は、かなり重要な基本となっているようだ。

ビオンディやチャンドラーのような
ヴィヴァルディの使徒も、
おそらく、そういう状況に、
もどかしさを感じているのであろう。

彼らも、盛んに、
晩年のヴィヴァルディを調べてくれているが、
自ら書いたCDの解説などにも、
このシェーファーの取り上げた事実が、
同様に取り上げられている。

そこに書かれている基本は、
ヴィヴァルディは皇帝に寵愛されすぎた。
落ち目になった時にも、
一番にすがろうとした。
が、ちょうどその時、運命の悪戯か、
皇帝は崩御した、という感じである。

皇帝、カール6世は、
「国母」マリア・テレジアの父であるが、
亡くなった時、56歳で、そんなに高齢ではない。

よく企業などでも、誰かが失脚すると、
その腰巾着もまた消えてしまうが、
それと同じと考えるには、
私は、ヴィヴァルディに好意を寄せすぎている。

そもそも、ヴィヴァルディの戦いは、
腰巾着にしては、したたかである。

ダーウィンの名言、
「変われるものだけが生き残れる」のとおり、
彼は、時流に対して、しなやかに対処した。
自らの美学を最低限残しながら、
円熟してもなお、
新しい音楽も積極的に吸収していった。

彼が、最後に再起をかけて用意していたオペラ、
『メッセニアの神託』も、
半分は流行に乗った内容で、
ここぞという所で、自分の芸術をさく裂させている。

下敷きにしたのは、当時、評判をとっていた、
ジャコメッリの作品「メローペ」で、
この王妃を主役から降ろして、
その息子を主役級に引き上げ、
この王子と婚約者の愛の物語を強調した感じだろうか。

ヴィヴァルディが、まず、
最初のバージョンの『神託』で、
追加したナンバーのシーンは、
以下の部分とされる。

第1幕第4場:
悪役ポリフォンテと大臣トラシメーデ。
王子の味方であるが、
そうとは、ばれていない
公使リチスコの訪問を告げる場面。

第1幕第9場:
不明、CDではカットされている。

第2幕第2場:
ポリフォンテと王子エピタイデ、公使リチスコ。
ポリフォンテが、王子に母親の悪口を言う所。
そして、人質と結婚するように言う所。

第2幕第3場:
エピタイデ、リチスコ。
リチスコが、エピタイデに人質は、
他ならぬ王女エルミーラだと言う所。
前王の夫を殺されたメローペが、
王位簒奪者に求婚される悲劇から、
その事件の中で、
王子であるべきエピタイデが、
愛を勝ち得る物語に、
重点が変えられている一例であろう。

元は古代ギリシャの悲劇詩人エウリピデスの
「クレスフォンテス」という散逸した戯曲で、
日本大百科全書に、下記のような内容だったとある。

「義兄弟のポリフォンテスに
夫(クレスフォンテス)と子供2人を殺されたうえ、
むりやりその妻にされたが、
末子アイピトスをひそかに落ち延びさせる。
やがて成人した彼が仇討(あだうち)に戻ってきたとき、
メロペは敵と勘違いをして危うく殺しかけるが、
母子であることを認め合い、協力して仇討を果たす。」

このように書かれると、
いかにもギリシア悲劇にありそうな内容だと得心する。

ただし、ヴィヴァルディが台本とした、
ゼーノの作品では、
単にメローペは、悩んでいるだけであって、
「協力して仇討を果たす」ほどの活躍はしていない。

では、解説者のデラメアが書いた、
「ヴィヴァルディのメローペ」という章の、
途中から読み続けてみよう。
ヴィヴァルディが挿入した自作についての解説。

「これらの中には、それほど前の作品ではなく、
『ウティカのカトーネ』のために書いた、
上品な『Sarebbe un bel diletto』、
第1幕の最後に、エピタイデに歌わせた。
また、同様に『カトーネ』の1734年のアリア、
『Sento gia che invendicata』を、
ジャコメッリの『Fiamma vorace』と、
今回は、第2幕の最後にアナサンドロに、
置き換えて、歌わせている。
再び『カトーネ』から、
見ごたえのある『S’in campo armato』を、
第3幕第5場、トラシメーデに、
2つの独奏ホルンと歌わせている。
どの程度、ヴィヴァルディが、
ジャコメッリ自身から持って来たかは分からない。
ガコメッリがファリネッリのために書いた、
エピタイデによって、第2幕第4場で歌われる、
『Quell`usignuolo』をそのまま使ったか、
この時期の翌年、
『ファルナーチェ』のフェラーラ公演用に、
これらの詩句で、彼自身が作ったものを使ったかは、
良くわからない。」

このような感じで、『メッセニアの神託』の
1737年の第1版は構成され、公演も成功した模様。

「『メッセニアの神託』は、聴衆にも大いに受けた。
地元紙『Pallade veneta』は、
この作品が『注目すべき成功』であったと報じており、
『Diario ordinario』の言葉によると、
『興奮した喝采』で迎えられ、
『しっかり受け入れられた』。
それゆえ、1740年にヴィヴァルディが、
新しくヴィーンに拠点を移す時、
彼の重要な多くの皇室のパトロンの前での、
同様の勝利を夢見て、
ケルントナートーア用に、
1737年版『神託』を改訂した事は、
驚くには値しない。」

デラメアの解説の最終章、
「故アントニオ・ヴィヴァルディ博士の音楽」
に移ろう。

「ヴィーン版の『神託』は、
リブレットだけが残っており、
改訂の広範な過程の証拠となるが、
それでも、この最終版は、
まだ、ジャコメッリ風を基本とし、
ゼーノのオリジナルのリブレットから取られたアリアや、
ヴィヴァルディの以前のオペラからのナンバー、
(第2幕第1場のメローペの大アリア
《グリゼルダからのNo,non meriti pietaのような》や、
他の作曲家のアリア《第2幕第7場のアリア、
おそらくブロスキの『アルタセルセ』からのもの》を
挿入したものであることが分かる。
これらの変更は、ヴィヴァルディが、
新しい聴衆に受け入れられることを計算し、
彼の才能の多面性を印象付け、
作曲のみならず、改訂や編集にも手を回せる、
驚くべき自在さを持つ音楽家であることを、
示そうとしたものである。
自身の能力や
幸運の星が付いている自信から、
ヴィヴァルディはその努力が、
報われることを疑うことはなかった。
しかし、運命は、
1740年10月20日、
伝えられる所によると、
毒キノコを食べたことによって、
カール6世は、突然崩御した。
ヴィーン到着からほどなくして、
かくして、ヴィヴァルディは、
最も重要なパトロンを失い、
皇室の劇場の閉鎖を見せつけられ、
彼のオペラシーズンの計画は灰燼に帰した。
彼の死に至る9か月間の、
ヴィヴァルディの活動については、
ほとんど知られていない。
皇帝の死によって引き起こされた、
恐ろしい相続争いに頭がいっぱいになった、
オーストリアのパトロンの援助は
もはや期待できなかった。
いくつかのドキュメントは、
作曲家の最期の時期について、
悲しい情景を映し出すだけである。
1741年2月8日に、
1723年から最も信頼していた
クライアントであった、
ザクセン=マイニンゲンの、
アントン・ウルリヒ王子を訪問したが、
得るものがなかった。
疑いなく、彼は、何らかの委嘱、
財政支援、または、雇用か何かの希望を持って、
この訪問をした。
しかし、王子は、摂政政府の仕事で、
煩わしい事に専念していて、
『老ヴィヴァルディ』と、
日記に否定的に書くような人物に
援助をするような余裕はなかった。」

王子とあるが、1687年生まれなので、
1741年といえば、50歳を過ぎたおっさんである。
いわば、脂の乗り切った、
政治の一線にいたおっさんが、
60歳を超えた、落ち目の芸人に、
眼をかけている暇がなかったとしても、
まったくおかしくはない。

「2月11日、王子は、次のような記入をしている。
『作曲家のヴィヴァルディが2回目の訪問。
しかし、またも彼は謁見かなわず。』
ヴィヴァルディは残酷にすべての希望が打ち砕かれた。
彼には、生き延びるためには、
スコアを売る以外の選択肢はなかったように見える。
事実、彼は、それらを最低価格で叩き売りした。
1741年6月26日に、
ヴィンチグレア・トマーゾ・ディ・コラルト候の
秘書にエージェントを通じて、
彼は、非常に多くの楽譜を、
総額12ハンガリードゥカートのはした金で、
売り払っている。
ヴィヴァルディがサインしたレシートは、
彼がヴィーンにいた最後の証拠であり、
彼の全生涯の最期の証言となった。
一か月後、彼はワーラー未亡人の家で亡くなった。
彼の葬儀は異常に質素で、
聖ステファン聖堂ですぐに行われた。
少し前に亡くなった
帝室楽長のヨハン・ヨーゼフ・フックスや、
その補佐のアントニオ・カルダーラとは異なっており、
彼らのステファン聖堂での葬儀では、
印象的な鐘が鳴り響いたが、
ヴィヴァルディの場合は貧者の鐘であった。
Spitaller Gottsackerか病院の墓地か、
おそらく共用墓地への
ヴィヴァルディの埋葬に先立って、
最後の運命の気まぐれのように、
この短い儀式の聖歌隊の中には、
9歳のヨーゼフ・ハイドンが混ざっていたかもしれない。」

9歳といえば、小学校も3年生くらいだろうか。
私は、あまり、そんな時代の記憶はないのだが。
日常茶飯事の行事であっただろうから、
早く終わって帰れないかなど、考えていたら、
それがヴィヴァルディだか誰だかなど、
知りもしなかったかもしれない。

以下に書かれた部分は、おそらく、
このCD解説の白眉であろう。

「この悲痛な最後が、
ヴィヴァルディの生涯の
最終章とみなされるが、
数か月後、もっと目出度いエピローグが続いた。
1742年のカーニバル・シーズンの間、
ケルントナートーア劇場は、
印刷されたリブレットによれば、
『故アントニオ・ヴィヴァルディ博士』による、
『メッセニアの神託』というオペラを上演した。」

この事実から、ビオンディの今回の来日公演や、
このCDも成立したのだが、
ヴィヴァルディは、何時の間に、
ドクターになっていたのだろうか。

そして、以下のような疑問が浮かぶのは確か。

「どうすれば、
このような死後の公演が可能になるだろうか。
作曲家の死後は、オペラは、
レパートリーから消え去るのが普通の時代、
皇帝の死後、ようやくオペラ公演が
再開した時期にあって、
あらゆる理由を考えても、
あまりにも尋常ならざる出来事である。
記録文書には二つの手がかりも記載されている。」

ということで、このCDの長い解説も、
最後の部分に差し掛かる。

「最初のものには、ザクセン=マイニンゲンの、
アントン・ウルリヒ王子の関与が認められる。
1945年に破壊されるまで、その図書館には、
1742年の『神託』のリブレットがあった。」

1945年の時点では、
ヴィヴァルディの研究は進んでおらず、
そんなものがあっても重要視されなかったはずで、
私は、実は、この記載に胡散臭さを感じている。
あるいは、目録だけは残っているのだろうか。

なお、このザクセン=マイニンゲン公国の末裔は、
いまだ、ザクセン=マイニンゲン家を守っているらしく、
何らかの生き証人がいるのだろうか。

「第2に、アンナ・ジローの仲介がある。
リブレットには、メローペの役を歌ったとある。
このように、パトロンの後悔と、
忠実な友人の忠誠の行動が結びつき、
この感動的な蘇演がなされたのかもしれない。
かくして、ヴィーンの人たちは、
赤毛の司祭のオペラのキャリアの、
感動的な後書きを聴くことが出来たのである。」

これで、解説はくまなく読んだ。

これまで、第1幕、第2幕を聴いたので、
ヴィヴァルディ最後の秘密兵器を聴いてしまおう。
今回は最後の第3幕を聴く。

第3幕
第1場のポリフォンテと王女エルミーラ。
この部分も、ヴィヴァルディが挿入した部分とある。

CD2のTrack11.
「ポリフォンテは、遠回しに、エルミーラに、
クレオンの正体を知った事をほのめかすが、
彼女が残った最後の息子まで殺すかもしれないので、
メローペには言わないように警告する。」

このようにエルミーラに葛藤を与えるようにして、
メローペの主役色を薄めようとしたのだろうか。
そもそも、恋人という噂もあったアンナが演じる部分を、
クローズアップしすぎるのはまずかろう、
という配慮があったのかもしれない。

ほの暗いチェロの力強い独奏が印象的な部分だが、
誰が作曲したものだろうか。

Track12.
ジャコメッリの「メローペ」をそのまま使った、
エルミーラのアリア「この心が愛しい人を守るでしょう」。

伴奏も悪くない。
ヴァイオリンのちょこまか動く部分も、
かなり、効果を上げていて、
ジャコメッリのすっきりした様式感に感じ入る。

このように、ジャコメッリのナンバーが使われており、
解説に、この部分は、ヴィヴァルディが、
ニュー・ナンバーをインサートした、
と書かれている意味が分からない。

ひょっとしたら、それがどんなものかわからず、
今回の復刻では、そこまで再現はできなかった、
ということだろうか。

Track13.
「ポリフォンテは、今度は、
アナサンドロが、これ以上、余計な事を言わないよう、
木に括り付け、射撃手たちに処刑させようとする。」

このCDでは、カウンター・テナーの、
サバータの声が特徴的で、
日本公演では、女声だけで揃えたのが、
本当に正解だったのか、ちょっと疑問になる。

Track14.
ポリフォンテの激烈なアリア。
縦横無尽に駆使される豊穣な管弦楽に、
これは、ヴィヴァルディのオリジナルに
相違ないと思った。

「セミラーミデ」からのアリアだという。

サディスティックな内容で、
「合法的な殺戮の考えが、
私を喜ばせ、楽しませる」というもの。

Track15.
「主人に裏切られ、アナサンドロは、
リチスコに、誰が殺人の首謀者であるかを明かす。
リチスコは、彼の縄を解き、
秘かに宮殿に連れ去る。」

Track16.
リチスコのアリアは、どれも鮮やかなもので、
ここでも、日本でも歌っている、
ゴットヴァルトのクリアな声には、
強い印象を受ける。
「夜の暗闇の中で、私は疲れた旅人」というものだが、
高く舞い上がる声といっしょに、
私たちの心も天空を飛翔する。

ホルンも勇壮な、活発に躍動する
極めて古典的な管弦楽にも圧倒されるが、
ハッセの「シロエ」という作品からだという。
冒頭から、ジャコメッリ、ヴィヴァルディ、ハッセと、
次々に声のオリンピックを聴くかのようだ。

Track17.
「メローペはポリフォンテの手紙を受け取るが、
そこには、クレオンこそエピタイデを殺した男だ、
と書いて、彼女に復讐させようとする。
メローペは、まず、部屋を出た時には、
彼を殺せと、トラスメーデに命じておき、
クレオンを部屋に招き入れる。」

Track18.
ここでは、まだクレオンは来ていない。
まず、出て行く前に、トラスメーデが、
これまた、技巧の限りを尽くした、
変幻自在の歌を聴かせるからだ。

「戦場で私を試したいなら
あなたに従います」と、
メローペの命令に嫌でも従うような、
悩ましい内容を、曲芸的な名人芸で、
小柄で若いレージネヴァが、
無理やり聴衆を圧倒して納得させる。

このアクロバティックな歌が、
ヴィヴァルディのオリジナル
(「カトーネ」からのもの)とは思わなかった。

なお、この曲は、実際のヴィーン版リブレットでは
カットされていたようであるが、
オリジナルのヴェネチア版では歌われたので、
ビオンディは復活させたらしい。

これは、音楽的には変化が生まれて有難いし、
これがないと、ヴィヴァルディのオリジナル部分が減り、
ヴィヴァルディを聴きに来た人への
おもてなし度が減ってしまう。

Track19.
「それから、彼女は彼に来たるべき死で脅し、
彼が、いくら彼女の息子だと言っても、
信じようとしない。」

メローペの急き立てる声と、
ジュノーの演じるエピタイデの狼狽する声が交錯する、
緊張感あふれるレチタティーボ聞き入ってしまう。

Track20.
「エピタイデはエルミーラを呼び、
弁護を頼むが、それが彼を救うと考えて、
知らないふりをする。」

Track21.
エピタイデが、追い詰められて歌い出すアリアで、
ようやく、主役級のジュノーの歌が聴ける。

切迫した序奏からして、期待が高まる。
この人の声は、あまり透明感があるものではなく、
激烈な表現を繰り出して貰わないと、
その真価を味わえないが、
ここでは、「花嫁よ、私がわからないか」と、
切迫したアリアで、彼女の芸が堪能できる。

これは、ヴィヴァルディが、すでに、
「バヤゼット」で使ったものらしいが、
原曲はジャコメッリだという。

この曲のように、感傷的な声の抑揚と、
シンプルで効果的な伴奏の協調では、
ジャコメッリは天才的な人だったようだ。

ジュノーも共感豊かに、
これでもかこれでもかと声の妙技を繰り出し、
日本公演でもブラボーの声が上がった。

Track22.
「エピタイデは絶望して立ち去るが、
女たちは、メローペは、息子であるエピタイデを、
うっかり殺そうとしていたという事に気付く。」

かなり取り乱して、
演技で聴かせる部分。

Track23.
「入って来たポリフォンテは、
彼の処刑執行を取り消すように言うが、
メローペはせせら笑って拒絶する。」

エピタイデを殺すのをやめようとしていたはずが、
敵に言われると、それを覆す。
この辺りの心理は意味不明である。

Track24.
「メローペは取り乱し、自身の死を願う。」
3分半にわたって、自問自答し、
ヴィーン初演した、
アンナ・ジローの面影を追わずにはいられない。
ヴィヴァルディが亡くなったと聞き、
彼女はどんな思いでアルプス越えをしたのだろうか。

彼女は、歌よりも感情移入で聴かせた歌手だったという。

Track25.
このアリア「アケローンの水面の上に、
息子の黒い影が見える」は、
本来主役であったメローペの声を堪能する、
最大の見せ場である。

ジャコメッリの「メローペ」からの歌を、
そのまま使っているが、
かなりの大作で、
すっきりと疾走する管弦楽を背景に、
感情の赴くままに錯綜する声の効果もすごい。
実は、このオペラの最後のアリアである。
メローペは立ち去る。

Track26.
「最後のシーンでは、大広間であって、
その一部はカーテンで仕切られている。」
ポリフォンテが、宮殿の大広間で、
彼女を引っ立てろと言う。

Track27.
メローペがガードマンに連れられてくる。
ちなみに、日本公演では、
この無言のガードマン二人が、
日本人の若者であったが、
彼らが、二人だけで、様々なシーンで、
効率的に劇のイメージを膨らませていた。

「ポリフォンテは、メローペに、
エピタイデの死体は、カーテンの後ろにあり、
彼女もまた、彼女の息子の死体に、
鎖で繋がれて死ぬのだ、と告げる。」

Track28.
「ポリフォンテが勝ち誇って、
カーテンを開けると、
生きているエピタイデが現れる。」

全員が勢揃いするシーン。
「リチスコは、アナサンドロに、
エピタイデは殺されそうだと警告され、
トラスメーデにその命を救うよう頼んだのだった。
エピタイデはポリフォンテを殺し、
アナサンドロは追放する。」

Track29.
「そして神託の成就を、母親と新婦と共に祝う。」
ここでは、「激しい恐怖の後は、
平和と喜びが我らの胸を満たす」と、
ありきたりの明るい合唱が歌われる。

それもシンプルで短いもので、
あっけなく幕となる。

得られた事:「ヴィヴァルディは死の直前に、物乞いのように、ヘッセン=ダルムシュタットの王子を訪ねたが、虚しく追い返されている。しかし、それがゆえに、彼のオペラは作曲家の死後という状況ですら、首都で演奏されるに至った。肉を切らせて骨を断つような話である。」
「『メッセニアの神託』では、ヴィヴァルディの盟友、アンナ・ジローが演じるメローペによる最終シーン『歎きか怒りか』が感情の高まりのクライマックスとなっている。」
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# by franz310 | 2015-03-21 20:57 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その426

b0083728_19445580.jpg個人的経験:
再起をかけた
ヴィヴァルディが、
ハプスブルクの都で
披露すべく企画していたのが、
他の作曲家の作品も入れ込んだ
パスティッチョであった事は、
驚くには値しないのだろう。
彼は、素寒貧だったので、
無益なプライドに拘っている
余裕などなかったのである。
それより、即効性、
スピードを重視した戦略である。




21世紀になって、エレクトロニクス産業は、
オープン・プラットフォームだとか、
ソリューション・ビジネスとか言われるが、
社内にないものは、外部から調達すればよい、
という割り切り戦略は、
昔から、普通に行われていた。

各機能で最高なものを提供されるのなら、
ユーザーにとっては、
いいとこどりは非常に有難い。

そう考えると、
ベートーヴェンが、
聴衆がへとへとになろうが、
「運命」と「田園」を一緒に披露してみたり、
シューベルトが、
最晩年に「自作だけの演奏会」に拘ったりしたのは、
その時代特有の戦略だったような気さえしてくる。

サン=サーンスのような
19世紀後半に活躍した作曲家も、
「オルガン交響曲」のような
畢生の大作を初演した時、
合わせて演奏したのは、
いくつもある自分の協奏曲ではなく、
ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」であった。

このように考えると、
興行師でもあったヴィヴァルディのオペラ観は、
エンターテイメントのカタログみたいなものだった、
などと考えても良いのかもしれない。

ヴィヴァルディは、ヘンデル同様、
声の技巧に偏重した、ナポリ派オペラの台頭に苦慮したが、
人間の官能に直接訴えるような表現を重視した、
それを阻止することは不可能と判断、
むしろ、同じテイストを自作に入れたり、
そこに便乗したりして、時代の流れを乗り切ろうとした。

ちなみにヘンデルは、オペラでは破産するので、
オラトリオに乗り換えた。
ヴィヴァルディはオペラの中で、
同様の価値観見直しを行ったように思える。

ビオンディが、ヴィヴァルディの作戦に共鳴して、
現代にその考えを復活させるような勢いで、
ヴィヴァルディが最後まで上演を夢見て、
果たせなかったオペラ、
「メッサニアの神託」を蘇演したのは、
極めて喜ばしいことである。

このCDでは、ヴィヴァルディのみならず、
当時の嗜好をも考察しながら、
ジャコメッリのような人気作曲家の作品に、
耳を澄ませることが出来る。

前回、途中まで聞き進み、
解説も途中まで読んだので、
今回は、その続きを見て行きたい。

まずは、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアの解説で、
ヴィヴァルディが、
最終的にヴィーンに向かった時の事を、
読んでみることにしよう。

「ヴィーンへの召喚」と題されている。

「1737年12月16日に書かれた、
有名な手紙において、
ヴィヴァルディは自分の生涯を要約し、
ヴィーンから召喚された事を、
そのキャリアのハイライトの一つとして挙げている。
おそらく、皇帝自身からか、
そのごく近い側近から来たもので、
トリエステで受け取った。
1729年9月、
コンティが書いている皇帝謁見の翌年、
ヴィヴァルディの父親、
ジョヴァンニ・バティスタ・ヴィヴァルディは、
彼の息子の一人が、
ドイツに行くのに同伴するということで、
サン・マルコ聖堂の職の休暇を得ている。
この場合、ドイツとは、欧州の中心たる、
オーストリア帝国に支配された、
ドイツ語圏に他ならない。
息子はアントニオに違いなく、
ジョヴァンニ・バティスタの子供たちの中で、
こうした旅行に相応しい職業なのは、
そして、さらに重要なことには、
ヴェネチアとそこにいる家族と離れる心構えをした、
その目的に敵う、唯一の存在はアントニオであった。
ヴィヴァルディ父子は、
ドイツに7か月ほど滞在し、
ヴィーンやおそらくはプラハ、ドレスデンにも行った。
この旅は実りあるもので、
彼がヴェネチアに帰って来た時には、
アントニオは、ロレーヌ公とリヒテンシュタイン王子の
聖堂の楽長という地位を手にしており、
首都において、彼のオペラの一つを、
初めて演奏したとも自慢できたかもしれない。
1730年、ケルントナートーア劇場で上演された、
『アルジッポ』の印刷されたリブレットの発見は、
その年にヴィヴァルディが、
皇室の後ろ盾で、ヴィーンの公の劇場との結びつきを、
得たことの証拠となる。
彼の『皇室の高貴な方』である、
皇帝の認可を得た劇場
『Teatro Privilegiato da S.M.Reale』が、後に、
『メッセニアの神託』のヴィーン版のリブレットで、
言及されることになる。」

ということで、
「Teatro Privilegiato da S.M.Reale」とは、
何か、という事になるが、
次の章のタイトルがまさしく、
「Teatro Privilegiato da Sua Maesta Cattolica Reale」
となっている。

まるで、推理小説を読むような解説である。

「ヴィーンにおいて、カール6世の劇場世界は、
2つの別個の部分に分かれていた。
一方は宮廷劇場で、その目的は、
王位の力と栄光を祝賀するためのもの。
これらは、選ばれた人のためのもの。
もう一方は、たった一つ、
広く公衆に開かれたもので、
古い『Carinthian Gate』近くにあるため、
ケルントナートーアと呼ばれる、
『公衆劇場』であった。
1709年に建設された、
ヴィーンの最初の大衆劇場は、
1728年から、テノールの
フランチェスコ・ボロジーニが、
宮廷の舞踏音楽の作曲家でダンサーでもあった、
ヨーゼフ・カール・シラーと共同で運営していた。
この二人に宮廷は免許を与え、
歌付きの幕間劇を伴う、
コメディーを上演させていたが、
正規のオペラ・セリアは禁じていて、
これは、宮廷劇場に委ねられていた。
この規制は、しだいに検閲が甘くなり、
そのため、ヴィヴァルディは、
『アルジッポ』を上演することが出来た。
この時代からのヴィーンの劇場との
ヴィヴァルディの関係の実体は、
まだ良くわかっていないが、
『アルジッポ』の初演後10年、
ケルントナートーア劇場で、
少なくとも、台本を変えながらも、
繰り返し演奏されていた事を
示唆する証拠がある。
この時期、ケルントナートーア劇場で演奏されたもので、
ヴィヴァルディが関係したオペラのリストは、
(そのいくつかは単独で手掛けた)
再考を促すものである。
1731年のNerone
1733年のTito manlio
1734年のArtabano
1735年のTeuzzone
1737年のFarnace。
1737年には、さらに、
リブレットも、ヴィヴァルディのスコアも、
『忠実なニンファ』を下敷きにした、
田園オペラ『幸福な一日』の初演があり、
これは、フランソワ3世(マリア・テレジアの夫)の最初の娘、
大公女マリア・エリザベートの誕生を
祝うことを意図したものだった。
翌年、同様にヴィヴァルディ作曲の主題による、
『La Candace』が
ケルントナートーア劇場にかけられている。
ある意味、ヴィヴァルディの音楽は、
ヴィーンで流行になっていた。
ヴェネチアの聴衆の、
彼への支持が落ちて行ったときだったので、
この流行が、
1740年春、故郷を離れ、
ケルントナートーア劇場から、
それほど遠くない家に、
ヴィヴァルディを住まわせたのだろうか。
40年近く関係があった、ピエタ養育院は、
1740年の5月、
多くの彼の作品を買い取っている。
ヴィヴァルディは最新のオペラを持って、
ヴィヴァルディはヴェネチアを離れた。
その中には、『メッセニアの神託』のスコアもあった。」

ヴィヴァルディは、何度かヴィーンに行っただけ、
というイメージであったが、
大量のオペラを提供していたということだ。

カール6世の死去で、
ヴィヴァルディが苦境に立ったのは知っていたが、
その孫の誕生祝いにまで関わっていたとは知らなかった。

次に、「ヴィヴァルディのメローペ」という章が来る。
メローペとは、「メッセニアの神託」のヒロインとも言うべき、
王妃の名前である。

「ヴィヴァルディの『メッセニアの神託』の初演は、
1737年の12月28日に、
ヴェネチアのサンタンジェロ劇場で行われ、
カーニバルのシーズンが始まった。
このシーズンは、異常に短期間に企画され、
たった一ヶ月前に、ヴィヴァルディは、
フェラーラで演奏されるはずだった、
『Siroe』の改訂版など、
いくつかのオペラすべてを発表した。
フェラーラの大司教で、
ローマ教皇の特使であった
トマゾ・ルッフォ卿が、
聖職者に関わらずミサもあげず、
歌手のアンナ・ジローと『友人関係』にある、
という理由で、
突然、ヴィヴァルディの市への
立ち入りを禁じた時、
フェラーラのシーズンのため、
上演の準備はかなり進んでいた。
『不運の大海』に落とし込まれ、
彼がすでにつぎ込んでいた、
財政上の義務による破産への恐れから、
フェラーラ公演の放棄以外、
ヴィヴァルディには選択の余地はなく、
このような事業を監督できる、
代理の者もいなかった。
ヴェネチアにおける
『メッセニアの神託』の作曲と企画は、
こうした躓きの成り行きであった。」

ヴィヴァルディは、興行主であったから、
かなりの大金を動かしていたはずだが、
一度の失敗で、破産まで追い込まれるものであろうか。

しかも、1737年と言えば、
ヴィヴァルディも59歳、
今の社会でも定年間際みたいな年になっている。
この年での失敗は痛かったであろう。

病気や家族の死や、リストラといった事は、
年を取れば、よく聴く話であるが、
ヴィヴァルディのように、
大きな負債を抱えた大作曲家というのも珍しい。

悲劇の早世で知られるモーツァルトやシューベルトも、
貧乏であったようだが、
彼らが動かしていたお金は、
ヴィヴァルディの百分の一とかそれぐらいではないか。

「ローマ教皇の特使の決定の撤回が
無理であることが分かった、
1737年10月30日から、
ヴィヴァルディは、
おそらく、
重要なアンナ・ジローをはじめ、
フェラーラで使う予定であった、
アンサンブルを使って、
サンタンジェロのオペラシーズンを、
大急ぎででっち上げた。
このような素早いシーズンの企画は、
『メッセニア』、『ロズミーラ』、『アルミーダ』
といった、
3つの異なる作品を揃えていた。
これは、同時に、
秋のシーズンからこの劇場お抱えだった、
興行師チェーザレ・ガルガンティによって、
組織されたアンサンブルを、
サンタンジェロから立ち退かせたことを意味し、
ヴィヴァルディがなおも、
かつての勢力範囲に影響力があった事を示している。
フェラーラでの失敗の後、
ちょうど一か月後、
ヴィヴァルディは、ヴェネチアで契約を結び、
そこで流行っているものに、
プログラムを適合させた。
『メッセニアの神託』での
ヴェネチアシーズンの即席のオープニングは、
芸術的にも、実利的にも意味があり、
アポストロ・ゼーノの台本『メローペ』の改作は、
彼自身の音楽アプローチと、
彼のお気に入り歌手に理想的な曲を提供することで、
ヴィヴァルディに、完璧に劇的な構成を与えたし、
短い時間で、火花を散らすようなスコアを、
短期間で構成することを可能とした。
ヴィヴァルディは、メローペのリブレットに、
何年も関心を持っていた。
プロットは、エウリピデスの悲劇
『クレスフォンテス』によっており、
その著者によって、
『私の劇の中では悪くないもの』と呼ばれていた。
アクションの効果的な取扱いと、
力強い性格描写で、
それは、ゼーノの輝かしい『改革』時代の
眩い実例である。
ヴィヴァルディは、
1711年のカーニバルのシーズン、
ヴェネチアのS.カッシアーノ劇場で上演された、
彼の最初のオペラの師匠であった、
フランチェスコ・ガスパリーニによる、
最初の付曲について、明らかに知っていたはずである。
彼は、このオペラが、
フィレンツェ(1713)、ミラノ(1715)、
トリノ(1716と1732)、
ボローニャ(1717)、ミュンヘン(1719と1723)、
ローマ(1721)、ペルージャ(1731)、
カールスルーエ(1729)そして、
プラハ(1731)で、
アレッサンドロ・スカルラッティ、
ステファーノ・フィオーレ、
マリア・オルランディーニ、
ピエトロ・トッリ、
リッカルド・ブロスキらの音楽で、
上演されたことを知っていたかは分からない。」

とにかく、この物語は、作家自らが自慢することが
不思議でないほどに、様々な作曲家が取り上げた。
しかも、イタリアのみならず、
プラハやミュンヘンでも上演される
人気作だったということだ。

師匠が作った作品の他、
もう一つの有名な作品も、以下のように、
ヴィヴァルディは愛好したようである。

「しかし、彼は、個人的に、
ヴェネチアの
テアトロ・S.ジョバンニ・グリソストーモで、
1734年のカーニバル・シーズンに上演された、
ジェミニアーノ・ジャコメッリの
人気作は良く知っていて、
ここでは、当時の最も有名なカストラート、
偉大なファリネッリと
嵐のようなカファレッリが共演した。
ジャコメッリの『メローペ』は、
ヴィヴァルディの『オリンピアーデ』が、
ほぼ同じころ、サンタンジェロ劇場のシーズンを
締めくくったのと同様に、
ヴェネチアの最も名声ある劇場のシーズンを閉じ、
明らかに深い印象を彼に残していた。
一年後、ヴェローナにて、
ヴィヴァルディは、
ジャコメッリのスコアから、
2つの偉大なアリア、
『Barbaro traditor』と、
『Sposa…non mi conosci』を
こっそり引用し、
パスティッチョ・オペラの
『バヤゼット』を作った。
それから、1736年のシーズンに、
フィレンツェのデル・ペルゴラ劇場から
アントニオ・サルヴィの旧作リブレット
『ジネブラ』によるオペラを委嘱された時、
代わりに『メローペ』はどうかと提案して失敗している。」

このような有名な劇であるから、
ヴィヴァルディも、これに曲を付けたい、
と思ったとしてもおかしくはないが、
あえて、人気作がある所に、
連なろうとしたところが面白い。

この時代以降は、むしろ、
この作品は、この人の音楽があるから、
などと遠慮する傾向が強まって来る。

ヴィヴァルディは大変な自信家だったのか、
あるいは、興行師としての彼の本性のなせる技なのか。

「ヴィヴァルディの
ゼーノのリブレットへの親近感と、
ジャコメッリのスコアへの賞賛が、
1737年の12月、
サンタンジェロでの即席シーズン、
非常にタイトなスケジュールの仕事に迫られた時、
彼が、『メッセニアの神託』を
選んだ理由であることは、
疑うことが出来ない。
彼が新しいスコアを用意するとき、
彼がかつて『バヤゼット』で
行なった方法を取ったようで、
ジャコメッリの音楽を、
多くここにも有効利用した。
『神託』のリブレットは、オペラの作曲家は
ヴィヴァルディだけのように思わせるが、
情報を総合するに、
『メローペ』の物語の
彼の最初のバージョンそのものが、
実際、もう一つのパスティッチョなのである。
公式にヴィヴァルディ作と考えられるリブレットによって
パスティッチョであることが分からなくなることは、
同じシーズンにヴィヴァルディが、
サンタンジェロ劇場で上演した
『ロズミーラ』によっても、
疑いもなく証明される。
同様に、彼は非常にタイトなデッドラインに直面したが、
多くの流用可能な素晴らしい素材を持っていたのに、
ヴィヴァルディが新しい音楽を書いたりして、
無駄な時間を費やしたとは全く思えない。
最初の『神託』のバージョンのスコアは失われたが、
リブレットが残っていて、ヴィヴァルディが、
ジャコメッリのオリジナルをテンプレートとして、
新しいナンバーを挿入するとか(第1幕第4、第9場、
第2幕第2、第3場、第3幕第1場など)、
最近、彼自身が書いた最高のアリア集を再利用するとか、
新しい材料をそこに差し込むという作戦で、
どんな音楽を作品に適合させたかが分かる。」

このように、ヴィヴァルディは、
その時代の集大成のような、
一大絵巻を我々に残してくれようとした、
とも考えられるし、
絶対、失敗しないような作戦で、
背水の陣を敷いたとも言えるだろう。

では、今回は、第2幕を聴き進んでみよう。

第2幕:
「クレオンは勝利を収めて戻る」
と、この時代のオペラらしく、
イノシシは見られずに終わってしまう。

CD1.Track24.
第2幕は、いきなり、エピタイデの凱旋で、
イノシシを倒したらしく、勇ましい角笛を表すような、
ホルンの響きも素晴らしい音楽が始まる。
この部分は、古典的に平明なまでの曲想で、
かなり風通しが良く、エピタイデのアリア
「親しい岸辺よ、私は勝利者として戻った」も、
簡潔かつ、朗らかである。

この状況は、ロッシーニの「タンクレディ」を思わせる。
なお、ここは、ジャコメッリの「メローペ」そのままのようだ。

Track25.
この部分は、レチタティーボで、
下記のようなややこしい状況を説明していく。
が、原作が「メローペ」だけあって、
この王妃の猜疑心の高まりが見どころである。

「彼はポリフォンテの抱擁は拒むが、
死にゆくエピタイデにこうして欲しいと頼まれた、
として、メローペの右手へキスする。
彼は、王室に返す貴重な宝石も貰ったとし、
疑り深いメローペは、クレオンの報告を怪しみ、
この見知らぬ若者を強盗だとして、
息子を殺したと糾弾する。」

Trac26.
当然、彼女の感情が高まって行くので、
アリア「お前は、慈悲に値しない、残酷なものよ」。

ここは、ヴィヴァルディの
「グリセルダ」の音楽を持って来ているが、
このような、いくぶん凝った、
管弦楽と歌の交錯や、畳み掛ける跳躍が来ると、
「待ってました」と言いたくなる。

が、これは、ナポリ派的な技巧を凝らされたものではなく、
アンナ・ジローの演技力を引き立てる、
情念のほとばしりに注力したものだ。

Track27.
「ポリフォンテは、彼を擁護し、
王室の捕われ人を花嫁に与えると約束する。」
このあたりはヴィヴァルディが挿入したナンバー。

Track28.
ポリフォンテの、強烈なアリアである。
「メッセニアが、喜びで怪物の死を祝うように」。

声だけが強烈なのではなく、
管弦楽のアタックや、渦巻きと、
みごとに調和したアリアが全体として、
ものすごい集中力を感じさせる。
少々、調子を外したチェンバロの音色が、
屈折した状況を表すのか、
素晴らしい効果を上げている。

ヴィヴァルディの「モンテズマ」からのアリア。
さすがだ、と言いたくなる。
しかし、ポリフォンテが、エピタイデを、
何故、ここまで重用するのかは、
よく分からない。

Track29.
「エピタイデは、リチスコから、この捕われ人が、
他ならぬ愛するエルミーラだと知らされ狂喜する。」

Track30.
が、ここで、狂喜しているのは、
むしろリチスコだったようで、
「天が与えた花嫁は、愛情深い人です」
というアリアで盛り上がっている。

日本公演でも素晴らしい声と演技を聴かせた、
ゴットヴァルトが、楽しげに歌うのは、
小唄風で、分かりやすく、
ジャコメッリの作品。

Track31.
ここでは、メローペが、大臣トラシメーデに、
前王殺しの下手人、
アナサンドロを連れてくるように
命じているだけである。

もう10年も経っているのに、
何故、今更、といった展開で、
ゼーノは、「この作品は悪くない」と言いながら、
このあたり、気にならなかったのだろうか。

Track32.
アナサンドロは、鎖に繋がれて現れる。
「メローペはアナサンドロに、
クレスフォンテと息子たちが殺された事について
問い詰めるが、
アナサンドロは、公開の裁判でのみ、
それは明らかにするという。」

Track33.
「メローペは、トラスメーデに、
民衆を集めるように命じる」という後で、
この大臣は一人、もんもんと悩む。

Track34.
トラシメーデのアリアで、
7分にわたって、超絶技巧が聴かせられる。
ただし、いきなり、この人がここまで興奮するかは、
ちょっと微妙。

何と、ここで使われているのは、
ブロスキのもの。
「私は危険な揺れる船で」。
これは、日本公演でも、
ユリア・レージネヴァが、小柄な体格で、
いくぶん、声量に限界を感じさせながらも、
素晴らしい集中力で、すごい迫力で歌い切り、
ものすごい拍手に繋がったものである。

なお、日本公演パンフレットでは、
各アリアの出典が書かれていないが、
この曲については、
「映画『カストラート』でも歌われていました。
・・・気づけたらお見事!」
と特記されている。

CD2:
Track1.
ここは、恋人たちが束の間の喜びを語りあうシーン。

「その間、エルミーラは、
エピタイデの死は謀略であると知り、
彼らは喜んで再会するが、
エピタイデの正体は、
秘密のままにしておくことに同意する。」

Track2.
エルミーラのアリア、「優しい希望よ」で、
序奏からして、上質な織物の質感。

ヴィヴァルディの「テンペのドリラ」から持って来たもの。

陰影の豊かさ、管弦楽の繊細さ、
これまた、ヴィヴァルディを聴く醍醐味であろう。

Track3.
「裁判に先立って、
ポリフォンテは民衆の裁きに従うふりをするが、
アナサンドロは、彼の命令で、
メローペが殺人をそそのかしたと糾弾する。
ポリフォンテは、
彼女が死の宣告を受け入れることを求める。
メローペは絶望する。」

Track4.
王妃メローペのアリア、
「私に味方してくれる口も心もありません」で、
楽しげな序奏にチェンバロが明るい響きを散りばめる。
ジャコメッリの作品そのままである。

歌が始まると、切々とした調子を歌い上げ、
中間部では切迫した表現も見られ、
なかなか聞きごたえのあるもの。

Track5.
「エピタイデだけが、
この急な評決を非難する。」
などと、余所者がでしゃばるのは、
いかがなものか。

Track6.
主役のようなものなので、
でしゃばっても良いし、
彼がしゃしゃり出ないと、
続く緊迫感に繋がらない。

しかも、ジュノーの声を、
このあたりで聴きたいではないか。

アリア、「王家の血を訴えるものは」で、
ジュノーのいくぶんくすんだ、飛び上がらない声が、
公演でも、すこし、もの足りなかったが、
このCDでも、もっと突き抜けた世界を要望したくなる。
ジャコメッリの「メローペ」のもので、
技巧が散りばめられている。

Track7.
「アナサンドロはポリフォンテに、
クレオンは、エピタイデに他ならないと警告し、
ポリフォンテは怒りをぶちまける。」

Track8.
ポリフォンテのアリアである。
「荒れ狂う海も、恐ろしい稲妻も」で、
ヴィヴァルディの「フェルナーチェ」からのもの。
木管楽器の装飾も楽しく、協奏曲のように目立ち、
弦楽群の激しいアタックが、情感を盛り上げて行く。

日本公演でもオーボエの音色が印象的だった。

Track9:
アナサンドロ一人。
「アナサンドロは、彼は悪人だが、
自分の名前は、その大罪を負うのだと考えて、
自らを奮い立たせる。」

Track10.
アナサンドロのアリア、
「私は殺された前王の影がさすらうのを感じる」と、
かなり恐ろしい鬼気迫るもので、
手を下した本人であれば、恐ろしい幻想であろう。
ちょこまか動く弦楽や、めくるめく執拗なリズムが、
いかにもヴィヴァルディ。
「ウティカのカトーネ」から採られたもの。

得られた事:「パスティッチョ・オペラの中に入っても、ヴィヴァルディのアリアは、めくるめく情動と、上質な織物を思わせる管弦楽の陰影で、独自の輝きを放っている。」
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# by franz310 | 2015-03-15 19:45 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その425

b0083728_2241213.png個人的経験:
最晩年のヴィヴァルディが、
不退転の決意で再起をかけて
ウィーンに進出した時に、
持参したオペラが、
「メッセニアの神託」だという。
しかし、ヴィヴァルディは、
このオペラが、
ウィーンで演奏される事を
見ることなく失意の中、死去。
作曲家が亡くなったのに、
不思議なことに、ウィーンには、
この作品の演奏記録があるという。


そのような不思議な作品ゆえか、
ヴィヴァルディの使徒、ビオンディは、
この曲をCD化しているだけでなく、
2015年、日本に来て演奏もするという。

このCDは、2012年に録音されたもので、
歌手も少し日本公演とは異なる。
最も大きな変更は、
悪役ポリフォンテの腹心、
アナサンドロを、
CDでは、カウンター・テナーの
クサーヴァー・サバータが受け持ち、
公演では、メゾのマルティナ・ベッリが受け持っていた点。

しかも、ビオンディは、
今回の公演に先立って、
カウンター・テナーは、
裏声なので不自然とまで言っていた。

あと、王妃がCDでは
スウェーデンのメゾ、アン・ハレンベルクで、
公演では、ノルウェーの
マリアンヌ・キーランドとなっている。

これは、初演時は、
アンナ・ジローが受け持ったと言われる、
技巧ではなく表現力で勝負する役柄である。

また、婚約者がCDでは、
ロミーナ・バッソだったのが、
公演では、マリーナ・デ・リソになっている。

実は、私は、このCDが出た時、
美しい表紙写真の不思議なイメージもあって、
すぐにネットで注文していた。

表紙の下に、かなりの大きさで、
「ウィーン・コンツェルトハウス」と
特記されているが、
この劇場がヴィヴァルディを、
当時、受け入れていれば、
ヴィヴァルディはもっと長生きしていたはずなので、
複雑な気持ちになった。

さらに、ビオンディのヴィヴァルディでは、
代表作とされた「バヤゼット」でも重要な役割を演じていた、
超絶技巧のヴィヴィカ・ジュノーが、
重要な役柄で登場するのが、とてもそそるではないか。

このCDの表紙写真では、
女性がアクロバティックなポーズで、
そこに蜘蛛の巣のようなヴェールが巻き付いている。
これを手にして、ヴィヴァルディ最後のオペラとは、
いったい、どんな物語なのだろう、
と想像力をかきたてたものだった。

が、内容を知ってしまった今、
ネタをばらすと、
この表紙のイメージとは全く違って、
主人公は、亡命していた王子であって、
その母も婚約者もまったく無策で、
運命に翻弄されるだけの人たちで、
まったくこの表紙のイメージからは遠い。

神託を告げる巫女であろうかとも思ったが、
神託を告げるのは、大臣である。

ビオンティは、このCDで、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアと共著の形で、
この作品をこう紹介している。

「1734年のカーニバルのシーズン中、
ピアチェンツァ出身で、ナポリ楽派の、
最も輝かしい代表選手だった、
作曲家のジャミニャーノ・ジャコメッりは、
アポストロ・ゼーノがリブレットを書いた、
彼のオペラ『メローペ』を、
ヴェネチアのジョヴァンニ・グリソストーモ劇場で
お披露目した。
その4年後、このドラマの、
彼自身のバージョンを、
『メッセニアの神託』のタイトルで、
同じ都市のサンタンジェロ劇場で上演した。
このオペラの成功が、
ゼーノが、ヴィーンの宮廷の
前の桂冠詩人だった事によることに疑いなく、
1740年にヴィーンに向かった時、
ヴィヴァルディは、このオペラの総譜を携え、
ヴィーンのケルントナートーア劇場で、
再上演しようとしていた。
1738年の版も、
最終的に1742年に
ヴィーンで上演された後のバージョンも、
オリジナルのスコアは残っていないが、
印刷された二つのリブレットを比較すると、
これら二つの版の間には、
ヴィーンのための作品として、
ヴィヴァルディが構想を膨らませた、
いくつかのアイデアが読み取れる。
ヴィーン版は、ヴェネチア版から、
思い切った変更はしていないが、
オリジナルの4つのアリアを外す代わりに、
3つのバレエや7つの新しいアリアを加えて、
洗い直している。
登場人物の一人の名前を変え、
王女アルギアがエルミーラとなっているのは、
それほど重要ではない。
ヴィーン版はパスティッチョで、
ヴィヴァルディ自身の作を含め、
他の作曲家のアリアを借用している。」

ということで、このヴィヴァルディの、
劇場での活躍の総決算と思われる作品が、
今日的感覚では、
いくぶん、価値が低いとされる、
ごった煮作品だったということが分かる。

「ヴェネチア版は、
ジャコメッリの『メローペ』からの
アリアがあったと思われるが、
ヴィーン版にも採用されたことだろう。
ヴィーン版のリブレットを用いた、
我々の再構成版には、
オリジナルのスコアの中にあった精神で、
ヴィヴァルディや
(前に書かれたオペラでも作曲家自身が借用したもの)
ジャコメッリの『メローペ』のアリアを混ぜ合わせた。
ほとんどのレチタティーボは、
ジャコメッリの作品を採用している。」

日本公演でも、ビオンディは、
このようなごった煮でも、
ヴィヴァルディ自身が調合したので、
彼は、自分の作品だと思っていたはずだ、
と何度も強調し、
むしろ、当時の人気アリアが勢揃いした、
こうした作品を楽しむことの重要性を説いていた。

ヴィヴァルディは作曲家であると同時に、
凄腕興行師でもあったのだから、
確かにそうかもしれない。

このCDには、どの曲がどこからの借用かが、
解説の前に明記されているのがありがたい。

この後、デラメアによる、
ヴィヴァルディ最後のオペラの解説が続く。

これから解説が始まるところで、いきなり、
「ヴィヴァルディのあとがき」と題され、
書きだされている。

「1741年の7月28日の夜明け、
鞍作りの未亡人、マリア・アガーテ・ワーラーが営む、
ケルントナートーアやキャリンシアン・ゲート近くの
『鞍作りの家』と呼ばれていた建物が、
誰にも知られることなく、
音楽史の重要な出来事の舞台となっていた。
遠く故郷ヴェニスから離れ、
高名なる『赤毛の司祭』、
アントニオ・ヴィヴァルディが、
息を引き取ったのである。
その同じ日、ヴィーンの役所の死亡届に、
内臓熱によって、
『尊敬すべきアントニオ・ヴィヴァルディ、
神聖なる司祭』が亡くなったと短信が載っている。
モーツァルトの50年前、
全欧を制覇した『四季』の作曲家は、
貧困の中に亡くなり、ハプスブルクの首都では忘却された。
音楽史の中でも特筆すべき時代が終わったのである。
ヴィヴァルディは前年、イタリアを出て、
自身の国では明らかに自分の星が陰り始めていた時、
新しい芸術の地平が、
アルプスの向こうで開かれることを、
確信を持って望んでいた。
しかし、幸運はすでに彼の側にはなく、
躓きと失望が彼をなおも追いかけていた。
ヴィーンでの彼の滞在は、
災難を証明し、彼とハプスブルク帝国の関係の、
長く複雑な物語の悲しい結末となった。」

さらに、このCDの解説には、
「オーストリア人としてのヴィヴァルディ」
という、極めて興味深い一章が設けられている。

「キャリアの最初から、
ヴィヴァルディは、
作曲家、興行師としての自由を束縛されない形で、
委嘱や収入の流れを確保するために、
コネや将来のパトロンの緊密なネットワークを築くことに、
重点を置いていた。
貴族や王族、高位の聖職者、大使や政治家、
ヨーロッパの高貴な家柄の代表者など、
こうした人たちが次々と、
ヴィヴァルディのアドレス帳に追加されていったので、
1737年までには、
彼は、『9人の高貴な王子たち』と文通していることを
自慢するに至った。
オーストリア帝国や、そのもっとも影響力のある代表者は、
ヴィヴァルディの個人的な
ヨーロッパ貴族のWho’s Whoに、
特別な地位を占めた。
ハプスブルクのヴィーンは、
特異な音楽の小宇宙であって、
長年、イタリア音楽を暖かく迎え、
芸術移民の波を受け入れていた。
数世代にわたる、音楽を愛する帝王が、
ツィアーニからカルダーラに、
そしてボノンチーニ兄弟、
コンティ、バディア、ポルサイル、
そして、数え切れぬ歌手や器楽奏者に到る
この流れを奨励し、
帝室宮廷の音楽活動は、
イタリア人が大々的に取り仕切ることになった。
ヴィーンとオーストリアすべてが、
多くのイタリア人芸術家たちに、
約束された土地に見え、
その他の者にも真の金鉱に見えた
としても驚くにはあたらず、
ヴィヴァルディは、
この恩賞を確かなものにするために、
そのもっとも著名な代表の好意を得るべく、
慎重に計画を練った。
最初に記録された、
オーストリアの契約は、
1714年から帝国のマントヴァ大使を務めた、
ヘッセン=ダルムシュタットのフィリップ公で、
1718年、ヴィヴァルディは、
彼の宮廷音楽監督となり、
ヴィヴァルディのマントヴァ時代は、
1736年のその死の時まで、
芸術の愛好家で寛大なパトロンで擁護者であった、
このオーストリアの貴族の確固たる保護を得て、
彼のキャリアの重要な1ページとなった。
ヴィヴァルディをヴェニスの帝国大使で、
ヴィヴァルディがカール6世に初めて、
献呈した作品である、カール6世の名の日のための
セレナータ『Le gare della giustizia e della pace』をおそらく委嘱した、
ヨハン・バプティスト・フォン・コロレドに紹介したのは、
フィリップ公であった。
コロレドは、今度は、ヴィヴァルディを、
ミラノのオーストリア大使であった、
ヒエロニムス・フォン・コロレドに紹介し、
その事務所を通じて、
ヴィヴァルディはその妃の、
エリザベート・クリスティーネに献呈した唯一の作、
パストラル・オペラ、『シルヴィア』を
1721年の夏、
彼女の30歳の誕生日に書く委嘱を受ける。」

という風に、ヴィヴァルディが、
オーストリアの皇室とのつながりを深めていった
過程がよくわかった。

次に、「皇帝のための協奏曲集」という章になるが、
もちろん、これは、すでに、チャンドラーのCDなどで、
特筆された、「ラ・チェトラ」などの事である。

「こうして、ヴィヴァルディは彼の欧州での名声を
確固たるものにしていくように、
ハプスブルクとの強い結びつきを築き上げていくが、
1727年、その作品9の『ラ・チェトラ』を
皇帝に献呈するのに、十分な近さとなった。
その考えられたタイトル、『竪琴』は、
ハプスブルク家の象徴を表したもので、
オーストリア皇帝の杓は、
『竪琴と剣』の上で安泰と言われ、
フェルディナント三世を表すのに、
弟のレオポルド・ウィルヘルム太公が使った、
詩的な表現である。
この成熟した協奏曲の、
素晴らしい曲集によって、
ヴィヴァルディは、
『最も温和で、寛大、慈悲深いパトロンであり、
洗練された芸術の推進者』と、
賞賛して献辞に書いたカール6世に、
最初の直接的なコンタクトを持った。
『ラ・チェトラ』が、どのように、
皇室で受け止められたかの記録はないが、
カール6世との直接の繋がりが、
可能となることを意図したものである、
この畏敬の行為は受け入れられた。
1728年9月、港の建設の視察のため、
皇帝がトリエステを訪問した際、
彼は、公式な祝賀や祭典より、
ヴィヴァルディとの何度も実りある会話を楽しんだ。
『皇帝はヴィヴァルディと音楽に関して、
長い時間、語り合った』と、
イタリアの学者で哲学者であった、
アントニオ・コンティは、
その後、短いメモを残し、
『二週間の間、皇帝は、
大臣と二年の間にしゃべる以上に、
ヴィヴァルディと
個人的に語り合ったと言われている』
と追記している。
12曲の新しいセットの、
ヴァイオリン協奏曲集
(またしても、『ラ・チェトラ』と題され、
一曲だけが、前の曲集と同じだった)を、
カール6世に献呈したのは、
この機会であったことは疑う余地がない。
トリエステからヴェネチアに帰ったヴィヴァルディは、
いっそうオーストリア人になっていた。
ヴィヴァルディのアドレス帳には、
さらに重要な関係が追加され、
その中には、リヒテンブルクの王子で、
皇室顧問官のヨーゼフ・ヨハン・アダム、
ロレーヌ公で、将来のカール6世の義理の息子で、
後継者となるフランソワ三世が含まれていた。
そして、おそらく、彼の最後のスケジュールには、
遂に、皇帝の宮廷への招待が加わった。」

この後、デラメアの解説は、
さらに興味深い部分に入って行くが、
これ以上、ここで語ると、オペラの内容が、
何時まで経っても分からない。

ということで、物語の内容として、どのような作品か、
CD解説にある「SYNOPSIS」を見ながら、
音楽を聴き進めてみよう。

Track1.~3.
はシンフォニアで、「グリゼルダ」のものに
金管を加えて演奏したものだという。
ただし、ビオンティは、ヴィヴァルディが、
最後まで、「バヤゼット」の序曲を持っていたので、
本当は、これが「メッセニアの神託」で
使われる予定だったのではないか、
とも推測している。

「メッセニアの王、クレスフォンテは、
二人の息子と共に、
クレスフォンテの妃メローペの守衛、
アレッサンドロに謀殺された。
末の息子、エピタイデは、殺戮から逃れ、
母親によってエトリアに送られ、
ティデオ王の宮廷で育てられ、
王の娘、エルミーラと恋に落ちる。
メッセニアの王位を狙ったポリフォンテの命で、
この殺人が行われ、
その地位を正統化すべく、
クレスフォンテの未亡人を妻にしようとする。
メローペは、10年の後であれば、
と許諾する。」

これだけ読めば、この物語が、
メッセニアの王権簒奪と、
それに対する報復の物語であることが予測される。

メッシーナ(メッセニア)は、
シチリア島にある古代都市であるが、
ネット検索すると、ギリシア神話をもとに、
メロペ(メローペ)について、こう解説されている。

「アルカディアの王キプセロスの娘で、
メッセニアの王クレスフォンテス
(ヘラクレスの後裔(こうえい))の妻。
義兄弟のポリフォンテスに夫と子供2人を殺されたうえ、
むりやりその妻にされたが、
末子アイピトスをひそかに落ち延びさせる。
やがて成人した彼が仇討(あだうち)に戻ってきたとき、
メロペは敵と勘違いをして危うく殺しかけるが、
母子であることを認め合い、協力して仇討を果たす。」

まさしく、この物語が下敷きになっている。
下記のような物語が展開するが、
単純な復讐物語と異なるのは、
せっかく息子が帰って来たのに、
それを敵だと考える母、という部分か。

また、息子アイピドスは、
エピタイデという名前になっていて、
イノシシ狩りをする部分も取ってつけたような感じ。

ベルンハルト・ドロビッヒが書いたものを、
パウラ・ケネディが英訳した概要を読む。

第1幕:
「オペラが始まった時、
メローペが許諾して10年が経とうとしている。
そして、エピタイデは、今や若者に成長し、
クレオンの名に変えて、
強奪者から国を取り戻すべく、
メッセニアに帰っていた。
彼の素性を知っており、
復讐の計画を練るのは、
エトリア公使のリチスコのみである。」

このような状況なので、
いきなり、主人公とも言える、
亡命の王子、エピタイデが、
故郷メッセニアにやって来たシーンで、
レチタティーボを歌い始める。

Track4.「ここがメッセニアか、
私の父コレスフォンテは、
ここの支配者であった」とかやっていると、
ト書きに、
「古代の街メッセニアの広場、
背景の寺院の扉が開くと、
ヘラクレス像と祭壇が見える」などとあるように、
Track5.で、いきなり合唱になり、
何やら、お祈りが始まる。

「エピタイデは、ヘラクレスの祭を見たが、
そこでは、メッセニアの人々が、
国土を荒廃させた、
凶暴なイノシシからの救いを祈っていた。」
とあるとおり。
このあたりは、ジャコメッリの音楽らしい。

Track6.は、エピタイデは、
そこにいた立派な身なりの男
(トラシメーデ、若いロシアのソプラノ、
ユリア・レージネヴァが担当)に、
何故、みんなが嘆願しているか、と尋ねるところ。

Track7.は、シンフォニアとなり、
悪役の登場である。
ジャコメッリ作とされる、
音楽そのものは楽しいが。

Track8.
「王ポリフォンテは寺院から出て来て、
メッセニアの首相トラスメーデに、
神託の反応を読ませる。」

ここで、トラシメーデは、神託を読む。
「メッセニアは、まず勇気ある行動と、
次に怒りの結果によって、
2つの怪物から解放されるであろう、
そして戦利者は、王家の血筋の奴隷と結ばれるとある。
メッセニアの誰も、イノシシを退治する用意はなく、
エピタイデは、志願して、その大役を引き受け、
メッセニアの人々を救おうとする。」

このような不気味な神託なのに、
悪役ポリフォンテは、何ら怪しむこともなく、
イノシシ退治を主役のエピタイデに命じ、
「若いヘラクレスみたいだ」とか言って、
完全に他人事モードである。

Track9.ここで、漸く、
お待ちかねのアリアがさく裂。
ジュノーが歌う、エピタイデの、
「私の勇気は自然の恵みではなく、
恐れのない心があれば、
腕に力は漲るものだ」という内容の、
高揚した、晴れやかなものである。

これも、ジャコメッりの人気作、
「メローペ」からのもの。


Track10.
ここで、ポリフォンテに、
トラスメーデが、リチスコが来た事を告げる。
リチスコは、バッハの演奏でも有名な、
ドイツのメゾ・ソプラノ、
フランツィスカ・ゴットヴァルトが演じている。

この人は、すらりと端正で、
声もまた格調が高い。

Track11.は、
ポリフォンテとリチスコの交渉シーン。
「リチスコは、ポリフォンテの前に現れ、
エトリア王がエピタイデを引き渡すように、
ポリフォンテがかどわかして人質にした、
エルミーラの解放を要求する。
リチスコは、ポリフォンテに、
エピタイデ引き渡しは、
彼が死んでいる以上、無理だと言う。」

Track12.
強烈な刻み音で、いかにも残虐な支配者を思わせる、
エルミーラは返さないという、ポリフォンテのアリア。
ノルウェーのバイキングを思わせる、
マグヌス・スタヴランが、白熱した歌唱。

それもそのはず、これはヴィヴァルディの作。
「アテナイーデ」から持って来たという。

「怒りを持って聴き、復讐を持って対応する。」
という悪人ぶり、
「無実のいけにえにも、
王は悪人どもの殺戮を約束する。」
といった歌詞が、
川崎の少年の事件の直後にあって、
妙に、生々しく感じられる。

Track13.
リチスコは一人になって、
それにしても、エピタイデはどこにいるのだ、
と案じる。

Track14.このあと、リチスコのアリア。
「あの暴君が力をなくし、王位を追われるまで、
息をするのも苦しい」と、
正義の味方に相応しい、高らかな宣言の歌を歌う。

この曲は、要所要所に華麗な装飾が入って、
極めて難易度が高いものだと思われる。
豪快なホルンも伴奏に加わり、
澄んだ声が跳躍するところは、
オペラを聴く醍醐味にも思われる。

さすが、当時の人気作、ジャコメッリのもの。
当時の人が拍手喝采した様子が忍ばれる。

Track15.
ポリフォンテに夫を殺されて10年、
結婚を迫られるメローペの嘆きである。
「遂に、この日が来た」という感じ。

Track16.
大臣のトラシメーデが来て、
「私はあなたが他の人の妻になるのを見たくはない」
などと言っている。

「メローペは、トラスメーデに、
逃亡しているアナサンドロを探すように命じ、
彼から、誰が夫と息子を殺すように命じたのかを
知ろうとする。」

Track17.
そこにポリフォンテが、
略奪してきた隣国の王女、
エルミーラを伴って現れる。

ポリフォンテは、イノシシ狩りを成功させた者に、
この娘を与えようとしていて、
それをここで告げるのだが、
エルミーラは、自分には、すでに決まった人がいる、
と言う。

解説に、
「ポリフォンテは、エルミーラに、
もし、彼がイノシシを殺したら、
神は、エルミーラを、
異国の者に与えると言った、と伝えるが、
彼女は、エピタイデへの忠誠を誓う」とある部分だ。

「私は、私が選んだ人を愛するの」と言って、
感情が高ぶって、型にしたがってアリアとなる。

Track18.エルミーラのアリア。
これはすばらしいオーケストレーションが施された、
序奏からして、極めてジューシーなもので、
ヴィヴァルディ自身の「グリゼルダ」からのもの。

その繊細な陰影や、立体的な楽器法もあって、
このオペラの1幕の白眉ともなっている。

「私の涙とため息で、
私が弱っていると思うかもしれないけど、
死ぬことなど全然、怖くないのです。」

このCDで歌っているのは、
バロック・オペラでは高名な歌手、
ロミーナ・バッソであるが、
ちょっと年を感じさせる。

日本公演では、世代交代した感じで、
リソの歌唱になっていた。

Track19.
全王の妃、メローペと、
簒奪者ポリフォンテの息詰まる応酬のシーン。

「メローペは、殺人に関与していそうな
ポリフォンテへの蔑視を隠そうとせず、
来たるべき婚儀を呪う。」

Track20.は、当然、
メローペの激しい怒りに震えた、
これまた、このオペラの白眉とも思える、
「野蛮な裏切り者よ」である。
ただし、これは、ジャコメッり作とされる。

しかも、ヴィヴァルディは、
この曲は「バヤゼット」でも使っている。

この役柄は、ヴィヴァルディの最も信頼を寄せた歌手、
技巧より味で聴かせた、アンナ・ジローが歌ったとされるが、
これは、突き刺さる感情表現が求められる。

オーケストラのヴィルトゥオージもすごいが、
このCDのアン・ハレンベルクも非常に説得力がある。

この激烈なリズムの中、
何度も、感情の爆発が繰り返され、
聴くものを否応なく同調させてしまう。
ジャコメッリの力量は、
ヴィヴァルディも買っていたようだ。

Track21.
「ポリフォンテは、応酬して、
隠れていたアナサンドロを呼び出し、
メローペを殺人犯と告発するよう命じる。」

Track22.
アナサンドロが去ると、
ポリフォンテは、ドアを開けて、
守衛に、異国の者を連れて来るように命じる。

クレオンの名を騙っている、
主人公のエピタイデが、
「私は、この国を危機から救いたい」と現れる。

「ポリフォンテは、
クレオンをイノシシ退治に送りだし、
若き英雄は、すべての希望を、
来たるべき報酬にかけて出発する。」

Track23.
エピタイデのアリアで、
愛するエルミーラはどこにいる、
と言った後、
ジュノーが、軽い小唄風の、
「愛のための涙は甘いが、それが何時ものことだと辛い」
という、控えめなものを歌って、第1幕が終わる。
これは、「ウティカのカトーネ」から持って来ていて、
ヴィヴァルディ自身の作らしい。

今回は、この辺で、続きは次回に回す事にする。

得られた事:「ヴィヴァルディは、遠い異国で客死した、と言われるが、本人は、自分の国の首都で息絶えた、と考えていたかもしれない。」
「ヴィヴァルディ最後のオペラとされる『メッセニアの神託』は、他人の作を多く含むパスティッチョ(ごった煮)作品であるが、当時のヒット曲を集めた最高のエンターテイメントであった。」
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# by franz310 | 2015-03-07 22:42 | 古典