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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その441

b0083728_17173567.jpg個人的経験:
クレマン・ジャヌカンは、
「16世紀のフランス・シャンソン
の分野における最大の作曲家」
などと書かれる事が多く、
事実、彼の名前を戴いた、
フランスのヴォーカル・グループ、
アンサンブル・クレマン・ジャヌカン
は、ジャヌカンのみならず、
フランドル派から、
モンテヴェルディに至る、
様々な作曲家の作品を
多方面にわたって紹介したので、
ジャヌカンがこれらの総領のような
イメージを与えてもいる。


ちなみにこのグループは、
日本では、ジャヌカン・アンサンブルと呼ばれ、
ジャヌカンの代名詞のような、
「鳥の歌」をおさめたLPを
1980年代初頭に出した(ハルモニア・ムンディ)。

この録音は、音自体が優秀であり、
ジャヌカンの名前を広めたものでもあって、
古典的名盤と言ってもよく、
一世を風靡したと言ってもよい。

1996年に出た、
「古楽CD100ガイド」(国書刊行会)にも
当然のように取り上げられて、
「目の醒めるアンサンブル」と書かれているし、
1997年の音楽之友社、
「不滅の名盤800」には、
「Early Music」の60枚ほどに、
この一枚は選ばれ、
「面白さは卓抜だ」と、
いずれもいかにも、といった、
我々の頭に刷り込まれてきた文言が、
鮮烈に並んでいる。

この録音、内容は、
以下の20曲で、
もう一つの代表作「戦い」が入っていなかった。
1. 「鳥の歌」*
2. 「夜ごと夜ごとに」*
3. 「のぞみはゆるぎなく」*
4. 「その昔、娘っ子が」*
5. 「悲しいかな、それははっきりしたもの」
6. 「ある日コランは」
7. 「ああ、甘い眼差しよ」*
8. 「ひばりの歌」*
9. 「もしもロワール河が」
10. 「ああ、わが神よ」*
11. 「私の苦しみは深くない」*
12. 「ああ、あの苦しみよ」*
13. 「草よ、花よ」
14. 「盲目になった神は」
15. 「この美しい5月」*
16. 「満たされつつも」
17. 「とある日、さるひとが私に言うに」
18. 「ある朝目覚めた私」*
19. 「私の愛しいひとは神の贈り物を授かっている」
20. 「うぐいすの歌」*

メンバーは、
ドミニク・ヴィス(カウンター・テナー)、
ミッシェル・ラプレニー(テノール)、
フィリップ・カントール(バリトン)、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)。

彼らは、そのあと、
「狩りの歌/ジャヌカン・シャンソン集」
を1990年代に出していて、
下記のように、ここには「戦争」(戦い)も含まれる。

1. 「女のおしゃべり」*
2. 「行け夜鳴きうぐいす」*
3. 「たったひとつの太陽から」
4. 「美しく緑なすさんざしよ」*
5. 「神々のガイヤルド」
6. 「ぼくには二重の苦しみが」*
7. 「緑の森に私は行くわ」
8. 「すぐまた来なさい」
9. 「こちらの側には名誉が」
10. 「空を飛ぶこの小さな神様」*
11. 「ブルゴーニュのブランル」
12. 「戦い」*
13. 「絶えた望み」
14. 「かわいいニンフ」*
15. 「どうしてその目を」*
16. 「当然のこと」*
17. 「ファンタジー」
18. 「花咲けるさんざしの上で」*
19. 「この五月」*
20. 「ああ、君は楽しいの」
21. 「大胆で軽やかな風よ」*
22. 「ブランル・ゲ」
23. 「もうぼくは以前のぼくでは」*
24. 「修道士チボー」*
25. 「狩りの歌」*
カウンターテナーのドミニク・ヴィスと、
アントワーヌ・シコ(バス)、
クロード・ドゥボーヴ(リュート)だけが一致。

ブルーノ・ボテルフ(テノール)、
ジョゼップ・カブレ(バリトン)が入れ替わり、
ソプラノのアニエス・メロンが入っている。

そして、21世紀になってから、
これらの旧録音から、
いいとこどりしたのか、
27曲からなる、
「鳥の歌・狩りの歌~ジャヌカン:シャンソン集」
というCDを、
ハルモニア・ムンディ・フランス・ベスト25
という形で、出しなおしている。

これは、オリジナル盤の、
強烈な写実風ジャケット絵画とは、
かなり異なる方向の絵画を表紙に選んでおり、
まったく、別のCDとなっているのが、
少々罪深いような気がする。

「Chasse au sanglier」と題された、
しかし鮮やかに美しいミニアチュアで、
15世紀中葉のものだとあるから、
ジャヌカンを飾るには古雅にすぎるだろう。
オリジナル盤のブリューゲルの方が、
生々しい曲想には近いかもしれない。

「いいとこどりしたのか」と書いたが、
私にはよくわからない。
とにかく、上記*印が、選ばれた曲である。
前者からは8曲が落ち、
後者からは10曲も落ちているから、
ジャヌカンの愛好家なら、
納得できない部分もあるはずだ。

例えば、「音楽の友」の付録で、
1980年代に出た「作品小事典」では、
ジャヌカンのシャンソンを50曲も解説していて、
上述のうち、*がつかなかったもののうち、
「ロワール河」や、「緑の森」なども、
取り上げられているから、
また、前に聴いたセイ・ヴォーチェ盤、
後述のラヴィエ盤にも収録がないだけに、
残念な気がする。

ただし、
前回聴いた、セイ・ヴォーチのCDは、
21曲のみ、わずか48分のものだったから、
71分も収録したこの盤は、
そこそこ良心的なものかもしれない。

一方、「作品小事典」に出ていて、
ジャヌカン・アンサンブルが取り上げなかった、
「マルタンは豚を市場に」や、
「Ung gay bergier(賢い羊飼い)」は、
セイ・ヴォーチ盤には入っていて、
収録時間が短めだといって、
これはこれで見識ある選曲なのだろう。

それにしても、さすがに、
個性派と鳴らすヴィスの声の力は強靭である。
男声アンサンブルに対して放たれる、
後光のように冴えた声を聴かせてくれ、
ドゥボーヴのリュートも存在感が頼もしい。

セイ・ヴォーチは、
器楽伴奏も交えての立体感もあって、
どっちのCDがお勧めとも言い難い。

が、「鳥の歌」という代表作は、
機知は感じられても、
私には、それほど名曲とも思えない。
「季節はこんなにいいのだから」
と、鳥たちが囀るにしては、
最初の警句、
「目をさましなさい、眠り込んでいる心よ」
のアクセントが強烈すぎて、
まったく、「よい季節」のさわやかさが感じられない。

今回のCDに入っている
表題となっていた「狩りの歌」なども、
歌詞もたわいもなく、声の技巧に驚き、
当時の狩りの様を思い描く楽しみはあるが、
そんなに重要な作品とも思えない。
7分の大曲でもある。
「女たちのおしゃべり」も7分もかかり、
当然ながら、やかましい。

このCDでは、斉藤基史という人が解説で、
「夜ごと夜ごとに」、「もう以前の僕では」、
「この美しい五月」などを、
しっとりとか、愛らしいとか書いて特筆しているが、
確かに、前二者は、
セイ・ヴォーチェ盤にも収録されていて、
私も楽しんだ。
「夜ごと夜ごとに」は、セイ・ヴォーチェ盤は、
器楽伴奏も入ってロマンティック、
ジャヌカン・アンサンブルは、
切り詰めた中にも陰影が豊かである。

その他、「ひばりの歌」という、
誹謗中傷差別用語満載で有名なシャンソンは、
さぞかし、日本語対訳が大変であっただろう、
と予想されるが、
このジャヌカン・アンサンブル盤で聴ける。

また、「美しく緑なすさんざしよ」や、
「かわいいニンフ」、「どうしてその目を」といった、
フランスのルネサンス期の詩人の大家、
ロンサールを歌詞にした、
ハイソな作品が収められているのも良い。

ここでは、アニエス・メロンのソプラノが、
愛らしく響くのもうれしい。

こう見てくると、
このジャヌカン・アンサンブル盤は、
そこそこの満足度であるが、
「盲目になった神は」が含まれないのは、
失敗ではなかろうか。
この曲は、晩年の美しいミサ曲の元になった事で、
重要な作品だからである。
(一説によると、器楽版だったので削除か?)

また、収録されていないもので、
最も残念なのは、やはり、
「マルタンは豚を市場に連れていった」
となるかもしれない。

セイ・ヴォーチェ盤は、
解説でもこの曲のいかがわしさを取り上げ、
演奏でもオリジナル版と器楽編曲版の
両方をおさめる念の入れようであった。

こうした器楽と声楽の変化が楽しめるのも、
セイ・ヴォーチェ盤のメリットである。
器楽は、アンサンブル・ラビリンセスが担当していた。

b0083728_17192023.jpg器楽版と声楽版を冒頭から、
徹底的に活用したCDとしては、
ASTREEレーベルから出ていた、
フランス・ポリフォニー・アンサンブルの
ラヴィエ指揮のものがある。

このCD、表紙の絵画がこれまた美しい。


ブールジュのラレマント・ホテルにある、
「Concert vocal」という、
16世紀の作品らしいが、
この演奏の特徴をよく表している。

女声が高音を担い、
早口言葉の技巧を要する曲が選ばれていない。
「鳥の歌」も「戦争」もなし。

指揮をしているラヴィエは、
解説でも、悩みまくり。
「現在において、
ジャヌカンの音楽を解釈、演奏する際、
器楽とその役割の問題に突き当たる。
どのような選択をも正当化する
ドキュメントがないのである。
従って、この問題は、
非常にデリケートなものだ。」

彼は、内的な必然性によるしかない、
として、私のコンセプトは、
音楽の文脈の豊富な研究による、
と言っている。

が、一聴して、そんな事以上に、
重要な問題が看過されている、
と感じてしまうのが、
この演奏ではなかろうか。

実にこれは、
とんでもないCDとも言え、
こともあろうか、
残響豊かなパリの教会で録音されている。
ジャヌカンの卑俗な世界が、
完全に換骨奪胎状態で、
美しく鳴り響くさまは、
完全に確信犯的な暴挙とも思えるが、
1976年の録音とあれば、
あるいは、こうしたジャヌカン像が、
当時はあったのかもしれない。


よく考えると、
このシャルル・ラヴィエという人、
フィリップスのLPで、
ラ・リューの「レクイエム」を、
これまた、ものすごく美しく演奏していた人ではないか。
当時、「たとえようもなく美しい」
とされた64年録音の名盤であったが、
おそらく今日的ではないだろう。

この録音はCD化もされたから、
おそらくたくさんの人が、
美しいステンドグラス風の表紙にも、
いろいろな想像を働かせながら、
ジャヌカンより一世代古い、
フランスの作曲家に思いを馳せたことだろう。

が、この録音の日本語解説(71年)を見ても、
ラヴィエの演奏は、
現代のハープやフルートを、
古いヴィオールなどに、
混ぜて使っていることが指摘されている。
当時から特殊なアプローチであると
認識されながら、
ある意味、絶対的な美しさを誇っていたのである。
ラヴィエは、この録音をもって有名であったが、
他に、どんなものを出しているか、
知っている人はほとんどいなかったと思う。

調べてみると、1924年生まれで、
1984年には、自殺しているのか。
ということで、古楽を率いて来た、
有名な世代より、少し上の人ということになる。

が、器楽部には、
ホプキンソン・スミス(リュート)や、
クリストフ・コワン(バス)といった、
次世代の名手が名を連ねているのだが。

ここには、「ある日ロバンが」という、
ジャヌカン・アンサンブルの盤にも、
セイ・ヴォーチェ盤にも含まれていなかった、
超やばそうな曲も収録されている。

作品小事典にも、「かなりあけすけ」とか、
「その内容を細やかに音によって描写」とか、
興味深い事が書かれているが、
ヴェロニカ・ディッチェイ(ソプラノ)、
アメリア・サルヴェッティ(メゾ)らが、
上品なさざ波の音楽としてまとめ上げている。

とにかく、極上のムードなのだ。
豊饒な響きに包まれて、
このCDは、しばし、
時を忘れてしまいそうだが、
ラヴィエは作曲家でもあるらしい。
デュリュフレの弟子なのではないか、
などといぶかってしまった。
ちなみに1902年生まれの
デュリュフレが亡くなったのは、
ラヴィエより後の1986年であった。

実は、ラヴィエの行き方と、
類似の指摘をした本として、
白水社の文庫クセジュから出ている、
「フランス歌曲とドイツ歌曲」がある。

エブラン・ルテール女史が、
1950年に出したものを、
1962年に日本語訳されたものが、
ものすごく読みにくいながら、版を重ねて、
まだ入手することが出来る。

ここで、ジャヌカンら、
フランス多声シャンソンは、
「わたしたちを芸術歌曲の
起源からそらせてしまう」
などと書かれている。

つまり、それらは優雅ではあるが、
ドイツの音楽のように、
みんなで歌え、親しみやすく、
誠意にあふれ、まじまなもの、
とは違うカテゴリーに分類しているようなのだ。

みんなで歌えない優雅な世界の極致が、
ラヴィエのようなアプローチではないだろうか。
卑俗な歌詞を無視して、あたかも、
教会の空間を厳かに満たす音楽。

b0083728_17224976.jpgこんな事を考えたのも、
そもそも聖職者であった
ジャヌカンが残した、
数少ない教会音楽であるという、
ミサ曲「戦争」が、
これまた、
ジャヌカン・アンサンブルで聴けるが、
よく吟味もせずに聴くと、
あまり面白いとも思えないからである。

そもそも表紙がいただけない。
戦士たちが密集しているが、
先の2盤のような爽やかさがない。

1994年の録音なので、
すでにシャンソンの2枚は出した後。

私は、ここでも、あのシャンソンのように、
激烈な早口言葉で、
悪魔を追い払う神の描写でもあるのか、
などと、勝手な妄想をしていた。
厳かな宗教の場に密着したミサ曲にも、
「主は栄光のうちに再び来たり、
生ける人と死せる人を裁き給う」
とか、
「万軍の神たる主、
主の栄光は天地に満つ」
といった、威勢の良いフレーズが
そこここに出てくるではないか。

セイ・ヴォーチェ、
ジャヌカン・アンサンブル、
両盤に収められている、
当時、大流行した、
ジャヌカンのシャンソンの名曲とされる、
「マリニャーノの戦い(戦争)」は、
妙にやかましい音楽であったが、
それを元にしたミサ曲は、
どうも何も起こらない音楽だ。

ところが、このミサ曲には、
そこまでの激烈なものはなく、
歌っている人や聴いている人が、
あ、これ知ってる、と思う程度である。

解説には、以下のような事が書かれている。
JEAN-YVES HAMELINEという人が書いている。

「カンタータとかシャンソンとも思しき、
壮麗に導き入れられるようなオープニングによる
ミサ『戦争』は、1532年にリヨンで、
ジャック・モデルネによって、
立派な装丁で、『高名な作者による』
6曲のミサ曲集として出版された。
それは、ジャヌカンのアヴィニョン時代に当たる。
シャンソン、『戦争』を知っていた歌手は、
ミサ全曲を通して現れる、
その進行や伝令調の音の感じを掴むのに、
困難はなかった。」

なるほど、「伝令調」とはうまく、
この曲の特徴を表している。
シャンソン、「戦い(戦争)」は、
「お聞きください、ガリアの皆様、
フランスの偉大な王の勝利を」
と伝令調で始まっている。

この後が、戦争の描写になるのだが、
「聞いてください、よく耳を傾けて、
四方からの雄たけびの声」という感じで、
いきなり聴衆を、
戦場に連れ去る工夫がなされているのだった。

ミサの最初の「キリエ」では、
「主よあわれみたまえ」が繰り返されるだけなのに、
空間をつんざくような
「キーリエ」が、
トランペットのように響き渡る。

シャンソンの方は、
「かのブルゴーニュの輩を殺すのだ」という、
とても、博愛の教会とは相いれないような、
残虐、物騒なフレーズに向かって、
火縄銃だ、槍だ、大砲だ、と、
突進の早口言葉の応酬となるのだが、
こちらを、この曲の特徴と考えていてはいけなかった。

「しかし、もっともスリリングなポイントは、
おそらく、神の恩寵と作曲家の『機転』によって、
恐怖と身震いで聴かれた戦争の歌が、
単純、率直に『アニュス・デイ』の三度の繰り返しで、
平和の歌へと変わった『変換』であろう。」

アニュス・デイは、ミサ曲の終曲で、
「神の子羊、世の罪を除き給う主よ、
われらをあわれみたまえ」と歌われる部分だが、
二回目に現れる際には、
最初の伝令調は、すっかり鳴りをひそめ、
何やら喪失感、諸行無常すら感じさせている。

この解説は読んでみてよかった。
まるで、敵方への鎮魂にも聞こえてきたりして、
妙にジャヌカンの心情に触れたようで、
大いに納得してしまった。
ジャヌカンも50歳に近い。
二十年も前に書いたシャンソンも、
ヨーロッパ中に普及していった中、
その意味が変わってきていたかもしれない。

そして、三度めには、それをも超えて、
妙に大団円風の浄化作用が後光を放ち、
「戦争」ミサは、「戦争反対」ミサみたいになっている。

そもそも、フランソワ1世が、
大勝したとされる
1515年のマリニャーノの戦い以降、
イタリア進出の野望はくじけ気味になっており、
せっかく侵出したミラノも、
1521年には奪還されてしまった。

ちなみに、マリニャーノの戦いの翌年、
天才画家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
フランソワ1世のお抱えになっているが、
19年には亡くなっている。

1494年に、
先々代シャルル8世が始めた戦争は、
結局、半世紀以上も泥沼化して終わらず、
フランソワ1世も1547年には亡くなり、
次の代まで持ち越すことになって、
アンリ2世の代になってようやく、
1559年にイタリア放棄で終わっている。
なんのための戦いだったのか。
この王様は、しかも、そのすぐ後に不慮の事故で死去している。

ジャヌカンは、1485年頃生まれ、
1558年に亡くなっているので、
最後の最後は知らなかった事になるが、
ほとんどイタリア戦争時代の
一部始終を見て生きたことになる。
ルネサンスの花開いたイタリアは、
これによって荒廃してしまった。

僧職にもあったジャヌカンであるから、
勝った、負けた、といった普通の気持ちでは、
この経緯を見ていなかったはずだ。

教会で歌われる宗教曲モテットに、
ジャヌカンは、「われらの敵が集まりて」という、
これまた、きわどいタイトルのものを残しているが、
これは、このCDにも収められていて、
1538年の出版だとある
ジャヌカンは50歳を超えている。

これまた、「彼らの力を打ち砕き」とか、
「彼らを滅ぼしたまえ」というテキストを含むが、
曲想は清澄そのもので、
いかにも、「彼らが戦うのは神なる御身」という、
敵味方を超えた最後に繋がっていく。

単に、21歳の新しい君主が、
イタリアに攻め込んでたちまち快勝したという、
マリニャーノの戦いだけなら良かっただろうが、
そのあとは、ローマ略奪があったり、
何故か、イスラム教徒と手を組んだりと、
大義がまるでない泥沼が続く。
同じキリスト教徒が、
教皇などの思惑を超えて戦う意味を、
ジャヌカンは考えたはずである。

このCDの後半には、
ミサ曲がもう一曲、
それもジャヌカン最晩年のものが収められている。
「盲目になった神は」という、
自作シャンソンのメロディを使ったものとされ、
解説でも、「巨匠の平明さ、アルカイックな質感」
と称賛されており、シャンソンの繊細さが、
そのまま活かされた、
清らかな宗教曲になっている。
シャンソンがどんな歌詞だったのか知りたい。

ちなみに、ジャヌカンより10歳ほど若い、
フランソワ1世は、
この曲が出た1554年には亡くなっている。
ジャヌカンは70歳くらいである。

生涯をかけて戦ったのは、
ハプスブルクの名君、カール5世
(スペイン国王としてはカルロス1世)であったが、
カールの立場から言えば、
神聖ローマ帝国皇帝として、
西欧統一を果たそうとした野望の邪魔者が、
このフランソワ1世だったということになる。

得られた事:「卑俗さばかりで知られるジャヌカンであるが、イタリア戦争という戦国時代を生きた聖職者でもある作曲家だけに、宗教曲は清澄。」
「戦争を主題にしたはずのミサ曲は、最後の最後には反戦テイストに昇華されている。」
「こうした多面的な作曲家ゆえに、際どい内容のシャンソンを、教会で歌うという試みもなされ、それがまた、音としてはものすごいヒーリング効果を発揮している。」
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by franz310 | 2016-09-18 17:25 | 古典