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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その427

b0083728_20513817.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの音楽の、
南欧的な華々しさ、
自由闊達さ、
豊穣さを思う時、
彼が、何故に、
遠くアルプスを越えて、
ヴィーンにまで出かけ、
野垂れ死にしなければ
ならなかったのか、
考えずにはいられなくなる。
その答えを、何らかの形で
見出さずには落ち着かない。
しかし、残された資料は極度に少ない。
日本に紹介されていない
だけかもしれないが。


比較的、勉強になったのは、音楽之友社の
「ハプスブルクの音楽家たち」(カミロ・シェーファー著)で、
ここで、読んだ事は、かなり重要な基本となっているようだ。

ビオンディやチャンドラーのような
ヴィヴァルディの使徒も、
おそらく、そういう状況に、
もどかしさを感じているのであろう。

彼らも、盛んに、
晩年のヴィヴァルディを調べてくれているが、
自ら書いたCDの解説などにも、
このシェーファーの取り上げた事実が、
同様に取り上げられている。

そこに書かれている基本は、
ヴィヴァルディは皇帝に寵愛されすぎた。
落ち目になった時にも、
一番にすがろうとした。
が、ちょうどその時、運命の悪戯か、
皇帝は崩御した、という感じである。

皇帝、カール6世は、
「国母」マリア・テレジアの父であるが、
亡くなった時、56歳で、そんなに高齢ではない。

よく企業などでも、誰かが失脚すると、
その腰巾着もまた消えてしまうが、
それと同じと考えるには、
私は、ヴィヴァルディに好意を寄せすぎている。

そもそも、ヴィヴァルディの戦いは、
腰巾着にしては、したたかである。

ダーウィンの名言、
「変われるものだけが生き残れる」のとおり、
彼は、時流に対して、しなやかに対処した。
自らの美学を最低限残しながら、
円熟してもなお、
新しい音楽も積極的に吸収していった。

彼が、最後に再起をかけて用意していたオペラ、
『メッセニアの神託』も、
半分は流行に乗った内容で、
ここぞという所で、自分の芸術をさく裂させている。

下敷きにしたのは、当時、評判をとっていた、
ジャコメッリの作品「メローペ」で、
この王妃を主役から降ろして、
その息子を主役級に引き上げ、
この王子と婚約者の愛の物語を強調した感じだろうか。

ヴィヴァルディが、まず、
最初のバージョンの『神託』で、
追加したナンバーのシーンは、
以下の部分とされる。

第1幕第4場:
悪役ポリフォンテと大臣トラシメーデ。
王子の味方であるが、
そうとは、ばれていない
公使リチスコの訪問を告げる場面。

第1幕第9場:
不明、CDではカットされている。

第2幕第2場:
ポリフォンテと王子エピタイデ、公使リチスコ。
ポリフォンテが、王子に母親の悪口を言う所。
そして、人質と結婚するように言う所。

第2幕第3場:
エピタイデ、リチスコ。
リチスコが、エピタイデに人質は、
他ならぬ王女エルミーラだと言う所。
前王の夫を殺されたメローペが、
王位簒奪者に求婚される悲劇から、
その事件の中で、
王子であるべきエピタイデが、
愛を勝ち得る物語に、
重点が変えられている一例であろう。

元は古代ギリシャの悲劇詩人エウリピデスの
「クレスフォンテス」という散逸した戯曲で、
日本大百科全書に、下記のような内容だったとある。

「義兄弟のポリフォンテスに
夫(クレスフォンテス)と子供2人を殺されたうえ、
むりやりその妻にされたが、
末子アイピトスをひそかに落ち延びさせる。
やがて成人した彼が仇討(あだうち)に戻ってきたとき、
メロペは敵と勘違いをして危うく殺しかけるが、
母子であることを認め合い、協力して仇討を果たす。」

このように書かれると、
いかにもギリシア悲劇にありそうな内容だと得心する。

ただし、ヴィヴァルディが台本とした、
ゼーノの作品では、
単にメローペは、悩んでいるだけであって、
「協力して仇討を果たす」ほどの活躍はしていない。

では、解説者のデラメアが書いた、
「ヴィヴァルディのメローペ」という章の、
途中から読み続けてみよう。
ヴィヴァルディが挿入した自作についての解説。

「これらの中には、それほど前の作品ではなく、
『ウティカのカトーネ』のために書いた、
上品な『Sarebbe un bel diletto』、
第1幕の最後に、エピタイデに歌わせた。
また、同様に『カトーネ』の1734年のアリア、
『Sento gia che invendicata』を、
ジャコメッリの『Fiamma vorace』と、
今回は、第2幕の最後にアナサンドロに、
置き換えて、歌わせている。
再び『カトーネ』から、
見ごたえのある『S’in campo armato』を、
第3幕第5場、トラシメーデに、
2つの独奏ホルンと歌わせている。
どの程度、ヴィヴァルディが、
ジャコメッリ自身から持って来たかは分からない。
ガコメッリがファリネッリのために書いた、
エピタイデによって、第2幕第4場で歌われる、
『Quell`usignuolo』をそのまま使ったか、
この時期の翌年、
『ファルナーチェ』のフェラーラ公演用に、
これらの詩句で、彼自身が作ったものを使ったかは、
良くわからない。」

このような感じで、『メッセニアの神託』の
1737年の第1版は構成され、公演も成功した模様。

「『メッセニアの神託』は、聴衆にも大いに受けた。
地元紙『Pallade veneta』は、
この作品が『注目すべき成功』であったと報じており、
『Diario ordinario』の言葉によると、
『興奮した喝采』で迎えられ、
『しっかり受け入れられた』。
それゆえ、1740年にヴィヴァルディが、
新しくヴィーンに拠点を移す時、
彼の重要な多くの皇室のパトロンの前での、
同様の勝利を夢見て、
ケルントナートーア用に、
1737年版『神託』を改訂した事は、
驚くには値しない。」

デラメアの解説の最終章、
「故アントニオ・ヴィヴァルディ博士の音楽」
に移ろう。

「ヴィーン版の『神託』は、
リブレットだけが残っており、
改訂の広範な過程の証拠となるが、
それでも、この最終版は、
まだ、ジャコメッリ風を基本とし、
ゼーノのオリジナルのリブレットから取られたアリアや、
ヴィヴァルディの以前のオペラからのナンバー、
(第2幕第1場のメローペの大アリア
《グリゼルダからのNo,non meriti pietaのような》や、
他の作曲家のアリア《第2幕第7場のアリア、
おそらくブロスキの『アルタセルセ』からのもの》を
挿入したものであることが分かる。
これらの変更は、ヴィヴァルディが、
新しい聴衆に受け入れられることを計算し、
彼の才能の多面性を印象付け、
作曲のみならず、改訂や編集にも手を回せる、
驚くべき自在さを持つ音楽家であることを、
示そうとしたものである。
自身の能力や
幸運の星が付いている自信から、
ヴィヴァルディはその努力が、
報われることを疑うことはなかった。
しかし、運命は、
1740年10月20日、
伝えられる所によると、
毒キノコを食べたことによって、
カール6世は、突然崩御した。
ヴィーン到着からほどなくして、
かくして、ヴィヴァルディは、
最も重要なパトロンを失い、
皇室の劇場の閉鎖を見せつけられ、
彼のオペラシーズンの計画は灰燼に帰した。
彼の死に至る9か月間の、
ヴィヴァルディの活動については、
ほとんど知られていない。
皇帝の死によって引き起こされた、
恐ろしい相続争いに頭がいっぱいになった、
オーストリアのパトロンの援助は
もはや期待できなかった。
いくつかのドキュメントは、
作曲家の最期の時期について、
悲しい情景を映し出すだけである。
1741年2月8日に、
1723年から最も信頼していた
クライアントであった、
ザクセン=マイニンゲンの、
アントン・ウルリヒ王子を訪問したが、
得るものがなかった。
疑いなく、彼は、何らかの委嘱、
財政支援、または、雇用か何かの希望を持って、
この訪問をした。
しかし、王子は、摂政政府の仕事で、
煩わしい事に専念していて、
『老ヴィヴァルディ』と、
日記に否定的に書くような人物に
援助をするような余裕はなかった。」

王子とあるが、1687年生まれなので、
1741年といえば、50歳を過ぎたおっさんである。
いわば、脂の乗り切った、
政治の一線にいたおっさんが、
60歳を超えた、落ち目の芸人に、
眼をかけている暇がなかったとしても、
まったくおかしくはない。

「2月11日、王子は、次のような記入をしている。
『作曲家のヴィヴァルディが2回目の訪問。
しかし、またも彼は謁見かなわず。』
ヴィヴァルディは残酷にすべての希望が打ち砕かれた。
彼には、生き延びるためには、
スコアを売る以外の選択肢はなかったように見える。
事実、彼は、それらを最低価格で叩き売りした。
1741年6月26日に、
ヴィンチグレア・トマーゾ・ディ・コラルト候の
秘書にエージェントを通じて、
彼は、非常に多くの楽譜を、
総額12ハンガリードゥカートのはした金で、
売り払っている。
ヴィヴァルディがサインしたレシートは、
彼がヴィーンにいた最後の証拠であり、
彼の全生涯の最期の証言となった。
一か月後、彼はワーラー未亡人の家で亡くなった。
彼の葬儀は異常に質素で、
聖ステファン聖堂ですぐに行われた。
少し前に亡くなった
帝室楽長のヨハン・ヨーゼフ・フックスや、
その補佐のアントニオ・カルダーラとは異なっており、
彼らのステファン聖堂での葬儀では、
印象的な鐘が鳴り響いたが、
ヴィヴァルディの場合は貧者の鐘であった。
Spitaller Gottsackerか病院の墓地か、
おそらく共用墓地への
ヴィヴァルディの埋葬に先立って、
最後の運命の気まぐれのように、
この短い儀式の聖歌隊の中には、
9歳のヨーゼフ・ハイドンが混ざっていたかもしれない。」

9歳といえば、小学校も3年生くらいだろうか。
私は、あまり、そんな時代の記憶はないのだが。
日常茶飯事の行事であっただろうから、
早く終わって帰れないかなど、考えていたら、
それがヴィヴァルディだか誰だかなど、
知りもしなかったかもしれない。

以下に書かれた部分は、おそらく、
このCD解説の白眉であろう。

「この悲痛な最後が、
ヴィヴァルディの生涯の
最終章とみなされるが、
数か月後、もっと目出度いエピローグが続いた。
1742年のカーニバル・シーズンの間、
ケルントナートーア劇場は、
印刷されたリブレットによれば、
『故アントニオ・ヴィヴァルディ博士』による、
『メッセニアの神託』というオペラを上演した。」

この事実から、ビオンディの今回の来日公演や、
このCDも成立したのだが、
ヴィヴァルディは、何時の間に、
ドクターになっていたのだろうか。

そして、以下のような疑問が浮かぶのは確か。

「どうすれば、
このような死後の公演が可能になるだろうか。
作曲家の死後は、オペラは、
レパートリーから消え去るのが普通の時代、
皇帝の死後、ようやくオペラ公演が
再開した時期にあって、
あらゆる理由を考えても、
あまりにも尋常ならざる出来事である。
記録文書には二つの手がかりも記載されている。」

ということで、このCDの長い解説も、
最後の部分に差し掛かる。

「最初のものには、ザクセン=マイニンゲンの、
アントン・ウルリヒ王子の関与が認められる。
1945年に破壊されるまで、その図書館には、
1742年の『神託』のリブレットがあった。」

1945年の時点では、
ヴィヴァルディの研究は進んでおらず、
そんなものがあっても重要視されなかったはずで、
私は、実は、この記載に胡散臭さを感じている。
あるいは、目録だけは残っているのだろうか。

なお、このザクセン=マイニンゲン公国の末裔は、
いまだ、ザクセン=マイニンゲン家を守っているらしく、
何らかの生き証人がいるのだろうか。

「第2に、アンナ・ジローの仲介がある。
リブレットには、メローペの役を歌ったとある。
このように、パトロンの後悔と、
忠実な友人の忠誠の行動が結びつき、
この感動的な蘇演がなされたのかもしれない。
かくして、ヴィーンの人たちは、
赤毛の司祭のオペラのキャリアの、
感動的な後書きを聴くことが出来たのである。」

これで、解説はくまなく読んだ。

これまで、第1幕、第2幕を聴いたので、
ヴィヴァルディ最後の秘密兵器を聴いてしまおう。
今回は最後の第3幕を聴く。

第3幕
第1場のポリフォンテと王女エルミーラ。
この部分も、ヴィヴァルディが挿入した部分とある。

CD2のTrack11.
「ポリフォンテは、遠回しに、エルミーラに、
クレオンの正体を知った事をほのめかすが、
彼女が残った最後の息子まで殺すかもしれないので、
メローペには言わないように警告する。」

このようにエルミーラに葛藤を与えるようにして、
メローペの主役色を薄めようとしたのだろうか。
そもそも、恋人という噂もあったアンナが演じる部分を、
クローズアップしすぎるのはまずかろう、
という配慮があったのかもしれない。

ほの暗いチェロの力強い独奏が印象的な部分だが、
誰が作曲したものだろうか。

Track12.
ジャコメッリの「メローペ」をそのまま使った、
エルミーラのアリア「この心が愛しい人を守るでしょう」。

伴奏も悪くない。
ヴァイオリンのちょこまか動く部分も、
かなり、効果を上げていて、
ジャコメッリのすっきりした様式感に感じ入る。

このように、ジャコメッリのナンバーが使われており、
解説に、この部分は、ヴィヴァルディが、
ニュー・ナンバーをインサートした、
と書かれている意味が分からない。

ひょっとしたら、それがどんなものかわからず、
今回の復刻では、そこまで再現はできなかった、
ということだろうか。

Track13.
「ポリフォンテは、今度は、
アナサンドロが、これ以上、余計な事を言わないよう、
木に括り付け、射撃手たちに処刑させようとする。」

このCDでは、カウンター・テナーの、
サバータの声が特徴的で、
日本公演では、女声だけで揃えたのが、
本当に正解だったのか、ちょっと疑問になる。

Track14.
ポリフォンテの激烈なアリア。
縦横無尽に駆使される豊穣な管弦楽に、
これは、ヴィヴァルディのオリジナルに
相違ないと思った。

「セミラーミデ」からのアリアだという。

サディスティックな内容で、
「合法的な殺戮の考えが、
私を喜ばせ、楽しませる」というもの。

Track15.
「主人に裏切られ、アナサンドロは、
リチスコに、誰が殺人の首謀者であるかを明かす。
リチスコは、彼の縄を解き、
秘かに宮殿に連れ去る。」

Track16.
リチスコのアリアは、どれも鮮やかなもので、
ここでも、日本でも歌っている、
ゴットヴァルトのクリアな声には、
強い印象を受ける。
「夜の暗闇の中で、私は疲れた旅人」というものだが、
高く舞い上がる声といっしょに、
私たちの心も天空を飛翔する。

ホルンも勇壮な、活発に躍動する
極めて古典的な管弦楽にも圧倒されるが、
ハッセの「シロエ」という作品からだという。
冒頭から、ジャコメッリ、ヴィヴァルディ、ハッセと、
次々に声のオリンピックを聴くかのようだ。

Track17.
「メローペはポリフォンテの手紙を受け取るが、
そこには、クレオンこそエピタイデを殺した男だ、
と書いて、彼女に復讐させようとする。
メローペは、まず、部屋を出た時には、
彼を殺せと、トラスメーデに命じておき、
クレオンを部屋に招き入れる。」

Track18.
ここでは、まだクレオンは来ていない。
まず、出て行く前に、トラスメーデが、
これまた、技巧の限りを尽くした、
変幻自在の歌を聴かせるからだ。

「戦場で私を試したいなら
あなたに従います」と、
メローペの命令に嫌でも従うような、
悩ましい内容を、曲芸的な名人芸で、
小柄で若いレージネヴァが、
無理やり聴衆を圧倒して納得させる。

このアクロバティックな歌が、
ヴィヴァルディのオリジナル
(「カトーネ」からのもの)とは思わなかった。

なお、この曲は、実際のヴィーン版リブレットでは
カットされていたようであるが、
オリジナルのヴェネチア版では歌われたので、
ビオンディは復活させたらしい。

これは、音楽的には変化が生まれて有難いし、
これがないと、ヴィヴァルディのオリジナル部分が減り、
ヴィヴァルディを聴きに来た人への
おもてなし度が減ってしまう。

Track19.
「それから、彼女は彼に来たるべき死で脅し、
彼が、いくら彼女の息子だと言っても、
信じようとしない。」

メローペの急き立てる声と、
ジュノーの演じるエピタイデの狼狽する声が交錯する、
緊張感あふれるレチタティーボ聞き入ってしまう。

Track20.
「エピタイデはエルミーラを呼び、
弁護を頼むが、それが彼を救うと考えて、
知らないふりをする。」

Track21.
エピタイデが、追い詰められて歌い出すアリアで、
ようやく、主役級のジュノーの歌が聴ける。

切迫した序奏からして、期待が高まる。
この人の声は、あまり透明感があるものではなく、
激烈な表現を繰り出して貰わないと、
その真価を味わえないが、
ここでは、「花嫁よ、私がわからないか」と、
切迫したアリアで、彼女の芸が堪能できる。

これは、ヴィヴァルディが、すでに、
「バヤゼット」で使ったものらしいが、
原曲はジャコメッリだという。

この曲のように、感傷的な声の抑揚と、
シンプルで効果的な伴奏の協調では、
ジャコメッリは天才的な人だったようだ。

ジュノーも共感豊かに、
これでもかこれでもかと声の妙技を繰り出し、
日本公演でもブラボーの声が上がった。

Track22.
「エピタイデは絶望して立ち去るが、
女たちは、メローペは、息子であるエピタイデを、
うっかり殺そうとしていたという事に気付く。」

かなり取り乱して、
演技で聴かせる部分。

Track23.
「入って来たポリフォンテは、
彼の処刑執行を取り消すように言うが、
メローペはせせら笑って拒絶する。」

エピタイデを殺すのをやめようとしていたはずが、
敵に言われると、それを覆す。
この辺りの心理は意味不明である。

Track24.
「メローペは取り乱し、自身の死を願う。」
3分半にわたって、自問自答し、
ヴィーン初演した、
アンナ・ジローの面影を追わずにはいられない。
ヴィヴァルディが亡くなったと聞き、
彼女はどんな思いでアルプス越えをしたのだろうか。

彼女は、歌よりも感情移入で聴かせた歌手だったという。

Track25.
このアリア「アケローンの水面の上に、
息子の黒い影が見える」は、
本来主役であったメローペの声を堪能する、
最大の見せ場である。

ジャコメッリの「メローペ」からの歌を、
そのまま使っているが、
かなりの大作で、
すっきりと疾走する管弦楽を背景に、
感情の赴くままに錯綜する声の効果もすごい。
実は、このオペラの最後のアリアである。
メローペは立ち去る。

Track26.
「最後のシーンでは、大広間であって、
その一部はカーテンで仕切られている。」
ポリフォンテが、宮殿の大広間で、
彼女を引っ立てろと言う。

Track27.
メローペがガードマンに連れられてくる。
ちなみに、日本公演では、
この無言のガードマン二人が、
日本人の若者であったが、
彼らが、二人だけで、様々なシーンで、
効率的に劇のイメージを膨らませていた。

「ポリフォンテは、メローペに、
エピタイデの死体は、カーテンの後ろにあり、
彼女もまた、彼女の息子の死体に、
鎖で繋がれて死ぬのだ、と告げる。」

Track28.
「ポリフォンテが勝ち誇って、
カーテンを開けると、
生きているエピタイデが現れる。」

全員が勢揃いするシーン。
「リチスコは、アナサンドロに、
エピタイデは殺されそうだと警告され、
トラスメーデにその命を救うよう頼んだのだった。
エピタイデはポリフォンテを殺し、
アナサンドロは追放する。」

Track29.
「そして神託の成就を、母親と新婦と共に祝う。」
ここでは、「激しい恐怖の後は、
平和と喜びが我らの胸を満たす」と、
ありきたりの明るい合唱が歌われる。

それもシンプルで短いもので、
あっけなく幕となる。

得られた事:「ヴィヴァルディは死の直前に、物乞いのように、ヘッセン=ダルムシュタットの王子を訪ねたが、虚しく追い返されている。しかし、それがゆえに、彼のオペラは作曲家の死後という状況ですら、首都で演奏されるに至った。肉を切らせて骨を断つような話である。」
「『メッセニアの神託』では、ヴィヴァルディの盟友、アンナ・ジローが演じるメローペによる最終シーン『歎きか怒りか』が感情の高まりのクライマックスとなっている。」
[PR]
by franz310 | 2015-03-21 20:57 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その426

b0083728_19445580.jpg個人的経験:
再起をかけた
ヴィヴァルディが、
ハプスブルクの都で
披露すべく企画していたのが、
他の作曲家の作品も入れ込んだ
パスティッチョであった事は、
驚くには値しないのだろう。
彼は、素寒貧だったので、
無益なプライドに拘っている
余裕などなかったのである。
それより、即効性、
スピードを重視した戦略である。




21世紀になって、エレクトロニクス産業は、
オープン・プラットフォームだとか、
ソリューション・ビジネスとか言われるが、
社内にないものは、外部から調達すればよい、
という割り切り戦略は、
昔から、普通に行われていた。

各機能で最高なものを提供されるのなら、
ユーザーにとっては、
いいとこどりは非常に有難い。

そう考えると、
ベートーヴェンが、
聴衆がへとへとになろうが、
「運命」と「田園」を一緒に披露してみたり、
シューベルトが、
最晩年に「自作だけの演奏会」に拘ったりしたのは、
その時代特有の戦略だったような気さえしてくる。

サン=サーンスのような
19世紀後半に活躍した作曲家も、
「オルガン交響曲」のような
畢生の大作を初演した時、
合わせて演奏したのは、
いくつもある自分の協奏曲ではなく、
ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲」であった。

このように考えると、
興行師でもあったヴィヴァルディのオペラ観は、
エンターテイメントのカタログみたいなものだった、
などと考えても良いのかもしれない。

ヴィヴァルディは、ヘンデル同様、
声の技巧に偏重した、ナポリ派オペラの台頭に苦慮したが、
人間の官能に直接訴えるような表現を重視した、
それを阻止することは不可能と判断、
むしろ、同じテイストを自作に入れたり、
そこに便乗したりして、時代の流れを乗り切ろうとした。

ちなみにヘンデルは、オペラでは破産するので、
オラトリオに乗り換えた。
ヴィヴァルディはオペラの中で、
同様の価値観見直しを行ったように思える。

ビオンディが、ヴィヴァルディの作戦に共鳴して、
現代にその考えを復活させるような勢いで、
ヴィヴァルディが最後まで上演を夢見て、
果たせなかったオペラ、
「メッサニアの神託」を蘇演したのは、
極めて喜ばしいことである。

このCDでは、ヴィヴァルディのみならず、
当時の嗜好をも考察しながら、
ジャコメッリのような人気作曲家の作品に、
耳を澄ませることが出来る。

前回、途中まで聞き進み、
解説も途中まで読んだので、
今回は、その続きを見て行きたい。

まずは、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアの解説で、
ヴィヴァルディが、
最終的にヴィーンに向かった時の事を、
読んでみることにしよう。

「ヴィーンへの召喚」と題されている。

「1737年12月16日に書かれた、
有名な手紙において、
ヴィヴァルディは自分の生涯を要約し、
ヴィーンから召喚された事を、
そのキャリアのハイライトの一つとして挙げている。
おそらく、皇帝自身からか、
そのごく近い側近から来たもので、
トリエステで受け取った。
1729年9月、
コンティが書いている皇帝謁見の翌年、
ヴィヴァルディの父親、
ジョヴァンニ・バティスタ・ヴィヴァルディは、
彼の息子の一人が、
ドイツに行くのに同伴するということで、
サン・マルコ聖堂の職の休暇を得ている。
この場合、ドイツとは、欧州の中心たる、
オーストリア帝国に支配された、
ドイツ語圏に他ならない。
息子はアントニオに違いなく、
ジョヴァンニ・バティスタの子供たちの中で、
こうした旅行に相応しい職業なのは、
そして、さらに重要なことには、
ヴェネチアとそこにいる家族と離れる心構えをした、
その目的に敵う、唯一の存在はアントニオであった。
ヴィヴァルディ父子は、
ドイツに7か月ほど滞在し、
ヴィーンやおそらくはプラハ、ドレスデンにも行った。
この旅は実りあるもので、
彼がヴェネチアに帰って来た時には、
アントニオは、ロレーヌ公とリヒテンシュタイン王子の
聖堂の楽長という地位を手にしており、
首都において、彼のオペラの一つを、
初めて演奏したとも自慢できたかもしれない。
1730年、ケルントナートーア劇場で上演された、
『アルジッポ』の印刷されたリブレットの発見は、
その年にヴィヴァルディが、
皇室の後ろ盾で、ヴィーンの公の劇場との結びつきを、
得たことの証拠となる。
彼の『皇室の高貴な方』である、
皇帝の認可を得た劇場
『Teatro Privilegiato da S.M.Reale』が、後に、
『メッセニアの神託』のヴィーン版のリブレットで、
言及されることになる。」

ということで、
「Teatro Privilegiato da S.M.Reale」とは、
何か、という事になるが、
次の章のタイトルがまさしく、
「Teatro Privilegiato da Sua Maesta Cattolica Reale」
となっている。

まるで、推理小説を読むような解説である。

「ヴィーンにおいて、カール6世の劇場世界は、
2つの別個の部分に分かれていた。
一方は宮廷劇場で、その目的は、
王位の力と栄光を祝賀するためのもの。
これらは、選ばれた人のためのもの。
もう一方は、たった一つ、
広く公衆に開かれたもので、
古い『Carinthian Gate』近くにあるため、
ケルントナートーアと呼ばれる、
『公衆劇場』であった。
1709年に建設された、
ヴィーンの最初の大衆劇場は、
1728年から、テノールの
フランチェスコ・ボロジーニが、
宮廷の舞踏音楽の作曲家でダンサーでもあった、
ヨーゼフ・カール・シラーと共同で運営していた。
この二人に宮廷は免許を与え、
歌付きの幕間劇を伴う、
コメディーを上演させていたが、
正規のオペラ・セリアは禁じていて、
これは、宮廷劇場に委ねられていた。
この規制は、しだいに検閲が甘くなり、
そのため、ヴィヴァルディは、
『アルジッポ』を上演することが出来た。
この時代からのヴィーンの劇場との
ヴィヴァルディの関係の実体は、
まだ良くわかっていないが、
『アルジッポ』の初演後10年、
ケルントナートーア劇場で、
少なくとも、台本を変えながらも、
繰り返し演奏されていた事を
示唆する証拠がある。
この時期、ケルントナートーア劇場で演奏されたもので、
ヴィヴァルディが関係したオペラのリストは、
(そのいくつかは単独で手掛けた)
再考を促すものである。
1731年のNerone
1733年のTito manlio
1734年のArtabano
1735年のTeuzzone
1737年のFarnace。
1737年には、さらに、
リブレットも、ヴィヴァルディのスコアも、
『忠実なニンファ』を下敷きにした、
田園オペラ『幸福な一日』の初演があり、
これは、フランソワ3世(マリア・テレジアの夫)の最初の娘、
大公女マリア・エリザベートの誕生を
祝うことを意図したものだった。
翌年、同様にヴィヴァルディ作曲の主題による、
『La Candace』が
ケルントナートーア劇場にかけられている。
ある意味、ヴィヴァルディの音楽は、
ヴィーンで流行になっていた。
ヴェネチアの聴衆の、
彼への支持が落ちて行ったときだったので、
この流行が、
1740年春、故郷を離れ、
ケルントナートーア劇場から、
それほど遠くない家に、
ヴィヴァルディを住まわせたのだろうか。
40年近く関係があった、ピエタ養育院は、
1740年の5月、
多くの彼の作品を買い取っている。
ヴィヴァルディは最新のオペラを持って、
ヴィヴァルディはヴェネチアを離れた。
その中には、『メッセニアの神託』のスコアもあった。」

ヴィヴァルディは、何度かヴィーンに行っただけ、
というイメージであったが、
大量のオペラを提供していたということだ。

カール6世の死去で、
ヴィヴァルディが苦境に立ったのは知っていたが、
その孫の誕生祝いにまで関わっていたとは知らなかった。

次に、「ヴィヴァルディのメローペ」という章が来る。
メローペとは、「メッセニアの神託」のヒロインとも言うべき、
王妃の名前である。

「ヴィヴァルディの『メッセニアの神託』の初演は、
1737年の12月28日に、
ヴェネチアのサンタンジェロ劇場で行われ、
カーニバルのシーズンが始まった。
このシーズンは、異常に短期間に企画され、
たった一ヶ月前に、ヴィヴァルディは、
フェラーラで演奏されるはずだった、
『Siroe』の改訂版など、
いくつかのオペラすべてを発表した。
フェラーラの大司教で、
ローマ教皇の特使であった
トマゾ・ルッフォ卿が、
聖職者に関わらずミサもあげず、
歌手のアンナ・ジローと『友人関係』にある、
という理由で、
突然、ヴィヴァルディの市への
立ち入りを禁じた時、
フェラーラのシーズンのため、
上演の準備はかなり進んでいた。
『不運の大海』に落とし込まれ、
彼がすでにつぎ込んでいた、
財政上の義務による破産への恐れから、
フェラーラ公演の放棄以外、
ヴィヴァルディには選択の余地はなく、
このような事業を監督できる、
代理の者もいなかった。
ヴェネチアにおける
『メッセニアの神託』の作曲と企画は、
こうした躓きの成り行きであった。」

ヴィヴァルディは、興行主であったから、
かなりの大金を動かしていたはずだが、
一度の失敗で、破産まで追い込まれるものであろうか。

しかも、1737年と言えば、
ヴィヴァルディも59歳、
今の社会でも定年間際みたいな年になっている。
この年での失敗は痛かったであろう。

病気や家族の死や、リストラといった事は、
年を取れば、よく聴く話であるが、
ヴィヴァルディのように、
大きな負債を抱えた大作曲家というのも珍しい。

悲劇の早世で知られるモーツァルトやシューベルトも、
貧乏であったようだが、
彼らが動かしていたお金は、
ヴィヴァルディの百分の一とかそれぐらいではないか。

「ローマ教皇の特使の決定の撤回が
無理であることが分かった、
1737年10月30日から、
ヴィヴァルディは、
おそらく、
重要なアンナ・ジローをはじめ、
フェラーラで使う予定であった、
アンサンブルを使って、
サンタンジェロのオペラシーズンを、
大急ぎででっち上げた。
このような素早いシーズンの企画は、
『メッセニア』、『ロズミーラ』、『アルミーダ』
といった、
3つの異なる作品を揃えていた。
これは、同時に、
秋のシーズンからこの劇場お抱えだった、
興行師チェーザレ・ガルガンティによって、
組織されたアンサンブルを、
サンタンジェロから立ち退かせたことを意味し、
ヴィヴァルディがなおも、
かつての勢力範囲に影響力があった事を示している。
フェラーラでの失敗の後、
ちょうど一か月後、
ヴィヴァルディは、ヴェネチアで契約を結び、
そこで流行っているものに、
プログラムを適合させた。
『メッセニアの神託』での
ヴェネチアシーズンの即席のオープニングは、
芸術的にも、実利的にも意味があり、
アポストロ・ゼーノの台本『メローペ』の改作は、
彼自身の音楽アプローチと、
彼のお気に入り歌手に理想的な曲を提供することで、
ヴィヴァルディに、完璧に劇的な構成を与えたし、
短い時間で、火花を散らすようなスコアを、
短期間で構成することを可能とした。
ヴィヴァルディは、メローペのリブレットに、
何年も関心を持っていた。
プロットは、エウリピデスの悲劇
『クレスフォンテス』によっており、
その著者によって、
『私の劇の中では悪くないもの』と呼ばれていた。
アクションの効果的な取扱いと、
力強い性格描写で、
それは、ゼーノの輝かしい『改革』時代の
眩い実例である。
ヴィヴァルディは、
1711年のカーニバルのシーズン、
ヴェネチアのS.カッシアーノ劇場で上演された、
彼の最初のオペラの師匠であった、
フランチェスコ・ガスパリーニによる、
最初の付曲について、明らかに知っていたはずである。
彼は、このオペラが、
フィレンツェ(1713)、ミラノ(1715)、
トリノ(1716と1732)、
ボローニャ(1717)、ミュンヘン(1719と1723)、
ローマ(1721)、ペルージャ(1731)、
カールスルーエ(1729)そして、
プラハ(1731)で、
アレッサンドロ・スカルラッティ、
ステファーノ・フィオーレ、
マリア・オルランディーニ、
ピエトロ・トッリ、
リッカルド・ブロスキらの音楽で、
上演されたことを知っていたかは分からない。」

とにかく、この物語は、作家自らが自慢することが
不思議でないほどに、様々な作曲家が取り上げた。
しかも、イタリアのみならず、
プラハやミュンヘンでも上演される
人気作だったということだ。

師匠が作った作品の他、
もう一つの有名な作品も、以下のように、
ヴィヴァルディは愛好したようである。

「しかし、彼は、個人的に、
ヴェネチアの
テアトロ・S.ジョバンニ・グリソストーモで、
1734年のカーニバル・シーズンに上演された、
ジェミニアーノ・ジャコメッリの
人気作は良く知っていて、
ここでは、当時の最も有名なカストラート、
偉大なファリネッリと
嵐のようなカファレッリが共演した。
ジャコメッリの『メローペ』は、
ヴィヴァルディの『オリンピアーデ』が、
ほぼ同じころ、サンタンジェロ劇場のシーズンを
締めくくったのと同様に、
ヴェネチアの最も名声ある劇場のシーズンを閉じ、
明らかに深い印象を彼に残していた。
一年後、ヴェローナにて、
ヴィヴァルディは、
ジャコメッリのスコアから、
2つの偉大なアリア、
『Barbaro traditor』と、
『Sposa…non mi conosci』を
こっそり引用し、
パスティッチョ・オペラの
『バヤゼット』を作った。
それから、1736年のシーズンに、
フィレンツェのデル・ペルゴラ劇場から
アントニオ・サルヴィの旧作リブレット
『ジネブラ』によるオペラを委嘱された時、
代わりに『メローペ』はどうかと提案して失敗している。」

このような有名な劇であるから、
ヴィヴァルディも、これに曲を付けたい、
と思ったとしてもおかしくはないが、
あえて、人気作がある所に、
連なろうとしたところが面白い。

この時代以降は、むしろ、
この作品は、この人の音楽があるから、
などと遠慮する傾向が強まって来る。

ヴィヴァルディは大変な自信家だったのか、
あるいは、興行師としての彼の本性のなせる技なのか。

「ヴィヴァルディの
ゼーノのリブレットへの親近感と、
ジャコメッリのスコアへの賞賛が、
1737年の12月、
サンタンジェロでの即席シーズン、
非常にタイトなスケジュールの仕事に迫られた時、
彼が、『メッセニアの神託』を
選んだ理由であることは、
疑うことが出来ない。
彼が新しいスコアを用意するとき、
彼がかつて『バヤゼット』で
行なった方法を取ったようで、
ジャコメッリの音楽を、
多くここにも有効利用した。
『神託』のリブレットは、オペラの作曲家は
ヴィヴァルディだけのように思わせるが、
情報を総合するに、
『メローペ』の物語の
彼の最初のバージョンそのものが、
実際、もう一つのパスティッチョなのである。
公式にヴィヴァルディ作と考えられるリブレットによって
パスティッチョであることが分からなくなることは、
同じシーズンにヴィヴァルディが、
サンタンジェロ劇場で上演した
『ロズミーラ』によっても、
疑いもなく証明される。
同様に、彼は非常にタイトなデッドラインに直面したが、
多くの流用可能な素晴らしい素材を持っていたのに、
ヴィヴァルディが新しい音楽を書いたりして、
無駄な時間を費やしたとは全く思えない。
最初の『神託』のバージョンのスコアは失われたが、
リブレットが残っていて、ヴィヴァルディが、
ジャコメッリのオリジナルをテンプレートとして、
新しいナンバーを挿入するとか(第1幕第4、第9場、
第2幕第2、第3場、第3幕第1場など)、
最近、彼自身が書いた最高のアリア集を再利用するとか、
新しい材料をそこに差し込むという作戦で、
どんな音楽を作品に適合させたかが分かる。」

このように、ヴィヴァルディは、
その時代の集大成のような、
一大絵巻を我々に残してくれようとした、
とも考えられるし、
絶対、失敗しないような作戦で、
背水の陣を敷いたとも言えるだろう。

では、今回は、第2幕を聴き進んでみよう。

第2幕:
「クレオンは勝利を収めて戻る」
と、この時代のオペラらしく、
イノシシは見られずに終わってしまう。

CD1.Track24.
第2幕は、いきなり、エピタイデの凱旋で、
イノシシを倒したらしく、勇ましい角笛を表すような、
ホルンの響きも素晴らしい音楽が始まる。
この部分は、古典的に平明なまでの曲想で、
かなり風通しが良く、エピタイデのアリア
「親しい岸辺よ、私は勝利者として戻った」も、
簡潔かつ、朗らかである。

この状況は、ロッシーニの「タンクレディ」を思わせる。
なお、ここは、ジャコメッリの「メローペ」そのままのようだ。

Track25.
この部分は、レチタティーボで、
下記のようなややこしい状況を説明していく。
が、原作が「メローペ」だけあって、
この王妃の猜疑心の高まりが見どころである。

「彼はポリフォンテの抱擁は拒むが、
死にゆくエピタイデにこうして欲しいと頼まれた、
として、メローペの右手へキスする。
彼は、王室に返す貴重な宝石も貰ったとし、
疑り深いメローペは、クレオンの報告を怪しみ、
この見知らぬ若者を強盗だとして、
息子を殺したと糾弾する。」

Trac26.
当然、彼女の感情が高まって行くので、
アリア「お前は、慈悲に値しない、残酷なものよ」。

ここは、ヴィヴァルディの
「グリセルダ」の音楽を持って来ているが、
このような、いくぶん凝った、
管弦楽と歌の交錯や、畳み掛ける跳躍が来ると、
「待ってました」と言いたくなる。

が、これは、ナポリ派的な技巧を凝らされたものではなく、
アンナ・ジローの演技力を引き立てる、
情念のほとばしりに注力したものだ。

Track27.
「ポリフォンテは、彼を擁護し、
王室の捕われ人を花嫁に与えると約束する。」
このあたりはヴィヴァルディが挿入したナンバー。

Track28.
ポリフォンテの、強烈なアリアである。
「メッセニアが、喜びで怪物の死を祝うように」。

声だけが強烈なのではなく、
管弦楽のアタックや、渦巻きと、
みごとに調和したアリアが全体として、
ものすごい集中力を感じさせる。
少々、調子を外したチェンバロの音色が、
屈折した状況を表すのか、
素晴らしい効果を上げている。

ヴィヴァルディの「モンテズマ」からのアリア。
さすがだ、と言いたくなる。
しかし、ポリフォンテが、エピタイデを、
何故、ここまで重用するのかは、
よく分からない。

Track29.
「エピタイデは、リチスコから、この捕われ人が、
他ならぬ愛するエルミーラだと知らされ狂喜する。」

Track30.
が、ここで、狂喜しているのは、
むしろリチスコだったようで、
「天が与えた花嫁は、愛情深い人です」
というアリアで盛り上がっている。

日本公演でも素晴らしい声と演技を聴かせた、
ゴットヴァルトが、楽しげに歌うのは、
小唄風で、分かりやすく、
ジャコメッリの作品。

Track31.
ここでは、メローペが、大臣トラシメーデに、
前王殺しの下手人、
アナサンドロを連れてくるように
命じているだけである。

もう10年も経っているのに、
何故、今更、といった展開で、
ゼーノは、「この作品は悪くない」と言いながら、
このあたり、気にならなかったのだろうか。

Track32.
アナサンドロは、鎖に繋がれて現れる。
「メローペはアナサンドロに、
クレスフォンテと息子たちが殺された事について
問い詰めるが、
アナサンドロは、公開の裁判でのみ、
それは明らかにするという。」

Track33.
「メローペは、トラスメーデに、
民衆を集めるように命じる」という後で、
この大臣は一人、もんもんと悩む。

Track34.
トラシメーデのアリアで、
7分にわたって、超絶技巧が聴かせられる。
ただし、いきなり、この人がここまで興奮するかは、
ちょっと微妙。

何と、ここで使われているのは、
ブロスキのもの。
「私は危険な揺れる船で」。
これは、日本公演でも、
ユリア・レージネヴァが、小柄な体格で、
いくぶん、声量に限界を感じさせながらも、
素晴らしい集中力で、すごい迫力で歌い切り、
ものすごい拍手に繋がったものである。

なお、日本公演パンフレットでは、
各アリアの出典が書かれていないが、
この曲については、
「映画『カストラート』でも歌われていました。
・・・気づけたらお見事!」
と特記されている。

CD2:
Track1.
ここは、恋人たちが束の間の喜びを語りあうシーン。

「その間、エルミーラは、
エピタイデの死は謀略であると知り、
彼らは喜んで再会するが、
エピタイデの正体は、
秘密のままにしておくことに同意する。」

Track2.
エルミーラのアリア、「優しい希望よ」で、
序奏からして、上質な織物の質感。

ヴィヴァルディの「テンペのドリラ」から持って来たもの。

陰影の豊かさ、管弦楽の繊細さ、
これまた、ヴィヴァルディを聴く醍醐味であろう。

Track3.
「裁判に先立って、
ポリフォンテは民衆の裁きに従うふりをするが、
アナサンドロは、彼の命令で、
メローペが殺人をそそのかしたと糾弾する。
ポリフォンテは、
彼女が死の宣告を受け入れることを求める。
メローペは絶望する。」

Track4.
王妃メローペのアリア、
「私に味方してくれる口も心もありません」で、
楽しげな序奏にチェンバロが明るい響きを散りばめる。
ジャコメッリの作品そのままである。

歌が始まると、切々とした調子を歌い上げ、
中間部では切迫した表現も見られ、
なかなか聞きごたえのあるもの。

Track5.
「エピタイデだけが、
この急な評決を非難する。」
などと、余所者がでしゃばるのは、
いかがなものか。

Track6.
主役のようなものなので、
でしゃばっても良いし、
彼がしゃしゃり出ないと、
続く緊迫感に繋がらない。

しかも、ジュノーの声を、
このあたりで聴きたいではないか。

アリア、「王家の血を訴えるものは」で、
ジュノーのいくぶんくすんだ、飛び上がらない声が、
公演でも、すこし、もの足りなかったが、
このCDでも、もっと突き抜けた世界を要望したくなる。
ジャコメッリの「メローペ」のもので、
技巧が散りばめられている。

Track7.
「アナサンドロはポリフォンテに、
クレオンは、エピタイデに他ならないと警告し、
ポリフォンテは怒りをぶちまける。」

Track8.
ポリフォンテのアリアである。
「荒れ狂う海も、恐ろしい稲妻も」で、
ヴィヴァルディの「フェルナーチェ」からのもの。
木管楽器の装飾も楽しく、協奏曲のように目立ち、
弦楽群の激しいアタックが、情感を盛り上げて行く。

日本公演でもオーボエの音色が印象的だった。

Track9:
アナサンドロ一人。
「アナサンドロは、彼は悪人だが、
自分の名前は、その大罪を負うのだと考えて、
自らを奮い立たせる。」

Track10.
アナサンドロのアリア、
「私は殺された前王の影がさすらうのを感じる」と、
かなり恐ろしい鬼気迫るもので、
手を下した本人であれば、恐ろしい幻想であろう。
ちょこまか動く弦楽や、めくるめく執拗なリズムが、
いかにもヴィヴァルディ。
「ウティカのカトーネ」から採られたもの。

得られた事:「パスティッチョ・オペラの中に入っても、ヴィヴァルディのアリアは、めくるめく情動と、上質な織物を思わせる管弦楽の陰影で、独自の輝きを放っている。」
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by franz310 | 2015-03-15 19:45 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その425

b0083728_2241213.png個人的経験:
最晩年のヴィヴァルディが、
不退転の決意で再起をかけて
ウィーンに進出した時に、
持参したオペラが、
「メッセニアの神託」だという。
しかし、ヴィヴァルディは、
このオペラが、
ウィーンで演奏される事を
見ることなく失意の中、死去。
作曲家が亡くなったのに、
不思議なことに、ウィーンには、
この作品の演奏記録があるという。


そのような不思議な作品ゆえか、
ヴィヴァルディの使徒、ビオンディは、
この曲をCD化しているだけでなく、
2015年、日本に来て演奏もするという。

このCDは、2012年に録音されたもので、
歌手も少し日本公演とは異なる。
最も大きな変更は、
悪役ポリフォンテの腹心、
アナサンドロを、
CDでは、カウンター・テナーの
クサーヴァー・サバータが受け持ち、
公演では、メゾのマルティナ・ベッリが受け持っていた点。

しかも、ビオンディは、
今回の公演に先立って、
カウンター・テナーは、
裏声なので不自然とまで言っていた。

あと、王妃がCDでは
スウェーデンのメゾ、アン・ハレンベルクで、
公演では、ノルウェーの
マリアンヌ・キーランドとなっている。

これは、初演時は、
アンナ・ジローが受け持ったと言われる、
技巧ではなく表現力で勝負する役柄である。

また、婚約者がCDでは、
ロミーナ・バッソだったのが、
公演では、マリーナ・デ・リソになっている。

実は、私は、このCDが出た時、
美しい表紙写真の不思議なイメージもあって、
すぐにネットで注文していた。

表紙の下に、かなりの大きさで、
「ウィーン・コンツェルトハウス」と
特記されているが、
この劇場がヴィヴァルディを、
当時、受け入れていれば、
ヴィヴァルディはもっと長生きしていたはずなので、
複雑な気持ちになった。

さらに、ビオンディのヴィヴァルディでは、
代表作とされた「バヤゼット」でも重要な役割を演じていた、
超絶技巧のヴィヴィカ・ジュノーが、
重要な役柄で登場するのが、とてもそそるではないか。

このCDの表紙写真では、
女性がアクロバティックなポーズで、
そこに蜘蛛の巣のようなヴェールが巻き付いている。
これを手にして、ヴィヴァルディ最後のオペラとは、
いったい、どんな物語なのだろう、
と想像力をかきたてたものだった。

が、内容を知ってしまった今、
ネタをばらすと、
この表紙のイメージとは全く違って、
主人公は、亡命していた王子であって、
その母も婚約者もまったく無策で、
運命に翻弄されるだけの人たちで、
まったくこの表紙のイメージからは遠い。

神託を告げる巫女であろうかとも思ったが、
神託を告げるのは、大臣である。

ビオンティは、このCDで、ヴィヴァルディの碩学、
フレデリック・デラメアと共著の形で、
この作品をこう紹介している。

「1734年のカーニバルのシーズン中、
ピアチェンツァ出身で、ナポリ楽派の、
最も輝かしい代表選手だった、
作曲家のジャミニャーノ・ジャコメッりは、
アポストロ・ゼーノがリブレットを書いた、
彼のオペラ『メローペ』を、
ヴェネチアのジョヴァンニ・グリソストーモ劇場で
お披露目した。
その4年後、このドラマの、
彼自身のバージョンを、
『メッセニアの神託』のタイトルで、
同じ都市のサンタンジェロ劇場で上演した。
このオペラの成功が、
ゼーノが、ヴィーンの宮廷の
前の桂冠詩人だった事によることに疑いなく、
1740年にヴィーンに向かった時、
ヴィヴァルディは、このオペラの総譜を携え、
ヴィーンのケルントナートーア劇場で、
再上演しようとしていた。
1738年の版も、
最終的に1742年に
ヴィーンで上演された後のバージョンも、
オリジナルのスコアは残っていないが、
印刷された二つのリブレットを比較すると、
これら二つの版の間には、
ヴィーンのための作品として、
ヴィヴァルディが構想を膨らませた、
いくつかのアイデアが読み取れる。
ヴィーン版は、ヴェネチア版から、
思い切った変更はしていないが、
オリジナルの4つのアリアを外す代わりに、
3つのバレエや7つの新しいアリアを加えて、
洗い直している。
登場人物の一人の名前を変え、
王女アルギアがエルミーラとなっているのは、
それほど重要ではない。
ヴィーン版はパスティッチョで、
ヴィヴァルディ自身の作を含め、
他の作曲家のアリアを借用している。」

ということで、このヴィヴァルディの、
劇場での活躍の総決算と思われる作品が、
今日的感覚では、
いくぶん、価値が低いとされる、
ごった煮作品だったということが分かる。

「ヴェネチア版は、
ジャコメッリの『メローペ』からの
アリアがあったと思われるが、
ヴィーン版にも採用されたことだろう。
ヴィーン版のリブレットを用いた、
我々の再構成版には、
オリジナルのスコアの中にあった精神で、
ヴィヴァルディや
(前に書かれたオペラでも作曲家自身が借用したもの)
ジャコメッリの『メローペ』のアリアを混ぜ合わせた。
ほとんどのレチタティーボは、
ジャコメッリの作品を採用している。」

日本公演でも、ビオンディは、
このようなごった煮でも、
ヴィヴァルディ自身が調合したので、
彼は、自分の作品だと思っていたはずだ、
と何度も強調し、
むしろ、当時の人気アリアが勢揃いした、
こうした作品を楽しむことの重要性を説いていた。

ヴィヴァルディは作曲家であると同時に、
凄腕興行師でもあったのだから、
確かにそうかもしれない。

このCDには、どの曲がどこからの借用かが、
解説の前に明記されているのがありがたい。

この後、デラメアによる、
ヴィヴァルディ最後のオペラの解説が続く。

これから解説が始まるところで、いきなり、
「ヴィヴァルディのあとがき」と題され、
書きだされている。

「1741年の7月28日の夜明け、
鞍作りの未亡人、マリア・アガーテ・ワーラーが営む、
ケルントナートーアやキャリンシアン・ゲート近くの
『鞍作りの家』と呼ばれていた建物が、
誰にも知られることなく、
音楽史の重要な出来事の舞台となっていた。
遠く故郷ヴェニスから離れ、
高名なる『赤毛の司祭』、
アントニオ・ヴィヴァルディが、
息を引き取ったのである。
その同じ日、ヴィーンの役所の死亡届に、
内臓熱によって、
『尊敬すべきアントニオ・ヴィヴァルディ、
神聖なる司祭』が亡くなったと短信が載っている。
モーツァルトの50年前、
全欧を制覇した『四季』の作曲家は、
貧困の中に亡くなり、ハプスブルクの首都では忘却された。
音楽史の中でも特筆すべき時代が終わったのである。
ヴィヴァルディは前年、イタリアを出て、
自身の国では明らかに自分の星が陰り始めていた時、
新しい芸術の地平が、
アルプスの向こうで開かれることを、
確信を持って望んでいた。
しかし、幸運はすでに彼の側にはなく、
躓きと失望が彼をなおも追いかけていた。
ヴィーンでの彼の滞在は、
災難を証明し、彼とハプスブルク帝国の関係の、
長く複雑な物語の悲しい結末となった。」

さらに、このCDの解説には、
「オーストリア人としてのヴィヴァルディ」
という、極めて興味深い一章が設けられている。

「キャリアの最初から、
ヴィヴァルディは、
作曲家、興行師としての自由を束縛されない形で、
委嘱や収入の流れを確保するために、
コネや将来のパトロンの緊密なネットワークを築くことに、
重点を置いていた。
貴族や王族、高位の聖職者、大使や政治家、
ヨーロッパの高貴な家柄の代表者など、
こうした人たちが次々と、
ヴィヴァルディのアドレス帳に追加されていったので、
1737年までには、
彼は、『9人の高貴な王子たち』と文通していることを
自慢するに至った。
オーストリア帝国や、そのもっとも影響力のある代表者は、
ヴィヴァルディの個人的な
ヨーロッパ貴族のWho’s Whoに、
特別な地位を占めた。
ハプスブルクのヴィーンは、
特異な音楽の小宇宙であって、
長年、イタリア音楽を暖かく迎え、
芸術移民の波を受け入れていた。
数世代にわたる、音楽を愛する帝王が、
ツィアーニからカルダーラに、
そしてボノンチーニ兄弟、
コンティ、バディア、ポルサイル、
そして、数え切れぬ歌手や器楽奏者に到る
この流れを奨励し、
帝室宮廷の音楽活動は、
イタリア人が大々的に取り仕切ることになった。
ヴィーンとオーストリアすべてが、
多くのイタリア人芸術家たちに、
約束された土地に見え、
その他の者にも真の金鉱に見えた
としても驚くにはあたらず、
ヴィヴァルディは、
この恩賞を確かなものにするために、
そのもっとも著名な代表の好意を得るべく、
慎重に計画を練った。
最初に記録された、
オーストリアの契約は、
1714年から帝国のマントヴァ大使を務めた、
ヘッセン=ダルムシュタットのフィリップ公で、
1718年、ヴィヴァルディは、
彼の宮廷音楽監督となり、
ヴィヴァルディのマントヴァ時代は、
1736年のその死の時まで、
芸術の愛好家で寛大なパトロンで擁護者であった、
このオーストリアの貴族の確固たる保護を得て、
彼のキャリアの重要な1ページとなった。
ヴィヴァルディをヴェニスの帝国大使で、
ヴィヴァルディがカール6世に初めて、
献呈した作品である、カール6世の名の日のための
セレナータ『Le gare della giustizia e della pace』をおそらく委嘱した、
ヨハン・バプティスト・フォン・コロレドに紹介したのは、
フィリップ公であった。
コロレドは、今度は、ヴィヴァルディを、
ミラノのオーストリア大使であった、
ヒエロニムス・フォン・コロレドに紹介し、
その事務所を通じて、
ヴィヴァルディはその妃の、
エリザベート・クリスティーネに献呈した唯一の作、
パストラル・オペラ、『シルヴィア』を
1721年の夏、
彼女の30歳の誕生日に書く委嘱を受ける。」

という風に、ヴィヴァルディが、
オーストリアの皇室とのつながりを深めていった
過程がよくわかった。

次に、「皇帝のための協奏曲集」という章になるが、
もちろん、これは、すでに、チャンドラーのCDなどで、
特筆された、「ラ・チェトラ」などの事である。

「こうして、ヴィヴァルディは彼の欧州での名声を
確固たるものにしていくように、
ハプスブルクとの強い結びつきを築き上げていくが、
1727年、その作品9の『ラ・チェトラ』を
皇帝に献呈するのに、十分な近さとなった。
その考えられたタイトル、『竪琴』は、
ハプスブルク家の象徴を表したもので、
オーストリア皇帝の杓は、
『竪琴と剣』の上で安泰と言われ、
フェルディナント三世を表すのに、
弟のレオポルド・ウィルヘルム太公が使った、
詩的な表現である。
この成熟した協奏曲の、
素晴らしい曲集によって、
ヴィヴァルディは、
『最も温和で、寛大、慈悲深いパトロンであり、
洗練された芸術の推進者』と、
賞賛して献辞に書いたカール6世に、
最初の直接的なコンタクトを持った。
『ラ・チェトラ』が、どのように、
皇室で受け止められたかの記録はないが、
カール6世との直接の繋がりが、
可能となることを意図したものである、
この畏敬の行為は受け入れられた。
1728年9月、港の建設の視察のため、
皇帝がトリエステを訪問した際、
彼は、公式な祝賀や祭典より、
ヴィヴァルディとの何度も実りある会話を楽しんだ。
『皇帝はヴィヴァルディと音楽に関して、
長い時間、語り合った』と、
イタリアの学者で哲学者であった、
アントニオ・コンティは、
その後、短いメモを残し、
『二週間の間、皇帝は、
大臣と二年の間にしゃべる以上に、
ヴィヴァルディと
個人的に語り合ったと言われている』
と追記している。
12曲の新しいセットの、
ヴァイオリン協奏曲集
(またしても、『ラ・チェトラ』と題され、
一曲だけが、前の曲集と同じだった)を、
カール6世に献呈したのは、
この機会であったことは疑う余地がない。
トリエステからヴェネチアに帰ったヴィヴァルディは、
いっそうオーストリア人になっていた。
ヴィヴァルディのアドレス帳には、
さらに重要な関係が追加され、
その中には、リヒテンブルクの王子で、
皇室顧問官のヨーゼフ・ヨハン・アダム、
ロレーヌ公で、将来のカール6世の義理の息子で、
後継者となるフランソワ三世が含まれていた。
そして、おそらく、彼の最後のスケジュールには、
遂に、皇帝の宮廷への招待が加わった。」

この後、デラメアの解説は、
さらに興味深い部分に入って行くが、
これ以上、ここで語ると、オペラの内容が、
何時まで経っても分からない。

ということで、物語の内容として、どのような作品か、
CD解説にある「SYNOPSIS」を見ながら、
音楽を聴き進めてみよう。

Track1.~3.
はシンフォニアで、「グリゼルダ」のものに
金管を加えて演奏したものだという。
ただし、ビオンティは、ヴィヴァルディが、
最後まで、「バヤゼット」の序曲を持っていたので、
本当は、これが「メッセニアの神託」で
使われる予定だったのではないか、
とも推測している。

「メッセニアの王、クレスフォンテは、
二人の息子と共に、
クレスフォンテの妃メローペの守衛、
アレッサンドロに謀殺された。
末の息子、エピタイデは、殺戮から逃れ、
母親によってエトリアに送られ、
ティデオ王の宮廷で育てられ、
王の娘、エルミーラと恋に落ちる。
メッセニアの王位を狙ったポリフォンテの命で、
この殺人が行われ、
その地位を正統化すべく、
クレスフォンテの未亡人を妻にしようとする。
メローペは、10年の後であれば、
と許諾する。」

これだけ読めば、この物語が、
メッセニアの王権簒奪と、
それに対する報復の物語であることが予測される。

メッシーナ(メッセニア)は、
シチリア島にある古代都市であるが、
ネット検索すると、ギリシア神話をもとに、
メロペ(メローペ)について、こう解説されている。

「アルカディアの王キプセロスの娘で、
メッセニアの王クレスフォンテス
(ヘラクレスの後裔(こうえい))の妻。
義兄弟のポリフォンテスに夫と子供2人を殺されたうえ、
むりやりその妻にされたが、
末子アイピトスをひそかに落ち延びさせる。
やがて成人した彼が仇討(あだうち)に戻ってきたとき、
メロペは敵と勘違いをして危うく殺しかけるが、
母子であることを認め合い、協力して仇討を果たす。」

まさしく、この物語が下敷きになっている。
下記のような物語が展開するが、
単純な復讐物語と異なるのは、
せっかく息子が帰って来たのに、
それを敵だと考える母、という部分か。

また、息子アイピドスは、
エピタイデという名前になっていて、
イノシシ狩りをする部分も取ってつけたような感じ。

ベルンハルト・ドロビッヒが書いたものを、
パウラ・ケネディが英訳した概要を読む。

第1幕:
「オペラが始まった時、
メローペが許諾して10年が経とうとしている。
そして、エピタイデは、今や若者に成長し、
クレオンの名に変えて、
強奪者から国を取り戻すべく、
メッセニアに帰っていた。
彼の素性を知っており、
復讐の計画を練るのは、
エトリア公使のリチスコのみである。」

このような状況なので、
いきなり、主人公とも言える、
亡命の王子、エピタイデが、
故郷メッセニアにやって来たシーンで、
レチタティーボを歌い始める。

Track4.「ここがメッセニアか、
私の父コレスフォンテは、
ここの支配者であった」とかやっていると、
ト書きに、
「古代の街メッセニアの広場、
背景の寺院の扉が開くと、
ヘラクレス像と祭壇が見える」などとあるように、
Track5.で、いきなり合唱になり、
何やら、お祈りが始まる。

「エピタイデは、ヘラクレスの祭を見たが、
そこでは、メッセニアの人々が、
国土を荒廃させた、
凶暴なイノシシからの救いを祈っていた。」
とあるとおり。
このあたりは、ジャコメッリの音楽らしい。

Track6.は、エピタイデは、
そこにいた立派な身なりの男
(トラシメーデ、若いロシアのソプラノ、
ユリア・レージネヴァが担当)に、
何故、みんなが嘆願しているか、と尋ねるところ。

Track7.は、シンフォニアとなり、
悪役の登場である。
ジャコメッリ作とされる、
音楽そのものは楽しいが。

Track8.
「王ポリフォンテは寺院から出て来て、
メッセニアの首相トラスメーデに、
神託の反応を読ませる。」

ここで、トラシメーデは、神託を読む。
「メッセニアは、まず勇気ある行動と、
次に怒りの結果によって、
2つの怪物から解放されるであろう、
そして戦利者は、王家の血筋の奴隷と結ばれるとある。
メッセニアの誰も、イノシシを退治する用意はなく、
エピタイデは、志願して、その大役を引き受け、
メッセニアの人々を救おうとする。」

このような不気味な神託なのに、
悪役ポリフォンテは、何ら怪しむこともなく、
イノシシ退治を主役のエピタイデに命じ、
「若いヘラクレスみたいだ」とか言って、
完全に他人事モードである。

Track9.ここで、漸く、
お待ちかねのアリアがさく裂。
ジュノーが歌う、エピタイデの、
「私の勇気は自然の恵みではなく、
恐れのない心があれば、
腕に力は漲るものだ」という内容の、
高揚した、晴れやかなものである。

これも、ジャコメッりの人気作、
「メローペ」からのもの。


Track10.
ここで、ポリフォンテに、
トラスメーデが、リチスコが来た事を告げる。
リチスコは、バッハの演奏でも有名な、
ドイツのメゾ・ソプラノ、
フランツィスカ・ゴットヴァルトが演じている。

この人は、すらりと端正で、
声もまた格調が高い。

Track11.は、
ポリフォンテとリチスコの交渉シーン。
「リチスコは、ポリフォンテの前に現れ、
エトリア王がエピタイデを引き渡すように、
ポリフォンテがかどわかして人質にした、
エルミーラの解放を要求する。
リチスコは、ポリフォンテに、
エピタイデ引き渡しは、
彼が死んでいる以上、無理だと言う。」

Track12.
強烈な刻み音で、いかにも残虐な支配者を思わせる、
エルミーラは返さないという、ポリフォンテのアリア。
ノルウェーのバイキングを思わせる、
マグヌス・スタヴランが、白熱した歌唱。

それもそのはず、これはヴィヴァルディの作。
「アテナイーデ」から持って来たという。

「怒りを持って聴き、復讐を持って対応する。」
という悪人ぶり、
「無実のいけにえにも、
王は悪人どもの殺戮を約束する。」
といった歌詞が、
川崎の少年の事件の直後にあって、
妙に、生々しく感じられる。

Track13.
リチスコは一人になって、
それにしても、エピタイデはどこにいるのだ、
と案じる。

Track14.このあと、リチスコのアリア。
「あの暴君が力をなくし、王位を追われるまで、
息をするのも苦しい」と、
正義の味方に相応しい、高らかな宣言の歌を歌う。

この曲は、要所要所に華麗な装飾が入って、
極めて難易度が高いものだと思われる。
豪快なホルンも伴奏に加わり、
澄んだ声が跳躍するところは、
オペラを聴く醍醐味にも思われる。

さすが、当時の人気作、ジャコメッリのもの。
当時の人が拍手喝采した様子が忍ばれる。

Track15.
ポリフォンテに夫を殺されて10年、
結婚を迫られるメローペの嘆きである。
「遂に、この日が来た」という感じ。

Track16.
大臣のトラシメーデが来て、
「私はあなたが他の人の妻になるのを見たくはない」
などと言っている。

「メローペは、トラスメーデに、
逃亡しているアナサンドロを探すように命じ、
彼から、誰が夫と息子を殺すように命じたのかを
知ろうとする。」

Track17.
そこにポリフォンテが、
略奪してきた隣国の王女、
エルミーラを伴って現れる。

ポリフォンテは、イノシシ狩りを成功させた者に、
この娘を与えようとしていて、
それをここで告げるのだが、
エルミーラは、自分には、すでに決まった人がいる、
と言う。

解説に、
「ポリフォンテは、エルミーラに、
もし、彼がイノシシを殺したら、
神は、エルミーラを、
異国の者に与えると言った、と伝えるが、
彼女は、エピタイデへの忠誠を誓う」とある部分だ。

「私は、私が選んだ人を愛するの」と言って、
感情が高ぶって、型にしたがってアリアとなる。

Track18.エルミーラのアリア。
これはすばらしいオーケストレーションが施された、
序奏からして、極めてジューシーなもので、
ヴィヴァルディ自身の「グリゼルダ」からのもの。

その繊細な陰影や、立体的な楽器法もあって、
このオペラの1幕の白眉ともなっている。

「私の涙とため息で、
私が弱っていると思うかもしれないけど、
死ぬことなど全然、怖くないのです。」

このCDで歌っているのは、
バロック・オペラでは高名な歌手、
ロミーナ・バッソであるが、
ちょっと年を感じさせる。

日本公演では、世代交代した感じで、
リソの歌唱になっていた。

Track19.
全王の妃、メローペと、
簒奪者ポリフォンテの息詰まる応酬のシーン。

「メローペは、殺人に関与していそうな
ポリフォンテへの蔑視を隠そうとせず、
来たるべき婚儀を呪う。」

Track20.は、当然、
メローペの激しい怒りに震えた、
これまた、このオペラの白眉とも思える、
「野蛮な裏切り者よ」である。
ただし、これは、ジャコメッり作とされる。

しかも、ヴィヴァルディは、
この曲は「バヤゼット」でも使っている。

この役柄は、ヴィヴァルディの最も信頼を寄せた歌手、
技巧より味で聴かせた、アンナ・ジローが歌ったとされるが、
これは、突き刺さる感情表現が求められる。

オーケストラのヴィルトゥオージもすごいが、
このCDのアン・ハレンベルクも非常に説得力がある。

この激烈なリズムの中、
何度も、感情の爆発が繰り返され、
聴くものを否応なく同調させてしまう。
ジャコメッリの力量は、
ヴィヴァルディも買っていたようだ。

Track21.
「ポリフォンテは、応酬して、
隠れていたアナサンドロを呼び出し、
メローペを殺人犯と告発するよう命じる。」

Track22.
アナサンドロが去ると、
ポリフォンテは、ドアを開けて、
守衛に、異国の者を連れて来るように命じる。

クレオンの名を騙っている、
主人公のエピタイデが、
「私は、この国を危機から救いたい」と現れる。

「ポリフォンテは、
クレオンをイノシシ退治に送りだし、
若き英雄は、すべての希望を、
来たるべき報酬にかけて出発する。」

Track23.
エピタイデのアリアで、
愛するエルミーラはどこにいる、
と言った後、
ジュノーが、軽い小唄風の、
「愛のための涙は甘いが、それが何時ものことだと辛い」
という、控えめなものを歌って、第1幕が終わる。
これは、「ウティカのカトーネ」から持って来ていて、
ヴィヴァルディ自身の作らしい。

今回は、この辺で、続きは次回に回す事にする。

得られた事:「ヴィヴァルディは、遠い異国で客死した、と言われるが、本人は、自分の国の首都で息絶えた、と考えていたかもしれない。」
「ヴィヴァルディ最後のオペラとされる『メッセニアの神託』は、他人の作を多く含むパスティッチョ(ごった煮)作品であるが、当時のヒット曲を集めた最高のエンターテイメントであった。」
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by franz310 | 2015-03-07 22:42 | 古典