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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その420

b0083728_21351357.png個人的経験:
ヴィヴァルディの協奏曲、
たくさんあるけど、
どれも同じ、という考え方に、
多くの演奏家が異議を唱えている。
その一つ、この前聴いた、
セレニッシマのCDは、
昇竜期と円熟期の
ヴィヴァルディを比較して
秀逸なものだった。
ここでの協奏曲とオペラのアリアを
並べて聴かせる企画も
有難かった。


これは、AVIEというレーベルのものだったが、
それよりも早く、ジュリアーノ・カルミニョーラは、
アルヒーフやソニーといった、
メジャー・レーベルに、
「後期ヴァイオリン協奏曲」などを録音して、
同様の主張を行っていた。

ただし、いかんせん、
CDに収められたどれもが、
ヴァイオリン協奏曲であったので、
大筋は、やはり、
同じような曲のような錯覚に陥って、
私は、それほど聴きこんでいなかった。

しかし、セレニッシマのCDを聴き、
例えば、ハ長調、RV191の協奏曲が、
いかに、普通のヴィヴァルディと異なるかが、
力説されていると、ちょっとそそられてきた。

同様のコンセプトで、
珍しい協奏曲ばかりを集め、
同じ曲をも収めた、カルミニョーラ盤を、
改めて、聞き直してみたくなるではないか。

このCDは、カルミニョーラのポートレートが、
強烈に全面に出されたデザインで、
ヴァイオリンを手にした円熟期の演奏家が、
神殿の柱ような大理石の建築に寄り添って、
いかにも古い時代の音楽を祀る司祭のようなイメージ。

このヴァイオリニストは渋いイケメンなので、
見た目は悪くはないが、
決して、肝心のヴィヴァルディの音楽を、
直接的に連想させるものではない。

さて、前に聴いたAVIEレーベルのCDで、
ヴァイオリンを弾いていた、
アドリアン・チャンドラーは、
そのCD解説で、RV191について、
いきなり、このように書いていた。

(なお、チャンドラーのCDは、
古い絵画をあしらったデザインで、
かなりな硬派と言える
カルミニョーラ盤の表紙よりは、
ずっと人に薦めやすい。)

「この協奏曲には、
典型的なヴィヴァルディのものから、
多くの違った点が見られる。
それは、彼のオリジナルの自筆譜から見られ、
消された独奏部のいくつかは、
まったくの伴奏だけになっているが、
ヴィヴァルディの場合、
先にメロディを書き、
後から伴奏を付けるのが通例である。
これは、
特に、ヴィヴァルディの特徴であるが、
独奏ラインの華々しさに注力しがちな、
ヴァイオリニスト=コンポーザーには
ありがちな事である。
変ロ長調協奏曲同様、
この協奏曲には、
1710年代後半から1720年代初期に流行した、
声楽的ベルカントスタイルへの
ヴィヴァルディの傾倒が見られる。
そこには、なおも、(bariolageのような、)
輝かしい急速なパッセージが見られるが、
これは、『ムガール帝王』などで明らかに開陳された、
1710年代の単純な、
moto perpetuo(モート・ペルペトゥオ)
常動曲スタイルに依存することなく、
これらはしばしば困難な弓使いのパターンと一体となっている。
ヴィヴァルディは、
このカンタービレ・スタイルを最初に開発した人で、
これは、後に、フランスのヴィルトゥオーゾたち、
(彼の弟子であったジョヴァンニ・バティスタ・ゾメスを経て)
同胞のジョゼッペ・タルティーニによって普及することになる。
タルティーニがヴィヴァルディの声楽曲を、
自身のスタイルがそこまで発展していないのに、
批判していたことは皮肉なことである。
ヴィヴァルディがいなければ、
モーツァルトや、その先の協奏曲は、
異なる形になったであろう。」

この曲は、変ロ長調にも増して、
抽象的な音楽に聞こえる。
Track16.第1楽章は、
急速に渦巻くパッセージで始まるが、
何の、感情をも触発することなく、
単に鳴り響いているだけの感じ。
まったく味気ない序奏である。

そこに、少し不安なメロディが重なるが、
実は、それが隠されたテーマであるわけでもなく、
そこから特に、その不安さが発展することもない。

独奏ヴァイオリンが入って来て、
忙しなく奏でるメロディも、
いくぶん、物憂げではあるが、
特に不安なものではない。

様々な音形をもてあそんで、
まるでフィギュア・スケートのように、
時々、跳躍を交えながら、
細かい装飾演技を
刻んでいるだけの感じがしなくもない。

フィギュア・スケートに例えると、
細かいパッセージの繰り返しは、
スピンの形が刻々と変化しているような感じで、
ふと偶然、思いついた連想ながら、
妙にこれらの曲とマッチするではないか。

むしろ、通奏低音でぽろぽろと鳴り響く、
テオルボの音に魅惑を感じる。
思索的で語るようなヴァイオリンとも言える。

Track17.第2楽章は、これまた、
かなりざっくりした音楽で、
ひと息で、ひと刷毛で、
夕暮れの色をキャンバスににじませただけの、
かなり達人の技となっている。
このような感想は、後期協奏曲などと呼ばれるから、
反射的に思い浮かぶものなのかもしれない。

ヴァイオリンは、ここでも、
流れる雲を追っているだけのような、
伸びやかなもの。

Track18.第3楽章は、
跳ねるリズムが特徴的で、
やたら、繰り返すだけのもの。
そこに、メヌエット風の優雅なメロディが絡む。

ヴァイオリン独奏は、
勝手気ままに、即興演奏を繰り広げるだけで、
オーケストラは、そこに、さりげない陰影を施すのみ。

最後は、オーケストラが刻むリズムに、
独奏が一緒になって騒いでみたり、
いきなり、それに飽きたような歌を歌ってみたり、
気まぐれな、統一感のない騒ぎで終了する。

チャンドラーが、この曲を、
私が聴いて来たように、
気まぐれで抽象的な性格ゆえに、
後期の代表作として取り上げたのかどうかはわからない。

しかし、現代を代表するヴィヴァルディ弾きの、
カルミニョーラも、大手のソニーに、
他の5曲と一緒にこの曲を、
2000年に入れているのであるから、
(これには、「初録音集」と書かれている)
やはり、この曲は、
それなりの位置づけのものなのだろう。

また、チャンドラーが、2013年に、
この曲を録音した時に、
この録音を知らなかったとは思えない。

カルミニョーラの演奏は、
第2楽章など、ずっとロマンティックで、
アンドレア・マルコンの指揮する、
ヴェニス・バロック・オーケストラも、
リュートのぽろぽろ言う伴奏が、
情感を盛り上げている。

このイタリア勢の演奏は、
両端楽章も、それなりに歌っていて、
理屈っぽい?英国の団体、
セレニッシマほど割り切っておらず、
情感を盛り込んでいる。

それでも、音楽は、
意味不明な情念を感じさせ、
やはり、この曲を書いた時、
ヴィヴァルディが、
奇妙な境地にいた事は感じさせる。

セレニッスマの演奏は、
カルミニョーラが持っていた、
ヴィヴァルディ的な要素を、
かなり思弁的に切り捨てた演奏と言えるかもしれない。

それは、ここで敢えて言うなら、
シューベルトの後期の歌曲への、
伝統的なアプローチにも似て、
表現主義的であるとも言える。

このソニーのCDの解説は、
ベンジャミン・フォークマンという人が書いていて、
「中間楽章は、ほとんど即興的」
という言葉を使っていることからも、
私の感じる奇異なイメージを、
この人も感じていることが察せられる。

カルミニョーラが、
何時頃から有名になったのか知らないが、
近年、アバドやムローヴァなどとも共演して、
最初から巨匠みたいな感じである。

この人は、若い頃は、フェニーチェ歌劇場管弦楽団の
コンサートマスターだったらしいが、
80年代からバロック音楽に集中したようだ。

90年代には、Divoxというレーベルから、
「ソナトリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ」という団体と、
基本として「四季」から始まって、
「人間的情熱」と題した、
「お気に入り」、「不安」、「疑い」、
「恋人」、「喜び」のような、
タイトル付作品を集めたCDなどを出し、
ヴィヴァルディの専門家としての基本を築いている。

これらは廉価盤でも出されたので、
多くの人が聴いているはずだが、
21世紀になってから、
アルヒーフ、ソニーに、
アンドレア・マルコン指揮の
ヴェニス・バロック・オーケストラと、
ほとんど知られていない作品群を
集中的に紹介している印象が強烈である。

このコンビのものは、
2001年に、ソニーから、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」として、
RV177、375、222、273、
295、191が発売されている。
この最後の曲が、今回、チャンドラー盤と比較したもの。

2003年には、同じくソニーから、
「後期ヴァイオリン協奏曲集」の第2集として、
RV235、251、386、296、
258、そして、389が集められて、
2002年の録音として発売された。

ちなみにヴィヴァルディの協奏曲は、
年代特定が難しいらしく、
簡単に「後期」と扱われていても、
何故、後期に分類したか、
などの情報が解説にある。

例えば、「第1集」(とは書かれていないが)の
最初に収められた曲RV177は、
1734年という円熟期に書かれた、
オペラ「オリンピアーデ」序曲の、
強烈な楽想で始まることから、
「後期」と分類されているようである。

ちなみに、ヴィヴァルディの場合、
「四季」を含む「作品8」ですら、1925年の作品で、
作曲家は47歳とかなりの年齢である。
作品13以降は素性や来歴が怪しく、
作品10~12は、1729年頃の作品とされるから、
1730年代以降のものは、
「後期」として良いのかもしれない。

1741年に、63歳で亡くなった、
ヴィヴァルディの最後の約10年の作品を、
「後期」作品として考えたくなるのは理解できる。

Track1.とにかく膨大な作品の識別を単純化すべく、
オリンピアーデと仮名を付けてもよい、
この「RV177」は、
解説のフォークマン氏によると、
「ヴァイオリンはむしろ
夢見るような詩的世界に遊んでいる」
と表現されているが、
確かに、「オリンピアーデ」の、
どろどろした愛憎劇の世界とは無関係に、
この協奏曲の独奏部は、
ひとり澄んだ境地に向かって、
瞑想しているような音楽になっている。

したがって、ほとんど個性的な印象を残さない。
演奏家は聴衆とは別の場所で、
好きな事をやっている感じ。

つまり、音楽としての推進力や、
ロジックのようなものは、
オーケストラに任せっきりで、
これを隠れ蓑に、
自分の世界に籠っている。

タイスの「瞑想曲」などは、
聴衆に瞑想を促すが、
ヴィヴァルディのここでの瞑想は、
聴衆とは無関係である。

オーケストラは、
立派な風景画となっている。
独奏楽器によって、そこに、
仙人が描きこまれているのだが、
その人が何を考えているのか、
どこに向かっているのか、
そこはさっぱりわからん、
といった風情である。

Track2.第2楽章などは、幽玄境を行く仙人の世界で、
ヴァイオリンは美しい響きを纏綿と奏でるが、
まったく口笛で吹けるようなものではなく、
とりとめがなく、どこから始まって、
どこで終わるのか分からない、
といった響きであって、
これまた聴いた後は、何だか、
狐につままれたような感じしか残らない。

Track3.第3楽章は、解説に、
「ソロの飛翔を促すが、
その風変わりなクライマックスは、
ほとんど涙を誘うかのような印象を与える」
とあるのは至言で、
第1楽章同様、激しいリズムが刻まれる、
オーケストラの推進力を受けて、
独奏ヴァイオリンは、時に、調子よく、
時に、機嫌さえよろしく音楽を奏でるが、
どこか主体性がなく、
最後の部分では、力を失って悲しげである。

実に、抽象的で、感情の世界から切り離された、
俗世界から遊離した協奏曲なのである。

次に収められた、RV222は、
解説者は、緩徐楽章が「ヴィヴァルディの大ヒット」
と絶賛しているが、
Track4.の第1楽章は、
オーケストラの序奏からして、
単純音型がひたすら繰り返されるといった、
屑箱から拾ったような、どこか投げやりな主題で、
颯爽と独奏ヴァイオリンが奏でているのも、
適当な楽句を気まぐれに装飾しているだけの音楽に見える。
極限まで切り詰めた即席主題によるショーピースのようだ。
どこにもメロディがないような音楽である。

Track5.の、美しい緩徐楽章も、
上述のことは、そのまま言えなくもない。

偶然見つけた感傷的な素材を、
気の向くままに、
くり返しているだけのようなもの。

Track6.終楽章は、
快活な主題が魅惑的だが、
オペラの世界を垣間見せる、
ほの暗い情感が忍びこんで来る。
しかし、これはオーケストラ部の話。

ヴァイオリンは、これまた、
オーケストラを肴に、
ひとりくだを巻いている音楽。

メロディという意味では、
これまで聴いた楽章で、
最も覚えやすい楽章。

「この協奏曲の成立時期については
1737年あるいはそれ以降」と書いてあるが、
「証拠が存在している」とあるだけで、
詳細がないのが気になってしょうがない。

次のRV273は、ホ短調で、
このCDの中で唯一、短調の音楽。

解説によると、
作曲家の死の前年に、
パトロンに売却した作品だという。

Track7.それゆえに、
第1楽章から、暗く、激しい。
焦燥感溢れるオーケストラ部は、
かなり強烈に情念をかきたてる。

ぱちんと入る、通奏低音の合いの手も痺れる。

低音のリズムには、
トスカニーニがアメリカ初演した、
変ロ長調RV367の余韻のような楽想も聞こえる。

独奏ヴァイオリンは、
短調の楽節を扱うせいか、
ここでは、情緒性が豊かで、
これまで聴いたものの中では、
もっとも、心の機微に触れることが出来る。

「四季」の余韻も感じられ、
情感も立体的なので、
演奏会で取り上げられれば、
「大人用四季」として、
かなり好評を得ることが出来そうだ。

Track8.第2楽章は、簡素な伴奏の中で、
ぽろぽろと鳴るリュートだかチェンバロだかが悲しい。
ヴァイオリンのメロディも切々として泣かせる。
解説には、「悲劇的なオペラを思わせる」とある。

Track9.終楽章の楽想は、
典雅なメヌエットを思わせ、非常に美しい。
ヴァイオリンも小刻みな装飾を輝かせながら、
曲全体を覆う、悲しみの感情を背負って、
かなり説得力が高い。

次に、解説者が、
これまた緩徐楽章と終楽章を特筆している、
RV295が来る。
Track10.第1楽章は、
だだだと雪崩を打つような軽快な主題で、
オーケストラが走り始めるが、
ここでも、一瞬の物憂さが滲み、
そこにヴァイオリンが入って来る。
このヴァイオリンは、かなり楽しげであり、
音階のようなものも多用して、
心浮き立つ雰囲気を醸し出しているが、
どれもこれも、生まれ出ては消えて行くもので、
一つとして心に残るメロディはなく、
全体の印象としても、とらえどころがない。
最後に、リュートの経過句が出て、
Track11.の第2楽章に滑り込む。
これは、繊細なリュートの伴奏に乗った、
ヴァイオリンの物憂げな心情吐露であって、
恋煩いのようにも、素寒貧の不安とでも、
どうとでも取れる悲歌である。

「メランコリックなカヴァティーナ」と書かれているが、
わずか、2分で終わってしまう。

Track12.解説者は、
「1台のヴァイオリンではほとんど不可能な」
変化に富んだアルペッジョの連続に驚いているが、
確かに、弾力に満ちて進むオーケストラに対し、
ヴァイオリンは、好き勝手な音型を、
ほとんど偏執狂的に装飾しては投げ出して行く。

次は、RV375で、
この前聴いた、トスカニーニが演奏していた、
続き番号のRV376と同様、
後期の変ロ長調である。

ヴィヴァルディの作品整理用の、
RV、リオム番号は、曲種と調性によるもので、
同じ調性なので類似番号になっている。

が、類似だからと言って、
同時期の作品とは限らないだろう。
しかし、このように、これらは同様に、
後期のものと分類されているようである。

解説には、ここでの6曲の中で、
「最も気前の良い作品」とされている。
これは、多くの間断なく、
「名人芸的なパッセージ」が、
用いられているからだという。

Track13.第1楽章の冒頭からして、
深々とした音色の、神秘的な序奏が素晴らしい。
オルガンの和音であろうか。

急速なパッセージに続いて出る独奏は、
解説にある通り、次々と挑発的な楽句を繰り出し、
まさしく装飾品の陳列棚のようだが、
この曲も同様に、重厚かつ超俗的とも言える序奏部とは、
まったく関係ない代物で、
ちょんちょんと跳ねるような伴奏に乗って、
単に、そのテンポを生かしただけの、
技巧集一覧みたいになっている。

通奏低音が、そうした機能を持つのかどうか知らないが、
合奏の部分と独奏部で共通なのは、
この低音の刻むリズムだけだと言って良い。

Track14.第2楽章は「ラルゴ」とされ、
「明らかにオペラ的な愛の音楽」とある。
これは、いかにもヘンデルの情感豊かなアリアを思わせる、
本当に典型的な愛の歌となっていて、
このCDでは、最も具体的な音楽になっている。
管弦楽の高まりと共に思い起こされる、
切ない回想の音楽に合わせての、
リュートの弾奏も効果的である。

フィギュア・スケートの技巧と優雅さを、
これらのヴァイオリン協奏曲は想起させるが、
この部分のヴァイオリンの独奏は、
イナ・バウアーあたりを連想すれば良い。

Track15.いつもと同様、
リズミカルな終楽章も、
独奏ヴァイオリンのメロディも悩ましく、
お決まりの装飾音型の陳列や、
めくるめく管弦楽の色彩の変遷と共に、
とても変化の楽しい音楽になっている。

さて、こうした、渋い作品群のみならず、
ソニーは「四季」なども、
この演奏家のものを録音させていた。

そのことと関係あるかないか知らないが、
この後は、アルヒーフ・レーベルに移り、
表題もなく、「後期」だかも何だかも、
一見してテーマが分からないヴィヴァルディを、
連発し始めている。

2005年に出たものは、
恐らく、後期作品の一環で、
RV583とRV278が収められているが、
ロカテッリやタルティーニの協奏曲が組み合わせれ、
コンセプトが少しずれたことが分かる。

しかし、2006年には、
RV331、190、325、217、303、
といった純粋ヴィヴァルディ路線に戻り、
やはり、これが良いと方向が定まったのだろうか。

同じアルヒーフから、2008年には、
ムローヴァと共演して、RV509、511、514、
516、523、524といった、
2つのヴァイオリンのための協奏曲集が出ている。
すべてヴィヴァルディ作品である。

ごく最近、2013年にも、
伴奏を変えてではあるが、
ダントーネ&アカデミア・ビザンティーナと、
RV281、187、232、254、243と、
知られざるヴィヴァルディの協奏曲の
シリーズを継続させている。

得られた事:「ヴィヴァルディの後期ヴァイオリン協奏曲は抽象性が高く、スピンとジャンプと滑走を組み合わせた、フィギュア・スケートのような芸術的スポーツを思わせる。」
「あるいは、即興で一筆で描ききる、水墨画のような勢いがあり、シューベルトの晩年の歌曲に見られる切りつめられた音楽の境地を想起した。」
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by franz310 | 2014-11-23 21:36 | 古典 | Comments(0)