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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その405

b0083728_21271527.jpg個人的経験:
トスカニーニと
NBC交響楽団が演奏した、
ベートーヴェンの交響曲と言えば、
1949年から52年に
録音されたものが、
日本でも一般に広く流通したので、
代表的名演として知られている。
が、この録音年月日から見て
すぐ分かるように、
一括して録音されたものではない。
中には、1曲を2回に分けて
録音されたものさえある。


1949年のものもあるが、
一般に、「1950年代初頭のもの」とされる、
この「全集」の各曲を並べてみると、まず、
第1番は、1951年12月に録音されている。

第2番は1949年11月と、51年10月に、
何と、2年もの月日をかけて完成されている。

第3番は、その気分転換であろうか、
1949年11月、12月に分けて録音され、、
第4番は、1951年2月と、
1年以上経ってから録音されている。

また、中核となる2曲も、1年以上後であるが、
第5番は1952年3月、第6番は1952年1月
に相次いで録音されていて、全集完成が急がれた感じ。

第7番は、得意とした曲ながら、
ニューヨーク・フィル以来ということか、
1951年11月で、それより早い時期に属し、
第8番は、最後に回された感じで、1952年11月、
第9番は念入りにやられたのか、
1952年3月と、4月に分けて録音されている。

実は、この後、1953年という時期にも、
トスカニーニは「英雄」を再録音している。
ややこしいことに、
最近出されている「全集」では、
「英雄」は、こちらの方を利用しているようである。

この1953年12月と言えば、
トスカニーニが引退する半年前に当たり、
ぎりぎりのタイミングで録音された、
最晩年の演奏として位置づけられる、
ということになる。

トスカニーニの引退公演は、
本人が混乱して演奏が乱れたことで知られ、
「英雄」の最後の録音も、
これ以上遅い時期であれば、
かなり危なかったと考えることが出来る。

一方、1939年の「英雄」は、
NBC交響楽団とのベートーヴェン・チクルスの一環で、
全曲が短い期間に一括して演奏されたもので、
他の8曲のレコード化は、指揮者が許さなかったのに、
これだけは許したといういわくつきのものである。

これはRCA(BMG)からも
単発的に日本盤が出ていたので、
多くの人が聴いて、
1953年のものと比べられ、
ライブ特有の迫力が、
何度も語られてきたものである。

このような「英雄」を含む、
1939年のベートーヴェン・チクルスは、
今は、様々なレーベルから発売されているが、
ナクソス(NAXOS)・レーベルが、
1998年頃に復刻したものは、
実は、私には、かなり貴重なものに思える。

多くのレーベルが、
ライブ収録の音楽部分のみを取り出して、
しかも、当時の演奏順までを無視して、
CDに詰め込んでいる中、
ナクソスのものは、
NBCが放送した時の、
放送ナレーションまで含めて、
演奏された日時ごとにCD化しているのがよい。

これによって、チクルス初日、
「第1」と「第3(英雄)」が演奏され、
放送された時の、
時代の空気感のようなものまでが、
CDの中に収められているように、
感じることが出来る。

序曲や小品まで、すべてが収められ、
CDの枚数にして、8枚にも及ぶ大作になったが、
拍手までカットされて5枚程度に圧縮された、
他のレーベルのものでは、
絶対に味わえない臨場感が味わえる。

そもそもNAXOSは廉価レーベルなので、
全部集めても高くない。

表紙の写真もそこそこ渋く、
トスカニーニ入魂の一瞬を感じることが出来る。
色使いも控えめで、シンプルな体裁も、
トスカニーニのベートーヴェンに相応しい。

「第1」と「第3」のCDは2枚組で、
「フィデリオ」序曲も冒頭に収められ、
コンサートの休憩時間に流された、
サミュエル・チョジノフ(Chotzinoff)の、
9分近いコメント(ベートーヴェンの解説)も生々しい。
この人は音楽評論家であり、
トスカニーニをNBCに招聘した人でもある。

ここでの解説では、シャッチノフと紹介され、
NBCの音楽コンサルタントで、
文筆家、音楽家、ニューヨーク・ポストの評論家、
などと肩書が述べられている。

「ベートーヴェン以前は、音楽家は奴隷であったが、
貴族から音楽家を解放した」みたいなことを、
シャッチノフは解説していて、
それをすべて音で聴くことが出来る。

フランス革命やシラーの影響を受け、
ベートーヴェンは育った、
などと、ベートーヴェンの、
プチ伝記が語られている。

ブラウニング家の援助や、
ヴィーンでのデビュー、
テプリッツでのゲーテとの散歩まで、
かなり大づかみで、
ベートーヴェンの音楽史上の
位置づけが紹介されているのだが。

さて、「英雄」交響曲であるが、
トスカニーニは、特に、この曲を好み、
多くの機会に演奏して、
今では、様々な機会に演奏されたものが、
様々なレーベルから復刻されている。

特に、第二次大戦終結記念のコンサートなどでも、
この曲は演奏されており、
敗戦国である日本の人間が聴くのも、
悩ましいCDも出ている。

この終戦記念コンサートのCDも、
Music&Artsから出ているが、
解説を読んでも、残念ながら、
トスカニーニと太平洋戦争の関係、
などが出ているわけではなく、
1939年のチクルスと同じ解説者が、
ひたすら、トスカニーニの演奏変遷を
記載しているだけである。

(ただし、トスカニーニが、
大戦で果たした役割には触れられている。)

ここでは、下記に記載する、
「交響曲全集」の解説で書かれている以前の、
トスカニーニと「エロイカ」みたいな
記事が読めるので、それで少し補足してみよう。

まず、トスカニーニが、
ドイツの名匠たちから、
いかに影響を受けたかが語られる。

「(トスカニーニの)『エロイカ』については、
1933年12月のストックホルム・フィルの演奏会からの、
放送の『葬送行進曲』の抜粋に、先立つ記録はない。
しかし、書かれた記録やトスカニーニ自身のコメントは、
彼のレパートリーのすべての主要作品同様、
年月と共に本質的に変化している。
この演奏が示すように、
決して一貫したものではない。
1900年にハンス・リヒターが、
ベルリン・フィルを率いて
北イタリアをツアーしたことがあるが、
その時、トスカニーニ自身、
スカラ座のオーケストラを率いて、
同じ場所をツアーしていた。
彼らの道程はしばしば交差し、
同じ街で続けて彼らのコンサートがあることもあった。
そして、ある場合には、同じ曲を演奏した。
リヒターは、「英雄」をプログラムに載せたが、
1905年、彼は、ワインガルトナーその他と、
トリノのコンサート・ソサエティに再び現れたが、
この時、トスカニーニも参加した。」

これは、非常に面白い状況である。
滞在した同じ街にリヒターが来たら、
トスカニーニはいそいそと聴きに出かけたようだ。

「40年近く経って、トスカニーニは、
『40年前、私がエロイカを演奏した時、
私は初めてドイツの指揮者たちが演奏するのを初めて聴いた。
私はリヒターも聴いた。
そして、私は彼らと同じように、
ドイツの音楽は演奏しなければならないと思った。
だから、第1楽章のゆっくりとしたテンポの真似をした。』
『しかし、私は後に何度もこの交響曲を演奏するにつれ、
今や、ついに正しいテンポを取る自信を得た。』
初期のトスカニーニが、どれほどリヒターに真似て、
影響を残していたかは推測の域を出ない。」

この部分が、ほとんど、今回のポイントと言っても良い。
トスカニーニはドイツ風のスタイルから始め、
自分流に磨き上げて行ったのである。
ドイツ風とは、かなり雄大に演奏するやり方のようだ。

「しかし、作品は彼を常に魅了していた。
彼は手紙に書いている。
『一貫して高尚でたくましいスタイルで、
着想の誌的で新奇なことや、
その展開の美しさは、
最も崇高な作品の中にあっても、
独自の価値を誇る』。
彼は、しばしばこれを演奏したが、
そこには、1905年のローマ、
サンタ・チェチェリア管との演奏、
大戦後、音楽生命を失っていた、
ミラノ復興の1918年の演奏会があった。
1926年のニューヨーク・フィルへの
デビュー演奏会でも、
1930年5月-6月のこのオーケストラとの、
欧州ツアーでも、これを7つの年で演奏した。
1926-35年のニューヨーク・フィル時代、
少なくとも26回の演奏を行い、
1938年から53年には23回、
ヨーロッパでも、特に、BBC交響楽団などと、
この曲を演奏している。」

ここもポイントで、トスカニーニは、
「英雄」に対して、畏怖ににた思いを持っていたようだ。

以下、演奏の変遷が細かく語られる。

「ニューヨーク・フィルでの演奏を掻い摘むと、
トスカニーニのこの曲の初期のアプローチに
行きつくものもあると思われる。
ツアー中のベルリンでの演奏の放送は、
(これは失われたらしい)
第1楽章の14分35秒というタイミングを見ると、
後のNBC交響楽団との演奏と比べ、
ほとんど1分近く長く、
『葬送行進曲』は20分もあって、
後のものより数分も長い。
スケルツォとフィナーレも、
第1楽章同様の均衡に変わった。
ほんの2分ばかり欠落したストックホルムの
『葬送行進曲』も17分を越えるもので、
1937年のいくつかのロンドン公演で
ミュージカル・タイムズが測定した、
この楽章のタイミングも、まだ19分半、
トスカニーニはかけている。
この楽章へのアプローチが始まったのは、
翌年、NBCでの演奏が始まってからであった。」

ということで、例えば、「葬送行進曲」の長さがポイントのようだ。

手元にあるCDでも、
1938年 16分28秒
1939年 16分06秒
1945年 15分21秒
1953年 15分21秒
と、確かに、後年になるほど短くなり、
比較的、安定している。
1949年のものは、15分34秒だという。
ちなみに、すべてNBC交響楽団。

下記の一文は、このような状況を記載したものだろうか。

「1939年の時点まで、
トスカニーニの『エロイカ』は、まだ流動的であった。
この年、広く商業放送されたものは、
先のコメントをしていた
1944年までにトスカニーニが発見した、
幅広いオープニングの和音であるが、
彼は、その時、もはや自信を持っていた。
それは、しばしば予期しないところで、
テンポのはっきりした変動を示している。
矢のように敏捷で、揺るぎなく、
自由なアプローチをめざし、
以前の表現方法の特異性が解決されるのは、
1944年の演奏においてであった。
これは、少しの最も微妙な変化を経て、
相次ぐ2つの商業録音を含む
トスカニーニの最後期を支配する、
アプローチとなる。」

これが、冒頭に書いた、1949年と53年の、
RCAから出ていたものである。
こう読むと、冒頭の和音からして、
特徴が聞き取れるようである。

ばばば、と聴き比べると、
確かに、最後のものは、極めて乾いた表現で、
早い時期のものは、
最初のじゃんの後、次のじゃんまで、
少し気迫をこめ直す感じがある。

「この演奏が行われた歴史的機会とは離れ、
(これは、太平洋戦争終結記念のこと)
この演奏は特別な魅力を持っている。」
と、1945年の録音についての解説が始まるが、
この部分まで読んでしまおう。

ここでも、1939年の演奏は、
基準として比較検討されているからである。

「リヒター風に、ここでは、
最初の和音は幅広く取られているが、
この開始部は1939年のものに、
非常に似ている。
演奏は、事実、
アンサンブルのさらなる磨き上げはないが、
この前の演奏同様、特別な集中が見られる。
特に、葬送行進曲のフーガ風のエピソードも、
彼が、後年は避けた、
特異な圧倒的な弦楽の和音で結ばれ、
おそらく、この特別な機会が、
トスカニーニの強調アプローチに、
さらなる変化をもたらしたのかもしれないが、
推測の域を出ない。
しかし、明らかなのは、この作品で、
交響曲の他の傑作のレパートリー同様、
彼のアプローチは、当たり前のこととして
見過ごすことはできない。
これは絶え間なき思索と再検討のテーマであった。」

ということで、この終戦記念の「英雄」は、
1939年のものとアプローチ的に似ている、
ということだろうか。

圧倒的な和音が、「葬送行進曲」をしめくくるかも、
聴きどころだとわかった。
1953年の「エロイカ」を聴いてみると、
確かにあっさりしている。
1938年のものと1939年のものは、
夢から覚めたような表現で、
「終戦記念」のものは、
最も、深い思い入れが感じられる。

しかし、この1945年の「英雄」などと比べても、
1939年の「英雄」は、研ぎ澄まされたような、
緊迫した音楽で我々を魅了してやまない。

スケルツォの激烈な表現も、
すさまじいもので、5分ちょっとで駆け抜けており、
有名なホルンの難局、トリオも、
鮮やかに走り抜けている。
1938年のものは克明で格調高い感じで、
トリオも、落ち着いている。

終曲も、緊迫感満点で、
強弱が激しく、テンポは軽快である。
しばしばみられる、急激なドライブに、
トスカニーニの、強烈な意気込みが感じられる。

1953年のものには、こうした情念がない。
非常に晴朗なもので、古典的な晴れやかさに満ちているが、
私としては、時代の局面で、この熱血指揮者が、
どのように演奏したかの方に興味が湧く。

先の、「葬送行進曲」なども、
沈鬱な、押し殺したような啜り泣きの表現で、
本当にそうかは分からないが、
戦争前の緊張感を感じずにはいられない。
トスカニーニも、思わず、呻くような声を出している。
(終戦記念のものも唸っているが、
表現もいささか戦争終結後の解放感を伴っている。)

1939年も10月28日と言えば、
すでに、ヨーロッパでは戦争が始まっていた。
ものすごく、神経質な演奏とも言え、
この稀有な音楽家の神経もまた、
張り詰めていたことが、
第1楽章第1主題の歌い出しからも感じられる。

1938年の録音では、まだ、
リラックスした鼻歌が聞き取れていたが。

Music&ArtsのCDセットの方の解説でも、
先の「終戦記念」コンサートでも書いていた、
クリストファー・ディメント氏であるから、
同様のアプローチで、
トスカニーニの「英雄」について語っている。

「その演奏の頻度からして、
『英雄』は、その解釈上の問題から、
他の交響曲よりずっと、
トスカニーニを魅了していた。
ニューヨーク・フィルとは28回、
NBC交響楽団とは21回、
ヨーロッパでもたびたび演奏し、
その歴史は1898年のトリノに遡る。」

先の解説では、トスカニーニが、
ドイツ的な解釈から始まったことが書かれていたが、
ここでは、反対に、トスカニーニが、
イタリア風として批判されたことが書かれていて、
両方読んでバランスが取れる感じである。

「これらの問題に対して、
この有名な演奏の第1楽章において、
彼が与えた解決方法は、
論議から逃れることはできず、
1956年に書かれた、
ロバート・チャールズ・マーシュの
先駆的な
『トスカニーニと管弦楽演奏の芸術』においても、
非難を免れてはいない。
彼は、
『ベートーヴェンにはない、
余りにも多くのイタリア的要素、
ロッシーニの序曲のように、
長く加速されたクライマックスに泡立つフーガ、
フレーズが予期せず伸縮して、
乱暴になぐり合うような和音』がある、
と彼は考えた。
こうした劇場的な要素が、
『エロイカ』を安っぽく下品にしているという。
事実、こうした要素はあって、
123小節から131小節の
巨大な和音群のテンポ圧縮は驚くべきものであるが、
著者の目から見て、
明らかに劇場的に見えるものは、
近接したレコーディングによるものである。
トスカニーニの常として、
巨大な作品のバランスを崩すことや、
基本テンポからの極端な逸脱は、
慎まれており、
単に品のない表現になることはない。
1937年6月にクイーンズ・ホールでの
『エロイカ』をレビューしたロンドン・タイムズは、
オーケストラの響きは、
『突発的なフォルテッシモの和音でさえ、
十分に飽和しながら騒々しさはなかった』としている。
トスカニーニのこうした、
主なオーケストラのパレットは、
スタジオ8Hでは分かりにくく、
特にこれらの初期のNBCの録音ではそうである。」

ということで、イタリア的と批判された、
トスカニーニのベートーヴェンではあるが、
それを越えて、素晴らしいということであろう。

和音群の緊張などを聴くと、
この演奏のすごさも分かるが、
BBCとまだ関係を持っていた頃、
1938年にトスカニーニが残した録音も貴重だと分かる。

ここでは、まだ、ヨーロッパ風と言うべきか、
伸びやかさが感じされて、
よくぞ、この録音も残っていたと嬉しくなった。

「この演奏のスタイルの特徴は、しかし、
両端楽章のいくつかの部分で、
甚だ激しい表現が見られ、
スコアの勉強のし直しの成果がでていると共に、
恐らく潜在意識のレベルではあるが、
彼の音楽づくりの個人的な様式の再検討が行われている。
マーシュは、また、これらの特徴が、
もっと開放的であった、
初期には見られなかったことを、
まさに主張している。
残念ながら、これより古い演奏は、
たった10ヶ月前のものしか、
完全な『エロイカ』は残っておらず、
(1938年12月3日のもの)
テンポはほとんど同じながら、
巨大な和音群をまとめる表現は見られず、
他の特異性も、これほど明確ではない。
さらに言えば、1930年5月28日、
ベルリン公演でのこの指揮者のタイミング記録では、
第1楽章が1分もゆっくりで、
19分余りの葬送行進曲に12分の終曲と、
この演奏とは明らかに異なる性格で、
とりわけ、ニューヨーク・フィルの
ベートーヴェン演奏では、
大きなテンポの流動性に対し、
初期の形式的節度が見られるようになる。
1944年、再度、スコアを見直す前に、
彼は、今回の演奏を聴いているが、
ハギンズには、初期において、
リヒターから影響があったことをコメントしながらも、
今や、再び、正しいテンポを発見したように思う、
と、トスカニーニは語った。」

これは、終戦記念のコンサートに先立つ時期であるが、
このような再検討があったがゆえに、
終戦記念コンサートも、感傷的なものではないので、
敗戦した日本人も、冷静に聴けるのかもしれない。

「明らかに、それは、今回の録音にある、
ドラマティックな要素を取り除こうとしたことで、
後年の彼のスタイルの引き締まった制約を示すものである。
それと対照的に、このチクルス時の、
この演奏に対する彼のリアクションは、
彼らしいコンサート後の歓喜を示している。
翌日、彼は、アダに対して書き送っている。
『コンサートは圧倒的だった。
オーケストラはどえらい演奏をした。』
実際、2シーズンのトレーニング効果は明らかで、
オリン・ダウンズは、ニューヨーク・タイムズで、
『このオーケストラの木管セクションは、
その正確さのみならず、繊細さでも、
驚くほどのレベルに高められている』と思った、
とコメントしている。
第1交響曲では、この演奏は、
『それは歌うようであり、
彫琢された貴族的な提示部の
ホモフォニックな部分もポリフォニックな部分も、
あたかも最高の室内楽を聴くかのようだった。』
そして、『エロイカ』では、
『指揮者は創造主を気取った、
いかさまのドラマ性やひけらかしを控え、
適切に巨大な感覚であり感情となった。
もし、一つだけ、他の楽章より能弁な楽章があったとすれば、
それは葬送行進曲で、そのテンポは決してもたれることなく、
テンポ、強調、フレージングも、
2か所か3か所小さく揺れただけで、
それがアクセントや流動性となって、
意図された効果の連なりという以上に、
感動的なものとなった。』
トスカニーニがこの楽章において、
ここで行った以上に、
高みをめざし、深みを見通したことは、
これ以降なかった事は疑う余地がない。」

ということで、私は、まず、
「葬送行進曲」の押し殺したような、
緊迫感に何かを見出したが、
この解説者も同様のことを書いていてよかった。

第1楽章の急緩でドラマを盛り上げるアプローチなど、
完全にNBC交響楽団を手足のように伸縮させており、
隅々まで神経を張り巡らせたような、
オーケストラの高度な統率なしには語れないものであろう。

血管が浮き出たような緊迫感が保持できたのは、
あるいは、ベートーヴェン・チクルス第1夜という、
華々しい舞台の空気あってこそかもしれない。
第1楽章のクライマックスの雄渾さも比類がない。

ナクソスの音質は、いくぶん色彩に欠けるが、
このドキュメンタリー風の演奏に、
妙にマッチしているように思える。
拍手もしっかり収められ、
聴衆の興奮も、一緒に聞いているように味わえる。

Music&Arts盤も拍手は入っていて、
音も、明るめで好感度は高いが、
アナウンサーの声はない。
そもそも、39年の「エロイカ」の特徴とされる、
冒頭和音の間の観客の咳すら聞こえないのは、
いかがしたものであろうか。

GRAMMOFONO2000は、
Music&Artsに、
盗人と罵倒されているレーベルだが、
ここから出ている、この39年の「エロイカ」は、
もっともくっきりと観客のノイズも聞き取れ、
音にうるおいと立体感と力を感じる。
ただし、拍手はカットされていて残念だ。

ただ、演奏後、拍手に重ねて、Naxos盤で聴ける、
「オーケストラは立って、拍手を受けています」とか、
「次の土曜の夜には、第2と第4をやります」などと、
ブロードキャストのコメントがまた嬉しいではないか。

得られた事:
「トスカニーニは、ドイツ的な、恰幅の良いベートーヴェンを模倣したが、イタリア的と批判され、晩年になるにつれ、純化された晴朗な表現に傾いて行く。」
「1939年という恐ろしい時を迎え、熱血の第1級の音楽家が、どのようにベートーヴェンに取り組んだか、という興味に、39年の『エロイカ』は、まったく期待を裏切らずに応えてくれる。」
「1939年の『エロイカ』は、各部までに神経が張り巡らされ、敏捷な筋肉のようなオーケストラが一体となって成し遂げられた演奏で、ナクソスのアナウンスも臨場感がある。」
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by franz310 | 2014-03-29 21:28 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その404

b0083728_1428293.jpg個人的経験:
トスカニーニは、1936年に
ニューヨーク・フィルを去った。
が、すぐ、翌37年の暮れには、
同じニューヨークに本拠を置く、
NBC交響楽団の指揮者に
就任することになった。
対するニューヨーク・フィルも、
この新興勢力との戦いを強いられ、
新任のバルビローリが、
わけのわからない誹謗中傷や、
悪意を持った比較対象となり、
不眠に悩まされ、
ノイローゼ寸前まで追いつめられる。


そうした混乱を引き起こしながら、
トスカニーニは、何事もなかったかのように、
活動を再開する。
それも、今から考えてみれば、
それまでの活動よりも数倍規模で、
影響力を持った活動になっていった。

それは、積極的な放送による
数十万人規模の聴衆の獲得であり、
録音によって、愛好家は海を越え、
国境を越え、日本でも増加した。

彼は、ニューヨーク・フィル時代は、
録音嫌いで知られたが、NBCは放送局である。
1939年には、さっそく、
記念碑的な放送シリーズが行われ、
記録が残され、それが現代のファンをも魅了している。

この頃、ちょうど、戦争がはじまり、
英国のBBC交響楽団との関係は途切れ、
故国イタリアのみならず、
ヨーロッパとのつながりは切れてしまった。

ドイツはポーランドを奇襲、
英仏は宣戦布告。
これらは9月初めの事。

そんな状況下で、この年の暮れに行われた、
ベートーヴェンの交響曲の連続演奏会は、
ライブ特有の臨場感があることと、
全曲がほとんど同じコンディションで記録された、
ということで、
トスカニーニの芸術の中でも、
異彩を放つ位置づけを誇っている。

米ミュージック&アーツや、
スイスのレリーフ、ナクソス、
さらには、MEMORIESとか、
GRAMMOFONO2000、
LYSといった中小レーベルまで、
様々な所から、同じ録音が、
競い合うかのようにCD化されて発売されている。

交響曲の中では、第3「英雄」のみが、
トスカニーニの公認録音として、
RCAなどからレコード、CDが出ていた。
が、他のものは、放送用の録音から採られたものである。

1939年というとものすごく古い録音で、
果たして、現代のわれわれの耳で、
鑑賞するのにふさわしいか、
というのが危惧されるが、
様々なレーベルの切磋琢磨による努力のせいか、
これがまた、それほど悪くないのである。

ここでは、LYSやGRAMMOFONOを、
自らのホームページ上で
海賊盤野郎と名指しで攻撃、罵倒している、
「Music&Arts」のCDを見てみよう。

これは、おひざ元のレーベルゆえ、
それなりのライセンスを持っての活動なのだろう、
以上紹介したものの中で、
最も高価なものに分類されるが、
さすがに、ボックス仕様で解説もしっかりしている。

しかし、この表紙はいただけない。
トスカニーニは、近眼で見えない目で、
必死の形相で楽譜を確認しているのに、
楽員たちはへらへらと、
他人事のような顔をしている。

そもそも、この写真、構図が変じゃないの。
トスカニーニと楽譜の間に人が挟まって見えるし、
楽譜の先っちょが構図からはみ出していて、
後ろの団員の方がメインのような表現になっている。

ちなみに、Aaron Z.Snyderという人。
2007年のリストレーションとあるから、
この復刻作業が、何年に行われたかで、
CDの価値が変わる日も来るのであろう。

解説を書いているのは、
CHRISTOPHER DYMENTという人で、
ワインガルトナーなどの研究もし、
「英国におけるトスカニーニ」といった本も
出している人のようである。
これも大変、読み応えがある。

この5枚組CDの解説は、
「The NBC SO Beethoven Cycle,
October-Dicember 1939」
というタイトルのもので、
15ページにも及ぶが、
以下のような見出しで分けられている。
1.トスカニーニのベートーヴェン・チクルス。
2.彼の進化するアプローチ。
3.何が、その変化を起こしたか。
4.この1939年のNBC SOのチクルス。

このうち、最後の部分が、ほぼ全体の2/3を占めており、
1、2、3の部分は短い。

まず、1.については、
帝王トスカニーニと言えども、
生涯にベートーヴェンの交響曲の連続演奏会は、
数えるほどしか行っていない、
という内容である。

トスカニーニは、1896年5月3日に、
「第1」を振ったが、これが、彼の行った、
ベートーヴェンの最初の全曲演奏で、
スカラ座での最初に指揮した、
4つのコンサートのうちの一つの演目だった。

そして、最後にベートーヴェンの交響曲を演奏したのが、
1954年3月7日の「田園交響曲」だったという。
4月4日の彼の引退の4か月前のことで、
ベートーヴェンの交響曲は、
彼の交響曲指揮者の全域の58年間に及んでいるという。

当然、彼は、ベートーヴェンを最も重視していて、
その間、数百回に及ぶ、数えきれない回数だけ、
ベートーヴェンの交響曲を指揮したが、
全曲をチクルスで演奏したのは、
数回しかない、とのことである。

まず、ベートーヴェンの没後100年記念で、
1926年の10月、
スカラ座で演奏したのが最初だという。
スカラ座は当時10月しか
交響曲演奏会をしていなかったので、
これは、1927年3月に
演奏すべきものを前倒ししたのだという。

この時は、10月7日が最初の演奏会で、
これは10月13日に、
トスカニーニの生地パルマでも再演されたという。
チクルスとはいえ、
かなり変則的だったようなのだ。

彼は、この時、「第1」、「第2」と「第5」を、
一回の演奏会に詰め込んだので、
4回のコンサートで全曲を演奏したのだという。

この後のチクルスでは、同じ作曲家の、
小品と一緒に演奏されるようになったが。

この時、HMVの子会社、
La Voce del Padrneが、
トスカニーニの演奏会、
またはリハーサルの録音を試みたが、
トスカニーニの怒りを買って、
「第2」、「第4」、「田園」の一部が
残っているだけだということだ。

この全曲チクルスは、
翌週トリノでも繰り返されたが、
最後にミラノの「ポピュラー・コンサート」で、
「第1」と「第9」が演奏されたという。

ということで、これらを1回の全曲演奏と呼ぶべきか、
2回と呼ぶべきか難しいが、
この後、トスカニーニは4回しか、
全曲演奏をしていないのである。

「2回目」:
1934年の1月から3月まで、
ニューヨーク・フィルと。
ここで、「ミサ・ソレムニス」が加わった。

「3回目」:
1939年5月に
BBC交響楽団と。

「4回目」:
このCDの演奏。

「5回目」:
1942年4月から5月に、
ニューヨーク・フィルと。

これらは比較的後年のものながら録音がない。
「第9」を除外したりして、
部分的チクルスになったことは何回かあった。
1927年の2月と、
1933年の3月から4月に
ニューヨーク・フィルと。

また、1944年の10月から11月に、
NBC交響楽団と。

というわけで、放送され、録音も残っているのは、
このCDのチクルスだけだというのである。

「これは、ベートーヴェンに対する
トスカニーニの当時のアプローチを、
広範に俯瞰する独自のもので、
彼は73歳で、68年のキャリアの、
53年目の記録であった。」
と解説者は結論付けている。

では、2.についてだが、
解説者は、トスカニーニのベートーヴェンの解釈が、
常に変化していて、この演奏については、
「比較的遅い時期ではあるが、
絶頂期ではなく、開花期にある」
と書いている。

それは、トスカニーニが当初は、
ハンス・リヒターなど、
ドイツの指揮者の影響を受けていた、
と自身語っていること、
さらに、1920年から21年の、
スカラ座管弦楽団との演奏の記録を聴いてみると、
それが確認されるとしており、
やはり、テンポが変化しやすく、
「第5」の終楽章の強調された、
雄弁な表現などにも、
その名残があることから分かるらしい。

「1921年の電気吹き込み以前の演奏では、
『第1』の終楽章では、ほとんどテンポの変化はないが、
『第5』の終楽章は、のちに均されてしまう、
第1、第2主題の小さな変化が、まだ聞き取れる」
と書かれている。

1930年のニューヨーク・フィルの、
ロンドン公演の「エロイカ」では、
そのリズムとテンポの安定について、
「タイムズ」が強調して書いているという。
同時期に、R・シュトラウスも、
トスカニーニのベートーヴェンは、
ロマン派の影響がなく最高であると書いているらしい。

が、この解説者は、それでもなお、
当時のスタイルは進化の過程だと考えているようである。

「明らかにトスカニーニの進化したアプローチは、
ジェスチャーの上では、はっきりと、
ロマンティックなものに背を向けていたが、
ベルリンにおけるフィルハーモニック・ツアーの
『エロイカ』の演奏時間の記録を見てみると、
このNBCのチクルスでは見られなくなった、
テンポの幅広さが見受けられるのである。
以降は、録音が残っているので、
トスカニーニの様式進化の証拠がより明確になる。」

21年の録音に関しては上述のとおり。

「しかし、ニューヨーク・フィル時代(1926-36)は、
さらに実り豊かであった。
1931年と33年の二つの『第5』全曲、
ほとんど完全に残っている1933年のものと、
有名なRCAの1936年の録音の2つの『第7』、
また、最後のシーズンに放送された、
『第1』、『第4』、『第8』、『第9』の、
ほとんど完全な演奏がある。
ヨーロッパでも、いくつかの価値ある演奏が残され、
不完全ながら、1933年12月ストックホルムの
『エロイカ』からの『葬送行進曲』、
1935年の6月12日、14日の、
BBC交響楽団との『第7』などがある。
録音で信頼できる判断が出来るように、
トスカニーニのベートーヴェンの、
構成の確かさや、劇的な力は、
これらに見られ、
後のフィルハーモニック時代の
ベートーヴェン演奏に比べると壮麗で、
より厳格になったNBC時代のマエストロが、
1939年までにほとんど取り除いてしまった
テンポの幅広さ、
細部のしなやかさを併せ持つ
しっかりしたテンポがある。」

ということで、ニューヨーク・フィルや、
BBC交響楽団における演奏で、
喜んでいてはならない、ということか。
トスカニーニは、さらなる進化を遂げて、
NBCに向き合った。

次に、上記3.の「なぜ変わったか」の章が来るが、
私には、この章が最も面白かった。

「なぜ、1936年から39年の間に、
トスカニーニのアプローチが、
かくも早く変わってしまったか。
ある人は、1935年から37年のシーズンに、
ザルツブルクで振って以来、
オペラのステージから遠ざかったからだ、
としている。
それゆえ、彼は交響的なレパートリーに専念、
彼は、その解釈から、どんどん、
劇的な華やかさを除去するようになる。
もし、1931年から35年の
オペラを振らなかった時代との関連を考えると、
いっそう、説得力があり、
さらに下記に詳述するように、
この時代、幅広さを制限するようになり、
フィルハーモニックでの演奏の
その多くで見られたようなものよりも、
今回のチクルスでは、
まっすぐに劇的な要素が、
ずっと豊富にみられる。
事実、この変化の主な理由は、
ベートーヴェンやそれに関することは、
何でも読んでしまうという事や、
様々な想念によって補われた、
常に、彼が演奏準備時に課していた、
絶え間なき、スコアの研究と読み直しであった。
彼のキャリアは、常に、
遂に、その作品、この作品の正しいテンポで、
演奏する勇気を持つことが出来た、という、
その会話での発表によって強調されている。
そのキャリアのスタート時に、
偉大なドイツの指揮者たちがある種の手本となったが、
トスカニーニは常に、単に他者の真似だけするには、
あまりに自信があり、個性的であった。
1910年代にはすでに、
ボストンで聴いたムックの『第1交響曲』のテンポを、
『ひどい』と感じていた。
彼は、ムックを『指揮者のベックメッサー』と総括したが、
これはそれほど公正ではない。
しかし、現代の演奏研究や
実践に照らし合わせて、
ベートーヴェンが書き、意図したことを、
一見、曲解した演奏の伝統に、
だんだん反発していたという証拠である。
この先見性については、
彼はまだまだ十分に評価されていない。
もし、若い頃に、
ワーグナーのアドバイスを鵜呑みにしていたら、
(彼は、ほとんど全部のワーグナーの著作を読んでいた)
彼はキャリアの最後まで、当時を引きずって、
テンポの流動性だけを単に受け継ぎ、
最も洗練された、単なる後継者になっていただろう。
さらにまた、その頃までに、
すべてのドイツの偉大な指揮者たちが、
多くの作品を間違ったテンポで演奏していると、
考えるようになっていた。
しかし、さらに他の要因が、それは示唆されているが、
1930年代後期の仕事、
特に、このベートーヴェン・チクルスに、
独特の性格を与えている。
ハーヴェイ・ザックスが指摘しているように、
『トスカニーニは、幸せになる才能を、
異常なほど、少ししか持っていなかった。
トスカニーニの特質は不満足にある。
彼は、自身の芸術の到達点に満足せず、
自身の人となり、運命、他の人たち、
それらを寄せ集めた、
世界すべての行く末に不満を持っていた。
彼は仕事中にも不満で、
仕事をしていないと、もっと不満だった。』
このチクルスが行われた時、
単に永続的な不満だけでなく、
正義の怒りが掻き立てられていた。
1930年代の終わり、
来たるべきヨーロッパの秩序の崩壊の不可避を、
同時代の多くの者よりも、
はっきりと見定め、深く心痛ませていた。
彼は、特にアドルフなど、ブッシュ・ファミリーが、
音楽と外の世界の間に、
メンタルなバリアーを、
立てることができることを羨んでいた。
彼は、こうした護身術を持ち合わせていなかった。
彼の内面の混乱は、1939年の後半に高まった。
6月のはじめから、7月の中旬まで、
彼はルツェルン音楽祭にいて、
事実上、非友好的な領域に囲まれ、
故国への郷愁が高まっていた。
そこは、前年に公演が宣伝されていたが、
いかなる訪問も彼の命を危なくするものだった。
彼はいかなる音楽も聴く気になれず、
それを演奏する気はさらになかった。
再び生きてイタリアを
見られるだろうかと恐れながら、
9月遅く、戦火のヨーロッパから、
最後のチャンスの亡命船に乗った。」

という風に、この解説では、
ようやく戦争の影響が語られた。

それにしても、不満大王トスカニーニというのも、
少し言い過ぎではないだろうか。
彼が、しばしば、演奏の最中に、
鼻歌を歌っていることからも、
調子の良い時には満足していたと思われるのだが。

「ヨーロッパの歴史の暗い時代を通して、
音楽を別にして、トスカニーニの一つの慰めは、
チェリストのエンリコ・マイナルディと、
結婚生活が破たんしていた夫人の、
アダとの情熱的な関係であった。
繰り返し、彼は、彼女に、
彼らの愛情から得られた仕事の霊感について語り、
また、いかに彼女が、
特別な演奏ゆえに彼を誇りに思うだろうかや、
その間、彼がいかに彼女の事を考えていたかを語った。
この情事、または、
少なくとも、彼がそう思っていた事が、
続く限り、老齢の始まりと闘うための、
特別で、継続したヴァイタリティの源だった
ということは疑いようがない。
しかし、開戦後、しばらく、
彼が、ニューヨークから、
彼女に手紙を書いているうちに、
彼はこの霊感の源が信用できないことに、
気付き始めたに違いない。
そして、1941年には、最終的に破局している。
この手紙で明らかになる、
トスカニーニの自覚は、きわめて広範なもので、
1939年10月28日、
このベートーヴェンのチクルスの
オープニングの日に書かれたアダに対する、
彼の手紙は自分の立場を要約しており、
この演奏の特色に関する
他の要素についても言及している。
この演奏はBBC交響楽団と行った、
同様のチクルスから
半年も経っていなかったのである。
『ああ、いったい同じ音楽をこんな短い期間に、
繰り返し繰り返すことや、
それら全部に新しい生命を吹き込むことの
難しいことか。
でも、まだ私は、その奇跡をやりおおせる。
すくなくとも私はそう考えている。
私は新聞を読まないようにして、
悲しい人間どもの上に垂れ込める悲劇について、
なるべく知らないようにしている。
しかし、私は、この何年か、
それを準備してきた悪人を無視することはできない。
この山賊、怪物、犯罪者に対する、
私の憎しみには限りがないのだ。』
酷い世界に対する心配、
個人としての不満、新しい創造の問題、
これらすべてが、おそらく、
この交響曲チクルスを含む
6回の演奏会の音楽づくりに
影響を、いくらか与えているものと思われる。」

ここからが、長い上記4の、
「1939年のNBC交響楽団とのチクルス」
というタイトルの部分に入るが、
ここで、すべてを聴き進むのは大変なので、
まずは、最初の演奏会の部分を読んで見よう。

「最初の演奏会は、『第1』と『英雄』交響曲を含み、
それを再検討する中、トスカニーニは、
これらの最初の楽章でかつてない明晰さを目論んだ。
『第1』のアレグロの基本テンポは、
1936年2月のニューヨーク・フィルとのもの、
1937年10月、1938年6月のBBC交響楽団とのもの、
といった他の残っている記録のどれよりも速いばかりか、
提示部後半の第2主題の素材など、
特に、明らかにテンポを変えている。
たとえば、77小節から100小節のリリカルな楽句と、
トゥッティのパッセージのテンポとダイナミクスの
突然の対比効果など他のどの録音された演奏より鋭い。
フィルハーモニックとの演奏が、
古典とリラックスという面で最も性格付けされているとすれば、
BBCとのものは、自発的で愛情深く、
1951年のRCAへの録音は、厳しく古典的で、
ここでの演奏はそのインパクトによって、
どれよりもドラマティックである。
トスカニーニが得意とする、
大きな構成感への配慮が、この演奏を、
全体を劇場風の表現にすることなく、
異常なまでの明晰さや、
もっとも細かい細部までの表現などに優れ、
アレグロの第1主題の付点2分音符などは、
そうしたものに満ちていて、
他の演奏にはめったに見られないものである。」

1936年2月のニューヨークのもの、
1938年6月のBBCとのもの、
というのは、あまり知られていないものである。

ここに「ドラマティック」と、
繰り返し書かれているように、
この「第1」は、極めて神経質なアクセントで、
せかせかと進んでいくのが特徴である。

開始部から、その特徴は明確で、
BBCでの演奏が、
比較的なだらかな進行に身を委ねている感じだが、
NBCでのトスカニーニは、
一音一音に気迫がこもっている。

各国が無策のまま、成り行き任せで、
ヨーロッパ戦線が、拡大していくのに、
まるで業を煮やしたかのような感じ。

せめて、ここでは、単に傍観するのではなく、
自分の意志で、すべての音の進行を
コントロールしようと試みているようだ。

余分なものは、できるだけそぎ落として、
本質が何かを抉り出そうとした演奏に見える。
RCAの戦後の51年の演奏などでは、
序奏部から、いくぶん、
ふっくらとした表現も取り入れて、
オーケストラも手慣れた感じで、
力の出し入れも心得ている様子だが、
この1939年の演奏は、
まさしく真剣勝負といった趣きがある。

トスカニーニの演奏の何が、
我々をひきつけるのか、
ということを考える上で、
基準とすべき点が、
この1939年チクルスでは、
生々しくむき出しになっている。

強烈な意志の力ですべての音を統御し、
弾けさせ、抉りだし、打ち込み、
そして、清潔な歌をあふれ出させる。
そうやって、作品の持つ生命力を、
ストレートに発散させて、
その強い輝きの放射が、
聴くものの心を高鳴らせる。

第2楽章では、大きくテンポを動かして、
トスカニーニもご機嫌なハミングを聴かせている。

第3楽章では、極めて恰幅の大きな表現で、
低音にティンパニが轟き、
音楽が深呼吸するようにふくらみ、
緊迫感のあるテンポが、
不安を抱きつつも飛躍しようとする
ベートーヴェンの心意気を伝える。

終楽章でも、気合いを入れる指揮者の声が聞こえ、
1点1画もなおざりにせず、
作品が生れ落ちる時の生命感を漲らせている。
これは壮絶とも言える音楽で、
トスカニーニの魅力全開で、
血流で膨れ上がった血管で、
すみずみまで、エネルギーが満ちて行く様に、
私の心も熱くならずにはいられない。

共感に満ちた拍手まで、このCDには収められている。

得られた事:「トスカニーニのような帝王でも、生涯にベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を実行することは出来たのはわずか数回で、この1939年のものは、トスカニーニ独自の美学に貫かれた円熟期を目指す時期のもので、トスカニーニには、これ以外の全曲演奏会の記録は残されていない。」
「トスカニーニは満足することのない人間で、ベートーヴェン関連の書物を乱読し、楽譜を読み直し、常に自分の表現を見直しては、新しい生命を作品に与え続けていた。」
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by franz310 | 2014-03-16 14:30 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その403

b0083728_21391282.jpg個人的経験:
トスカニーニの歴史的録音は、
様々なレーベルから発売されている。
戦前、戦後に市場に流通した、
78回転盤を使ったCD化は、
著作権も切れていることから、
誰にでもチャンスがあるようだ。
同じ演奏なのに、
こうも違うのか、という感じで、
いろんなレーベルのCDを
聴き比べるのは確かに面白い。
もはや、生演奏は聴けないので、
想像力の戦いが聞き取れるわけだ。


前回、Biddulphレーベルの、
トスカニーニ指揮、BBC交響楽団の演奏を聴いたが、
面白い事に、技術が進歩して、
もともとは、録音が良いはずの
後年のNBC交響楽団のCDなどより、
聴きやすい音質になっているような気がした。

聴きにくいという事では、
NBC交響楽団の演奏で出されて来たもので、
トスカニーニは、かなり損をしている。
何らかの強調処理が、押しつけがましく、
柔軟性に乏しく、堅苦しい印象を与え、
それが、トスカニーニ自身の外見、
頑固一徹のイメージやその年齢が不思議に調和して、
こんなおっさんの演奏なら、
こういう特徴があってもおかしくないと、
妙に納得してしまったのであった。

しかし、私は、ひょっとすると、
このBBCの一連の演奏によって、
トスカニーニの先入観から解放されたかもしれない。

というのも、
この演奏の中のいくつかを集めた、
GRAMMOFONO2000
というレーベルから出されたCDを
たまたま持っていて、
こっちのほうで、「田園」の方は、
これまで何度も聴いていた。

そして、この「田園」が良いのである。
オバート=ソーンが復刻した、
Biddulphのものより、
何となくジューシーで、
みずみずしく感じられるので、
私は、このCDが手放せずにいる。

しかし、このレーベルは、あるいは、
やばい海賊版レーベルなのであろうか。

Music&Artsのホームページなどは、
「Hall of Shame(恥の殿堂?)」という
特設ページを設けて、海賊盤糾弾を行っている。

その中で、
Iron Needle、
Dante、Lysなどと並べて、
このGrammofono2000も、
いっしょくたにされて弾劾されているのである。

Pearl、Biddulph、
Tahra、APRや、
このMusic&Arts社からの
違法コピーを行っている、
と名指しで非難しており、
消費者に買わないように勧告している。

先にも書いた、オバート=ソーンも、
被害に会っているようで、
「よく知られた技術者のオバート=ソーンや、
パールで長年、プロデューサーを務め、
今は、Arbiterレコード社長である、
アレン・エヴァンス氏が、ネット上で、
苦情を言っている」
などという記載が見える。

オバート=ソーン氏は、
「フレデリック・ストックの『ポップス・コンサート』」の
ダンテやリースから出ているCDが、
ビダルフのCDの違法コピー商品だと書いている。

さらに、ある雑誌で高く評価された
Grammofono2000の
ストコフスキーのCDは、
自分が手掛けたパールのCDによるものだとも言っている。

実に、オバート=ソーン氏ほど、
Grammofono2000に、
苦しめられ、被害にあった人はいないようである。

彼は、さらに、1934年の、
ストコフスキー/フィラデルフィアの
『第九』のMusic&Artsの
自分が行った復刻(transfer)が、
グラモフォノとマジック・タレントに
コピーされたとも書いて、次々に悪行を列挙している。

こうした事が、新しい復刻を行わせることを阻む、
とさえ書いているが、
市場は確かに、過去の復刻なのだから、
権利も切れているだろうから、
安いのを買っても問題なかろう、
という感じで、コピー商品を優遇するだろう。

こんな感じで、オバート=ソーン氏は、
グラモフォノに対して、激しい憤りを表明している。

ただし、この海賊行為が、
グラモフォノのすべての商品に該当するのかどうか、
そのあたりが読み取れない。
普通は、その全部が怪しいと考えるべきなのだろうが、
私には、グラモフォノの音がすべて盗作だ、という確証はない。

ただし、先の、Music&ArtsのHPには、
このような文章が続いているのが悩ましい。

「これから、これらのものがバーゲン品だと考えて、
購入を考えている消費者は、
これらの海賊レーベルが、
オリジナルのトランスファーに対して、
未熟で不器用な方法による
様々なコンピューター処理のノイズ除去を施し、
時折、人工的な残響や、ステレオ効果すら、
付加していることに気付くべきです。」

私は、ひょっとすると、
このトリックに引っかかっているのだろうか。
たとえば、オバート=ソーン氏が復刻したものに、
微妙な効果を施して、聴きやすくしているものを、
私は喜んで聴いていたということだろうか。

確かに、すくなくとも私が持っている、
トスカニーニの「田園」のCDなどでは、
グラモフォノは、たいした解説もなく、
表紙デザインも意味不明である。

眼鏡橋のような石造りの橋であろうか、
そんな風景画が白黒ならぬ白青で再現され、
その中にトスカニーニの肖像を入れたものだから、
結局、その風景画が何なのかが、
さっぱり分からなくなっている。
青白の基調に例外的にトスカニーニが、
金色の枠で囲まれ、レーベル名と、
新しいリマスタリング・システムの名称が、
誇らしげに書かれている。

Toscanini in London
1935-1939 VOL.5とあるが、
残念ながら、他のVol1-4は、
私は店頭で見たことがない。

Biddulphのものが93年の商品で、
このGRAMMOFONO2000の商品は、
1996年とあるから、
盗作可能な時系列になっているのは確かである。
ちなみに、オバート=ソーンは、
2004年に、ナクソスのために、
再度、この音源をリマスタリングしている。

イタリアのレーベルは、
いつも胡散臭いが、当然、このレーベルも、
胡散臭さではその例に漏れない。

また、ブックレットには、
こんな文章が載っているだけである。

「すべてが、最初に78回転盤で出た、
このシリーズに含まれるこれらの録音は、
二つの大きな目的のためのものである。
まず、初めに、プロデューサーは、
この半世紀分のレコードが、常に、
国際的なマーケットで、
しかも、CDという便利なフォーマットで、
入手可能であるべきだと信じている。
私たちは、20世紀の偉大なアーティストの
芸術の証言を、コレクターや、音楽愛好家に届けたい。
GRAMMOFONO2000シリーズは、
3つのセクションに分かれている。
それらは、特別な色で識別可能で、
特別なレパートリーごとに分けられている。
ブルーは、交響的、または、合唱のセクション、
ボルドーは、オペラやリサイタルのセクション、
グリーンは偉大な独奏家、室内楽のセクションである。
このカタログは、芸術解釈の50年分の
最も重要な演奏を提供することになろう。
第2の理由は、GRAMMOFONO2000が、
まったく新しい革命的な
デジタル・リマスタリング・システムである、
CEDAR SOUND RESTRATION SYSTEM
を使うことで誰にでも分かる音質改善がなされていることである。
この特殊なソフトウェアによって、
リアルタイムで、オリジナル音源の含む、
様々なパラメーターを補正することが出来る。
このシステムのプログラムによって、
扱いが悪かったり、摩耗したりして生じたスクラッチ同様、
背景ノイズや、ヒスはほとんど完全に除去できる。
そのほかの問題があっても、オリジナルの音質の、
基本的な特徴を再現することができ、
同時に、古い録音特有の歪なども除去可能である。
これまでのリマスタリングシステムとは異なり、
全工程を、オリジナルの周波数や、
信号に影響するフィルター効果なしで済ませることが出来る。
GRAMMOFONO2000シリーズのすべての商品は、
この驚くべきシステムを使用したものである。」

ものすごく、高い志が書かれているが、
確かに、他のGRAMMOFONOのCDに出ている、
商品カタログは、かなり膨大である。

トスカニーニだけでは当然なく、
ブルーのものだけを見ても、
ワインガルトナー、メンゲルベルク、
フルトヴェングラー、ワルター、
クナッパーツブッシュ、ストコフスキーと、
ヒストリカル・ファンには、
垂涎のラインナップである。

なお、トスカニーニ/BBCのものは、
6つのCDが出ているようで、
カタログ上は、
ワーグナー、ブラームス、モーツァルト、
ロッシーニ、ドビュッシー、エルガー、
ウェーバー、メンデルスゾーン、シベリウス
とあって、エルガー、シベリウスなど、
BIDDULPHでオバート=ソーンが
復刻していないものもあるようだ。

しかし、このGRAMMOFONOは、
インターネットのホームページも見たことがなく、
明らかに怪しい。

このような状況を吟味しながら、
改めて、GRAMMOFONO2000の
このCDを聴くと、確かに、
後から付加された残響の効果によって、
ふっくらとした響きになっているようにも聞こえなくもない。
が、それ以上に鮮やかな印象があるのは何故だろう。

高音がぎらぎらしていたりするわけではなく、
低音の存在感も大きいので、
バランスは良いと思う。
BBCの魅惑的な木管群も存在感がある。

手抜きの仕事ではないと信じたいものだ。
せっかく買って愛聴していたので、
何とか、いいところを見つけたくなってしまう。

実は、この「田園交響曲」の録音は、
SP時代の面と面のつなぎがうまく行っていない所があり、
第2楽章で3面あったうちの2面から3面への移行が、
BIDDULPH盤ではごまかし切れておらず、
オバート=ソーンは、
NAXOSでの復刻時は、うまくやった、
と書いている。

では、このGRAMMOFONOのCDはどうかというと、
そこそこうまく行っているように思える。
このレーベル自慢のCEDARシステムの効果だろうか。

さて、海賊レーベルなどではない、
しっかりしたネット上の情報もある、
BIDDULPHの人には悪いが、
このCDを聴きながら、
BIDDULPHの解説を読んでしまおう。

人工的に残響が付与されているのか、
何がどうなっているのか、
良くわからないのだが、
このCDの音質は、
何となく、ふっくらとマイルドな感じがして聴きやすい。

仮にGRAMMOFONOのCDが海賊盤で、
元になる録音があるのであれば、
ぜひ、それを紹介して欲しいものだ。
私も、やはり、しっかりした解説が欲しいし。

何と言っても、トスカニーニ/BBCの「田園」は、
下記のようにHarris Goldsmithという人が、
「最高」と賞賛しているものなのだ。

「BBC交響楽団との『田園』は、
さらに高次元の素晴らしさで、
オーケストラの演奏にも、技術的破綻は見られない。
これは、1937年の6月から10月と長くかかった、
少なくとも4回のセッションで、
録音されたことにも、一因があるのかもしれない。
彼は、承認可能な、この交響曲の録音を生み出すのに、
非常に厳しい仕事ぶりを示した。
(1933年、ニューヨーク・フィルとの試みがあった。)
すこしずつ録音されたにも関わらず、
結果として現れた解釈は、
直線的な直接性と牧歌的な自発性を溢れさせている。
彼の1952年のNBCとの録音も、
同様に素晴らしいとする人も正直いるはずだが、
アメリカのオーケストラのスタイルとは比べることが出来ない。
BBCの管楽セクション、特にオーボエは、
ずっと人懐っこい手際を見せ、
後の録音に行きわたる、
じりじりしたラテン的な集中よりも、
(これは、サバータ指揮の、
ローマ・アウグスティノ管でも聴かれる)
私は、その弦楽セクションの暖かさや親密さを好む。
1937年の録音では、
ベートーヴェンの楽譜に手が加えられておらず、
『嵐の音楽』に補強用のエキストラのティンパニはなく、
『小川のほとり』では、ヴァイオリンのトリルの、
優雅な後打音(ナーハシュラーク)もない。
1933年のニューヨーク・フィルとの演奏は、
もし残っていたら、
トスカニーニ研究家をずっと悩ませた、
疑問が解決されるはずである。
この指揮者は、こうした校訂を、
この後の時代だけ行っていたのだろうか。
1938年1月の、
最初のNBC交響楽団との演奏では、
同様に、これらの措置はなく、
私は、単に、両方の機会に、
新しいオーケストラとの演奏に際し、
単に、彼の書き込みが入った楽譜ではなく、
彼らが使っていたものを使ったからではないか、
と推測している。
それがどうであれ、この『田園』は、
私にとって、トスカニーニ/BBCの最高の演奏である。」

第1楽章から、丁寧に丁寧に演奏されているが、
同時に、これほどまでに、
明確な意思で、句読点を打たれた演奏もないかもしれない。

すみずみまで意志が通っている感じで、
要所、要所が、びしっ、びしっと決まって行く。
よって、田舎に着いた時の長閑な感じとは違うが、
空気は清冽で、生命感に溢れ、弾力に富んで、
これはこれで、リフレッシュできる「田園」である。

第2楽章の夢見るような風情も、
ものすごく美しい。
トスカニーニも感慨無量であったと想像される。
これはめくるめく幻惑すら感じさせる絶美の世界だ。

第3楽章の軽やかなリズム、
ダイナミックレンジをいっぱいに使った、
いくぶんドライな第4楽章を経て、
終楽章で立ち上ってくる楽器群の美しいこと。

BIDDULPHのCDの解説の終わりは、
トスカニーニとBBCの良き時代を語って寂しい。

「1939年5月の彼の最後の訪問では、
トスカニーニは、全9曲の交響曲、
『ミサ・ソレムニス』、いくつかの序曲、
最後の弦楽四重奏曲作品135からの2楽章、
(協奏曲もあったが、ボールトが指揮した)
からなるベートーヴェン・チクルスで、
オーケストラの能力を試した。
おそらく、全員が少し疲れてしまったようだ。
しかし、何らかの理由によって、
1939年6月1日の、
たった一回の録音セッションでは、
ベートーヴェンの『第4』、
『レオノーレ序曲第1番』、
『プロメテウス序曲』の演奏が
慌ただしい演奏が録音されたが、
これらは、かつて、トスカニーニ/BBCの
コラボレーションが持っていた、活力と人間性を失っている。
(私は、未発表のままになっている、
『コリオラン』序曲についてはコメントできない。)
非人間的に堅苦しいメトロノームと、
機械的なシンメトリーが、
かつてのニュアンス豊かな柔軟性にとって代わっている。
1939年のこれらの録音では、
以前のセッションよりマイクも遠く、
演奏における非人間的な無気力のオーラに
一役買っている。
トスカニーニの録音嫌いや、
戦争前の欧州の不安な雲行きなど、
その他の要因に加え、
むろん、過労も原因であろう。
しかし、それは、単に、4年の音楽活動を経て、
トスカニーニとBBCのハネムーン期間は、
終わりを迎え、
もっと普通の仕事の関係に、
なっただけなのかもしれない。
この関係もまた、ヒトラーの爆撃機によって、
まさに終わりを迎えようとしていた。」

得られた事:「GRAMMOFONO2000というイタリアのレーベルは、Music&Artsなどが海賊レーベルとして糾弾しており、限りなく怪しいが、このCDは、非常に聴きやすい音質である。怪しいレーベルには残響を人為的に付加するものもあるようだが、それはよく分からない。」
「トスカニーニ/BBCの『田園』、第2楽章の幻惑の絶美。」
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by franz310 | 2014-03-02 21:39 | 古典