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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その402

b0083728_2323994.jpg個人的経験:
トスカニーニが、
英国のBBC交響楽団と、
一連の名曲を録音したことは、
日本の音楽愛好家にとって、
この指揮者には不相応な
二流オーケストラに客演した、
むしろ残念な出来事として
捉えられることが一般的であった。
当時、多くの人が参考にした、
あらえびすの「名曲決定盤」でも、
英国のオーケストラへの評価は、
散々と言ってもよい。


このオーケストラを使ったことによって、
トスカニーニ指揮でも、「田園」については、
「質の低下を免れなかった」と書かれたし、
同様に人気のあったブルーノ・ワルターの
同時期のこのオーケストラとの録音は、
ほとんど説明が省略されているか、無視されている。

A.ボールトを扱った項では、
「英国の放送協会(BBC)が設立され、
無名の指揮者アドリアン・ボールトが
その専属オーケストラを指揮して
じゃんじゃんレコードに入れたのは、
確かに目ざましいことであった」と、
書かれているが、
何か軽薄な表現で、尊敬の念はつゆほどもない。

とにかく、このオーケストラは、
どのような発展を遂げるかも分からない、
発足して間もない楽団だったわけだ。

しかし、最近では、名技性を主体とした、
アメリカのオーケストラより、
自発性とか楽器の音色とか、
あるいは、録音の特性によって、
むしろ、BBCでの録音を、
貴重な遺産とする向きもあるようだ。

確かに、エルガーやヴォーン=ウィリアムズの、
弦楽合奏のための名品を少し想像すれば分かるが、
この国の弦への愛着は並々ならぬものがある。

トスカニーニの指揮においても、
そのあたりの美質が生かされていれば、
剛と柔がブレンドされて、
素晴らしい音楽になるような予感がする。

そもそも、トスカニーニは、
あまり欧州のオーケストラを振って、
録音を残しておらず、
何故、英国か、それも、BBCか、
という感じがなくもない。

ただ、BBCでのトスカニーニの指揮は、
1935年6月に登場した、
最初から絶好調であったようだ。

残されている初期のものは、
正式なセッションではなく、
ライブ録音ばかりで、
後半になって、ようやく、指揮者が認めた、
スタジオ録音となる。

今回のCDも、1937年のものが最も早く、
最後のものは1939年のもので、
これを最後にトスカニーニは、
もはや、このオーケストラを振ることはなかった。

このBiddulphのCDは、
もう20年も前に出されたものであるが、
これらのセッション録音を2枚にまとめたもので、
トスカニーニが指揮棒を持った表紙がかっこいい。

Biddulphと言えば、
こうした古い録音を復刻する老舗であるはずだが、
このかっこいい表紙の作者についての記載は、
残念ながら、ブックレットにも裏表紙にもない。

また、高名な復刻エンジニア、
マーク・オバート=ソーン(Obert-Thorn)が、
リマスタリングを担当しているのが嬉しい。

この人がからむと、いろんな博識を披露した、
解説を読むのが楽しいが、
このCDでプログラム・ノートを担当しているのは、
Harris Goldsmithという人である。
ピアニストとして、批評家として活躍する人らしく、
トスカニーニに一家言持つ人のようだ。

「このアンソロジーは、トスカニーニが、
BBC交響楽団と共演したもので、
発売を承認したもののすべてである。
二つの追加の録音があったが、
彼は承認しなかった。
実際のコンサートの録音のいくつかと同様、
彼らの最後のセッションによる、
2曲のベートーヴェンの序曲がそれであるが、
後世の我々は、この伝説の指揮者と、
彼が録音を残したのとは似ていない楽団との、
関係の発展を追体験し、検証するという、
独特の体験が可能である。」

最初は、読み飛ばしていたが、
この「関係の発展の追体験」というのが、
このアンソロジーの重要なファクターであることが、
最後に分かる仕掛けになっている。
なかなか憎い書きぶりになっているのである。

「この関係は短いものであったが、
多くの証拠から、集中して親密なものであった。
1935年6月に幸先よく始まり
(トスカニーニは、以前にロンドンに来たことがあり、
それは、彼が率いたニューヨーク・フィルとの
1930年の欧州ツアーの、最後の4公演であった)
1936年を除いて、1939年まで毎年続いた。
トスカニーニは1937年に70歳になったので、
『若い芸術家の肖像』とまではいかないが、
これらの録音は、この偉大なイタリアの指揮者の、
ずっと優しい側面、
さらにあえて言うと、実践的な側面を見せてくれる。
事実、これらの演奏、少なくともそのいくつかは、
『優しい暴君』とでもいうような、
トスカニーニを描き出している。
(そこには、残忍なリズムの渦巻きなど、
何か専制的なものがあり、
特に、ブラームスの『悲劇的序曲』や、
後半のベートーヴェンの演奏などにそれがある)。」

ここで、後半のというのは、
「第1」と「田園」が、1937年の録音であるのに対し、
「第4」と「レオノーレ序曲第1番」が1939年のもので、
完全に二分割できるからであろう。

つづいて、このオーケストラにいた、
名手たちの紹介があるのも貴重である。

「これらの演奏の音楽的現象を理解するためには、
このオーケストラの背景の歴史を知る必要がある。
この楽団は、1930年に英国放送協会によって創設され、
主にラジオ番組用、
さらに、演奏会、レコーディング用に使われた。
オーブリー・ブレイン(ホルン)、
テレンス・マクドノー(オーボエ)、
フレデリック・サーストン(クラリネット)、
アーチー・カムドン(バスーン)、
ヴァイオリンにはマリー・ウィルソンがいて、
首席ヴィリストはバーナード・ショアだったり、
著名な器楽奏者が含まれていたものの、
この団体は、ニューヨーク・フィルの
熟成して国際的魅力や、
多くは音楽院をでたてで、
眩い名手を集めた
新星NBC交響楽団のような
息を飲むばかりの名技性を持っていなかった。
むしろ、彼らには、成長途中ではあったが、
落ち着いた音楽性や、
押しなべて成熟した総合性があった。」

ということで、ニューヨーク・フィルや、
NBC交響楽団より、
BBCの演奏を好む人がいてもおかしくはない。

これら器楽奏者のうち、
オーブリー・ブレインやサーストンは、
良く聴く名前であるが、
マリー・ウィルソンもまた、
女性奏者の走りとして知られる存在らしい。

「BBCはドクター・エイドリアン・ボールト
(彼は、1939年に叙勲される)を信頼し、
音楽的指導を受け、
初期の一連のボールトとの録音によって、
このオーケストラは急速に、
英国の最も熟達したオーケストラとなり、
サー・ハミルトン・ハーティのハレ管弦楽団や、
サー・ヘンリー・ウッドの
新クイーンズ・ホールと並ぶようになった。
(サー・トマス・ビーチャムが刷新した、
LPOがすぐにライヴァルとなって、
彼らすべてを越えて行った。)
ベートーヴェンの『第8』、
シューベルトの『大ハ長調』、
ブラームスの『悲劇的序曲』、
バックハウスとのブラームスの『ニ短調協奏曲』など、
ボールト指揮によるBBCの仕事は、
鋭敏さと、格調の高さがあったが、
何かカリスマ性に欠けていた。」

あらえびすも、「何をやらしても手落ちはないが、
非常な傑作も一つもなく、
レコードで聴く範囲では、
悉く無事な演奏であり、
どれも同じような出来栄えである」などと、
突き放したような書き方をしている。

そういう情報に洗脳されて来ているので、
残念ながら、私にも同様の印象しかない。

ただし、バックハウスの初期の録音として、
ブラームスの協奏曲は良く知られたものである。

「このように欠けた要素を対策するべく、
華やかな客演が、ある種のコンサートに招かれ、
この急成長するアンサンブルと録音を行った。
1930年代初めのビクターには、
ブラームスの『第4』やモーツァルトの『39番』
を録音したブルーノ・ワルターや、
シベリウスの『第7』の
エキサイティングなライブを残した、
セルゲイ・クーセヴィツキーや、
モーツァルトの『リンツ』や、
リヒャルト・シュトラウスの『ティル』を含む、
ブッシュの演奏が含まれている。
メンゲルベルクやシュトラウス、
フェリックス・ワインガルトナーもこの時期に、
このオーケストラを振ったが録音はない。」

ということで、日本だけでなく、
世界的に見ても、この楽団は、
何だか、良くわからない集団として捉えられていたようだ。
それを、克服するために、
トスカニーニやワルターが呼ばれ、
録音を残していたわけである。

以下、前にも読んだ、トスカニーニとBBCの、
初対面の一コマの描写がある。

「そして、トスカニーニがやって来た。
ボールトは脇に立って、
最初のリハーサルで、
マエストロを団員に紹介した。
そして、短いスピーチで、『天才的』とか、
『最も偉大な』といった形容をした。
トスカニーニは、さっとそれをとどめ、
陽気に肩を叩くと、
『ノー、ノー、ノー、ノー、ノー。
そんなのではまったくない。
ただの誠実な音楽家だよ』と言った。
誠実な音楽づくりは、
驚くほど少ない技術上のミスと共に、
トスカニーニ/BBCの録音からも聞き取ることができる。」

ここからは、解説者は、各曲の詳細な、
演奏上の特色を上げていくが、
これが、なかなか勉強になる。

「たとえば、ベートーヴェンの『第1交響曲』において、
2年前の最初のコンサートで演奏された、
ブラームスの『第4』の演奏同様、
いくつかの和音のずれはあるが、
それ以外は説得力がある。
導入のピッチカートの小節は揃っていないし、
メヌエット(形ばかりで、
実質はベートーヴェンらしい陽気なスケルツォ)
のテンポ(トスカニーニにしてもいくぶん速い)は、
奏者たちにしっくり行っていないようである。
一方、ここから現れる音楽は素晴らしく、
フィナーレの舞曲調の生命力には、
羽根のように軽い弦楽のスタッカートがある。
いくぶん、ポルタメントやルバートがかかった
アンダンテのカンタービレは、
後年のトスカニーニのスタイルしか知らない者を驚かせる。
ふだんはこの指揮者がやらない、
第2楽章のものを含め、
繰り返しがすべて行われている。
時にマエストロは一緒に歌っており、
これは、通常、彼のリラックスと、
喜びに浸ったことを示すものである。
1937年10月の解釈は、
もっと定石的な1951年のNBC交響楽団の演奏より、
さまざまな点から見て、好ましいものである。」

CD1のTrack1から、この「第1」が収録されているが、
ここに書かれているように、冒頭から和音が合っていない。
しかし、トスカニーニは、お構いなしに行ったのだろうか。

この若いベートーヴェンの世界には、
自発的な活力が必要で、それを大切にしたかったのだろうか。
しかし、トスカニーニだけでなく、
オーケストラだって、これくらいのミスは、
録り直したいと思わないだろうか。

トスカニーニは、彼には珍しく、
小さい事は気にしない風で、
鼻歌まじりで、音楽に酔いしれている様子が、
ありありと分かる。

解説にあるように、木管楽器の丁々発止の掛け合いも、
非常に印象的で、活力に満ち、音楽が進んでいく。

この交響曲は、小粋な展開が多く、
たっぷり歌う部分が少ないが、
たとえば、第2楽章の冒頭などの、
ちょいちょいと歌われて発展する弦楽の音色も、
表情の変化が立体感を与え、
深い味わいのようなものを感じさせる。

こういった部分では、
トスカニーニもご機嫌で、
もう一つの声部となって歌っている。

第3楽章は、速すぎるとされるが、
私にはトスカニーニ的と感じられる。
が、オーケストラはあおられて大変だっただろう。
トスカニーニ的とはいえ、
あまり、びしっと決まった感じがない。

終楽章の冒頭の和音は、
録音の古さを感じさせるが、
「羽根のようなスタッカート」による音楽進行が、
いかに一丸となった演奏であったか、十分に分かる。
心地よいリズムでクライマックスに繋がって行く高揚感も、
トスカニーニならではである。

次に、このCD解説には、
「田園」の紹介があるが、
これは飛ばして、先に行くことにする。
ちなみに、解説者は、これを、
このアンソロジーの最高傑作としている。

「1937年の最後の録音は、
ブラームスの『悲劇的序曲』で、
ベートーヴェンの『第1』と同じ、
10月25日のセッションでなされていて、
これらの2作品は、一緒に78回転盤として出された。
興味深い事に、このオーケストラの演奏は、
ここではさらに統率が効いていて、
この演奏は、いろいろな事を考え併せても、
常に、この作品を熟慮し、内省的に扱った、
トスカニーニにあって、
速いテンポの解釈が最も成功した例である。
(1953年のNBCの放送録音では、
異なるアプローチがなされている。)」

NBCの演奏では、
冒頭のティンパニ連打もおどろおどろしく、
耳をつんざく金管の表現もものものしい。

録音のせいか、このBBCのものは、
こうした突出がなく、その分、聴きやすい。
テンポが速いので、オーケストラも、
緊張感が漲っており、
その後で流れ出す美しい弦の主題の、
ポルタメントのなまめかしさが生える。

トスカニーニは陶酔して歌っているし、
これを聴いた後では、
NBCの録音には、明らかに、
トスカニーニの統率力が年齢のせいで、
落ちてしまっていることが分かる。
各楽器のバランスが、デジタル的なのだ。

バランスよく浮かび上がる、
みずみずしいピッチカートの音色を聴くだけで、
BBCの録音が好きだと言う人の気持ちがよく分かる。

私は、この曲の鬱屈した曲想に、
いつも辟易していたが、
イタリアの巨匠の、爽快なテンポと、
フレッシュな歌心は、
この曲のイメージをリニューアルし、
ついつい、耳を澄ませて聞き入ってしまった。

しかし、トスカニーニは、
1936年には、「ハイドン変奏曲」を入れていて、
翌年、すぐに「悲劇的序曲」を録音したのだから、
ものすごく、ブラームスの演奏が好きだったものと思われる。

「故B.H.ハギン(Haggin)は、
1938年録音のロッシーニの『絹のはしご』序曲を、
素晴らしく機敏な名技性を見せた、
1934年のニューヨーク・フィルの演奏とは、
同列には語れないとしている。
同様の事は、1949年3月のNBC交響楽団との、
放送と、このBBC盤を比べても言える。
一方で、トスカニーニに応答して、
魅力的で楽しげな自発性を、
BBCの音楽家たちが見せており、
たとえば、展開部(これはロッシーニには珍しく展開部がある)
に入る時の、ここでの幅広いフレージングには注目すべきである。
ハギンは、彼の疑念を差し置いて、
この演奏をすぐれたものとしており、
同様に私もまた、いろんな面で、
1949年のもっと集中力はあるが、
ありがちな演奏より、この演奏を好む。」

私も、この「幅広いフレージング」の大胆な即興性に、
舌を巻いてしまった。
これは、本当に心から音楽を楽しんでいる演奏家たちにしか、
許されないような表現だと思った。
音楽から微笑みが零れ落ちてくる。

というか、冒頭の木管の主題からして、
一瞬で、ロッシーニのオペラの世界に、
運び込まれてしまう。
木管アンサンブルの超俗的な雰囲気が、
完全に非日常を演出している。
弦楽の小粋な表現にも泣かされる。
この曲こそが、このアルバムの最高傑作ではないか、
などと思ってしまった次第である。

「そして、『魔笛』の序曲は、確かに、
1949年のNBCの録音に聴かれるものより、
トスカニーニがこの曲のリハーサルで求めた、
必要な『微笑み』がここにはある。
これは、疑いなく、彼のモーツァルトの録音では、
最高のものである。
しっかりとしていて、敏捷で快適である。」

この曲はCD1のTrack1を占めている。
トスカニーニのモーツァルトでは、
BBCでのライブの「ハフナー」も美しかった。
よって、最高かどうかは分からない。

楽団員も乗っていて、
微笑みに満ちたモーツァルトではあるが、
この曲の場合、もう少し、
落ち着いた表現でも良さそうな気もする。

「逆に、ウェーバー作曲、ベルリオーズ編曲の、
『舞踏への誘い』は、無愛想で、ばらばらな感じである。
それはある意味、『ゲミュートリヒカイト』かもしれないが、
後年の1951年のものは、もっと厳しく、
造形がよく、ずっと透明度が高い。
BBCのチェリストは締まりがなく、
NBC盤のフランク・ミラーの雄弁さはない。」

これは、1938年、6月14日のものである。

混乱して来たので、時系列に、これらの録音を並べると、
このようになる。()内は解説での表現。

1937年
6月22日~10月22日:
ベートーヴェン『田園交響曲』(最高)
10月25日
ベートーヴェン『第1交響曲』(特別)
ブラームス『悲劇的序曲』(良い)

1938年
6月2日
モーツァルト『魔笛』序曲(微笑み)
6月13日
ロッシーニ『絹のはしご』序曲(自発性)
6月14日
ウェーバー『舞踏への勧誘』(だるい)

というところまで来た。

1938年の録音は小品ばかりで、
最後の曲(CD2のTrack8)では、
少し、弛みも出て来たのだろうか。
いくぶんシャープさや造形への意志に欠け、
何とか、ところどころの音色で聴かされる感じか。
が、良く取れば、息のたっぷりした、
典雅な表現とも言える。

だから、解説者は、ゲミュートリヒカイト、
などという言葉を持ち出したのか。
トスカニーニも、この曲は、
こんな曲ですよ、と言いたいようだ。

1938年の3曲は、うまく、
その曲ごとの性格を描き分けた、
とも言えるかもしれない。

むしろ、後年のトスカニーニの方が、
すべての曲をトスカニーニ化してしまった、
とも言えそうだ。
事実、この「舞踏への勧誘」は、
終盤に向け、すごい推進力でドライブされ、
かなりの満足感で聴き終えることが出来る。

そして、この少しゆるい感じは、
何か、19世紀的な、余韻を伴ったものなのかもしれない。
アメリカのオーケストラにどっぷりと浸かっていた
トスカニーニは、ひょっとすると、
古きヨーロッパへの憧れを、
そっと、ここに描いて見せたのかもしれない。

1938年といえば、ナチス・ドイツが、
オーストリアを併合した年であり、
トスカニーニは、そうした事に、
古き良きヨーロッパの行く末を垣間見ていた、
などと考えるのは考え過ぎか。

こうして、1937年と38年の3曲ずつを聴いた。

残すところは、1939年の録音だけとなったが、
解説は、少ししか書かれていない。

つまり、この解説の著者は、
最後の年の録音には、
あまり価値を認めていないようなのだ。
残りについては、次回、書くことにする。

得られた事:「BBC交響楽団は、創立当初から名手を集めていたが、カリスマ性がなく、大指揮者を次々に招聘した。」
「彼らの頂点としてロッシーニの『絹のはしご』序曲があり、即興的な息遣い、見事なアンサンブルの色調で、我々を別世界へと連れ去る。」
「『舞踏への勧誘』には、古き良きヨーロッパへのオマージュがある。」
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by franz310 | 2014-02-15 23:04 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その401

b0083728_20243296.jpg個人的経験:
プロデューサーから
現場のエンジニアまで、
大きな悩みを抱えずに
いられなかった
1930年代の
トスカニーニの演奏記録。
半世紀を超えてようやく、
その全貌が見えてきている
感じなのかもしれない。
が、あるところにはあるもので、
このBBCのCDも、
大曲を惜しげもなく収めている。


表紙はトスカニーニの鬼気迫る表情の写真で、
あまり、手にしたくなるものではないが、
このシリーズ共通のシンプルな色のコンポジションで、
かなり、印象が緩和されている。

たとえば、1989年に出た、
諸石幸生著「トスカニーニ」(音楽之友社)では、
1935年のBBC交響楽団のライブ録音として、
5曲しかディスコグラフィに載せていないが、
前回聴いたWHRAの4枚組では、
倍以上の曲目が収められていた。

今回のCDでは、この1935年のライブでも、
大きな反響があったとされる、
ベートーヴェンの「第7交響曲」が再び聴けるが、
クレジットによると、2夜あった公演の最初の方、
6月12日のものだと書かれている。

信じがたい事だが、2日後の「第7」は、
先のWHRAレーベルの最新復刻で聴けるのだから、
21世紀に生きる我々はぜいたくなものである。
とはいえ、WHRAが採用した6月14日の「第7」は、
諸石本のディスコグラフィにも出ている。
こちらのものは、さすがBBCレジェンズ、
未発掘のものを掘り出して来た。

ただし、6月3日のケルビーニの序曲と、
6月14日のモーツァルトの交響曲は、
ディスコグラフィにはないが、
WHRAには入っていたもの。
とはいえ、あちらは2012年の発売で、
こちらは1999年のものだから、
このBBCのCDが初発売で、
さすがBBCレジェンズということになる。

しかし、この2枚組のBBC盤の本命は、
1939年5月28日の「ミサ・ソレムニス」で、
後半のCDまるまると、前半のCDの最後を占めているので、
演奏時間の55%を占め、まったく躊躇することなく、
WHRAの4枚組と一緒にコレクションすれば良いのである。

BBCレジェンズは、BBCなのだから、
もともと、BBC交響楽団の演奏は、
全部、持っているのではないかと類推できるが、
あえて、これら4曲しか出さなかったのは不思議である。
ブラームスの4番とか、EMIに持って行かれたものは、
しかたなく省いたのかもしれない。

解説は、そんなに長いものではないが、
かなり興味深く読める。
「天上からの光」と題されている。
Harvey Sachsという人が書いている。
イギリスのレーベルなのでイギリス人かと思ったが、
フィラデルフィアのカーティス音楽院で学び、
ヨーロッパにも長く住んだという、
トスカニーニの本を多く出しているアメリカ人であった。

フィラデルフィアに縁のある人だけに、
「トスカニーニ、フィラデルフィアとニューヨーク」
などという本を書いている。

「アルトゥーロ・トスカニーニは、
20世紀で最も名高い指揮者であったが、
彼のキャリアは、60歳を過ぎるまで、
主に、イタリア、米国、
わずかアルゼンチンでしか知られていなかった。」

ここで、あえて、one of とか、
みみっちい事を付けずに言い切っている点がうれしい。
それだけ、トスカニーニに心酔している人なのだろう。
上記の本は1978年に出されていて。
32歳の時の仕事、ハーベイ・ザックスにとって、
トスカニーニは音楽の象徴なのかもしれない。

「たとえば、ほとんどの英国の音楽愛好家は、
彼がニューヨーク・フィルのツアーで演奏した、
1930年代まで、生で彼を聴くことができなかった。
そして、トスカニーニは、
68歳になった1935年まで、
イギリスの楽団と共演することはなく、
この時、クイーンズ・ホールで、
創立5年のBBC交響楽団を指揮した。
ここに聴かれる素晴らしい演奏は、
彼の最初と最後のコンサート・シリーズの間で
録音されたものである。
『私は、皆が、トスカニーニ来訪こそが、
BBC交響楽団のキャリアの頂点であり、
ゴールだったと思っていたと思う。』
この楽団の創設指揮者のエイドリアン・ボールトは、
そう回想した。
『このオーケストラを彼に紹介しながら、
世界最高、という言葉を使って、
みんなが願っていた我々の到達点について、
私は何か挨拶をした。
その時、マエストロは優しく、
私の肩を叩き、
“ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう。
それは全然違う。
ただの誠実な音楽家だよ“と言った。
したがって、みんな笑うので、
私はそのまま放っておき、
椅子に座って、
いったい、何がいつ起こるだろうと、
最初の爆発を待った。
しかし、それは結局なかった。
実際、ブラームスのホ短調交響曲の
真ん中の2つの楽章は中断なく演奏された。
“祈れ、祈れ、祈れ”、彼は言った、
“ただ、3つのことだ。”
それから、彼は3か所ほどパッセージを見つけ、
それを正し、さらに続けた。
トスカニーニは、一度、良しとすると、
さらに鋤を入れることは良いと思っていませんでした。
言うまでもなく、オーケストラは、
この最初のリハーサルからマエストロを賞賛しました。』」

ここまでは、最初のリハーサルの模様を伝えるもので、
ブラームスについては、ごく順調に練習が終わったことが分かった。

このCDに収められている曲目についてが気になるが、
この後も、おそらく、うまく言ったのであろう。
下記のような文章で、
トスカニーニと英国の関係が締めくくられている。

「この感覚は共通のものだったようで、
続く4年、トスカニーニはBBC交響楽団を4度訪れ、
トータルで22公演を振り、
(コレルリからショスタコーヴィチに至る)
7回の録音セッションを持った。
戦争がなければ、トスカニーニとBBCのコラボが、
さらに続いたであろうことは間違いない。
戦争中、マエストロはロンドンに来ることはなく、
1952年、85歳の時、
新しいロイヤル・フェスティバル・ホールで、
フィルハーモニア交響楽団と2回のコンサートを行い、
英国に別れを告げた。」

トスカニーニのBBCとの演奏は、
上記セッション録音は、非常に有名であるが、
演奏会の記録としても、
WHRAが出してくれた1935年のものの他、
ベートーヴェンの「第9」や、
ヴェルディの「レクイエム」など、大作が、
ぽつぽつと復刻されている模様。

そういうものと比べても、
今回のCDの1939年の「ミサ・ソレムニス」などは、
音質は古いが聴きやすいのでありがたい。

リマスターは、20bitとあり、
Arthur M.Fierroなど、
3人のエンジニアによるらしい。

解説は、ザックスという人の力量発揮で、
そもそもトスカニーニは、
という感じの部分もある。

「トスカニーニのキャリアは、
1886年、この演奏の半世紀も前に始まっているが、
ここに聞く曲目のうち、
たった1曲のみが、
この期間の半分以上の演奏経験に入っていた。」

私は、こんな書き方の解説は初めて見た。
つまり、これらの曲が、何時、彼のレパートリーに入ったか、
ということをザックスは気にしているのである。
さらりと書いているが、かなりの研究を経ないと、
こんな記載はできないだろう。

では、その1曲、つまり、この中で、
もっとも古くから手掛けていたものはどれか。
それは、モーツァルトらしい。

「彼は、モーツァルトの『ハフナー交響曲』を、
1908年という早い時期から、
スカラ座のオーケストラで指揮しており、
トリノ、ニューヨーク、ヴィーン、フィラデルフィア、
そしてNBC交響楽団とも演奏している。
彼はスタジオ録音も2回しており、
抒情的で柔軟、今の基準からすると、
極めてロマンティックなバージョンによる、
1929年ニューヨーク・フィルとのものと、
1946年の、いささか硬いNBC交響楽団とのもの。
この1935年のBBCでの演奏は、
ニューヨークとのコンセプトに近い。」

1908年から1935年までは、
27年経過しているので、
確かに、半世紀の半分は経過しているわけだ。

この演奏はWHRAのCDで聴いた時にも感じたが、
まったく、解説者に同感である。
柔軟で、歌に満ち、どうも、後期6曲として紹介される、
モーツァルトの交響曲の中では、
一本気な、お硬い長男みたいな感じを受けがちな、
この交響曲の中に、優しい心情を見せてくれた。

じゃーんという序奏に続く楽句が、
ためらいがちに演奏され、
ばーんと出る主部の華やかさを強調しているが、
これが、決して強引ではなく、
丸みを帯びた微笑みを伴っている。

経過句における楽器のやり取りも、
後年のピアノ協奏曲のような、
典雅な風情を漂わせている。
こうした間の取り方や、
音の伸びやかさなど、
メンバーの自発性を生かした感じで、
ニューヨーク・フィルとの演奏以上かもしれない。

WHRA盤に劣るのは、
トスカニーニの歌声あたりに、
フィルタ特性がかかっているのか、
それがかすかにしか聞こえず、
指揮者と一緒に共感するための情報が、
薄まっている点であろう。

「トスカニーニは、ケルビーニのオペラ・バレエ、
『アナクレオン』への序曲を、
1925年にスカラ座のオーケストラで、
最初に振っている。
輝かしいが名作とも言えないこの曲を、
彼は8つのオーケストラと演奏している。
指揮者の死後、RCAは、1953年の
NBCでのこの序曲の放送録音を発売している。」

ちなみに、アナクレオンは、酒と愛の詩人。
軍人でもあったらしい。
ゲーテが、「アナクレオンの墓」という詩を書いているので、
18世紀から19世紀の疾風怒濤の時代に、
流行った人物なのであろう。
1803年の作品で、
「逃げた愛の神」という副題があるように、
軽妙な要素もあったのだろうか。

トスカニーニ好みの潔い序奏に、
鮮やかなメロディが続く作品で、
複雑に声部が交錯して発展して爆発するのが快感である。
このBBCレジェンズの音質は、
非常に聴きやすい。

WHRA盤は、ノイズを取らずに、
色彩が生々しい反面、
ざらざら感にデッドなイメージが付きまとうが、
このBBC盤は、なめらかに仕上げている。
迫力や立体感はいくぶん劣るが悪くはない。

楽想に、きらきらと輝くパッセージあり、
軽妙な弦楽の弓使いあり、
豪壮な金管の咆哮ありと、
リヒャルト・シュトラウスの古典版みたいな感じ。

かつての大指揮者たちがこぞって取り上げたのも、
良くわかる管弦楽のパレットの豊かな作品である。
トスカニーニの密度の高い音の采配が、
説得力を持って迫る。

「ベートーヴェンの『第7』交響曲は、
彼が49歳になるまで、
そのレパートリーに入らなかったものである。
『第2』と『第8』以外は、10年、20年前に、
ベートーヴェンの全曲を取り上げていた。
彼は、『第7』をスカラ座時代に頻繁に取り上げ、
1920年から21年に、イタリアや北米で、
マラソンツアーし、その後も全欧やアメリカで演奏した。
1951年のNBCとのスタジオ録音は、
良く知られているが、
1936年のニューヨーク・フィルとのバージョンが、
これまでなされた交響楽録音の中でも
最高のものとされるのがふさわしい。
『ハフナー』交響曲の場合同様、
コンセプトにおいてBBCとのものは、
ニューヨーク・フィルとのものに近く、
この演奏の時、トスカニーニと会って、
2週間しか経っていなかった楽団が、
マエストロとの10年の共演の中で到達した、
ニューヨーク・フィルの突出した名技性や、
意志の統一に迫っている。
演奏は息を飲むもので、
音質も当時のものとしては素晴らしい。」

この「第7」は、重心が低い音質で、
WHRA盤のような、
楽器の分離を生かしたものに比べると、
ずーんと来る序奏からの密度の高さに圧倒される。

主部に入ってからも、
ティンパニの連打を伴って、
すごい迫力で脈打って盛り上がる。
トスカニーニの魅力は、
これまで、なかなか言葉にすることが出来なかったが、
ここに聞くような、
内部から膨らんでくる生命感のようなものが、
その一つかもしれないと思った。

第2楽章の悲壮感も、
このしっとり気味の音質はマッチしている。

トスカニーニは終始歌っているが、
彼の声のあたりの周波数帯をいじっているのか、
このCDではWHRA盤よりはっきり聞こえない。

リズムが息づくように刻まれ、
まったく生命体のように音楽が脈動する。
聴けば聴くほど、ベートーヴェンの「第7」とは、
こんな音楽だっただろうかと、
新鮮な気持ちになる。

もっと力ずくの、単調な割にあくの強い音楽、
というのが私の先入観であったが、
強引な指揮をするはずのトスカニーニが、
そうではなく、むしろ、すっきりとした、
律動感と生命感にあふれた演奏を聴かせてくれ、
まったくこの曲のイメージが変わってしまった。

第3楽章では、トスカニーニの声は、
あちこちで響きまくりである。
ここでの、執拗なリズムも、
何故か嫌味にならず、
むしろ、軽快で洒脱な感じがする。

第4楽章なども、豪壮な表現だと思うが、
その跳躍の柔軟さに、無重力感すら感じてしまう。
いったい、この演奏のエネルギーは、
どうなっているんだ、などと考えているうちに、
あれよあれよと曲は進んでいて、
目を回しているうちに、
ぶわーっと巻き込まれて音楽は終わっている。

この演奏など、聴衆の拍手も録っておいて欲しかった。

「トスカニーニが最初に『ミサ・ソレムニス』を
演奏したのは、1934年のことで、
ニューヨーク・フィルの演奏であった。
彼はこの曲を1935年、1942年に、
同じ楽団と演奏し、1936年にはヴィーン・フィルと、
1939年にはBBC交響楽団と、
1940年、1953年には、
NBC交響楽団と演奏している。
7つもの非正規な商品が出た、
1940年のNBC盤と同様に、
このBBCとのものは、
輝かしい解釈で演奏されている。
しかし、この録音に使われた、
マイクのすぐれた配置によって、
トランペットとティンパニの
突出したバランスが気になる
アメリカ録音より優れている。」

録音時の楽器のブレンドは、
演奏のイメージが変わってしまうので、
たいへん、重要だと思う。

一聴すると、このレジェンズ盤は、
平板で奥まった感じがしたが、
確かに、M&Aなどから出ている、
NBCとのライブのやかましさに比べると、
ずっと聴きやすく、上品で、
この時代のトスカニーニのイメージに合っている。

「両方の盤に登場するソプラノ、
ジンカ・ミラノフは、この録音では、
クレドの終わり前の23小節で、
明らかなミスをしているのが分かるが、
それ以外は、他の歌手同様素晴らしい。」

このように、最初のキリエとグローリアについては、
すっとばして、クレドの話になっているが、

「キリエ」の独唱とオーケストラ、
合唱のブレンドも大変美しく、
しっかりと刻まれて膨らむ音楽の歩みも素晴らしい。

私は、この演奏なら、
この大曲を聴きとおすことが出来そうだ、
などと感じてしまった。

「グローリア」の爆発的な歓喜のファンファーレも、
推進力があって、宗教曲という抹香臭さがない。
トスカニーニの決然とした音楽作りが、
この曲に、どうも親しみを覚えられない私も、
巻き込んでくれてありがたい。
もう、この部分などを聴いていると、
1939年という古い録音だなどとは、
意識していないで聴ける。

独唱者が出たり入ったりするところや、
合唱が包み込む時の雰囲気の豊かさは、
奇跡的な感じさえする。

「クレド」では、トスカニーニは、
もう、渾身の指揮ぶりだったと思われる。
ミサ曲の中心をなす、この複雑な音楽を、
すごい緊張感で解きほぐしていく感じ。
ティンパニの一打一打が入魂に思える。

「1953年のVBC-RCAの正規録音は、
音質の点では、他のトスカニーニが指揮した、
このミサ曲より良いが、演奏はと言えば、
しばしばそれ以前の演奏のような深みに欠ける。
事実、マエストロは86歳になって、
70代で持っていたような、
驚くべき技術を失っていたのである。
BBCでの演奏の多くで、
トスカニーニのテンポは、
1953年のものよりも
明らかに遅いが、
1940年のものよりはいくぶん速い。
1939年の盤における、
アニュス・デイは、しかし幅広く、
3種の中では、おそらく最も美しい。
この作品の最後にベートーヴェンが書き込んだ、
『内部と外部の平安への祈り』は、
戦争が始まる3ヶ月前に、
トスカニーニが英国に捧げた、
最後の捧げものであった。
『ミサ・ソレムニス』の
トスカニーニの解釈は、
印象深く、かつ衝撃を、
ロンドンの音楽愛好家にもたらした。
たとえば、『タイム』の批評家は、
1939年5月27日の記事で、
ミサの中でベートーヴェンは、
声楽と交響的に扱っていることを認めながら、
『多くの指揮者はこうしたやり過ぎを、
これまでやわらげようとして来たし、
聴衆もそれに満足していたが、
トスカニーニは、そこに狂喜している。
“et vitam venturi”
(クレドの最後の「来世の生命を待ち望む」)の
主題における管楽器のスタッカートは強調され、
声楽も同様にそれに倣い、
わずかに主題の荘厳さを加える。
“アレグロ・コン・モート”の部分では、
歌手たちは、それに相応しく忘我に至る。
このベートーヴェンが作品を書くときに、
異常なまでにこだわった書法によって、
彼の思い描いたものまでに、
至ったかについては疑問がある。
明らかにベートーヴェンのスコアには誤算がある。』
しかし、トスカニーニは、スコアの特異性を、
単に眺めて悦に入っているわけでも、
音楽テキストの字義に、
自身を縛り付けているのでもなく、
ベートーヴェンの、音楽コンセプトや、
感情の驚くべき扱いという挑戦に対し、
ただ、受けて立っている。」

このCDは、このように、
「クレド」の最後について、
ソプラノが間違っているとか、
声楽が器楽のように扱われているとか、
やたら集中した部分で具体的な話題が多いが、
確かに、このコーダ部の高速さは、
ほとんど、何を歌っているか分からないくらいで、
声楽部が交響曲のパート化している。
難しい独唱者たちの交錯はこの後で来る。

1940年のNBC盤などは、
このあたりは、ラッパが合唱を飛び越えて、
最後の審判みたいになっている。
それに比べると、BBCの録音は素晴らしい。
ワルターの「大地の歌」で独唱を受け持った、
スウェーデンのコントラルト、
トルボルイが共演しているのも、
聴いていて嬉しくなる要素である。

ちなみに、テノールは、
Koloman von Patakyという、
ハンガリーの人、
バスは、Nicola Mosconaという、
ギリシャの人で、
国籍が多彩である。
ちなみに、Milanovはクロアチアの人らしく、
南欧、北欧、東欧の歌手が集まっている。
合唱はBBC合唱協会。

「サンクトゥス」の導入部の、
独唱も、そんな連想からか、
マーラーの世界を想起してしまった。
何か、原初的なものが現れるような、
神秘的で秘めやかな雰囲気がまた、
ドライに割り切ったトスカニーニのイメージが、
間違っていた事を証明している。

そんな事を考えながら聴きながら解説を見ると、
下記のように、トスカニーニ自身が、
このあたりの雰囲気を、
いかに神聖視していたかが書かれていて、
まるで、マエストロと心が通じたような、
厳粛な感動を覚えた。
私も、この楽章だけは、
常に、非常な感動を持ってしか、
聴くことが出来ない。

「典礼用の作曲を越えて、
ニ長調のミサ曲は、
複雑で抽象的な音楽の象徴を通して、
人間的な精神の追及がなされている。
テクスチャーは透明な時でも、
その内容は濃密で、いかなる試みも完成、
または、ほとんど完成されていて、
作品の演奏は不可能なほどである。
トスカニーニは、これを知っていたが、
挑戦を続け、他の指揮者たちが、
到達しえなかったような水準に至った。
ボールトは、トスカニーニが、
『ベネディクトスの独奏ヴァイオリンの
危険性について恐ろしい不安』について、
語ったことを報告している。
『事実、彼は金管とティンパニの
スフォルツァンドで、打ち切ろうかと、
私に相談しました。』
しかし、ベネディクトゥスの序奏の論議では、
トスカニーニは、ボールトにこう言った。
『あまりの素晴らしさに、
そこを指揮している時に眼を瞑る。
目を瞑ると、ついにはオルガンが響いてくる。
それは天上の光なんだ。』
この合唱と管弦楽の最高の傑作のひとつの、
圧倒的で啓示的な演奏に触れると、
今日の聴衆もまた、
同様の隠喩を完全に感じることが出来るだろう。」

トスカニーニは、まるで、
彼自身の鼓動のように低音を響かせ、
跪いて、天上の光にひれ伏さんばかりの、
痛切な表現を聴かせている。

この時のヴァイオリニストは、
Paul Beardという人だったらしい。
線が細く、いくぶん特徴に乏しいが、
格調が高く、トスカニーニやボールトの信頼が厚かった。
バーミンガムのコンサートマスターを皮切りに、
ビーチャムのロンドン・フィルを経て、
BBCに移ったという。

最後の「アニュス・デイ」は、
かなり、オーケストラも疲れているのではないか。
これだけの集中の後なので、
もう、勢いだけで持っている感じもする。
私も、「ベネディクトス」の美しさに触れた後は、
かなり満足しているので、
ちょっと唐突な終わり方でも言うことはない。
暖かい拍手が沸き起こっている。

得られた事:「初対面から2週間で、トスカニーニとBBC響は、10年来の主兵、ニューヨーク・フィル並みの名演を聴かせた。」
「トスカニーニは『ベネディクトゥス』で『天上の光』を感じ、我々もまた、同じ光を感じることが出来る。」
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by franz310 | 2014-02-08 20:24

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その400

b0083728_19501959.jpg個人的経験:
トスカニーニの決定盤とされた
1936年録音の
ベートーヴェン「第7」は、
当時のスタジオ録音の限界を行く
細心の工夫を凝らされて
記録されたものであったようだが、
これほどまでに愛聴された
名盤であるにも関わらず、
手を変え品を変え、
様々な復刻の試みが市場に流出、
結局、どんな演奏なのか、
分からなくなってしまった。


しかし、この演奏を補足するような、
同じ「第7交響曲」の記録が、
同時期に残されているのが面白い。

何故、面白いかと言うと、
当時のトスカニーニの録音嫌いは有名で、
ほとんど、生前には、これらの存在は、
少なくとも指揮者本人にとっては、
認めることのできない記録であったはずだからである。

1936年のニューヨーク・フィルとの、
先の「第7」交響曲は、連続録音時間の限界から、
4分半くらいずつ、休止を入れ、
録音機器を繋ぎかえる時間まで作ったとされる。

しかし、それに先立つ、
1935年7月に、彼は、イギリスにわたり、
BBC交響楽団を指揮して、
聴衆を興奮のるつぼに落とし込んだ。
このライブの記録が、CD化されて聴けるのである。
ニューヨーク・フィルの努力は何だったのか、
と思えるような事が実際に行われたのである。

今回、WHRAというレーベルが、
2012年新復刻と銘打って出したCDには、
そのあたりの事情をよく書いた解説がついている。

この4枚組のCDは、
「トスカニーニ・アット・ザ・クイーンズ・ホール」
と題され、誰もいない客席の前で、
リハーサルを付けていると思われる、
トスカニーニの白黒写真が、
セピア色で使われていて、
非常に格調高い趣きを持っている。

トスカニーニを復刻するレーベルは、
このオーケストラ所縁のBBCレジェンズや、
ナクソス、ビダルフ、パール、
ミュージック&アーツなど多数あるが、
WHRA盤は解説も充実していて別格の感がある。
CDの盤面も黒くて風格を感じさせる。

本家のEMIからも、BBCでの録音は、
最近、廉価盤の6枚組で出ているが、
何となく、安さを全面に出して、
心をこめて復刻していないのではないか、
などと考えて、このCDが出たのは嬉しかった。

CD3では、1936年4月、ようやく、
トスカニーニがマイクの前に立って録音した、
ニューヨーク・フィルとの名盤、
ベートーヴェン「第7交響曲」の10か月前の
ライブでの「第7」が収められている。

最新リマスタリングを謳うだけあって、
ノイズもほとんどなく、
トスカニーニらしい、鋭いアタックや、
各楽器の鮮やかな歌い回しなどはさすがである。

が、オーパス蔵にあったような、
ノイズの海から立ち上る猥雑さや、
その喧騒の中から立ち上る熱気というのは、
残念ながら、ここからはあまり聞き取れない。

リマスタリングは、リストレーション技術者として、
Gene Gaudetteという名前が特記されている。
Biddulphのオバート=ソーン復刻の、
トスカニーニ/BBCの復刻より、ノイズがない。

とはいえ、この曲の演奏として、
聴きやすく、古典的ですらある印象は、
パール、ナクソスのオバート=ソーンや、
本家、BMGの、
Andre Gauthierの路線と同じである。
ただし、第1楽章主部になると、
ライブ録音であるせいか、
かなり、熱気が湧き上がってくる。
終結部などは、感興に満ちている。

このCDでは、写真も多用され、ブックレットが良い。
Christpher Dymentという人が、
オバート=ソーンに対抗するような、
丁寧な解説を書いてくれている。

ニューヨークで試みられた事の、
再現のような事が、ここでも語られている。
このような記載を味わうにつれ、
いかに、こうした記録が貴重な至宝であるかと、
思いを馳せずにはいられない。

そんな思いを補足するかのように、
ベートーヴェンの「第7」の第2楽章は、
心にざわめきをかきたてるような、
情感豊かさで響きわたる。
トスカニーニは、歌っているのではないか。
いや、最後などは、明らかに鼻歌が、
オーケストラより雄弁だ。

解説は、「コンサート」、「レコーディング」、
「パフォーマンス」と章立てされているが、
これまでの流れからして、この真ん中の部が興味深い。

「1934年の11月、
HMV/EMIが最初に、
トスカニーニの演奏会のニュースを聴いて以来、
彼らはそれを商業ベースで、
それらを録音してやろうと考えた。
彼らは、まず、トスカニーニが、
ずっと録音嫌いで譲らないことを知っていたが、
EMIの興行師フレド・ガイスベルクの剛腕交渉術を盾に、
1935年早々から奮闘を始めた。」

このあたり、ニューヨークで起こった事と、
まったく同じではないか。
が、ニューヨークには、この剛腕ガイスベルクがいなかった。

「1935年2月、夫の演奏会に付き添っていた、
娘のワンダを通じ、
トスカニーニは、演奏会の放送は受け入れるが、
HMVのためにもBBCのためにもお断り、
と明言してきた。
ガイスベルクの説得力のある言葉で、
しかし、ワンダやカルラからは、
密かに助力が得られる公算が大きく、
彼女らは、6月5日、
(2回目のコンサートの昼間)
ガイスベルクの催した、
サヴォイ・ホテルでの昼食会に、
トスカニーニを参加させることが出来た。」

ということで、ビジネスの基本は、
接待ということであろうか。
RCAビクターは、これをやったんだっけ。

とにかく、今から80年も前の事とは思えないほど、
現代の私たちにも勉強になるような記載が生々しい。
トスカニーニが、ニューヨークよりも、
こちらの方で興奮していたのは、
「第7」の第3楽章のリズムにのって、
楽しげな鼻歌を聴かせていることからも明らかである。
トスカニーニは、ガイスベルクから、
よほど、気持ちよくもてなされたものと思われる。

「和やかな会話が交わされる中、
ガイスベルクは、焦げ付き状態の、
BBC演奏家の録音の問題について切り出した。
トスカニーニは、信念どおりに、大嫌いな録音を拒絶、
大事な主兵であるニューヨーク・フィルに対しても、
この信念は曲げていないと言った。
再度、ガイスベルクは、
カーネギーホールでのRCAビクターによる、
少なくともトスカニーニが実況録音の失敗と比べられるように、
テスト録音をする許可を求めた。
最後にしぶしぶトスカニーニはそれを許可した。」

さすが剛腕ガイスベルクである。
テスト録音さえできれば、次のステップに進むことが出来る。

しかも、ガイスベルクは非常にしたたかである。
トスカニーニの返答などはそっちのけで、
実は、臨機応変に、すでに事を起こしていたのである。

「実際は、トスカニーニの許可なく、
HMVは6月3日の最初の演奏会を録音しており、
続く3つもカバーするつもりであった。」

実は、この7月3日のコンサートの録音は、
私にとって、非常に重要である。

というのは、このトスカニーニと、
BBC交響楽団の一連のコンサート録音の中で、
私が賛嘆せずにいられないのが、
ブラームスの「第4交響曲」で、
この交響曲は、ここでは1面に入っているが、
6月3日、5日録音とされている。

また、他に6月3日の録音としては、
ケルビーニの「アナクレオン序曲」が、
この4枚組の冒頭に入っていて、
これもまた、珍しい曲目ながら、
多様に脈打つ音楽の発展が目覚ましく、
トスカニーニらしい透徹したというか、
純度の高い節回しに、つい、耳を澄ませてしまう。
10分以上かかる、そこそこの大曲である。

さらに、2枚目に入っている、
エルガーの「エニグマ変奏曲」もまた、
6月3日の録音とある。

これは、諸石幸生著「トスカニーニ」で、
「イギリス的でない」と言われながら、
識者には絶賛されたものとされているが、
多少、違和感のある、
いくぶん情感をそぎ落とした感じの演奏になっている。
が、拍手はすごい。

「ガイスベルクの若いアシスタントの
デヴィッド・ビックネルの技術監修によって、
ロンドン北部のHMVのエイヴィ・ロードのスタジオの、
機械室にホールから有線で効果的につながれた。
この部屋は、遠隔地からの録音用で、
スタジオ1、2、3を補助する部屋であった。
何年かして、ガイスベルクは、結果に対する心配を語った。
『柔らかなチェロのパッセージにおいても、
ティンパニ奏者が太鼓を雷のように鳴り響かせるたびに、
コントローラーが心臓麻痺を起しそうだった。
トスカニーニの歌うメロディは、
独奏楽器をかき消しそうだった。
ディスクの表面にピアニッシモは聞こえず、
フォルテッシモは、溝を跳び越すようだった。』
しかし、この時は、ずっと楽天的であって、
録音の決定で、いくつかサイドエンドの不備はあろうが、
EMIにとって初の快挙となると考えていた。」

例のランチの翌日、6月5日には、
このCDの二枚目に収められた、
ワーグナーの「ファウスト序曲」などが演奏されており、
この曲は特に、ガイスベルクの心臓が縮みそうな、
ダイナミックレンジで演奏されている。

「6月12日のジェミニアーニの合奏協奏曲だけは、
最初に録音機が正しいスピードにならず、
不完全なものとなった。
このCDで初めて、この不備を補正して発売する。」

このジェミニアーニ復活は、この時代特有の、
情念豊かなロマンティックなバロック音楽演奏で、
私としては非常にうれしい。

すこし、ぎくしゃく感のある開始部だが、
大きな問題はなく、陰影の豊かな、
感情の幅の激しい音楽となっていて、
入魂の演奏の証拠として、
トスカニーニの強烈な唸り声が持続する。

期待通りに、通奏低音部の迫力もすさまじい。
独奏弦楽器と合奏の質感の対比にも立体感がある。

同じ日の録音のロッシーニ、
「セミラーミデ序曲」も、恐ろしい音楽である。
ピッチカートや木管の歌による静かな部分と、
総奏による激烈な動機の対比に、
当時でなくとも、現代のスピーカーすら、
大破しそうなダイナミックレンジだからである。

この曲は、トスカニーニのお気に入りで、
翌4月には、ニューヨーク・フィルと再録音される。
が、ライブの熱気のせいか、
ニューヨーク盤の復刻の丸みのせいか、
これもベートーヴェン同様、
このCDに収められたものの方が勢いを感じる。

「トスカニーニに非公式の了解を得たHMVは、
演奏会の録音発売の許可をも模索したが、
トスカニーニがロンドン出発前に、
結果を聞いて見たいとまでは言ってくれたものの、
これには失敗した。
彼らは、
1936年のBBCとのコンサートで、
彼が戻って来る時を捉え、
最高の状態で、それらを聞いて貰える機会をおいてしか、
トスカニーニの了承はあり得ないと考えた。
1935年の終わりまで、
それゆえ、彼らは不完全な、
サイドエンドの補修などもしなかった。
それから、RCAとの交渉でトスカニーニは、
先のライブ録音についての考え方を変えたと知った。
彼は、録音を許可したことを悔やみ、
それを聴くことも断固、拒絶したのである。」

読んでいて、気の滅入る話ではないか。
トスカニーニの考え方に振り回され、
レコード会社はへろへろであったろう。
が、そんな中で、何とか録音が残って良かった。

しかも、ここに聞く録音は、
いずれも素晴らしい音質で、
ずずんと響く低音が少し足りないくらいで、
聴いていると、音楽に浸るばかりで、
まったく不満はない、と言って良い。

「1936年2月から4月に、
カーネギーホールで、
トスカニーニにニューヨーク・フィルと、
素晴らしい一連の録音をさせ、
RCAが成功したことによって、
HMVの地位はさらに下がった。
アーネスト・ニューマンの
HMV録音に対する意見があり、
『海』やブラームスの交響曲に対する、
批評家の賞賛があったにも関わらず、
1936年初めの
トスカニーニとHMVの折衝は、
マエストロの心を動かすに至らなかった。」

確かに、CDの4枚目に収められた「海」も、
素晴らしい感興に溢れた演奏で、
トスカニーニは、ずっと歌いっぱなしである。
こんなにも朗々と鳴らされるドビュッシーは貴重で、
何だか雰囲気だけでまとめられた演奏より、
遥かに聴き甲斐がある。
録音も優れている。

ちなみに、続いてモーツァルトの
「ハフナー」が収録されているが、
これも、非常にチャーミングで、
トスカニーニで連想される強引さはみじんもない。

というか、トスカニーニは、
音楽に酔いしれて機嫌よくハミングしている。
ずっとよく知られた、
RCAビクターの録音を聴いて、
トスカニーニが、こんな優しく、
愛でるように音を出す人だと、
想像できる人は少ないかもしれない。

ひょっとすると、
機能的すぎるアメリカの文化から離れ、
より情緒的な文化が残るヨーロッパの楽団を演奏して、
トスカニーニも、ようやく、
深呼吸が出来たのではないか。

あらえびすは、「名曲決定盤」で、
このオーケストラを指揮しての「田園」を評して、
「イギリスのオーケストラ
(B・B・C交響管弦楽団)を用いたことで
多少質の低下を免れなかった」などと書いたが、
むしろ、BBCの演奏の方がホールの残響もあるのか、
ずっと情緒的に聞こえる。

オーケストラはできたてで、
大指揮者の登場で、委縮しそうなものだが、
不思議な協調感の方が優先して感じられる。

「1936年5月、パリ滞在時に、
トスカニーニが要請し、
送られていたプレス盤に対する返答もなかった。
演奏会の録音発売の、
トスカニーニの同意を確実にする時間は、
HMVにはなくなってしまった。
彼らの運命は、
BBCとトスカニーニの当時のマネージャー
(カルラが主にそれを演じた)との折衝の失敗により、
彼は1936年のロンドン公演をキャンセルし、
HMVは、その録音を、
クラリッジホテルで、
ゆったりと聴いて貰う事をもはや諦めた。
最後に、パリにいたトスカニーニに、
ガイスベルクは特にブラームスの交響曲について、
ワンダ、ホロヴィッツ、トスカニーニの親友、
アドルフ・ブッシュの義理の息子ゼルキンの求めに応じて
再生した後で、
『あなたがこれを聴いたら、
非常に心を動かされることと思います。
私たちは全員一致でこのようなものはかつて聴いた事がなく、
素晴らしい成果だと口を揃えました。』
遅すぎた事であるが、
この沈黙の回答によって、
これらの演奏会の録音は半世紀も地下室に眠ることになった。」

このCD解説には、
「演奏、そのスタイルと重要さ」というパートが続いていて、
「ガイスベルクがブラームスについて書いた事は正しかった」
という言葉で始まっている。

つまり、ここで聴かれる「第4交響曲」は、
作曲家直伝のような、
フリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の
演奏に繋がるという論旨だ。

1909年9月にトスカニーニは、
この指揮者がミュンヘン・ブラームス祭で指揮するのを聴き、
「ブラームスは偉大だ。シュタインバッハは素晴らしい。」
と書いたというのである。

シュタインバッハのブラームスの特徴は、
柔軟なリズムと細部のニュアンスにあって、
これがトスカニーニに強い印象を残し、
何と、シュタインバッハが1911年に、
トリノに来た時には、
ブラームスの「第2」の下練習をしていて、
「何もすることがない、誰が練習を付けたのだ」
と言わせしめたというのである。

1924年6月、チューリッヒで、
スカラ座のオーケストラを振った際、
それを聴いたフルトヴェングラーと口論になって、
トスカニーニは、静かにこの逸話を語ったらしい。
トスカニーニが食いついて、
フルトヴェングラーがなだめそうだが、
この場合は違ったようだ。

このシュタインバッハの影響は、
この1930年代の録音に聞き取ることが出来、
その特徴は、持続する脈動の微妙な柔軟さにあるという。
特にアンダンテは、トスカニーニの後期のものと異なり、
この変動する脈動が、特別な性格を与えているという。

さて、このブラームスの「第4」は、
4枚組のCD1のTrack2以降に収録されているが、
これまた、トスカニーニの歌によって彩られた、
生々しくも共感豊かな名演奏である。

この録音は、かつて、1980年代末に、
EMIの「Great Recordings
of The Century」
のシリーズでも出ていたが、
これを聴いた時から、私は圧倒されている。

実は、私は、この曲で圧倒される事が多いので、
あまり当てにならないかもしれないが、
めったに実演でも感動できず、
私が新録音として聴くもので、
感動できたものは皆無であることは事実。
この曲ほど、過去の巨匠たちが偉大に見える曲はない。

最初にワルター/コロンビアで聴いた時の、
何とも言えない人生の寂寥感、
次に、フルトヴェングラーで聴いた時の、
感情を鷲掴みにするような情念の渦。

そして、このトスカニーニの輝かしく、
歌いぬかれ、柔軟に呼吸する音楽の、
仰ぎ見るような存在感は、
ブラームスの時代から続く、
リズムと細部の彫琢の見事さから来ていたのか、
と、今回の解説を読んで、
納得させられたような形である。

確かに、ブラームスというと、
北ドイツの霧の幻想を思わせるが、
ここでの演奏では、
心臓の鼓動を思わせるような、
鋭いパルス音の雄弁さによって、
ずっと明瞭な見通しの良さがあって、
そこに、胸を焦がすメロディが、
ためらいがちにこみ上げて来る。

第2楽章などは、鬼のような要求で知られる、
激烈な性格のトスカニーニも、
忘我の境地に陶然としながら、
ブラームスと心を通わせているようだ。

低音をたっぷりと響かせたバランスもまた、
胸にびりびりと迫るではないか。

第3楽章でも、鞭のようにしなるリズムは、
トスカニーニならではないかと思わせる。
いったい、どうやって、オーケストラに、
こんなフレージングを伝えたのだろうか。
まさしく神業にも思えてくる。

第4楽章で、聴くものを揺さぶるのは、
血しぶきが上がるようなティンパニの連打であろう。
メロディもぎりぎりまでに引き延ばされて絶叫する。

これには、ロンドンの聴衆も、くらくらになったに相違ない。
が、拍手は、ブラボーっとかならないのが不思議。
演奏のテンションに合っていないが、
圧倒されているのか、この人たちは。

いや、こんな演奏を聴いてしまうと、
NBC交響楽団との後年の演奏に、
手を伸ばす余裕などなくなってしまう。

なお、この曲の場合、EMIのCDも悪くない。
音が歪み、ちりちり音などがあるが、
小細工をしていない感じの、
割り切った迫力がある。
拍手なども、こちらの方が臨場感を感じた。

それにしても、トスカニーニの振る
BBC交響楽団の録音集について、
私は、かなり混乱していたかもしれない。

なぜなら、ブラームスの素晴らしい交響曲は、
先に書いたように、
すでにずっと前にEMIから発売されていたし、
特に、ベートーヴェンの「田園」などは、
戦前の「名曲決定盤」(あらえびす著)でも、
「最近に入ったベートーヴェンの『交響曲第六番』は、
実に見事な指揮である」と紹介されていたからである。

そうした流れから、1935年の録音も、
早くからレコード化されたものと思っていた。

ベートーヴェンの「田園」は、1935年ではなく、
2年後のスタジオ録音(やはりクイーンズ・ホールだが)
であった。

トスカニーニのBBC交響楽団との録音とは、
これらが入り混じっていたのであり、
1935年のものは、
ニューヨークでの「第5」同様、
お蔵入りになっていたわけだ。

さすが、硬骨漢トスカニーニは、
大西洋をまたいでも、一本、筋が通っていたようだ。
なお、EMIから出たBBCレコーディングは、
こうした事情を無視して、
いっしょくたにされていることが分かった。

さて、このWHRAの解説は、実は、まだまだある。
「The concerts」と書かれた章には、
トスカニーニが最初にロンドンに来たのは、
1930年のニューヨーク・フィルの
欧州ツアーの時であった事であった。
サンデー・タイムズのアーネスト・ニューマンなどは、
『英国の現代の音楽愛好家にとって、
記憶すべき素晴らしい1週間だった』などと評し、
熱狂的に迎えられたことなどが書かれている。
同じ年に、近代的なオーケストラとして、
BBC交響楽団が創設され、
ボールトの薫陶を受けて、
クーセヴィツキーを招聘するまでになる。

1934年にホロヴィッツを招いたのをきっかけに、
トスカニーニ招聘の動きが本格化し、
1935年6月のロンドン音楽祭に、
4つのコンサートと20回のリハーサル、
各コンサートごとに、
今日の価値で400万円という条件で
マエストロを招くことになった。

これだけの額が出せるのはBBCだけであった。
BBC交響楽団が委縮せずに、
巨匠と協調関係が築けたのも、
実は、背景にこの財力があったからであろうか。

1935年5月29日に、
68歳の指揮者が妻カルラと娘ワンダ、
その夫ホロヴィッツがイタリアから到着し、
クラリッジホテルに入った。
6月3日の演奏会は、
ブラームス「第4」、
ワーグナー「ジークフリート」、
エルガー「エニグマ変奏曲」だった。

ボールトは、オーケストラとトスカニーニの
初対面を記録していて、
トスカニーニは自然に接し、
ボールトが「最高の指揮者」だと紹介するのを遮り、
「ただ、誠実な音楽家なのです」と反論したという。
アルパカのジャケットで指揮台にあがると、
頭を垂れ、しばらく忘我の状態になり、
ブラームスのリハーサルはスムーズに終わった。

ふと、私は思ったのだが、
熱演のブラームスが、何故、
かくも簡単に終わったか、
そのあたりが不思議ではないか。

ひょっとしたら、前年に、
ワルターが、この楽団を使って、
同曲を録音したりしていたからかもしれない。
などと考えてしまった。

続いて、「エニグマ変奏曲」の練習になったが、
多くの楽団員に、大きな印象を残した。
「別世界の人」、「何かを吹き込み音楽を蘇らせる」、
「音楽の最高の祭司のようだった」などなど。

すぐに売り切れた最初の演奏会の後、
「もっとも稀有な最高の音楽体験」といった批評が集まり、
特にブラームスは、「直接的で雄弁、
バランスがとれエネルギーに満ちて美しく、
それでいて、人間的」とされ、ニキシュと比肩された。

2日後の2回目の演奏会では、
エルガーの代わりにワーグナーの「ファウスト序曲」、
「パルシファル」からが演奏され、
批評家は圧倒され、若いブリテンもそうだった。

6月12日と14日の演奏会は、
ドビュッシーの「海」とベートーヴェン「第7」がメインで、
12日にはジェミニアーニとロッシーニ、
14日にはモーツァルトとメンデルスゾーンが演奏された。
ドビュッシーとメンデルスゾーンは、
1930年にも聴かれたものだったが、
ベートーヴェンの「第7」はトリオの速さが注目され、
ニューマン以外は賛同し、一貫して説得力があるとした。

得られた事:「1935年、初めてBBCを振った時の、トスカニーニの演奏会のすべての曲目を収めた、どえらいCDである。」
「トスカニーニとBBC交響楽団のCDには、ニューヨークでは感じられなかった、深呼吸できるような伸びやかさがある。」
「トスカニーニのブラームスは、作曲家直伝とも言える、フリッツ・シュタインバッハの伝統を受け継ぐものであった。ここに聞く『第4』は素晴らしい。あるいは、前年にワルターが振っていたお蔭か。」
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by franz310 | 2014-02-02 19:50 | 古典