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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その396

b0083728_23132535.jpg「個人的経験」
ナチスの政策に対し、
激しい抵抗感を覚えた
トスカニーニは、
ヒトラーに対して
公開質問状で抗議したという。
その記事が出た日のコンサートでは、
ニューヨークの聴衆に、
スタンディング・オベーションで
歓迎されたらしい。
このような状況下で、
どのような壮絶な演奏がなされたか、
とても興味が湧いてくる。


が、この日演奏された、
「エロイカ」の録音はないようだ。
そもそも、この時期、トスカニーニは、
完全に録音技術に対して不信感を持っており、
レコード会社には、録音したものを捨てるよう、
指示したこともあったという。

が、奇跡的に、といっても良い状況で、
同じこの1933年、1週間後の4月9日の
同じベートーヴェンが残されている。

例の公開質問状が新聞に出た翌週のコンサートである。
このような展開を見ると、
戦争を前にした危機的状況が、
技術革新を推進したような感じにも取れる。
トスカニーニの演奏は、
何としても、この時代に聴かれなければならない、
そんな高揚感が、
エンジニアたちにもあったのではないだろうか。

今回の、このNAXOSレーベルのCDには、
4月4日の録音と書いてあるが、
日本語の帯には、英文の表記は間違っています、
と注意喚起がなされている。

しかし、それ以上に、許し難いのは、
このCDの手抜き表紙デザインで、
何故、このような写真を使う必要があったかと思うほど、
不気味な陰影の老醜をさらすマエストロが写っている。
トスカニーニの事を知らない人は、
むしろ買ってくれるな、
と言わんばかりの、いやなデザインである。
ナチスにNoを突きつけた英雄の演奏を、
飾るにふさわしい表紙ではない。

が、ここには、1942年、
まだ、バルビローリがいた時代に、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを振ったという、
珍しい時期の録音で、
ベートーヴェンの「三重協奏曲」が収められている。
(この日は、ニューヨーク・フィル創立100年の
特別コンサートの一環で、他に「第7」が演奏された。)

なお、パールのCDは、
丁寧なリマスター技術で知られる、
マーク・オバート=ソーンが復刻したが、
このナクソスのCDは、
プリズム・サウンドSNSプロセスとか言う別方式で、
リマスタリングされているようだ。

Restoration、Richard Caniellとある。
この人の名前でネット検索すると、
GuildやNaxosの大量の復刻CDが出てくるが、
元RCAビクターの社員として、
トスカニーニの演奏に立ち会った人のようだ。

解説には、こうある。
「このトスカニーニ・コンサート・エディションは、
RCAビクターの社員で、
この指揮者お気に入りの音響技術者で編集者であった、
リチャード・ガードナー(Gardner)が集めた、
マエストロ、アルトゥーロ・トスカニーニ
の指揮による演奏からなる。
ガードナーは後に、
リチャード・カニエル(Caniell)が受け継ぐ、
不滅の演奏協会の記録を、
ワルター・トスカニーニから受け継いだ。
それらの第一弾は、
ベートーヴェン『コリオラン序曲』の
トスカニーニによるリハーサルの
アセテートコピー盤である。
1948年からガードナーは、
リチャード・カニエルにテスト・プレスや、
テープを託していたが、
1965年、彼のコレクションの一部が、
そして、1983年に癌の宣告を受けてからは、
残りも託すこととなった。
このトスカニーニ・コンサート・エディションに
含まれる作品は、彼があまり演奏しなかったものや、
良く知られたものながら、
RCAビクターから出されたものより、
すぐれた放送用録音で、
これらを聴く機会を提供するものである。
この全プロジェクトは、リチャード・ガードナー、
それから、リチャード・カニエルといった、
トスカニーニや、その伝説的な演奏に、
どっぷりと浸かった、
所縁の深い人たちの御恩によるもので、
前者はプロとしての実力があり、
後者はガードナーの思い出によって、
その音楽経験が磨かれた熱狂家であった。
これら伝説は、さらに広く聴衆に受け渡され、
70年にわたるキャリアを持つ
最大の指揮者であり音楽家の仕事を、
聴くことが出来るのである。」

こんな風に、このCDの音源が、
かなり貴重な大指揮者所縁のものであることが、
これでもかこれでもかと書かれている。

それにしても、こうした、昔取った杵柄みたいな、
箔の付け方は、どこまで信用して良いのだろうか、
もし、リチャード・ガードナー氏が、
主観を入れてトスカニーニの音楽と向き合っていたら、
この復刻でも、トスカニーニ本人の美学ではなく、
ガードナー氏の好みが、
いくばくか反映された再生音になるような気がする。

それにしても、こうした指揮者所縁の人が監修しているのに、
トスカニーニ本人の事については、
ほとんどこのCDには書かれていない。

ただ、この復刻技術については、
いろんな事が書かれている。
わざわざ解説の最後には、
こんな囲み記事がある。

「これらのCDの音質は、
2つのCEDARプロセスを使って復刻された。
大英図書館ナショナル・サウンド・アーカイブ
による研究資金によって、
ケンブリッジ大学によって推進されたもので、
クリック音やパチパチ音など不要な欠点を、
音響信号より取り除くものである。
これらの問題が正しく特定され、
ひとたび除去されると、
オリジナルの音質は、パワフルで洗練された、
ディジタル的な補間によって復元可能となる。
この結果、これら年代ものの録音につきものな、
スクラッチやサーフェス・ノイズがほとんどない、
より高度な音質の音声信号が再現される。」

ほとんど、おまじないのような言葉の羅列だが、
「補間処理」がポイントだということが良く分かった。

それにしても、ここに収められている三重協奏曲の方は、
トスカニーニがニューヨーク・フィルを離れて、
久しぶりに、記念行事でこのオーケストラを振った、
歴史的な記録なので、何か一言欲しいような気がする。

協奏曲の独奏を務めるピアストロは、
当時のコンサートマスターだし、
ヨーゼフ・シュースターは、
ベルリン・フィルから移籍した首席チェロ、
まことに堂々とした演奏を繰り広げている。

また、アニア・ドルフマンは、
トスカニーニがかわいがった女流ピアニストである。
ここでは、おっさんに囲まれて、少々、存在感がないが。

ちなみに、この3人の記事は、こうなっている。
「ミシェル・ピアストロは、
1891年、クリミアのKertzの街で生まれ、
レオポルド・アウアーの門下であった、
父親から最初のヴァイオリンのレッスンを受けた。
彼自身も、聖ペテルスブルクで、
ハイフェッツ、エルマン、ジンバリストらと共に、
同じアウアーのクラスで学んでいる。
1910年、音楽院を出るにあたって、
クーセヴィツキーが創設したオーケストラの、
独奏者として雇われ、
革命以前は、幅広く楽旅を行った。
1920年に彼は合衆国に渡り、
その年にデビューを飾り、
1921年には、リヒャルト・シュトラウスと、
国中を演奏旅行した。
1925年、サンフランシスコ交響楽団の
コンサートマスターになり、
6年後には、トスカニーニに招かれ、
ニューヨーク・フィルの同じポストに就いた。
トスカニーニの引退後もオーケストラに在籍したが、
独奏者としても、リサイタルでも国際的な名声を博した。」

ニューヨーク・フィルとひとくくりに言っても、
こうして、トスカニーニの子飼いのような人が、
中枢を占めていたわけだ。

チェロのシュースターはどうだろう。
「チェリストのヨーゼフ・シュースターは、
ロシア人の両親のもと、
1905年、イスタンブールに生まれ、
チェロのみならずバラライカの演奏で、
その地で、神童として最初のコンサートを開いた。
1915年、グラズノフに認められ、
聖ペテルスブルクの音楽院に入学し、
そこで、1917年の革命まで、
ヨーゼフ・プレスのもとで学んだ。
ベルリンの音楽高等学院に移り、
シュースターは、最終的に、
フルトヴェングラーに見いだされ、
ベルリン・フィルの首席チェロ奏者として採用され、
そこで5年勤めた。
1934年、第三帝国の人種政策から、
彼はアメリカに移住し、
ハイフェッツとの弦楽四重奏でデビューした。
その二年後、彼はニューヨーク・フィルの首席となったが、
アルトゥール・シュナーベルの姪にあたる妻と一緒に、
独奏者、リサイタル奏者としてニューヨークで活動した。」

この人は、トスカニーニが
辞任した年の採用のようで、
どれぐらいシンパかは分からない。

アニア・ドルフマンは、他にもたくさん、
トスカニーニとの共演が残っている。

「ピアニストのアニア・ドルフマンは、
オデッサに生まれ、
パリ音楽院でイシドーア・フィリップの生徒となったが、
14歳の時に、革命の混乱下のロシアに戻った。
彼女は後に、フランスや全欧で名声を確立した。
彼女は、1936年、ニューヨークでアメリカ・デビューし、
トスカニーニとNBC交響楽団と共演したことで知られる。」

この豪華な独奏者たちによる、
この「トリプル・コンチェルト」の演奏は、
トスカニーニも興が乗っていたようで、
唸り声を上げて、オーケストラを雄弁にドライブしている。

しかし、プライヴェート録音とあるだけあって、
33年の「運命」と比べてもノイズは酷い。
が、意外にも、特に独奏弦楽器の存在感は、
しっかりしていて、音色も深々と捉えられている。
ノイズの雨の中、鑑賞には耐える点は評価できる。
これは、かなり引き込まれる演奏だと言って良い。

ニューヨーク・フィルも、
久しぶりに迎えた、かつてのボスを歓迎し、
熱演を繰り広げていて集中力も高い。

ニューヨーク・フィルは、バルビローリの時代、
トスカニーニ率いるNBC交響楽団から、
激しいチャレンジを受けたが、
そうした確執のわだかまりはなかったのだろうか。

第2楽章での独奏楽器の対話も濃厚で、
どうして、この曲が、駄作などと呼ばれていたのか、
理解不可能な内容となっている。

トスカニーニは、この音楽祭で、
ミサ・ソレムニスを皮切りに、
ベートーヴェンの交響曲も全曲振ったはずだが、
これらの録音が残っているとは聴いたことがない。

NBC交響楽団との1939年のチクルスが、
名演の誉れ高いだけに、
ニューヨーク・フィルとの同時期の演奏は、
さぞかし、充実したものであったことだろう。
そんな中、このトリプル・コンチェルトの録音が聴けることは、
ものすごく幸福な事を考えて良いのではないか。

このCDの解説は、しかし、トスカニーニの事よりも、
楽曲解説(ビル・ニューマン)と、
何故か独奏者たち(解説者不詳)、
先に書きだしたような、
リマスタリング技術に関する記述(解説者不詳)に、
重きをおいており、
トスカニーニの事をもっと知るには、
パール盤の解説を見た方が良い。

マーク・オバート=ソーンは、
PearlのCD3枚組で、
反対に、期待通りの丁寧な解説も手掛け、
トスカニーニ本人の事以外に、
この頃の業界動向までを、
かなり詳しく解説してくれている。

先の、4月2日の「エロイカ」を聴いて、
レコード会社の技術陣は
奮起したのであろうか、
翌週4月9日の「第5」は、
どうしても録ってやろうと挑戦したようだ。

「一週間後、RCAビクターは、
この演奏会チクルスの次の機会、
ベートーヴェンの『田園』
(この曲のマスターは失われて久しい)と、
『第5』を録音するため、
ホールの中にマイクロフォンを設置した。」

今回聴く「第5」の充実を思うと、
この「田園」が聴けないのは非常に残念である。
「第5」は、いろんな人が復刻して、
年季が入っているのか、本当に、録音に不満がない。

が、このオバート=ソーンの記述の面白いのは、
次のようなエピソードに飛ぶあたりである。

「この会社が、マエストロの
『ライヴ』録音をしようとしたのは、
これが初めてのことではなかった。
The Fabulous photographの中で、
ローランド・ジェラットは、
今では有名になった、
1931年3月4日に、ビクターが、『第5』の
トスカニーニ/フィルハーモニック・コンサートを
記録しようとした顛末を語っている。
(1977年、Macmillanの第2版P271)
『二つの録音機を用い、
4分ごとにそれぞれを切り替えて、
技術者たちは、一小節も漏らすことなく、
全作品をワックスの上に留めることが出来た。
トスカニーニは、RCAビクターが、
この録音のテスト・プレスを聴かせ、
驚かせるまで、何も知らなかった。
それを聴いた時、
それは救いがたい酷さで、
ただちにマスターを破棄せよを主張した。』
録音そのものは、
マエストロを驚かせたかもしれず、
彼がそれを破棄せよと言ったこともあり得るが、
他の文献によると、修正を求めたともある。
実際、この作品は、3月4日と6日の、
2回の演奏から採られており、
ここに聞く1933年のバージョン同様、
コンサートは、RCAのニューヨーク・スタジオまで、
有線で中継されていて、
ここでフィルムに記録され、
78回転の原盤に落とされた。
トスカニーニが発表を禁じたとはいえ、
マスターは保存され、現存している。
1931年の『第5』のテスト・プレスは、
気力のない、ふらふらしたアンサンブルで損なわれ、
かなりぼやけた音で再現された、
特徴のない演奏である。」

ということで、私は、この時代、
4分くらいしか録音できなかったはずなのに、
当時の技術者が、どうやって苦労して取り組み、
レコードが出来て行ったかを知ることが出来た。

このワックスというものは、
「証言 日本洋楽レコード史」(音楽の友社)などで、
いかに扱いが難しいものであったかが、
よく書かれている。
音の振動を刻み込むために、
蜜蝋に松脂を混ぜたもので、
松脂の量によって硬さが変わって来るので、
夏と冬で量を変えていたとか、
カッティングの最中に状態が変わってしまった
というトラブルもあったようだ。

また、このカッティングを行うカッターも、
サファイア性で、録音対象の特性によって、
いろいろ調整などが大変だったとある。
回転数の調整なども、恐ろしく困難を極めたらしい。

とにかく、NAXOSが、リチャード・カニエルという、
トスカニーニの音を聴いた人の耳に頼ったのに対し、
Pearlのマーク・オバート=ソーンは、
あくまでエンジニアの仕事という感じがする。
「文系」対「理系」のリマスタリング勝負、
みたいな感じがしないでもない。
あるいは、心象と科学の戦いのようなイメージがある。

さて、そのオバート=ソーンの解説を、
さらに読み進んでみよう。
これを読むと、このエンジニアが、
非常に、この録音に入れ込んでいて、
演奏にも惚れ込んでいることが分かって気持ちが良い。

「1933年の録音は、
しかし、まったく異なるレベルにある。
(残っているエアチェックや録音と照らしあわせてみても)
トスカニーニは推進力と豊かさのバランスを取って、
同曲でも無比の演奏を行っている。
同様に特筆すべきは、トスカニーニが、
まだ、修辞学的なタッチを、
当時はまだ、その芸術に残していた事である。
批評家のウィリアム・ヤングレンは、
第1楽章の210小節からffのパッセージで、
木管の合奏のエコーが、
ニキシュやそれ以前に遡るであろう、
リタルランドをしていることを指摘している。」

この部分は、気配を伺うような、
いかにも時代がかった演出かもしれないが、
これはこれで劇的である。

「さらに、第4楽章の最初を導くクレッシェンドは、
破裂寸前まで抑えられ、
我慢しきれない集中となって、
いっそう息を飲むような、
第4楽章の主題の導入となっている。
おそらく。これらは、
聴衆のノイズを拾わないようにした、
近接マイク方式のようなもので捕えられた、
強烈なインパクトと存在感の音である。
RCAビクターは、これを9面に配分し、
驚くべき演奏の配布を認めると確信していた。
しかし、またも同意はさらにお預けとなった。
マエストロのレコード製作に関する、
グラモフォン社のフレッド・ガイズベルクから
HMVへの問い合わせに対し、
RCAのA&R担当、チャールズ・オコネルは、
彼を思いとどまらせようとしている。
『我々のトスカニーニに対する2度にわたる対応は、
彼をもう録音することはもうたくさんという感じで、
さらに言えば、これらの試みで1万ドル相当が消えています。
こんな風に、我々のこの方向の野心はすっかり冷めました。』
(1987年のEMIのトスカニーニ/BBCの『海』、
『エニグマ変奏曲』のLP再発売時の
トニー・ハリソンの解説による。)
この指揮者の、
フィルハーモニックの音楽監督としての
最後のシーズン、
1936年2月まで待つ必要があったが、
幸い、二人のプロデューサーも指揮者も
その態度を変えた。」

このように、最初は、発売が認められなかった、
「第5」は、こうして発売される方向になったようだが、
状況がすぐに好転したわけではない。

先に紹介した、「日本洋楽レコード史」によると、
1936年にベートーヴェンの「第7」、
翌年、ワーグナーの管弦楽曲集、
翌々年にはBBCとの「田園」のみならず、
NBCとの録音が発売され始め(ハイドンの「V字」)、
何と、1939年(昭和14年)の、
特筆すべき話題として、
トスカニーニ、NBCの「運命」が、
「5万セット売れた」という事件が語られている。

先のニューヨーク・フィルの「第5」は、
9面にカットされていたとあったが、
これは4枚組と書かれている。

「15円もした」とあるが、
コーヒー一杯15銭とあり、
コーヒー代の100倍だったということが分かる。
500円のコーヒーとすれば5万円ということになる。

おそるべき日本人のクラシック音楽需要、
というべきだろうか、
ここでは、それについてはあえて深追いせず、
こうして、ニューヨーク・フィルの「運命」は、
お蔵入りになった、と考えるべきだろう。

この39年のスタジオ録音のNBCとの「運命」は、
「第8番」や放送録音の「エグモント序曲」と組み合わされ、
何度も日本でもCDで発売されたので、
多くの人が、今日でも愛聴しているものと思われる。

が、今回聴いた、1933年の「運命」は、
私には、ずっと好ましい鑑賞対象だと思われる。

たとえば、第2楽章の後半なども、
大見得を切ったような演出が雄渾であるが、
リタルダンドは、この美しい楽章の、
名残惜しい感じを出すように、
随所で聴くことが出来る。

このような躊躇いが、
トスカニーニの音楽で語られがちな、
直情径行的な先入観を取り去ってくれる。
あるいは、この指揮者が、
後述のように、発売を認めなかった理由は、
こんな迷いのような一瞬が見られるからであろうか。

第3楽章なども、緊迫感と共に、
焦燥感も漂わせ、人間的な感じがして、
下記のような、ありがちな演出が凝らされているのに、
何度でも聞き直せる、嫌みのない自然さがある。

私は、1939年のスタジオ録音の、
自信に満ちた「運命」では、
もう分かった、といった、
押しつけがましい感じあるが、
(第1楽章の提示部反復があるからだろうか)
この33年の演奏は、録音が悪いせいもあるのか、
柔らかく、飽きが来ないのである。

パールのCDには、29年録音の、
グルックの「精霊の踊り」が、
「運命」の前に収められているが、
これがまた、トスカニーニって、
こんな人だったっけ?
と思わせる精妙な音楽になっている。

さて、ナクソスのリチャード・カニエルと、
パールのマーク・オバート=ソーンの復刻対決であるが、
カニエルの方がノイズのざらつきを出してでも、
力感を押し出して、いかにもこの時代のアメリカ風、
オバート=ソーンの方は、もうすこし線が細いが、
さわやかな感じがする。

後年のNBCのスタジオ録音が嫌で、
ここにトスカニーニを聴きに来た私としては、
オバート=ソーンの方が目的に合致している。

が、そんなに大きな差異はない感じ。

では、解説の続きを読もう。
ただし、以下は、パールのCDに入っている、
ワーグナーについての話になる。

「さらに正式な録音セッションで、
マエストロは再びマイクの前に立った。
レパートリーは、彼の好きなワーグナーで、
力強い『ラインへの旅』。
1895年、『神々の黄昏』の
イタリア初演を行った指揮者にとって、
長らく親しんだワーグナーの音が、
レコード溝からほとばしり出た。
『ローエングリン』のきらきらとした
第1幕の前奏曲が、
特にエネルギーいっぱいの
第3幕の前奏曲(これらは、
2ヶ月後に取り直されたが)
6年前に友人であり、この曲を捧げられた
作曲家の息子を偲んでバイロイトでも演奏した
優しい『ジークフリート牧歌』
と組み合された。
『Musical Masterpiece』は記しても、
アルバムのカバーには演奏者名は記さない、
通常の方針から離れて、
ビクターは、『ワーグナー・コレクション』に、
『トスカニーニによる傑出した指揮による』と明記した。
あらゆるレコード愛好家にとって、
巨匠が帰って来た。
そして今、このCDによる再発売によって、
記録された彼の最も輝かしい到達点は、
もはや忘れらることはない。」

この36年の一連のワーグナーが、
パールのCDでは、「運命」の後に収められている。

SP時代の日本人が見たら、
卒倒しそうな名曲集である。

これらも、爽やかな風通しが良い音楽で、
ワーグナーなのに、嫌みな威圧感がない。
雄渾な「ジークフリートのラインへの旅」でも、
さっそうと行く若者が感じたであろう、
新鮮な大気の感覚があり、
極めて豊かな情感に富んでいる。

胸が弾むような、真実味があって、
丁寧に演奏されており、
トスカニーニが愛したワーグナーの真髄が、
これらの録音群には詰まっている。

「ローエングリン」の第1幕への前奏曲も、
響きも呼吸も清純そのもので、
「運命」でも書いたことだが、
まったく飽きが来ない。
何度も聞き直して聴き惚れられる。

トスカニーニは、息を潜めて、
慈しむように演奏している。

第3幕の前奏曲では、
トスカニーニの唸り声が聞こえ、
オーケストラを鼓舞し、
高らかに、気高い感じを、
ごく自然に、すっと引き出している。

また、こよなき愛しさに響くのが、
最後に収められた、
「ジークフリート牧歌」である。

全てのフレーズに微笑みと幸福があり、
冷徹無血と思われていた、
トスカニーニ本来の目指す世界が、
実は、このような豊かさを持っていたと、
これまで知らなかったのが恥ずかしくなる。

音楽そのものが、
秘めやかな佇まいで恥じらい、
聴くものは、思わず、こちらから、
足を運ばずにはいられなくなるような雰囲気。

こうした演奏は、やはり、老舗、ニューヨーク・フィル
(フィルハーモニック=シンフォニー
オーケストラ・オブ・ニューヨーク)
の気品あるサウンドを前提にしたものなのかもしれない。

得られた事:「1933年のトスカニーニの『運命』、録音のせいか威圧的でなく、まさしく古典的にすっきりと美しい。」
「ナチス政権への批判活動で、トスカニーニの演奏が聴衆に支持されたのをきっかけで、技師たちの録音チャレンジが再開。」
「リチャード・カニエルと、マーク・オバート=ソーンの復刻対決、私は後者を取る。」
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by franz310 | 2013-12-22 23:14 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その395

b0083728_18415257.jpg個人的経験:
バルビローリの評伝を読むと、
大指揮者トスカニーニが、いかにも、
強力なライヴァルとして描かれていて、
トスカニーニという稀代の大物が、
この頃、どんな活動をしていたのか、
気になってきてしまった。
20世紀最大の指揮者として、
フルトヴェングラーやワルターと、
並び称される人だが、
カラヤンやバーンスタインはどうだ、
などという疑問が起こるばかりで、
この人の良さはぴんと来ていなかった。


今回は、ざらついた白黒写真のトスカニーニの写真も、
その時代を感じさせる表紙であって、
絶対に良い音がするはずのないCDで、
そもそもPearlというレーベルそのものが、
復刻ばかりで有名なだけに、全体として、
何となく辛気臭いイメージがある。

が、今回に手を伸ばして、驚愕したと言って良く、
改めて、この巨匠の足跡を巡ってみたい。

20世紀と言っても、後半以降、
先の三大指揮者らが鬼籍に入る頃、
生まれた世代の日本人にとって、
どうしても、大手のレコード会社が、
声高に宣伝した指揮者ばかりが、
有名どころと思ってしまう。

が、歴史的見地からすると、
それは、むしろクラシック音楽という、
限られた世界における、
その狭い業界主導の
ルーチンワークの産物だったのかもしれない。

そもそも、トスカニーニの録音は、
基本的にモノラル録音時代のものしかなく、
しかも、NBC交響楽団という、
トスカニーニ用に作られた人工的な放送用の楽団、
みたいなオーケストラとの共演が圧倒的数量を占めるため、
どうも、偏った評価で見てしまいがちである。

バルビローリが苦労した、
彼のニューヨーク時代と、
同時期のトスカニーニの録音を調べるまで、
私は、この指揮者を完全に誤解していた。

今回、聴く3枚組のPearlのCDも、
どうしても欲しくて買ったものではない。
たまたま安く売っていたので、
買うだけ買っておいておいたものであった。

が、これが、ちょうど、バルビローリが、
ニューヨーク・フィルに着任する前位の、
トスカニーニのニューヨークにおける活動を、
ほぼ網羅する記録であることであることを知って、
慌てて、積んであったCDを積めた箱を、
ひっくり返したところである。

そもそも、トスカニーニは、
録音の機会を持っては、
すぱっと切り替える傾向があり、
共演する団体によって、
時代が分類しやすい。
ニューヨークやBBCのものは古く、
フィルハーモニアなどは新しい。

「アルトゥーロ・トスカニーニと、
フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ
・オブ・ニューヨーク」と題され、
「ザ・グレート・レコーディングス1926-1936」
と副題にある。
10年の歳月で、CD3枚しかないのも驚きだが、
この解説を読むと、
これらが、まさしく、当時のレコード会社が、
トスカニーニとの悪戦苦闘で録音できた、
本当に限られた貴重な記録となっていることがわかった。

「アラウとの対話」などで知られる、
ヨーゼフ・ホロヴィッツという批評家が、
「トスカニーニの理解」という本で、
「これらは、NBCでの録音より、
美しく演奏され、説得力を持つ解釈の、
トスカニーニ最良の商業録音」と書いたものらしい。

確かにここで聴くトスカニーニは、
後の、NBCの録音のように、
呼吸困難には陥っておらず、
極めてしなやかに息づき、
繊細な情緒にあふれ、
優美とさえ思えるほどに、
ハートフルな感じがする。

冒頭に収められたメンデルスゾーンの、
1926年2月録音の
「真夏の夜の夢」の「夜想曲」と「スケルツォ」を、
聴いただけで、それは感じられ、
ノイズは多いが、豊かなニュアンスが、
十分に伝わって来るだろう。

有名なマーク・オバート=ソーンが、
リマスタリングしているらしいが、
(解説もこの人によるものである。)
そのせいかどうか、
鑑賞時に、私は、録音年代のハンディは、
まったく感じられなかった。

しかし、その後、1929年の3月まで、
トスカニーニのレコードはないようだ。
生で聴ける聴衆以外にとっては、
3年以上も沈黙していた事になる。

この1929年3月録音とされるのが、
「椿姫」からの前奏曲2曲で、
これまた、精妙な演奏で、
剛毅で力任せな印象のトスカニーニのイメージとは、
まったく異なるものだ。

かつて、あらえびすの「名曲決定盤」で、
「絶品的なレコード」とされ、
「トスカニーニの最高の良さが表れている」
と激賞されたものである。

実は、レコード批評の古典的名著である、
あらえびすの本でも、トスカニーニには、
高齢のせいか録音が少ないとされている。

バルビローリが、早くから、
ハイフェッツ(34年)、フィッシャー(35年)、
といった著名な独奏者の伴奏を務め、
多くの録音を残していたのに対し、
前の世代に属するトスカニーニは、
この時代でも録音を毛嫌いしていてたようだ。

ひょっとしたら、
当時最新のレコード作りに関して言えば、
バルビローリの方が、
経験豊富だったのではないだろうか。

前読んだ解説には、
バルビローリの録音の手際の良さは、
業界でも有名だったということだ。

バルビローリが、
ニューヨークに呼ばれたのは、
そもそも、いろんな共演した人たちの
推薦があったからだと言われている。

いかに、この頑固爺さんを説得するかが、
当時の技術者の大きな課題であった。

では、このCDの解説を読んで見よう。

「オペラ・ハウスで彼が到達していたほどに、
トスカニーニがシンフォニックなレパートリーの解釈で、
尊敬されなかった時代があるなどとは、
想像することが困難である。」

この一節は、一瞬、何を言っているか良くわからないが、
ニューヨークに来る前までのトスカニーニは、
スカラ座のオペラ指揮者であって、
オーケストラのコンサートに専念するのは、
実は、トスカニーニにとってもチャレンジだったのである。

「彼は、1896年(ラ・ボエームが初演された年)、
という早い時期に、結局、
最初のオーケストラ演奏家を開いている。
1926年の1月に先立ち、
それでも、ニューヨークの聴衆は、
1913年のベートーヴェンの『第9』を皮切りにした、
メトロポリタン歌劇場のわずかなコンサートでしか、
彼を知らなかった。
1920年から21年の冬、
スカラ座のオーケストラのツアーで、
その時のアンサンブルを、
ビクターが記録している。
こうして、1926年1月14日に、
トスカニーニは、ニューヨーク・フィルの、
客演指揮者として、
カーネギーホールのステージに立った時、
聴衆は、どう反応していいか分からない状況であった。
プログラムは『魔弾の射手』序曲や、
『神々の黄昏』の葬送行進曲など、
マエストロが熟知していたと思われる
オペラの世界からいくつか採られていた。
しかし、ハイドン、シベリウス、レスピーギもあり、
特に後者2つは同時代の作品で、
これらを彼は、どう扱ったのだろうか。
彼は、それを抜群の手腕で扱い、
彼自身がどう思っていたかは分からないが、
それによって、彼の長いキャリアの
歴史的な新しいフェーズを開いた。」

このように、トスカニーニは、
たまに交響曲も振るオペラ指揮者だったのが、
交響楽演奏会における巨匠としても、
認められるための重要な一歩を踏み出したのである。

「最初のプログラムでは、
指揮者の同時代人、レスピーギといった、
比較的新しい作品があり、
『ローマの松』の『ジャニコロの松』で、
作曲家は、背景で鳴くナイチンゲールの声を、
レコードで再現することを要求している。
この目的のため、コンサートでは、
新しい電気的増幅による、
ブルンスウィックの
パナトロープ・マシーンが据えられた。
ブルンスウィック録音研究所の、
部長、ウィリアム・A・ブロフィイによると、
指揮者は、この音色に魅了されたという。
『トスカニーニ氏が
ブルンスウィックのパナトロープの
大きな可能性に気付いた
楽器演奏の公演の成功は、
音楽の将来の発展に影響を与えた。
我々の研究所の訪問によって、
トスカニーニ氏は、
ブルンスウィック社によって
今、採用されている
独自の録音過程の実際のデモを、
見聞きする機会を持った。
彼はこのプロセスによる、
方法と結果に感心し、
レコードを作りたいという要望を語った。』
Victor/HMV経営との、
34年の録音キャリアの唯一の例外は、
フィルハーモニック・コンサートで取り上げた、
メンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』からの2曲である。
各面は、1926年2月のどこかで、
ブルンスウィックの初期の電気録音、
(欧州のポリドールの初期録音にも使われた)
『light-ray(光線)方式』によって、
カーネギーホールの5階、
『チャプター・ルーム』で記録された。
『スケルツォ』における発売されたテイクで、
はっきり聞こえる咳(2分38秒あたりのこと?)
からも、この遅い時期でも、
この録音プロセスが、
おどろくべき杜撰さで行われたことが分かる。
この録音セッションにおける辛い体験と、
その結果の両方から、
トスカニーニは、さらなる録音をやめてしまった。」

この一節は、理解するのに、
非常な困難を伴う。

まず、光線方式とは何なのか。
これに関しては、ネットで調べると、
音響を捉えて振幅する膜のようなもののたわみに、
光を当てて、その光電変換した信号を増幅する図が出ている。
振動を信号に変えるには悪くない仕掛けである。

また、何故、カーネギーホールではなく、
5階の会議室で録音されたのか。
また、咳が、どのプロセスで入ったのか。
トスカニーニが、以上のどの点に不満を覚えたのか、
このあたりがどうも整理できない。
勝手な妄想をすると、装置の関係から、
実験室みたいなところに押し込まれて演奏させられた、
みたいな感じなのだろうか。

いずれにせよ、空気感まで感じられるような、
きれいな音で採られているように思えるが、
(なお、ここで聴いているPearl盤は、
BMGが出した全集盤より鮮やかに聞こえる。)
かなりの苦痛を伴う作業だったようだ。
以降、ブルンスウィックでの録音はない。

このようにブルンスウィックでの録音を行ったのは、
初期のビクター録音に不満を持っていた
メンゲルベルクの示唆によって、
オーケストラがすでに25年12月、
ブルンスウィックでのテスト録音をしていた、
という経緯があったからである。

なお、この時のトスカニーニは、
客演指揮者の立場であった。

「再び、マイクの前に立つまでに3年ほどが経ったようで、
今回は、カーネギーホールのメインの音楽堂。
再び、ビクターのトーキングマシーン社のためだった。
この間、フィルハーモニックは、
ウォルター・ダムロッシュのニューヨーク交響楽団と合併し、
混成のフィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ・
オブ・ニューヨークの発足シーズンさなかに行われた。
トスカニーニは1926年から27年のシーズンに、
メンゲルベルクとフルトヴェングラーと共に、
副指揮者の立場で、
(この特筆すべき日々は、ニューヨークの愛好家が、
選択に困るような状況であった。)
翌年は、メンゲルベルクのみと分け合った。
この合併によって、オーケストラは、
世界で類を見ない名人芸集団となった。
1929年2月に、このオーケストラと、
初めてビクターのために録音した、
デュカスの音詩『魔法使いの弟子』を聴けば、
それは何よりの証拠である。
12年後に彼がNBC交響楽団と行った録音より、
まる1分も短くなるテンポの速さにもかかわらず、
他の指揮者たちのどの録音よりも細部が彫琢されている。」

このCDでは、この曲はTrack5に収められている。
最初からみずみずしい色彩で楽器が飛び跳ね、
敏捷ではあるが、まったく騒々しくなく安定している。

東京創元新社の「トスカニーニ」(1966)には、
トスカニーニが残した録音の寸評がついているが、
「鮮麗を極めた」とか、「リズムさばきが舌を巻かせる」
とあるが、そんな感じである。

「二つの『椿姫』の前奏曲は、
トスカニーニの芸術が、もっとも光り輝いた好例で、
彼がリハーサルでよく使った、
『カンターテ・ソステナーレ(もっと歌って)』が、
音に結実している。
第1幕の前奏曲の幅広いテーマを、
弦は文字通り歌っている。
そして、筆舌に尽くしがたい美しさで、
深く感じいった第3幕の前奏曲の演奏に、
トスカニーニのフレージングの天才の証明がある。
ヴィオレッタの深刻化する健康、
アルフレッドの帰りを待つ憧れ、
その歎き、そして断念が、
完璧に捉えられ、下手をすると冒涜となり、
贔屓目に見ても過剰な第三幕を予見している。」

この曲はTrack4に入っているが、
確かに、フレージングが刻一刻と、
こうした感情の交錯を交えていくのが聴きものだ。

「近代のオーケストラが、
ほぼ常に、全力で、古典的なレパートリーを、
演奏しているような時代にあって、
トスカニーニが、
ハイドン(55人)や、
モーツァルト(58人)の交響曲を、
切りつめた編成で演奏しているのは特筆すべきである。
これらの作品に対して、
この後の演奏では、過剰な表現が見られる中、
(特に、NBC交響楽団とは、
『ハフナー』を再録音している。)
これらの録音は、
求められれば、音楽固有の活力を漲らせる
思いやりがあり、
リラックスしたアプローチである。
よく知られたNBCのリハーサルで、
モーツァルトを演奏するとき、
トスカニーニは、オーケストラに、
『微笑み』を求めている。
ここでフィルハーモニックは、そのような、
見かけでは分からない困難な仕事を、
両交響曲で成し遂げている。」

ハイドンの「時計交響曲」はTrack6-9、
モーツァルトの「ハフナー交響曲」は、
Track10-13に収められており、
それぞれ、「名曲決定盤」でも、
「非常に傑出したもの」とか、
「極めて美しいもの」とか書かれて、
日本でも古くから知られたものであった。
「名曲決定盤」を愛読した人には垂涎の録音が、
惜しげもなく並べられているのが、
この3枚組CDの1枚目と言っても良い。

なお、「名曲決定盤」では、トスカニーニが高齢であることが、
繰り返し述べられていて、

ハイドンは、序奏からして、
非常に丁寧に美しさを模索しており、
モーツァルトでは、この曲特有の活力を漲らせたもので、
時折、探りを入れるようにテンポを落とす効果も面白い。
トスカニーニで連想される力ずくの演奏ではない。
ニューヨーク・フィルの集中力も素晴らしい。

「このアルバムをしめくくるに当たって、
(同様に、1929年の春に、
マエストロが行った一連の録音をしめくくる)
ビクターは、『真夏の夜の夢』のスケルツォを再録音した。
トスカニーニは、ブルンスウィックの録音に、
特に不満を持っていたので、
(これは彼が行ったこの曲の6種の商業録音を、
比較していえば、一番遅い)、
彼はこの素早く適度に快活な演奏で、
記録を正す機会を歓迎した。」

Track14に再び「スケルツォ」があるが、
全部で78分半に及ぶお得な収録となっている。

こちらの演奏の方が、チャプター・ルームに、
閉じ込められていないせいか、
よりのびのびとして、低音の迫力も倍増している。
空間の広がり感、ティンパニの存在感が全く違う。

が、チャプター・ルーム録音も、
実験室のようなところで、
こわごわ録音しているような風情で、
これはこれで室内楽的な親近感を感じる。

1929年の録音としては、
春ではなく少し離れて11月の録音だが、
この3枚組に、まだ、2曲収められていて、
これらは2枚目の最初と3枚目の最後に、
泣き別れになっている。

CD2のTrack1は、
グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」の
「精霊の踊り」で、フルート独奏はジョン・アマンズ。

非常に上品な古雅な音楽。
ダイナミックレンジが小さい曲なので、
この時代のものであっても、
実に、おちついて聴ける。

CD3のTrack8に、
ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲。
こちらは、じゃじゃーんとやかましく始まるので、
少し、音にひずみが残ったが、
すぐにそれは気にならなくなる。

こちらは、トスカニーニと聞いて連想される、
やや性急でデッドな響きが、
だんだん、立体的で、
色彩的な響きに変わっていくところに耳を澄ませた。

カーネギーホールでの演奏ということか、
独奏楽器の立ち上がる感じも遠近感があって香しい。

先に述べたように、メンデルスゾーンを
再録音して喜んだからと言って、
トスカニーニが、録音技術を、
信頼するようになったわけではなかった。

CD2(第2巻(VolumeⅡ))の解説冒頭は、
こんな言葉から始まっている。

以上聞いて来た、1929年までの録音の、
総括のような言葉になっている。

トスカニーニがUgo Ojettiという人に、
1930年5月に語った言葉だそうだ。

「レコードについて話すのはやめてほしい。
まるで受難だよ。
やればやるほど、原盤は良くなるように見える。
しかし、録音が終わってみると、
髪の毛を引きむしりたくなるんだ。」

この前に行われたのが、先に聴いた、
グルックとロッシーニである。
確かにロッシーニの音量変化を、
当時の技術で捉えるのは、
さぞかし困難であっただろうと考えた。

「トスカニーニは、1929年11月29日の
ビクターのセッションの終わりで、
『もう二度とごめんだ』という前に、
レコーディングから2度、
すでに足を洗っていた。
(機械式録音で1921年に、
最初の1926年の電気式録音で。)
マエストロはこの時、一面を、
4月に初めて録音した
『オルフェオ』のやり直しと、
『セビリャの理髪師』序曲の、
生き生きとした演奏を録音する計画だった。
恐らく、初期のビクターの
『オルトフォニック(Orthophonic)』
プレスのサーフェースノイズの深い霧と、
それが音質に与える悪影響があって、
(すべてのHMVのイシューと同様)
(実際のレコーディング・セッションで、
ワックス基盤がプレイバックされた時、
マエストロは、それと格闘しなくても良かった)
オジェッティに対する歎きになったのだろう。
いずれにせよ、
世界中の、熱心なレコード収集家にとって、
続く6年はトスカニーニ沈黙の年であった。」

このように、ここでは書かれているが、
実際は、この間、トスカニーニは、
ザルツブルク音楽祭や、BBCに招かれて、
本人の思惑と合ったかどうかはわからないが、
そこで、膨大な記録が残されることとなった。

これらは、当時、日本でも紹介されていたようで、
あらえびすの本でも、
BBCとの「田園」が取り上げられている。

現在も、その時の録音は、CDで大量に入手できる。
が、正規の録音に関しては、
マエストロはうるさかったようだ。
ここには、そのあたりの事がよく書かれている。

「指揮者とオーケストラが、
前例のない賞賛を受けていたことからすると、
1929年のこの最後のセッションの後の、
この成り行きは、非常に不満な状況であった。
1930年4月、コンサートシーズンの終わり、
トスカニーニは、フィルハーモニックを、
輝かしいヨーロッパ・ツアーに連れ出し、
これが、単に、
当代の偉大なオペラ指揮者としてだけではなく、
同様に、最も世界的に賞賛されるべき、
交響曲指揮者としての、
マエストロの名声を確固たるものにした。
同様にフィルハーモニックは、
無比の名技性が賞賛された。
ツアーのすぐあと、
マエストロはバイロイトに赴き、
最初のドイツ人以外の指揮者として、
ワーグナー祭に現れた。
1931年の夏にも彼は客演したが、
翌年計画された音楽祭(1933)は、
ナチス台頭を理由に辞退している。
この決断の時期、ナチスの政策を非難する、
ヒトラーへの公開質問状に、
自身の名前を書きこんでいる。
これは1933年4月2日の、
日曜の朝刊に印刷された。
この日の午後の、
フィルハーモニック演奏会では、
ちょうど、別の独裁者を非難したエロイカを含む、
オール・ベートーヴェン・プログラムで、
カーネギーホールの舞台に現れるや、
いかなる指揮者も体験したことのない、
スタンディングオベーションを受けた。」

この日の、聴衆も指揮者も高揚したであろう、
ベートーヴェンの演奏は残っていないようだが、
何と、一週間後に行われた、
「第5交響曲」の演奏については、
録音が残っていて、この3枚組でも、
しっかり聴くことができる。

このあたりの経緯は紆余曲折が涙ぐましいので、
次回、改めて見てみたい。

いずれにせよ、この時期、現在のニューヨーク・フィルは、
合併のすえ、名手を揃えるスーパー・オーケストラに変貌、
「フィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラ・
オブ・ニューヨーク」として、ヨーロッパにまで名声を轟かせた。

トスカニーニは、それは、自分の成果だと思ったかもしれないし、
当然、このオーケストラに対する思い入れも強かっただろう。
自分が育て上げたオーケストラに、
やがて、若い無名のバルビローリが、
ふらふらと紛れ込んで来るのだから、
確かに、この二人を巡るドラマが深刻になることは、
必然として納得できた。

得られた事:「トスカニーニはレスピーギの『ローマの松』で使われる録音された鳥の声の効果で、再びレコード技術に向かい合うことになった。」
「ブルンスウィックのライト・レイ方式がその時の技術だったが、結局、その方式での録音では、トスカニーニは納得できなかった。」
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by franz310 | 2013-12-07 18:42 | 古典