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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その385

b0083728_22592547.jpg個人的経験:
今回聴くCDは、作曲家の夫人が、
解説を書いていることが興味深い。
「第3」の演奏は、繊細、流麗であるが、
気になる「第4」に関しては意義がある。
レナード・スラットキンといえば、
アメリカ近代の作品の
すぐれた紹介者であると共に、
名指揮者、名ヴァイオリニストの
両面で多くの名演を残した
フェリックス・スラットキンの
子息ということで、
優秀な血筋の人としても知られる。


そんな彼が英国のフィルハーモニア管弦楽団を指揮し、
1990年代に、RCAビクターに録音した、
ヴォーン=ウィリアムズのシリーズは、
当時、まだ珍しかったこの作曲家の交響曲を、
すべて録音したことでも記憶に残るものであった。

表紙デザインは、
いかにも、英国のジェントルマンの雰囲気で、
スーツ姿で、パイプまで加えた
ヴォーン=ウィリアムズの白黒写真を、
落ち着いた紫色でデコレーションしたものだ。

背景の煉瓦造りの家屋も当時というか、
その土地というか、いずれにせよ、
この作曲家の音楽の背景のようなものを感じさせて、
興味深く、ピンクで仕切られた、
文字のレイアウトなどもしゃれている。

が、肝心の作曲家の表情は、
怒っているのか笑っているのか、
澄ましているのかよく分からない。

この前聴いた、ハンドリーのCDでは、
解説に、多くの人々が感じたことが、
必ずしも、作曲家の意図とは
一致していなかった事が書かれていたが、
今回の解説も、ちょっと気をつけてかかりたい。

というのも、作曲家の夫人であった、
ウルズラ・ヴォーン=ウィリアムズ
(1911年3月15日-2007年10月23日)
が書いているからで、
おうおうにしてこうした身内の書いた文章は、
美化されたり、正確性を書いたり、
書いた本人の都合の良いように、
曲解されている場合が多いからである。

そして、何十年か経つと、
すべて権威的な事実になってしまうだろう。
例え、それがCDの付録のような文章であったにせよ。

ヴォーン=ウィリアムズは1872年の生まれである。
ウルズラは最初の妻が死別して結婚した2番目の妻だが、
(ウルズラも軍人と結婚していて死別した)
実に40歳近く年が離れている。
ここに収められた「第3交響曲」や「第4交響曲」
が書かれた1920年から30年代といえば、
彼女が子供であったり、作曲家と知り合う前であったりで、
何故、彼女の文章で、これらの作品を味わう必要があるのだろう、
と悩ましいではないか。

出だしの、『まさしく、戦時中の音楽さ』と、
ヴォーン=ウィリアムズの言葉が紹介される所から、
私は、「またか」という気持ちになる。

「『エコワブルで私は毎晩のように
救急車で高い丘に登った。
そこは、コローの絵のように素晴らしい
日没の眺望が見えるところだった。
みんなが想像するような、
子羊が跳ね回っていたわけではないのだが。
そんな時に、この音楽の大部分が出来たのだ。』
(1938年のUVWへの手紙から)
このような、あるいは、
夕景の中のラッパの思い出は、
負傷兵を集めて野戦病院に運ぶ、
救護兵として過ごした数か月について、
RVWが語ったすべてである。」

が、このCDは、戦争交響曲とされる、
「第4」だけでなく、「第3」も収録されていて、
この書き出しは、「第3」の解説に続いている。

「田園交響曲」として知られる、
「第3交響曲」の書き出しとしては、
意外にも思えるかもしれない。

なぜなら、この交響曲は1921年に完成されており、
第1次大戦から数年以上経過しているからである。

それにしても、自分に来た手紙、
しかも、作曲されてから17年も経った時点での
どのような文脈で出て来たかも分からない1節を、
出してくるところなどが、
私には、どうも、不信感を抱かせるたりもする。

「彼はもう42歳になっていたが、
戦争が勃発するとすぐ、
王立陸軍医療隊の志願兵として入隊し、
隊の誰よりも年配だった。
英国での訓練の後、
彼はフランスやトルコのガリポリ半島に派遣され、
王立駐屯砲兵隊に入り、
再び、フランスに送られた。
休戦の後、彼は第1英国派遣陸軍の音楽監督となり、
1919年初頭に復員し英国に帰るまでその職にあった。
彼の創作生活のうち、このような長い中断の後、
戦時中に殺されたたくさんの友人を失って、
RVWは、どうやって仕事に復帰して良いか分からず、
自身の創作が、こんなにも長い間抑圧されて、
生き延びられるかも分からずにいた。」

なるほど、戦争が終わったからと言って、
ほいほい作曲が出来たり、演奏が出来たりするわけではない。
このあたりの事情、私には想像力が欠けていた。

伸びやかで幻想的な「第3交響曲」も、
ささっと書けたわけではなかったのである。
さすが、身内の人が書く内容は違う、
といつしか術中にはまっている。

「幸いな事に戦前に書いた作品に
改訂が必要であることを彼は発見し、
それで創作生活のパターンを取り戻すことが出来た。
彼の古くからの友人、ホフ・アレンが、
王立音楽院の院長の座をスタンフォードから引き継ぎ、
生き生きとした才能ある若い世代や、
出征していていくぶん年配のパトリック・ハドレーや、
イゴール・ガーネイを教えるために、
RVWを作曲科の教師に招いてくれた。」

この記述も教えられる。
やはり、それなりの環境が整わないと、
85歳まで交響曲を書いていたRVWのような大家ですら、
作曲をすることはできなかったのである。

「彼は『田園交響曲』を。除隊後、2年で書いた。
1921年6月に完成され、
初演時の彼のプログラム・ノートは、
『この交響曲のムードは、タイトルが示すように、
二、三のフォイルテッシモ、いくつかのアレグロしかなく、
ほとんど全体的に静かで瞑想的である。
本当に早いパッセージは、
第3楽章のコーダにしかないが、
それもすべてピアニッシモである。
形式の上では、古典的なものに則っており、
4つの楽章からなる。』」

この交響曲は、日本では、非常に愛好されているが、
私も、RVWの交響曲で最初に聞き入ったのは、
この曲であった。
確かに全編が静かでなだらかな作品なので、
第3楽章のリズミックな音楽が、
なくても良いと思ったくらいであった。

最初に、スラットキンの演奏に文句を書いておいて何だが、
この第3楽章は、抑制が聴いた表現で悪くない。

この交響曲、長すぎず、うるさすぎず、
LPでも再生がしやすかったが、
この楽章の金管の咆哮だけは、
ダイナミックレンジぎりぎりの感じがした。

スラットキンの演奏は、
アメリカ出身の指揮者ということから連想される、
飛び跳ね系の表現ではないことが好ましい。

この一般的には、ここぞと張り切って、
オーケストラのヴォルテージを全開にする、
やかましい(やかましくなりがちな)第3楽章も、
重心を低くして、根を張ったような曲作りで、
落ち着いて聴ける。

「田園交響曲」第1楽章から、
ヴァイオリン独奏(ホフ・ビーン)の、
いくぶん、線が細いながら美音が線を紡ぐところからして、
繊細、美麗な曲作りで嬉しい。

ちょっと言い過ぎかもしれないが、
名弦楽四重奏団を率いていた父の影響か、
室内楽的な側面を生かした演奏で、
独奏楽器が浮かんでは消えるのに聞き入ってしまう。

刻々と変わる陰影も良く、
盛り上がりにも嫌みがない。

今回、この解説を読んで聴き直し、
第3楽章のコーダが、
軽く跳ね回る妖精のような音楽であることを、
改めて確認した。

「緩徐楽章の長いトランペットのカデンツァは、
戦場に夕陽が近づいた頃、
ラッパを吹き鳴らした記憶である。」

このような断定的な表現が許されるのも、
作曲家の夫人ならではの特権かもしれない。

第2楽章は、しかし、最初はホルンの独奏で始まる。
この楽章などは、もの悲しさをたたえて、
墨絵のような風情であるが、
何となく、葬送の歩みにも思え、
確かに、戦場の夕暮れと言われても納得するしかない。

私は、ずっと、雲が流れていくような音楽だと思っていたが、
作曲家は、上を見ていたというより、
丘から、下を見下ろしていたのだろうか。

9分の曲のちょうどど真ん中くらいに、
この兵隊さんのトランペットは、
空しく戦場に響き渡る。

マーク・デイヴィッドという人の名前が出ている。
ホルンはナイジェル・ブラックである。

「終楽章のソプラノ独唱は、
『遠い昔の不幸な事、昔々の戦争』の木霊に聞こえる。」

この部分は、「seems」とあるので、
さすがの夫人も、作曲家から、
正確な言質を取れなかったものと思える。
しかし、私は、今の今まで、この終楽章が、
戦争の木霊と考えたことはなかった。

夫人は、さらにそれを強調しているから、
なるほど、そうした鎮魂の音楽だろうか、
などと思えてくるのだが。

「RVWのたくさんの友人や同僚の音楽家が亡くなった、
フランスの戦場は、さらに、クレシーやアジャンクールがある。
多くの作曲家たちが、経験や想像力、感情によって音楽を書いたが、
それを思うたびに、メンデルスゾーンの言葉、
『音楽は言葉より正確な言語である』が思い出される。
いかなる言葉による注釈を越えて。」

この解説、意外に節度をわきまえて、
最後は、音楽が語るに任せている。
が、第2楽章で、作曲家は下を見下ろしていたのか、
夕陽のあたりの雲の流れを見ていたのか、
どちらかも分からないのが、
音楽の限界でもあろう。

が、さんざん、語った挙句なので、
負け惜しみのようにも言い訳のようにも思え、
出しゃばりか、控えめか分からない。

この女性は、単に作曲家の結婚相手で秘書だっただけでなく、
詩人でもあったというから、一筋縄ではいかないのである。

このスラットキンの演奏では、
ソプラノ独唱は、何と、スラットキンのおひざ元、
セントルイスのパウエル・ホールで、
1991年11月14日に別個に録音されており、
交響曲本体は、同年6月7日、8日、
または、11月29日に、
英国のワットフォード・タウン・ホールで録音されている。
オーケストラが声楽なしで演奏し、
その後、声を重ねたのであろうか。
その方が簡単そうだし。

この終楽章もきわめて好感が持てる曲作りで、
楽器の分離がよい、遠近感のある録音が嬉しい。
ソプラノ独唱も、別録音とは思えないほど、
自然に響いてくる。

録音時、オーケストラには、
この声が聞こえなかったのだとしたら、
ちょっとかわいそうな感じもする。

このCDの冒頭には、
「グリーンスリーヴズの主題による幻想曲」
が入っているが、今回は、この曲はパス。

早く、謎の、「第4」について読みたい。

「交響曲第4番は、RVWの他の8曲の交響曲より、
より思索的な主題の作品である」と書き出され、
単純に、この曲は、第二次大戦の予告である、
などと書いてない所が、まずは安心。

「エイドリアン・ボールトが、
BBC交響楽団を指揮した、
クイーンズ・ホールでの初演は、
1935年4月10日だった。
この後、彼は、作曲家に、
『あなたがこの交響曲に感じたものは、
すべて表現できたと思います。
もし、演奏にインスピレーションがあったとしたら、
作品の中にそれがあったのです』。
この作品を献呈されたアーノルド・バックスを含め、
多くの音楽家がコンサートに居合わせ、
喝采は長引き、興奮が続いた。
しかし、批評家たちは、一般聴衆と同様、
その意見を2つに分けた。」

何だか、音楽家と聴衆を分けた点がいやらしい。
その道に通じた人には分かったようだが、
それ以外は、分かってなかった、
と言われているようでもある。

「あるものは、民謡の世界や、
『ひばりは舞い上がる』の世界からの、
危険な旅立ちだと考え、
他のものは、『Job』(オーケストラ版初演は1930年)や、
ピアノ協奏曲(1933年)の発展と見た。」

確かに私も、前者に入っていた事は事実なので、
こういった書かれ方をされて不愉快なのである。

「この作品は、情熱、興奮、強さを特徴とする作品であり、
フーガのエピローグは、感情の振れ幅の全域を、
荘重な高貴さと共に描いている。」

前半は肯けるが、後半は、いきなり終楽章の話に飛んで、
いささか不自然である。
しかし、「戦争交響曲」とは書いていないのでありがたい。
むしろ、感情世界の産物だと、
夫人も認めていたようだ。

「問題は、音楽が頑固に主張する『意味』であるが、
作曲家は、コンサートの予告に、
それは戦争、または、深い個人的な衝突、
あるいは、批評家が思い描いたであろう何であれ、
書かれていることに苛立ちを見せていた。」

「戦争交響曲」のレッテルはないが、
他の解釈もすべて否定して、
まったく取りつく島のない解説になって来た。

そして、以下の文章になると、
怒りが込み上げてくるばかりである。
個人的な創造活動に、他人が土足で踏み込むな、
ということであろうか。
芸術家のおごり高ぶりが感じられる一節である。

「いかなる者も、多くの心と精神を縫い合わせ、
技術的表現に至る多くの糸、
リハーサルで他の人の耳に入る前に、
彼だけが知っていた音を
議論されたくはない。
この交響曲に対する彼のコメントは、
『私はそれが好きか知らないが、
それは私が意図したことである』だった。」
この最後の言葉は、いつも、この曲をはぐらかすための、
名文句となった。
夫婦して、この印籠が目に入らぬか、
といった感じである。

そして、この女性は、いかにも、
一心不乱に、何かを隠ぺいしようとしている風に思える。

「戦争の脅威にヨーロッパが陰った時期に書かれ、
大学生のように歴史書を読み漁った男によって書かれた、
こまごまとした事ではなく、
事実、言葉にするには正確にすぎ、
俗世界の限界や言葉の単純さを超えた、
強い意志の証しなのである。」

戦争ではない、と書いておきながら、
戦争の予感の中、歴史書を読み漁った、
と書いてあるのが滑稽でもある。

それなら、やはり、戦争交響曲ではないか。
そもそも、歴史書を読み漁っていた、
と言われる時代、彼女はまだ、
作曲家と出会っていない。
誰から聞いたのか、その出典の明示がない。
「私に送った手紙による」といった、
必殺技も出てこない。

それにしても、このような問答無用の、
激しい言葉を連ねた終わり方の解説は、
実に異常としか言いようがない。
私は、ますます、この「第4交響曲」が気になって来た。

ウルズラ・ヴォーン=ウィリアムズ(1993)とあるが、
この96歳まで生きたスーパー婆様が、
82歳で書いた文章ということか。

ここまで読んで、最初に私が、このCDの演奏は、
「第3」は良いが、「第4」はどうも、
と書かざるを得なかったのにも、
理由があるような気がしてきた。

ウルズラ女史の解説が載っている以上、
彼女は、この演奏を聴く立場にあったはずだ。
こんな人が、解説は書くけど、
演奏には興味ないわ、などと言うとは到底思えない。

この演奏は、ヴォーン=ウィリアムズ夫人の
息がかかった演奏と考えて差し支えないだろう。

第3交響曲が、比較的、丁寧、繊細な表現なのに対し、
第4交響曲、特に第1楽章は、
いかにも、快速で飛ばして、即物的。
隠ぺいに一役買って、ごまかそうとしているように思えるのは、
この解説の印象そのままである。

第3交響曲は、1と1/3ページ費やされているのに対し、
第4交響曲は、2/3ページほどの記述しかない。
そもそも、4つの楽章のうち、
名指しされたのは終楽章だけ。

また、そう考えると、「第3交響曲」が、懐かしくも美麗なのは、
これまた、夫人のこだわりそのままのようにも思えてくるではないか。

第2楽章は、一転して、思わせぶりなほど、
荘重な表現で、他の演奏で感じる女々しさがまるでない。
ショスタコーヴィチの音楽に通じるような無力感は、
おそらく、夫人の好むところではない。

「強い意志の証し」と書き飛ばしたが、
「it is a personal statement of great strength」
とあるから、
「お前らとは違う、すごく強い男の、
あんたらレベルには分からない
(分からなくて良い)個人的表明」
と書いているようにも思える。

この悩ましい音楽を、スラットキンは、
よくもここまで、思索的な音楽に鍛えなおす事が出来たものだ。

第3楽章は、「君の嫌な面が出ているね」と、
作曲家の友人が語った音楽だが、
ここでも、アメリカの摩天楼の下を行きかう、
目まぐるしいトラフィックのようにさばいている。

第4楽章は、夫人が唯一、言及した楽章で、
「感情の起伏」と「荘重な高貴さ」がキーワードである。
確かに、卑小なおどおどしたメロディが出てきて、
それが、自信たっぷりの
冒頭のファンファーレ風の楽想や、
コラール風の強奏と対比されるが、
その意味ではすごい起伏のある音楽である。

ファンファーレ風は、まさしく荘重に演奏され、
ちょいこまかする部分は、比較的スマートに、
あっさり表現されているので、
「荘重な高貴さ」が際立った表現となっている。

さすが名家の2代目スラットキン、
世渡りがうまい、と書いたら書き過ぎだろうか。
私の持つ、この曲のイメージから飛躍して、
スマートでスポーティなモニュメントを築き上げている。

もちろん、夫人の言うことが正しいのかもしれないが、
あまり素直になれないのは、
私の思い込みが激しすぎるからだろう。

得られた事:「この曲は、あんたらは分からんでも良い、と問答無用の名解説。」
「作曲家の未亡人がからんだCDでは、夫人の思惑に沿った解釈になりそうで、何らかのバイアスを感じる。」
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by franz310 | 2013-07-20 23:01 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その384

b0083728_223898.jpg個人的経験:
ヴォーン=ウィリアムズの、
「第6交響曲」と言えば、
表題もメロディもない音楽、
という印象が強くて、
ちょっと苦手な作品だったが、
バルビローリのライブを聴いて、
少し、興味が出て来た。
特に、第1楽章の緊張の中、
浮かんでは消える、
田園情緒風の情感が忘れがたい。
それが、無残に引き裂かれる
「戦争交響曲」かもしれぬ。



エルガーの交響曲で、引き締まった、
充実の限りを尽くした演奏を聴かせてくれた、
ハンドリーが、演奏したCDが、
HMVクラシックスから安く出ていたが、
これで、もう少し復習してみたい。

一度、苦手意識を持った音楽作品に、
何とか、見直しの機会を与えてくれるのは、
演奏者への信頼が何よりだ。
こうした機会に、復習しておかなければ、
二度と、聞き直す機会はないかもしれない。

うまい具合に、これまた、あまり聞きたくない、
「第4交響曲」も含まれているではないか。
ロイヤル・リヴァプール管弦楽団の演奏。

ハンドリーは、エルガーの長大な交響曲を
素晴らしい演奏で紹介してくれたから、
この難解な作品を分かりやすく聴かせてくれるに相違ない。

私は、昔、ボールトだかのCDで、
これらの曲のカップリングのものを
持っていたような気がするが、
手放してしまったようだ。

この豪快で、ダイナミックレンジが広く、
音響効果が重要な音楽を聴くには、
録音も今一つだったかもしれない。

今回聴くCDの表紙は、
サミュエル・パルマ―(1805-1881)作、
「ティンタジェルの城」という絵画で飾られているが、
前に聞いた同じハンドリーのCDは、
ジョン・モグフォード(1821-1885)作、
「ティンタジェルの日没」という絵画が表紙だった。

しかも、この二人の描いた絵画のタッチは、
やたら似通っている。
よほど、ハンドリーはティンタジェルが好きなのか、
19世紀にはティンタジェルの主題が流行ったのか、
いろんな妄想が沸いてくるが、
ここでは深追いしない。

ヴォーン=ウィリアムズより10歳ほど若い、
アーノルド・バックスの交響詩に「ティンタジェル」というのがあり、
これは、かなりの傑作であった。
が、それは、このCDとは何ら関係がないように思える。

実は、バックスは1919年にこの作品を書いたのだが、
このコーンウォールの城を訪れた時、
ハリエット・コーエンという女流ピアニストを伴っていた。
このような廃墟をはるばる訪れるのであるから、
むろん、彼らは愛し合っていた。

ヴォーン=ウィリアムズは、
何と、生涯を通じてこのピアニストと親密な関係にあったそうで、
1931年のコーエンのアメリカ・ツアーに際しては、
「アメリカの人があなたを愛しすぎて、
あなたは帰ってこないのではないか」などという、
悩ましい手紙を書いているらしい。

彼が書いたピアノ協奏曲は、
あまり知られていない作品だが、
コーエンに捧げられており、
1933年の作品である。

そして、今回、聴く第4交響曲は、
1931年から1934年にかけて作曲されている。
作曲家は、1872年の生まれであるから、
コーエンにのろけたのは、
60歳の頃ということになる。
ちなみにコーエンは、1895年の生まれであるから、
30代後半の女盛りである。
(逆に、バックスは初心な20代前半の彼女を連れ歩いていたのか。)

このコーエンというピアニスト、
バルトーク、アイアランド、ブロッホといった、
多くの作曲家に愛されたようだが、
写真で見ると、気位の高そうな風貌で、
実力もあったのか、40代で早々と、
デイムの称号を受けている。

話がそれすぎたが、
今回のCD、そのような「煩悩じいさん」たる、
ヴォーン=ウィリアムズに思いを馳せて聴くと、
かなり、興味もわいてくるというものだ。

私は、作曲家のこうした一面を知らずにいて、
ラヴェルの弟子でありながら、
師のような色彩的な音楽は書かず、
頑なに民謡や中世の音楽を調べながら、
田園情緒に浸りつつ、90歳近くまで長生きした作曲家、
みたいなイメージで満足していた。

コーエンに関する逸話や手紙は、
このようなイメージを一撃で破壊してくれた。
ティンタジェルつながりで、いろいろ調べた結果である。
ちなみに、ティンタジェルは、アーサー王伝説にからみ、
必然的に「トリスタンとイゾルデ」の愛の隠れ場を想起させる。

このようなイメージは、
隠者のようなバックスにはふさわしいが、
頑固一徹な感じで9曲の交響曲を生涯をかけて並べ、
功成り名を上げたヴォーン=ウィリアムズには、
ちょっと不釣り合いだと思っていた。

このCD、ブックレットもぺらぺらな廉価盤であるが、
アンドリュー・バーン(Andrew Burn)という人が書いた、
解説がついている。

この中に、私の好きな一節も出てくる。

「『この曲が好きかどうかはわからないが、
私が書きたかった曲ではある』は、
ヴォーン=ウィリアムズの『第4交響曲』に対する意見である。
この音楽は、1931年から34年にこみ上げてきたもので、
主に怒りと不協和音を性格として持つものに仕上がったが、
音楽的構成が熟達したものである。
ある人は怒りを表すべき外的要因を見出し、
ボールト指揮BBC交響楽団によって
1935年に行われた初演のすぐあと、
ファシズムの不吉な台頭、
来たるべき衝突を憂えたものと考えた。
一方で、作曲家は、この作品は、
『タイムズ』に書かれた、
典型的なモダンな交響曲に関する記事に
張り合うように書かれたものだと主張している。
しかし、この作品が、真の説得力を越えた何かや、
内的な音楽的ダイナミズムの創意を反映しているにせよ、
この作品は、決断力あり、心温かく、
ユーモアと自己省察の人、それでいて怒りに駆られやすい、
ヴォーン=ウィリアムズその人の個性を表している。
すぐにこの事に気づいた人は少なく、
ある洞察力ある友人は、
『スケルツォには、君の嫌な一面が出ている』
と書き送った。」

この部分に、私は非常な興味を覚えた。
もちろん、その人が作った音楽であるのだから、
その人となりが出てもおかしくないが、
嫌な所が出る部分が興味深い。

が、チャイコフスキーは、
音楽からして神経質で、ねちねちしていそうだし、
モーツァルトは一面軽薄であり、
シューベルトは、いささか、無頓着かもしれない。

この解説で知った、
作曲家の性格の弱点が、図らずも浮き出た
とされるスケルツォを聴いていると、
田園情緒に逃避せずにはいられなかった、
この作曲家の弱さみたいなものが感じられる。

「密度とエネルギーに満ちたオープニング以外は、
この交響曲には数多くの情緒豊かな瞬間がある。」

確かに、この交響曲は、最初の絶叫からして、
聴きたくなくなる感じの音楽である。
が、それを耐えるべし、と解説者は言いたいのであろう。
以下、解説者が書き上げた、「情緒豊かな」部分を中心に、
聴いて行こうではないか。

Track1.第1楽章、アレグロ:
「第1楽章の凝縮された情熱的な第2主題、
第3の主要主題の展開によるその謎に満ちた終わり方」
が聴きどころだとある。

怒りのやりどころを探すような主題で始まり、
警告のような音形が出る冒頭は、
私にとっては、
とばっちりがこちらに来ないか、
などと祈るばかりの音楽である。

第2主題は、リズミックな木管に乗って、
弦楽が歌うなだらかなものだろうか。
これは、非常にヴォーン=ウィリアムズ的で、
これだけ聴けば、非常に美しい。

第3主題は金管による勇ましいものであろうか。
進軍を表すように勇壮だが、
どこか悲壮感に溢れている。

このように、かなりいろんな材料が詰め込まれた交響曲で、
各部各部は非常に魅力的な瞬間を持っているが、
冒頭の凶暴な動機が現れては、台無しにしていく。

そんな中、蘇ってくるメロディも高潔であり、
よく聞くとかけがえのない瞬間を持っているが、
何故か最後は、まどろむような、
あるいは空中を浮遊するような静寂の中に消えて行く。
たしかに謎に満ちている。

Track2.第2楽章、アンダンテ・モデラート:
この悲しげなメロディは、虚無感を交え、
かなりショスタコーヴィチ的である。
この静かな楽章が、この曲の中では一番長く、
凶暴なテーマも現れず、聴きやすい。
ここに何か核心的なものがあるのだろうか。
延々と、続くモノローグのような音楽で、
解説には、
「悲しみが織り込まれた悲歌」とある。

確かにそうなのだが、何だか悪夢のような音楽で、
悲しみより、恐怖とか慟哭に近い。
ショスタコーヴィチが好きな人は聞くべきである。

ちなみに、1930年代というと、
ショスタコーヴィチは、後半になって、
ようやく、第4、第5の傑作に手が出る感じ。
ヴォーン=ウィリアムズは、むしろ、先達なのであった。

Track3.第3楽章、スケルツォ:
これこそ、友人が見出した、
ヴォーン=ウィリアムズの嫌な側面で、
確かに、意地悪そうで、いじけ虫みたいな音楽。
これまた、ショスタコーヴィチ的であるが、
ショスタコなら、もっと、どんぱちやりそうだ。
そうだ、ヴォーン=ウィリアムズは、
もっとめちゃくちゃにやればよかったのだ。
ティンパニが連打されているが、
ショスタコなら、打楽器奏者が、
あちこちを歩き回ったり、立ったり座ったりする音楽にして、
もっと聴衆の喝采を浴びたことと思う。

解説には、
「おどけたようなスケルツォのトリオ部のユーモア」
を聴きどころに上げているが、
これにも同感である。

Track4.第4楽章、終曲:
「ブラスのコラールから不協和音を積み上げて、
クライマックスを築く、エピローグのフガート」を聴けとある。

スケルツォから流れ込むピエロのような音楽である。
ショスタコーヴィチなら、スターリンの肖像だ、
とかいう説で、もっとみんなの注目を集めただろう。

戯画的で、無窮動風で堂々巡りみたいな音楽が、
だらだら続くが、何だか様々な音形が交錯して面白い。

そんな中で、6分くらいで、コラール風のラッパ出た。
かなり錯綜感ある展開で、このあたりの交通整理は大変そうだが、
さすが名手、ハンドリーは、落ち着いてさばいて行く。
小太鼓もさく裂が続き、ショスタコもかくやの大混乱を、
ばん、と締めくくる。
もっと、意味ありげに長々とやれば、
もっと日本で人気が出たはずだ。

ショスタコーヴィチの場合、本人のパーソナリティが、
恐怖の時代にパッケージされていて、
ちょっと良くわからない感じになって、
ある意味、得をしている。

次は、第6交響曲。
「ヴォーン=ウィリアムズのキャリアを通じて、
その交響曲が何を意味しているかを、
批評家たちは探っている。
『第6交響曲』は、
核戦争の恐れが予告されたものと予想された。
しかし、作曲家は、これを激しく否定、
苛立たしげにコメントしたのは、
『単に書きたいものを書いただけ』。
1944年から1947年にかけて作曲され、
緊密な構成で書かれ、楽章間はつながっていて、
長調と短調の緊張関係を追及していて、
あいまいな4thのintervalがエネルギーを増している。
再びボールト指揮のBBC交響楽団による、
1948年の初演で、この交響曲は好評を博した。」

ボールトは、このように、ヴォーン=ウィリアムズと、
最も緊密な関係で結ばれた指揮者であったようだが、
ハンドリーはボールトの影響で指揮者になった人である。

Track5.アレグロ:
「長調と短調の和声の諍いがつばぜり合いし、
第1楽章は、狂乱じみた活気に突入する。
テンポの変化を伴って、対照的な楽想が現れ、
第1のものはぎこちなくトランペットで、
第2のものは民謡風な抒情的なものがヴァイオリンに出る。
ドラマの展開が静まると、
民謡風の主題が晴朗な弦楽で回帰するが、
交響曲の冒頭のように押しつぶされ、
主要な不協和音がかえってくる。」

序奏は粘りがある方が「第6」と、
「第4」と、ほとんど同じのような感じ。

最初から荒れ狂っているので、
第4交響曲と似たような作品だと思っていたが、
第4は勇ましい第3主題まであるので、
実は、かなり違う内容だと考えるべきだろう。

気合いの入りまくった演奏で、
アタックがものすごい。
音の塊の投げつけられ方も、
しかも、ぐちゃぐちゃしておらず、
スマートな感じなのが良い。

解説に書かれたように、
丁寧に聞き直してみると、
第1主題は、よっぱらったような、
千鳥足の音楽で、「第4」のような、
シリアスさはない。

第2主題は、共に田園的だが、
「第6」の場合、どれもこれも、
「第4」よりも自由で即興的、
アメリカナイズされた音楽に聞こえる。

気難しいのは、序奏だけである。

この開放的でのどかな広々とした、
第2主題が、序奏のテーマが蹂躙する様は、
いかにも不気味である。

Track6.モデラート:
「緩徐楽章は、不吉な三拍子で、
忍び歩く半音は寒々として脅迫的である。」
居丈高なブラスのファンファーレのような楽想は、
次の部分の基礎となる。」

この「ファンファーレ音形」とは、
ファンファーレというには寸詰まり感の強いもので、
ぶすぶすと燻った爆発間際のエンジンのようだ。

その後、むにゃむにゃと意味不明の、
瞑想的、というか、虚脱感に満ちた部分が来るが、
このような状態から、
以下のような恐怖の表現がこみ上げてくると、
完全にショスタコーヴィチの音楽そのものである。

「ファンファーレの音形と組み合わされ、
持続リズムがかえってくると、
4回の凝集したクライマックスが来る。
痛切なレクイエムのような効果を持つ、
コール・アングレが出て、
全てが終わって残っているのは、
無味乾燥の感情の抜け殻である。」

小ファンファーレは、冷酷無比な、
機銃掃射みたいにも思える。
したがって、残っているのは死体の山、
無味乾燥だけが残ってもおかしくはない。
コール・アングレは、
そこから這い出して来た霊魂のような響き。

Track7.スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ:
「スケルツォは嘲笑の調子のもの。
クロス・リズムで対位法的な素材が、
次々と起こる大混乱を繋ぎとめている。」

先の掃討戦の後、この諧謔味は、
まるで笑えない。

「トリオは、オーケストラの前を、
テノール・サクソフォンが顔をしかめて通り過ぎ、
残忍なジャムセッションのようだ。」

とにかく、まったく人間味の感じられない大騒ぎで、
それでも足りないとばかりに、
耳をつんざく不協和音や打楽器のさく裂は、
まったくもって、精神衛生上よろしくない。

ショスタコーヴィチでも、
一連の戦争交響曲で、
ここまで残忍な描写はしなかったのではいか。

Track8.エピローグ、モデラート:
「初演の後で多くの意見が出たのは、
ミステリアスなエピローグのせいだ。
ヴォーン=ウィリアムズが述べた、
『テーマの呼吸』と呼んだ、
静止した不思議な景観の上を縫うように進む、
全編ピアニッシモである。」

この楽章は、この猛暑の夏に聞くのは、
辛い音楽である。
扇風機の音にかき消されて、
良く音楽が聞き取れない。
おそらく、音楽プレーヤーで、
電車に乗っていても、
カーステレオで高速を走っていても、
何も聞こえないのではないか。

「テーマの呼吸」は、
まるで雲の上の傍観者のように、
荒涼たる風景の上から鳥瞰していく。

このような楽章が、全曲で一番長く、
しかも、下記のような意味深、
あるいは思わせぶりな寸言が添えられているのだから、
もうかなわんと言いたくなる。

「この異常で独創的な楽章に、
音楽外の視点が何か手がかりがあるとすれば、
ヴォーン=ウィリアムズがマイケル・ケネディに示唆した、
『我々は夢と同じ素材でできている。
そして我々のちっぽけな人生は眠りと一緒に回っている。』
という、『テンペスト』において、
プロスペローが最後に語る言葉だけだ。」

ドミトリ・ショスタコーヴィチ(DS)と、
ヴォーン=ウィリアムズ(VW)の交響曲を比較すると、

1934年、VW:第4交響曲
1936年、DS:第4交響曲
1937年、DS:第5交響曲
1939年、DS:第6交響曲
1941年、DS:第7交響曲
1943年、VW:第5交響曲
      DS:第8交響曲
1945年、DS:第9交響曲
1947年、VW:第6交響曲

という関係である。

ショスタコーヴィチの「第4」が
「戦争交響曲」でないように、
ヴォーン=ウィリアムズのそれも、
「戦争交響曲」ではなかったのに、
聴衆が誤解したせいで、
先に、ショスタコーヴィチの方が、
本格的な「戦争交響曲」を書きならべ、
敷き詰めてしまった感じがある。

勇ましい音楽も、虚脱の音楽も、
もはや書く意味はなくなり、
残された音楽は廃墟になるしかなかった。

今回、ヴォーン=ウィリアムズの、
「第4」と「第6」の2曲を聴き比べて、
私は、下記のような印象を持った。

得られた事:「ヴォーン=ウィリアムズは、私小説的な『第4交響曲』を聴衆に間違って解釈され、『第6』をやけっぱちの返礼のように作曲した。」
「あるいは、『第4』には、誤解から守るべき理由があった。」
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by franz310 | 2013-07-13 22:04 | 現・近代