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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その342

b0083728_2018544.jpg個人的経験:
確かに、2004年の、
スピノジによるヴィヴァルディの
オペラ「オルランド・フリオーソ」は、
必要以上の快速調で3時間の大作を、
バババと聞かせる勢いがあったが、
今回の2011年3月の上演記録は、
やはり、舞台との相互作用もあって、
より自然で大きな音楽のうねりや、
痛切な感情表現の掘り下げ成果が、
そこここに感じられる名録音となった。

実は、これを聴くまで、
ヴィヴァルディの表現力は、
ヘンデルには及ばないのではないか、
などと考えていた。


何となく、個々の音楽が切れ切れであり、
アリアだけを聞かせどころとする、
よくシューベルトなどが言われる、
劇的盛り上げの欠如があるのではないか、
などと考えていたのである。

そもそも、ヘンデルのオペラではよくある
二重唱や合唱も少なく、
おそらく、オーケストラの楽器の多彩さでも、
ヘンデルの方が色彩豊かであって、
そうした特徴だけでも、
ヴィヴァルディのはオペラというより、
何となく「歌物語」みたいな先入観が出てくる。

が、実は、そんなことはないことを、
このDVDを見て痛切に感じた。

また、このDVDは、少し変わった装丁で、
紙の手触りのジャケット、そして、
豪華ブックレットが付いている。

この中にあるウィレム・ブルルという人が書いた、
「VIVALDI DEGLI SPILITI」
(魂のヴィヴァルディ)という一文も興味深い。

読むとすぐに分かるのだが、
このタイトルは、フェリーニの映画のタイトルに
あやかったものである。

ブルル氏は、オランダの脚本家のようだ。
ネットで検索すると、頭の光った中年男性が出てくるが、
1963年生まれとあるから、まだ、40代である。

「有名なイタリア映画に、
フェデリコ・フェリーニの、
『魂のジュリエッタ』(1965)というものがある。
ストーリーそのものは単調なもので、
いくつぐらいであろうか、中年のある女性が、
まだ、彼女が愛している夫が、
不実であることを発見する。
今や、彼女の世界は崩れ始め、
彼女は、彼女の結婚生活をやり直す、
別の方法を思案する。
もっと、夫に関心を持つ、
ベッドルームでもっと挑発的な服装をする、
が、どれも効き目があるとは思えない。」

フェリーニの映画であるから、
こんな描写もたんたんとやってそうであるが、
私は見たことがない。
ただ、気が滅入る、
しかも、どうしようもない状況ではある。

「彼女の隣人は、美しく若いレディ、
スージィで、派手なライフスタイルである。
彼女は、その家の中や周りに、
様々な不思議な客人を迎えている。
ジュリエッタは、スージィの家に入り、
暖かく迎え入れられる。
彼女は、浮ついた雰囲気や、
招かれた客人たちに激しく誘惑されるが、
ジュリエッタは、この好色な愉悦の世界に、
入り込むことは拒む。
なぜか、彼女は、この世界は彼女にとって、
感情の死を意味するように思え、
彼女の夫への復讐の場と思えるようになる。
この物語では、ジュリエッタは、
死者の霊とも交流できるような、
高度に繊細な女性として描かれるが、
これは60年代にメタファーとしてよく使われた、
フロイト的な意識下の世界を示している。」

急に胡散臭い話になったが、
おそらく、こうした事も映画では、
うまく扱われているのであろう。

「この感受性によって、
若いころのトラウマの追体験によって、
彼女は次第に内面からの解放を可能とし、
自身の人生を取り戻す。
これは、イタリアの物語である必要はなく、
フェリーニの奇妙な幻覚を感じる誇張と離反の語法の中で、
何か明らかにイタリア的な
永久的で不変的な不倫や不貞の物語となっている。」

このように書きながらも、ごまかすことなく、
筆者は、あえて、彼が思うイタリア的な要素を
書き出してくれているのが嬉しい。

「このイタリア的なものとは、
物語の明るく憂鬱な雰囲気の中に一部は隠され、
彼女の幽霊や精霊の世界にも関わらず、
ジュリエッタのナイーブで親しみやすい性格にも見られる。
また、実際の悲劇の欠如の中にもそれは隠され、
もっと正確には、
この映画のきわめて悲喜劇的な性格にも見て取れる。
フェリーニの映画と、ヴィヴァルディのオペラ、
『オルランド・フリオーソ』では、
あまりにも奇抜なあてつけであるが、
同様の憂鬱で悲喜劇的なトーンは、
このオペラにも現れているようである。」

ということで、
・憂鬱なのに明るい。(悲喜劇的?)
・主人公は親しみやすいが、実はナイーブである。
が、
この人は、イタリア的なものと考えている。

「この二つの作品の主題には関連がある。
同様に不倫や不誠実、結婚による忠実さが、
超自然的なメタファーに満ちた雰囲気の中で試される。
映画における霊的なものは、オペラにおける、
魔法や呪文にリンクしている。
実際の現実や日々の生活から離れ、
これが二つの作品に輝かしさを与えている。
この霊的なものや魔法は、
耐えがたい俗悪さを、瞬時ではあれ、
和らげ、防ぎ、たぶん解決すらしている。
目に見える世界の認識は、
必ずしも我々の慰めではない。
すくなくともジュリエッタには。」

何と、超自然が扱われていることも、
共通項だということだが、
これを言ってしまうと、
ヘンデルもハイドンもフェリーニだということになる。

が、俗悪さを解決している、
というのは言えるかもしれない。
オルランドに魔法がなければ、
単なるストーカーの物語になってしまう。

「ヴィヴァルディの『オルランド・フリオーソ』は、
アリオストの叙事詩による多くのオペラの一つにしか過ぎない。
1600年から1800年の間に、そして19世紀においても、
何百ものオルランドやアルチーナやジネウラやアリオダンテ、
ルッジェーロが描かれた。
ヴィヴァルディは、二つのオルランド・オペラを書いた。
1714年の『狂気を装ったオルランド』は、
のちの作品に対する初期の先駆者であって、
作曲家仲間と、これ以前にも、
ほかのオルランド・プロジェクトに携わってもいる。」

これに関しては、スピノジの旧盤の解説に、
詳細な解説があった。

以下、博覧強記のアリオストおたくの話が列挙されている。

「アリオストが最初の版を出版した時点から、
そのための音楽が書かれ始めた。
最初の出版の1年後、
1517年にバルトロメオ・トロンボンチーノという作曲家が、
その詩に基づいたマドリガルを書いている。
実際のオルランドの売り込みは、
一世紀のちに始まり、1619年に、
マルコ・ダ・ガクリャーノと、
ジャコッポ・ペーリが、
裏切られたオルランドを中心に据え、
『メドーロとアンジェリカ』を書いて、
オペラのジャンルの共同創始者となった。
それほど後ではないが、
1625年、フランチェスカ・カッチーニは、
『アルチーナの島のルッジェーロ』を書いた、
最初の女性作曲家となった。
これらの初期の試みの後で、
多くの作曲家たちが続いた。
彼らの中には、ポルポラやスカルラッティや、
感謝や理性からだけでは愛は生まれないとした、
『オルランド』を書いたヘンデルのほか、
リュリなどもいて、彼の『ロラン』は、
オルランドとアンジェリカ、
メドーロにフォーカスしたもので、
誠実であることのメッセージを伝えている。」

ということで、ここからが、
このヴィヴァルディ作品の解説となる。

「このオペラは、18世紀の流行の中心、
ヴェネチアのために、ヴェネチアで書かれた。
ここは嘘とペテン、陰謀やご都合主義に満ちた街で、
マスクや変装の街でもあった。
予定はいつでも変更可能で、
意味のない集まりが危険な犯行へと展開する。」

以下の文章展開も、妙に唐突で、
何故か女嫌いの男の話が出てくる。

「この湾の島の特別な文化を最初に書き留めたのは、
ヴィヴァルディより少し若いカルロ・ゴルドーニである。
劇作家、リブレット作者として、
この感覚世界のメカニズムを探求し、
それは罠であり道化芝居とした。
彼はユーモアとウィットを持ち合わせ、
たとえば、彼の最高の劇、
『La Locandiera』 では、
女性に興味のないキャラクターを創造した。
『私に関する限り、誰とでも、
婦人について議論するほど危険なことはない。
私は、彼女らを愛したこともなく、
必要だと思ったこともない。』
このlocandiera、あるいは、
宿屋の女主人は、何人かの求婚者がいるのだが、
このおそらく女嫌いの男に魅了され、
しだいに彼にまいってしまう。
彼女のモットーは、
『私を追い掛け回す者は飽きてしまう。
私はいつもちやほやされるのが好き。
私は誰とでもうまくやるが、恋には落ちない。
私はこうした完全に熱を上げているのをからかうのが好き。
美しい母なる大地が産み出した者である私たちの敵、
こうしたおかしな堅物を征服し、打ち倒し、
魂の底からわくわくさせるのに、
全力全霊を挙げたいものだわ。」
この彼女の言葉とこのオペラにおける
アルチーナに何か違いがあるだろうか。」

違いはない、と言いたいようだが、
厳密には、アルチーナは、
かなり積極的にいろんな男にアプローチしているので、
全部が全部、同じなのではない。

だが、まあ、言いたい事は良くわかる。
かなり爛熟した文化で、世紀末的であったのだろう。

女嫌いの男が問題ではなく、
そういった男がいた時の、
女(ここでは宿屋の女将)の心の動きが、
アルチーナ的、つまり、当時のヴェネチア的だった、
とこの解説者は言いたいのである。

では、アルチーナがルッジェーロを巡って、
ブラダマンテと取り合いをした第一幕の続き、
このオペラの第二幕以下を聴いて行こう。

先の解説はまだまだ続くが、
今回は、これくらいに留めておく。

第二幕:
Track16.
「アルチーナはアストルフォに対し、
邪悪な誘惑ゲームを続けており、
これが、魔女への復讐のため、
彼をブラダマンテに近づけることになる。」

このような場面転換は唐突で、
先ほどまでの、ルッジェーロの取り合いはどうなったんだ、
という感じもするが、
逆に、アルチーナがルッジェーロを獲得することが、
アストルフォがアルチーナを失うことにつながる、
という、当然ではあるが、不条理とも言える連鎖が、
妙に、人間の営みの悩ましさを突きつける展開にもなっている。

場面は、CDのト書きによると、
「人目に付きにくい木陰のある気持ちのよい木立」
とあるが、DVDの方の背景は暗い室内である。

アストルフォがアルチーナを責めるが、
魔女は、「私の愛がほしいの?もらえるかもね。
でも私の心は、
あなたの思いつめた眼差しだけで、
燃えるのではないわ」という嘲笑的なアリアがお返しである。

Track17.
ブラダマンテが入ってきて、
「高貴なる勇者がなんてこと?」と、
アストルフォの不甲斐なさを責める。

このDVDの演出では、オルランドも、
後ろで聞いているようである。

すると、アストルフォは、
ヴィヴァルディらしい、
燃え上がるスピリットを感じさせる、
アリアで答える。
「彼女が、慈悲なき、
堕落した悪魔を心に隠しているとしても、
その悪魔の毒は、あなたを騙すものよりは、
残酷ではない。
彼女の不誠実な王国は、ぺてんに満ちていて、
私は他の場所に逃げていきたい。」

そして、その歌の間に、ルッジェーロが、
乱れた着衣を直しながら入って来る。
オルランドとブラダマンテが、彼を椅子に座らせる。

Track18.
が、ブラダマンテのことを、思い出せない。
ブラダマンテは、魔法の指輪を彼の額にかざし、
彼は、だんだん、記憶を覚ましていく。
そして、ブラダマンテは、指輪を渡し、
これをつけてアルチーナの姿を見て、
なおも愛情を感じるなら、行ってもよい、
などと言っている。

そして、強烈なブラダマンテのアリア。
「静かにして、嘆かないで。
静かにして、懇願しないで。
涙はそよ風に流して、風にでも祈って。
不誠実なうそつきの心は、
後悔の中でも誤解するもの。」

シノプシスに、
「ルッジェーロは、魔法の指輪によって呪文が解け、
彼は、自分の妻を放擲したことを知り、
許しを請うが、彼女は応じず、彼は落胆する。
オルランドが慰めるが、無駄である。」
とあるシーンが続く。

Track19.
傷ついたルッジェーロを、
オルランドが慰めるシーン。
そこに毅然としたアルチーナが登場。
ルッジェーロに詰め寄る。
緊迫した状況をオルランドの有名なアリアが盛り上げる。

「怒りの雲が湧き起り、
運命の嵐が波を荒立てる」という前半に、
「恐ろしい雲が消えると、
明るい空が上に広がる」
という後半で、
様々なことが舞台上では起こっている。
ルッジェーロは消えるし、
アンジェリカの幻影がメドーロと見つめあい、
オルランドは二人を引き裂く。
大きなテーブルにシャンデリアが設えられる。

なんと、このアリアを聴いているときに、
実際、雷が鳴りだして、土砂降りの雨が始まった。
しかも、窓をあわてて閉めたりしているうちに、
土砂降りは終わった。
ただし、遠くで雷鳴。アリアのようなすっきり空ではない。

Track20.
CD解説のト書きでは、険しい崖のある山間の場所のはずだが、
DVDでは、先ほどの豪奢な部屋の中で、
メドーロとアンジェリカが語り合っている。

「野に咲く汚れなき花のように、
再び私の心には希望が生まれ、
そして消える。」

シノプシスに、
「アンジェリカとメドーロは再会し、
もう、オルランドを恐れることはないと、
結婚することを誓う」とあるシーンであろう。

が、変な演出で、オルランドは一部始終を聴いている。

Track21.
アルチーナが来て、オルランドはまだ来ないのか、
とアンジェリカに尋ねると、
隠れていたオルランドが出てきて、
何事もなかったかのように、
アンジェリカを抱きしめ、
アンジェリカの方も、思わせぶりに、
テーブルの上に横たわって、
悩ましげな歌を歌う。

「輝く星のように、あなたの無垢の誠実さは、
私の心に慈悲を約束してくれます。
でも恐ろしい思いが私を捉え、
私はその炎が恐ろしい。
それは私の心を燃え上がらせるが、
いつも、そこまで明るいとは限らない」と、
意味深な内容でよくわからない。

とにかく、この二人は、アリアのさなか、
ずっとくっついて、愛撫したり見つめ合ったりしている。

そして、激しく抱擁したりしているが、
これは、彼を騙すための策略なのであろう。
しかも、どこかに立ち去ろうとさえする。

そして、若さを保つ薬で、私たちの関係は永遠になる、
などと言っている。うまいやり方だ。
なんと、このテーブルの横が断崖であるという設定で、
オルランドは、ここに上ろうとして、
雷のようなものに打たれて倒れてしまう。

シノプシスに、
「事実、アルチーナの助けによって、
恋するオルランドをだまし、
若さの秘薬を取ってくるよう頼み、
魔法の崖を登らせる。
彼は、アストルフォの力強い警告にも関わらず、
簡単に騙されてしまう。
そして、すぐに出口のない洞窟に入れられたことを悟る。」
とあるが、いきなり次のシーンでは、
薄暗いシーンに突入している。

Track22.
オルランドは、テーブルの下で叫んでいるので、
これが、洞窟であるという設定なのであろう。
「オルランドは囚われた」という声が響き、
オルランドは怒り狂い、
「そのようないかれた言葉はオルランドには無効だ」
と目をむいて叫ぶ。
だが、出口はわからない。テーブルの下で、
「私は騙された」と悟り、
アンジェリカを呪いながら、
それを持ち上げようとしている。
が、彼は、テーブルから抜け出て、
背景のカーテンも引き裂いてしまう。

Track23.
シノプシスに、
「その間、ブラダマンテとルッジェーロは落ち合い、仲直りする」
とあるが、「アルチーナのところに行けばいいわ」などと、
最初はまだもめていて、
その様子を、背後でアルチーナが見つめている。

さすが、魔の島の女王である。
すべてをお見通しのように、
威厳を持って、存在感を露わにしている。

ルッジェーロが、では、この矢で殺せというと、
少し、ブラダマンテもしおらしくなり、
ルッジェーロは、親しみやすく、朗らかなアリアを歌う。
管弦楽の伴奏も、愛情たっぷりの表現が愛らしい。
「あなたの胸で死ねるなら、なんと幸せなこと、恋人よ」
「あなたの胸に平和が戻るなら、いくらでも叱ってください」
などという内容。
これは、非常に単純な小唄のような感じ。

当然、二人は仲直りして抱き合っている。
ブラダマンテもお返しのアリア。
「奔流が渦巻いてあふれると、
ざぶりと畑も水浸し。
だが、それを止めることはできない」という、
まさしく奔流のような激烈なもの。

この間、平和な村人のダンスなどが舞台では演じられる。
最初出てきた時は、いかつい感じだったが、
このクリスティーナ・ハンマーシュトレームという歌手は、
なかなか美人である。
最後は、イケメンのジャルスキーと寝転んでごろごろと官能的。

Track24.
楽しげな音楽が鳴り渡る。
威厳を持って鳥瞰していたアルチーナも、
心の動揺を隠しきれず、テーブルの上にうつぶせている。

「アンジェリカとメドーロは、
アルチーナの庇護と羨望の中、
広い空地で豪華な結婚式を挙げる。」
というシーンで、恋人たちは、
村人のダンスを前に見つめ合っている。

アルチーナは、ルッジェーロを探すが、
それより結婚式を、と、
アンジェリカとメドーロが急かし、
テーブルのカップには飲み物が満たされていく。
アルチーナは新郎新婦にそれを手渡し、
皆が浮かれる中、アルチーナは、
一人、嘆きの歌を歌っている。
管弦楽もどろどろとした響きを立てて、
きわめて錯綜した状況である。
アルチーナは、恋人たちを祝福しながら、
自らの運命を嘆いている。
したがって、その祝福も息も絶え絶えの感じ。

そのような状況下で、素晴らしいオーケストラの前奏が流れ、
苦しげなアルチーナのアリアが始まる。
「もし、私も愛した人だけと楽しめるなら、
私の心は平和を見出すことはできない」
などと、自らの定めを歌ったもの。

背景は黄昏のような色調になって、
アルチーナの権勢にも陰りが見えたことがわかる。
ルッジェーロは黙って立ち、
アルチーナを見つめて去っていく。
背景から向かってくるシルエットが一つ。

「しかし、偽りと反抗の運命に繋がれて、
愛の神様は、苦しみで脅かす。」
なんと、やって来たのは、オルランドだった。
狂えるオルランド以前に、アルチーナが心配である。
ヘンデルの「アルチーナ」は、確かに、こんな物語だったが、
ヴィヴァルディのオペラも、そんな内容だったっけ。

アンジェリカとメドーロが抱き合う中、
この魔女は、一人、嘆き節で歌い続ける。
まさしく、これは、ヘンデルが、
「おお、わが心」で扱ったようなシーンではないか。

CDでも、このアリアは8分近くかけて歌われていた。
DVDでも、この絶唱をたんねんに描いていく。
さすが、ラーモアである。

Track25.
オルランドはどこに行ったのだろうか。
陽気な二人の恋人たちは、テーブルの上に落書きを始める。
「ここに、メドーロとアンジェリカ」などと書いて、
彼らのデュエット。
「あなたは私の情熱、愛、太陽、心」といえば、
「喜び、平和、星、そして愛」などと返す、
他愛ないものである。

Track26.
いよいよ、第二幕も最後、
「彼らは、愛の誓いを月桂樹やミルテの木の幹に刻む。
彼らが消えてすぐに、
何とか魔法の洞窟から逃れ出た
オルランドは森にたどり着く。
新婚のカップルと、木々への刻印を見て、
彼は錯乱する。」
というシノプシスにある部分となる。

どろどろ音に導かれてオルランドが現れ、
机の上の二人の残した落書きを読む。
これまた、レチタティーボともアリアとも言えない、
狂乱の歌唱が繰り広げられていく。
「恋人で夫婦だって」と叫び、
ついには、服を脱ぎ捨て、テーブルを引きずり、
頭を打ち付け、踊りまくって狂乱の限りを尽くす。
セリフも錯乱している。
まさしく「オルランド・フリオーソ」である。

が、急に脱力して泣き、
「目よ、翼よ、心よ、アンジェリカとメドーロ」と言って、
うつぶせる。

今回も、第二幕を聞いただけで字数も尽きた。
第三幕以降は、次回に回すことにして、
これまでの時点で得られた事を書く。

得られた事:「ヘンデルのオペラのように、ヴィヴァルディもまた、アルチーナの感情の移ろいに関心を持ち、丹念に陰影のある描写を試みた。」
「解説者Willem Bruls氏は、それがまた、フェリーニの映画にも通じるものだという。」
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by franz310 | 2012-08-25 20:20 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その341

b0083728_19505563.jpg個人的経験:
「オルランド・フリオーソ」という、
幻想譚とでも言うような、
西欧騎士道時代の長編詩は、
少なくとも18世紀くらいまでは、
広くヨーロッパ中に知られており、
ヴィヴァルディからハイドンまで、
著名な作曲家がオペラを書いている。
これまで、これらの作品を
DVDやCDで見聞きしてみたが、
再び、ヴィヴァルディに戻る。

今回のDVDは、今年(2012年)
4月には入手していたものだが、
かなりの力作のようなので、
夏休みまで意を決することができずにいた。


このDVDは装丁もおしゃれなもので、
紙パッケージに、豪華美麗ブックレットが入っている。
実は、これを読むのも手抜きしにくい。

表紙写真はシンプルで、
オルランドであろうと思われる、
巨漢が、大きく手を振り回している。
背景もいたって抽象的だ。

このような上質の手触りにふさわしく、
これが、ものすごく気合いの入った
プロジェクトの成果であることは、
中のブックレットでも分かる。
関係者たちが、
強烈な自負を持って語っているのである。

指揮をしているスピノジは、
すでに、「ヴィヴァルディ・エディション」
というnaiveレーベルのシリーズで、
CDでもこの作品の全曲録音を残しており、
これは、ヴィヴァルディを語る上で
落とすことのできない名盤であった。

ただし、その時(2004年)は、
どうやら演奏会形式でしか演奏していなかったようで、
今回、満を持しての舞台上演である。

フレデリック・デレメアと連名で、
「7年間の反映」という文章を、
高揚した気持ちを隠すことなく書いている。
2011年3月に書かれたものである。

「ヴィヴァルディ・エディションの
『オルランド・フリオーソ』の録音が行われた
2004年から2011年の7年間が経過した。
あのディスク・セットは、
いくつかのコンサートの合間に行われた。
それらは演奏会形式であったが、
彼の素晴らしい劇的パワーがさく裂し、
ヴィヴァルディの傑作オペラが息を吹き返し、
遂には、完全なバージョンでの演奏ができた。」

ここで、彼らは、簡単に
2004年のCDが作れたようなことを書いているが、
読み進めていくと、
それは長い苦闘の歴史の成果であったことがわかる。

「『理性の時代』に生きる我々にとって、
1727年の秋に上演されてから、
演奏されていないオリジナル版に対し、
情景やセット、衣装、遠近法には、
自然なものが求められた。
2004年より以前よりはるか以前にさかのぼり、
おそらく1997年、ヴェネチアで、
オリジナルの壮大さで、これを復活させようと、
初めて夢見た時以来になるのだが、
この機会に、この壮大な冒険を、
改めて見直すという誘惑に抗うことはできなかった。」

1997年であるから、
全曲録音からさらに7年をさかのぼる時期に、
何故に、スピノジがヴェネチアにいたのかはわからない。
が、いかにも詩的な情景が書き連ねられている。

「カナル・グランデに沿って、
まさにヴィヴァルディが、
彼のもっとも有名なオペラを生んだ、
サンタンジェロ劇場の場所から少し散策をして、
我々は、この作品に対して、
共通の情熱、愛情、野心を持っていることを確認し合い、
あらゆる観点からして、素晴らしいスコア、
疑うべくもないもっとも個性的である、
ヴィヴァルディの舞台作品に対する情熱や、
いくつかの欠点はあげられようが、
忘れるわけにはいかない、
1977年にシモーネとマリリン・ホーンによってなされた
レコード・セットへの愛着を語り、
カットや、オーケストレーションの変更、移調もなくし、
最高級の歌手を集め、近年の音楽学の研究成果を取り入れ、
近年の我々の演奏経験からの知見も反映させた完全版復活によって、
真価を評価させようという野望などを共有した。」

ということで、今回のDVDは、
14年もの構想期間を経ての成果だということがわかる。
スピノジは、まだ若い指揮者であるから、
プロの音楽家としての半分くらいを、
この作品に捧げた感じではなかろうか。
もちろん、四六時中やっていたわけではあるまいが。

「しかし、1997年の時点では、
ヴィヴァルディのオペラに対する風向きは悪かった。
チュチリア・バルトリによる『ヴィヴァルディ・アルバム』や、
ヴィヴァルディ・エディションによる波の高まりによる、
250年にわたる微睡にあった、
この眠れる美女の覚醒はまだ起こらなかった。
何人かの野心的パイオニアを除いて、
ヴィヴァルディの劇作品は、
演奏者やプロモーターの、
だれ一人の興味をも引かなかった。」

確かに、250年も眠っていたものには、
それなりの理由があるんじゃないの、
などと考えるのが普通であるが、
彼らはあきらめなかった。

「『赤毛の司祭』の、当時の名声は、
単に永遠の人気作『四季』や、
一握りのマンドリンやフルート協奏曲群、
雑多な宗教曲にのみ残っていた。
このような状況下で、
我々の最初の夢の実現の挑戦と実現は、
断片的に『オルランド』を演奏会形式に乗せることだった。
この作品の劇的な力を保つために、
タブローの連鎖で集中力を高め、
それらをナレーターがテキストを朗読して繋げた。
これらの『フラグメント・オルランド』は、
その進行順は残しながら、
ドラマの異なる各部を掘り下げて、
『運命の需要』、『魔法』、『愛に試される徳』、
『悲しみの婚礼』、『呪文の弱まり』、『分別の勝利』と題された、
6つのタブローで構成した。
このタブローの並列は、聴衆が、登場人物の心理描写と共に、
劇の進行を理解できるように考えられたもので、
観客の注意は、動作や半演劇的なアクションでつなぎとめられた。」

私も、できれば、この複雑なオペラは、
このような形で親しんでから、
全曲に行くのがよいのではないかという気がする。

「ヴィヴァルディのオペラに対する不毛の時代にあって、
このプロダクションは、なおも斬新にすぎ、
同様の試みが続くことはなかった。
しかし、2000年のヴィヴァルディ・エディションの開始から、
アンサンブル・マテウスが、この例外的なプロジェクトに参画し、
我々は、このバージョンを惜しみなく捨て去ることができた。
夢見ていたことは、遂に現実となった。
我々が遂になさねばならぬことは、
『オルランド・フリオーソ』の再構成にかたをつけることだった。
この作品の唯一の知られている音楽の原本はトゥリンにあって、
未完成のものや乱雑な素材の塊であった。
これは複雑かつ魅力的な仕事で、
1727年に印刷されたリブレットと、
自筆譜をシステマティックに突き合せ、
これまで知られていなかった『オルランド』が、
最後には構成上のバランスと、
歴史的、劇的、音楽的な活力を獲得し、
崇高な作品としてよみがえった。」

実に、楽譜の修復から始めた大事業だったということだ。
私は、このトゥリンの図書館が、何故、
かような遺品を収蔵していたかや、
どんな部屋に、こうした宝物が置かれていたかなど、
妙に気になって仕方がない。

「我々は、表現力を必要とし、歌手にとって技術的な難所に満ちた
この手ごわいスコアに対する配役も探す必要があった。
もっとも重要な配役から始まり、
1727年の初演時の歌手ルチア・ランチェッティや、
マリリン・ホーンに続く歌手を探さなければならなかった。
幸運なことに、オペラの世界にはこうした、
魔法のような遭遇があって、
まさに、このコルネイユ風のジレンマに陥っているとき、
無比のドラマティックな気質、強烈であるとともに柔軟な声、
繊細な表現力の可能性によって、
この役柄を運命づけられ、彼女もまたこの役に熱狂した、
エリザベート王妃コンクールの優勝者、
マリー・ニコール・ラミューと出会ったのがこうしたケースで、
忘れがたい体験となった。」

オルランドは、恋に焦がれて正気を失った騎士である。
ヘンデルのオペラでは、心に傷を負った将校とした演出があり、
ハイドンのオペラでは、乞食のような恰好の老人とした演出があった。
はたして、このDVDでは、
どのようなオルランド像が描かれるのだろうか。
何しろ、ヴィヴァルディの作品は、
これらの中でとりわけ筋が込み入っているのである。

「この狂った騎士に成り代わることは、
ディスクに刻まれる前にも演奏会を圧倒した。
2003年のシャンゼリゼ劇場での初演の後、
アンブロナイ、トゥールーズ、ブレーメン、エディンバラ、
トゥリンでも再演され、この『オルランド・フリオーソ』は、
2004年のCDで名声を得ていたが、
遂にステージにかかることとなった。
こうした様々な実験によって、経験を得て、
我々のこの作品の見方は変わったであろうか。
もちろん、これはあって、我々自身の進化と共に、
この力強い人間劇はそれを反映していった。
時間と経験の積み重ねと共に、
ヴィヴァルディの心理的真実が我々をこれまで以上に掴み、
今や、彼の音楽は、驚くべき登場人物や、
彼らの永遠の問題を強い集中によって明らかにして、
まぎれもない人間の魂の写し絵のようにさえ思える。
これまで以上に、アルチーナも、アンジェリカも、
オルランドも、我々の目と心に主張をはじめ、
同時代の人物のように迫ってくる。
その強さも弱さも、苦しみも喜びが、
これまで、このような総合として迫ってきたことはなかった。」

そして、最後に、この一文がぽつりと置かれている。

「この傑作がこれほどまでに我々を深く動かしたことはなかった。」

では、この物語を再度、SYNOPSISで復習しておこう。
「メーリンの灰を盗んだことによって、
魔女が力を得て魔法にかけた場所、
アルチーナの島での出来事。
これらは、今、地獄のヘカテの神殿の壺に隠され、
不死身のアロンテによって油断なく守られている。
アルチーナは、キャセイ王の娘、
美しいアンジェリカを宮殿にかくまっている。
アンジェリカはメドーロを愛しているのだが、
騎士オルランドに目をつけられ、
彼の情熱から逃れようとして追われている。
同時に恋人ともはぐれてしまった。
ドラマが開始時、オルランドは、
導師のマラギギにメーリンの灰を奪い返し、
アルチーナの力を封じるよう言われていて、
魔法の島に降り立ったところである。
オルランドの信頼できる仲間のアストルフォは、
すでにそこにいて、魔女の邪な愛の犠牲になっている。
ルッジェーロと妻のブラダマンテは、
騎士に続き、やはり島に着く。」

第一幕:
さっそく、この渾身の上演を見て行こう。

Track1.はクレジット。

Track2.は序曲で、スピノジが指揮棒なしで、
柔軟な指揮姿で、若い演奏家たちに、
インスピレーションを与えていく。

ヴィヴァルディの音楽も、
ただ、元気なだけみたいな表現ではなく、
流れる雲のように、豊かに陰影を変えながら、
精妙な響きで紡がれていく感じ。

Track3.音楽が静かに神秘的になると、
謎の覆面人物が現れ、暗く怪しげな部屋に入る。
豪勢な調度品があるが、中にいる人物はみな覆面をしている。

明るく窓から日が差し込むと、
美しい女性が二人、アルチーナとアンジェリカである。
アンジェリカはメドーロへの愛を語っている。

あらすじに、
「アンジェリカはアルチーナに、
メドーロを見失ったことの嘆いて見せる」
とある部分である。
人気歌手のラーモアの演ずるアルチーナも、
アンジェリカ役のヴェロニカ・カンヘミも、
優雅で美しく、
このトラックの後半では、
カンヘミが、しなやかな声で美しいアリアを聞かせる。
「魔女は、彼との関係の修復や、
オルランドの情熱から彼女を守ることを約束する。」

その間、二人の男たちが争いながら入って来る。
彼らのCD解説の方のト書きには、
「覆面をしたオルランドがアストルフォと争いながら入って来る」
とある部分である。
アンジェリカの身が危ぶまれるが、
ここでは、彼女はマスクで顔を隠している。

Track4.
アルチーナは、アンジェリカのことを隠そうともせず、
「彼女の美しさが、我が王国に新しい太陽を加えた」
などと言っている。

ここでは、後半、アルチーナの超絶のアリアがある。
「愛の指令がその目に見えるが、
その敵意あるまなざしは、
恐ろしさに満ち、
私の心に恐れを導く」

Track5.太った方の男は、
実は、女性が演じていて、これがオルランド。
騎士のいでたちで、ひげも蓄え、
恰幅がよいので、完全に男に見える。

もう一方は、アルチーナに冷たくされているアストルフォである。

ここでは、ヴィヴァルディの良さが十全に生かされた、
精妙に美しいアリアが聞ける。
弦楽の音の絡まりの、なんと美しいことであろうか。
アストルフォは、
「君は、僕に貞節を教え、
希望を持つように言う。
しかし、その誇り高い冷たい目は、
僕の悲しみに、一瞥も与えない。」

「アルチーナとアストルフォと会った後、
オルランドは、ルッジェーロを探しに来た、
ブラダマンテと遭遇する。」とあらすじにあるように、
ブラダマンテが登場。
男のように騎士のいでたちである。

Track6.
オルランドは再会を喜ぶ。
彼女は、魔女には名前を明かさず、
ルッジェーロを探すことを告げる。

シノプシスに、
「この誇り高い女性戦士は、
アルチーナの呪文で、
ルッジェーロが島に引き寄せられたと聞き、
魔術師のメリッサからもらった、
魔法の指輪で、魔女に対抗すると宣言する」
とある部分。

「私の夫の愛を取り戻すまで、
暗い心からの怒りは隠しておくわ」
という、勇ましいアリアを歌う。
クリスティーナ・ハンマーシュトレームが担当。
技巧を凝らしたものだが、
上品に切り抜けていく。

Track7.
ここでは、オルランドは、一人になって、
導師の教えを思い出して、悶々とするが、
これは、シノプシスにある、
「一人になったオルランドは、
自らの使命を思い出し、
その決意を荘厳に表明する」とあるが、
かなり、苦しんでいるようで、
あたりにある椅子などを投げ散らかしている。

そして、輝かしいアリアで、感情を爆発させる。
「深く暗い世界に向かって、
無慈悲な運命が私の心を転げ落とす」
という狂乱沙汰のもの。

熱唱に聴衆から、すごい拍手が沸き起こるが、
背後には、冷たい視線で睨みつける
アルチーナのシルエットがあるのが、
不気味である。
そんな使命は遂行させないという意思の表れだろうか。

Track8.
不気味な低音弦のざわめきに、
アンジェリカが不安げに声を上げる。
「なんという嵐の海、
私の愛する心をいたぶるみたいに。」

苦しんでいる男(のかっこうをした女)の姿がある。
アルチーナは、背後にシルエットとなって立ち尽くしている。

Track9.
これは、シノプシスに、このようにある場面。
「その頃、難破して傷ついたメドーロが、
浜辺にあって、アルチーナによって息を吹き返す。」

アンジェリカが駆け寄り、再会を喜ぶと、
アルチーナは、オルランドを指さす。

Track10.
オルランドが現れ、最悪の状況となるが、
アルチーナは、ルッジェーロを、
アンジェリカの兄弟だということにして、
なんと、アンジェリカの方も、
好きでもないオルランドといちゃつく。

シノプシスに、
「オルランドは、アンジェリカとメドーロが、
一緒にいるのを見るが、彼の嫉妬は、
アルチーナのずるがしこい魔女の言葉で掻き消える。」

そして、アリア。
「私の目に、心に、(メドーロに)耐えて、
あなたこそは我が愛、恋人よ」
と、切迫感に満ちたもの。

「アンジェリカは、偽りの愛の言葉で、
オルランドをたばかり、これが今度は、
メドーロの嫉妬を掻き立てる。」

しかし、オルランドの方も、
神妙なことを言っている。
「ああ、残酷な嫉妬。
われらの感情の暴君。
愛する女の眼差しだけで、
私は罪を起こしそうだ。
アルチーナ、僕の心から恐れを取り除いてくれ、
メドーロ、許せ友よ、愛は盲目なのだ。」

そしてアリア。
「羽の生えた弓の使い手は、
あまりにも残酷。
誠実な恋人の心にも
冷たい嫉妬の毒を広げる。」
という、急速なもの。

Track11.
アルチーナがメドーロを慰めている。
「苦しみながら、耐えているのが、
真実の愛よ」などと意味不明。

すると、いよいよルッジェーロが現れる。
人気のカウンター・テナー、ジャルスキーなので、
さすがかっこいい。

「舞台で一人、アルチーナは、
空のかなたからヒッポグリフに乗ったルッジェーロが、
下降して来るのを見る。
新参者に心奪われたアルチーナは、
飲み物に愛の秘薬を入れて誘惑する。」

このようにシノプシスにはあるが、
ただ、背景の横から出てきただけで、
ヒッポグリフを見ることはできない。

ここで、なぜか、歌い始めるのはメドーロである。
ロミーナ・バッソという人が担当。
「私は鎖を断ち切ったが、
彼女の眼差しの偽りに、
再び、縛られることになった。
私は、安定がないことを学ぶのだ。」

彼は、アンジェリカのまわりをぐるぐるしているが、
ルッジェーロとアルチーナは抱擁に陶酔。

が、その様子を睨みつけているのは、
なんとブラダマンテ。

Track12.
アルチーナは、
「もし、一人だけを愛するなら、
私は、ただの女だわ」などと、
メドーロに言っているようである。

それから、ルッジェーロのところに戻ると、
お調子者になったルッジェーロは、
「僕はようやく地に足をつけたが、
ここは楽園ではないか」などと、
とぼけたことを言っている。

アルチーナは、「ここでは私が女王だから、
あなたは貴族よ」などと言って手を取る。

Track13.
「そのすぐあとに、ブラダマンテが到着するが、
魔法にかかったルッジェーロは、
彼女のことがわからない。」
とシノプシスにあるが、
実際には、ブラダマンテの目の前で、
怪しい水を飲んだり、
愛を語り合ったりしており、
邪魔すればいいじゃないかとも思う展開。

さすが、ブラダマンテは、
チャンスを待っているのかもしれないが、
「裏切り者」などと叫んでかなり動揺している。

そして、素晴らしい木管の序奏に導かれ、
ルッジェーロの絶美のアリアが始まる。
「恋人よ、あなただけから、
平和と満足が得られるのです。
あなたの愛らしい眼差しは、
私の愛の帰るところです」と、
めろめろの恋人の歌となる。

主人公のオルランドはどうなったんだよ、
と言いたくなる展開だ。

が、どうしたことか、
アルチーナは、崩れ落ちて、
苦しげにあえいでいる。
ルッジェーロがそれを抱き起す。

このあたりの息苦しさを、
木管楽器の息継ぎがそのまま再現して、
壮絶な描写となる。

トリスタンとイゾルデ並みの陶酔が押し寄せて来る。
「オルランド・フリオーソ」ってこんな物語だっけ、
という展開である。

ものすごい拍手が沸き起こるが当然である。

Track14.
ルッジェーロは、ブラダマンテを認識せず、
ブラダマンテは、「人間ではないわ、この怪物」と、
罵っているが、
アルチーナは、「もう、彼には魔法がかかっている」、
「彼女の後を追いたいなら追いなさい」と強気で、
遂に、「ルッジェーロは私のもの」と言って、
動じることはない。

Track15.
アルチーナは、しかし、勝ち誇るのではなく、
むしろ苦しげに、
「バラやスミレは日の光を愛する、
その光線は、身を焼くのに。
太陽は、それらを枯らせることができるのです。」
というアリアを歌う。

管弦楽が、こみ上げる複雑な思いを、
焦燥感をもってかきたてて行く。

もはや、これは絶唱と言って良い。
まさしく、ヘンデルの「わが心」に匹敵する、
情念がみなぎり、
恋人をどうしても手放したくない、
女の執念の音楽である。

こんな音楽だったっけと、
2004年の旧盤(CD)を聞いて見ると、
もっとテンポが速く、切迫感はあるが、
情念をえぐるような表現ではない。

明らかに、このDVDでは、
感情移入の深さが増している。

以上で第一幕が終わる。
このように聞くと、まだ残り2時間もあるのに、
かなり、満腹に近い充実感を感じて、
今回はこれ以上、聞き進めることができない。

第二幕以下は次回、聞くことにしたい。

得られた事:「スピノジの新作DVD『オルランド・フリオーソ』は、14年にわたる研究の成果で、すごい感情移入で、ぐいぐいと見るものを引き寄せてくれる。」
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by franz310 | 2012-08-17 19:55 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その340

b0083728_23173339.jpg個人的体験:
ハイドンの「騎士オルランド」
というオペラを聴いている。
このDVD、表紙写真は、
孤独な老人を撮影したもので、
寂しそうな印象を与えるが、
実際は、裏表紙に垣間見えるように、
ほとんど、どたばた喜劇である。
この裏表紙の写真では、
海賊みたいなロドモンテが、
松葉杖を機関銃みたいに構え、
東洋人のイム・スンハエが、
エウリッラ役で目を見開き、
何が起こるかを見定めている。
メドーロとアンジェリカのカップル、
後ろにいる巨漢はパスクワーレ。
オルランドの従者である。


このパスクワーレは、
ヴィクター・トレスという人が演じているが、
ロッシーニで見られるような戯画的な役回りも、
歌もうまい。

この裏表紙写真で、
彼等がおどろき呆れているとすれば、
見ている方向にいるべきは、
主人公、オルランドでなければならない。

つまり、骸骨の落書きが書かれた場所には、
この集まりに荷担していない重要人物、
この物語の主人公が隠れているに相違ない。

この落書きの下手さ加減からして、
へんてこ演出であることは分かるであろう。

前回、半分読んだが、このDVDの解説は、
Guido Johannes Joergという人が書いている。
ここに見るように、深く、この作品を掘り下げたものではない。

「ハイドンは彼の『新しいイタリア・オペラ』に着手したが、
しかし、それは、彼にとってそれほど新しいものではなく、
同じ材料で同じリブレットでさえあるものを、
かつて自作の音楽をもとに上演することを構想していた。
彼の台本作者、興行主のヌンツィアート・ポルタは、
グリエルミの劇音楽もそれなりに知っていて、
以前、個人的にリブレットを改訂していたりしていた。
今回は、すっかり最初から作り直し、
『英雄喜劇、騎士オルランド』が期日通りに出来上がった。
が、予告されていた来訪はなかった。
ロシアの大公夫妻は、旅程を変更し、
エステルハーツィ訪問はなくなった。
それゆえ、この作品の初演は、
ニコラウス王子の名の日、
1782年12月6日となった。」

ということで、この作品のよく知られた、
成立の由来が述べられる。

「この作品が成功した理由は、
良く知られた主題に帰するべきであろうか。
それもあるかもしれないが、
むしろ、このような重要な来訪を考慮して、
特別に心血を注いだことが、
傑作とするのに貢献したのかもしれない。
とりわけ、音楽の高い質には感服せずにはいられず、
騎士オルランドはハイドンの生前に最も演奏された、
オペラとなった。
1813年にはペテルスブルクでさえ上演された。
しかし、1796年に母親のカテリーナ二世から王位を受けた、
ロシアの皇帝パーヴェル一世は、
もともとは、彼のために企画された、
このオペラの演奏を生きて見ることは出来なかった。
彼は1801年、暗殺者に殺されていたのである。」

当時のロシアの政情が垣間見える、
興味深い記載である。

「ハイドンのオペラが忘却の淵に沈んでから、
彼の劇音楽領域への技能も単純に信用を失い、
1970年代後半のアンタル・ドラティによる、
舞台作品の全録音という転換点以来、
この数十年、ようやくその反対の流れが出てきた。
以来、ハイドンの劇音楽は、以来、各ケースの反証となり、
ハイドンのオペラは実は、
全体を通じて極めてドラマチックで劇作法に優れ、
最高のレベルに達しており、
その高い音楽性と泡立つウィットを持つことが証明された。
英国の監督ナイジェル・ロヴェリイが、
2009年5月にベルリン州立歌劇場で、
ハイドン没後200年を記念したプロダクションは、
イランの振り付け師、アミア・ホッセンポーアの色彩的で、
フレッシュでユーモラスな振り付けは、
歌手たちの音楽性と共に賞賛された。
良く知られた歌手たちと共に、
古楽の専門家レネ・ヤーコブズの指揮の下、
フライブルク・バロック・オーケストラが、
生き生きと美しいサウンドを引き出している。
聴衆は音楽にも舞台にも引き込まれ、
各シーンで自発的な拍手を送っている。
このプロダクションはヨーゼフ・ハイドンの舞台作品に、
新しい境地を築くものである。」

このように、このDVDに記録された、
オペラ上演は、高く評価された、
ということなので、期待を高めて、
思い切って後半のDVD2を見ていこう。
第2、第3幕を含み、かなりのボリュームである。

Track1.幕が開く。
開始していきなり、
悲鳴や爆音が響き、戦争の状況の模様。
オルランドが武装して舞台を駆け抜ける。
「私が憧れる、残酷な女の事が思い出される」
「彼女の流し目が私を殺すのだ」
などと、オルランドは、
こんな状況下でも嘆いている。
だから、ロドモンテが現れて、
剣を抜け、と戦いを挑んでも、
エウリッラが、
「アンジェリカが来るわ」などと言うだけで、
決闘を投げ出して、どっかに行ってしまう。

ロドモンテは、何故、邪魔をするか、と、
エウリッラに詰め寄ると、
彼女は、「どうして殿方は、みな女性を巡って決闘するの」
とか、無邪気な質問をする。

Track2.
この展開から、
何故、このアリアになるか分からないが、
「フランク人どもを皆殺しにした」などと、
威勢の良い歌を歌い出す。
剣を振り回し、自分の手首を切り落としてしまうが、
エウリッラが拾ってつけてくれるという演出付き。

Track3.
格好良くフラメンコ・ギターみたいな効果がかき鳴らされ、
メドーロが旅支度で登場。
「隠れ場所が探せるだろうか」という場面。

エウリッラがつきまとう演出。
何だか、怪しい戦士がこちらに向かっている、
などと言って恐れている。

Track4.
いきなり、メドーロは、上着の内ポケットを探り、
手紙を取り出し、エウリッラに渡し、
私の恋人に、「彼は死んだ」と言って欲しいと歌う。

内容は悲壮感極まるものながら、
リリカルな、穏やかな情感に見たされたもの。
いかにも、モーツァルトのオペラで聴けるようなもの。
この演出は、ロドモンテの手首が、
簡単にちょん切れてしまうように、
極めてコミカルなものゆえか、
彼が、感情を込めている場面の後方では、
すでにアンジェリカが登場しており、
気がついたエウリッラは、
彼女に、メドーロが渡したばかりの手紙を、
手渡している。

背景で、そんな風になっているのに、
つまり、彼女はすぐそこにいるのに、
メドーロは、胸をかきむしるような声を出している。

しかし、彼女が彼に見えるわけではないらしく、
アンジェリカは森の中に消えて行く。

最後に、彼女は、森の魑魅魍魎に、
(ヒゲもじゃでよく見えないが、アルチーナか?)
手紙を奪われてしまうが、
こうした難しい演出はやめて欲しい。

Track5.パスクワーレが、
ヴァイオリンを取り出し、
どんどこどんどこと、
威勢の良い歌を歌おうとするが、
エウリッラが、メガホンを使って、
影から彼をびっくりさせる。

彼がおびえるので、
エウリッラが出て行って、
おちょくるシーン。
ロッシーニみたいな少し斜に構えた愛の情景。
そんな中で、さりげなくプロポーズがされている。

Track7.
エウリッラが、
「あなたの愛らしいお顔」と、
まんざらでもないような歌を歌い出す。
これまた、いかにもウィーン風というか、
古典派時代の軽快な音楽。

二人は、どたばたしながらも、

部屋の中に仲良く入って行く。

ぬいぐるみの馬を振り回したり、
いろんな動作が多くて、
この演出はかなり難解であるが、
パスクワーレの歌う歌詞、
「馬と主人は、愛に駆られたら押さえられない」
にちなんだものであろうか。

Track8.
ヒゲもじゃの化け物が、出て来て、
意味不明なポーズで手紙をかざしているが、
アンジェリカのアリアである。

これはCDで聴いて夢想したイメージではない。
「穏やかな微風」、「静かな波」と、
海のほとりの涼しげな風景を想起したのだが、
彼女は、森の中で、暑苦しい服装をしている。

背景で、化け物がパントマイムを演じているが、
メドーロがどこに行ったのか、
と、悩んでいるシーン。
落ちていた手紙を見つけ、
「メドーロ、どこにいるの」などとやっている。

Track9.
女王の恰好で、アルチーナ登場。
アンジェリカを助けてあげましょう、
というが、
Track10.
アンジェリカの方は、城の前で、
かなり混乱していて、
「彼なしでは生きて行けない」と、
身投げしようとするはずであるが、
ここでは、以下を転げ回っている。


すると、メドーロがやって来る。

Track11.
当然ながら、二人の愛が高まっている時、
まるで、古代人のような出で立ちで、
オルランドが剣と盾を持って飛び出して来る。

狂人なのであるから当然のことながら、
恋人たちの説得を聞き入れる耳も持たず、
我らが英雄オルランドは、剣を振り回す。

ハイドンのオペラでは、オルランドは、
すでに第1幕で発狂しているので、
狂いっぱなしで後半も進行する。

すると、アルチーナが現れ、
恋人たちの逃げる時間を作るように、
彼の力を一瞬削ぐが、
再度、オルランドは怒りを露わにする。

後は、活発なオーケストラの伴奏に乗って、
幻覚を訴える。

Track12.は、
彼の、幻影との戦いが表されるアリア。
狂乱のアリアとしては、メロディは晴朗なものだが、
暗闇の中、様々な妄念にもだえている。

Track13.
またまた、お気楽カップルの方。
高校生の制服のようなネクタイをつけたエウリッラが、
部屋の中で、将軍姿のパスクワーレから、
自慢話を聞かされている。

Track14.
愉快なパスクワーレのアリア。
いきなり、素晴らしい息の長さを披露して、
イタリア式オペラを模倣して見せる。

いかに自分の音楽の才能がすごいかを、
エウリッラに自慢する。
カストラートのようだ、
と言いながら、高い声を披露するのも、
ハイドンが、そうした音楽に、
いかに通暁していた事を示して興味深い。

時折、エウリッラが、ちゃちゃを入れて、
彼をからかったりするが、
声が透明で美しく、
眼鏡も取って、色っぽい表情や仕草で、
聴衆を魅了する。

合いの手を入れる時の、
高音の装飾も素晴らしい。

そのせいか、最後のトラックで、
この歌手が、カーテンコールで出て来ると、
すごい拍手がわき起こることを、
ここで紹介しておこう。

パスクワーレの方は、
オーケストラの中に入って行って、
指揮者に話しかけたりするので、
聴衆からは笑いがわき起こっている。

いっしゅん、変質者のようにオルランドが現れる。
彼は、部下であるパスクワーレのヴァイオリンを踏みつけて去る。

このような演出に、深い理由があるのか、
単なる受け狙いであるのかが良く分からないのが、
今回の演出の悩ましいところだ。

Track15.
アルチーナが現れ、もったいぶって、
皆に入会証のようなものを渡し、
洞窟に行くように勧める。

アルチーナは、オルランドをやっつけるという。
その舞台が、宿屋の一室みたいで、
なおかつ、アルチーナの衣装が、
いかにも女王という感じなのがへんてこな効果を出している。

Track16.
洞窟だからであろうか、
青い光の中、謎の煙が立ち込めている。
音楽は極めてのどかなもので、
時折、勇ましくなる。

オルランドと、恐れるパスクワーレが、
右往左往していると、
どーんと銅鑼が鳴り、
アルチーナが登場する。

オルランドは怒り狂ってアルチーナを罵るが、
床が開いて、オルランドは穴に落ちてしまう。

Track17.
もう、オルランドはいなくなったのだから、
別に、来る必要はなさそうなものだが、
メドーロとアンジェリカが、
朗らかな歌を歌いながらやって来る。

盛り上がって弦が刻む場面など、
いかにもヴィーン古典派の美学に満ちている。
そこに、何故かエウリッラもやって来て、
ロドモンテまでが合流。

アルチーナは、オルランドは石になったと言い、
みんなは、石を持って回す。

が、彼等は、その事実に驚きつつも、
そこまでは望んでいないというので、
アルチーナは彼を元に戻すが、
オルランドはなおも意気盛んに罵倒を続ける。

アルチーナは壁に下手などくろの絵を描く。
すると、今度は、太鼓が連打され、
オルランドは壁に吸い込まれてしまう。
このあたりが、表紙裏の写真のシーンである。

これは洞窟が崩れたシーンである。

Track18.
シーンが地上に代わり、
オルランドが消えての安堵の合唱となる。

これでもかこれでもかと、
オルランドをいたぶって、
いじめ礼賛のようなオペラになっている。

第3幕も続く。
Track19.
不思議な青い光に満たされた、
冥界の世界で、登場人物が、
立ち尽くす中、忘却の川を渡すカロンテが、
彼等をひとりずつ去らせて、
最後にオルランドが一人残る。

こうした演出は、かなり頭を使って疲れる。
先に書いたように、ただ、ふざけているのか、
よく伏線などを考えているのか、
そのあたりが不明瞭なのである。

Track20.
アルチーナは、カロンテに、
オルランドの頭から、アンジェリカを消すよう命じる。

Track21.
オルランドは、何故、みんないなくなった、
とか言うので、Track19の演出は、
この台詞に由来するのかもしれない。
彼は、カロンテの姿を見ていぶかしむ。

Track22.
この部分こそは、このDVDの表紙となったシーンで、
オルランドは、「ここは静寂の王国だ」と、
煩悩が去ったかのような、
清らかなアリアが歌われる。

カロンテの意味ありげなポーズが、
背景に影絵となって浮かび上がっている。
このあたりも解釈が難しい。

ただし、この巨大な影の力で、
オルランドは自ら、
棺桶の中に入って行くようにも見える。

オルランドのアリアは、
声の質のせいか、どれもが渋く、
まるで華やかさがないが、
内向的、思索的で、いかにもドイツの音楽だという感じ。

トム・ランドルという人が歌っているが、
テノールであろうか、
華やかな部分よりも瞑想的な部分で勝負で、
白痴美はまるでない。

Track23.
実際には、ここで、カロンテが、
オルランドに忘却の水を注ぐ。
表紙写真にも出ていた舞台手前の棺は、
オルランド復活のための大道具となっている。

巨大なハサミは、煩悩を裁つイメージであろうか。

Track24.
アーノンクールのCDではカットされたシーンであろう。
ヒゲも長髪もとれたオルランドが、
ローマの執政官のような出で立ちで、
パスクワーレをせかし、
戦場に連れて行く。

エウリッラは、それを止めようとするが、
連れられて行ってしまうシーン。
さらに、アンジェリカを襲う敵たちが、
メドーロを突き刺してしまう。

何と、オルランドは兵隊、
というか警官、あるいは大佐といった恰好をして登場。

Track25.
勇ましい音楽に太鼓が連打され、
オルランド大佐とロドモンテは戦闘に向かう。

Track26.
指揮者のヤーコブズが写され、
アンジェリカの伴奏付きレチタティーボの
美しい序奏を丁寧に盛り上げて行く。
アンジェリカはメドーロが死ぬと大騒ぎで、
序奏とは打って変わって、
激しい音楽を背景に、激情を吐露する。

このような音楽を聴くと、
完全にウェーバーやシューベルトに直結しており、
パパ・ハイドンという感じではない。
かなり表現主義的にも傾く。

Track27.
青いバックのまま、
黒いコート姿で現代的な出で立ちの、
金髪のアンジェリカがアップで写されて、
髪をかき上げている。

まるで、英雄劇風でもなく、ハイドン風でもなく、
まるでワイドショーか雑誌のピンナップみたいだが、
いかにも狂乱のシーンにふさわしい、
感情を吐露した絶唱、
「もうこの心は耐えられません」のアリアを歌う。

彼女は、体当たりの演技で、
自分の肖像画も破り捨て、
真の愛に目覚めた感じの演出であろうか。
このマリス・ピーターゼンは、
こうしたアップの映像やにも耐えられ、
演技を伴っても均質な声を聴かせるので、
人選としては良い。

ただし、少し個性が弱いかもしれない。
情念の陰影が欲しいところだ。

Track28.
えらく爽やかな好漢となったオルランドと、
ロドモンテが勝利に終わった戦闘の報告をする。
アンジェリカに対する未練はさっぱりの顔が、
かえって憎い感じである。

Track29.
ヤーコブズ指揮のオーケストラが、
勇壮な音楽を聴かせ、
ハイドンのどの交響曲よりも、
華やかな序奏を響かせ、
女王の恰好でなくなったアルチーナが、
学校の先生みたいに、
アンジェリカの修復された肖像画を見せながら、
輝かしいアリアを歌い上げる。

いろんな魑魅魍魎が現れては消えるが、
何を意味しているかは不明。

Track30.
アルチーナは、すべてが変わりました、
などと自画自賛するし、
「何という奇蹟」などと、
アンジェリカは反応するし、
せっかく狂人だったオルランドは、
戦士の心に憧れはない、などと偽善的。
まるで去勢されたみたいになっている。

「みなは、この平和を楽しめ、俺は行く」
みたいな感じで、いかにも作り物めいている。
前、読んだ解説で、狂ったオルランドの方が普通で、
あとはみんな変、という感じが強調されている。

Track31.
アンジェリカは、「ASIA PACIFIC」
と書かれたたすきをかけ、
ミス・太平洋みたいな感じの出で立ちになり、
メドーロは、跪いて、彼女を称える。
完全に絵空事の幸福感になっている。

二人とも、完全に漫画風でにたにたしている。
しかし、さっきから気になっていたが、
背景の田園風景もへたな絵で、
まさしく絵空事という感じだろうか。

Track32.
全員のコーロ。
オルランド「大佐」みたいなのが中心で、
「私は混乱している。男が狂人に見えるなら、
それはあなたたちの残酷さゆえ」という、
この劇の本質をおちゃらけた感じで歌い上げ、
続いて、あらずもがなの教訓、
「幸せでいたいなら、あなたを愛する人を愛しなさい」
という合唱。
そこに、エウリッラ、ロドモンテ、アルチーナと、
それぞれの立場が歌われるが、
「魔法の力のおかげでみな、満足に生きるでしょう」
という歌詞は意味不明だ。
その後、メドーロとアンジェリカも唱和するが、
「不変の愛を保ったなら、それは正しかった」とか、
「キジバトが忠誠を教えます」などなど、
あってもなくても良い歌詞になっている。

最後の拍手は、
劇中で散々いたぶられたオルランドへの拍手が少ない。

最後の最後まで、狂ったオルランドこそ、
本物であったのだという事が、
多くの聴衆には分からなかった感じ。

何だか腹立たしいオペラになっている。
エステルハーツィのお城で、
こき使われていたハイドンの目からすれば、
こうした偽善的な価値観では、
自分のような芸術家は、オルランドみたいなもの、
などと感じていたのではなかろうか。

最後は、何と、背景の田園風景もちぎれ落ちる。
これは、完全に、この演出者も、
最後を大団円とは見ていないという意志表示であろう。
演出家は、ナイジェル・ローリー、アミール・ホセインプール。

得られた事:「ハイドンの『騎士オルランド』は、真実が偽善に負けるという内容。理性が戻ったオルランドは、まるでロボットのようである。」
「ヤーコブズ指揮の上演記録もまた、その側面を強調。ただし、時として、受け狙いの小手先技が見られる。」
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by franz310 | 2012-08-04 23:18 | 古典