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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その335

b0083728_16582515.jpg個人的経験:
前回、ヘンデルのオペラ、
「アリオダンテ」全三幕の、
前半の2つを聴いたので、
今回は、第3幕を聴いて行こう。
演奏は、カーティス指揮の
イル・コンプレッソ・バロッコ。
2010年の1月に
イタリアのロニーゴ、
ヴィラ・サン・フェルマで録音され、
初回生産限定盤とある。


昨年の今頃、発売されたのだが、
まだ残っていて、3枚組ながら、
この特別価格が採用されて、
かなり安く購入することが出来た。

ディドナートがタイトルロールを歌い、
王女ギネヴラは、カリーナ・ゴヴァンが担当している。
彼女らの声は、英雄的かというと、
ちょっと違うかもしれないが、
よくコントロールされて、激烈なアリアなども、
美しく歌いきるところがすごい。

といった事が、前半を聴いてのこの演奏の印象である。

このオペラは、ヘンデルがルネサンス期の、
イタリアの大詩人アリオストの詩作に曲付けしたものの1つで、
私は、むしろ、その原作の方が気になって、
このオペラに辿り着いてしまった。

この原作、「オルランド・フリオーソ」には、
このヘンデルを始め、ヴィヴァルディなどの同時代人から、
下ってはハイドンなども曲付けしているからである。

この「アリオダンテ」は、
この「オルランド・フリオーソ」の、
主要キャラクターはいっさい登場せず、
大作の中の一挿話みたいなのが拡大された感じ。

1734年8月12日に書き始められ、
アリオダンテに、有名なカストラート、カレスティーニ、
ジネヴラに高名なソプラノ、ストラーダなどを想定していた。
典型的な、イタリアオペラ軍勢によるロンドン侵攻である。

解説を読むと、
ヘンデルはどこだかわからないが、
田園地方にて、第1幕を書き始め、
8月28日に、ロンドンに戻って第1幕を完成したとある。

そんな事を読みながら、
冒頭の王女ジネヴラのアリアを聴く。

「チャーミングな物腰や
愛嬌のある微笑みが、
恋人の心をとろけさせるのよ」とあるが、
極めて解放的な空気を感じる。
ヘンデルが、田園風景に、
そうした物腰や微笑みを感じたかのようである。

やはり、こうした風光明媚な場所で、
解放的になると、霊感は受けたであろうが、
反対に、実作業の方には、
集中出来なかったのかもしれない。
完成がロンドンというのも納得できる。

シューベルトの「ます」の五重奏曲も、
シュタイアーという美しい土地で、
楽想を得たと言われるが、
近年は、そこで一気に完成させたのではなく、
ヴィーンに戻ってから完成させたという説をよく読む。

改めて解説に戻ると、
第2幕は同年9月9日に完成、
それまで、ルルカーニオ(アリオダンテの兄弟)のパートは、
カストラートのCarlo Scalziを想定し、
ソプラノのために書かれていたが、
若いジョン・ビアードのテノール用に変更した。

この歌手については、
少年合唱団に属していた時から目をかけていて、
ヘンデルは、彼が合唱団を抜けたので、
はなむけにこの役柄を与えたのであろう。

しかし、自分が出るものと思っていた方には、
辛い措置だったかもしれない。

10月24日には、さらなるトラブル発生。
アルト用に書かれていた侍女ダリンダのパートが、
ソプラノのセシリア・ヤングのために書き直された、とある。

本当にトラブルかどうかわからない。
これ幸いと変更したのではないか。
ビアードもヤングもヘンデルの子飼い連中である。
ちょっと、えこひいきが過ぎる感じである。

ヤングのためには、新しいアリアを書き、
ビアードのためのアリアは、拡張されて、
ヤングと二人による優しいデュエットになった。

この新しいアリアというのは、
「Il primo ardor (最初に私が受けた炎)」で、
第1幕の第11場で歌われるもの。
軽快で敏捷でありながら、明朗に広がるもので、
メロディラインによる声の美感と同時に、
適度な技巧を披露できるようになっている。

これは、ヘンデルのローマ時代のカンタータ、
「Sei pur bella, pur vezzosa(お前は美しく)」から、
楽想を持って来ていて、
これは、実は、ラインハルト・カイザーという作曲家の、
ドイツ語カンタータによるものだという。

また、優しいデュエットとは、
「Dite spera, e son contento(唇は優しい口調で)」
で、第3幕、第10場の、
このオペラの大詰めで歌われるものである。

このオペラを通してずっと、
ダリンダを愛していた優しいルルカーニオに対し、
彼女がようやく愛を感じた時、
感情の爆発のように歌われる。

ということで、今回は、この曲あたりを楽しみに聴き進めよう。

第3幕は、解説者によれば、
「最後の情景は、単に幸福が回帰して来ただけでなく、
真実の英知と、より深い幸福感を表しているように見える」
と書かれている。

さて、このCDの表紙は、月光に照らされた、
夜の森であるが、これはまさしく、
これから聴く第3幕のシーン。
アリオダンテが死にきれずに
彷徨っていた背景の情景であろう。

物語を振り返ると、相思相愛の王女と英雄が、
悪者に騙されて、別れ別れになり、
英雄アリオダンテは自殺を図る。

王女ジネヴラは汚名を着せられ、
まさに処罰が決まる。

そんな中、アリオダンテは生き延びて、
森の中で会った、王女の侍女から、
陰謀の全貌を聴くという場面が、
第3幕のはじめである。

侍女ダリンダは、事件に共謀したので、
全てを知っているがゆえであろう、
追っ手に追われている設定であるようだ。

第3幕は、CD3である。
「森の中、アリオダンテ、その後から、
二人の暗殺者から逃げているダリンダ。」
というシーンにふさわしく、
Track1.は、沈鬱なシンフォニアから、
アリオダンテのアリオーソに続く。
あらすじに、「アリオダンテは生きていた」という部分。

「これはあなたの憐れみか、
千の死を我が身に、
何故、私はまだ生きている」
と、重苦しい歌である。
自殺を図ったのに、さすが主人公、
へいちゃらであったと見える。

Track2.では、中から、
ダリンダが出て来るようである。
「野蛮な悪者!」と叫びながら逃げてきて、
アリオダンテと鉢合わせになる。

「不幸な考えに苛まれながら、
森を彷徨っているうちに、
彼は、ポリネッサに雇われた、
二人の刺客に狙われたダリンダを救う。」
というシーンである。

「生きているの」とダリンダは驚く。
「ダリンダは、アリオダンテが、
生きているのを見て驚き、
すぐに、彼が騙されていることを説明し、
ジネヴラは不実ではなく、
むしろ、ダリンダがうっかり、
ポリネッサのよこしまな計画に乗ってしまった、
と説明する。」

Track3.
アリオダンテは死ぬ意味が全くなくなった。
裏切られたと思いこんでいたのに、
ジネヴラは無実だったのだ。

ぎくしゃくした奇妙な伴奏部による、
しかし、声楽部はやたら引き延ばされた、
アリオダンテの6分半に及ぶ嘆き節も当然であろう。

「アリオダンテは、自分がジネヴラへの信用が、
簡単にぐらついたことを後悔する。」
とあるが、
「夜影の紛らわしい影よ」と、
夜の暗さに八つ当たりしている。

闇夜に忍び会っていた女が、
ジネヴラではなく、
ダリンダが変装していたことを知ったから、
こんな台詞が出るのである。

Track4と5.
「ダリンダの目は、ようやく、
ポリネッサが悪者であることを見定め、
天の怒りが彼の上に降りかかり、
アリオダンテと共に宮殿に向かう」というシーン。
Track5.では、
怒り狂ったアリアが聴ける。
「復讐の空のかんぬきはどこにある」と、
ヒステリックなまでに声を張り上げる。

ちょっと、不自然なタイミングである。
刺客に狙われた時点で、真相は分かっていたはず。
アリオダンテに出会ったから、
急に心の余裕が出来たものと思われる。

Track6.
第3場で、宮殿に王様、オドアルドが、
王女について話をしていると、
ポリネッサがやって来る。

「オドアルドは、ジネヴラが最後に、
父親の手にキスしたいという希望を
王様が受け入れるよう嘆願する。
しかし、王様は彼女に支持者が出て来ない限り、
彼女には会わないという。
ポリネッサは、自分がその役を引き受け、
自分の娘として認めるように願う。」

Track7.は、ポリネッサが、
調子に乗って歌うアリア。
「正義と愛、そして義務は一緒になって、
栄光への渇望が心にみなぎる」
と、勝ち誇り気味の歌唱。
ちやほやと伴奏も賑やかである。

Track8.は、再び、王様とオドアルドの二人。
「よし、娘を連れて来い」と王様が言う。
Track9.は、ジネヴラが、王様に会って歌うアリア。
おどおどした、切れ切れの歌。

「尊いお手にキスします。
辛いけれど甘く、でも、不当なこと。
私には、でも、親愛な。」

Track10.
「彼の心は、娘を見て和らぎ、
ポリネッサが、彼女のために戦う、
と言っていると告げる。
天は、彼女が無実なら、
彼を勝利させるだろう、と言う。
ポリネッサに守護されるくらいなら
むしろ死を選ぶという。」

レチタティーボで、ジネヴラが叫ぶ。
それは、私の意志なのだ、という王様。

Track11.は、通奏低音の深さ、
リコーダーのひなびた響きも心のこもった、
王様のアリア。
ここでは、王様は、
「お前を心に迎えよう。
ああ、しかし、別れの時だ」と、
ジネヴラとの別れを歌っている。

まだ、ポリネッソが勝つとは、
決まっていないからであろう。

第2幕で、兄の名誉のため、
ジネヴラ処刑を、
王様に言い寄ったのが、
剣客ルルカーニオであった。
アリオダンテの兄弟で、
アリオストの原作でも、
この男が、王女の命をなきものにしようとした。

つまり、ポリネッソは、ルルカーニオに、
勝つ必要がある。

マシュー・ブロックのバスが、
甘く、慈愛に満ちた声を響かせる。

「ジネヴラは残され、
死を恐れることなく、
栄誉を持って死ぬと祈る。」

Track12.
警護をつけられたジネヴラである。
「何という運命」と嘆き、
Track13.では、瞬発力を見せる、
勇壮な楽想のアリア。
「私は死ぬが、この運命も道連れに」という内容。

Track14、15.第7場で、
トーナメント会場である。
護衛に守られ、王冠をつけた王様がおり、
オドアルド、ルルカーニオは武装し、
ポリネッサもまた武装している。

「トーナメント会場の野原。
ルルカーニオは、ジネヴラの守護者を、
やっつけると宣言し、彼等は戦う」
とあらすじにあるとおり、
ブラスを中心とした勇ましい交響曲に続き、
ルルカーニオとポリネッサの口上の後、
戦いが始まる。
ルルカーニオは高名な剣客なので、
という設定によるせいか、
ほとんど戦闘の時間なく、
いきなり、「やられた」となっている。

オドアルドが、ポリネッサを支え、
会場から運び去る。

しかし、ポリネッサは、こんな簡単に負けてしまって、
どこかに勝算があったのだろうか。

ルルカーニオは、他に、守護者はいないか、と言い、
王様は、「誰も現れないなら、自らが戦うのみ」と言って、
王冠を外す。

「ポリネッサ致命的な傷を負い、
ルルカーニオは、第2の挑戦者を募り、
誰も応答しないのを見て、
王様自身が、娘と王冠にかけて立ち上がる」
と書かれたシーンである。

そこに、アリオダンテが登場。
「お座り下さい、無実は他のものが」と、
かっこう良く口上を述べ、
「我こそは守護者」と名乗りを上げる。

ルルカーニオが、「剣を取れ」というと、
アリオダンテは、「私は、罪を犯したくはない」と、
お面を上げると、一同に驚きが広がっていく。
非常に鮮やかなシーンである。

解説のあらすじにも、
「ミステリアスな騎士が現れ、
ジネヴラを守護すると言う。
彼は面を外すが、全員は、
それがアリオダンテと知って驚く」とある。

「ポリネッサの悪巧みに、
知らずに荷担したダリンダを許して欲しいと、
まず、王様に頼み、
オドアルドもまた、
ポリネッソが死ぬ前に、それを白状したと請け合う。
暗い悲劇の雲は晴れた。」

Track16.
この最後の言葉は唐突だが、
アリオダンテが、7分22秒もかかる、
「暗い嵐の夜の後で、朝の光はよりまぶしい」
というアリアを、高らかに歌い上げるからである。

ディドナートの声は、英雄的な太さには欠けるが、
しっかりと線が張っているように鮮やかに響く。
かなりの技巧を要し、聴き応えがある。

「アリオダンテ」を代表するアリアである。

オーケストラの晴れやかな伴奏も美しい。
しかし、このような勇壮な曲になると、
少人数のオーケストラの繊細さが、
いくぶん弱さもあることから、
ことさら痛感される。

「王様はジネヴラに、幸福な知らせをしに急ぎ、
アリオダンテは、嘆きと悲しみが終わることを願う。」

Track17.は、ルルカーニオとダリンダの会話。
「ルルカーニオとダリンダは、二人残され、
ルルカーニオは一貫した愛を告げる。」

ルルカーニオは、
「兄が生きていたので、再び炎が燃え上がった」と言い、
ダリンダは、「そんな栄誉は素晴らしすぎます」と答える。

そう言えば、この二人、いろんな経緯がある二人だった。
つまり、ルルカーニオは、ダリンダを愛していたのに、
かつて、拒絶されたのである。

Track18.は、先に、解説でも特筆されていた、
ルルカーニオとダリンダの二重唱。

まず、ルルカーニオが、親しげに歌いかけ、
ダリンダが後悔の念を口にして、
微妙な陰影となる。

「ダリンダは彼を受け入れ、ポリネッサへの、
過去の熱中を悔いる。」

この優しい感情に満ちたデュエットは、
さながら、古い時代のイギリスの歌を思い出させ、
ほんのりと暖かい感情と共に、
二人の関係が、あたらめてうまく行った事を実感させる。

Track19.ジネヴラ監禁のための室内。
ハープのぽろぽろが、
今なお、悲しみに沈んでいるジネヴラの状況を告げる。
「閉じ込められた部屋で、
ジネヴラは、死に対する恐れと、憧れを持って、
運命を待っている。」

Track20.は、
そうした心情を歌う彼女のアリア。
すると、楽しげな、希望に満ちた音楽が聞こえて来る。
「水上の音楽」にそっくりである。

Track21.王様、アリオダンテ、ダリンダ、ルルカーニオ、
みんなが集まる。
「ドアが開き、彼女を解放しにみんなが現れ、
間違った判断をした許しを乞う。」

Track22.他の人たちは気を利かせ、
ジネヴラとアリオダンテを二人にする。
「命が千あれば、みんなあなたに上げる」
「心が千あれば、みんなあなたに上げる」
という、メロメロの二重唱である。

喜びに旋回する弦楽の活発な動きが、
彼等の喜びを表している。

Track23.
「宮殿の広間で、王様、アリオダンテ、
ジネヴラ、ルルカーニオとダリンダ、
そしてオドアルドは、騎士や淑女らと一緒に、
歌い踊り、幸福な結末を祝いながら、
階段を下りて来る。」

木霊の効果も朗らかな、爽やかな管弦楽に続く合唱曲。
「正しい美徳を讃えよう」というもので、
トランペット付きの華やかな合唱にもエコーがある。
しかも、フーガ的な展開すら見せる。

Track24.はガヴォット、
いかにも宮廷での喜びの機会に演奏されそうな、
単純で上品なもの。55秒。
Track25.はロンドーで、58秒。
中間部にひなびた木管合奏がある、ちょっと小粋なもの。
Track26.はブーレ、
込み上げる喜びの感情をみなぎらせ、
推進力のあるもの。
以上、管弦楽によるバレエ組曲である。

Track27.には、再び合唱曲。
これは、勇ましく行進する感じののもので、
「誰もが、これを讃えずにはいられない」という、
推進力のある混声合唱で、
この歌劇を締めくくっている。

ヘンデルは、このオペラで、
合唱やバレエという新機軸を使ったが、
さすがに各幕の最後にならないと、
これを見ることは出来ない仕掛け。

聴衆は、最後まで見ないと帰れないように出来ている。
が、バレエ団や合唱団は、ずっと公演中、
出番を待って退屈かもしれない。

などと考えていたが、解説をよく読むと、
実際の演奏時には、これらのバレエは、
演奏されなかったようでもある。

「楽譜の再調査によって、初演の前までは、
各幕の終わりにダンス組曲があった事が分かった。
このバレエ音楽は、『アリオダンテ』のリハーサル前に、
『クレタのアリアンナ』や、
パスティッチョ『オレステ』の再演時に使われ、
これらのいくつかは他の曲で置き換えられたりした。
死罪となったジネヴラの抗争する夢を描いた、
第2幕の最後におかれた描写シーケンスのバレエが、
省略されてしまったのは何よりも残念であった。
彼女の楽しい夢と恐るべき悪夢が競い合って戦い、
最後に短い伴奏付きのレチタティーボで叫んで目覚める。
ヘンデルは、この素晴らしいシーケンスを使うのを止め、
代わりに、より慣習的な2つのダンス、
『Entree de' Mori』とロンドーで締めくくったようだ。
アラン・カーティスは、夢の流れと、
ジネヴラの強烈なレチタティーボを復活させて、
この録音を行った。」

得られた事:「ヘンデル屈指のオペラ『アリオダンテ』は、郊外での夏の休暇に着想され、ロンドンに戻ってから書き進められたが、簡単にはいかず、想定していた歌手を変更し、あちこちに、自分が可愛がっていた歌手のために変更した部分がある。」
「ヘンデルが残したスコアでは、非常に革新的な悪夢の描写音楽があったが、初演の時には外されてしまった。」
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by franz310 | 2012-06-30 16:59 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その334

b0083728_23341177.jpg個人的経験:
ヘンデルは、円熟期にあって、
中世の騎士物語、
「オルランド・フリオーソ」
にちなんだ題材にて、
3曲のオペラを作曲した。
その名もそのままの
「オルランド」と、
おなじみ魔女が登場する
「アルチーナ」には、
原作の雰囲気がある。


が、今回、ここに聴く、
「アリオダンテ」に関しては、
何故に、「オルランド」ネタなのか、
よく分からない。

が、このCD解説にも、しっかりと、
「この物語は、アリオストの第五巻を基にして、
個々の登場人物に激しい気性を与え、
音楽が表現力の可能性を広げられるように、
いくぶん変更が加えられている。」
と明記されている。

アリオストは、「オルランド・フリオーソ」を書いた
詩人の名前であることは言うまでもない。

前回、カーティス指揮の「アルチーナ」を聴いたが、
今回、取り上げる「アリオダンテ」も、
同様のメンバーによる演奏。
ただし、長い歴史を誇る古楽の雄、
アルヒーフからは、
このヘンデル・オペラ・シリーズは追い出されたようだ。

ここでも、前に聴いた「アルチーナ」(アルヒーフ盤)と同様、
ダヴィッド・ヴィッカーズが解説を書いているが、
貴族オペラとヘンデルという時代背景から、
詳細な成立史が書かれていて、
1734年から35年のシーズンでは、
ジョン・リッチが創設したコヴェントガーデンでの新機軸として、
ヘンデルが3つの特徴を打ち出していることが特筆されている。

1.若いイギリスの歌手の活用。
(ジョン・ビアードやセシリア・ヤングなど)
2.コヴェントガーデンの小コーラスの活用。
3.フランスのバレエ団との共演。
「ヘンデルは、これらによって、
貴族オペラが出来なかったような、
多彩でありながら、
統合されたスタイルを作り上げた」とある。

しかし、貴族オペラの方も、
1734年の秋は、ハッセ、ポルポラ、
ブロスキらの音楽のごった煮の「アルタセルセ」で成功、
ヘンデルの方は、この間、秘密兵器「アリオダンテ」を準備中で、
旧作でお茶を濁して踏ん張っていた。

ここから、アリオダンテの話が始まるので、
そこを見ていこう。
「アリオストのルネサンス叙事詩、
『オルランド・フリオーソ』を基にしており、
これはシャルルマーニュの治世の、
騎士道と幻想的な伝説を扱った46の歌からなり、
ヘンデルのオルランド(1733)や、
アルチーナ(1735)の原作となった。
第4-6歌は、
キリスト教の騎士、リナルドが、
いかにスコットランドの岸辺に吹き寄せられ、
修道院で歓待を受ける間に、
著名な剣客ルルカーニオからの非難による、
王女ジネヴラの不貞による死刑宣告の、
スキャンダラスな物語を聴いたかが語られる。
王は、娘の汚名を晴らすため、
擁護者を募る宣告を出したがうまくいかなかった。
スコットランドの法律の野蛮さに怒り、
リナルドは、王女を救うと決め、
王宮を目指して馬を走らせ、
殺されようとしていた王女を救う。
ジネヴラの次女、ダリンダは喜んで、
王女と相思相愛のイタリアの騎士、
アリオダンテの悲劇を語る。」

「アリオダンテ」の登場人物は、
あまり聴いた事がない名前だと思ったが、
ここにあるように、リナルドが活躍したという、
逸話の中だけの話が拡張されたものらしい。

「アリオストの物語は、リブレット作者の、
アントニーオ・サルヴィによって、
『スコットランドの王女ジネヴラ』
として、手際よく簡潔にまとめられた。
アリオダンテはジネヴラを愛し、愛されており、
彼女の父親も彼等を祝福し、
アリオダンテを後継者にしたがっている。
しかし、アルバニー公のポリネッサ
(Polinessoとあるのでポリネッソ?)は、
彼等の愛を妬み、ジネヴラも、王位をも望んでいる。
彼は無邪気に彼を愛しているダリンダを利用し、
アリオダンテに、ジネヴラが不誠実だと思わせる。」

こんな風に、台本作者は、オルランドの物語で重要な人物、
リナルドさえ、出て来ない物語にしてしまった。

では、あらすじの部分を読みながら、
Track1と2.の序曲から味わってみよう。
このような北国の
悲劇的な内容にふさわしく、
暗い情念にみなぎったもので、
切迫感がみなぎったもの。

カーティスの指揮は、
幾分、リズムを強調した、
生き生きとしたものだが、
もう少し、荘重な感じにしても良いような気がする。
イル・コンプレッソ・バロッコが演奏。

「スコットランド王は、一人娘ジネヴラを、
高名な勇士で特筆すべき手柄を立てたアリオダンテと
結婚させようとしているが、
よこしまな性格ながら誇り高い野心家ポリネッサは、
不正にも、この公認の結びつきを阻み、
これから見ていくようなやり方で、
自身が王位につこうと企てる。
舞台はエディンバラとその近郊である。」
というような背景を読みながら聴いた。

「ジネヴラは、鏡の前に座り、
アリオダンテに会うために、化粧をしている。」
とあるように、いきなり、
Track3.ジネヴラのアリオーソ。
ここでは、アルチーナではモルガーナを受け持った、
カリーナ・ゴヴァンが安定した、
美しい声を聴かせる。
給仕や娘たちもいるシーンで、
彼等を前に、
「愛らしい物腰で、愛嬌のある笑顔で、
愛する人の心を魅了するわ」
という、小粋な歌を披露する。

ここで、彼女は鏡を離れ、
給仕たちは出て行く。

Track4.ダリンダとポリネッソが現れる。
ダリンダは、サビーナ・プエルトラス、
ポリネッサは、コントラルトの
マリー=ニコル・ルミューが受け持っている。

「彼女は、侍女のダリンダに、
彼女の愛と、父も、それを歓迎していることを告げる。
アルバニー伯ポリネッサがやって来て、
彼の愛をジネヴラに告げる。」

Track5.は、これを聴いて、
ジネヴラが機嫌を悪くして、
声を張り上げるアリア。
かなり興奮して、リズムが激しく、
コロラトゥーラもこれ見よがしである。

「彼女は軽蔑したように、それを拒み、立ち去るが、
ダリンダは、ジネヴラはアリオダンテと婚約していると言い、
彼女自身がポリネッサを愛していることを告げる。」
唐突にも大胆な侍女である。

それにしても、ポリネッサも女性が担当。
マリー=ニコル・ルミューのコントラルトであるが、
カウンターテナーみたいな声である。

Track6.ポリネッサとダリンダの問答で、
ポリネッサは、王様も二人を認めていると知って驚く。
Track7.は、ダリンダが、
「目を開いて、しっかりと痛みを見て」と歌う。
ダリンダを歌う、サビーナ・プエルトラスは、
写真で見る限り、美人であるが、
声も、この無邪気な役柄にふさわしく、
清楚な感じがする。

Track8.
ポリネッサ一人のシーン。
「しばらくがっかりしていたポリネッサだが、
すぐにダリンダを使って、アリオダンテの好機を奪い、
自らがジネヴラと、
スコットランドの王位をものにする筋書きを考えつく。」

彼の激しい性格が良く出たレチタティーボであるが、
続くアリア(Track9.)は、
いかにも良いことを考えた、という、
躍動感のある嬉しげなアリア。
シンプルな弦楽の伴奏がついている。

Track10.
「アリオダンテは、宮廷の庭園でジネヴラを待っている。」

アリオダンテはいきなり、
「木々は揺れ、流れはさざめき、
愛の言葉を語っているように見える」と、
はればれとした、牧歌的なアリアを歌う。
ディドナートの声であるが、
この美人歌手が、英雄を担当しているとは、
このCDを入手した時には、正直、考えていなかった。
人気者にふさわしく、安定した歌唱で、
ヘンデルらしい、おおらかなメロディーを楽しませてくれる。

ジネヴラがやって来る。
Track11.
「彼は、自分が彼女に値しないと思うが、
彼女は、自分の愛情が、
二人の間のすべての障壁を取り除くと請け合う。」

Track12.恋人たちの二重唱であるが、
こうやって、ゴヴァンのソプラノと、
ディドナートのメゾ・ソプラノを聴いていると、
ロッシーニが女性二重唱を好んだ、
などと言われるのは間違っていて、
昔から、その伝統があった、と考えるべきだと思えて来る。

「運命がどうなろうとも、
私の愛は変わらない」と二人で陶酔していると、
いきなり、王様の声が割り込むのがすごい。
こんなシーンは見た事がない。
彼は、二人の手を繋がせる。

Track13.
「彼等はお互いに真実を誓い合い、
王様は、二人の結びつきを言祝ぎ、
アリオダンテを王位継承者にすると告げる。
彼は、ジネヴラに、明日、執り行う、
婚礼の準備をするように遣る。」

Track14.は、
嬉しいジネヴラのアリア。
「急いで、急いで」と、
いかにも駆け抜けて行きそうな、
さわやかな疾走感がある。

Track15.
「王様は、様々な祝宴の用意を言いつけ、
正式にアリオダンテに娘と王位を渡すという。」
Track16.は、王様のアリアにふさわしく、
勇壮なホルンが鳴り響き、
「喜ばしい空が祝福を告げている」と、
晴れやかな歌となる。
マシュー・ブロックが歌う。

Track17.王様は立ち去り、アリオダンテ一人。
「アリオダンテは喜びに圧倒される。」
Track18.は、どんちゃらした序奏からして楽しい。
ディドナートが歌うアリオダンテのアリア。
「不変の翼に乗った愛は、
高く舞い上がる」という歌詞のとおり、
華麗なコロラトゥーラの装飾に散りばめられたものだが、
これはたいへん難しそう。
この恐ろしい難局(難曲)を、
余裕を持ってコントロール出来ているが、
ここまで強烈な状況下では、
英雄の声として聴くと、
さすがのディドナートの声量にも、
少し、限界が感じられるようだ。

Track19.
「その間、ポリネッサは作戦を遂行中。
夕暮れが近づき、ダリンダが計画に乗ってくれれば、
ジネヴラの事は忘れ、彼の愛情は、
ダリンダに移るだろうと言う。
彼は、彼女にジネヴラが眠るのを待って、
その後、ジネヴラの服を着て、
彼が、部屋に入るのを招き入れて欲しいという。
ダリンダは躊躇うが、
愛する男の願いを拒むことが出来ない。」

このトラックで多くのことが企まれる。

Track20.
「私の心の傷を、あなたの真実の眼差しで癒して下さい」
と、ポリネッサは、いかにも色男の歌を歌う。
歌っているのは、女性のマリー=ニコル・ルミューであるが。

甘い、シンプルな歌ながら、
執拗なリズムを刻む伴奏が、
いかにも、彼の下心を感じさせて興味深い。

Track21.
いきなり、イケメン風の声が響く。
トピ・レーティプーのテナーである。
写真で見ても、貴公子みたいな雰囲気。

「彼女が立ち去ろうとすると、
アリオダンテの弟のルルカーニオが、
彼女への不動の愛を告白する。」

これまた、唐突な連中である。
「ダリンダは彼を拒む」とあるが、
当然の状況である。

Track22.
ルルカーニオのアリアは、恋する男の、
純情さ、心の傷つきやすさが、
もやもやして素晴らしい。

「どうして、明るい日の光の下で、
姿を見せてくれないの」と、
この緊迫した陰謀のシーンに、
ある意味、脳天気な、ある意味、場違いな歌。

Track23.
「ダリンダは、ひとり、ポリネッサへの愛に殉じると決める。」
Track24.
「私の心を捉えた炎は、いまだ、愛しい」
と、サビーナ・プエルトラスの愛らしい声が聴ける。

Track25.
美しい谷間、この素晴らしい土地を愛でる。
そこにジネヴラが現れるというシーン。
「アリオダンテは、美しい谷間を讃えながら彷徨い、
ジネヴラは、彼の許に来て、
愛を語らい、婚礼を楽しみにする。」

「ニンフや羊飼いたちが歌って踊って、
彼等の幸福を賛美する」と解説にあるが、
Track26.は、
何と、「田園交響曲」(パストラル・シンフォニー)と、
題されて、たった42秒であるが、
牧歌的で伸びやかな管弦楽曲が奏でられる。

Track27.は、この雰囲気を保ったまま、
恋人たちの二重唱となる。
「ニンフたちや羊飼いたちが歌って踊る」とあるように、
メヌエットのような、リズムが支配し、
遂には合唱が唱和して来る。

これはさぞかし壮麗なシーンだったに相違ない。
ヘンデルは、第1幕も大詰めになって、
秘密兵器を繰り出したというわけか。

合唱団と、バレエ団の使用は、
新機軸であったことはすでに説明した。

Track28~31.は、完全にバレエ音楽である。
Track28.は、男女の羊飼いたちの踊り、1分5秒。
Track29.は、テンポを落として、ミュゼット1、1分47秒。
Track30.は、リズムを激しくしてミュゼット2、54秒。
Track31.は、アレグロと題され、1分40秒と短いながら、
交響曲を締めくくる感じになっている。
中間部で、ひなびた木管合奏が、
いにしえの響きを立てる。

Track32.は、再び、Track28と同じ音楽。
「愛と真実よ永遠に」と、
恋人たちと合唱が、楽しげに歌い交わす。

CD2:
Track1.第2幕は、夜が更ける様を、
うまく描いた56秒の交響曲から始まる。
「夜のとばりが降りる。月が昇る。」

Track2.
「ポリネッサは、庭に出て、ジネヴラの部屋に向かう、
裏のドアの外にいる。」

「ダリンダの愛情によって、うまく行った」などと言っている。
「アリオダンテは、眠ることが出来ず、
宮殿の庭を徘徊し、ポリネッサは彼に話しかけ、
ジネヴラと結婚するつもりだ、などと言って驚かせる。
結局、彼女は私の女主人だなどと言う。
アリオダンテはこれに怒り狂い、剣に手をかける。
しかし、ポリネッサは、彼を説得し、
隠れて、証拠を見るように言う。
その間、ルルカーニオは、
兄が公爵と話をしているのを見て驚き、
何が起こるかを、これまた隠れて見守る。」

Track3.は、騙された馬鹿なアリオダンテが、
うるさく歌うアリア。
「お前か俺のどっちかが死ぬ」と騒ぐ。

「アリオダンテは、
ポリネッサが嘘をついていたら殺す、
もし、反対ならば自分が死ぬという。
ポリネッサは、庭のドアをノックし、
ジネヴラの服を着たダリンダが答え、
親しみを込めて招き入れる。
アリオダンテとルルカーニオが見守る中、
彼女は、ポリネッサを入れてドアを閉める。」

Track4.
ダリンダに呼びかけると、当然、
ジネヴラの服を着た彼女が、
ポリネッサと部屋に招き入れる手はず。
何と、この情景を、アリオダンテの弟の、
ルルカーニオも見ていて、アリオダンテ以上に騒ぐ。

Track5.は、
「あなたの命はあまりにも大きな犠牲」と、
ルルカーニオが、危険を察知して歌うアリア。
切迫感があるが、何やらロッシーニ風に騒々しい。
「アリオダンテは、自身の刃の上に倒れて死のうとするが、
ルルカーニオは、武器を取り上げ、
価値のない女のために命を粗末にしてはならない、という。」
そんなシーンである。

Track6.は、「私は、なおも生きるべきだろうか」
というアリオダンテの激しい独白。
「アリオダンテは、ため息と共に立ち去る。」

Track7.は、不安に満ちたアリオダンテのアリア。
「不実な者は、今や、みだらにも愛人の腕に」と、
完全に、術中に陥った情けない内容。
英雄も、簡単に心が折れてしまったようである。
管弦楽の伴奏も凝っていて、
様々な楽器の音色が、この危機的状況を盛り上げる。

ディドナートの真摯な歌いぶりは、
その張り詰めた声といい、
このシーンに緊張感をもたらして良い。
このあたりを聴くと、
これは、すばらしく質の高い演奏だと思える。

「夜明けが近づき、ポリネッサはダリンダの許を去る。
そして、計画通りになったのを満足げに眺める。」

Track8.は、ポリネッサが、
「彼は毒を飲んだ。切望に引き裂かれた。
うまくいったぞ」という独白で始まる。

Track9.は、ダリンダのアリア。
「私の愛を軽んじた時、
あなたは魅力的に見えたけど、
あなたが優しいと、何てさらに魅力的なのでしょう」
と、騙されたとも知らず、健気な内容。

Track10、11.は、ポリネッサが、
うまくいったと喜ぶアリア。

「宮殿内では、王様は、アリオダンテを、
後継者にするお触れの準備をしている。
しかし、オドアルドは、恐るべき報告をする。
アリオダンテは海に身を投げて死んだという。」

Track12.は、このようなシーンである。
Track13.は、王様が残酷な運命を嘆くアリア。
さすが王様のアリアで、大騒ぎをせず、
諦観に満ちた、パッサカリアみたいな荘厳さ。

「この状況の急転にショックを受け、
王様は娘にこのニュースを伝えに行く。
その間、ジネヴラは、説明できない不安に駆られ、
ダリンダが彼女を元気づける。」

Track14.では、激しい管弦楽に乗って、
ジネヴラが、「何故に、胸のなかで心臓が波打つの」という、
息も切れ切れのアリアを歌う。

Track15.は、ダリンダが慰め、
王様が入って来るところから始まるが、
下記のようなことが起こる長いレチタティーボ。

「王様がアリオダンテの死を告げると、
彼女はくずおれて、意識を取り戻させるべく、
別室に運ばれる。
ルルカーニオは、王様の哀悼の言葉を無視し、
同情からではなく、正義のため、
兄の死が破廉恥なジネヴラの罪を問えと迫る。」

いきなり朗読が入るが、ここでは、ルルカーニオが、
渡した手紙を王様が読み上げているのである。

「彼は彼女が愛人(ポリネッサとは書かれていない)と、
密会したことの報告を綴った手紙を渡し、
父としての許しよりも、
王としての法の遵守を願う。
そして、彼自身は、
ジネヴラのために戦う者があれば、
誰とでも決闘すると誓う。」

Track16.は、ルルカーニオが、
告発するアリアで、シビアな状況ながら、
誤解があるせいか、軽妙なものとなっている。
このあたり、ロッシーニの
「タンクレーディ」を思い出させる。
「あなたの胸に残酷な戦いが起こるだろう」
などと、意地悪な内容である。

Track17.も「タンクレーディ」そっくりである。
オドアルドは、「1日のうちに、いくつの悲劇があるのだ」
とか言っているし。
しかし、よく考えたら、大筋そのものが、そっくりだ。

・熱々の恋人がいとも簡単に引き裂かれてしまう。
・悪役が女を狙う。
・男は英雄のはずなのに、ころっと騙される。
・父親の王様は手紙を読んで、板挟みになる。
・恋人たちは、めそめそして、死のうとする。
そして、決闘など。

登場人物関係図を書いてみると、さらに同じだ。
()の中には、タンクレーディの登場人物を入れてみた。

            王様
       Love ↓(娘)
アリオダンテ  ←→  ジネヴラ    ←ダリンダ(次女)
(タンクレーディ)  (アメナイーデ)  (イザウラ)
            ↑
           ポリネッサ
          (オルバッツァーノ)

ここにルルカーニオは出て来ないが、
この役柄は、「オルランド・フリオーソ」で、
ちゃんと出て来ていた剣客で、
出典が明確な人物であることは、
最初の方に書いたとおりである。

「取り乱したジネヴラが運び込まれて来るが、
恥知らずの売女と言って王様は彼女を追い払う。
このような状況下、ジネヴラは正気を失い始める。」

このあたりも、「タンクレーディ」では、
さらに劇的なシーンとして拡張されていたが似ている。
そちらでは、前半を大きく盛り上げるフィナーレで、
特に聴かせどころとなっていた。

Track18.は、「私はどこにいるの」などと、
うわごとみたいなことを言った、
ジネヴラが、「もはや痛みも感じない」という、
絶望的なアリアを歌う。
カリーナ・ゴヴァンの歌は、びしっとぶれがなく、
強靱な感じで、この8分を越える大作アリアを歌いきっている。

「彼女は悲劇のどこを演じているのかも分からず、
慰めを求め、死を願って、悪夢にうなされた、
苦しみの眠りに落ちて行く」というのが、
第2幕の終わりである。
おそらく、「アルチーナ」の、
「ああ、わが心」に相当するものだ。

ここで、第1幕と同様、途中、バレエが挟まる。
この悪夢との戦いのような内容である。
これは、「アルチーナ」にも流用されたもの。

Track19.は、「喜びの夢への入り口」で、
妖精が手招きするような内容。2分26秒。
Track20.「破滅の夢への入り口」で、
おどろおどろしく、2分2秒。
Track21.は、「喜びの夢は驚く」で、
ちょろちょろした内容、44秒。
Track22.は、
「破滅の夢と喜びの夢の戦い」で、
勇ましくなって行く。1分18秒。

Track23.は、また、王女の狂乱が、
ぞわぞわと戻って、19秒の叫び。
「眠りの中にも安らぎはない」。

今回は、このあたりで終わりにし、
次回、第3幕を聴いて行きたい。

得られた事:「ヘンデルの『アリオダンテ』には、80年後のロッシーニの『タンクレーディ』を予告するような筋書きがたくさん。」
「ヘンデルの『アリオダンテ』は、オルランドの物語の挿話から取られたが、台本作者が、もともと重要だったリナルドを削除したため、出典が不明瞭になっている。」
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by franz310 | 2012-06-23 23:35 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その333

b0083728_23171881.jpg個人的経験:
ヘンデルは、名作オペラ
「アルチーナ」と同時期に、
オラトリオ「アタリヤ」を書き、
前者の音楽の一部を、
後者に流用さえしたという。
「メサイア」が有名であるように、
ヘンデルの活動では、
オラトリオの創作は重要だが、
「Athalia」と言われると、
そもそも何の事かも分からない。


ひょっとしたら、信心深い当時の英国の聴衆なら、
すぐにぴんと来たりしたのであろうか。

ヘンデルは円熟期にオペラを捨て、
オラトリオの世界を切り開いて行くが、
この曲あたりを聴くことによって、
そのあたりの事情を実感してみたい。

この作品、1733年の初演の際に大成功を収め、
ヘンデルが書いたオラトリオの本格的な作品の、
第1作となるようなものであるらしい。
それまでのものは、パスティッチョ的だったようだ。

さて、このCD、表紙の絵画も意味不明である。
「寺院から追い出されるアタリヤ」と題され、
深紅の衣装のいかつい女性が、
兜を被った兵士らに連れ出される所。
長老のような男性が中央にいて、
祭壇には、女と子供がすがりついている。

NAXOSのCDだが、その日本語の帯にも、
「神の力が邪悪な支配者アタリヤを放逐する物語」
と書かれている。
が、何も考えずに聴く限り、
清澄な独唱や合唱が織りなす豊かなハーモニーに満ち、
穏やかさが目立つもので、特に邪悪な感じはしない。

実は、調べてみると、英和辞典にも、
「Athaliah」とあって、
確かに、寺院からは追い出されるべき存在と分かる。
「イスラエル王AhabとJezebelの娘で、
ユダ王Jehoramの妃」とある。

これから、ダビデやソロモンが統治した、
古代統一イスラエル王国が、
北のイスラエル王国と南のユダ王国に
分裂(前928年)した後の話だとは分かる。

分裂した両国の王家に関わる女性として、
非常に重要な位置にいたことは間違いない。
しかも、その子供は、両王国の王の血を引き、
いにしえの栄光を取り戻すに
ふさわしい立場にあったと思われるのだが、
どうも、鎌倉幕府みたいにうまくは続かなかったようだ。

英和辞典の記述は、さらにこうある。
「その息子のAhaziahが死ぬと
王の一族を皆殺しにし、
6年間王位についた(前842-837)。」
とある。

この毒婦の治世も、当然、長続きはせず、
「しかし、Ahaziahの子
Joashはかくまわれて生き残り、
これを擁立した祭司Jehoiadaが謀反を起こし、
Athaliahは殺された。」
と、書かれている。

とにかく、血なまぐさいお話で、
魔女アルチーナの方がかわいいくらいではないか。
人間アタリヤは、血にまみれた女王なのである。

ヴァン・ルーンの「聖書物語」では、
ダヴィデ、ソロモンを扱った
第11章「ユダヤ王国」の後の、
第12、13章には、
「内乱」「予言者の警告」という2章が続き、
ここで、先のイスラエル王、
アハブ(Ahab)とイゼベル(Jezebel)
の夫婦が登場する。

まず、分裂した一方のイスラエル王国の話。

「イゼベルはフェニキア人の町の
シドン王エテバアルの娘であった。
フェニキア人は太陽崇拝の種族であったから、
イゼベルもまたバアル神の熱心な信者であった。
ふつうは、王妃は夫の国の宗教にしたがうものであるのに、
イゼベルにはまるでその気がなかった。
彼女はサマリアにやってくる時に、
自分の司祭を一緒につれてきて、
アハブの宮殿に身を落ち着けるやいなや、
イスラエル人の首都の真ん中に、
バアルの神殿を建てはじめた。」(角川文庫、村岡花子訳)

という具合に、とんでもない感じで聖書に登場するようだ。

一方のユダ王国の話もこんな感じで出て来る。

「とてもかしこい、もののわかった王」
「なみなみならぬ腕を持った外交家であり、戦略家」
として紹介されるヨシアバテが支配し、
「彼はイスラエル国と休戦条約を結び、
まず始めに、アハブとイゼベルの娘、
アタリアと結婚し、
次に、妻の父アハブと攻守同盟を結んだのである。」

そして、ヨシアバテのやり方はだいたいうまく行って、
「人々に深く惜しまれながら死んで、
ダビデの町にある代々の墓に
先祖と一緒に葬られた」と書かれている。

しかし、そこにも問題があって、
イスラエルでは、イゼベルが太陽神を強要し、
ユダでは、「その娘のアタリアが、
その夫と夫の国とを、
異教徒たちのいうままにあやつっていた」
という記述がある。

アタリヤ(アタリア)について、これ以上の記述はないが、
この章が、「予言者の警告」とあるように、
予言者エリヤの不思議な奇蹟の話などが紹介されている。
やがて、エレミヤの話なども続く。

このCDの解説によると、
「歴史的にはアタリヤは、
ティラ王とシドンの娘で、
アハブの妻で、フェニキアの宗教を好んだ、
ジョザベルの娘であると言われる。
彼女は母親の先例に倣い、
最終的に退位させられ、
BC837に殺されている」とあって、
だいたい、同様の事が書かれている。



いずれにせよ、こうした乱世に主題を取ったオラトリオである。

さて、このアタリヤは、このCDでは、
エリザベート・ショルという、
1966年生まれのドイツのソプラノが受け持っている。

この辞書に出て来た、母のJezebelは、
このCDにおけるJosabeth(ジョザベス)で、
また、Ahaziahの子Joashというのが、
このCDのJoas(ジョアス)であろうか。

これらはみんなソプラノだというのがすごい。
バルバラ・シュリックや、
フレデリーケ・ホルツハウゼンが受け持っている。

このCDには、他に3人の人物が出て来て、
ジョアド、メイサン、アブナーという人たちで、
アルト、テノール、バスに割り当てられた役柄である。

アネッテ・ラインホルト、マルクス・ブッチャー、
ステファン・マクレオドが受け持ち、
ヨアヒム・カルロス・マルティニという
1931年、チリ生まれのベテラン指揮者が、
フランクフルト・バロック管弦楽団を振っている。
合唱は、ユンゲ・カントライという団体で、
この指揮者の手兵らしい。

この指揮者の名前からネット検索すると、
かなり妖気のただよう風貌が見て取れる。
1996年の録音、この指揮者は65歳である。

ということで、いろいろ書いたが、
あまりにも予備知識がなく、
戸惑ってしまう。
が、だいたいの背景は分かった。

指揮者も怪しい相貌であるし、
とにかく、解説のSynopsisに従って、
勇気を持って聴き進めてみよう。

CD1は第1部。
Track1.はシンフォニアである。
このどろどろした物語とは相容れないような、
明るい色調と、時にアクセントを持つ、
しかし、少し単調な感じもする、
ヘンデルらしいおおらかな主部。
途中、緊迫感を持つ部分や、
泡立つような木管が期待感を高める部分がある。
約5分。

以下、第1場:
Track2―6.
「第1場は、エルサレムの神殿地区、
信心深いユダヤ人たちが、春の収穫祭で、
シナイ山での十戒の啓示を言祝ぐ、
祭りの週間である、五旬節が来るのを待っている。
暖かな牧歌的な地中海の気候で、
ジョザベスと若い少女たち、
信心深いユダヤ人が、
大地に花咲くことや、
万物の創造主たる神への賛美に酔いしれている。
誰もユダに災難があろうとは予想だにしていない。」

このあたりを聴くと、これが本当に、
上述のような血なまぐさい物語になるのか、
といぶかしんでしまう程、美しい音楽が続く。

ジョザベスの歌は、
華やかさに欠けるものの、
伸びやかで清潔感が溢れている。
残響の素晴らしい録音で、
虚空に消えて行く空気感に酔いしれる。

続く、精妙な女性合唱も、
不思議な陰影を持って美しく、
それは盛り上がって混声合唱となる。

「状況は進展して、
ジョザベスと合唱はこれに言及するが、
それは一般論の域を出ない。
権力の座にあるものたちが、
すべてを意のままにする神への賛美を
止めさせようとしていることを知ることが出来る。
ここでの音楽は、
すべての弾圧への抵抗などの力を表しており、
それは統治者にとって、
危険な現象であり、取り締まる必要があるものである。
暴政の象徴である役人アブナーが、
そこに加わり、神の怒りと共に、
専制はすぐに転覆されると断言する。」

アブナーって何者?という疑問が出て来るが、
解説の前の方に、
「オリジナルにはいないキャラだが、
王室の護衛官で、王宮とテンプル地域を自由に行き来する。
同時に、詩人の意図では、民衆反乱の指導者である」
とあって、かなり困ったさんだということが分かる。

第2場:
Track7-9.
「圧政について初めて明かすのはジョアドである。
ここで、アタリヤは、神に背き偶像を崇拝し、
その力を、
信心深い人々に神の崇拝から遠ざけるばかりか、
ユダの人々を迫害するのに使おうとしているという。」

アネッテ・ラインホルトが、
凛々しいが、幾分、陰気でもある声で、
嘆きの歌を聴かせる。
Track9も最後になって、
悲痛な合唱が、これに唱和する。

第3場:
Track10~20.
「王宮に情景は変わって、
アタリヤが悪夢を見たと言って、
取り乱して部屋から飛び出して来る。
恐ろしい状況で死んだ母親の亡霊が現れ、
彼女の来るべき死を予言したのである。
夢の中で、彼女は、また血まみれの犬たちが、
母親の死体の上で争っているのを見た。」

このあたりは、「聖書物語」にも出て来る。
このおぞましいシーンは、エリアによって予言されたもので、
その通りになった、という感じで紹介されている。

亡霊のようなオーボエの助奏に導かれ、
主人公アタリヤのショルが、
悲痛な声を上げると、
レチタティーボ風にメイサンがそれに応える。
続いて、アタリヤの恐怖に満ちたアリオーソの歌が続く。

それに続いて、明るい神を讃える合唱が響き、
この陰鬱な情景にコントラストを与える。
アタリアのレチタティーボ、
そして、再び、清澄な合唱。
しかし、「バール」という偶像崇拝の歌なので、
異教徒たちの祈りのようである。
ここで繰り返される合唱は、
シドンの人々(フェニキア人)によるものらしい。

これらの歌も、彼女の不安は消さず、
次のようなレチタティーボが、
恐ろしい予言を告げる。

「その夢は、祭りの装束の少年が、
突然、彼女の胸に短刀を突き立てて終わった。」

メイサンが、男らしい落ち着きで答える。
Track17.はメイサンのアリアで、
深いチェロのオブリガードが付く。

「エホバの司祭でありながら、
背教の徒であったと、後でわかる、
彼女の忠臣の一人、メイサンや、
他の廷臣たちは、女王を慰めるが甲斐なく、
メイサンは、彼女にしっかりするように忠告し、
神殿に行って、夢が本当かを調べて来るように言う。」

続くTrack18.は、反対に、
高音のヴァイオリンたちが、
精妙な音の綾を見せるアタリヤのアリア。
どんな優しい歌でも、私の心は和まない、
という、毒婦とは思えぬ弱々しさである。
ここでも、ヘンデルは、アルチーナと同様、
類型的な描き方はしていない。

「アブナーは、この状況を見ていて、
ジョザベスやジョアドに注意するようと決める。
この場は、正しい考えもなく、急いで殺しに向かう、
よこしまな男たちの混乱と共に、追っ手たちが歌う、
軽い調子のマドリガル風の合唱で閉じられる。」

メイサンやアブナーが、早く行って、
事情を調べよ、という声に、
合唱が軽薄に答えているが、かなり短い曲たちだ。

第4場:
Track21-25.
風雲急を告げるシーンであるが、
ほとんど独白みたいな感じで始まる。
「ジョアドとジョザベスは、
ジョザベスが王の息子を迫り来る死から、
救い出していると人々に告げることを決める。
殺人未遂が迫る雰囲気は述べられず、
この罪の先導者が女王であることも名指しされない。
アブナーは飛び込んで、
ジョアスの世話をしている人たちに、
アタリヤが来て、神殿を探り、
敵を殺そうとしていると警告する。
ジョザベスは完全に絶望し、
アブナーに慰められ、
ジョアドは、特に、神はユダの家は、
決して破壊されないと約束されたと保証する。」

このように、いろいろ書かれているが、
大部分がジョザベスの嘆きである。

「イスラエル人の合唱、アレルヤを打ち破ってまで、
暴君は動くことは出来ないと、
彼は挑戦的に述べ、
暗いニ短調の二重フーガが、
このシーンとオラトリオの第1部を終わらせる。」

最後のジョアドのアリアと合唱は、
比較的劇的なものである。

CD2:
第2部:
第1場:
Track1-5.
いきなり活力に溢れた序奏に続いて、
ど迫力、雄渾な合唱が始まる。
「我らが頼りにする力」と題され、
ジョアドもまた独唱者として唱和する。
神殿にて、ジョアド、ジョアス、ジョザベス、アブナー、
司祭たち、レヴィたち、イスラエル人たち、合唱。
「祝祭を祝い、神の力の反映である自然を讃える。
ジョアドは自然を果実を与える者として讃え、
ジョザベスは、自然の美しさを賛美する。」
Track2.はこのジョザベスのアリア。
澄んだ声だが、何度も書くが、華やぎはない。
エコーのようなリコーダーが伴奏で目立つ。
このアリア9分もかかってやたら長い。

「アブナーは短く、ユダがいかに、
アタリアのくびきに苦しんでいるかを述べ、
ジョアドは、アブナーに、
正統の王位の権利と、
王位継承者を守る用意があるかと、
国の将来をゆゆしくも尋ねる。
アブナーは躊躇無く、
ダヴィデの家系と王家への忠誠を明らかにし、
ジョアドによって、共謀への参加を勧められる。
この瞬間、女王が神殿になだれ込んで来る。」

このように、アブナーがいい者であると分かるのだが、
彼のアリアもまた長く、Track4は3分半もある。
ジョアドのレチタティーボが続く。

第2場:
Track6-11.
「これがアタリヤが神殿に足を踏み入れた最初である。
あまりの偉大さに、彼女はひるむが、
これをすでに夢の中で見たことに気づく。
ジョザベスとジョアスは待っていて、
アタリヤは、ジョザベスから少年の素性を知ろうとする。
ジョザベスは賢明にも、彼女の質問をはぐらかし、
アタリヤはジョアスに向かうが、
子供っぽい無邪気さに質問もそらされてしまう。」

Track7.では、遂に、
王位継承者、ジョアスのアリアが聴ける。

「そして、彼女は、彼等を王宮に招こうとする。
ジョアスがバール崇拝を悪として拒むと、
アタリヤは復讐と怒りで震え、
狂ったように飛び出し、ジョザベスは絶望する。
しかし、子供は、神を信じ、
彼女を慰め、自信を持って、
全ての苦痛からの解放をくれるものと、
共に神の気品を賛美する。」

Track10.は、このジョザベスとジョアスの、
4分半の敬虔かつ清澄な二重唱。

Track11.のジョアスのアリアについては、
「オラトリオ『デヴォラ』から、
ジョアスの性格をはっきりさせるために、
流用している」とあるが、演奏者の判断か。

子供が歌うにしては、妙に大人びた、毅然とした、
「エホヴァの恐ろしい予言」というアリアである。

第3場:
Track12-15.
「ジョアドが入って来て、ジョザベスに同情を示す。
これに勇気を得て、ジョザベスは、
今や、まさに神が彼女を導き、今後もそうであろうと確信する。」

このあたりの聴き所は、
Track13.のジョアドとジョザベスの、
6分半にわたる二重唱で、アネッテ・ラインホルトのアルト、
バルバラ・シュリックのソプラノが、最初は交互に歌い、
最後に唱和する。
この二人は、声に豊かさが欠けるが、
清潔さのある歌声に味がある。

「アブナーは、彼等に合流し、日暮れ前の再会を提案する。
若い3部からなる女性合唱が、
すべてが完全に変わることの布告をし、
ドラマの急展開を告げる。
そこに、同様に3部からなる
司祭やレヴィや、イスラエル人たちの
合唱が続き、神から敬虔な人たちに、
誇りが砕かれても、祝福があるだろうと宣言する。」

Track15.フーガ的な展開が凝集した雄大な合唱曲である。

第3部
第1場:
Track16-21.
この部分は、解説はやたら長いが、
全体で6分か7分しかない。

するどいアクセントのオーケストラの序奏に続き、
アルトながら、英雄的な声が、まことにそれらしい、
ラインホルト(ジョアド役)による
「聖なる恐怖が私の胸を揺らす」
というアリオーソになる。

「神の聖霊はジョアドの上に降り、
人々は彼のもとに集まって、
彼のヴィジョンを語るように訴える。」

Track19.は、
「エルサレムよ、汝はもはや」という、
ジョアドと合唱による劇的な音楽になる。

「ジョアドは、アタリヤの死を予言する。
ユダの人々は、この神のお告げに感動し、
アタリヤの暴政からの解放という、
神の恩寵が授けられることに感謝する。
王国の首長たち、聖職者や指導者たちは、
神殿に集結する。
刻限が近づくと、ジョアドは、再度、
子供を確かめ、確かに彼こそが、
ダヴィデの王位の敬虔な末裔であると確信する。
ジョアスは、賢明に神への愛や、
ダヴィデの英知を、確信を持って語り、
ジョアドはその足下にひれ伏し、
ユダの新しい王だと言祝ぐ。」

このあたりは、単純な会話のようなレチタティーボである。
(Track20.)

「若い少女や司祭、レヴィや兵士の隊長は、
歓声を上げて、群衆は叫び、若い王様に忠誠を誓う。」

Track21.は、ハレルヤ・コーラスのような、
「堅く結ばれた心で」という合唱曲。25秒しかないが。

第2場:
Track22-23.
オルガンの簡素な序奏、
メイサンとジョザベスのレチタティーボ、
「おお、王女よ、私は汝に近づき」。
「メイサンは、態度を変えて、
ジョザベスにへつらうが、
彼女は、友情の素振りに騙されず、追い払う。」
Track23.は、
思慮深いジョザベスの激しいアリアだが、
短く、この第2場は2分程度で終わる。

第3場:
Track24.
何と、18秒しかないレチタティーボ。
メイサンは、今度は、ジョアドに怒られる。
「メイサンは司祭であったくせに背教者であるがゆえに、
神殿に足を踏み入れようとするのをジョアドは怒る。」

第4場:
Track25-32.
ここでようやく、アタリヤが再び登場する。
「おお、大胆な先導者よ」と叫ぶ。
「神殿から反乱が始まり、街に広がり、
女王はジョアドが扇動者だと知る。
彼女は、ジョアスについて尋ね、
ジョアドはジョアスを新しい王として引き出す。
民衆は喜びの声を上げ、
神が王を祝福し、真実の信仰を賞賛する。」

Track26.は、
トランペットの伴奏も輝かしい合唱曲。
ジョアドの声がこれに続く。

Track27.が、「おお、裏切り、裏切り」
という、アタリヤとジョアド、アブナーのやりとり。
「アタリヤは、王宮の護衛隊長アブナーの方を向くが、
彼もまた、彼女を見捨てる。」
Track28.は、アブナーのアリア。

「メイサンも死の痛みを感じ、
もはや無力であると認める。」
Track29.は、
アタリヤとメイサンのレチタティーボで、
Track30.は、メイサンのアリアである。
アタリヤの手下たちのアリアは、
いずれも2分に満たないもの。

「彼女は負けを認め、退位しなければならないと悟る。」
Track32.は、アタリアが「永遠の暗闇へ」と、
最後の叫びを歌い上げるところだが、59秒しかない。
あっけないものだ。これで、アタリアは死んだのだろうか。

ぎざぎざのリズム、装飾音に溢れた声を張り上げる。
「反抗的な態度のまま、彼女は、
母親の誇り高い精神を呼び起こし、
暗い呪いを残して消える。」

第5場:
Track33-36.
「ジョザベスとジョアドは互いに、
深い相互の愛情を伝え合い、
祭りの喜びが彼等自身のものとなる。」

Track34.は、この二人の、
まことに小粋なマドリガルというか、
小唄風の、簡素な二重唱。
いかにも、ダウランドやキャンピオンのような、
英国のいにしえの作曲家が、書きそうな、
高雅な趣きを持った、美しい歌曲である。
通奏低音の伴奏に、優しい弦楽が重なる。

「アブナーは、ユダが、
選ばれた民のものとなるという、
神の意志を讃え、
全ての民は、喜ばしい祝福の声を上げ、
オラトリオを終結部に導く。」

Track35.アブナーの「おおユダヤよ、喜べ!」
に続いて、Track36.の大合唱がわき起こり、
輝かしい管弦楽と一緒になって全曲が結ばれる。
ティンパニが連打されて、壮大さを増すが、
2分半の小さな曲である。

ということで、とりわけ、何が起こるわけでもなく、
単に、女王アタリヤが悪夢を見て、殺戮を行おうとすると、
幼いながら正統の王が現れて、彼女は転覆されました、
みたいなお話である。彼女の夢は、正夢となった。

以上聴いたように、
ジョザベスは、ジョアスの親族で、敬虔な女性で、
ジョアドは予言者で英雄ということになるようだ。
最後は結ばれたということだろう。

以上、聴いて来たように、結局、女王の側近は、
すべて裏切り者となる、というすごいお話。
それを知って、改めて、このCDの表紙の絵画を見ると、
兵士たちが、女王を追い出そうとしている理由が、
ようやく分かったような感じになる。
兵士の親分はメイサンである。

最初、祭壇かと思ったが、どうやら違って、
何だかひょうたんみたいな中に収まっているのが、
正統の王、ジョアスであり、
彼を守ろうとしているのが、ジョザベスであろう。
真ん中の長老風はアブナーで、
ジョザベスの後ろで眼光鋭いのがジョアドかもしれない。

さりげなく、英国風の小唄のデュエットを入れたりしてあるし、
英国の聴衆たちは、勧善懲悪のヘンデルの音楽を聴いて、
何だか、すっきりと良い気分になったに違いない。

得られた事:「ヘンデルがオペラを盛んに書いていた時期に、本格的に書いた初のオラトリオとされる『アタリヤ』は、合唱曲の迫力を生かしながら、ドラマ性は気迫、アリアもシンプルで、単なる舞台のないオペラ、という感じのものではなかった。」
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by franz310 | 2012-06-16 23:19 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その332

b0083728_210167.jpg個人的経験:
ヘンデル円熟期の
最大のヒットオペラとなった、
「アルチーナ」は、
さすがに多くの録音が
残されており、
原作を同じくする、
同時期の「オルランド」
などの比ではない。
今回聴くCDもまた、
素通りすることが出来ない。


これは、非常に魅力的な表紙写真が印象的なものである。
恐らく魔女のアルチーナをイメージしたのであろう。
群青のノースリーブの上に赤いマントだかを重ねた仕草が、
闇の中に浮かび上がる色彩の対比と共に、非常にセクシーである。
もちろん、唇の赤を見のがすわけにはいくまい。
しかも、髪の毛の黒さが漆黒の闇のようだ。

Cover Photoには、
Vanessa Munozという名前が書かれているだけ。
女流写真家のようで、ホームページに、
洒落た写真が沢山載せられている。

2007年の録音。
CDケースに張られたシールにも、
「受賞歴も多い、アルヒーフの、
アラン・カーティスによるヘンデル最新作」
とあり、
「バロック界のスター、
ジョイス・ディドナートが、
ヘンデル最高のオペラの1つの、
超絶のタイトルロールでデビュー。」
と続き、
「ディドナートの活力ある個性が、
その表現やジェスチャーと共に、
ステージに華を添える」と、
最高級の賛辞がならぶ。

成る程、古楽の王様のごとき、
アルヒーフ・レーベルのヘンデルとあらば、
悪いわけではないが、
何となく、学究的なこのレーベルにしては、
表紙写真からして、破格である。

しかし、日本でも発売されており、
レコード芸術のような権威的な雑誌でも、
高い評価を得ている。

ディドナートは、
グラミー賞受賞のCDも出して人気の歌手で、
美人のようだが、このCDの配役には、
私には、ロッシーニの「試金石」で、
素晴らしい歌唱を聴かせた、
ソニア・プリーナが、
ブラダマンテを歌っているのが気になる。

カーティスの指揮は、
この人の音楽への眼差しが感じられるもので、
序曲からして、非常に丁寧に演奏されていて、
慈しむようなオーラが漂っている。

ただし、それが、いくぶん、
まどろっこしく感じられる人もいそうな感じ。
すかっとした爽快感は、
ハッカー、クリスティ、ミンコフスキなど、
これまで聴いたどれよりも弱い。

この表紙写真の、完成度の高さ、
ある意味、古典的な佇まいと、
あるいは相通じるかもしれない。

解説は、David Vickers
という人が、シンプルに、
「Handel’s Alcina」
というのを書いているが、
この録音には、
さらなる付加価値があることが記されている。

「18世紀の音楽史学者、チャールズ・バーニーによると、
『アルチーナ』は、
『ヘンデルが彼の敵を屈服させたように見えるオペラ』
である。
この競合というのは『貴族オペラ』で、
ヘンデルに不満を持っていて、
ロンドンにおける、彼のオペラの独占を嫌う、
イタリアの歌手とそのパトロンらによって、
1733年に創設されたものであった。」

このように書かれると、
ヘンデルが、あたかも既得権益にすがりつく、
悪者のようにも見えて来るが、
そんな見方をした人らは、
確かにいたということであろう。

「リンカーンズ・イン・フィールド・シアターで、
貴族オペラの最初のシーズンの後、
ハイマーケットのキングズ・シアターの
ヘンデルに取って変わり、
1734年から35年のシーズンの中頃、
センセーションを捲き起こしたカストラート歌手、
”ファリネッリ”と呼ばれた、
カルロ・ブロスキが、ポルポラの『ポリフェモ』で、
ロンドン・デビューを果たしている。」

このあたり、最終的にヘンデルが勝った、
という話で終わってしまうのだが、
ポルポラの作品など、どのように受け入れられたか、
非常に気になる。

「その間、ヘンデルはオペラ・プロジェクトを、
1400人もの聴衆収容が可能な、
1732年に莫大な費用で建てられた、
コヴェントガーデンのジョン・リッチの劇場に移した。
ダンサーであり、
洗練されたパントマイム作者であったリッチは、
新しい劇場を、スペクタクルな情景の描写にふさわしく、
それゆえに、音楽やダンスにとって理想的なものとした。
1727年の『The Rape of Proserpine』の
印刷された台本を前に、
彼は、ロンドンのこれからのオペラプロダクションは、
バレエなども含むことによって、
さらに多様で視覚効果たっぷりにして、
イタリアからの費用のかさむ歌手たちに、
依存しないようにすべきだとした。
リッチの示唆は、8年後の1734年から35年、
コヴェントガーデンにおける
ヘンデルのオペラやオラトリオによって、
非常に効果的に実現することとなる。
国内の歌手たちが
ヘンデルのイタリア・オペラ団の
重要な構成員となって、
小さな合唱団を導入して、
コヴェントガーデンでは、
これまでロンドンで見られたものよりも、
声楽のアンサンブルを、
さらに多様な『合唱様式』を可能とした。
そして、さらに顕著に分かることだが、
作曲家は、新作においても改作においても、
高名なバレリーナで振り付け師でもあった、
マリー・サレに率いられた
フランスのバレエ団と協業できた。」

このあたりの記述は、非常に興味深く、
いかに、テクノロジーの進歩が、
市場を操作するかを考えさせられる。

「ヘンデルは、こうした機会を利用して、
貴族オペラが予想もしなかった、
劇的娯楽性を持つ統合スタイルを確立した。
このシーズンの後半には、
彼の競争者らは、
ポルポラの新作『イフィゲーニア』が
ロンドンの公衆に、
まるで受け入れられないという事態に陥った。
ヘンデルの新作『アルチーナ』が、
彼の長いキャリアでも最大級の1つとなる、
勝利を得たにも関わらずにである。
それは最初のシーズンに
1730年代の彼のオペラのどれよりも多い、
18回の上演を記録した。」

このように、環境の変化もまた、
作曲家の霊感に作用したことも、
よく味わい問題である。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタが、
楽器の進歩によって進化したような事が、
果たして、シューベルトのような作曲家には、
起こったのかどうか。
イタリア・オペラの潮流に逆らって、
かなりのエネルギー・ロスはあったようだが。

「『アルチーナ』の物語は、
フェラーラの劇作家で詩人の
ルドヴィコ・アリオストの叙事詩
騎士道の幻想譚である
『Orlando furioso』によるもので、
シャルルマーニュ帝の治世のものである。
1516年に出版された詩は、
ヘンデルの1730年代の豊かな源泉となり、
オルランド(1733)、アリオダンテ(1735)は、
同様にその派生であり、騎士道と英雄伝の、
深いアイロニーの物語となっている。
ヘンデルの『アルチーナ』のテキストは、
1728年、ローマで、
リッカルド・ブロスキによって最初に作曲された、
作者不明のリブレット『L'isola di Alcina』の改作で、
これは、アリオストの詩の第6歌、第7歌を、
自由に扱ったものである。」

この「オルランド」は、
「ロランの歌」のロランに当たる人物で、
シューベルトのオペラにも、残像のように登場している。

「ヘンデルは、このテキストのコピーを、
1729年にイタリアに旅行した際に、
入手したのかもしれない。
しかし、彼のバージョン用に改作した、
イタリア人の協力者がロンドンにいたか、
作曲家自身がここまでやったかは分からない。」

前回読んだ資料にも、例えば、オベルトなどは、
ヘンデルが付け加えたキャラクターとあった。

「ヘンデルは、1735年4月8日に、
アルチーナの完成したスコアにサインして日付を入れた。
これは、彼のオラトリオ『アタリア』の
5回の公演の最中であった。
彼は、いつものハイペースでオペラを作曲したが、
自筆譜には、彼の自己批判による改訂の痕跡が見られる。
第1幕、第7場では、オリジナルでは、
ルッジェーロのレチタティーボに続いて、
超絶のアリア
『愛の喜びのだけために、僕は勝利を求める』
で締めくくられるが、
これは、実演時のスコアには書き写されなかったし、
プリントされたリブレットからも削除された。
ヘンデルは、このような音楽のヒロイックなスタイルは、
オペラでの、このような早い段階でのルッジェーロは、
まだ、このキャラは理不尽な束縛から癒されておらず、
ありそうにないと思ったのかもしれない。
または、この削除は、
もっと実際的な便宜によるものかもしれない。
彼は、1735年4月1日の
『アタリア』再演に際して、
これをジョザベスのアリア『一面に花咲き誇り』として、
これを挿入している。
彼は、結局、オリジナル・バージョンを演奏しなかったが、
このレコーディングでは、元に戻して演奏しているが、
カリスマ的な音楽なので、弁解の必要はあるまい。」

このルッジェーロのアリアは、
行進曲風に威勢の良いものであるが、
長大(6分45秒)ではあるが、
あまり、内容があるものとも思えず、
上述の理由は、2つとも納得できる。

このCDでは1枚目のTrack21で、
ルッジェーロ役のマイテ・ボーモンが歌っている。
スペインのメゾ・ソプラノで、写真で見る限り、
ボーイッシュな美人である。

「ヘンデルは、第1幕第2場の合唱、
『これぞ喜びの頂点』でも再考を行っており、
彼は最初、2つのホルンを使い、
長い管弦楽の序奏を用意し、
プレストの楽しい4/4拍子のヘ長調で作曲したが、
彼はそれを、同じ歌詞で、
より優しい『ラルゲット』にし、
ホルンもなくし3/4拍子でト長調にして、
序奏も控えめなものとした。
ここでもまた、ヘンデルは、
捨てられた音楽の再利用を行い、
同時期の『アタリア』の再演にて、
オルガン協奏曲作品4の4の冒頭楽章とした。
この場合、この変更は、『アルチーナ』に、
決定的な改良を施すこととなり、
劇的なムードをシーンに増すことになった。
最初の壮麗で外向的な合唱の性格ではなく、
より官能的でエロティックなものとして、
アルチーナの美しい宮殿をみごとに描写した。」

この部分(CD1のTrack6.)は、
けだるく優雅なもので、
モルガーナの無邪気なアリアの後、
(このCDでは、カナダのソプラノ、
カリーナ・ゴヴァンが、CD1のTrack5で、
超絶的なコロラトゥーラを聴かせ、
急に暗雲が垂れ込めたか、雷鳴が轟く)
あたかも、別世界に迷い込んだかのような、
不思議な効果を醸し出すのに成功している。
白昼夢が現出したかのようである。

また、この合唱の後に、例のバレエ音楽を挿入し、
アルチーナの宮殿のゴージャスさが強調される。

「ヘンデルの劇的な精巧さと美しさへの追求は、
第2幕第3場のルッジェーロのアリア、
英雄の不貞の自覚と、
ブラダマンテに苦痛を与えたことの後悔、
『僕は甘い愛に染められ』の自筆譜からも分かる。
当初、音楽に、さらに幅広い
オープニングのリトルネッロを用意したが、
もっと傷ついた心を表すのに直接的だとして、
ヘンデルは半ダースの小節を削除する事に決めた。」

「作曲家は、アルチーナの非常に魅力的な
ハ短調のラメント『ああ、我が心』(第2幕第8場)
の曲付けや構成においても、
小節を削除し、声楽部にもオーケストラパートにも、
何度も修正を入れて、パトスを最大化し、
さらに沢山の気遣いを示している。」

この部分は、CD2のTrack15.で聴けるが、
いくぶん、早めのテンポで切迫感を盛り上げている。
9分31秒で、ディドナートは歌いきっている。
美しい声であるが、その激しさでは、
これまで聴いてきた、
ネーゲルシュタッドやハルテロスなどの方が、
こぶしを効かせ、音域も広く、
声も太く、たっぷりとして、
強烈であったような気がする。
そう言う意味では、ディドナートの声は軽く、
魔女的ではない。

「オロンテの報告を聴いた反応で、
ルッジェーロが彼女の呪文から解き放たれ、
島から逃げようとした時、
『ああ、我が心』は、怒りのアリアではなく、
アルチーナが拒絶を受けた時の気づきや苦さに対する、
抗しがたい心理の把握であり、
精神の打撃として歌われる。」

このように書かれる程、ディドナートは、
打撃を受けていないようだ。
カーティスもボロが出ないように、
あっさり通り過ぎたように見える。

クリスティー指揮のフレミングは、
13分近くかけて、息も絶え絶えになって、
ヴィヴラートを施しながら進み、
さすがベテランの表現力を聴かせている。

「アルチーナが自制を失うと共に、
ルッジェーロは賢明に、啓蒙されていく。」

私は、このような解釈もあるのかと、少し驚いた程だ。
ロミオとジュリエットや、
トリスタンとイゾルデのように、
恋人たちが、同じ気持ちで沈んで行くのではなく、
反対の道を歩き始めるとは、何とも痛いオペラである。

「第2幕第12場のTrack19.
『青々とした草原よ、緑豊かな木々よ』では、
この島の悪の策略に対し、堂々として簡潔な音楽で
悲しい意見を述べる。」

確かに、「その美しさは失われるであろう」などと、
超越した感じの歌詞である。

この部分、平明な美しさで耳をそばだてて来たが、
弱々しく、別れを告げるアリアだと思っていた。
もっと決然と、胸を張って歌う、
英雄的な要素が必要なのかもしれない。

幸い、クリスティ盤のグレアムが、
しみじみとした別れの歌であるのに対し、
ここでのボーモンには、
決然とした趣きがあって良い。

「これは、第2幕のクライマックス、
アルチーナの複雑な、
慣習的でない伴奏付きモノローグ、
『ああ、残酷なルッジェーロ』や、
コロラトゥーラによる怒りのアリア、
『青白い影よ、聴いただろう』
に対し、明らかなコントラストを成している。」

このあたりは、CD2のTrack20.、21.
あたりで聴けるが、
複雑極まる管弦楽の色彩とリズムが駆使され、
ものすごく魅力的である。

しかし、先の解釈によると、
アルチーナの独り相撲は、あまりにも悲しい。

このような狂乱のシーンでは、
ディドナートの軽めでも、
敏捷な声では聴き応えがある。

「荒れ狂う伴奏の中、
彼女は、杖を使って、
魔の精の助力を召喚しようとするが、
沈黙と無力が訪れるだけである。」

霊的な伴奏を聴いていると、
すぐそこまで、霊が来ているような感じを受ける。

「ルッジェーロにも魔法の力にも拒絶され、
無力なアルチーナは、狂ったように復讐を誓うが、
怒りの中で、杖は折れ、捨て去ってしまう。
ヘンデルの大胆な音楽は、
『狂乱の場』ではなく、むしろ、
彼女の世界に歓迎できない現実が侵入した時の、
魔女の苦悩を表すものとなっている。」

私が狂乱のシーンと書いた後に、
このような解釈をされると困るのだが、
フレミングのCDなどでは、
アルチーナは、確かに、
現実の直視と戦うような表現で歌っている。

したがって、ここで第2幕が終わっても、
余韻が深い。
ディドナートの方は、狂乱が空中に残って、
終わった感じがしないのである。

「ルッジェーロとアルチーナの逆の運命は、
第3幕でも続いている。
2つ後の場でのアルチーナどん底のモノローグ
『涙だけが残った』に対し、
(CD3のTrack13.)
英雄として復活したルッジェーロのアリアは、
2つのホルンを目立たせた、
『岩場の虎』(CD3のTrack11.)
の平明なスタイルである。」

ルッジェーロを歌うボーモンは、
男らしく、自信に満ちている。

が、続くオロンテとアルチーナのシーンは、
ヒステリックに感情的である。
ディドナートの歌うアリアは、
均一な澄んだ声が聴き所だが、
余裕が少し足りない感じもする。

「この瞬間、彼女は百戦錬磨の魔女ではなく、
彼女がかつて要求した忠誠心や命がけの愛を失った、
捨てられた人間の女になっている。
ヘンデルの息を呑むような音楽は、
(嬰ヘ短調という得意な調を使い、
ヴァイオリンには驚くべし、
減五度が連続して現れる)
彼女の心中の打撃や予期せぬ弱さをさらけ出す。」

このように、恋人たちの運命の対比を、
これでもか、とえぐり出していたとは、
これまで、漫然と聴いていたのか、
あまり意識していなかった。

「他のキャラクターも魅惑的で、
彼等の音楽も一貫して第一級のものである。
ブラダマンテは第1幕で
ルッジェーロの冷淡さに苦悩し、
仕方なくモルガーナを騙して気を引く。
一方、モルガーナは、オロンテに対して、
時々、気を引き、時々浅はかに気まぐれを起こす。
唯一、偽善から離れたキャラクター、
オベルト少年は、アルチーナの悪行を、
唯一、正面から非難する。
彼のアリア、『バーバラ』(CD3のTrack16.)は、
すべての残りのスコアが完成してから、
ヘンデルが挿入したもので、
そのダイナミックなコロラトゥーラのパッセージは、
初演時のウィリアム・サヴァージが
ボーイ・ソプラノとして卓越した才能を持っていたことを示す。」

この少年は、このCDでは、
ラウラ・チェリチというイタリアのソプラノが受け持っている。

さて、私が気になるソニア・プリーナの歌う
ブラダマンテを重点的に聴いて見よう。
第1幕第5場(CD1のTrack19)、
「それは嫉妬というもの」は、
歌の内容からして、もっとオロンテを茶化すような感じが欲しい。
かなり、真面目くさって歌っている。
そういう解釈なのかもしれない。
彼女の得意とする小刻みなシフトチェンジがかかった
めまぐるしい歌い口には惹き付けられるが。

第2幕第2場(CD2のTrack5.)の
「偽りの心に復讐を」も、
同様に、すごい技巧を凝らして見事だが、
出だしに躊躇いがあり、ちょっと硬い。
すごいスピードで疾駆している反動である。
しかし、クリスティ指揮のクールマンなどよりは、
強烈な個性を感じさせる。
難しいものだ。

第3幕の第5場(CD3のTrack11.)
「真実の心に」では、プリーナの、
深々とした声の美質が味わえる。

第3幕第8場の素晴らしい三重唱
(CD3のTrack18.)
「これは愛でも嫉妬でもなく」でも、
三重唱のバランスを崩すほどに、
強靱な声の存在感を示す。

しかし、他の二人が、
なだらかな声の絡みの美感を披露する中、
びしびし打ち込まれるプリーナの声が、
アクセントになっているとも言えなくはない。
これは、実演で聴いたら、
かなり圧倒されるかもしれない。

「ヘンデルは巧みにテレマンやカイザー、
ボノンチーニといった他の作曲家の音楽着想から、
多くのアリアを作り出し、
彼自身の作品を重要なナンバーのベースとした。
第1幕を締めくくる、モルガーナの楽しげな
『私を優しく見つめて』(CD1のTrack29.)
は、27年前に彼がローマで作曲した、
カンタータ『Oh, come chiare e belle』が発展したもの。」

この明るいアリアは、少しゴヴァンにリラックスが必要だ。

「アルチーナの犠牲者が息を吹き返す、
合唱曲、『誰が助けてくれたのか』(CD3のTrack20.)
は、『La terra e' liberata』の中の、
ニンフのダフネが月桂樹になる変身の音楽が
基になっている。」

この曲も、たいへん印象的なものだが、
合唱の中から浮かび上がる、
犠牲者たち個々の声が魅力的である。

このように、他のキャラクターも魅力的だ、
と言いながら、たいした解説をしていないのが残念だが、
以下、初演時の話が続いている。

ここには、前にフレミングのCDの解説を読んだ時に、
書いてあった事と同様の事が書かれている。

前回、字数オーバーで掲載できなかったので、
それを、ここにくっつけてしまおう。
私には、この解説の最後の部分が、
ものすごく印象に残っていた。

「確かに、ヘンデルは、女性の主人公において、
これほどまで人間の弱さの深みに、
奥深くまで探究したことはなかった。
彼の親友ペンダーブス夫人は、
このことに、最初のリハーサルの時から、
よく気づいていた。
上述の手紙の中で、彼女は、
このように続けているのである。
『ヘンデルさんが、ハープシコードの前で、
自分のパートを演奏している間、
彼こそが、自身の魔法を操っている最中の、
魔法使いのように思わずにいられませんでした。』
それは作曲家の自画像であり、
悲劇的な女性版プロスペロー
(シェークスピアの『テンペスト』の主人公)であり、
芸術家は、その創造の中に自らをあまりにも投影し、
悪役のヒロインは最終的に我々の憐れみ、
我々の愛、我々の記憶を征服してしまい、
我々は、彼女に感謝すらしてしまうのである。」

このように、ヘンデルは、
主人公に自己投影することによって、
その存在感を圧倒的に真実味あるものにした。
いったい、ヘンデルの身の上に、
何があったのだろうか、などとすら、
考えさせられる内容だ。

このような深刻な状況で、
共感に満ちたタイトル・ロールを歌わせるとしたら、
よほど、信頼できる歌手でないと駄目そうだ。
「オルランド」のファリネッリように、
いい加減な感じの配役ではない。

もし、このような事を前提として考えるなら、
情熱ゆえに滅ぶアルチーナに対し、
ルッジェーロは何なのか、という事になる。
トーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」のように、
ハンスやインゲのような健康な市井の人ということだろうか。
妙に考えさせられる内容である。

カーティスのCDの解説に戻って、
このオペラが初演時、
どのような賞賛やその他の反応を受けたかを、
紹介した部分を読んで見よう。

「ヘンデルの移り気な聴衆は、ある時、
他の公演の時にアンコールされた、
キューピッドを演じたサレのダンス中に、
シューっと言って不満の意を表した。
このオペラは批評家たちの賞賛を勝ち得た。
1735年5月8日には、
グルーブストリート・ジャーナルに載せられた詩では、
ヘンデルの音楽の魅力が、
魔女アルチーナの魅惑的な呪文に比較された。
7月5日(そのシーズンの最後の公演の3日後)には、
ユニバーサル・スペクテーターには、
道徳教育的な寓話として解釈され、
同時代人を魅了したかが書かれていた。
『アルチーナは若い情熱の暴力が、
理性の限界を超えさせることを教えてくれる。
友人の助言も、自身の追求が、
他人の苦しみになることも、
イメージの中の儚い喜びを追求する強情な若者を
止めることは出来ず、確実に、
猛烈な反省と遅すぎる後悔に導く。
アルチーナの美しさや浮気が、
すべての現世の喜びが短いことや、
到達するや失われることを示している。』」

このCD、全体の完成度も高く、録音も良い。
表紙写真も素敵で、言うことはなしのはずだが、
タイトルロールの情念の表出には、
他にも良い録音がある。

得られた事:「苦境のヘンデルに会心の一打を与えたのは、当時最先端の技術を駆使した新しい舞台芸術のあり方であった。」
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by franz310 | 2012-06-09 21:00 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その331

b0083728_15442585.jpg個人的経験:
ミンコフスキの指揮する、
ヘンデルの「アルチーナ」、
前回は前半しか聴けなかった。
前に見たハッカー指揮のものは、
DVD1枚であったが、
このDVDは、
バレエのシーンなども
収めているからであろう、
2枚組となっている。
単に長いだけではなく、
2枚目には、
Behind the Scenesという、
ボーナス・トラックがある。
その2枚目を聴く。


ここに掲載したのは裏表紙で、
モルガーナが、漂着者のブラダマンテたちを、
受け入れるシーンと、
ルッジェーロとアルチーナの幸福な日々が、
写真として載せられている。
ARTHAUSレーベルのもの。
サブタイトルにJapanはないが、
ちゃんと日本語字幕がついていた。

このDVDの舞台演出は、
ハッカー指揮の衝撃的なものではなく、
古風な衣装をまとって、
一見、ヘンデルの構想に近いものに見える。

が、鑑賞を始めてすぐに分かることだが、
ルッジェーロ救出の二人が、
気球で登場するなど、
ヘンデルが生きた時代とも異なり、
奇妙な感じがいっぱいであった。

そもそも、ヘンデルの構想では、
このオペラの舞台は、中世の魔法の島なのであるから、
こんなロココ風の衣装ではないはずなのである。

が、アルチーナ役のハルテロスなどは、
この衣装をつけて歌った事が、
とても良かったなどと、
例のボーナストラックでは語っていた。

このボーナス・トラックで、
ステージ・ディレクターの、
アドリアン・ノーブルが語っていることによると、
この舞台は、実在した貴族が催した、
余興における「アルチーナ」を、
現代に蘇らせたという設定になっているらしい。

しかし、この貴族が、実際に「アルチーナ」を、
上演したわけではないのがややこしい。
単純に、ノーブル氏の妄想の産物である。

何しろ、ヘンデルの「アルチーナ」は、
一応、ヒットはしたものの、
長らく忘却の淵に沈んだ作品なのである。

このあたりのことは、解説の、
アンドレアス・ラングが、
「デヴォンシャーの屋敷における劇」
という題で書いている。

いきなり、冒頭から、
カラヤンの名前が出て来たりして面食らうが、
これは、この公演が、
ヴィーン国立歌劇場で行われたものだからである。

「ヘルベルト・フォン・カラヤンは、
彼がヴィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた、
1956年から1964年までの間、
レパートリーが、
1760年以降に作曲された作品に限られ、
(確かに、その多くは、この建物にマッチしていたのだが)
数多くの傑作が意味もなく無視されていることに気づいた。
それゆえ、彼は、2つのバロック・オペラを、
演目に追加することに決めた。
クラウディオ・モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』と、
ジョージ・フリードリヒ・ヘンデルの
『ジューリオ・チェーザレ』である。
それから何十年かして、ドミニク・メイヤーが、
同じポストについた時、
彼も同様に、同様に無視されていた、
バロック・オペラの重要さに気づき、
いくつかの作品をヴィーン国立歌劇場の演目に追加した。
まさにその最初のシーズンに、
1735年にロンドンのコヴェントガーデンで初演された、
ヘンデルの『アルチーナ』を上演した。
2010年11月14日の最初の夜の成功は、
その決断が正しかった事を証明した。」

何十年かして、とあったが、
まさに、カラヤンの時代から半世紀が経過している。

「『アルチーナ』の素材は、アリオストの長大な叙事詩、
『オルランド・フリオーソ』の第6、第7歌から取られ、
知られざるリブレット作者によって、
もともとリッカルド・ブロスキのオペラ、
『アルチーナの島』のためのものであった。
この作品の初演時、ヘンデルは、
このイタリア語のリブレットを手にして、
オペラのプロデューサーとして、
たいへんな競争で格闘していた。
しかし、『アルチーナ』は、
作曲家が方針を変え、
一般的な喝采を得やすい『ブラブーラ』アリアなどを採用し、
音楽を単純にすることなく、
直接的な表現を用いたのにもかかわらず、
聴衆に対して、たいへんな成功を収めた。
オペラ中の個々の人物は、
生き生きとして情熱的で、
本当の感情を持った、
本物のキャラクターになっている。
ヘンデルは慎重に、
単純な使い古しを避け、
アルチーナを単なる魔女としなかったばかりか、
聴衆の同情を受けるに足る、
愛に絶望する人間として描いた。」

この解説では、こんな風に、
この作品の革新的な点をさらりと書いている。

「オルランド」において到達した前衛的な書法から、
「アルチーナ」では、一見、後退しているように見えるが、
実は、深化を遂げた作品である、
ということは、これまで読んで来た解説にも書かれていた。

が、このあたりの詳しい説明を、
ざくっと割り切って、この解説は、
むしろ、今回の新演出について書きたいようである。

「今回の新演出は、
イギリスの監督、アドリアン・ノーブルの、
ヴィーン国立歌劇場へのデビューを決定的なものにした。
ノーブルは何年も王立シェークスピア・カンパニーの監督を務め、
ニューヨーク・メトロポリタンや、
グラインドボーンやエクサンプロヴァンスなど、
世界中の有名オペラハウスで、
監督として成功していた。
彼は、『アルチーナ』を、
ロンドン・ピカデリーにあった
デヴォンシャーの屋敷の
巨大舞踏会場での出来事とした。
有名なデヴォンシャー公爵夫人、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
友人と共に、劇の上演を行っていた。
18世紀の英国貴族においては、
こうしたアマチュア上演はざらにあったので、
このような劇中劇のセッティングを取ることによって、
アドリアン・ノーブルは、歴史的に正確なものとした。
『大きな屋敷で』、とノーブルは、
リハーサルを始めるに当たり、こう言った。
『華美な娯楽が上演され、
そこでは、政治家や貴族自身が演じていた。
そこで、私は、18世紀のプリズムを通して、
アルチーナの物語を語ることを思いついた。
中心に、実在した、
間違いなく魅力的な、
デヴォンシャー公爵夫人を据えた。
彼女は当時の政治の中心にもいて、
恐ろしく金持ちであり、
複雑な感情の絡まりの中にいた。
だから、デヴォンシャー公爵夫人は、
友人たちと一緒になって、
金をばらまいて踊り手や音楽家を雇い、
アルチーナを演じた。』」

このように、私たちは、
この監督の妄想に付き合わされてしまうわけだ。

20世紀と言っても、戦争の世紀であった前半と、
バブル経済に突き進んだ後半では、
えらく違いがあるように、
18世紀と言っても、
ヘンデルの生きた前半と、
モーツァルトの同時代人で、
シューベルトの時代まで生きた、
デヴォンシャー公爵夫人の時代では、
かなり違うような気がするが。

戦前の白黒映画を、
カラーテレビで鑑賞するような感じだろうか。

とにかく、このデヴォンシャー公爵夫人は、
かなりスキャンダラスな人物ではあったようである。

「アドリアン・ノーブル演出の『アルチーナ』は、
バロック・オペラにおいて一般的な視覚効果を持ち、
トータルな劇場体験が出来るが、
さまざまな効果は、決して、それだけで終わるものではない。
それらはすべて、プロットから出て来たものであったり、
デヴォンシャー公爵夫人の娯楽に関するものである。」

ここに書かれているように、
「Synopsis」にも、
このデヴォンシャー公爵夫人が、
この舞台で、いかに重要な役割を演じているかが、
より、詳しく説明されている。
劇の中での関係を反映し、
下記のような構図になっているらしい。
「ロンドンのピカデリーにある、
デヴォンシャーの邸宅の大広間、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュ、
デヴォンシャー公爵夫人は、
彼女の友人たちと劇を上演しようとしている。
彼女は、魔女アルチーナのタイトル・ロールを受け持ち、
配役を決めている。
彼女の妹のヘンリエッタ・フランスは、
アルチーナの妹のモルガーナを、
彼女の友人のエリザベス・フォスターは、
ルッジェーロを演じている。」

ここに出て来たエリザベス・フォスターは、
彼女の友人であると共に、実際には、
デヴォンシャー公の愛人でもあったようなので、
これは、かなりきな臭い演出である。

ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
比較的早く亡くなったので、
この人が、デヴォンシャー公の後妻となったようである。

「彼女の義妹のラヴィニア・ビンガムは、
ブラダマンテを演じ、
彼女の息子の
ウィリアム・ジョージ・スペンサー・キャヴェンディッシュは、
ハーティントン侯爵は、オベルトを、
彼女の愛人のチャールズ・アール・グレイは、
オロンテを演じている。」

このアール・グレイ伯爵は、実際に、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュの愛人で、
二人の間には、子供もあったようである。

オロンテというのは、アルチーナが、
ルッジェーロに夢中になっているのを、
嫉妬する役柄なので、
かなり、真実味のある演技をしたはずである。

「英国の政治家のチャールズ・ジェイムズ・フォックスは、
メリッソを演じていて、
ジョージアナの夫の、デヴォンシャー公、
ウィリアム・キャヴェンディッシュは、
アストルフォを演じている。」

アストルフォは、ほとんど出番がなく、
単に、アルチーナに飽きられて、
獣にされてしまっている、元恋人の設定。
かなり、意地悪な配役である。

チャールズ・ジェイムズ・フォックスの考えに、
ジョージアナ・キャヴェンディッシュは、
共感していたと伝えられる。

ちなみに、水素を発見した人の名は、
キャヴェンディッシュだったそうだが、
それとこの上演で、
気球が出て来るのは、
何か関係がるのだろうか。

「2010年11月14日の、
この公演の初演では、ヴィーンの聴衆には、
さらなる新機軸が示された。
ここで、初めて演奏する音楽家も多数いた。
この新上演を指揮したのはマルク・ミンコフスキ。
1962年にフランスで生まれた、
『レジョンドゥヌール勲章』を受け、
ミンコフスキは、
様々な音楽分野の指揮者、音楽家として、
世界中から引っ張りだこであり、
特にヘンデルの解釈にすぐれ、
バロック音楽のスペシャリストとして名声を得ている。
オーストリアの新聞『Kurier』に、
ヘンデルへの特別の愛について尋ねられ、
彼は、こう答えている。
『私が彼の音楽を愛するのは、
その明晰さと純粋さにおいてです。
そして、それでいて、
驚くべき感情の幅を表現するという事実があります。
アルチーナはすべてが愛に関することです。
様々な形の愛です。
全員が誰かを愛しており、
それは、だいたい間違った人間です。
ヘンデルは、それを表現するべく、
超絶のアリアを書きましたが、
それらは独自の音楽的興奮を持っています。』
ヴィーン国立歌劇場での『アルチーナ』公演では、
ミンコフスキは、彼が20代の時に設立したアンサンブル、
ルーブル音楽隊を率い、
ヘンデルに初々しい生命を吹き込んだ。」

確かに、ミンコフスキは、ヘンデルのアリアとか、
カンタータなどの録音も多く受け持っていた。

「ミンコフスキと彼の楽団のみならず、
二人の声楽家がやはりそのヴィーン・デビューを果たしている。
ストックホルムで学んだメゾ・ソプラノ、
クリスティーナ・ハンマーシュトレームがブラダマンテを演じており、
アルゼンチンのソプラノ、
ヴェロニカ・カンヘミがモルガーナを演じた。
それに引き替え、
二人の主役、アルチーナとルッジェーロは、
ヴィーンの聴衆に長年おなじみの
暖かく迎えられている
オペラ・スターによって演じられた。
アニヤ・ハルテロスは、魔女アルチーナを演じ、
ヴァッセリーナ・カサロヴァが魔女の恋人である、
ルッジェーロを演じた。
テノールのベンジャミン・ブルンスと、
バス・バリトンのアダム・プラチャッカは、
ヴィーン国立歌劇場のアンサンブルの若いメンバーであり、
それぞれ、オロンテとメリッソを演じ、
独唱者のラインナップを固めた。」

ここは、各歌手についての概略であって、
一般には、別項として扱われるプロフィールである。

最後に、この公演の新聞レビューが紹介されている。

「このヴィーン国立歌劇場における、
最初の『アルチーナ』公演についての、
素晴らしいレビューの中から1つは、
お仕舞いに紹介する価値がある。
ドイツの新聞、『Die Welt』で、
ウルリヒ・ヴェインツェーリは、
このように書いている。
『ヴィーン国立歌劇場の監督、
メイヤーは大きなリスクを取ったが、
それは報いられた。
ヘンデルの『アルチーナ』の初演は、
聴衆に熱狂的に迎えられた。
それは勝利であった。
アドリアン・ノーブルは、
ロンドンの貴族の邸宅でこのオペラを、
アマチュアが演じたという趣向の、
彼のトリックによって、彼はその名前の期待に応えた。
これは豪華な衣装、優雅な大道具などにぴったりだった。
ドイツのソプラノ、アニヤ・ハルテロスの明晰な、
凝集した声と芸術的なフレージングには脱帽だ。
カサロヴァの魅惑的で曰わく言い難いルッジェーロは、
彼女のモーツァルト歌いとしての真価を発揮した。
しかし、アルチーナの妹を演じた、
ヴェロニカ・カンヘミのモルガーナと、
ブラダマンテ演じる、クリスティーナ・ハンマーシュトレームが、
良く知られたスターに、ぴったり張り合っているのは、
驚くべきことであった。
創設者のミンコフスキによって、
素晴らしく指揮されたルーブル音楽隊は、
編成こそ刈り込まれているが、
豊かなサウンドによってスコアに生命を吹き込み、
ステージ上の歌手たちに絡む時、
そのアリアもレチタティーボも、
まるで、声と楽器のデュエットのように聞こえたものである。」

DVDのボーナス・トラック、
「ビハインド・ザ・シーンズ」では、
歌手たちがコスチュームを着けずに、
練習していたりして楽しい。
彼女らの意見も聞ける。

今回の公演は、歴史的出来事のように感じる、
などと語っている
ハンマーシュトレームは美人で、
もっと出て来て欲しい。

カンヘミも、「アルチーナ」は素晴らしい作品で、
この公演に参加できて嬉しかったと、
素直に喜んでいる。

確かに聴衆の熱狂はすさまじいものがある。

また、冒頭から、監督のノーブル氏
(40代か50代だろうか)が登場、
「音楽とストーリーに合ったミザンセーヌの創出」
の重要性を説いているが、
Mise-en-scène はフランス語で、
演出に似た言葉であるが、
聴衆と音楽と繋ぐための活動のようなものらしい。

このミザンセーヌの1つの手段として、
彼は、デヴォンシャー公爵夫人の館を選んだ。
それによって、コロラトゥーラや娯楽の要素、
女性が男性を演じることなどを正当化したのである。

カサロヴァは、ミンコフスキを世界最高の指揮者の一人として、
彼の力によって、
ヘンデルの作品は単調になるのを防ぐことが出来た、
とまで言っている。
カサロヴァはこうした自然な服装でいる方が魅力的だ。

ルッジェーロの音域の広さは、とんでもなく、
モーツァルトやロッシーニの経験が、
たいへん役に立ったと言っている。

ハルテロスは、
アルチーナは計算ずくで共感を呼ばないが、
思い通りにならずに、狼狽する部分などは、
共感が出来るようなことを言っていて、
エロティックな要素を、
コルセットとつけた衣装や、
姿勢、動作によって強調されたので、
良かった、というようなことを言っている。

感覚的に、こうした衣装が音楽に合うと断言している。

こうした歌手たちに対して、
ノーブルも激賞していて、演劇的才能があること、
アリアがモノローグのような濃厚感を得るに至ったことを、
満足げに語っている。

前回は、「ああ、我が心」という、
クライマックスまで聴いている。

CD2のTrack4.シンフォニア。


Track5.このトラックは13分半の長いもの。
第3幕第1場である。
モルガーナとオロンテの痴話げんかのシーン。
モルガーナは、漂着したブラダマンテを、
若いハンサムな男性だと勘違いして、
恋人のオロンテに怒られている。

ノーブルの演出では、
ややこしいことに、
デヴォンシャー公爵夫人の恋人、アール・グレイ郷が、
公爵夫人の妹と、
やりあっているということになる。

まず、チェロの助奏も美しい、
モルガーナのしっとりした、
「許して」のアリア。
カンヘミの声は、弱音の部分も、
すっきりと通って泣かせる感じである。
チェロは、舞台上で演奏しており、
長大で親密な後奏を聴かせる。

このアリアの効果か、
オロンテの心はかなり揺れている。
アリア、「一瞬の幸せが過去の涙を忘れさせる」
というのが、オロンテによって歌われるが、
これは、ヘンデルらしい、
明晰でありながら、情感に満ちたものだ。
軽いアクセントが上品な推進力がある。

Track6.第3幕第2場。
ルッジェーロとアルチーナが鉢合わせするシーン。
ルッジェーロは、遂に、婚約者がいることを言ってしまう。

「義務と愛情と勇気」とか、
「名誉に目覚めた」とか言う会話が飛び交う。
アルチーナのアリア。
腰を振りながら、威勢良く、
「裏切り者」とルッジェーロを罵りつつ、
中間部では、戻って来てもいいのよ、
などとしなを作ったりもしてもいる。

Track7.第3幕第3場。
武装兵が島を包囲した、
という報告がメリッソから入って、
ルッジェーロは「洞窟の子連れのメス虎」の、
たとえのアリアを歌う。
包囲されたとしても戦うまでである。

カサロヴァは、魔法が解けたからであろうか、
ここでは、本来の自在さを取り戻している。
子供を救うか、血を求めるか、と二者択一を迫るもの。

これは、装飾音や音の跳躍を散りばめたもので、
カサロヴァが、ルッジェーロは、
たいへんな役だと言っていたのを思い出した。
大拍手である。

Track8.第3幕第4場。
ブラダマンテが、
「誠実に生きているものは」のアリアで、
この魔法の島を何とかしないといかん、
という歌を歌うが、歌いながら、
服を脱いで、女性の姿になっていく。

Track9.第3幕第5場。
オロンテが、アルチーナに、
ルッジェーロが兵士や獣たちを成敗して、
形勢不利だと報告に来る。
何とも、しょぼかったルッジェーロは、
さすが、英雄的な騎士だったのである。

「愛の当然の仕打ちです」とオロンテが言うのを、
アルチーナは呆然と聴いているが、
これは、デヴォンシャー公爵夫人が、
愛人のアール・グレイ郷から聞かされる言葉という設定。

彼女は、バロック時代の仕草で一人、ダンスをして、
「私にできることは気ままに泣くだけ」、
「天は耳を貸さない」という、
悲痛な歌を歌い上げる。

演出のノーブルが、ろうそくの光の効果を出したかった、
と書いたように、極めて絵画的な舞台になっている。
「石にでもなれれば苦悩は終わる」
などと言っている。
そして、召使いから酒瓶を受け取って、
何やら、そこに溶かし、飲もうとしている。

Track10.第3幕第6場。
明るい合唱がわき起こり、
草原から野獣が歩いて来る。
オベルトが、お父様が戻って来ると出て来る。
アルチーナが槍を持って来て、
野獣を殺せというが、
オベルトは、「これはお父様だ」と、
野獣を抱きしめ、
その前にお前を殺す、
とすごい勢いである。

勇敢なアリアに、
アルチーナもたじたじになっている。
彼等は、一緒に引き上げてしまうが、
すごい拍手がわき起こる。

この野獣に変えられたアストルフォは、
解説によると、これは、
ジョージアナが憎んでいた、
夫のデヴォンシャー公爵が演じたことになっていた。

子供のオベルトは、解説によると、
彼女の息子のウィリアム・ジョージだと言うことになっている。
こう読むと、「殺せ」、「いやだ」の台詞が、
何とも恐ろしい場面であったことが得心されよう。

Track11.第3幕第7場。
ブラダマンテを見て、アルチーナは、
ルッジェーロは死ぬ運命だという。
ルッジェーロはブラダマンテをかばって、
アルチーナを追い詰める三重唱となる。

デヴォンシャー公爵夫人の館だとすると、
夫人の前で、その友人と義理の妹が、
手を携えて歌っている構図になる。

Track12.第3幕第8場。22秒しかない。
何だろうか、オロンテがルッジェーロの前に跪いて、
いるが、ルッジェーロは、彼を許す。

Track13.第3幕第9場。13秒しかない。
ルッジェーロは魔法の壺を壊して、
みんなを釈放すると言うが、
アルチーナが飛び出して来る。

Track14.第3幕第10場。わずか4秒。
やれという意見とやめてという意見で沸き立つ。

Track15.第3幕第11場。
ルッジェーロはそれを叩き付けて壊す。
真っ暗になった舞台に、青空が広がり、
解放された人々が草原から帰ってくる。
アルチーナは、壊れた壺の破片を集め、
呆然とする中、
解放されたイケメンたちが、
半裸のダンスを踊り始める。

典雅なバレエが演じられる中、
アルチーナも立ち上がり、
円舞に加わっている。

そこで一緒に踊っているのが、
デヴォンシャー公爵が演じた設定の、
獣に変えられていたアストロフォである。
演出のノーブルは、ここでは、
デヴォンシャー夫人とその夫の和解を再現させて見せた、
ということであろうか。

「悪は善に変わる」という合唱がわき起こって、
壮大な大喝采がわき起こっている。
聴衆のハルテロスやミンコフスキに対する拍手は、
ものすごいものがある。

さて、今回、この演出の意図(ミザンセーヌ)も分かったので、
それを考えながら、最初の方を見直すと、
確かに、貴族の館の広間に、ろうそくが灯されていく、
という感じで幕が上がっており、
貴族の衣装を着た人たちが、その部屋に集い、
相談し、劇の服装に着替えて行くようなシーンが、
序曲の間に演じられていた。

得られた事:「ヴィーン国立歌劇場で公演された『アルチーナ』は、18世紀末にイギリスのデヴォンシャー公爵夫人が、自ら演じたという設定でのミザンセーヌ。」
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by franz310 | 2012-06-03 15:48 | 古典 | Comments(0)