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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その330

b0083728_18265313.jpg個人的経験:
これまで、ヘンデルのオペラ
「アルチーナ」を聴いて来たが、
フレミングやグレアム、
デッセイなどが共演したCDは、
映像がなかったし、
ハッカー指揮のDVDは、
映像はあっても演出が、
現代的でありすぎた。
もう少し穏やかななものは、
と思っていたら、
昨年、ミンコフスキのDVDが出た。
しかも、カサロヴァがルッジェーロを
受け持っていたりするし、
表紙写真からも期待が高まる。


恐らく、アルチーナの魔法の島であろう。
背景には美しい緑が広がり、
いかにも威厳ありそうなハルテロス演じる、
タイトルロールが、恋人ルッジェーロの肩に、
優雅に優しく、手をかけている。

このような状況であれば、
勇敢な騎士である割に意志の弱い、
ルッジェーロが、長逗留してもおかしくない。

実は、このDVD、解説を、
ドナ・レオンという、1942年生まれの、
アメリカの女流作家が書いている。

「ブルネッティ警視シリーズ」というのが代表作だそうで、
私は、同姓同名の別人かと考えたが、
ネット検索してみると、
メリーランド大学のユニバーシティ・カレッジや、
イタリアのヴィチェンツァで英文学を教えていたが、
バロック音楽などの研究執筆に専念しているとあった。
同じ人なのであろう。

そのせいか、読み慣れた、ヘンデルは1736年、
みたいな解説ではなく、いきなり、
プッチーニやシュトラウスと、
しかも、性的であるかどうかで比較されているのである。

「『アルチーナ』?、うん知ってるよ、
性的なやつじゃない?
しかし、考えて見ると、『蝶々夫人』にせよ、
『薔薇の騎士』にせよ、『ディドとエネアス』にせよ、
ほとんどのオペラがそうである。
これらのオペラでは、ありがちな虚構の中で、
性的な関わり合いがあって、
ひっついたり離れたりして、
年配の女性が若者に狂ったり、
男性のために身を引いたりしている。」

てな感じで、まるで、このヘンデルのオペラが、
20世紀の人気作と、変わらないような書きぶり。
が、下のように、このオペラ、ちょっと違うぞ、
という感じに導いて行く。

「『アルチーナ』はしかし、
たぶん、驚く人もいるだろうが、
いくつか、変わった点を持っていて、
これら3つの要素の変奏になっているのである。
まず第1に、彼女はそれほどのめり込んでいないのに、
確かに、深く別れに苦しみ、
魔法の島を統べる魔女の女王であるアルチーナは、
人間の恋人に飽き飽きすると、
彼等を岩や木や野獣に変えてしまい、
新しい恋人を探しに行く。
彼女が恋人たちに入れ込むのは、
明らかに単なる欲望のため、と感じられる。
愛は取引きの一部ではない。
オペラが始まると、しかし、アルチーナは、
深刻な感情に襲われている。
アルチーナは英雄ルッジェーロを心から愛していて、
しかも、彼の彼女への愛は、
もはや、確かではなさそうなのである。
恐ろしい対比だが、
魔女の方が人間的な感情の犠牲となっていて、
男の方は、愛してはいるようなのだが、
それは単に魔法の呪文によるものなのである。」

このような着眼点は、書き手が、
もう若くはない女流作家であるがゆえに、
これまた、私には痛い。

「マルシャリン同様、アルチーナは、
恋人よりも年配である。でも、どれだけ。
10歳?200歳?(彼女は魔女なのである。)
同様に、『そのとおり、私は彼女』と、
アルチーナは強くそれを意識していて、
マルシャリンとは違って、結果を受け入れることなく、
何も考えずに、日々を過ごして行こうとは考えていない。
真実の人間らしい愛が突然、海岸からやって来て、
アルチーナ最初のアリアの輝かしい幸福感は、
長くは続かず、アルチーナの感情の免疫システムは弱まり、
疑いと嫉妬の感染が始まる。」

このような分析的語り口も、
いかにも大学の先生風でアカデミックである、
と考えるべきか。

「多くのオペラ台本の弱々しいヒロインと違って、
彼女の魔法の力が、ある男性との失恋で、
封じられてしまったとはいえ、
アルチーナは愛に死するには強すぎた。
このようにありきたりな台本が明らかであるが、
オペラは登場人物たちに対する新しい見方を与える。
ヘンデルの『アルチーナ』はそうした好例である。
彼女の性的変遷は、若い男への偏愛は、
チョーサーのバースの女房に似ているが、
チョーサーにおいては、喜劇的人間的に扱われ、
女房を、アルチーナより、
もっと魅力的、好ましく見せている。
その女房は、まず欲望や結婚への願望に駆り立てられ、
その目的は幸福である。しかし、アルチーナでは、
愛の最大の犠牲者であるにもかかわらず、
悲劇的な喪失に向かっている。」

このチョーサーとは、「カンタベリー物語」のことであって、
そこには、5回も結婚した「バースの女房の物語」というのがある。

「性的に狂った年配の女が破滅する、
他の物語としては、お茶で誘うパイドラーの例がある。」

パイドラーは、ギリシア神話、テーセウスの妻である。
彼女は、テーセウスがアンティオペーに生ませた、
言うなれば義理の息子を愛して破滅する。

「男たちを波や枝に変えてしまう習慣があるという、
アルチーナの性的な罪は、
第2幕の最後のレチタティーボ・アコンパニャート、
『ああ、残酷なルッジェーロ』で最高潮に達するが、
ここで、彼女はすべてものが崩れ去って行くのを感じる。
彼女は悪魔の精を呼び、
彼女が、彼の愛情の衰えを感じて、
ルッジェーロの愛が続くことへの助けを求める。
彼女はそれ呼び寄せよう、呼び寄せようとし、
彼の愛が続くことを乞い求めるが、無駄である。」

これは、いろいろな魔物や道具類が並ぶ、
魔法の秘儀を行う地下室で、
アルチーナが、
「ルッジェーロはもはや私を愛していない」と叫び、
アーケロンの暗い岸辺より、
夜の娘たち、復讐の使いなどを召喚しようとするシーン。
続く、アリアも悲痛な美しさに満ちている。

「続くアリア、『青ざめた影よ、聴いているだろう』は、
彼女の黒い力は、彼女がそれを求めずには、
いられないことを知っていながら、
彼女の嘆願に耳を貸すことがないことを認めている。
力が失われてしまったことを受け入れながら、
彼女は、魔女の魔法の杖、『Verga』を取り出し、
今や、それを嫌い、すでに力ないことを理由に、
打ち壊すという。
今や、『Verga』は、第2の意味として、
男性器を表すことによって、
もはや女性が、
恋人をその気にさせることが出来ず、
その力がすでに尽きてしまった、
というシーンとなる。
オックス男爵や、
性の境を行き来するケルビーノである。
これはクリスマスパントマイムの悪戯のような、
女装版に見えないだろうか。
しかし、アルチーナは、
愛を失って凶暴化した、
単なる復讐の怪物ではない。
彼女は繊細な女性であり、
第1幕ではすでに、
ルッジェーロに対する彼女の力は、
色褪せ始めていることに気づき、
彼女は、
『もう、あなたの目にはかわいくも愛しくもない』。
弱まり続ける魅力の自覚が、
アルチーナは愛の残骸を喜んで受け入れる。
『もうあなたは、
私の愛を求めないでしょう』。」

このあたりの迫真性は、いったいヘンデルの、
どのような体験が背後にあってのものだろうか、
などと気になって仕方がない。

「第2幕においても、傷つけられた心を、
嘆く最中にあって、
アルチーナは突然、分別を取り戻し、
自分が結局、女王であることを悟る。
女王たるものが愛のために嘆くであろうか。
それはあり得ない。
恋人は戻るか、死ぬかしかない。
しかし、悲しげな『ダ・カーポ』によって、
印象的にそれが嘘であると鳴り響き、
真実は彼女から切り裂かれていく。
『裏切り者、こんなに愛しているのに』。」


「次の幕で、全てを失って、
彼女の信頼できる配下のオロンテも、
彼女がよくなることを願わなくなる。
諦観の中、アルチーナは、
『涙だけが私に残った』と受け入れる。
神もまた、彼女を支持することなく、
彼女の祈りに天も聴く耳を持たない。
『涙だけが残った』のである。
しかし、彼女の魔女の本性は残っており、
最後の三重唱で、彼女は、もう一つの試みをする。
すべての言葉は明白な嘘で、ルッジェーロを負かそうと、
愛情と敬意を込めて、
彼の恋人のブラダマンテにまずお世辞を言う。
ブラダマンテが、それを返した時、
彼女の魔女の本性が彼女を越えて、
苦痛と悩みが彼等に与えられるよう、
ルッジェーロとブラダマンテの繋がりを呪う。」

魔女のアルチーナが天に祈るというのも面白いが、
魔女の本性と、人間的な本性が、ぶ
つかり合っていると解釈されていることが面白い。

「ルッジェーロは彼女を拒み、
魔女の力の源である壺を壊す。
ここでの象徴性の可能性は説明するまでもないだろう。
世界は粉々に砕け、恋人たちへの呪文も解けて、
舞台上には、人間の形が見えて来る。
アルチーナと妹のモルガーナは、
彼女らの全面敗北を避けようとしない。
『私たちは負けた』と叫んで消え、
ルッジェーロとブラダマンテという、
人間の恋人たちのやり直しと喜びが舞台に残る。」

ドナ・レオン女史が書いた部分の解説は、
このように終わり、魔女の力の源についての解説も、
女性文学者ならではの説得力である。

さて、ここで、このDVDを見て、聴いて見よう。

といって、DVDを入れて気づいたのだが、
何と、ありがたい事に、このDVDにも日本語字幕があった。
しかも、ルーブル音楽隊の演奏ながら、
ヴィーンでの記録だとあって驚いた。

Track2.の序曲からミンコフスキ指揮の、
清潔でさっそうとした音楽が聴かれる。
Track3.は、その第2楽章であるが、
この小粋なリズム感は、何だろう。
どこかで聴いたような非現実性。
ここからは、第1幕、情景1となっている。

舞台上には、鬘をつけて正装し、
当時の風俗を反映した人々がたくさん参集している。

第3楽章になると、気球から降り立つ人もいる。
どうやら、彼等がブラダマンテとメリッソのようだ。

人がいっぱいいるのに、
この浜辺に辿り着いた、などと言っているのが不思議。

なお、気球の発明はヘンデルの死後、
モーツァルトの時代なので、
この演出の時代設定は、摩訶不思議である。

モルガーナは、アルチーナは「妹」だと言っている。
さっそく、男装したブラダマンテに見入り、
「笑っても、話しても、黙っていても、
あなたの気品ある顔立ちは」とアリアを歌いながら、
気球の重りを外して飛ばしてしまう。

この人が、バロックオペラで有名なカンヘミだという。

Track4.情景2で、いきなり雷鳴が轟き、
暗くなったかと思うと、表紙写真の草原が視界に開け、
お伴らのコーラスと共に、
草原を歩いてアルチーナとルッジェーロが現れる。
いかにも、幸福感溢れる夢の島にいることが分かる。
柔和な音楽である。

二人が手を取り合って腰掛けると、
楽しげなバレエが、
東洋風な衣装を着た男たちによって踊られる。
ここでは、アルチーナのバレエ音楽は、
恋人たちの牧歌的な日々の象徴として使われている。
ガヴォット、サラバンド、メヌエット、ガヴォットと、
ちょっとした管弦楽組曲で、
その間、恋人たちは寝転んだり、踊ったり、
シャンパンを飲んだりしている。

俄に日が陰ると、ブラダマンテたちがやって来る。
そして、客人を案内するように、
ルッジェーロに言付ける愛のアリアを歌う。
自分たちが愛し合った場所を案内せよとは、
ものすごく大胆な歌なのである。
ハルテロスという歌手が、
威厳と気品を保ちながらも、
極めて刺激的な愛撫を受けながら歌っている。
人気のカサロヴァが、すっかり腑抜け男になって、
陶酔的にいちゃついているのが不自然でおかしい。

Track5.情景3。
ここで、アルチーナは立ち去って行くが、
小姓のような感じで、
パジャマ姿であろうか、
子供のオベルトが出て来て、
父親のアストルフォを知らないか、
と尋ね、悲しげなアリアを歌う。

チェロとテオルボの伴奏が美しい。
この歌手は本当に子供で、
聖フロリアン少年合唱団のアロイス君だという。
とても純粋な声で切々たる思いが伝わる。

Track6.情景4.
メリッソが名声をどうするか、
ブラダマンテが恋人をどうするか、
と詰め寄ってもルッジェーロは、
すべてを拒絶する。
「キューピッドに誓って美しい人に尽くす」
というアリアで、せっかく探しに来た彼等を侮辱する。
ここで、カサロヴァらしい陰影豊かな声が聴ける。

Track7.情景5.は、
モルガーナを愛する家臣オロンテが、
いきなりブラダマンテに剣を抜くところ。
短く刈り上げた髪型が、
いかにも直情型の乱暴者の感じ。

Track8.情景6.は、
モルガーナが仲裁に入って、
ブラダマンテが「それは嫉妬というもの」という、
決然とした歌を歌って、モルガーナとの仲を仲裁する。
クリスティーナ・ハンマーシュトロームという歌手。

Track9.情景7。
しかし、モルガーナは、身分をわきまえて、
とむしろ、オロンテを嫌う発言をして去る。

Track10.情景8。
オロンテは同じ捨てられる者の運命として、
ルッジェーロに近づき、アルチーナの愛が覚めたら、
どうなるかを諭す。
オロンテは、「女を信じるだって?」というアリアで冷やかす。
この歌手は、ベンジャミン・ブルンスで、
さっそうと歌いきっている。

ルッジェーロは、かなり動揺している。

Track11.情景9。
ルッジェーロは、嫉妬を感じ、
アルチーナに突っかかっていく。
すると、アルチーナは、
「あなたの嫉妬は悲しいけれど、
まだ愛しているわ」と、口づけする。

Track12.情景10。
それでも疑うルッジェーロに対し、
いよいよ、ドナ・レオンが特筆した、
「私を愛さなくても、憎まないで」とか、
「もう、あなたの目にはかわいくも愛しくもない。
もうあなたは、私の愛を求めないでしょう」
と、寂しげな声を聴かせるアルチーナのアリアが始まる。

Track13.情景11。
ブラダマンテに向かって、
ルッジェーロは突っかかる。
Track14.情景12。
ブラダマンテは正体を明かそうとするが、
メリッソが引き留め、
ルッジェーロの方は、
ブラダマンテを冷やかすような歌を歌う。
何となく、エマニュエル・バッハみたいな音楽。

Track15.情景13。
ここで正体をばらしたらお仕舞いだと、
メリッソがブラダマンテをいさめていると、
まさしく、その危機を伝えに、
モルガーナが、駆け込んで来る。
Track16.情景14。
ここでは、ブラダマンテは、
自分が好きなのはモルガーナだと言って
その場を繕う。

モルガーナが喜びを歌い上げる軽妙なアリア。
オーケストラも活発に動いて、
「私の幸せは本物」と歌うカンヘミを盛り上げる。
ただし、今ひとつ、完成度に欠けるような気もする。
その間、どこから出て来たか、
紳士たちが背景を舞い踊っている。

Track17.第2幕、情景1。
「その眼差しが欲しい」と、ルッジェーロがいきなり歌い出す。
くよくよしている彼に、いかめしい音楽と共に、
メリッソが、師の教えを説きに来る。

真実の指輪をかざし、
ルッジェーロの指にはめてしまう。
恐ろしい事に、背景には、苦しむ男たちの姿が、
亡霊のように舞い踊っている。
ルッジェーロには、何か記憶が戻ったようである。

メリッソはさらに、ルッジェーロに、
師アトランテの言葉を告げると、
ルッジェーロには、ブラダマンテの愛が蘇る。

しかし、メリッソは、
あくまでアルチーナを愛しているふりをして、
狩りに行くと言って逃げろと忠告する。

さらに、曰く付きの怪しさのメリッソのアリア。
黒々とした色彩の伴奏に、いかめしい低音を響かせ、
「彼女の呻きや傷つけられた愛を考えて恐れよ」
とルッジェーロを追い詰める。
メリッソは、アダム・プラチェトカという人が歌っている。
「彼女のもとに戻って、慰め、
悲しませてはいけない」と、ごくまっとうな、
ごもっともな事を歌い上げている。

背景は満天の星空になっている。

Track18.情景2。
ブラダマンテとルッジェーロのレチタティーボで、
ルッジェーロはブラダマンテを、
彼女の兄弟だと考えて抱きしめる。
そして、ブラダマンテは、
自分は、ブラダマンテ本人だと打ち明ける。

すると、ルッジェーロはかえってうろたえ、
これはアルチーナの新しい魔法だと言って逃げる。

ブラダマンテはショックを受けて、
「残酷にも私を避けるの」と歌うが、
悲痛な中間部に、活発で超絶的な主部を持つ。

Track19.情景3。
どうしたら、真実と偽りが分かる、
と悩んでくよくよしたルッジェーロが、
技巧と叙情性を両立させた、美しいアリアを歌う。
カサロヴァは青い照明で、闇の中、
非現実的に浮かび上がっており、
ミンコフスキが、思い入れたっぷりの、
情感に富んだオーケストラを響かせ、
実に、見応えのあるワン・シーンになっている。

夜の草原を、アルチーナが歩みゆき、
二人の関係が、すでに後戻りできないような、
切なさをかき立ててくれる。

Track20.情景4。
アルチーナは、秘儀を執り行い、
ブラダマンテを亡き者にしようと天を仰ぐと、
怪しい煙が立ち上り、いかにもヤバい感じが盛り上がる。
そこに現れたのがモルガーナで、それを止めさせる。

この間、ルッジェーロは、もう、ブラダマンテを、
憎む必要はない、と口添えする。

Track21.情景5。
「彼は恋い焦がれて悩んでいる」という、
扇情的なヴァイオリン独奏の助奏を伴う、
アリアを歌う。
アルチーナには、
「彼は恋い焦がれているが、
それはあなたにではない」と、
ブラダマンテがルッジェーロの恋敵ではない、
ということを口添えする。
このあたりのカンヘミの歌唱は、自在さを増して、
非常に美しく感じられた。
これによって、ルッジェーロとアルチーナは、
再び抱き合うに至る。

Track22.情景6。
「以前と様子が違う」と訝しげなアルチーナに、
ルッジェーロは、「兵士の血が騒ぐ」と、
猟に行く許しを求める。

ここで、再び、アルチーナを抱きながら、
ルッジェーロが歌うアリアは、
リコーダ2本の助奏が印象的ながら、
ぐりぐりと推進力のある低音の効果も鮮やかで、
同時に残酷なものでもある。

「忠実を誓う」という情熱の後、
「でもあなたにではない」と添えている。
アルチーナは、何か難しい顔をしている。

Track23.情景7。
オベルトが、「父が見つからない」と、
今更のように飛び込んで来る。
アルチーナは適当な、
その場しのぎの言い訳をしたので、
オベルトは、元気になったアリアを歌う。
ボーイ・ソプラノの力強く澄んだ響きは印象的である。

まるっこくて女性的な顔立ちなので、
ソプラノにも見える。

Track24.情景8。
オロンテが飛び込んできて、
ルッジェーロ逃亡を告げると、
アルチーナは怒り狂って、
怒髪天を突くが、失神してしまう。
このぶっ倒れた状態で、
「おお、私の心よ、私は騙された」の、
大アリアが始まる。
「愛の神々」と呼びかけ、
「愛していたのに裏切られ見捨てられた」、
「神様どうして」と、魔女とは思えない、
苦悩に満ちた内容を繰り広げる。

アルチーナは、今度は座り込み、
やがて立ち上がって、苦悩を絞り出す。

ヘンデルの音楽は、繊細かつ情熱的で、
このアリアが、最近、よく歌われることが納得される。

「逃げるか死ぬか」という、
中間部の動きの激しい展開は、
それまでの苦悩が嘘みたいで迫力がある。
思わず、拍手してしまった人もいるくらいだが、
再び戻って来る主部のラメントは、
さらなる絶望感を感じさせる。

このあたりは、ドナ・レオンも、
「真実は彼女から切り裂かれていく」と書いて、
特筆した部分だ。
オーケストラもいっそう神経質な響きを散りばめ、
みごとに切迫感を盛り上げている。
チェロの独奏を強調して、すさまじい奈落を垣間見せる。

DVDの1枚目が、ここで終わって、
ブラヴォーがわき起こるのも意味があるのである。

情景9、10は省略したとある。

DVD2は、しかし、オーケストラの序曲で始まっていて、
どうやら、実際の上演
(2010年ヴィーン国立歌劇場)時も、
先の「私の命」を持って幕を降ろしたようである。

ブラダマンテが、オベルトを慰めるシーン。

Track2.第2幕情景12は、
ルッジェーロが現れて逃げる話をしている時に、
モルガーナがやって来て、
嘘つき呼ばわりする。

ルッジェーロのアリア。
「緑の草原」との別れを告げるもので、
ようやく、英雄らしい男らしい声を響かせる。
カサロヴァの真摯な声が楽しめる。
完全に、ブラダマンテとの仲を修復する部分。

Track3.第2幕第13場。
いよいよ、クライマックスとも呼べる、
アルチーナの魔法が効力を失うシーン。

ドナ・レオンは、解説で、
「アルチーナの性的な罪は、
第2幕の最後のレチタティーボ・アコンパニャート、
『ああ、残酷なルッジェーロ』で最高潮に達するが、
ここで、彼女はすべてものが崩れ去って行くのを感じる」と書いた。

その後のアリアで、彼女は壺を取り出し、
闇の力に様々な問いかけを行う。
次に、彼女は魔法のバトンを取り出し、
振りかざして歌い続ける。
これらは、解説者がよく書き込んだ象徴の道具である。

前回聴いた、クリスティのCDでも、
最後に、アルチーナは、魔法の杖を降ろしてしまう、
とト書きがある。

この演出(ステージ・ディレクター、
アドリアン・ノーブルとある。)
では、アルチーナはバトンを力なく、
放り投げている。

「見せかけの愛だった、でも私は愛している」、
「残酷なルッジェーロ」と怒り狂うアルチーナが、
いよいよ、秘儀を行って悪魔たちを招集する。
しかし、闇に問いかけても、それらは出て来ない。

この後、バレエ音楽が始まるので驚いた。
したがって、このトラックは16分にも及ぶ、
長いものとなっている。

ここでは、かなりバレエも象徴的に扱われ、
倒れたアルチーナを慰めるような、
全身タイツの怪しげな白装束が優雅に舞い踊る。
しかも、男性であるようだ。

乱暴なもの、活発なもの、神秘的なものなど、
ひっくるめて「Balletto」と表記されている。

その後、女性ダンサーが現れて、
アルチーナのバトンを持って踊り、
男性ダンサーを従えるが、
最後にそれをアルチーナに返却する。
しかし、アルチーナは、男性ダンサーに、
それを神妙に返すのである。

字数も尽きたので、今回は、ここまでの鑑賞とする。
第3幕は、次回楽しみたい。

得られた事:「錚々たる歌手陣を揃えた力作だが、『アルチーナ』のバレエ音楽による象徴性までを、十全に具現化した上演で、歌手だけを見ていてはいけない。」
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by franz310 | 2012-05-27 18:27 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その329

b0083728_151418.jpg個人的経験:
ヘンデルのオペラ「アルチーナ」の
CDのデザインは、二人の女性が、
恋人のように寄り添うものが多い。
これは、魔女アルチーナと、
その恋人、騎士ルッジェーロを演じるのが、
どちらも女性であるからだが、
「ロミオとジュリエット」のように、
デザインされているのは違和感がある。
何故なら、最後、ルッジェーロは、
自らの意志で別れて行くからである。


この3枚組CDでも、
人気歌手のフレミングとグレアムが、
非常に印象的なポーズを取っている。

ここに聴くCDの付録解説にも、
この二人の偽恋人については、
(with a false, inconstant love)などという、
あけすけな表現で語られている。

「同じ歌手たちのために書かれた
『アリオダンテ』同様、『アルチーナ』でも、
主要な5人の人物が登場するが、
彼等は、立派なバスに監視されていて、
1つの感情の鎖で繋がっている。
オロンテはモルガーナを愛し、
彼女はリッカルドを愛しているが、
実は、これは、ルッジェーロに捨てられた恋人、
ブラダマンテであり、
この人はルッジェーロを真実の愛で愛しており、
ルッジェーロは偽りの束の間の愛で、
アルチーナを愛している。」

というように、ルッジェーロの愛情は、
もともと不純だった、みたいな言いぐさである。
これでは、魔女とは言え、アルチーナがかわいそうだ。
確かに、ヘンデルは、むしろアルチーナの
味方のような音楽を書いているのだが。

「男と名誉の物語である『アリオダンテ』は、
悪のポリネッソの破滅によってハッピーエンドに至るが、
女と魔法の物語である『アルチーナ』には悪役はおらず、
すべての魔法の呪文が解けて終わる。
この場合、勝利の実感はなく、
ヒロインが消える時、
彼女と共に、彼女の狂気も、
彼女の美も、彼女の愛も、
彼女の痛みも、彼女の謎も、すべて消える。」

こんな痛々しい物語ゆえ、
このCDのようなラブラブの表紙写真は、
ある種の痛みを持って見るのが正しい。

そう考えると、アルチーナのフレミングは、
きっぱりと真実を見つめているが、
グレアムのルッジェーロは、夢想の中に佇んでいる。

この二人のみならず、ものすごい配役である。
パリ・オペラのライブで、拍手入りである。
1999年6月の録音で、
ラジオ・フランスが行っているが、
エラートがCD化したものである。

第1幕の冒頭から、いきなり歌を披露する
アルチーナの妹のモルガーナには、
ナタリー・デッセイが起用されている。

ラジオ・フランスなどが介入しなければ、
デッカのフレミング、ソニーのグレアム、
EMIのデッセイなどが一同に会することは、
困難だったかもしれない。

ちなみに新書館の「オペラ名歌手201」では、
グレアムの代表盤にこのCDが載せられている。
「特に『アルチーナ』は、
バロック・オペラの過剰な装飾をすべて排した
R・カーセンの大胆な演出が功を奏し、
W・クリスティの精緻を究めた指揮のもと、
グレアムの男役としての魅力が
いつになく鮮明な輪郭をもって
舞台に現出していた」と紹介されている。

このCDは、レザール・フロリサン結成20周年に、
ふさわしい名演とされてもいた。

冒頭、島に迷い込むブラダマンテは、
キャスリーン・クールマン、
一緒に現れるメリッソは、
ローラン・ナウリが担当。
解説にある写真で見る限り、
役柄にふさわしく、
細身ながら威厳のあるおっさんである。

クリスティー指揮のレザール・フロリサンの演奏は、
毎度のことながら、シルキーな軽やかさに満ち、
序曲からして、ヘンデルらしい骨太さよりも、
繊細で夢想的な雰囲気を醸し出している。
非常に上品な音楽である。
ヒロ・クロサキがリーダーを務めている。

また、合唱団が、別途用意されており、
時折、その豊かな響きを堪能できる。

また、前回、検討したバレエの音楽は、
ここでは、最後の最後、劇の余韻のような形で、
演奏されている。

では、解説を読み進めてみよう。
この解説は、登場人物ごとに、
初演時の歌手紹介を行い、
歌手と歌の関係が丁寧に語られている、
という特徴がある。

「『アルチーナ』をかなり書き進んでから、
ヘンデルは、知られざる詩人によって改作された、
題名のないリブレット
(これはもともと、1728年にファリネッリの兄、
リッカルド・ブロスキが作曲したもの)にはない、
7番目のキャラクターを書き加えた。
これは、魔女によってライオンに変えられた、
父親を助けに来た少年、オベルトである。」

このCDでは、ファニータ・ラスカーロという
ソプラノが歌っているが、
下記のように、少年の声を想定していたらしい。

「こうした奇妙なプロットへの、
追加の原因が考えられるとすれば、
オラトリオ『アタリア』でジョアスを歌って、
満場の喝采を浴びたばかりの、
まだ14歳の若いウィリアム・サベージを、
ヘンデルが発見したからに相違ない。
オベルトが表現する感情の幅は、
彼が示した可能性が、
『Chi m'insegna il caro padre?』の単純な嘆きから、
『Tra speme e timore』の勇敢さや、
『Barbara!』の怒りの噴出にまで至り、
これはステージ上の子どもの限界となる無邪気さを、
サベージが越えていたことを示唆する。」

このような、飛び入り参加は、
昨今の天才子役が、一度当たれば、
いろんな番組に登場するのに似ているので、
聴衆の方も楽しんだに相違ない。

単純な嘆きとされる
『Chi m'insegna il caro padre?』は、
CD1のTrack10.
「誰が、お父さんの居場所を教えてくれるの」で、
ラスカーロの声は、優しいお姉さんの感じ。
ネット画像検索で見ると、エキゾチックな美人である。
CDの解説書の写真からは分からなかったが。

『Tra speme e timore』は、
CD2のTrack14.
「鼓動は希望のため、恐れのため」で、
ラスカーロはそれなりに勇ましいが、
声が細いので、
父を捜す少年の胸の高ぶりというよりは、
少女のそれのようだ。

『Barbara!』は、CD3のTrack15.
「残酷な人だ」とアルチーナを罵るシーンであるが、
ちょっと優等生的で迫力はない。
ただし、すごい技巧が仕組んであるのを、
すいすいと進むのは爽快だ。

「アルチーナの『将軍』である、
オロンテは、元気の良い恋人で、
若いサベージより少し年上の、
ジョン・ビアードというテノールの声に、
ぴったりと合わされている。
やっかいな、『Semplicetto』や、
優しい『Un momento di contento』にも、
後に彼が、英国で最も有名なテノールとなる
片鱗が垣間見える。
ビアードの声を想定して、
ヘンデルは後にサムソンやベルシャザール、
イェフタの役柄を作曲した。」

この、少し性格の弱そうな役柄は、
ティモシー・ロビンソン

やっかいな、『Semplicetto』とあるが、
これは、CD1のTrack16.
「君は若くて分かっていない。
女を信用するなんて」と、
恋敵のルッジェーロをからかう歌。

ロビンソンは、爽やかな美声で、
まあ、いいんじゃないの、という感じ。
あまり、意地悪ないやらしさが出ていない。

優しい『Un momento di contento』
は、CD3のTrack5.

「一時の幸福は、本当に恋する人の
涙をも喜びに変える」と歌われ、
モルガーナの悲しみに同情する感じのもの。
ここでは、ロビンソンの優しい表現で良いのかもしれない。
典雅な伴奏が聴き所でもあろう。

「アルチーナの妹、モルガーナの役は、
1735年の時点で、もう一人の若い歌手、
ソプラノ、セシリア・ヤングに託された。
彼女は、2年後、作曲家のトーマス・アーンと結婚する。
彼女が、もはや彼の一座ではなかった時にも、
1740年代終わりまで、
ヘンデルの音楽の信頼すべき解釈者であり続けた。
バーニーによると、彼女は、
『美しい自然な声と素晴らしいトリル』に恵まれ、
『よく訓練されて、彼女の歌唱スタイルは、
同時代の英国の女性歌手を引き離していた』。」

なるほど、ここで、デッセイを起用しているのも、
肯ける程、初演時から期待されていた役柄であった。

「結果として、アルチーナは、いくつかの場面で、
そのパートナーのオロンテを、
輝かしさ(ヘンデルが1708年に書いた
カンタータを基にした、第1幕の花火のような声楽曲、
『Tornami a vagghegiar』は、彼の最も有名なアリアとなった。)
と、メランコリーの表現(優しい、物憂げな装飾と、
オブリガードのチェロを持つ『Credete al mio dolore』)
の両面で圧倒した。」

花火のような声楽曲と書かれた、
『Tornami a vagghegiar』は、
CD1のTrack22.で、
第1幕の終曲である。

単純で軽快な序奏は、まさか、そんな、
花火が上がるとは思えない展開であるが、
「早く来て、私を誘って」という情熱的なもので、
「私の真実の心は貴方を愛したくてたまらない」
みたいな内容で、軽快かつ敏捷なときめきが、
装飾を交えて歌われ、強烈なコロラトゥーラが聞こえる。

デッセイの歌は、澄んできれいであるが、
情念をかき立てるほどのものではない。
しかし、会場の大歓声はものすごいものがある。

オブリガードのチェロを持つ
『Credete al mio dolore』は、
CD3のTrack3.

これは、「ああ、あなたの怖い目、だけど、愛しい目、
あなたの愛に恋い焦がれています、思いやりを下さい」
と歌われるもので、胸苦しくなるようなアリア。

確かにチェロの効果が絶妙であるが、
ぱらぱらと鳴っているテオルボだか、
ハープシコードの音も切ない。

デッセイの声は迫力はないが、
ひたむきさが胸を打つ。
最後のコロラトゥーラの飛翔も、
あまりの悲しさに涙を誘うものがある。

次は、見るからに一癖ありそうな、
ローラン・ナウリ演じる、メリッソは、
やはり、特異な役柄であることが強調されている。

「バーニーは、バスのグスタブ・ワルツのスタイルを、
粗野で面白くないと感じたが、
これは、メリッソには1つしかアリアがないからであろう。
しかし、何というアリアであろう。
シチリアーノの『Pensa a chi geme D'amor piagata』は、
ホ短調で、理論家で一時、ヘンデルの同僚であった、
ヨハン・マッテゾンによると、
これは、『非常に物思いに耽り、深く、嘆くような、
悲しく、癒しへの希望』を感じさせるもので、
この幅広いフレーズのラルゲット・アンダンテには、
明らかに、単に『粗野な』ものを越えたものがある。」

この貴重なシチリアーノのアリア、
『Pensa a chi geme D'amor piagata』は、
真ん中の幕の最初で、
CD2のTrack4にある。

ここは、メリッソが、ルッジェーロの指に、
魔法を克服する指輪をはめるシーンである。
解説によると、かつて、アンジェリカが持っていたもの、
という注釈がある。
なるほど、こう書かれると、
「オルランド・フリオーソ」が原作であることが、
少し分かる。

指輪の効果によって、みるみる魔法が解けて、
部屋は荒涼たる荒れ地になる。

いかにも、それらしい雰囲気の序奏がついていて、
「傷ついた彼女を思ってやれ」と、
ブラダマンテのことを考えるように威嚇する。

確かに粗野なものではなく、
きわめて、感情に迫るように歌われるべきものである。
威厳のあるナウリの歌は期待に違わぬものである。

「『アリオダンテ』で、
悪役ポリネッソを演じた
ボローニャのコントラルト、
マリア・カテリーナ・ネグリは、
『アルチーナ』の『いい者』キャラ、
ブラダマンテを演じた。
ヘンデルは、性の反転という、
彼の嗜好をぞんぶんに活用している。
この拒絶された女性が、
オペラを通じて男性の兵士に扮しているのみならず、
トランペットと戦場の調である、
ニ長調の『E gelosia』や、
『Vorrei vendicarmi』の衝撃的な装飾は、
その婚約者で煮え切らないルッジェーロより、
ブラダマンテをいっそう男らしく見せている。」

クールマンの歌うブラダマンテ。
戦場風の『E gelosia』は、第1幕の中間部に当たり、
「それはジェラシー」よ、オロンテに、
「愛が強すぎるゆえ」と、モルガーナに歌いかけるもので、
CD1のTrack14.で聴くことが出来る。

ソプラノのよく通る声の中では、
すこしくすんだ色調のコントラルトであるゆえ、
いきなり声量に不足する感じもする。

衝撃的な装飾の『Vorrei vendicarmi』と書かれた、
「彼の不実な心に仕返ししたい」は、
CD2のTrack6.で聴ける。

クールマンの声は、どうも籠もった感じがして、
衝撃的な装飾に煌めきが少ないような気がする。

どうも、この時代のカストラートに張り合うような、
強烈な力感と声域の広さを夢想すると、
ちょっと、それほど衝撃的とも思えないのは困ったものだ。

さて、残るは、ヒロインとヒーローであるが、
この解説にあるように、同性として、
まことに恥ずかしくなるヒーローが、
このルッジェーロである。
人気のメゾ・ソプラノ、
スーザン・グレアムが歌っている。

「ルッジェーロに関して言えば、
このオペラの中で、アクティブな役回りでも、
ブラダマンテとアルチーナの感情の争奪戦に
捉えられている犠牲者でもなく、
そのヒロイズムだけで共感を得ることも不可能だ。
これはたぶん、バーニーによる、
当時、ファリネッリを除いては随一のカストラート、
(実際、アリオダンテの主役を務め、
ファリネッリと同格になった)
ジョヴァンニ・カレスティーニの予約で説明できよう。」

ということで、もともとは、
カストラート歌手のために書かれた役柄。
それなら、声が高いだけで性の倒錯はあまりない感じである。

「カレスティーニは、
生き生きとした創意豊かな
イマジネーションの才能に恵まれ、
ヘンデルに、第2幕の輝かしい
ホ長調のロンド、『Verdi Prati』を、
書き直すことを依頼した。
バーニーによると、作曲家は怒り狂って、
こう罵ったという。
『このとおりに歌わんとは、
あんたはわしがおぬし以上にわかっとらんと言うのか。
あんたがすっかりわしが書いたとおりに歌わんなら、
一銭も払わんからな。』
この逸話には、いささか当惑させられる。
確かに、ルッジェーロの役は、
特に、オベルトという人物の追加によって、
第1幕の壮麗な、『Bramo di trionfar』を奪われ、
『アリオダンテ』やアン王女結婚のための、
『パルナッソス山の婚礼』のような、
声の花火を楽しめるものではなかったが、
全オペラを通じて、ルッジェーロは、
沢山の喜びをもたらしていることは言うまでもなく、
ユーモア溢れる『Di te mi rido』や、
絶え間ないアクロバットを見せる『La boca vega』は、
簡単な役からほど遠く、
『Mi lusinga』は第2幕をこの幻影の島における、
決断も予期できない雰囲気で彩り、
粗野なホルンに勝ち誇ったアルペッジョによる、
『Sta nell'lrcana』は、バロックのベルカントの珠玉である。」

聴き所たくさんであるが、人気のカストラート歌手は、
これくらい働いて貰わないと困る感じか。

カレスティーニが書き直しを求めたとある、
第2幕のロンド、『Verdi Prati』は、その終わり近くで、
CD2のTrack20.で聴ける。

これは、このオペラの中では、
かなり詩情豊かなもので、
「緑の草原よ愛らしい木立よ、
お前たちもその美しさを失う」と歌われる。

超絶技巧を得意とする歌手には、
あまりに平易な表現でありすぎたのか。

先のオペラ「オルランド」でも、
草原から去って行くシーンがあったが、
ここも、その焼き直しみたいなもの。
これもまた、牧歌的な情緒に、
惜別の情が込み上げる美しい詩的な音楽であるのだが。

ユーモア溢れる『Di te mi rido』は、
第1幕のもので、CD1のTrack12.
ブラダマンテに向かって、
「君のおろかさに腹が立つ」と歌うもの。

ユーモア溢れるというには、
ここでのグレアムの歌は優等生的で、
あまり腹立たしく思っている感じがしない。

絶え間ないアクロバットを見せるという、
『La boca vega』もまた、第1幕のもので、
さすが人気者で何度も出て来る。
CD1のTrack20.で、
「彼女の愛らしい口元と黒い瞳」とある。

愛らしく凝った前奏に続き、
ブラダマンテは男装した女性であることを
知らずに歌う小唄。
グレアムもまた、男役にしては、
ちょっと非力な感じがしなくもない。

魔法の島の雰囲気を彩っているという、『Mi lusinga』
第2幕の最初の方で、CD2のTrack8.で聴ける。
「私の優しい感情が私を呪文にかけ」と、
確かに無責任な無力感いっぱいである。

これまた、名手カレスティーニが歌ったら、
もっと桃源郷に誘うような、
超俗的な響きが現出したであろうもの。
グレアムの歌は、悪くはないが、
現実に舞台上で歌っている感じに収まっている。

バロック時代のベルカントの珠玉と激賞された
『Sta nell'lrcana』は第3幕、
CD3のTrack9.にある。
ブラダマンテに、「ヒルカニアの石のねぐらでは、
怒り狂ったメスの虎が潜んでいて、
逃げるかハンターを待つかを考えている」
と、解放的に勇敢に歌うもの。

オーケストラもまた技巧的で、
パッセージの交錯、ホルンの雄叫びと、
非常に多彩なものである。

グレアムは、このような背景に、
安定した技巧を効かせながら、
素晴らしい推進力で聴く者を黙らせる。

さて、最後にタイトルロールである。
さすがにヘンデルは、ここには、
忠臣を配備している。

「1729年、キングズシアターのために、
ヘンデルに採用されたソプラノの
アンナ・ストラーダ・デル・ポーは、
ロンバルディア人であった。
1733年にポルポラと、
プリンス・オブ・ウェールズが、
彼の劇場と歌手たちを『サクソン人』から奪った後も、
ヘンデルに忠実だった、ただ一人の歌手であった。
その尊敬や見返りとして、
我々は、恐らく、彼女を、
『アルチーナ』のタイトル・ロール
として考えるべきであろう。」

下記のように魔女役が当たり役というのも、
どうかと思うのだが、激しい感情移入が出来たのであろう。

「いかなる時も、彼女の持ち役であった。
ヘンデルの魔女は、
『リナルド』のアルミーダ、
『テーゼオ』のメデア、
『アマディージ』の素晴らしいメリッサさえ、
ヘンデルの魔女は、悲鳴と憎悪でスパイスされていた。
『アルチーナ』は、
第3幕のある一瞬を除いて、
怒りに負けることがないが、
この『Ma quando tornerai』ですら、
恐ろしさより哀れさを感じさせる。」

ということで、ここでは、ストラーダにとっても、
新境地開拓のための試金石となったわけだ。
ここまで、歌手の特性を理解しながら、
さらに、その隠れた可能性までを引き出すような活動を、
シューベルトのようなロマン派の作曲家はしていたかどうか。

「キルケの孫であるアルチーナは、
倦怠感のある魔女である。
彼女は、あまりの快楽だけ、
ということは不毛であると自覚し、
彼女が征服せざるをえない男たちに退屈し、
自らの呪文にくたびれ、
彼女は自分の島にうんざりしている。」

この設定も、私には少なくとも、
かなり時代を超越したものに感じる。

「彼女の登場のアリア『Di,cor mio』から、
我々は、この魔女は、もはや、
気まぐれな恋人をコントロールできないことを感じる。
『美女と野獣』の物語のように、
(しかしあべこべであるが)
もし、ルッジェーロが真実の愛を宣言すれば、
彼女の杖は打ち砕かれ、
彼女の中の『女性』が『魔女』に対し、
勝利したであろう。
世界にあるすべての呪文は、
『Ah! mio cor』や、
『Ombre pallide』や、
『Mi restano le lagtime』
のようなアリアと、
比べられるレベルにあるだろうか。」

ヘンデルは、このかわいい協力者に、
これでもかこれでもかと花を持たせた感じであろうか。

登場のアリア『Di,cor mio』は、
CD1のTrack8.で、
「愛しい人よ、言ってあげて、
どんなに私があなたを愛しているかを」と歌われる。

このアリアは印象的なもので、
素晴らしく優雅な前奏に続いて、
優しげな歌が歌われるが、
前回見たDVDでは、
アルチーナはルッジェーロと、
抱き合いながら歌っていたものだ。

確かに、魔女が歌うには、
どこか儚げな気配があり、
諦念のようなものが満ちている。
フレミングは、格調高い歌を聴かせる。

『Ah! mio cor』は、
主人公が恋人を失うことを予感する
このオペラの最大の聴かせどころで、
全曲の中心に要のように置かれた、
12分42秒の大作。

CD2のTrack16.においてフレミングの絶唱が聴ける。
感情の綾を、様々な音色で聴かせ、
深々とした低音も豊かに、
心のこもった、没入感のある表現。
中間部では、「私は魔女よ」と急速になるが、
ここでも、破綻なくアクロバットを制している。
動悸の高鳴るオーケストラの繊細さも、特筆に値する。

他にも、魔術的なレベルに達しているものとして上げられた、
『Ombre pallide』は、同じく第2幕を締めくくるもの。
CD2のTrack22.で聴ける。

これは、ト書きによると、
「魔法を執り行う地下の部屋で、
いろんな人影や道具が見える」というシーンで歌われる。

魑魅魍魎がうごめくような前奏からして、
非常に怪しい雰囲気が出ている。

ルッジェーロの裏切りを嘆くもので、
「私の声が聞こえないの、何故、何故」と、
歌われるもの。
オーケストラの切迫した雰囲気も相まって、
フレミングの歌には、情念のようなものも、
見え隠れしていて好ましい。

『Mi restano le lagtime』は、
第3幕CD3のTrack13.にある。
オロンテとアルチーナの会話の中で出て来る。
「涙だけが私には残っている。
魂の全てを賭けて祈ります。」

切ない感じは前奏からしてみなぎっていて、
8分を越える長さで、ひたすら、
ラメントが繰り広げられる。

フレミングのような表現力勝負の歌い手には、
こうした、部分で聴衆を惹き付け、
圧倒することが期待される。

このような聴き方をして、
今回、特に痛感させられたのは、
当時のオペラにおいては、歌手によって出番の数が決まり、
それに応じてアリアが作られるので、
それに応じてドラマの進行が影響を受けるということである。
こんな作り方は、少なくとも、
ベートーヴェンやシューベルトにはなさそうだ。

今回、独唱の部分を中心に聴いてしまったが、
第3幕の最後(CD3のTrack17.)の、
ルッジェーロ、アルチーナ、ブラダマンテの三重唱の美しさや、
CD3のTrack19.のコーロの精妙さなども、
特筆しておく必要があろう。

上品な音楽を奏でる指揮のクリスティーに倣って、
どろどろ感は犠牲になっているものの、
総じて格調が高い演奏となっている。

得られた事:「ヘンデルには、まず活躍させたい歌手がいて、彼等の美点を見せつけ、彼等の力量を最大限発揮させるような曲付けを最優先に行った。」
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by franz310 | 2012-05-20 15:07 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その328

b0083728_222549100.jpg個人的経験:
ヘンデルのオペラ、
「アルチーナ」を聴いている。
前回は、およそ2/3しか
聴くことが出来なかった。
今回は、残りを聴くが、
それは、無言劇のような、
管弦楽の組曲から始まる。
人の声を必要としない楽曲を、
多く含むオペラであることは、
このCDからも知られていた。


「ヘンデル:『アルチーナ』~バレエのための音楽」
と題されたもので、ガーディナーが、
イングリッシュ・バロック・ソロイスツと録音したもの。

表紙デザインは、古代ギリシア風の男女が踊るもので、
中世に題材を取った、アルチーナとは関係なさそうだ。
他に、「テレプシコラー」や、「忠実な羊飼い」といった、
ヘンデルのオペラから取られたバレエ音楽が、
それぞれ5トラック分、8トラック分入っている。

このデザインは、古代ギリシアに題材を求めた、
これらに由来するものかもしれない。

佐藤章氏の解説によると、
「テレプシコラー」は、「忠実な羊飼い」が、
1734年に再演された時に加えた、
「フランス風のオペラ・バレエの様式による序幕」
だということである。

テレプシコラーは、ゼウスの娘である、
9人のミューズの一人で「舞踊と合唱の女神」だという。
Track16から20の5曲は、
プレリュードとシャコンヌという、
比較的長い優美な楽曲に、
(これがフランス風序曲なのだという)
荘重なサラバンド、
軽快に跳躍するようなジーグ、
粗暴、豪快なエア、
バッロという短い曲集からなる。
このように、ちょっとした、「管弦楽組曲」である。
ただし、終曲は、主にフルートのための楽曲となっている。

また、Track21以下は、
解説によると、「フランス風序曲」に続けて演奏されたとある、
「忠実な羊飼い」から、「ア・テンポ・ディ・ブーレー」など、
計10分強の舞曲集が並んでいる。

これらも、もともと、1712年にヘンデルが書いて、
ロンドンで上演していたオペラを、
何と22年も経って1734年に再演した時に、
付け足したバレエ音楽だということだ。

Track23のミュゼットが、
2分40秒で長めであるが、
この曲は、不思議なドローン効果もあって、
エキゾチックな、あるいは神話的な雰囲気が目立つ。

他の曲は、1分に満たないものも多く、
完全に踊りの伴奏のような感じ。

このガーディナーのCD、
1984年3月に、ロンドンで録音されたものだが、
サウンド・エンジニアとして、
後に、OPUS111を設立する、
ヨランタ・スクラの名前が挙げられている。

RVC株式会社から出された日本盤は、
前述のように、佐藤章氏が解説を書いているが、
もっぱら、何故、これらの管弦楽舞曲集が書かれたか、
という歴史的背景の記述に傾注している。

タイトルも、「舞姫マリー・サレとヘンデル」とあり、
いかにフランス人がバレエ好きであるかや、
18世紀に、肉体の躍動を表現したバレエ改革が、
どのように起こったかなど、詳しく説明してくれている。

マリー・サレ(1707-56)は、
「徹底した衣装改革をすすめ、
1729年には仮面をつけずに踊って
センセーションを捲き起こした」人と書かれている。
これまでの重い衣装の装飾的舞踏から、
踏み出した改革者なのである。

パリの生まれながら、
ヘンデルの作品には10歳の時から
出演していたとあり、
ここに収められた作品は、
すべて、彼女のために書かれた作品だとも、
書かれている。

このような資料的価値を求めた録音ゆえか、
あまり、オペラ「アルチーナ」の鑑賞に役立つものでもない。
やはり、情念をみなぎらせた、
人間の声の可能性追求があってこそ、
このオペラは輝くのだということが、
かえって痛感させられる。

このバレエ音楽の録音があった時代、
ヘンデルのオペラ全曲のレコードやCDなどを企画することは、
非常に困難だったに相違ない。
ヨランタ・スコラのような人は、
こんな状況を打破したくて、
自ら会社を立ち上げたのではないか、
などと考えてしまうCDである。

もちろん、Track1~3の充実した序曲に続いて、
12曲、約20分もの親しみやすい管弦楽曲が聴けるのは、
第2の「水上の音楽」が現れたような感じがしないでもないが、
やはり、「アルチーナ」と言えば、
「ああ、我が心よ」のような、
アリアの深い感情表現を期待したくなるではないか。

一応、Track4のト短調のバッロなど、
この調性から言っても、錯綜した感じからしても、
この悲劇の雰囲気を、かろうじて伝えてはいる。

しかし、Track5のメヌエットや、
Track6のガヴォットは、
一転して晴朗なもので、
「水上の音楽」を想起させ、
「アルチーナ」的では全くない。

以上は、第1幕からの舞曲だという。

Track7の第3幕冒頭のシンフォニアや、
Track8のアントレは、
DVDの上演でも演奏されて、
その劇的な雰囲気が、「アルチーナ」の世界を示すものだ。
Track9の太鼓連打付きの、
タンブランは、取ってつけた感じだが、
しかし、まあ、以上3曲はこれでまとまった感じはする。

解説によると、残りの6曲は、
本来、「アルチーナ」のための楽曲ではないという。
これでは、これらの組曲を持って、
「アルチーナ」を語れないのは当然であった。

Track10以下のの「夢のアントレ」シリーズは、
「アリオダンテ」のための舞曲集で、
「アルチーナ」第2幕の終わりの音楽として使われたとある。

「心地よい夢」、「不吉な夢」、「おびえた心地よい夢」、
そして、「不吉な夢と心地よい夢の争い」を表した、
これら4曲は、ハッカー指揮のDVDでも聴けたもの。
これらも、同じコンセプトで、なかなかまとまりが良い。

最後のTrack14、15の「モール人のアントレ」と、
「ロンド」は、完全に「アリオダンテ」の音楽で、
「アルチーナ」とは無関係だという。
一応、同様の楽曲として、続けて聴くのに不自然さはない。

録音もよく、ガーディナーの指揮も上品ではあるが、
やはり、突き抜ける声の饗宴がないという、
いじいじしたもどかしさが残るCDである。

さて、先に触れた4曲の「夢のアントレ」は、
ハッカー指揮のDVDにあったので、
ここから、再度、ARTHAUSのDVD鑑賞に移ろう。

Track46~Track50.
前述のように、これらの部分に歌はなく、
パントマイムのように訳者が静かに演技している。
ただし、本来のバレエではない。

優しい音楽と共に、
背景の額縁の中から、ルッジェーロと、
ブラダマンテのカップルが現れる。
Track47.
アルチーナの絶望のような音楽が激しく続く。
何となく優柔不断なルッジェーロの指に、
ブラダマンテは指輪をはめる。
Track48.
音楽は急速になる。
すると、ブラダマンテは、花嫁の衣装になり、
無理矢理、メリッソに挙式させられてしまう感じ。
Track49.
典雅な舞曲になる。
記念写真のように、全登場人物が額縁に納まる。
Track50.
雄渾な楽想になるが、舞台上は何やらヤバい気配。
このあたり全部、パントマイム風の演出で、
メリッソに好き勝手されているうちに、
何と、ルッジェーロは、頭から血を流して死んでしまう。
音楽はめまぐるしく変化するもの。

「夜が更けると、夢の世界が、
ます、希望を、そして恐怖が、
主人公たちを捉える。
しかし、お仕舞いには、
ルッジェーロもまた、近づいて来る戦争の犠牲となる、
ということが明らかになる。」

第3幕.
Track51.
またまた、切迫した音楽。
モルガーナは、ブラダマンテ(リッカルド)が
残していった服を手にして嘆いている。

Track52.
「オロンテはモルガーナの愚かさを嘲り、
彼女は昔の関係の安全に逃げる。」
何と、モルガーナは、オロンテに詫びている。

Track53.
ここで魅力的な音色を響かせる低音の弦楽器はガンバだろうか。
モルガーナが、「私に憐れみをかけて下さい」と歌う。
彼女は、ブラダマンテの残して行った服をくしゃくしゃにしている。
再び、オロンテに心が戻ったということであろうか。
いくら縛っても、はみ出してしまうのを、オロンテが手を添える。
なかなか憎い演出である。

Track54、55.
オロンテの仲直りのレチタティーボとアリア。
安らぎと温かさに満ちた音楽。

Track56.
出て行こうとするルッジェーロとアルチーナが出くわす。
「他の女のところへ」とアルチーナが言うのに、
ルッジェーロは、「僕の婚約者だ」と叫ぶ。
アルチーナは、泣き崩れそうに、
「それなら私のことは忘れてしまえるのね」と答える。
魔女どころか、かわいい女である。
「栄光」や「名誉」をルッジェーロは口にする。

Track57.
「恩知らず」と罵る、
アルチーナの怒りのアリアであるが、
音楽は、軽妙な感じで、
ルッジェーロよりも、アルチーナの方に分がある事を、
ヘンデルは示唆しているように見える。

「一度愛したゆえに、憐憫が起こる」
「仲直りしない」という
という切実な中間部を経て、
再度、最初の軽妙な音楽が始まる。
ルッジェーロも、頭を抱える始末である。
超絶の高音を放って、
アルチーナは思いの丈をぶつける。

Track58.
舞台上にホルン奏者が現れ、ホルンを高らかに鳴らす。
ルッジェーロのアリアは、
ルッジェーロが戦士に戻る様子を表したものであろうか。
歌いながら、ブーツを履いて、彼の心は決まったようである。
中間部、虎の親子の逸話が出て来るところに、
彼の心の揺らぎがある。
ものすごく長いアリアで、
アルチーナはその間、出たり入ったりして、
いろいろ考えているが、
6分半も歌い続けている。

「アルチーナとは違って、ルッジェーロは、
起こっていることにお構いなしである。
激怒し、恋情も覚めると、彼の自立性のなさに、
アルチーナは彼を去らせ、
それでお仕舞いにすることを保証する。
ルッジェーロは、もう戻ることは出来ないと気づき、
彼の唯一の道は戦場に行くことだと悟る。」

Track59.
アルチーナのアリア。
ルッジェーロを失うと共に、
自らの半生を振り返る感じ。
悲しみを切々とたたえたもので、
「Mi restano le lagrime」とあるように、
嫋々たるラクリメという風情。
中間部は、少し、諦念があって、
雲の隙間から射す光のような感じで美しい。
これは、すごく芸術性の高いものだと感じた。
「絶望して、アルチーナは、その愛情から一歩置く」
と解説にある部分である。

この後、アルチーナの後ろを、
大きな男が歩いて通り過ぎるが、
これは、オベルト少年の父親である。

Track60.
「すべての悲しみが喜びに変わる」とか言って、
オベルト少年が入って来ると、
アルチーナは、またも裏切られるとか言って、
拳銃を少年に渡し、あの男(野獣)を撃てと命じる。
しかし、少年は、アルチーナの方に銃を向ける。

Track61.
オベルト少年のアリアで、あれは、アルチーナに、
野獣に変えられた父の姿だと分かっている、と歌い上げる。
大男は、アルチーナを押さえつけるが、
少年は、アルチーナへの恩も感じたか、
銃を捨て、魔女に抱きついて、父親と出て行く。

「オベルトの父親は、アルチーナの宮殿に行く道を発見し、
息子の助けを受けて、彼女に依存させられた事に対し、
復讐を果たす。」

Track62.
追い打ちをかけるように、
ルッジェーロとブラダマンテのカップルが、
幸せそうに現れる。
「もう嘘を聴いては駄目よ」と言うが、
アルチーナは「嘘ではなく、同情で予言だ」という。
アルチーナは、ルッジェーロの死を確実視している。

Track63.
幸せそうにしているカップルに忠告するアルチーナを、
ブラダマンテとルッジェーロが二人してはねつける三重唱。
楽想は楽しげであるが、考えさせられる状況である。
中間部では、悲しい運命を暗示するかのように、
影が差すのだが。
ダカーポ形式で、再び繰り返される楽しげな楽想は、
かえって、人間の運命をあざ笑うかのように響く。
人間は、それでも頑なに思うがままに生きたがるものなのである。

「夢は現実となって行く。
ブラダマンテがルッジェーロの花嫁として現れると、
ルッジェーロの運命を警告し、
そして、彼の死を防ごうとする、
アルチーナの絶望的な試みも、
卑しい動機によるものとみなされる。
事実、アルチーナは悪意なしに、
カップルに言祝ぎ、無私の心配をするのだが、
それらは理解されない。」

Track64.
ルッジェーロは、アルチーナを撃って、
気の毒な人を解放すると宣言する。
メリッソは、早くやれというが、
入って来たモルガーナが、やめてくれと嘆願する。

「不釣り合いな恋人たち、
アルチーナとルッジェーロ、
モルガーナとブラダマンテが、
お互いと会う最後の時。
メリッソが、ぐずぐずするルッジェーロをせき立てる」
とあらすじにある部分。
あらすじは、これで終わっている。

何と、まさかの展開で、
お構いなしに、メリッソが直接、手を下す。
「これが最後」とアルチーナは息絶える。

Track65.
野獣だったオベルト少年の父親も加わって、
「闇の恐怖から自由を救ってくれた」という、
歓喜の合唱が、全員の口からわき起こる。
しかし、これは、何という、後味の悪い歓喜の歌であろう。
何だかくすんだ色調で、まるで楽しげではない。
ヘンデルは、何という音楽を書いたことだろう。

Track66.
音楽は軽やかな舞曲となり、
みんながそこらのがらくたを拾い上げては、
品定めをしているうちに、
アルチーナは、彼等の後ろを悠然と歩き回り、
高みの見物をしている。

Track67.
急速な舞曲調の合唱。
「最後には愛が勝つ」という、
野卑なまでの音楽。
アルチーナは、覚めた目で、
彼等の愛の様子を見つめている。
それで、いきなり真っ暗になって終わり。

アルチーナの愛の方が、洗練された愛ではなかったか。
彼女の何がいけなかったのか、
よく分からないといったエンディングである。

このように、非常に悩ましい心理描写に
重きを置いたオペラではあるが、
前述のように、バレエ音楽が重要な位置を占めていたことは、
例えば、他の「アルチーナ」のCD解説にも書かれている。

たとえば、Ivan A.Alexandreという人が書いた解説には、
こんな事が書かれている。
なお、この解説が収められたCDについては、
次回、取り上げる予定である。

「『何故、ハリー、私はお前を敵と呼ばなければならん、
最も親しい、愛すべき敵よ?』
(シェークスピア『ヘンリー四世』第一部)。
英国の王様は、自分の息子、
プリンス・オブ・ウェールズに、
こう尋ねたが、まるで、これは永遠に続くかのようだ。
15世紀であろうと、18世紀であろうと、
(もっと最近でさえも)しばしば、
英国は伝統的に王位の強奪を繰り返し、
それが、君臨する君主に対する当惑にも敬意にもなった。
ジョージ二世とその長男フレデリックもまた、
例外ではなかった。」

このような皇室の争いが、何故、
「アルチーナ」と関係があるのだろう、
と考えてしまうところだが、
これが、非常にありありというのが面白い。
しかも、バレエに関する記述も、
非常に自然に登場するので、乞うご期待である。

「しかし、1730年代からは、
その権威を笑い飛ばすフォルスタッフはおらず、
以来、洗練された作法とイタリア・オペラの時代となり、
皇室の口論は、劇場にて演じられることとなった。
1732年、若いプリンス・オブ・ウェールズ、
フレデリックは、新しいオペラ団を支援して、
父親に反抗した。
ジョージ二世がパトロンをして、
ヘンデルが10年以上監督を務めていた、
キングス・シアターのオペラ団を
浸食することを意図して組織されたものだった。
『我々のオペラは沢山の不和の種を抱えています』
とヘンデルの友人、
メアリー・ペンダーブスは、
ジョナサン・スウィフトに書き送っている。
『男性も女性も、深く関係していて、
下院の中でも討論は冷ややかなものでした。』
新しいオペラ団は、貴族オペラと呼ばれ、
流行の先端を行くものや、最新のものを狙っていた。
そこでのスターは、
新イタリア派の二人の技巧家、
ナポリの作曲家ニコラ・ポルポラや、
若いカストラート、ファリネッリで、
彼等は、すぐにヨーロッパの
ギャラント・スタイルを生み出した。」

ここでも、ファリネッリやポルポラである。
ヴィヴァルディが、ナポリ派の彼等にひどい目にあって、
ぞくぞくと対抗策を考えていたのを思い出す。
「バヤゼット」が演奏されたのが1735年、
まさしく同時期の話であることが分かる。

「バヤゼット」でどのような手を使ったかは、
かつて、このブログでも取り上げたことがあった。

「貴族オペラは、その創設時、1733年に、
小さなリンカーンズ・イン・フィールド劇場で
活動を始めた。
すぐさま翌シーズンでは、
ヘンデルから、オーケストラや、
多くの歌手たちを奪い取る形で、
キングズ・シアターに移ることに成功した。
ロンドン到着以来、
1711年の『リナルド』での勝利以来、
ヘンデルは、始めて、自分の劇場を失った。」

ということで、南ではヴィヴァルディが、
北ではヘンデルが、同時期に、この連中に、
苦渋を飲まされたことになる。
今では、ポルポラはほとんど演奏曲目に上がらないので、
完全に悪役みたいな感じになる。

ヴィヴァルディは、最終的に敗退した感じもあるが、
ヘンデルは良く留まり、逆に駆逐する形になる。

「しかし、彼が新しい劇場を見つけるには時を要さず、
ウェストミンスター教会の僧たちの
埋葬地の近くではあったが、
コヴェントガーデンであった。
1732年12月7日、
コンブレーヴェの劇でオープンした、
コヴェントガーデンは、
ロンドンにおける最新で最大の劇場であった。
その創設者でオーナーは、
その名前にふさわしくジョン・リッチと言った。
リッチは、まだ比較的若かったが、
彼の前の劇場において、1728年、
有名な『乞食オペラ』で一儲けしていた。
興行師の息子であり、義父でもあったリッチは、
生来の劇場の人であった。
彼は劇場を情熱的に愛し、
贅沢なスペクタクルを敬愛した。」

このように、ナポリ派との壮絶な緊張関係が、
ヘンデルが新しい境地を模索するきっかけになったのである。
アルチーナにバレエ音楽が多い理由はここにあった。

「従って、ヘンデルが、1734年11月、
この新しい建物に移ると、
豪華なセットや最新の機械、
(キングズ・シアターでは、
独唱者たちが演じなければならなかった)
小さな合唱団を用意し、
さらに有名なバレリーナ、マリー・サレたちの一団から、
最近、パリから到着したダンサーの一団を呼んだ。
ヘンデルは、『忠実な羊飼い』の再演と、
新作の『クレタのアリアンナ』に
バレエをつけることからから始めた。」

ということで、冒頭のガーディナーの
CD解説に書かれていたような所まで来た。

「すべて自作から取られた、
パスティッチョの『オレステ』が続き、
特にコヴェントガーデン用に作曲した、
最初の作品、『アリオダンテ』が最後に来た。」

このアリオダンテもまた、
「オルランド」関連のオペラだということだ。

「『アリオダンテ』最後の舞台と、
オラトリオシーズンまでの間、
おそらく、1735年の2月か3月に、
彼の13番目のイタリアオペラ、
『アルチーナ』の作曲が始まった。
1735年4月8日、スコアが完成、
1週間後、16日水曜日に、
『アルチーナ』はコヴェントガーデンで初演された。
12日には、マリー・ペンダーブスは、
嬉しそうに詳述している。
『昨日の朝、私と妹は、ドネラン夫人と、
”アルチーナ”の最初のリハーサルを聴きに、
ヘンデルさんの家に行きました。
私は、それが、彼が書いたものの中で、
最高のものと思いましたが、
あまりにも何度もそう思ったので、
それをきっぱり”最高のもの”と言うより、
”あまりにも素晴らしいので、それを言い表せない”
と言うべきでしょう。』
それはともかくとして、
貴族オペラなどとの危険な競争が、
作曲家を、壮麗であると共に、
すぐに成功を収める作品の作曲に駆り立てたのである。」

ヘンデルの生涯を見ていると、
こうしたピンチをチャンスに変える点が多く、
音楽家でなくとも、学ぶべき点が多い。

「7月2日、ライヴァルの一座が、
シーズンを終わって一ヶ月も経って、
『アルチーナ』は、18回目の公演を行っていた。
当時としては特筆すべき公演数であった。
1736年から37年のシーズンにも、
さらに5回の演奏がなされたが同様に好評だった。
それから、新しい領域を開拓した作曲家が書いた、
全ての他のイタリアオペラ同様、
貴族とオペラ・セリアの世界は、
ブルジョワとオラトリオの世界に取って代わられた。
『アルチーナ』は、2世紀にわたる忘却に沈んだ。
舞台にかける費用はなく、
魔法にかけられた場所も、
魔法の庭も、不吉な洞窟も、
回転して人に変わる岩も、
変化するシーンは、セットや機械式のアクションや、
魔法の力と共に、
『リナルド』や『テッセオ』や『アマディジ』など、
最初のロンドンでの成功の、
想い出の中のだけものだった。」

このように、ファリネッリたちも、
英国でのイタリア・オペラ熱の消失と共に
消え去ることになるが、ヘンデルの場合、
「メサイア」などに代表される、
オラトリオの世界で、
再び脚光を浴びることになることは有名な話。

その前に、この「アルチーナ」の解説に
書いてあることを続けておこう。

「リブレットは、全ての騎士ロマンスの中でも
最も有名な、『オルランド・フリオーソ』をもととした、
最後のものとなったが、
これによって、傑作三部作が完成した。
キングズシアターのための『オルランド』(1733)に、
新しい劇場のための『アリオダンテ』が続いた。
一方で、タイトルのヒロイン名は、
『アマディージ』の英雄を愛し、
彼に征服された凶暴な魔女、
メリッサの子孫にも見え、
また、男らしい『アリオダンテ』
(これらは同じ歌手のために書かれた)
の女性版とも見える。」

この後、この解説は、「アルチーナ」の
各配役について書かれた部分が続く。
ヴィヴァルディも「バヤゼット」において、
自身が集めた厳選された歌手たちを起用したが、
ヘンデルも同様に、このオペラでは、
多くの信用できる歌手たちを活用したようである。

さて、文字数も尽きた。
今回は、このあたりで終わりにする。

得られた事:「ヴィヴァルディは、ナポリ派オペラに対抗して、曲中に敵と同じものを取り込んで対抗したが、ヘンデルは、同様の状況で、フランスのバレエを取り入れて新機軸とした。」
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by franz310 | 2012-05-12 22:27 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その327

b0083728_19522080.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディのオペラ
「オルランド・フリオーソ」を
基準とするならば、
ヘンデルが書いた、
魔女が出て来ないオペラ、
「オルランド」などは、
変わり種に思えてしまう。

さらに、ヘンデルの場合、
オルランド物語の
重要な脇役であるべき、
魔女アルチーナは、
オルランドの物語とは別に、
単独でオペラ「アルチーナ」
として作曲されている。


前回、ヘンデルのオペラ「オルランド」(1733)は、
ダカーポ・アリアといった伝統的な手法から離れて、
実験的な試みを盛り込みすぎて、
失敗したというような話を読んだばかり。

が、ヘンデルのオペラ「アルチーナ」(1735)の方は、
ダカーポ・アリアてんこ盛りみたいな解説を読んで、
のけ反りそうになってしまった。

「オルランド」より後の作品なのに、
退化しているようなイメージを持ってしまうではないか。

Robert Carsenといった人の書いた、
このオペラの解説を読むと、
こんな風に書かれていて、
いっそう混乱するのである。

「ディレクター的見地からすれば、
その生き生きとした心理的発展性ゆえに、
ヘンデルのオペラは、常にやりがいのあるものだ。
アリアの連続、アンサンブルの欠如といった、
構成から登場人物がどうなって行くかに焦点を当て、
効果を出すことが出来る。
A部に続き、短いB部が来て、再度A部が来る、
ダカーポ・アリアが、登場人物の心理を探索するのに、
高度に効果的で劇的な音楽形式かもしれないのは、
驚くべきことである。」

こんな風に、一本調子と思われたダカーポ・アリアが、
実は、全然、無味乾燥なものではない、
むしろ、「高度にドラマティック」などと書かれている。
そんな論調で始まっている。

「ヘンデルの『アルチーナ』には、25曲以上の、
ダカーポ・アリアがあるが、
ほとんどがダカーポ・アリアのオペラを聴くと、
登場人物を描くのにそれだけ時間をかけるという、
簡単な理由から、しばしば、理解がはかどる。
事実、『アルチーナ』の多くのアリアは、
5分以上を要し、それらの中でも、
『ああ、わが心』では、12分以上の時間を要する。
プッチーニの『ラ・ボエーム』2幕の最後ですら、
たかだか16分であることを思い出しても良いだろう。」

「オルランド」の解説者が、
ヘンデルは、そういった慣習的なものに反抗して偉かった、
みたいな語調だったのとは大違いである。

「いかなるヘンデル作品においても、
指揮者も歌手も音楽の中や、
その回りを飾る装飾の見せかけに騙されず、
感情のランドスケープを探索しなければならない。
行動を進めるレチタティーボに、
その行動に対する感情の反応を展開するアリアが続く
という連続パターンは、コンスタントに、
持ちつ持たれつで進化していく。
『アルチーナ』においては、
ほとんどのヘンデルのオペラ同様、
愛が基本要素であって、
それが登場人物と絡み合っている。
(オロンテは、アルチーナが好きな
リッカルド(ブラダマンテ)を愛する
モルガーナを慕っている。)
アクションがほとんどなく、
最初は戸惑うのだが、
登場人物の感情の要求を理解するに連れ、
どんどん、豊かに、満ち足りたものとなる。」

こんな感じで、ダカーポ・アリアの連続としての、
ヘンデルのオペラ「アルチーナ」を見ていこう。

ARTHAUSのDVDで、
表紙の色遣いがおどろおどろしく、
いかにも怪しい雰囲気たっぷりの写真が採用されているが、
この写真で顔を背けていては、中はとても
見ちゃおれんという代物。

ヨッシ・ヴィーラーと、セルジョ・モラビートという人が、
ステージ・ディレクターとして名を連ねている。
指揮はアラン・ハッカーで、
シュトゥットガルト州立管弦楽団の演奏。
1999年の公演記録である。

このDVD、解説部に署名がないが、
表紙裏に、先に、ステージ・ディレクターとして紹介した、
Sergio Morabitoという人が、あらすじを書いたとある。
舞台を受け持った人が書いているのだから、
ぴったりこの上演に沿った記述なのであろう。

かなり、野心的な演出ゆえ、原作と一致しているか気になるが、
これに沿ってDVDも見て、聴いていくことにする。

そもそも、3幕のオペラのはずが、解説では、
Part1、Part2の二部構成として書かれている。

Part1.
序曲と第1幕:
Track1~3.
序曲からして、この豊饒な音楽は魅力的だ。
三部からなるもので、小さな交響曲。
録音もすっきりとして素晴らしい。

アラン・ハッカーという指揮者は、
もじゃもじゃ頭に眼鏡のシューベルト風。
指揮姿も、ちょこちょことして、
神経を通わせている感じが、
これまたシューベルトを想起させる。

序曲の途中から、黒ずくめの、
スーツ姿の怪しげな二人組が、
不気味に荒れ果てた部屋の中に入って来る。

電灯や蛍光灯などが大写しにされるように、
現代のボロい家の中に入って来た感じ。

Track4、5.
「見知らぬ二人は道に迷い、
二人のうち若い方に興味を持ったモルガーナが、
彼女の姉、アルチーナの宮廷近くに上陸したのだと説明する。」

道に迷ったのではなく、難破した模様。
日本語字幕付きなので助かる。

これは戦士さん、とか呼びかけているが、
先に書いたように、ビジネスマン風である。
一方は明らかに女性であるが、
二人して黒縁眼鏡もかけている。

モルガーナも、薄っぺらなワンピースを着て、
場末のパブにでも、いそうな出で立ちである。
いや、買い物中に主婦だろうか。

いきなり、じゃれ合いが始まって、
笑顔も話し方も惹き付けるわ、
と、モルガーナが歌い出す。

Track6.
「何人かが集まって来て、
二人の来訪者が、この『地上の楽園』を訪れた事を歓迎し、
二人は、メリッソとリッカルドだと自己紹介する。
アルチーナは丁重にもてなし、
恋人のルッジェーロに、
お互いの愛の深さを告げるように求める。」

何人かが増えて、
「ここは快楽の国」という合唱が歌われる中、
アルチーナとルッジェーロが抱き合いながら現れる。

Track7.
このあたり、完全にラブシーンで、
舞台が気になって、音楽が良く分からない。
この恋人たちは、ねっとりと接吻しながら、
歌を歌っているのである。
ものすごい演出である。

アルチーナ役のキャサリン・ネーグルスタッドは、
1965年、アメリカ西海岸生まれのソプラノで、
DVDの表紙写真では、狂乱の風体だが、
ここでは、すらりとした美人である。

ルッジェーロは、
アリス・コーテという女性歌手が演じているが、
おもちゃにされるイケメン風を演じきって素晴らしい。

Track8.
「どんなに私が愛したか教えてあげなさい」
という、陶酔的なアリアを、
脱げたハイヒールを持ってアルチーナが歌う。

ルッジェーロは浮気者の本領発揮で、
誰にでもすりよりながら、その歌を聴いている。

やがて、見ちゃおれん、と言いたくなる、
寝転びながらの愛欲愛撫歌唱に移行するが、
この無理な体勢でも、ネーゲルスタッドは、
澄んだ声で、愛の喜びに満ちたアリアを歌い続けている。

Track9.
アルチーナが行ってしまうと、
レチタティーボが始まる。
「まだ年端もいかぬオベルトが
メリッソとリッカルドに、
彼の父親の行方を知らないか
という希望を持って近づくが、
甲斐はない。」

Track10.
オベルトのアリアである。
さっきどやどやと入って来た人たちの一人。

これまた、少年役だが、
クラウディア・マーンケという女性が演じている。
この人の歌唱も、破綻なくしっかりしたもので、
ヘンデルのオペラの豊饒感にマッチしている。

背景では、様々な愛欲模様が繰り広げられている。

Track11.
「二人がルッジェーロとだけになるや、
彼等は元戦友だと気づく。
リッカルドはすぐに、双子の妹のブラダマンテの
名誉を守ろうとするが、ルッジェーロは、
今や、アルチーナの虜である。
彼はかつて、リッカルドの妹と婚約していたのだが。
ルッジェーロにとって、過去との決別は、変更できないものだった。」

ルッジェーロは、ブラダマンテが変装しているのに、
リッカルドに似ているな、などと言っている。

Track12.
「モルガーナといちゃついたことによって、
リッカルドは、彼女のフィアンセである
オロンテの嫉妬をかき立てる。」

ということで、さっきのどやどやの一人は、
このオロンテだったわけである。

「彼は、競争者と決闘しようとするが、
モルガーナは、彼等の間に入り、
オロンテとは別れたいという自身の意志をはっきりさせる。」

「あなたを守ります」とモルガーナが立ちふさがるが、
何とも、暴力的な恋人で、
オロンテは、いきなり彼女を殴る。

Track13.
またまたゴージャスな音楽が始まり、
ブラダマンテが、「それは嫉妬というもの」という、
アリアを歌い始める。
いかにも、ダカーポ・アリアで、
前半、冷静だったブラダマンテは、
後半はいきなり服を脱ぎ出す狂乱ぶり。
それを、メリッソが止めている。

その間、この暴力で解決したがる、
先の二人は乱闘している。

Track14.
どうやら、彼等は身分が違うようで、
モルガーナは、「身分をわきまえよ」とか、
「貞淑をわきまえるかは、欲望が決める」とか、
すごいフレーズで、オロンテを棄てようとしている。

Track15.
オロンテは、同じように嫉妬している
ルッジェーロを掴まえ、
いろいろと入れ知恵をしている。

「リッカルドの脅しを受け、これを最後にと対決しようと、
オロンテはルッジェーロに向かって、
アルチーナはすでにリッカルドと関係を持っていると告げ、
さらに、アルチーナの過去にも触れる。
彼は、棄てられた恋人のコレクションは、
彼女によって、野生の動物に変えられてしまうと言い、
同時にルッジェーロこそ、次の犠牲者であると暗示する。」

Track16.
音楽が活気付き、オロンテのアリア。
ロルフ・ロメイという歌手は、部屋中のものに、
八つ当たりしながら、情けない嫉妬のアリアを歌う。

ここでも、この恋の犠牲者は服を脱ぎだして、
長髪をかきむしり、パンツ姿で寝そべって赤面もの。

Track17.
何と、ブラダマンテ(リッカルド)は、男装のまま、
アルチーナと宮殿を散歩しながら、仲良くしている。
「リッカルドのあいまいな言動は、
オロンテのほのめかしを裏付けるように見える。
アルチーナはしかし、ルッジェーロの嫉妬の爆発に、
当惑させられる。」
アルチーナの服装は、ちら見せ系である。

Track18.
アルチーナのアリア。ガンバの簡素な伴奏。
「私は変わらないのに、あなたの目に変わって見えるなら、
愛さなくなっても、私を憎まないでおくれ」とへんてこなもの。

ががーっと音楽が盛り上がり、
このへんてこな恋人たちの感情を高ぶらせる。
ものすごい効果だ。

ブラダマンテは、自分の婚約者と、
アルチーナがよりを戻そうとしている様子を、
一部始終見ている。

Track19.
ルッジェーロは、ブラダマンテをライヴァル扱いし、
怒ったブラダマンテは、下記のような行動を取る。

「この時点で、リッカルドは、ルッジェーロに、
実は、彼は、双子の妹のブラダマンテであって、
離ればなれになったルッジェーロを探し、
連れ戻すために男に変装していると言って、
自分の正体を明かそうと考える。
メリッソは、そんなに早まった
正体明かしをしないよう忠告する。」

Track20.
ルッジェーロのアリア。鮮やかな序奏。
ブラダマンテが男装しているのに、分からずに、
アルチーナが、裏切ったと騒ぎ立てる。
がらくたの中から銃を取りだし、
ブラダマンテに突きつける始末。
しかも、ネクタイとベルトを外して、
ぐるぐる巻きにしてしまう。

「ルッジェーロは、もはやアルチーナは、
信用できないと知って絶望し、
彼がライヴァルだと考えたリッカルドに向かって、
攻撃を加える。」

Track21.
メリッソが、ブラダマンテの軽々しい言動を叱る。
すると、モルガーナが、恋人よ、と助けてくれる様子。
まことにややこしい。

ここで、彼等の関係をまとめると、下記のような感じ。
     (ラブラブ)
アルチーナ ←→ ルッジェーロ
↑(姉妹)      ↑(婚約者)
↓          ↓
モルガーナ → ブラダマンテ扮するリッカルド
   (何となくラブラブ)

Track22.
モルガーナがブラダマンテ扮するリッカルドを思って、
初々しい思いを告げるアリアで、まことに華やかな音楽。

以上で第1幕は終わりである。

第2幕:
Track23.
アルチーナが、振り向いてくれないので、
悶々と悩むルッジェーロのアリア。

「彼は、アルチーナの元に飛び込み、
リッカルドを野獣に変えて欲しいと頼む。
モルガーナしか、今や、ブラダマンテを救うことは出来ない。
ブラダマンテは仕方なく、表向き、
男の愛情表現で、男性の人格を演ずる。」
というシーンはどこにあったのか。

Track24.
メリッソとルッジェーロの言い争いの部分。
「ブラダマンテの仲間のメリッソは、
自分の目的を遂行するのに忙しい。
彼抜きでは、差し迫った戦争で、民を守れないゆえに、
ルッジェーロに対し、戦士に戻って欲しいと望んでいる。
それゆえ、彼は、弟子として叱責できるように、
ルッジェーロの師匠であるアトランテを装う。」

Track25.
ルッジェーロのアリアの中で、
下記のような出来事が起こる。
「ルッジェーロは愛を棄てることが出来ず、
メリッソは、彼の指に、
内部の強さを断ち切る特別な力のある指輪をはめる。」

Track26.
ここで、ルッジェーロは、ブラダマンテのところに戻る、
とか言い出している。
「それによって、メリッソは、
ブラダマンテが気にしている、
ルッジェーロの不安定な良心に、
揺さぶりをかけることが出来るようになる。
彼は、こうしたモラル上のプレッシャーが、
再度、彼を戦士に戻すであろうと期待している。」

Track27.
このような状況下で、メリッソがバスで歌うアリア。
ミカエル・エベッケという歌手が、
マフィアのボスのような出で立ちで歌い。
ルッジェーロはがらくたの中から武器を探し出す。
ヘンデルの音楽は厳かに居丈高なもの。

Track28.
ブラダマンテが来て、正体を明かすと、
ルッジェーロは、アルチーナの罠だと感じ、
ピストルを撃つ。

「メリッソは、ブラダマンテが、
アルチーナの王国に来ていることも、
どんな危険にさらされているかも言わなかったので、
ブラダマンテがルッジェーロの目の前に現れても、
もはや、どう考えるべきかも分からない。
彼は、彼女を、彼の愛を試すために
変装したアルチーナだと信じる。」

Track29.
ブラダマンテのアリア。
混乱の極致の中で、彼の心は何とかならんものか、
みたいな内容である。
ルッジェーロがピストルを向ける中、
「いくらでも奪って行くがいい」と、
ブラダマンテはシャツをはだけて見せる。
これも、そうした中間部を持って、
冒頭のいらだたしい感じの音楽が戻って来る。

ヘレーネ・シュナイダーマンという歌手だが、
渾身の熱演である。アメリカ出身の歌手らしいが、
ずっとドイツで活躍している人だという。

Track30、31.
ルッジェーロは混乱し、
すぐに、悩ましい心を歌い上げるアリアが続く。
「ルッジェーロは一人、自分が、
自身のアイデンティティも目的も失っていることに気づく。」
情感豊かなヘンデルらしい音楽。

ブラダマンテの幻影が、背景を流れて行く様子が切ない。
これは名場面かもしれない。

以上が、あらすじではPart1となっている。

Part2.
Track32.
アルチーナの恰好は、ますます、
色情狂的になっている。
裸足で、食べ物の皿を、倒れているブラダマンテに押しやる。

「ルッジェーロとの関係を修復するため、
アルチーナは最後に、
リッカルドを野獣に変えることに同意する。
しかし、今になって、ルッジェーロは、
こうした事を進んですることが、
十分、彼女の不貞の恐れを払いのけたと説明する。」
モルガーナが、リッカルドへの思いを白状し、
姉に、この人を助けて欲しいと言う。
アルチーナはリッカルド(実はブラダマンテ)に、
これ以上、何もしないと決める。」

Track33.
美しいヴァイオリンの助奏付きの、
モルガーナのアリア。
技巧性や情感の豊かさから、
これは、ほとんどヴィヴァルディ風ですらある。
アルチーナはブラダマンテにちょっかいを出している。

Track34.
ルッジェーロが浮かない顔をしているので、
アルチーナは、悲しげに話しかける。
「メリッソの指示に続いて、ルッジェーロは、
アルチーナに狩りに行く許可を求める。」

Track35.
今度はリコーダ助奏付きのアリア。
ルッジェーロが、「崇拝する女性には貞節を誓う」と言いつつ、
「(しかし、それはあなたにではない)」と付け加える、
恐ろしい内容を歌うが、それにふさわしく、
不気味に黒々とした音楽である。
恐るべしヘンデル。愛の不条理を、ここまでえぐり出して。

素晴らしいリュートの弾奏を経て、
寝そべっているアルチーナにルッジェーロは跪いて抱き起こす。
ブラダマンテは、床に転がっていたホルンを持って、
一緒に狩りに行くということか。

「彼の情熱的な愛の宣言は、彼女の不安を十分に鎮めるが、
実際は、彼の本当の目的はブラダマンテであった。」

Track36、37.
オベルトが反抗的な少年として登場。
「アルチーナは、オベルトから父親について尋ねられて戸惑う。
彼女は、彼がすぐに父親に再会できると約束して、
その場しのぎをする。」
そして、アリア。アルチーナは、
彼をなだめようといろいろやっている。

Track38.
「オロンテがやって来て、
ルッジェーロが出て行く準備をしていると言うと、
アルチーナはたちまち、
恋人の行動の背後にある嘘を見抜き、
裏切りに直面して崩れ落ちるに至る。」

オベルト少年を投げ倒し、狂乱して行く。
音楽は恐ろしい事が始まる前触れのように、
緊張感を高めて行く。

Track39.
ネックレスを引きちぎり、
はだけた姿も痛々しいタイトル・ロールが、
体を張ったクライマックスである。

「お前は見捨てて行くのか」と、
感情を押し殺したようなアリアが、
情念の高ぶりを否応なく感じさせる。
これは10分にも及ぶ、長丁場で見せ場である。
これが、最初に書いた、大アリアの代名詞、
「ああ、わが心」である。
「私は女王ではないか」という激昂の中間部を経て、
ダカーポ・アリアの回帰部として、
前半の感情、壮絶な嘆きがより深まって行く。

Track40、41.
もちろん、ブラダマンテも行ってしまったので、
オロンテは、それもモルガーナに伝える。

「一方で、リッカルドを信頼する
モルガーナは揺るがない」と解説にあるが、
何と、ブラダマンテは正体を明かすようなアリアを歌う。

Track42.
「彼がルッジェーロと愛し合う場面を見て、
遂に、彼女も理解する。」
このようにあるように、下着姿で二人はいちゃつく。
「勇気ある乙女よ」などと、
ルッジェーロは調子が良い。

「裏切り者」と、モルガーナが絶叫するが、
おかまいなしに、音楽は優雅に流れて行く。

Track43.
ルッジェーロの哀歌調のアリア。
「緑の牧場よ」と、ヘンデルの「オルランド」同様、
別れのアリアは、美しい自然描写がなされる。
「ルッジェーロとブラダマンテは、
騙された犠牲者たちに別れを告げる。」

ブラダマンテもピンクの衣装で、
すっかり女性の姿となって、二人して消えて行く。
モルガーナの打ちしおれた様子が耐え難い。

Track44.
「残酷なルッジェーロ」と絶叫するアルチーナ。
激しいリズムに乗っての中間部。
ほとんどシュプレヒシュティンメだ。

Track45.
序奏からして、すごく繊細な感じ。
傷つきやすくなったアルチーナの
精神状態を見事に表現している。
「欺かれたアルチーナ、残されたものは何だ」と言って、
動き出す音楽の焦燥感。腰も砕けて立てない様子。
妹のモルガーナに抱きついて歌うアリア。
「アルチーナは、絶望のあまり、
愛の力や魔法を作り出すことに失敗する。」
とあるように、「杖に魔法が宿らぬ」と言っている。

ものすごく切実な物語になって来た。
主人公なのに、魔女なのに、
絶望のあまり、魔法が使えないなんて、
いったい、どういう事なのであろうか。
それだけ、彼女の愛の深さを感じてしまう仕掛けになっている。
素晴らしい絶唱が聴ける。

まだまだ、音楽は続くが、
字数の限界が来てしまった。
続きは次回にする。

得られた事:「ダカーポ・アリアを否定した、実験的オペラ『オルランド』の2年後、ヘンデルは、さらにダカーポ・アリアを深化させ、この形式を駆使しつくしたオペラ『アルチーナ』を書いた。これらは、同じ題材から着想されたものである。」
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by franz310 | 2012-05-05 19:54 | 古典