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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その304

b0083728_14194166.jpg個人的経験:
ナポリ派の指導的作曲家、レオの
「サルヴェ・レジーナ」を聴いたが、
さらにもう1曲を収めた、
比較的最近のCDがあることを知り、
急いでネット注文した。
ヴィヴァルディの
オペラ録音で知られる、
カーティスが指揮をしている。
独唱を受け持つメゾ・ソプラノは、
メアリー・エレン・ネージである。


この歌手は、やはりこのカーティス指揮の、
ヴィヴァルディのオペラでも、
重要な役目を担当している人である。
ここでも、「エルコレ」のアンティオペの役を、
熱演するのを紹介した。

カナダのモントリオールで、
ギリシア人の両親の元に生まれ、
1994年にアテネで学業を終えた、
とあるので、録音された時点(2008年)で、
アラフォーだと思われる。

この前聴いた、ビオンティ盤の歌手、
シュリックより、一世代若いに違いない。
それだけでなく、シュリックはソプラノで、
こちらはメゾであるという違いもある。

表紙写真は、私には意味不明だ。
カバー・フォト、Filippo Massellaniとあるが、
題名や撮影場所もない。

観光客目当ての古道具屋の親子といった風情である。
白黒写真であるが、昔の人には見えない。
最近のナポリでのスナップであろうか。
真ん中にマリア様の顔が描かれた旗のようなものがある。

このCDは、かなり最新のものと言え、
日本盤発売未定だと言うが、
このデザインでは厳しいような気もする。

なお、特筆すべきは、
かなりたっぷりした収録で、
全部で6曲も入っているということ。

CDプレーヤーに入れると分かるが、
トータルでは78分も入っている。
何故か、CDケース裏には、
67分と、控えめな数値が書かれているが。

うまい具合に、レオの他、
その先達、アレッサンドロ・スカルラッティの作品、
レオの後輩にあたるペルゴレージの作品も聴け、
ナポリ楽派の宗教曲がCD一枚で概観できる。
確かに、「ナポリの宗教曲」とタイトルが書かれている。

さらに、ここでは、
このタイトルにふさわしくない感じになるが、
レオのチェロ協奏曲も、何故か1曲入っていて、
これまで聴いたレオの作品を回想できるような効果もある。
キャサリン・ジョーンズのチェロ、
ちなみに楽団は、イル・コンプレッソ・バロッコ。

ペルゴレージは2曲が収められ、
この前聴いたビオンティ盤に入っていた、
「サルヴェ・レジーナ」はすべて聴ける。

ドイツ・ハルモニア・ムンディのものだが、
ソニー・ミュージックとも書かれている。
最近のレコード会社再編で、
昔のイメージは変えて行かないといけないようだ。

さて、今回のCD、1曲目の、
レオのハ短調の「サルヴェ・レジーナ」は、
初めて聴く曲で、その調性からしても渋いが、
2曲目に、同じくレオのヘ長調の曲が始まると、
聞き慣れた典雅な響きが聴かれて嬉しくなってしまった。

どうやら、私は、この曲が好きなようである。
ただし、前回のビオンティ盤と、今回のカーティス盤、
比較すると、全体的に、前の演奏、録音の方が、
柔らかく、優しい印象。
ビオンティ盤は、テオルボの弾奏音が、
不思議な光沢を放っていたが、
今回のものには、それが聞こえない。

また、前回のCDは、
美しいステンド・グラスで囲まれた、
Abbaya de Saint-Michel en Thieracheという教会で、
録音されたのに対し、
今回のものは、イタリア、ロニーゴという所の、
Villa San Fermoという場所での録音。

改めてネットで調べてみると、
前者は、パリの北東、人里離れた修道院で、
中世には文化的な中心でもあったと書かれている。
ホームページを見ても、珍しい壁画や、
瀟洒なオルガンなどが見られる。

一方、後者も、調べると、これまた、
中世からの伝統を誇る素晴らしい建物のようで、
由緒正しい場所のパワーという意味では、
どちらもそれぞれの主張を持っているようだ。

確かに、今回のCDの3曲目に入った、
チェロ協奏曲の朗々たる響きの残響感は美しい。
しかし、幾分、かっちり感があって、固いイメージの録音だ。

さらに言えば、ネージの声がメゾである上に、
かわいらしさの要素がなく、真摯一途なのが、
この聖母を讃える歌を、どう捉えるかによって、
評価が分かれるところにならないか。

調べるほどに興味深いナポリ派の音楽であるが、
今回の解説には、どのように書かれているだろうか。

解説には、「すべての人の口に上った栄光の処女」とある。
それだけ多くの人々が、「サルヴェ・レジーナ」という、
聖処女礼賛の楽曲を口ずさんだということであろう。
カルステン・ニーマンという人が書いている。

「リヒャルト・ヴァーグナーや、
E.T.A ホフマンなら、
レオナルド・レオの『サルヴェ・レジーナ』を、
何と評しただろうか。
そして、何故、この人たちの名を上げたかというと、
その答えは、極めて簡単である。
彼等はこの古いナポリの楽匠を知っていたし、
レオの他の教会音楽、『ミゼレーレ』を、
模範として賞賛していたからである。」

ヴァーグナーやヴェルディが、
賞賛したという話は読んだが、
ホフマンの話は、今回、初耳である。
今回は、ホフマンについて詳しい。

「最高のロマン主義者、ホフマンはそれを、
『教会スタイルで書くのに絶対的に必要な、
対位法の深い知識』と褒めている。
同時に彼は、非難の矛先を、
彼の同時代の作曲家たちに向け、
まさしくこの問題を完全に無視していると攻撃し、
彼等がもっぱら、
群衆に格好良く見せることにかまけ、
賤しい金銭利益のために、
軟弱な嗜好を見せていることを案じた。」

ホフマンが対位法について怒っているのか、
レオが無視されているのか判然としないが、
恐らく、前者であろう。

「しかし、このホフマンですら、
おそらくレオの全業績を知っていたわけではなく、
コインの1面を見ているにすぎない。
だが、レオもまた、当時の嗜好に反することは出来ず、
そのリスクを負いたかったわけでもなかった。
その『サルヴェ・レジーナ』に明らかなように、
作品は、当時のオペラの様式に大きく依存している。」

とはいえ、レオは、オペラばかりの作曲家ではなかったはず。
そう書かれると、この演奏は、オペラ的な演奏かもしれない。

「『サルヴェ・レジーナ』の応答頌歌は、
ジャンルとして人気があり、
当時の書法にぴったりのものであった。
栄光の処女マリアへの祈りの言葉は、
11世紀の前半に書かれたものである。
13世紀には、修道院の一日の終わりに、
聖務日課最後の祈りの一部として歌われた。
『サルヴェ・レジーナ』は、
典礼カレンダーにおいて、
マリアの他の三代替応答頌歌と交代で歌われたが、
もっとも頻繁に歌われたものである。
そればかりか、聖務日課を離れてもポピュラーで、
17世紀においては、
聖処女を讃える土曜の夜の特別な儀式が伝統となり、
この特別な機会、『サルヴェの祈り』においても、
『サルヴェ・レジーナ』は歌われた。
初期バロック期には、まだ、この歌詞は、
二重合唱のために曲付けされていた。」

このあたりについては、前にも読んだ感じ。

「18世紀初頭のナポリでは、
しかし、その習慣は変化し、
歌詞は独唱と器楽伴奏のために、
曲付けされるようになった。
ナポリの有名音楽院では、
こうした作曲の需要が特に多く、
教会やオペラ歌手を離れて、
そこの優れた生徒の最高度の技量を
発揮するために書かれた。」

今回、このように書かれているところを見ると、
これらの「サルヴェ・レジーナ」は、
実際の宗教儀式「サルヴェの祈り」と関係があったかどうか、
何やら怪しく感じられて来た。

確かに、様々に変転する歌詞と楽想が、
歌手の魅力を最大限引き出せるような要素となっており、
祈りというより歌唱協奏曲みたいな感じがしなくもない。
それゆえに、ここでは、途中、チェロ協奏曲などが、
割り込んで来たりするのだろうか。

「レオポルド・レオの『サルヴェ・レジーナ』は、
ナポリの境界を遠く越え、この種のものの規範となった。
1712年から聖オノフリオの音楽院で教えていた、
この才能豊かな作曲家は、これ以外のジャンルでも、
形式上の規範となるものを作曲している。
古い教会音楽の技法を完全に習得しながら、
彼はさらにコミック・オペラの先駆者でもあった。
ドレスデンの同業者、ハイニヒェンは、
レオの『サルヴェ・レジーナ』を、『熟達の作品』とし、
『古い教会形式の無味乾燥から完全に離れている』と評した。」

レオは、むしろギャラント様式だ、
などと、ビオンティ盤の解説にもあった。

「構成の上では、両作品は非常に似ている。
それぞれ、似た時期のサインを持ち、
同様のテンポ記号が記された5つの部分からなる。
注意は主に、技巧的なメロディパートに注がれるが、
器楽伴奏部も、紋切り型になることは決してない。
これらの作品で、愛想を振りまくほどに、
微妙で思慮深い音楽上の工夫で、
レオは聴衆の心を動かそうと気遣っている。」

このように、うまい具合に、
複数の部分があって、
1.ラルゴで、天の女王に呼びかける、
「サルヴェ・レジーナ」という部分が序奏、
2.アレグロが、「われらは叫ぶ」という、
ソナタ形式の提示部のような趣き、
3.ゆっくりした部分は、第2主題提示部のようで、
「御身を仰ぎ見」という部分もあり、
4.「われらが代願者」の敬虔な部分、
5.「御子」の部分では、明るい希望で、
展開部のように、音楽が盛り上がり、
6.再び、瞑想的な部分で、
マリア様に話しかけるような、
冒頭のような効果が再現される。

第2、第3の部分がくっついたりして、
5つの部分からなる、と書かれたりもする。
最後は消えるように終わるので、
チャイコフスキーやマーラーの交響曲のひな形のような、
形式のロジックが感じられてしまう。

作曲家も苦労しているのである。
何故なら、2の部分は、
内容としては、「追放されたエヴァの息子が叫ぶ」
という内容なので、アレグロになる必然性は、
必ずしも高くないからである。
が、ここで、盛り上げておかないと、
最後まで、めそめそした変化のない音楽となってしまう。

「例えば、ヘ長調の作品の冒頭では、
『哀れみ』(ミゼリコルディエ)という言葉が、
幅の広いコロラトゥーラで鳴り響き、
メランコリックな感情移入を伴い、
心地よい和声のカデンツで作品を締めくくる。
第4部の最後の、『示したまえ』(オステンデ)の願いの描写も、
何と繊細なことであろうか。
まず、つつましく慎重に嘆願を唱えながら、
自信と冷静さを持った朗唱となる。」

Track1.この作品は、非常に晴朗な開始部からして、
我々の目を天上に向けさせてくれる。
ミゼルコルディエの部分の美しい旋律線、
言葉と共に、しっかりと聞き取れる。
何と、前回、歌詞がまるで聞き取れなかったが、
今回の演奏では、くっきりと歌詞が、
歌い混まれていることが分かった。

Track2の部分などは、
ヴィヴァルディ的に響くが、これは、
カーティスがヴィヴァルディ大好きだからか。
ここは、ビオンティ盤の小編成のじゃかじゃか感が良かった。

第3曲でも、「ラクリマラム・ヴァレ」(涙の谷)が、
美しく声の綾を聴かせて、悲嘆を強調している。

第4曲は、マリア様が我々に味方してくれることを期待し、
「さらばわれらが代願者、哀れみ深い目を向けたまえ」で、
明るい明るい色調、
第5曲も続けざまに歌われ、前述の「オステンデ」は、
さりげなくであるが、確かに、優しい語りかけ。2回。

第6曲はTrack11で、
「慈悲ふかいです」「敬虔です」と、
マリア様を持ち上げているので、
純情な感じがする。

以上、レオのヘ長調、ビオンティ盤が、
19分半で演奏されていたのに、
このカーティス盤は、より大編成で演奏されているのに、
17分程度で演奏されていて、
これがすこし、慌ただしさを感じさせる。
祈りというより、演奏会を想定した行き方を、
感じさせると言っても良いだろう。

ということで、この曲は、聞き比べが出来たが、
最初に収められた曲は、私は初めて聴くもの。

「ハ短調の作品は、対照的に、
レオが派手な技巧を施し、
弦楽が常に8分音符の伴奏を続ける
ビロードのクッションの上に、
音節の切迫を伴って歌われる
コントラストに満ちた最後のセクションに特徴がある。」

という風に解説は素っ気ない。
しかも、ここに書いてあることもぴんと来ない。

Track1.いきなり、モーツァルトの、
「レクイエム」でも始まったかと思うような重さ。
ラルゴの4分。

必死の嘆願で、マリア様も、
この切実感には、胸を打たれると同時に、
あまりにもおどろおどろしくて、
顔を背けたりしないか心配になる。

いずれにせよ、ヘ長調とは全く異なる世界。

Track2.はこれまたヴィヴァルディ風で楽しい。
あるいは、ヴィヴァルディが、このような影響を、
あえて受けたのだろうか。
この部分は短く、すぐに次に行く。57秒しかない。

Track3.は「涙の谷」に嘆く部分。
アダージョ・エ・ピアノの1分48秒。

Track4.は、不思議な恩寵の色彩に満ちて神秘的。
レントで、夕暮れの情感に満ちていて、
「哀れみの目を向けたまえ」の、
願いが切々と歌われている。
この部分は3分23秒と長い。

Track5.は、音楽が活気付き、
御子への希望が歌われる。
ラルゲットとあるが、
低音で繰り返されるオスティナートの効果もあって、
バッハ風に深い。2分19秒。

Track6.は、ラルゴの3分で、
再び、マリアへの懇願に沈み込んで行く感じ。
改めて解説にあった部分を思い出すが、
弦楽が柔らかく受け止める中、
歌唱は、切実さを極めるような表現力に満ちる。

以上、約15分なので、
ヘ長調よりコンパクトサイズである。
が、祈りの終わりにせよ、
独唱者の名技の披露にせよ、
適当なサイズではあろう。

が、沈鬱なイメージで、コンサートで聴くなら、
ヘ長調を聴きたい。

「レオがスタイルの上で基準を作ったのは、
教会音楽の分野だけではなかった。
今日、彼のソロ協奏曲の発生に果たした貢献が、
ますます見直されている。
1738年にナポリから遠く離れた、
マッッダローニ公のために書かれた、
ニ短調協奏曲は、ヴィヴァルディのアプローチとは、
全く異なる独特のギャラントスタイルを取っている。
ヴィオラを持たない伴奏の、
弦楽部の生き生きとした動機の書法は、
より入り組んでいるし、
ソロと伴奏の対話は、その技巧性にも関わらず、
室内楽的な親密さを展開している。」

この解説はうまい。
確かに技巧的でありながら、親密というのは、
ごく限られた室内楽の傑作でしか聴かれない言葉である。
シューベルトの「ます」の五重奏にも、
そうした側面があるだろう。

5曲もの「サルヴェ・レジーナ」の中で、
ぽつりと置かれた、この協奏曲ニ短調、悪くない。

Track12.
アンダンテ・グラツィオーソの第1楽章の楽想も、
祈りの情感が感じられ、宗教曲のようだ。

まえに、この曲を聴いた時は、
「前の諸作より感情の表出が増幅され、深くなっている。」
という解説を読んだが、サルヴェ・レジーナという曲種にも、
そうしたところがある。

繊細なオーケストラに支えられ、
チェロの歌はしみじみと、味わい深く、
「恋わずらいの緩徐楽章」と書いたが、
ここでは、まえに聴いた演奏より速い。
4:06だったのが、3:42で弾かれている。

Track13.
第2楽章は、コン・スピリートで、
かなり技巧的な部分。こうした流れも、
何故か、「サルヴェ・レジーナ」風である。

Track14.
第3楽章は、「星を見上げ、逡巡するような音楽」
と前に書いたアモローソだが、
4:53で弾かれていたのが3:37で弾かれていて、
さらに切迫感が強まっている。
これもまた、「サルヴェ・レジーナ」のように、
「涙の谷に嘆き泣くなり」という音楽とも言えよう。

Track15.
第4楽章は、焦燥感にあふれたアレグロ。
ここは2分16秒という速さで疾走していく。

この後、アレッサンドロ・スカルラッティの、
「サルヴェ・レジーナ」が収録されているが、
これについては、次回に回そう。

その前に、前にも聴いた、
ペルゴレージの2曲の「サルヴェ・レジーナ」が問題だ。

解説には、このようにある。
「ペルゴレージは、ナポリで学び、
おそらくレオの弟子であったが、
一見、ペルゴレージの
『サルヴェ・レジーナ』ハ短調は、
レオのものより、スカルラッティの語法に近いように見える。
聴衆は、すぐに彼のバックグラウンドの語法、
つまり、動機を主導する低音上の上質のハーモニー、
高度な対位法の出来映えなどに気づくが、
それらは、より新しい表現、個人的な質感を見せる。
この作品を作曲していた時、
致命的な病気にかかっていた作曲家は、
焼け付くような不協和音で質感を豊かにし、
飾りはないが、しかし、表現力豊かな声が、
高度に感情的なため息の形を表している。
彼は、周到に長調と短調の明暗配合によって作品をはじめ、
最初の『サルヴェ』部では、解放五度の上を、
声を引き延ばして懇願させるような、
驚くべき要素で聴衆の心を動かす。」

これは、2曲あるペルゴレージの、
「サルヴェ・レジーナ」のうち、有名な方である。
一説によると、名作「スターバト・マーテル」と、
一緒に書かれたという。

このCDでは、2曲とも収録されていて便利だが、
先にこの曲が収められている。
解説には、冒頭の懇願が味わい深いとあったので、
心して、そこを聞き取ろう。

Track17.3分27秒のラルゴ。
この開始部は、いつも感心する。
不思議な降臨の神秘体験のようなものを感じる。
今回のネージの声は、決して天上的に美しいものではなく、
むしろ、人間の生々しい声といった感じだが、
我々自身の声という感じがする。

Track18.アンダンテとあるが、
かなり錯綜したもので、速い楽章という感じがする。
57秒で行ってしまうが、歌詞はしっかり聴き取れる。

Track19.2分47秒のラルゴ。
「涙の谷に嘆き泣く」という部分だけでも、
様々な音楽的ニュアンスが詰め込まれている。

Track20.「あわれみ深き目を向けたまえ」であるが、
アンダンテとあるが、もっと速い感じがする。
1分25秒で終わるのは、すごい切迫感である。

Track21.は御子の登場で、
心浮き立つ感じがよく出ている。
アンダンテ・アモローソとあるように、
優しげな眼差しと期待に満ちた2分8秒。

Track22.はラルゴ・アッサイ。
1分35秒に、再び、マリア様への、
懇願が深まって行く。
死の病に苦しんでいたペルゴレージの、
心の有様までが、感じられるような音楽。

さらに最後には、前回のCDでは冒頭に入っていた、
ペルゴレージ作曲、イ短調の「サルヴェ・レジーナ」が、
収録されている。

「対照的に、同じテキストによる、
ペルゴレージ初期のイ短調作品は、
さらにギャラントなものである。
聴衆の注意は、高音の声部にひき付けられ、
バスにおける力強い根音位置和音が
優美なアルペッジオを導き、
ハーモニーはすべて、
メロディから流れ出るように聞こえる。」

このギャラントという表現はそうかもしれない。
が、とにかく、序奏部の不思議な恩寵からして、
何となく、心にしみいるものがある。
メロディの魅力から全てが決まっている感じも、
よく分かる。

「最初の部分から、ペルゴレージは、
ヴァイオリンをギャラントなため息で飾った。」

ヴァイオリンのきーん、きーんという感じを、
この解説者は、ため息と聴いたのだろうか。
私には、語彙が足りないかもしれないが、
むしろ、恩寵の象徴のように感じられるのだが。

「第二部の嘆願は心地よいコロラトゥーラを駆使した。
悲哀の中に表出される嘆きというより、
涙ぐんだ懇願のテキストを、
短調の常に暗い色彩を通じて感じさせる。」
とあるが、このセコンド・セクションというのは、
Track23の後半のことか、
Track24のことか分かりにくい。

というのは、テキストで懇願しているのは、
「あわれみ深き御母」というTrack23の方が、
「我らは叫ぶ」というTrack24よりも、
合致しているように思われるからである。
最後の「サルヴェ」は、
ものすごく引き延ばして歌われる。

Track24.は、アレグロ。
むしろ、喜ばしい音楽に聞こえ、
「御身に向かい、我らは叫ぶ」と勇ましく、
Track25.は連続した音楽に聞こえ、
しかし、50秒しかなく、
絶妙なテンポ変更で、「涙の谷」のラルゲットになる。

1分程度でテンポをシフトして始まる
Track26.の「アレグロ」は、
再び、音楽が息づき、
「代願者、あわれみ深き目を向けたまえ」の、
積極的な訴えかけになるが、
御子の到来を予告して、
いくぶん、期待が高まって来ている感じ。
この部分は6分割の4、5の部分を混ぜた感じ。

解説にも、ここは舞曲調とされている。
「『向けたまえ』(エヤ・エルゴ)でも。
瞑想的な最後の部分で、ペルゴレージが、
レオのハ短調のモデルを想起するように見えるまで、
栄光の処女マリアは、喜ばしい舞曲で祝福される。」

Track27.は、このように、
レオをモデルにしたとされる部分。ラルゴ。
「おお、慈悲深きマリアよ」は、
再び、嘆願調で現実に戻った感じ。

レオの2曲ともラルゴだった。
レオのハ短調は、寒々とした孤独の訴えであり、
ヘ長調は、少しずつ純化されていくような表現。
ペルゴレージが似ているとすれば、
ハ短調だろう。

改めて聴いても、ペルゴレージの2曲、
レオの2曲ほどの違いはないが、
私は、有名なハ短調よりも、イ短調の方が親しみを感じる。

これらの2曲、イ短調は、ビオンティ盤が11分半、
カーティス盤が10分程度。
ハ短調は、ビオンティ盤が15分程度に対し、
カーティスは12分程度で、
これまた、カーティス盤のテンポの速さが分かった。

ビオンティ盤の方が祈りに近く、
カーティス盤の方が、表現力が大きく、
コンサート的かもしれない。

ヴィヴァルディの長大なオペラでは、
このような割り切りの良さが助けになったが、
このような曲種では、もうすこししっとりさせても良かった。

併録は、ビオンティが室内楽だったのに対し、
こちらはチェロ協奏曲であった。
そうした点からも、二つの演奏の違いが分かるだろう。

得られた事:「サルヴェ・レジーナは、序奏と終結部をゆっくりした楽章で統一、その間の4つの部分に、速い部分や舞曲調の部分が挟まって、声楽ソナタのような構成感。」
「天上的な表現では、歌詞が聞き取れず、歌詞を克明に歌うと世俗的になって、バランスが難しい。」
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by franz310 | 2011-11-27 14:20 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その303

b0083728_11215461.jpg個人的経験:
前回、レオナルド・レオの
チェロ協奏曲集を聴いて、
ナポリ楽派を代表する、
この作曲家の音楽が持つ、
豊かな情感や、技法を味わい、
真摯な音楽への取り組みに
感じるものがあった。
彼はオペラで高名だが、
教師として後進を育て、
宗教曲にも名作を残したという。


宗教曲の中では、「ミゼレーレ」が有名らしいが、
「サルヴェ・レジーナ」が入ったこのCDは、
美しい「受胎告知」の絵画のジャケットで目を引いた。

しかも、同時代のペルゴレージの作品も、
比較して聴くことが出来る。
演奏しているのは、
ヴィヴァルディの「バヤゼット」で、
素晴らしい演奏を聴かせた、
ビオンティ&エウロパ・ガランテである。
バーバラ・シリックという人がソプラノを受け持っている。
OPUS111の1993年の録音。かなり前のもの。

ペルゴレージは、これまで読んで来た、
ナポリ派の作曲家の解説では、
少し若い世代として別格扱いであったが、
レオより16年若いのは確かだが、
何と、レオが亡くなる8年も前に
亡くなっているではないか。

完全に活動時期が重なっているのである。
このCDでも、
(1710-1736)と書かれた、
生没年が痛々しい。

なお、ここでは、ペルゴレージ作とされながら、
ガロの作品と言われている器楽曲が、
Track5~7と、Track14~16に、
「ソナタ」として収められているが、
快活なヴァイオリンの響きがフレッシュで、
しんみりとした宗教曲の間に挟まって、
一服の清涼感を出しているのが憎い。

名手ビオンティの若き日の冴えが見える。

「サルヴェ・レジーナ」という楽曲は、
多数、見受けられるが、
ここでは、改めて、それがどんなものかが、
比較的良く解説に書かれている。

Jean Lionnetという人が書いたものだが、
冒頭から、実は私は面食らった。

「『サルヴェ・レジーナ』のテキストは、
11世紀の前半に書かれ、
その典礼において、それが使われ出したのは、
次の世紀からとされている。
少なくとも15世紀以降、
一日の終わりの、最後のおつとめである、
終課の時の、聖処女の応答頌歌の一部となった。
終課の時の、聖処女の応答頌歌は四つあって、
典礼のカレンダーによって使われる。
『サルヴェ・レジーナ』は、
『聖霊降臨祭』の次の日曜日である、
『三位一体の主日』から、
降臨節の最初の日曜日まで歌われる。
すなわち、復活祭後六ヶ月の期間である。」

ふざけるな、と言いたくなるような解説だ。

どれが何時で何のためかが良く分からない。
ただ、「サルヴェ・レジーナ」は、
しょっちゅう歌われていたということは分かった。

降臨節、イースターは、
「春分の日の後、最初の満月の次の日曜日」だと書かれており、
まあ、4月頃と考えられるから、
10月くらいまで歌うものと言うことになる。
これでは、今、11月にこれを聴くのは反則になってしまうのか。

聖霊降臨節は、5月か6月のようだし、
降臨節は、11月27日 から12月3日の間の日曜日から、
クリスマスイブまでの約四週間と書かれているので、
まだ、セーフのような気がする。

「終課の時の、他の三つの応答頌歌は、
『Alma Redemptoris Mater』、『Ave regina caelorum』と、
『Regina caeli leatare』であるが、
一年の残りを分けて使われるので、
『サルヴェ・レジーナ』ほど歌われる機会はない。
『サルヴェ・レジーナ』は、
このように頻繁に歌われるため、
典礼以外のセレモニーでも歌われる事が多く、
人気のある聖母マリアへの信仰のために、
イタリアでは多くの曲が書かれた。
その重要さは、聖地『ロレットの聖処女』巡礼が、
流行ったことからも明らかである。」

ここで、いきなりノートルダム・ドゥ・ロレット(Lorette)という、
意味不明の固有名詞が出るが、
とにかく、こうした巡礼が流行ったのだろうと解釈しておく。
ネットで調べると、パリと出るが、ナポリの話なのに、
面食らうではないか。
あるいは、このレーベルがフランスのものだから、
こうした例えになるのであろうか。
迷惑な話である。

あと、ロレート(Loreto)というイタリアの街は、
巡礼で有名であるようだ。
こちらは英和辞典にも出ている。
こちらが正解ではなかろうか。
サントゥナリオ・デッラ・サンタ・カーザという、
由緒正しき教会が黒い聖母を奉っていたようだ。
地図で検索すると、ローマの北東、
アンコーナという街の近くにある。

イタリア観光のサイトには、
「世界で最も重要な巡礼地」とあり、
「有名な礼拝堂Santuario della Santa Casa は、
イエス・キリストがナザレで生活した家と言われ、
1294年に奇跡的にこの地に運ばれたという」
言い伝えがあるという。

こっちが正解だろう。
OPUS111の解説もいい加減なものだ。
これだけ調べるのに、1時間くらい格闘してしまった。

しかし、このような小さな田舎街が、
巡礼の地としてクローズアップされ、
そこに向かってみんなが歩いていた時代を空想するのは、
非常に得難い体験であった。

「17世紀以降、非常に多くのイタリアの信者が、
カルト的現象で土曜日の夜の儀式を行い、
聖母マリアへの連檮が歌われ、
『サルヴェ・レジーナ』も同様で、
サルヴェの祈りとして、
普通に行われるようになった。
この応答頌歌(アンティフォン)は、
晩祷の最後にも歌われ、
人々に就寝時の祈りとして捉えられた。
これらのことからも、このテキストに、
かくも多くの作曲家によって、
よく音楽が付けられた理由や、
晩祷のための詩篇やマグニフィカトの終わりに、
これが付けられたかが分かる。」

17世紀イタリアの宗教儀式に関する資料など、
日本で見つかるだろうか。
これは、こういうものと認めるしかない。
あるいは、隠れキリシタンなどが、
実は、同様の事を行っていたということはありやなしや。

そんな妄想をしていたら、先に進まないので、
どんどん読み進める。

「『サルヴェ』の初期のバロック作品は、
一般に二重合唱のために書かれていたが、
17世紀を通じ、次第に小編成になって行き、
18世紀の初めには、
独唱と器楽伴奏によって『サルヴェ』が書かれるようになった。
この傾向は特にナポリとヴェニスで顕著で、
孤児たちに音楽を教える
孤児院の音楽院では、独唱者の才能に、
ハイライトを当てることを目的とした。
レオナルド・レオ(1694-1744)と、
ジョヴァンニ・バッティスタ・
ペルゴレージ(1710-1736)は、
同様の環境の出自で、
地方の小さな田舎に生まれ、
音楽院で音楽の才能を高めるために、
共に10歳でナポリに送られた。
レオは1712年に音楽院で初めて自作を発表し、
ペルゴレージの場合は1731年だった。
後者は足が悪く、健康にも不足して、
そのために、自作の『奥様女中』の成功を、
知ることがなかった。
一方、レオは、イタリア中の劇場のために、
多くの優れたオペラを作曲し、
宮廷やローマやマドリッドのフランス大使館の、
特別な機会のためなどに、
非常に多くのカンタータを作曲した。」

この解説を読むと、
非常に大量の「サルヴェ・レジナ」のレコードなり、
CDなりがあるように思えるが、
ネット検索しても出て来るのは、
ペルゴレージのものばかりである。

レオについては、この前、オペラの断片を聴いたし、
チェロ協奏曲の解説で生き様も見たが、
フランスとの繋がりは知らなかった。
これまた、非常に多数あるとされるカンタータも、
ネット検索しても入手できそうなものはない。

「ペルゴレージの二つの『サルヴェ・レジーナ』は、
基本的に同じような作品であり、
その語法は、いまだ、典型的なバロックのもので、
通奏低音を有し、メロディの点では精巧で、
対位法的に書かれ、さらに言えば、
全体的にメロディの創意が絶対的に敬虔な、
深い感情を滲み出させている。」

確かに、このペルゴレージの作品、
こうしたマリア信仰にぴったりの優美さに満ちている。

先に書いたように、ペルゴレージの『サルヴェ』は、
この歌詞に付けた宗教曲の代表作のようで、
ネット検索しても、CDが多数あり、
名だたるピリオド楽器用指揮者たちが、
ぞろぞろと名を連ねている。

ここに収められたのは、ハ短調とイ短調の2曲である。
表紙にはハ長調と書いてあるが、中はハ短調となっている。
上記、各CDでは、
どの曲が収められているのかまでは分からない。

「何かパラドックスめいているが、
ペルゴレージより前の世代に当たる、
レオ作曲『サルヴェ』の方が、
このあたりで登場した様式、
『ギャラント・スタイル』でモダンである。
テキストのリズムもより柔軟で、
多くの場合、
ハーモニーの補助だけでない通奏低音の上を、
かなり技巧的なヴォーカルラインのパッセージがあり、
大胆な和声を見せることを、
レオはいとわない。」

確かに、レオのものは、宗教曲ではないみたいな、
パッションの乗りを見せていたりする。
なお、レオの「サルヴェ・レジーナ」は、
ヘ長調のものが収められている。

「こうした、作品間のスタイルの大きな違いは、
この時期のイタリアではよく見られる。
ある作曲家は、とりわけ、
作品の重要な要素であるテキストなど、
バロック音楽の束縛からもはや、
逃れようとしているように見え、
そして、彼等は完全に新しい表現を模索している。
他の作曲家たちは、バロックの境界を押し広げようとしており、
最終的に、スタイルの混合をいとわず、
ある様式から別の様式に同じ作品でも行ったり来たりした。
我々は、レオが、
ギャラントよりバロックに近い形で書いた、
『Eja ergo(向けたまえ)』の詩句で、
この誘惑に屈する様子を見ることが出来る。
いずれにせよ、これらの三つの『サルヴェ』は、
18世紀初頭のナポリで、
表現された宗教的感情の興味深い例を、
示しているだろう。」

ということで、歌詞まで、よく見ないといけないらしい。
「向けたまえ」は、真ん中くらいに出て来る語句であるが、

歌詞は、こんな感じでかなり違う。

ペルゴレージの最初、
「サルヴェ・レジーナ(聖なる女王よ)、
慈悲の母、我が命、愛しき、我が希望。」
Track1で、ペルゴレージのイ短調作品は、
オルガンとテオルボによる神秘的な開始部から、
我々を惹き付ける。

よく見ると、オルガンはリナルド・アレッサンドリーニ。
解説書の裏に、ステンドグラスに囲まれた、
教会の写真が出ているが、
こうした空間に満ちて来る不思議な宗教体験を表すに、
非常にぴったりな感じである。

シュリック(ソプラノ)の歌も敬虔な感情に満ちている。
この人は、1943年生まれで、ビュルツブルクで学び、
また、そこで教えている(いた?)とある。
最初からバロック音楽の専門家的な活躍を見せたようだ。
写真を見ると、ショートカットで、
若い頃は、特に魅力的な眼差しを持っている。

Track8のペルゴレージのハ短調作品、
これも確かに、イ短調作品と同様、ラルゴで、
降臨の瞬間のような神秘さに満ちた序奏が美しい。
解説にあるように、基本的には同じ感じである。
こちらの方がストレートか。
表現にも、少し、高ぶったような部分がある。
どちらの作品も、単なる、呼びかけにすぎない内容なので、
歌手がどこを歌っているのかを判別するのが難しい。

レオの最初、
「サルヴェ・レジーナ(聖なる女王よ)、
サルヴェ、サルヴェ、サルヴェ、慈悲の母よ。
あなたは我が命、優しき、我が希望、おお、あなたは我が命、
優しき、我が希望。」

このように、レオの作品では、テキストの上でも、
表現過剰になっている感じだが、
Track17のラルゴもまた、
ペルゴレージの神秘というよりも、
マリア様への愛情を、あるいは愛想みたいなものを、
たっぷりとふりまいた音楽となっている。

とても快適な暖かい室内に通されたような感じ。
ようこそ、ようこそと、歌う方も、
かなり余裕がある。
通奏低音というよりも、対位法的な補助や、
装飾が目立ち、ぽろぽろとテオルボの音が愛らしい。

サルヴェ、サルヴェと歓待する、
ソプラノの歌唱ラインの装飾も粋な感じである。

「あなたは我が命」というのも、
感謝の念はよく描かれていて、
若いマリアというよりも、
老母に改めてねぎらいの言葉をかける風情だ。

ペルゴレージの次、
「あなたにすがります、
哀れにも追われたイブの子供たちは。
あなたに我らのため息を、
嘆きを、すすり泣きを、
この涙の谷間から送ります。」

Track2で、イ短調作品、
アレグロ、ラルゲットと、
二つの部分からなるが、
前の部分から一転し、
かろやかにソプラノが舞い上がる。
歌詞とあまり合っていない感じもする。

途中から、ラルゲットの部分、
ビオンティのヴァイオリンが、ため息まじりの、
悲嘆を聴かせる。

Track9、ハ長調作品のアンダンテは、
かなり急速な音楽で、ヴァイオリンなどが、
慌ただしい楽句を繰り返す中、
ソプラノも焦燥感を持って歌っている。

Track10、ハ短調作品のラルゴも、
この部分に相当する。
かなり哀願調になっている。
ゆっくり引き延ばされた音楽で、
ソプラノの清澄な感じが生かされている。

ただし、歌詞の単語がやたら引き延ばされているので、
どこを歌っているのかが分からない。
当時の信者さんたちは、これを聴いて、
歌われている内容を理解できたのだろうか。

レオの次、
「あなたに向かって、我らは嘆きを上げます、
追われたイブの息子らは。
あなたに向かって、ため息を、うめき声とすすり泣きを、
うめき声とすすり泣きを、この涙の谷間から送ります。
そう、この涙の。」

Track18のアレグロ、素晴らしく活力のある器楽の序奏、
テオルボがフラメンコギター並みにかき鳴らされ、
あああああーあああーという装飾だらけの歌唱、
これまた、何を歌っているか分からない。
全然、イブの息子たちは困っていないようである。

が、この音楽の推進力と気前の良さは、
しんみりした音楽が続く中、
私は、かなり満足して聴いた。

Track19のラルゴは、
一転して、訥々とした語りになるが、
いちおう、うめき声とすすり泣きが表現されている。
急に現実にかえったような感じだ。

ペルゴレージの次、
「だから、向けたまえ、最も恵み深い擁護の、
あなたの慈悲の目を我らに。
そして、それから、我ら流刑の民に、
祝福されたあなたの胎内の果実たる、
主イエスを見せたまえ。」

Track3はイ短調作品のアンダンテ。
この部分も、明るいが、聖母がこちらを、
ちらりと見てくれる期待に満ちた部分と考えれば良い。
活発に動くヴァイオリンの掛け合いの中、
ソプラノが、快活に軽やかさを生かす。

Track11は、ハ短調作品のアンダンテ。
この作品では、イ短調作品より切実なのか、
ほとんど期待はなく、催促ばかりである。

Track12の同曲アンダンテ・アモローソは、
一転して、平穏な感じになって、
楽しいリズムに乗って、御子の誕生を期待する感じになっている。

レオの次、
「ああ、あなたは、我らのただ一つの救い、
ああ、あなたは、我らのただ一つの救い、
あなたの慈悲深い眼差しを我らに向けたまえ。
それらを我らに向けたまえ。
そして、主イエス、あなたの胎内の果実、
主イエス、あなたの胎内の果実、
彼を我らに見せたまえ。
我ら追放の後、我ら追放の後、
彼を我らに見せたまえ。」

Track20のアレグレット。
ちょんちょんと肩を叩くような、
こびるような、軽妙な、おふざけの入った表現。
そこらのお姉ちゃんにちょっかいを出すような感じ。
レオの作品は、完全に余裕のある階層の人の音楽である。
オペラの一こまのような表現。

ペルゴレージの最後、
「おお、慈悲深い、おお慈愛の、
優しい処女マリア様。
ああ、処女マリア様。」

Tack4のラルゴ、イ短調作品では、
打ちひしがれたような表現。
しかし、それが純化されて、不思議な晴朗さに変化していく。
どの楽器も、かろうじて鳴っている感じで、
繊細なことこの上ない。

息も絶え絶え、みたいな感じで尻切れトンボ的。
ただ、あああ、あああ、ああああーという装飾的な部分があって、
何の盛り上がりもなく、終わってしまう。

Track13のハ短調作品のラルゴ・アッサイも同様。
恐ろしく長く引き延ばされた歌唱が、
夜のおつとめの終わりにふさわしく、
闇の中に消えていく。

これら、ペルゴレージの作品が終わると、
それぞれ、ガロの器楽曲が奏されているが、
爽やかな語り口で、まるで、
期待された聖母の眼差しによって、
平穏が訪れたような感じを与えてくれる。

レオの最後、
「おお、慈悲に満ちた、おお敬虔な、
おお優しい処女マリア様、
おお、慈悲に満ちた、おお敬虔な、
おお優しい処女マリア様、
あなたを喜び迎えます。」

Track21のラルゴは、何故か神妙になって、
サルヴェ、サルヴェと再び、お迎えの音楽のはずだが、
先ほどまでの羽振りの良さは影を潜め、
最後は、ちゃんとお祈りしましょう、
という感じである。

このように、解説の先入観かもしれないが、
貧しい人の教会、もしくは、孤児院などで歌われたのが、
ペルゴレージの作品で、
レオの作品は、貴族の邸宅などの礼拝室などで、
裕福な家族がお祈りしているようなイメージが浮かんだ。

作曲家の語法がどうこう、という以外にも、
何となく、いろいろあるものである。
同じペルゴレージでも、イ短調作品の方が、
簡潔ながら、平易な変化に富んで楽しめた。

が、多くのCDがあるのは、ハ短調の方のようだ。

ペルゴレージのイ短調が約11、12分、
ハ短調が14、15分、
レオの作品が18、19分で、
ガロの5、6分のソナタが2曲入って、
58分で終わる、短めのCDである。
もう1曲、2曲入れてくれてもよかった。

レオの作品が、割合、すっと終わってしまうので、
そんな感じもした。

以上、見てきたように、
「サルヴェ・レジーナ」は、
1.マリア様を呼び寄せる部分、
2.自分たちの窮状を述べる部分、
3.だから、こっちを見て、という部分、
4.マリア様に感謝する部分、
という感じに分かれるので、
2と3の部分を、様々に変容させて、
多楽章の声楽作品に、まとめやすくなっている。

聖母マリアは、天上との架け橋なのであろう。
従って、それは人間に近く、
ある時は、そこらに歩いているかもしれない。
レオの作品などには、そんな感じすらあった。

こうした思いで、一日を締めくくるのは、
確かに、心休まることだったに違いない。

得られた事:「サルヴェ・レジーナは、聖母マリアへの祈りの歌で、一日の終わりのおつとめのために歌われた。」
「何と、サルヴェ・レジーナの歌詞は作曲家によって異なり、各部の解釈も、それが歌われた環境によって異なるような感じ。」
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by franz310 | 2011-11-20 11:26 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その302

b0083728_14345263.jpg個人的経験:
ナポリ派の作曲家として、
ポルポラ、ブロスキ、
ヴィンチやレオなど、
オペラの断片を見てきた。
こんな人たち居たの?
という感じばかりだが、
レオナルド・レオ(レーオ)は、
チェロ協奏曲のCDで、
本格的な器楽曲の作曲家としても、
いくらか名前が通っている。


今回は、読んでいただければ分かると思うが、
前回の卑俗なイメージを打ち払う、
高貴なイメージのナポリが紹介できるであろう。

ナポリ派といえば、抽象的にオペラを想像するのは、
日本だけではないと見え、
解説にも、
「18世紀ナポリにおける音楽生活と結びついた
近代の音楽学者によって規定される
『ナポリ楽派』の歴史的な概念は、
いわば、辺境で、優れてはいるが、
あまり知られていない作曲家の一群で、
伝統として総括されて、
各人のスタイルや社会的、実際的な個々の特性が、
よく分からないまま、
神話的なオーラに包まれていた。」
などと書かれている。

そして、多士済々であったことは確かなようで、
「レオナルド・レオや、ニコロ・ポルポラ、
レオナルド・ヴィンチ、ドメニコ・サッロ、
フランチェスコ・ドゥランテ、ニコラ・ファーゴ、
フランチェスコ・フェオ、
フランチェスコ・マンチーニといった人々は、
その創造性、芸術的志向、文化的視野、
名声やキャリアが異なり、
その個性は、もっと有名な、
『第一次ナポリ世代』の伝説的存在、
ペルゴレージも言うまでもなく、
個々に大きく異なっていて、
近年ようやく、それぞれの仕事や、
傑出した人物像が現れて来た。」
と概説されている。
沢山いて、混乱している感じかもしれない。

しかも、さらにレオについての詳述が続くが、
これがまた、悪くない感じである。

「ナポリの音楽の開花は、
おそらく、
ロンドンでの声楽教師で、
作曲家として知られるポルポラや、
器楽と教会音楽に専念し、
劇場音楽を書かなかったドゥランテなどよりも、
レオ(1694年8月5日、
ブリンディシ州のサン・ヴィト・ノルマンニ生まれ、
1744年10月31日ナポリ没)
に負うところが大きい。
レオは教育現場や王室教会との繋がりも強く、
サンタ・マリア・デラ・ピエタ・デイ・トゥルキーニや、
聖オノフリオで教え、
ヨンメッリやピッチーニらを第1とする、
次の世代を育て、
最高の宗教音楽家として特筆され、
厳格なルネサンス様式を伝えている。
彼の多くの無伴奏宗教曲の中で、
最も高名なものに他ならない、
素晴らしい『ミゼレーレ』は、
レオの賛美者ヴァーグナー同様、
ヴェルディを強く惹き付け、
パレストリーナ風の灰に火を灯し、
オッターヴィオ・ピトーニや
ジョヴァン・バティスタ・マルティーニ師のような人に
激励され、彼等と実り豊かな友情を育んだ。」

つまり、彼は伝統を受け継いで、
そこに新風を吹き込みながら、
新しい世代も育てた、正当派ということになる。

ナポリ派というと、カストラートを駆使した、
効果重視の華やかな音楽家という感じがつき物だが、
レオについては違う感じがする。

「一連の厳格なものから音楽喜劇まで、
レオの劇場音楽の傾向は、
ナポリを越えて、
ボローニャ、トリノ、ミラノやヴェニスなど、
作曲家の名声を広めたが、
他の作曲家のように、
ヨーロッパ中の首都を攻略しようとは思わなかった。
実際、その文化的、職業的な繋がりから、
1730年から40年代、
彼はおそらくナポリの最も代表的な存在であった。」

レオはすでに書いたように、
1744年に亡くなっているから、
ほとんど生涯にわたって、
ナポリに貢献したことになる。

「そればかりか、レオの創造の才能は、
アレッサンドロ・スカルラッティの後を継ぐ、
素晴らしい室内カンタータや、
最近になって評価が高まっているオラトリオや、
教本、それに、とりわけ、
『マッダローニ大公のために作曲された』
チェロ・オブリガード付きの
6曲のチェロ協奏曲や、
珍しい4つのヴァイオリンのための協奏曲など、
器楽曲における並外れた貢献を数えないと、
語り尽くすことは出来ない。
スタイルの点から言うと、
レオの多彩な才能は、
マンチーニ、ポルポラ、サッロ、ファーゴのような、
スカルラッティ直結の典型的バロックの伝統に、
なおも強く根ざした作曲家たちと、
理論的にも作曲上でもよりモダンな、
ペルゴレージのように、
澄んだ、または、ギャラントな魅惑に満ちた
続く世代の間にある。
レオのスタイルの二元性は、
オペラや宗教音楽のように、
形式や構成の上で、伝統に則したものより、
より自由なその器楽作品に、明らかに見て取れる。
チェロ協奏曲において、対位法の原理は、
フーガやフガートで巨匠的な活力で表現され、
優しく優雅な表現を指向する柔軟な主題や、
装飾に導かれる。」

確かに、バロックと言うと、
バッハ、ヘンデルによって完成される感じだが、
レオは同時代を生き、この先輩らより、
ギャラントだと言うのは分かるような気がする。

特筆されていた「ミゼレーレ」も聴きたくなって来た。
とはいえ、まず、その正当派のチェロ協奏曲を聴かないと。
ここに上げたのは、
アルトゥーロ・ボヌッチがチェロを受け持った、
アンサンブル・ストルメンターレ・イタリアーノ
(ボヌッチ自身がリーダー)による演奏である。

レオの話題からは逸れるが、
このチェリストは、日本が好きだったようで、
ネット検索すると日本語サイトがヒットする。
若くして事故で亡くなったようだ。

この優雅な絵画をあしらったCD、
セバスティアーノ・コンカ作の、
「音楽の寓意」という絵画だそうだが、
FREQUENZというレーベルのもので、
製造はFrance&Divoxとか、
Switzerlandとか書いてあるが、
イタリア語解説が主で、ミラノの会社のようだ。
(ARTSから出ていたこともある模様。)

このCD、二枚組なのに安く中古で出ていた、
という理由だけで入手したような気がする。
チェロ協奏曲は、そもそも数が少ないので、
ついつい興味本位で手が出たことは確かなのだが。

それほど派手な音楽ではなく、
協奏曲と言っても、
バックは弦楽(とチェンバロ)しかない。

実は、このような編成になっているのにも、
理由があるようで、解説の中には、
いろいろ書かれている。

「ニ長調の作品が唯一の例外であるが、
これらのチェロ協奏曲は、由緒正しき、
4楽章制の教会ソナタの形を取っている。
規則通りに最初の楽章は、
『アンダンテ』か『アンダンティーノ』で、
さもなくば『グラツィオーソ』で、
この第1楽章に続くのは、
しばしば、断固としたポリフォニックな活力のあるもの、
三番目に必ず緩徐楽章が来て、
二つの部分からなる三分形式のアレグロか、
ジーグが来て、時を進めて終わる。
2つヴァイオリン群とバスの3部からなる、
オーケストラに独奏チェロを織り合わせる書法は、
古典的なトリオ・ソナタのアンサンブルに倣っている。」
と書かれている。

遠くから懐かしく管楽器が響いて来るような、
ドヴォルザークの作品などを連想してはいけない。

さて、今回のようなタイミングがなければ、
そのままお蔵入りさせてしまいそうだったこのCD。
実際に聴き進むと賛嘆の言葉が口に出てしまう。

ことほど左様にインフォーメーションのない状況下で、
単に、チェロのあの陰影に富んだ、
ここで書くとすれば、「ます」の五重奏曲を印象づける音、
を聴きたいだけで聞き込むというのは難しい。

ヴィヴァルディも沢山、チェロ協奏曲を書いてはいるが、
それを、よく取り出して聴くという境地に、
私はまだなっていなかった事に気づいた。

チェロの音は深い反面、渋いので、
華やかさや特徴を出しにくいのかもしれない。
しかも、ここでは、それが6曲もセットになっている。
どれがどれかも分からない感じ。

しかし、今回、Giovanni Carli Ballolaという人の解説を見ると、
かなり丁寧に1曲1曲を解説してくれていることが分かって、
期待もふくらんで来た。

ただし、結構、だらだらと続く文章を書く人なので、
よく考えながら聴かないといけない。

ただし、残念ながら、解説の順と、
CDの収録順は一致していない。


まず、CD1のTrack.1から5が、
これらの曲集の第1曲であることは助かる。
「1737年9月作曲のニ長調協奏曲は、
5楽章からなり、
そのうちの1楽章が、
独特の2つの主題によるフーガで、
この6曲の『大フィナーレ』のような地位を占める。
これは、特に印象的な作品で、
曲集を締めくくるという
18世紀における出版時の慣例として、
実際、続くことになる。
見事に彫琢された第1楽章
『アンダンテ・グラツィオーソ』は、
リズムの様々な変化を持ち、
後の、二つの『アレグロ』の
より緊張した締め付けのある表現や、
第3、第5楽章のそれぞれ、
つぶやくような『ラルゲット・コン・ポコ・モート』
典型的なメヌエットと呼んでもよい、
きびきびした二部からなる楽章と、
劇的な陰影のコントラストを成している。」

すごいごっちゃな解説だが、16分ほどの音楽。
このCD解説には、トラックに時間が書いていないので、
各曲のボリュームは、実際に聴いて調べて行く。
()内にトラックの時間を分、秒で記した。

第1楽章は様々な楽想が組み合わされ、
気まぐれでありながら、清新な空気に満ちて気持ちよい。
(3:30)

第2楽章は「コン・ブラブーラ」とあり、
かくかくした、しかしリズミックな音楽。
気むずかしいチェロ独奏に対し、
ヴァイオリンが明るい音色を響かせる。
(2:28)

第3楽章は、痛切な楽章で、
宗教的に痛々しい。
さすがチェロ協奏曲という感じで、
この楽器の音色を響かせる。
(4:51)

第4楽章はフーガ。
これが、解説に書かれていたフーガ楽章で、
まことに晴れやかで、力強く上昇して素晴らしい。
低音から舞い上がるように、
チェロのさくさく進む様子も気持ちよい。
(2:45)

第5楽章は、お開きのアレグロにふさわしく、
第1楽章と同様、開放的で気まぐれな感じ。
これなどを聴くと、いかにもバロックの次の時代。
(1:43)

「あまり壮大ではないが、
決して簡単ではない、
1737年9月のイ長調協奏曲は、
その素晴らしい『ラルゲット』で秀でたものである。
これは多くの長調で書かれた協奏曲にある短調の調性で、
3声のオーケストラ部によってもたらされる、
模倣部を有する懐古的なパターンから導かれる。」
とあるのは、
困った事に、CD1のTrack10~13の曲だ。
壮大でないとあるが、確かに、13分程度の規模。
一番長いラルゲットでも4分と、
他の曲の同じ楽章と比べると2割程度短い。

前の解説にあった曲と同じ月に書かれた双子であろうか。

1737年といえば、レオは43歳。
死の7年前なので、円熟期なのであろう。
そのせいか、こちらも自由闊達な書法である。

このラルゲットは、第3楽章で、
ラメント風というか涙のパヴァーヌ風というか、
嫋々たるものである。

「レオの場合の典型として、
これらの楽器編成から、
まず、バロック風の主題がチェロに移され、
よりモダンな語法の、
デリケートな装飾パターンに溶け込んでいく。」

これは、まだ、ラルゲットのことを書いていると見た。
この曲の解説はこれだけなので、
他の三つの楽章には、全く触れていないわけだ。

第1楽章は、「アンダンティーノ・グラツィオーソ」、
前述のように開放的で、
かつ、マニエリズム的な破格を感じる。
エマヌエル・バッハみたいな感じがする。
(3:28)

第2楽章は、「アレグロ」。
これも自由闊達で晴れやかな音楽。
ハイドンと何が違うかと思えるほど、
近代的なもの。
(2:43)

第3楽章は、一転して、
冥界に降りていくような音楽になる。
この傑出した
「ラルゲット・ア・メッツァ・ヴォーチェ」は、
チェロのため息の度に、
チェンバロがちゃらんちゃらんと鳴って素敵。
(4:05)

第4楽章は、スケルツォ的に、
快活にして、微笑みに満ちている。
が、チェロが時折、
馬力をかけてドライブしたりする聴きどころもある。
(3:05)

「1737年8月のハ短調協奏曲は、
第2楽章の厳格なポリフォニーの懐古調で目を引き、
模倣の多様な側面をベースにしており、
ト短調の拡張されたラルゲットでは、
叙情的なエピソードが提供されて、
最初の『シチリアーノ』の特徴的リズムが、
精巧な地中海風の楽器の音色になって、
官能的で心のこもった情景となる。」

先の2曲の翌月に書かれたこの曲は、
第1楽章と第4楽章の説明がない。
CD1のTrack6~9がこれである。
この曲も12、3分の音楽で簡潔。

第1楽章は、やはり「アンダンテ・グラツィオーソ」。
素直でない偏屈な主題であるが、
チェロに向いているような気もする。
模倣的な表現で、ヴァイオリン群が絡んで来るが、
独奏楽器は我が道を行く。
じゃーんと、頑固ですらある。
(2:44)

第2楽章は、例のフーガ。
プレストと書かれているが、
幾何学的な爽快感がある。
透明感とでも言えるだろうか。
空を飛び交う光線みたいだ。
(2:09)

第3楽章は、先に書かれたように、
無骨な感じだが、やがて、和やかな的な歌になる。
チェロの音色や思索的な語り口が好きな人は
しびれるのではないか。
伴奏だけになると不機嫌で寂しげある。
それにしても、どの作品も緩徐楽章が悲しい。
(5:42)

第4楽章は、はち切れるような、
自由自在な音楽だが、
主題的には、意志に満ちて明確。
ヴィヴァルディ的か。
(2:01)

「1738年4月のニ短調協奏曲は、
おびただしい強弱記号、表現記号によって、
前の諸作より感情の表出が増幅され、深くなっている。
また、例外的に長大な第1楽章、
『アンダンテ・グラツィオーソ』もそうだ。」

この曲は、CD2のTrack5~8である。
17分程度で大型化した。

第1楽章は、長大というが、
ヴィヴァルディのオペラに出て来るアリアのような、
陰影の深い、しかも、リズムに変化を持たせたもので、
繊細なオーケストラに支えられ、
チェロの歌はしみじみと、味わい深い。
いきなり、恋わずらいの緩徐楽章が始まるような感じ。
(4:06)

第2楽章は、コン・スピリートの表記だが、
これも、小粋なフレーズを絡めながら、
技巧的で推進力のある独奏の扱いなども絡まって、
完全にヴィヴァルディ風な感じがする。
(3:25)

第3楽章は、何とアモローソと題され、
またまた、胸を熱くさせるオペラの情景である。
星を見上げながら、あるいは、木々のそよぎを聴きながら、
一人、逡巡するような音楽である。
(4:53)

第4楽章は、生き生きとした、
技巧的にも難しそうなアレグロであるが、
何か焦燥感にあふれ、どうもすっきりしない。
同じような楽句が繰り返され、
もがくような音楽である。
(3:26)

この曲、ニ短調というが、最後まで解放感などなく、
結局、渋いままに終わってしまう。
これは、悩ましい音楽である。

解説の人も、この曲をこんな風に評している。
「レオは、新しいコンセプトである、
『ギャラント』(心の訴えや感情の主観性への感受性)
の価値を認めていたようで、
優美で、神経質なスタイル、
優美な音符で細かい装飾を敷き詰め、
チェロの暖かい魅力的な音色と組み合わせている。」

成る程、1738年のこの曲あたりになると、
そうした特徴が濃厚ということか。

b0083728_14353089.jpgこの曲を聴きながら、
レオの肖像画
(このCDの解説書表紙)
を眺めていると、
ちょっとにやけた
イケメン風情で、
ひょっとしたら、
多くの恋をして、
そんな体験から、
こうした音楽が
生まれたのではないか、
などと考えた次第。


「これは、さらに、1738年8月、
素晴らしい豊かさを持つ、
ヘ短調の協奏曲と、イ長調協奏曲という、
この曲集でも、最も素晴らしい、
そして演奏困難な2曲を生み出すことになる。
ここで、ソロ楽器は十全に動き回り、
強固なバロックの土台から体系はそのままに、
スタイルの革新にはドアを広く開き、
見事な最後のジーグの楽章で、
一斉に花開かせる。」

ということで、解説もかなり手抜きになって、
2曲一度の紹介となる。

まず、ヘ短調協奏曲は、CD1のTrack.14~17。
これも16分程度と少し大型。

第1楽章は、お決まりのような、
「アンダンテ・グラツィオーソ」。
この曲は、冒頭から歌にあふれ、
オーケストラの豊かな音色が豊饒である。
ただし、ヘ短調ということで、影のある音楽である。


独奏チェロも、何か悩ましげに進んで行く。
ぶつぶつ言いながら歩いて行くような感じ。
(4:22)

第2楽章は、「アレグロ」。
今ひとつ吹っ切れない感情を揺れ動かす、
リズムと楽器の掛け合いが聞き所であろう。
(3:20)

第3楽章は、「ラルゴ・エ・ジェストーソ」。
これは、異様な音楽である。
まるで、エルガーのチェロ協奏曲に直結していくような、
諦念と哀惜に満ちた苦い音楽。
オーケストラが緊張感に満ちた情景を作り出し、
独奏チェロは、救いをさしのべて欲しいと、
縷々と続く声を上げる。
いったい、レオは、何を嘆いているのであろうか。
それだけ、表出力の強い楽章である。
(5:27)

第4楽章は「アレグロ」。
まるで急に現実に戻ったかのような、
不思議にせっかちな音楽。
さっさと戻って仕事仕事という感じ。
(3:00)

そして、イ長調協奏曲は、CD2のTrack.1~4。
この曲は、確かに美しく、しかも、19分くらいの大曲。

「アンダンテ・ピアチェヴォーレ」
と題された第1楽章の冒頭から、
ハイドンのチェロ協奏曲のような曲想が、
なめらかに流れ出すと、
どの人も、この曲を聴けた幸福感を、
噛みしめずにはいられないだろう。
ピアチェヴォーレは、「楽しい」という意味らしい。
(3:40)

第2楽章は、アレグロで、
独奏ヴァイオリンが現れて、
チェロに優しく語りかけるのが微笑ましい。
何と、幸福感に満ちた音楽であろう。
ハイドンとヴィヴァルディの、
心温まる一面だけを持って来たような音楽。
ただし、演奏は、もう少しエネルギーがあっても良さそうだ。
(3:57)

第3楽章は、「ラルゲット・エ・ジェストーソ」で、
前の二つの楽章から、いきなり、
胸をえぐるような表現に変わるのはどうした事だろう。
独奏チェロも、悲嘆に暮れた感情に埋没するような感じ。
おそらく、ボヌッチも目を閉じて、
心の奥底をのぞき込むような表現をしていたに相違ない。
光が差し込むような高音を立ち上らせるヴァイオリン群も、
静謐で神秘的な瞬間を待つかのようである。
(5:50)

第4楽章は、「アレグロ」。
これが、花開かせるジーグであろうか。
ヴァイオリン独奏が再び唱和して、
花を添えているのは確か。
楽想も生き生きとして前進していく感じが爽快である。
(4:50)

ちなみに、この曲集、
この曲も含め、イ長調協奏曲が2曲あって、
CD1のトラック10~13も同様にイ長調で、
ともに、アンダンテ、アレグロ、ラルゲット、
そしてアレグロからなる4楽章構成。

私は、勝手にCD1の方が1737年のもので、
CD2の方が1738年のものだとみなして説明したが、
実は間違っているかもしれない。

が、このような過程で聴き進めて、
この2曲が最も充実した作品であることは、
何となく納得してしまっている。

レオナルド・レオが作曲した、「6つのチェロ協奏曲集」、
半分はハ短調、ニ短調、ヘ短調と短調の曲を並べ、
一聴しただけでは地味で、人を惹き付ける外面性に欠けるが、
このように聴き進んで行くと、
ちょうどヴィヴァルディが活動を終えようとしていた時期、
さらにハイドンが物心ついたような時期にあって、
このオーソドックスな環境にありながら、
進取の気性を持つ作曲家が、
新しい境地を開いていったことが
実感できる曲集でもあった。

さて、この二枚組CDには、
あと1曲、4つのヴァイオリンのための協奏曲が、
収録されている。
作曲年代も、1738年頃なのだろうか、
解説は、先の2曲に続けざまに書かれている。

「同様のライン上に、
再発見されるべくして再発見された
器楽の分野における音楽的驚異の他に、
無伴奏ポリフォニー声楽曲のジャンルのものを
レオは多数作曲しているが、
驚くべき『4つのヴァイオリンのための協奏曲ニ長調』
もそれに続くものである。
ソロの『コーラス』の役割がユニークで、
この偉大なる『名誉あるナポリ人』の作品が、
いつもそうであるように、
色彩感覚や円熟味でヘンデルと同等に素晴らしい。」

第1楽章は、「マエストーソ」と書かれ、
何だか、大見得を切るような始まり方である。
が、その後に出て来る4つのヴァイオリンの独奏は、
優しい感情にあふれている。
序奏部のものものしい感じとえらく対照的で弱々しい。
(3:38)

第2楽章は、「フーガ(アレグロ)」。
これもきらきらと舞い上がる、
レオが得意としそうなフーガで、
モーツァルトの「ジュピター交響曲」のように輝かしい。
(2:27)

第3楽章は、「ラルゲット」で、
一転して失意の人のくよくよ音楽。
独奏楽器も4つもあるのに、
ちょろちょろ出ては消えて行く感じだったり、
一つが歌うのを慰めたり、交代で歌ってやる感じ。
非常に繊細である。
(4:31)

第4楽章は、「アレグロ」で、
ここでは吹っ切れた音楽が聴かれる。
独奏楽器よりもオーケストラが目立つ。
中間部で、活発なカデンツァ風の技巧をきかせるが。
(2:37)

以上、見てきたように、ナポリ楽派は、
決して、猫も杓子もオペラばかりを書いて、
人気のカストラートに歌わせて、
各地で儲けてばかりいたわけではなく、
こうした厳粛な音楽作品も追求されていたのである。

レオの場合、教育現場や教会での活動に縛られながらも、
自身の芸術を深めて行く方向に進んで行ったようなので、
私の中では、かなり高得点となった。

得られた事:「ナポリに腰を落ち着けて芸術を深めたレオの音楽からは、高貴なクオリティで、ヴィヴァルディとハイドンを繋ぐミッシングリング感がにじみ出ている。」
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by franz310 | 2011-11-13 14:36 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その301

b0083728_14182247.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディの
オペラの解説を
読んでいると、
ナポリ派の連中が、
由緒、伝統のある
ヴェネチア派を駆逐して、
困ったもんだ、
みたいな記事ばかりだが、
このCDの表紙を見れば、
何となく、それも肯ける。


全員、頭に奇妙なかぶりものをした3人集。
手前には、へんてこなマスクを被ったおっさんに、
いかにもやらしい顔付きのあんちゃん、
魚を抱えた、意味深にも下卑た笑いのお姉さんが勢揃い。

こいつら何者だ?
カバーは、ジュゼッペ・ボニートの
「Scena di genere con Pilcinella」の一部とある。
プルチネルラ?ストラヴィンスキーのあの音楽。
そういえば、あれはペルゴレージにあやかった作品だった。

ディアギレフは、18世紀のイタリア音楽に
興味を持っていた時期があったらしい。

さて、この言葉をグーグルの画像検索に入れると、
「プルチネルラのマスカレード」という題の作品が出て来る。
ナポリのカポディモンテ美術館に行けば見られるらしい。

実際の絵画は、もっと暗いところで、この3人が、
横長に輪になっている。
何となく、もう少し自然な感じ。

これをCDサイズに収めるために仮面の人物を前に出し、
しかも、全員を左右逆にして配置したので、
何だか、不気味さが倍増した感じである。

ジュゼッペ・ボニートは、
1705年生まれとあるから、ヴィヴァルディの次の世代。
1789年まで生きているから、
実に、モーツァルトの時代に重なって生きている。
この人は画像検索すると、
王族の肖像画なども出て来るので、
画家としては高位にいた人と見た。
しかし、風俗画も多く書いたようだ。

この絵画は、当時の劇の一こまのようであるが、
これまで見てきたような、ヴィヴァルディ作品とは、
まるで違った世界であることに間違いはない。
あるいは、ディアギレフなどは、
そうした、はちゃめちゃな世界を空想して、
ストラヴィンスキーに音楽を依頼したとも考えられる。

とにかく、このような絵画にも表されている、
こんな連中が、持って来たオペラだとしたら、
格調高い詩的な音楽で鳴らしていたヴィヴァルディが、
むっと、嫌悪感を抱いたとしてもおかしくはない。

が、こうした勝負は分が悪い。
何故なら、こうした猥雑な雰囲気の方が、
活力ある芸能が生まれ出て来そうではないか。

ナポリのオペラ・ブッファというCDで、
オーパス111レーベルから出ていたもの。
ヴィヴァルディを追い詰めた、
ヴィンチやレオといった、おなじみの名前が並んでいて、
まことに心強い。

このレーベルを創設した、ヨランタ・スクラが、
総監督、録音プロデューサー、技術まで担当している入魂の一作。
1997年2月のナポリでの録音。

アントニオ・フローリオ指揮のアンサンブル、
「カッペッラ・デッラ・ピエタ・デ・トゥルキーニ」の演奏。
録音場所も、「デッラ・ピエタ・デ・トゥルキーニ」のセンターである。
この奇妙な名前には、結構、重要なメッセージが込められている。

何と言っても、このCDのブックレットには、
「トゥルキーニとナポリ派オペラブッファの黄金時代」
という題名の解説が出ているくらいなのだ。
DINKO FABRISという人が書いている。

「17世紀後期にナポリに創設された教育施設で、
まず第1に、フランチェスコ・プロヴェンツァーレなど、
傑出した一連の巨匠たちによって鍛えられた作曲家たちが、
18世紀のナポリの音楽に開花期をもたらした。
さらに有名なオペラ作曲家、ピエトロの息子、
ドメニコ・アウレッタは聖オノフリオ音楽院に学び、主に宗教曲と、
ハープシコードやヴァイオリンのための3曲の協奏曲を残したが、
それらは、聖ピエトロ・ア・マジェラ音楽院の図書館に自筆譜がある。
もう一人の重要な人物は、ジョバンニ・バティスタ・メーレで、
I Poveri di Gesù Cristo音楽院で、
プロヴェンツァーレの弟子であるグレコに学んだ。
1735年のはじめにメーレは、オペラ作曲家として大成功を収め、
ちょうどマドリッドでファリネッリが活躍した頃、
スペインにイタリアオペラを持ち込んだ最初の一人であった。
これらの作曲家については、ほとんど知ることが出来ないが、
彼等の作品とされるものは当時のナポリ派作曲家の中で、
最高のものに数えられる。
この録音で取り上げられた他の作曲家、レオやヴィンチに移ると、
18世紀初頭の音楽劇場のメインストリームに出会う。」

ということで、ヴィヴァルディの仇敵のような、
ナポリ派オペラの代表格が、ヴィンチやレオだと分かる。
アウレッタとかメーレといった作曲家もまた、
ナポリ派オペラ作曲家の傍らで活躍していたようだ。

実は、このCD、
表紙のデザインや標題からは分かりにくいが、
オペラ・ブッファに混じって、
器楽曲2曲が収録されていて、
これらは、上記作曲家によるものである。

ドメニコ・アウレッタ(1723-1753)の
チェンバロ協奏曲ハ長調が、まず前半に収められている。
Track6は第1楽章、ハイドン風に明解なアレグロ。
雪崩をうって入って来るチェンバロも力強い。
ハイドンは1732年生まれであるから、ほぼ同時代人だ。

Track7はアンダンティーノの第2楽章。
8分半もあって長い。
これは、夕暮れの情感に満ちた美しい音楽で、
チェンバロの音色は繊細すぎて、少々歯がゆいが、
カデンツァらしい技巧性もあり、
弦楽が、気分を盛り上げてロマンティックでもある。

Track8はアレグロ。爽快である。
エンリコ・バイアノのチェンバロも自信に満ちたもので、
克明に、この作品の楽想を刻み込んでいく。
ヴィヴァルディが独奏協奏曲の礎を築いたというが、
ヴィヴァルディと同時代、あるいは次の世代の人からは、
こんな近代的な作品が生まれていたのである。

また、メーレの作品(1701-1752)として、
後半にフラウト・ドルチェと弦ののソナタが入っている。
フルートは、トマゾ・ロッシという人だ。
各楽章は2分から3分程度で控えめなものであるが。

Track14は、ヘンデル風のおおらかなメロディが印象的で、
爽快なアンダンテ。
ヘンデルの次の世代であるから、
こうした影響もあったかもしれない。
Track16は、対位法的なアレグロ。
Track17は、いかにもオペラの一景。
鼓動のようなピッチカートに乗って、
フルートが物思いに耽る。
Track18は楽しいアレグロで、
主題が何とも言えず南欧の空気を伝える。
弦楽が広げるキャンバスを、フルートの線が駆け回る。

とにかく、こうした企画で蘇ったのは嬉しい。
ただし、この解説では、
レオやヴィンチの前の作曲家に見えるが、
実際は、同時代の人と考えてもよい。

その他は、声楽作品が収められている。
ロベルタ・インヴェンルニッツィのソプラノ、
ダニエラ・デル・モナコのコントラルトに、
ジュゼッペ・デ・ヴィットリオ、ロザリオ・トタロらがテノール。
ジュゼッペ・ナヴィリオがバリトンで登場。

たった1枚の中に、名前も画家と紛らわしい、
レオナルド・ヴィンチ、
レオナルド・レオといった作曲家のアリアが、
うじゃうじゃ入っているが、
これらは付随の解説を読むと、
いかに貴重な録音であるかが分かる。

では、解説に戻ろう。
「ナポリの貴族の家庭用音楽で、
いくつかの萌芽を見た後、
1709年、フィオレンティーニ劇場の改装後の再開と、
その後のテアトロ・ヌオーヴォの再開が、
当地の方言を使った音楽喜劇をもとにした、
新しいレパートリーを生み出した。
この新しいジャンルは、
17世紀に多数の作品で実験的に書かれた、
昔からの『コメディア・デラルテ』と、
明らかに繋がりのある言葉で、
すぐに『オペラ・ブッファ』と名付けられ、
1650年以来、プロヴェンツァーレなど、
多くのナポリの作曲家がこれを採用した。」

何ゆえ、コメディア・デラルテが、ブッファになるのか、
よく分からないが、そう書いてあるようだ。
が、ストラヴィンスキーのプルチネルラの音楽が、
こうしたものを下敷きにしたことは、音楽から良く分かる。

「この新しいジャンルの内容が、
すぐに成功を収めたわけではないが、
フィオレンティーニ劇場のために、
若きレオナルド・ヴィンチが書いた、
最初のオペラが現れた1719年には、
黄金時代が始まったということが出来る。
この作品の副題、
『盲人を装った男、
1719年の春期、
フィオレンティーニ劇場で演じられる音楽喜劇、
輝かしく最も洗練された淑女、バーバラ・エプシュタイン、
ダウン女伯爵に捧げる』
は、この作品に、また、オペラ・ブッファに対し、
込められた野心を物語っている。
この被献呈者は、ハプスブルクのナポリ総督の夫人であった。
ラインハルト・シュトロームは、
彼の18世紀イタリア・オペラのエッセイ集で、
『盲人を装った男』のリブレットは、
この種のものの中で最高のものの一つと書いている。」

ナポリのオペラ・ブッファの、
このような記念碑的な作品が聴ける、
というのが、このCDの肝である。

「このうち、独唱、あるいは、重唱のための、
わずかなアリアの手稿が残されるのみだが、
これらから、この録音用の選曲がなされている。
登場人物は、古典的なナポリ風であるが、
実に驚くべきは、その音域の多彩さで、
若書きながら、考えられる限りの洗練を見せている。」

ということで、抜粋だけのようだが、
Track5に、「何という光景を見てしまったのでしょう」
というモナコのコントラルトと、
ナヴィグリオのエノールが、
楽しげな会話を交わす。
女性がチューチューとネズミの声、
男性が、みゃおみゃおと猫の真似をしている。
これだけでも、十分楽しい。

ふと、ロッシーニの「試金石」の、
「ミシシッピの歌」を思い出した。

「お化けだ、逃げよう」
「違う、もっと小さかった。
小さなネズミかもしれない。
鳴くのも聴いたもの。」
「かわいこちゃん、怖くないよ。
中に入ろう。」
「何考えているの。」
「追っかけるんだよ。」
「そしてどうするの。」
「もう一度教えて、それはどんな音を出していた。」
「チューチュー言っていたわ。」
「よし、ではみゃおみゃおで行こう。」

てな感じの軽妙かつ色っぽい会話が、
美しいメロディで描かれている。

チェンバロ協奏曲を挟んで、
Track9も、このオペラから。
これはソプラノとテノール。
「おいしいサラダを作りましょう。
いらっしゃいよミッコ、おいしいわよ。」
「いやいいよ、もうお腹いっぱいだ。」
「あなたがいいなら、私が食べるわ。」
「気をつけてね。喉を詰まらせないように。」
「何言ってるの。私の歯は強いのよ。
何が出来るかくらい知ってるわ。」
といったコケティッシュな会話が、
明解なメロディで描かれ、
オーケストラも雄弁だ。

Track10は、テノールが、
ヴァイオリンとテオルボ、リュートといった、
小編成の伴奏で、心情のこもった声を聴かせる。
このようなしっとりした歌では、
ヴィヴァルディと何が違うかとも思える。

「リンゴやカリンは酸っぱいが、
時と共に熟れ、
時間され我慢すれば食べることも出来るだろう。
十分な時間と金をもって、
アプローチすれば、
高飛車な女も同様に燃え上がる。」

歌っている内容に比べると、
妙に悲しげな歌である。

Track18のバリトンの歌、
「何と多くに我慢しなけりゃならんのか」
も、モノローグ調のもので、
このオペラの多彩な側面を表すものだ。
「何という試練、何というはらはら。
うるさい妻に、適齢期の娘がいるなんて、
何と多くに我慢しなけりゃならんのか。
家の外にも家の中にも、
ハエがぶんぶん言っていて、
ややこしい奴らが、
一日中、彼を悩ます。
燃える薪の上を歩くようで、
平安な時なんかありゃあしない。」

確かに、最初の作品から、変化に富む、
ウィットにも富んだ作品が、
生み出されていたことが分かった。

で、その他のヴィンチのオペラはどうか。

「続く3年は、ナポリの方言による、
少なくとも9つのオペラが、
ヴィンチによって生み出されており、
少なくとも、『小舟の女』(1722)は、
完全な形で残されている。」

この「小舟の女」からも
Track1、Track4などに収められている。

Track1は、このCD冒頭を飾るにふさわしい、
清新な、輝かしいアリアで、いかにもナポリの陽光が輝く。
ロベルタ・インヴェンルニッツィのソプラノも親しみやすい声だ。
「あなたがわたしの何を欲しいか知ってるわ。
本当に嫌な人、マナーがなってないわ。」
という、めちゃくちゃな拒絶の歌ではあるが。

「あなたが悩ますたびに、私は嫌と言うわ。
私のタイプじゃないの。
もっとはっきり言おうかしら。
分かってるのかしら。
若い男なんてみんな同じ。」

Track4は、テノールの歌だが、
何だこりゃの世界。
まるで、フラメンコみたいな朗唱ではないか。
私は、これにはのけ反った。

しかも、歌われている内容は、かなり悩ましい。

「小さなネズミになって、
アンネラを驚かせたい。
彼女のつま先をかじり、スカートの裾を破くのだ。
私は小さいから、小さい嫁さんが欲しい。
しかし、時間は過ぎゆき、
あなたの心の石が私を打つ。
時間は過ぎゆき、
結婚する娘を見つけることも出来ないだろう。」

ヴィンチでは、あと一曲、
Track2に、いかにもヴィヴァルディ風の、
繊細な伴奏を持つ、バリトン用アリアが収録されている。
これも情感豊かで美しい。

「私が涙を流しても、あなたを動かすことは出来ない。
胸の中から出る、心の涙も、踏みにじられる。
私はここにいます。
拒まないで下さい。
他の娘たちは冷たく、哀れな犠牲者から、
ただ、金や物をねだるだけ。
私は、あんな連中は無視だ。
あなたはしかし、蜂の巣をかき回す。」

解説は、もう一人の重要人物、レオの事になる。
「フィオレンティーニ劇場で、
ヴィンチが影響力を強めている間、
18世紀の20年代には、レオナルド・レオが、
ドゥランテを例外として、唯一の最も影響力のある、
ナポリの音楽教師として頭角を現した。
レオは、イタリアのかかとに当たる、
プグリアの出身で、おそらくは、
トゥルキーニのデラ・ピエタ音楽院の、
1700年代初頭の最も優秀な生徒で、
同じプグリア出身のニコラ・ファーゴの教え子で、
このファーゴもプロヴェンツァーレの弟子であった。
ヴィンチがI Poveri di Gesù Cristo音楽院で、
もう一人の重要なプロヴェンツァーレの弟子、
ガエターノ・グレコに学んだことを考えると、
トゥルキーニが、
18世紀初期ナポリ派音楽の二大巨頭を生み出すのに、
いかに大きな影響を持っていたかが分かる。」

かなり長い説明であったが、要約すると、
師弟関係は、このようになるのであろう。

プロヴェンツァーレ → ファーゴ → レオ
          (トゥルキーニ音楽院の生徒)
          → グレコ  → ヴィンチ

が、ヴィンチとトゥルキーニの関係は、
いったい、どのように読むのか。

「レオは、そのうち約12曲がナポリ派特有のものであるが、
90曲以上のオペラを書いた。
その大部分は消失したと考えられるが、
マジェラの聖ピエトロ音楽院の素晴らしい図書館にある、
数少ない手稿の束は、
1717年にアントニオ・オレフィスが書いた、
作品の改作である、1724年の『偽物ジプシー』と、
ジェナラントニオ・フェデリコがリブレットを書いて、
非常な成功を収めた、
1740年の『アリドーロ』という、
レオのコミック・オペラ二曲からの抜粋であった。
これらの未出版の作品と、
レオの他の作品との関係を、
今回、初めて検証できる。」

このようにあるが、レオの作品は、
ここでは、3曲が収められているのみ。

Track12が、『偽物ジプシー』からの、
テノールのアリアで、
これは、いかにもギャラントな、
弦楽の序奏からして耳をそばだたせる。
これまた悩ましい感じで、
男性がひとりで歌うと、
どうも、このパターンになるようだ。

「嘆きに満ちたナイチンゲールの歌を、
聴いたような気がする。
その哀歌は、何よりも私を不幸にする。
運命が辛く苦く思え、
たちまち惑わされ、
希望のかけらが、さらに私を苦しめる。」

また、上記、「アリドーロ」からは、
Track11にソプラノのアリアがある。
「これは規則です。
間違ったら駄目よ。
愛を探す見込みのない人は、
心に南京錠をかけなさい。
あなたを悩ます男がいたら、
面と向かっていいなさい。
『死ねばいいわ』、
『何故諦めないの』
『どっかに消えて』
『いいえ、同情はなし』。」

めちゃくちゃ高慢な歌であるが、
ソプラノが歌うと、妙に性格的にしっくり来る。
これなども、ヴィヴァルディのオペラに出て来そうな、
明解な楽想で、陰影に富んだ変転が素晴らしい。

「現存する『方言アリア』は、
『ナイチンゲールを聴いた』のパトスから、
高度に劇場的な『ネジを巻くと時計は進む』の
コンチェルタンテなナンバー、
すなわち、幕を締めくくるアンサンブルまで、
音域の多彩さで、ヴィンチを凌ぐ。
この作品は、オペラを越えて人気を誇ったものと思われ、
遠くブリュッセルやミュンスターでもコピーが見つかっている。
『奥様女中』の最も有名なアリアの鼓動効果を思わせる、
強烈な擬音語に基づく。」

この「ネジを巻くと」のコンチェルタンテは、
Track3に収められていて、
「チクタク」の擬音語が面白い。
五人の独唱者が素晴らしいアンサンブルを聴かせ、
この手のものは、ヴィヴァルディのオペラでは、
聴いた事がなく、ずっと新しく聞こえる。
レオは1694年生まれなので、
ヴィヴァルディより16歳ほど若い。

6分半の大アンサンブルで、様々な歌手が、
入れ替わり立ち替わり、
「はっは」、「はっは」と声を発し、
非常に楽しく盛り上がっていく充実した音楽である。

「そして時を刻みはじめ、
ちくたくと時の経つのを教えてくれる。
ティック、ティック、ティックと言って。
誰かが、鐘を打つと、
詩となって響き、心が昂じると、
ディンドン、ディンドンと言う。
太鼓の皮を張ると、
太鼓も鳴るだろう。
それを激しく叩くと、
もっとうるさく鳴るだろう。
ラット、ア、タット、ラット、ア、タットと。
あなたが私にしているのは、
それと同じ事。
あなたは私が悲鳴を上げるまで、
ちくちくと私を刺す。
しかし、あなたがハハハと笑うと、
私の血はたぎり、おおおおとなる。
私が恐れる悪は、
あなたが私を嘲ること。
それが私を呪わせる。」

あと、このCDの
Track13は、作者不明の、
「アレッサンドロ」というオペラからの、
ソプラノと二人のテノールのための重唱がある。

「3人のキャラクターによるブッファシーン」と題され、
アリア、重唱ばかりの歌の中にあって、
これが一番、当時のオペラの雰囲気を、
端的に表しているのかもしれない。
1660年から70年の作品ということで、
ここに収められているもののルーツのような音楽。

老女セリアとどもりのカルボネと、
ナポリ人ムスコーネの間の掛け合いである。
セリアにカルボネが言い寄っている。

これまた、8分と長丁場である。
チェンバロを伴奏とした、レチタティーボで始まる。
2分50秒あたりから、盛り上がってアリアになっていく。
また、レチタティーボ、7分あたりのテオルボのかき鳴らしから、
再び音楽がふくらんで行くのも面白い。
最後は、これまた、フラメンコの乗りに近い。

ファゴットを含む通奏低音の妙味で、
古雅な雰囲気もたっぷりとあって、
このような作品に耳を澄ませると、
往時に思いを馳せることが出来そうだ。
このトラックがあるだけで、
このCDの価値はかなり高まった感じがする。

カルボネのプロポーズを、
ムスコーネがおもしろがって見ている。
「おい、お前は年老いた牛と結婚するのか」、
「無礼なおせっかいめ」、
「私はハンサムで恰幅もよい。
お前の名前はカルボネ(石炭)だから、
地獄の火にでもくべたらどうだ」、
「来やがれ、かぼちゃ顔、
この私生児の、思い上がった間抜けめ」とか、
男同士は、めちゃくちゃ言っている。

すると、老女は、
「おい、私の許婚にひどい事をするのは誰だい」
などと言い出す。
何と、このカップルは成立してしまったのである。
ムスコーネは、
「何とたまげた結果になったことか、
ババアとせむしからどんなものが生まれることか」
と、めちゃくちゃである。

このようなからかいの言葉が、
激しくかき鳴らされるテオルボに乗って、
まくし立てられる間、
晴れて愛の実った二人は、
まことに甘美な二重唱を歌っている。
素晴らしい効果である。

こんな他愛ない下町の小話みたいなのが、
オペラの形式になっているわけだ。
恐るべしナポリ・オペラ。

解説の最後は、下記のようにペルゴレージの話で終わる。

「このペルゴレージの有名な幕間劇は、
何年か後に作曲されたもので、
この作品こそが、ナポリのコミック・オペラを、
全ヨーロッパで、新ジャンルとして確立することになる。」

そのせいか、このCDの最後Track19には、
ポッツォーリのカプチン修道士をからかった、
スケルツォという作品が収められている。

「カプチン修道士の手入れされていないあごひげに、
敬意を表した」という歌詞がカノンのように重唱で歌われる。
歌手たちは奇声を発して、完全に冗談音楽である。

ヴィンチやレオといった、巨匠をさし置いて、
作者不明の「ブッファ・シーン」というのに、
妙に、感服してしまった感じ。

得られた事:「戯れ言、小話、漫才のようなものも、すべてレチタティーボとアリアのような音楽劇にしてしまうナポリの庶民文化パワーに感服。」
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by franz310 | 2011-11-06 14:19 | 古典 | Comments(0)