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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その295

b0083728_22292384.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディが1723年に書いた、
「テルモドンテのヘラクレス」は、
アマゾン族を退治に来たヘラクレスの物語。
これは、「ギリシア神話」でも、
この半神の「十二功業」の
一つとして数えられるもので、
「アマゾンの女王、ヒッポリュテの帯」
という項目で分類され、
9番目の功業とされている。
このヴィヴァルディのオペラでは、
部下のようにして連れてきた、
ギリシア各国の王子たちが、
アマゾン族たちと出会っては、
勝手に恋愛関係に陥って行くという、
極めて困ったさんの展開。


ここに掲載した写真も、
テーセウスが勝手な行動をして、
アマゾネスに捕まって、
いたぶられている所。

アマゾネスというには、
あまりにも綺麗な嬢ちゃん方で、
テーセウスもあまり困っていなさそうな感じがするが。

とにかく、これでは、総司令官たる、
ヘラクレスの統率力が疑われそうだが、
そもそも、ヘラクレスは、むしろ、脇役みたいな感じで、
凶暴な彼の本性が、愛の力によって、変えられていく、
というのが、ここで描かれたドラマのようなのだ。
つまり、困ったさんは、
本来は英雄で主人公であるはずのヘラクレスの方なのである。

そもそも、このDVDでは、
このキャラクターだけが半裸で登場し、
まことに不気味な存在感を見せつけている。

しかし、ギリシア神話に関する本、
例えば、古いが岩波新書(高津春繁著)の
「ギリシア神話」を見ても、
「アマゾーンと戦うヘーラクレース」という、
壺絵だかの図版が載っていて、
まさしく、そんな感じで戦っている。

一方、DVDのアマゾーンの方も、
この本に出て来る挿絵の衣装から遠くない感じ。

つまり、このめちゃくちゃに見える演出も、
かなり、写実や研究結果を追求した結果とも見える。

前回は、第2幕まで聴いたので、
続く3幕を聴いてしまおう。

結論を先に書くと、このオペラ、
非常に面白く、味わいも深い。
これまで聴いた、
2曲の「オルランド」ものとはかなり違って、
感覚も現代的で、劇の展開のテンポもきびきびとしている。

演出も素晴らしく、舞台も幻想的で、
かなり完成度の高い作品と思った。
特に、第2幕の冒頭や、恋人たちの愛のシーンなどは、
ため息が出る程、美しい。

第3幕:
Track1は、ヘラクレスが、
自由になって戻って来たテーセウスを、
喜んで迎え入れる場面から始まる。
相変わらず全裸にライオンの皮を羽織っただけで、
こまった親分である。

テーセウスは、命を救ってくれた人に、
哀れみを乞う。
「娘が誘拐されて、アンティオペは、
ディアナに誓いました。
彼女自身の手で、ギリシアの貴族を生け贄にすると。
すでに私の首に斧がかかっていた時、
キューピッドがヒッポリュタの心に、
哀れみを呼び起こしたのです。」

それを聴いてヘラクレスは、
両手を上にかざして神意を図るような仕草をし、
「このような寛大なことがヒッポリュタに起こった。
ヘラクレスの哀れみだけでなく、その友情もある。
実際、すでにアンティオペは敵ではない。
彼女がエウリュステウスと和解するなら、
私が話をつけよう、と言って、
何と、マントを脱ぎ捨て、全裸になってしまう。

ヴィヴァルディらしい快活な音楽に乗って、
歌詞もまことに晴朗である。
「残酷さの影を落として、勝利の栄誉をけがしてはならない。」

ヘラクレスはテーセウスに、
ライオンの毛皮を手渡し、
みんなとおそろいの兵士の服を着る。
甲冑も着けて、普通の人間になった感じ。

「私には、栄光だけで十分だ。」
と、恐らく、残虐な行為は放棄した様子がうかがわれる。
このテノール、ザカリー・ステインズの声ばかりか、
その生き生きとした表情に、
妙に感動してしまった。

全裸の意味は、こんな効果があったのである。
観客も感動した模様。

先ほど、このオペラの見所シーンをいくつか挙げたが、
ひょっとすると、このシーンが最も、心を打つかもしれない。

演出家のパスコーがこのシーンについて語っていたが、
完全に思うつぼにはまった感じで悔しいが。

Track2は、もんもんテラモンが、
アマゾネス部隊を急襲する場面、
彼は、テーセウスがヘラクレスに、
一部始終を報告するところを聴いていたのである。

手柄か女か、その目的は不明だが、
ヒッポリュタに迫るところを、
テーセウスが救う。
彼は、テラモンからもヒッポリュタからも、
剣を奪うと、またまた、おのろけが始まるので、
テラモンは、君が武装解除させたのだから、
彼女は君のものだな、などと言っている。

ヒッポリュタは、私はあなたの僕よ、
などとやっている。
「アテネは、君が女王になることを待っている」
などとテーセウスが言っても、
私は、どこに行っても、戦場では武器をお持ちします、
この胸を盾にします、と泣かせる台詞。
アンティオペを助けて、というが、
そこから、見つめ合い、
濃厚なラブシーンとアリア。

Track3では、ヒッポリュタが歌う。
「愛する人よ、あなたは希望、
愛する人よ、あなたは喜び」
と、身体をすりつけるように歌うが、
ヴィヴァルディの音楽も、
ほの暗い情熱を秘めていてロマンティックである。

この責任重大なシーンで、
テーセウスがにやけているのがやや気になる。
この二人、ダンサーのようにかっこいいのが、
また絵になっている。

「舞い上がる希望が、私の魂を楽しませます」
しっとりとした弦楽の伴奏の中、
彼等は、地面の上に座って抱き合って、
愛撫を繰り返している。
このカップルを描き出す、
ヴィヴァルディの眼差しは、何と、丁寧で、
共感に満ちていることであろうか。
メロディの進行も、バロック時代の概念を超えている。

観客も完全に共感しているようだ。

Track4では、もうひと組のカップル登場。
アルチェステがマルテジアを追いかけている。
さっきの二人が魂が呼び合うようだったのに、
このカップルはちょこちょことしてゲームのようだ。

しかし、こちらもこちらで、
「母を助けて」とやっていた。
ここで、アルチェステのアリア。
「安心して、死ぬ時はいっしょだよ、
でも、君なしに生きることは考えられない」
てな感じ。
「でも、私は、男性が貞節を守るものか知らないの」
と、マルテジアも執拗である。
楽しい二重唱になっている。

こちらもだんだん、しっとりしてくる。
最後は激しいキスで終わる。

Track5は、巨大な神像の前に、
黒服のアンティオペ、剣を抱き、
「有名な剣だけど、これが諸悪の根源よ、
手放す時が来たわ」とか言っている。
「臆病や恐れからではなく、
何のためらいもなく」。

「私の王国を守護する女神ディアナよ」
と神像を撫でる。
「この剣を捧げ、委ねます」。

「残酷な運命よ。
私から娘、復讐、王国と武器を奪い、
哀れみもなく命を奪い、苦しみを与える。
ギリシアの女に、あれが征服された女と指さされ、
死ぬのも悪くないわ、女王として死ぬの」とか、
かなり思い詰めている。

剣を振りかざそうとすると、
マルテジアが飛び出して来る。
死なせて、という母との剣の奪い合い。

Track6は、
バックが真っ赤な中で歌う、
アンティオペの狂乱のアリアで、
早く死ぬのよ、みたいな展開。
赤いバックに彼女の影がおどろおどろしく浮かび上がる。
急速なパッセージもヴィヴァルディの、
協奏曲の終曲と同じ効果で素晴らしい。

Track7は、アマゾンの女たちの所に、
ヘラクレスがやって来るところ。
テーセウスが、あなたの慈悲を乞うてます、
と女たちの気持ちを代弁する。

ヒッポリュタが剣を捧げて、
これはもう、あなたのものとぶつかり合うことがないものです、
と言うと、ヘラクレスは、
あなたがテーセウスを助けたので、
私の憤怒は消えたのです、と答える。
王国は与える、武具も欲しがらない、
と、めちゃくちゃ寛容である。

これが神を敬わないということにはならない、
と言い、どうせなら、
女神によって王家の剣と帯が欲しいものだ、
などと言うと、
ヒッポリュタは、神様が怒るのが怖いから、
受け取って下さいと懇願している。
あなたは、半神であるがゆえに。

ヘラクレスは剣を、友好の証として受け取る。

すると、女神像が煙を上げはじめ、
怪しい気配に満たされていく。
アンティオペは、ディアナの怒りかもしれないから、
皆で祈るのです、とアマゾンの女たちに命ずる。

やがて、女神像にヘラクレスが歩み寄り、
剣を捧げて歌うと、そこにアンティオペも加わり、
二重唱となる。
それが次第に合唱となって、
「怒りをなだめ、鎮めて下さい、
あなただけが、平和をもたらすことが出来るゆえ」
と歌われて行く。

Track8.
すると、神像の上に、何と、輝くディアナが現れる。
皆は、それに気づき、平伏する。
マリイ=エレン・ネージというメゾ・ソプラノが受け持ち、
誓いなどより、結婚じゃ、という乗りで、
神妙な命令が下される。
ヒッポリュタはテーセウスのものとなり、
マルテジアはアルチェステのものとなる、
幸福な結婚の甘い絆を、運命はお望みじゃ、
といって消える。

「私たちの望みは神の望みと一致した」と、
恋人たちは喜び、ヘラクレスは、
「手を取りなさい、ディアナ、ジュピター、
運命と愛が証人となる」と、宣言する。

Track9の最後の喜びの合唱がわき起こる。
アンティオペとヘラクレスが手をさしのべた所で幕となる。

おしまいの拍手は、マルテジアに対してが一番暖かい。
いったい、この聴衆連は何を見ていたんだろう。

さて、このDVDの最後には、
おっさん二人の対話が紹介されているが、
たぶん、これは、今回のオペラを蘇演させた、
再構成者のアレッサンドロ・チッコリーニと、
校訂と指揮を手がけたアラン・カーティスに相違ない。
と思ったら、アレッサンドロは来られなかった、
と言っているし、ジョンと呼びかけている。
どうやら、監督のジョン・パスコーとカーティスのようだ

パスコーは最初に出て来ていたが、
ライティングのせいで違った印象になっている。

イタリア製のせいか、タイミング表示もなく、
エキストラ・トラックの内容も欠かれておらず、
しかも、このトラック、いきなりばっさり終わってしまう。
こうした点が少々、画竜点睛を欠く。

この二人は年配ながら、おしゃれで良くしゃべり、
明るい室内で会話しているが、
背景には、何故か、シェーンベルクの「浄められた夜」が、
鳴り響いている。

このエキストラトラックはしかし、
かなり参考になり、彼等が、どうやって舞台を構想したかや、
真っ裸のヘラクレスをどうやって編み出したかを、
逐一、種明かししてくれている。

「1723年にローマで演奏されるために書かれた、
『テルモドンテのヘラクレス』という特別なオペラは、
当時の典型的なものではなく、
ヴィヴァルディのオペラの中で、
最もオペラ・ブッファに近いものです。」

これは、なかなか興味深い見解である。
歴史大作に見えて、結局は、困ったさんたちの物語。
最後は、暴君が自分の非を悟る内容であるし。

「私たちは失われた部分を集めるところからはじめ、
ドイツにある手稿にあるアリアや台本から、
このオペラは知られていましたが、
他の部分は失われ、
再構成は難しいと考えられていました。
しかし、年々、アリアも発見され、
今では全部で30くらいの部分があります。
これで、アレサンドロ・チッコリーニのような
専門家の協力によって、
ヴィヴァルディのスタイルのレチタティーボを、
再構成したり、あちこちを補ったりして、
オペラにすることは可能になりました。」

例えば、パンシェルル著「ヴィヴァルディ」などでは、
「7つのアリアの写本がパリ音楽院の図書館に保存されている」
とあって、到底、完成させることなど出来そうにない感じであったが、
それから数十年、20もの楽曲が発見されたということか。

探せば見つかるというのもすごいが、
研究者の執念あってのことで、
何だか感動的な感じもする。

「例えば、ジョンは、壮大な導入部を欲しがりました。
特にヘラクレス登場のトランペットの場面などです。
他にもたくさんの冒険をして構成されております。
特に必要なのに失われた部分が問題でした。
しかし、おそらく4時間を超える音楽なので、
全部を再構成する気はなかったのです。
それは多くの聴衆にとってあまりにも長いものになります。」

成る程、こうした割り切りゆえに、
これまで聴いた「オルランド」のような、
何時になったら終わるのだろう、
などという感想を持たずに済んだのかもしれない。

しかし、ようやく苦労して発見したのに、
利用されなかった研究者もいるであろうから、
複雑な気持ちになる。

「私の意見では、ヴィヴァルディからはヘンデル以上に、
得るものがあります。
喜劇的な側面から短いカンツォネッタは残し、
基本的に良い音楽はすべて残しましたが、
くどすぎるレチタティーボなどはカットしました。」

300年も昔とは、時間の感覚もちがうであろうから、
この措置は、私には有難かった。

それから、
アラン・カーティスが、自宅で、
「これは退屈だ、これはもっと良くなる」
などと言いながら、
レチタティーボと格闘していたシーンを、
ジョン・パスコーが回想する。

カーティスは、下記のように、
さらに大胆なカットも施したと回想する。

「オリジナルでは、4人のアマゾンの中に、
オリツィアという登場人物がいましたが、
しかし、すべて音楽が失われています。
私は、これを偶然とは考えませんでした。
これは、重要でないから、無くなったのだと思います。
実際、物語の中で重要ではありません。
それで、そこはすべてカットしました。
しかし、他の登場人物はよく描かれており、
たった1曲のアリアしか残っていないテラモンも、
マルテジアに失恋する役なので、
特に強調はしませんでしたが、
重要な役になっています。」

これもありがたい。
登場人物が多すぎると、
ただでさえ複雑な筋が、
さらに混乱するというのが、
オルランドなどを聴いた時の感想であった。

パスコーが続ける。
「再構成という仕事に初めて携わりましたが、
最も重要だったのは指揮者とのコラボでした。
私は、この仕事の前にアランを良く知らず、
いくつかの演奏会は聴き、良い指揮者だとは知っていましたが、
最初にこのプロジェクトに参加した時、
『フィレンツェで一緒に仕事をしないか』と言われ、
何だか分からず、アランと仕事がしたくて、
最も素晴らしいひとときを過ごしました。
新しい音楽を聴き、
素晴らしいドラマのセンスを持った指揮者と仕事をすることは、
非常にエキサイティングでした。」

指揮者も演出家も一心同体になって、
共感の中で作り上げた舞台だったのである。

「重要な事は、戦争と両性の問題を、
どのように舞台にかけるか、
ということでした。
両性を惹き付ける完全な魅力と、
ギリシア人とアマゾンの間の戦争についてです。
まず、アマゾンの世界を考えました。
女性反乱軍のギリシア軍の征服、
特にヘラクレスはそれを推進しようとします。
ヘラクレスは、典型的に、
根源的な男性性の英雄であり、
軍事的に物事を遂行しようとします。
彼は怒り狂った存在であり、野獣です。
彼は衣服としてライオンの皮を被っただけです。」

この話は、冒頭のトラックでも、
パスコーはしていたので、その繰り返しとなる。

「私はこの物語を読み、考えた末、
『くそう、どうやって奴を扱おう』と議論し、
この気違い野獣男を扱うために、
ヴィラ・ボルゲーゼの彫像のように、
あるいはウフツィ美術館にあるように、
ヘラクレスは裸でライオンの皮をつけただけにしました。
長い間考えましたが、
『それしかない』となりました。」

何と、私が、冒頭に書いたとおりの事を、
彼は自らネタばらしして、おしゃべりしているではないか。

「そして、この作品の準備をしている時、
フィレンツェからスポレートの間を、
南下してドライブしている時、
美しいオリーブの並木を走り抜けました。
これを舞台にあしらえば、さぞかし美しいだろう、
それぞれを照明すれば、と考えました。
舞台係は人工的なものなら、と言いましたが、
私は、本物じゃないとだめだと言いました。
そして、その通りになって、
私は良かったと思っています。
本物の木々が星に輝く。
そんな自然の中にアマゾンの女性たちは住んでいる。
オリーブが青々と茂る中にです。」

主人公はヘラクレスなのに、
何故か、男の演出家は、
男が住めないアマゾンの国を賛美している。

「アマゾンは男性支配に対して戦っています。
古代ギリシアは雄々しい社会でした。
彼等は男らしさを誇示し、
性器も常に露出させていました。
そこで我々は切られたファルスのアイデアを得たのです。
それをデロスに置きました。
アマゾン国に来て最初に目にするのがそれなのです。
これが女性の戦いの象徴となりました。」

確かに、このDVDには、戦争によって荒らされる、
アマゾンの国に対する愛情が感じられる。
彼女らがいる場所は、オアシスのようだが、
ヘラクレスらがいる場所は、殺伐としている。

確かに、ヘラクレスよりも、恋人たちの存在が大きい。
主人公より、恋人たちが強調されたオペラの代表格は、
シューベルトの「フィエラブラス」かと思っていたが、
そうではなかった。

さて、エクストラ・トラック以外にも、
このDVDの解説には、興味深いことが書かれているので、
これも概観して見よう。

このオペラが、1723年、1月27日、
ローマで演奏された時、当地の慣習に従って、
何と、このアマゾネスの世界にあるまじき事だが、
著名な男性歌手ばかりによって演奏されたという。

リブレットは1678年という44年も前に、
ヴェネチアで演じられていた、
バッサーニ作のものの再演だったらしい。

ヴィヴァルディの作品は、非常な成功を収め、
その頃、ローマに来ていたクヴァンツによって、
多くのパッセージがロンバルディア風で、
新様式の導入部を持っていたとされる。
メロドラマの効果によって、ローマの人々は驚いた。

しかし、その成功にも関わらず、
「ヘラクレス」はその他の地に広く流布することはなく、
ある時点でスコアも散逸したとされる。

最近になって、貴重な発見から、
30曲ものアリア、2曲のデュエットが、
様々なアーカイブから見つかり、
すべてのレチタティーボを含む、
未発見の部分は、アレッサンドロ・チッコリーニによって、
再構成されたとある。

このレチタティーボは、
それぞれの言葉の質感や対話の自然さを目立たせるため、
表現力豊かに柔軟に造られたヴィヴァルディらしい原理のもので、
一般にセッコとなっている。
チッコリーニはドラマティックな状況を強調するために、
当時の習慣によってレチタティーボに伴奏を付けた。

それは例えば、
アンティオペがテーセウスを生け贄に捧げようとするところ、
復讐と神への誓いで引き裂かれるところ、
さらには自殺の用意をするところなどである。

さらにチッコリーニは作曲をして補っており、
ヘラクレスとアンティオペのデュエットや、
1幕のアンティオペとマルテジアのデュエット、
2幕のアルチェステとマルテジアのデュエット、
さらには最後のコーラスなども、
彼の作曲だということである。

多くのアリアはカンタービレと技巧性を持った、
3部からなる構成になっているとあるが、
こうした部分のみがヴィヴァルディのオリジナルなのであろう。

ヴィヴァルディは、22番目のオペラのスコアを書くにあたり、
物語を明解にして、それぞれの登場人物の心理状況を表すために、
彼の持つすべての技法を投入した。

「赤毛の司祭」の重視したことは、
進行の自然さであり、言葉に表現性を与え、
メロディを変容させて、声と楽器のコラボや、
和声と色彩に熟達の書法を見せている、とある。

このDVDで演じられたオペラは、
このように、ヴィヴァルディのオペラを題材にして、
極めて現代的な感覚によって再構成し、
取捨選択をして短縮したばかりか、
必要に応じて曲を新作までしているので、
実は、ヴィヴァルディが見たら卒倒するかもしれない。

私は、特に、ヒッポリュタはテーセウスのシーンに心奪われたが、
このあたりは創作が入っていないようなので安心した。

しかし、散逸したオペラであるからこそ、
現代的なメスが入れられたようなので、
妙に悩ましい問題を突きつけてくれた。

得られた事:「ヴィヴァルディの『ヘラクレス』は、シューベルトの『フィエラブラス』同様、タイトルロールを除いた二組のカップルの愛の物語であった。」
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by franz310 | 2011-09-24 22:32 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その294

b0083728_22284513.jpg個人的経験:
ヴィヴァルディのオペラ、
再発見の機運高まる時期に、
この領域に足を踏み入れて、
ラッキーである。
そんな中、たまたま覗いた、
中古レコード屋で、
偶然発見した、
ヴィヴァルディのオペラが、
この奇妙極まりないDVD。
ほとんど全裸の男が、
気味の悪いマントを着て、
舞台の上を歩き回っている。
題名は「ERCOLE」とある。
「TERMODONTE」ともある。
これはいったい、
どのような内容の作品なのであろうか。


よく見ると、このマント、
猫の手のようなものがぶら下がっており、
肩のあたりにはたてがみのようなものが見えている。
後で分かるが、これはライオンの毛皮を想定したものだ。

このオペラは、マルク・パンシェルルの、
「ヴィヴァルディ、生涯と作品」にも、
1723年1月、ローマのカプラニカ劇場で
演奏された作品として、一応、出てはいる。

が、翻訳した人も、
「Ercole sul Termodonte」とそのまま書いているので、
何のことやら分かってなかった可能性がある。

このエルコレは、英語では「ハーキュリーズ」、
フランスでは「エルキュール(Hrrcule)」になる、
ギリシア神話の英雄ヘラクレスである。

英語でもフランス語でも「H」がヒントになるが、
イタリア語は困ったことに、これがなくなっている。
Termodonteは、トルコの方の地名である。
「テルモドンテのヘラクレス」ということになる。
これは、予備知識なしでは面食らう作品だった。

解説書に出ている「プロット」は、
非常にシンプルで、こんなことが書いてあるだけ。

「ミュケーナイの王、エウリュステウスは、
ユーノーにせき立てられ、
ヘラクレスの栄光をねたんで、
古代ギリシア通貨、
12タラントの負債を取り消すために、
アマゾンの女王、アンティオペの武器を、
トロフィーとして持ち帰れと命令する。
テーセウスやテラモンを含む、
優れたギリシアの全貴族が、
ヘラクレスの冒険に同行した。
このようにしてヘラクレスは、
9つの船でカッパドキアに趣き、
アマゾン族を奇襲して、
女王の姉妹、ヒッポリュタとメナリッペを
捕虜とすることに成功した。
テーセウスは、ヒッポリュタと恋に落ち、
彼女を妻とした。
メナリッペは、アンティオペの武装解除と引き替えに、
自由にされた。
オペラの中では、メナリッペは、
マルテジアに変えられ、アンティオペの姉妹ではなく、
娘とされている。」

前回聴いたヴィヴァルディのオペラの主人公も、
怪力で狂気に駆られやすいオルランドであったが、
このヘラクレスもまた、激情の英雄である。
火の中に投げ込んで我が子を殺したという話もあり、
神話の世界では、このヒッポリュタも、
ヘラクレスに、誤解から、
殴り殺されるはずである。

であるから、このDVDでも、
最初に演出家のジョン・パスコーが、
Track1で、いきなり登場し、
ヘラクレスは、子殺しをしたりする、
むしろ怪物だ、と説明している。

「ヴィヴァルディの『ヘラクレス』は、
戦争に対する愛と平和の勝利の物語です。
大部分の物語がヒッポリュタとテーセウスの、
高貴なカップルと、
もっと普通でへんてこなカップル、
マルテジアとアルチェステの、
ラブストーリーが語られています。
ヘラクレスの怒りがあろうとも、
愛が勝利します。
ライオンの皮を被った、
専制的なヘラクレスの激怒も、
敵であるアマゾンの一人と、
親友のテーセウスが親しくなるうちに、
ライオンの皮を落とし、
裸の純粋な男になるのです。
私にとっては、愛が正義を作り出すことが出来る、
という、物語に思えます。」
といった事を言っている。

序曲は、指揮者のアラン・カーティスの登場から始まり、
イル・コンプレッソ・バロッコが、
精妙で豊かな音楽を奏で始める。
カーティスは後ろ頭がはげた、
何となく威厳のないおっさんであるが、
この人が、今回のオペラの改訂や監督まで行っている。
49°Spoleto Festivalとある。
2006年7月の録音。

一説によると、現在、唯一入手可能な、
ヴィヴァルディのオペラのDVDだという。

この序曲の間、舞台の闇の中では、
アマゾンの美女戦士たちが、
飛んだり跳ねたりしている。
剣を振ったりして戦闘訓練に絶え間ない。
音楽が、物憂くロマンティックなものになると、
そこに女王があらわれ、姉妹愛だか親子愛の情景となる。

青白く幻想的だが、エロティックでもある。
このような平和な国に、
表紙写真にあるような、
粗暴なヘラクレスがやってくるなんて、
考えただけで恐ろしい。

再び音楽が活気付くと、今度は弓矢の訓練となる。

女王アンティオペのレチタティーボとアリア。
森へ行って、敵を駆逐しろ、というものだが、
女戦士たちの胸は、丸出しだし、
女王もすけすけルックなので、
字幕を見ている暇がない。

途中、二重唱するのは、
マルテジア(メナリッペ)である。
「あなたの胸は、甲冑を付けるには、
まだ優しすぎる、
ヘルメットはあなたの眉には重すぎるわ」
とか言っている。

アンティオペは、すらりと背の高い、
メゾのマリー=エレン・ネージが、
マルテジアは、ソプラノの
ラウラ・ケリーチが歌っているが、
ケリーチは、ぽっちゃり豊かなブロンドで、
ぴちぴちギャルであることの方が、
戦士になるには問題であろう。

「男というものは、獣より凶暴なのですか」
「それは、クマやイノシシより恐ろしい形相ですか」
などとうぶな質問もそれらしい。

女王は女王で、それは、むしろ見て心地よいが、
怒りや毒で我々を憎しんでいると、
何となくごもっともな事を教え諭す。

王女は、それは吠えたり、いなないたりするかと、
舞台を跳ね回って好奇心を露わにする。

「あなたは、まだ分かりもしないのに、知りたがりすぎる」
と女王がたしなめても、
「その獣を見たくてたまらないわ」と、
嬉しそうにしている娘に、
女王は警告のアリアを歌う。

「お世辞をいいながら、彼等は迫ります。
彼等が笑い、冗談を言う時、彼等は最もどう猛です。
彼等は誘惑して、それから殺します。」

アンティオペの出で立ちは、劇画風戦士として格好良い。
アキバ向けである。

次に王女のレチタティーボ。
「そんな誘惑があっても、私は上手に騙す」と、
自信満々である。
「私の頭の中に考えがある」というアリア。
腰を振ったり、床にくねくねしたり、
へんてこな振り付けである。
「恐れと喜びをくれる何かが来ても私は逃げる」
と言っているが、身のこなしは反対である。

女王はどこかに行ってしまったので、
夜中に一人で叫んでいるような状況である。

Track5は、「ヘラクレスの入場」で、
ヤバい石像が建ち並ぶ中、
甲冑をつけた勇ましい若者が整列すると、
ライオンの毛皮の下に、
実物をぶらぶらさせたヘラクレスが登場。

「諸君、ついに、この野蛮国の浜辺に来た、
ここでは、女たちが自然に逆らい、
男を遠ざけ、女だけで生きている。
母親は男の子が生まれると殺す。
私は、この男に敵対する女たちを滅ぼしに来た。」
と、友人、テーセウスに言っている。

どちらかと言えば、この男の方が、
自然に逆らっているようにも見える。
が、ザカリー・ステインズというテノール、
あっぱれという体当たりの熱演である。

テーセウスは、ランダール・スコッティングという、
カウンターテナーで、格好良く、
「単にアンティオペの武装解除を、
トロフィーとして持ち替えれば良いのです」
と反論するが、
「ヘラクレスはそれだけでは満足できない」と、
いきなり興奮して怒り狂っている。

「戦場を女の血で染めるのだ」と、
かなりの異常性格、サディストだ。
テーセウスは、「慈悲の心は愛の母」とか、
「戦士の心の中で、愛は臆病ではありません」とか、
友人と共に訴えるが、
ヘラクレスは、「勇敢さの前に障害となる」と受け付けない。

テラモンは、アマゾンの女王は森に狩りに出ている、
と調査結果を報告すると、ヘラクレスは、
「傲慢な女の武具を奪い、同時に森を取り囲め」
という指示を出す。
ヘラクレスのアリアは、
「どんな誇り高い心も、この強靱な腕が地に落とす」
という傲岸不遜で自信満々なもの。
岩を掴んで投げるなど、単なる乱暴者である。
こういう親分は嫌だなあと思うと、
平伏するテーセウスもそう思っているようだ。

今度はテーセウスの歌で、
「愛はむしろ、栄光以上に、勇気の源になる」。
続いて、女性の悲鳴。
ヒッポリュタが、クマに襲われたのである。
クマは、どうやら、テーセウスが仕留めた。

が、いきなり、この勇者は、メロメロになっている。
ソプラノのマリーナ・バルトリが演じる、
ヒッポリュタが美しすぎたのである。
女王の姉妹という設定ゆえ、同様の、
アキバ風すけすけ戦闘服である。
彼女は誇り高く、なかなか戦闘態勢を崩さない。

これに対して、テーセウスは、がっちりした体格ながら、
カウンターテナーでなよなよと言い寄り、
奇妙な風景であるが、ヒッポリュタもまんざらでもないのか、
名前を言って、などと言っている。

「アテネ王の息子、テーセウスです」と答えると、
この地に来た目的や、ヘラクレスが来たから、
刃向かっても無駄だ、などと、
女王の妹をむかつかせそうな事を列挙している。

が、ヒッポリュタは、「何という眼差し、
不思議な愛情が芽生えるわ」などと言いながら、
危機を女王に知らせに行こうとする。

Track6.
手を取ってテーセウスがヒッポリュタの甲にキスをすると、
「これが愛、すでに甘い情熱が私の心を掴む」という、
情熱と焦燥のアリアが続く。
テーセウスは、手を取ってすりすり、
キスをしまくっている。

彼女が去ると、テーセウスは、
「こんな美しい愛は想像もできない」と、
感慨に耽る。
そしてアリア。
「太陽をじっと見ていると、暗くしか見えなくなり、
愚かな間違いを後悔し、嘆いてしまう。
私のきれいな太陽が目に入ってからは、
その後は、曇った暗い一日に見える」
これまた、切々とした、ある種、女々しい音楽である。
伴奏のガンバやちゃらちゃらしたチェンバロが悩ましい。

これがまた、やたら長い。
当時の人気者が受け持ったのであろう。

Track7.
再び、アンティオペ登場。
どうやら、危険の通報で、逃げて来た模様。
マルテジアが捕まったと、ヒッポリュタが来る。
マルテジアは誘惑に勝てなかったのである。
アンティオペは、「何をぐずぐずしている」と自分を鼓舞し、
背景がめらめらと赤くなる。

何と醜くも、次のシーンでは、
ギリシアの兵士たちが、マルテジアを巡って、
これは俺のだ、と取り合いしている。
マルテジアは、「男は誘惑して殺すんでしょ」と、
知識をひけらかして、それなりにやりすごしている。

「恐ろしい憤怒と毒を隠しているんでしょ」
とか言っているうちに、
アルチェステとテラモンは向かい合って剣を抜く。

すると、そこにヘラクレスがやって来る。
争っていた二人は、ヘラクレスに彼女を捧げるという。

Track8はテラモンのアリア。
せっかくの獲物を取り上げられて、
テラモンは虚脱状態で、ため息をついている。
もんもんとしたテラモン。

フィリッポ・ミネッチアという人のカウンターテナー。

Track9は、もう一方のアルチェステのアリア。
こちらは、ルカ・ドルドロというテノール。
どろどろしたドルドロのようなシーンだが、
曲想は生き生きとしている。

「私は喜んで、私の心の声を聴く。
喜びと満足の希望を持って。
甘い恋心がすべての恐れを忘れさせ、
心の中で、苦しみは喜びに変わった。」

「どんな不吉な星が、私の栄光をねたむのか。
アンティオペの逃走で、勝利を取り逃した。」
と、ヘラクレスはご機嫌斜めである。

そこに、テーセウスが現れ、
船が燃えていると告げる。

Track10.
ヘラクレスは興奮し、
「征服か死か」と言って出陣する。
アマゾネス軍とギリシア軍が格闘。

このシーンは残酷なので見てはいけない。

第2幕:
Track1.
ヴィヴァルディの協奏曲の一節のような、
繊細なヴァイオリンの技巧に乗って、
アマゾネスのダンス。夜明けであろうか。
そして、ヒッポリュタが、憧れに満ちた、
ロマンティックな歌唱を聴かせる。

「愛は川に呼応し、愛はキジバト、
愛は滑空するツバメ」などと歌うと、
背後で楽士たちが呼応する。
恋人に来て来てという悩ましい声に変わり、
楽士たちのヴァイオリンに合わせて、
チェンバロが唱和し、弦楽が活気付き、
非常に詩的な情緒を醸し出している。
これは素晴らしい。

拍手がわき起こるが当然であろう。

恐ろしいクマの牙から助けてくれたあなた、
とテーセウスのことを思う。
そこに女王、アンティオペが娘を案じて登場。
ギリシアの戦士を掴まえたと告げる。
ヒッポリュタは、それがテーセウスであると感じ、
彼と引き替えに娘を取り返せと進言、
しかし、女王は、彼を殺してディアナに捧げたいという。

Track2.
「この心を慰めるとは、何という喜ばしい復讐」
と、「目には目を」のアリアをアンティオペが歌う。

真っ赤な装束で剣をかざし、狂気のアリアである。
ヒッポリュタは、びびりまくって、青ざめている。

Track3.
テーセウスが縛られているが、
アンティオペとヒッポリュタが、
別の指示を出しているうちに言い争いになる。

アンティオペのアリア。
「怒りをなだめるなら、
それが苦しみをもたらそうとも、
復讐は私には喜ばしい。」

テーセウスの運命はいかに。
ひたすら、アマゾネスがいたぶっているが。
この間、アンティオペはコロラトゥーラ的な装飾を見せる。
そして去る。

テーセウスは、「君から離れているなら、
自分から束縛されても良い」などと言うと、
ヒッポリュタは、
「そんな不吉な考えがあなたの考えなの」と詰め寄る。
「自分の心を救うために二つを失うの」と、
ほとんど愛の告白状態。

「あなたの命を助けることが、良い運命。私にとっても」
と、ヒッポリュタは情熱的で、見ている方もしびれる。
そして、彼女はテーセウスを解放するが、
彼は、苦しみが長引くだけと、
素直に喜ばず、二人はほとんど抱き抱き状態。
さらに、彼は、彼女の愛を疑う。

Track4.
「私はあなたが好きよ、
きれいな瞳ね、あなたのために死ぬわ、
離れないわ」と歌いながら、
ヒッポリュタが、テーセウスの顔中にちゅっちゅするアリア。
くすぐったい、コケティッシュな小唄である。
しゃがんでいる彼を後ろから抱きかかえ、
アマゾネスとは思えない優しい感情表現。

ついにテーセウスは彼女を抱きかかえて、
くるくるしたりする。バレエのように、立体的な映像表現。
が、その間、回りは暗くなって不穏な空気がみなぎっていく。

ついに、アンティオペと女兵士たちが現れ、
彼等は引き裂かれてしまう。
最初に聞き始めた時の印象と打って変わって、
妙に切ない話になって来た。

まるでロミオとジュリエットのような悲恋が、
前面に押し出されて来たではないか。

Track5.
何と、逃げて来たのは、
王女のマルテジアとアルチェステである。
「スパルタの王妃になるということは、
あなたの奴隷になることでしょ」
とマルテジアは言っている。

アルチェステは、愛を交換しようというが、
「そして、あなた以外は愛せないの」と、
結婚を理解しない。
「魂を死ぬまで結びつけるものだ」と彼は力説。
「それは悪くないわね」と彼女が言うと、
アルチェステは、キューピッドに感謝している。

Track6はアルチェステのアリア。
これまた、ひっしと抱き合うようにしての情景。
「それは鳥のようなもので、
網から最後は逃げて行く。
枝に隠れ、どこにもいけず一人になると、
逃げて来た危険が分からなくなる。」

剣を置き、甲冑を置き、だんだん、
彼女を抱きすくめる力が強くなっていく。

何と、そこにテラモンが来る。
「ライヴァルに微笑んだ運命とは違って、
私もマルテジアを妻として抱きしめたい」
と、アルチェステに代わって、
彼女に言い寄る。

マルテジアは、じゃあ、心を二つに分けないと、
などと、なかなかのあしらいを見せる。
「イターキの王冠はどうかな」などと、
テラモンも必死である。
「二人の配偶者の時はどうすればいいの」
と、さすがアマゾンの王女ならではの質問。
「どっちかを選ばないといけない」と言われ、
「どっちも同じ条件だから」と渋りながらも、
「私を楽しませるのは、アルチェステ」と言ってしまう。

Track7はマルテジアのアリア。
「彼には何かがあって、あなたより楽しませる」
という、傷口に塩をすり込む、
悪戯っぽい歌である。
戦闘が行われている最中のはずだが、
呑気なものである。
「彼が見つめると私は嬉しい」。

Track8は、テーセウスのシーン。
彼は、再び、取り押さえられ、
アンティオペに睨まれている。

今回は、不気味な神像の前で、まさしくヤバい感じである。

「太陽の姉妹に捧げるべく、私は自らの手で殺そう。
このような高貴な血でなら、いくらかはそれに値しよう」
などと女王が言うのに対し、
「アテネ王族の私の血なら、あなたの涙に値しようか」
とテーセウスが名乗る。
すると、女王は、これ以上の犠牲はないと言って、
「ディアナにふさわしく、私の激しい復讐への渇望にふさわしい」
と叫ぶ。

神に捧げる祈りの言葉に続き、
何と、これまた、くのいちのような者が現れ、
彼女の剣を取り上げてしまう。
ヒッポリュタの反逆である。
「この王子を、ギリシア人の傲慢な軽蔑を受けて、
捉えられている、マルテジアと交換します」
という彼女の言葉には肯けるものがある。

「ああ、誓いよ、復讐よ、
ディアナよ、可愛そうな娘よ」
と、王女は、いきなり娘への愛情で、
心が張り裂けそうになっている。

「テーセウス、あなたは自由です」と、
女王が叫ぶと、
テーセウスは女々しくも、まだ、
「何と残酷な自由、あなたは、
この恋する心を不毛の地に追放する宣告をした。
それはただ、愛するものから遠ざけられるだけなのだ」
などとほざいて、倒れている。

Track9は、この弱いテーセウスのアリア。
「ごうごうと川が流れ、
並みって岩に砕けるが、
その川岸にはキスをして、
海に向かって幸せそうに流れて行く。
私の心はその苦しみをも楽しみ、
私の命と自由にふさわしい、
愛らしい顔を見つめるために、
危険の中でも喜びの中に飛んでいく。」

激流が海に向かうように、苦難の中を、
恋人に向かって突き進むとは、
なかなか素晴らしい心構えで、泣かせるではないか。
後半は剣を抜いて、さらに興奮して歌っている。

こんな感じの川の歌は、
シューベルトの歌曲にもあった。

作者不詳で、シューベルト自身の作ともされる、
「川」D565がそれだが、
「しかし求めるものは決して見いだせず、
いつも憧れを抱いて猛り下り、
不機嫌に絶え間なく流れていく」
という歌詞は、このテーセウスの歌のように、
激情を激しく流れる川にたとえたものである。

が、シューベルトの川は、海に続く実感がない。
一方で、港湾都市、ヴェネチアのヴィヴァルディは、
川の流れの激しさの実感がない。

得られた事:「ヴィヴァルディ作曲のオペラ『ヘラクレス』は、むしろ、テーセウスとヒッポリュタのやるせない愛の物語であった。」
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by franz310 | 2011-09-18 22:34 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その293

b0083728_23281567.jpg個人的経験:
もう40年も前の本だが、
私は、こうした本があることは、
実は知っていた。
著者のマルク・パンシェルルは、
1976年にPARCO出版局が出した、
豪華図版入りの美しい書籍、
「音楽の歴史 」を書いた人でもあり、
中学生の私にとって、この本は、
音楽史の魅力的な最初の教科書だった。
また、ヴィヴァルディの作品を
整理する際に用いられるPの番号は、
この人の名を冠した
パンシェルル番号である。

東京ヴィヴァルディ合奏団を率いた、
早川正昭という人が訳している。


かなりの年月が経ってしまったが、
ヴィヴァルディへの愛情という点で、
第一級の書物に数えられよう。

前回読んだ解説に、
ヴィヴァルディに関して、
「この50年、破竹の勢いで、
名誉回復が進んだにもかかわらず、
ゆがんだプリズムで見るように、
わずかな協奏曲だけが突出して知られている」
といった記載があったが、
この「名誉回復」50年前の原点の一つは、
恐らく、この著作なのではなかろうか。

これまで、私は、ヴィヴァルディの生涯を、
ほとんど知ることがなかったが、
この本を読んでも、やはり、
たいした事が書いてあるわけではない。

この著作においても、オペラや宗教曲に関する、
重要さは、特記されてはいるが、
残念なことに、時代の制約上、ここでは、
ほとんど、その具体的な記載があるわけでもない。

が、ここに列挙されているヴィヴァルディ像は、
明らかに興味深いもので、
その人生、矛盾に満ちているが個性的な性格、
(「非凡な曲を気違いのように作曲する人」という引用がある)
様々な音楽史上の貢献などが、熱っぽく語られている。

音楽上の特質に関しては、
素晴らしい色彩感と生命感、
効果的な技巧、明晰な形式性等、
最大級の賛辞が連ねられており、
遂には、ヴィヴァルディこそが、
古典派交響曲の始祖であるといった、
極論のようなものまで飛び出しているのがすごい。

また、彼は、「四季」をベートーヴェンの、
「田園交響曲」と関連づけるのにも、
かなりやっきになっている。

今回、改めて、この本を入手し、
これでもかこれでもかと、
ヴィヴァルディの音楽を賞賛されると、
成る程、どれどれと、
いくつかの協奏曲を聴き直したくなった。

「『ゴシキヒワ』(作品10の3)は
フルートと弦楽器のためのコンチェルトだが、
彼がこの曲で試みたオーケストレーションは、
うっとりする程美しい」、
などと書かれると、思わず、
CDを取り出したくなるではないか。

協奏曲など器楽曲に割かれた記述が、
150ページにものぼるのに対し、
「オペラと宗教音楽」と題された部分は、
わずか22ページしかなく、
さらに、宗教曲に関しては、
「彼の40いくつにのぼる宗教音楽の作品を分析し、
検討して研究書を書く、ということになれば、
彼のオペラの研究書と
それほど違わない分厚いものになると思われる」
というような記述だけでお茶を濁してある。
たった3ページしかないが、この分野は、
この著作が書かれている時点で、
まだ研究も進行中だったのである。

室内カンタータのような世俗的な歌曲については、
まったく触れられてもいない、
といった感じであろう。

それにひきかえ、オペラの分野は、
まだマシな感じがしないでもない。
ヴィヴァルディのオペラ作曲家としての重要性を、
パンシェルルは、繰り返し主張しており、
協奏曲とオペラの関係を、
切っても切れないもののように力説している。

もっとも彼が、ここまで強調するのには、
どうやらヴィヴァルディの生前にまで遡る問題があったからで、
同時代のタルティーニやクヴァンツのような作曲家も、
ヴィヴァルディは、器楽曲の作曲にすぐれ、
オペラではそうでもない、といった述懐をしているようなのである。

もちろん、ヴィヴァルディ復権に燃えた
パンシェルルは、それらに対して、
周到な反論を用意している。

が、それを一つ一つ列挙するよりも、彼が、
「幻想的で前ロマン派的といってもいい」と、
ヴィヴァルディのオペラを捉えていた事実だけでも、
我々には十分なような気がする。

また、
「器楽とオペラが作曲されていったこの自然の結果として、
この二つの分野は互いに影響を及ぼしあった」と書かれ、
「『オペラ作曲家』としての彼の性質の故に、
ソロ・コンチェルトの創始者となった」と書かれ、
「オペラでは絵画的なこと、悲劇的なことを表現する必要から、
知っている限りの楽器の組み合わせを持ちねばならなかった」と、
その独創的なオーケストレーションを特筆している。

このように書かれると、これまで、
まるで接点のなかったシューベルトとヴィヴァルディの間に、
細い細い橋がかかったような気がするではないか。
終生、オペラを愛し、それに対する挑戦意欲を失わなかった点にも、
かろうじての共通点がある。

このようなヴィヴァルディ・オペラの概観の中で、
今回、ここで聴き進めている「オルランド」について、
パンシェルルは、1715年にヴェネチアを訪れた、
オッフェンバック氏なる人物が、
2月5日に見て、「非常に楽しいもの」と思い、
容姿も演奏も良かった、
アンナ・マリア・ファブリという歌手を賞賛した時のオペラを、
「たぶん『気違いを装ったオルランド』の再演であった」
と書いていることは、私にとって痛快であった。

ヴィヴァルディのオペラ「狂人を装ったオルランド」は、
全三幕、CDも3枚からなる大作で、
なかなか聴き進めないでいたが、
ようやく三枚目のCDについて聴き通すことが出来たので、
ここでは、完結編を書きとどめておく。

アレッサンドロ・デ・マルキが指揮をした、
アカデミア・モンティス・レガリスという楽団の演奏で、
トリノ王立劇場合唱団が共演している。

このオペラの第3幕は、シャルルマーニュの勇士、
オルランドの友人、グリフォンが魔女に捉えられている。
そして、その恋人(または女領主?)、
オリジレ(男装してオルダウロ)が、
監獄の壁を破壊して彼を救出する場面から始まった。

まるで、ベートーヴェンの「フィデリオ」、
あるいは、シューベルトの「フィエラブラス」のような、
女性が男性を救出する筋書きだが、
ヴィヴァルディの方が、恋愛に関しては上手というべきか、
簡単なハッピーエンドにはなっていない。

せっかく救出してもらったグリフォンであるが、
彼は実は、ティグリンダが好きなのである。
しかし、ティグリンダは、ティグリンダで、
私への愛を諦めなさいと言う。
彼女は、護衛隊長アルジリアーノが好きなのである。

そもそも、彼女が、魔女エルジラの島に来て、
そこの隊長を好きになっているから、
いろんな人に迷惑がかかっている感じなのだが、
ほっといてちょうだい、という感じなのであろう。

主人公オルランドは、
師匠のブランディマルテと行動を共にし、
このややこしい恋愛関係から超越したところで、
魔女をやっつける活動で暗躍している。

CD3:
Track1とTrack2はシーン4。
アルジリアーノとティグリンダ。
ティグリンダが好きなのは、こっちなのである。
この金の器には、魔法の飲み物があって、
力が付くと言っている。

Track2はティグリンダのアリア。
力強い朗々とした歌唱。
「向こう見ずのライオン、
敵を足下に踏みしだく」と威勢が良い。

Track3、4はアルジリアーノが一人、
シーン5である。
アルジリアーノは、魔女エルジラが好きなので、
これまたややこしいのである。
ずうずうしい女だと思っている。

Track4のアルジリアーノのアリアも、
苦悩に満ちて、ガンバの伴奏が陰影を深くしている。
自分の運命を呪う歌であろうか。
「君はため息をつくために生まれた。
残酷な運命、真実の愛、しかし不幸な心。
君は心ない美女のため、涙を流す。
真実の愛を護り、
君の運命を苦しみ嘆く。」

Track5~7は、
魔女、エルジラと魔界のものたちのシーン6。
不気味な管弦楽伴奏、
いきなりエルジラのアリアだが、
不気味な金切り音を発する伴奏がいやらしい。
「オリジレの力を恐れ、
エルジラは、プルートンとヘカテの女王の寺院にて、
地獄の神を呼び起こし、
オルランドがどこにいるかを助けて欲しいという。」
と解説のあらすじに書かれた部分である。

Track6は、
燃える炎をバックに、魔界のものたちの合唱。
エルジラは、オルランドをたぶらかす策を告げる。
解説に、
「彼女はオルランドが愛するアンジェリカの像を造り、
オルランドを洞窟に招き入れようとする。」
とある部分。

ここでも、また、アンジェリカが出て来た。
ドン・キホーテがドゥルシネーア姫と切り離せないのと同様、
オルランドと言えばアンジェリカなのであろう。
アンジェリカの姿が出たら、
もう、この英雄が、唯のストーカーになってしまうのは必至。

「オルランド・フリオーソ」でも、
彼は、アンジェリカと間違えて像をぶちこわして、
魔女アルチーナを敗北させた。
今回も同様のパターンで進むのだろうか。
だとすると、そのワンパターンが嬉しい。

Track7では、魔女エルジラは、
アンジェリカが眠っている幻影が現れたと喜んでいる。

Track8、9はシーン7。
オルランドが、「何と不気味な力」とか言って現れる。
その師ブランディマルテも一緒である。
解説に、下記あらすじがある部分。
4分近く、モノローグや対話が続く。

「師ブランディマルテと共に、オルランドは洞窟に入る。
しかし、ブランディマルテはエルジラを見つけ、
その計略を見抜き、
アンジェリカに対し愛を語ることで、
自分がオルランドであるふりをする。
エルジラは、自分が愛したのが、
他ならぬオルランドであったと知り狼狽して現れ、
憤怒とジェラシーを爆発させる。」

Track9はこのエルジラのアリア。
「ナイチンゲールのように、
平安を願った。
それはその悲しみを歌うため、
空から地上へ、
枝から木の葉に、
泉から海に。
しかし、私の運命は変わった。
あなた、残酷で不実な人のため、
ひどく惨めでため息しか出ない。」

などと歌っているが、
曲想は明るく協奏曲の終楽章みたい。

Track10、11は、シーン8。
オルランドとブランディマルテ。
師匠は「アンジェリカの姿は幻影にすぎない」と諭す。

Track11は、ブランディマルテのアリア。
これまた、無窮動風に規則的で、
感情のこもっていないようなアリア。
ヴィヴァルディの音楽は、ひたすら、
声楽の多様さを追求しているようでもある。

「計略そのものは、
残酷が支配する時には美徳にもなる」
と、自分が、エルジラを騙していることを、
自己防衛している。

Track12、13は、シーン9で、
オルランドは一人になり、アンジェリカに頼まれた、
打倒エルジラを誓う。

Track13は彼のアリア。
これまた、奇妙な楽想で、伸びたり縮んだり、
上がったり下がったりのへんてこなもの。

「やられることを恐れてはならん」とチャージ中。

Track14は、シーン10。
アルジリアーノとオルランド。
アルジリアーノは、
「彼はオルランドか否か、
エルジラは何を待っているのか」と言っている。

解説に、
「実際のオルランドは、いまだ狂人のふりをして、
つじつまの合わない言葉を発するのに悩まされている
隊長アルジリアーノと共にある。」
とある部分。

Track15、16は、オリジレが加わるシーン11。
激烈な伴奏のオリジレのアリアは、
悲愴な感情に満ちている。
「苦い悲しみを終わらせるために、
どこにでも行こう。」

Track17、18は、オルランドとアルジリアーノ。
シーン12。
オルランドは、「空に星が見えるか」
アルジリアーノは、「お前の死の運命が」
Track18は、この変な男はオルランドだと確信した、
アルジリアーノのアリア。

このアリアも伴奏からしてへんてこだ。
第3幕になって、実験的なアリアが多い。
第2幕は、もっとメロディが豊富だったような。

「翻弄される船の運命、
アンピトリテの怒りが泡立つ。
粉々になって海に消える。」

Track19はシーン13。
オルランドとブランディマルテは、鎖につながれ、
アルジリアーノと警護に見守られている。
エルジラは、その王位の席に就く。

オルランドは、錯乱して、
ブランディマルテは、それをけしかけるので、
エルジラは混乱している。
これは、「狂人を装ったオルランド」という
題名にふさわしいシーンだ。

しかも、彼はやすやすと鎖を壊してしまう。
魔女も隊長も、ひえーっとなっている。
しかも、俺の力を見ろ、俺はオルランドだ、
もはや、狂人のふりをする必要はなくなった、
とか、まるで水戸黄門や大岡越前の乗りである。

相手がひるんでいるうちに、
ブランディマルテの鎖まで破壊する始末。
めちゃくちゃ強いのである。

隊長も剣を置き、もう駄目、とか言って、
魔女に臆病者と怒られている。
ほとんど物語は終わったも同然である。

Track20は、そこにオリジレが加わる。
彼女は、愛するグリフォンの身を案じ、助けを乞う。
オルランドは円柱をぶちこわせば、
呪文も解けると言う。

魔女は、こんな事まで、神様、許されるの、
とびびりまくっている。

Track21はエルジラの絶叫のアリアで、
アタックの鋭い、呪いの歌で、
最後に魔女はかき消えてしまう。

解説には、以上の部分は、
「オルランドとブランディマルテは、
エルジラの前に引き立てられるが、
まさにその瞬間、太陽は地平線から消える。
魔女の没落の瞬間である。
オルランドは鎖を壊し、
アルジリアーノを降伏させ、
ブランディマルテを解放する。
そして、魔法の円柱を破壊して、
一打ちでエルジラの力を一掃する。」
と書かれている。

この意味不明の破壊力がオルランドの魅力である。

Track22、23はシーン15で最後の情景。
「情景は明るい庭園に変わり、
エルジラの呪文で拘束されていた騎士たちが目覚める。
復讐を誓って罵り、魔女が逃げると、
オルランドはアルジリアーノを許し、
グリフォンとオリジレの結婚と合わせ、
ティグリンダとの愛を認める。
全員が新たな喜びに浸る。」
と解説にあるとおり。
が、騎士たちとあるが、
目覚めたのはグリフォンだけのようである。

Track23は、晴朗な合唱で、
大変、爽やかだが、あっと言う間に終わってしまう。

さて、このCD3には、
差し替え可能なアリアが9曲も収められている。

Track24と25:
第1幕から、ブランディマルテのアリア。
いずれもシーン12のもの。

最初のものは、シューベルトも喜びそうな、
伸びやかで力強いメロディで、
「私の望みを果たすためなら、
地獄の闇にも降りていこう」と歌われる。

次のものは、もっと荒々しいもので、
前のものの超絶技巧版みたいな感じ。
やたら装飾が多い。
歌手によっては、こちらを歌いたい人もいるだろう。
歌詞もほとんど同じ。
先ほどのが、
「情熱に火が点る」と終わるのに対し、
「愛するものよ、恐れるな」と終わる。

Track26は、第2幕のグリフォンのアリア。
ガンバの伴奏が深々と美しいが、
曲想は苛立ちを含み、歌詞も見ると、
「胸のなかの情熱は、
愛おしく甘く、
感情を使い果たす」
と書いてある。

Track27は、第3幕のシーン4。
ティグリンダのアリア。
苛立ちと技巧とが組み合わされたアリアらしいもの。
「運命を見つけたら、すぐにそれを手にしなさい」
という教訓じみたもの。

Track28は、第3幕のシーン6。
アルジリアーノのアリア。
これもガンバの独奏が活発に動き、
焦燥感に満ちている。
「君はため息をつくために生まれた」
という、先ほども聴いた部分。

Track29、30。
次の2曲はエルジラのもので、
ソプラノ用なので、明るくシンプルな感じ。
第3幕、シーン7である。
お気に入りのブランディマルテが、
アンジェリカを賛美するので嫉妬して歌うもの。

最初のものは、コロラトゥーラ風な、
華やかな装飾音で終わる。
4分もかかる大アリアである。

次のものは、その半分くらいの規模で、
曲想も陰影はあるが、技巧は少ない。
協奏曲風で親しみやすいのはこちらである。

このように並べられると、
ヴィヴァルディが、状況に応じて、
様々な声の陳列棚を用意していたことが分かる。

Track31は、主人公オルランドのアリア。
第3幕シーン9で、打倒エルジラを誓うもの。
「強い男として死んだなら、
彼は死んだことにはならない。
その心は永遠で、輝かしく賞賛され、
勝利の誉れ」という、
力こぶの入ったもの。

悲愴な感情にふさわしく、宗教曲を想起させる。

Track32は、第3幕シーン9の、
アルジリアーノのアリア。
「この目、この唇、まつげや胸が、
君の不幸の原因さ」という内容だが、
ヘンデルの「ハレルヤ」みたいな、
明るい楽想が支配していて、
一篇のソネットのような感触に仕上がっている。

以上で、このCD3枚組も終わる。
宗教曲から小唄、コロラトゥーラまで、
様々な歌曲のオンパレードのような趣きであるが、
オペラの目的は、こんなところにもあったはずだ。

さて、この「狂人を装ったオルランド」のCD解説、
初演での歌手や楽曲の説明も詳しいようだが、
これらは字数の関係もあってすっとばして、
興味深い、最後の部分のみ紹介しよう。

ここには、CDの最後に収められた、
様々な異稿に関する話も出て来る。

「不幸なことに、この並外れた作品の、
聴衆の反応については謎として残っている。
歴史的な資料は失われており、
誰も今日、学術的に、
勝利か、失敗か、無視されたのか、
この三つの仮説から選ぶことが出来ない。
実際には、失敗という説が、
この作品に加えられた幾度にも渡る改訂を分析、
それが失敗から護ろうとした証拠として、
何人かの音楽学者から受け入れられている。
しかも、1713年の『オルランド・フリオーソ』が、
1714年12月には復活上演されているのである。
しかし、決して問題がはっきりしたわけではない。
ヴィヴァルディはいつも、上演中に改訂をしたし、
ヴェネチアのオペラ座の習慣でもあった。
また、作曲家はヴェネチアの劇場で、
重要なキャリアを維持したので、
大失敗というのはありそうにない。
結局、確かなのは、
ヴィヴァルディの最初の、ヴェネチア・オペラは、
保守的な人たちの抵抗を抑え、
たちまち、この作曲家をセレニッシマ(ヴェネチア)の、
オペラハウス改革のシンボルにしたということである。
10年前、ナポリ風のスタイルが入り込み、
ギャラント・スタイルにヴェネチアの語法を溶かし込んでしまった。
ヴィヴァルディは、この街における、
最後の春のようなオペラを届けたのである。」

このように、この作品は、
ヴィヴェルディの最初の革新的なオペラであること、
それは、ナポリ風よりも、
ヴェネチア風を重んじたものであることが分かった。

おそらく、このあと、ヴィヴァルディもまた、
ナポリ風スタイルに染まっていったのであろう。
ナポリはスペインの飛び地のような王国で、
ヴェネチア以上の富の力で、
華麗なオペラのスタイルを確立していたらしい。

10年後の「オルランド・フリオーソ」と比べ、
一聴しただけで、どうも、音楽の感じが違いすぎるのは、
こうした背景があるのだろうか。

得られた事:「ヴィヴァルディをロマン派の始祖と考える研究者もいる。オペラの求める描写の力が、様々な楽器の表現力を拡張していった。」
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by franz310 | 2011-09-10 23:34 | 古典 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その292

b0083728_2046847.jpg個人的経験:
言うなれば、
単にヴァイオリンが得意な
音楽教師のような存在だった
ヴィヴァルディであるが、
早くから劇場への進出の機会を伺い、
何と父親の助けも受けながら、
周到な計画を持って、
みごとにそれを達成した、
というお話が、
前回、読んだ部分に書かれていた。


今回も、この写真の不敵な顔の人物、
指揮者のデ・マルキが演奏した、
ヴィヴァルディのオペラのCDを聴き進めよう。

そもそも、我々はヴィヴァルディの事など、
よく知らなくて良い、といった教育を、
日本の音楽風土から、知らず知らずのうちに受けていたが、
成る程、あれだけの有名曲を書いた人である。
いろんな背景を持っていると、目を開かされた。

例えば、高校生のころ私が愛読していた、
新訂「大音楽家の肖像と生涯」(音楽の友社)
(昭和37年発行で私が持っていたのは51年の第12刷)
では、わずか2ページの記述。
(シューベルトは6ページ半、ベートーヴェンは8ページ)

ここに書かれていることを、かいつまむと、
父親は、当時の旅行案内にも出ていた、
高名なヴァイオリニストであった。
ヴィヴァルディは若くから僧籍に入ったが職務怠慢、
孤児院を兼ねたピエタ音楽院で教え、
そこの優秀なオーケストラを使ってさまざまな自作を演奏した。
1713年からはオペラにも進出、
1740年以降は消息不明で、
ようやく1938年になって、
1741年、ヴィーンで貧困のうちに没したことが分かった、
という感じのことが書かれているだけである。

ヴィヴァルディの速筆は有名らしく、
オペラを五日で書いたとか、
協奏曲を写譜屋より速く書き上げたとか、
そんなエピソードばかりが頭にこびりつく内容である。

オペラへの進出で苦労した話など、全く出て来ない。
高名な「四季」の解説などを読んでも、
このピエタのオーケストラの話が引用されるのだが、
よくよく見ると、
「四季」は、「どういう機会に書かれたかは不明」という、
言い訳が付いていることに気づいた。

この協奏曲集「四季」であるが、1725年出版とある。
今、ここで聴いているのは、彼のオペラであるが、
1714年の「狂人を装ったオルランド」と、
1727年の「オルランド・フリオーソ」の間、
しかも、後者にずっと近い時期の作品と見える。
作曲家は、50歳ということになる。

若々しい楽想に満ちた、この超有名曲が、
そうした円熟期の作品とは想像したこともなかった。

「四季」の中の描写は、
こうしたオペラにも近いものを感じるが、
1727年の「オルランド・フリオーソ」前のヴィヴァルディは、
面白くない状態にあったような記述もあった。
気にし出すと、肝心のオペラ鑑賞が先に進まないので、
このあたりにしておく。

このCDの解説にある、
「ヴィヴァルディ・エディション:オペラ」
という部分には、以下のようなことが書かれていて、
情報としては、
先の「大音楽家の肖像と生涯」を補うものであろう。

「音楽史の中の特徴的な矛盾の一つに、
ヴィヴァルディの作品の大部分が、
いまだほとんど知られていない、という事である。
この50年、破竹の勢いで名誉回復が進んだにもかかわらず。
ゆがんだプリズムで見るように、
わずかな協奏曲が異常な知られ方をしたがゆえに、
このヴェネチアの大家の変化に富む作品をかすませてしまった。
結果として、彼はいまだ、
器楽曲作曲家というイメージの牢獄の中にある。
運命の驚くべき気まぐれによって、
同時代の並ぶものなき協奏曲の大家であったが、
それでもなお、そのキャリアのほとんどは、
オペラに捧げられていたのである。
ヴィヴァルディ・オペラの再発見の遅さは、
事実、彼自身の生涯を反映したものである。
彼の公的活動は、劇場から離れたところ、
ピエタにおける教職義務と、
フリーランスのヴァイオリン奏者として始められた。
しかし、そのはじめからして、
ヴィヴァルディは声と舞台に引き寄せられていた。
いかなる時期の彼の作品からも、
実にドラマ的な情景を孕み、
音楽ドラマの巨匠の先駆けとなっている。
1713年、ヴィンツェンツァにおける、
最初の知られたオペラ『オットーネ』初演の年、
1700年代のイタリアで、
最も驚嘆すべきキャリアの一つのスプリングボードに立った。
ヴェネト、フィレンツェ、ミラノ、マンチュラ、
パーヴィア、レッジョ、エミーリア、そしてローマと、
ヴィヴァルディは北イタリアを歩き回り、
海外でも演奏され、著名な欧州の作曲家が、
彼の作品を取り入れて研鑽した。
1713年から41年、ヴィヴァルディは、
次々に大作を生み出し、
現在、トゥリンの国立図書館の保管する、
最も重要な遺物となっている。
音楽学者は、49のオペラのリブレットに、
ヴィヴァルディが曲をつけたと言い、
さらに67の作品に彼は確実に関わったという。
この数字は、再演や編曲も含むが、
アレッサンドロ・スカルラッティと並んで、
彼を当時の最も多産なオペラ作曲家としている。
ヴィヴァルディの、オペラ作曲家としてのキャリアの、
長さと素晴らしい生産性は、いくつかの失敗はあったとはいえ、
その作品が賞賛されていたことを実証する。
彼は、第一級の劇場から、
最高の信頼を得ていたことからも、
それははっきりと実証され、
同時代の作曲家は惜しみなく賞賛を送った。
例えば、Abbe Contiが、
Comtesse de Caylusに送った手紙には、
その美質が書かれている。
『ヴィヴァルディのいくつかのアリアをお送りしましょう』
と、彼は、彼女に、1726年秋にサンタンジェロ劇場で、
『Farnace』初演を熱狂的に受け入れた後で書き送っている。
『その音色は壮大さから優しさまで大きく変化する音楽です』
と書いている。
ヴィヴァルディは当時のオペラに、
彼が器楽曲で行った程の革新は起こさなかったが、
その作品は当時の音楽ドラマの慣習や体系より、
はるかに独自性があることを誇っている。
何よりも、彼の作曲には独自の劇的霊感がある。
それに加えて、
彼の協奏曲やソナタをユニークなものにしている、
器楽の色彩やリズムの活力や、
創意の豊かなメロディによって、
模倣不能な性格的なアリアは、
たちまち彼の作品だと分かるようなものだ。」

さて、前回、CD1を聴いた「狂人を装ったオルランド」であるが、
それ以降、どのような事が起こるのであろうか。

CD1には、第2幕の冒頭が収録されており、
CD2の途中まで第2幕は続く。

解説にあるあらすじは、三つの幕の中で最も短く、
それほど多くは起こらないのであろうか。
実際には、ここで、何故、
オルランドが、「狂人を装った」のかが語られる。

まず、第2幕シーン1と2は、
ティグリンダを愛するがゆえに、
この魔の城にやって来たグリフォンは、
女装して現れる。
そこに男装したオリジレまでが登場、
オリジレは変奏したグリフォンに気づくが、
あえて黙っているところ。

変装して性転換されると、どんな状況なのか混乱してくるので、
前回図示した関係図に加筆して、脳みそを落ち着かせよう。

                       ブランディマルテ(師)
                          ↓      ↑
オリジレ(女主人)→グリフォン(友)→オルランド   ↑
(オルダウロ)       ↓(レオディラ)          ↑
            ティグリンダ(女司祭)        ↑
               ↓                 ↑
            アルジリアーノ(隊長)        ↑
               ↓                  ↑
            エルジラ(魔女)→ → → → →


CD2の冒頭は、第2幕シーン3(Track1-2)である。
ここでは、オリジレとティグリンダの会話にエルジラが入って来る。

オリジレは当然怒っている。ティグリンダは恋敵である。
Track2はティグリンダのアリア。
大変、威勢の良いもの。
閃光と旋風に海が泡だっても、
勇敢な船乗りはそれに負けずに行く、という内容。

Track3、4はシーン4。
オリジレとエルジラ、そして、アルジリアーノ。
Track4でオリジレのアリアだが、
華やかで、時折、木霊が入って奇妙な効果を上げる。
「眼差しを受け入れて燃えない薪はない」と歌っている。
プリーナは、「試金石」でも「木霊のアリア」を歌ったが、
ここでも、その先例がある。

Track5、6は、シーン5。
アルジリアーノとエルジラの悩ましいレチタティーボの後、
Track6で、愛らしい華のあるアリア。
魔女だけあって、コケティッシュである。
「私に不満を言わないで下さい。
哀れみを期待してはいけないわ。」

Track7、8はアルジリアーノひとりのシーン6。
Track8のアリアは、隊長の歌にふさわしく、
軍楽調である。
弦楽は勢いがあってじゃんじゃか鳴って気持ちがよい。
ホルンの面白い序奏が入る。
「花や葉の茂み中に、おそろしい毒蛇がいる。
それは通り過ぎる人には分からないが、
それはますます恐ろしくなる。
もし、怒りと軽蔑が、
愛らしい顔の下に隠れているとしたら。
可愛そうな恋人よ。哀れな心よ。」

Track9は一瞬のシーン7。
ヴィーナスの広間。真ん中にその像。
舞台の後ろにはエルジラの部屋と、
様々な部屋が見通せる。

オルランドは、
「ここは、エルジラが悪霊を呼び起こす恐ろしい場所だ」
と言っている。
ブランディマルテは、
「君はずっと正体を隠しなさい」とアドバイスする。
解説のあらすじに、
「オルランドとブランディマルテは、計画を練り、
彼女の最終襲撃時間の日没まで、
オルランドの正体をエルジラには隠すことにする。」
と書かれたところであろうか。

オルランドはエルジラの部屋に入る。

Track10も単独でシーン8。
アルジリアーノとティグリンダの会話。
ティグリンダはアルジリアーノに片思いである。

Track11、12はシーン9。
オリジレが部屋から出て来てティグリンダに出会う。
しかし、彼女とアルジリアーノの間に霊気があって、
アルジリアーノは見えない。
オリジレは、ティグリンダが、
自分の好きなグリフォンと一緒なのではないかと疑う。

Track12は、ティグリンダのアリア。
ある時は愛するアルジリアーノに甘く声をかけ、
ある時はオリジレに裏切り者と罵る、
へんてこなアリアで、ガンバの音色が悩ましい。

このあたりは解説のあらすじに何も書いてないが、
私は、むしろティグリンダが裏切って、
アルジリアーノのところに来たかと思っていた。

Track13と14はシーン11。
エルジラの部屋から入って来た、
ブランディマルテとオルランドが、
アルジリアーノとオリジレに出会う場面。

オリジレが狼狽するので、
オルランドは、ブランディマルテの計略を忘れ、
「このオルランドに慈悲を」とか言ってしまう。

解説のあらすじに、
「しかし、オルランドはここぞと失策を犯し、
アルジリーノを前にしたオリジレの前で、
自分の名前を言ってしまう」
と書かれた部分であろう。

「ブランディマルテは、状況を保つべく、
彼は、自分がシャルルマーニュの勇士だと信じる、
狂気に駆られた騎士であると告げる。
オルランドは師の計略を悟り、
つじつまの合わない独り言を続けて、
狂気を装う。」

どうやら、このシーンから、理解に苦しむ、
「狂人を装うオルランド」なるタイトルが生まれたようだ。
この場面はだから長く、6分にも及ぶ。
先ほどまでのアリア群は、すべて3分程度なので、
これは非常に長い場面に感じられる。
オルランドは何だか訳の分からない武勇談を語るので、
オーケストラは、激しい音響を投げつけ、
ハープがぱらぱら流れる。

Track14は、ブランディマルテのアリア。
「流れる涙、瞳を満たす涙は、
草原や花を濡らすが、
地面にしみこむことはない。
それらは頬の色を変えるようで、
心に至ることはない。
その表情にのみ悲しみが見えている」という、
妙なテンポの軽快なアリア。

Track15と16はシーン11でオリジレ一人。
明朗な広々としたアリアで、
「もし、楽しみのための偽りの愛ばかりなら、
心には、完全な幸福のみを感じるでしょう。
でも、ある日、不注意にも、
心が開いて真実の情熱に気づいたせいで、
こんな痛みが訪れました。
残酷な運命よ、あなたは私の安らぎを奪い、
そして最後に返してくれた。
私はこう言わないと。
『ああ、素晴らしい情熱よ』。」

Track17、18はシーン12で、
エルジラとアルジリアーノと警護。

オルランドを殺す、とエルジラは息巻いている。
レオディラを呼んで、警護させよ、
というと、アルジリアーノは、彼等はみんな、
ヤバい連中だと言う。

解説に、
「しかし、アルジリアーノは、真実を推測し、
エルジラに告げ、さらにグリフォンの正体をも告げる。」
とある部分。

なるほど、グリフォンとオルランドの正体を知ったら、
魔女エルジラは怒りそうである。

Track18のアルジリアーノのアリアは、
エルジラの抑えがたい情熱と、
自分の虚しい愛を対比させて歌う。

音楽が豊かに膨らみ、
ヴィヴァルディの豊饒な音楽がたっぷり楽しめる。
弦楽の美質に、チェンバロが煌めき、
バロック音楽に期待する魅惑が詰まっている。

Track19、20、シーン13。
エルジラのところにグリフォンが来る。
警護に命じて、彼を捉える。

Track20は、カウンターテナーのグリフォンのアリア。
解説に、
「グリフォンは牢に入れられてからも、
誠実にオルランドを裏切ることを拒む。」
とあるとおり、
「強い男の心は勝利を求める」と勇ましい。

Track21と21は第2幕の最終シーン(シーン14)。
解説に、
「エルジラは、この抵抗に激怒し、彼女の敵を倒す、
別の手段を考える。」とあるとおり。

Track22は、エルジラのアリア。
素晴らしいヴァイオリン独奏を伴うもので、
ソプラノの歌声も美しい。
「つばめのさえずりを聞けば、
彼女もまた、愛の不足と忠実を非難していると分かる。
丘に登って、草原に降りれば、
悲しみと困惑の中、苦い悲しみをあふれさせ、
彼女の嘆きへの同情を求める」という歌詞のようだが、
そんな悲痛なものではない。
ただし、豊かな陰影を持っている。

第3幕:
Track23からは最終幕となる。
以下のようなト書きが書かれているのに、
このCDでは続けて演奏されている。

「牢獄として使われ、柱廊を有する古代の塔がある離れた場所。
中央に閉じた鉄の門があり、その中でエルジラは呪文を唱える。
オリジレは斧を持って、その塔の壁を破壊すると、
そこからグリフォンが来る。」

解説に、
「オリジレ(オルダウロ)は、
グリフォンの入れられた監獄の壁を破壊して、
彼を解放したので、
これが様々な愛の密通の引き金となる。」
と書かれた部分であろう。

Track23、24はシーン1で、
グリフォン救出の場面。

Track24は、オリジレが、
グリフォンを恨んで歌うアリアだが、
たっぷりとした嘆き節。美しい。

Track25はシーン2。
グリフォンにアルジリアーノと警護。
やばいではないか。

Track26、27はシーン3で、
そこにティグリンダが、
ゴブレットを持った小姓を連れて現れる。
そして残酷にも、私への愛を諦めなさいと言う。
が、グリフォンは、屈しない。

Track27のグリフォンのアリアは切迫感に満ちたもの。
「あなたの美しさへの、
私の変わらぬ愛が消える前に、
あなたは、日の輝きのない日を見、
恐ろしさのない夜を見るでしょう。
私がこの苦しみを恐れる前に、
太陽のない空、嵐のない海が現れるでしょう」
というむちゃくちゃな求愛である。
オリジレが聴いたら可愛そう。

それにしても、次から次へと、愛と声の饗宴のような作品である。

CD3の紹介は次回にしたい。

指揮をしているデ・マルキは、
ローマのサント・チェチリア音楽院で、
まず、オルガンと作曲を学び
スコラ・カントルムで室内楽と通奏低音を学んだインテリで、
古楽の研究も行ったとある。
レネ・ヤーコブズとのコラボレーションを経て、
バレンボイムにも可愛がられ、
ベルリン・ドイツ・オペラに登場、
全欧州を股にかけて活躍しているという。

得られた事:「シューベルトは、歌曲作曲家の烙印のもと、長らく器楽曲が無視されて来たが、ヴィヴァルディは、反対に器楽曲作曲家のレッテルゆえに、その大部分の業績が無視されている。その紹介は50年経っても遅々として進まない。」
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by franz310 | 2011-09-03 21:04 | 古典 | Comments(0)