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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その278

b0083728_14195640.jpg個人的経験:
ロッシーニの音楽は、
ショスタコーヴィチではないが、
「ウィリアム・テル」序曲から
入門するのが通常であろう。
その他、彼のオペラの序曲には、
単独でも演奏されるものが多く、
かつては、時折、コンサートの
冒頭を飾っていた。
しかし、最近は、
そうしたコンサートも少ないようだ。


ロッシーニの序曲集の中で、
取り上げられるものには、
「どろぼうかささぎ」など、
気になる題名のものがあるが、
「絹のはしご」などと言う題名も同様だ。

今回、ようやく、その内容を吟味した。
これは、もう20年も前のLDである。

表紙を見て一目瞭然であるが、
かつて、「結婚手形」を楽しんだ、
シュヴェツィンゲン音楽祭のもので、
この前のが1989年のものであったのが、
今回のは1990年の記録である。

このオペラの序曲、
序奏の新奇な音響効果からして、
奇をてらったものと言えるが、
その後に出て来るうねうね系の主題も面白い。
木管による人をからかうようなメロディも美しい。
さすが、序曲のみで楽しませるだけのものはある。

はたして、このような序曲にふさわしい内容なのだろうか。

南條年章という人も、解説で、
「どちらかといえば序曲だけがある程度知られているだけで
『失敗作』のようにみなされてきたオペラに、
ジェルメッティとハンペは見事な光を与えた」と書いている。

こうあるように、この記録も、
前回の「結婚手形」と同じコンビによるものとなっている。
チェンバロはやはり、シモーネ・ヤングで、
解説者は、「注目に値するもので、
単純な和音しか書かれていない楽譜から、
その状況にぴったりの装飾音型を紡ぎ出している」と特筆している。

何と、解説者によると、ハンペの演出のすぐれた点は、
レチタティーボのこまやかさなのだという。
レチタティーボなどは音楽ではないと思って、
聴き飛ばしていた。

そして、失敗作とみなされるのは、
筋が二番煎じっぽいから、と書いている。

一方で、歌手陣の好演も特記されており、
特に、ヒロインのジューリアを歌っている
ルチアーナ・セッラと、
召使いのジェルマーノを演じる、
アレッサンドロ・コルベッリを最高と書いている。

しかし、前回、「結婚手形」で印象に残った、
カナダ人スルック役だったリナルディと、
その恋敵となった、エドアルド役だったキューブラーが、
今回もまた、同様の構図におかれており、
ヒロインが好きなドルヴィルにキューブラーが、
ヒロインが拒絶するブランザックにリナルディがあてられている。
これは、前作とまったく同じ役回りということになる。

前回も番頭さんみたいなノートンが、
三角関係の間で立ち回ったが、
今回は、それが召使いのジェルマーノになっている。

「絹のはしご」が、「結婚手形」と内容が似ているというのは、
こういった構図からも明瞭である。
このLDの表紙の写真に、彼等の関係が見て取れる。
真ん中にジューリアが立ち、
その前にジェルマーノが座り、
左には求婚者のブランザック(前回のスルック役)が、
右には事実婚のドルヴィル(前回のエドアルト役)が
向かい合っている。

さらに、前回、ややこしい役回りをヒロインの父親、
トビアが演じたが、今回もそれに相当する保護者として、
ドルモントというおっさんがいる。
この人の役はデイヴィッド・グリフィスという人が歌う。
前回の父親役デル・カルロは大変面白かったので、
ここでも出て来て欲しかった。

「結婚手形」では脇役だった女中に相当する女性役が、
今回はさらに重要な役割を演じ、
何と、彼女にジューリアはブランザックを押しつけようとする。
これはルッチアという名前で、いとこという設定。
ジェーン・バネルという人が演じている。
(前回はフェッレ)。

この人は、すっかりその気になって、
Track11で、素晴らしいアリアを聴かせる。
この音楽は、非常に機知に富んだもので、
きんきんする木管が、エキゾチックなメロディを奏でる。

A.Klugeという名前で、
「絹のはしご」上演史は、こう要約されている。
「1812年ヴェニスで初演されたものの、
観客や批評家の間での評判はよくなかった。
・・
1823年にはバルセロナで、
又1825年にはリスボンで上演されている。
しかし、ロッシーニの小品は次第に世の中から忘れられてしまった。
一つには誤って解釈されることが多かったからだ。
ロッシーニの伝記作者として有名なスタンダールやトイでさえ
多くの間違いを犯している。
もう一つの理由として、
その後に書かれたロッシーニのオペラの影に
隠れてしまったことが挙げられる。」
とお座なりのことが書かれている。
買った人の事を考え、
一つでも聞き所を書き出すべきではなかろうか。

さて、Track1は、オープニングで音楽ななし。

Track2.序曲で、冒頭から、
ジェルメッティの元気のよい指揮が見られる。
あの、特徴的な冒頭の急速で意表を突く楽節を、
ジェルメッティは斜め45度前方の空中に、
指揮棒を勢いよく突き上げているのが脳裏にこびりつく。

やたらオーボエのお兄さんが強調されるが、
木管アンサンブルに焦点を当てたカメラワークによって、
この作品も木管の音色を重視したものであることが分かる。

弦による、悪戯っぽい第1主題が始まると、
布で作ったはしごが暗闇に消えていく映像が一瞬出る。
これによって、絹のはしごは、
実際に、布製のもので梯子のように使われることが分かる。

第2主題の木管の交錯も美しい。
展開部では、ジェルメッティが横から写され、
何故か、背後の手すりに左手をあけての指揮であることが分かる。
だからそうした、ということはないが、
エネルギッシュだが、力を抜いた余裕も感じさせる。

Track3、「行っておしまい、いらいらさせないで」。
幕が上がると、いきなり大きな窓のある邸宅の一室。
このような舞台からしても、「結婚手形」にそっくりである。
このそっくりの理由は、後ほど分かる。

ちゃちゃちゃちゃちゃ、ちゃちゃちゃという、
明るい音楽が、冒頭から楽しい雰囲気を盛り上げる。

どたばたとピンクの女性が走り回っているが、
かっぷくが良すぎて、まさか、これがヒロインとは思わなかった。
しかし、目立つ服の色からして、
これがヒロインでなければなるまい。

このジューリアは、何か隠し事があるので、
召使いのジェルマーノが部屋に入って来るのを恐れているのである。
何やら隣室に隠しているものがあるので、
本を読むような振りをしてごまかしている。

ジェルマーノは何か作業をする恰好で入って来て、
近々、ジューリアがお見合いをすることを知っているという。
「結婚することは災難だ」などと昔の人が言ったとか、
どうでも良い話をして、なかなか出て行かない。

この後、「やっと独り」と、ジューリアは、
隠してあった絹のはしごを取り出し、
秘めやかな恋を、声の技法を駆使して歌い上げる。
窓の外には凱旋門がわざとらしく見えている。

この部分も、しっとりとした情感が美しく、
冒頭のけたたましい雰囲気と対照をなしている。

ジュリアーノに続いて、今度はいとこのルッチラが入って来て、
また、ジュリアーノも続いて入って来る。
はしごは、物置からはみ出して、
それを隠そうとジューリアは必死である。
すると、音楽は再び活気を取り戻し、
推進力を持って三重唱を盛り上げて行く。

Track4.レチタティーボ「もう大丈夫よ」で、
隠れていたドルヴィルが出て来て、
いつも夜中に密会の時の移動に使う絹の梯子の秘密を語る。

題名である「絹のはしご」とは、
テラスに引っかけてドルヴィルが夜這いする時、
いや、通い婚する時の道具だったのである。

確かに、シモーネ・ヤングのチェンバロの即興的な装飾は、
状況の描写までして素晴らしい。
絹のはしごを巻き取る様子など、名人芸である。

恋人たちが、しっとりと抱き合っていると、
ドアを叩く音がして、後見人のドルヴィルや、
従姉妹のルチッラが入って来る。
間一髪で、ドルヴィルはバルコニーから逃げる。
夜になったら戻って来てね、となまめかしい。
またまた、召使いのジェルマーノも、
男の人が来たとか言いながら入って来る。

Track5.「私は知っているわ」は、
後見人が結婚を勧めるその男が嫌なので、
このジェルマーノを味方にしておこうと、
ジューリアが「愛情の印を見せて欲しい」などと、
思わせぶりな歌を歌い出す。

実際の顔の表情変化もしっとりとして、
音楽のメロディも甘い。
装飾や声による緊張の高め方も、
ドニゼッティやベッリーニももうすぐ、
という所まで来ている。

ジェルマーノは、格好良いバリトンで、
「いくらでも差し上げましょう」と言いながら、
このロマンティックなメロディを歌い上げ、
それなりの愛のデュエット風になる。

ジューリアは、ジェルマーノには、従姉妹のルチッラの方が、
その男、ブランザックにふさわしいという。

ジェルマーノは、ブランザックを嫌うのは、
自分にジューリアは気があるものだと思っていたが、
すぐに、単に利用されていると気づく。
「優しい心に感謝しているわ」とか、
ジューリアは、彼を利用しようと必死である。

この部分は、音楽が急速になって、
お互いの思惑の差異や、手練手管を表す
軽妙なやりとりが軽快に描かれて行く。
ロッシーニは、しっとりした部分で時間を停滞させ、
続く部分では、快速に時間を先に進め、
魔法のように、緩急自在で時間を操っている。

シューベルトには、
こうした臨機応変な軽業が出来なかったかもしれない。

Track6.レチタティーボ「ご挨拶もなしに」。
後見人ドルモントが、
ややこしい花婿候補のブランザックを連れてやって来る。

何と、通い婚男のドルヴィルは、その友人だったらしく、
立会人として、一緒に入って来る。

ジューリアは部屋に入って出て来ない。
その間、友人たちは、ややこしい展開になっている。
ブランザックは、いかに口説くかを見てろ、と、
ドルヴィルを、物置に隠すことにするのである。

Track7.「拝見しようぜ」は、
ドルヴィルが、高らかなアリアを歌う。

序奏からロマンティックなもので、
耳をそばだたせる。

これは、とってつけたような華麗な装飾を伴うもの。
友人に影で見ているから頑張れと、言いながら、
「裏切らないでくれ」と神頼みをするような部分もある。

本来、感情が高ぶって歌い上げられるべきアリアが、
どうでも良いような戯言に声を張り上げる手段になっているのである。

Track8.レチタティーボ「この僕が、つかめないだって」。
何と、ジューリアから、
男を見張れ、と言われたジェルマーノもこっそり入って来て、
暖炉のところに隠れる。

ジューリアに言い寄るブランザックの様子は、
二人の男によって観察されることになる。
ブランザックは立派な花束を渡す。

ちょうど、私がこれを書いている今、
薔薇の花盛りの季節であるが、
香りも良く、ジューリアは、きっと、
その色にも香りにも、うっとりしていると思う。

Track9.「いとしい花嫁と結ばれるなら」は、
ブランザックがかき口説くシーンであるが、
リナルティのバリトンが、これまたダンディである。
乙女心をくすぐりそうだ。

今度は、豪華な首飾りを見せたりで、
ジューリアと友人が、
すごく良い雰囲気になってしまうのを目撃することになる。

物置から、大声でドルヴィルが、
「これはピンチだ」と歌い上げるのがおかしい。
ジューリアの揺れる心も表情に出て傑作だ。

これまた、やるなロッシーニという感じ。
自由自在に声の饗宴の効果を操り、
ジューリアがうっとりした瞬間には、
金管が勝利の咆哮を上げている。

「これこそ幸せ」とか言って、喜びや陶酔を歌うデュエットに、
物陰の二人が参加して四重唱になる。
ジューリアは、首筋にキスまでされている。

めちゃくちゃ怪しいシーンであるが、
何と、ブランザックは、ここで物置を開けてドルヴィルを出す。
今度は、ドルヴィルが甘い声で言い寄りながら、
首飾りを引きちぎる。
ジェルマーノも出て来て、表紙写真のややこしいシーンに突入し、
全員が、訳が分からなくなって「頭がぐらぐらする」と、
ぐるぐる回ったり、頭を抱えたり、
おかしな仕草を伴う興奮した四重唱に突入する。
各人が勝手な事を喋りまくって、
もう対訳が間に合わなくなって、
字幕が出ないが、もう台詞はどうでもよろしい。
生で見ていたら、きっと楽しくおかしいであろう。

Track10.レチタティーボ「さあ、行け」は、
勝ち誇ったブランザックが、ドルヴィルに、
うまく行ったと報告しろと言う部分。

ブランザック一人の部屋に、ルチッラが入って来る。
何と、ブランザックは、ルチッラの眼鏡を取ってしまい、
今度はルチッラの美しさを褒めそやす。

Track11.「私は心の中に感じるのです」。
ルチッラが気を良くして歌うアリアで、最後に喝采が起こる。
この部分の音楽については、とても印象的で最初に書いた。

管弦楽利用法の軽妙さ、メロディの新奇さ、
声の美しさを強調したメロディライン、
オペラの大家の筆はさすがである。

ルッチアはブランザックにキスし、
何と、ジューリアに上げたはずの薔薇の花束までを、
持って行ってしまう。

Track12.レチタティーボ「絶品だ!」
この手の美人は初めてだ、などと言い、
彼は、一回の訪問で美人二人に会ったとご機嫌である。

夜中になっても、ジェルマーノは働いている。
天井から妙な音がするが、ガス灯であろうか、
召使いが操作すると灯が点る。
この時のチェンバロの効果も、なかなかやるな、という感じ。
このチェンバロ、こっそり、
オペラのメロディを浮かび上がらせたりしている。

ジェルマーノは、物置の中にも仕事がある。
ジューリアは、誰もいないと思い、
恋人とのいざこざがあったので、気になっている。

きっとドルヴィルが謝りに来るはずだと、
「バルコニーに秘密の梯子を垂らしましょ」
などと歌い上げている。
ジューリアが好きなジュリアーノは、
その秘密を聴いて驚く。

CDで聴いていたら分からないかもしれないが、
ここでの二人の言葉は会話ではない。
それぞれが勝手にしゃべっているのである。

このLD、ここで裏面になる。
裏面Track1.「でも、もし、私の後見人が」となり、
ジューリアは、見つかった時のことが心配になってくる。
音楽も、その不安感を強奏する。

しかし、それからオーケストラは、
素晴らしい詩的な雰囲気を醸しだし始める。
ベルリオーズもびっくりであろう。
そして、フルートやオーボエが美しい響きを立て、
「愛しい方と」という、
ジューリアの美しいアリアを導く。

それは、「生命であり希望」だと歌い、
「この影の中、震えずにいられない」と、
彼女は、ヒヤシンスみたいな白い花を持って歌う。

あまりにしっとりしているので、
あまりおびえているようにも聞こえないが、
どうやら、後見人にバレることにおののいている模様。

ジェルメッティの指揮は、序曲で見たように、
強引とも思えるものであったが、
この部分で、このような超絶的な美しさを描き出したのには、
賛辞を贈らずにはいられない。

しかし、続いてジュリアーノが入って来て、
ジューリアは彼を追い出す。
活発な音楽になって、微笑みに満ちた序奏に続き、
ジューリアは引き続き、「恋する心は苦しいもの」と、
華麗な歌を歌い上げる。
すごい高音を駆使し、完全にベルカントで、
「胸が引き裂かれそう」とオーケストラと一緒になって盛り上げるので、
観客は大拍手である。
何故か、ジューリアは出て行く。

この部分は、音楽的にも濃密で、聴き応えがある。
これまた、ドニゼッティやベッリーニを先取りしている感じ。
筋とは離れた無関係な歌を、華麗に歌うのも同じだ。
このあたりになると、セッラという歌手が、
実に魅力的に思えて来る。

裏面Track2.レチタティーボ「ご立派!ご自由に」は、
入って来たジェルマーノが、
きっとブランザックが来るものと確信する。

裏面Track3.
彼はそのまま部屋に居座り、
ヒヤシンスや酒瓶を手に、
「恋は優しく、心に火をともし、
炎を燃え上がらせ、正気を失わせる」と、
眠気を感じながら、一日を振り返る。

この部分は、酔っぱらいながら、戯言を言う感じだが、
解説の南條氏も賞賛している歌である。
オーケストラも適度に歌手を補助して、
夜の気配、やるせない恋心など、みごとな雰囲気を作り上げている。

何と、この召使いがテーブルに伏せているところに、
ブランザックが本当にやって来る。
寝ぼけたジェルマーノは、
「お嬢さんは、真夜中に梯子を垂らして、あんたを待っている」と、
妄想も交え、知ってる限りをぶちまける。

この部分のロッシーニの音楽は、
管楽器にへんてこな音を出させたりして、
ハイドン風の小気味良いユーモアを効かせている。

ここで、ブランザックが、それを信じこむ点がミソである。
彼はラッキーと思うのである。

裏面Track4.レチタティーボ「何だって」。
ブランザックは、何だかよく分からず、呆然となって、
とにかく真夜中を待つ。
そのうちに、後見人やルチッラも入って来て、
どんどん、ややこしいことになる。
ジェルマーノは、ルッチアにも、
これから密会が起こると耳打ちする。
ルッチアは、暖炉の影、ジェルマーノは、

裏面Track5.「家の中はみな寝てしまった」。
この部分の音楽も期待感としめっぽい夜気が感じられて、
とても詩的なものだ。
「寝てしまった」というのは大嘘で、
次々といろんな人が現れ、最後には、
登場人物全員が揃っての、常識外れに騒々しい真夜中のシーン。
フィナーレである。

ジューリアが、「もうそろそろだわ」と歌いあげる。
控え目だが、美しい音楽だ。
「思った通りだ」とジェルマーノが呟くと、
「僕だよ」とドルヴィルがバルコニーから入って来る。
ジェルマーノにはすべて分かってしまう。

二人が昼間の事を許し合って抱擁していると、
誰かが物音を立てる。
ジューリアは、この1時間の間に、
何度、男性と抱擁したであろうか。
外で、「真夜中です、愛しいお方」と、
ブランザックが歌いだし、梯子を登ってやってくるのである。

この歌がいかにも勇ましく、
有無を言わさぬ強引さを感じさせるもので、
よくもこのキャラクターをうまく描いたと思う。
月光に照らされて、
テラスの手すりで恰好をつけているのも傑作だ。

オーケストラは、「とんでもない状況です」と、
まくしたてるような効果で活気づく。

ここで、またしても、ドルヴィルは隠れ、
ジューリアが一人で合うと、
「密会に来た」とずうずうしいので、
「誰も呼んでいない」と混乱の三重唱となる。

何と、ここからが仰天である。
何と、最後に後見人までがパジャマ姿で梯子で登って来て、
「驚いたか私が登って来るとは」などと言うのが面白すぎる。

「結婚手形」も、父親役が、ものすごい存在感だったが、
今回も、後見人が、やはりかましてくれた、という感じである。
私は、このワン・パターンが非常に嬉しい。
権威とは、何と脆弱なものであろうか。

福島原発の放射能漏れの報道も、
今となっては、すべて、嘘っぱちばかりだったようだ。
21世紀の先進国の実体は、大本営発表と何も変わらないものだった。
受け取る方も、出す方も、世界からは笑いものになっている。

それはともかく、怒り狂った後見人はコミカルに描かれ、
ここに隠れているな、と暖炉の陰にルッチアを見付ける。

まだいるはずだと、何と、ブランザックまで見付けると、
彼は大混乱に陥る。
ブランザックは彼のお気に入りだからである。

ルッチアは、ジェルマーノに言われたと白状、
後見人がテーブルをずらすと、その召使いまで出て来て、
もうどたばたの極地であるが、
ようやく、ドルヴィルが出て来て名乗りを上げ、
ジューリアも結婚させて、と言う。

ここで、何と、ブランザックは、怒りもせず、
これまた、じゃあ私はルッチアと結婚すると言い出すので、
見事に二組のカップルが出来て、後見人はなすすべがない。
「勝手にしろ」と叫ぶ。
これで、めでたしめでたしとなる。
「必ず愛の力が勝つのです。」

結婚のサインをする段になって、
天井の照明が爆発する演出もおかしい。

題名となっている、「絹のはしご」を、
登場人物の半数に当たる3人もが使うとは思いもしなかった。
これは、この演出特有のものだろうか。
少なくとも私は感動した。

これまで聴いたロッシーニのオペラ、
すべて、それぞれ彼にとって意味のある成功作であったが、
意味不明な題名のものばかりであった。

今回の「絹のはしご」は、失敗作だったようだが、
題名という点では、最も気が利いたものだったように思える。
台本は、「幸せな間違い」でヒットを飛ばしたフォッパである。

しかも、音楽も、序曲がそうである以上に、
とりわけ精妙に書かれているように思われる。
あちこちに私淑していたハイドン譲りのアイデアと、
詩的情緒が散りばめられている。
「失敗作」と読んでいたが、これは聞き応えのあるものであった。

さて、このLD、裏面のTrack6には、
ボーナス・トラックのようなものがある。

1752年に作られ、モーツァルトが演奏したこともあるという、
由緒正しいシュヴェツィンゲンのお城の紹介が最初にあって、
美しい壁画、天井画、室内の装飾、庭の画像が出る。

その後、なかなかイケメンのハンペ氏が出て来て、
今回の舞台についての説明が始まる。

ロッシーニが上演したヴェネチアの劇場は、
今はもうないので、この小さめの劇場で、
初期の小オペラ群を演奏しようと考えた、と内幕を語る。

彼もまた、ロッシーニの初期の小オペラ群は、
「すべて大筋が似ている」と言っているが、
よく肉付けすると、
生き生きと個性を発揮するといった感じのことを言っている。

また、これらの作品は、いろいろな国を舞台にしており、
ロンドン、イタリア、パリなどが巡れ、
窓の向こうには、その都市特有の景観が見えるようにした、
これによって、小旅行が出来るなどと言っている。

こうした作品を本来の魅力を出して演じるには、
歌えて演じられる優れた歌手が必要なのだそうだ。
そう言う中、各オペラの難しいシーンの画像が出て来る。

最後に、この演出家が初めて見たオペラは、
ここで見た、モーツァルトの「魔笛」だったという話があった。
感慨深い言葉である。

そうした体験あってこそ、昔の夢を追い求めてこその、
これらの演出だったというわけだ。

得られた事:「ロッシーニのオペラにおいて、オーケストラは観客の反応を代弁し、時間を緩急自在に調節する。」
「『絹のはしご』は、後半にかけての『私は心の中に感じるのです』から『でも、もし、私の後見人が』のオーケストラと声の織りなす技を聴け。」
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by franz310 | 2011-05-29 14:30 | ロッシーニ

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その277

b0083728_983837.jpg個人的経験:
シューベルトの大オペラが、
「救出オペラ」という
ジャンルに属すると言われても、
どうもぴんと来なかったが、
ロッシーニの初期作品を見ても、
そうしたジャンルが
確かにあったことが分かる。
ロッシーニ初期の「ひどい誤解」、
そしてここに聴く「幸せな間違い」も、
何となく同様の展開を持つオペラだ。


それにしても、
「ひどい誤解」と、「幸せな間違い」は、
何とややこしい題名であろうか。

内容まで検証しないと、
どっちがどっちか分からない感じだ。

こんなのは日本盤がなかなかないので、
レコード屋に言った場合、
イタリア語を見つめるしかないが、
「L’EQUIVOCO STRAVAGENTE」と、
「L’INGANNO FELICE」では、
見た感じがかなり違う。

従って、すっきりした方を選べば、
「幸せな間違い」の方が選べる。

これらの作品は、実際、かなり違ったもので、
1811年に書かれた「ひどい誤解」が、
二幕のオペラ・ブッファであるのに対し、
翌年初演の「幸せな間違い」は、
一幕のオペラ・ファルサである。
このCDなどは1枚に収まっている。

また、救出オペラとはいえ、
内容としても、まったく異なるもので、
類似品と考えてはならない。
今回聴くのののほうが、悲劇的な色彩が強い。

このような相違は、
当然、これらの作品に異なる運命をもたらし、
前者が長い間、不遇をかこっていたのに対し、
後者は、かなりのヒットを飛ばし、
少しすると、パリやロンドンでも聴くことが出来たようである。

従って、CDを探しても、この作品のものの方が、
簡単に見付けることができる。
今回、紹介するのは、それらの中でも、
強烈なデザインで私を惹き付けたものである。

1795年生まれという、
ちょうどロッシーニとシューベルトの間くらいの、
G.Bodinierというフランス人の絵画。
もみあげの長い、濃い顔立ちの男性が、
神妙な面持ちの女性に、何かを語りかけている。
胸に手を当てていることからも、
「La demande en mariage(結婚の申し込み)」
であることは見て取れる。

背景には、澄んだ夕空が広がっている。
これが、何となくセンチメンタルな情感を醸し出すが、
それは、この作品が持つ雰囲気の一部である。

ぱっと見の印象では、
現代であれば、さしずめ、一日、デートして見て、
やっぱ決めた、って感じだろうか。

女性の髪には大きなリボン、純白のドレスは、
たっぷりとした生地で、かなりのおめかし。
家柄も良さそうだ。
そういう意味では男性の方も、
たくさん飾りのようなものがついた出で立ちで裕福そうだ。

シューベルトの友人たちが、
同じ服を使い回していたのとは事情が違いそうだ。
だが、ロッシーニの描いた人たちは、
こんな恰好をしていたかもしれない。

さて、この「幸せな間違い」はヒットして、
ヴィーンでも見ることが出来たようだ。

井形ちづる著の「シューベルトのオペラ」でも、
1815年のヴィーン会議によって、
外国からの訪問者が増えた事、
それによってドイツ語が、
分からなくても楽しめる出し物が増えた、
とあって、その後に、
1幕もののオペラと1幕もののバレエの
2本立てが好まれたことが書かれている。

確かに、バレエなら言葉は関係なく、
オペラも型どおりのものなら、
たいがいの人は楽しめたはずだ。

その「型どおり」の一つが、
あるいは「救出オペラ」だったのかもしれない、
などと考えてしまった。

そして、この1幕ものの代表に、この「幸せな間違い」がある。
先の著書にはこうある。

「ウィーンにおけるロッシーニ熱は、
1816年の11月26日に
イタリア劇団によって
『幸福な錯覚』がケルントナートーア劇場で
上演されたといから始まる。」

1816年と言えば、
シューベルトは創作の最初の爆発を見せており、
「第4」、「第5」の2曲の交響曲や、
ミサ曲、3曲のソナチネの他、
100曲を越える歌曲を書いていた。

つまり、この年に、24歳のロッシーニの音楽が、
ヴィーンに上陸したのだとしたら、
まだまだ無名だったとはいえ、現在の目から見れば、
迎え撃つは19歳のシューベルトという構図であった。

が、迎え撃ったシューベルトは、
こてんぱんにやられてしまった感じであろうか。
翌1817年には、交響曲第6番や、
二つの「イタリア風序曲」が書かれるが、
これらは、ロッシーニの影響を受けたものとされる。

が、この「幸せな間違い」の序曲を聴くと、
むしろ、ロッシーニの方が、
シューベルトの交響曲第3番などを参考にしたのではないか、
などと考えたくなる響きが聴かれる。
彼等には、何か共通する先人なり、
風土なりがあったのだろう。

1816年にシューベルトが見たのは、
ロッシーニの「タンクレーディ」という、
ずっと大規模な作品の方だとされている。

が、この「幸せな錯覚」も、
ヴィーンで演奏されたとする資料もある。
私は、この事実を、今回のCD解説にも探してみたが、
見付けることは出来なかった。

ダミエン・コーラス(Damien Colas)という人が書いた解説は、
こんな感じで始まっている。
「ロッシーニの『幸せな錯覚』は、
ヴェニスのサン・モイーズ劇場で、
1812年1月8日に初演された。
たちまち、このオペラは成功し、
他のイタリアの劇場で取り上げられた他、
その後、主要なヨーロッパのオペラハウスで上演された。
1819年5月13日には、パリのイタリア劇場で初演され、
1819年7月1日のロンドン公演が続いた。
この小さな1幕のオペラ・ファルサは、
ロッシーニの傑作群に先立つものであるけれども、
疑いもなく、
素晴らしい成功にかけあがる作曲家の最初の一歩であった。」

1819年の英仏初演が取り上げられているのに、
何故に、ヴィーン初演が書かれていないのか、
まことに不思議ではある。

ただし、アインシュタインの著書でも、
このオペラこそが、ヴィーンに最初に紹介された、
ロッシーニであると書いている。

この作品は、フランスの文化に通暁した大家であった
ジョゼッペ・マリア・フォッパと、
ロッシーニの幸福な出会いともなった作品であるらしい。

では、この作品のどこが「幸せな間違い」であり、
どこが「救出オペラ」なのか。

まず、それが知りたいではないか。
CD解説には、このように、「あらすじ」が書かれている。

ややこしいことに、この劇は、
前段階にいろんな事が起こっており、
その顛末のみが描かれたもので、
まず、下記のような状況を把握しておく必要があるらしい。

「ベルトランド侯爵と妻のイザベッラは、
オルモンドが彼女に横恋慕するまでは、
完全な幸福の中に暮らしていた。
彼女が夫を愛し続けることに対する、
彼の激しい恨みと、イザベッラへの復讐の念は、
彼女の評判を傷つけ、バトーネを拐かして、
彼女を船に乗せて風のままに流してしまう。
彼女は奇跡的に、田舎の鉱山のコミュニティ長である、
タラボットに救出され、
以来、彼女は、タラボットの姪のニーサとして過ごすことになった。」

ロッシーニのオペラは、
これまで見てきたように、
やたら相手がいる女性に言い寄る男が出て来るが、
今回は、悪さにかけてはピカ1である。

また、こう見ただけで、このCDの表紙の絵画と、
このオペラには、何の関係もないことが分かる。

こんな長い話を、省略してしまって良いのだろうか、
などとも感じるが、以下の部分が、
実際にオペラとして演じられるようである。

「それから10年が経過した。
タラボットの鉄鉱山を、
軍関係の仕事でベルトランド侯爵が訪れた時点から劇は始まる。」

おいおいおい、と言いたくなる設定である。
何故、そんな近くにいたのに、
イザベッラは帰ろうとせず、また、
タラボットはイザベッラを帰そうとしなかったのだろう。

などと考え出すと、先に進まないので、先を急ごう。

序曲は、極めて独創的なもので、
穏やかに情感豊かな序奏部から、
いきなり、スペイン風のリズムが強奏される。
その後、ハイドン風にちょこまかした第1主題が出る。
浮き立つようにこの主題は発展していく。

ピッチカートに乗って、シューベルトの交響曲のような、
木管による晴朗な主題が響き渡る。
この序曲だけでも、
すでに、シューベルトは知っていたのではないか、
などとも考えてしまうほど、似た雰囲気である。
リズムも激しくなって、音楽も推進力が増して終わる。

このCD、フランス古楽の新鋭、
マルク・ミンコフスキ指揮によるもの。
いつも、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
という団体と録音していたが、
ここでは、チュイルリー・コンサートという団体を振っている。

第1場は、山並みが連なる谷間である。
山には平地に抜ける道が見え、
岸壁に坑道に入る穴が開いている。
崖に近いところにタラボットの家があって、
反対側に高い木とベンチがある。
タラボットは坑夫を連れて、穴から出て来る。

Track2.導入部、タラボットとイザベッラの二重唱。
いきなりてきぱきしたリズムが支配的なのは、
伯爵が来るので、タラボットは、
部下たちに指令を出しているのである。
が、オペラ・ファルサなので、
合唱が応答するわけではなく、
タラボットの一人芝居みたいな感じ。

みんながいなくなると、物憂げなオーケストラに乗って、
イザベッラの歌が始まる。

「ニーサ/イザベッラは、一度は捨てられたとはいえ、
いまだ夫を愛しており、自分が無実である旨を手紙に書く。
(カヴァティーナ、『何故あなたの胸から妻を手放した』)」

なるほど、単に、船で流されたのは、
オルモンドがやったというよりも、
ベルトランド自身が、そうさせたのだな、と理解する。

切々たる歌の途中で、急にリズムが激しくなるが、
これは、「私は策略にかかったのだ」と怒っている部分。

が、再び、変わらぬ愛を歌う部分はロマンティックになる。
アニック・マッシスというソプラノである。

また、せかせか主題が始まるが、相変わらず、
ベルトランドが準備をしていて、
そんな中、伯爵が来ることをイザベッラは知る。
イザベッラは、「私はあなたの妻」などと口走り、
隠していた手紙や肖像画までベルトランドに見つかってしまう。

「彼女は偶然、彼女が口走った事を聴き、
そのほんとうの素性を知って、
すぐに夫の愛が取り戻してやると約束する。」

このあたりはTrack3のレチタティーボで、
やりとりがある。

Track4.第2場。ベルトランドのアリア。
「ベルトランドが腹心の二人、
オルモンドとバトーネを連れて到着する。
彼は悲しげで、彼女が裏切ったと考えているのに、
いまだ妻を想っている。(カヴァティーナ、『何と優しい光』)」

「憎まなければならないのに、
私の愛は彼女にあることが苦しいのだ。」
採掘場に現れるや、いきなりこんな歌を歌うとは、
この人もかなりいかれている。

かなり純情な歌で、フルートの助奏も楽しく、
いかにもイタリア風に歌い上げる。
ギメネッツというテノールが歌っている。

Track5はずっとレチタティーボで長い。
第3場から第5場までがこのトラック。

第3場、オルモンドとバトーネ登場。
悪役二人の低音を交えてのおっさん臭い部分。
ベルトランドは、どうやら敵の急襲のために、
坑道を利用しようとしているようだ。

第4場では、タラボットがそこに加わる。
タラボットは、自分は姪とここで幸せに暮らしている、
などと説明している。

第5場では、タラボットは伯爵を連れて鉱山に入り、
残ったバトーネは、ニーサに水を飲ませてくれと頼んで、
かつてヤバい事をした相手を認め、おどろいて顔を隠す。
彼女も気づいているが、勇気を出して、
「何を驚いているの」などとしらばっくれている。

解説にはこうある。
「坑道の案内に伯爵にタラボットが随行すると、
バトーネはニーサと二人で取り残される。
そして、それは、驚いたことに、
伯爵夫人のイザベッラにそっくりだった。

Track6.バトーネのアリア。
じゃーん、じゃじゃじゃじゃという序奏で始まるが、
バリトンで男前っぽいアリアを歌う。
「彼女の声は俺を凍り付かせる」。
歌っているのは、ロドネー・ジルフライという人で、
写真で見てもイケメンである。
が、内容は、まことに情けない。
海に流したはずが、何でいるんだーっという感じ。
しかも、ちゃっちゃらちゃっちゃちゃーちゃと、
軽妙な音楽である。
シリアスなのに、軽妙。
最後は逃げてしまう。

Track7.
第6場、イザベッラとタラボットのレチタティーボ。
イザベッラは、夫が来ることを期待し、
タラボットも、再会を応援する。

第7場は、イザベッラが消えて、
伯爵が兵士たちを連れてやって来る。
ベルトランドとタラボットのレチタティーボ。
仕事の話から、ニーサ紹介の話になる。

第8場は、イザベッラが再登場し、
大きな地図を持って来る。
「バトーネとの再会シーンに続き、
すぐに第2の再会シーンとなる。
今回は、ベルトランドが来て、
坑道の下調べを終わろうとしている。」

イザベッラは地図で説明し、伯爵は、
彼女を見て、びっくりの三重唱となる。

Track8.ベルトランド、タルボット、イザベッラの三重唱。
じゃじゃ、じゃじゃっと、オーケストラも、
この再会のシーンを盛り上げる。
「その優美な顔が私を驚かせる」と、
ベルトランドが歌うと、
イザベッラは、「彼は冷淡だけど愛が伝わるわ」
などとやっている。

緊迫したシーンを盛り上げる
まことに心温まる三重唱である。
このような歌は、シューベルトも得意としていたはずだ。
オーケストラの繊細な響きも、典雅なメロディラインも、
いかにもシューベルトを思わせる。
最後にソプラノが輝かしい音色を響かせながら、
突き進む様子も、シューベルトが好みそうだ。
8分半にもわたって、このドキドキシーンは歌い上げられる。

Track9.第9場。レチタティーボ。
タルボット、ベルトランドに、悪者、オルモンドが加わる。

「ベルトランドは、彼女はニーサだ。
イザベッラは死んだんだ」などと言っている。
そして、彼はこの場を去る。

第10場。
「言うまでもなく、この驚くべき事の成り行きは、
オルモンドに報告され、彼はすぐに、
その夜、ニーサを誘拐するように、バトーネに命じる。」

Track10.オルモンドのアリア。
完全に悪者のアリアで、
じゃっじゃっじゃっという序奏に続き、
「俺という男を知っているな、
誰も、俺を否定することは出来ない」などと、
怖い声を張り上げている。
シューベルトの軍隊行進曲のような、
へんてこな効果を持つリズムが、
有無を言わさず、命令に従うことを強要する。

Track11.第11場。
タラボットとバトーネのレチタティーボ。
「タルボットは、この言葉を偶然聞き、
バトーネが、ニーサが本当は誰なのか悩む中、
懐疑心を起こす。」

レチタティーボは、最初、独白の連なりである。
それが次第に腹の探り合いになっていく。

Track12.二重唱。
ロッシーニ得意の早口言葉も交えてのコミカルな二重唱。
「あなたに姪なんていないと言っている」
「あなたは誰かを危めたと聴いている」
などと、言ったあと、
「中傷はまずいですなあ」、
「たわごとはまずいですなあ」
などと皮肉を言い合って笑っている。

Track13.第13場。
イザベッラのアリアで、緊迫したシーンから切り離された、
純愛を歌い上げるもの。
「悪者たちが、愛する人の心から私を奪った時、
私には盲目の愛しかなかったわ」。

解説には、
「タラボットは、客人たちに自分の不幸について、
説明するようにアドバイスする」とあるが、
この部分は省略されたのであろうか。
このアリアは唐突である。
CDの収録時間は78分なので、おそらく、
この説得シーンは入らなかったのであろう。

Track14.第14場。
タラボット、オルモンド、ベルトランドのレチタティーボ。
ベルトランドも、彼女が気になって情報を集めている。

第15場、タラボットとベルトランド。
タラボットは、姪のニーサを助けて欲しいとベルトランドに頼む。
夜になると悪者が来るという。

Track15.フィナーレ。
このフィナーレはいろんな事が起こる。
14分もかかる。
「夜が更ける。タラボットはベルトランドに、
ニーサがまた危ない目に会うと訴える。
まさにその時、オルモンドとバトーネは、
公然とマスクもせず、ニーサを拉致しようと到着する。
彼女が伯爵夫人の服を着ていて、
伯爵の肖像を持っていたおかげで、
最終的にイザベッラだと認められる。
オルモンドは逮捕されるが、イザベッラは、バトーネを許す」
と解説に書いてある部分である。

確かに、これはピンチを救う救出オペラだ。
だが、「ひどい誤解」や「フィデリオ」や、
「フィエラブラス」のように牢獄から救出するものではない。
水戸黄門のように、ピンチで現れるもの。

「舞台は暗い。バトーネは、ランタンを持ったりして、
武装した何人かと現れる。ライトが内部を照らすと、
舞台は真っ暗になる」というシーンから。

夜の雰囲気たっぷりの、
冴えた空気を感じさせる序奏も美しい。
あるいは、この曲で、この部分が最も素晴らしいかもしれない。

バトーネは、悪役の下っ端であるにもかかわらず、
実際に歌っているのがイケメンのバリトンだからか、
「静かな、親しい夜よ、
ああ、私の目的を果たさせてください」
などと歌うだけで、妙にナイーブな恋の歌に聞こえる。
花を摘んで話しかけ、
家のドアが開いていてラッキーと入っていく。

ここから、別の状況が歌われるので、
是非とも、このあたりでトラックが欲しいものだ。

庭の小道からタラボットとイザベッラが現れ、
木の陰に隠れる。
イザベッラは下手な仕立ての貴族風の服を着る。
「どうして、これを着せたがるの」
「これらを着ることが、お前を救うのだよ」
などとやって、隠れる。
イザベッラが無邪気なのが可愛い。

ベルトランドが、松明やランタンを持った手勢を連れて現れる。

彼等が入って行くのを見て、
イザベッラは、「胸が張り裂けそうだわ」などと言っている。
イザベッラが可愛い子供のような反応をする点に留意必要である。

オルモンドが来て、バトーネはうまくやったかな、
などと言っていると、ベルトランドは、
「オルモンド!」と驚く。

バトーネは、「家にいません」と報告している。
オルモンドは、「俺が調べる」と入っていく。

ベルトランドは、「静かにしないと殺す」と、
バトーネを掴まえる。
そして、オルモンドが出て来たら、
誘拐する理由を聞き出せ、と命じる。
まことに格好良い現れ方だ。

これもまた、救出オペラの醍醐味であろうか。
おびえるバトーネに合わせて、
ベルトランドとイザベッラが歌う二重唱の美しいこと。
このあたり、夜の雰囲気たっぷりのオーケストラも聴きものだ。

さて、ここからは、テンポが快速になる。
バトーネは、「勇気を出せバトーネ、
はっきりと言うのだぞ」などと自分を奮い立たせている。

オルモンドが「チクショウ、いねえじゃねえか」などと出て来ると、
バトーネはうまく誘導尋問する。
オルモンドは、「俺を袖にしたイザベッラだとしたらぶっ殺す」
とか言ってしまう。
快適なリズムに乗って軽妙に描かれていく。

ここで、緊迫感を盛り上げて音楽が一転する。
この時、伯爵は手勢を連れて取り囲むので、
舞台は明るくなる。
すごいトーチだ。ついたり消えたり簡単にできるようだ。

ベルトランドは、自分の過ちにも気づき、
妻はどこだ、などと叫んで自殺しようとする。
登場はかっこいいが、直情径行の人でもある。
そこに、やめてやめてとイザベッラが飛び込んで来る。
このあたりの展開はものすごく速い。

最後は、急に調子良くなったタラボットが、
「長い長い、真実の愛」などと叫び、
最後には、急速に奏されるフルートに乗って、
音楽が盛り上げられ、喜びの四重唱が歌われる。
ここでも、最後は、ソプラノの輝きが印象的。

このように聴き進むのは、
ほとんど一日がかりの仕事になってしまったが、
解説を書いたダミエン・コーラスによれば、
このオペラは特別なものだというので、
よく味わう必要がある。

彼が書くところによると、
台本作者のフォッパと、ロッシーニは、
さらに、「絹のはしご」(1812年5月)や、
「ブルスキーノ氏」(1813年1月)など、
同様な成功作を生んだが、
この「幸せな間違い」は、「アルジェのイタリア女」や、
「セリビアの理髪師」のような喜劇の才能の爆発まで、
特別な地位にあったという。

ロッシーニの5つの若い頃のファルサの中で、
この作品のみがジョコーソ的ではなく、
「感傷的コメディ」に属していると書いている。
革命後のヨーロッパで、
革命前のフランスを思い起こさせて好評だったようだ。

そう言われてみれば、主人公は貴族だし、
前に聴いた2作のような成金のいやらしさは皆無だ。

この作品はジャン・ジャック・ルソーが、
「コメディーは道徳的に悪漢を懲らしめるものではなく、
聴衆に親近感を持たせるものだ」と書いた理論の、
完璧なサンプルだという。

確かに、ロッシーニの書き方は、バトーネに優しい。

イザベッラを拉致しようとする、
憎たらしいオルモンドとバトーネには、
コメディに付きものの、
いらだたしい邪魔者を消そうとする計略
(このファルサのタイトルの「間違い」やごまかし)
が見られるが、これが転じて福となる。

邪魔者を消す計略が「間違い」だとすると、
「幸せな間違い」と訳してはいけなかったのか?
「幸福になる計略」とかが正しいのだろうか。

解説を書いた人は、
「貞節と無垢の勝利」という副題を推奨している。
そして、この解説の題名は「気立ての良い喜劇」となっている。

どんでん返しという伝統的な劇的手法ばかりか、
単純さ、誠実さが、悪賢さやエネルギーと対比されてもいる。
ということで、ここに出て来るヒロインの、
イザベッラは、無垢の魂を体現したように描かれているのである。

得られた事:「ロッシーニは、斬新で皮肉に満ちたテーマで世に出たが、国外に名を馳せるのに役立ったのは、むしろ、シューベルト的に生真面目な主題によるものだった。」
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by franz310 | 2011-05-22 09:12 | ロッシーニ

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その276

b0083728_103425.jpg個人的経験:
ロッシーニのデビュー作、
「結婚手形」は、
小オペラ、「オペラ・ファルサ」
という分類のものであった。
しかも、演奏された場所は、
何故か、ヴェネツィアだった。
しかし、早くも翌年には、
彼は、ホーム・グラウンドの
ボローニャにもいよいよ登場した。
しかも、より大規模な作品である。


とはいえ、この「ひどい誤解」と題されたオペラは、
長らく忘却されていたようで、
今回のものには、さらに、
「ドイツ・ロッシーニ協会校訂版による初録音」
という但し書きもある。

日本で出ているCDの帯には、
「初演の好評にもかかわらず検閲を受けて上演が禁じられ、
20世紀末まで幻の作品でした。」
とも書かれている。

だが、忘れられるべくして忘れられた作品の、
単なる蘇演ではないのであろう。
指揮にアルベルト・ゼッダという、
ロッシーニの権威を迎えている。
オーケストラはチェコ室内ソロイスツ、
チェコ室内合唱団が合唱を担当。
2007年、ロッシーニ音楽祭での記録らしい。

拍手も入ったライブ録音だが、録音は大変、みずみずしい。
ナクソスは、良い音源を見付けたものである。

「結婚手形」のようなオペラ・ファルサには、
合唱はないようだが、今回はオペラ・ブッファ。
ここで、最初期のロッシーニの合唱が聴ける。

こうした知られざるオペラにはなかなか手が出ないが、
以下に見るような帯のコメントは、
なかなか怪しくて気になった。

「裕福な農家の娘の愚かな婚約者が騙されて、
その娘は実は男で兵役を免れるために
去勢されたのだと誤解、その結末は?」
と続いている。
これは確かに、まったくもって「ひどい誤解」だ。
今まで、こんな疑いをかけられた娘の話は、
一度たりとも聴いたことがない。
奇想天外である。

一方、このナクソスのCDの表紙には、
プライヴェート・コレクションの風俗画と思われる、
「軽率」と題された絵画があしらわれている。

娘が扉を開けて、こっそり中を見ている内容。
部屋の中では家庭教師風の若い男性が、
女性の前に跪いている。

これは、小間使いが主人の現場を押さえたものか、
あるいは、娘が母親の現場を盗み見たものか。
いろいろ空想がわき起こる。

この絵画の隠微さは微塵にもない、
このオペラ、物語の強引さには呆れるが、
音楽に虚心に耳を傾ける限り、
若いロッシーニのみずみずしい才気に彩られ、
前作以上に魅力的な作品である。

Track1.序曲からして渾身のもので、
ちょこまかとエネルギーに満ちでいて、
管楽器の使用も色彩的。
時折、ドライブされる低音の弦の効果も、
ハイドンの作品のように機知に富んでいる。
シューベルトの初期交響曲の一部だと言われれば、
そうかと思ってしまうような内容。
5分半ほどの音楽だが、聴き応えあり。

さて、ここからは、物語が始まるので、注意を要する。
解説を書いている、Marco Beghelliによると、
あらすじは、以下のようなもの。

「どこで、何時起こった事か定かではないが、
最近、富みを増やした農家の
ガンベロット氏の家の屋外、室内で巻き起こるもの。
彼の娘、エルネスティーナは、家族が裕福になったので、
言葉遣いや立ち居振る舞いを馬鹿馬鹿しくも真似して、
もっと高貴な地位にふさわしくなろうと余念がない。
彼女は、無一文の若者、
エルマンノに愛されていることをまだ知らない。
彼は、彼女に会いたいがために、
ガンベロット氏の悪賢い召使いである、
フロンティーノとロザリアの助けを借り、
一日、その家の周りをうろついている。」

このガンベロット氏はバリトンのフェリーチェ、
娘のエルネスティーナはメゾのペトローヴァ、
エルマンノはテノールのシュムンクが担当、
召使いは、テノールのサンタマリーアと、
メゾのミナレッリが演じている。

Track2.導入部、
「壁の向こうに愛しい人が隠れているなら」は、
11分もあって、娘のエルネスティーナ以外の、
上記4人と合唱が、うきうきとした音楽に乗って、
何かが始まるのにふさわしい気分を盛り上げる。
ロッシーニの音楽にあふれる微笑みが、
こちらにもうつってしまう。

「三人の間に交わされた約束は、
いつものように傲慢に振る舞う
この家の主人に率いられた、
騒がしい農民たちに妨げられる。」
とある。

オーケストラによる助奏の繊細な美しさは特筆すべきもので、
いかにも恋煩いの若者にふさわしいナイーブさで、
エルマンノの歌が始まる。
こうしたやるせない感情は、シューベルトも得意のもので、
ロッシーニもなかなかやるな、という感じ。

そこにフロンティーノやロザリアが絡んで来るが、
いかにも、世慣れた連中登場という感じである。
ひょっとすると、こう言った型の人物の描写は、
シューベルトは不得意としていたかもしれない。

三人の三重唱が一段落すると、
金管のファンファーレで、成金様の登場である。
合唱が、これまた勇壮な感じで充実している。
ガンベロットの歌は、
やけにずり上げたり下げたりする装飾も悪趣味で、
いかにも景気のいい旦那ぶり。
このような人物も、これまたシューベルトは苦手であろう。

Track3.レチタティーボは、
「わしが鍬をふるって」。
タンツィーニのチェンバロに乗って歌われる。
やはり、この4人が語り合っている。
「フロンティーノは、この機会を逃さず、
エルマンノをエルネスティーナの新しい家庭教師だと紹介する。
ガンベロットは、彼の知識はともかく、
むしろその見た目が娘を喜ばせるだろうと、
喜んで彼を迎える。」

むちゃくちゃな親爺である。
ここからがややこしく、彼女の婚約者である、
ブラリッキオが登場する。
この役はバスで、ヴィンコという人が受け持っている。

Track4.カヴァティーナ、「愛嬌のある私の目に」と、
Track5.レチタティーボ、「私のような美男には」という
このタイトルでも明らかだが、
この婚約者は自画自賛系の兄ちゃんである。
「このような状況下で、
彼が自慢しているように金持ちである、
エルネスティーナの婚約者、
ブラリッキオが現れるが、
彼を、なんとかどこかにやりたい所である。
彼は自称、大変なドン・ファンで、
かつ大胆なのである。」

Track6.小二重唱、「ああ、お出でください、私の懐へ。」
Track7.レチタティーボ、「愛しい花嫁は、何をされてますか。」
ガンベロットとブラリッキオという金持ちが歌うので、
勇壮な狩りのホルンが鳴り響く。
「ブラリッキオは将来の義父に会い、
儀礼と気取った言動を競う。」

わざとらしく震わせるこの声の装飾はどうだろう。
音楽を弄ぶようにつかって、この連中の悪趣味をさらけ出す。

Track8.カヴァティーナ、
「ああ、彼女はなんと静かに」
ここで、遂にヒロイン登場で、
ロッシーニは、渾身の愛情を持って、
彼女を迎える。
低音の夢見るようなピッチカート。
セレナード風の合唱に続き、
エルネスティーナの歌「心に空虚が感じられる」。

私の第一印象では、このメゾ・ソプラノの、
ペティア・ペトローヴァは、かなりくたびれた娘の感じである。
エルマンノが夢中になるヒロインなら、
もっとぴちぴち感が欲しいような気がした。

が、この娘、実は、「ひどい誤解」をしなくても、
ちょっと変な娘であることが、
だんだん分かって来るので、
あるいは、これで良いのかもしれない。

Track9.レチタティーボ、
「私の文人たち、メリクリウスの息子たち」
Track10.合唱、「行きましょう、観察し、発見しましょう。」
「その間、エルネスティーナは、家の図書室で退屈し、
彼女の読書仲間たちに、不可解な虚しさがあると告げる。
それは、おそらく恋心の欠如で、
彼女の心気症の改善に最もふさわしい本を忙しく探す。」

彼女の読書仲間とはいったい何人いるのだろうか。
図書室にこの人数が入るとは恐ろしい邸宅である。

楽しげな男性合唱は朗らかで、
明るい弦楽の伴奏が駆け巡る。

Track11.レチタティーボ、
「娘や!お父様!そのまま待っていてくれ」
Track12.四重唱、「同時に紹介しよう」。
「予期せずエルマンノとブラリッキオが登場し、
同時にガンベロットから、同時に紹介される。」

四重奏の部分は、最初、交響曲のような、
荘重な助奏から始まり、楽器の響きの重なりが美しく、
歌の部分も伴奏が素晴らしい。
自己紹介の二重唱は、次第に熱を帯びるが、
伴奏はいつの間にか生き生きとしたリズムに変わっている。
昂揚した四重唱になって、娘の興奮が聞き取れる。
さらに、次の部分になって、エルネスティーナが、
朗々と歌うのに、各人が唱和する。
そして、最後は、再び、力を増して、
オーケストラも大きくドライブされて9分近くもある、
大四重唱が盛り上がって終わる。
大喝采である。

「たちまち娘の心は高揚し、
両方の若者に惹かれるのを感じる。
彼女は、身体は婚約者に預けながら、
心は家庭教師にとっておくことにする。」

Track13.レチタティーボ、
「肉体のある機械には」
ここでは、召使いのフロンティーノが入っている。
「しかし、エルマンノは、予期せぬお近づきに、
熱烈なキスを彼女の手にすることを、
我慢することが出来ず、ひどく婚約者を怒らせる。」

こうしたレチタティーボの部分は、
チェンバロ伴奏にのって、
そうした会話が交わされているだけだが、
ブラリッキオが怒っているのに対し、
エルネスティーナが、何やら言い返している様子がおかしい。

Track14.アリア、「話してください、
弁舌爽やかに。そうすれば」は、
ガンベロット、ブラリッキオ、エルネスティーナによって歌われる。
「婚約者は、ガンベロットに止められていて、
どうしようもない。」

これは主にガンベロットがものものしく歌い、
合いの手をブラリッキオやエルネスティーナが入れる。
最後は加速して爽快に締めくくる。
こうして、だんだんエネルギーが増して、
音楽が太い輪郭で劇を推進していくのは、
さすがオペラの大家と思わせる。

Track15.レチタティーボ、「裏切りたくはありませんわ。」
Track16.アリア、「あの愛の抜け目なさを。」
ロザリアとフロンティーノという召使い同士の会話が、
ロザリアのアリアに発展する。

「ここで、劇は小休止して、二人の召使いの、
エルマンノの成功に対する実際の可能性に関する会話と、
愛というもののずうずうしい本質を歌う。」

このアリアは、透明感あふれる弦楽の序奏が美しい。
しかし、歌は装飾を駆使して、ぎくしゃくとしたもので、
歌手は苦しんで歌っているように聞こえる。

Track17.レチタティーボ、「何をおっしゃるのです、先生」。
Track18.二重唱、「ええ、他の方を見付けられるでしょう」。
「いまだ文学的な妄想から抜けきれず、
彼のほんとうの気持ちを図りかね、
それに混乱する娘と、
最終的にエルマンノは、二人っきりになることが出来た。」

とあるように、このヒロインは、
どうも、夢と現実がごっちゃになったような、
へんてこ娘のようなのである。

エルマンノがまず主になったアリアであるが、
エルネスティーナが入って来ると、
弦楽の序奏も管楽器のほんわかした装飾も美しく、
魅力は倍増する。7分に迫る大二重唱である。

Track19.レチタティーボ、「だめです、ブラリッキオさん」。
Track20.三重唱、「愛らしい瞳を思い」。
「ガンベロットは、ブラリッキオの、
意味のない嫉妬や、
エルネスティーナが婚約者をほって置いていることを注意した。
ガンベロットの面前で本格的に求愛行動が始まり、
足で注意を促すが、それがさらに拍車をかけた。」

これはいかにもドニゼッティが喜びそうな、
晴朗かつ流動的なメロディをバックに、
早口で歌手が歌う、時代を先取りした三重唱。
ホルン信号も印象的。

時折、アクセントのような言葉も差し挟まれ、
まことに聴き応えがある。

ガンベロットとブラリッキオが中心となる会話だが、
エルネスティーナが途中で挟まる。

Track21.第1幕フィナーレ、
「何ということだ、ああ、神様!」という全員の合唱。

8分に及ぶ大フィナーレである。
「耐えきれず、エルマンノは、これを阻止しようと、
自殺をすると言い出すので、
エルネスティーナは、本気になって心配する。
その結果、ガンベロットとブラリッキオは怒りだして、
家庭教師を家から追い出してしまう。
この騒動の中、全員が納得できるよう、
法と秩序の力による仲裁を求める。」

なさけないエルマンノの叫びから始まるが、
それに動揺する人々をオーケストラがはやし立てる。
悲痛なアリアが続く。
このような表現は、シューベルトも得意そうなやつ。
しかし、ここからがロッシーニ的。
いきなり、テンポが舟歌風になって、
甘い二重唱になる。
途中、絶叫したり、早口言葉による変化も付けながら、
見せ物としてのおもしろさを最大限に発揮、
聴衆のブラボーでCD1は終わる。

が、ここまでは、まったく、「ひどい誤解」の話は出て来ない。
単に、「家庭教師に化けた無一文」という感じの内容である。

また、前年の「結婚手形」と同様、
下世話な財産や金の話の「風刺」が、
当時の人々を喜ばせたことが良くわかる。

しかも、この演奏が良いのか、
この音楽は、非常に魅力的だ。
それは、CDを入れ替えて、2枚目を聞き始めて、
すぐに確信できることである。
ここから第2幕である。

Track1.導入部、「何故、混乱しているのか」は、
魅力的な合唱、そしてそこに差し挟まれる独唱が、
シューベルトとまったく同じ空気を感じさせる。
メロディの作りや転調も、
酷似していると思えるのは、私だけであろうか。

が、「幕が再度上がると、フロンティーノが、
その土地の人たちと、何が起こったかを論議している。」
というように、シューベルトなら、
扱いそうになかった内容なのである。

Track2.アリア、「すぐにわかるさ」。
「そして、ロザリアに、エルマンノを助けるための、
次の一手をすでに打ってあることを明かす。」

このアリアでも、さっそく拍手が起こっているが、
オーケストラの微笑むような伴奏の上に、
テノールが、機知に富んだ歌を歌い上げる。
ここでも特筆すべきは、オーケストラの活躍で、
歌そのものは、それほど華麗なものではない。

Track3.レチタティーボ、
「彼が向こうからやって来るぞ」。
ここでの登場人物は、フロンティーノ、ロザリア、
ブラリッキオ、エルネスティーナである。

二組のカップルがいて、一方は三角関係になっているのが、
シューベルトの「フィエラブラス」と同じであるが、
ややこしい父親がいるのも同様だった。

また、三角関係を何とか解決しようというのが、
今回の主たるテーマであるが、
これは、ロッシーニが「結婚手形」で扱ったのと同じテーマである。

この時期のオペラは、高度に様式化されて、
似たような話は数限りなく作られていたようだ。
だから、そんな枠組の中で新奇性を出そうとすると、
下記のような突拍子もない話にするしかなくなる。

「偽の手紙をブラリッキオの手に渡るようにして、
頭の回転の速い召使いは、
エルネスティーナは、実は、ガンベロットの息子、
エルネストであって、若い頃に去勢されていて、
今や、歌手として有望であること、
兵役を逃れるために、女性の服装を着ているのだと、
信じこませる。」

こうした、騙すとか騙されるとかといった、
スリリングな駆け引きもシューベルトの世界からは遠い。

Track4.二重唱、
「どうぞお出でください、わたしの近くに」と、
「どうする?どうする?」と問いかけるような、
明るいオーケストラに乗って、
歌い出すのは、エルネスティーナである。

このような性転換女性の言葉に対して、
婚約者であるはずのブラリッキオの声は震えている。

「うろたえたブラリッキオは、
エルネスティーナと顔をつきあわせ、
結局、約束を受け入れさせられるが、
改めて、その娘に男性的な特徴があるのを見付けてぞっとする。」

Track5.レチタティーボ、
「なんという悪党だ!どう見たって」と歌うのは、
ブラリッキオである。
「この侮辱の仕返しのため、彼は、
軍司令官に、兵役逃れを告発しに行く。」

ようやく、この劇のタイトル通りの、
「ひどい誤解」となった。

が、この誤解は、その後、どうなったかは、
しばらく分からない。

Track6.レチタティーボとアリア、
「僕はほったらかしか?絶望したまま」は、
話変わって、エルマンノの方。

「その間、エルマンノは、ガンベロットが、
家から追い出した無礼への不満を述べている。
が、家庭教師としての地位に、
無事、戻れれば結婚も不可能ではないと、
気を取り直す。
彼はひとり、絶望をぶちまける。」

このような失恋の歌は、
ドイツ・ロマン派が得意とするものであるが、
そうした心情吐露の深さとは別次元だ。

ロッシーニは、愛情に満ちた序奏と、
急速なパッセージを使って状況を描写、
その後、勇ましい部分、物思いに耽る部分を続け、
描写的な音楽として取り扱っている。
5分40秒にわたる熱唱に、拍手がわき起こる。

Track7.レチタティーボ、
「見てロザリア。彼は逃げてしまったわ。」
これは当然、エルネスティーナの言葉。

「彼が行ってしまうのを見て、
エルネスティーナは、ロザリオを遣わせ、
エルマンノを彼女の前に連れて来させる。」

Track8.五重唱、
「甘き希望よ、ああ、降りてきてください。」
会話は、湿っぽい響きから始まり、
これまでになく、ますます、
デリケートで親密なものになっていく。」
とあるように、最初は、
エルネスティーナとエルマンノが、
しっとりと二重唱に酔っている。

が、邪魔者の声が聞こえ始める。
「すぐに、ガンベロットとブラリッキオに邪魔される。
前者は、娘に対する侮辱に怒り、
後者は、競争を降りたいと思っており、
すぐに仕返しが出来ることを期待している。」

彼等の音楽は、簡素なオーケストラのリズムの上に、
ぽつり、ぽつりと、呟かれるような感じのもの。
それに次第にエルネスティーナなどが重なって、
対位法的な立体感を示す。
最後に、だんだんヤバい雰囲気。

軍隊の登場が、明るい行進曲で表される。

合唱も参加して、「ひどい誤解」は、
大問題に発展してしまっている。
というか、こうした大問題にするために、
この台本は、性転換という、飛び道具を使ったという感じ。

彼等の混乱の五重唱が、めまぐるしくなって、
前にも出て来た早口言葉の応酬で、
とんでもない状況が強調される。

観客は興奮して、ブラヴォーが聞こえて来る。

これは芸術というより芸能とか軽業、
「英雄」も「ロマン」もお呼びでない。

Track9.レチタティーボ、
「女主人は逮捕されたのか?」
「事実、軍の兵士たちが、すぐに到着し、
何の釈明も求めずにエルネスティーナを逮捕してしまう。
彼等が行ってしまうと、
フロンティーノは、彼の立てた計画が、
思いもよらず、
エルマンノとエルネスティーナを傷つけて終わったと、
ロザリアに嘆く。

Track10.アリア、「私のパラスの子孫が」は、
ガンベロット氏によるもの。
「ガンベロット氏は、未来の妻に対し、
非礼であったと、ブラリッキオを罵る。」

罵るにしても、ロッシーニの音楽は軽快である。
じゃっじゃじゃっじゃ、じゃっじゃじゃっじゃ、
ちゃららら、ちゃらららと流れる伴奏の上を、
何だかまくし立てているだけで、少し真実味がない。

Track11.レチタティーボ、
「もしも、私が不確かでも。」
「エルネスティーナは牢屋にいて、
本がないことと、逮捕された理由が分からないことで、
悲しんでいる。」

Track12.カヴァティーナ、「愛情のこもった情熱の」は、
エルマンノによる歌。
何で、いきなりエルマンノが現れたかというと、
これは、「フィデリオ」や「フィエラブラス」と同じ理由。

「エルネスティーナは、
彼女を変奏させて救出しようとして、
兵士の服を着た、エルマンノの腕に抱かれる。」

定石通りのピッチカート伴奏に乗って、
フルートの序奏を伴って歌われるもので、
非常にナイーブである。

劇的な事が起こっているのに、
こともなげに歌われていて、
このあたりはちょっと迫力不足である。

Track13.シェーナとロンド、
「危険は去った・・もしもお前に幸せが戻ったら」は、
エルネスティーナと合唱で歌われる。

「桁外れの行動によって、兵士の中に紛れ、
最終的に彼女は自由になる。」

これは、7分に及ぶ、大シェーナで、
エルネスティーナは英雄的な声を響き渡らせる。
ベル・カント風の装飾を散りばめた壮麗な始まりで、
オーケストラが急展開すると、
兵士たちの合唱も勇ましく唱和し、
エルネスティーナの歌はさらに輝かしく響く。
小太鼓が勇壮にかき鳴らされ、
シンバルがじゃーんと鳴る。
完全に英雄オペラに対する挑戦みたいな音楽である。

本の虫であった貴族かぶれの娘が、
その妄想の力を最大限に発揮して、
みごとに締めくくり近くの盛り上げの大役を果たしている。

こんな感じで、ピンチをこともなげにすり抜けるあたり、
変な娘の面目躍如としたものを感じる。

聴衆は大喜びで、大喝采、足踏み、ブラヴォーが収録されている。

Track14.レチタティーボ、
「あなたは悪いことをしました」は、
フロンティーノが、元婚約者のブラリッキオに、
つめよるシーン。

「エピローグは、ガンベロット氏の家の中で、
フロンティーノが、ブラリッキオを密告者だと非難し、
怒り狂ったガンベロットに見付けられる前に、
出来るだけ早く出て行った方が良いと忠告する。」

Track15.フィナーレ、
「逃げてしまおう、それが一番の方策だ」は、
もちろん、ブラリッキオの言葉である。

フロンティーノとの二重唱に、
さまざまな声が絡んで来る。

非常に魅惑的な音楽で、
オーケストラのリズムが脈動し、
血が通ったメロディが、豊かさを盛り上げて行く。
合唱が豊かな響きと、独唱者たちの声の饗宴も心浮き立つ。

「ちょうど、ブラリッキオが、
真実を知らないと馬鹿にしていた救出者と、
エルネスティーナが共に戻って来る。
いかにも襲いかかりそうなこの家の主が、
すべてを明らかにしようと、
棍棒で武装した農民たちと入って来る。
ここには浮かれ騒ぎと狼狽がごっちゃになっている。
フロンティーノは、善意でやったことだと言い訳し、
エルマンノは遂にエルネスティーナへの愛をガンベロット氏に告げる。
それは許され、ブラリッキオは新しい妻を探すことにして、
全員が幸福と満足して大団円を迎える。」

得られた事:「ロッシーニの『ひどい誤解』は、キャラクターの配置や出来事も、英雄オペラのアンチテーゼのような救出オペラであった。」
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by franz310 | 2011-05-14 10:44 | ロッシーニ

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その275

b0083728_2302514.jpg個人的経験:
オペラ作曲家として立つという、
シューベルトの望みを、
打ち砕く原因として、
必ず語られるのが、
ロッシーニの存在である。
彼のオペラを、
ここではざざっと鑑賞し、
それらがシューベルトを
いかにして魅惑し、粉砕したのか、
考えていきたいと思う。


例えば、アインシュタイン著、
「シューベルト、音楽的肖像」(白水社 浅井真男訳)には、
「シューベルトが・・・華麗さそのものを、
軽蔑したり非難したりしたわけではない。
・・ただ彼はあの華麗さを、
どちらかといえば『社交的に』構想された作品、
軽くてあまり厳粛でない種類の室内楽、
例えばピアノとヴァイオリンの大きい二重奏曲、
二曲のピアノ三重奏曲、『ます』の五重奏曲などの範囲に
とどめておいたのである。」
などと書かれていて、
このブログの主題たる「ます」の五重奏曲もまた、
節度ある華麗な作品の一つとして取り扱っている。

そして、この節度を見失った作品として、
1818年のホ長調のアダージョ(D612)が、
上げられているが、それについては、
「ロッシーニ派のコロラトゥーラ=アリアの
穏やかな序奏部の模倣のように聴こえる」
と書いているのである。

このように、シューベルト研究の碩学も、
シューベルトにおける華麗さは、
ロッシーニなどイタリア音楽に負うものが多いと考えている。

さて、私が入手したロッシーニのオペラのうち、
最も初期のものは、1810年作曲、
彼が音楽院を出てすぐ作曲したとされる、
「結婚手形」である。

ロッシーニは1792年生まれで、
シューベルトより5歳年長であるから、
巨匠のわずか18歳頃の作品である。

ちなみにこの頃、シューベルトは、
サリエーリについて勉学を始めており、
学校のオーケストラを指揮したりして、
着実に歩みを初めていた。

さすが、オペラの大家ともなると、
こんな若い頃に書いた作品から、
「まずまずの成功」を収めたと解説にある。

結論を先に書くと、
この作品は、登場人物も数人しかなく、
一幕の小さい作品ながら、聞き所の多い、
機知に富んだ作品となっている。

シューベルトでは聴かれない、
技法も多く含んだ音楽は美しく、
劇としても、風刺が効き、上質で楽しいので、
見ているだけ、聴いているだけでも満足度が高い。
あるいは、このLDの演出が優れているのかもしれないが。

シュヴェツィンゲン音楽祭で、
89年に収録された記録のLDで、
ありがたいことに、ワーナーミュージック・ジャパンが、
1991年頃に日本でも発売してくれてたもので聴く。

このLDの帯を見ると、
(物語)として、
「カナダの成金商人スルックに、
娘のファニーを嫁入りさせようとする
英国商人トビアス・ミル。
ところが、ファニーには親に内緒で
エドアルドという恋人がいるために、
話がややこしく。」

何だか、シューベルトの世界と違って、
いきなり、英国だ、カナダだと、
生々しく、かつ、国際的で洒落ている。
ほんとうに同じ時代の作品かと目を疑うではないか。

帯のコメントはさらに続く。
「事情を察したスルックの協力を得て、
如何に恋人たちが父親の裏をかき、
ハッピーエンドに導いて行くか・・・
が見どころ」と書いてある。

このように、父親との確執がある部分は、
いくぶん、シューベルトの世界にも通じるものだ。

どうやら、スルックは別に、
ファニーと結婚する気はなかったということか。
このLDを見れば分かるが、
問題は、実際、一人、その気になっている父親なのである。

とにかく、そのあたりの下世話な話が展開する。
「英雄ロマン・オペラ」などを構想した、
シューベルトの世界とは別世界と言ってよい。
英雄でもなければ、ロマンでもない。

表紙には、にやにやした男と、
当惑した女が写真となっているが、
この二人が「恋人たち」である。
あまり冴えない二人に見えるが、
実際、鑑賞してみると、
ジャニス・ホールのファニーはかわいらしく、
キューブラーのエドアルトもハンサムだ。

荘重な家具や、コンパスや地図など、
舞台の大道具、小道具も素敵で、
非常に格調の高い、見応えのある舞台と言ってよい。

LD表紙には、小さな写真も並んでいて、
頑固なくせに、実は気の弱い父親の情けない顔や、
豪勢な毛皮を着た、カナダ人の姿も映っている。

ミヒャエル・ハンペの演出で、
この前のグース演出の奇抜な「フィエラブラス」の後では、
何の工夫もない舞台にも見える。
ただ、絵画的にしっとりと美しい。
室内で展開される物語だが、
窓の外に教会のドームが見えているのも洒落ている。

解説書によると、
この音楽祭は1956年に
南西ドイツ放送協会が始めたものらしく、
「企画力あふれるユニークな存在」、
「質の高さ、音の良さでわが国の音楽ファンに
かなり以前から注目されてきた」と書かれている。

西ドイツ、バーデン・ヴュルツブルク州にある、
18世紀、マンハイム選帝王の夏の離宮、
そこのロココ劇場は響きが良く、
ここを中心に、
盛りだくさんのプログラムが演奏されるのだという。

裏表紙にお城の写真があるが、瀟洒で清潔な感じ。

LDの最後には会場内が映し出されるが、
装飾も美しく、シャンデリアも豪華な、
流線型の美しいホールである。

確か、シューベルトの音楽も盛んに演奏されたはずで、
私は、FMなどで聴いた覚えがある。

1992年がロッシーニ生誕200年だったことから、
ロッシーニが集中して取り上げられたようだ。

名演出家とされるミハエル・ハンペが手がけ、
前述のテノールのキューブラー、
ソプラノのホールの他、
バリトンのリナルディ、バスのノートン、
バス・バリトンのデル・カルロ、
女声では、フェッレといった陣容が歌っている。

指揮はジェルメッティで、
シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏。
何と、近年話題の女流指揮者、シモーネ・ヤングが、
伴奏を務めている。

有難い事に字幕もあって、解説も日本語で分かりやすい。
解説は、LDのサイズの紙で表裏1枚分しかないが、
よく書いてあってかなり勉強になる。

ロッシーニの生涯から、オペラの分類、
このオペラの作曲や初演について、
物語の内容から各曲の説明まで、
至れりつくせりの内容である。
南條年章という人が書いている。

日本にオペラを盛んに紹介している人のようだ。
さすがと思わせる解説である。

ロッシーニは、結局、何曲のオペラを書いて、
私は、それらのどれだけを知っているのだろう、
などと考えて聞き始めたが、
この解説は、最初から、
「ロッシーニの生涯と39曲のオペラ」
という題で始まっており、とても助かる。

彼は音楽家の家庭に生まれ、
未来の作曲家は12歳から、
ボローニャ音楽院で学ぶことが出来た。

前述のようにこの作品の成功によって、
オペラ作曲家の道を歩み始め、
わずか数年で、音楽史上の傑作、
「セビリャの理髪師」を書くに至るが、
ものすごい量の作品を、
いろいろな劇場のために書いたようだ。
このあたり、ヴィーンに留まっていた
シューベルトとはかなり違う生き方である。

この「結婚手形」は、ボローニャではなく、
ヴェネチアのサン・モイゼ歌劇場で初演されているが、
余勢を駆ってだろうか、「絹のはしご」、「ブルスキーノ氏」なども、
この劇場のために書かれている。

1811年にボローニャのために「ひどい誤解」、
1812年にはミラノ・スカラ座のために「試金石」を書いているし、
1813年には、同じヴェネチアでも、
フェニーチェ座のために「タンクレディ」が、
サン・ベネデット歌劇場のために
「アルジェのイタリア女」が書かれている。

この「タンクレディ」などが、
ヴィーンでヒットした事は有名である。

つまり、ロッシーニは、
学校を卒業して何年かして書いた作品によって、
いきなり外国をも征服したのである。

このオペラ「結婚手形」は約86分のもので、
台本は、ロッシという人が書いたらしい。
もともとが、フェデリーチという人のコメディらしく、
「ファルサ・ジョコーザ」と呼ばれるものとなっていて、
短い笑劇みたいな感じである。

なお、このロッシという人は、かなりの大家で、
ロッシーニは、シューベルトの場合とは違って、
正規ルートで良い台本を得たと言えるだろう。

「上演時間は一時間前後、合唱は使用されず、
何人かのソリストによって構成される」
オペラ・ファルサに分類されるようである。

ロッシーニには、ファルサが6曲あるようだ。
ただし、この形式は衰退の途上にあったということで、
これらの多くはロッシーニの20歳前後の作品だという。

この作品の作曲の経緯も書かれているが、
これまた、非常に興味深い。
何と、ロッシーニの両親の友人にモランディ夫妻というのがいて、
この人たちが出演するサン・モイゼ歌劇場の作曲家が降りたので、
急遽、ロッシーニに依頼が来たとあるので、
完全にコネによるチャンスである。

というか、両親が絡んでいるので、
ステージパパ、ステージママによる援助を受けた、
エリート坊やという感じではないか。

ただし、この解説には、
ロッシーニはハイドンに傾倒していたので、
「ドイツ坊や」と学校であだ名を付けられた、
などという逸話も出ていて、
早くから、特別な才能だったことが分かった。

ただし、この作品、作曲が急がれたので、
序曲は在学中に書かれていた既製品の流用のようである。
この序曲は、そのためか、かなり充実したもので、
ジェルメッティも気持ちよさそうに指揮している。

じゃじゃーんという助奏には、
木管の音型も美しく、
続いて、ロマン的なホルンの呼び声が印象的。
主部への入り方などもハイドン風である。
ただし、たったらたたったらたーと喜ばしい第一主題を始め、
フルートの軽妙な主題など、
いかにもイタリアの明るさがみなぎっている。
楽器音色の交錯と力強い推進力は、さすがである。

LDでは一面にトラックが15、二面に7トラックある。
Track3で幕が上がると、大きな邸宅の一室であろうか。
使用人とおぼしき老人が、
テーブル上の本に挟まれた手紙を見ている。
小間使いのクラリーナが買い物から戻って来る。

この役を演じるフェッレは美しくて愛嬌がある。
二人はお嬢さんが何時結婚するかについてああだこうだと歌う。

Track4では、荘重な出だしながら、
軽薄なリズムが旦那のトビアの登場を告げるが、
この役柄の居丈高な部分と、実は情けない部分を予告している。
見事だ、ロッシーニ。
地図や羅針盤を手に、使い方がまったく分からん、
と歌う、へなちょこのアリアである。
こんなことまで音楽にしてしまうのだなあ、
と改めて感じ入った次第である。

途中、手紙が届くが、
Track5で、レチタティーボとなって、
手紙の内容に、トビアが興奮する。

ここで気の利いたチェンバロを奏でるのが、
シモーネ・ヤングであろうか。

結婚会社の設立をするので、
妻を送ってくれ、という文書に、
トビアは新しい結婚の申し込みだと喜ぶ。
「素朴で感情豊かで善意に満ちている」と言うが、
読み上げられた内容は、
「以下の条件に見合う妻を送ってくれ」という、
ビジネスレター調の結婚申し込みなのである。

番頭のノートンは、トビアの娘に同情する。

トビアや番頭が出て行くと、
Track6で、その部屋にファニーと、
エドアルドが入って来て、恋を語らい合う。
キスを交わしながらの効果的な二重唱で、
途中から速度を増したりして、
わくわく感を醸成させている。

このような効果は、シューベルトにはなかったかもしれない。

オーケストラはセレナードを表すようなピッチカートとなって、
時折、挟まれる弦楽のメロディも繊細だ。

Track7はレチタティーボ。
ノートンが現れ、この二人に例の「妻注文書」を見せる。
彼等が困っていると、何と、父親も入って来て、
見知らぬエドアルドを見て、不愉快に思ったのだろう。
「若すぎるし現代的すぎる」などと批判する。

Track8で、巨大な毛皮の上着、
毛皮の帽子を被ったカナダ人スルックが登場する。
ゴージャスにほおひげまで生やした成金である。
上着を脱いでも、袖にぴらぴらがついた、
変なスーツを着ている。

音楽は、この人物の登場のおかしさを表すように、
活気付いて妙に雄弁である。
ロッシーニの音楽は、
オーケストラが目立ちすぎると、
当時の歌手たちが不平を言ったというのもよく分かる。

Track9はレチタティーボ、
スルックは、ずうずうしくも、
「私にふさわしい商品はまだか」などと催促する。

彼は、娘のファニーを気に入ったようである。
ファニーはしかし、あなたの商品ではないと怒る。

Track10は、スルックは、
「このような素晴らしい在庫品のためならば、
資本をはたいても悔いはない」という、
いかにも商売人をこけにした台詞が面白い。
ファニーは、
「他の在庫品を捜してください」と、
機転を利かせた歌を聴かせる。

この音楽も、素晴らしく推進力のある、
木管を伴うオーケストラがややこしい状況を、
微笑みを持って描き出す。

運動会の徒競走にでも使えそうな、
まことに威勢の良い音楽で、
聴衆を釘付けにしそうである。

Track11は、再びエドアルドが登場して、
彼女は君のために創造されたのではない、
という説得の歌を歌う。
しかし、スルックもさすがに押しが強い。

オーケストラは急速に泡だって、
さまざまな技法を繰り出すが、
そんな中、エドアルドはカナダに帰れと詰め寄り、
ものすごい早口でまくし立てる、
絶大な効果を持つ三重唱となる。
オーケストラも必死になってついていっている感じ。
拍手が鳴り止まない。

Track12は主人と小間使いのレチタティーボ。
小間使いは「旦那さまはひどい」といい、
番頭さんは、「アメリカ人は単純だ」などと言う。
他愛ない会話である。

Track13は、そのクラリーナが、
「二人の気持ちはよく分かる」と、
いかにもモーツァルト風の歌を歌う。
このフェッレという人は声量はないが、
澄んだ声を聴かせる。

Track14は、
レチタティーボになって、
番頭ノートンが「入手するものをよく検査したか」などと、
カナダ人、スルックに問いかける。
彼は、「ひどい所に来たかもしれない」と独り言を言う。

そこに、何も知らないトビアが、
調子よく、事の成り行きが、
うまく行ったことを期待してやってくる。
スリックは、トビアに対しては、
「取引も順調だ」などと語る。

「では、あなたのものだ」と嬉しそうな、
主人に向かって、スルックは、「欲しくない」という。

Track15は、二重唱。
何と、諦めたスルックに対し、
トビアが、
「娘は注文どおりだ」と、
取引が成功しそうにない事を怒り出す。

早口で応酬し合う言葉に対し、
パガニーニの協奏曲のアンダンテのように魅惑的な、
オーケストラが穏やかに響いているかと思うと、
管楽器がぺちゃくちゃと喋る、
快活なメロディが出たりして、
音楽的にも凝った作りである。

「アメリカ人さん」、「ヨーロッパ人さん」と、
呼び合うまでに関係が悪化した二人。
トビアは遂に決闘まで口に出すに至る。
一方、野蛮な成金のはずのスルックの方は、
冷静に、何とか無事に帰れないかと考え始める。
最後は、ちゃちゃちゃちゃ、ぶちゃちゃちゃちゃと、
快速なリズムと早口で締めくくる。

裏面のTrack1は、
ようやく、スルックが、ファニーとエドアルドの仲を理解する部分。

またまた大げさな毛皮を着込んだスルックが、
「みんなが私を殺したがる」とボヤキながら、
二人の関係を察し、エドアルトは、
自分には財産がない事を告げる。

ファニーは、父がスルックとの結婚を強要した事を告白、
「なんて国だ、父が娘に強要するなんて」
というスルックの台詞が意味深である。

彼は、自分の相続人にエドアルドを指名する書類を書き、
これで、恋人たちの結婚は保証されたと言う。
粋な計らいである。

Track2は、喜びを歌い上げる、
ファニーの感謝の歌で、
華美ではないが、素直にスルックへの感謝が感じされる。
その後、彼女はエドアルドの手を取って、歌を続けるが、
何と、情緒に満ちたオーケストラが息づいていることだろう。

アインシュタインが、
「ロッシーニ派のコロラトゥーラ=アリアの
穏やかな序奏部」と書いたのは、
こうした部分であろうか。

その後、音楽は加速してみたり、
夕暮れの気配を醸し出したり、実に変化に富む。
最後はベルカント風の装飾を散りばめながら、
ファニーは、「私は何と幸せでしょう」と歌い上げる。
後半になると、さまざまな技巧が凝らされたアリアになるが、
これ見よがしではなく素直。
ジャニス・ホールの歌唱に、拍手喝采である。
伴奏は、えっちらおっちら軽妙なリズムを刻んでいる。

もう、これで、ややこしい関係は解決されて、
話はついたはずだが、もっとややこしい問題が残っている。
ファニーの父親とカナダ人の決闘である。

Track3で、
「善を施せた」と良いながらスルックは去る。
レチタティーボ。
主人が戻って来て、
「何か陰謀を感じる、復讐してやる」、
「一発で殺す」など、まだ激情に囚われている。
そして、今更ながら、自分が死ぬ場合もあることに気づく。
それはみっともない、と自ら認め、
何となく怖じ気づいてくるが、気を取り直し、
いかに、相手を圧倒し冷酷に恐怖心を与えるかの練習を始める。

Track4では、
このオペラの魂とでも言える二重唱が始まる。

主人は剣を出して、自作自演で、
相手を倒す練習と妄想を始める。
「帽子はこう被る、目と顔をひきつらせる、
歩きながら、彼を睨む」とイメージ練習に没頭する。
このあたりの舞台効果は絶大で、
さきほどまで威厳に満ちていたトビアが、
完全に間抜けに見える。

考えてみれば、このおっさんが、
諸悪の根源なのである。

それを演じるデル・カルロの表情も動作も最高である。
目を剥き、口を開き、間抜けな顔をしたと思うと、
威厳を見せてみたりして、面白すぎる。

一部始終を見ていて、
「私は生き返った」と歌いながら現れるスルック。

今度は、スルックの方が、さあ、決闘だと言い出す。
声色も変えながらの、あまりに面白い二重唱である。
このおっさん二人、ジョン・デル・カルロというバス・バリトンと、
アルベルト・リナルディというバリトン、素晴らしい共演だ。

オーケストラは二人をはやし立てるように、
ちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃとリズム良く、
時折、進軍のファンファーレなども響かせて、
とても気が利いている。

このように、このオペラ、ちゃんと後半になって、
どんどん盛り上がるように出来ている。

Track5は、
決闘に行こう行こうと言いながら
なかなか出かけない二人の前に娘のファニーや、
小間使いのクラリーナが仲介に入って、
四重唱が盛り上がって行く。

Track6は、全員が現れての、
大団円の六重唱である。

まず、エドアルド役のデイヴィッド・キューブラーが、
格好良いテノールで、決闘を制止する。

主人のトビアは、みんなを懲らしめてやりたい、
と何時までも興奮している。

野蛮人のスルックが、妙に落ち着いて、
「怒鳴り散らして、すっきりしただろう」と、
事態の収拾を図る。
私の相続人に娘を譲ってくれ、
という取引に、「この取引はきっとうまく行く」と、
喜ぶ主人。最後まで商売人なのである。

最後は、6人の合唱を、軽妙で推進力のある、
ロッシーニらしいオーケストラが盛り上がってサポートして、
終幕の興奮を強烈にドライブしている。

ロッシーニのオペラ、ほとんど処女作からして、
面白すぎないか。

が、これは、シューベルトが確立したかった、
どこか理想郷のような物語ではなく、
三面記事にありそうな、金と色恋の物語でしかない。
「英雄ロマン・オペラ」ではなく、「成金風刺オペラ」、
あるいは、「商人現実オペラ」である。
おそらくシューベルトは、
こんな作品は書きたくなかったと思われる。

得られたこと:「ロッシーニの初期オペラ、聴き映え十分。が、あえて、シューベルトは、こうした機知に富む風刺の世界を拒絶していたのではないか。」
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by franz310 | 2011-05-07 23:04 | ロッシーニ