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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その270

b0083728_2237916.jpg個人的経験:
シューベルトの友人たちの歌曲、
それは、彼と同時代に生きた若者の、
偽らざる心情を記録したものとして、
あるいは、シューベルトそのひとの、
思いを代弁したものとして、
我々に貴重なメッセージを
伝えてくれている。
今回、取り上げる「吟遊詩人」は、
単に歌を歌う人ではない。
彼の死に様は英雄のそれである。


現在、多くの方々が、福島の原発において、
命をかえりみぬ復旧作業に従事しているが、
この歌曲における主人公もまた、
愛する人のために、命をなげうつ若者なのである。

このCDは、何と、「シューベルト、吟遊詩人」
というタイトル。
無名のこの歌曲をどーんと前面に出し、
そのほか、シューベルトの友人たちの詩による歌曲を、
10曲集めている。

表紙は、女性と別れた竪琴を持つ若者の、
うなだれた様子を描いただけのシンプルなもの。
Lorette Broekstraという人のイラストとある。
一見、どこにでもいるような男性の横顔ながら、
この主人公は、壮絶な生き様を見せる。

オランダのチャネンジ・クラシックスというレーベルのもの。

私は、これまで、この「吟遊詩人」という曲は、
単に長い若書きといった認識しか持っていなかった。

今回のCDは、そうした作品を前面に持って来た意欲作で、
内容を改めて見ると、
閉塞感溢れるシューベルトの時代の若者たちが、
その言いようのない焦燥感と、
自己の人生を燃焼し尽くしたい希求とを、
併せ持って生きていた事を痛感することが出来た。

この作品は、学友のケンナーの詩によるもので、
彼は、回想の中で、この曲が作曲されたことの喜びを、
青春の一ページとして誇らしげに書き留めている。
「寮学校のピアノ室に昼食後の自由時間になると」
という書き出しで、
この部屋に暖房がなく、凍えるように寒かった部屋のこと、
時折、友人たちが集まって、音楽のひとときが催されたことが、
1858年に、ケンナーは報告している。

「そこで彼の最初期の作品がはじめて試演され論評されたのです。
またそこで私は『吟遊詩人』の献呈にびっくりさせられ、
そしてそれを手渡されたのです・・
1816年でこの我々の親しい触れ合いは終わりました。」
(石井不二雄訳)。

1815年1月の作曲とされるから、
その献呈の日も、きっと恐ろしく寒い日だったに相違ない。

彼は、この後、ショーバーのような、
芸術家気質の友人たちの悪口を書き、
シューベルトが悪影響を受けた、などと書いている。

これについては、このCD解説を書いた人も、
しっかり指摘しているので、
その部分を抜き出してみよう。

「ケンナーは、彼の最も親しい友人とするのは難しい。
彼はむしろ少年時代の知り合いのようなものだった。
ケンナーは官吏として高い地位に就いたので、後年、彼は、
シューベルトのサークルの活発で熱心だった人々の何人かと同様、
偏狭なプチブルジョワとなった。
シューベルトに対するケンナーの悪意のある意地悪な意見が、
作曲家のモラルや人格を貶めることとなった。」

不思議なことに、ケンナーは、その後、
この楽譜をなくしたとも書いている。
おそらく、シューベルトが有名になるまでは、
別にどうという感情は持っていなかったのかもしれない。

しかし、ケンナーの回想で貴重なのは、
先の音楽室での出来事を記録してくれていたことで、
そこでよく演奏していたのは、
シュタードラーや、
ホルツアプフェルといった人だったとも書いている。
このシュタードラーこそが、
後にシューベルトをシュタイアーの街で歓待し、
「ます」の五重奏曲の成立に深い関与をした人であった。

今一人の恩人シュパウンなどは、この曲を、
「あまりにも知られなくなった美しいバラード」
と呼んでいる。

ディースカウは、「多少煩雑で奇妙なところがある」
と書いているだけである。
素人の若者が書いた詩であるがゆえ、
「煩雑」なのは確かだろうが、
「奇妙」というのはどういうことであろうか。

このように、この曲は、名曲とされてはいないが、
友人たちを感銘させていたことは確かであり、
親友であり画家になったシュヴィントは、
この歌曲に対して、多くの素描を残している。

この12枚とも言われる素描が書かれたのが、
1822年とされるから、作曲されたから7年は、
友人たちを楽しませていたものと思われる。

今回のCDの解説を読むと、この「吟遊詩人」という、
タイトルそのものが怪しいという。

「『Liedler』とは何か?」
一般に「吟遊詩人」と解釈されている、
この曲名からして、へんてこりんであることが、
指摘されているのである。

「フランツ・シューベルトによる
バラードのタイトルに使われた言葉は、
18世紀以来、
ツェードラーの『学術・芸術世界大百科事典』や、
グリム兄弟によるドイツ語辞書のみならず、
いかなるドイツ語の辞書にも見つけることが出来ないので、
こんな質問があるのももっともなのである。
それゆえ、シューベルトのサークルで作られた、
造語であると推測することが出来る。
この歌の歌詞から、この『Liedler』が、
古いドイツの衣装を着て、
ローマ・カトリックの聖職者が被るような帽子をつけて、
あちこちをさすらい、
竪琴の伴奏で、神の歌や世俗的な愛を歌う、
『巡礼の歌びと』とか、『ミンネゼンガー』のようなものと、
類推することが可能である。
モーリッツ・フォン・シュヴィントは、
友人シューベルトの作品のイラストとして、
小さな画集をスケッチした時、
このような装束を描いている。
バラードのテキストは、
シューベルトのヴィーン・シュターツコンヴィクトの、
学友であったフランツ・ケンナー(1774-1868)
によるものである。」

これは、ヨーゼフ・ケンナーの間違いであろう。

「この詩を書いた時、ケンナーは19歳であり、
シューベルトは18歳の時、この詩に曲をつけた。
この共作の中には、青春の高ぶりが見られ、
テキストの中に散見される、
イディオマティックな不器用さを、
嘲笑することも出来よう。
そうはいっても、その広範囲から、
シューベルト当時の感性について、
読み取ることが出来る。
『吟遊詩人』は、早晩、
シューベルト自身が直接体験することになる、
社会的地位の問題にも触れて、
芸術家の運命を描いている。
芸術家の人生の不確かさは、
比較的良い家庭や、
社会的に成功した家庭の娘との恋愛や結婚は、
ほとんど不可能であった。」

この解説者は、シューベルトが、
やがて、初恋のテレーゼ・グローブとも、
別れなければならないことを示唆している。
あるいは、カロリーネにも、
このことは当てはまるだろう。

「『吟遊詩人』の冒頭の言葉は、
彼が、『先祖がなく』、かつ、
低い社会的地位からの出自ゆえに、
彼は、『高貴な女性』と釣り合いが取れないと考えている、
ということを示している。」

つまり、このバラードは、
以下のような詩句で始まっている。

「姉上様、私の竪琴をお返し下さい、
私に帽子と放浪の杖をお渡し下さい、
これ以上、ここにいるわけには参りません!
私は先祖とてなく一介の僕、
高貴な女性には賤しすぎます。」(石井不二雄訳)

この歌曲の、導入のピアノ部は、悲壮感いっぱいで、
かつ、押し殺したような感情の動きを伝えて素晴らしい。
シュパウンが「美しい」と書いた意味がよく分かる。

この後、この若者は、各地をさすらって行く。
解説に、こうある。
「そして、彼は恋人のもとを離れ、
放浪の旅に出て、
常に『熱い思いを秘めて』、
遠い国へとさすらう。」

歌詞は、
「吟遊詩人は沢山の国々を通り、
昔のラインとドーナウの岸辺を、
また山を越え川を越えてさすらった。
どんなに遠く逃れても、どこへ行っても、
彼は胸の苦しさを捨てきれず、
彼女のこと、愛する女性のことしか歌わない。」
とある。

ケンナーは、当時、失恋でもしたのであろうか。
あるいは、それは貴族の女性であったかもしれない。
が、実際はケンナーは、官僚となって、
かなり出世しているので、この物語はシューベルト用である。

最初の切迫した感じから一転し、
このあたりは、バルカロールのように、
放浪の様子を表す曲想。
間奏曲も美しい。

次は、ギャロップのようなリズムになるが、
これは、結局、旅にも耐えることできず、
「馬を駆って墓へ入ろう」と、
剣と甲冑に身を包んで兵士となる部分。

次は、急転直下の展開を示す雄大な間奏があって、
「死は彼を避け、安らぎは彼を避けた!」
と一言、歌われる。

次の晴朗な楽想では、大公の軍隊が戦争に勝って、
民衆が歓呼する様子を示している。

が、吟遊詩人には安らぎはない。
「故郷の山脈の遠い雲が、
曙光を浴びて輝いていた。」
という部分、心の底からの声が聞こえてくる表現が秀逸。

「彼は戦士になってみせたが、
(これは後にマイヤーホーファーの詩によって書かれた、
『孤独』と同じ発想である)
一度だけ故郷に帰ろうと思う」
と、解説にもあるが、
「故郷をもう一度眺めなければならない、
あのひとにもう一度会わなければならない」と、
内省的なモノローグが続く。
この部分もしみじみとしている。

その後、武器を捨てる部分などは、
いくぶん、レチタティーボ的だが、
冬の山越えの部分は、悲愴なメロディで聴かせる。

「私は休まない、私は眠らない、
今日のうちにも城へ行くのだ、
ミラが中にいるあの城へ」
というところでは、焦燥感を高ぶらせ、
決然とした音楽となる。

心高鳴るリズムと共に、彼は故郷に駆け下りていく。

「花嫁のミラを里帰りさせるところなのだ。
吟遊詩人よ、もう戻って来たか!」
という表現などが面白い。
吟遊詩人のモノローグと、第三者の視点が混在するだけでなく、
時折、読者の心を代弁するような合いの手が入る。

解説に戻ろう。
「ここで、かつて憧れ、
今は他の男の花嫁となっている女性を見付ける。
伝説の世界の創造物、人間狼が花嫁のかごを襲おうとした時、
彼は、自らの死と引き替えに愛する人を助ける。」

このような伝説の中の人間狼が現れ、
ピンチに陥るわけだが、このあたりの描写は、
運命の動機も響いて、立体的になっている。
吟遊詩人は竪琴で、人間狼の脳天を攻撃するが、
格闘は簡単には終わらない。
身を挺しての谷底への墜落しか、
残る手立てはなかったのである。

「さらば、吟遊詩人よ、永遠にさらば!」
などという表現も月並みでおかしいぐらいだが、
シューベルトは、美しいピアノの粒立ちで、
水車屋の若者の死を悼む音楽のように、
この別れの音楽をしみじみと奏でている。

この他にも、大げさな表現として、
言葉が空転しているものを列挙してみよう。

兵士になる時の決意は、
「死の中には安らぎがある、
墓の中には安らぎがある」とくどい。

故郷への憧れを、
「胸から心臓が引き抜かれ、
首を絞められる思いであった」
と表現する部分もやり過ぎ。

甲冑をかなぐりすてる時、
「竪琴だけが、愛する女性を讃えるもの、
彼の嘆きを歌うもの、彼の神聖なものとして、
ふたたび彼に従うのだ」
と補足する部分は煩雑。

冬の山越えの際、
「そこには氷の経帷子があった」
と例える部分は真実味がない。

人間狼と戦った時、
「彼がサムスンのように強かったとしても、
力を使い果たして抗いようもなく」
と言い訳する部分はなくてもがな。

しみじみとした最後に、
「墓はすべての巡礼者の休息所だ」などと、
余計な一言を入れる。

などなど、
列挙するのが楽しくなる程だ。

しかし、面白い事に、シューベルトは、
これらの言葉が気に入っていたようだ。
何故なら、これらの部分は、どこも、
非常に生き生きとした描写が施されているからである。

また、ディースカウは、「煩雑で奇妙」と書いたが、
こうした、表現が煩雑さを与えているのは事実。
それに、奇妙な感じがする部分がないでもない。
大公の軍隊が勝った時、
故郷や友人が歓迎したとあるが、
そこからが、長く厳しい故郷への旅となる。

また、故郷への道のりで、
死病にかかっていた吟遊詩人は、
「明日の日は死んだ私を見付けるだろう」
などと、凝った表現で嘆くまで、
衰弱しているにもかかわらず、
人間狼と戦う力を残している。

構想段階では、
山を越えて死ぬことにしていたのを、
無理矢理、人間狼との戦いで死ぬ話にしてしまった、
という感じがしないでもない。

が、現在の原発事故からすると、
こうした最後の方が、生々しく共感を与える。
シューベルトたちにとって、
人間狼は、何の象徴だったのだろうか。

このように、様々な問題を抱えた習作風のものだが、
シューベルトのサークルが、芸術というものを、
何か、英雄的なもの、身を挺して他者を守るためのもの、
と考えていた事が理解できる。

シュヴィントは、この曲のイラストを描いたが、
何となく、ひ弱な若者の姿である。
しかし、その中には、熱い思いがたぎっていて、
最後には、死をも恐れず、運命に突き進み、
その生を燃焼させることを覚悟している。

今回の福島原発の事故で、
多くの作業員が決死の突入を繰り返しているが、
こうした自己犠牲の精神は、
シューベルトの時代からの美学として、
改めて、その尊さを思い起こす次第。

人間狼の原子炉を何とかしなければならない。
解説は、さらに、こう書かれているが、
「忍従の情感」、確かに、これは
今の少なくとも東日本のムードを表している。

「不器用さという瑕疵はあるものの、
この詩は、憂愁と独特の諦念のオーラを持っている。
さらに、シューベルトの素晴らしい付曲は、
ケンナーの単純な詩句を最高のげ芸術レベルに高めている。
この曲は本物の宝石であり、
その長さをいとわないならば、
いくつかの素晴らしいレチタティーボのエピソードが、
この作品特有の忍従の情感を決定的にしている。
主要な主題は、
『さらば、吟遊詩人よ、永遠にさらば』で、
作品の最後に二回繰り返されるが、
シューベルトの最も感動的な着想の一つであろう。」

ここで歌っているのは、
ロベルト・ホルというバス・バリトンだが、
どうやら、この曲を得意としているようだ。

「ロベルト・ホルは、この曲を繰り返して歌っているうちに、
長らく低く評価されて来たこのバラードを、
それにふさわしい高いレベルへと引き上げている。」

が、バス・バリトンという重さのせいか、
ちょっと劇的な緊迫感が、不足しているような気がしなくもない。

このように、「吟遊詩人」をメインにしたCDであるが、
この曲は5曲目に登場。

「このプログラムは、
シューベルトの最も親しい友人たちによって、
作られた詩をもとにした歌曲を集めているが、
1818年の日付のある『母の埋葬の歌』(D616)だけは、
出所不明である。
子供の頃、母親の死を経験しているがゆえに、
シューベルト自身が書いたという推測も排除できない。
手紙や彼が書いた詩を見ると、
彼は、詩人としても優れた才能があったと思われる。」

この曲はTrack7に入っている。
「そっとそよかに吹け、夕風よ、
もっとやさしく嘆け、ナイチンゲールよ、
美しい、天使のように清らかな魂が、
この墓穴には眠っているのだ」
と歌われる、簡潔なラメントで、
父子で立ち尽くす様、
彼等の最も美しい冠、と母を表現する様が美しい。

しかも、彼等の涙は、「真珠の冠」になるという、
素晴らしいイメージを提示してくれている。

ディースカウの本でも、この曲は、
シューベルトの詩として書かれている。

この曲が書かれた1818年6月といえば、
シューベルトが、エステルハーツィ家の家庭教師として、
ハンガリーに呼ばれる直前であり、
伯爵夫人への思慕と繋がりがあるといった書き方である。

「シューベルトの友人たちの中で、
最も親密だったのは、フランツ・フォン・ショーバーで、
このサークルの『ボヘミアン』的な要素の化身であり、
多くの才能を持っていたが、
しかし、そのいずれも、
芸術家として独り立ちできるほどの力はなかった。
オペラ『アルフォンソとエストレッラ』の台本を別にして、
16の歌曲のテキストを提供している。
(Track1の)『春の小川にて』D361(1816)は、
A-B-Aの三分形式で、
シューベルトのマイヤーホーファー歌曲、
さらには、後年の『冬の旅』に見られるような、
悲観的な自然の凝視の歌である。
冬が巡り来て、川辺を氷が覆うことが、
詩人自身の『悲しさ』と対比される。
これらの詩に底流し特徴づける憂愁は、
知識人の自由の抑圧へのリアクション、
ビーダーマイヤー期に行き渡っていた意見を代弁したもので、
その牧歌的な性格は決して一面的なものではない。
(Track2の)『すみれ』D786(1823)は、
『わすれな草』と並び、
ショーバーとシューベルトによる、
二つの『花』バラードの1曲で、
悲劇的象徴に起こった出来事を詳述している。
『ヴィオラ』とラテン語で名付けられたすみれは、
春の訪れを待ちきれない。
春の予感に、すみれは早く外に出て、遠くに行きすぎて、
その命を失ってしまう。
ここで、シューベルトはいくぶんセンチメンタルな歌詞を、
音楽によって高尚なものにしている。
『まつゆき草よ、まつゆき草よ』というリフレインは、
4度繰り返されるが、民謡風のメロディで魅惑的である。」

この小さな花を歌った愛らしい音楽が、
まさか、バス・バリトンで歌われるとは。

「(Track3の)『巡礼の歌』D789(1823)は、
シューベルトが書いた多くのさすらいの歌の一つ。
巡礼とさすらいは、彼の全歌曲を貫くテーマであった。
精神的にゲーテの『竪琴師』に似た、
『地上の巡礼』は、ヴァイマールのオリンポス神を、
ヴィーンの詩人たちが同志として、
敬意を表していたことの証拠となっている。
(Track4の)『死の音楽』D758は、
他のどの作曲家も出来なかった程、
死についての音楽を書いた、
シューベルトの創造活動の広範囲にわたる、
モットーに基づいている。
(例えば、ノヴァーリスの賛歌(『夜の賛歌』D687)
『向こう側の世界へ私は歩みます』は、
彼自身の死を音楽にしたもの、
とも言われていることを思いだそう。)
この曲は、1822年、ショーバーの詩に対して書かれ、
気味の悪い生への決別ではなく、
音楽に充ちた明るさへの変容に向かう、
マイルドで融和的な自己放棄である。
ショーバーの詩にシューベルトが作曲したもので、
最も有名なのは、(Track10の)
有節歌曲『音楽に寄す』D547であろう。
簡潔、平明であるにもかかわらず、
これまで書かれた、
最も美しい芸術への賛歌となっている。」

また、シューベルトの友人となれば、
この人を忘れてはなるまい。

「上部オーストリア出身の
ヨーゼフ・フォン・シュパウン(1788-1865)は、
シューベルトの人生や個性を伝える、
数多くの著述を私たちに残してくれていて、
シューベルトの最も信頼篤い友人であったが、
詩の分野ではほんのわずかな貢献しかしていない。
それにもかかわらず、シューベルトは、
1817年、彼の詩の一つ(Track6の)
『若者と死』D545に曲を付けており、
彼の死の歌曲の中で、最も魅力的なものの一つとなっていて、
クラウディウスの詩による『死と乙女』の姉妹版ともなっている。」

最後に、マイヤーホーファーも。

「シュパウン同様、上部オーストリア出身の
ヨーゼフ・マイヤーホーファー(1787-1836)は、
シューベルトの歌曲に詩を提供するのに重要な役割を果たした。
検閲官という面白くない業務の役人であったマイヤーホーファーは、
シューベルトの友人サークルの中で、最も強烈な才能を持っていた。
彼は、畏敬すべき教養の持ち主で、
古代の世界に精神的な避難所と慰めを見いだしていた。
(Track8の)『アティス』D585と、
(Track9の)『怒れるディアナに』D707は、
豊かな音楽遺産である。
(シューベルトは50曲からのマイヤーホーファーの詩に作曲した。)
『アテュス』(1817)は、
シューベルトの最も大胆な作品の一つで、
すべての慣習的なモデルから逸脱して、
形式的に自由で、独白のようなピアノ後奏が付く。
この情熱的な作品の中で、若さに満ちたテンペラメントが、
傷つき、絶望する様が表される。
(フリギアの若者アティスは、女神セベレに、
その不実さゆえに罰せられる。)」

この曲は、非常にぶっきらぼうなもので、
詩もまた、多くの意味を持っているようで難解である。

女神に頼んで連れて来られたトラキアの地で、
少年アテュスは、故郷を思うため息をつく。
そして、女神が現れると、
彼は崖の下へと身を投じてしまう。
この時の表現もすごい。

後奏のピアノは長く印象的である。
むかしむかし、というべきか、
何という儚さを伝えていることだろう。

「この曲も、『怒れるディアナに』(1820)の情景も、
凝集された音楽ドラマである。
森の支配者で女神のディアナは、
同時に死の予兆であり、
入浴を男に見られて、
この罪を償うために死ななければならない。
しかし、彼は、天上の女性をヴェールなしに見る幸運ゆえに、
その死の矢を、高次の祝福として待ち焦がれる。
曲は激しいエロティシズムと死への憧れを独自に結びつけている。」

ホルによるマイヤーホーファー歌曲の選択も、
なかなか唸らせるものがある。

このような解説を書いたのは、
クレメンス・ヘスリンガーという人だというが、
このように締めくくっている。

「シューベルトのサークルの書いた詩は、
はたして、最も高度な意味で『文学』に数えるべきか否か、
アマチュア、日曜詩人の制作物以上のものであるか、
しばしば論議されて来た。
事実、彼等の名前をドイツ文学史の中に、
位置づけるのは困難である。
一方、名声も、公的位置づけがないとしても、
『音楽に寄す』のような美しい、不朽の詩を、
作った詩人として残っている人が、他に誰がいるであろうか。」

これまで、ナクソスやハイペリオンの解説で書かれていたような、
シューベルトの友人たちこそが、
シューベルト自身の言葉や、彼の時代を代弁した文学者であった、
という結論の方が、今の私にはしっくり来る。

さて、ホルというバスであるが、ロッテルダム生まれ。
ハンス・ホッターの弟子であるという。
ミュンヘン・オペラで名を上げ、
ヴァーグナー歌いとして知られるらしい。

ここで、ピアノを受け持っているのは、
アメリンクなどの伴奏もしていたルドルフ・ヤンセンである。

バスによる歌曲というと、何となく、
重苦しく、鈍重なイメージがあるが、
ホルの声には、暖かみがあり、
癒し系となって、繰り返し聞ける。

得られた事:「シューベルトの友人たちは、『忍従』と『自己犠牲』という美学に共感した。」
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by franz310 | 2011-03-26 22:40 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その269

b0083728_21214210.jpg個人的経験:
戦後最大の自然災害と言われる
大地震や巨大津波の後で、
原発の問題が残った。
この一週間は、電車が止まり、
停電が続き、
まったく想像すら
していなかった日々が始まった。
日本ブランドの持っていた、
安心も安全も信頼も崩れ去り、
外国の人たちの脱出が始まっている。


街からは灯りと共に、多くの商品が消えた。
そんな中、こんな記事を書く意味があるか、
実のところは、私自身、よく分かっていない。
そもそもオーディオを鳴らす事すら憚られる。

駅前のバス・ターミナルからは、
沢山の外国人を乗せた空港バスが走り去って行く。
我々は取り残されてしまったのである。

新聞によると、お隣、中国では、
東京からガスマスクをつけて脱出した、
とかいう流言飛語がネット上を駆け巡っているという。

職場に通うのに自転車を試みたり、
バスを乗り継いでみたり、
いろいろ試してきたが、
そんな一週間の疲れが、どっと感じられる。

停電の予告があったかと思うと、
停電は実施されないという放送が流れる。
放射能の数値が上がったというニュースがあったり、
爆発があったり、消火活動の一挙一動に固唾を飲んだりした。

日本中に虚脱感が漂っているようだ。
折しも寒波が襲い、
駅前で募金活動をしている若者たちに、
申し訳ないような気がしている。

が、これまで取り上げて来たナクソスの、
シューベルト・リート・エディションの、
「シューベルトの友人たち」のシリーズには、
まだ、第3巻が残されており、
そこには、シューベルト自身の詩による、
とされる「別れ」D578が収められている。

これがまた、この無常感をよく表した作品なのだ。

ここでは、いつものアイゼンローアのピアノ、
ライナー・トロストが歌っている。

このテノールは、ミュンヘンで学び、
モーツァルトのオペラを得意とし、
ヴィーンやザルツブルクで活躍している人らしい。

「別れ」は、「さらば、親愛なる友よ!」という、
哀れなリフレインが女々しい音楽で、
「遠い国へ行け」という恨み節も入っている。

この曲は、珍しくも作曲家自身が
書いた詩による歌曲ということで、
特筆されるべきものであるが、
それほどには印象に残らない音楽である。
わずか2分半の歌曲。

フィッシャー=ディースカウなども、その著作では、
「円熟した作品でも、精神性溢れる作品でも」ない、
と、評している。
が、一方で、「素朴で多感な音楽」とも書いている。

ディースカウの本によると、
親友のショーバーが、スウェーデンに旅立つ時の作曲だという。
1817年8月の「友情記念帖」に書き込まれているらしい。

「もしこの歌が君の心を捉えるならば、
友の影が身近に彷徨い、私の心の弦が鳴り響く」
という内容。

アイゼンローアの解説を読むと、
ちょっと違う解説が書かれていた。

「別れと感謝を歌った『別れ』D578の詩と曲は、
シューベルトの親友ショーバーに向けた挨拶で、
シューベルトは、彼の家に何度も住んだことがある。
ショーバーは、フランスで負傷した、
オーストリア人の軍人を保護するために、
ウィーンを離れる必要があった。
薄暗く直接的な表情の豊かさによって、
この簡単な歌には非常な説得力がある。」

まるで、被災した人たちを助けに行くような状況ではないか。

どうも気になるので、ハイペリオンの、
ジョンスンの解説もひもといて見た。
シューベルト・エディション21巻で、
エディット・マティスが歌っている。

ジョンスンの解説には、
「この歌は、シューベルトが
自身の言葉に付曲した、唯一のカノンである。
それは、ヴィーンを離れる作曲家の友人、
ショーバーへの感動的な別れの挨拶である。
自身の文学的努力を飾り立てることへの
シューベルトのはにかみもあってか、
(あるいは、少なくとも、ふさわしいと思わなかったのか)
この曲は心温かいものだが単純だ。
機会音楽で、おそらく音楽も詩も、
同時に数分間で、友人への記念帖に書き付けられた。
このとき、ショーバーはシューベルトに部屋を貸していて、
作曲家はショーバーのアパートに8ヶ月間住んでいたが、
ショーバーの兄、アクセルのために、
部屋を開けなければならなかった。
アクセルは、才能ある花を描く画家で、
オーストリア第10騎兵隊の中尉でもあり、
役務を離れてフランスから戻るところだった。
悲劇的な事に、彼はそれが出来る前に亡くなった。
弟が彼を連れて帰るためにヴィーンを離れた時、
彼はすでに病んでおり、この小さな歌が響いていた。
ショーバーは、もともと、
どこか遠く(おそらくスウェーデン)に、
長い間行きたかったとも考えられ、
ただ兄の死の場合のみ、
すぐにヴィーンに戻らなければならなかった。
そうだとしたら、ショーバーのフラットには、
シューベルトとアクセルの二人が住むことになり、
何故、作曲家は部屋を出なければならなかったのだろう。」
とある。

つまり、ジョンスンは、
ケース1.アクセルは元気に戻り、ショーバーは旅を続ける。
ケース2.アクセルは残念ながら亡くなり、ショーバーも戻る。
ということがあり得たと言っているのだと思うが、
ケース3として、病気のアクセルを支えるように、
ショーバーが帰る場合、シューベルトは住めないということになる。

シューベルトは、この場合を想定して部屋を出たのだろう。

「愛する友との別れの予感は、
(それは結果的に比較的短期間であったが)
この曲の悲痛な響きの理由とされて来た。
しかし、
リンツに移ったシュパウンが偽イタリア風の、
コミカルなエピステルと、この哀歌を比べて分かるように、
同様に親しかった多くの他の友人たちは、
こうした音楽コメントなしにヴィーンから去っている。
私は、最悪の事態を想定していた、
ショーバー一家のアクセルの健康への心配を、
シューベルトが良く知っていたからではないか、
と考えている。
ショーバーの悲しく不吉な旅を、
精神的にサポートするために、
慰めや心配を意味するものではないだろうか。
第3節は、ショーバーの兄との別れの予感にふさわしく、
『目的地』とは、アクセルが、
病に伏せっている場所であり、
また、全ての友人、兄弟が離ればなれになる、
墓のことかもしれない。」

このように、ハイペリオンの解説では、
完全に、ショーバーとの別れ説を否定した形になっている。

エディット・マティスの歌で、この曲を聴いて見よう。
なお、このCDでは、
「友人との別れ」という題名となっている。

ジョンスンのピアノは心を込めた表現。
当時54歳のマティスは、
彼女らしい天真爛漫な声ではなく、
真摯で悲痛な声を絞り出している。
古い聖歌のように、残響の多い空間を満たしていく。

先に書かれた第3節では、
「さようなら、親愛なる友よ、
別れは苦い言葉。
ああ、それは我々のもとから、
君を目的地へと引き離していく。
さようなら、親愛なる友よ」という歌詞が出るが、
確かに、単なる別れの歌には聞こえない。

この後、今回のナクソス盤のトロストによる歌を聴いて見ると、
マティスほどの悲痛さはない。
マティスにはジョンスンの意見が反映されているのだろう。
しかも、慰めの表現としては、女声の方がふさわしいと感じた。

さて、このナクソスのCDには、同じ「別れ」という題名の、
今一人の親友、マイヤーホーファーの詩によるD475も
収録されている。
前に、アン・マレーの歌うハイペリオン盤でも聴いたもの。
が、この曲は、男声の方が、すくなくとも、
今の私の心情には響く。
改めて詩を見ながら聞いて、胸が詰まった。

これまた、水滴がぽろりと垂れるような序奏からして、
何だか虚脱感の溢れるもので、
諦念に満ち、
「君たちは山々を越えて行き、
緑なす土地に至るのだ。
私は一人で戻らねばならぬ」と歌われるのが悲しい。
喪失感溢れるモノローグである。
ピアノ伴奏は、悲しい木霊のようだ。

途中、
「おお鏡なす湖も、森も丘もすべてが消える、
私たちの声のこだまが消えてゆく」(石井不二雄訳)
という言葉は、何と痛切に聞こえることだろう。
ここで、歌は一瞬高まるが、
減衰して消えて行くような効果を出す。

最後は、
「さようなら!嘆きに充ちた響きだ」という言葉の後、
朝露が木の葉から滑り落ちるようなピアノ。

憂鬱な詩人、マイヤーホーファーの面目躍如たる作品だが、
シューベルトもまた、よく、こんな切実な音楽をつけたものだ。

1816年9月の作曲。
この曲は、ハイペリオンのCDでも聴いて、
ディースカウがマーラーを思わせる、
と書いていることも書いた。
この著書で、この世紀の大歌手は、
当時のシューベルトの日記との関係を述べている。

「何のために神はわれわれに共感という感情を
お与えになったのだろうか。」

このCDの解説(ピアニストのアイゼンローアによる)には、
「この曲には、『巡礼の歌による』、
というサブタイトルがある。
残念なことにこの曲は、シューベルト自身、
言及しているように、あまりよく知られていない。
実際のところ、巡礼の音楽の木霊が、
ゆっくりと荘厳な聖歌調や、
下降する三度、ホルンを思わせる五度が、
管楽合奏を思わせる。
あるいは、この音楽は、穏やかさ、
愛する者との別れの心打つ寂寥に充ちている。」

このような作品も含むこのCDであるが、
ナクソスのシリーズでは、
別に、「マイヤーホーファー歌曲集」として、
まとめられた巻もあるので、
これは、そこに入りきらなかったものを、
寄せ集めただけのようにも見える。

しかし、このCDは、
マイヤーホーファーの肖像が使われていて、
なんと言っても、彼の歌曲の名作とされる「夜曲」D672や、
「最も生き生きしたもの」と、ディースカウが書いた、
「怒れるディアナに」D707、
さらにシューベルトの野心的な大曲である「孤独」D620が、
しっかり収められている。

15曲中、6曲が彼の詩によるもので、
立派にマイヤーホーファー歌曲集となっているのである。

ここでは、「秘めごと」D491が、
2分半の小品ながら、
「フランツ・シューベルトに」という
副題を持っていて面白い。
「教えてくれ、誰が君に
これほど魅力的でこれほど美しい歌を教えたのか?」
という詩句で始まるもので、
結果として、完全に、自画自賛の歌となっている。
1816年の作曲。

ディースカウは、「天真爛漫に作曲し」、
「彼はたいそう慎み深かったので、
その曲の中に自分のほんとうの本質を
表現しようとはしなかった」と書いている。

どちらかと言えば、誕生日の祝福の歌みたい。
きらきらと神の祝福のようなピアノ前奏が舞い降りる。

が、ナクソスの解説では、
「1816年に書かれたこの曲は、
彼等の関係を記録するもので、友情も、
決して単純で平穏なものではなかったことを思い出させる。
彼が自身を完全に表そうとしたシューベルトの付曲は、
その変幻自在さを持って評価されるべきであろう。

「君が歌い始めるや、太陽は輝き、
春は私たちの間近にある」という前半の終わりは力強く、
時折、挟まれるピアノの間奏は、
翌年のピアノソナタの一節を予告している。

が、その次は、「逐語的で用心深く、シューベルトは、
共感できていないようだ」と解説にあるように、
詩句として難解である。
「君は老人などには目を向けず、
ただ、草原を流れる水だけを見ている」というものだが、
確かに、「木を見て森を見ず」という悪口なのか、
「古典などはいいから、今の自分を生きよ」
と言っているのか、
いったいどっちなのだろう。
しかも、最後の部分は平凡だとある。

「マイヤーホーファーは、こうした賛美で、
シューベルトに近づいたのであろうか。
シューベルトはこうした過度なお世辞を受け入れたのか。
それとも、単に、詩の後半には、
機械的に反応しただけだろうか。」

悩ましい。
ここはハイペリオンの全集では、
どのように書かれているだろうか。
ルチア・ポップが歌った、第17巻のTrack16に、
この「秘めごと」が収録されている。

ジョンスンも、第二節は「パズルのようだ」と書いていた。
「シューベルトは、マイヤーホーファーの、
古典的テーマおたくぶりについていけなかった、
とリードは考えている。
これはおそらく、このお世辞の作品にあって、
若い友達への優しい注意かもしれず、
古典教養の世界に誘おうという意図も
示唆しているかもしれない。
実際、シューベルトは翌年までに神話の知識を多く得ている。」

また、ジョンスンは、フォーグルが現れる前、
マイヤーホーファーが、シューベルトの歌を歌う役だった、
と書いている(ギター伴奏で)。

さらに、さすがジョンスン、
前奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲K595の、
緩徐楽章のテーマの引用だと書き、
後奏は、
「音楽の神は、和音の虹を、
優しい弧を描いて地上に降ろす」などと、
しゃれた表現を使っている。

では、今回の主役、ナクソス盤に戻ろう。
まず、解説には何が書かれているだろうか。

「この録音には、シューベルトの友人たちの
サークルからの詩による歌曲が収められている。
その中心には、マイヤーホーファーがいるが、
この人は、数年間、シューベルトの最も近い友人であり、
しばらく、シューベルトは同居していた。
彼の詩は、シューベルト歌曲の中心に位置しており、
この友人の47の詩に作曲しており、
60曲の詩に作曲されたゲーテだけが、
数の上でそれを越える。
それらの歌曲と共に、
フランツ・フォン・シュレヒタ男爵の詩によるものがあり、
彼は、シューベルト同様、ヴィーンの王立神学校の生徒であり、
シューベルトのサークルの一員であり、
シューベルト芸術の崇拝者の一人であった。
マティアス・フォン・コリンは、
同様にシューベルトの友人であり、
兄弟のハインリヒと共に、
日曜詩人であり、劇作家であった。
職業としては、クラコウとヴィーンの大学の
美学、哲学教授であり、
ナポレオンの息子ライヒシュタット公の師匠であり、
ヴィーン文学時報や、文学年鑑の創設者であり、
かつ編集者であった。
政治的激情家、ヨハン・クリソストモス・ゼンは、
政府への反抗から収監され、追放された。
最後にハインリヒ・ヒュッテンブレンナーは、
シューベルトの友人であった、
アンゼルムとヨーゼフの末弟で、
少なくとも、シューベルト自身が、
友人ショーバーの家族の記録帖に、
彼の詩の一つを作曲したものを書き付けた。」

このように、今回の解説の概略は、
他でも読めるものである。

「シュレヒタの詩への付曲3曲で、
この録音は開始されるが、
これは、成熟したシューベルトの傑作である。
これら3曲はすべて、異なる領域の表現を求めながら、
音楽的統一と素晴らしい精緻さを表している。」

と書かれ、「漁夫の歌」D881、「歌びとの持ち物」D832、
「墓掘り人の歌」D869が収録されている。
ドイッチュ番号を見ても壮観である。
しかし、「墓掘り人の歌」という題の歌曲は、
ショーバーによるD758もあって紛らわしい。

この曲が作曲された1826年については、
フィッシャー=ディースカウも、
「帰って来たシュパウン歓迎の大規模なシューベルティアーデ」
が開かれ、シュレヒタ男爵も出席したと書いている。

このシューベルティアーデの様子は、
後に、シュヴィントが描いて、
大変、有名になった絵の題材だということだ。

Track1.「漁夫の歌」D881は、
このような後期作品に珍しく、明るく澄んだ響きで、
「ます」を思わせ、シューベルティアーデに集まった人たちに、
昔の日々を思い出させたかもしれない。
「仕事が彼に強靱さを与え、
強靱さがまた生の楽しみを与える」
と歌われる、力強さもあるもので、
最後に羊飼いの娘が点描のように現れて、
いかにも明るい情景を思わせる。

解説でも、「シューベルトの熟達は、
声の入りを一拍遅らせて、
最後の節の、予期しなかった羊飼いの娘の登場を表し、
楽しくスリリングな漁夫と少女の出くわす様を、
続く小さくリズミカルな変奏で描き出した」とある。

「多くのシューベルトの水に関する歌曲同様、
高いものと低いもの、
天と地、相互の反射、融合、時折、反転し、
それは、反対側の重要性の象徴となっている」
と書かれているが、
ここでは、波打つ水面の輝きがまぶしく、
森や野原の安らぎと、水に映る空、
人々の生活が描かれる。

Track2.「歌びとの持ち物」D832は、
一転して不機嫌な音楽である。
「私の幸福のすべてを打ち砕いても良いが、
チターだけは置いていってくれ」という内容の、
激しい曲想のもので、最後には、
「墓石の代わりのいチターを据えてくれ、
幽霊がかき鳴らせるように」とまで言い切る。

硬質のピアノ部は、時として、
「ピアノ三重奏曲第2番」の深い1節を思わせる。

解説は、「明らかに、シューベルトは、
この曲を、当時の実人生の個人的な状況と、
強烈に結びつけようとしている」と書いている。

「作曲家の病気は小康状態であって、
作曲家としての名声は確固たるものとなり、
自信を深め、友人たちのネットワークやサポートを通じ、
その天才を発揮していった」と書かれているが、
確かに、凝集されたエネルギーが渦巻いている。

ディースカウもこの曲は、
生き様の宣言のような曲として、
著書の中に、詩の全文を書き出している。

Track3.「墓掘り人の歌」D869は、思索的な音楽で、
半音階的なピアノの序奏から意味深である。
ショーバーの似た題の作品が、
墓掘りの苦役の自問自答のような歌だったのに対し、
この曲は、墓掘り人が、死体に語りかける作品。

「おれがおまえを寝かせてやる・・
肉体は虫けらの餌食になるが、
心は塵となって生き続け・・
天使が呼びかけるまで眠れ・・」
という内容のもので、最後の審判が主題になっている。

こうした歌を、どうして、シュレヒタも、
シューベルトも、書かなければならなかったのだろう。
ディースカウは、この6分ほどかかる曲の、
伴奏と声の緊密なからみ合いを特筆している。

ナクソスの解説でも、「驚くべき作品」と評価されている。
モティーフの萌芽が展開され、
緊密にシンメトリカルな構成に発展する様、
送葬の音楽になり、
遂には、高音で鐘の音が鳴り響く様まで発展し、
詩の嘆きと慰めを行き交う明暗を描いているとある。

しかし、シュレヒタという人は、
軽い風俗画のような詩を書いていた素人、
という印象を持っていたが、
なかなかの腕前ではないか。

この後、Track4に、先の「秘めごと」が来て、
Track5には、マイヤーホーファーによる大曲、
「孤独」D620が、17分半かけて歌われている。

「私に孤独をたっぷりとお与え下さい」と始まるこの曲は、
以前、ここでも紹介したことがあった。

Track6.「雷雨の後に」D561もマイヤーホーファーの作品。
まるで、モーツァルトのピアノソナタのように愛らしいこの曲は、
1817年のもの。
ナイチンゲールの歌、ハンノキ、気持ちの良い夕焼け、
嵐の後の風景である。
1曲目に続いて、ようやく、明るい曲で一息つけた感じ。

Track7.「別れ」D475は、先に述べた。
Track8、9の、「怒れるディアナに」、「夜曲」も、
前に聴いた。

Track10には、あの「シュパウン氏に」が来る。
このトロストの歌唱も、かなり熱唱しているが、
前に聴いた、ラングリッジの方がユーモアがあった。

全体的に、トロストの歌は真面目なのか、
ハイペリオンの大歌手が聴かせるような、
芸の懐の深さみたいなものに不足する。

Track11.「丘の上の若者」D702は、
解説にもあったように、
ハインリヒ・ヒュッテンブレンナーのもの。
素人の詩らしく、感傷的なもので、
丘の上で、若者が、自分の恋人の送葬の様子を眺めている、
という内容のもの。
彼を取り巻く自然は明るく描写され、
彼の心情は、悲しげに表現されて、
ここでも変幻自在の作曲家の書法が楽しめる。

ディースカウも「機械的」と書いているが、
中間部の送葬シーンはシューマンを思わせる、
と書いている。

Track12は「こびと」D771。
この曲の印象的な光景を描き出すには、
この歌唱とピアノは先鋭にすぎるような気がする。
全体を通じて、このCDの演奏は、一気呵成といった印象が強い。
もう少し、噛んで含めるような優しさが欲しい。

Track13の、シューベルト自身の詩による、
「別れ」については、すでに書いた。

Track14、15は、暴れん坊ゼンの、
「幸福の世界」、「白鳥の歌」も、以前、アメリンクの歌唱で聴いた。
このあたりの曲、特に前者も、この演奏はまくし立てるようで、
聴いていて、少々疲れる。
最後の曲も、曲調からして、もう少し力を抜いて欲しい。

とはいえ、最初に聴いた、
マイヤーホーファーの「別れ」D475は、
よく情感を描き出している。

なお、このナクソスのシリーズ、28巻になると、
歌詞もウェブでアクセスせよ、
と書いてあって、紙の解説が素っ気ないことこの上ない。

さらにIT化は進んでおり、
ボーナス・トラックがダウンロードできるということだが、
http://www.classicsonline.com/
にアクセスして、登録せよ、とあるのでちょっと不気味。
しかも、楽曲はグリーグで関係ない。
単なる、ネットアクセス会員を増やす方策と見た。

なお、上記サイトには、東北震災の募金のバナーが出ていて驚いた。

得られた事:「学友シュレヒタは、シューベルトの少年時代から晩年まで、気の利いた詩を提供しつづけた。」
「マイヤーホーファーの『別れ』は、この震災後の日本人には、胸に刺さる内容。」
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by franz310 | 2011-03-19 21:22 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その268

b0083728_22355123.jpg個人的経験:
記録史上最大とされる地震で、
私の部屋でも本棚が多数倒れ、
資料がかなり散乱したが、
何とか一日で、
活動が出来る形にまでは、
復旧させることが出来た。
東北の惨状を見ると、
人間存在の儚さ、
社会のもろさが痛感されるが、
それゆえに尊さも胸に迫る。


津波が家屋や田畑を襲う様は、
見ているだけで身の毛がよだつ光景であった。
無慈悲に、圧倒的な力を見せつける自然。

そうしたものの存在を前提にして、
このような詩句を読むと、
また、味わい方が変わって来る。

作者は故郷を山頂から見下ろしている。

「至るところに生活が、
豊かな人間の活動が、
至るところに日光がある。
・・・
私の故郷の境界線も見える。
あそこで私は親しく
この世に生を享け、
・・・
この遠い山上にいる
私の心からの祝福が
いとしい故郷の地にあるように!
私の心からの祝福が
私の夢にまで見る国にあるように!」
(石井不二雄訳)

シューベルトは、このような詩句を含む、
ケルナーの『リーゼンコッペの山頂にて』D611の冒頭を、
まさしく、非人間的な非情な序奏とレチタティーボで表し、
畏敬すべき自然の超越を描いている。

「おまえの山嶺の頂上に高く
私は立ち賛嘆する、
輝くばかりの感激にあふれて、
聖なる山よ、
天にそそり立つものよ。」

その後、下界に目を転じると、
そこには、花咲く草地、人々の営みが見えるが、
ここからは、シューベルトは、
愛情と喜びが溢れるような表現で、
「昂揚した内面の楽しさを覚えつつ」
という詩句のとおりに歌い上げていく。

「故郷の境界線も見える」という部分も、
あたかも発見を喜ぶような語り口。

しみじみと故郷に送る祝福は、
「愛しい故郷よ!」と歌われるように、
祈りに満ちた、敬虔な感情が広がっていく。

リーゼンコッペ山とは、チェコ、ポーランド国境近くの、
リーゼン山脈の主峰ということだが、
現在では、山脈自体がクルコノシェと呼ばれるらしくややこしい。
とにかく、ここからは詩人の故郷、
ザクセンも見えるようなのである。

この曲は1818年3月の作曲というから、
1813年に戦死した詩人のケルナーは、
すでに亡くなって久しい。

ディースカウは、
「ヨーデルそのままのようなピアノ伴奏にのって、
旅人の心がうまく表現されている」と書いているが、
なるほど、簡素ながら、このいささか饒舌な伴奏は、
そう聴くべきなのか。

ナクソスのシューベルト・リート・エディション25の、
ロマン派詩人第2巻のTrack1は、
この気宇壮大な開始部を持つ歌曲から始まっている。

ハイペリオンの歌曲全集では、
ケルナーは、「友人たち」にまとめられていたが、
ナクソスでは、その枠を越えて、
ロマン派詩人として、この詩人を扱っている。

表紙肖像も、この人だと言うことだが、
だいぶ、イメージが異なっている。
ディースカウの本やハイペリオンのCD解説に出ていた肖像は、
もっと、神経質そうな兄ちゃんである。

これも、ベンジャミン・チャイさんの作品。
軍服を着て、目に力がある点は押さえているようだ。

ナクソスのシューベルト歌曲、
友人たちの詩によるものには、歌詞がついていたが、
このケルナーと、
アウグスト・シュレーゲル(シュレーゲル兄)を、
主に集めたものには、歌詞がついていない。

ケルナーともなると、簡単に詩集が手に入るのだろうか。
ただし、各曲の解説は少し充実している。

この曲については、「ケルナーの詩に付曲したものの最後
(他のものは1815年に作曲)として、
1818年に作曲」という記述がある。
「構成的に作曲上の野心が見られる。
導入のレチタティーボの熱狂後、
アリオーソ、レチタティーボの部分の交錯によって、
カンタータのような形式を見せる」とある。

最後の祈りのような部分は、レチタティーボだということだ。

その後、前回も聴いた、「愛の憧れ」D180、
「歌びとの朝の歌」二つ、D163とD165、
「愛のたわむれ」D206などが続く。

歌はマルクス・シェーファーでテノール。
カールスルーエとデュッセルドルフで勉強した人で、
最初に契約したチューリヒが1985年とあるから、
現在50歳くらいの人だろう。
インマーゼルの「第九」や、レオンハルトのバッハのカンタータ、
ハーゼルベック指揮によるモーツァルトのオペラで録音があるという。

前回聴いたラングリッジのような甘さは少し控えめで、
すっきりした歌である。
ちょっと習作的な「歌びとの朝の歌」第一版などでは、
かなり、表現に苦心している。
解説には、「ベルカント風」と書かれた第二版では、
たっぷりとした呼吸が暖かい。
「愛のたわむれ」では、モーツァルトのオペラを歌う人には、
ぴったりの微笑みとユーモアが楽しい。

Track6の「子守歌」D304は、
通常の6/8拍子ではなく、2/2拍子で書かれているとある。
「子供を扱った主題と優しい憂愁の雰囲気にふさわしい、
無重力の音楽」とあるように、
素朴すぎる、空中に漂う音楽。

Track7は「それは僕だった」D174で、
若者の夢を歌い上げて、初々しい。
ここでは、アイゼンローアのピアノが、
即興的な名技で煌めきを見せるが、
これがまた、この曲を聴く者が浮かべずにいられない、
微笑みを、上手に増幅してくれる。

Track8は、「愛の陶酔」D179で、
ナイーブに歌われているが、
解説にも書かれている豊かな伴奏ながら、
いくぶん速く弾かれているせいか、
ラングリッジの表現の方が陶酔的だったかもしれない。

Track9は、「じゃまされた幸福」D309で、
ここまでがケルナーの歌曲。
これも、「それは僕だった」同様、
気の利いた小唄で、シェーファーが得意にしそうな、
ユーモアで彩られている。
ピアノも間髪を入れず、気の利いたリズムで応える。

さて、このような9曲と、
後半4曲のシュレーゲル兄の4曲の間に、
シュッツ、キント、ゲルステンベルク、
リュッケルト、ヴィンクラー、シバーらの歌曲が、
それぞれ1曲ずつ収められている。

これらの詩人はリュッケルト以外、
良く知られていないが、
このCDは、かろうじてリュッケルトの、
「挨拶を送ろう」D741が収められているがゆえに、
ああ、聴いた事のある曲が始まった、
と、Track13でようやく安心する感じである。

シュッツの歌曲は2曲あるようだが、
ここでは、Track10に「フローリオの歌」D857。
単純なセレナーデに聞こえるが、
戯曲の中の音楽らしく、歌詞を見ると、
「あの女が毒を盛ったから、彼女に会いたいのだ」と、
まるで、ハイネのような言い分である。

Track11のキントの「ベニヒワの求愛」D552は、
「僕は恋してる!」と明るく興奮し、大騒ぎする音楽。
キントは、ウェーバーの「魔弾の射手」の台本を書いた人だ。

Track12のゲルテンベルクの、
「ヒッポリートの歌」D890は、一転して、
「冬の旅」のような寂寥感の音楽。
ディースカウの本にも、そのことが書かれていて驚いた。

詩を見ると、彼女を求めて、あちらこちらに歩き回る男の歌。

Track14のヴィンクラーの
「郷愁」D456は、序奏からして素敵な洒落た小品。

「一人の静かな時間、不可思議な気持ちを感じることがある。
よりよい星の中へと高く昇っていくのだ。」

内容も、一筆書きのような感じ。
その事を書いているのか、
ナクソスの解説では、前奏の半音階的な部分を特筆しながら、
「ヴォーカルラインは、終始メロディアスであるが、
残念ながら、シューベルトの弱いテキストを、
霊感豊かなレベルにまでは高めていない」と書いている。

このD456は、ディースカウのCDでは、
テオドール・ヘルの詩だとある。
ナクソスの解説にもそのあたりの釈明はない。

あと、シューベルトの伝記を読んだ人は、
当時の大家フンメルが、
シューベルトに会った時に、
クライガーの「盲目の少年」を聴いて、
深く感銘を受けたという逸話も印象に残っていることだろう。

フンメルは即興で、この曲の幻想曲をピアノ演奏した。

歌曲の方は、クライガーがシバーの英詩を独訳したもので、
このCDでは、Track15で聴くことが出来る。

何故、印象に残るかと言えば、
「盲目の少年」D833という歌曲が、
ほとんど知られていないからである。

「光と呼ばれるものはどんなものですか。
あなた方を喜ばせているものを僕は知りませんが、
僕は神様が与えて下さったもので十分に幸福なのです。」
という、内容の、殊勝で、宗教的な感じのものである。
ディースカウは涙ちょうだいもの、という感じで書いている。

曲も、ピアノ伴奏が独特のリズムを聴かせるが、
簡素なものと言ってよいだろう。
私が聴く限り、フンメルが変奏しても、
どれがメロディか分からない感じである。

フンメルはシューベルトのピアノの腕前も賞賛したと言うから、
この不思議なリズムを気に入ったのかもしれない。
このCD解説には、
「フンメルはこの歌をたいそう気に入ったので、
たちまち、即席のピアノ幻想曲にして、
シューベルトを喜ばせた。
シューベルトの熟達を示す、
この曲の単純で、同時に華麗な性格付けからして、
フンメルが熱中したのも肯ける」
と書いているが、そんなものだろうか。

「事実上、輪郭が不明瞭な
左右の手の対称的な動きによる、
盲人の手探りを表す、
ゆっくりした伴奏は、
盲人の用心深い杖遣いを示す、
8分音符のバスでしばしば中断し、
当惑した感じの瞬間を表現するように、
『光』と『明るさ』という言葉で、
16分音符の流れをためらわせる。
声のメロディの注意深く進む様といい、
様々な細部までにシューベルトの天才が見える。」

成る程、と思わせる解説である。
ここまで書かれると、ものすごく熟達した、
天才的な作品に思えて来た。

私が間違っていた。
フンメルは偉かった。
この簡素さは、目の見えない少年の、
ためらいそのものだったと言うわけだ。
スーパーリアリズムだったのだ。

実に、この未曾有の災害のなか、
これから、どうやって行けばよいか、
暗中模索の我々の足取りそのものみたいな感じである。

私の場合、そのうち電車も動きだすだろう、
などと言う、まったく脳天気な考えで、
震災後、電車の線路に近い道沿いに歩いて、
とぼとぼと歩いて帰宅を始めた。

私も多分に漏れず、
帰宅難民になりかけたわけだが、
東北の惨状のリアリティがないまま、
電車が止まっただけと、
お気楽に考えていた。

しかも、何と、ヒッチハイクに成功して、
比較的スムーズに帰りつくことが出来た。
プリウスに乗せてくれた親切な方は、
横浜の家族から連絡がない、と心配されていたが、
大丈夫だったのだろうか。

お互い様なので、と名前も聞かずに別れてしまった。

私は、その車内のラジオで、
ようやく、大惨事になっていることを知った。
乗せてくれた方も、テレビで、津波を見たが、
ものすごいものだったと話してくれた。

そして、家に着いて、部屋の中の本やCDが、
めちゃくちゃに飛び散っているのを見て、
ようやく、お恥ずかしながら、
自分の問題として捉えることが出来た次第である。

何をどうして良いのか分からない。
左右から少しずつ散乱したようで、
完全にシャッフルされた形で中央部に山積している。
私が、こうして座っている時に地震が来ていたら、
頭部に棚が落ちて即死していたかもしれない。

最初に片付けを始めた時は、
まさしく「盲目の少年」のピアノ伴奏みたいな感じであった。

こうした未曾有の災害や、戦争は、
容赦なく国や個人の行く末を変えて行ってしまうが、
政府の対応如何によっては、
日本は新しい団結の形を見いだすであろう、
などと明るい方向を考えたい。

が、反対に、何か失敗すれば、
世界中から失望され、日本の株も、通貨も信用を失うだろう。
失笑も買うであろう。

あるいは、アトランティスのように、
歴史から消えてしまうのではないか、
などとも連想するショッキングな光景の数々。

某レコード店などは、会員に対し、
営業を見合わせるメールを送って来た。

21世紀が始まってまだ10年ほどしか経っていないが、
20世紀が戦争の世紀であったのに対し、
災害の世紀となり、
世界が新しい価値観を強いられることであろう。

またしても、日本は先鞭を切って、
課題先進国の立場をキープした。

部屋中がひっくり返って混乱しているせいか、
ついつい、余計なことばかり書いてしまった。
ここで紹介したいくつかのCDは、
ケースから転がり出て傷がついていた。
ケースが割れたものもいくつかあった。

が、汚い部屋のおかげで、
沢山のクッションがあったと見え、
まだ全貌は分からないが、
木っ端微塵になったものはないようだ。

さて、ヨーロッパの各地で、
市民階級が台頭し、
素晴らしい音楽が生まれた19世紀という世紀は、
西欧諸国がアジアを侵略して行った100年でもあった。

それぞれのお国柄を誇る作品が書かれる前提として、
ナショナリズムの高まりがあったが、
それを高めるナポレオンの侵略戦争があり、
ナポレオン側も、反ナポレオン側も、
解放戦争だと思っていたのが面白い。

前回、ケルナーが、ナポレオンをやっつけようと、
戦禍に飛び込んだ話を読んだし、
いや、むしろ、シューベルトたちは、
ナポレオンが負けたことで、
政治が反動化し、ひどい目に会ったという話も読んだ。

ロマン派の雄、シュレーゲル兄弟については、
このシリーズの「ロマン派の詩人による歌曲集」第1集で、
弟、フリードリヒが重点的に取り上げられていたので、
今回は、兄の方が主役になっている。

解説は、かいつまむと、こんな風に、
ケルナーとシュレーゲルを比べたものだ。

「全く異なる道を歩んだ
二人の詩人は、賞賛され、尊敬され、
ドイツ文学の同志として、
19世紀初頭の論争の対象であったが、
彼等が、この録音の主役となっている。
初期ロマン派期の、
テオドール・ケルナーと、
アウグスト・ウィルヘルム・シュレーゲルである。
雑多で独特で、矛盾した性向のロマン派期そのもののように、
彼等は、性格的、キャリア、創造活動が完全に異なる。
1820年から1900年まで、
80年もの長いスパンで音楽がこうした影響にあったのに対し、
文学では、1800年から1835年までの、
35年しか続かなかった。
シューベルトは、ウェーバーと共に、
最初のロマン派の作曲家と呼ばれるが、
当然のようにロマン派期の詩人の作品を利用した。
彼の歌曲作曲家としてのキャリアの最初には、
自然と、他の詩人、とりわけゲーテのものがあり、
この詩人は、いつの間にか、
頼まれたとしても、しぶしぶと、
『糸を紡ぐグレートヒェン』や、
『魔王』などで、
ドイツ歌曲に無比の革命が起こることに寄与した。
それにシラー、感傷主義の、
マティソン、クロプシュトック、ヘルティ、
クラウディウスなどが続き、
最後に、広く知られ、賞賛されていた、
疾風怒濤期の『オシアン』の詩が続いた。
これらの大量の詩作は、
シューベルトの当時、
啓発された中産階級の規範として知られ、
読まれ、朗読もされた。」

まったく、ケルナーもシュレーゲル兄も出て来ないが、
このあたりでようやく、ロマン派の話となる。

「一方、ロマン派の詩人は、
前衛であって、公衆には新興のもので、
文学の新しい道を待っており、
その作品の出版のみならず、
とりわけ、アウグスト・シュレーゲルは、
一般的な、または、特にロマン主義のエッセンスを含む、
理論書や美学講義によって、
認知されるための努力を行っていた。」

ということで、我々が考えているような、
古典とロマン派の並列関係などなかったようだ。

「シューベルトは、
1791年、ドレスデン生まれで、
両親のもとで文化的な環境に育った、
テオドール・ケルナーと出会い、
最初にこの運動に遭遇した。
ケルナーは1811年に、
すでに認められた詩人としてヴィーンに来て、
早くも1813年には宮廷劇場の専属詩人になった。
彼はそのころシューベルトに助言し、
作曲家になる望みを強くさせた。
反ナポレオン戦争に志願して、
自由への愛、いかなる形であれ圧政への反抗を、
その政治詩に明言した。
『リュッツォウの勇敢な追撃兵』は、
ウェーバーが効果的な付曲をしており、
今日でも、男声合唱団が好んで取り上げる。
ケルナーはリュッツォウの自由兵団の一員で、
1813年の彼の死は、さながら、
19世紀のポップスター死去のようであった。
ケルナーの『解放戦争の詩』は、
今日の感覚からすれば全くロマン的ではないが、
当時のロマン主義精神の産物として、
よく理解することが出来る。
この他、彼は、『普遍的な人間』の主題も詩にしており、
聖歌のようなもの、
ロマンティックなアイロニーと、
ネストロイやライムンドのスタイルによる、
喜劇的なものにシフトした。
これらの作品にシューベルトは派手ではないが、
完全に適切な音楽をつけ、
正しい評価をした上で、
テキストを土台にしつつ、
個人的な仕上げを交え柔軟な音楽作りを見せている。」

ということで、ウェーバーもケルナーに負っていることは、
前回の解説にはなかった事も分かった。

では、シュレーゲル(兄)には、
どのような解説がなされているだろうか。

「アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲル(1767-1845)は、
弟のフリードリヒ・ヴィルヘルムと共に、
初期ドイツロマン主義の共同創設者で、
ハノーヴァーで、牧師の息子として生まれ、
ゲッティンゲン大学で、最初、神学と哲学を学んだが、
すぐに言語学に転じ、
著作、翻訳、エッセイ、教育に携わるようになった。
1798年、イエナで臨時教授に任じられた年、
そこで、シュライヤーマッヒャー、ノヴァーリス、
ルートヴィヒ・ティークらが参加した、
いわゆる初期ロマン派を創設した。
1803年、シュレーゲルはスタール夫人と会い、
家庭教師として、重用されるようになった。
彼はこの地位にあって、欧州各地を旅行し、
特に、スイス、フランス、スウェーデンなどに滞在した。
スタール夫人の死後は、彼はボンにて、
文学と文化史の教授に任じられた。
晩年の彼は、虚栄心の強い、うぬぼれの強い男になり、
かつての教え子のハイネなどが主導した
当時の文学から遠ざかり、辛辣な批判を受けた。
彼は詩人というより理論家としてドイツの文学発展に寄与した。
彼の最も重要な到達点は、
翻訳と言語学の研究にある。
彼のシェイクスピア翻訳はなお意味を持ち、
多くの人に知られている。」

この話は、以前、ハイペリオンのCDでも読んだ記憶がある。
こまったものだ、人間というものは。

彼の詩につけた歌曲は、
ここでは、「愛の言葉」D410、
「囚われの歌びとたち」D712、
「再会」D855、
「遙かな人に寄せる夕べの歌」D856が、
収録されている。

Track16の「愛の言葉」は、
リュートをつま弾きながらのセレナードで、
リュートの音につれて、感情が高まって行く。
それらしい愛らしい序奏がついている。
夜露が落ちて来た、という第2節で、
不思議な音の変化がある。

Track17の「囚われの歌びとたち」は、
これまた、リュートのつま弾きのような曲想だが、
いくぶん憂鬱で、
「ナイチンゲールの声が茂みにこだまする・・
うるわしの五月がやってきた」という歌いだしから、
かごの中の、他のナイチンゲールたちの、
嘆きのテーマに変わる。
だんだん、ロマン派してくる。

「同じように現世の谷間に捕らえられて、
人間の精神は不安を覚えながら、
気高い兄弟たちの歌声を聞き、
現世の存在を天上の明るい兄弟たちの状態まで
高めようと無駄に努力する」ことがポエジーだ、
といかにも理論家の詩になっている。

Track18の「再会」は、しみじみとした曲想で美しい。
「僕は出かける、すると谷にも丘にも・・、
愛の挨拶があなたに向かって飛んでいく」
という内容。1825年と、円熟の作である。

Track19は、このCDの最後の曲で、
同様に1825年9月の作、
「去っていった人への夕べの歌」。
この詩も濃い。
「予感と想い出が一つになると、
心の最も奥深いところにある影も、
だんだんと明るくなってくる」という難しい詩。
さすが前衛である。

「色も輝きも光も何とまずしいのか、
おまえは、おお人間の生は」という展開。

シューベルトの音楽は簡素をきわめ、
まったく前衛に対する気負いのようなものはない。

F=ディースカウは、この2曲を退屈と切り捨てている。
「この時期の作品としては片隅のもの」
「聴くには忍耐が必要」と書いている。
確かに、最後の作品は8分もかかる大曲である。

得られた事:「ケルナーは19世紀初頭のポップスターであった。」
「『盲目の少年』の評価、さすがフンメル!」
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by franz310 | 2011-03-13 22:21 | シューベルト | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その267

b0083728_0113221.jpg個人的経験:
ハイペリオンの
シューベルト・エディション、
日本で発売された時には、
第4巻にもまた、
「シューベルトの友人たち」と、
副題が付けられていた。
これは、テノールの
フィリップ・ラングリッジが担当し、
マイヤーホーファーのものに加え、
主にケルナーの歌曲を歌っている。


日本語版の解説によると、
この歌手は、1939年生まれのイギリス人で、
ハイペリオンのシリーズ第3巻を担当した、
メゾのアン・マレーの夫君なのだそうだ。
10歳の年齢差がある。

夫婦でシューベルトの友人たちの歌曲を歌ったが、
録音はこちらの方が二ヶ月早く、
1988年の9月11日、12日に行われている。
ラングイッジ50歳の録音。

残念なことに、この人は昨年の3月に、
癌のために70歳で亡くなったということだ。
もう、このCDが出てから20年も経ったのか。

このCDの表紙では、チェスの馬を持っているが、
これは何を意味するか悩ましいのだが、
ブックレットの8ページめにある、
ヨーゼフ・ケンナーの肖像画が、
ちょうど、これと同じポートレートなので、
それにあやかったものと思われる。

とがった鼻の形などが、妙に似ている。
この写真の表情から感じられる堅苦しさは、
歌唱そのものと、どうも一致しない。
いかにも、イギリス人らしい気品ある、
しかもしなやかな肌触りの歌い口は、
とても嫌味のない自然なものだ。

この肖像画のケンナーは、
このCD冒頭に収められた作品、
「吟遊詩人」D209の作詞者である。

「吟遊詩人」は、曲自体はあまり知られていないが、
シューベルトの親友のシュヴィントが、
この曲に霊感を受けたスケッチを残して有名だ。

つまり、詩から音楽、そして絵画へと、
友人間で霊感が伝達されたということで、
シューベルトのサークル特有の、
芸術の王国を形成したことで有名な作品である。

このような状況をジョンスンは、解説のなかで、
この時代特有の現象だと力説している。

いわく、ビーダーマイヤー期の中流階級は、
詩や音楽、絵画をたしなんだ。
いわく、メッテルニヒ体制のオーストリアは、
他の国々と隔絶し、学生たちをも謀反の温床と見た。
いわく、青年たちは団結し、
国家転覆より高踏的な生活態度に転じ、
俗物に対抗する自称芸術家の一団が出来た、
等々。

さらに、芸術家というものは、
自分たちの仕事が世の中を変えることが出来る、
と信じているゆえに、秘密結社的な雰囲気を漂わせたという。

ナクソスの解説では、これら友人たちの詩による歌曲集は、
その詩の稚拙さの向こうに、
彼等共通の危機意識をくみ取っていたが、
ハイペリオンの解説では、
もっと単純に、
「わたしたちはそれが付曲されるに到った愛情と
仲間意識というメンタルな背景に思いをいたすべき」
と書かれ、
「最も幸せだった一時期の副産物」(喜多尾道冬訳)
という見方がされている。

さて、このケンナーの詩による「吟遊詩人」、
早くから人気があった作品であったと見え、
出版は作曲家の生前、1825年である。
曲が作られたのは、シューベルトの創作力が爆発した、
1815年であるとされる。

しかも、全曲を歌うのに、15分を要する大作である。
私は、こうしたシューベルトの長大な歌曲の傑作は、
シラーの詩による「潜水者」D117だと考えていたが、
ジョンスンの解説によると、
「『吟遊詩人』の簡潔さは、『ダイバー』の装飾過多を払拭し、
イノセントな若者の物語を語るにいっそうふさわしくなている」
と書いて、さらにそれを上回るものとして捉えている。

ディースカウは、その著書で、
「多少煩雑で奇妙」と書いているが。

この曲は、あの「潜水者」同様、
いにしえの伝説のような物語詩となっている。

身分違いの恋人の元を離れ、
旅に出た若者が、いくらさすらっても、
死に場所すら見つけられず、
やはり故郷を見てから死のうと思う。

故郷に着く手前あたりで、
かつての恋人で、今は人妻となったミッラが、
人狼に襲われそうになっているのに出くわす。
若者は大切な竪琴で怪物と戦い、
もろとも谷底に落ちていく。

なかなか、泣かせる内容で、
素人詩人ながら、ケンナーは、
上手い具合にシューベルトが好む世界を作り上げている。

このケンナーと、良く似た名前の、
テオドール・ケルナーの詩による歌曲が、
8曲、この後に続く。
全15曲なので、ケルナー歌曲集のCDと言ってもよい。

だが、解説によると、
シューベルトのケルナーの詩による付曲は、
14曲もあるそうなので、
そのすべてを収めているわけではない。
ちょうど、LPがいっぱいになりそうな分量だが、
そんな企画は聴いたことがない。

このケルナーは、愛国詩人として知られ、
ナポレオン戦争には率先して従軍し、
わずか23歳で戦死した人である。

軍人としての側面も持った人であるから、
このCDのブックレットの9ページめにある、
肖像画でも、きらびやかな飾りの軍服を着ていて、
眼差しから放射される強い意志が印象的である。
こういう世界とは無縁に見えるシューベルトであるが、
実はこの青年将校は、彼にとっては大変な恩人であった。

日本発売時の解説も、立派なものだったので、
オリジナルの解説を直訳したものと思っていたが、
見直してみると、ジョンスンの解説とは別のものだ。

もとのブックレットにはこう書かれている。

「テオドール・ケルナーは、しばしば、
同じ世代からは、Rupert Brookeと呼ばれていた。
彼はシューベルトよりわずか6歳だけ年長で、
当代切っての何かに見える程若く、
まだ10代であった作曲家を、
一種の英雄崇拝で奮い立たせる程、
早熟で向こう見ずであった。
ケルナーはドレスデンの文学的家庭からの出自で、
彼の父親は、まさにあのシラーの親友であった。
この性急な若者は、1811年にライプツィッヒ大学から
決闘の罪で放校されている。
彼は、その悲劇の一つが上演された
アン・デア・ヴィーン劇場のあった
ヴィーンに移り住み、
19歳にして、ブルグ劇場付きの劇作家になった。
この頃、ヨーゼフ・フォン・シュパウンは、
シューベルトをブルク劇場に連れて行って、
グルックの『トゥーリードのイフェゲニー』を見せている。
『劇場を出る時、我々は、私が親しくしていた、
詩人のテオドール・ケルナーに出会った。
私は、すでに多くのことすでにを語っていた、
作曲家の卵を彼に紹介した。
彼は知己を得た事を喜び、芸術に生きることこそ、
幸福があるのだと、シューベルトに説いた。』
その後、レストランで、隣の席で、
批判されていた、歌手のミルダーとフォーグルをかばって、
ケルナーとシューベルトは危うく口論になるところだった。
若いシューマンがハイネに出会ったように、
この夜の出来事は、シューベルトが、
この詩人の魔力に取り憑かれるのに充分だった。
この夜、シュパウンと、ケルナーといて、
シューベルトは理想を共にする共同体の一翼を担う、
芸術家としての自覚を深めたことであろう。
家族が彼を教職に縛り付けようとするのに反抗しようとする
彼の態度は、この若い詩人のアドバイスによって強固になった。
1813年8月、ナポレオン解放戦争の小競り合いがあった、
ガーデブッシュの戦闘でケルナーは殺された。
彼は5つの悲劇、5つの喜劇、短編小説、
その死に様によって強調された衝撃と人気を誇った、
愛国詩集『Leyer und Schwert』を含む多くの詩を残した。」

このように、ケルナーは、血気盛んな、
いくぶんヤバいタイプとして描かれているが、
この人なくしては、シューベルトは、
作曲家としての道を歩まなかった可能性があり、
我々は、このあんちゃんに感謝しても、
し足りないということはない。

このように、シューベルトは作曲家になりたての頃に、
この詩人から強烈な刺激を受けた。
そのせいか、8曲中5曲はドイチュ番号も、
若書きの100番台である。

あとの3曲も200番台と300番台が1曲づつと、
600番台が1曲。
いずれも、五重奏曲「ます」などが書かれる前の時点。

その後、マイヤーホーファーが4曲、
シュレヒタ1曲とコリンが1曲なので、
第3巻のマレーのCDより、ずっと地味な選曲と言ってよい。

Track2と3は、同じ、「歌びとの朝の歌」で、
第1作D163と第2作D165というのが、
これまた、いかにも、習作っぽいではないか。

解説によるとこの2曲は1815年の、
2月27日と3月1日という、
ごくわずかな日数を経て書かれたものだ。

「美しい日よ、おまえははじまったばかり。
深い意味をこめた言葉を、
メロディゆたかな諧音で、
おまえのばら色のかがやきに挨拶を送る!」

という朝焼けへの賛美であるが、
1曲目は軽快で軽薄であり、
2曲目は、まったりとして陶酔しすぎである。
シューベルトの修行は始まったばかり、
という感じがしなくもない。

ジョンスンの解説でも、
これらの曲は、まったく別の曲と書かれているが、
決して若書きとして片付けられてはいない。

第1曲も「高揚した精神の音楽」とされ、
「ピアノ前奏と声のメリスマに
ウェーバーも影響が感じられる」として、
「もっと知られて良い」と書かれている。

第2曲は、「水車屋」の中の、
「朝の挨拶」の先駆としていて、
祈りの歌として解釈した例としている。

さらのジョンスンは、この曲を、
「ベッリーニ風の流麗な声の糸」と書いて、
これら2曲の差異の中に、
「ケルナーの詩の全貌が聴きとれる」としている。

ちなみにF=ディースカウは、
「おどけた第1作と物思いに沈んだ第2作があるが、
第2作の美しい旋律のほうがより印象的である」
と書いている(原田茂生訳)。

Track4もまた、
1815年3月の作曲。
「それはぼくだった」D174。
この曲は、詩も面白いし、曲も機知に富んでいる。

夢の中で「君そっくりの」美しい乙女を見る。
この部分はまさしく、うっとりと夢見るように流れ、
後半、若者が乙女を抱き寄せるが、
「それはぼくだった!」という落ちであるが、
その部分の快活さもすかっとする。

ジョンスンは、ダニー・ケイの映画を引き合いにし、
シューベルトもまた、
テレーゼ・グローブへの宿命の愛にあったとする。
「気まぐれな自由が支配」し、
「ユーモアとやさしさにあふれている」としている。

Track5も同様に恋の曲で、
「恋のたわむれ」D206。
同じ1815年のものながら、
5月も26日の作曲とされる。

「かわい子ちゃん、ここへおいで!
千回もキスしてあげるよ」という、
向こう見ずな若者の勇ましく、微笑ましい音楽。
ジョンスンが「ジングシュピール風」、
「大胆な痛快さが支配している」と書いている。

Track6は「愛の陶酔」D179で、
ちょっと戻って4月の作曲。
「きみのなかにぼくの想いは融けてゆく」
と、「恋のたわむれ」と違って、
真摯に情熱的なもの。

これは、伴奏の音型の精妙さが歌と一体となって、
シューマン風で、妙にロマンティックである。
「きみの眼差しの中にぼくの天はかがやき、
きみの胸のなかにぼくの楽園が宿る」と、
まさしく詩が喚起した情熱であろう。

ジョンスンは、「ここには恍惚と苦悩に
身をよじられる心の動揺が渦巻く」と書き、
「ケルナーの肖像」だとしている。
これは名曲であろう。

Track7は、「愛の憧れ」D180で、
D番号は1つ違いで、同じ日の作曲。
これは夜の歌で、沈潜するような曲調が美しい。

「夜がやさしく心の戦いを、
そのありあまる力、旺盛な生命を、
あまいまどろみの揺りかごへと誘う」
という神秘的な部分から、
ピアノが荒々しく一閃し、
「だがつねに新たに生まれ出る苦しみを伴い、
ぼくの胸のなかで憧れがうずく」と、激情が迸る。
これは、演奏効果もあがる曲と見た。

この前半部を、ジョンスンは「影法師」に例え、
ピアノ伴奏の大胆さを指摘している。
「目をみはるような大胆さ不安」とあって、
これまた、ケルナーの人柄を伝えると書いている。

Track8は、急に軽妙な語り口になって、
ジョンスンは「18世紀風なエロティックな
ミニアチュール」と書いている「邪魔される幸せ」。
D309で1815年も秋の10月のもの。

レースヒェンにキスしようとすると、
常に邪魔が入る、という猥雑な内容だが、
熟達、余裕の筆致である。

Track9は、D611で、
ずっと後の1818年3月の作曲となる、
「リーゼンコッペの山頂にて」。
ケルナーの詩への最後の付曲だという。

これは、雄大な内容の詩で、
題名のとおり、詩人は山頂で、
「聖なる山頂よ、天を摩するものよ」と歌い、
から下界を見下ろしては、
人々の営みや自然を眺めやる。
「僕は祝福する愛する故郷よ」と歌い上げる。

しかし、シューベルトの曲想は、
きわめて地味というか、実験的で厳しい。
どうしたことかと思うと、
途中から、優しい曲調に変わるが、
ちょっと繋がりが悪い。

ジョンスンは、しかし、この曲は、
「真に中味のある愛国歌」にすることに成功した例としている。
様々な視界からの展望の効果も特筆している。

以上で、このCDにおける、
テオドール・ケルナーの詩による歌曲集は終わる。

Track10は、山頂から一転して、湖となる。
マイヤーホーファーの詩による、
「湖畔で」D124、これまでのもののなかで、
最も早い時期の1814年12月の作曲。

愛国詩人ケルナーとは明らかに異なる、
憂国詩人マイヤーホーファーが、
「湖の草辺に座ると、悲しみが忍び寄る」という、
悲しげな曲調は、
「ぼくはあまい苦しみのうちに死にたい」と続く。

しかし、激烈なピアノを伴う楽想が、
この基調をぶちこわして進む。
「自分の奥深い力を意識すると、
最高のものを求めて苦悩する」というのである。

Track11は、モーツァルトの、
「ジュピター交響曲」のテーマのような音型が面白い、
「昔の愛は色褪せない」D447。
1816年9月の作曲。

やはり、マイヤーホーファーの詩で、
「かつてぼくのものと呼んだあの人は、
ぼくを風のように包んでくれた」と、
女嫌いの詩人にしては、ちょっと違う印象。

「そして、あの人を失ってから、いろんな所に行って、
美しい女たちを見たが、彼女が追い払ってくれる」、と続き、
のろけ話のような感じにも聞こえるが、
彼女はもういないのであるから、意味深である。

ジョンスンは、きっと、こう書くのではないか、
と思ったとおりのことを書いてくれている。
「モーツァルトに対するシューベルトのかわらぬ愛は、
色褪せることも消えることもなかった。」

そして、テレーゼ・グローブとの愛の終止符である。

が、もっとすごい事も書いていて、
「まったく魅力的なリート」、
「内的原理は、呪文か連檮に近い」、
などと表現しているのである。

Track12は、やはりマイヤーホーファーで、
「河のほとりで」D539、1817年3月のもの。
ピアノ・ソナタの年のもの。

これは、いかにもマイヤーホーファーのもので、
川と自分の心を重ね、
緑の絨毯に映えていることもあれば、
不安に満ちて轟き流れることもあり、
海に行っても落ち着かない、
という内容。

こうした内容には覚えがある。
そうだ、前回聴いた、ハインリヒ・コリンの詩。
シューベルトのD509「別れの苦しみ」である。
これは、前年、1816年末のものだった。

Track13は、比較的成熟した名曲と言える、
「夜曲」D672である。
ジョンスンは、シュレーゲルの歌曲集『夕映え』の影響がある、
と書いているが、さすがに深いロマンを感じさせる曲調。
森の中の老人が、竪琴を持って、最後の時を告げると、
森の木々も草も鳥も、みんなが、その死を抱き留める。

これは、五重奏曲「ます」と同時期に書かれたものであるはずだ。

Track14は、この前にも聴いた、
シュレヒタの「恋の立ち聞き」D698。
ナクソスのものよりも、たっぷりとした音楽になっている。

このCD解説には、シュレヒタの肖像が掲載されているが、
こちらは、いかにも、ぼんぼんという感じで、
先に上げた鉄砲玉のケルナーとは正反対の印象だ。

「フランツ・クサーヴァー・フォン・シュレヒタは、
シューベルトの数多い、学校時代の友人の中でも、
シューベルトの死の時まで、ヴィーンにあって、
そのサークルにあった人である。
彼は詩人としての資質には欠けたかもしれないが、
(彼は詩句を磨いて大きな効果にすることが出来ない
ディレッタントの一人であった)
忠実な友人だということでその埋め合わせをした。
彼は財務局の高官となった。
彼はシューベルト歌曲のうち、
8曲の作詞者であり、多くは成功作である。
『愛の立ち聞き』は、最も長いものであるが、
ある意味、最も簡単なものである。」

ジョンスンも、この曲は、シュレヒタが、
カーロスフェルトの絵に着想を得たもの、
と書いているが、
内容が内容なだけに、「リートではなく、歌の絵」
だと表現している。
しかも、最後の2行の痛快な表現を、
「判じ物」と言い切っているのがすかっとした。
私が前回、書きたくて書けなかった事が、
ここには、はっきりと書かれている。

もういちど、思い出すと、この曲は、
恋人の窓の下で、若い騎士が、
ツィターを弾きながら、
あの人を窓辺に呼び出しておくれ、
と歌うもので、非常に美しいメロディが印象的なもの。

最後に騎士は窓によじ登って、
花輪をくくりつけるのだが、
最後の最後になって、
「下からくすくす笑う声がして、
あなたの騎士リーベムントからよ」
と立ち聞きされていた、という内容。

ジョンスンは、下から声をかけたのは誰で、
リーベムントは誰か、と疑問を呈している。
そして、シュレヒタが中途半端なことを書くからだ、
と八つ当たりもしている。

このCDのブックレットには、
乙女の窓辺の木に登る若者を図示した絵が添付されているが、
これが、カーロスフェルトの絵なのだろうか。
その割には、花輪などないが。

さて、Track15、
最後の曲は、コリンが作ったふざけた詩に、
シューベルトがさらにふざけた音楽をつけた、
「リンツ試補ヨーゼフ・フォン・シュパウン氏に寄す手紙」
という長々しい題の作品。
1822年の作曲、D番号はD749である。

円熟期の作品ゆえに、どこからどこまでも、
壮大かつ崇高な楽想が鳴り渡っている。

何も知らずに聞き始めると、
ものものしいレチタティーボが始まり、
何か歴史的絵巻が繰り広げられるのだと思うだろう。

ピアノの響きも恐ろしく緻密で、
底光りがしている。

しかし、何と、この作品は、
まさしく手紙で、歌われている内容は、
「で、結局手紙を寄こさないつもりなのかい」
と、前年ヴィーンを去り、
リンツで役職について連絡をくれない、
友人シュパウンをなじるものなのである。

シュパウンといえば、五線譜をくれたりして、
何かと少年時代のシューベルトに世話を焼いてくれた、
大恩人である。
コリンは、その従兄であり、シューベルトは、
この年配の友人には、深い敬意を払っていた。

雄大なアリアが立ち上がるが、
その内容は、
「たとえぼくたちは忘れられても、
あの実直な人をいまだ愛している」というもの。
まことに愛すべき作品である。

F=ディースカウも、
「珍品を探している人を失望させない」とか、
「壮大な英雄オペラのすばらしいパロディーが
数多く隠されている」とか、
「内容のある音楽」と書いている。

が、このCD解説を読むと、ジョンスンは、
もっとうがった見方をしていて、びっくり仰天した。
シューベルトは、何と、馬鹿真面目に、
当時、流行していたイタリア音楽に真似て、
これを書いたというのである。

まさか、こんな内容のものまで、
勉強の材料にしたというのだろうか。
しかし、そう考えてもおかしくないような、
一途さがこの作品にはみなぎっているのは確か。

レチタティーボの終わりに、
「野蛮人め」となじる部分があるが、
これは、当時、シューベルトら、
ドイツの作曲家を閉め出していた、
劇場経営のイタリア人、
バルバーヤと語呂が似ているから、
思いっきり、吐き捨てるような表現にしたともある。

何だか、冗談が昂じて、八つ当たりになっている感じだ。
そうした状況もあったかもしれないが、
ラングリッジが、いかにも、という感じで、
悲劇的な声を張り上げているので、
私は、おかしくてしょうがなかった。

ジョンスンは、さらにシューベルトの、
このくそ真面目さが、オペラで成功できなかった理由だ、
と書いているが、そこまで書かなくても、
という感じがする。

何故なら、前半のケルナー歌曲集などは、
かなり微笑みを含んだ作品が揃っていたように思えるから。

得られた事:「ジョンスンの解釈では、シューベルトは友人たちへの付曲は、人間的な信頼関係を第一とした彼の考え方の産物であり、これによって、友人たちは、さらに真剣に彼の音楽に耳を澄ませた。」
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by franz310 | 2011-03-06 00:20 | シューベルト | Comments(0)