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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その266

b0083728_2252111.jpg個人的経験:
シューベルトの歌曲で、
友人ショーバーの詩につけたもの、
「すみれ」と「わすれな草」
の2曲は、その規模と、
内容からして一対の作品である。
前回、この2曲を録音した
ナクソスのCDを紹介したが、
残念ながら、
その他の作品の聞き込みで、
力尽きてしまった。


ハイペリオンの「シューベルト・エディション」でも、
当然、この2曲は収録されているが、
「わすれな草」の方は、フェリシティ・ロットが受け持ち、
「すみれ」の方は、アン・マレーが担当している。

このCD、ハイペリオンの全集の3巻目であり、
これを入手した時、まだ、この全集は、
日本語解説付きのものが進行中であった。

その後、日本語解説付き盤は、
売り上げが伴わず、立ち消えになってしまったが、
これは残念なことであった。
私の印象では、この全集のピアノと解説を受け持った
グレアム・ジョンスンの筆は、後半になるに従い、
さらに冴えを増していったようにも見えるからである。

が、今回、この日本語解説を見てみると、
あくまで、英語版解説の補助であることが分かった。

この英語版ブックレットをめくれば、
貴重な肖像画がページを繰るごとに現れ、
どきどきしてしまうが、当然、日本語ブックレットでは、
これは省略されている。
このCDでは、シュパウン、フォーグル、シュタッドラー、
マティアス・フォン・コリンの肖像がある。
日本語だけを見て、このオリジナル部を見なければ、
このシリーズの価値の、
何分の1かを味わっていないことになる。

ブックレットをめくると、
かくも、サービスたっぷりのCDではあるが、
それにしても、表紙のアン・マレーは、何故、
このように無表情でこちらを見つめているのであろうか。

第1巻のジャネット・ベイカーは、優しく微笑み、
第2巻のスティーブン・ヴァーコーは、
いかにもシューベルト風にポーズを作っていたが、
第3巻になって、何故、このような無愛想な表紙になったか、
少々、戸惑いがあった。

1949年生まれのアン・マレーは、
この録音が行われた1988年時点では、
まだ30代ということになるが、
黒っぽい衣装といい、あまりに華がない。

先に見られた肖像画でも分かるが、
このアン・マレーのCDも、ナクソス盤同様、
シューベルトの友人たちの歌曲を集めたものとなっている。

ただ、数の上で別格の
マイヤーホーファー作品をも集めたがゆえに、
友人たちの歌曲集というよりは、
マイヤーホーファー歌曲集が主であって、
おまけのように、その他の友人たちの歌曲が含まれている
といった趣きになっているが。

ナクソスはその点、詩人別にしたので、
たっぷりあるマイヤーホーファー歌曲集は、
別巻で2集にして出されることになった。

今回のハイペリオン盤は、
もともと、有名なものと無名の歌曲を、
バランスよく収録しようという企画であったから、
こうしたオムニバスになったものと思われる。

例えば、有名なところでは、
コリンの「こびと」と「夜と夢」があって、
知られざる作品を聴いた後のご褒美みたいに、
終わり近くに、2曲並んで収録されている。

14曲中、実に約半数の6曲が、
マイヤーホーファーのもので、
しかも、フォーグルに認められる契機となった、
「眼の歌」D297(1817?)から、
「友人たちに」D654(1819)まで、
D番号が点在しているのも眼につく。

Track1には、大恩人シュパウンの詩による、
「若者と詩」D545(1819年作)が収録されているが、
その後、ずらずら6曲の詩がマイヤーホーファー作。
最後も、マイヤーホーファーの「別れ」D475である。

Track2は「友人たちに」D654で、
五重奏曲「ます」と同様、これまた1819年の作。
しかも、この曲をつけた時、
この二人は一緒に住んでいた。

「森に僕を埋めてほしい、
冬には雪に覆われるが、
春には塚に花が咲き乱れる」
という、陰鬱ともかすかな憧れとも思える歌。

このような曲を書かなければならなかったシューベルトが、
この年の夏、シュタイアーで、青春の息吹を取り戻す、
明るい曲をたくさん書いたのも当然と思える。

Track3は、「眼の歌」D297。
「ぼくの喜びは、眼から与えられる」
と、見えるという事への感謝の歌で、
やさしい民謡のような簡素さがある。

フォーグルとの出会いの時の歌で、
この曲を見てシューベルトの才能を認めたフォーグルは、
例えば、その後、「冬の旅」のような
作品を書くようになるこの作曲家の将来まで、
はたして見通していたのだろうか、
などと考えてしまう。

Track4は、「帰路」D476。(1816年作)
この曲は、魅惑的な序奏からして、
非常に感傷的なものだが、
歌詞もこれまた不思議な雰囲気を持っている。

のびのびと自由であった山や森を離れ、
ドナウ川に沿って首都に戻って行く様子。
美しい人生が一歩一歩消えて行くと歌われる。
マイヤーホーファーは、実に陰鬱だ。

まさしく月曜の朝に会社に行く時の心境。

この曲に対するジョンスンの解説は、
録音の合間に歌手のマレーが、
おどけて見せた様子を伝えとても興味深い。
マレーネ・ディートリヒの声色を真似て、
これを歌って、ここにあるうらぶれた人生観を、
垣間見せたというわけだ。

Track5は、「イーピゲネイア」D573(1817年)。
この曲も序奏からして魅惑的で、
ふと引きつける典雅さを持っている。

これは、夷てきの地、タリウスから、
一族の住む国に返して欲しいと、
女神に対して女官が訴える歌で、
メロディの線もアルカイックで美しい。

この曲の解説も傑作で、
女嫌いの詩人の、数少ない女声用リートの最高作、
などと書かれている。

Track6は、「歌の終わり」D473(1816)。
白髪の王は、竪琴弾きの歌に、
まったく心を動かさない。
無力感に竪琴をたたき割ったが、
王は「無感動を許せ、
もう死が近づいているのだ」と告げる。

6分を要する大作で、様々な場面が歌われるため、
この曲は、メロディは豊富ながら、
いささか繋がりが悪い感じ。
ジョンスンの解説も、いささか月並みな節回し、
などと書いて、その気持ちが表に出た伴奏ぶりでもある。
が、後半に関しては、賛辞を惜しんでいない。

以上のマイヤーホーファー歌曲集をもって前半が終わり、
真ん中には、シュタッドラーの2曲が来る。
これらは、前回のナクソスのCDにも収録されていたものだ。

1820年、「ます」の五重奏曲が書かれた余韻のように書かれた、
Track7の「聖名祝日の歌」D695は、ジョンスンも解説で、
「このリートはシューベルティアーデの雰囲気を伝える
典型的な機会作品」と書いている程の晴れやかさである。

シューベルトは前年、シュタイアーで、
ヨゼフィーネ・コラーという、
音楽の才能の豊かな娘と楽しいひとときを過ごしたが、
この歌は、その父親宛に書かれたものである。

ジョンスンの解説では、
コラー嬢は19歳だったようだが、
シューベルトもまだ22歳。
想像するだに楽しそうな年齢の二人だ。
シュタッドラーは、シューベルトの寮学校時代の友人で、
3歳ほど年配だが、郷里に帰っていて、
やって来たシューベルトを歓待し、
彼のおかげで素晴らしい環境が影響して、
名品「ます」の五重奏曲が生まれたようなものだ。

この曲のピアノ伴奏を受け持ち、
ヨゼフィーネが歌うことが想定されている。

詩は、「主よ、あなたの祝福を、
名誉ある男に授けて下さい」と、
誕生日のように祝われる内容になっている。

ジョンスンは、この曲のピアノの扱いを、
「生意気な様子」と表現しているが、
これについては、ああ、なるほどね、と思わせる。

Track8のシュタッドラーの詩による歌曲は、
1815年と、少し、時代を遡る、
「いとしいミンナ」D222である。
これは、素人が作ったにしては、
なかなか大作の悲恋もので、
6つの部分に分かれ、5分を越えている。

戦争に行ったヴィルヘルムを思ってミンナが泣くと、
夕暮れのそよ風が、岩山の上にミンナを導く。
花の中から恋人の声が聞こえ、
ミンナはそこで横になるのである。
シューベルトは、この彷徨う女の嘆きを、
切々と歌い上げている。
恐ろしい18歳である。

Track9は、ショーバーの詩による、
「おんみらの平安を祈る」D551(1817年)で、
これは、ナクソスのCDにも入っていた。
ここでは、マレーが、さすがメゾの深い声を響かせ、
シューベルトの葬儀の時にも歌われたという、
この荘重な歌を、魂の響きとしている。

そして、Track10に、ショーバーの詩による、
「すみれ」D786が来る。
これはモーツァルトの同名の曲とは異なり、
大規模な歌曲なので、後に回そう。
特にここでの歌は、15分に迫る大歌唱となっている。

この曲が大作だとはいえ、15分もかけたのは、
このCDだけではなかろうか。

Track11は、ショーバーの詩による、
1817年の「歌のなぐさめ」D546である。
3分に満たない、ぽつりぽつりした歌である。
非常に簡潔なもので、水墨画の味わいである。

ぱらぱらという序奏は、竪琴の響きを模したもの。
「不幸な時にはハープを取る。
歌を口ずさむと嵐も穏やかに聞こえる。」
と静かに歌われるが、
最後に、シューベルト団の秘蹟のような言葉が来る。

「悲しみと喜びがひとつに解け合う、
それが僕の生き方なのだ。」

ジョンスンは、ジョン・リードが、
この曲を完璧無欠と書いているのを紹介しながら、
この2行を「作曲家の芸術の墓碑銘」と書いている。

また、ジョンスンは、この曲の内容から、
シューベルトが、音楽に関する考え方を、
身近な友人には吐露していた証拠だと書いているが、
これは、なるほど、と思ってしまった。

Track12は、これまた素晴らしい作品、
「こびと」D771である。コリンの詩。

シューベルトの恩人で、
大学教授であった、この人は、
こんな作品を書いていたのである。
私は、むしろ、コリンは「こびと」を書いた人と、
昔から知っていたが、シューベルトと、
そんなに近い人だったとは知らなかった。

身も凍る効果を持つホラー作品と、
ジョンスンが解説に書くように、
不気味極まりない内容。

前の曲の、中に向かって凝集したものが、
爆発するかのような壮麗な効果を見せる。

夕闇の中で、小舟に乗った王妃とこびと。
冷酷なこびとは王妃の首を絞めるが、
何故か彼女は喜んで死んでいく。

「すみれ」同様、1822年頃に書かれたもので、
シューベルトの筆は熟達にある。

Track13は、素晴らしい「夜と夢」D827。
さらに後年の作品で、浮遊感に満ちたマレーの歌で聴くと、
シューベルトの魂が、亡くなったばかりのコリンの魂を追って、
一緒に虚空に消えて行くような印象すらある。

前回聴いた、ゲラーが3分半で歌っているのを、
なんと4分40秒かけている。

最後のTrack14は、マイヤーホーファーの詩による、
「別れ」D475で1816年の作品。
「ああ、鏡のような湖、森、丘は消えてゆく、
あたりにこだまするきみたちの声も消えてゆく」
と歌われる、寂しい音楽で、
これまた、マレーの声が、この世ならぬ響き、
ジョンスンの伴奏も不思議な虚無感である。

ジョンスンは、この小さな曲に、
ブラームスやマーラーまでを予告するものを、
聞き取るのだという。
では、ディースカウの本にはどうあるかな、
と見直すと、何と、ここにも、
「マーラーを予告する」と書かれていた。

マイヤーホーファーは、そういえば、
シュタイアーの出身の人であった。
シュタイアーは、シューベルトが、
五重奏曲「ます」の着想をした街である。
では、この湖、森、丘などが、
シューベルトに新しい霊感を与えることになるわけだ。

ということで、このCD、かなり聴き応えがあるもの。


表紙写真に見られた無愛想なマレーの表情と、
気むずかしいイメージの、マイヤーホーファー歌曲集の存在のせいか、
私は、このCDを、あまり良く聞き込んだ覚えがない。
が、今回、聞き直してみると、実に良かった。

こう言うことがあるから、
レコードのよさというものは、語るのが簡単ではない。
聴く者が、ぴったりと波長が合わないと、
聞こえるべきものが聞こえない場合がある。

私の場合、「アルフォンソとエストレッラ」を聴いて、
今は、シューベルトの友人の仕事が、
気になってしかたがないので、
1曲1曲が珠玉に聞こえだしたが、
これまでは、こうした歌曲は、
ゲーテやシラーの有名歌曲の合間に書かれた、
友人へのサービスのような二級品だと考えていた。

しかし、あのオペラや、ナクソス盤の、
愛情こもった解説を見ているうちに、
これらの歌曲集は、古典の大家の詩につけた歌曲より、
はるかに強烈な危機を内包した、
切実な訴えとして聞こえるようになってしまった。

また、この前聴いた、ブリギッテ・ゲラーが、
ソプラノで、いささか清潔にすぎて、
人間味が感じられにくかったのに対し、
このマレーのメゾ・ソプラノは、
かすかな陰影が魅力となっている。

しかも、ジョンスンの伴奏も、
いかにも大切にこれらの歌を扱っている。
特に、大作、「すみれ」では、
さあ、これから始まりますよ、
という感じに、心を込めた序奏が聴ける。

この「すみれ」という歌曲、
春一番に起き出したすみれの花は、
恋人の事を思って、さっそく花嫁衣装に着替えるが、
回りはまだ冬景色。一人ぼっちなのである。
恥ずかしくなって、草陰に逃げ込んでしまう。
そして、「愛と憧れの苦しみのあまり、
すみれのひよわな心はつぶれて」しまうのである。

春が本当にやって来た時、
ばらや百合やチューリップが、
すみれを捜しに行くが遅かった、
という内容が意味深である。

ジョンスンの解説もこの曲を絶賛している。
「踏みにじられた無垢、空しい努力、
かがやかしい強大な力への屈服、
といったものすべてがこのバラードにある」とある。
ヴァイオリン・ソナタのように弧を描くメロディ、
ロンド形式のような形式感などが特筆されている。

いかし、このようにこの曲を評価する人は、
多くはなく、ディースカウなども、
技巧に走った作品として軽視している。

「まさしく植物学の講義に似て、
はからずも喜劇的な感じを与える」と書き、
ディースカウは、シューベルトは、
ショーバーのために、この曲を書いたように書いているが、
果たしてそうであろうか、という疑問が湧く。

この前、このショーバー歌曲の、
ナクソス盤解説を文字数の制約から、
はしょってしまったので、
ちょっと、ここで、改めて、それを見直そう。

シューベルトが、1823年という危機の年の春、
友人、ショーバーの詩に付曲した大作2曲、
「すみれ」、「わすれな草」が、
一気に収録されていたことから、解説でも、
上手い具合に、これらを概観してくれている。

いずれも、ここでの演奏で言えば、11分ほどかかる曲ゆえ、
2曲を合わせると、この年に書かれた、
あの「未完成交響曲」と同じくらいの規模になる。
未完成が書かれ始めたのは、前年の秋。

「シューベルトの最も親しい友人であった、
ショーバーの詩による二つの花のバラード、
「すみれ」D786と「わすれな草」D792は、
誠実ながら、落胆した花の花嫁を扱ったもので、
彼女は死によってか、忍従、または身を引くことによってしか、
平安を見いだすことが出来ない。
そこに含まれる自然の象徴は、
基本的な精神的な喪失を表し、
自然は、もはや、調和した循環ではなく、
悲しい出来事の繰り返しとなり、
神が与えた善き世界の秩序はもはや存在しない。
同時に、花のバラードは、同時代のメタファーを含み、
(ナクソス盤Track17の)『すみれ』は、
あまりにも春早く咲き出して死ぬことから、
自由のアレゴリーとして捉えることが出来る。
(ナクソス盤Track2の)『わすれな草』は、
あまりにも遅く育ち、内省のうちに終わる。
白日夢は、ビーダーマイヤー期の人々を表し、
大いなる希望からの失望から、
限られた個人的牧歌を表す。
これらのテキストが、シューベルトにとって、
単なるセンチメンタルなメロドラマではなかったことは、
その音楽の冒頭から聞き取れる。
『すみれ』において、単純ながら、緊急ベルのような動機は、
曲全体に行き渡っており、色彩と変化で彩られている。
それは戻って来る都度、新たに強調され、
最後に枯れる所では、旅立ちと未来を告げる。
『わすれな草』は、音楽的、主題的により複雑で、
和声的にはさらに大胆であり、
叙情的な名残惜しさと、劇的にせき立てられる楽句の間の、
コントラストが激しい。
長く、痛々しい、そして深い情感のパッセージの第13節、
『涙はただ、それ自身の痛みのみを語る』は、
調性的にもペダル・ポイントの進行、
基本のリズムパターンで、
このバラードの、有名な『未完成交響曲』と、
年代的にも感情的にも近親であることを示している。
しばしば、そして時として長すぎる意図的反復と、
中央部の動機の変奏は、このテキストに、
シューベルトが深い共感をしていたことを示している。
例えば、わすれな草の眠りの長い描写、
『優しいヴェルベットの苔の中で』は、
驚くべき優しさで、
水面下では、そこからくみ取れなかったほどの、
高度に官能的な音楽が奏でられている。
同様に魅力的で脅迫的な水に花が映る部分の曲付けでは、
神話のナルシスのイメージは、
シューベルトと友人たちのジレンマの証拠である。
この自己への集中は、ナルシスムや強度な自己愛ではなく、
満たされない希望、理想、夢を前にしての、
望みと嘆きの表現なのである。」

ナクソス盤の場合、この「わすれな草」は2曲目に入っているので、
聴き始めるや否や、いやがおうにも、この世界に連れ去られる。
春の口づけを受けた「わすれな草」ちゃんは、
「言うに言われぬ憧れ」が胸に沸き立って、
何と歩行を開始するのである。
岩山をよじ登り、山を越えて、川のほとりで立ち尽くしてしまう。
そして、自分の姿が映る川辺にて安住の地を見いだす。

この血みどろの歩行に、あの未完成のリズムが刻まれる。
共感豊かな解説を書いた、アイゼンロアーに導かれた、
ゲラーの切実な歌い口は、素晴らしい集中力で、
私を歌の世界に連れ込んでしまう。

このスイスのソプラノ、ゲラーは、
ガーディナーとバッハなどを共演しているようで、
澄んだ歌声が宗教的なまでに清潔である。

このナクソス盤、他にも、
ショーバーの詩による曲が収録され、

「しかし、虚しく、希望のない彼等の時間にも、
慰めがなかったわけではないようだ。
芸術、特に音楽は、慰めと見なされた。
共にショーバーの詩による、
(Track16の)『死の音楽』D758と、
(Track15の)『歌の慰め』D546は、
同時に自閉に向かう傾向を見せる。」

これは、「死がせまった時に静かな歌を聴かせて欲しい」
と歌われたり、「歌の中に悲しみと喜びが一つになる」
と歌われたりして、音楽を信頼しきったものだ。

ジョンスンも書いたように、
ショーバーは、シューベルトの考え方を、
上手い具合にテキストにしてくれている感じである。
ナクソス盤の解説には、このようにある。

「後者の中では、音楽は、
『逆境の嵐』への抵抗として褒め称えられ、
前者の中では、音楽は、
死を神秘的な啓発と見て瀕死の者を慰める。
シューベルトの友人たちの詩において、
音楽は、現実の『灰色の時間』からの逃避となり、
シューベルトは、これらの『音楽についての音楽』の中で、
それぞれに特有な、絶対的な魅力を持つ音楽的解釈を、
見つけ出している。」

いずれも美しいものだが、先に書いた「歌のなぐさめ」は、
ゲラーの歌唱ではせかせかしすぎていて、2分程度で終わる。
『死の音楽』は、起伏に富んで5分かけているが。

同様のコンセプトのCDであるが、
ハイペリオン盤の方が、たっぷりと歌われ、
シューベルトの音楽世界に浸りきらせてくれる。

得られた事:「ショーバーの詩は、シューベルトとの日々の会話で書き留められたシューベルト自身の音楽観のようなものが垣間見える。」
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by franz310 | 2011-02-26 22:52 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その265

b0083728_232117.jpg個人的経験:
ナクソスのCDで、
シューベルトの最も親しい友人、
ショーバーの詩の歌曲を聴いてみたが、
「シューベルトの友人たち」第1巻には、
8曲が収められていた。
実は、翌年に録音された第2巻にも、
ショーバーの歌曲は、4曲も入っている。
前回は、バリトンによる歌唱だったが、
今回のものはソプラノにより、
ずっと華やかな感じがする。


こちらは、ショーバー歌曲で言えば、
「わすれな草」とか、「すみれ」といった、
花にまつわる作品が収められて、
この風情がいかにも、愛らしい。

これらの歌曲は、それぞれ、
11分ほどの規模を持つ大作であるので、
ちょっと、今回は敬遠して、その他の曲を聴いてみたい。

今回の表紙の肖像画はショーバーではなく、
マティアス・コリンになっている。
したがって、コリンの曲などもここで味わっておこう。
この肖像画もやはり、前回と同様、
Chaiさんの作品である。

ちょっと特徴のない、
意志の弱そうな顔立ちに描かれているが、
あの絶美の陶酔を誇る歌曲、
「夜と夢」を書いた人として知られる人で、
この曲も、Track5にしっかり収められている。

しかし、このコリンという人は、
CD裏に書いてあるように1779年生まれ、
友人というには20歳近く年配の人なので、
少し、この企画には違和感を覚えるのも確か。
20代前半のシューベルトが会った時には、
すでに40歳を越えた大学教授であった。

友人シュパウンの親戚で、
劇作も行う、大変な文化人であったため、
知識人が集まるサロンを開いていて、
シューベルトは、そこに連れて行ってもらい、
親交を結んだが、両者とも互いを認め合った、
ということである。

先の「夜と夢」は、四十代半ばで世を去ったコリンを、
悼むように作られた曲らしく、
シューベルトが、この教授を敬愛していたことが推察される。

このCD、こうした甘美な作品を収めていることもあって、
第1集よりは、ずっと聞きやすい。
重々しい男声ではなく、ゲラーというソプラノによって、
すっきりと清潔感を持って歌われている。

解説を読むと、何故、シューベルトの友人たちが、
こうした歌を書いたのかが、よく書いてあって参考になった。
ウルリヒ・アイゼンローアが伴奏を受け持っているCDだが、
解説もまた、アイゼンローアが書いている。

「シューベルトが生きた短い時代は、
革命政治的、根本的に重要な社会的出来事によって、
特徴付けられている。
自由、平等、博愛といったフランス革命の理想は、
人々の心には打ち立てられていた。
フランスにおける急進的で異常な事件も、
ナポレオンのロシア遠征までの戦争も、
それを変えることは出来なかった。
むしろ、それはより良き道を舗装する作業にも見えていた。
何千人もの人々が、フランス占領に対する解放戦線に、
熱狂的に志願し、そこには多くの芸術家が含まれていた。
1813年、ライプツィッヒにて、
諸国民がナポレオンを撃破すると、
ロシア、プロシア、オーストリアの連合軍の、
パリ入場は、暴君からの解放、
外国支配からの解放として祝賀された。
民主主義の理想の実現は可能と思われた。
しかし、1814年から15年のヴィーン会議は、
たちまちこうした希望を無にしてしまった。
真に民主的な国家の創設は、
オーストリアを含む新興のドイツ同盟によって、
もみ消され、
旧来からの政治勢力が強固に支配し、
独裁体制を敷いた。
1819年のカールスバート決議では、
政治的、学問的自由に対し、
抑圧と監視の状態を持ち込んだ。
ドイツの抒情詩が、
希望と幻滅の間の緊張に到ったのは、
1800年から1830年にかけての、
まさにこの時期であった。
その歴史認識と共に、自然に、排他的ではなく、
現状の出来事や、当時の雰囲気を表現するものも現れて来た。
シューベルトの友人たちの詩にもそれは反映されている。」

このあたりの解説は、前回のものと酷似している。
従って、今回のCD解説は、これからが本領発揮である。

「今日の読者には、
そこには、人生の実状況の慎重な論評を含み、
暗号化された意味を理解するのは簡単ではない。
自然描写や神話的な材料の中に、
あえて、オープンにしたりせず、
それらは文字通り、『花を通して』表現されている。
詩は、素人の熱狂から出て来たものではなく、
今日は、もうよく分からなくなってしまったが、
萎れた花や、迸る水流を読む時、
ただ、無邪気な感傷に耽っていると思ってはならず、
むしろ、他の意味があることを我々に問いかける。
例えば、『冬の旅』の『からす』という詩も、
一般にオーストリアで『からす』とは、
秘密警察の比喩だとすると、
隠された意味を持つことになる。
自然に、多くの意味から、一つを探す事となる。
詩は、人生の個人的体験、社会的体験の抽出物で、
多義の意味を持ちうる。
個々の人生もまちまちであるものの、
彼等の文通から、直接、拾い集めてみると、
シューベルトの友人に共通する雰囲気が感じられる。
我々には相容れない対極のように思えても、
彼等の心の内奥にある混乱や矛盾は、
その世代によって、高次の調和に高められており、
この体験こそが、同世代の明確な、
歴史的バックグラウンドとなっている。
ここに含まれる付曲は、それゆえ、
希望や失望、理想郷と幻影、約束と撤回、
信仰と不信のテーマを循環している。
それらすべての多様性の中、
それらの主題に共通するものがこれである。」

このように、このピアニスト、解説者は、
こうしてシューベルトの友人たちの歌を集めて聴く時、
共通のトーンを感じるとしているのである。

「それぞれ反対の立ち位置を取る、
(Track11の)ブルッフマンの『妹の挨拶』D762と、
(Track3)マティアス・フォン・コリンの
『悲しみ』D772という、二つの歌に、
シューベルトの人生の沸点が、彼の人生哲学と、
いかに矛盾していたかを見ることが出来る。
ブルッフマンは、宗教的、神秘的な法悦のムードの中で、
夜、幽霊の出現を報告する。
その詩は、彼の妹の死についてのもので、
シューベルトは、おそらく、1822年12月の、
シューベルティアーデのために、
いつまでも続く聖なるシビラの悲しい記憶を、
出来るだけ遠くにお祓いするべく作曲した。
(シュヴィントからショーバーへ)
夜の出現は、シューベルトによって、
畏怖と、慰めとの間を揺れ動くように、
壮大なスタイルで書かれている。」

これは、「白鳥の歌」の中に出て来そうな、
低音が唸る、不気味な表現に覆われており、
死を作ったブルッフマンも、
背筋が凍ったのではないだろうか。
この曲では、死んだ妹が、天国の生活の幸せを歌うが、
そうした感傷性はなく、冒頭から恐ろしいほどにリアルである。

「コリンは、その詩の中で、反対に、
天国が約束する慰めの認識のない『死の象徴』を描いている。」

ようやく、このCDの表紙になった、
コリンの音楽に触れられるが、
これはまた、陰鬱な音楽が書かれたものである。
当然、それは、詩から来ている。

「森や野原を歩んでいけば、
楽しさと悲しみで胸がいっぱいになる」
と歌われるが、「冬の旅」のような歩みである。
「春のたけなわの輝きは」
と歌われ、これが春の歌?と背筋も凍る。
「春の美しさに酔いしれていた人も
いつしかいなくなってしまうのだから」
というのが結論である。

解説にはこうある。
「ここでは、『死の音楽』や、『妹の挨拶』における、
死の美化の反転、『空間恐怖症』とでもいった、
無への直視の恐怖が見られる。
最後の、『いなくなってしまうのだから』という、
簡潔で最後の表現には、
それが転じて、向こうでは何か良いことが起こる、
などという確信は皆無であり、
これが、シューベルトの感じ方であった。」

ということで、これらの曲は、
一方で天国を賞揚しつつ不気味であり、
他方で、死すべき者の虚無を描いて、
やはり不気味である。

シューベルトが、どちらの思想でいたかは分からないが、
不気味さの迫真性から言って、コリン寄りであろう。
ということで、再度、コリンの曲。

「奇妙で、同時に快活と悲しみの両極を、
(Track5の)コリンの『夜と夢』D827は、
結びつけている。
人々が眠りの中で楽しむ眠りは、夜明けと共に破られるが、
それを切望する心はなお残り、
『甘い夢よ、帰って来ておくれ』と歌われる。
その中に、人間には、白日夢しか残っていないのではないかという、
語られざる問題が残っている。」

そんな音楽だったっけと、
改めて歌詞を見直すと、
確かに、夜にしか、胸を満たすものがない、
といった内容である。
これでは、何のための昼間なのか、
昼間は嘘の世界だろうか、などと考えてしまう。

「この問題の率直な答えが、
『冬の旅』の『村にて』にあって、
『私はすべての夢を見終わった。
どうして夢見ている連中と一緒に居られようか』とある。
シューベルトが、夢想と深い悲しみを、
もっとも簡潔なやり方で一緒にした方法は独自のものだ。
彼はこの主題に深く感じ入った。
これは、アマチュア詩人の友人たちが詩を作ったので、
曲をつけてあげた、といった作品ではない。
彼の友人は言葉によって、彼は音楽によって、
彼等は同じ言語を語っているのである。
コントラストをなす『妹の挨拶』と『悲しみ』の、
イデオロギーの予兆をなすのが、
(Track6の)『墓地によせて』D151である。
ここでは、死は、自然な出来事として描かれており、
太陽が沈むのと変わらない。
太陽と同様、魂も再び上り、不滅となる。
シューベルトは、詩の宗教的な純真さに、
伝統的な手法でアプローチしている。
アリオーソとレチタティーボが交錯し、
この詩に描かれた救済に共感するのにふさわしく、
最後のストレッタの迫奏は古めかしい。」

この曲はシュレヒタによるもので、
「安らかに眠れ」と墓場で眠っている者らに語りかけ、
最後は、自分は生きていると興奮する。
「私を恍惚とさせるのは神性の清らかな肉体だ」。

シュレヒタの歌曲は、他にも、3曲が続くが、
ここでは、これでいったん終わりになっている。

「他の二つの歌曲は、
シューベルトの多くの友人たちと同様、
不安と混乱の中に生きた、
フランツ・フォン・ブルッフマンによるものである。
1798年に、裕福な商人の息子として生まれ、
法律を学び、古代世界と哲学に興味を持って、
カトリックの信仰から離れてしまった。
彼は、シューベルトとそのサークルと仲良くしていたが、
結局、仲違いしている。
彼は法学博士になり、
妻とは、息子が生まれて一ヶ月で死別し、
深い個人的な危機に陥ったため、
教会に向かい、救世主会に入り、高い階位に登った。
1867年に、Gars am Innの修道院で亡くなっている。
(Track12)『林にて』D738は、
単純な自然の牧歌で、
『苦しみを抜き去り』、『すべての苦痛の跡を癒す』
ことが望まれるが、自然は、厳しく、無愛想なばかりで、
結局、田園詩にはなれない。」

しかし、この曲は楽しい舞曲の曲想で、
軽やかな足取りで、林の中での安らぎを歌っている。
さっきの、コリンの『悲しみ』D772と、
同様の背景ながら、えらい違いに聞こえる。
共に、1822年か23年の作曲らしい。

「(Track10)『湖畔にて』D746は、湖の風景を示し、
その中で、太陽の輝きは、
アレゴリーとして、あまた星の輝きに見える。
ゲーテの『湖上にて』とは詩も音楽も異なるが、
非常に魅力的である。
ゲーテのものは、力強い新鮮さ、
直裁的な感覚、短い曇り空の後の、
新しい力強い始まりを感じさせる。
ブルッフマンへの付曲は、一つの深い没入で、
静かな熟考で、絵画から比喩への、
気づかれない程の音楽の推移がある。
同様の主題を扱いながら、古典時代と、
ポスト古典時代の異なる体験を、
これ以上違いをもって示した、
二つの歌を見つけるのは困難である。」

この作品は、高雅で気品があり、
湖水の表面の輝きを星のまたたきに例えた、
単純な詩への付曲であるが、
陶酔的なまでの境地に至っている。
単なる現実逃避と言えば、言えようが、
波に揺られて、私もまた、現実逃避したくなる。

このようにブルッフマンだけは、
やたら、詳しい解説で、コリンやシュレヒタは、
いったいどうなった、と言いたくなる。

「マティアスの兄弟、
ハインリッヒ・フォン・コリンによる
(Track4の)『別れの悲しみ』D509は、
常に海への道を、そして、人生を授けたもの、
平安のありかを探す水の動きのイメージを、
別れや再会のシンボルとして使っている。
これは、長い間、不在であった、
ショーバーの家で書かれたとされる。」

これは、はかなげな愛らしい古風な音楽で、
「小さい秋みいつけた」みたいな曲想である。
「波は海に憧れる」とあり、
続いて、泉も小川も噴水の水も、
安らぎの海に憧れる、という内容である。

この小さな曲(1分16秒)について、
何と、フィッシャー=ディースカウは、
著書の約1ページを費やして、
「小川や泉がいだく広い海への憧れを、
若い知識人のより広い世界へと
突き進みたいという気持ちと対比させている」、
「再発見されることを待ち焦がれているこの数ページ」
(原田茂生訳)
と書いて賞賛している。

なお、こっちのコリンは、ベートーヴェンの序曲、
「コリオラン」の元を書いた人だそうである。
ディースカウの本にある肖像画は、
やたら格好良いイケメンだ。

「ここに収められた歌曲は、
しばしば、そこにあったテキストへの、
単なる足し算ではなく、
一緒になって一つの作品を完成させるための、
むしろ、結論のような印象を与える。
よくても、セミ・プロの文人でしかなく、
多くは中産階級のアマチュア詩人でしかなかった、
彼の友人に対し、シューベルトの霊感は、
はるかに勝るように見えるが、
それは重要なことではない。
しばしば、彼の音楽は、
技巧的に不器用なものや、
大げさな言葉遣いの陰に隠れている、
知的な質感を暴き出している。」

おそらく、アイゼンローアは、これを言いたかったのだろう。
友人の声に、シューベルトは、もっとも生々しい、
時代の声を聞き取っていたということだ。

「ゴチック風のバラードのサブタイトルを持ち、
今日、朗読をすると失笑を買いそうな、
(Track8)『ロマンツェ、愛しいミンナ』D222は、
シューベルトの音楽を得て、異常に魅力的なものになった。
この詩は、戦争に行ってしまったウィルヘルムを虚しく待つ、
少女の独白で、ナポレオンに対する戦争の、
明らかな反映である。」

この神妙な作品などは、ディースカウらによる、
グラモフォンのシューベルト歌曲全集の録音には含まれない。

「『ディエゴ・マナツァレスより、イルメリン』D458は、
同様に、恋人を待つ主題のもの。
この集中された音楽の強さを聴くと、
残念ながら完成されなかった、
シュレヒタの劇について、もっと知りたくなる。」

これまた、グラモフォンにはない。
劇的な緊迫感に満ちた作品だが、52秒で終わってしまう。

「この夜の闇の中、あなたはどこに彷徨って行ってしまったの。
私の命、私の幸福、あなたはどこ。
星が光る夜になったのに、
霜の降りた暗闇の中を起き出して、
私の愛する人はまだ帰って来ない。」

こんな断片では、何だかよく分からないが、
音楽としては迫真に満ちている。

シューベルトの歌曲は、玉石混合などと言われ、
友人の下手な詩などに曲をつけて、
シューベルトは詩を味わう能力がない、
などと書かれた時代から、ようやく、
我々は、正しく、これらの作品を鑑賞できるようになった。

次に、シュタッドラーの作品の解説が来るが、
これは次回に回そう。

さて、ここで、ようやく、
このCDの冒頭に収められた作品の解説になる。
優しい子守歌である。
愛らしい赤ちゃんの描写をした単純な音楽。

「オッテンヴァルトによる、
(Track1)『ゆりかごの中の子供』D579は、
単純な機会音楽の範疇を越えている。
一見、単純ながら、和声的に複雑な子守歌は、
センチメンタルで、あまりに牧歌的に見えるかもしれない。」

私もそう思ったが、違うのか。

「それは事実だが、
シューベルトが大好きだった母親は、
14人もの子供を産んだが、
たった5人しか成人しなかった。
これは信じられないことだが、
普通の生存率だったのである。
それゆえ、全て善い、善いはずだ、
という支配的な感情が起こるのは当然なのである。」

オッテンヴァルトは、シュパウンの義兄弟で、
1819年にリンツで紹介されたようだが、
この曲はすでに1817年に書かれている。

1789年生まれとあるから、
シューベルトより8歳年長である。

ディースカウは、この曲について、独創的ではないが、
愛らしく流れていくメロディによって特徴的と書いている。

「1820年頃、
忌々しい外部環境が強固になるにつれ、
時の感覚は反乱から諦めに変わり、
反抗から人生一般の悲しみ、
個人的な倦怠感に変わっていった。
より良き世界への希望は疑問となったか、
または、希望は現世から来世へと移った。
この見るからに変わることない、
彼等の住む世界状況の中、彼等は永遠を志向した。
次に示すような異常な、しかし、詩のかたちをしたものは、
一方で偉大な哲学的着想と、政治的ユートピアを残しながら、
日常の喜びと悲しみ、
幸福に対する、小さく個人的な、
かつ神聖な孤独の感覚を描くに限っている。
これは今日、さげすみを含め、
ビーダーマイヤーと呼ぶものだ。
しかし、シュレヒタの詩、
(Track7)『水鏡』D639と、
(Track9)『お嬢さんの愛の立ち聞き』D698は、
自己満足の感覚と共に、
ユーモアと皮肉を前面に出すようにしている。
これはCarl Spitzwegの絵画との間に、
機知でつながっている。
実際、『愛の立ち聞き』は、
Ludwig Schnorr von Carolsfeldのリトグラフに触発されている。
シューベルトはこれらの詩に、大喜びで曲をつけている。」

このカルロスフェルトは、
Julius Schnorr von Carolsfeldの間違いであろう。
ルートヴィヒは、ヘルデンテノールだと書いてあった。
ユリウスは、1794年生まれの画家である。
彼はヴィーンで学んでいるから、
シューベルトも知っていた可能性はある。

このように、最後にシュレヒタの話が出て来たが、
どうやら、この人は、ショーバーの友人で、
シューベルトとも、同じ学校に通っていた感じである。

「水鏡」は、猟師が、橋の上で娘が来るのを待っている内容。
かなり戯画的な大げさな表現であるが、
ひょっとすると、こんな美しい声で、
歌われるべきものではないのかもしれない。

よく、シューベルトのCDなどを彩る、
風俗画家のカール・スピッツヴェッグは、
調べてみると1808年の生まれで、
ミュンヘンの方の人だから、
シューベルトは、その絵を見たことはなかっただろう。

「愛の立ち聞き」は、実に愛らしく、
いかにも明るい光に彩られた曲想だが、
この輝きは、月の光とチターの響きの両方を伝えてすごい。

詩は、一所懸命、チターを奏でながら、
愛の歌を歌い、また、語る騎士の言葉が大部分だが、
最後に、立ち聞きしていた娘の声がして終わる。
この部分の痛快な効果も驚くべきものだ。

これら2曲は、「ますの五重奏曲」と同様、
ドイチュ番号で600番台のもので、
シューベルトの青春の輝きがまぶしい。

ディースカウも、ロマンティックな聖書画家、
カルロスフェルトの風俗画そのもの、
と書いているから、やはり、そうした絵があったのだろう。
この曲の説明の後、
かれの本は次の章、「テレーゼと別れて」となる。
初恋のテレーゼが結婚してしまうのが、この頃なのである。

ドイッチュ番号600番台は、テレーゼを失う前、
700番台はテレーゼを失った後、
と考えることも出来るのだろうか。

得られた事:「シューベルトと、その友人たちが自然を歌う時、それは、単純な自然の没入ではなく、やるせない人生を代弁させたもととなっている。」
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by franz310 | 2011-02-19 23:02 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その264

b0083728_17504720.jpg個人的経験:
「アルフォンソとエストレッラ」
という、オペラの台本を書いたのは、
シューベルトの友人、ショーバーであった。
彼は、多芸多才の人であったが、
結局、謎めいたペテン師のように消えた。
多くの歌曲の詩を書いた人であり、
恋愛事件で出奔、俳優になろうとして挫折、
それからは、何をどうしていたか、
よく分からない。
ハンガリーで、リストの秘書もやっていた。


今回のCDは、そのショーバーの肖像をあしらったもので、
Benjamin Chaiという人が書いたものだ。
このChaiさんは、Naxosレーベルの
肖像画担当アーティストのようで、
様々なCDの肖像画を手がけているが、
いったい、このショーバー像の原典はどこにあるのだろうか。

この眼差しは妙にうつろで、
何かを洞察しているというよりも、
何もないところを見つめている狂人の目つきにも見える。

このCD、ナクソス・レーベルが誇る
シューベルト・リート・エディションの第九巻、
「シューベルトの友人たち」の第1巻である。
さすが、盟友ショーバーは、ここで、
冒頭から3曲が取り上げられており、
後半にも、名品、「音楽に寄す」をはじめ、
ショーバー歌曲5曲が集められている。

後は作者不詳が1曲、
最も人望篤かったシュパウンが1曲、
シューベルトが生涯の終わりの方で信頼を寄せた、
バウエルンフェルトも1曲。
あとは、ケンナーが3曲、
ショーバーの批判者ブルッフマンが2曲。

すべて、バリトンのマルクス・アイヒェが歌い、
イェンス・フーアというピアニストが伴奏している。
アイヒェは1969年生まれのドイツ人で、
様々な賞を受賞して、広いレパートリーを誇り、
ザルツブルク音楽祭やミラノ・スカラ座に登場しているらしい。
マンハイムの国立劇場に在籍しているようなので、
オペラ畑の人なのかもしれない。

フーアは生年不詳、シュトゥットガルトで学び、
アイヴァン・ゲージに学んだとあるから、
そんなに年配ではあるまい。
ヴィーンのベルヴェデーレ歌唱コンクールで、
ファイナルの伴奏ピアニストを務めているとあるから、
かなりオーソドックスな路線の人と考えられる。

解説は、Michael Kohlhauflと、Michael Kubeという、
ダブル・ミヒャエル体勢である。

いきなり解説の題名からして暗い。
「ユートピアと世界苦」
まさしく、この題名が示すように、
一聴して、このCDは、まるで楽しくない。

「フランツ・シューベルトとその歌曲の詩的な地平は、
彼の友人たちのサークルが作った詩に、再度、反映されている。
全体としてシューベルトは、ゲーテやシラーなど、
ずっと傑出した詩人のものよりも、
彼の友人たちの詩に、むしろ多く曲をつけている。
その2/3以上は、最も親しかった友人である、
マイヤーホーファーとショーバーの詩によるものである。
マイヤーホーファーの歌曲は、50曲ほどあって、
二人の古典の大家に次いで、3番目の位置を占める。
18曲の歌曲があるショーバーは、
ドイツ・ロマン派の指導者の
フリードリヒ・シュレーゲルの13曲に、
肩を並べている。
このような数量的な比較は、
シューベルトの詩的な信条の基本的特質を査証するもので、
友人たちの詩による歌曲は、
古典的な理想的な感覚と、
ロマン派のユートピアへの憧れの結合である。
悲観的な状況下にあって、より良き世界の残響は、
特にショーバーの詩に響いている。
シューベルトのサークルの詩は、
古典派-ロマン派の文化的刺激を受けているばかりか、
1820年頃のヨーロッパを覆った、
世界苦の症状が見られる。
この後期ロマン派の事象は、
ハインリヒ・ハイネのサークルや、
ウィルヘルム・ミュラーらのサークルと同様のもので、
当時の歴史に深く根ざしている。
シューベルトとその友人たちは、
理想主義者たちが遭遇した、
組織的抑圧の時期の目撃者であり、被害者であった。」

これは、何かというと、下記のような、
フランス革命後の反動のような旧体制復帰だった、
ということである。

「ナポレオン戦争の後、
1814年から15年のヴィーン会議での
ヨーロッパの列強は、専制的な政府への復帰を決定した。
1819年のカールスバートの決議は、
最終的に自由主義への動きを抑圧することとなった。
自由、平等、連帯の革命的な理想は、
もはや到達不可能となった。
結果として起こった、悲しい人生の現実は、
シューベルトたちの世代を存在の危機へと追い込んだ。
シューベルトの友人たちのサークルは、
18世紀の友情の詩的な同盟に倣った、
『美徳の同盟』に戻って、美徳や
人間のヒューマニズム的概念に尽くす国家に敬意を表した。」

この『Tugendbund』は、ネット上の辞書を見ると、
1808年4月にプロシャに出来た、
ナポレオン侵攻の後に、民族精神発揚のために、
自由な思想を持った貴族や、ブルジョワ知識人など、
700人が集まった秘密結社とある。
1810年には解散したとあるが、「道徳的再生」を、
目指していたともある。

「このサークルの種子は、
学生、宮廷聖歌隊員、中学生のための全寮制学校である、
ヴィーン公立コンヴィクトで撒かれた。
シューベルトはこの学校に、
1808年から13年まで聖歌隊員として在籍した。
後にシューベルトと数年生活を共にするショーバーは、
同様に、ヴィーン大学の学生であった時に、
同様の境遇を体験した。
シューベルトはそこで、楽器演奏や、
レパートリーについて学んだだけでなく、
友人たちとの生産的な交流を通じて、
歌曲作曲に対する文学的刺激を受けた。
このエリート施設にあって、
アマチュア音楽家と、
ヨーゼフ・フォン・シュパウン、
ヨーゼフ・ケンナー、ヨーハン・ゼン、
アルベルト・シュタッドラーといった教養豊かな男たちとの、
クリエイティブな環境の中、
囚人のような彼でも、
文化的な自由の美学経験を共に享受した。」

こう書かれると、シュパウン以下、4人は、
すごい年配に見えるが、実際は、
シュパウンが9歳年長だったくらいで、
ケンナー、シュタッドラーは3つ年長、
ゼンは二つ年長なだけである。

が、シューベルトが中学生の頃だから、
その頃を思い出すと、高校生は大人に見えるように、
彼等の教養ある言葉に心服していたに相違ない。

「後にシュヴィントが
『シュパウン家におけるシューベルトの夕べ』などで描いた
理想化されたものではなかったが、
1820年代に、シューベルトのサークルが形成され、
ショーバーの主催した読書会なども現れた。
ここでは、シューベルトは、
ハイネやミュラーの詩を知ることとなる。
政治的な出版や、学生たちとの会合を通じて、
このサークルは権威とのコンフリクトがあった。
多くの友人たちが、官公庁への勤務を受け入れた中、
ショーバーは、シューベルトのように、
自由でクリエイティブな芸術家となることを模索した。
ショーバーは、作家、画家、俳優などになろうとした。
シューベルトの死後は、フランツ・リストの旅の友となった。
1854年、ワイマールの外交顧問という立場で、
彼自身がリブレットを書いた、シューベルトのオペラ、
『アルフォンソとエストレッラ』の初演を、
リストとともに見た。
しかし、文学上の成功は、
バウエルンフェルトからしか認められず、
しかも、それは叙情詩人ではなく、喜劇作家としてであった。」

このCDの表紙にあるショーバーの、
虚空を見つめた先には、
おそらく、シューベルトと探索した理想世界があったのかもしれない。
しかし、現実の彼は、いかにも喜劇の主人公であったわけだ。
何故なら、リストは、「アルフォンソ」の価値を認めていなかったから。
二人で見た、という記述、恐ろしい責め苦であったかもしれない。

「他の社会的な文化活動についていえば、
真夜中のプリンスとして知られた、
メッテルニヒの警察国家の孤島にあっての、
自由への抵抗活動であった。
しかし、より良き世界の切望が、
少なくとも芸術では実現できるだろう、
いう望み自体が幻想であると立証された。
今回の録音に集められた作品すべてが、
幻滅の性格を持っている。
シューベルトの友人たちによる詩の特徴は、
もろい理想主義にあり、特に、模倣詩に典型的である。」

なるほど、シューベルトの友人たちは、
読書会などを通じて、詩に精通しており、
それに対する模倣から、自分たちの心情を、
詩にしていったということか。

さて、ここからが、各曲の解説になるが、
とても参考になって、眼が開かされた感じがする。
Track1の「宝掘りの願い」が、
具体的に論じられている。

「1822年の『宝掘りの願い』D761に見られる
忍従する主人公は、シューベルトが1815年に作曲した、
モティーフが似たゲーテの『宝掘り』と比較して見ることも出来よう。
ショーバーのソネットは、ゲーテの楽天的な詩の、
悲観的な反転形にも見える。
『清らかな人生の勇気を飲み干せ』と、
ゲーテが言いたかった事であるが、
ショーバーの『宝掘り』は、反対に、
自分の望みを埋葬してしまう。
音楽的には、このことは、特に、半音階的に下降して
常に変化するラメントのバスで表現される。
17世紀の音楽レトリックとして良く知られた、
このパターンは、
この歌曲の表出力を増しているばかりか、
穴掘りの重苦をも表現している。」

内容は、
「大地に眠る法を掘りだそうとする。
何も出てこないが、これを続けるしかない。
それが自分の墓になってもかまわない」
というもので、
冒頭の伴奏から非常に苦々しい歌で、
アイヒェの暗い声が、かなりマッチしていて、気が滅入る。

「小さな中央部の後、長調に変化するが、それは儚く、
手稿では、最後から2番目の小節で、
いきなり和声を短調に変えているが、
ここで、後の第2稿では、短調には変えず、
空疎な五度にしている。」

この長調の部分では、「そこで憧れが静まる」と歌われるが、
ほとんど、全編を通じて覆われる灰色の色調は、
歌というより朗唱である。

次は、いきなり、Track11に収録されている歌になる。
「岸辺で波がふくれあがり、
風が帆布をはためかせ」と歌われるように、
かなりダイナミックな表現を持ったもので、
冒頭から航海の荒波のようにピアノ伴奏が砕け散る。

「同趣向のショーバーのバラード、
『舟人の別れの歌』D910では、
モティーフとしてゲーテの偉大な作例を思い出させる。
ここでも出航への準備が歌われる。
ゲーテの疾風怒濤風の聖歌『航海』では、
『難破しようと陸地につこうと、
すべてを信ずる神の力に委ねている』が、
ショーバーの船乗りは海を恐れている。」

ゲーテの「航海」は、
シューベルトによる歌曲はないようだが、
手元にあった白鳳社の「ゲーテ詩集」には出ていた。
船乗りを見送った友人たちは、
嵐が来てから、
「いい男を海に出して殺してしまった」と騒ぐが、
当人は、その頃、まったくへいちゃらで舵を取っている、
という強烈な自信に満ちた内容のものである。

「『僕が成功するかは分からない。
そして、故郷に錦を飾れるかも。
波が僕を誘うが、
それがまさしく僕を飲み込むかもしれない。』
彼にとっての『慰め』は、
『天国の家に待つ友人』だけなのだ。
1848年以前の時期にあって、
新しい、より良い日々を期待する
救済が交錯する昔ながらの考えは、
シューベルト同様の境遇にあった友人たちの同盟が、
シューベルトが10年以上前に作曲した、
シラーのバラード『人質』で表現されたような、
英雄的な理想主義の感覚の多くを、
すでに失っていたことを、
意味しているように見える。
友情は、むしろ最後の砦となり、『楽園』の形を取って、
かりそめの宗教のようになった。
1827年2月に作曲された作品が、
ショーバーのところにシューベルトが引っ越した事と、
直接関係があると、当然、考えられて来た。
この新しい場所では、彼は、二部屋と音楽室を、
自由に使うことが出来た。
シューベルト自身、
海の持つ根源的な力を経験したことはなかったが、
彼の付曲は直接的な絵画的描写に優れている。
二つのより静かな楽句は、
特に特別なコントラストのない大きな形に変容し、
さらに静謐な新しい伴奏の動きは、
強調するように震え続けている。
この楽句のさらに叙情的なラインは、
最終的に最後の5つのパッセージに帰って行く。
『この偽りの波が、僕の骸を再び、
花がまき散らされた海岸に押し上げれば、
僕は、その愛しい場所を知っている。
そこには、僕に差し伸べる二本の手が待っている。』
さらに、その生涯における文脈で考えると、
この作品は、シューベルト自身の不治の病に対する対応、
それがさらに進行したことと関連しているのかもしれない。」

フィッシャー=ディースカウは、
この長大な作品を緊張感を保ったまま歌うのは難しいとしており、
確かに、6分40秒もかかる。
そして、「諦めることは、喪失するより簡単だ」
という最後の句を特筆すべきものとして強調している。

オズボーン著の「シューベルトとヴィーン」にも、
ショーバーと母親が、ウンター・デン・トゥーフラウベンの、
新しい家に引っ越して、居候のシューベルトも付いていき、
残された日々のほとんどをここで過ごした、と書かれている。
シューベルトが二部屋と音楽室を使ったともある。

これを「シューベルト音楽散歩」(音楽の友社)で調べると、
ヴィーンのど真ん中なので驚いた。
コンヴィクトからも500mくらいに見える。
そんな所で、彼は3部屋も使っていたのである。

新居で書かれた最初の2曲が、
ショーバーの詩による、この「船乗りの別れの歌」と、
「狩人の愛の歌」だとも書かれている。
病気以上に、ショーバーに対する感謝もあっただろう。

この「狩人の愛の歌」は、
このCDのTrack2に収められているが、
CD解説は、まず、Track10の、
「汝らに平安あれ」D551について説明している。

これは、無神論者と言われたショーバーには珍しく、
「私はあなたを信じます、偉大なる神よ!」
というフレーズで終わる
殉教の死者を讃える別れの歌で、
教会嫌いのシューベルトも、しみじみとした音楽を付けている。

「バイオグラフィーの見地からは、
1817年4月に書かれた『汝らに平安あれ』も、
友情のプラトニックなコンセプトを歌ったものだ。
ラテン語で典礼風のタイトルながら、
ショーバーのドイツ語の詩をもとにした、
スピリチュアルなものである。
神聖な感覚が満ちた、
その単純な信仰を思わせる内容ゆえに、
サークルの友人たちだけでなく好まれ、
人気を博した。
1828年の11月21日、
シューベルトの葬儀で、
この作品は、ショーバーによってパラフレーズを付けられ、
合唱と管楽合奏用に編曲されて、
マルガレーテ地区の聖ヨーゼフ教会で演奏された。」

こんな知識をもって、この敬虔な音楽に耳を澄ませていると、
何だか、しみじみとした感情がこみ上げて来るではないか。
フィッシャー=ディースカウは、
「こうしたドグマ的な内容のものはまるで感銘を与えない」
と書いてあるが、このような、シンプルな作品には、
それなりの由来がありそうなものだ。
なお、ディースカウの本には、
葬儀で、この曲に新しい詩をつけるように、
ショーバーに頼んだのは、シューベルトの家族だったとある。

次に、「船乗りの別れの歌」とペアで書かれた、
「狩人の愛の歌」(Track2)についての説明がある。

「ショーバーとの友情ということでは、
他の表現もまた見られ、『狩人の愛の歌』D909において、
『この地上の、今、ここにある幸福すべてと共に』と歌われ、
エロティックなデーモニッシュな愛のアレゴリーが見られる。」

この詩は、先の詩句に続き、最後は、
「最も素晴らしい友人の腕に抱かれるような気がする」
とあるので、かなりやばい。

曲は、心ここにあらず、のような空虚な前奏が、
奇妙な効果を上げている。
いらだたしく、かつ、焦燥感に満ちている。

前半の大部分は、狩人が鉄砲で獲物を狙いまくる様子が歌われ、
彼女には、まるで、猟銃で狙われているように、
身を守るすべがない、などと続くが、
かなり謎に満ちた内容。
森の上を月光に照らされながら、光って飛ぶものとは何だ?

ここから、文字数の関係で省略するが、
ケンナーの話になっている。
この人は、ショーバーを、
危険人物だと見ていた節があり、
回想では、はっきりそう書いている。

1816年に付き合いが終わった、
と言っているから、少し先に学校を出たケンナーは、
社会人になって忙しくもなったのだろう。
彼はのちに地方の政治家として偉くなる。

19歳頃までの未成年、もしくは子供の頃のシューベルトと、
成人後のシューベルトは別人のように感じていたのかもしれない。
シューベルトとしても、ぷーたろーの自分と違って、
輝かしい未来に踏み出して行くケンナーより、
ショーバーの方に親近感を感じたと思われる。

実は、ショーバーは、その人生観からか、
多くの敵を作っており、ケンナーばかりでなく、
このCDに収められているブルッフマンなども、
ショーバーとは袂を分かっており、
彼等にとっては、
このCDでの同居も耐え難いものかもしれない。

では、このCDの4ページからなる解説の、
1ページ分をすっ飛ばして、最後の半ページには、
何が書いてあるか見て見よう。
最初は1曲ずつ書き進めていた解説であるが、
後はひとまとめにして崩壊している様が読み取れる。

まず、Track14は、
有名な歌曲なので、さらっと触れている。
「芸術が、この地上の追放から、
天上の祖国に誘うことが出来るかもしれないという事は、
遂に、ショーバーの聖歌『楽に寄す』D547で、
描かれることになる。」

Track15、16:
「芸術の持つ変容の効果への賞賛は、
そのスピリチュアな意味が失われた事を、
忘れさせがちである。
この1815年以降、
王政復古期の政治期における芸術の持つディレンマ、
ユートピアと忍従との間の抗争は、
ここの最後に収められた、
フランツ・フォン・ブルッフマンのテキストによる
歌曲群にも現れている。」

これらの歌曲は、古代の英雄や神話を描いているので、
下記の解説は、それを理解しないと意味不明になる。
「竪琴に寄す」は、竪琴をかき鳴らし、
いかに、勇壮に英雄たちの歌を歌おうとしても、
甘美なメロディに変容して、竪琴弾きがいらだつ内容である。
いらだった彼は、竪琴を変えるが、
どうしても、「ただ愛の歌にしか鳴らないのだ」と、
しみじみ歌ってしまうのである。

まるで、へなちょこになってしまった日本人のようだ。

また、「怒れる吟遊詩人」は、ちょっと違って、
その諦めには至っていない。
「俺の竪琴は壊されはしない、
復讐の力が燃えているからだ」と、
力強く歌い上げている。
ただし、防戦一方であって、竪琴で、
いったい何が出来るのか、したいのかは不明。
単に強がっているだけにも見える。
彼等の無力感が、確かに、これらの歌曲にはよく出ている。
ブルッフマンは、若くして妻を亡くし、
修道院に入ってしまったせいか、
5つの詩がシューベルトによって作曲されているのに、
これまた、シューベルトの回想を書いていない。

ディースカウは、「竪琴に寄す」を賞賛して、
アナクレオン風の作風がうまく行っていることを特筆している。
この古代のギリシア詩人は、「人生と愛の賛美」で、
ゲーテなどにも受け継がれているとある。

また、ブルッフマンは、積極的に政治に関与しようとして、
挫折した人の代表のようである。
ディースカウの本では、「怒れる吟遊詩人」もまた、
全部の詩を掲げて、丁寧に記述されている。

「『竪琴に寄す』D737と、
『怒れる吟遊詩人』D785は、
英雄たちの退場の後、
『その音の中にある愛』だけが残っている。
それは、『より良き世界』のシンボルであり、
または、(ショーバーの詩による)『満足』D143、
『春の小川のほとりで』D361といった作品で、
表現されたメランコリーであって、
『平安な幸福』などは、『憧れ』や『思い出』のように、
ここでは想像上のものでしかない。」

これで、Track3とTrack13が、
ひとまとめで解決されている。

「満足」は、1815年という
早い時期に書かれたショーバー歌曲で、
内容は、衝動の力で山を目指して行く若者が、
ついには、ふぬけとなって山は消え、
谷での小さな幸せに満足するという内容。
1分半の小さな歌曲で、山と憧れを対比させて、
「アルフォンソ」にある「雲の乙女のバラード」を思わせるが、
あまり印象を残さずに終わってしまう。

ディースカウも、難解なテキストで、
効果が上がらないと書いている。
いつの間にか、山が消えていて意味不明なのだ。
ちなみに、ディースカウは、「歌の中にある慰め」D546を、
ショーバー歌曲の中で特筆しているが、
何故か、このCDには含まれていない。

さて、CD解説に戻ると、
「この孤独感は、ショーバーの歌曲、
『巡礼の歌』D789に表現されている。
巡礼は、他の多くのロマン派にならった歌手同様、
強い巡礼の杖を持って歩く。
存在への深い懐疑が心を満たし、
それが、『世界苦』の世代の詩的信条となる。」

この解説では、何のことやら、よく分からないが、
詩は、「満足」よりは切実な感じを与える。
家から家を渡り歩く巡礼が、愛の施しを願って行く。
花を撒いたり、歌を歌ったりして、それが幸福なのだ、
と巡礼は言うのだが、最後は、巡礼を続けるほどに、
幸福感が消えて行くというのが不気味である。

これも6分近くかかる大きな作品で、
音楽は繊細で非常に美しい。
ディースカウも、「つたない詩に音楽的な命を吹き込んだ」
と書いて、和声的な工夫が成功したとしか書いていない。

Track4の「流れ」という歌曲は、
作者不詳とあるが、この短いが激烈な歌曲は、
シュタッドラーに献呈されているという。
この友人は、五重奏曲「ます」の成立に、
関与してくれたばかりか、
その写しを作ってくれていた人として、
忘れるわけにはいかない。

「『流れ』D565は、作者不詳だが、
シューベルト自身の作ともされてきた。
『僕の生命が音を立てて流れていく。
・・求めるものは見つからず、
いつも憧れを持ち、鳴り響き、
満足できずに絶え間なく飛び散り、
幸福にも楽しくもなれない』。」
これは、1817年、シュタッドラーが故郷に帰る時の、
別離のための曲である。
おそらく、やがて、「ます」の五重奏曲が書かれることになる、
上部オーストリアの激しい川の流れを意識したに相違ない。

アイヒェのバリトン、フーアのピアノは、
全身全霊を傾けたような表現であるが、
20歳の作曲家が、思わず心情告白したようなこの曲は、
こうしたアプローチが必要なのだろう。

得られた事:「シューベルトの友人たちは、王政復古期の停滞感を共有した同志たちで、芸術に逃避、ゲーテら、前世代のネガのような心情から詩を迸らせた。」
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by franz310 | 2011-02-13 17:59 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その263

b0083728_014952.jpg個人的経験:
「アルフォンソとエストレッラ」は、
中期のシューベルトが到達した、
最高ポイントかもしれない。
1821年から2年という時期、
「弦楽四重奏断章」、「ラザロ」(1820)、
「未完成交響曲」(1822)をはじめ、
数々のトルソを残しているが、
この作品は立派に完成され、
さらに作曲家自身も自信を持って、
これを晩年まで売り込もうと
していたのである。


このあたりの経緯は、上手い具合に、
今回のCD解説にも詳しいが、
これはオペラそのものの録音ではない。

1956年、ハノーヴァー生まれの、
オーボエ奏者、ピアノ伴奏者、舞台音楽作曲家、
特に名編曲家として知られる、
N.タークマン(Tarkmann)が、
このオペラを管楽合奏用に編曲したという代物である。

この人の仕事は、「コシ」や、「ドン・ジョヴァンニ」から、
「展覧会の絵」や「ロメオとジュリエット」に到るというから、
別にシューベルティアンではないのかもしれない。

が、逆に言うと、シューベルト愛好家ではなくとも、
編曲したくなる、
上記、傑作と知られる作品と並ぶ名品として、
この作品が選ばれたと考えると、非常に喜ばしい。

確かに、この作品につぎ込まれた、
泉のような楽想の数々には、
賛嘆を惜しむことは出来ない。

が、逆に、あまりにも沢山用意された、
こうしたメロディーの数々によって、
リストなどは、劇音楽としてのドラマ性が欠如した、
などと考えたようである。
それについても、このCDの解説には、
記載があって参考になる。

この独CPOレーベルのCD、
残念ながらオペラの全曲ではないが、
序曲以下、18のナンバーを収めており、
聴いていると、次々と、懐かしい情景が、
眼に浮かぶような感じである。

ただし、今回、私は、このオペラを、
かなり聞き込んだがゆえに、
そう思うだけかもしれない。

実際、これを見つけて買って来てから、
かなりの年月が経っており、
買って来た当初は、
それほどありがたいものとも思っていなかった。
録音は1998年とある。

とはいえ、このCD、表紙の絵画から魅惑的で、
ついつい手に取ってみたくなる素敵な商品だと思う。
このオペラの舞台はスペインだから、
という事であろう、スペイン風の絵画である。

いかにも南欧の乾いた空気を感じさせる空、
そして明るい日の光に照らし出された建物。
エキゾチックな風情である。

きらびやかで豪華な飾りを付けた馬に乗って
颯爽と道行くアベックが、
アルフォンソとエストレッラだ、
と言われたら、納得してしまいそうになる。
民衆が集い、敬意を表されている様子も、
この若い二人にはふさわしい。

女性の気品のある表情も、
いかにもエストレッラを彷彿とさせ、
馬上の男性も、おそらく、アルフォンソのように、
ある時は悩み、ある時は勇気を出して戦いそうな、
優しげなまなざしのちょび髭である。

女性の馬の赤い装飾や、女性のスカートの黄色が、
とても心地よく、眼に飛び込んでくる。

が、このオペラは、中世のスペインを舞台にしていて、
こうした風俗は、まったく嘘っぱちなのである。

実際、このカバーデザインは、
Manuel Barron y Carrillo作と書かれ、
題名は「セビリャの祭」とある。
むろん、アルフォンソの舞台は、
北部スペインのレオンであって、
南のセビリャではない。

が、これまで見てきた、
アルフォンソとエストレッラのCDやDVDの中では、
今回の美しい絵画が、最も満足のいくものだ。
このスペインの画家は、
1814年生まれ(1884年没)とあるから、
シューベルトの同時代人には違いない。
こうした感じの絵画によって、
シューベルトがスペインに想いを馳せた可能性はあるだろう。

そうした意味で、この表紙は、
大嘘ながら、殊勲賞ものではなかろうか。
アルフォンソとエストレッラは、
こんな感じのアベックを、
ショーバーが想像して台本を書きました、
と言っても、通用するのではなかろうか。
エストレッラは、父が窮地に立った時、
私も戦場に赴くわ、と歌うような人であるし、
このように、きりりとした表情を持っていたはずである。

演奏はLinos-Ensembleで、
この団体は、ブルックナーやマーラーの交響曲を、
室内合奏編成で演奏して、日本でも知られた団体である。
今回のCDでは、ハルモニームジークとあるように、
オーボエ、クラリネット、ホルン、バスーンが各2、
それにコントラバスにて、この大オペラを演奏している。

解説は、Klaus Gehrkeという人が書いている。

「ある午後、私はマイヤーホーファーと共に、
シューベルトが父親と住んでいた、
ヒンメルプフォルトグラントを訪ねた。
シューベルトは頬を紅潮させながら、
本を持って『魔王』を朗読していた。
彼は、本を手に、何度も行ったり来たりしていたが、
やおら、席について、誰にも出来ない速さで、
素晴らしいバラードを書き上げた。
シューベルトはピアノを持っていなかったので、
学校まで走って行き、そこで『魔王』は歌われ、
その夜のうちに熱狂的に受け入れられた。』
これは、シューベルトの死後、
ヨーゼフ・フォン・シュパウンが、
1814年に『魔王』が作曲された時の事を、
思い出して書いたものだ。
17歳のシューベルトは、教員としての修行を始めたばかりで、
同時に大量の作曲を始めていた。
この年、彼が書いた作品では、
ゲーテの詩『糸を紡ぐグレートヒェン』、
『魔王』に付曲したものは、
現在に到るまで、
彼の最も人気のあるものに数えられる2曲である。
それに引き替え、彼が1814年の秋、
助教員の資格を得て1週間後に完成された、
アウグスト・フォン・コッツェブーのテキストによる、
彼のオペラ第1作『悪魔の悦楽城』は、
まだ、よく知られていない。
1815年から23年に書かれた、
その他の12曲も、それほど違いはない。
1820年の夏、『双子の兄弟』、『魔法の竪琴』が、
ケルントナートーア劇場で舞台にかけられ、
1823年の終わりに、
やはりそこで『ロザムンデ』が初演され、
たった3曲のみがその生前に演奏されている。
これらの作品にしても8回以上は演奏されておらず、
『ロザムンデ』は2回で打ち切られた。
1820年までのシューベルトの舞台作品が、
むしろ、ジングシュピールのスタイルで、
ジーモン・メイヤーやサリエーリに似ていたのに対し、
この時期以降の4作品、
『アルフォンソとエストレッラ』、『家庭争議』、
『フィエラブラス』、それから、『ロザムンデ』は、
音楽劇から一線を画した特徴を有している。
シューベルトは、『フィエラブラス』と、
『アルフォンソ』を『ロマン的オペラ』と呼んでおり、
特に後者を、他のどの舞台作品よりも高く評価していた。
3幕のオペラ、『アルフォンソとエストレッラ』の
シューベルトの最初のプランは、
1821年の初夏まで遡る。
この台本のために、フランツ・フォン・ショーバーは、
中世初期の、スペイン=オーストリアの王室の
歴史的人物を持って来たが、
虚構の世界の出来事である。
オペラの具体的な計画は、
1821年8月の初めの、
シューベルトとショーバーの二人旅の間に、
具体化していった。
台本と音楽は、少しずつ生み出され、
シューベルトが追いつかないよう、
ショーバーは急いで筆を進める必要があった。
彼等は、共通の友人、ヨーゼフ・フォン・シュパウンに、
『オクセンブルクの素晴らしい景観の中、
ザンクト・ペルテンの社交界やコンサートで、
とても忙しいが、それにも関わらず、
沢山の仕事をしている。
特にシューベルトは、もう二幕も書き上げ、
僕は三幕に没頭中だ。
君もここにいて、
作曲された素晴らしい曲を聴けばいいのにと思う』
と書き送っている。
『彼が、豊かで、きらきらしたアイデアをわき出させるのは、
何と素晴らしいことだろう。
夜になると、我々は、毎日をどう過ごすべきかと論議する。
そしてビールを持って来させ、
パイプをくゆらせて、読書したりする。』
シューベルト自身の年表によると、
このオペラの作曲を9月20日に始め、
翌年の2月27日に書き上げている。
それから、彼はどうやら、序曲を書き始めたらしい。」

この序曲の中に、何故、
劇中の音楽が使われていないのか、
私は不思議に思っていたが、
序曲は、オペラが書かれてから書かれたとあり、
ますますもって理解不能という感じである。

「それは、彼には、かなりイケてる作品に見えたようで、
彼はこれを『ロザムンデ』の序曲として使うことに決め、
『アルフォンソとエストレッラ』のためには、
さらに別の序曲を書こうと計画した。」

シューベルトは、この序曲を、
ピアノ曲にも編曲しているらしい。

「ロザムンデの一部として、
聴衆の好みに合っていたのだが、
結局、彼は当初のプランに戻した。
この作品がオペラとして完成される前から、
彼はヴィーンでの上演のアレンジを試みたが、
1822年の12月には、
彼の望みは潰えている。
彼は、シュパウンに、
『このオペラはヴィーンでの見込みはありません。
私は、それを返してくれと言って、受け取りました。
フォーグルもまた、本当に劇場から手を引いてしまいました。
私は、これを、ウェーバーが手紙をくれたドレスデンか、
ベルリンにすぐ送るつもりです。』
ウェーバーがドレスデンでの上演を取りやめた後、
シューベルトは、『アルフォンソとエストレッラ』を、
ベルリンの歌手、アンナ・ミルダー=ハウプトマンに送った。
彼女は、彼の舞台作品の事を聴いていたが、
このオペラは、彼女の気に入られることはなかった。
『あなたのオペラの一つを上演できれば、と思います。
ただ、それは、私の個性に合ったもので、
女王か母親か、農婦のような役のものがあればいいでしょう。
何か新しいものを書いて下さい。』
仮に彼女がこれを受け入れていたとして、
悲劇的大オペラや、
フランスのコミック・オペラが好まれていた、
ベルリンの嗜好には合わなかったことだろう。
シューベルトに到来した最後のチャンスは、
彼の死のほぼ一年前、
1827年の9月に来た。
彼がグラーツの音楽監督の前で、
『アルフォンソとエストレッラ』の一部を弾いてみせたところ、
いくつかの意見はあったが、
非常に強い印象を与えることが出来た。
しかし、それも実際の上演に到ることはなかった。
シューベルトの死後20年、
彼の兄のフェルディナントは、
リストがこれを上演できるように依頼した。
1854年、リストはこれをワイマールで初演したが、
ヴァーグナーの楽劇の影響下、冷淡に受け止められ、
上演後、リスト自身がこの作品を記事に書いている。
『このオペラは、ジングシュピールの感覚で書かれており、
単純できれいで、すっかりメロディで埋め尽くされた、
声楽作品である。
シューベルトの叙情の痕跡に満たされ、
むしろ、彼の最高の歌曲集に位置づけられるものだ。
聴衆は、しばしば、シューベルトお気に入りの、
間や休止や形式的な要素に出会う。
しかし、彼の舞台経験の欠如と、
ドラマに対する理解のなさが常に露呈される。
その交響的な特長を持ってしても、
この欠点を埋め合わせるには至っていない。』
このオペラの失敗は、特に、
ショーバーの台本の弱さに責任がある。
続く年月、多くの作曲家が、このオペラを改訂し、
1880年のフックスの新版は、とりわけ成功を治めた。
フックスは台本の言葉を変更、
いくつかのナンバーの順番を変えた。
彼は新しいナンバーを作曲し、接続部を追加した。
カールスルーエでは、このバージョンがレパートリーに含まれ、
多くのドイツの都市が、これに倣った。
1884年になって、しかし、
ハンスリックの批判が、この成功を止めてしまった。
ヴィーンでのこの版の初演時、
彼は、特に3つの欠点を上げている。
彼によると、リブレットは、
『シューベルトの音楽にとって、むしろ邪魔』で、
それ自身、
『多くの場合、歌曲のスタイルで書かれていて劇的ではない』。
また、最後に、『テキストと音楽がちぐはぐである』とある。
こうした彼の批判の中にあって、何よりも、
シューベルトは、『特別な劇作家になるには、
限られた方策しか持っておらず、
素晴らしい個別化の才能がありながら』、
彼の舞台作品が受容されるために、それが、
重要な影響を与えていないということであった。」

ハンスリックは、
ブルックナーをいじめたことで有名だが、
既に故人となって久しいシューベルトに対しても、
あまり読んでいて楽しくない仕打ちをしたようである。

しかし、言っている事は分からなくはない。
各曲はそれぞれ、素晴らしい完成度を誇っているが、
ねばねばとした統一感や、終曲に向かっての推進力がない、
ということであろう。

しかし、どんなオペラでも、
同じような作られ方がされるべきだろうか。

歴史上有名な音楽家や批評家が、
よちよち歩きにまでなった段階で、
寄ってたかって足払いをしていくような残酷さがある。

「『アルフォンソとエストレッラ』は、
再び、約70年もオペラハウスから姿を消した。
1958年、クルト・ホノルカは、
『アルフォンソとエストレッラ』のアクションと、
同様の要素が沢山あることから、
シェイクスピアの『テンペスト』による、
二幕のオペラ、『魔法の島』を作るのに、音楽を利用した。
最初のオリジナル上演は、1977年、
英国のリーディング大学でのもので、
1991年には、シューベルトが虚しい努力をしたグラーツでも、
それから164年経過して、当地の劇場が、
オリジナルのオペラ上演を行った。」

このCD、序曲から、
9つの楽器だけで演奏されているが、
そこそこ迫力があり、
Track2の村人の合唱、
Track3のフロイラの朝のアリアなど、
いかにも高地の情景を思わせるひなびた響きを、
木管楽器たちがうまく描いている。
特に、フロイラのアリアが、ホルンで描かれる様は、
非常に雄大な、広がりのある印象を与える。

Track4は、フロイラと息子アルフォンソの、
憂いに満ちたデュエットであるが、
これもまた、クラリネットのロマンティックな響きが、
うまく調和している。
(第3曲の合唱は省略された。)

また、エストレッラの登場シーンの合唱は省略され、
いきなり悪役、アドルフォのアリアが、
Track5で登場する。
ロマンティックな憂いに満ちた曲から、
鋭い対比をなして、音楽的には効果的である。

ただし、オペラを愛するものとしては、
エストレッラなしで、このアリアが始まるのは、
少々、不自然である。
何故なら、アドルフォは、
エストレッラが欲しくてたまらん、
という存在だからである。
この粗暴なアリアも、戦場で自分を支えたのは、
エストレッラの幻であったからだ、
と荒々しくぶしつけに歌われるものだ。

Track6では、そのかわり、
エストレッラが狩りに出かける、
第1幕のフィナーレが力強く鳴り響く。
ここで、エストレッラ登場時の、
女性合唱のメロディが再現されるので、
くどくなるのを防ごうとした措置であろう。
この終曲の前に、アドルフォは、
姫を寄越せと執拗に言い寄るが、
それも、この編曲では取り上げられていない。

また、第2幕の始まりを告げる、
印象的なフロイラのアリアがなく、
Track7では、早急にも、
主人公たちのデュエットになっているのは、
いかがなものか。

クラリネットの響きが、
夕暮れ時のロマンティックな情感を描いて美しいとはいえ、
まるで、何の前触れもなく、
いちゃついているような塩梅ではないか。

Track8は、その後のエストレッラのアリアで、
彼女は完全に舞い上がっているし、
Track9では、別れを惜しむ二人のデュエットで、
この曲の中心部の長大な仲良しシーンは、
そこそこ重視されている。
セレナードを思わせる、ハルモニームジークならではの、
やるせない情感が生きている。

が、このオペラの重要な小道具である、
オイリヒの鎖のシーンはない。

Track10では、このような愛の場面を、
ぶちこわすような不気味で不安な音楽。
兵士たちが集まって、アドルフォの謀反画策の場面である。
Track11では、アドルフォが一席ぶつ、
敵は本能寺にありのシーンである。

エストレッラの父、マウリガートが、
行方不明の娘を心配するシーンはなく、
Track12では、エストレッラが、
狩りで彷徨い入った山の中での思い出を歌う。
こういったしみじみした情感も良いが、
Track13の第3幕の始めの
戦闘シーンような、荒々しい描写も、
この編成で、うまく表現している。

第2幕の最後、アドルフォ謀反の報に、
マウリガートがうろたえるシーンはなし。

Track14は、村人たちが逃げ惑うシーンで、
若い男女のデュエットが、オーボエで描かれる。

Track15は、マウリガートが歌う、
絶望的、悲痛なアリアで、非常に印象的なもの。
このアリアの深々とした悲劇性の後、
Track16のフロイラとの和解の二重唱。
ホルンによる敬虔な響きも素晴らしい。
晴れやかな日の光が差し込んで来るような、
陰影の効果も素晴らしい。

Track17、18は、フィナーレを形成する部分で、
勝利の凱旋の行進と、大団円を祝福するアンサンブルが、
壮大に鳴り響く。
野外音楽に適したハルモニームジークならではの、
爽快な解放感が生きている。
このオペラの壮大な構想を象徴する部分は、
コンパクトながら、しっかり収められている感じだ。

このように、このCDは、
シューベルトが書いたオペラの個々のナンバーを、
いくつかに分割したりしながら、
うまくメリハリをつけてダイジェストにしている。

ただし、劇の進行上、重要なエストレッラ登場のシーンや、
アルフォンソと彼女の出会いのシーン、
さらに、アルフォンソがエストレッラを救出するシーンなどは、
残念ながら聴くことが出来ない。

また、劇の進行上、あまり重要ではなくとも、
このオペラの顔のような、「雲の乙女のバラード」や、
エストレッラの日々の虚しさのアリアなども、
何故か、ここでは編曲の対象から外された。

が、これはすごい事であろう。
ベッリーニの「ノルマ」から、「清き女神」を取り除いて、
それでも、「ノルマ」として、聴衆は受け入れるであろうか。

このように、このCDによって、
オペラ全曲盤が代用できるものではないが、
爽やかな音色で、気楽にオペラを追体験するには、
適当なものとなっている。

このレーベルへの期待に応えて録音も良いが、
こうした企画が生まれたこと自体が、
冒頭に書いたように、何よりも喜ばしい。

「ロザムンデ」などは、歌付きでない楽曲が多く、
かえって得をしているのではないだろうか。
「アルフォンソ」の音楽は、多くが、歌詞に縛られて、
そこにどんな音楽が付けられているかを吟味する前に、
劇的にどうだこうだと批判にさらされている。
「ロザムンデ」などは、あちこちちょん切って、
様々な楽器にも編曲されて、愛好されているうちに、
全曲版で聴かれるのが普通になってきているのだが。

オペラの場合、そうやって親しまれているものは、
無数にあるではないか。
そうでないと、アリア集などのレコードやCDは、
成り立たなくなってしまうはずだ。

「アルフォンソ」の音楽は、そうした楽しまれ方が、
充分には、なされないまま来てしまった。

得られた事:「『アルフォンソとエストレッラ』は、全編が独立して楽しめるメロディの洪水のような作品で、小編成にしても楽しむことが可能。」
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by franz310 | 2011-02-06 00:15 | シューベルト