excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
以前の記事
2017年 10月
2017年 08月
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2010年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その249

b0083728_22432717.jpg個人的経験:
前回、ロシア音楽の父、
グリンカのトリオを聴いて、
この作曲家が浮き名を馳せた
彼のイタリア時代について、
気になってしまった。
今回のCD解説には、
そのあたりの経緯が、
少し詳しく取り上げられている。
これは、珍しく、
その時代の作品を集めたもの。


ロシアの名ピアニスト、プリトニョフが、
ロシア国立オーケストラのメンバーを集めて、
挑んだ意欲的なアルバムである。
プルトニョフが登場するのは、
最後の「大六重奏曲」だけのようだが。

各種ソ連系の復刻で存在感あるRegisレーベルのもの。
背面には、初出時のものと思われるGramophone誌の
推薦文が載せられている。

「初期のマイナーなものながら、
独特のサロンの魅惑を持つ作品を、
求められる共感と愛情を持って演奏している。
成熟したグリンカの特色があり、
心地よいメロディのみならず、
装飾的な対位法にも長けている。
同じ作曲家のカマリンスカヤの、
弾むような輝かしいテクスチャは言うまでもないが、
多くの恋人たちの一人であった、
若いピアニストのために、
イタリアで書かれた大六重奏曲も、
七重奏曲も魅惑的である。
ムード的にはノクターンのような、
セレナードもあり、
そこには伸び伸びとした音楽の喜びが見られる。
録音は新鮮ではっきりとクリア。」

このように書かれているように、
93年のデジタル録音で、美しい。
プルトニョフが演奏したものは、モスクワ音楽院の大ホール、
その他はモスクワ放送のスタジオ5での録音とある。

グリンカの特殊な編成の室内楽が4曲、
78分47秒も入ったお得盤である。

そのうちの2曲は、
彼が影響を受けたイタリアの大家、
ドニゼッティとベッリーニのオペラの主題を扱ったもの。

他の二曲、七重奏曲、大六重奏曲も、
シューベルトの世界からは遠いことを感じさせ、
極めて特異な感じで、
まず、前者は2つのヴァイオリン、
チェロ、コントラバスというヴィオラを欠く弦楽に、
オーボエ、バスーン、ホルンが加わる。

ただし、これは4楽章構成で、
形式的には古典の影響があろうかと思われる。

大六重奏曲は、ピアノの弦楽四重奏、
さらにコントラバスで、シューベルトの「ます」に、
ヴァイオリンが一つ追加されたもので、
何となく、親近感を感じる。

ところが、この曲、3つしか楽章がなく、
それならどこが「大六重奏」かと言うと、
何と、全曲で25分もかかるのである。

ベッリーニの主題の喜遊曲はこれと同じ編成で、
13分ほどの単一楽章の曲。
ドニゼッティの主題のセレナードは、やはり、
単一楽章のものだが、20分の大物で、
これは強烈、ハープがピアノと共演し、
ヴァイオリンがなく、ヴィオラ、チェロ、コントラバスに、
バスーン、ホルンが重なるという奇天烈編成である。

が、意外にこの編成、魅惑的な音色を聴かせる。
シューベルトの「ます」は、
フンメルの室内楽を参考にしたようだが、
フンメルのように全ヨーロッパを駆け回った音楽家の作品は、
こうした作品などにも、影響を及ぼしていると思われる。
フンメルにも、こうした雑多な編成の
セレナードがあることを思い出した。

それにしても、このデザインはないだろう、
というのが私の印象である。
そもそもRegisレーベルの最大の不満は、
この手の手抜きデザインにある。
リヒテルのシューベルトなどもあるが、
デザインがしょぼくて嫌になる。

大家レーピンの「コサックの貴族」
という絵画だそうだが、
グリンカのこれらの音楽が生まれた環境も、
実際、その音楽自身も、
ずっとこのデザインとは違ったものなのだ。

「ミハイル・イヴァノヴィッチ・グリンカが、
ロシア音楽の父という説明は、
世界中で知られている。
少なくとも、ピョートル大帝が、
西欧の文化を導入した時代から、
彼の前にも多くのロシアの作曲家がいたので、
この言葉は厳密には正確ではない。
しかし、これらの作曲家たちは、
外国の音楽を真似るばかりであった。
グリンカこそが、真の才能をもったロシアの作曲家で、
その系列の最初の人であった。
彼はロシア様式の作品を書こうと常に考えていたが、
この意志とは裏腹に、技法の点では、
西欧風のものであった。
グリンカはプーシキンの友人であったが、
魅力的な人物で、誰とでも友人になり、
多くの異性ともそうであった。」

ということで、前回のCD解説同様、
グリンカを語って、このように、
女性にもてもて、もしくはでれでれだった点が、
強調されている点が興味を引いた。

グリンカの肖像画は有名なものを見ると、
フクロウのようなおっさんにしか見えないが、
若い頃は違ったのかもしれない。

「同時代人は、次のように彼を描写した。
『彼は小男というには大きかったが、
普通の人よりは小柄であった。
しかし、重要な場面では、
彼の身体は均衡がとれ、がっしりと見えました。
南国人のように日焼けし、
近眼のせいかしかめっ面をしていたが、
話を始めると活き活きとして、
その個性的な快活な動作、
朗々とした声、力強いスピーチのマナーもあって輝いて見えた。』
ある人は、その異常な性癖も、
グリンカの特質として付け加えるかもしれない。
これが彼の人生をドラマとコメディーの奔流のようにした。
彼の音楽はその個性同様、魅惑的なものである。」

このように書かれると、
グリンカの桁外れな人生を、
音楽から垣間見たくなってしまう。

グリンカは、しかし、このように、
もともと、裕福なご家庭のご子息だったのである。

「グリンカは、スモレンスク近くの、
ノヴォスプレスコエの中上流階級の裕福な家庭に生まれ、
ピアノやヴァイオリン、フルートの音楽学習を含む、
一級の教育を受けた。
当時、ロシアには音楽学校がなかったので、
13歳になると、彼はペテルスブルクに移り、
アイルランド出身のピアノの名手、
フィールドから個人指導を受けた。
ロシアの首都で、グリンカは、
ロシアを代表する知的エリートに遭った。
例えば、彼のロシア語、ロシア文学の家庭教師は、
ショスタコーヴィチの第14交響曲の、
テキスト作者として知られる、
ウィルヘルム・キュッヘルベッカーであった。
グリンカが最終的に音楽に専心するまで、
運輸省務めをした。
その後、彼の主治医は、健康のために、
温かい南方での療養を薦めた。
そして、イタリア、オーストリア、ドイツにおける、
彼の日々(1830-34)は、その優れた、
語学の才によって、気楽なものとなった。」

ということで、20代後半の貴重な時期、
彼は、ベートーヴェン、シューベルト死後間もない、
独墺圏もたどりながら、
楽しい日々を謳歌したようなのである。

しかし、こんな所でショスタコーヴィチ関連の
人物が出てくるとは思わなかった。

「この時期、彼は修業時代を終え、
ベルリオーズ、メンデルスゾーン、
ベッリーニ、ドニゼッティらの知己を得て、
決定的な音楽上の刺激を受けることとなった。
彼が故国に戻った時、
ベッリーニやドニゼッティのようなスタイルの、
オペラ作曲家になろうと決めていた。
彼は事実、オペラ作曲家となったが、
彼の劇場作品は、数の上では、
イタリアの巨匠らに比較することは出来ない。
グリンカの最初のオペラは、
『皇帝に捧げし命』(もともとは『イヴァン・スサーニン』)
で、1836年に大成功をもって初演された。
これは、ロシア民謡を結びつけた、
近代的な西欧のスタイルで書かれた最初のオペラであった。
まず、新しい特徴として、中心となる人物が、
単純な小作農なのである。
1917年の革命後、
権威ある人たちが、
オリジナルの名称に代えたのは理解できるが、
我々は、明らかに無神論の国家の代表が、
グリンカが、オリジナル手稿に、
『Ivan SUAanin』と書き込んでいたのを見てどう思ったか、
不思議に思わずにはいられない。
ISUSとはロシア語でイエスを指す。」

ということで、解説は、いきなり、
グリンカの帰国後の話になっているが、
この話も面白かった。

とにかく、シューベルト死後、
まだ10年も経っていない時期、
彼は生涯の絶頂の大成功を収めたということであろう。
さらに、グリンカは、この後、
数奇な運命に翻弄されるようである。

「この成功が拍車をかけ、
グリンカは、今度はプーシキンの作品を、
ステージにかけようとした。
この『リュスランとルドミュラ』のリブレット作者は、
決闘で死んでおり、オペラの完成も大分遅れることになる。
また、この作品は一般には評価されなかった。
グリンカは落胆し、これ以後、
大規模な作品を書くことはなかった。
これまで休みなく動き回っていた彼も、
このオペラの1842年の初演以後、
すっかり気力を失ってしまった。
彼は西欧を旅し、さらに異常な生活に導かれた。
二年、スペインで暮らし、ワルシャワに三年暮らした。
ワルシャワの彼の部屋には、自由に鳥が飛び交い、
2匹の野ウサギとアンジェリクという名の少女がいた。」

シューベルトは短命であったが、
このような無目的な日々に陥る暇がなかったのは、
よかったような気がする。
シューベルトも渾身のオペラ二曲を書いたが、
これらは上演されなかったという不運もあったが、
失敗した時には、こんな痛手を被っていたかもしれない。

「グリンカが1857年にベルリンで亡くなった時、
彼は、以前の師匠であるジークフリード・デーンの許で、
再起を図ろうとしていた所だった。
彼は宗教曲を再発見し、フーガの勉強を始めていた。」

死の年になって、ゼヒターのところで、
対位法を勉強しようとしたシューベルトと似ている。
が、それとは別に、シューベルトは、
最後のミサ曲を完成させることが出来たので、
グリンカよりラッキーだった。
このように見ると、シューベルトは、
貧乏であったがゆえに、四の五の言わずに、
音楽に邁進できたのだ、と言えるような気がする。

「作曲家としてのグリンカは、基本的に独学で、
オーケストラの熟達した書法を考えると、
驚くべきことである。」

この記述を読むと、ベルリオーズのような例を思い出すし、
シューベルトはその点、サリエーリにばっちり基礎訓練を受けた、
プロの作曲家であった、と感じたりもする。

プルタルコスの「対比列伝」ではないが、
同時代の作曲家を考えると、妙に、
シューベルトの特長が浮き上がって来るではないか。

「彼は、飽くことなきスコアの勉強と、
実践活動を通じて、作曲の技術を消化していった。
彼は器楽のみならず声楽も学んだし、
短い時期ではあったが指揮者もしていた。
彼の最初の慣習的な理論の勉強は、
1833年から34年の冬にデーンのもとでなされた。
グリンカの音楽は、特にイタリアなど、
外国の音楽の影響を明らかに受けているが、
これは技術的側面に限られている。
彼の精神は完全にロシア人であった。
グリンカが外国の作曲家に及ぼした影響は、
見落とされがちである。
『ルスランとルドミュラ』の悪の魔術師、
チェルノモールの名前にちなんだ全音階、
チェルノモールスケールなどで、
彼は音楽語法の開拓に重要な役割を果たしている。
この音階の影響を受けた作曲家には、
ドビュッシーがいて、ラヴェル同様、
深くロシア音楽を研究し、一般に考えられているより、
はるかに影響を受けている。」

このように、この解説、かなり熱のこもったもので、
グリンカの魅力を多方面から訴えて迫力がある。
ここまで書かれると、
グリンカの音楽を無視することは不可能だ。

著者の名前を見ると、Per Skansとある。
1994年のものとあるから、
録音時期と隣接しており、
プルトニョフが依頼して書かせた、
オリジナルかもしれない。

「ピアノ曲を別にすると、
グリンカの室内楽は1ダースにもなり、
ほとんどが1830年頃に書かれている。
とりわけ多いわけではないとも言える。
フィンランドの作曲家、
ベルンハルト・ハインリク・クルーゼルの
有名な『クラリネット四重奏曲』によって、
シリアスな音楽に開眼したとされ、
これまた室内楽であった。
当時、ノヴォスプレスコエでは、
隣の領地シュマコヴォのアマチュアオーケストラで、
グリンカは演奏しており、
巨匠たちの作品に熱中していた。
この楽団のメンバーのために、
おそらく1823年頃、変ホ長調の七重奏曲は書かれた。
彼の多くの初期作品同様、特別な機会に、
特定の人たちが演奏することを想定した機会音楽である。
これは通常とは異なる編成からも見て取れ、
オーボエ、バスーン、ホルン、二つのヴァイオリン、
チェロとダブルベースのために書かれている。
4楽章という点からも、
シュマコヴォのオーケストラで、
グリンカがヴィーン古典派に出会ったに違いないと思われる。
後に、彼は、この作品を『若気の到り』と見なしている。
『それから私は作曲を始めた。まず、七重奏曲、
そして、オーケストラのための『アダージョとロンド』。
もし、これらがV.P.エンゲルハルトが保管している、
手稿の中に発見されたりしたら、
私が音楽に対して無知だった証拠が分かるだけだ。』
公正な評価をすれば、『若気の到り』などではなく、
非常に印象深いものだと分かるのだが。」

グリンカの生涯を概観した後、
作曲家自身の言葉を交えながら、
各曲の解説に入って行くあたり、
なかなかうまい解説である。

ここからが、グリンカ19歳の頃に書いた、
「七重奏曲」の解説となる。
1823年と言えば、シューベルトは、
後期に向けて飛躍を準備していた年であるが、
すでに26歳。
若い頃の7年の差異は大きい。

が、紛れもなく、シューベルト存命中の一曲。
異郷のグリンカが、始めて発した産声である。
それは、決して、その地を越えて響くことはなかったが、
シューベルトの生きていた時代の声であったことは確か。

私が、この曲を最初に聴いた時に感じた、
何だか変な曲という感じは、
こうした若書きということと共に、
若さ故のこわいもの知らずの一面があったと思われる。

「厳かな序奏、アンダンテ・マエストーソは、
我々をハイドンやモーツァルトの世界に連れて行く。
続くアレグロ・モデラートもまた、
予測できない半音階の要素があるとはいえ、
まず、ヴィーン古典派に比較できるものである。
提示部の終わりにかけ、
三連符のひらめきのパッセージがあり、
前代未聞の七連符が来る。」

序奏部は、比較的、オーソドックスで、
極めて高い緊張感と共に、
何か、新鮮な空気がみなぎって来るのが感じられる。
チェロが、浮かび上がって来るのも面白い。

主部は、二つのヴァイオリンが神経質に刻むリズムの、
素晴らしい推進力の上に、様々な楽器の音色が明滅する。
このヴァイオリンのぎこぎこ音が稚拙なようで、
妙に独特の色合いを出している点にも注意がいく。
第2主題も、オーボエとバスーンの掛け合いが牧歌的で良い。

8分以上もかかる大規模構成の第1楽章で、
ハイドン、モーツァルトと解説にはあるが、
ベートーヴェン的とも言える迫力、
フンメル的とも言える色彩感があって不思議。

三連符とは、たたたーたたたーと連呼される、
「運命主題」のような音型であろうか。
こうしたリズムの点からも、まったく退屈させない音楽である。

「第2楽章はアダージョ・ノン・タントと記され、
単純な民謡風のメロディからなり、
いくつかの変奏が続くが、おそらく、
作曲家の霊感に技法が付いて行っていない。」

ここでは、各楽器が独特の音色を聴かせ、
確かに、グリンカの実験的な書法は、
あちこちで聞こえなくても良さそうな音が重なり、
いくぶん未整理で、あの手この手を繰り出しすぎ、
みたいな感じがするが、それはそれで微笑ましい。
5分ほどの音楽。

「続くメヌエットは、それに対照的に、
技術的には一つの宝石のようで、
個性的でメロディは優美、
トリオ部では驚くべき半音階的書法が見られる。」

このように、第3楽章がメヌエットである点、
ヴィーン古典派風で、明らかに、彼のオーケストラは、
先端の音楽をやっていたようだ。

楽しいピッチカートの書法など、
心浮き立つ素晴らしい楽章である。
トリオ部との対比も美しい。
あっという間の3分半である。

「終曲のロンドでも、和声が素晴らしい効果を上げており、
長調と短調を奇妙にスイングし、
最後に変ホ長調が凱歌を上げる。
この作品のように、グリンカは、
始めてロシアのメロディを、
西洋の形式に溶け込ませた。」

これまた、極めて完成度の高い終曲で、
対位法的な装飾も見られ、グリンカの驚くべき才能が見てとれる。
各楽器がそれぞれの存在感をたっぷりと発揮し、
まさしく、シューベルトの「ます」にも比すべき、
音楽の喜びが充溢している。
エンディングなどは、「ます」に酷似している。
ただし、演奏時間は3分と短い。

すでに、「グラモフォン」誌に書かれてしまった事ではあるが、
この演奏、こうした試作品のような若書きにも、
共感豊かに取り組んでくれているのが嬉しい。
楽興の時が繰り広げられている。

続いて、セレナードやディベルティメントが入っているが、
今回は、他の作曲家に触発されたものではない、
「大六重奏曲」について先に聴いてしまおう。

ここでは、プルトニョフが、極めて意志的な音楽を聴かせ、
ホールも大きいせいか、音楽が一回りも二回りも大きく聞こえる。
ピアノが名技的である分、他の楽器が伴奏風になりそうだが、
要所要所で、輝かしいソロが入る。
1832年の作品なので、グリンカは28歳。
ショパンの協奏曲が書かれた時代。
それよりも、音楽は立体的で、
ピアノが休みなく歌い続ける点からも、フンメルの楽曲を思い出す。

「大六重奏曲は、1832年の夏から秋に書かれた。
コモ湖に近い美しい風景の中でグリンカはこれを書いた。」

いかにも、シューベルトに近い時代を思い出すエピソードではないか。
「ます」の五重奏曲も、美しい自然から生まれた。
が、グリンカの霊感の源は、それだけではなかったようである。
第2楽章の濃厚な官能性からも、それは明らかなような気がする。

「この作品も、若い女性のピアニストのために書いたが、
彼女は結婚していたため、恐れを感じ、その代わりに、
被献呈者として友人を推薦した。
幅の広いピアノのための独奏は、
小オーケストラのように、弦楽四重奏に支持されて、
時としてピアノ協奏曲のような響きを立てる。」

このように、この曲の発想が、
室内楽と協奏曲の間のような点があるので、
「大六重奏曲」という名称には、
感じ入ってしまった。
協奏曲のような3楽章形式も、
実は何の不思議もなかったわけだ。
この規模の楽曲である。
特殊な編成でなければ、
もっと取り上げられた作品ではなかろうか。

「第1楽章の、ソナタ、アレグロは、
ただちに力強い『生の喜び』と、
豊かな旋律の発想を聴かせ、
明らかにグリンカが、
イタリアの風景に囲まれていたことを感じさせる。」

しかし、いきなりピアノが爆発するような、
序奏を奏でるあたり、強烈な主張を持った作品である。
続いて現れる夢見るような楽想も美しく、
作曲家の霊感が噴出している。
チェロとヴァイオリンが歌うメロディなどは、
何となくヴィーン風の印象すら受けてしまう。

絶好調のフンメルもかくやと思わせる。

この解説者は、「七重奏曲」の解説の熱気はどこかに行ったようで、
この曲では解説がいい加減である。
「夢見るような、第2楽章は、
『舟歌』の形式で、明らかにイタリア風である」
などという書き飛ばしは、
この美しい楽章を、もっとしっかり描けよ、
と言いたくなるではないか。

途中から舟歌というより、
嘆きの歌のような弦楽の掛け合いがあり、
恋する者の悩ましい心情が生々しい。
胸の鼓動、語らい、ためらい、
さまざまなものが感じられる。

そのようなひとときも、
舟歌のリズムと共に、
遠く遠くへと誘われて行くようである。
これは、献呈された人妻が困ったとしても仕方がない。

しかし、グリンカは、何故、この後、
室内楽を書いたりしなかったのだろう。
代表作がオペラ2曲だけというのでは、
このあたりの作品が、いくら美しくても、
習作として片付けられてしまう。

「猛烈なエネルギーに満ちた終曲は、
形式的にアーチを描き、
曲頭のモティーフを回想して終わる」
という、終曲の解説も、エネルギー以外に、
まるで具体的でない。

終曲の狂ったようなリズム感は、
イタリアのサルタレッロであろうか、
あるいはスラブ舞曲であろうか、微妙。
第2楽章の愛のひとときを笑い飛ばすような趣き。
まるで、サン=サーンスやラヴェルのピアノ協奏曲のようだ。

ただし、グリンカは、
習作の「七重奏曲」では、極めてロシア的であったが、
この曲では、素性が明確でない。
快活で発想豊かなグリンカ印は認められるが、
ロシア的とは言い難い。
しかし、素晴らしく活力と霊感に満ちた魅力的な作品であった。

イタリア時代の浮き名に関しては、次回に回す。

得られた事:「グリンカの室内楽曲は、各楽器の主張も心地よく、音楽の喜びに溢れている。」
「グリンカはロシア音楽の父となって、あるいはその威厳ある肖像画からも損した部分もありそう。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-30 22:43 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その248

b0083728_1440399.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオの
CDと言えば、
やはり本場物の先入観で、
ロシアのアレンスキーの
トリオの方を良く聴いた。
この作品は、
非常に甘美なもので、
表紙絵画の、
爛熟の花々は、
それらしくこの曲を表現している。


この絵画はしかし、スコットランドの
ナショナル・ギャラリーにある、
ガスパール・フェアブリュッヘンの
「果物と花」というもので、
17世紀オランダ絵画と思われ、
曲の文化的背景とは全く関係なさそうである。

このCDは、1986年6月に、
英国エセックスのLayer Marney教会でなされたという。

この時代、この作品の録音は、あまり多くなく、
その意味でも興味をそそるものであった。

併録されているのが、
グリンカの「悲愴トリオ」というのが、
また気になるではないか。

が、こちらは、あまり悲愴ではなく、
まったくもって、どこが悲愴か悩ましいものが、
それに関しては、解説にも書かれているので、
請うご期待。

「これら二つの作品は、
60年以上も時を隔てているとはいえ、
共にロシアの作曲家によるもので、
共にメロディの才能があり、
甘美な和声を愛し、
その熱狂を後継者に引き継がせた者たちであった。
偶然ながら、ロシアから遠く離れて客死しており、
アレンスキーはフィンランドで、
グリンカはベルリンで亡くなっている。」

という風に、このCD、
作曲家の組み合わせが、非常に苦しいもので、
ロシアの作曲家であるだけで、
1804年生まれのグリンカは、
アレンスキーが1961年に生まれる4年前の、
1857年に亡くなっており、
2世代以上の隔たりがある。

グリンカがシューベルトの同時代人であるのに対し、
アレンスキーは、マーラーの同時代人なのである。
しかし、グリンカは53歳、
アレンスキーは45歳で亡くなっており、
どちらも若くして亡くなった人である点は、
共通しており、
ここに収められた二曲も、
グリンカが28歳で作曲したものと、
アレンスキーが33歳で作曲したものであるから、
そういう意味では初々しい作品たちと言えよう。

まず、アレンスキーについてのお話が、
このCD解説では出てくるが、
この人は、チャイコフスキーとラフマニノフを、
繋ぐような役割であって、
そこから連想されるとおり、
非常に甘美な音楽を書いた人である。

「アレンスキーは、ペテルスブルク音楽院にて、
リムスキー=コルサコフに学んだこともあったとはいえ、
彼の音楽嗜好は、チャイコフスキーに似ており、
リムスキー=コルサコフを含む『五人組』の国民楽派と、
折衷的なアプローチをしたチャイコフスキーとバランスをとった、
モスクワ音楽院に近く、
ペテルスブルクで金メダルを取った後、
彼は、理論と作曲の教師としてここに赴任した。
彼自身の最も重要な弟子にはラフマニノフがいる。」

チャイコフスキーは、かなりブルジョワ的な仕事をしたし、
ラフマニノフは、ソ連政権を嫌って戻らなかった亡命貴族であったが、
それに連なって、アレンスキーは、ソ連時代、
あまり評価されなかったのではないだろうか。
これは憶測であるが。

このような憶測をしたのは、
下記のような、
演奏会で主要演目になりうるような大作を、
かなり多く書いているのに対し、
日本ではレコードに恵まれなかったからである。

1987年のクラシックレコード総目録でも、
アレンスキーの名前では、
エルマンが弾いた「セレナード」一曲しか出てこない。

「アレンスキーは3つのオペラ、2つの交響曲、
ピアノ協奏曲、シェークスピアの『テンペスト』への付随音楽、
多くの合唱曲、2つのピアノ三重奏曲を含む室内楽などがある。
ピアノ三重奏曲第1番は、
『五人組』結成者であるバラキレフが、
聖ペテルスブルク王室聖堂の音楽監督の
後継者にアレンスキーを任じた、
1894年に出版された。」

この他、ヴァイオリン協奏曲や、
弦楽四重奏曲、ピアノのための組曲などがあるようだ。
どれも私は聴いたことがない。
チャイコフスキーとラフマニノフに似ているなら、
そちらの有名な方を聴けば良いという心理が働くのであろうか。
いや、そもそも、録音自体、まだまだ少ないのである。

しかし、この三重奏曲は美しい。
「この三重奏曲は、5年前に亡くなっていた、
カール・ダヴィドフに霊感を受けている。
ダヴィドフは、ロシアのチェロ流派創始者、
チェロの名手で、この三重奏曲は、
彼が1876年から86年まで監督をつとめた、
1863年以来の聖ペテルスブルク音楽院での、
彼の業績の死後の証言となっている。
第1楽章は3つの主題からなり、
第1のものは劇的で、
第2のものは叙情的、第3のものは激しい。」

第1楽章の解説はこれだけであるが、
曲の冒頭から、劇的というか、
憂愁を秘めたメロディを、
たっぷりとヴァイオリンが奏で出す。
そこにチェロが絡んで来て、
ピアノの音色も深く美しい。

この主題を歌う時、ドゥビンスキーの胸は、
共感でいっぱいになっていたはずで、
彼には珍しく、望郷の歌のようなものが感じられる。

1986年と言えば、彼等が亡命してから10年、
このような形であれ、節目の年、
祖国を思う機会があったことは、
おそらく貴重な体験であったはずである。

しかし、名チェリスト、
ダヴィドフを偲ぶという楽想ではあろうが、
最初からチェロで歌わせてやれば良かったのに。
ダヴィドフは、
20世紀の名女流、デュプレが弾いていた楽器の名前ではないか。

叙情的とされる第2主題は、
遠くを力強く見やるような、
これまた美しいもの。
激しい第3主題は、
民族舞曲的なリズム感を持ち、
少し、心を高ぶらせるが、
すぐに、暗い情念に落ちていく。

とにかく、全編が、
ラフマニノフばりの泣き節であるから、
この曲を聴いて、
まったく感情が揺さぶられないでいる事は難しい。

「これに、『アレンスキーのワルツ』と呼ばれるものの、
一例のような陽気なスケルツォが来るが、
第1楽章のもの思いにふけったコーダから自然に続く。
このスケルツォは形式というより、
ムードの上のもので、本質は中心部のトリオのワルツにあり、
主部の明るいスケルツォと激しい対象をなし、
メンデルスゾーン風の繊細な色合いを持ち、
ピッチカートのパッセージのスパイスがきいている。」

この第2楽章は、ここに書かれているように、
メンデルスゾーン風に、妖精が飛び跳ねる楽しいもので、
中間部のワルツは、ピアノがじゃんじゃか打ち鳴らされて、
ゴージャスでさえある。

ちなみに、ダヴィドフは、メンデルスゾーンの
ピアノ三重奏曲を演奏によって世に出たとされるが、
こうした背景までは、作曲家も知っていたのだろうか。
ダヴィドフは、1838年生まれなので、
アレンスキーより23歳も年長である。

ただし、アレンスキーがペテルスブルクで学んだ、
1879年から82年といえば、
ダヴィドフが音楽院の院長を務めていた時期であり、
そうしたエピソードを聴く機会もあったのだろうか。

また、ダヴィドフは、それ以前、
ライプツィッヒにいて、
ゲヴァントハウスの独奏者になったり、
音楽院で教えたりしていたから、
メンデルスゾーンとは、
切っても切れない関係にあったのかもしれない。

「エレジーもまた中間部を持ち、
主部の弱音器付きのチェロと、
ヴァイオリンの会話と軽い対比がなされている。
この中間部ではピアノが暗い色調の点描風の伴奏を行い、
リラックスしたムードを醸し出して秀逸である。」

この第3楽章も濃厚にロマンティックで、
泣かせるメロディーが嫋々と歌われる。
この解説にあるように、
ヴァイオリンとチェロがもぞもぞやっている中を、
ピアノがちょんちょんとやって見たり、
泉のような分散和音をピアノが奏でる中を、
ヴァイオリンが瞑想的な歌を聴かせるなど、
中間部も独特で面白い。
これは、後で回想されるので忘れてはならない。

「終楽章は、劇的なロンドで、
二つの主題を持ち、一つは強く活発で、
第2のものは、二つの弦楽によってより優しい。
アンダンテのエピソードでは、
エレジーの中間部が回想され、
さらに第1楽章の最初の主題が現れ、
作品の統一感を出している。」

これは激しい音楽である。
ダヴィドフが51歳という若さで亡くなった事に対する、
理不尽さの現れであろうか。
それを慰めるような、二つの弦楽器の精妙な掛け合いが美しい。
そして、前楽章の泉のような楽想が現れる。
この水の流れに乗って、ダヴィドフの魂は運ばれていくのであろうか。

そして、再び、最初の嘆きの主題が出るあたり、
まさしく、この曲も、ロシアの伝統である、
「悲しみの三重奏曲」であると感じさせられる。

ユリウス・ベッキー著の
「世界の名チェリストたち」の、
ダヴィドフの項を読んで驚いた。
「チャイコフスキーは彼を『チェロの皇帝』と呼び、・・
ダヴィドフの特別の崇拝者の一人だった
アントン・アレンスキーは、
彼の想い出を素晴らしいピアノ三重奏曲に作曲した」
と明記されていたからである。
きっと、この曲は、例のメンデルスゾーンとの関係以上に、
秘められた意味があるのだろう。

ダヴィドフ自身、多くの作曲も残しているようなので、
それもまた興味があるが、今回は深追いしない。

さて、シューベルトと同時代人で、
ロシアの生んだ大作曲家としては、
グリンカを忘れるわけにはいかない。
しかし、グリンカはアレンスキー以上に、
私たちにとっては把握しにくい存在ではなかろうか。

ここでもかつて、
彼が書いたピアノ曲が含まれるCDを聴いたが、
まったくロシア的ではなかった。
これと同様の事は、このCDの作品でも言えるようで、
いきなり、それについての解説が始まる。

「グリンカのトリオは、
『五人組』の活動を通じて、
ロシア国民楽派の灯りを導いたバラキレフの、
初期の発展に重要な励ましを与えた、
『ロシア音楽の父』の作品と認める事は、容易ではない。」

ピアノ曲の場合も極めてサロン的で、
別にロシア的ではなかった。
ややこしい事に、夜想曲の創始者、
フィールドがロシアで活躍したために、
フィールドとグリンカのイメージがごっちゃになり、
フィールドから直接連想される繊細なショパンと、
のちに荒くれたちを排出するロシア音楽が相容れない雰囲気なので、
グリンカを無視したくなるのである。

しかも、それらは、散発的な現象であり、
まともに大曲になっているものがこれまた少ない。
オペラは有名だが、器楽曲となると、
アレンスキーと違って、交響曲も協奏曲もなく、
室内楽でも、初期のものがぱらぱらあるだけ。
いったい、この人は何なのだ、と言いたくなる。

ここに収められた、ピアノ三重奏は、
そうはいっても、日本では古くから、
オイストラッフの演奏で知られたもので、
このオイストラフのビクター盤には、
チェリストであり、ロシア音楽研究の第一人者であった、
井上頼豊氏が簡潔な解説を書いておられる。

「グリンカの室内楽作品は9曲あるが、
すべて初期の作品で、そのうち5曲までが、
イタリア留学中の作品である。
グリンカは1830年春、
イタリアへ出発し、3年をすごし、
その間に歌曲・変奏曲・室内楽曲を書きながら、
南国の陽気な旋律がロシア人とは合わないと感じはじめていた。
この「悲愴」は1832年9月から10月にかけて、
28歳のグリンカがスイス国境に近い
バレーゼで書き上げたもので、
原曲は、ピアノとクラリネットとファゴットのために書かれたが、
現在では管楽器のパートをヴァイオリンとチェロで受け持つほうが、
一般的になっている。
グリンカはこの曲の扉に、
『悲愴三重奏曲の断章。コモ湖畔にて』と書いているが、
まさにこの曲は4楽章だが多分に断片的で、
後年の病いの原因となった
<はげしい絶望感>に満ちている」
と書いているが、どこがはげしい絶望かは意味不明。

このシャンドスのCDにも、この「悲愴」のタイトルは、
かなり疑問視されている。
「ピアノ、クラリネット、バスーンのために書かれた、
オリジナル出版時、付けられたタイトルも変である。
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための、
Hrimaldyによる編曲によって、
この作品はレパートリーに残ることになった。
この作品は、28歳のグリンカが、
健康上の理由でイタリアに滞在していた、
1832年に作曲され、
ミラノ音楽院の音楽監督と共に、
作曲に取り組んだことから、
ドニゼッティやベッリーニの影響下にあり、
医者によって、毎日、彼が胸部に塗る必要を命じた、
薬の臭いがする。
哀れな作曲家は、自伝に、
『私は、愛が運んでくる痛みによってのみ、
愛というものを知った』と書いたような環境下は、
基本的に朗らかで叙情的なこの作品が、
『悲愴』という見当外れなタイトルを、
持つ口実にするには十分であろう。」

難しい事を書いてくれている。
胸部に塗られる膏薬の臭いがする音楽とは、
いったい、どの部分を指すのであろう。

イタリアの作曲家からの影響は、井上氏も、
「ドニゼッティの影響も見えるが」と書いて認めているが、
「グリンカ特有のロシア的パトスが顕著である」と、
反対の結論で終わっている。

いったい、この曲は、「悲愴」なのかどうなのか。
「ロシア的パトス」はあるのかないのか。
そもそも、「グリンカ特有」というのが良く分からない。

さて、今回、CDの解説を見るとこうあるではないか。
「ロシア的パトス」はいいから、このイタリア的な官能を、
見つける方が楽しそうである。

「この作品は4楽章からなるが、
4つの関連する部分からなる、
1楽章の作品の性格を持つ。
それは、全編を通じ、グリンカが、
『小さなイタリアのベッドルーム、
窓を通じて、美しい月光が輝き、
そこには、美しいイタリアの少女が横たわっている。
彼女の黒い髪は、すべてではないが乱れ、
肩に、胸にと落ちかかっている。
彼女は素晴らしい。いやそれ以上だ。
彼女の全てが、その情熱と妖艶を確信させた』
と書いているような、
イタリアの温もりを想起させる。
彼の友人が、グリンカについて、
『彼は音楽を愛し、ペチコートを愛した』
と書いたとしても驚くには値しない。」

この曲は、一応、CD背面にあるように、
第1楽章、アレグロ・モデラート(5:55)
第2楽章、スケルツォ、ヴィヴァーシッシモ(3:53)
第3楽章、ラルゴ(5:48)
第4楽章、アレグロ・コン・スピリート(2:04)

やたら、終楽章が短く、
それに先立つラルゴが、
終楽章の3倍近くの長さになる点、
第2楽章にスケルツォが置かれ、外見的には、
ベートーヴェンの「第9」みたいだということが分かる。
が、そんな大がかりなものではない。

が、井上頼豊氏が言うように、
「断片」であるのだとしたら、
本来の構想は、もっと別にあったのかもしれない。
そもそも完成作として聴くべきかどうかも悩ましい。

私は、これらの解説を読んで、完全に混乱気味である。
イタリアの官能を聴くべきか、
ロシア的パトスを聴くべきか、
さっぱり分からなくなっている。

あるいは、イタリア的官能の中の、
ロシア的パトスを聴くべきなのだろうか。

「最初の3楽章は、中断なく演奏され、
フィナーレでは、すでに出てきた材料を利用した、
短いエピローグが付く。
アレグロ・モデラートにおいて、
主要主題は、最初から、
エネルギッシュで興奮しており、
叙情的な第2主題と対比されながら、
展開されるに連れ、情熱を増す。」

これはCD解説であるが、井上氏は、
こう書いて、いきなり「悲愴」的であると断言傾向。
「第1楽章は劇的な主題を中心に各楽器が激情的に高揚する。」

確かに叩き付けるようなヒステリックな主題で始まり、
第2主題は、その緊張を和らげるような、
なだらかなもの。

何だか、アリャビエフの
「ナイチンゲール」みたいな趣きもあって、
そこがロシア的パトスかな、
とも思うが、終始歌い続けるピアノなど、
フンメル風でもあり、
ロシア的というよりはるかにそちらに近い。

というか、発想そのものが、
ベートーヴェン的でなく、
フンメル的と言える。

フンメルのピアノ入り室内楽は一世を風靡したが、
元は、弦楽ではなく管楽を使っていた。
そういった意味でも、
もともと管楽器のために書かれたという、
このグリンカ作品との、関係は濃厚に見える。

「スケルツォ風のヴィヴァーチッシモは、
チェロによって導かれる、
美しいメロディのトリオを持つ。」

この楽章は、シューベルト風とも言える、
中間部のメロディが美しい。
これに関しては、井上氏は述べず、
こう書いている。
「第2楽章は第1楽章の要素を受けて、
旋律的で、比較的短い。」

この楽章の屈託のなさは、
まさにロシア的パトスからは遠く、
南国の香りの方が強い。

「イタリア風のカンティレーナは、
愛らしい『ラルゴ』(第3楽章)に明白で、
愛する追憶の、もの思いに沈んだ優雅さで終わる時、
主要主題がひらひらと舞う。」

この部分は、確かに美しく、
特に、シャンドス盤では、トゥロフスキーのチェロの、
朗々たる音色を堪能することが出来る。
必ずしもイタリア的かどうかは分からないが、
感情の充満した音楽で、オペラの一場面、
チェロとヴァイオリンが歌い交わす、
まさしく名場面にふさわしい内容である。

井上氏も、
「第3楽章はヴァイオリンと
チェロの比較的長い独白が美し」いと書いている。
完全に愛のデュエットであるが、
ここからは、膏薬の臭いやロシア的パトスは感じられない。
むしろ、かぐわしい夜の気配が濃厚である。

CD解説には、
「これら全ての着想は、
この作品を劇的勝利に導く拡張されたコーダまで、
フィナーレで強調される」とあるが、
風雲急を告げて、悩ましい愛のひとときが、
完全に破局に到った感じが「悲愴的」かもしれない。

井上氏の解説は、より直裁的で、
「第4楽章は短く、終曲というより全曲の結尾に近く、
第1楽章の楽想を変奏的に再現したものである」
と書いている。

こうやって、あれやこれやを考えつつ聴くと、
ロシアかイタリアか知らんが、
中間の2楽章は、
快活で幸福感に満ち、愛の気配が充満しているが、
最後に、過去のものとして崩れ去る音楽として、
「悲愴」というより、「悲劇的」である。
第1楽章は、それを回想する時の痛々しい音楽である。

これは、標題音楽として聴くと、
かなり納得できる音楽かもしれない。

同年代に奇しくも、ベルリオーズがいるが、
彼が、音楽で失恋を描いたように、
この三重奏曲も、第1楽章を「夢と情熱」と呼び、
終楽章を、「断頭台」と呼んでも良さそうだ。

ただし、ベルリオーズと違うのは、
グリンカは、心から、イタリア留学を楽しんだようで、
中間2楽章が幸福感に満ちている点であろう。

シャンドスのボロディン・トリオの演奏は、
しかし、幾分、この不思議な音楽に戸惑いを覚えているようだ。
何となく統一感が不足し、散漫な印象を受けた。
各部は、感情の起伏のまま、
細部まで表現され、十分に歌われてもいるが、
この解説の影響で、何が何だかわからなくなったのか、
ひたむきさが不足する。

b0083728_1441742.jpg一方、昔、ビクターから出ていた
オイストラフ・トリオ盤は、
ハイドンのホ長調のトリオと一緒に、
A面に、このトリオが詰め込まれ、
B面はスメタナの
ピアノ三重奏曲が入っているという、
贅沢収録LPであった。
こちらの表現は、
ボロディン・トリオとは異なり、
一気に駆け抜ける感じ。
これなら「悲愴」っぽい感じになる。


もともと何年の録音かは分からない。
しかし、この3人の巨匠を集めながら、
ジャケット写真はオイストラフだけ。


モノーラルではあるが、今回、聞き直してみて、
音に不満はなく、非常に美しい演奏だと思った。

曲の性格ゆえに、オイストラフやクヌシェヴィツキーより、
オボーリンのピアノの落ち着いた美しさに耳を奪われた。
しかも、シャンドス盤よりひたむきな感じで、
全曲を15分半で弾ききっている。

特に第1楽章の推進力は、
焦燥感を感じさせて迷いなく、
これなら「ロシア的パトス」と呼ばれても
おかしくはない、という印象。

ただし、第2楽章は素っ気なく、
第3楽章のラルゴも香気よりも内省的で、
クヌシェヴィツキーのチェロ独奏も妙に厳しく、
オボーリンのピアノは沈潜して、暗い情念をたぎらせる。
ただし、一気に弾ききっているので、
何だか騙されたような感じがしないでもない。

CD解説にあるような、
なまめかしい留学の日々を聴くなら、
冒頭の絶叫からして、
ボロディン・トリオの方がそれらしく聞こえる。

この聞き比べ、同じ曲でありながら、
かなり違う印象を与える内容となっていて興味深かった。
「悲愴」的に聞きたいならオイストラフ盤だし、
青春の追想を味わうにはボロディン盤だ。

得られた事:「グリンカの『悲愴三重奏曲』は、フンメル的という意味で、『ます』の五重奏曲の兄弟かもしれない。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-24 14:37 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その247

b0083728_9341100.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団の、
名誉あるリーダーでありながら、
仲間を見捨てて亡命した、
ヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、
新天地でピアニストの妻と、
ピアノ・トリオを結成したが、
彼等はすぐに、シャンドスに
シューベルトを録音して、
好評を博した。


b0083728_9143098.jpg例えば、
早く録音された「第2」は、
1981年6月11日、12日に
ロンドンで録音されたとされ、
彼等が得意としていた
ショスタコーヴィチよりも、
2年も先の仕事なのである。
これは、湖面のきらめきを
写した表紙写真の、
抽象的な美しさでも、
印象に残るもの。


こちらのCDブックレットの終わりの方には、
「コンパクトディスクにおける、
シャンドスのスペシャル・サウンド」
と書かれたカタログがあるが、
ブライアン・トムソンによるバックスの交響曲第4番、
「11月の森」などの交響詩集など、
私が、夢中になった初期のCDや、
アレクサンダー・ギブソンの、
シベリウスやチャイコフスキーなど、
そういえば、そんなのもあったなあ、
というCDが1ダースほど列挙されている。
(LP&Cassette)と並記があるのが泣ける。

これらの録音は、とにかく録音が良いので知られ、
演奏はどのような評価であったかは忘れてしまったが、
まだ、LPとCDが一緒に出るような時代に、
私は、このトリオの「第2番作品100」を購入した。
ひょっとすると、他にCDがなかっただけかもしれない。

当時、シャンドスは新興レーベルとして、
脚光を浴びており、その録音の良さと、
日本的とは言えぬ、ヨーロッパの雰囲気を伝える選曲などで、
強い印象を放っていた。
が、購入したシューベルト、
あまり、これといった印象はなかった。

今回、このボロディン・トリオを聞くにあたり、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーとしての、
ドゥビンスキーから味わって来たが、
トリオを始めてすぐの時代の彼の演奏はどんな感じだったのだろうか。

ここでは、表紙写真に、
ずらりとトリオのメンバーが揃った、
第1番のCDを取り上げてみよう。
このCDは、「第2」の翌年、
1982年6月2日と3日に、
やはりロンドンで録音されており、
この時代、彼等は初夏になると、
ロンドンでシューベルトを
演奏したい気分になったと見える。

もちろん、シャンドスの思惑があっただろうが。

私の持っているCDには、
日本フォノグラムが輸入・販売した時の
日本語解説が挿入されている。

しかし、これは、英文解説にある、
Jean Wentworth氏の解説を訳したものではなく、
日本を代表した大家、
志鳥栄八郎氏が新たに書いたものとなっている。

英文の方は、ボロディン・トリオなんか知らん、
という感じだが、志鳥氏は、
最初からボロディン・トリオの、
各メンバー、ドゥビンスキー、エドリーナ、
そしてトゥロフスキーを順次紹介し、
「腕達者な連中の集まりだけに、
その息の合ったアンサンブルは、
驚くべきものだ」と、
いつもの激賞をしている。
「腕達者な連中だけに」という表現は、
妙に心に残るフレーズではないか。

女性のエドリーナまで、乱暴にひっくるめて、
「連中」と言ってしまうあたり、
さすが大家の筆遣いである。

さて、その後、
「明るく透明なヴァイオリン、
中低音をしっかりと支えるチェロ、
まろやかで、しかも、生鮮な表情をもったピアノ、
これらが一体となって、
活きいきとした音楽を作り上げている」
と、やや具体的になるが、
ピアノ以外はその楽器の特徴を言ったにすぎない。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と締めくくっているが、
これまで聴いて来たボロディン四重奏団のイメージは、
冷徹な精密機械みたいな部分もあり、
本当だろうか、と首を傾げたくなった。

こうなったら、どっちが本当だ?
と疑問も湧いて、鑑賞意欲も湧いて来る。
さすが、志鳥先生、ついつい乗せられてしまう、
名解説である。

また、この曲については、
この作曲家の「超人的な創作力」、
62曲にものぼる室内楽が、歌曲に次いで重要だということ、
ハイドン、モーツァルトのピアノ三重奏から離れ、
ベートーヴェンが、
「この分野で、最初に決定的な勝利を収め」
それにシューベルトが続いたと、
音楽史的な位置づけも押さえてある。

かなり力の入った解説になっている。

この曲自体についても、
シューマンの賛辞も織り込みながら、
各楽章を「千変万化するハーモニー」、「夢見心地」、
「ウィーン生まれのシューベルトらしい屈託のなさ」、
「曲の組み立て方や転調のしかたなどいかにもシューベルト的」
とかなり詳しく書いている。

まさしく、レコード解説の模範である。
ただ、この手のものは、ここ半世紀くらい、
繰り返されているものが多く、
どのCDを買っても同じのを読まされる、
という情けない事態にもなりがちなのが問題であろう。

では、シャンドスのCDの、
元の英文解説はどうなっているのだろうか。

「この変ロ長調のトリオは、
スタイルからだけでなく、まさしくその存在そのものが、
精神世界から吹き寄せて来たものにも見える。」

と、いきなり文学的で、高尚な気配がする解説である。
平易な表現で、庶民にやさしい志鳥先生とは正反対である。

「事実上、シューベルトの生前には、
その存在が知られていなかったのに、
1831年に作品99としてディアベリのリストに現れ、
さらに超然とした作品100が有名になって8年後、
1836年に出版された。」

この手のややこしい言い回しも、
この解説のありがたさを増幅させる。

ちなみに、第2番作品100は、
1828年に、すでに有名だったかと思い描くと、
そういえば、出版には手間取ったとはいえ、
シューベルト死の年の自作演奏会で、
取り上げられていたのだった。

「現在では、もちろん、それは、
祝福された『ます』の五重奏曲を除く、
すべての室内楽を人気の上でしのぎ、
そこには、シューマンが大ハ長調交響曲について書いた、
素晴らしい一節、『永遠の若さの種子』がある。」

このように、何にでも当てはまる表現の羅列だとしたら、
志鳥先生の解説と何ら、変わるものではない。
文学的なだけ、読みにくい弊害が気になって来る。

「作品99の開始部は、
落ち着きのある自制と、
あふれ出る無限の喜びの特別な融合である。
ピアノをベースとした、大きな付点リズムが、
主題のほとばしりを完璧に引き立てており、
弦楽のはるか高音で、鍵盤にメロディが聞こえると、
三連符や、16分音符の流れがはしゃぎ、
まさに創造の喜びに興奮を覚えずにはいられない。」

確かに第1主題の前半では、
ピアノの歩みが悠然としており、
後半では、高音でぺちゃくちゃと騒ぎ立てる。

このような分析と主観が交錯する文章は、
私は、決して嫌いではないが、
非常に疲れる文章であることは確か。

志鳥先生は、このあたりを、
「序奏なしに、明るく生気にあふれた第1主題が、
ヴァイオリンとチェロのユニゾンで現れ、
ピアノがそれに伴奏をつけてはじまる。」
と書いているが、
こちらの方がはるかに分かりやすい一方で、
この人は、この曲に、どう向き合っているのだろう、
という意味では、かなり意味不明である。

音楽を言葉に置き換えるのが、
いかに難しいかを考えさせられる。

ボロディン・トリオの演奏は、
ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーの演奏と同様、
熱い共感はあるのだろうが、
極めて鋭い音によるかっちりした演奏である。

このCDの表紙写真を改めて見て欲しい。
ドゥビンスキーの、まっすぐこちらを見据えた、
素晴らしい視線。
この視線のように、びしっと決める美学が、
この演奏にも感じられる。

それを考えた後、このエドリーナ女史の、
自信に溢れた微笑みを見ると、
何と、これまた、この演奏の含蓄を伝えていることだろう。

トゥロフスキーの表情は、
この夫婦の前では力に不足するが、
この温厚なまなざしのとおり、
まったく過不足なく演奏を引き立てている。

「第2主題の穏やかな愛らしさに優しくチェロが歌う、
典型的にシューベルトらしい持続音まで、
三連符と付点リズムは、
興奮した経過句でさらに目立って活躍する。
その静かなメロディの跳躍は、
いくつかの変容を経て魔法のように引き延ばされ、
半音階的な変容を前に、
再びチェロが提示部の終わりを告げる。」

この提示部の終わりを告げる時のチェロは、
かなり幻想的な色調になっている。

このように英文解説が書くところを、
志鳥先生は、
「チェロが、美しい生鮮な表情の第2主題をうたい出し、
すぐにヴァイオリンがこれに加わる。
この主題は、さらにピアノによって受けつがれ、発展する。」
と書いている。
著者が、この曲にのめり込む度合いは、
やはり、原文の方に分がある。

さすが、この一曲だけでCDを埋めてしまうだけあって、
提示部が繰り返されて、
しかし、きりりとした演奏であるがゆえに、
くどさが感じられないのはさすがだ。
言い方を変えれば、やせた音のデッサンが鋭く、
ぐいぐい突き刺さって来るという感じ。

「みずみずしい表情で、うたい、
かつ流している。これは、心のなごむ演奏である」
と書いた志鳥先生には悪いが、
この演奏は、かなり厳しいもので、
心が和むという類のものではないだろう。

「いくらか力ずくの『グランドマナー』の開始ながら、
展開部は、ピアノがフォルテを繰り返す上を、
シューベルトが書いたものの中で最高の感情表現である、
愛らしい弧を描き下降する第2主題の変形に向かう。」

最高の感情表現かは分からないが、
ものすごい迫力で力がせめぎ合う部分。
演奏も息をつかせない。

グランドマナーと書かれているが、
この演奏、かなり音楽を大きく描いていて、
非常に雄大な印象を受ける。
このスケール感は、緩急自在な、
リズムや節回しによっているものと思われる。
基本は、前へ前へと進むリズム感ながら、
ここぞという所では、
音をたっぷりと伸ばし、作品を堪能させてくれる。

「ついには、再現部を予告する、
優美な4小節のフレーズに解放される。
巧妙な転調、痛快なリタルダンドは、
単なる繰り返しではなく、
主音の変ロのメイン主題をピアノが取り上げ、
大きなクライマックスの後、
すべてのものが静止し、ためらい、
魔法のような16分音符のさざ波の中で、
終結の7小節に飛び込む、
最後の変容の瞬間が来る。」

ここは、読んでいて、何のことか分からないと思ったが、
第1主題のメロディが停止寸前まで引き延ばされることを、
書いたものに相違ない。

再現部では、ヴァイオリンもチェロも、
さりげない、しゃれた表情を少しずつつけて愛らしいが、
あくまでも作品への向かい方はストイックで、
身が引き締まる演奏である。

「私の気に入っているお話は、
ジュリアード音楽院の校長、
Irwin Freundlichの晩年に関するもので、
彼は、学生が世界で最も美しい曲を演奏する、
と笑いながら言ったことだ。」

唐突に、解説者の回想が入って、第2楽章の話になるが、
このような話を書きたくなるほど、
この楽章は美しいということだろう。

志鳥先生も、
「この楽章は、全曲中最も半音階的な動きに満ちており、
そこはかとない夕暮れの情緒のようなものが感じられる。
シューマンが述べているように、
『人間的な美しい感情が豊かに波打っ』た、
シューベルトならではのすばらしい音楽である」
と激賞している。
その点は同じだ。

オリジナルの解説に戻る。
「彼が言ったのは、
『即興曲』作品142変ロの事だったが、
その誇張は、作品100のトリオの緩徐楽章主題、
または、この編成で唯一、単独で残された成熟作品で、
ほとんど静止してメロディとも言えないような、
神々しい『ノットゥルノ』の主題まで、
その他多くのシューベルトの主題に当てはめることができる。
事実、この変ホの『アンダンテ・ウン・ポコ・モッソ』は、
そのまどろみ揺れる8分音符、
その単純すぎる2音の音型から流れ出す主題に、
曰く言い難い寂しい感情を引き起こすほどの
この洞察力ある表現、
美への鋭い感覚がある。」

このように、この著者も、
美しすぎて寂しい点を特筆しているが、
志鳥先生の言う、「夕暮の情緒」であろう。

「この楽章は、事実上、変形されたメヌエットの形式で、
激しいハ短調のトリオ部以外は、
シューマンの謎に満ちた、
舞曲は人を悲しく物憂げにするという意見を想起させ、
我々は、主に、作曲家が、
その空想に深く沈潜している感覚を持つ。」

この解説も、シューマンの引用がある点が面白い。
美しすぎる時、頼みの綱はシューマンということか。
この作曲家は、こうした美には、
いち早く反応して、すべて言ってくれているのだろう。

しかし、志鳥先生が複合三部形式と書いた、
この楽章はメヌエットだったのか。

「激しいハ短調のトリオ部」
と書かれた中間部分は、
まさしく、この団体の演奏の、
ぴりりとした演奏が映える所で、
エドリーナのピアノの打鍵が、
曰わく言い難い強さで、胸を打つ。

「特筆すべきは、型どおりのダ・カーポながら、
ヴァイオリンが、本来正しくない調性である変イに沈み込む、
うっとりするような瞬間であろう。」

まさしく、この見解には首肯せずにいられない。
不思議な浮遊感が我々を包み込む瞬間である。
さすがの志鳥先生も、ここまでは書いていない。
が、まさしく、この部分は特筆すべきかもしれない。

ボロディン・トリオの演奏では、
それが単なる夢見心地ではなく、
何か、恩寵に満ちた空間に、
引き上げられるような感覚を感じさせて素晴らしい。
陶酔的でありながら、
何か、強い意志を感じさせるがゆえであろう。

「めったに冗談を言わないシューベルトが、
ジョークを言う時は、最高のジョークになる、
などと言われて来たが、
スタッカートの4分音符と8分音符による
その息もつかさぬ長大なフレーズ、
関係調と無関係な調との目が眩むような進行、
技巧に満ちた対位法の模倣などに満ちた、
このスケルツォなどはその好例である。」

第3楽章の解説も、
こんな風に、あっけに取られる話から始まる。
ウィットに富むと言うべきか。

「作品100のより深い表現レベルではないが、
これは実に魅惑的な音楽である。」
後半は、こんな風に、作品100と比べるだけで、
あっけない。

従って、前半の修飾語の数々を味わい直す必要がある。
トリオについては、何も書いていない。

志鳥先生は、この楽章について、「民族的色彩」とか、
「シューベルトらしい屈託のなさ」とか書いている。
トリオについては、「ワルツ風の性格」と書いている。

「終曲は、『ロンド』と称され、
主要主題が、
主音で何度も繰り返されるわけではなく、
主音では一度、繰り返されるのみである。
全体としてその童心のような陽気さゆえに、
このメロディは、これから起こるさらに肥沃な素材より、
重要ではないように見える。」

志鳥先生は、
「この楽章を通じて繰り返し現れるロンド主題は、
民謡風の素朴な感じの強いもの」と書いているが、
やはり、
「あいだを縫ってちりばめられる美しい副主題」
が、曲を盛り上げると書いてある。

確かに、主要主題は、
形式的に反復されて出てくるだけのような音楽だ。

「そのリズムの結合は、その神秘的な単純さを気づかせないものだ。」
とあって、以下のように、
単純なものから、様々な効果が生み出されている点が特筆されている。

b0083728_975437.jpg「aのパターンが
全楽章に広がっており、
第15、16小節のbパターンが
メロディのように、
単純な下降から、
大きくスキップする。」


何だか、著者、直筆みたいな譜例が出てきて、
変な感じだが、伝えたいことは分からなくもない。
音楽が伸縮して、基本は変わらないのに、
玄妙に変容していくのは確か。

「これは、間違いなく、数小節後の、
とげとげしい総奏の中断の源で、
これは、付点リズムのパターンcから導かれた、
ト短調のジプシー風主題となる。
この中断動作は、
ピアノの下降するトレモロの上を上昇する
ヴァイオリンのパッセージや、
わざとらしい見せかけの終結部や、
もう一つの変ニのピアニッシモのエピソード
の基礎となる。
これにおなじみの変ホの見せかけの繰り返しが続き、
変形されたオリジナルの材料の反復がある。
最後に、突撃するプレストが、
ひらひらと元気のよいピアノの和音と、
弦楽の繰り返しによる、
つむじ風の終結に向かって、作品を駆り立てる。」

ショスタコーヴィチの変幻自在な音楽を料理してきた、
「腕達者な連中」ゆえ、ボロディン・トリオは、
こうした錯綜した楽想を正確にさばいていく。

この楽章では、気のせいか、
ドゥビンスキーのヴァイオリンが、
いつもより、艶やかに輝いている。

ショスタコーヴィチなどの世界から戻ってみると、
かつて、混乱していて冗長とされた、
シューベルトの音楽のこの錯綜感こそが、
現代にダイレクトに、
つながっているような感じさえするのが面白い。

私たちは、いったい、シューベルトに、
何を聴いて来たのだろう、
と、ふと、感慨に耽ってしまった。
彼等は、それを口当たり良く加工することなく、
そのまま、我々に提示する。
その生々しさ、痛々しさが、シューベルトの不気味さ、
この演奏家たちの複雑な運命を、
妙にさらけ出すような気がして来た。

最後にこのCDの解説は、
ちょっと、ほろりとさせられる
シューベルトの友人のエピソードに、
さりげなく触れているのが憎い。

「シューベルトの死後、40年近く経ってから、
それでも忠実な友人として、
モーリッツ・フォン・シュヴィントは、
『ヨーゼフ・フォン・シュパウン家における、
シューベルトのある夕べ』のスケッチを始め、
シュパウンの姪ヘンリエッテに宛てて、
『私たちの古い友(シュパウン)は、
まさしく、こう言った時、正しかったのです。
”私たちは、全ドイツで最も幸福だった。
いや、全世界でだ”。
それはシューベルトの歌曲のみならず、
そこにいた、素晴らしい、謙虚で、心温まる人たちが、
一緒にいたからだ。”
何と、追憶は悲しいことか。
それにもかかわらず、
作品99の陽光に満ちた活力を聞くと、
これらの素晴らしいシューベルティアーデが、
その読書、ジェスチャーゲーム、音楽とダンスに満ち、
不幸や惨めさや早すぎた死によっては、
中断されなかったと、信じることが出来てしまいそうだ。」

それにしても、この録音、
CDというのに、両曲とも1曲ずつしか入っていない。
最近は2曲を1枚に収めたものもある中、
これは非常にぜいたくな作りである。

小品を収録するというサービスもなく、
1枚1曲の剛球勝負である。

しかし、そのからみで、
このCDを見直して、重大な欠陥を発見した。
トラックと時間の関係がどこにも書かれていないのである。

日本語解説では、さすがに、これではまずいと考えたのか、
ちゃんと、15:34、12:25、6:39、9:03
と書かれている。
「第1番」は43分ということで、やはり、大演奏である。
短い方のこの曲でこの長さであるから、
2曲を1枚など無理な相談にはなっている。

得られた事:「ボロディン・トリオの方が、ボロディン四重奏団のオリジナルの美学に忠実な、真摯で直球勝負の音楽作りをやっている。」
「シューベルトの音楽に聴く錯綜感は、ボロディン・トリオで聴くと、それこそがシューベルトの本質のようにさえ聞こえる。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-17 08:49 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その246

b0083728_14392424.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団は、
第1ヴァイオリンに逃げられる
悲劇の四重奏団である。
最初は、亡命だったが、
二度目は、政治的背景が
あったのかどうか。
いずれにせよ、
二度目のヴァイオリニスト、
コペルマンは、他の団体に入ったり、
自分の四重奏団を作ったりした。


コペルマンが入った頃のボロディン四重奏団は、
おそらく、古参メンバーは50代だったはずで、
コペルマンが若手のホープだったにせよ、
みんな重役みたいな感じに見えただろう。

そもそも、切れ味の良い、精密機械のような、
ソ連の体操競技のように鋭い演奏を得意としていた
ボロディン四重奏団が、
甘美な音色で聞かせるコペルマンを入れた事からして、
不思議といえば不思議であった。

おそらく、ショスタコーヴィチへの共感では、
同じ目標を定めることが出来たかもしれないが、
古典などになると、意見の相違が出たのだろう。
チェロのベルリンスキーは、
コペルマンのせいで、
あまりベートーヴェンを演奏できなかった、
後になって言っていたりする。

コペルマンが自らの理想を自覚するに到り、
意見の食い違いも出てきただろうが、
かつての重役連中が、ずっと居座っているのだから、
どこまで、何を言えたかは分からない。

録音で聞く限り、
コペルマンは、やりたいように、
やらして頂きますよ、
という方針を採ったようである。
何故なら、ボロディン四重奏団の、
コペルマン時代の最後の方は、
明らかに、彼の音が突出しているからである。

また、古参たちは、
自分たちがやりたかったコミュニケーションを、
どうして、こいつは十分取らないのだろう、
と不満を持ちながら、
仕方なくおつきあいをしていたようだ。

お互いに不満を抱えながら、
持ち味が発揮できず、
惰性で動いている組織は不幸である。
そうした状況が二十年も続いたのだから、
両者も何かやり方を変えないと思いついたに相違ない。

例えば、コペルマンの後、
新メンバーを迎えてのベートーヴェンのCD解説では、
かなり、ああだこうだとやり合って、
互いに納得するまで練習した、
というような事が書かれていた。

一方、コペルマンにも、
言いたい事はあった。
もっと、他のメンバーも自己主張しろ、
などと考えていた可能性がある。

これは、組織論的でもあり、美学的でもある問題である。
片や、俺についてこいの欧米企業型であり、
片や、合議してみないことには、
正しい結論には到達しない、
と考える日本企業型にも見える。

今回、コペルマンが自分で創設して、
自らが重役となった団体、
コペルマン四重奏団の演奏を聞くと、
コペルマンと同様、自己主張するメンバーが、
開放的な音楽作りをしているのが分かり、
第三期のボロディン四重奏団が到達した、
いわば賢者の内省とは、
明らかに異なる方向になっているのが面白かった。

見ると、チェロは、ボロディン四重奏団とも共演し、
シューベルトの五重奏曲を録音したミルマンである。
彼が共演した時、古豪ボロディン四重奏団もあおられて、
いつもよりスケールを増した演奏をしていた事を思い出した。

第2ヴァイオリンはBoris Kuschnir、
ヴィオラはIgor Sulygaとある。

「古典的なロシア楽派の規範とスタイルを身につけた、
経験豊かな室内楽奏者たちによって創設され、
コペルマン四重奏団は、技術的卓越と、
叙情性、優美さと音楽的統合を豊かに継承し、具現している。
コペルマン、クッチナー、スリガ、ミルマンは、
1970年代、オイストラッフ、ボリス・ベレンキー、
ユーリ・ヤンケレヴィッチ、ドルジーニン、ショスタコーヴィチ、
ロストロポーヴィチにグートマンといった人々が、
音楽家であり教師として学生と常にあった、
その黄金時代のモスクワ音楽院を卒業した。

2002年の創設以前に、
それぞれ、24年ものキャリアを追求してきたとはいえ、
これらの強力な音楽的影響が、
コペルマン四重奏団のメンバーには残っている。」

70年代に卒業と書いて曖昧だったのが、
24年とは、妙に具体的な数字である。
2002-24=1978年が、
彼等の卒業年なのだろうか。

とすると、1956年生まれくらいになる。
ボロディン四重奏団の創設メンバーが、
おそらく1920年代の生まれのはずで、
30年以上も年の離れた、
親子のような世代ギャップがあったことが分かった。

「第1ヴァイオリンのミハイル・コペルマンは、
20年にわたり、ボロディン四重奏団で、
卓越したリーダーを務め、
ロイヤル・フィルハーモニック賞、
コンセルトヘボウ銀メダルを受賞した。
第2ヴァイオリンのボリス・クッチナーは、
ジュリアン・ラクリンやニコライ・ズナイダーらを育てた、
名教師である。
ヴィオラのイーゴル・スリガは、
スピヴァコフとモスクワ・ヴィルトゥオーゾや四重奏団で、
20年演奏してきた。
モスクワ弦楽四重奏団の創設メンバーとして、
クッチナーとスリガは、ショスタコーヴィチと、
その後期四重奏曲の演奏に携わった。
チェロのミハイル・ミルマンは、
モスクワ・ヴィルトゥオーゾの主席チェリストで、
コンサートやレコーディングで、
たびたびボロディン四重奏団と共演した。」

教師や誰かの共演者といった感じで、
ど迫力のソリストたち、という感じはないが、
それだけに室内楽としては手堅いと考えて良いかもしれない。

以下、かなり広告めいた文章が連なっているが、
これを見る限り、日本との関係はなさそうだ。

「共通のルーツと、音楽家同士の相互理解によって、
コペルマン四重奏団は、独自の視点と成熟があり、
コンセルトヘボウやウィグモア・ホール、
ムジークフェラインとの予定が詰まっている。
彼等のエディンバラ音楽祭のコンサートでは、
想像を絶する反響があり、特筆すべき音楽家魂、
素晴らしい人間性が、その精緻な演奏に見られると書かれた。
コペルマン四重奏団は、英国、スペイン、ポルトガル、
オーストリア、イタリア、オランダ、ベルギー、
デンマーク、スイス、スロヴァキア、キプロス、
米国、カナダで演奏会を開いた。
彼等はウィグモア・ホールや、コンセルトヘボウなどの常連である。
エディンバラ国際音楽祭、ヴァラドリッド音楽祭、
チューリヒ音楽祭、米国のラヴィニア音楽祭で演奏した。」

アジア圏からはもとより、旧ソ連圏はどうなんだ、
と聞きたくなった。

この下には、各奏者の使っている名器が列挙されている。
コペルマン:1747年フィレンツェのガブリエリ、
クッチナー:1703年のストラディバリ、
「La Rouse Boughton」
スリガ:1780年ミラノのマンテガッツァ、
ミルマン:1722年ローマの、David Tecchler。

このように、かなりロシアの伝統を意識した剛の者たち、
といった感じがするが、今回の、このCDでは、
嬉しいことに、シューベルトの「死と乙女」が入っている。
ボロディン四重奏団が、コペルマンと最後に録音した曲である。
もう1曲は、チャイコフスキーの「弦楽四重奏曲第3番」。
これまた、ボロディン四重奏団が得意とした作品である。

このCD、2006年1月28日、
ロンドンのウィグモア・ホールでのライブだそうで、
このホールは、ライブ録音をよくCD化するようで、
ウィグモア・ホールというレーベル名となっている。

このウィグモア・ホールのレーベルデザインは、
いったい何であろうか。
北欧神話の巨人みたいなのが、
両手を天上にかざして、
上からはしめ縄みたいなのが絡んでいる。
私は、当初、このデザインを見て、
どこかの海賊版レーベルではないかと思った程、
ちゃちい感じを受けたが、他の人は違うのだろうか。

また、プリンテッド・イン・イングランドとあるが、
紙質が幾分チープな感じがする。

このウィグモアのCDは、
このCDのブックレットを見る限り、
他にも多くの魅力的なものが並んでいる。
室内楽に限っても、
アルディッティ四重奏団のデュティユーや、
ナッシュ・アンサンブルのモシュレスといった、
気になるものがある。

シューベルト愛好家には、歌曲集があり、
シュライヤーとシフによるものや、
マーガレット・プライスとパーソンズによるものがある。
彼等はすでに多くの録音を残しているが、
ライブの記録として聴けるのは魅力的である。

これらのカタログが、きれいなカラー写真の、
表紙を並べて紹介されていると、
ついつい、夢想の翼が羽ばたきそうになる。

話を今回のプログラムに戻すと、
この2曲でプログラムを組むとは、
さすがコペルマンという感じもする。
チャイコフスキーの無名の四重奏曲を、
どーんと持って来るのは、
本場ロシアの連中でないと難しいのではないか。
この2曲以外に他の曲の演奏はなかったのだろうか。
変ホ短調とニ短調という暗そうな2曲のみ?

レーベルのデザインはともかく、
表紙デザインはかっこいいもので、
最初、フリードリヒの絵画かと思ったが、
どうやら、雄大な日の出だか夕暮れだかの風景は写真で、
空想を誘う女性のシルエットはイラストのようだ。

何故、このようなデザインにしたのかは分からないが、
今回の2曲に共通するテーマがあるとすれば、
「死」ということなので、
彼女が見つめているのは彼岸なのかもしれない。

しかし、この図柄が、CD背面では色抜きの形で採用され、
CDの盤面そのものにも、
また、それをケースから外した後の背面にも現れると、
ちょっと、くどいぞ、と言いたくなる。
盤面はいいから、ブックレットの紙質をもっと大切にしろ、
と言いたくなった。

チャイコフスキーの作品は、
「アンダンテ・カンタービレ」を含む、
「第1番」が高名で、多くの録音を通じて、
私も聴き親しんだものであるが、
「第3番」となると、すぐに、イメージが湧かない。
ここで、改めて、解説を読んで見よう。
ステファン・ペティットという人が書いている。

「1876年という年は、
音楽にとって重要な年であった。
総合芸術理論のもっとも野心的な実現として、
バイロイトで、ヴァーグナーの『指輪』連作の、
最初の舞台があった。
ブラームスは、遂に、
ベートーヴェンの足かせをふるい落とす自信を得て、
十五年の苦しみの末、第1交響曲を完成させた。
この年のはじめ、
(『指輪』を見るためにバイロイト旅行を考えていた)
チャイコフスキーは、二つの大きな構想を持っていた。
一つは、前年8月からのバレエ音楽『白鳥の湖』で、
これを4月に完成させることとなる。
もう一つは、彼の3番目の最後の弦楽四重奏曲であった。
これは、ヴァイオリニストの
フェルディナント・ラウプのために書かれたが、
この人は、モスクワ音楽院の同僚で、
チャイコフスキーの第1、第2弦楽四重奏を
初演に導いてくれた人だったが、
前年、オーストリアで亡くなったのであった。」

ということで、この曲は、死者追悼の曲だったのである。
チャイコフスキーは、ピアノ三重奏曲で、
死者追悼音楽を書く先駆けとなったが、
弦楽四重奏曲でも同様のことをしていたのである。
いわば、「悲しみの四重奏曲」ということだ。

しかし、『指輪』やブラームスの『第1』と並べられると、
知名度の点ではかなり劣るので、
多少、この解説の出だしには違和感を感じずにはいられない。
また、『指輪』を見に行こうとした事と、
この弦楽四重奏曲は無関係であろう。

新潮文庫のカラー版作曲家の生涯「チャイコフスキー」でも、
この曲については触れられておらず、
音楽之友社の作曲家・人と作品シリーズ「チャイコフスキー」でも、
生涯編では、音楽院の授業で疲れ果ててていた時期に、
短期間で書かれた曲の一例として、
二ヶ月で書かれた第3交響曲と並んで、
一ヶ月でスケッチされた曲として記されているだけである。
あまり、特筆すべき作品にも読めない。

ただし、ハイメラン著の「クヮルテットの楽しみ」では、
「チャイコフスキーの最も価値あるクァルテット」とし、
第2楽章を「珠玉」とし、フィナーレを「新鮮」と書いている。

「弦楽四重奏曲第3番」というと、
どうも地味だが熟達していて、
何だか味がある、となるのが、
シューマン、ブラームス以来の伝統のようである。

b0083728_144041100.jpgこの曲は、ボロディン四重奏団の全集で、
すでにおなじみのものであるとは言え、
それ以外に、
独立したレコードが出ていたことは、
果たしてLP時代よりあるのだろうか。
ボロディン四重奏団は、
私が持っている1979年の盤以外にも、
オリジナルメンバーとも演奏しているはずで、
さらに、デジタル録音のものもあったはずだ。
しかし、それらを買い求めようと、
これまで考えたことはない。


しかし、この日本盤のブックレットの紙質と、
英国盤のブックレットの紙質を、
両方手にすると、いかにも、
ウィグモア・ホール盤が、
紙に手を抜いているかが実感できよう。

それだけ、ボロディン四重奏団の演奏で
特に問題もなく、曲そのものが、
そこまで魅力的なものとも思っていなかった。

さて、コペルマン四重奏曲の演奏で聞くと、
音色がまず明るく、呼吸も深く、
広がりのある表現であることが違う。

コペルマンが完全に羽を伸ばして、
それに合わせて、各奏者も美音を振りまいている。
これは、実は、こうした行き方もあるのか、
とふと考えてしまった。

チャイコフスキー自身、この曲に、
戸惑っていたという逸話が解説に出ている。

「この四重奏曲はひと月ほどで完成され、
3月14日、チャイコフスキーの擁護者で批評家、
モスクワ音楽院の楽長である、
ニコライ・ルービンシュタインの家での私的な夕べで初演された。
初演はうまく行ったが、
自信喪失しやすいチャイコフスキーは、
何日かして、弟のモデストに、こう書いている。
『もう書き尽くしてように思えます。
同じ事ばかりを始めて、
新しいものが生み出せないのです。
私は『白鳥の歌』を歌ってしまったのでしょうか。
もうどこにも行けないのでしょうか。』
公開演奏が三度あり、これが、たちまち、
チャイコフスキーの見方を変えたように見える。
4月5日、再度、弟に書き送っているが、
第2楽章の『アンダンテ・フュネブレ・ドロローソ』が、
(アンダンテは、第3楽章である)
聴衆の涙を誘ったと誇らしげに書いている。」

確かに、チャイコフスキーの書いたような悩みは、
誰もが持っているはずである。
明日、今まで以上の仕事が出来るかは、
誰一人、分からないからである。
が、聞き所は、アンダンテであるということが分かる。

そして、難物は第1楽章である。

「後世の人は、3曲のうち、最高の作品と評価した。
巨大な第1楽章は、特に第1ヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが注意を引く、
凝集されたゆっくりしたセクションで挟まれ、
中央のソナタ部も構成や和声の点でまったく破格である。
例えば、再現部では、離れた調性のイ長調で、
新しいアイデアが挿入され、
コーダで、再度、音楽をシャープに戻している。」

ここにあるように、この曲を難しくしているのが、
まず、この第1楽章の構成の複雑さであることに違いなく、
何と17分という超巨大楽章になっている点においても、
聴衆は、迷路に迷い込みがちである。

コペルマン四重奏団の演奏でも、
この錯綜した楽章の中間部では難渋しているようで、
ボロディン四重奏団のような推進力がなくなっている。
メロディアスに歌う所では、
徹底的に、名器を駆使した彼等の美質が活かせるようだが、
線が絡み合うところでは、とたんに慎重になる模様。

また、第2楽章は、4分に満たない。
先の本で書かれたように、「珠玉」ということか。
とにかく、この楽章がないと、
巨大で悩ましい第1楽章と第3楽章が持たない。

「情感は、暗く、緊張感があり、
チャイコフスキーが不協和音で苦痛の表明を強調し、
どこかしらロシア正教会の雰囲気があり、
中間部で愛らしい変ト長調のメロディーが現れたりして、
やりたい放題にした緩徐楽章を前に、スケルツォでは、
典型的に素早い動きと予期せぬ中断のコントラストで、
緊張からの解放感を与えている。」

このように修飾いっぱいで表現された楽章が、
チャイコフスキーが弟に自慢した、
アンダンテ・フェネブレ(送葬のアンダンテ)である。
この解説は、スケルツォは、緩徐楽章の前座みたいに書かれているが、
メンデルスゾーン的な幻想的な楽章である。

コペルマン四重奏団は、
この楽章でも、時として停滞感を伴ってしまう。
古豪のボロディン四重奏団が、
合議制で、ベートーヴェンの「セリオーソ」の、
私の嫌いな部分を解決してくれたのに対し、
コペルマンは飛ばしまくって、
時として停滞感を醸し出しているのは、
やはり経験の差と言うべきであろうか。

しかし、チャイコフスキーの泣かせどころの、
第3楽章では、彼等のやりたいことが成功して、
交響曲のようにスケールの大きいドラマが素晴らしい。

この楽章で、愛らしいテーマが立ち上がって来る所など、
「白鳥の湖」的であるし、悲劇的な性格からも、
このバレエを思い出させるもの満載である。
「白鳥の歌を歌ってしまったのだろうか」と書いた作曲家だが、
確かに、「白鳥の四重奏曲」になっているではないか。
そんなことを感じさせる演奏。

「最後に、エネルギーに満ちたロンドが来る。
始めと終わりに、ロシアの民族舞踊の余韻があって、
そのコーダの前には、
第1楽章のヴァイオリンと、
ピッチカートのチェロのパッセージが現れ、
この曲がメモリアルのための作品であることを、
最後に我々に思い出させる。」

この舞曲風終楽章も、決して、ドヴォルザークの、
スラブ舞曲のように弾けたものではなく、
やや力ずくで終曲を盛り上げようとする気配濃厚。
5分半で終わるので、助かったという感じ。

が、コペルマン四重奏団のやり方が、
ここでも生きて来ているようだ。
めまぐるしく変化する音色の渦に、
力ずくで高揚させられる。
各奏者の興奮が泡だってたぎっていて、
ついつい、それに乗せられてしまう感じで成功している。
コペルマンは、これがやりたかったのだろうなあ、
と感じさせる演奏だ。

終わった時の拍手も大きいが、
ブラヴォーが出るほどではない。

後半2楽章を聞くべき演奏であった。

次のシューベルトも、このやり方で、
うまく行っているのではなかろうか。

陰々滅々とした演奏では、この曲は、
気が滅入ってしまうが、
この演奏では、その楽天性ゆえに、
推進力あるドラマに移し替えられていて、
極めて爽快な演奏となっている。

下記のように、この曲を、
シューベルトの病気と関連づけた解説が、
不思議に感じられる程である。

「その半世紀前、1824年の3月、
シューベルトは彼の最後から2番目の弦楽四重奏曲、
『死と乙女』D810を書いた。
わずか27歳ながら、彼はひどい状況で、
梅毒の第2期の症状に苦しんでいた。
しかし、彼は精力的に書き、
これまでにないほどの霊感を持って、
弦楽四重奏曲イ短調D804や、
フルートとピアノのための、
『萎める花』の主題による変奏曲D802、
マイヤーホーファーによる優れた歌曲数曲を、
この年の最初の3ヶ月で書きあげた。
痛切さと情念が『死と乙女』
(1833年まで公開演奏されなかった)
を特徴付け、まさにこれは、
シューベルトの苦境に関連している。
事実、彼はこのことをさらけ出し、
三月の終わりに、自身のノートに、
『私が生み出したものは、
音楽の理解と悲しみによるものだ』と書いている。
彼はまだ若く、
その心の奥底に熱いものがたぎり、
しかし、時間は短いという恐ろしい自覚と併存していた。
甘美さに、悲劇や悔悟、そして何よりも憧れの影が差す。」

このように、この解説では、
徹底的に、その悲劇的な性格を強調している。

この演奏で嬉しいのは、
各奏者が自発的にぶつかり合っている点で、
そうしたダイナミック感が、
この悲劇に、まだ、未来を感じさせる。
一人ではない、という感じであろうか。
私は、こうした、すべての楽器が生き生きと主調して、
破綻限界まで行くような演奏は、
何となく好ましく思う。

「『死と乙女』のすべての楽章は、短調で書かれている。
その名称のもととなる緩徐楽章は、
死の提示する安らぎと、それを恐れる若い乙女の、
コントラストをなす、マティアス・クラウディウスの詩に、
1817年に付曲した、歌曲『死と乙女』をもとにした変奏曲である。
シューベルトは、歌曲が持っていた感情の領域を探索し、
変奏が進むごとにそれが増幅され、
最後から2番目の変奏曲(ニ長調)では、
静かな諦念の小休止を与えている。」

この解説は、短いが示唆に富むものだ。
変奏につれて、その感情を追い詰めるというのは、
あり得ない話ではない。

が、演奏は伸びやかなもので、
コペルマンのヴァイオリンの甘美な事はこの上ない。
しかし、どうした事か、ここに来て、
他のメンバーの炸裂ぶりが聴けないような気がする。
これでは、ボロディン四重奏団にいるのと、
変わらないではないか。

しかし、最終変奏で、第1ヴァイオリンに、
他の奏者が襲いかかるような表現を聴いて得心した。
ここでは、おそらく、
「死」の3楽器を前に、
「乙女」をコペルマンが演じた、
というドラマを演じたのだろう。役者である。

「四重奏曲の他の部分では、異なった暗さがあって、
これがさらに恐ろしいものになっている。
最初の楽章には、誇張されたドラマや厳しさがあり、
その三連音は、健康が損なわれ、
死の接近を感じたシューベルトが感じたに違いない
凝集されたそっとする力がある。
スケルツォのシンコペーションと
(優しいトリオで緊張が和らぐが)、
躁状態的な悪魔のダンスの終曲は、
共に、感受性豊かで詩的な若い青年が、
そこに自らの姿を見いだす悪夢の世界を反映している。」

あるいは、このホールが良かった、
ということかもしれないが、
残りの楽章も、各楽器のぶつかり合いが良い。
あまり深刻にならず、純粋に響きを楽しんでいるような演奏。
後半2楽章は、ボロディン四重奏団が演奏したものよりも、
演奏時間もいくぶん長めで、テンポに余裕がるせいか、
解説にあるような悪魔の狂乱が感じられない。

「魔王」からの引用テーマも、
コペルマンは、甘い声でささやいて、
死の陶酔も悪くないな、という感じがしないでもない。
さらに、コーダの直前の、恐ろしい崩落のような表現は、
まるで、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」の
「難破」のシーンを思わせて面白かった。

いかにも、戦争を知らずに、僕らは生まれた、
と歌い出しそうな人たちの演奏である。
楽天的で、爽やかで、色彩的。
この演奏では、聴衆は「うわーっ」と喜んでいる。
私も嬉しかった。

得られた事:「コペルマンは、ボロディン四重奏団の凝集した表現より、色彩的でダイナミックなハッピーな表現をしたい音楽家だった。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-10 14:37 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その245

b0083728_0481223.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団が、
シューベルトに対して、
はたして、どのような
感情を抱いていたかは
よく分からないでいるが、
彼等が、第三期に入ると、
急にベートーヴェンを
集中的に取り上げたりして、
その背景などを饒舌に
語り出している。


一言で言えば、前のリーダー、
コペルマンが、ベートーヴェンを好んでいなかった、
ということになるようだ。

しかし、およそ弦楽四重奏をやる人で、
ベートーヴェンが苦手、などと言うことがあり得るのか。
チェロのベルリンスキーは、長老となって、
いよいよ老司祭のような雰囲気を醸し出しているが、
なかなかくせ者かもしれない。

見よ、このCD表紙の写真。
ひときわ年を取って、小さくなった彼だけが、
知らんぷりをしているではないか。
他メンバーの肩幅の半分くらいになってしまって、
チェロの音量は大丈夫ですか、と声をかけたくなるが、
この表情では、取り付く島もない。

左隣がアブラメンコフ、両脇が、
新メンバーのアハロニアンとナイディンである。
左端にいるのが、普通、第1ヴァイオリンだと思うが、
楽器を持った写真を見ると、
どうやら、反対で、右端がアハロニアンである。

ナイディンは背も高くイケメンである。
ベルリンスキーの孫の世代であろうか。

しかし、改めて、このデザインを見つめると、
倉庫か何かのシャッターの前で撮影されたシチュエーションが、
ベートーヴェン的でも、ボロディン的でもない。
いったい、何を思ってこうしたのだろうか。
トーマス・ミュラーという写真家が撮ったとある。

こんな事を書いたデータを見て、
ふと、胸が熱くなった。
何と、2003年8月、
モスクワ音楽院のグランドホールでの録音だという。

モスクワ音楽院四重奏団というのが、
この団体の元の名称だったような。
こんなこだわりを見せるとすれば、
初代からいるベルリンスキーとしか思えない。

ということで、このベルリンスキー、
やたら、このCDでは存在感があって、
解説でも、ここぞとばかりに、ちょろちょろと、
非難めいた言動が垣間見える。

初代リーダーのドゥビンスキー離脱についても、
何かあったから、と考えるべきで、
両者に何らかの確執があったと思われる。

第2代のミハイル・コペルマンは、
旧世代のメンバーに混じって、
やはり、もっと自由な音楽をやりたかったようだ。
彼は、ドゥビンスキーのように亡命したわけでなく、
別の四重奏団に入ったり、
自分で四重奏団を結成したわけだから、
純粋にここでは自分の音楽が出来ん、
と考えたのだろう。

コペルマンとヴィオラのシェバリーンが去ると、
アハロニアンとナイディンという発音しにくいメンバーを、
第1ヴァイオリンとヴィオラに迎え、
レコード会社も、テルデックからシャンドスに変更して、
彼等はベートーヴェンの作品に取り組み始めた。

従って、解説の題名は、いきなり、
「ベートーヴェンとボロディン四重奏団」と題され、
各メンバーが、いろんな事を言っている。
まとめたのは、David Niceという人。

ここでも、ベルリンスキーの名前から入るところが、
この長老の発言力を物語っている。

「チェリストのヴァレンティン・ベルリンスキーが、
『進化ではなく革命』と呼んだ、
偉大な足跡において、
ベートーヴェンは27歳の時、
弦楽四重奏という困難なジャンルに向き合い、
その驚くべきサイクルの最終章を、
その28年後、死の直前に完結させた。
ボロディン四重奏団の記録破りのキャリアは、
その2倍の長さに及び、
1945年の創設以来、不動のメンバーであり、
温厚な家父長のようなベルリンスキーは、
ベートーヴェンの四重奏の最初から最後までを、
通して演奏するという、
彼の大きな望みが実現したのは、
ようやく最近になってからだと言う。」

ベルリンスキーの名前が連呼されるせいか、
ベートーヴェンより、俺は偉い、
と言っているようにも聞こえる。

また、このチェロ奏者が、
良く喋って、この解説者に深い印象を与えたのであろう、
ということも類推できる。

こう見ると、初代ボロディン四重奏団の、
ショスタコーヴィチなどを、
改めて、このシャンドスが発売した背景にも、
あるいは、このチェロ奏者の存在があったのではないか、
などと思えてしまう。

「オリジナル・メンバー」と銘打ったCDは、
いかにも、「本家」とか「元祖」とか書かれているようで、
それ以外はまがい物に思える。

コペルマンら、第二代のメンバーや、
シャンドス以外のレーベルには面白くなかろう。

「最初期においては、
この巨大で厳粛なプロジェクトには十分な時間がなく、
1955年にソ連当局から、
ボロディンの名称を授与されるまでは、
メンバーが変化して、四重奏が安定しなかった。
そして、ソ連、その他の同時代の音楽への責任があった。」

ここまで、ボロディン四重奏団の歴史に、
使命やら言い訳やらを書き連ねられると、
(ふと、北朝鮮のニュースを思い出しつつ、)
シャンドスは、彼等にとって、
良いレーベルだったんだろうなあ、
などと考えてしまった。

これまで、BMGや、ヴァージンや、テルデックから出た、
彼等のCDを聞いてきたが、ここまで、
演奏者主体の解説を書いてくれるところはなかった。

「当然、ベートーヴェンは、
たびたび四重奏団のプログラムを飾った。
1946年には稲妻のようなヘ短調作品95を、
見境なしに取り上げ、
1950年代の特別な十八番は、
ハ短調作品18の4の、第1楽章であった。
しかし、それらは飛び飛びであって、
ベルリンスキーは、最後の作品135は、
結局、ドゥビンスキーの時代には、
やってないのではないかと回想する。
ドゥビンスキーが熱心でなかったわけではない。
ベルリンスキーは、彼が、
ベートーヴェン初期の作品18の全曲を、
一夜で演奏したがっていたを覚えている。
『しかし、ロストロポーヴィチが、
次々にバッハのチェロ組曲を弾くようなもので、
きっと心臓が止まってしまうでしょう。』」

確かに、昔、LP時代(ドゥビンスキー時代)にも、
この四重奏団の代表的レコードに、
「セリオーソ」があったので、
上記発言には、ついつい肯いてしまう。
私も、このLPは持っているはずだが、
今、見つけられないでいる。

実は、今回のCD、他にも、
第14番嬰ハ短調と、大フーガも収録されているが、
私には、「セリオーソ」が一番、印象的だった。

「1976年にドゥビンスキーが離れ、
1995年までミハイル・コペルマンに交代したが、
ベルリンスキーは、
『彼は全部のベートーヴェンを、
弾くつもりはなかったのです。
隠してもしょうがない』と言う。
しかし、ルーベン・アハノニアンと、
ヴィオラのイーゴル・ナイディンが現れ、
第2ヴァイオリンのアブラメンコフ、
チェロのベルリンスキーに合流し、
チェロ奏者の夢は、ようやく形をなし始めた。」

と、冒頭、書いた話がこのように出てくる。
しかし、ベルリンスキーも、
かなり溜まっていたのかもしれない。
コペルマン時代は何も言わずに我慢の日々だったかもしれん。

「ベルリンスキーは、
『作品18によって始めるのが、
学ぶ上では正しいと思う。
若い四重奏団が、ごく初期に、
後期作品を演奏するための人生経験がない段階で、
ベートーヴェンを演奏する時、
後期四重奏曲には、心理学的に準備すべきだ』
と考えている。
アハロニアンが言うように、
作業はゆっくり、集中して行われた。
『各四重奏曲は、それ自身の世界を持っています。
2、3回のリハーサルでは正しい結論には至りません。
同業者の中には、
”お祭り品質”という言葉があり、
これは、ぱっと集まって楽しむために、
手っ取り早く弾けるようになることです。
しかし、これはベートーヴェンには向いていません。』
アハロニアンが最初にぶつかった難問は、
技術的なことでした。
ロシアのメロディアレーベルに、
傑出した独奏者として、
最も困難なパガニーニのヴァイオリン曲を録音し、
ヴァイオリン・ソナタや三重協奏曲、ヴァイオリン協奏曲など、
ベートーヴェンの多くの曲を演奏している。」

モスクワ音楽院での録音であるし、
メロディア所縁の奏者を入れ込むあたり、
旧ソ連系の繋がりが強い連中なのであろう。

「『しかし、四重奏団に参加して、
ベートーヴェンの第1ヴァイオリンのパート、
特に、中期のラズモフスキー四重奏曲や、
後期四重奏曲では、トリオや協奏曲に、
要求されるもの以上のものがあると知りました。
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲では、
オーケストラと指揮者を圧倒し、
そこから聴衆を説得する、
異なった心理的挑戦があります。
しかし、12番や14番、15番の四重奏曲では、
高きに登るために、
練習に練習を重ねることが必要だと分かったのです。』
アブラメンコフとナイディンは、
ベートーヴェンの後期様式の作品集は、
他のレパートリーにない困難さがあると考え、
この意見に賛成している。
アブラメンコフは、
『初期の四重奏曲での対話は、
作曲家の天才によるが、
最後の四重奏曲群は、
何か宇宙的、超俗的で、
そんなものに人間が到達など出来ないと思う程です。
第1ヴァイオリンがリードし、
他は伴奏で済んだハイドンから、
彼は何と遠くまで、
四重奏曲を発展させたことでしょうか。
彼は、四重奏曲が室内交響曲のように聞こえる、
絶対的シンフォニズムに到達しました。
4つのパートは、完全に均等であり、
これこそが我々が直面し果たすべき課題です』
と特筆する。」

第2ヴァイオリンも、こんなに語らせてもらい、
いかにも、ソ連系にふさわしい共産主義の美学が感じられる。
しかし、こんな風に語り合って、
練習を重ねて現れて来る音楽、というのが聞きたくなるような、
舞台裏を見せられても、と目のやり場に困るような、
微妙な解説である。

種明かしをあまりさせると、
ありがたみも減るものだが、
そこは、歴史ある団体だからこそ許される事だ。

新人の四重奏団が、
こんな事を書いていたら、
10年後にも続いていたら聞いてやろう、と思ってしまう。

「初期の四重奏曲は、また違った困難さが待ち受けている。
ベルリンスキーは、
その古典的スタイルは、
感情に逃げ込むことを許さないとする。
スコアを見ると、それは透明に見える。
しかし、どこにも隠れ場所はない。
アブラメンコフは、
『作品18で始めた時、
各四重奏曲の意味や真相を模索していきました。
各奏者が、
それぞれのパートが何を言うべきかを知ることは重要です。
しかし、それ以降のベートーヴェンは、
もっと私的なことを書いており、
各パートの意味はさらに難解になります』
と言っている。
彼は、ショスタコーヴィチとの違いも指摘している。
ボロディン四重奏団が、2000年に、
ベートーヴェンとショスタコーヴィチで
バランスを取ったコンサートを始めた時、
その15曲の四重奏曲は、スタイルやムードを変えたという。
『ショスタコーヴィチは哲学的文脈を示し、
ベートーヴェンは自身の哲学を持っている。
しかし、それは常に変化するのです』。
各奏者は、ベートーヴェンが、
弦楽に息もつかさず、
素早く気分や意味を変えるという事実を、
その困難さの一つに挙げている。
ボロディン四重奏団のスタイルのエッセンスは、
常にその自然さ、有機的流動性にある。
たぶん、その理由によって、
アハロニアンはボロディン四重奏団の特別な点を、
このように表現する。
『初期、中期、後期に拘わらず、
すべての緩徐楽章では、
神の音楽の中を遊泳するように、
我々は自由に呼吸ができます。
しかし、ラズモフスキー四重奏曲の第1楽章では、
何度もテイクを重ねなければなりませんでした。
ヘ長調の緩徐楽章は、どちらも通しで演奏でき、
たった二回で済んだのにです。
これはとりもなおさず、
良い技巧、良い技術だけの音楽家たちとは違って、
何を言うべきかを理解した集団だということなのです』。
残りについても、
それは単に、『何度も練習し、論議や議論を重ね、
テンポや性格付けに至る』ということを行った。」

悪戦苦闘した末の録音だということだが、
これは良いことなのか、悪いことなのか。
もっと良く練った表現をレコードに残してもらいたいものだが、
すべては、ベルリンスキーには時間がない、
ということで片付いてしまいそうだ。

「アブラメンコフが、こう付け加える。
『この痛々しいまでに、
個人的な音楽が言いたいことについては、
おそらく、我々は違ったイメージを持っています。
一つの四重奏として、聴衆を説得すべく、
これを揃えていくことが恐ろしく面倒ですが、
それでも恐らく、内面では、
少しずつ異なった感覚でしょう。』
障害や謎は、当然ながら、
激しい愛を閉め出すものではない。
ナイディンは嬰ヘ短調四重奏曲への、
個人的な愛着について述べる。
『大好きなんです。
しょっちゅう難しいところがあって、
全楽章を切れ目なく一続きで演奏するのは、
とても難しいのに、
何故かは分からないけど。』
(ベルリンスキーは、ショスタコーヴィチに関する、
愉快な逸話を差し挟まずにはいられない。
作曲家は、ベートーヴェンと同様、
同様に四重奏曲を作りたかった。
ベートーヴェン四重奏団の、
年配の第1ヴァイオリンのツィガーノフが、
楽章間で音合わせをするのをやめさせるために、
いくつかの四重奏曲を通しで演奏するように書いただけ、
と冗談を言っていた。)」

ツィガーノフは、録音を聞く限りでは、
素晴らしいヴァイオリニストだが、
こうした神経質な点があったということか。
それとも、当時の演奏スタイルがそうしたものだったのか。
あるいは、「年配の」とあるから、
年のせいで、そうなってしまったのか。

「アブラメンコフは、作品127の四重奏曲が好きだが、
作品18にも愛着がある。
『おそらく、少し時代遅れの性格で、
後期の四重奏曲で直面するような宇宙的な問題がないのが、
私の性格に似ているからでしょう』。
アハノニアンは、ラズモフスキーの第1番、ヘ長調には、
まだ怖じ気を感じているが、
ベルリンスキーは、顔をしかめて、
好きな曲を聞かれたら、いつも、
『たまたま、私の譜面台におかれたもの』
であるべきだと応答する。
今、ベルリンスキーは、
ショスタコーヴィチを捨て、
ベートーヴェン一人に光を当てながら、
80代になり、人生のゴールにさしかかっている。
我々はボロディン四重奏団のベートーヴェン・チクルスの、
最優先の特徴が、『晴朗さ』にはならないと考える。
一つ明らかなことがある。
ベートーヴェンは難物だ。
アハロニアンが指摘するように。
『ベートーヴェンと並べて、
ショスタコーヴィチや他の作曲家を演奏すると、
衣装替えをするように、
集中の角度が変わるでしょう。
ベートーヴェンを聴くのは、楽しく喜ばしいですが、
一晩でベートーヴェンの四重奏を2、3曲弾いた後は、
完全にへたりまくり、消耗します。』
アブラメンコフのイメージを借りると、
それは、際限なく石を運び上げる
シジフォスの苦役のようであるが、
それは四人に責任感や名誉をもたらすものである。」

ということで、みんなでベートーヴェンの好きな点、
特別な点を語り合ったりして、
ベルリンスキーのやりたかった事は、
これだったのね、と納得のようなものが得られた。

結局、彼は、全集を完成させて亡くなることになるので、
こりゃ、恐ろしい執念だ、と唸ってしまう。
80歳を越えた老人が、人をかき集め、
コネを頼りに、何とか夢を果たす、壮大なストーリー。
それだけで泣ける。

私は、是非、このメンバーでも、
ベートーヴェンだけでなく、
シューベルトも録音してもらいたかった。
しかし、彼等は繰り返し、
ベートーヴェンの宇宙的な事を書いていて、
その他は十把一絡げにしているので、
少々、腹立たしくもある。

b0083728_049247.jpgさて、ボロディン四重奏団、
「セリオーソ」の演奏は、
LP時代から有名であったが、
CD時代になってからも、
コペルマン時代に録音があり、
1987年、イギリスでのもの。
これは、たいそう美しいデザインで、
倉庫のシャッターとは大違い。
さすが、ヴァージンという感じ。
録音も、自然で伸びやかで、
20年以上前のものとは思えない。


この演奏、コペルマンがリードしていた時代にふさわしく、
彼の妙技が聴きものである。
従って、四人がまったく均等、という感じはない。

一方、アハロニアンのものは、
さすがに四人で練り上げた、
という表現がふさわしい感じがした。
長々と読んで来た解説が、
もっともしっくりと納得できるのが、
この「セリオーソ」だった。

私は、そもそも、この四重奏曲の攻撃的な性格が好きではない。
従って、コペルマンの快調なものでは、
何も悪い事をしてないのに、責め立てられるような感じがする。
これは、どの四重奏団を聞いてもそうなのだが。

しかし、この演奏では、冒頭からして、
落ち着いたテンポを取っていて、
思慮深い感じがする。

チンピラ風ベートーヴェンが、
少し話が分かる大人になった感じ。
ということで、「セリオーソ」を聞くなら、
今後、これがいいな、という感じ。
アハロニアンのヴァイオリンが、
弱いわけではなかろうが、
うまく、他の奏者とブレンドしている感じがする。

オリジナル・メンバーのものは、
もっと冷徹だったと思うが、
探せていないのが残念だ。

セリオーソの解説はこんな感じで、大変、難しい。

「二つの魅力的な四重奏曲が、
中期と後期のベートーヴェンの間に、
気をもませるようにおかれている。
チェリストのベルリンスキーは、
作品74は、先立つ、
野心的なラズモフスキー四重奏曲の整理であり、
それから1年余りして、1810年に書かれた
四重奏曲ヘ短調作品95は、
後期四重奏曲に接している。
それらのものと同様に、
作品95は、繰り返しなしという制約を課されている。
この場合、当時、同じヘ短調で、
ベートーヴェンが直面していた、
『エグモント序曲』の、公的、英雄な悲劇を、
この上なく凝縮したものとなっている。
彼の他の依頼された四重奏曲とは異なって、
作品95は、『公で演奏してはならず』という、
先例のない禁止が記されていたが、
彼の生前でもそれはあって、
1825年に、まだ十分書けていなかった、
作品127の代わりに演奏されていたし、
その頃までには印刷されて出回っていた。
独特なのは、作曲家自身が、『厳粛な四重奏』と、
サブタイトルを記したことで手稿に見られる。
この四重奏の各楽章は、
当時先端のアイデアで火照っている。
ベルリンスキーは、
突然のオープニングバーのヘ短調ユニゾンと、
作品18の1を開始させるフレーズの
魅惑的な関係を歌ってくれた。
事実、この着想はずっと現れ、
しかし、同様に大胆な空間を持つ、
ラズモフスキー四重奏曲のものよりも、
もっと劇的な沈黙の後、
これがコントラストをなす
跳躍音型に対抗して現れ、
このわずか3分の楽章の、
短く嵐のような展開部、
そして、短かいが叙情的な、
変ト長調への予期せぬ変容に
エネルギーを与えている。」

なるほど、第1楽章冒頭が、
チンピラ風なのは理由ありだった。
つまり、ベートーヴェン初期の木霊だったということ。

コペルマン時代のものは、
すごい自信で推進力があり、
録音が良いので、冒頭のチェロの掛け合いなど、
妙に生々しい。
新メンバーでの録音は、
若い第1ヴァイオリンにためらいがあり、
チームワークで支える印象。
四重奏としての味が出ている。

このチンピラ風木霊は、特に、低音で響くので、
ヴァイオリンを責めさいなむ感じが出ていて面白い。

「ほろ苦い質感と、和声の不安定さが、
ニ長調の音階のチェロによってアナウンスされる
アレグロ・マ・ノン・トロッポを貫く。
さらに注目すべきは、
楽章中央部に現れる、
果てしない半音階的フーガ風パッセージで、
単純な音階を促し、
開始部の歌を優しく浄化するものである。」

この楽章は、もともと内省的だが、
ここでは、ヴァイオリンがいじいじしていて、
曲想に合っている。
フーガの部分も、いじいじが重要。

私は、「ます」の五重奏曲も、
単に爽やかに弾くのが良いとは思っていない。

コペルマンは、気持ちよく弾きすぎ。
が、ここに惚れる人もいるだろう。

「(『ヴィヴァーチェ・マ・セリオーソ』という
奇妙な注釈のついた)スケルツォで、
ぶっきらぼうに、ヘ短調が再度、主張し、
第1ヴァイオリンが休みなく動く中、
低音弦に、奇妙な和声進行があるトリオの
離れた調性に解放する。」

この楽章も、パワーで押し切っていないのが嬉しい。
トリオも、集団で味が出るものと心得た。

「苦痛に満ちた、ゆっくりした序奏のあと、
主調が現れ、終曲を支配する。
ここでベートーヴェンは最後まで衝撃はとっておく。
古典の先例では、ヘ短調による解決を用意するが、
コーダの不自然なまでの優美さや、
陽気さは、エグモント序曲の勝利の突撃とは、
何光年も離れている。」

セリオーソは、20分台でぶっ飛ばす演奏が多い中、
落ち着いて聴けると思ったら、
このCDでは22分をかけていた。
それ以外にも、アタックが弱いなど、
恐らく、老人に配慮した部分も多いのだろうが、
私はこれで良い。

「公開演奏禁止」だとしたら、それほどの名人芸は不要である。

私は、このCDの3曲では、第14番や、大フーガの方が好きだが、
今回、「セリオーソ」比較で、満腹である。
チェロ主体の合奏も良い。特に「ます」の五重奏などは、
低音弦が重要な役割を果たすので、こうした演奏で聞きたかった。

得られた事:「ベルリンスキー、徳川家康説。信長ドゥビンスキーと、秀吉コペルマン去った後、遂に天下を取る。」
「チェロがリーダー格の四重奏団も良い。」
[PR]
by franz310 | 2010-10-03 00:44 | 古典