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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その244

b0083728_20564490.jpg個人的経験:
旧ソ連の至宝、
ボロディン四重奏団による
シューベルトを聴いているが、
1991年録音の「ロザムンデ」と、
1995年録音の「死と乙女」では、
何だかうける印象が違う。
この名門には、
さらに1994年7月、
ベルリンのテルデック・スタジオで
録音した「弦楽五重奏曲」がある。


もう十数年も昔の録音に対してどうこう書くのも、
時代遅れの感がないわけではないが、
これまで真剣に聴いていなかったのだから仕方ない。

これは、テルデックレーベルのもの。
四重奏団を補足するチェロには、
ミッシャ・ミルマンを迎えている。

若いコペルマンとミルマンに挟まれて、
このCDの表紙デザインは、
さっそうとした印象である。

しかし、ミルマンが誰かはよく分からない。
ミッシャ・エルマンは、往年のヴァイオリン奏者であり、
ミッシャ・マイスキーは、現代の人気チェリストだが、
ミッシャ・ミルマンはボロディン四重奏団と、
時折、共演していた人、という認識しかない。

この猛者ぞろいの奏者たちに、
対抗するのだから、もっと紹介して欲しいものだ。
解説の人は、このあたりも配慮して欲しいものだ。

この四重奏団は、1993年に、
テルデックに移籍したようで、
その旨が、このCDの解説にも書いてある。

「1993年、ボロディン四重奏団は、
テルデック・クラシック・インターナショナルと、
専属契約を結んだ。
この契約による最初の録音には、
チャイコフスキー、ブラームス、
ハイドンがあって、すでに、
高い評価を受けている。」

ヴァージン・レーベルの「ロザムンデ」が、
1991の録音だったので、
1992年は、何をしていたか分からないが、
あの不思議な所在なさは、
こうした転換点における動揺の刻印だったのだろうか。

解説には、
「1990年11月から1992年10月にかけては、
オールドバラのアーティスト・イン・レジデンスを務め、
オールドバラ基金の演奏会プログラムのまとめ役として、
指導的役割を演じた」とあるが、
ソ連崩壊の前後の混乱を、
彼等はイギリスにいて避けた形だ。

この録音が行われた、1994年と、
それに先立つ活動についても、
解説にはこう書かれている。

「1994年、フランクフルト、ヴィーン、
ロンドンで、ショスタコーヴィチのチクルスを演奏し、
2年前には、
チャイコフスキーとブラームスのチクルスを、
コペンハーゲンで行い、
エディンバラ、香港、東京と、
シュレシュビッヒ-ホルスタイン音楽祭という、
4つの開催地のみを指定してツアーを行った。」

しかし、テルデックも、
すでに、若手のホープ、ブロドスキー四重奏団で、
ショスタコーヴィチの四重奏曲の全集を作った後で、
こんな大物が参加して来たという形で、
困ったのではないか。

おそらく、ブロドスキー四重奏団もびびっただろう。

見ると、このシューベルトのプロデューサーは、
Bernhard Mnichとあり(死と乙女もこの人だ)、
ブロドスキー四重奏団のショスタコーヴィチと同じ。
サウンド・エンジニアもEberhard Sengpielで同じ。
共に、テルデック・スタジオの録音ではないか。

何だかんだと比較されたらたまらない感じ。

そう言えば、テルデックから颯爽と現れた、
この若くて魅力的な団体は、いつのまにか、
ワーナーレーベルから、
クロスオーバーみたいな録音を出すようになったが、
ひょっとして、これは、ボロディン四重奏団のせい?
ロシアものを得意とする四重奏団が、
同じレーベルにいる必要などないって事か?

さて、この憎たらしい姑のような、
ボロディン四重奏団による、
シューベルトの弦楽五重奏曲はどうか。

解説は、ヨアヒム・ドラハイムとある。

「シューベルトのハ長調の五重奏曲は、
西洋の音楽が生んだ、
最も偉大で筆舌に尽くしがたく輝かしい作品の一つである。」

この始まり方はすごい。
よく、ここまで書いてくれた、
という感じである。

ドラハイム、すごいぞ、と思ったが、
これは、引用であった。
最初の「”」がないので、誤解してしまった。

以下のように続いて、
シューベルト研究家の言葉と知って、
ちょっと残念。
研究家なら、そう信じて研究しているから、
きっと贔屓もありそうである。

「ハ長調五重奏曲 作品163、D956
について、シューベルト学者で、
編集者のアーノルト・フェイルは、
1991年に、このように書いている。
この作品は、
1828年、作曲家の最後の数ヶ月に書かれたが、
この作品の驚くべき重要さは、
20世紀の後半になるまで認識されなかった。
ようやく最近になってから、
全面的に真価が認められ、実際、
音楽家や音楽愛好家からは、
ほとんど崇拝の対象とされ、
初期の惨めな評価とは、
グロテスクなまでのコントラストをなしている。」

確かに、この五重奏曲、
有名なプロ・アルテ四重奏団がSP時代に録音したが、
その際、「初めて弾いた曲」と言ったとか言わなかったとか。
確かに、戦前はまったく名作と思われていなかったのだろう。

「自筆譜はすでに失われており、
スタイル上の特徴と、
1828年10月2日、
シューベルトが出版者のプロープストに、
『最近書いたものには、
フンメルに捧げようと思っている、
三曲のピアノソナタや、
当地では評判になっている、
ハンブルクのハイネの詩による歌曲があり、
最後に、二つのヴァイオリンとヴィオラ、
二つのチェロのために書いた五重奏曲を完成させました。
ピアノソナタは、いろいろな場所で弾いて好評を得ましたが、
五重奏曲はもうすこしかかります』
と書いているので、
いちおう、1828年9月の作曲
(作曲家の死の二ヶ月前)とされているが、
実際に何時書かれたかは分からない。
プロープストは実際、
ピアノ三重奏曲変ホ長調作品100、D929の出版と支払いで、
シューベルトをひどく扱って、
彼がここに提供された傑作のうち、
いずれをも受け入れなかったという事実は、
19世紀の出版社の、
信じがたい近視眼的で臆病な進取の気性不足の
一例となっている。」

19世紀でなくとも、
こんな作品群を一気に引き受けるのは冒険であろう。
ピアノ三重奏曲を出版してくれただけで、
感謝しなくてはならない。
シューマンは、おそらくそのおかげで、
シューベルトの三重奏を知ったはずだ。

「この五重奏曲は、
1850年11月17日、
ヴィーンのムジークフェラインで、
ヘルメスベルガー四重奏団が、チェロの
ヨーゼフ・ストランスキーと組んで演奏するまで、
シューベルトの死後、22年も、
公開初演を待たねばならなかった。
3年後、1953年の初頭に、
有名なディアベリの後継者、
シュピーナが、『大五重奏曲』と題して出版した。
自筆譜が皆無で、
我々は、不幸にも、この信頼がおけるとは思えない、
第1版に依拠するしかない。」

私は、この名曲が、「ます」の五重奏曲同様、
自筆譜がない状態であるなどとは知らなかった。
しかし、初演後、出版に3年もかかるということは、
かなり不評だったということだろうか。

しかし、さすがヘルメスベルガー、よくやってくれた、
という感じと、何をやったんだ、ヘルメスベルガーは、
という二つの感情が交錯する。

1850年といえば、まだ、ブラームス登場前である。
ヘルメスベルガーが、ブラームスの室内楽を激賞するのは、
これからさらに10年も後のお話である。
ヘルメスベルガーは、1828年生まれなので、
1850年と言えば、まだ22歳。
過度の期待はかわいそうかもしれない。

「シューベルトの音楽言語の大胆さを思うと、
この五重奏曲が定着するのに時間がかかったのは、
確かに不思議ではない。
ヴァイオリン演奏に通じ、
ごく初期から弦楽三重奏のみならず、
弦楽四重奏のシリーズで長足の進歩を遂げていた、
シューベルトが、彼の生涯の到達点の室内楽に、
弦楽五重奏曲を配したのはいかなる理由であろうか。」

これについては、オンスロウのような前例があった事は、
このブログでも紹介したとおりである。

「モーツァルトや、
後のメンデルスゾーン、ブラームス、
ドヴォルザーク、ブルックナーのように第2ヴィオラではなく、
第2チェロを、通常の弦楽四重奏に加えた形で、
この奇抜な編成によって得られるたっぷりとした音色は、
しばしばオーケストラ的であるが、
分厚すぎたり、響きが悪いということもない。
シューベルトはダブル・ストッピング、
声部の交錯や重奏、
妙味あるピッチカートやトレモランドによって、
五つの楽器の音域を開拓し、
五人の奏者が一体のような、
微妙な変化、色彩的な音色の絵画を作り上げた。
作品はシューベルト晩年の特徴を示し、
ハイネの歌曲や、四手ピアノの幻想曲など、
最後の年を飾る様々な作品を想起させる。
これらの特徴に加え、
典型的には、長調から短調への急激な変化を含む、
不安定な和声、ドラマと表現の極端なコントラスト、
(幻想的アダージョの内省的な糸の繋がりなど、)
音色とリズムの自由さなどがある。
例えば、アダージョと、
名技的なスケルツォの終わりなど、
主題的、動機的関連も特徴的で、
素朴な魅惑で我々を地上に連れ戻す。
例外的にゆっくりと断固としたトリオのように、
リズムも驚くべきもので、
遂には、まさしく同じ調性で書かれた、
『大ハ長調交響曲』で、シューマンが称賛した、
『終わることなきジャン・パウルの、四巻の小説のような』、
『神々しい長さ』に至る。」

ボロディン四重奏団とミルマンの演奏は、
冒頭から強い緊張感がみなぎっていて、
とても力強い演奏に思える。

若いミルマンが加わった事で、
年配軍団も刺激を受けたのではなかろうか。
コペルマンの一人舞台になることなく、
各奏者が、自発的に活性化している。

まさしく、不敵な面構えの、
このCDの表紙写真を見る時の印象に等しい。
こんな連中が肉弾戦を演じたら、
こりゃあ熱いぞ、という感じが、
そのまま音になっている。

第1楽章は、18分半。
速いテンポで、かちっと決めてきた感じである。

特筆すべきは、音色がぴんと張って艶やかで、
均一な糸が交錯するように紡がれることで、
どの声部もアンダーラインが引かれているように響く。
ヴァイオリン同士とか、
チェロ同士とかの、
一見、混色してしまいそうな二重奏でも、
美しいより糸となって聞こえるのが嬉しい。

こうした大曲で、モニュメントを打ち立てるとしたら、
なるほど、こんな団体でないと難しいだろう、
などと勝手に思ってしまう。

第2楽章のアダージョは、幻想性が求められる部分で、
「ロザムンデ」のように、
散漫な方向に傾かないか心配であったが、
何だか、低音の伴奏からして、
並々ならぬ気迫が漂っていて別次元。

そもそも低音軍団の存在感がまるで違う。
ここでも、夢想に浸る暇無しの15分が熱い。

中間部の慰めに満ちた部分でも、
コペルマンが自制をしながら、
禁欲的な表現を聴かせるので、
びしっと筋が通った感じがする。

ピッチカートも魂がこもって痛々しい。

第3楽章のスケルツォは、
緊張に耐えられなくなったコペルマンが、
フライングギリギリでぶっとんで行くが、
こうした文学的感傷のないところが、
この四重奏団の持ち味のような気がする。

先に「断固たる」と書かれたトリオの前には、
一瞬の沈黙があって、
このトリオ部の超スロー表現が生きている。

何だか、居場所をいきなり見失ったようになる。
「白鳥の歌」の世界に降りたって、
それでも、しっかりと立ち尽くす英雄のようだ。

が、もちろん、その大地はいまにも崩れそう。
このあたりで、どわっと涙がこぼれ落ちても良さそうだ。
が、鋼鉄武装のボロディン四重奏団は、そんな表現には傾かない。

終楽章も、闇雲突進系のコペルマン色で始まるが、
他のメンバーもすぐに追いついて、
集団戦でそれを飲み込んでしまう。

が、こうしたハンガリー風というか、
スラブ風というか、ラプソディーになると、
コペルマンの血が騒いでしかたがないような感じ。
集団の雲の中から、時折、顔を上げて、
美音を振りまこうとする。

四重奏団としても、この勢いの良さは活かしておきたい所であろう。
しかし、制御不可能になると困るぞ。
ここでも、コーダにかけての爆発は、
ちょっとコペルマンに引っ張られてしまった感じだ。
この大曲の終楽章を、
9分を切ってやっている演奏はなかなかないのではないか。

そうした経緯もあってか、
この録音の翌々年、コペルマンは脱退する。
なんて事は考えなくてもいいか。

とにかく、このCD、
終楽章が暴発的なのを除けば、
ハードボイルドのシューベルトとして、
非常に印象的なものだ。
録音も良いし、ジャケットも格好良い。

印象派のような「ロザムンデ」の後でこれを聴くと、
ミルマンを加えたことで、
アンサンブルが活性化したとしか思えない。

が、この団体が、
とりわけシューベルトを大事にしていたかは謎。
あるがままに克明に演奏しただけ、
と彼等は答えるのではなかろうか。

このような立ち位置であるからこそ、
リヒテルのような大物と共演すると、
されるがまま状態になるのであろう。

b0083728_217833.jpgここで改めて、
「ます」の五重奏曲を聴いて見よう。
初期のCDで失望したが、
artでリマスターされた盤なら、
何か変わっているかもしれない。
この録音でもコペルマンは、
冒頭から懸命に美音を振りまいて、
体当たりの熱演をしているのが分かる。
シェバーリンのヴィオラも、
ベルリンスキーのチェロも、
それぞれに主張はしている。


artの効果か、音に膨らみが出来て、
録音としては聞きやすい感じがする。

しかし、いつも、この曲を台無しにする
ヘルトナーゲルのコントラバスが、
ここでも、まるで聞こえないように、
どうも録音も演奏の主体性も、
ピアノに重心が行ってしまって駄目だ。

この曲、ピアノが飛翔できるように、
コントラバスを導入したはずだが、
全く、作曲家の工夫が活かされていない。

飛翔しようにも、
リヒテルが水面に結界を張って、
そこから出られないような印象である。
だから水面下で、ゆらゆら揺れるしか出来ない。

結界を張るリヒテルのピアノが、
何かを強烈にしかけているわけでもない。
一種、夢遊病のようなピアノにも聞こえる。
それなのに、完全に術中にはまったかのように、
他の四人は、水中で漂っているだけに聞こえる。

有名な変奏曲での弦楽器の競演でも、
水面に揺れる影でしかない。

これらの弦楽だけの聴かせどころでさえ、
冴えない印象になっているのは何故?
水中で酸素不足になっていたりして。

新鮮な大気の感覚が素晴らしいこの曲が、
水面に映る大気に置き換えられている。
リヒテルなら、そんな音楽をやってみたかったかもしれない。

むしろ、このような個性的な演奏を、
名演と理解した評論家たちが間違っているのではなかろうか。
リヒテルは、そんな評価は求めておらず、
あえて、好きにやってみただけだと思えて来た。

リヒテルに付き合ったのが、
ボロディン四重奏団というのが間違いだった。
この大物たちなら、何か互角に繰り広げているはずと、
多くの人は騙されてしまったのだ。

しかし、ボロディン四重奏団ならでは、
などという要素はここにはなくて、
時折、コペルマンが張り切っているだけである。
彼等は、リヒテルのやり方に合わせたのかもしれない。

しかし、コペルマンの暴走を許してみたり、
リヒテルにまったりと付き合ってみたりしつつ、
「弦楽五重奏曲」のような大作になると、
とたんに鋼の建築を打ち立てたりして、
おじさんたちは、一筋縄ではいかない。

そもそも、このart盤、
解説もリヒテルのことしか書いてない。
何なんだ。
こうしたEMIの姿勢を、
ボロディン四重奏団のメンバーは、
感じていたのかもしれない。

あえて、自己主張して失敗するよりも、
ここは主役のリヒテルを立てた方が、
すんなり終わりそうだ、などと空気を読んでいたりして。

暴走する独裁者を許しつつ、
生き延びて来た世代の、
老獪なしたたかさを感じるのが正しいのかもしれない。

得られた事:「ボロディン四重奏団、空気を読む達人たち。が、コペルマンは違ったかも。」
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by franz310 | 2010-09-25 20:57 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その243

b0083728_232958100.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団による
シューベルトの四重奏録音は、
1995年、ベルリンの
テルデックスタジオ録音の
「死と乙女」の他、
その四年前に、
1991年7月、
ロンドンの聖シラス教会で行われた、
「ロザムンデ」その他の録音がある。
こちらはヴァージンレーベルのもので、
楽団のメンバーは同じである。


コペルマン、アブラメンコフ、シェバーリン、
ベルリンスキーの名前が並んでいる。

他に有名な四重奏断章や、
第10番と呼ばれる変ホ長調のものが収録されている。

1991年7月と言えば、
1990年のショスタコーヴィチに続く形である。
ボロディン四重奏団と言えば、ショスタコーヴィチと、
レッテルが貼られているようなものだから、
ボロディン四重奏団の思惑はともかく、
ヴァージンとしても、まず、
こちらを押さえて置きたかっただろう。

そもそも、何故、ボロディン四重奏団で、
シューベルトを聴かないといけないのか、
そうした疑問は、多くの愛好家が持つはずだ。

私の場合、リヒテルが共演して、
「ます」を録音したから聴いているのであって、
それがなければ、今回のもののようなCDを、
見つけて喜んだりはしないであろう。

ショスタコーヴィチの四重奏と言えば、
古典としての地位を確立して、
かならず引き合いに出される彼等ではあるが、
古典期の作品では、いきなり語る人が少なくなる。
私としては、彼等は、シューベルトが好きだったかどうか、
あるいは、シューベルトに肉薄して何かを捉えているかが知りたい。

前回聴いた、軍都ベルリンで録音が行われた、
テルデックへの「死と乙女」は、かなり雄渾な印象で、
私としては聴き応えがあったが、
商業都市ロンドンでの「ロザムンデ」その他は、
ジャケットのイメージのせいか、
何だか、違う感じが与えられた。

同じ楽団の演奏とは思えない程、印象が違う。
ひょっとしたら、曲想の違いや、
それに対する親近感の差異であろうか。

あるいは、レーベルの
録音ポリシーのようなものがあるのだろうか。
録音会場の残響みたいなものの影響もあるのか。
「死と乙女」が、くっきりと直裁的な、
飛び出して来る音作りだったのに対し、
こちらは、ソフトフォーカスがかかったような、
妙に空気感を感じさせる録音である。
教会という場所の特徴だろうか。

しかし、これが、良い効果ばかりを生んでいるわけではない。
よく言えば、柔和でリラックスできるが、
悪く言えば捕らえ所がない。

有名な主題による第2楽章などは、
録音のせいか、少し、間延びしたような印象を受ける。

しかし、そうした部分以外では、
演奏は透徹した推進力を持ち、
確かにボロディン四重奏団と思える出来映えだ。

それにしても、このCDの表紙デザインは、
どうなっているのだろうか。
この何だか分かりにくいデザインが、
いかにも、捕らえ所のないイメージを増強している。

Design:The Third Man
とあるが、「第3の男」?

どこかの庭園の彫像のようなものが、
白黒写真に緑を配して不思議な印象。
ノスタルジックな感じであろうか。

解説にも書かれているが、この四重奏曲は、
第3楽章に歌曲「ギリシャの神々」の引用があり、
それは大きな喪失感を歌ったものである。
このデザインも同様に喪失感のようなものがある。

彼等も1991年の12月には、
ソビエト連邦の崩壊を経験するが、
その喪失感の前触れのようなものが、
この演奏にあったりすると考えて良いか。

とにかく、「死と乙女」と違って、
散漫な印象のある演奏である。
私は、こちらの四重奏曲のほうが好きなので、
途方に暮れている。

いや、途方に暮れているのは、
ボロディン四重奏団の方かもしれない。
国家が解体し、時代に区切りがつくとは、
いったいどういうことなのか。

それを考えながら、彼等が演奏し、
それが音になったとは言わないが、
私の妄想のレベルでは、
そんな現象を感じてしまう。

音色も録音も魅力的なだけに、
妙に、つかみ所のない空回りが印象づけられる。

しかし、ボロディン四重奏団が不調、
ということではないようだ。
何故なら、「ロザムンデ」以外の曲では、
私は、かなりの満足度を覚えているからである。

例えば、「第10番変ホ長調D87」のアダージョ。
これはこのCDの白眉ではないだろうか。
深く沈潜した音楽で、素晴らしい深みを引き出している。

解説のGeorge Hallという人は、残念ながら、
ボロディン四重奏団についても演奏についても書いてないが、
初期の作品から説き起こし、
「ロザムンデ」の四重奏曲の特殊な点を詳述している。

「一回、または二回のギャップはあるものの、
シューベルトは、弦楽四重奏曲を、
その作曲家としての活動期すべての時期で残している。
1810年から14年の最初期のものは家庭用に書かれ、
彼自身の家庭内の合奏で試演されたものと思われる。
兄のイグナーツとフェルディナントはヴァイオリンを弾き、
父はチェロを受け持ち、フランツはヴィオラを弾いた。
このCDで一番初期のものは、
シューベルト作品の年代順カタログである、
ドイッチュのカタログ番号で87番、
変ホ長調のものである。
これは1813年11月、
まだ作曲者が17歳にもなっていない時期のもので、
この曲種においては徒弟時代以前のものと思えるが、
一般に、これまで彼が書いたものの中では、
最高の作品と考えられている。
実際、この作品は、現代の学者が考えているよりも、
もっと後期のものと思われていた。
チェロのパートが比較的容易なのは、
その息子たちほどには楽器に熟達していなかった、
シューベルトの父親が参加していた証拠である。」

この作品は、ヴィーンフィルハーモニー四重奏団や、
スメタナ四重奏団が取り上げて、
シューベルトの初期作品では最も有名なものだが、
私は、これらも聴いて来たが、
今回ほど感心したことはなかった。
やはり若書きということか、
第2楽章のスケルツォなど2分程度の音楽で、
後期の大作と比較すべきものではない。

何となくのどかな音楽という印象が強く、
今ひとつという感じがあったが、
ボロディン四重奏団で聴くと違う。

「この四重奏曲は二つの特別な点が認められる。
4つのすべての楽章が変ホで書かれていて、
シューベルトの死後に出版者がいじったかもしれないが、
スケルツォが第2楽章におかれている。
深い作品ではなく、愛嬌が売りで、
楽しく叙情的な第1楽章に、
性格的でエネルギーに満ちたスケルツォが続く。
この楽章のトリオは、ミステリーの気配がある。」

第1楽章からして、
いつもの、鋼鉄の意志の印象とは違って、
愛情たっぷりに歌い出されている。
ひょっとすると、コペルマンは、
こういうのが好きなのかもしれない。
典雅な音色が魅惑的である。

ヴァイオリンの「ソナチネ」の世界に、
ダイレクトに導いてくれる。

第2楽章も、何だか微笑みが漏れてくるような表現。
が、トリオでは、いかにもこの団体らしい、
非情なドラマがさりげなく顔を現す。

「最もシューベルト的なのは、
元気よく無邪気で騒がしく、
ほとんどモルト・ペルペチュオ的で、
典型的に呑気な第2主題を持つ終楽章であるが、
最も個人的なものが、アダージョに紛れ込んでいる。」

第3楽章は、夕暮れのような気配を漂わせ、
なだらかに歌われて、遙かな山々の稜線を見るようだ。

この楽章も、ボロディン四重奏団は、
とても嬉しそうである。
気になるのは、曲の性格からして、
コペルマンの主導が大きいから、
うまくいっているのではないか、
などと思われることで、
彼の表情がやたらたっぷりとしている。

ひょっとすると、
他のメンバーは、あまり楽しんでないのではないか、
などという疑念がふと浮かんだ。

ロザムンデのように、
全員の力が十二分に発揮されないと、
最大限の効果が出ない曲とは違って、
第1ヴァイオリンさえうまければ、
何とかなってしまいそうな音楽である。

続いて、「第12番」とされる、
「四重奏断章」が演奏されている。
ここでも光るのは、コペルマンのボウイングで、
他のメンバーは伴奏に回ってしまっている感がある。

「1814年に書かれた歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』が、
認知される最初の『グレートワーク』とされるものの、
シューベルトの芸術の成熟は一般に1820年頃で、
この年、器楽の最初の傑作群が生まれた。
1820年12月に書かれた『四重奏断章』D703は、
シューベルトが計画して放棄した四重奏曲の断章である。
関係する変イ長調のアンダンテが41小節書かれたが、
あとは空白である。
(こうしたケースは彼の場合よく見られ、
1822年の終わりに2楽章を完成し、
第3楽章を開始した『未完成交響曲』が類似例である。)
この四重奏曲を、
シューベルトが完成させなかった理由は、
想像するしかないが、
弦楽四重奏の質感と形態を、
印象的な感情の起伏を結合させた一つの楽章に包含し、
これまでの彼の器楽曲の中で、
もっとも注目すべき出来映えになった、
完成された楽章の出来映えからは説明できない。
緊張感に富むハ短調の開始部の主題は、
不安を越えて、優しい孤独感に満たされる
なだらかな第2主題とコントラストをなす。
驚くような、時として暴力的であるエネルギーが、
この音楽には含まれており、
シューベルトの素晴らしい手腕が、
多様な感情表現を表明する
個々のセクションを結びつけている。
この四重奏断章の最も早い実演は、
知られているもので1867年であって、
翌年出版された。」

この曲の演奏は、「死と乙女」を思い出させ、
速いテンポで、一気に彫琢していくようなめざましさが、
非情に古典的な立派さを感じさせる。

聴き応えがあるが、アンサンブルのバランスには、
少々、問題を感じる。

しかし、この曲は、もっと、
迫り来る何かにおびえるような、
ぞぞぞ、という感じが欲しいところだが、
すいすい行ってしまっているところが気になる。

どうした、ベルリンスキー。
もっと迫力あるビートを聴かせて欲しい。
あるいは、年齢から来る限界であろうか。
ベルリンスキーもシェバーリンも、
1920年くらいの生まれであろうから、
70歳くらいであったはずだ。
ヴィオラ、チェロの低音軍団が、
気力を失っていては、こんな演奏になるかもしれない。

精度は高く、最後など、びしっと決めているのになあ。

最後に「ロザムンデ」の四重奏曲が来る。

「実際、イ短調四重奏曲D804は、
この形式で書かれたシューベルト作品のうち、
生前に出版された唯一のもので、
確実に公開演奏された唯一のものである。
(シューベルトは歌曲やピアノ小品の作曲家として、
ヴィーンで名声を博し、
オーストリア、ドイツ全体に及んでいたが、
彼の生前は、他の楽曲は
同時代人にはほとんど知られておらず、
広い国際的名声は事実上皆無であった。)
1824年2月から3月にこの四重奏曲は作曲され、
ベートーヴェンの四重奏曲の多くを紹介した、
シュパンツィッヒ(1776-1830)
率いるアンサンブルによって、
ヴィーンのムジークフェラインで、
3月14日に初演された。
この曲を出版時、シューベルトは、
シュパンツィッヒに捧げている。
友人、クーペルウィーザーに、
3月31日に宛てた手紙の中で、
彼は、自身を、
『世界中で、最も惨めで不幸』と表現しているが、
こうした心の声は、この四重奏曲にも反映されており、
例えば、『四重奏断章』以上に、
不確かさが語られ、
不安定さはさらに広がり、
幸福なビジョンによって回復することもない。
シューベルトはずっと幅広いスケールになり、
対位法的な複雑さを駆使して、
さらにムードも急変させている。」

この曲などは、低音部隊の不気味な伴奏が命であるから、
老人セットも頑張って欲しいものだ。

「震えるような伴奏に乗って、
第1楽章は開始主題を語り出すが、
深い隔離された感覚を表している。
提示部は、通常の対比的材料を使って一般的であるが、
中央の展開部は第1主題に取り憑かれて、
震えるような音型が、
絶え間なく、やむにやまれぬ
不安のシンボルのような、
再現部に至るまで、
36小節にわたって一貫して鳴る。
この音楽には相当なストレスがあり、
最初の主題が戻ってくると、
もう、逃れられないということが暗示される。」

ここでは、心配したような事は起こっておらず、
さすがにベルリンスキーのビートは、
存在感をもって鳴っているし、
各奏者一丸となって立体的な。

しかし、この解説の解釈は、あまりに恐ろしすぎる。
このようなどうしようもない切迫感は、
「死と乙女」だけにして欲しいものだ。
私は、この曲には、もっとロマンチックな、
憧れのようなものが支配していると思っていた。

幸い演奏は、そんな風にまでは切羽詰まった表現はしておらず、
「死と乙女」の時と同様、極めて強靱な歩みを見せている。
したがって、解説ほどに切り詰めたものではないが、
私が思っている程、ロマンティックなものでもない。

「緩徐楽章は、シューベルトにとって、
個人的に何か重要なものに思える主題に基づく。
これはまず、シェジーの戯曲『ロザムンデ』の
幕間音楽の間奏曲で現れた。
(1823年12月、アン・デア・ヴィーン劇場で、
二回公演があった。)
また、ピアノの即興曲(1827年)の主題で現れる。
はじめの二つの例では、はじめは陽気に進行していた主題は、
途中で停止し、
そこに幾ばくかの慰めがあるとはいえ、
再開される時はむしろ自信なさげである。
ロザムンデの間奏曲は、
ロンドに向かって行くが、
四重奏では、さらに複雑な構成に進み、
シューベルトはそこで、
様々な対比素材を展開させると共に、
基本主題を変容させる。」

この楽章になると、幾分、メロディアスになるだけ、
コペルマンの一人舞台が目立つ。
気にしすぎだろうか。
他の奏者は、その後塵を拝するような塩梅に聞こえる。

「第3楽章はメヌエットであるが、
伝統的にこのジャンルで期待される、
軽いタッチやウィットは皆無で、
異常に親密で内面的なものである。
開始フレーズは、再度、自作の引用であり、
今回は、シラー作詞の、
既になくなってしまったギリシャの世界についての
ノスタルジックなオードの一部に付曲した、
『ギリシャの神々』(1819)の冒頭である。
『美しい世界よ、あなたはどこに行った』という部分で、
『ゆっくりと、熱烈な憧れをもって』と記されている。
この詩は、全体のトーンをなし、
このためらいがちな傾向は、
喪失感と自己疑念の雰囲気が、
こみ上げるのを和らげるように、
儚く揺れる。」

解説の締めくくりの部分、なかなか難しい。
ふらふらしていないと、ついつい、
やばい感情に支配されてしまう、
ということだろうか。

この楽章などは、
第1ヴァイオリンに唱和する楽節が頻出するので、
第2楽章と同様の問題が起こる。
ベルリンスキーはいくらか意地を感じさせるが、
他の奏者は、まるで影のようである。
あるいは、そうした表現を狙ったのだろうか。

「終曲は、予想されるとおり、
4楽章中、最も外向的な楽章で、
休止、奇妙なフレーズの長さ、不安定さが支配し、
気楽ではなく厳しい。
最初の三つの楽章によって、
蓄積されたいくぶん負の要素を
一掃するエネルギーと勢いがある。」

終楽章になると、だんだん、
この演奏の特性に慣れて来るのか、
何だか、各奏者を繋ぐ、
それぞれの意識の糸が見えて来て、
決して、無気力な演奏ではないことが分かって来る。

コペルマンを立てようとする姿勢と、
立てられて仕方なく主導して歌うコペルマンの関係。
これは息苦しい。

まるで、どこかの大企業のセクショナリズムみたいだ。
極めて統制のとれた、安定した仕事ぶりであるが、
クリエイティビティや自発性は、
後退せざるを得ない。

これから数年後、コペルマンが外れ、
新しいヴァイオリニストを招いて、
新生ボロディンになる必然が感じられる演奏である。

あるいは、死と乙女の場合、
このメンバーによる最後の録音ということで、
ふっきれた名演が生まれたのかもしれない。

このように組織の問題ばかりが気になると、
シューベルトが何だったか、
よく分からなくなってしまった。

大企業病が、顧客不在になり、
最後は、コンプライアンス問題などに行き着くのに似ている。

やりたくないのにショスタコーヴィチばかりをやらされ、
遂におかしくなってしまった人たち、
などと考えたら、
ふと背筋が寒くなった。

もちろん、そこまで行ってしまっているわけではなく、
一般的にありがちな事を、あえて適用してみただけだが。

妄想をふくらませると、
レッテルを貼られて自発性を失った名門の、
困った姿を捉えた1枚と読めなくもない。

また、祖国ソ連の最後期と重なった点、
このあと、レーベルを移籍する点、
繰り返しになるが、コペルマンが離脱するなど、
いろんなインフォーメーションが私の思考を撹乱する。

得られる事は無数にあった。
これらは妄想にすぎないだろう。
が、あえて書くなら、こうまとめられるかもしれない。

第1ヴァイオリン主導の初期作品ほど、
今回は精彩があったように思えたからだ。

得られた事:「ボロディン四重奏団、慣れるほどに表面化した世代間のギャップ。」
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by franz310 | 2010-09-18 23:30 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その242

b0083728_9452335.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団が、
リヒテルと録音した、
シューベルトの「ます」は、
長年にわたって名盤とされてきたが、
私は、あまり楽しめないでいる。
今回、リヒテルのシューベルト、
それから、ボロディン四重奏団の、
西側デビュー以来の歩みを追体験し、
改めて、彼等のシューベルトを
聞き直してみたい。


これまで聴いて来たところ、
ボロディン四重奏団の力感がありながら、
透明さを大切にしたアプローチは好ましいものに思ったので、
シューベルトでも、それは活かされて良い結果を生むはずだ。

さて、ここに取り上げるものは、
彼等が共演した最後の記録のようなCDで、
シューマンのピアノ五重奏曲である。
ライブ録音で1994年のもの。
6月16日、18日とあるが、
二日の公演のつぎはぎなのだろうか。

その前に収められた、
シューベルトの「死と乙女」が、
1995年8月のスタジオ録音である。

「何十年も同じメンバーで続いていた、
ボロディン四重奏団も、
最近、メンバーが変更になった。
このリリースは、コペルマン、アブラメンコフ、
シェバーリン、ベルリンスキーによる
最後のものである」と、解説にも書かれている。

この四重奏団、
第1ヴァイオリンとヴィオラが、
1996年に代わっている。

表紙デザインは、曲想を表したものではないが、
落ち葉に埋め尽くされたベンチ二つが、
彼等の長い来し方を表現しているようで味わい深い。

独テルデックレーベルのものだが、
カバー・フォトは、Mehlig/Mauritiusとあるが、
モーリシャス?
ロシアの音楽家が、
独墺の作曲家を演奏したものだが、
すごい落ちである。

しかし、ボロディン四重奏団は、
ショスタコーヴィチはメロディアやバージンから出たし、
シューベルトの「ます」はEMIから、
これはテルデック、
さらにこの後のメンバーのものは、
確か、シャンドスから出て、
様々なレーベルを変遷したアーティストたちだ。

特にシューベルトの弦楽四重奏の場合、
あちこちに分散していてややこしい。

この楽団は、西側に出た当初の、
透明で古典的な凝集感に、
第1ヴァイオリンがコペルマンに代わってから、
艶やかな広がりを加えた印象だが、
この「死と乙女」は、
その長所のとてもよく出た演奏だと思う。

死の影をもよせつけぬような、
美しい音色が放射されている。

このCDの解説は、
Bettina Fellingerという人が書いているが、
この解説は、以下に見るとおり、
死の想念を強調したものであるだけに、
ちょっと、内容の不一致が生じている。

また、このCDに収められた、
全く関係ないはずの2曲が、
何となく関連あるような書きぶりなのである。

冒頭に、歌曲、「死と乙女」の歌詞(クラウディウス作)
が上げられている。

「乙女:
通り過ぎて、通り過ぎて。
死の惨たらしい有様よ、
私は、でも、若いの。行ってちょうだい。
私に触らないで。
死:
あなたの手を出して、愛らしく優しい子、
友達だよ、責めたりはしない。
楽にして、乱暴はしないから。
私の腕の中で静かに眠るだけだよ。」

改めて書き出すと、
ものすごく気味の悪い内容である。

この解説によると、この四重奏曲は、
単に、この主題を借用したものではなく、
強烈にこの死に起因するものだと言う。

「フランツ・シューベルトの名前は、
ロベルト・シューマンのエッセイ『音楽と音楽家』の中で、
当時の作品を批評する際に、
数限りなく取り上げられている。
これは、彼が、その時代の作曲家の成功や失敗を、
ベートーヴェンやシューベルトを基準にしていたからである。
また、特別な作品に対する文章は、
歌曲王、シューベルトの芸術を祝う、
称賛の賛歌となっている。
シューマンはごく初期からシューベルトを崇拝し始め、
その感情はすぐに熱狂以上のものになった。
血気盛んな青年として、
彼は1928年のシューベルトの死に深く動かされ、
その報を聴いた際、
彼が一晩中むせび泣いていた事を、
隣人は回想している。
しかし、シューマンは、
必ずしもシューベルトの作品に、
無批判な態度を取っていたわけではない。
交響曲と歌曲については、
『新世界の創造者』として認めていたものの、
その室内楽の評価に関しては、
より慎重な態度を取っていた。
弦楽四重奏曲第14番ニ短調は、
彼が徹底的に是認した一握りの作品の一つである。
事実、シューマンはこの作品を、
ベートーヴェンの最初の子供の
特に成功したものと考えていた。」

シューマンが評価したシューベルト作品としては、
まず、大ハ長調交響曲があり、
室内楽で言えば、ピアノ三重奏曲などが広く知られるが、
「死と乙女」を激賞していた記憶があまりない。

しかし、この解説者は、その文学性ゆえに、
この作品をさらに高く評価していたように書いている。

「シューマンは恐らく、
『死と乙女』と題されたニ短調四重奏曲を、
音楽的でない意味合いを、
一般に室内楽に用いられる形式構成に、
入れ込むことができるかという、
完璧な例証と考えていた。
それが持つ詩的な想念が、
そのロマン的心情に訴えたものと思われる。
ハンス・ホランダーが述べたように、
この四重奏曲は、
『死と解放に関する永遠の主題の音楽的パラフレーズ』
なのである。
シューマンはシューベルトを、
その死の憧れゆえに、
詩人ノヴァーリスと対比しても良かっただろう。」

私は、この四重奏曲は、
第2楽章にたまたま、この主題を選んだものと考えていたが、
そのような考えは、厳しく叱責され、否定されるのが、
今回の解説の趣旨である。

また、このブログの主題たる、
「ます」の四重奏曲も、それになぞらえられている。

「シューベルトの音楽作品のいくつかは、
文学的着想から霊感を得ている。
ピアノ五重奏曲D667も、
彼の特に有名な歌曲『ます』(D550)の引用ゆえに、
不朽の成功を確実にした。
その5年後に書かれたニ短調四重奏曲でも、
再度、彼は歌曲からの一節を引用した。
1824年にこれを作曲する少し前、
彼は深刻な病気にかかっており(1823)、
この四重奏曲は、徹底的に個人的な作品となっている。
マティアス・クラウディウスの詩、
『詩と乙女』という、文学的なモデルを得て、
シューベルトは彼が実人生で経験した、
希望と死への恐れの対話を、
美学的な言葉に翻案することを試みた。」

ということで、この曲を作曲した時の、
シューベルトの心理は、
1.病気にかかった
2.こりゃまるで「死と乙女」の心境だな、と考える
3.四重奏曲を書こうとすると、「死と乙女」で溢れてしまう
という感じか。
さらに恣意的に考えると、
3’.四重奏曲を、この死の乙女の対話で埋め尽くそうと設計を開始
ということになる。

それを参考にすると、「ます」の場合、
1.シュタイアーの街で楽しかった
2.こりゃまるで「ます」の心境だな、と考える
3.五重奏曲を「ます」の気分で埋め尽くそうと設計開始
ということになるが、
実際は、歌曲「ます」が好きだった人に、
作曲を依頼されたのだった。

が、これが契機になって、
「ます」の歌曲が前半で歌う、
束縛のない自由さが、当時の解放感に調和し、
全曲にこの歌曲の気分がみなぎるように設計したとも考えられる。

「ホランダーは、
『歌曲に基づく変奏曲は、
深刻な性格だった作品に、
気ままに追加されたわけではない』と指摘する。
反対に、
『それは核に等しく、
全作品の詩的で象徴的な開始点なのである』。
シューベルトは、7年前に作曲した、
クラウディウスのテキストによる
歌曲の一節を利用した。
こうした、音楽的なほのめかしは、
アンダンテ・コン・モートの変奏曲楽章で明確で、
『楽にして、乱暴はしないから。
私の腕の中で静かに眠るだけだよ』の部分を引用している。
この動機の一部は、二つの続く楽章でも現れる
(この理由によって、フィッシャー=ディースカウ他は、
この曲を『死の舞踏』と呼んだ)。
終曲で、この曲は、
シューベルトの『魔王』(S328)の、
『お父さん、魔王が見えないの』を引用して、
スリリングなクライマックスに向かう。
今や、それが、1817年に書かれた歌曲の、
懐柔的な結末を注意深く避けようとした、
見識であるということに直面せずにはおれない。」

難しい言い回しだが、「死と乙女」の歌曲は、
激しい終結部を持たないがゆえに、
「魔王」のパワーを利用した、
ということだろうか。

「シューベルトのニ短調四重奏曲は、
内心の告白のようなもので、
作曲家が、自らの死すべき運命を見定めた結果と見える。
この曲のユニークな質感は、
救済と無慈悲な絶望のムードのイメージを
描いたことからもたらされている。
シューベルトは、
自身の最後が近づいていることを予期していた。」

ボロディン四重奏団の演奏は精緻で、
かつ、推進力に富んでいて美しい。

第1楽章の冒頭からして、
悲鳴のような音ではなく、
堂々としていて野心作が始まった、
という実感がある。
提示部の繰り返しもあって、
マスターワークであることが確認される。

第2楽章の変奏曲も、格調高く落ち着いている。
変奏によっては、素っ気ないほどの表情で進むが、
べたつきがなく気持ちがよい。
こんな点は、西側デビュー時からの、
彼等の美学と言えるかもしれない。

解説にあるような文学的な解釈は、
ここではまるで反映されていないようだ。
しかし、音楽の密度が次第に凝集していく様は、
さすがと言わざるをえない。

第3楽章のスケルツォも、
剛毅な主部に、繊細なトリオの対比が美しい。

終楽章も、楽譜のままを、
明晰に力強く演奏した、という感じで、
芝居がかっていないのが気持ちよい。
この曲の場合、ただでさえ、
息詰まるような緊迫感が負担になりがちだが、
この演奏では、むしろ勝利感すら漂う明るさがあり、
私にはありがたかった。
コペルマンのヴァイオリンの楽天的なカンタービレが、
そんな感じを強調している。

ただし、その分、他のメンバーが脇に追いやられ、
いくらか迫力不足のクライマックスかもしれない。
この解説にあるような、
どうしようもなさ、みたいなものまで追い込んでいない。

解説で触れられていた、「魔王」の、
「お父さん、魔王が見えないの」のメロディも、
むしろ耽美的に響いている。

「19世紀の室内楽において、
悲音楽的着想は一般的なものであり、
シューマンのこの分野の作品も、
絶対音楽と考えられることはなかった。
ピアノ五重奏曲作品44は、
チャイコフスキーのお気に入りの作品で、
典型的なロシア人の熱情で、
『情熱と魔法』の充満と考え、
緩徐楽章については、『愛する者の悲劇的な死』
を描いていると述べた。
事実、シューマンは1842年、
第3楽章に『シェーナ』と書いたスケッチを残し、
この種の詩的な着想の事実を仄めかしている。」

ということで、ここでも「死」が出てくる。
偶然のように組み合わされた二曲であるが、
ここでは、あたかも、「死」というテーマで選ばれた、
ロマン派の室内楽、といった感じでまとめられている。

しかし、ボロディン四重奏団の第2期メンバーの最後期と、
リヒテル晩年に録音された二曲は、
本当に最初から組み合わされる目的があったのだろうか。

ブックレットを見ると、
エクゼキューティブ・プロデューサーが、
シューマンがデッケンブロック、
シューベルトがケッチとなっており、
別企画が、かれらの死やメンバー交代によって、
無理矢理、合体したような感じである。

あるいは、シューマンはブラームス、
あるいは、ピアノ四重奏曲あたりと、
「死と乙女」は他の四重奏曲と、
組み合わされる予定があったのかもしれない。
メンバーが交代してしまい、
出来なくなってしまったこともあっただろう。

ちなみに、「ロザムンデ」の四重奏曲は、
1991年にすでにヴァージン・レーベルに録音してあるので、
組み合わせとして、これしかなかった可能性もないわけではない。

などつべこべと考えるのも面白い。

しかし、さすがボロディン四重奏団用の解説である。
彼等が得意とする、チャイコフスキーが唐突に登場するのが良い。
そこまで解説者は配慮したのだろうか。

とにかく、この解説では、
シューマンの五重奏にも、
死のイメージがあると言うが、
私は、これまで、そんな事を考えて聴いたことがなかった。

緩徐楽章は、第2楽章だと思うが、
第3楽章のスケッチの話も出てくる。
混乱するが、下記に大改訂の話もあり、
楽章が入れ替わったのかもしれない。

言われてみれば、第2楽章は、
悲しい音楽である。
しかし、この部分を聴きながら思ったのだが、
リヒテルのピアノは、妙に句読点を明確にしたがっているようだ。
重いし、神経質に音が打ち込まれる。
リヒテルは、この曲の中に、
何かそうしたものを見てしまったのかもしれない。

が、それはボロディン四重奏団の行き方ではない。
しかも、ピアノがややクローズアップされた録音が、
それらを調停させていない。

コペルマンはリヒテルのような大家の前に、
持ち前の楽天性を発揮しきっていないのではないか。

このような行き方は、
シューマンの沈鬱には対応していても、
シューベルトの「ます」などは、
喜びが舞い上がらないのであろう。

ちなみに私は、シューマンでも、
これは重すぎるのではないか、
と思った。

ボロディン四重奏団も興奮すると破綻する事があるが、
彼等は一歩引いているようで、
リヒテルは、それにお構いなく、
思うがままに振る舞って、
ボロディン四重奏団の透明感を濁らせているようにも思える。

先入観かもしれないが、
リヒテルのような音楽家は、
自分の考えを共有しようと努力することなど、
考えなかったのではないだろうか。

「この五重奏曲は、
シューマンの室内楽作曲期に書かれた。
1840年、ピアノ曲の作曲を離れ、
『歌曲の豊かな収穫』を開始した。
それから、続く年、
彼は注意を交響曲に向けた。
さらに翌年、
1838年から、
すでに弦楽四重奏のスケッチをしていたが、
遂に室内楽の世界の探究を始めた。
1842年7月、ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンの室内楽を
3年の長きにわたって詳細検討した後、
シューマンは3曲の弦楽四重奏曲を連続して書いた。
続いて、ピアノ五重奏曲作品44と、
ピアノ四重奏曲作品47が書かれた。
後に、彼は五重奏曲に多くの修正を加えた。
これらの校訂のうち、最も特記すべきは、
変化に富む楽章が主題的に関連づけられたことである。」

これまた、初めて知った。
出版された後のことだろうか。
あるいは、初演の後のことだろうか。
主題的に関連づけるのが、後から出来るものなのだろうか。

「シューマンから、
最終稿をプレゼントされたメンデルスゾーンは喜んだ。
そして、初演に参加したクララ・シューマンは、
『素晴らしく美しく、活力と瑞々しさに満ちている』
と述べた。
後世は、メンデルスゾーンが正しいと証明した。
今日に至るまで、
この五重奏曲は、
ロマン派の室内楽のレパートリーで、
最も人気のあるものの一つである。」

ライブ録音ということだが、バランスはともかく、音質は悪くない。
リヒテルのピアノと、四重奏団の音色の重なりが、
非常に美しく捉えられている場面もある。

第1楽章などは、シューマン当時のピアノで聴きたい感じ。
どばーんと現れるリヒテルのピアノが装甲車のようだ。

ただ、第2楽章における弱音のピアノの向こうで、
ヴァイオリンとチェロが対話する部分など、
無限の幻想の広がりを感じる。
これは、リヒテルが作り出した舞台の上で、
四重奏団の各奏者が演技を強いられているかのような、
不思議な無重力感を感じる部分である。

解説にあるような、愛する者の死のイメージが、
喪失感として伝わって来る。

第3楽章は、スケルツォなので、
自由な飛翔を求めたい。
この楽章もトリオなどは、
ピアノが弱音で伴奏に回るので、
同様の効果が表出される。

が、主部のピアノのリズムに、
リヒテルは自らの感情移入、
もしくは夢遊病状態の陶酔に入り、
我が道を行っているように聞こえる。
おそらく無意識にそうなっている。

終楽章も、ぽつんぽつん、ぼんぼんといった、
ピアノの伴奏や弱音ですら、リヒテルの強烈な主張があり、
それが、最後は主導して引っ張っていくのだから、
いかに猛者ぞろいの四重奏団とはいえ、
ひとたまりもなく、この熱い渦に飲み込まれていくこととなる。

空中分せず、共に熱いだけ良い。

録音バランスがこれを強調しているかもしれないが、
シューマンに一家言持つリヒテルの前では、
妙にレパートリーが偏った四重奏団としては、
こうなるしかないかもしれない。

得られた事:「幻視者リヒテルが、古典的な四重奏団と共演すると、前者の幻想が、後者の美感をかき消してしまう。」
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by franz310 | 2010-09-12 09:45 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その241

b0083728_21315441.jpg個人的経験:
ヴァージン・レーベルによる
ショスタコーヴィチの、
弦楽四重奏曲のCDの廉価盤、
あまりに解説が簡略化されていて、
取り付く島もなく、
藁にもすがる感じで読むしかなかった。
その点、同じボロディン四重奏団でも、
メロディア・レーベルから出ていた、
旧盤(コペルマン時代の方)は、
そのあたりの不満を解消してくれる。


このシリーズ、曲ごとに、
ショスタコーヴィチの顔写真が違うが、
この第3集は作曲家もクールで良い。
前に取り上げた第2集は、
「お買い得感」では、ぴかいちだが、
表紙デザイン的には最低であったので、
このイケメン風情で、
ショスタコーヴィチも、
名誉を挽回してもらいたい。

前に聴いた第2集は、
1983年モスクワでのスタジオ録音の「第3」に、
同年、モスクワでのライブの「ピアノ五重奏曲」、
さらに1964年という20年も前の録音であった、
「弦楽八重奏のための2つの小品」が組み合わされた、
妙に雑多な寄せ集めだった。

今回の第3集も、
「第5」が「第3」と同様に1983年、
「第7」がその2年前の1981年のスタジオ録音、
「第6」がやはり1981年であるが、
これは9月27日のコンサートのライブであるという。

ボロディン四重奏団の、これらの録音は、
「全集」として崇められているが、
実際は、このように苦心して、工夫して、
ようやく完成されたものであるようだ。

ここで、「第5」から「第7」が、
通しで聴けるのは、そこそこありがたい。

しかし、「第5」は、1952年の作品で、
「第7」は1960年の作品。
この3曲は一連の作品とは言い難い。
しかし、私は、何となく、
「第4」と「第6」が田園的で似ており、
「第5」と「第7」は、実験的で、
似ているような気がしている。

あと、「第5」から「第7」の3曲は、
それぞれ別の女性が影を投げかけており、
その意味でも興味深い作品である。

しかも、この時期のショスタコーヴィチの人生は、
40代の後半から50代の前半にあって、
かなりやばい状態であった。

私生活では最初の妻や母親を失っている。
スターリンが53年に死んで、
その直前、直後の緊張感の中、
多忙な公務もあってか、スランプ状態である。

音楽院の教え子、
ガリーナ・ウストヴォリスカヤとの恋が「第5」に刻まれ、
共産主義同盟のリーダー、マルガリータとの電撃的な再婚、
その新婚の喜びの中で、「第6」が生まれた。
失望による離婚、
再び最初の妻ニーナへの思いがこみ上げてか、
その思い出に「第7」が書かれることとなる。

また、これらの作品は、非常にアンバランスなもので、
「第5」は演奏に30分以上を要し、
第1楽章だけで、「第7」全曲と同じくらいの長さがある。

この2曲は3楽章構成だが、
「第6」は4楽章構成で24分という中庸の規模。
しかも、この曲のみ平明なのは、
再婚したマルガリータに音楽の素養がなかったからだ、
という見解が、いろいろな事を考えさせる。

とにかく、恐怖政治や死の想念に翻弄された、
モノトーンの音楽を書き続けた作曲家、
という我々の持つイメージは、
これらの作品によって、
いくぶん修正が加えられるであろう。

それにしても、
ショスタコーヴィチの、弦楽四重奏曲集、
前半の7曲の中で、最初の難関は、
この「第5番変ロ長調」ではないか。
ヒステリックに傾斜しがちで、
ベートーヴェン四重奏団の古いモノラル録音では、
不協和音と雑音の塊に聞こえる。
ステレオのボロディン四重奏団でもきつい。
そもそも、演奏家自身、かなり戸惑っているような感じ。

シャンドス盤の解説も、何だかへんてこである。
第1ヴァイオリンがドゥビンスキー時代の、
「オリジナル・メンバーのCD解説はこうなっている。

「弦楽四重奏曲第5番変ロ長調、作品92は、
1952年の秋に現れ、
ほとんど、第4弦楽四重奏曲の正反対のものである。
一年後に作曲される第10交響曲の前触れのような、
この作品の中で、対立する力の巨人的な闘争に出会う。
今では、この作品で、ショスタコーヴィチは、
スターリンを表す暗号を使っていることが、
広く信じられている。
四重奏の二つ目の小節で、
ヴィオラで執拗に繰り返される
5つの音の動機が、
交響曲のアレグレットの楽章を予測し、
詩人のマンデルシャタムによって風刺されたように、
これがゴキブリ髭の男の事を表そうとした事は、
あり得ることである。」

私はこの解説を読んだのがいけなかった。
軽妙な主題が、どうも嫌らしい独裁者を連想していけない。
が、この部分をこんな風に表現した解説は、
他にないのである。

このシャンドス盤の解説は、
この部分がやけに印象的で、具体的記述は、
スターリンというキーワードに集約されてしまう。

また、第10交響曲の第3楽章のアレグレットを連想させる、
というのは確かで、ショスタコーヴィチが、
この第10を、スターリンとの関連で語ったという説もある。

しかし、ややこしいことに、
それは、アレグレットではなく、
第2楽章のスケルツォのことだったはずだ。
このような状況で、非常に混乱したイメージが錯綜する。

下記のように、解説者もお手上げ、
という感じで放置しているのである。

「全体的に騒々しい作品で、
三つの楽章は、
第1ヴァイオリンの高いFによって最初の二つが、
そして高いFシャープによって、後の二つが、
死の抱擁でひとまとめにされている。」

確かに、「第4四重奏曲」が、
温厚なメロディを優しく奏でるのに対し、
第1楽章から、かなり奇妙な音楽で、
人を小馬鹿にしたような、
戯画化されたような音型が、
鋭く、執拗に響いて、
妙な変転を見せる。
第2主題は、一瞬、懐かしい表情を見せて印象的。
11分にわたって、大騒ぎするが、
あまり真面目な音楽とも思えない。

第2楽章は地味で特徴がなく、
終楽章も激情を迸らせる場面が多い。
私は、こんな感じで、この曲は敬遠していた。

しかし、先のウストヴォリスカヤの事を考えると、
改めて、耳を澄ます必要があることが痛感した。
今回は再チャレンジである。

ボロディン四重奏団の83年録音、
メロディア盤の解説を参考に、
仕切り直ししてみよう。

解説を書いているのは、Sigrid Neef博士である。

「弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 作品92(1952)
スターリン王国が戦後ロシアに出来たかのように、
国家が知識人の魔女狩りを行っていた時、
一般市民は隣人を、自分同様に愛することなど出来ず、
静かなヒロイズムの歴史で、
ショスタコーヴィチの『第5四重奏曲』は、
重要な位置を占めるものである。」

この解説には、騒々しい作品などとは書かれていない。
何と、スターリンを小馬鹿にしたものではなく、
ヒロイズムの好例として書かれているではないか。

「1948年、作曲家は、
国家の文化的官僚主義によって、
失脚することとなった。
『第5交響曲』、『第7交響曲』以外の彼の作品は、
無意味なものとしてうち捨てられ、
様々な教職も失ってしまった。
しかし、その生徒たちは、
彼の側に立ち、彼も生徒たちの側に立った。
その中には、実力通りに高名な作曲家になった、
スヴィリドフ、カラーエフ、カレン・ハチャトゥリャン、
ボリス・チャイコフスキー、チシチェンコらがいた。
これらの作曲家たちが、
ソヴィエト当局と折り合いを付けるのに成功したのに対し、
ガリーナ・ウストヴォリスカヤのような生徒は、
こうした過激勢力に排除され、
1980年遅くまで、それらが再発見されるのを、
待たねばならなかった。」

ショスタコーヴィチの遺族への配慮か、
妙に持って回った解説である。

当時、恋愛関係にあったとされる
女流作曲家を出す前に5人もの作曲家を登場させる、
用意周到ぶりである。

「しかし、彼女が音楽世界の
隠された存在となるかもしれないことから、
彼は彼女のヴァイオリン、クラリネットと、
ピアノのための三重奏曲の主題を、
その第5四重奏曲に組み込み、
死の前年には、『ミケランジェロ組曲作品145』で、
これを再び取り上げ、
親密な愛情と激励を、感謝の印にした。」

ガリーナの音楽が引用されている、
ということが、師弟愛に置き換えられている。

もう、これには触れたくないのであろう、
さっさと別の話題に移っている潔さ。

「ショスタコーヴィチ自身の立場は、
この上なく矛盾に満ちており、
たまにしか取り上げられない門外漢として、
スパイされ非難される一方で、
同時に口説かれて、
故郷ロシアに月桂冠を勝ち取るために、
海外に送り出された。
例えば、1949年には、
合衆国への公式訪問を引き受けることを要請され、
1950年には、
ライプツィッヒのバッハ会議に出席させられ、
1952年には、
ベルリン、ドレスデン、ライプツィッヒでの
ベートーヴェン祭委任があった。
ここでは、彼はその出席を光栄とし、
そこで温かく迎え入れられた。
しかし、それは蟄居同様の身分で、
郊外での夏の休暇は、
妻、ニーナへの愛情を満たし、
内的な新生や幸福の源泉となった。
世界との彼との関係は変わり始め、
彼は46歳になった。
こうした状況が第5四重奏曲の伏線となった。」

結局、この解説では、何故か、
妻への愛情という話に様変わりして、
ガリーナ・ウストヴォリスカヤは、
親しい、かわいそうな生徒、
ということで結論づけられた感じである。

しかし、彼等が親しい関係であったことは事実のようで、
この解説に書かれたような困難な時期にあって、
彼に再生のエネルギーを与えたのが、
この人の存在であった可能性は高い。

何よりも重要なのは、
ガリーナが、作曲家であったことであり、
それも極めて個性的で新しい感性で、
ショスタコーヴィチを魅了したらしいので、
彼が、ガリーナの主題を入れ込んで音楽を書く以上、
彼女を圧倒するような実験的な作品にならざるを得なかったはずだ。

続く「第6」が、新妻の音楽受容レベルが低いがゆえに、
簡素な主題を使っているのと対照的である。

「三つの楽章で繰り返される、
中心となる、C-D-E flat-B-C sharpの
5音の主題がとりわけ印象的で、
続いて6ヶ月後に作曲される『第10交響曲』では、
この構図は彼自身の名前を表すDSCHとなる。
(バッハの歴史的前例に倣っただけにせよ、
ロシア語記述では、ドイツ語の音名を使うと、
D-Es-C-H=D-Eflat-C-Bとなる。)
音楽家個人を意味するように採用された音型は、
第1楽章から登場し、それだけで意味を持ち、
シンプルで不変なもので、
現れるたびに、
おそらく、弦楽四重奏曲のナンバリングに基づいて、
5回繰り返される。」

卑劣な悪漢、スターリンではなく、
ショスタコーヴィチを表す主題、
ということになっているが、
いったいどっちなんだ。

そういう風に聴くと、
このぎくしゃくした楽想が、
卑劣さを表したものではなく、
もっと、内側からわき起こるエネルギーが、
屈折したもののようにも聞こえる。
難しいものである。

「作品のテーマは、この主題の回りを回転し、
耳障りな半音階進行とsforzato和音に動揺を引き起こす。
三つの楽章は休みなく演奏され、
一つかいくつかの楽器が最後の小節から、
次の楽章の最初にブリッジをかけるという、
独特な設計でリンクされている。」

これは、シャンドスの解説が、
「三つの楽章は、
第1ヴァイオリンの高いFによって最初の二つが、
そして高いFシャープによって、後の二つが、
死の抱擁でひとまとめにされている。」
と書いたのと同じことで、
三つの楽章の間に切れ目がないのである。

今回のボロディン四重奏団の、CDでは、
余裕を持ったテンポで、
シャンドスから出ている旧盤より
ヒステリックではないが、
それでも英雄的なのか、非常に押しが強く、
かなり興奮したスタイルで、
そこが、少々、私には鬱陶しい。

交響曲の規模の作品なので、
それに匹敵するダイナミックスで表現したくなるのは正しい。
が、騒々しくなってしまうと拒絶反応が出てしまう。

コペルマンのヴァイオリンの音色が、
高音でかすれ気味になって、
美感を喪失している点が、
問題のような気がするがどうだろう。

「第2楽章アンダンティーノは、
バルトークを思わせる清純さと純粋さで、
20世紀に生まれた四重奏曲の、
もっとも素晴らしく内省的な楽章と考えられている。」

第1楽章の奇妙な作りに当惑する人は、
このような解説を読んで、
改めて耳を澄ませたくなるだろう。

確かに、清澄な響きがあふれ出し、
第1楽章とは全く違う、
静けさに満ち、落ち着いた世界が眼前に広がる。

「中心動機のアウトラインは
輝かしい長調の調性の新しい環境に収まるように、
いくぶん変更されている。
ショスタコーヴィチは、とくに、
彼にとっての永遠の音楽、
マーラーの『大地の歌』に現れる、
チェレスタの音に惹かれており、
この楽章では、ニーチェの、
『全ての快楽は永遠を志向する』を、
想起させる音楽のスタイルで、
音響を再現しようとしている。」

変な日本語になってしまったが、
それはともかく、バルトークやマーラーを、
例にされるとは思わなかった。

澄み切った情感に満ちた音楽に耳を澄ますと、
確かに、永遠を求める強烈な情念に満ちている。
ここでは、コペルマンのヴァイオリンも、
緊張感を持続させて素晴らしい。

ただし、録音のせいか、
遠くまで広がる空気感に不足するのが、
このシリーズの残念なところである。

「中間楽章の流れるような、
霊的なラインは、モデラートのエピソードを経て、
もう一つのアレグレットに続く。
動機は定まった形を求め、
モットーのテーマは、
最初のアウトラインを獲得し、
先の楽章における2つの主題が音楽論争に加わる。
全てのものが変わってしまったが、
しかし、何も変わっていないといった風に。」

この解説は味わい深い。
妙にやるせない結論の音楽である。

「第5四重奏曲は、1953年11月13日、
モスクワにて、ベートーヴェン四重奏団の、
30周年を記念するコンサートで初演された。」

ボロディン四重奏団としても、この曲に対しては、
いくぶん、戸惑いがあるのではなかろうか。
明確でかっちりした構成感を指向しているが、
錯綜した展開では、ややヒステリックに音色が破綻し、
力任せに押し切っている感じがなきにしもあらず。

「弦楽四重奏曲第6番 ト長調 作品106(1956)
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第6番は、
作曲家の50歳のもので、
国際的な栄誉に加え、
フルシチョフの『雪解け』による国内の表彰など、
表面的な幸福の時期にあたる。
1954年、
二人の子供たちの母親でもあった、
最初の妻の早すぎる死によって、
衝撃を受けていたショスタコーヴィチは、
1956年の7月に再婚した。
新しい妻は、教師であった、
マルガリータ・カーイノヴァで、
友人たちに、ショスタコーヴィチは、
何歳も若く見えたという。」

こうした記述から、ショスタコーヴィチの
「第6四重奏曲」を支配する明るい雰囲気の理由が分かる。

「しかし、1956年の、
政治的な希望も、個人的な希望も、
あまりにも早く霧散した。
1959年に結婚は解消されて終わり、
5年後にフルシチョフは失脚する。
1956年の早い段階で、
ショスタコーヴィチは、
生への渇望ほどには、
愛情がないことを感じ、
政治にしても、変更ではなく、
単なる修正であることを感じた。
この錯覚を通じ、
そこに自身見据えた、
彼が捉えようと求めていた状況が、
『第6四重奏曲』にある。
開始楽章のあまりにも単純な主題は、
1949年の映画『ベルリン陥落』の中で使った、
子供の歌から引用された。」

さすが、このシリーズだけあって、
こうした記述もぬかりない。

が、このCDのこの曲も、
かなりオンマイクで捉えられ、
眼前で響いている感じはするが、
かなり押しつけがましい音楽に聞こえる。
収められた3曲では、最も新しい83年の録音だが、
どうしたことだろうか。
弦楽器の美感にも不足する。

「第2楽章は、風俗画であり、
第1ヴァイオリンが突出し、
時代を反映することに力点が置かれている。
ワルツ風のエピソードは、
暴政の犠牲者に捧げられたという、
1941年の『レニングラード交響曲』
の中心の行進曲の引用に基づいている。
しかし、引用は、他者に対する警告や、
思い出させることを意図したというより、
時代に対する風刺風コメントである。
『どれくらい遠くに来たか、
物事が進展したか見て見よう』
という風に。
このすべての進歩的な無意味に対する反対は、
ショスタコーヴィチが称賛し、
その音楽が反映された、
ムソルグスキーによって提起されたものである。」

難しい表現である。
この楽章は丁寧に弾かれていて、
心浮き立つような表現も良いが、
どうも窮屈な感じもする。

「4楽章すべてが音楽的争議を終わらせる、
完全なカデンツで終始しており、
メデューサの頭のように、
毎回、チェロの同じメロディがわき起こる。
第3楽章は、死者を思い出させる。
ショスタコーヴィチは、
『第8交響曲』以来、
変化しない低音に基づく変奏曲、
パッサカリアを嘆きと追想の
象徴と採用してきたが、
6回目に現れる前に、
音色が牧歌的になって、
恐らく作曲家の年齢や状況を
おそらく反映したエピソード中断があるものの、
ここではバスのテーマが7回現れる。」

このような押し殺した切実な表現は、
このきまじめな四重奏団の得意とするもので、
音楽の構成感ががっしりと感じられる。

「パッサカリアの主題が唸る中、
終楽章のせわしげなアレグレットに続く。
ここでは、チェロとヴィオラがカノン風に扱われ、
そのはるか上を、二つのヴァイオリンが、
愛と幸福を歌う。」

むむう。この部分にも、
この録音の欠点が散見される。
はるか上を歌う割には、上空に余裕がないのである。
どうも、高音域でサチっているような録音である。

この曲はライブ録音であるため、
何らかの制約もあったのだろう。

「ある見方をすれば、『第6』は、
魅惑的で瞑想的な作品だが、
強烈な疑問が底流している。
『正しい判断力がありながら、
我々は何故、幻影に撹乱されるのか。』
この作品は1956年10月7日、
レニングラードにて、
ベートーヴェン四重奏団によって初演された。」

私は、前に、ベートーヴェン四重奏団で聴いた時、
この曲は非常に美しいと思ったが、
より新しく、より流通したはずのボロディン弦楽四重奏団の、
この演奏では、そこまで楽しめなかった。

ここでは、第7四重奏曲も収められているが、
力尽きた。

この曲は1981年のスタジオ録音らしいが、
小さめの曲で、気楽に行ったのだろうか、
あまり、前の2曲のような演奏上、録音上の不満もなく、
第2楽章の「夜の音楽」も瞑想的で魅力的だ。
この曲の場合、捕らえ所がないような部分が、
この骨太演奏によって、しっかり捕縛されたような安心感がある。

これら3曲では、とにかく、第5四重奏曲が問題作だ。

これより長大な四重奏は、ショスタコーヴィチの場合、
「第2」と「第3」しかないが、
それぞれ、4楽章、5楽章の作品であった。
それに迫る規模にありながら、三つの楽章が、
それも切れ目なく演奏される「第5」は、
とにかく奇怪な作品としか言いようがない。

得られた事:「ショスタコーヴィチの第5弦楽四重奏曲は、解説ごとに記載が異なる謎の作品ながら、ついつい耳をそばだててしまう。」
「ボロディン四重奏団のこの録音は、早く動き回る高音域が苦しいが、演奏のせいか、録音のせいかは分からなかった。」
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by franz310 | 2010-09-04 21:32 | 現・近代