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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その241

b0083728_9412478.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団の
ショスタコーヴィチ、
ディジタル録音時代のものから、
5曲を収録した2枚組を持っている。
CD1には、「第2」、「第12番」、
CD2には、「第8」、「第7」、「第3」
の順番で入っている。
CD1が1990年11月の録音、
CD2が同年2月、7月の録音である。
イギリスにおけるもののようだ。


前回のモスクワ録音が、
アフガン侵攻時の
共産党お膝元での録音だったのに対し、
今回、西側で再録音したものは、
環境的な影響を与えているかなど、
空想してはいけないだろうか。

私が持っているのは、
バージンレーベルから出た廉価盤であるが、
70年代の終わりから80年代にかけて録音された、
メロディア盤の簡素な表紙に比べると、
カラフルなデザインになって、
表紙からして、たがが外れた感じがしないでもない。

このカラフルさから言っても、
とても同じ団体が録音した、
同じ作曲家の音楽のCDとは思えない。

この表紙の元となった絵画は、
パーヴェル・フィリノフという人の、
「Guerre avec l'Allemagne(ドイツとの戦い)」
というものらしい。

部分なので、何がどうなっているか、
よくわからないが、キュビズム風の、
気持ち悪い感じのもの。
色調も茶色を基調として陰惨である。

したがって、カラフルとは言え、
何だか、雑然として落ち着きがない。
人の顔が右上に描かれているが、
鼻が伸びきって醜悪である。

モノクロームで統制の取れた感じの旧盤に対し、
こうした点からも、適当になっている印象が強められる。

とはいえ、
このどぎつさという点で言えば、
戦時下に書かれた、
「第2番」の四重奏曲などは、
確かにこんな感じかもしれない。

ボロディン四重奏団が、
これらの5曲以外に、
1番や15番があったと思うが、さらに、
ショスタコーヴィチを録音したかどうかは分からない。

メンバーを一応、確認しておくと、
第1ヴァイオリンがコペルマン、
第2ヴァイオリンがアブラメンコフ、
ヴィオラがシェバーリン、
チェロがベルリンスキーで、
前回の録音とまったく同じである。

彼等にとっては、7年後、
デジタル時代の再録音。
もっと良い音で自分たちの境地を記録しておきたい、
と思ったのか、
時代が代わって、新しい解釈を見せようとしたのか、
気になるところである。

カラヤンのような指揮者は、
何度も同じ有名曲を録音したが、
あきらかに録音技術の進展を意識した戦略であった。

このCD、解説の点でも、
モスクワ録音盤とは対照的である。

廉価版だから仕方がないのかもしれないが、
とにかく、解説のウェイトが軽い。
ボロディン四重奏団が何者なのかも分からない。

立風書房の「クラシックの名録音」には、
「豊富な資本力をバックに、オシャレなイメージと
超優秀録音で華々しく登場したヴァージン。
この巨大帝国がクラシック部門へ進出を図ったのは、
高尚な理念よりは
純粋にビジネス的な興味からだったと言われる」
とあるが、
この言葉そのままのイメージが、
このCDにもあるではないか。

録音は確かに、空気感を感じさせ、
自然に伸びやかでとても聞きやすい。
そのせいか、先に聴いた第3番などは、
より落ち着いた、余裕のある演奏に聞こえる。

この第3番の第1楽章などは、
お気楽さが売りであるから、
さすが、西側で、自由な空気を吸って、
快適だっただろうなあ、などと妄想してしまった。

が、西側に出ている時の方が、
監視が厳しいという気もするが、
よく分からない。
監視する人がいたとしても、
お気楽に伸びやかに弾いてましたぜ、
などという報告が、何になるわけでもなかろう。

ということで、第3番に関して言えば、
本場のベテランによる正当派の演奏、
と書いて嘘はない。

第2楽章も、次第に、やばい感じになるべきだが、
音楽としては美しく流れている。
古典的解釈とでも言うべきであろうか。

しかし、得てしてこうした落ち着きや余裕は、
覇気のなさに繋がりがちで、
ショスタコーヴィチ直伝の、
恐怖の時代の生き残りの声、という感じは弱まっている。

第3楽章になると、さすがに、
英雄が死んでしまうような悲惨さが強調されて来るが、
あくまでも、響きの美しさに傾斜している。

とても美しい。
旧盤が4分6秒だったのが、
4分17秒かかっている。
246秒が257秒であるから、
5%のおまけがついた感じだろうか。

この戦闘シーンは、極めて絵画的な、
真実味が感じられないものになってしまった、
と言うべきであろうか。

私は、何となく、彼等の解釈が変化しても、
おかしくはないような気がしてきた。
もはや、ソ連の秘密主義は終わり、
何も、ボロディン四重奏団が、
ショスタコーヴィチの使徒として、
布教伝道する必要はなくなっていたのかもしれない。

チェルノブイリが1986年である。
ボロディン四重奏団の、
モスクワ録音とイギリス録音の間には、
原発事故が挟まっていたということだ。

第4楽章のレクイエムは、
こうした事故の犠牲者を、
悼んでもよさそうなものだが、
何と、旧盤が6分半かけていたのが、
ここでは、5分49秒の演奏時間となっている。

原発の衝撃で、情報公開のグラスノスチが進展したが、
ボロディン四重奏団は、それに反比例して、
どんどん語るべき言葉を失ってしまったのではないか。

第5楽章も、11分16秒から、
10分30秒のあっさり表現になっている。

ヴォルコフの証言が79年、
ボロディン四重奏団のメロディア盤は、
その時代のもので、
同じように、秘められていたものを、
何とか音楽に乗せないといかん、
という意識があったのかもしれない。

が、90年にもなると、ベルリンの壁も崩壊、
ボロディン四重奏団は、
証言しないといかんという呪縛から、
解き放たれたのである。

したがって、何とかして、
生きる力を模索しようとしたこの終楽章も、
それほどの押しが感じられない。

終楽章の6分ほどで、絶叫するように奏でられた、
あのテーマが、単なる盛り上げのためだけに、
強奏されているように感じられなくもない。

旧盤のベルリンスキーのチェロなど、
もうこぶしが入りまくっていたが、
ここでは、きれいに合わせるのに終始している。

それとも、メンバーに老いが忍び寄ったのだろうか。
あるいは、前のメロディア盤はライブで、
こっちはスタジオ録音、とでも言われれば、
私は納得するかもしれない。

音の質感は、非常にデリケートで、
上質の肌触りなのである。
そういえば、ボロディン四重奏団の、
オリジナルメンバーの録音では、
録音技術の限界を超えて、
この辺になると破綻寸前であった。

ボロディン四重奏団を、
それが背負っていたものから、
解放してあげたいような気がするが、
呪縛から解放された後は、
もぬけの殻にもなりうる。

そうした意味で、
ショスタコーヴィチの生きた、
恐るべき世界が、彼の音楽を作り上げた事も、
これまた、妙に感慨深い聞き比べとなってしまった。

こんな演奏のCDにふさわしく、
解説もコンサイスで、それだけ?
という感じのもの。

書いているのは、
Adelaide de Placeとある。

「ドミトリ・ショスタコーヴィチのキャリアは、
栄誉、汚名、失墜の連続であった。
彼の最後の10年は病気がちで、
偉大な交響曲作曲家もその活動のペースを落とし、
機会音楽の作曲は減らして、室内楽に集中したが、
それは、彼が、親密な感情のメモのようなものとして、
扱ったもののように見える。」

この病気で室内楽に集中した、というのは、
あまり意識したことがなかった。
ただし、ソレルチンスキイの本でも、
晩年は骨折や心臓で、活動が制限されていたので、
そう読めなくもないのだが。

完全に、そんな時代があったとさ、
と立ち位置が他人事でバブリーである。

「P.-E.Barbierが書いているように、
『第5弦楽四重奏曲から、
彼は映画音楽(ここでのみスターリンは評価していた)や、
公式記念日の出し物の義務からの解毒剤の如く、
この形式を扱った』。
1944年に作曲された弦楽四重奏曲第2番は、
力、エネルギー、強さ、感情で特徴付けられる、
4つの楽章からなるものである。」

あの、複雑怪奇な第2番がこれだけの解説である。

しかし、私がこのCDで不満なのは、
この第2番の第1楽章で、
朗々と歌われる第1ヴァイオリンが、
何だか息継ぎしながら歌う感じに、
妥協のようなものを感じる点である。

その点、ツィガーノフは、命を燃やし尽くす感じで、
舞い上がろうとしていた。

各奏者の自発性の問題かと、
耳を澄ませると、
全員が渾身でぶつかっている感じはする。
しかし、持久力に欠ける。

第2楽章は、レチタティーボとロマンス、と題され、
ヴァイオリンが扇情的な心情吐露をする
意味深な楽章だが、
何だか、その神秘感に不足する。

第3楽章の幽霊のワルツも、これまた、やばやばでないと、
私は満足できない。
この楽章は、かなりの表現を見せている。
一丸となって、かつ、推進力はあるが、
絶望の淵からの絶叫はない。

第4楽章、長大な主題と変奏である。
この曲はかなりの集中力が要求されるが、
さすがに、構成感を重んじた、
壮大な音楽を聴かせている。

「その2年後、5楽章からなる、
四重奏曲第3番、作品73では、
ショスタコーヴィチは、
各楽器が交互に輝きを増す、
危機を孕んだ劇的な作品を作り上げた。」

この曲については、先に書いたとおり。
ショスタコーヴィチ屈指の名作も、
これだけの解説か、という感じがしないでもない。

「四重奏曲第7番、
作品108は1960年に書かれ、
1954年に亡くなった最初の妻、
ニーナのオマージュのようなものである。
この短い作品の中間楽章、レントは、
ヴィオラとチェロで歌われ、
我々を送葬の歌の寂しい感情に導く。」

私は、音楽の好きな同僚と話していて、
彼が、この曲の主題を歌い出すのを聴いて面食らった。

何と、彼は、30年ほど前に、私がラジオで聴いた、
ボロディン四重奏団の演目をやはりエアチェックしていた、
というのである。

ボロディン四重奏団は、
私がエアチェックした「第1」以外に、
「第7」も「第2」も演奏したらしく、
彼はそれを愛聴していたという。

すごい記憶力である。

しかし、私が昔、そんな話を、彼から聴いたことを、
思い出して話し出したので、
彼は反対に、むしろ、
私の記憶力の方を賛嘆していた。
実際、私は、こうした会話はよく覚えているのである。

ボロディン四重奏団の1990年の録音、
余裕をもった表現が、
この曲では非常に効果的である。

解説にも特筆された、
第2楽章の夜想曲の神秘性は、
大きなチェックポイントである。

まるで、蛍が夜の草地を、
怪しい光を放ちつつ浮遊しているような表現が、
この虚心の演奏から浮かび上がって来る。

草地の蛍の印象を引きずって、
第3楽章のバッタがぴょんぴょん飛ぶような音楽は何だろう。
へんてこな音楽で、とても妻の死と関係あるものとは思えない。

この楽章では、ボロディン四重奏団の、
精密で余裕のあるアンサンブルが、
作品に立体感を与えているようだ。


「作曲家によると、
四重奏曲第8番、作品110は、
同様に1960年の作品ながら、
ほとんど交響的な作品で、
自伝的内容を持つ。
『ファシズムへの告発に捧げた』、
この四重奏曲では、
すべてが明確に表されているので、
分からないためには、盲目であって、
かつ聴覚障害である必要があります。
マクベス夫人、第1交響曲、第5、
これらとファシズムはどんな関係だったでしょうか。
私は、革命の犠牲者の思い出にロシアの歌を鳴らせたのです。』」

第8番、この演奏は、結晶化したような美演となっている。
古典的な端正さを重んじて、
ヒステリックにならないのが聞きやすい。

第1楽章の出だしから、落ち着いていて良い。
第2楽章の興奮も、むしろ、
押さえたような表現が恣意的な感じもするが、
ここで、じゃかじゃかやられると、
気が滅入って聴きたくなくなってしまう。

この演奏では、激情はないが、
押さえられた怒りのようなものは、
妙に痛々しく伝わってくる。

第3楽章から第4楽章も、同様の行き方で、
サウンドとして磨かれている。
音を軽くしている所も多く、
ちょっと迫力不足な感じがしないでもない。

が、ショスタコーヴィチが、
この曲を遺書と考えていたとすれば、
あるいは、こうした押し殺した表現が正解とも考えられる。

第4楽章の後半から終楽章にかけて、
祈りのような表現に傾斜していくが、
何だか、まったく生気のない音楽で、
魂が遊離していくような表現。

1978年にソ連で録音された、
同じ団体の演奏では、
もっと、劇的に大見得を切る場合が多く、
アクセントも強烈で、終楽章の昇天も、
妙に覚醒した感覚が支配している。

オリジナルメンバーによる演奏は、
作曲家の前で演奏して、
涙を流させた演奏というが、
やはり、同様に冷徹な演奏で、
克明に曲想を描ききり、
このような文脈で聞き直すと、
静かに昇天して行きたかった作曲家を、
地上に縛り付けるような表現だった、
とでも言えるかもしれない。

が、78年盤よりは、
古典的格調を持っているような気がする。

初演したベートーヴェン四重奏団のCDは、
ツィガーノフの音色が独特の効果をあげ、
妙に懐かしい表情が印象的で、
第4楽章なども、ボロディン盤のような、
表現主義的な過激さがない。

ボロディン四重奏団の
トレードマークのような曲であったが、
あるいは、作曲家が当初思い描いたものより、
彼等ははるかに厳しいものを、
つい、えぐり出してしまったのかもしれない。

「第12番の四重奏曲、作品133は、
1968年に完成され、二つの楽章からなる。
それらのうちのモデラートでは、
チェロが12音の音列をアナウンスするが、
P.E.Babierによると、それをセリーと考えるべきではない。
そして、広いアレグレットでは、
三つの主要エピソードを展開し、
エネルギー、不安、痛切さ、嘆きと静謐の間を、
常に振動する。」

いきなり、セリーの話になって面食らうが、
例えば、ボロディン四重奏団の、
オリジナルメンバー盤の解説(シャンドス)には、
この曲は、こう書かれている。

「弦楽四重奏曲第12番変ニ長調、
作品133(1968)は、
12音のセリーで始まるが、
おそらく、シェーンベルクの音列技法の影響を、
直接受けたものであろう。
しかし、ショスタコーヴィチは、
この作品の作曲の目的によって、
その使用が正当化されるなら、
いかなる技法も利用可能だ、
と強調するのに苦心している。
この四重奏曲は劇的で、
しばしば、うち沈んでおり、
あたかも、固い岩を切り出して、
複雑な二つの楽章を作ったようである。
モニュメンタルな第2楽章は、
第1楽章の3倍以上も長い。
ショスタコーヴィチは、ここで、
和解できないものを調和させ、
英雄的な終結部に向かって道を築くという、
ベートーヴェンの理想に帰っている。」

この四重奏曲は、ベートーヴェン四重奏団の、
第1ヴァイオリンのツィガーノフに捧げられているが、
ぼそぼそと呟いたり、線が錯綜する類のもので、
どこが第1ヴァイオリンのためなのか分からない。
したがって、ツィガーノフが、その持ち味を、
発揮したであろう場所も分からない。
本当にツィガーノフのことを思って作曲したのだろうか。

ボロディン四重奏団の1990年の録音は、
これまで述べてきたように、
美音で勝負した自然体のものなので、
こうした、抽象的な線の動きを、
そのまま楽しめるが、
一方で、どこに焦点を当てれば良いかが、
よく分からない感じもする。

こうした静けさや、
動き回る線の軌跡を重視した作品では、
ヴァージン・レーベルの高品位の録音は、
非常にありがたかった。
第2楽章が始まってすぐの不気味な錯乱が、
とてもみずみずしい音で楽しめる。

得られた事:「チェルノブイリの事故によって、ショスタコーヴィチの使徒たちは、憑きものを落とすことが出来た。」
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by franz310 | 2010-08-29 09:41 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その240

b0083728_2027375.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
弦楽四重奏曲第3番は、
ボロディン四重奏団の、
1983年の録音と、
1990年の録音も、
聴くことが出来た。
すでに、かつてのリーダー、
ドゥビンスキーは亡命、
代わりに、コペルマンが
第1ヴァイオリンを務めた演奏。


また、コペルマンが入った、
ボロディン四重奏団の2種類の演奏は、
同じ団体が、共産体制下のモスクワで録音したものと、
共産体制崩壊前夜に海外で録音したもの、
という差異があるが、
前者はカバー写真からして、
共産体制下を引きずっている感じである。

このシリーズのCDは、作曲家の横顔と、
アップの二枚重ねの白黒調だが、
この第3番の入ったCDの場合、
いつもより不敵な感じの作曲家が、
こちらをにらみつけている感じで、
非常に好感度が低い。

あまり飾っておきたくない感じ。
眼鏡も瞳もフラッシュに光って不気味だが、
四重奏の番号とレーベルだけが、
それ以上に赤々と輝いている。

このレーベル名、
「メロディア、ロシアのレーベル」とある。
大元の録音はソ連時代だが、
これは1997年にBMGから出されたものなので、
ソ連崩壊後のものだが、解説はどんな感じなのだろう。

「ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲、創造の歴史」
という題名で、Sigrid Neefという人が書いている。

「ショスタコーヴィチ(1906-1975)の
15曲の弦楽四重奏曲は、
その数の上からだけでなく、
音楽的重要さと内容によっても、
その15曲の交響曲と並ぶ価値を持つ。
『音楽はその着想と思想によって、
また、普遍化によって強さを勝ち得る』
と、ショスタコーヴィチは言ったが、
『弦楽四重奏曲の中でこそ、
思想は深まり、着想は純化される』。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に対する関心は、
1924年から1974年の、ほぼ半世紀に及んだが、
若書きの試行錯誤から、
熟達の老年期への発展があるわけではない。
非常に早い時期から、
基本的着想はすでに表現されていて、
相応の技術で明言されていた。
儚さや死への嘆き、
野蛮な力を使うことへの反抗の声、
時の盲目の行進。
現実世界では政治的暴力が先鋭化し、
作曲家の内的な強さや、
ヴィジョンの明確さは強化された。」

私は、ロシア原盤のCD解説から、
ここまで、明確な言葉を聞くとは思っていなかった。

ベートーヴェン四重奏団のCD(アメリカ製)も、
ボロディン四重奏団オリジナルメンバーのCD(英国製)も、
政治的なことには、あえて触れていない風情であった。

従って、これまで語られて来た、
ショスタコーヴィチを取り巻く環境の、
極限状態は、ここで聴いて来た
いくつかのCD解説を読む限り、
実は、誇張だったのではないか、
などと感じたくらいであった。

「この発展の一つのサインは、
内省と真実が充満する、
アダージョ楽章に見られるかもしれない。
ここには苦痛と、
その苦痛を受け入れる能力が音楽化されている。
作曲家の最高の抱負を要約するなら、
これらの楽章は二十世紀の音楽、
二十世紀のための音楽、
ということになる。」

つまるところ、を、
ずばっと書いてくれた解説は、
非常にありがたい。

これからショスタコーヴィチのアダージョを聴けば、
よしっ、二十世紀、と考えればよい。

「彼の弦楽四重奏曲において、
ショスタコーヴィチは、
ドストエフスキーが言うところの、
『人生の呪わしい疑問』というもの、
『一人の人間の心に何が起きたかを、
数百万人の男女に見せつけ、
全人間性を満たすものが、
いったい何であるかを明らかにしたい』
という要求で持続されたプロセスを、
凝縮したものなのである。」

どの小説や文献からの引用かは分からないが、
ドストエフスキーになぞらえる解説も初めて見た。

この解説は、面白い事に、
次に、各曲の解説を続けず、
その前に、演奏団体である、
ボロディン四重奏団についての説明をしている。

「The Borodin Quartet:
ボロディン四重奏団の特徴は、
熱烈で真性なロシアの音色にある。
ここでのみ、ショスタコーヴィチの中に、
ムソルグスキーやチャイコフスキーの
伝統を聴くことが出来る。
その解釈の温かさと色彩が、
1923年創設で、
ショスタコーヴィチのほとんどの室内楽を初演した
モスクワのベートーヴェン四重奏団の
神経質な感情主義から、
彼等を差別化している。
ボロディン四重奏団は、
ルドルフ・バルシャイを含む
モスクワ音楽院の学生4人が、
その四重奏演奏で感心を引いた
1944年に生まれた。」

1世代上に当たるベートーヴェン四重奏団との比較が、
このようにずばっと書いているところもよい。

「11年後、彼等はその名前を、
ボロディン四重奏団と変え現在に至り、
レパートリー開拓を進めながらも、
ロシアの伝統に忠実であった。
現在リリースされているものの多くは、
ブレジネフの鉄のルールが、
全ロシアの生活に影を投げかけ、
芸術家に、音楽が単なる耳の祭典か、
人生の基本的真実に対する質問を投げかける手段か、
を迫る時代、モスクワで録音されたものである。
結果、その音楽作りの倫理責任は、
ボロディン四重奏団の独特の特性となった。
ロシアの指導的な弦楽四重奏団の一つとして、
その卓越した音楽性や、集中した知性のみならず、
その完璧なアンサンブルによって、
国際的に知られている。」

このように、このCDは、
ショスタコーヴィチの音楽のみならず、
演奏団体の背負った使命についても、
20世紀のソ連の歴史の中で捉え直されている。

「最初に西側に登場した時、
世界初演の録音や、
リヒテル、ギレリス、オイストラッフ、
ロストロポーヴィチを含む、
最高の音楽家たちとの共演や、
未開のレパートリーの探索によって、
最上級の賛辞をシャワーのように浴びた。
1974年、グループのリーダー、
ロスティラフ・ドゥビンスキーが西側に移り、
ミハイル・コペルマンに交代した。
同時に、第2ヴァイオリンのアレクサンドロフが、
1935年、モスクワ生まれのアブラメンコフに、
席を譲った。
他のメンバーは、1930年モスクワ生まれの、
シェバーリンと、
1925年イルクーツク生まれの、
チェリスト、ベルリンスキーである。」

続いて、各曲の解説が始まる。
「私は世界であり、世界は私の中にある」
という意味深な題名がついている。

「弦楽四重奏曲第3番ヘ長調、作品73(1946)
相反する感情が混沌の混乱を呈する、
ショスタコーヴィチの第3四重奏曲は、
1946年に書かれた戦後の作品である。
生への希求と嘆きは、
どこにおいても、分かちがたく結びついており、
どの瞬間も、国中のどこの街角でも、
ぞっとする荒廃に苦しめられていた。
普通の人の普通の喜びが、
そのまま最初のアレグロに表されている。」

どうやら、第3四重奏曲の最初の楽章は、
ベートーヴェン四重奏団のCD解説による、
若者の呑気な感情と、
ここに書かれたような、普通の人の感情と、
解釈が二つに分かれるようだが、
いずれにせよ、この楽章は、
来るべき悲劇に気づかぬ、
日常的な平穏を感じればよさそうだ。

これはスターリン体制下にだけ適用されるものではなく、
いつなんどき、何が起こるか分からぬ、
我々にも大変、身近な問題ではなかろうか。

政治的な恐怖ではなくとも、
財政的な破綻や健康の問題もまたしかりではあるまいか。

さて、神経質なベートーヴェン四重奏団に対し、
温かい表現をする、とされた、
ボロディン四重奏団であるが、
私の印象は違って、ドゥビンスキーの時代は、
ベートーヴェン四重奏団以上に神経質に、
硬派の美学を貫いていた。

が、このコペルマンの時代になって、
余裕あるヴァイオリンの音色の美学を表し始めたような感じ。
このCDでも、コペルマンのヴァイオリンの自在さが、
最初の楽章から耳をそばだてる。

ドゥビンスキーのようなストイックな奏者の後、
彼等は、もっと違う行き方を選んだようだ。

「ショスタコーヴィチ自身は、
この第3四重奏曲を、最も成功した作品と考えており、
1950年代、後に優れた作曲家になる
若いデニソン・デニソフに、
これをモデルにして示し、
『これを通して見れば、
第1楽章が愛らしく奏されるべきで、
怒ったように演奏するべきではない、
と分かるだろう』と言った。
ここで、ショスタコーヴィチは、
慣習的な展開部を置き換えて、
第1主題の要素と、
第2主題を対位主題にした
精緻な二重フーガとした。
これは単なる手すさびではない。
何故なら、ショスタコーヴィチにとって、
フーガは、音楽分野における、
人間の知的努力の代表だったからである。
このように、彼はその単純な主題を、
そして、それと共に普通の人を、
高尚なものにした。」

展開部が二重フーガになっていることは、
言われてみればそうなのだが、
それゆえに、高貴になっているというのも、
肯くしかない。

この楽章を聴く限り、コペルマンと伴奏者による演奏、
みたいな感じがしないでもない。
デニソフに作曲家が語った言葉、
「lovingly」は、確かに実践されているが、
この楽章には、いくらか、将来に対する不安、
みたいな要素があるのではないか。

コペルマンのヴァイオリンが調子よすぎて、
何だか、ちょっと違うのではないか、
という感じがしないでもない。
何だかせかせかしている。

亡命したドゥビンスキーへの当てつけに、
全く違うタイプの演奏家を連れて来たのではあるまいな。

「第2楽章では、3連音の強烈な連続で、
人生がその行程を追求する。
執拗で、不明瞭なグリッサンドや、
甲高いスピッカートが意見の違いを示唆し、
音響は青ざめ、儚く消える。
このように、この楽章は、
2、3小節で急変するテンポの対比や、
打楽器のようなトゥッティのコードによって、
恐ろしく演奏が難しい作品である、
次のアレグロ・ノン・トロッポと、
これ以上の対比をすることは困難なほどである。」

第2楽章は、最後の消え入るような所が印象深い。

続けて、第3楽章の解説に入っている。
この解説は、非常に怖い。
「しばしば、これはプロイセン風の、
足を高く上げての行進へのパロディ
(作曲家生前に最初に提示された解釈)
とされたように、
それは暴力の描写を想起させるが、
それは目に見えぬ混沌としたエネルギーではなく、
慎重にひけらかされた力の誇示であって、
決して、プロイセン風の壮観さに限るものでも、
戦後の世界の特徴である勝利のパレードでもない。」

混沌ではなく、力の見せつけ、
という所が怖い。
こんな政府にはとても付き合っておれん。

ここでもコペルマンの自在な弓さばきは、
とても印象的だが、やたらせかせかして、
慌ただしい感じがする。

パロディとはいえ、もう少し、
格調の高さが欲しいところだ。

「第4楽章は、
長く押さえつけられた哀悼が、
レクイエムの形で表層にしみ出てきたような、
アダージョ。
低音の非常に悲劇的なユニゾンのオクターブに、
第1ヴァイオリンが、優しい挽歌を添え、
最初の主題は7回現れるが、
聖書の響きは偶然ではない。
葬送行進曲は、最後に無に返っていく。」

このあたりから、この演奏は、
妙に説得力を増して来る感じ。
前半はパロディで押し通し、
後半に密度を持たせた演奏。

これが、ソ連当局にふさわしい措置だったかどうかは不明。

「終楽章は、休みなく続き、
生への帰還をほのめかせて、
第1楽章の鏡像となっている。
しかし、アレグレットがモデラートになり、
ピアニッシモの第1主題が、鼓動を伴い、流れる。
ムードはかつてのように、お気楽なものではない。
つんざくように甲高かった第2主題は、
高音とはいえ、柔らかさを獲得する。
第3主題は、どこかで聞き慣れたもので、
これまでのものを追いやってしまう。
そして、全ては同時に、レクイエムの主題が、
フォルテッシモ、エスプレッシーヴォで蘇ると、
そして、静けさが広がる。
第2主題が一言差し挟むと、
また、聞き慣れた主題が騒ぎ始め、
この楽章の最初の主題が、
素晴らしいアダージョの最後に現れる。」

ものすごく濃密な音楽になって終わる。
この楽章に、この演奏は11分16秒もかけており、
旧盤の10分8秒の1割増しにしている。

「ショスタコーヴィチは、第3四重奏曲を、
1940年のピアノ五重奏曲初演の成功以来、
密接な仕事を共にしたベートーヴェン四重奏団に献呈した。
この作品の初演は1946年12月16日。
英雄的な勝利の祭典に対し、
形式的な栄誉を加えようとした、
社会主義リアリズムのための、
勝利の賛歌ではなく、
普通の人々の生活における、
偉大で永遠の真実の普遍的な叙事詩
を提示しているのに驚く。」

このCDの儲けものは、次に、
めったに聴けない、作品が併録されている点。
「弦楽八重奏のための二つの小品、作品11(1924/25)」
というものである。

しかも、この録音は、何と1964年録音で、
オリジナルメンバーの、
ボロディン四重奏団(第1ヴァイオリンはドゥビンスキー)に、
女性だけの団体として有名だった、
プロコフィエフ四重奏団が共演している。
完全に禁じ手とも言えるカップリングである。

二つの小品は、「前奏曲」と「スケルツォ」からなり、
そのあたりのことが書かれてないのに、
いきなり「前奏曲は」と始まって面食らう。

「1924年までに、
18歳のショスタコーヴィチは、
特に作品10の第1交響曲など、
すでに初期の作品で有名になっていた。
公式にはペトログラードの学生であったが、
家庭を支えるために、
地元の映画館でピアノを弾いていた。
熱に浮かされたように、
彼を刺激させたり麻痺させたりする、
彼は様々な感情体験の力を感じていた。
音楽的文脈の中でのみ、
彼はバランスを失わずに済み、
印象的ながら控えめな自信が芽生えた。
その結果が、感情の傷つきやすさの、
奇妙な混在であり、
また、外部世界から彼を守る、
自分を隠す能力であった。」

なかなかうまい表現である。
自分を隠す表現によって、自分を守る、
というやり方で、ショスタコーヴィチの、
謎の作品群が生まれたというわけだ。

「死というものに向き合い、
チフス熱から亡くなった、
親友でまったく同年齢だった、
クルチャボフの思い出に対し、
彼は、弦楽八重奏のための前奏曲を捧げた。
そこから、死に関する、
ショスタコーヴィチ特有の作品群が始まった。
一般に、ショスタコーヴィチは、
こうした作品で死者の肖像を描くことはなかったが、
スターリンを描いた、
1953年の第10交響曲の第2楽章、
1960年の第7四重奏曲と、
この前奏曲作品11は例外であった。
第7弦楽四重奏曲では、
妻のニーナ・ヴァシリエブナが、
ワルツの主題で具体化されているが、
この初期の前奏曲では、
チェロの小さな動機が、
まるで死を表すように、
その楽器の最高域まで上昇する。
その基本素材は、
上昇し下降する四度、
ため息のような減二度で、
萌芽の細胞が構成的というより、
破壊的に前奏曲を形成している。」

ということで、亡くなった友人の肖像画だと思って聴く。

じゃじゃーんと、かなり劇的な開始。
低音もブーンと鳴って、
期待を抱かせる冒頭だが、
主部は、ちょこちょこと跳ね回って、
これまたスケルツォ風。
ヴァイオリンが高音に駆け上がって、
絶望的な闘争の音楽を奏でるが、
力なく沈み込んで行く。
その後、チェロの上昇が始まって曲が終わる。
6分半の作品。

「ト短調のスケルツォは、
同様に弦楽八重奏のために書かれ、
翌年に書かれ、
常にある死の他の側面を表している。
つまり、生に対する際限ない要求で、
彼が、他の人を駆り立てる力として見たもので、
彼自身、生涯を通じて駆り立てられた感情である。
彼のスケルツォ的なマスカレードは、
それを映し、また、ゆがめる鏡である。
同様のことは、この小品にも言える。
彼が1936年に失脚した時、
これらのスケルツォは、
さらに厳しく、しかめっ面になり、
紛れもなく悪の精神を集めたものとなった。
1925年のスケルツォは、
まだ、彼自身、傍観者の役割であって、
結果として、そのスコアは、
映画用のようで、誇張されたトレモロや
ぶしつけなグリッサンドを含む。
二つの四重奏団を合わせて、
その力を倍増させているが、
贅沢な楽器のテクスチャや、
たっぷりした音色を試みたものではなく、
過激な表現を求めたものである。」

音楽は、けたたましく騒々しいが、
すでに後年の作品を彩る、
不気味な低音のモノローグが聴かれる。
わずか4分の作品であるが、
解説にあるように、奇異な効果に満ち、
戯画的、効果音楽的な特徴が散見される。

このような小品の解説から、
まさかショスタコーヴィチの本質を成すような言葉を、
こんなに次々と見ることが出来ようとは思わなかった。

死に対する恐怖と、生への希求のようなものが、
彼の音楽の本質だと考えると、
確かに、彼の音楽の普遍性が納得できるではないか。

「若い作曲家は、この新作を、
レニングラードの新音楽サークルに紹介したが、
発言力のあった作曲家、
音楽史家のボリス・アサフィエフに酷評され、
1926年の第1交響曲の成功まで、
これを保留することにした。
グリエール四重奏団とストラディバリウス四重奏団が、
最終的に、1927年の1月9日、
モスクワで初演した。
このときは比較的好評であった。
西側でもこれらは演奏され、
1938年にはパリでも演奏された。
1948年、しかし、ショスタコーヴィチの作品は、
例外なく、『退廃的形式主義』と非難され、
ロシアの人民には無価値と烙印を押され、
公式には無視されることとなった。
ボロディン四重奏団によって、
1960年代中盤に、
このダブル・カルテットの二つの小品は、
ボロディン四重奏団の支持があるまで、
その状態が続いた。」

この演奏、ドゥビンスキー時代のもので、
音色も真摯で飾り気なく、少し遊び心に欠ける。
コペルマンならどう料理しただろうか。

また、プロコフィエフ四重奏団が、
どんな団体かまでは、これだけではよく分からない。
それがちょっと残念。

このCDは、この全集のCDの中で、
非常に価値が高いもので、こうした秘曲を聴ける他、
最後に代表作のピアノ五重奏曲まで収録されている。
しかも、ピアノはリヒテル。

全部を訳出すると文字数オーバーになるので、
かいつまんで書いてあることを列挙する。
「ピアノ五重奏曲ト長調、作品57(1940)
20歳の時、流星のように1926年にデビューした
ショスタコーヴィチも10年後に突然、
テロの時代、この名声も中断される。
しかし、1940年、凪があって、
ベートーヴェン四重奏団に乞われて、
この曲を作曲した。34歳の時である。
『アメとムチ』のように、政府は、
スターリン賞第1等をくれたが、
ショスタコーヴィチは、この賞金を、
テロの犠牲で倒れた作曲家コセンコの未亡人などに、
寄付してしまった。
作曲家もまた、映画音楽や教職で糊口をしのいでいた。
彼は、ここで利他的な勇気と、
底知れない恐怖を結びつけた。
これが、この素晴らしい作品の背景にあったので、
これゆえに、彼はこの作品を愛し、
繰り返し1960年代中頃、
ピアノ演奏を辞めるまで、
この作品を繰り返し演奏しつづけた。」

これは、非常に美しい話である。
私は、ずっとこの作品が好きにはなれなかったが、
いくつかの演奏を聴いて、見直すようになっている。
こうしたエピソードも、曲の鑑賞時に味わいを増す。
こうした意見を嫌う人がいるのは承知の上だが。

この曲の解説の最後に、
このCDの作品解説のタイトルになった言葉が登場するので、
ここは書き留めておく必要があろう。

「国際的に評価されたロシアのピアニスト、
ハインリヒ・ネイガウス(1888-1964)は、
このピアノ五重奏曲の賛美者であった。
それは不可能である、と書いた。
『このように細部の豊かさを持ち、
さらに完璧な形式を想像することは。
最も深い痛みのエピソードがあるにもかかわらず、
そこにはウィットとさらに深い意味がある。
こうした巷の音楽から、
この中で、内的な世界は、外部世界が反映されている。』
『私は世界であり、世界は私の中にある』という具合に。」

この演奏は、1983年12月、
モスクワでのライブとあるから、
かつてビクターから1枚で出ていたものと同じかもしれない。
だとすると、ものすごいお買い得盤だ。

この演奏は大変、名演として名高いものだ。
が、かなり重量級で、リヒテルのものものしい強打と、
どばーっと粘るコペルマンのヴァイオリンは、
この猛暑の夏に聴くのは体力を要する。
録音がオンマイクのせいだろうか、
音楽の密度が高すぎて、
酸欠状態になりそうだ。

この演奏、12月5、6日の録音と書かれている。
二夜のうち、良いとこ取りしたのだろうか。
ビクターのものがどうだったかは分からない。

この1983年という年、
ソ連のアフガニスタン侵攻が話題になっており、
共産体制下まっただ中、
という感じがしないでもないが、
よく考えると、
このメンバーが、シューベルトの「ます」を、
EMIレーベルから出したのは、
もう少し前のことだった。

また、この頃、ボロディン四重奏団は来日したはずで、
私は、「第1番」のライブをFMで放送したのを、
カセットテープに録音した記憶がある。
私は、これを繰り返し聞いて楽しんだものだ。

得られた事:「ボロディン四重奏団のショスタコーヴィチ録音、オリジナルメンバーのもの同様、熱いが、より艶っぽく粘着質。」
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by franz310 | 2010-08-21 20:27 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その239

b0083728_2161423.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
初期の弦楽四重奏曲群を、
まとめて聞き始めたが、
弦楽四重奏曲第2番などは、
私の予想を良い方に裏切って、
非常に聴き応えのある
野心作であると知った。
また、第1と同様、
第4、第6の四重奏曲も、
叙情的な美しい作品であった。


これまで聴いた中で最も、起伏に富んだものは、
やはり、第2番ではないかと思うが、
第2楽章では、華麗なヴァイオリンの妙技が冴える。
初演者、ベートーヴェン四重奏団の
第1ヴァイオリン、ツィガーノフのCDでは、
その音楽性が映えて印象的だった。

各曲とも、クライマックスでは、
すごい集中力で高まって、
ベートーヴェン四重奏団の熱い特徴も聞き取れた。

作曲家の生前から、この団体と張り合うように、
ボロディン弦楽四重奏団が、
ショスタコーヴィチ演奏の雄として、
我々の脳裏に刻まれていたが、
この2つの団体を比較するのに、
これらの四重奏曲を利用するのも悪くはあるまい。

作曲家が亡くなって、
三十数年が経とうというのに、
これら所縁の両団体の「全集」が、
入手できるというのもすごいことだ。

しかし、ボロディン四重奏団の方は、
最後の2曲を録音する前に、
リーダーが亡命してしまったので、
オリジナル・メンバーによる演奏では、
13曲しかまとまっていない。

この録音は、ソ連のメロディアから出ていたものだが、
今回は、イギリスのシャンドスからCD化された。

特に、「第2番」は、第1楽章で、
集団プレイとしての正確さや大胆さが求められ、
第2楽章では、第1ヴァイオリンの美質が問われ、
第3楽章では、精妙さが、
第4楽章では、個々の奏者の力量が問われる。
ボロディン四重奏団のドゥビンスキーのヴァイオリンは、
ベートーヴェン四重奏団のツィガーノフのような、
変幻自在はないようだが、
鋭く切り裂いていくような集中力が素晴らしい。

後で書くように、この四重奏団の、
独特な演奏スタイルの描写が解説に出てくる。
まさしく、ソ連のエリート集団であって、
正確無比に、音楽を掘り下げていく。

一心不乱ではなく、何か余裕のようなものすら、
垣間見える演奏で、悪魔的な「第2番」が、
早くも古典的な解釈で捉えられていることに驚く。

第2楽章のヴァイオリン独奏も、
ツィガーノフのものが扇情的な
ヴァイオリン独奏曲のように歌っていたのに対し、
ドゥビンスキーのヴァイオリンは、
あくまで、他の楽器の中で目立つ程度である。

第3楽章も一糸乱れず、
みごとなバランスで突き進んでいく。

この演奏、何時の録音かは分からないが、
1973年と翌年に書かれた最後の2曲がない点から、
それ以前の録音であることが分かる。
また、12番、13番は、
1968年と70年の作品であるから、
少なくとも、この2曲は、
1971年か2年に録音されたものだろう。

日本では、LPの時代、
まず、11番までの「全集」として出たので、
これが作曲された1966年から
12番の作曲年の間に録音されたものと思われる。

つまり、このCDは、表紙写真がモノクロで、
妙に時代を感じさせるものの、
1960年代後半の、割合最近の録音だと言える。
よく見ると、表紙写真は1966年のものとあった。

もう、60年代は白黒の時代なのだなあ、
と改めて感じ入ったりしてしまう。

そういえば、ベートーヴェン四重奏団の録音が、
1956年とされたから、10年ぶりに現れた、
新解釈だったわけである。

第4楽章も、非常に練り上げられた表現で、
自信たっぷりに序奏が奏でられる。
ロシア民謡風の主題も、しみじみと落ち着いて、
丁寧に語り出される各変奏を用意する。

作品が出来てから20年以上が経過し、
すっかり解釈も落ち着いたようである。
各楽器の強烈な掛け合いにも余裕がある。

見ると、ベートーベン四重奏団の演奏では、
32分程度の作品だったこの曲が、
36分かけて演奏されており、
一割も増量になっている。

さて、一般に演奏家の解説は、
単なる自慢話の列挙が多いのだが、
このCD、この団体の興味深い側面を、
さらりと書き留めて楽しい。

「長年にわたり、ボロディン四重奏団は、
ロシアの弦楽四重奏団の中で最前線にあった。
1953年から1974年まで、
メンバーは不動であった。
彼等4人は、個々の領域における巨匠であり、
瞬く間に、世界的な名声をものにした。
彼等は、ソ連内の全く違う地方から、
モスクワ音楽院に集って来た。
当初から、例外的な才能を示した、
第1ヴァイオリンのロスティラフ・ドゥビンスキーは、
高名なヤンポルスキーに学ぶために、
キエフから両親に連れられて来た。
レニングラード生まれのヤロスラフ・アレキサンドロフは、
ダヴィッド・オイストラフの生徒となった。
ドミトリ・シェバーリンとヴァレンティン・ベルリンスキーは、
それぞれ、シベリアの別の地方から来た。」

ドゥビンスキーが、両親に連れられて音楽院に来た、
などと言うシーンは、今まで、想像したこともなかった。

「元来、モスクワフィル四重奏団として知られていたアンサンブルは、
ドゥビンスキーとベルリンスキーと他の二人の音楽家によって、
1945年に創設されたが、
1952年にはアレキサンドロフが、
1953年にはシェバーリンが加わり、
1955年にボロディン四重奏団と名前を変え、
グループは全ヨーロッパ、
アメリカへの国際的キャリアに向けて出航した。
エディンバラやザルツブルク音楽祭で名を馳せ、
彼等の演奏を、欧州プレスは称賛した。」

また、下記のような生々しい記事の引用は、
ソ連のエリートたちの、恐ろしいまでの自負心を描き出している。
ガガーリンが人類初の宇宙飛行をした時代のソ連。
国力は最高潮に達していたと思われる。

「南ドイツ時報は、このようにある演奏会をレビューした。
『見るからにスリムで、知的、
デカダン風にも見える、
4人の驚くべき若い紳士は、
いくぶん傲慢な風に聴衆を見つめ、
輝かしいオックスフォードの学者たちですら、
ここまで洗練されて見せるのは難しい程であった・・。
演奏は、啓示にも似たようなものであった。
彼等は完璧とか、洗練とかを狙ってはおらず、
事実、彼等はほとんど演奏中、互いを見ない。
集中して数秒後には、
彼等は自身のパートに酔いしれ、
出来るだけ深く、感情豊かに、
美しく演奏するように、ただ専念するのだった。」

かっかと燃えさかるベートーヴェン四重奏団の、
次の世代の四重奏団は、
かくも冷徹な、恐るべき子供たちだったということだ。

さて、一方で、
ショスタコーヴィチの四重奏曲の
各曲の解説も、
そうした楽団の演奏にふさわしく、
簡潔明瞭なものになっている。

が、その前に、弦楽四重奏曲の歴史みたいなのが、
ざざざっと書かれている。

「弦楽四重奏曲は、音楽を書くのに、
最も難しい形態として知られる。
4つの均質の、しかし独立した声部に対し、
論理的バランスを与え、
それらを親密な対話の形に導くのは、
このジャンルの特徴である技術的要求を必要とする。
さらに加えて、少なくともベートーヴェンの時代以来、
抽象的な音楽思考にふさわしいものと考えられ、
ハイドン、モーツァルト、シューベルト、
それにベートーヴェンに根ざす、
偉大なヴィーンの伝統は、
その後継者たちや、
特に、スメタナやドヴォルザーク、
ヤナーチェクといったチェコ楽派に代表される
国民楽派の豊かな貢献を除いては、
19世紀を通じて、決して乗り越えられることはなかった。」

ショスタコーヴィチの解説をするのに、
ここまで書くか、と思えるほどの歴史概観である。

「奇妙なパラドックスによって、
高度なロマン主義の肥大化した内容や、
ポスト・ワグネリアンの管弦楽の増殖した色彩美に対する
反応として、
20世紀のジャンルとして、
弦楽四重奏への興味が再燃した。
弦楽四重奏曲の本質からして、
作曲家に自制や、
音楽思考の集中、
オーケストラ曲ではあり得ない方法での
純化や洗練を強いた。
二十世紀初頭のいくつかの傑作と共に、
このジャンルは復活した。
すなわち、バルトークの6つの四重奏曲や、
ベートーヴェン後期を見据え、
新ヴィーン楽派が到達した
調性からの解放を見据えた音楽語法である。
バルトークが最後の四重奏曲を書いた1939年、
ショスタコーヴィチは、
まだ、たった1曲を書いたばかりだった。」

ようやく、古典から、
二十世紀の最初の1/3までの
四重奏の歴史を書き上げたわけだが、
これから、ロシアにおける四重奏が語られる。
これがまた長い。

「ロシアは室内楽の演奏と作曲において、
ラズモフスキー侯、ガリツィン侯が、
ベートーヴェンに作曲を依頼してから、
すでに強い伝統を有していた。」

このことは、多くの室内楽ファンが知っている。
しかし、下の人は私は初めて聴いた。

「19世紀後半には、
豊かな材木商でアマチュア音楽家であった、
ミトロファン・ベルヤエフが、
新しい室内楽の作曲を依頼して、
伝統を育成しており、
モスクワには、
当時最も知られた対位法の大家で、
多くの素晴らしい室内楽の作曲家であった
タニェーエフがいたが、
10月革命以降、室内楽は、
エリート用に過ぎ、ブルジョワ用と思われた。」

「ドクトル・ジバゴ」のような映画を見ると、
独裁的な体制下では、こうした事が起こりうることは、
非常によく理解できる。

「1920年代後半、
現代音楽家協会とプロレタリア音楽家協会が対立、
後者は、行進曲、革命歌、大合唱など、
実用的な芸術のみが、
新しい社会主義国家には必要とされると信じられた。
こうした混沌の中、1930年代初期に、
社会主義リアリズムという、
新しい公式ポリシーが出現するまで、
秩序回復はなかった。
抽象的、エリート的という評価によって、
シェバーリン、ヴァインベルク、
ミィヤコフスキーの特筆すべき例外の他は、
この時期、室内楽はロシアの作曲家から遠ざけられた。」

シェバーリンは、ショスタコーヴィチが、
第2四重奏曲を捧げた作曲家である。

「ショスタコーヴィチは比較的、
遅くなって弦楽四重奏曲に向き合った。
最初の四重奏曲を1938年に書くまで、
彼はすでに、5曲の交響曲を書いており、
オペラ、マクベス夫人に対する、
スターリン政権の最初の攻撃から生き延びていた。」

逆に言うと、ショスタコーヴィチの名作とされる、
第5交響曲などは、かなり早い時期に書かれたということだ。
名声を博した時、彼は31歳であったから、
シューベルトが、「グレート」でヒットしたようなものだろう。

以下の部分は、
ショスタコーヴィチの四重奏曲を、
簡単に紹介する際に、
便利な一文であろう。

「続く26年に書かれた15曲の四重奏曲は、
第二次大戦、スターリン主義のテロ活動、
フルシチョフの『雪解け』、冷戦、
ブレジネフの沈滞を目撃した人の、
全歴史の生きた証言であった。
これらの無秩序な熱狂は、
交響曲群にも反映しているが、
これらは公の作品であり、
ここでは、ショスタコーヴィチは、
公式の個性と個人的な個性のバランスを、
非常に慎重にバランスさせる必要があった。
これに対して、四重奏曲は、
個人的な日記のようなものになり、
1960年から、作曲家のペンから、
これらは規則的な間隔で生み出されることとなった。
ショスタコーヴィチは、
矛盾の巨匠であり、
2、3小節で、陽気な気分は、
怒りに変わっており、
怒りは喜劇に、喜劇は皮肉に、
皮肉は、鈍重な魂の無感覚に至る。」

ショスタコーヴィチは「矛盾の巨匠」でありというが、
この現代という時代こそが矛盾だらけなので、
彼の置かれた特殊な環境にも拘わらず、
我々に身近に響くのであろう。

「ベートーヴェンの後期の四重奏曲群では、
世俗と崇高が、
厳粛と喜びが共存し、
これら不調和な性格は、
クリエイティブな芸術家の熟達によって、
調和させられていた。
一方、ショスタコーヴィチの場合、
これらの要素は入念に並列にされ、
不一致をさらけ出したままでいる。
この技術は、
彼自身、そしてその社会を嘲る目的があり、
それゆえ、その作品がソ連の権威たちに、
慎重に吟味されたことは、
いささか当然のことであった。」

交響曲がしばしば批判されたことはよく聴くが、
四重奏曲もまた、いろいろな批判を受けたのだろうか。

「弦楽四重奏曲第1番ハ長調、作品49は、
第5交響曲から1年もしないうちに書かれ、
1938年10月10日、
グラズノフ四重奏団によって初演された。
一ヶ月後、この作品は再演されたが、
この時は、ショスタコーヴィチの四重奏曲の
最初の作品以外をすべて初演した
ベートーヴェン四重奏団が演奏し、
作曲家の生涯にわたる盟友としての関係の基礎を築いた。
第5交響曲の高ぶったドラマの後、
この四重奏曲は、明らかに控えめで、
ショスタコーヴィチ自身が言っているように、
それは学生の課題曲から少し進んだくらいから、
第一歩を踏み出したのであった。
完成された四重奏曲は、
落ち着いた、古典的な均整のとれたものとなり、
ショスタコーヴィチの後の四重奏曲を特徴づける
苦痛がない。
反対に、その明るく透明なテクスチャゆえに、
作曲家は当初、『春の時』という副題を考えた程であった。
『最初の四重奏曲を書いている間』、
と彼は書いている。
『子供の頃のイメージを与え、
いくぶんナイーブで、日差し輝く、
春の雰囲気を与えようとした。』」

これらは、ベートーヴェン四重奏団のCDでも、
読んだことがある事である。
ボロディン四重奏団の演奏は、
より冬のきりりとした空気を感じさせる。
それだけに、孤独感が胸に迫る部分がある。

「弦楽四重奏曲第2番によって、
完全に異なる効果が作り出されている。
これは、ショスタコーヴィチが、
第9交響曲や、ピアノ三重奏曲ホ短調
に取り組んでいた、戦争終結期に書かれた。
この曲は、1944年の9月、
イヴァノヴォのソヴィエト作曲家ハウスで、
わずか18日で書き上げられ、
ヴァッサリオン・シェバーリンに捧げられた。
この作品は前の作品より遙かに本格的なもので、
リズム的にも和声的にも複雑なものになった。
最初の2楽章は劇場風に、
序曲と、レチタティーヴォとロマンスと題されているが、
しかし、同時に痛みや怒りがある。
第2楽章は第1ヴァイオリンが、
他の奏者の簡素な和声のサポートの上を、
長い独白をするが、
ショスタコーヴィチがその頃、
特別な感心を持ち始めていた、
ユダヤの音楽に影響を受けたものと思われる。
(この影響は、第4四重奏曲の終楽章で、
再び現れる。)
第3楽章は変ホ短調で、
素早く動いて浮遊するワルツで、
弦楽は終始弱音で演奏されて、
中間部のクライマックスを除いて、
幽霊の踊りのような感じである。
さらに別の短いレチタティーヴォの後、
終曲の『主題と変奏』の主題をヴィオラが導く。
この主題はロシア民謡のスタイルで、
いくぶん退屈なものだが、
変奏曲が始まると、緊張は次第に高まる。
熱狂したクライマックスの中、
シンコペートされた和声が、
第1、第2ヴァイオリンでぶつかり合い、
痛ましい突撃となる。
それから、攻撃していた者が、
突然、犠牲者となるように、
チェロの脅迫的な変ホの低音の上を、
各楽器は悲鳴を上げて興奮する。
四重奏曲は静かに暗澹とした決意で終わる。」

この四重奏についても、
ベートーヴェン四重奏団のCD解説と、
ほぼ同様の内容が読み取れる。
しかし、「音楽は、この困難な時期に現れた
精神的な熱狂を刻印すると共に・・・、
現代の生き様の様々な側面、
民衆の運命、個人と集団、
私的なものと公共のものなど、
が明らかにされている」
などと書かれたような、ものすごい表現はない。

さて、ベートーヴェン四重奏団のCD解説で、
「音楽は主人公の人生の物語を明らかにする」
などと書かれ、
さらにややこしい解釈をされた「第3」であるが、
ここでは、どんな解説になっているだろうか。

「弦楽四重奏曲第3番ヘ長調、作品73は、
第9交響曲のすぐ後、1946年に続いた。
この曲はショスタコーヴィチの弦楽四重奏の
各楽章の性格や配置のための、
最初のモデルとなったもので、
その変化の幅は、同編成の、
多くの後の作品における適用されたものだ。
もともと、これら各楽章には、
こうした記述があった。
アレグレット、将来の破滅に気づかない平穏。
モデラート・コン・モート、不安と予感の雷音。
アレグロ・ノン・トロッポ、戦争が引き裂く力。
アダージョ、死への賛美。
モデラート、永遠の問い、何故、何のために?
作曲家は、
その後ろに作品の真実を隠すための煙幕のような
こうしたタイトルを次第に書かなくなった。
この四重奏曲には、
作品を開始させる気楽でふざけたメロディから、
激しく打ち鳴らされるスケルツォで、
ショスタコーヴィチの四重奏に初めて現れる
アレグロ・ノン・トロッポの第3楽章、
そして、最後の悲歌風のモデラートまで。
確かに広い感情表現がある。」

という風に、作曲家のメモのようなものが参照され、
より説得力のあるものになっている。
が、ベートーヴェン四重奏団の解説の後では、
ちょっと物足りない。

私は、この曲はスメタナ四重奏団で聴いて来たので、
ベートーヴェン四重奏団の感情的な演奏より、
より古典的なこの演奏の方が安心して聴ける。

例えば、終楽章では、ベートーヴェン四重奏団は、
何だか、崩壊寸前まで表現を追い込んでいたが、
この演奏は、ショスタコーヴィチ特有の、
どっちつかず状態で浮遊する側面の方が強い。

また、第1楽章のお気楽表情も、
適度に節度を持っていて好ましい。
時折、このお気楽に影が差すが、
この演奏は、楽器間の音色が均質で、
陰影が自然である。

この強奏になると、
当時の録音の限界寸前まで行っていたようで、
もう少しダイナミックレンジに余裕が欲しい。

また、やはり、この曲もテンポに余裕があり、
ベートーヴェン四重奏団が30分で演奏していた曲を、
33分で演奏している。
カセットテープに録音して聴いていた世代には、
ありがたくない演奏時間である。

「第3四重奏曲から、3年後、
その続編が生まれたが、
この時期までに、ソ連は、
スターリンの独裁の黎明期の
新しいテロリズムの波が来る瀬戸際にあった。
レニングラード党派の秘書、
ジダーノフに扇動された追放は、
特に、ロシアの知識階層に対して行われた。
過酷な攻撃が、ショスタコーヴィチを含む、
当時のソ連の指導的な作曲家に対して始められ、
彼は形式主義の反省から、
オラトリオ『森の歌』のような、
陳腐な公式作品を書かされた。
この時期、作曲家の人気は低下し、
彼は、弦楽四重奏曲第4番のような、
個人的世界に逃避した。
これは、その発表を、
政治的安定が来るまで保留されたもので、
このため、この四重奏曲の発表は、
1953年の12月まで待たねばならなかった。
この時期、スターリンの死後、8ヶ月が経っていた。
作曲家は、この作品を取り下げたりしたとはいえ、
非常に分かりやすい作品で、
反抗精神は時々しか表に出ず、
ほとんど底流している。」

この平明な曲が、
何故、スターリンの死を待つ必要があったのか、
よく分からない。
ベートーヴェン四重奏団の解説は、
「障害に打ち勝つ」とか、「祖国への思い」とか、
「過去に過ぎ去る美しいもの」とか、
難しい描写が列挙されていたが、
ここには、そうした解説はない。
その分、ちょっと物足りない。

ボロディン四重奏団の演奏は、
きりりと引き締まっていて、内省的。
ベートーヴェン四重奏団のような解放感には不足する。
また、ベートーヴェン四重奏団の方が、多様な表現を見せる。

が、ボロディン四重奏団の均質な音色と、
凝集力を評価する人がいてもおかしくはない。
1960年代後半の録音だと思われるが、
少し乾いた印象を受ける。
演奏もまた、そんな路線であることは間違いない。

今回は、最初の4曲のみを、
オリジナルメンバーによるボロディン四重奏団の演奏で、
聞き比べて見たが、第5番は少し手強いので、
別の機会に譲りたい。

得られた事:「ボロディン四重奏団のオリジナルメンバーは、極めて緊張の高い、鋭い演奏をする団体で、構成美を重んじて集中力が高い。」
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by franz310 | 2010-08-14 21:06 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その238

b0083728_13174180.jpg個人的経験:
前回、ショスタコーヴィチの
弦楽四重奏曲の
最初の2曲を、
ベートーヴェン四重奏団の
演奏で聴いたが、
続く「第3番」こそは、
この団体に献呈された作品である。
しかも、この作品は、
多くの団体が録音して、
かなりの名品として知られる。


私も、スメタナ四重奏団が録音したものを、
LP時代には聴いていたものである。

このベートーヴェン四重奏団のCDの解説によると、
やはり、この作品こそが、
後の作品群の基礎となったような事が書かれている。

この前のCDは、Volume Oneであったが、
今回のは、デザインも同じ(色が違うだけ)、
Volume Treeである。
前回のは鮮烈な赤だったが、今回のは、寝ぼけた水色である。

Consonanceというレーベルのもので、
白黒のカバー写真は、
「ベートーヴェン四重奏団とショスタコーヴィチ」
とあるが、どのような機会のものかは情報がない。

この写真も前回のものと同様だが、
ヴァイオリンが向かって右手に、
チェロが向かって左手にいるのが気になって仕方がない。

しかも、楽器はみんな右手に持っているが、
弦楽器奏者は左手に持つのが自然ではなかろうか。
この写真は、左右反対と考えるべきではないか。
だとすると、かなりしょぼいレーベルである。

ただし、録音時期は書かれており、
前のCDは第1番が1961年の録音、
第2番が1956年の録音とある。
この3番は、1960年の録音。

また、前回のものには、
同じく60年録音の第4番が、
このCDには、
56年録音の第6番が併録されている。

第6四重奏曲は56年の作品なので、
出来たてほやほやの作品の演奏記録である。
あるいは、初演の録音であろうか。

前のCDには、Remastering、
Tatiana Vinniskayaと書かれていたが、
今回のCDは、
Recording Engineerの欄、
Recording Technicianの欄、
Editorの欄、すべて空白である。

熱い解説を書いているのも、
署名がないので、
ショスタコーヴィチの研究家なのか、
そこらのおっさんか分からない。

このシリーズの解説は、
どのような研究成果を経たものか不明ながら、
妄想か分析か分からない
具体的イメージが散りばめられたもので、
解説だけでも楽しみである。

非常に示唆に富むものであるだけに、
筆者が誰か分からないのは、とても残念である。

ちなみに、有名な「第3四重奏曲」、
他の本では、こんな風に書かれている。

作品小辞典(1982年):
「陽気に戦争終結を祝うかのように始まる。
しかし楽章を追うごとに闇は深まり、
悲劇性は強まっていく。」

カルテットのたのしみ(ハイメラン、アウリッヒ著)
「この作品は戦争と平和の問題を扱っている。」

まさしく、原爆の日に聴くのに、
ふさわしい作品ということになる。

しかし、このCD解説によると、
何故か、一人の人間の物語になってしまう。

「四重奏曲第3番ホ長調、作品73(1946)
この四重奏曲はベートーヴェン四重奏団に献呈されている。
この四重奏曲は多様に見えながら、しかし、全曲統一された、
5つの楽章からなる。
第1楽章から次の楽章に進むにつれ、
音楽は主人公の人生の物語を明らかにする。」

という風に、強烈に教条主義的であることも特筆してよい。

この音楽が人間の物語だったとは、
今の今まで知らなかった。

このCDはアメリカ製であるが、
まさしく旧ソ連での公式解釈をでも聴くような感じ。
(そんなものがあったかどうかは知らないが。)

「第1楽章アレグレットは、輝かしく生き生きしたもの。
舞曲風で、性格的には気むずかしく、
独特の効果で柔らかく脈動する伴奏を背景にメロディは、
緩やかに自然に流れていく。」

確かに、こんな感じのお気楽な節回しで、
いったい何なんだ、という感じがするのは確か。
これを青年期を表す音楽と言われれば、
そんな気がしないでもない。
しかし、ここでも、第1ヴァイオリンの、
ツィガーノフの節回しは冴えた感じである。

第2主題は、これに比べ、いじいじしている。

「この主題と共に、第2主題は、
内気に躊躇して和音を奏で、
この部分だけでなくこの曲全体に行き渡る、
幼年期、青年期のイメージと共に、
悲痛で救いのない、また、ナイーブな驚きが、
この楽章の主題的材料となる。」

何だか、戸惑ったような様相を示すことを、
「悲痛で救いのない」とか、
「ナイーブ」とか表現されているようだ。
展開部では、かなり、錯綜して、
この四重奏団の表現はテンションが高くなるが、
かつて、スメタナ四重奏団でも、
こんな感じだっただろうか。

とにかく、お気楽な主題が、様々な障害にぶつかって、
戯画的なまでに、狼狽しつつも、
何とか前進する音楽だという感じはする。

この四重奏団の表現、
最後のコーダの表現など、
すごいドライブをかけていて、
ぎりぎりセーフで切り抜けた、という感じである。

「第2楽章モデラート・コン・モートは、
粗野な力を感じさせる感情的に不安定な性格の、
エネルギーに満ちた、力強い、心を奪うメロディで始まる。
これは、音楽が透明で、柔らかく震える、
他のセクションに移り、
美しい人生の情景や高貴な感情のハーモニーを描く。」

すぐに人生とかを語り出すのが重い。
この人の文章は、装飾に装飾を重ねるのが特徴で、
この調子では、何でもありになりそうだが、
さすがに、かろうじて、ポイントを押さえている。

粗野なメロディが旋回する部分、
そして、弱音で震える部分があるのは確か。
しかし、美しい人生の情景かどうかは分からない。

が、では何だ、と問われると、
うむ、確かに、何か遠くにあるもの、
あるいは、昔の思い出などを、
表しているかもしれない、
などと答えるしかなさそうだ。

「喜ばしく幸福なこの世界は、
第3楽章アレグロ・ノン・トロッポの、
非情で情け容赦ない力の対比にぶつかる。」

第2楽章が、そんなに幸福な世界だったかは疑問ながら、
第3楽章が情け容赦ない音楽であることは確か。

「スタッカートの和音の鋭いリズムが、
好戦的なメロディの背景をつとめ、
ここから、強力で破壊的な行進曲となり、
音楽を悲劇的な情念で満たす。」

録音のせいか、完全にツィガーノフの音色は、
ささくれだっており、妙に突き刺さって来る。
どの楽器も、鉄条網みたいに痛い。

「この楽章の性格と構成は、この作曲家の、
ピアノ三重奏曲第2番の第3楽章に似ている。」

ピアノ三重奏曲の第3楽章はラルゴなので、
第4楽章のアダージョの話に移ったと思われる。
ショスタコーヴィチが得意とする、
パッサカリアみたいな感じで、
下記のように、悲嘆に充ち満ちている。

「これは、悲愴で悲しみに満ちたメロディで、
悲嘆にくれた抑揚と、情熱的な反抗に満ちている。
それは7回変化し、勇敢な剛毅さから、
悲劇的な嘆きまで、様々な感情の幅を見せる。
これは主人公の悲劇的な死を思わせ、
その死は暴力的で早すぎるものだ。」

が、いきなり、さっきまで、
何とかすいすい生きていた青年が、
悲劇的な死を遂げた、
という解釈がむちゃくちゃにも感じる。
早すぎる死と書いてあるのも、
後付け理論風である。

「終楽章のモデラートは、
前の楽章のカタストロフへの反応である。
音楽は悲痛な嘆きを感じさせる。
この悲しみは高貴で気高く、
不満も希望も持たずに、
力強く耐え忍ぶ。」

先ほどの楽章も悲痛だったが、
今回のものは、何だか悲痛というより、
茫然自失な感じ。

高貴で気高いかどうかは分からない。

是非とも、ショスタコーヴィチが、
何故、こんな音楽を書いて、
ベートーヴェン四重奏団に捧げる必要があったのか、
そこをばっちり書いて欲しいものだ。

「この楽章は3つの主題によるロンドで、
最初の主題は数回繰り返され、叙情的に高まり、
深い精神的な雰囲気を作り出す。
夢と悲しみの第2の主題は、たった一度だけ登場し、
第3の主題は、単純な行進曲のような歌で、
2回目に登場する際には、柔らかい叙情を帯びる。」

こんなよたよたの音楽がロンドとは思わなかったが、
ショスタコーヴィチ特有の、
様々な感情が整理できない謎の音楽が響いているのは確か。
ベートーヴェン四重奏団の演奏は、
いきなり取り憑かれたかのような熱狂状態に至っていて、
これは何だかものすごい。

怨念だけで突き進んだ感じであろうか。
前回、あんなに美しい音色を響かせた、
ツィガーノフも、4年経過したからであろうか、
何だか潤いに不足して気迫だけが殺気立っている。

「第3四重奏曲の主題の扱いや作曲上の構成は、
この四重奏曲の少し前、1945年に書かれた、
第9交響曲と類似している。
これは同様に5楽章からなり、
同様の主題を扱って、
最初の3つの楽章では緊張を高め、
第4楽章で悲劇的な崩壊が起こる。
終楽章のみが異なり、交響曲が回復した人生、
生き生きとした若さを描くのに対し、
第3四重奏曲の終楽章は悲しく、
浮ついた夢に浮遊している。」

なるほど、そう来たか、という解説。
このような解釈は分かりやすいし、
客観的事実も含んでいてよい。

が、肝心の戦争の問題は、どこにも出てこない。
天下国家の問題は、人民は考えなくて良い、
そう言いたい解説なのである。

何だか、最初は好感を持っていたのに、
少し、腹立たしく感じて来た。

各楽章の解説は、ほとんど、
妄想と解釈と分析の合体版となっているが、
すべて、我が事として捉えよ、という事だ。

前回のCDに入っていたのに、
「第2」に圧倒されて聴けなかった、第4番を聴く。
これで作曲順に聴けるというメリットもあって、
CDを取り替えて鑑賞を続ける。

「四重奏曲第4番ニ長調、作品83(1949)
この四重奏曲の作曲のベースは、
最初の3つの楽章で描かれる美しい光景と、
終楽章の悲劇的にグロテスクなアイデアとの、
予期せぬ鋭い対比である。」

どの曲の解説を読んでも、
こんなのばっかり、という感じだが、
これがショスタコーヴィチだというしかない。

「第1楽章、アレグレットは、
明るさと力に満ちている。
困難な上り坂のように、
ゆっくりと執拗に展開される。
障害に打ち勝つことの喜びが、
ここには満ちていて、
最後には、これに先立つテンションに
報いるだけの平穏が感じられる。」

困難な上り坂かどうかは分からない。
最初から、広々とした美しいメロディが美しい。
田園交響曲のようであるが、
この解説者によると、おそらく、
その後の展開の方が重要だったのであろう。

たった、3分の音楽で、あっという間に終わる。
「障害に打ち勝つ喜び」という、
大げさな感じはあまりしない。

いくら何でもウソだ。

「第2楽章、アンダンティーノは、
作曲家の祖国や国民への思いが反映されており、
深い感情に満ちたゆっくりとした歌は、
詩的な幻影と、高い切望で結びつく。」

ここで、祖国への思いを聞き取るなら、
第1楽章も、輝く田園風景でもよさそうなものだ。
第2楽章も美しく、忘我的にテンションが高まる。
これはショスタコーヴィチの音楽では、
あまりない例ではなかろうか。

「祖国」は分からなくもないが、
どうやって国民にまで、
思いを馳せていたことが分かるのだろう。
が、何だか、しんみりと、優しい心遣いを感じる楽章で、
解説者の妄想は、このあたりから羽ばたいたのかもしれない。

「第3楽章、アレグレットの、
扇動するように元気なリズムは、
男らしく穏やかな自信に満ちたメロディを呼び起こす。
時に、革命歌の行進曲の性格を帯び、
各楽器の弱音の響きが、音楽に透明な陰影を添え、
何か美しいものが過去に去り、
ただ、心の眼で見えるだけのようになって、
それが過去のことのように思わせる。」

この部分、この解説の白眉であろう。
「男らしく自信に満ちた」というのは確かであるが、
「心の眼だけで見える過去」というのがすごい。

が、今回は、そんな気がしなくもない。
素直にそう聞こえる感じ。
なかなか良い音楽である。

しかし、以下、解説は、
意味不明の形容のオンパレードになるので、
読み飛ばした方が良い。

「第4楽章、アレグレットは、劇的な語りのようで、
過去の出来事の胸躍る物語が、
共感した聴衆からの応答で中断される。
主要な展開は特別で、全曲の舞曲的性格を与える、
脈動する伴奏のリズムに則っている。
この背景に対し、ピアノ三重奏の終曲や、
『ユダヤの民族詩から』に似た、
終楽章の主要主題が現れる。
ここで再び、舞曲は、
喜びに満ちたものではなくなる。
涙を通じての笑いがここには感じられる。
メロディは、忘れることの出来ない悲しみの余韻を運ぶ。
苦しみや嘆き、希望や慰めは、
ここでは、相互に絡まり不可分である。
次第に、声部は、慰めを運ぶ輝かしい和音となる。」

この楽章は、前の楽章から切れ目なく続き、
非常に複雑な様相を示しており、
この解説者の解説を信じるしかないが、
要するに、なんだかジレンマの舞曲なのである。

この四重奏曲、
ハーゲン四重奏団なども録音していて、
かなり、有名な作品のようだが、
私は、初めて、ここまで聞き込んだ。

やはり、訳の分からない解説でも、
とっかかりがないと、私の脳みそは、
スタンバイ状態にならないようだ。

全曲で、20分程度、前半3楽章は、
平明で美しく、簡潔である。
終楽章にもヒステリックな要素はなく、
愛すべき作品という印象を持った。

ただ、
「このように、悲しみは男を崇高にし、
受難もまた、単なる苦痛ではなく気高い。」
と、解説に最後に書かれると、
ちゃぶ台をひっくり返したくなるが。

では、「第3番」と一緒に入っていた、
「第6番」を聴いてみよう。

「四重奏曲第6番ト長調、作品101(1956)
これまでの四重奏曲と比べ、
第6四重奏曲は、
様々なアイデアが盛り込まれているのに、
対比は大きくなく、
いくぶん平明なものとなっている。
第3四重奏曲に似て、『人生の始まり』から、
語られ始め、幼年期、屈託のない青年期、
そこから人生の崩壊期までが描かれる。」

これは、完全に意表をつく開始部を持った音楽で、
ショスタコーヴィチではない、
と言いたくなる程、
穏和な、陽光さえ感じさせるもの。

「劇的な構成として、
この四重奏曲は、1つは増加していくもの、
もう1つは死に絶えるものの、
2つの力の交錯を基礎としている。
これら2つの局面、花咲くものと、萎れゆくものは、
織り交ぜられ、分かちがたく感じられる。」

この解説者が言うように、
第1楽章から、美しく羽ばたくメロディが、
いつしか力を失って墜落寸前になっていたりする。
しかし、このまま墜落するかと思うと、
何となくかろうじて羽ばたいていたりする。

「各楽章は、深く賢明な、
メインのフレーズで閉じられるが、
過ぎ去った人生のステージの考察、
その意味の反芻のように感じられる。」

なるほど、こんな点にも特徴があるのか。
そうした作曲上の工夫も、
この解説者によれば、
結局、人生の振り返りになってしまうというわけだ。

この曲も、「作品小辞典」などでは、
「作曲者の50歳を記念する演奏会で演奏された」
などという、妙に明確なインフォーメーションがあるのに、
このCDでは、完全に無視されている。

しかし、ずるいぞ、ショスタコーヴィチ!
オイストラッフの誕生日には、
晦渋で、暗い作品を贈っておきながら、
自分の誕生日用の作品は、
とても明るいではないか。

「第1楽章アレグレットは、
大きな事を達成した日のようだ。
楽しげで生き生きとしたリズムは、
次々に登場する様々なメロディを伴奏し、
幸福と健康の完全性で統一されている。」

幸福はまだしも、健康までが描かれていたのか、
と突っ込むのも疲れて来たが、
この人には、どんどん行ってしまって欲しい。
そうだ、とか、ちがう、とか言いながら聴くのも楽しいものだ。
私は、人間よりも、もっと美しいもの、
蝶か鳥かを想像した楽章であった。

軽い感じだが、第1や第4の第1楽章より、
規模は1.5倍から2倍大きい。

「第2楽章、モデラート・コン・モートは、
舞曲風の明るくエネルギッシュな音色で始まり、
優しい憂愁の音色で閉じられる。」

この楽章の解説は、期待はずれである。
これでは、人生も祖国も世界も出てこないではないか。
私は、これでは、ボケもツッコミも入れられないではないか。

この楽章も軽やかで、
舞曲風で楽しげであるが、
まさしく夢の中の出来事のように、
儚げに演奏され、
中間に出てくる旋回するメロディは、
何だか喪失感を感じさせるもので、
ツィガーノフが、澄んだ音で悲しさ、
虚しさをかき立てる。

ムラヴィンスキーの演奏などで、
ショスタコーヴィチの音楽は、
異常な程の熱気と説得力を帯びることがあるが、
初演時期の、出来たてほやほや状態での、
この演奏も、何故か、
妙に迫ってくるものを感じる。

「次の楽章、レントは、大切な人の墓を尋ねた時のようだ。」

この解説者の、ここまで明確なイメージは、
どこから来たのであろうか。
この演奏を聴いてのものか、
それとも、楽譜から直接か。
あるいは、誰かから聴いたことなのか。

「この楽章は特別な変奏曲形式で書かれている。
7回、事実上交代なく、チェロは悲しげで、
幾分、寒々としたメロディを奏でる(オスティナート)。
チェロのフレーズの悲しげな応答に、
各楽器は、控えめながら、
深く優しいそれぞれの歌を奏で、
次第に、その悲歌は1つになっていく。」

「お墓参り」の印象、
確かに負けずに妄想で返すと、
古代ギリシアの美しい墓碑、
悲しみを湛えた壺絵などの、
妙に研ぎ澄まされた繊細さを、
ここに感じてもいいだろうか。

いずれにせよ、極めて静謐な、
しみじみとした音楽で、大変、美しい。

が、50歳を記念してお墓参り。
ちょっとブラックだ。

「終楽章、レントでは、まず、
精神的な暖かみとソフトな優しさに満ちているが、
集中と警告のような要素に道を譲る。
二度、音楽は皮肉っぽく、あざけるが、
前楽章の嘆きのメロディが終楽章中間部に現れる。
しかし、音楽は、善と悪、平穏と悩み、
生と死、単純な心とアイロニーが手に手を取っている。」

この四重奏曲も、この終楽章で、
何だか、急に、興奮を始めるが、
「集中」と「警告」というか、
音響の陶酔のようなものも同時にありそうだ。

高みに駆け上がろうとする努力にも聞こえ、
この部分はとても感動的である。
しかし、それも次第に力を失ってしまうのが悲しい。

ひと気づくと、結局、もとの場所を彷徨っている風情。
50歳になったショスタコーヴィチが、
こうした焦燥感を持っていたことが分かるだけで、
妙に身近な存在として感じられた。

この曲も、意味不明のヒステリーがない上、
個々の部分は、十分にメロディアスで美しく、
たいへん聴き応えのあるものと思う。

ただし、弱音部分が多く、
鳴っているのか鳴っていないのか、
はっきりしない作品である。
また、個々の部分の繋がりも、
あるようなないような、
雰囲気だけの音楽にも聞こえる。

この「第6」だけでなく、
今回聴いたショスタコーヴィチの室内楽は、
「第2四重奏曲」のような大騒ぎがなく、
心落ち着けて聴くことが出来た。

しかし、甘美な叙情性と、
静謐な悲しみの間のような、
微妙なぎりぎりラインをふらふら揺れ動くので、
どの曲がどの曲かよく分からない感じがしないでもない。

得られた事:「ショスタコーヴィチの『第4四重奏曲』は『田園』風、『第6』は、中年哀歌風。」
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by franz310 | 2010-08-08 13:17 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その237

b0083728_13364935.jpg個人的体験:
ショスタコーヴィチの、
どちらかと言うと、
モノクローム系の音楽に、
鮮やかな色彩を与えた、
ヴァイオリニストの
ツィガーノフは、
ベートーヴェン四重奏団の、
第1ヴァイオリン奏者であった。
作曲家は、この四重奏団に、
絶大な信頼を寄せていたとされる。


それは、この作曲家の偉業、弦楽四重奏曲群の、
ほとんどの作品の初演を委ねられていることからも明らかだ。

ソレルチンスキイ著の「ショスタコーヴィチの生涯」には、
作曲家と演奏家の幸福な出会いが、
次のように書かれている。

この猛暑の夏に、味わうべき一文であろう。

「(1932年5月に、結婚した年の夏、)
八月に、ショスタコーヴィチと彼の若い妻は、
クリミア地方のガスプラ保養所に行った。
クリミア地方の夏は本当に暑く、
ショスタコーヴィチは、
暑さに耐えられなかった。
・・・呵責なく照り輝く太陽、
彼等の小さな部屋の蒸暑い空気、
しつこい大量の蚊にも拘わらず、
ショスタコーヴィチは、
この上なく幸福であった。
それ以前あるいはそれ以後、
生活をそれほど十分に、
気苦労から解放されて楽しんだことはなかった。
・・・ベートーヴェン弦楽四重奏団の
第一ヴァイオリン奏者の
ドミートリイ・ツィガーノフが、
同じ避暑地に滞在していた。
二人の音楽家は、
滞在客のために用意された演奏会に参加した。
ショスタコーヴィチは、
彼の第一交響曲のピアノ編曲を弾き、
ツィガーノフは、他の楽器の小品の彼の編曲を含む、
ヴァイオリンの小品を数曲演奏した。
ショスタコーヴィチは、とりわけ、
これらの編曲に興味を惹かれた。
後年、彼は喜んで、ツィガーノフに、
彼がショスタコーヴィチの
ピアノ前奏曲の数曲を編曲する許可を与えた。」
(新時代社 若林健吉訳)

ということで、前々回聴いた、
編曲された前奏曲が、
作曲家公認のものであったことは、
ここでも読み取れる。

しかし、前々回聴いた前奏曲は19曲もあった。
「数曲に許可を与えた」、という表現とは多少乖離がある。

なお、この前奏曲の作曲は、同年の冬から始まっている。

このヴァイオリニストの妙技は、
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の録音などからも、
明解に聞き取ることが出来る。

コンソナンスというレーベルのものは、
英文解説が入っていて、いろいろ参考になる。

「ベートーヴェン四重奏団は、1923年、
モスクワ音楽院の若い卒業生によって創設された。
このアンサンブルは、演奏と作曲の両学部に在籍していた、
第二ヴァイオリンのヴァシリィ・シリンスキーの
試験の日がデビューの日であった。
彼の弦楽四重奏曲第1番が演奏された。
他の三人の音楽家は、
第一ヴァイオリンがドミートリイ・ツィガーノフ、
ヴィオラがヴァディム・ボリゾフスキー、
ヴァシリィの兄弟のセルゲイ・シリンスキーがチェロであった。
音楽院の試験の日は、
まさに未来のベートーヴェン四重奏団が、
そのキャリアを発進させた時であった。
数ヶ月後、1923年11月30日、
モスクワ音楽院の小ホールで、
モスクワ音楽院四重奏団と名付けられた
新しいアンサンブルが公衆の前に登場した。
その最初から、この新しい四重奏団は、
現代的で、新奇なもの、
新しいソ連、または国外の音楽の紹介に、
ぴったり対応した感覚を明らかにした。
1925年と1927年に、
この音楽院の四重奏団は、
全ソ連コンクールで、
グラズノフ四重奏団や、
ストラディバリウス四重奏団と共に、
第1等を受賞した。
毎年、演奏会を拡充し、
次第に、彼等自身のスタイルや様式、
独自の演奏語法を発展させ、
国内外で称賛を博した。
1931年、アンサンブルは、
ベートーヴェン四重奏団の名称を与えられ、
2年後、10周年には、
ロシア連邦功労合奏団の名誉を与えられた。
1946年、彼等はソ連邦賞、
1965年には、4人全員が、
ロシア人民芸術家の称号を得ている。
当初のメンバーは、42年間、一緒に演奏し、
演奏会で力を合わせ、モスクワ音楽院で教鞭をとった。
1964年、フェードル・ドルジーニンが、
恩師ヴァディム・ボリゾフスキーに代わって
ヴィオラ奏者となり、
そして、ニコライ・ザヴァニコフが、
亡くなったヴァシリィ・シリンスキーに代わった。
1974年、エフゲニ・アルトマンが、
セルゲイ・シリンスキーの後でチェロ奏者となり、
最後に1977年、ダヴィッド・オイストラッフの弟子、
オレグ・カリサがツィガーノフの退任を受けて、
第一ヴァイオリン奏者となった。
1977年から78年のシーズンは、
この高名な四重奏団の節目の年となり、
創設者たちの伝統を新しいメンバーが受け継ぐようになった。
後に、1980年代の初頭、ヴェレンティン・フェイギンが、
早世したアルトマンの後任となった。」

このように、26歳のショスタコーヴィチが、
初めてツィガーノフに会った時には、
この四重奏団はすでに高名な存在であり、
ショスタコーヴィチが亡くなる前に、
3人が新しいメンバーに入れ替わった。
従って、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、
後からヴィオラ奏者になったドルジーニンに献呈されている。

「ベートーヴェン四重奏団の歴史は、
実際、ソ連の室内楽演奏の歴史であって、
この四重奏団のソ連音楽文化に対する貢献は絶大であった。
弦楽四重奏のソ連の代表的なものはすべて、
彼等のために書かれたか、彼等によって演奏されたと言っても良く、
ショスタコーヴィチ、ミヤコフスキー、グリエール、
カバレフスキー、ヴァインベルグといった、
ソ連の有名な作曲家の26作品がベートーヴェン四重奏団に捧げられている。
フェリックス・ブリューメンフェルド、サミュエル・ファインベルグ、
コンスタンティン・イグムノフ、エミール・ギレリス、
スビャトスラフ・リヒテル、スビャトスラフ・クヌシェビツキー、
そして、ショスタコーヴィチ自身が、この四重奏団と共演している。
事実、ベートーヴェンとショスタコーヴィチが、
この四重奏団のレパートリーの基本であり、
さらに、プロコフィエフの全室内楽作品、
シェバーリンの四重奏曲、
その他ソ連作曲家の作品の初演者であった。
彼等は、また、
グリンカやチャイコフスキーの若い日のもの、
アリャビエフの弦楽三重奏曲、
ボロディンの三重奏、四重奏、五重奏、
ラフマニノフの未完成作品や、
タニェーエフの未出版作品など、
あまり知られていなかった、
ロシアの古典を紹介した。
ベートーヴェンの死後100年を期に、
全四重奏曲を演奏するなど、
自然と、彼等のレパートリーの中で、
ベートーヴェンを含め、
古典期のものは最大の分量を占めた。
事実、この四重奏団のレパートリーは、
バルトークやベルクなど近代の作品のみならず、
ロシアの作曲家、国外の古典的作曲家の、
代表的なものすべてであった。
その活動は、演奏の喜びを基本に、
百科全書的な学究的側面を加え、
絶対普遍のものとして特筆される。
ベートーヴェン四重奏団は、
グラズノフ四重奏団によって初演された、
最初の1曲を除き、
ショスタコーヴィチの全四重奏曲を初演した。
1938年11月、ベートーヴェン四重奏団は、
一ヶ月後にそれを演奏、
以来、作曲家の戦友となり、
多くの四重奏曲の最高の解釈者となった。
その友情を記念して、
ショスタコーヴィチは、第3四重奏曲を彼等に捧げ、
第12番をツィガーノフに捧げている。」

前に、アリャビエフの弦楽四重奏曲をCDで聴いたので、
この学究的立場というのは非常によく分かる。

今回、ツィガーノフが、
非常につややかな音色を持った
ヴァイオリニストであることを確認したが、
その時は、あまりそんな感じは受けなかった。

シューベルトの「ます」を演奏したCDも聴いたが、
共演のマリア・ユージナのピアノが強烈すぎて、
変な演奏であった記憶の方が強い。

このCDには、弦楽四重奏曲第1番、2番、4番が収められている。

「弦楽四重奏曲第1番ハ長調、作品49(1938)
第1四重奏曲の4つの楽章には、
人生の様々なイベントが具現化されているが、
内部的には、有機的に結合されている。
この四重奏曲は、
作曲家の創造の才能が開花した頂点であり、
現代的な生活の最も重要なイベントから刺激を受けた、
作曲家の着想と感情が、
劇的な集中と深い哲学と共に反映されている、
第5交響曲の直後に着想された。
交響曲に続き、四重奏曲は、
ある種、『叙情的な余談』であり、
ショスタコーヴィチ自身がこう言ったものである。
『私の最初の四重奏曲には、
いかなる深さをも求めるべきではない。
そのムードは楽しく、快活で、叙情的である。
それを私は『春のような』ものと呼びたい。』
この最後の所見は、実際、真実で、
季節そのものではなく、
人間感情の世界に適用されるものであろう。
この四重奏曲の主題は、人間の一生における、
希望とかすかな憂鬱の詩的な時間、
すなわち青春の回想である。」

どうも、ソビエトの音楽の解説は、
北朝鮮のニュース番組並に、
突拍子もなく希有壮大である。
プロコフィエフもしばしば意味不明の解説をしているが、
何故、この作品も、作曲家がここで、
そんな青春に思いを寄せたかが分からない。

あるいは、ベートーヴェンやブラームスも、
何か言えと言われたら、
こうした文言を並べるしかなかったかもしれない。
ソ連においては、何やらありがたいメッセージを添えるのが、
芸術家のたしなみとされていたのであろう。

「第1楽章、モデラートは、広がる思考の流れと、
徐々にそれが固まっていく様を思わせ、
この背景に反し、控えめで注意深い、
和声的な歌が、第2の部分の主題として現れる。
楽章の最後、コーダの柔らかな音色の中に、
完全に新しい優雅なメロディが突如現れる。」

ここで言及されているどの主題も、
非常に自然で美しい。

ただ、この思考の流れの部分と、軽妙な歌の部分は、
一見、何の関係もなくつながっている感じ。

「第2楽章、またもモデラートは、
着想は、さらに興奮気味で、集中を見せる。
主題と変奏の形で書かれ、
幅広い主題は、正確にリズムを刻むロシア民謡調で、
ヴィオラで提示される。
7つの変奏曲が続き、内声によって豊かにされ、
1つの楽器から他の楽器、
ある音域から他の音域に受け継がれる。
その都度、性格を変え、興奮を増す。」

憂愁味を帯びて、また、ひなびた感じの、
情緒に満ちた楽章で、
全曲の中心にあって、この曲の性格を、
穏やかな雰囲気のものとして印象づける。

「急速な第3楽章、アレグロ・モルトは、
弱音のソノリティに対し、
時として移り気な効果を見せる。
中間部のエピソードは、
幸福感と寛いだ楽しみに満ちている。」

俊敏で幻想的な雰囲気の中に、
浮かび上がる心沸き立つ幸福感が満ちて来るのが良い。

「終楽章のアレグロは、若い活力に満ち、
伸び伸びとした、嵐のような気分のもので、
有り余るエネルギーと力。
ショスタコーヴィチの創造的芸術にあって、
四重奏曲第1番の終楽章は、
この曲の直後に書かれる第6交響曲の、
輝かしい終楽章を予告している。」

この楽章の、手放しではしゃぐような様は、
この作曲家の鬱屈した作風には珍しい。

ツィガーノフのヴァイオリンも興奮しまくっている。

以上、聴いて来たように、
全体的に春の雰囲気を持ったものとして納得できる。

人生における様々なイベントを表すと書いてあったが、
具体的に教えて欲しい。
イベントとは出来事だと思うので、
誕生とか結婚とかを連想したが、
事象と訳して、目覚めとか、憂鬱とか、
興奮とか、前進とかを考えれば良いだろうか。

この曲は、平明で、多くの四重奏団が取り上げるので、
私も前から親しんでいたが、こんな風に聴いたのは初めてである。

さて、ツィガーノフで始まった、今回のCDであるが、
特に、第2番で、第1ヴァイオリンの妙技が確認できる。
この作品から、ショスタコーヴィチの四重奏曲は、
ベートーヴェン四重奏団が初演を引き受けることとなった。

「弦楽四重奏曲第2番イ長調、作品68(1944)
この作品は作曲家の
ヴァッサリオン・シェバーリンに捧げられたもので、
ショスタコーヴィチが第二次大戦の間に書いた最後の作品である。
この戦争中の出来事と環境は、
作曲家にも特別な印象を与えたが、
常に時代の先を見据えたショスタコーヴィチは、
第2四重奏曲の中で、
劇的なものと叙事的なものとを結合させている。
この四重奏の中で、音楽は、
この困難な時期に現れた精神的な熱狂を刻印すると共に、
民衆と国家が、次第に、過去のものと感じ始めていた
歴史的に悲劇的な出来事をほのめかしている。
第2四重奏曲のある楽章、(両端と真ん中のひとつ)には、
現代の生き様の様々な側面、
民衆の運命、個人と集団、
私的なものと公共のものなど、
が明らかにされている。」

実は、私はこの作品を良く知らずにいたのだが、
このCDを聴いて一番感銘を受けたのが、
この曲であった。

第1、第3が有名なので、
第2はたいしたことがないだろう、
などと思っていたが、
そんなことはなく、独自の美を誇る対策だと思った。

しかし、この解説はどうだろう。
個人と集団の問題などが、
いったいどうやって四重奏で描けるのだろう。

いきなり大上段に構えられ、ついつい身構えてしまう。
が、筆者も、おそらく、この曲がただならぬ作品だと考えて、
こう書いているものと思われる。

「第1楽章、モデラート・コン・モートは、
答弁とエネルギーによる、
パワフルにアピールする序曲である。
興味を持って集中した労作で、
克服の情念、創造の力が充満している。
外見上、屈強なリズム、常時伸縮するメロディの動き、
奏者全員による相互作用によって表現される。」

ここに書かれている単語の羅列の如く、
極めて集中力の高い、情念の激突で、
ものすごく熱く流動する楽章である。
これは聴き応えがある。
弦楽四重奏の限界を行く密度である。

「第2楽章、アダージョは、
『レチタティーボとロマンス』という副題を持ち、
第1楽章と鋭い対比をなしている。
この楽章では、3つの部分が認められ、
レチタティーボ、ロマンス、
それに再度、レチタティーボである。
これら3つのうち、両側のレチタティーボは、
この曲の主要な着想、
厳格だが公正な民衆の裁きに直面して、
深く後悔する魂の自白を形成するがゆえに、
特別に重要である。
これら3つの部分は、
独奏ヴァイオリンと、
他の楽器たちによる長い和音との、
交代答弁を表す対話形式で書かれている。」

9分を越える長い楽章で、
これまた、ものすごい表出力である。
切々と歌うヴァイオリンは、
まさしく人間の声のように嘆く。

ここで、ツィガーノフの
艶やかで、表情豊かなヴァイオリンが聴ける。

「第3楽章、アレグレットは、
ショスタコーヴィチの室内楽で、
唯一聴けるワルツである。
絶え間なく震える動きを背景にした、
不思議に移ろいやすいリズムで、
驚くべき美しさのメロディが展開される中、
さまざまの意味を持つ複数のフレーズや影が、
絶えず現れては動き、変化し、置き換えられ、
活気に満ち、互いに変化し、織り込まれていく。」

とても意味深な楽章で、これまた大変、面白い。
寄る辺なく浮遊して流動する
ワルツの影は黒々として不気味。
そこに、問題作、「第4交響曲」のリズムや、
ショスタコーヴィチ自身の戯画みたいなのが登場し、
完全にワルプルギスの夜に八つ裂きにされる感じ。

「終楽章、主題と変奏で、
全体として民衆が姿を現す、
共同体の理想の世界に呼び戻す。」

これは、チャイコフスキー以来の、
伝統的な技法を感じさせるもので、
民謡風の主題が、力強く、しかし、ある時は、
皮肉も交えて高揚していく。
9分53秒の大曲で、
ものすごいテンションに高まって、
屈折した感情も交えながら下降し、
最後は朗々と歌われて劇的に締めくくられる。

この曲が名曲に数えられないのは不思議だが、
密度も広がりも異常で、室内楽の限界を超えているから、
と教えられれば、なるほど、そういうものか、
と納得せざるをえない。

何だかよく分からないまま、
最初に書かれていた、
個人と集団の問題をえぐった作品と言われれば、
なるほど、そう言うことだったか、
などとなりそうな勢いである。

このCDには、さらに「第4」が含まれるが、
もう、この「第2」だけでへとへとである。

得られた事:「ショスタコーヴィチの第2四重奏曲、強烈。」
「ツィガーノフのヴァイオリン、録音で聴いても鮮烈。」
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by franz310 | 2010-08-01 13:37 | 現・近代