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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その236

b0083728_1049389.jpg個人的経験:
ショスタコーヴィチの
「24の前奏曲」は、
私は、ニコラーエヴァのものを
持っていたが、
あまり聞き込むことなく、
おそらく10年が過ぎている。
このCD、デザインも印象的で、
忘れ難いものだが、
どうも音楽の印象が、
ぴんと来てない感じである。


問題のデザインは、1881年生まれの、
Leon Spilliaertという画家の作品らしく、
「眩暈、魔法の階段」と題されている。
バベルの塔のような階段の頂点に、
黒ずくめの女性が立ち尽くしているが、
女性の顔は、いったいどうなっているのか?
影になっていて分かりにくいが、
骸骨のようにも人形のようにも見える。
まん丸で猫の顔というと一番近い。

マフラーのたなびきからして、
強風の吹きすさぶ、やばい状況と見て取れる。
白黒画面が、ますます緊迫感を増す。

いったい、ここに収められているのは、
どんな内容なんだ、と思うと同時に、
あまり、こんな音楽は聴きたくないなあ、
という感じがしないでもない。

今回のCD、1951年に書かれた代表作、
作品87の「前奏曲とフーガ」を含んでいないとはいえ、
1922年作曲の「3つの幻想舞曲集」、
10年後の1932年から33年に書かれた「24の前奏曲」、
さらに1943年という危険な時代の、
「ピアノ・ソナタ第2番」が収められているが、
ちょうど10年おきの作品で、
ショスタコーヴィチは、結局、
10年に1曲ずつピアノ曲を書かなかったのではないか、
という印象すら受けてしまう。

また、演奏しているニコラーエヴァといえば、
ずっとバッハの大家と知られていただけあって、
一言で言えば、地味な印象。

曲や演奏者の地味さが、
この辛気くさい表紙デザインと相まって、
何となく、聴く前から、要を得ない感じである。

地味というのは、取り付く島がない、
という感じにつながる。
が、恐れ多くも、作曲家直伝の演奏家である。

解説を書いているのは、
ロバート・マシュー・ウォーカーという人であるが、
日本人には困りものの文体の人である。

さきに書いたように、
彼はまず、ショスタコーヴィチのピアノ曲全般について、
概説してくれている。

「これまで、一般の音楽愛好家にとっての、
ドミトリー・ショスタコーヴィチが
20世紀の巨匠の一人であるという評価は、
もっぱら、15曲の交響曲と15曲の弦楽四重奏曲、
それにいくつかの協奏曲、その他の作品によるものだった。
しかし、ショスタコーヴィチの専門家は、
これらの40曲ばかりの他に、
さらなる100曲以上がある事を知り、
ひとたび、これらを検証すれば、
この個性的な作曲家は異なる概観を見せるのである。
ショスタコーヴィチの音楽は大きなパラドックスを孕むが、
これは比較的少数だが重要な、
ピアノ独奏用作品にも見られるものだ。」

有名な諸作品と同じように聴け、
ということだろうか。

「ショスタコーヴィチ自身、優れたピアニストであって、
1927年にはワルシャワの最初のショパン・コンクールで、
チャイコフスキーとプロコフィエフの第1協奏曲を弾いて、
受賞した程であるが、
明らかに優れた能力にも関わらず、
比較的少数の作品しか、ピアノ用作品を作曲していない。
最初のパラドックスはこれで、
高度な技巧を有するピアニストであるにもかかわらず、
彼は比較的少数の作品しか残していない。
そして、彼のピアノ曲は、
この楽器の深い知識によって書かれたにも関わらず、
非常に知られたものがある一方で、
この数十年、ほとんど知られていないものがある。」

何だかまどろっこしい書き方であるが、
結局、優れたピアニストだったのに、
あまりピアノの作品は知られていない、
ということを繰り返しているにすぎない。

「ショスタコーヴィチのピアノ曲は、もっぱら、
1950年から51年に書かれた、
作品87の『24の前奏曲とフーガ』で知られ、
これはほとんど、ピアノ独奏のための、
ショスタコーヴィチの最後の言葉であり、
1918年の中頃、12歳の誕生日を迎える頃から、
書き始められたことが確かめられる、
ピアノ作品の総括である。
ペトログラード音楽院のピアノ教授、
アレクサンドラ・ロザノヴァの所蔵に、
最後の作品が未完成の3つのピアノ小品が見つかっており、
1917年に、まだグネッシン音楽学校の生徒だった頃、
彼女のために、これを弾いたとされる。
1919年、彼は音楽院に入り、
ピアノをレオニード・ニコラーエフに学び、
(彼の思い出のために第2ソナタを作曲した)
1年後の1920年、マキシミリアン・シュタインベルクに、
最初の作曲のレッスンを受け、
知られている最初の作品で、
生前、5曲のみが出版され、
1966年まで知られなかった、
ピアノ用の『8つの前奏曲』作品2を完成させた。
ショスタコーヴィチは24曲の前奏曲を完成させるべく、
さらなる8曲を書いたが、
他の16曲は二人の級友、
パーヴェル・フェルトとゲオルギ・クレメンツ
に平等に分けた。
作品2のセット同様、これらの知られざる作品は、
他の5曲とグループ化されて出版される
1966年まで知られていなかった。」

よく分からないが、
ショスタコーヴィチは、若い頃から、
前奏曲が大好きだったようである。

このCDの最初に収められた3つの幻想舞曲もまた、
前奏曲とは題されていないながら、
ドビュッシーのような風情。
軽やかなもので、スクリャービン風にも聞こえる。
3曲で4分程度の短いものである。
最後の作品のみ、リズムが明解で、
舞曲の感じが出ているが尻切れトンボみたいに終わる。

この曲の解説にはこうある。
「前年に書かれた、8曲の前奏曲のうち、
失われた3曲が、まさしくこの曲で、
書き直されたかもしれない、と考えたくもなるが、
これらは舞曲で、抽象的な前奏曲ではないので、
こうした見解はふさわしくなかろう。
さらに、これらはさらに大きな音色の自由さがあり、
16歳の作品とはいえ、
もっと経験を積んだ作曲家の作品であることは明らかだ。
奇妙なことに、ショスタコーヴィチは、
これらの出版にもまた乗り気ではなく、
1937年まで出版されなかった。
(ある資料では1926年出版と書かれているが。)
これらの舞曲は、アメリカでは、1945年まで出版されず、
さらなる混乱があって、
本来は管弦楽のためのスケルツォ嬰へ短調の作品番号の
作品1として出版された。
しかし、級友のヨーゼフ・シュバルツに献呈された、
この3つの幻想舞曲は、1925年3月、
モスクワで、ショスタコーヴィチのリサイタルで初演された。
(ここでは、二台ピアノのための組曲作品6や、
ピアノ三重奏曲第1番作品8やチェロとピアノの3つの小品作品9も、
初演されている。)」

この4分の小品に、えらく長い解説である。
この人はショスタコーヴィチの
若い頃の研究が好きなのだろうか。

確かに、ショスタコーヴィチの音楽的ルーツが、
いったいどこにあるのかは、
非常に興味深い。

「最初の『行進曲』は、ハ長調の支配が強いもので、
導音のロは、フラットのスーパートニックに
引き寄せられる傾向にあり、痛快なカデンツァに至る。
中心のワルツは、ト長調で、
後にショスタコーヴィチがしばしば取り上げる、
ヴィーン風でないワルツの走りである。
最後のポルカは、
20世紀の音楽の特徴的な声の1つとなる、
後に作曲家が好んだ舞曲の最初のものである。」

どの曲も、後年の萌芽があるから、貴重ということだろう。

次に、24の前奏曲作品34の解説が始まるが、
この曲がCDで鳴り始めると、
やはり風格が大きくなっていることを感じさせる。
ニコラーエヴァも、意外に、濃い味付けをしていたのである。

「ショスタコーヴィチのピアノ独奏用、
24の前奏曲は、1932年から33年の冬の、
比較的短い期間に作曲された。
各曲は、出版された時の順番に従って、
12月30日から、3月2日まで、
最初は、1日1曲のペースで書かれ、
これは、作品87の『24の前奏曲とフーガ』も同様で、
いずれも12の長調と12の短調の調性から成っている。
作品34の前奏曲がしばしば独立して演奏され、
何曲かのセレクションで演奏されるとしても、
その作曲の様式や上昇5度のサイクルなどの要素は、
セットで演奏される方が良いことを示唆している。
作曲家は全曲ではなく、一部だけを録音しているが。
24の前奏曲は、すべて1930の10月から、
32年の秋に書かれた、大量の付随音楽や映画用音楽、
それに、『マクベス夫人』という大規模なオペラの後で書かれた。
このいくぶん長い期間、大量の管弦楽曲を書いたばかりか、
必然的に、彼自身の楽器のための作曲も行った。
劇場や映画の『公式』な性格に比べ、
前奏曲は引きこもって内輪のものである。
(作品87が1949年から51年にかけての、
公式作品や映画音楽の合間に書かれたように。)」

このように、この解説者は、
ショスタコーヴィチのピアノ曲は、
弦楽四重奏曲などよりも、さらに内輪向け、
と定義づけている。

10年に一回、独り言言うみたいな?

「前奏曲の特徴は短く箴言的で、
(しかし、ピアノのための箴言作品13とは似ていない)
次の作品、前奏曲のたった4日後に書かれた、
第1ピアノ協奏曲とリンクしている。
いくつかの作品は1ページほどの、
24の短い各曲は、ムードと性格がはっきりしていて、
各曲のエッセンスは明らかに純化されて、
印象的な個性はたちまち明らかになる。
これらの作品の多くが異なる演奏形態、
大オーケストラ、シンフォニック・バンド、
クラリネットとオーケストラ、
ヴァイオリンとピアノなどに編曲されている。
管弦楽バージョンでは、
第14番変ホ短調をストコフスキーが編曲したものを、
思い起こすだろう。
これは、1933年の終わり、
作品34がアメリカで出版されたわずか数週間後に、
ストコフスキーによる、
ショスタコーヴィチの『第1交響曲』初録音に、
フィルアップされて発売されたものである。
このような作品が最初から編曲で録音されるのは奇妙だが。
それにしても、ショスタコーヴィチは、
大規模な交響曲の巨大なキャンバスと同様、
曲の長さや、演奏される楽器に限らず、
求められれば、短い期間で、その天才を抽出して見せることが出来た。」

そもそも、さらに内輪の音楽だ、と言われながら、
結局、シンフォニックバンドに編曲されちゃうって何?
何がいったいインティメートなわけ?

今回、私としては、ヴァイオリン編曲版で、
なかなか洒落ているな、と感じた原点があるので、
「楽興の時」的に忘我的、
「束の間の幻影」的に感覚的な音楽として、
再鑑賞してみたい。

では、前回の解説を引用しながら、
オリジナルの各曲を聴いていこう。
ここでのVn版というのは、
作曲家の盟友ツィガーノフ編曲のもので、
前回のCDに収録されていたものの事。

「第1番は、『シェヘラザード』の主題にヒントを得たもの。」
これは、やはり、ヴァイオリンが冴え渡って初めて、
シェヘラザードを想起できるものであろう。

トゥロフスキーの演奏のヴァイオリン版は、
もっとたっぷりしたテンポを取っている。
これも今回、聞き直すと、かなり抑えた表情である。
シェヘラザードの域とは隔たりがある。

「第2番:舞曲作品5を想起させる。」
軽やかに舞うスクリャービン風なので、
ピアノの美感の方が、神秘的な感じが良い。

トゥロフスキーのヴァイオリンは豪華な弓裁きで、
これはこれで面白い。

「第3番は、『無言歌』、バスのトレモロで最高潮に達する。」
プロコフィエフの「束の間の幻影」風で、
特にヴァイオリン版でなくとも良い。

が、トゥロフスキーが、無言歌をしみじみと歌うのも美しい。
純粋に感覚に訴えるという意味では、
ヴァイオリン版の魅惑は抗しがたい。

第4番:Vn版なし。
この控えめなメロディを、ヴァイオリンで、
羽ばたかせてみたいような気がしないでもない。

「第5番、モト・ペルペトゥオ。」
何故、こんなのをヴァイオリンにしないといけないか、
と思われる程、打楽器的にリズミカルである。

トゥロフスキーは、めちゃくちゃ苦労して、
細かい音符を追いかけ回している。

「第6番は、マーラーのスケルツォ風。」
不思議なことに、前回聴いた方が、マーラー的に聞こえた。

トゥロフスキーのヴァイオリンで聴くと、
ひなびた感じの音色が、いかにも、
屋外での行進を想起させて面白いのである。

第7番:Vn版なし。
これは、静かに控えめな独白調。

「第8番は、シューベルトの『楽興の時』。」
これまた、前回の方がシューベルト風であった。

トゥロフスキー盤では、ピアノのリズムが、
いかにもそう聞こえたのだが。

第9番:Vn版なし。
プレストで、軽妙でプロコフィエフ風である。
これもヴァイオリンは困難と見た。

「第10番は、フィールド風の『夜想曲』。」
ほとんど聞こえない音楽なので、
ヴァイオリンで、すかっとやっても良い。

トゥロフスキーは最初にこれを演奏していたが、
綿々と歌われるのがとても良いものの、
決して、すかっとやってるわけではなかった。

「第11番、バッハのジーグから『アモローソ』となる。」
めまぐるしい動きがピアノ発想で、
よくヴァイオリン版を作ったなあ、
という感じである。

音色が多彩になり、ヴァイオリン版も、これがまた面白い。

「第12番の前奏曲は、アルペッジョの練習曲。」
これも同上。ピアノの練習曲風。

意外にヴァイオリン版も良い。
アルペッジョはピアノに任せて、
憧れに満ちた部分をすっかり取ってしまっている。

「第13番はドラム連打の伴奏を伴う行進曲。」
旋律の断片みたいなのが、見え隠れするので、
ヴァイオリンではっきりさせてくれよ、
と言いたくなる。

その期待に応えてくれているのが、
トゥロフスキー盤であると言ってもよい。

第14番、Vn版なし。
やたら重苦しく低音を強調したアダージョで、
鬱々と苦悩している感じ。
ストコフスキーが編曲したくなりそうな、
壮麗な可能性を感じさせる。
2分30秒と比較的大きく、
最後は詠嘆調になるので、ヴァイオリン版でも聴きたい。

「第15番はバレエの情景そのものである。」
非常にシンプルなので、何で演奏をしてもOKという感じ。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
意外にも、リズムの強調をヴァイオリンの方が、
手を変え品を変えやっていて面白い。

「第16番、幽霊のように音色が変化する行進曲。」
これも、同様。
ニコラーエヴァのピアノでも、十分美しい。

が、ヴァイオリン版では、さらに多彩になって、
解放的な感じで気楽に楽しめる。

「第17番は夢想的。」
この作品は、もっと耽美的に解放させてみたい、
ヴァイオリニストの気持ちはよく分かる。
ニコラーエヴァも、丁寧に、この情緒を味わっている。

トゥロフスキーの演奏を聴くと、
実はこちらの方が、控えめな弱音で、
丁寧に丁寧に弾いている。

「第18番『二声のインヴェンション』。」
これは、ピアノ的発想のもので、
曲調からしても、むしろニコラーエヴァにぴったりであろう。

こうした明確なものは、ヴァイオリンで聴くと、
音色の変化が加わって、期待以上の効果が得られるようだ。

「第19番は、舟歌の形式で書かれ、甘くて、苦い。」
とても美しい。
これもまた、ニコラーエヴァは、
しっとりした情感を大切に弾いている。
が、その抑制された雰囲気が彼女の持ち味であると共に、
限界となっている可能性もある。

美しいアンダンティーノで、純粋にヴァイオリン曲として楽しめる。
ここでも抑制された雰囲気はあるが、
時に扇情的にヴァイオリンがヴィブラートを聴かせると、
ぞくぞくするということになる。

「第20番、軍隊調二拍子のアレグレット・フリオーソ。」
明解な楽想なので、ピアノ版で十分。

ヴァイオリン版では、そこにヒステリックとも言える、
激情が加わり、トゥロフスキーは、この曲をエンディングに使った。

「第21番、5/4拍子のぴりりとしたロシア舞曲。」
これも、粒だった音色がピアノ的で、
あえて、ヴァイオリン編曲が必要とは思えないが、
ニコラーエヴァの演奏は、すかっとした解放感はない。
作曲家をよく知れば知るほど、こんな演奏になりそうだ。

ヴァイオリン版では、
ピッチカートの効果も鮮やかで、期待通りに楽しめる。

「第22番、表情豊かなゆっくりした楽章。」
これになると、停止寸前の音楽がモノクローム。
はっきりしゃっきりさせてくれよ、
と感じる人がいてもおかしくはない。

これもまた、一本の旋律が筋を通してくれている感じで、
ヴァイオリン版は味わい深い。

「第23番、Vn版なし。」
水の戯れのような、美しい光のきらめきが印象的な曲。
が、だんだん低音が響き、現実離れして来る。
これも、極めて心象的で、ピアノに語らせておくか、
という感じかもしれない。

「第24番は、突飛なガヴォット、最後は予期しない静謐さ。」
比較的元気が良い作品で、楽想も明解である。
全曲を締めくくるには、情けない感じの終曲だが、
幻影が現れ、そして消える感じであろう。

トゥロフスキーの演奏は、大きな表情が、
幾分、わざとらしいが、これくらいやっても良い曲想。
音色の変化も様々な可能性を試み、楽しい。

これを聴いてしまうと、
やはり、ニコラーエヴァの演奏は辛気くさい。
作曲家直伝ということで、おそらく、
ショスタコーヴィチのコアなファンならこれでよかろう。
ただし、私のような中途半端なファンでは、
このような小品であれば、
もっと、ばーんと押しつけがましい位でもよい。

かと言って、ニコラーエヴァに、
そんな演奏を期待したくもないが。
今回のように、他の演奏で聴いたものを、
さて、そもそも、と聞き直す時のスタンダードとして、
絶対に必要な演奏記録なのである。

今回、ピアノソナタ第2番にも、
初めて真面目に耳を澄ませたが、
とても、個性的な作品だということが分かった。

以下、ピアノソナタ第2番ロ短調作品61(1943)の解説である。
「一般の規則同様、ショスタコーヴィチは、多くの作品で、
第1楽章に感情の巨大な増幅や深さを置き、
最初の楽章よりは深くはないが、
よりリラックスした楽観的なムードを、
終楽章に持って来ることが多かった。
とりわけ異常ではないが、
奇妙なことに、1943年作曲で、
その年の11月11日、作曲家の手によって初演された、
第2ピアノソナタでは、終楽章が最長で、
第1楽章は、矛盾して『アレグレット』と書かれながら速い、
最も軽い楽章になっている。
これは実際よりそう見えるが、
しかし、第1楽章の素早いパルスは、
エネルギッシュな騒がしいパレードなどではなく、
より凝集してよく練られた内容である。」

ソナタの開始部としては、
極めて異例なのは、
その規模だけでなく、音色の軽さにもあり、
不明確なもやもやから始まって、
何だか、音楽が始まったみたいだな、
という感じで曲は始まる。

ぶつぶつと途切れる楽節が、
連なっているだけみたいなのも奇妙である。
が、そこから、何だか、意志的なメロディが、
格好良く見え隠れするのが気になってしょうがない。

決して短い楽章ではなく、
8分39秒もかかっている。

「この楽章を、(全楽章で比較しても良いが)
ショスタコーヴィチの同時期のもっと公式な作品、
特に、この曲の2、3週間後に完成された、
『第8交響曲』と比べると、
広く同様の動きを見せ、
同じような深い印象を感じることが出来る。」

むう、そう来たかという感じである。
「第8交響曲」のような、人気作と比較され、
似てるはずだ、と言われると、
そうかもしれないし、違うかもしれない、
と答えざるを得ない。

こうした名品と比較されると、何だか、
もっと耳を澄ます必要を感じて来た。

「第2楽章は、嘆きのラルゴで、
第1楽章の動き回る音楽を完全にかき消し、
さらに巧緻なものとなっている。
先に述べたように、あるいは、第2ピアノ三重奏と同様、
ロ短調ソナタは追想の音楽である。
これは、1941年のナチス侵攻によって、
疎開していたタシュケントの地で、
1942年10月、64歳で他界した、
ロシアピアノ界の大御所で、作曲家でもあった
レオニード・ニコラーエフの思い出に捧げられている。
彼はショスタコーヴィチのペトログラード音楽院時代の、
初期の教師の一人であった。
彼はそこで1906年から教授をしていた。
このソナタのラルゴの楽章で、
この高貴な音楽家に対する悲歌で、
深く痛々しい音楽となっている。」

「第8交響曲」も、不思議な虚無感に満ちた傑作だが、
ここでも、大きな喪失感を感じさせる音楽になっている。
ただし、音符の数が異常に、すかすかな感じがする。
あるいは、音はあっても良く聞こえない感じ。

何だか、押し殺した感情は、妙に濃い。
7分11秒の楽章。

「比較的明らかなこのソナタの調性の役割に沿って曲はすすみ、
当然、ロ短調に根ざしており、
第1楽章と終楽章のホーム・キーとなっている。
ラルゴは、主音から同じ音程間隔を置いた
短三度、変イ長調/短調になっている。
これはソナタの第1楽章第1主題の調である。
調性は、拡大された終曲で上昇し、
ソナタの3楽章それぞれの、
各第1主題は、短三度で始まり、
第2主題は減四度、終曲は増五度で、
この驚くべき終曲は、独立した作品にもなり得よう。
まるでアイデアのスクラップを集めたような、
幅広い、回りくどい、奇妙にも印象深い主題による、
拡張された変奏曲で、
そのムードは様々に変容し、凝集したもので、
常に変化する。」

面白い表現であるが、
つぎはぎだらけのようなぎこちなさを感じさせるのは事実。
この楽章は、これまでの楽章のような曖昧さはなく、
明確なタッチが求められ、変奏曲の展開もリズミカルである。
15分を越えるので、
第1楽章と第2楽章を足した程の長さ。
総計31分を越える大曲である。

「最後のページにおいて、ようやく、
このソナタを統一する素晴らしい手法が現れる。
動き回る第1楽章の16分音符と、
ラルゴの荘重さが終楽章の主題を介して結合される。
これは驚くべき作曲技法の到達点で、
交響曲や弦楽四重奏同様、ショスタコーヴィチが、
ピアノソナタを書き続けなかった事を嘆くしかない。」

さすがに故人の追悼を公言した作品。
曲想は、どんどん暗くなっていく。
不気味な低音が冥界に降りていくような感じの後、
さっと明るくなって、清澄な気分が差し込んで来るのは、
非常に美しい。
コーダで、3つの楽章が絡み合い、
最終的に深い祈りの中に消え入る効果も精妙である。

得られた事:「作曲家直伝の世界に閉じこもっていると、未知の可能性に行き当たらない。」
「ショスタコーヴィチの第2ピアノソナタ、無視できぬ。」
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by franz310 | 2010-07-25 10:49 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その235

b0083728_23172486.jpg個人的経験:
ボロディン・トリオが録音した
ショスタコーヴィチの五重奏のCD、
表紙デザインは、
エレオノーラ・トゥロフスキーの
描いた絵画だったが、
この人は、そもそも、
ヴァイオリンの演奏家で、
このCDでは、彼女が、
ショスタコーヴィチの前奏曲を
演奏したものが聴ける。


ありがたい事に、このCD、
ボロディン・トリオの中核である、
ヴァイオリンのドゥビンスキーと、
エドリーナの夫妻のデュオによる、
ショスタコーヴィチの晩年の名作、
ヴァイオリン・ソナタも収録されている。

ショスタコーヴィチの前奏曲は、
五島みどりのCDでも録音されていたと思うが、
あれは、ドゥーシキン編曲ではなかったか。
(この人は、ストラヴィンスキーの友人だった
ヴァイオリニストである。)

今回は、ツィガーノフ編曲の19曲が収められている。
ピアノのための「24の前奏曲」のうち、
大部分がヴァイオリン用として聴くことができるわけだ。

五島みどりがアンコールで弾くくらいなので、
曲想としては、洒落た感じのものが多く、
このCDの後半は、
エレオノーラ・トゥロフスキーと冴えたヴァイオリンと、
ジャズなども得意とする、
明解なペーター・ペッティンガーのピアノで、
非常に楽しめるものとなっている。

しかし、前半の「ヴァイオリン・ソナタ」は、
とても難解だ。
献呈されたオイストラフのヴァイオリン、
リヒテルとの共演盤が有名なので、
多くの日本の愛好家が耳にしたはずの、このソナタ。

謎のモノローグで占められた音楽で、
耳障りは悪くないが、
愛聴曲にまで昇格させた愛好家は少ないのではないか。
さらに後に書かれた「ヴィオラ・ソナタ」の方が、
「月光ソナタ」の引用など、
まだ、手がかりめいたものを感じるが。

今回のCD、かつて出ていたこのソナタを、
「前奏曲」と組み合わせ直して、
2003年に24kbitでリマスターされて、
再発売されたものである。

このCDは、表紙デザインが強烈で、
芸術家というよりは、裁判官みたいな感じの、
ショスタコーヴィチの白黒写真。
背広を着て、表情も苦渋に満ちている。

家に帰って、しばらく安静にしていなさい。
あまり、神経を張り詰めていてはいけないよ、
リラックスして、気分転換だ、
などという上司がいるわけでもない。

彼は、非常にビッグな存在なのだ。
それゆえに、一人で苦悩に耐えるしかない。

いかにも、これがショスタコーヴィチだ、
という感じで、とても心に残るデザインである。
前半のヴァイオリン・ソナタは、こんな人が書いたもの、
と考えながら聴いて間違いはあるまい。

が、後半は、かなり印象が異なるので要注意である。
この写真みたいな音楽を聴きたい人にはぴったりだが、
そんな音楽を聴きたい人って、いったい何。
私は、ショスタコーヴィチは嫌いではないが、
何故、こんな苦い音楽を聴かないといけないのか、
と考えてしまうことがある。

何故なら、彼を苦渋せしめた、
ソ連の恐怖政治は、現在の我々に一見、
無関係に思えてしまうからだ。

が、きっと、ショスタコーヴィチが、
恐怖の中に見いだした苦悩は、
現代の人間にも、共通するものを含むのであろう。

突然、解雇されるリストラ社会や、
失業者の増加による思わぬ犯罪なども、
根は同じなのかもしれない。

ただし、ここ数日、恐ろしかったのは、
梅雨明け直前のゲリラ豪雨の連日のニュースである。
こうした恐怖なども一瞬先は闇である、
ショスタコーヴィチの人生と、
変わるものではないのかもしれない。

さて、気になっていたエレオノーラの略歴であるが、
確かに、このCDでも、ヴァイオリン奏者であると共に、
絵画でも有名であることが書かれていた。

「モスクワ中央音楽学校のシルバー・メダル受賞後、
エレオノーラ・トゥロフスキーは、
モスクワ・チャイコフスキー音楽院を、
優秀な成績で卒業、ドミトリ・ツィガーノフのもとで、
卒業後も研鑽を積んだ。
彼女はモスクワ音楽院ピアノ三重奏団のメンバーで、
アンサンブル・マドリガルや、
モスクワ放送室内管弦楽団のソリストを務め、
イッポリトフ=イヴァーノフ・モスクワ音楽学校で、
弦楽部の教頭となった。
1977年から、コンコルディア大学や、
モントリオール大学の教授を務めている。
彼女は、トゥロフスキー・デュオのバイオリン奏者、
イ・ムジチ・デ・モントリオールのリーダーとして知られる。
夫のユーリとのデュオの中で、
全世界でリサイタルを行い、
シャンドスにいくつかの称賛すべき録音を行っている。
彼女は専門的な画家でもあり、
1995年には、カナダ放送局が、
エレオノーラ・トゥロフスキーのポートレイトに関する、
ドキュメンタリー映画を撮っている。」

ちなみに、共演するペーター・ペッティンガーは、
下記のような紹介がなされている。

「ペテルスブルクに1945年に生まれた。
早くから鋭敏なピアニストとして知られ、
クラシックのレパートリーのみならず、
ブルーベック、ムリガン、マイルス・デイヴィスなど、
ジャズにも惹かれている。
彼はロイヤル音楽アカデミーで、
ピアニストもヴィヴィアン・ラングイッシュや、
ハフ・ウッドに学んでいる。
ヨーロッパ、日本、オーストラリア、アメリカに
広く演奏旅行している。
様々なジャンルに活動の幅を広げ、
テレビのために、作曲、編曲を行い、
シャンドスでは、ナイジェル・ケネディと、
エルガーのソナタや小品、
ジャズ・アルバムなどを録音している。」

私は、ナイジェル・ケネディのエルガーは、
確かLPで持っていたような気がする。
その時のピアニストとは気づかなかった。

これをカセット・テープに入れて、
何度も何度も、カーステレオで聴いた記憶がある。

この二人が演奏したものであるから、
悪いわけはあるまい。

では、このショスタコーヴィチの前奏曲、
ヴァイオリン編曲版とは、どのような曲なのだろうか。

デンビイ・リチャーズという人がCD解説を書いている。

「1928年に始まる、スターリンの時代、
最初の5年間は、ソ連の音楽は、
チャイコフスキーを、
嘆かわしいブロジョワ的逸脱として非難する、
プロレタリア音楽家協会の拘束下にあった。
1932年までに、協会の努力は、
無駄だということになったが、
ショスタコーヴィチのような若い音楽家に与えた、
インパクトは、計り知れないものがあった。
その要求に忠実であったショスタコーヴィチは、
映画や劇場用の音楽の作曲家として、
社会的に受け入れられやすい側面を見せつつ、
その真の創作エネルギーは、
選ばれたサークル内の
家庭用音楽に向けられることになった。
これらの作品の最大傑作は、
作品34の24の前奏曲で、
1932年から33年の冬に書かれ、
1933年5月に初演された。
この作品は、1950年に作曲を始められた、
作品87の『前奏曲とフーガ』や、
ショスタコーヴィチの個人的側面を伝える、
偉大な室内楽曲集を予告するものとなった。
この録音では、
ドミトリ・ツィガーノフによって、
ヴァイオリンとピアノ用に編曲された、
19の前奏曲を集めたもので、
これは、ピアノ版を自身演奏していた
作曲家によっても、全面的な承認を得たものである。
ツィガーノフは、1903年、
サラトフに生まれ、
室内楽に専念する前には、
華麗な技巧のヴァイオリニストであった。
1923年、彼はベートーヴェン四重奏団を率い、
この団体は、ソ連の室内楽の発展に、
多きな寄与をすることとなり、
ショスタコーヴィチの四重奏曲すべてを演奏した。
ツィガーノフは作曲家の友人であって、
ショスタコーヴィチは、音楽家として、
彼を尊敬していたが、
彼こそが、エレオノーラ・トゥロフスキーの師匠であった。」

ということで、このCD、
ショスタコーヴィチの演奏では、
二大名門とされた、ベートーヴェン四重奏団と、
ボロディン四重奏団の、二人のヴァイオリニストを、
同時に取り上げた企画になっているのである。

「ツィガーノフは、
そのヴァイオリンとピアノのための編曲を、
この録音の順のように3つのグループに分けた。
最初に聴くのは、第10番で、
フィールド風の『夜想曲』で、
2番目のもの(第15番)は、
バレエの情景そのものである。
次に、行進曲(第16番)が来て、
幽霊のような音色の変化があり、
突飛なガヴォット(第24番)が続き、
伝統主義を足蹴にするが、
最後は予期しない静謐さに至る。」

ここに書かれているように、
様々な音色の変化を聴かせるものだが、
さすがヴァイオリニストの編曲というべきか、
あるいは、エレオノーラ・トゥロフスキーの演奏の冴えか、
非常につややかな音楽を聴かせる。
もっぱら、色気とは無縁のような、
乾いた音色を連想させるショスタコーヴィチの音楽にあって、
非常に異彩を放つレパートリーだ。

しかし、ショスタコーヴィチと、フィールド!
すごい対比だ。
私は、フィールドのことを、
ショスタコーヴィチが知っていたなどと、
想像したこともなかった。

この傾向は次のグループでは、
さらに叙情性を増して、
ロマンティックな風情すら感じさせるに至る。

「前奏曲第1番は、
リムスキー=コルサコフの
『シェヘラザード』の主題にヒントを得たもので、
第3は、『無言歌』のように始まるが、
ほとんど管弦楽的なバスのトレモロで、
最高潮に達する。
前奏曲第8番は、
シューベルトの『楽興の時』の魅惑に傾き、
第11番でバッハのジーグの領域に踏み込み、
最後の小節では『アモローソ』となる。」

最初の2曲は、夢想的なもので、
ものすごくロマンティックである。
これを聴いてショスタコーヴィチと答えるのは、
難しいかもしれない。
ショスタコーヴィチが、
性格的に許容できず、解放できなかったものを、
ツィガーノフが解き放ってしまったように思える。
第8で、図らずもシューベルトと書かれたが、
確かに、有名な第3番のようなリズムである。
バッハ風と書かれたものは、
最もショスタコーヴィチ風にシニカル。
最後のコーダは、妙になまめかしい。

ショスタコーヴィチとシューベルトも、
フンメルとシューベルト同様、
繋がりがあるとは思いにくい。

しかし、ショスタコーヴィチは、
マーラーを崇拝していた可能性があり、
シューマンの作品を編曲したりしているから、
ドイツ・ロマン派と無縁だった訳ではなさそうだ。

が、ここで、この曲が、
シューベルトへのオマージュなのかどうかは分からない。
単にリズムが似ているだけである。

この次のグループは、
妙に短く、ぎすぎすした曲集である。

「次に、モト・ペルペトゥオ(第5)が来て、
幻想の舞踊(第2)が続くが、これは、
ショスタコーヴィチ最初の重要作、
1922年の舞曲作品5を想起させる。
風変わりなポルカ(第6)は、
マーラーのスケルツォ風である。」

これは、「少年の不思議な角笛」のような、
へんてこりんな作品で、
確かにマーラー風である。

その後に12番の前奏曲が続くが、
これもまた、メロディアスで神秘的、
プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲みたいな感じ。
謎めいた音型が繰り返されるのがショスタコ風だ。

「12番の前奏曲は、アルペッジョの練習曲で、
13番はドラム連打の伴奏を伴う行進曲、
ほろ苦い味わいの、ゆっくりとしたワルツ(17番)は、
次の、ダンスのようなエピソードを持つ、
『二声のインヴェンション』(18番)と対比づけられる。」

この17番は、この曲集で最長の2分32秒。
夢想的で名残惜しく美しい。
18番は、そのような思いを断ち切る、
さくさくした作品。

が、続く、曲は、これまた、
ヴァイオリンの美音が泣かせる作品。

「19番は、舟歌の形式で書かれ、甘くて、苦いが、
21番の5/4拍子のぴりりとしたロシア舞曲に続く。」

せわしない舞曲で、幕間劇のどたばたである。

ここでもまた、とても印象的な歌に満ちた作品が続く。

「最後に、曲集を締めくくる軍隊調二拍子の
アレグレット・フリオーソ(20番)の前に、
表情豊かなゆっくりした楽章(第22番)が来る。」

とあるように、
最後の作品は、荒れ狂った44秒である。

このように、以上19曲の前奏曲は、
とてもヴァイオリンにふさわしい音楽に書き換えられていて、
しかも、ショスタコーヴィチの様々な局面を味わえる、
贅沢設計となっていることが分かった。
ショスタコーヴィチが、
お墨付きを与えていたという話がありがたい。

プロコフィエフの「束の間の幻影」のように、
どの曲も花火のように揺らめいて消えて行く小品。
幻想的でありながら、ロマンティックで辛辣。
私は、非常に楽しめた。

是非、ツィガーノフがどんな演奏をしたのか、
聴いて見たくなる。

さて、ツィガーノフがベートーヴェン四重奏団のリーダーなら、
一方の雄、ボロディン四重奏団のリーダーは、
1976年までは、ドゥビンスキーであった。

彼が独奏を受け持つソナタというのも、
非常に貴重なものになるだろう。
この人もまた、ショスタコーヴィチと、
直接的に関係があった、優れた演奏家であったのだから。

「ロスティラフ・ドゥビンスキーは、1923年、
ウクライナに生まれ、
モスクワ音楽院にて、
アブラハム・ヤンポルスキーに学んだ。
1946年、ボロディン四重奏団を創設、
続く30年、アンサンブルの第1ヴァイオリンを受け持ち、
全世界で3000以上の演奏会を開いた。
1976年、妻のピアニスト、
リューバ・エドリーナと共に、
オランダに居を定め、ここで、
ハーグ音楽院のヴァイオリン教授に任命された。
同様に亡命仲間の、
チェリストのユーリ・トゥロフスキーと共に、
ボロディン・トリオを結成した。
1981年までオランダに留まり、
アメリカに移住した時には、
インディアナ大学の室内楽の責任者となり、
1997年、短い闘病の後、亡くなるまで、
17年間、この地位にあった。」

1922年生まれであることは今回分かったが、
75歳で亡くなったということか。
ソ連の崩壊が91年なので、
アメリカ移住後10年は崩壊前、
その後7年は崩壊後、いずれも、
ややこしそうな問題に悩まされなかったか心配になる。

この人のヴァイオリンは、
先の前奏曲集のエレオノーラ・トゥロフスキーとは違って、
少し乾いた音だと思うが、今回、独奏なので、
そのあたりを良く味わうことが出来る。

しかし、この曲は、オイストラフとリヒテルの演奏も、
妙に厳粛なばかりのイメージであったが、
やはり、あまりに潤いに欠ける。
これでは、ドゥビンスキーが乾いているのか、
あえて、乾かせた音で弾いているのか分からない。

この曲は、オイストラフが60歳の時に、
ショスタコーヴィチが贈った誕生日プレゼントだが、
こんな暗鬱とした作品を、
オイストラフもよく喜んで演奏したものだ。

今回のドゥビンスキーの演奏は、
オイストラフ盤のような透徹しきったものではないが、
非常に凝集された、集中度の高い演奏を聴かせる。

こちらの曲の解説は、いつもの、
ロバート・レイトンによるものである。

「ショスタコーヴィチは、
ヴァイオリンの協奏曲を2曲作曲したが、
1曲は第二次大戦からほどなくして書かれ、
一方は60年代に書かれた。
オイストラフとの長年の友情にも関わらず、
彼は、この作品まで、
この楽器のためのソナタを書かなかった。
弦楽四重奏曲第12番(1968)の直後、
弦楽四重奏曲第14番(1969)の直前に、
オイストラフの60歳の誕生日の祝いに書かれた。
(両協奏曲は、彼に捧げられている。)
ソナタはショスタコーヴィチの後期作品特有の、
個人的性格が顕著で、簡潔で厳しい。
作曲家の個性の多くは、
その初期作品から明らかであり、
1960年代からの晩年の音楽は、
彼が既に開発した領域を、
ただ描き直したものと想定する傾向がある。
この考えは、
妥当性不確かな三流の作曲家が、
実質的な進展の欠如をごまかすために、
新しい音を求めて、
スタイルの工夫をしがちだという事実と、
一緒くたにしてしまうという危険を伴う。
ショスタコーヴィチの深さは、
(しかし、素材は少ない)
常にすぐに分かるものではない。
非常に一貫性のある彼の語法は、
人を惑わせやすく、
表向きから独立して深まっている事を、
なかなか気づかせない。
第12番の四重奏曲と同様、このソナタは、
12音技法が存在するにも関わらず、
非常に調性的である。」



さて、以下、楽曲の解説に入るが、


「アンダンテは、ピアノによってトレースされる、
12音のアイデアで始まり、
これが変容していく。
この音列の次の始まりに重なって、
ヴァイオリンは反行系の楽想で入って来る。
これのアウトラインは、
第2ヴァイオリン協奏曲の開始部の引用で、
その後、2つの楽器はこれらを交換する。
ついでながら、私は、この楽章を通じて、
ピアノ書法は、最も簡潔を極めたもので、
2オクターブ離れた重音ラインか、
または、開離和声で成り立っていることを補足したい。」

聴いていると、おっしゃる通り、
という感じだが、
何故、ショスタコーヴィチが、
こうした12音技法を採用した理由が知りたいものだ。


「対照的に、ピアノの内気なアイデアが、
ヴァイオリンのリズミックな伴奏に乗って現れ、
これは後に、役割が入れ替わって、ヴァイオリンが奏でる。
音楽はオープニングの音列が再現するまで、
この材料から構成される。」

これも、確かにそうなのだが、
こんな剽軽な楽節が、皮肉っぽく始まる理由は何なのか。
イメージとしては、オイストラフもショスタコーヴィチも、
四角四面の真面目人間で、
献呈者としても被献呈者としても、
まったくふさわしくない。
かなり長い部分が、
歌うでも語らうでもない、
独白で構成され、実に不思議極まる音楽だ。

しかし、中間部で、ぽろろん、ぽろろんと、
ピアノが鳴り響くあたり、
何となく冥界の声のようで気味が悪い。

あるいは、お呼びの音楽?
そんな感じがする。
とんでもないお祝いの曲である。
老境祝い?

「この楽章の残りの部分では、
2つの楽器はこの材料を徹底的に検証し、
展開部と再現部を兼ねた動きを見せる。」

提示部に力点が置かれた、
変則的な構成というべきか。

「中間楽章は、
他のショスタコーヴィチのスケルツォ同様、
爆発的なエネルギーと推進力に満ち、
はじめの小節には、交響曲第12番の回想がある。
全体的に他のスケルツォ同様、
輝きに満ち、堂々たるものである。」

第2楽章も、軽妙な感じ。
バルトークのように民族的な感じもするし、
英雄的に突撃しているような感じもするが、
どこかやけっぱちな感じである。
ヴァイオリニストはへとへとになりそうだ。

が、解説にあるように、
非常に力に満ちており、
身体から何かが発散していくような感じ。
5分を過ぎた辺りから、
もうへろへろ感が立ち上ってくるが、
ドゥビンスキーは緊張感を持って、
ますます集中力を高めていく。

しかし、陰鬱な両端楽章に挟まれて、
いかにも、死と隣り合わせの生、
という感じが強調されてしまう。
時として戯画的な表情が、
その感を強くする。

「終楽章は、3つの楽章中、
ある意味、最も印象的で、
第1ヴァイオリン協奏曲やピアノ三重奏曲同様、
パッサカリアである。
テーマは、ヴァイオリンのピッチカートと、
ピアノの左手の間に分けられた12音音列の8小節で始まる。
主題の5番目の登場で、
ヴァイオリンは、その音の間隔を反転させ、
その後、導入部の音列の要素が聞こえる。」

最も印象的な楽章とあるとおり、
全体の半分の16分を占め、
極めて瞑想的、神秘的な色彩が繰り広げられる。
高揚しては、沈潜して低回し、
気味悪く闇に息づく謎の生命体のようである。
いわば、地獄の住人と要約してもよかろう。
鱗粉を散らしながら、落下していく音楽にも聞こえる。

それにしても、ショスタコーヴィチは、
なんというソナタを書いてくれた事だろう。
このような謎に満ちた音楽に、
全精力を費やして取り組んでいることがよく分かる。
まるで、人間魚雷回天に乗り組んで、
この音楽もろとも果てようという気構えを感じる。

終わりの方では、冥界からのお呼びのような、
ぽろろん、ぽろろんも聞こえて来る。
我々は、こんな音楽に乗って、
いったい、どこに向かえば良いのだろうか。

ヴィオラ・ソナタは、まだ、月光の美の中に、
沈潜していくような安楽死の救いがあったと思う。
ヴァイオリン・ソナタには、中間楽章の、
束の間の英雄的燃焼があるばかり、
と書けば良いのだろうか。

曲想のせいか、ドゥビンスキーのヴァイオリンは、
ひたすら乾いた音で独白するもので、
集中力と密度が高く、
音楽の中に身を投げ込むかのような気迫がすさまじい。

エドリーナのピアノが、
いくぶん、一歩下がって、
余裕を持っているのが救いである。
二人して同じような取り組みだとすれば、
私は耐え難く思ったかもしれない。

得られた事:「ソナタ:死と隣り合わせゆえの、英雄的燃焼。」
「前奏曲:盟友による、意外なショスタコの叙情解放。」
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by franz310 | 2010-07-18 23:17 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その234

b0083728_23542844.jpg個人的経験:
ボロディン弦楽四重奏団は、
1944年にメンバーが集まり、
46年にプロとしてデビューした、
ソ連のアンサンブルであるが、
76年にリーダー離脱という、
一騒動を経験した。
第1ヴァイオリンの、
ドゥビンスキーが、
西側に亡命してしまったのである。
彼は、さらに新しい団体を作った。


妻のピアニスト、エドリーナと、
チェロのトゥロフスキーとで、
三重奏団を作り、
ボロディン・トリオと名付けた。

作曲家のボロディンは、
偉大な四重奏曲を書いたが、
著名な三重奏曲は残してないので、
極めて、象徴的なネーミングである。

同志たる妻をないがしろにしないためには、
弦楽四重奏団ではダメだし、
残してきた元同僚たちにも悪いと思ったのだろうか。

チェロのトゥロフスキーは、バルシャイの指揮の下、
モスクワ室内管弦楽団の独奏者をしていた人だが、
ドゥビンスキーとどういう関係かは分からない。
解説を読むと、海外公演中に亡命したように見える。

バルシャイは弦楽四重奏団時代からの盟友であるが、
関係があったのかなかったのか。

ちなみに、トゥロフスキーも妻を伴っての亡命と見え、
そのエレオノーラとは、このCDと同じ、
シャンドスから、共演したCDも商品化されている。
あるいは、亡命後に知り合ったのかもしれないが。

さて、76年と言えば、
彼らが得意とした作曲家、
ショスタコーヴィチが亡くなった翌年である。
従って、ドゥビンスキーの行動は、
その死を看取っての亡命にも見える。

このCDは、亡命後7年、
1983年の録音であるが、
敬愛したショスタコーヴィチの五重奏曲、
それから三重奏曲が収められている。

前回、第8弦楽四重奏曲の中には、
ピアノ三重奏曲の引用がある、
と解説に書かれていたが、
どこがそうなのか、ちょっと調べてみたくなった。

また、シューベルトの「ます」と同様、
ピアノと弦楽合奏の室内楽で、
直接の後継者ではないと思うが、
5楽章からなるなど、
類似点もあるピアノ五重奏曲を、
聞き返してみたくもなった。

さらに、ボロディン弦楽四重奏団が、
彼を失って、何がどうなったかも、
ちょっと気になるではないか。

さて、このCDの表紙は、非常にカラフルで、
手にとって楽しく、とても見栄えがする。
太いタッチで、青を基調に、ロシアの雰囲気が、
エキゾチックに立ち込めている。

見ると、エレオノーラ・トゥロフスキーの絵画とある。
チェロのトゥロフスキーの奥さんである。

このような、郷愁に満ちた絵を描く人であるから、
おそらく、彼女も亡命してきたのであろう、
などと、勝手な妄想をした。

この人はヴァイオリンやヴィオラも弾くので、
おそらく、才能ある人なのであろう。

ただし、何故か、ヴァイオリン奏者が、
二人必要とする曲もあるというのに、
残念ながら、この人は加わっていない。
代わりにミミ・ツワイクという人が加わっている。
ドゥビンスキーとエドリーナのつとめる、
インディアナ大学の同僚とある。

また、五重奏曲にヴィオラで共演しているのは、
プリムローズの弟子で、
ファイン・アーツ四重奏団のヴィオラ奏者、
ジェリイ・ホーナーという人で、
ヴィオラも弾けるエレオノーラは、
ここでも落選したようだ。

さて、先に、ドゥビンスキーと、
ショスタコーヴィチとの関係に思いを馳せたが、
このCDの解説は、語り尽くせぬものがある風情。
7ページ以上にわたって、英文が書き連ねられている。

ヨーロッパ盤であるにも関わらず、
他の国の言語はすべて無視されている。

「ショスタコーヴィチは1975年8月9日に亡くなった。
彼は、決して自身の音楽について語らず、
何の説明もしなかったが、
音楽家がそれに理解を示した時は、
興奮して喜んだ。
そしてようやく死後、その回想である、
『証言』を読むことが出来た。
『私の音楽が全てを語っている。』」
という、一文が、解説の真ん中のページを飾っている。

解説に現れる、多くの言葉は、
ロスティスラフ・ドゥビンスキーの、
『音楽だけではなく』という本から、
抜粋して取られているらしい。

この「証言」は、現在では偽書という評価のようだが、
この1983年の時点では、
ものすごい反響があったものだ。

しかし、ドゥビンスキーの著作は、
まさしく、ショスタコーヴィチの本の中の言葉から、
触発されて出てきたもののようだ。

それにしても、ショスタコーヴィチの訃報から、
ソ連崩壊などを、私は同時代人として体験したが、
あの国の内側で起こっていた事など、
つゆ知らずにいたが、
おそらく、こうした実情を語る著作もまた、
そうした歴史を動かしていたのかもしれない。

では、この多弁なヴァイオリニストの
ドゥビンスキーは、どのような経歴かというと、
「モスクワ音楽院でアブラハム・ヤンポルスキーに学び、
1944年、それを終えると、
新設されたモスクワ音楽院四重奏団、
後年のボロディン四重奏団のリーダーとなった。
1968年、この団体は、
25年にわたる偉大な功労芸術家として勲章をもらい、
76年にドゥビンスキーが妻のリューバ・エドリーナと、
ソ連を去るまで、ボロディン四重奏団は、
全世界で3000ものコンサートを開いた」
とある。

音楽一筋の人生ながら、様々な事を感じながら、
この激動の時代を乗り切って来たようだ。
1922年くらいの生まれだと思われる。

したがって、戦争が始まる1940年頃には、
成人する手前の年頃だったと思われる。
スターリンの恐怖も、若い感性で、
身をもって実感した世代なのだろう。

ということで、このCD解説は、
「ドゥビンスキーは思い出す・・」
という題名の文章となっている。

以下、ドゥビンスキーの本からの抜き書きであろう。
ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲が、
作曲された、時代背景が描かれていて、
非常に興味深い。

「ソ連の歴史を通して、1940年という、
ドイツ侵攻の前年に当たる年は、
比較的『静かな』年で、
嵐の前の静けさだった。
革命最初期の『赤色テロ』の時代は過ぎ、
1929年から30年に、
集散のために集められた数百万の農民が、
シベリアに追放された。
1935年から6年の政治的な試行は終わり、
全国各地を巻き込んだ集団逮捕も、
1937年から8年には終わりを告げた。
1939年、ヒトラーのドイツは、
『独ソ不可侵条約』を結び、
『ファシズム』という言葉は、
抹消され、ボリショイ劇場は、
ヒトラー賛美のヴァーグナーを上演した。
小休止があり、生活の緊張はほどけた。
キャビアなど様々なものが、
通常の価格で店に並び、
人々の顔には笑顔が多く見られるようになった。
ショスタコーヴィチは、
ピアノと弦楽合奏のために、
作品57の五重奏を書いた。
彼のことを、
私たちはプーシキンの悲劇、
『ボリス・ゴドゥノフ』の編年史家である、
ピーメンと呼んでいた。
もちろん、ソ連の法律では、
『意味のないことへの熱中』や、
『真実の伝承』などに、
命をかけることとなる人を意味する。」

ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲は、
やたら、ぎらぎらして、
エネルギーに満ちた作品だと思っていたが、
久しぶりに街に並んだキャビアを思いだそう。

「当時の状況の音楽的反映としての、
ショスタコーヴィチの作品は、
文明化された力を縮約し、
社会の悲哀への洞察する。
彼の人生において、
ソ連の権力がその音楽を二度も禁じたことは、
驚くことではないのである。」

ショスタコーヴィチは、
自身の交響曲を「墓標」と呼んだとされるが、
この力強い五重奏であっても、
何か、悲劇的な色調は強烈である。

「しかし、それを許して以降、
それはさらにやっかいなことになった。
何故なら、ソ連というものに対する真実が、
ショスタコーヴィチの音楽を通じて、
全世界の人々の心に直接的に浸透し始めたからである。
五重奏曲の初演は、1940年11月23日、
モスクワ音楽アカデミーの小ホールにおいて行われた。
作曲家自身とベートーヴェン四重奏団の演奏だった。
主要チームのサッカーの試合にかき消されることなく、
列車の中でも、この五重奏は熱く議論され、
街中で人々は、挑戦的な終楽章のテーマを口ずさんだ。」

問題の1940年も暮れに近い。
翌年からの独ソ戦を予告しなくとも、
世界情勢を見れば、明るい気分にはなれなかっただろう。

非常に鬱屈した、
ショスタコーヴィチ的な雰囲気の中、
強烈に意志的なものを感じさせるのが、
この曲の魅力で、
それが、当時の聴衆の共感を呼んだのかもしれない。

しかし、私は、この曲を学生時代から知っていながら、
あまり良い曲と感じたことはなかった。
持っていたレコードは、
このドゥビンスキー時代のボロディン四重奏団、
ピアノは、ここでも弾いているエドリーナであったが。

しかし、今回、このCDを聴いてみて、
こんなに内省的な音楽だったかな、
と首を傾げた。

ドゥビンスキーは、ソ連の制御から解放され、
ショスタコーヴィチも「証言」を書いたし、
ここは1つ、違う行き方で行くか、
と進路変更したのだろうか。

「戦争がすぐに始まり、それが国家の運命や、
人々の意識を完全に変え始めた。
より良い生活に対する偽りの希望や、
革命に対する犠牲は無駄ではなかった、
という希望などがあったとしても、
この希望は、再び現れることはない運命であった。
この五重奏曲は、
暗い闇の中に沈んでいく未来を前にしての、
最後の一条の光で、当時の人々の意識を反映している。」

第1楽章は、壮麗なレントの前奏曲であるが、
ここには、高ぶった作曲家の意志が充満している。

第2楽章は、アダージョのフーガで、最も長い楽章。
この部分の静かな美しさは、特に印象深い。
まさしく、深い闇を前にしての、
壮麗な日没を見るようだ。

第3楽章は、スケルツォであるが、
昔のLPなどは、かなりどぎつい表現だったような気がする。
今回はそうでもなく、キャビアが普通の値段で、
店に並んでいる商店街を連想する。

第4楽章は、レントの間奏曲。
あっさりと薄いテクスチャーで、
悲しげで、無力感の漂うメロディーが奏でられるが、
昔の演奏は、こんなに静かだったかなと思う。

私のイメージでは、この曲は、
どんちゃらした変な作品だったのだが、
非常に心を込めた作品として聞こえる。
このあたりのドゥビンスキーの音色を聴けば分かるが、
この人のヴァイオリンは、乾いた音色で、
一点一画をゆるがせにしないもののようだ。
だから、ラヴェルのような作品で、
精彩を放ったのだな、と納得してしまう。

ここでも、銀色のレースのような、
はたまた、真実を刻み込むような表現に、
この音色が向いていると思ったりする。

第5楽章、急に、ピアノが優美な表情を一閃させ、
美しい楽想が流れ出す。
ここもまた繊細だ。
エドリーナのピアノは、前の演奏では、
意味も無くけばけばしかった記憶があるが、
今回の演奏は落ち着いていて嫌味がない。

ショスタコーヴィチの音楽に珍しく、
ここには、生き生きとした輝きがあるが、
その意味では、ここだけは、
シューベルトの五重奏の精神を、
いくばくか受け継いでいるような気がした。

今回、これを聴くと、妙に神妙な気持ちにさせられた。

そもそも、この演奏を初めて聴いた時、
何だか、よく聞こえないCDだなあ、
と思った記憶があるが、
ショスタコーヴィチの「証言」以降、
かなり初期の演奏であり、
作曲家に近いところにいた人の演奏だけに、
自問自答しながら、
細心の注意が払われたものと思われる。

以下は、ここに収録されたもう1曲、
ピアノ三重奏曲第2番作品64の作曲された時期に関する、
ドゥビンスキーの言葉のようだが、
彼はユダヤ系だったのだろうか、
過酷な彼らの運命が記されている。

五重奏曲とは異なり、
この曲そのものの解説にはなっていないが、
終楽章で出てくる「ユダヤの歌」が、
この曲の重要な要素であることから、
味わうにふさわしい文章と言える。

ちなみに、この「ユダヤの歌」は、
自伝的な「第8四重奏曲」でも引用されるものだ。

「・・・第二次世界大戦は終局に向かったが、
ソ連内では、その人民に対する新しい戦いが、
新局面で始まろうとしていた。
『共産主義』のキャンペーンは進化して、
別の側面の新語、『根無し草のコスモポリタン』が登場した。
この言葉の意味は十分理解することは出来ず、
人々は単純な言葉『ユダヤ』を当てはめた。
若いユダヤ人に次々と門戸は閉ざされ、
次第に行政の仕事から閉め出され、
結局、どの職業もそうなった。
音楽院のユダヤ人教師も解雇され、
ロシア人がその席を占めた。
音楽院大ホールの、
メンデルスゾーンの肖像は天井から消えた。」

ナチスだけでなく、
ソ連もまた、ここまでやっていたのである。

「新聞は一般の意見を準備し、
特別に選ばれたユダヤ人の名前が、
毎日の記事となる。
これが人々を駆り立て、
考えや行動に方向をさだめ、
街頭でユダヤ人を侮辱しても罰せられなくなった。
公式には、反ユダヤ主義は、法に反していて、
ソヴィエト憲法には、それを許さない条項もあったが、
それに言及するという考えは、
まったく誰の心にも生じないのであった。
ユダヤ人は常時警告を受けながら暮らし、
隠れ、ひそひそ声で小話が互いにささやかれた。
こうしたジョークは束の間の間、緊張を和らげた。
ユダヤ人らは、恐怖を隠しつつも、
絶え間なき運命の呵責に従うしかなかったのだ。」

以上は、どうやら、ドゥビンスキーの言葉らしい。
解説を書いているのは、
前回のCDにも登場した、
ロバート・レイトンなので、
以下は、彼自身の言葉なのであろう。

この三重奏曲、最近、演奏される事が増えているが、
私は、そんなに興味を持ったことがなく、
解説を読むのも始めてだと思う。

「ショスタコーヴィチは、トリオ作品64を、
1944年に作曲した。
初演はモスクワである。
演奏は、作曲家自身と、
ベートーヴェン四重奏団のメンバー、
ツィガーノフとシリンスキーであった。」

何と、ベートーヴェン四重奏団は、
弦楽四重奏のみならず、
こんな曲も初演していたのであった。
しかし、1944年、
日本人にとっても、
考えるだけで気が滅入る年だ。

「曲は荒廃した印象を残した。
人々はあからさまに声を上げ、
トリオ最後のユダヤ的な部分では、
反響が大きく繰り返されずにはいられなかった。
当惑して神経質になったショスタコーヴィチは、
何度もステージに呼ばれ、
決まり悪そうにお辞儀をした・・
初演の後、トリオは演奏が禁じられた。
誰もそれに驚かなかった。」

なるほど、こんな音楽を、
ショスタコーヴィチは、自身の遺書とされる、
「第8四重奏曲」で引用していたのである。
これだけでも、妙に、危険な行為ではないか。
まさしく、「遺書」というのも冗談ではなかったわけだ。

「この三重奏は、音楽のみならず、
何か別のものを表現しており、
何か真実をそのまま翻訳したような感じがする。
これを逐次言葉にすることは、
意味のない仕事である。
一人一人の聞き手が、これを自身の考えで、
聞き取るべきであろう。」

いきなり、このように、
解説をやめてしまうのかと思ったが、
何とか、話を続けてくれて良かった。

「しかし、このトリオの演奏の後、
聴衆は気を滅入らせて押し黙り、
拍手を急ぐ必要を感じない。
虐待された作曲家の苦い言葉を聞き、
理解することが出来ないだろうか。
公式には、このトリオにプログラムはない。
しかし、ショスタコーヴィチの近くで30年仕事をし、
その全四重奏曲を演奏し、
繰り返しその五重奏曲を共演した人は、
何を彼が感じ、音楽の中で、
言いたかったことが理解されないわけはないと思う。」

そこまであからさまな音楽、
この苦難の時代の音楽だと思うと、
聴きたいような聴きたくないような。

しかし、ボロディン・トリオは、
まさしく、この曲を演奏するべく、
亡命したような団体ではないだろうか。

彼らは、モーツァルトからベートーヴェン、
シューベルトなど、古典の三重奏曲を、
端から端まで録音していたが、
別に、ソ連産の演奏で、これらを聴きたいとも思わなかった。

以下、解説を書く人が、考えを撤回して、
言葉にしてくれて助かった。

「もし、まだ、このトリオを
言葉で表現したいと思うなら、
不安な不運の予感のように、
この曲の冒頭は響く。
慈悲なしにどう克服するか、
スケルツォの第2部では、
死の舞踏の、冷酷で破壊的な爆発があるのを感じる。」

このトリオ、この曲の第1楽章に明らかだが、
かなりヴァイオリン主導型と見た。
徹底的にヴァイオリンが前面に出て、
表情の隅々まで彫琢していくような感じである。

第1楽章は、確かに、最弱音の開始が不気味。
アンダンテからモデラートになるが、
そんなに陰惨な感じはなく、
メロディもショスタコーヴィチにしては、
明解である。

第2楽章がスケルツォであるが、
明るく楽しいダンスのように聞こえる。
死の舞踏の冷酷さよりも、
次の楽章、ラルゴの悲しさとの
落差を狙ったみたいにも思える。


「第3部パッサカリアでは、身の毛もよだつ、
ピアノの和音を聞く。
『イヴァン・デニソヴィッチの一日』の
収容所の囚人が、
線路を叩くハンマーの音ではないのか。
強制収容所の中で聴くような、
悪魔の音響が音楽会場をよぎり、
ヴァイオリンとチェロは嘆き、
非業の死を遂げた者を悼む。」

私は、この解説を書いている方々には
笑われるかもしれないが、
強制収容所のハンマーの音を、
ここから聞き取ることは困難であった。

きっちりしたヴァイオリンが主導する
ボロディン・トリオの演奏は、
そもそも、そうした感情的なものではなく、
かなり古典的な清潔感を好む。

「トリオの終楽章はクライマックスで、
ショスタコーヴィチ自身のクライマックスであった。
そこにあるユダヤ的な動機は、
力強い抗議の怒りにまで達する。」

この主題が何故、ユダヤなのか、
よく分からなかったが、
確かに、プロコフィエフの「ヘブライの主題」に似ている。

「真実を語りたい芸術家の
市民としての勇気は、
このことゆえに、ソ連時代を通じても、
ロシア音楽史において類例のない、
文化活動上の死刑宣告を受けた4年を過ごすこととなる。
終楽章は連続的にテンションを上げ、
室内楽では珍しいフォルテテッシモに至る。」

非常に悪趣味な音楽表現で、
演奏会で聴いたら、かなり強烈であろうが、
あまり休日に部屋で聴きたいとは思えない。

戯画的にまで強調された表現であるが、
駆け巡るピアノなどは、とても美しい。

何だか、あれだけ雄弁な文章を書いた人が、
あまり扇情的な表現を取っていないのは、
少々驚きである。

「表現手段を使い果たした事は、
予期なくしてヴァイオリンもチェロも、
ミュートしてしまうことから分かる。
死の苦しみの中で、
鋼鉄の手で喉を絞められる
この国全体の運命に対するクエッションマークのように、
トリオは、存在が抹消されるが如く、
最初のユダヤの動機が消えて終わる。」

曲の終わりも、「第8交響曲」や、
「チェロ協奏曲」のような不思議さはなく、
おわっちゃった、という感じしかしなかった。


解説はまだまだ続くが、
この辺で終わりにしたい。

私は、ショスタコーヴィチの死と、
ドゥビンスキーの亡命の関係が、
ここに書いてあるかと思ったが、
それは見つからなかった。

が、ヤバい祖国の実情を、音楽で世界に発信してくれた、
偉大な作曲家がいなくなった今、
もはや、ここには救いがない、
といった感情が、ドゥビンスキーにはあったかもしれない。

しかし、このCD発売当時、まだソ連は実在していたはずで、
このCDの存在そのものが、かなり危険な感じがする。

この解説が、必要以上に長大で、
アジテート気味なのも、
ひょっとすると、そうした、
政治的な背景もあってのことかもしれない。

得られた事:「『証言』以前、以後で語られる、ショスタコーヴィチ演奏であるが、率先して室内楽で転向を果たしたのが、ボロディン・トリオであった。」
「ボロディン四重奏団結成時のリーダー、ドゥビンスキーは、雄弁な著述家であり、神経の行き届いた表現で聴かせるが、乾いた音に特徴がある。」
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by franz310 | 2010-07-10 23:54 | 現・近代

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その233

b0083728_1293813.jpg個人的経験:
ボロディン四重奏団は、
などと急に書き出すのは、
リヒテルが録音した、
「ます」の五重奏曲の
共演団体が、
この四重奏団だからである。
戦後すぐに活躍を開始した、
ソ連-ロシアの名門であるが、
リヒテル同様、
西側のデビューは衝撃的だったようだ。


リヒテルのライブ録音でもお世話になった、
BBCレジェンツが、ここでも貴重な録音を、
紹介してくれているのが嬉しい。

まさか、こんな所から、
こんなものが出てくるとは思っていなかった。
表紙デザインも青系だったリヒテルのを見た後、
強烈に鮮明な赤色である。

まさか共産主義を意識したわけではなかろうな。

しかも、白黒写真の団員たちが若々しい。
長老となるベルリンスキーなども、
向こう向きなのが惜しいが、
まったく別人である。

表情も良い。

このCD、特に最新のものではなく、
2001年に出ていたものだが、
このボロディン四重奏団のライブ録音は、
曲目からして素晴らしい。

真ん中に、彼らのトレードマークのような、
ボロディンの四重奏(第2番)を挟み、
前半には、繋がりの深いショスタコーヴィチの名品、
第8を置いて、後半は意表をついてラヴェルである。

ラヴェル以外は、この団体の演奏で、
我々も聴き親しんだものである。
そのあたりの経緯も、この解説を読むと分かる。

ロバート・レイトンという人が解説を書いている。

「『ロシア人一人だと無政府主義者だが、
二人だとチェスを始める。
三人では革命を起こすが、
四人ではブタペスト四重奏団となる』。
この有名な言葉は、
ハイフェッツの言葉とされるが、
少し後の時代ならば、
疑いなくソ連最高の四重奏団、
ボロディン四重奏団の名前を挙げたことだろう。
彼らは、戦後、たちまち頭角を現した。」

ものすごい導入である。
ブタペスト四重奏団の後継者、
という風に読めるが、
これは日本人の感覚とは少々合わないような。

ブタペスト四重奏団とは芸風も、
背景とする時代も異なるような気がする。

「元々、モスクワ・フィルハーモニア四重奏団として知られ、
1944年には、音楽院の学生が集まり、
プロフェッショナル・デビューは、
1946年10月のことだった。
ロスティラフ・ドゥビンスキーがリーダーであったが、
チェロはヴェレンティン・ベルリンスキーで、
55年後の今でも在籍している。
ルドルフ・バルシャイが、
有名な作曲家の息子のドミトリ・シェバーリンに、
1953年に交代するまでヴィオラを弾いていた。
(偶然、ショスタコーヴィチは、
3人の作曲家の肖像を置いていたが、
それは、バッハ、マーラー、
そして友人のシェバーリンだった。)
バルシャイ夫人のニーナが1947年から、
52年まで第2ヴァイオリンを担当、
彼女はヤロスラフ・アレクサンドロフに交代し、
彼は1974年、アンドレイ・アブラメンコフに代わった。」

非常にややこしいが、私の頭には、
1952~3年までは、
現在は指揮者として高名なバルシャイと、
その夫人が奏者として加わっていたということが、
最も強烈であった。
現在の名声からすれば、
バルシャイ四重奏団と言ってもよさそうだが、
モスクワ・フィルハーモニア四重奏団と、
呼ばれていたとのこと。

また、ヴィオラのシェバーリンが、
高名な作曲家の子息だということも、
なるほど、と思った。

彼らの結成50周年のアルバムには、
その名刺代わりのボロディンの「夜想曲」や、
チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」
と並んで、父シェバーリンの「スケルツォ」が、
収録されているのである。

シェバーリンは、写真、左から二人目であろうか。
その父親の「スケルツォ」は、
弦楽四重奏曲第5番「スラブ的」という曲の、
1楽章で、明解なメロディが頻出して、
とてもショスタコーヴィチと
同時代を生きたとは思えない作風である。

「同年、ドゥビンスキーは西側に亡命、
ミハイル・コペルマンが代わった。」

さらりと書かれているが、
これは大きな変化である。
何故なら、これは四重奏団の顔とも言える、
第1ヴァイオリンの交代だからである。

ドゥビンスキーは亡命して、
ボロディン・トリオという団体を創設しているから、
これまたややこしい。

ボロディン四重奏団は、
1974年をもって新生ボロディン四重奏団となり、
同時にボロディン三重奏団が、
分割されて出来たということだ。

私はボロディン・トリオはCD時代に知ったので、
ドゥビンスキーの亡命は、
1980年代のことと思っていた。

しかし、1974年というのは象徴的だ。
長年、彼らと共にあったショスタコーヴィチは、
翌1975年に亡くなっている。

「1955年、四重奏団は、
東欧、西欧に現れるずっと前に、
ボロディンの名前を冠した。
音色の洗練とアンサンブルの統一感で、
本国でも国外で伝説的な評価をたちまち獲得した。
1962年、エディンバラ音楽祭で、
ロシア音楽が特集されると、
2つの英国での呼び物があった。
英国初演となる、
ずっと隠されていた『第4交響曲』と、
新しく作曲された『第12交響曲』である。
歌劇の中には、プロコフィエフの『賭博師』があり、
ショスタコーヴィチ自身も招かれ、
ボロディン弦楽四重奏団も同様で、
初めて英国に姿を現した。
エディンバラの後、ロンドンのデッカのスタジオで、
ボロディンとショスタコーヴィチの四重奏曲を録音した。」

ということで、
このCDの音源は、
1962年8月29日(ボロディン)と、
31日(ショスタコーヴィチとラヴェル)、
エディンバラ音楽祭、Leith Town Hallでのライブである。

それにしても、この音楽祭、
豪華なプログラムである。
プロコフィエフの死後なのが残念である。
ショスタコーヴィチもよく出国許可が出たものだ。

いろいろメンバーの交代があって、
誰が何を弾いているか分からなくなったが、
53年以降、74年以前なので、
ドゥビンスキー、アレクサンドロフ、シェバーリン、
ベルリンスキーという布陣である。

リヒテルがボロディン四重奏団と共演して、
「ます」の五重奏曲を録音したのは、
約20年後であるから、コペルマンに、
第1ヴァイオリンが代わっている。

ただ、ヴィオラ、チェロは同じという点からも、
この二人が、長く、この四重奏団の顔であったことを、
物語っているだろう。

ところで、デッカのスタジオ録音の話が出ているが、
これは、日本でも大変有名なレコードであった。

1970年代、大木正興氏が、
ボロディンの第2四重奏曲の代表盤に、
一番に上げたのが、この時のLPである。

「その名にこだわる気持ちは毛頭ないが、
やはりたいへん美しい」と書いており、
「この四重奏団は非常な洗練度を持ち、
それが時に音楽を真新しい洗濯もののような
素っ気ないものにするときがあるのだが、
これは存分に温かく、色彩の変化もたいへん柔らかい」
と称賛している。

この「洗練」と「素っ気ない」が、
キーワードのようだが、
今回、このライブを聴く限り、
「洗練」されているかもしれないが、
「素っ気なく」はないような。

むしろ、非常に明晰で、
硬質な美学に裏打ちされたもの、と感じた。
が、彼らのベートーヴェンなどを聴くと、
確かに、容赦なく突き進む推進力みたいなものが、
前面に出てくるようだ。

さて、各曲の解説とともに聴き進めてみよう。

「ショスタコーヴィチの第8四重奏曲は、
作曲者自身のために演奏したことがあるように、
この四重奏団には特別なものである。
彼はこれを1960年、
戦争末期の痛々しい傷痕のまだ残る、
ドレスデンでの3日の滞在中に書き上げた。
彼は後に友人に、
『私が死んだ時、
誰かが、私自身の記憶を、
四重奏で書くのは困難なので、
私は自らそれを書くことに決めた。
本の口絵に、
『この曲の作曲家に捧げる』
と書いても良いくらいだ』
と書き送っている。
ショスタコーヴィチは、さらに、
これを書いた時、いかに涙が流れたか、
いかに熱中したか、
いかに死の観念につきまとわれたか、
について書いている。
細部まで綿密な注意をもって、
この曲を準備したボロディン四重奏団は、
作曲家の前でこれを演奏し、批評を乞うた時、
彼は再び涙を流し、向こうを向いてしまった。」

先の大木正興氏の解説では、
「第8番は第7交響曲の室内楽版のようなもので、
作曲者は三日でこれを仕上げた」
という簡潔なものだったが、
三日という記述は同じでも、
ちょっと違うようである。

そもそも、第7交響曲は戦時中の作品、
この第8四重奏曲は、スターリンなども死んだ後である。

ショスタコーヴィチが動揺するほどに、
ドレスデンの廃墟は、
強烈な印象を与えたのだろう。

それにしても、戦時中の空爆によって破壊された街に、
自身の姿を見るとは、
いったいどのような感じなのだろう。

その破壊されつくした寒々とした光景が、
スターリン体制下で荒廃した自国の姿と、
重なって見えたのだろうか。

これだけ見ても、今回のCDの解説は、
ショスタコーヴィチの解説だけが、
妙に念入りであることが分かる。

作曲されてから十数年しか経ってない時代と比べ、
さらにその2倍以上の時間が経過してみると、
様々な研究が進むようで、
いろいろ書くことが出てくるのだろう。

最近では、共産党入党の脅しに対して、
自殺を考えた作曲者の姿、
というのもあるようだ。

「最初と最後の四重奏以外の、
彼のすべての四重奏同様、『第8』は、
もう一つのロシアの偉大なアンサンブル、
ベートーヴェン四重奏団によって、
1960年の秋、
レニングラードで初演された。
この異常に個人的な5楽章の作品は、
中断なく演奏される。」

いずれにせよ、この曲も、
実に、この団体によって、
広く知らしめられたものであって、
今回のCDを聴いても、
妙に、デッカのLPと重なってしょうがない。

ただ、スタジオ録音がステレオだったのに対し、
こちらはモノラルである。
が、ホールが良いのだろうか、
音質に不満はない。

「第1楽章はショスタコーヴィチ自身の
音楽的モノグラム、
(名前の独訳から得られたモットーDSCH、
音符では、EsまたはEflat、C、H=B)
と彼の第1、第5交響曲からの引用で始まる。」

とにかく、うらぶれた、気の滅入る序奏で、
そんな中、モットーが浮かび上がっては消えて行く。
かなり、マイナス思考の作曲者の姿が見える。

「これはそのまま爆発的な、野蛮で間断なく、
ホ短調のピアノ三重奏からの引用が、
そのクライマックスとなるスケルツォに続く。」

爆発的とあるが、
「素っ気ない」かな、
と思いながら聴くと、
かなり冷徹な表現にも聞こえる。
作曲者のモットーは、完全に風前の灯火。
完全にマゾヒスティックな音楽を、
サディスティックに責め立てている。

私も、この曲はもう30年来の愛聴であるが、
こうした激情に、少々疲れ気味な感じ。

ボロディン四重奏団の演奏は、
生々しすぎていかん、
などと言いたくなるところだが、
今回、聞き直してみると、
別に、ヒステリックではなく、
正確極まるアプローチを
しているだけのようにも聞こえた。

「中心の楽章は、ワルツのようであるが、
冷笑するような性格を持ち、
チェロ協奏曲第1番からの引用がある。」

この楽章は、晩年のショスタコーヴィチを予告する、
不思議な思わせぶりの音楽である。
チェロ協奏曲第1番のみならず、
第2番もこんな感じではないか。

「第4、第5楽章は、共にゆっくりとしたもので、
第4楽章の開始部は、
古い革命歌『悲しい従属』の引用で、
オペラ『マクベス夫人』からのアリアを、
チェロが仄めかす。」

第4楽章は、ワルツの浮遊感を、
いきなり現実に突き落とす、
じゃじゃじゃ、のリズム。
こうした緩急自在が、
妙に、この曲を親しみやすいものとしている。

少なくとも、私の場合、
ショスタコーヴィチの四重奏は、
この曲が一番、聴き親しんだ感があって、
晩年の謎の作品群との、
親しさの乖離は尋常なものではない。

ふと思い出したが、FMでエアチェックして聴いていた、
「第1番」も、ひょっとしたら、
ボロディン四重奏団のものだったのではないか。
そんな気がしてきた。

「最後のページは、我々を最初のムードに連れ戻す。
寒々とした光景、精神的な悲しみで、
音楽は、偽りの景気づけや、
慰めにはならないというかのように。」

音楽はショスタコーヴィチ特有の、
言葉足らずな独白を繰り返す謎の音楽に入る。
何だか悲しげだが、いったいどうなったの、
でも言ってくれないと分からないじゃない、
という感じ。

が、悲しみの色調があまりにも魅力的なので、
ひょっとして、希望があるのかないのか、
よく分からないや、と、何だか許してしまう、
という聴き方が良いのだろうか。

聴衆の拍手が入っているが、
当惑しているようにも聞こえる。

「ボロディン四重奏団は、1962年後、
さらに3度、ショスタコーヴィチの『第8』を、
録音する機会を持ち、
1974年、1978年、
さらに1990年の全集の一環である。」

1974年に、全集を録音してから、
ドゥビンスキーは亡命したのか。

また、コペルマンは、
過去を清算するように、
1978年にすかさず、
新録音を始めたのだろうか。

「始まって直後の小節で、
彼らのテンポは1978年のものよりも、
時に活発であり、ヴィブラートも激しい。」

しかし、この人は、何故、1974年のものでも、
1990年のものでもなく、
1978年のものと比べたのであろうか。
コペルマンの演奏と比べたかったのか。

私は、すぐ手元に1990年代のものがあったので、
これと聞き比べてみたが、
「最初始まってすぐのテンポ」とは何だ?
このずるずるテンポから、違いを聞き取るのだろうか。

確かに、コペルマンの時代で、
演奏者も変わったということか、
妙にすっきりした感じになっている。
単純なロシアの聖歌という感じである。

おどろおどろしくはない。
ひょっとしたら、ショスタコーヴィチは、
自分が考えていた以上に、
怖い音楽になっていたので、
泣いてしまったのではないだろうか。

第2楽章では、1990年代のものは、
コペルマンのボウイングが鮮やかで、
非常にスタイリッシュで音楽的である。

音楽はヒステリックである以上に、
外に広がる力を増して、
大きな膨らみを見せて、
何だか別次元のものになっているではないか。

録音のせいか、コペルマンの音楽作りが、
やたら気になってしまう演奏で、
第3楽章開始部も、他の声部はみな伴奏になっている。

大木正興氏が「素っ気ない」と書いたのが、
どんな意味か分からないが、
後年のボロディン四重奏団の方が、
音響美学に徹底していて、
構想も大きく、各楽節を解放的に繋げ、
非常に「素っ気ない」演奏になっているような感じがする。

第4楽章も、ざざっと広がる荒涼たる風景。
とにかく、広い。

1974年以降のリーダーは、
ボロディン四重奏団の特徴を押し広げて、
よりスケールの大きな演奏を追求してきたのだろうか。

あるいは、デジタル録音の分離のよさが、
そうした印象を抱かせるだけかもしれないが。

さて、この四重奏団の名刺がわりの四重奏だが、
私は、この曲が好きで、高校時代の映画作成時、
これを使った経験がある。

CDの解説に戻る。

「アレクサンダー・ボロディンの、
2つの四重奏曲のうち第2番は、
まったく異なる世界の産物である。
グルジア貴族の庶子であるにも関わらず、
ボロディンは、
特権的な早期教育を受け、
チャイコフスキーなどよりも、
さらに室内楽に深い造詣を持ち、
それは他のどのロシア作曲家以上のものであった。
第1番は、1870年代の大半をかけて作曲されたのに対し、
第2番は、彼の妻と最初に会った日の思い出のために、
ジトヴォ郊外で、1881年の数週間で作曲され、
妻に捧げられている。
これはこのカテゴリーで最も叙情的なものの1つで、
時として、ある種の音楽愛好家は、
その形式の完全な熟達や、達成を過小評価している。
その豊かさと華麗さは、批判されて来たが、
ロシア音楽の偉大な専門家、
ジェラルド・アブラハムなどは、
『ロマン的感傷、
そのテクスチャの穏やかな広がりは、
飽和限界まで行きそうだが、
ボロディンは、潜在的なたくましさによって、
これを食い止めている』と書いている。」

このCDを買った人の中には、
ボロディンはちょっとなあ、
と思う人がいると考えたのであろうか。

わざわざ、過小評価されていることを、
せっかく買った人のために、
書く必要もないような気もするが、
先ほどから出している、大木正興のような人は、
「この作品は室内楽の分野で
特に重要なもののうちには入らないが、
知名度はかなり高く、
演奏頻度も決して少なくないので、
ここに一項を設けても不都合はないだろう」
という、すごい書き出しで、
解説を始めているのだから、
これを読んで、これを聴く、
私のような立ち位置の人には、
ちょうどよい解毒剤になるわけだ。

「全曲、その構成は特別立派なものではないが、
楽想はロマン的な香りを持ち」と、
屈折した感情を吐露している。

このような従来の意見に対して、
アブラハムは意を唱えたかったのだろう。

このCDの解説では、
下記のように、各楽章が、
緊密な構成美を誇っていることが、
しっかり補足されている。

「開始楽章のアレグロ・モデラートは、
通常のソナタ楽章の規則に則っているが、
創意の豊富さと、
主題の扱いの精妙さがある。」

この楽章の最初の主題がなり出した瞬間から、
何だか、夢想的な世界に誘われるが、
ドゥビンスキーのヴァイオリンも、
派手さはないが味わい深く歌っている。

この曲などは、ヴァイオリン主導の部分が目立つので、
ボロディン四重奏団は低音部が弱いのではないか、
などと思ってしまう。

「ヘ長調のスケルツォのタッチは、
メンデルスゾーン風の軽やかさを持ち、
楽しげなワルツと対比されるが、
巧妙なソナタ形式を基本に組み立てられている。」

こうした軽やかな楽想にも、
ほんのりとオリエンタリズムの香りを振りまくのは、
見事というしかない。

「それから有名な夜想曲が来る。
ボロディンの楽器であるチェロが、
雄弁さを増していく。」

ベルリンスキーの腕の見せ所である。
もう冒頭から深々とした歌を聴かせてくれる。
しかし、そこに澄んだ花を添えるのは、
ドゥビンスキーの冴えた音色である。

1994年、創立50周年の録音、
「ロシアン・ミニアチュア」では、
最初の1曲にこれを収録しているが、
最長老ベルリンスキーが、しみじみと感動的な歌を聴かせる。
コペルマンは、洒落た節回しなどを織り込みながら、
まさしく色気を放っていて、
ソ連時代から一線を引く、開放路線を打ち出している。

このように聞き比べると、
ドゥビンスキー時代のボロディン四重奏団は、
体操競技などで、オリンピックで華を咲かせた、
ソ連時代の貴重な文化遺産にも思えて来た。

コペルマンの個人技で聴かせる、1990年代のものは、
ちょっと、余裕が出て、広がりを感じさせる分、
低音部は老齢化が進んだ感じかもしれない。

私の立ち位置は微妙である。
1990年代のものには、
余裕がある分だけ、
ひたすらな集中という意味で、
減った要素もあるように思えた。

特に、この「夜想曲」では、
心1つに念じなければ、
ここに描かれた桃源郷に、
到達できないような真摯さがある。

ショスタコーヴィチを泣かせたのも、
この馬鹿まじめさと言えるかもしれない。

「終曲は、多くの古典作品のなかで、
しばしば最も弱いとされるが、
他の楽章同様、独創的で創意に富んでいる。
ベートーヴェンの作品135を回想させる、
一種の問いと答えの対話で始まり、
しばしば曲を中断する。
しかし、2つの主要主題が、
異常に白熱し、バランスをとっている。」

そう言われてみると、
作品135と同様の対話があるが、
この後に続く、猛烈な推進力は、
やはり、正確無比な技術と集中の中から生まれており、
ライブ特有の火照りもあるように思われる。

聴く時の気分によっては鬱陶しくなるような、
張り詰めたものがあるようである。

さて、最後に収められたラヴェル。

「1902年から1904年にかけて作曲された、
ヘ長調の弦楽四重奏曲の時代、
ラヴェルは同時に、
1902年に繰り返し聴いた、
『ペレアスとメリザンド』のドビュッシーの影響を、
追い払っていた。
『神の名に変えて』と、ドビュッシーは、
『あなたの四重奏の一音とて変えないで欲しい』
と言ったと伝えられる。
事実、この曲は、この編成のために書かれた、
最も美しく、完璧なプロポーションで、
書かれたものの1つで、
音響の完全な洗練、色彩の精妙さが、
ボロディン四重奏団の演奏では、
いっそう、際だっている。」

ラヴェルの四重奏は解説の余地なし、
ということか、非常に短い。

しかし、ボロディン四重奏団の、
この正確さに賭けたひたむきなアプローチは、
一種、完璧さを志向するこの作品の、
ひんやりとした肌触りに、
妙にマッチしていないだろうか。

この演目は、
この四重奏団で聴いたことがなかったせいか、
私は、最初聴いた時から、
何となく、惹かれるものを感じている。

そういえば、メロディアで、
この団体のLPが出ていたという記憶が蘇って来た。
カップリングはドビュッシーである。

当時の批評を探してみると、
「もぎたての果実のような新鮮さと瑞々しさ、
ロマンティックな夢が深く息づいている」
と激賞状態で驚いた。

誰が、ソ連の団体が、こうした曲目に期待しただろうか。
まさしく、この批評にも、
「ロシア的演奏からほど遠い」とか、
書かれているが、同感である。

73年の新盤なので、ドゥビンスキー時代のもの。
「一分のすきもなく、バランスも絶妙」とある。

冷たい光と微妙な色彩を放っていて、
神秘的な美しさに迫っている。

「音色の多用さも驚異的」とあるが、
知っている人は知っていたのね、
という感じ。

2010年ワールドカップトーナメントで、
日本惜敗の後、
第3楽章の深い美しさに耳を澄ませながら、
妙に胸に迫るものがあった。

これまで、単に、ロシアの一級の団体、
という顔の見えない団体であったが、
ようやく、ボロディン四重奏団が、
どんな団体であったか、
私の中で、イメージが出来てきた。

得られた事:「ボロディン四重奏団は、戦後ソ連を代表する四重奏団で、その硬質な音楽作りが魅力だったが、74年にリーダーが交代して広がりが加わった。」
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by franz310 | 2010-07-04 12:10 | 現・近代