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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その219

b0083728_7584627.jpg個人的経験:
ピアノ引き比べ大王、
オールトのピアノによる
「夜想曲」集のCDセット、
フィールドやショパン以外に、
知られざる作曲家たちの作品が
たくさん聴けるから、
という事によっても購入を決めた。
しかも、よく知られたフォーレや、
グリーグではない、聴いたことのない
作曲家が集められている。


クララ・シューマンや、グリンカ、
カルクブレンナーはともかくとして、
特に、ハイドンの弟子、プレイエルの息子、カミーユの作品など、
こういった機会でしか聴けないような気がする。
また、他のLefebure-Welyは読めないし、
シマノフスカ、ドブルジンスキイなど、
聴いたこともない作曲家満載。
エドモンド・ウェーバーってなに?

この人に至っては、生年、没年も書かれていない。
もちろん、「魔弾の射手」の大作曲家、
カール・マリア・フォン・ウェーバーではない。

ということで、早く聴いて見たい。
というか、何だか分からなすぎるので、
解説が先だ。

聴いて見ても、ショパン風の夜想曲が、
次から次へと聞こえるだけである。

虚心に耳を澄ませば、
それらの差異が分かるのかもしれないが、
虚心になるのは難しく、
時間を見つけるのも難しい。

いくら、虚心になってもても、
ピアノ学習者でも、
ショパン愛好家でもない私には、
ショパンとの違いも良く分からないという有様。

このような現象に遭遇すると、
大作曲家とは、いったい、何なのか、
という疑問にぶち当たる。
この中に一曲、ショパンを入れて、
果たして、これだけが別格だ、
などと言えるのかどうか。

もちろん、作品62のような晩年の、
至高の境地は、ショパンならではのものと言えるだろうが、
そこまで壮絶なものは、ここにあるとも思えなかった。

さて、このCD4枚組通して、
最初の解説は、オールト先生ではなく、
Clemens Romijnという人が書いている。
このRomijn氏の「j」は、どう発音するのだろう。

「『夜想曲』という名称は、
分散和音の伴奏による表現力豊かなメロディーが奏でられる、
何か、メランコリックで、けだるいスタイルで書かれた、
ロマンチックな性格小品に、一般に使われる。」

ということで、つい先般、
ハイドンの「ノットゥルノ」について、
マルティン・リンデが書いていた時代と、
かなり年代の開きを感じる。

そこでは、「ノットッルノ」には、
夜を想起させるものはない、
といった事が書かれていたはずである。

「ノクターン(夜想曲)は、
特にショパンの詩的な創作を通じ、
19世紀はじめに、
ピアノ小品の特別なジャンルとなった。
ピアノの夜想曲の開拓者は、
アイルランドの作曲家、
ジョン・フィールド(1782-1837)であって、
彼からショパンは、アイデアと題名を頂戴した。
フィールドは、1813年から1835に書いた、
少なくとも19のピアノ小品に、この題名を与えた。
彼の書法は明らかに独特で、当時の最新のピアノの、
音響を開発したものであった。」

という事で、早くも、このCD集ならではの
こだわりポイントが出てくる予感がする。

「ソステヌート・ペダルは、
片手を常時使う必要があった、
伴奏和音のアルベルティ・バスを超えて、
特に和声伴奏パターンの幅を広げることを可能とした。
フィールドの夜想曲のメロディは、イタリアオペラ(ロッシーニ)の
コロラトゥーラ装飾のカンティレーナに鍵盤を変え、
1800年代初期に、彼はこれでロシアで知られるようになった。
リストによると、フィールドの夜想曲は、
それまで、『無言歌』、『即興曲』、『バラード』など、
様々なタイトルで呼ばれていた多くの作品に道を開き、
フィールドは、個人的な深い感情を
表現するのにふさわしい小品の創始者となった。』」

何だか、よく分からないが、
「フィールドは」と書かれたところを、
「ソステヌート・ペダルは」と書いてもおかしくない感じ。
このCDセットの歴史観では、
楽器が作曲家を産むのである。

「フィールドのショパンへの影響は、
彼らの夜想曲を比較すれば見え見えである。
ショパンは1833年までフィールドに会わなかったが、
パリでフィールドの作品を弾いたのは明らかで、
それを使って指導もしている。
ワルシャワ時代の初期から、彼はそれに親しんでいたと思われ、
1818年から、フィールドの作品は、
そこで演奏されていた。
ショパンは、フィールドの作品が、
しばしば欠いた堅固な様式感を、
21の夜想曲に与えた。
そこで彼はさらにピアノの表現力を拡張し、
構成感をリファインし、和声の織り目をずっと豊かにした。」

こんな風にまで書かれたフィールドを、
本当に聴く必要があるのだろうか、
と考えさせられるような解説である。

だめ押しで、こうも書かれていて、
断然、ショパンのが王様、という感じ。
さっと聴いただけで、ショパンを超えてるな、
と思うものは見つからなかったのも、
無理はないということか。

下記はショパンについて。
「一般にフィールドのものより音色は陰鬱であり、
作品72の1の憂鬱から、作品9の3の諧謔味まで、
また、作品9の2の単純さから、
作品62の2の豊かなクライマックスまで
ムードのレンジは広い。
しかし、メランコリーはそれらの大部分を占める。
多くのメロディが、最初にさらりと下降して、
もの思いに沈んだ、
内省的な雰囲気を高める(作品9の1や72の1)。
夜想曲の大部分は、基本的にABAの三部形式をとる。
しかし、最初の主題は再現時に、
ショパン特有の装飾を施されている。
いくつかの作品は中間部でドラマティックに荒れ狂い、
ピアニストにかなりの負荷を与えると共に、
タイトルから想像される以上に劇的な緊張感を作品に与える。
再現部は時に燃えさかる中間部の沈静であり、
あるときは、クライマックスの繰り返しとなる。
聴衆の予想をよく考慮して、
ショパンはよくこのタイミングで、
驚きの要素を導き、
時として反復を省略する(作品15の3や作品32の1)。
ショパンの夜想曲は19世紀フランスの音楽的朗読であり、
アルフレッド・ミュッセの詩句、
『いちばん悲しい歌はいちばん美しい』を思い出させる。」

確かに、これだけ、よく、
似たような物憂く、けだるいものを集めたものだ。

以下、このCDでピアノを弾いている、
ファン・オールトの文章である。
いよいよ、実践的おたく発信。
オールトは、概論も俺が書く、
と言わなかったのだろうか。

「ショパンの同時代者たち:
(1837年のエラール、エドウィン・ベウンクのコレクション)
フィールドの夜想曲は、
様々な国の多くの作曲家に影響を及ぼし、
夜想曲は、何世代にもわたって
作曲されるジャンルの作品となった。
夜想曲第1番、第2番、第3番の出版された、
1812年以降、彼の作品は広く出版された。
ショパンの作品1が出版され、
また、このCDに収められた他の作曲家の夜想曲
(マリア・シマノフスカ)の最も古いものが出版された、
1825年以前に、彼の作品は、
楽譜として手に入れることができた。
しかし、夜想曲が書かれたのは、
主に、英国やフランスの楽器が
使えた国であったことは、特筆すべき事実である。
ヴィーンとドイツでは、非常に限られた夜想曲しか書かれず、
ヴィーンの楽器は、より古典的な性格を持ち、
ノクターンを有名にしたカンティレーナに、
英国式や、それをもとにした、
フランス式の楽器ほどには向いていなかった。」

シューベルト存命中も、夜想曲は出回っていたはず。
シューベルトは何か、反応したのだろうか。
ちなみに、シューベルトにも、「ノットゥルノ」という、
「ノクターン」のイタリア語に相当する作品はあるが、
これは、出版社がシューベルトの死後、
勝手に、つけた題名である。

ちなみに下記文章では、
シューベルトと関係のあった、
フンメルが登場している。

「例えば、1822年にフンメルは、
欧州大楽旅の一環でモスクワを訪れた際、
フィールドに会っている。
フィールドに霊感を得て、恐らくモスクワ滞在中に、
フンメルは4手のための夜想曲を書いており、
それを一緒に演奏した。」

ピアノの名手、フンメルとフィールドの共演、
素晴らしく興味をそそられる光景である。

これまで読んで来たように、ヴィーン式ピアノと、
英国式ピアノの激突になったのだろうか。

この時の体験を、シューベルトはフンメルから聴いた、
何てことはないだろうか。

以上読んで来たように、
フィールドの1812年の作品から、
ショパン初期の1830年の作曲まで、
18年の歳月があることが分かる。
その間も、フィールドにあやかろうとした人はいただろう。
例えば、このCDで最初に登場する、
カミーユ・プレイエルの作品などは、それを明記している。

が、この解説、以下のように、
国別の状況紹介が列挙される形式をとっている。

「ポーランド:
マリア・シマノフスカ(1789-1831)は、
全欧州にとどろいた名演奏家で、
ジョン・フィールドに学び、
1822年にロシア宮廷の第1ピアニストになり、
このような立場で、
『ささやき』を作曲した(1825年パリ出版)。
1828年、ペテルスブルクに居を構え、
グリンカはしばしば彼女を訪れた。」

ということで、フィールドとショパンを繋ぐ位置にいる。
この女性は、1789年生まれというから、
シューベルトより8歳年長。
1822年と言えば、33歳で栄誉ある地位についたということ。
この夜想曲は36歳の出版。

Track10に、この人の作品がある。
「ささやき」というだけあって、
たらたらたらと細かい動きが特徴の作品。
中間部で、不安な動悸のような低音が鳴る。
2分で終わり、シンプルなものながら、
耳を傾けさせるものである。
あまり、フィールド風でもないので、
このCDでは、目立つのかもしれない。

「イグナチイ・フェリクス・ドブルジンスキイ(1807-1867)は、
ショパンと同時期にワルシャワでエルスナーに学んだ。
1833年と1834年作曲の彼の夜想曲作品21と24によって、
彼は最初期の夜想曲作曲家に数えられている。
ショパンの強い影響を感じさせるが、
これらの曲の質と独自性は、
このほとんど忘れられた作曲家の作品の興味を呼び起こす。
再発見された彼の1824年の『ピアノ協奏曲ヘ短調作品2』は、
天才の作品と見なされている。
ポーランドの夜想曲の伝統は、偉大なピアニスト・コンポーザーである、
アントン・ルービンスタイン(1829-1894)や、
イグナツ・パデレフスキ(1860-1941)に受け継がれた。」

このドブルジンスキイは、このCDでは特待生で、
Track11から15という、全15トラック中、
三分の一という、後半の5トラックにわたって、
繊細な夜想曲が収められている。

Track10と11は、作品21の1と2。
作品21の1は、右手の妖精のような動きがデリケートで、
きらきらときらめいて独特の効果を出している。

作品21の2は、もっと落ち着いた作品で、
ゆっくりと歌われるメロディには、
節が付いて歌曲になりそうだが、
ショパン風という以上の特徴は分からない。

Track13と14は、作品24の1と2。
作品24の1も、夜想曲風の伴奏を持った、
歌曲といった風情の音楽で、
こぶしも効いて、歌謡曲にでもなりそうである。

作品24の2は、何かを夢見るような楽想で、
これまた、演歌の一種のようである。

ショパンも多くの夜想曲を2曲ペアで出版したが、
これらは、それに倣った感じだろうか。

Track15は、ト短調の夜想曲が収められ、
題名に「Pozegnanie」と書かれているが、
何の事か私にはわからない。

これなど、深く歌いこむのがショパンと同じ感じで、
オールト先生が、この作曲家を激賞し、
あえて、破格の扱いをした理由がわかるものではない。

この作曲家は60歳まで長生きしたようなので、
その後、初期の初々しさを失ったのだろうか。
これら5曲が彼の夜想曲のすべてなのかどうか分からないが、
ショパンのような深まりを見せなかった場合、
「作品2」を書いた最初期は同等であっても、
忘れ去られるリスクも高そうだ。

このピアノ協奏曲は、録音されているのだろうか。

ちなみに、最初の曲が、私には最も個性的と思えた。

「ロシア:
学生時代、ミカイル・イヴァノヴィッチ・グリンカ(1804-1857)は、
ジョン・フィールドから3回、ピアノのレッスンを受けている。
疑いなくフィールドや、マリア・シマノフスカとの
交流から霊感を受けた彼の夜想曲は、
1828年、ロシアを離れ、
イタリアに向かう直前に作曲され、
彼の初期のスタイルの代表例となるものである。
グリンカは何世代もロシアの作曲家に多大な影響を与え、
特筆すべきはミリィ・バラキレフ、チャイコフスキー、
1860年の少年時代の『夜想曲』が未出版である、
リムスキー・コルサコフやボロディンである。
他にアレンスキー、グラズノフ、カリニコフ、スクリャービンが、
一曲か数曲の夜想曲を書いている。」

Track9に、グリンカの夜想曲が聴けるが、
シューベルトの死の年の作品。

これは、ショパンの作品より早いということであろうか。
フィールド、シマノフスカのラインで、
ロシアで書かれたものということだとすると、
非常に興味深い。
中間部の豪華な装飾や、精妙な輝きは、
チャイコフスキーにつながるような華麗さで、
面白く聴ける。

グリンカはロシア国民楽派の祖とされるが、
この曲を聴いた感じでは、きらびやかなサロンの作曲家であって、
ロシアの風情は感じられない。

「フランス:
1832年2月26日、ショパンはパリでデビューした。
彼はその成功を手紙に書いている。
『有名な人たちがレッスンを求め、
フィールドと並び称された』。
若い頃、ショパンはポーランドで、
フィールドの作品は、知っていたかもしれないが、
1833年、パリで実際にその演奏を聴いた。
フィールドのパリ訪問は20年の時を隔てている。
最初の登場は1802年のことであり、
20歳になっていた。
1832年から33年、3回のコンサートを開き、
様々な、大筋、熱狂的な評価を得た。
批評家のフェティスは、聴衆の反応を、
『有頂天になった』と書き、フィールドの事は、
『無限のニュアンスを作り出すほどには、
打鍵の技術は飛び抜けてはいなかった』と付け加えた。
これら2回の訪問の間に、
フィールドは出版された作品を通じて、
その評価を高めていた。
結果として、夜想曲は、
多くのパリの作曲家によって書かれ、
ショパンの作品で頂点に達した。」

何故、ショパンの作品が収録されていないのに、
ここまでショパンを紹介するのかは、理由不明。

頂点の作品だけ聴けばいいような気もするが、
ここまで書いてからだと、仕方ないので聴き進む。

「作曲家で、楽譜出版者、ピアノ製造家の、
イグナーツ・プレイエルの息子、
カミーユ・プレイエル(1788-1855)は、
1830年のフィールド風のノクターンで、
新風を吹き込んだ。
このとき、彼はすでに父親のピアノ事業を引き継いでおり、
ショパンが来てからは、親しい友人になった。
ショパンは、彼のモーツァルト演奏を、
このように書いて称賛している。
『モーツァルトの弾き方を知っている現存する最後の人、
それがプレイエルだ。彼は喜んで、4手のソナタを一緒に弾いて、
教えてくれた』。」

1788年生まれと言えば、
シューベルトより10歳近く年上であり、
ショパンより、20歳以上年長である。

Track1は、晴れて、この作曲家の作品で始まる。
1830年というから、ショパンの初期作品と同時期の作曲。
この、「フィールド風のノクターン」は、
夢見るような詩情が楚々として美しい。

しかし、モーツァルトの死後40年も経てば、
その奏法も、消えて行く運命にあったというのが、
妙に感慨深い。
ショパン生誕100年の今年、
あまたのピアノの名手あれど、
ショパンの奏法を受け継いだ人など現存するのだろうか。

それにしても、ピアノ製作者としても有名だったプレイエルなのに、
ライヴァルのエラールのピアノで演奏されているのは、
ちょっと気の毒だ。

もちろん、この曲の夢想的な曲想は、
ショパンも愛した、よりソフトな、
自社のピアノを想定したものであろう。

「フレデリック・カルクブレンナー(1875-1849)は、
ショパン到着前までは、疑うべくもない、
パリで最も重要なピアニストだった。
ショパンもしばらく、
彼からレッスンを受けようと考えていたが、
やめて、交流を深めた。
ショパンは最初の協奏曲を、彼に捧げさえした。
カルクブレンナーは、プレイエルと、その妻、
彼の弟子で、有名なピアニストになった、
マリーと親しかった。
1833年、彼女はカルクブレンナーの幻想曲作品120と、
ショパンの夜想曲作品9の献呈を受けた。」

Track2、3には、
カルクブレンナーの作品121の2曲が収められているが、
一曲目は「エオリアン・ハープのため息」と題された夜想曲で、
最初にハープの試し弾きのような序奏があって洒落ている。
メインの主題も美しく、ショパンに負けるものではない。
途中から、バラード風のメロディが現れてかっこいい。

二曲目は、何だか分からないが「3手のため」とあって、
オールト先生は、シャボウスカと連弾マイナス1手をやっている。
優しい曲想で、3手めは、メロディを終始弾いているのだろうか。
だが、特に3手で弾かなければならない内容ではなさそうだ。

こんな変な作品に脱線していたから、
ショパンの方が有名になってしまったのではないか、
などと心配になった。

が、さすが名手カルクブレンナーの作品だけあって、
いずれも、気が利いていて悪くない。

「クララ・シューマン(1819-1896)のパリ訪問は、
1831年から32年のグランド・ツアー中に、
フランス風の作品をいくつか作曲し、
『音楽の夕べ』作品6(1836年出版)として出版した。」

Track4に、このドイツの名手も作品6の2を入れているが、
妙に鬱屈した衒学的な曲作りが、何だかロベルト・シューマン風で、
リズムの執拗さなど、将来の夫、シューマンの音楽そのもの。
夜想曲はショパン風なので、シューマンとショパンの合成体である。
が、1836年に改作したとしても、16、17歳の作品?
ロベルトも、まだ、「謝肉祭」くらいしか書いていない。

グランド・ツアーって、14歳の中学生みたいなのが、
やっていたのか、児童虐待だ、と感じずにはいられない。

「シャルル・ヴァランタン・アルカン(1813-1888)は、
神童で、9歳の時、ケルビーニは、
『この年にして恐るべきもの』、
『異常なまでに』と、その才能を語った。
彼はショパンとジョルジュ・サンドの親友で、
カルクブレンナーや、
1820年代のパリの名手たちの影響を受けている。
アルカンは、そのメロディと和声の独自性で知られ、
1844年の『夜想曲作品22』や、
1861年の短くも密度の高い、
『愛の小夜想曲作品63の43』にもそれは見て取れる。」

Track7、8で、これら二曲が聴ける。
奇人として知られるアルカンなので、期待して聴いたが、
基本はショパン風で、時折、不思議な節回しが聴ける程度。
前者は、優美で、後者はぶっきらぼうで思索的である。
これがアルカンの愛なのね。
ちなみにこの曲は、タイトルが、
「ノトゥルノ」とイタリア語になっている。

「オルガン奏者のルイ・ジェームズ・ルフェビュール・ヴェリイ
(1845-1924)は、即興の名手として知られ、
様々な鍵盤楽器用に、200もの性格小品を残した。」

Track5に、
さすが、鍵盤の使い手、ということか、
このCDの中では、最も不思議な瞑想感を感じさせる、
「修道院の鐘」という題があって、なるほど、と思った。
しかし、もう少し解説が欲しい。

改めて生年だけでも、と見ると、1845年?
完全にショパンの同時代ではなく、次の世代。
これはCDの題名からして反則である。
ちょっとくらい新鮮な感じがしても当然だ。

「19世紀後半のフランスの作曲家としては、
フォーレ、ドビュッシーの他、知られざる作曲家として、
様々な作品が各地の図書館に残る、
ケッスラーや、エドモンド・ウェーバーがいる。」

Track6に、エドモンド・ウェーバーの作品がある。
これは、ヒット・メロディーになったのではないか、
と思わせる、洒落た情感が魅力的。
「第1パンセ」作品1という、そそるネーミングである。
しかし、それが何なのか、解説はこれだけなので、
歯がゆいばかりである。
前述のように、この人は生没年も分かっていないようだ。

ヴェリイの例からしても、比較的新しい作品かもしれない。
何となく、世紀末パリの気配がする。

「他の国の夜想曲の作曲家としては、
グリーグ、ホルストらがおり、
オランダにも、19世紀の夜想曲作曲家として、
ファン・ブリー、クフェラス、デ・ランゲ父子、
フェーレイ、フェーフルスト、ベーテルスマン、
ホウクロッホ、ハートーク、ベルチャン、ファン・タール、
モーザー、クラーマーらがいる。」
このあたりは、発音が分からないが、
アルファベットのままだと記号にしか見えないので、
あえて、ローマ字風に読んで見た。

有識者には笑われそうだが、仕方がない。

こう聴くと、さすが、それぞれに、個性も垣間見えたが、
基本は同じような作品が次々と登場する印象だ。

いずれも悲しく瞑想的で宙に浮いている。

1837年のエラールのピアノは、
歴史的ピアノという感じもなく、
自然にこれらの作品の美感を表している。

強いて言えば、グリンカの豪勢な中間部のきらめきなどが、
エラールの聞き所だろうか。

ジャケットは、この4枚組CDのケースの白鳥とは打って変わって、
もっと古い時代の静物画の花の画像となっている。

部分切り出しで花が巨大、夜想曲の繊細さはないが、
暗い室内に立ち込めそうな香りがむせかえる点で、
製作者は、何か音楽に通じるものを感じたのだろうか。

このCD4に関しては、うねうねと曲がる茎の部分が、
あえて言えば夜想曲的である。

得られた事:「夜想曲は1812年以降、フランスなどで大ヒット。1845年に、あえて、『ノットゥルノ』として死後に出版されたシューベルトの断章は、こうした影響があったに相違ない。」
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by franz310 | 2010-03-28 07:58 | フンメル

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その218

b0083728_22183923.jpg個人的経験:
前回、フンメルと
ベートーヴェンを比較しようとして、
オールト教授の罠にはまり、
恐るべきピアノ談義に
付き合うことになってしまった。
そして、ふと、思い出したのが、
同教授が弾くフィールドの「夜想曲」。
このCDも、別に、
ピアノ講義を聴くために
購入したものではない。


月夜に漂う白鳥を描いた、
非常に美しい表紙絵画が目に留まって、
つい購入したものである。
聴いて見て、フィールドの作品も、
そんなに面白いとは思わなかった。

このCD購入にはさらに後日談がある。
激安ブリリアント・レーベルで、
その他の「夜想曲」と4枚組でまとめられ、
再発されたのである。

やはり、白鳥デザインが流用されていたので、
この安い4枚組を購入し、
もとの1枚ものは売り払ってしまった。

その時、某中古屋がつけた値段は、
恐ろしく安い価格だった。
ブリリアントの魔手にかかったらおしまいだ、
ということである。

が、こうして一定のコンセプトでまとめてくれて、
さらに激安という事はありがたい事に相違ない。
さらに嬉しいのは、安いからといって、
解説を手抜きにしない点で、
今回も、おそるおそる見て見ると、
オールト先生の講義が、
しっかり載っていて嬉しかった。

ただし、前回も苦言を呈したが、
表紙絵画の作者については、
一言も書かれていない。

さて、前回、フンメル対ベートーヴェンの話題にかこつけて、
最終的に、オールト教授が展開したのは、
ヴィーン式ピアノとイギリス式ピアノの比較論であった。

しかも、さんざん比較した挙げ句、
先のCD録音時に、彼が採用したのは、
ヴィーン式ピアノであった。

それが、今回、よく見ると、前回、あれだけ褒めておいて、
結局、聴かせてくれなかったイギリス式ピアノが使われている。
Broadwood 1823とある。
まだ、シューベルト存命中に作られたピアノである。

録音は、1995年6月とある。

では、また能書を読んで見よう。
ただし、11ページに及ぶ長大なものゆえ、
今回は、フィールドの部分のみ読む。
それでも、3ページ以上ある。

「ジョン・フィールド
(ブロードウッド 1823 
エドウィン・ビュンク・コレクション)
現代においては、標準化が大きく広がったとは言え、
18世紀においては、ピアノという楽器の製造の仕事は、
まだまだ個人芸の世界であった。
結果として、ピアノは街と街で、製造者と製造者で異なり、
同じ製造者のものであっても異なるものであった。
あるエリアでは、製造者たちは影響を及ぼし合い、
ロンドンとヴィーンのように街を隔てる距離は、
全く異なるピアノ流派や製造法、
結果として、『英国式』、『ヴィーン式』といった風に、
我々が認識することとなる2タイプを産んだ。」

ああ、やはり、ここでも、オールト教授は、
前回と同じような事に脱線しはじめた。
今回は、心の準備ができていたので、
かえって、にやりとしてしまう。

はたして、フィールドの話は出てくるのだろうか。
そうやって、期待と不安に震えつつ先を急ぐと、
見よ、登場したのは、我らがフンメルだった。

「1770年頃から、1870年まで、
これらの流派は音楽家と聴衆を競い合い、
18世紀、19世紀初頭の様々な証言からも、
これらの2タイプの違いは語られている。
それらの最も重要な記述は、1828年、フンメルの
『Ausfuhrliche theoretisch-practische Anweisung』に見られる。
フンメル(1778-1837)は、何年もロンドンに住み、
英国ピアノに通じていた。
しかし、彼のコメントは、
彼がヴィーン式のものを好んでいた事を表している。」

前回まで、フンメルについて語っていたのに、
今回、理由なく脱線していた感じだったが、
こんな風にフンメルが出てくると、
ちょっと安心である。

以下、フンメルの言葉。

「『ヴィーン式楽器は、最も軽いタッチにも即応する。
速度を速めるのに、それは労力を要しない。
音の力は、指の力とスピードだけで作られるべきである。
英国式アクションは耐久性とその音色の豊かさによって、
同等に評価されるべきだが、
鍵盤のタッチが著しく重く、同時に深く沈むので、
ヴィーン式のようななめらかさはない。
ヴィーン式は、演奏者に、あらゆるニュアンス、
クリアで正確な語り口を与え、
とりわけ、大きなホールでも、
オーケストラ伴奏の中でもはっきり聞き取れる、
丸みを帯びたフルートのような音色を持つ。
さらに英国式楽器は、
大きな音にもかかわらず、
広い空間では、音色が変化し、複雑なオーケストラの中で、
ヴィーン式のようには浸透しないことを特筆したい。』」

確かに、フンメルはハイティーンの時代を、
ロンドンで過ごしていて、英国式に通暁して愛着もありそうなのに、
かなり、ヴィーン式をひいきにしているようである。

しかも、英国式は、大きな音なのに、
大ホールには向いていないというのも、
これまた不思議な話である。

フンメルの言葉なので、
フィールドの解説が出てこないのはやむを得ないが、
フンメルのCDの解説であることを、
すっかり忘れてしまいそうである。

ここからも、フンメルを離れて、
同じような楽器の違いの話が次々と出てくる。

「英国式のものは、多くのヴィーン、
または、ドイツのピアニストには、
慣れるのが難しいとはいえ、
1800年より前から、
ロンドンはピアノ製造と演奏の最大中心地となっており、
ヴィーン式の代替品としての地位を確立している。
それは多くの点でヴィーン式とは異なり、
ヴィーン式とくらべ消音効果が効果的でないので、
共鳴が多く、
音色はたっぷりと分厚いとはいえ、
キーが深く重く感じられる。
さらに、ヴィーン風が1800年になってから、
膝レバーを持つようになったのに対し、
英国式は、1780年代はじめからダンパーペダルを有している。
各楽器の独特のスタイルを生み出した、
これらの違いは、19世紀中盤でも、
まだ重要であったとみえ、有名なピアノ教師、
フリードリヒ・ヴィークも彼の1853年の、
『Clavier und Gesang』でそれを書いている。」

完全にフィールドはそっちのけで、
英国式とヴィーン式のピアノの違いを、
歴史的背景から解き明かしていく。

しかし、こんな事を考えながら演奏できるピアニストで、
なおかつ、学者であるオールト氏は、
CDを作るのが、楽しくて仕方がないのではないだろうか。

この後も、カルクブレンナーはこう言った、
チェルニーはこう言ったと、
証言集めに熱中している。

シューベルトはどう言ったのか、
知りたいものだが、どの人も同じことを言っているだけなので、
恐らく、同様の事を考えていたと考えればいいのだろう。

「1814年末から1824年に、
ロンドンに住んでいた、
フレデリック・カルクブレンナー(1785-1849)は、
1831年に、その著書『Methode』で、このように書いている。
『英国式ピアノは、当地のプロの音楽家の作風を壮大にし、
楽器の歌わせ方の美しさで特徴がある。
ドゥセック、フィールド、J.B.クラーマーは、
その流派の指導者であり、クレメンティは創始者であるが、
和声を変えずに、フォルテ・ペダルを多用する。』」

お、ようやく、フィールドの名前が登場した。

「ベートーヴェンの弟子のチェルニーは、
その理論書作品500(1839)で、
こう付け加えた。
『英国式のピアノは、大いに歌わせられることに特徴があり、
こうした特性は、ドゥセックやクラーマーや何人かに、
美しいカンタービレの、
柔らかく静かな、メロディアスな演奏を志向させた』。」

ヴィークにせよ、チェルニーにせよ、
だから何だと言いたかったのかは不明である。

「英国式ピアノの特徴による、
このスタイルの重要な要素は、
ヨハン・ラディスラウス・ドゥセック(1760-1812)や、
ジョン・フィールド(1782-1837)で知られる、
歌うようなレガートである。
レガート・タッチは、厚く豊かな音色、
長い残響、英国式ピアノの不完全なダンパーは、
楽器に歌う力を与え、
1800年以前に書かれた、
ドゥセックやクレメンティのソナタにも、
すでに見て取れる、長いカンタービレの
メロディを書かせるような霊感を作曲家たちに与えた。
英国式ピアノは喋るのには不向きでも、
ヴィーン式よりも歌うことに秀でていた。
ジョン・フィールドにとって、
彼が親しんで来たピアノや、
これらの重要な音楽的影響が、
その夜想曲の開発に理想的なバックグラウンドになった。」

ということで、ようやく、
フィールドについての解説となったか。

「クレメンティによって創始された、
1800年前後の偉大なる英国ピアノ楽派の、
ドゥセック、クラーマー、フィールドは、
ピアノの音響に新しい方向のコンセプトを与えた。
フィールドは、夢見るような、
メランコリックな夜想曲によって、
特に、ヴェールで覆われたような、
ペダル音によってそのチャンピオンとなった。
1803年以後、彼がロシアに住むようになって、
フィールドはイタリアの歌手を聴く機会が増え、
例えば、ロッシーニらの作品を通じて、
イタリア式のベル・カント・スタイルを知るようになった。
フィールドの『夜想曲』のアーティキュレーションは、
当時のヴィーンの作品に聴く雄弁なものよりも、
むしろ、歌手の呼吸法に似ている。」

ということで、何と、ピアノの話が、
大胆にも、イタリア・オペラの話になっている。
しかも、それを会得したのは、ロシアというのがすごい。

いよいよ、ここからが、夜想曲の話になる。

「フィールドの夜想曲は、
出版社にとって、売れ筋商品となって、
フィールドは、他の作品を書き直して渡すこともした。」

ということで、かなり商業的な作品であることが分かる。

この解説、ここから大きな問題発生となる。

というのは、オールト教授は、
「夜想曲第8番」は、とか、「第12番」は、
と書いて、番号で書いているのに、
この番号は、このCDの収録曲のどれがどれか、
さっぱり分からないのである。

CDの入っている紙ジャケットに、
トラック1は、
「夜想曲 変ホ長調 H24(1812)」と書いてあるが、
これが何番の夜想曲かは分からない。
いいかげんにしろ、外装箱、解説ブックレットのどこにも、
これに関するインフォーメーションはない。
ふざけるな、と言いたくなるが、
これが、ブリリアント・レーベルの限界であろうか。

ちなみに、ウィキペディアにはこのように書かれている。
ここに、調性と作曲年を参考に、トラックNoを付記すると、
以下のようになる。

Track1.第1番 変ホ長調 (1812年)
Track2.第2番 ハ短調 (1812年)
Track3.第3番 変イ長調 (1812年)
Track4.第4番 イ長調 (1817年)
Track5.第5番 変ロ長調 (1817年)
Track6.第6番 ヘ長調 (1817年)
Track7.第7番 ハ長調 (1821年)
Track8.第8番 イ長調 (1821年)
Track9?第9番 ホ長調 (1816年)(CDでは変ホとある)
Track10.第10番 ホ短調
Track11.第11番 変ホ長調 (1833年)
Track12.第12番 ト長調 (1834年)
Track13.第13番 ニ短調 (1834年)
????????第14番 ハ長調 (1835年)
????????第15番 ハ長調 (1834年)
Track14.第16番 ヘ長調(CDには1836年とある)
Track15.第17番 ホ長調 (1832年)(CDには1835頃とある)
????????第18番 変ロ長調 「真昼」

最後に変なニックネーム
(夜想曲なのに『真昼』??)がついたもの、
と二曲のハ長調作品は未収録と思われる。
以上の前提によって、以下、読み進めてみよう。

「夜想曲第8番は、ピアノと弦楽四重奏のための
第2ディベルティスメントの『パストラーレ』の編曲で、
最初に1814年、三つのロマンスの第1曲として出版された。」

という事で、Track8を聴く。
これは、いかにもショパンにもありそうな、
シンプルで、物憂い叙情的なもの。
4分25秒であるが、途中から、ぱらぱら和音が出て、
典型的ノクターンであるが、
この部分のあどけなさ、屈託のなさから、
もともと田園曲だったというのも分からなくもない。

しかし、ジャケットには、1813年/1831年とあるのは、
いったい、どういった事であろうか。
解説にある1814年というのは、何を意味するのか。
1813年が、ディベルティスメントの作曲年で、
ロマンスとして14年に出て、ノクターン単品として、
1831年に出たということか。

シューベルトのような人は、こんな旧作の書き直しなどで、
あれこれする暇はなかった。

「夜想曲第6番は、ホ長調からヘ長調に移調され、
1823年に出版された第6ピアノ協奏曲の緩徐楽章となった。」

紙ジャケットには1817年とある。

4分42秒しかなく、
ピアノ協奏曲に拡大されるには、
弱々しい曲想であるが、
シンプルな伴奏に、
豊かにメロディーが息づくように伸縮して、
これまた、ショパンの「夜想曲」に紛れ込みそうな曲想である。

「第12番は、同様に第7協奏曲の第2楽章に利用された。」

かなりインフォーメーションが投げやりで、
オールト教授がピアノの違いを書く時の冴えがない。
フィールドは、作品の流用魔である、という以上の事を、
書いているとは思えない。

この曲は、1833年のものらしいので、
シューベルトの死後のものになるが、
特に、他の作品より新しいという感じはない。

「彼のキャリアの晩年、フィールドは病気に悩み、
作曲する忍耐力も欠如し、
明らかに彼の種々の作品から選ばれたものを、
『夜想曲』として出版している。
後年のホ短調の『Midi Rondo』、
または、『Notturno carratteristico』は、
1810年の第1ディベルティスメントの
ピアノ・ソロ・バージョンで、これなどは、
2/4拍子のアレグロは、他の夜想曲の持つ、
メランコリーやカンティレーナがなく、
いかなる意味でもノクターンとは呼べない。
1835年の、ハ長調の二曲、第14番、第15番は、
深みのない、軽い作品で、
フィールドを有名にした夜想曲というより、
サロンのポプリの性格が強い。
そのタイトルにも関わらず、これらはこのCDに含めなかった。」

このように書かれているのを見て、
ようやく、私は、このCDのジャケットのトラック表が、
まるで役に立たないことを見て取った次第である。

前述のようにまとめてみて、
ようやく、オールト先生の解説が分かるのである。

「夜想曲は、気の赴くままの流れ、自由な結合、
主題の発展の欠如など形式の自由さから、
即興演奏がその起源になっていることが分かる。
同時に、称賛されて来たように、
メロディ装飾の広い可能性と、
リズムの自由さがある。
今日、ほとんど廃れてしまった、
ルバートの技術がこの自由さに不可欠で、
厳格な伴奏部に乗って、拍子の強い束縛を受けずに、
メロディがのびのびと歌われる。
夜想曲第9番変ホ長調は、この自由さの好例である。
メロディはリズムを離れて自由に装飾されて歌われ、
例えば不協和音を長引かせ、切迫した感情を高揚させ、
伴奏のビートを追い越すこともある。」

「第1番や、部分的に第6番など、
初期の夜想曲のいくつか(の部分)は、
通常たっぷりと和声的に豊かな伴奏に乗って、
単純に、装飾されたメロディを歌うだけで、
さらに開発される夜想曲の枠組にしかすぎない。」

第1番は、たららたららという左手の伴奏の上を、
ぴちぴち、ぱちゃぱちゃぱちゃと、
水もしたたるメロディが歌われて、非常におしゃれである。

なるほど、これがロッシーニに影響を受けた、
イタリア風の歌い方なのであろうか。
ロッシーニの影響は、シューベルトも受けたが、
どちらかと言うと、「イタリア風序曲」など、
クレッシェンドなど、ダイナミクス系の影響のイメージが強い。
このようなしなやかな曲想の変化もまた、
イタリア伝来のものだったのだなあ、
と妙に感慨を新たにする。

先のぴちゃぴちゃ感も、
確かに、コロラトゥーラ唱法の真似、
と言われれば、そんな感じもしてきた。

第2番も、切々とした調べが延々と続いて、
確かに、人間の声の息継ぎに準じたピアノの扱いである。
言うなれば、切々とした哀歌を、ピアノに歌わせた感じ。
この曲などハ短調なので、特に、悲劇的な感じがする。

ただし、イタリア歌劇の影響から想像すると、
声を張り上げて強弱が激しそうだが、
そうした要素は模倣されなかったようだ。

「豊かな音色と、
高音と低音の素晴らしいバランスを持つ、
英国式ピアノが、
こうしたメロディの扱いを許し、
和声的な緊張のないむき出しのメロディが、
これら小品の即興的な性質により装飾されるのは自然である。
リズムの自由であるのと同様、
主題やメロディの装飾や変奏に明確な法則はないが、
いくつかの夜想曲(特に第8番イ長調と第17番ホ長調)のメロディは、
徹底的に装飾され、これらは、
より完成度の低い夜想曲のモデルにもなっている。」

この第8番もまた、ショパンとメロディが似るが、
控えめな音楽が控えめに対比されていて、
いろいろ装飾されて繰り返されているだけの感じで、
どうも、メリハリがない。
内省的な音楽なのに、
余計な音型が突発的に現れて、
せっかくの情緒を、
台無しにしている感じがしないでもない。

前述のように、第17番はTrack15である。
フィールドの死の二年前、
1835年頃この曲になると、
病身のせいか、何だか、
夢遊病のように方向の定まらぬ音楽になっている。

徹底的に装飾されているかどうかは、
よく分からないが、
やたらぱらぱらぱらぱらとなだらかであることは確か。
人の声や弦楽器、管楽器ならば、伸ばせばよい音を、
打楽器であるピアノの場合は、
無理に沢山の音を繋がないと、
間が持たないという問題もありそうだ。
それをコロラトゥーラ式の装飾で解決したとなれば、
なかなか見事な発明であると思われる。

「ショパンの夜想曲に見られるスタイル上の特徴は、
その性格や単なる装飾に留まらず、
フィールドに負うところが多い。
(例えば、フィールドの第9番と、
ショパンの作品9の2を比べるとよい。)」

第9番は、延々と歌われる無限旋律のように、
次々と歌が歌を呼び、ずっと夢の中を漂うようである。
小刻みに陰影を施しながら、うねうねと続くので、
どこからどこまでが一区切りといった感じがなく、
長い長いメロディの終わりと共に曲が終わる。
まったくドラマのない音楽である。

ショパンの夜想曲作品9の2は、
ショパンのものでは最も有名なものなので、
多くの人が思い出すことができるだろうが、
確かに、これもまた、そんな音楽である。

しかし、オールト教授は、
何故、フィールドの第6番を、
これと比較しなかったのだろうか。

この第6番はショパンの作品9の2と、
酷似したメロディを持ち、
ショパンはきっと、これをぱくったのだ、
と思わずにはいられないものである。

このフィールドの第6夜想曲は、
しかし、そうした点を超えて、
聴きごたえがあるような気がする。

ただ、うねうねとメロディがつながるだけでなく、
明暗の対比がデリケートである。

続く第7番も、ショパンにそっくりであるが、
少々形骸化したパターンに飽きが来る。

「さらにまた、いくつかの点で、
フィールドによって書かれた装飾は、
即興的な装飾を得意とした、
フィールドのような華麗な演奏家にしては、
印刷譜では単純化されているように見える。
(第2番、第12番など。)」

12番は1833年の作で、
すでに、ピアノ協奏曲に改作されたものとして紹介された。
印刷譜が単純かどうかは分からないが、
確かに、ぱらぱらという伴奏音型にのみ注意が行って、
あまり右手には装飾がないようだ。

「第5や第8など、他の夜想曲では、
モチーフの再現時には、変化を付けられたのだろう。」

第5は、途中、曲想が変化して、明らかに、
さきほどの無限旋律系ではない。
オールト先生は、最初のメロディが登場するたびに、
激しく変化をつけている。

「第6や第9は、その他の点で完成度も高いので、
フィールドや、同時代者がしたであろう、
自由な装飾を、この録音では付加して輝きを加えた。」

確かに、先ほど書いたように、「第6」と「第9」は、
完成度の高い傑作として、私も聴くことができた。

しかし、英国製ブロードウッドのピアノが、
素晴らしい共鳴を持っていたという理由で、
これらの曲が楽しめたのかどうかは、
ヴィーンのピアノと比較してくれないと分からないではないか。
というのが、第1の感想。

とはいえ、第10番の夜想曲などを聴いていて、
「月光ソナタ」のような幻想的な波のたゆたい、
あるいは、虹をかけるようなコーダの、
高音の輝きの豊かさに耳を澄ませば、
この楽器の素晴らしい特性が、
聞き取れるような気がしないでもない。

このCDで使われた絵画は、こんな曲を表現したものであろうか。

第2の感想としては、こんな聴き方があったという発見。

ただし、このような聴き方をしていると、
どんな音が出てくるかばかりに気を取られて仕方がない。

それにしても、このオールト先生は、
このような楽曲によって、
作曲家が何を言おうとしたかなどは、
あまり興味が無さそうである。

響きのカタログとしての音楽が解説されるだけなので、
作曲家フィールドの生き様は、あまりよく分からない。
それが最後の感想である。

このような聴き方をするために、
この表紙の絵画はよくできている。

これは、ただ、何かを美しく想起させる芸術、
といった類のものなのだろうか。

そんな疑念が浮かばなくもないが、
最初、あまり面白くないと思ったフィールドも、
教授の話術に洗脳されたせいか、
非常に楽しく聴けるものであると、
前言を撤回したい。

得られた事:「英国ピアノ楽派のフィールド、人の声をヒントにした楽器の響きのカタログ。」
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by franz310 | 2010-03-21 22:18 | フンメル

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その217

b0083728_23104647.jpg個人的経験:
前回、フンメル初期のピアノ作品を聴き、
ベートーヴェンとの関係にも想いを馳せたが、
このCDは、
ベートーヴェンとの対比を、
強烈に前面に押し出したものである。
共に初期の作品で、
なおかつ作曲家ごとに、
使用楽器まで変えている所がすごい。
しかも、ピアノ奏者、オールトによる解説も、
両者の激烈な関係を紹介していて面白い。


このCDは、日本の寺神戸亮や鈴木秀美が参加していて、
非常に我々に親近感を感じさせるものであるが、
私はこれまで、真剣に聴いて来なかった。

聴くには聴いたが、
上述のような研究目的のようなものを感じて、
楽しめなかったのである。
ハーグやブリュッセルで教える先生たちの演奏だと思うと、
どうも、色気が感じられなくていけない。

そもそも、フンメルについても、これまた、
あまり興味を感じなかったのだから仕方がない。
ベートーヴェンにしても、作品1の1である。

ベートーヴェンのピアノ三重奏曲と言えば、
まず「大公トリオ」作品97で、この前に書かれた、
作品70の2曲ですら、もともとピアノ・ソナタだったものを、
無理矢理拡大して、さらに2曲に分割したものとして、
はなはだ評判が悪い。

その前に作品11というのがあるが、これまた、
娯楽音楽として片付けられることの多い作品。
深みはないとされる。

そして、その前にこの作品1の3曲があるが、
今回のメンバーが弾かなくても、何となく色気のない作品群である。
3曲目がハ短調で有名なものだが、
これとて、作品18の弦楽四重奏曲群に含まれる、
第4番ハ短調のような美しいメロディーを期待すると、
肩すかしを食う。

有名な3曲目からしてそうなのだから、
作品1の1と来ると、さらに未完成っぽい感じがして、
どうも触手が動かない。
実際、いくら聴いても、
あまり美しい楽想が楽しめるものでもなかった。

冒頭の主題からして、何か苦くて嫌な味がする。
私と同様、がっかりした人が多かったのか、
このCDは、時折、中古で出回っているような気がする。

私は新品で買ったが、その時も安かった。
COLUMNSクラシックと書いてあるが、
いったいどこのレーベルだろう。
フォルテピアノがオランダの名手、
バート・ファン・オールトなので、
オランダ製かと思っていたが、
改めていろいろ見ても、made in 何々とも書いていないし、
残念なことに、表紙の絵画についても何も書かれていない。

こうした意味不明盤だから、気楽に多くの人が、
売りに出したものと思える。
日本におけるフンメル紹介の走りとなるようなCDだったのに、
惜しい事である。

ベートーヴェンとフンメルを比較するのに、
最適な選曲だったのだろうか。

ということで、問題の大きなCDであるが、
これまで、ハイドンのピアノ三重奏曲、
モーツァルトのピアノ三重奏曲と聴き進んで来た経緯もある。
フンメルにも興味が出てきたので、
これと向き合うのに、機は熟したと言うべきであろう。


では、期待に胸をふくらませて、解説を読み進んでみよう。
前述のように、演奏しているピアニストが書いたものだ。

「1800年頃、ヴィーンの音楽の体制は、
ピアニストであり作曲家であった、
ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)と、
ヨハン・ネポームク・フンメル(1778-1837)に、
牛耳られていた。」

いきなり悪漢二人、という感じだが、
ハイドンは存命だし、サリエーリやコジェルフ、
アイブラーなどはどうした、などと突っ込みたくなる。

さっきも書いたように、
今回取り上げられた3曲
(ベートーヴェン1曲と、フンメル2曲)が、
牛耳たということが信じられるほどには、
素晴らしい音楽には思えないのが、
あまりにも残念である。

「神童として過ごした後、フンメルは、
4年間の楽旅を経て、ヴィーンに帰還し、
1790年代、勉学、作曲、教育に励んだ。
彼の名声は急速に高まり、ヴィーンの聴衆の愛顧を受けた。
1792年、ベートーヴェンがヴィーンに到着すると、
彼のピアニスト、作曲家としてのめざましい成功は、
フンメルの自信を、ほとんどずたぼろにしたが、
彼らは友情を結んだ。」

このように書いてあるので、
私は、てっきり、フンメルの、
エステルハーツィ家への奉職前の話が読めるかと思って、
今回、これを取り上げたというのもあった。

が、以下のように、思わぬ方向にこの解説は、
一目散に突き進んで行くのである。

「しかし、そこには大きなスタイルの違いがあった。
フンメルが『フィデリオ』序曲の四手ピアノ版を作って見せると、
ベートーヴェンはそれを大変嫌い、破り捨てて、
その仕事をモシュレスに委ねた。
しかし、フンメルはベートーヴェンの求めに応じて、
記念式典では、ベートーヴェンの作品の主題に従って、
即興演奏を行った。」

フィデリオはもっと後年の作で、
モシュレスが出てくるとあれば、
さらに後の話であろう。

ここから、オールトの筆は冴え、
私が別に興味を持っていなかった方向に、
無理矢理、連れ去られることとなる。

「生前、フンメルは、欧州で最も高名なピアニスト、
作曲家、音楽教師の一人であったが、
現在では1828年に書いて、
非常に影響を及ぼしたピアノ論文によって、
最も知られている。
おそらく同時代の人が思っていたように、
フンメルのスタイルはベートーヴェンのスタイルと、
あまりに異なっていた。
それでも、当時の報告によれば、
これらのスタイルは同時に存在し、
その区別は意図的に磨き上げられたものであった。
ベートーヴェンの初期の演奏スタイルは、
あまりにも当時のヴィーンのものと異なっていたので、
現代のヴィーンの演奏スタイルを二分してしまう程であった。」

といった風に、何で、この曲の解説が、
こうなってしまったのか、
という感じがしないでもない。

ピアノ奏法を語るなら、
ピアノ・ソナタでやればいいではないか。
いや、何か小品をやってくれればいいのである。

下記のように、ノンレガート、レガートという、
ありがちな話が延々と続くのだが、
解説者は楽しくてならないようだ。

「ある派閥、または『楽派』は、
ノンレガートを好み、ダンパーレジスターを使うのを好まない。
この方法は、むしろ慣習的なものだが、
ベートーヴェンの死の時期まで、すくなくとも存在した。
これは、ヴィーン古典スタイルと要約されるもので、
モーツァルト、ハイドン、クレメンティの弟子であった、
フンメルによって先導された。」

ちょっと面白いのは、モーツァルトとクレメンティは、
かつてはライバル同士であったのに、
同じ分類になるということだ。

後述のように、クレメンティはロンドンにいたのに、
ヴィーンの代表として書かれているのも興味深い。

「第2の一派は、ダンパーレジスターを使うもので、
時として濁り、現代の英国で一般的なもので、
ミルヒマイヤー、シュタルケ、フンメル自身が警告したものである。
この派は、レガートを進化させ、たっぷりした音響の、
重たい楽器を要求した。
ベートーヴェンはその代表であった。」

しかし、このCD、ダンパーを使うかどうかに、
ひたすら耳を澄ます必要があるのだろうか。
まっぴらゴメンの解説である。
だんだん、腹が立って来た。

「ずっと後の報告であるが、
ベートーヴェンの弟子のカール・チェルニーは、
モーツァルト未亡人宅の集まりで、
フンメルの演奏を聴いて、
それぞれのメリットと欠点を上げている。」

チェルニーはベートーヴェンの弟子であるから、
フンメルを悪く書いているかと思ったら、
どうやら、そんな事はないようで、
ちょっと安心、下記参照。

「『それは、モーツァルトのかつての弟子であり、
長い間ロンドンでクレメンティに学び、
最近戻って来た、若いフンメルでした。
フンメルの演奏は、当時、楽器の限界まで行く、
高度のもので、それが後に彼を有名にしたのです。
それに比べ、ベートーヴェンの演奏は、
その巨大なパワー、空前の華麗さ、スピード感で異なり、
フンメルの演奏は最高の純粋さ、明晰さ、
魅惑的な優美さ、優しさの実例で、
モーツァルトの様式をクレメンティ派のものと融合させ、
楽器の効果を計算しつくしたものでした。
当時、それは、非常に合理的で、
それゆえ、彼は演奏家として、
全世界で最高に位置づけられていて、
二人の巨匠たちの派閥は強烈に競い合いました。
フンメル支持者たちはベートーヴェンを、
フォルテピアノの破壊者として非難し、
単にペダルを混乱した雑音のために使うので、
純粋さと明晰さに欠けていると言い、
彼の作品は無理な作り物であり、
メロディがなく不自然で、規律がないと言いました。
ベートーヴェンの一派は、一方、
フンメルには真の想像力が欠如し、
その演奏はハーディーガーディーのように単調で、
指の使用は庭の蜘蛛みたいで、
モーツァルトやハイドンの編曲にしか過ぎずない、
と主張しました。
フンメルの演奏は、純粋さと明晰さが高度で、
私に大いに影響を及ぼしました。』」

これは、非常に的を射た見解である。
確かに、このCDに収められた曲目、
ベートーヴェンの作品は、
独奏的かもしれないが不自然であり、
フンメルの作品はすっきりしているが、
あまり味わいがない。

とすると、悪い例を集めたCDということになる。
チェルニーは、メリットも上げたのだから、
さすがベートーヴェンは力強いな、
フンメルは洗練の極みだな、と前向きな聴き方がしたいものだ。

しかし、ここで、また、邪魔が入る。
下記のような解説である。

「1796年、ヨハン・フェルディナント・フォン・シェーンフェルトは、
ヴィーンのピアノ製作者ヴァルターと比べ、
シャンツやシュトライヒャーに、
ヴィーンのピアノの、もう一つの典型を認めている。
彼は、ピアノの違いからピアニストの違いに言及しているが、
これはチェルニーの観察と一致する。」

といった具合に、オールト教授は、
何と、楽器の話に足を踏み込んでしまった。
こうなると、日本人が弾く、ヴァイオリンとチェロは、
まったく無視ということになる。

ジャパン・バッシングから、ジャパン・パッシング、
いや、ジャパン・ナッシングだ、と日経なら書くだろう。

「『全体として、いわば、オリジナルな二つのメーカーは、
ヴァルターとシュトライヒャーであることは明らかである。
他のものはそのコピーにすぎず、
ヴァルターは、多くその工房から出ていて、
特に多くコピーされている。
オリジナルの楽器が二つのメーカーから出ているゆえに、
我々は、フォルテピアノを、
ヴァルタータイプとシュトライヒャータイプの、
二種に分けることができる。』」

私は、ここまで読んで、再度、がっかりする。
何故なら、冒頭に書いたように、
教授は、異なる楽器を弾きわけているのだが、
共に1795年のヴァルターのコピーであって、
シュトライヒャーの音色が聴けるわけではないのである。

では、どう異なる楽器かというと、
ベートーヴェンに使ったのが、
1995年、Chris Maene氏が複製したもので、
フンメルに使ったのが、
1995年、Paul McNulty氏が複製したものである、
ということだ。

この複製した製作者のことは、
完全に無視して、以下、ひたすら、
ヴァルターとシュトライヒャーの話が続く。
何故、この話を読まないといけないのか、
何故、この解説が、このCDになければならないのか、
考えれば考える程、頭が痛くなる。

「『こうした細かい検証結果と同様、
偉大な鍵盤楽器奏者もまた二種あって、
それらの一方は、耳の楽しみ重視で、
深い色合いで、恐ろしいスピードで、
ノイズをものともせず、最も難しい動きも、
オクターブのパッセージも最高の速さでこなす。
これには力と強い神経が必要で、
節度の努力を欠き、音の割れないピアノを必要とする。
こうした種類の名手は、ヴァルターのピアノが良いだろう。
もう一つのカテゴリーは、魂の滋養を求め、
明晰であることのみならず、
ソフトでほろりとするような演奏を愛する。
彼らには、シュトライヒャー、
いわゆるシュタイン以上の楽器はないだろう。』」

このように、ベートーヴェンはヴァルターで、
フンメルはシュトライヒャーで弾いて欲しいものだ。

下記のように、また、ペダルについても深追いがなされる。

「チェルニーが指摘した違いの一つは、
ダンパーペダル(初期のヴィーン製では膝レバー)の利用で、
その専門書でフンメルは、どこで使うべきか詳細に記し、
シュタルクなど他の著者同様、
あちこちに広まった悪習だと書いている。
『不純をごまかし、音符をごそごそ言わせる弾き方、
ほとんど常にダンパーを使うのが大いに広まったので、
ペダルを使わない演奏家を聴くことができないほどである。』」

この文章と、下記文章を見比べると、
ベートーヴェンは悪習に染まった急先鋒という感じか。

「その演奏からも明らかなように、
膝レバー使用指示は、スコアであれ、手稿であれ、
ベートーヴェンから端を発している。
彼の初期の作品は、
長く伸ばされたアルペッジョや、スラーの急上昇、
膝レバーを暗示したペダルによる反響が駆使され、
チェルニーの証言を裏付けるものとなっている。
『ベートーヴェンは、その作品が示す以上に、
ペダルを頻繁に使った。』」

嫌だな。このCDでは、ペダルを使ってるな、
お、使ってないな、などと考えながら、
聴くことが奨励されているのであろうか。

ここで、ようやく、作品の話になる。
作曲家は、確かに、楽器の魅力を最大限引き出すような、
曲作りをしたかもしれないが、
よし、ここで、俺様のレガート奏法の見せ場だな、
とか、
ノン・レガートで純粋な音色で行くからよろしくね、
などと考えていると思うと、
何だか、気が滅入って来る。

「ここでのトリオは、
これら二人の作曲家の、作品の好例となるものである。
1795年、作品1が印刷された時、
ベートーヴェンはまだ主要作品を書いていなかった。
彼は、当時、貴族に流行していた、
ピアノ三重奏曲を作品1に選んだ。
これらの三重奏曲は、1795年よりかなり前に作曲され、
ヴィーンの当時の慣例として、新作は出版される前に、
流行を追うヴィーンのサロンで演奏されていた。
この三重奏曲は、献呈したリヒノフスキー公の邸宅で、
1793年か1794年に初演された。
フンメルのトリオ作品12は、
おそらく1803年に出版されたが、
作品の音域や、モーツァルト風のスタイルの踏襲ゆえ、
(強い前向きの性格であろうとも)
恐らく1790年代後半のものであろう。
この事は、1822年か23年初頭出版の、
より大きな作品番号を持つ作品96のトリオにも言える。
しかし、5オクターブの音域からして、
(出版前の修正で例外があるにせよ)
1800年頃の作品と考えることができる。」

これだけ?
同時代の作品だと強調しただけでないの?
いったい、どこが聞き所なの?
何故、ピアノ・トリオ?

ひょっとしたら、寺神戸、鈴木の日本勢が、
オールトさん、お願いしますよ、と口説く時に、
解説執筆も、お願いしますよ、などと条件に入れたのではないか。

まず、ベートーヴェンの作品1の1、
変ホ長調のトリオが入っている。
何となく、ベートーヴェンの初期というと、
ハイドンやモーツァルト風という先入観があるが、
この曲は、30分もかかって図体からして異なる。

モーツァルトのCDでは、4曲が1枚に入ったものがあったが、
ベートーヴェンは1曲で、CDの半分を占める。

Track1、アレグロ 10分5秒。
じゃんという総奏の後、ピアノがぱらぱらぱらと動くが、
どう見ても、主題というにはぎくしゃくしていて、
消化の悪い始まりである。
ピアノが大きく駆け巡って登場する第2主題は、
多少、ほっとしたものがあるが、
ここで、レガート奏法だなあ、などと考えながら、
聴かないといけないのだろうか。
第2主題の後半になって、
ようやく愛らしいメロディを導くなど、
少々、奇をてらった感じがないでもない。
とはいえ、この部分が、全曲で最も美しいかもしれない。
10分もある楽章なので、展開部は大きい。

Track2、アダージョ・カンタービレ 7分27秒。
チェロのたっぷりとした歌に、
繊細なヴァイオリンが絡むが、
3分を過ぎたあたりから、
強烈な感情移入が始まって、
ピアノの音は炸裂寸前といった有様である。
この部分はすごい。たぶん、演奏もすごい。
どうも、ベートーヴェンは、最初から、
美しい音楽で引きつけるのはお嫌いのようだ。

Track3、スケルツォ、アレグロ・アッサイ 5分2秒。
あえて、このスケルツォを入れて、
4楽章形式にしたことによって、
曲が大規模化しているのだが、
どうしても入れないといけない程かは分からない。

かなり、奇っ怪な楽想である。
メンデルスゾーンの妖精というよりも、
悪魔が人を小馬鹿にしたような音楽。
ゲーテの「ファウスト」あたりに出てきそうだ。
トリオは、穏やかな楽想で、
ピアノがよどみなく流れ、このあたり、
レガート扱いであろうか。

Track4、終曲、プレスト 7分25秒。
この終曲も、何だか軽妙で、
スケルツォの精神を引き継いでいる。
ヴァイオリンが白熱し、
かなり興奮度の高い音楽だが、
楽想は、ちょこまかして、
それほど魅力的なものではない。

アンチ・ベートーヴェン派が、不自然で、力ずく、
というのもよく分かる音楽。
中間部は、チェロがぶんぶん鳴ったり、
ヴァイオリンが持続音を出すだけで、
ほとんどメロディなどない領域に踏み込んで行く。

こうした部分こそが、ベートーヴェン信者をしびれさせる点で、
楽想がめたくたに切り刻まれないと、
作品が深まった事にはならないのであろう。

終わり近くになって、カデンツァのように、
ピアノが駆け巡るが、このあたりペダルを使いまくっている。
コーダはベートーヴェンらしくだめ押しが出る。

以下、フンメルのピアノ三重奏曲が2曲続く。
いずれも3楽章で20分ほどの音楽である。

まず、ベートーヴェンの作品1の1と同じ、
変ホ長調の作品12が演奏されている。

Track5、アレグロ アジタート。
この曲は洗練の極みと言われた、
フンメルの特質がよく出ていて、
最初から花畑が広がるような美しいメロディが魅惑的だ。
私は、当時生きていたら、恐らくフンメル派であろう。

たぶん、イ長調作品120のソナタの、
冒頭の美しさなどから考えても、
シューベルトもフンメル派ではないか。

そう言えば、フンメルは、シューベルトの作品同様、
そのピアノ演奏に関しても、高く評価したのである。

しかし、私は少し聴き進んでのけ反ってしまった。

このフンメルのこよなく美しいメロディを中断するのは、
何と、ベートーヴェンの作品1の1の冒頭主題ではないか。
第2主題も何だか、ベートーヴェンのぱくりで、
チェロが、ベートーヴェンその人の高笑いを思わせる声を上げる。

私は、ようやく、この選曲の意味が分かったような気がする。
しかし、あえて、解説で触れなかったのは、
憎い事と言うべきであろう。

さすがフンメル、なだらかなメロディであっても、
各パッセージは明晰そのもの。
真珠の連なりを思わせる。

この楽章、ベートーヴェンの作品と、
ほぼ同じ長さであるが、
展開部で楽想が切り刻まれるのは、
そんなに長くない。

確かに緊張力溢れる構成とは言えないかも知れないが、
十分に美しいものである。

Track6、アンダンテ 6分16秒。
歌謡的な楽章で、メロディが歌い継がれ、
とても愛らしい。
中間部では、意地悪な介入の一こまがあって、
いかにも悪役登場の感じ。
そこで、いきなり盛り上がって、
何だか劇の場面のような感じ。
何らかの描写があるのではないか。

確かに、これだけ歌う楽章でも、
ダンパーの濁りは感じられない、と聴けば、
オールト教授は及第点をくれるだろうか。

Track7、終曲、プレスト 4分48秒。
これまた、完全にベートーヴェンのパロディではなかろうか。
妙にぎくしゃくした楽想がじぐざぐに進む。

問題は、売れっ子のベートーヴェンにあやかろうとしたのか、
ライヴァルをからかおうとしたのか、
いったいどっちだ、という点であろう。

しかし、それらの両方のような気がして、
覇気もスパイスもあって、
私には、かなり面白い音楽として聴けた。
ハイドンのピアノ三重奏で問題になった、
チェロが伴奏に過ぎない、などという問題は解消されていて、
豪壮な音が立体感を増している。

こうした特集的CDでは、多くの人は、
やはり、フンメルはベートーヴェンと比べるとね、
という感想で終わるようだが、
ひねくれ者なのか、判官贔屓なのか、
私には、そんな感想は皆無。

フンメルの方が簡潔で、ずっと面白い。

これまで、このCD、あまり良いものと思わなかったのは、
ベートーヴェンが冒頭に入っていたからだと、
断言したいくらいである。

次に、作品96とあるが、実は若い頃の作品とされた、
これまた、変ホ長調の作品が収録されている。

ひょっとしたら、同じ調のものが続くのが、
単調さを感じさせて、同じ曲が延々と続くように、
感じさせるのだろうか。

この曲は確かに、ハイドン風の楽想を感じる。
あまりメロディアスでなく、突飛とも言える、
機知を感じさせるものがちりばめられ、
一筋縄ではいかない。

チェロもあまり存在感がなく、
先の作品12の方が、後の作品のように思える。

まだ、ハイドン存命と思われるが、
師匠は何と言っただろうか。

Track9、アンダンテ・クワジ・アレグレット 4分33秒。
この楽章は、主題がどうも冴えない感じだが、
チェロが初めて美しい音色を聴かせるなど、
音楽が進むと、味わいを増す。
中間部で、ピアノがへんてこなどろどろ音を聞かせるが、
これまた、何だか、意味深である。

作品12の第1楽章などからして、
フンメルは、かなりの策士ではないかと疑っている。

Track10、ロンド・アラ・ルッサ 6分3秒。
ルッサって、ロシア風かな。
開放的なロンドで、リズムもメロディも民族風。
非常に楽しいフォークダンスで、
くるくる回っていくような感じ。

途中、ピアノ五重奏曲で聞こえたような一節がよぎる。

するとさすがフンメル、いきなり対位法の錯綜だ。
有名な七重奏曲でも見せた手法。

やはり、フンメルは口当たりがいいけど、軽いな、
などと思うのを、簡単には許してくれない。

手を変え品を変え、フンメルもさすがハイドンの弟子である。
アイデアいっぱいで、目が眩まされる。
このCDを見つけた人は、Track5から聴いて、
ベートーヴェンは付録と考えよう。

何だか分からず、安く購入したものが、
良いものだと分かる瞬間は、何ものにも代え難い。

得られた事:「ヴィーンのピアノ演奏に2派あり。おそらくシューベルトはフンメル派であろう。」
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by franz310 | 2010-03-13 23:11 | フンメル

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その216

b0083728_2103223.jpg個人的経験:
フンメルという作曲家の名前を、
意識しはじめたのは、
いったい何時からだっただろうか。
遺作となった3つのソナタを、
シューベルトが捧げようとした相手が、
他ならぬフンメルであったことは、
よく知られているが、
それが、どんな人であったかは、
華麗なピアノのヴィルトゥオーゾという
以外の知識はなかった。


しかし、シューベルトの伝記をひもとけば、
「ます」の五重奏曲のモデルが、
フンメルの作品であったり、
「さすらい人幻想曲」の献呈相手が、
フンメルの弟子であったり、
あるいは、死の床のベートーヴェンを見舞ったフンメルが、
シューベルトと会った逸話など、
そこここに、この希代の音楽家の姿が見える。

アインシュタインなどは、
「フムメル風の華麗さは、
かなり多くのシューベルト作品にも
余韻を残している」と書いて、
フンメルの存在を取り上げ、
その作風の差異を、
かなり細かく分析している。

白水社の浅井真男訳によると、
こんな風に表現されている。
「彼のピアノ作品、例えば、
おそらく一八〇〇年の直後に成立して
ハイドンに捧げられた、
作品十三番のピアノ・ソナタの終楽章のなかには、
シューベルトの作品のなかを
いくら探しても見つからないようなものがある。」

フンメルはほめられているのかと思うと、
こんな書き方なので、そうではないようだ。

「シューベルトはこのような、
モーツァルトとアルブレヒツベルガーに由来する論証的
あるいは図式的な発展を好まない。
それはシューベルトにとっては、
あまりにも色彩に乏しいのである。
彼はどんな場合にも和音の豊富さ、
官能性を断念することができない。」

つまり、
・フンメル=論証的、図式的、和音、色彩に乏しい
・シューベルト=官能的、和音が豊富、色彩的
としてまとめられている。

この話はさらにこんな風に続く。
「フンメルの右のソナタは、その第1楽章のなかで、
シューベルトのソナタのみならず、
彼の器楽作品全体の
もう一つの独自性を認めるための出発点を、
我々に与えている。」

何だかよく分からない言い回しだが、
この作品13のソナタだけで、
シューベルトも、
さらにフンメルも片付けようという感じが見え見えである。

1800年と言えば、フンメルとてまだ22歳くらい。
いきなり、これだけで断罪されるなんてひどい話である。

「この楽章の、対位法的伴奏を持つ
いくらか荘重な第一主題には、≪アレルヤ≫と書き添えてある。
それはグレゴリオ聖歌のモティーフであって、
したがってこの第一楽章は
多くの≪ガラントな≫むら気にもかかわらず、
おそらく敬虔な老ハイドンのために、
神の称賛として構想されているのである。
シューベルトについてならば、
われわれはむしろ、
彼の全作品は神の称賛として構想されているが、
彼はそんなことを少しも暗示していない、
と言いたい。
・・要するにプログラムへの考えや指示はないのである。
彼の究極目的は音楽である。」

・フンメル=神の名を騙って偽善的、
・シューベルト=純粋に音楽的、
と区別されているようにも見える。

では、この作品13をはじめとする、
フンメルのピアノ・ソナタは、
「偽善的、図式的で、色彩に乏しい作品」として、
聴く価値がないのであろうか、
という疑問がわき起こってくる。

ちなみに、フンメルとシューベルトは、
ラースニ婦人の集いでお互いの音楽を披露し、
フンメルは、シューベルトの歌曲のみならず、
ピアノ演奏にも感心したとされる。

フンメルは、「盲目の少年」という
シューベルトの歌曲に魅了され、
続いて、その歌曲に基づく即興演奏を披露したとされる。

シューベルトは、これを喜んだというので、
アインシュタインが書く以上に、
フンメルを信頼していたはずである。
実際にその演奏に接した上で、
ソナタを三曲も捧げようとしたのだから。

幸いにも、フンメルの方のソナタについても、
その作風の変遷を知るために、
まことに都合のよい廉価盤があるので、
今回は、これを聴いてみたい。

弾いているのは、写真で見る限り、
フレッシュな美形のDana Protopopescu、
プロトポペシュとでも読むのだろうか。

「ダナ・プロトポペシュは、生地ブカレストで、
音楽の勉強をはじめた」とあるので、
ルーマニア人のようだ。

しかし、その後は国際派のようである。

「彼女はブリュッセルの王立音楽院と、
ハノーヴァ音楽院で、エドゥアルト・デル・プエヨ、
カール・エンゲルの指導をうけ、それに磨きをかけた。
14歳の時にオーケストラと最初の演奏会を開き、
以来、ベルギーのゾルマン、ヴァンデルノート、
ロシアのCivjel、ギリシアのAtgiris、ルーマニアのAndreescu、
イスラエルのオストロウスキー、日本の抜井、
ドイツのA.ワルター、オーストリアのラハバリ等といった、
すぐれた指揮者と共演している」とあるが、
私はヴァンデルノートやラハバリしか知らない。

「ダナ・プロトポペシュはいくつかのCDを作り、
ラジオ、テレビのための録音を行い、
映画監督のアンドレ・デルヴォーの信頼厚く、
映画『ベンヴェヌータ』の音楽を引き受けた。」

とあるが、これは1983年の映画のようなので、
30年くらい前に、すでに実績を積んでいたということになる。

このピアニストの写真は、かなり昔のものなのかもしれない。
このディスカバー・レーベルのCDの録音は1995年である。

いずれにせよ、かなりはっきりしたクリアなタッチのピアニストで、
この楽器を鳴り響かせる権威であったフンメルは、
やはり、こうしたきらきら感で聴きたいものだ。

このピアニストも、フンメルにはこだわりがあるようで、
解説にも、クララ・シューマンの協奏曲、
メノッティの協奏曲と並んで、
彼女らしいレパートリーにフンメルの協奏曲が上げられている。

録音も自然でみずみずしく、好感が持てる。
ブリュッセルのEMSスタジオでの録音とある。
何と、このEMSと書いたロゴが裏面に書いてあるので、
さぞかし良い音のスタジオなのであろう。

表紙デザインは、この廉価レーベルの特徴を表して、
少々、うすっぺらな感じで重厚感に欠けるが、
絵画は、フリードリヒで非常に美しい。

「ヨハン・ネポムーク・フンメル(1778-1837)は、
当時、ハンガリーに属し、ポツォニイと呼ばれていた、
現スロヴァキアのブラティスラヴァに生まれた。
彼の音楽にハンガリー的要素を期待しても特にそれはなく、
音楽における民族主義運動は後年のものであった。
フンメルは驚くべき才能に恵まれ、
彼の演奏を聴いて、モーツァルトは、
彼を家に住まわせて、無償で2年も指導した程であった。
9歳にして、モーツァルトの演奏会でデビュー、
ドイツ、ボヘミア、デンマークから、
スコットランド、英国といった、
大がかりな北部ヨーロッパ楽旅を行い、
ロンドンではクレメンティのもとで学び、
14歳の時、フンメルは、父親と、
オランダ経由でヴィーンに戻った。
ここで、彼はハイドンや、
アルブレヒツベルガーといった老巨匠の元で、
作曲の勉強に打ち込んだ。
同様にこの二人に学んでいた、
8歳年上のベートーヴェンとは、
すぐに友情を結び、それはベートーヴェンの死まで続いた。
そして、ここに、彼は、当代一の
傑出したピアニストの一人となった。
トーヴェイは、彼を、
『ヨーロッパで最も華麗な正当派ピアニスト・コンポーザー』
と呼んだ。
彼の生徒には、リストをはじめ、19世紀のピアノの巨人、
ヒラー、タールベルク、ヘンゼルトといった、
パンテオンの神々の多くを教えたツェルニーがいる。
今日、我々に残された大きな疑問は、
その作品は何に似ていて、何故、我々に親しいものでないのか、
ということである。」

アルブレヒツベルガーは、アイブラーの師匠でもあって、
アイブラーの才能を激賞したとあったが、
フンメルについては、どう思ったのだろうか。

「フンメルは非常に多産で、
大量のピアノ曲、室内楽曲、教会用合唱曲、管弦楽曲を書いたが、
その質は、タイプや書かれた目的によってまちまちである。
おそらく、最も堅実な分野は、室内楽と合唱曲であろう。
ピアノ・ソナタは不当にも無視されているが、
『Partant pour la Styrieによる変奏曲』のような、
彼の最も弱い作品に見られるような、
無意味な音符の動きはなく、
彼が知り尽くした楽器の深い親近性を感じさせる。」

このように、フンメルの作品には、
出来不出来が激しいという感じがにじみ出ている。

「第1ソナタは、作品2として、
ピアノとヴァイオリン(またはフルート)のためのソナタと、
ピアノとヴァイオリン(またはフルート)と
チェロのためのトリオと共に、
1792年に出版された。
作曲家は14歳で、クレメンティのレッスンを受けている所だった。
ここには、モーツァルトの影響は、
ほとんどというか、全くなく、
クレメンティ、とりわけドゥシェックの、
自由なピアノ書法が見られる。
1782年の後者のハ長調ソナタ作品9-2は、
当時の多くの作曲家に影響を与え、
ベートーヴェンも明るく社交的な作品2の3に、
その痕跡を残している。」

ということで、作曲家がまだ14歳だった頃の作品が、
まず、聴けるということだ。
シューベルトが、まだ生まれる前の作品。
1792年と言えば、まだ、モーツァルト死後1年で、
ベートーヴェンは22歳で、ヴィーンに出てくる年。

「スタイルは豊かで広がりがあり、派手であって、
ほとんどモーツァルトのスタイルの対極にある。
フンメルの個性は十分に開花していないが、
基本的な性格の萌芽が、
特に緩徐楽章において、すでに見えており、
とりわけクレメンティのソナタ変ホ長調作品6の影響が、
特に付点リズムの使用に反映されている。
ロンドの終曲は簡潔で、同様に、
ベートーヴェンにも影響を与えたドゥシェックを思わせる。」

ソナタ第1番作品2(約16分):
Track1:アレグロ・スピリティオーソ。
まず、序奏からして、若々しい勢いを感じさせる。
ここから、だんだん主題が姿を現して来るが、
指がくるくる回ることを前提にした曲つくりで、
いかにも機械的にも聞こえるかもしれない。

クレメンティやドゥシェックの作品の影響を受けているというが、
たしかに、とにかくピアノの美感を前面に出す感じが、
なるほどと思わせる。

しかし、典雅な雰囲気を持っていて、
時に感傷的な風情も見せながら、
展開部は華麗で、
かなり聴かせる内容になっている。

アインシュタインが書いたように、
官能的な揺らぎのない、図式的に駆け巡る音楽であるが、
立体的でもあり、また力強い。

Track2:アダージョ。
アダージョの開始とはとても思えない、
堂々といかめしくフォルテで打ち鳴らされる、
ものすごく荘厳な序奏に応答し、
ここでも次第に、優しいメロディが流れ出し、
フンメルの旋律の才を感じることができる。

しかも、繊細な心遣いが嬉しい。
ふと、エマニュエル・バッハ風の筆致も感じられる。
決して、ピアノの機械という感じではない。
そう言えば、クレメンティとモーツァルトのピアノ対決を、
フンメルの二人の師匠たちは、
どのように弟子に教え聴かせていたのだろう。
非常に名残惜しげに終わる終わり方も素敵だ。

Track3:ロンド。
明るく、しかも心躍る楽しいロンドである。
確かに簡潔で、大騒ぎもせず、余計な技巧もない。
むしろ、様々な表情の変化のめまぐるしい交錯が聴きもの。

あるいは、このピアニストの
素直な取り組みが成功したのかもしれない。

さて、アインシュタインがこき下ろした作品13である。
この曲は、第1楽章が9分と、
各楽章が長くなって、もう大ソナタの風格がある。

「第2ソナタ作品13は、ずっと遅れて1805年に出版された。
この作品が実際に作曲されたのが何時のことかは分からないが、
その成熟から1805年よりそんなに前ではないと考えられる。
同様の影響を受けながらも、
フンメル以外の何者の作でもない個性を誇り、
二声の対位法を駆使した緊密な書法で、
完全に違った音響ながら、ベートーヴェンと同レベルにある。
もう一つの重要な特徴は、
大規模な作品を扱う、作曲家の自信と手堅さである。
緩徐楽章には、フンメルの後期作品でさらに展開される、
輝く幻想性がある。」

1805年といえば、ハイドンの後任として、
エステルハーツィの宮廷楽長をしていた頃である。

ソナタ第2番作品13(約25分):
Track4:アレグロ・コン・ブリオ。
これまた、ぐしゃぐしゃっとした変なパッセージに、
堂々とした序奏が華々しく、
そこから、少しずつ主題が現れて来る。
第2主題だろうか、朗らかでに紡ぎ出されるメロディは、
非常に高貴なもので、たとえようもない効果を誇っている。
シューベルトでも、こんなピアノ曲を書いてみたかっただろう。

Track5:アダージョ・コン・グラン・エスプレッショーネ。
これは、解説でも紹介されているように、
微光に包まれた幻想的な楽章で、
ベートーヴェンの悲愴と月光を足して二で割ったような、
夢のような情景が描かれ、もう美しさの極みである。
いったい、アインシュタインは、
この曲の何が不満だと言うのだろうか。

かなり官能的な音楽である。

ピアニストの完全な共感が、
このような高みに持ち上げていることは明らかで、
全ての音に感動が織り込まれている。

Track6:終曲、アレグロ・コン・ブリオ。
またまた、何だか変なパッセージ、
ぶっきらぼうな開始であるが、
このあたりがフンメル風であろうか、
だんだん、親しみやすい微笑みが漏れて来る。

この終楽章も9分に迫り、中間部では、
お得意の強烈な対位法の妙味が前面に出される。
このあたりも、恐らくアインシュタインには、
無味乾燥に思えたかもしれない。
初めて聴く人にも、このあたりは消化しにくいだろうが、
アルブレヒツベルガーの薫陶を受けたフンメルにしてみれば、
このような話法は、ごく普通のものだったのかもしれない。
名残惜しげな風情を断ち切るように終わる。

「第3ソナタ ヘ長調作品20は、
暗い感情を表出するもので、
時として悲劇的ですらある。
ここには、この作曲家のイマジネーションの、
最高の羽ばたきがあり、
変ホ長調のソナタ同様、
素晴らしい対位法的書法が駆使され、
それがすべて音楽表現をめざし、
退屈であったり、機械的であったりすることはない。
この作品によって、未来の予見が始まったことが聞き取れる。
緩徐楽章は、明らかに、
シューベルトのハ短調ソナタの、
緩徐楽章のムードを予告する。」

このように、アインシュタインが書いたことの、
ちょうど反対のような事が書かれている。
こういう事が起こるからこそ、
解説を読むのは面白い。

アインシュタインの説を信じて、
一生、フンメルを聴かずして終わる、
シューベルト・ファンも多かろう。

さて、しかし、それだけでは、この解説は終わらない。

「しかし、この曲の頂点は、
疑いなく見事な終曲にある。
それは再現部を持たず、
実験的であるが、モーツァルトを思わせる進行があり、
子供の頃の先生への賛辞となっている。」

ここにあるように、この曲は終楽章に、
ジュピター音型が出てくる事で有名な曲。
ただし、引用ではなく、「ぱくり」とされる事の多いもの。
しかし、私は、かなりフンメル支持派になっているので、
ショスタコーヴィチがやれば、暗喩と呼ばれるように、
好意的に解釈したい。

この曲は1807年の作とあるから、
シューベルトに先んずる事20年以上である。

ソナタ第3番 作品20。
Track7:アレグロ・モデラート
-アダージョ-アレグロ・アジタート。
もの思いに耽るようなメロディが歌い出され、
心の高ぶりのような動機や、
希望のような動機が交錯し、
かなり錯綜した雰囲気の曲である。
しかも、緊迫感もあって、ただ事ではない音楽。
演奏者も、非常に感受性豊かに、
この気分の変転に乗って、
うまく捉えがたい情感を表現しつくしている。

才人フンメルも、30歳を前にして、
何か考えることがあったのだろうか。
この時期、まだ、エステルハーツィの宮廷にあったが、
こうした挙動不審が、1811年の解雇につながるのではあるまいな。

終盤では、音楽は高ぶり、
抑えきれない感情を爆発させて終わる。
こりゃ、ダメだ。
クビになっても仕方がない。

Track8:アダージョ・マエストーソ-終曲 プレスト。
このトラックは後半2楽章を収めている。

内省的な音楽で、シューベルトを予告したとあるが、
確かに、親密で内省的なメロディが美しく、
シューベルトのソナタと言っても通じるかもしれない。
だが、この時期、シューベルトはまだ10歳である。
人生を変えるコンヴィクト入学の前年に当たる。

ベートーヴェンは、「第5交響曲」前夜だが、
すでに「熱情」のようなソナタを書き終えている。
この時代のチャンピオンであることは明白であった。

さて、この楽章の終わり近くには、
奇妙な変則リズムが現れ、
雪に足を囚われて冬の旅を行くかのようでもある。
アイゼンシュタットにあって、
フンメルは、孤独を感じていたのかどうか。

終楽章も荒れ狂って始まる。
もう、めちゃくちゃに混乱した開始部である。
それが、次第に平静を取り戻して行くが、
この過程は毎度ながら対位法の駆使で、
聞き手は少々、道を見失いそうになる。
そこに突如射す巧妙こそが、
モーツァルトの快活なおしゃべりである。

やはり、フンメルが、ここで、
ジュピター音型を出さなければならなかった理由は、
明らかではなかろうか。

それにしても、このようにシリアスな音楽を書いた人が、
単に、お気楽ビーダーマイヤー風と評されたり、
機械的、色彩の欠如、官能性の不足を批判されたり、
するようになったというのは、
非常に興味深い現象である。

いずれにせよ、シューベルトは、この伝説の名手と語らい、
互いに認め合うという、美しいエピソードを、
その晩年に残してくれた。

シューベルト・ファンであれば、
このヴィルトゥオーゾに、一度は、
敬意を表した方が良さそうである。

得られた事:「名手フンメルもまた、ハイドンの後任という地位にありながら、迷える一人の若者であった。」
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by franz310 | 2010-03-06 21:01 | フンメル