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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その211

b0083728_21183857.jpg個人的経験:
アイブラーには、
合計7曲の五重奏曲が、
残されているとあったが、
前回聴いた作品6の2曲以外にも、
同様にコントラバスを使ったものがあり、
これは、楽章構成も、
作品6と同様、アンダンテを、
はさむ、2つのメヌエットを、
ソナタ楽章とアダージョ付き終楽章で、
サンドウィッチにした構成。


42分の演奏時間を要する。
楽章構成はともかく、ヴァイオリン2、
ヴィオラ1、低音楽器2という編成は、
前回のヴァイオリン1、ヴィオラ2と低音楽器という、
見たことのない編成のものよりも、
シューベルトの弦楽五重奏曲に近く、
前回の作品よりオーソドックスに聞こえる。

しかも、コントラバスの響きもふくよかで、
冒頭から、まろやかな弦の反響に包まれて快感だ。
とはいえ、コントラバスが独奏的な動きを見せるかというと、
シューベルトの「ます」の方が活躍していると思う。
が、チェロなどは、ソロイスティックにかなり自在に動いている。

これまでも書いたが、コントラバスを使った室内楽というのは、
類例が少ないとされ、シューベルトの「ます」は、
何だか変な曲、とされる解説が多かった。

オンスロウにも、コントラバス入り室内楽があったが、
確か彼の場合は、チェロ2堤で書いた曲を演奏する際、
たまたまチェロ奏者が欠席して、コントラバスで代用してから、
この編成の魅力を知ったとあった。

アイブラーの場合は、
自ら、この編成に行き着いたのだろうか。

同様の編成によるオンスロウの作品より変化に富み、
かなり楽しめる作品に仕上がっている。
いずれにせよ、こういった援軍あって初めて、
シューベルトの名曲も正しく位置づけられるはずである。

表紙デザインは、Fischer:Allegorie 1781とあるが、
何のことであろうか。
ローマ風の建物の前に、兵隊と娘と天使たち。

私は、このCDについて、
オンスロウを聴いていた時から気になっていたが、
この奇妙奇天烈なデザインゆえに、
購入をためらっていたものだった。

オンスロウのCDでもそうだったが、
MDGレーベルは、
よくこうした意味不明の絵画を選択する。

この絵画の時代倒錯感とは裏腹に、
18世紀末から19世紀初頭を想起させる
室内楽的な美学が詰まった、
かなり満足度の高い音楽が聴ける。

前回聴いた作品6は、メヌエットのお気楽さが前面に出て、
何となくブルジョワ相手のBGM風だったが、今回のものは、
晩年のモーツァルトが想定したのと同様の空気を感じる。

それが、プフベルクのような商人か、
スヴィーデン男爵のような貴族なのか、
何なのかは分からないが、
かなりいろいろな音楽を聴き知った批評家を含むと思われる。

録音は、2004年の8月15日から18日になされている。

解説は、Cordula Timm-Hartmannのもの。

「18世紀後半のヴィーンの音楽史を考える時、
今日、古典派の音楽の発展は、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを、
もっぱら中心に据えるであろう。
この音楽の都による、
ほとんど計り知れないほどの音楽的な豊かさは、
様々な伝統の流れ、様々な施設、
貴族、その後援などによってもたらされた。
ヨーゼフ・アイブラーは、こうしたスキームの中に、
しっかりと根ざした作曲家の一人であった。
彼と同時代の他の作曲家と同様、
アイブラーは、生前、ヴィーンで特別な尊敬を受けたが、
死後、忘却に沈んだ。
ヨーゼフ・レオポルド・アイブラーは、
ヴィーン近郊のSchwechatに、
2月8日に生まれ、音楽的な環境で育った。
彼の父親は、教師であり、合唱指揮者であったが、
ハイドンの一族と親密な関係にあった。
彼の父親は、
彼がヴィーンのシュテファン教会の
音楽学校に入る前から音楽を仕込んだ。
12歳の年には、
当時、高名な音楽教師だった、
アルブレヒツベルガーが、
彼を作曲のクラスに受け入れ、
この生徒の可能性を評価して、
こんな言葉を残した。
『1.ラテン語やオルガン演奏に優れるのみならず、
声楽とヴァイオリンにおいても最高の位置にある。
2.作曲において、私の生徒の中で、最高の生徒の一人である。
3.モーツァルト以降、今やヴィーンで、最高の音楽の天才。
4.私は、彼をどこにでも推薦できるだろう。』
1782年、アイブラーはまず、
法学を学び始めたが、すぐにそれを諦めた。
彼は音楽に身を捧げ、
音楽教師として生計を立てることを決めた。
彼は友人で庇護者であったハイドンに作曲を提出し、
ハイドンはある手紙の中で、
『彼の傑出した才能とこれまでの努力』を賞賛した。
また、彼は、アイブラーが、
『どんな音楽的判断においても、
最も厳しいテストに耐えるのに
必要である音楽理論の知識』を持つのみならず、
『実用的分野では素晴らしい鍵盤楽器奏者、
ヴァイオリニストとして、
すべての専門家から賞賛される能力』
を持っていると述べた。
アイブラーは、1792年、ヴィーンのカルメル派教会の、
合唱指揮者に任命され、
ここで、いくつかのミサ曲を演奏した。
2年後、スコットランド派教会でも同様の地位を占め、
30年にわたって、この教会音楽のメッカにあった。
ここで、マリア・テレジア王妃から特別な愛顧を得て、
祝祭や宮廷音楽会、劇場上演の奉公を求められ、
多くの作品を求められた。」

前回聴いた作品6は1801年~3年の作品とされたが、
この頃には、王妃の知遇を得ていたような感じ。

江村洋著「ハプスブルク家の女たち」(講談社現代新書)で、
このマリア・テレジア王妃について見ると、
名君が続いて、レーオポルド帝薨去後、
1792年に帝位に昇ったのが、弱々しい皇帝、
フランツ二世で、この人は、まず、
「二十四歳で即位したフランツ二世は
『善き皇帝』として歴史上に名を残した。
彼の生活は全く小市民的で、ささやかだった。
それは彼が愛好した、
今日に残る簡素な家具を
一瞥しただけでも理解されるであろう。
皇帝といったイメージにはほど遠く、
家族で一緒に食事し、
家庭内でピアノの演奏を楽しむといった、
ごく普通の日常生活を好んだ。
世にいわゆるビーダーマイアー様式は、
彼のつつましい人生を象徴している。」
と書かれている。

最初の帝妃を2年後に失った時、
「早くもその半年後の一七九〇年九月には、
ナポリ王の長女マリア・テレジアと華燭の典を挙げた。」
とある。

さらに、この帝妃は、フランツ帝とは従兄妹の関係にあったので、
ハプスブルクの虚弱な体質が高まったなどと書かれている。
12人の子供をもうけたが、半数は夭折。
残った長男は虚弱、次男も生気に乏しかったとある。

下の王女二人はサレルノ王妃、ザクセン王妃になり、
長女はナポレオン妃になったマリー・ルイーズ、
次女はブラジル皇帝妃で、波瀾万丈の人生だったらしい。

フランツ帝は、さらに帝妃を二度、
モデナやバイエルンから迎えているとあり、
マリア・テレジア妃がいつの間に亡くなったのかは分からない。

1807年、34歳で亡くなったというのは、Wikiに出ていた。
このように、アイブラーは、
マリア・テレジア妃が、12人もの子供を産んだり、
死ぬのを見守っていたりする間に、
その寵愛を受けて、作曲していたということか。

では、アイブラーのCD解説に戻ろう。

「それらの中に、1803年作曲のハ短調のレクイエムがある。
また、皇室の音楽教師にも任命されることとなった。
1804年、サリエーリのもと、宮廷副楽長に任命され、
1824年、その後を継いで宮廷楽長となった。
1833年、アイブラーは梗塞に倒れ、
音楽的発展は突然終止符を打たれた。
1835年、皇帝は彼を貴族に列し、
1846年7月24日、
ヴィーンのSchottenstiftで亡くなった。
皇室の一家や、ハイドン、スヴィーデン男爵など、
影響力のある音楽愛好家の他、
モーツァルトが、友人、庇護者として、
アイブラーに特別な注意を払った。
アイブラー自身の証言によれば、
二人は、ヘンデルの研究を通じて親しくなった。
1790年、モーツァルトは、
『高名な巨匠、アルブレヒツベルガーの優秀な生徒』を、
『室内楽、宗教曲両方において熟達した作曲家、
声楽の芸術に通暁し、完璧なオルガン奏者であり、ピアノ奏者』
として評価し、つまり、
『若い音楽家で彼ほどの人は稀なのは残念』と評した。
モーツァルトはアイブラーを信用し、
『コシ』のリハーサルを任せ、
その死後、コンスタンツェは、まず、
アイブラーにレクイエム完成を依頼した。
最初の試みのあと、彼はこれを完遂できなかった。
彼はこの天才の作品を自分の作曲で汚すのを恐れたのかもしれない。
この痕跡は、ディエス・イレからラクリモーサの手稿に読み取れる。
この仕事はジェスマイヤーが完成させた。
このように、今日、アイブラーの名は、
まず、何よりも、モーツァルトのレクイエムとの関係で知られるが、
いくつかの彼自身の作品が復活しつつある。
その中心は、ダブル・コーラスのレクイエム他、
ミサ曲、オラトリオ、オフェルトリウムなどの宗教曲にあり、
オペラ、『魔法の剣』の他、後世に様々な管弦楽曲、
ピアノ曲を残している。
彼の作品の第2の中心は室内楽で、
世紀の変わり目に多くの作品を書いている。」

このあたりのことは、前回も読んだ。
が、ヘンデルがモーツァルトとアイブラーを結びつけた、
というのは、何となく興味深い。
アイブラーの音楽にも、何か、ヘンデルに通じるような、
おおらかさ、楽天性が感じられないだろうか。

「まず、1794年に、彼は作品1の弦楽四重奏曲集を、
ハイドンに捧げた。
ハイドンの創発によって、
19世紀最初の10年、ヴィーンは、
この古典分野の作品が咲き誇るのを見た。
ハイドンの作品は、
多面的な四重奏曲の発展の出発点と見なされ、
アイブラーも他の作曲家同様、
ハイドンの流れをくむ作品を書いた。
さらに、アイブラーは、この四つの楽器の構成を拡張し、
五重奏曲に専念した。
このジャンルはモーツァルトその他の作曲家によって、
強化されたところだった。
五重奏の音響的な豊かさや、作曲技法の可能性は、
これら四重奏曲のかなり先を行くがゆえに、
これらは絶対必然の形で証明することは困難であった。
アイブラーは、すでに散逸した、オーボエ五重奏曲や、
ヴィオラ・ダモーレ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと、
コントラバスのための二つの作品や、
フルート、ヴァイオリン、
2つのヴィオラ、チェロのための作品など、
古典的弦楽の編成を超えて、
さらに様々な楽器組み合わせや、
個性的な音色をテストした。
その中の一つはヴィーン古典派に倣った、
ヴァイオリン2、ヴィオラ2,チェロの編成で、
他の三つ、2つの五重奏曲作品6と、
ここに初録音された、ニ長調のものは、
コントラバス入りの編成で注目される。
18世紀、19世紀の作曲家の作品では、
このように最低音の弦楽の音色を意識した作品は、
あまり見られないものである。
アイブラーはこの作品を、
作品6の2曲と同様、6楽章で構成した。」

前回、これは5楽章と解説に書かれていたが、
やはり6楽章と数えるべきなのだろうか。
何度も書くが、終楽章前のアダージョは、
ハイドンの交響曲のような序奏のような感じがしないでもない。

今回のものもわずか2分のもので、終曲への気分転換の、
つなぎみたいな感じであるが、これを1つの楽章と、
数えるかどうかで数え方が変わって来る。

以下、この曲の詳細な解説となる。
ついでに、トラックを勝手にふって同時鑑賞するとしよう。

「拡大されたソナタ形式のアレグロ楽章に先立って、
柔和な感情のアダージョの序奏がある。
すでに、ここに、アイブラーの室内楽の特徴が明白で、
彼は、どの楽器にも支配的な役割を与えず、
二つのヴァイオリンも、コントラバスによって、
大いに低音の役割を解放されたチェロ、
さらに、とりわけヴィオラが、
独立した独奏的なパッセージを演奏し、
グループを変えながら演奏される。」

Track1:アダージョ 1分20秒。
「柔和な感情のアダージョ」とあるが、
柔らかなリズムに乗って、ヴァイオリンが立ち上がり、
チェロ、ヴィオラが呼応、コントラバスまで歌って、
期待がふくらむ部分である。

Track2:アダージョ・ディ・モルト 12分3秒。
春先の鳥の声のように、
ヴァイオリンが先導する楽しげな雰囲気に、
各楽器が参加する、喜ばしい感情に満ちたアレグロが始まり、
あこがれに舞い上がるヴァイオリンのメロディーが美しい。

かなり長いチェロ独奏による第2主題が現れ、
気迫のこもったアクセントを付け、
まるでハイドンのチェロ協奏曲のような一瞬。
これも、すぐにヴァイオリンに引き継がれ、
確かに各楽器がこれほどまでに自在に、
喜ばしげにからみ合う楽曲も珍しい。

続いて、モーツァルトの
「クラリネット五重奏曲」みたいなメロディーも現れ、
さすが、これら二人の巨匠に囲まれて暮らした人である。

主題提示部は表情豊かに繰り返されるが、
展開部では、激しいアクセントや、
即興的で技巧的な短いパッセージがひしめいて、
それほど、長いものではない。

再現部でも、様々な楽器が歌を紡ぎ合わせながら進んで行って、
明らかにベートーヴェン以降、重視された、
展開部でどれだけ音楽が発展するかが重要、
などといった美学とは別次元のもの。

そういった意味では、シューベルト的。

「2つ、または、3つのトリオを有するメヌエットが、
ハイドンなどのディヴェルティメントを想起するように、
緩徐楽章(アンダンテかアダージョ)の前に置かれている。
多彩なトリオ部は、音色の豊かさと、
明らかにアイブラー好みの低音の弦楽を伴い、
様々な楽器の合奏で、大きな表現力を持っていて、
傑出している。」

ハイドンのディヴェルティメントには、
メヌエットは、緩徐楽章の前に置くべし、
という特色があったのか。

これを見て、ハイドンのディヴェルティメントを見直すと、
確かに、第1楽章と終楽章の間に、
アダージョをサンドウィッチした2つのメヌエットを挟んだ構成。
何と、古典期においては、こうした5楽章構成も、
交響曲式の4楽章構成の向こうを張って、
1つのあり方を確立していたということだ。

さて、このCD解説、いきなり、
残りの楽章は数行で済ませられてしまったが、
以下、こちらで補足する。

Track3:メヌエット、トリオⅠ、トリオⅡ、トリオⅢ。
トリオが3つも挟まって、6分42秒。
メヌエットの主題は楽しいものであるが、
作品6のような華美さはなく、
朝の空気のさわやかさを感じるもの。
第1のトリオはチェロの渋くてニヒルな音色を前面に出したもの。
第2のトリオは、ヴィオラが活発に動いて、カデンツァ的。
第3のトリオは、各楽器がぐじゃぐじゃ控えめな音でやっていて、
奇妙な効果を引き出している。
そして、また、さわやかさを湛えたメヌエットが続く。

Track4:アンダンテ 8分8秒。
憂いに満ちた落ち着いたアンダンテだが、
作品6と違って、この楽章が倍くらい長いために、
前回、あまりにお気楽に聞こえた喜遊性が薄められている。
楽想は風格を感じさせるもので、
どの楽器も、弱音で厳かに恰幅を感じさせる。
中間部で、耐えきれなくなったかのように、
ヴァイオリンが美しいメロディーを歌い出すと、
焦燥感に満ちた曲想も続いて、立体感を与えている。
最後には名残惜しさも出しながら、
この立派な楽章は終了する。

Track5:メヌエット トリオⅠ、トリオⅡ 5分6秒。
じゃじゃじゃーっという、
特徴的な動機がちりばめられたメヌエット。
ここではトリオが2つ。
トリオ1は、ヴィオラとチェロが民族舞踊のような雰囲気を出し、
ノスタルジックな民謡風にもなる。
トリオ2は、ヴァイオリンが線の細い楽節をきらきらさせる、
これまたカデンツァ的なもの。
アイブラーが、トリオの部分で、各楽器の名技を聴かせるのは、
作品6でも親しい手法である。

Track6:アダージョ 2分10秒。
これまた、深い感情を感じさせるもので、
メロディーも美しい。何故に、アイブラーが、
このような部分を2分で終わらせたのか不思議千万。
ヴァイオリンの清らかなメロディーにヴィオラ、チェロが絡んで、
まことに天上的。
ベートーヴェンやシューベルトなら15分くらい続けたであろう。

Track7:終曲、アレグロ・ヴィヴァーチェ 7分2秒。
前の楽章に何の名残惜しさもなく、
ちょこちょこと楽しいが、
やがて気品のあるメロディーの現れるロンドに入る。
このメロディー、楽想も立派で、
ハイドンより華があり、
モーツァルトより開放的である。
それが、独奏的に色彩を振りまく楽器集団によって、
綾をなして進んで行くのだから、
悪いはずはない。

ただ、途中で、妙にけいれんする楽節が挟まるのはどうしたことか。
また、弦を弓で弾くアクセントを加えながら、
何だか、適当に終わってしまうのも、変なエンディングだ。

それらも含め、驚かされる事も多く、
総論として、非常に個性的な高い大作という感じ。
格調も高い。

帝妃の寵愛はあったろうが、フランツ二世の家族が、
どこまでこうした作品に関与していたか分からない。
高位の人たちの慰みを想定していたか、
教会音楽家として、もっといろいろな交友があったのか、
はたまた、スヴィーデン男爵のような通を唸らせようとしたのか、
これまでの解説ではよく分からない。
研究が待たれる所である。

そもそも作曲されたのが作品6よりも前なのか、後なのか。
作品番号もなさそうなので、初演がどこでなされたかなど、
気になることばかりである。

モーメンテート・ムジカーレ五重奏団の演奏は、
この作品の意欲的な面を前面に出して説得力がある。

この五重奏団は、コントラバス入りの珍しい団体で、
ライプチッヒとハレというザクセンの音楽家による。

各都市のオーケストラに所属、
ベルリンで演奏することもあるというが、
教育活動も含め、かなり地域に密着した音楽家たち、
という感じを紹介からは受ける。

各奏者の紹介は英語版にはないが、
ドイツ語にはあって、
第1ヴァイオリンがドロシー・ストロンベルク、
ツェートマイヤーやブランディスに学んだとある。
1995年からハレのオーケストラで、
コンサートマスターをしている女流で、
写真から見てもそんなに年ではない。

第2ヴァイオリンはアンドレアス・トレンクナー、
ヴィオラはミヒャエル・クラウス、
チェロはハンス=イエルク・パウル、
コントラバスはステファン・スロヴィーク。
どの人もハレのオーケストラの所属に見える。

この五重奏団の編成からヴァイオリンとコントラバスを抜いて、
弦楽三重奏曲を併録している。

前々回、ヴェルヴェデーレ・トリオのものを聴いたが、
それは世界初録音とされ、2003年のものであった。
今回のものは2004年録音で、少し先を越された感じ。

前回はハンガリー系のものであったが、
今回のザクセン系演奏は、
ザバーディのような派手なコンクール歴の名手がいないせいか、
かなり落ち着いた演奏となっている。
これはこれで、しっとり感もあって悪くない。

「この録音にある他の作品、
弦楽三重奏曲ハ長調は、1798年、
アイブラーの作品2として出版された。
この作品は、今日に至るまで、
この作曲家が書いたこのジャンル唯一のものである。
この楽器の組み合わせでは、
アイブラーも知っていて、評価していた、
モーツァルトの最も創意に富む音楽、
ディヴェルティメント変ホ長調K.563を、
考慮するとしても、
弦楽三重奏曲は、ヴィーンでは、
1770年代に定着しはじめた。」

先の作品が、クラリネット五重奏曲を想起させたように、
この曲も、この演奏で聴くと、モーツァルトの親近性を強く感じる。
モーツァルトの死の床を見舞ったという話も肯ける。

しかし、日本では、モーツァルトとアイブラーの関係は、
あまりにも知られていない。
音楽之友社の「人と作品」シリーズの「モーツァルト」にも、
コシの練習を任せた点、
レクイエムを完成させられなかった点でのみ登場。
むしろ死の床にはジェスマイヤーがいたみたいに書かれている。

いずれにせよ、モーツァルトの先の名品を愛聴する人は、
このCDもまた、好きになるのではないか。

「このディヴェルティメントとは異なり、
第2のメヌエットがない、
5楽章作品として作曲された。」

改めてディヴェルティメントを見直すと、
アレグロ、アダージョ、メヌエット、アンダンテ、メヌエット、アレグロ
の6楽章構成で、
アイブラーが、緩徐楽章をメヌエットで挟む傾向は、
ハイドンのディヴェルティメントというより、
直接は、あるいはここから来たのか、という感じも受ける。
しかし、このメヌエットの前にアダージョがある、
という点は、先の五重奏曲とは異なる。

また、逆にメヌエットの後に、
終曲の序奏のようなアダージョを置く、
というのもアイブラーのお気に入りであったことがわかる。

しかし、モーツァルトが晩年に試みた、
喜遊曲と室内楽の結合が、アイブラーのマインドにマッチしていた、
と考えることは魅力的なアイデアである。

「例えば、第4楽章のアダージョで印象的に響くように、
この作品では、ヴィオラが、
特別にコンチェルタンテな活躍を見せる。
ここではまた、アイブラーは、
アンサンブルの全メンバーに、
音楽的、技巧的可能性で、最高の要求をしている。
和声的な驚きや、透明なメロディーの綾は、
この作品をヴィーンの室内楽の魅惑的なものとしていて、
コンサートにおいて、有益かつ申し分ない効果を発揮する。」

ということで、この曲に対する解説のはしょり方は尋常でなく、
第4楽章しか取り上げていないが、
確かに、この楽章は美しい。

とはいえ、終楽章の序奏みたいなもので、
1分21秒しかないのが残念である。

この楽章などは、先のヴェルヴェデーレ・トリオのものより、
各楽器の均一性が高く、各声部の独立性を感じた。

得られた事:「緩徐楽章をメヌエットで挟む構成は、当時の楽曲では、もう1つの正当派であった。」
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by franz310 | 2010-01-30 21:18 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その210

b0083728_0583857.jpg個人的経験:
シューベルトの上司候補、
アイブラーの作品、
弦楽五重奏曲が有名らしいので、
今回は、これを聴いて見る。
というか、聴いて見る前から、
私は正直、興奮した。
というのも、CD裏面の演奏者や、
トラックを見れば一目瞭然、
編成は見たこともないもので、
さらに、楽章構成も破格である。


クラーヴェスという、スイスのレーベルだというのも面白く、
アンサンブル・コンチェルタント・フランクフルトという、
楽団名も珍しい。
ヴィオラにはサイトウ・ミユキという日本人名も見える。

その他のメンバー、
ヴァイオリンは、ペーター・アゴストン、
ヴィオラは、ゴットハルト・クレーン、
チェロはザビーネ・クラムス、
コントラバスはティム・トラッペとある。

この団体は、1987年に、
フランクフルト放送交響楽団のメンバーによって創設され、
古典期、ロマン派期の様々な編成の知られざる名作も、
放送と録音で広い聴衆に届けようとしている団体。
19世紀中葉以降の流行に20世紀の純潔主義によって
無視されてきた室内楽作品によって、
意識的にプログラムの幅を広げようとしている。

こんな風に、シューベルトの「ます」が、この団体にとっても、
特別な存在であるような解説が出ていて気に入った。

「シューベルトの『ますの五重奏曲』であれ、
リース、フンメル、アイブラー、ゲーベル、
または、ヴラニツキーの作品であれ、
アンサンブル・コンチェルタンテ・フランクフルトは、
演奏する作品に新たな息吹を吹き込んでいる。
有名作品を、知られざる作品と並べることは、
古いものに新しい光を当て、
偏見のない目でとらえ直すのに有効である。」

まったくもって同感である。
そんな気持ちで、こうした作品を聴き進んでいる。

「事実、アイブラーの場合、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、
そしてシューベルトの美しく装飾された作品と比べても、
五重奏曲作品6は、なおも存在感を有し、
19世紀初期の最も興味深い発見である。」
と書かれているので、期待がふくらむ。

このCDで嬉しいのはそれだけではない。
今まで、見たことのなかった、
アイブラーの肖像が表紙にあしらわれていて、
謎の音楽家の風貌を知ることが出来る。

非常にまじめで厳格そうな人物、
貴族に列せられただけあって、
妙に風格がある。
アイブラー提督とでも言いたくなる。

サリエーリがどちらかと言えば、
温厚そうな肖像なのに対し、
その部下、アイブラーは冷徹な実務派みたいな感じである。

この写真をあしらった写真も妙に凝った、あるいはしゃれたもので、
白いテーブルクロス上に白い壺。紫の花が無造作に突っ込んである。
Cover graphicsに、Christoph Dutschlerとあり、
Cover photographに、Uwe Behrendtとあった。

「二つの弦楽五重奏曲作品6」と表紙にあるが、
裏面には、作品6とはどこにも書かれておらず、
イ長調五重奏曲はHV187、
変ロ長調五重奏曲はHV188とされている。

編成は2曲とも、
ヴァイオリン、二つのヴィオラ、チェロ、コントラバスとある。
シューベルトの弦楽五重奏曲は、チェロが二つなので異端とされ、
「ます」の五重奏曲は、コントラバスが入るので、
イレギュラーとされていたが、
ここでは、コントラバスは入るし、
ヴァイオリンが一つなのにヴィオラが二つ、
などという変則が見られる。

さらに、共に6楽章からなり、
第1楽章に続いて、メヌエット、アンダンテまたはアンダンティーノ、
メヌエット、アダージョ、終曲となっている。

メヌエットには二つのトリオがある。
こう書くと、何だか変なことばかりだが、
前に聴いた作品2の弦楽三重奏曲には、
終曲にアダージョの序奏があった。

その考え方の延長とすると、
アダージョと終曲を1セットと考え、
これと第1楽章の間に、
緩徐楽章を挟んだ2つのメヌエットが、
これまた挟まっている感じで捉えられる。

したがって、メヌエットの比重が大きく思え、
非常にお気楽な音楽という感じがする。

解説は、ヒルデガルト・ヘルマン・シュナイダー。
英訳はキャサリン・ランズマンである。
「ヨーゼフ・アイブラーは、12歳の誕生日の前に、
有名な理論家で作曲の教師であった、
ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーの生徒となった。
1793年、よく知られた巨匠であったアルブレヒツベルガーは、
アイブラーを、『最高の作曲の弟子の一人』と呼び、
『モーツァルト以降、ヴィーンで最高の音楽の天才』と呼んだ。
この破格の賛辞は、若い作曲家にとって、
疑うべくもなく大きな印象をもたらし、
同時に、その鮮烈な名声を確かめようする要求は、
おそらく彼の大変な重荷にもなった。
1790年には、モーツァルト自身が、
アイブラーのことを、勤勉な作曲家で、
室内楽と宗教曲のどちらも巧みな音楽家と考え、
彼ほどの人材がいないのが残念だと思っていた。
モーツァルトはアイブラーを信頼し、
『コシ・ファン・トゥッテ』の歌手の指導を任せ、
二人は、モーツァルトの死の時まで、
親しい友人であった。
モーツァルトの未亡人、コンスタンツェは、
まず、夫の『レクイエム』の完成をアイブラーに依頼した。
モーツァルトとの親近さと、大作曲家が信頼していたにも関わらず、
友人の天才を補うことは出来ないと考え、
いくつかの試みを行った後、この仕事を降りてしまった。
モーツァルトの生前、一緒に仕事をしていたにも関わらず、
彼は、『劇場には近づかず、
教会と教会音楽に専念する』ようにしたという。」


「教会音楽の作曲家として、事実、アイブラーは大成した。
1792年、ヴィーンのカルメル派修道院の合唱指揮者に就いていらい、
宗教曲は彼の専門となった。
1794年から、ヴィーンのスコットランド派の教会で、
同じポジションについた。
彼はヴィーンで宮廷副楽長となり、
1824年にはサリエーリの後任として楽長となった。
アイブラーの教会音楽は、30曲を超えるミサ曲、
100曲のオッフェントゥリウム、グラドゥアーレ、
応答頌歌などがあり、
二つの合唱によるレクイエムは、1803年に、
皇后のマリア・テレジアに依頼を受けている。
同時代の人が彼をいかに尊重していたかは、
オーストリアの音楽界に彼が占めた指導的地位のみならず、
1835年には、フランツⅡ世帝によって、
貴族に列せられたことからも分かる。
多くのアイブラーの室内楽は、
世紀の変わり目あたりから生み出されており、
作品1の最初の弦楽四重奏曲集は、友人で指導者であり、
庇護者であったハイドンに捧げられ、
1794年にヴィーンのTraegによって出版されている。
さらなる三つの弦楽四重奏曲作品11は、1809年に出版されている。
この世界初CDのための弦楽五重奏曲作品6は、
これら2作品の間のものである。」


「18世紀の最後の四半世紀、弦楽四重奏曲は、
南ドイツ、オーストリアで、
洗練された室内楽の文化土壌で、
演奏会用というよりも、
貴族やブルジョワの私的な楽しみとして
新しいジャンルとして栄えた。
弦楽五重奏は、純粋な四重奏曲を、
音の深み、幅という意味で豊かにしたものであった。
モーツァルト、ミヒャエル・ハイドン、
ヨハン・ミヒャエル・モツザットが、第2ヴィオラを加えたのに対し、
シューベルト、ボッケリーニはチェロを加えた。」



「彼が残した作品から知る限り、
様々な楽器の組み合わせからなる五重奏曲は、
彼のお気に入りであった。
1796年という早い時期から、
オーボエを主役とするいくつかの五重奏曲を書いており、
当時のライターから非常に高度の技巧を要するものであったが、
失われて久しい。
今日まで残っているものは、
様々なコンビネーションによる7曲である。」

7曲あるというが、以下、そのそれぞれを記載しているだろうか。
原文にはないが、()内の数字で数えてみよう。

「一般的なヴァイオリン2、ヴィオラ2、チョロによるもので、
その時代に特徴的な4楽章構成のものは、変ホ長調(1)のものがある。
ヴィオラダモーレとヴァイオリン、
ヴィオラ、チェロとコントラバスによる、
2曲のニ長調五重奏曲(2、3)は、特異な音色で、
アイブラーの成功した実験で、
ヴァイオリン、二つのヴィオラ、
二つのチェロといった編成でも演奏可能である。
フルート、ヴァイオリン、二つのヴィオラ、
チェロのためのニ長調五重奏曲(4)と同様、
弦楽だけでも音域を拡張する試みで、
二つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスでも、
5楽章の五重奏曲(5)を書いている。
この曲は、ここに録音された、
コントラバス付きの2曲の五重奏曲(作品6)(6、7)と同様の、
楽章構成で特徴付けられる。」

ということで、以下のようにまとめられるようだ。
1.五重奏曲変ホ長調(2V、2Va、Vc)
2.五重奏曲ニ長調(Vaダモーレ、V、Va、Vc、Cb)
3.五重奏曲ニ長調(Vaダモーレ、V、Va、Vc、Cb)
4.(フルート)五重奏曲ニ長調(Fl、V、2Va、Vc)
5.五重奏曲(2V、Va、Vc、Cb)
6.五重奏曲変ロ長調作品6-1(V、2Va、Vc、Cb)(1801)
7.五重奏曲イ長調作品6-2(V、2Va、Vc、Cb)(1803)

以下、このCD収録の2曲の解説が始まるが、
私が、トラックナンバーを見て驚いた通りのことが書かれている。
トラックは6つあるが、この解説者も、
トラック5のアダージョは終楽章の序奏のように解釈しているようだ。

「ソナタ形式のアレグロが、ゆっくりした幅広い開始部に続き、
喜遊的で華美なディヴェルティメントの雰囲気を高める。
両曲とも二つのメヌエットにサンドウィッチされた緩徐楽章が続き、
これらは各々二つのトリオを有する。
急速な終曲の前にアダージョが一区切りを入れる。」

ここにも、いきなり「ディベルティメントの雰囲気」とあるように、
やはり、シューベルトの晩年の室内楽群などを想定すると、
かなりお気楽音楽に聞こえるのは確かである。

「弦楽四重奏曲の場合とは違って、
アイブラーの五重奏曲はヨハン・トレークによって、
当時の慣習どおり個別に出版された。」

五重奏曲は単品売り可能で、四重奏曲では3曲セットが、
ノーマル販売だったのだろうか。
とすると、晩年のシューベルトの五重奏曲も、
四重奏曲も、その慣習に沿って、
シューベルトが苦闘したとも考えられる。

さて、以下の内容、私は混乱した。
CDの収録順はイ長調、変ロ長調であるが、
どうやら、変ロ長調の方が先に出版されたようである。

「変ロ長調の五重奏曲(Herrmann-Verzeichnis188)は、
1801年に作品6の1(プレートナンバー122)として、
イ長調の五重奏曲(Herrmann-Verzeichnis187)は、
1803年に作品6の2(プレートナンバー222)として出版された。」
(ヒルデガルト・ヘルマン著、
『ヨーゼフ・アイブラーの作品の主題カタログ』
(ミュンヘン、ザルツブルク 1976)参照)。」

しかし、次のような記述が続く。

「最初の版では、それぞれ、単に作品6とされ、
手稿には、その次の数字が書かれている。
現存する版では、イ長調五重奏曲は『作品6/2 recte 3』とされ、
変ロ長調五重奏曲は作品『6/3』とされている。」

これでは、アイブラーはイ長調を先に書いたようにも見える。
さらに6/1というのが、あったのではないか、
という印象も受ける。

これらの解説は、あまり音楽鑑賞時に役立つとも思えないが、
作品の成立はどちらが先か分からないという所がポイントだろうか。

シューベルトの「ピアノ三重奏」も、
どっちが先に作られたか、異説があった。

また、作品番号の欠落という点では、
シューベルトにおいても、「ロザムンデ」の四重奏曲が、
作品29-1として出版されながら、
作品29の2は出版されなかった事を思い出す。

「アイブラーのコントラバス付き弦楽五重奏曲は、
室内楽のすべての基準から破格のもので、
例えば、ヴァイオリンが支配的に動くといったような、
どの楽器が優位に立つといったヒエラルキーが全くない。
その代わり、アイブラーは、
ヴァイオリン、二つのヴィオラ、さらにチェロにまで、
大きな独奏部を用意した。
各楽器の交代する活躍は、
メヌエットにおけるトリオにおいて特に顕著である。
例えば、変ロ長調五重奏曲、
第1メヌエットの最初のトリオでは、第1ヴィオラが活躍するが、
第2メヌエットの最初のトリオでは、第2ヴィオラが、
また、第2トリオではヴァイオリンがリードする。
各楽器は、音色もその音域のトップも大きく広げて活躍する。
チェロにはスコダトゥーラが要求されてもいるが。
織り込まれたメロディーラインや、
時に大胆な和声進行の微妙な効果を、
最高の効果で表現するには、プロの技術が要求される。」

貴族にも列せられ、提督といった風貌のアイブラーであるが、
これらの曲は、まるで遊園地のような音楽である。

作品6の2とされるイ長調。
Track1:アダージョ-アレグロ・モデラート。
力強い総奏に続き、ヴァイオリンが技巧を効かせた、
のどかなメロディーを歌い出す序奏。
すぐに続く主部も、ヴァイオリンが先導するが、
ヴィオラとチェロが、独特の琥珀色の音色で応酬する、
爽快で朗らかなものである。

オンスロウなどでも聞こえた、
ゆとりのある、雅やかな情感を感じさせるが、
もっとコンチェルタンテというべきか、
各楽器の名技が鮮やかなイメージである。

メランコリックな感傷が、
素晴らしい陰影を見せる展開部が、
作品に大きな膨らみを与えていて、
この12分半にも及ぶ楽章を飽きさせることがない。

ただし、我々が、シューベルトの音楽に聞き取ろうとする、
何かのっぴきならないものは皆無である。
できれば、こうした安寧と思索の中に、
ゆったりとした人生を楽しみたいものである。

解説にもあったように、各楽器の重なり合いによる、
微妙な色調のハーモニーは大きな魅力と言える。
特に、ヴィオラを二台用意したことによって、
また、コントラバスとチェロによって、
非常に深い音の奥行きが感じられる。

Track2:メヌエット。
いかにも、優雅な衣装の旋回が目に見えるような、
楽しげなメヌエットである。
第1トリオでは、かなりぎくしゃくした音を連ねて、
技巧的なヴィオラが活躍する。
第2トリオでは、チェロもまたおどけた表情で、
親しげに振る舞い、サービス満点である。
これは演奏を聴いている人に、思わず微笑みがこぼれそうだ。
しかし、やはり名人芸のための音楽といった邪念も浮かぶ。
が、聴く人を幸せにする音楽を書いたということで、
こうした人が栄転するのは当然とも思えたりして。
5分21秒の音楽だが、存在感がある。

Track3:アンダンテ。
このアンダンテは、3分23秒のもので、
何だか息抜き的なもの。
楽想も日常的な情感をさっとスケッチしたみたいな感じ。
後半は、激しいパッセージをとどろかせて、
ベートーヴェン的な世界に少し近づく。

このような音楽を聴くと、
明らかに、ハイドン、モーツァルトの時代は、
すでに過去のものになったという感じがする。

Track4:メヌエット。
これも楽しい音楽で、飛び跳ねるように進み、
主部でもチェロが、印象的な動きを見せる。
トリオは超高音のヴァイオリンがさえずって、
いかにも曲芸じみた感じになる。
曲想も娯楽的でメリーゴーランドみたいである。
第2トリオはヴィオラが、もったいぶった口上を述べる。
これも微笑ましい。
4分22秒。

Track5:アダージョ。
2分23秒しかなく、次のロンドの序奏のようである。
送葬の足取りのようなピッチカートの上に、
沈鬱なメロディーが流れ、
これがずっと続けば、全体のイメージも変わったはず。

Track6:ロンド。Allegrinoとある。
先ほどの悲嘆はなんだったのか、
と聴きたくなるような、呑気でお気楽な音楽である。

ここではヴァイオリンが名技を繰り広げ、
居酒屋で聴く、流しの音楽みたいになってしまう。
8分44秒の間には、感傷的な表情も出るが、
こういった場所では、ヴィオラがビロードの音色で、
効果を強調する。
そうかと思うと、チェロがダンスするような音楽を歌ったり、
コントラバスが合いの手を入れてみたり、
とにかくみんなでハッピーという幸福な音楽。

では、2曲目。

作品6の1とされる変ロ長調。
Track7:アレグロ・モデラート-アダージョ。
ヴァイオリンとチェロの掛け合いから、
それが次第に発展して力を増してくる。
ヴィオラの音色が非常に印象的な歌が歌われ、
一つの楽器が歌い出すと、かなり長い間、
その楽器が主導権を握るのがアイブラー風か。
そこに、様々な楽器が絡んできて色彩的である。
総奏が時折、力強く全体を引き締めながら、
まことに高潔で朗らかな音楽を歌い上げていく。

こうした歌謡の精神に満ちた音楽は、
ハイドンやベートーヴェンよりもシューベルトを連想させ、
モーツァルトなどを引き合いに出すと、
アイブラーはもっとおおらかに色彩的である。
この曲の第1楽章は大きく、10分21秒を要する。
全体の1/3を占める。

どちらの曲も、第1楽章は、規模も大きく、楽想も雄大で、
何だか大きな構想の気高い音楽を連想させるが、
結局は、後続のメヌエットやロンドの影響でかき消され、
最後のロンドで、正当派感はぶちこわしになってしまう。

Track8:メヌエット。
この楽章こそが、解説でも特記されたもの。
楽しい、優雅な曲想は初期のモーツァルトを想起させる。
解説にあったとおり、第1トリオでは、
ヴィオラが歌謡的なメロディを軽快に歌い、
第2トリオでは、チェロが飛び跳ねるような舞曲を受け持つ。
「管弦楽のための協奏曲」ならぬ、
「室内楽のための協奏曲」である。
4分20秒。

Track9:アンダンティーノ。
これも、地味な息抜きの間奏曲。
密やかさを主眼としたような楽想であり、
舞曲の幕間のカップルのささやきかもしれない。
対位法的な展開も挿入され、悩ましさもあるが、
曲全体のイメージを左右するほどの規模ではなく、
4分ほどで終わってしまう。

Track10:メヌエット。
これも解説に出てきたもので、
ちょっと押しの強いニヒルな笑みを湛えた舞曲。
これは若いカップルにはたまらないかもしれない。
第2ヴィオラが主導すると書かれた第1トリオは、
男性的な率直さが身上であり、
ヴァイオリン主導の第2トリオは、
優雅でなだらかな曲線美が魅力。
明るい民族舞踊みたいだ。

Track11:
ここでも神妙な表情のアダージョ。
低音楽器群が威力を発揮、
引きずるような悲痛な低音の呻きの上を、
ヴァイオリンが救いを求めるような、
清らかなメロディを歌い、
ベートーヴェンが得意とした、
深い緩徐楽章を彷彿とさせる。
このような精神のものをもっと強調しておけば、
アイブラーはもっと別の作曲家として捉えられたことだろう。
この曲で1番短い部分で、3分36秒。

Track12:アレグレット(ロンド)。
ものすごくお気楽な音楽に変容する。
さあ、お開きですよ、という感じであるが、
この後に、どんな余韻を感じるべきなのか、
とても悩ましい。
推進力をもって駆け抜ける感じがないので、
あるいは損をしているのかもしれない。
各楽器に見せ場を作ろうとしているのか、
時として、長いソロが始まるなど、
やはり、室内楽の緊密さよりも、
協奏曲的な華やかさが表に出てきてしまうのだろうか。

以上、聴いて来たように、
アイブラーの室内楽、噂に違わず、
ヴィオラの暖かな音を中心に、
深々とした奥行きを感じさせる弦のアンサンブルと、
各楽器の妙技が交錯する、
耳に大変心地よい音楽であるが、
これら2曲は、メヌエットと終曲の娯楽性が強すぎて、
ともすると居酒屋の音楽のように通俗に流れるのが残念。

いくつかの特筆すべき美感も余韻を残すことなく、
お開きにされてしまう。

が、もちろん、そんな音楽があっても良いし、
アイブラーの才能を疑問視するものでは全くない。
開放感は、明らかに新時代を感じさせ、
19世紀初頭の新興階級の登場を強烈に印象づけるものでもある。

アイブラーの五重奏曲作品6は、音色は深く、
表情の変化は分かりやすく、共感も容易。
19世紀の幕開けの期待感を感じさせる。
当時は、こうした音楽に未来を夢見る人も多かったはずで、
ニーズに応えた点において、一級品であろう。

得られた事:「アイブラーの室内楽=ヨハン・シュトラウスとシューベルトの分岐点?」
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by franz310 | 2010-01-24 00:55 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その209

b0083728_1923791.jpg個人的経験:
アイブラーの作品では、
宗教曲、交響曲、協奏曲と聴いたが、
室内楽はどんな感じだろうか。
と思って捜すと、
面白いことに、前回と同様、
プレイエルのものと一緒に、
併録されたものがあった。
プレイエルは1757年生まれ、
アイブラーは65年生まれなので、
確かに同世代の人である。


その他、プレイエルもアイブラーも、
口の悪いモーツァルトが敬意を示した、
数少ない作曲家であることを思い出した。

このCDでも、そのあたりの比較はよく書かれていて、
Tamas Varkonyiという人が解説を担当している。

しかし、ハンガリーのレーベル(フンガロトン)が、
何故、このような作品集を出したのだろう。
解説を読んでも、ハンガリーとの関係は書かれていなかった。

CDの表紙は、大きくヴァイオリンを描いた絵画で、
その楽器の影か、あるいはチェロかヴィオラか、
背景にも相似形の影が差している。
私としては悪くないと思う。
Peter Nagy作とある一方で、
この演奏、チェロがRobert Nagyであるが、関係者であろうか。

ヴィーン・ヴェルヴェデーレ・トリオという団体である。
Vilmos Szabadiのヴァイオリン、Elmar Landererのヴィオラ、
そして、Robert Nagyの三人のアンサンブル。

ヴァイオリンは、リスト音楽院で学んだ名手で、
ヴェーグやリッチに学んで、1982年にハンガリー放送のコンクール、
翌年フバイ・コンクールにて優勝、
85年にはシベリウス・コンクールで3位。
88年にはショルティに招かれ、
ロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールで、
バルトーク祭にて協奏曲2番を演奏した。

ヴィオラは、オーストリア人とあり、
ヴィーン・フィルの団員とある。
1990年に、マーラー・ユース・オーケストラに、
歳年少で入ったとあるから、まだ若そうだ。

チェロはハンガリー人で、ペレーニの弟子である。
ポッパー・コンクールで98年に優勝。
ヴィーン・フィル所属。
87年から、マーラー・ユースでソロ・チェリストになったとある。
この人も若そうだ。

このように、二人までが、ハンガリー人であるが、
二人までがヴィーン・フィル所属なので、
「ヴィーン」と、名称に付けられたのであろう。

これらの作品は世界初録音とあるが、
いったい、誰が見つけて来たのだろう。
ハンガリーは、このあたりの楽曲の研究が進んでいるのだろうか。
アイブラーの「弦楽三重奏曲ハ長調 作品2」は5楽章、
28分半の大曲。

プレイエルの「コンサート・トリオ 作品11」は、
各2楽章構成で、三曲からなる。
おのおの13分ほどの作品。

「イグナーツ・アイブラーとヨーゼフ・アイブラーは、
異なった生涯を歩んだとはいえ、
実際、共にハイドンの弟子だったように、
彼らの作品と芸術には、
密接な繋がりが見受けられる。
当時、ハイドンから学ぶということは、
レッスンを受けたということではなく、
単に、すぐ近くにいて、その真似をして、
時に、それを見せられるということであった。
プレイエルもアイブラーもこうした希有な体験をした、
例えば、ベートーヴェンのような若手が、
うらやんだような、数少ない音楽家であった。
様々な音楽語法が模索された18世紀後半、
ハイドンが示した方向こそ、
目指すべき方向であった。
モーツァルトと同年代のプレイエルは、
まだ、Ignazと名乗っていた、15歳からの多感な5年を、
ハイドンの許で過ごした。
ヨーゼフ・ハイドンとミヒャエル・ハイドンの、
遠い親戚であったアイブラーは、
この同僚と比べると遙かに変転する青年期を過ごしたが、
後年、ハイドンが友人となり、
彼を推挙したり、写譜を任せたりした。」

ということで、ハイドンを中心とした関係が書かれていた。
共に弟子であるが、プレイエルは8歳年長であった。

ハイドンはハンガリー貴族のおかかえだったので、
ハイドン研究の流れで、こうした作曲家たちも、
ハンガリーで、一緒に浮上してきたのかもしれない。

ここからは、ここでの演目、弦楽三重奏についてである。
楽曲の特徴が、バロック期のトリオ・ソナタとの比較でなされている。
ここにもあるように、この曲種は、室内楽の王様、
弦楽四重奏曲と比べると、はるかに名曲とされる作品が少ない。
1%オーダーと言ってもよいくらいなので、
こうした曲種解説はありがたい。

「18世紀後期における、
音楽ジャンルとして、表現手段としての、
弦楽三重奏曲の重要さを理解しようとすれば、
当時の位置づけを知らねばならない。
ヴィーン古典派の初期においては、
このジャンルは、
二つのヴァイオリンが掛け合って会話し、
鍵盤楽器の代わりに、
和声的なサポートをするチェロは単に低音を受け持ち、
バロック期におけるトリオ・ソナタの痕跡を留めていた。
1770年以降は、ホルン、オーボエ、鍵盤楽器など、
時に、弦楽器群を、和声サポートをしていた楽器が消えていった。
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる編成が増え、
やがて、二つのヴァイオリンとチェロによる編成は廃れ、
次の何十年かはこっちが主流となった。」

親切な事に、あるいは当然ながら、
弦楽四重奏曲との差異についても語られている。

「しかし、弦楽三重奏曲は、
弦楽四重奏曲のような地位は占められなかった。
社会的に低い位置に甘んじ、重要作も少なかった。
より高貴で、もっと芸術的なライヴァルに対し、
ようやく19世紀になって形式が整った。
楽章数も定まらず、
ボッケリーニの後期のトリオは4楽章形式で、
この分野の絶頂点である、モーツァルトの
変ホ長調のディヴェルティメントK.563は、
6楽章であったのに、ハイドンは3楽章を好んだ。
呼び名も、ソナタ、セレナード、ディヴェルティメントなど、
形式と内容の不安定さを示している。」

期待はしたが、このように、
弦楽三重奏作品で起こった事実が述べられているだけであった。
何故、形式も内容も不安定であったかは分析なり、
見解なりが欲しいところだ。

が、聴いて見ると、弦楽四重奏から一堤、
ヴァイオリンが抜けただけなのに、
音の頼りなさは明らかで、
弦楽四重奏曲のような恰幅はない。

同じ音程におけるヴァイオリン同士の掛け合いが、
実は、四重奏においては、かなり重要な魅力なのかもしれない。
あるいは、線の細い高音が一個だけだと、
どうしても尖った響きになってしまうのかもしれない。

がっぷり四つに組むという言葉を、ふと思い出した。

以下、この編成のものも、
一時は、羽振りが良かったという例が挙げられ、
これなどは参考になった。
協奏四重奏曲とはなんぞや、という疑問も湧くが。

「18世紀の最後の25年間、トリオ・コンチェルタンテが、
特に、音楽生活活発なパリで人気を博した。
これは単に協奏四重奏曲の楽器数が異なる対抗馬で、
時に楽器同士が競い、
時にカンタービレを奏でるといったものであった。」

以下、何故かプレイエルの解説だが、
CDでは、アイブラーが先に入っている。
完成された年からも、作曲家の年齢からも、
プレイエルから先に書くのが正しそうだ。

「タイトルが示す通り、プレイエルの作品11は、
このようなカテゴリーに属する。
この3曲からなる曲集を作曲する前に、
作曲家はイタリアで数年を過ごしていたが、
地中海式の音楽文化をそこに認めることは出来ない。
キスマートンでの10年の修行を経て、
プレイエルは、その創作活動の絶頂期、
1787年に、このトリオをシュトラスブルクで書いた。
彼の室内楽における、
いつもの習慣通りに3曲をまとめた、
この三重奏曲は、ハイドン風の作風に倣ったものだ。」

地中海風なら、もっとカンタービレに満ちたものになるはず、
ということだろうか。

「明るい響き、見通しよくすっきりした構造、
メロディの創意に加え、音楽の新鮮さが、
プレイエルを当時の最も人気ある作曲家の一人にした。
その簡潔さに関わらず、各楽章は色彩に富み、
非常に多様な性格を持っている。
3曲とも第1楽章はソナタ形式に則り、
その速いテンポは、第2楽章のロンドにも引き継がれる。
これは同様に生き生きとして、
メインテーマが、コントラストなすエピソードの後、
何度も繰り返される。」

ここにソナタ形式とあるように、
ハイドンゆずりの主題労作が前提になっているのか、
どの曲も第1楽章は構成第一を前提として、
あまり甘味さが追求されたものではない。

何となく、家庭音楽として楽しむには、
弾いていて楽しげでないが、これで良いのだろうか。
時折、不思議な空白地帯のような瞬間さえある。

しかし、均質な味わいの楽器が、
協力しながら音楽を構成していく、
シンプルできめの細かい美感が感じられる。
こうした点に耳を澄ませば魅力的なのだが。

「変ホ長調の作品では、この楽器にふさわしく、
楽器らがホルンの響きを模倣する。」

さて、唐突ながら、各曲の解説が始まった。

ただ、このように、変ホ長調の曲、とあるが、
恐ろしい事に、このCDの曲目一覧には、
どこを見ても、調性の記述がない。

Concerto trio for violin,viola and cello とあって、
OP11.No.1とか、2とか、3とあるだけである。

しかし、以下、ニ長調、ヘ長調とあるので、
きっと、No.1が変ホ長調なのであろう。

この曲は、ホルンのように響くかどうかだけを聴けば良いのだろうか。
二行で済んでしまう、えらく、投げやりな解説である。

演奏時間を見ると、3曲の中では、この曲が最も楽章のバランスが良く、
第1楽章のアレグロは7分、第2楽章のアレグレットのロンドが6分。

第1楽章では、どこがホルンか分からないが、
出だしは、開放的で晴朗である。
高らかに吹き上げているイメージは浮かぶ。
ただし、すぐに、妙にためらいがちな楽想が現れたりして、
座り心地の悪い、一筋縄でいかない曲想である。

思索的な側面もあって、
難しい顔をして弾かないといけない感じ。
1787年というと、モーツァルトも、
単純化を考え始めた時代であって、
こうした、渋い作品が、広く流布したとも考えにくい。

何だかあれこれ考えさせられる音楽で、
歯ごたえはある。

私はかなり苦戦してこれを聴いた。
意味があるのか、意味ありげなのか、
どっちなんだ。

第2楽章の方が、ホルン的な音型を繰り返しているが、
何だか意味深な不気味なユニゾンがあったり、
ブルックナー並の休止があったりして、
あまり狩りの楽器から連想される開放的な感じはない。

何だか白昼夢の中で、
いろんな楽器がささやいては消えていく感じ。
まったく爽快でない音楽。
演奏のせいか。プレイエルの意図か。

「ニ長調の作品は、ハイドンの様式とは異なり、
慣習的な4/4拍子ではなく、3/4拍子となっているし、
フォルテではなく、ピアニッシモで始まる。
さらにこの神秘的な半音階的主題は、
B-A-C-Hのシンボルを中心に旋回する。
この4つの音は、偉大なドイツの作曲家を隠喩して、
展開部で、1音ずつ現れる。」

ちょんちょんちょんという感じの出だしであるが、
そのうち、ニ長調という調性にふさわしく、
「この楽章の第2主題は、ドルチェ・カンタービレのメロディで、
素晴らしい歌謡性を持っている」と書かれているように、
おおらかな楽想で、
ヴァイオリンが、ハイドンのひばりのようにさえずる。

したがって、ぼんやり聴いていると、
モーツァルトの不協和音ほどには、
神秘的という感じではない。
しかし、言われてみると、たぶたび現れて、
かなり、プレイエルがこれを意識していたことが分かる。

とにかく、衒学的である。
衒学三重奏。
後に、プレイエルはロンドンに渡って、
ハイドンと競って、大衆を前提とした作品を書くが、
この曲を聴く限り、どうも難しい。
幻視者が、闇の中を見つめているような趣きすらある。

第2楽章は、以下にあるように、
ヴァイオリンが活躍して、ハンガリーの名手が、
技巧の冴えを聴かせる。

「第2楽章のロンドのテーマは、
当時の軍楽の、気の利いたカリカチュアである。
ヴァイオリンのトランペット・ファンファーレの模倣が、
当時ポピュラーだったマーチを暗示していることからも分かる。」

ちゃちゃちゃっちゃか、ちゃーちゃちゃというのが、
軍隊風なのだろうか。
脳天気な音楽だと思うと、
途中で、内省的な表情を見せたりするのだが。
ということで、どこまでがカリカチュアなのか分からない。
トルコ戦争の厭戦気分でも暗示しているのだろうか。
とにかく、いろんなエピソードが挟まれる。

このニ長調、解説を信じるとすれば、
バッハから軍楽へ、というまとめ方が良く分からない。
流れの悪い音楽という点で、二つの楽章は共通しているが。

さて、このように、
ヴァイオリンが活躍してばかりいるので、
どこが、協奏風なのかと思っていると、
最後の曲が典型なのだという。

「ヘ長調のトリオは、典型的な、
トリオ・コンチェルタンテのような掛け合いが見られ、
チェロは時にヴァイオリンを脇に追いやり、
時としてヴィオラがリードする。」

確かに、この曲は、多くの楽器が動き回って、
曲がふくらみを持って、弦楽三重奏のすけすけ感が、
少し対策されているように感じられる。

和声的にも、朗らかに様々な表情を見せ、魅力がある。
前の二曲にあったような、苦みがあまりなく助かる。

第1楽章が、アレグロ・コン・スピリートで、約8分。
若々しく爽快なメロディで歌い出され、
そこから中間色の煮え切らない部分が延々と続くものの、
跳躍するような第2主題に対し、
期待感を高める工夫もあって悪くはない。
途中では、フーガ的な処理を見せるところも出てくるが、
これは不思議な色彩で面白い。

第2楽章は、モデラートのロンドで約5分。
憂いを秘めた、晴朗なメロディが美しい。
しかし、ぷつりぷつりとちょん切れて、
どうも覇気のない音楽である。
弦楽三重奏的な、すかすか感もあって、急に終わる。
3曲書いて、疲れ果てたということだろうか。

以上、プレイエルの作品を総括すると、
いずれも推進力に欠ける、
玄人受けを狙った作品という感じがする。

勢いで書き殴ったものではないが、
すいすいと筆が動いたものとも思えず、
かなり、ぎこちない曲集である。

前回聴いた交響曲も同時期のものであるが、
こんなに途方に暮れるような事はなかった。

シューベルトも、後に苦労する曲種であるが、
プレイエルのような才人でも、苦心惨憺したのだろうか。
あるいは、若気の至りの功名心で、
わざと難しく書いて見せたのだろうか。
いったい、どんなユーザーを想定して書いたのだろう。
気になる。

それに比べると、アイブラーの作品は、
ずっと歌謡性に富んで、見通しも良く、
ずっと分かりやすい。

古典的というよりも、ビーダーマイヤー風かも知れない。

すでに何度も読んだが、
まずは、作曲家に対する解説を見てみよう。

「ヨーゼフ・アイブラー(1765-1846)の名前は、
ハイドンとモーツァルト両者に関係したことで語られる。
コンスタンツェ・モーツァルトは、
ジェスマイヤーがレクイエムを完成させる前に、
アイブラーにそれを依頼した。
彼の作品は二つのカテゴリーに分類され、
1800年頃、もっぱら室内楽を書いていたが、
後に、サリエーリの死後、
帝室礼拝堂の楽長となった、
1820年代は主に大規模な宗教曲を書いた。
このように、弦楽三重奏曲作品2は、
初期のもので、1798年に書かれ、
ヴィーン古典派とロマン派の過渡期のものである。
この作品は4楽章のもので、
グループ作品ではなく、
後の偉大なベートーヴェンの作品を予告して、
独立した作品番号を持つ。
しかし、メロディーや和声など、
音楽材料は、古典的な簡潔さを保っている。」

作品2というのが若書きで、
習作風なイメージすら与えないだろうか。

が、アイブラーは、1765年生まれなので、
98年の作曲なら33歳の作品である。
シューベルトなら死んでいた年齢のもので、
作品2とは言っても、成熟した作品と考えてよいのだろう。
何しろ、91年にモーツァルトが亡くなった時に、
「レクイエム」の補筆を依頼された程の腕の人である。

シューベルトの生まれた頃、
こうした音楽が生み出され、
演奏されていたという点でも、
この作品は興味深い。

いよいよ、曲の解説。

「ハイドンの交響曲のように、
両端楽章のメイン主題が出る前に、
ゆっくりとした序奏を置いてはいるが、
この作品も一般的な、
トリオ・コンチェルタンテのカテゴリーに属する。
アイブラーのメロディーは、
分散された三和音からなり、
何段階かのスケール進行を見せる。
第3楽章はメヌエットであり、
主要部が、少なくとも三つの、
エピソードのようなトリオに交代する。
主部から取られた材料が、ここでは、チェロで始まることも面白い。
作品は、急速で、消えるような、単純で気楽なロンドで結ばれる。」

何だか、分かったような分からないような解説であるが、
聴いた感じを書き出してみると以下のようになる。

第1楽章は、アダージョの序奏を持つが、
最初からヴィオラで美しいメロディを歌い出し、
音色がしっとりと落ち着いて美しい。
主部はアレグロであるが、敏捷にヴァイオリンが跳躍して、
いかにも楽しげである。
モーツァルトのディヴェルティメントが、
この編成では、飛び抜けて有名だが、
その一節が飛び出して来ても自然に思える音楽である。

チェロも雄弁で、各楽器の音色が生かされ確かに協奏的である。
この楽章が9分半と飛び抜けて長く、
最後に、冒頭の主題によるアダージョの部分が、
回帰するのが意表を突く。

第2楽章は、アンダンテで、5分半。
非常に控えめな序奏から、
ヴァイオリンによって、
しなを作ったような、甘えるような、
語りかけるようなメロディが歌われ出す。
非常に親密な音楽である。
これは、協奏的という感じではないが、
プレイエルとは違って、メッセージが単純である。

第3楽章は、解説にもあったように、
メヌエットのアレグレットで、
これもそこそこの規模で6分半。
メヌエットというより諧謔味からしてもスケルツォ的。
解説にあったように、トリオがチェロで歌われるが、
妙におどけた味付けである。
多少、気まぐれな要素はあるが、
これも、弾いていて楽しいかもしれない。

第4楽章は、深々としたアダージョの序奏をもち、
この部分は1分半ながら、特別にトラック4とされている。
この部分、とても美しい。

トラック5はロンドでアレグロ。
解説でも、
「fast、dissolving、simple、carelessly」と、
意味不明な形容詞が並んでいたが、
確かに、とりとめのない音楽で、
妙にうねうねとした楽想が、ただ楽しげに、
しかし、どこか上の空で流れていく。

アイブラーは、これまで見てきたとおり、
時として、幻視のような音楽を響かせていたが、
これも、大曲を締めくくるには、へんてこな音楽である。

が、プレイエルの作品もまか不思議。
演奏家たちに、どんな気持ちで弾いたかを、
ちょっと聴いてみたくなるような作品であった。

得られた事:「シューベルトが生まれる前後の時期には、弦楽四重奏を外れると、かなり内容の異なる、現代の視点からは規格外の作品がいろいろ作曲されていた。」
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by franz310 | 2010-01-17 19:03 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その208

b0083728_0323326.jpg個人的経験:
シューベルトの時代の、
ヴィーンの宮廷楽長、
アイブラーは、
クラリネット協奏曲では、
知られた人のようだが、
この曲もCDで聴くことが出来る。
先に聞いた交響曲以上に、
この協奏曲は、
同時代のモーツァルトのものから、
かなりぶっとんだ作品と言える。


このCDは、表紙が、
前回の交響曲のものより好ましい。
猥雑な下町風景ではなく、ここに見られる、
「ヴィーンの学士院本館とイエズス会教会」のような、
風景の方がアイブラーにはぴったりである。
1850年の作者不明の彩色ペン画とあるが、
すっきりとした見通しの良さも、
この人の作風にふさわしいと思われる。

CAVALLI RECORDSという、
日本ではあまり知られていないレーベルのもの。

このCD、パウル・アンゲラー指揮、
コンシリウム・ムジクム・ヴィーンの演奏。

アンゲラーと言えば、おそらく50年代末、
駆け出し時代のブレンデルの伴奏をしていた人
という印象しかない。

CDの略歴を見ると、ヴィーン生まれ、
ヴィーン音楽院に学び、1952年から57年は、
ヴィーン交響楽団の主席ヴァイオリニストだったとある。

その後、ボン、ウルム、
南西ドイツなどのオーケストラを率いたようなので、
これでは、日本では知られることはなかったわけだと得心。
さらに、作曲もし、音楽学校の教授などもやって、
勲章などももらっているので、
多才で多面的な活躍をしたのであろう。
この道のりは、私が生きてきた時代に起こった事なので、
妙に、気になってしまった。

器楽奏者であり、指揮者であり、作曲家で教授とくれば、
このようなCDを出すのはお手の物であろう。
解説も自身が担当し、演奏している曲の、
楽譜の解説まで踏み込んだものとして、
非常に興味深いものとなっている。

最初にミヒャエル・ハイドンによる、
6楽章の「カッサシオン」ニ長調があり、
続いて、アイブラーの1798年作曲の「クラリネット協奏曲」、
最後にプレイエルの1790年の「大交響曲ヘ長調作品27」が、
収録されている。

このM.ハイドンの作品からして、ややこしい作品であることが、
以下のような解説から読み取れる。

「この作品のオリジナルのタイトルは、
M.ハイドンによる、
2つのヴァイオリン、2つのクラリネット、2つのホルン、
2つのオーボエ、ヴィオラ、バッソのためのカッサシオとある。
手稿には、『パステルヴィッツ記』とあり、
クレムスミュンスターの修道院の楽譜保管庫にあった。
ローター・ヘルベルト・パーガーの
『ミヒャエル・ハイドンの器楽曲の主題カタログ』によると、
この作品は『Cassatione』の題名で、
作品89とされている。
チャールズ・H.シェルマンの『年代順主題カタログ』によれば、
作品171であって、『ザルツブルク(?)1770-1772』
という注釈がある。
両方ともこの作品の第4楽章アンダンテに、
フルートが登場することは見のがしているが、
当時、オーボエ奏者がフルートも受け持つのは、
よくあることであった。
(ヨーゼフ・ハイドン、モーツァルトにも例がある。)」

このように、素人には、そこから何を読み取るべきか、
よく分からない解説があるが、
単に、ペーガーやシェルマンより、
俺は偉いと言いたいだけかもしれない。
あるいは、1770年、なるほど、33歳頃の作品か、
作品171というと、えらく沢山の曲を作ったんだなあ、
などと思えばいいのだろうか。

「手稿は大変読みやすく、写譜したのは、
とりわけ弦楽のページめくりには気を遣っており、
各楽章は2ページ見開きの横書きである。
このことからして、
1767年からクレムスミュンスターの修道院の合唱指揮者だった、
ゲオルグ・フォン・パステルヴィッツ(1730-1803)が、
これを作ったと見る人もいる。
さらに、300曲以上の作品ゆえに、
18世紀のオーストリアの作曲家の中で、
彼は最も多産な作曲家とされる。
写譜屋として、彼は、アーカイブにある作品を、
自分の趣向に合わせて彩色している。
しかし、どこから、
パステルヴィッツが写譜したかは明らかでない。
たくさんの間違いや不明瞭なパッセージがあるゆえに、
ミヒャエル・ハイドンのこのカッサシオンは、
演奏されずに終わったかもしれない。
あるいは、各パートに何も修正がないことから、
非常に経験豊かな人が、
演奏しながら修正したのかもしれない。
第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは、
たびたびユニゾンとなるが、
これはミヒャエル・ハイドンの作品でも、
よく見られることである。
しかし、第1楽章の第2部の『序奏』では、
第2ヴァイオリンは、第1ヴァイオリンと並行して進む。
スコアにすると、全体が見渡せ、修正は容易である。
ヴィオラと第2ヴァイオリンを、第1部に従って修復した。」

このように、ややこしい仕事からアンゲラーは始めて、
CDにまでしてくれたということだ。
普通、こんな事から解説してくれることはない。

そして、さらに、本質的な問いかけが来る。

「これは本当にヨハン・ミヒャエル・ハイドンの作品なのだろうか。
メロディーの展開や主題の構造、
最初のアンダンテの装飾の繰り返し、
調性の選択(最初のアンダンテは変ホ長調、
第2アンダンテはフルートを伴いロ短調)など、
沢山のことがハイドン的である。
フィナーレもチャーミングで、9小節の序奏があり、
第2部でもこれが現れる。」

かなり、一所懸命、聞き所を紹介してくれているが、
まるで、我が子を慈しむかのようだ。

6楽章、25分ほどの作品だが、
全体的に、のどかで開放的な音楽。

第1楽章は、序奏とアレグロ・アッサイからなり5分半。
弾け出すような威勢のいい序奏であるが、
アレグロ部も屈託なく突き進む。
オリジナル楽器を謳っているが、
もっと、ふっくらとした音色で聞きたいような気もする。
前にも書いたように録音の癖かもしれない。

第2楽章は、兄ハイドンの作品にもありそうな、
何となくもの思いに耽るようなアンダンテ。

第3楽章のメヌエットは単純明快で、
2分半と短いが、続く第4楽章は、前述のように、
ロ短調という悲しげな調性で、5分半と長い。
フルートのか細い響きの重なりが、
何となくはかなさを感じさせる。
アンゲラーは、このことを言いたかったのだろう。

第5楽章は、第2のメヌエットである。
これも2分半と短く、メヌエットにしてはテンポが速く、
せかせかしているが、もっとゆっくり演奏しても良さそう。
中間部では、ピッチカートに木管が絡んで牧歌的である。

第6楽章の終曲は、前述のように、
ラルゴの序奏を持つが、
威勢よく、竹を割ったように爽快なアレグロ・アッサイが続く。
しかし、このメロディーは楽しげで、ほほえみが溢れ、
アンゲラーが書いたようにチャーミングである。

モーツァルトの初期交響曲もまた、
決して、突発的な天才のひらめきではなく、
こうした土壌あってのものということがよく分かる。

ということで、アイブラーの話から、
ミヒャエル・ハイドンの曲になってしまった。

シューベルトもミヒャエル・ハイドンを深く敬愛していたので、
ここで、この作曲家の略伝の部分を読んでみるのも良いだろう。
アンゲラーもM.ハイドンが好きなのか、
1ページにわたって書いており、
カッサシオンの説明も含めると、全体の半分を占めている。

「1737年、9月14日、
低地オーストリアのローラウに生まれた、
ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは
車大工の親方、マティアス・ハイドンと、
妻アンナ・マリア(旧姓コラー)との間の
6番目の子供として生まれた。
ハインブルクとヴィーンのシュテファン教会の合唱校で、
オルガン、ハープシコード、ヴァイオリンを学んだ。
1757年ハイドンは、Ghymesの
Paulus Forgash主教によって、
グロスヴァーデンの合唱指揮者に任じられ、
1763年8月14日には、シュラッテンバッハ大司教によって、
ザルツブルクの宮廷音楽家、コンサートマスターとして、
役人の食堂で食事付き月給25グルデンで雇われた。」

ちなみにモーツァルトの父、
1719年生まれのレオポルドが、
ザルツブルクの宮廷楽団に入ったのが1743年、
M.ハイドンは18歳年下で、
入社は20年も後ということになる。
ハイドン入社の63年2月に副楽長になっているが、
息子を楽旅に連れ歩いて不在がちな、
とんでもない上司だったに違いない。
そもそも、ハイドン入社時、彼はドイツ・ベルギーに、
子供を連れ歩いていた。

後年、M.ハイドンは兄ヨーゼフからの求めで、
新しい就職先を紹介されながら、
ザルツブルクを出ようとはしなかったのは、
この20年先輩の勝手な出歩き活動を反面教師にした、
なんてことはないだろうか。

海外駐在員も、日本に帰る時の席がないことを恐れるものである。

「1768年8月17日、
ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは宮廷歌手の
マリア・マグダレーナ・リップと結婚、
1770年には一人娘を設けるが、
その年のうちに亡くしている。
1777年、彼はトリニティ教会のオルガニストになり、
1781年には、W.A.モーツァルトの後任として、
宮廷および大聖堂のオルガニストとなり、
ザルツブルクの合唱校でも教えた。」

この時、彼は44歳。
ちなみに、ヴォルフガング・アマデウスとは、
これまた20歳くらい年が離れている。
20歳年少の若造の後釜に就いたわけである。
コジェルフなどは、この申し出を断っているが、
いずれにせよ、モーツァルトは、それほど、
才能を無視されていたわけではなさそうだ。

モーツァルトは、この地位に、パリ楽旅の後、
23歳でついているが、パリでの成功は求められず、
旅先で母を失い、失恋の打撃も受けた、
あの悲惨な旅行も意味があったということか。

「ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは、1806年8月10日、
ザルツブルクで死去、聖ピーター教会の共同墓地に葬られた。」

アンゲラーがあえて、共同墓地と書いたのは、
モーツァルトと同様、という事や、
M.ハイドンが、結局、認められなかった
という事を言いたいのであろう。

宮廷音楽家として、高い地位にあったという記述はない。

とはいえ、このザルツブルクの墓(共同墓地?)を、
後年、シューベルトが墓参したがっていたのは、
有名な話である。
その作品は、明らかにシューベルトを引きつけていたのである。

また、M.ハイドンは、
モーツァルト、シューベルトとは
異なる側面を持った作曲家だったようだ。

「ハイドンは、ベネディクト会の聖ペーター修道院、
ミヒャエルバウエルン修道院と親しく付き合い、
アーンスドルフの牧師P.Werigand Rettensteinerが親友であった。
このレッテンシュタイナーや同僚の司祭のために、
4声の無伴奏合唱曲を作曲し、これはザルツブルクの名物となり、
シューベルトに影響を与えた。
ヴィーンとアイゼンシュタットに、
兄ヨーゼフと同じく兄弟のヨハンを(この人は声楽家)、
2回訪ねている。
彼はアイゼンシュタットの副合唱指揮者の地位に、
エステルハーツィ公によって招かれたが、
これを断っている。
ヴィーンでは、フランツⅡ世の名の日のために、
妃から委嘱されたミサ曲を、マリア・テレジア妃自身が、
ソプラノ部を歌った。
ヨハン・ミヒャエルの興味と自己研鑽は、
ラテン作家の作品研究に加え、
自然科学や歴史研究にも及んだ。
彼は天候を20年にわたって観察し、
正確な記録を残した。
絵画、音楽関係の商人であった、
友人、ベネディクト・ハッカーとは、暗号で文通している。」

ということで、極めて多角的な人生を送った模様。

「彼の作品は生前、あまり出版されていないが、
その楽譜の写譜は抜け目なく、金目当てで流通していた。
その作品は教会音楽、舞台作品、声楽曲、46曲の交響曲、
独奏楽器の協奏曲、数曲のセレナーデ、ディヴェルティメント、
様々な編成のための室内楽曲に及んでいる。」

非常な文化人であると共に、
静かな生活を愛した人、ということが分かる。

さて、M.ハイドンの作品に続いて、
アイブラーの「クラリネット協奏曲」が収録されている。

ここでも、解説から見ていく。

「ヨーゼフ・レオポルド・アイブラーは、
1765年2月8日、ヴィーン近郊のSchwechatに、
教師、合唱指揮者の息子として生まれた。
(1843年に、皇帝によって、彼は爵位を与えられた。)
彼の音楽的才能は早くから認められ、
6歳の時には、国家官僚、ヨーゼフ・ザイツァーの計らいで、
ヴィーンの聖シュテファン教会の聖歌隊の学校に送られた。
ここは、ヨーゼフ・ハイドンやミヒャエル・ハイドンが、
教えを受けたところであった。
彼は、ヨハン・ゲオルグ・アルブレツベルガーの生徒となったが、
彼が法律を学んでいた神学校が閉校になると、
彼は作曲を学び始めた。
彼はハイドン、モーツァルトと交友し、
『コシ・ファン・トゥッテ』では、歌手に練習をつけたりもした。
モーツァルトの死後、コンスタンツェは、
『ジェスマイヤーに良い感情を持っていなかった上、
モーツァルトがアイブラーの方を買っていたので』、
まず、『レクイエム』の完成をアイブラーに依頼した。
1792年、カルメル派修道院の、
1794年にはスコットランド派修道院の、
合唱指揮者に就任。
1801年には、皇室の家庭教師となり、
1804年には宮廷副楽長、
1824年にはサリエーリの後任として、
宮廷楽長に就任した。」

ここまでは、これまでも読んできたとおりだが、
火事の事は書かれていない。

「1806年、彼は、下部オーストリアの森林監督官の娘で、
王妃の部屋係をしていた、テレジア・ミュラーと結婚した。
1833年2月23日、モーツァルトの『レクイエム』指揮中に、
卒中に襲われた。
彼は、ヴィーンのスコットランド派修道院に、
1846年7月24日に亡くなるまで家族と一緒に住んでいた。
彼はヴァーリング墓地に埋葬された。」

このように、皇室関係の人脈がないと、
宮廷楽長になどはなれない、といった風にも読める。

「アイブラーは、32曲のミサ曲、一曲のレクイエム、
教会音楽、歌劇『魔法の剣』、クラリネット協奏曲、
ピアノ曲、ヴィオラ・ダモーレを含む、
二曲の五重奏など、様々な編成による室内楽を作曲した。」

前回取り上げた交響曲については書かれていないし、
協奏曲も室内楽も、何とも言えない編成である。
ソナタや弦楽四重奏など、コンヴェンショナルな編成に、
注力したシューベルトなどより、自由な感じである。

「オリジナル・タイトルでは、
『ジュゼッペ・アイブラー作曲のクラリネット協奏曲、
1798年2月』とされ、
ヴィーンの国立図書館の収蔵品に、
手書きのスコアと手稿がある。
スコアは美しく正確で、フレージングの指示も明確である。
強弱記号や付点なども明瞭で、
修正や変更も明瞭に読み取れ、
最初のバージョンは改作されたようで、
第2版も第1楽章とロンドの独奏部は、
同様に改作の後が見え、
追加があり、上下に記号が書き込まれている。
アイブラー自身によって改訂された、
これらの名技的な楽章の修正であることから、
演奏上の便宜を図ったものと考えられる。
非常な高音のパッセージもまた変更された。
こうした変更はルイ・シュポーアや、
フランツ・タウシュの協奏曲にも見られることである。
この録音の独奏者ペーター・ラブルと私は、
両バージョンを合わせた版を使った。
アイブラーによって抹消された小節や、
様々な変更はあるにしても、
手書きの管弦楽の用法は、
すっきりとして、ほとんど欠点がない。」

第1楽章は冒頭から、
爽快なメロディが奏でられるが、
そのメロディの続きみたいな部分が、
急に盛り上がって、打楽器、金管楽器もめざましく、
壮大な主題が現れる。
さらに、大空を仰ぐような美しい主題が出るが、
これは、第2主題だろうか。
この間、クラリネット独奏が、
どうなっているのかよく分からない。
この後、すーっと入って来るが、
それほど、名技的なものではなく、
その前にも様々な木管の音色が聞こえていて、
あまり独奏楽器に華やかな感じがしない。

そう思っていると、非常に難解なパッセージを吹きまくり、
さらにオーケストラが軍隊調の壮大な主題展開を行い、
続いてまたまた独奏が様々な音域で技巧を駆使する、
という感じで突き進んでいく。

モーツァルトの諦観したような協奏曲を想像すると、
まったく違う種類の音楽である。
壮大で、交響曲的であり、独奏にはそれほど華はない。
というか、曲全体が大輪の花のようにきらびやかである。

この独奏者のPeter Rablという人が、
地味な人なのかもしれない。

この華麗壮麗な12分にわたる第1楽章に比べ、
6分ほどの第2楽章は、いったい何なのだろう。
ゆっくり静かな低音のピッチカートの上に、
ヴァイオリンがさざ波のような音型を、
延々と繰り返す上に、様々な管楽器が、
虹色の和音をちりばめる構成。
独奏楽器の奏でるメロディーの息がやたら長く、
単に音色を響かせているだけのように思える。
極めて独創的な世界が、なだらかに広がっている。
小春日和の孤独といった風情。
交響曲第2番でも聞き取れた、
アイブラーならではの詩情ある田園風景といえば良いか。

第3楽章は、完全にじゃんじゃか調で、
金管や打楽器も賑やかに、
軍隊調の音楽が奏でられる中、
クラリネット独奏は、縦横無尽にして、
豊かな音域に音色をちりばめる。
7分ほどの曲である。

モーツァルト、ハイドンの同時代人の音楽とは思えないが、
前にも書いたようにベートーヴェンとも違い、
シュポアなどよりがっしりとしている。
1798年というと、シューベルトの生まれた翌年ということだが、
モーツァルト亡く、ベートーヴェン登場前に、
音楽史は、こうした晴れやかな世界を一旦は垣間見せた、
という感じがする。

最後にプレイエルの「大交響曲」が収録されているが、
21分ほどの曲で、ここに収められた音楽の中では、
最も短い。
そうはいっても、堂々たる交響曲で、
ハイドン風であるが、さらに敏捷な音楽といった感じ。
1789年の作品とある。

「イグナーツ・ジョセフ・プレイエルは1757年6月18日、
低部オーストリアの街ルッパータールに、
教師マルティン・プレイルと、
未亡人のアンナ・テレジア・フォースターとの息子として生まれた。
名字の「エ」は、イグナーツが後からつけたものである。
ヴァイオリンとオルガンを弾けるようになると、
父によって、ヴィーンのフリーの作曲家で音楽教師であった、
ヨハン・バプティスト・ヴァンハルのもとに送られた。
1772年、ラディスラウス・エルデーディ公がイグナーツに会うと、
エステルハーザのヨーゼフ・ハイドンに作曲を習うよう、
200ルイスドルを毎年贈られることになった。
このようにして、イグナーツは音楽家として成功するための、
必要なものすべてを得たのである。
1776年、オペラ『妖精Urgele』はヴィーン国立劇場で演奏され、
冬にはエステルハーザの人形劇劇場で演奏された。
翌年、プレイエルは、エルデーディ公によって、
その領地エベラウのオーケストラの
チャペル・マスターに任じられた。
エルデーディ公は、さらなる修行のための、
二度のイタリア旅行の費用も出してくれた。
1783年頃、プレイエルは、シュトラスブルク大聖堂の、
副楽長、1789年には楽長となった。
1788年には、絨毯商人の娘、
フランツィスカ・ガブリエレ・レフェブールと結婚した。
この年、ヨーゼフ・シュテファン・カミールが生まれたが
この人が1839年パリに高名なサル・プレイエルを建てるが、
ここは今日もコンサート・ホールとして残っている。
フランス革命が勤勉な大聖堂楽長の人生を中断させた。
1795年、プレイエルはパリに移り、
1800年には、ヴィーンへの途上、
フランス市民になっていた彼は、
オーストリア入国を拒まれた。
1797年、パリに出版社を建て、
後に印刷工房や楽器営業室を併設した。
1807年からピアノ、ハープの工場を始め、
今日においても、エラールに続く、
フランスの重要なピアノ製作所であり、
ラジオやテレビも作っている。
1824年にプレイエルはリタイアし、
1831年11月14日、パリ近郊の領地で亡くなった。
彼の墓は、メユールやビゼーやケルビーニが埋葬された、
有名なPere Lachaise Cemeteryにある。
プレイエルは二つのオペラを始め、
賛歌、交響曲、協奏交響曲、協奏曲、ピアノ曲、
様々な楽器のための室内楽を作曲した。」

この人生もすごいものがある。
会社の創設者であるから、実業界では超大物である。
他の作曲家とではなく、ビル・ゲイツや、
スティーブ・ジョッブスと並べて語るべき人だったりして。

ただし、ここでは、師匠ハイドンと、ロンドンで、
人気取り合戦をした経緯については語られていない。

続いて、曲について。

「ベルリンの州立図書館にある、
1790年ヨハン・アンドレ・オッフェンバッハによる出版譜では、
『ヘ長調の大交響曲作品27の2』(Benton140)とされる。
印刷は非常に魅力的なものであるが、
比較的容易に修正できる多くの誤植を含んでいる。
プレイエルはこの交響曲を1789年、
彼がシュトラスブルグの大聖堂合唱長に就任した年のもの。
『アンダンテ・コン・ソルディーニ』の始まりは、
1802年にプレイエルがハイドン作曲として出版した、
ホフマイスター(1742-1815)の
6曲の弦楽四重奏曲の第5番の『セレナーデ』に似ている。」

え、解説はこれだけ?
沢山あるプレイエルの交響曲から、
どうしてこの曲を?と聞きたくなるが、
アンゲラーが、ベルリンで発掘したのだろうか。

アンゲラーにとっては、楽譜がどうで、
演奏する際にどんな問題があったかの方が重要みたい。

第1楽章は、アレグロ・アッサイ。
ハイドンの弟子だけあって、ハイドン的に直裁的で明解。

確かに、第2楽章(CD裏にはアダージョとある)の最初は、
「セレナード」そっくりである。
もっと悲しげな音楽に変容するが。

第3楽章は明るく楽しいが、トリオは木管とホルンの合奏で牧歌的。

第4楽章もハイドン的で、楽しげな音型が、
忙しく動き回るヴィヴァーチェの終曲。
第2主題はのどかで美しい。

ここに聞くような曲が、シューベルトの生まれた頃に、
盛んに演奏されていたのだろう、などと考えながら、
瀟洒な表紙の絵画や、解説にある各楽曲の楽譜を改めて見つめた。

ミヒャエル・ハイドンのものは、大げさな飾り文字が面白く、
アイブラーのものは、この人の性格が読み取れるのか、
とてもさらりとした筆跡。
プレイエルのもののみ、枠までついて、とても豪勢に見える。
さすが、有名企業の創業者である。関係ないか。
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得られた事:「忘れられた作曲家の音楽は、その楽譜そのものの研究からして、好学家を燃えさせ、修復によって愛情がいや増すように見える。」
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by franz310 | 2010-01-10 00:39 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その207

b0083728_2032456.jpg個人的経験:
前回、クリスマスということで、
アイブラーの書いた、
クリスマス・オラトリオ、
「ベツレヘムのまぐさ桶の羊飼い」
を聞いたが、
歌われている内容はともかく、
ベートーヴェン以上に、
色彩的な管弦楽法に驚かされた。
具体的には、木管楽器の柔らかさ、
金管と打楽器による暗い色調であろうか。


このような楽曲を聴くと、
シューベルトの交響曲が生まれて来た土壌も納得でき、
ベートーヴェン、ブラームスといった、
色彩渋々系の独墺路線が、むしろ、異端とも思えて来る。

また、アイブラーの作曲技法は、
確かに、その生年、1765年にふさわしく、
1732年生まれのハイドンと、
1797年生まれのシューベルトとの、
ちょうど、中間のような感じ。
モーツァルトよりは、ベートーヴェンに近いが、
アイブラーとベートーヴェンは、何だか、全く別物であった。

前回聞いたのが、合唱曲だったので、
純粋なオーケストレーションという意味では、
交響曲を聴きたくなる。

アイブラーの交響曲は、ありがたいことに、
オラトリオを出していたのと同じ、
CPOレーベルから出ている。

曲を味わった上で、最初に書いておくが、
アイブラーの作風は、
というか、少なくとも、
ここに収められた三曲に関して言えば、
このCDの表紙絵画のような、
薄暗いセピア調のものではない。

ベルナルト・ベロットという人の、
「Die Freyung in Wien」と題された、
1654年の風景画を持って来たというのは、
いったいどういう事であろうか。
アイブラーの作風は、おそらく150年は、
この絵より新しいセンスのものであろう。

また、描かれた内容にも問題がある。
ヴィーンの猥雑な下町風景というよりも、
郊外の開放的な空気を表わす風景こそ、
彼の交響曲を表わすのには、相応しかろう。

解説は、Michelle Bullochという人が書いている。
「『この文書の持参者、ヨーゼフ・アイブラー氏が、
高名なアルブレヒツベルガーの優秀な弟子で、
卓越したオルガン奏者、ピアノ奏者であるばかりでなく、
教会音楽、、室内楽にも才能を見せ、
歌唱の芸術の経験を重ねた、
確かな腕を持った作曲家であることを、
私はここに証明して署名します。
つまり、彼のような若い音楽家は、
残念ながら、希有ということなのです。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ヴィーン、
1790年3月30日』
ハイドンに応援され、モーツァルトに賞賛され、
マリア・テレジア妃に支援され、
皇帝には爵位を授かった、
ヨーゼフ・レオポルド・アイブラーは、
生前、ヴィーンでは相当な評価を受けていた。
コンスタンツェ・モーツァルトもまた、
亡き夫が残した『レクイエム』を、
完成させるようにアイブラーに依頼しているが、
結局、アイブラーは、この仕事を最終的に、
ジェスマイヤーに任せてしまった。
死後は、大々的に忘却され、
アイブラーの作品は、
『レクイエム』、クラリネット協奏曲、
いくつかの室内楽以外は、
演奏会で取り上げられることはまずない。
このオーストリアの音楽家のカタログに含まれる、
二曲の交響曲は、しかし、
古典期のスタイルの好例である。」

ということで、期待が高まる書き出しであるが、
残念ながら、これらの交響曲は、
アイブラーの代表作というようなものではなさそうだ。

後で出て来るのだが、
アイブラーがこれらの曲を作曲したのは、
1780年代終わりのもので、
モーツァルトが先の推薦状を書く前で、
アイブラーは24~25歳の青年である。
若書きのような部類と思われる。

以下、前回も少し触れたがアイブラーの略歴が続く。

「1765年、オーストリアの首都から、
さほど離れていないSchwechatに生まれ、
アイブラーは、教師であり合唱指揮者であった父親から、
最初の音楽の教えを受けている。
6歳から彼のピアノの才能は明らかで、
アルブレヒツベルガーのもとで作曲の勉強を続け、
聖エティエンヌ大聖堂の学校で、
音楽トレーニングを継続することが許された。
師は、彼について、後に、
『モーツァルト以降、ヴィーン最高の音楽の天才』と言った。
アイブラーは法律の勉強を続けたかったが、
火災で家族が財産を失うに到り、
彼は必要から音楽に専念することとなった。
1792年、ヴィーンのカルメル派教会の合唱指揮者として、
彼は師、アルブレヒツベルガーの地位を継ぎ、
その後、有名なスコットランド修道院でも同様の地位にあって、
30年、その職にあった。
彼は1780年代の終わりにかけて、
作曲を試みたが、それはハイドンの目に止まり、
1787年には三曲のピアノ・ソナタの出版を見るに到った。
1801年には、まず、音楽教師として、
ヴィーン宮廷への足がかりを見つけ、
1804年には副楽長になった。」

前にも書いたが、この職は、
シューベルトが応募して落選したものである。
それまでに、様々な公職に就いていた点は、
シューベルトの場合と大きく異なる。

「最終的に、1824年、
彼はサリエーリの後を継いで、
宮廷楽長にまでなった。
彼は、モーツァルトの『レクイエム』演奏中に、
卒中にて倒れる1833年まで、この地位にあった。
彼はこの後、13年、活動できないうちに亡くなった。
アイブラーは何よりも宗教音楽の分野で名声を高めた。
19世紀になると、30曲のミサ曲、
マリア・テレジア妃に乞われての、
二つの合唱のための『レクイエム』、
30のオッフェルトリウム、
数多くの聖歌、合唱曲に自分の名を刻んだ。」

このように、ジャンルの上でも、
交響曲は、アイブラーの主要領域ではなかったということか。

「ことさらにヴィオラが美しい弦楽五重奏曲など、
いくつかの室内楽、オペラ『魔法の剣』以外にも、
この作曲家は、作曲の時期は確実ではないものの、
おそらく1780年代の終わり頃のものと考えられる
二曲の交響曲を残している。
ハイドンは1789年3月22日の手紙で、
これらの交響曲の一つに言及しているが、
どちらの曲のことかは分からない。
これら二曲の自筆譜は消失しており、
オーストリアには写譜も存在しない。」

この若書きの二曲以降は、アイブラーは、
どうやら、交響曲に手を出していない雰囲気である。

ここから、ここに収められた各曲の解説が始まるが、
ほとんど、何の役にも立たない解説である。

「交響曲第1番ハ長調は、
音楽学者ヒルデガルト・ヘルマン=シュナイダーが編んだ
カタログ番号では158番であり、
4つの楽章からなる。」

このヘルマン=シュナイダーの番号が、
何の順番なのか分からないので、
このインフォーメーションは、
あまり役に立たない。
作曲された順なのか。あるいは、リストの場合のように、
楽曲ごとの分類であろうか。

下記のような楽曲の内容も、
CDのトラックに書いてある以上の情報にはならない。
この解説者は、はたして、この曲が好きなのか否か。

「ソナタ形式のアダージョ、変奏曲形式によるアンダンテ、
メヌエットと終曲のロンドとしてのアレグロ・モルトからなる。
交響曲第1番の楽器編成は、続くニ長調のものより小規模である。」

仕方ないので、これを少し補って、
どんな曲であるかを紹介してみよう。

第1楽章、壮麗なアダージョの序奏、
実に意味ありげで、宗教曲を得意とした、
アイブラーならではの、神秘的な感じも出ている。
後半部などは、シューベルトの初期交響曲の香りである。

しかし、わずか1分程度のもので、
少々、もったいない感じ。
以下、アレグロ・スピリチオーソの主部が開始するが、
これはハイドン風に直線的なもので、
序奏ほどの神秘感はないからである。
しかし、ティンパニが連打される中に舞い上がる主題は、
ベートーヴェンの「英雄」を思わせるものである。

木管楽器のハーモニーに彩られながら、
展開していく色彩感は、
ハイドン、モーツァルトを凌駕しているが、
ちょっと力ずくの感じがしないでもない。
弦で出て、木管で繰り返される、
晴朗な第2主題も、まずまずだが、
もう少し歌心があれば、などと思う。
約7分である。

第2楽章は、ハイドンの「時計」のような、
静かにリズムを刻むアンダンテで、
9分と、最長の楽章である。
穏やかで繊細なメロディーであり楽器法であるが、
少々、地味かもしれない。
そう思っていると、軽妙なファゴット独奏が、
中間部に現れ、花を添え始める。
これが、実に長く、奇妙な印象さえ与えるが、
この後は、短調で寂しげな変奏となったりするが、
何と、意表を突いて、ファゴット独奏が再度登場。
絶対、変だ、という印象を強めるばかり。
有名な演奏家でも想定したのであろうか。
アイブラーは、いったい、何がやりたかったのか。

第3楽章は3分半ほどのメヌエットで、
とても楽しい楽想。
室内で社交的に行われるダンスというよりも、
フォークダンスのような開放的な雰囲気が好ましい。
トリオでは、またしてもファゴットだろうか、
木管群が野趣を盛り上げる。
全体的に、弦楽と木管のブレンドがきれいな楽章である。

第4楽章は、アレグロ・アッサイで、
ティンパニ連打を伴い、前へ前へと突き進み、
途中、ベートーヴェン風のぎくしゃく展開も見られ、
4分半に満たないが、
そこそこの聴き応えを持つフィナーレ。

ホフシュテッターという、
後期バロックからの音楽を得意とする
ドイツ人指揮者が指揮をしている。
ティンパニを強調しすぎているような気もするが、
テンポの上では節度をもってやっている。
オーケストラはジュネーブの室内管弦楽団である。

次に、「第2交響曲」が来る。
「五つの楽章からなる交響曲第2番は、
第1番より壮大で、洗練されている。」
と解説にあるように、
この曲の方が、私にはずっと楽しい曲に聞こえた。

「ゆっくりとした序奏を有する最初のマエストーソは、
ソナタ形式の二つの主題の一方に、
序奏のテーマが使われている。」
やはり1分ほどの序奏であるが、
悲劇的な色彩が強烈で、
モーツァルトの「レクイエム」などより、
ずっと、悲愴な色彩で異色を放つ。

第1主題は、何だかオンスロウ風とでも言えるような、
すがすがしい気品があり、
展開されるうちに推進力を増していくが、
ここに様々な楽器が絡まっていく様は、
非常に効果的である。
7分半と、そんなに大きな楽章ではないが、
「第1」より、ずっと膨らんだ感じがする。
展開部の緊張感も聴き応えがある。
1780年代終わりの時点で、この曲は、
かなり革新的なものではなかっただろうか。
ロマンティックな香りがする。

「これに第1メヌエットが続き、
中間部のトリオは、木管だけで奏される。」

第2楽章のメヌエットも、
ほとんどスケルツォである。
ぎくしゃくしていて、
ピッチカートの効果、
点描風の木管や金管の音色、
どの部分をとっても刺激的かつ魅惑的である。
2分半程度の中に、かなりの実験を盛り込んだものだ。

古典派のマイナー作曲家の中で、
ここまで機知を効かせた交響曲を書いた人は
いなかったのではないか。
と、断定したくなった。

「真ん中のアンダンテは、三部形式だが、
第2の部分が拡張されて繰り返される。」
ここでもアンダンテはかなり長く、
7分14秒。

しかし、「第1」のアンダンテより、
100倍、面白い。
ホルンが遠くから響き、
フルートの音色も軽やかに、
一幅の音画を描き出している。
ここでも、ファゴットが顔を出すが、
それも不思議な白昼夢のような感じ。
非常に詩的な情景。
楽器の彩りの多彩さはからしても、
ベートーヴェンの「田園」を完全に先取りしている。
後半、不思議なスタッカート進行があるが、
それがまた、緑なす風景に一瞬、
雲がかかったかのような不安感を醸し出して興味深い。

「それから第2のメヌエットがサブ・ドミナントの中間部を持つ。」
ベートーヴェンの「田園」と書いたが、
この曲も5楽章形式である。

しかも、メヌエットが牧歌的で、
それも二つあるので、何だか、
これもまた「田園交響曲」と呼んでみたくなる。
この3分10秒のメヌエット、
トリオ部には、またまたファゴット独奏が現れる。

「また、終曲のアレグロは、ソナタ形式で書かれている。」
などと解説にあるが、これまた、珍妙な終楽章である。
管楽器と打楽器の炸裂に、
小刻みに動き回る弦楽や木管が、
へんてこな装飾を繰り広げながら、
真面目なのか不真面目なのか分からない、
スケルツォ風の音楽が6分42秒にわたって繰り広げられる。

「これらの二曲のオーケストレーションは、
弦楽器が主体となっており、
アイブラーの他の作品同様、分割されている。」
とあり、ヴィオラの分割まで聞き取るべきだというが、
そんなこと以上に、木管の扱いが面白い。

この後、単に「序曲」とある7分ほどの一曲が
収められている。
これは壮大な序奏が2分にわたって響き、
主部も、何だか勇壮で男性的な楽想が繰り広げられ、
途中では、爆発的な展開もあって、
交響曲以上に堂々とした作品となっている。

ふざけた事に、この曲については、
何の解説もないし、作曲年代すら情報がない。
ヘルマン=シュナイダーの番号でいくつなのか。
そういえば、「第2交響曲」もこの番号は分からない。
何だか竜頭蛇尾の解説である。

この序曲、何となく、
交響曲より成熟した作品のような気はする。
途中、木管合奏による楽しげな主題も現れ、
ほとんど、ウェーバー、ロッシーニの同僚と言っても良い。
コーダの迫力も出色で、
シューベルトにはない、余裕というか、
遊び心を感じた。

ということで、今回のCD、
かなり掘り出し物である。
どれも個性的であり、
「第1交響曲」はそれなりだが、
他の二曲は、先進的でさえある。

最初、ハイドンとシューベルトの間の、
オーケストレーションと書いたが、
もっと突飛なものかもしれない。

このようなアイスラーの魅力については、
前回のオラトリオを指揮した指揮者も、
力説しているので、
是非、それをここで、紹介しておきたい。

(前回、オラトリオの歌詞の紹介に注力し、
字数オーバーになった部分、無視するには忍びない。)

アイブラーなどという、ほとんど知られざる作曲家に、
私は、シューベルトから行き着いた感じだが、
別ルートで、
ここに行き着く人もいるということも参考になる。

ちょうどうまい具合に、
「アイブラーみたいな作曲家と、
どうやって出会ったのですか?」
という、ダイレクトな題名となっている。
指揮者というのは、
ヴォルフガング・ヘルビッヒという人である。

「私はこのような繰り返される質問に、
詳細に答える時間が好きである。
その背景には特別な環境があるからである。
私は、もはや今日、評価されなくなった、
もしくは、まだ評価されていない
作曲家の作品に興味があるとはいえ、
もしも、モーツァルトの『レクイエム』が、
彼に結びついていなかったなら、
こうした出会いはなかっただろう。
私のレクイエムに対するこだわりが、
1991年のモーツァルト・イヤーに、
二つの素晴らしい合唱作品との出会いをもたらした。
それはヘンデルの『葬送アンセム』
(これはすでに、クリストフ・ヴォルフによって、
モーツァルトの『レクイエム』との類似を指摘している)と、
ヨーゼフ・アイブラーの『レクイエム ハ短調』であった。
コンスタンツェ・モーツァルトの求めに応じて、
アイブラーは、よく知られているように、
モーツァルトの死によって、
未完成のまま残された、
『レクイエム』の完成作業に着手した。
アイブラーはモーツァルトによって、
弟子として高く評価されていたばかりでなく、
モーツァルトと親しい友人でもあった。
彼自身、このような報告を残している。
『私は、彼とその死に至るまで、
友情を分かち合えたのは幸せだった。
彼を起こしたり、寝かせたりして、
痛々しい死病と戦う彼を助けた。』
レクイエムを完成させようとしたアイブラーの試みを、
演奏しようとした際、
彼らの知性と野心の不一致によって、
モーツァルトの断片に彼の追加は、
マッチしないことに気づいた。
私はアイブラーがモーツァルト作品に対してとった道が、
賢明で共感できることだと思った。
しかし、この『レクイエム』と彼の関係は、
その生涯にわたって続くのである。
そしてその繋がりは彼の個人的な悲劇へとも繋がっていく。
この偉大な友人の『レクイエム』を指揮していた時、
彼を梗塞が襲い、再起することはなかったのである。
私は、こんな事を確かめずにはいられなかった。
モーツァルトの影を背負った作曲家は、
どんなレクイエムを書いただろうか。
ちょっと良いかむしろ失敗した、
まがいものにすぎないのではないか。
私が発見したのは、偉大な独自性を持つ作品で、
モーツァルトに対して敬意を表してはいるものの、
彼自身の着想に満ち、さらに未来を指向したものであった。
作曲技法をものにして、
巨大なフーガ、熟達の構築があり、
流動的であって、当時の作曲家では、
モーツァルト、ハイドンからしかかけられない魔法で、
音楽家も聴衆をも巻き込み、
器楽の細部にも素晴らしい豊かさがある。
もはや疑うべくもない。
私はアイブラーの作品をもっと知りたくなり、
演奏したくなったのである。
クリスマス・オラトリオ、
『ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち』は、
その熟達が誇示されるアイブラーの多くの作品に占める、
偉大な厳粛な作品とは完全に異なるもので、
ここでは喜ばしいムードが基調を占め、
素晴らしく彫琢されたフーガは背景に退き、
眼前には、壮大な音楽の絵画と楽しさが広がる。
オペラセリア風の壮大で華麗なアリアから、
自然の描写まで、
内面の感情の描写から、ユーモラスな細部まで、
アイブラーの音楽描写の幅は、
生き生きと力強い。
ハイドンの『天地創造』を好きな聴衆は、
アイブラーのオラトリオも楽しめるはずである。
この作品の方が、2年前に作曲されていたのだが。
この作品の再現において、
歌手や器楽奏者と特別な興奮を味わった。
こうした作品をこのような愛情を持って、
音楽家が演奏すると、
聴衆にもそれが伝わるのではなかろうか。」

得られた事:「アイブラーの『第2交響曲』、詩的音画のような中間楽章を挟み、極めて魅力的な作品に仕上がっている。1780年代終わりの作品とは信じがたい。」
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by franz310 | 2010-01-02 20:04 | 古典