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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その206

b0083728_2212203.jpg個人的経験:
アリャビエフが、
「夜鶯」の主題によって、
弦楽四重奏曲第3番を
書いていた頃、
シューベルトの周りでは、
微妙な状況が生じていた。
宮廷楽長であった、
シューベルトの師の
サリエーリが退任し、
後継者にアイブラーが昇格した。


アイブラーは副楽長だったので、その席が空位となった。
シューベルトは、その副楽長のポストを狙って、
皇帝に請願書をしたためたのである。

この時、アイブラーが、
どのような形で関与したかは分からないが、
シューベルトは採用されなかった。

サリエーリに次ぐ、ナンバー2だった、
このアイブラーとはいったい、
どのような音楽家だったのだろうか。

この季節に相応しい音楽として、
「クリスマス・オラトリオ」という作品を書いているので、
今回はこれを聴いてみた。

このCDでは、Eva Pinterという人が、
アイブラーの生涯と、この作品について書いている。
「ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち」
と題されているが、これはこの曲の題名である。

「生前高い評価を受けながら、
後に忘却の淵に沈んだ作曲家は、
音楽史において数多く見受けられる。
この死後の評価は、ある作曲家については、
相応しくないとは言えないが、
ヨーゼフ・アイブラー(1765-1846)については、
当てはまらない。
ようやく近年になって、彼の作品は正しい評価を受け始めた。」

こういった事は、これまで何度も読んで来たので、
なかなか、信用するわけにはいかない。
コジェルフ、オンスロウからレーガーに至るまで、
同様の評価をされながら、
演奏会の順番待ちをしている作曲家は無数にいる。

「ヴィーン古典派にあって、
創造力があり興味深い人物を示すものとして、
それらは、確かに再発見の価値がある。
アイブラーは最初の音楽指導を、
自分の家庭で受けた。
ヨーゼフ・ハイドン、ミヒャエル・ハイドンが、
以前学んでいた、ヴィーン市の大学で、
彼も学び、これが彼の終生を決定づけた。
ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーの弟子として、
作曲の勉学にいそしんだ。
彼は当初、法律家を目指したが、
彼の両親の家は火災に遭って、
財政的に苦しくなり、
この道は諦めずにはいられなくなった。」

このような苦境から、立ち上がった作曲家というのも、
あまり聴いたことがなく、印象に残る。

「彼が音楽家としての道を選んだ時、
善意の支援者が現れた。
そうしたパトロンは、
1793年に熱のこもった推薦状を書いた、
アルブレヒツベルガーだけでなく、
友情をこめて支援したハイドン、
それに、
『信頼できる作曲家で、
室内楽においても教会音楽においても、
才能を持ち、歌唱芸術について豊かな経験を持ち、
オルガン奏者、ピアニストとしても完璧である』
と書いたモーツァルトなどであった。
アルブレヒツベルガー、ハイドン、
モーツァルトの持つ特筆すべきものが、
アイブラーのスタイルの上にも認められる。」

ハイドン、モーツァルトに認められた作曲家としては、
プレイエルなども重要であるが、
アイブラーは、後塵を拝している感じであろうか。

「対位法の全般的な理解、
交響的、室内楽の作曲において見られる、
高尚さ、魅力的なモティーフと、色彩。
アイブラーは、これらの影響を特別な方法で統合した。
彼は、ヴィーンのCarmelitesで1792-94に、
また、1794年からは30年もSchottenstiftでなど、
何十年にもわたって合唱指揮者を務め、
数多くの宗教音楽を作曲した。
30曲以上のミサ曲、何曲かのオラトリオ、
1曲のレクイエム、短い宗教曲などを書いた。
彼の宮廷作曲家時代も、彼のスタイルに明らかに影響を及ぼした。
1801年、皇帝の一家の音楽教師になり、
1804年には副楽長になり、20年後には、
サリエーリの後任として楽長になった。」

アイブラーが1804年に副楽長になったのは、
39歳の時ということになる。

着実に公的な立場をステップアップして来た人から見れば、
シューベルトの応募は、かなり乱暴に思えたのではなかろうか。

「彼は革命的なことを行わず、
ヴィーンの宮廷音楽の伝統の、
音楽美学の要求に非常に良く適応した。
そして、シューベルトの変イ長調のように、
その方向を変えることを拒絶した。
教会と宮廷音楽の嗜好が、
確立していたフレームワークの範囲で、
彼自身の表現のパレットを開発したのである。」

という具合に、むしろ、
シューベルトなど認めなかったかのようなニュアンスを、
この解説では滲ませている。

以下、この楽曲の解説となる。
「アイブラーは、彼の最初のオラトリオ、
『ベツレヘムのまぐさ桶の周りの羊飼いたち』を、
ヴィーンの退職音楽家協会のために書き、
1784年、12月22日にスコアを完成させた。
後に、彼はこれをカンタータにも改作した。
テキスト作者は未詳である。
クリスマスのテーマに沿いながら、
時に聖書の一部を流用しつつ、
民衆の言葉の効果によって、
神秘の瞬間の劇的な雰囲気ではなく、
叙情的で瞑想的なものを作り出している。」

とにかく、特にドラマがあるわけでなく、
御子の生誕に立ち会った人の眼で、
その奇跡が賛嘆されているだけ、
といった内容である。

「アイブラーは多くの音楽モデルを利用している。
第1部を締めくくるコーラスや、
バスのアリア、『彼はベツレヘムに生まれた』
(Track16)における優しいシチリアーノは、
二つの例を上げるならば、
バロック期のヘンデルの『メサイア』、
バッハの『クリスマス・オラトリオ』といった、
先例にならっている。
モーツァルトの音楽の影響も、
いくつかの動機の処理や、
(管弦楽の序奏の短調の開始部は、
K.457のハ短調ピアノ・ソナタを思わせる)
時に名技的で、時として流麗な、
声楽パートの扱いに、明らかに認められる。」

いうなれば、先生によく倣った、
優等生の音楽ということだろうか。

「アイブラーのオーケストラの統率は、
素晴らしい木管の効果や、
精巧な弦楽の声部の扱いにおいて、
モーツァルトやハイドンの交響作品の影響を感じさせる。
これらのルーツに関わらず、
アイブラーの音楽は独創的で、時として、
驚くような作曲の着想を見せる。
一つの例としては、冒頭から見られ、
ハイドンの『天地創造』に先立つ、
日の出の効果があり、
他の例としては、様々なアリアのデザインにも見られる。」

ということで、単に優等生ではなく、
様々な創意工夫もできる人だったということである。
これでは無敵ではないか。

以下、その独創性についての具体例が列挙される。

「テノールのアリア(Track2)、
『羊飼いよ見よ、救世主を』で、
ダ・カーポ・アリアの三部形式と、
ソナタ形式のような転調のプランが見られる。
最初の部分はドミナントに転調するが、
最後の部分では主調に止まる。」

神聖なオラトリオにしては、快活な印象の曲である。
あとで、改めて述べる。

「また、ソプラノのアリア『それは神自身』(Track8)の、
二つのアレグロ・モデラートの二つの部分では、
それぞれ、アダージョのレチタティーボが用意され、
ソプラノの声楽部は、カデンツァの、
高度に名技的なコロラトゥーラのアリアにおいて、
木管だけで伴奏されている。
アイブラーはテキストの説明について、
繰り返し繊細な効果を施している。」

このアリアのアレグロ・モデラートの部分、
というのは、非常にシューベルトを想起させるが、
その独特の音色によるものであろうか。

「アルトのアリア、『幼子は手を伸ばし』(Track4)では、
声楽パートとオブリガートのフルート独奏が、
和音の分解によって、静かな心臓の鼓動を表現する。」

フルートの技巧的な音色の効果のせいか、
非常にすがすがしい感じがするアリアである。

「ソプラノのアリア『今や彼らの眼は幼子に』(Track11)の、
尋常ならざる開始部は、
ドミナントの七度で始まるモティーフで、
それらが終わってようやく主音が現れる。
これは、探しているような、
驚きを持ってちらちら見るような効果をもたらす。」

なるほど、確かにそんな感じがしないでもない。
ピッチカートの変則的なリズムには、
そうした戸惑いのようなニュアンスがある。

「四重唱『彼らの眼から』(Track5)においては、
ため息と涙の愛情に満ちた、
感動的な雰囲気が、
『ため息の動機』のみならず、
弦楽に絡むクラリネット独奏と三つのトロンボーンという、
通常とは異なる楽器によって描かれている。」

この独特の深い音色については、
モーツァルトのレクイエムの一節を聴くような感じが近い。

「この四重唱の対となる第2部の、
『ユダの種による愛しい御子』(Track14)は、
二つのクラリネット、二つのバスーンと弦楽による、
独自の色彩で彩られている。」

こちらの四重唱は、初め、ソプラノから歌い出され、
次に、バスーン伴奏にアルトが乗って、
続いて、木管アンサンブル伴奏にテノールやバスが登場、
最後の最後に四重唱に膨らむ。
歌と歌を繋ぐ管弦楽も精妙だ、
という風に、第1部の四重唱とは趣がまるで違う。

さすがにルーチンワークはやってないし、
持てる技巧のデモンストレーションという感じが、
これまた、無きにしもあらず。

「このオラトリオを形成する、
二つの部分は、構造上類似点を持ち、
各部の真ん中に癒しの四重唱が置かれ、
各部とも、終曲のコーラスに先立って、
高い技巧を要求するアリアがあり、
第1部ではソプラノのアリア、
『それは神自身』(Track8)が、
第2部では、バスのアリア、
『彼はベツレヘムに生まれ』(Track16)が、
置かれている。」

このソプラノのアリアは、
非常に美しいメロディを持つ。
一方、バスのアリアは、劇的な序奏を持っており、
雄弁な管弦楽に相応しく英雄的である。
装飾音型も多用しながら、
クライマックスを形成している。

しかし、よく見ると、Track16のアリアと、
Track18の終曲の間には、
ジャンプ台のようにレチタティーボがある。

また、以下のように、終曲の合唱は、
バーンと強烈に炸裂するようなものでもない。

「第1部を締めくくる、天使のコーラス
『彼はあなたのために生まれ』(Track9)は、
時に優しい三度和音を含むシチリアーノで、
対位法的な構成を持つ。
第2部を締めくくるコーラス、
『いと高きにいます神に栄光あれ』(Track18)では、
聖書の詩句により、
強いダイナミックのコントラストだけでなく、
最後の精巧なフーガによって、
聴く者を魅惑する。」

「聖書の詩句を利用した」とあるように、
全体的に、宗教的な賛美に満ちあふれ、
クリスマスにちなむドラマが描かれると思うと、
肩すかしを食らわされる。
その点では、コジェルフのモーゼと同様である。

ただし、各曲とも、非常に工夫を凝らした設計で、
こんな曲が、ハイドン後期のオラトリオに
先立って作曲されていたとは驚きである。

以下に、テキストの内容を紹介しつつ、
聴き進めて行きたい。

第一部。
Track1:序曲とレチタティーボ、
ソプラノ:
「おお、太陽よ来たれ、遅れないで!
そなたの道を急がれよ、
そなたの光で幼子を照らすため。
上れ、太陽。上るのです。
この子、万民の喜び、
この放射で照らせ、太陽よ、
その力を見せて下さい。
明るく、夜を明るく。」
テノール:
「遅い、先駆けの光が、
夜を昼に変える。
天使の合唱によって、光が来る。
ああ夜よ、そなたは昼に譲るのだ。」

序曲は荘厳な序奏を持ち、
主部のアレグロはティンパニのパンチを繰り出しながら、
クリスマスの出来事への期待を高めていく。
木管のアンサンブルの色彩も美しく、
ホルンも高らかに、聴衆の気持ちを、
否応なく盛り上げて行く手腕は、
ハイドン、モーツァルトを超えて、
ベートーヴェンをも思わせる。

まさしくシューベルトの初期交響曲につながるものだ。

レチタティーボが始まっても、
雄弁な管弦楽は響き続け、
ついに日の出のシーンでは、ティンパニの連打に、
金管が鳴り渡る。
その後のテノールの登場は、
まるで、「第九交響曲」の歌い出しみたいである。

Track2:アリア、
テノール:
「見よ、羊飼いたち、救い主を。
神の御子。
まぐさ桶の祭壇の回りに並べられた、
捧げ物と贈り物を持って来た、
何よりもあなた方を愛される。
ああ、もっと近くに。
予言者の一団が千年も前に見たものが、
この御子なのです。
永遠の契約の創生者。
いまや御子を讃える時。」

この部分は、唯の威勢のよいアリアという感じで、
宗教的な雰囲気はない。
クリスマスという感じでは、全くない。
解説では、ソナタ形式のプランと書かれていたが、
言われてみれば、という感じのみ。

Track3:レチタティーボ、
アルト:
「彼らは目に涙を湛えて近づいた。
いや、まだその幸福を信じられなかった。
もたつく足取りで。
あなたの足下に行かせて下さい。
新しく生まれた天の子。
燃える口づけを。
霜と風からあなたを守る、
あなたのお襁褓、ベッド。
今、それらは、
御子の貧しさを和らげる贈り物に伸びて。
贈り物と一緒にその心も捧げました。」

何だか、生命の脈動を感じさせるような、
低音のリズムの中、オルガンの音が静かに響き、
聖なる気配が感じられる。
解説では、Track4の方を、
心臓の鼓動になぞらえていたが、
私には、こちらの方に、それが感じられる。
音楽もようやく、明かりが灯って来たような感じである。

Track4:アリア、
アルト:
「御子は手を広げ、
喜びを持って、贈り物に向かって微笑んだ。
何と温かく、その心臓は鼓動したか。
二つの瞳はルビーのように輝いた。
幸福の天使がいて、真ん中には神がおわし、
崇拝を持って羊飼いたちは見守った。
何という祝典の光景、何という無上の幸福。」

喜びに高鳴る心を感じさせる朗らかなアリア。
フルートの活発なソロを含み、
いかにもシューベルトも使いそうな、
推進力のあるメロディが歌われる。
最後はコロラトゥーラ的な装飾が現れる。

Track5:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「彼らの目からも、喜びが輝き、
深い愛情が燃えさかる。
心からはため息が出て、
頬を涙の洪水が流れ出る。」

めちゃくちゃ大げさな表現であるが、
静かで荘厳な曲調の間奏曲となっている。

四重唱というから華麗なものかと思ったが、
クラリネットのなだらかなメロディライン、
トロンボーンの和声が、瞑想的な感じが強い。

Track6:合唱、
「遅れるな、それをお持ちしよう、
すぐに神様の前に。
神聖な心の主。
涙を集め、神様を悲しませないように、
それを捧げよう。」

これまた短い簡潔なもの。


Track7:レチタティーボ、
ソプラノ:
「主は彼らを思い、彼らに報いてきた。
永遠なる主、今日は、
そのお姿を見せて下さった。」

ゆらゆらと蜃気楼のように立ち上る弦楽に、
幻想的な木管が重なって、
霊妙な感じがするひととき。

Track8:アリア、
ソプラノ:
「それはあの方、受肉した神様のお姿。
暗い静寂から、今、お生まれになった。
マリアのお子で、神のお子。
受肉した神さま自身のお姿。
神様に愛された羊飼いたち、
天国のようなゆりかご。
神の王座の前に立っています。」

このアリアなどは、いかにも、
シューベルトが劇音楽で書きそうな晴朗なメロディで、
それでいて、シューベルトが遠慮して書かなかったような、
華麗さに満ちている。
前述のように、木管を重視したハーモニーが、
シューベルト的な色彩を感じさせるのかもしれない。

Track9:天使の合唱、
「神様があなたがたのためにお生まれになった。
契約の創設者。
ああ、楽しい集い、
ああ、祝福された時、
喉の奥底からの声、
ハープの音色、
天の歌手達の、
何という愛らしい合唱。」

シチリアーノで、対位法的、
ということだが、天使の楽しい合唱なので、
清澄ではあっても、威圧的ではない。

ここで、前半は終わるようだが、
爆発でカタルシス、というものではない。

どうやら、羊飼いたちが、
集まって来た様子を描いて前半終了、
ということであろうか。

第二部。
Track10:レチタティーボ、
ソプラノ:
「選ばれし、いと高きマリア様、
エマニュエルの母として選ばれ、
純潔な魂に満ち、
天使のように純粋で、
驚きの目が彼女に向けられる。」

第二部に入ったので、また、視点を変えた展開が始まる。
しかし、特に序奏もなく、
内容の基調は賛美しているだけなので、
あまり、二つの部分に分かれている必然は感じない。

しかし、最終的に羊飼いたちは離れて行くので、
後半は、集まって来た者たちが、
その奇跡を持って離れて行くことを描いたもの、
と解釈することが出来るだろう。

Track11:アリア、
ソプラノ:
「今、彼らの目は御子を見て楽しみ、
神聖に放射する力が、
エッサイの根から現れた、
全てのもので最も美しい花。
今、その聖母を見あげて、
その胎内を賛美する。
そこから、最も美しい花、
聖なる御子が生まれた。」

何だか、単調で月並みな賛美だが、
5分にもわたって、ソプラノが、
ピッチカートのリズミカルな伴奏に乗って、
弾むような歌を歌い続ける。

ちなみにエッサイというのは、
ダヴィデの父のことである。

じゃんじゃんじゃん、という感じで、
聞きようによっては、ロッシーニみたいである。
解説者は、このあたりを、驚きの描写としている。

確かに、曲の起伏を考えると、
このあたりで、リズミカルな調子を入れたくもなろう。

Track12:レチタティーボ、
アルト:
「羊飼いたちは、楽しく静かに待ち、
聖母と御子を見て、
信心深く、驚きに目を見張り、
何一つ言うことも出来ない。
しかし、最後には、
天使が静かに舞い降りたところに、
その歌を歌わずにいられない。」

アルトは、この地味で声をひそめたレチタティーボで、
羊飼いが金縛りになっているのを表現するだけで、
アリアがないのはかわいそうだ。

Track13:アリア、
テノール:
「エホバの使いよ、しばし止まれ、
我らの願いを聞き、
そして贈り物を乗せて急げ、
信心深い仲間たちから、
エホバの祭壇に向けて。」
ソプラノ:
「兄弟よ聞け、
今や、この諸手を挙げて、
燃えさかるような望みを、
幼子に伝えよ。」

管弦楽の序奏からして、音色は独特。
テノールのアリアのメロディは誠実さに満ち、
ソプラノのアリアは、短いが、内容に相応しく色彩的。
それを繋ぐ管弦楽部も、内省的である。
いずれもシューベルトの歌曲も、
誕生間近という感じであろうか。

Track14:四重唱、
ソプラノ、アルト、テノール、バス:
「ユダヤの種から生まれた幼子、
直に成人し、
我らと共にある神は、あなたの名。
険しき道ゆく英雄よ。
おお、幸福の涙が、
幾千もの挨拶となる。
神の慈悲の滴り。
我らの幸福な口づけを。
それは喜びの涙、
痛みの苦しみではない。
民よ、その罪を離れ、罪を増やすなかれ。
ヘルモンの谷の小川で、
みずみずしい緑の中に漂うあぶくのように、
暑い太陽から離れておれ。
おお御子よ、あなたの命が息づいている。」

かなり変則的な四重唱で、
独唱部分が大部分で、最後のみ全員で締めくくる。
オーケストラの扱いについては、すでに述べたように、
非常に素晴らしい。

Track15:レチタティーボ、
バス:
「進め、幸福で信心深い仲間達よ、
その群れと共に。
天の御子は、
優しい笑みと恵み深い敬意を持って、
あなた方の贈り物を受け、
あなた方の歌声を静かに受け取った。
あなた方の目が世界の光を見たことに幸いあれ。
最高の奇跡が、今、イスラエルに起こったと宣言しよう。
まず父に伝えよ、そして、それは全世界に知られよう。」

この部分、歌詞だけを見ると、
この曲の核心の部分に思えるが、
それほど個性的ではない。

伴奏はオルガンであろうか。

Track16:アリア、
バス:
「皆の待ち望んだ、ダヴィデの子孫、
御子はベツレヘムにお生まれになり、
平和の王子、選ばれた王、
いつかその王座に座られる。
エルサレムよ、心を高く持て、
見上げ、その光に気づくべし。
ベツレヘムから照らす光に、
もはや、間違いはない。」

バーンと強烈なオーケストラで始まり、
その伴奏は素晴らしく雄弁だが、
歌手にも十分配慮して、
それを伴奏がかき消すことなく、
独特の音色で、装飾していく手腕はさすがと言える。

この大曲の後半のクライマックスを導くに相応しい、
雄大な曲想だが、詩の内容を見ると、
Track15の詩と比べて見劣りするのが残念だ。

Track17:レチタティーボ、
テノール:
「天使もうらやむような、
素晴らしい幸福にあった民は、
賛美の歌を歌いながら、
まぐさ桶から離れた。
大天使とも思えないか弱い人間の形で、
御子エマニュエルは、そこに寝ていた。
彼らは長い間、御子を見下ろし、
彼らは長い間、神の偉大を驚きを持って見ていたが、
もう一度、竪琴を合わせて、
高く歌を歌い上げた。」

この曲は、先の曲から一転して、
非常に瞑想的、思索的であるが、
伴奏の木管がまた、効果的である。

奇跡からの別れの音楽で、
名残惜しい感じがよく出ている。

Track18:合唱、
「いと高きにある神の栄光、
良き人には平安を、
彼の名を唱えよ、遠く、広く、永遠に。
不敬は落胆し、
有徳な者には、功徳の花輪が現れる。
いつの日か、御子は雲の中で輝き、
その力を使われるだろう。」

最終的に、さすが宮廷作曲家の仕事、
有徳な者、不敬なものを対比させたりして、
妙に説教臭い。

歌詞を見ていると、きれい事、
説教者の一方的な命令口調に、
だんだん、心気くさくなって来たが、
合唱は晴朗で、音楽には力がある。

クリスマスだからと言って、
こんな与太話に至る過程を、
くどくどと、70分もかけて聞かされるのでは、
気が滅入ってしまうところを、
かなり楽しんで聴くことが出来た。

そもそも、神の子であるという証拠など、
何も、どこにもないではないか、
とつっこみを入れたくなるのも事実。

しかし、音楽は、序曲を始め、
充実したものであることは分かった。
しかし、こんなある意味空疎な内容に、
これだけ注力できる手腕も、また、ものすごいものを感じる。

シューベルトなら、「真実味がないものは書けない」と、
途中で投げ出すと見た。

得られた事:「『不敬は落胆し、有徳な者には、功徳の花輪が現れる』という歌詞が現れるが、才覚も如才もある苦労人、アイブラーが、シューベルトを部下に採用することは永遠になさそうだ。」
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by franz310 | 2009-12-26 22:18 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その205

b0083728_12261065.jpg個人的経験:
前回、アリャビエフの
ピアノ三重奏曲を聴いて、
シューベルトより10歳年長で、
いわば辺境の作曲家が、
古典の枠組を越えた作風を
示していた事実に、
いくぶんの驚きを感じたが、
名門ベートーヴェン四重奏団で、
この作曲家の作品は、
他にも弦楽四重奏曲が聴ける。


この四重奏団、ショスタコーヴィチの演奏で有名で、
昭和51年の最新レコード名鑑でも、
ショスタコーヴィチの最後の弦楽四重奏曲を聴くには、
この団体の演奏しかないことが記されている。

大木正興氏の解説によると、
「この四重奏団は一九六〇年代の半ばに
楽員の交代をやむなくされ、
一部が若く、一部が前時代的なスタイルの
老人ということになって
様式的にまとまりにくくなったようだ」
などと厳しい指摘がされている。

今回のアリャビエフについて言えば、
戦後すぐのモノラル録音なので、
創設期の老人メンバーの若い頃で占められており、
そうした問題はないだろう。

とはいえ、1948年という、
恐ろしい時代のレコーディングに、
ふと、思いを馳せてしまった。

これらの作品も、一聴して聴き応えがあるが、
この恐るべきスターリンの時代に発掘された作品に、
本当に信憑性があるのだろうか、
などという疑念がわくではないか。

これは、勝手にそう思っただけで、
このテーマ追求が今回の目的ではない。

何と、1825年の作品とされる、
ト長調の四重奏曲の第3楽章は、
何と、「ナイチンゲールを元にしたアダージョ」となっていて、
ガリ=クルチや、シュトライヒの歌で知られる、
ロシアの名歌曲のメロディーがあからさまに歌われる。

これはびっくり、あまりにも出来すぎな話であるが、
アリャビエフの作品という保証書付き、
という感じで、問答無用である。

ここで少し脱線すると、
この「夜鶯(ナイチンゲール)」は、
名ソプラノ、リタ・シュトライヒの回想では、
彼女の人生において、
かなり重要な1曲として、
紹介されているのを読んだので書き留めておきたい。

この20世紀前半に世界中から愛された歌姫は、
声がきれいだと言うことで、
女学校時代から、クラスメートには有名で、
たびたび、この曲を歌わされた、
と回想しているのである。

雨の日、昼休み、校庭で遊べない時には、
クラスメートに歌をせがまれて、
昼食を食べ逃した、などという少女時代の話のあと、
シュトライヒはこう結んでいる。

「後になって大ホールで歌うようになってからも
聴衆はこの歌をいつも希望しましたが、
このリクエストは女学校時代からなされていたわけです。」

さて、こんな佳曲を書いた、
アリャビエフの話に戻るが、
先の四重奏曲が書かれた、
1825年といえば、シューベルトが、
やはり、自作の歌曲を主題にした、
「死と乙女」を書いた翌年であり、
アリャビエフの四重奏曲と同じト長調の作品は、
シューベルトにおいては翌年に現れるという時点に相当する。

この時代にロシアに、
こうした作品が生まれていたのであろうか。
という疑念が改めて浮かんでくる。

とはいえ、それより20年前に書かれた、
ベートーヴェンの「ラズモフスキー四重奏曲」は、
ロシアの俗謡に寄っているし、
それを遡ることまたも25年前のハイドンの四重奏曲は、
ロシアの大公夫妻を喜ばせようと作られたゆえに、
「ロシア四重奏曲」(作品33)と呼ばれている。

我々は、グリンカを持ってロシア音楽の創始者と考えたがるが、
アリャビエフとなると、それより一世代古い世代となる。

b0083728_1227087.jpg今回のCDには、
この「ト長調」第3番の前に、
1815年の作とされる、
第1番「変ホ短調」というのも入っている。
Bohemeというレーベルの、
ロシア・クラシカル・コレクション
というシリーズのもので、
ここでのアリャビエフの肖像は、
「ちょび髭の夢見がちなおっさん」、
という風情で「先駆者」の感じはない。


この線画を描いたのは誰か分からないが、
Design Vladimir Pasichnikとある。

Text Konstantin Zenkin、Mikhail Tsyganov
とあるのは、解説者であろうか。
ロシア語いっぱいのCDではあるが、
幸いな事に、比較的丁寧な英文解説もある。
そこには、こんな事が書いてある。

「19世紀初頭の高名なロシアの作曲家、
アレクサンダー・アレクサンドロヴィッチ・アリャビエフ
(1787-1851)の名は、
ロマン派時代の素晴らしい、
ロシア都会派ロマンスの好例である、
ロマンス『ナイチンゲール』によって、
多くの音楽愛好家に知られている。」

何だか変な文である。
「良く知られている人は、
これで知られている」というロジックは、
メビウスの輪みたいである。

「アリャビエフによる、
ロマンスや歌曲、ピアノ舞曲の小品は、
生前から出版され、よく知られていた。
アリャビエフは、シェイクスピアのロマンティックな劇、
『嵐』に基づくものを初め、6曲のオペラ、
バレエや劇場上演用の音楽20曲以上、
序曲、交響曲、四重奏や三重奏など室内楽作品、
合唱とピアノのための作品、
160曲以上のロマンスを作曲した。
これらの豊富な遺産の運命はドラマティックで、
450曲以上あるとされる作品の大部分は、
手稿のままであり、それらの多くは未完成であったり、
失われていたりする。」

これはドラマティックというより、トラジックではなかろうか。

「器楽曲はよく知られておらず、
演奏されることも、出版されることも稀であった。
アリャビエフの不当にも忘れ去られた作品が、
よく知られたロマンス同様、演奏家や聴衆に、
知られる日が来ることを祈るばかりである。」

とはいえ、ロマンスとて、
「ナイチンゲール」くらいしか、
知られていないのが実情ではないか。
まずは、このロマンスから、
知られるようにすべきではないか。

「アレクサンドル・アリャビエフは、
シベリアのトボリスクに生まれ、
1812年、ナポレオン軍ロシア侵攻の折には、
軍隊と共に、パリまで入城している。
1825年、アリャビエフは、偽りの殺人罪に問われ、
逮捕され、長期間の流罪となった。」

おかしい。
前回のCDでは、アリャビエフは、
シューベルトの死の年に流罪になったとあったはずだが。
あるいは25年から28年まで、
裁判か何かで、ごたごたしていたのだろうか。

また、「ナイチンゲール」のような民謡風のものは、
流罪になってから、コーカサス地方に、
転地療法した際の作かと思っていた。

とにかく、ここに収められた2曲は、
このナポレオン戦争から、シベリア流罪の間に、
書かれているようだ、という事は分かる。
では、「ナイチンゲール」は、シューベルトの歌曲と、
同時代の作品だったということになる。

以下、読むと、1828年に追放になったのは、
事実のようだ。

「1828年、作曲家は故郷のトボリスクに追放となり、
1831年にコーカサスに、後にオレンブルクに飛ばされた。
皇帝ニコライ一世によって、
警察の監視下で、モスクワに住む事が許されたのは、
やっと1843年になってからであったが、
それでも公衆の前に姿を現わすことは許されなかった。
コーカサス、ウラル、シベリアの
民衆の音楽に対する彼の知識は、
その音楽の多くに見て取ることが出来、
それは特にプーシキンの詩による、
メロドラマ『コーカサスの囚人』や、
オペラ『Ammalat-Bek』に見てとれる。」

今回、ここに取り上げられた作品は、
まだ、罪人扱いされる前のものということで、
こうしたコーカサスの民衆の音楽は、
まだ影響していないのだろうか。

「一般的に、アリャビエフの音楽のスタイルは、
古典期からロマン派の遷移期の特徴を持っている。
彼の四重奏曲第1番、第3番は、
それぞれ、1815年、1825年に書かれた。
これらは彼の初期のもので、
古典派の原理に従っている。
典型的な4楽章構成であり。
生き生きとしたソナタのアレグロ、
緩徐楽章、メヌエット、きびきびとした終曲からなる。
第3番は、例外的に緩徐楽章の前にメヌエットがある。

アリャビエフの古典主義は、
ベートーヴェンとロッシーニの時代を想起させ、
特に、メヌエットが性急で、エネルギーに満ちている。
さらに特徴的なのは、以下の点である。
第1カルテットの終楽章が、
ゆっくりとした、悲しげな序奏を有する点で、
これは、終曲や、曲全体の楽しげな風情と、
大きなコントラストをなしている。
また、第3カルテットの第3楽章の、
ナイチンゲールの主題による変奏曲も、
悲しみにくれた叙情的な表現も同様である。
作曲家はこの楽章を、
ロシア歌曲『ナイチンゲール』によるアダージョ、
と呼んでいるが、
これはアリャビエフの時代には、
民謡のみならず、民謡の精神で書かれたロマンスも、
同様にロシア歌曲と呼んでいたからである。
アリャビエフの作品は、ロシアにおける、
この分野の最初の作品で、
その熟達した集中力によって、
ベートーヴェンやシューベルトの
四重奏曲に近づいている。
アリャビエフの四重奏曲に、
我々は、その才能と共に、
ロシアの作曲家によって独自に解釈された、
西欧の古典の伝統を聴くことができる。」

第1番の第1楽章は、ハイドン風の簡素なリズミックなテーマで、
6分ほどのアレグロ・コン・スピリート。

主題労作に入りますよ、という感じが見え見えの開始部である。
いや、シューベルト少年期の作品もこんな感じだったような気がする。
1815年は、まさに少年シューベルトの創作力が爆発した年であるが、
アリャビエフは10歳年長なので、28歳の青年であった。

これまでのCD解説でも、
この人がどのような音楽教育を受けていたかは、
全く書かれていないが、才能ある人であったはずなので、
この時期に書くとすれば、こんな音楽になるものと思われる。

第2楽章のアダージョは、
ベートーヴェンの作品のように深い瞑想を感じさせるアダージョ。
1815年という年には、ベートーヴェンも、
まだ、後期の作風には到達していないが、
(というかスランプ期である)
それを示唆するような世界が模索されていることは大変興味深い。
時折、ヴァイオリンによる名技的な装飾が入るのが面白い。
1948年の録音時点、
演奏しているベートーヴェン四重奏団は、
ショスタコーヴィチから、ベートーヴェンの精神で書かれた、
作品を献呈され初めており、
こうした内省的な表現には、異常な集中を見せている。
7分かけて、じっくり歌われる。

第3楽章は、ロッシーニの影響などと、
解説には書かれていたが、
明るく飛び跳ねる気持ちのよいメヌエット(アレグロ)で、
これまた、若い頃のシューベルトという感じ。
ハイドンなどを手本にして、当時の感覚を入れ込むと、
こうした音楽になるのだろうか。

トリオは、オンスロウとか、フンメルを思い出す、
半音階で浮遊するような憧れの調べ。
これも美しい。
この楽章は5分に満たないが、充実した内容である。

アリャビエフはパリにいたようなので、
オンスロウあたりの音楽は知っていたかもしれない。

終楽章は解説にもあったように、
沈鬱な序奏が置かれ、7分15秒と最長の音楽となっている。
主部は軽妙に第1ヴァイオリン主導型で推進していく、
力強い音楽だが、内声部も充実していて迫力がある。

アリャビエフ初期の作品というが、
家庭内で閉じられていた、
シューベルトの初期作品と、
同等以上の工夫と魅力がある。
(同じ年、1815年の四重奏では、
シューベルトには「ト短調」という素晴らしい作品があって、
この曲に対しては、私は優位を譲るわけにはいかないが。)

あながち、解説者が言っていることは嘘ではない。
演奏会の前半を盛り上げること受け合いである。
おそらく、うるさいサロンで鍛えられた手腕であろう。

このCDの録音、60年も前のものながら、
いくぶん潤いに不足するが、ノイズもなく、
この初めての作品鑑賞にはまったく支障はない。

また、前時代的様式の老人集団の演奏かというと、
そんな感じはまったく感じなかった。

弦楽四重奏曲第3番は、10年後の作品で、
第1楽章のアレグロから、
楽器の扱いは自由度が増して、
全楽器が大きな表情で歌い合い、
交響的とも言える表現になっていて、素晴らしい。
これなども、私が思い浮かべるのはオンスロウの音楽である。
特にロシア的ということはないが、魅力的である。

第2楽章は、ぐるぐる旋回する、
幾分強引なメヌエットであるが、
ピッチカートなども彩りを添え、
まことにきらびやかな表現が満載となっている。
音がぎっしり密集して、
これなども交響曲的と言えるかもしれない。
アリャビエフには交響曲があるというが、
きっと面白いものに違いない。

第3楽章は例の美しい歌が切々と歌われるアダージョである。
転調が行われ、おっ、雰囲気が変わったな、
と思わせるが、やはり歌われているのは、
「ナイチンゲール」である。

とはいえ、第1番のアダージョのような、
内面の声というより、美しい幻想の一瞬といった感じ。

前回、シューベルトの「ます」も、
アリャビエフの「夜鶯」も、共に、
動物に自然界の自由さを仮託した表現、
などと書いたが、まさか、変奏曲になっている所まで、
一緒とは思わなかった。

まだ出版もされていない時期、
作曲から数年は経過しているが、
シューベルトの「ます」の五重奏曲を、
ロシアに紹介した人などはいないだろうなあ。

終楽章は、切迫感に満ちたアレグロで、
これも、短調や長調が変幻自在に駆使され、
素晴らしい高揚感を形成している。

ベートーヴェン四重奏団は、共感に満ちた、
集中力のある表現を見せている。

さて、このCDには、見開きで、
ベートーヴェン四重奏団の演奏風景が、
(セピア調白黒写真)掲載されているが、
演奏者に関する解説にもスペースを取っている。

「ベートーヴェン四重奏団は、
ディミトリ・ツィガノフ、ヴァシリー・シリンスキー、
ヴァディム・ボリソフスキー、セルゲイ・シリンスキーからなり、
1923年にモスクワ音楽院四重奏団として結成された。
1931年、そのベートーヴェンの四重奏曲の、
輝かしい連続演奏によって新しい名称を得た。
この四重奏団は、この四人の音楽家たちによって、
40年以上続き、長寿記録の一つとなっている。
この時期、600曲以上を演奏し、
そのうち200曲以上を録音している。」

ソ連の団体では、ボロディン四重奏団とか、
グリンカ四重奏団、タニェーエフ四重奏団とか、
その国の作曲家の名前の四重奏団が多いのに、
この団体だけが、何だか変な団体だと思っていたが、
このように、権威も由緒もある、
しかも、アカデミックな団体であるとは知らなかった。

「アリャビエフの四重奏曲は、
この四重奏団のクリエイティブな発見の一つである。
これらの四重奏曲は、作曲家の生前には、
サロンにて演奏されたが、その後失われていたもので、
1948年、楽譜がモスクワ音楽院の地下室で発見され、
復活初演が、この四重奏団によってなされた。」

このようにあるように、過去の研究もばっちりの団体。
あまり、ここまでやる団体というのは例を見ない。
アマデウスもスメタナもジュリアードも、
普通のレパートリーしか録音していない。
名門というものはそういったものかと思っていた。

「全メンバーは、モスクワ音楽院で教鞭をも取り、
年を経るにつれ、新しいメンバーに移り変わった。
ニコライ・ザヴァニコフが、
ヴァシリー・シリンスキーに代わり、
フェードル・ドルジーニンが、
ヴァディム・ボリソフスキーに代わり、
ユージン・アルトマン、オレグ・クリサが、
後年、メンバーに加わっている。」

ちなみに、ショスタコーヴィチは、
このヴァシリー・シリンスキー(第2ヴァイオリン)の、
追悼のために、弦楽四重奏曲第11番を書いたとされ、
この四重奏団の崩壊に従って後期の作品を書き進めた。

12番はツィガーノフに捧げられ(これは追悼でも退任でもない)、
第13番はヴィオラのポリソフスキー退任の音楽で、
14番はチェロのシリンスキーのための音楽。

最後の15番に至っては、
ベートーヴェン四重奏団が初演するはずだったのに、
今度はチェロのシリンスキーが急逝し、
初演の四重奏団が変更になっている。

大木正興氏が、メンバーがアンバランスだと書いたが、
そんな問題を越えて、この四重奏団が、
ショスタコーヴィチの音楽と、
密接に繋がっていたことに思いを馳せるべきなのであろう。

「この四重奏団のレパートリーは、
モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、
シューベルト、シューマン、ブラームス、
チャイコフスキー、タニェーエフ、
グラズノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、
ストラヴィンスキー、ヒンデミットであり、
この四重奏団に、ショスタコーヴィチ、
ミヤコフスキー、シェバーリン、ヴァインベルクが、
作品を捧げている。
このアンサンブルはショスタコーヴィチの
全四重奏曲を初演している。」

この全四重奏という表現は、十五番の例からしても、
ちょっと、言い過ぎであろう。

「また、ギレリス、リヒテル、ユーディナ、ロストロポーヴィチ、
オイストラフ、コゾロフスキーのような、
有名な音楽家が、ベートーヴェン四重奏団と共演している。」

このようにあるように、この四重奏団は、
マリア・ユーディナと共演し、
シューベルトの「ます」を録音してくれている。

ショスタコーヴィチさえ、
畏敬の念を持って接していたと思われる、
この巫女のようなソ連の女流は、
バッハの演奏で知られ、
モーツァルトではスターリンに賞賛され、
素晴らしいシューベルトのソナタも残しているので、
これは聴きモノであると思った。

録音年は分からないし、コントラバスも誰か分からない。
書いてなさそうである。
これまたロシア語満載で、レーベル名も読めない。
解説もさっぱりわからない6枚組に収録。

しかし、この「ます」の演奏は、
何とそっけない演奏なのであろうか。
序奏からして、ピアノは、ばーんちゃらららと弾き飛ばし、
ベートーヴェン四重奏団も、その迫力に押されたのか、
何だか、急にテンションを上げて、
すごいスピードで弾き進めて行く。

とにかく、ものすごいスピードであることは確か。
弦は、時折、じっくりと歌おうとするのだが、
ピアノが入って来るタイミングがせかせかしているので、
全員が興に乗っているわけではなく、
四重奏団が煽られているものと思われる。

しかし、ユーディナに何が起こったのであろうか。
この幻視者は、何かをそこに見いだしたのであろうか。
指がもつれる程に、夜叉のように猛進している。

咳が聞こえるので、ライブ収録であろうが、
単に、早くコンサートを終えて、
帰りたかっただけのような感じが強い。

しかし、四重奏団の方はベストを尽くして、
燃焼しようとしているようである。

第2楽章は、内省的な音楽なので、
ユーディナに向いていると思われるが、
弱音重視で、よく聞こえない印象。
ただし、弾き飛ばし感はない。
音が歪むのが残念だが、
弦楽は各奏者の美しい歌が味わえる。

第3楽章は、ツィガーノフも一緒になって、
ものすごいテンションになって、
まるでスポーツか何かのように、
ピアノと火花を散らしている。
もう、彼らの頭には、シューベルトの事など、
すっかり無くなっているようである。

さて、アリャビエフ同様、有名な歌曲が主題になった、
第4楽章。
ここで、ようやく、自分たちが、
シューベルトを演奏していた事を思い出したようである。
弦楽だけの主題呈示は、粋な節回しも聴かせて、
大木正興氏が書いていたような古風な表現が聴かれる。
しかし、ピアノが入って来ると、
緊張感が漲り、各変奏の間も、ゆっくり取らせて貰えない感じ。
変奏曲の個々は、しっかりシューベルトを歌っているが。

ユーディナは、指が絡みながら、
凶暴な表現に傾斜しがちである。
ピアノのハンマーが叩きつけられ、
いったい、何を怒っているのだろうか。
この曲を根本から呪っているのだろうか。
あるいは、この四重奏団が嫌いなのだろうか。
または、何かが降臨して、彼女を駆り立てたのだろうか。

終楽章もめちゃくちゃがさつである。
ここでは、弦楽四重奏も共犯で、
クレイジーな状態に陥っている。
あるいは、背後に暗殺者の影があって、
何か脅迫されてでもいるのだろうか。
まるで戯画のようながちゃがちゃ状態で、
完全にリズムが硬直している。
ここまで潤いのない演奏は初めて聴いた。

ある意味、恐ろしく貴重な体験であった。

ライブらしいが、拍手がないのが残念。
聴衆はどんな反応をしたのだろう。


得られた事:「ベートーヴェン四重奏団の演奏、アリャビエフに優しく、シューベルトに厳しい。」
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by franz310 | 2009-12-20 12:27 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その204

b0083728_2218758.jpg個人的経験:
リタ・シュトライヒの歌う、
アリャビエフ作曲の
「夜鶯」を聴きながら、
彼女がシベリア出身であったこと、
アリャビエフが、同様に、
シベリアの人であった事に、
ついつい、思いを馳せてしまった。
このロシアの作曲家は、
1787年生まれというから、
シューベルトの同時代人である。


橋口久子という人の訳によると、
この歌曲はこのような内容のものらしい。

「うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ、
おまえはどこへ飛んでいく?
夜通しどこで鳴くのかい?
うぐいすよ、わたしのうぐいす
美声の鳥よ

飛んでいけ、私のうぐいす、
どんなに遠くまでも、
青海原の上、
異国の岸辺までも。
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ

おまえが訪れるどんな国でも、
どんな村や町でも、
どこにも見つかりはしまい
私ほど不幸せな者は!
うぐいすよ、私のうぐいす
美声の鳥よ」

改めて見て見ると、かなり大人の歌である。
また、エキゾチックな小唄と思っていたが、
意識すると、かなり、ロッシーニ風でもある。

そういった意味で、シューベルトの時代を、
忍ばせる何かがあることは確か。
それを民謡調が、ほぼ、覆い隠しているが。

同様に自然界になぞらえた、
シューベルトの「ます」同様、
自然の中における自由さが、
詩の基調となっているが、
結局は男女の関係がほのめかされている点も、
こじつければ共通点とも言える。

このアリャビエフ、一説によると、
この時代にあって日本人に会った、
数少ない西洋人の一人である可能性がある。

井上靖の小説、「おろしあ国酔夢譚」に、彼の名前は出ている。
この小説家は、平成の初めに亡くなったので、
もう没後長い歳月を経ているが、
近年では、「風林火山」が、
大河ドラマに取り上げられたりもしているので、
なおも、読み継がれている人気作家と言っていいのだろう。

しかし、多くの歴史小説で知られ、
終戦後の風俗などを留めた恋愛小説などが、
絶版になっているのは残念なことだ。

時折、古書店で見つけて購入して読んでみると、
昭和の良き時代を彩った、活力と品位がある、
魅力的な人間像が眩しく、
懐かしい感情がこみ上げて来る。

良い時代が失われてしまった事が、
改めて思い出されると共に、
なおも生き続けるものに対しても、
ふと、思い至るものがあったりする。

さて、この「おろしあ国酔夢譚」であるが、
映画化もされたので、かなり人口に膾炙した作品のはずである。

1782年、つまり、シューベルトもアリャビエフも生まれる前、
伊勢を出航した帆船神昌丸が駿河沖で難破、八ヶ月の漂流のうちに、
アリューシャン列島に漂着、船長の光太夫一行は、
極東経営を検討中のロシア人によって捉えられてしまう。

光太夫は、この捕虜生活のうちに、
ロシア語の習得に励み、最後には、
シベリアを横断して、ロシアの首都にまで足を伸ばし、
エカチェリーナ二世に帰国嘆願を申し出た。

アリューシャン列島からカムチャッカ半島へ、
半島をこれまた横断、さらにオホーツク海を渡る、
というだけでも、恐ろしい道のりである。

オホーツクからは大陸を横断、
バイカル湖沿岸のイルクーツク、オビ川流域のトボリスクを経て、
モスクワ経由でペテルブルクに到る。

こうした漂流民は、断続的にあったようで、
何と、1760年代にはモスクワ街道という、
大陸横断道路が出来ると共に、
イルクーツクの街は商業で賑わい、
そうした漂流民たちに、
日本語学校まで作らせていたという。

光太夫たちは、この街に1790年に到着。
恐ろしい道すがら、仲間は次々に死んでいる。

そのような状態で、ようやく、到着した、
人が住める街がイルクーツクであった。
彼らは、そこで、今では閉校になっている
日本語学校の再開を命じられる。

国を出て8年が経っている。
実際、一行のうちには、現地での生活に快適を覚え、
その求めに応じるものも出ていた。

しかし、光太夫は、まだ帰国の方策を考え続けている。
ここで、博物学者のラックスマンと出会ったのが、
彼らに光明を与えた。
ラックスマンは日本に興味を持っており、
光太夫と一緒に日本探検がしたかったからである。

「帰国願いが都には届かないで、
途中で握りつぶされている」というのが、
ラックスマンの推測であり、
「この上はお前自ら上京して、
直接皇帝陛下に嘆願する方法しかあるまい。
陛下にお目にかかるのは容易なことではないが、
わしが万事取り計らってやる。」
これが彼の提案であった。

1791年、彼らはペテルブルクに向かって出立した。
そして、モスクワとの中間地点、
西シベリアの行政、軍事、宗教的中心とされる、
トボリスクに到着した。

ここでの描写は、まるで、今回取り上げる、
このCDの表紙のような感じである。
「この町では、朝夕牧夫が家畜の群れを追い立てて通る光景が見られた。
牧夫や家畜たちの吐く息の白いのが光太夫には珍しい見物であった。」
この「ロシアの農民」という絵画は、
Venetsianovという画家のものであるらしい。
可愛らしい少女が、両手にそれぞれ馬を引いている。
帽子はかぶっているのに、足は裸足なのが奇妙であるが、
帽子と着衣の新鮮な紅色が美しい。
これと同じ色でCDのタイトルが入っている。

さて、ここからが本題だが、この小説の第五章には、
このような出来事が印されている。

「知事はア・ウェ・アリャビエフという人物であった。
学問や芸術が好きで、この町に初めて劇場を建て、
印刷所を作ったことを何よりの自慢としていた。
毎夜知事の邸宅には、この町の数少ない知識人が招かれて、
一つのサロンを作っていた。
光太夫はラックスマンに連れられて、
この知事の家の夜の集まりに顔を出した。」

何と、18世紀ロシアのサロンに出入りする日本人!

「そこで二人の人物に注意を惹かれた。
一人は優れた作曲家として知られている知事の息子であり、
一人はこの国の有名な思想家で、
シベリアへの追放途上にあるラジシチェフという中年の貴族であった。
どちらもこれまで見たことのない型の人物であった。
作曲家の方は口を開くと人の悪口だけが飛び出した。」

このように、トボリスク知事の息子として、
わがアリャビエフが登場した、
と、小説を読んだ時には思っていたのだが、
この年が、1791年だとしたら、
実は、作曲家はまだ4歳の小僧である。

井上靖は、むしろ、ラジシチェフを書きたくて、
ついでにアリャビエフを登場させたのだろう。
「ラジシチェフは1749年にモスクワの貴族の家に生まれ、
七歳までサラトフ県にある父の領地で過ごし、
後にモスクワで学び、十五歳の時にペテルスブルクに移って、
一時その地の幼年学校に席を置いた」などと、
特に必要ない説明をしたあと、
この人が農奴制の反対者で、四つ裂きの刑を宣告され、
その後、減刑されて、シベリアのイリムスクに流される途上にあった、
という事を続けている。

この人は種痘の実践者でもあり、
ロシア革命思想の先駆者でありながら、
最後は1802年に自殺したという略伝が、
ざっくり記されている。

一方、作曲家のアリャビエフはこれ以降、登場しない。
研究熱心な井上靖のことであるから、
アリャビエフについては研究し、
おそらく、有名なガリ・クルチのレコードも聴いたことであろう。

b0083728_22183499.jpgこのガリ・クルチについては、
あらえびすが、「名曲決定盤」の中で、
このように紹介している。
「二十世紀の初頭、
コロラチュラ・ソプラノの人気は、
テトラツィーニが一人占めであったが、
ガリ-クルチがローマから
アメリカに乗り出すようになってから、
完全にその人気を奪われてしまった。」
と書いているから、
今から100年前の大家であった。


「この人の声は純粋で清澄な上、
不思議な輝きと潤いがあり、
情味と魅力においては、
旧時代のあらゆるソプラノを
圧倒したばかりでなく、
年齢のハンディキャップさえなければ、
ダル・モンテといえども歯がたたなかったはずである。」
などと激賞された人であった。

「楽器のように均勢のとれた非常に表情的な声は、
ガリ-クルチの強みで、その上、声量も相当あり、
若い頃はなかなか美しくもあったらしい。」

ただし、アリャビエフに対する言及はない。
一方、このようなガリ-クルチに、
前回のシュトライヒは比べられたことを思い出そう。

あらえびすによると、
「やはり『ソルヴェイクの唄』と『聴け雲雀の歌声を』を
採らなければなるまい。これは電気の初期のレコードだが、
あらゆるレコードのうちで一番売れるそうだ。
十年間に恐らく何万枚と売っていることだろう」とあり、
ガリ-クルチの人気については想像できるが、
これと同様の現象がシュトライヒにおいても起こったのだろう。

前回の解説にはそうあった。

私は、このガリ-クルチのLP(SPの復刻)を聞きなおし、
ポンセの「エストレリータ」などからも、
強烈なイメージを受けた。
かなり、古い人のイメージだが、
ポンセとなると、ちょっとナウである。

今回、この人の歌で、「夜鶯」を聞き直してみると、
いくぶん速いテンポで、
小技を要所に効かせるだけで、特に思い入れもなく、
さらっと歌っているような感じであった。

このような大家の歌ったレコードであるから、
井上靖の周辺にも、アリャビエフを聴かせた人もいただろう。

とはいえ、井上靖の小説を読む限り、
この美術評論家でもあった人は、
あまり音楽について、
興味を持っていなかったような気がしている。

絵の展覧会や画家は頻繁に登場人物となるが、
音楽会が出て来たり、音楽家が登場したりすることはなく、
音楽好きの青年が、「レコード音楽」を部屋で聴く程度である。

それが、ガリ-クルチだったりすれば面白かろうが、
音楽で失意の女性を慰める小説の展開からすると、
もっと新しい音楽のイメージであった。

さて、光太夫は、この後、エカチェリンブルク、
カザン、ニジノゴロドで半日休息したが、
後は昼夜兼行でモスクワに向かったとされている。

前回聴いた、シュトライヒが生まれた、
バルナウルの近くの都市、ノヴォシビルスクは、
バイカル湖近くで、ラックスマンと会ったイルクーツクと、
アリャビエフの父が知事をしていたトボリスクの間に位置するが、
井上靖は、この間の町々についてはすっ飛ばしている。

「大森林にはいると、
永遠にそこから出られないのではないかと思うほど
何日も何日も大森林の中の旅が続き、
樹木の一木もない大雪原へ出ると、
またそこの旅が何日も続いた。」

そんな描写だけであるが、日本の南北縦断くらいの距離がある。
それにしても、リタ・シュトライヒの一家も、
ものすごい所からベルリンに来たものである。

さて、井上靖が、「おろしや国酔夢譚」の中で、
これ以上は書かなかった、アリャビエフについて、
今回のCDでは知ることが出来る。

アリャビエフの「ピアノ三重奏曲 イ短調」を、
高名なボロディン・トリオが演奏してくれている(世界初録音)。
シャンドスから出ている。
その解説を見ればよい。

一聴して、第3楽章(終楽章)が、
ものすごく異国情緒を感じさせ、
彼の代表作、「夜鶯」的と言えるだろう。
アレグレットとだけあるが、
跳躍するようなフレーズが出て、
いかにも民謡の変形調である。
しかし、この楽章が一番長く

第1楽章は、7分10秒、
「乙女の祈り」に似た物憂い序奏があって、
意味深な感じがするが、
だんだん、三つの楽器が大きな表情を見せるにつれ、
いきなり、ピアノが駆け巡るパッセージが現れる。
これはもうほとんどフンメルではないか、
といった展開となる。

ピアノの高音から低音までを駆け巡り、
ハイドンやモーツァルトとは、明らかに違う精神がある。
弦楽器が大きなため息のような楽節を出したりすると、
ピアノは伴奏に徹し、何だか不思議な緩急自在な幻想曲となる。

初録音ということからか、
さすがのボロディン・トリオも、
何だか、どう向き合ってよいか分からない、
といった風情がなくもない。

第2楽章は、4分49秒で短い。
歌謡的な楽章で、アダージョである。
ピアノのさざ波に乗って、
ヴァイオリンが叙情的な歌を奏でる。
チェロも歌を歌って、古典派の伴奏風ではない。
しかし、フンメル風のような気はする。
何だか蜃気楼のような、夢想的なもので、
推進力がないので、ただ耳を澄ますような表現しかできない。

第3楽章は、その点、明快なアクセントがあって、
民族舞踊風なので、もっとじゃかじゃかやっても良いかもしれない。

さて、Marie-Claude Beauchampの書いた解説には、
この曲の解説は充実しておらず、
もっぱら、アリャビエフを取り巻く状況について述べている。
「19世紀初頭、
ロシア知識人層は、三つの重要な出来事に揺り動かされた。
まず、フランス革命であり、その民主的な関心は、
1825年のデカブリストの乱にまで達した。
第2にナポレオン戦争で、国民意識を高め、
最後に、西欧からのロマン主義運動の到来があった。
この熱狂がアリャビエフの生涯にわたって木霊している。
1787年、トボリスクに生まれ、ナポレオン戦争の前線に従軍、
ペテルスプルクに住み、デカブリストと交際した。
1828年、証拠なき殺人罪で、シベリア流刑となる。」

このように、アリャビエフは、
ロシアのロマン主義の走りのような生涯であったようだが、
シューベルトが生まれる10年前に生まれ、
シューベルトが亡くなった年に、追放刑に処されていて、
その生涯は、さながら小説のようなものだったであろう。

アリャビエフは、シベリアを下りながら、
幼い日に見た、極東の異人のことを思った、
などというオチはいかがだろうか。

先に、井上靖の小説で、ラジシチェフという思想家が出て来たが、
まさしく、それと同様の人生を、この作曲家は送っている。
しかし、アリャビエフの音楽家としての活躍は、
実際は、ここからだったということだろうか。

「彼は彼の地に1832年まで住んだが、
療養のためにコーカサスへの転地は認められ、
南方にいる間に、アリャビエフは民族音楽に目覚め、
民謡を採取し、これらは彼の作品を彩ることとなる。
アリャビエフは様々なジャンルの作品に手を染め、
管弦楽曲、合唱曲、舞台音楽、室内楽に加え、
彼は200曲の歌曲を書いた。
デカブリストのAnton Delvigの書いた詩による、
歌曲『ナイチンゲール』は、何とかレパートリーに残っている。
1950年にモスクワで出版された、
アリャビエフの『トリオ イ短調』は、
初期ロマン派期におけるロシア最高の室内楽の一つとさせる。」

これだけの解説では、作曲の時期もわからず、
その後の作曲家の生涯も伝えず、
非常に物足りないが、
「夜鶯」以外のアリャビエフが聴けるのは大変貴重である。

また、冒頭に掲げた詩が、
デカブリストの作というのは本当だろうか。
ものの本には、ロシア民謡ともある。

初期ロマン派といっても、
シューベルトのような内省的なものではなく、
ロマン主義と聴いて思い描く、精神の奥底を追求する風でもない。
やはり、ピアノの名技的な点が前に出た、
フンメル風としか言いようが思いつかない。

「おろしあ国酔夢譚」の光太夫は、
アリャビエフに会ったかもしれないが、
この曲を聴くには、まだ40年を待つ必要があっただろう。

なお、光太夫は78歳まで生きていたというから、
ちょうど、彼が亡くなる頃に、
この作品は産声を上げたのかもしれない。

光太夫は、10年の年月を異国に彷徨い、
何とか女帝の許しを得て帰国するが、
鎖国下の日本の処置は厳しかった。

ラジシチェフやアリャビエフも犯罪者として追放されたが、
光太夫もまた、そのような扱いを受けたまま、
余生を監視下に置かれたのである。

さて、このCDの前半には、名作、
チャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」が収められていて、
むしろ、アリャビエフは付録である。

解説も、こちらは3倍くらいある。
「『あなたは私に、かつて、ピアノ三重奏曲を書くように、
と言ったことを覚えていますか。そして、私が、
この編成が好きではない、と言ったことを。』
1881年12月、ローマから、
ナダージェダ・フォン・メックに宛てた手紙の一節である。
同じ手紙で、チャイコフスキーは、この裕福なパトロネスに、
ある意味、彼女を喜ばせるために、
またある意味、これらの編成の困難さを克服するために、
この編成を試みようとしている旨を書いている。
しかし、これはすべてが真実ではない。
10ヶ月も前に、ニースにいたチャイコフスキーは、
出版者のユルゲンソンから、
高名なピアニストでモスクワ音楽院の創設者であった、
ニコライ・ルビンシュタインが、パリで亡くなったという、
悲しい知らせを受け取っていた。
1854年に母親を亡くす以前から、
チャイコフスキーは死の理不尽さを知っており、
今度、それは、彼から、
気むずかしいが、忠実であった友を奪ったのである。
この痛々しい喪失に対して、ルービンシュタインの芸術への、
讃辞を込めて、このピアノ三重奏曲は書かれたのである。
『ある偉大な芸術家の思い出に』、献呈されたこのトリオは、
1882年の最初の二ヶ月に熱狂的な状態で作曲された。
それは二つの楽章からなり、
最初の楽章は、『Pezzo elegiaco』と題され、
巨大な不規則なソナタ形式で書かれていて、
次の楽章は、さらに二つの部分に分かれている。
パートAは、主題と11の変奏からなり、
パートBは、12番目の変奏曲と、
終曲、コーダを兼ねている。
チャイコフスキーをニコライ・カシューキンは回想して、
第2楽章のテーマは、1873年に、
彼がルービンシュタインと一緒に、
モスクワ近郊で過ごした際、
土地の農民が歌い踊った時の記憶によるものだという。」

ということで、この曲も、
このCDの表紙絵画に近いものがあるかもしれない。

「このトリオは、モスクワ音楽院の私的な会合で、
ルービンシュタインの一回忌、
1882年3月23日に初演された。
この時、チャイコフスキーは海外にいたが、
第2回めの演奏には立ち会って、大規模な改訂を行った。
公式な初演は、1882年10月30日、
モスクワで行われ、聴衆には好評だったが、
批評は冷たかった。
作曲家に乞われるがままに、
タニェーエフのピアノ、Jan Hrimaryのヴァイオリン、
ウィリアム・フィッツハーゲンのチェロで、
この曲は何度も演奏された。
チャイコフスキーの悲劇的な三重奏曲は、
彼の生前から人気を博し、
1893年11月には、モスクワとペテルブルクで、
作曲家の記念コンサートが催された際にも取り上げられ、
作曲家は賞賛を受けている。
チャイコフスキーの最高の成果ではないものの、
彼の作品の重要な部分を占め、
最もポピュラーなチャイコフスキーの室内楽となっている。
1942年に、Leoniede Massineが、
プーシキンの詩による『アレコ』という、
彼の交響的バレエにこの曲をオーケストレーションして使ったが、
彼によると、チャイコフスキーのこの曲は、
この詩におけるジプシーの雰囲気に完全にマッチしているという。」

というような事が書かれている。
ただし、この曲は今回のメインテーマではないので、
深追いはしない。

得られた事:「『ナイチンゲール』の作曲家アリャビエフによって、我々日本人はユーラシア大陸を横断し、シューベルトの時代を夢想できる。」
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by franz310 | 2009-12-12 22:29 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その203

b0083728_23451878.jpg個人的経験:
前回、シュトライヒによる、
リートを味わっていたが、
この歌い手は、まず、
軽めの歌でデビューしたようだ。
彼女の録音の最初期のものは、
このCDで聴くことが出来る。
この1955年録音の7曲を含む、
全17曲であるが、
時代を感じさせる強烈な写真。
「ワルツとアリア」と題されている。


しかし、この歌たちは美しい。
クライスラーの古い自作自演を聴いた時のような、
不思議な懐かしさがこみ上げて来る。
最初の8曲は1958年のステレオ録音、
後半の9曲は1955年から6年のモノラル録音と、
半世紀以上の時が流れている。

グラモフォンの歴史的名盤を集めた、
「オリジナルズ」シリーズの常として、
最初に、これらの録音の往年の批評が、
紹介されているが、当時の受け止められ方が分かって、
大変、興味深い。

「リタ・シュトライヒは、
世界に2、3人いる、
最高のコロラトゥーラ・ソプラノの一人である。
彼女は、しかも、完全に、また、魅惑的に、
甘味な小唄を歌うことのできる才能に恵まれていた。
黄金時代を回想させ、
しかも、限られた存命の歌手だけが持つ、
声楽技術と発音の完全さによって、
シュトライヒ嬢は、
彼女の最高の状態では、
ガリ=クルチの芸術を思わせる、
芸術上の基準となる。
このCDのトラック9-11、
14-17に収められた、
彼女の最初の10インチLPは、
当然のことながら、
世界で最高の売上げを示したリサイタル盤であり、
このように沢山の人々を楽しませた声楽のレコードは、
私が知る限り、他に2、3を数えるだけである。」

このトラック9-11、14-17については、
これ以上、深追いされず、この時追加された、
新録音についての批評が続く。

「この愛すべき記録の中で、
細かい点で語るべき点は多々あれど、
マイヤベーアの『影の踊り』で、
フルートを伴うカデンツァにおける、
めくるめく火花、
サン=サーンスにおける、
最高の声のコントロール、
『子守歌』における、
うっとりするような声の引き延ばし、
また、超越的な、
ドヴォルザークの『月の祈り』などなどがある。
録音は、伴奏オーケストラの音響の、
深さ、心地よさも含めて特筆すべきものである。」

これは、このCDのTrack1~8が、
LPで最初に出た時の、
「ステレオ・レコード・ガイド」の批評だという。

なお、ここではすっ飛ばされたトラックについては、
日本でも「レコード芸術」が推薦盤としていて、
「ここに集められた歌曲は肩のこらない
楽しいものばかりだが、シュトライヒの美点が
すべてに表れている」と賞賛されている。

先の批評に「芸術上のスタンダードとなりうる」
みたいな評価があったが、
面白い事に、同様の表現が、「レコ芸」でもされている。
「とくにアラビエフの『夜鶯』と
ドリーブの『カディスの娘たち』は全く欠点のない
標本的な歌い方である。」

私は「標本的」という言葉を初めて聞いたが、
こんな風に続くと、頭が混乱してくる。
「少し清楚にすぎて芝居気がなさすぎるとも思われるほどに
清潔で狂いのない歌い方をしている。」

まるで血が通っていないような印象さえ、
ここからは受けてしまうが、そんな事はない。
いずれにせよ、優柔不断な鳩山政権のような、
結論の出ない批評が、妙に日本的であって奥ゆかしい。

このような状況ゆえか、日本ポリドールの、
洋楽部長が、証言「日本洋楽レコード史」(音楽之友社)で、
このあたりの声楽のレコードが全く売れなかった事に触れ、
こんな風に回想しているのが面白い。

「シュトライヒの人気が出たのは
ステレオになってからだと思いますが、
美人で、ヨハン・シュトラウスといったレパートリーが
ひろく受け入れられたのでしょう。」

なお、シュトラウスは、ここにも2曲収められているが、
最初のものはステレオ録音、曲は、「春の声」。
日本では、このレコードで、ポリドールもシュトライヒも、
春の声を聴いたわけだ。
何となく、活気あった当時を偲ばせる逸話で、
ついつい思いを馳せてしまった。

私自身の体験で言うと、
彼女の引退後に音楽を聴き始めたせいか、
シュトライヒがそんなにメジャーだと聴いた事はなく、
近年の復刻ブームの中で、ようやく名前を認識した次第。
ソプラノと言えば、アーメリンクやマティスを連想してしまう。

この世代が出ると、シュトライヒは、
しばらく忘却の淵に沈んでいたのだろうか。

さて、CDの解説に戻ると、
1984年に、Opera Internationalという雑誌?
が載せた批評が、掲載されている。
1984年というのは、
CDが出る直前のタイミングに思えるが、
いったいいかなる機会に書かれたのだろうか。

「ありきたりの表現を避けようとしても、
リタ・シュトライヒの事を思うと、
こんな風に言わざるをえない。
『ナイチンゲールのように歌う歌手がいるとすれば、
それは彼女だ』と。
これは、歌の翼に乗って飛び交う、
クリスタルのようにクリアーで、
技巧的にも驚くべき声の持ち主のポートレートで、
彼女のレッスンを受けた者は、
絶対的な自然さで、最高の容易さで、
まったく無理のない親密さで歌うのである。」

後半は、教師としても優れていたことを示すものであろう。

さて、ここから、彼女の概略の経歴が語られる。
Peter Cosseという人が書いている。

「1987年3月20日、
ヴィーンで亡くなったソプラノ歌手、
リタ・シュトライヒは、
この世紀の偉大な歌手の中で、
最も愛された歌手の一人であった。
このコレクションでも十分に発揮される、
彼女の多才、彼女の音楽性、
世界中のオペラ・ハウス、コンサートホールで見せた、
彼女の朗らかで気取らない姿、教育者としての献身、
それにも増して、最も危険で急速な、
高音でのコロラトゥーラ楽句をこなす、
驚くべき技巧が、単なる歴史的資料を越えた魅力を、
その録音に与えている。
テクニックに優れ、精神的にも肉体的にもタフな、
しかし、ともすると薄味になりがちなリスクを負った、
オールマイティな声を持った歌手を養成するような、
声の訓練が横行する中にあって、
リタ・シュトライヒのようなキャリア、
レコード伝説があるということは有益なことである。」

このように、この解説者が、現代の歌手にない味わいが、
シュトライヒにはあったことを書いてくれているが、
まさしく、そんな事を考えていた私は嬉しかった。

「複雑なモーツァルト役への献身から、
いわゆるライト・ミュージックという
やっかいな領域においてのユーモアを交えた表現まで、
有名なヴィリ・ドムグラフ-ファスベンダーの弟子が、
選んだ歌の基本をよく学び、
声楽と表現の細部まで核心を掴んで、
賞賛に値する成功を収めたかを、
容易に味わうことができる。
これらを、1950年代中期に、
ベルリンのイエス・キリスト教会で、
クルト・ゲーベル指揮のベルリン放送交響楽団、
RIAS交響楽団と録音した、歌劇、オペレッタ、
または、民謡からの歌によって聴くことが出来る。」
一文が長くて、読みにくい文章だが、
欧米人は平気なのだろうか。

「ヴィーンのシュトラウス帝国の、
メロディーの宝から声楽で装飾したものや、
ワルツ・ソングから始まって、
魅惑的な声楽の、感情を揺さぶる、
涙が結晶した、郷愁の、
芸術的なコロラトゥーラの輝きの歓びの、
広大な世界へと続く。」
言わんとすることは分かるが、
無理矢理感のある文章である。

「リタ・シュトライヒは、1920年、
ノヴォシビルスク近郊のバーナウルに、
ゴダール、マイヤベーア、アルディーティ、
または、ヨハン・シュトラウスの音楽と、
切り離せない世界で生まれた。
幸運なことに、ミューズのおかげで、
見えざる手に導かれ、
この勤勉な熱心な芸術家は、
容易に多くの問題を克服した。
ベルリンでドムグラフ-ファスベンダーのクラスに入り、
エレナ・ベルガーやマリア・イヴォーギュンの生徒として、
中欧音楽における様々な様式を洞察し、
センスと柔軟性を持った歌手として成長した。
このコレクションにあるような、
対称的な小品を歌う時、
彼女の語学の羨むべき才能も大きな助けとなった。
彼女の場合、ある言語や方言から、
別のものに切換えることは、見るからに容易であり、
まさに多言語に通じた歌の翼に乗った世界の住人であった。」

ちなみに、「世界の民謡と子守歌」というアルバムでは、
シュトライヒは日本語で「さくら」を歌っている。
これは、1962年の録音。
1959年に来日したようなので、その影響もあったのだろうか。
この時期、売れ始めたとあるので、
サービスもあるだろう。

この後、成功の軌跡が書かれているが、
それは前回読んだので省略。
「ここでは娯楽が偉大な芸術のレベルにまで、
引き上げられている」という一文で、
この解説は終わっている。
各曲の解説はない。

このシリーズ、海外盤ではこれ以上の事は分からない。
従って、アリャビエフやフロトー、ゴダールなら何とかなっても、
アルディーティ(1822-1903)やら、
デラックァ(1860-1930)などになるとお手上げとなる。

まず、58年のステレオ録音から8曲。
Track1:ヨハン・シュトラウス「春の声」。
中学生の頃はよく聴いた曲であるが、
この年になると、これをステレオで響かせるのは、
ちょっと恥ずかしい。

しかし、シュトライヒの無理なく舞い上がる、
嫌味のない歌を主体に聴くと、
日本がまだ元気だった活気ある時代を、
ただ、懐かしく思い描いてしまった。

Track2:サン=サーンス「うぐいすとばら」。
ハープの美しい序奏から、
弱音の弦楽が神秘的な雰囲気を漲らせ、
その中から、ウグイスの声のような、
高音のパッセージが散りばめられる。
遠くから美しくクラリネットがからんで来て、
何だか分からないうちに終わってしまう。

Track3:ヴェルディ「小さな煙突掃除婦」。
楽しい3分弱の小唄で、
時折、コロラトゥーラのパッセージがちりばめられる。
木管の伴奏も軽妙である。
弦楽のじゃじゃじゃがヴェルディらしい。

Track4:ゴダール「ジョスランの子守歌」。
木管の怪しい絡み合いが幻想的で、
その中から、懐かしいメロディーが歌い出されると、
思わず、古き良き時代、などという言葉が口から出てしまう。
マコーマックがクライスラーと入れていたような曲。

Track5:アルディーティ「パルラ・ワルツ」。
イタリアの歌劇指揮者アルディーティは、
後で出て来る「くちづけ」が有名であるが、
この曲もメリーゴーランドのような楽しさで、
洒落ていて、幸福感に包まれる、
ゴージャスなオーケストラ伴奏もよい。

Track6:スッペ「ボッカッチョ」より「恋はやさし」。
これは、古くから日本でも知られたもので、
昔を回想する場合に、引合いに出されるもの。
シュヴァルツコップが歌っているCDがある。
「あなたに愛して貰えるのなら
あなたの誠はいりません。
愛は誠の花を咲かせるつぼみなのです。」

このように、教会で出会った男との、
結婚を予感した女性の歌だという。

5才年上のシュヴァルツコップが、
たぶん同じ頃に歌った録音を聴くと、
非常に格調高く、とり澄ました感じがするのに対し、
シュトライヒの歌は、何となく舌足らずで子供っぽく、
もっと素朴な愛情に満ちている。
とはいえ、シュトライヒの伴奏はハープが多用されながら、
肝心の教会の鐘の音は省略されているのはどうしたことか。

Track7:ドヴォルザーク「ルサルカ」より「月に寄せる歌」。
このライト・ミュージック路線で、
ドヴォルザークが登場するのは意外であるが、
この曲の神秘的な夜の雰囲気は、
大劇場というよりも、こんな、
もっと親密な環境で聴きたいとも思う。
シュトライヒの声がまた、憂いを秘めて大変愛おしい。

Track8:マイヤベーア「ディノーラ」より「影の歌」。
またまた、楽しい音楽となる。
軽妙で、マイヤベーアというと思い出される、
ものものしい先入観は不要である。
約8分の大作で、このCDでは一番長い。
マリア・カラスが歌う種類のもの。

以上がステレオ録音である。

以下はモノラル、「ワルツと民謡を歌う」と
題された1955年録音のアルバムから4曲。

Track9:ヨゼフ・シュトラウス「オーストリアの村つばめ」。
やはり、ステレオ期の録音に比べると、
鮮度に差異があるが、シュトライヒの声はよく伸び、
伴奏も美しくこの声を彩っている。

あるいは、この曲の歌唱がレコード・デビューだったのか、
何だか、彼女の胸の震えのようなもの、
この音楽の持つ躍動感がマッチして、
声のヴィブラート一つとっても、
妙に清新な印象を受けた。

Track10:アリャビエフ「ナイチンゲール」。
この歌手は、ガリ・クルチと比較されていたが、
ロシア歌曲の初期の名作として知られるこの作品は、
私は、ガリ・クルチのLP復刻で聴いて来た。
この復刻LPは、アニメ映画「蛍の墓」でも挿入され、
沢山売れたのではないだろうか。

憂愁を秘めた序奏から、ロシアの雰囲気いっぱいで、
シュトライヒは、心を込めて歌っていて、
後半のコロラトゥーラの見せ場では、
むしろ、感情を押し殺すようにして
効果を上げている。

Track11:ドリーブ「カディスの娘」。
フラメンコ風の楽しい序奏ながら、
歌い出されるのは、非常にシックな歌で、
さすがフランスの作曲家だと思わせる。
効果的にフラメンコが入るのも異国情調を盛り上げる。

この曲は音楽之友社の「名曲解説全集」にも出ていて、
「ドリーブの音楽の特色が遺憾なく発揮されている」
と、解説者の大宮真琴氏からも賞賛されている。
「笑い転げている娘たちの歌」とされ、
「芝の上で、みんなはカスタネットに合わせてボレロを踊った」
「カディスの娘たちはこういうことが好きなんです」と、
自分の美しさを誇りにする。
一幅の絵画になっている。

それにしても、シュトライヒは、
世界紀行が好きな歌手である。

以下2曲は、1956年のもの。
録音は55年とあって、56年に出た模様。
これと前後するものと同じ機会に録られたもののようだ。
何故、ばらばらにされていたか不明。
伴奏も全く同じ。
クラシック以外で出されたのだろうか。

Track12:チェニク「タランテラ」。
管弦楽の伴奏も楽しく凝っていて、
歌い口も勇ましく爽快である。
来た来た来たという感じで、
これまた、シュトライヒにぴったりの歌である。

1901年生まれの作曲家だそうであるが、
マンドリンだかの音がばらばらばらと鳴っている。

Track13:マルシェシ「La folletta」。
この人は1822年生まれというが、
聴いた事がない作曲家である。
いったい、どこで、シュトライヒは、
こんな曲を探して来たのか。

2分にも満たない歌であるが、
嫌味のない簡潔なコロラトゥーラが入る、
親しみやすい曲である。

またここから、「ワルツと民謡を歌う」というアルバムから4曲。

Track14:フロトー「夏の名残のバラ」。
ハープがぱらんぱらん鳴って、
この懐かしい唱歌を、
シュトライヒは心を込めて、
格調高く歌い上げている。

Track15:デラックァ「ヴィラネル」。
これも遠くに思いを寄せるような可憐な歌い方が、
この歌手特有の魅力を発散している。
中間部で、コロラトゥーラの技法が終わって、
再び、魅力的な旋律がこみ上げるようにして、
歌い出させる時の美しさ。

Track16:ヨハン・シュトラウス「ジーヴェリングで」。
シュトラウスにしては、穏やかな、
しかし、もの思いに耽るような歌。

Track17:アルディーティ「くちづけ」。
じゃんじゃか始まる序奏に続き、
木管、金管が華やかな彩りを添えながら、
これまた、幸福感に満ちた、
遊園地のような音楽が流れる。

ヨハン・シュトラウスのイタリア版で、
おきまりのようなコロラトゥーラの装飾が挟まれて、
幻灯のように光と影が織りなされる。

この曲も「名曲解説全集」に出ていて、
「おまえがそばにいてくれることは、
なんという楽しいことだろう。
涙も悲しみも忘れ、
いつまでもおまえのそばにいたい。」
という大意も出ている。

ということで、リタ・シュトライヒという
往年のソプラノ歌手の、
レコーディング活動の出発点を振り返った。

憂いを秘めた、やるせない情緒を歌わせると、
この人の魅力は全開となる。

以下、前回、文字数オーバーで、
掲載できなかった分を付録として追加する。


さて、シュトライヒが1961年に録音した、
LPのアルバム「ドイツ歌曲の夕べ」では、
シューマンの他にブラームスも歌われていたが、
そこでは収録されていた「秘密」作品71の3や、
「船上にて」作品97の2や、
「別れ」作品97の6、「娘は語る」作品107の3、
「娘の歌Ⅰ」作品95の6は省略され、
「RITA STREICH LIEDER」と題されたCDでは、
4曲のみが収録されている。

さらに、このLPには、
シュトラウスの歌曲は6曲あったようだが、
「あなたの歌が聞こえた時」など、
2曲が収録されていない。

「ブラームスもまた、
女声のための歌曲が少ない作曲家であった。
それらの多くは、
重要な『かいなきセレナード』や、『子守歌』
のように民謡の編曲であり、
また、『セレナーデ』や『少女の歌』のように、
民謡のスタイルである。」

このCDでも2枚目のシューベルト、シューマンに続いて、
ブラームスが取り上げられている。
CD2のTrack16は「セレナード」作品106の1。
シューベルトのような流麗なものではない。
クーグラーの詩で、3人の学生の軽妙な求愛の歌と、
それを耳にした娘が、恋人の事を思い出すという皮肉なもの。

CD2のTrack17は「娘の歌」作品107の5。
ハイゼの詩による、感傷的なもの。
糸つむぎの少女たちと若者たちの騒ぎの中で、
相手がいない娘が虚しく回すつむぎ車。
晩年のピアノ曲に繋がる、虚無的な響きが痛い。

CD2のTrack18は「甲斐なきセレナード」作品84の4。
民謡である。
当然のように入って来るようになった恋人を、
追い返す少女の歌でスパイシーである。

CD2のTrack19は、有名な「子守歌」作品49の4。
心置きなく美声を聴かせて、
シュトライヒも、居心地が良さそうである。
ピアノ伴奏も深い音を響かせている。
ここには、皮肉屋ブラームスのスパイスもない。

「フーゴー・ヴォルフは別問題である。
リタ・シュトライヒは、明らかに自らの選択により、
『ミニヨンの歌』などを、彼女の守備範囲を超えたものと考え、
ライニックなどの詩によるものや、
『秘めた愛』、『無愛想』など、
初期の歌曲に集中的に取り組んだ。
『子守歌』は珍品で、実際は、
1878年5月20日にヴィーンにて、
同様のタイトル『まどろみの歌』の題で、
ピアノ曲として書かれたものである。
1909年、音楽雑誌にて、『子守歌』として出版され、
1910年同じタイトルでショット社によって出された。
声楽曲としてのアレンジは、
エンガルバート・フンパーディンクによってなされ、
歌詞は妹のアーデルハイド・ヴェッテのものである。」

ヴォルフの歌曲は、CD1に4曲、問題の「子守歌」は、
モーツァルトとシューベルトが終わって2曲目、
Track18に入っている。57年のモノラルである。

CD1のTrack17「どうやって幸福を表わそう」。
ウェルバの繊細なピアノが、
完全に違った世界が始まったことを知らせる。
シュトライヒの歌も伸びやかで洒落ている。

CD1のTrack18「子守歌」。
「子守歌」は成立事情が混み合っているらしいが、
是非、歌曲にしたくなるような平易な曲想。
ヴォルフ的な皮肉な様相も皆無。

CD1のTrack19「若い少女」。
CD1のTrack20「おやすみ」。
いずれも、楽しく素直な歌、
あるいは素朴とも思える歌が歌われ、
シュトライヒも構えることなく、
このひとときを楽しんでいる。

また、ヴォルフは、CD2にも4曲、1960年4月のものがある。
アイヒェンドルフ、ゲーテ、メーリケという大家の詩によるもの。
CD2のTrack20「秘めた愛」。
切ない表現、ピアノのきらめきが涙を誘う。
CD2のTrack21「からかい」。
軽妙な羊飼いの娘の高ぶる心。
CD2のTrack22「改心」。
過ぎた愛の悲痛な表現。
CD2のTrack23「庭師」。
先の歌の緊張感を解放する明るく、
伸びやかな歌唱である。

「リヒャルト・シュトラウスの妻は、
バイエルンの将軍の娘で、
ソプラノ歌手のパウリーネ・デ・アーナであった。
従って、女声用の作品が歌曲に多いのは当然で、
1900年頃に書かれ、
オペラ作曲家として立つ以前のものである。
デーメルの詩による『子守歌』のように、
音色とリズムで魅了するもの、
風刺の精神による、侘びしい『いやな天気』や、
作品68からのブレンターノ歌曲など、
多くはショウピースである。
リタ・シュトライヒは、
元気のよい歌や単に効果狙いの曲に対し、
控えめなアプローチを取っているが、
『子守歌』では、控えめな歌ながら、
デリケートで悲劇的な繊細さで、
印象的な表情で歌っている。」

シュトラウス歌曲は、CD1にウェルバ伴奏のもの3曲がある。
CD1のTrack21、「星」作品69の1
伸びやかな、声の美しさを堪能させる音楽。
しゃれた転調や、アクセントのピアノのきらめき。

CD1のTrack22、「単調さ」作品69の3
彫琢を極めたピアノの綾の中に、
声が縦横に絡んでいく。

CD1のTrack23、「いやな天気」作品69の5
不機嫌で傍若無人な楽想が、次第に軽妙なものに変容していく。

また、CD2にヴァイゼンボルンの伴奏のもの4曲が、
分けられて入れられている。

CD2のTrack24、「心の鼓動」作品29の2。
シュトライヒの声も、広がる青い草原を越えて行く。

CD2のTrack25、「子守歌」作品41の1。
デーメルの詩による有名な歌曲である。
驚いた事に、少々、速めのテンポで、清潔な歌。
昔から、シュヴァルツコップなどで聴いて来たものとは、
かなり違う印象で、耽美的すぎず、
むしろ切実な印象を受ける。
こんな名曲がたっぷり収録され、
まことに有り難いアルバムである。

CD2のTrack26、「アモール」作品68の5。
これは、かなり高音を駆使するショウピースであるが、
ブレンターノの詩により、軽妙なものとなっている。

CD2のTrack27、「夜に寄せて」作品68の1。
このアルバム最後の1曲も、ブレンターノの詩による。
夜の安らぎを熱望して熱い。
シュトライヒの声にも火照りがある。

得られた事:「リタ・シュトライヒは、その出自ゆえか、遠くに思いを馳せる夢幻的な歌に威力を発揮する。」
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by franz310 | 2009-12-05 23:53 | 歌曲