excitemusic

クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
ICELANDia
カテゴリ
全体
シューベルト
音楽
現・近代
古典
オンスロウ
レーガー
ロッシーニ
歌曲
フンメル
どじょうちゃん
未分類
以前の記事
2017年 05月
2017年 01月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 09月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
http://venus..
from http://venuspo..
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
バッハが人類に残したメッ..
from dezire_photo &..
ミュージカルかファンタジ..
from dezire_photo &..
バッハが『ロ短調ミサ曲』..
from dezire_photo &..
ルター派のプロテスタント..
from dezire_photo &..
ダンテの『神曲』 ”地獄..
from dezire_photo &..
バッハとヘンデルの音楽性..
from dezire_photo &..
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2009年 11月 ( 5 )   > この月の画像一覧

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その202

b0083728_12302334.jpg個人的経験:
リタ・シュトライヒが歌った、
モーツァルト録音などを聴いたが、
今回は、いよいよ、
この愛らしい声楽家が歌った、
シューベルト歌曲を聴いてみたい。
彼女が歌った歌曲を集めた、
このドキュメンテ・シリーズのCDの
表紙デザインに見られるような、
無邪気ともコケティッシュとも見える
往年の名手はどんな風に歌ったのか。


フィッシャー=ディースカウは、その著書、
「シューベルトの歌曲をたどって」の最後に、
とくに優れたシューベルト歌手を列挙しているが、
リタ・シュトライヒの名前もそこに挙がっているのである。

解説は、「リタ・シュトライヒ:美しい声だけでなく」
という題で、カール・シューマンが書いている。

「コロラトゥーラ・ソプラノとしての限りない才能に恵まれた、
ソプラノ歌手がリートを歌う。
モーツァルト、ドニゼッティ、ヴェルディ、シュトラウスの、
スペシャリストとして知られたオペラ歌手が、
芸術歌曲の王国を旅する。
リタ・シュトライヒは、歌曲を歌うべくして生まれた。
彼女を育てた母親たちが、
優美で甘い明るい音色、幅広い表現の幅、
適切なテクニックとアーティキュレーション、
繊細な知性、計り知れないコミュニケーション能力を、
彼女に授けた。
彼女は1950年代の初めから、
大西洋両岸の聴衆を前に歌曲のリサイタルを行っている。
ハート型の顔に、大きな黒い瞳が輝く、
小柄できゃしゃな女性。
洗練された姿を、素晴らしいイブニング・ドレスに包み、
それでいて気さくで、控えめで適切な仕草が見られた。
そして必要とあらば、いたずらっぽく見せることも出来た。」

このように、この写真と全く同じ印象を、
この批評家は、これでもかこれでもかと繰り返す。
もはや、このCDを聴かずに通り過ぎることなど不可能である。

「コロラトゥーラ・ソプラノにとって、
歌曲のレパートリーは限られてしまう。
悲痛さや深い哲学に関しては論外となり、
フォルテッシモの稲妻は、いらだたしく響くだけ、
しかし、親密な表現は可能なのである。
センチメンタルで、細密で、コケティッシュなユーモアも。
こうした領域は、
高音が持つ表現の可能性を、
決して過大評価しなかった、
リタ・シュトライヒによって、
柔らかな音色にて開拓された領域であった。
彼女はその歌声に浸透力がないことを長所に変え、
芝居じみたことや、
機械的なコロラトゥーラの冷たい輝きを避けた。
その代わり、彼女は、細かい表現の彫琢に集中し、
感傷性を高貴にする、表現の真実味を求め、
お転婆の小生意気を武器とすることなく、
ソプラノの有名なレパートリーを歌うことに、
誇りを持っていた。」

まったくもって、好感の持てる歌い手ということになる。

「リタ・シュトライヒは、1920年、
12月18日、シベリアのノヴォシヴィルスク近郊の、
Barnaulに生まれた。
彼女の母親はロシア人で、父親はドイツ人捕虜であった。
ようやくにして家族はベルリンに辿り着き、
そこで彼女は育ったので、生涯を通じてベルリン訛りがあった。
そして、マリア・イヴォーギュン、エルナ・ベルガー、
ヴィリ・ドムグラフ・ファスベンダーらを範と仰いだ。
彼女は、1943年にチェコのUsti nad Labemでデビューを飾り、
1946年に、ブロンドヒェン役を最初の仕事として、
ベルリン州立歌劇場に入った。
1951年から53年の間は、ベルリンのStadtischeオペラに所属、
1953年にヴィーン国立歌劇場に移っている。
1970年頃、彼女はオペラからは遠のいたが、
1976年まではエッセンで歌唱の教授を行い、
後にそれは、1987年3月20日に没することになる
ヴィーンでも続けた。
ここで概観したキャリア以外にも、
リタ・シュトライヒは、世界中の歌劇場に登場し、
1954年、フルトヴェングラーの指揮で、
『魔弾の射手』を演じたように、
数多くの音楽祭に招待された。」

このように、一世を風靡した名手であるが、
シベリア生まれ、しかも捕虜の子供というのが気になる。
おそらく、かなりの苦労をしたはずである。

「リタ・シュトライヒにとって、
自然さと芸術的華麗さの間に、
橋渡す事の出来ない矛盾などなかった。
ミヨーの『ロンサールの歌』も、
ヴォルフの『おやすみ』も
『星』のような、シュトラウスの目立たない歌曲も、
色彩と洗練を持って歌う事が出来た。
短いアリオーソのシーンと同様に、
民謡や、モーツァルトやシューベルト、
ブラームスの有節歌曲を、
ありのままの優美さ、魅惑的な率直さで伝えることが出来た。」

もとの解説は、最後に書かれているが、
先に、共演者についての情報。

「1950年代のシュトライヒの最初期の歌曲録音は、
伝説的なエルザ・シラーによってドイツ・グラモフォンのために、
発見された時期から始まる。
ここに収められたものは、1956年から61年のもので、
ベルリン、RIASのスタジオ、
あるいはミュンヘン、ヴィーンで録音されている。
共演ピアニストは、この分野での第一人者、
エリック・ウェルバ(1918-92)で、
生粋のヴィーン人で、優しい打鍵、
歌い手への共感で知られた。
ギュンター・ワイゼンボルン、1911年Coburg生まれ、
ゲッティンゲン交響楽団の指揮者で、
デトモルト音楽院の教授でもある。
シュヴァーヴェン民謡、『Z’lauterbach』は、
シュトライヒの先生のマリア・イヴォーギュンの夫、
ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)
によって編曲されたものである。」

このCDの面白い点、あるいは、シュトライヒの、
興味深い点と言うべきか、
ドイツ歌曲の体系のような中に、
CD1のTrack24以降では、
20世紀フランスで活躍のミヨーの、
不思議な色彩に満ちた歌曲(4曲)や、
民謡、小唄を4曲入れている事で、
戦前生まれのドイツの歌手のイメージを覆し、
エキゾチックな色彩を振りまいている。

57年8月、ミュンヘンでの録音で、
ウェルバが伴奏をしていて、
有名なオーケストラ伴奏の「民謡と子守歌」という、
アルバムとは別のものである。

Track28の「Gsatzli」(小唄)は、
恋人を探しに出かける明るく楽しい歌。

Track29の「米の収穫」は、
ヴォカリーズで歌われる悲痛なもの。
どこの歌だろう。米はヨーロッパで取れるのだろうか。
シュトライヒらしい伸びやかな声を堪能できる。

Track30の「月の光で」は、
「月の光で、ピエロがペンを貸してくれたよ」という、
童謡風の軽妙なもの。
Track31の「ラウターバッハ」にては、
「ラウターバッハで、ストッキングをなくしちゃった」、
という楽しく怪しいものだが、
後半で、伸びやかなコロラトゥーラ表現が聴かれる。

「モーツァルトこそ、オペラ、コンサート、歌曲ゆえに、
彼女の最高のものであった。
この作曲家の大部分の歌曲は、
高い女声のために書かれており、
新鮮なメロディーを持ち、
ウィットに富み、簡潔で、歌い手にも心地よく、
ロココと古典の間のスタイルの、
小さな芝居の1シーンのようである。
これらの作品の気まぐれな部分の
誘惑に抗するのは簡単ではないが、
リタ・シュトライヒはそれをした。
1785年6月8日に書かれた、
モーツァルトの歌曲で、
おそらくもっとも有名な『すみれ』は、
寓話である一方で、
いくつかのオペラ風のパッセージを有する、
他方でバラード風の歌物語の1シーンでもある。
冷たく扱いすぎる事で、
誇張を避けるのは簡単であるが、
リタ・シュトライヒは、バランスよく、
スミレが何を意味するかを明らかにする。」

この一文の詳細は不明。
ゲーテが書いた歌詞を改めて見て見よう。
「一本のすみれが牧場に咲いていた、
ひっそりとうずくまり、人に知られずに。
それは本当にかわいいすみれだった。」
と始まり、そこに、若い羊飼いの少女が現れる。
「ああ、ほんのちょっとの間だけでも、
あの少女に摘みとられて、
胸におしあてられて、やがてしぼむ」
という希望を述べるが、
少女は気づかずに踏みつけて行ってしまう。
「すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた」
という終わり方。
マゾヒズムである。

シュトライヒの歌は、オペラ歌手とは思えぬほど、
感情を抑制したもので、
確かに大仰な表現は全くない。

民謡のように分かりやすいメロディーだが、
「ああ、それなのに、少女はやってきたが、
そのすみれには眼もくれないで、
あわれなすみれを踏みつぶしてしまった」
という一節になると、
ほとんど素人では歌えないような、
レチタティーボ風の表現となる。

そんな場面でも、シュトライヒの歌は、
非常に抑制され、緊張感が高まっている。

「彼女にとって、フランス語は怖れるものではなかった。
(ロシア語も。)
おそらく1777年から78年に、マンハイムで、
アウグステ・ヴェンドリングのために書かれた
モーツァルトのフランス語のアリエッタ、
K.307とK.308は、
声楽に、生き生きとしたピアノの補助がある通作歌曲である。」

これらは、「鳥よ、年ごとに」、「寂しい森の中で」
と題されたもので、
前者は、鳥が、冬には木立からいなくなってしまうのは、
一年中、絶え間なく愛の営みを続けたいから、
別の場所を探すのだ、という趣旨。
後者は、うっかり森の中で、
昔の女の面影を残すキューピッドに出会ってしまった、
というもの。あまり釈然としない。
冬にも鳥はいるし、森にキューピッドが寝ている、
などというシチュエーションが滑稽である。

しかし、確かにフランス語特有の美感があり、
さすが国際人モーツァルトである。
伴奏はウェルバで56年の録音。
シュターダーの歌声は、いたずらに声を張り上げず、
好感が持てる。

「印象派を先取りした魅惑が、
ワトーを回想するような、
憂愁を秘めた陽気なテキストから
導かれている。」

確かに、内容はシンプルであるが、
雰囲気はパリの灰色の空を思わせる。
特に前者、中間部の、「花の季節にしか、
愛の営みを許さないからなのだ」という部分は、
妙にメランコリックな表情である。
後者は、特にピアノ伴奏が雄弁かつ洒落ていて、
冒頭から、繊細な詩情を漲らせている。
これはすごい。

「これらは、1789年のイタリア語アリア、
『歓びに弾む』K.579とコントラストをなしている。
これらについて、モーツァルトは、この小さなアリアを、
『フェラレッシのために書いた』と書いたが、
これは、1789年、ヴィーン初演時に、
『フィガロの結婚』のスザンナ役に追加されたもの。」

この曲は、いかにもモーツァルトといった、
オルゴールのようなピアノ伴奏が愛らしく、
シュトライヒも水を得た魚のように、
のびのびと歌っている。

「リタ・シュトライヒは、モーツァルトの、
コンサート・ホールのために書いた曲や
オペラの挿入曲を、熱意と高貴さを持って復活させた。
ここでは、ピアノ伴奏のものを一例とした。」

これは、何のことか分からないが、
このフィガロへの挿入曲が、珍しいもので、
オペラ用でありながら、ピアノ伴奏で復活させた、
と言いたいのであろう。

ここで歌われているモーツァルト歌曲は、
「クローエに」K.524
「小さな糸つむぎ娘」K.531
「別離の歌」K.519
「すみれ」K.476
「魔法使い」K.472
「春への憧れ」K.596
「歓びにはずむ」K.579
「鳥よ、年ごとに」K.307
「寂しい森の中で」K.308
「子供の遊び」K.598
「孤独に寄す」K.391
「内緒ごと」K.518
「警告」K.433
の13曲である。

K.500番台前半のものは、
1787年頃に、集中的に書かれたドイツ語のもの。

「歓びにはずむ」以外のK.500番台後半のものは、
最後の年、1791年のものである。

「すみれ」と同様に、K.472は1785年作。
K.433は、よく分からない。
歌詞を見ると、1783?となっている。
300番台は307、308がフランス語で、
391は、1781年作、ヴィーン時代初期のドイツ語歌曲。

モーツァルトは、歌曲を集中的に書く傾向にあったのだろうか。

さて、ここから、シューベルト歌曲に関する解説となる。

「すべての歌曲の歌い手はシューベルトの歌曲を、
どのように解釈するかを聴かせなければならない。
冷静な自己認識によって、
リタ・シュトライヒは、
叙情的なコロラトゥーラの声に、
ものを言わせるような、
例えば、『糸を紡ぐグレートヒェン』のような歌曲や、
あまりにも緊張感漲る『若い尼』のような歌曲
を選択しなかった。
彼女は、波の戯れの『水の上で歌える』や『月に寄す』、
田園地方の春の歓びへの賛歌『緑の中での歌』など、
自然の世界を感じさせる歌曲を好んだ。
エーリッヒ・クライバーとの
『魔弾の射手』におけるエンヒェンのように、
ここで、彼女は、元気よく、心の温かい、
ドイツのお転婆娘を演じることも出来たであろう。
自然の詩はまた、この野心的なソプラノのレパートリーの、
熟達を伝えるものである。
シューベルトが最後の年、1828年に書いた、
『岩の上の羊飼い』では、
シュトライヒは、
ベルリンのクラリネット奏者、
ハインリヒ・ゴイザーと共演している。
彼女は、後期の『ミニヨンの歌』では、
深い詩的内容の内容に迫りながら、
シューベルトの初期のゲーテ歌曲の一つ、
有節歌曲『野薔薇』は、
まさに民謡のように扱った。
『恋人の近く』の繊細な表現もさることながら、
彼女がもっとも好み、
もっとも光沢を与えたのは、『至福』である。
最初の一行で、『数え切れない歓び』と、
幸福感が宣言されているように、
ヘルティの詩句を正確に反映して、
各節のムードを繊細に変化させている。
『至福』は、プログラムの中でも、
アンコールでも、彼女のリサイタルで、
よく取り上げられた。」

リタ・シュトライヒのこのCDで、
モーツァルトの後で、
最初に登場するシューベルト歌曲が、
非常に素直で好感の持てる歌唱による、
「ます」であるのは、喜ばしいことだ。
その美声にものを言わせるような所が微塵もなく、
まず、それで驚いてしまった。
まるで、語りかけるような自然さや、
最小限の表情の変化で、
音楽そのものに語らせるような姿勢に好感を持った。

「水の上にて歌える」では、ウェルバのピアノが、
少々、危なっかしいが、
これまた、ソプラノのぎらぎら感がないのが良い。

先の「至福」は3曲目に現れる。
これも、ことさらに高音の美声を響かせることなく、
丁寧な歌唱。
以上3曲が1957年8月ミュンヘンでの録音らしい。
(ここで2ヶ月後、シュターダーもシューベルトを録音する。)

丁寧と言えば、「野薔薇」D257もそうで、
ゆっくりとしたテンポで、
噛んで含めるように、
慈しむような子守歌になっている。
ウェルバのピアノが、これまた木訥である。
なお、この曲はCD2の冒頭に収められている。

CD2の2曲目は、「クラウディーネのアリエッタ」D239-6。
オペラからの一曲ながら、派手さのない表現。

CD2の最初の5曲は、こんな風にゲーテの詩によるものが続く。
3曲目は、「ミニヨンの歌Ⅱ」D877-3。
この曲は中間部で、絶叫に近くなる表現も可能ながら、
シュトライヒは、そうした劇的効果を狙っておらず、
ミニヨンの性格に相応しい、暗い悲痛さを前面に出して胸を打つ。

4曲は、「繊細な表現」と評された、
「恋人の近く」D162で、
青空に消えて行くような憧れが、
素晴らしい弱音の表情で迫る。
絶唱と言える。

5曲目は、「千変万化の恋する男」D558。
民謡風の楽しい歌で、
肩の力を抜いた、楽しい歌である。

6曲目に、大曲、「岩の上の羊飼い」D965が来る。
ゴイザーのクラリネットは明るく軽めであるが、
なんかかそけき風情があって悪くない。
59年の録音であるが、
ゴイザーのクラリネットも、ウェルバのピアノも、
伸びやかでありながら、陰影に富み、
真摯なシュトライヒの声も、
しっかりと美しく響く。

何故、希望に満ちた出立を前にして、
こんなにも心を込めて歌われると、
何か切なくなってしまうではないか。
後半の、決然とした部分も、ヒステリックにならずに、
説得力を持って歌いきっている。

シュトライヒがこの曲をベルリンで録音した前年に、
同様に澄んだ歌声で聴かせたマリア・シュターダーは、
ミュンヘンでガルのクラリネットで録音している。
ピアノはエンゲルで、これまた至純なものであったが、
今回のものは、これに比べると、
シューベルトの声に、
耳を澄ませるというような風情があると思う。

7曲目にヘルティの詩による「月に寄す」D193。
これも、この解説で最初に解説されただけあって、
張り詰めた詩情が、共感を持って歌い上げられる。
ウェルバのピアノも素晴らしく、深い味わいがある。
シュトライヒといえば、民謡を歌うお姉さん、
というイメージも9あったが、
素晴らしい没入を聴かせて、先入観が一掃された。

8曲目に、「鳥」D691。
これは、近年、注目のシュレーゲル歌曲であるが、
シュトライヒは少し無理して歌っている感じ。

9曲目に、「緑の中の歌」D917。
この曲も、かなり高い音を無理して出している感じがしなくもない。

これらは1959年4月、イエス・キリスト教会での録音とある。

カタログを見ると、シュトライヒは、
先のシュレーゲル歌曲から、「蝶」D633も録音していたようだ。
これらの他、D752の「夜咲きすみれ」や、
D.559、D.497なども今回のCDでは省かれている。

さて、シューベルトと並ぶ、ドイツ歌曲の雄、
シューマンの歌曲もCD2に6曲収められている。
1961年4月、ヴィーンでの録音で、
ヴァイゼンボルンのピアノである。

「シューマンは女声のためよりも、
男声のために多く歌曲を書いた。
それにもかかわらず、
リタ・シュトライヒは、
『歌の年』1840年の歌曲、
アイヒェンドルフ歌曲集『リーダークライス』から、
『夢の光景』のような『くるみの木』、
常緑の『蓮の花』や、謎の『間奏曲』や『静けさ』など、
彼女の表現に合わせて多くの歌曲を見つけている。
弱音で無限の色彩が求められるこれらの歌曲は、
女性的な音色と完成された技術で、
静かな音楽の線を形作っている。
春の歌、『松雪草』(1849)や、
楽しい、シューベルト風の『ことづて』では、
彼女の芸術性の別の側面が見られる。」

CD2のTrack10、「くるみの木」作品25の3。
歌曲集「ミルテ」の1曲である。
シューマンらしい夢幻的なピアノに、
シュトライヒの声は、しっくりとなじんで、
落ち着いた表現が好ましい。

CD2のTrack11、「静けさ」作品39の4。
アイヒェンドルフの詩による、
「リーダークライス」の中でも、地味な曲である。
この胸の高鳴りは誰もしらない、という内容。
「出来ることなら鳥になって」という部分でも、
シュトライヒは、繊細な表情付けで押えている。
意外なことに、アメリンクなどの方が、
演劇的なわざとらしさを感じてしまう。

CD2のTrack12、「松雪草」作品79の27。
「子供のための歌のアルバム」の1曲。
早春のささやかな印を見つけた時のささやかな心情。

CD2のTrack13、「はすの花」作品25の7。
「ミルテ」の1曲。
月の光を待つ花の歌。
彼女の芸術性の別の一面、と言われても、
途方に暮れるが、
コロラトゥーラ・ソプラノの威力を発揮するものではなく、
確かに、繊細な声の色調の変化だけで聴かせようとするもの。

CD2のTrack14、「間奏曲」作品39の2。
リーダークライスの1曲、
恐ろしく理想化された女性像。
結婚詐欺が徘徊する現代では絶滅してしまった感情を、
ここでは、胸の底からこみ上げるように表現して、
静けさの中に胸を突く。

CD2のTrack15、「ことづて」作品77の5。
この曲は、おしまいに置かれたためか、
駆け抜けて行くようなピアノ伴奏に、
「待って下さい、言付けがあるの」と、
心の高鳴りを重ねていく。

これらのシュトライヒの歌は、
かつて、「ドイツ歌曲の夕べ」というLPとして、
ブラームスやシュトラウスの歌曲と組み合わせられていた。
シューマンはその中の全曲である。

有名なモーツァルトのみならず、
シューベルトもシューマンも、そしてヴォルフなども美しかったが、
字数オーバーしたので、今回は、このあたりにしておく。

後半、歌い手のシュトライヒよりも、
各作曲家の特色に重点を置いた感のある解説だが、
ドイツ歌曲の流れを押えたような感じがあり、
まさに圧巻である。

この可憐なソプラノが、一方で、こうした、
小さな百科全書的な活躍をしていたとは、
うかつながら知らずにいた。

シュターダーがメンデルスゾーンの歌曲を録音していたが、
このあたりは歌い分けでもしていたのだろうか。

得られた事:「リタ・シュトライヒのリート。美しい声だけでなく、共感を持って、しかも抑制された、素晴らしいバランス。」
[PR]
by franz310 | 2009-11-29 12:39 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その201

b0083728_0574332.jpg個人的経験:
前回、シュターダーと比較する形で、
リタ・シュトライヒのCDを聴いたが、
思いもよらず、モーツァルトが、
恋人、アロイジアのために書いた、
特別なアリアを集めたものだった。
何故に、かくも興味深いテーマを
世紀の名歌手が扱った録音の存在を、
私はこれまで知らなかったのだろう。
同種の企画のものを見つけて、
興奮して購入したこともあった。


ということで、それを思い出して、
これを機会に、今回はそのCDを改めて聴いてみたい。

このオランダのグロッサ・レーベルの同種の企画、
「アロイジア・ウェーバーのためのアリア集」は、
私のよく知らない、
シンディア・ジーデンというソプラノが歌っているが、
バックはすごい。
ブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラである。

ジーデンはガーディナー指揮の「魔笛」や「後宮からの誘拐」で、
夜の女王や、ブロンドヒェンを歌っているようで、
バッハからストラヴィンスキーまでのレパートリーを誇っている。
アーノンクールとモーツァルトの初期オペラを演奏しており、
ザルツブルク音楽祭でも歓迎されているとある。
これらのアロイジアのためのアリアも、この音楽祭や、
モーストリー・モーツァルトなどでも歌っているという。
Missと書かれているから、CD制作当時独身で、
写真を見る限り、まだ若そうである。

これは、1998年にユトレヒトで録音されたもので、
表紙デザインもいかにも、その企画に一致して、
アロイジアの肖像画があしらわれ、
真ん中にジーデンが魅力的な笑顔をふりまいている。

でも、アロイジアの肖像をハーフトーンにしたせいか、
何だか、眠たい感じでインパクトに欠けるデザインである。
そもそも、ジーデンも白黒ではないか。
アバンチュール性も強い、モーツァルトの青春の迸りを語るには、
このデザインではもの足りない。
Designは、CARLOS CESTER & EMILIO MORENOとある。
スペイン人か?
さらに、Based on an original idea by GIERIN ESCHERとある。

さらに言うと、アロイジアの肖像は、
J.B.von Lampiの「Aloysia Lange as Zemire」という、
1784年の絵画。

前回、シュトライヒのCDは、
アロイジアのことは、あまり書いてなかったので、
このCDの解説(Rosa Regas著)に期待したい。

「アロイジア・ウェーバーのためのモーツァルトのアリア集:
1.
非常に沢山の歌い手が、モーツァルトの生涯で重要な役割を演じた。
何人かは彼よりも長生きをして、モーツァルトの死後もキャリアを継続した。
後に俳優のヨーゼフ・ランゲと結婚するアロイジア・ウェーバーは、
そんな人たちの中の一人である。
モーツァルトは1777年から8年の冬にマンハイムにて彼女と出会い、
1778年1月17日の手紙で、彼女について初めて触れている。
1760年くらいに生まれ、1839年に亡くなった、アロイジアは、
写譜屋としてよくモーツァルトの仕事をした、
バス奏者で後見人であったフリードリン・ウェーバーの、
4人の娘の一人である。」

ということで、アロイジアは、
ベートーヴェンより10歳年長で、
シューベルトより11年長生きしている。

「アロイジアは、モーツァルトと会った時、17歳くらいで、
すでにその頃、傑出した声楽のテクニックを持っていた。
彼女はさらに優れたピアニストでもあり、
自分の歌に伴奏をつけ、モーツァルトの3台のピアノのための協奏曲の、
独奏者の一人を務めたこともあった。」

妹のコンスタンツェの音楽的才能が、
疑問視される中、えらい差異である。

「モーツァルトは彼女に、様々な面から魅了された。
芸術的才能と人格が彼の興味をそそった。
彼は、彼の父親が反対しないはずのない大胆な計画、
彼女を伴ったイタリアへのコンサート・ツアーさえ企てた。
モーツァルトが彼女に感じていた気持ちに対し、
彼女がどう答えたかは分からない。
彼女からモーツァルトに宛てた手紙は知られておらず、
モーツァルトがアロイジアに宛てた一通が知られるのみである。
本来ドゥシェック夫人のために書かれた、
シェーナK.272の演奏についてのサジェッションが、
そこには書かれている。」

こう書かれると、彼らには、もともと何もなかったかのような感じ。
(しかし、この手紙には、後述のように、
他の曲についても豊富な情報がある。)

「彼女が1780年に結婚した後、モーツァルトのアロイジアへの関係は、
さらに曖昧なものとなる。
彼はかつて首ったけだった事を意識しつつも、
彼女を忘れることが出来なかった。
後にモーツァルトがアロイジアの妹である
コンスタンツェと結婚してからは、
彼らの関係は、安定したものとなり、
ランゲとモーツァルトの二組のカップルは、
グルックとの食事に揃って呼ばれたし、
モーツァルトの家で催された13時間にわたる舞踏会に、
ランゲ夫妻も参加している。」

姉妹の連れ合いが一緒に行動しているだけなので、
普通のことである。

「アロイジアは、オペラやコンサートでの声楽家として、
輝かしいキャリアを築き、オランダを含む多くの国々で歌った。
彼女は、『後宮からの誘拐』、
『悔悟するダヴィデ』、『劇場支配人』など、
モーツァルトの作品で指導的な役割を果たし、
1778年から88年にかけて、
7つのアリアをモーツァルトから献呈された。
そのうちの4曲は、公式な演奏会での演奏を想定した、
本来のコンサート・アリアである。
モーツァルトの時代の、プログラムを見ると、
演奏会ではこれらは、ほとんど必須の演目である。
他の2曲は、ドイツ語で、
「Einlagen(挿入曲)」と呼ばれるものに分類される。
歌手が気に入らないアリアの代用のものである。
これらのアリアのテキストは、主に、
イタリアのオペラの台本から取られた。
ドイツ語による1曲は、明らかに違う種類で、
慈善コンサートの最後を飾るものである。」

以下、各曲の解説が続くが、ケッヒェル番号が付記されていないので、
非常に検索しにくい。ここでは、勝手にこれを補ってみた。

K.294(Track2):
「アロイジアのために最初に書かれたのは、
レチタティーボ『アルカンドロよ、告白するが』と、
アリア『私は知らない、どこから来るのか』からなる。
メスタージオの『オリンピアーデ』から取られたテキストは、
彼が、ずっと前に死んだものと思っている息子と対決する、
クリステーネ王を扱ったもの。
モーツァルトがこうしたテキストを
ソプラノのために選んだということは、
ドラマのシーンに関して無頓着だったことを示している。
ただ、彼がこれを選ぶには、二つの理由があった。
まず、最初の理由は、1778年2月28日の手紙に見られ、
同じテキストによるヨハン・クリスチャン・バッハを賞賛しており、
彼は、バッハとは違った表現にチャレンジしたかったものと思われる。」

この手紙を柴田治三郎の訳(岩波文庫)で読むと、
「これにはバッハのとても綺麗な作曲があります。
これを作ったのは、バッハの曲をよく知っているし、
それがとても気に入っていて、
いつも耳の中で響いているからです。
それにもかかわらずぼくが、
バッハの曲とは全然似てないアーリアが作れるかどうか、
ためしてみたかったのです」とある。

「第2の理由は、仮説にすぎないが、
『quel tenero affetto』という言葉が、
彼とアロイジアの絆を反映しているという説で、
あたかも、彼の感情の解説を、
彼女に伝えたかったというものである。」

「quel tenero affetto」を訳していないあたりからして、
スノッブ的である。
訳詞を見ると、アリアの2行目にあって、
「この優しい愛情」とある。
この忙しい時代に、手間がかかる解説だ。

「オーケストレーションを見ると、
マンハイムのオーケストラが、
どれほど深くモーツァルトの心に、
影響していたかが分かる。
それは弦楽、フルート2、クラリネット2、
バスーン2、ホルン2からなるものである。
形式は伝統的なダ・カーポ・アリアであるが、
完全に違った方法で捉え直されている。
Aセクション回帰の時、自由で大胆な扱いがある。」

クラリネットの和音が、ぶすぶすと聞こえているが、
聞き流すだけでいると、この曲だけがマンハイム、
などと言う感じはしない。
が、言われてみると、
妙にメランコリックな響きに思えて来た。

さすがに、最初に捧げた曲とあれば、
しかも、出会って二・三ヶ月という時期の作品で、
父への手紙でも、これをアロイジアが歌うのを聴かせたい、
「あの歌はあの人にぴったりなように作られているからです」
と書き送っている点から見ても、この曲には、
アロイジアへの愛情が込められているとしか思えない。

上記、歌詞への言及があったことは嬉しい。

改めて聴き比べると、シュトライヒの歌にも、
パウムガルトナーの指揮にも、
何だか、我の強い押しの強さがある。

これらの曲が知られ始めた頃の、責任感からであろうか。
アリアで、「この優しい感情はどこから来るのか」と歌われる時、
胸に迫るものを感じた。

作曲したモーツァルトも、歌ったアロイジアも、
強烈に心が揺さぶられていたことが実感できる。

虚心に耳を澄ませていると、
シューベルトの「ラザロ」のような、
切々としたメロディーに聞こえて来た。

ジーデンの歌も、ブリュッヘンの伴奏も、
これに比べると、はるかに爽やかなものだ。
しかも、妙にゆっくりと弱音を強調して歌われるので、
まるで、夢の中のような浮遊感である。

繊細ではあるが、心の火照りはない。
これが近年のスタイルだろうか。

アロイジア宛のモーツァルトの手紙は、
岩波文庫にも収められていて、
ここでも、この曲が話題になっている。

アロイジアは、この曲に、さらに、
装飾を入れて欲しいと頼んだようだ。
まさしく、愛の記念碑と呼んでも良かろう。

手紙の中でも、再会して抱擁したいとも書いている。
社交辞令かもしれないが、長い手紙でもあり、
二人の関係を無理に否定する必要もあるまい。

K.316:(Track6)
「レチタティーボ『テッサリアの民よ』と、
アリア『私はお願いしません』は、
1778年7月から1779年1月にかけて書かれ、
むしろ二律背反と言える作品ゆえに、
アロイジアの名技性が、ここでは前に押し出されている。
前半は、異常に表現力豊かなアプローチながら、
テッサリアの人々の回想であり、
五線を超えてGに達するヴォーカルラインを含み、
後半は華麗さが支配する。
オペラ『アルチュステ』からの、
カルザビージのリブレットの断章が、
こんな音楽に発展するとは、
グルックも驚いたことであろう。
バランスを保持するために、
モーツァルトはオブリガートの
オーボエとバスーンを追加している。」

どうやら、解説はこの調子で、
作曲された順で解説を続ける模様。
しかし、CDに録音された曲順が異なるのは、
まったく異なるので注意を要する。

この曲こそは、例の唯一のアロイジア宛の手紙で、
「これはあなたのためにだけ書いたもの」と強調されているもの。
「今まで作った最上のもの」とも書いているので、
あるいは、この曲こそが、
二人の記念の最高作と考えてもよかろう。
モーツァルトはパリにいて、離ればなれであり、
美化もされていたかもしれない。

が、残念ながら、曲が完成した時、
アロイジアは、他の男のものになっていた、
というオチが付く悲しい記録でもある。
管楽器が明滅して、前の曲より特徴的である。

この曲は死を決意した主人公が歌う作品にしては、
華麗に過ぎるというが、
出だしこそは、沈痛で、
ファゴットの音色なども不気味ながら、
最後は、声もオーケストラもどんちゃん騒ぎとなる。

指揮がマッケラスに変わっても、
シュトライヒは、ここでも味が濃く、
ジーデンは夢見がちである。

すごい高音は、さすがに限界ぎりぎりという感じだが、
シュトライヒもなんとかこなしている。

K.416:(Track5)
「レチタティーボ『わが愛する人よ』と、
アリア『ああ、分かってくれないだろうね』は、
1783年1月8日に完成された。」

ということで作曲順かと思うと、
K.383が抜かされてしまった。
あるいは、ドイツ語のものは別枠なのかもしれない。

ちなみに、ケッヒェル番号も400番台になって、
前のアリアから、4年も経っていることに注意されたい。
すでに、アロイジアは人妻である。
モーツァルトも結婚している。

「初演は1月11日になされ、同年3月23日の、
モーツァルトの催しで再演された。
新作をマスターするアロイジアの能力に頼ったのかもしれない。」

完成の3日後に初演とあるから、
あるいはそのとおりかもしれない。

「テキストはガエターノ・セルトールの
オペラ『ゼミーラ』のリブレットにより、
劇中は男役によって歌われるもの。
器楽はオーボエ2、バスーン2、ホルン2と弦楽である。」

だんだん解説が簡略化されて来た。
ちなみに、『ゼミーラ』は、このCDを飾る肖像画が、
「ゼミーラを演じるアロイジア・ランゲ」とあるが、
この曲そのものは、ガンダルテという登場人物が歌うものとされる。

蒙古王アクバールは、ガンダルテに、インドの王女でもある、
妻ゼミーラを譲るか、殺すかの二者択一を迫られる状況。

従って、アロイジアが実際、何を演じたのか、よく分からない。

しかも、この曲は1783年の作曲で、
肖像画は1784年のものだという。
別の機会かもしれない。

この曲のジーデンも安全運転で、
きれいな声を聴かせ、火急の時の歌とも思えない。
シュトライヒの方が神秘的な怪しい妖気が漂っている。

さて、K.417の「ホルン協奏曲(第2番)」を挟んで、
次の2曲が、ケッヒェル番号順に並ぶ。

K.418、419:(Track3と1)
「『ゼミーラ』を作曲したパスクヮーレ・アンフォッシは、
『無分別な詮索好き』も作曲しているが、
この曲にも、モーツァルトは、2曲の挿入曲を作曲している。
リブレット作者不明の、
『あなたに明かしたい、おお神よ』K.418と、
『いえ、いえ、あなたには』K.419である。
1783年7月2日の手紙の中で、
モーツァルトは、初演で、
この2曲だけが拍手されたと書いている。」

この時代になると、先の岩波文庫も、
上下巻の下巻を参照することになるが、
この日の手紙は収録されていない。

「彼はアンフォッシのオペラを修正したかったという説があるが、
モーツァルトは、台本の36ページと102ページは、
アンフォッシのアリアはアロイジア独自の才能にマッチしないので、
自分が書き換えたと、その印刷台本に注記している。
1783年6月20日に完成された『あなたに明かしたい』は、
オーボエ2、バスーン2、ホルン2と弦楽のオーケストラで、
目立ったオーボエパートを有する。
このアリアは、アダージョ『Vorrei spiegarvi』と、
アレグロ『Ah,conte,partite』の二つのセクションからなる。」

この曲では、少々、シュトライヒの表現は、
わずらわしい領域に入っている。
気持ちがはやっているが、声が置き去りになっている。
その点、ジーデンの歌の方が夢想的で美しい。

が、これは言い寄られて困る女性の歌なので、
シュトライヒの方が正解とも言える。

「また、『いえ、いえ、あなたには』K.419は、
1783年6月20日か21日に完成され、
トランペット2、ティンパニを含む、
通常とは異なるオーケストレーションが施された、
本格的な華麗なアリアである。」

確かに、最初から、どーんと来る勢いのある音楽。
騙されたことを知った女の怒りが炸裂する。
ジーデンは、いきなりこんな曲を最初に持って来ている。

彼女の伸びのある声の美質を強調するには、
この曲はうってつけかもしれない。
予想されることだが、それほど怒ってない感じである。
シュトライヒはヒステリックになる寸前にまで行っている。

K.538:(Track4)
「『ああ、恵み深い星よ、天にあって』は、
メスタージオの『中国の英雄』に付曲され、
1788年3月4日に完成された。」

前の作品から5年も経っていることに注目したいが、
最初に会った時が17歳だったので、
アロイジアはまだまだ若く、28歳である。
モーツァルトも若いが、もう晩年である。

「しかし、アラン・タイソンによると、
草稿は10年前のものだという。
この作品はコンサート用であり、アロイジアの才能に、
よくマッチしている。」

何と、モーツァルトは、10年前を振り返ることで、
アロイジアとの関係を総括し、
改めて、感謝したようにも見える。
この作品が、アロイジアに捧げた最後のアリアとなったからだ。

確かに、この曲の楽想はフルート協奏曲みたいである。
「私の愛する人の顔を輝かす星々よ、
守って下さい、真の愛を、
あなたが授けてくれた真の愛を」と歌われるが、
状況としては、別れを迫られた歌で、切迫している。
歌詞だけを見れば、
モーツァルトとアロイジアの祈りのようにも見えなくはない。

ジーデンは均質で透明な声を聴かせている。
技巧的なパッセージも気持ちよく駆け上る。
シュトライヒは、この美感を損なっても、
この状況のリアリティを重視している。
好き好きであろう。

さて、まだ1曲、ドイツ語の名品が残っている。
この曲はまさに、アロイジアが結婚し、
モーツァルトも結婚する前夜の時期にあっての作品である。

K.383:(Track7)
「1782年4月10日に完成された、
アリア『私の感謝をお受け下さい』は、
アロイジアの、まったく違った一面を見せている。
明らかにチェロとコントラバスが分離した、
フルート、オーボエ、バスーンと弦楽による
デリケートなオーケストラをバックに、
ここで、彼女は、
今日で言うところのスポンサーに感謝を述べ、
優しい言葉で自己表現している。
歌詞が誰のものかは分かっていない。」

このような曲なので、最後に持って来たくなる曲だ。
シュトライヒとシュターダーの比較もしたが、
シュトライヒは改めて、可愛らしい表現だと思った。
ジーデンは、速いテンポで、客観的な歌である。

さて、以上で各曲の解説が終わり、以下、いっそう興味深い、
パート2となる。

「2.
アロイジア・ウェーバーのためにモーツァルトが、
7つのアリアを残した背景にある愛や心酔は、
我々に、
残念ながら、直接的報告が少ない実際の出来事や、
さらに重要な霊感の源が何なのか、
といった事への思いを巡らせさせる。」

まったくおっしゃる通りなので、
さっさと何があったのかを教えて欲しい。

「いくつかの報告によっても、
モーツァルトにアロイジアが与えた印象は、
明らかではないが、
その声と、パーソナリティに、
彼が驚かされたということは推察できる。
ただし、専門家も素人も、
その心酔の程度に関しては分からない。
我々に残されたのは、これらの並外れたアリアだけである。」

ということで、どうやら、つべこべ書くだけで、
新事実が出て来る様子がないので、
腹立たしく思えて来た。

そうした思いが頂点に達するのが、次のような一節である。

「文学や芸術は実際の人生以上の情熱で、
大ロマンスを描いて来た。
拒絶された愛、牧歌的な結末、抗いがたい心酔、
彼らが夢想するような、
理想的な関係に到ることのできないぎくしゃくした男女。
ハッピーエンドに到らなかった物語に適用される妄想は、
実際に起こった事とは、たぶん無関係だろう。
高貴な心、自暴自棄や、
愛のための死などを重視するロマン主義の出現以来、
誰も考えもしなかったような、
または、ロマンティックな英雄たちも、
見せる事が出来なかった愛の深さを、
彼が、狂おしい心情や、同情や、
彼が生涯持ち続けたであろう感情の渦巻きとして、
消えることなく、具現化できなかった神聖な心情を示すもの、
芸術家の霊感を燃やし続けたものとして、
形にして残してくれなかったものかと思う。」

後半、言葉の空転が虚しい。
モーツァルトが、そうした不滅の愛を持っていたというのは、
ロマン主義的な幻想だと言いたいのだろう。
しかし、そんな見解を聞きたくて、このCDを買う人がいるだろうか。
これを買う人は、どの歌の一言一句に、モーツァルトの心情が、
刻まれているかという分析である。

「これらの楽しいアリアを捧げられ、
モーツァルトがぞっこんになったと、
我々が信じたいアロイジアに拒絶され、
それが、まさしくその妹と結婚することになる理由だとされ、
モーツァルトだが、
若き日の最初の出会いの興奮を、
ずっと持ち続けたということはなさそうだ。
我々は、何が事実かを知りたいにせよ、
自身の妄想を抑制し、
何がありそうだったかなどは忘れるべきである。
想像上の会合を想起することを妨げるものはないとはいえ、
最も魅力的で心優しくも重大な邂逅によって、
アマデウスとアロイジアの心に、
偉大な愛情の火花が散ったかどうかは、
今日分からないし、
その運命がその愛を伸ばし、解放し、
育て、花開かせる機会を妨げ、
自然の避けられないリズムによって、
葉を落とし、ハーモニーの中に消失したがゆえに、
神格化されてもいる。
しかし、これは、モーツァルトの魅力的で愛すべき、
移り気な性質によるものでもあり、
それは、その短い生涯の最後の瞬間まで、
神聖な生き生きとした永遠の霊感を与え続けた、
彼の特権的な天才を保障するものでもあった。」

結局、モーツァルトは、最初はアロイジアにのぼせたが、
すぐに忘れたのが事実であろう、と言いたいのだろう。
おそらく、そんな事を引きずっているような人が、
あれだけ新鮮な楽想を次々、生み出せる訳はない、
というのが論拠であろう。

何となく、その見解には同意したくなる。
が、しかし、まったくアロイジアのことを考えなくなった、
「葉が落ちるように」というのは極論かもしれない。

「作曲家が想定しなかった以上に、
これらのアリアが我々の感情を刺激したとしたら、
もし、我々がそれらを聴く時、我々が違う理解を始めたとしたら、
その創造の神秘に続く魔法となる。
それを我々が単純に想像した情熱が、
事実であると考えることもまた、霊感なのではなかろうか。
芸術作品の魔法は、作家の創造活動の絶頂、
それが生み出された環境や、その美点、それ自身の立派さ、
などだけにあるのではなく、
それが伝られる者と、そうした受け手に伝える者の能力、
世紀を超えても、その感性や想像力、経験によって、
それを再創造する能力をも必要とする。
こうした所にその偉大さがあるのである。」

難しいので、自信はないが、
聞き手の妄想礼賛という、やけっぱちの結論であろうか。

しかし、事実から言っても、二人が新鮮に熱々であれたとすれば、
最初のK.294の演奏時だけだったような感じもする。

得られた事:「事実を超えた妄想を呼ぶこともまた、作品の偉大さ、ということか。」
[PR]
by franz310 | 2009-11-22 01:07 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その200

b0083728_0415569.jpg個人的経験:
前回、マリア・シュターダーという、
往年の名ソプラノの歌唱を聴いた。
彼女は宗教曲を得意とし、
華やかな舞台を前提とした
オペラからは遠ざかって、
歌だけが勝負のコンサート・ホールを、
芸術上の我が家としたという。
しかし、パウムガルトナーの薫陶や、
フリッチャイとの協業もあり、
モーツァルトは例外としていたようだ。


従って、「マリア・シュターダー モーツァルト」という
アルバムもあって、ここでは、彼女が歌った、
多くのオペラアリアを聴くことが出来る。
当然ながらというべきか、共演は上記パウムガルトナーの指揮、
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカである。

また、このアルバムに、
フィッシャー=ディースカウなども参加していた、
61年のドイツ語版の「フィガロの結婚」(抜粋)から、
彼女が伯爵夫人役を歌った部分(ライトナー/ベルリン・フィル)や、
54年、フリッチャイ指揮の「後宮からの誘拐」から2曲が、
併録されている。
これは、前回のアルバムでも収録されていた。

このCD、廉価盤のようで、
歌詞などもついておらず、
見開きのドイツ語解説しかないドイツ盤であるが、
何ともしゃれたジャケットのデザインで、
ついつい購入してしまった。
汚れを知らぬシュターダーの声に相応しく、
彼女の表情も味わい深い。

それにしても、
シュターダーの顔を三つ並べ、
色を変えるという発想、
どこから来たのだろうか。
Coverfoto:Zachariasとあるが。

さて、このパウムガルトナーとの共演盤、
62年4月のものとあり、ステレオ録音で、
彼女のムラのない、均質で透明な声を聴くには、
録音は良いが、年齢的には陰りがある、
という位置づけである。

前回読んだ知識では、この年まで、
彼女はザルツブルク音楽祭の常連だったように書かれていたから、
逆に言うと、このあたりが潮時だったのかもしれない。

未開拓だった、
モーツァルトのコンサート・アリアの研究と普及を進めたのが、
他ならぬパウムガルトナーだったとあったが、
ここでも、オペラからのアリアに挟まれて、
真ん中に4曲のコンサート・アリアが収められている。

また、オペラからのアリアも、
有名なものではなく、初期の「牧人の王」と、
中期の「イドメネオ」からのアリアだというのも、
いかにも、パウムガルトナーの仕事、
という感じがする。

そもそもコンサート・アリアという曲種そのものが、
モーツァルトの時代以降、衰退してしまったので、
我々にはあまりなじみがない。

オーケストラ伴奏歌曲集なら、
ロマン派以降、大きな流れが見られるが、
こうした一般の歌曲の伴奏が
管弦楽になったようなものではなく、
何かの劇の一場面の登場人物の繰り言が、
声高に繰り広げられるという内容なので、
その劇なり登場人物の位置づけなりが理解できないと、
完全な鑑賞が困難なので、
バックグラウンドをよく把握する手間がかかってしまう。

とにかく、このコンサート・アリア、順次、聴いて見よう。

Track4.「わからないわ、あの人の悩みは」K.582
これはいきなり、困った背景の音楽である。
マルティン・イ・ソレールという作曲家の、
「善良な気むずかし屋」というオペラが、
ヴィーンで演奏された時に、
添え物として書かれた2曲の1曲らしい。

「わからないわ、どうしたの、
あの人の悩みって、
怒っているの、妬いてるの、怖いの、
疑っているの、恋してるの
ああ、私の清い愛の心を、
ご存じのあなた、この胸のもやもやを
追い払って下さい。」

何だか、最近流行りのツイッターみたいな、
つぶやき内容であるが、
単に、もんもんとした悩みが歌われればよろしい、
という歌ともとれる。

この曲は、ルイーズ・ヴィルヌーヴのために書かれたとあるが、
蛇足ながら、たいへんな美人だったようである。

1789年、晩年期の作品であるせいか、
各楽器の出入りも精妙である。
3分の小品にすぎないが、
後奏での圧倒的な迫力はすばらしい。

前言撤回になりそうだが、シュターダーの歌も、
彼女の純度の高い声の美質が十分に味わえ、
年齢の影響を感じさせない出来映えになっている。

Track5.「私の感謝をお受けください」K.383
これは、アロイジアのためのもので、
彼女との失恋を味わいながら、
コンスタンツェと結婚する4ヶ月前、1782年に書かれている。

しかし、いかなる機会のものかは分からないらしい。

こんな感じの作者不詳の詩が歌われているという。
「信じてください、私は命ある限り、
ご恩を決して忘れません。
遠い昔から、放浪の旅は
ミューズと芸術家の定めでした。
他の方と同じように、
この父の地を去るのが
私に与えられた定めです。
どこへ行こうとも、いつでも、
そしていつまでも
いつまでも私の心はあなたのおそばです。」

ピッチカート伴奏の上を、オーボエとフルートが彩り、
メロディも愛らしく、声を交えた協奏交響曲の趣すらある。
パウムガルトナーの指揮がまた、
こうした魅力的な要素を、
せいいっぱいに引き出したものとなっている。
歌手を七色の雲で包み込んでいるように聞こえる。

この4分弱のアリアは大変有名なもので、
多くの歌手が録音している。

この立ち去って行く内容と、
感謝の気持ちによってか、
アルバムの最後に置かれることが多いようだ。
シューベルトの「楽に寄す」のようなものか。

シュターダーの歌は、真摯でこびがなく、
祈りに近い歌となっている。
これは、名演、名唱として記憶すべきものであろう。

おそらく、アロイジアはこうは歌わなかったと思われる。

Track6.「あなたの心は今は私に」K.217。
これは、他人のオペラへの挿入曲である。
1775年、ガルッピのオペラ「ドリーナの結婚」が、
ザルツブルクで演奏された時にモーツァルトが書いたもの。

ただし、上演の記録も歌い手も定かではないという。

小間使いのドリーナが、恋人を試す歌、
あるいは言い寄る男をあしらう歌だという。
「恋人としては忠実な心をお持ちですが、
いったん夫と決まったなら、
忠節をお守りになれるかしら?」という内容。

この曲は6分と、これまでのアリアの中では長め。
切々とした、分厚い弦楽の助奏は、
やがて、胸の高鳴りを思わせるリズムを刻み、
ホルンやオーボエが印象的な音を響かせると、
軽やかにソプラノが技巧的なパッセージを繰り広げ始める。

小娘の役柄に相応しい、
明るく危なげのない声を響かせ、
ステレオ期シュターダー限界説を、
取下げなければならない出来映えである。

Track7.「あなたに明かしたい、おお神よ」K.418。
これも他人のオペラへの割り込み曲。
1783年のヴィーン、アンフォッシのオペラが演奏された折。

オーボエが常にやるせない音色を響かせ、
ピッチカートの伴奏も胸の高鳴りを刺激する。

実は、これは、アロイジアのための曲でもある。
「私の心は燃えるわけにはいきません」
「あなたの愛するエミリア様がお待ちです」
と、許されぬ恋心を歌ったもので、
いかにも、モーツァルトでなくとも、
未練のある恋人のために、
書きたくなるような感じがしないでもない。

ため息のような表現も含め、
非常に高い声を要求されるが、
シュターダーはちゃんとこなしている。
ただ、身もだえするような表現が欲しいところだ。

さて、このCDには、先に書いた、
ドイツ語版「フィガロの結婚」(61年録音)から、
3曲が収録されているが、伯爵夫人のシュターダーに対し、
スザンナ役で、1曲だけ、二重唱に参加しているのが、
リタ・シュトライヒである。

ここでも、シュターダーの声の、
高貴な汚れのない、いわば機械的とすら言われた声が、
もっと人間的な色気を感じさせるシュトライヒの声と対比され、
伯爵夫人の年齢を超越している。

b0083728_0422671.jpgシュターダーはこの共演の1年後に、
モーツァルトのアリア集を録音したが、
リタ・シュトライヒは、この1年前に、
よく似た、モーツァルトのアリア集を、
同じグラモフォンに録音している。
これはドキュメンテ・シリーズで、
CD化されていて、
何曲かを聴き比べることが出来る。
このコンサート・アリアは、
マッケラス指揮のものであるが、
パウムガルトナー指揮のものも併録。


このパウムガルトナー指揮で、
リタ・シュトライヒは、初期のオペラ、
「牧人の王」K.208から、
羊飼いをしていながら、アレクサンドロス大王に、
王位継承者に抜擢される青年、アミンタのアリア、
「Aer tranquillo」を歌っている。

実は、これこそは、シュターダーのCDで、
冒頭を飾っているものである。

つまり、パウムガルトナーは、
1961年には、リタ・シュトライヒのソプラノで、
1962年には、マリア・シュターダーのソプラノで、
もともと男声高音用のこの曲を、
続けて録音しているということだ。
よほど、この曲が好きだったのだろう。

「穏やかな空気と静けさが、
清らかな泉と緑の牧場が、
羊の群れと羊飼いの喜びだ」
と歌われるもの。

雄大な楽想の助奏に続き、
力強い歌声が青空に響き渡るが、
導入部でシュターダーは、少し、苦しげである。

(このオペラから、シュターダーは、
アミンタの恋人であるエリーザのアリアも2曲歌っているが、
こちらも、シュターダーは苦しそうに聞こえる。)

驚いた事に、シュトライヒの盤では、
同じ、パウムガルトナーの指揮、
同じカメラータ・アカデミカの演奏であるにもかかわらず、
少し、ゆっくりめのテンポで、
きらきらと響く、チェンバロの音が目立つ。

シュトライヒの声は、
シュターダーのようなクリスタルなものではなく、
陰影が豊かで、弦楽器のように声帯の震えに、
魅力的な息遣いを感じさせる。
歌もまた、突き抜けるようなものではなく、
民謡を無理なく口ずさむ感じに近い。

しかも、終わり近くのかなり装飾的なカデンツァを、
かなり華やかに聴かせている。
パウムガルトナーも、ひんぱんにテンポを変えて、
このような芸風に柔軟に対応している。

ただし、このシュトライヒのCDの表紙は、
愛らしいこのソプラノの、
魅惑的な表情を捉えたものとは言い難く、
何だか、別人にも見える。

では、このシュトライヒの解説には、
どのような事が書かれているであろうか。
Rita Fisher-Wildhagenという人が解説を書いている。

「歌手の完成度について、モーツァルトは、
非常に興味を持っていたようで、
何度もそうしたことを語っているが、
特に、三つの点が語られており、
趣味、技法、表現について、彼は詳細に見ている。
確実で無理のないテクニックが必要不可欠であるばかりか、
作品が求める表現の幅もまた、これまた基本であった。
これらの基本は、また、
今日のモーツァルト歌手にも求められるものだ。
リタ・シュトライヒは20世紀において、
この理想の伝統を守っている歌手の一人であった。
1920年、ノヴォシビリスク近郊のBarnaulに生まれ、
ベルリンにて、当時の指導的な歌手、
ヴィリ・ドングラーフ・ファスベンダー、
マリア・イヴォーギュン、エルナ・ベルガーに学んだ。
デビューで、『ナクソスのアリアドネ』の
ツェルビネッタ役を歌って、
現チェコのAussigにて、まず、その能力を試された。
彼女の広いレパートリーにおいて、シュトラウスは、
モーツァルトと並んで、もう一つの彼女の重心であった。
彼女は1946年、ベルリンに戻ると、
オリンピアやブロンデの役で、最初の特記すべき成功を収めた。
他に、ツェルリーナ、ジルダ、ゾフィーなどを得意とした。
ベルリン州立オペラとの2年の契約において、
ツェルビネッタ、夜の女王やコンスタンツェを歌ったが、
1953年には、ヴィーン国立歌劇場に移り、
1972年のステージ・キャリアの最後まで、そこに留まった。
1950年代、様々な欧州の音楽祭で輝かしい歌唱で、
国際的名声を得た。
Woodbirdの役で1952年と53年にはバイロイトで活躍、
ミュンヘン・オペラではレギュラー・ゲストであった。
1954年には、
スザンナとツェルリーナでロンドンにデビュー、
エンヒェン、ナイアドで、ザルツブルク音楽祭出演、
ゾフィー役でローマ歌劇場にも出演した。
3年後にはサンフランシスコを皮切りに、
ツェルビネッタの役で北米の各歌劇場に進出した。
同じ役柄で、1958年、
グラインドボーンでもデビューを飾り、
ミラノ、エクス・ヴァン・プロヴァンス、
ニューヨーク、シカゴが、この時期の、
彼女の勝利に満ちた活躍の場となった。
こうしたオペラ・ハウスにおけるのと同様に、
彼女は早い時期から録音スタジオでも賞賛されていた。
レコーディング技術は確実に発達して、
遂にはオペラの重要部を捉えることが可能となり、
歌手にとって魅惑的な分野になった。
1952年、エルザ・シラーは、ドイツ・グラモフォンの
プロダクト部長になるや、
この若いコロラトゥーラ・ソプラノと契約を結んだ。
1960年代の到来と共に、リタ・シュトライヒは、
芸術歌曲やその他のコンサート作品にも惹かれるようになり、
よく訓練され、開発された声、超絶技巧、
広く変化に富んだ表現力によって賞賛され、
聴衆は30年にわたる彼女のキャリアにわたって、
賞賛を続けた。
録音技術は、
当時の聴衆が経験した楽しいひとときを、
今日に蘇らせることを可能にした。
1974年、リタ・シュトライヒは、
エッセンで歌唱の講座を受け持ち、
1976年にはヴィーンに移って、
教育活動を続け、その経験から得た果実で、
後進を育成した。
彼女はオーストリアの首都にて、
1987年3月20日に死去した。」

この解説は、彼女の履歴や、
人気を伝えるものであっても、
歌唱の魅力に関しては具体性を欠いたもので、
少々、物足りないものがある。

しかし、モーツァルトのアリアに関する解説が続いている。
「この録音における、
オペラのアリア、そしてコンサート・アリアは、
完全に苦もなく華麗な歌唱を聴かせることを要求するもので、
彼が選んだものであれ、そうでないものであれ、
そのテキストは、
モーツァルトが曲を付けるに値すると見たもので、
さらにそれと同等に、
歌手たちのそれぞれの強みを、
生かそうとしたものである。
これらは誰の為に書かれたのか。
1782年、ヴィーン初演の『後宮からの誘拐』のブロンデ役は、
テレーズ・テイバーのために書かれたものであり、
K.583のアリアは、1789年に、
ソレールのオペラ・ブッファの挿入曲として、
ルイーズ・ヴィルヌーヴのために書かれた。
1791年、モーツァルトの義妹、
ヨゼファ・ホーファーが『夜の女王のアリア』を歌って、
ヴィーンのアウフ・デア・ヴィーデンで初演された時、
『魔笛』はたいした成功にならなかった。
これらの作品で、最も初期のものは、
『牧人の王』のアミンタのアリアで、
1775年、ミュンヘンからザルツブルクに呼ばれた、
カストラートのトマゾ・コンソーリのために書かれた。
3年後のマンハイムでのコンサートで、
この華麗なるナンバーは、
アロイジア・ウェーバーによって歌われた。」

シュターダーが苦しそうなのは、
もともと、カストラート用のアリアだからだろうか。

「彼女は16歳で、モーツァルトは、
彼女に夢中になった。
しかし、彼女が結婚相手に選んだのは、
彼女の妹コンスタンツェとすることになる
モーツァルトではなく、
役者で画家のヨーゼフ・ランゲだった。
1788年までの10年にわたって、
彼はアロイジアに技巧を要する作品を、
アロイジアのために書き続けた。
アリアやシェーナ、
K.316、383、416、
418、419、538において、
リタ・シュトライヒは、
モーツァルトを魅了し、
彼女の同時代者を興奮させた音域の、
ある歌手の足跡をたどっている。」

このように、リタ・シュトライヒは、
モーツァルトの意中の人のような役回りを、
このアルバムにおいて演じているわけである。

しかし、長らく私は、シュトライヒは、
このような凝った選曲をする人ではないと思っていた。
民謡なども得意としているので、
何となく、自分に合った曲だけを歌っているのかと思っていた。

このような選曲で、
「アロイジアのためのコンサート・アリア集」などと書けば、
ものすごく、彼女の見方も変わって来そうである。
あるいは、この表紙デザインも、
そうした彼女の別の面に光をあてたものだろうか。

ただ、このCDでは、サービスがあって、
前半は、「後宮からの誘拐」からの2曲、
「魔笛」からの2曲がフリッチャイの指揮で収められ、
みんなが喜ぶ工夫もされている。

また、先のパウムガルトナー指揮で、例のアミンタのアリアと、
K.294のコンサート・アリアが収められ、この1曲と、
最後の7曲が、「アロイジアのためのアリア集」となっている。

なお、最後の7曲では、バイエルン放送交響楽団が共演している。
指揮はマッケラスである。
1960年から現在に至るまで、マッケラスの指揮歴は長い。

さて、この中から、
先のシュターダーのCDと重なっているのは、
「楽に寄す」に似た、K.383と、
やるせなく、悶々とした、K.418である。
いずれも聴き比べが楽しみな力作である。

シュターダーは51歳、シュトライヒは40歳で、
かなり、肉体的ハンディがありそうである。
シュターダーはしかし、後の録音なので、
シュトライヒの出方を知っての、
後出しじゃんけんになっている可能性がある。

まず、K.383は、この曲の内容からしてか、
シュトライヒは、アルバムの最後に置いている。
甘い声で、女性的な、
たおやかなたたずまいを感じさせる歌になっている。
非常に親密な感じで、心がこもった歌になっている。
宗教曲を得意としたシュターダーは、
どうしても祈りのような表現になるが、
シュトライヒは、歌のお姉さん的に親しみやすい。

K.418は、オーボエの音色も胸に染みるあの曲だが、
人間的な弱さ、脆さは、シュターダーには似合わない。
こっちは、やはり、感情表現が多彩な、
シュトライヒに分配があがるのではなかろうか。
聴く前から、決めつけてしまったように、
シュトライヒの歌唱は、大きなヴィブラートを伴って、
切々と訴えかけて来るものがある。

が、多少、演劇的すぎるかもしれない。
ため息のようなパッセージも、一息一息に、
苦しい胸のうちが吐露されて胸が熱くなる。

シュターダーは、それを知っての上で、
翌年、同じ曲にチャレンジしたのかもしれない。
もっと、硬質な、天上に向かう高貴な歌として捉え直し、
明らかに異なる世界を形成している。

このような先入観を持って、各曲をざっと概観してみよう。
パウムガルトナー指揮による、もう1曲、
Track6.「私は知らない、どこから来るのか」K294。
アロイジアのために作曲した最初の作品とされる。
8分半を超す大曲で、様々な技巧をちりばめた作品。

自分を殺そうとした犯人を捕まえた王様が、
得体の知れない感情を吐露するもので、
それは、実は自分の子供であるという筋が根底にあるらしい。

シュトライヒの特徴とされる、
幅広い感情表現がここでも、
様々な色調の声をしなやかに輝かせている。
途中、悲痛な表情も垣間見せ、
逡巡する感情の振幅が伝わる大作の熱演である。

以下、マッケラスの指揮による。
Track7.「ああ、恵み深い星よ」K.538。
1788年の作、アロイジアのために書いた最後の曲である。
「私を殺すか、私の恋人をこのまま私にくださるか」
と、恋人との別れを予感して嘆く歌が、
アロイジアのための最後の曲になったとは。
しかも、かなり大きな曲で8分弱を要する。

何と意味深な。
舞台は中国だということだが、そんな事は、
音楽そのものからは感じられない。

恵み深い星、とあるだけあって、
後奏では、夜空に広がる、
星のまたたきを見わたすような素晴らしい音楽が鳴り響く。

この曲はグルベローヴァも歌っているが、
より生き生きとしたリズムで鳴り響く伴奏は、
このアーノンクールの指揮の方が雄弁だ。

この演奏と比べると、
シュトライヒの歌唱は、録音が古いせいか、
いささか、深みに不足するような感じ。

Track8.「私は行く、でもどこへ」K.583。
これは、先のK.582と同様、ソレールの歌劇への挿入曲。
この曲はセルが指揮したロンドン響をバックに、
1968年にシュヴァルツコップが歌った名盤があるが、
これは、晩年のモーツァルトの、
澄み切った境地を行くような表現であった。
シュトライヒより5歳年配なので、53歳の録音である。

それに比べると、シュトライヒは若々しい表現で、
声の音色も多彩で豊かではあるものの、
少々、騒々しく、その境地には到達していない感じ。
おそらく、アロイジアには、シュトライヒの方が近いのだろうが。

Track9.「テッサリアの民よ」K.316。
これは、11分を超える大作で、パリ旅行の帰りに完成されたもの。
そのせいか、管楽器の伴奏の多彩な音色が面白い。
グルベローヴァはアーノンクールとアリア集を出す前に、
グラモフォンにハーガーとこの曲を入れている。

この苦心作を一言で語るのは忍びないのでパス。

Track10.これはすでにふれたK.418。

Track11.「いえ、いえ、あなたには」K.419。
これは、前の曲と同じオペラの挿入曲。
前の曲で騙されかけたクロリンダが怒る内容のもの。
このような怒りの表現になると、
可愛らしい感じのシュトライヒには不利である。
何だか、これまた騒々しい感じ。

Track12.「ああ、分かってくれないだろうね」K.416。
1783年の作品。8分45秒の大きな作品。

妻を譲るか、殺すかの二者択一の悩みを歌うものらしい。
めちゃくちゃな設定ながら、音楽は神妙なもので、
こういった悩ましい感情の曲では、
シュトライヒは味わい深い表現を聴かせる。
が、ここで要求される高い音は、
さすがの往年のコロラトゥーラにも苦しそうである。

実は、これも、グルベローヴァの歌唱と比較できるが、
今回は時間切れでパスさせていただく。

Track13.これが最後のトラックで、K.383。

なお、このCDのトラック4の「夜の女王のアリア」は、
女王というにはスケールが小さいが、
とても魅惑的なものに仕上がって、
この名作を粋に楽しませてくれるものであった。

ただ、今回のコンサート・アリア集を聞くと、
シュトライヒには、シュターダーにはない、
感情表現の豊かさがあるが、
続けて聴くと、時としてわずらわしく、
反対に、シュターダーの歌唱の、
ずっと聴いていても飽きの来ない純粋さに思い至った。

得られた事:「シュターダーの硬質な表現、シュターダーの多彩な語り口、一長一短。」
「アロイジアの超絶技巧を垣間見ると、モーツァルトが惚れたのも肯ける。」
[PR]
by franz310 | 2009-11-15 01:01 | 古典

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その199

b0083728_09963.jpg個人的経験:
前回、モーツァルトの、
未完の「ハ短調大ミサ曲」を聴いたが、
この曲で、目覚ましい絶唱を聴かせた、
マリア・シュターダーについて、
気になったので、脱線してみたい。
このミサ曲で共演したフリッチャイや、
カール・リヒターとのバッハで
知られる往年の名歌手であるが、
こうした宗教曲を得意とする歌手なのに、
何故か、シューベルトでは知られていない。


フィッシャー=ディースカウの著作、
「シューベルトの歌曲をたどって」の巻末で触れられた、
シューベルトの歌曲を歌って優れた人の一覧にも、
同時期に活躍していた、ゼーフリートやシュトライヒの名前はあっても、
シュターダーの名前は出ていないので、
やはり、彼女はシューベルト歌手ではなかったようだ。

1950~60年代に活躍した過去の人ゆえ、
沢山のレコードが廃盤になったという理由等から、
知られていないということではなさそうである。

また、モーツァルトのオペラの録音があるものの、
オペラ歌手ではまったくなかった、という事が、
今回取り上げるCDの解説にも出ていた。

このCDは、ドイツ・グラモフォン・レーベルの、
「SIGNATURE」シリーズから出ているもので、
過去の名盤からCD化されていないものを、
改めてCD化してくれている。

ここでも、25トラックが初CD化ということで、
一般のバッハ、モーツァルトの宗教曲の歌手
といったイメージのシュターダーが、
シューベルトの歌曲を歌った録音が、
収められているのが嬉しい。

しかし、たった1曲。
ただし、シューベルトの絶筆、
長大な「岩の上の羊飼い」である。

2枚組で32トラックあるが、
その他、メンデルスゾーンの歌曲なども収められている。

表紙写真はかつてのLPを再現したようなものではないが、
シュターダーの澄んだ、清らかな声を思わせる、
気品を感じさせる清純なイメージがあって好ましい。

フリッチャイと談笑している写真など、
多数、収録されているのも特筆すべきかもしれない。

では、解説を見ていこう。
かなり、個人的な生い立ちから書かれている解説も珍しかろう。

「マリア・シュターダー:
『一番大切なこと、それは歌うことです。』」
という題名のもの。

「『神様、あなたがモーツァルトを歌うように、
私もモーツァルトを弾けたら。』
こうした賞賛の言葉を発したのは、
他ならぬ、伝説のモーツァルト弾き、
クララ・ハスキルである。
彼女は、マリア・シュターダー(1911―1999)を、
国際的なモーツァルトのスペシャリストと呼んだ。」

名ピアニスト、ディヌ・リパッティは、
ハスキルが演奏会場にいると緊張したというが、
そのハスキルも、シュターダーの歌には、
同様の畏怖を感じたのだろうか。

リパッティやハスキルのレコードは、
何度も何度も再発売されているが、
シュターダーはそこまで特集されているのは、
これまで見たことがない。

「モーツァルトのミサ曲、ヴェスペレ、コンサート・アリア、
とりわけ、有名な「アレルヤ」を有する、
モテット「エキスルターテ・ユビラーテ」の声楽家として、
このスイスのソプラノは、全世界から祝福を受けている。
モーツァルト歌手としても、
彼女は最高の栄誉を受けており、
1950年にはモーツァルトの街、
ザルツブルクから『リリー・レーマン・メダル』を受け、
作曲家の生誕200年の1956年には、
『シルバー・モーツァルト・メダル』を受けている。
これらに、さらに、1962年、
チューリッヒにおける『ゴールデン・ネゲリ・メダル』、
1965年、オーストリアの『芸術と科学の十字勲章1位』が続き、
1977年には教授のタイトルを受けている。」

このCDには、この「エキスルターテ・ユビラーテ」が、
1枚目の最後の方に入っている。
K.339のヴェスペレからの「ラウダーテ・ドミヌム」と共に、
1960年、フリッチャイとの録音である。

「実際、まったく異なった、
恵まれない環境で始まったキャリアの歌手にとって、
実際、素晴らしい栄誉であった。
1919年、第一次対戦直後、
赤十字の休暇に、戦争で荒廃したブタペストの街から、
8歳のマリア・モルナーとして、
マリア・シュターダーは、初めてスイスにやってきた。
彼女のために練られた計画は、
3ヶ月の健康回復の滋養強壮であって、
その後はハンガリーに返される予定であった。
彼女のスイスのホスト・ファミリーは、しかし、
別の考えを持った。
スイス移民局との綱引きが始まり、
結局、コンスタンツェ湖のロマンスホルンにある、
旅館経営者で漁師であった、ユリウス・シュターダーが、
彼女を養女として受け入れた。」

どうでも良いような話であるが、
私は、こうした話に弱い。
ハンガリーの両親はどうなったのか。
スイスの人たちの愛情にも、非常に感慨深いものを覚える。
こうした背景の人が、歌い上げる「アレルヤ」には、
それなりの重みを感じてしまう。

「この地で、彼女は、最初の音楽的印象を受けた。
ルドルフ・ゼルキン、エマニュエル・フォイアマン、
また、二人のハンガリーのアーティスト、
アニー・フィッシャーと、
ステフィ・ゲイエルによるコンサートによってである。
しかし、彼女を虜にしたのは、
ハインリヒ・シュルスヌス、カール・エルブ、
ジーグリード・オネーギンなどの歌手であった。」

こうした話も重要であろう。
彼女の芸術の原点が、こうした点にあるのは間違いない。
いずれも、シューベルトには、
一家言持った人たちの名前が並んでいるのが印象深い。

「しかし、彼女は心からの望み
(最初の声楽のレッスン)がかなうまで、
15歳まで待たなければならなかった。
そして歌手になるための10年の訓練が始まった。
『最初の2年間は主にブレシングの練習でした。
これは歌うための基礎です。
それから声とスピーチのトレーニングとなります。』
語学は、シュターダーが常に強調するように、
最も重要なものであった。
『歌手は語学からヴォーカル・コードに行くべきであって、
決して、ヴォーカル・コードから語学に戻ってはなりません。
息、子音、母音、声、これが学ぶべき順番です。』
『まず、彼女は厳しい訓練を、
教師、ハンス・ケラーの前でみっちり行い、
イロナ・ドゥリゴ、アルトゥール・シュナーベルの妻、
テレーゼ・シュナーベル・ベーアに続いて学び、
ミラノのジアンナ・アランギ・ロンバルディ
のもとで仕上げをした。」

シュナーベルもシューベルトの大家であるから、
ドイツ・リートの道にも進んで良さそうであるが、
仕上げにミラノに行ったということは、やはり、
イタリア語の歌曲やラテン語の宗教曲を
歌いたかったということであろうか。

だから、フリッチャイの指揮による、
ヴェルディの『レクイエム』でも、
彼女は気品と説得力のある声を聴かせているということか。

それにしても、ものすごい特訓である。

「『私たちは、主にレガートで、様々な母音で、
ドからソのゆっくりとした音階を練習しました。
メカニカルにならないように。
低いGから始まって、半音ずつ上がって3度上のGまで。』
そして90時間の練習はすべて音階だけで、
『すべての音符は次の音に、
接ぎ目なしに進まなければなりませんでした。』
遅くとも1939年までに、
有名なジュネーブの音楽院で一等を取り、
偶然の機会に、シュトラウスのアドリアネの
ツェルビネッタのアリアで、
マリア。シュターダーの名前は、まず、世界に広まった。」

1911年生まれなので、28歳の頃である。

「第二次大戦の勃発で、この大きな夢は、
いったん終わりを告げ、活動をスイスに限定した。
ここで彼女はレパートリーを完璧に修めた。
バッハの『受難曲』や『カンタータ』、
ヘンデルやハイドンの『オラトリオ』、
シューベルトやブルックナーの『ミサ曲』、
ベートーヴェンの『第九』と『ミサ・ソレムニス』、
ブラームスの『ドイツ・レクイエム』と、
ヴェルディの『レクイエム』。
彼女は演奏会のレパートリーを、
教会とコンサート・ホールに限り、
ごくたまに、パミーナを歌うシュヴァルツコップフのように、
『夜の女王のアリア』を歌う以外、
ジュネーブでのツェルビネッタで、
首尾良く始まった路線は継続させなかった。
オペラ・ハウスの扉は、
この小柄な歌手には閉まったままだった。」

この表現は微妙である。
小柄だから、オペラでは不利だったと読める。
しかし、それは望むところだったとも読める。

「それにもかかわらず、
『最初は用心していた』と思っていた、
コンサート・ホールが彼女の芸術上の住み処となった。
「この仕事の高貴さが私を虜にしました。
コンサートで歌うことは、
時として深く宗教的です。
その崇高さに身を捧げねばなりません。
劇場においては、
演技の才能がある歌手は、
声楽の技量の欠点をカバーできますが、
それはコンサートの場ではありえません。
そこで歌手は、
あたかも、マスクも衣装もなく、裸で立つのです。
ジェスチャーも無駄でしょう。
重要なのは、歌うことだけです。』」

このような表現では、何となく、リートを歌っていそうだが、
もう少し、別の分野なのだろうか。
このCDでも、コンサート・アリアなどが多いが
ひょっとすると、そういった分野を想定しているのだろうか。

以下のような文章を書かれると、
きっと、読んだ人は、
シュターダーの声を早く聴きたくなるに違いない。

「シュターダーの慎重な気質は、
自然で羽のような歌い方に不可欠なもので、
もっともそのとおりの意味で、
天真爛漫な直感力は、その歌を、
いささかのわざとらしさ、気取り、
マンネリから遠いものにしている。
シュターダーは、作曲家のみに奉仕し、
純然と音楽に奉仕するコンサート歌手の典型となった。
この無比の音色と情熱的な繊細さ、
驚くべき敏捷さ、銀色に光るソプラノの声、
水晶のように澄んだ、整ったイントネーション、
無理なく、高く駆け上がる時の輝きは、
同時に、歌と言葉が、
そして、声の表現とテキストの解釈が、
常に互いに寄り添っている。」

もうばっちりで、言うことない感じである。
確かに、ここに収められているモーツァルト録音など、
非常に素晴らしい。

私は、CD1より、2枚目に移ってからの方が楽しめた。
見ると、CD1は「ステレオ録音」とあり、
CD2は「モノラル録音」とある。

これは、モノラル期最後の完成度の高さが、
試行錯誤期のステレオ初期より、
しっかりした音質を誇っているからではないかと思った。
あるいは、いくぶん、シュターダーにも、
衰えが来ていたのだろうか。

CD1の最後に、先の「ユビラーテ」など、
モーツァルトが入っているが、
エネルギーと輝かしさという点で、少々、盛期を過ぎている感じ。
少女のような無垢な声で勝負する人には苦しそうだ。

しかし、彼女が、単に、清純なだけの歌手でないことは、
このCDの最初に収められた、1954年録音の、
「後宮からの誘拐」のコンスタンツェのアリア(フリッチャイ指揮)、
を聴いても、よく分かる。
初期の録音のせいか、妙にエネルギーが漲っている。
モーツァルトのオペラ自身の性格によるのだろうか。

この時ですら、彼女はすでに43歳になっているので、
モノラル期からステレオ期にかけて、
みずみずしい声は失われる方向に向かっていたかもしれない。

ルートヴィヒ指揮で入れた、1955年録音の、
「フィガロの結婚」からの、ケルビーノのアリアは、
多少、録音の古さを感じさせるが、
続く、フリッチャイの指揮による3曲、
「フィガロ」から、スザンナのアリア、
「ドン・ジョヴァンニ」からのツェルリーナのアリア2曲からは、
先の解説にあったような、
澄み切って、発音も明快で、
かつ、多彩な音色を響かせて表情も豊かな、
シュターダーらしい特徴が堪能できる。

「魔笛」からのパミーナのアリアも、
55年の録音(フリッチャイ指揮)ではあるものの、
物憂げな情感が秋の空のように張り詰めている。

再び、ルートヴィヒ指揮(1955年)で、
コンサート・アリアが2曲、
「レチタティーボとロンド、
この腕に、さあ、いらっしゃい」K.374と、
「アリエッタ、私の胸は喜びにおどるの」K.579は、
控えめな表現ながら、非常にピュアな感じがして、
無垢の声が堪能できる。

さらにレーマン指揮で、
1954年録音の、コンサート・アリアが2曲、
「アリア、おおいなる魂と高貴なる心は」K.578と、
「レチタティーボとアリア、
憐れな私よ、ここはどこなの」K.369が歌われている。

この録音も古めだが、歌には確かに勢いがあって、
なおかつ、よく伸びて、滑らかで、柔軟である。

このように、モノラル期のモーツァルト、
シュターダーの歌は、まったく飽きることなく、
一気に聴き通せるものだ。

解説冒頭で、ハスキルが賛嘆したというのもよく分かる。
全身を鳴り響かせての、高揚するエネルギー感は、
おそらく、秒弱だったハスキルの羨望の的となったことであろう。

しかし、彼女は、モーツァルトだけの歌手ではないことは、
以下の解説に読み取れる。
「バッハの受難曲や、ヘンデルのオラトリオのような、
バロック音楽に必須とする理想。
この観点で、シュターダーの、カール・リヒターとのコラボは、
まちがいなく、戦後、最も影響力のあった、
バッハのスペシャリストとして伝説となるものだった。
『正確さに対する厳格さ、
同時に直感的な表現力も持つ音楽家、
完璧さという意味だけでなく、
音楽の精神の内容において、比類なき水準。
これらは何と言う音楽的祝祭であったことか。』
リヒターの指揮で、バッハの『ロ短調ミサ』、
独唱カンタータや、『マニフィカト』、
それに今回、初めてここにCD化された、
有名なオラトリオからのアリア集を録音した、
レコーディング・スタジオにて、
彼らは、最初から意気投合した。」

ここに初CD化されたアリア集とは、
1961年、ミュンヘンでの録音になる10曲で、
バッハの「ヨハネ受難曲」から1曲、
「マタイ受難曲」からの2曲、
ヘンデルの「メサイア」からの2曲、
「ヨシュア」からの1曲、
ハイドンの「天地創造」からの2曲、
「四季」から1曲、
メンデルスゾーンの「エリア」からの1曲である。

この頃、シュターダーは50歳に近かったということになる。
この頃の写真も掲載されているが、
フリッチャイと撮影されたスナップに残る、
少女のような面影はすでになく、
やはり、引退も近いという感じが漂っている。

そんな事を確認しながら聴いたわけではないが、
やはり、CD2との間に差異があるのは当然と感じた次第。

これらの録音がCD化されていなかったというのも、
ある意味、仕方がなかったとも言える。
明らかに高音のコントロールが苦しそうである。

もちろん、ここにもシュターダーらしい歌唱は多いが、
リヒターの指揮が精妙なだけに、
シュターダーの綻びが目立つ結果となった。

ただし、ハイドンくらいになると、
歌唱に無理がないせいか、愛らしい美声に酔うことが出来る。

これらの後には、先のモーツァルトの録音が続く。

ここで、改めて、モーツァルトの話になる。
前回、パウムガルトナーの話を書いたが、
ここで、改めて、パウムガルトナー登場となるのも嬉しい。

「しかし、モーツァルトこそ、
とりわけ当時、未開拓であったコンサート・アリアに、
シュターダーの活動の核心であった。
ベルンハルト・バウムガルトナーが、
彼女をモーツァルトの世界に導き、
彼らの最初の共演のあと、すぐに、
彼はこう約束している。
『いつか、ザルツブルクに連れて行ってあげるよ。』
彼は約束を果たし、1947年、
マリア・シュターダーは、
モーツァルトのコンサート・アリアで、
ザルツブルク音楽祭・デビューを飾った。
彼女は1962年まで、彼女は、
ここのレギュラー・ゲストであった。」

やはり、1960年を越えてからのシュターダーは、
苦しかったようだ。
しかし、シュターダーに生きる道を教えたのは、
バウムガルトナーだったように思える。

「ブルーノ・ワルターの指揮で、ミラノ・スカラ座で、
モーツァルトを歌い、
カラヤンの指揮にてベルリンで歌った。
クレンペラーとはアムステルダム・コンセルトヘボウで、
シューリヒトとは、ヴィーンのシュテファン教会で歌った。
シューリヒトは、彼女の『完璧な器楽のような声』を賞賛した。
1952年に、初めてシュターダーが、
フリッチャイと共演したのもモーツァルトであった。
この時、スイス放送のために『ユビラーテ』を録音した。
独特の芸術上のパートナーシップが展開され、
壮大なミサ曲ハ短調や『ラウダーテ・ドミヌム』のような、
決定盤が生まれた。
なおも、彼女はオペラのステージを敬遠していたが、
少なくとも、フリッチャイとスタジオ録音は残しており、
グルックの『オルフェオとエウリディーチェ』に加え、
モーツァルトの4大オペラの全曲、
『後宮からの誘拐』、『フィガロの結婚』、
『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』がある。」

ちなみに、『ラウダーテ・ドミヌム』は、
Meyerのオルガンとヘルムート・ヘラーのヴァイオリン独奏が、
非常に印象深い音色を聴かせ、これに乗って、
シュターダーの声も至純なものを聴かせている。

「数多くのツアーが、シュターダーを、
アメリカ、日本、ブラジル、イスラエル、
南北アフリカに連れて行ったが、
ホルショフスキ、カペル、デムス、エンゲル、
エドウィン・フィッシャーが、
演奏会やレコーディング時に歌曲伴奏を務めた。
ヘルマン・シェルヘンは、ベルリン・フィルに、
ジョージ・セルは、クリーブランドに彼女を招き、
リヒターの指揮で、ブエノス・アイレスや
パリでバッハを歌い、
オーマンディの指揮では、
フィラデルフィアで『第九』を歌った。
彼女はワルターの指揮で、
マーラーの『第四』を歌い、
6ヶ月後にはクレンペラーの指揮で、
ロンドンのフェスティバル・ホールで歌った。
印象深い、ほとんどエンドレスのリストが出来る。」

マーラーの交響曲というのはかなりイメージが違うが、
ブルックナーに、ヴェルディや
ドヴォルザークも歌っているので、あり得る話か。

あと、カペルの伴奏というのも驚きだ。
ハチャトゥリャンの協奏曲の名手と、
バッハの歌手の共演である。

「1969年、30年にも及ぶ満ち足りたキャリアを回想し、
ルツェルン音楽祭、パリ、ニューヨークでのコンサート、
チューリヒ6月祭での歌曲リサイタルで、
シュターダーは、コンサートからの引退を表明した。
彼女の夫で、チューリヒ歌劇場の合唱指揮者でもあった、
ハンス・エリスマンがピアノ伴奏で最後の演奏会を行った。
どうしても必要な場合、
友人のゲザ・アンダが伴奏を申し出た時に、
シューマンの『女の愛と生涯』を歌ったこともある。
その時、新Zucher時報が書いた事は、
今日でも当てはまるであろう。
『マリア・シュターダーが、
1930年代に最初に成功し、
重要度を示した分野において、
彼女は何十年も君臨したが、
その時と同様、彼女の国際的名声は、
今日でも不動である。』」

解説を書いたのは、Werner Pfisterという人である。

何と、80分近い分量が二枚、
若干、バッハ、ヘンデルに苦しさがあるものの、
知られざる録音も満載、解説も丁寧、
良いこと尽くめのCDであるが、
当然ながらというか、残念ながらというか、
歌詞はついていない。

もっと言うと、各曲に対する解説も皆無。

ちなみに、CD2の後半に収録された、
アイヒェンドルフ、レーナウ、ハイネらの詩による、
下記のメンデルスゾーンの歌曲5曲
(エンゲル伴奏、1957年録音)には、
私は、目を開かされた。

「誰にもわかりっこない」作品99の6(アイヒェンドルフ詩)
「葦の歌」作品71の4(レーナウ詩)
「新しい恋」作品19aの4(ハイネ詩)
「夜の歌」作品71の6(アイヒェンドルフ詩)
「さすらいの歌」作品57の6(アイヒェンドルフ詩)

メンデルスゾーンの作風は、
シューベルトと違いすぎて、
どうも、今まで、
楽しむより反感を感じることが多かったが、
これらの歌は非常に美しい。
まるで民謡のように嫌味がなく、
自然に生まれ出たかのような印象を受けた。

CD2の最後には、唯一、シューベルトの歌曲、
クラリネット助奏(Rudolf Gall)を伴う最後の歌曲で、
エンゲルが伴奏したもので、やはり1957年録音。

澄み切っていて伸縮自在な歌唱が美しい。
ガルのクラリネットも、エンゲルのピアノも、
共感に満ちて、シュターダーの声に乗って、
どんどん、空間が濃密になっていくのが素晴らしい。

ただし、ひょっとすると、シューベルトの歌曲には、
もう少し、灰汁というか、陰影のようなものが必要なのかもしれない、
などと考えてしまった。

メンデルスゾーンは、私が聴いた中では最高であるが、
シューベルトには、他にも名唱はあるような気がしている。

シュターダーは、シューベルトとも繋がりの深い、
ハンガリーの産であるから、
フジヤマゲイシャ的には、
もっと血気に流行る表現が欲しいところだが、
恩義ある、スイスの美学に殉じたという感じかもしれない。

特に、晩年になるにつれ、そうした傾向に、
拍車がかかっているようにも思われる。

もちろん、シューベルトはスイスにも関係はあって、
彼が少年期に愛好したオペラは、
「スイスの家族」という題名であったのだが。

得られた事:
「スイスに恩義あるマリア・シュターダーは、清純かつ晴朗。宗教的な禁欲性を武器とした歌手であった。」
「芸術家の声の最盛期と録音技術の関係の微妙な関係。」
[PR]
by franz310 | 2009-11-08 00:09 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その198

b0083728_1093098.jpg個人的経験:
音楽家協会から委嘱を受け、
モーツァルトは、大急ぎで
オラトリオを完成させたが、
それは旧作、「ハ短調ミサ曲」の、
焼き直しバージョンであった。
しかし、このミサ曲そのものが、
「未完成」と言われているので、
ややこしいと言えばややこしい。
それでも、ヴィーン時代唯一の
ミサ曲として、高く評価する人は多い。


それにしても、ミサ曲はオリジナルであるがゆえに、
未完成作品であるにもかかわらず、
高く評価されており、
完成されているにもかかわらず、
「悔悟するダヴィデ」は、
オリジナルでないがゆえに、
低く評価されているというのも面白いことだ。

そもそもモーツァルト自身が、
このミサ曲こそが、自らの傑作とし、
オラトリオの方は、やっつけ仕事だと考えていたかどうか。

オラトリオにアリアを加えて完成させる事は出来ても、
ミサ曲の未完成のクレドを完成させ、
アニュス・デイを付けることは出来なかったというのは、
単に、経済的な問題だったのかもしれないが。

さて、そうした、「未完成」作品であるはずの、
「ハ短調ミサ」が、何と完成版で演奏された演奏があることを、
私は、うかつにも、このパウムガルトナー盤を知るまで知らずにいた。

このような状況では、完成された作品として、
「ミサ曲」対「オラトリオ」という対戦構造となる。

このCD、以前、集中的に取り上げた、
オルフェオ・レーベルのもので、
ザルツブルク音楽祭の実況録音である。

モノラルであるが、マリア・シュターダーがソプラノを歌い、
このモーツァルトの使途が振ったとなれば、
聴かないわけにはいかない。

しかも、解説を読んで、背筋が寒くなったのだが、
そういえば、モーツァルトは、この曲を、
ザルツブルク帰郷に際して作曲、
この街に捧げたようなものだった。

ザルツブルクにとって、この曲は、
かなり特別なものなのである。

しかも、この表紙写真、モーツァルトが、
この曲を演奏した教会の内部写真である。
ザルツブルク音楽祭は、まさしくこの教会で、
演奏したもののようにも読める。

単なる、記録ではなく、何やら因縁めいた場所の力が、
この演奏には籠っているかもしれない。

解説は、ゴットフリート・クラウス氏が書いている。

「過去の大家の厳格な様式に影響された
モーツァルト随一の大規模作品は、
未完成のハ短調ミサ曲である。
五部の合唱、これは時に八部にまで分かれ、
クラリネットは含まないものの、
トロンボーンを伴う、
フル・オーケストラが駆使され、
バッハの精神、ヘンデルの感情が合唱部に漲っている。」

「1783年、10月26日、
モーツァルト最後の帰郷時に、
この大ミサの完成部分が、コンスタンツェの独唱で、
演奏されたのを記念して、
ザルツブルクのアーティストによって、
早い時期から、聖ペーター教会で、
ハ短調ミサ曲K.427の演奏が行われてきた。」

このようにもある。
「聖ペーター教会における、
ハ短調ミサ曲の演奏は、
国際モーツァルト財団によって、
大戦中と戦後すぐに何度か中断された以外、
毎年行われており、
これがザルツブルク音楽祭の、
一つの目玉となっている。」

ここで少し、話は変わるが、シューベルトの場合も、
ミサ曲の作曲は、様々な興味深い問題を抱えていることを、
ふと思い出してしまった。

まず、モーツァルトが、
このミサ曲ハ短調で、新妻の声を響かせたかったように、
シューベルトも、初期のものでは、
初恋のテレーゼの声を想定したし、
また、彼女の晴れの舞台をも想定した。

中期の傑作、第5番変イ長調は、
就職活動と関係していると言われ、
これまた、モーツァルトの、奉納ミサ曲を思わせる。

さらに、すべてのミサ曲において、
「クレド」の楽章に、テキスト削除が認められるという。

モーツァルトもまた、
ハ短調ミサ曲において、クレドを完成できなかったのである。

ちなみに、クレド(信仰宣言)は、
こんな内容のものである。

「われらは信ず、唯一の神、
全能の父、天と地、見ゆるもの見えざるものの、
すべての造り主を。
われは信ず、唯一の主、神のおんひとり子、
イエズス・キリストを。
主は、よろずの世のさきに父より生まれ、
神よりの神、光よりの光、
まことの神よりのまことの神。
造られずして生まれ、父と一体なり、
すべては主によりて造られたり。」

モーツァルトは、この部分を、
どんどこどんどこ活気の良いアレグロで、
壮麗に、対位法的に合唱を歌わせている。

これらの文言の作曲はすらすらいったようである。

ちなみに、シューベルトは、この、
「父と一体となり」を、
いくつかのミサ曲で削除している点が、
注目されることもある。
これは、父親との確執を物語るものとされるが、
最初のミサ曲が初演された時、
父親は息子を誇りに思って、
ピアノを褒美に買ってやったという話もあり、
つくづく、父親の役割は難しいものである。

ファザコンとして有名なモーツァルトの場合、
このあたりは問題なかったのだろうか。

さて、さらにクレドは、さらに、このように続く。

「主はわれら人類のため、
またわれらの救いのために、
天より下り、
聖霊によりて、処女マリアよりおんからだを受け、
人となりたまえり。
ポンテオ・ピラトのもとにて、
われらのために、十字架につけられ、
苦しみをうけ、葬られたまえり。
聖書にありしごとく、
三日目によみがえり、
天にのぼり父の右に座したもう。
主は栄光のうちに再び来たり、
生ける人と死せる人を裁きたもう、
主の国は終わることなし、
われは信す、主なる聖霊、
生命の与え主を、
聖霊は、父と子よりいで、
父と子とともに拝みあがめられ、
また予言者によりて語りたまえり。」

このような、三位一体の信仰に関し、
シューベルトはそこそこ許容できたようだが、
下記のように続くところは、
どうも信用できなかったようである。

「われは、一・聖・公・使徒継承の会を信じ」
つまり、教会は信用ならん、というところか。

また、それにつづく、
「罪のゆるしなる唯一の洗礼をみとめ」
は作曲しているものの、
「死者のよみがえりを待ち望む」
もうさんくさいと思って、多くの場合、作曲していない。

彼のように死を見つめて作曲していた人には、
確かに、こんな感覚はなかったかもしれない。
最初のミサ曲でだけ、これを作曲しているが。

クレドには、さらに、
「来世の生命を待ち望むアーメン」
とあって結ばれるが、
これについては、シューベルトは異議なしだった模様。
作曲されている。

では、モーツァルトの場合、
いったい、どこが作曲され、
どこが作曲されていないのだろうか。

「聖霊によりて、処女マリアよりおんからだをうけ」
の部分は、非常に穏やかな弦楽に、
フルートとオーボエが美しく絡んで来る、
ソプラノのアリアは、憧れに満ち、
神聖な気配に満ちている。
ここまでは、何の問題もなかったか、
優美極まりない表現で完成されているようだ。

しかし、このあとの
「人となりたまえり」を繰り返すばかりで、
十字架につけられたり、教会を認めたりするところは、
まるで触れられていない模様。

この曲が、結婚を祈念して奉納されるべく、
作曲されたというのが事実ならば、
確かに、縁起の悪い歌詞への作曲はためらわれたかもしれない。

では、最初から見直してみよう。

Track1:ミサ曲は、まず冒頭に、
「主よ、あわれみたまえ」の「キリエ」がある。

このパウムガルトナー盤では、
ものすごい粘ったテンポで、
この指揮者であれば、個性を発揮して、
これぐらいやって欲しいという私の要望は、
かなり満たされる。

Zalzburger-Rundfunk-und Mozarteum Chorも、
重厚で丁寧な合唱を聴かせるが、
フリッチャイの指揮の名盤でも、
世紀の名唱を聴かせた、マリア・シュターダーは、
ちょっと歌いにくそうな一瞬がある。

この録音が1958年の8月。
あの20世紀の名盤とも言えるフリッチャイ盤は、
翌年の秋の録音であるから、
モーツァルトの権威、パウムガルトナーは、
あの名盤にも、いくらか影響を及ぼしているのだろうか。

ちなみに、この部分は、「悔悟するダヴィデ」では、
「私は主に向かい声を上げて泣く。
悪に責められて私は、
神に向かって声を上げて泣く」という歌詞に変えられた。

どちらでも良いようなラメント風の音楽。

Track2:
それから、
「天のいと高きところには、神に栄光」と歌われる、
「グローリア」が来るが、ヘンデル風に壮麗。

これもまた、ずしりと重みのある演奏で、
オルガンや木管の伴奏も美しい。

「ダヴィデ」では、
「栄光と賛美を歌わせたまえ、
それを百度も繰り返し、
最愛の主を賛美させたまえ」という歌詞になってしまった部分だが、
この曲想も、確かにどちらでも行ける。

Track3:
途中、「我ら主をほめ、主をたたえ、主をおがみ、
主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに、
感謝したてまつる」の部分は、
「ダヴィデ」では、「悲しい苦しみから遠く離れ、
再び自由を感じよ。かつて怖れた者は、いまや喜びの時」
などと変えられた。

ここでも、清らかなソプラノ独唱が高く舞い上がるのを、
木管が彩るが、その丁寧な強調に、
パウムガルトナーの、この曲に対する愛情が聴ける。

Track4:
「神なる主、天の主、全能の父なる神よ」の部分は、
ずんと気合いのこもったアクセントが、
悲痛さを感じさせるが、
歌詞は、単に、神を前に、へりくだった姿勢を示すもの。

五部の合唱だと解説されている。

「ダヴィデ」では、「永遠に恵み深い神よ、
この祈りによって、その慈悲を給われますように」と、
確かに、変更容易そうな歌詞となった。

Track5:
「神なる主、神の小羊」は、
「世の罪をのぞきたもう主よ、
われらをあわれみたまえ」という内容で、
いかにも、ねちっこい表現で、これでもかこれでもかと、
へりくだっているのであろう。
二人のソプラノ、シュターダーと、カンブリーが、
素晴らしい綾を紡ぎ出す。

「ダヴィデ」では、
「主よ、来たりて、敵を追い散らしたまえ」
になってしまったが、同様に懇願の歌ということか。

Track6:
「父の右に座したもう主よ、
われらをあわれみたまえ」という部分は、
このパウムガルトナー盤、
合唱が大きくうねり、伴奏も鬼気迫る。
全員、没入している感じの壮絶さである。

何と、8部のダブル・コーラスだという。

この部分、「ダヴィデ」では、
「罰して下さい。思われるままに。
お怒りがしずまるように。
私の青ざめた顔を見て、主よ、私を慰め、助けて下さい。
助けたまえ、主よ、あなたにはそれが出来ます。」
という歌詞に変えられたが、「あわれんで欲しい」と、
「罰して下さい」では、かなり違いがありそうだが、
結局は、懇願の音楽なので成り立っている。

ちなみに、この部分の前に、
「ダヴィデ」では、テノールのアリアが挿入され、
「こうした苦難の中に、慈悲を求めます。主よ。
わが心に善を見いだしたまえ」と歌われる。

大胆にも、ミサ曲の「グローリア」が、
ちょうど半分あたりにて、
幾分、軽快な音楽で分断されている構図である。

Track7:
しかし、ミサ曲での「グローリア」はまだまだ続く。
「主のみ聖なり、主のみ王なり」の部分は、
二人のソプラノに、ゲオルグ・マランというテノールが加わり、
何故か、少し気のはやった歌唱が繰り広げられる。
「主のみいと高し」と歌われるのに、
それ以上に高みを目指している感じである。

あるいは、その高みに駆け上がる表現を、
パウムガルトナーが求めたのであろうか。
思い切った表現で、
音楽に大きな変化をつけているとも聞こえる。

「ダヴィデ」では、前回のCDではトラック9の、
「三重唱」で、
「私のすべての希望は、あなたの中にあります。
神よ、私を追いかけて苦しめる
あなたの凶暴な敵から私を護りたまえ」と歌われる。

歌詞では、この改変が一番、大きなものであろう。
「主のみ聖なり」とあがめていたのが、
いつのまにか、助けを求めている。

ちなみに「ダヴィデ」では、
これに先だって、
ソプラノのアリア、「暗く耐え難い陰を通って、
ちょうど穏やかな天が輝く」が歌われている。

Track8:
「イエズス・キリスト」とだけ繰り返し、
壮大な合唱で歌われる。
先ほどの浮き足だったところを、
ずーんと引き締めてくれる。

Track9:
「聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに。アーメン。」
と歌われるが、先ほどの沈潜から、
一気に爆発して高揚する。
対位法的な動きも目が眩むばかり。
オルガンも強奏されて、
最後には大きく劇的なリタルダンドが来る。

Track8と9が、
「ダヴィデ」の終曲部であるが、
「このような危機にあっても、
神のみを希望とするものには、
何の怖れもない」という内容を歌うべく、
ベートーヴェンの「第九」のような、
華やかなエンディングとした。

ということで、以下のような等式が、
ほぼ成立する。

オラトリオ「悔悟するダヴィデ」≒
「ミサ曲ハ短調のキリエ」+「ミサ曲ハ短調のグローリアの前半」
+アリア2曲+「ミサ曲ハ短調のグローリアの後半」+α。

アリアの間には、劇的な「クイ・トイス」がはさまっているが。

そのあと、問題のクレドが来るということだが、
「ダヴィデ」には、これ以降の音楽は使われていない。

つまり、「悔悟するダヴィデ」は、
未完成の「ミサ曲ハ短調」の、
そのまた一部を使った音楽なのである。

とすると、未完成の「ミサ曲」か、
完成された「オラトリオ」か、という議論以外に、
中途半端な「クレド」と、
完成された「サンクトゥス」、
同様に、完成された「ベネディクトス」の価値の問題が出て来る。

さて、続きを聴くと、
このパウムガルトナー盤、後半がすごい。

まず、10分程度で中断されたはずの「クレド」が、
21分23秒となっている。
何じゃこりゃ、となる。

Track10:
問題の「クレド」である。
例のどんどこの行け行けテーマが出る。
パウムガルトナーは微笑んでいそうである。
シュターダーの声は、限界ぎりぎりだが、
「インカナトス」のマリア賛歌を歌い終えている。
軽妙で古雅な木管伴奏も美しい。

解説によると、「愛らしい牧歌風景」とされ、
キリエの中間部や、
グローリアの「われら主をほめ」などと共に、
「オーストリアの後期バロック・ミサ曲の、
ミックススタイルの最後の愛らしい回想」
とされている。

このあと、ざわざわと着席の音がするが、
何と何もなかったかのように、
「クレド」の続きが歌われていく。

さすがに、十字架の苦難を歌ったものだけあって、
苦渋に満ちた表現が聴かれるが、
その後、弾けるように、復活の喜びが歌われる。
合唱も緻密で、オーケストラもそれに密着した、
丁寧で優しい音を響かせている。

テノール独唱も声がハンサムだ。
再度、大合唱となり、
無事にアーメンまで歌われている。

これは何が起きたのか。
(答えは最後に書いた。)

Track11:
感謝の賛歌たる「サンクトゥス」、
合唱団は、渾身の爆発である。
心の奥底からほとばしり出る、
聴く者の心を動かす感謝の叫びである。

宗教曲とは、本来、こうしたものではなかろうか、
などという感想が浮かび上がる。

Track12:
サンクトゥス後半の「ホザンナ」。
バッハ、ヘンデル体験の結晶たるフーガが、
少しずつ積み上げられて行く。

Track13:
そして、「ほむべきかな、主の名によりて来るもの」の、
「ベネディクトス」。
ここでは、ヴァルター・ラニンガーのバスを加え、
素晴らしい四重唱が繰り広げられる。

パウムガルトナーは、前のフーガの緊張の後の弛緩を楽しみ、
十分にかろやかかつ、楽しげな音楽を聴かせている。

しかし、次第に、音楽は濃密さを増して行き、
再び対位法的な凝集に向かっていく所が素晴らしい。

このように、「ダヴィデ」にない、
二つのオリジナル楽章は、素晴らしい音楽である。

ミサ曲の場合、このあと、
最後に、「アニュス・デイ」(神の小羊)が来るが、
モーツァルトは、この「アニュス・デイ」も作曲しなかった。

「神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、
われらをあわれみたまえ。」
という内容が繰り返されるだけなので、
「ダヴィデ」のために、
「暗く耐え難い陰を通って、
ちょうど穏やかな天が輝く。
嵐の中にも、真実の心には平穏がある。
公正な魂は、そう、喜ぶのです。
誰も妨げぬ喜びと平穏。
神のみがその創造主。」
などという、数分を有する長いアリアを、
2曲書いたモーツァルトなら、
その気になれば、簡単に書けそうなものだが。

よほど、すごい終曲で締めくくりたかったのだろうか。

しかし、このパウムガルトナー盤、
のけぞる結末が待っていた。

何と、冒頭の「キリエ」の、
「主よ、あわれみたまえ」の音楽が、
ここで再び蘇って来るのである。
ソプラノの独唱もそのままに、
9分14秒の大曲が、突如、
復元されたという感じである。

これはこれで良いではないかと思われる。
確かに、キリエもアニュス・デイも、
「あわれみたまえ」という内容が繰り返されるので、
「ダヴィデ」のように、
歌詞のすげ替えを許すモーツァルトなら、
これで良しとしたかもしれない。

元の音楽が強烈なので、素晴らしい効果であった。

さて、このCDの解説をかいつまんでみると、
下記のようなことが書かれている。

「残念ながら、この曲がザルツブルクで初演された時、
初期のどのミサ曲で補完されたかは明らかでない。
1901年、エルネスト・レヴィッキと、
協力者のアロイス・シュミットが、
とりわけ、クレドの一部を、
モーツァルトのスケッチから復元し、
古い教会の実例の応用として、
アニュス・デイをキリエから、
フルート、クラリネット、
オルガンを補って発展させ、
このミサ曲補完の最初の試みを行った。
この版は、ブライトコップフ&ヘルテルから出版され、
多くの実演に繋がった。
1956年、H.C.ロビンス ランドンは、
オイレンブルク出版のために、
序文と研究とともに新バージョンとして改訂した。
シュミット版とは違って、
足りない部分は、
おそらくモーツァルト自身が、
初演した時に使ったと思われる、
モーツァルトの『ミサ・ロンガ』
K.262の類似パートで補足した。
1958年の聖ペーター教会での
このライブ録音では、
このバージョンが使われ、
完璧なスタジオ録音ではないものの、
おそらく、最も価値ある、
ザルツブルク音楽祭の伝統を生き生きと伝える、
演奏の一つだと思われる。」

得られた事:「ミサ曲のテキストは、熱烈な信仰を迫るものがあり、シューベルト同様、モーツァルトもまた、作曲したくないテキストゆえに、作曲できなかった部分があるかもしれない。」
[PR]
by franz310 | 2009-11-01 10:09 | 古典