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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その184

b0083728_2241481.jpg個人的経験:
コジェルフ対モーツァルト、
前回はピアノ協奏曲で、
モーツァルト圧勝
という感じだったが、
この分野は、ブラームスの言葉を
待つまでもなく、
モーツァルトの必殺技
のようなもので、
誰が束になっても
敵わないかもしれない。


とは言え、前回の聞き比べで、強調しておくべきは、
コジェルフの第二楽章の淡い夢想的な美しさで、
これを聴いた後では、モーツァルトの協奏曲は、
確かに美しいのだが、何だかごってり感さえ感じられた。

同じオーボエ2本、ホルン2本と弦楽の伴奏であっても、
モーツァルトの場合、ピアノの独白を許さず、
背景からひっきりなしに合いの手がかかり、
神経質なまでに空間を音で埋めていく感じである。

さらに言えば、この天才が、
ハイドンやベートーヴェンの後塵を、
拝している分野もあることを忘れてはなるまい。

それがピアノ三重奏曲であるが、
そもそもレコード録音も少なく、
私にとっても苦手分野となっている。
様々な演奏を聴いたが、どの曲が良いのかすら分からない。

また、モーツァルトのピアノ三重奏を、
擁護している解説もあまりない。

我々の世代が恐らく影響を受けた、
大木正興氏の著作でも、
「どういうわけかピアノ三重奏曲では
モーツァルトは特別目立つような
魅力あふれる楽想を生んでおらず、
このジャンルは彼の室内楽の中では
落ちくぼんだものになっている」
と、書かれている。

さらに、
「モーツァルトはどうもピアノを加えた多楽器の重奏は、
あまり好きでなかったようである」などともあり、
これでは、聴きたくなる方がおかしい。

こうした状況下で、コジェルフのピアノ三重奏曲。
このフンガロトンのCDは、痒い所に手が届く内容となっている。

というのは、この時代、
このジャンルのチャンピオンがコジェルフである事、
しかも、コジェルフには、私が前回指摘したような問題が、
昔から指摘されていた事が書かれていた。
我が意を得たりの解説とも言える。

この1996年録音のCD、
表紙の絵画は、水面に浮かぶ花を描いたものであるが、
解説には何も書かれていない。

私は、漱石が好きだった事で知られる、
有名な「オフィーリア」(ミレー)の一部ではないかと思っている。
むろん、コジェルフとは何の関係もなく、
旧共産圏特有の、知的財産権の感覚の麻痺、
手抜きであると言わざるをえない。

この絵を見ても、コジェルフの音楽はまったく想像できないので、
詐欺であるとも言える。

そうはいっても、このCDの解説、
まず、このジャンルについて、
結構、包括的な記述をしているのは有り難い。

Katalin Komlosという、いかにもハンガリーの姓を持つ人が、
解説を書いている。
コムローシュと言えば、
バルトーク弦楽四重奏団の親分の名前だったような。
それはここでは関係ないか。

「ピアノ三重奏曲は、ヴィーン古典派に特別なジャンルである。
18世紀後半には、パリとロンドンで、『伴奏付きソナタ』が、
軽いヴァイオリン伴奏付きの鍵盤楽器の作品を一般に意味していたが、
ヴィーン周辺地域では、三重奏がもっと好まれていた。
当時、『ヴァイオリンとチェロの伴奏付きの
ハープシコード、または、ピアノのソナタ』
と呼ばれていたが、
家庭用音楽と協奏曲の中間に位置するものであった。
鍵盤楽器の支配的な点、時に、名技的な演奏が求められたものの、
室内楽であって、小さなアンサンブルに伴奏された、
協奏曲といった趣きであった。」

ハイドンの後期のピアノ三重奏曲も、
女性のピアノ奏者を目立たせるための楽曲として、
この曲種が選ばれた事を思い出した。
協奏曲ほど大がかりではなく、
ピアノ奏者が華やかに映えるジャンルなのであろう。
いわば、室内ピアノ協奏曲のような位置づけか。

「18世紀の最後の20年に異常な豊作に恵まれ、
傑出した作品が、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの傍らで、
コジェルフ、ホフマイスター、ヴァンハル、プレイエルらから生み出された。
彼らの中で最も多産だったのがコジェルフであり、
63曲の作品をもって、古典期、このジャンルにおけるリーダーとなった。」

古典期、ピアノ協奏曲のチャンピオンは、
モーツァルトだったかもしれないが、
コジェルフは、別分野でリーダーだったとある。

以下、コジェルフの生涯の概略。
「レオポルド・コジェルフ(1747-1818)は、
ボヘミアの作曲家で、同郷人と同様、
帝都での職を求めて、1778年以降、ヴィーンに住んだ。
彼は優れた鍵盤楽器奏者であり、教育家であって、
その成功はめざましく、そして速くもあったので、
モーツァルトの後任としてザルツブルクの司教から、
スカウトされた程であった。
コジェルフはこれを断っている。
1784年にはコジェルフは自身の出版社、
『Musikalisches Magazin』を立上げた。」

前回、コジェルフのピアノ協奏曲は、
「Magazin der Musik」で批評されていたが、
何だか似ている名前である。

「1792年、彼は宮廷王室作曲家に任じられ、
名声ある名手であり、人気のある教師であった。
まさに成功に満ちたキャリアであった。
同時代の証言によると、新しい鍵盤楽器、
フォルテピアノに関しては、
モーツァルトよりコジェルフの方が、
より、引合いに出された。
『アマチュアの貴婦人には、
誰よりもコジェルフが最も適任なピアノフォルテ奏者』
と1788年の『豪華流行ジャーナル』の記事にはあって、
1796年の『ヴィーンとプラハの音楽年鑑』には、
長く詳細な、コジェルフの長所や、
ヴィーン音楽界における彼の役割が書かれている。
『フォルテピアノの普及はコジェルフに負う所が多い。
単調で、混乱しがちなハープシコードの音では、
彼の音楽が求める、輝かしく繊細な、
光と影の二面性を伝えることは出来ず、
フォルテピアノに興味を持つものしか弟子にしない。
鍵盤楽器の分野の嗜好を作り直すのに、
コジェルフは重要な役割を果たした。』」

ここで銘記しておこう。
ピアノを普及させたのは、コジェルフだ、
という強烈な評価があったというのである。

「この年鑑は、コジェルフの作品に関して言えば、
いくらか慎重な評価をしている。
『コジェルフのソナタは、
独奏用のものであれ、ヴァイオリン、チェロ伴奏用のものであれ、
大量に書かれ、一般には有名である。
我々はただ一つ不満に思う。
彼に似た作曲家が多すぎて、
模倣を続け、おなじみの部分をだらだらと繰り返す。
違った作品に似たようなパッセージが出現するのが、
彼のスタイルの特徴に思えるが、
古典的な作曲家は何らかのスタイルで特徴付けられるものだ。』」

まさしく、これこそが、
前回、私が、彼のピアノ協奏曲を聴いて感じた事ではないか。
しかし、どこかで聴いたような楽節をだらだら繰り返す、
何て、何て最悪な表現であろうか。
これがコジェルフ風?

「コジェルフは、大量の声楽作品、交響曲も作曲したが、
彼の最も価値ある作品は、鍵盤楽器分野のもので、
例えば、独奏ソナタ、トリオ、協奏曲である。
ここに収められたのは、1780年代の、
コジェルフのトリオで、最も重要なものである。
これらは、流ちょうな作曲スタイルで書かれ、
バランスのよい形式、独特の楽器語法で特徴付けられる。
コジェルフの鍵盤パートのアーティキュレーションは、
アクセントの付け方の豊かさ、
転がすようなパッセージの輝かしさ、
緩徐楽章の表出力は、フォルテピアノならではのものである。
このジャンルのヴィーンの伝統によって、
フォルテピアノが主導するが、ヴァイオリンは主題の役割を担い、
しばしば、チェロはピアノの左手の補強の役割を越えて活躍する。
無名の同時代の作曲家の穏和な表現に比べ、
コジェルフの作品の対位法的処理は傑出している。
何にも増して、冒頭楽章の提示部のカノンの模倣が目立ち、
主題の反行形、オリジナルのメロディーへの対主題は、
コジェルフの作品が、遥かに同時代の平均を上回っている。」

出来れば、その時代の「平均」と比べるのはやめて欲しい。
せめて、3巨匠の平均との比較、あるいは、
同時代の最高と比較しないと意味はあるまい。

それにしても、世界には名だたる三重奏団が、
たくさん存在するが、彼らのレパートリーの多くは、
ハイドン、ベートーヴェンを経て、
シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンらの二曲ずつ、
フォーレ、ラヴェルといきなり近代に飛ぶことが多い。

古典派のチャンピオン、コジェルフの存在は知っていたのか、
知らなかったのか。
例えば、スーク・トリオ、チェコ・トリオのような大御所が、
同郷のコジェルフを何故、録音しなかったのであろうか。
(彼らはそもそも、ベートーヴェン以前は興味なさそうだし、
この解説の冒頭にもあるように、ベートーヴェン以降のものと、
コジェルフ、モーツァルトらは、別のジャンルだという、
言い訳があったかもしれないが。)

とにかく、ここで、一般論は終り、各曲の解説に入る。

イ長調の曲は、作品12-2とあって、
二曲目に収録されているが、何故か、
最初に解説されている。

和音の後に、いきなりピアノが登場して、
どうも、室内ピアノ協奏曲と言いながら、
前回聴いたピアノ協奏曲とは印象がかなり異なる。

「トリオ イ長調 P.IX:8
1786年、3曲組で出版したものの一つ。
アレグロの第1楽章は、コジェルフの、
協奏曲的、フォルテピアノ式労作の典型で、
主題の二度の提示、提示部のテーマ間の遷移は、
名技的パッセージで埋め尽くされ、
楽章の締めくくりを前にカデンツのトリルが現れる。
叙情的に歌う第2主題は、
ヴァイオリンで奏され、
楽器間で装飾された模倣が繰り広げられる。
主題提示部の主題労作の出現は、
室内楽の典型的作法である。」

ヴァイオリンが朗々と歌い始めるところでは、
完全にヴァイオリン・ソナタである。
ハイドンなどのものより、ヴァイオリンの表情が大きいのは、
何か理由があるのだろうか。
このような瞬間のメロディは伸びやかで美しいが、
確かに、そのほかの部分ではピアノがめまぐるしく駆け巡っている。
チェロは、この曲ではブーン、ブーン、ジャッ、と鳴る程度。

第1主題は比較的地味で、
展開時にはここで登場した、
「タタタタタタ・ターラ」といった、
動機強調的進行が目立つ。
興奮してくると、「タタタタタ・タン」といった
感じになるが、曲想の変転は一筋縄でいかない感じで、
その点、後年のハイドンのトリオ風かもしれない。

第二楽章は一転して、悲しげな楽想である。
「『アンダンティーノ・コン・ヴァリアチオーニ』は、
シチリアーノ風の主題で始まり、テクスチュアによって変化に富む、
7つの変奏曲が続く。
ヴァイオリンとピアノが交互に主導権を握る、
通常の手法ではなく、次第にリズムが変化して、
ヴァイオリンと共にチェロパートが強調され、
第1変奏、第6変奏では、独立した動きを見せ、
フォルテピアノと弦楽二重奏の対話が、
同時代のトリオの中では進歩的。」
物思いに耽って、こみ上げる不安が、
このヴァイオリン、チェロの二重奏によって表わされているようだ。
ヴァイオリンは時として扇情的、時として装飾的で、
かなり変化に富んだもの。
この楽章では、チェロも独特の音色を深く味合わせてくれる。

前回、ピアノ協奏曲では、第五番の中間楽章が変奏曲であったが、
それよりはずっと変化に富んでいる。

「ロンド・フィナーレは、
今日、あまり知られていないのだが、
『ロンドの間奏曲には、ロンド主題の素材を使うか、
または、引用するのが好ましい』という、
当時の理論的命題
(Forkel,Musikalish-Kritische Bibliothek,Gothe,1778)
を思い起こさせる。
第三楽章の二つのエピソードは、
主題と関係のあるメロディー素材から組み立てられ、
この古典的傾向を明示している。」
2分10秒あたりから、間奏曲が始まるが、
闊達な主題が、いじいじした感じに変形されて登場する。

この三重奏団、ピリオド楽器を使っており、
「TRIO CRISTOFORI」と名乗っているが、
各奏者の経歴などは書かれていない。

とはいえ、ピアノは女性(Szilvia Elek)、
弦楽は男性(Peter Szuts、Balazs Mate)で、
どこかの洒落た邸宅の一室に集まって楽譜を見ている写真が出ている。

男性二人はひげ面、燕尾服。
金髪女性は真っ白なドレスに身を包んでいる。
中堅に見える。
さすがに、しっかりしたもので、
興が乗って、かなり霊感に富んだ演奏を聴かせている。

この楽章になると、前回聴いたピアノ協奏曲と同じ雰囲気を感じる。
(ピアノ協奏曲3曲はすべて終曲はロンドであった。)
おそらく単純な曲想なのだろうが、
緩急自在で、生命力を感じる。
さすが、コジェルフはピアノ三重奏のチャンピオンである。

さて、ここから、次の曲の解説が始まるが、
ここでちょっと困ったことが起こる。
というのは、残りの二曲をいっしょくたにして解説しているので、
どの曲を聴きながら読めばいいのか分からない。

しかも、大胆に一曲は短調、一曲は長調。
モーツァルトなら交響曲でも弦楽五重奏でも、
はたまた、ピアノ協奏曲でもあり得ない話である。

何故なら、モーツァルトの「ト短調」や「ニ短調」は、
「走り去る悲しみ」なので、まったく特別な音楽であって、
晴朗なだけで、何だか無害な「ハ長調」などと、
同列に語ってはならないのである。

が、コジェルフではそれが許されるらしい。
さすが、同じ音楽ばかりを書いた人である。

「トリオ 変ロ長調 P.IX:13
トリオ ト短調 P.IX:15
最初と最後が、これら変ロ長調と、ト短調である、
コジェルフが出版したトリオのシリーズの『第5冊』は、
作曲家自身による出版である。
このジャンルと作曲家の人気は、
これに先立つ曲集への類似性や、
この曲集もまた、数年して、
欧州主要出版社から、
再版されたことからも明らかである。」

という風に、これまた、この曲たちが、
まったく特別なものではなく、単に、二匹目のドジョウであると、
書き始められているのが悲しいではないか。

二曲が似ているだけでなく、
前に書かれたものとも似ているって、どういうこと?
まったく進化しなかった作曲家がコジェルフということ?
究極の二番煎じ男がコジェルフだったのか。
シューベルトは、そんな人の音楽を弁護したのか。

ただし、聴いてみると、それほど、同じ曲には聞こえない。
勇気を持って、先に進もう。

「ハイドンがそうしたように、コジェルフもまた、
フォルテピアノの音楽に特に人気があった、
ロンドンのいくつかの会社と直接のコネを維持したが、
この曲集は1788年にパリで、英国より早く出版された。
同時にドイツにおける音楽嗜好の変化は、
『Musikalishe Real-Zeitung fur das Jahr』の1789年9月号の、
この三曲のトリオのレビュー記事(Speyer)に明らかである。
これは、人気あるスタイルの支配によって、
作品の独自性を弱めていると述べている。
『作者のフォルテピアノの作品は、
ドイツ内外で知られすぎており、
一般の評価に反対して、
批評家があえて自論を述べたくない程に、
賞賛されている。
それでもなお、この作曲家は、時流を追う故に、
あまりにも多くのものを犠牲にしているように見える。』」

これを読むと、コジェルフの交響曲を演奏することになって、
ぶうぶう文句を言っていた、シューベルトの学友たちの姿が、
目に浮かぶようである。

弁護したシューベルトは間違っていて、
学友たちの方が正しかったのか。
勇気を持って進んだが、またしも、コジェルフの悪口が出て来た。

シューベルトが生まれる10年ほど前に、
コジェルフの国際的名声は頂点に達し、
すぐに、人気の下降、というか、馬脚を現わしてしまった、
という感じである。

完全に俗物扱いで情けない。

どれもこれも同じ曲で、流行を追うことだけが取り柄だとすると、
シューベルトたちが演奏した頃には、
すっかり時代遅れになって、
演奏する方も、「ああ、またか」となりそうである。
現存の宮廷王室作曲家の作品というよりも、
20年以上前の流行曲にすぎないと、
思われていたとしたらなおさらだ。

「変ロ長調のトリオの第1楽章で、
フォルテピアノとヴァイオリンのユニゾンによる第1主題と、
ヴァイオリン独奏による第2主題の大きな二つの主題を結ぶ経過句は、
コジェルフの対位法へのこだわりと才能をひけらかしたもので、
三つの楽器間の対位法は主題提示部で、
重要な役割を演じている。」

このようにあるように、
この曲はなかなか興味深い。
いきなり駆け出すように現れる第1主題も面白いし、
ユニゾンのぎざぎざした楽想もベートーヴェンを先取りしている。
第2主題は、伸びやかで美しく、まさしく、シューベルトの、
ヴァイオリンの「ソナチネ」を思わせる。

対位法的と言われればそうかもしれない。
そもそも、コジェルフは、シューベルトが尊敬していた、
対位法の大家、ブルックナーの師匠であるゼヒターの師匠なのだ。

日本にやたら多いブルックナー愛好家が、このような記事に便乗して、
コジェルフの悪口を書いたら、罰が当たるというものだ。
おそらく、評論家は、簡単にあっさり切り捨てるだろうが。

さて、もう一曲の方の第一楽章はどうか。
実は、これがこのCDの最初のトラックであるが。
この曲は短調だけあって、かなり押しの強い印象的な音楽である。
そもそも、ベートーヴェンの「運命」の動機が全編を支配し、
強弱の振幅も大きく、チェロもぶんぶん唸っている。
解説にはこうある。
「一方、ト短調トリオの、第一楽章のアレグロは、
むしろドラマティックな短調の音楽で、
提示部は、強烈に名技的なピアノフォルテ・パートに
支配されている。
この楽章は我々に、いくつかの意味で、
ト短調のモーツァルトを想起させる。
ハーモニーでは、K.456の変ロ長調の協奏曲の、
緩徐楽章の主題に類似しているにもかかわらず、
同様にアレグロ3/4拍子の
K.379のヴァイオリン・ソナタのリズムの動きを、
聴衆に思い起こさせる。」

ここで、K.456とあるのは、
パラディースのために書かれたと言われる、
1784年作の18番の協奏曲である。
私が、この悲劇的な第二楽章を聴いたのは学生時代だったが、
ピアノの哀愁に満ちた調べに、じゃじゃーっと入って来る弦楽が、
実に気味悪かった。
慟哭しているような音楽になる。
ブレンデルとマリナーの演奏だっただろうか。

また、K.379とあるのは、
作品2として出版されたヴィーンで最初に書いた35番のソナタで、
1781年の作。
楽章が二つしかないが、とても印象的な開始部を持つ。
この部分が荘厳なアダージョ。
続いて入って来るヴァイオリンの気高い楽想が見事だ。

コジェルフの作品は、こんな慟哭をしているわけではないが、
メロディは確かに同じと言ってよい。
が、モーツァルトには、
この作品の推進力を特徴づける「運命」の動機の強調はない。

が、ひっきりなしに動き回っているピアノといい、
高々と舞い上がるヴァイオリンといい、
ヴァイオリン・ソナタの概念に近い。
が、かなり雄渾な作品で、前回聴いたピアノ協奏曲より、
はるかに、演奏会受けしそうな気もする。

同じ曲集にある、夢見るような作品12の2とも、
対位法的と呼ばれた作品12の1とも、
同列には論じられない。
意外にコジェルフも同じ曲ばかりではない。

さて、ここからは、二曲が一緒くたに論じられる部分。
「両作品の中間楽章のアダージョは、
ト短調のトリオも、変ロ長調のトリオも、二部形式で、
ダ・カーポの記号でサイクルをなす。」

確かに両曲とも、静かにユニゾンで入って来るところなど、
同じような感じがしないでもない。
ただし、ト短調は5分ほど、変ロ長調は6分半と、
曲の長さには差異がある。

「前者の楽器用法は、見事に彫琢された
フォルテピアノのパートによって決定づけられ、
変ホ長調のこの楽章の第2の部分は、
減七度の変ニ長調で始まる音の構成が素晴らしい。」

第一楽章の緊張のあとで、
このアダージョは、少し寛いだ感じで気が休まるが、
中間部でせっぱくした表情を見せる。
ただし、ピアノパートのどこが超琢されているのかは分からない。

勝手に追加すると、この変ロ長調の方は、
ユニゾンでの、意味ありげな不思議な序奏のあと、
ヴァイオリンが、まさしく、モーツァルトの、
ヴァイオリン・ソナタのような美しい歌を歌うが、
聴き所はその後で、コジェルフが一世を風靡した楽器、
ピアノが、まさしく夢見心地の境地に遊ぶ。
まことに夢幻の味わいである。

こっちの曲の方が、ずっと彫琢されている印象。

前回のピアノ協奏曲第1番の第二楽章は美しかったが、
こうした、夢想の世界はコジェルフお得意である。
ここでも、何だか切迫した中間部が現れる。
その後も、再び、もとの雰囲気に溶け込んでいく。

さて、終楽章である。
「ロンドの終曲は、当時のコジェルフの独奏曲、
または室内楽曲の終曲を特徴付ける形式である。
いくぶん長いリトルネルロで、
楽章の終りの『ダ・カーポ』である。
これは二つのエピソードAとBと、
これらを短縮した中に現れる主題Cを結びつける。
両曲の終曲は、共に舞曲の性格を持ち、
変ロ長調のものは『Giga』と題され、
ト短調のものはまったく記載がないが、
明らかにブーレである。
これら二曲の終曲の、もう一つの共通の性格は、
ヴァイオリンがソリスティックに扱うエピソードの、
主題的関連である。」

これも二曲一緒にしてくれているので、
トラック3を聴いたり、トラック9を聴いたりしないといけない。

迷惑な解説である。

個々の曲に入るまでは、良い解説だと思っていたが、
曲の説明に関しては、少なくとも私には困った解説である。

変ロ長調の終楽章、気まぐれな楽想も盛り込みながら、
幻想的な一心不乱の舞曲で、
後半になると、何だか妙に情念のたぎりのような瞬間が現れる。
そうした事は、モーツァルトでは、
あまり見られない現象のように思えた。

ト短調の終曲は、一瞬であるが、
シューベルトのピアノ・ソナタ第16番を思い出す。
ぶつぶつと呟くような無窮動風で、
このまま駆け抜けると良いのに、
妙に寛いだ中間部が出て来て緊張が途切れる。

しかし、何だか民俗舞曲調のちゃらちゃらも出て来て、
「ロザムンデ」の四重奏のような焦燥感も交えつつ、
なんだかんだと考えているうちに風が吹き抜けて終る。
妙に様々なサービスが仕掛けられている。

このように見てきたように、コジェルフのピアノ三重奏曲、
さすが、ピアノ三重奏曲の王者の作品だけあって、
各楽器を操りまくって、自由自在な音楽をやっている。
こんな創意に満ちた楽曲は、ハイドンが最初かと思っていたが、
どうも、それより早い段階で、コジェルフはやっていたようだ。

得られた事:「コジェルフの必殺技は対位法であって、その妙技の赴くままに、自由な幻想の翼を広げて三重奏曲の新領域を開拓した。」
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by franz310 | 2009-07-25 22:11 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その183

b0083728_16265472.jpg個人的経験:
前回、唐突にも、
モーツァルトの音楽を取り上げたが、
その理由は他でもない。
同時代に同様に名を馳せた作曲家と
比較したかったからである。
シューベルトが弁護した、
レオポルド・コジェルフ。
モーツァルトは、様々な工夫で、
当時の「音楽通」を唸らせようとしたが、
コジェルフは、どうだったのか。


うまい具合に、最近、
このコジェルフのピアノ協奏曲を集めたCDが、
新興OEHMSレーベルから出ており、
Tomas Dratvaのピアノ、
Oliver von Dohnanyi指揮の
Slovak Sinfonietta Zilinaの演奏。

ドホナーニといえば、ハンガリーの作曲家エルンストと、
指揮者のクリストフが有名だが、その子息であろうか。

このCDの表紙は、カナレット(1721-1780)の、
“View of Vienna,Palace”というもので、
よく、モーツァルトのレコードでも使われるもの。

貴族の方々が、優雅に、
しかし、動きにくそうな服装で道行くのを、
平民風情が、二人、見つめている。

が、貴族の面々も、まるで楽しそうではない。
すべての人物が不服そうである。

前回のモーツァルトのCDを彩ったワトーの登場人物が、
皆、夢見心地であるに対し、こちらのカナレットは、
醜い現実をそのままさらけ出したような絵画である。

空は曇っているのに、スカートの下の影の濃いこと。
まるで、西日に照らされた、人気のない商店街の、
色あせたマネキンのようだ。

不自然な仕草がそれを強調するが、
本当に、何を思って描かれた絵画であろうか。

どこに行くのかはわからないが、
何か、自分とは別の力で動かされているように見える。
それはいみじくも、現代のシステム化された社会で、
歯車のように動いている我々自身の姿を、
突きつけられているようにも見える。

モーツァルトは、こうした不自由なお仕えの身を嫌って、
フリーの芸術家を目指したが、
結局は、大衆の期待するように動いている時のみ、
その要求は満たされ、役割を越えようとして、
お払い箱になった。

一方、音楽の内容についてであるが、
一聴して気づくのは、第二楽章の、
まるでショパンを思わせるような甘美さである。
また、全体に生き生きとした、
楽しい作品であることも、まずは、書き添えておこう。

モーツァルトのCDも3曲入りだったが、
これも同様で、10分~11分の第一楽章に、
8分~9分の第二楽章、6~7分の第三楽章が続き、
ほとんど、モーツァルトの十番台前半の協奏曲の規模。

前回、モーツァルトの手紙(岩波文庫)を、
引用していて気づいたのだが、
これらの作品から数年して、
1789年のモーツァルトの手紙に、
こんな一文が含まれているのを見つけた。

「目下、フリーデリケ王女のためにやさしいピアノ・ソナタ6曲と、
王のために四重奏曲6曲を書いているのです。
これをすべてコージェルーホ(ボヘミアの作曲家、出版業)
のところで私が費用を持って印刷させます。」

おそらく、このコージェルーホは、コジェルフのことであろう。
以前、コジェルフの交響曲を聴いた時、その解説にこうあった。

「1784年、彼は、自身の出版社Musikalishes Magazineを興し、
後には弟のアントニン・トマシュにそれを任せた。
彼の作品はしばしば他の出版社からも同時に出版され、
John Bland、Robert Birchall、Lewis,Houston&Hydeといった、
英国出版社とも契約があった。」

このように、コジェルフ自身、出版を行っていた。
モーツァルトの音楽の印刷を引き受けたのが、
本人か弟かは分からない。

先のモーツァルトの手紙は、実は微妙な言い回しがあった。
「私が費用を持って印刷させます」ということは、
少なくとも、出版者としてのコジェルフは、
自分が料金を持つまでの価値を、
モーツァルトの作品には、認めなかったとも読める。

もちろん、この時点で、モーツァルトが言っている、
各6曲の四重奏もソナタも、実は空想の中のもので、現品はなく、
結局、これらは、それぞれ、3曲、1曲しか書かれなかったのは、
有名な話である。

モーツァルトは、プロシャのフリードリヒ・ヴィルヘルム二世が、
音楽好きなのを当てにして、勝手に献呈でもしようとしていたのだが、
どうやら、その期待も薄そうだと感じ取り、
さらにそれ以外の仕事もあったし、作曲に苦心したこともあって、
続編継続を諦めたのである。

一方で、この手紙から見る限り、
モーツァルトの方は、コジェルフを単なる出版商としか、
認めていなかったようにも見える。

そうした関係とは言いながら、
このコジェルフの協奏曲は、
誰の作品に似ているかというと、
その明晰さと甘さによって、モーツァルト風としか、
言いようがない。

いずれにせよ、先の手紙は、超有名なモーツァルトと、
その後任ながら、今となっては、超無名のコジェルフとの関係を、
一瞬、垣間見るような一文ではなかろうか。

要するに、お互い、どうでも良かったのかもしれない。

さて、解説を読んでみると、少し残念なことだが、
このコジェルフの協奏曲、
ひょっとすると、コジェルフの筆以外の部分もありそうで、
原典という意味では、微妙であることが分かった。

そもそも、解説の題名が、
「歴史的再構成と初録音」とある。

「2002年のヴィーン、パリの研究の旅で、
スイスのピアニスト、Tomas Dratvaは、
コジェルフのピアノ協奏曲の、沢山のオリジナル・ドキュメントと出会った。
作曲家で音楽学者のVladimir Godarの協力を得て、
彼はここに録音した3曲分の演奏楽譜を再構築した。
2004年の12月、彼はSlovak Sinfonietta Zilinaと共に、
これらの作品がかつて聴かれてから、200年の時を経て、
これらの協奏曲を演奏して成功を収めた。
この歴史的新演奏から直ちに、この録音はなされた。
カデンツァもTomas Dratvaの作曲である。」

ピアニスト自身による解説を読むと、このようにある。
何だか、全部、この人がお膳立てしているので、
どこまで信用してよいのか分からないが。

「1785年のヴィーン、ハイドンとモーツァルトは、
その創造力の頂点にあって、音楽界には、
新星ベートーヴェンが現れる前夜にあった。
その他の才能ある作曲家たちも、
音楽史に『ヴィーン古典派』と名を刻む独特な一時期を、
形作るのに貢献していた。」

ハイドンがヴィーンに移るのは1790年になってからなので、
この表現には少し戸惑いを感じる。

「弦楽四重奏、交響曲、ピアノ協奏曲、ソナタは、
めくるめく現れ、その頂点に達した。
しっかりとした鑑識眼を持った聴衆たちは、
最新のものしか受け入れなかった。
まさしくレオポルド・コジェルフもヴィーンにあって、
作曲活動を行っていたのもこの時期である。
ボヘミアに生まれ、プラハに学んだ彼は、
1778年にヴィーンに移り住んだ。
1792年、彼は、皇帝の王室作曲家として、
モーツァルトの後任となる。」

モーツァルトの役職には、いろんな呼び方があるが、
簡単には、「宮廷作曲家」であるが、このように、
「王室作曲家」のような呼び方もあり、
「皇王室宮廷作曲家」とある本、
「帝室王室作曲家」とある本がある。

「彼はもっぱら、『フォルテピアノ』、または、
『ハンマークラヴィーア』のために作曲した。
彼は23曲のピアノ協奏曲、55曲のピアノ・ソナタ、
65曲のピアノ・トリオを作曲した。
『クラブサン、ピアノフォルテと、
二部のヴァイオリン、2本のオーボエ、2本のホルン、
ヴィオラ、バスのための大協奏曲は、ヴィーンの、
L・コジェルフの作曲で、
モーツァルトの音楽を知っている者なら、誰でも、
モーツァルトのテイストを感じるものである。』
(C・F・クラーマー編集のヴィーン『音楽雑誌』、
1785年7月3日号、538ページにある、
コジェルフの新しいピアノ協奏曲に関する記事の引用。)」

何だか分からないが、1785年の時点で、
モーツァルトのピアノ協奏曲は、こんな感じ、
という先入観が出来上がっていたようではないか。

モーツァルトにとって、この1785年は、
確かに当たり年で、父親が息子をヴィーンに訪ね、
その成功ぶりを慨嘆しているので、様子がよく分かる。

モーツァルトはこの時、あの20番ニ長調を演奏し、
「見事な新作のピアノ協奏曲」と父に慨嘆させているので、
本来なら、こちらの大傑作とコジェルフは比較すべきかもしれない。

だとすると、コジェルフの音楽は周回遅れのような感じもする。
が、解説は(当然ながら)好意的である。

「レオポルド・コジェルフのピアノ協奏曲は、
ヴィーン古典派の具現化であり、
形式構造の明晰さと合わせ、明るさと優美さで、
特徴付けられる。
定石通りに提示部は管弦楽で奏され、
ピアノはその音楽素材を引き継ぐと共に、
それを独自の陽気な装飾で発展させる。
その後の展開はもっぱらピアノでなされ、
転調や主題的な変更は、
壮大なパッセージワークの連続から生まれる。
オーケストラの総奏が楽章に明晰な形式感を与えていく。
ここに収められた3曲は、
1784年から85年に書かれたもので、
コジェルフの最初のピアノ協奏曲群の代表作である。
どの曲も弦楽と2つのオーボエと2つのホルンのために書かれ、
形式的には類似していながら、
ベーシックな性格においては違いがある。」

ということで、編成としては、やはり、モーツァルトの、
3年前の作品、11番、12番と同様である。
それらと3部作をなす13番では、
ファゴット、トランペット、ティンパニが入る。
前年の15番ではフルート、ファゴットが入っている。
16番ではトランペット、ティンパニが入り、
ここで書かれた20番も同様の大協奏曲である。

しかし、この解説者(ピアニスト)は、
このコジェルフの協奏曲を、
どのような性格として捉えていたのだろうか。

「ピアノ協奏曲第1番ヘ長調は、
ピアノ独奏に弦楽が活発にからみ、
情熱的かつ強烈である。
伴奏によって、ピアノは、特に歌うような、
輝かしい音色を手にしている。
このミックスされたソノリティーは、
当時、かなりモダンに感じられたもので、
特に人気があり、ピアノフォルテの色彩的、
繊細な特色を生かしたものである。」
と、最初に収録された協奏曲について書いているが、
確かに、冒頭こそ、オーケストラは逞しく歌っているが、
ピアノが始まると完全に黙っているようにしか見えない。

時に、じゃじゃじゃ、ぽー、じゃーん、ぐらいは音が出ているが、
ミックスされたソノリティーという程のものなのだろうか。
4分半すぎた頃の展開部では、確かに、
ピアノのきらきらしたパッセージに、弦楽が複雑に絡み合って、
不思議な効果を上げているが、こうした部分がそうなのだろうか。

改めて、モーツァルトのニ短調の協奏曲を聴いて見たが、
ティンパニがかき鳴らされ、
ぶかぶか響くファゴットが入って管弦楽の重みが違う。
楽器がざわざわと常に鳴って凝集されている感じ。
トランペットはファンファーレを吹き鳴らすわけではないが、
フルートの冴え冴えとした音色も印象的だ。

が、これは、同じ協奏曲というだけで、
コジェルフと同列に論ずるものではいのかもしれない。
コジェルフと同様、圧倒的なピアニズムが眩しいが、
先に指摘のあった、ピアノと弦楽の寄り合わせみたいな所は、
この曲ではあっても、確かにそんなには目立たない。
第一楽章のカデンツァ前のクライマックスで、
ピアノのパッセージに細かく合いの手が入るあたりがそれに近いが。

管弦楽が頻繁に合いの手を入れるのを、
ピアノはそれに負けないど迫力で対抗する、
という感じで、コジェルフはこの点では、
確かに革新的であったのだろうか。

また、こんな感じで聞き比べてみると、
このモーツァルトの名作協奏曲、
冒頭で弦楽が静かにわき上がって来る点など、
何だかコジェルフ風に聞こえたりもした。

同時代の音楽としてモーツァルトのニ短調を聴くと、
非常に沢山の音がひしめいており、
当時はレーガーの音楽のように聞こえたのではないかと、
かえって心配になってしまった。

ちなみに、前回、モーツァルトは、
ピアノ協奏曲において、主題の引用や、
さりげなく繊細に工夫された楽節や、
ピアノならではの表現によって、
「通」をぎゃふんと言わせようとしたが、
そんな細かい話は、どうでもいいという感じで、
モーツァルト自身も、コジェルフも突き進んでいるような感じ。

もっと、単純に圧倒的な名技性、
オーケストラとの合わせ技のど迫力で、突き進む第一楽章、
徹底的に甘美な中間楽章、煙に巻くように突き進む終楽章、
という類型化の方が進化の早道と考えたようには見えないだろうか。

この協奏曲は、後で、このように表現される程、
中間楽章は夢に漂うような美しさである。

「ヘ長調のアダージョがコジェルフの前衛の好例で、
長調と短調の二律背反の逍遙は後のロマン派を予告し、
弦楽の弱音使用が、調性の曖昧さを強調するが、
これは、当時の聴衆にとっては斬新なものであった。
これは当時の音響実験であり、数年後、ベートーヴェンが、
彼の音楽の本質の一部として採用するものである。」

これも、最初はどこがそうなのか分からないが、
2分10秒を過ぎたあたりから、春の朧月夜のように、
弦楽が神秘の微光を放ち始める。

コジェルフは、しかし、これを徹底してマンネリに陥る前に、
踏みとどまっているように見える。
あるいは、先にあったベートーヴェンとは違って、
不徹底な実験に終っている、とも言えようか。

終楽章は、ロンドである。
とても楽しげで、ホルンが楽しげな鬨の声を上げる。
ピアノが輝かしく駆け回ると、
どちらかと言えば、モーツァルトの場合より、
止まらなくなってしまう感じが強い。
ピアノの支配が始まると、
オーケストラは、お決まりのちゃーらーらーくらいだが、
4分半すぎあたりからは、例のソノリティーらしきものが聴かれる。

二曲目である。
「ピアノ協奏曲第5番変ホ長調は、
全曲にわたって、伝統的に述べられる、
この調の形容に相応しく、堂々とした気品に溢れている。
第一楽章は、ピアノが、ホルンとオーボエを伴って現れ、
終楽章の『狩り』の音楽を予告する。」

ベートーヴェンなら「皇帝」となる、
「第5番変ホ長調」であるが、
まったく異なる音楽である。

むしろ、だんだんオーケストラの音が大きくなって、
主題が入って来る点が、前の曲と同じなので、
どうしても同じような曲に聞こえる。
そもそも、メロディーの着想も、同様のような気がする。

しかも、モーツァルトの場合は、
オーケストラの提示部とピアノの導入部が異なっていて、
斬新とされたが、コジェルフは判で押したように、
ピアノはオーケストラ提示部の主題を繰り返している。

第一楽章のどこに、
ホルンとオーボエがピアノに絡むのかよく分からないが、
ぴゃーっ、ぴゃーっと何度か音型を装飾したのが、
それなのだろうか。

ここでは、第一楽章から、前の曲の第二楽章を彩った、
弱音の弦楽の夢想が聴かれ、ピアノもナルシスティックな、
悩みの表情を見せる。

時々、悩むので、ベートーヴェンの作品が「皇帝」なら、
このコジェルフの作品は、「ハムレット」のような作品だと言えよう。
第二楽章は、先のヘ長調協奏曲よりは長いが、
アダージョでなく、アンダンテの変奏曲なので、
ショパン的な感じはしない。

終楽章は、転がり弾むようなピアノの効果が、
楽しい狩りの情景を表わし、ここでもホルンが鳴り響いて、
その情感を盛り上げる。

しかし、そんなに派手なものではない。
終り方も、妙にお上品で、フェードアウトする。

「ピアノ協奏曲第4番イ長調は、
激しい動きや名人芸的なパッセージよりも、
陽気さ、優美さで際だち、特に親密なものである。」

特徴が3行にまとまっているが、
確かに、いじいじして始まる。
が、結局、それが、高らかな主題となって鳴り響く。
なので、3曲とも同じような音楽に聞こえる。

第一楽章のピアノがこれまた、
同じように入ってくるので、
いい加減、マンネリの烙印を押したくなる。

ここでも、5分過ぎのところで、
ピアノとオーケストラの絡み合いの妙が聴けるが、
ピアノがじゃんかじゃんかやる中、
オーケストラが、むしろメロディーを奏でる部分は、
ブラームスの「第2協奏曲」のスケルツォを思い出す。

こうした表現は、カデンツァの手前での盛り上がりでも聴ける。
モーツァルトも同様の盛り上げをやっていたので、
当時の実験の流行だったのかもしれない。

第二楽章は、アンダンティーノで、
何だか深刻な心情吐露のような楽想で、
確かに、そうした意味では親密な音楽とも言える。
ここでも静かなオーケストラのざわめきが美しい効果を上げている。
おそらく、モーツァルトが強調したピアノの軽やかさが、
コジェルフは、こうした心情表現において、
もっとも重要な武器であると気づいたのであろう。

コジェルフの交響曲では、必ずしも緩徐楽章が、
このようなロマンティックなものではなかったことからも、
それは推測されよう。
ピアノの幅広い音域を跳躍しながら、
心の綾のようなものを紡ぎ出して行く様は、
素晴らしい。

先の協奏曲もそうだったが、
プレストの第三楽章には、飛び込むように続くが、
こんな例は、モーツァルトにあっただろうか。

この終楽章は先の二曲のような、
ホルンが吹き鳴らされるような音楽ではなく、
時折、内省的な楽節が現れる複雑なもので、
終楽章を比べると、この曲が一番長く、
しかも聴き応えがある。

このように、コジェルフの協奏曲、
緩徐楽章が必殺技となっている。
解説にも、こう書かれている。

「第一楽章と終楽章の主題や動機は単純ながら、
叙情的でゆっくりした真ん中の楽章は、
精巧で詩的である。
ここにおいて、コジェルフは、彼の個人的な実験を試みており、
彼が、時代の最先端でもあり得たことを示している。」

以上、見てきたような違いはあるが、
コジェルフの実験は、
常に味付け程度なので、音楽全体に大きな違いは感じられない。
最初の一曲を聴けば、それでいいような気もする。
ショパンの二曲もそう言えるかもしれないが。

また、コジェルフは出版商であったのに、
これらが散逸していたのだとしたら、
本人もそれほど重要作と思っていなかった可能性はないか。
そんな事まで考えてしまった。

しかし、これらの作品は、どのような機会に書かれ、
どのように演奏されたかまで情報がないと、
同時代のライヴァル、モーツァルトと単純比較して良いものかどうか。

モーツァルト自身、これはパリ向け、ヴィーン向けと、
TPOを考えた人であったし、
ヴィーン用にと、終楽章だけを付け替えた例もあった。

また、11~13の3部作でも、皇帝臨席の演奏会では、
トランペットとティンパニの入った13番を演奏したし、
続く、14番は「まったく特別な協奏曲」で、
「大規模なオーケストラより小さな楽団向き」と書いた。
これは、プライアー嬢のために書かれたものであった。

この曲の解説では、
一般の愛好家(アマチュア?)用の「出版用」と、
モーツァルト自身が弾くためのものの、
中間的な存在と書かれていたりする。

むろん、20番ニ短調はアマチュア用ではなく、
15番以降のものは、ほとんどどれも、自身で演奏し、
喝采を受けるためのものになっていった。

コジェルフのこれらの協奏曲は、規模は小さいので、
出版用かもしれないが、散逸していたのを探して再構成したという、
ピアニストの言葉を信じるならば、
何かの演奏会のために書かれた可能性も高かろう。

b0083728_16272470.jpgこのように、
コジェルフを聞き込んだ後、
前回、取り上げた協奏曲に続いて、
モーツァルトが書き上げた、
14番変ホ長調K449を聴いて見よう。

変ホ長調という調性もそうだし、
オーボエ、ホルンに弦という編成も、
コジェルフと同様である。
作曲は1784年とあるから、
コジェルフの1番と同時期。

サヴァリッシュが弾いた13番と、
バーンスタインが愛奏した15番の間にあって、
この14番はあまり聴かれることがない曲。

ただし、アンダの全集録音から、
何故かこの曲が取り出されて、
グラモフォンの
「Centenary Collection」
として発売されている。

若くして亡くなった、
この巨匠が、
モーツァルトを指揮振りした時の
雄姿が迫力ある表紙写真である。
1966年を代表する録音とされる。

第一楽章から、分厚いたっぷりとした
コジェルフの協奏曲は、
従って、弦楽主体で提示部は動き回り、
背景にホルンなどが和声を響かせるのも同じ。

楽想からして、もっと切迫感があり、
主題のテーマの展開にも、もっと様々な表現意欲が顔を覗かせる。
提示部の経過句には、「39番」の交響曲のような、
充実した響きが散見される。
ピアノの導入も、妙に主題をそのまま弾くのではなく、
様々な装飾が凝らされ、
それに続く、上昇音型を彩るピアノの輝き、
オーケストラとピアノの絡み合いもコジェルフの比ではない。

しかし、ここまで違うと、演奏の歴史の違い、
という感じも浮かび上がる。
200年の間、保存されていた作品と、
200年の間、様々なスポットを浴びて来た作品では、
一小節ごとの租借のされ方が異なる。

ピアノをどこで、どのように挟むかも、
ひょっとしたら、演奏史の中で作り上げられるものかもしれない。
「戴冠式」協奏曲などは、ほとんどピアノのパートが不完全とも聴く。
コジェルフの場合とて、本人が弾いた場合は、
様々な装飾を付けていただろうし、
弟子が弾いた時には、楽譜の通りに弾けば、
本人も先生も満足したことだろう。

第二楽章は、アンダンティーノで、
弦楽が情感の限りを尽くし、これまた美しいが、
ピアノはぽつぽつした感じで入って来る。
これは、大変、美しいセレナードである。

静かな弦が夜のとばりを下ろすと、
ピアノは切迫感を漲らせて、
胸がいっぱいになる音楽が溢れ出して来る。

このあたりになると、演奏者の芸格のような話にもなってくる。
名曲を大レーベルに録音したアンダと、
この新興レーベルの新進ピアニストを比較する意図はなかったのだが、
はからずも、そんな要素の方が大きい聞き比べである。

第三楽章は、アレグロ、マ・ノン・トロッポで、
単純な楽想を繰り広げるが、
これまた、ピアノもオーケストラも、
表現力の塊になっていて、
恐ろしい事に、音楽が何であるかも分からないまま、
ダイレクトに彼らの感興に包まれて行く感じである。

改めて聴くと、この曲など、第一楽章の主題からして、
コジェルフが真似した手本のような感じがしてならない。

このように書くと、結局、モーツァルトばかり聴けばいいような感じになるが、
コジェルフの第1番、第二楽章、頭にこびりつく美しさであることは強調しておきたい。


得られた事:「一度忘れられた作曲家は、演奏の歴史の構築から始めなければならない。」
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by franz310 | 2009-07-19 16:40 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その182

b0083728_23105038.jpg個人的経験:
モーツァルトの
ピアノ協奏曲については、
20番以降の作品群が
有名であるが、
私はもっと若い頃の、
2台、3台のピアノ用の
協奏曲も好きであった。
かつて、FMで流れていた、
サヴァリッシュの弾き振りによる、
12番、13番の協奏曲も良かった。


それもそのはず、これらの曲は、
ザルツブルクを飛び出して、
ヴィーンでの成功を確実にしたかった、
野心溢れるモーツァルトが、一山当てる事を目論んで、
様々な仕掛けを盛り込んだ会心の作だったのである。

これらの作品を語る時、
よく引用されるのが、以下の手紙である。
岩波文庫の「モーツァルトの手紙」(柴田治三郎編訳)によると、
1782年12月28日、ヴィーンから父に当てたものとされる。

「予約演奏会のための協奏曲が、まだ二つ足りません。
出来た協奏曲は、むずかしいのとやさしいのの丁度中間のもので、
非常に華やかで、耳に快く響きます。
もちろん空虚なものに堕してはいません。
あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、
それでいて、通でない人も、
何故か知らないながらも、きっと満足するようなものです。」

注釈として、
「すでに出来たのはK413、414、415の三曲だが、
この予約は成功せず、その後これを
パリの出版者に30ルイドールで売ったが、
それも成功しなかった」とある。

私が、聴いてすぐに好きになったように、
これらの作品は、非常の魅力的なものなので、
失敗したという理由はよく分からない。

ちなみに、サヴァリッシュの演奏で聴いたのは、
後の二曲なので、11番K413だけは、
少し私には他人行儀である。
もちろん、同様に美しいものであるが、
私に対する愛嬌、人なつっこさという意味で、
後の二曲とは少し違う位置づけになってしまう。

それにしても、この「音楽通だけが満足する」というのは、
どんな点だろうか。
このあたりの事をよく書いてくれているCDが、
ここに取り上げた美しいワトーの絵画で彩られたハイペリオンの、
SUSAN TOMES盤である。

このイギリスの女流ピアニストは、
シェベックに学び、ヴェーグにも教えを受け、著述もよくするようだ。

どうやら、Domusやフロレスタン・トリオなどの、
CDによく登場するアンサンブルでも活躍した人らしいが、
私はあまり意識したことはなく、
日本でも知られていない人ではないか。

写真が中にあって、ショートカットでキュートな感じ。

伴奏は、The Gaudier Ensembleとある。
BBC交響楽団のメンバーのようだ。

このCDを手にしたのは、「ます」の五重奏と同様、
コントラバスを含む室内楽編成での伴奏になっているからである。
ヴァイオリンが二丁である点のみが違う、
ほとんど、「ます」と同じ編成になっている。

ただし、一聴した感じでは、
やはり、同じ曲種というには無理がある。

楽器編成よりも、内容が違いすぎる。
上品な貴族のためのシックな音楽、という感じがして、
シューベルトの作品は、もっと、開放的な印象ではないか。

このような編成に関しては、CD裏面に、
「作曲家によるピアノと弦楽のための室内楽バージョン」とある。

さすがに、すっきりした音楽で音の分離もよいが、
ピアノの音色も美しい。

何よりも、表紙が美しいのが嬉しい。
それにしても、このワトーの絵画のような、
奔放でありながら、たしなみのある、
夢想の世界は、いったい、どこに行ってしまったのだろうか。

一方で、シューベルトの作品に、
この絵画が使われたらどうだろう、
などと考えてしまった。

反対に、どうして、こんなに人間中心の世界が、
あり得たのだろうか、などとも思われる。
シューベルトには、もっと、自然の息吹のようなものがあり、
モーツァルトの世界には、ひょっとすると、それが完全に欠落している。

モーツァルト時代の「通」は、
ひょっとすると、シューベルトの作品に、
耳を覆うかもしれない。
わずか、一~二世代の差であるが。
(ちなみに、シューベルトの両親が結婚したのは、
これらの協奏曲が書かれた時代である。)

さて、解説は、Robert Philipという人が書いている。

前半は、モーツァルトこそが、
この新しい楽器、ピアノに着目して、
その表現力を広げていった作曲家であることが書かれている。

しかし、同時代のプレイエルや、クレメンティは、
自ら、ピアノ製造会社まで運営しており社長であったが、
それに比べると、モーツァルトは、
どっかのピアノ会社おかかえの、
技術担当営業部長風情であろうか。

モーツァルト所有のピアノが住んでいた二階から何度も運ばれて、
演奏に使われ、時として、調整がうまくいかない場面があったなど、
興味深い逸話も出て来る。
(1782年、御前演奏では、
皇帝は、「気にするな」といったらしいが。)

このように、ピアノは最新のハイテク機器であったが、
品質が安定しないやっかいな道具でもあり、
モーツァルトもいらいらしていたようである。

だんだん、贅沢品であったのが普及して行く過程で、
こうした名作が生まれて来た点なども言及されている。

さて、こうした解説のあと、
途中から、これらの協奏曲の核心に入っていく。

「ピアニストとしてのモーツァルトと、
ピアノ協奏曲の作曲家としてのモーツァルトは、
同じコインの表裏である。
同時代の人々が特筆した、
彼の演奏の巧妙で輝かしい特徴は、
そのピアノ協奏曲の書法の特徴であるし、
これら3曲の協奏曲K413-415は、
これをヴィーンの聴衆に印象づけるために、
書かれたものなのである。
これらの作品は、ヴィーンのために書かれた、
偉大なピアノ協奏曲連作の最初の一群であり、
印刷版が出た最初のもので、
彼のキャリアの中で、重要な一里塚であった。
しかし、まず、手稿の写しという、通常の版も作らせた。
1783年1月、モーツァルトは予約者を募るために広告を出した。
『これらの三曲の協奏曲は、
管楽器を含むフル・オーケストラと一緒にも演奏でき、
2つのヴァイオリン、
1つのヴィオラとチェロの四重奏としても演奏でき、
予約者には4月の初めには手に入るように用意しました。
(美しい装丁で作曲家自身の監修による。)』
6ヶ月後、十分な予約者が集まるのに時間がかかったことを嘆いている。」

このように書かれると、妙に生々しい。
何故なら、印刷は、大量消費しないと意味がなく、
それには版下か何かを作る必要があり、
投資の冒険が必要だからである。
モーツァルトはギャンブル好きで知られるが、
こうしたドキドキ感から、
かなり、高揚した気持ちを味わったのではないか。

「しかし、この間、彼は二つの成功を収めている。
オペラ、『後宮からの誘拐』の勝利と、
演奏会における作曲家、演奏者としてのヴィーンでの名声確立である。
1783年3月、彼自身の主催によるブルグ劇場での演奏会で、
クライマックスが来た。
長いプログラムの中で、最新作の『ハフナー』交響曲、
新しい三曲のピアノ協奏曲の最後のハ長調のものがあった。
劇場は満員となり、皇帝も臨席し、喝采し、
『彼の習慣に珍しく』最後までそこにいた。
2年後の1785年、それらが出版された時には、
非常によく売れた。
彼の父親が心配したように、
最初、彼は、それに対し、あまりに高値をつけていたのであろう。」

こうした経緯を見ると、彼のヴィーンでの日々は、
単に、いっぱい作曲していたのではなく、
マーケティングから考えるスリリングなもので、
ザルツブルクでは、到底、考えられなかった総力戦で挑んでいた。

シューベルトあたりも、こうした駆け引きで、
出版社とかなりもめている。

「彼自身の演奏がそうであったように、
これらの3曲には、ピアノの能力の幅広さ、
特に、オーケストラとの対話の可能性を理解している、
最初の作曲家であることを刻印した。
このことは、ピアノの力量を要求した、
これらの協奏曲のどこをとっても例が見られ、
たった二つ、例を上げるとすれば、
イ長調協奏曲の緩徐楽章で、
左手のオクターブを伴う、
最初のテーマのピアノの歌い出しにおいて、
ピアノのサステイン・ペダルなしに弾くことが考えられない点、
(これはモーツァルトがシュタインの楽器で賞賛したものだ)
そして、ヘ長調協奏曲の、出だしにおいて、
ヴァイオリンに対する静かな応答として、
ピアノが高音で、ハープシコードでは考えられなかったような、
慎み深さで漂う点がある。」

イ長調は、12番、K414である。トラック5を聴けばよい。

そうそう、これは、非常に美しい雰囲気に満ちた、
繊細な音楽で、まさしく、このCD表紙のワトーのようなものだ。
確かに、この演奏でも、強調されすぎているぐらいに、
残響の豊かな、虹色の表現となっている。

ヘ長調といえば、11番、K413である。
トラック1を聴く。何故、この例を先に書かなかったのか。

活発な弦楽器のやり取りが終った後、
ピアノが舞い降りるような部分、非常に繊細である。
確かに、どちらかと言えば、通奏低音といった感じが強い、
ハープシコードでは、こうした表現は難しかろう。

が、こうした事を、
このスタインウェイによる演奏で聞き取ろうとするのは、
何だか後ろめたい感じもする。
が、そうした美点が最大限生かせるのが、現代の楽器とも言えよう。

「これらの協奏曲を売り出すに際し、
オーケストラでも、室内楽でも演奏可能としたが、
モーツァルトは、ヴィーンの聴衆を試し、
出来るだけ多くの音楽愛好家を引きつけることを願った。
このスタイルの点でも、広い層へのアピールを狙ったことは、
父親に書いた手紙でも明らかである。」

という具合に、今回、最初に紹介したような言葉が紹介される。

「ドラマティックなニ短調や、悲劇的なハ短調など、
彼の後の協奏曲に比べると、これらの3曲の協奏曲は、
少なくとも表面上は、安易なものに見える。
しかし、これらの安易さは、最大限に優美で、
美しく落ち着きのある様式においてのものである。」

この後に、この解説ならではの「問いかけ」が来る。
「それにしても、どの部分が、モーツァルトが、
『音楽通』を意識した所であろうか。
例えば、イ長調協奏曲のアンダンテの最初の部分が、
ヨハン・クリスチャン・バッハの、
『序曲』の引用であることを指すことも出来よう。
モーツァルトは、8歳の時、バッハの膝の上に乗って、
英国にて、国王ジョージ三世の前で、即興の連弾をしたが、
この昔の友人への親愛を込めた贈り物であることを、
明らかに意識していた。
1782年の1月にバッハが亡くなった時、
モーツァルトは、『音楽界にとって何という損失!』と、
書き送っている。」

先の手紙は、1782年12月28日付けのものであったが、
同じ年の4月10日の手紙に、この言葉を見ることが出来る。
ただし、イ長調協奏曲に、そのような引用があったとは知らなかった。
(が、そうした説があることを書いた書物はあった。)

ちなみに、楽譜に使われた紙などから、
この協奏曲こそが、この3曲の中で、
最も早く完成したものと言われているから、
まさしく、ヴィーン・デビューの第一作を、
バッハで彩ろうとしたことになる。

確かに、先の4月10日の手紙には、
「ぼくは毎日曜日の12時に、
スヴィーデン男爵のところに行きますが、
そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません」
と書かれている。このバッハは、大バッハだった可能性もあるが、
この手紙では、世話になった、クリスチャンのみならず、
次男エマーヌエルや、長男フリーデマンの話も出て来るので、
スヴィーデン男爵が、系統的に紹介していた可能性もあろう。

さて、後年、多くの貴族がモーツァルトに飽きてしまった後も、
このスヴィーデン男爵は、予約演奏会に名前を連ねた人として知られる。

彼が演奏会を開いたとして、
一人で聴いていたとも思えないので、
ここに集まった「通」を想定した工夫としたら、
確かに、非常に有効な一打であったかもしれない。
なるほど、彼が「通」と書いた時、目に浮かぶ、
明確な存在があったわけだ。

私は、昔から、彼が、どうしてこんなこと(素人にも通にも受ける)
を言い切れるのか、不思議であったが、これで理由は分かった。

しかし、J・C・バッハの「序曲」とは、どの曲だろうか。

「J・C・バッハの間接的な影響は、ヘ長調協奏曲の終楽章に明らかで、
バッハが得意とした、メヌエット・ロンドの形式となっている。
通はまた、モーツァルトが、対位法の名手であることを示し、
楽器のテクスチュアから全く異なった要素を導き出す、
急に深刻になる楽節においても、舌鼓を打ったに相違ない。
ヘ長調の終曲においては、メヌエットのような舞曲が始まる、
数小節、ほとんど教会風の対位法で開始される。」

この演奏のように、室内楽編成で、色彩を抑え気味に聴くと、
確かに、その精妙な線の絡み合いが面白い。
教会風というのも分かる。
何となく、厳かに天使が舞い降りる感じであろうか。
その後は、メヌエット風の楽しい音楽が始まる点も、
初めて聴く人には、意表を突く展開かもしれない。

「ハ長調の協奏曲、開始部の行進曲に先だつ部分には、
バスのト音の持続音の上を三つの高い声部が、暗く絡み合う
予想できない瞬間がある。
通は、モーツァルトが素材を探り、発展させる、
時に微妙、時に直接的な様式を理解したに違いない。」

確かに、もっと普通に主題を出しても良いところを、
モーツァルトは、面白い効果を駆使して洒落た味わいを出している。
なるほど、そうすることによって、
通は、ぱんと膝を打つわけだ。

「イ長調協奏曲の緩徐楽章でも、
J・C・バッハの引用の後、開始テーマの後半で、
協奏曲の冒頭テーマをゆっくりと弾いたメロディーを続ける。」

なるほど、そう言われればそうだ。
一つの主題を徹底的に使いこなす古典派の美学が、
ベートーヴェンのような強引な形ではなく、
こんな風に現れているとは思わなかった。
このイ長調協奏曲の第2楽章は、何度も説明されて、
一粒で二度おいしい感じである。

はて、どこかで聴いたような、などと、
確かに、「通」が喜びそうではないか。

「ヘ長調協奏曲では、ピアノの導入が、楽章開始部を、
そして、第2主題を遠回しに引用しているが、
全く新しいものが登場したように装いを新たにしている。」

ヘ長調協奏曲は、他の二曲に比べると、
冒頭の甘美さが劣るが、このように書かれると、
この直線的な動きに味わいも出て来るというものである。
この協奏曲は、時折、悲しげな影を落とす点も忘れがたい。

「同様にハ長調協奏曲の冒頭も、
あらかじめオーケストラが全楽章構築の材料を提示しているのに、
まったく違う考えを持ち込むようにソリストが入って来る。
こうした瞬間は、後の協奏曲でしばしば見られるが、
これらは、彼の義姉が、モーツァルトについて、
こう表現したのを思い出す。
『彼は、話題が楽しいことであれ、悲しいことであれ、
どんなことでも、思慮深く答えたものです。
しかし、彼は何か違うことを深く考えているようにも見えました。』」

この逸話は、あの映画「アマデウス」のモーツァルト像を、
かなり揺るがす内容ではなかろうか。
しかし、ヘ長調の冒頭のピアノの扱いと、
ハ長調のそれでは、かなり違うということは、


ハ長調の冒頭のオーケストラ、確かに、
あの不思議に声部が絡み合う、明快な行進曲風の主題に加え、
これまた、声部の絡み合いが面白い経過句も出た後、
ピアノの登場は、完全に、この行進曲風の乗りをはぐらかす感じ。
第2主題は、ピアノが主導して、これまた、大変、愛らしい。

「通は、これらの作品の室内楽版を弾く機会を楽しんだに違いない。
モーツァルトであれ、他の作曲家であれ、同時代者の証言がないのは、
驚くに値しない。
18世紀において、特別な作品の演奏は、
重要な公式イベントのものしか残っておらず、
さもなくば、たまたま居合わせた人が、
手紙や日記で言及しているだけである。
何かの作品の言及があるとすると、
記録されざるその何倍もの演奏があったに相違ない。
これらの3作品でモーツァルトが使い、宣伝した形式は、
数多くの演奏があった証拠である。
手稿の写しや印刷版を得た予約者は、
ピアノさえあれば、自宅や、
限られた友人のところで楽しんだのであろう。」

これはものすごい現象である。
何となく、モーツァルトの演奏を聴いた人は、
誰でも、帰って同じように演奏するような勢いだ。
しかし、パソコンやゲームがない時代、
そうした、たしなみがある人の演奏会参加は、
現在より多かったかもしれない。

「これらは、モーツァルトの指定のように、
ただ弦楽四重奏があればいいだけで、
この録音のように、ダブルべースを補強することがあったし、
また、フル・オーケストラが入るスペースがなければ、
これに管楽器を加えた形で演奏したかもしれない。
18世紀の演奏はこのように実用的なもので、
学究的であるかは放っておき、
どうした編成が正しいかなどと詮索する者はいなかった。」

完全に、ここでは、オリジナル楽器否定とでも言える言及が出た。
確かに、精密音痴になって、
どの演奏会でのヴァイオリンは何人であった、
などと学究的にやられすぎると、
それが目的になってしまいそうだ。
そんな乗りで、このCDでは、
現代楽器かつ、コントラバスを含めた編成で、
やっているのだろうか。

しかし、下記の点は大きく肯定せずにはいられない。

「当時、音楽愛好家は、楽しい演奏であれば、
どんな演奏でも幸福になれた。
さらに、こうした、室内楽編成の演奏には利点があって、
大規模な演奏では曖昧になりがちな視点を明確にしてくれる。
ハ長調協奏曲でのティンパニや、管楽器の介入はなくなった代わりに、
テクスチュアの透明度が高まり、リズムに浮遊性が得られた。
オーケストラでは稀であるが、室内楽の演奏者は、
直感的、センシティブに、互いに反応しあうので、
独奏者と他の楽器の微妙な相互作用こそが、
これらの作品のスタイルの、本質であり、
要旨であることを知ることができるのが重要である。」

コントラバスが入ったことによって、
どの程度、威力が得られたのかは、即答できないが、
時折、大きく、バスが動くところなど、
やはり、豊かな音の広がりが心強いかもしれない。

あまり、そのあたりを強調した録音でもないようだ。

以上、これらの3作品が一枚で聞けることも嬉しいし、
表紙もピアニストもキュートで、
「通」をよろこばす秘訣入りで、なかなか良いCDであった。

「通でない人も、
何故か知らないながらも、きっと満足するような」と、
自信まんまんにモーツァルトが書いたのは、
ここにあるような仕掛けゆえであったか。

もちろん、室内楽版で全てが語れるわけではない。
モーツァルトは、曲に応じて楽器編成を変えてもいる。
フル・オーケストラ版も合わせて聴くべきではあるが。

得られたこと:「モーツァルトの時代の『音楽通』は、主題の引用や、さりげなく繊細に工夫された楽節や、ピアノならではの表現に、膝を打ったものと思われる。」
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by franz310 | 2009-07-11 23:18 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その181

b0083728_0164072.jpg個人的経験:
少年シューベルトが、
クロンマーより、
コジェルフの方が、
ずっといい、
と言った話は、
彼の友人シュパウンによって
広く伝えられているが、
コジェルフよりも、
レコードに恵まれているのは、
クロンマーの方であろう。


このCDも、
美人クラリネットのシャロン・カムがアイドルのように、
意味ありげなポーズを取っている表紙写真で、
日本の愛好家にも記憶にあるものであろう。

背景にクラリネットが置いてあって、
ようやく、このCDの内容が憶測できる。

左半分を隠すと、何の写真か分からなくなる。
宮廷とか教会の中であろうか。
大理石の厳かな柱が立ち並ぶ中、
朝日だか夕日だかが差し込んで、
極めて日常から遊離した感のある、
なかなかの写真である。

Cover Photoには、Jannes Fraseとある。
カムの服装もモダンで大胆である。

ただし、解説中に出て来る、
演奏者の語らい風景の写真は、
この美しい表紙写真のせっかくのイメージを、
台無しにするものなので、乞うご期待。
こちらのフォトは、Carsten Wriedtとあり、
別のフォトグラファーが撮った模様。

Jannes Fraseは、こんなのを採用したプロデューサーだか、
デザイナーにがっかりしたのではないだろうか。

テルデック・レーベルのもので、1997年の録音。
イエルク・フェーバー指揮の、
ビュルテンブルクの室内管弦楽団の演奏。

このCDのように、クロンマーは、
どういう訳か、管楽器を使った音楽が得意だったようで、
数少ない管楽器協奏曲の分野で、
その道の名手には重宝されているようだ。

しかし、コジェルフにせよ、クロンマーにせよ、
一世を風靡した作曲であるようなのに、
何者であるかを知る資料は、あまりに数少ない。

例えば、白水社から出ている、
海老沢敏著の「モーツァルトの生涯」などは、
3巻の分量を持ちながら、人名索引に、
この二人の同時代者の名前はない。

コジェルフの師であったF・X・ドゥセックは、
かろうじて晩年のモーツァルトを援助したことで、
登場するには登場する。

ただし、彼の館がプラハの「モーツァルト記念館」として
残っていることくらいしか、記載されていない。

天才に張り合って音楽を書くくらいなら、
天才をもてなす方が、歴史に残るという教訓となる。

モーツァルトのライヴァル、サリエーリの本、
水谷彰良著「サリエーリ」では、
クロンマーだけは、一瞬、登場。
サリエーリの「声楽の弟子」の一覧に、
マリーア・マグダレーナ・フラム(1773頃~1839)
という人が出ていて、
「サリエーリに声楽を学び、作曲家フランツ・クロンマーと結婚」
とある。
クロンマー自身が、優れた作曲家であったのか、
ダメ作曲家であったのかはよく分からない。

コジェルフの名も登場するが、
ここで出て来るのは、シューベルトが肩を持った、
レオポルド・コジェルフではなく、
この人のいとこで師匠でもあった、
ヨハン・アントンである。
彼の、「戴冠式ミサ」を、1791年、
サリエーリは、プラハで指揮したのだという。

レオポルド・コジェルフが、
まさしくプラハにて、このヨハンに音楽を習った話は、
前回読んだところなので、妙に親近感がわく。

ちなみに、これは、
レオポルド二世のボヘミア王戴冠式の折のこと。
モーツァルトはこの際、戴冠式のためのオペラ、
「ティート帝の慈悲」を作曲して、同様にプラハで初演している。

こうした正式大行事には、もっぱら、
宮廷楽長であるサリエーリがかり出され、
宮廷作曲家のモーツァルトは脇役に甘んじている。
「ティート帝の慈悲」の作曲が廻ってきたのも、
サリエーリが辞退したからであった。

私の好きな、シューベルト「友人たちの回想」には、
先のシュパウンの回想を補足する形で、
「フランツ・クロンマー(1760-1831)は
1818年に、レーオポルド・コジェルフ(1752-1818)
の後を継いで、宮廷作曲家となった」とあるくらいである。
ちなみに、この書き方にならえば、
「コジェルフは、モーツァルトの後を継いで宮廷作曲家となった」
「モーツァルトは、グルックの後を継いで宮廷作曲家となった」
という具合に、錚々たる系譜に連なるのであるが、
こうした事は無視されている。

シューベルト関係の大著、アインシュタイン著、
「シューベルト 音楽的肖像」には、
「コーツェルフ、モーツァルトの後任として
ヴィーン帝室=王室作曲家となった」
「クロムマー、ヴィーンの作曲家、
当時彼の作品は一般に愛好されていた」
と索引のところで解説されているが、
本文中には、こう書かれているだけである。

「クロムマーはコーツェルフの後継者として帝室楽団楽長となり、
シューベルトより数年長生きをした。
コーツェルフのどこがシューベルトの気に入り、
クロムマーのどこが気に入らなかったかが知れたら、
我々にとって有益なことであろう。」

これが、まさに、ここでやろうとしていることなのだが。

この本は1948年、ニューヨークで出版されているようなので、
とても、この二人の作曲家を調査することは出来なかったのだろう。
それから60年の歳月が過ぎ、我々はこうして、
CDで、二人の作曲家を聞き比べることが出来る。
まことにありがたいことである。

クロンマーの交響曲は、
一聴して、ちょっとよく分からない所があるので、
まず、比較的、有名な協奏曲から見ていきたい。

ここでは、超名作のモーツァルトの最高傑作と並置されている。
Chiristian Kuhntという人の解説は、
比較的、クロンマーをうまく描いている。
題名は、「ハプスブルクへの奉公か芸術家としての自由か、
ヴィーンにおけるクロンマーとモーツァルト」とある。

「モーツァルト同様、フランツ・クロンマーが、
35歳で死んでいたら、彼の名前の元に、
最も流布した作品群は世に出なかったであろう。
1759年チェコのカミネンスにて、
Frantisek Vincenc Kramarとして生まれたが、
ザルツブルクの神童とは違って、作曲家としては、
遅いスタートであった。
沢山の彼の音楽の大部分は、19世紀を過ぎる前後まで、
出版されていない。
今日の少なくとも限られた聴衆には知られている、
わずかな作品の一つである、
作品36の変ホ長調のクラリネット協奏曲にも、
これは当てはまる。
この作品は、モーツァルトの有名なK.622の協奏曲を書き、
貧困の末に亡くなった12年後に当たる、
1803年に最初に出版されている。」

と、いきなり、二人の作曲家を比べる書き方で、
天才は最初から神童でなければならないといった感じが、
妙に割り切れない。
天才とか神童という言葉で全てが解決するなら、
我々の日常の努力がまるで無駄になるし、
大器晩成という言葉も意味を失ってしまう。

「モーツァルトの名声の絶頂が、死後のものだったのに対し、
ヴィーン音楽産業で、成功を収めた方はと言えば、
少なくとも数々の正規雇用という点から言えば、
クロンマーの方であった。」
この表現も少し、見下し感がある。
正規雇用でいることの難しさが欠落している。
特に、この時代、それは痛感されることであろう。

「1785年に、ヴィーンで一年を過ごした後、
10年後に帝都に戻って来て、
1798年からは、イグナーツ・フックス公爵の宮廷楽長、
帝室劇場のバレエ音楽監督、
フランツ一世のKammerturhuter、
そして最後に、ハプスブルク宮廷の、最後の公式な、
室内楽監督、作曲家であった。」

ここで、「最後の」とあるのは、
ナポレオンによって、神聖ローマ帝国が、
解体されてしまったからである。

「それとは対照的に、モーツァルトは、
1781年、ザルツブルクから出て来た時より、
死んだ時の方が悲惨であった。
未来の雇い主に、
彼が要求した多額の報酬ゆえに、
定職には就けなかったが、
むしろ、彼は、フリーの芸術家として、
悪戦苦闘する方を選んだのである。
結果として、彼は、ヴィーンでの10年間、
どこの宮廷にも教会にも属さない、
最初の重要な作曲家となった。
しかし、早くから、将来のパトロンとなりうる、
裕福で権力を持つ人々との交際に慣れていた彼は、
どんな事に巻き込まれるかを知っていたに違いない。」

このあたり、意味があいまいであるが、
こうした人たちは飽きっぽく、
当てにならないということであろうか。
好評だった予約演奏会も、
最後は、誰も名を連ねなくなったのは、
有名な話だからである。

しかし、このようにいろいろな作曲家の活動を見ていくと、
モーツァルトだけが演奏会を開いていた訳ではなく、
ライヴァルの相応の働きをしていたはずで、
今回の不況と同様、世の中の動きだってあっただろう。

「ヴィーンはこの時点では、彼自身の言葉で言えば、
音楽家にとって、『世界最高の場所』であった。
彼の仕事は活発を極め、様々な貴族の家族だけでなく、
新興の中産階級の裕福な人たちが彼の顧客となった。
妻が突然、病気になったりしなければ、
すべてはうまく行ったかもしれない。
何も残らなくなるまで、彼女の治療に彼は多大な出費をして、
パトロンに物乞いの手紙を書くまでになった。」

かなりクロンマーと対比するためにはしょっているが、
前述のように、モーツァルトは、
ずっと定職がなかったわけではない。
1787年、グルックの後任として、
宮廷作曲家になっているからである。
31歳で、この地位に就くのは、遅いのだろうか。

コジェルフは、モーツァルトより年長ながら、
モーツァルトの死後にこの地位に就いているし、
モーツァルトより3歳しか若くないのに、
クロンマーも、この地位に就くために、
コジェルフ引退まで待たなければならなかった。

私としては、勝手に自由に生きて来たのが、
急に定職について、こうした高い地位に就くことに対しては、
まったくもって賛成することが出来ない。
官の仕事なのだから、別に芸術性の高い作品を作曲する必要はなく、
その時々の機会音楽をこなしてくれればいいのである。
かなり意地悪に言えば、芸術を極めたいなら、
どうぞ、自分でベンチャーを作って御勝手に、という感じ。

では、クロンマーはどうだったろうか。
「クロンマーの定職は、彼に所定の金銭的な安定を与えたが、
モーツァルトも、有名なベートーヴェンもクロンマーの作曲に、
一言も良い言葉を残しておらず、
『自己流』の『俗物』として、19世紀中に忘れられた、
この多産なチェコの作曲家については、
シューベルトも、同様であった。」

これではあんまりであるが、シューベルトの本にあるように、
クロンマーの作曲したものは、当時、相当人気があったのである。

「今日、クロンマーの作品については、
否定も非難も、ここまで過激な意見は聞かれず、
ただ、かろうじて認知される程度である。
クラリネット協奏曲変ホ長調作品36のような作品は、
それ以上の価値はあろう。
前の時代の影響を最初の楽章などは残しているものの、
19世紀への変わり目にあった、音楽のスタイルの変化を反映し、
明らかにその時代特有の楽節を含んでいる。
序奏と第一主題の提示部は、明確にモーツァルト風であるが、
第二主題への遷移は、
ギャラントスタイルの明快な名技性に傾斜するとはいえ、
初期ロマン派風である。」

確かに、急にドラマティックな短調に傾斜するあたり、
ウェーバーやシュポアあたりを思い出してしまう。
経過句の面白さは特筆すべきかもしれない。

あるいは、パガニーニ風と言うべきか、
伴奏がじゃんじゃんじゃんだけで、
独奏楽器のみが好き勝手に羽ばたいて行く。
このお粗末極まる伴奏はいかにも頂けない。
あるいは、シューベルトは、
こうした点に不満を持った可能性もあろう。

「第二楽章、アダージョは、ロマンスをモデルとし、
この楽章の中間部では、独奏楽器は、内的な静穏の中に、
素晴らしいオーラを放射して、
せわしく脈動する管弦楽伴奏の部分と対比される。」

オーケストラは、最初の方だけ、序奏のように、
ジャーンとなって、不気味な低音の動きが現れ、
そこに少しずつ、クラリネットがからんで来るが、
クラリネットが調子に乗って来ると、
伴奏は、ぶー、じゃじゃじゃじゃ、ぶーという感じ、
あるいは、じゃかじゃかじゃかじゃかという感じで、
まことに頼りない。
やはり、経過句的に、管楽器などが不安な和音を発して、
神秘的な感じを表現していく。
このあたりに、人気があったと思われる。

「ロンド・フィナーレは、生き生きとしており、
1811年のウェーバーの、二つのクラリネット協奏曲や、
小協奏曲を時折、予告する快活な音楽である。」

私は、ウェーバーの協奏曲をそれほど楽しんだことがなく、
すぐに合点はいかないが、いかにも、管楽器の応答の妙や、
なだらかに夢を見るメロディの流麗さ、
時として現れるリズムの強調、ティンパニによる推進力などは、
そのあたりの作風に近いという感じは分かる。

「モーツァルトの最後の協奏曲は、
彼が作曲した作曲した偉大な作品の最後のもので、
すべての木管や金管の協奏曲の規範となるそびえ立つ傑作である。」

この作品、私は様々な機会に感動を新たにして来たが、
クロンマーの後で聴くと、オーケストラの中から浮かび上がる、
ホルンの豊かな響きに、まず、魅了されてしまった。
しかも、独奏が始まってからも、
何と、精妙なオーケストレーションであろうか。
メロディの補足強調や、部分的スポットライト、
独奏の先立つお膳立て、色彩や推進力の付加など、
渾然一体となって、絡み合って進んで行く。

「彼はこれを友人のクラリネット奏者
アントン・シュタッドラーのために、
死のたった二ヶ月前に作曲した。
この作品は本来は、バセット・クラリネットという、
今は忘れられた、木管楽器の仲間を想定して書かれた。
K.622は、1700年頃まで開発されなかった、
まだ、新しい楽器であったクラリネットの本質を、
それまで書かれたどの作品よりも掴んでいる。
独奏楽器は、濫用されることなく、単に名技性に堕することもない。
それは、愛、美、楽しみ、そしておそらくは、
モーツァルトの忍び寄る運命の暗さも歌い尽くす。
ヴォルフガング・ヒルデスハイマーは、
アントン・シュタッドラーがモーツァルトに依頼する際、
『それが白鳥の歌となろうとも、もう一度歌って貰おうか』
と独り言を言ったのではないかと空想した。」

このように書かれると、クロンマーの作品は、
名技性に堕して、愛も美も歌っていないように読めるが、
何となく、否定できないような気がする。

b0083728_0171191.jpgこのように、
クロンマーの作品36は、
クラリネットの作品だったが、
作品37は、オーボエの作品である。
この作品もCDが出ていて、
これまた、モーツァルトと、
比較されるような形で、
並べられている。
ただし、こちらの解説は、
ここまで、あからさま、
あるいは類型化したものではない。


Robert Dearlingという人が書いているが、
こちらの解説の方が、妙なバイアスがかかっておらず、
クロンマーに対して、平等に接しているようだ。
「フランツ・ヴィンセンツ・クロンマーは、
恐らく、多くは、彼の同時代人の名声ゆえに、
後世の人からひどく無視されている。
彼は、オーストリア、フランス、
イタリア、ユーゴスラビアの大学に招聘される栄誉を受け、
その多くの作品は特筆すべき人気を誇った。
一つは失われたが、9曲の交響曲を書き、
同じく9つのヴァイオリン協奏曲、
その他多くの演奏会作品、膨大な室内楽作品を書いた。
弦楽四重奏だけでも80曲もあって、ハイドンを凌駕し、
いくつかは、ベートーヴェンに匹敵すると考えられた。」

知られざる作曲家の紹介であれば、
まさしく、このように、始められるべきであろう。
テルデック盤は、実に不公平であった。

が、結局、次のような一節が出て来て、
結局は、このハイペリオン盤も、同じ穴の狢となる。
「ベートーヴェン、もしくはモーツァルトのおかげで、
我々にとって、クロンマーは無名であり、
熟達の敵はまさしく、天才と言えよう。」

このCDは、ハイペリオンの1990年の録音で、
同じ英国の、シャンドス・レーベルで、
「モーツァルトの同時代者」のシリーズで活躍した、
ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズの演奏。
ただし、指揮はバーメルトではなく、
ピアニストとしてもレコードを多く残している、
ハワード・シェリーが振っている。

ただし、この人が何故、こうした役を演じているかは、
このCDの解説にはない。
独奏は、サラ・フランシスである。

モーツァルトのK.314と、クロンマーの作品37の他、
同じくクロンマーのオーボエ協奏曲作品52が収められている。
この2曲は同じへ長調である。
3曲入って61分なのは、
モーツァルトが18分程度であるのに対し、
クロンマーも第一楽章こそ10分程度あるが、
第二、第三楽章が合わせて10分ほどの、
トータル20分の作品だからである。
ちなみに、クラリネット協奏曲変ホ長調作品36も、
同様の規模である。

規模も同様ながら、どの曲も同じような曲想で、
威勢のよい序奏を有する、雄大な曲想の第一楽章に、
劇的緊張感を秘めたロマンティックな第二楽章、
さらに快活な第三楽章が続く。

クラリネット協奏曲でも書いたが、独奏楽器が始まると、
管弦楽は、じゃかじゃか、でんでんでんでん、だけになるのも、
まったく同じである。

こんな事ばかり書くと、クロンマーが不利になるばかりだが、
モーツァルトの作品は、名手、シュタッドラーのために書かれたもの。
一緒くたに語っていいのだろうか。
これら、クロンマー作品は、誰のために書かれたのであろうか。

このCD、Claude-Joseph Vernet(1714-1789)の、
「イタリアの風景」という美しく、幻想的な絵画が使われている。
牧歌的で、ロマンティックであると書いてもよい。
山頂の古い城砦を前に、様々な人々の営みが見える。
何か、宗教的な意味合いでもあるのだろうか。

「ヘンデルの死の年、1759年に、
Kamenice u Trebiciで、Frantisek Vincenc Kramarとして生まれたが、
1795年、ヴィーンに出て以降は、
クロンマーはそのボヘミアの名前を捨て、
より知られる名前を使うようになる。
それより先に、彼はハンガリーで、
ヴァイオリニスト、オルガニストとして活躍したが、
多くのキャリアをヴィーンで積み、
1818年から死の年までは、ハプスブルクの最後の、
宮廷作曲家となる。」

この辺りは、先のCDにもあったが、
ヴィーンに出たのが、そもそも36歳。
1818年といえば、彼は59歳?
1831年に亡くなっているので、
13年間、老骨をむち打って、この地位で働き、
72歳になってしまった、という感じである。

モーツァルトもシューベルトも、
なかなか、こうした公式ポストにありつけず、
不遇だったように思われているが、
クロンマーのような根性を見せたれや、という感じ。
そもそも、これら超天才は、
クロンマーの半分以下を生きることで精一杯であった。

しかも、クロンマーはいい人だったみたいである。
「彼はフレンドリーな人物で、陰謀などを好まず、
閉じこもって仕事をするので満足して、
次第に高まる需要を満たすべく、ひたすら四重奏曲を書いた。」

こう書かれて、私は、はっとなった。
さすが、お抱え作曲家である。品質一定が何よりなのだ。
ユーザーが期待する製品を続々、一定品質で生み出すことこそ、
天才的な楽器奏者のために、至高の作品を生み出すよりも、
この人にとっては重要だったのかもしれない。

もし、モーツァルトのように、オーボエ協奏曲と、
クラリネット協奏曲が、まったく違う作品だったら、
ユーザーは、「こんなの、クロンマーじゃない」と、
怒ったかもしれない。

伴奏は申し訳程度だが、独奏楽器のメロディーは美しく、
弾く人は気持ち良いのではないだろうか。
是非、演奏者の意見を聞いてみたい。

残念ながら、この種の演奏者主役のCDの常として、
(おそらく、クロンマーはおまけであるがゆえに)、
シャロン・カムのCDなども、彼女の、
モーツァルトの協奏曲にかける意気込みは、
「私の年齢に、相応しいと思うようにモーツァルトを弾く」
などという一文によって、寄せられていたりするが、
クロンマーについては、何も書いてくれていない。

「34歳まで、彼の作品はまったく出版されていなかったが、
疑うべくもなく、大量の作品が出版されたが、
そこには、ベートーヴェンの作品に付いて行けなかった、
聴衆向け市場の初期作品も含まれていた。
クロンマーの作品番号は110に到るが、
そのうち50は、
オッフェンバックのアンドレが30年の間に出した。」
これは確かに、すごいことであろう。

「モーツァルトの作品は、
より洗練され、より適切と思われたが、
この路線をクロンマーは行って受け入れられた。
これらのオーボエ協奏曲の出版は、
1803年と1805年だが、
何時、作曲されたかの手がかりは少ない。」

1805年と言えば、シューベルトが8歳の頃。
こましゃくれた餓鬼に成長した11歳のシューベルトは、
クロンマーなんてダメ、と言うことになるから、
まさしく、シューベルトが知っていたクロンマーとは、
ここに聴くような作品を書く人だったに相違ない。

この時、クロンマーは、モーツァルトも、
シューベルトも未体験の46歳であった。

「モーツァルトの協奏曲は、
オーボエ、ホルン二本ずつの、
小オーケストラのための作品だったのに対し、
クロンマーの作品は、二曲とも、
フルートやバスーン、トランペット、
ティンパニを追加してある。」

これまた、顧客への心遣いか。
モーツァルトのピアノ協奏曲などは、
一曲ごとに編成が違うので、その変化の妙を賞賛されているが、
演奏する方に取っては迷惑至極。
クロンマーのように規格化して貰いたいという人もいるだろう。

さて、この解説、モーツァルトに関しても、いかにも興味深い。
しかし、今回の主役はクロンマーなので、詳細は割愛する。

このパウムガルトナーによって再発見された、
モーツァルトのオーボエ協奏曲、
ザルツブルクで書かれたはずなのに、
ヴィーンの紙が使われ、しかも、独奏パートは、
モーツァルト的ではない、などと断言されている。

そこで、この独奏者、サラ・フランシスは、
適宜、変更して吹いているという。

このように、このCDでも、
演奏者のモーツァルトにかける意気込みが明確だが、
クロンマーについては、不明確。
いい加減にせよ、演奏者。

クロンマー擁護の立場で言えば、どの作品も、
とても節がきれいな作品である、と断言してもよい。
名手の妙技なら、これも可。
実は、シュタッドラー(1753-1812)は、
こちらの方が好きだった、なんて言うオチはないだろうか。

得られた事:「クロンマーの協奏曲、極めて顧客便益に適い、美しいメロディーに満ちた名品。オレ様、ベートーヴェンが嫌だった当時の人用。一定品質で安心。」
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by franz310 | 2009-07-05 00:21 | シューベルト