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クラシック音楽への愛と悲しみの日々(一枚のLP、CDから「書き尽くす」がコンセプト)
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その171

b0083728_23303262.jpg個人的経験:
モーツァルトとの関係で知られる
サリエーリは、
少年時代のシューベルトに対し、
「あの子は何でも出来ます。
オペラでも、リートでも、
四重奏曲でも、交響曲でも、
作曲したいものは何でも作曲します」
と言って讃辞を惜しまなかった。
シューベルトもサリエーリを信頼し、
習作のオペラを彼に見せに行った。


サリエーリは、根気よく、
この作品「悪魔の悦楽城」に目を通し、
遂には、改定版までが出来上がった。
井形ちづる著の「シューベルトのオペラ」によると、
第一稿はシューベルト16歳の1813年10月30日から
翌年の5月15日に書かれ、
同じ年の10月22日に第二稿が完成したという。
ものすごく息の長い仕事である。
各幕の表紙には「サリエーリ師の弟子」と書かれているらしい。

1813年10月といえば、
シューベルトがコンヴィクトを卒業した年で、
教員養成学校に通うのに合わせて、
同時にプロの音楽家を目指し始めたものと思われる。
サリエーリは、その際、力強いコーチとなったに違いない。

近年、この作品はいくつかの上演の機会を経て、
見直される傾向にあるという。
ただし、レコードが出たという話は聞いたことがない。

とはいえ、何とか、序曲だけは、聞くことが出来る。
例えば、KOCH SCHWANNレーベルからは、
序曲集としてまとめられたものが出ていて、
10曲のオペラの一部を聞くことが出来る。

このCD、表紙デザインが素晴らしい。
りりしいシューベルトが劇場内部のアーチの下に座って、
生前なしえなかった、劇場の征服を、
いかにも成し遂げたという雰囲気になっている。
Dieter Heulerという人のデザインというが、
なかなか乙な計らいではないか。

また、中の解説が力作で、シューベルトのオペラを、
是非聞きたくなるような内容となっている。
各曲が、作曲された順になっているのも嬉しい。

1. 水力技師の悪魔 序曲ニ長調 D4(1811/12)
2. 鏡の騎士 序曲変ロ長調 D11(1811/12)
3. 悪魔の悦楽城 序曲へ長調 D84(第二版)
4. 4年間の哨兵勤務 序曲ニ長調 D190(1815)
5. ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ 序曲ホ長調 D239(1815)
6. サマランカの友人たち 序曲ハ長調 D326(1815)
7. 双子の兄弟 序曲ニ長調 D647(1819)
8. アルフォンソとエストレッラ 序曲ニ長調 D732(1821)
9. 家庭争議 序曲ヘ長調 D787(1823)
10.フィエラブラス 序曲ヘ長調 D767(1823)

という具合である。
このように、有名な「ロザムンデ」、または、「魔法の竪琴」の序曲は、
収録されていないが、彼のオペラの主要作品について、
概観できる形になっている。

この録音は、シューベルト生誕200年を記念か、
1997年録音とあるが、ようやく、
このような企画がなされるようになった。

演奏は、ハイドン・シンフォニエッタ・ヴィーンとある。
指揮者はManfred Hussという人。

解説は、何と指揮者自らが書いていた。
すごい共感に満ちたもので、
シューベルトのオペラは、非常に特殊なものゆえ、
演奏者も聴衆もそれに追いついていないから、
理解が進まないのだ、
といった熱烈な言葉が見られる。

序曲の世界でもまた、
彼は、その交響曲とも、
まったく異なる世界を作り上げているという。

「シューベルトのオペラの世界は広大ながら、
おそらく、その概観が簡単でないがゆえに、
いまだほとんど知られざるものだ。
ちゃんと残っているオペラのうち、序曲があるものは、
以下のものである。
『悪魔の悦楽城』、『サマランカの友人たち』、
『アルフォンソとエストレッラ』、『フィエラブラス』、
それから、一幕ものの、
『4年間の哨兵勤務』、『双子の兄弟』、『家庭争議』、
それに、付随音楽群である、
『ロザムンデ』(D797)と『魔法の竪琴』(D644)があり、
オペラの断片『水力技師の悪魔』、『鏡の騎士』、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』への序曲がある。
もちろん、シューベルトの序曲では、
それ自身の序曲はなかったのにもかかわらず、
『ロザムンデ』序曲が最も知られたものだ。
1823年にアン・デア・ヴィーン劇場で、
『ロザムンデ』の劇が初演された時、
シューベルトの生前には演奏されなかったオペラ、
『アルフォンソとエストレッラ』の序曲が使われた。
シューベルトは、『ロザムンデ』には、
この序曲は重すぎると考え、
『魔法の竪琴』のために書かれていた序曲を転用したので、
これが『ロザムンデの序曲』として知られるようになった。」

なるほど、こうして見て見ると、
シューベルトのオペラは沢山あるというが、
複数の幕を持つ本格的なものは、
たった4作しかなく、そのうちの3作は、
そこそこ大手のレコード会社から、
発売されたということが分かった。
また、短い作品は、いくつかの録音があり、
「悪魔の悦楽城」が録音されないのが待ち遠しく、
改めて、ヒュッテンブレンナーがなくした、
ゲーテの原作による「ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ」が、
返す返すも惜しい、というところであろうか。

「この録音では、オペラ用の序曲に限って集めたものである。
劇場は新奇な演目を常に求めているのに、
シューベルトのオペラで残っているものが、
何故、レパートリーに定着しないかは難しい問題である。
また、交響楽団が、これらの序曲をレパートリーに入れないのかは、
もっと不思議なことである。
それは他の作曲家による有名な序曲に劣るものではない。
おそらく、歴史的楽器を使うと、
技術的にかなり演奏が困難だからであろう。
木管は演奏不可能ぎりぎりであって、
彼の時代ではいっそうそうだったはずで、
例えば、『悪魔の悦楽城』におけるトランペットなどは、
バロック時代の華麗な作品に劣らず高い音を出す瞬間がある。
シューベルトの最も初期の作曲の日付は、
1810年から11年であるが、
このごく早い時期から、特に惹かれていたこれらジャンルに熱中し、
おそらく経済的な問題から、
時に同時に、ピアノ、管弦楽、弦楽四重奏、
宗教曲、とりわけオペラに取り組み、
これらの手書き原稿が一緒くたになっている。」

私は、このような記述を見て、
創作力に駆りたてられたガキんちょの、
創作現場に居合わせたような気がした。
確かに、本人すらもその重要度に気づくことなく、
書き散らされたものは、そうした状態だったであろう。
サリエーリらが、その天才を気づかせてあげなければ、
この天才もその才能を、
どうしていいか分からなかったかもしれない。

「1811年に始まる、彼の最初期の、
比較的大規模作品としては、
オペラの断片である『鏡の騎士』がある。
特に序曲の導入部を聞く限り、
たった14歳の少年が書いた作品とは信じがたい。
それは驚くべき華々しさで、
随所に18世紀の様々なモデルの影響が見えるとはいえ、
そこに染み渡る、その材料を処理する新しい方法や、
個性の独自性は、シューベルトが最初から持っていた天才である。
彼の最初の管弦楽作品は、
ハイドンの死後2年、
ベートーヴェンが全交響曲を書き終わる前に書かれた。
モーツァルトとは違って、
シューベルトは天才と賞賛されたり、騒がれたりはしなかったが、
これらの作品は時代を超えて、シューマンをも予見するものだった。」

こうして、時代的な位置づけを見ると、
シューベルトは、ベートーヴェンと同時期に新しい音楽の
模索を始めた人であることが分かる。

「サリエーリは即座にシューベルトの才能を見て取り、
無償でその作曲のレッスンを引き受けた。
彼は18世紀イタリアオペラのスコアを学ばせ、
シューベルトもまた、サリエーリの、
『オルムスの王アスクール』や、
『ダナイード』の総譜に親しんだと思っていいだろう。
最初に劇場作品に触れた時、
彼は15歳で、これは友人シュパウンに連れられて、
ケルントナートーア劇場に、
ハイドンの弟子ワイグルが書き、
大いに流行っていた、『Waisenhaus』を見た時であった。
後にシューベルトは、他の有名なオペラ、
『フィデリオ』、『魔弾の射手』、
モーツァルト、ロッシーニのいろいろな作品、
グルックの『トゥーリードのイフェゲーニェ』を見ている。
これは、とりわけ大きな印象をシューベルトに与え、
その後、グルックの他のオペラの研究にも没頭した。」

このように、シューベルトは、グルックの直接の後継者のように見える。
サリエーリはグルックの弟子なので、直系である。

「同じ1811年に、彼は『水力技師の悪魔』、
まったく残っていないオペラの序曲を書き、
これは『鏡の騎士』とは全く異なる雰囲気を持ち、
ヴィーン風のコメディ、
またはオッフェンバックのオペレッタの序曲のようだ。
(ヴィーン喜劇の傑出した作家の一人であるネストロイは、
役者や喜劇創作に専念する前には、
シューベルトのパートソングの歌手として著名であった。)
これら二つの作品の大きな性格の違いは、
歌曲の作曲のみならず、シューベルトのテキストに対する、
早い段階からの適応力を如実に示している。」

3分ほどで終わる、
単純なリズムによる軽妙な作品で、
木管のアンサンブルの印象的な響き、
金管の咆吼、めまぐるしい弦楽器群など、
シューベルト作品の中でも異質であるが、
立派に演奏会にかけられそうな内容である。

この作品など、しばらく前までは、
伝記の中に出て来るだけの幻の作品だったのではないか。
交響曲全集の中に併録された記憶もなく、
初期のシューベルトはいろいろ書き殴っていたようだな、
という参考に出て来る程度であったと思う。

しかし、金管がぶっ放す様は、
アインシュタインが屋外用ではないかと書いたように、
非常に豪快である。

続く、『鏡の騎士』は、一転して、
シューベルトの交響曲の響きを持ち、
ここに収められている作品の中で最長の8分半を要する。

これも、金管のど迫力が素晴らしいが、
シューベルトの交響曲を彩るフルートやオーボエの彩りが繊細。
劇が開始する前のわくわく感を見事に表わしていて、
時折、物語に起因するのか、
エキゾチック、神秘的なパッセージが現れる。
華やかで壮大な序曲で、
今後は、交響曲と同様に親しまれるべきものだ。

「後にも、同時並行で書かれた、
こうした対となる作品例が認められ、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』と、
『サマランカの友人たち』は1815年に、
『フィエラブラス』と『家庭争議』は1823年に書かれた。
彼のオペラの序曲はすべて、
交響曲群と比べると、荒れ狂うドラマ表現が含まれる。
反対に彼の交響曲は、劇音楽に比べると、
ずっと厳格な古典的技法で書かれている。」

この一文は、おそらく聴く人の期待を駆り立てるであろう。
シューベルトの全交響曲を聴き尽くしてもなお、
未踏のシューベルトの管弦楽の世界が残されているのである。

「『水力技師の悪魔』は、
小さめのオーケストラのために書かれた、
唯一のシューベルトの序曲で、
この録音では、ハイドンのエステルハーツィの楽団に合わせ、
22人の演奏者で演奏した。
この作品をおそらく彼は、
コンヴィクトか、彼が聖歌隊に入っていた、
ヴィーン大学の古い建物にあった、
ギムナジウムでの劇のために書いたものと思われる。
この学校は優れたオーケストラを持ち、
毎晩、練習や演奏会を行っていた。
シューベルトは優れたヴァイオリニストで、
ピアノ、オルガンもよくし、
オーケストラのリーダーに選ばれ、
ほとんどの楽員より若い13歳の時には、
代理の指揮者も務めた。」
このように書かれると、シューベルトは、
無計画に作曲しまくった夢遊病者などではなく、
非常に信頼されるしっかりした人物のようにも思えてくる。

「シューベルトが序曲に注ぎ込んだ、
豊かで変化に富む音楽的着想は驚嘆すべきものだ。
すべてが完全に異なっており、
快活で、激しい表現は、時として、
彼の全作品の隠し味となっている、
この世を越えるものに対する感覚によって彩られ、
彼のヴィーン人としての側面を示す。
親しげで社交的な性格は、
特に、ナポレオン戦争時代の脱走兵を扱って、
少々微妙なテーマであった『四年間の歩哨勤務』や、
古典的に祝典的なハ長調による『サマランカの友人たち』、
そして、彼にしては珍しい穏やかさの、
『双子の兄弟』や『家庭争議』に見られる。
オペラと同様、これらの序曲における、
創意と変化に富む雰囲気は、
シューベルトのドラマ表現に対する能力を示している。」

このように、各曲を性格分けしてくれるのは、大変有り難い。
沢山あるのに、どれもが全く演奏されない、
などとひとくくりにされるのが、
シューベルトの劇音楽の宿命であったが、
どうやら、この指揮者は新しい見方を、
提示しようとしてくれているようだ。

「『悪魔の悦楽城』は、彼の最初の大オペラで、
最初の二つの交響曲や、
『糸を紡ぐグレートヒェン』を含む、
最も有名な歌曲のいくつかと同じ年に書かれている。
作曲の過程は、1813年の10月から、
1814年の10月であるが、
明らかに初稿には不満があったようで、
サリエーリの協力を得て全幕を書き直している。
改訂版は、序曲、オペラとも、彼の天才の爆発力を示し、
ロマンティシズムの新しい精神漲る、
この青春の『疾風怒濤』に、
我々は、さらされる。
ここにきて、我々は、
彼のオペラに常に現れる、高度に劇的で、
型にはまらない感情の噴出に直面する。
『悪魔の悦楽城』序曲の構成は、
魅惑的な叙情的楽節から、悩み、
シューベルトのみならず、他のヴィーンの音楽、
伝統音楽からシュトラウス兄弟、マーラー、ベルクに到る、
胸の張り裂ける痛切さなど、
いくつかの部分からなる。
これらの深い感覚は、新しい楽器法によって醸し出され、
さらに後、19世紀高ロマン派の時代を予告する。
これらの楽節は興奮した、
意表を突いた楽器の組合わせ、
風変わりな和音によって中断され、
悪魔の館の隅や割れ目から、
様々なグロテスクな居住者を呼び覚ます。
この序曲のコーダは、これらの亡霊たちを伴って、
ベルリオーズの『幻想交響曲』を予告する、
幻想的な終結に向かう。」

この曲、いきなり轟くティンパニ連打からして、
第1印象はかなり奇異であるが、
こう書かれると、再度、そうした耳で確かめたくなる。

サリエーリの指導のもと、野心溢れる少年が書き上げた、
おそらく渾身の力作である。
序曲も8分半の大作。

シューベルトがこの時期に書いた歌曲も交響曲も、
いまや、誰も習作などとは思わない。
十分すぎるほどに、演奏会の花となり得る演目となった。

確かに、この解説が力説しているように、
この序曲では、シューベルトの幻想は大きく翼を広げ、
全く交響曲とは違うアプローチで管弦楽が鳴り響いている。
よく考えると、シューベルトの長大な歌曲では、
おそるべき幻想が生々しい程に絵画的な表現を見せるから、
こうした楽曲が出て来てもおかしくはない。

木管によって導かれるメロディははかなくも美しいが、
新たな世界に踏み出していくような風情も漂っている。

がちゃがちゃした響きが、時に流れを粉砕していくような進行。
大きくうねる楽想は、交響曲では見られなかったもので、
ブラームスで言えば、「第3」などで、聴かれるような感じ。

神秘の帳をひらいて行くような楽想、
ホルンが荘厳な深淵を覗かせる。
木管の歌い交わす響きが、純真な魂を思わせる。

そして、冒頭のティンパニ連打があって、
活発にオーケストラがのたうち回る。

驚くべきは、老サリエーリが、こうした先鋭な音楽に助力した事。
彼は、モーツァルトなどよりシューベルトに驚嘆したのではないか。

ここで、このオペラの内容を、先の井形ちづる著から把握すると、
「これでもか、これでもかと、
オスヴァルトは恐ろしい超自然現象に襲われるが、
決して屈しないという英雄オペラでもある」とある。

とおりがかりの騎士が、村人が恐れる「悪魔の悦楽城」に、
乗り込んでいくというストーリーである。
城の中には様々な危ない仕掛けがあり、
アマゾンが出て来て、オスヴァルトを誘惑したり、
殺そうとしたりするが、
新妻ルイトガルデが勇敢で、城に駆けつけ、
すべてが解決するという、
ベートーヴェンやヴァーグナーも好きそうな内容である。
これは面白そうだ。
が、あまりにスペクタクルな要素がありすぎて、
歌手よりも大道具に金がかかるかもしれない。

「シューベルトも同時代者も、
『悪魔の悦楽城』や、『四年間の歩哨勤務』、
歌芝居『サマランカの友人たち』、
ゲーテのテキストによるジングシュピール、
『ヴィッラ・ベッラのクラウディーネ』の断片以上のものを、
聴くことが出来なかった。
何十年もシューベルトのオペラを舞台にかける試みはなかったが、
演奏会公演も一度限りであった。
最初の大きな進展は、リスト指揮で、
『アルフォンソとエストレッラ』がワイマールで上演された
1854年にあったが、
彼はシューベルトの豪華な序曲を、
アントン・ルービンスタインの『祝典序曲』に置換え、
オペラを無慈悲にも切り刻んで使った。
しかし、それにもかかわらず、
リストは最もシューベルト普及に貢献した。
同様のことはブラームスにも言え、
最初の全集版に関わったが、シューベルトの楽器法を、
『改善』すべく、手稿に赤ペンを入れることを厭わなかった。」

こう書かれると、リストもブラームスも尊大なおっさんである。

以下、シューベルトがいったんはオペラ劇場から
依頼を受けながら、後が続かなくなった経緯が書かれているが、
字数制限にひっかかったので、
やむなく割愛する。
「双子の兄弟」に関しては、かつて、このブログでも紹介した。

「『悪魔の悦楽城』以降、
シューベルトの作曲スタイルは、
めざましい発展をした。
彼の音楽語法は、その情熱にもかかわらず、
騒々しさは鳴りをひそめたのに、
集中度を増し、力強くなり、
内的な劇的強靱さを獲得した。
音楽のスケールは大きくなり、
そのフレージングは大きな弧を描き、
時として『無限旋律』に似る。
これこそが、シューマンが『ハ長調大交響曲』に、
『天国的長さ』と賞賛したものであろう。
シューマンは同時に、シューベルトは、
完全にベートーヴェンから独立していると書いた。
シューマンはおそらくオペラについては知らなかったが、
同じことがこれらにも言える。」
確かに、シューベルトの賛美者である、シューマンは、
いったい、シューベルトのオペラをどう思っていたのだろうか。
彼もそうした音楽を書いているから、興味がなかった訳ではあるまい。
シューベルトの兄弟に会いに行ったりしているので、
何らかの情報は持っていたものと思われる。

しかし、この論法も何となく、心に刺さるものがある。
例えば、ここに収録された、D11とされる、
ものすごく初期の「鏡の騎士」の序曲ですら、
まるで、「ハ長調大交響曲」を予見させる、
素晴らしい発展性を予告する序奏部を持っているからである。

この序曲、先にも書いたが、
交響曲の隣においてもおかしくないもので、
爆発的な推進力は若気の至りかもしれないが、
トランペットの連呼の中、突き進む様子は、
本当に、最後の交響曲に直結する勢いなのである。

さて、この解説、下記の部分が非常に興味深い。
というのは、解説しているのが、
これらの作品を実際に指揮した人が書いたことだからである。

「少なくとも、シューベルトの楽器法は、
最初から、ベートーヴェンより大規模で違ったものだ。
『英雄交響曲』までの古典的オーケストレーションは、
いくぶん、室内楽的で、管弦楽書法も形式的原理に厳格であった。
しかし、シューベルトの場合、最初から近代的な管弦楽法で、
ムードや感情、心理的な性格付けを狙った、
デリケートで透明な語法で伝えるのを拒絶した。
ハイドンは、後期の作品で、こうしたアプローチを越えたが、
シューベルトは最初からそこにいた。
彼のオーケストラは、
1856年、『タンホイザー』の、
ベルリン上演で理想とされた15から20人の第1ヴァイオリン、
5から10人のコントラバスといった、
ヴァーグナーやリストの高ロマン派に直結している。
二組ずつの木管、トランペットに加え、
四つのホルン、三つのトロンボーン、
それに相当する弦楽セクションをシューベルトは必要とする。
各プレーヤーにパワーとエネルギーを必要とする、
彼の音楽は、それまでのものを越えて、
ヴァーグナーやマーラーを予告するものである。」
こんな見方をしたことはなかった。
シューベルトは室内楽の達人でもあったから、
室内楽的書法を目指した、と書かれても納得できるが、
何と、まったく違うと言い切るところがすごい。

「『アルフォンソとエストレッラ』の序曲の冒頭は、
多くの聴衆にブルックナーを想起させ、
そのほかのパッセージもウェーバーよりは、
ヴァーグナーを思い出させる。
シューベルトは早い時期から、
オペラに魅了されていたが、
そのアイデアは常時溢れていて、
最後の願い、突然の死の二三日前に考えていた事も、
バウエルンフェルトの新しい台本に関するものであった。
彼の天才は、その創作力を、オペラに傾注させようとした。
この決断は奇異に映るが、彼の全作品を見ていくと、
何をどのように作曲すべきか、
彼がよく分かっていたと確信するのである。
そして、彼が正しい詩を選び、
完璧な曲付けをいつもしていることを感じるのである。
オペラに関してのみ、そんな彼の判断が誤っていたと言うのか。
おそらく間違っているのは我々の方なのだ。
我々は単に、それを理解する道を、
見つけることができずにいるのである。」

以下、このCDにかけるすごい自信を感じる一節。
「シューベルトのオペラの序曲を聴くことによって、
長らく正しく評価されてこなかった作曲家の、
全く別のサイドを見ることが可能となる。
それは、高度に発揮された各楽器の能力、
オーケストラのパレットの色彩ゆえに、
そうしたものを欠く、ピアノ伴奏の歌曲からでは、
正しく行き着くことの出来なかったサイドである。
さらに、彼のオーケストラ作品の大部を構成する、
交響曲、ミサ曲においてさえ、
彼のオペラやその序曲に似たものは見いだせないのである。」

さて、演奏は、第1ヴァイオリンが9、
コントラバスが3と、この指揮者が書いていたような、
高ロマン派の編成にまではいっておらず、
そのせいかは分からないが、
いくぶん、先鋭すぎるような気がする。

録音のせいか、もう少し、ふっくらしたとしたものが欲しい。
練習風景の写真が載っているが、会場が狭すぎるのではないか。

ただし、しなやかさはあって、
スイトナーやアバドで聴いた、円熟期オペラ全曲盤の序曲よりは、
豊かな息づきを感じさせ、さすがに強烈な共感が血となっている。

得られた事:「サリエーリの新しいものに対する鑑定眼は確実で、シューベルトの初期オペラの持つ先進性を添削しながらも、ベルリオーズを予見する響きを探り当てている。」
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by franz310 | 2009-04-25 23:42 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その170

b0083728_12582396.jpg個人的経験:
今回、私が聞いたCDは、
シューベルトの師匠で、
モーツァルトのライヴァルであった、
サリエーリの書いたピアノ協奏曲。
FUNT CETRAという、
ライブ録音を出しまくって、
ちょっと著作権、大丈夫?
という感じのレーベルのもの。
大丈夫?という感じは当たって、
今回のCDもイタリア語のみ。


ということで、曲の詳細は読めないでいる。
ただし、ライブではなさそうだし、
大家、チッコリーニがピアノを担当、
何と、バックもシモーネ指揮、
イ・ソリスティ・ベネティと、
有名どころを押さえている。
マイナーレーベルの仕事とは思えない。
録音もよい。

近年の傾向では、フォルテピアノなど
オリジナル楽器で弾かれる領域なので、
少々、時代を感じさせる。
1986年という年が書かれているが、
録音年か発売年か不明。

2曲あって、共に作曲されたのは、1773年。
この時代からも明らかなように、
モーツァルト以前、C・P・E バッハ以降、
という感じがする。
あくまでも、この演奏で聞いた感じだが。

最初にかなり大曲の変ロ長調が収録されている。

第一楽章のアレグロ・モデラートは、
12分もかかる大曲で、
弾むような楽しげな主題、
晴れやかな展開に、
途中には緊張感を孕んだ一瞬もあって、
聴き応えのある音楽。

第二楽章は静的なアダージョでこれについては後述する。
7分ほどかかる。

終楽章は、何とメヌエットで、
ハイドンのピアノ三重奏曲みたいな構成。
これら2曲は、女性の弟子のために書かれたというが、
非常に愛くるしい音楽で、7分半かかる。
途中、変奏曲みたいに小細工をするあたり、
微笑ましく思える。
コーダでは、緊迫感を増して締めくくるあたり、
ベートーヴェンが好きそうな乗りかもしれない。

次にこのCDにはハ長調の、19分程度の協奏曲が入っている。

第一楽章のアレグロは8分程度。
ピアノの指使いが、軽妙で、演奏していて楽しそうである。
ころころと玉を転がすようであったり、
不規則にリズムに変化を付けたり、
せかせかと先を急いでみたり、
チッコリーニで聞くせいか、非常に美しい。

そんな中、すっと弦楽で出るメロディや、
少しずつ陰影を変えていく色彩感は、
妙にシューベルト的ではっとさせられる。
そうだ、「ラザロ」で出て来るメロディに似ている。

第二楽章は物思いにふけるラルゲットで、
ピッチカートが迫る時を告げるかのようだ。
約6分。

第三楽章は何と、アンダンティーノとあって、
後の協奏曲形式からすると意表を突かれるが、
ラルゲットの後のせいか、急緩急の協奏曲に聞こえる。

かなりシンプルな楽想の中、
妙にためらいがちなピアノのパッセージが出て来て、
はっとさせられ、サリエーリが想定していたという、
女弟子の面影が偲ばれる。
途中、劇的に盛り上がる場所もあって、
飽きさせない工夫は随所にある。

決して凡庸な作曲家のものでも、
アイデアに乏しい人が単に流行に便乗したようなものでもなさそうだ。
5分程度で終わるので、先の曲よりはかなりコンパクトなイメージ。

ちなみに、モーツァルトもこれらの曲と同じ1773年に、
最初のピアノ協奏曲を作曲している。
また、デーモニッシュな小ト短調交響曲を書いている。
サリエーリが23歳、モーツァルト17歳である。

もう一人の大家、ハイドンは、すでに不惑の年を迎えていたが、
実際は、この時、まだ模索の時代にあって、
ロシア四重奏曲のような革新的な仕事は、
1780年代まで待たなければならない。

ところで、このCD、私は、イタリアのレーベルであるし、
イタリア人作曲家の作品ゆえ、
さらにイタリア人の名匠たちが演奏することもあって、
当然、この表紙の絵画もイタリア、
演奏団体からの連想からか、
ヴェネチアあたりの風景かと思っていた。

しかし、解説書の裏には、
La “Hofburg” a Viennaとある。
縁取りが青く、イタリアの空を連想させるのが、
誤解を生じさせる原因かもしれない。

この一文の結論としては、
実は、これと同じ事が、
サリエーリという人物にも当てはまるのだなあ、
ということに尽きるかもしれない。

実は、サリエーリに関しては、
2004年に日本でも評伝がでていて、
これが我が国における基本文献ということになろう。
この音楽家の生涯の他、作品や文献の一覧、
弟子の名簿からレコードまでが解説されている充実の一冊。

水谷彰良という日本ロッシーニ協会事務局長が書いた本で、
音楽之友社から出たものである。
私が持っているのは第二刷なので、順調に売れているのだろう。

この本には、このピアノ協奏曲について、
このように書いてある。
「ハ長調協奏曲のそれ(第二楽章)は
モーツァルトのピアノ協奏曲第二三番の第二楽章と雰囲気が似ている。
もちろん他人の空似であろうが、それはサリエーリの音楽的な
先見性といえるかもしれない。
オペラ・アリアも同様で、サリエーリの音楽はしばしば
『モーツァルトらしさ』が感じ取れる。
けれども作曲時期の前後関係からいえば、
それは『サリエーリらしさ』と呼ぶべきものであろう。」

確かに、ここに収められた二曲の協奏曲。
第二楽章が非常に詩的な空気を漲らせて素晴らしい。
ただし、第三楽章は、強引さがない分、
モーツァルトのような高揚感がないような気がする。

もう1曲の変ロ長調の第二楽章もまた、
アルカディアの風景の中のパントマイムのような、
不思議な詩情に満ちている。
強いてモーツァルトの例を上げるなら、
第13番K415の第二楽章が似ているだろうか。

この著書は、サリエーリを、私のように、
歴史現象的な興味本位で捉えるのではなく、
ちゃんとその音楽に愛情を持って接しているのが好ましく、
従来の文献に関しても、
客観的、批判的な目を持って接しているので信頼できる。

この本に書いてある事に付け加えることがあるとすれば、
読者の感想であろうが、それも、ネット上に溢れている。
従って、私は、自身の体験との対照を語り、
さらにサリエーリの音楽にも耳を澄ませ、
本とCDとのクロスオーバーの中に身を委ねつつ、
妄想を膨らませたことを報告する以外のことはない。

ただ、本そのものに一言あるとすれば、
作品がすっかり忘れられた作曲家の評伝が、
こうした形で世に現れること自体が異例としか言いようがない。
著者の情熱に脱帽するしかない。

そもそも、ハイドンのような大家であっても、
大宮真琴氏が、
「日本で研究されたハイドン伝は、おそらくこの小著が最初」
と誇らしげに宣言したのがほんの40年前のことであった。

サリエーリより作品が知られている、
同時代のイタリアの作曲家(チマローザやクレメンティ)
に関しても、
同時代に限らず、桁外れに作品が知られている、
パガニーニやレスピーギなどにも、
こうした日本語の評伝があっただろうか。

ということで、ベートーヴェンや、
シューベルト、リストの音楽や生涯に興味がある人は、
是非、この著作を手に取るべきであろう。
彼らの評伝を出している某出版社などより、
はるかに安い価格で入手できるのも喜ばしい。

さて、私がサリエーリについて持つ印象は、
モーツァルトのライヴァルというものではなくて、
シューベルトが、祝典カンタータ、
「サリエーリ氏の50年祝賀に寄せて」(D407)を書いている、
というあたりに遡る。

つまり、シューベルトの先生であって、
かつて、モーツァルトのライヴァルだったこともあり、
モーツァルト毒殺疑惑をかけられたこともある、
といったイメージ。

つまり、サリエーリは、そんな風評から、
超越した人物だと思っていた。

映画「アマデウス」も、作り話として楽しんだだけだった。

が、今回の水谷氏の著作を読んで、
このサリエーリのモーツァルト殺害疑惑問題が、
実は、深いところに端を発し、
さらにサリエーリの人生、そしてその音楽の評価にまで、
深刻な影響を及ぼしていたことを知った。

ただし、
この本の基本的考え方は、
「モーツァルト殺害疑惑→サリエーリの音楽は忘却された。」
であって、
サリエーリの音楽そのものの価値が高くなければ、
「サリエーリはモーツァルトのような音楽が書けなかった
→サリエーリの音楽は忘却された。」
というロジックも、それでもなお、あり得ることなのである。

この著書でも、サリエーリ自身、モーツァルトの音楽を、
幾度となく賛嘆しているようなので、
ひょっとしたら、サリエーリ自身が脱帽していた可能性もある。

今回のCDでは、作品が若書きであって、
どこまで、上記の内容が確認できるかは自信がないが、
とても詩情に満ちた作品だとは言えると思う。
こうした繊細な一面を、シューベルトが学んだ可能性も否定できない。

b0083728_12584723.jpg私が音楽を聴き始めた頃、
ちょうど、ドイツ・グラモフォンが、
フィッシャー=ディースカウを中心に、
シューベルト歌曲の
系統的紹介を始めていたが、
その「三重唱曲集」に、
その曲は収録されている。
この曲の歌詞は、何と、
シューベルト自身の作であって、
素朴で、べたなものであるが、
ちょっと気が利いている表現もある。


1816年の曲なので、シューベルトは19歳である。
わずか2分程度の曲で、男性三重唱が、
厳かな斉唱のあと、その後、一人が歌い、
それから三人が美しいハーモニーを聞かせる。
この部分、ピアノは繊細なさざなみを立てる。
ピアノと一緒に、斉唱が高まって終わる。

何と、このレコードでは、ディースカウの他、
シュライヤーが参加しているのがすごい。
あと一人のテノールはラウベンタールとある。
ピアノは大家ムーアである。
私にとって、まさしく、
この時代の夢のオーラを帯びたレコードである。

この曲では出番がないが、女性では、アーメリングが登場する。

解説には、
「アントーニオ・サリエーリはイタリアの作曲家であるが、
1766年に先生のガスマンに連れられてヴィーンに来て以来
この都に定住し、宮廷指揮者や宮廷劇場監督を務めると共に、
教育者としては、シューベルトの他
ベートーヴェンやリストを教えたこともある人である。
作曲家としては30曲以上ものオペラを書いたことで知られるが、
そのほとんどがイタリア語オペラで、
彼はドイツ語を声楽に適した言葉とは考えず、
シューベルトにもゲーテやシラーよりも
メスタージオに作曲するよう勧め、
もっぱらイタリアのアリア様式を教え込もうとしたようである。」

といった具合に、
シューベルトにしなくてもよいような、
無意味な教育を押しつけた感がある。

そんなこともあるからであろう、私もそう思っていた。
が、実際は、どうやら、この先生に就くことは、
シューベルトにとっては、非常に誇らしいことだったようだ。

よくこの曲の歌詞をよく見れば、偽りなくそう書いてある。
石井不二雄氏の訳によって見ていこう。

「実に親切な方、実にすばらしい方!
実に頭のいい方、実に偉大な方!」
という、4つの切り口からの賞賛がなされているのである。
まず、「親切な方」という意味では、
水谷氏の本から思い至る点を上げれば、
以下のことが書かれている。

まず、シューベルトは寄宿学校の生徒で、
外出禁止の身の上だったのに、
サリエーリのはからいで、
週に二回も無償の個人授業をしてもらっている。
サリエーリの家に、特権で通うシューベルトを、
友人たちが羨望と憧れの目で見ていたことは間違いなかろう。

さらに、この授業は1812年から数年にわたって続いたのである。
高校生くらいの若者が、
まじめに週に二回も塾通いする姿を想像してみた。

シューベルトが、「親切な方」、「すばらしい方」と書くのは、
当然のことだった。
そう考えないと続くわけがない。
シューベルトの方は、給料の入る
教員の仕事すらこんなには続かなかったのである。

さらに、シューベルトの就職に関しても、
サリエーリは繰り返し推薦状を書いているようだ。
アイスクリームまで食べさせてやったという逸話を、
「サリエーリ」で知ったが、私は、胸が熱くなるのを感じた。

ただし、電車の中で、食い散らかす、
現代の高校生を連想すると心が寒くなるが。

さらに、シューベルトは、最初のオペラを、
サリエーリに見せて助言を受けている。
シューベルトもまた、サリエーリのような、
オペラ作家になりたかったのである。

これは、1814年のことなので、シューベルトは17歳。
サリエーリは64歳のことである。

この本、「サリエーリ」から知った事だが、
サリエーリもまた、こうして
師ガスマンについて3年した頃、見よう見まねで、
オペラを書いて、これが好評を博したらしい。
19歳の時である。おそるべきハイティーンのエネルギーである。
サリエーリは、自ら大作を持って訪れたシューベルトに、
40年も昔を思い出したかもしれない。

それから、シューベルトのいう「頭のいい方」とは、
何か思い至る節があるだろうか。

モーツァルト毒殺という汚名を晴らすための方策や、
ドイツ語が上手に話せなかったという点を思い出すと、
むしろ、愚直な感じしかしない。

強いて思い出すと、
最初のフランス・オペラ「ダナオスの娘たち」を書く際、
グルックの新作を期待するパリの聴衆をなだめるために、
グルックに意見を求めながら慎重に作曲を進め、
無事にこの作品を成功に導いた点。

モーツァルトの作品を認め、ハイドンの作品を尊重し、
彼らの作品を普及させるに務めた点。

さらに、高校生のシューベルトではなく、
言うことを聞かないおっさんベートーヴェンを指導した点、
あほには出来ない相談であろう。
1800年から1802年、
約3年、ベートーヴェンは、30歳を越えて勉強したわけだが、
これまた無償だったという。

その際、ベートーヴェンの誤りをすぐに指摘したとあるから、
かなりの実務能力を有していたのであろう。
おそらく、若いシューベルトは、次々と指摘されるポイントに、
舌を巻いたはずである。

また、サリエーリは、総譜を見ながら、
同時にピアノに置換えて弾く才能に長けていたそうなので、
そういった意味でも、頭が良さそうである。

この逸話があって、ようやく、声楽中心のサリエーリが、
何故、ピアノ協奏曲などを作曲したのかの一端を垣間見た。

では、「実に偉大な方」だったかであるが、
ほとんど終身で宮廷楽長を務めた点はともかく、
フランスからは、「レジョン・ドヌール勲章」を受賞しており、
数々の人気オペラの作曲、指揮者としての活躍からしても、
ハイドン亡き後、
彼以上に活躍していた音楽家はいなかったかもしれない。

さて、シューベルトのサリエーリ賛は、下記のように続く。
「私が涙を流すことのある限り、
そして芸術で元気を取り戻す限り、
この二つのものを私に与えてくれた
先生にこの二つのものを捧げます。」

この一文は理解困難である。
サリエーリに教わるまで、
シューベルトが泣くことを知らなかったとは思えない。

実は、この詩は、続きがあって、先のレコードでは、
演奏を省略してあった模様。
解説にはこうある。

「1816年6月16日に
サリエーリがヴィーン在住50年目を記念して、
皇帝から市民名誉賞碑を贈られた晩、
彼の自宅に弟子たちが集まって
お祝いに自作を一曲ずつ演奏した時に、
シューベルトも加わってこの曲を捧げたのである。」

なるほど、あまり長い曲だと他の人に支障をきたすから、
こんな感じなのであろうか。

しかし、いったい、誰が他に集まったのだろう。
シューベルトの日記にも、
「弟子入りした順序に従って、
次から次へと演奏されていった」とあるが。

ちなみに、この著書には、
「作曲家・演奏家の弟子」という一項があって、
ベートーヴェンやシューベルトの他、
代理宮廷楽長ウムラウフ、
ミュンヘン楽長ヴィンター、
楽長の後任となるアイブラー、ヴァイグル、アスマイヤー、
モーツァルトの弟子ジェスマイヤー、
ベートーヴェンの弟子チェルニー、
ロンドンのキングズ劇場監督リヴェラーティ、
ベルリン劇場監督ブルム、
シューベルト、ブルックナーの師ゼヒター、
モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー、
有名なケルビー、モシュレス、リスト、
シューベルトの友人、ヒュッテンブレンナー、ライトハルティンガー、
ドレスデンの楽長ライシガー、
ダルムシュタット楽長シュレッサーらの名前、
30人以上が列挙されている。

声楽の弟子も、シューベルトに関係する、
フォーグルやミルダーなど30人以上が出て来る。

こんな錚々たるメンバーが集まったなら、
シューベルトごときの演奏は聴かずに、
無駄話をしていた人々もいたかもしれない。

これは、通常、我々が想像する
シューベルティアーデとは違う種類の、
ものすごく格式張ったものだった可能性が高い。

このような機会に書かれた作品であるから、
単刀直入な硬い言葉が並ぶのも仕方がない。

「原詩もシューベルトの自作で、
彼ははじめ、
無伴奏の男性四重唱曲、
ピアノ伴奏付きのテノール独唱曲、
それに無伴奏の三声カノンの
3部からなる曲(D407)を作曲したが、
なぜかその第1部を
ここで歌われている男声三重唱曲に作曲し直した。
従って第2部、第3部は続けて原型通り歌われるべきであろうが、
このレコードでは省略されている。」

ということで、ここでの「なぜか」は、
勝手に想像するに、サリエーリの記念には沢山の人が、
演奏者として参加したがるが、
実用的には三声のカノンには4人必要ないからであろう。

そして、この残りの部分の詩は、
この本「サリエーリ」によると、
「善意と知恵があなたから噴水のように迸る
あなたは優しい神の似姿!
地に降り立った天使のような、
あなたのご恩は忘れません。
私たちすべての偉大な父よ、
どうかいつまでもお元気で!」

完全に神格化された詩の後半は、ひょっとしたら、
あまりに大時代的なので、フィッシャー=ディースカウらは、
演奏を見合わせたのであろうか。
ディースカウの本には、
「サリエリにとってザルツブルク出身の腹立たしい敵対者として
邪魔でしかたがなかったあのモーツァルト」
などという記述があったりするから、
彼はサリエーリがこんなにも賛美される部分は、
歌いたくなかったという可能性もある。

とはいえ、この曲、シューベルト自身が詩を書いている点は貴重。
また、イタリア語歌曲を習ったサリエーリを讃えるのに、
ドイツ語が使われている点は不思議という印象も残る。

さて、改めてフィッシャー=ディースカウの本を
読み返してみると、
(「シューベルトの歌曲をたどって」原田茂生訳)
サリエーリの話は、かなり微妙な書かれ方がなされている。

「この二人(サリエーリとモーツァルト)の対立は
実際深いところに根ざしていて、彼らの間には
劇音楽の美学に関する根本的な意見の相違があったのである」
という風に、今回読んだ「サリエーリ」における、
両者の同盟意識とはかなり異なる見解であることが分かる。

おそらく、この「サリエーリ」という書物の最も鮮烈な主張は、
この点にあったとも考えられる。

なんと、モーツァルトの最後の年となる1791年、
サリエーリは、モーツァルトの作品を中心とする
演奏会(ブルク劇場での音楽家協会の慈善演奏会)を開催したばかりか、
レーオポルド二世のボヘミア王戴冠式のプラハでの式典では、
サリエーリは自作ではなく、
むしろモーツァルトの音楽を演奏しているというのである。
この時、モーツァルトは、戴冠祝賀オペラ「ティートの慈悲」を用意し、
酷評されたので、もっぱら被害者のような感じで語られているが、
そもそも、サリエーリもモーツァルトも、
得意とするイタリアオペラを
書かせてもらえなかった被害者だというのが
著者の主張である。

つまり、レーオポルド二世は、先帝ヨーゼフ二世の時代を否定すべく、
いきなりイタリア歌劇場の改革を挙行して(ということだろう)、
サリエーリも、モーツァルトの台本作者であったダ・ポンテも、
お払い箱にしたというのである。

この本では終始狭量のモーツァルトも、
最後には、オペラ「魔笛」での成功に気を良くして、
その上演にサリエーリを招待した話までが出て来る。
サリエーリもまた、このオペラを賛嘆したというのである。

このことに触れたモーツァルトの手紙こそが、
彼の手紙で現存するものの最後だというのだから驚く他ない。

フィッシャー=ディースカウの本にあるような、
二人の対立などは、モーツァルト最後の年には、
なかったということになる。

それから20年以上も経って、シューベルトの授業が開始された。
フィッシャー=ディースカウの本では、
シューベルトはサリエーリがグルックの作品を紹介するまで、
その授業を退屈に思っていたとか、
シューベルトの友人シュパウンのこのような手紙を紹介しつつ、
シューベルトが結局、
サリエーリに反感を感じていたような気配を漂わせている。
「サリエリは、彼の生徒が抗しがたくひきつけられていた
ドイツ・リートという作曲ジャンルをまったく認めようとしなかった。」

その後、この本は、
シューベルトは、劇場でオペラに触れて、
改めてグルックやケルビーニやモーツァルト、
さらにハイドンの作品に感化されるが、
この時、指揮を執っていたのは、
サリエーリ自身であった可能性が高いようだ。

フィッシャー=ディースカウの本には、
「ハイドンの音楽はシューベルトにまったく新しい視野をひらいた」
とあるが、サリエーリの年譜には、こうある。
「1812年[62歳]楽友協会設立に協力。
シューベルトの個人教育開始。
四旬節の音楽家協会慈善演奏会で
ハイドン〈十字架上のキリストの最後の7つの言葉〉、
待降節の慈善演奏会で〈天地創造〉を指揮。」

つまるところ、サリエーリは、
イタリア人ということを誇張され、
純粋なるドイツ音楽の系譜、
ハイドン、モーツァルト、シューベルトという流れの中で、
どうしても排除すべき対照とならざるを得なかったとも言える。

しかし、今回の評伝を読んで分かるのだが、
彼は、16歳でヴィーンに移住している。
ほとんど、その音楽はヴィーン仕込みであったと言えよう。
しかし、イタリアからロッシーニ旋風が巻き起こった時、
その才能に賛嘆し、いつも平等な反応をするサリエーリは、
ロッシーニを抱擁したという。

これによって、彼は、烙印を押されてしまったのである。

得られた事:「サリエーリのピアノ協奏曲は、繊細でヴィーン風。」
「フィッシャー=ディースカウなども、単にイタリア派として、サリエーリを断じ、軽んじていた可能性がある。」
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by franz310 | 2009-04-19 13:00 | シューベルト

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その169

b0083728_15572231.jpg個人的経験:
前回、シューベルトの師であり、
ベートーヴェンやリストを
教えたともされる、
名教師サリエーリの
交響曲を聴いたが、
手元に、たまたま、
フルートとオーボエのための
協奏曲のCDも見つかった。
このCDは、表紙デザインが
豪奢なことからも忘れがたい。


Auturo Ricciの「The Game of Chess」という絵画だという。
まるで、NHK大河ドラマ「篤姫」の大奥と見まがうばかりの、
重厚な衣服の生地の質感、
それをたっぷりと使ったデザイン、
レースや扇までが豪華絢爛に表わされ、
テーブル、チェス台、椅子の高級感、
背景の壁に描かれた絵画、鏡に壺、
ドアの縁取りの隅々に到るまで、
いかに金持ちかが、嫌らしいまでに強調されている。

Auturo Ricciは、1854年、
フィレンツェに生まれた画家というので、
篤姫の時代に近いが、
あまりに鬘頭が古臭い。
ヴィスコンティが貴族の映画を撮ったように、
往時の回想であろうか。

それにしても、この絵画、
植民地から吸い上げた大英帝国の富の行き着く先といった感じがする。
この小憎らしい奥方の表情に、画家は何を描きたかったのだろう。
この家の主などは、そこにいることはいるものの、
マネキンか彫像のようになっており、もはや、この家も、
長くはないという感じがしなくはない。

この未曾有の経済危機にあるゆえのひがみであろうか。

いくぶん若く見える、向こう向きの女性の表情や容姿が、
よく分からないのが何よりである。

下卑た表情だと風刺画になるし、
高貴な表情だと嘘の芸術になる。
あまりに写実的で写真がある時代以降は、
評価されなくなったような感じの絵画であるが、
落ち着いた色調の中で、これだけ華やかさを演出することは、
印象派以降の絵画では忘れられた側面かもしれない。

ここに収められた曲たちが、ギャラント様式で書かれているから、
こうした華美な絵画が採用されたのだろうか。

さて、この曲は、貴重な木管楽器用の協奏曲ということからか、
LP時代から、親しまれているもので、
私も、グラモフォンから出ていた廉価盤で持っていたと記憶する。
ホリガー、ニコレを起用した、ものすごいもので、
ペーター・マークの指揮である。
欲しくなっても仕方がないようなものである。

その他、ベッリーニ、チマローザなど、
前回登場した作曲家たちの珍しいオーボエ協奏曲も入っていた。
他のレコードではなかなか聴けないものであった。

ただし、この盤は、あまり良い印象が残っていない。
1960年代半ばの録音だったにも関わらず、
いかにもダイナミックレンジが狭く、
管の伸びやかさがくみ取れておらず、
私の手持ちのオーディオの限界か、
妙に薄っぺらい貧弱な音しか出て来ないのだった。

廉価盤で出た時に、レコード会社が手抜き品質にした可能性もある。
ということで、作品がどうかと何度も聞き返すような事もなく、
お蔵入りしてしまったのだった。

ということで、
このシャンドス(CHANDOS)の92年のデジタル録音で、
どのようにこの作品が捉えられているかがまず問題となる。

ここでは、SUSAN MILANのフルート、
DAVID THEODOREのオーボエで、
バックはヒコックス指揮の、
City of London Sinfoniaで演奏されている。

オーケストラは聴いたことがないが、
ヒコックスが指揮するならば問題はあるまい。
ミランもカンガも、このレーベルでは良く聞く名前である。

また、このCD、もともとは、
モーツァルトの管楽器の協奏曲がメインで、
サリエーリはおまけであるが、
これらのプログラムを見て、
なるほどと思った。

何故なら、モーツァルトはフルート協奏曲と、
オーボエ協奏曲と、フルートとハープのための協奏曲などを、
マンハイム、パリ楽旅の際に残したが、
フルート協奏曲は2曲あるので、CD一枚を要する。

残りの二曲、オーボエ協奏曲と、
フルートとハープの協奏曲を、一枚に収めると、
別の楽器の協奏曲が雑然と収録された、
モーツァルトの作品集になってしまう。

ここは、二つを繋ぐように、
オーボエとフルートを絡ませた曲を一曲と、
サリエーリ作品を加えることで、
フルート奏者にもオーボエ奏者にも、
脚光を当てることが可能になる。

ということで、この企画、
モーツァルトの主要作品を収めたCDとも言え、
一方で、このフルーティストの、
代表レコードということも出来るようにしてあるわけだ。

このフルート奏者のファンは、二曲のうち、
一曲しか、この人が演奏していないと、
買うのをためらうかもしれないが、
三曲のうち二曲演奏していれば満足するはずだ。

と、勝手な妄想をしてしまったが、
カデンツァはすべて、
これら演奏者が書いたものを使っている
凝りようからしても、それは裏付けられまいか。

この名盤ひしめく、モーツァルトの大傑作のCDとしても、
このCDは安心して聞くことが出来る。
演奏は自然で伸びやかで、録音も美しい。

作曲当初、22歳くらいだった青年モーツァルトの作品ながら、
貴重な管楽器の協奏曲として、古今の大家たちにもみくちゃにされ、
手垢にまみれてしまった感もあるこれらの作品であるが、
このCDでは、あるがままの素顔を見せてくれているようにも思える。

特に、オーボエ協奏曲の第二楽章などは、
単なる美音の発揮ポイントではなく、
妙に滋味豊かな作品と聞こえ、
これまで、何だか軽薄な作品だと思っていた、
私の先入観を一新させてくれた。

この奏者のオーボエの音色によるものであろうか、
まるで晩年のクラリネット協奏曲のように、
秋の突き抜けた青空の寂しさを思わせる場面もあり、
そこに、若い日の作品ならではの、
あるいは、より鋭敏な楽器によるところの、
天空自在な要素が加味されて、無敵の作品に仕上がっている。

ただし、このCDの解説、
特に演奏や奏者については何も書いていない。

多くは、作曲時のエピソードに当てられていて、
Edward Blakemanという人が書いている。
かなり唐突な書き出しで、何が言いたいのか、かなり悩む書き出し。

「『ちょっとしたことだって大切なんだ』、
このようにレオポルド・モーツァルトは、
息子に忠告したことがあり、
ヴォルフガングはその教訓を忘れたことがなかった。
この『機会利用の達人』(A.Hyatt Kingの表現)は、
常に金銭的にそうだったとは限らないが、
もっともぱっとしない仕事からも、芸術の王国を築くことが出来た。
一部、 未履行のフルート協奏曲とフルート四重奏曲の約束を残して、
マンハイムから離れ、
結局、さらにフルートの仕事に直面する、
パリに旅を続けなければならなかったという皮肉を、
モーツァルトは感謝しなければならない。
ド・ギーヌ公爵は、Atrois県の長であり、
熟達したアマチュアのフルート奏者であった。
彼の娘は、しばらく、
モーツァルトのぱっとしない作曲の弟子であったが、
上手なハープ奏者であった。
こうして、このコンチェルタンテな作品が生まれた。
この形式は、独奏楽器群(コンチェルタンテ)と、
残りのオーケストラ(リピエーノ)が対比される、
バロック時代のコッチェルト・グロッソから発展したものである。」

この解説者はつまり、
これらの作品は、
単なるちょっとした頼まれ仕事であったのにも関わらず、
モーツァルトはそのつど大切なものを加えて、良いものに仕上げ、
一作一作ごとに成長していった、ということを言いたいのか。

「残念ながら、公爵はいささか怪しい交際の素性で、
彼はモーツァルトにはお金を払っていない。
前回、ドゥジャンから依頼された件と違って、
今回はその責任を、
はぐらかすわけにはいかなかったというのも皮肉である。」
このような話は知らなかった。
「皮肉」というのは、
ドゥジャンはちゃんとお金を払う約束があったのに、
モーツァルトが逃げ出していたのに、
今回は、お金を払う気がない人に、傑作を完成させた、
ということを言っているのであろう。
しかし、怪しい交友とは何なのだろう。

ちなみに、このド・ギーヌ氏の娘へのレッスンが、
なかなかうまくいかなかった様子は、
モーツァルトの手紙の中で詳しく知ることが出来る。
パリでの生活は困窮すること甚だしく、
木管アンサンブルのための「協奏交響曲」などは、
このパリで演奏するために書かれながら、
陰謀によって演奏されなかったばかりか、
自筆譜も紛失されてしまうというめちゃくちゃぶりであったから、
この芸術の都では、いろんなややこしい事が起こってもおかしくはない。
ちなみに、私もパリでは、スリの未遂を始め、
何らかの犯罪に必ず出会っていたような気がする。

モーツァルトもこうした大都会の中を泳ぎ抜くために、
いろいろな手段を講じもし、
何やら怪しげな活動をすることもあったかもしれない。

「一方で、この喜ばしいサロン風の作品を、
疑いなく、ド・ギーヌ公爵は喜んだようで、
モーツァルトもこの『フルートとハープのための協奏曲』で、
二つの独特な音色の独奏楽器の世界で、感情の深さまでを探究している。
それは特に美しいアンダンティーノに顕著であって、
これは、モーツァルトの最も規模の大きいフルート曲であるばかりか、
最も共感を持って書かれたものとなっている。
彼がいかに楽しげにフルートとハープの間の音域を、
跳躍させたり、近づけたりしているか、
また、特に外側の楽章で、オーケストラのオーボエとホルンを、
あるときは押さえ、あるときはコンチェルタンテに参加させて、
いかに見事にあつかっているか、
そして、アンダンティーノでは、伴奏の弦楽のテクスチャーを、
ヴィオラパートの分割までして強化しているか、
に注意されたい。」

このように書かれると、
名曲中の名曲として、これまで、
惰性で聞いて来たような感じがないでもない、
この希有の価値を持つ作品に、
改めて耳を澄ませてみたくなるではないか。

最初に、独奏が出て来る所からして、
二つの楽器が一緒に入ってくる所など、
独奏者たちが目配せして、
呼吸を合わせるような一瞬が
目に浮かぶようである。

そして、それが次第に、
各々の道で技巧の限りを尽くしながら、
あるときは寄り添い、あるときは無愛想に離れ、
交互に音色を競い合ったり、まさしく縦横無尽である。

カデンツァも、演奏者たちが自作したものらしいが、
ハープの強いつま弾きから始まって、
フルートが絡み合い、この二人の奏者は、
どんな相談をしながら曲を作って行ったのだろう。

さて、こうしたあまりにも魅惑的な独奏部に対し、
オーケストラの管楽器が、
コンチェルタンテに共演するといった部分があっただろうか。
終楽章では、確かに、オーボエに対し、
独奏フルートが掛け合うようなシーンがあることを確認した。
また、カデンツァの前では、
ホルンの呼び声にフルートが応えている。

「どこの法廷が、このような証拠がありながら、
フルート嫌いの罪を犯したという、
モーツァルトの自白を支持するであろうか。
このように、モーツァルトは父親の格言に従って、
単なる機会音楽でありながら、
音楽的独自性を最大限に引き出したのである。」

次に収められたオーボエ協奏曲は、
オーケストラの出だしから、
何か決然とした表情が見られ、
きりりとしたモーツァルトになっているのが良い。

「オーボエ協奏曲K271kは、
モーツァルトがしばしば楽しんだ、
特別に賛嘆した名人芸に出会って曲を書くという、
別の種類の機会で生まれた、もう少し前の作品である。
1777年のこと、イタリアのオーボエ奏者、
ジョゼッペ・フェルレンディスが、
大司教コロレドによる息苦しい
ザルツブルク宮廷に到着したことを、
ただ喜んだに相違ない。」
フェルレンディスは、この宮廷オーケストラに、
4年ほどいたようだが、
果たして、モーツァルトが嘆いているような、
閉鎖的な街と感じたかどうか、
そんな所も聴いて見たいような気がする。

「そして、モーツァルトが事実上職探しとなる、
ミュンヘン、アウグスブルク、マンハイム、
そしてパリへのコンサート・ツアーに立つ直前、
彼はこのきらめくような3楽章の協奏曲を
フェルレンディスのために書いている。
これ以前、ディベルティメントやセレナードで、
この管楽器の可能性を探究していた総括となっている。
また、K190の、
『二つのヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルトーネ』
においてオーボエが重要な役割を果たしていたこともまた、
特筆しておくべきであろう。」
なるほど、ポストホルン・セレナードなどでも、
この楽器の活躍は印象的であったが。

「フェルレンディスがこの協奏曲を演奏したという、
当時の報告は残っていないが、
しかし、モーツァルトがマンハイムに到着した時、
有名なオーケストラのフリードリヒ・ラムがこの曲に夢中になり、
好んで演奏したので、モーツァルトはこれを、
『ラムの決め技』と呼んだ。」
このような面白いエピソードがあるなら、
『ラムの決め技』協奏曲などと呼ばれてもおかしくないが、
そんな俗称は聞いたことがない。

「不思議なことに、自筆譜は消失しており、
近年、1948年に、学者のベルンハルト・バウムガルトナーが、
ザルツブルクで写譜を発見した。
機会利用の達人モーツァルトは、この間、
調性を変え、独奏パートを書き直し、
フルート協奏曲ニ長調として、
ドゥジャン氏に渡している。
これがややこしいことに、オーボエ協奏曲に、
K314という、
フルート協奏曲のナンバーが適用されている理由である。」

なるほど、まだマンハイム・パリ楽旅に出る前なので、
旅の最中に書かれた、
K313と同じナンバリングではおかしいといいわけだ。
このCDでは従って、K314と呼ばれていたものを、
「K271k」!という奇想天外な番号に、
置換えたものが採用されている。

従来のケッヒェッル番号で検索して購入する人には、
永遠に手に入らない仕掛けになっている。

さて、ここからが、サリエーリの作品に関する部分となる。
「少なくとも実際的な意味では、
モーツァルトと同様に、サリエーリも機会をものにする達人であった。」
「実際的な意味では」とあるのは、
どうやら、それは自らの意思ではなく、
結局、そうなってしまったという感じからだろうか。
以下に、彼がどのようにチャンスを活かしたかが書かれている。

「16歳の時、彼は故郷のイタリアを離れ、
勉強のためにヴィーンに行き、そこでわずか8年後、
彼は自分の師であり、宮廷作曲家であった、
フロリアン・ガスマンの後継者となった。
彼はヴィーンの音楽家社会の長としての立場をすぐに強固にし、
根気強くオペラの流行の様式を研究し、
40からのオペラを作曲した。
そして、この『フルートとオーボエのための協奏曲』は、
このイタリア=ヴィーンのオペラの伝統から、楽しまれるべきであろう。
弦楽器、トランペット、ホルン、バスーンからなる
色彩的なオーケストラに支えられて、
二つの独奏の『声』が、魅惑的に、しばしば華麗に、かつ劇的に対話し、
ラルゴではロマンティックなデュエットを聴かせる。」

私の印象では、この曲は、それほどの大作ではなく、
ちょこっときれいな音色が出て来ると終わりになる印象であったが、
実際には、トランペットが入ったりして、
モーツァルトの協奏曲より大きな編成のもので、
何と、曲の長さもモーツァルトのオーボエ協奏曲とあまり変わらない。
21分43秒もかかるものであった。

第一楽章から、7分半もかかるが、
管弦楽の序奏の後は、二つの独奏楽器が、
ほとんど、掛け合いっぱなしである。
この間、オーケストラは、幾分控えめで、
時折、間奏曲的な部分で、
トランペットが響く感じであろうか。

第二楽章のオーケストラの序奏には、
夕暮れ迫る感じが満ちていて、
二つの管楽器も陶然とした情緒に向かって、
飛び立って行く感じ。
伴奏するオーケストラも、
実に意味ありげに情緒を盛り上げている。

ロマンティックというより、
何だか、はかない感じである。
この桜の散る季節に鑑賞するのも悪くない。
この楽章が一番長く、約9分かかるが、
おそらく、ここに止まっていたい人は多いと思われる。

いきなり、独奏楽器に先導される終楽章は、
快活なアレグロ。
5分15秒で一番短いが、
中間部では、憂いを感じさせる一こまもあって、
変化がつけられて、単調ではない。

「サリエーリは、この作品を1774年に作曲したが、
この年、彼には、宮廷からの契約が入っている。
そのせいか、ここには、将来に対する高い音楽的希望が、
反映しているように感じられる。」

先のモーツァルトの協奏曲から、少し前の作品ということか。
が、たかだか3年くらいしか経っていない。
ほぼ同時期の作品と見てもよかろう。

サリエーリは、モーツァルトより6歳年長の、
1750年生まれとあるから、24歳の青年作曲家の作品ということだ。
しかし、もう少し、この作曲家に対しては沢山の情報が欲しい。
そもそも、何故、このような特異な編成の作品が書かれたかが、
これでは良く分からないではないか。

映画「アマデウス」などでは、サリエーリは、
モーツァルトに対し、ずっと年配のような感じで描かれていて、
初老の冴えない音楽家という感じがしなくはないが、
実際は、モーツァルトと同様、若々しい音楽家像を空想するべきなのだ。

それを補うためには、
終楽章では終始吹き鳴らされる、
華やかで力強いトランペットに、
注意を向けるというのはどうだろう。

「後世の人は、サリエーリを、
彼がなした事(モーツァルトの毒殺などはしていない)ではなく、
もっぱら教えた人(特にベートーヴェン、シューベルト、リストに対して)
として思い出すが、このギャラントな協奏曲は、
こうした分野における完璧な作品の一例であろう。
『ちょっとのことだってすごいことなのだ』。」

この最後の文言は、この作曲家に完璧な作品は少ないが、
それでもすごい、という事であろうか。

このCDで聞いて、ようやく、サリエーリの書いた、
はかなげな、夕暮れの情感のような木管の音色を、
心ゆくまで堪能することが出来た。

シューベルトのオーケストラでは、
しばしば、木管アンサンブルが、
この夜ならぬ美しい絡み合いを見せるが、
先生の作品にも、そうした例があったことが分かる。

モーツァルトに比べて、少し、展開の余地を感じるのは、
独奏部とオーケストラの間のより緊密な連携であろうか。
ここは独奏部、ここはオーケストラ部と、
交互に表れる感じで、1+1=2にはなっても、
3や4にはなっていないかもしれない。

ただし、サリエーリが、
必ずしもモーツァルトと同じに書く必要はなく、
アルカディアの情景の中に、
溶け込んでいくような陶酔を、
感じていればいいような気もする。

「得られた事:サリエーリは、75歳まで生きたがゆえに、古臭いオペラを書いていた老人のイメージがあるが、若い頃には、夢に満ちた器楽曲の作曲も行っている。」
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by franz310 | 2009-04-12 16:04 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その168

b0083728_2302328.jpg個人的経験:
クレメンティの交響曲、
バーメルトの指揮が
柔軟性に欠けると思ったので、
他の演奏を探していたら、
これまた、前から持っていた
「イタリアの作曲家の交響曲」
と題された、
ダイナミック・レーベルのCDにも、
作品18の一曲、
ニ長調が紛れて収録されていた。


このCDは、「朝」と題された、
フォンタネージの夢幻的な絵画で彩られているが、
この日本洋画黎明期の恩人と、
ここに収められた音楽には、
イタリア産という以外の共通点はなさそうである。

フォンタネージは、1818年の生まれ、
1876年に来日しているので、
ここに収められた、
チマローザ、パイジェルロとは、
生きた時代が全く重なっておらず、
没年が1868年で、
一番重なっているロッシーニも、
後年はオペラに集中したので、
フォンタネージの生まれる前の作品であると思われる。

が、このようなCDは、手にしていると、
何となく絵にも見入ってしまうせいか、
満足度は高い。

ちなみに、このCD、他に、ベッリーニ、ドニゼッティといった、
シューベルトと同時代の巨匠の他、
シューベルトの師匠であったサリエーリの作品も収められている。

ということで、シューベルトを考察するにあたり、
無関係なものとは言えない内容なのである。
ずっと前に入手しておきながら、
ろくに聞きもしないで、
ただし、捨てもせずとっておいたのには、
この表紙のデザインとサリエーリの名前の効果が大きい。

サリエーリの作品、
特に器楽の作品は、
なかなか聞けないのではないか。
(昔、LPに、オーボエとフルートの協奏曲か何かがあったが。)

サリエーリ、クレメンティは共に、
シューベルトより前の世代の、
モーツァルトと因縁浅からぬ音楽家であるが、
そういった意味からも興味深い企画である。

そもそも、シューベルトが「ます」の五重奏曲を書いた、
少し前にイタリア音楽にかぶれて、
「イタリア風」の序曲や交響曲を書いていることからも、
当時のイタリアの器楽作品を聴いておくのは重要な事と思われた。

しかし、このイタリアのレーベル、
せっかく、自国の作曲家たちの珍しい作品を取り上げるのに、
何故、Winston Dan Vogelといった、イスラエル生まれで、
アメリカで学んだ指揮者を連れてきて、
しかも、意味不明なことに、
ショパン室内管弦楽団といった楽団を振らせているのか。
理解に苦しむ。この団体に関する記載はないが、
普通考えると東欧の楽団であろう。

響きは美しいが、
目の覚めるようなヴィルトゥオーゾ集団でもなさそうだ。
結構、のんびりやっていて、
バーメルトが、16分ほどですっとばした小交響曲が、
20分ほどの、そこそこの規模になっている。
弦の伸びやかさを強調するようなアプローチなので、
こうしたイタリアの歌心に関しては、
バーメルトの100倍くらい楽しめる。

ただし、クレメンティの作品18は、
何故か、ここでは、作品44となっていて、
多くの作品は、音楽事典にも出て来ないものなので、
どこまで、このCD、信憑性があるかは不明である。

ほぼ、クレメンティと活動期間が重なる、
サリエーリの3楽章の交響曲「ヴェネチアーナ」が、
最初に収録されていて、弦楽の美感をたっぷり聴かせ、
モーツァルトの天才に圧倒されて、彼を毒殺する必要も、
ここからは感じさせない。

ただし、後述するが、何故、
この曲が、このような命名がなされているかも、
曲の成立の由来も解説されておらず、
実は、偽作だとか言われても、
そうかもしれないと納得するしかない。

(ネット検索すると、
他にもCDが出ているようなので、
少し安心している。)

第一楽章は、アレグロ・アッサイで、
武骨な第一主題では、弦楽がめまぐるしく動き、
ホルンが鳴り響くが、
それに対比させる第二主題は、
爽やかな朝の空気を漲らせ、心が洗われる。

第二楽章は、アンダンティーノ・グラツィオーソで4分ほど。
美しい思い出を回想しながら、空を仰ぐような感じで、
伸びやかなメロディが現れて、思いを遠く送り届けるような感じ。
とても美しい。
映画で描かれたモーツァルトよりも、
確かに思慮深い音楽家の個性を感じさせる。

確かに、こうした音楽家を、
シューベルトのような生真面目な生徒が、
心から慕ったとしてもおかしくはない。
シューベルトの才能を見抜き、
学校を出てからも、3年もこの人のもとに、
シューベルトは通ったのである。
こうした恩人を、シューベルト愛好家は、
無視するわけにはいかない。

シューベルト自身が、「サリエーリの弟子」と、
自認し、誇りに思っていたことは有名である。
サリエーリは、この他、ベートーヴェンをはじめ、
チェルニー、フンメル、リストといった、
シューベルト所縁の音楽家をも教えているのである。

第三楽章のプレストは、新しい世界からの呼び声のように、
管楽器が高らかに鳴り響き、
何と、前の楽章から休み無し、連続で入って来る。
聴いていて、気持ちよい終曲である。

何故、「VENEZIANA」と題されているのかは分からない。
彼は16歳くらいまでヴェネチアにいたとされるし、
その後も時折訪れていたようだが。

ただ、この作曲家の真作であることを祈るばかりである。

サリエーリより一歳年長で、
19世紀になるや亡くなった、
ナポリ派の巨匠、チマローザの交響曲が二曲、
その後に続いている。

7分ほどかかる「1楽章の交響曲ニ長調」は、
序奏に続いて、「フィガロの結婚」の序曲のような活発な楽想に、
憂いを秘めた副主題が絡むという、極めて変化に富んだもので、
途中、オペラの1場面のような、悩ましいメロディが現れ、
木管のアンサンブルが奏で、伴奏するホルンの響きも特筆したい。
交響曲なのか、単なる序曲なのか分からないが、
聞き映えのする作品で心浮き立つ。

続くのは、同じ作曲家の、
「フルート、オーボエ、ホルンと弦のための交響曲」。
3楽章ある。これもニ長調。
アレグロ・コンブリオの第一楽章は、先のものと同様に活発で、
第二楽章はアンダンティーノだが、あまり特徴があるものではない。
そろりそろりと歩く、幕間の寸劇のような感じ。
第三楽章のプレストでは再び、活力を取り戻すが、
それほど面白いものではない。
全曲通しても10分もない。

この曲も、これまた波乱に満ちた、チマローザの生涯で、
どの時期に生まれたのかは分からず、
そういった意味で、信憑性は私には判断できない。

続いて、チマローザのライヴァルで、
売れっ子オペラ作者として知られるパイジェルロの、
3楽章からなる交響曲で、これまたニ長調。
この人が交響曲を書いたという記述も、
私は読んだことはない。

ここに収められた作曲家の中では最年長で、
1741年の生まれ、1816年まで生きていたので、
ハイドンより9歳若く、7年後に亡くなっているといった形。
つまり、我々の先入観からすれば、
交響曲を書くべき時代を生きた人であったのは確か。

パリで活躍したが、「パリ交響曲」なる作品集があるように、
そこにはハイドンの作品も流通していたはず。

しかし、ハイドンのような大きなものではなく、
全曲で10分もかからない。

第一楽章はアレグロ・スピリトーソとあるだけあって、
微笑みを湛えた楽想が、推進力を持って進んでいく。
この曲は第二楽章のアンダンテが一番長く、
たっぷりした夜の気配と、悲愴感に満ちていて、耳をそばだたせる。
さすが、ナポレオンが愛好した、オペラの第一人者という感じがする。
終楽章は、喜ばしげなアレグロで、舞曲調である。

次に、いよいよ、クレメンティが来るが、
さすが、ロンドンで活躍した人だけあって、
この人の作品だけが4楽章で、近代的な風格を持っている。

しかも、この演奏、広々とした序奏は、
まるで、大空に雲が流れていくかのように、
私を陶然とさせた。
第二主題も、憧れに満ちて、胸がいっぱいになる。
これを聴くと、シューベルトの初期交響曲も、すぐ近く、
という感じがする。
第二楽章は孤独感すら漂わせ、
ハイドン風に率直なメヌエットと、おしゃべりな終楽章が続く。

この演奏、クレメンティあたりになると、
少し慎重に構えているようだが、
この丁寧な演奏を聴くと、バーメルトの指揮が、
やたら、活力や力感を強調するあまり、
即物的で情感が犠牲になっていると言うことが確信できた。

かけがえのない第二主題なども、すっとばして行ってしまう。
あるいは、よく聞き知っている曲なら、
こうしたアプローチでも受け入れられようが、
クレメンティ初心者にはきつい。

ここで、続くのは、シューベルトを魅了し、ベートーヴェンを苦しめた、
イタリアからの侵略者、ロッシーニの作品である。

アンダンテ・ノン・タントとアレグロからなる、
たった6分弱の作品ながら、壮大な序奏、
力強いファンファーレ、魅惑的な木管のメロディ、
轟くティンパニなど、非常にめざましい効果である。

さらに、ベッリーニの、
1楽章の「シンフォニア・ブラーヴェ」が続くが、
7分ほどながら、聞き所が多い。

これも、オーボエ協奏曲と見まがうばかりに、
木管が華麗に吹き鳴らされ、
表情豊かで哀愁を秘めた、それでいて軽妙なメロディなど、
さすが、シューベルトより若い世代、
というような感じもする。

または、シューベルトの「ロザムンデ」の音楽などは、
こうした世界に近いのかもしれない。

先日、東京交響楽団が行った「シューベルト・ツィクルス」は、
この「ロザムンデ」の劇音楽全曲で幕を閉じたが、
私は、改めて、シューベルトの劇音楽の持つ、
多彩な表情や表現力に心をときめかせて帰って来た。

ここで、話を脱線させると、
読売新聞の演奏会評では、
「いかんせん作品そのものが弱い」、「幻滅を味わう」、
「この作品が常演演目に定着しなかったのも、それなりの理由がある」
などなど、作品そのものを口を極めてののしっているので、
非常に驚いてしまった。

シューベルトの愛好家なら、
この作品が弱いなどと思わずに、
合唱の重厚な効果、色彩的な管弦楽の夢幻、
魅惑的なメロディの連続に浸って、
満足して聴いていたはずで、
こうした批評は何の役にも立たず、
大きなお世話としか言いようがない。

さて、このベッリーニ、ハイドンやモーツァルトを研究したようで、
若い頃に、こうしたシンフォニアをいくつか残しているようだ。
ただし、こうなると、オペラの序曲や間奏曲と何が違うか分からない。

同様のことは、最後に収められた、シューベルトと同年に生まれた、
ドニゼッティのラルゴの序奏を持つ、
8分ほどの単一楽章の「シンフォニア・コンチェルタータ」も、
実に肩の力が抜けた、生き生きとしたもので、
華麗かつ芳香に満ち、何故、こうした作品がもっと、
演奏会で取り上げられないか、などと怒りすら覚えるではないか。

が、先のような意欲的なプログラムを組もうとも、
ああした言われ方でけなされるとすれば、
こうした知られざる作品は、知られざる方向に突き進むしかない。
実際、これらの作品は、日本盤CDで紹介されたことはあるのだろうか。

しかし、それにしても、クレメンティのような人が、
必死で、ハイドンなどから学ぼうとしていた時代、
若い世代は、ずっと自由奔放に管弦楽の色彩を、
楽しみながら駆使して、新しい美意識に酔いしれている。

ベルリオーズのように、物語を語るような、
表情豊かなメロディ、
各楽器の音色を点描させた、きらびやかな色彩感
感興が高められる、たたみかけるような、
しかも軽やかで変幻自在なリズム。

ドニゼッティの作品表を見ると、
1817年のシンフォニアと、
1816年の協奏交響曲があるが、
いったいどちらであろうか。
木管楽器と管弦楽が活発に活躍するが、
協奏曲という程でもない。

もっと言うと、形式感はまるで感じられない。
交響曲でも協奏交響曲でもなく、
序曲といった感じである。
後半になっても、同じイタリア人の交響曲でも、
例えば、クレメンティのように、
爽快なエンディングが来るわけでも、
それを目指しているものでもなく、
ヨハン・シュトラウスのワルツのように、
また、次の曲が始まるかな、といった感じでもある。

いずれにせよ、若書きで、
まさしくシューベルトがロッシーニの影響を受け、
イタリア風の序曲を書いていた時代である。

そして、1818年は、日本にも来た画家、
フォンタネージの生年とあれば、
何だか、新しい時間の感覚が実感された。

しかし、時間感覚といえば、ハイドンの時代から、
シューベルトの時代にかけて、
イタリアの作曲家が、交響曲というものを、
完全にすっとばした、という感じを受ける。
サリエーリの作品は交響曲の萌芽を感じるが、
ベッリーニやドニゼッティの世代で生まれたものは、
まったく違った子孫になっている。

このCDの演奏は、非常に愛情に溢れたもので、
丁寧に各曲の美しさを
紹介していくかのようなスタンスを
取っているのがありがたい。
オーケストラにも微笑みがあるのが何よりだ。

さて、このように興味深い作品を多数収めたCDながら、
解説を読んでも、そうだろうなあ、という程度のことしか、
書かれていないのは残念だ。

もっと作曲した時期とか、どのような機会に演奏されたのかとか、
各曲の聞き所にも触れて欲しいものだ。

Edward Neillという人が書いている。
「とりわけ、
ジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニ
のような作曲家をあげて、
交響曲はイタリアで生まれたとする重要な評者が多数いるが、
これはいくぶん誇張されたものである。
事実、このミラノの作曲家には、様々な交響曲形式のヒントがあるが、
形式的に統合され確立したのはヴィーンにおいてであった。
アレグロに二つの主題を含み、各々の展開を有する、
いわゆる『ソナタ形式』と交響曲は不可分だからである。
ソナタ形式は、むしろ霊感に駆られた作曲による、
自由な原理に反するが故に、
故意に軽視されたかもしれない。
かつて、我々は18世紀のイタリアは、
アリアの連続によるメロドラマに支配され、
ヴィーン風の交響曲には注意は払われなかったと考えていた。
一方で、様々なイタリアのオペラの作曲家たちが、
四重奏、協奏曲、交響曲のような器楽のみの作品を多く書き、
それもしばしば優れたものを生み出したのも事実なのである。
ベッリーニやドニゼッティは、そんな代表とも言える。
しかも、稀に海外で活躍したケースもある。
その一人がクレメンティで、彼の音楽語法の根幹はピアノであった。
また、サリエーリがいる。彼の場合、イタリアの文化より、
ヴィーンに負うところが多く、ガッシュマンに学び、
グルックに理想的なオペラの姿を見ていた。
このことから、また、ヴィーンの宮廷がそうしたものを望まなかったゆえ、
サリエーリは少ししか器楽曲を残していない。」

何と、シューベルトの師、サリエーリは、
しばしば、シューベルトのドイツ語の歌曲を、
好まなかったような記述がされているが、
それは彼がイタリア人だったから、
という理由ではないようではないか。

「彼の交響曲も二つしかなく、
『ヴェネチアン』ニ長調と、
もう一曲もまた、ニ長調のものである。」
何故、ここで、ヴェネチアンと呼ばれるか、
一言でも書いてくれないのだろうか。

「外国での滞在機会を経て、もっぱら国内で活動した、
他の作曲家の場合、交響曲は、もっぱら、
メロドラマに先立って演じられるようになり、
今日では、序曲と呼ばれるようなものとなった。
チマローザ、パイジェルロ、ペルゴレージ、
そしてロッシーニの場合、器楽の交響的作品を書くには、
こうした理由があったのである。
ロッシーニの『ボローニャ交響曲』は、
彼が故郷ペーザロの音楽院の入試のためのものと見なし、
習作と考えることも出来る。」


「アリアの作曲に賭けた、これらの著名な音楽家たちの
彼らの活動中心から離れた作品は、
杓子定規に評価されるべきではない。
まだ4楽章のものはなく、
交響曲の楽章数が一つ、
二つ、はたまた三つであろうが、
重要なことではない。
メロディが窮屈に縮められないことや、
すでに古い組曲に見られた、
複数楽章の対比が現れて来ていることが重要である。
前者は形式を変形させ、
ヴィーン楽派の音楽家のような形式からは離れて、
作者の創意や想像力が完璧に機能している。
ハイドン、モーツァルト、
ベートーヴェンの交響曲が普及した、
19世紀になってから、
ようやく、何人かのイタリアの作曲家たちが、
ソナタ形式を適用しようとしたが、
たいした成果を生むことはなかった。」

おそらく、この「たいしたことのない成果」
(The result were of little importance)の中に、
クレメンティの後期の大交響曲群も含まれているのであろう。

が、こうした観点で眺めると、
クレメンティの位置づけが、いっそう異質にも見え、
このCDでも、彼の初期の作品とはいえ、
クレメンティの作品18は、
ひときわ、立派な、本格的な仕事にも思えてくるのである。
演奏にも広がりがあるせいか、
前回、モーツァルトの初期風と思ったものが、
もっと新しい成果にも見えて来た。

得られた事:「シューベルトの交響作品に見られる色彩感は、同世代のイタリアの作曲家たちの、同じ時期の作品とも通じるものがあった。」
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by franz310 | 2009-04-04 23:14 | 音楽