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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その167

b0083728_2301439.jpg個人的経験:
ベートーヴェンの
権威とされる
チェルニーが、
何と、モーツァルトの
ライヴァルとして知られ、
ピアノ練習曲の作者だった
クレメンティを
尊敬していたと知り、
私の頭の中は疑問符で
埋め尽くされている。


まさか、単に、ピアノ教材を書いた仲間というわけではあるまい。
何しろ、ベートーヴェンと同列だとあるのだから。

このイタリア生まれの作曲家には、
つい10年ほど前にも、脚光を浴びた時代があって、
CDでも知られざる交響曲が、
系統的に紹介されたこともあった。

軌を一にして、渋谷で、
モーストリー・モーツァルトという
コンサート・シリーズがあった時にも、
確か、シュヴァーツか誰かの指揮で、
クレメンティの交響曲の実演に接したことがある。

私は、前半の、
美人ピアニスト、グリモーの演奏を聴きたくて、
いそいそと出かけてかなり高い席で聴いた。
(確か、グリモーはシューマンを弾いた。)

しかし、クレメンティの交響曲は、
さっぱり面白くなかった。
実は、その時のために、
それに先立って、予習用に購入したのが、
今回取り上げるこのCDである。

ちなみにこのCDは、シャンドス・レーベルのもの。
「モーツァルトの同時代人たち」というシリーズのようで、
マティアス・バーメルトが振っているオーケストラは、
ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズとある。

私は、演奏会に行くにも出費して、このCDにも出費して、
かなり投資したが、CDのデザインそのものは素敵だと思った。

ヴェールをかぶった女性たちが、
明るい日差しをバックに語らっている。
James Hollandという人の、
「Piazza dei Signori」の一部だと言う。
これはクレメンティと何か関係あるのだろうか。

1799年にロンドンで生まれた画家というから、
まったく無関係の時代や空間にいたわけではなさそうだが。

明るく、何となくけだるく、しかし優雅であるのは嬉しい。
エキゾチックである。ヴェニスとあるが、
何となくイスラム風である。

といった具合に、期待して、このCDを聴いても、
あまり面白くなく、せっかくの実演で聴いても、
どうも楽しめなかったというのが、
ずっと私の頭にあったクレメンティである。

ということで、ベートーヴェンの秘蔵っ子のチェルニーが、
親愛なる師匠と並べて、クレメンティというのは、
まったくもって理解の範囲を超える。

96年に購入してから、はや13年が経っている。
13年も、放っておいたCDをようやく手にして、
再び、クレメンティに耳を傾けてみよう。

出だしは、静かに高まる神秘的な序奏で始まり、
大交響曲の始まり始まりという感じ。
とても期待が出来る。木管アンサンブルも美しい。
ベートーヴェンなどより、シューベルト的な繊細さもある。

が、突然の大騒ぎで荒れ狂うアレグロが始まると、
やたら、金管も吹き鳴らされ、落ち着きない音楽が始まって、
ばーん、ばーんとアクセントを付けられて進むが、
第二主題あたりになると、妙に素朴な感じで、
バランスが悪いような、落ち着きが悪いというか、
何だか、つじつまが合わないような感じになっていく。

いろんな楽想を、全部ごった煮にしたような感じもして、
当時の私が戸惑ったのも理解が出来ないではない。

しかし、これをハイドン風の機知と呼ぶことも可能かもしれない。
そんな気持ちで、改めて接してみると、リズムも面白いし、
メロディも爽やかな風が流れるように美しく、
ファンファーレもかっこよく、すごい推進力。
何が悪いかよく分からない。

チェルニーが、尊敬したこともよく分かる。
クレメンティというイタリア名がかえって逆効果というか、
もっと、ドイツ的なたくましさを湛えた偉容を誇っている。
このハ長調交響曲、約半時間の大作。
クレメンティのソナタというと、
何だか短いピアノ作品を連想するが、
一線を画した力作であることは確か。

でも、戸惑いが残る。
何だか、流れに乗れない感じ。
第二楽章も、ハイドン風であるが、いきなり対位法的展開が始まって、
ちょっと作り物めいた感じが漂うせいだろうか。

第三楽章も、着想豊かで、楽器が歌い交わす色彩も美しい。
が、メロディ的にはまったく面白くない。
が、メロディの切れ端みたいなので、
立派な曲を作った人も沢山いるので、これは問題としない。
トリオは爽やかなメロディが流れるので、
クレメンティにメロディの才能がないわけではない。

終楽章も、ティンパニが打ち鳴らされ、
めまぐるしい弦の動きに、金管も木管も絡み合って、
ものすごい活力である。
その色彩感は、ハイドンや、
ベートーヴェンの世界までを越えている。
しかし、どうも覚めた目で見えてしまう。

このCD、もう二曲、作品18という、
ベートーヴェンが好きな人なら反応してしまうような、
作品番号を持つ交響曲が収録されている。
これらの作品は、先の、ハ長調(wo32)より、
コンパクトな作品で、16~17分の作品である。

おそらく、もっと早い時期の作品で、
モーツァルトの初期の作品のようなテイストである。

変ロ長調のものは、これまた活きの良いアレグロで、
疾走する中に魅惑的なパッセージが流れ去り、
重量感はないものの爽やかで、
コンサートの序曲代わりに使っても良いかもしれない。

第二楽章はためらいがちな緩徐楽章で、
簡素ながら気持ちよい南国の朝のような空気に満ちている。

第三楽章もいたずらっぽいメヌエットで、
終楽章も、素朴なフォークダンスといった感じ。
ぽこぽこ鳴る金管楽器も微笑ましい。

是非とも、ザルツブルク音楽祭のマチネーで、
パウムガルトナー先生の講義を聞きながら味わいたい作品である。
とにかくシンプル一本勝負の風通しが気持ちよい。

二曲目は、ニ長調でちょっとした序奏がついているが、
そこから、主部にかけては、とても雰囲気豊かであるが、
第一楽章に入ると、これまでの作品同様の趣向で、
妙に賑やかである。
ピアノ曲のように小刻みに動く弦楽主体で、
背景で木管が、オルガン的に色彩的な和声を響かせるという感じ。
第二主題は、木管主体で、憧れを湛えたもので美しい。
ただし、この楽章、尻切れトンボみたいに終わるのは何故。

第二楽章は典雅なアンダンテで、
第三楽章のメヌエットは楽しさと憂いが交錯して進む。
トリオでは何故か葛藤を感じさせる楽想が駆け巡る。
元気のよいアレグロで終楽章は駆け抜けて行くという感じ。

私は、ひょっとすると、
このCDは、演奏か録音が悪いのではないかと、
いぶかしんでいる。

シャンドス・レーベルであるからぬかりなく、
96年のデジタル録音は鮮やかであるが、
しっとりした感じがあまりしない。
問題はこのあたりか?

演奏も丁寧にも聞こえるが、
どこかに乱暴さがあるような気もする。
何となく、共感を感じない。

ここが面白いよ、と微笑みを持って演奏していない感じ。
だからこそ、パウムガルトナーとか、ヴェーグの演奏で聴きたい。

ざっと聞き直してみて、
とにかく、どの曲も、ここがダメ、という点があるわけではない。
しかし、何だか、落ち着かない、楽しめない、
あるいは没入できない音楽なのである。

あるいは、「モーツァルトの同時代者たち」みたいなシリーズだと、
一人一人の作曲家には、あまり思い入れがないままに、
録音を続けたということかもしれない。

一応、解説はとても面白いので、是非、紹介したい。

私も、今回、初めて読んだのだが、これを読んでから、
あのコンサートに行くべきであった。

結論から言うと、クレメンティは、
私の中で、かなり気になる存在になってしまった。

「ムーツィオ・クレメンティは、1752年1月23日、
銀細工師とドイツ人の妻の長男としてローマに生まれた。
ローマで若いムーツィオは6歳にして音楽の勉強を始め、
1766年1月には、
地元Damasoの聖ロレンツォ教会(Piazza Navonaの近く)
のオルガニストになった。
しかし、同じ年、裕福なイギリスの議員で旅行家であった、
ピーター・ベックフォード
(作家のウィリアム・ベックフォードの甥)に認められた。
ピーター・ベックフォードが不躾な表現で言うには、
彼はクレメンティを父親から7年間分買い取ったのである。
1766年の末、または1767年の初めに、
彼は若い音楽家を連れて、ドーセット州Blandford Forum近くの
領地Stepleton Iwarneに帰り、そこで彼を7年間暮らさせた。
事実上の軟禁であって孤独な勉強とハープシコードの練習だけが許された。」

私は、ここまで読んで、中学生の時分から大学卒業くらいまでの間、
孤独な状態で軟禁状態にされた彼の身の上を想像してぞっとした。

この後、これまた各地を旅して、
別の意味で奇妙な子ども時代を過ごしたモーツァルトとの対決があるが、
人間はどのように学んで成長するのかを考えさせられる。
ベックフォード氏というのは、いったいどんな酔狂な人物だったのだろう。
あるいは単なる変態か?

「1773年か74年にベックフォード氏は彼を解放し、
クレメンティはロンドンに出た。
1775年、彼の最初の首都での登場は、
ハープシコード奏者としてで、しばらくして、
彼はHaymarketのキングス・シアターの指揮者、監督となった。」

先ほどまでの孤独な少年時代と、
劇場運営に関わるといった俗っぽい一面のギャップが強烈ではないか。
私は、妙にクレメンティが気になって来た。

「1780年、彼は、大陸ツアーを始め、
マリー・アントワネットの前で演奏したパリ、
彼女の兄、ヨーゼフ二世の前で演奏したヴィーンなどにも現れた。
後に、ヨーゼフ二世が、
オーストリアの大公、大公妃のためにアレンジした、
4歳年少のモーツァルトとのコンテストの切っ掛けとなった。
1782年1月12日、モーツァルトは父親にこう書いた。
『クレメンティは右手に限って見事です。
三度のパッセージにその強みがあります。
それ以外は、味わいにおいて無価値です。
要するに機械的なのです。』」

このエピソードは、モーツァルト伝では、
必ず出て来るが、海老沢敏氏などは、
クレメンティも皇帝も同感だったと書いている。
ただし、クレメンティはこれからさらに、
その演奏法を発展させたとしている。

この時、クレメンティは30歳になる直前。
モーツァルトはもういい年をした青年ながら、
ライヴァル心剥き出しで、ムキになっているように見えるが、
それは、クレメンティが紳士的だったからである。
このCD解説にも、
「一方、クレメンティの方は、弟子のルートヴィヒ・ベルガーに、
『このような精神と優雅さで弾くのは聴いた事がなかった』
と語ったと伝えられる。」

「いろいろあった後、短いロンドン滞在を経て、
裕福なフランス人の弟子との駆け落ちの失敗や、
ローマでのおそらく家族との再開などの後、
1785年に彼はロンドンに腰を落ち着け、
1802年までそこにいて、作曲家として、
ハノーヴァ・スクウェアでのコンサートを通じて演奏家として、
さらに高額を要求する教師として有名になった。
彼の弟子には、ジョン・フィールド、J.B.クラーマー、
ハイドンの友人のテレーゼ・ヤンセン(バルトロッツィ夫人)らがいる。」

ハイドン最後の三重奏曲集や、ピアノ・ソナタ集を受け取った、
バルトロッツィ夫人は、Haydn’s friendと書かれていて驚いた。

「彼はさらに、ロングマン&ブローデリップ社と、
音楽の出版、ピアノ製造事業まで手がけた。」
さすが、クレメンティ。ここまでやるか、という感じ。
こうしたビジネスマンなら、重要顧客である、
あるいは商売品であるモーツァルトを大事にしないわけはない、
という意地悪な意見も出るだろう。

「1802年、彼は、主にビジネス上の次のツアーに出立した。
ロシア、イタリア、ヴィーンに行き、1810年まで続いた。
ロンドンに戻るや、彼は自身の会社を率い、
1813年のフィルハーモニック協会設立時には、
音楽監督となって、演奏会にレギュラー出演した。
彼は、1816年から17年にはパリのコンサート・スピリチュアル、
1822年のライプツィッヒのゲヴァントハウスに出演した。」
軽く書いてあるが、クレメンティは1752年生まれ、70歳の高齢である。
モーツァルトの倍も生きて、まだ活動している。

「1830年に彼はリタイアして、リッチフィールド、
それから、Eveshamに移り、
その地で、1832年3月10日亡くなり、
ウェストミンスター修道院に埋葬された。」

ハイドンやベートーヴェンには会っていそうだが、
シューベルトと関係があったかは分からない。
シューベルトより長生きしているが、
ヴィーンに行った時点では、
シューベルトはまだ子供であった。

「クレメンティの音楽の大部は、鍵盤楽器のためのもので、
約70の独奏ソナタ、大量の小品、モニュメンタルな、
40年がかりの練習曲集『パルナッスム』がある。
彼の伝記を書いたレオン・プランティンガ(OUP,1977)によれば、
『その鍵盤楽器用作品のスタイルは、
アルベルティのような純粋なギャラントスタイルから、
ショパンのようなロマン派の効果的なものまで幅を持つ』という。」

クレメンティはピアノで有名であるが、
下記のような推理小説の展開、
妙に気になる。

「しかし、新聞やその他の当時の記録から分かるように、
特に1784年から1795年まで、
さらに1819年から1824年まで、
彼は交響的作品にも夢中になったが、
完全な交響曲の断片しか残されていない。
彼の生前、1787年に、
ロンドンのロングマン&ブローデリップから出版された、
変ロ長調とニ長調の作品18の二曲のみが無傷で残っている。」

この二曲だけだと、やはりつまらない。
なんといっても、これだけだと、
ハイドン、モーツァルトの完成期を、
体験していない時代のものだけになる。

「恐らくもっと後に書かれた4曲は、
不完全な形の手書きスコアで残され、
いくつかは大英図書館にあって、
いくつかは1917年にワシントンの国会図書館が得た。
作品18の交響曲は、1959年と61年に、
レナート・ファザーノの校訂でミラノのリコルディから再出版された。
後から書かれたもののうち二曲
(第一番ハ長調wo32、第二番ニ長調wo33)は、
アルフレッド・カゼッラによって、
復元完成され、1938年にリコルディから出版された。
カゼッラは他の二曲
(第三番ハ長調wo34、第四番ニ長調wo35)は、
復元するには状態がばらばらすぎると考えたが、
ピエトロ・スパーダは演奏可能な形にして、
1975年、78年にミラノのSuvini Zerboniから出版された。」

こんな経緯のものゆえ、何となく混乱した感じがするのだろうか。

「後期の交響曲の復元はクレメンティの決定稿がないので、
絶対的と呼ぶには不確実なものである。
時折、彼はスコアを短縮したし、副次的なものは刈り込み、
しばしばテンポ指示はなく、調の指示や音符までを省略している。
コンサートごとに楽章の入れ替えもしており、
wo32と35の場合、彼は全曲を移調したこともあった。
第一番ハ長調wo32には自筆譜があるが、
序奏のラルゲットは、ラフなコピーしかなく、
アレグロの23ページは信頼できるが、
1-66小節が欠落している。」

こりゃ、えらい作業と見た。
が、何となく、イタリア人たちの熱意が感じられる。

「アンダンテとメヌエット、トリオは、
はっきりしたコピーがあって、
そして終曲の最初の23ページは完全であるが、
続きはスケッチになっている。
また、もっと前に書かれた版は、変ロ長調で、一部残っている。」
ということは、この曲の場合、両端楽章以外は、
まだ、ちゃんと出来ていたということか。

「この交響曲は、弦楽器、二管編成、ホルン、トランペット、
三つのトロンボーンとティンパニのために書かれ、
二つの初期の交響曲よりも木管が重視され、
ほとんどブラームス風とも言えるテクスチャーを見せる。
他の3曲の後期交響曲と同様、ゆっくりとした序奏を持ち、
ここでは、短いが印象的なラルゲットとなっている。」
ブラームスは連想しなかったが、この序奏部の色彩など、
ベルリオーズまでは連想できる。
確かに駆け落ち事件といい、
ベルリオーズ的な情熱家だったとも言えるかもしれない。

「ベートーヴェン風に推進力のあるメインテーマによって、
アレグロは支配されており、
魅惑的な軽い第二主題を完全に押しのけそうである。」
やはり、解説を書いているRobin Golding氏も、
この第一楽章のやかましい感じは気になっているとみた。
しかし、前述のように、23ページしか残っていないとすれば、
補筆した人の意向が入っている可能性はないのか。

「アンダンテはロンドと変奏曲の混成体であって、
ハイドンの後期交響曲を想起させるが、
形式はずっと自由で冒険的であって、
無垢な感じの開始部は、
続くドラマや対位法的な厳格さを予期させない。」
これも同感。最初はハイドン、だんだん、衒学的になっていく。

「メヌエットの第二部は第一部の2倍もあって、
軍楽調と優しさが交錯し、ワルツのようなトリオを持っており、
刺激的なスコアである。」
私はメロディの問題に触れたが、
軍楽調と軽妙な楽想の対比は、こう書かれると、
ものすごくアクロバティックな冒険に思えて来た。
刺激的なスコアとあるが、そう聞こえる。

「ある種、ハイドンとベートーヴェンの精神を思わせる元気のよい、
ソナタ形式のロンドの終曲は、半音階的な色彩、
大胆な転調にクレメンティらしい声を聴くことが出来る。」
確かに、混乱直前まで、楽想の変転を追い込んでいる。
まるで、後年のレーガーのようにさえ感じる瞬間さえある。

だいたい、私が冒頭に書いた事は、的外れではなかったが、
このように解説を読むと、どこが聞き所かが分かってよい。

これはかなり好意的に耳を澄まさないと、
つまらない作品と思えるものだが、
好意的なメガネをかけると、
とんでもない作品に思えて来るから不思議だ。

結局、シンプルなハイドンを母体として、さらに、
そこに、実験的な要素を盛り込んだ意欲作として聴くことが出来た。

「作品18の二曲は、弦楽と二本のフルート、
二本のオーボエ、バスーンと、二つのホルンのために書かれている。
変ロ長調の方は、忙しいアレグロ・アッサイで始まり、
最初の二小節のリズムパターンで押し切られ、
第二主題が叙情的なペンダントのようであるものの、
テーマとまでは呼びにくいが、最初の主題は、
メロディよりリズム的に傾く。
簡潔で短い展開部は、変化に富んだ再現部とバランスが取れている。
ロンド形式の優しいアダージョに、
独立していると言うより、
メヌエットの展開のような複雑なトリオを持つ
軽やかなメヌエット、
そして最後に、コンパクトなソナタ形式のガヴォットの拍子による、
こざっぱりした終曲。」
この作品18などは、ハイドンが渡英する前、
彼の「V字」交響曲がロンドンで出版された
1787年の作品であるから、
その洗礼はまだ決定的には受けていないのかもしれない。

モーツァルトの「プラハ」の年なので、
ある意味、曲のサイズなども古風であるが、
別の意味で近代的な感覚が感じられる。

「V字」も「プラハ」も、
長らく現代のオーケストラで親しまれて来た。
もっと大きな編成で、分厚く描いて見ると、
何か違う感触が得られるかもしれない。

このロンドン・モーツァルト・プレイヤーズは、
透明さを重んじているので、これらの曲に時折感じられる、
ロマンティックな要素がはぎ取られているかもしれない。

「交響曲ニ長調の第一楽章は、
先の曲の同じ楽章に似ているが、
重要で、ゆっくりとした序奏があって、
二つの主題はよりコントラストが取れて、
バランスがよい。
緩徐楽章は、後期のハ長調(wo32)のそれと同様、
ロンドと変奏曲であるが、内容、構成ともに簡素である。
軽い足取りのメヌエットは、驚くほど力強いトリオを持ち、
工夫と機知に富むソナタ-ロンドの終曲が続く。」
こちらの曲の方が、序奏がついていたりして、
より、聴き応えがあるような気がする。

私がクレメンティの交響曲を実演で聴いた時の演奏も、
どちらかと言えば、このCDの演奏のように、
直線的な力学で押していくような演奏だったような気がするが、
その面白さを引き出すには、別の行き方があるような気がする。

クレメンティが、ベートーヴェンと並んで、
ベートーヴェンの愛弟子、チェルニーのアイドルだったという点、
その旺盛な表現意欲と、革新的な語法の探求によって、
理解できるような気がした。
あるいは、楽器の改良に意気込みを持つ人は、
その楽器が描き出すであろう音楽の未来を、
通常の音楽家よりさらに見つめていたとも考えられる。

得られた事:「クレメンティは、音楽家の枠だけでは語れぬ破天荒さを持ち、思っていた以上に前衛的な人物であった。」
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by franz310 | 2009-03-28 23:16 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その166

b0083728_1055521.jpg個人的経験:
今回は、チェルニーのお勉強。
前回、ベートーヴェン作品の、
メトロノーム指定によっても、
後世に多くの悩みを残した、
チェルニーについて触れたが、
彼自身が、どんな人であったかを、
知ることが出来るCDがあるので、
これを聴いて見たい。
まず、曲名を見て驚嘆する。
交響曲第二番作品「781」!


作品番号が一桁違うでしょ。
ブラームスの場合、交響曲第二番は、作品73だった。
では、この人はブラームスの10倍すごいのだろうか。
確かに、無数の子どもたちが、
チェルニーのピアノ練習曲を日夜弾いている。
恐らく、ブラームスを弾くまでピアノの稽古を続ける人は、
そのうち、10人に一人くらいになるかもしれない。

ということで、演奏の回数、頻度では、
チェルニーはブラームスの10倍くらい行ってる可能性がある。

ただし、ブラームスの交響曲のように日夜、
1000人以上の聴衆を前に、演奏されている曲目が、
チェルニーにあるかいうと、どうも実感がない。
今回の交響曲も、Signumという、
珍曲、あるいは知られざる名曲発掘系の、
ドイツレーベルが出したものである。

このように、子どもたちを悩ませるので高名であることは、
このCD解説(Peter Rummenholler)も、冒頭からしっかり書いている。
「チェルニーと言うだけで、今日でも多くの子どもたちをぞっとさせる。
この名前は、5本の指の運動、音階、練習の機械的訓練の同義語であり、
Grete Wehmeyerは、その著書でチェルニーを、
『孤独なピアノの監禁者』と適切簡潔に述べている。」

そんな微妙な位置づけの音楽家を表わすのに、
恐ろしい教条主義を表わすような、
サイケなデザインで表現した、
このCD、妙にはまっている。

立派な人格者にしか見えない、
この音楽家の肖像に、
怪しげな虫眼鏡状の光学部品を配置し、
気味の悪い暗雲を
カラフルな絵の具の滲みでバックにあしらって、
完全にどっかいかれた人という先入観を
みごとに植え付けてくれる。

デザイナーは、ひょっとすると、幼い頃、
この先生に散々な目に合わされた人なのかもしれない。
アートワーク、Thomas Christenとあるが。
このデザインが特異かつ、
やたら気になるという点では、
これまでここで取り上げたものの中では、
かなり高得点である。

ただし、聴かれる音楽を表わしているかと言うと、
まったく違うような気もする。
まず、最初に収められているのは、
「4手ピアノとオーケストラのための協奏曲ハ長調作品153」。

ピアノ連弾の親密な快活さと、
オーケストラの豪華さが味わえ、
まったくもって健全な音楽。
清新な楽想に満たされ、楽しく親しみやすい。
この表紙の絵のような、
マッドサイエンティストの風情はない。

モーツァルトとウェーバーの間みたいな感じの明朗な音楽で、
序奏から壮大さや、華麗さを求めているが、
より誠実さのような美徳に重きを置いたもので、
中間部では、ピアノの深い響きが、
シューベルトのような内面の声を響かせる。

第二主題なども叙情的で美しいが、
ピアノの見せ場を作るためか、
曲想がめまぐるしく変転するので、
何だか作り物めいた感じがつきまとうのは残念だ。

第二楽章も、ショパンのノクターンを思わせるような、
アダージョ・エスプレッシーヴォ。
口当たりよく、きらきらと輝くピアノの美観も美しい。
しかし、高音でさえずるピアノの安っぽい囀りを聴いていると、
何がやりたいかが見え見えで、
ともすると、底の浅い音楽に聞こえてしまう。

終楽章は、ポルカ風のロンド。
良い子が先生と仲良く楽しく弾く感じ。
連弾用のピアノ協奏曲というのは初めて聴いたが、
そういった目的のものなのかもしれない。

解説を見ると、
「作品153は、オーケストラと、
二人のピアニストが一台のピアノを弾く、
珍しいケースである。
バッハやモーツァルトのような、
2台のピアノのための協奏曲は、
各楽器が互いに張り合うといった
さらに競争的な要素を付加するが、
チェルニーの4手のための協奏曲は、
一人で出来る以上のことを二人のピアニストが行って、
協力して、あたかも巨大なピアノのように振る舞う。」

なるほど、そうした見方も出来ようか。
繰り返して聴いて見ると、
先に、書いた博覧強記のピアノ技巧の開陳に、
彼の独自の位置づけがあるのかもしれないと、
考えてしまった。

「すべての音域に向かって名人芸が行き渡り、
コンサートグランドピアノの鍵盤から火花が飛び出る。
ハ長調という調性、終楽章のRondo alla Polaccaなど、
ベートーヴェンの作品56にうわべは似ていると思えるだろうが、
パワーと名技性の奔流が、
一台のピアノの前の二人の独奏者のためのショーピースとして、
チェルニーの協奏曲を特徴付けている。」

ということで、解説者は、
「ショーピース」と片付けているようにも見える。
内容はない、ということであろうか。
私は、今回、何度もこれを聞き直しているが、
もうたくさん、という感じはなく、
そこそこ楽しんでいる。

この時代、パガニーニや、ジュリア-二が、
それぞれの楽器の見せ場を基軸にした協奏曲を作ったが、
彼らの作品を否定する気はまったくない。

しかも、時折、師匠の面影が現れるところも興味深い。
コーダのリズムなど、確かに、ベートーヴェンの、
「トリプル・コンチェルト」とそっくりである。
そう言えば、出だしの所は、まるで、
「皇帝」のようにも聞こえないだろうか。
パロディーなのか??

チェルニーにとって、ベートーヴェンは神様、
と後の解説にもあるので、理想を見つめているうちに、
そうなってしまった、という感じであろうか。

ピアノ演奏は、上海出身の女流Liu Xiao Mingと、
ベルリン出身で、室内楽で鳴らしたベテラン、Horst Gobelが担当。
指揮は、Nikos Anthinaosで、主席指揮者を務める、
フランクフルトの州立オーケストラを振っている。
演奏は集中力の高いもので、録音も美しい。

続いて収録された交響曲は、
壮大な序奏部を持って開始される。
壮大というか長大、あれかこれかと、
様々な楽想が3分以上にわたって現れては消える。
ベートーヴェンの序曲みたいな感じである。

主部は、生きの良い楽器の鳴りっぷりによって、
推進力が生まれ、これまた、ベートーヴェンやロッシーニの、
劇場のための音楽みたい。
それが、春の日差しを思わせるのどかな日差しを持って進む。
第一楽章からして、かちっと気持ちよい。
何やら、威勢の良さではベートーヴェンの第二のようであり、
執拗に刻むリズムに、様々な楽器の音型が明滅する様は、
後期のシューベルト風でもあって、16分もかかる。

第二楽章は、初期のシューベルトと、
オペレッタの幕間音楽の合体形のような、
いかにもビーダーマイヤー風の間奏曲。
それにしては長く11分弱。

第三楽章も聞きやすい。
「スケルツォ」とあるが、何となく、「第九」のそれのぱくり風。
だが、そんなに巨大ではなく、かつて貴族が楽しんでいた、
メヌエットの踊りを、市民が真似をして、
優雅に楽しんでいるようにも見える。

聴きようによっては、
すっかり仕事を忘れた休日の遊園地のような感じがする。
何故、ここまで、日差しが明るいのだろう、
などと反対に訝ってしまう。
6分弱。
チェルニーという人は、いったい、どこで楽想を練ったのだろうか。
暗い書斎で、先人の業績を睨み付けながら、
ふと、屋外の平凡な日常を夢見たら、
どうしても、それは書き割り風になってしまった、
という感じであろうか。

終楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチェで、約9分。
これまた、ゴージャスな始まり方で、
めまぐるしく動く弦楽の音型は、力強く、
低音がリズムを刻み、管楽器が吹き鳴らされながら、
シューベルトの「グレート」のように、
うねっては消え、うねっては消えの生命力を漲らせていく。

その微妙な陰影が、何だか、不思議なことに、
シューベルトの絶筆となった、
『第十交響曲』に酷似した印象も持ってしまう。

メンデルスゾーンのような、異界への憧れも、
シューマンのような幻想の世界もないが、
ヨハン・シュトラウスのような豪華さまで行くと不健全、
といった格調の高さを保持している。

これは知られざる傑作だ、という程ではないが、
さぞかし、こんな夢を見ながら、
当時の人たちは生きていたのだろう、
といった風情。

器用さゆえに、いろんな名作に似てしまうが、
志は低くないようで、ついつい耳を澄ませてしまう。
悪くはない。

アベック・トリオのCDの解説で、
シューベルトの音楽は、
絶対に悪くなっていく世の中にあって、
その時間の流れを見つめたもの、
などと書かれていたが、
そんな音楽は、とても、
将来ある子どもには聴かせられない。

その点、チェルニーの場合、ちゃんと、彼の練習曲に耐えたら、
こんなに素晴らしい世の中が待ってるよ、
とコンセプト的に一貫しているようである。
が、そこまでチェルニーが考えていたかどうかは分からない。

チェルニーという人が、
そうした健全な価値観に支えられていたと思える。
もしも、それを演じているだけだったとしたら、
このCDの表紙同様に不気味なのだが。

で、この交響曲の解説を読んでみると、こんな事が書いてある。
「作品781は、ハイドンのロンドン交響曲の古典形式に従って、
ベートーヴェンやクレメンティ風の語り口が現れる。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンではしばしば、
またクレメンティでは、常にあった、ゆっくりした序奏が、
チェルニーにとっては、古典交響曲として不可欠のもので、
これがソナタ楽章を先導し、
相反する性格の第一、第二主題を使って、
徹底的にテーマ、動機の展開がなされ、
作曲家の対位法の技術が披瀝される。」

私の記憶に間違いがなければ、クレメンティの音楽は、
そんなに美しいものではなかったと思う。
しかし、チェルニーが、
自らのオリジナリティーを誇示したとすれば、
ここにあるような、技術の披瀝にあった可能性は高い。
それは、ともすると、
リストが非難されていたことを先取りしている。

「その4楽章形式もまた古典形式への志向を表わしている。
チェルニーは古典的なメヌエットに代えて、
ベートーヴェン風のスケルツォを使っているが、
ベートーヴェンのような破格を狙ったものではない。
(例えば、『第九』で、緩徐楽章をスケルツォを入れ替えたように。)
エネルギーに満ちた終楽章が交響曲を締めくくるが、
これは、無視された作曲家になってしまったチェルニーが、
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが確立した基準に則した、
素晴らしい成果となっている。」

かなり狂信的な古典主義者だったが、
その基準からすれば、素晴らしいという感じだろうか。
かつてここで取り上げた、オンスロウの交響曲などと同様の扱いと言える。

この曲も、耳には快く、演奏会で聴くとどうなるか分からないが、
CDで聴く限り、いろんな事を考えながらも、
楽しむことが出来る。

これらの解説、いずれの作品も、
いったい何時書かれたのかの記載がないのには困った。
どこに位置づけるべきか分からない。
出来れば、初演は何時で、その時はどう書かれたか、
などという情報も欲しいものだ。

以上の解説は、曲の解説の部分を抜き出して来たものだが、
このCD、さすがに、チェルニーが何者であったかを、
概観しようとする姿勢も見せていて、
そちらが解説のメインとなっている。
「彼の実像を捉え直す好機にあり、
ベートーヴェンの弟子であり、
リストの教師であるといった立場は、
もっと音楽界の、そしてピアノ技巧、
19世紀前半のピアノ指導の中央に、
彼が位置していたことを意味する。
作品番号で861を数え、おそらく1000曲以上ある、
彼の器用な作品群は、時折、生前から軽く見られていたが、
(シューマンは、『尊敬すべき作曲家には引退していただき、
その価値相当の年金を与えよう。そうすれば書かなくなるだろうから。』
と書いた。)
ベートーヴェンのピアノ奏法に関するお目付番であり、
さらに、ベートーヴェンの作品解釈のみならず、
チェルニーの専門書によって、管弦楽的なピアノ奏法を確立した、
リストへの影響に到るまで、
生前にチェルニーが果たした重要な役割を見失うべきではない。」

チェルニーはまさしく、ことピアノに関する限り、
当時のメインストリームであったということであろう。
以下、いろいろ書かれているが、
これが繰り返されているだけとも読める。

「ヴィーンに生まれたチェルニーの生涯は、
モーツァルトの死の年の1791年から、
ロベルト・シューマンの死の翌年である、
1857年にまで及び、花咲く19世紀の偉大な、
古典、ロマン派のピアノ音楽の時期を正確にカバーしている。
チェルニーが置かれた位置づけと、
彼の時代に即した創造力は、
彼を理想的な記録係としている。
ボヘミア出身の父親によって、この利発な少年は、年少ながら、
最高のテクニックの権威、ベートーヴェンのもとに送られた。
1847年に書かれた、彼の『生涯の思い出』には、
1800年、彼が父親に連れられて行った様子、
いかに、ベートーヴェンの住まいが乱雑であったか、
すでに耳が悪くなっていた作曲家が黄色い液体を染みこませた、
詰め物を両耳にして暮らしていた様などが、
生き生きと描かれている。
巨匠はこう言った。
『あなたの息子には才能がある。
私が自分で教えましょう。
彼を週二回寄こして下さい。
最初に、エマニュエル・バッハの、
ピアノ演奏の正しい技法に関する指導書を使うので、
それを持って来させて下さい。』
このことから、ベートーヴェン自身の伝統的な立ち位置と、
そこに若いチェルニーを導き入れようとした意図を知ることが出来る。
カール・フィリップ・エマーニュエル・バッハは、
大バッハの有名な次男であり、
彼の、『Versuch uber die wahre Art』は、鍵盤楽器の技法のみならず、
音楽美学にも同様に触れたものであった。
最初から、正しい演奏姿勢から指使いや音階に到るまで、
ピアノ演奏の考えを教え込んだ。
これは、ベートーヴェンがその名人時代に賞賛された、
話しかけるような表現方法である、新しいレガート奏法と、
対位法の演奏に集中したものであった。
大バッハの『平均律』を後にチェルニーは出版するが、
これは、この『音楽の旧約聖書』をベートーヴェンが、
どのように演奏したかを伝えるものである。」

前回聴いた、アベック・トリオの演奏が、
チェルニーの表記を重視する理由もこのあたりにあるのだろう。
チェルニーは、こんな子どもの頃から、
ベートーヴェンと一緒にいたのであるから、
その影響力が甚大だったことは分かる。

ちなみに、このチェルニーの文章は、
音楽之友社から出ている柿沼太郎編の、
「ベートーヴェン回想」でも読める。

「チェルニーはまだ年少でありながら、
ヴィーンで最も有望なピアノ教師となったが、
後には、ベートーヴェンのピアノ作品の解釈で賞賛された。
彼は、有名な第五ピアノ協奏曲の
ヴィーンにおける初演者(1812)であり、
当時の記録によると、
32曲のベートーヴェンのピアノソナタのレパートリーから、
巨大な『ハンマークラヴィーア・ソナタ』(1820)について、
非常に印象深い演奏を行ったとされる。」

確かに、「大公トリオ」は、「皇帝」と同時期の作品であるから、
アベック・トリオが、チェルニーの表記を信奉して、
この三重奏曲を演奏したのを、論理的に否定することは難しい。

「主要作である、
『完全なる理論と実践のピアノフォルテ楽派』作品500など、
主に教育的な作品の価値によって、彼は有名になり、
ベートーヴェンの教え方や演奏方法を抽出した、
『ベートーヴェンのピアノ作品の正しい演奏について』
などを書いた。
今日の我々にとっては、
『ピアノフォルテの即興に関する系統的指導』作品200は、
特別の意味を持ち、長らく絶版であったが、
Ulrich Mahlertによる優れた新版が出た。
チェルニーのガイドは、
選んだ仕事を正確に遂行できる有能な人間と、
音楽的な表記だけではあまりにも貧弱であった、
当時の演奏に対する記述の課題との幸福な出会いであった。」

何だかよく分からないが、チェルニーは著作にも、
作品番号を「通し」で振ったのであろうか。作品200とか、
作品500とか、切りの良い番号をあてがっている点からして、
計画的な所行であろう。
おそらく、遂に作品も500近くなったぞ、
ここらで、すごいものを作らなあかんな、といった乗りで、
力作に傾注していったのであろう。

「ピアニスト、ベートーヴェンは、その即興能力ほどには、
他の作曲家の解釈については知られていない。
パガニーニやリストのような楽器の名人は、
書き留められた完成作品とともに、
即興演奏に対するこだわりを固守していた。
チェルニーのガイドは、19世紀前半の、
当時の演奏習慣に対する情報の宝庫である。
ベートーヴェンの弟子であるチェルニーが、
リストの先生となったという事実がまさしく象徴的で、
チェルニーは伝統を新しい世代に伝えたのである。
チェルニーはその自伝の中で、
少年期のリストを指導した時の事を、
いかにもという誇らしさを持って記述している。
『彼は小さく弱々しい子どもで、
演奏中には酔っぱらいのようにぐらぐらし、
時折、床に倒れるのではないかと心配した。』
また、彼は、いかにして、この世界的なピアニスト、音楽家が、
彼の所から巣立ったかを書き進めた。
『もう一人のモーツァルトが彼に宿るのを見て、
世の中というものはそんなに悪いものではないと思った。』」

これまで、シューベルトを普及させた大きな存在として、
リストについても、何度か取り上げて来たが、
チェルニーがこれほどの存在とは全く意識していなかった。
やはり、彼の作品を収めたCDを聴きながら、
この解説のように、これでもかこれでもかと、
その業績を繰り返しているのを読み、
しっかりとその実在を実感しなければ、
なかなか意識の真ん中には来ないところだった。

チェルニーが、リストにシューベルトの作品をも手渡した可能性も大きい。
ただし、シューベルトの文献で、チェルニーが登場するものはそう多くない。

さて、このCDの解説も最終コーナーである。
「チェルニーの作品は数え切れないし、
その大部分はアレンジやトランスクリプションである。
それに加えて、ベートーヴェンの交響曲を含む、
立派なピアノ・スコアがあり、
当時のポピュラーなアリアに基づく、
効果的な序奏付きの華麗な変奏曲やロンドがある。」

何だか、リストの伝記を読んでいる感じだが、
リストは師のチェルニーを規範とし、
その学究的な所は真似せず、
さらに演奏家として、大規模な活動をした、という感じであろうか。

編曲ものまでを全て数えて行けば、確かに、作品は千にもなろう。
彼は、66歳まで生き、
シューベルトの何倍もの活動期間があったのだから。

「これらは当時の嗜好に合ったもので、
当時の同業者たち、ヘルツ、ヒュンテン、カルクブレンナー、
タールベルクらが書いた作品に劣らず、
しばしばそれ以上のものであった。
ストラヴィンスキーが、『チェルニーは根っからの音楽家だ』と、
刺激的な見解を述べたのは、しかし、オリジナルの作品で、
作品178の四手のソナタ ヘ長調などを弾いた事のある人は、
熱情ソナタに似た点を愛さずにはいられない。
ベートーヴェンは、疑いなく、
チェルニーの最も尊敬した作曲家であったが、
この主神の他にも、
ベートーヴェンより扱いやすい古典的モデルとしての、
少し劣った神々もいた。
クレメンティ(1752-1837)はその一人で、
彼のピアノソナタや交響曲は、ヴィーン古典派の精神を伝え、
さらに、今一人、フンメル(1778-1837)は、
モーツァルトの弟子として高名で、ヴァイマールの楽長、
名声のあるピアニストでもあった。」

このように、チェルニーは、非常に精力的に音楽家として、
信じる道を邁進した人であったようだ。
が、こう読んでみて不満なのは、くそまじめな古典主義者、
という側面は見えて来るが、やはり、どんな感じの人か、
ということはよく分からない点である。

書斎に閉じこもっていた人なのか、
リストのように、音楽界を沸かせた人だったのか。
少なくとも、このCD表紙のような、
マッドサイエンティストではなかったようだが、
ここまで猛進する人を端から見れば、
どこか狂気を孕んでいるように見えたとしても不思議はない。

そもそも、その作品番号こそが証拠で、
この数字は狂気以外の何ものでもあるまい。

得られた事:「チェルニーは、ベートーヴェンの世代と次の世代を結ぶ重要な輪であって、その音楽には、シューベルト風の香りも立ち上っている。」
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by franz310 | 2009-03-22 10:04 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その165

b0083728_23103464.jpg個人的経験:
TACETレーベルから出ている
アベッグ・トリオのCD、
解説を書いている
Jan Reichow氏の博覧強記趣味、
非常に興味深く、
毎回、感心している。
今回は、最も有名な三重奏曲、
ともいうべき、
ベートーヴェンの「大公」を、
このシリーズで聴いて見たい。


いきなり文句で恐縮だが、表紙を見て、
ちょっと、何か言いたくならないか。

やはり、Horst Janssenのスケッチであるという。
30.9.87とあるのは、書いた日付であろうか。
ちょっと、いつもとタッチが違うような。

前回の意地悪な中年風、シューベルト、
前々回の犯罪現場のハイドンに比べ、
今回のベートーヴェンは、ちょっと格好良すぎないか。
ハートマークまで見えるが、これはどういうこと?

解説書の中を見ると、
Cover painting:ホルスト・ヤンセンとある下に、
○ の中に「c」マークで、Birgit Erichsonとあるのも気になる。
これは、版権所有者だと思う。

Erichsonは、このAbegg Trioのチェロの女性である。
ヤンセンとエリクソンとの関係は何なんだ。

ずっと、この表紙デザインには、これまで文句を言って来たが、
版権が彼女にあるとすれば、
美人チェロのエリクソンに怒られるかもしれない。
それは困る。

ざっと見て、今回のCDの特徴は、
楽譜例が満載ということであろうか。
ディアベリが出版した、ベートーヴェンの弟子のチェルニーによる、
「ベートーヴェンの全ピアノ作品の正しい奏法について」という楽譜の、
ファクシミリが3ページにわたって掲載されており、
これは、五線の間にびっしりと細かいドイツ語が書かれているもの。
チェルニーに関しては、後で、テンポの話で出て来る。

さらに、解説の中で触れられる楽節が、20も楽譜で出ている。
しかし、この楽譜はドイツ後解説に掲載、英語部には番号しかない。

解説を読むのが楽しみである。
はたして、今回も、何か面白い発見をもたらしてくれるだろうか。

その解説は、こんな風に始まる。
「『バーデン王女のお祝いの間、
あの方は指を痛めていたこともあり、
私は心して作品にとりかかり、いくつかの作品、
とりわけ、新しいピアノ三重奏曲が結実した。』」
あまりにも唐突ながら、音楽の完成を伝えているので、
おそらく、ベートーヴェンの言葉なのであろう。

「皇帝の子息でベートーヴェンの弟子でもあった、
ルドルフ大公は、この間、ピアノのレッスンを終えた可能性もある。
この1804年からのレッスンの進展については、
ベートーヴェンからのおびただしい数の、
キャンセルや詫びの手紙による記録が残されている。
それにもかかわらず、この18歳年少の、
巨匠の友人でパトロンだった人は、すぐれたピアニストになり、
第四と第五のピアノ協奏曲がすでに彼に捧げられており、
作品97の三重奏曲も、彼のためのもので、
彼は、新しい作品を手にするのを首を長くして待っていた。
ベートーヴェンは、彼に、注意を喚起しつつこう書いた。
『八方手を尽くしましたが、
私の家で写譜してくれる人を見つけられないでいたので、
原稿をそのままお送りします。
シュライマーに頼んで、信頼できる写譜屋を呼んで下さい。
ただし、盗難の危険は嫌なので、
是非、宮殿での作業をさせて下さい。』」

シューベルトの楽譜などは、
炊き出しに使われたなどという逸話の方が有名であるが、
ベートーヴェンくらいの大物になると、
楽譜の盗難にも用心が必要だったわけだ。

「前年からの詳細スケッチを経て、
3月3日から3月26日まで、きっかり24日間で、
ベートーヴェンは、彼の最後で最高のピアノ三重奏曲の
決定稿に取り組み、これを書き下ろした。
翌年の終わりまでに、彼は第七、第八の交響曲、
作品96のヴァイオリンソナタ、
それに愛らしいピアノ三重奏の断章WoO39を完成させている。」

ちなみに、このCDには、このWoO39も最後に収められている。
この5分ほどの変ロ長調の小品は、大家円熟期の作ということで、
非常に美しいもの。
昔から、エラートの廉価盤LPの余白に収められており、
これが、とてもチャーミングであった。
改めてひもとくと、チェンバロで有名な、
ヴェイロン=ラクロワがピアノだったが、
ヴァイオリンがロベール・シャンドル、
チェロがロベール・ベックスとある。
あまり聴いた事のない名前である。

今回、アベッグ・トリオで、久しぶりに聴いたが、
私の心の中のイメージよりごつごつしている。
ラクロワらの演奏は、もう少し優美だったような気がする。

また、この曲の解説は、
このCDには見あたらないようである。
このアベッグ・トリオのCDは、
ベートーヴェンのピアノ三重奏の全集を目指したのか、
このCDも、大公トリオの前に、非常に珍しい曲が収められている。

しかし、こうしたものこそ解説が欲しいのに、
何の言及もないことに、今、気がついた。

一曲目は、何と、1784年、つまり作曲家はまだ14歳。
そんな頃の変ホ長調の断章。Hess-Verz.No.48とある。
ベートーヴェンのファンならぴんと来るのだろうか。

このアレグレットの曲、子どもの作品としては、
ピアノのラインが錯綜しリズムが妙に凝っている。
わずか3分弱ながら、中断の多い単純な繰り返しの音楽で、
ヴァイオリンもチェロも、添え物にすぎない。
しかし、木訥単純に繰り返されると、思春期のベートーヴェンが、
夢中になって、新しい音の世界に耳を澄ませている様が見えて来る。
きれいな曲を書きましょう、といった風情ではない。
明らかに何か未知のものを手探りしている。

それから6、7年後に書かれ、ハイドンのロンドン時代に重なる時期に、
またまた変ホ長調のトリオが書かれたようで、これもこのCDにある。
WoO38とある。これも知らない作品、かつ、解説には一言もない。
この曲は各楽章が4~5分程度の3楽章作品。
しかし、緩徐楽章がない。真ん中は、スケルツォとある。
このスケルツォ、何だか、ディアベリの主題の変奏曲の、
あの主題みたいである。

よく、あの変奏曲は、凡庸な主題と言われるが、
この20歳の時期のベートーヴェンのものと、
そんなに違うとは思えない。

このあたりになると、ハイドンがこのジャンルで、
新しい領域を模索していた姿が重なってくる。
構成的にも、即興的なものを重んじた感じがある。
そこそこ面白い作品だと思う。
終楽章の主題も快活である。

しかし、多少散漫な印象を受けるのも確か。
ベートーヴェンは、この後、ハイドンの指導を受けるが、
指導を受けられてよかったね、という感じがしないでもない。

ということで、今回のCD、知られざる作品が満載の割には、
解説には、「大公トリオ」のことしかない、ということが分かった。
博覧強記趣味のライカウの弱点は、ひょっとするとこの辺りにあるのか。
有名な曲で、先人がいろんな言葉を残している作品に関しては、
それらを引用しまくって饒舌だが、こうした知られざる曲では、
言葉を失ってしまうのだろうか。

せめて、演奏者がどう思ったかなどを書いてくれればいいのに。

ということで、下記のようにこのCDの解説では、
すっと最後まで「大公トリオ」の事が書かれている。
1812年以降の事が、まず、触れられている。

「これに非常に長い危機の時代が続き、
事実、彼の創作力は永遠に尽きたかと思われた。
難聴の進行も明らかになって、
抱えた問題はさらにひどくなり、
ピアニストとしての活動は出来なくなってしまった。
作品97の三重奏曲のリハーサルを聴いた、
ルイ・シュポアはこう伝える。
『かつてはあんなに賞賛された名技性は、
難聴によってまったく失われていた。
フォルテのパッセージでは、強く叩きつけすぎ、
弦楽奏者はがたがたに乱れ、
ピアノの楽句では、あまりにも優しく弾いたので、
すべての音が消え去ってしまったため、
同時に楽譜を見ていなければ、
何が起こっているか分からなかった。』」

この話は、私も読んだことがあった。
そこで、いろいろ探して見ると、
音楽の友社の柿沼太郎訳編の「ベートーヴェン回想」にあった。

しかし、この本、シュポーアの項にはこうある。
「私が近づきになった当時、ベートーヴェンはすでに
公私ともに人前での演奏をやめていた。
それでもベートーヴェンの演奏を聴く機会は一度、
ベートーヴェンの家で行われた新しい三重奏曲(ニ長調)の
下稽古に思いがけず行き会わせた時だけである。」

このように、シュポアの聴いたのは、作品97ではなく、
作品70-1となっている。
しかし、「私が近づきになった時」というのは、
1812年頃とされるから、
新作としたら作品97の方が正しそうである。

シュポアは、この他、偏屈おやじ、変人としての
ベートーヴェン像を回想に残しており、そこからは、
このCDの表紙のようなナイスガイの風貌は想像できない。
Horst Janssen氏には、是非、これを読んで貰いたい。

元の解説に戻ると、この「大公トリオ」の初演の話が続く。
「この三重奏曲の初演は、1814年の4月11日で、
ベートーヴェンがピアニストとして登場した最後の演奏会で、
先の印象と共通しるものがあったが、
しかし、作品の効果を減じるものではなかった。
批評家は、こう書いている。作品は、
『あらゆる観点から、美しく独創的。』
しかし、演奏会は、
『巨大で長すぎ、楽想がめまぐるしく変転し、
玄人でない聴衆は、その美しさの氾濫に窒息しそうになった。』」
ここで何故か、譜例1。
冒頭のピアノのドルチェ主題が出ている。

この解説は、この
The “abundance of beautiful features”とその統一について、
一章を設けてある。

「August Halmは、我々に、
ベートーヴェンの形式についてこう喚起している。
メインの主題と、それが次第に消失する点。
(楽譜2、3が出ている)
メイン主題の分解、リズミカルな曖昧な遷移の後、
第二主題が形をなすが、
これはリズム的にもメロディ的にも簡素なもので、
ぴったりとした反進行を見せる。
(譜例4がある。)
この反進行のコンセプトが、(すでにメイン主題の最初の4小節で、
明らかであるが、)推進力となる。
(譜例5)」
なるほど、この「大公トリオ」、実質、第一楽章は、
冒頭の魅力的なメロディだけで成り立っていると言ってよく、
リズミックな第二主題は、それを分解して出来ていたということか。

「そこから、旺盛なカデンツの表現までが、提示部を終わらせ、
再現部の最初の部分のために備える。
展開部の終わりにかけて、反進行が見られ、その後すぐに再現部が来る。
(譜例6)

August Halmは、
『第一楽章の展開部は、有機的な必然性や生命力のためには、
その素晴らしいメイン主題の美しさを見せることには、
あえて注意を払わないといった風にそれを扱う。』と書く。
(チェロのドルチェの譜例7)
『自然には、チェロはそのまま弾くべきところだが、
主題にはそうした義務を負わせず、
聴衆のためといって、作曲家にも強いることなく、
ある作法に適合させようとしているのか。
このような美しいテーマは創作物ではなく、
形をなした生命であり、彼はこれを神秘のままに扱おうというのか。』
と書く。
(譜例8)
『もちろん、私たちは、自由に主題を切り出して、
移し替え、貼り付け、それらの主題を机上で分析する事は出来るが、
あたかも、様々な動機から生み出され、
分解され、さらに後で同様に組み立てられるといった、
こうした主題の現れ方や、動きの美しさによって、
一般のリスナーにも確信できよう。
誰も、ベートーヴェンも同様に、
煉瓦を積み上げるように、動機を組み立てて行ったとは思うまい。』
(譜例9)
『しかし、この主題が自然に成長するならば、
ゲーテの言葉での、『生きた被創造物』であれば、
ベートーヴェンのやり方は、
実際のところ、裁断やのり付けのようなもの、
あるいは、ある物が並べ、いろんな物を連想する、
小石を使った子どもの遊びのようなものと違うのか。』
(譜例10、11)
『みんなは、それは本当ではないと知っており、
事実、こうした比較は、彼の手法を解析する際の、
机上の空論でしかない。
ベートーヴェンを聴く人は、こうしたテクニックに疑問を抱いたり、
その着想を表現したりすることはないだろう。
それほどまでに全ては確信的に響く。
それゆえ、主題の生命力に現れる音楽の力は偽りなく、
ここで自ら形を得た、独自で、事実、活力のある音楽生命は、
完全に主題を否定し、単なる再構成ではなく、
完全な分解のための変容を求める。
この力、あるいはもう一つの音楽生命は、
我々が展開部と呼ぶものの発現、
形式以外の何ものでもない。
主題自身はそのまま完全に残ることを望み、
力強く、高雅な形でのそれ自身であること以外を望まない。
展開部では、しかし、こうした主題の要求は聞かず、
自らの要求のみによって、
独自の形を作るために小さな動機のみを必要とし、
生命の証を立てる。
ためらいなく主題を分解し、
再び形式が、主題をすべてを、完全に、
むしろ、より力強く、より輝かしくして、
立上げる、再現部と呼ばれる後方に、
何らかの確信を持って運んでゆく。
(譜例12)」

といった具合に、何と、「大公トリオ」についても、
第一楽章のことしか書いていないではないか。
私は、この曲の美しい第三楽章についてなど、
もっと知りたいのに。

よく考えれば、ライカウ氏は、ここでも引用ばかりではないか。

次に、このトリオの系譜について、
「The souls in affinity with the Archduke Trio」
といった一章が始まる。
「こうした構成や、『音』の響きの継続についての歴史を、
ここで強調しておく。
振り返ると:
弦楽四重奏曲ヘ長調作品59の1(1806)がある。
第一楽章の最初を『大公トリオ』と比較してみよう。
(譜例13)
ここにも反進行。
(譜例14)
作品97の反進行。
(譜例15)
作品59の1のスケルツァンドのリズム。
(譜例16)
作品97のスケルツォのリズム。
(譜例17)
作品59の1の補足リズム。
(譜例18)
作品97の補足リズム。
(譜例19)」
これらは、頭の中で思い描くだけで、
楽譜を見なくとも、何となく得心できるものである。

ということで、前方を見た後、
後方を見ると、我らがシューベルトが論じられている。
何とか、このブログのテーマの一端に触れることができて良かった。

「前を見ると:フランツ・シューベルト。
ベートーヴェンの作品97は、カール・ダールハウスによると、
『シューベルトに代表されるような範囲にまで及ぶグループに属し、
彼は、ベートーヴェンの『最後の言葉』から作曲を開始した。
すなわち、若い野心的な作曲家の音楽思考の状態は、
すぐそこにあった偉大な音楽に、
導かれるのを望んだかのように、
それを出発点とした。』
シューベルトは最後のピアノソナタに到るまで、
そのベートーヴェンが『大公トリオ』で掘り当てた、
ロマンティックな音色を持ち続け、また、彼は、
最後の小節まで全貌を現わさない叙情的形式を保ち続けた。」

ということで、Reichowは、「大公トリオ」の主題の生命力、
その展開部のすばらしさに加えて、
ロマン派の源流として位置づけているようである。

大公トリオについて、シューベルトが何か言っていないか、
そんな資料があればいいのに。
確かに、彼の巨大な二曲のピアノ三重奏曲は、
ハイドンやモーツァルト時代の常識からは考えられず、
ベートーヴェンのこの曲のみが、その先駆として、
肯けるものであろう。

そのほか、この解説には、別の章として、
「Appendix on tempo or : How time flies」
と題する一文が寄せられている。
演奏する時のテンポに関する見解であろう。

「1804年のこと、早晩、ヴィーンで最も有名なピアノ教師になる、
13歳の才能あるピアニストがリヒノフスキーの家で紹介された。
カール・チェルニーである。
3年前に彼はベートーヴェンにレッスンを受けており、
以来、彼はベートーヴェンの作品に疲れを知らず没頭し、熱愛した。
『私は、ベートーヴェンがピアノの為に書いた作品であれば、何でも、
暗譜で完璧に正確に弾くことが出来るという音楽的記憶力を持っている。
これは天与の才で、リヒノフスキー公の前で最初に演奏した時から、
彼は私に好ましい印象を持ってくれており、
ほとんど毎日のように私は彼が思いつくままの曲を数時間演奏した。』
こうした機会に、しばしば彼は、例えば、
出来たてほやほやのワルトシュタイン・ソナタなど、
目についた新作を演奏し、作曲家もそれを嬉しく思って、信頼し、
フィデリオのピアノスコアを用意する仕事を委ねた。
チェルニーの生涯の中心にベートーヴェンがあったことは理解でき、
ベートーヴェンへの尊敬は、メトロノーム記号付きの、
『ベートーヴェンの全ピアノ作品の適切な演奏について』という、
彼の知識を記録する試みに駆り立てた。」
むむ、何故、いきなりチェルニーが出て来たかと思うと、
そういった展開であったか。

ベートーヴェンの作品のメトロノーム表示は、
しょっちゅう、音楽界の話題となっていて、
どうも信用できないというのが、よく聴かれる意見である。

「何故、この忠実な伝道者の正確なテンポ指定が、
これまで実践として研究されずに今日まで来たのかは、
ミステリーである。
アベッグ・トリオは、これをシリアスに受け止め、
再発見されたテンポで特に最初のピアノ三重奏曲に、
新しい光を当てた。
緩徐楽章は遅くしすぎず、
速い楽章では、本当に速く演奏されるという、
こうした、互いのテンポの一般的な関係は、
新しく規定されるべきであるという事実は、
多くのクラシック音楽愛好家を驚かせるかもしれない。」
最初の三重奏曲のみならず、
どうせなら、最後の三重奏曲にも新しい光を当てて欲しいものだ。

以下、ひたすら、これでもかこれでもかと、
テンポの問題を攻撃している。
「現在、音楽学者ですら、
郵便馬車の時代には異なったスピード感があったという必然を、
音楽のスピードにも適応させるのが必要だと言わんばかりに、
古典的なテンポをほとんど半分にまで減速することに、
大変な努力をしている。
郵便馬車に旅の身を委ねたピアニストは、
アウトバーンを飛ばす時代のピアニストより、
指を速く動かせなかっただろうか。
彼らの心拍は違うものだったのか。
彼は、名技性や音楽的な華麗さの感覚を、
風景が流れ去るスピードに合わせるのか。」

「ヨハン・ウォルフガング・ゲーテが、
1786年9月5日の12時30分の昼日中、
郵便馬車に乗って、ミュンヘンに向かって、
レーゲンスブルクを後にしたが、到着は翌朝の6時であった。
長い、退屈な時間だったか。
今日の旅行者は、169kmを列車で15時57分に出て、
17時25分に到着できる。
しかし、彼はこの間、ゲーテの12倍の速さでしゃべれるだろうか。
そして、12倍速く、走れ、生きることが出来、愛し、感じ、
見て、考えることが出来るだろうか。」
こんな比較は蛇足であろう。
が、面白いことは面白い。

「時折、郵便馬車のテンポを速すぎるとも感じた、
1800年当時の人々に付いて行ければ、彼は満足だったのである。
『左馬の騎手があまりに速く馬を駆りたてるのには目眩がした。
そして、私はこの素晴らしい地域を、こんな恐ろしさで走り去るのを、
また、あたかも飛ぶように、夜中に行くことを悲しく思ったものの、
好ましい風が背後から吹き、私の望みのままに駆り立ててくれることを、
私は心の中で、喜んでいた。』
(1786年9月11日『イタリア紀行』)」
結局、テンポの話はこれで終わり。
少々、物足りない。
あってもなくても良いが、どうも、アベッグ・トリオの演奏は、
速めということであろう。

しかし、CDを聴く限り、この演奏がとりわけせかせかしている、
という感じはなく、出だしのメロディからたっぷりと美しく、
各楽器もいつものようにたっぷりと歌って、味わい深い。
13分という演奏時間は、代表的レコードとされた、
スーク・トリオの演奏より長い。

と安心するや、スケルツォは、やたら速い。
非常にせかせかした印象を受ける。
あれだけ、念入りにテンポについて、解説が書いてあるのだから、
これが、きっとチェルニーの指定ということなのだろう。
よく見ると、チェルニーの楽譜のコピーが掲載されていると書いたが、
2ter Satz.とあって、何と、まさしくこの曲の楽譜であった。
アレグロの横に、附点二分音符=80とある。

一分間の拍数が80ということだから、
3/4拍子の18小節の主題が、
60秒×18/80=13.5秒で演奏されているか、
というと、確かにそんな感じである。

同様に第三楽章の楽譜もあり、ここには四分音符=58とある。
第四小節までが載っているが、ここまでの演奏時間は14秒。
CDプレーヤーではすぐ分かる。3/4拍子なので、
60秒×4×3/38=12秒となる。こんなものか。
最初の音が四分音符なので、これが1秒程度、という計算も成り立つ。
まあ、そんな感じである。
演奏時間は10分46秒。スーク・トリオより、一分近く短い。
さくさく行く感じで、私などは、
ここで、じとっと粘ってくれた方が泣ける。
この人たちも、メトロノームを気にしすぎて、
十分、演奏を楽しむことが出来なかったのではなかろうか。
ふと、そんな心配もよぎる。
そう考えると、チェルニーも罪作りな人である。

とはいえ、それゆえか、非常に目の詰んだ表現が聴けるのも確か。
さすがアベッグ・トリオ、質感は悪くない。
だが、この楽章の深い深い後半など、
きっと、もっと沈潜した表現もしたかったに違いない。

第四楽章、アレグロ・モデラートは、
2/4拍子で四分音符が88とある。これも見にくいがコピー付き。
一小節あたり、60秒×2/88=1.36秒で行け、
ということなので、3小節で4秒。
軽妙な主題が2小節分なので、3回繰り返すのに8秒だ。
ぴったりそうなっている。
聴いているこちらが気になって疲れて来た。
この楽章のテンポは、すこし、ゆっくり目のような気がする。

ライカウが言い出したのか、アベッグ・トリオの提案なのか、
このベートーヴェン直伝とされる弟子のテンポ指示に忠実すぎるこの演奏、
演奏の質を語る前に、テンポ指示が最初から最後まで一貫しているのかとか、
妙なことばかりが頭に浮かぶではないか。
これでは、彼らの演奏を聴いているのか、
チェルニーの亡霊を聴いているのか分からなくなって来る。

このCDの解説、方針が間違っていないか。
むしろ、知られざる作品にまで光を当てた、この団体の意欲と、
それらの作品の詳細を語るべきであって、
頼むから、演奏の正統性を、チェルニーを、
そしてゲーテのイタリア紀行までを引合いに出して、
声高に語らないで欲しかった。

ベートーヴェンは、おそらく、チェルニー以外は認めません、
これ以外のテンポは許しません、とは言わなかったはずだ。

得られた事:「メトロノーム指示アレルギーになった。」
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by franz310 | 2009-03-14 23:15 | 音楽

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その164

b0083728_0344227.jpg個人的経験:
前回、ハイドンの
ピアノ三重奏曲を
演奏した、
アベッグ・トリオの
演奏を取り上げた。
彼らの演奏した
シューベルトの
三重奏曲も聴いて、
また、丁寧な解説も
読んでみたくなった。

ここでは、第一番、変ロ長調のトリオ作品99、D898と、
D897の「ノットゥルノ」変ホ長調が収められており、
ハイドンの時と同じ、目の粗い紙に、
ホルスト・ヤンセン(Horst Janssen)が描いた、
スケッチ風の肖像画が表紙を飾っている。

ハイドンの場合同様に不気味で、
とてもシューベルトとは思えず、
貧相ではないシントラーという感じである。
そもそも31歳で亡くなった作曲家とは思えない。
意地悪でひねくれた中年の顔となっている。
ごめんなさい。

このABEGG TRIOという団体、
ビーツのヴァイオリンは、1741年のクレモナ、
美人のエリクソンのチェロは1725年のやはりクレモナ、
ツィッターバートのピアノはベーゼンドルファー・インペリアルという。

残念ながら、CDブックレット裏の、
この人たちの写真は前回のものと同じ。
シューマンの作品1の「アベック変奏曲」にあやかった団体で、
シューマンの生き様や運命に共感して命名されたということだ。

が、よく読むと、創設は1976年、
ハノーヴァーで、とあるが、
きっとここに出ている写真は、
ずっと昔のものであるのだろう。
その時、20歳であったとしても、
1999年のこの録音時には、それから23年が経過している。
(チェロを持つビルジットは、とても若く見える。)

解説を書いているジャン・ライカウ(Jan Reichou)は、
幸い、期待通りの博識と難解さを披露してくれている。

このTACETレーベル、まったく、人に媚びない、
硬派レーベルという感じがしてくるではないか。

とはいえ、解説は、「美しい世界を求めて」という、
いかにも、シューベルトを語るに相応しい題名である。

まず、シューベルトを見る時の聴衆の反応のトレンドを二つ紹介している。
・ シューベルトは通常思われているような単にナイーブな作曲家ではない。
・ シューベルトが早死にしたように、その音楽には死の奈落が覗いている。
しかし、後者は、結構、否定されている。

まず、前者は、ベルクの例が上げられている。
「シューベルトは、パイオニアであったのに、
単に無害な作曲家として軽視するのはおかしいという意見が、
コンサートの幕間での意見のトレンドとなっている。」
ハイドンの時も、そのピアノ三重奏に対する、
コンサートゴアーの偏見を語っていたが、
ここでは、この意見が否定されるわけではない。
「シューベルト死後100年に際して、
アルバン・ベルクがすでにこの基調をなす発言をしている。
『シューベルトの名において普及している見方と、
私がその音楽を聴いた時に感じるもの差異は、
ヨハン・シュトラウスとシューベルトが同時に語られるのを聴く時、
いっそう明確になる。
ヴィーンのどこでも、こんな風に語られるばかりか、
この『音楽の街』は、シュトラウスとシューベルトが、
不滅のメロディを書いたヴァイオリンがつるされた、
天国の一部とされている。』」

また、二番目の意見は、アルバン・ベルクのように古い人ではなく、
何と、現代のピアニスト、
レコード、CDでおなじみ、
ヴァレリー・アファナシェフや、
アルフレッド・ブレンデルが登場して語られる。

「同時にシューベルトの3拍子は、薄い氷上のダンスのようで、
三度下への転調は、底知れない死の予感とするような、
憑かれたような解釈がファッションとなっている。
例えば、アファナシェフは、
その素晴らしいト長調ソナタ(D894)の録音と共に、
地獄の劫火を見るようなコメントを寄せている。
彼が聴かされるこのソナタはその着想を越えて美しいが、
明らかにそうしたものではないと書く。
それが放射するものは、苦しみの結果であって、幸福感ではない。」

次も、シューベルトには一家言持つブレンデルの登場。

「ブレンデルは、D960の変ロ長調ソナタに、
『生からの乖離の記録』を聴く、
作曲家のディーター・シュネーデルの意見に反対している。
「『受難者のようなシューベルトは、
みじめな現実の運命の認識とコントラストをなす、
健康や熱狂、熱烈な幸福感、満足を、
実生活からではなく想像によって、
音楽に盛り込むことが出来たというのは、
本当だろうか。
憂鬱な性行で、作曲活動によって、
より深い絶望に陥ったのではなく、
そこから救われることが出来たことは言うまでもない。』
シューベルトのソナタに対するこの特筆すべきエッセイの、
最後の2節において、ブレンデルは、
あやまったドラマ化に陥ることなく、
恐らく真実を衝いている。
『シューベルトが最後の時になるまで、
時折、楽天的であったのは良かった。
しかし、シューベルトが、
31歳で亡くなるという運命の皮肉について、
同意できるものではない。』」

ここから著者は、シューベルトが生きていたら、
音楽史が変わったかもしれないことを強調している。
何故なら、モーツァルトの先はベートーヴェンが引き継いだが、
シューベルトが亡くなったのは、ベートーヴェンの死から、
20ヶ月しか経っていなかったから、
後続走者がいなかったというのである。

このピアノ三重奏曲と関係ない方向に突き進んでいるが、
これまた、面白い論が紹介されていて、
読み込まずにはいられない。

「200年後の誕生日にあっても、
彼の死を悼むことには意味がある。
ペーター・ギュルケは、こうした注意喚起を行っている。
『シューベルトの早い死は、音楽史における大惨事であった。』
我々は心に留める必要があろう。
『彼は70歳でトリスタンが聴け、
80歳でブラームスの『第一』が聴けたはずだが、
彼が生きていれば、それは違ったものになっていただろう。』」

なるほど、そう来たか。
さすがに、100歳まで生きたら、
マーラーやレーガーが聴けた、とは書かなかったが、
からかうわけではなく、非常に面白い論法だと思った。

「ベートーヴェンの後、シューベルトはそこに何かを付け加え、
音楽界の意識は偉大な器楽曲の分野で、
また違った意識をもって発展したかもしれない。
しかし、それは何十年も引き出しにしまわれてしまった。
モーツァルトは、さらに35年をベートーヴェンが引き継いだが、
シューベルトはその20ヶ月後に亡くなったので、
次の世代が一緒に亡くなってしまったのだ。
この20ヶ月は恐るべき生産性を発揮し、
二つのピアノ三重奏曲もこの時期に書かれた。」

ひょっとして、ライカウは、シューベルトが、
この時期に作曲したシリアスな作品群が、
実は、その後の音楽を変えたかもしれないのに、
それがなされなかったがために、
ここに聴く三重奏曲が、ものすごく貴重で、
独創的だと言わんとしているのだろうか。

「ベートーヴェンの後、
死の予感もあってか、
彼は、1828年3月26年、
楽聖の死の翌年には最初でたった一度の、
公開演奏会を開催している。
その演奏会は満員で好評だったそうだが、
パガニーニの方がトレンディで、ヴィーンの新聞からは、
何ら反響を得なかった。
しかし、ライプツィッヒの音楽時報は、
ヴィーンの音楽界の紹介とともに、
ベートーヴェンの後継者とさえ呼んで、
シューベルトに讃辞を送っている。」

さすが、シューマンの町、
と言いたいが、
ライプツィッヒは、なかなか、
曲者だったはず。

「この機会にシューベルトは、
作品100の変ホ長調のピアノ三重奏曲を初演し、
これがすぐに出版の運びとなると、
シューベルトは駆り立てられて、
変ロ長調(作品99)を作曲した。
アーノルド・フェイル(Feil)によると、
1828年の4月後半から、5月にかけてのことである。
結局、1836年まで出版はされなかったのだが。」
これまで、この二作の作曲時期は不明とされていたが、
第二番、変ホ長調の後で、この第一番変ロ長調が書かれたと、
このようにはっきり明言されたのは初めて読んだ。

ここから驚くべき事に、
1ページ半にわたって、この8分ばかりの小品の解説が続く。

「同時期に変ホ長調のアダージョが書かれ、
それは1846年にディアベリ社から出た時、
『夜曲』、後に『ノットゥルノ』と呼ばれた。」
これについては、前に、
ケッケルトの演奏の時にも触れた。

「この楽章の自筆譜には、
日付もサインもない。
これはもっと大規模な作品の一部と思われ、
恐らく変ロ長調の一部だった可能性があるが、
それはより偉大な奇跡に取って変われている。
この小品の驚くべきは、
規則正しいリズムであり、幸福な三拍子の楽曲でありながら、
何度も繰り返し演奏されても陳腐化しない。」

ここで、また、お得意の連想ジャンプ。
「弦楽五重奏曲のアダージョは、思えば、
時間が静止するかと思われるまでに、
鼓動が止まるような魔法を開発している。
彼はこうした音楽を気張らしとしては書けなかった。
聴く者をはっとさせる何かがある。それはいったい。
そこにはとりわけ、かすかな変化で、
優しい『何か永遠の回想』を、
起こすようなものがあり、
この楽章が始まると、希望が広がり、
いつしかそれがあって、シューベルトは、
それが素朴に解釈されすぎないように、
アダージョに、『アパッショナート』という指示を入れた。」
この後、楽曲がどのように変転するかの詳説があるが、
ここは省略する。

何故なら、ライカウ自身が、こう書いている。
「このように曲の手順を書くと、
極めて人為的な作品に思われるかもしれないが、
この作品に魅了されたものは、そんな事は感じない。
幸い、こうしたものの音楽的認識は、
言葉による表現とは異なるものだが、
パワフルにコントラストをなす部分が始まる時、
聴く者は、いったい何が起こったのかと考え、
何故、もっと夢見させてくれないのかと思う。」

このお話が、次のようなところに飛躍するのが最高!

「フランスの毎晩のラジオ放送では、眠りを妨げないために、
この曲をテーマ曲にしながら、この部分の前でフェードアウトされる。
下記のような説明をするしかあるまい。
偉大な音楽は、優しい夢を運ぶものではなく、
聴く者に、何か変化を起こさせる過程を体験させるものなのだ。
また、それは我々に、恙なき夢よりも危険の方が、
より起こりうるということを思い出させる。」
飛躍しつつも、こんな風に、
なかなか味わい深い言葉である。

演奏は、楽器名を強調しているだけあってかどうか、
非常に響きの美しさを感じさせるもので、
ぴちぴちと生きがよい感じがする。
冒頭のピッチカートからして、印象深い。
「アパッショナート」の指示があると初めて知ったが、
文字通り、中間部は情熱的でありながら、格調が高く、
そこからの沈潜していく過程が、これまた美しい。
各楽器のバランスに、神経を遣っている様子が分かり、
最後に名残惜しく消えていく部分にも音楽への愛情が溢れている。

「傑出したロシアのピアノ教師、ハインリッヒ・ネイガウスは、
生徒たちがよりセンシティブになるように、
時折、彼らに作品を一小節ずつ言葉で説明させたという。
他の作曲家より、こうしたやり方はシューベルトには必要だ。」

このように、シューベルトの音楽は、
一小節一小節に細かい意味があることを説明されるが、
何と、ここから議論が飛躍して、まったく関係がない歌曲の話が始まる。
これは約1ページに及ぶ。

先に、往年の名手ネイガウスまで出て来たが、
今度出て来るのはずっと若い世代、
まだまだ中堅のような、
シュタイアーやプルガルティエンが招き入れられる。
彼らのCDについては、すでに、このブログでも取り上げた。
そう考えるとこの脱線は、極めて歓迎すべきものであろう。

題材はシラーの詩に付曲した、
シューベルトの歌曲「ギリシアの神々」で、
そのCDにも収録されていたものである。
ちなみに、この曲は、古代ギリシアを理想郷と捉え、
すでにその理想郷が失われてしまった事を歌っている。
「この小品は、悲劇的なイ短調の切望する哀歌と、
歌の王国にしかあり得ない、
実在しない架空の時間を可視化したイ長調の間を揺れる。
シューベルトがこれを重要だと考えていたことは、
イ短調D804の弦楽四重奏曲に、
引用されていることからも明らかである。」
などという言葉も引合いに出しながら、
この「失われた世界」というのが、これから、後半の、
解説の重要ポイントとなる。

実は、これから4ページ分の解説が残っている。
まだ、ライカウの解説は、半分来たばかりである。
杓子定規にすべて書いていくと、時間がなくなってしまう上、
きっと文字数オーバーになってしまうので、
ここらは、ざっと概観して済ませた。

「どのような世界が失われ、どのような世界を探すのか。
シューベルトはシラーの全ての詩を理解していたと思われるが、
これは、当時、最もトレンディな話題で、
世界から神が奪われ、労働の分業によって、
ニュートンの機械の原理に置換えられるという問題を扱うものであった。」

彼は、シューベルトが病人だったから、
こんなものを書いたわけではなく、
実は、非常に分別ある人間であったことが、
友人や兄弟にあてた手紙からの引用で証拠立てられていく。
ショーバーへの1824年11月の手紙には、
「恐ろしく寂しいが、このみじめな世界で、
理性ある人間なら当然のこと。」

兄、フェルディナントへの同年7月の手紙には、
「何でも栄光に包まれて見えたあの時代は帰ってこない。
みじめな現実の運命の認識は、想像によって美化できる。」

ギュルケは、このような喪失感は、
現代に共通するものと言い張る。
遺伝子工学、コンピューター技術、メディア、仮想現実、
こうした勇ましい新世界では、今、ここにある聖なる憧れは、
不要なものになってしまう。

シューベルトはシュパウンにあてて、
「全てが陳腐化し、人々は満足すらしながら、
ゆっくりと深淵に落ちていく」といった手紙を書いているという。
(1825年7月21日)

このような共通性から、
現代の作曲家は、シューベルトの音楽が、
世界を詩のようにするものと考え出した。

このような流れで、いよいよ、
ピアノ三重奏曲第一番の解説となる。
「テーマや形式上のセクションも、明瞭に結合されて、
それらの扱いや有機的結合は、
スコアを詳細に検討しなくても、聴いていて分かりやすく、
ベートーヴェンとは違った行き方の典型的な例となっている。
シューベルトは、十分にそうした事の芸術的な価値を認識していた。」
と言う風に、曲が本能や無意識の産物ではないことを詳説している。

具体的には、その主題が、少しずつ、伸びたり縮んだりして、
また、テーマはブロックとして扱われ、推進力を獲得しているという感じ。
小さなフラグメントが繰り返され、テーマに含まれる動機が、
強調されたりして音楽が膨らまされ、
「ます」の五重奏曲の終楽章のように、
一つの持続音の停止から、主題が始まったりする。

ライカウはこう書いている。
「こうしたことはすべて、シューベルトが、
時間現象の深さを掘り当てようと企てたもので、
容赦ない時間の流れをしばらくやり過ごしたり、
ピアノの和音を鼓動のように響かせたりして、
他の作曲家には見られないようなやり方で時間に対処している。」
これらは、モーツァルトは単に厳格さを表わし、
ベートーヴェンでは、クレッシェンドを形成するためのもので、
「より良い世界に我々を運ぶ、神聖な芸術」という、
シューベルトのような視点はなかった。

それにしても、ハイドンの時代から、30年ばかりの間に、
何と、恐ろしい世界認識になってしまったことだろう。

ライカウは、ハイドンの解説では、
その機転に満ちた即興性と幻想について、
賛美していればよかったが、シューベルトにおいて、
音楽は世界を捉えるための重大な認識方法となるまでに発展している。

最初にライカウは、ベルクが、ヨハン・シュトラウスについて、
シューベルトとはまったく違う、と言ったことを引用したが、
最後に、改めて、ベルクの話題に戻って来ている。
憎い演出である。

こうした、シューベルトの音楽の持つ時間からの超越性が、
ヴィンナ・ワルツにもあって、
それは、
「単調な日々の生活から、遊離するような感覚」
を生じさせると書いている。

シューベルト自身、450曲もの舞曲を即興で書いていて、
そうしたものが大曲にもきらめいていて、
このピアノ三重奏曲の終曲にもそれがあると言うのである。

私は、最初にベルクの話があって、まさか、そこから、
このピアノ三重奏曲に繋がるとは思いもしなかったので、
正直、驚いた。一本取られた感じである。

しかし、ベルクの冒頭の言葉は、こうした意味で言った事ではないだろう。
あげ足取りも良いところであるが、冗談なのであろう。
「ベルクに文句を言ってやろう」などと、ふざけた口調を挟んでいる。

ギュルケも、この時間感覚には、
「河床」という言葉で触れているらしく、
「その音楽には、時間の川の流れがとどろいている」と、
その著書の中で書いているらしい。

先ほども、この三重奏曲の解析は難しくないとあったが、
スケルツォのリズムは、終楽章のロンドのリズムに変容し、
スケルツォのトリオ部と緩徐楽章のテーマには、
内的な関連があると解説されている。
確かに、この曲のスケルツォは、何だか機械的な感じがするが、
こうした重要な接続機能があったというわけだ。

最後にギュルケの本に、Alexander Berrscheが書いた序文からの引用がある。
「変ロ長調の緩徐楽章を聴きながら、
その主題について、何か明らかにしてみようとする。
その時、そのカンティレーナは、
何か幸福や羞恥の感覚を想起させ、
沈黙を強制し、心の耳に鳴り響く。
そして、それ以上のことは出来なくなってしまう。」

演奏は、冒頭から、幾分、ためらいを含みながら、
大きく歌う時には、余裕を持ってふくよかな感じが好ましい。
各楽器の音も魅惑的であり、技巧的にも音色的にも鮮やかな感じがする。
特に、緩徐楽章のように、憧れに満ちた部分の、
遠くに手を差し伸べるような表現には、大きな魅力がある。

が、この解説に連動しているのか、非常にシリアスな音楽となっている。
第一楽章の展開部など、何だか憑かれたような一途さが、
鬼気迫る緊張感を垣間見せている。

このCD、きっといろいろな示唆があるだろうと期待していたが、
このように、満足できる内容であった。

三ヶ国語の解説なのに、おのおの、
10ページ近くある解説というのは、
あまりお目にかかれないもので、
こうした研究と演奏がタイアップした商品というのは、
何か、畏敬の念すら覚えてしまう。

その手づくり感は、ジャケットにも現れているが、
ただし、ハイドンの時と同様、ちょっと怖い。

得られた事:「何事もないように見える日常が、暗黒の淵に向かっている事にシューベルトは気づいたが、その危機感を共有する後継者はいなかった。」
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by franz310 | 2009-03-08 00:43 | シューベルト