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クラシック音楽への愛と悲しみの日々
by franz310
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名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その159

b0083728_22162137.jpg個人的経験:
ハイドンの
ピアノ三重奏曲は、
長らく交響曲や、
弦楽四重奏曲、
あるいは、
ピアノ・ソナタ
の影に隠れて、
知られざる分野であったが、
近年、見直しの動きが
見られるようだ。

全集のたぐいもいくつか完成され、
進行中のものもあるようである。
特に驚くべきは、その作品数で、何と30曲以上、
また、生涯にわたって、ほぼ連作されており、
先の交響曲、弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタに続く、
重要ジャンルであることが、このことからだけでも、
十分読み取れるのである。

シューベルトの先達として、
ハイドンは、決して見逃すことの出来ない存在であるがゆえに、
ついつい、その生涯で、最もドラマを感じる英国時代を見て行くと、
(ちょうど、これはシューベルトが生まれる少し前に当たる)
このピアノ三重奏曲という分野が、
どうしても見逃せないということになってくる。

シューベルトの時代、
例えば、「ます」の五重奏曲が書かれるのは、
それから30年ほど後になるが、
それに先立って、ハイドンはピアノの可能性を、
主に、このピアノ・トリオで開拓しているのである。

英国楽旅によってもたらされたものは大きく、
そこでの流行や、最新技術での楽器との遭遇が、
こうしたイノヴェーションを誘発する要因となった。

先達の活躍の上に、シューベルトの「ます」の如き、
ピアノと弦楽が高度に融合された室内楽が生み出されたのではないか。

うまい具合に、ハイドンにおけるピアノ三重奏曲が、
どのように概観できるかを簡単にまとめてくれている解説を見つけた。
ハルモニア・ムンディから出ている、
「ハイドン ピアノ・トリオ nos.32-37」
という2枚組である。

このCD、ハイドン没後200年の記念シリーズの一環のようで、
2008年の発売だが、おそらく旧録音の再発売盤と思われる。
録音は1990年とか92年とあり、
2枚組の廉価価格で売られていたからである。

ハイドン・ハルモニア・ムンディ・エディションと記され、
中にはシリーズの他のものが列挙されている。
ヤーコブズによる交響曲や「天地創造」に「四季」、
アラン・プラネスによるピアノ・ソナタなどが出ている。

これらの中では、私はこのピアノ三重奏曲に、一番触手が動く。
パトリック・コーエン、エーリヒ・ヘバース、
クリストフィー・コインらが、オリジナル楽器を使って演奏している。

しかし、このCDのデザインは、
表紙にシャルダンの「しゃぼん玉」が使われていて、
ハイドンを連想させるものが皆無であるのが残念だ。
おそらく、これを見て、このCDの内容を空想し、
欲しくなるリスナーは少ないだろう。
申し訳程度の表紙である。

などと思って、分厚い別冊の解説書を見ると、
中には素晴らしい絵画や写真が数多くあしらわれ、
外面より内面に秀でた、素晴らしい商品であることが理解できる。

オックスフォードにあるハイドンの肖像画(レスラー画)は、
これまでも見たことがあるが、
荒波を超えて船に乗るハイドン像の想像図というのは初めて見た。
当時のテムズ河畔を描いた風景画や肖像画、
スクエアピアノやハンマークラヴィーアの写真、
エステルハーザ王宮のホールなどなど。
私は、これらを見て、早く、音楽を聴いてみたくなった。

まず、このCDの上述の分厚い解説の、
「ハイドンとキーボード・トリオ」という部分には、
こんなことが書かれ、その量が膨大、
かつ生涯にわたって書き継がれたことが書かれている。
著者は、Andreas Friesenhagenで、2008年に書いた模様。

「ハイドンの鍵盤楽器、ヴァイオリン、チェロのための三重奏曲は、
年代的に3つのグループに分類できる。
最初のものは1760年くらいの作品群で、
そのうちのいくつかは、
おそらくエステルハーツィの宮廷に就職する前のものもある。」

1760年、1732年生まれのハイドンであるから、
30歳前後のものと言える。
バッハの死後、10年しか経っていない。
ハイドンが宮廷に仕えるのは翌年である。
30歳前後といえば、シューベルトの場合は、
このあたりで最晩年になるわけだが、
ハイドンは、これが初期となるわけだ。

「Hob番号のⅩⅤ番の1、2、34-38、40、41、C1、f1、
そして失われた2曲の33とD1がこれに含まれる。」
ここで、我々は、かなりのけぞる必要がある。
というのは、1番と41番が同じ時期の作曲だからである。
モーツァルトの最後の交響曲41番「ジュピター」が、
初期の作品だ、と言われるような感じがするではないか。

おそらく、このHob番号、まだ、十分、作曲年代が確定する前に作られたか、
早々と作って、後から、ハイドンの作品が続々と出て来た、
といった事情があるのであろう。
それを後に付け足すのはやめて欲しいものだ。

また、いかにも付け足しのC1とかf1っていうのは何だ。
そもそも、Cが大文字で、fが小文字というのも何なんだ。
いずれにせよ、30歳前後でハイドンは6曲ばかり書いた。

「第二のグループは、HobⅩⅤの5-14で、
20年以上後、1784年から1790年の間に書かれている。
ここにはこのグループには、HobⅩⅤ:15-17の、
鍵盤、フルート、チェロのための三重奏曲が含まれている。」
これらについては、前回紹介したとおりである。
このあたりになると、番号順になっているようで助かる。
フルートのものを含めると、13曲もある。

「最後のグループは、数の上でも、作品のすばらしさの点でも、
最も重要なもので、HobⅩⅤ:18-32が含まれ、
ほとんどが1794年から5年に、
ハイドンの2回目のロンドン訪問の間かその直後に書かれている。」
ということで、前回、HobⅩⅤ:15-17を聴いて、
終わりにするわけにはいかなくなってしまった。
かつて、代表作と見なされたHobⅩⅤ16だけを聴いて、
ハイドンを断じてはいけなかったのである。

というか、コーガンやらロストロやらギレリスら、ソ連の大家が、
わざわざ選んで、これを取り上げたことによって、
みんな、これがきっと代表作だと思ったのかもしれない。

この時期、15曲ものピアノ・トリオが書かれた訳だが、
何故に、わずか2ヶ月に1曲といったペースで、
カタログを満たしていったのだろう。

最初に書いたように、英国の空気を吸っての、
可能性の限界の打破でもあっただろう。
演奏会活動のほか、様々な社交もあり、
作品では、他にも、重要な交響曲の連作などがある。
すごい活動力、創作力である。

先の6曲、13曲と、この15曲も合わせると、
34曲もの楽曲が残されたことになる。
1760年から95年、35年の間に、
集中して取組む時期があったということだ。

解説を再度読んでみると、
「様式的に、最初のグループは、あまり共通点はなく、
ヴァイオリンパートの独立によって、
当時、オーストリアに広く知られていたタイプに従って、
バロック時代のトリオ・ソナタの名残がある。
当時、ロンドン、パリでは、すでに、より近代的な、
従属的なヴァイオリンとチェロのパートを伴う、
鍵盤用ソナタが出ていたのだが。
初期のハイドンの三重奏曲では、
鍵盤の高い方と、ヴァイオリンはトリオ・ソナタの二つの高音部に対応し、
チェロは単に、通奏低音として機能しているだけであった。
一般に、第一楽章の提示部の主題の材料や展開部の最初は、
鍵盤楽器の独奏で始められ、
それは鍵盤楽器と同格に扱われたヴァイオリンで反復されている。
ヴァイオリンが素材を提示している間、ハイドンは、しばしば、
その2、3小節を鍵盤楽器に担当させて、通奏低音の役割を負わせている。
このように、鍵盤楽器の低音部は時折、装飾を行う。」

次に、第2期の作曲についての話が始まる。
「約20年ぶり、1784年に、ハイドンは、
キーボード・トリオの作曲を再開したが、
トリオHobⅩⅤ:5は、この間に、
彼のこのジャンルへの取り組み方がいかに変化したかを示している。
鍵盤楽器は、作曲上の重要な楽器となり、
ヴァイオリンとチェロを従えた、楽器の音色の中心となっている。
その結果として、
ハイドンはしばしば、ヴァイオリンに独自の主題を与えて、
これを鍵盤楽器から分離したり、
時折、鍵盤楽器と対話させたりしたが、
弦楽器は構成的というより色彩的なものとなった。
例えば、HobⅩⅤ:5の第一楽章は、
ヴァイオリンは鍵盤楽器と交錯するだけであり、
HobⅩⅤ:9のアダージョでは、チェロを、
主題の展開に利用したりしている。
再現部の開始後、すぐに、ヴァイオリンとチェロは、
その楽章を通して、鍵盤楽器が取り上げることのない、
とっておきのメロディを奏でる。
こうした、チェロの重視が見られるものの、
あくまでハイドンのトリオの中では例外である。
初期のものに比べ、リズムや技術上の挑戦はあっても、
一般に低音の弦はキーボードの低音の補強となっている。
1784年以降の鍵盤と弦のための三重奏曲は、
原典にはソナタと書かれ、当時の版には、
一般に、『ヴァイオリン、チェロの伴奏付き、
ハープシコードまたはピアノフォルテのためのソナタ』といった
タイトルが書かれている。」
以上が、第2期の作品に対する説明である。

「ハイドンの2回目のロンドン滞在中、または、その直後のトリオで、
彼は、1780年代にこのジャンルで乗り出したところより、
さらに形式と内容において、個性的な飛躍をしている。
これらの作品に対する志は、その楽章のレイアウトにも現れ、
1780年代の13のうち7曲が、
喜遊曲風に2楽章しかなかったのに、
後期のトリオのほとんどでは、もっと高尚な3楽章を採用し、
31番と32番のみが、2楽章に制限されているのみである。
最初の版は、一般に3曲ずつまとめられ、
エステルハーツィ一家や個人的に知り合った女性ピアニストなど、
彼に身近だった女性への献呈が多くなっている。」

このように、ハイドンの後期の三重奏曲は、女性用の作品群とも言える。
ここで、Friesenhagenの解説を離れ、Jean-Yves Brasが書いた、
このCDに含まれる楽曲の内容を見ていこう。
ここでは、後期トリオの口火を切る、
HobⅩⅤ:18-20の3曲と、
続くHobⅩⅤ:21-23の3曲が演奏されている。

今回は、先に、後者から見て行きたい。
ややこしいことに、この解説は、
「Piano Trios nos.35,36,37」となっていて、
Hob番号でないので混乱してしまう。
大宮真琴氏の本などでは、Hob番号をそのまま使っているし、
多くのCDの、Hob番号のみなので、対応付けるために、
ここでは、すべてHob番号に直して書いて見よう。

この35番というのは、
作曲順に誰かが付け直したものなのだろうか。
さらに、問題をややこしくしているのは、
このCDの内容は、解説とは違って、
番号順の収録になっていない。
したがって、目次を見て、ちゃんと把握して聴かないと、
解説とは異なる楽曲が流れ出す。
ふざけるな、と言いたくなってしまう。

「ピアノ三重奏曲 HobⅩⅤ:18、19、20。
これらのトリオは、ロンドンで出版された、
各3曲4群からなる、驚くべき連作に属している。
これらは、1794年の2月から、1795年8月にかけての、
ハイドンの2度目のロンドン訪問の際に作曲され、
プレストンによって出版され、
1794年に父親、アントンの後を継いだ、
ニコラウス二世の妻、Marie Hermenegild Esterhazy妃に捧げられた。」

ということで、前述のように、ハイドンの身近な女性、
つまり、上司の奥さんへの献呈である。
ちなみにエステルハーツィ家は、アントンとニコラウスが交代して現れ、
非常にややこしくもシンプルな一族である。
モルツィン伯爵のところにいた、ハイドンを引き抜いたのが、
アントン・エステルハーツィ侯であったが、
この人は、ハイドンを雇った翌年1762年に死んでしまう。

次に家督を継いだのが、
ニコラウス侯であったが、この人はアントン侯の弟である。
ハイドンはこの人に28年仕えた。
そして、ニコラウス侯は、前回書いたように、
1790年に妻の後を追うように、77歳で死去。

その後、これら先代が大事にしていた楽団を解散したのが、
後継者のアントン侯である。この人はニコラウス侯の息子であった。

しかし、このアントン侯も、1794年に亡くなって、
その後を、その息子のニコラウス二世が継いだ。
曾祖父が生きていたら81歳なので、30歳くらいの君主、
奥方といえば妙齢であったことだろう。

この奥方のために4代目のアントン侯もまた、それほど、
音楽に理解があったわけではなかったようである。
ヴィニャルの本では、
「幸いにも侯の夫人のマリアがよい音楽家で、
ハイドンの崇拝者であることから二人の関係を滑らかにした」
と書かれているから、
まさしく身近にいた、信奉者でもある妙齢の麗人に捧げた曲集が、
これらのHobⅩⅤ:21-23と考えることにする。
私は、このマリア妃の肖像画こそ、
こうしたCDの表紙にするべきではなかろうかと、
声を大にして訴えたい。

実は、私は、このCDの解説なら、マリア妃とハイドンの関係が、
何か書いてあるかと思っていたのだが、それについては、
結局見いだすことは出来なかった。

「この時期のハイドンの仕事の集中ぶりは、
99番から104番の交響曲を初演し、
さらに1795年2月から5月の間の9つのコンサートを指揮し、
これが成功したので、さらに二つのコンサートを、
アレンジしなければならない程であった。
彼がロンドンを去る時、インコや、
クレメンティからプレゼントされた、
銀で装飾された椰子の実のみならず、
そのロンドンでの大成功によって、
彼以上に評価されるべき先駆者や著名人は、
ドイツにはいないという認識までを持ち帰っていた。
簡単に手に入った大金や、
数多くのアマチュアの音楽家たちが楽しめるトリオの、
出版社からの熱心な作曲依頼がその明白な証拠であった。
1975年5月に出版されたこのトリオは、
おそらく、冬の間に作曲されたものであり、
これに先立つ三部作と同様のタイプに属するものである。
しかし、2曲目は、その独奏的な響きで注目すべきものである。」

このように、何故にマリア妃に捧げたのかは書かれていない。
アントン侯は、ハイドンがロンドンに出立するや亡くなっているので、
ニコラウス二世が即位しているので、なるべく早く、
ごますりをしようと考えていたのだろうか。
そもそも、マリア妃とハイドンが、
最初に会ったのは何時だったのだろう。

また、前述のように、この第2曲を聴こうと、
トラック4を押してもだめである。
HobⅩⅤ:21-23の2曲目といえば、
HobⅩⅤ:22のはずで、これは最後に収められているので、
トラック7を押さなければならない。

気になるので、この曲(no.36というらしい)の解説を先に読むと、
「トリオHobⅩⅤ:22 変ホ長調は、その書法の複雑さと、
偉大な独創性において、ずっと先進的なものである。
アレグロ・モデラートの最初の小節からして、
すべては非常に単純に開始されるが、
ピアノの左右の手による16分音符の6連符の連続が、
弦楽の奏でる幅広いメロディの上に浸透していく。
さらに驚くべきは、転調や変イで未解決の再現部など展開部である。
ハイドンは、もっと個人的で、集中した表現のために、
伝統的な構成を締め上げているように見える。」

これは、不思議な情感を湛えて、流れ続ける音楽である。
とても移り気で、とりとめのない感情が、
未解決のまま、めんめんと綴られていくような。
後半で、訳の分からない呻き声が、これを中断するが、
再び、バルカロールのような曲調が現れ、
ピアノはひたすらによどみなく流れて行く水のようである。

「ポコ・アダージョの緩徐楽章は、ト長調で、
前のトリオと同様、いっそう個人的なページとなっている。
ロビンス・ランドンは、このように書いた。
『あまりにも個人的で、時折、限度を超え、エキセントリックなほど。
これまでのハイドンのどの作品も予言しなかったような、
自由で輝かしいピアノ・パートによって、
非常にオープンでありながら、非常によく練られた、
まったく新しいピアノ書法に、ハイドンはひと飛びで到達した。』
まず、緩徐楽章に反復はなしといえ、
ソナタ形式が採用されている点が異常である。
両手の交差を含む、音域の変化がある、
ピアノ・パートの83小節の解析をすると、
ドラマティックでリズミックで、
他にもエキセントリックな部分が散見される。」

解説は長いが、曲は5分弱。
ぽつりぽつりと呟くような曲想で、
弦楽部が単調な音型を保持しているので、
そのまま聞き流してしまいそうだが、
確かにピアノは、大きく脱線しながら波打って、
音楽に微妙な陰影を与え続けていく。

「アレグロの終曲で、ホ長調が戻って来て、
これは、より厳格でもっと十分展開されたソナタ形式で、
これまで、ジャンルで知られていなかった広がりを見せる。」

ここに来て、音楽は、明確な構成感を初めて感じさせる。
快活な終曲で、ブリリアントなピアノの高まりが、
爽快感を感じさせる。

では、この前に書かれたHobⅩⅤ:21は、
解説にどう書かれているか。
HobⅩⅤ:22では、前の作品より、いっそうパーソナル、
とあったので、これまた、それなりに内省的な作品なのだろうか。
この曲集の最初の作品に相応しく、トラック1から始まる。
「ハ長調のトリオHobⅩⅤ:21は、
すぐにヴィヴァーチェ・アッサイが続く、
そのゆっくりとした6小節の序奏、
アダージョ・パストラールで特徴づけられる。
A・ピーター・ブラウンは、この田園曲が、
ペダル効果とバグパイプを模した、
羊飼いのジーグに変わって、
相変わらず印象的なソナタ形式を司る、
情緒の土台となっていると言っている。
ほとんど必然的にハイドンにおいては、
第二の主題は、第一主題のドミナントへの移調のようになっている。
展開部でも陽気な雰囲気は継続するが、
ハ短調の急な侵入があって、再現部に入る。」

確かに、田園での羊飼いのダンスのような音楽だが、
ちょっと思うのは、どの曲も、繰り返しが頻出することで、
教育用に、同じフレーズを様々な感情で演奏できるような仕組みかもしれないが、
ちょっとくどいような気もする。

特に、この曲では一度、終わったかと思うと、
また、始まったりするので、盛られたせっかくのアイデアが、
台無しになっているような気がしなくもない。

「ト長調のモルト・アンダンテは、2/2拍子の穏やかなひとときで、
シューベルトを予告するしなやかなマーチのリズム、
悲痛なメロディが脳裏に染みこむ。
この楽章が初期ロマン派の性格を持っていて驚かされるというのは事実である。
変ホ長調、ハ短調、ト短調、ホ短調と束の間の移調を経ての歌曲のようで、
コーダがついている。」
この解説では、シューベルトの名前が出て来て助かった。
シューベルトを主題としつつ、ハイドンあたりで立ち止まっているのは、
ちょっとまずいような気もしていたが、確かに、内面的な情緒を湛えた楽章である。
シューベルトの初期作品の中には、こうした単純なものもあるが、
そのルーツとして、ハイドンが上げられるということもありえよう。

「プレストの終曲は、いくつかの脱線はあるものの、
陽気な音楽で、第一楽章の自然さの中に帰って行く。」
この曲も、第一楽章がへんてこなソナタという感じだったが、
終楽章になると、古典的な推進力が出て来て、
そこに容易に身を委ねることが出来る。
ただし、繰り返しが多いのも確か。
が、その執拗な繰り返しは、シューベルトのものとは違うと思われる。

では、この曲集最後のHobⅩⅤ:23はどうだろうか。
これは、とても不気味な開始部を持つ、へんてこな音楽である。
とても、高貴な麗人に贈るようなものではない。
私は、この曲のデーモニッシュな雰囲気に、非常に興味を覚えた。

解説を早く読みたいではないか。
しつこいが、「トリオ37番は」と始まる部分など、混乱するので、
書き換えて読む。
「ホ短調のHobⅩⅤ:23のトリオは、伝統的な構成に戻る。
しかし、ここでもやはり最初の楽章には驚きがある。
このモルト・アンダンテは実は、
一つの主題はニ短調、もう一つはニ長調である、
二つの主題による二重変奏曲である。
ここで作曲家は再び、薄暗いものと光を放つもの、
厳粛なものと気楽なものといった、
相反するものの対比の効果を試しており、
32分音符による輝かしい結びまで、
楽器同士の受け渡しにも着目している。」
長調の部分の推進力は素晴らしいが、
冒頭からの短調の部分が非常に目立つので、
気味悪い感じがつきまとう。
最後は、急速に夜が明けて、めでたしめでたしとなるから、
眉をひそめていた麗人は、ぱっと微笑むことであろう。

「アダージョ・マ・ノン・トロッポは、
ハイドンが、変化を付けるために様々な装飾を施す、
変ロのカンタービレの主題を導く。」
この楽章も悪くない。
しっとりした美しいテーマには、
ゆったりと身を委ねることが出来る。
物思いに沈む、その微妙な陰影もよい。

「ヴィヴァーチェの終曲は、再び光を放つニ長調。
ここには影を落とす雲はなく、この三重奏曲と、
続く多くの傑作群に先立つ偉大な三部作をみごとに締めくくっている。
なぜなら、ハイドンは最後の言葉を言い終えていない。」
これは、さらにハイドンは様々な事を成し遂げた、
とも読めるし、ベートーヴェン、シューベルト以下、
続く作曲家たちに、大いなる可能性を示した、とも読むことが出来る。

いずれにせよ、この終曲は爽快で素晴らしい。

このように書きながら、このCDでは、
続いて、例のHobⅩⅤ:22が開始するのだからたちが悪い。
やはり、曲順どおりに収録して欲しかった。

このように見て来ると、この3曲だけでも、
様々なアイデアが次々と具現化されており、
そんな試行錯誤の中で、ロマン派を先取りするような書法が、
ひらめいて行った模様である。
最初の曲の牧歌的な伸びやかさは、饒舌な繰り返しが気になったが、
曲を追うに従って、感情の微妙な綾が絶妙になり、
その表現の幅も広がって、不気味な葛藤から、晴れやかな解決に至る、
最後の曲では、傑作と言って良い完成度に達している。
これまで、あまり演奏されることはなかったようだが、
これらは、決して無視できない音楽であろう。

この演奏で使われたピアノは、1790年のアントン・ワルターとあるが、
復元したものではなく、そのまま使ったのだろうか。

ちなみにこのCDには、もう一つの三部作、
HobⅩⅤ:18-20が収録されているが、
これについては次回取り上げて見たい。

一方、このHobⅩⅤ:18-20の方の使用楽器には、
ワルターをもとにクラークが作ったもの、と書かれているが。

ヴァイオリンは1683年のグァルネリ、
チェロは、1758年のものだとある。

得られた事:「シューベルトが生まれる少し前に、ハイドンはピアノの可能性を追求したピアノ・トリオを大量に連作したが、これらは、驚くべき実験を盛り込んだ曲集であった。」
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by franz310 | 2009-01-31 22:23 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その158

b0083728_22542337.jpg個人的経験:
名手ニコレらの演奏で、
ハイドンの三重奏曲を
聴いて見たが、
このような曲は、
現代の機能的な楽器で、
あまりにもくっきり
輪郭が隈取りされると、
印象派のような、
濃淡の綾の魅力が、
消えてしまうような気がした。

ここに聴く、オリジナル楽器の演奏の方が、
何となく良いように思った。
そう思うと、解説にも、そのような事が書いてある。

「これらの三重奏曲には、いろいろな意味で、
モダンなピアノやフルートはそぐわない。
もともと弱々しい鍵盤楽器のために書かれているがゆえに、
多くのバランス上の問題を生じるが、
ピリオド楽器を使用することによって、
これらのバランス上の問題は解決することが出来る。
クリアな音質が自然に溶け合い、どの楽器も不必要に目立つことがない。
このような方法でこそ、ハイドンが意図した通りに、
澄んだ音色を誇るこれらの作品が輝き、
音色やメロディが、機知に富んだハーモニーと主題展開と常に調和する。」

言われて見ればその通りで、
ニコレの演奏では、楽器が大きく、楽曲が小さく見えたが、
このCDの演奏では、等身大で楽器も楽曲も鳴り響いているように思える。
また、ニコレは、3曲セットのうち、
HobⅩⅤ-15、16の2曲しか演奏していなかったが、
このCDではHobⅩⅤ-17も収録してくれている。
最後の曲のみ2楽章形式で、後は3楽章形式。

改めて聴いてみると、ニコレ盤のピアノのカニーノは、
バランスを取るために、常に遠慮して弾いている。
他の楽器が重ならない時のみ、音を目立たせるといった、
かなり神経質な措置を行っている。
ピアノの音が目立ったのに比例して他の楽器も大きな音を出すので、
室内が楽器でいっぱいいっぱいになった感じとなる。
音が消えていく隙間がないのである。

そんな中、さすがに名手の共演とあって、
音と音の絡み合いは、非常に精緻なものとなっているが、
開放感や透明度が犠牲になってきている。

今回のCDは、1990年というから、
ニコレ盤の翌年のものである。

イギリスのMeridianが出したもので、
Badinage(辞書によるとFriendly joking between peopleとある)なる、
奇妙な名称の団体が演奏している。
「からかい」、「揶揄」と訳されるらしいが、
これでは団体名称らしくないので、
仮に、「おふざけ団」とでも理解しよう。

ただし、何故に、このようなおふざけの名称を付けたのか、
あるいは、何時結成したのかも書かれていない。
ということで、どういった活躍をしているのかも不明。
この編成で演奏できる曲がどれくらいあるのか、
少し心配になって来る。

三重奏曲なので、3人いるわけだが、
写真を見ると、チェロが女性で、あとはおっさんである。
フルートがちょび髭で、Paul Carroll。
楽器は、1770年頃のKirstによるものの複製、
Friedrich von Hueneが1988年に作ったとある。

フォルテピアノはDavid Wardで、
しぶい顔をしており、さすがに、
このCDではソロも聴かせている。
1795年、Anton Walter作のものを、
1989年にDennis Woolyさんが複製して作ったもの。

1990年の商品に、わずか1、2年前に作られた楽器を使っている。
おっさんたちは、出来たての楽器を早く聴かせたくて、
録音したくて、仕方がなかったかもしれない。
そんな事を考えるとほほえましい。

女性の持つチェロは1711年のストラディバリウスを、
David Rudioさんが複製したもので、1985年の作とあるので、
これだけ少し時間が経っている。
しかし、チェロとある割には7弦ぐらい見えているのだが。

1990年といえば、
ようやく作曲当時の楽器による演奏が広まっていた頃なので、
改めて、オリジナル楽器の良さを強調した解説になっている。

このレーベル、イギリスの演奏家を紹介したCDで知られ、
そのためか、ローカルで良いと考えているのか、
英語解説しかついていない。
したがって、解説はぺらぺらの一枚紙である。

解説は楽器の話で埋め尽くされていると言って良い。
ただし、ピアノに限っての話。
「ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)存命の期間は、
ピアノフォルテの発展において、非常に重要な時期でもあった。
18世紀初期には、室内楽で利用される、
主たる鍵盤楽器はハープシコードであり、
ハイドンの最初の鍵盤楽器の作品はこの楽器によるものであった。」
このあたり、みんな知っているかもしれないが、
こうやって、ハイドンと関連づけて書かれると、
妙に有り難い話に思えて来る。
Sally Civallという人が書いている。
よく見ると、チェロ奏者の名前である。

ピアノはいいから、自分の楽器について語ってくれよ、
と言いたくなるが、チェロは出番が少ないので、
これで補っているのかもしれない。

「ようやくこの世紀の中盤になって、
ピアノが重要な楽器として現れて来る。
初期のピアノはそれほど優れた楽器ではなかったが、
しかし、世紀の終わり頃になると、この楽器は発達して、
素晴らしい音質を獲得した。
作曲家たちは、特にピアノのための音楽を書くようになり、
これがまた、この楽器の技巧の限界を広げ、
音楽表現の新しい可能性を開くことにおいて、
作曲家と、ピアノ製作者との間にポジティブな関係が築かれていった。
ハイドンが最初のピアノ三重奏曲を作曲した時、
彼はハープシコードで演奏されることを念頭においた。
いろんな点で、これら初期作品は、
特に、バッハが完全なスタイルに仕上げた、
バロック期のトリオ・ソナタの発展形であった。
ここでは、鍵盤楽器の右手は第2のメロディラインを取り、
左手はチェロによって補強された。
このように、チェロは、特にピアノのために書かれた三重奏曲の場合も、
その低音をサポートするものであった。
初期のピアノの音は、薄っぺらで、弱く、
持続力もなかったからという理由による。
年々、チェロは徐々に独立し、この頃までに、
チェロの音色は、ピアノ三重奏曲にとって基本のものとなっていた。」

ということで、チェロは、単に、ピアノの左手用の、
音量補助装置であったことが書かれる。
しかし、逆にチェロが補強するから、ピアノの左手はいらないよ、
という風にならなかったのが面白い。

「ハイドンは26のピアノ三重奏曲(ピアノ、ヴァイオリン、チェロ)と、
たった3曲のピアノ、フルート、チェロのための三重奏曲を書いた。」
ということで、ここでは、すでにこれらの曲が、
ヴァイオリンで演奏された時代があることなどなかった感じになっている。

「これらの三重奏曲は、ずっと無視されていたが、
ハイドンの最も優れた作品が、
この形式で書かれていることを思うと、
非常に残念なことである。
1781年までに、ハイドンはその音楽を成熟させており、
すべての要素のバランスが完璧に取れていた。
1784年から1790年の間に、彼は13のピアノ三重奏曲を書いており、
これらは作曲されるとすぐに、一部は英国で、
一部はヴィーンのアルタリアから印刷された。
ここに録音された3曲のピアノ、フルート、チェロのための三重奏曲は、
これらは、28年仕えた、エステルハーツィの、
ニコラウス侯の最後の年にあたる1790年に作曲された。
侯の妻、マリア・エリザベスがこの年に先に亡くなったので、
ハイドンは候を元気づけるためにいくつかの音楽を書いた。」

大宮真琴氏の本によれば、
これらの作品は、単に、ロンドンのブラント社から出版するために、
英国人に愛好されていたフルート用の曲を書いた、
という感じで書かれていたが、
このように解説されると、もっと重要な音楽に思えて来た。
また、これに先だって、ニコラウス侯の妻が、
亡くなっていたことも初めて知った。

が、これについては、昭和46年に音楽の友社から出た、
不滅の大作曲家「ハイドン」(マルク・ヴィニャル著 岩見至訳)に、
こんな形で紹介されていた。
「一七九〇年二月二十五日、エステルハージ侯は
妻のエリザベート妃を亡くしたが、このことは何よりもまず、
『主君の悶々の情から連れ出すためにいっそう多くの仕事を』
ハイドンにもたらした。
悲しみに打ちひしがれたニコラウスは
それから何ヶ月ものあいだ楽長に
一刻の休みをも与えなかったのである。」

原著は1967年のものであるようで、比較的新しい。
著者は1933年生まれとあり、存命であろうか。
34歳の仕事である。

「作品」の欄には、「器楽曲」の場合、
もっぱら、交響曲と弦楽四重奏曲について書かれているが、
ピアノ三重奏曲に関して、こんな風に触れられていることに気づいた。

「ピアノ三重奏曲は弦楽四重奏曲以降のハイドンにおける
室内楽曲のもっとも美しい部分を構成している。
大部分が晩年の日付を持った作品で、
その頃の版は三重奏曲という近代的名称でなく
『ヴァイオリンとチェロの伴奏を伴うピアノフォルテのためのソナタ』
という名称を使っている。
事実ピアノはもっとも小さな音楽的心像すら取り逃すことを嫌って、
みずからに不当に多くの分け前を刈り取っている。
しかし三重奏曲の内容は今もやはり
ハイドン芸術のもっとも美しい証言の一つだ。」

さて、このCDの解説に戻ると、これらの曲を作曲した頃、
ハイドンは、このエステルハーツィ家での日々を、
悶々とすごしていた事が書かれている。
「ハイドン自身、エステルハーツィの宮廷の30年にわたる仕事に、
憂鬱を感じていた。休みもなく、もっと旅行もしたかったし、
小さな宮廷の限界を超えたいと思っていた。
しかし、これら3曲のピアノ三重奏曲は、ウィットや愛嬌を失うことはない。
ハイドンの精神の強さや信念を反映して、これらの作品には、
楽観的な感じが横溢している。」
実質、ここに収められたピアノ三重奏曲についての解説はこれで終わる。
この後、オリジナル楽器での演奏の効用があるのは前述のとおり。

ピアニストのDavid Wardは、きっと意志の強い人なのであろう。
非常に真摯な演奏を繰り広げ、そこにフルートとチェロが絡むといった、
本来のこれらの曲の美質が浮かび上がって来る。
常に、ピアノは、鈴のような音色で鳴り響いているのが聞こえ、
ニコレ盤のように、順番に楽器の名人芸が重なっていくといった美学とは、
違った世界がここには感じられる。

最初に、HobⅩⅤ-15のト長調三重奏曲が収められている。
この作品は、3曲の中で最もお気楽ムードに思える。
夢想的で上の空で、こうした空中に漂うような雰囲気で、
ニコラウス侯を包み込もうとしたのだろうか。

後で解説に出てくるカプリッチョ風、C.P.E.バッハ風。
気まぐれで幻想的とも言えよう。

さて、ハイドンの三重奏曲で一番、レコードが出ていると、
かつて大木正興氏が書いたHobⅩⅤ-16のニ長調については、
ここでは最後に演奏されており、
さすがに貫禄、存在感を放っている。

ぽろぽろと鈴のようなピアノの音色があふれ出す第1楽章から、
推進力があって、ニコラウス侯が失意に沈まないように、
先へ先へと急ぐ音楽となっている。
一筆書きのように、さっとフルートが一閃するが、
ピアノの輝きが塗りつぶされることはない。
チェロは、ブーンブーンと言ってるだけのようだが、
低音にメロウな感じを与えて、高音の華やかさを支えている。
特に、展開部において緊張感を高める時には浮かび上がって、
曲に立体感を与えている。

ニコラウス侯のうつろな心を表わすような第2楽章は、
ピアノだけによるモノローグのような開始部から、
次第に他の楽器が対話を開始して、
次第に安定した気分に到るような感じで、
そこから明るい第3楽章になだれ込む効果は特筆すべきであろう。
この第3楽章で、大空に向かって放たれたような、
フルートの音色の高揚感はどうだろう。
古楽器の幾分頼りない響きが、大気の中に溶け込んでいく。

ハイドンはニコラウス侯の嘆きと共に、
自分の中の憧れの心も解き放とうとしたのだろうか。
また、エリザベート妃というのは、
ハイドンにとって、どんな存在だったのだろうか。

前回、収められていなかったHobⅩⅤ-17はヘ長調。
最初から開放的で力強く始まり、初夏の日差しが溢れている。
メロディとしては、これが一番美しいかもしれない。
チェロも、この曲では、少し存在感がある。
中間部で突然現れるチェロとピアノの対話のような楽節は、
まるで、ベートーヴェンのような緊迫感を湛えている。
3曲の中では、第1楽章の規模は最大である。

ただし、この曲は2楽章形式で、メヌエットの終曲が来る。
この楽章も愛らしいメロディが魅力的である。
このようなかっこいい楽想は、
若い頃のベートーヴェンが使いそうな感じ。
また、3曲の終楽章としても、これが一番長い。
どの曲も14~16分くらいで終わる設計となっている。
メヌエットといいながら、だんだん、音楽は疾走を初め、
フルートとチェロを鮮やかに従えながら、
ピアノが、憧れに向かって突き進んで行くような感じで曲を終える。

ということで、この曲が一番、愛すべき音楽に思える。
ニコレがこの曲を収録しなかったのは不思議に思えるほどである。

ということで、これら三曲のフルートを伴う三重奏は、
順に、C.P.E.バッハ風、モーツァルト風、ベートーヴェン風である。
もちろん、最後のは、ベートーヴェンが、
逆にハイドンから受け継いだものであろう。

さて、このCD、3曲のピアノとフルートとチェロの三重奏曲の間に、
ピアノ独奏によって、ハイドンの名品が2曲収められている。
これらの解説についてはかなりの分量を費やして解説が書かれている。

「ハイドンのピアノのためのカプリッチョハ長調は、1789年に書かれた。
この作品は、その自由さ、風変わりな効果によって、
C.P.E.バッハの幻想曲の回想といえる。」
私はC.P.E.バッハは好きなので、
この曲の、既製品の枠を突き破ろうという雰囲気には、
非常に惹かれるものを感じる。

スケルツォのような感じで、諧謔味を感じさせ、
また、時折、長い不気味な中断が入る。

「ハイドンは楽器の可能性を発掘しようとしているように、
純粋にピアニスティックなものを限界まで追い込んでいる。
こうした事は希ながら、
完全に低音が消え去るまで鳴らし続けるという指示まである。
ハイドンは楽器の音の持続力を試し、改良されたピアノの、
技巧上の可能性を開陳しているようにも見える。
ハイドンはヴィーンの出版社に渡すに際して、
このように作品を紹介している。
『ユーモアに満ちた雰囲気で私は全く新しいカプリッチョを作曲しました。
これは味わいに富み、奇妙でかつ繊細であり、
玄人にも素人にも楽しんで貰えるものです。』」

また、以前、ここでも紹介した、ハイドンの親しい友人、
ゲンツィンガー夫人の死を悼んで作曲された傑作、
アンダンテと変奏曲もまた収められている。

このピアニストの真摯な姿勢が映える演目となっている。
ただし、何故、これらのピアノ曲が、ニコラウス侯の傷心を慰める室内楽、
イギリスでの出版を意図した3曲と関連づけられたのかは書かれていない。
「ハイドンの『ピアノのための変奏曲ヘ短調』は、
1793年に作曲され、1799年に出版された。
この作品は、二つの主題を持ち、メインの主題はトリオの部分を持つ、
葬送行進曲である。これらの主題はそれぞれ2回変奏され、
力強いコーダで結ばれる。
この作品はハイドンの暗いムードを示し、
これは最も親しい友人であり、相談相手であった、
マリアンネ・フォン・ゲンツィンガーの突然の死を想起させる。
長年にわたり、ゲンツィンガー夫人(ニコラウス侯の主治医の妻)は、
ハイドンが心を打ちあけられる唯一の相手であった。
彼が彼女に宛てた手紙は、宮廷に仕えた18世紀の人間の真実を、
垣間見る資料となっている。
夫を全く助けなかった妻を持ち、
長年、分かれて暮らしたハイドンは、
友人との交友を大いなる慰めとした。
このメランコリックな作品には、
その友を失った時の深い悲しみが感じられる。」

Wardの独奏は、運命を呪って、怒りをたたきつけるような強奏も効果的で、
ここに書かれた通りのやるせない感情が漲っている。
コーダでは、その感情が燃え上がる。
15分43秒をかけて、纏綿と歌われ、この喜遊的な三重奏曲の世界に、
異質な空間を描き出しているが、
何故、この作品をここに併録したのか、そのあたりは不明である。

こうした訳の分からないことをしでかすから、
団体名がおふざけ団なのだろうか。
おふざけ団にしては、どの曲もひたむきに演奏されているが。

CDの表紙もまた、まったくおふざけではなく、
「1780年のロンドン、レッド・ライオン・スクエア」とあり、
前回のニコレ盤の無関係絵画とは異なる。
ただし、ニコレ盤の風景画には活気があったのに、
この絵画には、活気というものがまるでない。

ニコラウス侯の失意を表わしており、
同時に出版したイギリスに関連する風景とも言えよう。
一応、ハイドンの時代の風景であり、
さすが、歴史的楽器を使う人々のCD、
絵画にも考証が行き届いている。

が、北国の雲は重く、正直、心惹かれるデザインとは言い難い。

得られた事:「室内の空間を楽器の音が埋め尽くしては、複数の楽器の重なり具合や、階調が失われることになるので、オリジナル楽器でしか出来ない表現がある。」
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by franz310 | 2009-01-24 22:59 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その157

b0083728_1324399.jpg個人的経験:
今年は奇しくも
ハイドン没後200年に
あたるためか、
紀尾井ホールで、
ハイドンの作品76の
弦楽四重奏曲集の各曲に、
新進の6楽団が挑戦するという
連続演奏会があって、
私は、そのうちの二曲の
本番前リハーサルを
聴くことが出来た。

休日の朝の四谷というのは、
普段とは違う雰囲気が立ちこめていて、
非常に清新な演奏と共に、貴重なひとときを満喫した。

ハイドンの音楽の、
簡潔な一筆書きが、精妙に絡み合うような、
その純粋さと、この朝の空気が調和して、
この上ない至福感を感じた。

このように、弦楽四重奏の父でもあるハイドンは、
この分野では非常に大きな人気と高い評価を誇っているが、
楽器が一つ少なくなるだけで、
何だか分からない作曲家という評価に失墜する。

私が長年にわたって読み返していた、
「最新レコード名鑑・室内楽曲編」(大木正興著)
には、ハイドンの弦楽四重奏曲が、作品20、33、64、71、74、76と、
それなりの発展が読める形で取り上げられていたが、
三重奏曲は、「ピアノ三重奏曲ニ長調HobⅩⅤ-16」一曲のみ。
1975年頃の「レコード芸術」の付録である。

解説には、
「ハイドンのピアノ三重奏曲は三十曲を越しており、
初めの二曲を除けば一七八〇年代中ごろから後の作品ばかりである。
弦楽四重奏曲で言えば、あの充実した様式に完全に踏み行った
「ロシア四重奏曲」よりあとに、
ハイドンのピアノ三重奏曲は続くと言ってよい。
しかし、このジャンルは、ハイドンにとって交響曲や弦楽四重奏曲ほど、
自発的な探求心を呼び覚ますものではなかった。」
と、いきなり、出鼻をくじく事が書いてあった。

さらに、ピアノが変革期にあって、古くは家庭楽器で、
新しくは表現力が中途半端で、ハイドンの置かれた環境から言っても、
こうした曲は求められなかったし、ハイドンも同質の響きを好んだ、
とかなり断定的である。

結論としては、
「ともかく、ハイドンにあっては
ピアノ三重奏曲は彼の作品系列のなかでは傍流的で、
特に大きな成果は認めにくい。」
と言い切っている。

ということで、30曲もあるピアノ三重奏ですらそうなのだから、
フルート付きの三重奏曲などは、まったく傍流の傍流、
ということになるのだろう。

ちなみに、彼が代表曲として取り上げたものは、
HobⅩⅤ-16であるが、
「古い版ではヴァイオリンがフルートになっている」とあり、
戸惑っている様子で、ギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチのものを、
代表盤としている点も、当時の雰囲気を感じさせて興味深い。

とにかく、ほとんど、聴かなくて良い、興味も持つ必要はない、
と言われているような内容であることは確か。
いまだ、ハイドンのピアノ三重奏の代表曲は何だか分からずにいる。

この時代のこのような戸惑いの中から古楽復興があって、
埋もれていた作品の学究的な紹介がすごい勢いで広まっていったのである。

さて、前回、ロンドンに来た異邦人、ハイドンをもてなした、
アビンドン伯爵のCDを紹介したが、
ここでは、フォスター・トリオと、
二曲の英国三重奏曲が含まれていた。

ここでは、この英国での三重奏曲に焦点を当てたいが、
例えば、ニコレ夫妻がフルートを受け持つ、
ロンドン・トリオを集めたCDなどがそれに相当する。

1989年6月に、スイスのバーゼルで録音されたものらしく、
もう20年もの年月が経ってしまった。
ノヴァーリスという、ドイツ・ロマン派の詩人の名を冠した、
スイスのレーベルであるが、当時は日本盤も出ていたが、
最近はどうなったのだろう。

しかし、このCDの表紙デザインはどうだろう。
先日のよく晴れた休日の朝のすがすがしさそのままの雰囲気漂う、
開放的な絵画で、運河に活発に行き交う船が描かれている。

これはヴェネチアの風景かと思うが、
この躍動感が、まさしく当時のイギリスの雰囲気だったに違いない。
大英帝国旗が船にもはためいている。

おそらくは、こんな感じの所に、
オーストリアの片田舎から出て来た作曲家はやってきたのである。
街に漲る活力に、まずは圧倒されたに違いない。

中を見ると、アントニオ・カナレットの絵画だという。
1697年に生まれ、1768年に亡くなったとあるから、
シューベルトの100年前に生まれた人、
ハイドンが子供の頃に亡くなっているから、
ハイドンが訪れたテムズ川とは50年の隔たりがある。
しかし、こうした没落途中のヴェネチア絵画に見る以上の活況が、
当時の大都市ロンドンにはあったに相違ない。

ここで演奏されている「ロンドン・トリオ」は、
ランパルなども録音していて、
そこそこ知られてはいるが、
ロマン派以降も名作を輩出した、
ピアノ、ヴァイオリン、チェロのためのものではなく、
フルート2本とチェロのための編成である。

前回、アビンドン伯爵に贈られたのが、英国トリオ第二番、
アビンドン伯爵の友人のアストン準男爵に贈ったものが、英国トリオ第一番
とあったが、これはどうやら、このニコレ盤におけるロンドン・トリオと同じである。
しかし、このニコレ盤、3曲もあるのはどうしたことか。

このノヴァーリスのレーベルのものを、
日本のクラウンレコードが出した時の解説には、
このようにある。
「1794年11月14日、
ハイドンはロンドンから26マイル離れた郊外の館を訪れたが、
この際ハイドンは、アビングトン伯爵と、
夫妻揃って音楽好きのアストン男爵のために、
明るく簡潔でよろこばしい気分に溢れた作品を捧げたが、
それがこのロンドン・トリオと呼ばれている作品と
考えられている。」

ということで、第一がアストン、第二がアビンドン、
という訳でもないような書かれ方である。

そもそも、前回のCDでも、第一番ハ長調は3楽章形式だったのに、
第二番ト長調は主題と変奏曲で、トラックナンバーは一つしかなかった。
が、今回のニコレ盤は第二番も3楽章形式となっている。

さらに、解説には、下記のような一文が続いて、これまた、
非常にややこしい。
そもそも、ナクソス盤は、「English Trio」だったのに、
何故、Novalis盤では、「London Trio」になってしまうのであろう。

(ちなみに、交響曲第104番も、輸入盤では、
「ロンドン交響曲」ではなく、
「ザロモン交響曲」と書いてあったりする。
ヨーロッパでは、こうした拘りが強いのか、
日本が単純化されすぎているのか。)

「ロンドン・トリオは、
2本のフルートとチェロのために書かれたもので、
4曲が残されている。」
えっ、まだ一曲あるの?と思うが、
こんな風に続いている。
「このCDは、各曲ごとの解説で触れるが、
実質的にその全てを収めている。」

何じゃこりゃ。

慌てて、「第一番」の解説を見ると、第二楽章にしか解説がない。
この楽章は二つ版があって、長い版の方が最終稿と考えられたが、
イギリスで演奏されたのは短い方なので、そちらを演奏したとある。
が、ナクソス盤の演奏は全曲で8分45秒で、ノヴァーリス盤は、
全曲で11分以上かかって演奏している。
第二楽章は前者が2分20秒、後者が2分58秒である。

この曲は、まさしく、ハイドンのイギリスでの、
開放的な日々を象徴するように、伸びやかなメロディーが、
大きく歌い始めるが、聞き比べると、現代の楽器で演奏したニコレは、
さすがに大柄で、「ロンドン」の大都会の名を冠するに相応しい。

が、26マイルも離れれば、
少し、違った印象になってくるのではなかろうか。
東京もこれだけ離れると多摩川も越えて、だいぶ静かな街並となる。
ナクソス盤は、1760年製のワンキーフルートを復元したもので、
非常に繊細な音がして、ちゃんと多摩川を越えた音になっている。
低音もチェロではなく、1700年代のバス・ヴィオール。
都会の石畳ではなく、森の声である。

第二楽章は、いくぶん夕暮れの気配となるが、
やはり簡素な歌であって、ナクソス盤は、
11月に田舎を訪れた時を思わせる、空気の冷たさが心地よい。

ロッコ・フィリッピーニのチェロが、
朗々と低音を支えるノヴァーリス盤も美しいが、
ナクソスを聴いた後では、雄弁に過ぎるような気もする。

第三楽章は、快活なヴィヴァーチェで、
鳥が歌い交わすような感じだが、古楽器では、
少々、舌が回らない感じなのか、幾分、演奏時間も長い。
ニコレ盤はさすがにそんな事はなく、
鳥たちの囀りは非常に活発である。

前回、ナクソス盤の解説、尻切れトンボになっていたが、
このトリオ第一番については、下記のような解説が続いていた。

ナクソスのCD、「ハイドンとアビンドン伯爵」の、
トラック26-28の解説:
「この機会に、ハイドンが、
アビンドン伯爵に渡したトリオ(トラック18)とは異なり、
アストン準男爵用のものは、早い楽章、遅い楽章が入れ替わる、
3楽章からなり、コンヴェンショナルなスタイルで書かれている。」

どんな曲であるかは、聴けば分かる、ということだろうか、
それ以上については、どうでもよい補足があるのみである。

「アンダンテを改訂したものの自筆譜がベルリンにあって、
わかりにくい写譜屋への指示が速記で書かれ、
この録音もそうだが、
5年後にモンツァーニに出版用に出されたものには、
各楽器に写譜屋の解釈による変更がある。」

さて、問題のトリオ第二番である。
ナクソス盤では、何と、男声合唱で始まっていたが、
トラックは一つしかなかった。4分17秒の小品である。

一方、ノヴァーリス盤では3つトラックがある。
第一楽章だけで4分55秒もあって、ナクソス盤を覆い隠す長さである。
その後に、約5分半のアンダンテ、
わずか1分足らずとはいえアレグロ楽章がある。

解説にこうあって、だいぶ、謎が解けて来る。
「自筆楽譜にはアンダンテからアレグロにつながる
計103小節が残されているだけである。
だが、1799年の印刷楽譜は、
第3番のフィナーレを付け加えて刊行されている。」

これで、第3番の終楽章と第2番の終楽章が同じかというと、
そうではないようだ。なぜなら、次のような一文が続くからである。
「一方、ハイドン研究家のマンディチェフスキーは別の方法を提唱した。
彼は第4番ト長調として、アレグロ楽章のみ残されているものを、
第2番の冒頭楽章として用い、
全体で三つの部分からなる作品にして出版したのである。
この演奏は、マンディチェフスキーのアイデアを採用している。」

マンディチェフスキーとは、
ブラームスの友人の「マンディ」のことだろうか。
いずれにせよ、問題の第2番は、いろんな人によって、
めちゃくちゃされているようである。
前回のナクソス盤では、マカロックのアイデアで、
冒頭に、何と声楽をひっつけられていた。
この主題が、アビンドン卿の歌と同じだという根拠による。
「伯爵に書いたトリオは、『The Ladies Looking Glass』の歌による変奏曲。
この歌は実際、伯爵の3声の『キャッチ』、『淑女の鏡』と同じ歌である」
といった事が解説に述べられていた。

このノヴァーリス盤の日本盤では、
イギリス民謡「信用しすぎてはだめ」の変奏曲とある。
「ハイドンは、イギリスやフランスでフルート愛好家たちによって
多く使われるようになっているのを知り、こうした方法をとったのであろうと、
ハイドン研究家のランドンは述べている。」
などと補足されている。

つまり、マカロックは、アビンドン伯爵を調べているうちに、
このハイドンの主題と同じ歌を見つけたということであろう。
それが、イギリス民謡に似ていて、どちらが、ハイドンの変奏曲の主題かは、
結局、よく分からないような気もする。
なぜなら、マカロックも、ハイドンの日記にある題名と、
アビンドン伯爵の歌の題名が違うことを書いているからである。

とにかく、ロンドン・トリオ第二番、または英国トリオ第二番は、
自筆の「主題と変奏曲」しか、信憑性の高いものはなく、
ある人は、第3番の終楽章を付け、ある人は、第一楽章を持って来て、
ある人は、主題の前に、別の歌をひっつけて演奏するということである。

ちなみにニコレ盤が3楽章形式に見えるのは、
アレグロの最終変奏をちょんぎって、
第3楽章にしただけであって、
ニコレ盤の第2楽章と第3楽章は、
ナクソス盤の1トラック分と実質同じなのである。

ということで、トラック5と6は知っているが、
トラック4は今回、初めて聴くもの。
第1番と同様、爽やかなものだが、
第1番が「アレグロ・モデラート」だったのに対し、
第2番は、「アレグロ」なので、より浮き立つような、
あるいは舞い上がるような趣きを持っている。

第2楽章のテーマは、前回も書いたが、「皇帝賛歌」のような感じで、
「信用しすぎてはだめ」という感じか、
「淑女の鏡」のような感じであるかは良く分からない。
優雅さでは、淑女のような感じだが、
落ちついて教え諭すような感じもないではない。

ニコレの大きく呼吸する演奏の後で聴くと、
マカロック盤は、少し、神妙にすぎるような感じがしないでもないが、
アビンドン伯爵とアストン準男爵が、
素人の技で吹いていたような錯覚を起こさせる。
何しろ、彼らが集まった家での録音なので、
そうした感じを助長するのであろう。

さて、このように、第2番は、他のCDでは、
第4番となっているものと、合体した形での演奏ということだが、
それなりにコンヴェンショナルな3楽章制となっているので、
純粋な音楽として楽しむ場合、それほど大きな違和感があるわけではない。

しかし、ナクソス盤で書かれたような、
この曲はアストン準男爵の、この曲は、アビンドン卿の、
というような経緯があるのだとすれば、
ちょっと問題もあるような気がする。
アビンドン卿は、これは、私が貰った曲ではない、
というかもしれない。
むしろ、第3番のフィナーレは、私が貰ったものだ、
などと言い出すかもしれない。

ボッケリーニのチェロ協奏曲などは、
作曲家の書いた楽章が気に入らないからと、
別の曲を差し替えて演奏されて来た例もあるが、
あれなども、最近は、元の形で演奏するのが普通になっているし、
作曲家の預かり知らぬところで、勝手な事をすると、
そこに込められていたものが見失われてしまうかもしれない。

しかし、ハイドンの交響曲ですら、
ばらばらにされて演奏されていて、
かつ、それが作曲家にとっても当然と思われていた時代である。

第4番を第2番の前に持って来て連続して演奏している、
と考えれば良いだけとも言える。
しかし、これを持って、第2番だ、とまとめてしまうのには、
何らかの配慮が必要であるような気がする。
特に、アビンドン伯爵という相手がいるのだとすれば、
1794年の時点での、心の交流が何たるかの方が、
音楽としてどうか、ということより気になって仕方がない。

さて、前回のCDには、登場しなかった、第3番であるが、
前の2曲以上に名技的に動き回る第1楽章が印象的だ。
フルートが活発に対位法のラインを構成していくが、
とても、アストン準男爵の家で演奏していたとは思えない音楽となっている。
この曲の正体について、もっと知りたいのだが、
解説には以下のようなことしか書かれていない。

「第1楽章 スピリトーソ
行進曲風の楽想による楽章だが、
ロンドン・トリオの中では最も対位法的な書法の部分を含んでいる。
第2楽章 アンダンテ
第3楽章 アレグロ」

第2楽章は、何だかメヌエットのような感じ。
典雅で、二つのフルートが呼び交わすような部分が美しい。

第3楽章は、駆け出すような表現、突発的な推進力が含まれ、
アビンドン卿のための第2番の終楽章とするより、
この名技的な第3番に続ける方が良いような気もする。
しかし、古典形式はかくあるべし、と考えていた、
ブラームスの時代の考え方を踏襲して良いのかどうかは分からない。

実際、トラック6から9に飛ばして再生しても、
これはこれで、ありのような気がする。
あとは、トラック8で終わって不自然さはないかであるが、
バロック時代には、こんなメヌエットの感じで終わる楽曲もあったと思う。

この解説から推測するに、もとの形は、
第1番:3楽章形式
第2番:主題と変奏とフィナーレ
第3番:2楽章形式
第4番:1楽章形式
となっていたと言うことか。だとすれば、かなり曲集の印象も変わって来る。
もう、交響曲の作曲も終了し、
弦楽四重奏が主要な器楽作品群として残されるだけの、
古典派完成形としての、晩年のハイドンからすると、
少々、イメージは崩れるが。

いずれにせよ、ナクソスでCDを企画した、
デレク・マカロック氏の見解を聞きたいものである。

ここで、大宮真琴氏の著作「新版ハイドン」をひもとくと、
「管弦合奏用三重奏曲」という欄があって、
ホルン・トリオとフルート・トリオの二つがあって、
フルート・トリオは2集あって、1784年、
ロンドンのフォスターから出版された6曲集と、
1794年にロンドンで作曲した「ロンドン・トリオ」4曲である、
と分かりやすく明記されている。

「二本のフルートとチェロ用で、第2番はアンダンテと五変奏、
第4番はアレグロ楽章からのみ成る」と書いていて分かりやすい。

ちなみに、このニコレのCDには、あと2曲、
二つのフルートとチェロではなく、
ピアノと、フルートとチェロのための、
トリオが収められている。
ピアノはイタリアの名手、カニーノの演奏。

解説によると、1790年(ハイドンがロンドンに行く前)、
ロンドンの出版社が作品59として出したもののうちの2曲らしい。
この作品集も3曲らしいので、マカロックの英国トリオと同様、
またもや一曲欠けた形である。

同じ曲がヴィーンではアルタリア社から出版され、
この時は作品62となったとの事。
国際的な壁があった時代ならではの策謀で、
ハイドンは同じ曲で何度も儲けたようである。
各社からクレームはなかったのだろうか。

これらの曲は、フルートとチェロは、ほとんど独立しておらず、
ピアノと同じ音を奏でているということなので、
ロンドン・トリオとは音色は似ていても、
フルート奏者の責任感が違って来る曲種のようだ。

が、おそらく、アビンドン伯爵のような遠慮すべき、
高貴な身分を想定する必要はなかったはずで、
曲調はかなり複雑で、
例えば、先に収められた、
29番ト長調などは、
カール・エマーヌエル・バッハの、多感様式を感じさせる。

こうした、前の世代を感じさせる一方で、
ピアノがちょこまかと駆け回ったり、
頻繁に転調が行われたりして、
何となく、次の世代のフンメルのような感じもする。

しかも、と書くべきか、当然、と書くべきか、
ロンドン・トリオが10分程度の作品集だったのに対し、
いずれも15分以上の長さとなって、一回り構想が大きい。

ここには、非常に興味深い解説が出ている。

ハイドンのいるエステルハーツィの宮殿に、
わざわざ、イギリスの出版者ブランド氏が訪ねて来て、
イギリスで流行している、
フルートを含む室内楽を依頼したというのである。

この2曲のうちの2曲目、最後に演奏されているのが、
他ならぬ「HobⅩⅤ-16」のニ長調であることに、
今さらのように気づいた。


第1楽章は奔流のようにピアノが弾けて、
まるで、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタみたいな感じ。
この中ではフルート奏者が飛び抜けて有名であるが、
さすがに一人で主役を演ずるような失策はしていない。
独特の音色でアンサンブルをフォローしていて、
ピアノの清涼な質感を柔らかく包み込んでいる。
チェロもメロディで大きく主役を務めることはないかもしれないが、
大きく唸って素晴らしい存在感である。
喜遊的というが、かなり情感は激しく変転する。
先進的なロンドンという市場を、
ハイドンはどれくらい意識して書いたのだろうか。

第2楽章は悲しげなアンダンティーノだが、
さっと晴れ間の差す瞬間が美しい。

第3楽章は、スケルツァンド風とあって、
ピアノやチェロが細かい音で活発に動き回る終曲だが、
中間部で大きな歌が現れる。

ということで、このニコレのCD、闊達なフルートのみならず、
ピアノとチェロの共感豊かな力演で、
ハイドンが訪れた英国首都の活力を偲ばせて楽しませて貰った。

どちらかというと機会音楽的、手作りのプレゼント的な、
ロンドン・トリオの伸びやかさと、
後半の、おそらくより戦略的なピアノ&フルート・トリオの、
両方を聴けるのも有り難い。

ロンドン出発前夜にあって、フォスターやブランドといった、
出版商とも交流を持っていて、こうした着実な投資活動も、
ハイドンが晩年になってロンドンを訪れる契機になったのだろうし、
彼の地におけるハイドンの名声を高める布石となったものに違いない。

また、前回のナクソス盤の解説には、
ハイドンが出版したと言うより、貰ったアビンドン伯爵とアストン準男爵が、
楽譜屋に持って行って出版したような書き方になっていた。
ハイドンは、どこまで関与したのだろうか。
ひょっとしたら、習作のスケッチ程度で置いて来たもので、
後で改作して、本格的出版を狙っていたとも空想できる。

何しろ、同じ曲を国内版と海外版で出版する、
国際マーケットを意識した作曲家である。
イギリスの片田舎で置いて来たお土産と、
本格的な戦略商品との間には、大きな意識の差があったに違いない。

というか、上記の例を見てみると、
ハイドンは意識して気にしていなかったかもしれないが、
勝手に他者が出版したり、楽章ごとに切り貼りをしたりして、
めちゃくちゃにしてしまったとも読める。
そう考えると、特に、マンディチェフスキーが、
「音楽の捧げ物」のような小品集を勝手に組み替えて、
戦略商品のように見せかけてしまったのは、
混乱に拍車をかけた一因になっているような気がして来た。

得られた事:「ハイドンの三重奏曲は機会音楽などの混在もあって傍流とされたが、実は、むしろ、市場開拓戦略商品も含まれている。」
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by franz310 | 2009-01-18 13:11 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その156

b0083728_0285220.jpg個人的経験:
『ソロモン王とダヴィデ王は、
楽しい楽しい生活をした。
楽しい楽しい女友達と、
楽しい楽しい奥方たちと。』
ロンドンでの日々を、
このように総括したとされる
ハイドンが、いったい、
どんな生活をこの出張先で、
送っていたかの一端を
知ることが出来るCDがある。


シューベルトも、楽しい旅の日から、
美しい五重奏曲の想を練ったが、
ハイドンはいったいどうだったのだろうか。

ナクソスレーベルが、昨年発売したもので、
何と、ハイドンが訪問した邸宅で、
2007年の5月から6月に演奏し、
録音したという、興味深い企画である。

題名には、「ハイドンとアビンドン伯爵、歌曲と室内楽」とある。
ややこしいが、演奏団体は、カフェ・モーツァルトという名称で、
デレク・マカロックという人が、
(Proprietorとあるが、オーナー??創設者か発起人と解釈)
古楽器で18世紀後半の音楽を研究するために、
1985年に創設した英国の団体で、
何と、「英国滞在中のハイドン」に焦点を当てているという。
まさしく、願ったり適ったりのCDである。

マカロック自身は、シュトッツガルトで学んだカウンターテナーで、
イギリスで、2009年のハイドン記念祭のプランを練っているという。
それなら、「カフェ・ハイドン」にして欲しい、という気もするが、
ハイドンよりモーツァルトの方が、情緒に訴えるのは確かであろう。
無念、ハイドン。

が、このCD、ナクソスには珍しく、
演奏者の写真が沢山出ているが、
美人揃いで、このようなメンバーが演奏したのか、
と想像するだけで嬉しくなる内容となっている。
ハイドン、良かったな。

マカロック以外に、特に記載されているソリストには、

Sophie Baven:1983年、サマセット生まれのソプラノ。
写真は、ふんぞり返って足を組み、楽譜を読んでいる。

Rachel Elliot:有名古楽合奏団(エイジ・オブ・エンライトメントや、
ラザール・フロリサンなど)と競演しているソプラノ。
こちらを見て口を開けて何か言っているようなフレンドリーな写真。

Rogers Covey-Crump:ヒリヤード・アンサンブルなどに所属、
グラミー賞も取った、40年のキャリアを持つテノール。

の3名がいて、写真には、他に、
Jenny Thomas(フルート、リコーダー)、マカロックと一緒に笑っている。
Edwina Smith(フルート)、楽譜を見て笑っている。女教師風。
Katherine May(ハープシコード、スクエアピアノ)、
髪をリボンで結い、真剣な表情で下を見ている。
Oliver Sandig(ヴァイオリン)、カッコいいポートレートの好青年。
Michael Sanderson(ヴァイオリン)、実務派っぽい眼鏡。
Ian Gammie(バス・ヴィオル、ギター)、好々爺に見える。
の6人がいて、この方々がカフェ・モーツァルトの中核ということか。

このメンバーが、雑多な編成の雑多な曲を演奏していて、
CD解説の1面は小さい字で曲目と演奏者の略号がずらっと敷き詰められ、
CD解説の2面の半分は奏者名と楽器の来歴が敷き詰められている。
トラックは30もある。
頭の中が混乱する内容だが、そうならないように、
10のセクションに分かれている。
1. 歌(教会と国家)
2. 室内楽(ハイドンのForsterトリオ第四番)
3. 歌(シェイクスピアのプロローグ)
4. 舞曲(アビンドン伯爵の作曲)
5. 歌(アビンドン伯爵の作曲)
6. 室内楽(ハイドンの英国トリオ第二番)
7. 歌
8. 舞曲(アビンドン伯爵の作曲)
9. 室内楽(ハイドンの英国トリオ第一番)
10.歌(シェイクスピアのエピローグ)
なので、8、9以外は器楽曲と歌が交互に現れる感じ。
ただし、驚いたことに、英国トリオ第二を聴こうとすると、
歌が始まるのでのけぞる。
これはアビンドン伯爵の歌を主題にした変奏曲だからで、
主題部はもとのものを演奏しているのである。

このように、アビンドン伯爵とハイドンが音楽で交友した様子が、
偲ばれるという内容となっている。

表紙の絵画は、Francis Rigaudが1793年に書いた、
「アビンドン伯爵とその家族」というもので、
アビンドン伯爵が大柄の奥さんと、6~7人の子供と犬とに囲まれている。
小娘がハープを弾いていて、音楽愛好家であることが分かる。
伯爵は、ハイドンより8歳若く、1740年生まれとあるので、
53歳の時の絵画だろうか。
が、それにしては乳飲み子までいる。

伯爵はハイドンより10年も早く、
世紀の変わり目を見ないで1799年に、
59歳で亡くなっているので、
これから、わずか6年で神に召されたことになる。

乳飲み子は6歳。ハープの小娘も、
18、9という感じで亡くなったのだろうか。

解説はマカロック自身が書いているが、この方々が、
どのように、ハイドンと交友したのかが気になる。
早く読みたいが、結構、難解。

この記事を書くのは、2009年の正月早々だが、
いきなり227年前の正月の話で解説は始まっている。

「1782年の正月にヨハン・クリスチャン・バッハが亡くなって、
有名なバッハ・アーベルコンサートの組織者の役割が、
ウィロバイ・バーティ(アビンドン伯爵4世)のもとに回って来た。
彼は1783年と4年の2期だけ、この仕事を引き受けた。
1783年になるとさっそく、この機会に、伯爵は、
ハノーヴァー・スクエア・グランド・コンサート
(アビンドン卿コンサートとしてよく知られる)に、
ハイドンをロンドンに招待した。
ハイドンが実際に来た、1791年の正月までに、
伯爵はこのコンサート主催をやめて久しく、
さまざまな財政上の問題を抱えていたために、
ハイドンは、1791年から92年、
1794年から95年に
ロンドンでの嵐のようなコンサート生活において、
別の形で援助されることとなった。
二人の人物は、ハイドンが日記に書いたように、
ひんぱんに交流した。」

ということで、アビンドン伯爵は、
コンサートを運営をした経験もあり、
長らく、ハイドンを英国で待っていた人物だったと分かる。

以下に各曲の解説がある。
廉価を誇るナクソスの常として、
残念ながら歌詞はついていない。

なるべく混乱しないように箇条書きでまとめてみたい。

トラック1-5:4番目のもののみハイドン作の歌曲:
「トラック1-5は、『教会と国家』にテーマを絞り、
1.「あなたの一番すきなものを取って」
は、2つの同じ音楽に違うテクストがついていて、
両方とも、彼の思想のまさしくエッセンスである。
政治的、宗教的忠誠の執着への嫌悪。
これらはここではソプラノとテノールで交互に歌われる。」
伴奏は充実していて、フルート、ヴァイオリンが各二つ、
ハープシコードにバス・ヴィオールが、
態度の悪い写真ながら魅力的な声のSophie Bevanと、
ベテランのCovey-Crumpが歌っている。

この音楽、非常に面白い。
歌詞はお堅いかもしれないが、
各楽器による素晴らしい装飾ラインが見事で、
レハールの「メリー・ウィドウ」の100年前の先祖という感じがする。

CDの解説は、曲順がめちゃくちゃに解説されているので、
伴奏はかっこいいヴァイオリンとハープシコードにバス・ヴィオールで、
歌はテノールだけになって、妙に神妙な、トラック2の解説を先に書くと、
「2の『試合の効果』は、
特に競馬といったギャンブルへの偏愛など、
自分の悪癖に対する自虐的な歌。」
確かに、友人たちの前で歌うと爆笑されたかもしれない。
が、歌とは何のためのものか、
と考える時に、なかなか、考えさせられるものである。

トラック3と5は、ひとくくりになっている。
「3の『Partiesの転覆』と、5の『政治的合理主義』は、
これらの考えを反復している。」
とあるのは、1の考えである。
3は、テノールに、フレンドリーなRachel Elliotが、
鮮烈なソプラノを聴かせる。
5は、リコーダーとギターの伴奏でテノールが歌う。
非常に鄙びた感じである。

トラック4は、遂にハイドンの作曲。
スクエアピアノのみの伴奏。テノール。
スクエアピアノというのは、近代ハープシコードのような音に聞こえる。
「4の『水兵の歌』は、ハイドンの英国歌曲の試みで、
彼の友人のウィリアム・シールドの愛国歌のスタイルを取り入れている。
ハイドンは海戦が好きだった。
伯爵の娘のシャルロッテに捧げられた、
『イギリス・カンツォネッタ』の第二集に含まれる。」

シャルロッテは、いったい、家族の絵のどの人だろうか。
やはり、ハープを弾いている小娘だろうか。

ここから、トラック6-8の解説である。
「最初の招待から実際のハイドンの訪英まで、
言い訳三昧で遅れに遅れた8年の間に、
ハイドンは様々な作品を英国に送っていた。
こうして、1784年、ウィリアム・フォレスターは、
二つのヴァイオリンとチェロ、
または、フルート、ヴァイオリン、チェロのための、
『6つのトリオ、または喜遊曲』
(作品38としてロンドンで出版、しかし、
後にドイツとヴィーンで作品59、100としても出版)
を受け取っている。」
このようにいきなり、フォレスターが出て来るので面食らう。
誰だ。
一応、フォレスター・トリオと呼ばれるらしい。
「フルートでの演奏も可という、こちらの演奏の方が、
フルートの熱狂的な愛好家であった伯爵には、
相応しいと思われる。
これらの曲集の多くは旧作や改作であったが、
ここで録音されたものは、20年以上も前の作品で、
パウル・アントン・エステルハーツィ公の誕生日に書かれたものである。」
ということで、ハイドンの作品がややこしい理由がここにある。
同じ曲が違う機会に利用され、かつ、作品番号も違って、
なおかつ、いろんな人が関係者として登場する。
ここで、フォレスター氏と、アビンドン伯爵との関係が分からないのに、
「フォレスター・トリオ」が演奏されて、収録されている理由は、
イギリス繋がりという以外、よく分からない。
この三重奏曲、誕生日のお祝いとしては、
妙にかしこまったアダージョで始まる。
演奏は、マカロックと一緒に写っていた、ジェニー・トーマスのフルートと、
かっこいいセンディングと、好々爺の競演である。
第二楽章はスケルツォとあるが、楽しげで、
終楽章のプレストは、バロック音楽の名残を残している感じ。
特に、ヴァイオリンがフルートと掛け合うと、
ヴィヴァルディみたいな感じである。
ヴァイオリン二丁より、響きがメロウな感じでよい。

しかし、アビンドン伯爵のように、
熱狂的フルート愛好家がいたということは、
ハイドンの交響曲の編曲が、フルートが活躍するように書かれたという、
社会背景を彷彿させて嬉しくなる。

次に、「シェイクスピアのプロローグ」というパートで、
2曲が歌われるが、いずれもハイドンの歌曲。
一曲目は、スクエアピアノの伴奏でテノールが、
二曲目は、同様の伴奏でソプラノが歌う。

「1790年12月、ロンドンをベースとした、
興行主で、ヴァイオリニスト、作曲家の、
ヨハン・ペーター・ザロモンが、
予告無しにヴィーンのハイドンを訪れ、
二週間後にハイドンをロンドンに連れ出した。
ハイドンの『都会への不慣れ』を心配して、
若い同僚、モーツァルトのアドバイスに反し、
このお誘いは受け入れられた。」

私は、ハイドンの出立がこんなにも慌ただしかったとは知らなかった。
まるで夜逃げ、高飛び並である。
しかし、運命やチャンスとは、
時として、こんな速さで訪れるものであろうか。

さて、ここで、何故、シェイクスピアの名前が出て来るか、
そのあたりの解説が入る。
「恐ろしい海峡横断の後、正月にハイドンはドーヴァー着、
『音楽のシェイクスピア』と、新聞報道されたハイドンは、
ロンドンへの最終行程に入った。
彼がその前に作曲したのは、物思いに沈んだ歌曲、
『この世で何も得ようとは思わない』(トラック9)であった。」
これはドイツ語で歌われている。

「1795年、イギリスを離れる少し前に、
音楽のシェイクスピアは、
彼がシェイクスピアのテクストに作曲した、
知られている唯一の歌曲、
トラック10の、『彼女は決して恋について語らない』
を出版、これもまた、シャルロッテに捧げられた。」
この歌曲は、フレンドリーなエリオットが歌っている。
ここでのスクエアピアノは、曲想からして、落ち着いた響きを聴かせる。

マカロックが、「シェイクスピアのプロローグ」と書いたのは、
ハイドンが「音楽のシェイクスピア」と呼ばれたからであろう。
ロンドンにいる間は、ハイドンはシェイクスピアとして、
振る舞っていたということだ。

以下、伯爵作曲の舞曲が続くが、
これには、以下のような解説がある。
フルート2本、淑女二人が吹き、ヴィオールが低音を奏でる。
「伯爵の作曲のほとんどはフルートを含み、
多くは二つのフルートが二つのヴァイオリンと、
ユニゾンやオクターブで奏され、
1787年の12のカントリーダンスと三つのカプリッチョは、
二つのフルートとバスのためのもので、トラック11-14は、
それぞれカントリーダンスから取られ、風変わりな、
描写のようなタイトルを持っている。」

この舞曲のタイトルは、以下のようなものである。
「Fops Alley」:すいすい行く感じ。
「Bella Donna」:これはベラドンナという花?可憐な感じ。
「April Showers」:Showerの感じはなく、可愛いお遊戯みたい。
「Hop Tops」:軽快。

以下、3曲のアビンドン歌曲。
一曲目は、ぴよぴよとリコーダーが歌う。ギター伴奏。
足を組んで写真に写った、新進ソプラノのベヴァンが、
ベテラン・テノールと競演。
ベヴァンは、若いだけあってエリオットより勢いがあって逞しい感じ。
「トラック15-17は、『鳥と蜂』をテーマにした歌曲。
15の『幸福な鳥かご』は、ほとんど伯爵の人生の暗喩であって、
沢山の慣行行事に縛られ、名誉毀損による拘留や、
議会などに悩まされながら、それでも健康的で、
抑えきれない『生の喜び』を歌っている。
16の『いたずら蜂』は、『12の歌曲と2つのキャッチ』の一曲で、
あまり一般的ではない通奏低音を持ち、明確な指示なしでも、
フルートよりヴァイオリン伴奏の方が好ましい。」
と書いているが、二つのフルートがリフレインのような間奏を奏する。

「17の『眠れないナイチンゲール』は、
伯爵お得意の二つのヴァイオリンと二つのフルートのために書かれ、
追加に『ナイチンゲール』パートがピッコロのために書かれているが、
ここでは、ソプラニーノのリコーダーを用いた。」
これは歌は、ソプラノのみ。

さて、ここに、この録音の重要な点が出て来る。
「1794年12月、伯爵は、ハイドンを連れて、
『ロンドンから26マイル』に、アストン準男爵とその奥方を訪問した。
この村は、実際はロンドンから36マイル(約60km)の
HertfordshireのHitchinの近くにあって、
この録音は、このハイドンが連れて行かれた屋敷でなされた。」

「場の力」というものはあるもので、
同じ演奏でも、良いホールで聴いた時の方が、
演奏が印象深く感じられることがある。
このように、ハイドン所縁の場所での録音は、
アーティストに何か、見えない力を与えたに相違ない。

先の演奏家写真集のバックに見え隠れしているのが、
このアストン準男爵の邸宅なのだろうか。
すっきり簡素な木造の広間に見えるが、断片なのでよく分からない。

あと、このアストン準男爵は、いったい何者なのか。
さっきのフォレスターと違って、伯爵の友人であるらしいが。

「後に(1799)、アビンドン伯爵も、アストン準男爵も、
ハイドンに書いて貰ったトリオをそれぞれ、
ロンドンの出版者モンツァーニに送っているが、
先の舞曲と同様、二つのフルートとバスのために書かれている。
伯爵に書いたトリオは、
ハイドンの第三日記に書き留められた、
『The Ladies Looking Glass』のテクストの歌による変奏曲である。
彼は、ここにメロディと鍵盤楽器による伴奏を書き留めた。
この歌は実際、伯爵の3声の『キャッチ』、
『淑女の鏡』と同じ歌で、1797年に出版された、
『21の声楽曲』の第三である。
トラック18:この録音では、1794年に、
二人の貴族とハイドンが最初に会った時にやったように、
伯爵による、同じ男声(テノール)の和声付けの声楽曲を、
主題の最初に演奏している。」

ということで、私が冒頭書いたように、三重奏曲と思って、
聴くと、おっさんの声が聞こえてぶっとぶ、という仕掛けとなった。
テノールは、ベテランのCovey-Crumpしかいなかったはずだが、
ブックレットを見ると、声楽出身のマカロックと、
ヴァイオリンのマイケル・サンダーソンが声を張り上げていることが分かる。
まるで、聖歌のようで、ハイドンの「皇帝賛歌」を彷彿とさせる。
誰が、いったいハイドンの声の役をやったのだろうか。

この、幾分厳かなメロディに、変奏曲がついているが、
非常に格調高い音楽で、大人の音楽という感じ。
フルート2本というような、華麗さより、
精妙な感じがする。英国トリオと言っても、
変奏曲なので、4分ちょっとで終わる。
最後は、楽しげにフルートがさえずる。

今回は、何故か、ハイドン没後200年に合わせたように、
ハイドンを取り上げているが、このブログそのものの主題である、
シューベルトの「ます」と同様の音楽活動が、
シューベルトがちょうど生まれる頃の英国で、
行われていたという事が確認できた。

シューベルトも旅先で、歌曲を主題にした変奏曲を持つ、
「ます」の五重奏曲の委嘱を受けたが、
ハイドンもまた、同様の経緯から、三重奏曲を作曲したのである。
しかも、その人が演奏する楽器を念頭において。
このあたり、風流人の作法といったものを感じてしまった。
もちろん、こうした伝統は、バッハの「音楽の捧げ物」というような
最高の先例があるが、あれはあくまで「捧げ物」。
ハイドン、シューベルトのような、心の交流に関しては疑問もあろう。
(バッハの研究者からは反論もあるかもしれないが。)

ただ、「ます」の変奏曲の最後に、歌曲「ます」を、
歌わせる企画は良くないだろう。
五重奏曲ではせっかく釣針から逃れた魚が、
再び、捕まってしまうのは耐え難い。

さて、次のパートは、『恋の病』である。

何故、「必然的に(Inevitably)」かは分からないが、
こう書かれて、アビンドン伯爵の歌曲の解説が続く。
「必然的に、伯爵の歌曲の主題は『恋の病』が多く、
トラック19の『愛の力』は、
彼が1788頃予約出版した、歌曲集『6つの歌曲と二重唱曲』
から取られたもので、ハイドンが来る前のものである。
これらはすべて二つのフルート、二つのヴァイオリン、
通奏低音のために書かれている。
トラック15も20もこの歌曲集から持って来たものである。」
ベテラン、クランプと新進ベヴァンの男女二人の二重唱で、
実にほのぼのとしたもの。
伴奏も美しい。
しかし、単に歌曲にこの重装備の伴奏には、
何か考えることがありそうだ。

「トラック20の『プラトニックな愛』は、
格言的な詩によるもので、
ハイドンが第三の日記帳に書き留めていて、
ハイドンは、伯爵がこの詩に付曲したことを知っていたらしい。
この録音では、フルバンドの版ではなく、通奏低音の版を用いた。」
テノールが簡素なギター伴奏で歌う。

上記二曲はアビンドン卿のものだったが、ハイドン歌曲が続く。
魅力的なエリオットが、ギター伴奏で歌う。
「トラック21は、報われない愛を歌った、
ハイドンの『愛の応答』で、1781年にピアノ伴奏で出版されたが、
ここでは、誰かによって、少し歌詞が変えられた、
1790年頃のギター伴奏版で演奏した。
各詩句の後のピアノ・パートは、ピアノ版から修復して、
最後にギターで演奏している。」

「トラック22、このグループ最後の『恋の病の乙女』は、
再び、二つのフルートと二つの弦楽器が付けられ、
予期せぬ響きの効果、感動的なメロディ書法が見られる。」
確かに、転調の陰影が美しく、恐るべしアビンドン伯爵、
という感じである。

私は、最初、アビンドン卿の部分はいらないなあ、と思っていたが、
そんなことはなかった。

これで、このCDを構成する10のグループのうち、7つまでを紹介した。
あと、舞曲、もう一つの英国トリオ、歌曲が二曲残っている。

次のグループは、再び、舞曲集である。
「伯爵の1789年の『9つのカントリーダンスと三つのメヌエットは、
11-14のものと大きく異なる。
前のものは、二つのフルートとバスだったが、1789年の舞曲では、
二つのメヌエットがフルート、ヴィオラ、バスのために書かれているものの、
すべて、二つのヴァイオリンとバスのために書かれている。
ここでは、フルート、ヴァイオリン、バス用に編曲して演奏している。」
ちなみに、演奏者は、マカロックと一緒に写っている淑女と、
イケメンと好々爺である。

「すべての舞曲は、ダンスの示唆が書かれ、
前の曲集で風変わりだったタイトルはすべて、
特別な友人や家族などに献呈という形になっている。」
ちなみにタイトルは、
23:「シャルロット、カプリッチョ」、くるくる回るような感じ。
24:「シャルロット、デライト」、優雅にお辞儀をする感じ。
25:「ジェーン・アストン、メヌエット」、さすがに最も優雅。
である。

前の曲もそうだったが、30秒とか1分とかの短い音楽であり、
すぐに終わってしまう。

「23と24のシャルロットは、伯爵の長女、
25は、ジェーン・アストンで、この人は、ハイドンと伯爵が、
1794年の11月に訪問したアストン準男爵の、
音楽好きの奥方である。」
アビンドン卿も、こんな奥さんがいたからこそ、
ハイドンを連れて遠方まで出かけたのであろう。

また、シャルロットは、ハイドンからも沢山の音楽を献呈され、
父からも音楽を書いて貰って、音楽的才能のある、自慢の長女だったのであろう。

以下の解説も面白いが、いったん、ここで切る。

このように、アビンドン伯爵は、ハイドンの英国滞在中に、
非常に、ハイドンを歓待した貴族の一人であった。

前回、ザロモンの肖像画を飾ったが、もう一人の恩人が、
こうして、絵画で残っていて見られるのは嬉しいことだ。

ザロモンの抜け目のない様子は、この肖像画からも読み取れない。
国務からは逃れたくて、競馬には、はまってしまい、
財政が厳しい貴族、しかし、非常に芸術の才のある人の肖像、
と言われれば、そんな気もしてくるのである。

得られた事:「ハイドンは、英国滞在中、常に交響曲を書いていたわけでも、常にザロモンと一緒にいたわけでもなかった。」
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by franz310 | 2009-01-11 00:28 | 音楽 | Comments(0)

名曲・名盤との邂逅:1.シューベルトの五重奏曲「ます」その155

b0083728_2343284.jpg個人的経験:
風通しのよい、
見通しのよさや、
直線的な推進力、
構造的な立体感に、
ハイドンの音楽の魅力を
感じることがあるせいか、
少ない楽器編成でも、
その音楽に
不足を感じることは少ない。
さすが弦楽四重奏の父である。


前回取り上げた「ロンドン交響曲」を、
6つの楽器用にアレンジしたものも、
CD化されているが、
音楽が研ぎ澄まされた感じと共に、
親密さが増した感じになるのも、
ハイドンらしいと言えるかもしれない。

いや、ひょっとすると、先鋭すぎない、
温厚な演奏を聴かせるリンデならではの美徳かもしれない。
楽器はすべて、古いものを使っているようで、
音色にも暖かみがある。

問題があるとすれば、リンデが名手すぎて、
その多様な表現力についつい、注意が行ってしまう点であろうか。
特に、第104番「ロンドン」に続いて演奏される、
第100番「軍隊」は、そもそも、華麗な軍楽風色彩を特徴とするせいか、
リンデの多彩さにもいっそうの冴えが聴かれる。

これらの大交響曲を編曲したのは、
ハイドンを広く紹介した興行主、
ザロモンで、この人の肖像画が、
フロントカバーに載せられている。

作者は、ややこしいことにThomas Hardyとあって、
高名な小説家と同じ名前である。
ゲーンズバラのように、英国肖像画の質実を感じさせる筆致。
EMIの古楽器シリーズ、Reflexeで出ていたCDである。

このシリーズが今でもあるのか、リンデ・コンソートが、
その後、どうなったかも実は知らないのだが、
CD初期には、かなり鳴らしたものである。
これも1986年の録音。

このザロモン、肖像画で見る限り、
かろうじて、背景の楽譜が音楽家であることを示唆するが、
非常に実直なビジネスマンといった趣きで、
手を動かして編曲した人というよりも、
献呈を受けた人のように威厳がある。
この人物については、解説でもよく書いてあるので、
そちらを参照されたい。

フルートの名手、ハンス=マルティン・リンデが主催する、
リンデ・コンソートの演奏で、彼が、フラウト・トラヴェルソを演奏、
弦楽四重奏にHerbert Hoever、Christine Brodbeck(ヴァイオリン)、
Dorothea Jappe(ヴィオラ)、Michael Jappe(チェロ)、
さらに、Rudolf Scheideggerがピアノフォルテを演奏している。

何とも変則的な編成である。
弦楽四重奏は、オーケストラを縮小すれば出来るし、
フルートは管楽器を代弁しているのだろうか。
しかし、ピアノフォルテはどうして必要なのか、
よく分からない。

このCDを聴いても、低音の補足をしているだけに聞こえる。
独奏的に活躍するところがないばかりか、その音が聞こえない所も多い。
時折、その古雅な、ハープのような音色が響くのが、魅力ではあるのだが。

実は、解説もリンデ自身が書いている。
「ここで録音された交響曲の最初の版では、
その表紙に、
『ピアノフォルテをアドリブ伴奏とし、
2つのヴァイオリン、ドイツ・フルート、
テナーとチェロの5つの楽器のために、
J・P・ザロモンの編曲による、
ザロモン演奏会のために書かれたハイドンの大交響曲』
とある。
この下に、小さい文字で、
同様の編曲で、ハイドンの12のロンドン交響曲すべてが、
揃っているというインフォーメーションがある。
また、パート譜には、『五重奏曲。または、シンフォニア』とある。」

このように、実質はフルート五重奏曲で、
ピアノフォルテはアドリブであることが分かる。
しかし、この楽器を含めると、
6つの楽器での6重奏曲ということになる。
シューベルトが「五重奏曲『ます』」を書く、
少し前までは、こうしたものが五重奏曲だったのだろうか。

ハイドン自身には、こうした編成の音楽があるのだろうかと、
例の大宮真琴氏の「新版ハイドン」を眺めて見ると、
「管弦合奏曲」の一覧があって、
ホルン三重奏とかフルート三重奏といったものを除いて、
他はすべて、管楽器が複数の音楽であることが確認できた。
私がこれまでレコード屋で出会ったハイドンの音楽にも、
こんな編成のものは記憶になく、弦楽四重奏は大量にあっても、
その他は、むしろ、管楽合奏のようなものが多かったような気がする。

「オリジナルが、『フル・オーケストラ』のための曲を、
こうした小編成用に編曲して出版することは、
新曲を出来るだけ多くの聴衆に知らしめるのに有効な手段として、
当時としては一般的であった。
それらは多くの場合、作曲家の預かり知らぬものであり、
それらが作曲家自身によって作られることも希であった。
しかし、作曲家自身がこれを行った例もある。
ベートーヴェンは『第二交響曲』や、
『七重奏曲』を、ピアノ三重奏曲に編曲して小編成化した。
おそらく、ハイドンは、ロンドン交響曲のこれらの編曲を、
よく知っていたのではないか。
これらの自筆楽譜は、ザロモンの遺品にあって、
彼はまず編曲の方を出版し、後から、フルスコアを出版した(1800以降)。」

これは現代で言えば、コンサートと同時にCDが作られる感覚だろうか。
カラヤンはまず録音を前にして、楽員に練習をさせ、
万全の体制で、本番に臨んで効果を発揮したが、
ザロモンは、そうした、音楽産業のやり手の一人だったわけだ。
ただし、この方式をかれが始めたのかどうかは、
ここからは読み取れない。
一般的な慣習に過ぎなかった可能性もある。

が、1800年以降、というのがポイントで、
我がシューベルトの少年時代とは、こうした音楽シーンだったわけだ。
ロンドンでこうだから、ヴィーンはもう少し遅れていただろう。

「ハイドンは、彼のロンドンでの体験の記録で、
日記4冊を埋めたが、そこには、1795年5月12日、
交響曲第100番、104番が演奏された時の収益についても書いている。
この演奏会はハイマーケット・シアターで開かれ、
当時の慣習に倣って長くて雑多な演目が演奏された。
『軍隊交響曲(第100番)』は、二部に分けて演奏された。
それから、『ロンドンのために書かれた最後の、12番目の、
ニ長調の新しい交響曲は、居合わせた人々も、私をも大変喜ばせた。
私はこの晩、4000フローリンを得た。
こんなことが可能なのは英国においてだけである。』
この機会に、当然ながらフル・オーケストラで演奏されたが、
他の晩には、室内楽の演奏会においては、彼は、
ピアノの席で聴いており、ヴァイオリニストの
ヨハン・ペーター・ザロモン(ボン1745-1815ロンドン)もまた、
ほとんどのこうした演奏会に出演している。」

私は、こんな日記があることは知らなかった。
モーツァルトの手紙ほど面白いものとは考えられないが、
意外に何でも書いてある可能性もある。
是非、読んでみたいものだ。

さて、ここから、ザロモンについての記述で、
作曲家ハイドンを押しのけて、大きくフォーカスされておる。
こうした、一般の本には出ていない事が読めるのも、
この種のCDの魅力である。
「彼は、1781年、最初にロンドンを訪れてから、
この地の音楽シーンで重要な役割を演じた。
彼は最初、ヴァイオリン奏者として名を馳せたが、
次第に、特に定期演奏会の興行主としての活動を増やしていく。
彼は、12曲の『ザロモン交響曲』を作曲するよう、
ハイドンをロンドンに2度にわたって招き、
さらにモーツァルトをも英国に召還しようとしたが、
作曲家が亡くなったために実現はしなかった。
ハイドンは英国において得た名声や莫大な利益の大部分が、
ザロモンのおかげだと感謝していた。
ザロモンはさらに英国でオラトリオを書くよう勧めたが、
ハイドンは英語に通じておらず、ドイツ語のテキストを求めた。
ヴィーン在住のズヴィーデン男爵による、
『天地創造』のドイツ後テキストを、
ハイドンに紹介したのもザロモンだった。」

さらりと書いているが、ズヴィーデン男爵や、
モーツァルトとも繋がりがあるなど、非常に高い目利きと、
広い交友範囲の人だったことが分かる。
このCDの音楽の編曲者がザロモンということからか、
この人の活躍に注力した解説で、繰り返すが、
ハイドンの音楽の内容は、そっちのけになっている。

「第二次ロンドン訪問の後、
ハイドンのオーストリア帰還後、
ザロモンとの協業関係は次第に立ち消えとなっていく。
しかし、彼は、この友人にしてパートナーのことを、
こんな証言にも似たようなものを残している。
『ソロモン王とダヴィデ王は、
楽しい楽しい生活をした。
楽しい楽しい女友達と、
楽しい楽しい奥方たちと。
しかし、沢山の沢山の疑惑と共に、
老齢が忍び寄った時、
ソロモン王は箴言を書き、
そしてダヴィデ王は詩編を書いた。』」

味わい深い一節とも言える。
ソロモン王はザロモンの例えだが、
ロンドンで、ハイドンは、楽しい女友達たちと、
浮かれ騒ぐシーンがあったかもしれない。

接待旅行には、ひょっとしたら、
そんな一こまがあったかもしれない。

実際、ハイドンは当時、すでに高名で、
イタリアからも招きがあったのを断って、
ロンドンに赴いたのであった。
そのように大宮真琴著書には書いてある。

そもそも、ザロモンがハイドンをロンドンに呼ぶ前に、
ザロモンはハイドンの作品の紹介に、既に務めており、
英国において、交響曲などの演奏も行っていたとある。
ハイドンが来るということで、ザロモンは、大喜びであったはずである。

ちなみに、ハイドンの訪英をおさらいすると、
約1年半のものが2回あって、
間に1年、ヴィーンで休養している。
ハイドンは英国の活気に目を見張りながらも、
その喧噪に困惑し、寛いだ環境を求めたのであった。

この休息の1年は、ハイドン61歳の年に当たるが、
長らく交友していたゲンツィンガー夫人が43歳で亡くなっている。

ハイドンは、交響曲第99番のしみじみとしたアダージョと、
ピアノの変奏曲を追悼の意味で作曲しているが、
これらの曲の曲想からするに、非常に愛らしい人であったようだ。

ちなみに、この変奏曲(アンダンテ変奏曲Hob.ⅩⅦ:6)に関して、
大宮真琴氏の解説は、非常に難しいことを書いている。
1793年に作曲されたとのことだが、
これは例の夫人が亡くなった年で、ヴィーンにいた頃だからであろうか、
筆写譜には、ヴィーンの宮廷代理人の娘、
「デ・プロイヤー嬢のための小ディベルティメント」と記されている、
とあり、
99年のアルタリア初版には、ブラウン男爵夫人への献辞があるともあり、
これは、ヴィーンの実業家の夫人であるという。
プロイヤー嬢が結婚して、
ブラウン夫人になったということはないだろう。
プロイヤー嬢の名前はバーバラで、
ブラウン夫人の名前はヨゼフィーネだからである。
さらに、ややこしい事に、自筆楽譜には、
変奏曲ではなく、「ソナタ」と書かれているという。

かなり混乱した背景があるようだが、
ハイドンがこうした事に関してはおおらかだったことが分かる。
メロディも美しく、名品ゆえに、
いろんな女性に献呈したかった気持ちは分からなくもない。

また、門馬直美氏は、
「曲はモーツァルトが、
2曲のピアノ協奏曲(K449と453)を献呈した、
バーバラ・プロイヤーに捧げられた。
プロイヤーは、宮中顧問官の娘で、
モーツァルトからピアノと作曲を学び、
好んでモーツァルトの曲を演奏した人である。
ハイドンがなぜ彼女にこの曲を捧げたのかわからないが、
おそらく、第1回訪英中に親友のモーツァルトが死去したので、
ヴィーンに帰って、さっそくモーツァルトと親しかった
彼女を慰めるつもりで作曲し献呈したのだろう。」
などと、書いてもいる。

氏も、出版時にはブラウン男爵夫人に捧げられている点については、
疑問を呈している。
ハイドンの心の支えのような、
ゲンツィンガー夫人の名前は全く現れない。

さて、先の第99番の交響曲の演奏で、
ハイドンの第二次訪英の演奏会は始まった。
また、この訪英に先立って、ハイドンは、
第100番、101番の交響曲にも取りかかっていたとされるが、
「軍隊交響曲(第100番)」のような大騒ぎの音楽は、
この失意と関係があるのだろうか。

それにしても、ほとんど手ぶらで敵地に乗り込むというのも
度胸がある話ではないか。
ゲンツィンガー夫人の死の年だったせいか、
新たに完成した交響曲は1曲しかなかったのである。

また、このようにこの時期のハイドンの動向を見て、
私が興味深く思うのは、
彼は、ロンドンではうるさくて静かに作曲出来ないと書きながら、
このヴィーンでの休息の時期には、あまり作曲がなされていない点である。

追い詰められないと、人間、何事もなしえないと考えるべきか、
ハイドンは、必要に迫られた時にこそ、
底力を発揮するタイプだったと考えるべきか。

第二次訪英は、ハイドンの老齢を考え、
雇い主、エステルハーツィ公も、
ロンドンで激しい嫉妬の渦に身をさらすべきではないと、
反対していた楽旅であったようだ。

ゲンツィンガー夫人の死後、
心の空洞を埋める必要があった、
ということはなかったのだろうか。
残念ながら、大宮真琴氏の本にはそうは書いていないのだが。

先のダヴィデとソロモンの話で、実は、
先のCDの解説は終わりだが、12曲もあるうちの2曲を、
リンデがどうやって選んだかはよく分からない。
たまたま、この楽譜があったからか、
先の大もうけのコンサートの記述にちなんだのか。
さらには、五重奏曲と言いながら、
今から考えれば、変則的な、
フルート五重奏曲という編成を選んだのは何故か、
といった疑問も浮かぶ。

フルートと言えば、プロイセンのフリードリヒ大王が、
この楽器をたしなんだ事で、ハイドンの一世代前に、
北ドイツで流行したことがあったし、
モーツァルトがマンハイムで出会ったヴェンドリングは、
欧州に名をとどろかせた名手とされ、
その紹介で、オランダ人、ド・ジャン氏のために、
フルート協奏曲を書いたこともあったから、
おそらく一般的な木管楽器として普及していたのであろう。

一方、ピアノフォルテはアドリブだという点が、
やはり時代を感じさせる。

ここで改めて、交響曲版とザロモンの六重奏版を比べてみると、
ロンドン交響曲の、壮大な序奏は、当然、原曲の方が圧倒的。
むしろ、この編成で、よくこんな音が出せるものだと、
ザロモン版もがんばっている。
弦楽器が多いオーケストラ版の方が音色的には豊かだが、
変化の妙としては、単調かもしれない。
ザロモン版では、フルートの活躍が目立つし、
時折、涼しげに鳴るピアノフォルテが、
シェーンベルクの作曲したサロン音楽のように洒落た色合いを添えている。

第2楽章のような静かな曲想になると、
音の厚みくらいしか差異はなくなってくる。
ただし、フルートが吹き交わすような牧歌的な曲想との対比は、
さすがオーケストラの威力と言える。

また、第3楽章や終楽章のようなリズミカルな部分では、
ハイドンはかなり壮大にティンパニを使っており、
激しいアクセントで輪郭が形作られている。
それを補うのが、ピアノフォルテのきらめきだろうか。

気になるのは、どんちゃら軍楽調の、
「軍隊」の第2楽章の処理だが、
何よりも、テンポが非常にゆっくりであることに驚く。
コーダでトランペットが鳴り響くところは、
あえて、唯一の管楽器であるフルートは黙って、
その柔和な雰囲気を消し、
弦楽のユニゾンとピアノフォルテだけで、
するどい音色を推進させて乗り切っている点である。

パウムガルトナーがあえて、旧版の楽譜を使って、
スラーの処理を行わなかったという第1楽章第1主題の処理では、
ここでもスラーではないような気がする。
ザロモンの楽譜はどうなっているのだろうか。
旧版の処理がザロモン以来だとしたら、
ハイドン公認のスタイルと考えられなくもない。

得られた事:「ハイドンの交響曲などは、まず、室内楽編成で出版された。」
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by franz310 | 2009-01-03 23:44 | 音楽 | Comments(0)